約 5,136,962 件
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/210.html
553. yukikaze 2011/12/25(日) 23 17 59 英国無双はじまるよ。 1943年6月20日。スウェーデンのストックホルムにおいて、二人の男が握手を交わした。 「一別以来ですな。総統閣下」 「実り多き会談になることを信じて疑いませんぞ。首相閣下」 にこやかな表情とは裏腹に、双方とも全く目は笑っていなかった。 それは両国がお互いをどのように思っているのかという事を、如実に示すものであった。 ロイド=ジョージの演説で、直接会談を申し込まれたドイツは、難しい立場に立たされていた。 現在、独英間は休戦条約を結んでいたが、あくまでそれは休戦条約であって、講和条約でも平和条約でもなかった。 要するに、ドイツ側は、ある程度の戦力をドーバー海峡側に振り向けなければならなかったのである。 無論、それは、イギリスに対して憎悪を抱いているヴィシーフランスに対するポーズと牽制でもあったのだが、 それでも独ソ戦をしている状況下では、半ば遊兵化しているこの戦力は、何とかしたいと思うのが本音であった。 そんな中で、英国側から関係改善のボールが投げられたのである。 ドイツ側としては、それこそ状況が打開できる糸口となることから、諸手を挙げて歓迎したいところではあるが 障害もあった。 第一の障害は、枢軸陣営各国が、英国との交渉に難色を示したことであった。 まあ東欧諸国はそれほどやかましくなかったのだが、フランスとイタリアは かなり難色を示すことになった。 まずイタリアについては「我らが占領したギリシャとマルタは絶対に返還しない」ことを くどいほど釘を刺していた。(これはブルガリアも同様) そしてフランスに至っては「ライミーと会談するんだったら、今すぐ東部戦線にいるフランス軍を フランスに戻しますぞ。そして即刻、英本土に上陸し、奴らを徹底的に潰しますからな」と、エライ剣幕で まくしたてた程であった。 もう一つの障害は、英国の自由政府の扱いであった。 英国としては、これ以上の外交評価を下げさせないために、彼ら自由政府の復帰を強く求める事であろう。 ヒトラーとしては、ポーランドとフランスの各自由政府以外については、ドイツに敵対しないという確約を 得られた場合に限り、復帰を認めるつもりではあったのだが、それは各地の傀儡政権や、おひざ元のナチ上層部からの 反発や不満を生じさせることにもなりかねなかった。 しかしながらヒトラーは会談を受け入れることにする。 彼にしてみれば、ここで会談を拒絶した場合、イギリスは間違いなく日本との関係改善をこれまで以上に緊密にするであろうし そうなった場合、独ソ戦でこちらが疲弊しているのを尻目に、彼らだけ国力を回復しかねないのである。 何よりイギリス側は「大西洋大津波の被害回復の為」という大義名分を持ち出してきているのである。 断った場合、いったいどんなレッテルを貼られるか見当もつかないのである。 結局の所、ドイツ側が会談を拒否するという選択肢はなかったのである。 勿論、その為の代償をドイツがまぬがれる訳はなかった。 イタリアには「領土の保持」を確約せねばならず、フランスに対しては「連中から搾り取って それを優先的にフランスに回すし、謝罪もさせるから」と、宥めざるを得なかった。 欧州の盟主と言えども勝手気ままには出来ないのである。 554. yukikaze 2011/12/25(日) 23 36 12 会談で攻めたのはドイツ側であった。 まず彼らは、現在の枢軸諸国が領有している領土をイギリスが認めるよう求め、 更にイギリス側にいる自由政府の否認を要求したのである。 そしてそれに対するイギリス側の回答は、彼らの意表を突いた。 「ドイツ領有か、自由政府による統治かは、その国の民に選ばせればよろしい かつてドイツは国民投票で、幾度となく行ってきたことなので何も問題はあるまい」 ドイツにとっては強烈なカウンターパンチであった。 何しろ、イギリスの言ったことを名目として領土を増やしてきたわけだから、それを 否定することは、これまで自分たちの行った領土拡張の法的根拠を失わせることになるからだ。 思わず口ごもるヒトラーに、ロイド=ジョージはにこやかな笑みでこう続けたという。 「もっとも、混乱の続く現状では、国民投票もなかなか難しいでしょう。取りあえずは 混乱がまだ少ないドイツ東部国境以西において、5年後くらいに行うことではいかがでしょうか? それ以東については、独ソ戦が終結した後に、改めて取り決めると」 イギリス側の言いたいことはこうである。 『お前らが悩んでいるのはポーランドとギリシャだろ。戦争を理由に棚上げしてやる。他の地域についても 5年の猶予は与えたから、その間に割り振りを考えておけ』 ヒトラーは苦々しい表情で受け入れるしかなかった。 ドイツの占領地域をカードにする予定が、カードにならないどころか、トラップになったのである。 だが、彼の苦々しさはこれで終わりにはならなかった。 556. yukikaze 2011/12/26(月) 00 11 58 次に議題となったのは、大西洋大津波による復興問題であった。 そしてそれこそがドイツにとって重要な問題であった。 彼らとしては、津波による被害を受けたとはいえ、今なお強大なイギリスの商船部隊と それらが運んでくる資源は喉から手が出るほど欲しいものであったからだ。 故に、ドイツ側は、復興にかかる資源のリストを作成し、それをイギリスに提示したのである。 このリストを読んだとき、ロイド=ジョージの顔は全く変化がなかった。 実際、そのリストに記された量たるや、「どんだけボッタくるつもりだよ」と、 まともな財政官ならば卒倒する代物であり、提出したヒトラーですら「フランス。少しは自重しろよ」 と、内心溜息をついたほどであった。(ここまでの量になったのは、フランスの要望を全面的に聞いたことが 大きい) そして、リストを一読したロイド=ジョージは、こう切り返した。 「これはドイツ一国の要望でしょうか? それとも枢軸各国の要望でしょうか?」 「後者ですな。何しろ被害を受けたのはわが国だけではないのです」 「と・・・なると、このでたらめな数字を出したのはフランスですな。あの国は相変わらず数字に弱い。 第一次大戦の事でしたが・・・」 と、おもむろに、第一次大戦での思い出話や苦労話を語りだす。ロイド=ジョージ。 そしてその話は何と一時間も続くことになる。それこそヒトラーやその側近たちが アイコンタクトや咳払いなどをして『わかったからやめろや』と、外交的儀礼を 無視した行動をしてもなお続くのだから流石である。 昔話が終わった時には、ロイド=ジョージ以外は、心底疲れた表情を浮かべた所であった。 「まあフランスに対する苦労話はここまでにして、ドイツ側がフランスの被害を調べたうえで 復興にかかる費用を纏めていただきたい。フランス人が算術に弱いことは笑い話で済みますが、 優秀なゲルマン民族が、そういった作業を間違えるとは思いませんからな」 「了解した。ただし、復興の資源についてはきちんと供給していただこう。『復興に協力する』 といった以上、これは国際的公約だ」 「無論です。我が国は貴国との凍結していた通商体制を開放するでしょう。資源についても 貴国を窓口として供給する用意があります」 このセリフで、ヒトラーは少しは気を良くすることになる。 英国との通商復活と、復興資源の供給という、彼の求めていたものが、一応は達成できたからだ。 次のセリフが出るまでは。 「ただし、我が国は現在の所、アメリカによるカナダ侵攻を受けている所であります。我が国は 主権国家として、この暴挙を是正せねばなりません。故に、我が国としては、合衆国がカナダから撤退し 謝罪と賠償を得るまでは、カナダに対する軍事行動を行わなければならない以上、貴国らに不自由をかける 場面もあるかもしれませんが、ご理解をいただきたい」 ヒトラーの顔がみるみる赤くなった。 それはそうだろう。イギリス側は、カナダの一件を理由に欧州への貿易や資源供給をいつでもストップ することができると宣告しているのだ。それこそ第三者が見ても納得できる内容で。 勿論、ヒトラーとしては「そんなこと知るか」と言いたい所ではあるのだが、かといって イギリス側は『かもしれない』としかいっておらず、『不自由をかける』とは一言も言っていないのである。 故に、ヒトラーとしては「そうならないように努力をしていただきたい」と、強く釘をさすことしか出来なかった。 と、そこに、ロイド=ジョージが更なる爆弾発言を行う。 「無論であります。総統閣下。ではその努力として、一つの提案があるのですが?」 「何でしょうかな?」 警戒するヒトラーに、ロイド=ジョージは、凄味のある笑顔で答える。 「義勇艦隊を派遣していただきたい。無論、それにかかる費用は英国が支払います。 貴国にとっても悪い話ではありますまい。戦力になっていない海軍戦力で国益を得られるのですから」 後に、ヒトラーはこの会談を振り返ってこう答えたという。 「悪魔と会談している心境だったよ」
