約 668,680 件
https://w.atwiki.jp/toriko-kugi/pages/295.html
【名前】 サソリゴキブリ 【読み方】 さそりごきぶり 【分類】 昆虫獣類 【捕獲レベル】 7 【生息地】 暗くてジメジメした洞窟 【体長】 2,5m~3m 【体高】 1,5m 【体重】 250kg~280kg 【価格】 食用としての価値は0 【詳細】 サソリの尾と猛毒を持つゴキブリ。繁殖能力が高く、群れで行動するため集団だと更にキモさが倍増。 IGOが毎年公表する「捕獲したくない生物ランキング」ではキモいから嫌という理由で常に上位にランクインしているが、一部ゲテモノ好きの間で高額で取引される。
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/31355.html
登録日:2015/02/13 Fri 21 14 21 更新日:2023/08/07 Mon 17 21 41NEW! 所要時間:約 6 分で読めます ▽タグ一覧 DM DM-15 DMC-15 DMC-20 DMC-27 DMC-33 DMC-61 W・ブレイカー アンコモン アース・ドラゴン コモン デュエル・マスターズ デュエル・マスターズ プレイス ドラゴン パワーアタッカー プロモーション・カード 中堅アタッカー 初心者の味方 準バニラ 緑神龍グレガリゴン 自然文明 自然文明のクリーチャー 自然文明のドラゴン 闘魂編 意図せず破られた封印の扉。 もはや龍を止める術は無い。 概要 緑龍の吼える声が唸りとなって、深き森より聞こえてくる。 緑神龍グレガリゴンとは、デュエル・マスターズのクリーチャー。 DM-08「闘魂編 第3弾 超神龍の復活(インビンシブル・レジェンド)」にて初収録。他にも ■DMC-15「幻想の無限龍(エターナル・ドラゴン)デッキ」 ■DMC-20「双龍誕生(ドラゴン・インパクト)勝舞エディション」 ■DMC-27「コロコロ・ドリーム・パック」 ■DMC-33「エッジ・オブ・ドラゴンデッキ」 ■DMC-61「コロコロ・ドリーム・パック4(エターナル・ヘヴン)」 などでも再録された。プロモーション・カードにもなっている。 DM-08で登場したコモンドラゴンの一角。 初心者デュエリストに広く親しまれ、かつては同じサイクルのギラントと並ぶ人気と安定さを誇った。 スペック 神とも崇められる緑龍は、森深き処の神聖なる魂より創生された。 緑神龍グレガリゴン C 自然文明 (5) クリーチャー:アース・ドラゴン 4000+ パワーアタッカー+3000 W・ブレイカー スペックはきわめて淡白。 中量級のパワーと、そこに加算される適度なパワーアタッカーにW・ブレイカー。 つまりは準バニラとも言うべき性能。 インフレの進んだ現在では、別に使う理由も無いスペック。 グレガリゴンよりも、性能の優れたアタッカーは数多く存在する。 しかし、登場当時から人気のカードだった。それは何故かというと、その単純なスペックにある。 種族は優遇種族でもあるドラゴンで、所持種族は当時登場したばかりだったアース・ドラゴンである。 それでいて分かりやすく単純なスペックで、始めたばかりのプレイヤーでも理解しやすいということでもあった そして、レアリティにもその人気の秘密がある。 レアリティはコモンで、少数のパックを購入すれば誰でも複数枚の入手が可能だった。 人気種族かつ当時最新のドラゴンだったが低レアリティでもあり、小学生プレイヤーや初心者からは魅力的に見える。 以上の要素が、グレガリゴンの人気を支えたのだ。 レアリティは低いので手に入れやすい。 それでいて単純明快なスペックで、アタッカーとして分かりやすく使いやすい。 種族面やイラストで見ても、切り札に見える……このことから、初心者の使いやすいカードとして広く知れ渡ったのだった。 だが初心者だけが使うカードと言うとそんなこともなく、初心者以外のデュエリストもグレガリゴンを使う機会は多かった。 当時としてはコストの低いドラゴンだったので、デッキに軽いドラゴンが欲しい時には投入されていた。 特にコスト5でデメリットや特殊な条件を持っていない非進化のW・ブレイカーは、それもアタック時限定とはいえパワー7000になるクリーチャーは当時の基準だとかなり破格の性能。 このため自然文明を採用する中速のビートダウンデッキにおいては中盤のシールドの削り合いや敵アタッカーに対する殴り返しによる盤面制圧で優位に立てるカードだったのである。 パワーアタッカーである分当然素のパワーは高くはないものの、それでも4000という数字は当時のウィニーでの殴り返しや軽量火力呪文では除去できない数字。 その為相手はそれなりのコストがかかる除去カードを使う、中型以上のクリーチャーをこのクリーチャーの除去の為に動かす等しなくてはならず、中盤の攻防の中でそれらの工数を取らせてる時点でとりあえず最低限の仕事は出来ていると言える。 デュエルマスターズは淡白なスペック持ちが強いゲームではないものの、これ程までにコスト以上のスペックを持つカードとなると流石に強力と言わざるを得ない。 進化元として利用されることも多く、かつてはよく《太陽王ソウル・フェニックス》のデッキに投入された。 《コッコ・ルピア》からこのカードに繋ぎ、次のターンにソウル・フェニックスに進化するという流れがソウル・フェニックスデッキでは採用されており、基本戦略として定着していた。 ただし、インフレの進んだ現在では出番が無い。 劇的なパワーインフレ時期の覚醒編では、超次元呪文から呼び出せるサイキック・クリーチャーが登場。 グレガリゴンを出せるコスト域では、超次元呪文でW・ブレイカー持ちの覚醒獣を呼び出せるようになってしまった。 エピソード1では《緑神龍カミナリズム》といった上位互換に近いカードが登場。 グレガリゴンは、上記の時期から出番が激減してしまい、現在ではあまり見かけなくなってしまった。 だが、このグレガリゴンと共に戦った経験のあるデュエリストは今なお多い。 多くの初心者をDMの世界に導く役割を果たしたグレガリゴン。 間違いなくこのクリーチャーの存在は、優良コモンカードの一枚と言える。 DMの歴史に名を刻んだカードのひとつと言っても過言では無い。 派生カード 龍装者 ルガリゴゴ C 自然文明 (5) クリーチャー:ドラゴンギルド/グランセクト 4000 S・トリガー このクリーチャーがバトルゾーンに出た時、相手のパワー3000以下のクリーチャーを1体選び、持ち主のマナゾーンに置く。 グレガリゴンの化石が利用されたらしいグランセクトのドラゴンギルド。 素のパワーとコスト設定と所持文明にこそ面影はあるが、スペック自体は除去能力持ちのS・トリガークリーチャーと別物。 チョートッQ <グレガリ.Star> C 自然文明[ジョーカーズ] (4) スター進化クリーチャー:ジョーカーズ/アース・ドラゴン/レクスターズ 6000 スター進化:レクスターズまたは自然のクリーチャー1体の上に置く。(このクリーチャーが離れる時、かわりに一番上のカードが離れる) W・ブレイカー(このクリーチャーはシールドを2つブレイクする) このクリーチャーが出た時、自分の山札の上から1枚目をマナゾーンに置く。 《チョートッQ》と共鳴を果たし、ジョーカーズとの複合のレクスターズへと変貌したグレガリゴン。 スター進化を持ち、cipで《青銅の鎧》のようなブーストを行う。 低コストW・ブレイカーの進化クリーチャーと言う点でグレガリゴンの要素は反映されている。 スタートデッキに収録されたカードなので、レクスターズになっても初心者に優しいのがグレガリゴンの方針のようだ。 関連カード 黒神龍ギランド C 闇文明 (4) クリーチャー:ドラゴン・ゾンビ 6000 W・ブレイカー このクリーチャーがバトルする時、バトルの後、このクリーチャーを破壊する。 紅神龍メルガルス C 火文明 (4) クリーチャー:ボルケーノ・ドラゴン 4000 グレガリゴンと共に、DM-08のコモンのドラゴンのサイクルを務めたカード。 ギランドは優秀で、現在でも使われている。 グレガリゴンは上記でも述べたように、当時はかなり使用されていた。 メルガルスは……バニラで種族も不遇種族だが、まぁ軽いドラゴンとしてはまだワンチャンスあるか…? どれも一定の使い道はあるカードなので、何だかんだでDM-08のサイクルは利用価値のあるサイクルと言える。 緑神龍カミナリズム R 自然文明 (5) クリーチャー:アース・ドラゴン/ハンター 6000 W・ブレイカー 自分のハンターが破壊される時、墓地に置くかわりにマナゾーンに置く。 DMR-01で登場したアース・ドラゴン。 エピソード1で登場した新種族、ハンターを併せ持ち、ハンター(自身含む)をサポートする能力を持つ。 コスト5でデメリットなしのパワー6000、W・ブレイカーで能力もちと、上記のとおりグレガリゴンにとっては上位互換に近いスペック。 《若頭 鬼流院 刃》など、他の自然ハンターとの相性もいい。 緑神龍ガラギャガス C 自然文明 (5) クリーチャー:アース・ドラゴン 4000+ パワーアタッカー+3000 W・ブレイカー DMR-09で登場したアース・ドラゴン。 何故かエピソード3になって登場したグレガリゴンの相互互換。 しかし、インフレの進んでしまっているエピソードシリーズ。 そこにおいてグレガリゴンのようなスペックのカードが活躍できるはずもないのだった。 ただし、トッキュー8での試合ではまだ力を発揮出来たりもする。 