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登録日:2010/11/28(日) 01 57 34 更新日:2023/01/25 Wed 23 25 52NEW! 所要時間:約 4 分で読めます ▽タグ一覧 フィロソフィー レスリング 哲学 学問 哲学とは何か?――それもまた、哲学なのである。 まさしくそのまんま、だがここではその哲学というものの概要を可能な限り言語的に説明することを目的とする。 哲学とは主に、明確に存在しない、もしくは不明瞭なことがらについての考察、思索、論理的推察を行う。 例えば数学は数式や図形、グラフという具体的な存在に表現できるものに対する学問だが、哲学は時間や真理、根源、精神、神といった具体的な存在のない、あるいは表現できない抽象的な存在を対象にとることが多い。 また、このように題材にしても小難しいことをやる、という印象が強く、概念上での論争やそもそも語っていることが一般受けしにくいこともあり、 なにがしらへの説明を求められたときに少し難しい言葉などを使うと「哲学的だね」などと返されることも。 なにをもってして哲学的というのか、考えてみるのも面白いかもしれない。 「哲学」という語の語源や以前の用法からたどってみると、哲学はかつては「自然哲学」と呼ばれ、現代でいう科学と同じような意味で使われていた。いわゆる学問全般を指す語であった。 最も広い意味で言えば、知の探究全般、そして理性でもって諸現象を解き明かす行為そのものが哲学なのである。 西洋哲学、宗教哲学、(人名)の哲学、~派、~主義、……といった文脈では学問と言えるが、各々が"哲学する"行為は必ずしも学問にはあたらない。 哲学は学ぶものではないと言われることがあるのは、主に後者の意味で言っていることである。 (暗に先人の考えを理解・吸収することにとらわれ過ぎて、自分の頭で考えることがおろそかになっているのではないか?という批判的な含みがある。) 現代に至る過程でさまざまな学問の分類の体系化・細分化が進み、「哲学」という語は(消去法的に)その過程で残った(分野名がない)部分のみを限定的に指すようになったと考えれば、さほど大きなズレはないと思われる。 時に曖昧でつかみどころがない分野であるかのように誤解され感じられるのはそのためである。 実際には論理的に厳密であることが求められ、概念の明晰化や問題・命題の明確化など、論理的および概念的思考に特化した分野という認識で概ね相違ない。 哲学は自由と言えば自由な学問でもある。神について、人間について、悪魔について、世界について語ってもすべて哲学である。 過去の人間が「神とはAである」と弁論していて、現代の人間が「神とはBであり、Aこそが諸悪の根源である」と弁論しても、そこに間違いらしい間違いは存在せず、ただ互いに干渉しない真理が存在するだけである。 また、過去の哲学を哲学することもできる。 というのも、「過去に彼は、Aという理論を弁論した。 これはもともとBという理論から派生したものであるといわれるが、実はCという理論から派生したのではないか?」という具合に、とにかく推察するわけである。 このように割りと自由奔放な感じもするが、区分分けをするとものすごいことになる。学派、立場というものがあり、これらが多くに派生している。 学派とはとある事柄についてよく語る、または特徴的な弁論がある、といった具合で区分される。 自然哲学、形而上学、思弁哲学、新カント派、構造主義、といったものがある。聞きなれたものもあるのではなかろうか。 立場とは、その命題を立証するための理論の成り立たせ方、とでもいうものであり、存在論、観念論、相対主義、二元論、一元論、懐疑主義などがある。 また大雑把に、西洋哲学、東洋哲学、あるいは古代ギリシア、カント以前・以後、近代哲学、大陸哲学といった具合に場所や時代で細分化もできるし、 論理学、倫理学、生命倫理学、美学、法哲学、宗教哲学、というふうにもわけることができる。 なんにせよすべてにおいて哲学という学問にくくられるということを考えると、かなり広いことを行えるため、 自分のしたいことがわかりやすいといった利点でもあるが「哲学」そのものを曖昧にしている点でもある。 先人は哲学というもので「思想」を表現してきた。自分がなにを思い、なぜ思い、どうしたか。 哲学らしいといえば哲学らしい、思想という存在するものの他に認知されるという意味では非存在に等しいそれを、 言語によって輪郭戦を浮かび上がらせようという試みである。 この説明からしてわかりにくいように、とにかくわかりにくいものはわかりにくい。 「我思う、ゆえに我あり」 で有名なデカルトは方法序説を記した。読んでみればわかるだろうが、非常にわかりにくい。 言いたいことはわかるが理解しがたい、と思う人もいるのではないだろうか。 ついでにこの言葉は寝ている間は消滅している、という意味ではなく、 確かに物体が存在しているのかと疑いをかけまくって実は神すら存在しないんじゃないかという考えに行き着いたとき、 それを考えついた私は確かに存在していなければならなかった、ということを示している。 が、考えている=存在するが説明不要の真理でなければならない大前提であるため、やや説明不足が否めない。 つまり「ゆえに」で繋ぐのではなく、「私は考えつつ存在する」という結論に至らねばならなかったのではないか?という批判もあったりなかったり。 ついでにどうでもいいことだが、批判という言葉はものごとについて正当な判断を下し、 欠点については改善のために尽くすという意味であり批判=非難ではない。 また、批判=批評でもない。批評とは欠点と美点を客観的に評価し、そのものごとへの正当な価値を定めるだけで改善までは含まれない。 追記・修正は哲学的に。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 人の数だけ哲学もある。 -- 名無しさん (2014-11-16 12 51 50) 使い方によっては最悪の兵器になりうる学問 -- 名無しさん (2015-09-03 12 41 38) 批判ってこんなに良い意味だったんだな -- 名無しさん (2018-07-15 02 14 31) 例えば数学は数字と言う具体的な存在に対する学問だが 数(数学は決して数字を研究する学問ではない)もだいぶ抽象的だし物理学なり化学なり生物学なりにしたほうがいい気が -- 名無しさん (2021-10-15 02 43 37) 名前 コメント
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農本主義 秋津元輝「多様化する農業者のかたち」『食・農・からだの社会学』(シリーズ環境社会学5) 新曜社、2002 綱澤満昭『農の思想と日本近代』風媒社、2004 網沢満昭『日本の農本主義』紀伊園屋書店、1994年 市田(岩田)知子「〈農〉と出会うための政策」『食・農・からだの社会学』(シリーズ環境社会学5) 新曜社、2002 尾関周二「〈農〉の思想と持続可能社会」『環境思想・教育研究』第3号、2009 亀山純生「〈農〉的共同態の現代的意義と、近代的共同(体)論の問題性」『環境思想・教育研究』第4号、2010 西村俊一『日本エコロジズムの系譜―安藤昌益から江渡狄嶺まで』農文協、1992 農山漁村文化協会編『東洋的環境思想の現代的意義 杭州大学国際シンポジウムの記録』農文協、1999 ロバート・オーウェン[著]、渡辺義晴[訳]『社会変革と教育』明治図書、1963 Uターン青年および新規参入者の実態と意識に関する調査http //www.library.maff.go.jp/GAZO/00147058/00147058_01.pdf 渡辺 京二 問題提起 「農本主義」批判への疑問 (特集 「日本」を捉え返す--多様性と関係性の視点から) -- (『環』創刊一周年記念シンポジウム 朝鮮半島と「日本」の関係を捉え返す--網野善彦著『「日本」とは何か』をめぐって) 環 6 2001.Sum. 修士論文に使用したもの 第一章 安彦一恵 (2008-a) 「「生活環境主義」的発想の批判―「環境プラグマティズム」との関連づけにおいて―」『dialogica』第11号滋賀大学教育学部倫理学・哲学研究室* 安彦一恵 (2008-b)「「人間中心主義vs.非-人間中心主義」再論」『dialogica』第11号 滋賀大学教育学部倫理学・哲学研究室* 上柿祟英 (2008)「近代批判の環境思想」東京農工大学 上山春平[編/訳](1968)『世界の名著48 パース・ジェイムズ・デューイ』中央公論社 魚津郁夫 (2006)『プラグマティズムの思想』筑摩書房 尾関さやか (2008)「ミュージアム・エデュケーターとその実践―「星の語り部」プラネタリウム活動を通じて」『環境思想・教育研究』環境思想・教育研究会 小原秀雄[監修] (1995)『環境思想の系譜 1』東海大学出版会 嘉田由紀子 (1995)『生活世界の環境学』農山漁村文化協会 嘉田由紀子 (2002)『環境社会学』【環境学入門 第9巻】岩波書店 加藤尚武 (2009)「第2回社会倫理研究奨励賞 受賞論文 講評」 亀山純生 (1989)『人間と価値』青木書店 亀山純生 (2005)『環境倫理と風土』大月書店 神崎宣次 (2008)「「問題解決」という問題設定の枠内で非人間中心主義は生き残れるか?」 鬼頭秀一 (1996)『自然保護を問いなおす―環境倫理とネットワーク』筑摩書房 鬼頭秀一 (2006)「環境倫理における風土性の検討」千葉大学『公共研究』第3巻第2号 鬼頭秀一/福永真弓[編](2009)『環境倫理学』東京大学出版 桑子敏雄 (1999)『環境の哲学』講談社 ジョゼフ・デ・ジャルダン, 訳;新田功他 (2005)『環境倫理学―環境哲学入門』出版研 白水士郎 (2000)「環境倫理学はどうすれば使いものになるか―環境プラグマティズムの挑戦」『倫理学サーベイ論文集』京都大学文学研究科倫理学研究室 白水士郎 (2004)「環境プラグマティズムと新たな環境倫理学の使命―「自然の権利」と「里山」の再解釈へ向けて―」越智貢他編『応用倫理学講義 2 環境』岩波書店 谷本光男 (2003)『環境倫理のラディカリズム』世界思想社 鳥越皓之/嘉田由紀子編 (1991)『水と人の環境史 増補版』御茶の水書房 鳥越皓之 (1997)『環境社会学の理論と実践』有斐閣 ロデリック・ナッシュ, 訳;松野弘 (1999)『自然の権利—環境論理の文明史』筑摩書房 デヴィッド・ヒューム (2004)『人間知性研究』法政大学出版 福永真弓 (2006)「現場から環境倫理をたちあげるために―その戦略群について」千葉大学編『公共研究』第3巻第2号 松野弘 (2009)『環境思想とは何か――環境主義からエコロジズムへ』筑摩書房 松田素二 (1989)「必然から便宜へ」『環境問題の社会理論 生活環境主義の立場から』御茶の水書房 村上泰亮 (1992)『反古典の政治経済学(下)21世紀への序説』中央公論社 アンドリュー・ライト, 訳;斉藤健 (2009)「方法論的プラグマティズム・多元主義・環境倫理学」『応用倫理―理論と実践の架橋― vol.1』北海道大学出版 アルド・レオポルド, 訳;新島義昭 (1997)『野生のうたが聞こえる』講談社 エドワード・レルフ, 訳;高野岳彦他 (1991)『場所の現象学』筑摩書房 Andrew Light Eric Katz (eds.).(1996), Environmental Pragmatism, Routledge, Callicott,J.B. (1984), “Non-Anthropocentric Value Theory and Environmental Ethics” American Philosophical Quarterly, Vol. 21, No. 4, Callicott,J.B. (1987), Companion to a Sand County Almanac Interpretive and Critical Essay, Univ.of Wisconsin Pr. Norton,J.B (1991), Towards Unity among Environmentalists,Oxford UP. Norton,J.B (2005), Sustainability. A Philosophy of Adaptive Ecosystem Management, The Univ.of Chicago Pr. O’Neil, John (1993), Ecology, Policy and Politics Human Well-being and the Natural World, Routledge, 第二章 安彦一恵 (2009)「R・ノートン「転成的価値」概念の批判的検討―環境倫理学関連拙稿への補遺―」『dialogica』第12号 恩田さくら「」東京農工大学 亀山純生 (1989)『人間と価値』青木書店 亀山純生 (2005)『環境倫理と風土』大月書店 亀山純生 (2009)「日本的自然観の現代的リアリティ」『風土的環境倫理の可能性と日本的自然観の意義』東京農工大学, Light,A (2002)“A Modest Proposal Methodological Pragmatism for Bioethics” ,Pragmatist Ethics for a technological Culture, Kluwer, Minteer, B.A (2001) “Intrinsic Value for Pragmatists?”, Environmental Ethics, Norton,J.B (1982), “Environmental Ethics and Right of Future Generations” Environmental Ethics.4, Norton,J.B (1984), “Environmental Ethics and Weak Anthropocentrism”Environmental Ethics.6, Norton,J.B (1987), Why Preserve Natural Variety? , Princeton UP. Norton,J.B (2005), Sustainability. A Philosophy of Adaptive Ecosystem Management, The Univ.of Chicago Pr. 第三章 阿部謹也 (1995)『「世間」とは何か』講談社 川本隆史 (2008)『共生から』岩波書店 マルティン・ハイデッガー (1960)『存在と時間〈上〉』岩波書店 133 藤井聡 (2006)「実践的風土論にむけた和辻風土論の超克―近代保守思想に基づく和辻「風土:人間学的考察」の土木工学的批評―」『土木学会論文集D』 宮川敬之 (2008)『和辻哲郎―人格から間柄へ』講談社 和辻哲郎 (1927)『原始仏教の実践哲学』岩波書店 和辻哲郎 (1931)「倫理學」『岩波講座 哲学』第二巻, 岩波書店 和辻哲郎 (1962)『和辻哲郎全集〈第4巻〉日本精神史研究,続日本精神史研究』 和辻哲郎 (1962)『和辻哲郎全集〈第5巻〉原始仏教の実践哲学,仏教哲学の最初の展開』岩波書店 和辻哲郎 (1962)『和辻哲郎全集〈第9巻〉人間の学としての倫理学,カント実践理性批判,人格と人類性』岩波書店 和辻哲郎 (1971)『人間の学としての倫理学』岩波書店 和辻哲郎 (1979)『風土―人間学的考察』岩波書店 和辻哲郎 (1992)『和辻哲郎全集〈別巻1〉』岩波書店 和辻哲郎 (2007)『倫理学〈1〉』岩波書店 Callicott,J.B. (1984), “Non-Anthropocentric Value Theory and Environmental Ethics” American Philosophical Quarterly, Vol. 21, No. 4,
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浄土真宗親鸞会 顕正新聞 索引 151号~165号 001号~015号 016号~030号 031号~045号 046号~060号 061号~075号 076号~090号 091号~105号 106号~120号 121号~135号 136号~150号 151号~165号 166号~180号 181号~195号 196号~210号 211号~225号 226号~240号 241号~255号 256号~266号 号 数 1面 2面 3面 号 数 4面 5面 6面 第151号 S49/12/20 (1974) 一言説法 論説 正味ばかりの仏法 こんなことがききたい 日蓮が非難される理由 第151号 S49/12/20 (1974) グラフで追う 遷仏会 親鸞聖人報恩講 親鸞会第35回弁論大会 優勝 十五才の怒り 滋賀県 M 悔いなき道 優勝 親鸞会第36回弁論大会 滋賀県 F 本部会館移転祝賀 報恩講・遷仏会を盛大に挙行 あっぱれ、福井少年部 小遣い銭を、新本部へ財施 もの知り大学 人事異動 親鸞会第三十六回弁論大会成績 会員の皆さまへ 3人の盲(めくら) T・K (1コマ漫画) 大導師合格者 親鸞会第三十五回弁論大会成績 岐阜支部報恩講 今月の金言 大喝 寒林に屍を打つ 教学試験成績 (49.10.21~49.11.20) もの知り大学 解答 法友通信 福井市 S 響流 導師合格者 滋賀県 Y 号 数 1面 2面 3面 号 数 4面 5面 6面 7面 8面 第152号 S50/01/20 (1975) 一言説法 論説 親鸞会の背骨 昭和50年 謹賀新年 元旦 第152号 S50/01/20 (1975) 日本全国に 真実のウネリを!! 青年部長 F こんなことがききたい 南都の奏状文とは ある求道者の体験 私は地獄を見た!! 滋賀県長浜市 M (50) 第152号 S50/01/20 (1975) 第十回講師試験 教学熱高まる 九名の新講師誕生 東西南北 年頭所感 一里塚に立って 憶うこと 会長 高森顕徹 なんとも愉快な忘年会 青年部 年末を遊ぶ 富山県 石川県 五支部対抗のカルタ大会 南砺支部が圧勝 富山県 小矢部に若手副支部長 K・Kの両氏 法友通信 名古屋市 Y 高森会長先生 本部会館法話日程 福井市 S 今月の金言 もの知り大学 竜樹菩薩伝(1) 作・A 富山県 O 人類の危機と宗教 本部長 F 富山教化支部長に Y講師を任命 もの知り大学 解答 ”年の始め”迷信の被害 続出!! T.K (1コマ漫画) 大野市 Y 迎春 高岡市 T 大喝 自力金剛のサザエ 教学試験成績 (49.11.21~49.12.20) 福井市 T 響流 導師合格者 高岡市 Y 第153号 S50/02/20 (1975) 一言説法 論説 大いに儲けて きれいに使おう こんなことがききたい 親鸞聖人がみられた「夢」 第153号 S50/02/20 (1975) 本願寺僧侶、実態を暴露!! 東西南北 本願寺はなぜ? 東西に分裂したのか 文書法論 後生の一大事も分からず 断見外道と化す N講師より D住職へ 深まる仏縁 七尾進出・親睦・報恩講 もの知り大学 D住職より N講師へ 法友通信 金沢市 N 大導師 導師 試験 日程決まる もの知り大学 解答 歎異鈔研究会の合宿の案内 滋賀県 Y 大喝 次はお前の番だ 導師合格者 龍樹菩薩伝 (2) 作・A 画・O 卑怯なり、本願寺 会合開いてデマ宣伝 福井県 一女子青年部 投書 企業広告 谷本建設 今月の金言 教学試験成績 (49.12.21~50. 1.20) つかもと呉服店 響流 肉体の病気 心の病気 T.K (1コマ漫画) 訂正 本当の親鸞聖人の教 こんなことが知りたい② 第154号 S50/03/20 (1975) 一言説法 論説 全人類の 苦悩のもとは何か こんなことがききたい 親鸞聖人がみられた「夢」 (2) 第154号 S50/03/20 (1975) 聴聞のための健康法……その1 栄養満点の玄米を食べよう 玄米こそ最良の主食 白米は米の粕 公害にも強い! おまけに経済的 ”われら親鸞会会員は 玄米をもってその主食とすべし ” 随行文 今度の親不孝 決して無駄にはすまいぞ!! 刻一刻に迫る後生 死の前に何が残る!! 福井県 Y (28) 東西南北 定例支部長会議開かる 顕正目標は七百名 『こんなことが知りたい』―(2) 支部対抗で頒布 今年度方針 法座日程を検討 支部・青年部の会合 =富山= 第四次白道顕正戦 二月より始まる 阿弥陀仏に初まいり 小矢部支部のKさん =富山= D住職、返答なし 顕正戦の出陣を祝う 繊協ビルで青年部大会 =福井= 次期随行者 Hさん 人事異動 もの知り大学 本部に新事務員 Kさん 企業広告 渡辺仏壇店 僧侶の”金脈” 三千円から五千万円まで 西本願寺 よほど地獄好きなやつらだ T.K (1コマ漫画) 法友通信 石川県 A 大導師合格者 龍樹菩薩伝 (3) 作・A 画・O 豊橋市 T 今月の金言 大喝 仕事をやめて聞け!! 教学試験成績 (50. 1.21~50. 2.20) もの知り大学 解答 企業広告 紺インテリア 響流 導師合格者 編集雑記 第155号 S50/04/20 (1975) 一言説法 論説 封建制度の残骸 檀家制度にメスを こんなことがききたい 親鸞聖人がみられた「夢」 (3) 第155号 S50/04/20 (1975) 春の合宿で仏教哲学を研鑽 青年部合宿 全国から集う真実のエリートたち 大学生中心に五日間の講義 本当の仏教を門徒の人たちへ 随行文 福井県 H (20) 御仏飯で育った私の義務 東西南北 万人は平等なり 仏教は差別なき社会をめざす 第一期顕正戦(四月~六月) 富山 決起集会開かれる 住職と門徒を導く三十部 滋賀 顕正新聞を配布するMさん 夫婦となって真実を求める その① M君とO講師 その② F君とHさん 仏教を確信した合宿 島根県 J(19) 顕正戦始まる 第一期は四月から六月まで 法友通信 滋賀県 M 真実の友と知りあえて 埼玉県 S(19) 高岡市 A もの知り大学 随行禄 Y 企業広告 紺インテリア 「親鸞は弟子一人も持たず」 大喝 人目にふれぬ善を積め もの知り大学 解答 龍樹菩薩伝 (4) 作・A 画・O インテリア北川 導師合格者 真宗を再びおこそう現代に 第一期顕正戦 訂正 響流 (2コマ漫画) 教学試験成績 (50. 2.21~50. 3.20) 企業広告 渡辺仏壇店 編集雑記 第156号 S50/05/20 (1975) 一言説法 論説 創価学会を撲滅しよう まっかなニセモノ 大石寺の板本尊 こんなことがききたい 親鸞聖人がみられた「夢」 (4) 第156号 S50/05/20 (1975) 現代によみがえった親鸞聖人のみ教え……………世界最高の深遠な仏教哲学 その一言が私の人生を変えた!! 