約 3,416,219 件
https://w.atwiki.jp/joeakutagawa/
Wikiで展開する物語Solid Outの世界へようこそ。 本編は3つの時代にまたがったストーリーになっております。 本編と交差するサイドストーリー。 この世界をよりよく理解するための設定集なども書く予定です。 キャラクターの設定などはちょくちょく変更されたりします。 執筆段階での公開になりますので、皆さんの意見などを取り入れることも出来ます。 この物語は僕一人だけで作り上げる世界ではない Welcome to Solid Out, break out in Wiki Main Story extends over 3 ages. See also side stories which crossing over main story! I m writing commentary to show more about this story. And note this, commentaries will be rewrited sometimes, because it s put on net while it s not completed. I can have your opinion into my stories! This story is not my own. Just as the world is not. I m japanese, struggling to create English ver. I hope someone help my translating. ineedyourhelp
https://w.atwiki.jp/satoschi/pages/6033.html
ソロス語 |Austronesian languages|Malayo-Polynesian languages|Central-Eastern Malayo-Polynesian languages|Eastern Malayo-Polynesian languages|Oceanic languages|Western Oceanic languages|Meso Melanesian languages| 言語類型 現用言語 使用文字 type living language writing system ISO 639-3 【sol】 言語名別称 alternate names 方言名 dialect names 参考文献 references WEB ISO 639-3 Registration Authority - SIL International the LINGUIST List Ethnologue
https://w.atwiki.jp/gtavi_gta6/pages/2237.html
Los Santos Underground Radio imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 Los Santos Underground Radio概要 説明 プレイリスト 場所 余談 概要 ジャンル:ハウス 、テクノ 、エレクトロニック 所在地:ロスサントス 周波数:- 楽曲数:65曲(18+18+15+14) DJ:Solomun 、Tale Of Us 、Dixon 、The Black Madonna 説明 「ナイトライフ」アップデートで追加されたラジオ局。当初はGTAオンライン専用だったが、「アリーナウォーズ」アップデートでストーリーモードでも選局できるようになった。 プレイリスト ソロモンミックス アーティスト名 曲名 発売年 Am$trad Billionaire The Plan 2013 Ara Koufax Natural States (Edit) 2017 Swayzak In The Car Crash (Headgear's Always Crashing In The Same Car Mix) 2002 D. Lynnwood Bitcoins (Original Mix) 2018 Bryan Ferry Don't Stop The Dance (Todd Terje Remix) 2013 Denis Horvat Madness Of Many 2018 Johannes Brecht Page Blanche 2018 Solomun Ich Muss Los 2018 Matthew Dear Monster 2018 Truncate WRKTRX3 2018 Floorplan Spin 2016 Cevin Fisher The Freaks Come Out (2000 Freak Mix) 2000 Chris Lum You're Mine (Clean Version) 2014 Alex Metric Ten Ven The Q 2018 Solomun Customer Is King 2018 Adam Port Planet 9 2018 Dubfire The End To My Beginning 2018 Leonard Cohen You Want It Darker (Solomun Remix) 2016 テイル・オブ・アスミックス アーティスト名 曲名 発売年 Tale Of Us Overture 2018 Tale of Us 1911 2018 Tale of Us Trevor's Dream 2018 Tale of Us Vinewood Blues 2018 Tale of Us Anywhere 2018 Tale of Us Symphony Of The Night 2018 Tale of Us Another World 2018 Tale of Us The Portal 2018 Tale of Us Solitude 2018 Tale of Us Morgan's Fate 2018 Tale of Us Fisherman's Horizon 2018 Tale of Us Myst 2018 Tale of Us Seeds 2018 Tale of Us Endless Journey 2018 Tale of Us Valkyr 2018 Tale of Us In Hyrule 2018 Tale of Us Disgracelands 2018 Tale of Us Heart Of Darkness 2018 ディクソンミックス アーティスト名 曲名 発売年 Carl Finlow Convergence 2004 Caravaca Yes I Do 2017 Warp Factor 9 The Atmospherian (Tornado Wallace Remix) 2017 Mashrou' Leila Roman (Bas Ibellini Mix) 2018 Future Four Connection (I-Cube Rework) 2018 Rite De Passage Quinquerime 2018 The Egyptian Lover Electro Pharaoh (Instrumental) 2018 Marcus L. Telstar 2018 Romanthony Bring U Up (Deetron Edit) 2012 Solar 5 Seconds 2017 Sharif Laffrey And Dance 2018 Ron Hardy Sensation (Dub Version) 1985 Aux 88 Sharivari (Digital Original Aux 88 Mix) 2013 Oni Ayhun OAR003-B 2012 TCK FT. JG Reach Out Your Hand (Erol Alkan Rework) - GTA Edit 2018 ザ・ブラック・マドンナミックス アーティスト名 曲名 発売年 Ron Hardy Sensation 1985 Derrick Carter Where Ya At 2002 Tiga Bugatti 2016 Metro Area Miura 2002 The Black Madonna A Jealous Heart Never Rests 2013 Art of Noise Beat Box 1984 The Black Madonna ft. Jamie Principle We Still Believe 2018 Nancy Martin Can't Believe 1982 P-Funk All Stars Hydraulic Pump Pt. 3 1983 Steve Poindexter Computer Madness 2003 Ten City Devotion 1989 The Black Madonna We Can Never Be Apart 2013 Joe Jackson Steppin' Out 1982 The Black Madonna He Is The Voice I Hear 2017 場所 個々の楽曲 以下の場所で聞くことができる。ナイトクラブ 収録されているいくつかの曲は以下のロックスター・ゲームスの公式トレーラーに使用されている。Metro Areaの曲「Miura」は「GTAオンライン」に7月新登場 に使用されている。 TCK(Tuff City Kids)の曲「Reach Out Your Hand (Erol Alkan Rework) - GTA Edit」はGTAオンライン:ナイトライフ に使用されている。 余談 CMが無いラジオ局の1つで、プレイリストの順番は固定。 「ナイトクラブ」アップデートのバージョンではオンライン専用だったが、「アリーナウォーズ」アップデートでストーリーモードでも選べるようになった(同時にこのラジオ局で流れる曲が、選んでいるレジデントDJによって変わる機能も廃止された)。 GTA SAに収録されているラジオ局にSan Fierro Underground Radio(SF-UR)が存在した。 ソロモンミックスは2018年7月31日に最初に追加され、テイル・オブ・アスミックスは2018年8月7日に、ディクソンミックスは2018年8月14日に、ザ・ブラック・マドンナミックスは2018年8月21日にそれぞれ追加された。 Ron Hardyの曲「Sensation」の聴き比べができたり、Art of Noiseの曲「Beat Box」やJoe Jacksonの曲「Steppin' Out」といった過去作の収録曲を楽しめるのも魅力。 ラジオ局の収録曲の数はダントツで最多。全て聴き切るまでに4時間ほど掛かる。 上へ
https://w.atwiki.jp/gtav/pages/2237.html
Los Santos Underground Radio imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 Los Santos Underground Radio概要 説明 プレイリスト 場所 余談 概要 ジャンル:ハウス 、テクノ 、エレクトロニック 所在地:ロスサントス 周波数:- 楽曲数:65曲(18+18+15+14) DJ:Solomun 、Tale Of Us 、Dixon 、The Black Madonna 説明 「ナイトライフ」アップデートで追加されたラジオ局。当初はGTAオンライン専用だったが、「アリーナウォーズ」アップデートでストーリーモードでも選局できるようになった。 プレイリスト ソロモンミックス アーティスト名 曲名 発売年 Am$trad Billionaire The Plan 2013 Ara Koufax Natural States (Edit) 2017 Swayzak In The Car Crash (Headgear's Always Crashing In The Same Car Mix) 2002 D. Lynnwood Bitcoins (Original Mix) 2018 Bryan Ferry Don't Stop The Dance (Todd Terje Remix) 2013 Denis Horvat Madness Of Many 2018 Johannes Brecht Page Blanche 2018 Solomun Ich Muss Los 2018 Matthew Dear Monster 2018 Truncate WRKTRX3 2018 Floorplan Spin 2016 Cevin Fisher The Freaks Come Out (2000 Freak Mix) 2000 Chris Lum You're Mine (Clean Version) 2014 Alex Metric Ten Ven The Q 2018 Solomun Customer Is King 2018 Adam Port Planet 9 2018 Dubfire The End To My Beginning 2018 Leonard Cohen You Want It Darker (Solomun Remix) 2016 テイル・オブ・アスミックス アーティスト名 曲名 発売年 Tale Of Us Overture 2018 Tale of Us 1911 2018 Tale of Us Trevor's Dream 2018 Tale of Us Vinewood Blues 2018 Tale of Us Anywhere 2018 Tale of Us Symphony Of The Night 2018 Tale of Us Another World 2018 Tale of Us The Portal 2018 Tale of Us Solitude 2018 Tale of Us Morgan's Fate 2018 Tale of Us Fisherman's Horizon 2018 Tale of Us Myst 2018 Tale of Us Seeds 2018 Tale of Us Endless Journey 2018 Tale of Us Valkyr 2018 Tale of Us In Hyrule 2018 Tale of Us Disgracelands 2018 Tale of Us Heart Of Darkness 2018 ディクソンミックス アーティスト名 曲名 発売年 Carl Finlow Convergence 2004 Caravaca Yes I Do 2017 Warp Factor 9 The Atmospherian (Tornado Wallace Remix) 2017 Mashrou' Leila Roman (Bas Ibellini Mix) 2018 Future Four Connection (I-Cube Rework) 2018 Rite De Passage Quinquerime 2018 The Egyptian Lover Electro Pharaoh (Instrumental) 2018 Marcus L. Telstar 2018 Romanthony Bring U Up (Deetron Edit) 2012 Solar 5 Seconds 2017 Sharif Laffrey And Dance 2018 Ron Hardy Sensation (Dub Version) 1985 Aux 88 Sharivari (Digital Original Aux 88 Mix) 2013 Oni Ayhun OAR003-B 2012 TCK FT. JG Reach Out Your Hand (Erol Alkan Rework) - GTA Edit 2018 ザ・ブラック・マドンナミックス アーティスト名 曲名 発売年 Ron Hardy Sensation 1985 Derrick Carter Where Ya At 2002 Tiga Bugatti 2016 Metro Area Miura 2002 The Black Madonna A Jealous Heart Never Rests 2013 Art of Noise Beat Box 1984 The Black Madonna ft. Jamie Principle We Still Believe 2018 Nancy Martin Can't Believe 1982 P-Funk All Stars Hydraulic Pump Pt. 3 1983 Steve Poindexter Computer Madness 2003 Ten City Devotion 1989 The Black Madonna We Can Never Be Apart 2013 Joe Jackson Steppin' Out 1982 The Black Madonna He Is The Voice I Hear 2017 場所 個々の楽曲 以下の場所で聞くことができる。ナイトクラブ 収録されているいくつかの曲は以下のロックスター・ゲームスの公式トレーラーに使用されている。Metro Areaの曲「Miura」は「GTAオンライン」に7月新登場 に使用されている。 TCK(Tuff City Kids)の曲「Reach Out Your Hand (Erol Alkan Rework) - GTA Edit」はGTAオンライン:ナイトライフ に使用されている。 余談 CMが無いラジオ局の1つで、プレイリストの順番は固定。 「ナイトクラブ」アップデートのバージョンではオンライン専用だったが、「アリーナウォーズ」アップデートでストーリーモードでも選べるようになった(同時にこのラジオ局で流れる曲が、選んでいるレジデントDJによって変わる機能も廃止された)。 GTA SAに収録されているラジオ局にSan Fierro Underground Radio(SF-UR)が存在した。 ソロモンミックスは2018年7月31日に最初に追加され、テイル・オブ・アスミックスは2018年8月7日に、ディクソンミックスは2018年8月14日に、ザ・ブラック・マドンナミックスは2018年8月21日にそれぞれ追加された。 Ron Hardyの曲「Sensation」の聴き比べができたり、Art of Noiseの曲「Beat Box」やJoe Jacksonの曲「Steppin' Out」といった過去作の収録曲を楽しめるのも魅力。 ラジオ局の収録曲の数はダントツで最多。全て聴き切るまでに4時間ほど掛かる。 上へ
https://w.atwiki.jp/youngquadav/pages/31.html
POP条件 ル・メトの園 1階C-7,F-13,H-4,J-13,M-7 ???にゴラホMチップを12個トレードするとPOP ???は約15分間隔で移動 ドロップ品 フォーテテュアクス(両手斧 D64 隔504 VIT+7 ヴァルチャストーン装備時時々2回攻撃 Lv73~ 戦暗) フォーテテュトルク(首 VIT+5 片手剣スキル+7 両手斧スキル+7 Lv73~ All Jobs) 第二の聖徳(Jailer of Justiceのトリガー) NM情報 ミラーボール(人型)。ナイトタイプ。 使用アビ:インビンシブル(複数回) 本体のHP25000ポイント。Kf ghrah2体(ミラーボール。属性はその時により異なる)と同時にPOP。 物理攻撃は400程度。範囲攻撃も使用する。 ミラーボールが残っている場合WSや魔法を真似してくる。 こちらがスロウを打つとスロウを使用。サンダー4を打つとそのまま返ってくる (詠唱時間なし)。ケアルを撃っても跳ね返ってくる模様。 WSに対してはボーパルブレード。しかし、雑魚(Kf ghrah)を双方倒すことで、真似してこなくなる。 スタンバインドグラビデ無効、足は早め。雑魚を先に倒すことをオススメします。 精霊魔法に対して非常に弱く、黒多目の構成がオススメです。
https://w.atwiki.jp/cgarnet/pages/9.html
Ability Scores D20 Systemにおいては能力値が各 PC のベースとなる重要なファクターとなります。もし,知力が平均より低い PC を作成したのなら,その通りに頭の悪い存在を演じてください。 Strength (STR) 筋力と呼ばれ,PC の力強さを決定します。STR は唯一能力値が低くても大きなペナルティの課されない能力値です。ただし間接的には運搬可能重量に対してどれくらい荷物を所持しているのかが疲労レートに関係してきます。 ただし,基本ルールにおける攻撃ダイスの不利な修正以外これといって特にシステム上ペナルティは存在しません。 Dexterity (DEX) 目と手のコンビネーション,敏捷さそしてバランスなどをあらわします。システム上,HTF のレートに関連し,またWISと共に釣りをする際のベースの能力値として使用されます。もし,DEXが10以下ならば PC に何かを釣り上げることの出来るチャンスは存在しないでしょう。 DEX が平均より低い場合,すなわち 9 以下の値の場合は日常の生活で,何かを落としたり,あるいはなんでもないところで躓くのが良くあることだと定義されます。もし DEX が 7 以下の場合は,歩行すら介助なしには困難でしょう。プレイする際にはこれに沿ってプレイしてください。 Constitution (CON) 健康とスタミナを表現する能力値です。HTF システムに直接かかわってくる重要な能力値です。低い CON の能力値は長時間の冒険に多大な困難をもたらすでしょう。CON が 8 以下の場合は,その PC は安全な都市部で簡単な軽作業以上のことをせずにすごすしかなくなるでしょう。 Intelligence (INT) 知力を現す能力値であり,何か新しいことを学ぶ際にどれだけの時間がかかるかを現す能力でもあります。この能力値が平均以下の場合,会話などに困難をもたらすでしょう。INT が 9 の場合,周囲の人々は時々あなたの言っていることを理解できないことがあります。8 の場合はそれに加えて読み書きは不可能となります。もし,7 以下の能力値であった場合,意思疎通はほとんど不可能となります。 Wisdom (WIS) 意志の力,常識的センス,知覚力などを現す能力値です。DEX と並んで釣りをする際に必要な能力値です。WIS が 10 以下の場合釣りが成功するチャンスは存在しません。また,WIS が低いと HTF システム上より疲れやすいというペナルティが存在します。 WIS が 9 しかないならばあなたの PC は物事を決断することはほとんど出来ないでしょう。もし 7 以下の WIS 値である場合,常識に沿った振る舞いはほとんど期待できず,官憲により収容され隔離されることになるでしょう。 Charisma (CHA) パーソナリティ,リーダーシップ,そして若干の外見的要素を含みます。CHA が低い場合クエストNPCであっても会話に応じてくれるチャンスが減少します。特に外見的魅力を表すだけの能力値ではないので,美醜と関連付けて考えるのは止めてください。 そもそも種族などが違えば美醜の判断はかなり違うでしょう。CHA はどちらかといえば人当たりのよさ,リーダーシップ,人を惹きつける内面的な魅力を表現していると考えたほうが妥当でしょう。 Ability Bonus を付与するアイテムについて Ability Bonus を付与するアイテムは魔法の力により PC に不思議な力を与えます。それはより体力を増やしてくれるものだったり,筋力を増やしてくれるものだったりするでしょう。 しかし,それはあくまでも限定された状況に適応されるものです。INTが 8 のキャラクタが INT + 2 の指輪を身につけた場合,スキルの成功値などが上昇しますが,読み書きが出来るようにはなりません。 こうした能力値からくる不利を解消するためにはアイテムではなく,レベルアップの際に能力値を獲得していくしか方法はありません。
https://w.atwiki.jp/mtgflavortext/pages/2968.html