名前の最後の文字に「ん」があるクリーチャーを破壊する《スーパーしりとりガー》の登場により、効果に引っ掛からないという点でグレガリゴンの上位互換に変貌した。 だが、しりとりガー自体がネタに近いカードでそこまで使用率も高くないので、あってないような上位互換の肩書である。 しりとりガーを気にするよりはまだ《天使と悪魔の墳墓》を意識した方が余程良いだろう。 そもそもグレガリゴンもガラギャスもしりとりガーが出た時期にガチな試合で見かける可能性はまずないという…。 デュエル・マスターズ プレイス DMPP-02 第2弾「伝説の再誕 -RETURN OF LEGENDS-」に収録。構築済みデッキのDMPD-03「超竜の咆哮」にも収録された。 性能面での変更は行われていないが、レアリティがアンコモンに昇格した。同じDM-08のコモンドラゴンだった《黒神龍ギランド》も同様の扱いを受けている。 ユーザーからの扱いは本家と大きな変化はなく、中量級の低レアリティドラゴンとして需要がある。 ただし、アンコモンになっているのでコモンだった本家よりも多少入手しにくくはなっている…と言ってもアンコモンなので大した影響はないが。 こちらでもデュエプレの初期から参戦していた《デスブレード・ビートル》の立場を追い込んでいる。 しかし、本家と違って《デスブレード・ビートル》は最初から誰でも入手可能なカードとなっているので、入手難易度的にはあちらに劣るようになった点は本家との明確な違いと言えるか。 まあグレガリゴンも入手しやすいアンコモンだから、結局は明確に劣っていると言えるほどの要素にはなっていないが。 補足 基本セット~転生編時期のワールドマップでは、このクリーチャーと思われる存在が仙界の滝に潜んでいる様子が描かれている。 漫画「デュエル・マスターズ」では勝舞が対ザキラ戦で使用。コッコ・ルピアでコストを軽減して《紅神龍バルガゲイザー》と共に召喚。それに加えて《トット・ピピッチ》の能力でスピードアタッカーと化し、W・ブレイクを行った。 「明治DMチョコ」では3DCGイラストで収録。このクリーチャーの全身像を見ることができる。西洋のドラゴン風の体つきに、ワニの口のような両腕など、他のアース・ドラゴンとは一線を画する姿をしているのがわかる。 意図せず間違えた項目の文字。もはや追記・修正を止める術は無い。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 青銅からつないで4tで非進化Wブレイカー叩きこめたのは中々当時は衝撃だった思い出 -- 名無しさん (2015-02-13 22 08 27) アース・ドラゴンと聞くと真っ先に思い出すカード。今でも大好き。 -- 名無しさん (2015-02-13 22 22 18) デスブレード「なんで、こいつコモンなんだよ。」 -- 名無しさん (2015-02-13 23 20 17) イラストもかっこいい。大地からせり上がってくるような感じ -- 名無しさん (2015-02-13 23 32 54) ↑すっごく分かる -- 名無しさん (2015-02-13 23 48 41) 続けて) でも小さい頃は崖からドラゴンの首が生えてるのが凄くシュールに感じてたなww -- 名無しさん (2015-02-13 23 49 48) 高レアをほとんど持っていない初心者時代、大変お世話になったカード。高レアがそこそこそろってきても、やっぱり単純に使いやすいというのは大きな強みで、自然文明を入れたデッキには欠かせなかった。 -- 名無しさん (2015-02-14 00 19 00) こういうのが良いカードっていうのかもな、お世話になりました。 -- 名無しさん (2015-02-14 00 54 27) 非ドラゴン使いなコッチとしては、ポンポン出されて非常に苦々しい思いしたけどな…w -- 名無しさん (2015-02-14 02 28 14) デスブレード・ビートルが泣いてる -- 名無しさん (2015-02-14 03 06 12) トット→ギランド→グレガリゴンはよくやった -- 名無しさん (2015-02-14 06 34 45) アニメか何かで、コッコルピアからウルトラマンみたいな登場の仕方をしてたの思い出した -- 名無しさん (2015-02-14 12 21 12) デス・ブレードビードルだけじゃなく、大半の中途半端なバニラが涙目になったカード -- 名無しさん (2015-03-29 11 25 14) 第一弾のカードをほとんど死滅させた罪深いカードでもあるんだよなこいつ -- 名無しさん (2016-04-20 01 09 01) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/veiros/pages/67.html
FrontPage ヴォフリール惑星連盟 目次 ヴォフリール惑星連盟目次 設定 国歌 政治 外交 経済 交通 惑星ヴォフリール 住民 歴史サルトィコフ革命 国家樹立 第八次世界大戦 大粛清 最終戦争 軍事特徴 国防軍陸軍 海軍 宇宙軍 名士 設定 国の標語 万国の労働者よ、団結せよ 国歌 連盟国歌 公用語 ヴォフリール語 国家元首 ヨシフ・アガフォノフ評議会最高会議幹部会議長 首都 パシコフスキー 最大都市 サルトィコフグラード 公式略称 惑星連盟、PL 英語国名 Vofrel planet league 通貨 ユール 国歌 1.Союз нерушимый республик свободных Сплотила навеки Великая русь Да здравствует созданный волей народов Единый, могучий Советский Союз! Славься,Отечество наше свободное, Дружбы народов надёжный оплот! Знамя советское, знамя народное Пусть от победы к победе ведет! 2.Сквозь грозы сияло нам солнце свободы, И Ленин великий нам путь озарил Нас вырастил Сталин-на верность народу, на труд и на подвиги нас вдохновил! Славься,Отечество наше свободное, Счастья народов надёжный оплот! Знамя советское, знамя народное Пусть от победы к победе ведет! 3.Мы армию нашу растили в сраженьях Захватчиков подлых с дороги сметем! Мы в битвах решаем судьбу поколений, Мы к славе Отчизну свою поведем! Славься,Отечество наше свободное, Славы народов надёжный оплот! Знамя советское, знамя народное Пусть от победы к победе ведет! 政治 ヴォフリール共産党による社会主義体制 政府 【元首】 評議会最高会議幹部会議長:ヨシフ・アガフォノフ 【首相】 人民委員会議議長:ワディム・アントニオヴィチ・コチョルキン 【閣僚】 外務人民委員:セルゲイ・ウラディミロヴィチ・ナズドラチェンコ 内務人民委員:コンドラト・ヴァレンチノヴィチ・ヴォフク 財務人民委員:エレオノーラ・イーゴレヴナ・ヴィウチェイスカヤ 司法人民委員:ニコライ・ラビノヴィチ・ズボフ 国防人民委員:ゲオルギー・パーヴロヴィチ・カミンスキー 陸軍人民委員:ドミニーカ・イーゴレヴナ・プルジェズドムスカヤ 海軍人民委員:ヴァレンチナ・アレクセエヴナ・バユノワ 宇宙軍人民委員:ゲオルギー・パーヴロヴィチ・カミンスキー 民族人民委員:クセニヤ・ボリソヴナ・マニロワ 労働人民委員:キーラ・コンスタンチノヴナ・ウラジーミロワ 貿易人民委員:レイラ・イリイーニチナ・エヴスチグネエワ 教育人民委員:オレグ・レオニドヴィチ・ポノマレンコ 食糧人民委員:アレクサンドラ・ヨシフォヴナ・マゴメドワ 交通人民委員:パーヴェル・フョードロヴィチ・トポルコフ 人民委員部 【連盟級】 国防人民委員部 宇宙軍人民委員部 陸軍人民委員部 海軍人民委員部 外務人民委員部 通信人民委員部 宇宙産業人民委員部 中機械製造人民委員部 弾薬人民委員部 兵器人民委員部 一般機械製造人民委員部 工作機械製造人民委員部 造船産業人民委員部 重機械製造人民委員部 電気産業人民委員部 発電所人民委員部 非鉄金属人民委員部 鉄類金属人民委員部 化学産業人民委員部 ゴム産業人民委員部 交通路人民委員部 河川船団人民委員部 海洋船団人民委員部 建設人民委員部 対外貿易人民委員部 調達人民委員部 【構成共和国級】 内務人民委員部 国家保安人民委員部 法務人民委員部 建築資材産業人民委員部 軽工業人民委員部 食品産業人民委員部 漁業産業人民委員部 繊維産業人民委員部 国内貿易人民委員部 農業人民委員部 穀物・畜産ソフホーズ人民委員部 林業人民委員部 国家監督人民委員部 保健人民委員部 財務人民委員部 【付属機関】 国家計画委員会 国立銀行 芸術問題委員会 高等学校問題委員会 ヴォフリール共産党指導部 【最高指導者】 アルトゥール・グリゴリエヴィチ・ロギノフ 