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for my information 聖人崇敬:http //d.hatena.ne.jp/mallion/20080827/p1 三位一体:http //d.hatena.ne.jp/mallion/20080829/p3 抜き書き <聖人崇敬> ○それで聖人への祈りというのはかいつまんでいえば「○○さん、わたし[たち]のために祈ってください」というものです。神への祈りとは根本的に違うんです。 それで、キリスト教徒はわりあいと気軽に「どうかわたしのためにお祈りください」ということをいいます。生きているもの同士でです。聖人にそれをいわば話しかけるのが聖人への祈りです。なんで永眠したなかで聖人だけそういう祈りの対象になるかといえば、それは教会=信者の共同体が「この人はすでに天国にいる人だよね」という確信をもっているから <三位一体> ○キリスト/神/聖霊の三位ってそれなんて(ry 聖三位は「父と子と聖霊(聖神)」です。 「父なる神」と「ロゴス (λόγος) である子なるイエス・キリスト」と「聖霊」の順番で言えということですね。 違います。順序はさして問題ではない。その言い方は子が神であり聖霊が神であることを曖昧にする、だからよろしくないということです。正教会ではそれを協調して「神父」(かみちち)「神子」(かみこ)「神聖神」(かみせいしん)というような言い方もいたします。 ○位格というやつについて言えば、とりあえず「父と子と聖霊は一つの神と3つの顕現である」という表現が必ずしも間違っているかというと微妙なのですがw、とりあえず「一つの実体」が想定されつつも、「三つの位格はそれぞれ自立存在である」という点に注意しなくてはいけません。 上の表現に誤謬があるとすると、「一つの神が(人に対して)三つの姿を投影している」という感覚を与える点がまずいですかね。三位格が仮初めの顕現で本体として神がいる、というわけではないのです。それぞれ等しく至聖な三位格があって、本質が同一である、という順番で考えるとよいかと。 ○単純化して言いますが、まず 両性説=イエスは神にして人である(神性かつ人性) 単性説=イエスは神である(人性は神性に吸収された) 仮現説=イエスが人として現れたのは仮初めの幻のようなものであり、霊的な存在がそう見せかけただけであった(人性の完全否定) アリウス派=神は唯一であり、イエスは人であって神の養子(人性) ネストリウス派=神のイエスと人のイエスがあり、両性は区別される と考えて下さい。んで、Brittyさんがおっしゃるように、問題は「イエス・キリストとは何か」に集約されます。 今に至るキリスト教正統派、つまりニカイア・コンスタンティノポリス信条ひいては三位一体論を支持する諸教会の教理とは、「愛に溢れた神が、人=被造物となって(受ける必然性がないのに、愛故に)難苦を自ら受け、それを通じて人類の罪を贖った」というものですが…… まずイエスが人(のみ)だとしたらイエスの受難自体の神聖性が削がれます。神である存在が人として自ら受難したからこそ、全人類の罪を贖えたというわけです。次にイエスが神(のみ)だとすれば、人として受難したのではないですから人の罪を贖うことはできない(というか、ヘブライ的「贖い」に必要な「生け贄」になれない)。というわけでイエスが「神にして人である」と考えられたわけです。 この「正統派」と、それが排斥した種々の論派の対立点は「イエス・キリストは本来的に人(被造物)であったのか否か」「イエス・キリストは本当に人になったのか」「イエスは贖いの後も人であったのか」といった点にあったのですが、そうした論点の背後には「(キリストの)贖罪と、それによる救いの神聖性」という問題があったのです。 ○ただ瑣末なことですが「単性論」については注意が必要です。単性論教会といわれている教会は自派の教説を単性論と理解されることを拒絶しており、そのなかでもシリア正教会は東方正教会のアンティオキア総主教座と「両派の教説はたんに言語表現の上での差異であり根本的には一致している」を旨とする合意文書を交わし、完全相互倍餐関係にあります(ただし他の正教会はこれを承認していません)。 ○まあ細かいことを言い出したらキリがありませんしね。