約 2,496,826 件
https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/31.html
このノストラダムス関連年表では、彼の生涯やノストラダムス現象に関わりのある主な出来事についてまとめた。 信奉者側がどのような事件を的中させたと主張しているかについては的中例として有名な予言を参照のこと。 ノストラダムスの存命中の関連年表 1503年12月14日(木曜日) - 誕生。 1518年頃? - アヴィニョン大学で自由七科を学んだとされる 1520年 - 学業を中断したと推測されている。 1521年 - 各地を遍歴し、薬草の採取や関連する知識の収集につとめる(- 1529年) 1529年10月23日 - モンペリエ大学医学部に入学。数年以内におそらく除籍。 1531年 - アジャンでアンリエット・ダンコスと最初の結婚。 1530年代後半? - 最初の妻と子どもをペスト(?)で失う。以降放浪したとされる。 1545年前後? - 手稿『オルス・アポロ』を執筆。 1546年 - エクス=アン=プロヴァンスでペストの治療に当たる。 1547年 – サロン・ド・クローに転居し、11月11日にアンヌ・ポンサルドと再婚。以降、終生この町で暮らす。 1549年頃 - 1550年向けの暦書類を刊行する。以降、1551年向けを除き、1567年向けまで毎年刊行される。この一連の刊行物の中で初めて「ノストラダムス」の名を用いたとされる。 1551年頃 - 長女マドレーヌ・ド・ノートルダム誕生。 1553年11月 - 翌年向けの暦書類について粗雑な版を組んだ業者ベルトー師とトラブルになる。 1553年12月18日 - 長男セザール・ド・ノートルダム誕生。 1554年 - 『受難の主日にあたる3月10日土曜日の7時から8時の間に、フランス・サロンの町で多くの人に目撃された恐るべき驚異の光景』がニュルンベルクで出版される。 1555年 - 『化粧品とジャム論』の初版を刊行する。 1555年5月4日 – 『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』の初版を刊行する。 1555年8月 - 国王アンリ2世と王妃カトリーヌ・ド・メディシス(未作成)に謁見。 1556年頃 - 次男シャルル・ド・ノートルダム誕生。 1556年 - アントワーヌ・クイヤールが『ル・パヴィヨン・レ・ロリ殿の予言集』を刊行する。これは『予言集』のパロディであり、最初の風刺文書である。 1557年 - 『ガレノスの釈義(未作成)』初版を刊行する(翌年には再版される) 1557年 - 『化粧品とジャム論』がアントウェルペンでも再版される。 1557年9月6日 - 『予言集』の増補版を刊行する。 1557年11月3日 - 三男アンドレ・ド・ノートルダム誕生。 1557年11月3日 - 『予言集』増補版の粗雑なコピーが刊行される。 1557年頃 - 『ミシェル・ノストラダムス師により作成されたフランスの占筮と雑記』が刊行される。イタリア語訳された暦であり、ノストラダムスの著書の中で現存最古のイタリア語版である。 1557年 - 『ノストラダムスに対するエルキュール・ル・フランソワ殿の最初の反論』が刊行される。この頃からノストラダムスを非難する文書が複数刊行される。 1558年 - 『予言集』の完全版が出されたという説もある。少なくとも、「アンリ2世への手紙」の奥付は1558年6月27日になっている。 1558年 - 『エルキュール・ル・フランソワ殿の最初の反論』が再版される(タイトルが「モンストラダムスに対する」になる)。同じ年にジャン・ド・ラ・ダグニエール(未作成)、ローラン・ヴィデルらも中傷文書を刊行した。 1559年 - 英訳版の暦書などが刊行される。初の英訳版。 1559年 - 『健康のために有益な一論文』がロンドンで刊行される。ノストラダムスの著作におけるこの文献の位置づけについては、真贋も含めて確定しているとはいいがたい。 1559年7月10日 - アンリ2世が没する。ノストラダムスはこれを予言していたとされるが、彼の生前に喧伝されていた詩(百詩篇第3巻55番)は、現在結び付けられている詩(百詩篇第1巻35番)とは別の詩である。 1559年12月15日 - 次女アンヌ・ド・ノートルダム誕生。 1560年 - ピエール・ド・ロンサール(未作成)が『ギヨーム・デ・ゾーテルへのエレジー』においてノストラダムスの名を詩に織り込む。 1560年 - ウィリアム・フルクが 『反占筮』 を刊行した。ノストラダムス批判を含む英語圏で刊行された文書。 1561年 - 夏ごろ、ジャン・ド・シュヴィニー(のちのジャン=エメ・ド・シャヴィニー)を秘書として雇う。 1561年 – 三女ディアーヌ・ド・ノートルダム誕生。 1561年 - 『ペストと悪疫からおこる全ての熱病に対する治療法を含む極めて有益な治癒策』がパリで刊行されたという。現存しないため、内容の推定には諸説ある。 1561年頃 - パリで『予言集』の海賊版が刊行される。この版を刊行した業者バルブ・ルニョーは、前後する時期に、暦書の偽版2種類と海賊版と思しき版1種類も刊行している。 1563年頃 - この頃から「ミシェル・ド・ノストラダムス」と名乗る偽者が著作を発表し始める 1564年10月17日 - フランス全土を巡幸していた国王シャルル9世(未作成)と母后カトリーヌ・ド・メディシスがサロンを訪れ、ノストラダムスと会見。ノストラダムスはアルルで、「常任侍医兼顧問」の称号を受けたとされる。 1566年 - 『王太后への書簡』を刊行する。 1566年 - オランダ語訳版の暦書が刊行される。初の、そして唯一のオランダ語訳された暦書だが、偽版である。 1566年6月17日 - 公証人を呼んで遺言書を口述(6月30日に遺言補足書口述作成)。 