約 908,582 件
https://w.atwiki.jp/trinity_kristo/pages/707.html
イエスが12歳のとき、エルサレム神殿での出来事である。イエスがすでに知性にあふれており、神殿を「父の家」と呼んでいることから、イエスがメシア(キリスト)であることを象徴的に示している場面でもある。 ルカ2 41-52 さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。 イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。 祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。 三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」 すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」 しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。 それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。 イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。
https://w.atwiki.jp/onirenntyan/pages/138.html
「イエスタデイ」 レベル:9 難易度(E→D→C→B→A→S→SS→SSS→Z) 評価:A 音域:☆☆☆ 音程:☆☆☆ 跳躍:☆☆☆ 高音:☆☆☆☆ 低音:☆☆ 早口:☆☆☆ 持久力:☆☆☆ 歌唱時間:☆☆☆ 逆詐称レベル(☆~☆☆☆☆☆:☆)
https://w.atwiki.jp/trinity_kristo/pages/190.html
イエスの誕生年 マタイ福音書による計算(前6頃-前4年) マタイ福音書2章に登場する、イエス誕生当時のユダヤの「ヘロデ王」の在位は、紀元前37年~紀元前4年であることが他の史料からわかった(マタイ14章ほかに登場する「領主ヘロデ」は別人)。したがって、イエスの誕生は紀元前4年より昔である。 マタイ2 1-7 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。 『ユダの地、ベツレヘムよ、 お前はユダの指導者たちの中で 決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、 わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。 マタイ2 16 さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。 「ヘロデ王」はマギたち(占星術の学者たち)から「星の現れた時期を確かめた」上で、メシア(キリスト)が誕生すると預言されていた町ベツレヘムの「2歳以下の男児」を皆殺しにした。ということは、「マギ」がエルサレムに来たのは、イエス誕生の直後~2年後の幅があると考えられる。 マギたちがいつベツレヘムにやって来たのかは不明だが、仮にヘロデ王の亡くなった紀元前4年だとすると、イエスの誕生は紀元前6年以降~前4年ということになる。 ルカ福音書による計算①(紀元6-7年) ルカ2章によるとイエス誕生当時、「皇帝アウグストゥス(在位期間は紀元前31~紀元14年)から全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウス(クィリーニウス)がシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。」と記録されている。 ルカ2 1-2 そのころ(預言者・洗礼者ヨハネが生まれた頃)、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。 キリニウス(Census of Quirinius)は皇帝の信頼厚く、 軍人としても官僚としても有能だったようである。紀元前12年にローマの最高位の要職にあたる執政官(2人)の一人に選ばれている。 キリニウスは紀元前5~3年に小アジア(現在のトルコ)を平定してそこの総督になり、その後も東方の地域に関わりをもっていたようである。そして紀元6年にユダヤ(ユダ・サマリア・イドマヤ地方)の領主アルケラオスが失政により追放となり、ユダヤ地方がローマの属州となると、ただちにキリニウスがシリアの総督に任命されている。