今の文脈では、現存しない「真の」単性論派だけ想定して問題ないでしょう。といいますか、多分勉強したらその辺は「単性論と言われることもあるが――」と知れるかと。 ○ともかくも根幹にある「キリストとは何か」を理解することがなぜあの時代に斯くも切要に求められたかといえば、それは聖体機密(mysterion)において信者がキリストと一体になることが救いをもたらすということに当時の人々が極めて自覚的であったからではないかと私は理解しています。 <サクラメント> ○キリスト教は門外なので、別の観点から。 キリスト教徒は秘蹟を通じて、かつ通じてのみ、有効なキリスト教徒たり得ます。が、この秘蹟を行使する個体は、正式なヒエラルキアに沿っていなければなりません。 ここで問題になるのは、神学・教義上の問題がある個人が施した秘蹟が有効か、それとも無効かということです。特に、事前にはその異端が明らかではなく、さらに異端が明らかになったときには既に死んでしまっているような人が一番の問題になります。救済を受ける可能性は生前の行いによってのみ定まるのが原則ですから。 結局、多くの場合には「錯誤により異端者から秘蹟を受けた場合、その秘蹟は有効」と裁定されるのですが、しかしながらこれは完全ではない。 従って、司牧にとって、自分が異端者と真偽決定される(神学は論理を以て構成されるため、必然的に真偽が決定可能な部分を有します)ことは、個人の破滅ではなく他者の、それも最も護るべき弱者の破滅を意味しかねません。 これが、善良である司牧達が善良であるが故に、神学・教義論争において自己の絶対的正統性を示さざるを得ない理由となっています。 この点をわきまえずにいると、神学論争を理解することができません――敬意を欠く人間に、信仰を理解できるわけもないのですから。 聖職者は自分が正しいと主張しないと、論理的に間違っていることになり、つまるところ異端とみなされ、(自分だけなら良いとしても、自分から洗礼等を受けた)随従の者も一緒に地獄落ちになってしまう、ゆえに神学論争は死んでも勝たなければならないということですか。 そうですね。責任問題になっちゃうんですよ、構造上。なので、引くに引けないんです。 ○ただ一方で、少なくとも西方教会においては in ordo「行為において有効」という考え方があり、所定の方式によって有資格者が執行した秘蹟は、合法性のあるなしにかかわらず[=地元司教の認可済み]、有効であるという見解だったように思います。あとで時間のあるときにCCCを確かめて見たいと思うのですが、これはおっしゃるとおり、他者、すなわち秘蹟を受ける側の福祉の顧慮(オイコノミア)から来る規定だろうと私も思います。一方、東方正教会では合法性と有効性と分けて考えるということをあまりしませんので、たんに「ふさわしくない」とした上で個別事例についてそのつど判断するというようだったように覚えています。 ○伝統的教会においては、洗礼同様に叙階もまたサクラメントなわけです。というわけで極端な話、しかるべき手続き(=サクラメントとして成立する儀礼)で叙階使徒継承が保たれている限り(=キリスト→使徒→司教→司教……という叙階関係が成立してさえいれば)、洗礼を授けるものの神学的立場の如何に関わらず、理論上は常にその洗礼は有効ということになるでしょう。まあ、極端な話であって、概ねアドホックな判断がされてきましたが。 とは言えこのような姿勢は多分に現代的なもの――近代エキュメニズムの所産――というところがありますし、特に今回の文脈のような時代の話だと、やはり各地の司教は己の教徒らの魂を背負って論争していたと言っていいのではないかと。何よりS師の発言はどの時代のキリスト教の云々とかではなく、人の魂を預かる意味での聖職者一般の話をしているわけですしね。 ○そのとおりですね。そしてそれは今でも変わらない。ですが一方で、教会は外からみえるほど文言に rigid に縛られているわけではない、というのも事実です。これは伝統的教会とプロテスタントのような新しいところとで若干異なるかもしれませんが。 zeb さんの「(自分から洗礼等を受けた)随従の者も一緒に地獄落ちになってしまう」というのは機密の有効性の理解からするとちょっとどうかなと思います。