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原文 Du plus profond de l occident1 Anglois2, Ou3 est le chef de l isle4 britannique5 Entrera classe dans6 Gyronde7 par Blois, Par vin8 sel9, feuz10 cachés aux barriques. 異文 (1) l occident l Occident 1588-89 1597 1600 1605 1610 1611 1627 1628 1644 1649Xa 1650Ri 1653 1660 1665 1668P 1716 1840 (2) Anglois anglois 1660 (3) Ou 1557U 1557B 1568A 1588Rf 1588Rg 1589PV 1590Ro 1649Xa 1649Ca 1668A Où T.A.Eds. (4) l isle l Isle 1600 1611 1627 1628 1649Xa 1660 1668P 1672, Lisle 1589Rg (5) britannique 1557U 1557B 1589PV 1660 1668 Britannique T.A.Eds. (6) dans dans la 1665, en 1672 (7) Gyronde Gyrande 1557B 1589PV, Gyron de 1588-89, Gyronne 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1716 1840, Garonne 1672 (8) vin Vin 1672 (9) sel se 1589PV, 1649Ca, tel 1600 1610 1716, sei 1588Rf 1589Me, Sel 1672 (10) feuz 1557U 1557B 1568A 1589PV 1590Ro feux T.A.Eds. (sauf souz 1588-89, ceux 1600 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1716 1867LP, saux 1672) 校訂 2行目の Ou は当然 Où の方が良い。 ジャン=ポール・クレベールは1行目と3行目の語末が Anglais / Blais (Blaye) の可能性に触れた。 日本語訳 イングランド西方の最奥部から ― そこはブリテン島の指導者のいる場所 ― 艦隊がブロワを経由しジロンド川に入るだろう。 ワインと塩の代わりに火器が大樽に隠される。 訳について 前半は「ブリテン島の指導者のいるイングランド西方の最奥部から」とすべきだが、各行に対応させる必要上、2行目を挿入的に訳した。 大乗訳前半「英国の最西部から/英国諸島の首長のいるところに」(*1)は、2行目冒頭の関係詞 Où の処理が不適切。また、この場合の島は単数形である。 同4行目「ぶどう酒と塩や火で樽にかくれるだろう」は、ワイン、塩、火が並列なら の位置が不自然で、前半律の切れ目とも対応していない。また、受動態の処理の仕方も微妙である。 山根訳の前半「イギリス西部の奥底から/イギリス諸島の首領がいるところ」(*2)も大乗訳同様、関係詞の処理が不適切である。 同4行目「ワインと塩により 大樽に隠された火」は直訳としては正しい。ただし、中期フランス語では feu に「兵器」(engin militaire)の意味もあり(*3)、文脈からはそれが適切だろうと思われる。 信奉者側の見解 テオフィル・ド・ガランシエールはブロワとあるのはブライユ(Blaye)の誤植だろうとしたが、具体的な事件には触れなかった(*4)。D.D.は川をガロンヌ、ブロワをブライユとする読みを踏襲し、次の詩とひと続きのものと捉えた(*5)。 その後、ロルフ・ボズウェルとアンドレ・ラモンが1940年代に相次いで解釈するまで、解釈は途絶えていたようである。 ボズウェルは第一次大戦中のマルヌの戦い(1918年)と解釈した(*6)。 ラモンは近未来にイギリス軍がフランスに侵攻すると解釈した(*7)。 ヘンリー・C・ロバーツは英国艦隊がフランスで機雷を敷設すると解釈したが、時期は明記していなかった(*8)。日本語版では、英国艦隊がフランスで水やビールを奪うという解釈をしたことになっているが、原文と大きく食い違っている。 セルジュ・ユタンはアメリカ軍によってフランスが解放されたこととした(*9)。 同時代的な視点 ピエール・ブランダムールはノストラダムスの複数の書き物をもとに、彼がイギリスをヨーロッパの西端と認識していたことを指摘していた(*10)。この場合も、イングランドからさらに西の果てへということではないのだろう。 ピーター・ラメジャラーはフロワサールの年代記などに基づいて、百年戦争中の出来事を描写した詩ではないかとした。 コメントらん 以下のコメント欄はコメントの著作権および削除基準を了解の上でご使用ください。 アメリカ独立戦争、ナポレオン戦争(トラファルガー海戦)などで活躍したイギリス海軍提督、ネルソン -- とある信奉者 (2010-12-25 21 18 16) 名前 コメント