白 青 黒 赤 緑 多色 アーティファクト 土地 白 大天使/Archangel ダラジャ・グリフィン/Daraja Griffin フリーウィンド・ファルコン/Freewind Falcon 霊糸の鎖/Gossamer Chains 歴戦の歩兵/Infantry Veteran ジャムーラン・ライオン/Jamuraan Lion 長弓兵/Longbow Archer 奇跡の復活/Miraculous Recovery 胸壁/Parapet 和平交渉/Peace Talks 秘宝の護法印/Relic Ward 治療/Remedy レジスタンス兵/Resistance Fighter 弱者の報復/Retribution of the Meek 正義のオーラ/Righteous Aura 太陽の外套留め/Sun Clasp テフェリーの儀杖兵/Teferi s Honor Guard 戦士の誉れ/Warrior s Honor ザルファーの聖戦士/Zhalfirin Crusader 青 裏切り/Betrayal 微風の守り手/Breezekeeper 時エイトグ/Chronatog 雲の精霊/Cloud Elemental 奪取/Desertion 海嘯/Flooded Shoreline 衝動/Impulse 霊感/Inspiration 霧の騎士/Knight of the Mists 大クラゲ/Man-o -War 神秘のヴェール/Mystic Veil 繁栄/Prosperity 虹のイフリート/Rainbow Efreet 蜃気楼のイフリート/Shimmering Efreet 金切り声のドレイク/Shrieking Drake テフェリーの世界/Teferi s Realm 時空の満ち干/Time and Tide 再帰/Undo 消失/Vanishing 竜巻のジン/Waterspout Djinn 黒 アクーのジン/Aku Djinn 夜のとばり/Blanket of Night ゴキブリの大群/Brood of Cockroaches 強要/Coercion 墓所のネズミ/Crypt Rats 闇の特権/Dark Privilege 死の見張り/Death Watch 土地の荒廃/Desolation 墜ちたるアスカーリ/Fallen Askari 冥府の収穫/Infernal Harvest ケアヴェクの悪意/Kaervek s Spite ネクロサヴァント/Necrosavant ネクラタル/Nekrataal アクーの柱状墳墓/Pillar Tombs of Aku ニシキヘビ/Python タール坑の戦士/Tar Pit Warrior アーボーグの吸心鬼/Urborg Mindsucker 吸血の教示者/Vampiric Tutor 貪欲な禿鷹/Wake of Vultures 血塗られた報奨/Wicked Reward 赤 ドワーフ自警団/Dwarven Vigilantes 火炎破/Fireblast ゴブリン徴募兵/Goblin Recruiter 豚乗りゴブリン/Goblin Swine-Rider 巨体のサイクロプス/Hulking Cyclops クークズの番人/Keeper of Kookus 雷雲/Lightning Cloud 群集心理/Mob Mentality オーガの処罰者/Ogre Enforcer 怒り狂うゴリラ/Raging Gorilla 連続突撃/Relentless Assault 岩崩れ/Rock Slide 硫黄の噴気孔/Solfatara 血の歌/Song of Blood 火吹きドレイク/Spitting Drake スークアタの槍騎兵/Suq Ata Lancer タールルームの勇者/Talruum Champion タールルームの笛吹き/Talruum Piper 微震/Tremor ヴィーアシーノの砂漠の狩人/Viashino Sandstalker 緑 猛き雄象/Bull Elephant 孤独の都/City of Solitude 忍び寄るカビ/Creeping Mold エレファント・グラス/Elephant Grass エルフの隠し場所/Elven Cache 野生の衝動/Feral Instinct 大イモムシ/Giant Caterpillar 下降気流/Katabatic Winds キング・チータ/King Cheeta 致命傷/Mortal Wound 自然の秩序/Natural Order 豹の戦士/Panther Warriors クウィリーオン・ドルイド/Quirion Druid クウィリーオン・レインジャー/Quirion Ranger リバー・ボア/River Boa 二度目の収穫/Rowen 暴走するヌー/Stampeding Wildebeests 花盛りの夏/Summer Bloom ウークタビー・オランウータン/Uktabi Orangutan イボイノシシ/Warthog 気流の激変/Wind Shear 多色 軍隊蟻/Army Ants 吐息の盗人の墓所/Breathstealer s Crypt フェメレフのエンチャントレス/Femeref Enchantress 炎の嵐のヘルカイト/Firestorm Hellkite 導きの聖霊/Guiding Spirit ムンドゥングー/Mundungu 宿命の戦い/Righteous War スケイルベインの精鋭/Scalebane s Elite サイムーン/Simoon 資源の浪費/Squandered Resources スレイマンの遺産/Suleiman s Legacy 嵐のドレイク/Tempest Drake ヴィーアシヴァン・ドラゴン/Viashivan Dragon アーティファクト ダイアモンドの万華鏡/Diamond Kaleidoscope ドラゴンの仮面/Dragon Mask 覚醒の兜/Helm of Awakening 泡のお守り/Juju Bubble マグマ地雷/Magma Mine マトピー・ゴーレム/Matopi Golem ファイレクシアの歩行機械/Phyrexian Walker 時の砂/Sands of Time シッセイの指輪/Sisay s Ring 蛇かご/Snake Basket 戦争の三角/Triangle of War 否定のワンド/Wand of Denial 土地 グリフィンの峡谷/Griffin Canyon 知られざる楽園/Undiscovered Paradise
https://w.atwiki.jp/storyteller/pages/1122.html
METAL GEAR 2 SOLID SNAKE part39-279~298 279 :METAL GEAR2 SOLID SNAKE:2008/06/08(日) 18 08 26 ID rl44rDYV0 別のことやろうと思ってたのに結局メタルギア2を執筆してしまった… というわけで投下。 主要登場人物① ■ソリッド・スネーク 元FOX HOUND隊員。 拉致されたマルフ博士奪還のため呼び戻される。 ■ホーリー・ホワイト 先にザンジバーランドに潜入している女性。 とりあえずヒロインみたいな感じ。 ■ロイ・キャンベル FOX HOUND司令官。大佐。 ■ジョージ・ケスラー 元傭兵。武器兵器の専門家としてスネークをサポートする。 ■グスタヴァ・ヘフナー(オリジナル版ではナターシャ・マルコヴァ) チェコの秘密工作員(STB)。マルフ博士の護衛をしていた。 元カンガリー・オリンピックのゴールドメダリスト。 280 :METAL GEAR2 SOLID SNAKE:2008/06/08(日) 18 09 11 ID rl44rDYV0 主要登場人物② ■キオ・マルフ 高純度の石油を精製する微生物「OILIX」を発明した学者。 ザンジバーランドに拉致される。 ■ドラゴ・ペトロヴィッチ・マッドナー メタルギアの開発者。再び拉致され、メタルギア開発に従事させられている。 ■グレイ・フォックス スネークの先輩隊員。 ■BIG BOSS 元FOX HOUND司令官。OUTER HEAVEN騒乱でスネークに敗れる。だが… 281 :METAL GEAR2 SOLID SNAKE:2008/06/08(日) 18 09 34 ID rl44rDYV0 1990年代後半…世界は安定化の時代を迎えようとしていた。 大国間の雪解け、地域紛争の和解緩和により『核の脅威』も過去の産物になろうとしていた。 しかし、平和を好まないものたちもいた…中東で不穏な空気が高まっていたのである。 ソ連、中国、中近東に隣接する小国ザンジバーランドに軍事政権が樹立。 ザンジバーランドは世界各国の廃棄用核兵器貯蔵庫を襲撃し、核武装を遂げたのち、 隣国に対して無差別侵攻を開始したのである。 一方、予想以上に早く訪れた石油資源の枯渇により世界は深刻なエネルギー危機に直面していた。 そんな中、チェコの生物学者キオ・マルフ博士が高純度の石油を精製する微生物「OILIX」 を発明した。 「OILIX」を巡り、世界は緊張状態に突入したのである。 しかし、マルフ博士は渡米途中、ザンジバーランドにより拉致されてしまった。 ザンジバーランドは核兵器と「OILIX」により、軍事的優位を確保しようとしているのである。 博士を救出すべく、元FOX HOUND隊員ソリッド・スネークに指令が下った… 282 :METAL GEAR2 SOLID SNAKE:2008/06/08(日) 18 09 55 ID rl44rDYV0 ザンジバービル前の崖を登りきったスネークは、キャンベル大佐に無線連絡を入れる。 「こちらスネーク…潜入ポイントに到着」 「スネーク…相変わらず、時間通りだな。 よし…『OPERATION INTRUDE F014』開始。 もう一度、確認する。君の任務はザンジバーランドに潜入、 拉致されているチェコの生物学者キオ・マルフを奪取することだ」 「…マルフ博士の位置は?」 「うむ…マルフ博士の奥歯に発信機が埋め込まれている。 接近すればレーダー上に投影されるはずだ。 …幸運を祈る」 警戒網をくぐり、ダクトから内部へ潜入したスネークの無線機に通信が入る。 「私、ホーリー…ホーリー・ホワイト」 ジャーナリストとして潜入していたという彼女のサポートを受け、スネークは潜入を続行する。 283 :METAL GEAR2 SOLID SNAKE:2008/06/08(日) 18 10 29 ID rl44rDYV0 ガス地帯を抜け、マルフ博士らしき人物を発見するが、それは敵の変装だった。 「ふふ…愚かなFOX HOUND部隊! マルフ博士はここにはいないっ! こんな安っぽい発信機でだまそうとは、FOX HOUNDも相当、時代遅れだな。 俺はブラック・ニンジャ。 世界一のハイテク不正規戦部隊FOX HOUNDとやらの実力を見せてもらおうか!」 スネークは襲い来るブラック・ニンジャを退ける。 彼の正体はOUTER HEAVENでスネークをサポートしたカイル・シュナイダーだった。 「…スネーク、お前がメタルギアを破壊した後、NATO軍による大規模なOUTER HEAVEN爆撃が行われた。 レジスタンスであった我々も…OUTER HEAVENの女子供も…みんな見捨てられた」 彼は「あの人」に助けられたと語り、博士の独房へのヒントを語って息絶えた… 284 :METAL GEAR2 SOLID SNAKE:2008/06/08(日) 18 11 07 ID rl44rDYV0 シュナイダーのヒントを元に博士の囚われていると思しき小屋を発見したスネークは、 部屋の壁を何者かが叩いているのに気づく。 それが暗号であることに気づいたスネークは、暗号を解読し、無線機で連絡をとってみる。 「おう、わかってくれたか…私の暗号の意味を」 「マルフ博士?」 「久しぶりだな、スネーク!」 「ドラゴ・ペトロヴィッチ・マッドナー博士?…どうして!」 そこに囚われていたのはマルフ博士ではなく、かつてOUTER HEAVENで出会ったマッドナー博士だった。 彼によると、マルフ博士はタワービルに移され、自分はメタルギアを開発させられているという。 「スネーク…ここまで言えば、こいつらの黒幕が見えてきたじゃろう?」 「BIG……BOSS?」 マッドナーによれば、BIG BOSSはメタルギアと「OILIX」で世界を握ろうとしているという。 さらにマルフ博士は心臓が弱く、いつまで拷問に耐えられるか分からないらしい… 彼に同行していたSTBのエージェントと連絡を取るよう助言を受けたスネークは、 ここに残るというマッドナーに必ず迎えに来ると言い残し、タワービルを探して迷いの森へ戻って行った。 森を抜け、砂地に辿り着いたスネークに通信が入る。 「スネーク!そこは危ないぞ!地雷原だ」 「あんたは?」 「ファンの一人さ…うまくやれよ」 謎の男からの通信通り埋まっていた地雷を回収しつつ、北を目指すスネークの前にハインドDが現れる。 空中から機銃で攻撃するハインドに対抗する術はない。 「スティンガーミサイルがあれば、この怪鳥を落とすことができるぜ」 ケスラーのサポートを受け、スネークはスティンガーミサイルを探すため、一時撤退する。 285 :METAL GEAR2 SOLID SNAKE:2008/06/08(日) 18 11 29 ID rl44rDYV0 森へ引き返したスネークは途中、大きな沼を発見する。 傍にいた子供の証言によれば、ここをトラックが渡っていったのだという。 スネークは沼の沈まない部分を渡り、奥に施設を発見する。 「久しぶりの客人か?…いいところに来たぜ。 これからひとっぱしりしようと思っていたところだ。 俺はランニング・マン。世界一俊足な傭兵だ。俺の足についてこられるかな?」 敵の俊足を逆手にとり、勝利をおさめたスネークは敵の持っていたカードを入手する。 ザンジバービルへ引き返し、回収したカードでスティンガーミサイルを発見したスネークは、 ハインドを撃墜することに成功した。 タワービルへと辿り着いたスネークに大佐が通信を送ってきた。 「これより先は周波数を変更する」 荷物にまぎれてタワービルへと潜入したスネークに今度はホーリーから通信が入った。 「スネーク!わたし…正体がばれちゃってつかまっちゃったの!!助けて! …マルフ博士と接触がとれたのに」 「どこだ?!…場所は?」 「…わからない。目隠しされてたから。 タワービルのどこかだと思うけど…」 ホーリーは周りから聞こえてくる音を伝えてきた。 スネークはそれをヒントにタワービル内を探索する。 286 :METAL GEAR2 SOLID SNAKE:2008/06/08(日) 18 11 52 ID rl44rDYV0 地下を捜索していたスネークはホーリーの通信に似た場所を発見する。 壁をプラスティック爆弾で破壊し、ようやくホーリーを救出した。 「助かったわ、スネーク」 彼女によれば、マルフ博士は伝書鳩を飛ばしたらしい。 カードのコピーを渡し、去ろうとするホーリーにスネークは声をかける。 「ホーリー!」 「えっ?…」 「今のは、恋人同士の別れの言葉だ」 「…じゃあ、私たちは?…なんて言うの?」 「生きていればいつでも会える…」 そう別れを告げたスネークは、敵兵たちよりも先に鳩を発見するため一路屋上を目指す。 タワービル30Fに辿り着いたスネークの周りを無数の糸が囲っていた。 「こ、これは?…ブービー・トラップ?」 「その通りだ。 狐を生け捕るトラップさ。FOX HOUND。 俺はレッド・ブラスター。これで動けまい。 俺のグレネードでゆっくり料理してやろう」 障壁に身を隠すレッド・ブラスターをグレネードで迎え撃ち、スネークは勝利をおさめる。 287 :METAL GEAR2 SOLID SNAKE:2008/06/08(日) 18 12 14 ID rl44rDYV0 屋上に辿り着いたスネークはエサを使って鳩を捕まえる。 鳩の足にはマルフ博士からのメッセージが書かれた紙が結ばれていた。 「『HELP! WIS, OhIO KIO MARV』… Hだけが小文字?マルフ博士の伝言なのか?」 手紙は暗号だった。 暗号を解いたスネークはマルフ博士に通信を試みる。 「Tady je Marv, Co mam delat? Chceme jenom mir」 マッドナー博士によれば、彼はチェコ語とスロバキア語しか話せないらしい。 彼らを護衛したSTBのエージェント、グスタヴァなら話せると聞いたスネークは、 敵ユニフォームを奪って潜伏しているという彼女にコンタクトを試みる。 ザンジバービルへと戻ったスネークは4Fでグスタヴァを発見する。 「…そうよ、私…STB局員のグスタヴァ・ヘフナー。 ソリッド・スネークね…お互い追うものは同じ。 協力してマルフ博士を助けましょう」 マルフ博士と無線で話したグスタヴァによると、 彼はタワービル北のクレバスを越えた先にある収容所にいるらしい。 グスタヴァの案内に従い、地下水道を進んでマッドナー博士の独房に辿り着くスネーク。 「おう!…グスタヴァ、スネーク!」 「よく御無事で…」 「…少しやせたな…マッドナー」 「君は変わらんな、スネーク」 再会も束の間、再び地下水道を行く3人。 途中、疲れたというマッドナーに従い、休憩することに。 288 :METAL GEAR2 SOLID SNAKE:2008/06/08(日) 18 12 38 ID rl44rDYV0 「…おかしいわね」 「仕方ない、マッドナーはああ見えても年だ」 「違うわよ。私たち… 世界的な天才学者、元オリンピック選手、元特殊部隊隊員がこんな下水道で…」 グスタヴァの語る身の上話の中、ある男の名前が出てくる。 「…一度だけ、一度だけ結婚を考えたことがあった。 私がまだ氷の上を走っていた頃。 今でもくるしくなるような大恋愛だった…フランク・ハンターっていう西側の男」 彼のために亡命を試みたが、政治的な理由で拒否されたのだという… ちょうどトイレから戻ってきたマッドナーを加え、3人は先へと進むのだった。 タワービルの北、クレバスへと辿り着いた3人は、 クレバスにかかる一つの橋をマッドナーから順番に通ることになる。 マッドナーが渡り終え、グスタヴァが渡ろうとした瞬間、飛来したミサイルが橋を破壊した。 グスタヴァの肢体が宙に舞う。 「グスタヴァっ!」 「…あ、私… 私、やっぱり…氷の上しか歩けなかったみたい。 滑ることばかりで…両足、ちゃんと両足で地面を踏みしめて歩くことをしなかったわ…」 「東西の氷は解けはじめているんだ。 グスタヴァ?今度こそ地面の上をしっかりと…自分の人生の上を踏みしめて味わう時だ。 グスタヴァ?まだだ、まだだ…」 「もういいのよ…私、何人もの死を見てきているわ。 自分がどんな状態か…わかる…残念だわ。またいい人にめぐり合えたのに」 カード6とブローチを渡し、彼女は息絶えた。 マッドナーは連れて行かれ、そしてミサイルを発射した巨体が現れた。 289 :METAL GEAR2 SOLID SNAKE:2008/06/08(日) 18 13 00 ID rl44rDYV0 「……メタル…ギア?」 「スネークっ!! 俺だ…グレイ・フォックスだ」 「グレイ…フォックス…」 「貴様にこの橋は渡らせん!!マッドナーは連れて行く。 どうだ、スネーク?昔のよしみだ。ここは見逃してやってもいい。 さっさとここから立ち去れっ!いいか…いますぐに…国へ帰れ! わかったな…ハハハァ…」 「フォックス! ……俺はあきらめんぞっ!」 ホーリーからの通信を元に、ハンググライダーを手に入れたスネークは、 タワービルから飛び出すために20Fを目指す。 しかし、突如19Fでエレベーターが止まり、フォックスから通信が入った。 「スネーク!…俺だ。グレイ・フォックスだ」 「フォックスっ!」 彼は忠告を無視したスネークに暗殺部隊を送り込んだというのだ。 「俺たちは密室専門の暗殺部隊フォー・ホースメンだ。 大統領おかかえの極秘チームだ。俺たちに料理されることを誇りに思え」 スネークは4人を倒すことに成功するが、エレベーターは壊れてしまい、1Fに戻ってしまった。 別のエレベーターから10Fに昇ったスネークは、待ち伏せていた敵兵と戦いながら20Fを目指す。 290 :METAL GEAR2 SOLID SNAKE:2008/06/08(日) 18 13 28 ID rl44rDYV0 20F、ベランダに辿り着いたスネークに通信が入る。 「俺だ。ファンの一人だ。 そこからダイブできるのは北向きの風がふいたときだけだぜ」 彼のアドバイスを元にハンググライダーで飛び出し、クレバスを越えたスネークは高原地帯に辿り着く。 「待ってたぞ。スネーク! 俺はジャングル・イーブル。 ジャングル内でのアンブッシュで俺の右にでるものはいない。 本物のヘビかどうか試してやる」 イーブルに勝利したスネークは北にあるバイオラボでタマゴを入手し、 孵ったフクロウを使って収容所に潜入することに成功した。 エレベーターで地下3Fに降りたスネークに再びファンの一人から通信が入る。 「俺だ…ファンの一人だ。スネーク、気をつけろ。 その部屋にあの伝説のゲリラ部隊ウィスパーズの生き残り、ナイト・フライトがいる」 ステルスと銃声を消した銃による攻撃に苦戦を強いられるが、なんとかスネークは勝利をおさめた。 硫酸を中和しながら進み、マルフ博士がいると思しきドアの前に辿り着くが、 持っているカードキーでは開くことができなかった。 「カード9はジャングル・イーブルがもっていたはずだ!」 ファンの一人からの通信を頼りに、カードキーを回収したスネークはようやく中へ入り込むことができた。 だが…そこにあったのはマルフ博士の遺体と、横に立つマッドナー博士の姿だった。 「あっ!…スネーク。 手遅れじゃ…たった今、息をひきとったよ。心臓がもたんかったんじゃ」 だが、スネークはマルフ博士の遺体に不審な点を発見する。 「ん?首筋にアザが??」 「心配せんでもいい、スネーク。 マルフが死んでもOILIXの設計図は大丈夫じゃ。 マルフは用心深い男、万一の時のために設計図をのこしとる」 ゲームマニアであるマッドナー博士は、カートリッジの基盤にマイクロフィルムを隠したのだという。 だが、それを隠したロッカーの鍵がどこにあるかは知らないという。 そこにホーリーからの緊急通信が入る。 291 :METAL GEAR2 SOLID SNAKE:2008/06/08(日) 18 13 59 ID rl44rDYV0 「スネーク!大変っ!!」 「どうした!ホーリー?」 「スネーク。マッドナーのこと…気になったから局に調べてもらったの。 OUTER HEAVENから救出された後の彼だけど…幸福ではなかったみたい」 彼女によるとマッドナーは学会から疎外されたことを恨み、二重スパイとなっていたのだという。 「すると今度のマルフの一件も?」 「そうね、タイミングがよすぎるわ。 マルフの詳細にわたる渡米スケジュールをマッドナーが流していたからにちがいないわ」 「最初からマッドナーはOILIXを手に入れるためにマルフに近づき、同行した…」 マッドナーは開き直る。 「そんなところかのう。スネーク。 わしは…きみらの世界にわしのすべてをかけていたんじゃ。そのために住み慣れた国を捨て… じゃが君らはわしを罵倒し、ことごとく非難した。 わしは…メタルギアを完成させたかったのじゃ!」 自らの心情を語りつくした彼は、マルフ博士を殺害したことをも告白した。 「どうしてもOILIXの設計図を渡そうとせんからじゃ!」 そしてグスタヴァも死も、彼がフォックスに連絡をとっていたからだった。 グスタヴァから預かったブローチこそがロッカーの鍵であるという。 「スネーク。マルフから、いやグスタヴァから預かった マルフのロッカーのカギを渡せ!!」 首に掴みかかってきたマッドナーを一蹴したスネークは、マイクロフィルムを回収した。 去ろうとするスネークにまだ息のあったマッドナーが声をかける。 「ス、スネーク… スネーク…奴がこのままお前を見逃すはずはない。 あれを…メタルを使うはずじゃ。 む、娘のエレンへのプレゼントじゃ。あれの破壊方法を…教えてやる」 弱点を聞き出したスネークの足元に、突如穴が開いた。 292 :METAL GEAR2 SOLID SNAKE:2008/06/08(日) 18 14 25 ID rl44rDYV0 長い穴を滑り落ちた先は地下基地だった。 「スネーク!このメタルギアに破壊方法なぞないわ。 おいぼれ学者のひとりよがりだ!」 「フォックスか?…どこにいる?」 「すぐ会えるさ、スネーク。 正面のドアを通ってこい!」 ドアをくぐった先で大きな足音が響く…メタルギアD。 「スネーク!俺も…このメタルギアも昔とは違う。 本物の恐怖と敗北感を味あわせてやる!」 移動しながらミサイルと機銃で攻撃してくるメタルギア。 スネークはマッドナーの言った弱点を攻めることで破壊に成功した。 だが、爆発に巻き込まれたスネークの装備に火がついてしまった。 慌てるスネークを尻目に、フォックスは勝ち誇ったように言う。 「スネーク! カートリッジはもらっていくぞ、…焼け死ぬがいい!」 装備を捨て、後を追うスネークの前に立ちはだかるフォックス。 「ここは?」 「決着をつけるには最高のリングじゃないか。 スネーク。久しぶりだな…この地雷原の中で…素手でどうだ?」 「チキン・ファイトか?」 「FOX HOUND最高のライバル。 俺はおまえとやれる時を心待ちにしていた!」 「フォックス! 貴様の腐りきった性根を叩きなおしてやるっ!」 「スネーク! フォックスの称号の貴さを思い知れ!」 293 :METAL GEAR2 SOLID SNAKE:2008/06/08(日) 18 14 47 ID rl44rDYV0 戦いがはじまると同時にケスラーから通信が入った。 彼によれば、フォックスは10年前、ハンターと呼ばれていたらしい。 …そして、東側の女との間に関係があったとも。 フォックスは彼女の西側への亡命を手引きしたが、失敗に終わったらしい。 そう、その女の名は…グスタヴァ・ヘフナー。 地雷原の中、一対一、素手での純粋な殴り合いを制したスネークにフォックスは語る。 「スネーク…どうやらフォックスの称号をゆずる時がきたらしいな」 「フォックス…なぜだ?」 「俺は…お前と違って、複雑な立場にある。 BIG BOSSはお前にとっては単なる上官にすぎなかったかもしれんが。 俺は彼に二度、命を救われた。部隊に入るずっと以前のことだ。 俺はベトナムでの二世だった…当時、白人との二世は終戦後も迫害され 強制労働を強いられていたのだ。 あの人はあの地獄から俺を救ってくれた。ここの子供たちのように… 二度目はモザンピーク。 レモナ兵として拷問されていたところを助けられた。 その時、俺は耳も鼻もそがれ…ひどい状態だった」 「恩返しのつもりか!!これが…」 「そうではない。俺は戦争が憎い。 ここの子供たちのように。だが…俺には戦争が必要だ。 俺たちのような戦争屋は一般社会では生きてはいけない。 俺たちは、戦争屋には戦場が必要なんだ。 ボスは俺たちに戦う場を与えてくれる。 持って生まれた闘争本能をごまかすことはできない。 …俺は戦場で生まれて…戦場で死ぬ。 スネーク…俺たちは戦うしか…戦うしかない。 人を…まして、女を幸せにすることなんぞ…できやしねぇ」 「彼女のことか…」 「俺にはダイイング・イン・アクションが似合いだ」 「フォックス、安心しろ。 俺は決してお前のようにはならん」 「その言葉…あの世へみやげにもっていく…うまくやれよ、スネーク。 …ファンの期待を裏切るなよ」 「…そうか!フォックスだったのか…あの無線は」 「俺のわがままの代償さ…先にいくぜ。スネーク」 「ひとりじゃないぜ、フランク。向こうでグスタヴァが待っている」 「…グスタヴァ……ありがとう…スネーク」 294 :METAL GEAR2 SOLID SNAKE:2008/06/08(日) 18 15 08 ID rl44rDYV0 フォックスは死んだ。 カートリッジを取り戻したスネークを誘う声が聞こえる。 「こっちだ、スネーク!」 辿り着いた先に待ち構えていたのは…あの男。 「BIG BOSS…生きていたのか」 「スネーク…ようこそザンジバーランドへ… やはり戻ってきたな。私の元へ」 「俺は3年間とりついている悪夢を払いにきた」 「悪夢?払えやせんよ。 スネーク、…一度、戦闘の快感、テンションを味わったものは一生…戦場に身を置くことになる。 一度、表出した戦闘本能は二度と眠ることはないのだ。 より強烈なテンションが欲しくなる。 このどうしようもない感覚…傭兵であるお前ならよくわかるはず。 お前たちの欲求を唯一、満たしてくれるものは権力でも金でも、SEXでもない。 ただひとつ…WAR(戦争)だ! 私はお前らにその場を与えているのだよ。お前らの生きがいをな」 「偽善者きどりか?…BIG BOSS」 「お前もあの子供たちを見ただろう? 世界各国で生まれた戦争犠牲者。そして次の戦争を担う戦士の卵たち。 戦争を誘発させ、支援し、犠牲者を生み…救護、訓練して…再び戦場にフィードバックさせる。 実に合理的なシステムだ。この世に争いは絶えることはない。 我々の目標も…生きがいも」 「職にあぶれることはない…とでもいいたいのか!」 「私もお前も戦場でこそ希少価値だが、国へかえれば不器用なデクだ。 我々の機嫌をとりにくるのはせいぜい安っぽい週刊誌のジャーナリストくらいだろうて。 お前も私も戦場でのたれ死ぬまでここに残るしかないのだ」 「…俺の戦いはただひとつ。 貴様から自由になるために、悪夢をはらうために… BIG BOSS、貴様を倒す!」 295 :METAL GEAR2 SOLID SNAKE:2008/06/08(日) 18 15 30 ID rl44rDYV0 咆えるスネークにBIG BOSSは言う。 「どちらが勝っても我々の闘いは終わらない。 敗者は戦場から解放されるが、勝者は戦場に残る。 そして、生き残ったものは死ぬまで戦士として人生をまっとうするのだ」 「例外もある。 俺は…人生を愛している」 「スネーク、わかった。 私が貴様を苦悩から助けてやろう。 元上官のよしみだ…楽にしてやる」 「もうあんたの世話にはならん!」 「ほう?…その体で、武器もなしに…この私に? 勝算があるというのか」 「最後まで決して諦めない。いかなる窮地でも成功をイメージする。 …あんたの言葉だ」 「私も時には誤りをおかす。 スネークっ! …今度こそ最後の闘いだ。 一回きりの…こいっ!!」 BIG BOSSの攻撃を避けながら、即席の火炎放射器を作り出したスネークは ついにBIG BOSSを倒すことに成功した。 「スネーク!! まだだ…まだだ… スネーク……ス…ネ…」 296 :METAL GEAR2 SOLID SNAKE:2008/06/08(日) 18 15 59 ID rl44rDYV0 地下基地からの脱出を図るスネークの背後に銃が突きつけられた。 「…ごめん。 大丈夫…わ・た・し」 「ホーリー!?」 「驚いた?」 「フゥーッ…命びろいした。 で、どうした?…こんなところまで?」 「約束したでしょ? 生きていたらいつでも会える」 ホーリーから受け取った銃を手に、二人は脱出のためジャングルを駆け抜けた。 迎えのヘリへの通信はすでに済んでいる…しかしなかなか到着しない。 追ってくる敵兵を迎え撃つスネーク…だが。 「し、しまった!! …弾が切れたっ!」 「スネーク?!」 敵兵に囲まれた二人を救ったのは、上空からの機銃掃射だった。 「ヘリだわっ…助かったのよ!」 「遅刻だぞ…チャーリー!」 「2人のお邪魔をしちゃあ悪いかと思ってね」 「クリスマスに間に合うかな?」 「まだ夕食には間に合うわ。スネーク」 「行こうか…キリストは逃げないさ」 二人を乗せたヘリは、夕日の沈む海の彼方へと消え去っていくのだった… 297 :METAL GEAR2 SOLID SNAKE:2008/06/08(日) 18 17 02 ID rl44rDYV0 スタッフロール終了後、キャンベル大佐がスネークに問いかける。 「ご苦労だったな、スネーク…どうだ? もう一度…部隊へ戻らないか?」 「…悪夢は晴れた。俺は自由だ」 「そうか…残念だ。 ところであのカートリッジだが…本当にマルフ博士が残したものなのか?」 それに答えたのはホーリー。 「カートリッジを開けてみたら?」 「その必要はない。俺が持ち帰ったのは間違いなくマルフ博士の残したカートリッジだ。 そのままMSXに差し込んでみろ」 「わかった…よしっ」 画面にMSXのロゴが表示される。 「…何?…何も変わらないわ」 「こ、これは…そうか、スネークの言う通りだっ! これはまぎれもなくマルフ博士の残したカートリッジ」 「何の事?…私には何も見えないわ」 「ほらっ、よく見るんだ…マルフ博士のサインが記されている… ここ、「KIO MARV」のフルネームが」 「あっ、ほんと…逆さまになっているのね」 「これで世界は救われる…」 「マルフ博士の最期のパフォーマンス」 「彼は心からゲームを愛していたのよ…きっと」 「マルフ博士はバカげた政治ゲームに巻き込まれて死んだ」 「でも…彼の残したゲームはみんなを救ったわ。ね、スネーク? スネーク?…どこ行ったの? ねぇ、スネークがいないわ!」 「…スネーク?…逃げられたか?」 「スネーク!スネーク! …夕食の約束をしてたのにひどいわ…」
