約 169,547 件
https://w.atwiki.jp/tosiyatosiya/pages/204.html
ベ ト ナ ム に つ い て 調 べ て み る。 ベ ト ナ ム ベ ト ナ ム に つ い て 調 べ て み る。 【やっぱりボラれた-ベトナム旅行記】 第5話)犬は産直に限る ||ベトナム旅行記|ハノイ|フエ|ホイアン|| ハノイでは犬が食べられるという。僕は未だ犬を食べたことがない。これはぜひトライしなければならない。犬料理はハノイの郊外を北に行くと食べられるらしいのだが、具体的な住所がわからぬ。ガイドブックも地図の端に「この道を2kmほど進むと犬料理のレストラン街 → 」とあるだけ、要は街の外れということだ。 僕は意を決っして自転車で探しに行く事にした。 割と広いギータム通りをえっちらおっちら、左手にタイ湖を見ながら進む。湖を過ぎると、田園と住宅が混在してくる。このあたりの住宅は3~4階立ての大きなものが多い。シルエットは中華風だが、壁はフランス風で、色使いがパステルカラーと、要は出来損ないのラブホテルのような住宅が続く。 だんだん、住宅が少なくなり、田園風景が多く入り混じってくる。でもいったいどこに犬料理屋があるというのだ。 やがて、辺りの風景がさびしくなり、道が土手の上を大きく左にカーブするあたりに、粗末な食堂が数軒建ち並ぶのが見えてきた。食堂というか、作りは日本の海の家のそれである。 ここが犬料理屋なのだろうか? 看板には「… THIT CHO …」とある。僕は買ったばかりの「旅の指差し会話帳ベトナム」を取りだし、意味を調べてみた。 THIT … 肉 CHO … 犬 そうだ、ここに間違いない。 発見!犬肉料理レストラン このあたりの犬料理屋は土手の片斜面に半高床式で建っており、道路に面した入り口は1階のように見えるが、実際は高床式の2階である。 さすがにここまでくると店員には英語もフランス語も通じない。メニューもベトナム語オンリーだ。ともかく身振りでオーダーする。が、いったい何が出てくることやら、、、というより自分でも何をオーダーしたのか解らない。 やがて、ソーセージとゼリー固めの肉のスライスが出てきた。これが犬料理か? おそるおそる箸を出す。 「う、臭い」 犬肉、それは特に最初の口当たりがなんともいえず強烈である。周りではベトナム人の家族連れが美味しそうに箸をつついているのだが、どうも僕の口にお犬ちゃんは合わないようだ。 とはいえ、この国の食文化を一介の外国人が露骨に否定するような様は見せられない。僕は日越文化摩擦を回避する指命に燃えて、香草とまぶして何とか食べ終える。 「やっと食べ終えた、ふぅ」 と思ったら、もう一皿でてきた。今度はから揚げだぁ。こんなもん頼んだっけ? でも出されたからには頼んだのだろう。これも一見普通の肉に見えるのだが、やはり独特の臭みがある。しかし日越友好のためにもう一踏ん張りする。 そして、何とか全部食べ終えたその時である。 「キャイーン!」 高床式の床下から犬の悲鳴が聞こえた。 どうやら僕は産地直送の大変新鮮な犬肉を賞味していたようであった。 (続く) もどる < 5 > つぎへ .
https://w.atwiki.jp/zensensyu/pages/3229.html
映像の世紀第9集「ベトナムの衝撃」 265 :水先案名無い人:2014/12/11(木) 10 47 59.26 ID fTZ8slss0 アナウンサー「自己満足なので誰もわからなくていいです!!!!」 全映像の世紀第9集「ベトナムの衝撃」の印象的なシーン入場!! 大統領殺しは生きていた!! 更なる研鑚を積み大犯罪者が暗殺された!!! オズワルド暗殺テレビ中継だァ――――!!! 偉大な社会はすでに我々が完成している!! ジョンソン大統領のテレビ演説だァ――――!!! 見つけしだい逮捕しまくってやる!! We Shall Overcome! シカゴの流血だァッ!!! 素手の殴り合いならブルーカラーの歴史がものを言う!! アメリカ社会の分裂 ニクソン支持派と反戦デモ隊の乱闘!!! 真の力を知らしめたい!! ブラック・パワー ストークリー・カーマイケルの演説だァ!!! 僧侶をバーベキューにしただけだが使ったガソリンはアメリカのものだ!! 仏教徒の焼身自殺 ゴ・ディン・ニュー夫人だ!!! 圧力対策は完璧だ!! イギリス国籍の監督撮影 NORTH VIETNAM A Personal Report!!!! 全ヒッピーのベスト・ディフェンスは酪農場の中にある!! ロックンロールの神様が来たッ ウッドストック音楽祭!!! ジャングルなら絶対に敗けん!! ベトコンのケンカ見せたる 解放戦線の訓練映像だ!!! サイレント・マジョリティ(声なき声)ならこいつが怖い!! ニクソン 11月3日のテレビ演説だ!!! アメリカ海兵隊から兵士が上陸だ!! ダナン上陸!!! ルールの無い戦争がしたいからデストロイヤー(駆逐艦)が攻撃されたのだ!! プロパガンダを見せてやる!!記録映画「NAVY SCREEN HIGHLITS」!!! めい土の土産に公民権とはよく言ったもの!! 黒人の奥義が今 演説でバクハツする!! キング牧師 暗殺前日の演説だ―――!!! 爆弾積載量30tこそが爆撃機最強の代名詞だ!! まさかこの航空機がきてくれるとはッッ B-52の出撃!!! 闘いたいからここまできたッ 見通し一切不明!!!! アジアのピット(ケンカ)ファイター カンボジア侵攻だ!!! これはフットボールの試合ではない敵味方の区別ができない戦争なのだ!! 村民は注意もしない アメリカ軍の地雷探査!!! ベトコンの本場は今やカムネ村にある!! ベトナム兵はいないのか!! カムネ村焼却だ!!! 長ァァァァァいッ説明不要!! 38万km!!! 