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結論からいうと、人工言語は意外に難しいです。構造自体が簡単でも学習が難しいからです。 言語が簡単というのは、文法システムや音韻システムの面だけではありません。 人工言語にもコロケーションや語法があり、結局は個々に覚えねばなりません。 語学というのは要するに壮大な慣れです。 検定でも3級くらいなら言語の仕組みを掴みやすい人は簡単に取れます。 でもそれ以上は反復練習の賜物なので、良い教材を集中して複数回繰り返す作業に落ち着きます。 人工言語をやっていて思ったのは、教材が少ないということです。全て自作ですからね。 CDブックも自作ですし、DVD映画作成は絶望的ですし、その上辞書や小説や歌謡曲まで作るというのは大変過ぎます。 英語などの自然言語に比べて圧倒的に教材となる資料が少ないのが難点です。また、留学先が存在しないこともネックです。 つまり、言語そのものの構造が簡単であろうと、学びの環境は劣悪だということです。 結局学習環境が悪ければその言語を学んでも効果は期待できません。 そういうわけで人工言語は意外と難しいと思います。骨子を作るまでは簡単なのですが……。
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人工言語のこれから 2008年にアメリカが経済的に大打撃を受けました。 もしこれを期にアメリカが潰れれば、歴史は非情にも英語を切り捨てます。 英語はゆっくりと現在のフランス語の地位に落ち着いていくでしょう。 代わりに中国語が共通語になるでしょうか?しばらくはなりません。 中国はかつての植民地時代に植民地を持たなかったので、英語やフランス語ほど世界に広まっていないためです。 従って、共通語のない時代に戻ります。(アメリカが潰れたらの話ですよ) そうなれば、人工言語は返り咲きます。常に栄枯盛衰の繰り返しです。 今度は「ヨーロッパ+アジア」すなわち「ユーラシア」の共通語が求められるでしょう。 アメリカ人はもともとヨーロッパ人ですから、ヨーロッパに含めています。 しかしこれが前途多難です。 アジアとヨーロッパは文化があまりにも異なるからです。 カトリックとプロテスタントから共通の宗教を作るのがエスペラントだとしたら、これはキリスト教と仏教とイスラム教から共通の宗教を作るようなものです。 エスペラント以上に話がまとまらなさそうなのは明らかですよね。 ユーラシアの共通語を作る場合、アジアとヨーロッパの特徴をそれぞれ採っていくという方法が考えられます。 実際そういう言語は既にあるのですが、色んな言語の特徴を採りすぎたせいで、逆に「誰にとっても分かりづらい」という結果になってしまいました。例えば―― 「え、亀は日本語から来ていてkame、水は中国語から来ていてshui、火は英語から来ていてfireなのか……。で、娘はfille、世界はWelt、おはようはアッサラーム……って、そんなの覚えられるか!( ゚Д゚)」 ――という感じです、簡単に言えば。語学オタクにとっては面白い言語ですが、ふつうの人の感性では理解しがたいと思います。 かといって、ある地域ばかり集中して選んでしまうと、それはそれで不平等になってしまいます。 例えば筆者の好みで選んでいったらフランス語と日本語をメインにすると思いますが、そしたら当然ドイツ人やタイ人は面白くないですよね。 やはりこの手の言語は難しく、話がなかなかまとまらないようです。 それを踏まえると、恐らくアジアの共通語を作るほうが現実的でしょう。 漢字をベースに使いやすいように変えていって人工言語を作るという方法が現実的かもしれません。中国ベースですね。 ただ、日本や韓国は対応できるとして、中東はそうはいかないでしょうね。漢字を知りませんから。 そこで、アジア東部でくくるというのが現実的かもしれません。