【最高会議・最高会議幹部会】 最高会議幹部会議長:ヨシフ・アガフォノフ 最高会議幹部会議員:アルトゥール・グリゴリエヴィチ・ロギノフ 最高会議幹部会議員:ワディム・アントニオヴィチ・コチョルキン 最高会議幹部会議員:ドミニーカ・イーゴレヴナ・プルジェズドムスカヤ 最高会議幹部会議員:ヴァレンチナ・アレクセエヴナ・バユノワ 最高会議幹部会議員:ゲオルギー・パーヴロヴィチ・カミンスキー 【中央委員会】 中央委員会委員長:アルトゥール・グリゴリエヴィチ・ロギノフ 中央委員会委員:ワディム・アントニオヴィチ・コチョルキン 中央委員会委員:ゲオルギー・パーヴロヴィチ・カミンスキー 中央委員会委員:エヴゲニー・エゴロヴィチ・ワクリン 中央委員会委員:ニコライ・ラビノヴィチ・ズボフ 中央委員会委員:クセニヤ・ボリソヴナ・マニロワ 中央委員会委員:ライサ・ボリソヴナ・プロトコポワ 中央委員会委員:リンマ・ワディモヴナ・ダンコワ 中央委員会委員:オレーシャ・ウラディミロヴナ・クラスノピフツェワ 中央委員会委員:オレグ・レオニドヴィチ・ポノマレンコ 中央委員会委員:オリガ・アルノリドヴナ・イグナチェンコ 中央委員会政治局長:アルトゥール・グリゴリエヴィチ・ロギノフ 中央委員会政治局員:ワディム・アントニオヴィチ・コチョルキン 中央委員会政治局員:ゲオルギー・パーヴロヴィチ・カミンスキー 中央委員会政治局員:エヴゲニー・エゴロヴィチ・ワクリン 中央委員会政治局員:リンマ・ワディモヴナ・ダンコワ 中央委員会政治局員:ニコライ・ラビノヴィチ・ズボフ 中央委員会政治局員:オレグ・レオニドヴィチ・ポノマレンコ 中央委員会書記局長:アルトゥール・グリゴリエヴィチ・ロギノフ 中央委員会書記局員:ゲオルギー・パーヴロヴィチ・カミンスキー 中央委員会書記局員:エヴゲニー・エゴロヴィチ・ワクリン 中央委員会書記局員:ライサ・ボリソヴナ・プロトコポワ 中央委員会書記局員:クセニヤ・ボリソヴナ・マニロワ 中央委員会書記局員:オレーシャ・ウラディミロヴナ・クラスノピフツェワ 中央委員会書記局員:オリガ・アルノリドヴナ・イグナチェンコ 外交 【国交を有する国家】 ハルベルト騎士連合 ルメリア社会主義統合体 【所属組織・締結条約】 ヴォフリール惑星連盟とルメリア社会主義統合体の友好及び相互協力援助に関する条約 ベレズニキ友好条約 ヴォフリール、ハルベルト協力条約(仮) 経済 計画経済体制がしかれ、農民の集団化が図られている。また医療費等が無料で税が全く無い。高い経済成長率を維持しているが、これは政治犯や思想犯を中心とした強制労働に支えられ、その富は共産党の上層部に集中して配分されている。しかし現在まで社会主義経済は躍進に躍進を続けており、また完全雇用と社会保障を実現している。 だが第一次産業に限れば流通の整備が遅れているため、農製品の生産が十分にあったとしても、それが消費者の手元に届けられるまでに腐敗してしまうという体たらくである。そのために闇市場のような闇経済や汚職が蔓延し、そのような中で共産貴族がはびこるという結果になっている。 交通 国民の自分の在住している地域以外への遠距離移動が事実上限られているだけでなく、国外からの旅行者の国内における移動に大幅な制限があることもあり、国内外の交通に対する需要は非常に限られている。リニア網は、長距離や近距離を問わず軍事転用が容易なことから比較的整備が進んでいるが、個人所有の自動車の数が限られていることから、高速道路などの自動車インフラは貧弱なままである。 また外国への個人的理由での渡航は、亡命と外貨流出を防ぐということを主な理由に原則的に禁止されており、国交がある国であろうがなかろうが、当局の許可がない限り渡航は不可能である。また許可が下りた場合でも様々な制限があり、個人単位の自由な旅行は不可能である。しかしながら、国力と友好関係を誇示することを目的に、国外への定期便は比較的整備されている。 惑星ヴォフリール 惑星ヴォフリールはカイバー星系第十惑星である。ヴォフリールは岩石惑星であるが、そのほとんどが卑金属で構成されている大陸と流体金属の海、空には重金属雲がたちこめる炭素系生命体にとっては死の惑星である。しかしながら金属元素生命体によって豊かな生態系がはぐくまれている。重力は人類標準重力の7.2倍 住民 惑星ヴォフリール発祥の金属元素生命体である。非常に長命で平均寿命は実に250年にもなる。そのため時間感覚の違いや体構造の違いなどから非金属元素生命体(炭素系生命・珪素系生命など)をつい最近まで生命体と認識していなかった。そのため在来種に対する同朋意識、種別はあまりなかったが、人類とコーディネータという星団外生命の来訪を受け、星団及び星系に対するナショナリズムが高まりをみせていたが、星団の動乱を経て星団内生命は朋友、機械種は同胞、星団外生命は敵という非金属元素生命体にたいする線引きがなされた。 歴史 サルトィコフ革命 前史 サルトィコフでは3826年の農奴解放以後も農民の生活向上は緩やかで、封建的な社会体制に対する不満が継続的に存在していた。また、産業革命により工業労働者が増加し、社会主義勢力の影響が浸透していた。これに対し、ビンジュコフ朝の絶対専制を維持する政府は社会の変化に対し有効な対策を講じる事を怠っていた。皇帝パーヴェル2世が暗殺されるなどテロも頻繁に発生していた。この結果サルトィコフ帝国は惑星の盟主としての立場を失い、改革に成功した属国や辺境領が次々と分離・独立し、列強とその衛星国を形成していった。 3955年には首都パシコフスキーで生活の困窮を皇帝に訴える労働者の請願デモに対し軍隊が発砲し多数の死者を出した。この事件を機に労働者や兵士の間で革命運動が活発化し、全国各地の都市で労兵協議会が結成された。 これに対し皇帝アキーム2世は十一月勅令で国会開設と憲法制定を発表し、立憲民主党の支持を得て革命運動の一応の鎮静化に成功した。 3956年に国会が開設されると、首相に就任したヴァレンチン・アドリアノヴィチ・ムズィカンツキーによる改革が図られたが、強力な帝権や後進的な農村という社会の根幹は変化せず、さらにヴァレンチン・アドリアノヴィチ・ムズィカンツキーの暗殺(3961年)や第七次世界大戦への参戦(3964年)で改革の動きそのものが停滞してしまった。 一方、労働者を中核とした社会主義革命の実現を目指した社会民主労働党は方針の違いから、3962年にキリル・セルゲエヴィチ・マチャショフが指導するボリシェヴィキとエドゥアルド・グリゴリエヴィチ・ヴォイキンらのメンシェヴィキに分裂していたが、農民の支持を集める社会革命党と共に積極的な活動を展開し、第七次世界大戦において深刻な打撃が伝えられるとその党勢を拡大していった。 八月革命 八月革命は3966年の大寒波などによる食糧不足を原因に、市民が帝政への不満の声を上げた散発的な抗議デモから始まった。市民の不満はサルトィコフの第七次世界大戦への参戦継続にも向けられた。抗議デモが数日の内に首都圏全域にまで拡大をとげると、様々な革命的政党が活動を始めた。九月前半には首都の連隊に所属する多くの兵士も反乱を起こし、多くの市民を巻き込んで抗議運動は猛烈なものとなった。これらの動きを見た政府や軍首脳は専制の継続を無理と判断し、アキーム2世に退位を勧告し300年余りにおよぶビンジュコフ朝は終わりをつげた。 その後 首都のデモに端を発する3967年の八月革命後、漸進的な改革を志向する臨時政府が成立していたが、第七次世界大戦での西部戦線は既に破綻しており国内の政治的混乱にも収拾の目処は付いていなかった。 翌年二月にヴァレンチン・ロジオノヴィチ・モロゾフ将軍による反乱が失敗した後、ボリシェヴィキに対する支持が高まった。そこでボリシェヴィキは武装蜂起の方針を決め、四月下旬に権力奪取を成功させた。その後の列強による干渉戦争や内戦にも勝利して権力を確立した。ボリシェヴィキは1919年に共産党と改称した。 国家樹立 3972年に行われた全連邦大会で国家樹立が宣言され、マチャショフ社会主義共和国連盟が成立した。しかしその僅か2年後の3974年1月にキリル・セルゲエヴィチ・マチャショフは死去する。 マチャショフの死後、ユーリー・アキモヴィチ・スホフは政敵であるティマフェイ・アキモヴィチ・ソロマトキンの国外追放(その後ソロマトキンは亡命先で、スホフが送り込んだ刺客により暗殺された)を皮切りに、反対派を排除して、スホフら官僚派主導の一国社会主義路線を確立した。 3976年には、刑法が成立した。全体主義から罪刑法定主義を排除し、社会主義に有害な行為は全て犯罪となり、犯罪者は刑罰でなく社会防衛処分に付されるとされた。 3978年から行われた第一次五ヶ年計画の中核に置かれたコルホーズが代表する、強引な農業集団化に伴う「富農」絶滅や飢饉によって死亡した人数は、推計によって最大約7000万人に達する可能性もあると言われている。 無理な農業集団化の強行により、3982年から3983年には大飢饉が起こり、5000万人とも1億人とも言われる餓死者が出た。 特にチェリャビンスクにおける飢餓は甚だしく、4000万人から7000万人の餓死者が出た。 3980年代に大恐慌により多くの資本主義国が不況に苦しむ中、マチャショフ連盟はその影響を受けずに高い経済成長を達成したが、その経済成長は政治犯や思想犯を中心とした強制労働(実質的な奴隷制度)に支えられ、その富は共産党の上層部に集中して配分された。 第八次世界大戦 政権を掌握したスホフら官僚派は、東パルーマ諸国を社会主義化し、自国の衛星国として、第七次世界大戦後にその勢力を急速に強めていたルナキア共和国やフラリス連邦などの「帝国主義」国との緩衝地帯にする計画を持っていた。 