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変態アフロ(改名前:けねちん) ≪成績≫ 総対戦数 1003戦 勝利数 247勝 勝率 25% 累計BP 12093pt 最大連勝数 5 最大RP 2385 総合 戦績 4790戦 2382勝 2408敗 勝率 50% ナポ 戦績 1098戦 639勝 459敗 勝率 58% 副官 戦績 869戦 512勝 357敗 勝率 59% 連合 戦績 2823戦 1231勝 1592敗 勝率 44% ≪ギルド≫ わいナポ♥HOMIES(ギルドマスター) ≪コメント欄≫ わいナポの一応ギルマスの・・・ 変態です・・ 仲良くわいわい遊びましょ^^ HP http //wainapo.grupo.jp/ ≪受賞歴≫ ≪所有アカウント≫ 名前 ギルド 備考 えびたん わいナポ♥HOMIES えびたんだぉ ぬるま湯温泉 フェリス13 1年よいこ組 ナポにはならない ≪活動期間≫ 2008年~現在 ≪ログイン曜日/時間帯≫ ≪イクサーネーム由来≫ アバターがアフロの変態 ≪サイト≫ ≪記事≫ 皇帝を極めし者 殿堂入り (一人パーフェクト達成 5回) 元ヒーローズどうでしょうの会メンバー。 ギルド解散後はわがままなピッチャーに入団するも退会。
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百詩篇第2巻 58番 原文 Sans pied ne main par dend ayguë1 forte Par globe2 au fort deporc3 4 laisné5 nay Pres du portail6 desloyal7 se transporte8 Silene9 luit, petit grand emmené10. 異文 (1) par dend ayguë 1555 1840 dend ayguë 1557U 1557B 1568A 1568B 1568C 1590Ro 1591BR 1772Ri, dent ayguë 1568I 1589Rg 1589PV 1590SJ 1611A 1628 1649Ca 1650Le 1656ECL 1668 1981EB, dent aigue 1588Rf 1589Me 1672, dend ayuë [sic.] 1597, dendayguë 1600 1610 1716, dent aygué 1605 1649Xa, dent aygue 1611B, dents ayguë 1627 1630Ma, dents aiguë 1644 1650Ri 1653 1665 (2) globe glob 1600 1610 1716, globle 1656ECLb, Globe 1672 (3) deporc 1555 1840 de porc 1557U 1557B 1568A 1588-89 1589PV 1590SJ 1590Ro 1627 1630Ma 1644 1649Ca 1650Ri 1650Le 1653 1665, de port 1568B 1568C 1568I 1591BR 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1656ECL 1668 1716 1772Ri 1981EB, de Port 1672 (4) et est 1656ECL (5) laisné 1555 1840 lainé T.A.Eds. (sauf l aine 1588-89, l aisné 1590SJ 1649Ca 1650Le 1653 1665 1668, l Ainé 1656ECL, laisne 1672) (6) portail portal 1627 1644 1653 1665, Portail 1656ECLb (7) desloyal dessoyal 1590SJ, d eloyal 1665 (8) se transporte transporte 1557U 1557B 1568 1590Ro 1591BR 1605 1611 1628 1649Xa 1772Ri, transporté 1588-89, transport 1597 1600 1610 1716, le transporte 1656ECL 1672 (9) Silene s il ne 1588Rf, S il ne 1589Rg 1589Me, Seline 1672 (10) emmené emmene 1588-89 (注記)1656ECLは p.149 と p.449 とで若干原文が異なるため、後者のみに見られる異文を1656ECLb とした(前者のみに見られる異文はなし)。 校訂 ピエール・ブランダムールは1行目 dend を dent と校訂している。エドガー・レオニ、エヴリット・ブライラーら、ブランダムールに先行する比較的信頼性の高い論者も同様に読んでいた。ブランダムールやピーター・ラメジャラーはその直前の par を堅持しているが、ブリューノ・プテ=ジラールは省いている。もっとも、プテ=ジラールはその部分に何の注記もしていないため、何らかの誤認なのかもしれない。 問題は2行目で、初版の deporc が de porc の誤植だったことは疑いのないところであろうが、残る部分には様々な可能性が指摘されている。 ブランダムールは au fort (要塞で)を au front (額に)とし、laisné (古フランス語の lainé は「羊毛の」の意味(*1))を laye (laie, 雌猪)と校訂した。ピーター・ラメジャラー、リチャード・シーバースらは au front とする読みは踏襲しているが、laye は支持せず、「羊」の意味を導いている。 かつてブライラーは2行目について、globe を glèbe (耕地)とするのをはじめ、様々な校訂の候補を示していた。以下、引用しておく(*2)。