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地球のグローバル化に伴い、それまでは殆ど西洋に封印されていた人工言語の概念は20世紀には世界各地に普及していた。日本にも20世紀にエスペラントは既に持ち込まれていた。世界3大宗教と人工言語の割合の分布の違いは明白である。アラブ圏にいけばイスラム教徒が多く、西欧ではキリスト教徒が多い。地域ごとに比率が異なる。しかし人工言語はそうでない。概ねどこへ行こうがエスペラントのシェアが最も高い。人工言語の割合はむしろコンピュータのOSに近い。ウィンドウズが大概最大のシェアを占めるように、エスペラントが群を抜いている。日本でもそれは同じで、エスペラントが最も多くのシェアを占める。書店で購入できる書籍を比べてみてもインターネットの日本語サイトの件数を比べてみても明らかである。 グローバル化に伴い西洋から人工言語が伝来し、日本では人工言語といえばエスペラントという公式が生まれるに至った。これは今日でも変わらないが、作成者の側では21世紀に入って大きな変化が訪れた。 20世紀末にパソコンが普及したことにより、ネットも徐々に普及していく。 21世紀にかけてネットの加入者は爆発的に増え、常時接続が普及し、大容量ブロードバンドが普及した。人工言語が最も社会に歓迎されたのは17世紀の普遍言語時代であるが、この時代でも人工言語で儲けたり飯を食うのは極めて難しかった。いわんや現代は英語が国際語として機能している。ネットによって世界は更に狭くなり、英語はデジタルを通して更に普及している。 この社会的背景でいま人工言語が持つ機能とは何であるか。暗号型は軍隊などが使う本格的なものとしては望めない。およそ人工言語を資料ひとつ残さず複数人に丸暗記させるのは不可能である。ただ、個人或いは団体がちょっとした秘密の書字として使う程度なら機能するだろう。また、排他的な共通の言語を使うことにより使用者間に連帯感が生まれることがあるため、符牒型の言語も機能するだろう。ゴドウィンの月世界のような演出型の人工言語も現代では小説や他のメディアの中に頻出している。トールキンの『指輪物語』に出てくるエルフ語や、『スタートレック』のクリンゴン語などがそうである。 今までの人工言語史とその成果を見ると、人工言語の機能としてこれからも生き残るのは「暗号型」「符牒型」「演出型」の3点であると考えられる。暗号と符牒は似たところがあるので、要するに大きくまとめれば「秘密の言語」と「空想の言語」の2点である。 尚、普及型はこの4世紀の間もっぱら扱われてきたものだったが、普遍言語ないし国際語として普及したものはいまのところ無い。最も有望視されるのはエスペラントである。しかし、ネットや交通によって英語が世界中に浸透していく中、乗り遅れずシェアを維持或いは増やすには、地道な普及運動と利用者にとって有益と思われる情報を発信するより他はない。 さて、現代のネット社会は作成者が言語を作成する段階にも影響を与えた。ザメンホフがそうであったように、今までは人工言語を発表するにはしばしば多額の費用をかけて自費出版するしかなかった。人工言語は上述のように金には変わらないためである。その経済的敷居の高さゆえ、人工言語を作ることはできても発表することはままならなかった。発表がままならず、他の人工言語についての書籍も手に入りにくい時代では容易に人工言語を作ることはできない。手に入る資料がエスペラントばかりであればこの改良品を作ることが念頭に浮かび、別の型を作る契機にはなかなかならない。 しかしその敷居をネットが急落させた。人工言語をネット接続費用程度の小額で発表できるようになった。人工言語がネットで公開されればそれは他の作成者の資料になるため、他の作成者にとって更に人工言語作成の敷居は下がる。こうして人工言語の作成については17世紀の普遍言語時代と同じくらい爆発的に増えることとなった。 だが容易に発表できるということは18世紀のように前時代の焼き増しを行った粗い言語の出現も意味する。自費出版という大きな自腹を切る場合、原稿の隅々まで考察して見直してから出版するだろう。しかし気軽に行えるネット言語の場合そうとはかぎらない。精度を高め、多額の出費も厭わない言語が自費出版を踏み切る。だが今はその必要性もないのでいわば考察の甘い覚悟の弱い言語が頻出することになる。 