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判決破棄 リンカーン弁護士 題名:判決破棄 リンカーン弁護士 上/下 原題:The Reversal (2010) 作者:マイクル・コナリー Michaeel Connelly 訳者:古沢嘉通 発行:講談社文庫 2014.11.14 初版 価格:各\830 リンカーン弁護士も第三作目。一作目が時を経ず映画化されたことで、ミッキー・ハラーについては、売れっ子男優マシュー・マコノヒーの顔がイメージされるようになってしまった。ちなみに、ハリー・ボッシュの方は今春ようやくドラマ化が決定とのことで、映画には一本もなっていないのが不思議であるが、ぼくはボッシュの顔は最初からマイケル・ダグラスでイメージしている。ボッシュ第一作『ナイトホークス』の刊行が1992年だったから、おそらく1989年の映画『ブラック・レイン』あたりの印象がぼくの中でマッチしたのである。 それにしてもリーガル・サスペンスは大変だというコナリーの一作目でのあとがきが嘘のように、次々とハラーものも、そしてこれまでで一番法廷シーンに主眼を置いた作品として本作を上梓しているのを見ると、やはりコナリーの努力プラス天性の才能に感嘆せざるを得ない。本書も間違いなく(もはや当たり前のことであるが)傑作である。 法廷をハラーが請負い、法定外の追跡や活劇はボッシュが請け負う本書の形は、前作でハラーとボッシュが腹違いの兄弟であることが判明してからのスタンダードになりそうな予感があるが、ボッシュの登場しない作品もこの後登場するということなので、いい意味で読者を裏切り続けてほしいとの期待が思わずコナリーに向けられる。 本書はハラーとボッシュの章が交代で叙述される。小説としては不自然ではあるが、ハラー部分は「わたし」の一人称で、ボッシュの部分は三人称で語られる。どちらも1/2ずつの描写なので何も副題で「リンカーン弁護士」と謳わなくてもよさそうであるが(原題では特に明記されていない)、法廷シーンが大半を占めるためリーガル・サスペンスとしての価値づけを出版社が明確にしたかったのだろう。 二十年前の判決で受刑中の容疑者が、ある証拠品のDNA検査不一致により判決破棄に至ったため、検察側が刑事弁護士のハラーに白羽の矢を立て再審に持ち込むというストーリーなのだが、検察側に初めて立つハラーと前妻のマギー(そもそも検察側)の共同戦線が読みどころ。弁護士と検事との川を渡って法廷に立つハラーが、かつて別れたマギーの立場にも立ってともに戦うというところに面白さがあるのだ。 なおハラーが調査官としてボッシュを指名したことにより、再捜査を行うボッシュの、狼のような捜査姿勢も改めて魅力あるものとして語られる。法廷の内と外で進められる物語は、誰もが思いも寄らぬ結末へ向けて波乱のうちに収束してゆくのだが……。 原題のReversalとは法律用語では「判決破棄」と訳されるらしいが、「逆転」「反転」などの意味もある。弁護側であるハラーが、本書に限っては、検察側のテーブルにつき、被告人を無罪にしようと努めるのではなく、原告側に立って有罪を立証してゆくのである。 またラストの二転三転する大逆転ストーリーもいつもながら天晴れ。こちらもReversalじゃないのかと疑ったが、考えてみれば逆転は毎作のことなので特に関連はなさそうだ。 (2015.01.22)
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スポンサー遍歴(秋期) リンカーン TBSテレビ系 (火)22 00~22 54 対象日10月27日 11月10日 11月17日 11月24日 12月1日 12月8日 対象日 10月27日 90秒 - ユニリーバ 30秒 - モビット、グリコ乳業、コカ・コーラ、新生フィナンシャル(レイク)、アイア株式会社、ロート製薬、JA共済、任天堂、三洋物産 11月10日 90秒 - ユニリーバ 30秒 - グリコ乳業、コカ・コーラ、新生フィナンシャル(レイク)、アイア株式会社、ロート製薬、新日本石油、任天堂、三洋物産、モビット 11月17日 90秒 - ユニリーバ 30秒 - コカ・コーラ、新生フィナンシャル(レイク)、アイア株式会社、ロート製薬、新日本石油、任天堂、三洋物産、モビット、グリコ乳業 11月24日 90秒 - ユニリーバ 30秒 - 新生フィナンシャル(レイク)、アイア株式会社、ロート製薬、新日本石油、任天堂、三洋物産、モビット、グリコ乳業、コカ・コーラ 12月1日 90秒 - ユニリーバ 30秒 - ロート製薬、新日本石油、任天堂、三洋物産、モビット、グリコ乳業、コカ・コーラ、新生フィナンシャル(レイク)、(PT)ソニーマーケティング 12月8日 90秒 - ユニリーバ 30秒 - ロート製薬、新日本石油、任天堂、三洋物産、モビット、グリコ乳業、コカ・コーラ、新生フィナンシャル(レイク)、ロート製薬、セガ
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スポンサー遍歴(夏期) リンカーン TBSテレビ系列(火)21 00~21 54 対象日7月6日 7月20日 7月27日 8月3日 8月10日 8月17日 8月24日 8月31日 9月7日 除外日拡大放送 対象日 7月6日 60秒 - ユニリーバ 30秒 - レイク、ロート製薬、KDDI、三洋物産、グリコ乳業、森永製菓(ウイダーinゼリー)、アコム、コカ・コーラ、任天堂、トライグループ 7月20日 60秒 - ユニリーバ 30秒 - SCE、三洋物産、グリコ乳業、森永製菓(ウイダーinゼリー)、アコム、コカ・コーラ、任天堂、レイク、ロート製薬、(PT)ACジャパン 7月27日 60秒 - ユニリーバ 30秒 - 三洋物産、グリコ乳業、森永製菓(ウイダーinゼリー)、アコム、コカ・コーラ、任天堂、レイク、ロート製薬、SCE、(PT)アサヒビール 8月3日 60秒 - ユニリーバ 30秒 - グリコ乳業、森永製菓(ウイダーinゼリー)、アコム、コカ・コーラ、任天堂、Fiat Group Automobiles Japan、レイク、ロート製薬、JCB、三洋物産 8月10日 60秒 - ユニリーバ 30秒 - 森永製菓(ウイダーinゼリー)、アコム、コカ・コーラ、任天堂、レイク、ロート製薬、「特攻野郎Aチーム THE MOVIE」、三洋物産、グリコ乳業、(PT)アサヒビール 8月17日 60秒 - ユニリーバ 30秒 - アコム、コカ・コーラ、任天堂、Fiat Group Automobiles Japan、レイク、ロート製薬、「特攻野郎Aチーム THE MOVIE」、三洋物産、グリコ乳業、森永製菓(ウイダーinゼリー) 8月24日 1 30" - ユニリーバ 30秒 - コカ・コーラ、任天堂、レイク、ロート製薬、サントリー、三洋物産、グリコ乳業、森永製菓(ウイダーinゼリー)、アコム 8月31日 1 30" - ユニリーバ 30秒 - レイク、任天堂、ロート製薬、三洋物産、グリコ乳業、コカ・コーラ、森永製菓、サントリー、アコム 9月7日 60秒 - ユニリーバ 30秒 - DHC、レイク、ロート製薬、SCE、三洋物産、グリコ乳業、森永製菓、アコム、コカ・コーラ、任天堂 除外日 拡大放送 7月13日 = 2HSP(21 00~22 48)