正しくない司牧、正しくない礼拝によって自他共に大罪を犯す→司牧者は己の適切さについて常に自覚的であるよう要請されている、というのはその通りだと考えますが、その表現についてそういうことが通時的にいいえるのか私は具体的な例を知りません。それを諾うのでしたら、具体例をご教示いただければ幸いに存じます。 ○zebさんの表現に関しては諾うつもりはなく、私も如何なものかとは思いますが、何らかの意味で専門分野として足を突っ込んでるのでなければそのような理解でもまあいいのではないか、程度には思われますね。特に、世間では「神学論争」という単語が「現実離れをした実りのない論議」というような意味で揶揄に使われているわけですし、そのイメージを補正しようとしているからには許容されるべき行き過ぎかと。 あんまりこっち方向に行き過ぎるのもアレですね。一般に我々が扱っているようなファンタジー世界だと、聖職者にとっては神性が授ける魔法という形で己の真理性証明は日々為されているわけですから、神学論争にそこまでの切実性はないかもですな。むしろ深刻な敵は、現代で言う宗教学じみた連中か。グローランサでは神知者とか……第6世界の信仰系マジシャンは大変そうですね。 ○ヨーロッパで神学論争が机上の空論のようにいわれたのは啓蒙思想あたりからかと思います(カントも特殊形而上学についてぼろかす書いています)、神知者的アプローチなのかもしれず。ただ信心と教義あるいは祭儀の意味と形式の関係に自覚的でない読者にとって、あるいはそこで問われている教義そのものを意味がないと断じる立場からは、「現実離れをした実りのない論議」にみえても仕方ないかと思います。かの「あんぱんミサ」に私は他人事ながら震え上がるのですが、この感覚はおそらく食パンでも無酵母のナンでも自由に用いるプロテスタント諸派の方には、共有が難しいのではないかとも思います。 ゲーム内神学論争についていえば、ルナーとその外の部族外ではどうでしょう。東西教会で伝承と教義の細かい話をはじめると共通の土台を確かめつつ机の下で足を蹴りあうような感じになることが多いのですが、案外そんな感じじゃないのかなと思ってます。
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ファンタジア さあこの手をみな取るがいい 美しきものたちよ さあ!! 幕が上がる。 そして、“彼”が現れる。全ての語り手たちの後ろに。 “彼”こそは、正義。 “彼”こそは、裁き。 “彼”こそは 復讐。 概要 Feuille-Morteによる演劇をテーマにした1枚+1冊。 本作は劇作家「ロベルト・ドーソン」が作った劇「ファントマ」という体で構成されている。 1曲1曲が「怪人「ファントマ」と不幸な少女たちに焦点を当てた短編劇」になっており、物語性が極めて高い。 ゲキノウタからの続編ではあるが、ファンタジア単体でも十分楽しめる。 基本的にストレートな作風に加えて冊子による解説もあるため、考察難易度は高くない。 物語っぽい作風が好きならば万人におすすめ。 また、キャラごとに別の人が声を当てているため、ボーカルが7人もいる超豪華仕様(ゲキノウタを含めると頼経 遥さんも入るため8人)。 小ネタ ブックレット 演劇の台本形式。 特に物語性が強い作品なので、音楽を聞きながら読むのがおすすめ。 ブックレットとは別にペーパーが2枚封入。 1枚には「ジャケットと1曲目の歌詞」が、もう1枚には「クレジットと登場人物のスケッチ」が乗っている。 冊子 セットのB5サイズの冊子。 まさかの美術館の「展覧会図録」形式。 「画家イルヴァ・コリンスカーがロベルト・ドーソンのファントマの世界を描いた絵画の解説」という形でイラスト要素はこちらにまとまっている。 ロベルト・ドーソンの生い立ち等の解説もあり、ネタバレ要素が強いので一通り視聴した後に見るのがおすすめ。 CDケース CDのトレー部分は凋叶棕定番の透明なものではなく、不透明な黒いものが使用されている。 単に色合いを揃えただけなのか・・・それとも・・・ 表示(ネタバレ要素が強いもの) ロベルト・ドーソン 前作「ゲキノウタ」に出ていた作劇家。 スペルはRoberto・Dawson。 曲リスト トラックナンバー 曲名 スターイング 再生時間 備考 01 最後の犠牲者へ めらみぽっぷ [06 12] 02 序幕 怪人 めらみぽっぷ [02 00] 朗読形式 03 第一幕 或る幸せの帰結 nayuta [05 13] 04 第二幕 羊の夢 ランコ [05 50] 05 第三幕 踊れオフィーリア 中恵光城 [05 59] 06 第四幕 月だけが見ていた 葉月ゆら [05 30] 07 第五幕 失われし氓 Φ串Φ [07 17] 08 第六幕 分かたれた命 藍月なくる [06 57] 09 終幕 ファントマ 全員 [08 01]