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/320.html
731. yukikaze 2011/10/29(土) 19 11 54 「遺憾の意」シリーズのSSで、半島国家が崩壊した部分があったので そこを引用して・・・ 「一連の海賊行為について、政府として誠に遺憾である。故に我が国は問題の解決に向け、善処するだろう」 この報が全世界に流れたとき、グロスベルリンにある総統官邸の主は、何ら表情を変えることはなかった。 彼にしてみれば既に目的は達成されていたのだ。そうである以上、単なる捨て駒でしかない半島国家の 命運などどうでもよかった。 「案外早かったですな。出来うるならば、「あれ」が配備された時の反応も見たかったのですが」 「『ラグナロク』を望むのか? 私は伍長殿のようにワグネリアンではないのだが」 鼻で笑うドイツ第三帝国三代目総統ハイドリヒに、彼の腹心というべき シェレンベルクはシニカルな笑みを浮かべながら言葉を発する。 「確かに、あの半島に弾道弾を『本当に』配備すれば、引くに引けなくなりますか」 そう。彼らが半島国家に持ちかけた『弾道弾技術の供与』は、全くのプラフであった。 確かに半島内に弾道弾基地が整備されれば、日本に対する軍事的・政治的圧力として かなりの成果を上げるであろうが、同時に核戦争の引き金にもなりかねない代物であった。 だからこそ彼らは『ドイツが半島に弾道弾技術を渡そうとしている』という情報をリークさせ 日本に対して、ドイツが欧州に引きこもっている国家ではないと、アピールをしてのけたのであった。 後は、半島のアホな指導者に甘言を使うことで、根拠のない自信を植え付けさせ 無謀な挑発行為に踏み切らせ、さっさと切り捨てたというわけだ。 「我が国は日本に対し、覇権国としてのメッセージを送り、日本もまた同じく覇権国家として 躾のなっていない馬鹿犬に対しては容赦しない国であることを示した。どちらも損はしていない」 これだから大国のゲームは面白いのだ、そうほくそ笑むハイドリヒに、シェレンベルクは同意する。 そして彼らの間で、半島に対する話題が上ることは二度となかった。 ゲームに参加する資格のない国家なぞ、彼らにとっては、気に留めるだけの価値などないからだ。
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/646.html
309 :yukikaze:2012/01/24(火) 22 48 26 銀鬱世界と新帝国の開戦ってこんなもんかね・・・ 宇宙歴799年。ラインハルト・フォン・ローエングラムは、幼き頃の誓いを守り 宇宙を統一した。既に制度疲労が限界にまでなり衰退をしていた銀河帝国。 そして、無謀なる出兵を強行したことにより自滅していた自由惑星同盟は この野心溢れる若者の前に膝を屈した。 だが、宇宙はこの黄金の獅子が考えるよりなお広大であった。 帝国末期にその存在が確認された、銀河系サジタリアス腕に存在する大帝国。 彼らは銀河の喧騒を余所に、静かに沈黙を保っていた。 もっとも、それは怯えからくる沈黙ではなかった。 何故ならば、彼らは既存の両国家を併せても尚凌駕するほどの圧倒的なまでの力を有していたからだ。 彼らが沈黙を保っていたのは、単に外の厄介ごとなんぞにわざわざ口を挟むだけの 理由もなければ必然性もなかったからだ。 後世の歴史家は言う。 『ラインハルト・フォン・ローエングラムが何もしなければ、彼は銀河を統一した皇帝として 燦然とした栄光を浴び続けていたであろう』と。 だが、銀河の歴史は、彼にそういう評価を与えることはしなかった。 むしろ『短慮なる皇帝』という否定的な評価の方が多い。 それもまた仕方のない事であった。 彼は『銀河の完全なる統一』という野心の大きさと、天才的な戦術能力の自負からくる、 戦略性並びに政治的センスのなさにより、本来なら買う必要性のない争いを引き起こしたのだから・・・ 330 :yukikaze:2012/01/24(火) 23 10 58 (続き) 新帝国歴1年。 誕生して間もない新銀河帝国にとって、大日本帝国という存在は 極めて不気味な存在と言えるものであった。 銀河の騒乱に対して、彼らは常に沈黙を守り続けていた。 友好関係を結んでいた同盟が、悲鳴の如き救援要請を幾度しても、彼らはそれに 答えもしなかった。亡命要請は受け入れてはいたが。 これは彼らが基本的に、帝国と同盟の争いに対して不干渉政策をとっていた事と、 同盟の無茶な出兵を暗に諌めたにもかかわらず、それを無視して強行した挙句大敗し、 更にはその少ない戦力をクーデター騒ぎで消耗させた同盟政府の能力に見切りをつけた事が 大きかったのだが、こうした態度は知らず知らずのうちに、新帝国軍の将官たちに、大日本帝国に対する 軽侮の念を抱かせることになった。 もっとも、彼らとて有能な軍人である。 大日本帝国が、自分達が無理をして作り上げた戦力を、彼らは無理なく整備しているという状況と 自分達よりも進んでいる軍事技術能力を保有しているという事実は、彼らを安易な出兵論に進ませることへの 抑止となっていた。 これはもっとも好戦的と言われたビッテンフェルト提督が「1年ならば存分に暴れてみせる」という発言を したことからも見て取れる。 一方、新帝国の文官達は、大日本帝国に積極的に交流するべきという意見が強かった。 彼らにしてみれば、大日本帝国は新帝国にとって有望な市場であると同時に、立憲君主制国家という ある種理想の政治形態をとっていた。 開明派として名高いリヒターやブラッケは、大日本帝国との国交樹立と人材交流を行うべきであると 閣議で主張する程であった。 こうした動きに、ラインハルトも無関心であったわけではない。 彼自身が、この時点においてどう考えていたかは諸説あるものの、少なくとも交流自体には 否定的ではなく、ブラッケ達の意見に対しても是としている。 しかしながら、ラインハルトはここで一つ過ちを犯す。 彼は同盟領の高等弁務官であるレンネンカンプに対して、「同盟の帝国化」を進めるように指示している。 これは、万が一帝国との間で戦争が起きた場合、現在の国家戦力では比較にならないことから、旧同盟領の 統制を強めることにより、旧同盟領の国力を効率よく新帝国の国力として利用しようと考えていた(これは オーベルシュタインの献策とも言われている)ことによるのだが、軍人としてはともかく、政治家としては 無能に近いレンネンカンプは、この皇帝の勅命を杓子定規に守ってしまい、結果として旧同盟領において 新帝国に対する反発が極限化し、旧同盟領は爆発一歩手前となる。 