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潔白の法則 リンカーン弁護士 題名:潔白の法則 リンカーン弁護士 上/下 原題:The Low Of Innocence (2020) 著者:マイケル・コナリー Michael Connelly 訳者:古沢嘉通 発行:講談社文庫 2022.7.15 初版 価格:各¥900 法廷で有罪かそうでないかは証明されるけれども、無罪であることの証明はされない。有罪ではない無罪(=潔白)を証明することに法廷では使われない。タイトルの意味はそういうことだそうである。 本書はおそらくリンカーン弁護士のシリーズ中ベストの作品となるだろう。ベストでなくても最も印象深い作品であることは間違いない。Most Impressive Work! ぼくは昼間にこの作品を読み、夜にはNetflixで日本語字幕版ドラマ『リンカーン弁護士』のシーズン1(原作では『真鍮の評決』に当たる)を観ていた。この前にはAmazon Primeで『ボッシュ 受け継がれるもの』を観ていたから、コナリー漬けの幸せに浴していたことになる。どちらもコナリー自身が製作に関わっていることもドラマのテロップから確認できる。 いずれにせよ困ったことにぼくの中ではずっとリンカーン弁護士のミッキー・ハラーを演じるのは、これまでずっとマシュー・マコノヒーだったので、今回のドラマ・シリーズでマヌエル・ガルシア=ルルフォとかなりイメージが変化したことに最初は混乱した。しかしドラマも観続けると不思議なことに、後者の俳優の顔がイメージとなりそのまま現在の小説作品にもその顔でイメージされるようになってしまった。申し訳ないけれども、マコノヒーよ、さようなら。 さて本書『潔白の法則』の凄さである。運転中のミッキー・ハラーがパトロール警官に突然停止を命じられ、ナンバープレートが付いていないことを指摘される。ミッキーが不思議がっているうちにトランクから血が滴り始める。ホールドアップを命じられるミッキーの車からはごろりと死体が。 次のシーンは数か月後、既に収監され容疑者となり何か月か経過したミッキーの境遇。彼の裁判がスタートする。いよいよ本書の主要ストーリーが展開されるのだ。 ミッキーの弁護士は彼自身。容疑者である自分を弁護する。怪しさといかがわしさに満ち溢れる検察側チームに対し、こちらは並み居る仲間(過去妻たち、調査員シスコ、さらに腹違いの兄弟であるボッシュ)たちがミッキーのサイドに加わり、心強い限り。 しかしこの裁判を逆転に持ち込み、真実の究明を完遂するのは相当に難しい。無実であることがわかっている主人公の一人称文体で進む法廷劇。その裏側の駆け引き。何が真実なのかは、最初はとても遠く感じられる。しかしチームの必死の活躍により、徐々に真実が手繰り寄せられる感覚は、本書を読書することにより得られる最大の醍醐味である。 シリーズ最大のピンチだからこそ、得られるミッキーと彼の仲間たち、個人的な女性関係、娘との親子関係等々、プライベートな変化も含めて楽しめるファミリー・ゲームでもある。そして巨悪との命がけのやりとりである。中でも休廷期間に収監を余儀なくされるミッキーに迫る拘置所内の恐怖などは、なかなかシリーズでも味わえない感覚である。 手に汗握る展開といつもながらの法廷逆転ドラマとが融合する近年稀に見る傑作である。コナリーはどのシリーズもハイレベルを維持して疾走する作家だ。つくづくそう感じる。驚愕と尊敬の念を込め、この作家を一作残らず今後も追い続けようと思う。 (2022.08.03)
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リンカーン芸人大運動会(2014~2019)
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対艦巨砲(バスターショット) リンカーン P 火文明 (6) クリーチャー:アウトレイジ 7000 ■このクリーチャーがバトルゾーンに出た時、相手のパワー12000以上のクリーチャーを1体破壊してもよい。 ■スピードアタッカー ■W・ブレイカー 作者:wha +関連カード/0 カードリスト:wha 評価 名前 コメント
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リンカーン(イレギュラー放送)(2014~2019) レギュラー放送期は「リンカーン」を参照
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CV 立木文彦 Lincoln リンコルンって読むとゆうこりんみたいでかわいいよね CSO1ではちょっと分厚いベストとUSPとかいうクソ貧弱装備だったVIPが進化しました がんばったね 渋いおっさんCTとかいいセンスしてる 通常ボイス一覧 喋るタイミング セリフ内容 クラス選択 戦闘準備完了、指示を待て百戦錬磨の老将の力を見せてやろう 武器選択 この装備なら十分戦えそうだなかなかいい装備だな… ゲーム開始 戦闘を開始しよう久しぶりに力を発揮してやろう ヘッドショット 瀕死リロード 死亡 無線ボイス一覧 無線内容 セリフ内容