1566年7月1日 - 秘書シュヴィニー(シャヴィニー)がノストラダムスの就寝前に最期の言葉を交わしたとされる。 1566年7月2日未明 - 長男セザールによってノストラダムスの死が確認される。 没後の関連年表 1568年 - 現存最古の『予言集』完全版が刊行される。 1570年頃 - この頃から偽者アントワーヌ・クレスパン・ノストラダムスが著作を発表し始める。 1572年 - ドイツ語訳版の『化粧品とジャム論』が刊行される。この版は1573年と1589年にも再版された。 1589年 - シャヴィニーが手稿『ミシェル・ド・ノートルダム師の散文体の予兆集成』を作成。公刊されることはなかったが、これにより、暦書類の内容がかなりの程度保存された。 1590年 - アントウェルペンで『予言集』が出版される。フランス以外で刊行された初めての版(対訳等はなし)だが、手がけた業者の実在が確認されていないため、本当にアントウェルペンで刊行されたという裏付けはない。 1594年 - シャヴィニーが『フランスのヤヌスの第一の顔』を出版する。これは、ノストラダムス予言の最初の解釈本に当たる。また、冒頭の伝記は最初の伝記といえるが、誤りが少なくない。 1605年 - 1605年版『予言集』が刊行される。「予兆集」「六行詩集」が初めて組み込まれた版。 1614年 - 長男セザールが『プロヴァンスの歴史と年代記(未作成)』を出版する。父ノストラダムスにも言及しており伝記的証言として重要だが、明らかな粉飾も含む。 1649年頃 - フロンドの乱の影響で、ジュール・マザランを貶めるための偽の詩篇を加えた偽「1568年リヨン版」『予言集』が刊行される。この時期は、ノストラダムスを主題とするマザリナードも多く刊行された。 1656年 - 匿名の解釈書『ミシェル・ノストラダムス師の真正なる四行詩集の解明』が刊行された。フロランヴィルの領主とのエピソードなど、のちに多くの論者によって引き写されることになる伝説などが収録されている。 1672年 - テオフィル・ド・ガランシエールによる英訳と解釈が収録された『予言集』が出版される。『予言集』のなかで現存最古の翻訳された版。 1724年 - 匿名の論文 「ミシェル・ノストラダムスの人物と著作に関する批判的書簡」が公表される。予言詩を歴史的文脈において検討した先駆的な例。 1789年 - フランス革命が始まる。それから15年ほどの間に10種以上の『予言集』の版と夥しい数の関連パンフレットが刊行された。なお、『予言集』の中には10篇ほどの詩をナポレオンなどと関連付けた偽の詩に差し替えた版もあった。 1791年 - ノストラダムスの墓が荒らされる。その後、遺体はサロン市のサン=ローラン教会(未作成)の聖処女礼拝堂に安置し直された。 1813年7月 - 新たな墓所に墓銘碑が飾られる。現存する墓銘碑はこの時のものである。 1859年 - サン=レミに現存する「ノストラダムスの泉(未作成)」が作られる。 1923年 - カミーユ・フラマリオンの『此世は如何にして終わるか』が刊行された。日本での最初のノストラダムスの紹介とされている。 1939年 - 第二次世界大戦。ナチスは自陣営に都合のよい解釈を載せたパンフレットを各国語に訳して配布した。また、フランス占領時に、いくつかの解釈書を発禁処分にしたという(*1)。このほか、特にアメリカでは、ノストラダムス関連書の刊行点数が増えた。 1966年12月 - パリのオークションに『1562年向けの暦書』の異本の手稿が現れる(暦書類で存在が知られている唯一の手稿)。現在の所有者は未詳である。 1967年 - フランス国立図書館(未作成)で手稿『オルス・アポロ』が発見される。 1973年11月 - 五島勉の『ノストラダムスの大予言』が刊行される。刊行から3か月余りで公称100万部を突破するベストセラーとなり、日本における最初のノストラダムスブームが起きる。 1980年 - フランスでジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌが『歴史家にして予言者ノストラダムス』を刊行する。フランスでベストセラーになり、他国語版も相次いで出版された(ほとんど話題にならなかったものの、日本語版も存在した)。 1982年 - ウィーン(未作成)のオーストリア国立図書館で『予言集』初版が発見される。初版本は1931年6月17日のオークションで現れたのを最後に所在不明となっていた。 1983年 - アルビ市立図書館でも『予言集』初版が発見される。 1983年 - フランスでノストラダムス協会が創設される。 1991年 - 日本では湾岸戦争にあわせ、ノストラダムス関連書が急増し、その年のベストセラーランキングに登場するものも出た。 1992年 - サロン市にノストラダムス記念館(未作成)が開設される(設立当初は私設だったが、1997年からは公立博物館となっている)。 1996年 - オランダのユトレヒト大学図書館で1557年9月6日版の『予言集』が確認される(2014年現在で現存はこの一例のみである)。 1999年 - 日本ではノストラダムス関連書が急増し、関連商品なども(単なるジョークも含め)多く発売された。ただし、1999年を境に日本のノストラダムス関連書はほぼゼロと言ってよい水準に落ち込む(2001年を除く)。これは、アメリカ、フランス、ドイツなどと比べて落差が最も顕著である。 2001年 - アメリカ同時多発テロ事件。アメリカ、フランス、日本などでこれに便乗した解釈本が何冊も出された。また、インターネット上でノストラダムスの詩と称する偽物が出回った。 2003年 - ノストラダムスの生誕500周年。サロン=ド=プロヴァンスでは記念の展覧会が開催された。これに合わせて、サロン市の市長が序文を寄せる形でカタログが出版された。 2010年 - パリのオークションに、1931年以来行方不明となっていた初版本とともに、ニコラ・ビュフェ未亡人版『予言集』が出品される。ビュフェ未亡人の版は、従来まったく存在を知られていなかっただけでなく、想定もされていなかった。 2012年 - マヤ暦にかこつけた終末論の期限とされていた年であり、この年までは、それに便乗した日本のコンビニ本のたぐいでも、ノストラダムスに言及するものが多くあった。また、余談だが、当「大事典」の管理者にとっての初の著書 『検証 予言はどこまで当たるのか』(共著) が刊行された。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/gods/pages/98549.html