到着まで4日間!!! アポロ11号月面着陸だ!!! 武器は実戦で使えてナンボのモン!!! 超実戦政党!! 本家黒人からブラックパンサー党の登場だ!!! ベルトはオレのもの 邪魔するやつは思いきり殴り思いきり蹴るだけ!! キック・ボクシング統一王者 ロブ・ロビンソン 戦闘を中継しに日本へきたッ!! NBC全米中継 テト攻勢!!! 反戦に更なる磨きをかけ ”Coming Home Soldier”ベトナム兵が帰ってきたァ!!! 今の大学に自由はないッッ!! フリー・スピーチ運動!!! 中国四千年の拳技が今ベールを脱ぐ!! 香港から 烈海王だ!!! 撃たれたのが後ろなら血飛沫は前に飛び散るはずだ!! 燃える疑惑 ザプルーダー・フィルム ケネディの暗殺だ!!! 大統領の仕事はどーしたッ 炎上の炎 未だ消えずッ!! 敬礼もダブルピースも思いのまま!! ニクソン辞任だ!!! 特に理由はないッ ベトコンが悪いのは当たりまえ!! 南ベトナム警察庁にはないしょだ!!! グエン・ゴク・ロアン! 「サイゴンでの処刑」がきてくれた―――!!! ガンジーに学んだ非暴力運動!! バプテスト派のキング牧師 ワシントン大行進だ!!! ワシントンだったらこの運動を外せない!! 怒りのデモ 国際反戦デーだ!!! 暗殺された大統領の暗殺された弟だ!! 犯人の銃を取り上げやがれッ カリフォルニアの選挙演説!! ロバート・ケネディの暗殺!!! 戦争解決はこの出来事が不可能にした!! 外交の切り札破壊!! ベトナム慰霊デモ!!! 若き王者が帰ってきたッ どこへ行ってしまったンだッ アメリカ人ッッ 南越はついに敗北したッッッサイゴン陥落の登場だ――――――――ッ 加えてマイナーネタによる混乱発生に備え他の回から超豪華なリザーバーを4名御用意致しました! ベトミン ホーチミンの太極拳(第6集)!! ダナン最終便 タラップにしがみつくベトナム人(第10集)!! 東洋の隣国!ロン・ノル政権クーデター(第10集)! 271 :水先案名無い人:2014/12/11(木) 20 04 18.62 ID 4vPkYg8A0 あれ、未改変のままだった ベトナムはオレのもの 邪魔するやつは思いきり逮捕し思いきり粛清するだけ!! ベトナム統一王者 南ベトナム 272 :水先案名無い人:2014/12/11(木) 20 05 45.92 ID 4vPkYg8A0 これもか ベトナム戦争の真実が今ベールを脱ぐ!! 戦地から 「テレビ戦争」だ!!! 関連レス 273 :水先案名無い人:2014/12/12(金) 11 05 40.73 ID vOXOT3xQ0 乙 最後の一人の到着は遅れてるんだな コメント 名前
https://w.atwiki.jp/uminomukou/pages/143.html
ベトナムのテレビ http //delicast.com/tv/Vietnam ベトナムのラジオ http //tunein.com/radio/Vietnam-r101314/ このページのもくじ 日本との位置関係 サイズ比較 全域 ハノイ【1】ハノイ ベトナムのどこ? 【2】ハノイ 周辺 【3】ハノイ アップ ホーチミン【1】ホーチミン ベトナムのどこ? 【2】ホーチミン 周辺 【3】ホーチミン アップ 日本との位置関係 サイズ比較 大きな地図で見る 全域 大きな地図で見る ハノイ 【1】ハノイ ベトナムのどこ? 大きな地図で見る 【2】ハノイ 周辺 大きな地図で見る 【3】ハノイ アップ 大きな地図で見る ホーチミン 【1】ホーチミン ベトナムのどこ? 大きな地図で見る 【2】ホーチミン 周辺 大きな地図で見る 【3】ホーチミン アップ 大きな地図で見る
https://w.atwiki.jp/tosiyatosiya/pages/200.html
ベ ト ナ ム に つ い て 調 べ て み る。 ベ ト ナ ム ベ ト ナ ム に つ い て 調 べ て み る。 【やっぱりボラれた-ベトナム旅行記】 第3話)寝台列車のトリック ||ベトナム旅行記|ハノイ|フエ|ホイアン|| 2日間ほどハノイで過ごし、夜行列車で古都フエに移動する。ソフトベットと呼ばれるベトナムでは最高級クラスの寝台車だ。キップはもう●●ホテルで57ドルで手配済。電車は21 00ハノイ駅発。●●ホテルの小僧が20 30にホテルに迎えにきて駅に連れてってくれるという。 小僧は駅まで同行し、電車の中まで僕を案内する。「ここが君の寝台だよ」意外にも最後まで面倒見がいいなぁ。●●ホテルにはバス代をボラれたが、それを除けば結構施設もサービスもしっかりしていたのでまあよしとするか。人間ちいさなことにこだわってはいけない、と僕は自分を納得させた。 小僧はキップを僕に渡し「じゃあね、ハッピーニューイヤー」と去っていった。そう、今日は12月31日。あと3時間で2002年なのだ。 夜のハノイ駅 さて、同じコンパートメントにはドイツ人らしい女性が2人いた。残念ながら、おばサンだったが、、、小僧よ、どうせならなんでかわいい女の子と同部屋のキップを予約しないのだ。ちょっとだけ気がきかないなぁぁ 21 00、定刻どおり電車は静かに駅を滑り出す。さて、フエはどんなところだろうと思いをはせる。 そして、しばらくして、ふと手渡された切符を見た。 ん? ありゃ! え”~~!! また、やられた!!!!!!!!!!!! キップには英語で、「外国人用ソフトベット、値段551000ドン」と書いてあった。。551000ドンは約37ドルである。僕はこれを●●ホテルで57ドルで買ったのだから、、、20ドルもボラれたぁぁぁ。 「小僧!戻って来い」と言ったところで電車はもう動きだしている。今にして思えば、電車に乗るギリギリまでキップを渡さなかったのもおかしいことに気がついたが後の祭り。