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目次 1.世界人民へのメッセージ 2.人民が人民の国を創るのである 3.人間は価値を求めて行動する動物 4.デモクラシーの問題点と、賢人政治の欠陥について 5.望ましいのは哲人による「徳政」 6.アメリカに精神医学が発達し、一大宗教改革が起きる 7.悲しいことながらアメリカは戦争を起こす、正義のために 8.神は、アメリカの方を愛している 9.国が強くなければ、人民の自由と幸福はないという論理について 10.共産主義的計画経済理論は誤り 11.衆愚政治と言われても今は独裁暗黒政治よりはまし (1985年11月3日の霊示) 1.世界人民へのメッセージ ―― アブラハム・リンカーン大統領の招霊を行なう。―― 善川 リソカーン大統領ですか――。 リンカーン ――イエス。以下英語による自己紹介が続く――。 善川 私は英語の方は十分解しませんので、日本語でお願いしたいと思いますが、よろしいですか。 リンカーン ――ニホンゴハトテモムズカシイガ、スグニハトテモカタレマセンガ、10プンカ、20プンカスルト、ハナセルヨウニ、ナルトオモイマス。 善川 大統領は、アメリカ全土はもとより、全世界の人類の崇敬の的となっておられるお方でありまして、その意味においてアメリカ国民ばかりではなく、全人類に対するメッセージと申しましょうか、何かご教訓を賜わりたいとお招き申し上げたのですが、何かお話願えましょうか。 リンカーン わたくしのようなものが、どれだけお話できるかわかりませんが、わたくしはおそらく、あなたがたのような宗教家ではありませんために、あなた方からみれば、わたくしもまだ未熟者かも知れません。そのような私が、あなた方に対して高説をとくようなことできるかどうか自信ございませんが、すくなくとも、いま私が何を感じており、何を思っておるかということ、あるいは世界にたいし、政治にたいし、わたくしのやり残したことにたいし、アメリカという国にたいし、アメリカののちのことにたいし、なんらかの意見を述べることはできるかと思います。 善川 そのようなことで結構と思いますから、是非お話願います。 リンカーン まず、何から話していきましょうか。 善川 そうですね。あなた様には失礼ですが、何と申しますか庶民の中から身を起こし、世に出られた方とうけたまわって居りますが、非常な困苦とたたかって努力して、そして大成なさった方だということでございますが、その間には非常にご苦労があられたことだと思いますけれども、遂にあなた様が最終的に勝利を収めることができたということは、これはあなた様の信念とご努力によるものであろうと思いますが、当時のあなたのお仕事の中で、特にご苦心なされたことからお話ねがって、そして今後、あなたの政治理念なり、その精神を、アメリカ国民なり、世界の国の人びとにお示し下されば幸いと思いますが。 リンカーン 私の人生についてはさまざまな伝記が出ていますので、いま私のロから繰り返すことは、できたら避けたいと思います。まず、ではあなた方に何を語りましょうか――おそらく、いまのあなた方にとって大切なことは、人間が社会生活を営んでいく上で、一番大切なものは何か、というようなことではないでしょうか。 この社会の中において、どのように人間として生きていくべきかということを語ることが、あなた方にとって大切かも知れません。私自身は、宗教家ではありませんから、宗数的な話は余りできないと思いますが、そうしたことを語ってみようと思います。 私もはじめて、このようなところへ出てまいりましたので、時折りあなた、私にいろんな方向を教えて下さらなければなりません。 2.人民が人民の国を創るのである リンカーン まず私は思うのですが、人間はなぜ国というものを造るのでしょうか。私はアメリカの大統領として生きて、僅か数年の間だけですが、その間あなたもご存知のような奴隷解放とか、さまざまな演説とかが残ってるわけですけれども、わたしが、ではいつも、どんなことを人生の基礎に置き、考えていたかと――何が人間にとって、何が国にとって大事であるかということ、何を考えたかということ、こんなことを語りますか。 私は当時、1800年代のアメリカにおいてですけれども、思ったのです。国というものは、国があって、その中に人間が居るものではない。人間があって、国というものがあるのです。南軍とか、北軍とかいって争いましたけども、決して国のために争ってはいけないのであって、本来人間は、人間のための国造りをしなければいけない。そう思ったのです。そして人間のための国造りとは一体なんでしょうか。人間のための国造りとは、結局のところ人間による国造りだということです。人間のための国づくりは、人間による国づくりであり、人間による国づくりは、多くの人々による国づくりでなければなりません。 即ち、われわれが、国というものを与えられて、その中に単に生存しているのではなく、国というものは、われわれが積極的につくり出していくもの、国がっくり出していくものであるならば、われわれは国造りのために努力しなければなりません。 では、どのようにして国造りがなされるでありましょうか。建国ということは、ほんの一時期のことです。国造りというものは、一回限りで終わるものでなくて、永遠に続けられねばいけないのです。なぜならば、国の中に生きている人々は、新陳代謝し、古いものは去り、新しいものは生まれて来、そして人は変わっても、国というものは続いていくのですから、これは永遠に、人々が新しい国をその時代、時代に作っていかねばならないということです。どのような国を作っていくか、それは参加しかないと思います。人民の参加しかないと思います。 人民は国造りに日々参加することだと思います。それは人民によって、人民の参加が決められ、その結果、国が出来るというのが、正しいあり方だと思うのです。 それでは、人民によるとは如何なることでしょうか。もちろんすぐれた人民による国造りがなされることは素晴らしいことです。けれども優れた人びととはどういう人びとかということは、必ずしも明らかではないのです。すくなくとも優れた人々によって国造りをしたいという意図の背景には、素晴らしい国をつくったならば、より多くの人達が幸せに生きていくことができるという希(ねが)いがあるのです。それであるならば、優れた少数による政治が、たとえ実現しなかったとしても、できるだけの多くの人達が幸せを享受できるような国であれぱよいではないか。優れた人々による<ガバンメント>というか政治がなされるのが基本であるけれども、それが効率のよいあり方であるけれども、効率を捨ててでもすべての人が参加できるような国であれば、それは素晴らしいものではないか、そういうことを考えたのです。 