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ポジション別 フリスタ攻略
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スタジオ表移行済みです。 http //www.r326.com/b/main.aspx?id=tuatkon こちらを利用して下さい。 何かあったらweb係まで。
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アミュージアムOSC店 住所 東京都練馬区東大泉2-34-1 オズ・スタジオ・シティ2F 最寄り駅 西武池袋線 大泉学園駅 からバス「泉39・39-1」で3分 営業時間 10 00~24:00 最終確認日 2021/06/07 設置機種 ルイージマンション アーケード その他(メンテ等)
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燃えプロ!最強編 【もえぷろ!さいきょうへん】 ジャンル スポーツ(野球) 対応機種 ファミリーコンピュータ 発売元 ジャレコ 発売元 トーセ 発売日 1991年11月22日 プレイ人数 1~2人 定価 6,700円(税別) 判定 良作 ポイント はじめての選手名、球団名公式認定前作の難点を克服(歴史は繰り返す?)ペナントレース復活過去作のいろいろいいとこ取り 燃えろ!!シリーズ 概要 変更点 評価点 問題点 総評 その後の展開 余談 概要 『燃えろ!!プロ野球』のシリーズ第5弾であり、ファミコンでの最終作。 基本的に前作のスタイルを踏襲しつつ、前々作までのようなペナントレースが復活した。 また本作は日本プロ野球公認で選手名や球団名が実名になった。 パッケージでも全12球団の球団旗が顔を揃えている。 試合のシステムは全体的に前作に準じている。 本項目では前作からの変更点を中心に記述する。 変更点 球団名、選手名が全て実名になった。 初代でも実名だったが「実際の球団・人物とは関係ありません」という形ではなく、日本プロ野球機構公認で正式名称になった。 その一方で前作で登場した、往年の名選手たちは姿を消している。 選手データは1991年シーズン終了時に準拠している(一例として高沢秀昭がロッテに戻っている(*1))。 再びペナントレースが復活。 現実同様130試合制で70勝すると優勝となる。もちろん長丁場なので旧来通りパスワードで再開できる。 日本シリーズも元通り再現され、日本一を達成する(4勝する)とエンディングになる。 「守備レーダーシステム」を導入。 守備のアングルは前作のままだが、本作ではレーダーのようなグラウンドの縮図が追加され、外野手のポジショニングが把握できるようになった。 そのため、外野手が画面外にいる状態でも操作してボールの落下点に近づけることが簡単になった。 前作のような不公平なDHも解消された。 プレイヤー同士対戦できるオープン戦では、後攻側のチームに合わせてDHの有無が決定される。 つまり後攻側がセ・リーグならばDHなし、パ・リーグならばDHあり。 前作のファインプレーなども「テクニカルポイント」としてしっかり踏襲。 ファインプレーを決めたり、ピッチャーなら三振を取ったりするとプラスされ、逆に三振やエラーなどによるマイナスがある。 白い星マークがプラスで、黒い星マークがマイナス表示。 評価点 前作のおかしな点は全て解消された。 前作のような不自然に広いバットの当り判定もなくなり自然になった。 異常なほど遅いスローボールはバッチリ修正された。 まるで『初代』→『 88決定版』の歴史を繰り返している? 守備時も「守備レーダー」のおかげで外野守備もグンとやりやすくなった。 これにより、自動補正がなくても外野手を予め動かすことができるようになり、一層リアル野球に近づいた。