約 3,257,652 件
https://w.atwiki.jp/girlsundpanzer/pages/100.html
313 :名無しさん@ピンキー:2014/04/06(日) 21 14 25.05 ID OX9HaUTv なんか華が一番極悪で酷いキャラになりつつある。 ナオミの食生活ってヒドイのか…ケイがポップコーン 鷲掴みにして食ってるシーンしかないからなァ… ケイなんてボインボインな反面アリサやナオミはそこそこだから 食生活も個人差があるのかもしれん。 ダー様はどうなんだろう…色素が薄くて白い肌してそうだけど 英国の食事って紅茶以外知らんし、よくわからん。 318 :ソープ野郎:2014/04/07(月) 20 28 56.84 ID 2WCu2dxE 313 ちとエロくもないし長文になりますが説明します オレが10年ほど前に欧州に貧乏旅行で訪れた時いろいろな国で色々な料理を食べましたが 二度と食いたくない国の料理はイギリス料理が筆頭になります 例としてロンドンで旨いものを食べたければ中華料理屋に行けというジョークを聞いたこともあるでしょうがそれは事実です オレは中華料理屋には行きませんでしたが、まずロンドンではイギリス以外の国の料理を食べればガッカリすることは無いです ちなみにオレはインド料理とイタリヤ料理が中心でした(日本食は高い・・・・) だってニシンのパイとかフィッシュアンドチップスとかレンズ豆に煮た奴とかマッシュポテトだのそんなものばかりだったし・・・ あとは旨くないマフィンとかスクランブルエッグとか変なシチューだのそんなのしかない・・・・ オマケに場末のホテルで朝食食べようとすると日本円換算で5000円払わなきゃならないんですよ! 5000円ですよ!日本で一番格式の高い帝国ホテルの朝飯だって3500円だっていうのに・・・・ まだマックで喰ったほうがマシでしたのでずっとマックでした・・・・サンダースの子を馬鹿にできない(涙) でもお菓子のレベルはそんなに低くないです(焼き菓子とアイス限定ですがね) そして奴らは紅茶に愛着なんか持ってないです!!(ここ重要!)コーヒーが主流でした・・・(いや・・・紅茶も飲むけどね) おねーちゃんはダー様みたいな巨乳の子が多いが顔はダー様とはかけ離れています(ドイツ女並みにブス多い・・・) まあたまにレベルの高い子がいますがポーランドやイタリアやフランスの子程は可愛くはないかも・・・ 商売女と一晩過ごしてレベル高かったので出身聞いたらノルウェーの子だった・・・・ 素人の子とH出来なかったけどこの国に関しては出来なくても未練はありませんでしたwww まあそういう国です・・・・・ 319 :名無しさん@ピンキー:2014/04/07(月) 22 01 42.63 ID wzV1VDZu イギリスのメシって マズイんじゃなくて味気なくて ただただ雑の一言に尽きるとは聞いたが… まぁヒトによっちゃぁソレがマズイと感じるらしい そしてマズイと感じるのは多数派なのだったりするとか 320 :ソープ野郎:2014/04/07(月) 22 27 15.75 ID 2WCu2dxE ああ・・・・ついでながら言いますと ヨーロッパから帰国して家族に言われたのが「お前から変な肉の臭いがする」でしたw 臭い消すのに野菜中心の食事にして、便秘気味だったのを改善等して結構日数費やしたのを思い出しますw その時の事を思い出して今回の話を書いています・・・・・ これが気に入ったら……\(`・ω・´)ゞビシッ!! と/
https://w.atwiki.jp/animeamemo/pages/52.html
あしたのジョー 劇場版 主題歌 美しき狼たち(うつくしきおおかみたち)
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/5952.html
523: ホワイトベアー :2019/10/27(日) 16 31 04 HOST 157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp ドイツ帝国空軍の主力戦闘機の考察ができたのでとりあえず投下させていただきます。 Ta186 「フッケバイン」 乗員:2名 全長:11.68m 全幅:11.10m 全高:3.86 m エンジン:ハインケル BMW 005ターボジェットエンジン(24,93kN):1基 :ハインケル HeS 011ターボジェットエンジン(26.3kN(C型以降)) 実用上昇限度:実用上昇限度 12,000m 最大速度 :1,060km/h :1,105km/h(C型以降) 航続距離 :920km :1,690km(C型以降) 武装 MK 108 30mm機関砲×2 IR60短距離空対空ミサイル×4 爆弾:最大900kg 524: ホワイトベアー :2019/10/27(日) 16 31 57 HOST 157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp Ta186 フッケバインはドイツ帝国の航空機メーカーであるメッサーシュミット社が開発を担当し、1945年のドイツ帝国空軍への正式採用を皮切りにイタリア空軍やスペイン空軍、北欧諸国など欧州連合各国にも採用された亜音速ジェット戦闘機である。 本機の開発の源流は第一次世界大戦末期まで遡る事ができる。 この大戦で日米が実施した《迎撃できない高高度》からの戦略爆撃と言う戦術は、同戦術によって主要な国内インフラを破壊されたドイツ帝国に大きな衝撃や恐怖、屈辱感を与えた。 ヴルサイユ条約が結ばれ、戦争が終結したあともこの感情はしこりの様にドイツ国民の心に残り、彼らに高高度で作戦行動が可能な戦闘機の開発を決意させた。 高性能で迎撃が極めて困難な高高度爆撃機の存在はドイツを革新的な戦闘機の新規開発を余儀なくし、同じく日本の戦略爆撃の脅威にさらされたソビエト連邦と協力してベルサイユ条約によって禁止されていた戦闘機の研究および開発を開始していく。幸いな事にソビエト連邦がロシア帝国から接収した日本製航空機が少なくない数存在しており、研究は順調に進んでいった。そして、1924年にドイツ初のターボジェット機であるMe112の飛行実験に成功すると高速ジェット機の将来性に確信を抱いたドイツ軍はレシプロ機の開発と同時平行でだが次世代の技術としてジェットの開発にも注力していく。この頃には日本軍やアメリカ軍が次々とジェット戦闘機を実用化していった事もドイツ空軍の判断に影響していた。 1935年にドイツ帝国が再軍備を宣言するのと同時期にジェット戦闘機の開発がドイツ帝国本土でも開始される。 設計を担当したのはMe112の開発および製造をおこなった事により、ドイツで唯一ジェット機のノウハウをゆうしいているメッサーシュミット社である。 本機の特徴は徹底した軽量化と40度の後退翼を装備し、機首に空気取り入れ口があり、高推進ジェットエンジンを胴体後部に収納していることが挙げられる。 こうした先進的な構造をとった事により機体の運動性はエンジン配置が双発レシプロ戦闘機と同様の古めかしいスタイルであったMe210を上回る結果となり、そこに新型のジェットエンジンであるハインケル BMW 005ターボジェットエンジンの強力な推力が合わさり、それまで配備されていたMe210とは比べものにならないほどの高い性能と運動性を発揮した。 もう1つの特徴がその量産性である。本機はドイツ製としては極めて異例な事に大量量産を前提としたシンプルな設計となっており、機体には複雑な機構を用いず簡素なもの採用している。 武装としてはドイツ空軍の主要な迎撃戦闘機に搭載されているラインメタル・ボルジッヒ社のMK108 30mm機関砲を固定武装として搭載している他に有線誘導式の空対空ミサイルであるIR60を4発もしくは最大で800kgまで爆弾やロケット弾を搭載することができる。 1945年からHe180の後継機としてドイツ帝国空軍への正式採用を皮切りにイタリア空軍やスペイン空軍、北欧諸国など欧州連合各国にも早期にライセンス生産が認められたことから、超音速ジェット戦闘機であるBf140やダッソー・ミステールなどが登場するまではジェットエンジンの換装などの逐次改良を施されながら欧州主力戦闘機の座にとどまり続けた 525: ホワイトベアー :2019/10/27(日) 16 35 14 HOST 157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp 以上になります。 一応モデルはフランスのミステールとアルゼンチンのFMA I.Ae. 33 プルキー IIで考えましたけど、初心者なんで数値におかしいところがある可能性が大きいです。なのでつっこみどころがありましたら是非教えてください。 526: 名無しさん :2019/10/27(日) 19 46 59 HOST p1278072-ipngn201003fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp 523 乙。 設計を担当したのはHe112の開発および製造をおこなった事により、ドイツで唯一ジェット機のノウハウをゆうしいているメッサーシュミット社である。 この部Heてことはハインケルではないのか?Meの間違い?どっちだ。 533: ホワイトベアー :2019/10/28(月) 12 15 32 HOST 157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp 826 あ、本当ですね。 HeじゃなくてMeが正解です
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/8064.html
208: 635 :2022/06/25(土) 15 23 58 HOST 119-171-248-234.rev.home.ne.jp 銀河連合日本×神崎島ネタSS ネタ ゲートの先は神崎島もヤルバーンも無いようです欧州大戦その四 さらばドイツよ。旅立つ艦は、 「キールの超常兵器級と思しき艦艇に出撃の動き…か…。」 英国本土攻撃より二十四時間以上前、戦艦ネルソンの艦橋の艦長席で艦娘ネルソンは紅茶を飲みながら眼前のゼルモニターに映る情報に目をやる。 ネルソンの姿はオークニー諸島スカパ・フローにあった。 そこには旗艦を務めるネルソンだけでなく空母アークロイヤルなどの英艦娘やビスマルクなどの独艦娘、そして英国本国艦隊が集結していた。 理由はドイツキール軍港に超大型艦艇群それもとある創作の超大型光線戦艦や超高速巡洋戦艦等、超常兵器級と思しきモノが存在し動きを見せていたからだ。 他にもそれらより小型とはいえ大型艦艇の存在を複数存在し英国政府や在英鎮守府軍は警戒を強めていた。 故にそれらが出撃した際に対応に当たる為に英国にある水上戦力の大半がこの英国の北の果て下りまで来ているのだ。 現在英国本土に残っているのはもしもの時の為のウォースパイトとヴィクトリアス、J級駆逐艦ニ名、欧州棲姫ら深海棲艦そして大鷹達海上護衛部隊くらいなものである。 「…しかし気掛かりと言えば欧州本土、ベルギーやオランダ、フランスのダンケルクにもドイツは戦力を移動していると聞く。 アシカ作戦などということにならねば良いが。」 フムウーと言った感じで顎に手を当て考え込むネルソン。 そこへ艦橋の通信員がネルソンに明朝出撃命令が下ったと話しかける。 「フムそうか…。」 ネルソンはその言葉に最果ての海を見やる。 この先、北海の海がが戦場となるのだ。 明朝、全ての艦が錨を上げ北海を目指す。 そして戦闘の数時間前、ネルソンは己の浅慮への怒りから噛んだ唇から血を流すこととなる。 ことは第二次ゼーレヴェー、ネルソンのその想像の遥か斜め上の事態だった。 ドイツによるフランスでの核兵器使用、ドイツ艦隊より分離した超高速巡戦部隊、超巨大光学迷彩戦艦による米本土攻撃。 そして英国本土空襲時、ジェーナスとジャービス及び多数の深海棲艦が大破し残存英国本国艦隊に轟沈艦発生。 空挺作戦によるロンドンへの侵入と市街戦展開、そしてバッキンガム宮殿への吸血鬼の突入の報を艦上で聞くこととなる。 