東西南北 ついに放たれた真実の巨弾 親鸞会と本願寺の相違点八項目のパンフレット 全国の真宗門徒に配布 名づけて”S号作戦” 大成功!!金沢観光会館での御法座 六百名を越える参詣者 バス八十余台への宣伝効果バツグン 自分と家族とどちらを助けるか? 罪悪観を聞かされた私 富山県 F ”ニセモノの幸福ではダメだ” 愛知県 一青年部 新たに三副支部長任命 京都支部にT氏、K氏 新本部会館初の仏前結婚 F青年部長と市原講師 岐阜支部にE氏 第一期顕正戦経過報告 四月末で百四名 もの知り大学 東条英機の話に大感激 滋賀県 U 友人の熱意に負けて・・・ 福井県 H 大喝 あなたは家族を捨てても 仏法を求める気があるか 6.9 6.20は全国統一顕正デー 第一期顕正戦 今月の金言 随行禄 (1) Y 次期随行者 Kさん(22) 京都支部が発足 支部長はD彦根支部長が兼任 (2) H 本部会館降誕会案内 法友通信 金沢市 T 地獄行きと極楽行きのちがい T.K (2コマ漫画) 導師合格者 もの知り大学 解答 お知らせ 響流 教学試験成績 (50. 3.21~50. 4.20) 編集雑記 第157号 S50/06/20 (1975) 一言説法 論説 親鸞聖人が好んで使われた『海』を考える こんなことがききたい 御伝鈔 平太郎の熊野参詣の真相 第157号 S50/06/20 (1975) 白熱する第一期顕正戦 五月末で三百四十余名 5.16統一顕正デーで四十八名の成果 松虫鈴虫と住蓮安楽の 鹿が谷の大事件とは 東西南北 親子二代の悲願 岐阜にも親鸞会館を! I氏、用地300坪を提供 ”白道”島根・広島に燃ゆ ”A号作戦”四講師を派遣 大成功を収めた島根 よこがお 破邪顕正に大活躍 彦根支部の”スイ星” S氏(70) 第1回 幹部研修会 富山 もの知り大学 解答 親鸞聖人降誕会(滋賀) 大喝 顕正一口メモ 忌わしきもの 東京 M 法友通信 京都府 T 岐阜市郊外 交通至便の建設用地 大導師合格者 学生部夏の合宿の案内 大阪府 S もの知り大学 教学試験成績 (50. 4.21~50. 5.20) 私の一言 新入社員と私 埼玉県 一青年部 次期随行者 K君(23) 響流 念仏はみな同じか? T・K (2コマ漫画) 導師合格者 企業宣伝 渡辺仏壇店 編集雑記 第158号 S50/07/20 (1975) 一言説法 全会員に告ぐ!(論説にかえて) 破邪顕正に怒濤の進撃を 会長 高森顕徹 こんなことがききたい 疑い はどのように晴れるのか 第158号 S50/07/20 (1975) 本部教学講師試験 二十四名中十一名が合格 第三十七回 弁論大会 優勝 無知 京都府 Y (23) 東西南北 世界の光 親鸞聖人 この世で救われる浄土真宗 「死なねば助からぬ」は間違い ”顕正大行進”快調にスタート 第一期顕正戦 六百名の仏縁あつき新会員 深松本部長を招いて 南砺支部会合開かる よこがお 一般部の初講師合格 岐阜支部の E氏 (60) 武生支部が発足 新支部長にM氏 顕正一口メモ 幹部研修会 各県で開催 降誕会・劇 承元の法難 富山青年部 顔・顔・顔…………… 鈴なりの「信の座敷」 降誕会分科会 親鸞聖人降誕会 盛大に挙行 本部会館 新副支部長に N氏 彦根 企業広告 渡辺仏壇店 法友通信 金沢市 N 大喝 人間のすがた 第三十七回弁論大会成績 岐阜県 Y 響流 命のかけどころ T・K (2コマ漫画) 教学試験成績 (50. 5.21~50. 6.20) 顕正一口メモ 編集雑記 (S・N) 第159号 S50/08/20 (1975) 一言説法 論説 読経とごちそうだけでは無意味 正しい法事を実践しよう こんなことがききたい 親鸞聖人も神を拝まれたのか 第159号 S50/08/20 (1975) B号作戦 山陽道を駆ける 「白道燃ゆ」片手に六千里 3班6講師―法座150回、本1,500冊 山口 広島 兵庫 私はなぜ 浄土真宗布教使になるのか 死の解決 一つをするために 京都青年部 K (23) 優勝 第38回弁論大会 外道はどこに 福井県 H 釈尊の教えられた 親の大恩十種とは (上) 第四次白道顕正戦・第一期顕正戦 表彰式行われる 岐阜会館建設 実行委員会を結成 大喝 ハエと人間 企業広告 渡辺仏壇店 顕正一口メモ 石川、岐阜、富山県 幹部研修会 随行録 K 天親菩薩伝 (1) 作・A 画・A 第38回弁論大会 滋賀会館降誕会 満員の盛況 和訳浄土三部協発行のお知らせ 香川県高松市 M K 8.1~10.31 顕正大行進の主役たれ 第二期顕正戦 法友通信 富山県 T 教学試験成績 (50. 6.21-50. 7.20) 富山県 M 響流 T・K (1コマ漫画) 導師合格 顕正一口メモ 京都市 U 第160号 S50/09/20 (1975) 一言説法 論説 真宗十派の統一は可能か こんなことがききたい 感謝の心でなら神社参拝はよいのか 第160号 S50/09/20 (1975) 8月3日 どこで・なにが 私はなぜ 浄土真宗布教使になるのか 肌で感じた仏法の重大さ 暗い心の解決を求めて 富山青年部 K(22) 東西南北 釈尊の教えられた 親の大恩十種とは (下) 意気さかん、高岡南支部 御法座の大宣伝敢行 支部長会議 開かれる 本部長補佐 支部育成委員 A、D両講師を任命 青年部育成にとり組む滋賀県 学習会行われる 三千枚のビラで本願寺が親鸞会に対決 東京御法座 第二期顕正戦 八月で二百六名 次期随行者 K君(25),T君(27) 特別顕正隊 青年部幹部を育成 法友通信 北海道 A 顕正一口メモ 教学試験成績 (50. 7.21-50. 8.20) 天親菩薩伝 (2) 作・A 画・A 企業広告 ステンレス加工 S 大喝 ほら貝の教訓 随行録 K 企業広告 渡辺仏壇店 京都 K 響流 T・K (2コマ漫画) K 顕正一口メモ 編集雑記 第161号 S50/10/20 (1975) 一言説法 論説 ひん死の仏教を よみがえらせるもの こんなことがききたい 誰でもできる無財の七施 第161号 S50/10/20 (1975) 親鸞会は好戦的だから 嫌いだという人に 私はなぜ 浄土真宗布教使になるのか 「弥陀の本願まことであった」 助けるぞ、の一声に救われた私 富山青年部 T (27) 東西南北 仏法の原点 生と死 会長 高森顕徹 初回で六百名を結集 鯖江市農協会館の御法座 =福井= 破邪顕正こそ本会の使命 第二期顕正戦を果敢の展開 特別顕正部隊 第一期生八名を選抜 よこがお 律儀な外見、内に秘めた情熱 石川支部 Kさん(43) 名古屋御法座 大喝 死神の来訪 随行録 K 法友通信 広島県 K 99匹の片目猿、1匹の両目の猿を笑う T.K (1コマ漫画) K 天親菩薩伝 (3) 作・A 画・A 親鸞聖人 報恩講 顕正ひと口メモ 教学試験成績 (50. 8.21-50. 9.20) 一人が一人を育成しよう 響流 顕正ひと口メモ 導師合格者 企業広告 渡辺仏壇店 第162号 S50/11/20 (1975) 一言説法 論説 「仏教は死んだか」 こんなことがききたい 二心でも助かるのか 第162号 S50/11/20 (1975) 門徒の教化を忘れ 納骨堂でかせいだ金を 親子で奪い合い 東本願寺 私はなぜ 浄土真宗布教使になるのか 釈迦の一代教に従い 一向専念無量寿仏を 福井県青年部 K (25) 東西南北 芥川龍之介と仏教 北海道・九州をまたにかけ 大活躍の白道顕正戦 実感!! 僧侶の堕落は全国的 第二期顕正戦 千余の仏縁 12月1日~15日までに 会費前期分納めて下さい 第五回 大講師試験 九名の大講師誕生 岐阜事務所 住所変更 東京御法座 将来は二回やりたい、と会長先生 大喝 宝の埋まっている土俵 法友通信 新湊市 K 顕正ひと口メモ 随行録 K 天親菩薩伝 (4) 作・A 画・A 福井市 S 真実を体得する者、強し T.K (1コマ漫画) T 訂正 響流 教学試験成績 (50. 9.21-50.10.20) 顕正ひと口メモ 次期随行者 K(26) , J(22) 第163号 S50/12/20 (1975) 一言説法 論説 総括一九七五年 こんなことがききたい 歎異鈔 「ただ念仏して」の真意 第163号 S50/12/20 (1975) 報恩講劇 滋賀青年部 生首の説法 蓮如上人とお初の物語 第39回弁論大会優勝 真実の教えを求めて 島根県邑智郡 T (58) このままで 信心決定できるのか 優勝 第四十回弁論大会 富山県 T (27) 毎日新聞も注目する親鸞会 その報恩講に真宗の明日を見た 若者が実践の主力 人事異動 大喝 まず妻子を勧化せよ 訂正 年賀状の廃止について 企業広告 渡辺仏壇店 よこがお 門徒の教化を忘れた東本願寺 納骨堂でかせいだ金を親子で奪い合い 作・K (1コマ漫画) 教学試験成績 (50.10.21-50.11.20) 天親菩薩伝 (5) 作・A 画・A よこがお 会員の皆様へ 大導師合格者 第三十九回弁論大会成績 第四十回弁論大会成績 響流 導師合格者 随行録 T 法友通信 広島市 T 号 数 1面 2面 3面 号 数 4面 5面 6面 号 数 7面 8面 第164号 S51/01/20 (1976) 一言説法 論説 知識に信順せよ こんなことがききたい 日蓮のたわごと 第164号 S51/01/20 (1976) 昭和51年 謹 賀 新 年 元旦 年頭所感 変成男子の願心(年頭に思う) 本部長 F 第164号 S51/01/20 (1976) 総勢 140余名――親鸞会の中核を結集 幹部整列式行われる 東西南北 仏法興隆の地、吉崎で合宿 仏法年末年始はない 気を吐く親鸞会青年部 同志の皆さん、立つ秋が来た 真宗の危機は 人類の危機だ 会長 高森顕徹 岐阜支部報恩講 顕正大会行われる 富山 法友通信 高岡市 O 教学テキストの改訂について 滋賀県 F 五十年度顕正戦 個人別成果の表彰 高岡市 Y 過去の徒労の挽回を 青年部長 F 島根県 K 顕正ひと口メモ もの知り大学 第3期顕正戦 2月~5月 破邪顕正の精鋭たれ 和歌山県 S 支部長会議開かれる 今年度千五百年名顕正を決議 大喝 人間、一皮むくならば・・・ もの知り大学 解答 第十二回講師試験 九名の新講師誕生! 岐阜市 K 教学試験成績 (50.11.21-50.12.20) 随行録 T 長浜市 N 仏眼 顕正ひと口メモ 導師合格者 いけないずくし K 訂正 第165号 S51/02/20 (1976) 一言説法 論説 一億七千万人が祈る本尊 こんなことがききたい 『邪見、驕慢』とは何か 第165号 S51/02/20 (1976) 蓮如上人御一代記聞書に学ぶ その籠を水につけよ 私はなぜ 浄土真宗布教使になるのか 邪教を語った口で真実の仏教を! 私はキリスト教にだまされていた 福井県青年部 U (22) 東西南北 滋賀会館火災・二階全滅 焼け跡を放置して真実の説法 学生部発足 盛大に決起大会を挙行 全国の学生部員を結集 宣誓 正法宣布に死力を尽くす 岐阜 第三期顕正戦出陣式 谷本ビルで開催 滋賀会館復興委員会を設置 各地からよせられる復興資金 燃えよ!第三期顕正戦 法友通信 名古屋市 K 大喝 大宇宙は有限か、無限か 富山県 T 今月の金言 宗教多しといえども 正しい宗教は唯一ッ (1コマ漫画) 随行録 U もの知り大学 解答 編集局のメンバー 顕正ひと口メモ 導師合格者 浄土真宗親鸞会 図書案内 各県の支局長 仏眼 もの知り大学 教学試験成績 (50.11.21-50.12.20) 顕正ひと口メモ 編集雑記 号 数 1面 2面 3面 号 数 4面 5面 6面 136号~150号へもどる 151号~165号 166号~180号へすすむ
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第2章 現代日本の宗教の特質と歴史的背景 日本の宗教の複合性・二重性、その現代的性格と歴史的背景 1. 現代日本の宗教の多元性と宗教意識 現代日本の宗教の特質;a)多様な宗教の共存ないし複合性 b)宗教意識の二重性ないしあいまいさ 宗教の社会的意義の解明...現代人の欲求に宗教がどう応答していくのかを軸とするのが合理的 *複合性を異常視する近代主義的宗教観 近代的宗教観; 1.近代西欧のキリスト教を宗教の単一な基本モデルとして日本宗教が理解されてきた 「宗教=全人格をかけて超越的存在に帰依服従すべきもの」という理解(虚構) ⇒日本の宗教現象の雑炊性;「不完全」、「不純」 神道儀礼等;形式化した習俗的慣行か原始的な宗教的心性の名残、民族宗教の次元 2.宗教に依存する人間は非合理・非科学的で没主体的だとイメージされる傾向 信仰=心の問題として内面化、 外面的行為としての関わりが否定されるほどより高次な近代的宗教と見なされる ⇒日本の宗教の"ムラ"的性格とその中の個人の"没主体的傾向";日本宗教の前代性とされる *近代主義的宗教観の破綻 西欧近代モデルの宗教観から現代日本の宗教を評価することは理論的な難点および矛盾がある 1. 急激な近代化を経た結果、人々の精神構造やその宗教意識は基本的に変化 →前近代的な意識が継続されているわけではない 2. 近代化に伴い宗教が衰退するという前提は現在の宗教への関わりが広範囲に見られる事と 説明出来ない→むしろ近代社会固有の問題と結びつけて検討する視点が必要 3. 西欧の完成した近代市民社会において宗教は一般的に広く信仰されている →「近代化=宗教衰退」という図式は現実的に成立しない むしろ近代主義が思想的批判の対象となった結果、それまで否定された宗教・非合理的心情への関心が 本来の人間的現象として評価されるようになってきている ⇒ * 現代人の宗教関与と"豊かさ社会"の人間関係 ・森岡清美(1981)による現代人と宗教の関わり方の分析; 1. 一時的関わり2.表面的関わり3.功利的関わり4. 開放的関わり L 近代化がもたらした個人主義的・利己主義的で表層的人間関係の現れ(森岡) 今日の宗教への関心は完成され高度化した近代社会そのものから発生している ・西山茂(1988);《霊=術》系新宗教の特徴は、その構成要素や作用を人が操作する操作主義にある 宗教に全人格的に支配されるのではなく、自らの主体性を確保しながら必要に応じて関与するスタイル ⇒ * 現代人の合理的態度と宗教関与の主体性 ・霊術宗教への主体的関与;信者側も宗教に対し主体的・能動的に関わる傾向 ...科学や社会システムが解決しない欲求の一部を宗教によって実現しようと試みる (全人格的に宗教と関わり主体性を喪失してライフスタイルが転換する場合もある) ・ 民族宗教への関わり;祈願が呪術的信仰であることに無自覚 ...ほとんど合理的生活態度の一部として生活習慣化しているだけで合理性・主体性は担保されている * 現代宗教の多元性と合理性 現代日本人における宗教の複合性や宗教的意識の二重性; [教団のタイプ(従来の分類法)]...世界観型伝統宗教-体系的教義の確立していない宗教(表3-A) L キリスト教をモデルとした進化論的宗教観を背景にしたもの [諸個人の欲求の実現という視点から分類] ...いずれの宗教も多様なニーズに応答するタイプの異なる個別機能の宗教となる(表3-B) ⇒日本の宗教の複合性は宗教的多元性を示している [宗教的欲求への応答と諸個人の関心から分類] ...諸個人が主体性を消失するタイプは少ない(表3-C) 2. 宗教の多元性と宗教意識の歴史的背景 現代日本人における宗教の複合性や宗教的意識の二重性 ←日本宗教の歴史に強く影響を受けている *日本宗教の歴史的多元性 日本の宗教史の最大の特徴=キリスト教のような天蓋的宗教による一元的な宗教支配を経験していない L 諸個人の生活を全面的に支配する宗教の在り方 ⇔ヨーロッパ世界は数世紀に渡り"普遍的"に経験 日本仏教;中世以降、教団化して社会に定着 ・天台宗・真言宗など正統派仏教の思想=王法仏法相互依存論 ...王法(世間の道理)と仏法(超越的道理・真理)は相即の関係 ・ 国家は多様な宗旨・教団を公認※仏教が単一の宗教である、というイメージは根本的な誤解 ・ 親鸞系・日蓮系教団など例外的に排他的な一神教派は解体されたという歴史的経緯 ⇒日本の宗教は歴史的に世俗権力による宗教・宗教統制と宗教的多元性が伝統となり現代に至る * 信仰の雑炊性と倫理の不在 神仏習合;外来宗教の仏教は在来の神々の機能や儀礼を変容する事無く吸収して民衆世界へ浸透 ※ 神仏の単なる融合ではなく習ね合わせであった ⇔キリスト教の先住信仰との融合=機能・儀礼を継承しつつも固有性を否定 現代人のニーズに対応し、「豊かさ社会」の構造と密接に連関した現代的特徴 現代の宗教的複合性のベース ⇒仏教は多神教的性格、内容的多様性を持つ; 近代以前の神仏習合=人々の神仏宗教意識は一体的であった 日本人の伝統的宗教意識として仏教と神道が二重信仰、二重構造や重層性という捉え方は不適切 二つの虚構 神道の神々も土着の神との融合 →日本固有の信仰であると位置づけるのは天皇制国家主義および民族主義の虚構 精神の根底の無意識のレベルに普遍的な思想や意識が実体として永続するという見方は幻想 →仏教を表層的、神道を基層信仰であるとする二分法の虚構 例)民俗信仰が習俗化し明確な教義をもたないからといって「無意識の信仰」とは呼べない *神仏並立的信仰の一体性とその論理 日本の神仏習合;仏教哲学・教義の理論的解釈を通じて展開された日本仏教の"純粋形態" 例)仏の三身論の応身...仏は民衆の生活世界のさまざまの崇拝対象として現れる、という解釈 【伝統的宗教意識の多元性・寛容性・分業の観念】 日本宗教の歴史的特徴が形成した宗教思想・宗教意識の特徴的伝統 1.宗教的多元性の観念と宗教的排他主義への忌避の宗教感覚 信仰や宗教には多面的アプローチがあると考え、特定の宗教が支配的となることを"異常"とみなす 2.各教団内部に他の宗旨と共通する多くの信仰対象が併存するという認識 他宗教の信仰対象にも親近性・類似性を発見し同化させて尊重する同化的宗教的寛容 例)マリア観音 3.宗教的多元性と神仏並列的崇拝から派生する諸神諸仏の 神仏並列的信仰はそれぞれの機能・役割を温存し、分業的崇拝の宗教意識を形成 ⇒現代人の雑炊的宗教感覚やつまみ食い的信仰の歴史的前提となる 4.宗教と倫理は別次元にあるという観念; 悟りは世俗を脱する事で得られるとされたため、宗教の本来の領域は世俗外にあり、 世俗生活の事柄に宗教は本質的に関与せず、世間の流儀に身を委ねるという観念が形成される 5.伝統的宗教意識における原理主義の不在と無責任主義 宗教的原理の尊守からは、世俗や現実の問題に対して宗教的責任から批判的にふるまうような精神が 欠落しがちとされる ------------------------------------------------------------------ 日本の宗教の伝統的特性について、歴史的経緯からその論理の形成過程を解明し、現代人の宗教関与の在り 方が形成されるまでの検証作業は非常に興味深かった。それにしても、何故、当時外来宗教であった仏教は 在来の神々の機能や儀礼を変容する事無く吸収し得たのか、本文中では仏教の宗教的原理が世俗的解決を求 めた結果、既存の在来宗教の原理を融合せざるを得なかったと述べられていたが、この点において、例えば キリスト教原理とのいかなる差異があったのだろうか。そこには、むしろ信仰する諸個人の生活領域に大き く影響を与えざるをえない自然環境が形成した根本的な精神性や、既存のムラ社会の倫理が要因として関連 していたのではないだろうか。 外面的な宗教的寛容主義 内面的な宗教的寛容主義 分業の観念
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遍在転生観 永井均に対する批判 遍在転生観の問題 観念論的アプローチ 他我問題 渡辺恒夫は1946年生まれ。東邦大学理学部教授。専門は心理学。京都大学文学部で哲学を、同大学院文学研究科で心理学を専攻した。 自我体験、独我論的体験、意識の超難問の体験を心理学の立場から統計的に調査研究している。そして意識の超難問の解答として梵我一如思想を背景にした「遍在転生観」を提唱している。 遍在転生観 遍在転生観とは、渡辺恒夫が考える輪廻転生のあり方。全ての個人がそれぞれ所有しているように見える自己・自我というものは、実は唯一存在するだけであり、それが各個人に現れているのだと考える。 「なぜ〈私〉は21世紀の〈今〉というときに、〈ここ〉地球星の日本という島に生きているのか?」という意識の超難問的な問いに対しては、過去・未来・同時代のあらゆる知的生命体は、唯一の私が輪廻転生を繰り返す姿に他ならなず、私は今地球にいる全ての人間だったし、全ての人間になるだろうという考えである。 渡辺の思想は梵我一如の世界観を背景にし、永井均の独在性思想の対極にある。ただし、渡辺は独在性を否定しているのではなく、独在性が真性の問題であることを一旦認め、その解答として遍在転生観を提唱しているのである。 以下の図は渡辺の分類による転生観の種類である。 (太線が〈私〉であり、点線が心を持っていると想像しうる〈他者〉である) (出典 『輪廻転生を考える』p.175) 図の c の遍在転生観のみが、〈私〉がこの人間として生まれたという偶然の「神秘」を「必然」に転化しうると考える。 科学者のエルヴィン・シュレーディンガーもヴェーダーンタ哲学の影響を受け、著書『わが世界観』で遍在転生観と類似の考えを主張している。以下引用。 なぜ君は君の兄ではなく、君の兄は君ではなく、君は遠縁のいとこのうちの一人ではないのか。もしアルプスの風景が客観的に同じものだとしたら、いったいなにが君にこの違い――君と誰か他の者との違い――をかたくなに見いだそうとさせているのであろうか。(p.99) 通常の理性では信じがたいことかもしれないが、君──そして意識をもつ他のすべての存在──は、万有のなかの万有だということなのである。君が日々営んでいる君のその生命は、世界の現象のたんなる一部分ではなく、ある確かな意味合いをもって、現象全体をなすものだと言うこともできる。(中略)――周知のように[古代インドの]婆羅門たちはこれを、タト・トワム・アスィ(Tat twam asi=其は汝なり)という、神聖にして神秘的であり、しかも単純かつ明解な、かの金言として表現した。──それはまた、「われは東方にあり、西方にあり、地上にあり、天上にあり、われは全世界なり」という言葉としても表現された。(p.100) ※上記の「Tat twam asi」は「Tat Tvam Asi」とも表記される。 また『精神と物質』では、「一切の精神は一つだと言うべきでしょう。私はあえて、それは不滅だと言いたいのです。私は西洋の言葉でこれを表現するのは適さないということを認めるものです」と述べている。 永井均に対する批判 無限の昔から、世界は〈私〉なしに存続してきた。わずか数十年(長くてせいぜい百年)の例外期間を過ぎて、世界はまた〈私〉なしに存続していくであろう。