約 154,825 件
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/882.html
価値開発 本店:前橋市六供町370番地 【商号履歴】 価値開発株式会社(2008年10月1日~) 株式会社上毛(2001年5月1日~2008年10月1日) 上毛撚糸株式会社(1912年9月20日~2001年5月1日) 【株式上場履歴】 <東証2部>1961年10月2日~ <店頭>1959年6月 日~1961年10月1日(東証2部に上場) 【筆頭株主】 有限会社アルガーブ 【連結子会社】 株式会社北海道上毛 北海道札幌市中央区 100% 株式会社ジェイ・エイチ・エム 東京都中央区 100% 株式会社快適計画 福岡県福岡市博多区 100% アーライドマネジメント株式会社 東京都中央区 50% 株式会社プラネット投資 東京都千代田区 100% 有限責任中間法人エイチピーティ・ワン 東京都港区 100% 合同会社エイチピーティ・ワン 東京都港区 100% 合同会社エイチピーティ・エム 東京都港区 100% 有限責任中間法人ティオマン 群馬県前橋市 100% 有限会社ティオマン 群馬県前橋市 100% 有限会社ローランド 群馬県前橋市 100% 有限責任中間法人JM 東京都港区 100% 合同会社JMインベストメント 東京都港区 100% 合同会社JM2インベストメント 東京都港区 100% 株式会社ジュピター・プランニング 北海道札幌市中央区 100% 【合併履歴】 2004年3月 日 上毛ファミリーサービス株式会社 【沿革】 大正元年9月 群馬県伊勢崎市に資本金300千円をもって設立、本社工場にて絹織物用撚糸の製造販売を開始 昭和12年6月 六供工場(群馬県前橋市)を開設 昭和14年2月 金津工場(福井県金津町)を開設 昭和15年6月 上毛実業株式会社を設立 昭和18年12月 本社工場を売却、本社を群馬県前橋市に移転 昭和24年7月 京都出張所(京都市上京区)を開設 昭和29年9月 加茂工場(新潟県加茂市)を開設 昭和29年11月 横浜営業所(神奈川県横浜市)を開設 昭和32年8月 伊勢崎工場(群馬県伊勢崎市)を開設 昭和33年7月 エンブロイダリーレース製造を開始 昭和34年6月 東京証券取引所店頭銘柄として株式公開(資本金150百万円) 昭和36年4月 横浜生糸取引所(現・横浜商品取引所)にて商品先物取引業を開始 昭和36年10月 東京証券取引所第2部に株式上場(資本金225百万円) 昭和40年4月 北陸出張所(石川県小松市大川町)を開設 昭和42年10月 丹後出張所(京都府峰山町)を開設 昭和45年8月 北陸事業所を石川県小松市(矢田野町)に移転 昭和47年1月 丹後営業所を京都府加悦町に移転 昭和47年3月 株式会社上毛ハウジングを設立 昭和47年4月 不動産関連事業を開始 昭和50年3月 金津工場を閉鎖 昭和51年3月 六供工場を閉鎖 昭和51年4月 京都営業所を移転(京都市上京区) 昭和51年6月 加茂上毛撚糸株式会社を設立 昭和54年3月 株式会社赤城カートランドを設立 昭和61年3月 株式会社赤城カートランドから上毛ファミリーサービス株式会社へ商号変更し、保険代理業を開始 平成7年2月 株式会社上毛ハウジング 群馬県渋川市にローソン渋川半田店を開業(平成14年3月閉店) 平成11年3月 伊勢崎工場を売却、伊勢崎工場を群馬県伊勢崎市(下植木町)に移転 平成12年11月 京都営業所を閉鎖 平成13年3月 株式会社上毛ハウジングから株式会社上毛イットへ商号変更しブロードバンド関連事業を開始 平成13年5月 上毛撚糸株式会社から株式会社上毛へ商号変更 平成13年7月 横浜営業所を閉鎖、商品先物取引業から撤退 平成13年8月 新宿営業所(東京都新宿区)を開設 平成13年9月 上毛実業株式会社を解散 防犯フィルム販売(セキュリティ事業)を開始 平成14年3月 シィーアールアンドパートナーズ株式会社を設立 平成15年3月 シィーアールアンドパートナーズ株式会社を解散 平成15年9月 新宿営業所及び伊勢崎工場を閉鎖 平成16年3月 上毛ファミリーサービス株式会社を吸収合併。加茂上毛撚糸株式会社を解散 平成16年7月 株式会社上毛イットを解散 平成17年1月 東京支社(東京都新宿区)を開設 平成17年11月 西日本支社(広島県広島市)を開設 平成18年9月 東京証券取引所「信用銘柄」に選定 平成18年10月 東京証券取引所の所属業種が「繊維業」から「不動産業」に変更 平成18年12月 東京証券取引所「賃借銘柄」に選定 平成19年1月 銀座営業所(東京都中央区)を開設 平成19年3月 西日本支社(広島県広島市)を閉鎖 平成19年4月 株式会社北海道上毛を設立 平成19年7月 東京支社有楽町(東京都千代田区)オフィスを開設 平成19年7月 銀座営業所(東京都千代田区)を東京支社銀座オフィスへ名称変更 平成19年9月 株式会社ジェイ・エイチ・エムを設立 平成19年10月 沖縄支社(沖縄県那覇市)を開設 平成19年11月 株式会社快適計画を株式取得による子会社化 平成20年1月 丹後営業所を閉鎖
https://w.atwiki.jp/keikenchi/pages/946.html
使用価値無し・本編 使用価値無し・小ネタ
https://w.atwiki.jp/keikenchi2/pages/1028.html
使用価値無し・本編 使用価値無し・小ネタ
https://w.atwiki.jp/0ny0ny0ny/pages/731.html
⑩ 付加価値課税 一割の付加価値課税で国内総生産一割の税収化を。 ●奢侈税●食品非課税●退職金上限課税
https://w.atwiki.jp/goddesswiki/pages/24.html
ダイヤの価値 ペットの進化 ダイヤの価値 ペットの進化
https://w.atwiki.jp/erziehung-wakei/pages/12.html
