約 76,296 件
https://w.atwiki.jp/bargain/pages/167.html
■たたかえ蟹ちゃんシリーズ■第19話☆新たな十二獣?■ 蟹「やったよ!しおりちゃん認定されたよ!」 戌「え…何の…?」 蟹「『認定証。二一〇一(さんした・いぬい)様。あなたは戦闘集団・十二獣(トゥェルビースト)として認められましたので、ビースト・ネーム“狗”を授与します』がんばろうね!」 戌「…?……!?」1 「…トゥエルブ?ビーストって何?……なんだか怖い…」得体の知れない認定を受けて怯える戌井しおり。蟹ちゃんはクローを得意気にギチギチ鳴らしながら説明した。「十二獣は、二家が誇る最強の戦闘集団だよ。私が『蟹』で、しおりちゃんが『狗』」2 「竹馬兄さんは『駒』で、さなみん姉さんは『栗鼠』だよ。『河豚』の毒ナイフ兄さんが抜けた空席に、しおりちゃんが入ったの」「でも…戦闘集団って……私…戦えないよ」まだ不安そうなしおりに、蟹ちゃんは自信満々に答えた。「大丈夫!」3 「完全無欠の記憶術と鋭い嗅覚で狙った獲物は地の果てまで追い詰める地獄の猟犬!ってアピールしておいたからね」蟹ちゃんは自分の手腕に大得意。「やめて…」しおりは真っ青になる。バシン! その時、蟹ちゃんの頭を誰かが叩いた。「こら、機密事項をペラペラ喋るな」4 「いてて。いきなりぶつなんて兄さんヒドい。もう一〇一さんは家族なんだから別にいいでしょ?」バインダーで打たれた頭を押さえながら蟹ちゃんが文句を言う。(えっ…二先生って、蟹ちゃんのお兄さんなんだ……)現れたのは二一(さんした・はじめ)。希望崎学園の教師である。5 「この認定証」一は蟹ちゃんの手から認定証を没収する。「未決定稿を勝手にプリントアウトして駄目じゃないか」「えっ、データがあったからもう決まりだと思って」「そもそも本人の意思を確認してないだろう?」「大丈夫だよ。友達だし」「……私…嫌だよ」しおりらしくないハッキリとした意思表示! 6 「えっ……あれ……?」蟹ちゃんはしばらく驚いて固まってしまったが、すぐに気を取り直した。「そう! それでいいんだよしおりちゃん! そうやって、嫌なものは嫌ってちゃんと言わなきゃね!」蟹ちゃんのサンシタ頭脳が、なんか都合のいいストーリーを完成させたようだ。7 「こんな奴だけど、これからも仲良くしてやってくれるかな?」一はしおりに笑顔で問い掛けた。「…はい」蟹ちゃんに悪意がないのはわかってるので、しおりの返事は決まっていた。「それと『十二獣』のことは他言無用だよ」引き続き笑顔だが、どこか怖い。「…は、はい」8 沈む夕日の方向に、蟹ちゃんは兄と一緒に帰って行く。「あーあ、しおりちゃんと家族になりたかったな」「だが、無理強いはいけないよ」「うん……。それじゃあ紅石ヨッシーは?」「奴の能力は使える。拒否するなら何度でも殴れ」「おっけー! まかせといて!」9 ■第19話☆新たな十二獣?■ おわり 参考リンク: 戌井しおり(最萌トーナメント) 二一(ニュージェネレーション) 毒ナイフ兄さん:無名の毒ナイフ使い(ニュージェネレーション) 竹馬兄さん:二十(スパイダンゲロス) さなみん姉さん:二〇三七二三(スパイダンゲロス) 紅石密義(スパイダンゲロス)
https://w.atwiki.jp/world0/pages/10.html
エスカペラ争乱(えすかぺらそうらん)とは、ヌリスタ朝末期に発生した内乱、およびそれによって王国が滅亡したのち、反乱主導者のエスカペラ家が内紛を起こし、中央権力が不在となった期間のことである。争乱時代ともいう。 タイプ 内乱 時期 前418年11月〜前311年4月 場所 アストラ 結果 ヌリスタ朝の滅亡、アガン朝の成立 呼称 背景 反乱と内紛ラビルの乱 継承危機継承候補 内紛の開始 オルシットの介入 南北時代南北体制の成立 南北冷戦 後ヌリスタ戦国時代放埒の時代 エスカペラ家の再台頭 アガン家との抗争 フェスクの圧政と反乱 コトサンの侵攻「報復戦争」(第一次侵攻) 「突破戦争」(第二次侵攻) 「破滅戦争」(第三次侵攻) アガン朝の成立統一戦争 新たなる王国 参考文献 呼称 「エスカペラ争乱」という呼称は、エスカペラ家がヌリスタ家に代わってアストラ全域を支配することを目指し、軍事的・外交的努力を行った結果、当地の中央権力が空白化し、多くの戦闘が発生した時代であることによる。 この呼称はアガン朝時代から用いられたと考えられているが、これにはエスカペラ家をアストラに混乱をもたらした諸悪の根源と見なすアガン家の偏向が含まれており、実際には動乱の原因は多元的であったという指摘がある(*1)。そのため、これに代わる中立的な用語として、「戦国時代」または「後ヌリスタ戦国時代」が用いられる場合もある。しかし、現代ではヌリスタ朝の崩壊後、ヒエリの死によって南北体制が解体してからアガン朝が成立するまでの期間を「戦国時代」と呼び、時代の総称としては他の「争乱時代」との混同を避けるために「エスカペラ争乱」を用いることが一般的である。本記事もそれに従う。 背景 前575年に成立したアストラのヌリスタ朝は、諸侯の自立心と王家内の紛争により、前5世紀から急速に衰退していった。前421年、ヌリスタ家は侵略してきた隣国ヨルゼン朝に敗北して広大な領土を失陥、諸侯の反体制感情は限界を迎えることになる。 そんな中、国内における反ヌリスタ勢力の旗手を担ったのが、建国以来のヌリスタ家の仇敵であるエスカペラ家であった。エスカペラ家はアストラ中北部の大領主であり、統一以前にはアストラの覇権をめぐってヌリスタ家と激しく対立した。そのわだかまりは、エスカペラ家が王国諸侯となったのちも解消されていなかった。 前418年までに反体制派諸侯はエスカペラ家のもとへと結集し、王家を凌ぐ大勢力となった。ヌリスタ家はこの動きを承知していたが、家内の抗争によって対応の手が回らず、叛徒に大きなアドバンテージを与えた。 反乱と内紛 ラビルの乱 前418年11月20日、機が熟したと見たエスカペラ家の当主ラビルは、ヌリスタ家の失政の数々を公に非難するとともに、国王レレン征伐の軍を発した。これにいくつかの反ヌリスタ諸侯が加わり、反乱軍は2万を超える規模となった。 内紛に明け暮れ、救援に参上する諸侯もいないヌリスタ家は、周到なラビルの侵攻に為す術もなかった。翌417年夏には主城オルゴンが陥落し、レレンの身柄は確保された。 反乱は呆気なく終わったが、諸侯は今後の方針について激しく対立した。ラビルが様々な政治的目標を持つ反体制派の空中分解を避け、王国の将来像を明示してこなかったためである。諸侯の中の穏当なグループは、レレンを廃位してヌリスタ家の男子を即位させるよう求め、急進的な者たちは、ヌリスタ朝の廃絶とエスカペラ朝の樹立を求めていた。 最終的に、ヌリスタ家の有力な王位継承候補が軒並み戦死するか亡命しており、またアストラ諸侯の反ヌリスタ感情が強かったことも相まって、エスカペラ朝の創始とレレンの処刑が議決した。前417年9月、なし崩し的にラビルがヌリスタ式の戴冠式を行い、「全アストラの調停者」を名乗って王(ハタン)を自称した(*2)。ヌリスタ朝の存続を主張した諸侯も、ヌリスタ家の実質的な滅亡を前にしては新たな「王」を認めざるを得なかった。 ところが、反乱時点で66歳であったラビルは、前416年内に急速に体調を悪化させる。エスカペラ家と旧反乱軍諸侯が後継者をめぐって紛糾するなか、ラビルは前415年2月に死去した。これにより政権は再び機能を停止し、エスカペラ家の内部対立が先鋭化していく。 継承危機 ラビルの死後、エスカペラ家の家督は長男アリオルに継承される予定であったが、彼は精神疾患を持ち公の場での粗相が多かったため、諸侯からの評判がすこぶる悪かった。アリオル本人は自らの無能に自覚的で野心がなかったため、当初は次男のホノンが家長となる予定だったが、彼は反乱のさなかに戦死していた。こうした事情により、家督と王位の継承は非常に論争的なものとなってしまったのである。 エスカペラ家主城シロンでは、連日議論とも言えないような激しい政治闘争が行われた。継承論争には、エスカペラ家関係者や同盟諸侯のほか、反乱諸侯の中で新王国の舵取りに存在感を発揮したがる者たちが加わり、ますます収集がつかなくなっていた。退っ引きならない様子を見た他の諸侯は、混乱を回避して事態を静観するため自領に帰った。反乱を傍観していた諸侯たちも、王国への態度を留保した。 会議場での口論や、水面下での折衝の結果、有力な継承候補は以下の四者に絞られた。