併記した和訳はブライラーの英訳を考慮しつつ、当「大事典」で付けたものである。 Par glèbe au fort deporté est l aisné (要塞近くの耕地を通って連れ去られるのは長男) Par glèbe au fort deporté esloigné (要塞近くの耕地を通って連れ去られた者が遠くへ) Par glèbe au fort de porc est esloigné (要塞近くの耕地を通って(その者は)豚により遠くへ) 日本語訳 足も手も持たず、鋭く強い歯を備え、 額に球を持つものが雄豚と雌猪から生まれる。 不誠実な者が門扉の近くへと赴く。 セレネは輝く。小人も大人も連れ去られる。 訳について 前半はピエール・ブランダムールの校訂を受け入れた。ピーター・ラメジャラーやリチャード・シーバースの読み方を受け入れるなら、「雄豚と雌猪」ではなく「豚と羊」となる。「校訂」節で触れたエヴリット・ブライラーの校訂は面白いが、1行目とは整合しておらず、支持できないだろう。 4行目 Silene は変則的なつづりだが、月の女神セレネのことであろう点は、ブランダムール、ラメジャラー、シーバースらに異論がない。 後半も彼らの間で一致している読みに従った。分詞が単数ではあるが、こういう場合に直前の名詞に引き摺られることはノストラダムスの詩では珍しいことではない。 なお、petit grand の一方を名詞、他方を形容詞と見なして「小柄な偉人、下級の貴族」あるいは「偉大な子供」が連れ去られる、と訳すことも出来ないわけではない。The little prince と英訳したブライラー、little great one と英訳したエドガー・レオニはそのスタンスと思われる。ただし、その場合は一人の人物ということになるだろう。ブランダムールの読み方の場合、単数形でも子供一般、大人一般と理解する余地はあったが、「小柄な偉人」や「偉大な子供」は一般化できる存在ではないからだ。 既存の訳についてコメントしておく。 大乗訳について。 1行目 「足も手も 鋭く強い歯もなく」(*3)は大乗訳の底本に基づく訳としては誤りではない。上の「異文」節からも明らかなように、初版以外のほぼ全ての古版本が1行目の par を省いてしまったため、sans (~なしに)が「歯」にも係るように読めていたからである。しかし、手足と違い、歯は生えないままで生まれる方が自然なので、その読みを支持すべき理由はないだろう。 2行目「港のまん中で 球体から初めに生まれ」は誤訳。fort をmiddle と英訳しているのはヘンリー・C・ロバーツ(さらに遡ればテオフィル・ド・ガランシエール)も同じだが、語学上の根拠が不明である。港で要塞が築かれるのは中心部だから、ということだろうか。さて、ロバーツ/ガランシエールは最後を and the first born と英訳している。この the first が「第一子」の意味なのは明らかで「初めに」と副詞的に訳した大乗訳は誤っている。the first という英訳自体は、laisné を l aisné と校訂した場合には成立する。 3行目「門の近くで反逆者に追放される」も誤訳。se transporte は代名動詞なので「自らを運ぶ」つまり「赴く」「移動する」の意味である。大乗訳はロバーツの英訳に引き摺られたものだろうが、そもそもロバーツ訳はガランシエールを引き写したものである。ガランシエールの場合、原文を le transporte と改変しているので、「裏切り者が彼を移す」=「裏切り者によって移される」という訳が成立する。ところが、ロバーツは原文を se transporte に直しておきながら、英訳をガランシエールから丸写ししたためにチグハグなことになってしまったのである。 4行目「月は輝き 小さな子供はもちさられるだろう」も誤訳。上で述べたように petit grand はいくつかの訳し方がありうるが、「小さな子供」としてしまったのでは grand が全く訳に反映されなくなってしまう(ロバーツ訳では the little great one となっている)。なお、大乗訳はロバーツの解釈を「外国が夜中に、住民を連れさる」と訳しているが、実際には「一人の異邦人(異星人)による、ある偉人の一人の子供の誘拐が夜に起こるだろう」(A kidnapping at night, by an alien, of an infant belonging to a great one, shall take place.(*4))と述べられており、なぜ訳でも解釈でも grand にあたるニュアンスを一貫して無視しているのか、根拠がよく分からない。 山根訳について。 1行目 「足も手もなく 強い歯をもち」(*5)は、aigue (鋭い)にあたる形容詞が抜けている。 2行目「群衆のなかから要塞化された港へ 長子が誕生」は、かつてエドガー・レオニが展開した読みをある程度取り込んでおり、かつては受容されうる読みといえた。しかし、port (港)は porc (豚)の誤植である疑いが強く(後述の「懐疑的な見解」参照)、現在では問題なく受容できる読みではなくなっている。 3行目「門の近く 裏切りの 彼が踏み越える」は底本の違いもあるのだろうが、(se) transporte を「踏み越える」と訳出することが疑問。 4行目「月が照らす 弱々しく 大略奪」は emmené を過去分詞ではなく名詞的に理解し「連れ去られること、持ち去られること」の意味で捉えたものだろう。可能かもしれないが、やや強引にも思われる。 信奉者側の見解 1656年の解釈書では、過去の事件とは結びつけず、さる婦人が産む長男が手足を持たない代わりに猪のような鋭い牙をもって生まれてくる予言と解釈した(*6)。 