選ばれた人だけの国、国を動かす政治ではなくて、すべての人々が動かす国であって、政治であってほしい、そう思ったのです。私の奴隷解放運動も一つにはそういう思いがあります。国というものがまずあって、国の政治があり、国の機構があって、その下に人民が居るのであれば、人民はさまざまな統制の下に生きてもやむを得ないかも知れない。けれども政治というものは本来、人民が寄り集まって始めたものであります。そうであるならば、人民のための政冶であります。人民のための政冶であり、人民のための国であるならば、なぜ人民が不幸な統制のままに生きていることが許されるのであろうか、そのようなことが許されていいわけはないのです。ですから、当時の奴隷解放ということも、場合によってはアメリカという国を二つに分けてしまう。国が分裂するような危機の中にあって、私は判断を迫られたわけです。 私の判断の基礎にあったものは、奴隷を解放するかしないか、というようなことによって、国が二つになるか、一つになるかというようなことではなく、国というものは、そもそもないのだ。人民というものが作り上げたものが国であって、国そのものは実体はないのである。そういう発想があったのです。少なくとも住人で居る人達がみな幸せに、最大限の人達が幸せになれるような国でなければ。そうであれば北とか、南とか、国が分かれるとか、分かれないとか、そういったことは問題ではないはずなのです。奴隷ということは一つの象徴であります。必ずしも奴隷だけではありません。アメリカという国には、自由な民主主義の国を造らねばなりません。そこには何の階級もない国、すばらしい国、人びとによって作られた国、こんな国を造りたいと思いました。 あなた方日本でも国創りのために降りた指導霊が居るように、私もまたアメリカという国の国造りのために降りた指導霊の一人なのであります。で、アメリカという国をどのような国にするかということを、一生懸命考えた人間なのです。あなた方は先ほど、日本の国創りのための神々の言葉を聴いておられました。私はいまそれを霊的に見ることができたのですが、アメリカという国は比較的新しい国ですが、これも何百年も、千年も、二千年も経てば、そういう日本の国創りの神々のように、おそらく私のような人間も、そうしたように、アメリカの神々のようなあつかいを、おそらく受けるようになると思います。 3.人間は価値を求めて行動する動物 リンカーン 話は外れましたが、要するに、人民のための国造りが大事であるということです。それでは人民そのものは、一体何のために生きて、どのような目的をもって生きていけばよいのでしょうか。人民がこの世に生きているということは、何らかの価値を求めて生きているということです。人間が人間であるということ、人間が動物でないということ、それはどこに区別があるでしょうか。人間と動物を区別するもの。それは一つです。人間は価値を求めて行動する動物だということです。普通の動物は価値を求めません。生存を求めるだけです。人間は価値です。何らかの価値、言葉を換えて言うならば、何でしょうか、意義と申しますか、人生の意義、人生の価値、値打ち、何らかのサムシング(Something)を生み出すことが大切なわけです。何かを、サムシング(価値あるもの)を生み出す、人間として生きている何十年間の人生において、゛サムシング゛を生み出していること、これが人間に課せられた使命ではないでしょうか。このサムシングは、人によって違います。けれども、すくなくとも人間は社会的動物である以上、社会的な行為の中において、政治的な事象の中において、その゛サムシング゛を実現しなければいけないのではないでしょうか。哲学的に、宗教学的に、さまざまな価値を生み出すことも可能です。けれども人間は、社会的生活を強いられている存在であります。そうであるならば、この社会生活の中において、サムシンダを実現する必要があるのです。何か、です。何かを実現する必要があるのです。それは些細なことでもよいのです。で、そのサムシングとは何であるか、私はそれを国造り、ネーション造り、ネーションをビルドする(build a nation)のためにやらねばならぬ、それは一個の人間として、それは社会的存在としての一個の人間としては十分に有意義なことだと思うのです。(To build a nation)国を造るということは、非常に重要なことだと私は思うのです。ですから何らかの意味において、政治の過程に参加するということ、これが人間に与えられた価値実現の一つではないでしょうか。 ではそのような機会を、すべての人に保証する必要があるのではないでしょうか。そのためにさまざまな政治制度を、選挙制度を、デモクラシーというものは生み出して来たのではないでしょうか。 4.デモクラシーの問題点と、賢人政治の欠陥について 善川 お尋ねしてよろしいでしょうか。 リンカーン ハイ、どうぞ。 善川 もっとも、現在は、デモクラシーというものが、世界の大きな思潮となっておりまして、わが国でもこれをとり入れまして政治の理念といたしております。ところが、これもマンネリ化して来ますと、当初の精神なり、目的なりから逸(はず)れて来まして衆愚政治という偏向を来たしておるという批判の声もあがっておるというわけなんですが、このために社会的には、かえって人間を堕落の方向へ追いやっているのではないかということで、その意味において、社会風潮としては、義務を忘れた権利の主張となり、責任を忘れた自由への耽溺となり、一部では社会の秩序を大きく乱してきているのではないかと。これはアメリカにおいても言えるし、また日本においては近年その傾向は顕著なものがあると考えられ、その自由主義というものが過剰意識となってきたのではないかと思われるのですが、如何でしょうか。 リンカーン その問題は永遠に、あなた方、および人類の課題であるのですが、本来ならば、優れた指導者が゛国民(くにたみ)゛を治めるということが大切なことなのです。ただ優れた指導者というものは、歴史をみても分かるとおり、続かないのです。一代限りなのです。これが最大の問題なのです。本来は理想的な指導者がつぎつぎと出て、その時世々々を継いでいくのがいいのですが、残念ながらそれが続かないということなのです。王制のようなもので続けていくと、次第に愚鈍な王が出て来て乱世となり、人々を虐げるようなことが出てくるのです。