アグネスマリアフォンアンデクスメラニーン(アグネス=マリア・フォン・アンデクス=メラニーン) アニェスドメラニーの別名。
https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/1024.html
『21ノストラダムス NO5』は2007年に発売された池田邦吉の著書。 2003年から発刊された『21ノストラダムス』シリーズの第5巻で、事実上の最終巻になっている。 【画像】カバー表紙 内容 かつて池田は、『ノストラダムスの預言書解読』シリーズで1999年9月27日にベスビオ山が噴火するという解釈を展開していた。 『21ノストラダムス』シリーズでは順次解釈を修正していく中で、正しい噴火の日を2007年9月27日と確定した。この第5巻は予定日直前(初版発行日は2007年9月15日)に、9月27日の出来事に絞ってその日を予言したという150篇以上の詩の解釈を展開するものとなっている。 後半は「資料編」と題して、新しくとりあげた詩篇の原文対訳のページになっている。 コメント 言うまでもなくベスビオ山では2007年にはもちろん、2021年現在でも特に大規模な活動は見られない。 本文の最後では9月27日以降を予言した詩も相当数に上ることに触れ、「以下次号」としていた。 しかし、結局「次号」が出ることのないまま、池田はノストラダムス解釈からの撤退を表明してしまったので、事実上の最終巻になっている。 なお、イオン・アルゲイン (稲生雅之) の著書 『聖書の暗号は読まれるのを待っている』(2010年)では、池田の解釈が支持されている。 その際、池田の解釈を軌道修正し、2007年には噴火しなかったが、2014年ごろが要注意だと主張されていた(*1)。 ただし、これもまた実現しなかった。 【画像】 『聖書の暗号は読まれるのを待っている』 書誌 書名 21ノストラダムス NO5 著者 池田邦吉 版元 明窓出版 出版日 2007年9月16日 外国人研究者向けの暫定的な仏語訳書誌(Bibliographie provisoire) Titre 21 Nostradamus NO5 Auteur IKEDA Kuniyoshi Publication Meisou Shuppan Lieu Tokyo, Japon Date le 16 septembre 2007 Note Examen des quatrains I-91, II-30, II-40, II-88, II-91, III-34, II-93, IV-85, VII-29, VIII-16, VIII-30, IX-7, IX-17, IX-32, X-19, X-25, X-93 etc.(plus de 150 quatrains) ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
https://w.atwiki.jp/gods/pages/120147.html
アグネスフォンホーエンシュタウフェン(2)(アグネス・フォン・ホーエンシュタウフェン) 神聖ローマ帝国のライン宮中伯の系譜に登場する人物。 関連: コンラート(15) (父) イルミンガルトフォンヘンネベルク (イルミンガルト・フォン・ヘンネベルク、母) ハインリヒゴセイ(6) (ハインリヒ5世、夫) ハインリヒロクセイ(6) (ハインリヒ6世、息子) イルムガルトフォンプファルツ (イルムガルト・フォン・プファルツ、娘) アグネスフォンブラウンシュヴァイク (アグネス・フォン・ブラウンシュヴァイク、娘)
https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/1079.html
『ノストラダムス ― 予言の真実』は、エルヴェ・ドレヴィヨンとピエール・ラグランジュの著書『ノストラダムス 永遠回帰』の日本語訳版。2004年に創元社の「知の再発見」双書の第118番として出版された。伊藤進監修、後藤淳一(未作成)訳。 【図版】カバー表紙 内容 原書の記事を参照のこと。 日本語版は図版の省略などもほとんどなく、レイアウトなども含めてかなり忠実に訳されている(ちなみに、クルト・アルガイヤーの『1987年――悪魔のシナリオ』など、いくつか日本語文献の写真が載っているが、これは差し替えではなく原書のままである)。 さらに、付録には監修者伊藤進による小論「人文主義者ノストラダムス」が加えられ、巻末には日本語版独自の簡潔な読書案内(日本語文献対象)まで付いている。 コメント 日本で海外のノストラダムス現象について俯瞰できる文献は、高田勇「ノストラダムス物語の生成」(『ノストラダムスとルネサンス』所収)などの稀有な例外を除けば、ないに等しかった。 この文献は解釈史や政治利用の例、学術研究の動向など、従来の日本語文献では余り詳しく知ることが出来なかった領域を手際よく知ることが出来る点で、非常に有益である。 コンパクトな著書ではあるが、21世紀に出版された日本語による関連書の中では最重要のものの一つと言えるだろう。 また図版が豊富で、それらを見ているだけでも楽しめるだろう。