約 2,496,821 件
https://w.atwiki.jp/renst/pages/750.html
タッグストライク 4人でレンジャーズストライクをプレイするための特別ルール。 2人同志でチームを組み、相手チームの各プレイヤーに5点のダメージを与えることができたチームが勝利。 大きな特徴として、常駐(4枚まで)、パワー、コマンド、ナンバーコンビネーションをチームで共有することがある。 「リーダー」・「サポーター」を決め、左にリーダー、右にサポーターが座る。ターンはチームで共有するような形になり、リーダーが一通り全てのフェイズを終了してからサポーターが行動する。(ただし、スタートフェイズのみリーダーの次にサポーターが行う) 5点ダメージを与えられたプレイヤーは行動不可能になる。 禁止カードは命の泉、メディテーション、ドラゴンレンジャー。前2枚は自分の敗北までのダメージ許容量を増やす効果、後1枚は自軍の敗北までのダメージ量を参照する効果を持つが、敗北がチーム単位のみで「自分(自軍)の敗北」が規定されていないタッグストライクでは、これらの効果はルール上対応できないためである。 禁止カードのリストはこられ以降は更新されることはなかったが、後に登場したカードとしては、これらの禁止カードと同様の効果を持つアルティメットダイボウケン、仮面ライダーゼロノスZF(XG6)、ブラスト持ちのユニットカード及びブラストを付与するフルブラスト・アクション等も使用不可能と思われる。 ルールが煩雑な上に1プレイに1時間以上かかることもざらにある。必要人数も多く、実際に行うプレイヤーは少ない。かつては公認大会でも行われていたが、現在は特撮ヒーロー大会に取って代わられてしまっている。 関連項目 タッグ
https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/1290.html
『ノストラダムス百科全書』は、日本語訳されたピーター・ラメジャラーの著書。1998年に東洋書林から出版された。田口孝夫(未作成)・目羅公和(未作成)共訳。 【画像】『ノストラダムス百科全書』カバー表紙(クリックするとAmazonのページに飛びます) 内容 1997年に出版されたThe Nostradamus Encyclopediaの忠実な翻訳である。ただし、本書に収録されているのは、そのうち第1部、第2部、第4部のみである。残りの部分は『ノストラダムス予言全書』に回された。 実質的に伝記、書誌など背景知識に関わる要素が多く収録されている。 コメント 翻訳は丁寧で、地名・人名辞典などもわざわざ五十音順に並べ直されている。ノストラダムスを時代背景から丁寧に読み解こうとする場合、本書の膨大な情報が大いに役立つだろう。 書誌 書名 ノストラダムス百科全書 著者 ピーター・ラメジャラー 訳者 田口孝男、目羅公和 版元 東洋書林 出版日 1998年12月25日 外国人研究者向けの暫定的な仏語訳書誌(Bibliographie provisoire) Titre Nostradamus Hyakkazensho (trad./ l'Encyclopédie de Nostradamus) Auteur Peter Lemesurier Traducteur TAGUCHI Takao, MERA Kimikazu Publication Tôyôshorin Lieu Tokyo Date le 25 décembre 1998 Note Traduction abrégée en japonais du livre de P. Lemesurier, The Nostradamus Encyclopedia, London, 1997 (i.e. Part 1, 2 4). Voir aussi ノストラダムス予言全書 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/1815.html
ノストラダムスの往復書簡は数十通単位で残っている。 多くはノストラダムスが受け取った手紙だが、そこで言及されている様々な情報は、生前のノストラダムスの状況をうかがい知る上で貴重な史料である。 また、数は少ないが、ノストラダムス自身が書いた手紙の数々は、直接的にノストラダムスのプライベートな言説に触れる一層貴重な史料といえる。 まとまった書簡集としてはBN ms. Lat. 8592があり、誰が転記したのか特定されていない写本とはいえ、専門家たちから内容の真正性は認められている。 もともとの手紙は息子のセザール・ド・ノートルダムが保管していたもので、その性質上、ノストラダムスが書いた手紙(10通)よりも、ノストラダムス宛の手紙(41通)の方がずっと多い。 ノストラダムス自身の手紙が手許に残っているのは不自然なようだが、彼は秘書に清書させたりしていたので、そうした過程で残った手稿や写本が伝わったものだろう。 それ以外の手紙はそれぞれ1、2通程度が独立して保存されているに過ぎないが、いずれも重要な情報源であることは言を俟たない。 手紙一覧 推測される執筆順に示す。丸カッコは手紙に書かれている日付などで、亀甲カッコは推測されている日付などを示す。*印はBN ms. Lat. 8592に含まれる書簡、【献辞】とあるのは暦書などに掲げられた献辞である。 