史上初めて行われたのだ、英国本土決戦が…。 ドイツ連邦共和国キール軍港、そこには多数の大型艦艇が停泊していた。 だがその多くが錨を用いたり埠頭のボラードやドルフィンにロープ等で船を停泊させるばかりか、 何か恐れる様にその船体を稚拙なルーン文字らしき意味も力も持たない模様の刻まれた鎖で雁字搦めにされされている。 そこへドイツ軍の軍人達が恐る恐るといった様子の大勢の外国人や民間人らしき人々を引き連れやって来た。 外国人や民間人達は皆痩せ細ったり、怪我を負うなどしている。 彼らはヒソヒソと話し合う。 「しかし本当に脱出出来るのか…?」 「それでもこれに掛けるしかない…このままじゃ収容所で死ぬのを待つだけだ。」 「助けてくれたドイツ軍の人も言ってたな。ドイツがイギリス本土攻撃に全力で向いてる今が最後のチャンスだって。」 民間人を引き連れた軍人の内、陸軍軍人と思われる人物が海軍と思われる人物に問う。 「ここにあるのが?」 「ああ、大光線や疾風が出現したと同時期に現れた戦艦だ。 大光線やここのはあの第四帝国首相殿が平行世界から魔法で呼び出したなんて与太にも出来ない話がある。 日本の架空戦記やゲームのオタクなんかが言うには大光線なんかは超常兵器級なんていう宇宙戦艦みたいな力と人外の意思持つ化け物みたいな兵器らしい。 だがここにあるのはそれより小型な十万トン級から二十万トン級。 デカイはデカイがあくまでも第二次世界大戦から冷戦期の技術の範疇の通常兵器らしい。 だから首相殿が召喚に失敗したモノの墓場とあの騎士団サマ方は揶揄してる。」 「いや失敗作だったらなんで壊したりせずにこんな封印するようなことを?」 「恐れてるんだよ。この艦達を壊したり沈めたりするのを。」 「何故に?」 「それは…ああっと!この艦だ。この艦。」 209: 635 :2022/06/25(土) 15 24 49 HOST 119-171-248-234.rev.home.ne.jp ドイツ軍人達は二十インチ砲三連装三基を艦橋前方に集中配置した巨大戦艦の前で止まる。 「コレ?あっちのもっとデカいのじゃだめなのか?」 「あっちは動かすだけならともかくやり合うには人員が足りん。それにあのサイズだ客船や輸送船で足りない脱出する人間乗せるだけ乗せる予定だからな。」 「そうか…そういえば機関とか大丈夫なのか?蒸気タービンとかいう話だろ?」 「まだ生存しておられたZ1級乗員やリュッチェンス級駆逐艦の蒸気タービン扱ったことがある機関員や民間の旧式蒸気タービンLNG船の乗員掻き集め今回使用する艦艇分どうにか…ってとこだ。 それに…あの化け物艦艇共がイギリスに向かった今しかチャンスはない…。」 そしてその戦艦の艦橋を見上げドイツ海軍軍人はまるで目の前の艦に人格があるように話しかける。 「敵さんに操られて癪かもしれんが日本人も脱出させるためだ…力貸してくれ…。」 その眼には映らぬが艦橋の上から見下ろす視線があった。 その視線の主、この場に似合わぬ百合模様の着物を着た黒髪の日本人の少女は軍人達を静かに見下ろしていた。 その戦艦の艦橋、陸海空と節操ないドイツ軍人達が動き回る中、ドイツ海軍の制服を着せられ艦長席に座る一人の日本人の男の姿があった。 その姿はドイツ軍人達に比べ痩せ細ってはいたが背の背筋はピンとしており軍やそれに準ずる組織に在籍しているのが一目で分かる。 それもその筈、彼は海自の二等海佐の自衛官でありフランス大使館付の防衛駐在官であった。 ドイツによるヨーロッパ侵攻時に同盟国(同じEU)故にまだ安全と思われたフランス・パリにいた彼はドイツ軍、 いや憂国騎士団に捕らえられ強制収容所に入れられたが今日まで何とか生き残ってきた。 その彼が何故戦艦の艦橋にいるのか。 「サイトウ司令。避難民収容完了、全艦乗員配置に付き出撃準備整いました。」 この場のドイツ軍人達のトップ、海軍軍人が自衛官を司令と呼び、それに自衛官は苦笑で答える。 何故日本人かと言えばこの艦が日本の艦であったからだ。 そして軍人達にとってこの戦争、主義主張や経済対立による人間同士の戦争ならばまだ良かった。妥協点が見いだせるからだ。 だが人間の皮を被った悪魔、いやそれは悪魔に失礼であった、人間の皮を被ったナニか(憂国騎士団)による略奪や暴行が溢れかえった西部戦線に人を生贄に捧げた無人機や化け物が闊歩する東部戦線。 そして本土の民間人は明らかにその精神や脳を弄くられのではないかという者が少なくない。 昨日まで愛し合っていた夫を妻を恋人を子を無実の罪で国の為にと泣き叫ぶ彼らを心底喜ばしいという笑顔で政府に渡していく常軌を逸する光景がそこかしこで見受けられた。 正常な者もいるがそれを指摘することは出来ない、した瞬間に自分が同じ目に合うからだ。 そしてそれを幸福なことだと弄くられた彼らはするだろう。 ドイツという国はそれだけのことを成したのだ。 だからこそドイツ軍人達は立たねばならなかった。 ここにいる軍人達は身軽な者ばかりあるものは家族を失い、ある者は独り身、或いは家族共に或いは残る家族に押されてここにいる。 ドイツ人として僅かな者であろうとも抗らわなければならないという義務感からここにいる。 その時艦橋に痩せこけ死相すら出ている一人の男が入り、兵士の一人が呟き全員が敬礼を行う。 「国防大臣…。」 「楽にして貰って良い。最早私は大臣とは言えないよ…戦争を防げず、お飾りと化した今の私には…。」 兵士の呟きにその自嘲気味に男は答える。 それでも兵士達は敬礼を止めない。 現在この狂った国で唯一のまともな政府の人間が彼だからだ。 まあ全ての権限を奪われ最早御飾りと化しているのだが、それでも前線で戦う軍人達の為に尽力を尽くした。 しかし、彼は国防大臣であるのに戦争に関与も止めることも出来ずそれに苦悩して体調を崩していた。 そこまでして何故解任しないのかといえば首相殿がまともな人間が苦悩で弱っていくその姿を見て悦に浸っているというのが専らの噂だ そんな噂される国防大臣が口を開く 210: 635 :2022/06/25(土) 15 25 33 HOST 119-171-248-234.rev.home.ne.jp 「君たちは…やはり行くのかね…?」 海軍軍人は答える。 「はい大臣、私たちは行きます。」 「この艦でキールを出た時点で君達はドイツ連邦の反逆者と見なされる。それでも行くのかね?」 「いえ、国防大臣。私達は反逆者として行くのではありません。私達はドイツ軍人としての義務を果たす為に行くのです。」 「ドイツ軍人としての義務…。」 「かつての大戦の反省としてドイツ軍人はドイツという国の出した人間の尊厳を損なう命令に対して抗う義務を負います。」 かつての大戦を反省とすべきそのドイツがソレ以上のことをしでかしてしまいましたが、と軍人は自嘲しながらもその瞳に熱いものを映し言葉を続ける。 「そして…彼らの様に戦いたいのです。」 「……。」 「人間の尊厳を辱めるのではなく、人間の尊厳を守る様な戦いを。あの対馬の彼らの如く」 ヒーロを夢見る子供の様に海軍軍人は言葉を漏らす。 そしてそうかと言うと国防大臣はその場を立ち去る為に踵を返し、その途中でそうそうと背中を軍人達に向けたまま話す。 「どちらにしても君達が行くならば私は止めなければならない…。」 「……。」 「…が、それが君達の義務であるならば仕方あるまい。」 「……。」 「ADM級二隻、私の権限で動かせるのはそれだけだ…それと銃後のことは出来うる限り受け持とう…。」 「…?」 「ドイツ軍人の、いやドイツ人として…いや違うな人間としての義務と責任を果たしてきたまえ。」 「!!」 その国防大臣の言葉にその場にの全員が再度敬礼する。 そして艦橋を出る間際大臣は振り向き体を自衛官に向けその罪を焼き付ける様にその身体を見ると文民故のぎこちない敬礼をする。 「貴方達にあの様な扱いをした我々ドイツ政府にその様な資格がないのは重々承知しています…しかしどうか彼らのことを頼みます…。」 そう言うと大臣は艦橋を後にし、自衛官は無言で敬礼を以て見送った 211: 635 :2022/06/25(土) 15 27 52 HOST 119-171-248-234.rev.home.ne.jp 以上になります。転載はご自由にどうぞ。 なお人間の尊厳を犯す命令に抗命することは実際にドイツ軍人の義務です。
https://w.atwiki.jp/4423/pages/1565.html
編集する。 2021-12-08 18 58 41 (Wed) - [[]]とは、 videoプラグインエラー 正しいURLを入力してください。 リンク内部リンク 外部リンク 出典、参考 リンク 内部リンク [[]] [[]] 外部リンク 編集する。 2021-12-08 18 58 41 (Wed) - 出典、参考
https://w.atwiki.jp/we2009/pages/87.html
選手名 リネーム ユニフォームネーム シュヴァルツ レーマン LEHMANN メリルレッカー メルテザッカー MERTESACKER メッセンガー メッツェルダー メンバー登録で入れ替え可 フルドリッシェ フリードリッヒ FRIDRICH ローメ ラーム LAHM フルーテス フリンクス FRINGS クルーガー バラック メンバー登録で入れ替え可 スラインスリーゼル シュヴァインシュタイガー SCHWEINSTEIGER ポマトスキ ポドルスキ PODOLSKI クマーラ クローゼ KLOSE ゴルツ マリオ ゴメス MARIO GOMEZ ヒューレグラース ヒルデブラント メンバー登録で入れ替え可 エルカ エンケ ENKE カストロール ゴンサロ カストロ GONZALO CASTRO ヤルガン ヤンセン JANSEN フニック フリッツ FRITZ ヒットマイカー ヒツルスぺルガー HITZLSPERGER ボタナスキー ボロウスキ BOROWSKI スロエガー シュナイダー SCHNEIDER ヒシュナイト ヒルバート HILBERT トモロウツキ トロホウスキ TROCHOWSKI ノグラウ ノイヴィル NEUVILLE クモロ クラニー KURÁNYI
https://w.atwiki.jp/armysentai/pages/54.html
144 名前:グーグルマップで見る朝鮮戦争@軍事板(1/8)[sage] 投稿日:2008/05/27(火) 12 45 17 ID lI0xM/ye ,,,,,,,,,,,,,,, ミ∧ こんにちは軍事板です。 [|,,,,,★,,|]/ ・ |ミ 前回http //etc7.2ch.net/test/read.cgi/vote/1211690715/103 i ld,,゚ -゚ノ(_)' |ミ の答は2、クイビシェフです。。 ヘ、ノ/'ソフつつ/ ,,| モスクワ戦の時にはもう首都機能は移転したあとで ~<三ミミγ"(⌒)"⌒/`ー'"| 同志スターリンが一人でがんばってるような状態でした。 γ/ ヽ(_/ ノ`ーΩ'` /,へ、 ,)( ,‐、 ノ.ノ さて、今回は朝鮮戦争です。 /__)/`二ン⌒し/ /~i ./ .//" (__) ./ / 第二次世界大戦の結果、朝鮮半島は日本の統治を離れ ε= /__) / / 38度線を境にして北に朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮) ε= .|__) 南に大韓民国(以下韓国)が成立します。 こんな中、アメリカ国務長官アチソンが表明した防衛ラインの中に 韓国は含まれていませんでした。 これは制海権を意味するもので、韓国を放棄するというものではなかったのですが 金日成はこれをアメリカは韓国を見捨てたと解釈し、南侵を決意するのです。 145 名前:グーグルマップで見る朝鮮戦争@軍事板(2/8)[sage] 投稿日:2008/05/27(火) 12 45 59 ID lI0xM/ye ・1950年6月25日 奇襲10万の北朝鮮軍が38度線を突破し、南侵を開始した。圧倒的な北朝鮮軍に対し軽装備の韓国軍は全く歯が立たず28日には首都ソウルを明け渡すことになる。 