価値観的立場と価値相対主義 1 価値観的立場にたつ教育学 私は臨床心理学科に属しているが、専門は教育学である。そして心理学には疎い人間であるが、心理学の学科に属していることで毎日心理学者や心理学を学ぼうとしている若い学生たちと接しており、そのために心理学と教育学の発想の違いを意識することが多くある。 もちろん、人間を相手にしている学問であり、特に臨床心理学は実践を主たる目的とする学問であるという点から、共通点もたくさんある。広い範囲をもった心理学の中で臨床心理学は教育学と近いともいえる。しかし、ここでは主に違いを明らかにし、何故そのような違いが生じるのかも合わせて考察してみたい。 人間は社会的存在であり、非常に弱い存在として生まれてくるから、大人が育て、社会のことがらを教えなければ大人になって生きていくことはできない。人類がこの地球上に現れて以来そうであったといえる。 また、社会的存在である以上、悩みごとからまったく自由であったこともないであろう。したがって、教育的行為も相談的行為も、先史の時代からあったと考えで間違いない。しかし、教育を司る学校は5000年も前に発生したと言われており、それ以来学校という組織と教師という職業が綿々と続いてきたが、相談活動をする人は、以前は年配の経験豊かな人であったり、また聖職者であったりした。ヨーロッパのカトリック教会には、いまでも「懺悔室」が残っているが、神父が悩みごとと対していたことをよく示している。今カウンセラーは人気の職業となり、先進国では「資格」を伴った専門職となっているが、これはごく最近のことである。今でも欧米の学校でカウンセラーといえば、むしろ進路について相談にのる人を意味することが多く、人間的な悩みを相談する人だけを意味しているわけではない。このように歴史的に見れば職業形態という点で大きな違いがあるが、これは次の違いを生む要因ともなっている。 教育という行為は、必ずある「理想」「望ましい状態」を前提に成立しており、明確な教育的価値をともなっているのに対して、臨床心理学は最終的にはそうであるにしても、臨床的な実践においては、むしろそうした「望ましい状態」を具体的に示すことを避ける、そこから自由になることを重視しているように思われる。 何かを教えるときに、価値がないと思っている内容を教えることは通常ありえない。まして、社会的な制度の中で、共通カリキュラムに入っていることで、社会がそれに価値を置かないような内容があるとは考えられないだろう。もちろん、人それぞれの価値観の中で、あんなことを学んで、どんな価値があるんだ、という疑問は少なくないし、学生諸君の意見としても、高校で習う数学なんて、実際には役にたたない、と感じている人が圧倒的だろう。しかし、ここではそういうレベルのことではなく、もっと原則的なこととして考える。おそらく、「高校の数学なんて役にたたないよ」と考えている人は、将来高校の数学の先生になりたいとはおそらく思わないに違いない。数学を学ぶことは人間として価値があると思う人が、おそらく多く数学の先生になるだろうし、また、そうした信念が強く、情熱的であるほど、いい数学の先生になる可能性が高いと考えるのが自然だろう。5000年の歴史のある教育は、そうした積極的な評価を積み重ねてきた内容が、基本的な教科として存在し、また多くの人に受け入れられてきた。 2 教育の目的としての自律的人間形成 アメリカにサドベリ・バレイ校という学校がある。詳しく講義で取り上げることになっているが、1960年代にたくさんアメリカに生まれた、普通の公立学校とは違う教育をめざして設立されたオルタナティブスクールで例外的に今日まで生き延びてきた、いや生き延びただけではなく、多くの支持者を獲得してアメリカに広まりつつある学校である。この学校は、4歳から18歳までの生徒が学年に分かれることなく、一緒に生活し、カリキュラムも存在せず、好きなことをやってよいという教育を行っている。学校に来ることだけが義務で、通常の勉強をする必要すらない。勉強は自分でしたいと思ったときにだけ行い、それも自習でやってもよいし、もし大人やほかの生徒に教わりたいと思ったら、交渉・契約して初めて「授業」が成立するという方針をとっている。何をやってもいいのだから、理想や望ましい状態というような考え方を放棄していると考えられる余地もある。たしかに、普通の学校とはまったく違っており、普通の学校が理想とすることを理想と考えていないことは間違いない。しかし、このように、価値観的立場と無縁に見えるサドベリ・バレイ校も、実はきわめて明確な理想をもち、それを実現するために、このような方式をとっているのである。 サドベリ・バレイの教育目標は、自分でやりたいことが発見でき、それを実行するための能力の形成を自律的に行うことができ、そして共同体の中で協同しながら自立的に生きることができる民主主義的な人格を形成するというようにまとめることができる。理想や価値がないのではなく、きわめて明確なのである。 ではカウンセリングの場合はどうだろう。カウンセリングといってもかなり多くの、時として対立する立場があり、単純にはいえないだろうが、クライアントが自分で解決の方向を確信することが、治療の基本であるという考え方は多くの立場で共通しているようだ。つまり、カウンセラーの価値観的な立場を前提に治療を行うのではなく、それをできるだけ抑えることが求められる。そして、どのような状態になることをもって治療ができたと考えるかも、またカウンセラーの価値観的立場によって判断するのではない。 ひきこもりや不登校の問題を考えてみよう。 不登校の生徒が出た場合、学校では多くの場合教師や生徒が家庭を訪問して、学習内容を伝えたり、様子をみて励ましたり、さまざまな取り組みをするが、最終的には再度登校できるようにすることを目的としているといってよい。もちろん、性急な解決が求めることは事態を改善しないことは段々と知られるようになってきたが、学校という立場から、「学校などにはこなくてもいいのだ、そういう生き方もあるさ」というような解決を目指すことは考えられない。学校という制度があり、そこに登録されているとき、特に義務教育段階では、学校に通うことが「当然」のことであり、そのことについて否定することはおかしいと考えられている。もちろんこれはいろいろな状況を無視して、ただ単に学校に来られるようにすればいいという意味ではなく、学校という制度、教育という立場から見れば、原則的な考えは通学できるようになることを目標とするという意味である。 しかし、カウンセラーが不登校に対応するときには、必ずしもそういう立場をとらないだろう。学校に行けないのは、行けない原因があり、本人がその原因を自覚して乗り越えようとすることが大切であり、学校にいくべきであるという「立場」を前提にカウンセリングすることは、解決を逆に遅らせる危険性があるし、また、自分で主体的に選択しないかぎり、真の解決には至らないと考えているからであろう。 不登校といってもいろいろな要因、状況がありうる。本当に学校に問題があって、他の学校に移ろうという人もいるだろうし、学校という形態ではなく、とりあえず独力で学習したほうが効果的だと考える人もいるかも知れない。そういう人たちにとっては、不登校は合理的な選択といってよい。しかし、学校でうまくいかない状況があり、当人あるいは教師、他の生徒たちとの関係で改善可能な要因である場合には、それを正確に認識し、適切な対応をとることが求められ。また家庭に要因がある場合、あるいは何かの精神的な疾患が原因であるということもありえる。 