ノストラダムスからタンド伯クロード・ド・サヴォワへ (1554年3月19日) 【献辞】 司教ジョゼフ・デ・パニスへ (1554年1月27日) ジャン・ブロトーからノストラダムスへ (リヨン、1557年9月20日)〔1554年9月20日〕* ジャン・ブロトーからノストラダムスへ 〔1561年以前〕* 【献辞】 フランス王アンリ2世へ (1556年1月13日) 【献辞】 フランス王妃カトリーヌ・ド・メディシスへ (1556年1月13日) ガブリエル・シメオーニからノストラダムスへ (リヨン、1556年2月1日)* 【献辞】 ナヴァル王アントワーヌ・ド・ヴァンドームへ (1556年3月21日) 【献辞】 ラ・ガルド男爵へ (1557年2月17日) 【献辞】 リヨンの有力者ギヨーム・ド・ガダーニュへ (1557年5月1日) ピエール・ド・フォルリヴィオからノストラダムスへ 〔1557年11月〕* ヨハンネス・キボ・ボエリウスからノストラダムスへ (ストゥルラーノ、1557年11月16日)* フランソワ・ベラール(未作成)からノストラダムスへ (アヴィニョン、1558年3月12日)* ペトルス・マルチュル・カルボからノストラダムスへ 〔1558年〕* 【献辞】 マコン司教エマニューへ (1558年8月12日) 【献辞】 アヴィニョン教皇副使ジャコポ・マリア・サラへ (1558年8月14日) オルリア・ド・カドネからノストラダムスへ (パリ)〔1550年代後半?〕* 【献辞】 タンド伯クロード・ド・サヴォワへ (1559年3月10日) 【献辞】 リヨネー地方の長官サヴィニへ 〔1559年〕 シギスムンドゥス・ウォイイッセルからノストラダムスへ (パドヴァ、1559年3月19日)* ロレンツ・トゥッベからノストラダムスへ (ブールジュ、1559年11月4日)* S. オスワルドゥスからノストラダムスへ (エクス、1559年11月24日)* ロレンツ・トゥッベからノストラダムスへ (ブールジュ、1560年1月1日)* ロレンツ・トゥッベからノストラダムスへ (ブールジュ、1560年3月16日)* 【献辞】 サヴォワ公妃マルグリット・ド・フランスへ 〔1560年〕 匿名の聖職者からノストラダムスへ 〔1560年〕* S. ポールからノストラダムスへ (エクス)〔1560年頃〕* ジャン・ド・シュヴィニーからノストラダムスへ (エクス、1560年9月1日)* ロレンツ・トゥッベからノストラダムスへ (ブールジュ、1560年9月20日)* ノストラダムスからジャン・モレルへ (1560年10月30日)〔1560年11月30日〕レオニの著者やデュペーブの著書に収録。 ロレンツ・トゥッベからノストラダムスへ (ブールジュ、1560年12月1日)* ジェローム・ド・ピュルピュラからノストラダムスへ 〔1560年〕* ロレンツ・トゥッベからノストラダムスへ (ブールジュ、1561年1月20日)* ハンス・ローゼンベルガーからノストラダムスへ (フィーバーブルン、1561年3月11日)* 【献辞】 ローマ教皇ピウス4世へ (1561年3月17日) ハンス・ローゼンベルガーからノストラダムスへ (フィーバーブルン、1561年4月8日)* 【献辞・手稿】 ローマ教皇ピウス4世へ (1561年4月20日) 【献辞】 文人ジャン・ド・ヴォゼルへ (1561年) ヤコブス・セクリウァグスからノストラダムスへ (リヨン、1561年5月1日)* ヤコブス・セクリウァグスからノストラダムスへ (リヨン、1561年5月29日)* ロレンツ・トゥッベからノストラダムスへ (ブールジュ、1561年6月7日)* ハンス・ローゼンベルガーからノストラダムスへ (フィーバーブルン、1561年6月18日)* ノストラダムスからロレンツ・トゥッベへ (サロン、1561年7月15日)* ノストラダムスからある貴族たちへ (サロン、1561年7月29日)* ロレンツ・トゥッベからノストラダムスへ (ブールジュ、1561年8月9日)* ノストラダムスからハンス・ローゼンベルガーへ (サロン、1561年9月9日)* ノストラダムスからロレンツ・トゥッベへ (サロン、1561年10月15日)* ノストラダムスからハンス・ローゼンベルガーへ (サロン、1561年10月15日)* ロレンツ・トゥッベからノストラダムスへ (アントウェルペン、1561年11月15日)* ハンス・ローゼンベルガーからノストラダムスへ (フィーバーブルン、1561年12月15日)* ロレンツ・トゥッベからノストラダムスへ (アウクスブルク、1562年1月19日)* ノストラダムスからドミニク・ド・サン=テチエンヌとジャモー・パトンへ(サロン、1562年1月20日)* ハンス・ローゼンベルガーからノストラダムスへ (フィーバーブルン、1562年1月24日)* ノストラダムスからオランジュの大聖堂の参事会員たちへ (サロン、1562年2月4日)1714年に復刻された失せ物探しの手紙で、レオニの著書などに再録されているほか、竹下節子の著書に要約がある(*1)。 