こうした事態に、ラインハルトはレンネンカンプを見限り、彼を更迭するとともに、政治的センスのあるメックリンガーを 送り込んだのであるが、彼を持ってしても、一度不信感の芽生えた同盟市民を抑えることは難しい有様であった。 345 :yukikaze:2012/01/24(火) 23 35 12 (ラスト) そしてここに更なる油を注ぎこんだのがオーベルシュタインであった。 彼は、旧同盟領の民衆の不満による反乱の連鎖を恐れていたが、 この反乱の連鎖に、同盟最高の智将であるヤン=ウェンリーが結びつくことを尚恐れた。 ヤン自身は、メルカッツ率いる部隊を大日本帝国に亡命させたものの、この時点では 退役生活を楽しんでおり、そうした企てに参加するつもりなどさらさらなかったのだが、 この猜疑心溢れる男にとっては、そういったことなど関係なかった。 もっとも、オーベルシュタインも、メックリンガーが自分の発言にのるとも思っていなかった。 その為、彼は、体のいい手駒であるラングと、新帝国と結びつくことで権力を得ようとしていた 同盟政府の一部を利用して、ヤンの排除を行おうとしたのだが、連携の悪さからメックリンガーの知るところとなり 排除に失敗。ヤンは大日本帝国に亡命することになる。 間が悪いことに、この時、新帝国政府の特使としてエルツハイマーが大日本帝国に来ていたのだが、 彼は大日本帝国政府からヤン亡命について聞かされるとともに、大日本帝国より、新帝国に対する 政治的信頼性のなさを徹底的に追及されることになる。 大日本帝国代表から「貴国には外交的信義という言葉は存在していないのかね?」という嫌味に、エルツハイマー は唇をかみしめたままであった。 こうした政治的失策は、ラインハルトを激怒させることになり、ラングとオーベルシュタインは即日更迭されたのだが、 既に状況は彼ら両名を更迭したところでどうなるものでもなかった。 そして同盟領において、遂に反乱が勃発し、それは連鎖反応的に同盟各所に広がっていった。 無論、新帝国軍もこうした行動を座視することはなく、すぐさま討伐軍を編成するのだが、ここでこれまでの失態に功を焦っていた レンネンカンプが、大日本帝国領に避難しようとする輸送船を追撃する時、大日本帝国領土内に踏み込んでしまう。 この事態に、大日本帝国軍は警告と速やかなる離脱をするよう告げるも、レンネンカンプはそれを無視し、最終的には国境警備隊との本格的交戦 を引き起こしてしまう。 勿論、大日本帝国はこの蛮行に対して朝野共に憤激し、直ちに新帝国に対して謝罪を要求。 だが、新帝国側もここで弱みを見せれば、旧同盟領の反乱勢力を勢いづかせることになるのと、 旧同盟領の反乱勢力を支援しているのは亡命したヤン提督ではないかという疑心暗鬼から、 謝罪を拒絶することになる。 ここに大日本帝国は、従来の不干渉政策を転換する。 新帝国歴2年1月1日。大日本帝国皇帝より『朕。ここに宣戦を布告する』の勅命の元、 大日本帝国の宇宙要塞群が進撃を開始することになる。 世に言う一年戦争の始まりである。
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/527.html
344 :yukikaze:2012/01/07(土) 18 33 34 おかしい・・・ ドイツ海軍の活躍書くつもりだったのに、何で「ロイド=ジョージ無双3」に なってしまったんだろうか・・・ しかし、直に終わらせるはずだったのに、書けば書くほど展開がgdgdになっている と思う。少なくとも1943年8月15日に終戦は迎えられんわ。 駐英アメリカ大使であるジョゼフ=ケネディにとって、現在置かれている状況は 全く持って面白いものではなかった。 彼は、ロングの再選に際して、多額の資金援助を行った褒章として駐英大使に抜擢をされ、 そして第二次大戦における英国の敗北を予見したとして、政府内より称賛を浴びることになった。 以来、彼は第二次大戦休戦後、露骨にすり寄りを見せるイギリス政府に軽侮の念を抱きながらも、 イギリスの足元を見つつ、様々な要求を突き付け、イギリスにおけるアメリカの影響力強化に邁進をしていた。 彼にとってはまさしく得意の絶頂であっただろう。彼はこの実績をもとに、次の選挙において、 主要閣僚に任じられ、そして最終的には自分の息子をホワイトハウスの主にする野望が実現できると確信していたからだ。 しかし、彼のこうした野望は、1942年8月15日を以て終わりになる。 大西洋大津波によって、アメリカの軍事・経済力が多大なダメージを受けたこともさることながら、 彼が一番目をかけていた長男が、大津波の救助の指揮中に事故で犠牲になってしまったからだ。 多くのマスコミが『避難民を助けるべく最後まで奮闘した若い士官』と大々的にキャンペーンをすることで、 ケネディ家の名声は上がったものの、ジョゼフにしてみれば、将来を渇望されていた長男の死はやはり痛いものがあった。 そして、失意の彼に追い打ちをかけるように、祖国は大陸で、フィリピンで、太平洋で日本に対し連戦連敗を続け、 その結果、これまで彼が築いてきたイギリスへの影響力も急落することになっていった。 無論、彼もこうした事態を座視していたわけではなかったのだが、如何せん、強気に出れる後ろ盾であった祖国の軍が連敗し 続けている中では、彼の強気の発言も虚勢でしかなく、これまでの傲慢な態度も災いして、その凋落ぶりに歯止めがかからなくなっていた。 その為、ホワイトハウスではケネディ召還を求める声が日増しに高くなっていった。 もはや彼は英米関係において何の益ももたらさないとして。 追いつめられたケネディが活路を見出したのは、ドイツとの関係強化であった。 彼は戦前からヒトラーに対して好意的な態度をとり続けており、ドイツに対して それなりのパイプも作り上げてはいた。 そしてケネディは、ドイツとの関係を強化することで、英国の孤立を図り、 最終的に英国をすり寄らせることができると進言したのであった。 このケネディの提案は、ホワイトハウスにおいても妥当であると見なされ、 これによりケネディの首はすんでの所でつながったのだが、 それもハワイ沖海戦で太平洋艦隊が消滅したことによって、画餅となることになる。 後に残ったのは、イギリスのアメリカへの不信感だけであった。 そんな彼が未だに駐英大使になっているのは、関係が加速度的に悪化している米英関係において、 駐英大使に手を上げたがる存在がいなかったからに他ならなかった。 誰だって貧乏くじは引きたくないのである。 鬱屈した感情を抱いていたケネディが、イギリスのキューバ侵攻とワスプ撃沈の報を聞いて ダウニング10番街に抗議に出向いたのは、そうした鬱屈を吐き出す最高の場面であると 思ったからかもしれなかった。 345 :yukikaze:2012/01/07(土) 18 36 20 「これはいったいどういう事ですか。首相閣下。ご説明いただきたい」 憎々しげに怒声を浴びせるケネディに、ロイド=ジョージは片眉を上げただけで、 紅茶の香りを楽しんでいた。まるでそこにケネディがいないかのように。 そしてそんな態度に余計にケネディはいら立つ。 「我が国の租借地であるグァンタナモの占領。そしてワスプ撃沈。 これはれっきとした戦争行為に他ならない。我が国としては断固として抗議させてもらう」 「要件はそれだけかね」 うるさいハエが近くを飛んでいるような表情で話すロイド=ジョージ。 ケネディの抗議なんぞ、この銀狐にとっては何の感慨も沸いていないようだ。 むしろその眼からは「こんな下らないことで時間を取らすなよ」と言わんばかりの 軽侮の色さえあった。そんなロイド=ジョージの姿に、ケネディはますますいきり立つ。 「それだけとはどういう事か!! 貴国は我が国に対して何をしたのかわかっているのか!!」 「ほう? では大使閣下に説明していただこうか。我が国が貴国に何をしたのかを?」 全く余裕の表情を隠さないロイド=ジョージに、ケネディは掴み掛りたい衝動を必死に抑えながら言葉を続ける。 「ならばもう一度言おう。