https://w.atwiki.jp/mtg2384/pages/222.html
開催日:2011 / 03 / 05 参加人数:88名 フォーマット:レガシー(~MBS) LCL4 March - Berga 05/03/2011 autolink 優勝:Goblin‐Rbg 準優勝:Dredge 第3位:URG Tempo‐Canadian 第4位:White Winnie‐Knights 第5位:URG Tempo‐Canadian 第6位:Bant‐Order 第7位:UW Control‐CounterTop ThopterSword +rg 第8位:Enchantress 優勝:Goblin‐Rbg 使用者:Adrià Romero Main Deck 1《沸騰する小湖/Scalding Tarn》 2《乾燥台地/Arid Mesa》 2《Badlands》 2《血染めのぬかるみ/Bloodstained Mire》 2《Taiga》 2《樹木茂る山麓/Wooded Foothills》 3《リシャーダの港/Rishadan Port》 4《山/Mountain》 4《不毛の大地/Wasteland》 1《ゴブリンの名手/Goblin Sharpshooter》 1《包囲攻撃の司令官/Siege-Gang Commander》 1《ボガートの汁婆/Wort, Boggart Auntie》 2《モグの狂信者/Mogg Fanatic》 2《棘鞭使い/Stingscourger》 3《宝石の手の焼却者/Gempalm Incinerator》 4《ゴブリンの従僕/Goblin Lackey》 4《ゴブリンの女看守/Goblin Matron》 4《ゴブリンの群衆追い/Goblin Piledriver》 4《ゴブリンの首謀者/Goblin Ringleader》 4《ゴブリンの戦長/Goblin Warchief》 2《巣穴の運命支配/Warren Weirding》 2《大祖始の遺産/Relic of Progenitus》 4《霊気の薬瓶/AEther Vial》 Sideboard 4《稲妻/Lightning Bolt》 1《大祖始の遺産/Relic of Progenitus》 1《稲妻造り士/Lightning Crafter》 2《真髄の針/Pithing Needle》 2《クローサの掌握/Krosan Grip》 3《非業の死/Perish》 2《古えの遺恨/Ancient Grudge》 準優勝:Dredge 使用者:Oscar Martín Main Deck 3《色あせた城塞/Tarnished Citadel》 4《セファリッドの円形競技場/Cephalid Coliseum》 4《真鍮の都/City of Brass》 4《宝石鉱山/Gemstone Mine》 1《炎の血族の盲信者/Flame-Kin Zealot》 1《エメリアの盾、イオナ/Iona, Shield of Emeria》 2《ゴルガリの凶漢/Golgari Thug》 3《イチョリッド/Ichorid》 4《ゴルガリの墓トロール/Golgari Grave-Troll》 4《ナルコメーバ/Narcomoeba》 4《朽ちゆくインプ/Putrid Imp》 4《臭い草のインプ/Stinkweed Imp》 4《不屈の部族/Tireless Tribe》 1《暗黒破/Darkblast》 2《戦慄の復活/Dread Return》 3《陰謀団式療法/Cabal Therapy》 4《打開/Breakthrough》 4《入念な研究/Careful Study》 4《黄泉からの橋/Bridge from Below》 Sideboard 1《祖神に選ばれし者/Ancestor s Chosen》 3《古えの遺恨/Ancient Grudge》 4《虚空の力線/Leyline of the Void》 1《天啓の光/Ray of Revelation》 1《陰謀団式療法/Cabal Therapy》 1《絶望の天使/Angel of Despair》 4《蒸気の連鎖/Chain of Vapor》 第3位:URG Tempo‐Canadian 使用者:Victor Martínez Main Deck 1《溢れかえる岸辺/Flooded Strand》 1《汚染された三角州/Polluted Delta》 1《沸騰する小湖/Scalding Tarn》 1《樹木茂る山麓/Wooded Foothills》 2《霧深い雨林/Misty Rainforest》 4《Tropical Island》 4《Volcanic Island》 4《不毛の大地/Wasteland》 1《ヴェンディリオン三人衆/Vendilion Clique》 4《敏捷なマングース/Nimble Mongoose》 4《タルモゴイフ/Tarmogoyf》 1《死亡+退場/Dead+Gone》 4《渦まく知識/Brainstorm》 4《目くらまし/Daze》 4《火+氷/Fire+Ice》 4《Force of Will》 4《稲妻/Lightning Bolt》 4《呪文嵌め/Spell Snare》 4《もみ消し/Stifle》 4《思案/Ponder》 Sideboard 3《水没/Submerge》 3《紅蓮破/Pyroblast》 1《紅蓮地獄/Pyroclasm》 1《クローサの掌握/Krosan Grip》 2《真髄の針/Pithing Needle》 2《トーモッドの墓所/Tormod s Crypt》 3《呪文貫き/Spell Pierce》 第4位:White Winnie‐Knights 使用者:Gerard Siles Main Deck 4《乾燥台地/Arid Mesa》 16《平地/Plains》 3《ミラディンの十字軍/Mirran Crusader》 4《刃砦の英雄/Hero of Bladehold》 4《模範の騎士/Knight Exemplar》 4《レオニンの空狩人/Leonin Skyhunter》 4《闘争の学び手/Student of Warfare》 4《前兆の壁/Wall of Omens》 4《白騎士/White Knight》 4《剣を鍬に/Swords to Plowshares》 4《清浄の名誉/Honor of the Pure》 1《エルズペス・ティレル/Elspeth Tirel》 2《遍歴の騎士、エルズペス/Elspeth, Knight-Errant》 2《梅澤の十手/Umezawa s Jitte》 Sideboard 1《バジリスクの首輪/Basilisk Collar》 2《エーテル宣誓会の法学者/Ethersworn Canonist》 4《沈黙/Silence》 2《大祖始の遺産/Relic of Progenitus》 1《虚無の呪文爆弾/Nihil Spellbomb》 1《トーモッドの墓所/Tormod s Crypt》 3《境界線の隊長/Perimeter Captain》 1《饗宴と飢餓の剣/Sword of Feast and Famine》 第5位:URG Tempo‐Canadian 使用者:Marc Durán Main Deck 2《溢れかえる岸辺/Flooded Strand》 2《汚染された三角州/Polluted Delta》 2《樹木茂る山麓/Wooded Foothills》 4《Tropical Island》 4《Volcanic Island》 4《不毛の大地/Wasteland》 2《ヴェンディリオン三人衆/Vendilion Clique》 4《敏捷なマングース/Nimble Mongoose》 4《タルモゴイフ/Tarmogoyf》 1《死亡+退場/Dead+Gone》 3《火+氷/Fire+Ice》 4《渦まく知識/Brainstorm》 4《目くらまし/Daze》 4《Force of Will》 4《稲妻/Lightning Bolt》 4《呪文嵌め/Spell Snare》 4《もみ消し/Stifle》 4《思案/Ponder》 Sideboard 4《水没/Submerge》 4《紅蓮破/Pyroblast》 2《クローサの掌握/Krosan Grip》 3《真髄の針/Pithing Needle》 2《紅蓮地獄/Pyroclasm》 第6位:Bant‐Order 使用者:Enric Luzán Pi Main Deck 1《森/Forest》 1《島/Island》 1《平地/Plains》 1《Savannah》 2《溢れかえる岸辺/Flooded Strand》 2《吹きさらしの荒野/Windswept Heath》 3《Tropical Island》 3《Tundra》 4《霧深い雨林/Misty Rainforest》 1《ドライアドの東屋/Dryad Arbor》 1《大祖始/Progenitus》 2《クァーサルの群れ魔道士/Qasali Pridemage》 2《石鍛冶の神秘家/Stoneforge Mystic》 3《ロウクスの戦修道士/Rhox War Monk》 4《貴族の教主/Noble Hierarch》 4《タルモゴイフ/Tarmogoyf》 3《呪文嵌め/Spell Snare》 4《渦まく知識/Brainstorm》 4《目くらまし/Daze》 4《Force of Will》 4《剣を鍬に/Swords to Plowshares》 1《思案/Ponder》 3《自然の秩序/Natural Order》 1《火と氷の剣/Sword of Fire and Ice》 1《梅澤の十手/Umezawa s Jitte》 Sideboard 2《クローサの掌握/Krosan Grip》 2《流刑への道/Path to Exile》 1《梅澤の十手/Umezawa s Jitte》 1《エーテル宣誓会の法学者/Ethersworn Canonist》 1《基本に帰れ/Back to Basics》 1《果たし合いの場/Dueling Grounds》 2《悟りの教示者/Enlightened Tutor》 1《太陽と月の輪/Wheel of Sun and Moon》 1《饗宴と飢餓の剣/Sword of Feast and Famine》 1《仕組まれた爆薬/Engineered Explosives》 1《ヴェンディリオン三人衆/Vendilion Clique》 1《大祖始の遺産/Relic of Progenitus》 第7位:UW Control‐CounterTop ThopterSword +rg 使用者:Xavier Muntada Main Deck 1《アカデミーの廃墟/Academy Ruins》 1《平地/Plains》 1《Plateau》 1《沸騰する小湖/Scalding Tarn》 1《教議会の座席/Seat of the Synod》 1《Tropical Island》 2《霧深い雨林/Misty Rainforest》 2《Volcanic Island》 3《島/Island》 4《溢れかえる岸辺/Flooded Strand》 4《Tundra》 2《呪文嵌め/Spell Snare》 3《対抗呪文/Counterspell》 4《渦まく知識/Brainstorm》 4《悟りの教示者/Enlightened Tutor》 4《Force of Will》 4《剣を鍬に/Swords to Plowshares》 1《Moat》 4《相殺/Counterbalance》 2《精神を刻む者、ジェイス/Jace, the Mind Sculptor》 1《仕組まれた爆薬/Engineered Explosives》 1《ヴィダルケンの枷/Vedalken Shackles》 2《弱者の剣/Sword of the Meek》 3《飛行機械の鋳造所/Thopter Foundry》 4《師範の占い独楽/Sensei s Divining Top》 Sideboard 2《真髄の針/Pithing Needle》 1《トーモッドの墓所/Tormod s Crypt》 1《忘却の輪/Oblivion Ring》 1《謙虚/Humility》 1《エーテル宣誓会の法学者/Ethersworn Canonist》 2《赤霊破/Red Elemental Blast》 1《紅蓮破/Pyroblast》 3《炎渦竜巻/Firespout》 1《大祖始の遺産/Relic of Progenitus》 2《クローサの掌握/Krosan Grip》 第8位:Enchantress 使用者:Daniel Rodríguez Main Deck 1《Karakas》 1《Savannah》 1《Taiga》 1《樹木茂る砦/Wooded Bastion》 2《セラの聖域/Serra s Sanctum》 3《平地/Plains》 4《吹きさらしの荒野/Windswept Heath》 6《森/Forest》 1《ドライアドの東屋/Dryad Arbor》 4《アルゴスの女魔術師/Argothian Enchantress》 2《緑の太陽の頂点/Green Sun s Zenith》 2《補充/Replenish》 1《孤独の都/City of Solitude》 1《戦争の言葉/Words of War》 2《Moat》 2《忘却の輪/Oblivion Ring》 2《森の知恵/Sylvan Library》 3《エレファント・グラス/Elephant Grass》 3《空位の玉座の印章/Sigil of the Empty Throne》 3《独房監禁/Solitary Confinement》 3《楽園の拡散/Utopia Sprawl》 4《女魔術師の存在/Enchantress s Presence》 4《真の木立ち/Sterling Grove》 4《繁茂/Wild Growth》 Sideboard 2《血染めの月/Blood Moon》 2《窒息/Choke》 2《クローサの掌握/Krosan Grip》 2《沈黙のオーラ/Aura of Silence》 1《霊体の正義/Karmic Justice》 2《太陽と月の輪/Wheel of Sun and Moon》 1《果たし合いの場/Dueling Grounds》 1《豊穣/Abundance》 2《抑制の場/Suppression Field》
https://w.atwiki.jp/zeitvertreib/pages/75.html
http //www.soziale-systeme.ch/leseproben/luhmann.htm Soziale Systeme 1 (1995), H.1, S. 7-28 **Kausalität im Süden ***Niklas Luhmann Zusammenfassung Politische Entwicklungsplanungen, die rechtliche und monetäre Mechanismen benutzen, haben sich als wenig erfolgreich erwiesen. Widerstand gegen Modernisierung ist, infolge dieser Erfahrung, durch Faktoren wie "Tradition", "Kultur", "Mentalitäten" erklärt worden. Aber solche Erklärungen sind mehr oder weniger tautologisch geblieben. Es wird vorgeschlagen, sie durch einen Faktor zu ersetzen, den man als "soziale Konstruktion" von Kausalität bezeichnen könnte. Nach jahrzehntelangen Forschungen über Kausalattribution und Wahrnehmung kausaler Beziehungen kann man nicht mehr davon ausgehen, daß Beziehungen zwischen Ursachen und Wirkungen objektive Sachverhalte der Welt seien, über die dann wahre bzw. unwahre Urteile möglich sind. Vielmehr geht es um eine Unendlichkeit möglicher Kombination von Ursachen und Wirkungen, die nur extrem selektiv genutzt werden kann, wenn ein Zusammenhang von bestimmten Ursachen mit bestimmten Wirkungen irgendeinen kognitiven oder praktischen Sinn geben soll. In anderen Worten Kausalität ist ein Medium lose gekoppelter Möglichkeiten, dessen Verwendung eine Bildung von relationalen Formen, also eine feste Kopplung bestimmter Ursachen und bestimmter Wirkungen erfordert. Aussichten auf erfolgreiches Handeln ebenso wie das Beobachten der Intentionen anderer hängt von einer solchen Formselektion ab. Dabei handelt es sich um soziale Konstrukte, deren Konstruktion jedoch nicht wie eine Meta-Ursache, gleichsam als Ursache der Kausalität selbst, in das Kausalschema aufgenommen wird. Vielmehr dient die Formbildung als "blinder Fleck", der es überhaupt erst ermöglicht, Kausalität zu sehen und zu benutzen. Wenn eine Gesellschaft daran gewöhnt ist, Kausalität in personalisierten sozialen Netzwerken zu lokalisieren und Erfolge bzw. Mißerfolge vom Gebrauch dieser spezifischen Form von Kausalität zu erwarten, wird es sehr schwierig sein, an diesen Bedingtheiten etwas zu ändern, wenn nicht als Ersatz gleichermaßen handliche Kausalformen zur Verfügung gestellt werden können. Mehr Geld und mehr Rechtsvorschriften werden nur dazu dienen, die Wirksamkeit der Kontakte des Netzwerks zu erproben und zu bestätigen. I. Forschungen über die besonderen Strukturen und Probleme des "Mezzogiorno" Italiens sind in großer Zahl durchgeführt oder jedenfalls projektiert und finanziert worden. Im folgenden geht es um eine Revision ihrer theoretischen Grundlagen. Im typischen Falle geht man von Unterschieden in der "Kultur" oder der "Mentalität" der Bevölkerung des Südens aus. Man hat empirische Befunde genug, die belegen, daß es solche Unterschiede gibt. Unsere Frage ist, was es besagt und welche Konsquenzen es hat, wenn sie über Begriffe wie "Kultur" oder "Mentalität" in die Literatur und in die weitere Forschung eingeführt werden. Beide Begriffe eignen sich dazu, Unterschiede sichtbar zu machen. In der Tat ist der Begriff "Kultur" in der zweiten Hälfte des 18. Jahrhunderts konstruiert worden, um vergleichende Darstellungen, sei es in regionaler, sei es in historischer Sicht, mit einem übergreifenden Begriff zu versorgen. Erfolge in Richtung einer Erweiterung des europäischen Horizontes bis ins Entlegene und Esoterische sind nicht zu bestreiten. Kultur scheint es immer und überall gegeben zu haben, solange und soweit es Menschen gibt. Theoretisch hat dieser Begriff jedoch wenig erbracht. Vor allem ist unklar geblieben, wovon sich Kultur unterscheidet, wenn alle Artefakte, einschließlich Texte, einschließlich sogar der jeweiligen Vorstellung von "Natur" als "Kultur" zu verstehen sind. Ebenso unklar bleibt der Begriff der Mentalität, der sogar die wichtige Unterscheidung von kommunikativen und