ロレンツ・トゥッベからノストラダムスへ (アウクスブルク、1562年4月13日)* ノストラダムスからロレンツ・トゥッベへ (サロン、1562年5月13日)* 【献辞】 将軍フランチェスコ・ファブリツィオ・セルベロニへ (1562年7月20日) フランソワ・ベラールからノストラダムスへ (アヴィニョン、1562年8月13日)* ノストラダムスからフランソワ・ベラールへ (サロン、1562年8月27日)* フランソワ・ベラールからノストラダムスへ (アヴィニョン)〔1562年?〕* ジャン・ド・シュヴィニーからノストラダムスへ (サロン、1563年5月7日)* ヨハンネス・ベルギウスからノストラダムスへ (アジャン、1563年10月15日)* 【献辞】 フランス王シャルル9世へ (1564年4月14日) ブノワ・ド・フランドリアからノストラダムスへ (ガップ、1564年5月1日)* 【献辞】 タンド伯オノラ・ド・サヴォワへ 〔1565年〕 ハンス・ロベットからノストラダムスへ (リヨン、1565年6月13日)* ノストラダムスからハンス・ロベットへ (サロン、1565年7月7日)* ハンス・ロベットからノストラダムスへ (リヨン、1565年7月23日)* ノストラダムスからハンス・ロベットへ (1565年8月5日もしくは7日)デュペーブの著書に収録。 ハンス・ロベットからノストラダムスへ (リヨン、8月16日)〔1565年〕* ハンス・ロベットからノストラダムスへ (リヨン、1565年11月19日)* ノストラダムスからハンス・ロベットへ (サロン、1565年12月12日)デュペーブの著書に収録。 ノストラダムスからハンス・ロベットへ (サロン、1565年12月13日)* ノストラダムスからカトリーヌ・ド・メディシスへ (サロン、1565年12月22日) ノストラダムスからジョアシャン・ド・クレロンへ (サロン、1566年2月25日)ギナールのサイトと論文で紹介されている。ウプサラ大学図書館に残っていたのを発見された。 【献辞】サヴォワ公エマヌエル・フィリベルトへ (1566年4月22日) 【献辞】ビラーグ殿へ (1566年6月15日) ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/86.html
『ノストラダムスの大予言』は、1973年に祥伝社から発行された五島勉の著書。 1974年のノンフィクション部門ベストセラー1位、総合部門2位(*1)。実質的に日本のノストラダムス現象の幕開けとなった著作である。 2014年には電子書籍版が出された。 【画像】Kindle版 構成 目次の傍点は下線で代用した。 序章 史上、空前絶後の大予言者ノストラダムスの生涯について簡単に説明され、ペストを不思議な未来医術で鎮めたことなどが挙げられている。そして予言詩集『諸世紀』を著し、ルイ16世処刑のギロチンの幅や、アメリカから出た黒い船がエダという都に辿りつくことなどを予言したと説明される。 1章 四百年前に今日を完全に予言アンリ2世に対し、10年後に死ぬと予言したというエピソードを皮切りに、自動車の出現を予言した「馬についての対話」(百詩篇第10巻31番)、海外旅行ブームを言い当てたアスンシオンとの対話(百詩篇第1巻63番)などを挙げている。その上で、『諸世紀』を執筆した時点で19歳になっていた息子セザールとの対話によって生まれた未来予言として、ノルマンディ上陸作戦(百詩篇第1巻29番)、鉛公害(百詩篇第2巻48番)、原子力エンジン(百詩篇第2巻46番)などが紹介されている。 2章 世界史は彼の予言どおりに展開してきたこの章も的中例の紹介で、ゲーテのパスツール・ショック(百詩篇第1巻25番)、フランコ将軍(百詩篇第9巻16番)、アドルフ・ヒトラー(百詩篇第4巻68番)、カギ十字(百詩篇第6巻49番)などの解釈例が挙げられている。 3章 人類滅亡の前兆はすでに出ているこの章はシャルル9世との間で展開されたというブロワ城の問答をもとに、未来解釈に踏み込むものとなっている。そして、様々な詩を挙げて滅亡の可能性を強調した上で、人魚が捕まるという、デタラメにみえた百詩篇第3巻21番すら的中したとして、的中率の高さを強調している。 4章 一九九九年七月、人類は滅亡するこの章では1999年についての予言(百詩篇第10巻72番)を主題とし、その前後の関連する予言として百詩篇第6巻97番、百詩篇第9巻44番、百詩篇第10巻49番などが挙げられており、環境汚染と核戦争によって人類のほとんどが死に絶えることになるという未来図を描き出している。 5章 たった一つの救いの可能性とは?ここではセオフィラスの異本などにも触れつつ、救いの可能性を検討している。百詩篇第1巻48番も俎上に載せられ、現生人類の後に地上を席巻することになる生物たちも、7000年の後に太陽系の消滅とともに滅びるとして、章のタイトルとは裏腹に、救いの可能性はほとんど論じられない。 〈付章〉残された望みとは?この最後の数ページの付随的な章では、1999年の詩が全滅ではなく部分的な破局を描いている可能性などを一応考慮し、その上で、ノストラダムス予言を哲学思想として捉えたならば、西洋キリスト教文明に対置しうる東洋思想の実践などによって救われる可能性もあるかもしれないと説いている。 前史 五島自身が1974年の時点で述べていた経緯は以下の通りである。五島はノストラダムスに前々から関心を持って調査していたところ、10年越しでその願いがかない、出版できることになった。