なお、図版については、その出典が小活字体で巻末に全て訳出されていることの重要性を強調しておきたい。有名な図版の中には、多くの関連書に転載されているものの、オリジナルがどこに所蔵されているのかあまり知られていないものも少なくない。本書の出典一覧はそうした情報を補完する貴重な貢献である。 書誌 書名 ノストラダムス ― 予言の真実 著者 エルヴェ・ドレヴィヨン、ピエール・ラグランジュ 監修者 伊藤進 訳者 後藤淳一 版元 創元社 出版日 2004年9月20日 外国人研究者向けの暫定的な仏語訳書誌(Bibliographie provisoire) Titre Nostradamus - Yogen no shinjitu (trad./ Nostradamus - la vérité des Prophéties.) Auteur Hervé Drévillon, Pierre Lagrange Directeur ITÔ Susumu Traducteur GOTÔ Jun'ichi Publication Sôgensha Lieu Tokyo, Japon Date le 20 septembre 2004 Note Traduction en japonais du livre de Drévillon Lagrange, Nostradamus L'éternel retour, Gallimard, 2003 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/gods/pages/118662.html
アグネスフォンホーエンローエランゲンブルク(アグネス・フォン・ホーエンローエ=ランゲンブルク) マリーアグネスヘンリエッテの別名。
https://w.atwiki.jp/gods/pages/113396.html
シャルロッテアグネスフォンザクセンアルテンブルク(シャルロッテ・アグネス・フォン・ザクセン=アルテンブルク) プロイセン王の系譜に登場する人物。 関連: エルンストニセイ (エルンスト2世、父) アーデルハイトツーシャウムブルクリッペ(2) (アーデルハイト・ツー・シャウムブルク=リッペ、母) ジギスムントフォンプロイセン (ジギスムント・フォン・プロイセン、夫) バルバラフォンプロイセン (バルバラ・フォン・プロイセン、娘) アルフレートフォンプロイセン (アルフレート・フォン・プロイセン、息子) 別名: シャルロッテアグネスエルネスティーネアウグステバティルディスマリーテレーゼアドルフィーネ (シャルロッテ・アグネス・エルネスティーネ・アウグステ・バティルディス・マリー・テレーゼ・アドルフィーネ)
https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/1291.html
『ノストラダムス予言全書 ― ノストラダムス百科全書パート2』は、日本語訳されたピーター・ラメジャラーの著書。1998年に東洋書林から出版された。田口孝夫(未作成)・目羅公和(未作成)共訳。 【画像】『ノストラダムス予言全書』カバー表紙(クリックするとAmazonのページに飛びます) 内容 1997年に出版されたThe Nostradamus Encyclopediaの忠実な翻訳である。ただし、本書に収録されているのは、そのうち第3部と第5部のみである。残りの部分はパート1と位置付けられた『ノストラダムス百科全書』で訳されている。 予言解釈、予言の原文、用語集など、『予言集』原典とその解釈のための要素が多く収録されている。 コメント 特筆すべきは予言の原文がそのまま収録されていることである(六行詩45番は1行目が脱落しているが、これは原書の時点で見られる誤植で、日本語版の落ち度ではない)。 その代わりに日本語訳が収録されていないが、従来、『ノストラダムス大予言原典・諸世紀』の不正確な原文しか見ることができなかった日本人読者にとっては、比較的信頼性が高い原文(1997年時点では最良の原文とすら言えた)をまとめて見られる貴重な機会を得られた意義の方が、遙かに大きいはずであろう。 第一序文(セザールへの手紙)、予兆詩集、六行詩集に至っては、日本で原文が紹介されたのはこれが初めてのことであった(数篇程度の断片的な紹介を除く)。訳者たちの大英断は高く評価されてしかるべきだろう。 すでに現在の原文研究は、この『ノストラダムス予言全書』のレベルを大きく超えており、ラメジャラー自身も後の著書では底本の変更や校訂の修正をしている。しかし、日本語文献で見られるフランス語原文に限れば、いまなおこれが最良のものである。 ただし、紙幅の都合からか「用語索引」が省かれたことだけは、ノストラダムス語彙の検討という観点から残念だったといわざるをえない。 なお、収録されている信奉者的な予言解釈の内容は、ラメジャラー自身がすでに放棄しているものであり、現在となっては検討する価値の乏しいものである。 書誌 書名 ノストラダムス予言全書 副題 ノストラダムス百科全書パート2 著者 ピーター・ラメジャラー 訳者 田口孝男、目羅公和 版元 東洋書林 出版日 1998年12月25日 外国人研究者向けの暫定的な仏語訳書誌(Bibliographie provisoire) Titre Nostradamus Yogenzensho (trad./ l'Encyclopédie des Prophéties de Nostradamus ) Sous-titre Nostradamus Hyakkazensho Part 2. (trad./ l'Encyclopédie de Nostradamus 2) Auteur Peter Lemesurier Traducteur TAGUCHI Takao, MERA Kimikazu Publication Tôyôshorin Lieu Tokyo Date le 25 décembre 1998 Note Traduction abrégée en japonais du livre de P. Lemesurier, The Nostradamus Encyclopedia, London, 1997 (i.e. Part 3 5). Voir aussi ノストラダムス百科全書 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/2385.html