intrapsychischen Prozessen, über die man mindestens seit der Romantik verfügt, ignoriert oder doch sabotiert. Wenn aber ein Begriff nicht klarstellen kann, was durch ihn ausgeschlossen wird, was also die andere, nicht bezeichnete Seite seiner Form ist, sind wissenschaftliche Erträge nicht zu erwarten. Das mag dazu geführt haben, daß man sich genötigt sah, "harte" Naturwissenschaften und "weiche" Geisteswissenschaften (oder "science" und "humanities") zu unterscheiden. Zugleich könnte hier einer der Gründe liegen, weshalb die Feststellung von Unterschieden in der Kultur und den Mentalitäten des Südens im Vergleich zu den Zentren der modernen Gesellschaft ebenso inspirativ wie unergiebig geblieben ist. Wissenschaftlich, aber auch politisch. II. Daß man so intensiv und so lange mit dem Begriff der Kultur und mit Mentalitätsvergleichen gearbeitet hat, mag mit bestimmten Eigentümlichkeiten der neuzeitlichen Semantik Europas zusammenhängen. Wir konzentrieren uns auf zwei Konzepte auf ein vorwiegend technisches Verständnis von Rationalität und ein vorwiegend liberales bzw. sozialistisches Verständnis von Freiheit. Die Entstehung von Geisteswissenschaften scheint das Ergebnis oder auch die Kompensation dafür gewesen zu sein, daß mit dieser Engführung der Semantik von Rationalität und Freiheit wichtige Probleme der modernen Gesellschaft nicht zu fassen waren und dann gleichsam als Restprobleme untergebracht werden mußten. Der rationalen "Entzauberung" der Welt (Max Weber) entsprach sehr überzeugend eine Verinnerlichung des Freiheitsverständnisses und die Dauerklage über Entfremdung im Gebrauch der angeborenen Freiheit. Aber so überzeugend diese Gegenüberstellung gelungen war sie scheint heute eine ausreichende Beschreibung der modernen Gesellschaft eher zu behindern als zu fördern. Es handelt sich um ein Relikt der "bürgerlichen" (technisch-rationalen, fortschrittlichen, liberalen oder sozialistischen) Gesellschaft. Die Vorstellungen über technische Rationalität gehen zurück auf eine radikale Vereinfachung des aristotelischen Vier-Ursachen-Schemas. Für Aristoteles waren Ursachen alle Bedingungen, denen Seiendes sein Sein verdankt, also neben den Wirkursachen auch das angestrebte Ende (télos), die bestimmungsbedürftige Materie und die Form. Davon blieb, soweit es um Kausalität geht, nur eine einzige, die sogenannte mechanische Kausalität.(1) Das Ergebnis war eine gewaltige Ausdehnung des Anwendungsbereichs dieser einen Kausalität. Sie war sozusagen nicht mehr auf ein Zusammenwirken mit anderen Kausalitäten im schön geordneten Kosmos verpflichtet und nicht mehr durch deren Interferenzen bedroht und eingeschränkt. Statt dessen mußte sie sich andere Einschränkungen suchen, etwa solche der Mathematik (die einen Verzicht auf zeitliche Irreversibilität implizieren) oder in der Form von empirisch getesteten Kausalgesetzen oder schließlich in der Form statistischer Wahrscheinlichkeiten des Erzielens bestimmten Wirkungen durch die Aktivierung bestimmter Ursachen. Zugleich wurden die Zwecke entteleologisiert, das heißt nicht mehr als Komponenten der Kausalität selbst behandelt, sondern nur noch als Vorstellungen, die den Einsatz menschlichen Handelns zum Bewirken von Wirkungen motivieren. Die Folge ist daß Zwecke einen "Wert" haben müssen und über die Werte einer sozialen Aufsicht unterliegen oder wie man im 19. und 20. Jahrhundert dann sagen wird Institution werden können. Bei aller Kritik der Konsequenzen moderner technischer Kausalrationalität, wie wir sie bei Max Weber oder beim späten Husserl finden die Institutionalisierung von Rationalität scheint unangefochten in Geltung zu stehen - wenn nicht in Bezug auf das Privatleben so doch in den Anforderungen an Organisationen.(2) Die Erwartungen können sich von der Annahme einer linearen Ursache-Wirkung-Kausalität schwer lösen. Denn wie sollte man sich eigenes Handeln oder das Handeln anderer vorstellen, wenn man nicht erwarten könnte, daß das Handeln im Regelfalle die beabsichtigten Effekte hat. Es ist kaum denkbar, daß man diese Vorstellung frontal attackiert. So viel Unplausibilität kann selbst die Wissenschaft sich nicht leisten. Und trotzdem werden wir fragen müssen, ob Kausalität richtig verstanden ist, wenn man sie schon durch ihren Begriff auf eine feste, technisch verfügbare Koppelung von Ursachen und Wirkungen reduziert. Parallel zur Festlegung auf technisch-rationale Kausalität war die liberale Theorie vom 17. bis zum 20. Jahrhundert von der Unterscheidung Freiheit und Zwang ausgegangen. Die Konzeption einer natürlichen, also angeborenen Wahlfreiheit war immer schon ein Erfordernis der Ethik gewesen (und dies unabhängig von der Frage der politischen Freiheit, die man nur auf Städte oder Territorialherrschaften bezogen hatte). Auch wenn nach den Religionskriegen normative religiöse, naturrechtliche, ethische Beschränkungen der Freiheit mehr und mehr in Kontroversen (vor allem in Begründungskontroversen) gerieten, blieb die Freiheit des Individuums als gemeinsame Voraussetzung aller Bemühungen um normative Regulierung zurück. Der moderne Individualismus eignete sich vorzüglich zur Dekonstruktion alter sozialer Einteilungen, vor allem solcher der Nationen, der Stratifikation, der Patron/Klient-Gruppierungen, der Kirchen und Sekten und hatte damit eine neue Funktion, ein Existenzrecht unter ganz anderen sozialen Bedingungen. Freiheit wurde einerseits von Zwang unterschieden; andererseits aber auch als in sich beschränkt gedacht als Ausschließung von Willkür (licentia), wenn nicht gar als angewiesen auf vernünftigen Gebrauch. Wenn im Gegensatz zu Zwang definiert, gerät die individuelle Freiheit in einen unlösbaren Gegensatz auch zur sozialen Ordnung, die ihr immer Beschränkungen setzen muß. Rousseau hatte diesen Konflikt bekanntlich durch Eliminierung aller besonderen Abhängigkeiten in der Gesellschaft vermeiden wollen, "parce que toute dépendence particuliere est autant de force ôtée au corps de l Etat".(3) Aber um so dramatischer tritt er dann im Verhältnis von Individuum und Staat auf. Eben deshalb mußte man auf Seiten des Individuums mit Vernunftzumutungen nachhelfen und auf Seiten des Staates mit verfassungsrechtlichen Vorkehrungen. Der beides zusammenfassende Titel lautete bei Rousseau volonté générale. Diese Konstellation hat die allmähliche Abschwächung der Vernunftzumutung und den Zusammenbruch der Unterscheidung empirisch/transzendental überdauert. Sie hat sich zwar als radikaler Republikanismus, als Ausschaltung aller intermediären Instanzen der Einschränkung von Freiheit - sei es des Individuums, sei es des Staates - nicht durchführen lassen. Sie hat gleichwohl die politisch-ideologischen Kontroversen zwischen Liberalismus und Sozialismus überdauert; denn in diesen Kontroversen ging es nur um die Art des Zwanges, der die Freiheit unter modernen Bedingungen einschränkt staatliches Recht oder kapitalistische Fabrikorganisation. Sie findet sich, wieder und wieder copiert, in den Programmen der politischen Parteien demokratischer Staaten und in ihrer Wahlkampfrhetorik. Und immer ist die Freiheit die positive, der Zwang die negative Seite dieser Unterscheidung. Man könnte in Bezug auf diese persistente Prominenz von semantisch codiertem Individualismus sprechen. In der offiziellen Kultur herrschen diese Schemata der technischen Rationalität und der individuell fundierten Freiheit nach wie vor. Es gibt eine romantische Gegenkultur, es gibt zahllose Ansätze zur Kritik der modernen Gesellschaft; aber solche Bestrebungen leben davon, daß das, wogegen sie sich wenden, den ersten Platz besetzt hält. Und doch gibt es deutliche Zeichen dafür, daß diese beiden aufeinander abgestimmten Schemata nur noch wie kulturelle Fiktionen fortexistieren. Denn in der sozialwissenschaftlichen Forschung sind sie seit langem unter dem Mikroskop empirischer Untersuchungen aufgelöst worden. Für die Kausalannahmen gilt dies vor allem dank der sogenannten Attributionsforschung. Ausgehend von der Frage, wie Kausalität überhaupt beobachtet werden kann,(4) hat sich das Interesse auf den Zurechnungsprozeß verschoben. Die Frage lautet nicht mehr, welche Ursache welche Wirkung hat, sondern wie eine Zuordnung von Wirkungen auf Ursachen und von Ursachen auf Wirkungen konstruiert wird; und vor allem wer bestimmt, was dabei unberücksichtigt bleiben kann. Und wie immer, wenn die Forschung von Was-Fragen auf Wie-Fragen umgestellt wird, kommen dabei Strukturen in den Blick, die den Ausschlag dafür geben, daß bestimmte Zusammenhänge gesehen und andere ebenfalls mögliche Zusammenhänge nicht gesehen werden. Die Forschung nimmt, in Begriffe der Kybernetik und der Systemtheorie übersetzt, die Perspektive eines Beobachters zweiter Ordnung ein. Das heißt sie beobachtet, wie Beobachter, die Kausalaussagen machen, beobachten.(5) Die Annahme einer im Individuum immer schon gegebenen, also nur durch Vernunft oder durch Zwang einschränkbaren Freiheit hat ein ganz anderes Schicksal gehabt Sie ist als Unterscheidung zusammengebrochen. Wie soll man unterscheiden können, so ist zu fragen, ob jemand auf Grund von Freiheit oder auf Grund von Zwang handelt? Das war schon ein Problem der kantischen Theorie gewesen Wie soll sich jemand moralisch frei entscheiden können, wenn er zugleich auch rechtlich gezwungen werden könnte und das weiß? Oder noch älter wie kann jemand nur um der Tugend willen handeln, wenn er weiß, daß Tugend mit sozialer Anerkennung belohnt wird? Oder heute handelt jemand, den man mit Über-Ich vollgestopft hat, frei oder unfrei? Auch hier wirft uns diese Ambiguität zurück auf ein Problem der Beobachtung zweiter Ordnung Wer zieht in solchen Fällen die Grenze zwischen Freiheit und Zwang? Wer konstruiert die Unterscheidung? Warum diese und keine andere? Wer ist der Beobachter, der beobachtet, wie ein anderer sich seine Freiheit und sein Gezwungensein zurechtlegt, wie er external oder internal zurechnet? Auf Grund welcher Charaktermerkmale und in welchen Situationen? Die empirische Sozialforschung, und zwar weniger die Soziologie als vielmehr die Sozialpsychologie, hat die relativ schlichten, und eben deshalb wirksamen, Prämissen der technisch-rationalen Kausalität und der individuellen Freiheit pulverisiert. Aber sie hat keinen ebenso wirksamen Ersatz geschaffen. Sie hat aufgelöst, aber nicht rekonstruiert. Daher stellen technisch-rationale Kausalität und individuelle Freiheit immer noch ihre Ansprüche, besonders an die Politik. Die Technik soll auf Umweltschonung und Risikovermeidung umdirigiert werden, was voraussetzt, daß man Effekte kennen und kontrollieren kann. Die Individuen wollen "emanzipiert" werden (oder zumindest wird ihnen eine solche Ambition zugemutet). Und schließlich beruht alle Aufarbeitung von Zivilisationsschäden - Therapie, Sozialarbeit, Entwicklungshilfe usw. - auf solchen Vorgaben. Man kann eine Diskrepanz zwischen verfügbarem Wissen und rhetorischen Formulierungen beobachten, auch eine Diskrepanz zwischen dem, was man wissen kann, und derjenigen Sprache, mit der man Finanzierungen erreichen kann. Aber das sind deutlich Übergangssituationen, die auf bessere Theorieangebote warten. III. Auf Grund der Kritik üblicher Vorstellungen über Kausalität und über Freiheit dürfte es nicht schwer fallen, die in diesen Begriffen steckenden Beobachtungsdirektiven zu reformulieren. Wir suchen damit Konzepte, die historisch und regional vergleichende Untersuchungen anleiten können und die in ihrer theoretischen Prägnanz den Begriffen "Kultur" und "Mentalität" überlegen sind. Dem liegt die Annahme zugrunde, daß eine Begriffsrevision nicht nur die Vorstellungen