完敗である。ともかく37ドルで買えるものを57ドルで買わされたのだ。 しかし、●●ホテルのロンリープラネットには値段は57ドルと印刷されていた。いったいこれはどういうからくりなのだろう。しばし考えを巡らす。やつらが有名な外国語のガイドブックを偽造したとは思えないし、、、 あっ、そういえばベトナム国鉄は最近外国人料金を引き下げたという話を聞いたような気がする。だとするとあのガイドブックは少し前の版だったのではないか! いずれにしても37ドルで買えるものを57ドルで買わされたのである。2日間もベトナムにいると20ドルがどれだけ大金だか解ってくる。 ともかく、ま~んまと●●ホテルにやられてしまったのだ。泊まっている時はそんなそぶりさえ見せずに。本当にベトナム人には気を抜けない。 ドイツのおばちゃん:「あなたどうしたの?」 僕 :「いやぁ、別に…」 ドイツのおばちゃん:「まあ、これでも食べなさいよ」 おばちゃんは、僕の20ドル分の損失ショックを敏感に感じたのか、バナナを一本僕に分けてくれた。「ボラれたおかげでバナナがもらえたからよしとしよう」と僕はむりやり自分を納得させようと試みたが、、、、、納得できるかいな!! こうして納得のいかない僕の2001年は、幕を閉じていったのだった。 (続く) もどる < 3 > つぎへ .
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/1214.html
427 :KY:2012/07/18(水) 21 44 22 ネタSS『ベトナムにおける反共教育』 戦後日本は植民地となっていた東南アジア諸国を購入して独立させることにしたが、これらの国家で問題となったのがベトナム共和国であった。 ベトナムはかつてホーチミン率いる独立派が日本の警告を無視して決起して華南連邦の介入を招いた。 この時、ホーチミンがやったゲリラ戦に対して華南連邦は容赦ない攻撃を加え、無関係な民間人が大勢犠牲となり、国内は大いに荒廃した。 当然ながらベトナムの華南連邦に対する感情は最悪になり、日本に対して華南連邦への報復に協力するように要請したほどだった。 当然ながら日本は復興が先であるとそれを切って捨てたが、ベトナムの国民感情が後々問題となるのは分かりきっていた。 華南連邦はイギリス勢力圏の衛星国であり、ベトナム共和国は日本の勢力圏の国家である。 もしベトナムの反華南感情が暴発してしまえば、日本勢力圏の国家とイギリス勢力圏の国家との武力衝突という考えるだけでも頭が痛い事態となるだろう。 そうならないためにも日本は統制を強めていたが、根本的な対策が必要とされ、会合の議題となっていた。 「ベトナムには本当に困ったものですよ」 「大韓帝国よりはマシだがな」 「というかあそこより酷い所はないでしょう」 「まったくですよ」 辻は麺を啜りながら同意する。 とまあ言ってる内容はまともであるが、会場がベトナム料理店で、料理を食べながら議論しているのがいろいろと台無しにしていた。 ちなみに大韓帝国は一応日本の保護国となっているが、利敵行為などで信用を失っているにもかからず、最近では厚かましくも追加の支援を求めているのだから邪魔者扱いされていた。 「しかし、何故にベトナム料理? またしてもネタですか?」 「いや、折角ベトナム料理店があるからね。ここも夢幻会の人間が経営している個人店だよ」 「いいじゃないですか。このフォーはなかなかいけますよ」 彼らの前にはフォーを初めとして様々なベトナム料理が並んでいた。 憂鬱日本では中華料理店というのは存在しない。 まあ、中国人自体がアレであるし、史実と異なり中華系は日本にほとんどいないので、中華料理店や中華街ができる土台がないのだった。 ぶっちゃけ今後もラーメンや餃子などのごく一部を除いて中華料理は流行らないだろう。 そこでベトナム料理がその穴埋めをする形で夢幻会員たちの行きつけの店となっていた。 「それで提案ですが、現在ベトナムで蔓延しているホーチミンや共産主義に対する反発を利用しませんか?」 「つまり反共を煽って、反華南から目を逸らすわけですね」 「ええ、カルフォルニアのように情報工作を行うだけでなく、歴史教育にも手を出すべきかと」 「それなら、ついでにホーチミンのやったゲリラ戦が民間人の虐殺を誘発させたと非難するのも有効だと思いますよ」 「確かにそうですね」 その場の会合メンバーも頷く。 ちなみに夢幻会はゲリラを好んではいない。 ゲリラやパルチザンというのは格好良く聞こえるかも知れないが、正規軍同士による決戦と違って、民間人を巻き添えにする危険極まりない戦法であるのは逆行者にとっては常識であった。 最も中華民国の便衣兵のように露骨なまでに民間人を盾にするよりはマシであるが、それでも華南連邦軍による虐殺を招いた。 そもそもゲリラと民間人の区別が付きにくいと言うのは極めて危険なのだ。 そういう意味ではゲリラ戦をする位しか出来ない癖に、帝国の警告を無視して決起したホーチミンは身の程知らずとしか言いようがない。 この意見に反対する者はその場におらず、採用された。 こうして、戦後のベトナムの教育現場では、ホーチミンや共産主義者は散々に評価されていくことになる。
https://w.atwiki.jp/childrights/pages/69.html