http //maps.google.co.jp/?ie=UTF8 ll=37.529604,126.961441 spn=0.064391,0.160675 t=h z=13 (混乱の中、漢江(ハンガン)に架かる橋は落とされ、多くの避難民や将兵を北岸に取り残すことになった)・1950年7月5日 烏山(オサン)の戦い米軍の先遣隊と北朝鮮軍が始めて交戦した。戦力の差は大きく、米軍は撤退を余儀なくされた。 http //maps.google.co.jp/?ie=UTF8 ll=37.193416,126.923332 spn=0.129361,0.32135 t=h z=12 ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ <このときの北朝鮮の主力戦車はWW2でドイツを蹂躙したT-34/85。 軽装備の部隊でどうにかなるような相手ではありません。 146 名前:グーグルマップで見る朝鮮戦争@軍事板(3/8)[sage] 投稿日:2008/05/27(火) 12 46 57 ID lI0xM/ye ・1950年7月16日 大田(テジョン)攻防戦大田付近で米軍は必死の抗戦をするも、司令官ディーン中将を捕縛されるなど歴史的な大敗を喫することになった。 http //maps.google.co.jp/?ie=UTF8 ll=36.378174,127.379608 spn=0.261488,0.6427 t=h z=11 ・1950年7月31日- 釜山(プサン)円陣国連軍は韓国西南部の放棄を決定。洛東江(ナクトンガン)を防衛線とする、いわゆる釜山円陣に閉じ込められた。北朝鮮軍は8月15日までの釜山占領を期し幾度となく攻勢をかけるが、韓国、国連軍の必死の防戦により最後の拠点だけは守りぬくことができた。 http //maps.google.co.jp/?ie=UTF8 ll=35.874585,128.587418 spn=0.247593,0.6427 t=h z=11 (洛東江のすぐ東にある大邱(テグ)市は激戦地の一つである) ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ <白将軍の悲壮感溢れる突撃はこの時の逸話です。 147 名前:グーグルマップで見る朝鮮戦争@軍事板(4/8)[sage] 投稿日:2008/05/27(火) 12 47 53 ID lI0xM/ye ・1950年9月15日 仁川(インチョン)上陸国連軍は突如ソウル市西方の港町、仁川へ上陸を行った。マッカーサー元帥発案の非常に危険な作戦であったが国連軍はこれに成功。朝鮮戦争の戦局は一変し、9月中にはソウル市を奪還する。さらにこの作戦の結果、南侵していた北朝鮮軍の多くは補給線を絶たれ瓦解、壊滅した。 http //maps.google.co.jp/?ie=UTF8 ll=37.481942,126.628418 spn=0.030309,0.080338 t=h z=14 ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ <作戦に使用された艦艇約260隻、上陸した兵員7万名。 ノルマンディほどではないにしろ、かなり大規模な上陸作戦でした。・1950年10月1日 北進韓国軍は統一の好機として10月1日北進を開始、9日には国連軍も続いた。圧倒的な国連軍に対し北朝鮮軍は抵抗の力も残っておらず敗走。20日には首都平壌(ピョンヤン)も国連軍の占領下に陥り戦線は中朝国境近くまで押しやられることになった。 http //maps.google.co.jp/?ie=UTF8 ll=38.104305,128.888855 spn=0.96174,2.570801 t=h z=9 (韓国軍が初めて38度線を超えて攻撃した襄陽) ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ <中国は国連軍が38度線を超えると参戦するという警告をしていたのですが 国連軍はそれほど気にも留めていなかったようです。 148 名前:グーグルマップで見る朝鮮戦争@軍事板(5/8)[sage] 投稿日:2008/05/27(火) 12 51 58 ID lI0xM/ye ・1950年10月25日 総攻撃命令と中国介入この日、マッカーサーは国連軍の北進限界線を破棄、中朝国境への総攻撃を命じた。一方、温井では中国軍と初の戦闘が発生した。この後数に勝る中国軍の攻勢により国連軍の勢いは止められ、一旦戦力を立て直すために退却することになった。 http //maps.google.com/maps?t=k ie=UTF8 ll=40.482993,127.255325 spn=0.232406,0.6427 z=11 (国連軍と中国軍が戦闘を行った長津湖周辺) ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ <このときの中国軍は正確には「抗美援朝義勇軍」といい 正規軍ではなく、「義勇軍」ということになってます。 ソ連が戦争の拡大に消極的で、中国としてはおおっぴらな参戦ができなかったためです。 1950年11月24日 クリスマス攻勢 国連軍は介入した中国軍の戦力、意図を過小に判断、クリスマスまでに戦争を終わらせるべく攻勢に出たが、予想に反して40万もの大軍で待ち構えていた中国軍はこれをやすやすと打ち破り、南へと侵攻を開始した。 http //maps.google.co.jp/?ie=UTF8 ll=39.692394,125.875854 spn=0.235121,0.6427 t=h z=11 (清川江(チョンチョンガン)。ここに築かれた防衛線も圧倒的な中国軍の人海戦術にはなすすべもなかった) ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ <国連軍は越境してきた中国軍を6万程度と見積もっていました。 149 名前:グーグルマップで見る朝鮮戦争@軍事板(6/8)[sage] 投稿日:2008/05/27(火) 12 53 30 ID lI0xM/ye ・1950年11月24日- 南進人海戦術をとる中国軍に対し国連軍は戦線を維持できず各地で敗走12月5日には平壌を、翌年1月8日はソウルを失うことになった。 http //maps.google.com/maps?t=k ie=UTF8 ll=39.155489,127.458229 spn=0.059235,0.160675 z=13 (元山(ウォンサン)では包囲された国連軍の脱出作戦が船舶で行われた) ・1951年2月15日 砥平里の決戦37度線以南に押し込められた国連軍はサンダーボルト作戦と呼ばれる反攻作戦を実施。中国軍は2月攻勢でこれを迎えうち、砥平里で国連軍を包囲攻撃した。 http //maps.google.com/maps?t=k ie=UTF8 ll=37.453057,127.687569 spn=0.121283,0.32135 z=12 ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ <この攻勢に耐え切った国連軍は38度線付近まで戦線を押し戻します。 150 名前:グーグルマップで見る朝鮮戦争@軍事板(7/8)[sage] 投稿日:2008/05/27(火) 12 54 55 ID lI0xM/ye ・1953年7月27日 休戦協定の成立51年3月にソウルを奪還した国連軍はさらに北に侵攻したが、38度線付近の山岳部で再び戦線は膠着。幾度にも及ぶ双方の攻勢にも関わらずついに決着はつかず、2年後休戦が成立した。 http //maps.google.co.jp/maps?t=k ie=UTF8 ll=37.955898,126.67725 spn=0.001882,0.005021 z=18 (南北の交渉の場、板門店) ,,,,,,,,,,,,,,, [|,,,,,★,,|] i ld,,゚ヮ゚ノ <いきなり2年半も飛んでしまってごめんなさい。 前の戦いのあと、本当に色んなことがあったのですが 結局は一進一退を延々繰り返すだけになってしまいました。 151 名前:グーグルマップで見る朝鮮戦争@軍事板(8/8)[sage] 投稿日:2008/05/27(火) 12 58 01 ID lI0xM/ye ,,,,,,,,,,,,,,, ミ∧ ここまで読んでいただきありがとうございました。 [|,,,,,★,,|]/ ・ |ミ i ld,,゚ -゚ノ(_)' |ミ 朝鮮戦争は現在でも休戦状態で、正式には終わっていません。 ヘ、ノ/'ソフつつ/ ,,| 今日も38度線を挟んで両軍の兵士が睨み合っていることでしょう。 ~<三ミミγ"(⌒)"⌒/`ー'"| どういう形で決着がつくのか、それは私にはわかりません。 γ/ ヽ(_/ ノ`ーΩ'` /,へ、 ,)( ,‐、 ノ.ノ それではクイズです。 /__)/`二ン⌒し/ /~i ./ 韓国の首都ソウル東部にある山は、当時在韓米軍向け施設があり .//" (__) ./ / 司令官にちなんだ名前で呼ばれていました。 ε= /__) / / さて、なんという名前でしょう。 ε= .|__) 1.ディーンヒル 2.リッジウェイヒル 3.ウォーカーヒル 次回のこの企画は夕方ごろ、湾岸戦争、イラク戦争の予定です。 それではダスヴィダーニヤ!
https://w.atwiki.jp/nihonnkiki/pages/298.html
年次 内容 補足 2004.06.10 本来捨てるはずの腐敗した生ごみ用の大根を餃子の具として使用し輸出、日本が輸入停止を決定 まとめ 2005.04.21 キム・テヒ、イ・ワン姉弟がスイスで「独島愛キャンペーン」を開く(日本名「竹島」を韓国領土と宣伝) ★重要★ 2005.11 韓国で中国産キムチから寄生虫の卵が検出、韓国産は平気と言うが、後に韓国産からも検出、一部は日本へ輸出も リンク先は一連のまとめ 2011.03.21 韓国人「今、日本は震災・原発問題に集中している」と密航企んで韓国の釜山海洋警察が11人を逮捕 2011.06.11 香港で、韓国メーカー『農心(ノンシム)』製造の『辛ラーメン』から発がん性物質が検出 2011.10 野田内閣が2011.9より韓国産ヒラメの精密検査を免除⇒日本各地で食中毒大発生。マスコミは韓国産とは報じず ★重要★ 2012.02.15 日本へのお土産で人気の韓国オリオン製菓の『Market-O チョコレートクラシックミニスペシャル』から基準値の14倍の細菌が検出 日本オリオン公式お詫び 2012.03.19 韓国から山口県下関市の小串漁港に不法上陸した密航者や密航の仲介をした韓国人の男女計7人を入管難民法違反で逮捕 NHKは報じず逆切れ⇒電凸動画 2012.05.08 韓国・現代自動車が発売した『グレンジャー』室内に排気ガスが流入する欠陥をリコールせず隠ぺい⇒現代、政府共に告発される 2012.06.13 殺菌剤入の加湿器により31人が死亡、被害届95件 2012.06.14 韓国製の海産物の中にヒトの糞便の痕跡が見つかり、米食品医薬品局(FDA)は健康に害を及ぼす可能性があるとして米国市場に韓国製海産物製品を入れないよう求めた。(アメリカ食品医薬品局 英語)※日本語記事⇒The voice of Russia魚拓 (ロイター通信 英語) 2012.06.26 韓国市販の中国製、韓国製の綿棒を安全性調査したら、基準値の2000倍の細菌やカビ菌が検出、リコールへ 2012.06.29 韓国産養殖ヒラメにクドアが寄生し食中毒が日本各地で発生。2011年もあったが、初めて韓国産と報道される。 7月8日・茨城7月18日・山形政府通達 2012.07.03 韓国内お菓子メーカー、ロッテ、ヘテ、ピングレ製造のアイスから基準値の10倍以上の細菌が検出、一部は日本へも輸出 2012.07.06 2002年サッカーFIFAワールドカップで韓国が4位になったのは元FIFA副会長の鄭夢準が買収したからと暴露される ★重要★ 2012.07.22 【神戸】 韓国人のホストクラブを摘発 不法残留で全員逮捕 2012.08.02 【五輪】 女子バスケ最終予選「日本vs韓国」での韓国のラフプレーが酷すぎると話題に 2012.08.11 五輪サッカー 日韓戦後に韓国選手が「竹島領有」掲げる 2012.08.14 韓国大統領 「天皇陛下が訪韓?