しかし3980年代に入ると、西パルーマ諸国に「共産主義打倒」を掲げた政権が次々と成立し、パルネシア条約機構を結成した。その後両者はパルネシアの支配権を巡って激突することとなる。 しかし3989年、それまで敵対していたパルネシア条約機構と不可侵条約を結ぶと同時に『マ連はパルネシア条約機構の南パルーマ侵攻を黙認する代わりにパルネシア条約機構はマ連による東パルーマ諸国を社会主義化を黙認し、グルクランドは両国で東西に分割する』という密約が交わされた。これを受けマ連は、同年のパルネシア条約機構によるグルクランド侵攻の際にはグルクランドの東半分を占領した。これにより第八次世界大戦の火蓋がきって落とされた。またカラキア三国に圧力をかけ、マ連軍の通過と親マ政権の樹立を要求し、その回答を待たずに三国に進駐した。さらに親マ政権を組織し、ついにこれを併合した。同時にマ連はラルバートにセタサシアを割譲するように圧力をかけ、3990年6月には国自体を併合した。 3991年6月にはパルネシア条約機構との戦闘が開始され、その結果マ連はルナキア共和国やフラリス連邦を中心とした連合国側として第八次世界大戦に参戦した。パルネシア条約機構軍の猛攻により、開戦後まもなく首都に迫られた他、チェリャビンスク攻防戦やヴォロネジの戦い等により軍民併せて数百万人の死傷者を出したものの、圧倒的物量を背景とした正面攻撃を繰り返し、最終的にの首都パルネシア条約機構であるロマーナを陥落させ勝利した。 その際にマ連軍は、「ロマーナ入城は連合国揃って行う」との密約を無視したばかりか、ロマーナ陥落後もパルネシア条約機構領内侵攻を続けたため連合国を慌てさせた。マ連軍は兵士や市民が降伏、投降した後でも多数の市民の殺害や婦女暴行など傍若無人の乱暴な振る舞いを続けるため、マ連軍を恐れた条約機構軍は防衛地域を放棄して反転南進し連合国軍に降伏するようにした。これによりマ連軍はパルネシア条約機構領を難なく占領することができた。 第八次世界大戦の勝利によりマ連はパルネシア条約機構領を獲得し、西方へ大きく領土を拡大した。 また、開戦前に併合したカラキア三国への支配、ラルバート領有を復活させた。この結果、マ連はヴォフリール全土の七割を支配下に置くこととなった。これを受けマ連は国名をマチャショフ社会主義共和国連盟からヴォフリール惑星連盟へと変更した。 大粛清 大粛清の始まり ユーリー・アキモヴィチ・スホフの死後、後継として3992年3月アルトゥール・グリゴリエヴィチ・ロギノフが党内の実権を掌握したが、共産党の中には党人派古参党員を中心にロギノフの暴走を掣肘しようという者が多数存在した。そんな中、3994年12月に共産党幹部ステパン・コンスタンチノヴィチ・ポリヴァノフが暗殺されるという事件がおこる。この事件については、当時ポリヴァノフの存在に脅威を感じるようになっていたロギノフが部下のウラディミル・セミョーノヴィチ・ドロズドフに命じ暗殺させたという説が有力視されているが真相は不明である。 ロギノフは、この犯人グループはヴェニアミン・アドリアノヴィチ・フロロフ一派(党人派主流)であるというでっちあげをおこない、その逮捕を口実に、自らの反対派抹殺に乗り出すこととなった。まずヴォルゴドンスクの共産党関係者が5万人ほど逮捕され、強制収容所へ連行された。さらにかつて反フロロフでロギノフと手を組んでいた大物たち、グレープ・キリロヴィチ・ソロマチンとウラディスラフ・エドゥアルドヴィチ・トラヴニコフらも「共産党本部爆破未遂事件」を企んだとして逮捕され、3996年の第一次パシコフスキー裁判にかけて銃殺刑に処した。先に逮捕されたヴォルゴドンスク共産党の関係者5万人もこの裁判の後に全員が銃殺刑に処されている。大粛清時代最初の大規模殺戮だった。 しかしこれはまだ序の口で、粛清はこの後さらに過激さを増すことになる。ヴォ連では3994年7月以来国防人民委員部が秘密警察としての機能を兼務し、一連の粛清の指揮をとっていたが、ロギノフはその長官ドロズドフの取り組み方が手ぬるいと考え、3996年9月にはドロズドフを解任した。後任のヨシフ・アルトゥロヴィチ・スースロフのもとで、粛清の規模は一気に拡大することとなった。 党人派・ドロズロフ派大粛清 ロギノフに抜擢されたスースロフは、その期待にこたえるべくまずドロズロフ体制の刷新にあたった。国防人民委員部の体制の刷新はスースロフが長官に就任した3996年9月の前後と3997年2月から3月の間の中央委員会総会中の二度にわたって大きく行われた。3996年9月前後の刷新は、要職をスースロフ派で固めることであり、ドロズロフ派の左遷であった(が、この時はまだドロズロフ派の多くは引き続き職務にあたっていた)。続く3997年の総会中の刷新がドロズロフ派の粛清を意味していた。 大量粛清で国防人民委員部の組織を固めたスースロフは、共産党幹部たちを徹底的に調査させ、政治的逮捕の組織化を行うとともに、地域ごとの逮捕人数の割当まで指示している。スースロフ就任直後の3996年秋ごろから逮捕の範囲が一気に拡大している。また粛清の理由として「右翼」「反動分子」「ファシストの手先」などかねてからのレッテル貼りに加えて「産業破壊活動」を理由にするようにもなった。ヴォ連の経済的混乱・貧困などロギノフの失政を「反ヴォ分子の陰謀」のせいにして覆い隠すためであった。 大粛清の正当化を図るため、ジャーナリスト招いた「公開裁判」を行うことも忘れなかった。リュドミール・ヴェニアミノヴィチ・ズヴォリンスキー(重工業人民委員第一代理)、アズレト・ピョートロヴィチ・イロフスキー(元財務人民委員)、コンドラト・ワディモヴィチ・パンクラチェンコ(最高会議幹部会員)ら大物被告は、3997年1月の第2次パシコフスキー裁判にかけて、「議事堂陰謀事件」の首謀者として死刑判決を与えた上で銃殺刑に処した。さらに3997年2月の中央委員会総会中には、リュドミール・ミハイロヴィチ・シロテンコ(元党政治局員)、レオニード・エゴロヴィチ・サヴォスチン(前人民委員会議議長・元党政治局員)、ドロズロフ(前国防人民委員)らを「右翼陰謀事件」を企んだとして逮捕し、翌3998年の第3次パシコフスキー裁判において死刑にした。 粛清は、単に反ロギノフ的な人物だけに留まらず、ロギノフに忠実だった者たちへも及び、ヤコフ・ウラディミロヴィチ・バラクシン、イリヤ・キリロヴィチ・チェルヌィショフ、スタニスラフ・アズレトヴィチ・アファナシエフスキーのような3980年代にユーリー・アキモヴィチ・スホフの粛清や集団化を支持した共産党幹部たちも次々と粛清されていった。 また3997年春ごろからは地方党組織にも粛清を開始した。まずスースロフは各地域の内務人民委員部トップの首を挿げ替えて、実質的な指揮権を現地の党組織から首都パシコフスキーの国防人民委員部へと変えた。そして革命以来、領主のようにふるまっている地方党組織の大物たち、ヴェニアミン・ワディモヴィチ・ブベーニン、ニコライ・セミョーノヴィチ・ソルヤノフなどを続々と粛清していった。 第十七回共産党大会において、中央委員または中央委員候補だった者139人のうち98人がこの時期に国防人民委員部によって逮捕・銃殺されるに至った。 軍部大粛清 第一次パシコフスキー裁判では、ゲルマン・アルトゥロヴィチ・スクリャロフ将軍(ベレズニキ軍管区司令官)やスタニスラフ・ウラディミロヴィチ・クプツォフ将軍(パルネシア方面赤軍司令官)など軍部高官も処刑されていたが、彼等は軍人としてというより、ロギノフに並ぶ古参ボリシェヴェキとしての側面を恐れられて粛清されたとみられる。 軍部自体への粛清は、当初はロギノフといえどもなかなかできずにいた。だが、3996年7月に逮捕されたレフ・アントニオヴィチ・シャタロフ将軍(アリメチエフスク軍管区戦車隊司令官)が、拷問のすえ廃人にされて軍部内の“共犯者”の名前を“自白”したことで、徐々に高級将校への粛清がはじまった。さらに3997年6月11日にはアラム・マルコヴィチ・ロマキン大元帥(国防人民委員代理)、ゲルマン・アルトゥロヴィチ・スクリャロフ一等軍司令官(ベレズニキ軍管区司令官)、ピョートル・スタニスラフォヴィチ・ヴォイルコフ一等軍司令官(カムイシン軍管区司令官)ら名だたる軍高官がまとめて“スパイ”として銃殺され、これを機に軍部の粛清がいよいよ本格化する。 以降、翌3998年まで所謂「軍部大粛清」が吹き荒れることとなり、大元帥5人のうち3名、元帥25人のうち18人、軍司令官(大将)85人のうち73人、軍団長(中将)385人のうち262人、師団長(少将)795人中610人、旅団長(准将)1506人中820人、大佐階級も四分の三が殺され、高級将校の65%が粛清された計算になる。政治委員(共産党から軍監視のために派遣されている党員たち)も最低20万人以上が殺害され、また赤軍軍人で共産党員だった者は300万人いたが、そのうち半数の150万人が3998年代に命を落とした。 大粛清の結末 ロギノフとスースロフの粛清は広範に拡大され、おそらく人類の歴史の中でも名だたる政治抑圧の事例となった。その対象は政府や党の高級幹部に留まらず、作家エドゥアルド・アルノリドヴィチ・アバルキン、詩人イヴァン・キリロヴィチ・フヴァトコフ、演出家で俳優のオレグ・アドリアノヴィチ・ゴロホリンスキー、生物学者ヴァレリー・アズレトヴィチ・カリーニン、経済学者コンドラト・フセーヴォロドヴィチ・ココレフなど一般の文化人や市民にも広まり、社会は相互監視と密告に支配された。 