その任期は紀元6-7年であった。 シリア総督キリニウスがガリラヤの人口調査をしたことが歴史家ヨセフスによって記録されている。これは、キリニウスがシリア州の総督であった紀元6年に、その在任中にローマから派遣された初代ユダヤ総督コポニウスとともに 人口調査を行ったときのことを示している。 『ユダヤ古代史』第17巻13 5 キリニウスは、カエサルに派遣され、シリヤにいる人々の財産について記録した。 なお、これは使徒言行録5章37の人口調査(「住民登録」と同じ単語)と同じ事象を指すと考えられる。これは、この人口調査の際、それを不満としてガリラヤで暴動が起きていることをについて触れたものである。 使徒5 35-39 (ファリサイ派に属するガマリエルという人が)それから、議員たちにこう言った。「イスラエルの人たち、あの者たち(ペトロとほかの使徒たち)の取り扱いは慎重にしなさい。以前にもテウダが、自分を何か偉い者のように言って立ち上がり、その数四百人くらいの男が彼に従ったことがあった。彼は殺され、従っていた者は皆散らされて、跡形もなくなった。その後、住民登録の時、ガリラヤのユダが立ち上がり、民衆を率いて反乱を起こしたが、彼も滅び、つき従った者も皆、ちりぢりにさせられた。そこで今、申し上げたい。あの者たちから手を引きなさい。ほうっておくがよい。あの計画や行動が人間から出たものなら、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もしかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ。」 したがって、この説明が正しければ、イエスの誕生は紀元6-7年ということになる。 ルカ福音書による計算②(前2年頃) ルカ3 1-2 皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。 ティベリウスの在位は紀元14-37年であるから、その治世15年は紀元28年である。つまり洗礼者ヨハネの活動は紀元28年からということになる。 ルカ3 23 イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった。イエスはヨセフの子と思われていた。 そして、イエスが宣教を始めたのもほぼ同じ時期であるから、イエスは紀元28年頃に30歳だったと考えられる。するとイエスが生まれたのは紀元前2年頃ということとなる。 計算の矛盾 しかし、今説明したように、ルカ福音書の説明は明らかに矛盾している。 キリニウスの任期は紀元6-7年であるから、それではイエスの誕生年に矛盾が現れてしまう。属州になるとき国勢調査が行われるという通例(この例では、ユダヤが属州になっている)からして、ヨセフスが間違っているとも考えられない。したがって、この人口調査とは別に「キリニウスの最初の住民登録」が行われたときのことだとルカが言っているのだとすれば、それはいつか。 ある説によれば、シリア総督はサトゥルニウス(Saturninus、BC9/8-BC6)、ヴァルス(Varus、BC6-BC4)、その後任でキリニウス(BC3-BC2)と続き、サトゥルニウスが始めた人口調査をキリニウスが完成させたのだという。 またある説は、のちにアンテオケでローマの文書の断片が発見され、それによると、キリニウスは総督になる前の 紀元前10年-前7年の間(※紀元前9-前6年との説もある)、軍司令官としてシリアに駐在していたことが判明したということである。この説では、アウグストゥス治世は人口調査を紀元前28年、紀元前8年、紀元後14年の3回おこなっていることから、ルカは「(のちのシリア総督である)キリニウスが(軍事指揮官として)シリアにいた紀元前8年に発令された人口調査の調査中にイエスは誕生した」と書いているのではないかと推測されるのである。 ルカの記述を信用すると、多くの矛盾を抱えることから、単にルカの誤解によるものだろうとの見方もあり、多くの学者はこの説を採用している。ただし、人口調査自体は事実だとすれば、それは少なくとも紀元前8年以降ということになる。 したがって、イエスが生まれたのは前4年頃だと考えられる。 http //james.3zoku.com/jesus/jesus001.html イエスの誕生月・誕生日 ルカ福音書による計算(8-9月頃) ルカ福音書によれば、イエスが生まれた時、羊飼いらは放牧していたと書かれている。 ルカ2 8-17 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。 