…心から謝罪をするなら、来なさい」 「“痛惜の念”の言葉だけなら、来る必要はない」 ★重要★ 2012.08.15 韓国大統領の天皇謝罪発言、「日王は土下座せよ」の文言もあったことが判明…大統領府が発言録から削除 ★重要★ 2012.08.15 韓国外相が国会で公式答弁 「天皇陛下、韓国に来るなら当然謝罪すべき」「昭和天皇に戦争責任あり」「日本は独島を紛争地域化したいようだ」 ★重要★ 2012.08.15 韓国のネットカフェ、日本人は入店禁止に! 「竹島は韓国領と3回宣言すれば利用可能とする」 2012.08.25 【韓国】プサンの日本総領事館に放火未遂 2012.08.26 【韓国】日本製バイクに放火して竹島関連に対する抗議 2012.08.27 韓国人の男、汚物ペットボトル投げる ソウルの日本大使館に 2012.08.27 「対馬は韓国のもの」決議案…韓国の地方議会 2012.09.02 韓国がワサビの起源を主張 2012.09.02 韓国人 「韓国と日本の真の国境は、壱岐島下端から玄界灘」 2005.09.02 在米韓国人たちが天皇陛下を再び侮辱 ★重要★ 2012.09.06 韓国で親日コミュニティを作った13歳中学生を逮捕 「親日は許さぬ、殴り殺せ」 2012.09.07 韓国大学総長 「天皇はもともと韓国人で、君が代は”キム家の世の中”という意味」 2012.09.07 韓国の女児暴行事件=「日本のせいだ」…韓国メディアは事件を日本叩きに利用 ※但し、ソースが【東スポ】 2012.09.07 野球18U世界選手権で韓国が日本にバットについて不製品を使用してると因縁をつける 2012.09.07 「証言が証拠にならないと言うなら慰安婦文書を日本政府が提示せよ」~梨花女大研究員 2012.09.08 【韓国】泥酔女子大生に交代で性的暴行、放置し死なせる/水原 ★重要★ 2012.09.11 【韓国】 日本大使館の【慰安婦像】前で行われたパフォーマンス(写真)。それを観た日本のネットユーザーは酷いとの声多数。 2012.09.12 韓国・自称市民団体 「在日韓国人は天皇、石原都知事、橋下に報復攻撃せよ」 2012.09.13 福島の子供の約36%に膿疱が発見のニュースに韓国からメッセージが届きました 「おめでとうございます. 日本!!!半分近く放射能被爆! 祝い~~~」 2012.09.28 韓国デ○ヘル「OPPA」の経営者の女ら3人が逮捕 「韓国女が短期で稼げるのは売春しかない」と供述 2012.09.28 石碑に「明治維新」や男女性器などの落書きをした犯人逮捕 日本人ではなく韓国人 2005.09.30 【韓国】 女児を布団ごと連れ去りレイプ 顔に歯型 直腸破裂…性犯罪の深刻さに韓国社会が揺れる ★重要★ 2012.10.04 【沖縄】薬物大量密輸の疑いで韓国人の男ら2人逮捕 2012.10.05 【浜松】短期ビザでデリ○ル 韓国人の女3人を逮捕 2012.10.07 建国記念日に太極旗が切り裂かれる、犯人は? → 韓国人中学生でした → 韓国「日本が悪い」 2012.10.20 韓国人が皇居で日本糾弾デモ「天皇・安倍・石原は謝罪と賠償せよ!」「対馬を韓国に返還せよ」「さもなくば北朝鮮に日本への核攻撃を要求する」 2012.10.23 辛ラーメン製造の『農心』製の麺製品から発がん性物質が検出されるも、報道は殆どされず。 2012.10.25 韓国乳製品「フレンチカフェ」が日本に進出!!(韓国大手乳製品メーカーの南陽乳業と日本・北海道乳業と契約) 現状問題は確認されていないが注意喚起の為に編集 2012.10.28 在米韓国人の売春組織、日本人になり済まして営業⇒逮捕 ★重要★ 2012.10.29 韓国の教授が、日本の主要大学に「慰安婦ポスター」1万枚を掲示 2012.10.29 【続報】韓国マスコミ「日本の40大学に慰安婦抗議ポスター1万枚掲示」 大学側「そんなポスターありません。ちゃんと報道しろ!」 韓国人が嘘をついただけ 2012.11.02 【国庫補助金】テコンドー協会が不正受給、約4300万円のうち約2800万円が協会会長に渡る 会長が韓国朝鮮人かは不明。ただ、協会役員に在日の名前があり事件に関わっている可能性もあるので周知の為、編集 2012.11.04 韓国がベトナムで30万人の娘をレOプしちゃったのは日本のせい、韓国大手新聞報道 2012.11.10 対馬で文化財が次々に窃盗被害!! 韓国の国宝になっていた!! 2012.11.10 「海外で悪いことをするときは日本人だ」と言う韓国俳優チャ・スンウォン「舞台を見れば、絶対に両国の間に友情が成立する、政治と舞台は別」 2012.11.13 大阪、がれき受け入れに反対した韓国人4人を逮捕!! 市民説明会を妨害 2012.12.04 韓国小学生 「日本は賠償をしてよ」「補償してよ」「保証してよ」「謝罪してよ」「お金払ってよ」「竹島は韓国の領土」 | 更新ルール この年表はコピペにも使います。以下の点を守って更新してください。 不祥事以外は載せない。 不祥事は内容が一目でわかるように書く(記事のタイトルのままだと理解できないケースが多い)。 犯罪はなるべく容疑者名と年齢も、前例の形式で書く。 リンク切れにならないサイト(・政府機関・研究機関・有名Blog・2chスレなど)をリンクにするか、キャッシュを取る。※Yahoo!・産経・読売・朝日・毎日はあっという間にリンク切れになるので使う際は魚拓などを使うこと。 文字数は一行に収まるように凝縮させる。 特に食料品と限定している訳ではない、日本ではあまり報道されない韓国製品などで海外で報道されている不祥事なども取り上げてよい。 | 上記のように、韓国は悪質な不祥事を連発し、また日本ではその報道が殆どおおやけにされていません。 日本国民にとって極めて危険な事なども、特集を組まれる訳でも無く、報道されてもその扱いはなるべく日本人に知らせない様にしているとしか思えません。 なぜ韓国がなぜこれほどまで酷いのか、 続きは ・反日マスコミの正体・韓国民団の正体・日韓併合の真実・韓国マスコミの不祥事年表 ・韓国はなぜ反日か?・民主党の問題点・民主党の支持母体・本当は「日本人」の犯罪じゃない犯罪 をご覧ください。 当wiki掲示板 あなたが日本の危機に気が付いたきっかけは? 一言コメント掲示板です。何をきっかけにして危機的状況なのに気が付いたか是非どうぞ。 あなたが受けた反日教育は? 一言掲示板です。今思うと、あれって反日教育だったな?って思う事を情報共有も兼ねて書き込んで下さい。 国民が知らない~wiki避難所 ※外部掲示板です。突っ込んだ議論や情報提供、編集に関する事等なんでも書けるスレッド型掲示板です。
https://w.atwiki.jp/youtube7818/pages/99.html
あしたのジョー {講談社の『週刊少年マガジン』に、1968年(昭和43年)1月1日号(発売日は1967年(昭和42年)12月15日)から1973年(昭和48年)5月13日号にかけて連載された。 スポ根劇画の最高傑作として評価されており、2000年代現在においても日本漫画を代表する作品の1つである。累計発行部数は2000万部[1]。連載中の社会的反響はすさまじく、ジョーのライバルである力石徹が死んだ時には東由多加によって実際に葬儀が行われ、よど号ハイジャック事件では、ハイジャック犯が「われわれは明日のジョーである」(原文ママ)と声明を残したことでも知られる。これら社会的反響の大きさから、「戦後最大のヒット漫画」の1つに数えられている。} 東京・山谷のドヤ街に、ふらりと1人の少年が現われた。矢吹丈(ジョー)と名乗るその少年に一方的にたたきのめされたアル中の元ボクサー・丹下段平は、その動きから天性のボクシングセンスを見いだし、一流のボクサーに仕立て上げんと奮闘する。しかしジョーは、ドヤ街の子供たちを引き連れて乱行を繰り広げた揚げ句、自分に向けられる段平の情熱を利用して犯罪に手を染め、警察に逮捕されて鑑別所・少年院へと送られてしまった。 ある日、少年鑑別所のジョーあてに、「あしたのために」の書き出しで始まる段平からのはがきが届く。その内容は、左ジャブの打ち方から始まるボクシング技術の講義であった。時間と体力を持て余していたジョーは、そのアドバイスに従ってボクシングの練習に身を入れるようになり、やがて自分のパンチの切れが、今までと比べ物にならないほど向上してゆくのを実感する。野菊島の東光特等少年院での、ライバル・力石徹との宿命の出会いを経て、ジョーは本格的にボクシングの道へと足を踏み入れることとなった。 あしたのジョー showrss プラグインエラー RSSが見つからないか、接続エラーです。 あれが野獣の眼だ! 四角いジャングルに生きろ けものよ牙をむけ! 熱きこぶしに涙をながせ! あしたのために! -その1- 燃えろ! 左ジャブ! 狼を裁くな! 東光特等少年院 奴の名は力石徹! 赤い夕陽に吠えろ! 地獄の底で燃えろ! 燃える太陽に叫べ 宿命のリングに立て KOゴングはまだか! 白いマットの子守唄 裏切りの落日 嵐の中に一人 悲しきリングロープ 恐怖のレバーブロー 傷だらけの勝利 栄光ある小さな勝負 まぼろしの力石徹 あばよ少年院 帰えってきたドヤ街 野良犬の掟 絶望のライセンス 明日に架ける橋 栄光への賭け 明日への挑戦 試練のプロテスト 翔たけプロボクサー 輝くリングへの道 初勝利バンザイ ボクサー志願 ガンバレ! 西 牙をむくウルフ金串 怒りの大特訓 史上最大の六回戦 勝利のトリプルクロス 白銀に誓う 力石徹の挑戦 男の世界 残酷な減量 苦闘! 力石徹 打倒! 力石へのスェイバック 死を賭けた男 嵐の前のふたり 宿命の対決 果しなき死闘 闘いの終り 燃えつきた命 さらば力石徹 憎いあんちくしょう 悲しみの十点鐘 さすらいのバラード よみがえる狼 傷ついた野獣 勝利のボディブロー しのびよる黒い影 激闘のスパーリング 投げられたタオル 生きていた力石徹 最後の挑戦 カーロス登場 リングある限り 明日への旅立ち 小さな冒険旅行 仕組まれた八百長 牧場の子守唄 気になるあいつ 無冠の帝王カーロス 帰えれ、輝くリングへ よみがえるクロスカウンター 今日からの出発 リングの魔術師カーロス 燃える挑戦状 男の闘い 死闘!!カーロス対矢吹丈 燃えろ 遠く輝ける明日よ!! そして、帰ってきた… 男一匹花一輪…リングに賭けた 地獄からの使者…矢吹丈 その時、十点鐘は鳴った 幻の…あのテンプルを撃て! 吠えろ…かませ犬 さまよえる…野獣のように あいつが…燃える男カーロス そして…野獣は甦った クリスマスイブ…その贈り物は 死闘の始まり…カーロスVSジョー 吹雪の夜…その果しなき戦い 丹下ジムは…不滅です どこにある…ジョーの青春 誰のために…必殺ラッシュ 遠い照準か…世界への道 姿を見せた…大いなる標的 あのナックルが…烙印のメッセージ 戦うコンピューター…金竜飛 俺のバンタム…減量への挑戦 力石の…唄が聞こえる そして…計量の朝 燃える野獣と…氷 ゴングが鳴った…悪魔のリング 第6ラウンド…奇跡が起った チャンピオン…そして、敗者の栄光 ボクシング…その鎮魂歌 ホセがいる…ハワイへ 初防衛なるか…矢吹丈 偉大なるチャンピオン…ホセ Vサイン…その意味するものは さらば…古き愛しきものたち アメリカから来た13人目のキング!? カードと共に散った…あいつ チャンピオンは…ひとり 葉子…新たなる企て 野性児その名は…ハリマオ 意外な訪問者…ゴロマキ権藤 ジャングルに…野獣が二匹 燃えろジョー…標的が近い ホセ来日…闘いの日はせまった! 衝撃…葉子の予感 ジョー・段平…二人の日々 葉子…その愛 ホセ対ジョー…闘いのゴングが鳴った 凄絶…果てしなき死闘 青春はいま…燃えつきた #bf
https://w.atwiki.jp/o-rod/pages/53.html