総括所見:ベトナム(OPSC・2006年) 第1回(1993年)/第2回(2003年)/第3回・第4回(2012年)OPAC(2006年) CRC総括所見日本語訳(国別)/CRC総括所見日本語訳(会期順) CRC/C/OPSC/VNM/CO/1(2006年10月17日) 原文:英語(平野裕二仮訳) 原文は国連人権高等弁務官事務所のサイト(国別情報のページまたはCRC会期一覧ページ)を参照。 1.委員会は、2006年9月22日に開かれた第1189回会合(CRC/C/SR.1189参照)においてベトナムの第1回報告書(CRC/C/OPSC/VNM/1)を検討し、2006年9月29日に開かれた第1199回会合において以下の総括所見を採択した。 A.序 2.委員会は、締約国の第1回報告書、文書回答および文書による追加情報の提出を歓迎する。委員会はまた、部門横断型のハイレベルな代表団との建設的な対話についても謝意を表するものである。 3.委員会は、締約国に対し、この総括所見は、締約国の第2回定期報告書に関して2003年1月31日に採択された以前の総括所見(CRC/C/15/Add.200)とあわせて読まれるべきであることを想起するよう求める。 B.積極的側面 4.委員会は、選択議定書で対象とされている権利を実施しかつその保護を強化するために締約国がとった措置に、評価の意とともに留意する。委員会は、とくに以下の措置を歓迎するものである。 (a) 子どものための国家行動計画(2001~2010年)。 (b) 女性および子どもの人身取引を防止する国家行動計画(2004~2010年)。 (c) 売買春の防止に関する部門横断型プログラム(2006~2010年)。 (d) ストリート・チルドレン、性的虐待を受けた子どもおよび有害かつ危険な条件下で働く子どもの防止および定住に関する全国プログラム(2004~2010年)。 5.さらに、委員会は以下の文書が批准されたことを歓迎する。 (a) 武力紛争への子どもの関与に関する子どもの権利条約の選択議定書(2001年12月20日)。 (b) 就業が認められるための最低年齢に関する国際労働機関第138号条約(1973年)ならびに最悪の形態の児童労働の禁止および撤廃のための即時の行動に関するILO第182号条約(1999年)(それぞれ2003年12月24日および2000年12月19日)。 C.主要な懸念領域および勧告 1.実施に関する一般的措置 普及および研修 6.委員会は、この点に関する締約国の活動にも関わらず、選択議定書が対象とする分野に関して公衆および国の職員の意識啓発を図るための措置が依然として不十分であることに留意する。委員会はまた、選択議定書が対象とする犯罪の被害者とともに活動する職員が、とくに被害を受けた子どもの回復および再統合に関していまなお十分なスキルを有していないことも懸念するものである。 7.委員会は、締約国が、住民、とくに子どもおよび親の間で――学校カリキュラムおよび適当な教材等も用いながら――選択議定書の規定を普及するための措置を引き続き強化するとともに、すべての専門家集団、とくに売買、人身取引、児童買春および児童ポルノの被害を受けた子どもとともにおよびこのような子どものために働く専門家集団を対象として、引き続き適切な研修を実施するよう勧告する。委員会はまた、締約国が、とくにユニセフに対し、この点に関わる技術的援助を求めるようにも勧告するものである。 データ収集 8.委員会は、この点に関して若干の進展が見られたとはいえ、選択議定書が対象とする問題についてのデータ収集が十分でも体系的でもなく、かつ十分な資源によって支えられていないことを懸念する。さらに委員会は、人身取引の分野では情報が利用可能とされているものの、子どもの売買、児童買春および児童ポルノの規模および範囲を評価するためにさらなる調査研究が必要であることに留意するものである。 9.委員会は、締約国が、子どもの売買、児童買春および児童ポルノの性質および規模に関する調査研究を行なうとともに、これらの問題に関する年齢別、男女別およびマイノリティ集団別のデータが体系的に収集されかつ分析されることを確保するよう、勧告する。このようなデータは、政策の実施状況を数値により評価するための必須手段を提供してくれるからである。 2.子どもの売買、児童ポルノおよび児童買春の禁止 現行刑事法令 10.委員会は、子どもの商業的性的搾取に関わる犯罪について新たな罪名およびより重い刑罰を導入した1997年および1999年のベトナム刑法改正、ならびに、法律を選択議定書に一致させるためのその他の努力を歓迎する。委員会はまた、2004年の子どもの保護およびケアに関する法律が、2005年青少年法とあいまって、18歳未満のすべての者を対象とするケアおよび保護について定めているという、代表団から提供された情報も歓迎するものである。しかしながら委員会は、刑法の一部規定(児童買春に関わる第254条~第256条を含む)においては16歳未満の者しか子どもとして言及されていないことを懸念する。さらに、委員会は以下のことを懸念するものである。 (a) 選択議定書第2条(c)および第3条1項(c)にしたがって児童ポルノを明示的に定義し、かつ十分に犯罪化する規定が存在しないこと。 (b) 刑法第46条で、犯罪(選択議定書が対象とする犯罪も含む)の実行者は、賠償の申し出を行なってそれが被害を受けた子どもまたはその家族によって受け入れられたときは刑を軽減されることができると定められていること。 11.委員会は、締約国が以下の措置をとるよう勧告する。 (a) 選択議定書第3条に列挙されているすべての行為を、これが18歳未満のすべての者に対して行なわれたときには明示的に犯罪とするため、刑法および適当なときは他の法律を改正すること。 (b) 加害者に科しうる制裁と被害者が請求しうる賠償を明確に区別するため、刑法第46条を再検討すること。 (c) とくにユニセフに対し、この点に関わる技術的援助を引き続き求めること。 3.刑事手続 裁判権 12.委員会は、締約国の刑法の第6条2項で、場合により域外裁判権を行使することが認められていることに留意する。