当初はノストラダムス以外にも、歴代の有名な予言者たちを扱う予定だったが、祥伝社ノン・ブックの編集長だった伊賀弘三良から、ノストラダムスに絞るべきだと示唆を得たという(*2)。 ただし、出版ジャーナリスト沢田博の記事だと、若干ニュアンスが異なっている。五島が持ち込んだのは10人の予言者を扱うアンソロジーのようなもので、1人に絞るように伊賀から指示が出た時には、H.G.ウェルズに絞った企画を提出してボツにされたという。その後で伊賀からノストラダムスでまとめるよう指示が出て、その線に沿って五島が書き上げたのが『ノストラダムスの大予言』だったという(*3)。『噂の真相』の記事でも、祥伝社の関係者の話として、もともとの企画は10人の予言者を扱うものだったとされている(*4)。 ほかに佐木隆三によると、『世界の予言者』という企画を立てたのは祥伝社自身だったが、特定のテーマに絞った実用的専門書がヒットしている状況を踏まえ、ノストラダムスに絞る方向で軌道修正が行われたという(*5)。 細部に若干食い違いはあるが、当初アンソロジーの企画だったものが、伊賀の発案でノストラダムス一本に絞られたという辺りは事実なのだろう。 売れ行きとシリーズ化 奥付通りなら、1973年11月25日に初版が発行された。『読売新聞』1973年11月21日夕刊には「最新刊」として広告が載っているので、実際の発売日はそのころだろうか。 初版の発行部数は2万5000部だったという(*6)。発行部数が6万部に達した辺りで「まえがき」の改訂(後述)が行われた(*7)。売れ行きはさらに加速し、発売1か月で公称36万5000部(*8)となり、12月22日付の『朝日新聞』には「全国の読者と書店の皆様にお詫びいたします」と大書された、売れ行きのあまり増刷が追いつかないことを詫びる祥伝社の広告が掲載された。その後、翌年1月半ばに65万部を超え(*9)、3ヶ月ほどで公称100万部を突破した。これは出版科学研究所調べとして『読売新聞』1974年2月25日朝刊および『朝日新聞』1974年3月2日朝刊の広告に載ったものだが、これらの広告では、この本が戦後のミリオンセラーとしては15冊目であることも謳われている。最終的な増刷数は不明だが、1994年5月5日付で449版(*10)、1998年8月の時点で450版(*11)とされている。 ただし、最終的な発行部数ははっきりしない。1991年時点で公称250万部だったが(*12)、1997年に209万部(*13)、1998年8月時点で209万部(*14)または240万部(*15)、1999年7月初頭で210万部(*16)などと、公表されている数値が(時期の違いを考慮にいれても)まちまちなため、正確な部数の把握が難しい。少なくとも200万部以上売れたとは言えるのかもしれない。 こうした売れ行きによって何冊もの続編が刊行された。第五冊目の『ノストラダムスの大予言V』(1986年)で一応「完結編」と銘打たれたものの、その後もなし崩しに『ノストラダムスの大予言・最終解答編』(1998年)までシリーズは続き、全10冊のシリーズとなった。初巻の売れ行きには到底及ばなかったものの、シリーズ作品はいずれも売れ、ベストセラーランキングにもしばしば登場した(詳しくは『ノストラダムスの大予言』シリーズを参照のこと)。 評価 パスツールに関するエピソード(「ゲーテのパスツール・ショック」)が虚偽のものであることは、1974年に週刊朝日の匿名コラム(書評子のイニシャルは「D」と書かれている)や高木彬光の文章によって指摘されていた。これらは、後述の青背版の改訂に影響を及ぼすことになる。 ほかにも、『週刊文春』や『問題小説』の記事では解釈が恣意的であることを批判されたし、特に後者では資料集めのずさんさを暴露され、「或る雑誌編集長」から泥縄的にロブとロバーツの本を借りた顛末を紹介された。 『週刊現代』では渡辺一夫、黒沼健や自然科学系の専門家の意見を集めて、五島の解釈の問題点を指摘した。数ある批判の中でも、特に五島にとって印象深かったのがこの記事らしく、直後に『文芸春秋』に寄稿した文章から『ノストラダムスの大予言・最終解答編』に至るまで、何度も取り上げて反論している。ただし、そこで五島がこう言われたと書いている「インチキ」「ペテン師」といった罵倒は記事本文に出てこない。若干、権威を笠に着るような発言が見られたのは事実だが、論拠を示さずに感情的に罵倒しまくるコメントを寄せた者は一人もおらず、五島は意図的かどうかはともかく、批判の軸をずらして反論している。 1990年代になると、志水一夫『大予言の嘘(未作成)』(1991年 / 1997年)や山本弘『トンデモノストラダムス本の世界』(1998年 / 1999年)によって、高木が指摘したエピソード以外もほとんどが史実と矛盾している点や、解釈においても事実関係に虚偽を織り交ぜることで的中度を強調している箇所が多くある点が明らかにされた。 改訂版の存在 カバーにはいわゆる「赤背版」と「青背版」があるとされてきた。 当「大事典」では赤版、青版、そして水色版に分けている。 赤版には前書きが初版と同じ「まえがき」になっているものと「重版のためのまえがき」になっているものがある。 