戦争と社会階級 Seibun Satow Mar, 24. 2010 「戦争が戦争を養う」。 フリードリヒ・シラー『ピッコロミーニ』 第1章 The War Dreamer ブラックウォーターを始めとする民間軍事会社がアフガニスタンやイラクで深く関与していく中、『論座』2007年1月号に赤木智弘の「『丸山真男』をひっぱたきたい――31歳フリーター。希望は、戦争。」が掲載される。このタイトルは、「戦後民主主義なんぞクソッくらえ!」と考え、戦争のアウトソーシングに加わりたい31歳の男性の主張なのかという印象を読者に抱かせる。 しかし、軍務経験もなく、特殊技能も有していない31歳を雇う民間軍事会社はおそらくない。未経験者を一から育てる余裕などそこにはない。 そもそも、31歳では従軍するには年をとりすぎている。自衛隊を例にとってみよう。こうした経歴の31歳が自衛隊に志願するとしたら、道は非常に限られている。一般候補生・任期制自衛官の資格はいずれも18歳以上27歳未満のため、不適格である。予備自衛官補の一般公募であれば、受験資格が18歳以上34歳未満であるので、これならば可能である。ただ、この一般公募の予備自衛官補制度は、広報活動の意味合いが強い。事実、教育訓練期間は3年以内に50日、合計400時間で履修とされている。また、アメリカ軍の場合、公募の兵士の年齢制限は35歳未満であるが、30歳以上の志願者については基準が厳しく設定されている。志願制を採用している国の軍隊はほぼ同様である。一般兵士は過酷な状況でも戦闘できる身体能力を必要とするし、加えて、現代の兵器は高度にハイテク化しており、遅くとも20代半ばくらいから訓練を始めないと、使い物にならない。一民間人を一人前の兵士にするには、31歳はロートルだ。 もっとも、現代社会において戦争は国家間で起こる戦闘だけを指してはないない。この作品発表当時の米国のジョージ・W・ブッシュ政権は「テロとの戦い」を標榜しており、その過激派に参加すれば、戦争に行ける。彼らは年齢制限を設けず、未経験者も歓迎している。あるいは、メキシコやコロンビアなどで展開されている麻薬戦争に、シンジケートの一員として加わるという手もある、これらなら31歳のフリーターでも十分間に合う。 けれども、「『丸山真男』をひっぱたきたい――31歳フリーター。希望は、戦争。」の内容に目を通すと、自分が従軍したいという主張ではなく、格差・貧困問題の解決手段としての戦争の提案だということが明らかになる。 今日、貧富の格差が拡大・硬直化し、いくら働いても抜け出せない貧困状態に陥っていり人たちが少なからず生まれている。しかも、一般の人々は、彼らに対して、自分たちのせいだと言わんばかりで無関心である。この状況を流動化するには、革命では不可能であって、戦争しかない。その上、戦争は人々に平等に苦しみをもたらす。「『丸山真男』をひっぱたきたい」というタイトルは、戦時中の丸山真男のエピソードに由来している。1944年3月、30歳の丸山眞男に召集令状が届き、陸軍二等兵として平壌へと送られる。そこで丸山は中学にも進んでいない一等兵に執拗にいびられる。「社会に出た時期が人間の序列を決める擬似デモクラティックな社会の中で、一方的にイジメ抜かれる私たちにとっての戦争とは、現状をひっくり返して、『丸山眞男』の横っ面をひっぱたける立場にたてるかもしれないという、まさに希望の光なのだ」。 赤木も現段階で日本が戦争に突入することはないと見ており、この作品を問題提起のつもりで発表している。しかし、彼のイメージする戦争は現代ではなく、第二次世界大戦下の日本のある状況である。 第二次世界大戦中に参戦国で、平時であれば出会わなかった人たちの接触があり、それがある種の流動性をもたらしたことは確かである。 御厨貴東京大学教授は、『エリートと教育』において、戦時体制下での人材の「接触効果」が高度経済成長への道をサポートしたと次のように述べている。 戦時動員体制は、一九四三(昭和十八)年に主として中学校以上の勤労動員、そして大学生の学徒動員を決めた。かくて戦前の教育体系が予想もしなかった方向への人材の戦時強制動員が行われた結果、戦後へいくつかの人材育成面での遺産を残すこととなった。もちろん、戦争のため多くの有為な人材が失われたことは言うまでもない。しかし明治の教育体系が解体の危機に陥った時、軍隊や軍需工場の中で、これまでは絶対接することのなかった人間同士の接触がおこった。嫌な思い出もたくさんある反面、戦後すぐの教育への情熱、進学熱はこうした「接触効果」(小池和男)がもたらした。猪木武徳の指摘にある通り、戦後の新制高等学校の進学率の上昇、激しい学歴競争と企業内競争が、経済復興から高度成長へと進む戦後日本をサポートしたことは疑いえないであろう。 赤木の戦争を通じた社会における流動性の確保と痛みの共有は、この接触効果に論拠としている。けれども、接触効果は戦争一般ではなく、ここで指摘されている通り、特殊な状況で生じる。日本は満州事変から15年間も戦争を継続したが、それが起きたのは1943年の勤労動員や学徒出陣などが始まって以降である。明治に基本設計された教育システムが瀕死の状態に陥ったとき、戦時動員体制によって従来であれば出会わなかった人々が接触し、戦後の教育熱につながり、復興をサポートしている。徴兵制に基づく軍による総力戦も押し迫った段階でしか接触効果は期待できない。しかも、クラウゼヴィッツ流の消耗戦が否定された現在であれば、内戦を除けば、教育制度が解体に追いこまれる状態を迎える前に戦争は終結している。 第二次世界大戦は、日本にとって、総力戦である。それを遂行するためには、官僚機構が人・モノ・カネ・情報を総合的に管理統制する必要がある。開戦時の首相が統制派のリーダーの一人で、優秀な軍官僚の東条英機だったことは象徴的である。社会の流動性ではなく、国家全体を一体化させることがその目的である。接触効果は結果として起こっただけで、国家総動員の副産物にすぎない。接触効果による高度経済成長の後押しは確かであるが、社会の流動性の実現という点では、農地解放・財閥解体・公職追放などGHQの革新的な占領政策も忘れてはならない。 念のため、赤木の期待する戦争状態の可能性を内戦および国家間戦争から検討してみよう。主な内戦の原因は分離独立である。しかし、日本国内でこの動きは活発ではない。また、麻薬シンジケートと軍や警察の間の抗争が激化して、内戦状態に陥る場合もある。けれども、麻薬の製造でもしなければ暮らせないほどの貧困地域も日本国内にはない。 国家間戦争であれば、通常兵器だけで、その時点において、海上自衛隊が壊滅状態だという選定になる。これが可能なのは唯一アメリカ軍である。自衛隊はアメリカを仮想敵に想定していないが、現時点で日米開戦の至るシナリオを考えるとしたら、次のようになろう。扇情的な報道に溢れ、国内政治が混乱する中、思いつきと思いこみで判断する無責任で好戦的な政治家が国民の圧倒的な支持を背景に首相に就任し、国内外の反対に耳を貸さず、核武装計画を進める。IAEAの常駐査察官を追放し、アメリカを始めとする国際社会の外交圧力も無視する。とうとう合衆国はこの動きに対して日米安保条約を破棄、在日米軍は撤収する。日本は国際社会から経済制裁を受けるも、外需依存の産業編成と低い食料自給率も省みず、計画を放棄しない。日米の国交が断絶、アメリカを中心とする多国籍軍との間で開戦してしまう。 このようにして始まった戦争もいつかは終わる。しかし、赤木の意見には、戦争自体もそうだが、戦後のイメージが曖昧である。尊い多くの人命と財産が失われることは言うまでもない。少子高齢化の進展する日本が戦争に突入した場合、若年人口の大幅な減少が見込まれ、そのいびつな人口構成では、戦後復興はおぼつかない。戦争で心身に傷を負った人々のケアも欠かせない。現在の日本の債務残高はGDP比で150%を超え、先進国最悪である。戦費を調達する場合、政府は国内の豊かな預金量を当てこんで国債を発行すると考えられる。けれども、あまりに大量で預金が底をつき、吸収できなくなって長期金利が高騰、日本経済は耐えきれず、財政は破綻する。食料・生活必需品・燃料等が不足し、庶民の生活を強烈なインフレが直撃する。交通・生活インフラの復旧も最優先項目の一つであるが、一朝一夕でできるはずもない。また、戦時下では、国内に破壊被害が甚大でなかったとしても、災害・疾病・環境などへの対策が二の次にされる傾向があり、戦後、その影響による相当の被害も予想される。持続可能性のある社会の実現という国家的な目標の達成が著しく後退し、修復不可能な状態に陥る危険性もある。接触効果がこうした状況の飛躍的な改善につながっていくとは考えられないだろう。想像力を少し働かせただけでも、このくらいの光景が目に浮かぶ。 この作品が発表されると、各種のメディア上で賛成反対のいずれの意見が飛び交う。中でも、『論座』は4月号で、7人の識者による批判論文を掲載し、赤木がそれに対して、同誌6月号において、「けっきょく、『自己責任』ですか 続「『丸山眞男』を ひっぱたきたい」「応答」を読んで──」で反論する。「考える時間を得るためには、生活に対する精神的な余裕や、生活のためのお金がなによりも必要不可欠であり、それを十分に得られて初めて『考える』という行為をすることができる。そうした人間が、考えて活動するための『土台』を整備することこそ、私に反論する方々の『責任』ではないだろうか」。 しかし、環境的に余裕がない場合、体系的には難しいが、考えること自体は不可能ではない。マクロシンキングは無理でも、ミクロシンキングはできるはずだろう。この結語は、大戦終結後に戦争責任を免れるためにある種の人々が使った言い訳に似ている。吉本隆明が1956年にそれを批判したのだが、赤木はその前に舞い戻っている。 吉本隆明にとって許しがたかったのは、自分の無知です。(略)戦中世代の人たちは。われわれは知らなかった、教わらなかった、欺されていた、ということができました。しかし、吉本がとったのは、無知にも責任があるという態度です。では、無知に責任があるとするならば、どのように責任をとればよいのか。自分をふくむ世界を、徹底的に認識するほかないのです。 (柄谷行人『倫理21』) 31歳のフリーターが戦争を望んでいるというショッキングなタイトルが話題をふりまいたけれども、社会の流動性の確保と痛みの共有のために戦争を提案するのは暴論でしかない。流動性は時代の変わり目に生じる。19世紀の近代化=産業化というグローバル化は日本に石炭産業を勃興させたが、20世紀の石油によるエネルギー革命のグローバル化は国内の炭鉱に国際競争力を失わせ、閉山に追いこむ。グローバル化とイノベーションが流動性をもたらすとも言える。相対的貧困を絶対的貧困によって解消する問題のすり替えだろう。痛みの共有は、戦争を持ち出すまでもなく、災害時にしばしば見られる。災害直後、被災者の間で相互扶助の意識が芽生え、「困ったときはお互い様」とコミュニティが形成される。しかし、復興が進むにつれ、この精神は薄れていく。また、接触効果は生き残った人の間でのみ働くのであって、死者はそれを感じられない。沖縄では、決戦前に、第一次・第二次防衛召集で17歳から45歳までの男子2万人を二等兵として徴用、その後、中学生の一部も入隊、さらに、沖縄勤労動員礼が公布され、15歳から45歳までのほとんどの男女が動員されている。沖縄戦により、約10万人の県民が犠牲になる。出征した兵士も合わせれば、対戦中の沖縄の犠牲者数は15万人以上であるが、戦前の同県の人口は、最も多かった1937年で60万人弱である。それだけの損害を被りながら、失業率は国内最悪、一人当たりの県民所得も最低であり、しかも日本の領土の2%しかない沖縄に全日米軍の全基地75%も集中している。戦争の傷跡は非常に長く残る。この作品をめぐる議論は感情的なすれ違いも多く、結局、不毛に終わっている。 もっとも、赤木とは別に、デフレ傾向を脱却するには戦争特需しかないという意見も根強い。デフレは平和の時代の産物である。朝鮮特需の夢をもう一度とばかりに、戦争による大量生産・大量消費があれば、デフレを脱却できるというわけだ。しかし、時代が違いすぎる。現代の戦争はいたずらに長引く内戦が主流である。当初は国家間戦争であっても、内戦化するケースも少なくない。当該地域の政治的・経済的制度の基盤まで破壊し、流出した難民が周辺地域に負担となる。