3 カウンセラーと価値相対主義 カウンセラーはこうしたさまざまな要因がありうる中で、クライアントの状況を正しく把握することが、何よりも重要であり、そのためには、あらかじめ「かくあるべき」という価値観的な立場で接すると、不正確な理解に陥る危険性があり、方法的な誤りであるという立場にたっていると考えられる。もちろん、現在の学校では問題がありすぎ、むしろ不登校の生徒こそ健全なのだ、というような立場も、一見「学校に行くべき」という立場から解放されているように見えて、偏狭な価値観に囚われていると考えられる。 では、価値観的な立場と価値相対主義は絶対に相いれないものなのだろうか。もしそうだとしたら、教師とスタールカウンセラーは協力の難しい職種ということになってしまう。この問題は最後にもう一度立ち返って考えてみることにしたい。 先に、カウンセラーは新しい職業であり、以前は年長者や聖職者が相談を担っていたと書いた。それは担い手だけの問題ではなく、この価値観的立場に関わっている。宗教は道徳的な価値観の体系をもっているのが普通であり、それを示す教典がある。聖職者が相談を受け、ある解決策を提示するときには、その宗教の教典が重要な役割を果たすことになる。もちろん、単純な教典の解釈で解決するわけではなく、相談を受けた人の個性的な考えも反映され、その根拠を教典に求めるということもあるが、少なくとも聖職者が教典に基づいて相談への解決策を示すときには、明確な価値観的な立場が前提されている。そしてそれは「神の教え」だった。 しかし、19世紀ヨーロッパは市民革命、産業革命よって、大きく社会的に変化し、信教の自由などの自由権が認められ、他方選挙権によって、市民が政治の自立的な主体として登場した。つまり、国家や教会が特定の価値観を市民に唯一正しいものとして提示する社会ではなくなってきたのである。ニーチェはそれを「神は死んだ」と表現した。そしてそれと入れ代わるように、フロイトが登場したのは偶然ではない。 具体的に安楽死の問題を考えてみよう。ある不治の病となって、苦痛に苛まれ、ただ死を待つ患者が医者に安楽死を希望し、精神的なケアのためにカウンセラーに治療の一部を任されたと仮定してみる。宗教的に見れば、多くの宗教は出生を神の意志と規定しており、命は神から授かったものとされている。「神が生きている」時代には、神の意志として安楽死など容認できないと言えば済んだに違いないが、今ではそれは不可能である。そして、カウンセラーが、安楽死を勧めてそのために助力するとか、あるいは逆に死んではいけませんと強くいって、激しい苦痛に耐えることを求めたりできるのだろうか。 いじめで悩んでいる生徒の場合はどうだろう。 「いじめられるのはあなたが弱いからだから、もっと強くなって対抗しなさい」とか、あるいは逆に「一時のことなんだし、卒業してしまえば関係なくなるから今は我慢することが大切だ」とか、「転校して彼らから離れるように」、「警察に訴えなさい」などと、具体的な方針を、自分の考えに基づいて提示することは、カウンセリングの原則からいってほとんど行われないに違いない。いじめをめぐる原因やまわりの人間関係、また解決すべき人たちの力量など、さまざまな要因によって、実際の解決策はさまざまだろうし、また解決策を実行するのもカウンセラーではない。できること、またする必要があることは、そうしたことをしっかりと考えさせ、クライアントが自ら解決策を見いだし努力できるようにすることと、解決に関わる人たちに対して、クライアントの合意の下に、情報を提供し協力することだろう。それがどのような価値的立場をとるかは、臨床心理学に内在するものではないと考えられる。
https://w.atwiki.jp/wiki3_takepon/
コンセプト 本当にいいものは、客のほうから売ってくれと寄ってくる。 大切なことは、市場に受け入れられる価値を作り出すこと。 価値観を生み出せる商品作りを目指して、価値創造研究所を立ち上げます。 秘密の言葉 誰もが知ってるけど声に出して言わないこと、人を巻き込むことで価値を生み出す。 今の中国で、外国人として意味のある貢献 [1]技術スペシャリストとして技術を伝えること [2]中国市場の中で新しい価値観を作り出すこと [3]お金を集めてくること この研究所では、[2]について真剣に取り組んでいきたいと思います。 適時更新予定。 ※最初にこんな大げさなことを書くと後が続きませんね(笑。 最初は小さく、だんだん大きく作り直します。
https://w.atwiki.jp/doliland/pages/294.html
とあるサイトを参考にしています。 価値をポイントで表しています。 イベントなどでカードの価値は大きく変動することがあります。 トレードの人気とは一致しない部分もあります 妖魔王ゼロス 25000ポイント 騎士天使クラリス 25000ポイント 白騎士ラーティス 20000ポイント 退魔士ベーゼ(旧) 20000ポイント 魔法少女アイリス 20000ポイント 綺羅嬢ビアンカ 18000ポイント(↓) 鉄魔術コゴル 18000ポイント 堕天使ルシファー 17000ポイント 超戦士カーデス 16500ポイント 鬼牛王ディード 16000ポイント 大魔王ビザンテ 16000ポイント 月天使クララ 15500ポイント 龍王ギリアム 15000ポイント 退魔士ベーゼ(新) 15000ポイント 黒揚羽リイザ 15000ポイント(↓) 恋天使フローラ 15000ポイント ハルカ 13000ポイント(↓) 海龍騎士ギアス 12000ポイント(↓) 大鎌スライヤ 11000ポイント 焔舞姫アヤ 10000ポイント 祈祷師マナ 6000ポイント 純妖精セリナ 6000ポイント 黒天使ロキ 5500ポイント 聖天使アテナ 5500ポイント 天騎士レーニア5500ポイント 姫天使ミレル 5000ポイント 聖獣王カイ 5000ポイント 暗黒龍魔ゼーダ 5000ポイント 青龍王ロン 4000ポイント 神魔ジン 3500ポイント 応援パンダ 3000ポイント 知識魔女カナ 2500ポイント 死神デスサイズ 2000ポイント 左天使ロビン 1000ポイント 右番人ノーラ 500ポイント(↑)リニューアル後劣化版が登場予定? トップページ データー無し 花剣士モエ 魔法女神テレサ 今後価値低下? 白銀騎士ニーノ 結界師ルナ
https://w.atwiki.jp/henroy/pages/47.html