しかしながら、この規定が、選択議定書第4条2項および3項に掲げられたすべての具体的状況を対象としているのかどうかは明確でない。 13.委員会は、締約国が、この点に関する具体的情報(選択議定書第4条2項および3項にいう裁判権が行使された事件の件数も含む)を次回報告書で提供するよう勧告する。 犯罪人引渡し 14.委員会は、代表団から提供された、刑事訴訟法第343条が選択議定書第5条の規定にあわせて改正された旨の情報およびこの条に付された留保は不必要となったので撤回されるであろう旨の情報を歓迎する。 15.委員会は、締約国が、選択議定書第5条に付した留保の撤回を迅速に開始しかつ完了させるとともに、必要なときは、選択議定書が対象とするすべての犯罪に関わる犯罪人引渡しの法的根拠として同条を用いるよう勧告する。 4.被害を受けた子どもの権利の保護 選択議定書で禁じられた犯罪の被害を受けた子どもの権利および利益を保護するためにとられた措置 16.委員会は、児童買春およびセックス・ツーリズムが同国でますます問題となりつつあり、かつベトナムのセックスワーカーの少なくとも10%は子どもであると考えられている旨の情報に、懸念を表明する。 17.委員会は、締約国が、売買春の防止に関する部門横断型プログラム(2006~2010年)を十分に実施することも含む手段により、児童買春と闘うための努力を強化するよう勧告する。さらに、締約国は、とくに旅行業界を対象とする具体的戦略(子どもの権利および子どもを虐待する者に対して用意されている制裁についての具体的メッセージを含む)を策定することにより、セックス・ツーリズム関連の犯罪の増加に緊急に対処するべきである。 18.委員会は、労働・傷病兵・社会問題省(MOLISA)、女性同盟、青年同盟および人口・家族・子ども委員会を含む公的機関が被害者保護のための積極的プログラムを展開していることに留意しながらも、これらの努力の多くは十分な財源を欠いていることを懸念する。さらに、委員会は、ベトナムと中国およびカンボジアとの国境に沿って国境検問所に受入れ施設が設けられたこと、ならびに、人身取引または性的虐待の対象とされた女性および子どものための受入れセンターが設けられたことを歓迎する。しかしながら、委員会は以下のことを懸念するものである。 (a) 回復および再統合のためのサービスの提供範囲が限られており、かつ十分な訓練を受けた専門家が存在しないこと。 (b) 被害を受けた子どもとの再統合の過程で家族を援助するための措置が不十分であること。 (c) 刑法第254条~第256条との関連で、買春の被害を受けた16~18歳の被害者が法律上必ずしも被害者として扱われず、かつ行政上の制裁の対象とされる可能性があること。 (d) 選択議定書が対象とする犯罪的活動に対処する、専門の警察部隊、検察官または裁判官が存在しないこと。 19.委員会は、締約国が、被害を受けた子どもおよびその家族が十分なサービス(適当なときは身体的および心理的回復、社会的再統合ならびに賠償を含む)を利用できるようにするため、予算資源の配分に優先的に取り組むよう勧告する。この目的のため、委員会はとくに、被害を受けた子どもの社会的再統合ならびに身体的および心理的回復に関する活動を行なう者の研修を強化する必要があることを強調するものである(前掲パラ6も参照)。 20.委員会はさらに、選択議定書に基づくいずれかの犯罪の被害者である子どもがそのこと自体を理由として犯罪者にも処罰の対象にもされないこと、および、このような子どもがスティグマを付与されかつ社会的に周縁化されることのないようあらゆる可能な措置がとられることを、締約国が確保するよう勧告する。委員会はまた、締約国が、選択議定書が禁ずる慣行の被害を受けた子どもの権利および利益を刑事司法手続のあらゆる段階で保護するための措置を、引き続きとるよう勧告するものである。これとの関連で、委員会は、締約国が、とくに選択議定書第8条、および、子どもの犯罪被害者および証人が関わる事案における司法についての国連指針(国連経済社会理事会決議2005/20付属文書)を指針とするよう勧告する。とくに、締約国は以下の措置をとるべきである。 (a) 被害者である子どもの個人的利益に影響がある手続において、当該子どもの意見、ニーズおよび関心事が提示されかつ考慮されることを可能にすること。 (b) 子ども向けに設計された事情聴取室ならびに被害を受けた子どもの陳述の録音および録画を含む、子どもに配慮した手続を用いること。 (c) 審理の開始を遅らせることが子どもの最善の利益にかなう場合を除き、審理が実際的に可能なかぎり早期に開始されることを確保すること。 (d) 選択議定書が対象とする犯罪を捜査する特別班を設置するとともに、警察、検察官、裁判官および関係するその他の専門家を対象として、選択議定書が対象とする分野についての体系的研修を実施すること。 5.子どもの売買、児童買春および児童ポルノの防止 選択議定書に掲げられた犯罪を防止するためにとられた措置 21.委員会は、貧困、低開発およびあらゆる形態の搾取(子どもの売買、児童買春および児童ポルノを含む)にさらされる危険性との間に直接の関係があることを認め、「飢餓撲滅、貧困削減および雇用創出に関する計画」を歓迎するとともに、社会経済政策およびプログラムの実施において締約国が子どもに注意を向けていることを歓迎する。 22.委員会は、締約国に対し、財政レベルも含めて貧困削減戦略を引き続き十分に重視するよう奨励する。これとの関連で、委員会は、締約国が、とくに農村部および遠隔地において、所得創出プロジェクトも活用しながら、不利なおよび脆弱な立場に置かれた家族の能力を引き続き増進しかつ支援するよう勧告するものである。