(永井均著『私の同一性と〈私〉の同一性』) この永井の文章の「であろう」という部分について渡辺は、〈私〉の出現が一回きりである理由(未来に出現しない可能性)が彼にも思いつけなかったのだろうと指摘する。そして永井の転生観を上記の図の b であり、穴だらけ転生観の特殊ケースに他ならないと指摘する。 遍在転生観の問題 同時代の誰かに転生する――今現在いる多数の他人たちも〈私〉であるというのは合理的に考え難いことを渡辺も認めている。この点について渡辺は、時間を空間の第四次元に扱うアインシュタインを援用し、時間の第二次元(二次元時間)を想定して、問題の解消を試みている。 三浦俊彦は渡辺を批判し、意識の超難問を遍在転生観で絶対に解決できない理由は、なぜ今この瞬間に「私」は三浦俊彦なのか ? という疑問が解決できないからであり、最小瞬間ごとの転生を考えようとも、時間の第二次元を導入しようとも、「他ならぬこの瞬間になぜ……」という疑問が決して解決できないとしている。 渡辺は、人物Aと同時に人物Bであることはできないという問題について、以下のような可能性を考える。 ①刹那転生 輪廻転生の単位を生物学的な一生とするのでなく、一秒よりはるかに微小な時間、一刹那とし、〈私〉は一刹那のうちに次々と異なる人物――光のような速さで全世界のあらゆる人間に転生してまわる可能性である。これは仏教哲学の「刹那生滅説」に近い。自我を含む全世界が、一刹那ごとに消滅して、また新たに生じると考えるものである。 ②遍在転生輪廻 同時代人であるそれぞれの人物も、実は何らかの意味で「時を異にする」と解釈するものである。(この考えでは「時間の第二次元」は否定される) 観念論的アプローチ (以下は管理者の見解) 心の哲学において心身問題が解決困難である理由は、「一つの肉体には一つの心が宿っている」と、肉体と精神の関係を一対一の「所有関係」と考えることにある。実はその考え方は論理的とはいえない。自然科学の知見を前提したとしても、物理的な肉体と異なって精神は空間的にその位置を規定できないのだから、精神と肉体には「対応関係」があるということだけが事実として認められるのである。個人の肉体の中の脳という部分に精神が存在しているという素朴実在論的な見方は根拠が欠けている。(渡辺を批判する三浦も、心身関係を所有関係であることを前提にしている) 人格の同一性や意識の超難問においても、肉体と精神の関係を一対一とする限り解決困難なアポリアが生じることを、私は論じた。 アポリアを生じさせる原因は実在論、特に時間と空間の実在性を前提にしていることだと私は考える。もし時間と空間が実在しないと仮定すれば、遍在転生観の問題や、心の哲学における意識のハードプロブレムは解消されるだろう。従って私は、梵我一如の世界観を背景にした渡辺の思想とは異なり、時間と空間そのものの実在性を否定した古代ギリシャのエレア派の一元論によって独在性の問題を考えている。(この問題についてはエレア派の一元論の合理性として考究しているので参照されたい) 感覚で捉えられる世界は生成変化を続けるが、そもそも「変化」とは在るものが無いものになることであり、無いものが在るものになることである。理性で考えれば「無」から「有」が生じたり、「有」が「無」になるのは矛盾である――このパルメニデスの指摘は鋭く、シンプルである。理論はシンプルなほど論破するのが困難である。事実このパルメニデスのロジックを論破した者を私は知らない。 クオリアとは、まさに「在るものが無いものになり、無いものが在るものになる」という矛盾したものである。それは〈私〉についても同様である。机やりんごなどの物質は燃えたり砕けたりして無くなった様に見えても、じつは元素や原子に分解されるだけである。しかし、クオリアは先ほどまであったと思えば次には完全になくなったように思われるし、〈私〉もまたいつか死ねば無くなるように思える。しかし、これは不合理である。 渡辺が意識の超難問に関心を抱いて遍在転生観を主張した背景には、おそらく「在る」ものであった〈私〉が「無い」ものになるということに不合理性を感じたからのはずである。ならば、変化――時間の実在性を問わなければならないはずである。しかし渡辺は遍在転生観を、時空の実在を前提とした科学的実在論と調和させようとしている。これは問題の本質が間違った方向にスライドされていると考える。 そもそも私がパルメニデス的な一元論に惹かれたのは、宇宙における物理法則の普遍性(後に自然の斉一性原理という言葉を知ることになる)がきっかけだった。宇宙には電磁力や重力など、さまざまな法則があるが、それらの法則は宇宙のどこでも遍く通用し、変化しないらしい。地球ではE=mc2だけど火星ではE=mc3であってもいいのではないか? なぜ、そうではないのか? 子供の頃、そんな素朴な疑問に悩んだものだった。そんな疑問が解消したのは、ずっと後年のことである。パルメニデスとエレア派の思想に接し、この宇宙が空間によって断絶しておらず存在は「一」であるとしたなら、物理法則が普遍的であることは何の不思議もなくなったのである。そして、これはスピノザの影響であるが、さまざまに存在する物や人々はその唯一の存在の属性として考えるようになった。 私なりの遍在転生観(この思想を抱くようになった時はまだ渡辺恒夫を知らず、遍在転生観という言葉も知らなかったが)を持つようになったのは、そのような世界観が背景にあったためでもあるし、当時心の哲学において流行の言葉であったクオリア問題の解消の試みとして辿り着いた結論でもあった。 他我問題 (以下は管理者の見解) 「他我」の問題は、一元論の立場では存在しない。そもそも他者の定義じたいが「自分と異なる肉体と、その肉体にあるかもしれない精神」なのだから、空間の実在性を否定するエレア派的な一元論の立場では、「異なる肉体」という他者の定義の一つが消去されることになる。もちろん空間が実在しないとしても、精神の在り方は純粋に非空間的なものだから、空間的広がりのない世界に複数の精神・自我が在るということは論理的に可能であると思う。しかし空間の実在性を否定するなら、自我が複数在る必要はないように思われる。多数の知覚が存在していることは事実であろうが、その多数の知覚が唯一の自我に現れているとしても論理的に間違ってはいないだろう。 この場合、自我が唯一であるというのは、他我の存在を否定するものではない。他我も自我であるというのが、遍在転生観の核心なのである。広い世界に多数の人々が存在し、それぞれが〈私〉であるというのは考え難いかもしれないが、空間的広がりのない、たとえば数学的な意味での唯一の「点」の世界に多数の人々(として認識されるなにか)が存在し、そこに唯一の〈私〉がおり、その唯一の〈私〉が様々な視点から、様々な認識をしているとイメージすれば考え易いかもしれない。 他者もおそらく〈私〉であろう。ただ〈この私〉とは見ているものが違うということだ。この場合、「同時に別のものを見ている」ということを意味しない。「同時に」という言葉が意味を持つのは時間が実在していると仮定した場合だけだ。 参考文献 渡辺恒夫『輪廻転生を考える』講談社現代新書 1996年 渡辺恒夫『〈私の死〉の謎 世界観の心理学で独我を超える』ナカニシヤ出版 2002年 三浦俊彦 「意識の超難問」の論理分析」『科学哲学 35-2』 2002年 西田幾多郎/著 , 竹田篤司/〔ほか〕編『西田幾多郎全集 第一巻』岩波書店 2003年 エルヴィン・シュレーディンガー『わが世界観』 橋本芳契監修 中村量空・早川博信・橋本契訳 ちくま学芸文庫 2002年 参考サイト http //homepage1.nifty.com/t-watanabe/correspondence.htm http //www.lcv.ne.jp/~kohnoshg/site46/religeous8.html http //www.journalarchive.jst.go.jp/jnlpdf.php?cdjournal=jpssj1968 cdvol=35 noissue=2 startpage=69 chr=ja http //ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC
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仏教用語 仏教で使われる特殊な用語の解説です。また、過去歴史の重大事件で通称がある場合、これも含まれます。 あ~お か~こ さ~そ た~と な~の は~ほ ま~も や~よ ら~ろ わ~ん
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創価学会の歴史と確信 時あたかも、わが国は太平洋戦争に直面し、国をあげて、修羅のちまたに突入したのである。牧口会長は、この大戦争の間に、強く大聖人のご精神を奉戴して、国家の悪思想たる天照大神を拝むということに対立したのであった。 時の軍部は、蒙古襲来のとき、神風が天照大神によって吹いたという歴史にだまされていたのであった。国家が謗法の行為をなすことを知らず、大聖人の教えを聞こうとせず、語ろうともせず、かつ、御本仏大聖人の祈りによって神風が吹いたことは、知らなかったのである。米国はデューイの哲学により、日本の軍部は低級な邪義である神道論によって、一国の精神統一を図った。勝敗は物量だけの問題でなく、すでにこのことによって定まっていたのである。かれらが敗戦とともに、狂人的になることは、どうすることもできないことであった。 高級な仏教哲学は、敗戦すべきことを教えていたのであるが、そのたいせつな教理である大聖人の御遺文すら焼き捨てようとかかったのである。軍部の偉大な権力は狂人に刃物で、民衆はおどされるままにふるえあがって、バカのように天照大神の神棚を作って拝んだのである。このとき、牧口会長は、天照大神の神札を拝むことは、正宗の精神に反すると、きびしく会員に命ぜられたのである。 日本の国は、軍部にひきずられて妙な考え方になっていた。国内が思想的に乱れるのを恐れ、宗教の統一を図ろうとくわだてた。天照大神を拝んで神風を吹かしてもらうと言いだしたのである。天照大神を拝まないものは国賊であり、反戦思想であるとしていた。日本始まっていらい、初めて国をあげて天照大神への信心である。 天照大神とて、法華経守護の神である。法華経にいのってこそ天照大神も功力をあらわすのである。しかるに、文底独一の法華経を拝まず、天照大神だけを祈るがゆえに、天照大神の札には魔が住んで、祈りは宿らず、一国を狂人としたのである。 しかも、御開山日興上人の御遺文にいわく、「檀那の社参物詣を禁ず可し」とおおせである。この精神にもとづいて牧口会長は、「国を救うは日蓮大聖人のご真意たる大御本尊の流布以外はない。天照大神を祈って、なんで国を救えるものか」と強く強く言いだされたのである。 当時、御本山においても、牧口会長の、宗祖および御開山のおきてに忠順に、どこまでも、一国も一家も個人も、大聖人の教義に背けば罰があたるとの態度に恐れたのである。信者が忠順に神棚をまつらなければ、軍部からどんな迫害がくるかと、御本山すら恐れだしたようである。 昭和18年6月に学会の幹部は登山を命ぜられ、「神札」を一応は受けるように会員に命ずるようにしてはどうかと、二上人の立ち合いのうえ渡辺慈海師より申しわたされた。 御開山上人の御遺文にいわく、 「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」 この精神においてか、牧口会長は、神札は絶対に受けませんと申しあげて、下山したのであった。しこうして、その途中、私に述懐して言わるるには 「一宗が滅びることではない、一国が滅びることを、嘆くのである。宗祖聖人のお悲しみを、おそれるのである。いまこそ、国家諫暁のときではないか。なにを恐れているのか知らん」と。 まことに大聖人のご金言は恐るべく、権力は恐るべきものではない。牧口会長の烈々たるこの気迫ありといえども、狂人の軍部は、ついに罪なくして罪人として、ただ天照大神をまつらぬという“とが”で、学会の幹部21名が投獄されたのである。このとき、信者一同のおどろき、あわてかた、御本山一統のあわてぶり、あとで聞くもおかしく、みるも恥ずかしきしだいであった。牧口、戸田の一門は登山を禁ぜられ、世をあげて国賊の家とののしられたのは、時とはいえ、こっけいなものである。 また、投獄せられた者どもも、あわれであった。事業のつぶれる者、借金取りにせめられる者、収入の道なく食えなくなる者等続出して、あとに残った家族も、悲嘆にくれたのである。このゆえに、まず家族が退転しだした。疑いだした。これは確信なく、教学に暗いゆえであった。投獄せられた者も、だんだんと退転してきた。いくじのない者どもである。勇なく、信が弱く、大聖人を御本仏と知らぬ悲しさである。 名誉ある法難にあい、御仏のおめがねにかないながら、名誉ある位置を自覚しない者どもは退転したのである。大幹部たる野島辰次、稲葉伊之助、寺坂陽三、有村勝次、木下鹿次をはじめ、21名のうち19名まで退転したのである。 会長牧口常三郎、理事長戸田城聖、理事矢島周平の3人だけが、ようやくその位置に踏みとどまったのである。いかに正法を信ずることは、難いものであろうか。会長牧口常三郎先生は、昭和19年11月18日、この名誉の位置を誇りながら栄養失調のため、ついに牢死したのであった。 私は牧口会長の死を知らなかった。昭和18年の秋、警視庁で別れを告げたきり、たがいに三畳一間の独房に別れ別れの生活であったからである。20歳の年より師弟の縁を結び、親子もすぎた深い仲である。 毎日、独房のなかで、「私はまだ若い。先生は75歳でいらせられる。どうか、罪は私一人に集まって、先生は一日も早く帰られますように」と大御本尊に祈ったのである。 牧口先生の先業の法華経誹謗の罪は深く、仏勅のほどはきびしかったのでありましょう。昭和20年1月8日、投獄以来一年有半に、「牧口は死んだよ」と、ただ一声を聞いたのであった。独房へ帰った私は、ただ涙に泣きぬれたのであった。 ちょうど、牧口先生の亡くなったころ、私は200万べんの題目も近くなって、不可思議の境涯を、御本仏の慈悲によって体得したのであった。その後、取り調べと唱題と、読めなかった法華経が読めるようになった法悦とで毎日暮らしたのであった。 その取り調べにたいして、同志が、みな退転しつつあることを知ったのであった。歯をかみしめるようななさけなさ。心のなかからこみあげてくる大御本尊のありがたさ。私は一生の命を御仏にささげる決意をしたのであった。敗戦末期の様相は牢獄のなかまでひびいてくる。食えないで苦しんでいる妻子のすがたが目にうつる。私は、ただ大御本尊様を拝んで聞こえねど聞こえねばならぬ生命の力を知ったがゆえに、2000べんの唱題のあとには、おのおのに100ぺんの題目を回向しつつ、さけんだのである。 「大御本尊様、私と妻と子との命を納受したまえ。妻や子よ、なんじらは国外の兵の銃剣にたおれるかもしれない。国外の兵に屈辱されるかもしれない。しかし、妙法の信者戸田城聖の妻として、また子と名のり、縁ある者として、霊鷲山会に詣でて、大聖人にお目通りせよ。かならず厚くおもてなしをうけるであろう」 毎日、唱題と祈念と法悦の日はつづけられるとともに、不思議や、数馬判事の私を憎むこと、山より高く、海よりも深き実情であった。法罰は厳然として、彼は天台の一念三千の法門の取り調べになるや、重大な神経衰弱におちいり、12月18日より3月8日まで一行の調書もできず、裁判官を廃業してしまったのである。 牧口先生をいじめ、軽蔑し、私を憎み、あなどり、同志をうらぎらせた彼は、裁判官として死刑の宣告をうけたのである。その後の消息は知るよしもないが、阿弥陀教の信者の立ち場で私ども同志を裁いた彼は、無間地獄まちがいなしと信ずるものである。不思議は種々つづいたが、結局、7月3日に、私はふたたび娑婆へ解放されたのであった。 【1951.07.10 『大白蓮華』第16号】 ■戸田第二代会長・指導集に戻る
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仏教人物事典 仏教界において重要と思われる人物についてのページです。僧侶、仏教帰依者に限らず、仏教弾圧を行った人物など、仏教へ影響をもたらした人物全てが含まれます。 中国名を優先的に表記します。インドのサンスクリット語での名前がある場合は、明らかな場合は説明文の中で併記します。 あいうえお順で表記します。 鳩摩羅什(くまらじゅう)
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言語の哲学としての言語哲学 古代ギリシャ 言語についての哲学的反省について、 確実に本人の一次資料に基づいてある程度の分量を述べることができるのはプラトーンからである。 彼は、イデア論やアナムネーシス(想起)説を提唱するに際して、 言語的反省と論理的推論に基づいて(対話という表現形式を用いながらも)哲学的諸原理に到達した。 更に、その弟子アリストテレースに到ると、単にその形而上学をはじめとする哲理への到達手段として論理を用いたのみならず、 論理構造と虚偽論それ自体を体系化して学問範疇となす。特にその論理学は基本的に19世紀のフレーゲまで、論理学の基本となるものであった。 古代ローマ〜中世初期ヨーロッパ 上記の流れはローマ帝国において、一方では法廷弁論術として、他方ではストア派や中期プラトン学派の哲学思考法として継承されたものの、東西の分裂を機に、ギリシャ語圏の東ローマ帝国では観想と聖書の霊的解釈学とを重んじたビザンティン・キリスト教思想において次第に弱体化する。他方、早くに西ローマ帝国の滅亡といわゆる「蛮族」の横行をみたラテン語圏の西ヨーロッパでは、ヒッポのアウグスティヌスという古代末期最大の哲学者が生まれ、命題論としては名辞と名辞の連接、意味論としては名辞とその対象物( Fido -Fido theoryという揶揄的名称がある)のように、フレーゲ以前を決定付ける言語哲学が確立した。アウグスティヌスは言葉(verbum)を記号(signum)の一種とみなして考察を行った[2]。また、『嘘について (De mendacio)』、『嘘に反対して (Contra mendacium)』、『エンキリディオン (Enchiridion)』などで、アウグスティヌスは、人間の言語活動における文脈や話し手・聞き手の意図の重要性に着目している[3]。彼は他に、『三位一体論』では、「外的語り(locutio foris)」、「心の語り(locutio cordis)」もしくは「内的語り(locutio interior)」、「音声の似姿において思考されるもの(cognitativium in similitudine soni)」の三者を区別した。音声を伴った言葉である「外的語り」に先行して、ギリシア語やラテン語のような自然言語には属しない「思考(cogitatio)」である「内的語り」が存在している。そして、「外的言葉」を声に出さずに考えている場合をアウグスティヌスは「音声の似姿において思考されるもの」と呼んだが、同様の概念が「内言」と呼ばれて発達心理学や認知言語学の分野で20世紀以降注目されている。 ギリシアの論理・言語の哲学はボエティウスによって西方ラテン世界へ紹介された。彼はアリストテレスの『オルガノン』全編やポルピュリオス『エイサゴーゲー』をラテン語へ翻訳した(ただし『オルガノン』のうち『分析論後書』は散逸し、『分析論前書』や『詭弁論駁論』は中世初期には読まれなかった)。ボエティウスの翻訳に不備があるとして非難する声もあるが、文献学的な研究によれば、むしろボエティウスに先行するガイウス・マリウス・ウィクトリヌスの翻訳などより優れたものであるという[5]。また、ボエティウスは『エイサゴーゲー』および『命題論』にはそれぞれ初歩的なものと高等なものの二つの注釈書を、『範疇論』、『トピカ』、キケロの『トピカ』にはそれぞれ一つの注釈書を著した(アリストテレスの『トピカ』に対する注釈書は散逸した[6])。ボエティウスは『区分について(De divisione)』『様々なトピカについて(De topicis differentiis)』、『仮言的三段論法について(De syllogismo hypothetico)』といった研究論文も書いたが、注釈書共々独創性は低く、ボエティウスは努めて論理や言語の哲学の紹介者であろうとしたのだとされる。 アウグスティヌスが記号(signum)という表現を用いて言葉を考察したのに対して、ボエティウスは表示(significatio)という表現を用いた。ボエティウスの言語哲学は以下のような特徴を持つ (1)話し言葉は第一には心の中の思惟(intellectus)を表示(significare)し、第二に思惟を介して思惟によって捉えられる事物を表示する(24.12-13;33.27-31)。 (2)話し言葉や書き言葉の文があり、文の中で名詞と動詞が区別されるように、心の中にも文(いわゆる「思考文」)があり、名詞と動詞が区別される(30.3-10)。 (3)心の中の名詞と動詞の複合、つまり思惟の複合と、その結果として思惟の内に生じる真理値は、話し言葉の名詞と動詞の複合と真理値に派生する(49.27-32)。 (4)書き言葉と話し言葉は規約によって設定され、多様性を持つのに対し、思惟と思惟によって把握される事物は自然的であって全ての人にとって同じである(24.27-25.5)。 (1)に関して、ボエティウスは思惟が形成されるためには外界の事物が必要だと考えていた。上記の(2)~(4)はジェリー・フォーダーの「思考の言語」説の主張と共通する部分がある。 ボエティウスや文法家のプリスキアヌス以降の西欧では言語の哲学に限らず哲学全体がしばしの停滞期をむかえ、カロリング朝ルネサンスの時代に復興する。これ以降の中世の論理学は、12世紀ルネサンスの時代を境目に旧論理学(logica vetus)と新論理学(logica nova)に二分される。旧論理学の時代には、前述のようにアリストテレスのオルガノンのうち『分析論後書』、『分析論前書』、『詭弁論駁論』などは読まれなかったし、カロリング朝ルネサンスの時代には『範疇論』に関してもボエティウスがラテン語に訳したものではなく、『範疇論について』の梗概・注釈書である偽アウグスティヌス『十の範疇について』が読まれた[10]。したがって言語哲学のテキストとしては、ポルピュリオスの『エイサゴーゲー』(ボエティウス訳・註解)、アリストテレス『命題論』(ボエティウス訳・註解)、『範疇論』(ボエティウス訳・註解)または偽アウグスティヌス『十の範疇について』、キケロー『トピカ』(ボエティウス註解)、ボエティウス『様々なトピカについて』『区分論』などがこの時代に読まれた。文法学ではカロリング朝ルネサンスの時代にはドナトゥス『文法学(Ars grammaticae)』が、時代が下るとプリスキアヌス『文法学教程(Institutiones grammatice)』がテキストとして利用された。