むしろこれはもっと早く導入するべきだったのでは? ただ、画面外に消える打球の高さに関しては感覚で慣れなければならない。 球場再現もなかなかリアル。 前作よりも観客のグラフィックがよく描けている。 試合前に球場の外観を再現したカットが入るのだが、これが当時の本物をしっかり再現できている。 試合前に入るたったの1カットだというのに、非常にこだわりが感じられる。 ただ、スコアボードに関しては一昨年の『新』に比べれると、再現度は低い。 ファインプレーなどもバッチリ盛り上げている。 上記のテクニカルポイントの中で、守備でファインプレーを見せると専用のカットが入り、派手にフラッシュしてそのプレーをとことん盛り上げている。 問題点 実名になったのはいいが不完全な部分もある。 外国人選手まで平仮名な上に、文字数も少なく濁点や半濁点まで1文字扱いなので再現できていない選手もいる。例・「ブラッドリー」(巨人)(*2)の表記が「ぶらどり」 あの悪名高い『スーパーリアルベースボール 88』はそこまでバッチリ再現できていた。 折角公認で実名になったのに、守備ポジション概念は復活せず。そのため現実のキャッチャーはハナから打力の高い外野手あたりにポジションを奪われる。 元々リアルをウリにしており、実名化でそれが一層強まったにもかかわらず、これが復活していないのは残念なところ。 「ワー」の歓声とバッティングの効果音が混じると、後者の方が消される。 歓声よりもバットの音の方が大事なので優先度が間違っている。 一応、画面が投球に切り替わったとき、歓声が消えるまで落ち着いてワンテンポ置けば避けられる。 また前作同様3アウト後でも2塁(得点圏到達)で「ワー」という不自然な点は直っていない。 総評 前作をベースに旧来スタイルのゲームに戻したような形になったが、結果的には元々理想としていたスタイルになったと言えるだろう。 初代以来実名となり(しかも公式で)、『 88』で完成されたペナントレースシステム、また『新』での実在球場の再現、更に前作のような好プレーをフィーチャーするテクニカルポイントなど、まさに「これまでのシリーズのいいとこ取り」のようになった。 リアル路線ながらポジションは復活しないままという残念な部分もあるが、ファミコンでのシリーズ最終作として、「最強」という名に恥じないものになった。 その後の展開 本作を最後に年次リリースは打ち止めとなる。 次に正式な名前でのリリースは1994年のスーパーファミコンソフト『スーパー燃えろ!!プロ野球』まで待つことになる。 余談 1988年に日本プロ野球の公認ライセンスがなければ実名を使えなくなってから、ライバルシリーズはいずれも選手名は変名してきたが、1992年3月に『スーパーファミスタ』(FCでは1992年12月の『ファミスタ 93』)、1993年12月に『スーパー究極ハリキリスタジアム』、更には1994年3月にはファミスタシリーズに代わって野球ゲームの覇権を握った『実況パワフルプロ野球 94』など、続々と公認で実名を使うようになった。 そう考えると本作自身はヒットとは程遠いが、その流れを作ったと言えなくもない。 上記の『スーパーリアルベースボール 88』はリーグもない単戦のみで、しかも細かい操作こだわりすぎたせいで過度に複雑なものになり現在は野球クソゲーの最高峰のように扱われているが、野球ブーム真っ盛りだったこともあって「日本プロ野球公認、選手はすべて実名」という触れ込みの影響は大きく(*3)、実は当時60万本というかなりのヒットを記録している。 そう考えると本作もそのブーム全盛期である『 88決定版』の頃にちゃんとライセンスを取って実名を使用していればその初代同様ミリオン達成も夢ではなかった(*4)かもと考えると遅きに失したことが惜しまれる。 [部分編集]
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ハリスター とは、【ワリオランド3 不思議なオルゴ~ル】のキャラクター。 プロフィール 作品別 元ネタ推測 コメント プロフィール ハリスター 他言語 初登場 【ワリオランド3 不思議なオルゴ~ル】 トゲトゲしている小柄なキャラクター。 作品別 【ワリオランド3 不思議なオルゴ~ル】 無敵。太っている時なら触れても影響はない。 元ネタ推測 針+スター コメント 名前 全てのコメントを見る?