これを無くするために、すくなくとも最大多数の人が参加する政治であるならば、最大多数の人達が何らかの恩恵に浴することができるような政治体制にしようとし、そうした政治体制は永続していくことが可能であろうということが、考え方の基礎にあるのです。永く持つものがいいのか、そこそこの内容で永く持つものがいいのか、素晴らしい内容で一回きりのものがいいのか、この辺が分かれ道になるわけです。 これは政治だけではなくて、宗教においてもそうです。それぞれ偉大な宗教の始祖たち、教祖たちは、みな素晴らしい教えを説かれましたが、二代、三代、四代になっていくと、だんだん落ちていくわけです。同じです。これを落ちないようにするためにいろんな制度を作って、宗教組織を作って維持していこうとしているのですが、これは空虚(むな)しくも、悪いものへと変わっていき、また何百年か、千年かすると新しい宗教改革家が出て来ては、新たなものを打ち立てるようになるわけです。同じです。ですから方法論です。これは方法論なのですが、永い眼でみて、どういう方法が一番良いかということなのです。 善川 まあいずれにしても、すべての思想にしましても、時代にしましても、有限でありまして、無限に続くということはあり得ないことと思います。有限、それが千年続くものか、或いは百年で終わるか、或いは五百年で終わるか、それは分からないけれども、しかし千年も続きますと、それ自体というよりは、客体世界が新陳代謝しておりますのでこれに順応して行けないのではないですか。「弁証法的発展の法則」というものは、どの領野にも内在する法則ではないでしょうか。だから永く続くということは望ましい状態であるようではありますが、それ自体の、また世界の進化発展という法則の前には、何とも言えないというのが本当ではないでしょうか。デモクラシーという政治体制も、この法則の外に立つということはむずかしいのではないかと思いますが。 リンカーン それは確かに、あなたが言われるような衆愚政治の面もありますし、その危険は西欧社会、日本を含めて西欧社会にも顕著に現われて来ています。優れた指導者達が必ずしも選ばれているわけではないという事実、これは皆様が知っている事実です。しかし、最悪の暴政を招くよりは、むしろ愚鈍でもいい、すくなくとも人々が゛是(よし)”とした票を投じた人が治める方が、まだしもましだとする意味では、私は評価する向きがあっても良いと思うのです。ただ、本来の指導者たるべき人が出にくい状況になっていることは確かですし、低級なレペルにおいて、国政が左右されているということも事実です。 ではあなたにお尋ねしますが、一体どういう政治制度が理想的なものでしょうか。 5.望ましいのは哲人による「徳政」 善川 まあ私は一応、日本における国創りをされた神々からのご意見でもありますが、要は「徳政」ですね。それにはまず第一に国民に徳性の涵養というものが基礎となっていなければならないということが、その基盤の上にはじめて優れた政治家というものが選ばれてくるということであります。まずその国民の徳性の涵養というものが第一義的要素であるということから、宗教、哲学、教育というものの重要性が問われるわけですが、そういう意味において現在のアメリカにおける宗教が、国民の徳性の涵養に果たす役割というものはどのようなものでしょうか。 リンカーン アメリカはクリスチャンの国です。特に宗教によって政治が左右されている国ではなくて、宗教は人々の生活に浸透している。それは政治的な争点とは別なものとなっているのです。そしてやはり宗教と国家とが分離した形になっておりますので、どうすることもできません。 善川 かつての古代インカ帝国もそうでありましたが、この日本の国におきましても「祭政一致」といいまして、その政治を司る者は、神のご意志に最も近い人達が政治を行なうのが理想的な政治形態であると、そういうふうに言われたものでありますが、そういうことに対するあなたのご意見は如何でしょうか。 リンカーン それは優れたことではあると思うのですよ。ただ、今の時代においては、政治家、或いは経済人達、或いは科学者、技術者達が非常に発展し、力を持って来ている世の中です。これらの人々を統合し、納得させるべきものが宗教の側になければ、むしろ宗教は出てくるべきではない。やはり政治とか、経済の専門家達に、国の運営はまかしておく方が良い。宗教が国政を司ることのできる前提は、彼らが科学者も、政治家も、経済人も、学者も、文化人もすべて説得できるような、新たな「価値基準」を打ち立てることができた時です。そうした時にはじめて彼らは「祭政一致」をなしとげることもできるでしょう。けれども、現在の状況においては、多くの人達はそれを望んで居りません。本当に優れた宗教家とはどういう方であるか、ということすらわからなくなっているからです。 宗教家の中には、上は素晴らしいが、下を見れば切りがないはずです。そうした人達がいったん誤って国の政治を牛耳るようなことになれば、大変なことになってしまいます。 善川 それはそうですが、あなた様はいま天界に居られまして、現在のアメリカの状態をどうごらんになっておられますか。もちろん政治を動かすのは政治家でありますが、その背後にあるものは、やはり軍部であり、国際的な巨大な資本家でありましょう。こういう人達の考えがアメリカ政治のバックボーンになっていると思いますが、こういうアメリカの現在とその動向、およびその将来の方向について、あなたは肯定的なお立場に立っておられますか。 6.アメリカに精神医学が発達し、一大宗教改革が起きる リンカーン 必ずしもそうでありません。ただね、アメリカという国を考えてごらんなさい。たかだか二百年か、そのくらいのうちにこれだけ世界一の国になったのです。こういうことはかつてなかったはずです。なぜアメリカという国があるか、それは。 「神」は゛繁栄゛ということをこの地上にお示しになるために、アメリカという国を選ばれたということなのです。アメリカは神の栄光を顕わす、繁栄ということを体現するために、選ばれた国なのです。ですからここ百年、二百年の間にあれだけすさまじい繁栄をみたのです。その繁栄の中には、教育や、政治や、或いは技術や、科学、文化、さまざまなものの繁栄を含んでおります。 やがてそのアメリカの時代も降っていくでしょう。そしてそうした文明上の繁栄の後には、おそらく一大宗数的革新が起きると思います。 かつて、ヨーロッパに宗教改革が起きました。同じことがアメリカにも起きるでしょう。アメリカにはまだ重要な宗教改革は起きておりません。