ノストラダムスの誕生日は1503年12月14日(木曜日)とされている。これはほぼ定説化した日付だが、2006年にパトリス・ギナールが1503年12月21日とする新説を発表した。本項目では、ノストラダムスの誕生日に関する記録、それに対するギナールの反証、当「大事典」としての雑感をまとめておく。 誕生日に関する記録 ノストラダムス一族には、地元の洗礼記録の存在などによって生年月日が絞り込める例が少なくない。しかし、ノストラダムスが生まれたサン=レミ=ド=プロヴァンスの場合、1518年以降のものしか残されていないため、ノストラダムスの直接的な出生記録は存在しない(*1)。 ノストラダムスの誕生日についての同時代的な言及は 本人の個人的な手紙 元秘書ジャン=エメ・ド・シャヴィニーの伝記(1594年) 長男セザール・ド・ノートルダムの注記(1614年) の3点である。また、命日が1566年7月2日であることに異論はないので、墓碑に記載された存命期間から逆算することも出来る。これらを順に見ていこう。 ノストラダムスの私信 ノストラダムスの私信のうち、1565年12月12日にハンス・ロベットに宛てた書簡では、その日付を「私の誕生日の2日前」と述べている(*2)。 XII. Decembris, die autem ante natalem meum secunda.(*3) ジャン・デュペーブやピエール・ブランダムールはこの記述をノストラダムスの誕生日の根拠と見なしている(*4)。 シャヴィニーの伝記 シャヴィニーの『フランスのヤヌスの第一の顔』(1594年)に収録された伝記には、出だしの部分に以下の記述がある。 MICHEL DE NOSTREDAME le plus renommé fameux qu ait esté de longs siecles en la predicion qui se tire de la cognoissance, iugement des Astres, nasquit en la ville de Sainct Remy en Prouence l an de grace 1503. vn Ieudy 14. Decembre, enuiron les 12. heures de midy. 星辰の知識と判断によって遠い未来まで予言した最も有名な人物、ミシェル・ド・ノートルダムは、サン・レミ・アン・プロヴァンスにて、1503年12月14日木曜日の昼の12時頃に生まれた。 誕生日だけでなく時刻まで示している点に特色があるが、情報の出所は明記されていない。 セザールの言及 息子セザールの『プロヴァンスの歴史と年代記』(1614年)の本文には、こういう記述がある。 ...Michel de Nostredame nasquit à la ville de Sainct Remy presques sur les abbois de l an de Iaques, de Renee de Sainct Remy... ほとんど年末の時期にサン=レミの町で、ジャックとルネ・ド・サン=レミの間に、ミシェル・ド・ノートルダムが生まれた。(*5) また、その欄外註には 1503年12月14日/著者の父ミシェル・ド・ノートルダム誕生。 とある。 墓碑の記載 ノストラダムスの墓にはその生涯が「62年6か月17日」と書かれている。命日が1566年7月2日であることに異説はないため、そこから逆算すれば、ほぼ1503年12月14日が導かれる。 ギナールの反論 パトリス・ギナールはノストラダムスの誕生日を1503年12月21日とし、従来の定説に疑問を投げかけた。彼の根拠を見ておこう。 ノストラダムスの私信について ギナールはノストラダムスの私信に偽作の疑いを掛けている。 この手紙はノストラダムスの書簡集(BN ms. Lat. 8592)には含まれておらず、1701年に C. L. ミーク (C. L. Mieg) が公表したものであることに疑いの目を向けているのである。この立場に立つ場合、書簡に「誕生日の2日前」と書かれているのはノストラダムス自身の証言ではなく、後の時代に定説化した誕生日を元に捏造されたものとなる。 シャヴィニーについて ギナールは12月14日説を打ち出した張本人をシャヴィニーと見なしている。 その動機に関しては、一つの可能性として占星術的理由を挙げている。というのは、ユリウス暦12月14日は、学者や占星術師の守護星とされた水星が磨羯宮で太陽と合になっているのに対し、12月21日には特筆すべき星位が見られなかったから、というのである。 なお、ノストラダムスの誕生日の星位については、京都情報大学院大学教授の作花一志が以下のように述べている。 望遠鏡で発見された天王星以遠を除いて、水星から土星までの六惑星が最も直線状に並ぶのは一五〇三年の年末ごろに起こっています。図2・20 〔引用者注・ここでは割愛〕 は六惑星が全体としてよくまとまる一五〇三年一二月二四日(グレゴリオ暦値)の惑星配置で、〔中略〕 金星がやや外れているのが気になるかもしれませんが、これが六〇〇〇年間で最良の日なのです。〔中略〕 この日に生まれた有名人としては大予言者ノストラダムス、その誕生日は一二月一四日です。