我が国の租借地であるグァンタナモを含むキューバ占領。これは我が国に対する戦闘行為である」 「キューバ政府から我が国に支援と保護の要請があるのだがね。アメリカが碌に支援も保護もしないので、我が国に頼むと。 我が国はそれを受け入れたにすぎんよ。あくまで人道的な立場からの行動だがね。それを貴国は戦闘行為というのかね」 実に嘆かわしいという表情をするロイド=ジョージ。 「その証拠はどこにもあるまい!!」 「やれやれ疑い深い事だ。ではこれを見給え」 そういって、ロイド=ジョージは、机の引き出しから一枚の書類をケネディに見せる。 鼻を鳴らしながらそれを読むケネディであったが、読み進めるうちに彼の顔は蒼白になる。 そこには確かに、キューバ大統領の名のもとに、ロイド=ジョージが発言したことが要求されていた 事であったからだ。 ご丁寧なことに、アメリカのグァンタナモの租借条項を一方的に破棄することまでつけて。 「このような宣言など認められるわけがなかろう」 「貴国が認めようと認めまいと、これは我が国とキューバ国という 独立国の間で結ばれた条約。我が国はそれを誠実に守るのみ」 これまでのロイド=ジョージの所業を見ると、どう考えても「(大英帝国の利益には)誠実」 なのだが、幸か不幸か誰も突っ込む人間もいない。 「ならばワスプ撃沈はどうなのだ!!」 「我が国が撃沈したという証拠でもあるのかね」 「大西洋海域に潜水艦を展開できるのは貴国位だろうが!!」 勢い込むケネディに、ロイド=ジョージは「不作法者め」と言わんばかりの視線をしていたが、 溜息をつきながら言葉をつづけた。 「それでは単なる憶測にすぎん。勝手に人のせいにしてもらっては困るね。 大体、大西洋に展開するのならば、他にも国はあるではないか」 「そんな国がどこにあるというのだ」 「貴国だよ。大使殿」 346 :yukikaze:2012/01/07(土) 18 39 01 揶揄しきった声に、一瞬言われた意味が分からずキョトンとするケネディであったが、 意味を理解すると猛然と反論する。 「馬鹿な!! 我が国が自作自演をしたと言うのか!!」 「憶測だけで述べるならばそれもありだろう。そもそも貴国は自作自演が得意ではないか。 メイン号事件しかり。そして満州での一件しかり」 「下らん。実に下らん。我が国にとって何の意味があるのだ」 「意味はあるさ。何しろ貴国は国内の世論が二分されつつあるからな。新たに敵を作ることで、 国内の和平派に「もう和平は無理だ」と思わせる。強硬派がよくやる手ではないか」 実に楽しそうに話すロイド=ジョージに、ケネディは怒りに満ちた顔でにらむも、内心、不安を覚えていたのも 事実であった。政府内の状況に疎くなっていたのが原因であったが、彼はそういった不安を振り払うように、 さらに強硬に問い詰める。 「あくまで貴国は責任を認めないおつもりか」 「勝手に言いがかりをつけられているのに、何で貴国に責任を認めなければならないのかね。 貴国は1942年8月から何も学んではいないのかね」 完璧に馬鹿にしきったロイド=ジョージに、ケネディはとうとう我慢の限界を超えた。 彼は自分が持っている最後のカードを突きつける。 「貴国がこのような破廉恥な態度に終始するというのならば、我が国は貴国に宣戦を布告 するのも辞しませんぞ。これは本国政府の意思でもあります」 ケネディにしてみれば、これでイギリスは慌てふためくと判断していた。 彼がそう思うのも無理はない事で、何しろイギリス側も大軍を北米に派兵できるだけの余力もなく、 そしてそうであるが故に、バンクーバーを占領しても、経済制裁以外のリアクションはなかったからであった。 カナダの安全を守るためならば、戦争など望まない、ケネディはそう判断していた。 だが、内心そうほくそ笑んでいたケネディへのロイド=ジョージの回答は簡潔であった。 「よろしい。では戦おう」 まるでレストランでメニューを頼むかのように、何でもない事のようにロイド=ジョージは告げる。 それとは対照的に、ケネディの顔つきは、信じがたいものを見るかのようなものになっている。 「ご苦労でしたな大使殿。大使殿の外交官特権は今より24時間後に消滅します。さようなら」 そういうと、傍らの衛兵に対して、「大使殿はお帰りだ。丁重に案内して差し上げるよう」というと、 未だ呆然としているケネディを部屋から退出させる。 ややもすると、ドアの向こうから、我に返ったのか、しきりにケネディの声が聞こえてきたのだが、 衛兵は忠実に職務を果たしているのか、徐々に声は遠ざかっていく。 もっとも、ロイド=ジョージは、ケネディなんぞもはや歯牙にもかけてはいなかった。 彼のなすべき仕事は多いのだ。一人の粗野なヤンキーにこれ以上の時間を費やす必要性などもうなかった。 347 :yukikaze:2012/01/07(土) 18 41 10 「全く・・・分家のドラ息子にはろくな人材がいないと見える。もう少し会話で楽しませてほしいものだよ」 すっかり冷めてしまった紅茶に口をつけながら、ロイド=ジョージはひとりごちる。 そんな老宰相の姿に、先ほどまで一言も口を開かなかったイーデン外務大臣が尋ねる。 「しかしよろしいのですか? アメリカと戦争状態になるということは、カナダに対してアメリカ軍が これまで以上に軍を派兵することに繋がりませんが」 イーデンの心配も無理はなかった。 英米が戦争状態になった場合、アメリカが恐れるのはカナダからの航空攻撃であろう。 そしてアメリカはそういった危険性を除去する為に、大規模なカナダ侵攻作戦を発動させる 可能性は無視することはできない。 だが、ロイド=ジョージはそういった心配にうんざりとした声を上げる。 「君。それについてはもう何度も話し合ったはずだよ。既に賽は投げられたのだ。 決断に躊躇してしまったら、ブルータスのごとく破滅しかないよ」 「ですが・・・」 尚も言いつのろうとするイーデンに、ロイド=ジョージは心底うんざりしていた。 この男が心配しているのは、カナダの被害ではなくて、そこから来る議会や民衆からの 反発の声でしかない。世論などというものは利用するものであって、振り回されるものではない という初歩中の初歩すら理解できていないとは、大英帝国の政治家も落ちたものだと。 「心配せずともアメリカ軍はあれ以上の侵攻は出来ん。したくてももう不可能なのだよ」 そういって、ロイド=ジョージは机の上で折りたたまれていた地図を広げ、それを見つめる。 そこには、大まかであったが、アメリカ軍の配備状況が書かれていた。 陸空の主力部隊は西海岸から中西部に配備され、東海岸や南部地域は比較的錬度の低い部隊ばかり。 治安維持や短期間の防衛戦闘くらいであろう。 「さて・・・仕事を進めるぞ。演説に駐英日本大使との会談もしなければな。ああ。ドイツ大使にも 非公式に礼を言わねばならんな。貴国のUボートは大変良い仕事をしたと。後は東海岸での通商破壊作戦にも 期待しておりますとな、と。まあ・・・伍長殿の海軍の手助けを得ないといけないというところが、 大英帝国も落ちたものだと嘆きたい気分だがね。それと、例の件もだ。現地での行動を開始してくれ」 そういうロイド=ジョージの目線の先にあったのは、「メキシコ」と書かれた土地であった。
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/2511.html