締約国はまた、選択議定書に掲げられた犯罪を防止することを目的とした社会政策およびプログラムの策定および実施に子どもの関与を得るための措置をとることも求められる。 23.委員会は、人口・家族・子ども委員会(CPFC)が、プラン・ベトナムと協力して、子どもがカウンセリングおよび援助を受けられるフリーダイヤルのチャイルド・ヘルプライン(受付時間は1日14時間)を設置したことを歓迎する。 24.委員会は、チャイルド・ヘルプラインを拡大し、24時間開設できるようにすることを勧告する。委員会はまた、締約国に対し、さらなる防止措置をとるとともに、意識啓発キャンペーンを実施する際、NGOと引き続き連携するよう奨励するものである。 養子縁組目的の売買の防止 25.委員会は、法務省国際養子縁組局の設置および2006年の政令第69号をはじめとする、不法な国際養子縁組を防止しかつ統制するためにとられた措置には留意しながらも、国内外の養子縁組の規律および実施について問題が根強く残っていることを懸念する。委員会はまた、養子縁組分野の法律に法的空白が存在することにより、選択議定書第3条1項(a)(ii)にしたがい、適用可能な国際法文書に違反する子どもの養子縁組の仲介者として行動する者の訴追および処罰が妨げられるであろうことも懸念するものである。 26.委員会は、子どもの養子縁組に関与するすべての者(仲介者を含む)が適用可能な国際法文書にしたがって行動すること、および、とくに国際養子縁組において当該養子縁組が関係者に不当な金銭上の利得をもたらすことがないことを確保するため、締約国が法改正を含むあらゆる適当な措置をとるよう勧告する。委員会はさらに、締約国が、国際的な養子縁組に関する子の保護および協力に関するハーグ条約(1993年)の締約国となる手続を完了させるよう勧告するものである。 6.国際的な援助および協力 法執行 27.委員会は、カンボジアとの二国間協定、人身取引対策協力に関する拡大メコン圏了解覚書(2004年)、女性および子どもの人身取引を防止する地域行動計画をはじめ、とくに人身取引対策の分野で締約国が調印した地域的協定および二国間協定に留意する。しかしながら委員会は、ベトナムが、とくに中国およびカンボジアを目的地国とする、性的搾取目的の人身取引(子どもの人身取引を含む)の供給源であることを懸念するものである。 28.委員会は、締約国が、女性および子どもの人身取引を防止する国家行動計画を十分に実施する等の手段により、性的搾取目的の人身取引と引き続き闘うよう勧告する。委員会はさらに、締約国に対し、子どもの売買、児童買春、児童ポルノおよび子どもセックス・ツーリズムをともなう行為を防止し、摘発し、捜査し、当該行為に責任を負う者を訴追しかつ処罰するための国際的な司法共助および刑事共助の活動を、引き続き強化するよう奨励するものである。委員会はまた、締約国が、国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人(とくに女性および子ども)の取引を防止し、抑止しおよび処罰するための議定書(2000年)を批准するようにも勧告する。 7.フォローアップおよび普及 フォローアップ 29.委員会は、締約国が、とくにこれらの勧告を関連の政府省庁、国民議会および人民評議会に送付して適切な検討およびさらなる行動を求めることにより、これらの勧告が全面的に実施されることを確保するためにあらゆる適切な措置をとるよう勧告する。 普及 30.委員会は、条約〔ママ〕、その実施および監視に関する議論および意識を喚起する目的で、締約国が提出した報告書および文書回答ならびに採択された関連の勧告(総括所見)を、インターネット等を通じ(ただしこれにかぎるものではない)、公衆一般、市民社会組織、若者グループ、専門家グループおよび子どもが広く入手できるようにすることを勧告する。 8.次回報告書 31. 第12条2項にしたがい、委員会は、締約国に対し、選択議定書の実施に関するさらなる情報を、子どもの権利条約第44条にしたがって提出される、条約に基づく次回報告書(提出期限・2007年9月1日)に記載するよう要請する。 更新履歴:ページ作成(2011年9月9日)。
https://w.atwiki.jp/tosiyatosiya/pages/199.html
ベ ト ナ ム に つ い て 調 べ て み る。 ベ ト ナ ム ベ ト ナ ム に つ い て 調 べ て み る。 【やっぱりボラれた-ベトナム旅行記】 第7話)古都フエのボートツアー ||ベトナム旅行記|ハノイ|フエ|ホイアン|| ハノイからの夜行列車は、翌朝ベトナム中部の街フエに到着した。フエはグエン王朝の都が置かれた古い都だ。たおやかなフォン河を挟んで旧市街と新市街に分かれている。さっそく旧市街の王宮へ行ってみた。橋を渡り広場を過ぎると王宮の入り口だ。広大な敷地の中に王宮はひっそり佇んでいた。 フエ王宮 残念なことに、王宮内の建造物はほとんど残っていない。あのベトナム戦争でこの王宮がそのまま戦場となり、現存する建造物は僅かしかない。優雅で壮大な全容は館内の模型で想像するしかない。 しかし、時が止まったようなその空間の居心地のよさは十分に訪れるに値する。 翌日はボートツアーで郊外に点在する寺や廟を巡ることにした。ベトナムの観光地にはこの種の安いツアーが充実している。このツアーもランチ付きでたったの3ドルである。(ただし、寺や廟への入場料と、船付き場から見所までのバイクタクシー代は別) 朝8 00、小さな船は河をゆっくり遡り始めた。船には15、6人の外国人観光客が乗っている。この船の客室乗務員は推定年令6才の女の子だ。名前は確かユンちゃんだった思う。 このユンちゃん、仕切りがすごい。小さな船はちょっとでもバランスを崩すとすぐ傾いてしまう。巨大な西洋人観光客が一方に集まると危険だ。