über Kausalität und Freiheit besser an bereits verfügbares Wissen anpaßt, sondern zugleich bessere Ausgangspunkte für vergleichende Untersuchungen bietet. Denn sie ermöglichen es, davon auszugehen, daß Kausalität nicht einfach eine freischwebende Konstruktion ist, die nur nach wahr oder unwahr oder Funktionieren/Nichtfunktionieren zu beurteilen wäre, und daß Freiheit nicht nur ein normatives Postulat ist in dem Sinne, daß mehr davon (man sagt "Emanzipation") gut wäre, sondern daß es sich in beiden Fällen um Konstruktionen handelt, deren Anwendung unter regionalen und historischen Sonderbedingungen gelernt werden muß und im Bewährungsfalle nur schwer zu revidieren ist. Bewährtes läßt sich schwer stornieren, wenn nicht sehr konkrete bessere Möglichkeiten angeboten werden. Für einen nach Kausalzusammenhängen fragenden Beobachter ist das Problem der Zurechnung nur deshalb relevant, weil mit dem Begriff der Kausalität noch keine Festlegung auf bestimmte Zusammenhänge zwischen Ursachen und Wirkungen erfolgt. Sowohl in Richtung Ursachen als auch in Richtung Wirkungen führt Kausalität in Endloshorizonte - und dies nicht nur in linearer Sukzession (also zeitlich), sondern zugleich kaskadenhaft in beliebig viele benennbare Mitursachen und Nebenwirkungen. Hinzukommt, daß wir gewohnt sind, auch mit negativen Kausalitäten zu rechnen, zum Beispiel mit Unterlassungen, mit Ausfall von Elektrizität (und natürlich mit Folgen eines Todesfalles); und daß wir auch Strukturen Kausalität zuschreiben, zum Beispiel der "Klassenstruktur" der modernen Gesellschaft oder den feedback-Schleifen der Kybernetik. Viele Zufälle, Vorfälle, Unfälle haben weitreichende Folgen (so rechnen wir zu!), weil man mit ihnen nicht gerechnet hatte. Diese einfache Überlegung zwingt uns, in das Kausalschema eine Unterscheidung einzubauen, die quer steht zu der Unterscheidung von Ursachen und Wirkungen. Kausalität ist einerseits ein Medium des Beobachtens und andererseits eine Form.(6) Als Medium dient Kausalität, wenn man von massenhaft gegebenen, aber nur lose gekoppelten, nur hin und wieder, nur unter besonderen Bedingungen zusammenwirkenden Kausalfaktoren ausgeht. Kausale Formen ergeben sich dagegen bei festen oder doch im Normalfalle erwartbaren Kopplungen - so wie man weiß, daß ein Ei zerschellt, wenn man es auf den Boden fallen läßt, und es nicht davonschwebt (wie es im Weltraum geschehen würde). Als Medium ist Kausalität die bloße Möglichkeit einer Zurechnung von Wirkungen auf Ursachen. Als Form ist Kausalität vollzogene Zurechnung, die von Situationen, aber auch von Auswahlgepflogenheiten des Beobachters abhängt. Man kann, anders gesagt, Kausalität als Schema einer möglichen Weltbeschreibung akzeptieren, ohne mit der spezifischen Zurechnung eines bestimmten Beobachters in bestimmten Situationen einverstanden zu sein. Medium und Form sind nicht etwa zwei ontologisch getrennte Existenzweisen. Vielmehr handelt es sich um ein als Einheit konstituiertes Beobachtungsschema, dessen Komponenten einander wechselseitig bedingen. So ist auch Sprache ein Medium, dessen Elemente (Wörter) nur reproduziert werden, wenn sie fallweise in der Form von Sätzen so kombiniert werden, daß sie einen verständlichen, kommunizierbaren Sinn ergeben. Auch Kausalität ist Kausalität nur, wenn und soweit dies spezifische Medium zu Formen kondensiert - zu Beobachtungen und Beschreibungen vom Typ "A bewirkt B". Die Form impliziert, daß andere Kausalverläufe dadurch ausgeschlossen sind - etwa "Nicht-A bewirkt B". Aber dieser Ausschluß bezieht sich nur auf die konkret realisierte Kausalität. Er läßt es durchaus zu, daß gleichzeitig und in riesigen Mengen andere Kausalverläufe realisiert werden. Das Medium erscheint, anders gesagt, nur in seinen jeweils realisierten Formen. Als solches bleibt es unsichtbar. Es wird nur dadurch reproduziert, daß laufend Formen gebildet werden. Würde das (aus welchen Gründen immer) nicht geschehen, gäbe es auch keine Kausalität. Ferner folgt aus dieser Unterscheidung Medium/Form, daß das Medium invariant bleibt, die Formen dagegen variabel reproduziert werden von Moment zu Moment andere. Formenbildung erfolgt strikt zeitpunktgebunden, und nur deshalb ist es von Interesse, nach Möglichkeiten nahezu-identischer Wiederholung zu fragen im Sinne von Ein Ei fallen lassen, noch ein Ei fallen lassen. Alle informationsverarbeitenden Operationen, seien es Bewußtseinsakte, seien es Kommunikationen, die selbst nur aus Ereignissen bestehen, suchen und finden Redundanzen, das heißt Hinweise in dem, was vorliegt, auf das, was folgen wird. Man denke zum Beispiel an Wettervorhersage - eine ehemals freie, heute durch Satelliten und Fernsehen professionell gewordene Praxis. Nur durch ausreichende Redundanzen kann die sequentielle Reproduktion des jeweiligen Systems gesichert werden. Nur weil diese Zeitpunktgebundenheit aller Beobachtungen Wiederholbarkeit zum Problem, ja der Lebenserfahrung nach zur Ausnahme werden läßt, gibt es ein Problem des Gedächtnisses und des Lernens. Man kann davon ausgehen, daß die Hauptfunktion des Gedächtnisses im Vergessen, im Wiederfreimachen von Kapazitäten für Aufmerksamkeit und für Kommunikation besteht, daß aber eben deshalb das wiederholt Vorkommende bevorzugt erinnert und über alle Situationsunterschiede hinweg identifiziert wird. Mit einem Begriff von Heinz von Foerster (siehe Förster 1948) kann man sagen, daß das Gedächtnis auf laufende "Reimprägnierung" angewiesen ist, um die heilsame Funktion des Vergessens zu blockieren. In der diffus erlebten und rasch wieder vergessenen Wirklichkeit bieten Kausalformen, und zwar deshalb, weil es relationale und damit außergewöhnliche Formen sind, einen besonderen Anreiz für Erinnerung und für Lernen. Man erwartet und testet gegebenenfalls Wiederholbarkeit. Jemand hatte in einer schwierigen Lage geholfen und damit gezeigt, daß er über Kompetenz und Macht verfügt, die man in ähnlichen Situationen wiederbenutzen kann. Die Formen, die man im Kausalschema festlegt, um etwas zu erklären oder zu planen, fixieren deshalb zugleich Unterscheidungen gegenüber dem, was außer Acht bleiben und Vergessen werden kann. Das Kausalschema ist eine Unterscheidungen bewahrende Struktur (vgl. Heylighen 1989). Und selbst wenn Korrekturen notwendig werden, muß man zurückgreifen können auf das, was sich bewährt hat, und das, was sich nicht bewährt hat. Eben deshalb versteht es sich keineswegs von selbst, daß Menschen oder soziale Systeme über die Fähigkeit verfügen, im Kausalschema zu lernen und Gelerntes zu kommunizieren. Das ist nicht zuletzt auch eine Frage der dafür geeigneten Sprache. Und selbst wenn diese Fähigkeit als selbstverständlich vorausgesetzt werden kann, und das kann man unter heutigen Bedingungen weltweit unterstellen, ist es immer noch eine offene Frage, was genau gelernt wird - also wie Kausalformen auffallen, wie sie über eklatante Unterschiede hinweg identifiziert werden, welche Rolle dabei Personen spielen in dem Sinne, daß Kausalannahmen (Macht zum Beispiel), die für eine Person gelten, für andere nicht gelten, und was für Unterschiede über solche Unterschiede kulturellen Lernens produziert und reproduziert werden. Die primäre Funktion von Kausalkonstruktionen dürfte es sein, auf Unterschiede aufmerksam zu machen und sie zu bewahren; und erst wie das konkret geschieht (ob zum Beispiel festgemacht an Personen oder Werkzeugen, an chemischen Eigenschaften oder an Rechten, die man durchsetzen kann), dirigiert Lernprozesse. IV. Auch im Verständnis von Freiheit hilft uns die sozialwissenschaftliche Kritik auf den Weg. Denn wenn die Unterscheidung von Freiheit und Zwang implodiert und Freiheit nicht mehr durch ihren Gegenbegriff als Abwesenheit von Zwang definiert werden kann, muß man ein anderes Verständnis vorschlagen - oder diesen hochgeliebten Begriff aufgeben. Die Frage lautet also woran erkennt jemand, daß er frei ist, wenn er es nicht daran erkennen kann, daß er nicht gezwungen wird? Diese Frage verschiebt unser Problem in die weitere Frage nach den kognitiven Voraussetzungen von Freiheit. Freiheit entsteht überhaupt erst, wenn man Wahlmöglichkeiten erkennen kann. Freiheit wird, kann man auch sagen, durch Wissen generiert; was auch heißt durch Wissen manipulierbar. Solche kognitiven Bedingungen von Wahlfreiheit nehmen nicht die Form von Regeln an, die anzuwenden wären. Sie sind deshalb in ihrer Freiheit begründenden Form nicht leicht zu erkennen. Sie erzeugen nur einen Bereich möglicher Optionen, der dann durch Regeln und Präferenzbildung eingeschränkt werden kann. Das heißt auch, daß - im Gegensatz zu methodologischen Annahmen vieler "kulturvergleichender" Forschungen - direkte Rückschlüsse von Kultur auf Verhalten nicht möglich sind.(7) Akzeptiert man diesen Ausgangspunkt, dann werden zahllose Phänomene lebendig, ohne daß zunächst eine Ordnung erkennbar wird. Vor allem wird man die Vorstellung aufgeben müssen, daß Freiheit mit Macht oder mit sozialem Status korreliert. Das kann der Fall sein, wenn herausgehobene soziale Positionen mehr Möglichkeiten bieten, sich Informationen zu beschaffen; aber dann ist wiederum Kognition die eigentliche Quelle von Freiheit und Status eine von vielen Bedingungen. Hat ein Chirurg mehr Freiheit, der weiß, welchen Spielraum er bei der Entscheidung für oder gegen eine Operation und bei ihrer Durchführung hat; oder ein Obdachloser, der weiß, wo man bei welchem Wetter am besten übernachtet (Parkbänke, U-Bahnschächte, unter Brücken, in Eingängen von Bürohäusern), und der weiß, wo man die vom Supermarkt ausrangierten Lebensmittel findet? In jedem Falle wäre der Obdachlose am Operationstisch ebenso hilflos wie der Chirurg auf der Parkbank, wenn es nach Regen aussieht. Der Alltag bietet jede Menge von Belegen Der Strom fällt aus, und man sitzt im Dunkeln. Hier sind Raucher im Vorteil, denn sie wissen, wo die Streichhölzer sind. Nur wenn der Jugendliche weiß, wo die Jugend des Ortes sich abends trifft, kann er entscheiden, ob er hingeht oder nicht. Freiheit ist "der Witz des Gefangenen, mit welchem er nach Mitteln zu seiner Befreiung sucht".(8) Und ein Politiker (selbst höchsten Ranges) muß wissen können, wie die Presse auf sein Verhalten reagieren wird, wenn er entscheiden will, was er öffentlich tut und was nur im geheimen oder gar nicht. So gesehen bedeutet ein unvorbereiteter Milieuwechsel zunächst einmal Freiheitsverlust mit unsicheren Chancen des Wiedergewinns. Das erklärt zum Beispiel den Widerstand der Einwohner East Londons gegen den Umzug in die so schön geplanten New Towns im breiteren Umkreis der Metropole.