また、現代の形式論理学が対象としないような哲学的考察をも中世には論理学の領域となっており、中世の論理学は言語哲学と表現されるのが実情に合っているとされる[11](ただし、中世にも論理学の対象を今日の形式論理学と同じような範囲に限定すべきだと考える者もいた。この時期には論理学を神学や形而上学と分けて論じる学者と混同して論じる学者が混在していた[12])。 カロリング朝ルネサンスの中心人物アルクィヌスは『弁証学(Dialectica)』を著した。本書は五つの普遍(類、種、種差、付帯性、固有性)、範疇、三段論法、定義・区分、トポス論、命題論といったものを扱っており、アリストテレスからボエティウスやカッシオドルスに至るまでの流れを扱ったに過ぎなかった[13]。ただ、独自の思想を唱えるには至らなかったものの言語研究史上におけるアルクィヌスの功績は決して小さくない[13]。アルクィヌスの後をついで宮廷学校長となったヨアンネース・スコートゥス・エリウゲナ(主著『自然位階論』)は偽ディオニシォース・ホ・アレオパギテース(主著『神名論』『神秘神学』)の諸文書をラテン語訳・紹介することを通じてネオプラトニズム[14]を再導入した。 11世紀〜13世紀ヨーロッパ ラテン語圏では11世紀になると、アンセルムスに代表されるような形で論理学が再び活発化する。 まず、ヨーロッパ各地での学問的な活性化の中で、細々とした伝承だけであったアリストテレースの論理学著作も、再びボエティウスの註解とともにきちんととした形で読まれるようになる。 ロスケリヌスら音声論者(Vocales)は「普遍は単なる音声にすぎない」とし、後の唯名論 (Nominalismus) へとつながる議論を開始したが、これはアンセルムス『ロゴスの受肉に関する書簡』などで批判された。このころには論理学は事物(res)に関する学問であると考えられていて、それに対して論理学は言葉・音声(vox)に関する学問だという意見は奇抜なものだと受け取られたとされる[15]。12世紀に入り、そうした運動の中でアベラルドゥス(アベラール)は、それまで漠然と使用されてきた「普遍」といった概念自体を問いかけ、大きな議論を引き起こす(普遍論争)。アベラルドゥス以前のヨハネスやロスケリヌスが音声(vox)という用語を使ったのに対してアベラルドゥスも初期はそれに従ったが途中からはsermoやnomenという用語を使い、彼とその弟子たちはnominalesと呼ばれるようになった。この違いは、ロスケリヌスらとその批判者との対立が普遍や範疇を言語哲学の問題として扱うか形而上学の問題として扱うかという点にあったのに対し、アベラルドゥスが存在論的態度表明を持ち込んだことによる[16]。 アベラールは『文法学(Grammatica)』という名の著書を著した。これは現在では失われているが、彼は論理学の議論に文法学の用語・手法を持ち込んだ。このことは音声論者たちに影響を受けてのことだったと推測されている[17]。対して、論敵のシャンポーのギヨームは文法学と論理学を切り離して論じる傾向があり、これが12世紀に支配的な傾向だった[17]。 カロリング朝ルネサンスの時代にはドナトゥスの著書が文法学のテキストとして使用されていたのに対して、この時期にはプリスキアヌス『文法学教程(Institutiones grammatice)』が使われるようになった。しかし13世紀にいたるとダキアのボエティウスのように、プリスキアヌスの規範文法学では満足できないものが現れ、言語的法則や規範の原因を問う思弁文法が興隆することになる[18]。それに伴って、文法学の分野で様態(modus)に着目する様態論者(modistae)が現れた。彼らの言う様態は表示の様態(modus significandi)、理解の様態(modus intelligendi)、存在の様態(modus essendi)の三つに区別され、理解の様態は表示の様態の原因で、存在の様態は理解の様態の原因だとされた。また、今日の哲学者が現実について知るために言語の本性について考察するのに対し、様態論者は言語現象の原因を明らかにするために現実について論じたという[19]。しかし様態論者の主張のうち、表示の様態は後にオッカムの剃刀によって剃り落されてしまう、というのはオッカムは表示の問題を精神-事物間でのみ扱うために言葉の表示の機能は不要となるからである[20]。 そうして、イスラーム圏に保持されたギリシア哲学諸文書の流入・翻訳を機に(実際には、ビザンツ所有の文献の流入の影響もかなり大きかったというが)いわゆる12世紀ルネサンスが起こる。その動きは、イスラーム圏の進んだ科学探求の成果の導入のみならず、それまで論理学者としてのみ知られてきていたアリストテレースの広範な業績の再発見でもあり、これらの新たな思潮の消化・吸収と反発が13世紀を形成することになる。 そして14世紀には独自な発展があり、それは例えばオッカムの論理学等に見ることができる[21]。オッカムの思想の内ではオッカムの剃刀の他に代示理論もよく知られている[20]。代示理論はオッカム一人が唱えたものではなく長い期間研究されたもので、研究が蓄積するとともに理論が精妙ではあるが煩瑣なものとなり、ルネサンス以降批判の的となった。20世紀以降の言語哲学では再評価されている[22]。 これらスコラ哲学における論理学や文法学の発展の中には、当時の流れから言えば傍流ではあるが例えばラモン・リュイ (ラテン語名:Raimundus Lullus ライムンドゥス・ルルス、1235-1316) がおり、語と語を組み合わせる機械によって全世界の全真理を知ろうとする「ルルスの術(普遍的な偉大な術 ars magna generalis)」の発明を得るに到った。 デカルト その後、近世哲学の創始者ルネ・デカルト (Rene Descartes, Renatus Cartesius 1596-1650) らは言語を軽視した(彼のすべてを疑う方法的懐疑において je suis, je existe (「わたしはある、わたしは存在する」)、 je pense, donc je suis [23]といった表現が、彼の直観を正しく表現しているか否かについてさえ全く疑いを持たないところに、その時代の状況が明白に現れている。ただし彼の論理思想はポール・ロワイヤル学派において展開され、当時のフランス・カトリック思想界で基本的教科書として使用された[24]。 同様の言語軽視はイギリス経験論者にも見られる。彼等は、アウグスティヌスの名辞と名辞の連接としての命題観を受け継ぐ。ただその意味対象(指示)として、対象物それ自体にかえて、彼等の認識論に従って観念に置き換えたのみである。このパタンはジョン・スチュアート・ミルを通じて中後期のラッセルまで続く英国言語哲学の欠陥であり続けることになる。 ライプニッツ ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leipniz, 1646-1716, 関連主著『論理学』[25])の普遍数学 (mathesis universalis) の構想はきわめて先駆的なものであった。少数の無定義概念と定義により諸科学の諸概念を、それらからなる少数の無証明公理と論理とのみから全知識命題を導出することを試みた。そして、普遍記号学と推論計算との二分野からなる基本普遍学の構築を企てた。とはいえ、無神論者・異端者としての誹謗をおそれた彼は、一般書『弁神論』の他は、哲学関係の著作を一切発表しなかったため、長らく言語哲学への影響はきわめて限定されたものであった。遺稿からの評価では、可能世界論を存在論と意味論との並行において論じている。その構想は、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』、クリプキの可能世界意味論・様相論理の先駆であるとともに、コンピュータ言語への大きな貢献を成し遂げているとされている。 フンボルト ここまでは、言語を論理の表現として把握する思考が主であった。それに対し、カントの悟性範疇を言語で置き換え、言語が人間において質料世界からの無定形な原=情報を分節化した認識対象として構成する決定的機能を持つことを指摘したのが、カール・ヴィルヘルム・フォン・フンボルト(karl Wilhelm von Humboldt,1767-1835 主著 "Ueber die Kawaisprache auf der Insel Java"[26])の言語研究だった。 彼によれば、人間は現実の諸言語を創造する能力とこれらの諸言語を規定する言語形式保持の能力とをもつ。後者からの外部表出としての前者が多様に具現化することをもって、人間の諸言語の(ひいては人間の諸文化・思想の)多様性を説明しようとした。ただし、当時の言語学者は主に個別言語にしか興味を有さず、また哲学者たちは人間精神自身の能力しか関心を持たなかったため、フンボルトの言語哲学への影響は限定的なものにとどまった。 この反フンボルトの代表格に、言語学者としては比較言語学・歴史言語学の大家ヤーコプ・グリム (Jakob Grimm 1785-1863)・ヴィルヘルム・グリム (Wilhelm Grimm 1786-1859) のグリム兄弟が、哲学者としてはヘーゲル、シェリング、ショーペンハウアー等のドイツ観念論者の系譜があげられる。19世紀後半になるとヘルマン・パウル(Hermann Paul 1846-1921 主著 "Prinzipen der Sprachaphilosophie" 『言語史原理』) が、言語の歴史の錯綜と変容に満ちた過程の背後に、不変かつ普遍な人間精神の共通性の存在を想定し、ドイツ青年文法学派の指導的役割を果たした。 ソシュール 言語学領域における言語哲学的関心は、スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュール(Ferdinand de Saussure 1859-1913。主著 "Cours de Linguistique générale" 『一般言語学講義』[27])において頂点に達する。彼は言語学を、言語の歴史的変遷をたどる通時(diachronique 歴史)言語学と、言語構造の同一性に訴える共時(idio-syncholonique)言語学とに峻別したうえで、言語の研究対象を個別の発話(parole)、文法構造を共有する一つの言語(langue)、それらを産出する能力としての言語能力(langage)に分類する。さらに、言語は世界を恣意的に分節化しそれを記号内容(シニフィエ、所記[28])に対して恣意的な対応関係にある記号表現(シニフィアン、能記[28])によって指示するという二重の恣意性を指摘、加えて記号表現自体は時間的に線状性をもつことを指摘した。 彼の思想は、特にその共時言語学と記号の考察と構造主義(言語の共時的・静的モデルを思考の基本におく)およびポスト構造主義(言語の静的モデルのみならず変動システムをも考察の範囲に取り入れる)の理論家たち(ローマン・ヤーコブソン、クロード・レヴィ=ストロース、ジャック・ラカン、ロラン・バルト、ルイ・アルチュセール、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダ、ジュリア・クリステヴァなど)として発展した。ただし、これらは言語哲学(philosophie langagière)よりは記号論(sémiologie, sémiotique)と呼ばれることが多い。 なお、これらの基礎となった『一般言語学講義』においては、編集者(セシュエ&バイイ)の誤解が著しく、ソシュール自身の言語観が大きくゆがめられて伝達されていることが、丸山圭三郎などの一連の仕事によって明らかにされている[29]。 フッサール これら、言語学から記号論へとの流れと並んで、19世紀半ばより哲学領域でも言語への志向があらためて起こった。その一人に現象学の創始者エドムント・フッサール (Edmund Husserl 1859-1938) があげられる。彼は言語を、精神の表出運動それ自体とその意味付与作用としての志向及び意味充足との合力として把握した。この流れは現象学一般へと展開していく。しかし、現象学は第一義的には超越論的な自己の心理能力そのものに関心を抱くものであるため、言語はその中の一つの因子として考察されるにとどまることが多い。 分析哲学としての言語哲学 フレーゲ 言語を存在のあるいは心理能力の一機序と定位してきたこれまでの西洋哲学史に反して、言語こそを哲学の中心課題に定位したのが分析哲学である。分析哲学は、フレーゲ、ラッセルを基礎とし、『論理哲学論考』のウィトゲンシュタインもしくはカルナップを端緒とするが、英米を中心とした哲学の潮流を中心とし、観念等よりも言語の優越を基礎とする。だがその主張は多岐にわたり、かつ、中心テーゼも必ずしも存在しない。またその発展とともに、分析哲学の仕事の範囲は言語の哲学の範囲を超えて存在論、倫理学、美学、心の哲学、行為論、科学の哲学、数学の哲学等、哲学のほぼ全てと言えるほど多岐にわたってきている。 広義での分析哲学の源流は、19世紀中葉ドイツの数学者ゴットロープ・フレーゲ(Gottlobe Frege:主著『概念記法 ("Begriffsschrift, Eine der arithmetischen nachgebildete Formelsprache des reinen Denkens")』『算術の基礎 ("Die Grundlagen der Arithmetik")』『算術の基本法則 ("Grundgesetz der Arithmetik" I)』[30])に求められる。彼は、それまでの言語哲学が命題間に成立する三段論法(既にアリストテレスによりほぼ完成されていた)を前提に名辞とその対象とを考察することしか主たる課題としていなかったのに対して、一命題(Satz)内の構造と量化(すべての、ある、存在する)とを問題にする量化理論を発見した。さらに、それに基づく意味論を考察した。 彼によれば、言語の基本単位は命題(文 Satz)であり、それより小さい諸単位(日常言語では語句、フレーゲの量化論理では、項 (Argument) と函数 (Funktion))の意味は一つの命題という文脈の中で考えられねばならないという文脈原理を提唱した。また「意義と意味について (Über Sinn und Bedeutung)」において、「明けの明星」と「宵の明星」という2つの語がいずれも指示対象としては同一の金星を指すにもかかわらず言語における機能を異ならせることから、指示対象のことを「Bedeutung」(意味)と呼び、その語の意味の違いを「Sinn」(意義)と呼んで区別する、という画期的業績を残した。とはいえ、フレーゲにおいては、意味は言語を超越した超実在(一種のイデア)であるGedanke(思想)に求められている。この点で、分析哲学化や後述する言語論的転回を経験したものとはいえない。 ラッセルとムーア 20世紀初頭、フレーゲの論理学に基づく数学基礎論に批判を加え、新たな数理哲学を展開したバートランド・ラッセル(Bertrand Russell 英)は、さらに「確定記述 (definite description)」について、それを分析する。確定記述とは、「the present king of France(現在のフランス王)」 のように記述の形をとりながら事実上固有名詞のように唯一の存在を名指す機能をもつ語法のことである。ラッセルは「指示について On Denoting 」[31]において、「現在のフランス王は禿げである」という命題は現時点でフランス王が存在しないので真とも偽ともいえないように思われるので問題であるが、「Xがフランス王であり、かつXが禿げである、そのようなXが存在し、しかもただ一人存在する」という諸命題の連言として解釈することによって、一応の解決をもたらした。 この瞬間、哲学上の問題を言語分析により解消するという分析哲学の基礎が打ち立てられたといえる。また同時期、ラッセルのケンブリッジにおける同僚ジョージ・エドワード・ムーア(George Moore 英)は「倫理学原理 "Principia Etica"」[32]において、「良い (good)」という語の使用法の詳細な分析を行い、当時英国で英国経験論者を中心に信奉されていた考えと違い、「良い」という倫理的価値語は「益がある・好ましい (preferable)」などの自然的記述語には還元できないと論じた(自然主義的誤謬の項参照)。それにより、日常言語の使用法の記述による哲学的問題の解決を行った。 なお、ラッセルが展開した数理哲学については、『プリンキピア・マテマティカ』 (『数学原理』、"Principia Mathematica") を参照。この本は、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド(Alfred North Whitehead 英)との共著。 『論理哲学論考』のウィトゲンシュタイン これらの業績の上になりたったのが、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(Ludwig Wittgenstein 墺→英)の処女作『論理哲学論考 ("Tractatus-Logico-Philosophicus / Logische-Philosophische-Abhandlung")』[33]である。短期間ではあったがラッセルが彼の師を務めたものの、ラッセルによる序文は、彼の理論を誤解した部分が多いとされる[要出典]。 しかし難解で様々な解釈があり、その解釈の一つによれば、日常言語は完全であるが複雑であるので、哲学的問題の解決のため簡便なモデルを創出する。それは、日常言語も共有する(ことを分析により明晰化するはずの)形式である、とされる。その形式は、言語はすべてそれ以上命題として分析できない基礎である(ここにフレーゲの文脈原理が忠実に採用されている)原子命題 (atomistiche Satz) とその真理函数 (Wahrheitsfunktion) とからなる(原子論 atomism)。原子命題は、名 (Name) と名との結合である。これらの言語的基礎単位に対応して、世界 (Welt) において原子的命題に事態(Sachverhalt)、名に物 (Ding) が対応する、そして、論理と数学の命題は特殊な命題であるが記述的命題ではなく、加えて、事実命題、論理学の命題、数学の命題以外は無意味な擬似命題であり、価値や倫理や神や世界の意義は語ることができないという主張がなされた、という。『論理哲学論考』の、言語の構造こそが存在論を規定するという発想こそ、言語論的転回の決定的な指標であり、分析哲学の誕生であった。 この『論理哲学論考』を受けて、分析哲学にはラッセル以外にも4つの流れが生じた。論理実証主義、後期ウィトゲンシュタイン、クワイン、日常言語学派である。 論理実証主義と科学哲学 その第一は論理実証主義 (logischer Positivismus) もしくは論理経験主義である。オーストリアのウィーンの哲学者たちによるウィーン学団 (Wiener Kreis) やドイツのベルリンの哲学者や数学者によるベルリン学派グループ(ルドルフ・カルナップ(Rudlf Carnap 墺→米)、モーリッツ・シュリック(Moritz Shclick 墺)、ハンス・ライヘンバッハ(Hans Reichenbach 独→米)ら)では、数学が記述命題ではないことに着眼し[34]、さらに検証可能な命題以外は有意味でないという主張をもとにして、有意味な命題は自然科学に属すると主張する。 そして『論理哲学論考』の主張に従い、従来の哲学における形而上学を追放し、日常言語の曖昧さを廃して完全な人工言語の創案に邁進[35]するという人工言語学派を開いた。それにより、自然科学的諸命題の性質に基づく世界観を構築しようとした。 『論理哲学論考』が命題の意味に関連して事実との一致不一致に基づき、真偽判定可能な命題を有意味命題 (sinnliche Satz) としたのに対し、論理実証主義たちは検証可能/不可能という概念に基づき、「検証可能な命題=自然科学によって判定される命題=有意味な命題、検証不可能な命題=擬似命題=除去されるべき命題」という二分法を導入した[36]。それにより、科学とは検証可能な諸命題の総体である、と主張する言語哲学に基づく科学観を形成した(→科学哲学)。 これらの主張はアルフレッド・エイヤーの『言語、真理、論理』(A.J.Ayer "Language, Truth, and Logic" [37])によって英国にもたらされ英国哲学界を震撼させた。この主張に対しては、カール・ポパー(Karl Popper 墺→米)が一般法則は決して完全に検証できないことから検証可能性条件では科学の法則命題の正当性を保証できないと批判した。加えてポパーは、反証については一つの反証事例でも決定的証拠になるという検証と反証の非対称性に着目し、反証可能性 (falsificationability)に科学の基準を置いた。その他科学哲学を参照のこと。 『論理哲学論考』以後のウィトゲンシュタインとその周辺 第2の流れは『論理哲学論考』以後のウィトゲンシュタイン自身の哲学の変遷である。この展開は漸移的かつ多彩であるので詳細ははぶく[38]が、彼は『哲学的探求 ("Philosophische Untersuchungen")』[39]において、「規則は行為を決定できない」という規則のパラドックス (rule following paradox) の帰結としての根元的規約主義 (radical conventionalism)、言語の使用タイプの多様性[40]、及び言語がその意味を生活上の機能からくみ上げていること、等へ注目する。この観点から哲学の諸問題については、哲学の問題が陥っている言語の日常的使用からの乖離を批判し、それ等の語の日常的使用を注目することにより、解答を与えるのではなく擬似問題であるとして解消することこそ、正しい対処法である、と考えた。その一方で、単なる規約主義ではなく、人間の自然誌(Naturgechichte)的・文化的(生活形式、Lebensform)要素と言語の機能との関係に、注目していった。 この方向性は、言語哲学を越えて、心の哲学(『心理の哲学に就いての考察』"Bemerkungen über die Philosophie der Psychologie")と数学の哲学(『数学の基礎に就いての考察』"Bemerkungen über die Grundlagen der Mathematik")とにウィトゲンシュタイン独自の理解を提示することになる。更に死の直前に残したノート(『確実性について』Über Gewissheit)からは言語の基礎(クワインやラカトシュのいう理論の核・中心部に概ね相当する)についての考察が見出される(いまだ学界でも十分に消化されたとはいえないテクストである)。 