相互依存の進んでいる現代の国際社会では、局所的な戦争であっても、グリーバル規模で悪影響を及ぼしかねない。しかも、持続可能な発展という国際的な目標を最も阻害している原因の一つが戦争である。エコロジカルな戦争などありえない。大量生産・大量消費から循環型社会への転換を試行錯誤している最中であり、それを逆戻りさせることは有害である。今日、戦争か経済に好影響を与えるという主張は時代遅れでしかない。政治も経済もエコロジーを考慮しており、戦争では気候変動問題を始めとする環境問題を解決どころか。悪化させる。 こうした手合いに戦争の悲惨さを訴えたところで、聞く耳を持たない。戦争待望論は、結局、国内問題の打開策を外に見出そうとする発想である。しかし、これが夢想でしかないことは、1930年代の日本の歴史を見れば明らかだろう。こんな夢からとうの昔に目が覚めていてもいいころである。 第二章 The War Thinker 国際政治において、国防に翻訳して国家を把握する考え方がかつては優勢である。国家はお互いに潜在的に敵であり、友人などいない。国際協力を表面通り信じているとしたら、実におめでたい。敵の敵が今は味方だけのことであって、食うか食われるかだ。国際関係において諸国の利益はつねに衝突する。他国を排除しなければ、領土や権益といった国益を確保できない。その問題が世界に存在する以上、国際紛争は恒常的に起こるのであって、国家はそれに常に準備しなければ生き残れない。軍事力で優位さを維持するために、他国との相対的な関係から認識する必要がある。いくら国防費が前年の倍に増えたとしても、隣国がそれ以上であるなら、不十分である。国家は常に他国との戦争に備え、一旦始まったならば、それを優位に展開するようにしておかなければならない。このように、戦時から逆算して国家権力の構成要素を捉えるのが伝統的な国際関係論である。 藤原帰一東京大学教授の『国際政治』によると。それは次の六要素である。 1.地理 領土の大きさ・戦略的位置 2.人口 戦力としての人口 3.天然資源 戦争遂行のための自給能力 4.経済力 経済の規模・自給と持久・工業力 5.技術力 技術革新・兵器の性能・生産力 6.軍事力 規模・予算・破壊力・精密度 広大な領土や山岳地帯、密林、海洋などは他国にとって攻めにくく、自国にとって有利である。地理的条件と軍事戦略の関係は地政学としてよく知られている。 人口が多ければ、多くの兵士を戦場に投入でき、それを支える軍需を始めとする関連産業にも必要な人員を確保できる。大規模戦・長期戦になった場合、その差は歴然と現われる。ただし、実際には、人数といった定量条件だけでなく、士気や熟練度など定性条件も考慮しなければならない。 開戦すると、敵国のみならず、その友好国との貿易も停止される可能性がある。戦争を遂行するためには、国内に十分な天然資源を用意していなければならない。 戦争には莫大な戦費が必要である。豊かな国富があれば、それを賄うことができる。産業革命以来、国富の蓄積には工業力の発達は欠かせない。 兵器の性能やその生産力、技術革新力が戦争の結果を左右することは言うまでもない。 潤沢な国防費による大規模な軍隊はどのような戦争にも対応できる。機械化された兵器が主体の戦闘では、その破壊力と精密度が勝利を決定づける。 この六つの条件を総合的に判断して。その国家に最適な体勢を整えることが為政者の責務である。 しかし、現在、国際政治における国益は領土や権益だけではない。経済や環境も重要なである。前者は一方が得をすれば、他方が損をするというゼロサム状況である、それに対し、後者はみんなが得をすることもあれば、損をすることもあるノンゼロサム状況である。ゼロサム状況を絶対視して、国際関係を認識することはできない。経済を優先させるために、領土や権益の問題を一時的に凍結する動きさえある。インドと中国は、経済関係を良好にするように、国境線問題を棚上げにしている。両国の経済成長は目覚しく、そんなときに、ヒマラヤの山奥のことで争うなど無益である。 国防に翻訳する発想はゼロサム状況を前提にしている。先に触れた国防予算・編成・装備の考え方も同様である。他国よりも相対的に多く得る利得を「相対利得(Relative Gain)」と呼ぶ。一方、以前よりも増加させることを目的とした利得が「絶対利得(Absolute Gain)」である。前者は状況をゼロサムから判断し、後者はそれにとらわれない。かりに国防費をGNPの10%内にとどめると政府が決定していても、10%の経済成長があれば、黙っていても前年に比べて増額になる。経済成長に合わせて国防費が増すようにすれば、国家財政を圧迫することもない。戦後の日本の防衛費はこの絶対利得に立脚して組まれている。 戦時にとって有利な条件は、平時においては逆に負担となる。冷戦時代のソ連を例に解説してみよう。ソ連は多くの条件を満たしながら、解体に陥っている。広大な領土と寒冷な気候は、長い防衛線の維持やインフラ整備に困難が伴う。2億を超える人口は教育や医療、福祉など社会保障分野の予算を大きくする。戦時は人々に耐久生活を強いる。そうした不満を募らせないために、社会保障制度を手厚くしなければならない。豊富な天然資源があっても、それを加工できる技術がなければ、宝の持ち腐れである。ソ連の国営企業は資源を民生用にすることが十分にできない。国際的な競争にさらされ、技術革新とコス減に日々努力する西側企業の加工技術に遠く及ばない。軍需関連の重化学工業に傾斜し、民生品の技術革新がなおざりにされ、国際競争力のある製品を生産できず、東側の市場だけで流通するにとどまる。進んだ技術を持つ外資を呼び込もうにも、資本主義を敵視している体制には企業も及び腰となる。国内総生産はいつまで経っても増えず、外貨準備も不足し、思うように経済成長ができない。巨大な軍隊は維持するための巨額な国防費は、わびしい経済成長では、国家財政を圧迫する。結果、ソ連は崩壊する。 また、戦時であっても、これらが有利な条件として働くとは限らない。特に、個々の戦闘では反対の結果が出ることも少なくなく、あくまでこれは一般論である。第二次世界大戦の消耗戦の反省から、孫子が見直されている。クラウゼヴィッツ流の消耗戦がチェスの発想であるとすれば、孫子は囲碁である。少ない碁石で相手より多くの陣地をとれば勝ちとなる。 ノンゼロサム状況だとしても、そこにゼロサム状況を見出してしまうと、国際協力が瓦解する危険性がある。気候変動問題の改善は各国にとってノンゼロサム状況であるが、温室効果ガスの削減となると、経済への影響を考えて、他国よりも想定的に負担を減らしたいと望み、国際会議は常に紛糾する。また、経済状況が悪化すると、「奴らが俺たちの仕事を奪っている」と移民排斥が台頭するが、この論理もゼロサム状況に基づいている。付け加えると、中国が経済発展すると、日本が脅かされるという主張もそうである。国際関係では、ノンゼロサム状況を認識して理論構築をしていくことが世界的な利益につながる。しかし、こうした知的努力をしゃらくさいとゼロサム状況を扇動する独善主義が絶えず登場する。ゼロサム状況から出発する意見が社会で支配的になるとき、それは戦争の前兆である。 第三章 The War Believer 孫子は、戦争を浪費であると説いている。大量の物資・人命が失われ、戦費の重圧、物資・人員の徴発、国土の後輩によって国家経済を疲弊させる。為政者は合理的に考えれば、戦争を選択すべきではない。 しかし、これまで数えきれないほどの戦争が勃発し、今も続いている。 「帝国主義とは、国家の際限なく拡張を強行しようとする無目的な素質である」とするヨゼフ・A・シュンペーターは、『帝国主義と社会階級』において、戦争の原因について次のように述べている。 歴史上の事実を分析することによってわれわれは、第一に、何らはっきりした目標にしばられない「無目的的」な武力による拡張への傾向──すなわち戦争や制服を求める無合理的な非合理的な純粋に木能的な性向──が人間の歴史においてきわめて大きな役割を演ずる、という確かな事実をつきとめた。逆説的にきこえるかもしれないが、非常に多くの戦争──おそらくは大多数の戦争──が適当な「理由」(道徳的観点からというより、考えぬかれた尤もな利益の観点からの) なしに、強行されてきた。言いかえれば、諸国民の精根をつくしたような努力が実に無駄に流れたのである。われわれの分析は、第二に、この戦争を求める必要性ないしは意欲についての説明を与えており、その説明は、単に「衝動」や「本能」に言及するだけで終っているものではない。むしろわれわれは更に一歩進んで、民衆や階級が生きのこるためには武士にならざるをえなかったようなその客観的な生活上の要請の中にその説明を求め、また、遠い昔そのような環境の下で得られた心理的素質と社会的構造とが一度びそれとして確立されると──それの本来の意味と生命保存的機能とがなくなってしまったはるか後においても──いつまでもその力を持ちつづける、という事実の中に説明を求めるのである。われわれの分析は、第三に、このような性向ないし情造の存続を助長する第二次的諸要因が存在しているということを明らかにした。この種の諸要因は二つに分けて考えることができる。まず第一には、支配階級の国内政治上の利害関係が好戦的性向を助長したのであり、第二には、戦争政策によって経済的或いは社会的にそれぞれ個人として利益を受けるような人たちのもつ影響力が一つの役割を果している。これらいずれの要因も、大ていのばあい、政治的表現や心理的動機の上で、いろいろに異った飾りをつけてあらわれるのが常であった。それぞれの帝国主義は細かい点では相互にかなり異なるが、どの帝国主義も少なくとも右にのべたような諸特性だけは共通してもっているのであって、だからこそ第一章で述べたように、それは社会学上単一の現象として取扱われるのである。 経済において、個人的・階級的合理性の追求がしばしば社会的・国家的合理性と矛盾することが少なくない。シュンペーターは戦争の原因としてこの齟齬を見出す。戦争は、戦争は国家や社会にとって決して合理的な選択ではない。しかし、帝国主義国家は戦争を繰り返す。それ自体に合理的な目的はないにもかかわらず、戦争が頻発する理由は大きく二つある。一つは、支配階級が国内政治の失敗を外にそらすためである。もう一つは、戦争を始まると個人として報われる階級が増加しているからである。シュンペーターの独創性はこの第二の原因を導き出した点にある。戦争が厄介なのは、それでしか食っていけない階級を増加させ、次の戦争を誘発してしまうことである。 経済学者のマーク・ブローグは、『ケインズ以前の100大経済学者』の中で、『帝国主義と社会階級』を「現在でも読む価値のある作品」と賞賛している。残念ながら、日本では、『経済発展の理論』や『景気循環論』、『資本主義・民主主義・社会主義』、『経済分析の歴史』などは読まれているものの、この隠れた名作が振り返られることは稀である。しかし、シュンペペーターの政治学領域の考察は非常に示唆に富んでいる. シュンペーターが「個人として」としている点に注意しなければならない。この社会階級は国防費ではなく、戦費にかかわっている。それは軍需産業の関係者ではない。彼らは自分たちが開発・製造している兵器が戦争を抑止していると軍から金を引き出したいと思っている。戦果を挙げると、瞬間的に受注を増えるだろうが、戦時になれば、経営・研究・開発に軍が干渉してくる危険性がある。差し迫った戦争の危機がなくなったおかげで、経済成長を遂げ、その余裕から装備の近代化を計画する新興国に自社製品を売却する方が実入りがいい。また、多くの軍人にしても、同様である。志願兵であれば、愛国心もあり、いざというときがきたなら、その覚悟もしている。けれども、そうなれば、自分や部下が死ぬ可能性は高くなる。それよりも、自分たちの存在が外的脅威から祖国を守っていると国内に認知させて誇りとした方がよい。軍人も家族がある。できれば、時期がきて、昇進し、給料も上がるなら、都合がいい。学費・資格のために、志願している若者も少なくない。いずれも軍隊で食っているのであって、戦争で食っているわけではない。 このシュンペーターの分析に当てはまる一例がフランス第4共和政である。