ただしこれは当時使われていたユリウス暦の値で、グレゴリオ暦に換算すると一二月二四日です。〔中略〕 みんな天動説を信じていたので、この夜空を見ても火星・木星・土星の集いとしか思えなかったでしょう。(*6) 【画像】 作花 『天変の解読者たち』カバー ただし、上の引用では略したが、作花はノストラダムスがこの日に生まれたことに特段の意義を認めていない。作花も指摘するように、同じ日に生まれた人物は他にいくらでもいたはずである。 セザールについて ギナールは、セザールの証言では「年末」を重視している。12月14日は年末にならないが、12月21日(ユリウス暦)生まれなら、10日程度ずれるグレゴリオ暦では実際に年末になるからである。 欄外注については、12月14日という日付はエクス高等法院の記述とノストラダムスの誕生とにはさまれており、前者の日付ではないかとした。確かに上で訳出したように、「この日」というような分かりやすい限定語は、ノストラダムスの誕生に関する記述には入っていない。 また、ギナールは別の可能性として、セザールが知人ピエール・オジエに宛てた手紙の中で、削除や変更、入れ替えなどをやらかす出版業者に対する不満を表明していることと結び付けている。すなわち、セザール自身が加えた情報ではなく、業者が勝手に挿入したのではないかということである。 墓碑について ノストラダムスの墓の記事で述べたように、古い墓碑の記録には「62年6か月17日」になっているもののほか、「62年6か月10日」になっているものがあり、セザールは後者を採っている。 そして、1656年の解釈書、テオフィル・ド・ガランシエール、バルタザール・ギノー、ピエール=ジョゼフ・ド・エーツらもそれを踏襲しており、1664年には歴史家オノレ・ブーシュ (Honoré Bouche) もそのように転記している。 このことから、62年6か月10日の生涯が正しいと見なせば、その誕生日は12月21日とすべきだというのである。 もちろん、命日の方を動かして6月24日ごろとすることもできなくはないが、遺言補足書が6月30日付となっていることと矛盾するとして、ギナールは退けている。 コメント ギナールの論は今のところ追随している論者が見られないようだが、思いつきの域を遥かに超える細かな論証がなされている。そこで、以下に疑問を述べておこう。 ノストラダムスの私信について 12月12日付の書簡について、デュペーブやブランダムールは本物と見なしており、書簡集に含まれていないということが直ちに偽作といえるかは疑問である。書簡集には翌日付のよく似た文面の手紙が含まれているが、ノストラダムスが似たような文書を複数したためることがあった点はいくつかの真正文書から明らかになっており、これも不思議な点ではない。 ただし、その12月13日付では「誕生日の前日」というようなくだりは無いようなので、その点の不整合は気になる。 シャヴィニーについて もしも「62年6か月17日」が偽造されたものなら、その犯人として疑われるのは確かにシャヴィニーだろう。そして、占星術的理由ならば確かに可能性はある。 ただし、それならばシャヴィニーがその日について積極的な意味づけをした言及があってしかるべきだろうが、ギナールもそのような証言は挙げていない。この点は、シャヴィニーを犯人とする可能性に疑いを投げかける。 セザールについて 最も問題となるのがこれであろう。確かに「年末」という表現は日付単位で見れば、12月14日にはふさわしくない。しかし、原文には presques (ほとんど)とあり、年末と完全に限定しているわけではない。 そして、欄外注についてだが、確かに日付とノストラダムスの誕生に触れた記述は改行されている。しかし、そのスタイルは命日についても同様なのである。 【画像】『プロヴァンスの歴史と年代記』誕生日に関する欄外注(左)と命日に関する欄外注(右) また、セザールの私信で、出版業者に不満を述べているのは興味深いが、それならば本文で引用された墓碑の文面で「XVII」(17)を「X」(10)と誤植するくらいの誤りは普通にありえたのではないだろうか。本文は(碑文はフランス語ではなくラテン語だというのに)セザールの意図通り正確に記載する一方、欄外注では全くの独自の注を丸々、業者が挿入したという想定は、(否定できるものではないが)本文を誤る可能性に比べて一方的に可能性が高いと見なせるものではないだろう。 墓碑について ギナールの仮説にはロベール・ブナズラも疑問を述べたらしい。ブナズラが挙げたのは、ラ・クロワ・デュ・メーヌの書誌(1584年)の中で「62年6か月17日」とされていることである。この証言はシャヴィニー(1594年)よりも10年早い。 これに対してギナールは、材質やサイズなどの証言を含んでいないことから、実見したものではなく伝聞に基づいているのではないかとした。 確かにその可能性もあるだろう。しかし、では誰からそのような「誤った」情報を聞いたというのだろうか。仮にシャヴィニーだとすれば、それを妄信したのは何故なのか、やや苦しいことは否めないだろう。 また、17世紀以降の多くの証言と矛盾するとしているが、サイズなどに言及している歴史家ブーシュの証言にしても、セザールの『プロヴァンスの歴史と年代記』の中に墓碑のサイズや材質への言及があるのだから、これを転記した可能性は排除できない。 ゆえに、ラ・クロワ・デュ・メーヌを退けて、17世紀以降の証言を優先する理由にはならない(ギナール自身認めるように、「17日」とする証言も一定程度存在する)。 小括 以上見てくると、ギナールは自説に都合の悪い証言を過小評価しすぎではないのかという印象を禁じえない。もちろん、従来当たり前すぎると思われていたさまざまな証言の中に見られる綻びについての問題提起としては、非常に有益なものであったといえるだろう。しかしながら、現時点ではその結論を積極的に支持できるものではない。 