しかしそれ以上の合意は望めず、各陣営は自らや庇護者の本拠へと立ち去っていった。名目上の「王都」であるシロンには、親族の調停に失敗したアリオルだけが残された。 継承候補 ヒエリ ラビルの三男。45歳。 アリオルに次ぐ年長者であり、最有力候補と目される。若い頃は勇猛なホノンの右腕となるべく訓練され、数々の戦いに従軍するなど、政治・軍事の経験が最も豊富だった。しかし、その母の出身である大領主イチリト家の勢力拡大を嫌った諸侯らに敬遠され、一時は戴冠の寸前までに至るも及ばなかった。 主な支持者 エスカペラ主流派、イチリト、ルクラ、ルクソ、ハンカペラ コトル ラビルの四男。41歳。 当初は親しい兄ヒエリを支持する立場であったが、諸侯に反イチリト家の旗印として推され、王位請求者に加わった。家督を継ぐ予定がなかったため、その権力基盤や家政機構は貧弱なものであり、本人も政治より社交と遊興に関心を持っていたため、有力諸侯の傀儡でしかなかった。 主な支持者 サッシ、オモン、メンペット、ムルスタ、ククスロイ シュフキ ラビルと母を同じくする末弟。59歳。 遺言で王位を約束されたと主張し、ラビルが家長の時期に冷遇した傍系のエスカペラ家を糾合する。これにエスカペラ家の改革を望む諸侯が加わり、北西部の一大勢力と化した。 主な支持者 エスカペラ非主流派、イスナ、アスカ、ハルモリスタ、オルレンカ アイロク ラビルの従兄弟。60歳。 南部エスカペラ家を統括し、アリオルの継承権とその後見を主張。強い政治基盤を持ち、シュフキと利害の対立を持つ諸侯を抱き込むことで継承争いに名乗りを上げる。ただ、本人の意向により、アリオルの身柄を引き取ることには失敗した。 主な支持者 南部エスカペラ、コーセン、アンベスタ、イシュト 内紛の開始 内紛は、前414年4月にコトル派とシュフキ派の諸侯間で初めての戦闘が勃発したのを皮切りとして、エスカペラ領各地で軍事行動が活発化し、エスカペラ家の内乱が開始した。 当初、ヒエリとコトルは暗黙の共闘関係を築いていた。支持者の諸侯同士は激しく対立していたものの、コトルは王位の獲得に積極的でなく、兄弟仲は依然良好だったためである。エスカペラ領中心部を勢力基盤とする兄弟は、背を預けあうようにして、戦いを順調に進めていった。 しかし10月、フルクラ家当主のオルシットがエスカペラ家を非難して挙兵する。翌月、彼は反乱ののちエスカペラ軍が占領していた旧都オルゴンを確保し、そこを中心に協力者を募った。オルシットの行動の迅速さは異様であり、その目的は南部での勢力拡大でしかなかったとも見られる(*3)。しかしいずれにせよ、彼の下には北方の雄エスカペラ家討伐に気炎を上げる保守派・反エスカペラ諸侯が集い、瞬く間に彼の想定以上に強大な勢力が誕生することになった。 前413年3月、オルシットを重大な脅威とみなしたヒエリ・コトルの兄弟は、互いの派閥に属する諸侯を説得し、正式に和平協定を結んだ。6月、彼らは共にシロンへと戻り、内乱終結後の方針について協議を交わした。兄弟はヒエリの王位継承を既定路線と認識していたが、コトル派の諸侯は未だ彼の戴冠を狙っており、公式に結論を出すことはできずにいた。 8月、軍事的優勢を確信したヒエリは、叔父シュフキを討つべく、5000の兵を率いて北に進軍する。彼は子飼いの攻城部隊によって侵攻を有利に進め、12月にはシュフキの居城リスララを落とす。これにより、シュフキを含む北部エスカペラ家一派はヒエリの軍門に下ったが、その他の諸侯はさらに北方のイスナ領のもとに集結し、再起を図っていた。ヒエリは北部の平定に失敗したが、将兵が想像以上に消耗したことにより、シロンへと戻らざるを得なかった。 12月末、北伐から帰還したヒエリを待ち受けていたのは、イチリト家出身の生母エネとコトル派諸侯の不和であった。エネは内乱終結後にヒエリが即位することを当然視しており、コトルと諸侯に臣下としての振る舞いを求めたが、諸侯らは未だにコトルの即位に期待する者も多く、この態度に強く反発したのである。 とはいえ、北部エスカペラ家を付き従えて戻ったヒエリの威信には、シロン城内の全員が首を垂れるほかなかった。ヒエリは北部エスカペラ家の者やその臣下の臣従儀礼を行うと同時に、コトルとその臣下にも同様の要求を行った。コトルが率先してこれに従ったこともあり、諸侯も渋々これに追従した。 しかし、30日深夜、コトル派に属するマルスタ家のアグレが、エネの実弟であるカンゼを口論のすえ殺害した。事件は即座に発覚し、アグレは処刑されたが、翌朝、エネがマルスタ家当主オフクリの捕縛を要求したためにコトル派諸侯の反発を招き、事態は混乱した。兄弟の制止も届かず、両派の諸侯は激しく論争し、最終的には刃傷沙汰の惨事となった。コトルが事態収拾のために諸侯を引き連れて城を退去し、事件は発生から1時間で30名以上の死者を出す結果に至り、両陣営は決裂した(シロン事件)。 オルシットの介入 前412年5月、ヒエリが第二次北伐を開始した。彼の軍は6月半ばから1か月でイスナ家主城のバルスラを落とし、北部で睨みを利かせていたイスナ・アスカの両家を降伏させる。これに伴って、シュフキ派に参加した他の北部諸侯も、全てがヒエリに屈服した。 これに先んじて、7月初頭、オルシットが2万に及ぶ軍を率いて北進を開始した。エスカペラ領の最南に位置し第一の犠牲者となったアイロクは、遅滞戦闘を繰り返したのち、9月末に降伏し、反乱のかどで処刑された。この時に既に、オルシットの強大さを恐れた傘下の諸侯は逃亡しており、多くがコトルの陣営に加わった。 北進を続けるオルシットは、そのままコトル軍と衝突し、一進一退を繰り返した。戦力に勝りながら叛徒を攻めあぐねるオルシットに対し、諸侯には不満が蔓延し始めた。オルシット陣営は諸侯同盟という形式で成立していたため、次第に戦線を離脱し南部への帰途に就く諸侯も出るようになった。他方コトル派は、水面下でのヒエリの支援にも助けられてさほど戦力を失っておらず、士気も十分であった。 それでも、依然オルシットは優位にあった。彼はエコーの戦いでコトル軍に大勝し、前411年6月3日にはコトル居城タタスクラを包囲する。しかし、マルスタ家やヒエリの軍が別個に後背地を奇襲し、退路を断たれることを恐れたオルシットは撤退を余儀なくされる。そんな中、フルクラ家臣は無計画な遠征を断行するオルシットへの不満を鬱積させ、7月末には宿臣のニトラ家が決起する。オルシットはこれを鎮圧するため、自軍の半数を南部へと向かわせた。 これを見て、コトルは兵数の減じたオルシットとの決戦を決意する。彼は各城の防衛兵力をも引き抜き、準備できる最大の兵力を結集した。8月11日、両軍はミナイで対峙した(ミナイの戦い)。序盤はオルシットの機動的な戦術でコトルの歩兵は苦戦を強いられるが、エスカペラ騎兵隊が騎兵戦を制すると形勢が逆転、騎兵突撃で半壊したオルシット軍は総攻撃を受けて敗走した。ところがこの時、コトルは突撃のさなかに矢を受けて戦死しており、戦いは実質的に痛み分けの形で終わった。 コトルの後継には嫡男アルクンが立てられた。彼はエスカペラ家の内乱の集結を強く訴え、ヒエリへの合流が決定された。激戦の疲弊とコトルの喪失により、もはや継承問題に拘泥する余力は誰にも残っていなかった。8月20日、アルクンがシロンに到着し、ヒエリを王として謁見式を執り行った。こうしてヒエリはエスカペラ領をほぼ全て統一し、また旧ヌリスタの北半を手中に収めたことになる。第2代エスカペラ王に即位したヒエリは、旧ヌリスタ諸侯にオルシット追討の勅令を発した。これをもってエスカペラ家の内紛は集結し、争乱は新たな段階へと移行する。 南北時代 南北体制の成立 ミナイでの敗戦後、オルシットは撤退して反撃の機を窺っていたが、ヒエリ・アルクンの合流と所領での反乱に近隣の仇敵オラン家当主カフラが加担したことを受け、北部からの全面撤退を決断した。ヒエリはこれを見て、南進しての追撃を主張するが、将兵の疲弊から反対の声が多く、当面の延期が決定された。 前408年11月12日、オルシットが行軍中にオラン軍による奇襲を受け戦死。これからしばらくして、カフラは今後の方針を協議するため、南部の有力諸侯をオルゴンに集めた。会議の序盤ではカフラが主導権を握り、北部におけるエスカペラ家の支配を認めて軍事行動の停止を要求することが議決された。ところが、アガン家当主のアスタラがカフラの侵略に対する強い非難を行い、これに多くの諸侯が賛同したことで、議事を主導していたオラン家は主導権を失った(*4)。