正義の価値 ◆F3/75Tw8mw (こんな事……絶対に駄目だ。 絶対に、止めなくちゃ……!!) 廃教会。 かつて紅の魔法少女―――佐倉杏子に己の信念を伝えたその場で、美樹さやかは再び強い決意を固めていた。 魔法少女として、正義の味方として。 この殺し合いを止める……止めなくてはならないと。 それは、この場に招かれた仮面ライダーやプリキュア、魔戒騎士といったヒーロー達も同じ思いだ。 彼等彼女等は、悪を憎む強い正義の心から、そう誓っている。 そしてその思い自体は、さやかも変わらない。 ただし、ただ一点……彼等が持たぬ「歪み」があることを除けば。 (そうだ……あたしは魔法少女なんだ。 あいつを倒さなきゃ……あたしが、倒さなきゃいけないんだ……!!) さやかの心にあるもの。 それは悪を許さないという気持ち以上に……「自分は正義の味方でなくてはならない」という強迫観念だった。 (この魔法は、使い方次第で多くの人を幸せにできる……その為に使わなくちゃいけない力なんだ) 美樹さやかはかつて愛する幼馴染―――恭介の為に奇跡を願い、その代償として人在らざる者―――魔法少女へとなってしまった。 痛みも感じない、生ける屍同然の肉体。 そんな異形が、愛する者と一緒になれる筈がない……彼女は誰かの幸せを願ったが為に、自らの幸せを願えなくなってしまったのだ。 (間違っても……魔法は、こんな殺し合いの為にある力じゃない) そして、そんな彼女に追い打ちをかけたのが、大切な友人―――魔法少女となった最初の戦いで救出した―――仁美から打ち明けられた事実。 「恭介に告白する」という、最悪の一言だった。 さやかはその言葉に、何も返せなかった。 異形に堕ちた人間に何が言えようかと……そう深く絶望し、「彼女を助けなければよかった」とさえも思ってしまったのだ。 (自分の為に……使っていい力じゃないんだ……) そんな、思いつめた彼女に残された道……それは「正義の味方」であり続ける事。 人に呪いを振りまく魔女を、この手で刈り取る……修羅という名の正義しかなかった。 以来、彼女は自らの肉体が傷つく事を顧みず、周囲の言葉にも一切聞く耳ももたぬままに、無謀な闘いを続けてきた。 そうしなければ……自身は役立たずになってしまうから。 完全に用済みになってしまうからと、精神を摩耗し続けているのだ。 (あたしは、この殺し合いに参加させられた人達の為に戦わなくちゃならない。 戦えなかったら、何の価値もない……石ころなんだから……) もしも彼女が、佐倉杏子の様に『自分の為』に魔法を使える性格だったならば、ここまで追い込まれはしなかっただろう。 戦いに『見返り』を求められる人間だったなら、ここまで傷つく事は無かっただろう。 しかし、彼女にとって魔法とは、どう言われようとも「他者の幸せを願うもの」に他ならなかった。 それこそが信念であり、彼女が目指す正義でもあるが故に……彼女は、心を病んでしまったのだ。 (……行こう。 兎に角、誰かを探そう) そんな、呪いにも似た歪な正義の下、彼女は殺し合いを止めるべく動き出そうとする。 その、瞬間だった。 「ッ……!?」 突然、彼女の全身を凄まじい悪寒が駆け廻った。 例えるなら、背後から刃物を喉元に押し当てられているかのような感じと言えばいいだろうか。 いつの間にか、体も震えている……本能が、恐怖を感じているのだ。 こんな事……魔女との戦いでも、そうそうあるものじゃなかった。 (後ろに何か……とんでもなくヤバいのがいる……!?) さやかは、己に向けられたソレ―――殺気を察知し、後ろに振り返る。 同時にソウルジェムを取り出し、すぐさま変身が可能な態勢をとった。 そして、そんな彼女の視界に飛び込んできたのは……一人の、男だった。 「…………」 (何……この人……?) 漆黒のコートを身に纏う、黒いリーゼントヘアの男。 その瞳はサングラスで隠されており、より全体の不気味さを際立たせている。 そして何より特徴的なのが、全身から放たれる強大な威圧感。 さやかは、その男―――三影英介を前にして、完全に身が竦んでいた。 「……ガキか……」 三影は咥えていたたばこを地面に吐き捨てると、静かにサングラスを外して胸元のポケットにしまった。 現れたのは、さやかが予想していた通りに冷たい光が宿った瞳……しかし、それは左目のみだった。 では右目は何かというと、そこにあったのはまた別の『光』。 「だが、ただのガキでもなさそうだな……ならば……」 さやかの額目掛けて放たれている、赤く細い照準―――レーザーサイトだった。 「消え失せな……!!」 次の瞬間。 骨が砕けたんじゃないかと思える程の音と共に、三影の右肩から何かが生えてきた。 それは彼の肉体の一部にして、獲物の命を無慈悲に奪う為の兵器。 轟音を轟かせ、砲弾を放つ大筒―――大砲だった。 「なっ……!?」 それを前にして、さやかは驚きを隠せなかった。 生身の人間がいきなり体から大砲を出現させ、しかも自分の命まで狙ってきたとあっては、当然の反応だろう。 しかし、驚き立ち尽くしたままではいけない。 動かなければ、殺されるのだから。 (……驚いてる場合じゃ、ない……!!) すぐさまさやかは、ソウルジェムを使ってその身を戦う為の姿―――魔法少女へと変える。 それと同時に、強く地面を蹴って横へと跳躍。 間一髪、砲弾を回避し……直後。 ――――――ドゴォンッ!! 今まで彼女が立っていた場所のすぐ後ろにあった壁が、音を立てて粉々に吹き飛んだ。 もしも回避が間に合わなかったなら……変身できず生身のままであったなら、良くて致命傷。 悪ければ即死級の破壊力だ。 「……ふん……やはりな」 三影は魔法少女となったさやかを見て、己の勘が正しかった事を確認する。 例え少女といえども、こんな殺し合いに参加させられている時点で、ただの一般人な訳がない。 どんな本性を秘めているか分かったもんじゃない……と。 それ故の発砲であり、そしてさやかは見事に回避してのけた。 (こいつ……一体何なの!? 肩から、大砲を出すって……魔女でも使い魔でも……間違っても、魔法少女じゃ絶対にない筈なのに……!!) 三影の挙動は、さやかにこれ以上ない混乱を齎していた。 こんな攻撃を使える存在など、魔女か使い魔か……或いは、魔法少女以外には考えられない。 しかし、三影は明らかにその三つとは異なる。 未知の力を持つ、外敵……「化け物」と言うべきかだろう。 兎に角、分かっている事はただ一つ……明らかに危険な存在ということだ。 「おい、小娘……お前はこの殺し合いで、何をするつもりだ?」 一方、そんな彼女に興味を抱いたのだろうか。 三影は二射目に移行せず、静かに問いかけた。 この殺し合いで、どう動くつもりなのか……と。 「何って……そんなの、決まってるじゃない。 あたしは、この殺し合いを止める……魔法少女として、正義の味方として皆を守ってみせる。 こんなのは、絶対に間違ってる……!」 さやかは、魔法で右手にサーベルを出現させると共に答えた。 魔法少女の力で、殺し合いを止める。 誰かを守る為に戦ってみせると。 「……ケッ。 貴様も、あの連中と同じ……夢想家気取りの偽善者か……!」 しかし……それは、三影が最も望んでいない答えだった。 「反吐が出る……!!」 