(9) Weitere Überlegungen schließen sich an. Freiheit wird in der Gesellschaft symbolisiert, unter anderem, um Prestige und sozialen Status zum Ausdruck zu bringen. Aber das kann zu Fehlurteilen führen. Ist die Freiheit eines Chefredakteurs wirklich so groß, wie man annimmt, wenn es darum geht, was in die Zeitung aufgenommen wird und was nicht und was auf die erste Seite kommt oder als eine unvermeidliche Meldung doch eher versteckt wird (vgl. Rühl 1979)? Oder gibt es hier viel Berufs- und Milieuwissen, das den scheinbaren Entscheidungsspielraum stark einschränkt, aber faktisch ihn durch Einschränkung überhaupt erst konstituiert? Der vielleicht wichtigste Vorzug dieser Annahme, Freiheit werde durch Kognition erzeugt, liegt im Übergang zu kleinformatigen, geradezu mikroskopischen Analysen. Die Sequenzen sowohl des bewußten Erlebens als auch der Kommunikation sind durch relativ kurzfristige Episoden bestimmt. (Welche Freiheitsgrade hat ein gut erzogener Mensch bei der Inszenierung einer Begrüßung oder beim Akzeptieren eines Verlustes?) Gelegenheiten, Alternativen zu sehen, erscheinen und verschwinden wieder von Moment zu Moment, sie können ergriffen oder auch verpaßt und nur noch retrospektiv erkannt werden, wenn es zu spät ist. Da das Leben, das Bewußtsein und die Kommunikation durch dynamisch stabilisierte Systeme reproduziert wird, ist mit einem dauernden Übergang von Episode zu Episode zu rechnen. Erst wenn man das einsieht und es der theoretischen Analyse zugrundelegt, kann man fragen, welche strukturellen Faktoren Episoden zusammenfassen und oft oder immer wieder zur Entdeckung von Freiheit oder Unfreiheit führen. Dann kann man so etwas wie "gute" (= zur Gesellschaft passende) Erziehung nennen, und man kann in diesem Konzept auch Bedingungen Rechnung tragen, die auf ständige Konfrontation mit Zwang hinauslaufen. Die klassische Konzeption der Freiheit durch Abwesenheit von Zwang wird nicht systematisch ausgeschlossen, so als ob sie empirisch gar nicht vorkommen könnte; aber sie wird als ein Grenzfall behandelt, in dem viele oder nahezu alle Episoden durch ein und dieselbe Quelle von Zwang determiniert sind - etwa bei Entführungen. Die Freiheit konstituierende Funktion von Wissen ist unabhängig vom Streit der Erkenntnistheorien (realistisch, idealistisch, pragmatistisch, konstruktivistisch) und von der Wissenschaft selbst. Ein Wissenschaftler muß natürlich etwas vom Fach und von Finanzierungsmöglichkeiten verstehen, wenn er in Bezug auf seine eigenen Forschungen frei entscheiden will. Aber diese Freiheit besteht auch dann, wenn die Ausgangsannahmen sich später als falsch erweisen; und sie ist natürlich auch unabhängig davon, ob seine Forschungen Hypothesen verifizieren oder falsifizieren oder, wie so oft, dies weiteren Forschungen überlassen müssen. Freiheit ist ein soziales Konstrukt, und Wissen ist die Form, in der Beschränkungen eingeführt werden, um Entscheidungen zu ermöglichen. Kognitive Erwartungen unterscheiden sich, unter anderem wegen dieser Funktion, grundsätzlich von normativen Erwartungen; denn formulierte Normen provozieren geradezu die Freiheit, gegen die Norm zu verstoßen. Das Paradies war der Ort für einen Modellversuch in genau dieser Frage; und die Welt verdankt einer mutigen Frau die Folgen des Normbruchs Unterscheidungsvermögen und Freiheit. Die Kenntnis des Verbots hat genügt.(10) Auch wenn Freiheit als Korrelat von Wissen überall entstehen kann und auch, wenn soziale Stratifikation kein sicherer Indikator für Freiheitsverteilung in der Gesellschaft ist, müssen doch weitere Faktoren beachtet werden, die differenzierend wirken. In einer Hinsicht geht es erneut um ein Attributionsproblem. Was sind die Bedingungen dafür, daß Freiheit gesehen und auf die Person, die sich entscheidet, zugerechnet wird? Oder noch schärfer wovon hängt es ab, daß derjenige, der von seiner Freiheit Gebrauch macht, sich selbst als Ursache einbringt. Freiheit ist ja ein Konzept für das Abschneiden der Rückfrage nach weiteren Ursachen. Wir wissen, daß eine solche Personzurechnung als Selbstzurechnung wie als Fremdzurechnung kontingent erfolgt und auch anders möglich ist, also von weiteren Bedingungen abhängt. Solche Bedingungen können psychischer Art sein; aber man findet sie auch im System sozialer Kommunikation. Wann wird es ermutigt, Selbstzurechnung zu kommunizieren, und wann muß man so tun, als ob gar keine Entscheidung vorliege oder sie von anderen provoziert wurde (typisch zum Beispiel für Rechenschaftslegung bei kriminellem Verhalten oder sonstigen Formen auffälliger Devianz(11)). Eine andere Variable liegt in der Frage, wie weit Freiheit nur darin besteht, zwischen Grenzsituationen zu wählen. Im eher harmlosen Kleinformat heißt dies zwischen Handlung und Unterlassung zu wählen. Dies läuft zumeist auf eine Wahl zwischen verschiedenen Handlungsmöglichkeiten hinaus, wobei die Wahl der einen aus zeitlichen oder ökonomischen Gründen das Unterlassen der anderen erfordert. Nicht selten sind aber auch die Fälle, in denen man sich nicht entscheiden kann, eine bestimmte Möglichkeit zu ergreifen (zum Beispiel wegen des Risikos, auf das man sich damit einlassen müßte), aber auch nicht weiß, was man statt dessen tun könnte. Dann liegt das Problem nicht in der Ökonomie der Ressourcen, für die Modelle rationalen Entscheidens angeboten werden,(12) sondern es liegt in Problemen der Unentschlossenheit, der Risikoaversion, der Rigidität von Präferenzen, also in Systemproblemen, die in einer dynamischen Gesellschaft eher negativ bewertet werden. Im tragischen Großformat steht nur noch Inklusion oder Exklusion zur Wahl. Wenn man nicht "mitmacht" (und wohlgemerkt freiwillig mitmacht), wird man aus bestimmten Netzwerken oder sogar aus dem sozialen Leben schlechthin ausgeschlossen. Solche Wahlsituationen werden oft als "Moral" dargestellt, um den Ausschluß zu rechtfertigen. Sowohl Unterlassen (ohne sinnvolle Alternative) als auch Exklusion sind Optionen (und wohlgemerkt Optionen!), die in einen unspezifizierten Raum führen.(13) Man verliert damit Anhaltspunkte für weiteres Verhalten. Man verliert die Freiheit, und zwar genau deshalb, weil man keine kognitiven Anhaltspunkte findet, die einen Spielraum für freie Wahl konstituieren könnten. Das sind, wenn in einer Gesellschaft mit solchen Grenzsituationen gespielt wird, starke Sanktionen - viel stärker als alles, was über Moral und über sonstige normative Regulierungen erreicht werden kann; denn Normen geben immer noch die Möglichkeit der Abweichung frei, ja sind geradezu kognitive Voraussetzungen für die Entscheidung zur Abweichung.(14) Moralen stützen sich denn auch, zumindest in älteren Gesellschaften, auf die Unmöglichkeit, die Grenze zum "unmarked space" zu überschreiten. V. Für regional orientierte Forschungen geben die theoretischen Modifikationen, die an den Begriffen Kausalität und Freiheit ansetzen, nur sehr abstrakte Anhaltspunkte. Das gilt auch dann, wenn man einbezieht, daß Kausalität etwas mit einem technischen Verständnis von Rationalität zu tun hat und Freiheit etwas mit kognitiven Bedingungen der Konstitution von Sinn. In einem ersten Schritt kommt es vor allem darauf an, sich von begrifflichen Voreingenommenheiten zu lösen, die eine ganz andere historische und gesellschaftliche Situation reflektieren, nämlich die Situation einiger europäischer Länder (vor allem Englands) im 17. und 18. Jahrhundert. Man kann natürlich, was Wissenschaft betrifft, viele andere Länder und Namen nennen - neben Bacon (der aber erst im Laufe des 17. Jahrhunderts eine Modeautor wird), Locke und Newton auch Galilei und Descartes. Aber entscheidend ist die historische Verortung im 17. und 18. Jahrhundert - in einer Gesellschaft also, die in nahezu allen Funktionsbereichen die alte Ordnung aufzulösen begann, deshalb einen technisch-rationalen Begriff von Kausalität bevorzugte, um neue Sicherheiten zu finden, und einen Begriff natürlich-individueller Freiheiten, um alte soziale Einteilungen als entbehrlich behandeln zu können. Aber es war zugleich eine Gesellschaft, die mit einem inhaltlich ganz unbestimmten, "offenen" Begriff von Zukunft auskommen und ihn mit der Semantik des "Fortschritts" besetzen konnte. Warum aber sollen wir uns in einer völlig anderen Situation durch begriffliche Vorgaben binden lassen, die damals, und nur damals, überzeugen konnten? Die Situation der modernen Gesellschaft am Ende des 20. Jahrhunderts ist eine andere als die einer Epoche, die man als "transitorische Moderne" bezeichnen könnte. Es ist keineswegs eine "postmoderne" Situation. Der einzige Sinn dieser Rede von "postmodernen" Verhältnissen dürfte darin liegen, sich um ein Begreifen der modernen Gesellschaft herumzudrücken mit der Behauptung, es sei schon vorbei. Tatsächlich haben wir aber erst heute die Chance, die moderne Gesellschaft angemessen zu beschreiben, weil sie erst heute, und zwar in weltweiten Dimensionen, als beobachtbares und beschreibbares Faktum vor Augen liegt. Bei regionalen Vergleichen werden üblicherweise die extremen Unterschiede an Realisierung der Leistungsmöglichkeiten der Funktionssysteme hervorgehoben - in erster Linie Unterschiede der wirtschaftlichen Entwicklung, der schul-/hochschulmäßigen Ausbildung, aber auch der Rechtsstaatlichkeit und der Demokratisierung des politischen Systems über politische Parteien und eine Oppositionskultur. Solche Tatbestände sollen weder bestritten noch bagatellisiert werden. Aber sie enthalten nichts spezifisch Modernes, sondern waren immer schon vorhanden gewesen. Lediglich die moderne Weltgesellschaft verleiht ihnen einen besonderen Aufmerksamkeitswert. Denn man ist jetzt mit ihnen in einem umfassenden Gesellschaftssystem konfrontiert, und das läßt, wenn Unterschiede der Realisierung sichtbar werden, diese als unakzeptabel erscheinen. Aber was kann geschehen, wenn man wiederum nur auf Konzepte technisch-rationaler Kausalität zurückgreifen kann, etwa der Meinung ist, daß man Geld zur Verfügung stellen müßte, um die Entwicklung zu fördern? Auf enttäuschende Erfahrungen reagiert man heute mit der Theorie des "Sozialkapitals" (Traditionen, Einstellungen, Prestige und Prominenz), das hinzukommen müsse, um beabsichtigte Innovationen erfolgreich durchführen zu können. Aber das ist eine fast schon tautologische Zusatzbedingung, für die es nur sehr enge, lokale und projektabhängige empirische Indikatoren gibt. Im übrigen geht man bei der Beschreibung unterentwickelter Regionen von den vorgefundenen Tatbeständen aus. Inzwischen gibt es jedoch Anhaltspunkte genug dafür, daß die funktionale Differenzierung der modernen Gesellschaft solche Tatbestände erst produziert. Typisch verstärken die Funktionssysteme der Weltgesellschaft vorgefundene Ungleichheiten, weil es für sie rational ist, Unterschiede zu nutzen. Nur wer zahlungsfähig zu sein scheint, erhält Kredite. Andererseits wandert die Arbeit in Billiglohnländer ab; aber dies nur, wenn das Rechtssystem dank staatlicher Garantien funktioniert. Das weltpolitische System legt wert auf Ansprechpartner und lokale Adressen in allen Regionen; aber die Form des souveränen Zentralstaates paßt schlecht auf tribale oder auf ethnisch und religiös inhomogene Regionen. Bei den heute aktuellen Problemen - von Problemen des Hungers, der politischen Korruption bis hin zur Entstehung neuer religiöser Kulte - handelt es sich keineswegs um Relikte einer vergangenen Ordnung, die einer Modernisierung unterzogen werden müßten, sondern um direkte Korrelate der Moderne selbst. Mehr und mehr scheint die moderne Weltgesellschaft sich mit Problemen zu befassen, die sie selbst erst erzeugt hat. Auch das läßt es fraglich erscheinen, ob man gut beraten ist, wenn man meint, die üblichen Mittel wie Kredite oder Erziehung oder Verfahrensinnovationen in Produktion und Verwaltung nur verstärkt einsetzen zu müssen, um zu Erfolgen zu kommen. Die Modernisierungsforschung, mit der die Soziologie nach dem zweiten Weltkrieg eingesetzt und es zu erheblichen Erfolgen gebracht hatte, war davon ausgegangen, daß "Modernität" in den einzelnen Funktionsbereichen wechselseitige Stützfunktionen erfüllen würde; daß also technisch-industriell fortgeschrittene Produktion, Marktwirtschaft, wissenschaftliche, nur an eigenen Erfolgsaussichten orientierte Forschung, schulisch organisierte Erziehung der Gesamtbevölkerung, politische Demokratie mit wohlfahrtsstaatlichen Ausgleichsfunktionen und schließlich verbesserte Lebensperspektiven der Einzelmenschen im Projekt Moderne integriert werden würden und daß die Gesamtentwicklung einem günstigen Mix von Evolution und Politik überlassen bleiben könnten. Daran vermag man heute kaum mehr zu glauben. Zu deutlich sind kaum mehr kontrollierbare Nebenfolgen in ökologischen und demographischen Hinsichten, in Bezug auf zu hohe Risiken, Zukunftsunsicherheit und eine auch nur annähernd erträgliche Wohlstandsverteilung zutage getreten; und auch die Aussichten, dies mit regionalen Besonderheiten, also mit Entwicklungsrückständen zu erklären, schwinden mit der Zeit. Im Gegensatz zu jeder klassischen Theorie, die funktionale Differenzierung wie Arbeitsteilung behandelt hatte, wird man davon ausgehen müssen, daß gerade die hohe Spezialisierung und Autonomisierung der Funktionssysteme zu wechselseitigen Belastungen führen wird, von denen man nicht voraussehen kann, wie sie in Einzelfällen bewältigt werden können. Daß es Erfolge geben kann und gegeben hat, sollte natürlich nicht bestritten werden. Ein dogmatischer Pessimismus ist auf jeden Fall unangebracht. Die Frage ist nur, ob man mit der vorgeschlagenen Revision der Annahmen über Kausalität zu besseren Einsichten kommt - und wenn nicht im Sinne von Erfolgswissen, dann doch im Sinne von Orientierungswissen. In der bisherigen Betrachtungsweise ist der Zeitfaktor nicht zureichend berücksichtigt worden. Man hat Zeit natürlich im Zusammenhang mit Projekten beachtet, also als Zeit, die man voraussichtlich braucht, um von der Ursache zur Wirkung zu kommen; oder als Zeitspanne, während der es vertretbar ist, Umweltveränderungen, die das Projekt betreffen, außer Acht zu lassen.