これ以降、アストラ南部は、諸侯評議会を牛耳るアガン・モロー・オラン・マルスタ・レンドの五大諸侯が指導していくことになる。 南部から届けられた要求に対し、ヒエリは冷淡であった。当初より、彼の一派はヌリスタ朝の継承を完遂するため、全ての旧ヌリスタ領を支配下に収める予定だったためである。彼は南部評議会に対し、全ての旧ヌリスタ臣下の臣従の要求、すなわち実質的な最後通牒を送付した。これを受け取った評議会は、あくまでも南北両立の和平案を通すため、防衛戦の準備を開始した。 前407年6月、ヒエリは1万5千の兵を率いて南部へと進撃した。ヒエリ軍は9月までにハイダフラの戦い、コルフキ包囲戦、コルフキの戦いで辛勝を収めたが、甚大な被害を出し、それ以上の侵攻は見込めない状況に追い込まれた。両陣営は多数の兵と諸侯家の男子を戦死させたことで戦意を失い、責任問題をめぐって内部分裂を始めた。最終的に北軍も、わずかな占領地だけを残して撤退せざるを得なくなった。 コルフキ戦後、南部評議会は諸侯の権力闘争で混乱した。平穏な南北秩序の構築を望む五大諸侯家に対し、復讐に燃える諸侯が徹底抗戦を訴えたことで、議論は難航した。だが他方で、ヌリスタ朝の復古を求める守旧派と、新体制の構築を企図する改革派の対立は、これ以降棚上げにすることができた。 エスカペラ家では、ヒエリが南伐失敗の責任を追及され、一転して和平派諸侯が発言権を得ていた。エスカペラ家はオルゴンに使者を送り、北部をエスカペラ朝が支配する一方で、南部には諸侯の自治を認める案を提示する。ところが、タカ派の諸侯が勢いを増す評議会はこれを拒絶した。代わって、かれらはヒエリの身柄引き渡しと、北部諸侯もが評議会に参加する新秩序を提案したが、これもまた事実上の宣戦布告に他ならなかった。 南北冷戦 和平の道が遠のいてからも、南北の両陣営は決定的な軍事行動を起こさないまま、アストラは不穏な緊張状態の中にあった。南部は和平派と主戦派が権力争いに明け暮れていたが、五大家の努力により、前403年頃には和平派は主導権を確保する。ところが、奇しくもそれはヒエリが第二次南伐を画策し始めた時期でもあった。世代交代により、いくつかの諸侯家は血気盛んな若年者によって率いられていた。ヒエリはこうした者たちの支持を受け、全面侵攻を開始しようとしていたのである。 ところが、前401年にヒエリが病没すると、戦争計画は完全に凍結された。幸いにも、生前のヒエリの準備により、長男オムドへの権力移行は円滑に遂行された。しかし、オムドが主戦派と穏健派の間で板挟みになり、方針を二転三転させたため、エスカペラ政権はたちまち不安定化することになる。ヒエリのカリスマと政治能力が維持していた王国は求心力を失い、諸侯は次々にエスカペラ家から距離を取っていった。 前398年、エスカペラ家との契約を反故にし、完全なる独立領主として振舞っていたメンペット家に対し、オムドは懲罰軍を発する。だが、彼の戦争に援軍を送る諸侯はおらず、エスカペラ軍はメンペット軍に大敗を喫した。この事件を境に、北部の無秩序は加速していくことになる。 一方の南部は、エスカペラ家の「王国」が事実上崩壊したことを受け、評議会秩序からの離脱の動きが生まれつつあった。政治的分断の軛から解放された諸侯は、南北の境を越えて再び交わるようになり、一時的に凍結されていたそれぞれの権力闘争の動力学もまた、雪解けを迎えつつあった。五大家はこうした流れに抵抗して統治機構の整備を進めたが、かれらに支配を強制する正当性はなく、その影響力は縮小していった。エスカペラ・評議会の南北対立構造はこうして空中分解し、旧ヌリスタは無秩序な放埓の時代へと突入する。 後ヌリスタ戦国時代 放埒の時代 南北秩序が崩壊したのち、先に乱世へと突入したのは北部であった。北部諸侯は多くの領土問題を抱えており、またヒエリが征服した広大な土地がエスカペラ家の制御を離れ、それを近隣の諸侯が挙って奪い合ったためである。 戦国時代の初頭、前390年代には、ハルモリスタ・ルクラ・コーセンなど、さほど大規模な軍事行動に訴えることなく勢力を拡張する諸侯が現れた。かれらは地域の調停者としての役割を買って出、周辺諸侯を保護することで強い影響力を発揮した。しかし80年代の半ばに入ると、拡大する大領主たちの勢力圏は衝突し、また傘下の諸侯を制御しきれなくなったことで、かれらも静かなる調停者ではいられなくなった。南部でも、役割を失った評議会が85年に中断した。 エスカペラ家の再台頭 そんな中で台頭してきたのが、他でもないエスカペラ家であった。エスカペラは、オムドを家督から退け、エスカペラ朝の復権を目論む拡張主義者のシエクが権力を掌握したことで、有力諸侯の間隙を縫って再び権勢を広げていた。初めこそ、有力者同士の対立から逃避するための第三極として表舞台に復帰したエスカペラは、旧ヌリスタ中央の覇者であった地盤を活かし、瞬く間に再びの強大化を遂げた。 宮廷内の穏健派の憂慮とは裏腹に、この征服業は目覚ましい成功を遂げた。シエクは一門が未だかつて踏み入れたことのない南部をも版図に収め、その最盛期には旧ヌリスタ全土の半分近くに支配を及ぼすに至った。また、彼は諸侯の力を削いで直轄地を確保することに注力し、その権勢はヒエリをも凌いだ。 その特徴の一つは、各地から集めた人材による行政機関の整備と、体制の集権化であった。彼は、それまで不文律が支配していた主君と家臣の関係を制度化し、諸侯の軍事力供出義務を法によって厳密なものにした。さらには、エスカペラ家の強勢を背景として、主君への貢献の程度が宮廷における地位と直結するような評価方法を採用し、実力主義化を推進した。 シエクの改革は異例の成功を見、それは以降のルミナ~イスケアにおける権力のありかたを規定するものでさえあった。しかし、シエク自身は前376年から開始した北伐の途中に体調を悪化させ、前372年に家督を長男のフェスクに委譲、3年後に死亡する。フェスクは北伐を続行する一方で権力基盤を固め、諸侯からの支持を広範に取り付けたが、制度の複雑化によりガラパゴス化した法官と膨張する法官僚機構を制御することに難儀する。前370年、フェスクは北部の主要な敵対勢力が滅びたと見て北伐に区切りをつけ、翌年、タカ派から待望されていた南伐を開始した。 アガン家との抗争 フェスクの南進はかねてより諸侯の警戒するところであり、エスカペラ領に近い南部中小諸侯には、慌てて有力諸侯の庇護下に逃げ込む者もいた。一方で、エスカペラ王国に編入されることを受け入れる者もまた、少なくなかった。有力諸侯たちはこうした傾向を制止するため、南北時代の対立を持ち出して諸侯を取り込もうと画策したが、抵抗の意志を持つ者は僅かであった。 フェスクは、前368年にコントレの戦いにて五大家の一角モロー家を破るなど、順調に遠征を進めた。しかし、これに対抗の意志を見せたのが、五大家筆頭のアガン家であった。91年に家督を継いだコトサンは、評議会のような集団支配よりも単一の家門による集権支配を志向し、エスカペラの手法も真似て南部での勢力拡張に努めていた。彼は直接対決を避け、外交的手段によって来るべき侵攻に備えた。 前367年、大領主サルマガン家が侵攻を受けると、コトサンは怯懦と反抗心との間で揺れる諸侯たちに働きかけ、エスカペラ家に対する連合軍を発動した。前366年、フェスクはアッタプラの戦いで南部諸侯と対峙したが、多大な犠牲を出し、初めての敗北を喫した。 アッタプラの一戦によって痛手を負ったことで、フェスクの南進は途端に停滞した。エスカペラ家は、シエク・フェスクの二代に渡る四方との戦争による深刻な財政状況に苦しんでおり、臣下の不安は日に日に高まっていった。この状況において、エスカペラは大軍による大規模な侵略を行うことを止め、代わって他者の戦争に少数の援軍やカルパット(平民出身の戦士)を送って介入するようになった。 これに対しアガン家は、前365年に評議会を再開し、評議会の長である「宰相家」の職位を新設して自らその座に就いた。宰相となったコトサンは、エスカペラ家の侵略に抵抗することを公的に標榜しつつ、南部諸侯に対するアガンの指導権を仄めかして支配を強めた。アガン家は五大家の中でも抜きんでた実力を保持しており、徐々にアストラはエスカペラ家とアガン家による対決の様相を帯び始めていた。 フェスクの圧政と反乱 前360年2月、フェスクが会合にて、叛意の疑いありと見なした諸侯を名指し、「ドムルパタ(裏切り者たち)」と呼んで非難した。