ユンちゃんの罵声がとぶ。「おまえ、こっち。あんたはそっち!」 身長120cmに満たないユンちゃんの命令に180cmを超える大男がすごすごと従う。たいした子供である。 10分ほど進むと船は辺鄙な川岸に接岸した。おいおい、ここには何もないだろう。するとユンちゃん、ひょいっと船を下りて、岸辺の民家に隠れてしまった。 船頭:「彼女はちょっくら朝飯食べてくるから、ちょっと待ってろ。」 この船では誰もユンちゃんに逆らうことはできない。大の大人15人はお姫様のお食事が終わるのをひたすら待つことになる。 再び船は出発する。船内では乗船客名簿が配られ、自分の名前を記入していく。最後に僕のところに名簿が回る。僕は自分の名前を記入しようとすると、ユンちゃんに止められた。 ユンちゃん:「あんたは書いてはだめ」 僕 :「どうして」 ユンちゃん:「あんたで乗客16人になるから。この船15人乗りなの」 というわけで、定員オーバーにつき僕は存在を抹消されることに相成った。 僕 :「それなら値段はタダかな~?」 するとユンちゃんは「だったら降りればぁ」と言うかわりに船の外を指差した。 ユンちゃん、すいません。僕が悪うございました~。 一時間ほど河を遡ると船ははやがてカイディン帝廟の入り口の船着場に到着した。ここからはバイクタクシーで帝廟に向かう。片道2万ドンだ。ややぬかるんだ山道をバイクタクシーは慎重に道を選びながら進む。途中起伏の激しい所もあり、ちょっとしたスリルが楽しめる。 カイディン帝廟 さあ帝廟についたぞ。僕は2万ドン札を運転手に渡す。 運転手はひったくるようにお札を受け取る、そして 運転手:「ユー、ちょっと待って」 僕 :「??」 運転手:「これ5千ドン札ね」 僕 :「あーごめん間違えたぁ」 ベトナムの2万ドン札と5千ドン札はともにブルーのインキで印刷されてるので、非常に紛らわしくて間違えやすい。僕は今度はしっかり確かめて2万ドンを支払った。 帝廟はしっとりと落ち着いていいところである。山中のハス池がとても優雅だ。同じツアーの旅行者と言葉を交わす。 僕 :「やーさっき、僕、お札を間違えて渡しちゃったよ。」 旅行者:「君ね、それ、とても古典的な手にあったんじゃない」 僕 :「あうっ、あうっ」 そうか。やられた。2万ドン札をひったくるとすかさず手持ちの5千ドン札にすりかえたのだな。くやしい~! 案の上、帰りのバイクタクシーも「これ5千ドン札ね!」とやってきた。さすがの僕も二度は騙されない。(しかし、こんな古典的な手に一度でも引っかかるとは我ながら情けない。) ミンマン帝廟 トゥドゥック帝廟、ミンマン帝廟、ホンチェン殿、ティエンムー寺とボートは進む。バイタクの洗練されたテクニックにはまったことを除けば、楽しい船旅であった。 (続く) もどる < 7 > つぎへ .
https://w.atwiki.jp/tosiyatosiya/pages/203.html
ベ ト ナ ム に つ い て 調 べ て み る。 ベ ト ナ ム ベ ト ナ ム に つ い て 調 べ て み る。 【やっぱりボラれた-ベトナム旅行記】 第9話)バスは進むよホイアンへ ||ベトナム旅行記|ハノイ|フエ|ホイアン|| フエからホイアンまではツアーバスで移動する。本来3ドルなのにハノイのホテルで10ドルで買ってしまったデラックスバスのはずだが、、、実際はかなりくたびれた韓国製の中古バスである。 満員の外国人旅行客を詰め込んでバスは朝8 00過ぎにフエの街を離れた。 15分ほど経ったであろうか。バスはのろのろと街はずれで停止した。運転手と助手が車の下にもぐり込み、なにやらエンジンのあたりを点検しだしたゾ。5分経つ、バスは動かない。10分経つ、まだ動かない。 そのうちバスの床下から、なにやらガンガン金槌を打つ音が聞こえ始めた。「何事だ」と乗客がぞろぞろ見物しに降りてくる。運転手と助手は床下でドロだらけになって、なにやらパーツを交換している。オイオイ大丈夫かぁ、このバス。 乗客も「これはすぐには修理できんな」と諦めたのか、近くの屋台でメシを食い始める者もちらほら。僕も煙草を一服しながら、バスの修理を眺めていた。なんかパイプから水が漏れているようだ。 しばらくすると不良品のパイプが外された。「これは部品交換だな」と誰もが思ったその瞬間、運転手は意外な行動に出る。 運転手はその辺に転がっていたビニール袋を亀裂の入ったパイプに巻き付け出した。続いて近くの自転車屋でゴムチューブを購入。はさみで開いてゴムテープを作り、それをまたぐるぐる巻いて補強する。さらにどこからか針金を調達し、固定。そんなんで修理完了かぁぁぁ、と思ったら本当にそれで終わりだった。 ウソみたいな修理を終えたパイプは、バス後方座席の床下に再び取りつけられた。あの~、そのパイプの真上って僕の座席なんだけど、、、 1時間後バスはやっと走り出した。はたしてこのバスで難所のハイヴァン峠を超えられるのだろうか? 途中ランコーという海辺の村の食堂で休憩する。ここはフエからホイアンへ向かうツアーバスとその逆のバスがともに立ち寄る。反対側から来た旅行者が「いやー峠で結構バスがエンコしてましたよ、ハハハ」などとのたまう。不安である。 ところでランコー村は、元ベトナム在住のKさんもお勧めの、落ち着いたいい感じの村であった。もう一日時間があればぜひ一泊したかったが、、、残念だが日程が足りなかった。 そのランコー村を離れ、いよいよバスはハイヴァン峠の急な坂道に挑みだす。右に左に迂回する山道を上ってゆく。海ギリギリまで山が迫り、眺めがとてもすばらしい。が、ところどころで故障して動けなくなってるバスを見かける。やっぱり不安だわさ。 難所、ハイヴァン峠 ともかくバスは峠を上り切った。峠の上でまた休憩だ。すると少数民族の物売りたちがあれ買え、これ買えと集まってきた。