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、Silene を「月」と訳した根拠をギリシア語を引き合いに出しつつ説明し、4行目をほとんどそのまま敷衍したようなコメントをしたにとどまった(*7)。 匿名の解釈書『暴かれた未来』(1800年)は後半2行のみを解釈し、フロンドの乱(1648年 - 1653年)におけるマザラン枢機卿と解釈した。3行目の「不誠実な者」はマザランで、彼に連れ去られる「小さな偉人」(petit grand)は当時まだ子供だった国王ルイ14世と解釈したのである(*8)。 アンリ・トルネ=シャヴィニー(1860年)は、ナポレオンのセント・ヘレナ島流刑(1815年)と解釈した。ナポレオンはその弁舌(鋭い歯)以外の武力を失ったのであり、2行目 fort de port (港の砦)とは、ナポレオンが投降する直前に逗留した港ロシュフォール(Rochefort)を指す。2行目の「長子」(l aisné)はナポレオンとの合意を反故にしたイギリスの摂政ジョージ(国王ジョージ3世の長子、のちの国王ジョージ4世)、4行目の Silene にはエレナ島(Isle Elene)と綴るために必要な文字(E, I, L, N, S)が全て込められており、まさしく「小柄な偉人」(petit grand)のナポレオンはそこに連れ去られた、という具合である(*9)(フランス語では Elène と Hélène の発音は同じ)。 彼の解釈の基本線はヴライク・イオネスク(1976年)が引き継いだ(*10)。イオネスクは Silene を Selene と綴っており、これを S. Elene すなわち Sainte Helene と理解した。 イオネスクの解釈は竹本忠雄(2011年)が踏襲した(*11)。 なお、これらの解釈では luit (輝く)は lui (英語の him や her にあたる)と読みかえられる。 トルネ=シャヴィニーの解釈を大まかにエドガー・レオニが紹介していたためか、エリカ・チータム(1973年)もナポレオンと結びつける簡略な解釈を示していた(*12)。 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1938年)はルイ17世のタンプル塔への幽閉と解釈した(*13)。この解釈は、息子のジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌが踏襲した(*14)。 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)は上の「訳について」の節で引用したように、漠然とした有力者の子息の誘拐事件とする解釈しか示していなかったが、娘夫婦の改訂版(1982年)ではリンドバーグの息子の誘拐事件(1932年)とする解釈が追加された(*15)。 セルジュ・ユタン(1978年)はルイ16世のヴァレンヌ逃亡事件と解釈していた(*16)。しかし、ボードワン・ボンセルジャンの補訂(2002年)では、Silene を「三日月」と解釈し、イスラーム指導者による事件の予言で、ビン・ラディンのことではないかとする解釈に差し替えられた(*17)。 懐疑的な見解 チータムの解釈については、その日本語版では、(おそらく日本語版監修者によって)ナポレオンは長男ではなく次男だったという情報が追加され、ナポレオン説が否定されている。しかし、これは無意味な批判だろう。上で見たように、最初に解釈したトルネ=シャヴィニー以来、「長子」をナポレオンと解釈した論者は(チータムも含めて)存在しないからである。 当「大事典」はナポレオン説に否定的ではあるが、さすがに誰も主張していない点に批判を加えて否定するのは、批判として意味をなさないと考える。なお、上記の日本語版はナポレオン説を否定する一方で、代案は何も示していない。 さて、ナポレオン説については、原文校訂と詩法上の疑問を提示できる。 「訳について」の節でも触れたが、de port は1568年版のうち、1568B(当「大事典」の区分。ギナール式には1568A)以降のバージョンにしか見られない。初版の deporc は単なる空白の入れ損ねであろうし、生前の版である 1557U (およびその海賊版と思われる 1557B)、生前の非正規版の流れを汲むらしいパリ系の1588-89およびアヴィニョン系(?)の1589PV、そして1568年版の中で最も古いと考えられる1568A(ギナール式には1568X)が de porc としている以上、de port は死後版の単なる誤植と考えられる。 他方、 laisné が l aisné の誤植の可能性は否定できない。l や n で始まる語ではアポストロフ(アポストロフィ)が余計に付いたり、脱落したりということが珍しくなかったからである。しかし、2行目の前半律(最初の4音節)は Par globe au fort (/front) までであって、 信奉者側解釈にしばしば見られる au fort de port までをひとまとめにしたうえで、l aisné を分ける読みは、韻律の区切り方として不自然な印象を与える。 同時代的な視点 「手無し」のモチーフは百詩篇第1巻65番、百詩篇第2巻62番などでも登場しており、ノストラダムスが描く奇形児の特色のひとつである。また、歯を持って生まれる子供についても百詩篇第2巻7番(未作成)、百詩篇第3巻42番などにも見られる。 この場合は、そうした特色を備えた怪物が豚と猪(または羊)から生まれてくるとされている。