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|ナレーション(吹替)「1925年。世界人口の1/4を統治するジョージ5世は、大英帝国博覧会の閉会のスピーチを次男、ヨーク公に依頼した」|(背景黒、文字白) テロップが流れると共に聴覚室になる。 |The Kings Speech|(背景黒、文字白) 変わって階段前にアルバート・フレデリック・アーサー・ジョージことジョージ6世がスピーチの準備としてか、その原稿を見ていて、傍にいた妻のエリザベスならびに側近らが見守っていた。変わって聴覚室ではスタッフがナレーターのスピーチの準備をする。 スタッフ「殿下。後2分で放送が始まります。どうぞ」 聴覚室ではスタッフがマイクテストの準備終える。 スタッフ「ありがとう」 スタッフはスピーチのテストをしようとし、階段にいたスタッフはジョージ6世に話す。 スタッフ「性能のよい、マイクですから」 側近「殿下、必ずうまくいきます。焦らずにお話し下さい」 一方でナレーターはスピーチテストをし、ジョージ6世は妻のエリザベスにキスをする。 エリザベス「さあ、いらして」 変わってナレーターはマイクに向かって声を出す。 ナレーター「こんにちは、こちらはBBC英国放送教会です。ウェンズディスタジアムより大英帝国博覧会の閉会セレモニーをお届けいたします」 変わってジョージ6世はスピーチとなる会場であるウェンズディスタジアムの外へ行く。 ナレーター『初めにヨーク公伯殿下が父君である5世殿下のお言葉をお読みになります。この博覧会には英国の58の植民地と自治領が参加し、偉大の規模となりました』 側近「赤いライトが3回点滅し停止したらお話し下さい」 ナレーター『新しい発明であるラジオで国王陛下は初めて博覧会開幕のお言葉に語られました』 変わってラジオのスタッフは準備に入る。 ナレーター『そして第一の閉幕では継承者であるプリンツ・オブ・ウェールズ殿下が初の放送をなさいました。そして今日、弟気味のヨーク侯爵殿下が国民と世界に向け、博覧会閉幕のお言葉を初めて放送なさいます』 ジョージ6世は緊張しながら会場へ来ると同時に参加客が一斉に立ち上がり再び座る。 ジョージ6世はスピーチ準備を終えようとするが、大勢の客に緊張し声が出せない。 その異変にラジオのスタッフや客も反応する中、ジョージ6世は声を出す。 ジョージ6世「私はここに…国王陛下からのお言葉を…あ…あ…預かり…」 ジョージ6世は大勢の民衆の前でまともに声が出せなかった。
https://w.atwiki.jp/1minspeech/pages/14.html
【Schedule】 Oct 16 (Sun) Oct 23 (Sun) 【Speech Topics】 □What kind of a person should be a leader? □What is your favorite book?/What is the book you are most impressed with? □Why do you want to improve English speaking skill? ■Who is your favorite actor/actress? [DONE Oct.8] □What is your favorite color?