597 :yukikaze:2014/06/30(月) 01 22 06 「いいねえ・・・うん、実にいい」 双眼鏡を片手に、富士の裾野で繰り広げられている演習を見ながら、この無類の戦好きである老人は、心底満足げな表情を浮かべていた。 彼の視線の先には、それぞれ1個中隊規模の戦車部隊が、東西に分かれ所狭しと走り回っていた。 一見無秩序そうに見えつつ、その実、いかに相手の裏をかいて、敵の脆弱な部分に食らいつこうとする。 「機甲戦とは運動戦である」ことを持論にしている彼にとって、目の前の部隊の動きは、機甲戦の本質を的確に費やしたものであった。 「どうだウォル。連中の動き。ありゃあ生まれた時からの戦車乗りだぜ。ロンメルやグデーリアン直轄部隊と言われても俺は信じるね」 「確かに。ここが奴らのホームグラウンドであることを差し引いても、奴らが馬鹿ではないことは確かですな」 ウォルと呼ばれた男が、やや憮然とした表情で老人の言葉に賛同する。 彼にしてみれば、自らが直々に選んだ部隊であったにも拘らず、相手方の巧みな機動に翻弄され、押し切ることが出来ないのである。 如何に連中の車両が、低姿勢であり、視認しがたい代物であったにしてもこちらの最新鋭車両が、8年前に配備されたロートルに勝てないというのは腹だたしいにも程があった。 「まあそう怒るなウォル。ありゃあ確かに大平原での戦車戦には向かないかもしれねえが、こういう起伏にとんだ地形や待ち伏せ戦闘には最適と言っていい代物だ。うちも最後まで悩まされ続けていたからなあ」 フィリピンで、ガタルカナルで、サイパンで、硫黄島で、沖縄で、眼下の車両は、最初から最後までアメリカ軍を悩ませ続けた。 スチュアートはブリキの棺桶でしかなく、自信を持って繰り出したシャーマンも舐めてかかった瞬間、あの世への強制的な転属を強いられた。 無論、ナチのキングタイガーのような無敵な存在という訳ではない。 正面以外の防御は皆無に等しく、そしてその独特の形状から、急激な反応にどうしても隙が生じ、それが故に討ち取られもしていた。 だが、彼らは産まれ持ったハンデを熟練の技によって補い、戦い続けた。 599 :yukikaze:2014/06/30(月) 01 26 07 「俺達は確かに戦争に負けた。それは認める。だが・・・機甲戦では負けなかった。 最後の最後まで相手の喉笛を食いちぎっていった」 沖縄戦で負傷し捕虜となった機甲部隊指揮官が発した言葉を、老人は今でも鮮明に覚えている。 全く以てその通りであった。沖縄戦では、海軍のアホどもが日本人の艦隊相手に醜態をさらして制空カバーを一時的に喪失した結果、機甲部隊による浸透作戦の成功を許してしまい、バックナーが戦死するという大打撃を受けてしまったのである。 最終的には、日本陸軍虎の子の機甲部隊は全滅したのだが、この時に日本軍が得た時間は大きく、宜野湾市付近で戦線は完全に膠着してしまう。 このお蔭で、ソ連がステイツに恩義せがましく火事場泥棒をしてのけたりもしたのだが、それでも老人は、自分達に最後まで煮え湯を飲ませた彼ら戦車乗りたちに純粋に敬意を覚えていた。 老人にとって勇者は敬すべきものであり、卑怯者は唾棄すべきものであるからだ。 故に、老人は日本陸軍の指導者層には「国際常識もわきまえぬ馬鹿者」と批判する一方で、兵士達には「勇敢で恐るべき戦士たち」と褒め称えることは何ら矛盾していなかった。 「それにしても・・・何だってあいつらはあれを「戦車」と称しているんですかねえ。 ありゃあどう見ても駆逐戦車の類でしょうに」 「その疑問はもっともだ。俺も最初は「ジャップは戦車も知らんのか」と思ったんだが、事情を聴くとそんな単純な話じゃなかった」 そして老人は、自分が知った事を愛弟子に語る。 元々日本人は、30t級の戦車を次期主力戦車と考えていた。 だが、技術的問題やインフラの問題、予算の問題等が重なってしまいモックアップまで作ったその戦車はお蔵入り。 しかも参謀本部の機甲戦を理解していないものは、歩兵戦車であることを求めると共に、軽量安価であることを求める始末。 そしてその無茶をひっくり返すために作ったのが、この無砲塔戦車(史実SU-76対戦車自走砲相当ただしエンジンは1基で、正面装甲も増圧)であった。 砲塔をなくすことで砲塔重量とターレット機構の重量を削減し、正面装甲を傾斜装甲且つ45mm程度にすることで大戦全般までは必要十分な装甲を確保。 (改型では60mmにまで増圧) 短砲身57ミリを推す人間には「トーチカを確実に潰すには75ミリが必要」と、新型ボフォース高射砲導入により時代遅れとなりつつあった八八式七糎野戦高射砲を改修して作った戦車砲を搭載。 路外機動力を高める為に履帯の幅を広げるなど、徹底的に機動運用に注意を払ったこの車両は、参謀本部の一部将校の怒りを買いながら、日中戦争の予算増額の流れによって細々とながら生産。 ノモンハン事変で、九五式軽戦車が無残にやられる中、1個中隊のこの部隊の奮戦により、ソ連機甲部隊は射的の的のごとく打ち据えられ、ソ連軍の反攻作戦を頓挫させることに成功する。 この大戦果と、大陸派遣軍からの「九五式ではなく九七式を寄越せ」という凄まじいクレームが押し寄せ最終的には「主力戦車は九七式」「九五式は生産を中止し、代わりに牽引車を充実させる」ことになる。 以降、九七式戦車は、時には歩兵の友として、時には機甲戦力として最後まで戦場を走り抜けた。 敵からはその砲身の長さから「サムライサーベル」と畏怖される存在として。 「どこの国でも同じですな。最終的にそのツケを払うのは兵士達だ」 「全くだ。日本人が当初配備しようと設計したのが、T-34を洗練させた代物といえる戦車だったのだから猶更だ。そんなもんが量産されてみろ。今頃はパンサーの強化型タイプモドキが配備されていたかもよ」 「そりゃ悪夢ですな・・・」 老人とウィルは、日本の戦車開発の系譜がそうならなかったことを心底感謝した。 仮に彼らの予想通りの系譜を辿ったら、日本人の戦車乗りは更に攻撃的な運用をしたかもしれない。 アメリカ陸軍にとっては実に悪夢である。 そうこう話している内に演習時間は終わりを告げようとしていた。 戦況は五分と五分。いや・・・機材の差を考えると、日本陸軍機甲部隊の生き残りたちの方が上かもしれない。だが・・・それが許されるような何かを彼らは放っていた。 600 :yukikaze:2014/06/30(月) 01 27 56 「さて・・・いいもの見せてもらった。兵達をねぎらう。勿論旧日本兵もだ。国務省から来た頭でっかちのガキどもは無視しろ。アメリカ人なのにコミーのような言動をしやがる。 いつからここはクレムリンになった」 「まあグルー民政局長官がきっちり抑えているんで大丈夫でしょう。所で閣下。やはり旧日本軍の戦車乗りを集めて演習をされたのは・・・」 アメリカ第八軍司令官にして、日本占領軍のトップであるウォーカーの問いに、彼の敬愛する総大将にして連合国軍最高司令官であるパットン元帥は楽しげにこう答えた。 「決まっているだろ。連中が使えるか使えないかのテストだ。アホな上層部をパージし、こちらの鎖でつなぐ必要はあるが、俺と一緒にモスクワまで行く資格はあるな。 腕がなるな。アメリカにとって最良の戦友と呼べるだけの軍を作ってやるぜ」 後に、歴史上パットンはこう呼ばれることになる。 「日本国防軍の父であり母であり兄であり教師であり戦友であった」と。 パットンが(彼にとっては不本意なことに)病院のベットで臨終を迎えた時、彼の葬式には彼と共に戦った日本兵が第一種礼装で敬礼をして彼の棺を見送り、そして彼の胸には勲一等旭日桐花大綬章のみが誇らしげに飾られていた。
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/338.html