これに続いて、王都シロンに置かれていたかれらの公使館がエスカペラ兵によって占拠された(公使館事件)。この中には譜代の大領主メンペット家も含まれており、事件の影響はエスカペラ領全土に及んだ。 謂れなき罪を糾弾された諸侯はメンペット家当主ローナを中心として結集し、フェスクからの攻撃に備えて守りを固めた。フェスクは5万人規模の軍を動員したが、家臣の諫言により侵攻は踏みとどまったため、状況は緊迫の中で膠着した。 しかし、4月3日、両陣営の哨戒部隊同士が偶発的に遭遇、付近の部隊も巻き込んで戦闘に発展した。これによって両軍は完全な臨戦態勢に入り、全面戦争は不可避になった(ドムルパタ戦争)。戦争は、陣頭指揮を執ったフェスクの迅速な進撃によってドムルパタ諸侯が各個撃破されたことで早期終結し、諸侯は降伏を余儀なくされた。 ドムルパタ諸侯家は例外なく処刑され、その領地の半分以上はフェスクにより接収された。内外の諸侯は、伝統ある多数の諸侯を容赦なく滅ぼし、その財産を奪ったフェスクに対し、強い反発を示した。結果としてフェスクは、多くの有力な家臣を失ったうえ、アストラ全体に警戒心を惹起した。広大な新領土には統治が行き届かず、賊や非合法の支配者が跋扈する有様であった。この状況に対してフェスクは、法執行機関の強化によって強権支配を行い、反対者を徹底的に弾圧した。 フェスクの苛烈な統治に対して、諸侯も徐々に抵抗を試みるようになり、王と諸侯は水面下で激しいせめぎ合いを演じた。エスカペラ家は内部抗争により一体性を失い、もはやアストラの統一など望むべくもなくなっていた。そんな中、諸侯はフェスクを見切り、長男トーカを反体制派に引き込んだ。前353年4月11日、反乱者たちはシロン城内で一斉に決起を起こし、フェスクを捕縛。トーカがただちに王位の継承を宣言した(シロンの変)。 トーカはフェスクの恐怖政治を一新し、アストラ統一の強い意志を示した。しかし裏腹に、諸侯は王権の弱体化と諸侯権力の回復を一意に望んでいた。エスカペラ王権を支える忠誠的な領主が数多く処刑されたため、若王は強い後ろ盾を持たず、国政は有力諸侯の為すがままになっていた。それに対し、トーカの対アガン政策はその強硬的な態度が諸侯と同調し、比較的意のままに行動を始めることができた。 コトサンの侵攻 ドムルパタ戦争を契機としてエスカペラ家は大いに動揺したが、アガン家に対する備えは怠っておらず、コトサンは直接的な軍事介入の機会を掴めずにいた。代わって彼は、それまでフェスクの睨みが効いていた中立諸侯を次々に征服していった。 そうして、エスカペラ家が混乱する傍ら、アガン家は南部および中部にさらなる拡張を実現した。また、アガンは旧ヌリスタの法官を多く登用していたことで、旧王国の統治機構の継承・改良が進み、広大な領域にその支配が敷かれることとなった。加えて、エスカペラ家への侵攻準備に莫大な財産が投じられ、両家の間には大きな差が生じつつあった。 こうした背景から、コトサンはエスカペラ家に対して3度にわたる侵略戦争を発動し、往年のヌリスタ家を超える覇権を築いたエスカペラ家を、いち領主のレベルにまで没落させることになる。一連の戦争はのちのアガン朝において美名(鉤括弧内の名称)を与えられ、建国物語のクライマックスを飾る役割を担った。 「報復戦争」(第一次侵攻) 前353年、トーカは中部の中立諸侯らの取り込みに失敗し、軍事侵攻を仄めかして同盟を締結するよう脅迫した。コトサンはこれに反応し、評議会にて侵攻の議決を取ると、4月9日に10万の軍を北上させた。予兆を察知していたトーカは、12万の軍を南下させこれに対処する。ところが、両軍が睨み合いを始めた20日ごろ、コトサンとの密約に従って北方のハルモリスタ家がエスカペラ直轄領に侵攻を開始、エスカペラ家は大混乱に陥った。 この困難に対して、エスカペラ軍総司令官のイチリト家カルカは、相対するアガン軍を早急に撃破したのち、北部に転進するという方針を決めた。しかし、アガン軍総司令官のコルニト家レタイはこれを予想して大規模な野戦築城を行っており、決着を急ぐエスカペラ軍を迎撃して打ち破った(レフラの戦い)。 これと同時に北部では、当主アンタラが率いるハルモリスタ軍が次々と城砦を陥落させながら急速に進軍していた。エスカペラの注意はアガンを筆頭とした南部諸侯に向いており、北部への備えは乏しかったため、トーカは緊急徴兵を行って6万の軍を構築した。レフラでの大勝の報を聞いて決戦に挑んだハルモリスタ軍だが、ハイチカンタの戦いで敗れ、北部の戦いは停滞した。 その後、アガン軍は積極的に攻撃を敢行したが、守りを固めるエスカペラ軍を破れず、南部の戦況も膠着状態に入った。 前352年6月、コトサンは十分な勝勢を築いたと見て、講和の準備に乗り出すことになる。結果として、エスカペラ家はアガン家に対して南部領土を、ハルモリスタ家に対して北部直轄領を割譲し、また巨額の賠償金を支払うことを強いられた。 これにより、エスカペラ家は初めて本格的な敗北を喫し、アストラに弱体を晒す結果となった。「王国」の庇護により安寧を享受していた従属諸侯や周辺諸侯たちも、動乱に備えて軍備を拡大し始めた。 「突破戦争」(第二次侵攻) 晩年のコトサンは、継承の準備を進めつつ、エスカペラ家滅亡のための戦争計画を継続していた。そして前348年、アガン家諸侯が小規模な反乱を起こしたことをエスカペラ家の差し金として、南部一帯からの撤兵を要求する。これが無視されると見るや、すかさず侵攻に踏み切った。 前回苦い敗北を喫したトーカは、既存の城砦の改修と新造を進め、防衛ネットワークを整備して侵略に備えていた。このため、アガン軍が集結する動きを見たエスカペラ軍は、南部の諸城に守兵と食糧を運び込み、迎撃のための野戦軍を後方に布陣させた。また、南部の農民たちも冷酷さで知られるアガン軍を恐れ、一部は城に逃げ込んだり、洞窟や森などに避難した。 再びエスカペラ領に足を踏み入れたレタイは、堅固な城砦や機敏な迎撃体制に苦戦し、また農民の組織的な不服従に手を焼いたため、作戦の再考を強いられた。最終的に、コトサンからの催促もあり、レタイは降伏勧告や物資供出命令に従わない城や農村に対する徹底した破壊と殺戮を命じた。このような戦略はレタイをはじめ多くのアストラ貴族は忌避していたうえ、エスカペラ家やアガン家などの比較的好んで用いる者たちでさえ、裏切り者にしか用いてこなかった。しかし彼はこの一戦でエスカペラ家を撃滅すべく、抵抗者の殲滅を命じたのである。 兄カルカに代わってエスカペラ軍総司令官を務めるカライは、この状況に難儀した。惨劇の噂が伝わる中でも、前線の諸城は頑健に抵抗しており、アガン軍に多くの犠牲を強いる役割は十分に果たされていたからである。彼は全軍での決戦を訴えるトーカを抑え、防御体制の維持に徹した。 それから2年後、アガン軍はエスカペラ領の奥深くまで侵攻し、破壊された都市と殺戮された民・兵の数は甚大なものとなった。一方で、アガン軍は度重なる包囲戦と敵軍の奇襲で疲弊し、他方のエスカペラ軍は物資と兵力を蓄えたことで、レタイの着実な侵攻は危険に晒されつつあった。 前346年9月、カライは10万の兵を率いて急速に南下し、分散していた敵軍を殲滅しながらレタイに迫った。カライは奇襲効果を重視して占領地の解放よりも進撃と掃討を急いだため、レタイは「報復戦争」以来準備してきた戦争計画を全て放棄し、野戦での決戦に備えることを強いられた。 24日ごろ、猛進するエスカペラ軍をアガン軍が迎え撃った(ペルトリの戦い)。戦闘は序盤からエスカペラ軍が優勢を築いたが、その後方から占領した城砦より出撃したアガン軍が現れ、戦況は泥沼化した。その後は消耗したアガン軍が必死に反撃に出る形となり、エスカペラ軍を潰走させることに成功、自ら殿を務めたカライも激戦の中で戦死した。 この一戦により、エスカペラ軍は5万の兵と多数の将を失い、トーカはもはや和平を要求するほかなかった。前346年11月2日、両家の使節は、アガン軍によって破壊し尽くされたレサン城で講和会議を行った。エスカペラ家は南部および中部の広大な領土を失ったほか、同盟の禁止や多額の賠償金など、厳しい条件を課された。 コトサンはこの結果に勝ち誇り、主城ローナに諸侯を集めて大祝宴を催した。その中には先の戦争でエスカペラ家から奪った領主も多数含まれており、エスカペラ・アガンの力関係は誰の目にも明らかであった。 戦争の後始末を終え、コトサンはアガン家の支配権確立に動き出した。