その怒りの声と共に、三影の全身が光の粒子に包まれる。 さやかはそれを見た瞬間、すぐに飛び出した。 このままではまずいと……そんな嫌な予感がして、攻撃に移ったのだ。 「えぇぇいっ!!」 雄たけびと共に、三影の脳天めがけてサーベルが振り下ろされる……しかし。 「遅い……!!」 その刃は、十字に交差した八本の爪に防がれていた。 爪の先にあるのは、白い毛を靡かせた虎の手。 「白い……虎……!?」 この時、既に三影の全身を覆っていた光は消失していた。 そして彼自身の身は、人在らざる異形へと変化していた。 白い体毛をもつ、猛虎の改造人間―――タイガーロイドへと。 「オオオォォォォッ!!」 砲口と共に、タイガーロイドは受け止めていたサーベルを弾き上げる。 続けて胸元より、一本の砲身を出現させた。 この時さやかの胴体は、振り下ろした獲物を腕ごと頭上へと上げ直された事により、完全に無防備。 タイガーロイドの狙いはずばり、そこをぶち抜く事だった。 ――――――バシュッ!! 「ぬっ!?」 しかし砲弾は直撃せず、さやかの左肩を僅かに抉るに留まった。 彼女とて魔法少女、戦闘能力でいえば並の人間よりかは高い部類に入る戦士だ。 三影が砲身を出した瞬間に身をかがめ、どうにか致命傷は避けたのである。 「……こんなの……どうってことない……!!」 そしてさやかは、すかさず反撃へと転じる。 立ち上がる勢いに乗せて、タイガーロイドへと逆袈裟に切り上げたのだ。 241 :正義の価値 ◆F3/75Tw8mw:2011/10/30(日) 01 40 33 ID TanZm9nU0 「痩せ我慢……か。 苛々して仕方がねぇ……!」 だが、その刃は紙一重でタイガーロイドを斬れなかった。 タイガーロイドもまたさやかの反撃を見切り、バックステップでギリギリの回避をしたのだ。 加えて、その両腕からは実に三本もの銃身がせり出している。 「真実を見ない理想主義者の、クソみたいな美学だな……!!」 さやかの身を蜂の巣とすべく為。 銃口が一斉に火を吹き、弾丸が打ち放たれた。 「当たってたまるもんか!」 彼女はこれを、最初の一撃同様に横への跳躍で回避。 しかし今度の攻撃は、大砲ではなく連射が利く銃弾だ。 よってタイガーロイドの攻撃は止まらず、続けて彼女を狙ってきている。 「だったら……!」 ならばと、さやかは足を止めることなく走る。 教会の壁目掛けて全力で疾走し、銃弾を避けていく。 そして壁へ行き当たると、今度はその壁に片足を乗せ…… 「ハァァァッ!!!」 そのまま、スピードを落とす事無く壁面を疾走。 タイガーロイドに向かい、横から迫っていく。 「チィッ!!」 それを迎撃すべく、タイガーロイドは狙いを定めて発砲。 しかしさやかは、命中直前に再び跳躍して回避。 今度は天井へと逆さに立ち、更に反対側の壁へと飛び移る。 地面から壁へ、壁から天井へ、天井からまたも壁へ。 上下左右へのアクロバティックな動きでタイガーロイドを翻弄し、狙いをつけさせない様にしているのだ。 (よし……これならあいつも、あたしを上手く狙っては打てない。 後はこのまま、上手く近寄って……!!) しかし……タイガーロイドはこの幻惑戦法を、思いもよらぬ方法で打ち破る。 「くだらねぇ……何が正義の味方だ」 縦横無尽に動き回るさやかに対し。 タイガーロイドはその肩口から大砲をせり出し……その、直後。 「腐れ切ったこの世の中に、善も悪もあるものか!!」 怒りの声と共に、教会の天井が吹き飛ばされた。 「……しまった……!?」 相手がこの教会内を自在に飛び回るというなら、着地できる面をなくせばいいだけの事。 三影は天井を吹き飛ばす事により、さかやの上方向への回避を潰したのだ。 やむをえず、さやかは錯乱を止めて攻撃へと移行。 壁を強く蹴り、横合いからタイガーロイドへと斬りかかろうとするのだが…… 「甘いッ!!」 相手の飛び交う方向さえ限定できれば、もはや攻撃を見切るのは容易。 タイガーロイドは向かってくるさやかへ向い左腕をあげ、正面から銃弾を打ち放ったのだ。 「ぐっ……!!」 サーベルを体の前で横向きに構え、盾代わりにする。 しかしそれで全ての攻撃を防ぐ事は当然不可能であり、結果、何発かの銃弾は彼女の手足と胴体を撃ち貫いてしまった。 全身を、焼ける様な痛みが駆け廻っていく。 「っ……アァァァァァァッ!!」 「何ッ!?」 だが、さやかは止まらない。 雄たけびを上げ、全力でタイガーロイドへと切りかかったのだ。 まさか攻撃を諸共せず突っ込んでくるとは思わなかったのだろうか、彼も今度ばかりは攻撃をもらってしまった。 「貴様……痛みを感じていないのか……!!」 真一文字の傷を胴体につけられ、タイガーロイドの表情が歪む。 同時に、彼は理解した。 先程はやせがまんと言ったが、そうじゃない……目の前の少女は、そもそも痛みを感じていないのだ。 何らかの方法で、感じる痛みを消し……こちらの攻撃に無理矢理耐えているのである。 「……ざけんじゃねぇ……そんな体になってまで、守る価値なんざこの世にあるかってんだ、アァッ!?」 そんな彼女の行動が、タイガーロイドには忌々しくて仕方がなかった。 「自分の身を犠牲にして、弱者と戦う? 正義の味方として悪を倒す? そんな事になんの価値がある!!」 「……価値なら、ある。 あたしが戦う事で、誰かの命が救えるんだから……!!」 タイガーロイドの言葉にやや険しい表情になりながらも、さやかは三影に斬りかかる。 自分は、魔女を倒す正義の味方なんだ。 それで誰かが守れるんだから、価値なんてそれでいい……見返りなんていらない。 見返りなんて、求めちゃいけない。 「ハッ……ならよ……」 そんな信念の込められた攻撃を、タイガーロイドは爪で受け流す。 そして、砲撃を放つべく再び距離をとり……直後。 「その命には……はたして、本当に守る価値があるのか?」 彼は、その口から……魔法少女として戦おうとするさやかの心を、根本から打ち砕く言葉を言い放った。 「……え……?」 タイガーロイドの思わぬ言葉に、さやかは思考を制止させた。 自分達が守ろうとする命に、果たしてそれに見合うだけの価値があるのか。 そんな事、考えたこともない……第一、考える意味がない。 危機に瀕している命があれば救おうとするのは、当然じゃないのか? 「そんなの……価値があるとかないとか、関係ないでしょ! 目の前に困ってる人がいたら、助けるのが当然……」 「正義の味方だから……か? 八ッ……呆れたものだな。 そんなもの……偽善者どもが作り上げた、体の良い『生贄』だろうが」 だが、さやかの反論は三影に一蹴された。 正義の味方を唱える事は、愚か以外の何物でもない……と。 「……生贄……?」 「人間程腐った生き物はいねぇ。 普段は正義だの平和だの唱えて聖人面しておきながら、その実、常に武装をして理解を超える存在には牙をむき侵略を繰り返す。 