なお、ギナールは命日が7月2日であることを当然の前提にしているが、7月2日は「聖母の訪問の祝日」(Visitation)であった(現代ではこの祝日は5月31日(*7))。ノストラダムスの本来の姓ノートルダムは聖母を意味するので、その命日にはふさわしい日といえるかもしれないが、誕生日には別人の作為を見出すというのに、ここには何の作為も見出さないというのは、片手落ちではないだろうか。 ギナールの場合、遺言補足書に暗号としての特殊な意味づけをしている点は差し引いておくべきだろう。すなわち彼の暗号解読にとっては、命日の方を動かして遺言補足書が偽物であると位置づけるわけにはいかないのである (誤解のないように付け加えておくと、当「大事典」は遺言書や遺言補足書に暗号が含まれているという仮説には否定的だが、それらの本文が全体として本物であろうという点には疑いをさしはさんでいない)。 とりあえず当「大事典」では今のところ、1503年12月14日生まれとする通説を支持し、命日についても通説を支持しておく。今後、さらに誕生日についての確定的な証言が出てくることを期待したい。 なお、この当時の人々の正確な生没年が確定させがたいのは珍しいことではなく、大詩人ピエール・ド・ロンサールの生年は1年ずれる可能性があるし、大文人フランソワ・ラブレーに至っては近年は1483年が有力視されるようになっているとはいえ、1483年か1494年かで長らく争われてきた上、それ以外の年を挙げる論者たちもいた(*8)。 それを考えれば、ノストラダムスの場合、命日については争いがなく、誕生日についてもほぼ確定し、異論があってもわずか1週間の範囲におさまるのだから、実に幸運なことと言えるのではないだろうか。 外部リンク Patrice Guinard, Naissance de Michel de Nostredame le 21 décembre 1503 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/cw3rd-ed/pages/71.html
この武器は「銃弾」を消費しなければ武器攻撃を行えない 攻撃力は「武器の【攻撃力補正】+銃弾の【攻撃力補正】」となる(【力】の数値に依らない) また「拡張パーツ」による強化が可能であり、常に【飛行特効】を得る 【飛行特効】 この武器による「飛行状態」のキャラクターを対象とした武器攻撃は、使用した「銃弾」の【攻撃力補正】を3倍にしてダメージを算出する +《LV1》 《LV1》-使用銃弾LV 1 【マスケット】300G 攻撃力 9 限界攻撃力 20 命中 0 素早さ -2 効果 なし EX 【技量】+3 解説 先込め式の単発銃。銃としては骨董品の域にあり、極めて安価で売られている。 【デリンジャー】700G 攻撃力 13(+【感覚】÷8) 限界攻撃力 24 命中 0 素早さ 0 効果 なし EX 【素早さ】+4 解説 ポケットに収まる程度の小型の拳銃。 【ハンティングライフル】1000G 攻撃力 17(+【技量】÷10) 限界攻撃力 27 命中 0 素早さ -3 効果 なし EX 【命中力】+4 解説 主に狩猟の際に用いる銃。軍用のライフルと比べると安価な分、威力が抑えられている。 【ソードオフショットガン】1100G 攻撃力 15(+【感覚】÷8) 限界攻撃力 25 命中 -2 素早さ +1 効果 この武器による武器攻撃の対象を「2体」、射程を「近接」に変更する EX 上記の効果を「3体」に変更する 解説 銃身を短く切り詰めたショットガン。散弾のバラつきが激しく、近距離での運用を前提としている。 【フレアガン】1500G 攻撃力 8 限界攻撃力 16 命中 0 素早さ 0 効果1 【属性 アクティブ】味方全体の行う攻撃の命中判定の達成値+(【攻撃力補正】÷2)(ラウンド終了まで持続) 効果2 この武器は武器攻撃に使用出来ない EX 【素早さ】+4 解説 発光する筒状の弾を発射する特殊な銃。攻撃用の銃ではない。 【光弾銃】1800G 攻撃力 14(+【知力】÷10) 限界攻撃力 25 命中 -1 素早さ 0 効果 この武器による武器攻撃のダメージを特殊ダメージに変更する EX 【技量】+3 解説 術式によって銃弾を熱エネルギーに変換し、そのまま撃ち出す魔導銃。魔術が一般に浸透したこの世界ではさほど珍しくはない。 +《LV5》 《LV5》-使用銃弾LV 1~2 【ハンドガン】2000G 攻撃力 16(+【感覚】÷8) 限界攻撃力 31 命中 0 素早さ 0 効果 なし EX 【素早さ】+4 解説 片手でも扱える大きさの拳銃。反動と威力もそこそこ。 【ライフル】2300G 攻撃力 23(+【技量】÷10) 限界攻撃力 36 命中 0 素早さ -3 効果 なし EX 【命中力】+4 解説 軍でも制式採用されている銃。あらゆる面での銃器のスタンダード。 【サブマシンガン】2500G 攻撃力 18(+【技量】÷12) 限界攻撃力 32 命中 -5 素早さ 0 効果 攻撃時、追加で「銃弾」を3発消費してダメージロール+1D EX 上記の効果で使用する「銃弾」を2発に変更する 解説 連射性能に優れた小銃。精度が悪く、弾のバラつきが激しい。 【ショットガン】2700G 攻撃力 22 限界攻撃力 36 命中 0 素早さ 0 効果 この武器による武器攻撃の対象を「2体」に変更する EX 上記の効果を「3体」に変更する 解説 散弾銃。弾丸が広範囲に散らばり、複数の相手をまとめて攻撃出来る。 【スティムピストル】2800G 攻撃力 18(+【知力】÷8) 限界攻撃力 34 命中 0 素早さ -1 効果 「カテゴリ 回復」この武器による武器攻撃は、対象にダメージを与える代わりに同じ値だけ対象の【HP】を回復する EX この武器による武器攻撃のダメージロール+2D 解説 治療薬を入れた無針アンプルを射出する緊急治療兵器。