大戦後、イギリスが次々に植民地を放棄していくのに対し、フランスは固執する。1947年から58年まで続いたこの共和国はつねに戦時下である。46年から54年までインドシナ戦争を行い、それが終わると、アルジェリア戦争に突入し、第5共和政が62年になってようやく終決させる。その間も、56年から57年にスエズ動乱を引き起こしている。同時代のヨーロッパでこれだけ戦争に明け暮れた国家はない。戦争でしか食っていけない人たちを多く生み出し、彼らが第5共和政成立前後に無数のテロ・クーデターを計画・実行する。 フレデリック・フォーサイスの『ジャッカルの日』は、この辺りの事情をよく描いている。これは、シャルル・ド・ゴール大統領のアルジェリア政策に反対する過激派組織OASがプロの殺し屋「ジャッカル」を雇い、彼の暗殺を企てるという傑作小説である。その作戦を立案したマルク・ロダン大佐の半生は、戦争でしか食えない人がどのようにして生まれるかをよく物語っている。 マルク・ロダンは貧しい靴職人の家に生まれたが、ハイティーンのときに、フランスがナチス・ドイツに占領されたため、漁船でドーバー海峡を渡り、「ロレーヌの十字架」に一兵卒として入隊する。北アフリカ戦線やノルマンジー上陸作戦、パリ解放作戦に参加し、彼の教育暦では困難な少尉にまで昇進している。大戦が終わり、民間に戻るか、それとも軍に残るかの選択を迫られた際、後者を選ぶ。10代後半から20代前半の時期に、教育や職業訓練を受ける機会が奪われた彼には、父から仕込まれた靴職人の技術しかなく、民生復帰には難しい。 ドイツと比べて、フランスの靴職人の地位は高くない。ドイツにおいて靴は実用性が重視され、早い時期から、リハビリなどとも結びついていたのに対し、フランスでは、ソフトなタイプが好まれているように、靴のデザイン性が重視されて、職人はそれを具現化することが求められる。今日でも、フランスは、そのコンセプトが強いため、ドイツを始めとする諸国と足の計測方法が異なっている。ちょっとした記述であっても、論理的に相対化することで本質が顕在化するものである。 軍に残ったものの、ロダンは叩き上げの将校の悲哀を味わうことになる。サン・シーリャンが彼を追い抜き、次々と昇進していく。サン・シール陸軍士官学校は幹部養成を目的としており、戦略や戦術、作戦を体系的に理論として学習させる。全体を知らなければならないので、工兵や砲兵など陸軍に必要な各技術を一通り教育する。現場上がりの少尉でも、陣地をどこに置くかくらいは判断できるが、大局的な観点から作戦を立てることはなかなかできない。ロダンの失意は怨念にまで成長する。残された道はただ一つしかない。戦場に戻ることである。 第一次世界大戦後、政党政治への不信感を抱き、強い指導者に率いられた全体主義体制を希求したのはアドルフ・ヒトラーを始めとした復員軍人である。軍隊は厳然とした階級組織である。上意下達で民主的ではない。幅員軍人の処遇は戦後社会における民主主義の浸透を左右する。 しかも、強固なヒエラルキーのため、軍人たちの間では昇進への願望が一般の公務員よりも強い。東西冷戦が終結した後も米軍が全世界に基地を持ち、展開しているのは、世界の警察を自認しているからではない。基地を閉鎖してしまえば、将校を含めた昇進を閉ざされた軍人の不満が蓄積し、現役武官だけではなく、在郷軍人会も政治への圧力を強め、政情を不安定化させる。アメリカは軍のリストラになかなか手をつけられない。米軍の基地問題は軍の官僚主義に要因の一つがある。外交問題ではない。政軍関係問題である。 1945年9月2日、ベトナム民主共和国が独立を宣言する。ところが、宗主国のフランスはそれを認めず、大戦以前の状態への復帰を画策する。46年12月、両者の間で戦争が勃発する。ロダンは、働きかけの甲斐あって、この植民地軍の空挺部隊に転属され、そこで居場所を見つける。「彼と同じことばをはなし、同じ考え方をする兵士たちがいた」。彼らは戦争でしか食っていけない。しかるべき時期に教育や職業訓練の機会を奪われ、しかも叩き上げであるため、戦闘で武勲を挙げない限り、軍でも昇進は望めない。シラーズは戦争がなくても、頃合があれば階級が上がっていくため、軍隊で食っていける。戦闘に次ぐ戦闘の8年間で、血と汗を流したロダンは、戦争が終結したとき、少佐になっている。 けれども、本国に戻ってからの一年間で、以前から心に巣食っていた怨念を憎悪に転化させる。ブルジョアが安穏とした生活をすごせるのは、遠く離れた戦地で兵士たち勝ちと汗を流しているからだと固く信じていたのに、そんなことに気をとめているものなどいない。それどころか、左翼知識人たちは、情報収集のためと捕虜に拷問をかけること非人道的であると軍を批難する有様である。本国政府と国民の支援が十分でさえあったら、わが軍はベトミンを蹴散らしていたのであって、インドシナの放棄は死んでいった兵士たちへの裏切りである。政治家と共産主義者に牛耳られた今のフランスを解放するには、軍人が決起するしかない。裏切り者と口舌の徒は軍にはいないからである。 日本にいると、労働者階級が共産主義者に乗っとられているというロダンの考えがわかりにくい。戦後の日本の議会勢力は複数政党制の参戦国の中で例外である。鍵になるのは共産党である。議会勢力として共産党が存在しているか否かで大きく分かれる。アメリカやイギリス、西ドイツなどでは共産党は議会勢力ではない。労働者階級を代表するのは社会民主主義的な政策をとり入れた政党である。一方、フランスやイタリアにおいては共産党は議会勢力として強力で、保守勢力と拮抗している。フランスの戦後初の総選挙で第一党となったのは共産党である。戦後長期に亘って、同党は有権者の20~25%の支持を受けている。労働者階級を代表するのは、言うまでもなく、共産党である。社会党は、第三党として、保守政党と共産党の挟み撃ちにされ、リベラルなホワイトカラーの支持をとりつけて一定勢力を保持し、連立政権に参加する。 ところが、日本では議会勢力として共産党が存在するものの、社会党の方が優勢で、なおかつ労働者階級の代表の座を両者が奪い合っている。地方レベルでは、京都のように、共産党の法が強い地域もあるが、これはあくまで国政レベルの話である。社会党は自民党と共産党に挟まれているけれども、総評をバックに当選してくる議員も多く、なまじ第二党であるため、市民政党への脱皮も難しい。しかも、自民党は、その複雑な形成過程に伴い、社会民主主義的な国内政策を採用しているので、社会党は違いを明確にしにくい。結果、社会党は護憲平和にそのアイデンティティを見出すほかない。このように、日本とフランスとでは、共産主義者と労働者階級をめぐる状況が違う。 戦後、フランスの知識人は左翼の立場をとり、「モスクワの長女(La fille aînée de Moscou-)」こと仏共産党に好意的である。しかし、彼らが鉄のカーテンの向こう側の実態を知らなかったわけではない。彼らにとって危険なのは共産主義以上にファシズムである。ヴィシー政権はナチスに協力したのに、戦後、東西冷戦の開始と共に、その責任追及がうやむやになっている。当時の政府は侵略軍に抵抗するどころか、それを利用して国内の自由主義や民主主義、共和主義の一掃を図り、労働運動・言論活動を弾圧している。社会党主流派を含む第三共和政の政治家たちは積極的・消極的にフィリップ・ペタン将軍を容認している。積極的に闘争を挑み続けたのが共産党である。解放後、その政権の要人や対独協力者は処罰されたり、追放されたりしたが、冷戦へのタイオウや経済復興のために、多くが復帰を許されている。知識人たちはそれを憂い共産党を支持する田市制を示している・この状況は日本も似ている。知識人にすれば、アメリカも信用できない。マッカーシズムは反共に名を借りたファシズムであるし、反共でありさえすれば、ワシントンはイベリア半島のファシスト体制を支援している。知識人にとって共産党は国内にうごめくファシズムの中和剤である。 1944年9月、パリ解放直後、シャルル・ド・ゴールを主席とする臨時政府が成立する。45年10月に発足した憲法制定国民会議でも将軍は引き続き首班に指名され、11月、共産党・人民共和派・社会党による反ファッショ連合政府は結成される。ところが、翌年の1月、ド・ゴールは、議会権限の強い憲法草案をめぐって他勢力とぶつかり、辞職する。 ド・ゴール将軍は政党政治に批判的で、超然主義の姿勢をとっている。しかし、それはいささか時代離れしている。確かに、19世紀、民主主義が衆愚政治と同義語として使われている。合衆国第4代大統領にして政治思想家のジェイムズ・マディソンは、政党政治を特定集団の利益を優先する多数派の横暴として厳しく斥けている。20世紀に入ると、一党独裁を絶対視する政治体制を別にすれば、政党政治は民主的な制度として広く認知される。もっとも、ド・ゴールも柔軟な政治家であり、政党政治に不満を抱きながらも、後に、新共和国連合(UNR)を結成している。 1947年1月、第4共和政がスタートするものの、先の三派の対立と小党乱立、冷戦の激化によって短命政権が続く。フランス共産党は何度か第一党になって政権に参加していたが、48年以降、下野する。人民共和派(MRP)はカトリック系の政党として出発したけれども、右傾化して党勢が衰退している。それに代わって、ゴーリストが進出していく。社会党は彼らの挟み撃ちにあいながら、勢力を維持しようと懸命に励む。戦争はこの不安定な国内政治の産物である。 ロダンの考えは手段と目的を入れ替えている。戦争は手段であって、目的ではない。戦争の勝敗は、戦闘の勝ち負けではなく、政治的に決定される。スエズ動乱がその典型例である。1956年、ガマル・アブデル・ナセル大統領がスエズ運河の国営化を発表すると、英仏とイスラエルが軍事攻撃し、エジプト軍は壊滅寸前に追いこまれる。しかし、米ソがこの三国を牽制し、国連も介入、連合軍は撤退する。エジプトは軍事的には完敗だったが、政治的には大勝利を手にする。他方、フランスは軍事的に勝ったけれども、この戦争を通じて人命を失い、金を無駄遣いし、国際的な威信を低下させるという政治的な大敗北を喫する。戦争の勝敗が政治的に決まるとすれば、遂行には民の支持が不可欠であって、それをなくしたとき、継続は不可能である。また、個々の戦闘自体が目的ではない、ある戦いで負けた場合、それをとり戻そうとすると深みにはまってしまうため、避けなければならない。 ロダンの遠近法的倒錯は自分のアイデンティティを戦場に見出していることから生じる。孫子は「百戦百勝は、善の膳なる者には非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の膳なる者なり」と言っている。しかし、ロダンは戦争でしか食っていけない。孫子の教えは彼にとって存在の否定につながってしまう。彼にとって戦争の勝敗が政治的に決まるなどあってはならないことである。戦闘の勝敗が戦争のすべてである。 ロダンは、1956年春、アルジェリアへ向かう。彼はそこでFLNおよびALNと野戦や都市ゲリラとのとの戦いに明け暮れる。この強敵を打ち破るには本国からより多くの支援が絶対必要である。アルジェリアはフランスであり、そのためには、本国がいかなる犠牲を払うのも当然である。「過激派のほとんどがそうであるように、ロダンもまた、自己の信念がすべてで、現実を冷静にみつめる目を欠いていた。増大する戦費、その負担に耐えかねているフランス経済、兵士の士気の低下といった冷徹な事実も、彼の目から見れば些事にすぎなかった」。 一日約300万フランの戦費はフランスの経済・財政を破綻に追いこみ、社会危機を招く。1958年6月、国内の反戦気運に憤激した現地四将軍が中心となってアルジェリア駐留軍が反乱を起こし、コルシカ島を占拠、その鎮圧に向かった部隊まで同調、パリ進撃の構えまで見せる。瀕死の第4共和政は、その収拾のため、ド・ゴール将軍を政界に呼び戻し、国民議会は彼に6カ月間の全権委譲を承認、憲法改正を委ねる。ド・ゴール首相は、9月、大統領に強力な権限を与えた新憲法を起草、10月、国民投票で第5共和政を樹立する。12月、初代大統領に選ばれ、翌年1月8日に就任している。 