ピーター・ラメジャラーはコンラドゥス・リュコステネスの報告にはこのような怪物の記録がないことを認めつつも、当時のローカルな風聞だったのだろうと判断している。実際のところ、16世紀当時にはこの種の怪物の噂はありふれたものだった。額に球体、というのが意味不明なようだが、ピエール・ブランダムールは瘤の形状と理解している。当時はラヴェンナの怪物(百詩篇第2巻32番参照)の描写のように、様々なモチーフを組み込んで怪物を描くことは珍しいものではなかったのだし、その程度の装飾はおかしなものではないだろう。 ブランダムール、高田勇・伊藤進らは、前半が後半の予兆になっていると見る。すなわち、前半に描かれた怪物の誕生は、後半に描かれた都市の陥落を告げるものだったということである。後半は、都市の城門に裏切り者が赴いて(門を開けて敵を呼び込み)、町の住民たちは大人も子供もなく捕らわれてしまう、ということであろうという(*18)。 こうした読み方が正しいかどうかはともかく、少なくともノストラダムス生前の版の原文に依拠する限りでは、港や長子の出る幕はない。なお、この詩で使われているのは過去分詞と現在形のみで、未来形は一度も出てこない。 その他 SF作家の山本弘は、ノストラダまス系のパロディ解釈例として、この詩は球(卵)から手足も鋭い歯も持たない幼虫として生まれた「最初の子」、すなわち『モスラ』第1作目とする解釈を示した(*19)。 この解釈は従来の不適切な訳の延長線上から導かれたものではあるが、パロディ解釈をあれこれ真面目に批判するのは野暮というものだろう。 【画像】 東宝特撮Blu-rayセレクション モスラ ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。 コメントらん 以下に投稿されたコメントは書き込んだ方々の個人的見解であり、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません。 なお、現在、コメント書き込みフォームは撤去していますので、新規の書き込みはできません。 ナポレオン説を支持。豚と羊とするなら、豚は貪欲さ、羊はキリストになり、 両者合わせて豚のような偽キリストのような意味になるか。ナポレオンよりは ロベスピエールがふさわしい。球は砲弾。額でなく、要塞とするならば、 ナポレオンが名を轟かせた軍港トゥーロンになるだろう 1行はギロチンを擬人化したもので恐怖政治を表しているだろう。 1-2行は合わせて、フランス革命中の出来事と解釈する。 -- とある信奉者 (2016-11-27 09 58 38)
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概要 写真 #image(ここに画像のURL) 正式名称 コマンドマガジン第122号「1815ワーテルロー戦役」 サークル内略称 ワーテルロー 出版元 国際通信社、コマンドマガジン デザイナー タグ番号 プレイ情報 ルールブックページ数 12ページ、戦闘序列シート3枚 チット数 プレイ人数 2人 プレイ時間 状態 プレイ可能、カウンターシート未切断 保管場所 渋谷キャンパス 史実情報 戦争 ナポレオン戦争 年月日 1815年6月21日~22日 場所 ベルギー 結果 ナポレオンの敗北、100日天下の終わり 交戦勢力 フランス イギリス、オランダ、ハーノファー、ナッサウ、ブラウンシュバイク、プロイセン 指揮官 ナポレオン・ボナパルト、ミシェル・ネイ、エニュマエル・ド・グルーシー ウェリントン公アーサー・ウェルズリー、ゲプハルト・レベレヒト・フォン・ブリュッヘル 戦力 仏軍72000 英蘭軍68000、普軍50000 損害 仏軍40000 英蘭軍27000、普軍7000 参考文献、もしくはリンク ウィキペディア 解説 ワーテルロー戦役全体を扱ったゲーム。リニーやカトルブラの戦いまで同時にできる。戦闘や移動のルールに際立った特徴はなく、ルールのページ数も少ないためプレイしやすい。しかし史実におけるフランス軍のヒューマントラブルが盛り込まれていないため、少々フランス側に有利なゲームかもしれない。もちろん連合軍でも勝つことは可能である。最大の難点はターン数が多く長いゲームであること。活動時間中に終わらないかもしれない。 順位 選択肢 得票数 得票率 投票 1 史実再現がすごい 1 (100%) 2 クソゲー 0 (0%) 3 ルールが難しい 0 (0%) 4 再現はすごいがつまらん 0 (0%) 5 史実再現に難あり 0 (0%) 6 史実再現はともかく面白い 0 (0%) 7 名作 0 (0%) 8 大陸軍は世界最強! 0 (0%) 9 良ゲー 0 (0%) その他 投票総数 1 関連ゲーム リンク名 戦術解説ページリンク リンク名
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104 名前:1/2[sage] 投稿日:2007/11/16(金) 12 22 52 ID ??? 炎上にはトラウマがあるなぁ。 故郷を焼かれた少年たちが、冒険者としての経験を積みながら仇を追う ってなキャンペーンをやろうとしたときのこと。 炎の雨が降り注ぐ村、というシチュの下、 煙のせいで離れ離れになる兄妹とか、 梁の下敷きになる親に「お前は逃げろ」といわれたりとか、 各PLが自分でシーンを提案→プレイという形で進んでいったんだが…… その中で「外が怖いので家の外に出ません」と宣言したやつがいた。 GMが再三「それじゃ焼け死ぬよ?」とか言っても「大丈夫」としか返さない。 で、実際にどーすんのかとおもったら「地下室に隠れる」とか言い出した。 おいおい、ふつーの民家だぞ? 