「いと高きところには栄光、神にあれ、 地には平和、御心に適う人にあれ。」 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。 しかし、羊の放牧は冬には行わない。イスラエル地域で羊の放牧がおこなわれるのは4月から9月までの間である。したがって、イエスの誕生日もこの時期の間ということになる。 また、ルカ福音書によればヨハネの父、ザカリヤは祭司職のアビヤの組で、神殿奉仕順番は第8組であった。(ルカ1 5) 「奉仕の順番は、種なしパンの祭りの後に開始された。荒野での会見の幕屋は、第1月の第1日目に建て上げられた(出エジプト記40 17)とあるが、種なしパンの祭りとは過越祭のことであり、これは第1月(ニサンの月)の21日まで続く。したがって神殿奉仕の第1組は22日から、つまり第4週から始まることになる。 祭司は、アルファベット順に24の組に別れ、神殿の様々な仕事を、順番に受け持っていた。神殿の仕事は年に2回、1週間ずつまわってきた。アビヤの組は第8組であるから、その奉仕週は第11週(シバンの月の第12-18日)と第35週である(キシュレーヴの月の第3-9日)。 したがってエリザベトが受胎したのは第12週(シバンの月の第19-25日、グレゴリオ暦の5-6月頃)か第36週(キシュレーヴの月の第10-16日、グレゴリオ暦の11-12月頃)である。その38週後が出産にあたるはずなので、これはグレゴリオ暦での2-3月頃か8-9月頃になる。 マリアが身ごもったのはエリザベトが6ヶ月目だったころなので、グレゴリオ暦の11-12月か5-6月頃である。そのさらに38週後が出産にあたるはずなので、グレゴリオ暦の8-9月か2-3月頃である。 以上のことから、イエスの誕生月はグレゴリオ暦の8-9月頃で、洗礼者ヨハネの誕生月は半年早い2-3月頃と言える。 ヨハネ福音書による推察(仮庵祭、9月頃) 「仮庵(σκηνη)」の動詞形「仮に宿る(σκηνω)」は、ヨハネ福音書においてイエスの受肉を表す言葉として使用されている。 ヨハネ1 14 また、ロゴスは肉体となり、わたしたちの間に仮に宿られた(εσκηνωσεν)。 このことはイエスが生まれたのが仮庵祭の時期であることを意味しているとの説がある。仮庵祭は9月頃に祝われるため、ルカ福音書で求められた8-9月頃という結果と矛盾しない。 ベツレヘムの星にまつわる天文現象による計算 木星と土星の3連会合(前7年9月15日、D・ヒューズの説) 1993年9月15日にイギリスの天文学者D・ヒューズが発表した説である。聖書に現れるベツレヘムの星を、紀元前7年の木星と土星の3連会合と同定し、かつ仮庵の祭りの時期を考慮すると、紀元前7年9月15日になるとされた。 木星と土星と火星の3重合による超新星(前6年2月頃、ケプラーの説) ケプラーは、紀元前7年の木星と土星の3連続の合に続く紀元前6年の木星と土星と火星の三重合を想定し、この影響で表れた超新星がベツレヘムの星だと考えた。(なお、現在の天文学ではこの説は完全に否定されている) 紀元前2年の木星と金星の合(前2年6月17日) ベツレヘム星とは紀元前2年6月17日の木星と金星が重なり明るく見えた現象であり、キリストの生まれは紀元前2年6月17日だという説がある。 紀元前5年と前4年の星 後漢書によれば紀元前5年の3月に、高麗の三国史記によれば紀元前4年の3月31日に、それぞれやぎ座の方角に天体が現れたと記述されている。両者の現象には1年の間隔が見られるものの、時期的には近く、方角も非常に近いので同一の現象ではないかと考えられている。 紀元前12年のハレー彗星説 紀元前12年に現れたハレー彗星がベツレヘムの星とするものである。たとえば14世紀初頭の画家ジョットは、1301年のハレー彗星接近を見て、これをベツレヘムの星とみなして絵画を書いている。 しかし、当時彗星は災いの象徴だった。しかも年代に大きくずれがあり、これをベツレヘムの星と同定するのは難しいものがある。 http //www.nunochu.com/bible/faq/z_koyomi.html http //www.path.ne.jp/~millnm/birthx.html http //www.millnm.net/cgi-bin/page.cgi?url=../qanda/yob.htm http //d.hatena.ne.jp/hp2/20161224/1482571540 http //meigata-bokushinoshosai.info/index.php?%E4%BB%AE%E5%BA%B5%E3%81%AE%E7%A5%AD%E3%82%8A%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E9%A0%90%E8%A8%80%E7%9A%84%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%83%BB%E5%BE%8C%E7%AF%87