ひとりの少年がやってきた。 少年:「おまえ日本人だろ」 僕 :「そうだよ」 少年:「これは何ドルだ?」 少年は370円程の日本のコインを差し出すではないか。日本人観光客からもらったのだろう。 少年:「3ドルくらいだろ、ドルと交換してくれ。日本のコインはベトナムでは交換でき ないんだ。お前なら国に帰って使えるだろ」 なんと、こんな子供なのにしっかりドル円レートを知っている。大したものである。 ふと、ここで僕はある実験を思いついてしまった。今日は2002年の1月3日。1月1日から事実上欧州以外では交換できなくなったあの仏フランを試してみよう!いったいどんな反応をしめすのだろうか? 僕 :「仏フランでどうかな。」 少年:「だーめだよ、そんなのもう使えないよ。」 おおお、この子供。仏フランが使えないことまで知っている。あっぱれである。いったい日本の子供でドル円レートを知っている子供が何人いるだろう、いや日本の大人ですら仏フランが使えないことを知らなかったりするのに。。。。 休憩が終わり、バスは峠を下る。麓はベトナム第3の街ダナンである。が、乗客の旅行者はほとんど下りない。みなホイアンを目指すのだ。 ダナンから程なくバスは最終目的地ホイアンに到着した。 (続く) もどる < 9 > つぎへ .
https://w.atwiki.jp/eirei/pages/608.html
啓定帝(カイディンてい)、阮福昶、阮福宝嶹阮朝1885~1925統率:D 武力:D 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------阮朝第12代皇帝。同慶帝の子。幼く病弱だったため成泰帝が即位したが、維新帝が追放されるとフランスに皇帝に擁立される。阮朝の威信を回復しようとフランスの監督下で多くの法令を制定し、公文書の表記方法もクオック・グーに改められた。多くの民主人士が逮捕され、国民からはフランスの傀儡皇帝と批判された。 維新帝(ズイタンてい)、阮福晃、阮福永珊阮朝1900~1945統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------阮朝第11代皇帝。成泰帝の子。父がフランスの圧力によって退位させられると、7歳で皇帝となる。後にファン・ボイ・チャウが組織した「ベトナム光復会」の叛乱計画に呼応するが、フランス側に退位させられてマダガスカル島沖のレユニオン島に流刑にされた。 成泰帝(タインタイてい)、阮福宝嶙、阮福昭阮朝1879~1954統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------阮朝第10代皇帝。育徳帝の子だったため、王宮内に軟禁状態だった。皇帝即位後は西洋文化に興味を持ち、親仏姿勢を見せた。しかし、実際はフランスに反抗心を持っており、それが露見すると退位させられ、ベトナム南部のブンタウやマダガスカル島沖のレユニオン島に流刑にされた。後に帰国が許されたが、軟禁状態だった。 咸宜帝(ハムギてい)、阮福明阮朝1872~1943統率:C 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------阮朝第8代皇帝。建福帝の弟。兄が毒殺されると皇帝に即位する。抗仏勤皇大蜂起の檄を発してフランスへの抵抗を訴えた。フランス側は兄の同慶帝を立て、咸宜帝に帰順を呼び掛けたが、農村を転々として抵抗を続けた。後に捕らえられ、アルジェリアに流された。 ホー・チ・ミン(胡志明)、グエン・アイ・クォック(阮愛國)ベトナム民主共和国(ゲアン省)1760~1837統率:A 武力:B 政治:B 知力:A 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------ベトナム独立運動の指導者。ベトナム共産党を創設する。第ニ次世界大戦ではベトナム独立同盟(ベトミン)を組織し、反仏、反日運動を指導した。ベトナム民主共和国の初代大統領となり、インドシナ戦争、ベトナム戦争を戦う。社会主義国家を推進し、『国父』と仰がれた。 レ・ズアン(黎筍)ベトナム(仏領インドシナ連邦クアンチ省)1907~1986統率:B 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------南北ベトナムが統一されるとベトナム共産党中央委員会書記長に就任して最高指導となる。南ベトナムの社会主義化を進め、ソ越友好協力条約を締結してソ連との関係を強化した。一方で対立する中国が支援するカンボジアに侵攻(中越戦争)したが、国際的孤立を招いて経済を悪化させた。 レ・ドゥク・ト(黎德壽)、ファン・ディン・カイ(潘廷凱)ベトナム(仏領インドシナ連邦ナムディン省)1911~1990統率:C 武力:B 政治:C 知力:A 文化:B 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------レ・ズアンの部下で第一次インドシナ戦争やベトナム戦争を戦った。アメリカのキッシンジャーと秘密会談を重ねてパリでの和平協定を実現させた。その功績でノーベル平和賞が贈られたが「ベトナムにまだ平和が訪れていない」と受賞を辞退した。
https://w.atwiki.jp/4423/pages/936.html
編集する。 2021-12-08 18 47 37 (Wed) - [[]]とは、 videoプラグインエラー 正しいURLを入力してください。 リンク内部リンク 外部リンク 出典、参考 リンク 内部リンク [[]] [[]] 外部リンク 編集する。 2021-12-08 18 47 37 (Wed) - 出典、参考