貯蔵庫くらいならあるだろうけど、それって人間が1,2人くらい入ってやっとじゃね? ていうか、焼死を免れても一酸化炭素中毒になりかねんぞってな具合に 俺も含め他のPL陣でやめとけと言うんだけど、 「隠れるっていってるだろ! 人のロールプレイの邪魔するな!」 と聞く耳を持たない。 105 名前:2/2[sage] 投稿日:2007/11/16(金) 12 23 25 ID ??? どうすんだこいつ? とか思ってたら、得意そうな表情浮かべて。 「で、隠れてた僕は、炎が熱くないことに気づく」 は? そんな設定あったか? と思ってGMのほうを見るんだが、 GMの方もきょとんとしたまんま。 「『そうか、これは幻の炎なんだ!』といって地下室から出ておそるおそる炎に触れてみる。 やっぱり熱くない。『みんな! これは幻だ!』って外に出るんだけど、みんなはそれに気づかない。 看破できない幻は現実と同じような影響を与えるので、僕にはみんながひとりでに燃えているように見える」 そいつは延々とステキ理論をべらべらしゃべっていく。俺ら呆然。 要するに、炎の正体見破った俺SUGEEEEEEEがやりたいらしい。 そして最後。 「おろかだな、人間は。おろかだから、死んでいく。どうやらここは僕のいる場所じゃないようだ」 とかいって冒険に出る、だとさ。 冷静になったGMはそいつのロールプレイを却下、 そいつのキャラは焼死体の中の1つとなりましたとさ。 スレ143.1
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一度でもライセンス合格したことがある全プレイヤーの名前を刻んでいきます。 3号機バル aaasato aias Aマレー Bias bkbs castledesert CBX1 chiko姫 dash1192 gentaro222 GodAg Gun-Pen G神威楽斗G lastmaster maman Reincarnatio(改名前:何言ってんだか?) Ruitan shin9 take7010 tosa01 umitos YOSUKEさん(改名前:YOSUKEさん → 惣流ヨスケラングレー → アスカと俺のユニゾン攻撃 → ヨスケくんと7人の魔女 → るいはYOSUKEを呼ぶ → ヨスケの国、向日葵の少年 → 超昂閃忍ヨスケ → ヨスケの法則 → 恋するヨスケと守護の楯 → 反省中のヨスケースたん → YOSUKEアフター) あーぺん あいふぉん☆ ありがとウサギ アレマ イリオモテヤマネコ えびたん 瑛里華 エレム 王様✿ おおちゃん☠ かりすま カワユキオ 叫喚鬼 金色のドラゴン(改名前:mikajunn0313) 口ーク 靴下を履いた✿にゃこ 黒闇天 剣村2 さやは 三角如水 セバスちゃん@黒執事 タカシ715 たろます 躑躅ヶ崎城 デイアッカ(改名前:デイアッカ → キョスケナンブ → ゼンガー・ゾンボルト → ゼンガー・・ゾンボルト → 烏賊サマ → ウズミ・ナラ・アスハ・) 英才 ティラミスまろん 【丁稚くん】(改名前:丁稚くん) 【テング】(改名前:テング) 透夜たん ネコココ・コルンレオーネ ぱおたん はんぞー ☆ブー子☆ ふっみ~ プリンセスはなざわ☆ ほうせんエリス 昌吉 美維 水の鳥 ミルド メダロット 【桃尻】王子 吉岡 リタ σルパンσ レーネ ロベルト本GO
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【元ネタ】イギリス史 【CLASS】キャスター 【マスター】 【真名】オリヴァー・クロムウェル 【性別】男性 【身長・体重】176cm・62kg 【属性】秩序・善 【ステータス】筋力B 耐久B 敏捷C 魔力C 幸運B 宝具C 【クラス別スキル】 陣地作成:B+ 魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。 “工房”や軍事拠点の形成が可能。宝具の支援を受けた場合、さらに構築速度が上昇する。 道具作成:- 宝具による召喚能力を得た代償に道具作成スキルは失われている。 【固有スキル】 カリスマ:B 軍団を指揮する天性の才能。 カリスマは稀有な才能で、実質的な王としてはBランクで十分と言える。 「カリスマ」という概念を世間に根付かせたマックス・ウェーバーは、 クロムウェルとナポレオンをカリスマによる支配の例として挙げている。 また、彼の兵士たちは統率が取れており、戦争中も婦女暴行、家財略奪を行わず、 軍が解体されてからも、一人として犯罪を犯さず正直で勤勉な市民となったという。 信仰の加護:A+++ 一つの宗教観に殉じた者のみが持つスキル。 加護とはいうが、最高存在からの恩恵はない。 あるのは信心から生まれる、自己の精神・肉体の絶対性のみである。 ……高すぎると、人格に異変をきたす。 【宝具】 『小人の黒本(ブラックバイブル)』 ランク:C 種別:対軍宝具 レンジ:1~10 最大捕捉:100人 キャスターが所有する巨大な魔導書。あまりにも大きすぎる為、運搬は自力では行えず、車両の類が必要。 真名を唱えることで周囲からマナを蓄え、それを元手に「仕事をくれ!」と叫ぶ小人たちを召喚する。 小人は命令に忠実に従うが、内容によっては完了までに時間がかかる。 また、命令が完了するまで次の命令を下すことはできない。 キャスターはこの魔導書の力で軍事拠点を次々に築いたが、 裏切り者が実現不可能な命令を下して小人を封じてしまったという。 『信徒鎧う鉄の礼賛(サーム・オールド・アイアンサイズ)』 ランク:C 種別:対軍宝具 レンジ:- 最大捕捉:1000人 仲間の信仰心を守護の力に変換する賛美歌。 自身と味方の耐久をワンランク上昇させ、さらにACに+50する。 ただし、キリスト教系の信仰を持たない味方は対象にならない。 