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当サイトはすべてがキリスト教の研究・解説を目的としているが、ここでは敢えてキリスト教とは何かについて簡潔に示す。 キリスト教の定義 キリスト教には大きく分けてカトリック、プロテスタント、正教会など多くの教派が存在するが、いわゆる正統派と異端(キリスト教として認められないもの)があり、ここでは正統派である最低限の条件を示す。 1.三位一体の神を崇拝すること キリスト教では、三位一体の神として、「父なる神」「子なるキリスト」「聖霊」を崇拝する。大きな特徴は、「父なる神」と「子なるキリスト」と「聖霊」は互いに異なる存在である者の、「父なる神」と「子なるキリスト」と「聖霊」はいずれも唯一神の異なる位格(ペルソナ)であるということである。 これは同時に、イエスが「神の子」であり「メシア」であることを信じることでもある。 2.イエスの十字架上の死により原罪が償われたと信じること イエスはローマ帝国により磔刑に処されたが、これは神が人類を救う計画であり、汚れ無き存在である神の子イエスを生贄として捧げることで、イエスが人類の罪を代わりに償ったと考える。これはイザヤ書53章で、主のしもべについて「彼の受けた傷によって、私たちはいやされた」とあることがその根拠である。 3.イエスの死と復活を信じること イエスは十字架の上で亡くなったが、3日後になり復活した。これは霊的な復活だけでなく、肉体も伴った復活であるというのが正統派の見解である。 4.聖書以外の啓示を認めないこと キリスト教では、イエスの時代にはすでに成立していた旧約聖書と、イエスやその弟子たちについてまとめた新約聖書の二つの聖典のみを用いており、これらが唯一の普遍的啓示であると考えられている。したがって、聖書以外の啓典や啓示を用いる場合にはキリスト教とは見なされない。(ただし私的啓示に関しては必ずしも認められないわけではない。) イエスの教え 律法の内面化 イエスは形式主義的な人々に対して、実質的に律法を理解して、信仰に生かすよう求めた。この一例が、安息日の労働である。「安息日に働いてはならない」という形式主義を押し付けるファリサイ派に対し、イエスは「安息日は人のためにある」と批判を交わし、安息日に労働する農夫をかばっている。 神の無償の愛 アガペー 神が人間を無償において、限りなく愛していることは、イエスが弟子たちや人々に述べ伝えている。 山上の垂訓においても、「敵を愛せ」という教えで、「神は、善なる者にも、悪なる者にも、変わることなく、太陽の光の恵みを与えてくださる」というように、人間をその行為や社会的地位や身分や性別などによって区別せず、恵みを与えてくれる存在として宣明されている。またイエスは、知人や友人、家族などを愛するだけでは十分ではない。そういうことは異邦人や取税人もしている。わたしの教えに従う者は、みずからの「敵」さえも愛さねばならないとして、単なる「隣人愛」以上の普遍的な人間愛を語っており、このような愛を通じて、「神の子」となりえるのであるとしている。 これらのことは、放蕩息子や良きサマリア人のたとえ話の中でも示唆されている。 ここでイエスが述べている「愛する」という言葉は、ギリシャ語原文では αγαπειν という動詞であり、この動詞の名詞形が「アガペー」である。イエスはアラム語で話していたと考えられているため、イエス本人がアガペーという単語を用いたわけではないが、福音記者は「愛」と訳せる4つのギリシャ語の単語(エロース (ερως、性愛) 、フィリア (φιλια、隣人愛) 、アガペー (αγαπη、自己犠牲的な愛) 、ストルゲー (στοργή、家族愛) )の中から「アガペー」を選択したのである。 このように、何の見返りを求めない無差別・無償の愛があることをイエスは述べ伝え、この愛のもとに人間はみな平等だと言った。 イエスの黄金律 マタイ7 12やルカ6 31には「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」という教えがある。このような「他人から自分にしてもらいたいと思うような行為を人に対してせよ」という内容の倫理学的言明は、多くの宗教、道徳や哲学で見出されるが、ユダヤ教やイスラム教、ヒンドゥー教や孔子の『論語』においては、いずれも「人にしてもらいたくないことは、人にしてはならない」という内容である。そのため、現代の欧米において「黄金律」という時、一般にイエス・キリストの「為せ」という能動的なルールを指すことが多い。 【倫理】第7回 イエスの教え Wikipedia 異端見分けハンドブック 26 キリスト教三大異端の特徴(The Characteristics of The Three Major Cults)