沢田博によると、社会不安の元凶として叩かれることを危惧した編集長の伊賀の指示で差し替えることになったといい、五島自身、沢田の取材に対し、当初の「まえがき」が「とにかく危ない」と書いたものだったので、「もっと柔らかい調子に、破滅は予告されているけれども、これからの努力次第で救われる可能性はある、という調子に」書き直したと答えたという(*17)。 下の画像にあるように、付いていた帯も初版は「恐怖」で、青版は「警告」と、力点を置いているキーワードが明らかに異なっていることが読み取れる。 青版は、仏語原文の掲載、誤りの修正、長めの加筆、写真の差し替えなど、様々な改訂が段階的になされてきた。詳しくは『ノストラダムスの大予言』の各版の違いを参照のこと。 【画像】 (左)初版帯付(1973年11月25日) (右)64版帯付(1974年1月15日)(*18) 書誌 書名 ノストラダムスの大予言 副題 迫りくる1999年7の月、人類滅亡の日 著者 五島勉 版元 祥伝社 出版日 1973年11月25日 注記 初版は祥伝社発行、小学館発売。 外国人研究者向けの暫定的な仏語訳書誌 Titre Nostradamus no dai-yogen (trad. / Les Grandes Prophéties de Nostradamus) Sous-titre Semarikuru 1999 nen 7 no tsuki, jinrui-metsubô no hi (trad. / Le temps immenant Le jour de la disparition de la humanité au mois de sept, l’an 1999.) Auteur GOTÔ Ben Publication Shôdensha Lieu Tokyo, Japon Date 25 Novembre 1973 Note Examen des quatrains I-16, I-25, I-29, I-31, I-35, I-48, I-63, I-69, II-13, II-24, II-43, II-46, II-48, II-59, II-75, III-11, III-13, III-21, III-92, IV-68, VI-10, VI-49, VI-97, VI-98, VIII-14, IX-16, IX-44, IX-83, X-31, X-49, X-71, X-72, X-74, X-98, X-99, XI-6(!), XI-13(!), XI-45(!), XI-48(!), XI-82(!), XI-85 ou 86(!), XI-90(!), XII-8(!), XII-37(!), XII-52, XII-100(!), XII (sans numéro)(!), un quatrain uncomplet (“Par ciel volant en nef la femme / Bienstot un grand Roy en Dorse assassiner”) 関連項目 セオフィラスの異本 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/2713.html
「ノストラダムス2016」は寿ひさし(平井久司)(漫画)、三陽五郎(會川昇)(原作)の漫画作品。2016年を舞台とするSF作品であり、『コミックGENKi』1992年5月号から1994年9月号まで連載された。 書誌 作者の名義 第1回は「漫画寿ひさし、原作三陽五郎」となっていたが、その後、原作者名は「會川昇」で表記されることが多かった。「寿ひさし」は最終回のみ「寿ひさし改め平井久司」となっている。 掲載 隔月刊だった『コミックGENKi』(角川書店)1992年5月号から1994年9月号まで連載された(1993年5月号のみ休載)。全13話+番外編1話(1994年5月号)。 『コミックGENKi』は1994年9月号をもって休刊となったため、『歴史ロマンDX』へ移籍した「八犬伝」ほか、新たに創刊される季刊『コミックNEWTYPE』への移籍が発表されたいくつかの連載を除いて、実質的に打ち切られる形になった。 本作品も、話の流れを途絶するような形で「おわり」となっており、ストーリー上は未完の作品である。 単行本化 連載中に何度か、単行本化作業中であることが記載されていた。 また、1994年5月号の「ノストラダムス2016番外編」にしても、最後のページで「コミックス作業中につき番外編でした」と書かれていた。 最終回の1994年9月号でも、最後のページに単行本化作業が遅れているような記述があるが、結局、公刊されなかったようである。 ノストラダムス関連 主人公はノストラダムスの記憶を引き継いでおり、アンゴルモア等も重要なキーワードとなっている。 その作品中、ノストラダムスの予言詩などがいくらか引き合いに出されており、1999年の詩は2016年のことだったとされている。 根拠となるのは1+9+9+9=28で、平成28年(2016年)を示しているという解釈が示されている。もうひとつ、「500年後」が出てくる第3巻94番を、ノストラダムスの時代(1503年 - 1566年)から500年後に特別な存在が現れると解釈する者たちがいたことも踏まえているようである。 