ただし、この時期のウィトゲンシュタインは、そのテクストが難解なこと、体系的議論に形式化され得ないので多量の問題形成→解決→更なる問題の発生という学問グループ内の巨大化が困難なこと、彼自身と彼の弟子たち(ノーマン・マルカム(Norman Marcolm 米→英→米。主著 "Dream")、ピーター・ウィンチ(Peter Winch 英→米。主著『倫理と行為("Ethics and Action")』勁草書房)、ラッシュ・リース(Rush Rhees 英。主著"Without Answers")、エリザベス・アンスコム(Gertlud Elizabeth Margaret Anscombe 英。主著『インテンション("Intention")』[41])等が多分に秘教的なサークルを作りその中でのジャーゴンの応酬と彼の著書の訓固に急がせたことなどから、分析哲学の中では孤立的立場にある。 また、この時期のウィトゲンシュタインの業績は、そもそも言語を分析するものではないことから、文法 (Grammatik)、および使用(Gebrauch)の「展望の哲学 (Philosophie der Übersehen)」と呼ばれるべきだ、という主張もある。日常言語に重きをおいたことから、後期ウィトゲンシュタインとオースティンは共に日常言語学派に分類されたこともあるが、オースティンが体系的哲学化を志向したのに対し、後期ウィトゲンシュタインは哲学問題の解消を図ったのであって、その哲学についての態度は大きく異なる。 クワインとその周辺 一方で、カルナップからの言語哲学は、W.V.O.クワイン(Willard van Orman Quine 米)[42]にも引き継がれる。彼は、いかなる言語理論も論理を含めてそのどこでも改訂可能であるとして理論の全体論 (wholism of theories) を提示する(『ことばと対象(" Words and Object")』勁草書房)。また存在が何であるかとは言語の枠組みに何を取り入れるかの問題に過ぎない(「存在するとは何か ("On What There IS")」『論理的観点から』勁草書房所収)とする。さらに語が何を指示しているかは一義的に定まりえない(「存在論的相対性について "Ontological Relativity"」)とする指示の不可測性 (inscrutability of reference)、データからは正しい理論は一義的に定まらないとする理論の決定不全性 (underdetermination of theory)や、正しくかつ相互に諸命題の真理値が一致しない複数の翻訳が存在するという翻訳の不確定性 (indeterminacy of translation) 等の、言語の存在論的優位に基づく諸議論を展開した。これが『論理哲学論考』以降の第3の流れである。 この流れは、基本的には論理学に基づいた単純な、しかし、言語の全体論 (semantic wholism) を採択した言語を考察の中心として、それに基づいて哲学の諸問題を解決しようとするドナルド・デイヴィッドソン(Donald Davidson 米)[43]に引き継がれる。 そして、排中律の否定と意味の分子論 (molecularism) を主張するマイクル・ダメット(Michael Dummett 英。主著『真理という謎 ("Truth and Other Enigmas")』[44]、 What Is a Theory of Meaning I,II )などに受け継がれていく[45]。 日常言語学派 第4の流れは、『論理哲学論考』からもその後のウィトゲンシュタインの哲学的発展からもかなり独立した、英オックスフォード大学の哲学者J.L.オースティン (J.L.Austin) に始まる日常言語学派の流れである。オースティンは、日常言語が記述のほかに命令・嘆願・命名・疑問等さまざまな使用タイプがあることに注目(『言語と行為 "How to Do Things with Words"』[46])し、これらの詳細な分析に基づいて哲学的問題の解決を目指した。特に、言語を使用しながらなにかの行為を行う(たとえば、裁判官が判決文を読み上げることによって〈判決を下す〉という行為がなされる)言語行為 (speech act) に注目した。これらの諸機能は後にサール(John R. Searle 米)によって、より形式的・組織的に分類が行われる(『言語行為 ("Speech Acts")』[47]他)。 また、ウィトゲンシュタインともオースティンとも独自に、日常言語に即して哲学的行動主義を展開し、また範疇間違い (category mistake)という事象(ケンブリッジの各校舎を案内されながら「で、大学はどこですか?」と問う人が犯しているような、抽象的対象の範疇と観察可能な対象の範疇との取り違えなどの範疇の誤りを指す)の問題点を指摘したギルバート・ライル(Gilbert Ryle,主著『心の概念(“The Concept of Mind”)』[48])も、日常言語に依拠したタイプの初期の重要な分析哲学者だった。 ウィトゲンシュタイン、クワイン、日常言語学派以後の英米とヨーロッパ大陸 これら、ウィトゲンシュタイン、クワイン、日常言語学派が広義での分析哲学の主流として、現在も英米において諸学派に対して大きな影響を与える位置にある。特に、言語哲学・言語の哲学としては、英米では他の追従を許していない。これに対して、(ポーランドを除く)ヨーロッパ大陸に於いてはカール=オットー・アーペル (Karl-Otto Apel) 等多少の研究者は見出されるものの概して分析哲学は極めて限られた影響しか有していない。フランスにおいては、構造主義、ポスト=構造主義等の言語論・記号論等の思想家たちが言語についての思想的=哲学的アプローチについて圧倒的な勢力を占めている。ドイツでの言語の哲学的思惟においては、ユルゲン・ハーバーマス (Jürgen Habermas) らフランクフルト学派がマルクス主義を押さえて主要な立場になってきているようである。但し、こと言語の面においては、ハーバーマスはアーペルとともに、後期ウィトゲンシュタインの影響が著しく、その発展的応用者と解釈することも不可能ではない。論理学者のレシネェィスキ、その弟子でドナルド・デイヴィッドソンの意味論に決定的道具立て(T文)を与えたタルスキ、等のポーランド学派は、一種の人工言語学派として強い影響力を保っている。 70年代以降の分析哲学の展開 その後の特記すべき展開は、指示論について長らく定説とされてきたラッセルの記述理論 (description theory of reference)、後期ウィトゲンシュタインの通俗的理解における記述束説 (cluster theory of regerence) を覆そうとしたソール・A・クリプキ(Soul A. Kripke:彼は様相論理の完成者としても著名である)による固定指示詞説 (rigid degignater theory) と指示の因果説 (causal theory of reference)(『名指しと必然性 ("Naming and Necessity")』[49])がある。 後者に近い言語の社会共働説を唱えまた内部実在論を提唱したヒラリー・パトナム (Hilary Putnam) や、同じくクリプキによる分析性 (analysity) と必然性(necessity)の区別の導入(というのも、論理実証主義の台頭以来、長らく必然性とは分析性に他ならないと考えられてきていた)、トーマス・クーン(Thomas Kuhn,『科学革命の構造 "The structure of Scientific Revolution"』[50])、ファイアアーベント以後の自然科学の反=実在論的潮流に反対する自然科学的対象の実在を主張する科学的実在論 (scientific realism) の台頭などである。なお、モンタギュー意味論で知られるモンタギューが分析哲学と言語学の狭間に、それよりやや言語学寄りにノーム・チョムスキーが位置する。 現代 大陸哲学と言語 大陸哲学では分析哲学と違い言語が独立した一分野としては研究されていない。むしろ、言語は思想の他の多くの領域、例えば現象学、記号学、解釈学、ハイデッガー存在論、実存主義、構造主義、脱構築、批判理論などと分かちがたいものとされる。言語の思想は論理学の思想としばしば結びつけて考えられる。ここでいう論理学とはギリシア語のロゴス、談話や対話の意味である。また、言語と概念は歴史と政治によって、さらには歴史的な哲学そのものによって形成されてきたとみなされてもいる。 解釈学の分野は、そして一般的に解釈の理論は、ハイデッガーに始まる存在論と言語の20世紀大陸哲学において重要な役割を演じてきた。ハイデッガーはヴィルヘルム・ディルタイの解釈学を現象学と統合している。言語は「現存在」にとって最も重要な概念の一つだとハイデッガーは信じていた。「言語は存在の家であり、存在が言語を所有し、存在が言語に染み渡っている[51]。」 しかし、重要な言葉の濫用により今日の言語は摩耗しており、存在(「Sein」)の徹底的な探求には堪えないとハイデッガーは考えていた。例えば、「Sein」(「存在」)という言葉自体は複数の意味をもつ。それゆえ、彼は一般的に使われている言葉と区別するために古代ギリシアとドイツの語源学的関係に基づいて新しい語彙・文体を生み出した。彼は意識、エゴ、人間、自然等々の言葉の使用を避けて代わりに「世界内存在」や「現存在」を総体として語った。 「世界内存在」という新しい概念と共に、ハイデッガーは音声による意思疎通に焦点を当てた独自の言語理論を打ち立てた。音声(発話、聴取、沈黙)は言語の最も本質的で純粋な形式だと彼は考えた。読者も読んでいる間人の独自の「発話」を構築するのだから書記は音声の補足にすぎないとハイデッガーは主張した。言語の最も重要な特性はその「射影性」、つまり言語は人間の発話に先立つということである。これはつまり、世界に投げ込まれたものの存在は世界の明らかな事前理解による始まりから特徴づけられるということである。しかし、名づけ、つまり「明瞭な発音」のみが「現存在」や「世界内存在」を一次的に参照できる[52]。 ハンス・ゲオルク・ガダマーはハイデッガーの思想を発展させて完成された解釈学的存在論を提示した。『真理と方法』において、ガーダマーは言語を「本質的な理解と承認が二人の人の間で起こるための媒体[53]」であるとした。また、世界は言語によって構成されており、言語を離れては存在できないとガーダマーは主張した。例えば、言語の助けなしには記念碑や彫像は自身の持つ意味を伝達できない。世界の言語的本性は個々の物を対象的環境から解放するので、全ての言語は一つの世界観を構成するともガーダマーは主張している 「[…]私たちが完全に[言語]に依存した世界を持っていてその中にそれ自体を現前させているという事実。世界としての世界は世界の他の生物のためとしてではなく人のために存在する[53]。」 一方ポール・リクールは解釈学(仏 Herméneutique)をギリシア語における言葉の本来の意味と再連結した形で提示し、日常言語の曖昧な言葉(あるいは「象徴」)の中の隠れた意味を発見することを重視した、この流れに属する哲学者にはほかにルイジ・パレイゾンとジャック・デリダがいる[54]。 記号学は一般的に記号や象徴による情報伝達、反応、意味を研究する。この分野では、(自然にしろ人工にしろ)人間の言語は人間(や他の知的生命体)が情報伝達するのに使える多くの手段のうちの一つにすぎないとされる。この考えをとることにより、自分たちのために意味を作り他者に意味を伝達するために利点を得て外的世界を効率的に操作できるようになる。あらゆる対象、あらゆる人、あらゆる出来事そしてあらゆる力が情報伝達(あるいは「表現」)し続けている。例えば電話が鳴るのは電話「である」。地平線上に煙が立つのを見たらそれは火事をあらわす記号である。煙は表現している。この観点では世の中に存在する物事は人間がそうするのと同様にそれらを解釈することだけを求めている知的存在にとって正確に符号を貼られているように思われる。全ての物は意味である。しかしながら人間の言語の使用を含む真の情報伝達は受け手に対して何らかの信号において「メッセージ」つまり「文書」を送る者(「送り手」)を要求している。言語はこういった情報伝達形式(の中でも最も洗練された形式)の一つである限りで研究される。記号学の歴史の中で重要な人物としてチャールズ・サンダース・パース、ロラン・バルト、ロマーン・ヤーコブソンがいる。近代においてはそのもっともよく知られた人物としてウンベルト・エーコ、アルジルダス・ジュリアン グレマス(英語版)、ルイス・イェルムスレウ、トゥッリオ・デ・マウロがいる[54]。人間以外の情報伝達における記号の研究は生物記号学の主題である。生物記号学は20世紀後半にセボーク・トマスとトゥーレ・フォン・ユフクエルによって創始された。 日本における分析哲学的な言語の哲学の形成と現在 日本では、大森荘蔵が留学から帰国後、ウィトゲンシュタインの過渡期の講義録的書籍といえる通称『青色本 (Blue Book)』を東京大学教養学部でのゼミナールに使用したことで分析哲学が実質的に移入された。大森自身は分析哲学ともやや異なる独自の哲学を展開していったが、その膝下からは、弟弟子にあたる黒崎宏、弟子からは石黒ひで、奥雅博、丹治信春、飯田隆、野家啓一、野矢茂樹などを生んだ。 黒崎宏 主著 『ウィトゲンシュタインの生涯と哲学』勁草書房、『ウィトゲンシュタイン小事典』大修館書店、『科学の誘惑に抗して』勁草書房、『ウィトゲンシュタインから道元へ--私説『正法眼蔵』』哲学書房、他多数 ウィトゲンシュタインの紹介およびその科学哲学・心の哲学への意義について主に論じてきた。次第に後期ウィトゲンシュタイン的立場からの仏教解釈を深めている。 石黒ひで 主著 『ライプニッツの哲学--論理と言語を中心に』岩波書店 奥雅博 主著 『ウィトゲンシュタインの夢』勁草書房 中期ウィトゲンシュタインを論じる。 丹治信治 主著 『言語と認識のダイナミズム』勁草書房 後期ウィトゲンシュタインとクワインの比較及び言語の推移律の不成立を論じる。 飯田隆 主著 『言語哲学大全』全4巻 勁草書房 フレーゲからクリプキまで分析哲学史を詳細に論じる。 野家啓一 主著 『言語行為の現象学』『無根拠からの出発』勁草書房 分析哲学と現象学に架橋を試みる。 野矢茂樹 主著 『心と他者』勁草書房、『哲学航海日誌』春秋社、『『論理哲学論考』を読む』哲学書房、他多数 他我問題を一人称特権の視点から読み解く、後期ウィトゲンシュタインの規則論とアスペクト論を読み重ねる、『論考』の高い整合性と大胆な読解を提示する。 ほかにも、末木剛博[55]、黒田亘[56]、野本和幸[57]などがいる。 また神崎繁のように、分析哲学の手法を西洋古典学に導入したり、清水哲郎のように聖書やオッカムを分析哲学的に読解したり (『パウロの言語哲学』 パウロは、イエス・キリストが神を信じた信仰を救済根拠とするのであり、信徒たちの神もしくはキリストを信じる信仰は語られていないとする。『オッカムの言語哲学』勁草書房)、門脇俊介のようにフッサール、ハイデッガーを専門としつつ分析哲学的知見をとりこんだり、と、新鮮な越境的試みもなされつつある。 さらには、純粋哲学の枠を超えて、法哲学、社会学、宗教哲学、文学 (文芸) などの諸分野にも遅ればせながら応用が始まっている。 日本では分析哲学は、渡邊二郎ら[58]、特にドイツ哲学研究者及びマルクス主義者からの忌避もあって長らく不遇にあった。しかし、大森「学派」の開花とともに、三浦謙、斉藤浩文、関口浩喜、松坂陽一、大辻正晴、中川大、金杉武司らが業績を生んでいる。 引用:https //ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E8%AA%9E%E5%93%B2%E5%AD%A6# ~ text=%E8%A8%80%E8%AA%9E%E5%93%B2%E5%AD%A6%EF%BC%88%E3%81%92%E3%82%93%E3%81%94%E3%81%A6,philosophy%20of%20linguistics)%E3%81%A8%E3%82%82%E5%91%BC%E3%81%B6%E3%80%82
https://w.atwiki.jp/p_mind/pages/142.html
概説 歴史マクタガートの時間論 科学における「絶対説」と「関係説」 相対性理論の時間・空間論「時間の流れ」の問題 哲学者の相対性理論解釈 存在論的派生問題 補足 空間論 心の哲学との関連 概説 時間と空間の哲学(philosophy of space and time)とは、時間と空間――時空についての哲学的な考察である。現代では哲学と物理学との学際領域である。分析哲学ではジョン・マクタガートの時間論を巡って活発に議論が行われている。 時空の哲学では以下のような問題が考察されている。 時間や空間はその中にある物体と独立に実在するのか、それとも物体と物体の関係としてしか存在しないのか? 独立に存在すると考えるのがニュートンの絶対時間・絶対空間の立場であり、物質たちの関係としてしか存在しないと考えるのがライプニッツやマッハの関係説の立場である。アインシュタインの相対性理論は、時間と空間はそれぞれ相対的なものとみなすが、両者を合わせた「四次元時空」は絶対的なものとみなしている。 時間の矢は何によって決まるのか? 時間は過去から未来にむけての一方向にしか進むことはできない(非対称性)。この時間の矢の問題はエントロピーの法則と密接に関係していると考えられているが、しかしエントロピーによって厳密に時間の非対称性を論証することはできない(*1)(*2)そして時間の矢が物理法則で決定されていないということであれば、時間が「過去から未来へ」でなく、「未来から過去へ」進むこと、つまり逆向き因果とタイムトラベルが論理的に可能になる。タイムトラベルの可能性を巡っても議論が行われている。なお後述するブロック宇宙説では時間の矢の問題は存在しなくなる。(*3) 時間は人間の感覚から独立して実在するのか、それとも実在しないのか? ヒュー・プライスは時間についての形而上学的立場を二分類している。一つは時間を人間の意識とは独立な世界の客観的事実とし、現在過去未来という時制の対象、つまり世界の変化も客観的に存在しているとする立場。もう一つは、現在過去未来という時制を主観的な概念として捉え、客観的な世界における時間の流れを否定する立場であり、これは「ブロック宇宙観」と呼ばれる(*4)。 ※なお、時間は世界の客観的事実としても、人間の主観的意識としても実在していない、という主張もある。これは「無時間論」として定義してこのページで紹介する。 時間はわれわれ人間の実存や歴史とどのように関わっているのか? 時間の実在性についての判断を停止した上での議論であり、ハイデガーなどの実存主義的な時間解釈がこれに相当する(このページでは詳述しない)。 人が知覚する現象世界は常に変化している。その現象変化から見出された秩序から時間の単位が定められる。しかし時間の非実在を主張する立場では人の時間知覚を錯覚のようなものだとしてその明証性を否定する。逆に時間の実在を認める立場でも、後述する永久主義と呼ばれる立場に対しては、人が認識する時間の感覚が説明できないという批判がある。つまり時間の哲学とは認識論と存在論が融合した問題でもある。 歴史 時空の哲学の起源は古代ギリシャのエレア派まで遡る。エレア派は「変化」の概念が矛盾を含むものであることを指摘し、変化の実在性を否定することによって、時間と空間の実在性を否定した。 エレア派のパルメニデスは以下のようにいう。(断片8より抜粋、平易な表現にしてある)。 あるものは不生にして不滅であること。 なぜならば、それは(ひとつの)総体としてあり、不動で終わりなきものであるから。 それはあったことなく、あるだろうこともない。それは全体としてあるもの、一つのもの、連続するものとして今あるのだから。 それのいかなる生まれを汝は求めるのか。またどこからそれは成長したのか。あらぬものからと言うことも、考えることも、私は汝に許さぬであろう。あらぬということは言うことも考えることもできないからだ。 いったい、いかなる必要がそれを、始原のあらぬものから――以前よりもむしろより後に無から出て生じるように促したのか。 かくしてそれは全くあるか、全くあらぬかのどちらかでなければならぬ。 それにまたあるものの他に、なお何かが無から生じて来るなどとは確証の力がけっしてこれを許さぬであろう。 あるものが後になって滅ぶなどということがどうして可能であろうか。また生じるということがどうして可能であろうか。 かくて「生成」は消し去られ、「消滅」はその声が聞けないことになった。 さらにまた、あるものは分割されない。すべてが一様であるから。 すべてはあるもので充ちているのだ。それゆえすべては連続的である。あるものが、あるものに密着しているのだから。 それは大いなる縛めの制限のなかで動くことなく、始めも終わりももたない。 この断片では「ある」は「ない」から生じないこと、その背面の論理として「ある」は「ない」に転化しないこと――つまり「なる」が否定されること。そして、あるものは分割ができず全一的であることが主張されている。 なお「それは全体としてあるもの、一つのもの、連続するものとして今あるのだから」という一文は、過去・現在・未来という時間様相を否定しており、無時間論および永久主義の主張である。この永久主義は後のアウグスティヌスら、また現代物理学における相対性理論の一つの解釈としても主張されることになる。 パルメニデスの弟子であるゼノンは、「一つのもの」だけがあるとする師の主張をいくつかの背理法によって論証した。ゼノンの主張の核心は、物質・時間・空間というものがそれぞれ実在し、世界が「多」であるならば無限分割が可能であり、運動が不可能となるということである。従って多様に見える世界の個別の存在は、唯一の実体の、(可能無限の一部としての)分割概念としての存在だということである。換言すると、初めに「多」があってそこから「一」が導出されるのでなく、初めに実体である「一」があって、「多」は人により分割されて導出されるのである。 ちなみに大森荘蔵はゼノンについて、「アキレスの逆理に挑んだ哲学者や数学者の数はおびただしいが、ついぞ今日までそれの解明に公認の成功を得た人はいない」と書いている(*5)。また青山拓央もゼノンの論証を限定的に認め、以下のように書いている。 アキレスが亀に追いつくときが存在しないことに矛盾を感じるのは、永遠の長さを持った時間軸があらかじめ用意されていることを暗黙の前提にしているからである。物理学者ホーキングの比喩を借りれば、アキレスと亀の世界に「アキレスが亀に追いつくときが存在しない」と文句を言うのは、「地球に北緯九一度が存在しない」と文句を言うようなものだ。(*6) このエレア派の主張に対する応答として、西洋における時間論は発展してきた。 ※エレア派に関する議論はパルメニデスのページを参照のこと。 アリストテレスは、パルメニデスの「ある」を実体とし、その実体の述語となる属性としてのカテゴリーで生成と変化を肯定する。そしてアリストテレスは、 ① 時間は変化なしにありえない ② 時間とは運動の数である という重要なテーゼを示した。これは時間の本性は運動であり、時間とは人間が連続的な運動の規則から読み取るものだ、という含意がある。つまりアリストテレスによれば、実在するものは時間ではなく運動なのである。このアリストテレスのテーゼは、彼以降のほとんどの哲学者にも受け入れられている。またアリストテレスは「今」の問題について、「今は、過ぎ去った時間の終わりであり、来らんとする時間の始めである」という。ここに時間的幅のない、数学的概念の「点」としての「今」と、その点の連続体としての「線形時間」が登場することになる。 アウグスティヌスは「点」としての「今」と線形時間を想定したアリストテレスに反して、「過去」と「未来」の実在性を否定する「現在主義」を明確に主張する。未来であるものは存在していない。また過去であるものも存在していない。「それゆえ、存在する全てのものは、どこに存在しようとただ現在としてのみ存在する(『告白』18章)」という。ただし彼の主張は、過去が存在したこと、未来が存在するであろうことを肯定する「ここ今主義(here-now-ism)」とはニュアンスが異なっており、むしろ、時間のうちのどの瞬間も平等に「現在」であるという立場である。アウグスティヌスは『告白』20章で以下のように述べている。 未来も過去も存在せず、また三つの時間、すなわち、過去、現在、未来が存在するということも正しくない。それよりはむしろ、三つの時間、すなわち、過去のものの現在、現在のものの現在、未来のものの現在が存在するという方がおそらく正しいであろう。実際これらは心のうちに三つのものとして存在し、心以外に私はそれらのものを認めないのである。即ち過去のものの現在は記憶であり、現在のものの現在は直感であり、未来のものの現在は期待である。 過去・現在・未来という時間様相の実在性に対する懐疑は、インドの仏教哲学者ナーガールジュナにも見られる。『中論』でのナーガールジュナの論法を要約すると以下のようなものになる。 1 既に去ったもの(過去)は去らない。 2 未だ去らないもの(未来)は去らない。 3 いま去りつつあるもの(現在)も去らない。 いずれの時も去ることが出来ない。これはアウグスティヌスに極めて近い論考である。 イマヌエル・カントはデイヴィッド・ヒュームの徹底した懐疑主義を受け、時間と空間は直感に与えられた形式だと考えた。つまり時空によって直感される一切のものはわれわれに経験される「現象」であって、実在としての「物自体」ではないということである。現象としての世界を実在するものと見立て、無限大や無限小を想定することからアンチノミーの難問に陥るとしたカントの認識論を拡張すれば、ジョン・ロックが物質に属するとした一次性質――延長・形状・運動・数なども、実は彼のいう二次性質――我々の知覚の性質だと考えることもできる。短い、長い、広い、という抽象観念があり、人間はそこからさらに空間という抽象観念を導き出す。空間が実体としてあるのでなく、あるのは人間の個別の観念と概念だけかもしれない。時間についても同じことである。 このカントの時間・空間論の核心は、時空が実在する世界に属するものでなく、人間の主観によって構成されるものだということである。これは「主観主義」とも呼ばれる。カントの哲学はマクタガートをはじめ、後の哲学者や科学者に多大な影響を与えることになる。 マクタガートの時間論 20世紀に入り、英国のジョン・マクタガートが時間の実在性を否定する議論を展開した。このマクタガートの時間論は、我々の時間概念が矛盾を含むことを指摘し、時間が実在しないことを論理的に証明しようとするエポックメイキングなものであり、これ以降の時間の哲学に甚大な影響を与えることになる。 マクタガートの主張を簡略に説明すると、われわれが理解する時間は二種類ある。一つは「過去・現在・未来」という時制述語によって理解される「A系列」の時間であり、もう一つは「~より前、~より後」という順序を表す関係語によって理解される「B系列」の時間である。例えば「第二次大戦は今や過去のことである」という表現はA系列であり、「第二次大戦は湾岸戦争より前のことである」という表現はB系列である。しかし「変化」の概念を伴っているA系列こそが時間の本質であり、B系列とはそこから派生した時間概念だということである ※変化がなければ時間はないというテーゼはアリストテレスの時間論に準拠したものである。 その上でマクタガートは「過去・現在・未来」という時制概念で理解されるA系列は矛盾しているという。つまりあらゆる出来事は、「過去である」「現在である」「未来である」という三つの特性を持たなければならないが、それらは互いに排他的なものであり、従ってA系列は矛盾している、ゆえに時間は実在しない、というものである。 このマクタガートの議論において留意すべき点は、彼が時間特有の変化に晒されるものを、「人」や「物」ではなく「出来事」としたことである。われわれは「彼は変わった」とは言うが「ナポレオンの死は変わった」とは言わない。つまり出来事は変化しないものであり、それ自身すでに変化・発生・消滅といった概念を含んでいるからだ。したがってB系列上の各出来事は、その出来事であることをやめることはできない。そしてその出来事たちは、B系列中の他の出来事たちに前後を挟まれて位置を変えることもできない(*7)。したがって、出来事に到来する変化とは、過去・現在・未来という、時制変化のみということになる。これがマクタガートがB系列には変化がなく、A系列こそ時間にとって本質的だとした理由である。 しかしブロードによれば、このマクタガートの着想はメタレベルの出来事を想定すれば崩壊する可能性がある。たとえば「ナポレオンの死」という出来事は現在から過去へという時間変化に晒されるように思われるが、「〈ナポレオンの死という出来事〉が現在である」というメタ出来事Aと「〈ナポレオンの死という出来事〉が過去である」というメタ出来事Bを想定するなら、そのメタレベルの出来事Aと出来事Bは別の出来事なので変化しないということになる(*8)。 マクタガートの主張に対して常識的観点からは、「過去・現在・未来」という三つの特性は「同時に」でなく「時制を異にして」、または「順序を異にして」あるものだから矛盾していない、と反論しうる。しかしその反論には「時制(A系列)」や「順序(B系列)」というような、証明すべきはずの当の概念が用いられており、循環論法になっている。つまり論点先取的に時制や順序の概念を用いなければ、時間と変化は説明できないということである。 このように時間概念の矛盾を論じたマクタガートは、A系列とB系列の実在性を却下し、かつ時間と変化の実在性を却下する。我々が知覚する時間とは実在に属するものではないということである。このマクタガートの時間論は明らかにカントの影響を受けており、実際マクタガートは時間の非実在を論じた人物として、スピノザ、カント、ヘーゲルを挙げている。 入不二基義は、マクタガートの想定する「実在」には「変化」が一切含まれておらず、全体が一挙に永久に存在している「全体としての実在」という実在観が読み取れるとし、「実在」とは「being や is」の両方を含んだ全体であり、その部分集合として「存在(existence、exist)」が位置づけられていると見ている。(*9) マクタガートは我々が体験する一定の幅のある「現在」の知覚を、ウィリアム・ジェイムズの用語を借りて「見かけの現在(specious present)」と呼んでいる。つまりマクタガートが論じているのは、「実在する時間」は存在しないということであって、私たちの経験する時間が幻想や誤謬ということではない。そして経験される主観的な時間も、無時間的な実在を何らかの仕方で反映している、ということである。(*10) 時間の実在を否定した上で、マクタガートは「C系列」を提唱する。C系列とは時間的な系列ではなく、出来事が無秩序に存在している状態である。たとえば数字が「4,2,5,7,1,6,9……」と何の規則性も並んでいるような状態はB系列ではなく、もちろん「変化」を表していないのでA系列でもない。マクタガートによれば、C系列上のある位置が現在であり、それは過去でも未来でもない。変化とは、C系列上の現在というポジションが他のポジションに移ることである。ポジションが移動すれば、その現在から見て一方の側にある全てのポジションは、かつて現在であったということになる。他方、もう一方の側にある全てのポジションはこれから現在になるということである。つまりC系列において、かつて現在であったのが過去であり、これから現在になるのが未来である、そうマクタガートは主張する。 なお青山拓央の見方では、C系列とは、B系列から時間の向きを取り去った、時間対称的な系列である(*11)。つまりB系列は時間非対称であり、時間の矢を認めるのに対し、C系列では認めないということである。 時間の非実在を主張するマクタガートの論法には不明瞭な点がある。入不二は、マクタガートが「全体としての実在」と「主観的な時間」を分けていることについて、以下のように論じている。 実在(reality)=Being 全体は、主観的なものも客観的なものも、すべてを含んでこそ「全体」となりうるのだし、主観的なものと客観的なもの両方を合わせてこそ、「完全なるもの」のはずだからである。つまり、「実在的(real)」であることと「客観的」であることとは、イコールではない。あるいは、「主観的である」ということは、必ずしも「実在的(real)でない」ことを意味しない。 従って、「全体としての実在」を考慮に入れるならば、「時間は非実在的である」という結論は、「時間は主観的なものであって、客観的には実在しない」以上のことを表していなければならない。(*12) ※私見であるが、マクタガートの主張にカント哲学の影響が明らかなことから、マクタガートが実在(物自体)の世界と、精神(現象)の世界を分けていた二元論者であったことは斟酌されるべきである。また「時間」とは「変化」の従属概念であり、アリストテレスが論じたように「時間とは運動の数」であるから、無秩序な変化(C系列)では運動が数量化できないゆえに時間は実在しないと言える。したがってC系列とは「変化」の実在を認めるものだが「時間」の実在を認めないものだと解釈すれば、マクタガートの主張に不整合はないと考えることもできる。 マクタガート以降の哲学者は、マクタガートの時間論を批判しながらも、A系列とB系列という時間概念は継承することになり、さまざまな議論が現在も継続中であるが、それぞれの立場を大別すると、実在世界の変化を認めない「永久主義(相対性理論から導出されたブロック宇宙説を前提とし、過去・現在・未来の事物が全てこの宇宙に実在しているという立場)」と、実在世界の変化を認める「現在主義(現在の事物だけが実在し、過去は既に無く、未来はまだ無いとする立場)」に分けられ、さらにそれらの立場は以下のように分類される。 A論者 現在主義者であり、マクタガートに反し、A系列は矛盾しておらず、従って時間は実在する、という立場である。またA系列が矛盾を含むものであることを承認しながら、時間とは矛盾を本質とする、という主張もある。代表的な論者はG.Schlesinger、Q.smithなどである。(*13) B論者 永久主義者であり、B系列こそ時間にとって本質的だという立場である。マクタガートは「変化」を含むA系列こそが時間にとって本質的であり、B系列は派生概念であると論じたが、B論者はそれを認めず、A論者が「過去・現在・未来」という時制述語で表現する「変化」は、全て「~より前、~より後」といった関係語に置き換えて表現することが可能だと主張する(時制の還元主義)。永久主義は相対性理論から導出された「ブロック宇宙(block universe)」という形而上学を前提にしている。マクタガート同様に実在世界の永久性を認めるが、しかし我々の体験する主観的時間は、その実在世界の因果系列、つまり順序(B系列)を反映していると考える。代表的な論者はJ.J.C.スマート、D.H.メラー、W.V.O.クワイン、セオドア・サイダーである。(*14) 現在・過去論者 過去と現在の実在を認めるが、未来の実在は認めない立場である。歴史上の出来事の総数は時間と共に増大していくと考え、到来していない未来は全くの「無」であると考える。「成長するブロック宇宙(growing block universe)」という形而上学を前提にしている。C.D.ブロードに代表される。 移動スポットライト説(moving spotlight theory) 実在については永久主義の立場を取るものの、時制述語を関係語に還元することを拒否し、「現在」というポジションに形而上学的特権を認め、その特権的な現在が不変の実在を次々照らし出すように移動していく、と考える立場である。(*15) C論者 永久主義者であり、実在世界の変化を否定する。永久主義を前提としたB論者との違いは、実在世界の因果系列を認めず、因果関係とは人の精神によって見出されるとする点である。また特定のポジションに特権的な「現在」の地位を認めている。マクタガート、橋元淳一郎(*16)に代表される。 無時間論者 永久主義者である。C論者やB論者との違いは、時間や変化は主観的にも客観的にも実在しないとし、因果関係も実在しないとする点である。パルメニデスらエレア派の立場である。特定のポジションに特権的な「現在」の地位を認めず、時間様相の変化を含め、人が感じる変化は錯覚のようなものだと考える。 ※なお永井均の用語である「独今論」は、アウグスティヌスの現在主義とほぼ同じ意味と考えられる。しかし永井は独今論を、自身の哲学である独在論とパラレルの問題とみなしており(*17)、永井独自のバイアスが感じられる。 ※参考までに、マクタガートが論文「時間の非実在性」を発表したのは1908年で、アインシュタインが特殊相対性理論を発表した1905年から僅か三年後であり、マクタガートに相対性理論の影響を指摘する声もあるが、中山康雄は「マクタガートは、アインシュタインの視点を彼の考察に取り入れることはしなかったし、その後も、そうすることはなかった」と分析している。(*18) 科学における「絶対説」と「関係説」 科学における時間空間論の歴史においては、ニュートンが想定した「絶対時間」と「絶対空間」に対して、ライプニッツが「時空の関係説」を主張したことが大きな転機となる。ニュートン力学は時間と空間を一種の「実体」として見るものだったが、ライプニッツによれば、空間とは存在しているものたちの関係あるいは秩序であり、時間とは存在しているものたちの変化とその順序である。このライプニッツの論理からすると、もし宇宙に存在するものが一切なくなれば、時間も空間もないということになる。 ニュートンによれば空間は「神が事物を知覚するための感覚器官」であった。しかしライプニッツによれば、空間も時間も創造された事物に依存して生まれることになる。つまり、まず空間と時間があって、そこで宇宙が作られるのか、それとも宇宙が作られると同時に時空が生じるのか、という宇宙論の根本問題が両者の論争から生じている。 ライプニッツからすれば、何事もなぜそうであって他のありようではないのかという、充分な理由がなくては生じない(充足理由律)。もし物質と独立に存在する絶対時間や絶対空間があるとしたら、神はその中に宇宙を創造する際、物質宇宙をどこに置くか困るというわけである。 ライプニッツのいう物質宇宙を人は知覚によって認識している。そこから、19世紀の科学者であるエルンスト・マッハは、時空の関係説をより経験主義的に分析し、時間と空間は知覚と他の知覚との関係として存在している、と考えた。マッハは精神と物質という二元性、そして因果関係さえも排除し、ただ確実に経験に与えられる「感覚要素」の、その相互間の法則的連関の記述だけが科学的認識の目的であるべきだとした。このマッハの思想はウィーン学団によって論理実証主義として展開され、マッハの科学哲学はルドルフ・カルナップによって「道具主義(instrumentalism)」と呼ばれることになる。道具主義とは、科学理論とは観察可能な現象を予測するための形式的な道具であり、現象の背後にあって観察不可能な実在は知りえないとする実証主義的な立場である。またマッハと同時代の科学者アンリ・ポアンカレも、時空が相対的なものであることを主張し、科学哲学においては道具主義と類似の「規約主義(conventionalism)」という立場を取る。 相対性理論の時間・空間論 現代物理学の時間・空間論は、アインシュタインの特殊相対性理論と一般相対性理論を基礎としている。相対性理論によれば時間と空間は単独では実在ではない。時間が膨張する一方では空間が縮む。もはや純粋な空間的側面と純粋な時間的側面に解きほぐすことのできない統合された「時空連続体」を形成することをミンコフスキーは強調している。(*19) ニュートン力学が時間と空間を一つの座標系の中に描くのは便宜的なものである。しかし相対性理論は、時間と空間は独立したものでなく結合したものであることを証明した。従って時間と空間をミンコフスキー時空によって等しく表示することは必然的なものであり、座標中の二点間の間隔は、時間成分と空間成分が入り交じった形となる。相対性理論によれば空間と時間は統一的な実体の二つの側面であり、かつ伸縮したり曲がったりする。絶対時間と絶対空間を仮定したニュートンに対し、相対性理論は「絶対時空」という新しい絶対性を持ち込む。従ってアインシュタインは「相対性理論」という名を気に入っていたわけでなく、「普遍性理論」という名称を提案したこともある。(*20) 特殊相対性理論によれば、他者と共通の「現在」は存在しない。 地球にいる人と宇宙船にいる人は異なる時間の中におり、異なる「現在」の中にいる。 相対性理論による時間と空間の関係をミンコフスキー時空という形で表現することによって、空間を風景(ランドスケープ)として見渡せるように、時間を、無時間的に繰り広げられている時間の風景(タイムスケープ)として見渡すことが出来るようになる。このタイムスケープの観点から、「ブロック時間(block time)」または「ブロック宇宙(block universe)」という自然観が提唱された(*21)。これは時空連続体を「一つの不変のかたまり」と考えるものであり、永久主義の立場を取る哲学者が前提する宇宙観である。 ブロック宇宙説では過去へのタイムトラベルの論理的可能性を認めることになる。素朴な世界観では「過去」とは既に過ぎ去って消えたものだから、タイムトラベルは論理的に不可能である。存在しない場所に行くことはできないからだ。しかしブロック宇宙説では、過去はブロック状の四次元時空のどこかに現実に存在していると考えるから、タイムトラベルは論理的に可能になる。そして一般相対性理論の最も重要な方程式であるアインシュタイン方程式を解くと、ある場合には時間が「ループ」になっているような答えが存在する。つまり未来へどんどん進んでいくといつの間にか過去につながっていて、最後には現在に戻ってくることができるという(*22)。このことからタイムトラベルの理論的可能性を主張する物理学者がいる。 ブロック宇宙を示唆した最初の物理学者はアインシュタインの教師だったヘルマン・ミンコフスキーである。彼は相対性理論を主題にした講演を1908年ケルンで行い、「これ以降、空間それ自体、時間それ自体は単なる影の中に消えていく運命にあり、この両者のある種の統合だけが独立した実在として保持されるでありましょう」と述べている(*23)。彼は、時空はひとつの巨大な塊(ブロック)のような物理的実体だと考えたのである。 アダム・フランクはミンコフスキーによってもたらせた宇宙観の変貌を以下のように書いている。 アインシュタインの初期の論文を詳しく吟味したミンコフスキーは、相対論を強力な幾何学的言語で表現しなおすこと方法を見つけ、その後の宇宙論の記述を一変させることとなる。相対論は単に空間内に広がる物体(従来の幾何学)を扱っているのでなく、一体として捉えた空間と時間のなかでの「事象」の構造を記述していることを、ミンコフスキーは見出した。 相対論において真に関心を持つべき対象は事象だった。宇宙船から光信号が発せられるのは、一つの事象だ。離れた惑星でその光信号を受け取るのは、第二の事象をなす。万物全体は、空間と時間のなかに位置する事象のネットワークにすぎない。ミンコフスキーは、重要なのは三次元空間のみにおけるそれらの事象の位置ではないと認識した。相対論は、もっと大きい枠組みにおける事象の宇宙的ネットワークの関係を与える。ミンコフスキーは相対論を、時空の幾何学、新たな四次元の現実へと変えた。時空は、その物理の劇が上演される新たな舞台だった。 「ミンコフスキーは『空間』と『時間』の古い物理学のなかで、科学者たちは見た目にだまされていたと主張した」とピーター・ガリソンは書いている。新たな全体像の持つ哲学的意味合いは、驚くべきものだった。パルメニデスの亡霊が再び、理論物理学の新たな発展の背後に付きまとうこととなった。時空のいわばブロック宇宙において、未来と過去はそれまでと異なる性質を帯びるようになった。この相対論の描像では、私たちが未来と認識する次の火曜日は、すでに存在している。過去と未来は、時間と無縁な永遠のブロック宇宙のなかでともに存在する。個々の事象へと還元されるのだ。(*24) ミンコフスキー時空のブロックをスライスすれば、その断面にどんな出来事があるか特定できる。これをブライアン・グリーンは食パンのかたまりにたとえて説明している。 パン屋で焼きあがった時点の食パンは、さまざまな角度でスライスできる。時空のブロックもそれと同じく、相対運動する観測者ごとに、さまざまな角度の時間断面でスライスされる。(*25) そしてグリーンは、ブロック宇宙の解釈から「時間の流れ」を否定する。 一般相対性理論によれば、時空は「実体性」をもつ「もの」なのである。(*26) 時間は流れるという直感を裏付ける証拠は物理法則には見当たらない。逆に相対性理論により時間は流れないという証拠が得られる。(*27) アインシュタインの仕事からの帰結としてあまり知られてないものに、「特殊相対性理論によれば、宇宙はあらゆる時刻を平等に扱う」というものがある。「今」は私たちの世界観のなかで格別の役割を演じているけれども、相対性理論はまたしても私たちの直感を覆し、私たちの宇宙は平等主義の宇宙であって、この宇宙の中ではすべての時刻が対等に実在していると断言するのである。(*28) アインシュタインが述べたように、「合理的な判断をする私たち物理学者にとって、過去、現在、未来の区別は、それがいかに執拗なものであれ、幻影にすぎない」のである。