996. yukikaze 2011/11/12(土) 22 14 26 earth様が大英帝国の崩壊endを書かれていましたので、それを利用しまして 『黄昏の艦隊』 戦艦ロドネーの艦橋から見える光景は、まさに悲惨の一言であった。 ここ2時間ほど続けられた空襲によって、イギリス東洋艦隊は無残な姿をさらしていた。 イギリス海軍にとって至宝ともいうべき空母群は、真っ先に狙われて既に海神の御許に送られ、 これまで海の女王として君臨していた戦艦群も、執拗な攻撃によってどれも傷つき、そして力尽きるように、 インド洋の海底へと沈んでいった。 重巡以下の艦艇についても、黒煙や炎を上げていない艦を探す方が難しい有様であった。 日本の空母艦載機はそれこそ旧式駆逐艦といえども一切容赦せずに攻撃を加えたからだ。 「司令長官。被害報告がまとまりました」 そう伝える参謀長の声には、疲労と絶望が漂っている。 無理もない。これほど激しくかつ執拗な攻撃を、ドイツ空軍も イタリア空軍も繰り出したことはないからだ。あの短くも激しかった クレタ攻防戦の時ですら、これほどまではなかった。 「戦艦5隻の内、先ほどの空襲で爆沈したマレーヤを除いて、 本艦とウォースバイトは中破。ネルソンが大破です。バーラムは先ほど 総員退艦の命令が出たそうです。重巡はロンドンとデヴォンジャーが撃沈。 シュロプシャーとノーフォークが中破。軽巡はダイドー級6隻の内、2隻撃沈、 残りの艦も中破以上です。駆逐艦も16隻いた内、4隻が沈没し、無事なのは3隻 のみという有様です」 「つまり・・・東洋艦隊は実質的に壊滅・・・いや消滅したという事だね」 東洋艦隊司令長官ソマーヴィル中将の簡潔な要約に参謀長は唇をかむ。 つい昨日までは戦艦5隻、空母3隻の威容を誇っていたイギリス海軍唯一の機動艦隊が、 こうもあっけなく叩き潰されるなど、今のこの状況を見てもなお信じられなかった。 開戦劈頭で叩き潰されたアジア艦隊の戦訓を元に、空母部隊は全て戦闘機に置き換え (それも最新鋭のシーファイアを、それこそ英本土中からかき集めてだ!!)、 英海軍の中でも防空能力が優れたダイドー級を6隻、空母の直衛艦として、考えられるだけの方策をたてた。 少なくともこれ以上のことを行うのはだれであっても無理であったろう。 しかしながら、日本海軍の攻撃はそんな努力をあざ笑うかのような凄まじさであった。 2次4波にわたる攻撃のプレリュードは、今や連合国にとって死神というべき烈風による先制攻撃であった。 艦隊上空に直援していたシーファイア30機と、敵機来襲に伴い、緊急出撃した15機、併せて45機は、 彼らの2倍弱いた烈風によって、艦隊防衛どころか、自分が生き残るのに必死となり、その隙をついてあらわれた 流星90機の攻撃を防ぐことはできなかった。 997. yukikaze 2011/11/12(土) 22 17 16 そして艦載機の防衛ラインを悠々と突破した流星は、それこそ教科書通りと 言ってもよい雷爆同時攻撃を空母群に仕掛け、必死の防空砲火をあざ笑うように、 次々と爆弾や魚雷を命中させていった。 彼らが去って行った後は、松明のように燃え盛る3隻の空母と、空母を守るために盾となり、 同じように魚雷や爆弾を受け、傷ついた巡洋艦や戦艦の姿があった。 この時点でサマーヴィル中将はコロンボへの撤退を命じたのだが、舳先をコロンボに向ける前に、 日本海軍の攻撃部隊が襲来。邪魔をする戦闘機がいないことから、流星だけでなく烈風も、 機銃弾やロケット弾による攻撃を加え、東洋艦隊はまさに狩られる獲物に成り下がっていた。 (やはり・・・我々は彼らと戦うべきではなかったな) 今更ではあったがソマーヴィルは思う。彼らは2度に渡る欧州大戦で盟友として共に戦い、 惜しみない信義と勇敢さを見せてくれた。少なくとも、金は貸すがろくに血を流そうともしない 植民地人達に比べればはるかに信用ができた。 しかし祖国は、そんな盟友を平然と裏切り、後ろから斬りつけるような真似をした。 誇り高い侍の子孫がそのような行動許すはずがないと思っていたが、どうやら彼らは自分の予想以上に、 自分たちの裏切りを憤り、報復を果たさなければ気が済まないようだ。 そうでなければ、宣戦布告をしたものの、津波によってダメージを受け、 アメリカの戦争協力に消極的になった祖国に対し、「インド独立」というカードを切ることはなかっただろう。 国力を回復させるためには、インドの存在がこれまで以上に大きくなった祖国には、日本のこのカードを無視 することなど到底不可能であり、そうであるが故に、可能な限りの戦力をインド洋へと派遣したのだ。 そして日本人は、自分たちにとって虎の子の艦隊を、それこそ完膚なきまでに叩き潰すことによって、 インドはおろか欧州における祖国の影響力の弱体化を成しえたのであった。 恐らく・・・いや、確実に祖国はこれから苦難の道を歩むであろう。 艦橋の外から見える夕日に、ソマーヴィルはそっと溜息をつく。 あれこそまさに、今のこの艦隊、いや・・・祖国を表すものもないであろうと。 1943年4月15日。 ここにイギリス東洋艦隊は終焉を迎えることになる。 旗艦ロドネーと運命を共にしたソマーヴィルの最後の言葉は「祖国よ、永遠なれ」 であったが、彼が大英帝国の崩壊を見ることがなかったのはまだしも幸福であった といえるであろう。
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/1317.html
642 :yukikaze:2012/08/07(火) 00 44 39 ここらで蹂躙物ではないラインハルトの治世とその限界を。 同盟の経済戦争ネタは、どうもうまい言い回しが思いつかぬ・・・ 理想と現実と 新銀河帝国が建国された時、大多数の民衆が喜びに沸いた最大の理由は、 自分達が感じていた閉塞感がこれで打破されるという想いからであった。 それだけ、ラインハルト・フォン・ローエングラムの登極までの軌跡は 華麗であり鮮烈でもあったのだが、それがより一層民衆の期待を膨らませる 要因となった。 あの若き皇帝ならば、きっと『今』をもっとよりよくしてくれると。 まさにローエングラム王朝の門出は、祝福されたものであった。 そして10年の月日が流れ、多くの民衆が溜息をついていた。 「こんな筈じゃなかった」と。 確かにラインハルトは、現状をよりよくすべく様々な改革を執り行っていた。 そしてそれが上手くいくように、地位が低かったものでも、才能があるならば どんどん抜擢していき、権力を与えていった。 それは権力を一身に集めている皇帝だからこそできた芸当ではあるが、そうした ラインハルトの行動は、多くの民衆から「果断で積極的な皇帝」として好意的に 見られていた。 しかしながら、彼らはほどなくして失望することになる。 ラインハルトの改革は確かに効果を上げた面もあった。 しかしながら彼の改革の本質は『才能のある者が報われるもの』であり、 才能がない者に対しては考慮の外であった。 これは彼や彼の延臣達の殆どが、才能があったにもかかわらず、門閥貴族でなかったり あるいは門閥貴族とコネがなかった事で下位に甘んじていたという過去があり、そうした 状況に対する強い不満こそがゴールデンバウム王朝打倒の源泉になった訳だが、だからこそ 彼らは『才能のある者が報われる世』を形成することに力を尽くしたのであった。 それこそがゴールデンバウム王朝を倒した彼らの主張の正しさを示すことになるからだ。 そして彼らは、自らが才能を持ち且つ努力を惜しまない人種であったがために、才能を持たなかったり あるいは努力をしようとしない人間を例外なく軽蔑していた。 なまじゴールデンバウム王朝下の門閥貴族層の愚劣さを見ていたが故の反動ともいえるものであったが、 こうした彼らの認識は、徐々に新銀河帝国の多くの臣民との間に溝を作ることになる。 よくよく考えてみるがいい。 社会や組織において、優秀な人材というのはごく少数で、大多数の人間は凡庸なのである。 だが、ローエングラム王朝の上層部は、そうした大多数に対して極めて鈍感であった。 いや・・・理解すらできなかったというべきであろうか。 皇帝ラインハルトが『なぜ彼らは努力をしないのだ。不平不満を言うより先にやるべきことがあるだろう』 と嘆いたとされるが、それは帝国上層部の本心であると同時に、彼らが実は何も理解していなかった ことを示すものであると、大日本帝国宰相である近衛文人は看破したという。 644 :yukikaze:2012/08/07(火) 00 45 35 かくしてラインハルトの治世が進めば進むほど、新銀河帝国においては、ラインハルトの改革によって 才能のある者が栄達していく一方で、多くの才能のない人間が疎外感を感じるようになる。 