https://w.atwiki.jp/kagemiya/pages/31.html
【元ネタ】史実 【CLASS】アヴェンジャー 【マスター】 【真名】ナザレのイエス 【性別】男性 【身長・体重】175cm・55kg 【属性】混沌・中庸 【ステータス】筋力:E 耐久:E 敏捷:E 魔力:E 幸運:E 宝具:EX 【固有スキル】 神性:- 人間としての側面である「ナザレのイエス」として現界している上、死の間際に神を呪った事もあり完全に無効となっている。 「奇跡」「啓示」「殉教者の魂」「神の加護」「信仰の加護」と言った「イエス・キリスト」として現界した際に持ち得るスキルも同様に全て無効となっている。 カリスマ:D 生前にそれなりの人望、および扇動者としての資質があったため、劣化しているもののそれ相応のカリスマを持つ。 説教:C 例えを用いて教えを説くことで、他者を自身の味方とする。 状況に応じて、同ランクの「話術」に相当。 道具作成:E- 生前は大工であったことから、手先は器用。 大工道具と木材を用いて魔力を帯びない簡単な道具が作成可能。 対英雄:C+++ 英雄を相手にした際、そのパラメータをダウンさせる。 キリスト教と無縁、及び縁の浅い英霊に対しての効果は並だが、逆にそれらゆかりの英霊であれば効果は倍増する。 特に(キリスト教の)「聖人」「聖職者」「殉教者」の属性を持つ者であれば、それに由来するスキルや宝具までもランクを問わず無効化できる。 【宝具】 『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか(エリ・エリ・レマ・サバクタニ)』 ランク:EX 種別:対界宝具 レンジ:1~999 最大捕捉:20億人 彼の願いと、彼が最期に放った叫びが宝具として具現化したもの。自身の周囲に神への呪いを込めた「泥」を召喚する。 この「泥」は自分を見捨てた「神」及び、彼の教えを捻じ曲げた弟子と、それを有難がっている世界中の信徒に対する彼の怒りの具象であり、その性能や威力は現界時の信徒数によって強化される。 現在キリスト教の信徒数は世界人口の約三分の一を占めており、結果この宝具は冬木の聖杯にて顕現した「この世全ての悪」に近しい機能を有する。 具体的に言えば、人間及びサーヴァントを初めとした人間霊に対する強力な呪いであり、接触した対象へ大なり小なり何らかの悪影響を及ぼす。 「対英雄」のスキル同様、キリスト教に縁のある者ならば特に効果が高く、触れた瞬間に人間・サーヴァントを問わず即死は免れない。 逆にそれらと縁の薄い者や無神論者、キリスト教を弾圧もしくは反抗した逸話を持つ者には効果が薄い(それでも黒化を初めとした何らかの影響は受ける)。 【解説】 約2000年前にイスラエルに降誕したキリスト教の教祖。 精霊によって身籠った処女マリアの胎から誕生した……とされている。 30歳でバプテスマのヨハネから洗礼を受け、荒野で40日の断食をし悪魔の誘惑を退けた。 その後ガリラヤ地方にて宣教活動を行い、数々の奇跡を起こして人々を救ったとされる。 しかし、既存の宗教を批判したことなどでサドカイ派やパリサイ派などのユダヤ教支配層と対立し、彼らの讒言によって捕縛され、ゴルゴタの丘にて磔刑で処刑された。 ……彼自身は本来ならば歴史の片隅に葬られるはずだった一人の「神に見捨てられ失敗した改革者」であるが、弟子とその後継者の「活動」により世界でも屈指の規模を誇る宗教の「教祖」となってしまった。 そんなものを望んだ事は一度もないが、信仰に破れ死んだ後となってはどうでもいい事……とはならなかった。 救世主としての「望まれた在り方」が、かつて存在したはずの「本来の自分」を徐々に蝕み始めたからである。 キリスト教の勢力が拡大するにつれてその影響は甚大となり、二千年が経った頃には自分がどんな人間だったか思い出せない危険性まで発生してきた。 生前の行いに後悔がなかったといえば嘘になるが、それらを「自分の人間性」諸共完全否定されることには流石に危機感を覚えたのである。 死後も神と時の権力者に自分を捻じ曲げられて利用されるのは流石に我慢できず、それらを食い止めるために聖杯戦争への参加を望んだ。 