特務部隊の隊員が用いたのが発祥。 【オフハンドモデル】3100G 攻撃力 14(+【感覚】÷8) 限界攻撃力 31 命中 0 素早さ 0 効果 「制限 二挺持ち」この武器と同時に装備している武器の【攻撃力補正】+3 EX 【素早さ】+4 解説 二挺の銃を同時に扱う事を前提に調整が施されたハンドガン。 +《LV10》 《LV10》-使用銃弾LV 1~3 【リボルバー】3400G 攻撃力 20(+【感覚】÷8) 限界攻撃力 38 命中 0 素早さ 0 効果 なし EX 【素早さ】+4 解説 古きよき回転式弾倉の拳銃。やや口径が大きいモデル。 【アサルトライフル】3600G 攻撃力 24(+【技量】÷10) 限界攻撃力 42 命中 -3 素早さ -3 効果 攻撃時、追加で「銃弾」を4発消費してダメージロール+2D EX 上記の効果で使用する「銃弾」を3発に変更する 解説 連射可能なライフル。扱いには慣れが必要だが、愛用者も多い。 【ダブルバレル】3700G 攻撃力 23 限界攻撃力 40 命中 0 素早さ 0 効果1 この武器による武器攻撃の対象を「2体」に変更する 効果2 攻撃時、追加で「銃弾」を1発消費してダメージロール+1D EX 「効果1」を「3体」に変更する 解説 2本の銃身が水平に取り付けられ、同時発射が可能になったショットガン。 【スナイパーライフル】4000G 攻撃力 27(+【技量】÷10) 限界攻撃力 46 命中 +5 素早さ -5 効果 装備者は【素早さ】に拘わらず最後に行動する EX この武器による【後衛】のキャラクターを対象とする武器攻撃の命中判定+1D 解説 遠距離狙撃用の長銃。精度の高い狙撃が可能。 【ハンドカルバリン】4100G 攻撃力 30(+【技量】÷10) 限界攻撃力 50 命中 0 素早さ -5 効果 この武器はラウンド中1回のみ使用可能 EX 【攻撃力補正】+1 解説 「個人携行用の大砲」を謳い文句とした大口径の単発銃。強度確保のため、古めかしい構造。 【テルミットガン】4300G 攻撃力 27(+【技量】÷10) 限界攻撃力 44 命中 -2 素早さ -3 効果 この武器による武器攻撃の対象が、他のキャラクターによって召喚・設置されたか、キャラクター以外の場合、命中時にダメージの有無に拘わらず即座に対象を破壊する EX 【耐久】+3 解説 壁等の構造物を破壊し、侵入経路を確保するための特殊兵装。 +《LV15》 《LV15》-使用銃弾LV 2~EX 【マグナム】4500G 攻撃力 26(+【感覚】÷8) 限界攻撃力 47 命中 0 素早さ 0 効果 なし EX 使用する「銃弾」の【攻撃力補正】+1 解説 大口径の弾丸を発射する大型拳銃。 【アンチマテリアルライフル】5000G 攻撃力 32(+【技量】÷10) 限界攻撃力 54 命中 0 素早さ -5 効果 なし EX 【技量】+3 解説 対物用ライフル。本来は生物に向けて使用するものではない。 【ガトリング】5200G 攻撃力 28(+【技量】÷10) 限界攻撃力 49 命中 0 素早さ -7 効果1 装備者は【素早さ】に拘わらず最後に行動する 効果2 攻撃時、追加で「銃弾」を5発消費してダメージロール+2D・攻撃対象数+1 EX 上記の効果で使用する「銃弾」を4発に変更する 解説 大型の機関銃を辛うじて携行可能にしたもの。制圧力は高い。 【バズーカ】6000G 攻撃力 34 限界攻撃力 54 命中 0 素早さ -5 効果1 装備者は【素早さ】に拘わらず最後に行動する 効果2 攻撃時、「銃弾」ではなく「砲弾」を消費 EX 【攻撃力補正】+2 解説 着弾時に爆発する砲弾を発射する武器。銃に分類して良いのかちょっと疑わしい。 【ワンオブサウザンド】6700G 攻撃力 29(+【感覚】÷8) 限界攻撃力 50 命中 +1 素早さ 0 効果 装備者が《カルマ ザミュエルの加護》を取得している場合、【限界攻撃力】を「なし」に変更する EX 【命中力】+4 解説 大量生産品の中から偶然生まれた、完璧な精度の拳銃。多くの場合、数奇な運命に晒される。 【ロケットランチャー】8000G 攻撃力 50 限界攻撃力 なし 命中 -4 素早さ -4 効果1 この武器による武器攻撃の対象を「5体」に変更する 効果2 この武器による武器攻撃は、可能な限り最大数の対象を選択しなければならない(装備者は対象に含まなくてもよい) 効果3 攻撃時、「銃弾」ではなく「砲弾」を消費 EX 【攻撃力補正】+3 解説 着弾地点に大規模な爆発を起こす兵器。本来は遠距離の目標に使用すべきもので、適当に使うともれなく色々巻き込む。 +《エピック》 《エピック》-使用銃弾LV すべて 【ファントムバレル】13000G 攻撃力 32(+【知力】÷10) 限界攻撃力 なし 命中 0 素早さ 0 効果1 【特殊攻撃力】+5 効果2 攻撃時、追加で「銃弾」を2つ消費してダメージロール+1D 効果3 装備者の装備している「無限の魔弾」の「効果2」を無効化する 解説 三銃身を持つ幻の魔銃。魔弾と対をなす銃でもあり、同時に扱う事で真の姿を顕す。 【白い死神】14000G 攻撃力 36(+【技量】÷10) 限界攻撃力 60 命中 +3 素早さ -2 効果1 「制限 技量≧35」【限界攻撃力】を「なし」に変更する 効果2 クリティカル発生時、ダメージ+3D 解説 見惚れるほどに美しい銃身の真っ白な長銃。その精確無比かつ無慈悲な狙撃に畏怖と憧憬を込めて死神と称される。 【アグネヤストラ】15000G 攻撃力 44 限界攻撃力 なし 命中 0 素早さ -3 効果1 この武器による武器攻撃時、「銃弾」ではなく「砲弾」を消費する 効果2 この武器による武器攻撃で1点でもダメージを与えた場合、対象に【スリップ(5)】を与える 解説 全てを飲み込み灰へと返す凶悪兵器。着弾すればキノコ雲を巻き上げ、被弾した者は身体構造レベルで破壊されるという。