事実、新銀河帝国成立当初はそれほど目立たなかった貧富の差が、10年もたつと、無視しえない程 両極化の道をたどることになっていた。 ラインハルトの改革が『才能のある者が報われる』であった以上、それはある意味必然ともいえる 現象であった。 こうして、期待を込めて新王朝誕生を祝った臣民たちは、いつしか『ゴールデンバウム王朝の方が よかった』と、嘆く声を上げることになる。 そうした声を取り締まったのが、かつて悪名をとどろかせた社会秩序局の後進である、内務省社会 秩序維持局だったというのがこれ以上ないほどの皮肉と言えば皮肉ではあるが、もっと皮肉であったのが こうした声にラインハルトがより一層熱心に改革に取り組んでしまった結果、ローエングラム王朝が 『才能ある者にしか運営できない程、組織として脆弱な王朝』になった事であろう。 ラインハルトは崩御時に『才能ないものが玉座につく必要なし』と述べ、ヤン・ウェンリーは『公人として 潔い態度』であるとして、ラインハルトを称え、同時に彼が大嫌いなトリューニヒトを扱き下ろしたのだが、 辻正道大蔵大臣は、ラインハルトのセリフを鼻で笑ってこう述べたという。 「あの皇帝はついに何も理解していなかった。才能がないものが役職についても、十分にフォローできるだけの 組織を形成することこそが大事なのだ。ある特定の人間でしか動けない組織なぞ、健全な組織とは言わない。 結局あの皇帝にとって、皇帝位とは過ぎたおもちゃでしかなかったという事だ」 ある歴史家は、後にこう記している。 『ラインハルトの治世は、ある意味賢人政治の理想であり、且つ賢人政治の限界を示す治世であった』
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/358.html
220 :yukikaze:2011/12/06(火) 21 56 53 ロングが弾劾されても戦争続くかどうかちと考察。 ちなみに→136の設定を利用しています。 1943年3月13日。 この日、アメリカ合衆国大統領ヒューイ・ロングは、合衆国史上初めて 『弾劾裁判により罷免された大統領』という汚名を残して、ホワイトハウスより 叩き出された。 前年の大津波により東海岸が壊滅したことで、合衆国民の間では「ジャップと 戦争するよりも東海岸を救え」という声が強かったのだが、アメリカ軍の連戦連敗 の報に、ますます厭戦気分が強くなっていった。 政治的に追い詰められていたロングは、起死回生の手段として、日本本土に対する 化学兵器攻撃を行ったのだが、大部分は阻止され彼の目論見は失敗。 それどころか、日本の更なる激昂と、同攻撃によって犠牲になった捕虜の怒りを買うことになり 「だから反対したのだ」と、陸軍参謀総長が吐き捨てる結果になったのだった。 こうしたロングの醜態に、議会の議員たちは、政党の区別なく、彼を見限った。 彼らにしてみれば、ロングの愚行にこれ以上付き合うのはまっぴらごめんであり、 さっさと日本との戦争にけりをつけて、国土の復興に勤しんだ方が重要であった。 第一、戦争の原因であった中国での発砲事件が、彼らの自作自演であると暴露された以上、 議員たちからすれば、自分たちを騙した連中をわざわざ助けてやる必然性はどこにもなかった。 かくしてアメリカはロングを切り捨てて、この不毛な戦争を終わらせようとした。 だが、彼らは一つ重要なファクターを忘れていた。 彼らのこうした考えは、全て彼らの都合によるものであり、そしてそれを日本が 順守する義理も義務もないという事に。(続く) 225yukikaze 2011/12/06(火) 22 17 56 前述したように、ロングの化学兵器攻撃は日本を激昂させた。 彼らはこれまで「戦争は軍人がやるべきものであり、民間人を極力巻き込むべきではない」 という思想の元で戦っていた。無差別爆撃や無制限潜水艦作戦を行わなかったのがその例である。 彼らはそれを対外的には「武士道」と説明し、諸外国でも評価されてもいたのだが、 夢幻会の本音は「手当たり次第にぶっ壊したら、戦争終わった後で取立てなんてできないし、 無用な恨みを買うだけだろうが」という、崇高な理念など欠片もない打算的なものだったのだが。 だが、アメリカのこの掟破りな攻撃は、彼らが「外道」であると強調するのに十分であった。 彼らの怒りがどれほど凄まじかったと言えば、日本本土から後退するアメリカ艦隊に対して、 当時アラスカ攻撃をしていた第二艦隊が、対地攻撃を第三艦隊に任せて、ほぼ全速力で 突撃を開始。発見するや否や、ほぼ全力の航空攻撃を繰り出し、更には護衛部隊までもを 追撃部隊として突撃させ、それこそ1鑑残らず全滅させた。 この時、臨時砲戦部隊を指揮していた西村祥治少将は、日頃の温厚さをかなぐり捨てて 「全艦、弾がなくなるその瞬間まで、怒りを込めて奴らに撃ちまくれ」と命令したほどであった。 そしてアメリカは、日本のこうした怒りを知ってはいたものの、理解まではしていなかった。 彼らは、元凶であるロングさえ排除できれば日本の怒りは抑えられると判断していた。 例え民衆が激昂しようとも、国力差を理解している日本の首脳部は理性的な判断を示すであろうと。 彼らのこうした思いは、致命的な間違いを引き起こすことになる。(もう少し続く) 226 :yukikaze:2011/12/06(火) 22 47 51 1943年3月15日。 副大統領より昇格したガーナー大統領は、日本に対して停戦を訴える演説を行った。 タイミングとしてはそう悪いものではなかった。だが、彼はここで一つ間違いを犯した。 仮にこの停戦演説で、言い訳も何もせずに心からの謝罪をしていれば、また反応は違っていた かもしれない。 しかしながら、ガーナーが重要視していたのは、日本の反応よりも、これまでほとんど負けたことがない アメリカ国民に対して、いかに不利な情勢での停戦を受け入れさせるかという内政面での問題であった。 そうであるが故に、ガーナーの演説は、「アメリカはまだ戦う力は残しているものの、この戦争はロングが 引き起こしたことであり、そしてロングの愚行にアメリカ国民が付き合う必要性はどこにもない」という、 全ての責任をロングに押し付け、アメリカは日本に停戦をしてやったとみなされるような代物になった。 国内向けには満点と言える中身ではあった。だが、対外的に見た場合には最悪であった。 大の日本嫌いで知られていたヒトラーですら「仮に余が日本の指導者であったのなら、 それこそ国を灰にしてでも戦争を継続するわ」と、側近に呆れ果てて告げたほどであり 何より、日本国民はこの傲慢ともいえる演説に、「停戦だと? ふざけるな!! 戦う力が残されているというのならば、徹底的に叩き潰してやるわ」という声一色であった。 そして日本政府は、このアメリカ合衆国の声明に対し、こう返答することになる。 「ロング大統領を選んだのは誰か? アメリカ国民である。 ロング大統領の戦争を支持したのは誰か? それもアメリカ国民である。にも拘らず、ロングを選んだ過去は忘れ、自分たちはロングの被害者であるという。 世間ではこれを恥知らずであるというのだが、アメリカではそうではないらしい。 だが、我々はアメリカ国民に対して償いの機会を与えよう。以下、述べる条件を順守するというのならば 停戦を受け入れる」 そして日本が出した条件は、彼らの怒りを示すかのように厳しいものであった。 「ロングをはじめとする戦争指導者の処罰」を皮切りに、「アメリカ軍の軍備制限」 「戦争を推進した財閥やハースト系新聞の解体」「太平洋の非武装化」 等を要求として掲げ、更にそれらが成し得るまで、列強による査察団の常駐を 義務付けたのである。(後、1回続く) 236 :yukikaze:2011/12/06(火) 23 09 25 この日本政府の声明は、アメリカ国民に冷や水を浴びせるものであった。 