聖杯にかける望みは「自身と、教えを捻じ曲げて広めた十二使徒(バカ弟子)の痕跡を歴史から抹消すること」。 史実の「ナザレのイエス」をサーヴァント化 似たような発想のが前にあったらごめんね 長々と語ってみたものの、基本的にはバカ弟子とそいつらが作った新興宗教を有難がってる奴が嫌いなだけの気のいい兄ちゃん 伝わってるほど凄い人物じゃないけど、かと言ってクラスから連想されるほどの危険性もない「普通の人」 +セリフ集 召喚時 「サーヴァントアヴェンジャー、真名イエス、お呼びいただいてまっこと光栄なり! ……何、セイヴァーやルーラーじゃないのかって? ハハハ、ナイスジョーク!」 戦闘開始時 「さあ、アルマゲドンの始まりだぁ!」 宝具使用時 「さあ行け泥よ! あの忌まわしい敵をドロドロのグチョグチョにしてしまえ!」 「ハハハ、喰らえ! 呪え! 飲み込め!」 令呪使用時 「みなぎって来たぜええええええ!!!!」 台詞 「私はそんな大それたサーヴァントじゃないさ。何処にでもいる、心持ちジョニー・デップに似てるだけのおっさんだよ」 「今更私に神に祈れと? 笑えん冗談だな」 ベルナデット&イエス 最終決戦 イエス「あのバカ弟子共が振りまいたよう分からん宗教のせいで、一体どれだけの者が犠牲になった!? お前もあの下らん教えを熱心に信じている時点で同罪だ!」 ベル「それは真実でしょう。ですが貴方が望んだ物でなかったとしても、貴方の教えは私を含め多くの者を救った。それもまた真実です」 イエス「ふざけるな! ならば私自身は誰が救ってくれる!?」 ベル「私も貴方も、程度の差はあれ押し付けられた者同士。――お気持ちは、深く存じ上げます」 イエス「ハッ、お偉いことだ。おまえ自身や私の願いなど、世界の為ならお構いなしと言うわけか」 ベル「そこまで言う気はありません。――ですが、主よ。思い出していただきたいのです。貴方がかつて、バプテスマのヨハネによって洗礼を受けた時に、その胸に抱いていた志を」 イエス「私の志!? そんなもの、――――っ!?」 ――ああ、ああ、そうだ。そうだった。何でこんな大切な事を忘れてしまっていたのだ。 ――――多くの人を、救いたかった。それが、私の――――――
https://w.atwiki.jp/trinity_kristo/pages/743.html
ここでは聖書の登場人物であり、キリスト教の開祖であるイエス・キリストについて簡潔に述べる。神学上の「神の子」イエスに関する議論はキリスト論を参照。 名前 イエス イエス・キリストとよく称されるが、名前はイエスであり、キリストとは救世主を意味するギリシャ語である。 イエスの名は、アラム語で "ישוע (Yeshua, イェーシューア)" であり、ヘブライ語ではヨシュア "יְהוֹשֻׁעַ (Yehoshua, イェホーシューア)" に等しい。「ヤハウェの救い」「ヤハウェは救い」「救う者」を意味し、ヨシュア記で活躍するヌンの子ヨシュアと同じ名前である。 イエスや "Jesus" という名は、ギリシャ語名であるイエスス "Ίησοῦς (Iēsūs イエースース、古典ギリシア語再建音)" に由来する慣用名である。 キリスト キリストとは、古典ギリシア語「クリストス(Χριστός, Khristos)」の慣用的日本語表記である。「クリストス」は「膏(油)を注がれた者」を意味するヘブライ語「メシア(מָׁשִיַח, Māšîªḥ マーシアハ)」の訳語であり、旧約聖書中の預言者たちが登場を預言した救世主を意味する。 出自 イエスの出自は、マタイ福音書、ルカ福音書にそれぞれ独自に掲載されたイエスの系図があるが、それぞれ矛盾を抱えている。両者の共通点は、イエスがダビデの子孫であり、シャルティエルとゼルバベル親子をその先祖に持つということである。 マタイ福音書、ルカ福音書、さらにヨハネ福音書によれば、イエスの父(養父)ヨセフは古代イスラエルの王ダビデの末裔とされるが、メシアはダビデの家系に生まれるという伝承があったためと考えられる。家系図に矛盾があることからも、実際にヨセフがダビデ王の末裔かどうかは定かでない。 イエスの生涯 福音書はイエスの言行録であり、イエスの生涯か書かれている。 高等批評では、共観福音書であるマルコ福音書、マタイ福音書、ルカ福音書は比較的史実に基づいていると考えられている。 イエスの誕生 イエスの誕生については、『福音書』の記述に違いがある。 母マリアの処女懐胎は、マタイ福音書とルカ福音書に記されているが、マルコ福音書とヨハネ福音書には記述がない。 イエスの生誕の地については、マタイ福音書とルカ福音書によればイエスはベツレヘムで誕生したことになっている。