18世紀に見られたような焼き増し現象が将に21世紀に返り咲いている。言語や語学が好きという好事家が容易に言語を作成し発表できるというのは一長一短である。 人工言語の今後についてだが、公開が容易であることと作成のための資料が集めやすくなったことから、ネット言語の氾濫が予想される。それは玉石混交で、精度の高いものもあれば即興的なものもある。 言語を作る行為は大変なもので、言語学や語学に留まらず、ウィルキンズの計画のように博学的知識まで必要とする。更に今まで見てきたように、人工言語は当時の科学力を反映している。これからの人工言語は2次曲線を描いて昇華した20世紀の科学を反映する。既にウィルキンズの時代で人が一生かけても作りきれないほど多かった分類や概念を、どう新概念の増えた現代人が行うというのか。現代の学術用語が利用しているラテン語を機械的に写し取る方法を取らない限り語彙を作りきることはできない(厳密には語彙は開かれた体系なので終わりはない)。 尤も科学技術の単語は必要になった際に作ればよいわけだから語彙の問題は置くことができる。しかしそれでも言語を作ることは容易いことではない。玉石の石のほうは恐らく作者がすぐに飽きて捨て去ってしまうだろう。また人工言語が乱立する中で学習者は殆ど見込めないだろう。結局多くの言語が公開から数年も経たぬうちに消えるか更新されない亡霊として残るだろう。そしてその間にもまた新しいものができるという連鎖を繰り返すだろう。 普及型の言語すなわち国際語や国際補助語は歴史も現状も顧みず無謀にも作られるであろう。だが普及は成功せず、学習者も極めて少ないというのが考えられる実情である。小数の協力者との限られたコミュニティの中でその国際語は存在し、暫くもすれば自然と符牒型やコミュニティの暗号型に変わっていくことだろう。 また、ネット言語が乱立すればそれをまとめたリンク集やポータルサイトが出現するし、自言語の紹介ではなく人工言語そのものを論じたものも現われるだろう。これは中世・近世において紙で行われていたことをデジタルにしただけのものであるから発想としては斬新ではない。ただ、ポータルサイトの類は紙よりネットのリンクのほうが遥かに便利であるため、その有効性はかつてのものより高いと考えられる。 自然言語の総数が減少の一途を辿るのに人工言語が増加の一途を辿るというのは興味深い視点である。ただ、増えていく人工言語が自己のレーゾンデートルを持たぬ限り、 そして、そのレーゾンデートルが上記3点の人工言語の有効な機能に当てはまらないかぎり、その灯火は短いものだと思われる。
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自分で最初に作ったのは中学生のころでした。10歳のときに携わったので、必然だったかもしれません。 最初は仮名を絵文字に当てはめた暗号でした。まだ人工言語とは言えないですね。 高校のころ感じたことですが、人工言語って自分で思いつく場合、中高生が多い気がします。 中高生は思春期で、急激に言語の能力が上がるころです。ちょうど語学の臨界期を過ぎるころですね。 中高生になってラジオや歌番組にハマった人っていませんか? 私はそうでした。あのころって、妙に言語に耳ざとくなるんです。 おっさんになると歌番組って急激に聞かなくなりますよねw あと、言語に神経質になります。 私の場合―― 「人一倍っておかしくないか?二倍じゃないのか」 「絶対とか全然とか最低って、論理的におかしい。そんなやすやすと最下位のものに遭遇するわけがないし、100%の事態に遭遇するわけない」 「「ありがとう」って有り難いのが語源なら、頻繁に言うのはおかしいじゃないか」 ――なんてことを考えてました。 こういう神経質な子供は、人工言語に向いてる気がします。多分……。 逆に、「えー、何それ-、マジありえな~い、チョーサイアクー」とか言ってるギャルは、人工言語を思いつかないと思います。 恐らくここの読者はギャルじゃないし、どっちかっていうとギャル嫌いな人多いんじゃないですかね。 素質なんて偉そうなものじゃないですが、言葉に神経質な子供は向いてんじゃないかな~って思います。 あと、殻に閉じこもるタイプも向いてます。 