連載第2回にあたる1992年7月号では、最後のコマに 「この作品は科学評論家志水一夫氏の協力のもと、ヴライク・イオネクス〔原文ママ。正しくはヴライク・イオネスク〕氏の「ノストラダムス・メッセージ」(竹本忠雄訳・角川書店刊)他、多数の「ノストラダムス」関係書を参考にさせていただいたフィクションです。 「百詩集」の訳文については山根和郎氏と大乗和子氏のものを参照させていただきました。」 と書かれている。 「サンテュリ」(サンチュリではなく)という、一時期の志水くらいにしか見られなかった表記など、確かに志水の影響が感じられる反面、取り込まれている解釈内容にイオネスクの影響はあまり感じられない。 にもかかわらず上記のようにイオネスクが特筆されているのは、同じ版元(角川書店)の漫画雑誌に掲載されていた作品という事情によるものだろうか。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/1831.html
『ノストラダまス 予言書新解釈』は、頭脳組合の著書。『超絶解釈ノストラダまス』の改訂版と位置づけることが出来るが、構成が一新された上でかなりの部分が差し替えられている。1997年に彩文館出版から刊行された。 【画像】カバー表紙 内容 ノストラダムスのパロディ解釈で、ノストラダムスはサブカルチャーも含む現代のさまざまな物事を見通していたと笑い飛ばす内容である。テーマごとに分類され、 第一章 流行・風俗 第二章 グッズ 第三章 芸能 第四章 テレビ 第五章 アニメ 第六章 映画・特撮 第七章 マンガ 第八章 文学・小説 第九章 ゲーム 第十章 スポーツ 第十一章 恐怖の大王 という全11章に分けられている。 コラムとして、 山本弘 「あなたもノストラダムス本が書ける」 大林憲司 「恐怖の大王の謎」 葛西伸哉 「ノストラダムスで遊ぶ法」 志水一夫 「モーツァルトは知っていた!? ~“恐怖の大王”の正体~」 が収められ、パロディマンガとして 滝季山影一 「笑って迎える世紀末」 滝季山影一 「ノストラマンダムス」 の2本が掲載されている。 前著『超絶解釈ノストラダまス』と重なるネタが一部にはあるが、前著刊行後の時事ネタを大幅に取り込んでいる。例としてはルーズソックスの流行、たまごっち、料理の鉄人、PUFFYの「アジアの純真」、『新世紀エヴァンゲリオン』、『激走戦隊カーレンジャー』などである。 【画像】Ansimple ルーズソックス 【画像】Tamagotchi iD L 15th Anniversary ver. ロイヤルパープル 【画像】NEON GENESIS EVANGELION vol.02 (DVD) 【画像】激走戦隊カーレンジャー VOL.1 (DVD) 評価 予言の錯覚性と信奉者たちのこじつけ方法論を逆手に取るものであり、認知心理学者の菊池聡は「ノストラダムスにはまっている人には一番の薬だと思う」(*1)と評価している。 書誌 書名 ノストラダまス 予言書新解釈 著者 頭脳組合 版元 彩文館出版 出版日 1997年8月29日 注記 外国人研究者向けの暫定的な仏語訳書誌(Bibliographie provisoire) Titre NostraDAMASU Yogensho shinkaishaku (trad./ Les Prophéties de NostraDAMASU nouvellement expliquées) Auteur Zunoukumiai Publication Saibunkan shuppan Lieu Tokyo Date le 29 août 1997 Note Explications parodiques. DAMASU signifie “tromper” en japonais. Edition revue et augmentée de 超絶解釈ノストラダまス. ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。 コメントらん 以下に投稿されたコメントは書き込んだ方々の個人的見解であり、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません。 なお、現在、コメント書き込みフォームは撤去していますので、新規の書き込みはできません。 作者は世界史疎いうえに、中国共産党の唯物史観を信奉していると言わざるをえないから、こういう本が出てしまったのは、嘆かわしい。 -- とある信奉者 (2012-07-28 15 03 09)
https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/2094.html