そして統治がすめば、また正義の皮をかぶりやがる……」 「ねぇ……一体、何を言ってるの……?」 さやかは、三影の言葉に自分が徐々に圧されている事を感じていた。 今はきっと、こんな話などに聞く耳は持たず、問答無用に切りかかればいい話なのかもしれない。 しかし……何故か、それができないのだ。 三影の言葉に、何かを……重みの様なものを、感じてしまっているが為に。 「そんな連中が作り上げたものが、『正義の味方』なんていう馬鹿げた幻想だ。 自分達の力じゃ決して勝てない存在が出てきた時に、そいつを『悪』に仕立て上げ……そして戦いを押し付ける。 実に都合がいい、救世主様ってわけだ」 「ッ……!! 違う、私達はそんなんじゃ……!!」 「違わねぇよ。 貴様はただ、体の良い様に扱われてるだけだ。 何の見返りもいらない、頼めば無償でやってくれる汚れ役……そんな存在としてな」 「……そんなこと……!!」 気がつけば、三影の言葉はさやかにとって苦痛以外の何物にもなっていなかった。 彼の言う事を、真っ向から否定できなくなり始めていたからだ。 「悪の根は人の根だ……俺からすれば、そんな偽善者の連中のほうがよっぽどの罪人だ」 「……やめて……」 誰かを助けることに、何の見返りも求めない。 それが正義の味方なんだと、さやかはずっとそう思っていた。 しかし……周囲からすればそれは、ただ都合が良いだけの存在なのではないだろうか。 進んで汚れ役を引き受けてくれ、見返りは何もいらないという。 困った事・危機があれば、勝手に戦ってくれる。 「だから俺は、そいつ等を粛清する為にこの力を手に入れた。 この世を正す為にな……」 「……やめてって言ってるでしょ……!」 正義の味方という言葉は……そんな都合の良い生贄を美化する為の、幻想でしかないのだろうか。 「お前の守ろうとしている連中に……守る価値なんてねぇんだよ」 「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!」 耐え切れず、さやかは怒鳴り声を上げながら三影へと飛び出していった。 彼女にとっては、正義の魔法少女として戦う事だけが残された全てだった。 そして三影の言葉は、その意義を真っ向から否定してしまうもの……即ち。 さやかの存在意義そのものを、消してしまうものなのだ。 そんなもの、絶対に受け入れてはいけない。 受け入れたら……美樹さやかという存在は、何の価値も無くなってしまうのだから。 「……馬鹿め……」 ただ怒りに身を任せて飛び込んでくる相手など、もはや敵ではなかった。 タイガーロイドは、肩口より大砲を出現させ……そして。 轟音が、静寂の夜に響き渡った。 ◇◆◇ 「……覚えておきな、小娘。 この世は弱肉強食……そこに正義があるっていうなら、強い奴こそが正義だ。 勝ち残った奴が正義なんだよ」 さやかは砲撃の直撃を胸元にうけ、壁に埋もれたままピクリとも動かなくなっていた。 そして三影は変身をとき、彼女に対し、そう冷酷に言い放った。 偽善者が掲げる正義など虫酸が走る。 勝者こそが、力こそが正義なのだ。 (しかし……普段に比べて、体にかかる負担が大きいな。 この程度のガキに、ここまで消耗させられるとは……) そしてさやかを嘲る一方、三影は自身の肉体にかかっている負荷の重さについて冷静に考えていた。 この一戦、変身中の体力の消耗が明らかに普段よりおかしかった。 銃撃一つ放つにしても、疲労が何故か貯まるのだ。 恐らくこれは、加頭の仕込みだろう。 殺し合いが一方的な虐殺にならぬよう、力を抑えられたに違いない。 (いや、消耗だけならまだいい。 問題は……威力まで落ちてやがることだ) しかしそれ以上に厄介なのは、威力が低下していることだ。 三影は元々最後の一撃で、さやかの胸元に風穴をぶち開けるつもりだった。 だが、結果は見てのとおり……彼女を倒せたとはいえ、期待通りのダメージは与えられていない。 肉塊にはならず、人型を保ったまま生きている。 (加頭……貴様が何を目論んでいるかは知らん。 だが、俺の体を好き勝手に弄った礼はさせてもらうぞ……ここの連中を皆殺しにした、その後でな) タイガーロイドの力は、己が理想を叶えるべく手に入れたモノだ。 それを弱体化させるなど、三影には当然許せる筈もない。 故に、彼は誓う。 全ての参加者を皆殺しにした後……加頭をも、この手で処断すると。 「じゃあな……あばよ」 さやかに背を向け、三影は外へと出る。 新たな獲物を……愚かなる偽善者を探し、殺すために。 正義だのというくだらない幻想を、破壊しつくす為に。 【一日目・未明 F-2/路地】 【三影英介@仮面ライダーSPIRITS】 [状態]:ダメージ(小)、疲労(中) [装備]:無し [道具]:支給品一式、ランダム支給品0~3 [思考] 基本:殺し合いに勝ち残り、加頭の命を断つ。 1:殺し合いを止めようなどと考える『偽善者』の抹殺 2:邪魔をする者には容赦しない [備考] ※参戦時期は仮面ライダーSPIRITS第7巻、村雨との一騎打ちの直前からです ※まだ名簿を確認していません。 ※タイガーロイド変身時は、全身から銃口・砲身を出現させて射撃を行うに当たり、体力を消耗するようになっています。 疲労の度合いは、放つ射撃の威力・大きさに比例して大きくなります。 また、破壊力に関しても通常時と比較してそれなりに落とされています。 ◇◆◇ 三影が去ってから、しばらくした後。 静寂が訪れていた廃教会に、ガラッという小さな物音が響き渡った。 その音の正体は、埋もれていたさやかの肉体が僅かながらに動いた事だった。 (……あたし……まだ、生きてるんだ……) そう……三影は、死んだものと思っていたようだが。 さやかは、まだ生きていたのだ。 その原因は二つ。 一つは、さやか自身が『癒し』の力に特化した魔法少女である事。 傷を負おうとも、ある程度ならば自己で自然治癒させる事が可能なのだ。 その為、タイガーロイドから受けたダメージを多少とはいえ軽減出来ていた。 そして二つ目が……三影が彼女の正体を知らなかった事にある。 (そっか……あいつ、ソウルジェムを知らなかったんだ……) 魔法少女とは、強力な魔女と戦うべく肉体と魂とを分けられた戦士なのだ。 もしもそれを殺そうと思うなら、肉体を再生不可能なまでに粉砕するか。 或いは、魂が宿った宝石―――ソウルジェッムを砕くしか手はないのである。 とはいえ、彼女が生き残れた事はかなりギリギリの結果だった。 何せ、彼女のソウルジェムがあるのは臍。 三影の砲撃が、後少しばかり下を狙ったものだったなら……命はなかっただろう。 しかし……果たして生き残れた事は、彼女にとって本当に幸運だったのだろうか。 (……ねぇ……正義の味方って、何なの?) 三影の言葉は、正義の味方であろうとするさやかの心を、完膚なきまでに打ちのめしていた。 これまでずっと、彼女は他人の為を思い魔女と戦い続けてきた。 