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【名前】 ミュージアム 【読み方】 みゅーじあむ 【登場作品】 仮面ライダーW 【詳細】 園咲家が中心となり、人間を理想的に進化させる名目の下、「ガイアメモリ」を開発や流通させている組織。 トップの「園咲琉兵衛(テラー・ドーパント)」は警察組織さえも介入出来ないほどの絶対的な力があり、風都における影響力は非常に高い。 活動開始の時期は不明だが、「井坂医師がテラーの姿を目撃」、「ビースト・ドーパント ゾーン・ドーパントによる現金輸送車強奪事件発生」、「優秀な科学者が拉致され、ガイアメモリの研究をさせられていた」など、少なくとも10年前から活動をしていたらしい描写があった。『MOVIE大戦CORE』にて10年前からガイアメモリの販売を開始した事が判明する。 ガイアメモリは非合法の物で闇のセールスマン達によって密かにばらまかれている。 組織の中枢部は園咲邸地下深くにある神殿のような場所。井戸のような場所で「地球の記憶」を入手してガイアメモリを生産し販売。 財団Xと呼ばれる支援組織から援助を受けつつ、最終的な目的は「地球の記憶」の解明と掌握にある。 園咲家を「最高の家族」にする事。 また、人間を絶滅させる事なく、永遠の存在とする事も目的としており、星の記憶を全て「クレイドールエクストリーム」に宿し生きたガイアメモリ生産工場とする「ガイアインパクト」を引き起こそうと画策していた。 フィリップの抵抗によってメインプログラムたる彼の意志と肉体はクレイドールから分離し、「テラー・ドーパント」もCJXに敗れた事で幹部級はほとんど全滅し、壊滅する事になった。 ミュージアムは「博物館」を意味するが、実際に琉兵衛は風都博物館の館長で、劇中では学芸員が鳴海探偵事務所へ依頼に来たりしている。 組織が壊滅しても、ガイアメモリは根絶されたわけではなく、ミュージアムが存在した当時に流通していたガイアメモリを使用した犯罪は後を絶たない状況にあり、壊滅から1年後には「ミュージアムを継ぐ者」と称した「EXE」という組織も誕生(「EXE」も活動開始後に仮面ライダーによってすぐに壊滅したと思われる。)。流出物が多い。 後日談の『MOVIE大戦CORE』でも仮面ライダーとしての仕事は減っていないらしく、照井竜との結婚を控えた鳴海亜樹子は「仮面ライダーアレルギー」とされるほどの仮面ライダー嫌いになってしまっていた。
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【名前】 ミュージアム 【読み方】 みゅーじあむ 【登場作品】 仮面ライダーW 【詳細】 『仮面ライダーW』に登場する敵組織。 園咲家が中心となり、人間を理想的に進化させる名目の下、ガイアメモリを開発・流通させている。 トップである園咲琉兵衛は警察組織さえも介入出来ないほどの絶対的な力を持ち、風都における影響力は非常に高い。 活動開始の時期は不明だが、「井坂医師がテラーの姿を目撃」、「ビースト ゾーンによる現金輸送車強奪事件発生」、「優秀な科学者が拉致され、ガイアメモリの研究をさせられていた」など、少なくとも10年前から活動をしていたらしい描写があった。 『MOVIE大戦CORE』にて10年前からガイアメモリの販売を開始した事が判明する。 ガイアメモリは非合法の物で闇のセールスマン達によって密かにばらまかれている。 組織の中枢部は園咲邸地下深くにある神殿のような場所。 そこにある井戸のような場所で「地球の記憶」を入手してガイアメモリを生産し販売している。 財団Xと呼ばれる支援組織から援助を受けつつ、最終的な目的は「地球の記憶」の解明と掌握にある。 園咲家を「最高の家族」にする事。 また、人間を絶滅させる事無く、永遠の存在とすることも目的としており、星の記憶を全てクレイドールエクストリームに宿し生きたガイアメモリ生産工場とする「ガイアインパクト」を引き起こそうと画策していた。 しかし、フィリップの抵抗によってメインプログラムたる彼の意志と肉体はクレイドールから分離し、テラー・ドーパントもCJXに敗れた事で幹部級はほとんど全滅し、実質上壊滅する事になった。 ミュージアムは「博物館」を意味するが、実際に琉兵衛は風都博物館の館長でもあり、劇中ではそこの学芸員が鳴海探偵事務所へ依頼に来たりしている。 この組織が壊滅してもなお、ガイアメモリは根絶されたわけではなく、ミュージアムが存在した当時に流通していたガイアメモリを使用した犯罪は後を絶たない状況にあり、壊滅から1年後には「ミュージアムを継ぐ者」と称したEXEという組織も誕生している(しかし、EXEも活動開始後に仮面ライダーによってすぐに壊滅したと思われる)。その他にも流出物が多い。 後日談の『MOVIE大戦CORE』でも仮面ライダーとしての仕事は減っていないらしく、照井竜との結婚を控えた鳴海亜樹子は「仮面ライダーアレルギー」とされるほどの仮面ライダー嫌いになってしまっていた。