これはイスラエルの救済者メシアはダビデの町であるベツレヘムで生まれるという伝承がユダヤ教にあったためと考えられており、実際にベツレヘムに生まれたかどうかは定かでない。 イエスの幼少時代 イエスの幼年期や少年期については不明な点が多いが、ルカ福音書にはイエスが12歳の時、すでに旧約聖書を理解していたという旨の記述が見られる。 洗礼 洗礼者ヨハネより洗礼を受けたイエスは、ガリラヤへ戻り宗教活動を開始する。 公生涯 福音書の記述の主な対象は、宗教活動を始めた時期のイエスである。その中で彼は、様々な教えを説き、奇蹟を起こした結果、弟子の集団が構成されたことになっている。福音書にはイエスがさまざまな病人の治療を行い、重い皮膚病患者を癒し、死者をよみがえらせたなど、多数の奇蹟が記されている。 イエスは宣教の際に、比喩(たとえ話)を多く用いた。 イエスには多くの弟子ができ、福音書はペトロを筆頭とする十二使徒をその代表としている。十二使徒はすべて男性だが、女性であるマグダラのマリアが筆頭の弟子だったという有力な説がある。 イエスの死 イエスは、伝統的なユダヤ教の一派であるファリサイ派のあり方、形ばかりで内容のともなわない見せかけの善行を痛烈に批判し神殿から商人を追い出すなど様々な批判を行った。このことは神殿貴族であるサドカイ派に対する大きな脅威であったため、イエスは「神の子」「ユダヤ人の王」と名乗ったことにより、政治犯としておもにサドカイ派の人間によってローマ帝国に訴えられ、エルサレムのそばのゴルゴタの丘で、ローマ帝国の法に従って十字架刑に処された。 イエスは岩窟式の墓に葬られた。 イエスの復活と昇天 それから3日目の朝、イエスの弟子たちが墓を訪ねると、墓を閉じていた岩が取り除かれ、イエスの遺体が無くなっていることに気づいた。それから、復活したイエスは弟子たちの前に姿を現した。40日後、昇天していったという。 イエスの昇天後 弟子たちは各々、宣教の為に世界中に散らばっていった。 この経緯を詳しく説明したものが使徒言行録である。
https://w.atwiki.jp/trinity_kristo/pages/277.html
マルコ福音書では、ベルゼブル論争の後の出来事である。このときイエスの家族でさえイエスを信用していなかった。イエスを信用しない母や兄弟よりも、神の意向に沿う民衆の方が兄弟であると答えたのである。(マルコ3 31-35) イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」 マタイ福音書では、そもそもイエスは偉大な人として怖れられている文脈でベルゼブル論争がされており、その後に、しるしを求めることについての説教が挟まれており、その後の出来事である。よってマルコ福音書とは意味合いが異なる。(マタイ12 46-50) イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた。そこで、ある人がイエスに、「御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」 ルカ福音書では、ゼルセブル論争とは全く関係なく、イエスが民衆に説教をしているときの話となっているため、やはりマルコ福音書とは意味が全く違う。(ルカ8 19-21) さて、イエスのところに母と兄弟たちが来たが、群衆のために近づくことができなかった。そこでイエスに、「母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立っておられます」との知らせがあった。するとイエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」とお答えになった。 トマス福音書にも並列個所が存在する。(トマス99) 弟子たちがイエスに言った。「あなたの兄弟がたとあなたの母上が外に立っています」。彼(イエス)が彼らに言った。「私の父の御旨を行なう、ここにいる者たちこそ、私の兄弟、私の母なのである。彼らが私の父の国に入るであろう。」
https://w.atwiki.jp/seisenkouryaku/pages/483.html
[部分編集] 近接 クワイエットダガー Uノーマル 恨みはありません。これは仕事です。 なるほど……私の雇い主はこの遺跡の秘密を知って、それを詮索する輩を排除しようとしたのですね。貴方達も調査に派遣されたそうですね? では、私も暗殺者として、仕事をさせてもらいます……。 (現在は入手不可) 性別 必要統率力 価値(マーニ) 特殊能力 特殊能力MAX 女性 6 0 - - 初期能力 MAX時能力 LvUP時の増加量 HP AT DF 総パラ Lv. HP AT DF 総パラ HP AT DF 350 1410 570 2330 35 0 0 0 0 +?? +?? +?? 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/trinity_kristo/pages/153.html