そうしなければ自分には生きる価値がないのだからと、己を追い込み続けていた。 (あたしは、ただの便利な……石ころなの……? 感謝もされなくて、役に立たなければ捨てられて……) だが、それは……周囲からすれば、単なる汚れ役に過ぎなかったのではないだろうか。 『自分達にはできないから』と、無理矢理に全てを押し付けられる。 出来なければ、用済みという……都合の良い救世主に仕立て上げられていただけではないのだろうか。 (この世界って……守る価値……あるの?) そんな漆黒の思いを知ってか知らずか。 少し離れた位置に落ちている彼女のデイパックから、まるで意思が在るかのようにそれは転げ落ちた。 ソウルジェムに貯まった負の濁りを浄化できる、魔法少女にとっては生命線とも言える宝石―――グリーフシードが。 それを使えば、まだ彼女は戦えるだろう。 しかし……それを使うだけの価値が、ここには本当にあるのだろうか。 (教えてよ……誰か、今すぐ……でないと、私……) ド ウ ニ カ、 ナ ッ チ ャ ウ ヨ ? 【一日目・未明 F-2/廃教会】 【美樹さやか@】 [状態]:魔法少女に変身中、ダメージ(大)、疲労(大)、ソウルジェムの濁り(大) [装備]:サーベル、ソウルジェム [道具]:支給品一式、グリーフシード1個、ランダム支給品0~2 [思考] 基本:自分の存在意義が何なのかを教えてほしい 1:正義って……何なの? 2:この世界に、守る価値ってあるの? [備考] ※参戦時期は8話、ホスト二人組の会話を聞く前です。 ※『癒し』の魔法の効果で回復力が高まっており、ある程度ならば傷の自然回復が可能です。 ※ソウルジェムが濁っていますが、この会場内で魔女化が出来るかどうかは不明です。 ※正義の味方として戦う事が本当に正しいのかと、絶望を覚えています。 ※まだ名簿は確認していません。 ※タイガーロイドの砲撃により、廃教会の天井と一部の壁が吹き飛ばされました。 近隣エリアに、その轟音が響いている可能性があります。 時系列順で読む Back 覇王と決意と蝙蝠男Next 人造人間と格闘娘と寿司屋 投下順で読む Back 覇王と決意と蝙蝠男Next 人造人間と格闘娘と寿司屋 三影英介 Next 魔獣 美樹さやか Next 魔法、魔人、悪魔
https://w.atwiki.jp/ik-ben-wakei/pages/67.html
価値観的立場と価値相対主義 1 価値観的立場にたつ教育学 私は臨床心理学科に属しているが、専門は教育学である。そして心理学には疎い人間であるが、心理学の学科に属していることで毎日心理学者や心理学を学ぼうとしている若い学生たちと接しており、そのために心理学と教育学の発想の違いを意識することが多くある。 もちろん、人間を相手にしている学問であり、特に臨床心理学は実践を主たる目的とする学問であるという点から、共通点もたくさんある。広い範囲をもった心理学の中で臨床心理学は教育学と近いともいえる。しかし、ここでは主に違いを明らかにし、何故そのような違いが生じるのかも合わせて考察してみたい。 人間は社会的存在であり、非常に弱い存在として生まれてくるから、大人が育て、社会のことがらを教えなければ大人になって生きていくことはできない。人類がこの地球上に現れて以来そうであったといえる。 また、社会的存在である以上、悩みごとからまったく自由であったこともないであろう。したがって、教育的行為も相談的行為も、先史の時代からあったと考えで間違いない。しかし、教育を司る学校は5000年も前に発生したと言われており、それ以来学校という組織と教師という職業が綿々と続いてきたが、相談活動をする人は、以前は年配の経験豊かな人であったり、また聖職者であったりした。ヨーロッパのカトリック教会には、いまでも「懺悔室」が残っているが、神父が悩みごとと対していたことをよく示している。今カウンセラーは人気の職業となり、先進国では「資格」を伴った専門職となっているが、これはごく最近のことである。今でも欧米の学校でカウンセラーといえば、むしろ進路について相談にのる人を意味することが多く、人間的な悩みを相談する人だけを意味しているわけではない。このように歴史的に見れば職業形態という点で大きな違いがあるが、これは次の違いを生む要因ともなっている。 教育という行為は、必ずある「理想」「望ましい状態」を前提に成立しており、明確な教育的価値をともなっているのに対して、臨床心理学は最終的にはそうであるにしても、臨床的な実践においては、むしろそうした「望ましい状態」を具体的に示すことを避ける、そこから自由になることを重視しているように思われる。 何かを教えるときに、価値がないと思っている内容を教えることは通常ありえない。まして、社会的な制度の中で、共通カリキュラムに入っていることで、社会がそれに価値を置かないような内容があるとは考えられないだろう。もちろん、人それぞれの価値観の中で、あんなことを学んで、どんな価値があるんだ、という疑問は少なくないし、学生諸君の意見としても、高校で習う数学なんて、実際には役にたたない、と感じている人が圧倒的だろう。しかし、ここではそういうレベルのことではなく、もっと原則的なこととして考える。おそらく、「高校の数学なんて役にたたないよ」と考えている人は、将来高校の数学の先生になりたいとはおそらく思わないに違いない。数学を学ぶことは人間として価値があると思う人が、おそらく多く数学の先生になるだろうし、また、そうした信念が強く、情熱的であるほど、いい数学の先生になる可能性が高いと考えるのが自然だろう。5000年の歴史のある教育は、そうした積極的な評価を積み重ねてきた内容が、基本的な教科として存在し、また多くの人に受け入れられてきた。 2 教育の目的としての自律的人間形成 アメリカにサドベリ・バレイ校という学校がある。詳しく講義で取り上げることになっているが、1960年代にたくさんアメリカに生まれた、普通の公立学校とは違う教育をめざして設立されたオルタナティブスクールで例外的に今日まで生き延びてきた、いや生き延びただけではなく、多くの支持者を獲得してアメリカに広まりつつある学校である。この学校は、4歳から18歳までの生徒が学年に分かれることなく、一緒に生活し、カリキュラムも存在せず、好きなことをやってよいという教育を行っている。学校に来ることだけが義務で、通常の勉強をする必要すらない。勉強は自分でしたいと思ったときにだけ行い、それも自習でやってもよいし、もし大人やほかの生徒に教わりたいと思ったら、交渉・契約して初めて「授業」が成立するという方針をとっている。何をやってもいいのだから、理想や望ましい状態というような考え方を放棄していると考えられる余地もある。たしかに、普通の学校とはまったく違っており、普通の学校が理想とすることを理想と考えていないことは間違いない。