実在しているのは、全体としての時空だけなのだ。 このように考えれば、出来事は、どの視点から見ていつ起こったものでも、ただそこに存在している。出来事はすべて存在しているのである。それらは永遠の時空内の決まった場所を占め続け、流れるものは何もない。あなたが1999年の大晦日に、真夜中の鐘を聞きながら楽しいひとときを過ごしたのなら、あなたは今もそのひとときを過ごしている。なぜならその出来事は、変化しようのない時空内の場所だからである。(中略)昔ながらの時間概念が逃げ込める場所は、人間の頭の中しかなさそうなのである。(*29) アインシュタインの協力者だったヘルマン・ワイルも、ミンコフスキーやグリーンと同様に、宇宙は空間と時間が分かちがたく結びついた四次元連続体だと捉えていた。ワイルはこう言った。「世界は生起しない、ただあるだけだ」(*30) ポール・デイヴィスは以下のように書いている。 生起、生成、時間の流れ、出来事の展開――ワイルを信じるなら、これらは全て虚構である。アインシュタインはそう信じた。(*31) ゼノンの論法を現代風にいえば、飛んでいる矢は空間の「ブロック」を一つづつ占めているだけであり、いかなる変化もない。世界は凍り付いている。(*32) マサチューセッツのウィリアムズ・カレッジの物理学者、哲学者のデイヴィッド・パークも、時間は経過しないと考える。時間の経過は幻想というより神話であるとする。「なぜなら、それは感覚のごまかしを含んでいないからである……時間が経過しているか否かを、曖昧さなしに告げてくれる実験を行うことはできない」(*33) 現代のマッハ主義者として関係主義の立場を取る物理学者ジュリアン・バーバーが提唱する「プラトニア」という宇宙観も、時間についてはブロック宇宙説と同じである。バーバーは「時間は存在しない。力学は、古典力学、一般相対性理論も量子力学も時間なしでできる」と主張している(*34)。彼と同様に関係主義的なアプローチを試みているカルロ・ロベッリもまた時間は実在しないという立場である。(*35) クルト・ゲーデルは、タイムトラベルが科学的に可能であることを相対性理論の方程式を用いて証明した。ゲーデルの哲学を研究したパレ・ユアグローは以下のように書いている。 ゲーデルは直ちに、もしわれわれが過去を再訪できるなら、その過去は実際には「経過していない」ことを指摘した。だが経過しない時間は少しも時間ではない。(*36) Aシリーズが「今」の流れを含んでいるとしても、特殊相対性理論において客観的な世界に広がった「今」が欠けていることはその存在を排除する。しかしAシリーズが欠如しているということはそこには直感的な時間がないということだ。残されたのはアインシュタイン=ミンコフスキー時空の小文字の " t " で表現される形式的時間であり、日常経験の直観的時間と同一視することはできない。ゲーデルにとって結論は避けようもなかった。もし相対性理論が正しければ、直観的時間は消え去るのだ。(*37) 一般相対性理論の方程式では二つの解のうちから一つを選ぶことになるが、(中略)ゲーデルはただちに相対性理論的に可能な(実際には一組の)宇宙――今ではゲーデル宇宙として知られる――を発見した。(中略)このようなゲーデル宇宙には閉じた時間曲線があって、もし十分速く旅をすればつねに局所的な未来の先を行き、過去に到達できることが証明可能なのだ。これらの閉じたループあるいは円軌道にはもっとなじみ深い名前がある。タイムトラベルだ。しかしもしこのような世界で過去に帰ることが可能ならば、過去というものは全然過ぎ去ってはいないのだ。そして真に過ぎ去らない時間は、決して実在の直観的な時間とは認められないのである。ゲーデル宇宙におけるタイムトラベルの実在性は、時間の非実在を意味するのだ。(*38) ゲーデルの考えによれば、時間そのものが――ひいては速さと運動が――幻想にすぎないことを証明するものだった。というのは、もし過去を再訪することができれば、それはまだ存在しているからだ。(*39) 日本では、物理教育者の橋元淳一郎が時間の非実在を主張し、以下のようにマクタガートのC系列を支持している。 A系列の時間も、B系列の時間も、実在しない。しかし、C系列は実在する可能性がある。(中略)C系列は我々が時間と呼ぶものではないから、マクタガートの結論は「時間は実在しない」ということなのである。(中略)時間が実在しない、などというのはとんでもない詭弁に聞こえるかもしれないが、現代の物理学者の中には、そういう考え方に立つ人がけっこういるのである(たとえば、ジョン・ホイーラー)。というのも、現代物理学が明らかにしたこの宇宙の仕組みというものを突き詰めていくと、どうしてもそのような結論にならざるをえなくなるからである。(*40) われわれの宇宙(時空)がC系列であるとすれば、宇宙はただ存在するだけである。そこには空間的広がりや時間的経過というものはない。(*41) この宇宙は、ただ存在するだけの相対論的C系列(一覧表)である。ミンコフスキー空間という時空に描かれた一枚の絵といってもよいだろう。(*42) 橋元はタイムトラベルの問題については以下のように述べている。 われわれの宇宙の構造が相対論的C系列であるとすれば、あらゆる事象は「在るがままに在る」のだから、すでに存在した過去を改変することはありえない。 もしタイムマシンで過去に遡り、何か行動したらどうなるのか。C系列宇宙であるかぎり、その行動は時空の中に「絵」として存在しているのだから、それは「歴史的事実」として(人に知られているかどうかは無関係に)、現に存在している事象のはずである。(*43) 以上のように、時間は実在しないと形而上学的な主張をする物理学者は少なくないものの、決して多数派というわけではない。ポール・デイヴィスは以下のように述べている。 時間は実在しないというマクタガートの結論に対し、多くの物理学者はもう少し穏当な解釈をとっている。「時間の流れは現実ではないが、時間そのものは空間と同様に存在する」という見方だ。(*44) またブロック宇宙を食パンのように静的な塊として理解することにも異論がある。ヒュー・プライスは以下のように述べる。 ひとはときどき、ブロック宇宙は " 静的 " であるという。だが、これはややもすると誤解をまねきやすい。ある時間的枠組みがあって、そのなかに四次元のブロック宇宙が終始同じ状態で存在する、というような言い方だからだ。もちろん、そんな枠組みなどありはしない。時間はブロックのなかに含まれているわけだから、ブロック宇宙を静的というのは、それを動的ないし可変というのと同程度に間違っている。ブロック宇宙はそんなものではない。なぜなら、それはふつうの意味での存在物といえるようなものではない。(*45) マクタガートの時間論をめぐるA論者(現在主義者)とB論者(永久主義者)の議論においては、A論者は相対性理論が正しいとしても、ブロック宇宙とは理論を記述するための規約的なものであり、実在とみなす必要はないとして現在主義を擁護している。(*46) 相対性理論によって説明できない時間の流れを量子力学で説明しようとする試みもある。カリフォルニア大学の科学哲学者、C.カレンダーは以下のように述べている。 量子力学における時間というのは、基本的にニュートン力学の時間に先祖返りしている。物理学者たちは相対性理論における時間の不在に居心地の悪さを感じているが、おそらくより困った問題は、量子力学において時間が中心的な役割を担っていることだ。相対性理論と量子力学が統合できないのは、そこに本質的な理由がある。 量子力学の方がより確かな土台となると考える物理学者、たとえば超弦理論の研究者は、正真正銘の時間が存在するとの仮定から出発している。一方、一般相対性理論の方が良い出発点になると考える物理学者は、すでに時間の役割が縮小された理論から統一理論を発展させようとしているので、「時間というものがない現実」というアイデアを受け入れやすい。(*47) ロジャー・ペンローズは脳の量子力学的過程に時間を流れさせる物理的過程があると考えている。ペンローズは現在の物理学における時間の不在を以下のように述べる。 時間の流れについてわれわれが意識している感じと、(驚くほど正確な)理論が物理的世界の現実について主張していることとの間には、深刻な食い違いがあるように私には思える。(*48) 時間は空間と切り離して考えられません。そのため「現在」についての絶対的な概念も存在しません。現在という概念をはなれた場所で起きる出来事の全てに例外なく適用することはできないのです(中略)私たちは時空を(3次元の空間と1次元の時間を合わせた)4次元多様体としてとらえなくてはいけません。(中略)しかしながら時空全体を「そこに置かれたもの」あるいは「不変のもの」とみなす「固定された宇宙(ブロック宇宙)」について語るとき、そこには依然として深い謎が存在します。私たちはみな、「時間は過ぎ行くもの」という印象を持っていますが、このことを現代物理学が示す時空の見方に関連付けることは非常に難しいのです。(*49) ※時間の非実在を主張する物理学者は少なくないものの、多くの物理法則にある時間変数 " t " を否定する学者はいない。つまり時間はこの宇宙の諸々の出来事を計測する「尺度」としては存在しているということである。このことからC.カレンダーは、「時間は、お金と同様、自然が本質的に持っているものだとは言えない」と述べている。(*50) 「時間の流れ」の問題 われわれの知覚する現象は変化する。その継起的な現象変化の感覚が「時間の流れ」という概念を構成する。しかし前述のように、相対性理論を中心とした現代の物理学でその時間の流れの感覚を説明することは難しい。従って「時間の流れ」の問題は哲学や心理学の問題だと考え、哲学者と意見交換する物理学者もいる(*51)。なお日本には山口大学に日本時間学会があり、哲学者や科学者たちによる学際的なシンポジウムが定期的に行われている。 しかしポール・デイヴィスやブライアン・グリーンは、相対性理論だけで「時間の流れ」の説明が出来ると考えているようである。デイヴィスは物理学の理論に「今」や「時間の流れ」が存在しないことを理由に「時間が流れているという感覚」は幻想だと主張し(*52)、「時間の流れ」の問題を以下のように説明している。 日常生活では時間の経過を考えると便利だが、だからといって、それなしでは表現できない新しい情報を与えてくれるわけではない。(中略)次のような、どうにも見栄えのしない、事実だけを提示した箇条書きでも事足りる。 12月24日 アリス、ホワイトクリスマスを希望 12月25日 雨。アリス、失望 12月26日 雪。アリス、喜ぶ この記述では何も起こらず、何も変化しない。単に世界の状態とそのときのアリスの心理状態を日ごとに述べているだけだ。同様の議論はパルメニデスやゼノンなど古代ギリシャの哲学者まで遡ることができる。(*53) デイヴィスは以下のように説明している。 結局のところ私たちは時間の経過を観測しているわけではない。実際に観測しているのは、この世界の状態が、私たちがいまだ記憶に留めている以前の状態とは異なるということだ。(*54) またデイヴィスは、直感的な時間の流れの感覚と、物理学的に説明できる時間の感覚の違いを、以下の図で説明している。(『別冊日経サイエンス 時間とは何か?』p.16より引用) ブライアン・グリーンもデイヴィスと同様の主張している。 壊れたDVDプレイヤーで『風と共に去りぬ』を見ているものと想像しよう。そのDVDプレイヤーは、前後にランダムにジャンプする。ある画像が一瞬スクリーンに現れたと思ったら、すぐまた別のシーンの画像が現れるのだ。コマが前後にジャンプするのを見て、ストーリーを理解するのは難しい。しかしスカーレットとレット(*55)にとっては何の問題もない。どのコマでも、二人はそのコマでいつもすることをするだけだ。(中略)二人はそれぞれのコマで、前にそのコマで考えたのと同じことを考え、同じ記憶をもつのである。とくに重要なのは、二人がそうして考える内容と記憶とが、時間は常に未来に向かって均一に流れるという感覚を二人に与えていることだ。 時空の中のどの時刻も(つまり、どの時刻でスライスした時空の断面も)、一本のフィルムのなかの一コマのようなものである。光線に照らし出されようが、照らし出されまいが、そのコマが存在していることに変わりはない。スカーレットとレットと同じく、ある瞬間に存在しているあなたにとっては、その瞬間こそ「今」であり、「今」であり続ける。しかも、個々の断面のなかにいるあなたの思考と記憶は、時間はその瞬間に向かってよどみなく流れてきたと感じさせるのに十分なぐらい豊富かつ鮮明だ。「時間は流れる」というこの感覚をもつためには、それまでの各時間のコマが次々と照らし出されていく必要はないのである。(中略) 変化という概念は、時間のある一瞬については何の意味もない。変化は、時間の経過のなかで起こり、時間の経過を意味する。しかし、いったいどんな時間概念ならば、経過することが可能なのだろうか? 当然ながら、瞬間には時間の経過は含まれない。(少なくとも、私たちが知覚しているこの時間の場合には)。なぜなら、瞬間とは時間の素材であり、ただそこに存在するだけで変化しないからである。どれかの瞬間が時間のなかで変化できないのは、どれかの場所が空間のなかで移動できないのと同じことだ。ある場所が空間のなかで移動すれば、別の場所になるだけのことだし、時間のなかである瞬間を移動したとすれば、別の瞬間になるだけのことだろう。このように、映写機の光が次々と新しい「今」に生命を与えていくという直感的なイメージは、詳しい吟味には耐えないのである。どの瞬間も、今このときに照らし出されており、いつまでも照らし出されたままだ。どの瞬間も、今このときに実在しているのである。こうして詳しく吟味してみれば、時間は流れていく川というよりもむしろ、永遠に凍りついたまま今ある場所に存在し続ける、大きな氷の塊に似ている。(*56) ジュリアン・バーバーは「プラトニア」という独自の理論によって時間の流れを幻想だと考える。アダム・フランクはバーバーの時間論を以下のように説明している。 パルメニデスの霊魂と交信するかのようなバーバーは、全ての瞬間がそれ自体完全な形で存在していると見る。そしてそれらの瞬間を、「諸処の現在(Nows)」と呼ぶ。 「わたしたちは生きながら、諸処の現在の連なりのなかを動いているように思われる。問題はそれらの諸処の現在が何なのかだ」バーバーにとって、それぞれの現在は、宇宙の万物の配置にほかならない。(中略)バーバーのいう諸処の現在は、小説本をバラバラにして床にランダムにばらまいたページとしてイメージできる。それぞれのページは、時間に関係なく時間の外に存在する個別の実体だ。それらのページをある特別な順序に並べ、そのなかを一段ずつ進んでいけば、物語が展開する。しかしどのようにページを並べようが、それぞれのページは完全で互いに独立している。(*57) バーバーにとって、ビッグバンは遠い過去の爆発ではない。それはプラトニアという、互いに独立した諸処の現在が作り出す地形の中の、一つの特別な場所に過ぎない。 わたしたちが過去という幻想を抱くのは、プラトニアのなかのそれぞれの現在に含まれる物体が、バーバーのいう「記録」としての姿を見せるためだ。(*58) 哲学者の相対性理論解釈 相対性理論から導出されたブロック宇宙説という自然観は、哲学における時間論にも大きな影響を与えている。現代の「永久主義(eternalism)」はブロック宇宙説を理論的背景にしている。永久主義の立場では、過去も現在も未来も全ての事物が完全に対等に存在していると考える。様相論理においては「様相可能主義」といわれる。このブロック状の四次元時空のどこかに、古代ギリシャの哲学者であるソクラテスや、白亜紀の恐竜が「生きている」と考え、また西暦 2300年の人々が(人類が滅亡していないなら)既に「存在している」と考える。つまり遠くの土地が空間的に離れているから存在しないということにはならないように、過去や未来の事物は時間的に離れていても現在の事物と全く同じ現実性を有して、四次元時空において存在すると考える。(*59) 永久主義と対立する立場は「現在主義(presentism)」である。現在主義では、存在するのは「現在」だけだと考える。様相論理においては「様相現実主義」といわれる。素朴心理学的な立場である。過去は記録であり、未来は可能性に過ぎない。たとえば古代ギリシャの哲学者であるソクラテスは、既に死んでおり現在は存在していない。かつてソクラテスが生きていたという「事実」だけが存在していると考える。そして「現在」というものは特権的な地位をもつ。過去や未来というものは現在に依存して規定されるが、「現在」であるということは他の何ものにも依存しないからだ。 ブロック宇宙説を前提に、永久主義の立場から「変化・時間・同一性」という問題を説明しようとする立場が「四次元主義(Four-Dimensionalism)」であり、代表的な論者はW.V.O.クワイン、デイヴィッド・ルイス、セオドア・サイダーである。 なおJ.J.C.スマート、D.H.メラーなど一部のB論者も永久主義という存在論を前提に時間を論じている。日本では三浦俊彦が、ブロック宇宙や永久主義という言葉は用いていないが、アインシュタインを引用して同様の主張をしている(*60)。 物理学者のデイヴィスやグリーンの場合、ブロック宇宙説を前提に変化や時間の流れを否定し、無時間論の立場を取るのだが、四次元主義者や永久主義を前提としたB論者は、ブロック宇宙説を前提に変化と時間の流れを肯定する点が大きく異なっている。サイダーは以下のように述べる。 この火かき棒は、二〇〇〇年六月二十九日の木曜日には熱い。 この火かき棒は、二〇〇〇年六月三十日の金曜日には冷たい。 この二つの判断の真理値は変化しない。にも関わらず、時制の還元主義者は、この一組の文が真であることによって、この火かき棒は変化するというのである。(*61) ※「時制の還元主義者」とはB論者のことである。 メラーなどB論者は、マクタガートと同様に実在世界の永久性を認める。しかし我々の体験する主観的時間は、その実在世界の因果系列を正確に反映していると考える。特殊相対性理論では因果的順序が保存されるからであり、同時性の相対性という理論があっても、出来事 e0が出来事 e1の原因であるなら、どんな観測者にとってのB系列においても、e0が e1よりも先に起こったことになるからである(*62)。ただし相対性理論においても、因果的に関連しない出来事の順序に関しては、観測系に依存するものが出てくる。中山康雄はこのことを理由にメラーのB理論を批判している。(*63) サイダーは特殊相対論と矛盾することを理由に現在主義とA論者を否定している。「現在」の概念はミンコフスキー時空では意味をなさない、というのが理由である。(*64) 現在主義者は永久主義者に対し、個別の時点に個別の感覚が永久的に存在しているのならば、人は「変化」を感じることは出来ないと批判する。上の火かき棒の例のような箇条書きの説明では、人が現に感じている「この時間の流れ」の感覚が現せていない。かつてアンリ・ベルクソンは、「描かれた運動」は、「運動そのもの」ではないと、両者を峻別する議論を行った。しかしベルクソンの主張は、「痛み」という語は「痛みの感覚」そのものではないと言うのに等しい。言語によって感覚そのものが現せないのは事実であるが、言語は感覚の存在自体を現すことが出来る。従って「時間の流れ」の感覚も以下のように現すことができる。 11 15分 道で転ぶ。足に激痛があって歩道で休む。 11 20分 五分ほど続いた痛みが治まった。再び歩き始める。 以上のように、主観的な時間の流れの感覚さえもミンコフスキー時空上の事象として描くことが可能である。上の例では 11 15分から 5分間痛みが続いたことになっている。ベルクソンは運動を「純粋な持続」であると主張していたが、感覚や運動は時間的存在であり、時間的幅があるからこそ、全てミンコフスキー時空上に描くことが可能であり、そしてミンコフスキー時空上に描くことが可能であるならば、永久的であることも可能だと考えることが出来るのである。 ※現在主義と永久主義の論争は進行中の問題であり、高度に専門的かつ細分化されたものになっている。ここで紹介したものは議論の入り口程度の分量である。 存在論的派生問題 ブロック宇宙説と、それを前提にした永久主義という存在論では、時間は流れず、世界では何も運動変化せず、何も生起しないことになる。既述のようにワイル、デイヴィス、グリーンといった物理学者は生起や変化を否定し、宇宙の全歴史の事物は「ただ存在しているだけ」という主張をしている(現在・過去・未来の区別は幻想であるとしたアインシュタインの哲学的立場も同様であるとする意見も少なくない)。 グリーンは以下のような図で永久的な宇宙の在り方を説明している。これは既述したデイヴィスの図と同型のものである。(グリーン 2005(邦訳 2009a 221)) ブロック宇宙説では、宇宙の全歴史を含めた四次元時空がただ永久に存在するだけである。「ビッグバン」も「人類の誕生」も、その四次元時空の一つのポジションを占める出来事にすぎない。さらに、過去から未来へという非対称的な時間の流れ、つまり「時間の矢」を否定することになる。つまり因果関係でさえ実在性が否定され、仮象のものになる。仮にある人が足を捻挫して病院に行ったとしても、「足の捻挫」と「病院に行く」という二つの出来事には真の因果関係はなく、主観的に捉えられる「みかけ」の関係があるに過ぎないということになる。それどころか、「宇宙はビッグバンによって生まれた」という主張も正しくはないということになる。進化論も否定されることになるかもしれない。 物理学では一般的に時間の矢(時間の流れの方向)はエントロピーの法則と密接に関わっているとされるが、エントロピーだけでは時間の矢を説明することはできない。アダム・フランクは以下のように述べている。 熱力学では、エントロピーが増大する方向が時間の進む方向だとされているが、その議論は多数の物体が関係したときの確率論に基づいており、もっとも基本的な、個々の物体を扱う理論はすべて時間的に対称で、時間の進む方向は指定されていない。(*65) カリフォルニア工科大学の理論物理学者ショーン・キャロルは言う。「本当の問題は時間の始まりではなく、時間の矢だ」と、ビッグバンの前に何が起こったかではなく、「以前」と「以降」という概念そのものだという。「私たち本当に理解しなければならないのは、なぜ宇宙の時間には向きがあるのかだ」とキャロルはいう。(*66) 渡辺慧は、エントロピー増大の法則は時間の向きを決めているものではなく、既知のエントロピーが与えられたとき、未知のエントロピーがいかなる期待値を持つかということを述べているに過ぎないと結論した。そしてエントロピーは未来へと同様、過去へも増大するはずだと考え、このことから時間の流れの原因は、自然の側でなく人間の側に求めなければならないと結論している。