それは、ロダンのような狂信者、すなわちとルー・ビリーバーにとって、待ちかねた瞬間である。軍人がフランスを統治する。すべての元凶である共産主義者は追放され、すぐに騒ぎ出す労働組合は屈服し、あの小うるさいジャン=ポール・サルトルは反逆罪に問われて銃殺刑に処せられる。アルジェリア同胞と駐留軍に対して祖国からの温かい支援の手が差し伸べられる。これで万事うまくいく。ベン・ベラに思い知らせてやるのだ。 「フランスのアルジェリア」と言ってエリゼ宮に入ったド・ゴールであったが、決して愚かな政治家ではない。したたかでしなやかなリアリストである。アルジェリア民族解放戦線と休戦交渉を進め、60年9月にアルジェリアの民族自決の支持を発表し、61年の国民投票の過半数もそれを支持する。62年3月エヴィアン協定によって戦争の終決とアルジェリアの独立が承認される。 しかし、右翼軍人たちはこれでは納まらない。アルジェリア各地で独立派へのテロを実行したのみならず、クーデターを計画する。中でも、最も過激な軍人や居留民、政治家たちは、1961年1月、マドリードで、「アルジェリアはフランス。これまでもこれからも」(L’Algérie est française et le restera)」を掲げて「秘密軍事組織(OAS Organisation de l armée secrète)」を結成する。ロダンも加わったこの極右組織は、彼らが「ユダ」と見なすフランスの最高権力者の暗殺を何度も試みる。しかし、度重なるフランス官憲の厳しく執拗な追求によって組織は先細っていく。ロダンの「ジャッカル」計画は、消滅間際のOASにとって、最後の賭けである。 マルク・ロダンはこうした社会的・時代的背景の下で戦争でしか生きられないウォー・ビリーバーになっている。しかし、彼のようなタイプは決して珍しくはない。アルカイダを始めとする過激派に参加した元アラブ・アフガンズもそうしたウォー・ビリーバーの一例である。 1979年、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻すると、イスラム教徒を共産主義者の脅威から守るという大儀を掲げてアラブ地域から義勇兵が参戦する。彼らは「アラブ・アフガンズ」あるいは「アフガン・アラブ」と総称される。オサマ・ビンラディンのような裕福で教育のある青年は珍しく、大部分は下層階級の出身である。失うものがあったら、いかに義憤にかられようと戦場には駆けつけられない。義勇兵は西側の提供する武器を手に、共産勢力と血みどろになって戦う。1989年、ソ連軍が完全に撤退し、彼らの大半も帰国する。「よくぞやってくれた!」と人々から熱烈な歓迎され、感涙に咽びながら、ねぎらいの言葉が発せられるだろうと期待して、故国の土を踏む。しかし、彼らが直面したのは無関心であり、ヒンズークシ山脈で戦闘に明け暮れていた間に、すっかり変わった社会である。子供たちはファミコンで遊び、若者はCDで音楽を楽しみ、CNNが世界のニュースを衛星を使って24時間放映している。一方で、政治腐敗と貧富の格差は相変わらず放置されたままである。 元々貧しい上に、20代の間に職業訓練も学問研究の機会を逃し、身につけたものといえば、戦闘の技術だけとあっては、民生復帰することは困難である。しかも、80年代はデジタル技術が徐々に社会に浸透しつつあった時期である。スティンガー・ミサイルを撃てるとしても、一般社会では特技に入らない。また、その経験を生かそうにも、これだけ特定のイデオロギーに染まった人物を国軍が受け入れることは難しい。近代において、軍は政治的中立の立場をとらなければならない。部隊内で若い兵士に自分の体験を交えつつ、過激な思想を吹きこまれたらたまったものではない。反乱やクーデター、革命といった軽挙妄動の種ともなりかねない。彼らには居場所がない。鬱屈とした怨念が心の中にたまっていく。 1990年、突如、イラクがクウェートに軍を進める。翌年、イラクに対して、多国籍軍が戦闘を開始して、湾岸戦争が勃発する。ソ連はこの件に関して安保理で拒否権を行使せず、アメリカに軍事的に対抗する立場を放棄している。このとき、事実上、冷戦が終結する。もはやアメリカと軍事的に対抗しようとする国家は存在しない。戦争は3ヶ月もしないうちに決着がつく。 しかし、戦争が終わっても、サウジアラビアの米軍駐留が続く。中東では、イスラエルを支援しているため、従前より反米感情が強いが、この継続は一般のサウジの国民の反発を招く。不満と不信に満ち溢れた元イスラム戦士には、共産主義者をアフガニスタンから追い払ったと思っていたら、今度は、こともあろうに、異教徒がメッカとメディナの聖地を抱えるサウジアラビアに居座り続けている。イスラムを守るために、奴らを追い出さなくてはならない。「アメリカに死を!」と立ち上がったとき、彼らは再び居場所を見つける。 ウォー・ビリーバーは戦争に対するアイロニーもシニシズムもない。そこはアイデンティティ確認の場である。ウォー・ドリーマーと違って、戦争は社会の流動性確保でも経済成長の手段ではない。戦争自体に自分の存在意義がある。正しいことをしていると信じている以上、なかなか彼らを止められない。 90年代、アラブ・アフガンズと各国で活動を続けてきたイスラム過激派が連携し、世界各地でのテロを実行する。貧しいものにとって、実は、テロ組織を創設することは難しい。先立つものがないからだ。むしろ、戦争に義勇兵として参加する方がたやすい。戦争は、概して、いずれの勢力にもバックアップしている国家がいるので、その辺の心配が要らない。食うや食わずでは継続してテロをしている余裕などない。比較的裕福で、高学歴のものたちが急進思想にかぶれて、テロ組織を結成することが多い。高い教育も受け、豊かであるなら、社会的な成功は十分可能である。けれども、社会変革は思っている以上に時間がかかり、待ちきれない。物事がそんなに簡単に割り切れるものではないのだが、とにかく答えが欲しい。オサマ・ビンラディンは過激派の幹部とアラブ・アフガンズの両面を兼ね備えている。彼が世界的なイスラム主義のテロ・ネットワークの中心人物となるのも必然的だったろう。 急進派たちは、世界各地を追われ、あるいは自ら進んで、アフガニスタンに集結する。国際社会の関心はもうそこに注がれていない。彼らとパキスタンに支援されたタリバンは、96年にカブールを制圧し、その後、短期間のうちに国土の9割以上を実効支配する。 タリバンの幹部は貧しい家庭の出身である。長引く戦争のため、満足に教育を受けられなかったり、何とか勉強を続けたいと学費が無料で食事も提供してくれる神学校に通っていたりするものがほとんどである。日本で言うと、統制派に対抗した皇道派の青年将校というところだ。リーダーのムハンマド・オマルは正規の教育経験は数年しかない。アフマド・シャー・マスードのような裕福で高い教育を受けた北部同盟の指導者とは違って、アラブ・アフガンズに近い。 2001年9月11日、同時多発テロが起きる、アメリカは、実行したとされるアルカイダのメンバーの引渡しを要求するが、タリバンは拒否する。10月、アメリカ軍を主体とする有志連合がアフガニスタンで戦闘を展開、12月、タリバン政権は崩壊する。2003年3月、調子に乗って、アメリカとその仲間たちはイラクにも侵攻、4月、バグダッドは歓楽する。しかし、その後、両国供には内戦状態と化し、国内各派だけでなく、国外からテロリストや義勇兵も流入する。そうしている内に、アフガニスタンではタリバンが息を吹き返し、支配地域を徐々に広げていく。バラク・オバマ米大統領は、治安の改善傾向が見えてきたイラクから2011年12月までに駐留軍を完全撤退すると表明しているが、アフガンに関しては出口戦略を明らかにしていない。それどころか、隣国のパキスタンにも戦線が拡大している。この間、新たなウォー・ビリーバーが続々と生まれている。 戦後復興の際に、元兵士の生活設計をどうするかは重要な課題である。軍や警察に入れない場合、学校教育・職業訓練などの支援が必要である。何も身につけさせず、社会に放り出しては、彼らは再び銃を手にする恐れがある。ソ連軍撤退後のアフガニスタンの混乱の一因は、元兵士の処遇をほとんど考慮していなかったことである。 ウォー・ビリーバーの生まれるメカニズムは、ワーキングプアのそれと似ている部分もある。バブル経済崩壊後、多くの企業が新卒採用の枠を絞り、大量の非正規雇用者が出現する。彼らは不安定で低賃金の仕事に追われ、専門的な技能や資格を習得する機会を奪われる。働いても、働いても、貧困から抜け出せない。彼らはロダンやアラブ・アフガンズと重なる。 しかし、戦争は別のタイプのウォー・ビリーバーも発生させる。ある程度の教育や職業技能を有しながら、戦争でしかアイデンティティを見出せなくなってしまう兵士も少なからずいる。自分が報われるのは戦場だけだと感じている。イラク戦争を舞台にした映画『ハート・ロッカー』のウィリアム・ジェームズ1等軍曹は、祖国での家庭生活になじめず、戦場に舞い戻っている。また、民間軍事会社の社員にもこうしたタイプが多い。彼らは戦争一般が正しいとは考えていない。ただ、自身がかかわっていることには意義があり、危険な戦場で任務を果たせるのは自分だけだという使命感を抱いている。戦場には彼らの居場所がある。 戦争はウォー・ビリーバーという社会階級をもたらし、固定化する危険性がある。ウォー・ビリーバーに関して、「階層(Strata)」ではなく、「階級(Class)」を用いるのは。彼らが「同じことばをはなし、同じ考え方をする」という所属意識を持っているからである。赤木のようなウォー・ドリーマーは、今の状況から何としても脱出したいために戦争を待望している。一方、ウォー・ビリーバーは戦争が終わって欲しいと思っていない。自分を生み出したその場を神聖視している。戦争にこそ自分自身がある。しかし、それによってまた新たなウォー・ビリーバーが生まれる。戦争はこうして自己増殖する。それを待望するよりも、真摯で建設的な議論をする方がはるかに有意義である。 現下の多様な危険要因に対応するためには、政策と制度をさらに強化し包括的なものとする必要がある。国家は安全保障に引き続き一義的な責任を有するが、安全保障の課題が一層複雑化し、多様な関係主体が新たな役割を担おうとする中で、われわれはそのパラダイムを再考する必要があろう。安全保障の焦点は国家から人々の安全保障へ、すなわち「人間の安全保障」へ拡大されなくてはならない。 (人間の安全保障委員会事務局『人間の安全保障委員会:最終報告書要旨』) 〈了〉 参考文献 赤木智弘、『若者を見殺しにする国―私を戦争に向かわせるものは何か』、双風舎、2007年 浅野裕一、『「孫子」を読む』、講談社現代新書、1993年 天川晃他、『日本政治史─20世紀の日本政治』、往相大学教育振興会、2003年 五百旗頭真、『米国の日本占領政策』、中央公論社、1985年 柄谷行人、『倫理21』、平凡社、2000年 高橋和夫、『改訂版国際政治─九月十一日後の世界』、放送大学教育振興会、2004年 長谷川慶太郎、『2010年 長谷川慶太郎の大局を読む』、フォレスト出版、2009年 藤原帰一、『国際政治』、放送大学教育振興会、2007年 シュンペーター、『帝国主義と社会階級』、都留重人訳、岩波書店、1956年 フレデリック・フォーサイス、『ジャッカルの日』、篠原慎一訳、角川文庫、1979年 マーク・ブローグ、『ケインズ以前の100大経済学者』、中矢俊博訳、同文館、1989年 ポール・ポースト、『戦争の経済学』、山形浩生訳、バジリコ、2007年 『世界の名著40』、中興バックス、1980年 DVD『エンカルタ総合大百科2009』、マイクロソフト社、2009年 人間の安全保障委員会 http //www.humansecurity-chs.org/japanese/index.html 防衛省・自衛隊 http //www.mod.go.jp/ United States Department of Defense http //www.defense.gov/ 佐藤清文、『経済と文学─戦後経済と日本文学』、2009年 http //hpcunknown.hp.infoseek.co.jp/unpublished/el.html