彼らにしてみれば、元々戦争には乗り気ではなかったという観点から、 「ロングの馬鹿の行動をこちらで止めてやったんだ」という意識が強く、 日本側のこうした反応は、「こちらが譲歩してやっているのに、何を 調子に乗っていやがるんだ」という不快さを抱かせるものであった。 そしてこうした世論の動きを助長させたのが、名指しで批判された 財界とハースト系新聞であった。 彼らは口々に「道義的責任を盾にとって嵩に着る日本」というネガティブ キャンペーンを大々的に巻き起こし、停戦を撤回するように訴えた。 そして合衆国政府も、先の日本の回答を不快に思ったことから、こうした世論に乗る形で 「道義的責任を盾にとっての無法な要求は受け入れられない。平和を望むなら無条件で停戦を受け入れよ」 という宣言を出すことになる。 アメリカとしては「平和を愛するアメリカ」と「強欲な日本」というイメージを打ち出すことによって 国際的同情を獲得し、日本に対する圧力にしようと考えていたのである。 だが、アメリカの目論見はまるで役に立たなかった。 日本政府は、先の宣言に合わせる形で、英独伊仏に対して「我が国は貴国らと関係改善をする用意がある。 貴国らが、海軍力をまるで失ったアメリカ東海岸に攻め寄せ、大津波の被害を補填しようと 我が国は一切それを邪魔するつもりはない」と、秘密裏に宣言。 更に、これらの国の駐在武官たちを招いて、3式弾道弾と核実験を見学させ、「日本はアメリカ本土奥深くまで叩ける 槍を十分に確保している」ことを見せつけたのであった。 未だ潜在的な実力はあるが、回復するまでに多大な時間を要するであろうアメリカと、 強大な牙を有している日本。 国力に全くの余裕がない欧州各国がどちらかを選ぶかは自明の理であった。 彼らは明日のパンよりも、今日のパンこそ欲していたのだ。 世界各国が「アメリカは道義的責任感をまるで有していない」という批判の演説を 出す中で、日本が最初のーそしてこれから4ヶ月ほど続く攻撃が開始されたのは 1943年4月15日、デトロイトに叩き込まれた三式弾道弾の発射によるものであった。
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/228.html
380. yukikaze 2011/07/09(土) 22 34 36 こっちも拙いジョークを ■ 各国の兵器開発 日本の兵器「必要なのはわかるが、まさか本当にやるとは思わなかった」 アメリカの兵器「必要なのはわかるが、そこまで沢山作る理由がわからない」 イギリスの兵器「何がしたかったのかはわかるが、どうしてこうなったのかはわからない」 ドイツの兵器「こうするしかなかったのはわかるが、そこまでしてやる理由がわからない」 ソ連の兵器「こうするしかなかったのはわかるが、少しは自重しろ」 中華民国の兵器「で・・・お前たちは一体何がしたいんだ?」 ■ 最強と最弱 最強の軍隊 日本の将軍 日本の将校 日本の下士官 日本の兵士 まあ強い軍隊 アメリカの将軍 ドイツの将校 イギリスの下士官 ロシアの兵 弱い軍隊 イタリアの将軍 フランスの将校 ロシアの下士官 アメリカの兵 最弱の軍隊 イタリアの将軍 イタリアの将校 イタリアの下士官 イタリアの兵士 軍ですらない 中華民国の将軍 中華民国の将校 中華民国の下士官 中華民国の兵士 ■ 戦局不利の場合 日本 そもそもそんな場面に出くわさない ドイツ ヒトラーの死守命令に嘆きながら徹底抗戦 アメリカ 義務を果たした後で降伏 イタリア さっさと捕虜になって、ワインとパスタを注文 中華民国 味方に対して総攻撃
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/359.html
393 :yukikaze:2011/12/07(水) 23 26 22 ではこちらも。三式弾道弾のネタどうするよ 「裏切りの結末」 ――西暦1966年5月5日 大英帝国 臨時首都グラスコー 大英帝国宰相ハロルド・ウィルソンは、絶望的な気分で壁を見ていた。 そこには、何人かの首相の肖像画がかけられており、例外なく銃弾が 撃ち込まれていた。 撃ち込まなければやってられなかったというのが、彼の気分であったろう。 (馬鹿野郎どもが。貴様らのせいで大英帝国は・・・) 仮に、肖像画の首相たちが生きていたら、迷わず罵声を浴びせていたであろう。 それ位、彼らの行動は大英帝国にとって最悪なものであった。 最大の失策は、第二次大戦後の行動であった。 かつての同盟国を平然と裏切るだけならともかく、アメリカの片棒を担いで蛮行を重ねる始末。 当然のことながら、こうした近視眼的な行動が他国から称賛されるはずはなかった。 収奪された日本の怒りは頂点に達し、二次大戦で敵対した欧州諸国も「恥知らず」と侮蔑し、 仲間であるアメリカですら、「あいつらの信用度はチャイナ並み」と、陰で評価される始末であった。 無論、英国もそういった風聞は理解していたが、敢えて無視した。 彼らにとっては英国こそ大事なのだ。他の国など知ったことではなかった。 だが、彼らのこうした傲慢な考えは、強烈な報いを受けることになる。 第三次大戦開戦初日。 イギリスの各都市は業火に包まれた。 開戦時、ドイツは「太平洋戦争の先例から考えて、奴らは平然と毒ガスを利用する。予防攻撃は絶対に必要である」 と、結論付け、政治の中枢であるロンドン、および核兵器保管地域に対して、弾道弾による核攻撃を開始。 更に亡命日本軍人による義勇SS「ハウスホーファー」による大規模な破壊活動と、復讐に燃えるヴィシーフランス軍を 先鋒とした上陸作戦により、英本土は陥落。 最終的には本土は回復したものの、「ハウスホーファー」とフランス軍による徹底的な破壊活動によって、 英本土は、戦勝国とはとても言えない状態で戦争を終わることになる。(続く) 398 :yukikaze:2011/12/07(水) 23 43 50 戦後、イギリス政府は国土復興を掲げるが、その費用は天文学的なものと なっていた。 両者の破壊工作は徹底しており、工場地帯はがれきと化し(これは連合国の 爆撃も助長した)、農業地帯には放射性物質を散布するということまでしていた。 本土に帰還したハロルド・マクミランは、怒りのあまり「こうした蛮行をしたのは日本人だ 日本人から二次大戦の賠償金を徹底的に取り立てろ」と叫んでしまい、国際社会から冷笑を以て 迎えられることになった。 結局、イギリスは、第二次・第三次大戦の英雄であり、その後大統領選挙で当選した ルメイ大統領に泣きつくことになる。 ルメイはその泣き言を面白そうに聞いていたが、彼の『ささやかな』条件を受け入れたならば 復興資金の大部分を格安で提供すると伝えた。 その『ささやかな』条件は、「空軍の基地を英国本土に数か所常駐する」「復興にアメリカ企業を 参画させる」「大戦争が起きた場合、英国軍はアメリカ軍の要請の元、軍事行動を行う」というものであった。 単刀直入に言えば「経済的にも軍事的にもアメリカの属国になる」という宣言である。 そして、疲弊したイギリスに拒む余地はなかった。 「その結果がこれだよ」 アメリカに屈服したことにより、英本土は今度こそ完膚なきまでに壊滅した。 核だけの被害ではなく、津波による被害もまた甚大であった。 もはや今世紀中に英国を立て直すことは不可能と言ってもよかった。 そして・・・そんな英国に手を差し伸べるものなどこの世界にはどこにもなかった。 「閣下。謁見の時間です」 「わかった。すぐにいく」 秘書の言葉に、ウィルソンは疲れた表情で答える。 彼にとっては、これからの時間は文字通り苦痛であった。 彼は、敬愛する女王に、残酷な結末を話さなければならなかったからだ。 後に、この時の謁見を記したメモが発見される。 「陛下。我が国はもはや滅びが定まりました。どの国からも援助はえられません。 全ての国がこういっているのです。『卑劣なジョンブルに恵んでやる物などない』と。 我らは先人たちの報いを今受けることになったのです」 これを聞いた女王は、静かに涙を流したという。