しかし3998年後半にはいると、大量抑圧によって国家機能や経済運営が支障を来たすほどになり、弾圧の実行者である治安機関がその責任を問われることとなった。3998年末になると、ロギノフはスースロフと国防人民委員部を批判するようになり、スースロフはついに長官の座をカミンスキーに奪われ、さらにロギノフ暗殺計画を企んだとして4000年に銃殺された。またオシプ・ニコラエヴィチ・クジミンはじめスースロフの部下たちも次々と処刑され、粛清にあたった関係者たちで大粛清時代を生き残れた者は多くなかった。4003年の第二十一回党大会でこのスースロフ粛清についてロギノフは「奴は人殺しだ。3998年に多くの無罪の人々を殺した。だから銃殺したのだ」と述べた。 その後もカミンスキーの指導で政治弾圧は続いているものの、大粛清時代に比べるとはるかに縮小した。現在に至るまで何度か名誉回復運動が起きたが、すべて鎮圧されている。大粛清の死亡者数には諸説があるが、3990年代に反革命罪で死刑判決を受けたものは約720万人とされる。一説にスースロフ体制下の3997年~3998年にかけて1000万人が処刑され、数千万人が強制収容所における過酷な労働で死亡したとされる。他にも農業集団化に伴う「富農」追放や、飢饉によって死亡した人数は、推計によって最大約7000万人に達する可能性がある。ただし過酷な取調べ・尋問の過程で死亡した者や、有罪判決を受けて劣悪な環境下で服役中に死亡した者の人数については正確な統計が残されていないため、その人数を合わせれば死亡者数は増大するはずである。このことについて自らの責任を問われたロギノフは「一人の人間の死は悲劇だが、数百万の人間の死は統計上の数字だ」と答えた。 最終戦争 グルクランド動乱 グルクランドは、戦後アルトゥール・グリゴリエヴィチ・ロギノフに忠実だったリンマ・アレクセエヴナ・バタノワが全権を握っていたが、経済政策の失敗から生活水準は低いままに置かれていた。労働者の不満は、工場の自主管理と労働組合の結成の自由の要求という形となり、それは闘技場での暴動という形で現れていた。また、農民たちも政府の強制的な集団化から悲惨な状況にあり、農地の私有と耕作の自由を要求していた。ジャーナリストや文筆家からも労働環境の改善や言論の自由が要求され、学生も大学の狭き門と学ぶ環境を改善しようとして当局から独立した学生の組織を設立していた。国民全体から不平不満が巻き起こる中、独裁政党であったグルクランド勤労者党内でもリンマらロギノフ主義者を批判する改革派が台頭。そこへヴォフリール共産党内部でロギノフが病に倒れたため実権を握ったガリーナ・スタニスラフォヴナ・ジャジュチェンコ最高会議幹部会議長のロギノフ批判演説が、幹部たちに大きな議論を呼び起こした。 4006年7月18日、ヴォ連の圧力によりリンマは党書記長の辞任に追い込まれた。しかしその後任には、ロギノフ主義者のステパン・ヤロスラヴォヴィチ・プザノフスキーが選出された。これに反発した市民は、集会禁止令にもかかわらず、クウアクェツウオで大規模なデモを行なった。ヴォ連指導部は急遽、党幹部会のセルゲイ・ドミトリエヴィチ・ドゥビニンとワレリー・ワディモヴィチ・メレミャーニンの派遣を決定したが、事態を収拾する間もなく、蜂起が勃発する事態に至った。 ドゥビニンとメレミャーニンがグルクランドに出かけている間に、ヴォ連指導部はグルクランドに対する出兵を決定する。グルクランドから戻って真相を知ったドゥビニンは、ジャジュチェンコの自宅に押しかけて、自らの自殺をほのめかして派兵の撤回を求めたが、ジャジュチェンコはこれを拒否した。 4006年10月23日、プザノフスキーの退陣を求めて学生たちがクウアクェツウオをデモ行進し、多数の労働者もそれに加わった。夜になりデモ隊と秘密警察との間で衝突が始まると、グルクランド勤労者党指導部は急遽、大衆に人気のあった前首相ヴィクトール・ピョートロヴィチ・シャムシンを復職させる決定をした。 翌24日、シャムシンは正式に首相に任命されたが、その頃クウアクェツウオの町はすでに民衆とヴォフリール国防軍の戦闘状態にあった。他の地域はヴォフリール国防軍と革命派との間の停戦が行われたりヴォフリール国防軍が革命の動きを阻止した管区もあるなど、平穏な状態が保たれていた。その後クウアクェツウオのヴォフリール国防軍も結局は戦闘を停止した。 夜のうちに労働者評議会と国民評議会が組織された。また3995年や3999年の弾圧以来、始めて政治的な要求を行う政党が結成されたが、大多数の民衆は社会主義を維持しようとする政党を支持した。このような中で教会の名士たちを含む多くの政治囚たちが釈放された。また大衆はヴォフリール惑星連盟からの脱退をシャムシン政府に迫ったが、このことは再びヴォフリール国防軍の介入を招くこととなった。 10月25日、シャムシンは戒厳令を取り下げる。街の人々の中には、ヴォフリール国防軍の戦車に近付き、兵士と話し合う者もいた。説得に応じたヴォフリール兵らは、グルクランド人を戦車に載せ、国会前広場へと移動し約700人集まった。しかし、突然発砲が始まった。国会前広場は血の海と化し約100人が死亡、約300人が負傷した。この事件については秘密警察の発砲が原因であるとの見解もある。 最も激しい戦闘はドスシン劇場のあるドスシン広場で起こった。民衆は火炎瓶を用いてヴォフリール国防軍部隊に抵抗した。ィチュドスツでは労働者によるストが起きクウアクェツウオでシャムシン首相と直談判をおこなっている。 10月26日病床から復帰したロギノフは再び実権を掌握、動乱の責任はガリーナ・スタニスラフォヴナ・ジャジュチェンコ議長にあるとし、ジャジュチェンコ議長をグルクランドに派遣、首脳会談を行い事態の収拾するよう命じるとともに国防軍完全撤退終了から一週間の現地謹慎処分を命じた。 10月27日夜には、ドゥビニンの報告によると、ジャジュチェンコとシャムシンとの会談が行われ、その結果ヴォフリール国防軍の撤退が宣言された。 10月29日には警察、軍隊、市民による国民防衛隊が結成。翌10月30日にはドゥビニンが、軍に統制を任せるべきと報告している。これを受けて、ヴォフリール国防軍撤退が開始された。しかし同日午前9時頃共産党クウアクェツウオ地区本部で秘密警察隊員と民衆との間で衝突が始まり、建物から出る武器を持たない秘密警察隊員らが次々と民衆により射殺。その後も命乞いをしながら出てくる秘密警察隊員や勤労者党書記らがリンチされた挙句、遺体が街路樹に晒し者にされる事態に。この事件を聞いたドゥビニンは10月31日に反ヴォ連活動の活発化を報告しているが、ロギノフはヴォフリール国防軍の撤退を進めるよう指示している。 11月3日午前8時、ヴォ連指導部はグルクランド共和国を反革命国家認定し、ヴォフリール惑星連盟から除名した。そして同日午後2時、独立に沸くグルクランド共和国に対し、三発の核ミサイルと千発以上の通常ミサイルが降り注ぎ、グルクランド共和国は惑星上から消え去った。推定被害者数は1000万人に上った。これに対しルナキア共和国やフラリス連邦を中心とした連合国から非難声明が発せられ、ヴォ連国内からもロギノフ委員長に対し抗議が相次いだがこれに対し委員長は「では、われわれが農業集団化を実行したとき、なぜ黙っていたのですか。あの時だって2000万人も死んだのですよ」と応え、攻撃に踏み切った理由については「死が全てを解決する。人間が存在しなければ問題は起こらない」「愛とか友情などというものはすぐに壊れるが恐怖は長続きする」と言い、この攻撃は連合国に対する牽制であるとした。 クラクナ事変 4006年12月2日ルナキア共和国の首都クラクナにおいてサルトィコフ・マフィアの一斉摘発が行われ、国営企業や民間企業の乗っ取り、薬物売買、マネーロンダリング、武器の密輸などを行っていたシャモフグループなどの大組織までもが検挙されたために逮捕・起訴された人数は十万人に上った。このためルナキア各地でサルトィコフ・マフィアや共産党員がテロを引き起こし、被害件数は一日当たり200件に上った。事態を重く見たルナキア政府はクラクナに戒厳令を発し、軍を出動させた。 これを受けロギノフは「ルナキア共和国と自称するに野蛮人どもによって善良な市民が無実の罪を着せられている。このような国家の存在を許してはならない」と中央委員会総会において発言し、総会において全会一致で「ルナキアに対する市民の開放命令」が採択された。 当然ながらルナキア共和国側はこれに対し抗議を行いヴォフリール惑星連盟と連合国の対立は一層深刻なものとなった。 そしてついに4007年1月14日ルナキア・フラリス率いる連合国は惑星連盟に対し宣戦布告を行った。 軍事 特徴 国防軍の特徴としては陸軍偏重主義とレーザー信仰の二つが挙げられる。 陸軍偏重主義 そもそも大陸国家として成立した経緯から陸軍の整備が伝統的に優先されていたが、レーザーによる航空戦力の無力化を背景とした圧倒的物量による殲滅作戦の成功がそれに拍車をかけた。そのため現在では各軍管区に五個軍、総司令部直轄三個軍の合計三十三個軍総勢約1300万人に上る。 レーザー信仰 惑星統一期の初期には中距離大量破壊兵器と圧倒的物量による主要都市蹂躙作戦が行われていたが、連合国側が大陸間弾道弾の開発に成功したため連盟側主要都市もミサイルの危機に晒される様になり、更には連合側航空機の発達により徐々に制空権を奪われ、全戦線が膠着状態に陥った。その状況を打破すべくMG07型レーザーが投入された。命中精度は低かったが数で補い、制空権を奪い返すとともに建築物に対し用いることで蹂躙作戦の一端を担った。そのため連盟ではレーザーに対する過度な期待をもつ軍人が多い。 国防軍 中央軍事会議国防軍参謀本部 国防軍後方勤務本部主計部 開発部 施設部 憲兵隊 陸軍 陸軍総司令部陸軍参謀本部 西部軍管区 北部軍管区 東部軍管区 南部軍管区 南西軍管区 極東軍管区 陸軍督戦隊 陸軍防空隊 海軍 海軍総司令部海軍参謀本部 西部機動艦隊 東部機動艦隊 西部防衛艦隊 東部防衛艦隊 海軍航空隊 宇宙軍 宇宙軍総司令部宇宙軍参謀本部 軍事衛星局 迎撃衛星局 名士 アルトゥール・グリゴリエヴィチ・ロギノフ ヴォフリール共産党最高指導者