やがて起きていくでありましょう。その走りと申しますか、宗教改革の走りといわれるものが今、彼の国に一般的になってきている精神医学です。精神医学というものが発展して、人間が精神医に、さまざまな心配事を訴え、悩みを解いてもらっております。そういう状況があるということ、これは本来ならば宗教家の果たしていた役割なのです。それを精神医が果たしているのです。 精神医学は、科学的な方向からさらに学問を進めていくでしょうが、やがて行き詰まりを迎え、宗教的なものとの融合を目指さなければ、真に人間の脳みを解決できないという方向に至るでしょう。その時にはじめて、アメリカの宗教改革が起きる地盤ができてくるのです。 7.悲しいことながらアメリカは戦争を起こす、正義のために 善川 ところで、アメリカの現在の軍事の方面についての問題に関しましては、どのようなご感想を持っておられますか。 リンカーン いま非常に危険な状態にあります。恐らく、また大変なことをはじめるでしょう。戦争も起きるでしょう。悲しいことですが、まあ、そういう時代も、過去何回もあったし、また今後も出て来る。それは人間の愚かしさでしかないかも知れません。けれども一度そういうものも経なければ新しい時代も生まれないということです。 善川 そういうことは、アメリカの指導者の方々も覚悟の上でやっておられるのでしょうか。 リンカーン 彼らがどれだけ分かっているか知れません。私は先ほど国造り、国というものがあって、人民があるのではなく、人民があって国があるのだと申しました。ところがいま、軍部、行政府の中には、国を守るという、そういった看板のために、人民を犠牲にしてもやむなしとする考えもあります。 これは私の考えとは相容れません。国というものは、本来はあってもなくてもよいのです。そこに一塊(ひとかたま)りの人が居て、繁栄しているということでよいのです。ただ呼び名がないために、国というものを造っているだけなのです。人びとが先ずあるべきです。ですからまず、人びとの真意がどこにあるかということを悟る必要があります。特に上層部の人達はそうです。 ただ私は、あなたに一つ申しあげておかねばなりません。あなたは、人々は平和を求めるものだと思っておられます。そしてそれが世界の多数意見だと思っておられると思います。けれども、実際においては、そうではないのです。それは日本人から見た世界人の意識なのです。必ずしも世界の人々は、実はそうではないのです。正しいことが行なわれなければならないとする考えもあるのです。 悪しき考えをはびこらせるような国、政治というものは、存在が許されない。正しきものは強く、自らの権利を行使しなければならないという考えもあるのです。そうした考えも根強いのです。そうであるならば、戦争というようなことも、そういった人々の考えも背景にあるということを考えねばならないのです。日本人は、余りにも本能的に戦争に対して厭だというような脅えがあるけれども、理性的にはそういうふうに考えている人も居るのです。 善川 そのお考えですけれども、つまりは対象国間同士で、対象国同士の国の安全、そして国益、その擁護というのが目的で、そこに敵対行為が生じるということでありますけれども、先程あなたもいわれたように、国が在るのではなく、その中に人民が居るということが一番大事なことであって、果たしてその人民が、幸せになるかどうかということを考えるならば、国に優先する人民の幸せということが言えるのではないかと思うのですけれども。――また一方、肉体人間間の次元でみるなら望ましいことと、望ましからざることとが明らかになるわけでありますが、一転してあなた様の次元からみるならば、何のための人間同士の殺し合いか、人間同士の戦いかということになってくると、愚かな話になってくるのではないですか。 リンカーン 確かにそれはそうです。ただ人間の発展にも、発育にも、段階があるのです。私たちこの世の、いや、あなた方からみれば、あの世の世界からみたならば、人間の肉体同士の殺し合いというものは、つまらないものであり、意味のないものであります。けれども肉体を持っている人達にとっては、何が正しくて、何が正しくないかということを明らかにすることも、また一つの修業の段階でもあるのです。 8.神は、アメリカの方を愛している リンカーン たとえぱ今、アメリカとソ連との二大強国があります。この二大強国が存在するということが、現代という世界を価値づけて、意義あらしめているでありましょう。けれども、神の世界から見たら、やはり優れた国と、そうでない国、神の心に適った国と、そうでない国はあるのです。神は、ソビエト連邦を余り愛しておりません。なぜならば、彼らのイデオロギーが間違っているからです。神はむしろアメリカの方を愛しておられます。 善川 といってもそれは比較の問題であって、神は一視同仁であって、すべての人類の親であり、源であるからして、主義、イデオロギーはともかくとして、人間としては一視同仁であると思うのですが……。 リンカーン それでは何故、ソビエトはあのような飢饉が何回も起きたり、食糧不足が続くのでしょうか。 善川 それはまあ、地理的条件もありましょうし、或いは政治体制ということもありましょうけれども、人間それ自体につきましては、個人個人すべて神の子であるはずだと思うのでありますが、その神の子同士が戦いをしなければならないということを゛是゛とする考えは、われらの思考の範囲内では論理に飛躍があると思うのですが。 リンカーン まあ、それはそうですが、やはり神もこの三次元世界にも、神の国を造ろうとしておられるのでありますから、どちらがより神の国に近いかというようなことはあるわけです。 善川 神のご計画というものは壮大なものでありまして、私どもがそれを窺い知ることはとてもできないことですが、それはそれとして、ご計画はご計画として遂行されるでありましょうけれども、我われ宗教人という立場で考えるならば、すべての人間は神から岐れて出たものであり、転生輪廻の過程において、かつてはソ連を母国としていたものが、現在アメリカ人として生まれ、アメリカを母国としていたものが現在ソ連の国に生まれているかも知れないし、お互いにかつての母国を母国人同士が憎しみ合いを強めているというような、そういう愚かしい状態を続けているということは、まことに残念であるというように考えられるのですが、そういう面では、政治家としてお過ごしになられたあなた様は、余り関心はお持ちにならないのでしょうか。 