『ノストラダムスの大警告』は、1989年にムー・スーパー・ミステリー・ブックスの一冊として刊行された藤島啓章の著書。 【画像】 『ノストラダムスの大警告』カバー。金文字で「完全解読!!」と大書されている。 内容 目次は以下の通り。 第1章 エイズ、原発事故、中東紛争はすべて予言どおりに成就した! 第2章 大予言者ノストラダムスの波瀾に富んだ生涯 第3章 人類に襲いかかるすさまじい大災厄の警告! 第4章 ノストラダムスは富士山の大爆発まで予言していた!? 第5章 激動する国際情勢は人類を破滅の淵へと追いやる 第6章 運命のシナリオが描く全面核戦争と謎の救世主 第7章 1999年、破滅の予言が成就するとき何が起こるのか? 基本的なシナリオは、以下の通り。 1990年代初頭にアメリカとソ連が同盟関係になるが、長続きせず、中東戦争をきっかけに米・西欧とソ・東欧による第三次世界大戦が勃発する。これは西側諸国から英雄が現れて終結するが、その人物の正体は反キリストであり、すぐに独裁者としての本性を表す。この独裁者と対峙するのがアジアで、日本から救世主が現れて1999年から27年続く戦争に終止符を打つ。 コメント 藤島は後に『聖書預言 戦慄の黙示』という本でソ連崩壊を的中させたと主張したが、上に記したように、ソ連は第三次世界大戦で敗北し、反キリストの軍門に下るというのが藤島のシナリオだったので、実際には当たっていない。 結局のところ何も当たらなかったわけだが、1990年前後にはこうしたシナリオは決して特異なものではなく、ある意味ではオーソドックスなノストラダムス解釈本ともいえた。 書誌 書名 ノストラダムスの大警告 著者 藤島啓章 版元 学習研究社 出版日 1989年8月5日 注記 外国人研究者向けの暫定的な仏語訳書誌(Bibliographie provisoire) Titre Nosutoradamusu no dai keikoku (trad. / Les grands avertissements de Nostradamus) Auteur FUJISHIMA Keishô Publication Gakushû kenkyû sha Lieu Tokyo Date le 5 août 1989 Note ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/1355.html
ノストラダムスの肖像は、版画、油絵、彫刻など数多く存在する。しかし、その詳細な情報(作成時期、サイズ、所蔵先など)はあまり紹介されることがない。 以下はその隙間を埋めるためのリストである。リンク先には、肖像とその紹介を記載してある。 なお、著作権法が定める保護期間内の作品は、原則として対象外とする。結果として、漫画作品に描かれたノストラダムスや、現代の解釈書のカバーにイラストレーターが描いた肖像などは当面対象外となるが、Amazon の商品ページにリンクさせられるものについては、今後扱う可能性がある。 肖像の名称について正式名がない、もしくは確認できない場合が多く、論者によってまちまちな場合もある。そこで記事名は、絵の場合「ノストラダムスの肖像画」、彫刻の場合「ノストラダムスの彫像」で原則として統一する。また、カッコ内は作成者名、出版地名、所蔵先名などを用いているが、個々の事情により統一できていない。 ノストラダムスの肖像画 (1562年)生きているうちに描かれたもの。 ノストラダムスの肖像画 (レオナール・ゴーチエ) ノストラダムスの肖像画 (メジャヌ所蔵、1614年頃)息子セザールが描いた肖像画。 ノストラダムスの肖像画 (サロン市庁舎所蔵)セザールが描いた別の肖像画。 ノストラダムスの肖像画 (アムステルダム、1668年)1668年『予言集』に収録された木版画。 ノストラダムスの肖像画 (ドーデ)五島勉が「二つの顔を持つ護符」と紹介した四行詩つきの肖像画。 ノストラダムスの肖像画 (アヴィニョン、1716年) ノストラダムスの肖像画 (パリ、1754年)若い頃のノストラダムスを描いた肖像。 ノストラダムスの肖像画 (エメ・ド・ルミュ、1840年)ウジェーヌ・バレストの解釈書に収録されたスケッチ。 ノストラダムスの肖像画 (グラネ、1846年頃)セザールによる肖像画の複製。 ノストラダムスの肖像画 (予言され裁定された歴史)アンリ・トルネ=シャヴィニーの著書に掲載された図版。 {{書きかけ}} 外部リンク ノストラダムス肖像画コレクション(サイト「ノストラダムスサロン」内)日本語で書かれた肖像画についての、先駆的な情報源として高く評価されるべきであろう。そこでも言及されているように、肖像画のみをまとめた情報源は海外にもほとんどない。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/2015.html
日本におけるノストラダムス現象は、西欧主要国やアメリカでのそれと比べれば、明らかに特殊な経緯をたどった。その基点となったのが五島勉の『ノストラダムスの大予言』(1973年) であったことは疑いないところだが、そのインパクトゆえに、1973年から1974年ころのブームを回顧したり分析したりする文献はいくつも出された代わりに、それ以後を包括的に扱い、日本のノストラダムス現象の全体像を通覧する文献はほとんど出てこなかった。 例外といえるのは田窪勇人の「日本におけるノストラダムス受容史」(『ユリイカ』1999年2月号) くらいのものであろう。あとは、山本弘の『トンデモノストラダムス本の世界』および『トンデモ大予言の後始末』が、日本のノストラダムス本のほとんどを取り扱っているという点で、間接的にではあるが、日本のノストラダムス現象の全体像をつかむことに役立つとはいえる。 【画像】 『ユリイカ』1999年2月号 公刊されたものではないが、ネットで公表されたものとしては、「日本のノストラダムス現象」(ノストラダムスサロン)が、適宜分析も加えた包括的な年表を提供しており、きわめて有用である。 当「大事典」では、こうした先行文献・サイトを参照しつつ、時期ごとに区切ってノストラダムス現象を通覧してゆくこととする。 1970年代までの日本のノストラダムス現象 1980年代の日本のノストラダムス現象 1990年代の日本のノストラダムス現象(未作成) 2000年以降の日本のノストラダムス現象(未作成) ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