(*67) ボルツマンとホーキングは、生物はエントロピーの勾配に依存しているので、知覚をもつ生物はエントロピーの低い方向を過去とみなさざるをえないという見方をしている。(*68) エントロピー増大則によってこの宇宙に時間の矢が存在することを説明するには、ビッグバン以前の宇宙にまで遡って考える必要がある。(*69) 結局、現代の物理学では時間の矢と因果系列を説明することは困難である。そもそも、あらゆる生成と変化を否定するブロック宇宙説では、ジュリアン・バーバーがいうように「以前」と「以降」というものは決して存在しないのだから、時間の矢も因果系列も考える必要がなく、それらはブライアン・グリーンがいうように、四次元時空の特定のポジションを占める人の感覚として説明できてしまう。 しかし、時間の実在性を否定するブロック宇宙や永久主義という主張は、「過去は過ぎ去って無いもの」、「未来はまだ到来してないもの」という素朴な世界観を完全に転倒させた形而上学であり、存在論的派生問題は計り知れないほど甚大になる。青山拓央はマクタガートの時間論についての時制論者(A論者)と無時制論者(B論者)の対立に言及し、相対性理論と整合的なのは無時制論であることを認めた上で、日常的直感に沿うのは時制的思考であるとし、特権的な「今」という素朴な直感を捨てたときの影響を次のように述べている。 この影響の連鎖ははてしなく、もし本気でそれを追っていくと、狂気とも言うべき世界に近づきます。そこでは、自由、責任、生死といった現実世界でのごく基本的な概念が、常識から著しく乖離する恐れがあります。あるいは、原因の後に結果が生じるという常識も、そこに時間の流れが前提されているなら、やはり修正を迫られることになります。(*70) デイヴィッド・ルイスは反事実条件文によって因果律を分析している(*71)。ルイスの論証は以下のようなものである。 ① もし私の両親が1940年代に出会っていなければ私の本は出版されていなかっただろう。 ② もし私の本が出版されていなかったら私の両親は1940年代に出会わなかっただろう。 ①では出来事と出来事の依存関係が明らかなのに対し、②には依存関係が見当たらない。 ※ただしルイスは、自身の主張が因果の非対称性を直接説明するものではないことを認めている。 デイヴィッド・ヒュームは因果関係というものを考究し、因果関係があるとされる出来事と出来事の間には必然的結合と言えるようなものは見出せず、連接(conjoined)しているように見えるが、結合(connected)しているようには見えないとして、原因と結果の関係の必然性は、人の心の中に存在しているだけの蓋然的なものでしかないと結論した。バートランド・ラッセルもまた科学の基礎的な原理に因果律が見当たらないことを理由に、ヒュームと同様の主張をしている(*72)。 しかしヒュームでさえも、自身の懐疑主義を世界観全てに敷衍した場合に帰結する途方もない不条理を理解していたようであり、人が生きるための方便としての「程々の懐疑(modest skepticism)」を提案することになった。 なおB論者であるメラーは、ブロック宇宙説を前提にしながらも、マクタガートの「A系列なしに変化はありえない」という理論を否定し(*73)、因果関係が客観世界に存在していることを前提にB系列の時間を肯定している(*74)。他の永久主義を前提としたB論者も同様であると思われる。客観世界に因果系列、つまり時間の矢が存在しているという前提でなければ、B系列を主張することはできないからだ。以下、サイダーの文を再掲する。 この火かき棒は、二〇〇〇年六月二十九日の木曜日には熱い。 この火かき棒は、二〇〇〇年六月三十日の金曜日には冷たい。 この二つの判断の真理値は変化しない。にも関わらず、時制の還元主義者は、この一組の文が真であることによって、この火かき棒は変化するというのである。 しかしこの主張はブロック宇宙説と矛盾している可能性がある。アウグスティヌスのように「全体が一挙にある」というのがブロック宇宙説であり、この立場では変化や因果系列を云々するのは無意味である。前述のようにブロック宇宙説を支持する物理学者たちは時間・運動・変化・生起といったものの実在を否定している。青山拓央も無時制論が因果関係というものの否定に繋がることを指摘している。またブロック宇宙説を擁護するヒュー・プライスは以下のように述べている。 大ざっぱに言って因果関係の非対称性は、この世界のなかにいる "エージェント(行為の主体、行為者)" としてのわれわれの、時間的に非対称なものの見方の反映である(*75) 全ての出来事が永久に存在しているという永久主義を前提とした場合、「転んで足を挫いたのが原因で足が痛い」という文は偽になる。「足の痛み」は永久に存在しており、「転んだ」ことを原因として「生じた」わけではないからだ。「永久」と「因果」は存在論的に並存しえない概念である。 結局、永久主義を前提としたB論者はマクタガートや無時間論者との差異が紙一重となる。マクタガートの時間論では、実在世界は不変で永久的なものとし、時間とは人の主観によって見出されるというものであった。メラーやサイダーらのB理論はマクタガートを批判しながらも、マクタガート同様に実在世界は永久的なものと考える。マクタガートとの差異は、主観的に捉えられる「時間の流れ」と、実在世界との関係という点のみになる。高村友也はブロック宇宙説を取るヒュー・プライスを批判する論文で以下のように書いている。 時間自体に向きがないブロック宇宙の世界では,私たちが過去や未来と呼んでいる方向の区別は,因果関係において特に意味を為さない. 時間の流れというものを,意識がそのように見せているだけの主観的なものとして退けるということは,残された物理的な時間にはもはや,流れる方向であったところの未来や,その逆である過去といった区別も存在しなくなることを意味する,(*76) メラーが実在世界に属するとした因果系列・時間の向きが、結局は主観的に見出されたものに過ぎないなら、永久主義を前提としたB論者はマクタガートと本質的な差異がないということになる。 補足 (以下は管理者の見解) 入不二基義は、A論者とB論者の議論について、過去・現在・未来という時間様相が排他的なのは、概念的・静的な理由でないとして、以下のように時間特有の「変化」を論じている。 時間経過(推移)においては、「現在のことも過去になる」。この「なる」という時間特有の動性によって、「現にある」ことと「もうすでにない」こと、「まだそもそもない」こととが、まさに動的に排他的なのである。それは「ある」ものどうしの相互排他性ではない。「ある」ことと「ない」ことの間の動的な排他性である。(*77) 時間的変化とは、固定的で不変のものとして取り出される一者に対してこそ(対してさえ)さらに生じるはずの変化であり、その変化を逸れるものなどなかった。すなわち、時間的変化の特異点とは、その「高階性」や「汎浸透性」にあった。(中略)すなわち、同一不変の「もの」や「出来事」に定位しておいて、「それ(と指示できる何か)」が過ぎ去るのでなく、端的な現在の現実性(これ)こそが、過ぎ去るのでなければならない。(*78) 入不二の議論は特権的な「現在」の存在論的地位を「現実性」として認めるものであり、現在主義およびA理論の一種であると思える。類似の主張は永井均(*79)や青山拓央(*80)にも見られる。 しかし私は、入不二の議論は永久主義の論駁としては成功していないと考える。それは彼の主張が既述したポール・デイヴィスやブライアン・グリーンの論証の「掌の内」にあると思えるからである。デイヴィスの論法を敷衍して入不二の主張を表現すると以下のようになる。 11 15分 端的な現在の現実性(これ)こそが、過ぎ去ることを時間的変化の本質だと思う。 11 16分 その現在の現実性が過ぎ去った。この現実性(これ)もまた過ぎ去りつつあると感じる。 11 17分 絶えず過ぎ去り続ける現実性こそが、時間の本質だと思う。 以上のように、「現実性が過ぎ去る感覚」も箇条書きで事足りてしまう。 壊れたDVDプレーヤーで『風とともに去りぬ』を見ることで、時間の感覚を説明したグリーンの文を再掲する。 コマが前後にジャンプするのを見て、ストーリーを理解するのは難しい。しかしスカーレットとレットにとっては何の問題もない。どのコマでも、二人はそのコマでいつもすることをするだけだ。(中略)二人はそれぞれのコマで、前にそのコマで考えたのと同じことを考え、同じ記憶をもつのである。とくに重要なのは、二人がそうして考える内容と記憶とが、時間は常に未来に向かって均一に流れるという感覚を二人に与えていることだ。 デイヴィスやグリーンのブロック宇宙解釈、および永久主義の立場では、入不二が主張した「ある」ことと「ない」ことの間の動的な排他性、つまり「変化」の問題は存在せず、また「端的な現在の現実性(これ)こそが、過ぎ去る」という感覚がいかに特権的であるかのように主張しても、それは四次元時空のあるポジションに位置づけられ、「凍結」されたものとして説明可能であるように思える。ブロック宇宙説は、知覚を純粋な持続的存在としたベルクソンと、個別の知覚たちは全て別個の存在者だと考えたデイヴィッド・ヒュームのニヒリズムを統合したような世界観だと思える。ヒュームのニヒリズムが論理的に成り立つことは、バートランド・ラッセルの「世界五分前創造説」や「瞬間的独我論」によって間接的に論証されている。ラッセルの主張を要約していえば、「想起」という経験と、想起の対象である「過去の経験」は論理的に独立しているということである。 デイヴィスやグリーンの論証は論理的に整合的であり、時間の流れを感じる人間の感覚も包括できており、何の矛盾もない。しかし、何の問題もないというわけではない。青山拓央が論じたように、時間の非実在を認めた場合は、あらゆる日常的信念が崩壊し、「狂気とも言うべき世界」を認めることになるかもしれない。 しかし私は青山の主張し反して、ブロック宇宙説が形而上学的観点から特別に不可解な宇宙論とは思わない。確かに素朴実在論・素朴心理学的には受け入れ難い世界観ではある。しかし哲学の世界においては、「究極の問い」という伝統的問題があったことを想起すべきである。そもそもこの宇宙は「なぜ何もないのではなく何かがあるのか?」合理的に答えるのは不可能な問題である。解答がないのがわかっているのなら、「究極の問い」ではなく「究極の神秘」というべきだろう。 ブロック宇宙が事実ならば、変化や生成、因果関係の実在は否定するしかなく、「全てはありのまま、ただ存在している」と考えざるをえない(B論者は因果関係を認めるのだが)。確かに存在論的に途方もない主張であるかもしれないが、変化や生成、因果関係の実在を認め、「ビッグバンによって宇宙が誕生し、さまざま変化を経て、138億年後、現在の多様な世界が出来上がった」と言ったとしても、それは結局「究極の問い」の神秘が、より後方へとスライドされるだけであり、現在の世界が存在していることの神秘は何も解消していないのである。 私は、常識が転倒した狂気の世界が真の世界の姿であることを認めても、哲学的にも社会学的にも問題がないと考える。たとえば伝統的な哲学的課題であった「自由意志」の問題は、既に物理学と神経科学の発展によって葬られる寸前である。心の哲学では物理主義と二元論の対立があるが、いずれの立場も自然主義を前提としており、決定論的な振る舞いをする脳の生理学的な過程に、意識とクオリアが対応関係にあることを認めている。今日、自由意志の存在を認める立場は極めて旗色が悪い状況である。にも関わらず、形而上学的な自由意志が存在しなかったからという理由で、裁判において無罪を主張した被告人はいない。「私が殺人を犯したのは私の意志でなく脳の生理学的過程によって決定されていたからだ」といっても無駄な理由は、問題のカテゴリーが異なるからである。 物自体の世界と現象世界を峻別したカントの哲学が想起されるべきであろう。物自体――実在世界がどうであろうと、人間は現象の世界に生きるのである。自由意志も因果関係も法律も現象の世界には確かに存在している。これで決定論を認めても問題はない。 空間論 現代の哲学では、時間の実在性をめぐる議論と比べると、空間の実在性をめぐる議論はほとんど行われていない。哲学史における空間の哲学は、空間と時間をともに直観の形式としたカントの哲学から前進していない。 物理学では、時間と空間を一塊の「四次元時空」として扱う相対性理論によって、時間と空間は単独では実在ではないとされる(*81)。橋元淳一郎は「空間と時間は実在ではない」と明言している(*82)。橋元によると、ローレンツ変換により時間と空間は「入り乱れる」。それは時間と空間が等価なものだからである。つまり本質的に同じであるが具現しているものは違うという意味である。たとえば、同じく相対論が導く結論に、質量とエネルギーの等価(E=mc^2)という有名な関係がある。これは、質量とエネルギーは本質的に同じものであるが、その現われ方が違っているのである。そして橋元は、われわれは日々空間を感じ、明快に実在するものと思っているが、それは「大いなる錯覚」であるという(*83)。ちなみにブラックホールにおける事象の地平線の向こうでは、「時間と空間が逆転する」といわれる。(*84) ただし空間の非実在を主張する物理学者は、時間の非実在を主張する学者に比べると遥かに少ない。これはミンコフスキー時空というものが、基本的には時間を座標によって、つまり空間化して考えるからだと思われる。既述したようにブライアン・グリーンは時空を一塊の食パンにたとえ、その食パンのスライスの仕方で事象と事象の位置と関係を説明している。リチャード・ゴットもまた「時空とは、巨大な4つの次元をもつ食パンのかたまりのようなもの(*85)」と、グリーン同様の説明をしている。 なお量子力学の問題によって、空間の実在性を懐疑する意見が僅かではあるが存在する。量子力学では二重スリット実験やEPR相関など、素朴実在論的な世界観からは理解不可能な現象が実験で確かめられている。 量子論によると、少なくとも電子のようなミクロの物質の場合は、私たちが見ていない時には「どこか一箇所にいる」のでなく、「さまざまな場所にいる」状態になっている。そしてこの考えを突き詰めると、ミクロの物質の集合体である月についても、誰も見ていない時には「どこか一箇所にいる」と断言できなくなる。(*86) ある場所で粒子が見つかる確率を確率波という。たとえば電子の場合、確率波が大きい場所ということは電子が見つかりそうな場所、確率波が小さい場所は電子が見つかりそうにない場所、ということである。そして量子力学によれば、確率波は全空間、つまり全宇宙に広がっている、とされる(*87)。観測が行われれば電子の位置は確定する。これを確率波が「収縮」したと言う。標準的な考え方によれば、宇宙全体に広がっていた波が、一瞬にして一点に収縮するのだ。(*88) 粒子は測定された瞬間にあれこれの性質をランダムに獲得するが、そのランダムさは空間的に離れたところのものと結びつくことができる。そのような結びつきをもつよう調整された二つの粒子は「絡み合った(エンタングルした)粒子」という。エンタングルした粒子は空間的に、たとえ何百億光年離れていようと同じ振る舞いをする。長距離相関が生じるのは、二つの粒子があらかじめ確定した性質を持っていたからだという説は実験データが否定する。このことから宇宙は非局所的だという結論が得られる。(*89) EPR相関の問題によって、あらゆるものはビッグバンのときに同じ場所で生まれたのだから、私たちが別々の場所だと思っている地点も、もとをただせばみな同じ場所だったのだ、と解釈する人もいる。(*90) 三浦俊彦はEPR相関について、以下のように論じている。 実在全体がどの一片の中にも宿っている。部分はすなわち全体であるというパルメニデス的、ヘーゲル的な全体論を思わせます。すべては連関(シンクロナイズ)しているのです。(*91) 心の哲学との関連 (以下は管理者の見解) 時間と空間の哲学は、心の哲学のメタレベルの問題であり、時間と空間を実在とみなすか否かで、心の哲学の諸問題に対するアプローチの仕方は全く変わってくる。 心の哲学の最大の難問は心身問題(心脳問題)であり、クオリアなど心的なものと脳という物理的なものの関係の内実である。両者が対応関係にあることは明白であるにも関わらず、その関係を二元論の立場から究明しようとすると、物理領域の因果的閉包性によって、心的因果が排除され、現象判断のパラドクスという問題が生じてしまう。そして物質的な脳からいかにクオリアが生じるのかという意識のハードプロブレムも解決困難な難問として残存したままの状態である。 しかし、時間・生成・変化といったものの非実在を主張するブロック宇宙説では、それら心の哲学の難問が一挙に解決する可能性がある。ブロック宇宙説では因果関係や時間の矢を問うことは無意味なので、心身関係や心的因果を云々する意味がない。橋元淳一郎がいうように「あらゆる事象は在るがままに在る」のだから、脳の状態と対応関係にあるように見えるクオリアが、ただ存在しているだけということになり、物質的な脳からいかにクオリアが生じるのかというハードプロブレムも消滅することになる。 時間の実在性を否定した場合、青山拓央がいうように「狂気」としか表現できないような、あらゆる常識が崩壊した世界観が帰結することになる。しかし仮に常識が転倒しようが、時間の実在性を否定することによって、さまざまな現象が合理的に説明できるならば、時間の実在に拘泥する理由はないように思われる。 そのことは空間の実在性についてもいえる。空間の実在性を否定することによって、さまざまな現象が合理的に説明できるなら、空間の実在に拘る必要はないはずである。物的なものと違ってクオリアは空間的に位置を規定できない。空間が実在的でないとすればクオリアの位置を問うことは無意味だということになる。クオリアに対し物的なものは空間的なパラメーターを持っていることが異なるだけだということになる。 ブロック宇宙説では時間や空間が個別的に実在することを否定するが、両者を合わせた「四次元時空」は絶対的な実在とみなす。しかし物理学者が物質や時空に対して用いる「実在」という言葉は、「科学理論内部の存在論(*92)」としての用語であり、形而上学的にメタレベルの観点から、カントが想定した「物自体」についての実在を主張しているのではないということである。物自体とは人間の経験に先立つ存在である。しかし、そもそも「存在」するという意味は何だろう。大森荘蔵は先行存在(物自体)について以下のように書いている。 存在の原型としての知覚存在にせよ、数学的対象を典型とする普遍や物理学の理論的概念の語り存在にせよ、いずれも日常経験の中で制作されているということである。知覚存在は知覚経験の中に与えられており、語り存在はその経験を語る思いの中で形成されている。その点で以上に登場した存在概念は経験論的な存在意味であったといえる。(*93) 要するに、経験に先立つ(アプリオリ)存在ということに意味がない、と結論せざるを得ないのである。(中略)歴史的にそういう意味が形成されたり制作されたことがない、という事実報告をしているのである。意味の歴史的不在を言っているのである。そしていわゆる(素朴)実在論者がこの報告に反駁する仕方はただ一つしかない。 先行存在の意味を了解可能な形で自ら制作してみせることである。(*94) 大森に習っていうならば、四次元時空でさえ経験的に制作された「意味」である。ならばメタレベルの形而上学的観点から、四次元時空の非実在さえも主張すること、つまり「意味」の改変は可能なはずである。既述した量子力学の観測問題は、四次元時空の実在性を懐疑させる根拠の一つになると私は考える。 メタレベルの形而上学として四次元時空の実在性を否定するなら、それは現象主義、あるいは観念論という立場に他ならない。このタイプの思考型は、歴史的には古代エレア派から始まる。ジョージ・バークリーも同様の立場を取った。バークリーは『人知原理論』において、「延長や運動は対象のない抽象観念」だとしている。エルンスト・マッハは物質的実在を否定し、感覚要素が世界を構成する究極の単位であると考えた。そして因果関係という概念や、精神や物質という区別さえも排除し、ただ一つ経験に与えられる基本的事実である〈感覚要素〉の、その相互間の法則的連関の記述だけが科学的認識の目的であるべきだとした。このようなマッハの現象主義は、今日の科学的方法論とはかけ離れているが、科学哲学における社会構成主義や存在論的構造実在論といった立場は、マッハの現象主義に再接近しているよう思う。 現象主義の最大の利点は、素朴実在論的な観点からは理解不可能な量子力学の問題も無理なく受容できるということである。物質や空間というものを実在するものと考える限り、二重スリットの実験やEPR相関は、時間・空間といったパラメーターと整合的に説明することは困難である。「量子的ミクロの世界では因果律は成立しない(*95)」、「ボーア主導のコペンハーゲン解釈によれば、位置が観測されるその瞬間まで、電子はどこに存在するのかと問うことには意味がない(*96)」、「あなたから見れば1カ所に局在しているものが、あなたの友人には広がって見える。粒子の位置が人の見方によるだけでなく、粒子が「ある位置を持つ」という事実そのものが、それを眺める人に依存するのである(*97)」といった量子力学についての説明は、素朴実在論的には理解不可能なものである。確かなのは、世界にはわれわれに「現象」をもたらしている数学的構造が存在しているということのみだろう。 時間と空間の実在性をともに否定するなら、果たしてどのような世界観に到達するだろうか? 時間の実在性の否定によって、生成・変化・因果関係の実在性が否定され、心身関係と心的因果の問題が解消する可能性が示された。さらに空間の実在性を否定するならば、伝統的な哲学上の難問であった「他我」の問題もまた解消する可能性がある。他者とは「空間」を異にして存在する者のことだからである。他我問題の難解さについて大森は、「二〇世紀哲学に深い影響を与えた二人の巨人、フッサールとウィトゲンシュタインがともに立ち向かったが、ともに解決できなかった問題である(*98)」と述べている。空間を非実在的なものとするなら、他我の定義が一つ消えることになる。 参考文献 青山拓央「時制的変化は定義可能か」科学哲学37-2 2004年 青山拓夫『新版 タイムトラベルの哲学』ちくま文庫 2011年 青山拓央『分析哲学講義』ちくま新書 2012年 伊佐敷隆弘『時間様相の形而上学』勁草書房 2010年 井上忠『パルメニデス』青土社 1996年 入不二基義『時間は実在するか』講談社現代新書 2002年 入不二基義『時間と絶対と相対と』勁草書房 2007年 入不二基義「無についての問い方・語り方」Heidegger-Forum Vol.6 2012年 植村恒一郎『時間の本性』勁草書房 2002年 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