言語ってコミュケツールだから、明るい少年が作るイメージがあります。が、実際は逆です。ほとんどの読者さんは、どっちかっていうと、ヒッキーです。 そもそもギャル男は友達とスキーとかサーフィンしにいってますから、こつこつ言語なんか作りません。日本語でギャル口説いてます(笑) 逆に、「クラスの下らない連中に浸食されない俺だけの神聖な理論空間を創造すべく――」とか思う人は、向いてる気がします。怖いですがw いやぁ、友達がわんさかいて合コンだスポーツだと忙しく過ごしていれば、コツコツ辞書作業なんかやれないと思うんですよ、実際のところ。 え、私ですか?えぇ、例に漏れませんでしたよw あと、真面目な話をすると、学究的な人は向いてます。こつこつ写経できる人も向いてます。 それと、これは何でもそうですが、楽しめる人は向いています。人工言語やって楽しいと思える人は、向いてます。 今ちょうどネットでは、こういう3タイプの知人が一人ずついます。 なお、私がこう思うのは、一応、経験則です。
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人工言語と自然言語は対極の位置にあるが、その中間的存在がある。それはピジンやクレオールである。 ピジンはたとえば商港の英語話者と中国語話者の間などで発生する。中国語話者が意思疎通を図るために英語を簡略化し、商業用として実用する。それがピジンイングリッシュである。ピジンイングリッシュは英語を簡略化したものなので自然言語である。しかし元の英語に比べると人工言語に近い性質を持っている。 たとえばピジンイングリッシュは意図的に文法が複雑な構造を持たないように変えられている。こうしたことは英語母語話者間では起こらないことで、かなり人為的に言語が変えられているといえる。また、商人らが短期間で意図的に作ったという点も傍証となる。これらの点において、ピジンは人工言語に近いといえる。しかし商人らが計画して創りあげたのではなく、商業上の必要性から自然に発生したものであるため、あくまで人工言語ではない。よってピジンは人工言語と自然言語の中間に位置する。 その土地の子供たちがピジンを母語として習得すると、ピジンはクレオールになる。要はピジンの格が上がっただけであるから、クレオールも同様に人工言語と自然言語の中間に位置する。 このように、人工言語と自然言語の間にピジンやクレオールなどの混成言語が存在する。言語を人為性で分類すると、このように3種を挙げることができる。
https://w.atwiki.jp/lideldmiir/pages/95.html
人工言語は作る目標を設定することができるため、同時に成功と失敗という概念が発生する。 普及型の場合、小集団に広める以外を目標とすると、ほとんど失敗する。国際補助語以上を目指すと失敗する。 演出型は世界観の演出ができれば成功だが、ものすごく細かいリアリティを追求すると、成功までに極めて長い時間がかかる。 演出型はつまるところ作者が自分で「この程度なら世界観を演出できたといえよう」と納得できるかどうかが境界線なので、成功と失敗の判断が主観的である。 研究型は研究目標に達すれば成功するので分かりやすい。 例えば「アプラウトだけでテンスを表す言語で意思疎通ができるだろうか?」という疑問を立てた場合、作って実験して意思疎通ができれば成功なので、分かりやすい。 最も客観的に成功か失敗かを判断できる。
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「人工言語なんて機械的だから、そんなんで書かれた小説で感動なんて起きない」という暴論が、昔はよくあったようです。 もちろん、慣れてしまえば人工言語でも感情を起こせます。その辺りは自然言語とまるで同じです。 確かに最初のうちは人工言語を読んでも、頭の中で日本語に翻訳しました。 それで感情が起こっても、どちらかというとそれは日本語が作った感情です。 しかし、慣れてくると脳内でいちいち日本語に変換しなくなります。英語と同じです。 この時点でも、ふつうに感情は起こります。喜怒哀楽すべてです。 