https://w.atwiki.jp/wakures/pages/671.html
旅人のレストラン(4種) タイ料理専門店でございます。 平均 50元 料理ジャンル - 店舗所在地 北京市西城区旧鼓楼大街128号 営業時間 11 00~23 00 アクセス - 駐車情報 あり その他情報 5%割引 旅人のレストラン(4種)豚ニラ炒め パイナップルとえびの炒め物 白湯排骨 花椒鶏 入 門 属 性包丁技調味技火加減 価 格(コスト) 一押し食材 初 級 中 級 高 級 2 種 222~225222~225226 52(45) 特 級 2 種 283280~281278 67(58) レ ア 食材Lv1 食材Lv2 肉Lv2×5、キノコLv2×6、野菜Lv2×5、果物Lv2×10、魚Lv2×5、スパイスLv2×6、米穀Lv2×5 食材Lv3 肉Lv3×18、キノコLv3×8、野菜Lv3×7、豆製品Lv3×3、ミルクLv3×3、果物Lv3×5、卵Lv3×4 備 考 豚ニラ炒め 豚ニラ炒め中国西部「旅人のレストラン」 豚、ラニ、カリフラワーの炒め物です。 高級 ジャンル おかず 価格(一押し) 52(?) コスト(一押し) 45(?) 風味(一押し) 115(?) 品質 属性条件 色(一押し) 283(?) 包丁技 222 香(一押し) 290(?) 調味技 225 味(一押し) 302(?) 火加減 226 調理情報 習得条件 調理時間 2時間 習得Lv制限 Lv45 調理費用 390ドル 中級料理習得数 12 習得数 24~36個 食材 肉Lv2 5 野菜Lv2 5 キノコLv2 6 果物Lv2 5 × × × × 一押し食材 × × × × × × × × クイズ 問題 使用されていた食材はどれでしょうか?A.ブロッコリー B.ラディッシュ C.カリフラワー D.アーティチョーク 答え(反転) C. カリフラワー 豚ニラ炒めを編集 ▲TOP パイナップルとえびの炒め物 パイナップルとえびの炒め物中国西部「旅人のレストラン」 えびの食感と甘さが何とも言えないデザートのような料理です。 高級 ジャンル おかず 価格(一押し) 52(?) コスト(一押し) 45(?) 風味(一押し) 115(?) 品質 属性条件 色(一押し) 291(?) 包丁技 225 香(一押し) 281(?) 調味技 222 味(一押し) 303(?) 火加減 226 調理情報 習得条件 調理時間 2時間 習得Lv制限 Lv45 調理費用 390ドル 中級料理習得数 12 習得数 24~36個 食材 魚Lv2 5 果物Lv2 5 スパイスLv2 6 米穀Lv2 5 × × × × 一押し食材 × × × × × × × × クイズ 問題 この料理に使用されていた果物は何でしょうか?A.リンゴ B.オレンジ C.マンゴー D.パイナップル 答え(反転) D. パイナップル パイナップルとえびの炒め物を編集 ▲TOP 白湯排骨 白湯排骨(bai tang pai gu:バイ タン パイ グー)中国西部「旅人のレストラン」 スペアリブを白湯で煮た料理。 特級 ジャンル スープ 価格(一押し) 67(?) コスト(一押し) 58(?) 風味(一押し) 145(?) 品質 属性条件 色(一押し) 285(?) 包丁技 283 香(一押し) 276(?) 調味技 281 味(一押し) 264(?) 火加減 278 調理情報 習得条件 調理時間 1時間30分 習得Lv制限 Lv60 調理費用 300ドル 高級料理習得数 18 習得数 20~30個 食材 キノコLv3 8 肉Lv3 8 果物Lv3 5 ミルクLv3 3 × × × × 一押し食材 × × × × × × × × クイズ 問題 A. B. C. D. 答え(反転) 白湯排骨を編集 ▲TOP 花椒鶏 花椒(かしょう)鶏(hua jiao ji:ファ ジャオ ジー)中国西部「旅人のレストラン」 花山椒がピリッと辛い鶏の唐揚です。 特級 ジャンル おかず 価格(一押し) 67(?) コスト(一押し) 58(?) 風味(一押し) 145(?) 品質 属性条件 色(一押し) 377(?) 包丁技 283 香(一押し) 364(?) 調味技 280 味(一押し) 359(?) 火加減 278 調理情報 習得条件 調理時間 1時間30分 習得Lv制限 Lv60 調理費用 300ドル 高級料理習得数 18 習得数 20~30個 食材 肉Lv3 10 野菜Lv3 7 卵Lv3 4 豆製品Lv3 3 × × × × 一押し食材 × × × × × × × × クイズ 問題 A. B. C. D. 答え(反転) 花椒鶏を編集 ▲TOP