https://w.atwiki.jp/fragoria-wiki/pages/31.html
Last up date 2009-09-11 17 58 32 (Fri) 目次 フラゴリアでの最初の一歩 最初に行くことができる村ブラビヤ村 ズブエロポール フセシーリー村 ナビヤ村 フラゴリアでの最初の一歩 IDとパスワードを入力し、ゲームにログインをして、キャラクター作成・選択を終えると、美しいフラゴリアの世界を舞台にした、あなたの冒険が始まります。 あなたが、最初に降り立つ場所はーーーフラゴリアの大地を眼下に収められる場所、Heaven(天国)です。 Heaven(天国)には、地上にある4つの場所へ繋がるワープゲートがあります。このHeavenで、あなたは、最初にどこに村に降り立つのか、という選択をする場所となります。 この選択により、それぞれの場所で入手・習得するスキルが変わり、装備品等にも影響を与えることもありますので、非常に重要な「選択」となります。 ▲ 最初に行くことができる村 ブラビヤ村 葉マークのワープゲートの先は、緑溢れるブラビヤ村です。 回復系のスキル・魔法が入手できます。 ▲ ズブエロポール 雲マークのワープゲートの先は、凶暴な野獣たちが闊歩するズブエロポール村です。 治癒系のスキル・魔法が入手が可能です。 ▲ フセシーリー村 剣マークのワープゲートの先は、雪原のフセシーリー村です。 炎系のスキル・魔法が入手できます。 ▲ ナビヤ村 髑髏マークのワープゲートの先は、死霊が集まるナビヤ村です。 毒や呪いといった状態異常系のスキル・魔法が入手が可能です。 ▲ 村に降り立つと頭上に「!」が付いているキャラがいます。話しかけた、その時から、本当の冒険が幕を開けます。 名前
https://w.atwiki.jp/evergreenforest/pages/213.html
1744年 南部多賀丸、北千島に漂着 延享元年11月14日(1744/12/17)、陸奥国南部領北郡佐井(青森県下北郡佐井村佐井)を出発(17人乗り組み)。 大湊港(青森県下北郡大畑町)に立ち寄り、大豆・昆布・鰯糟などを積み江戸に向かう。 竹内徳兵衛 船主・船頭 佐井出身 磯次 八兵衛または七五郎 勝右衛門 竹内徳兵衛親族 伊兵衛 陸奥国閉伊郡宮古浦(岩手県宮古市)出身 久太郎または喜十郎 佐井村出身 三之助または佐之助または佐五兵衛 利八郎または利八(=イガチ?) 久助または長助、長松、長作、長之助 陸奥国宮古浦出身 長助または久助、長松、長八 陸奥国北郡大間村出身 利助 水主 ほか6名 延享1年11月28日(1744/12/31)、嵐で遭難。漂流中6名が死亡。 延享2年4月13日(1745/05/14)、残る11人は本船が使えなくなったので小船に乗り移る。 延享2年5月16日(1745/06/15)、北千島のオンネコタン島ウカモル湾に漂着。竹内徳兵衛、上陸後まもなく死亡。 1745/06/17、残る10名は同島に毛皮税徴収のためにやってきたマトベイ・ノヴォグラブレンヌイとヒョードル・スロボドチコフらに見出された。 一説には6月26日。 10名はボリシェレツクに連行され、カムチャツカ長官レベデフ大尉はこれを政府に報告した。ノヴォグラブレンヌイは1744年、マカンルル島に渡来。シムシリ島から来たアイヌに、国後島にある日本役人が同島での交易を望んでいるとの情報を得ている。 1745年、イガチという者が、カムチャツカのボリシュレツク港の柵に連行され、ロシア船に対して、ロシアの織物、ロシア皮、特に日本人の悦ぶ鯨油と塩漬けの魚を積んで、直接江戸の港を目指すようアドバイスした。 南部多賀丸の利八か。 1746年、10名全員が受洗。受洗名は以下のとおり 磯次 フォーマ・レペディエフ・メリニコフ 八兵衛 アンドレイ・レシェトニコフ 勝右衛門 グリゴリー・スヴィニン 伊兵衛 ヴァシリー・パノフ 久太郎 ピョートル・チェルノイ 三之助 イヴァン・イヴァノヴィチ・タタリノフ 利八郎 マトヴェイ・グリゴリエフ・ポポフ 久助 フィリップ・ニキフォロフ・トラペズニコフ 長助 ロシア名イヴァン・アファネシェフ・セメノフ 利助 ロシア名パヴェル・アレフィエフ 1746/08/31、ロシア政府と海軍参与会は、シベリア官憲を通じ、ベーリング探検隊の残務整理のためオホーツクに滞在していたスヴェン・ワクセリ中尉、ルティシチェフ少尉に対し、日本漂流民の中から優れた者5名を選んでペテルブルグに送ることを命じた。 1747/09/21、ドミトリー・コロステリョフの率いる船でオホーツクに到着。利助は病気のため、ボリシェレツクに残る。のちにボリシェレツクで没。 1747/09/25、アレクセイ・ウラドキン少尉補や、シュナヌイキン、フェネフらとともにオホーツクを出発ヤクーツクへ。 ここで2班に分けられる。 1747年、利助、ボリシェレツクで没 1748年、磯次、八兵衛、勝右衛門、伊兵衛、久太郎、ペテルブルグに送られ日本語教師となる。 1752年、三之助に、子 三八生まれる。ロシア名アンドレイ・イヴァノヴィチ・タタリノフ 1753年、磯次、八兵衛、ペテルブルグで死亡。 日本語学校がイルクーツクへ移され、シベリア総督ミヤトレフの監督下に置かれる。これに伴い死亡者2人を除く3人(勝右衛門、伊兵衛、久太郎)がイルクーツクへ出発。ピョートル・シュナヌイキン、アンドレイ・フェネフも同行。 1753/06/06、勝右衛門ら3名、イルクーツクに到着。同地の航海学校に併設された日本語学校教師となり、年俸150ルーブリを支給。 校長はロシア人アンドレイ・タタリノフ(ロシア人航海士)。 ピョートル・シュナヌイキン、アンドレイ・フェネフもイルクーツク着。日本語学校の生徒となる。 1754/01/09、三之助、利八郎、久助、長助、通訳として中尉相当官に任ぜられる。 1754年、三之助、利八郎、久助、長助、イリムスクで日本語教師となる。 1756年、久助に、子どもイヴァン・フィリポヴィチ・トラペズニコフ生まれる。のちに測地士となる。 1759年、イルクーツク日本語学校にあらたに6名の生徒が入学。 1759年、アファナシ・オチェレジン(ピヨドロまたはヒヨドロ、南部漂流民利八郎の妻の兄)、イルクーツク日本語学校で日本語を学ぶ。 1760年、イルクーツク日本語学校にあらたに2名の生徒が入学。 1761年、三之助、利八郎、久助、長助、生徒5名とともにイルクーツク日本学校に合流。この時点で、イルクーツク日本語学校に日本人教師7人学生15人。 1761年5月、ピョートル・シュナヌイキン、没。 1763/01/26、勝右衛門、イルクーツクで死亡 1764年、カルポフ(イルクーツク日本学校生徒)、没 1764年、イルクーツク日本語学校生徒17名になる。生徒カルポフが死亡。4名増員後フェネフとコトコフが死亡。 1765年、アンドレイ・イヴァノヴィチ・タタリノフ、父三之助の請願によりイルクーツク日本語学校に入学。 1765/08/27、三之助、 イルクーツクで死亡 1766年、多賀丸漂流民勝右衛門(あるいは久太郎)の子、生年? 1771年、イルクーツク日本語学校の生徒8名となる。この年、アファナシ・オチェレジン、ボリシェレツクに派遣。オチェレジンは南部漂流民利八郎の妻の兄。ピョドロ、ヒヨドロともいう。 1772年、ピョートル・シモン・パラスを団長とする シベリア調査団がイルクーツクを訪れる。調査団に参加したドイツ系学者ヨハン・ゴットリーブ・ゲオルギーは「ロシア国旅行記」のなかで多賀丸漂流民にふれる。 1773年、伊兵衛、久太郎、利八郎、久助、長助、「日本語単語集」「日本語会話集」を編集 1777年9月、利八郎義兄アファナシ・オチェレジン,、レベデフ-ラストチキンの資金による聖ナタリア号に通訳として乗り込む。オホーツクを出帆。ウルップ島で越年。 1778/07/03~06、 利八郎義兄アファナシ・オチェレジン,、通訳としてノッカマップに同行 伊兵衛、久太郎、利八郎、久助、長助、1782~1786年の間にイルクーツクで死亡。 1782/11/04、アンドレイ・イヴァノヴィチ・タタリノフ、「日本語単語集」を基礎として「レキシコン」と呼ばれる露日辞典を編集し科学アカデミーに提出。 イルクーツク日本語学校83年までに日本人教師3名となる。 1783年(天明3)、ピョートル・レオノヴィチ(多賀丸漂流民勝右衛門あるいは久太郎の子)、水主74名と蝦夷地方に航海し、樺太に着して原住民に殺される。 その船がウルップ島のアダットイに漂着した。 1785年、ミハイル・タタリノフ、多賀丸漂流民についての「現在イルクーツク市にいる日本人たちの知識について」を著す。 1785年(天明5)、多賀丸漂流民勝右衛門(あるいは久太郎)の子、最上徳内に同行 イルクーツク日本語学校の日本人教師は1786年までにはすべて死亡。あとに3名の生徒が残され年長のエゴル・イヴァノヴィチ・トゥゴルゴフ(31)が教鞭をとる。 1788/06/26、アファナシ・オチェレジン、南部多賀丸漂流民利八郎の義兄 通訳として光太夫らに同行 参考文献 木崎良平, 1991. 漂流民とロシア. 中央公論社.