リンカーン ご質問の趣旨がいま一つ分かりません。ただ私達も、この地上に生まれてくる以上は、この地上を良くするための努力はしなければいけないということです。現にこの地上においては、優れた政治体制もあれば、間違った政治体制もあるのです。なぜ優れ、何が間違っているかといえば、そこに住んでいる人民の多数を幸福にできるような制度かどうか、ということです。次つぎと亡命者が出るような国は、何かが間違っているということです。それは確かです。いまアメリカから他国へ亡命したいとする人が居ますか。居ません。いまソビエトから、他国へ亡命したいとしている人が居ますか。たくさん居ます。それを亡命できないように国が抑え込んでいます。 人間が本当の意味において幸せな方向へと指導していないということです。そこに住んでいる人の多数が、やむなしとする政治かも知れません。衆愚の政治よりは、彼らは優れた指導者の指導の下に治められる方が良いと思う人も居るかも知れません。けれども、衆愚政治であったとしても、それぞれの人が、自由に生きて、その政治が衆愚になるのであるならば、それは皆さんの責任であります。それはやむを得ないことであります。けれども、すべての人が自由に振る舞えない状況において、指導者たるべきものが、真に優れたものであるならばかまいませんが、そうでないものが指導をしながら、人民の手足を縛るというようなことが、本当に正義として赦されるでしょうか。そこに亡命が出てくる理由があるのです。彼らは人民を、ソ連は人民を自由にすれば、国家体制が崩壊することを恐れているのです。なぜ怖れる必要がありましょうか。それこそ衆愚政治よりも、もっとこわい愚民政治が敷かれているというべきではないでしょうか。人間を、人間と見ていないということです。人間は手段ではないのです。人間は特定のものの実現や、特定の国の国政の実現のための手段ではないのです。それぞれの人間が目的なのです。人間は一個の完成したものなのです。それぞれ一人一人が目的であるのです。なぜ彼があるのかではなくて、彼があるということ、彼が生きているということ、彼が生き続けていくということ自体が、一つの目的であるのです。人間は目的を体現しているものなのです。その生き続けていきたい、よりよく生きたいということこそが、人間の存在の理由なのです。その、よりよく生きたいと思う人間の心を踏みにじるような政治体制は許されないのです。それは、人間を手段として、国益、或いは国体を造るための手段として見ておって、目的として見ていないということです。 民主主義の理念の底にあるものは、人間を、個人を、目的としてみているということです。それぞれの人間がよりよく生き、よりよく究極に近づいていくということ自体が目標だということです。目的だということです。それぞれの人間が自己実現を求めて生きることが目的だということです。人間とは、目的そのものだということです。生きていくということが目的そのものだということです。彼らを生かしめねばならないのです。彼らの自己実現を妨げてはならないのです。これを過(あやま)ってはいけないのです。だからこそ人民があって、政治があるのであります。人民があって国があるのであって、国があって人民があるのではないのです。 9.国が強くなければ、人民の自由と幸福はないという論理について 善川 そこで一応そういう論理は成り立つわけでありますが、一方共産主義における論理というものは、人民の自由を保証するためには、国が強くなければいけない。国の強固な国防力の庇護の下で、安定的な政治、計画的な経済制度、その中で、はじめて人民は生存と幸福が保証され、「能力に応じて働き、必要に応じて取る」という理想社会、いわゆる経済社会におけるユートピアの実現という将来的展望を求めることができるのだと訴えていますが、これは如何なものでしょうか。 リンカーン それは実は、共産主義という理念のもとに打ち立てられながら、実は、そういう思想は、何百年も、何千年も前の思想そのものなのです。隣国が攻め込んで来るから強くしなければいけないという思想は、昔の大昔の思想そのままであって、それが姿、形を変えているだけなのです。外敵というものの存在を認めて国を纒めるということは、かつての政治家、権力者達が採った一番基本的な外交戦略なのです。まず、外部に敵を作るということ、これによって国を纏めるということ、これはいろんな国で、いろんな政治家がやって来たことなのです。しかしながら、そういった国造りもあるでしようが、それは本来の国造りではないのです。敵を作って国を纏めるということは、それは余りにも次元の低い国造りではないでしょうか。結局はそうなのです。内政に自信がなくなると、外敵というものを作って騒ぎたてて、国の中に内乱があったら外に対して弱くなるぞと、あなた達、今そんな時機ではないぞと、そういうことを言って自分の責任逃がれをする政治家が過去後を絶たなかったのです。外敵を説いて国を纏めるというような政治家に対しては特に注意をしなさい。それは別に共産国だけではありません。それ以外の国についてもそうです。外敵、戦争を煽って国を纏める指導者達に気をつけなさい。あなた方も、その経験があるはずです。鬼畜米英のために国を纏めようとしたことがあったはずです。 善川 そういうことも一つでありますが、現在の社会主義体制を敷いている国々のそもそものイデオロギーというものは、富の公平な分配ということに端を発しているように思うのですが、そういう意味におきまして、かつての資本主義が芽生えて、それが進歩発展していく過程におきまして、富の分配が非常に不公平であったというところから今日の社会主義思想なり、共産主義を標榜する国家体制というものが生まれて来たという経過があると思うのですが、そうした資源の少ない、というより民度の遅れた国において生じた貧富の差というものが、今日の彼らの政治体制を生み出して来たのではないかと思うのですが、そうした点についてのご見解は如何でしょうか。 10.共産主義的計画経済理論は誤り リンカーン それに対しては、すでにその理論が間違っていることは、経済学者達が明らかにしているはずです。初期の共産主義の理念においては、生産手段は、今日のような拡張、拡大、充実ということを考慮に入れていないのです。生産能力が十倍、二十倍になるということを考慮に入れていないのです。人間が一日八時間、十時間と働くことによって、どれだけを生み出せるかということが決まり切っているという、だからこそ搾取ということがあるという前提があったはずですが、実際にはそうではありません。