元より彼は、自らの代を全てエスカペラ家の撃破に費やす予定だったが、国際情勢の有利を見て、新秩序の建設を志したのである。前344年2月19日、コトサンは評議会で「国防令」を議決する。令文は初代ヌリスタ王カヌが発した大陸平和令を思わせるものであり、またアガン家に反抗的な者への武力攻撃を仄めかすように取れる内容も含まれていたため、アストラ諸侯はこれに対する対応を迫られた。反応はもっぱら玉虫色のものではあったが、反抗の意志を示したものは少なく、アガン家の支配が受け入れられつつあることは明らかであった。 「破滅戦争」(第三次侵攻) コトサンは国防令によって事実上の勝利宣言を発したが、諸侯の煮え切らない態度に不満を感じていた。彼の目には、落ち目のエスカペラ家が反アガン運動のイコンとなる筋書きが脅威に映っており、老境の焦りは彼を断固たる行動へと至らせた。 前342年4月5日、コトサンは国防令を背景に、エスカペラ家との停戦協定を破棄して侵攻を開始した。エスカペラ家は大混乱に陥り、このことを激しく非難したが、それに追従する諸侯は現れなかった。 宮廷の混乱によって準備のままならないエスカペラ軍は、アガン軍により高速で突破され、シロンへの肉薄を許した。トーカは勝機の薄い包囲戦を戦い抜くことを決意し、譜代の諸侯たちもこれに従って、エスカペラ家は救援の見込みもなく主城シロンに籠ることになった。 シロンは長らく包囲戦を経験していなかったとはいえ、アストラ有数の巨大城塞であり、先の戦争において補強と増築が施されていたために圧倒的な防御力を誇った。当時のシロン城には兵3万のほか市民6万が留まっていたが、備蓄食料と城内の耕地によって長期戦への備えもあった。 レタイがこの巨城に到達する前、5月10日にコトサンが80歳で急死する。アガン家は大いに揺れたが、彼の継承準備は周到であり、新たに長男のレトラが当主に就いた。宮廷の動揺とは裏腹に、レタイは命令に従って侵攻を継続した。 初めてシロンを包囲したアガン軍は、周辺の支城をあらかた落としてから、多数の投石器による攻撃を始めた。この時代において、領主の城砦はほとんどが(少なくとも主要部分は)石造の壁を備えていたが、強大な諸侯の持つ大規模な投石器部隊を用いれば、早い時には数日で破壊することができた。しかしシロンは数少ない例外であり、数多の改築を経てその城壁は常識外に分厚く堅牢なものとなっていた。最強無比のアガン軍による投石も、壁を揺るがすには至らなかった。 レタイはこれを見て城壁へのアプローチを止め、城内への投石を開始した。シロンはたちまち大混乱に陥り、多数の死傷者が出た。こうした状況が1年あまり続いた頃、レタイは敵方の疲弊を読み、ついに城門に取り付いての攻城戦を開始した。これに対し、エスカペラ軍は撃ち込まれた岩で城門を塞ぎ、攻城塔を焼き壊して抵抗したため、アガン軍の攻めは数日間防ぎ切られることになった。 しかし前340年4月18日の夜、シロン城内に突如としてアガン兵が出現し、狂乱の中で闇夜の市街戦が始まった。アガン軍は自軍の損害を抑えて敵の消耗を狙う傍ら、市内に通じる地下道を築いていたのである(*5)。激戦が繰り広げられたが、城門が開かれアガン軍主力が入城を果たすと、守兵と市民は殲滅され、辺りは死骸と血液で足の踏み場もないほどになった(*6)。幾らかの兵と市民は内壁に逃げ込んだが、すぐに突破され、城館に踏み込んだアガン家精鋭部隊が朝までにトーカを捕縛、戦争は決した。 付近のエスカペラ軍は武装解除され、トーカはオルゴンに連行された。アガン家有力者たちはコトサンの時代から、彼に厳しい和平条件と恭順を呑ませる方針で一致していたが、レトラが強硬にトーカの処刑を主張したことで、一転してトーカは秩序紊乱のかどで貫胸刑(*7)に処された。 この戦争によって、アガン家はエスカペラ領を大きく食いちぎり、大量の従属諸侯を解放することで、エスカペラ家の覇権を完全に破壊した。しかし、協定違反の侵攻と当主の処刑、そして大規模な領土拡張は、日和見諸侯に強い反感を抱かせた。結果としてレトラの体制は、諸侯らの警戒によって自由な身動きが取れず、統一に向かって足踏みをすることになる。 アガン朝の成立 統一戦争 アストラ情勢は、ほとんどアガン家の勝利と言ってよい状態であった。しかし、コトサンの征服業が惹起した警戒感に加え、レトラの高慢な態度が諸侯の神経を逆撫でしたため、アガン家は統一に向けた行動を取れずにいた。結果として、レトラの治世は征服や支配の拡大ではなく、外交工作と内政に重点が置かれる結果となった。 前325年11月12日、かねてより体調の悪化していたレトラは家督を長男エスタに譲り、隠居した。エスタは統一に強い意欲を示したが、諸侯はそれぞれ強固な同盟網を築き、彼の動きに対して抵抗した。エスカペラ家は周辺勢力との抗争に敗れ続けて瀕死の有様であったが、他の有力諸侯は非対称的な同盟によって多くの諸侯を抱え込み、侮れない勢力と化していたのである。 エスタは、戦うべき敵を絞り、その他の勢力を懐柔する方針を採った。これにはレトラ政権の外交工作が寄与し、中西部で大派閥を指導するムルスタ家・イチリト家との友好関係を樹立する一方、北部の支配者たるハルモリスタ家を主敵に位置付け、その打倒を図った。 そうした外交努力が実を結び、孤立した北部に攻め入る準備が整ったのは、前316年のことだった。4月13日、エスタは国防令を根拠としたハルモリスタ家への非難を表明し、20万を超える軍を北へと進めた。この戦いは、のちのアガン朝において「統一戦争」と呼ばれた。 ハルモリスタ家は北方のアント人によって幾度もの侵略を受け、極めて高度な防衛システムを築いていた。またアガン家は北方の地理についての知識が乏しかった。このため、侵攻は遅滞し、アガン軍は一時撤退を強いられる。 しかし、前313年に始まった再侵攻では、敵の戦術への知悉によって着実に侵攻の歩を進め、前311年1月には主城カラを包囲する。ハルモリスタ家はアガン家に政治的な牽制をするのが目標であり、徹底抗戦する意志はなかった(*8)ため、包囲が始まってすぐ和平交渉を始めた。 講和会議は、1月18日、アガン軍が占拠したタプハ城で行われた。そこでは、「国家およびアガン家に対する恭順」として、領土防衛を除く自律的な軍事行動の禁止、そして国家を防衛する戦争への従軍義務が要求された。アガン家使節は、半ば恫喝のような強硬的態度により当時としては破格に有利なこの条件を呑ませ、タプハの和約が成立した。 新たなる王国 統一戦争でハルモリスタ家を下したことで、もはやアストラからアガン家の対抗勢力は消滅し、エスタは王位を号する準備が整った。 前311年6月10日、アガン家主城ローナでは町を挙げた盛大な祝賀が始まり、祝祭は1ヶ月ほど続いた。アストラ内外から多くの人が訪れる中、王位就任式典は16日に執り行われた。エスタは真紅の布を切り裂いて現れ、「アストラの守護者」となることを宣言した。 そうして成立したアガン朝において、エスカペラ家はアガン家の正統性を誇示するために悪魔化され、「エスカペラ争乱」と名付けられた先の時代は統一後の平穏と対称的な野蛮の時代として描かれるようになった。 当のエスカペラ家は、三度の侵攻によって政治的・経済的基盤を粉砕され、その後周辺諸侯から度重なる攻撃を受けたことで、弱小領主にまで凋落した。その後の消息は明らかでないが、エスタ政権の記録には登場しないため、滅亡したと考えられる。 参考文献 相馬宏久「コトサンとは何であったか」『古代ルシュム論集』太陰出版、第6号、1961年、81-97頁。 金田美葉『王国のあとしまつ』ハルマ出版、2022年。 高野広光『古代史全説11』帝國史文、1923年。 広村啓『古代アストラ全史』赤雲社、1949年。 山井晴彦「争乱期アストラにおける南北体制の成立」『史記定鑑』創越大学出版会、第42号、1992年、45-56頁。 山野壮介『ヌリスタ王国』世界樹書店、2013年。 Altmann, Edgar. Scrap and Build Ascendncy of the Agan Empire. Archaeo Publishing, 1965. Kafra, Muritra. The House of Escapera. Imperial City Press, 1984. Averin, Stanislav. The First Kingdom Rise and Fall of the Nurista Dynasty. Archaeo Publishing, 1981.