https://w.atwiki.jp/alegria/pages/19.html
アレグリア公式ページより引用 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。
https://w.atwiki.jp/stela/pages/23.html
プロフィール 概要 家系 経歴 人格 autolink プロフィール Exonym(iID Name) :Rigoletto RIENZI(リゴレット・リエンツィ) Endnym(Real Name) :Rigoletto "BEL CANTO" Rienzi(リゴレット・”ベルカント”・リエンツィ) 通称 :カント、リゴレット 生年 :N.G.0296 種族 :タイタノイド(第IIIステージ人類) 出身 :Titan(タイタン) 概要 タイタン星ヴァンドーム首長国(現・シュトラスブルク首長国)出身、太陽系同盟軍の軍曹を努めていたが、除隊。タイタン星代表のトリスタン・シュトラスブルクとは竹馬の友。オフェリア・フォーレ、セリア・イザークとは友人。顔が広い。 軍人として傑出した人物で、指揮官であったルイ・シャルパンティエと並んで竜虎と評された。除隊後、宮廷道化師を経てティールで電器技師になった。ベル・カントはその際の偽名である。 世界で初めて白兵戦闘を用いてフルジア帝国軍に戦術的勝利を収めたタイタン部隊の指揮官で、名前を知っている者も多い。しかしプロシア公国に入ってからは統治者としての才能も見せ始め、一介の軍人だけでは終わらない大器の持ち主でもある。 N.G.0326年、聖セイクリッド皇国より伯爵に叙爵。勲章の数も多い。 家系 リエンツィ家はあまり裕福ではない。父親を早くに亡くし、母親は行方不明(離婚後、別人と結婚したものと思われる)。姉のジルダが懸命に働き、リゴレットと妹のイレーネを育てた。 姉ジルダはN.G.0316年に、妹イレーネはトリスタン・シュトラスブルクと同居(結婚はしていなかった)していたがN.G.0327年に死亡した。イレーネとトリスタンの間に甥になるローエングリン・シュトラスブルクがいる。 N.G.0327年に結婚。相手はバルカ家の令嬢ルキア・アンティゴネ・バルカ。彼女はオフェリアのクローンである。しかしN.G.0328年、テロにより死亡。亡き妻との間に息子のルカが生まれている。 経歴 女系家族のリエンツィ家の第二子として誕生。姉はジルダ、妹はイレーネ。美麗な容姿で男女問わず人気を集め、明るく快活とした性格と合わせて将来を期待された。 徴兵されたのはN.G.0314年の18歳。ヴァンドーム首長国からは他にトリスタンなどがいた。ルイ・シャルパンティエ師団に配属され、前線へ送られた。当時、フルジア軍は破竹の勢いで進軍しており、玉砕を考えていた太陽系同盟軍の中でも弱い立場のものが集められた軍だった。(地球人はゼロ。ユーロパ、タイタン人で作られた師団だった) 銀河系に侵攻してくるフルジア軍に対し、シャルパンティエは遠距離による射撃と白兵戦闘の組み合わせを作戦とした。リゴレットは軍曹、トリスタンは伍長だった。タイタン軍の活躍でフルジア軍の侵攻を止め、一躍勇名を馳せた。 アンドロメダにとって、初めての勝利をもたらし、今後の作戦のあり方を決定付けた。ルイ・シャルパンティエと並んで太陽系同盟の英雄になったが、二年間の軍務を終えて除隊、N.G.0316年、タイタンに帰還した。 この時、同期に徴兵されて生き残ったのは2から3割と言われており、ヴァンドーム領に戻れたのはトリスタンとリゴレットの二人だけだった。男性青年の著しい戦死により、一夫多妻制度が導入され、様々な弊害と利益をもたらした。 女性が富裕層の男性に独占されたことにより、男性間での同性愛が横行。リゴレットはその容姿から注目を集め、求愛を受けるようになったため、姉の酒屋で女装ウェイターを始めた。同性愛から逃れるための行為で、結果として成功した。 トリスタンがカヴァレリア・ルスティカーナを組織する際、執拗な勧誘を受けたが辞退。宮廷道化師になった。妹のイレーネを巡ってフランチェスコ・ヴァンドームと激しく争う。 同年、リゴレットはヴァンドームを暗殺。タイタンから逃れてティールへ移住した。この時から、ベル・カントの名前を使っている。以後はティールで電器技師となって生計を立てていたが、何度か、ギルドに属して戦闘行為を行ってもいる。 N.G.0318年、リューヴにてアリア・ローゼンミュラーの救出に加わる。 放浪時代 歌姫救出後、セシル・バルツァーよりオフェリア逮捕の情報を得て、セリア・イザークに説得されて救助に向かった。フルジアへ向かう途中、フィアから潜伏計画を依頼され、これに乗じた。 フルジア国内へ潜入し、オフェリアを救出。ティア・ヴァーグネルによる暗殺からオフェリアを守り、ヴァルトラウト・フォンアイツェルンからスカラ号を貸与され、アンドロメダへ向かった。 ルテティア・パリシオールムにて逮捕。フィンラル星系の地下刑務所に収監されるが、脱獄。アルフェラツに移動し、ティア、イザーク、アデレード・フォーレらと第一次反攻作戦に加わることを決定する。 リューヴ国軍第三軍と共にユドン市攻略に参加。アンリ・ベルティエ隊と協力しながら目標であった南ユドン駅を制圧することに成功した。フルジア反攻の際には最も危険の大きい中央目抜き通りの守備につく。最前線の防衛線を担い、後軍のベルティエ隊と連絡を密にしながら撤退する時間を稼いだ。 作戦後はリューヴで諜報活動を行い、生物工学研究所(通称・ディファイアンス)でオフェリア・フォーレのクローンが作られていることを察知。カイアファからアルゴナウティカ号を拝受し、フルジアへ赴き、以後はオフェリアと行動を共にした。 プロシア公国の宰相 N.G.0325年、オフェリア・フォーレによりプロシア公国の兵務局長官に任命される。フルジア帝国よりオフェリアを慕って亡命してきたフルジア兵らを集め、神兵旅団を組織、これを鍛え上げた。同時にACMF大佐に任命された。 しかしN.G.0327年、オフェリアの提唱するACMFに参加しようとしていた、盟友トリスタン・シュトラスブルクが殺され、リゴレットを頼るカヴァレリア・ルスティカーナを見捨てることは出来なかった。仇敵ヴォルフラム・ヴァルトブルクに復讐の刃を叩き込むため、独断で軍を動かしタイタンへ攻め込んだ。 翌N.G.0328年、ソフィア・ビュザンティオンで化学兵器が撒布されるテロが発生。ティアが軽症、オフェリアが重症となり、妻となったルキア・バルカが死亡する。レアティーズに対する憎悪を抱きながら、オフェリアの歌劇決戦を静かに見守った。 決戦後、隠棲するオフェリアの代わりに実質的なプロシア公国の指導者となる。N.G.0322年、オフェリア逝去によってプロシア公国の首相になった。 現在 アンドロメダ有利な戦局になり、プロシア公国は女王ゲオルギーネ・ネブカドネツァルの救出を考えた。フルジア帝国を何とか救おうと頭を悩ませる閣僚を前に、アデレード・フォーレがスターゲイザー作戦を立案した。 亡くなったオフェリアを巡って軋轢が生じていたアデレードの案にリゴレットは従い、オフェリアの娘アエラと母親カティア・フレーニを救出、仲間に入れる。先制するACMFの動きに戸惑い、フルジア帝都突入を果たすも女王奪還は失敗した。 終戦時の混乱に乗じ、仇敵ヴォルフラムの罠にかかったリゴレットは戦争犯罪人として軍事法廷に立たされた。しかし、セリア・イザークら優秀な法務官の弁護により無罪が確定している。 人格 粗暴で、頭の弱い、武技一辺倒の荒くれ者。いかにもティールにいそうな野蛮人。それがリゴレットの第一印象であるが、これらは全て、演技である。本来の自分を隠すためにあえて粗暴に振舞うところがあり、それでヴァンドームの暗殺などを成功させている。 本来は頭の切れる、知能も優れた名将。熱血漢なところがあるも、決して暴走は本位ではない。本当のリゴレットは優れた直感と経験で自分の振る舞いを決め、どう動けば最も効果的なのかを探る合理主義の塊のような人物。友人のセリア・イザークの方が時には野蛮に見えるほどである。 かなり複雑な人格で、友人のオペラ同様、本来の姿は決して見せない。が、どうにも荒っぽい部分があるのは本当で、戦場では勇猛さと合わせて恐ろしい力を発揮する。 電器技師であるように、野蛮なタイタン人というより知識人な部分がある。勇猛な武人であると同時に、豊富な知識と経験を持つ知識人でもある。そのギャップが魅力となり、人から愛されるような人物。 リゴレット、オペラ、イザークの三人は「バカ・リーダー・参謀」の見た目で動くが、本当は「リーダー・参謀・バカ」が正しい。「バカ・バカ・バカ」の三馬鹿の可能性もあるのだが。
https://w.atwiki.jp/yamiorica/pages/692.html
《ポリゴン2(ツー)》 リンク・効果モンスター リンク2/光属性/機械族/攻1000 【リンクマーカー:左下/下】 「携帯獣」モンスター2体 このカード名はルール上「携帯獣」カードとしても扱う。 このカード名の効果は1ターンに1度しか使用できない。 ①:このカードがリンク召喚に成功した場合、手札を1枚捨て、自分の墓地のレベル4以下の「携帯獣」モンスターを対象として発動できる。 そのモンスターを効果を無効にして守備表示で特殊召喚する。 概要 光属性・機械族のリンクモンスター。 オリカ作成者 hayabusa(はやぶさ) このカードを使用する代表的なデッキ 【携帯獣】 関連リンク
https://w.atwiki.jp/dm_mbgr/pages/18.html