(15) Aber in gesellschaftsgeschichtlicher Perspektive ist die vordringliche Frage wieviel Zeit bleibt für Modernisierung, wie schnell muß es gehen? Zu Beginn der europäischen Neuzeit und noch im 17. und 18. Jahrhundert hatte sich diese Frage nicht gestellt. Modernisierung war kein Projekt. Man konnte zwar Innovationen beobachten, und dies auch während der Lebenszeit von Individuen, und der Buchdruck trug dazu bei, neue Kenntnisse zu schätzen und rasch zu verbreiten. Das hatte Konsequenzen, zum Beispiel für die Autorität des Alters und für die Berufung auf Erfahrung (vgl. nur Thomas 1988). Aber es gab keine Dringlichkeit in einer Programmatik gesellschaftlicher Veränderung. Und es gab diesen Zeitdruck nicht, weil man keine Vergleichsmöglichkeiten hatte. Europa konnte sich selbst, so zumindest seit der Mitte des 18. Jahrhunderts, als eine dynamische Gesellschaft begreifen, aber der eigene Prozeß der Umstellung auf technische Innovationen, auf Rechtsreformen, auf schulische Erziehung usw. hatte nur der Logik des Fortschritts zu gehorchen, und die Welt im übrigen konnte schließlich kolonisiert werden. Erst im 20. Jahrhundert wird die Differenzierung von (fortgeschrittenen) Zentren und (zurückgebliebener) Peripherie zum Problem. Erst jetzt entsteht aus dem Vergleich von Zentren und Peripherien der Moderne die Erwartung und der Anspruch auf schnelle Aufhebung dieser im Konzept der modernen, allinklusiven Gesellschaft nicht zu rechtfertigenden Differenz. Und während Europa sich im Horizonte einer offenen, weithin unbestimmten Zukunft Jahrhunderte Zeit lassen und sektorale Fortschritte (zum Beispiel Industrialisierung) jeweils austarieren und Nebeneffekte auf andere Sektoren, zum Beispiel auf den Staat abwälzen konnte,(16) sind unter heutigen Bedingungen keine Zeitreserven mehr verfügbar, und angesichts der faktisch gegebenen Ungleichheit und ihrer laufenden Reproduktion durch die Bedingungen funktionaler Differenzierung wäre es blanker Zynismus, wollte man den benachteiligten Regionen eine Wartezeit von zwei bis drei Jahrhunderten verschreiben. Aber wie schnell kann es gehen? Und vor allem welche perversen Effekte entstehen allein schon dadurch, daß es schnell gehen muß? VI. Einige der Besonderheiten süditalienischer Verhältnisse könnten durch diesen Zeitfaktor erklärbar sein, also durch die relative Plötzlichkeit mit der Süditalien einem Vergleich mit Norditalien oder anderen, "besser" entwickelten Regionen Europas ausgesetzt worden ist. Die alte Ordnung hatte die Gesellschaftsstruktur auf eine Einheit von Familie, Eigentum und Stratifikation aufgebaut. Demgegenüber blieb die Frage, wie Vermögensverhältnisse aus landwirtschaftlichen Quellen und auf Grund von Handel reguliert und über Generationen hinweg tradiert wurden, zum Beispiel durch arrangierte Heiraten, eine Frage zweiten Ranges - wie überall im alten Europa. Ausschlaggebend war die Einheit von Familie und Vermögen ("alter Reichtum" im Sinne der aristotelischen Adelsdefinition) als Grundlage gesellschaftlicher Differenzierung. Im übrigen waren in die Stratifikation - und wiederum hier wie auch sonst im alten Europa - Patron/Klient-Verhältnisse eingebaut, die auch politische Funktionen mitzuerfüllen hatten, da es keine von der Zentrale aus steuerbaren Lokalverwaltungen, sondern allenfalls lokale (oft grundherrschaftliche) Gerichte gab. Diese Ordnung hat den Übergang zu einer primär funktional differenzierten Gesellschaft nicht überlebt. Die Veränderungen betreffen nicht mehr nur die Oberschicht, die sich an anderen Prestige- und Einkommensquellen und nicht zuletzt an der jetzt nationalstaatlich organisierten Politik orientieren muß. Nach dem zweiten Weltkrieg sind auch die bäuerlich-handwerklichen Familienökonomien in den Strudel der "Modernisierung" geraten und verlieren innerhalb von ein bis zwei Generationen ihre alte Bestandssicherheit, ohne daß auf struktureller Ebene eine Nachfolge erkennbar wäre.(17) Demographisch gesehen produzieren die Familien Nachwuchs nicht mehr für Produktion, sondern für Konsum, also im ursprünglichen Sinne "Proleten". Im Zusammenhang damit wächst die Bedeutung der Schulen und Universitäten, die ihrerseits jedoch nicht so organisiert sind, daß sie den Aufgaben einer sinnvollen Ausbildung und Karriereselektion gerecht werden könnten. Im Wirtschaftssystem gibt es nun eine am Markt orientierte industrielle Produktion als primäre Einkommensquelle für alle Schichten. Entsprechend breitet sich die Geld- und neuerdings auch die Kreditabhängigkeit in allen Schichten aus - bis in privateste Bereiche wie gestiegene Konsumansprüche, Scheidungs- und Scheidungsfolgenkosten, Versicherungskosten, Geldausstattung der Kinder etc. Aber auch in anderen Funktionssystemen nimmt die Übertragung von Aufgaben auf Organisationen zu. Es gibt staatliche Verwaltungen, die auf die lokale Ebene durchgreifen, was immer den Gemeinden oder Regionen an Autonomie konzediert wird. Es gibt politische Parteien mit Ortsvereinen bis in kleinste Orte hinein, wobei die Kandidatenselektion durch die Machtkämpfe in den Parteizentralen bestimmt wird. Es gibt Schulen für die gesamte Bevölkerung, Krankenhäuser (statt nur Ärzte) und Gefängnisse - also organisatorische Einrichtungen für die Versorgung jeder Art von Klientel nach Maßgabe spezifischer Funktionen. Die Funktionssysteme selbst können zwar nicht als Einheiten organisiert sein, aber im Alltag wirken sie über die ihnen zugeordneten Organisationen und ziehen auf diese Weise die entsprechenden Probleme und Bedürfnisse an oder erzeugen sie sogar erst durch ihr Angebot. Es gibt von dieser Struktur aus gesehen eigentlich keinen Bedarf für Patron/Klient-Verhältnisse oder Netzwerke ähnlicher (heute würde man sagen "privater") Art. Aber genau hier liegt das Problem. Man kann gerade in Süditalien beobachten, daß die Gewohnheit, in Netzwerken der Hilfe, der Förderung und der erwartbaren Dankbarkeit zu denken, erhalten geblieben, aber von der gesellschaftlichen Stratifikation auf die Organisationen übertragen worden ist. Die "ansprechbaren" Ressourcen liegen jetzt nicht im Eigentum, im Prestige der Familie, in der Verpflichtung durch Herkunft und in den sozial weiterreichenden, überlokalen Kontakten einer Oberschicht. Sie werden vielmehr aus den Kompetenzen "abgezweigt", die Positionen in Organisationen zur Verfügung stellen. Oft genügt das Prestige einer Position, um sich für etwas einzusetzen, was mit den Aufgaben des Amtes nichts zu tun hat. Die Organisation stellt Signale zur Verfügung, die als Symbole für allgemeine soziale Kompetenzen verwendet werden können. Das versteht sich freilich nicht von selbst, sondern muß im Netzwerk selbst durch ständige Bereitschaft erarbeitet, "verdient" und reproduziert werden. Dazu sind zahlreiche soziale Kontakte erforderlich, viel mündliche Kommunikation, deren Sinn sich weder aus den Organisationsaufgaben ableiten läßt noch von unmittelbaren praktischen Zwecken her als notwendig verständlich ist, sondern eine Art Überschußproduktion hervorbringt, die der Reproduktion von sozialer Kompetenz und Bereitschaft dient. Legt man die Interpretation von Kausalität als Formwahl im entsprechenden Medium zugrunde und die Interpretation von Freiheit als kognitiv (und damit sozial) konstituierter Freiheitsspielraum, wird die Persistenz solcher Muster und ihre selbstläufige Reproduktion besser verständlich. Auch hier dient Kausalität in erster Linie der Bewahrung und der Selbstkorrektur von Unterscheidungen - und zwar bezogen auf die Faktoren, mit denen man immer schon etwas erreichen konnte. An der Ausgrenzung anderer Möglichkeiten muß festgehalten werden, auch wenn man laufend lernen muß, Positionen im Netzwerk umzubesetzen. Offenbar können sich Muster für das Entdecken von Kausalformen, gerade weil sie sich nicht von selbst verstehen und nicht durch die Natur schon vorgegeben sind, nicht so schnell ändern, wie es eine Anpassung an die Strukturen der modernen Gesellschaft erfordern würde. Man kann sie nicht so schnell durch etwas anderes, noch nicht Bewährtes ersetzen. (Wie soll man Organisationen trauen, wenn man niemanden kennt, der sie beeinflußen kann?) Und offenbar sind auch die kognitiven Bedingungen für die Konstitution begrenzter Freiheiten, für die Zurechnung auf Absichten (statt auf Ansichten) und damit für das, was persönlich zurechenbaren Sinn gibt, nicht so rasch änderbar. Man liest in die Organisationen hinein, was man ohne sie nicht mehr realisieren kann; und in der Tat die Organisationen bieten mit ihrer auf Entscheidung und Kompetenz bezogenen Selbstbeschreibung zahlreiche Möglichkeiten des Austausches von Gefälligkeiten. Man kann nicht sagen, man könne es nicht. Und wenn es rechtliche Schranken des Erlaubten gibt, bietet das Beiseiteschieben der damit gegebenen Hindernisse um so mehr Gelegenheiten, guten Willen und Hilfsbereitschaft zu demonstrieren. Eine Funktion des Rechts könnte geradezu darin liegen, den expressiven Wert der Umgehung oder des bewußten Ausschaltens oder Einschaltens der juristischen Betrachtungsweise zu steigern. Die Reproduktion dieses Umgangs mit Kausalität und Freiheit wird verständlich, wenn man sich die alltäglichen Kommunikationen genauer ansieht. Mit Watzlawick (siehe Watzlawick/Beavin/Jackson 1974) kann man zwei Ebenen der Kommunikation, mit der speech act Theorie zwei Typen oder Funktionsrichtungen der Kommunikation unterscheiden. Auf der einen Ebene geht es um die Themen oder die Informationen, die behandelt werden - etwa der Auftrag an einen Handwerker, die Planung eines Ausflugs, Berlusconi oder Ähnliches. Auf der anderen Ebene geht es um die Einstellung der Beteiligten zueinander, die zwar nicht explizit mitgeteilt, aber implizit zum Ausdruck gebracht wird, also der Ausdruck des wechselseitigen Wohlwollens, der Hilfsbereitschaft, aber auch daß ein Ja eigentlich ein Nein bedeutet. Die Kommunikation ist immer paradox insofern, als sie immer etwas Nichtkommuniziertes mitkommuniziert. Aber es wird erwartet, daß man versteht - und nicht nachfragt. Nicht selten tritt das Gemeinte in direkten Widerspruch zum Gesagten; und auch dann wird erwartet, daß man versteht, aber nicht nachfragt. Daß die