たとえを用いて話す理由 イエスは自らがたとえを用いて話す理由を、イザヤ書が語るように、人々が理解できないように話しているからだと説明した。しかしながら、イエスのたとえはシンプルでありながら、印象深く忘れ難いイメージとメッセージ性を持っており、単純でありながら、その主要な教えとなっている。 マルコ4 10-12 イエスがひとりになられたとき、十二人と、イエスの周りにいた人たちとが、たとえについて尋ねた。そこで、イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられているが、外の人々には、すべてがたとえで示される。それは、 『彼らが見るには見るが、認めず、 聞くには聞くが、理解できず、 こうして、立ち帰って赦されることがない』 ようになるためである。」 マタイ13 10-17 弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。イザヤの預言は、彼らによって実現した。 『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、 見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍り、 耳は遠くなり、 目は閉じてしまった。 こうして、彼らは目で見ることなく、 耳で聞くことなく、 心で理解せず、悔い改めない。 わたしは彼らをいやさない。』 しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」 ルカ8 9-10 弟子たちは、このたとえはどんな意味かと尋ねた。イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、 『彼らが見ても見えず、 聞いても理解できない』 ようになるためである。」 これは、神が預言者イザヤに対し、神により遣わされる者(つまりイエス・キリスト)の言葉は民には理解できないように伝えられると伝えていたからである。(イザヤ書6 8-11) そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」 主は言われた。 「行け、この民に言うがよい よく聞け、しかし理解するな よく見よ、しかし悟るな、と。 この民の心をかたくなにし 耳を鈍く、目を暗くせよ。 目で見ることなく、耳で聞くことなく その心で理解することなく 悔い改めていやされることのないために。」 わたしは言った。「主よ、いつまででしょうか。」 主は答えられた。 「町々が崩れ去って、住む者もなく 家々には人影もなく 大地が荒廃して崩れ去るときまで。」 たとえ話一覧 マルコの福音書に収録 新しいワインと古い革袋 (マルコ2 21-22)(マタイ9 14-17)(ルカ5 33-39) 内輪揉め (マルコ3 23-26)(マタイ12 25-28) 強い人 (マルコ3 27)(マタイ12 29)(ルカ11 21)(トマス35) 種を蒔く人 (マルコ4 1-20)(マタイ13 1-23)(ルカ8 1-15)(トマス9)(クレメンスの手紙一24 5) ランプ (マルコ4 21-25)(マタイ5 14-15)(ルカ8 16-18) 種の成長 (マルコ4 26-29)(トマス21) からし種 (マルコ4 30-32)(マタイ13 31-32)(ルカ13 18-19)(トマス20) パン種への警告 (マルコ8 13-21)(マタイ16 5-12)(ルカ12 1) 邪悪な農夫 (マルコ12 1-12)(マタイ21 33-46)(ルカ20 9-19)(トマス65) 芽吹いたいちじくの木 (マルコ13 28-31)(マタイ24 32-35)(ルカ21 29-33) 忠実なしもべ (マルコ13 32-37)(マタイ24 36-51)(ルカ12 35-48)(トマス103)(ディダケー16 1a) 上記以外で、マタイとルカの両福音書に収録(Q資料由来) 木と実 (マタイ7 15-20)(ルカ6 43-45) 賢い人と愚かな人 (マタイ7 24-27)(ルカ6 46-49) 荒れ野 (マタイ11 7-9)(ルカ7 24-26) パン種 (マタイ13 