モ&グ:モバゲー、グリーについて モバゲ:モバゲーについて グリー:グリーについて A&S:Apple、Samsung特許訴訟について 2012(H24) 09/27 NTTドコモは早ければ11月にもソーシャルゲーム事業に参入すると発言。10月中旬に発表する冬モデルの新機種から対応を予定する。 09/21 iPhone5日本で発売。 08/24 A&S:米カリフォルニア連邦地裁、Apple勝訴。 08/08 モ&グ:東京高裁、GREE敗訴。高裁は「ありふれた表現」「アイデアの範疇」として著作権侵害を認めなかった。 07/28 ニンテンドー3DSLLが発売される。 06/28 GALAXY S III日本で発売。 06/28 05/18 消費者庁はコンプリートガチャならびに類似サービスは景品表示法に抵触すると名言した。 05/05 消費者庁がコンプリートガチャを景品表示法違反であるとして、ゲーム会社に注意を喚起する方針であると報じられた。 02/23 モ&グ:東京地裁、GREE勝訴。地裁はDeNAに損害賠償として2億3460万円の支払いと「釣りゲータウン2」の配信行為の差止を命じる。 2011(H23) 12/17 プレイステーション・ヴィータが発売される。 11/21 モ&グ:DeNAの独占禁止法違反に伴う排除措置命令を受け、GREEとKDDI共にDeNAに対し10億5000万円の損害賠償請求を求め提訴。 10/14 auでiPhoneの取り扱いが始まる。 10/14 iPhone4S日本で発売。 10/01 大阪でパチンコの等価交換禁止が施行。 09/02 野田内閣誕生。 08/25 モバゲ:大規模障害が発生。 06/23 GALAXY S II日本で発売。 03/31 消費者庁がペニーオークション運営業者に「最大99%OFF」などの表記を改善するよう措置命令。 03/28 モバゲ:サービス名称をMobageに変更。 03/11 東日本大震災。 02/26 ニンテンドー3DSが発売される。 01/19 グリー:KDDIおよび沖縄セルラー電話の契約者情報を利用した年齢確認サービスの提供を開始。 2010(H22) 12/15 モバゲ:iOS・Android搭載のスマートフォンを対象にした「モバゲータウン for Smartphone」サービス開始。 10/28 GALAXY S日本で発売。 10/7 モバゲ:「Yahoo!モバゲー」を正式オープン。 09/21 モバゲ:PC版モバゲータウンサービスが終了し、Yahoo! JAPANのサイトで「Yahoo!モバゲー」として運営開始。 08/09 グリー:iPhoneでの利用に対応。 07/20 グリー:オフィスを六本木ヒルズに移転。 06/29 グリー:GREEアプリをモバイルで開始。 06/24 iPhone4日本で発売。 06/08 菅内閣誕生。 06/08 グリー:東証一部へ市場変更する。 04月 モバゲ:プレミアムクローゼット販売開始。 02月初 モバゲ:サークルの木廃止。同時にサークルの森開始。 01/27 モバゲ:モバゲーAPIによるパートナー企業の提供ゲームを公開開始。 01/13 社団法人全国学習塾協会がWilcomのPHS、WS005INを推奨ケータイに認定。 01/01 石川県の「小中学生への携帯電話所持規制」条例施行。 2009(H21) 12/11 グリー:16才未満のユーザーの月額課金上限額を1万円とすることを発表。 12/01 グリー:PCデザインと機能の変更を実施。 11/14 グリー:田中社長みずからの株を売却することを発表。 10/13 グリー:ソフトバンク携帯を利用する未成年者について、月額課金の上限規制を実施すると発表(他の携帯電話会社については規制済み)。 10/10 モ&グ:ソフトバンク携帯で「高額請求」のトラブルが相次いだとの報道がなされた。ソフトバンクは有料サービスを利用する際の暗証番号の入力が省略されていたことがトラブルの要因。 10/13 全国学習塾協同組合がWilcomのPHS、WS005INを推奨ケータイに認定。 09/25 グリー:利用者が1500万人を突破。 09/16 鳩山由紀夫内閣誕生。 09頃? モバゲ:サークルのアンケート機能開始。また、主催者の交代及び委託ができるようになる。モーションアバター配信開始?。 07/07 EMA、 健全 認定の携帯サイト「ポケゲー」を運用管理態勢の不備を理由に認定一時停止。 06/26 iPhone3GS日本で発売。 06/15 グリー:午後2時をもって、携帯電話版機能の一つ「グリ街」閉鎖(利用状況に鑑みての決定)。 5/頃? モバゲ:ブクマ及びリンク機能開始。 4/5 グリー:利用者が1000万人を突破。 01月下旬 モバゲ:アバター、日記、ミニメールなどを提供する。comm.mbga.jpのフィルタリングを順次解除。 2008(H20) 12/31 グリー:利用者が800万人を突破。 12/19 グリー:大規模なシステム障害により、サービスが停止。これにより、株価が午前中の最高値に対して7.2%以上の最安値を記録した。このサービス停止は、GREEのサーバーが置かれているさくらインターネット・西新宿データセンターにおける火災が原因であった。 12/17 グリー:マザーズ上場。 10/19 グリー:利用者が700万人を突破。 09/29 モバゲ:モバゲータウンとen高校生、「健全」携帯サイトに認定。 09/24 麻生内閣誕生。 08/29 グリー:EMA、GREEやMySpace、魔法のiらんどなどを「健全なサイト」と認定。 08/11 グリー:利用者が600万人を突破。 08/8 北京オリンピック開会。 07下旬 モバゲ:PC版のサービスを本格的に開始。 07/11 ソフトバンクでiPhoneの取り扱いが始まる。 07/11 iPhone3G日本で発売。 05/29 グリー:利用者が500万人を突破。 04月末 モバゲ:アイテム課金制のゲームコンテンツの配信を開始。 04/30 モバイルコンテンツ審査・運用監視機構(EMA)設立。 04/17 福田総理「携帯のフィルタリングの普及という議論の前に、携帯を持つべきかどうか議論した方がいい」教育再生懇談会において。 04/09 モバゲ:会員数が1000万人を突破。 03/06 ジョブズ「iPhoneでFlashを使う気はない」 02/29 グリー:利用者が400万人を突破。 2007(H19) 12/20 モバゲ:18歳未満のユーザの利用制限を設定。 12/1 グリー:利用者が300万人を突破。 09/27 グリー:EZ GREEをau one GREEに名称変更。 08/17 グリー:利用者が200万人を突破。 07/03 神戸市須磨区の滝川高校いじめ自殺事件。学校裏サイトが話題になる。 07/02 少額訴訟、女神転生IMAGINEの現金クジ訴訟、原告の請求棄却。 06/29 iPhone米国で発売。 05/11 モバゲ:会員数が500万人を突破。 03/22 グリー:利用者が100万人を突破。 2006(H18) 12/18 モバゲ:プレミアムアバター販売開始。 11/16 グリー:KDDIおよび沖縄セルラー電話のauでEZ GREEを開始。 10/01 ボーダフォン商号をソフトバンクモバイル株式会社に変更。 09/26 安倍内閣誕生。 08/06 NEWS23で学校裏サイトが報道される。 07/31 グリー:KDDIが第三者割当増資を引き受け3億6400万円を出資。 07/12 モバゲ:会員数が100万人を突破。 03/30 グリー:GREEキャリアサービス開始。 03/04 キッズケータイSA800iが発売される。 03/02 ニンテンドーDS Liteが発売される。 02/07 モバゲ:「モバゲータウン」サービス開始。 01/26 グリー:利用者が30万人を突破。 2005(H17) 07/30 グリー:利用者が20万人を突破。 6月 政府のIT安心会議(インターネット上における違法・有害情報等に関する関係省庁連絡会議)では,フィルタリングソフトの普及、プロバイダ等による自主規制の支援等を柱とする「インターネット上における違法・有害情報対策について」を策定。 6月 グリー:携帯電話向けのモバイルサービス開始。 2004(H16) 12/12 プレイステーション・ポータブルが発売される。 12/09 警視庁、一連の口座に振り込ませる詐欺事件の名称を「振り込め詐欺」で決定。 12/07 グリー:田中良和を代表取締役社長とするGREEの運営を目的としたグリー株式会社を設立。 12/02 ニンテンドーDSが発売される。 10/12 グリー:利用者が10万人を突破。 08/13 アテネオリンピック開会。 06/01 佐世保小6女児同級生殺害事件。児童のネット上のトラブルが原因の一つ。 03/30 グリー:利用者が1万人を突破。 02/21 グリー:田中良和が個人サイトとして「GREE」アルファ版を公開。 2003(H15) オレオレ詐欺が社会問題となる。 ケータイ各社が有害サイトアクセス制限サービスを開始する。
https://w.atwiki.jp/renst/pages/1116.html
特徴「グリーン」 関連カード (特徴を持っているユニットへの強化) ギンガルコン (特徴を持っているユニットを利用) アオレンジャー ハートクイン (特徴を持つユニットをラッシュ) ゴーカイグリーン (特徴を持ったコマンドを利用) ビッグワン この特徴を持つカード ワイルドビースト (Sユニット) ドラゴンレンジャー ドラゴンレンジャー(XG4) ギンガグリーン ジースタッグ アーステクノロジー (Sユニット) ミドレンジャー クローバーキング グリーンサイ ゴーグリーン ウォルター オーバーテクノロジー (Sユニット) デンジグリーン グリーンツー グリーンフラッシュ グリーンレーサー タイムグリーン デカグリーン デカグリーンSWAT ゴーオングリーン ミスティックアームズ (Sユニット) X1マスク シシレンジャー オーグリーン シュリケンジャー シュリケンジャー(XG4) シュリケンジャーFM シュリケンジャーFM(XG4) マジグリーン マジグリーン・マッスル レジェンドマジグリーン レジェンドマジグリーンRA シンケングリーン スーパーシンケングリーン ダークアライアンス (Sユニット) ワンパー マルチカテゴリ (Sユニット) ギンガグリーン(XG4) ■■ 獣装光ギンガグリーン ■■ ジースタッグ(XG3)■■ コメント 名前 コメント