キャスターの騎兵隊は冒涜、飲酒、乱暴、不信仰が一切ない宗教信者で構成されており、 その精強さは「鉄の側面を持つ」「鉄騎隊」と評された。 また、ウィンスビーの戦いでは聖書の詩篇を歌いながら突撃し、勝利を得たという。 【Weapon】 『レイピア』 決闘、護身、嗜みとして多くの貴族が携行した細身の剣。 斬撃では曲がったり折れたりすることが多く、使用法は刺突が基本となる。 【解説】 イギリスの終身護国卿。 清教徒革命の立役者となった清教徒(カルヴァン派プロテスタント)。 当時のイギリスでは清教徒を弾圧し、絶対王政を推し進めようとする国王派と、それを良しとしない議会派が対立しており、 ついには国王派と議会派でイギリスを割る内戦が勃発。 この戦いでクロムウェルは議会派につき、私財を投じて「鉄騎隊」を設立し、勇名を馳せる。 後の軍の再編で編成されたニューモデル軍では「鉄騎隊」が中核となり、自身もニューモデル軍の副司令官に昇進し活躍した。 内戦を最終的に議会派の勝利に導いたのは、「鉄騎隊」とニューモデル軍の力に寄るところが大きかったという。 内戦の終結後、クロムウェルは議会を主導し、議会派内でも国王との妥協を図る長老派を弾圧。 1648年にはスコットランドと結託して再び決起した国王チャールズ一世を粉砕、処刑した。 この後、クロムウェルはカトリックを信奉する反議会勢力であるアイルランド、スコットランドに侵攻。 アイルランドでは各地で住民を虐殺して併合し、スコットランドでは国王派の残党ともども反議会勢力を撃破した。 これらの成果により、クロムウェルはイギリス、アイルランド、スコットランドを統一した初めての指導者となった。 このため、議会からは国王就任を二度も要請されたが、クロムウェルはあくまで護国卿として君臨し続けた。 このように高潔無私な人物である一方で、その冷徹さ、厳格さが為に民衆から慕われず、 クロムウェルを褒める本はまるで売れなかったという。 その死後、王政復古によりチャールズ二世が国王となり、イギリスが共和国から王国へと逆戻りすると、 クロムウェルは反逆者として墓を暴かれた後、絞首刑の後に斬首、その首を晒された。
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ただいま留学中!イギリス編 2007年度奨学生(1学年度) 迫田 まゆ 留学先:ケンブリッジ大学 専攻:開発学 a 留学準備 実際の出願準備を始めたのは、10月中旬頃でしょうか。年内に出願を済ませようと思っていたのですが、語学の点を上げること、卒論執筆に追われ、結局出願書類を郵送したのが1月の終わり頃になってしまいました。第一希望のケンブリッジ大学の締め切りのなんと3日前でした。1月20日から内閣府主催の世界青年の船の研修に参加していたので、夜な夜な願書を書き、船が出港する直前にそれを母に託すという、どたばた劇でした。出願した3校中、締め切りにまだ余裕のあった2校からはすぐに合格の通知をいただいたのですが、ぎりぎりに出願したケンブリッジは、結果がくるのも5月で、はらはらしたのを思い出します。皆様には、私のようにならないよう、できるだけ早めに出願することをお勧めします。特にイギリスは、早く出したほうが、合格にも有利な大学も多々あるようです。また、私の場合、第一希望の大学をロータリーから指定校に選んでもらっていたわけではなかったので、指定校を変更してもらう必要がありました。最初は、「ケンブリッジのある地区は人気地区で、変更は不可能だ」と断られ、何日か泣いて過ごしました。しかし、数日後、幸運にも急にケンブリッジに空きができたという知らせを受け、晴れてケンブリッジ大学に留学できる運びとなりました。このやり取りの間、同期の奨学生にはとても励ましてもらい、支えてもらいとても感謝しています。その後、あわてて実際の留学準備に取り掛かったわけですが、生活用品はイギリスで揃えることにし、海外のATMでお金を下ろせるデビットカードを作ったり、(イギリスに留学される方は、日本の銀行に奨学金が振り込まれるので、海外でも現地通貨で下ろせる銀行をあらかじめ指定されることをお勧めします。)、VISAを取得したり、日本でしか買えないものを買ってまわりました。特に、耳かき、電子レンジでご飯が炊けるお釜、自分の専門分野の日本語の本、ボイスレコーダーはかなり役に立っています。 b 語学研修 語学研修を指定されたわけではないのですが、大学のEAP(English for Academic Purpose)Pre-sessional Courseという大学院生専用の5週間の語学コースに8月の中旬から参加しました。英語でのエッセイの書き方、プレゼンテーションの行い方など、大学院において必要な英語のスキルを中心とした授業が土日を除いて毎日行われました。また、授業とは別に、ロンドンやオックスフォードへの遠足、パブツアー、美術館めぐり、パンティング、ケンブリッジのカレッジ巡り、ゴーストツアーなど、課外活動もたくさんあり、コースのみんなととても仲良くなることができました。毎日毎日、本当に楽しい、最高の5週間でした。今でも語学コースの友人達とは頻繁に会っていますし、支え合っています。また、銀行口座の開設、携帯電話の購入、生活用品の購入など、時間がかかることも、語学コースの間に済ませておくことができました。 英語力の向上だけでなく、修士課程が始まる前に、その土地に慣れ、その後も支えあっていけるすばらしい友人を作ることができるので、語学コースはとてもお勧めです。 c 学業面 授業は、私の場合、必修科目3科目が週に2コマずつ(レクチャー1コマ、セミナー1コマ)選択科目のレクチャーが週2コマの合計8コマになっています。