https://w.atwiki.jp/tekiyakusaikyou/pages/2298.html
出典:マイティジャック THE SHADOW FORCE、熊谷カズヒロ、株式会社角川書店、2005年4月1日発行 【作品名】マイティジャック THE SHADOW FORCE 【ジャンル】特撮漫画 【名前】"Q"の女スパイ 【属性】"Q"の女スパイ 【大きさ】成人女性並み 【攻撃力】素の格闘能力は自身にダメージを与えられる桂の打撃を真正面から受け止められるほどのパワーがあるのでそれ相応 バラ爆弾……バラ型の爆弾を最低でも2発装備、投擲距離や投擲速度は手榴弾程度か 爆発の範囲は半径5m・直径10m程度で、普通車を丸々一台爆発炎上させたくらいの威力 任意で掌から即座に爆発させることも可能、その速度および爆風の速さは自身の打撃を軽くかわせた桂が反応できなかったので拳銃より速い 拳銃所持。威力などはそれ相応 【防御力】バラ爆弾の爆発の爆心地にいても無傷 【素早さ】数m先から撃たれた銃弾多数を発射後回避出来るくらいの反応速度、またその際に数m移動している その為短距離移動速度や戦闘速度もそれ相応 長距離移動速度は達人並み 【長所】スパイなのにモラルを重んじる正々堂々とした性格、そのお陰で最後まで生きてる 【短所】後頭部に銃を突きつけた状況で悦に入って目を瞑り逆転され、再び銃を突き付けるもペラペラしゃべりまくり機を逃すドジっ子 【戦法】相手が人間並みなら即バラ爆弾掌爆発に巻き込む、効かなければバラ爆弾投げる でかすぎて初手爆発の射程外ならバラ爆弾2発投げる いずれも効かなければ拳銃連発→撃ち尽くしたら打撃 【備考】3話の敵キャラ 画像:vol.104 103スレ目 765格無しさん2019/11/28(木) 19 05 25.40ID IHmd/bV5 あ、一応 原作で彼女は名無しの権兵衛なので、バラの女という名前は適当につけました(タイトルが「燃えるバラ」だし) 766格無しさん2019/11/28(木) 23 08 51.71ID GofxQBLT 767 それなら名前も属性と同じQの女スパイとかにした方がいいのでは? 767格無しさん2019/11/28(木) 23 23 02.52ID ni0+3Gt6 766 なるほど 作中では"Q"と書かれているので 名前も属性も「"Q"の女スパイ」としておきます 873 名前:格無しさん[sage] 投稿日:2019/12/31(火) 10 55 45.86 ID gZbJz8HX [2/3] "Q"の女スパイ考察 要するにロベルタと似たようなものなのでそっから見る ×ロベルタ 相手の方がもっと爆弾の威力がでかい+反応も早めなので不利 ○カマイタチのオジイ 爆殺勝ち ×ヤマオロシ 耐えられて光速アタック負け ×ミルドレッド 見えないので無差別爆撃くらいしか使用が無い、空中から爆撃され負け ○玉梓 耐えて爆殺勝ち ○ドラゴン無頼 爆殺勝ち ×ミュウツー 無理 デラックスファイター 開始距離的に流石に曹操軍くらいまでは行くと思うぞ △ルゥリッヒ 頑丈すぎ分け ○アダム・マッキンタイヤ 耐えて爆殺勝ち ○大牙 爆殺勝ち ミルドレッド・アヴァロン>"Q"の女スパイ>玉梓(白夜)
https://w.atwiki.jp/pepecard/pages/43.html
エンペラー 効果 ペペカード レア DAP4 ・このカードが倒されたとき、休憩場に行かず手札に戻る。 収録パック、デッキ ・ブースターパック 第1弾 紅蓮の翼 評価 ・このカードの魅力は、不死身な点だ。何度倒されても手札に戻ってくるので、再び場に出せる。DAPも4と高く、どのデッキにも使えそうなカードだ。 総合評価 ★★★★☆ タグ ・ペペカード ・R(レア)
https://w.atwiki.jp/mahouka/pages/211.html
梓弓(あずさゆみ)は、情動干渉系魔法である。 プシオンを震わせた波動で、一定のエリア内にいる人間をある種のトランス状態に誘導する効果がある。意識を奪ったり意思を乗っ取るわけではないので相手を無抵抗状態に陥れることまではできないが、精神干渉系の魔法では珍しく、同時に多人数を相手として仕掛けることができ、興奮状態にある集団を沈静化させるにはもってこいの魔法(*1)(*2)。 中条あずさだけが使える属人的な魔法で、首から提げたロケットペンダント型の専用CADに起動式を格納している(*3)。 使用条件が特に厳しい精神干渉系魔法であるが、研究機関における使用制限緩和を抜け道にして学校内使用に限るという条件で特例許可を受けている(*4)。 使用者 中条あずさ 登場巻数 1巻、7巻、20巻 コメント プシオン云々って事は、パラサイトに何か影響与えられるのかね? - 2014-11-19 03 24 13 もしかするとパラサイトを自由に操れたりするかもね - 2014-11-19 17 52 24 マナー違反のわりにこの魔法については七草がペラペラしゃべってたよな - 2016-08-05 11 04 10 マナー違反は他人の魔法について話したり詮索することだろ。あーちゃんは真由美にとって子分みたいなもん(いい意味で)だから・・・ - 2016-09-12 14 08 40 アレ? 梓弓ってエリアに対して働きかける魔法なんだろ。しかも、学校内に限るって。学校外で、個人に対して仕掛けた今回の使用は何だったの? - 2016-09-12 00 39 02 達也に掛けようとして未遂でバレたことがある。 - 2016-09-12 14 43 12 個人に使ったか判らない。魔法自体むやみに使うと処罰されるが正当性があれば問題にならない。そういう意味ではこの魔法も同じ。マテバレベルで事後承諾が認められるかは疑問だが。 - 2016-09-12 13 47 29 SSにあったっけ? 20巻の間違いじゃね? - 2016-09-22 12 43 53 その通りです。 - 2016-09-22 13 08 09 要するに音や発信源に関心を持たせる「キュアリオスティ」の呪歌。 - 2017-03-15 13 08 35 枕詞かと思った - 2017-07-10 11 40 09 あづさ弓 ま弓つき弓年を経てわがせしがごとうるはしみせよ (2021-09-26 10 43 45) 漢字違うけど「まゆみ」 (2021-09-26 10 44 05) 本人の性格的にあり得ないってだけで、犯罪者が手に入れたらヤバい能力持ちなんだから拉致されたりしないもんなのかね。 (2022-02-16 22 14 53) 瞬間的に我を忘れさせるだけで、意識を奪うわけじゃないから万引きにすら使えん。トランス状態で逆に警備を強くしかねない。 (2022-10-21 21 14 42) あずさだけが使える属人的な魔法をどうやって起動式に落とし込んだ?他の固有魔法持ちは魔法関係の家系だったりで起動式を開発する伝手があるかもしれないけど、ただの学生には既存の起動式のアレンジすら難しいのに。 (2022-04-24 22 36 38) 情動系自体が珍しいし対処が難しい種類の魔法だから研究や管理を目的にどこかの公的な機関が作ったとかはありそう。とはいえ属人的というぐらいだから起動式は不完全であずさ自身が自力で構築しないといけない部分があるんだろう。 (2022-04-25 11 13 00) 用語 系統外魔法 魔法
https://w.atwiki.jp/futabayukkuriss/pages/1336.html