しかし、このように、価値観的立場と無縁に見えるサドベリ・バレイ校も、実はきわめて明確な理想をもち、それを実現するために、このような方式をとっているのである。 サドベリ・バレイの教育目標は、自分でやりたいことが発見でき、それを実行するための能力の形成を自律的に行うことができ、そして共同体の中で協同しながら自立的に生きることができる民主主義的な人格を形成するというようにまとめることができる。理想や価値がないのではなく、きわめて明確なのである。 ではカウンセリングの場合はどうだろう。カウンセリングといってもかなり多くの、時として対立する立場があり、単純にはいえないだろうが、クライアントが自分で解決の方向を確信することが、治療の基本であるという考え方は多くの立場で共通しているようだ。つまり、カウンセラーの価値観的な立場を前提に治療を行うのではなく、それをできるだけ抑えることが求められる。そして、どのような状態になることをもって治療ができたと考えるかも、またカウンセラーの価値観的立場によって判断するのではない。 ひきこもりや不登校の問題を考えてみよう。 不登校の生徒が出た場合、学校では多くの場合教師や生徒が家庭を訪問して、学習内容を伝えたり、様子をみて励ましたり、さまざまな取り組みをするが、最終的には再度登校できるようにすることを目的としているといってよい。もちろん、性急な解決が求めることは事態を改善しないことは段々と知られるようになってきたが、学校という立場から、「学校などにはこなくてもいいのだ、そういう生き方もあるさ」というような解決を目指すことは考えられない。学校という制度があり、そこに登録されているとき、特に義務教育段階では、学校に通うことが「当然」のことであり、そのことについて否定することはおかしいと考えられている。もちろんこれはいろいろな状況を無視して、ただ単に学校に来られるようにすればいいという意味ではなく、学校という制度、教育という立場から見れば、原則的な考えは通学できるようになることを目標とするという意味である。 しかし、カウンセラーが不登校に対応するときには、必ずしもそういう立場をとらないだろう。学校に行けないのは、行けない原因があり、本人がその原因を自覚して乗り越えようとすることが大切であり、学校にいくべきであるという「立場」を前提にカウンセリングすることは、解決を逆に遅らせる危険性があるし、また、自分で主体的に選択しないかぎり、真の解決には至らないと考えているからであろう。 不登校といってもいろいろな要因、状況がありうる。本当に学校に問題があって、他の学校に移ろうという人もいるだろうし、学校という形態ではなく、とりあえず独力で学習したほうが効果的だと考える人もいるかも知れない。そういう人たちにとっては、不登校は合理的な選択といってよい。しかし、学校でうまくいかない状況があり、当人あるいは教師、他の生徒たちとの関係で改善可能な要因である場合には、それを正確に認識し、適切な対応をとることが求められ。また家庭に要因がある場合、あるいは何かの精神的な疾患が原因であるということもありえる。 3 カウンセラーと価値相対主義 カウンセラーはこうしたさまざまな要因がありうる中で、クライアントの状況を正しく把握することが、何よりも重要であり、そのためには、あらかじめ「かくあるべき」という価値観的な立場で接すると、不正確な理解に陥る危険性があり、方法的な誤りであるという立場にたっていると考えられる。もちろん、現在の学校では問題がありすぎ、むしろ不登校の生徒こそ健全なのだ、というような立場も、一見「学校に行くべき」という立場から解放されているように見えて、偏狭な価値観に囚われていると考えられる。 では、価値観的な立場と価値相対主義は絶対に相いれないものなのだろうか。もしそうだとしたら、教師とスタールカウンセラーは協力の難しい職種ということになってしまう。この問題は最後にもう一度立ち返って考えてみることにしたい。 先に、カウンセラーは新しい職業であり、以前は年長者や聖職者が相談を担っていたと書いた。それは担い手だけの問題ではなく、この価値観的立場に関わっている。宗教は道徳的な価値観の体系をもっているのが普通であり、それを示す教典がある。聖職者が相談を受け、ある解決策を提示するときには、その宗教の教典が重要な役割を果たすことになる。もちろん、単純な教典の解釈で解決するわけではなく、相談を受けた人の個性的な考えも反映され、その根拠を教典に求めるということもあるが、少なくとも聖職者が教典に基づいて相談への解決策を示すときには、明確な価値観的な立場が前提されている。そしてそれは「神の教え」だった。 しかし、19世紀ヨーロッパは市民革命、産業革命よって、大きく社会的に変化し、信教の自由などの自由権が認められ、他方選挙権によって、市民が政治の自立的な主体として登場した。つまり、国家や教会が特定の価値観を市民に唯一正しいものとして提示する社会ではなくなってきたのである。ニーチェはそれを「神は死んだ」と表現した。そしてそれと入れ代わるように、フロイトが登場したのは偶然ではない。 具体的に安楽死の問題を考えてみよう。ある不治の病となって、苦痛に苛まれ、ただ死を待つ患者が医者に安楽死を希望し、精神的なケアのためにカウンセラーに治療の一部を任されたと仮定してみる。宗教的に見れば、多くの宗教は出生を神の意志と規定しており、命は神から授かったものとされている。「神が生きている」時代には、神の意志として安楽死など容認できないと言えば済んだに違いないが、今ではそれは不可能である。そして、カウンセラーが、安楽死を勧めてそのために助力するとか、あるいは逆に死んではいけませんと強くいって、激しい苦痛に耐えることを求めたりできるのだろうか。 いじめで悩んでいる生徒の場合はどうだろう。 「いじめられるのはあなたが弱いからだから、もっと強くなって対抗しなさい」とか、あるいは逆に「一時のことなんだし、卒業してしまえば関係なくなるから今は我慢することが大切だ」とか、「転校して彼らから離れるように」、「警察に訴えなさい」などと、具体的な方針を、自分の考えに基づいて提示することは、カウンセリングの原則からいってほとんど行われないに違いない。いじめをめぐる原因やまわりの人間関係、また解決すべき人たちの力量など、さまざまな要因によって、実際の解決策はさまざまだろうし、また解決策を実行するのもカウンセラーではない。できること、またする必要があることは、そうしたことをしっかりと考えさせ、クライアントが自ら解決策を見いだし努力できるようにすることと、解決に関わる人たちに対して、クライアントの合意の下に、情報を提供し協力することだろう。それがどのような価値的立場をとるかは、臨床心理学に内在するものではないと考えられる。