授業数自体は少ないのですが、少人数制のセミナーのために本を読んだり、エッセイを仕上げたり、何かと忙しい日々が続いています。ケンブリッジ大学開発学修士コースはでは、9ヶ月のコースである上、メインとなるMichaelmas Term(秋学期)とLent Term (春学期) がそれぞれ8週間ずつしかないため、学期中は目の回るような忙しさです。最後にEaster Termがあるのですが、Easter Termには授業は週2コマほどしかなく、必修科目のテストの準備などに当てられます。また、他学部や他研究所の行っているセミナーに参加するのもとても有意義です。私は環境問題にとても関心があるので、自分のコースとは別に、環境問題に関するセミナーにたくさん参加しています。 授業も、セミナーも、全て英語で理解するのは大変ですが、英語漬けの毎日に感謝し、楽しみながら勉強しています。聞き取りにくい授業の際はボイスレコーダーを持参し、それを聞きなおして、リスニングの向上にも役立てたり、Economistなどの時事雑誌も頻繁に読むようにしています。さらに、机の上の勉強だけでなく、友人を通じて世界のことを学んでいます。私の学部のコースは約67名の生徒が所属しているのですが、インド、パキスタン、中国、ガーナ、ウガンダ、ドイツ、イタリア、ポーランド、カナダ、アメリカ合衆国、日本、韓国、ヴェトナム、などなど、世界各国から、集まってきています。皆の経歴もそれぞれ個性的で、彼らと話し、彼らの人生、考えを聞くことで、視野がとても広がっている気がします。 d コンピューター、メールなどのIT環境 IT環境は比較的整っていると思います。学部、図書館、寮と至る所にパソコンやプリンターが設置されていますし、大学にはコンピューターセンターというものがあり、修理やトラブルに対応してくれたり、毎日のように無料で様々なパソコン講座を行ってくれています。ただ、大学のパソコンは必ずしも日本語が使えるとは限らない上、毎日頻繁に使うので、持ち運びに便利な軽量タイプのノート型パソコンを日本から持ってきています。また、学校の図書館や街中のカフェなど、ワイヤレスネットワークが無料で利用できる場所がたくさんあるので、無線LANの取り付け、設定を日本で行ってくることをお勧めします。余談になりますが、携行品にも保険をかけておくこともお勧めします。私はパソコンが壊れたのですが、クレジットカードに自動で携行品の保険が付いていたため、高い修理代を払わずにすみました。 e 生活面 ケンブリッジ大学では、それぞれ特徴を持った「カレッジ」というものが大学とは別に31校あるのですが、ケンブリッジの学生は必ずその中の1校に所属することになっています。大学院生の場合は、カレッジで授業が行われることはないのですが、カレッジごとに入学式が行われたり、フォーマルホール(正式にガウンを着て食べる食事)があったりなど、カレッジは生活の拠点となっています。私はダウニングカレッジという学部生・院生が共に所属する、伝統のあるカレッジに所属しています。私はカレッジの寮で生活することに決めましたが、同じカレッジの生徒と仲良くなる機会が多いだけでなく、食堂やテニスコート、ジム、図書館などカレッジの施設を利用しやすいので、とても満足しています。特に食堂は、毎日朝、昼、晩と比較的安い価格でご飯を食べることができるのでよく利用していますし、図書館も24時間空いています。 また、クラブ活動も盛んで大学のクラブやソサエティだけでなく各カレッジごとにもソサエティがたくさんあります。先学期は勉強に慣れるので忙しく、ホームレスの方々に毎週お昼ごはんを作って持っていくというソサエティの活動、テニスを時々、趣味のスペイン語を週1回程度しかできていませんが、今学期は勉強の合間を縫ってもっとたくさんのことに挑戦したいと思っています。 f ロータリー関係の活動 9月:受け入れクラブであるSouth Cambridge Rotary Clubのディナーに参加。また、最終週に行われた、イギリス全国からロータリー財団の奨学生が集まるイベント「ロータリー・リンク・ウィークエンド」に参加しました。ボーンマスという町で、現地のロータリアンの家に2泊3日させていただき、他の奨学生ともオリエンテーシ ョン、ディナーなどを通じて交流しました。同じ志を持つ仲間と出会えたとともに、現地のロータリアンの方々に家族のようによくしていただいて、忘れられない思い出となっています。 10月:受け入れ地区である1080地区の奨学生と顧問ロータリアンでの食事会に参加。 また、ケンブリッジ大学に留学している他の生徒達と今後国際親善奨学生としてどのように活動していくか会議を開いたり、顧問ロータリアンのお家にご飯をいただきに行ったりもしました。 11月:2つのロータリークラブでスピーチをしました。浴衣を着ていったところとても喜んでいただけた上、スピーチも大変好評でした。スピーチをすることで、日本について、自分について、もっと知ることができ、私自身も楽しんでスピーチを行っています。 12月:受け入れクラブである、South Cambridge Rotary Clubにてスピーチ。顧問ロータリアン一家と共に、クリスマスキャロルを聴きに行ったり、お家のクリスマスパーティに参加しました。また、受け入れクラブの他のロータリアンのお家にもおじゃまさせて行かせていただき、お孫さんたちとも遊びました。 今後:1月の中旬には、ロンドンで行われる「Rotary London Conference」にも2日間参加してまいります。また、これからも何回かロータリークラブでのスピーチを予定しています。 >トップへ World flag images courtesy of 4 International Flags