「ふたば系ゆっくりいじめ 643 フェザー・メモリー(後編)/コメントログ」 面白かった -- 2010-06-11 04 33 57 なんていうか、ゆん生そのものな感じだね -- 2010-07-24 08 41 58 これは面白い!!良作 -- 2010-09-04 12 37 59 面白かった。ままならないものだね… -- 2010-10-21 20 02 19 只ひたすらキモかった。 結局最後まで物語的に子まりさを羽付きの実子にしなかった意味がわからん きっとキモい作者のキモい脳内では 僕の考えた格好良い羽付きが勝手に野良とすっきりってのはやだな 実施を見捨てたり死なせたりするのも格好良くないし・・・ じゃあ他ゆの子を身ごもった状態のゆっくりを番として連れて来た事にしよう かなり無茶苦茶だが僕の考えた格好良い羽付き為だから仕方ない 子まりさを死なすにしても羽付きが格好悪いのは駄目だ 子まりさが自分でカビありす招き入れて自分で勝手にカビをなめた事にしよう それなら僕の考えた格好良い羽付きの格好がつくな とかキモ過ぎる事を考えていたんだろうな まあしかし 子まりさがカビで苦しんでいても絶対に触らない 冷静沈着で判断力のある僕の格好良い羽付きとかキモい 人間相手に堂々と渡り合い対ゆっくりの商売をする 僕の格好良い羽付きとかいちいちキモい だいたい >…あんまりおおきなこえをださないでほしいんだぜ なんて口を人間にきいてたら即潰されるだろ まあキモい作者の大事な大事なキモくて格好良い羽付きはそんな事にならないだろうけど とにかくまあキモい厨二設定だらけだな よくもここまでキモい厨二設定ばかりを詰め込んだものだと 逆に作者のキモさ感心するよ、吐き気がするけど -- 2011-03-09 13 18 49 厨坊ほど厨二って言いたがるというのはどうやら本当らしいwww -- 2011-03-09 15 17 17 羽付きのキャラが確立している以上、実子というのは不自然さもあるだろう。 あと、カビに触れたら触れたでそこらへんのシーンや理由も書かなくちゃ いけないんだよね。 うんうん、そんなことも分からないようなバカがペラペラ得意気に語っても 見苦しいだけだよねー、わかるよー! 何と言うか、全体的に「俺の考えているものと違う」みたいなエゴが 剥き出しですんごい醜いよね。氏ねばいいのにね。 ※他人が不快に~ の注意書きも読めてないよね。ああ、「俺のは正当 な評価だから、問題ない」とでも思ってるの? 凄いお子様的発想 だよね-。 -- 2011-03-26 13 07 52 (感想の感想) もはや勝手に作った義務感でキモいって言葉を付け足している様にしか見えない -- 2011-06-09 12 38 48 作品に対する感想はひとそれぞれだと思うがよ、批判コメすんなよキモイそんな全ての人が満足できるものなんてあるわけねーだろうがその上お前みたいなキモ批判野郎ならなおさらだそれも理解できねーのかキモイ -- 2011-11-23 20 13 23 あれこれ感想に長文書いてるけど、面白かったor面白くなかったの一言のどちらかを書けば良いだけじゃないかな。キモイキモイ言ってて、結局何が言いたいのかさっぱりだよね。 -- 2012-10-30 06 42 33 羽付きまりさは妙に作者に守られてる感があるっていうのはわかるけどね -- 2013-04-11 22 16 36
https://w.atwiki.jp/ateamnews-td/pages/158.html
【エーライツ噂】モデル大橋リナが元テラスハウスメンバー今井華にキス!? 「JELLY」モデル 大橋リナ(エーライツ所属)が 元テラスハウスメンバー 今井華にキス!? 元テラスハウスメンバーの今井華(エーライツ所属)のインスタグラムにて、今井華の頬に「JELLY」レギュラーモデルの大橋リナ(エーライツ所属)がキスする写真がアップされ、注目を集めている。 左から大橋リナ,今井華 6月21日、元テラスハウスメンバーの今井華はInstagramにて、「l love you sooo much muuuuah @linaohashi 」というコメントともに大橋リナが今井華の頬にキスをしている写真をアップした。 左から今井華,大橋リナ 普段から仲の良い今井華と大橋リナ。大橋リナはコロンビア出身のハーフということもあり、ラテンの血が騒いでしまったのだろうか。 大橋リナ(エーライツ所属) 可愛らしく、二人の仲の良さが伝わる写真にファンからは「2人共に美人過ぎます(°_°)」「りなはな〜もう可愛すぎ憧れ大好きです!!!」とコメントが寄せられている。 大橋リナ(エーライツ所属) 今井華は「バイブス」という言葉を流行らせた張本人。テンションやノリを意味する言葉であり、「バイブスヤバい」「バイブス高い」などと使用する。これにより、今井は2013年のギャル流行語大賞を受賞した。 大橋リナは父親が日本人で、母親がコロンビア人。大橋リナ本人もスペイン語がペラペラだという。今井華が出演していたテラスハウスでも、今井華の恋の相談に乗る大橋リナの姿が垣間見れる。 大橋リナ(エーライツ所属) 普段から仲の良い今井華と大橋リナ。今後もこの2人から目が離せない。 大橋リナ(おおはし・りな)プロフィール 生年月日:1993年4月8日 出身地:コロンビア(※国籍は日本) 血液型:O型 身長:160cm 愛称:リナ 趣味:遊ぶ 特技:スペイン語 ⇒エーチームグループ・エーライツ所属 日本人の父、コロンビア人の母の間に生まれたハーフで、3歳までコロンビアで過ごす。2009年に東京・渋谷でスカウトされ、ギャル系雑誌「egg」の読者モデルに。2012年から「JELLY」の専属モデルとなって芸能界入りを果たす。現在、様々なファッションショーにも出演し、幅広い活動を行っている。 大橋リナ(エーライツ所属) ⇒元テラハメンバー今井華にモデル大橋リナがキス!? - 音楽ニュース ⇒「JELLY」モデル・大橋リナが元テラスハウスメンバー・今井華にキス!?【画像多数】 - NAVER まとめ ⇒元テラハメンバー今井華にモデル大橋リナがキス!? - エキサイトニュース ⇒【エーライツ噂】モデル大橋リナが元テラスハウスメンバー今井華にキス!?|エーチームオーディションに関するあれこれ ⇒今井華 公式Instagram ⇒大橋リナ オフィシャルブログ Powered by Ameba ⇒大橋リナ(@rina_oohashi)さん | Twitter ⇒大橋リナ Instagram ⇒大橋リナプロフィール|A-Light Official Website ⇒エーチームグループオーディション|所属タレント|大橋リナ ⇒大橋リナとは - はてなキーワード ⇒エーライツとは - はてなキーワード 今井華,大橋リナ 他人のメールをエサにぶっちゃけ話 大橋リナ(エーライツ所属) エーライツ エーライツ モデル エーライツ 所属芸能人 エーライツ 評判 エーライツとは エーライツ事務所 エーライツ噂 エーライツ所属 今井華 大橋リナ
https://w.atwiki.jp/keitainijiura/pages/57.html
無念 としあきNo.4032 一方そのころしもんきんは教授からもらったワープ装置を手に、三人の待つ遊廓にきていた。 「これで三人とまぐわえる。うしし!」 無念 としあきNo.4035 ~回想~ 教授「ワープ装置の使い方を教えよう。この装置は『航時機零式』という。ワープ装置とタイムマシンがセットになった代物だ。原理的には…」 しもんきん「いいから使い方教えて!早くさやかの胸でパイズリしてもらいたいし、イルヨにフェラしてもらいたいし、瀬野につっこみたい!」 教授「わかった。これが空間移動ボタンだ。そしてこっちが時間移動ボタン。両方同時に押すんじゃないぞ。わかったな。」 無念 としあきNo.4036 女郎屋についたしもんきん。 しもんきん「さやか、イルヨ、瀬野の三人つけて。夜伽つきで。」 女郎屋「いいんですかい?三人とも生娘ですから。高くつきますよ。」 無念 としあきNo.4038 「問題ない。はようせい。」 こうしてイルヨ、さやか、瀬野が連れてこられた。 「イルヨです。」 「さやかです。」 「瀬野です。」 こうして宴会がはじまった。 無念 としあきNo.4039 しもんきんが廁に立った間。 イルヨ「何このひと?黄色くてキモいんだけど」 さやか「初めてのお客こいつとか勘弁してよ。」 瀬野「あのマスクしたままする気?やだー」 イルヨ「まあいいんじゃない?ちんこ小さくて痛くなさそうだし(笑)」 二人「(笑)」 (ちなみにイルヨは『標準語』だ。この謎はやがてあきらかになる。) 無念 としあきNo.4042 宴会がおわり、夜伽の時間となった。 「さあ、まずは俺のおちんちんをしゃぶしゃぶしてもらおう。」 イルヨ「え…どこにあるの?」 そう、しもんきんにはチンポがなかったのだ! 無念 としあきNo.4044 しもんきん「いいよもう!傷ついた!俺は傷ついたぞ!帰る!」 さやか「お客さん、お勘定!」 「うるせー!」 しもんきんは懐から航時機零式を出した しもんきん「あれ、使い方どうだっけ?たしか教授は『ボタンを全部押せ』と言ったよな…?」 イルヨ「なにをごちゃごちゃと!」 さやか「逃がさないわよ!」 そしてしもんきんはボタンを全て押した。 無念 としあきNo.4046 その頃、観客席にア然とする少女がいた。 観客A「な…ななななな!?なんでや!?あれ、さやかやんか!?それに、なんで、しもんきんや教授まででとるん!? てか、なんでイルヨ役がイルヨやないねん!! つうか、あのデカ乳(※あくまでBカップをさしてです)…ウチに対しての当て付けかなんかかい!!」-------------------------------------------------------------------------------- 無念 としあきNo.4047 こうして二人と一匹は、2005年の日本に飛ばされた。 航時機の暴走により、さやかは東京に、イルヨは大阪、しもんきんはトリニダード・ドバゴに飛ばされた。二人はそこで高校生として17歳まで過ごした。 イルヨは関西弁ペラペラになったが、しもんきんはフランス語だかスペイン語だかが理解できなかったので、泳いで日本にもどった。 二人と一匹がとしあき侍の子孫に会ったのは、また別のお話。 無念 としあきNo.4050 一人残された瀬野は罰として半魚人の呪いをかけられ、町を追放された。 としあきの無人島生活第3章『としあき侍』5へ