https://w.atwiki.jp/mg_rpg_ar_dic/pages/1857.html
[MA,Sp,1,20,6,1/SpAk;MP-[2d+精]]Sp ☆☆☆ ダメージでこそないがダイス効果魔術なのでブーストは容易。拡大もできるし、《マインドクラッシュ》のあるギルドなら戦術にも組み込める。また《無限の力》を持たないネームドエネミーには非常に有効だ。 問題は2つ。人間以外はMP0でも無力化しないこと、そして往々にしてHPを削った方が早いことだ。SL1で済むので保険として取得するのが正解かも知れない。 -- 灯 (2010-01-13 16 24 15) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/lliiorziill/pages/48.html
説教,演説,講義のような一般に対する個人の直接的な訴えは, 宗教,政治,教育などの分野において, ごく普通に用いられる手段である。 これが他人に直接的な影響を与えるうえで, どれほど有益かは計り知れない。 過去何世紀にもわたって, 常に大きな効果を及ぼしてきた事実を考えれば納得できよう。 感情的な激しさや熱意を効果的に伝えることにも, この方法は最も適している。 また,リーダーが公衆の面前に姿を現すことで, 決定的な永続性のある推進力となる場合がある。 成功すれば,これほど強力なものはない。 本人が直接そこにいるということ自体, 感情的に強烈な効果を与えるのである。 大統領候補が,一人でも多くの有権者に接しようと 全国を遊説するのは,この効果をよく認めているからである。 ブッシュ元米大統領は,大統領候補になったとき 「低い声で,ゆっくり話す」という訓練をしたそうです。 大統領らしさと人間味のある温かさを演出するためでした。 心理学者の研究によると,低い声で話す人は,高い声の人に比べて, 「洗練されている,魅力的である,男性的である」との印象を与え ます。 また,安心感があり,積極的である。 人前で話をするときに「あがる」理由について, 大きく以下の2つをその理由として述べられています。 準備不足・・・どんなことでもぶっつけ本番は不安。 「あがる」ことを許していない・・・あがっても良いと,という許可を自分に与える。 まず,何を伝えるのか“目標文”を必ず作成する。 一言で言うと何が言いたい?というのが目標文です。 自分が伝えてたいものが明確なら相手にも明確に伝わります。 リーダーは具体的で簡潔なことばで思いを伝えるメッセージの達人。
https://w.atwiki.jp/magicman/pages/49245.html
時空堕天 スピーチ SR 闇文明 (5) クリーチャー:エンジェル・コマンド/タイム・コマンド (5000) ■スレイヤー ■このクリーチャーが出た時、相手の手札を2枚見ないで選び捨てさせる 時空の紋章 自然文明 (4) 呪文:タイム・コマンド ■自分のバトルゾーンにあるエレメントを1枚マナゾーンに置く。その後マナゾーンの枚数以下の種族に『タイム』を持つエレメントまたは、呪文をマナゾーンから使う。 作者:?の助 フレーバーテキスト (フレーバーテキスト) 評価 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/96chan/pages/13.html
私が最近興味あることは「食べ歩き」です。 特に最近は奥さんと一緒に洋食屋によく行っています。 今日はオススメの洋食屋ベスト3を紹介したいと思います。 まず第3位は天王寺にある「グリルマルヨシ」です。 店の看板メニューはロールキャベツ。 母親と親子二代で通っています。 店舗は最近リニューアルされてあべのキューズモール内にあります。 続いて第2位は難波にある「KOBEキッチンMUGUMI」です。 オススメはゴルゴンゾーラチーズのオルライス。 濃厚なチーズの味わいがオムライスとベストマッチです。 そして第1位は心斎橋にある「ばらの木」です。 オススメはハンバーグセットとビーフシチュー。 デミグラスソースの奥深い味わいで何度食べてもまた行きたくなる味です。 皆さんもオススメのお店があったら教えてください。 以上です。
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神官でもない人物が、突然、道端で説法を始めてもちゃんとお布施がもらえるあたり、 アルディオン大陸の人々はとても信心深いのかもしれない。 <バスカー>や<パフォーマンス>のような発展系が存在しないため、 あまり出番のないスキルではないだろうか。‥‥スキル枠を潰して小銭を稼いでもなぁ。 [地域クラス/プリーチャー] 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/mg_rpg_ar_dic/pages/1858.html
[Spc,-,U,-,-,1/PPlay:gp+知x100] ☆ 大した額ではないが初期レベルでは貴重。スキル枠を金に替えてしまうのは損な取引だが、リビルドが頻繁に行えるなら低レベルの間だけ持っておくのは悪くない。 リビルドを行うのはプリプレイかアフタープレイなので、こうしたプリプレイのスキル効果を得てからリビルドすることも理論上は可能。 -- 灯 (2010-01-13 16 22 54) 名前 コメント