Kommunikation in solchen Fällen ohne greifbare Resultate bleibt, darf nicht mit Überraschung vermerkt werden, obwohl je nach Sachlage Insistieren zum guten Ton gehören kann. Teilnehmer wissen, wann man nachfassen kann - und wann nicht. Jedenfalls ist die Unterscheidung der semantischen (konstativen) und der pragmatischen (performativen) Aspekte jeder Kommunikation wichtige Voraussetzung für die Teilnahme am Spiel und für die zutreffende Lokalisierung von Kausalitäten und Freiheiten. Wenn dies ein allgemeines Problem der modernen Kommunikation ist und zum Beispiel bei der Analyse von Pathologien in der Familientherapie eine bedeutende Rolle spielt, kann man vermuten, daß im süditalienischen Kontext gerade die Organisationen aktivierende Kommunikation sich selbst an diesem Problem der paradoxen Kommunikation orientiert, und zwar mit Schwerpunktverlagerung in Richtung auf die Ebene der latenten Kommunikation von Einstellungen - aus welchen Anlässen und über welche Informationen auch immer. Die Paradoxie der Kommunikation wird dadurch aufgelöst, daß vorausgesetzt wird, daß verstanden wird, daß die Informationen eine untergeordnete Rolle spielen und daß es vor allem auf das Symbolisieren des Netzwerks ankommt, in dem Gefälligkeiten gehandelt und dazu passende Einstellungen zugemutet werden. Von selbst bewegt sich nichts - und auch das ist eine wichtige Voraussetzung dafür, daß das Wohlwollen und Freundschaftsdienste benötigt und über Prestigezuweisungen reproduziert werden. Die gleiche Schwerpunktverschiebung in Richtung auf personalisierte Einstellungskommunikation findet man auch in der Inszenierung von Kultur. Wissenschaft und Kunst werden in erster Linie als Kultur gefördert. Die öffentliche Präsentation von Kultur ermutigt zu einer Rhetorik, die riesige Bedeutungsüberschüsse produziert, ohne erkennen zu lassen, was daraus und darauf nun folgen würde. Kultur (und die damit erfaßbaren Themen wie die Familie, die Jugend, Ethik, Dichtung, Europa etc.) wird als eine sich selbst konsumierende Angelegenheit zelebriert, fast wie ein Ritual, bei dem das Dabeisein und Gesehen- und Gehörtwerden zählt. Es geht, könnte man vermuten, um die Schokoladenseite des Netzwerks oder auch um die Symbolisierung von Gemeinsamkeit bei stark divergierenden Interessen. Oder um es paradox zu formulieren das Interesse an Kultur darf kein Interesse werden.(18) Je deutlicher die Teilnahmebedingungen erkennbar sind, ohne als Information kommuniziert zu werden, desto schärfer stellt sich die harte Alternative von Inklusion und Exklusion. In dem Maße, als Normen "offizieller" Provenienz und vor allem Fragen der Geltung und Durchsetzbarkeit des Rechts den Bedingungen persönlicher Interaktionen unterworfen werden, muß ein neuer, ebenfalls generalisierter Sanktionsmechanismus erfunden werden; und das ist, unter Rückgriff auf sehr alte Ordnungsformen, die Unterscheidung von Inklusion und Exklusion. Und dies gilt auf allen Ebenen in den Dörfern und in den Universitäten und in den Beziehungen zwischen Privatwirtschaft und staatlicher Verwaltung; und vor allem natürlich für die professionellen und die zahllosen nichtprofessionellen Politiker.(19) Exklusion kann aber nicht wirklich getestet werden, da sie in den "unmarked space" führen würde, in dem man keine auswertbaren kognitiven Strukturen, keine wirksamen Kausalitäten, keine nutzbaren Freiheiten finden kann. Ausschluß in der Form sozialer Isolierung existiert gewissermaßen nur als Gerücht und nicht in der Form einer von Fall zu Fall sinnvoll wählbaren Alternative. Die Reproduktion des Netzwerkes erzeugt, um es mit einem älteren sozialpsychologischen Begriff zu formulieren, "pluralistic ignorance" in bezug auf das, was möglich wäre. Das wiederum bestätigt die in der Kommunikation reproduzierte Ordnung mit all dem, was man dort und nur dort an Wirkungsmöglichkeiten und an Freiheit finden kann. Empiriker könnten daran denken, einen "Peinlichkeitstest" zu entwickeln. Was wird in der Kommunikation als peinlich empfunden? Offenbar nicht die Bitte um Hilfe, um Intervention in rechtlich und organisatorisch geregelte Verläufe (zum Beispiel Examen, Zeugenvernehmungen vor Gericht, Reihenfolge in der Bearbeitung von Anträgen, Verteilung von Krankenbetten und ärztlicher Aufmerksamkeit). Und es ist nicht etwa deswegen nicht peinlich, weil dafür Bezahlung angeboten wird,(20) sondern deswegen, weil mit der Bitte um einen Gefallen die Anerkennung von Kompetenz, von Einfluß, von Macht und von gutem Willen verbunden ist. Das Netzwerk zahlt und motiviert durch "Honorierung", das heißt durch Selbstreproduktion der eigenen Asymmetrien, also wiederum durch Reproduktion von Kausalitäten und Freiheiten. Selbstverständlich sind auch riesige Geldsummen involviert und werden gleichsam mithineingezogen in den Austausch von Entgegenkommen und Gefälligkeiten. Denn wie könnte man Freundschaft und zugleich Macht besser beweisen als durch Eröffnung eines Zugangs zum Geld? Aber Korruption in diesem legalen Sinne, die es ja überall gibt, ist kein isoliert zu betrachtendes Phänomen. Vielmehr ist anzunehmen, daß das Netzwerk die Grenze zwischen Korruption und Nichtkorruption durch eine eigene Supercodierung verwischt, und vor allem wohl durch die Supercodierung von Inklusion und Exklusion. Jeder, der am Netzwerk in diesem Sinne teilnimmt, muß wissen, wie es funktioniert. Er braucht nicht zu wissen, warum es so funktioniert, wie es funktioniert. Das Netzwerk benötigt zur Lokalisierung von Kausalität und Freiheit keine Orientierung an öffentlichen Problemen. Solche Probleme sind zwar Thema der Kommunikation - aber vorwiegend deshalb, weil sich die Organisationen, die Anlässe geben zur Kommunikation, mit ihnen beschäftigen. Die Kommunikation selbst verlagert dann aber den stets mitgemeinten Sinn auf die Ebene individueller Interessen. Hier und nur hier festigt sich im Alltag ein Problembewußtsein, das die Kommunikation in Gang hält. "Individuell" ist dabei wiederum netzwerkbezogen zu verstehen, also nicht etwa beschränkt auf persönliche Bedürfnisse und Wünsche von Einzelpersonen. Vielmehr überleben in diesem Zusammenhang die Familie ebenso wie Patron/Klient-Verhältnisse. Man setzt sich nicht nur für eigenen Interessen, sondern in erheblichem Umfange auch, und um so unbefangener, für die Interessen anderer ein. Das System lebt von Vermittlungen und honoriert sie durch Prestigeverteilungen. Die erst im 18. Jahrhundert aufkommende Unterscheidung von öffentlich und privat hat hier noch keine Wurzeln geschlagen. Der "Private" ist noch der "idiotes", der sich selbst ausschließt. Aber die Übergangssituation zeigt sich nicht zuletzt darin, daß das System nicht mehr auf Familienökonomien gegründet ist und daß Vermittlungsrollen organisationsabhängig geworden sind und die normalen Regulative der Organisationen stören, wenn nicht sabotieren. So wird es schwierig, von den Zentren aus Organisationen durch Organisation zu kontrollieren, denn die Netzwerke stehen den "offiziellen" Zentren nicht zu Verfügung; sie sind nicht hierarchisch, sondern heterarchisch konzipiert. So kommt es zu einer eigentümlichen Symbiose von Organisationen und Netzwerken, die alle planmäßige Durchgriffskausalität zum Scheitern bringt, aber statt dessen in einem anderen Sinne Formen der Kausalität und lokalisierbare Optionen im System verteilt. VII. Wenn wichtige Probleme in der sozial verbreiteten Einschätzung von Kausalität und von Wahlfreiheit liegen, sollte verständlich sein, weshalb eine staatliche Politik solchen Verhältnissen gegenüber versagt oder allenfalls in ihren Angeboten abgesucht wird auf das, was sich unter Freunden verwenden läßt. Die Prämissen, daß über Recht oder über Geld oder schließlich über die Bedingungen der Mitgliedschaft in formalen Organisationen ein Direktzugriff auf individuelles Verhalten möglich und allenfalls mit einer Restquote von unvernünftigem, unökonomischem oder schlichtweg kriminellem Verhalten belastet sei, treffen nicht zu. Und ebensowenig lassen sich die Probleme im Schema Liberalismus/Sozialismus politisieren. Denn die Frage ist ja gerade, ob man Zwang so schematisieren kann, daß eine Disposition über zwingende Macht - sei es daß man sie als Staatsmacht "demokratisch" kontrolliert, sei es, daß man sie als Wirtschaftsmacht beseitigt - eine regionale Entwicklung sozusagen "emanizipiert". Gesellschaft ist ein geschichtliches System, eine "historische Maschine", die sich in der operativen Reproduktion von Situation zu Situation immer an sich selbst orientiert - und das heißt an dem, was sie aus sich selbst gemacht hat. Oder um es Nietzscheanisch zu formulieren ihr irreversibles "Werden" wird vom "Willen zur Macht" zur "Wiederkehr des Gleichen" gezwungen. Grosso modo jedenfalls. Es gibt natürlich strukturellen Wandel, auch solchen tiefgreifender Art. Daß das Patronagesystem binnen relativ kurzer Zeit vom Fundament in Familieneigentum auf Positionen in Organisationen umgestellt werden konnte, belegt Tiefgang und Tempo eines strukturellen Wandels mehr als genug. Eine ganz andere Frage ist jedoch, ob ein Strukturwandel politisch herbeigeführt werden kann oder ob er der Evolution überlassen bleiben muß, in der dann "Planung" eine mehr oder weniger fatale Rolle spielt. Wir können und brauchen diese Frage hier nicht zu entscheiden. Wenn man aber annehmen muß, daß ein Gesellschaftssystem, auch in seinen regionalen Ausprägungen, ein historisches System ist, also in jeder Situation Erinnerung an Bewährtes aktiviert und sich selbst anders gar nicht einschätzen kann, liegen skeptische Konsequenzen auf der Hand. Auch Kybernetiker und Mathematiker zeigen, daß ein System, das seinen eigenen Output als Input wiedereinführt, für die eigenen Operationen unkalkulierbar wird und erst recht von außen nicht wie eine zuverlässige Maschine berechnet werden kann;(21) und dies, obwohl, ja weil es operativ geschlossen und strukturdeterminiert operiert. Forschungen, die Entwicklungen in eher peripheren Gebieten der modernen Gesellschaft betreffen, können daher kaum, ohne ihren eigenen Grundlagen zu widersprechen, dem politischen Gestaltungswillen Instrumente zur Verfügung stellen. Zweifel dieser Art, die heute weit verbreitet sind, müssen jedoch nicht zur Resignation führen. Sie eröffnen, im Gegenteil, Forschungsperpektiven anderer Art, die auf eine stärkere Differenzierung von Politik und Wissenschaft eingestellt sind. Die diskutierten Konzeptveränderungen in Fragen der Kausalität und der Freiheit betreffen "autologische" Theorien. Das heißt sie können, ja müssen auch auf die Forschung selbst angewandt werden. Und nichts anderes ist gesagt, wenn man davon ausgeht, daß die moderne Gesellschaft auf einer funktionalen Differenzierung ihrer primären Subsysteme beruht. Welche Freiheiten gesehen und welche Kausalitäten konstruiert werden, variiert daher von System zu System. Wenn man dem Rechnung trägt, macht das alle Planungen kompliziert, vielleicht entmutigend kompliziert. Man kann dann weder mit einem ontologischen Realitätsbegriff arbeiten noch mit einer einfachen zweiwertigen Wahrheitslogik, die, wenn fehlerfrei angewandt, zu Ergebnissen führt, deren Wahrheitswerte von jedermann anerkannt werden müssen. Über derart vereinfachende Prämissen ist die moderne Gesellschaft jedoch seit langem hinausgewachsen, und dies nicht nur, weil es noch gewisse "Rückständigkeiten" in der Entwicklung gibt, sondern gerade auch in der Modernität ihrer Strukturen und Semantiken. Es würde wenig helfen, wollte man das nicht zu Kenntnis nehmen und weiterhin von Rationalitätszentrismus einer längst überholten europäischen Tradition ausgehen.