33)(ルカ13 20-21)(トマス96) 失われた羊 (マタイ18 12-14)(ルカ15 3-7)(トマス107)(真理の福音31-32) 結婚式の宴 (マタイ22 1-14)(ルカ14 15-24)(トマス64) タラントやミナ (マタイ25 14-30)(ルカ19 12-27)(ナザレ人福音書18) マタイの福音書のみに収録 狭い門 (マタイ7 13-14) 毒麦 (マタイ13 24-30)(トマス57) 隠された宝 (マタイ13 44)(トマス109) 真珠 (マタイ13 45-46)(トマス76) 地引網 (マタイ13 47-50)(トマス8) 一家の主人 (マタイ13 51-52) 盲人 (マタイ15 13-14) 許されないしもべ (マタイ18 21-35) ブドウ園の労働者 (マタイ20 1-16) 2人の息子 (マタイ21 28-32) 10人の乙女 (マタイ25 1-13) 羊と山羊 (マタイ25 31-46) ルカの福音書のみに収録 2つの借金 (ルカ7 36-50) 良きサマリア人 (ルカ10 25-37) 夜の友 (ルカ11 5-11)(※マタイ7 7-12)(※トマス2) 愚かな金持ち (ルカ12 13-21)(トマス63) 実のならないいちじくの木 (ルカ13 6-9) 費用の計算 (ルカ14 25-33) 失われたコイン (ルカ15 8-10) 放蕩息子 (ルカ15 11-32) 不正な使用人 (ルカ16 1-13) 金持ちとラザロ (ルカ16 19-31) 主人としもべ (ルカ17 7-10) 不正の裁き (ルカ18 1-8) ファリサイ人 (ルカ18 9-14) ヨハネの福音書のみに収録 良い牧者 (ヨハネ10 1-21) ぶどう (ヨハネ15 1-17) 正典にないもの 暗殺 (トマス98) 空の壺 (トマス97) https //ja.wikipedia.org/wiki/イエス・キリストのたとえ話
https://w.atwiki.jp/mahjlocal/pages/1924.html
読み イエスのじゅうにしと 正式名称 別名 和了り飜 役満(門前のみ) 牌例 解説 捨て牌と手牌を合わせ、計12対子が出来たらその場で宣言し成立。 成分分析 イエスの十二使徒の66%は鍛錬で出来ています。イエスの十二使徒の32%は元気玉で出来ています。イエスの十二使徒の1%は白い何かで出来ています。イエスの十二使徒の1%は鉄の意志で出来ています。 下位役 上位役 複合の制限 採用状況
https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/41150.html
【検索用 れくいえす 登録タグ VOCALOID rukaku れ アルセチカ 初音ミク 曲 曲ら】 + 目次 目次 曲紹介 歌詞 コメント 作詞:rukaku 作曲:rukaku 編曲:rukaku 唄:初音ミク 曲紹介 曲名:『レクイエス』 イラスト・動画はアルセチカ氏が手掛ける。 歌詞 突き落としちゃったけど 良かったよね? 滔々と流れる今を浪費して 白熱灯の下で朝を待つ いつかどうにかなるとか思っちゃって 気まぐれな猫も笑う もう明日は要らないや 勘違いが結んだ絆だけが 何故だか僕を挟んでる 沈まぬ様に 「さよなら」だけが 心の隙を埋める様に 今更残り物吸い取る様に 賢しく飾る欺瞞など吐き捨てろ 今凄惨に膿んで行く この僕のアイデンティティ 十数年睨んだ鏡すら割れないで 怪我もせず笑ってるだけ 路傍の石の方がまだマシだなって もうなんなら 咎めて 蹴って 哀笑の餌壷へ 今 突き落としちゃったけど 良かったよね? 滔々と駄文重ねるだけの人生だ やけに溜飲も飲み込めてる いつか壊れるものだと知っている 気休めの逃避行 逸脱へと僕を駆ってゆく 縋る事しか出来ない嘘も 今を甘受し果てる 幾星霜の期待を託す エゴイズム 今醜く歪んでいく その仮面越しのフィロソフィー 退廃的な感傷に浸る暇もなく ひどく疲れた目をしてる 林檎の果芯の様な夢を ゴミ箱へとポイして蹴って水底で死ぬのを 待つんだと 諦めた笑顔が 脳裏に焼き付き 僕を振り返らせる 彼の人はもう居ない 今醜く歪んでいく その仮面越しのフィロソフィー ひどく疲れた目をしてる 林檎の果芯の様な夢は 形を失ってくんだ 今凄惨に膿んで行く この僕のアイデンティティ 十数年睨んだ鏡すら割れないで 怪我もせず笑ってるだけ 路傍の石の方がまだマシだなって もうなんなら 咎めて 蹴って 哀笑の餌壷へ 今 突き落としちゃったけど 良かったよね? だけど好いていく 滔々と流れる今を生きている コメント 名前 コメント