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吃音症であったイギリス王ジョージ6世は家族と共に言語療法士ライオネル・ローグの手助けを受けそれを克服する中でジョージ5世が崩御など戦争の影響が襲う中でジョージ6世はローグの協力もあって上手くを声を出して正確な演説に成功した。 ウッド「おめでとうございます、陛下。見事な放送でした」 ジョージ6世「ありがとう。ウッド」 ジョージ6世が立ち去る中でスピーチのスタッフなど大きな拍手を受ける。 ジョージ6世「ありがとう」 ジョージは執務室の椅子に座る。 ジョージ6世「いいぞ」 ジョージ6世がそれを言うと撮影班が撮影する。 ジョージ6世「どうだ?」 ライオネル「完ぺきです。初の政治家のスピーチだな。おめでとう」 ジョージ6世「この先、何回もしなくてはならん。ありがとうローグ。お手柄だ我が友よ」 ジョージ6世はライオネルの肩に左手を乗せる。 ライオネル「恐縮です、国王陛下。」 すると妻のエリザベスが扉を開けて、ジョージはその元へ行く。 エリザべス「信じてたわ」 エリザベスはジョージ6世にキスをした。 エリザベス「ありがとう、ライオネル」 ジョージ6世「行こう」 ジョージはエリザベスと共に戻る中で近くにいた側近らに褒められる。 側近・執事ら「見事な演説でした」 「陛下には…頭が下がりますな」 「陛下、何のお言葉もありません」 「おめでとうございます陛下」 ジョージ6世「ありがとう」 ジョージはエリザベス王女を抱き上げる。 ジョージ6世「パパの演説はどうだった?」 エリザベス王女「最初は危なかったけど、どんどん良くなっていったわ」 ジョージ6世はエリザベス王女の頬を触りキスをする。 ジョージ6世「それはうれしいね。お前はどうだった?」 マーガレット王女「すっごく、よかったわ。パパ」 ジョージ6世「当たり前だろ」 ジョージ6世もエリザベス王女に続いてマーガレット王女をキスする。 ジョージ6世「準備はいいか?」 エリザベス「じゃあ、いらっしゃい」 そんな中、ジョージはライオネルに気付き、それを見守った後、宮殿のバルコニーに行くと大勢の民衆がおり歓喜を上げている中でライオネルは後ろからジョージが民衆に手を振る様子を見て笑顔になり本編が終わると、ジョージとライオネルのその後をナレーションが語ったところで終わる。 |ナレーション(吹き替え)「1944。ジョージ6世はローグにロイヤルビクトリア勲章を授与。これは騎士団の勲章の中で唯一君主個人への奉仕によって授与されるのである。 戦時下のスピーチには毎回ローグが立ち会い、ジョージ6世は侵略に対する抵抗運動のシンボルとなった。 ライオネルとバーティは生涯にわたり良き友であった」| (終)
https://w.atwiki.jp/poohjirou/pages/172.html
元気が出る!(^^)! 【スティーブ・ジョブズの感動スピーチ(翻訳)】 2005年6月12日に行われた米国スタンフォード大学卒業式で アップルコンピュータ社の創立者のスティーブ・ジョブス(Steven Paul Jobs)氏が 祝賀スピーチを行った時の翻訳です。 本当にいいスピーチです。 できれば、というより、是非読んでください!(^^)! PART 1. BIRTH ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。 本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。 私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。 私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろん」と答えました。 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。 PART 2. COLLEGE DROP-OUT こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。 ひとつ具体的な話をしてみましょう。 PART 3. CONNECTING DOTS リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ 何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。 PART 4. FIRED FROM APPLE 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。 PART 5. ABOUT DEATH 3つ目は、死に関するお話です。 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えがNOの日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て 外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。 PART 6. DIAGNOSED WITH CANCER 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだら、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。 PART 7. STAY HUNGRY, STAY FOOLISH 私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。 スチュアートと彼のチームはこのThe Whole Earth Catalogueの発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry, stayfoolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。 Stay hungry, stay foolish. ご清聴ありがとうございました。 the Stanford University Commencement address by Steve Jobs CEO, Apple Computer CEO, Pixar Animation Studios 翻訳 市村佐登美 satomi@mediaexpress.org 名前 コメント