私の話になってしまいますが、英語を読んで泣いたときより、アルカで泣いたときのほうが、なんだか凄いことをしている気になりました。 だって人工言語って自分が作ったもので、元はなかったわけじゃないですか。 自分が音を選んで単語を作って、文法作って単語を並べて文を作るわけです。それ読んで泣くとか、最高の自作自演ですよね(笑) 自分が生まれてなかったらただの意味不明な音波にすぎないのに、その音波を聞いて泣けるわけです。 英語は別に私がいなくても存在したわけですが、アルカは違います。なんか、不思議な気がするのです。 一人でやっているうちは本当に自作自演なんですが、相手とやりとりして感情が起こったときは、本当に不思議な気持ちになります。 「どうして自分が規定した意味不明な音波を聞いて、彼女は泣いているんだろう」という考えが頭をよぎります。とても不思議な感じがします。 エスペラントの場合はアポステリオリなので、西洋語に投影して感情を起こしている可能性があるかもしれません。そこはツッコミ所として理解できます。 でもアルカはアプリオリなので、真剣に自作自演なわけです。それでも感情が起こるので、人工言語でも感情を起こせると言えます。
https://w.atwiki.jp/lideldmiir/pages/96.html
自分に合った人工言語は? 自分に合った人工言語のタイプが判定できます。 チャートの①からYesかNoで進んでいってください。 ドキドキの判定は!?→あなたのタイプ (注) 結果はあまり真剣に受け取らないでくださいね(^ω^;
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人工言語交流公園 みなさま、ようこそお越しくださいました。ここは「人工言語交流公園」、みなさまでここにある言語について、新たな単語づくりや利便性の検証、美しさなどについて、話し合ってもらえられればと思っております。また、みなさまが持ち寄った言語についても(皆様が作られたものに限りますが、)話し合っていただきたいです。みなさまの創作ライフがよりよくなることを心から願っております。どうぞ、心ゆくまで、お楽しみくださいませ。 コメントをする際には、どの言語を使ってもよろしいですが、人工の言語を使ってコミュニケーションをとっていただくと、駒街はうれしいです。 -- Makoto Comagai (2023-12-25 15 34 56) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/lideldmiir/pages/83.html
人工言語はRPGゲーム制作に譬えられる。 アポステリオリは自然言語を参照にするので、もともと存在するソースを利用することができる。 そのため手軽に作れるが、作り込みという点ではアプリオリに引けを取る。 語法や語彙をアポステリオリにするだけで、ずいぶん言語制作の労力は減る。 もちろんアポステリオリで作った言語でも、語法や文法や語彙は存在するから、言語としての実用は問題なく行える。 その意味で、アポステリオリはRPGツクールを使ったゲーム制作に似ている。 ある程度のひな形があるので、手軽に作れ、出来上がりも決して悪くない。 それで十分と納得できれば、お勧めする。 一方、アプリオリはプログラムから絵描きまですべて自作でゲームを作るようなものだ。 ツクールを使わないので、安定した言語制作ができない。 当然、出来栄えもツクールを使ったもの以下というのが往々にしてある。 しかし、作り込みをしていけば、ツクールで作るより立派なものができる可能性がある。 FFやドラゴンクエストだってツクールではないが、あれと同じようなものだ。 もちろん、FFを一朝一夕で作ることなどできない。 アプリオリでツクール以上のものを作ろうと思うなら、相当な労力が必要だ。 つまり、アプリオリはアポステリオリに比べて安定性がなく、出来栄えもピンキリだということだ。 アポステリオリが預貯金なら、アプリオリは投信や株と同じ。ハイリスク・ハイリターンだ。 どこまでも作りこもうじゃないかというハードユーザーには、アプリオリがお勧めだ。