https://w.atwiki.jp/nouryokukoukou3/pages/383.html
名前 有栖川京 性別 男 年齢 17歳 出身地 北欧 所属 能力者高校 職業 学生 パーソナルデータ 顔 童顔男子 身長 145cm 体重 37kg 血液型 AB型 一人称 オレ 特技 特になし 趣味 音ゲー「ジュビート」 ヘアカラー/アイカラー 金髪/碧眼 能力データ 完全防御(パーフェクト・ガード) 並の攻撃ならびくともしない鉄板を生やす +詳細 地面から並の攻撃では破壊できない厚さ20cmほどの鉄板を生やす。 何回も発動すればシェルター代わりにもなる。 他人を鉄板で突き上げて攻撃することもできるが、よく外れる。 任意で消滅させられるが、特になにもしない場合は5秒程度で消える。 似非錬金(ヴェント・マグナ) 任意の平面から任意の金属を生やす +詳細 課外授業により覚醒。 完全防御から「地面から」と「鉄」の制限がなくなる。 それ以外は変化なし。 瞬間鋳造(フォルミ・インスタンテニーモ) 瞬時に金属を成形 +詳細 課外授業により覚醒。 完全防御や似非錬金で生やした金属を自由に成形して扱える。 京の能力によらない普通の金属もある程度成形し直せる。 非金属部位は生成できない。 (例えば戦車を成形した場合はそのままでは砲撃も走行もできない) 戦闘技データ コイルマシンガン プラズマ化した弾丸を連射 +詳細 磁鉄3つを放射能マーク(☢)状に配置し、高速回転させることで強力な磁界を生み出し、 放射能マークの中心に生成した弾丸を次々と通過させることで連射を可能にしたいわゆるコイルガン。 弾丸はあまりの速度にプラズマ化するが、それでもレールガンには及ばない。 また、プラズマ化しているため一定距離で消滅してしまう。 戦闘スタイル +... 基本的には相手と距離をとって戦う。 主に鉄板で突き上げる攻撃がメインであり、命中率が非常に低いため、基本的には専守防衛となる。 だが防御力は高く、並の攻撃は一切通用しない。 鉄板を貫通するような攻撃や、スキを逃さず攻撃できないと勝機は薄いだろう。 のはずだったが、似非錬金により発射方向の制限、材質の制限がなくなり、 さらに瞬間鋳造により任意の武器または攻撃を繰り出せるようになったため戦闘力は格段に向上している。 ただし、同時に生成できる金属の量は制限があるらしく攻撃をすればするほど防御は薄くなる傾向にある。 人物紹介 +... 西洋系の顔立ち、狭い肩幅、童顔、長い金髪のせいで必ず女の子に勘違いされる転校生。 「京」が本当の名前なのに前の学校では苗字から「アリス」とあだ名されていた。 口調はとても悪いが、容姿のせいで全然恐れられない。 自分では日本語ペラペラのつもりだがそうでもない。 (一部カタカナになる、疑問符感嘆符を繰り返すなど) 京の能力は数少ない「強大な戦力に成長する可能性がある能力」であることが判明している。 そのためよく課外授業などを受けさせられているが、本人に全くやる気はない。 男子校出身であり、女性と話したことが少ない。(BLっ気もない) また、礼を言ったり言われたり、褒めたり褒められたりすることもあまり経験がない。 実は寂しがりや。 着せられた服 +... メイド服 キューティーハニーのコスプレ衣装 美樹さやかの魔法少女コス 有栖川語録 +... 「だーかーらーァーアリスちゃう!!!!! 男だからァ!!男だからァアア!!」 「アコヤガイのガイだな覚えた!!覚えた!!」(助迫 亥に対し) 「コレガイオンブローック!!」 「・・・ゴシュウショウザマァ」 「セイ・サムシングゥ!!!!」 名前 コメント アクセス種別 カウント数 合計 - 今日 - 昨日 -
https://w.atwiki.jp/anothermogidra/pages/462.html
-年ドラフト候補 内野手 177cm 76kg 右投左打 本庄第一→共栄大→日本生命 1994年度生 柔らかいグラブさばきと強肩が魅力の守備は一級品。都市対抗で露呈した課題の打撃は秋に修正が見られた 打撃成績 指名者コメント一覧2019年度第3回、西武:7位(18/11/17) 第4回、横浜:7位(18/12/01) 第8回、楽天:6位(19/03/23) 第10回、西武:8位(19/04/14) 第15回、阪神:8位(19/08/04) 第26回、ヤクルト:8位(19/10/08) 早朝第1回、横浜:5位(19/10/14/早朝) 第32回、楽天:6位(19/10/16/昼) URL一覧ドラフトレポート 選手査定ノート ドラフト候補の動画とみんなの評価 球歴 一球速報(打撃成績) 野球太郎 打撃成績 年度 試合 打率 打数 安 二 三 本 点 四死 振 盗 出塁 長打 OPS 18公式 - .324 71 23 - - 0 8 8 6 3 .392 .324 .716 (出塁率の分母は犠飛除く) (OPS・長打率は二塁打・三塁打を全て単打と扱う) 指名者コメント一覧 2019年度 第3回、西武:7位(18/11/17) ヴィットルくんすこすこ連盟にあなたも入りませんか 源田の後釜は決まった(決まってない(ダメです)) 第4回、横浜:7位(18/12/01) 今回取ると決めていた選手その1のヴィットルを 内野もまだまだ層がペラペラなんで即戦力ショートは補強ポイントとも合致 第8回、楽天:6位(19/03/23) ハーフのショートとか言うロマン フィジカルがあり足も早い それでいて打率六割強の上手さもありそうと実際もっと高いかも。 第10回、西武:8位(19/04/14) 好守のショート こないだみたいに源田も外崎もケガして、下手したら両方試合に出れないケースもありえるんだなあと思うとなんか欲しくなった 第15回、阪神:8位(19/08/04) あまりに不甲斐なさすぎる二遊間の補強として、守備力に定評のある即戦力ショートの彼を指名。 北條・木浪・熊谷・植田と年齢が被りまくってるが、そんなことを気にしていられる状況ではない 第26回、ヤクルト:8位(19/10/08) ショートが固定できなかったチームの救世主に 守備で金が取れる なおかつ廣岡をサード等で打撃に専念させるための最高の一手 早朝第1回、横浜:5位(19/10/14/早朝) コメントなし 第32回、楽天:6位(19/10/16/昼) コメントなし URL一覧 ドラフトレポート https //draftrepo.blog47.fc2.com/blog-entry-4349.html 選手査定ノート http //playersnote.blog.fc2.com/blog-entry-3783.html ドラフト候補の動画とみんなの評価 https //player.draft-kaigi.jp/PlayerInfo.php?PlayerId=2753 球歴 https //www.kyureki.com/player/6088/ 一球速報(打撃成績) https //baseball.omyutech.com/playerTop.action?playerId=1129428 teamId=2298 野球太郎 https //yakyutaro.jp/p/index.php?h=7HQ7QzL97j 引退・進路不明選手 名前 コメント