機械化が進むという視点が抜けていたわけです。機械化が進むということ、技術が進むことによって、生産力が十倍にも百倍にもなっているのです。そういうことにおいて、搾取もなければ、分配も公平に行なわれているという社会が、資本主義社会の中において増大しているわけです。すくなくとも共産主義の理論の基礎にあるのは、古い、残念ながら古い農業国の思想が多かったということです。現に共産主義国、新しく出来た共産主義国をみてみなさい、農業国ばかりです。本来マルクスの思想からいくならば、工業国、高度資本主義にこそ共産主義国は出て来るはずであります。そうしたところには出ないで、農業国に共産主義国が出て来ました。これは彼の理論が間違っていたのです。 生産力は伸びるものなのです。だから彼の思っていた資本主義国に、共産主義政権は出来ず、遂に拡大再生産がなかなか不可能である農業国にばかり共産主義国が出来ていったということなのです。逆に、農業国であるから共産主義的であってよいにもかかわらず、意外な意味での搾取というものが拡がっていったはずです。それはすべてが貧しくて、一部だけが富んでいるという状態です。貧しさの公平分配であるならば何のための政治か分かりません。 善川 今から百年以上も前から立てられた経済理論が、今日の社会にそのまま通用すると信じているような、いわゆる教条主義というものが続いて来ていることが大きな誤りとなっているわけですね。 リンカーン そうです。むしろ共産主義社会にこそ、いま、社会改良家達が次つぎと出てくる必要があるのです。真の意味の宗教家達が出て来る必要があるのです。けれどもあの政治体制があるために、例えばあなた方のような、宗教指導者が共産主義国に生まれたとすると、ほとんどの場合、成功しないというような苦しい状況にあるのです。国としての教義に反するということで弾圧を受けてしまうのです。 善川 いずれにしても「国があるということは、何らかの階級の独裁が行なわれている」ということをレーニンはその著書の中で言っておりますが、そういうことは自分達の体制、昔プロレタリアート、今彼らの指導的特権階級に当てはまることなんですね。 リンカーン そうです。 善川 結局自分達の政治体制を維持せんがために、それに反する意見を持つものを弾圧しようとするものですね。 11.衆愚政治と言われても今は独裁暗黒政治よりはまし リンカーン ですからむしろ、独裁の暗黒政治よりは、批判もあるけれども、衆愚政治に近い方が、まだましである。衆愚な民主政治の中においても、たまには優れた指導者が出て来て優れた政治を成すことがあるのです。むしろ、そちらの可能性の方をより採りたいと私は思うのです。 善川 いろいろとご高説を承りましてありがとうございました。これはひとり、われわれのみならず、アメリカの方々、また世界の方々も、このようなかつての大統領であられたあなた様のご教訓を、或いは耳にし、或いは書物を通して眼にする機会が訪れるかも知れませんが、今後とも、機あらば更にご示教下さらんことをお願い申し上げます。ありがとうございました。 リンカーン 最後につけ加えて置きますが、今のままで良いとしているわけではありません。更に、さらに高度なものを、考え出して欲しいと思います。 そして、あなたが先程いわれましたが、宗数的なものの考え方というものも、今の民主主義に欠けているものの一つでしょう。それをどのように織り込みながら素晴らしいものを作り出していくかということ、それがいま現に、神があなた方に、そしてすべての人類に期待されていることでもあろうかと思うのです。 善川 それでは、本日はまことにありがとうございました。
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真鍮の評決 リンカーン弁護士 作品:真鍮の評決 リンカーン弁護士 原題:The Brass Verdict (2008) 作者:マイクル・コナリー Michael Connelly 訳者:古沢嘉通 発行:講談社文庫 2012.1.17 初版 価格:各\898 コナリーのメイン・シリーズは、ロス市警のハリー・ボッシュと決まっているようなものだが、時にノンシリーズと思われるキャラクターであれ、メイン・シリーズに登場したり、続編が出たりすることも数多くあるので、『リンカーン弁護士』のミッキー・ハラーが再び登場して、シリーズ化の勢いを見せ、さらにハリー・ボッシュが共演することになろうことも予測の範囲でなければならないのだろう。それにしてもいつもいい意味で裏を欠かれ、ツイストを見せられてしまうのが、コナリーの作法であり、手腕であるのだ。全く侮れない作家である。 前作のラストシーンを受けて長い休養から復帰することになったミッキーは、のっけから、殺された友人弁護士の仕事を引き継ぐことになる。弁護士の殺害犯を探るヒントは、弁護士の引き受けていた仕事の中にあるだろうことを、ミッキーのみならず警察の捜査官も当然探るはずである。案の定、知人弁護士の職場には、ハリー・ボッシュが事件資料を漁っている姿が。早い段階で二人の小説ヒーローが顔合わせとなり、読者サービスの美味しさに舌鼓を打ちながらページをめくることにになる。 前作でも見せたとおり、機転の利くミッキーである。一流の法律事務所を経営しているわけではなく、今もなお運転手は弁護料代わりに調達している。31件ある死んだ弁護士の仕事をミッキーは振り分ける。金にならぬ仕事、捜査の困難な仕事は、他の事務所に回す。しかし新聞を賑わしたような有名な事件には飛びつく。そこに大きな罠があるとも知らず。 コナリーのストーリー・テリングについて今更書き記すことはないと思うが、大船に乗った気持ちでストーリー展開の二転三転ぶりを楽しんでもらえればいいと思う。ましてやボッシュとのやりとりは、そのキャラクターの違いもさながら、お互いのスタンス、距離感などは、味わい深いものがある。事件とは別に彼らの関係にとんでもない真実が見出されるラストでは、少し出来すぎのきらいがあるものの、コナリーだから、ということで容赦してもいいような気がする。 今後のシリーズ化は占えないものの、少なくともこれで二人の共演は今後約束されたようなものである。楽しみがまた一つ増えたと言っていい。できれば、『わが心臓の痛み』『夜より暗き闇』登場のテリー・マッケイレブのような結末を迎えては欲しくない。 (2013.03.03)