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▽タグ一覧 SS カラレスミラージュ スリーピースピネル ツキノミフネ 『ブリテンルーラー前が壁!! 先頭のスリーピースピネルは伸びないか!? 猛追するゴートゥーエデン、サヨリハングドも来ている!!』 まただ、と思った。 降り注ぐ日射しは残暑のまだ高い太陽から放たれホライゾネットのグラスに反射する。よく乾いた芝は多少荒れているものの蹄鉄がよく食いつき加速には支障がない。 田んぼのような水浸しの不良バ場より遥かに走りやすいはずの良バ場で、しかしスリーピースピネルは自分が巧く走れていない事実を実感している。 今回だって、橘ステークスでは抑えられた下り坂からの最終コーナーを大きく膨らんでしまった。 何故かはわかる。ホライゾネットで、逃げという作戦で、情報量をカットしてなお、スリーピースピネルが受け取る情報量は彼女の処理能力に対して多すぎるのだ。 視野が広すぎる。いや、より正確に言えば、視野に映ったものに対しての解像度が高すぎるのか。本来不必要と判断されれば切り捨てられ、暈けることで処理能力の圧迫を防ぐ程度の情報でも、スリーピースピネルは正確に処理している。 視野が広いという長所も、こうして短所へとひっくり返ることがある。陳腐な言葉ではあるが、長所短所は表裏一体と言うことだろう。そして、短所がひっくり返った長所が、同じ分野の長所となるかは不確定だ。 『サヨリハングド差し切ってゴール!! スプリンターズステークス連覇!! 鬱の闘病からベテランが華麗に返り咲きました!!』 トロフィーを手にしてトレーナーと抱き合い喜ぶ勝者の姿を眺めながら、しかしスリーピースピネルの心は不自然なほどに動かなかった。 約半年前、晴天のスプリンターズステークスでの出来事である。 「なんともならねぇよそりゃ」 トレーナーからの指摘はバッサリとしたものだった。このトレーナーは的確な指摘はするが、その分言葉を濁さない。かつて担当していたナイスネイチャに「お前これ以上速くならんぞ」の真正面から言った話は何度も擦られている。 「お前が雨のときに勝てるのは十中八九情報量が遮断されるから。逆に言えば晴れのときに負けるのは受け取る情報量が多すぎるから。いや、不必要な情報を切り捨てて必要なものだけに集中しきれないからだ。で、なんで集中できないかって言えば、極論お前がレースに対してそれほど強い情動を持ってないからだ」 スリーピースピネルというウマ娘は重賞を勝っておきながら、多くのウマ娘が条件戦すら突破できない現実の中でそれだけの実力を持ちながら、レースに対する姿勢はあまり真摯ではない。 流されるままに入学し、淡々とトレーニングをこなし、惰性のままにレースをする。レース自体どうでもいいというほど腐っているわけではないし、やるからには勝ちたい、レースを走りたいというモチベーションも当然ある。 しかし、文字通り己のすべてを懸けて栄光を手にせんとする多くのウマ娘たちと比べると、彼女にとってのそれは娯楽に寄っている。それは例えるなら、本気で野球選手を目指して野球部に入った者と、草野球の延長という認識のまま野球部に入った者のような意識の差異。 その差異がスリーピースピネルから、優秀な情報収集能力を制御しきるだけの集中力を奪っていた。 「トレーニングではどうにもならんメンタルの問題だ。本来ならレースそのものに負けたくないという気持ちさえあれば俺は十分だと思うし、アイネスやナイスネイチャ、ツインターボなんかは明確な目標もなかったが、とにかく負けたくないって気持ちだけであそこまで行けたしな」 「メンタル……」 「何が問題かって、お前自身がそれを不満だと思っていないことだ。それを俺に相談しようと思ったのも、負けて本気で悔しいからでもなく、問題を真剣に悩んでいるからでもなく、『負ける原因はこれだからなんとかしないと拙いかな?』というちょっとした危機意識でしかない」 スリーピースピネルは瞑目する。分析力に長けたこのトレーナーが言うのであれば、彼女自身自覚があるわけではないが恐らくそうなのだろう。 実際、彼女はこの期に及んで悩んでも焦ってもいない。その感情に辿り着くほどの執着を見出だせていない。彼女にとってのレースは娯楽でしかないのだから。 負けて悩むこともないし、こうして相談したのもあくまで運命をともにしているトレーナーへの義理立てという部分がほとんどだ。自分が勝てなければトレーナーだって被害を被るのだから。 信頼というよりは判断の放棄であるがスリーピースピネルはひとまずトレーナーの分析を受け入れる。しかしながら、それを受け入れるということはすなわち、改善策が存在しないことを意味する。 運動や瞑想など、おおよそ集中力を鍛えるために行うトレーニングをスリーピースピネルは日常的に行っているのだから、彼女の集中力はここで打ち止めということだろう。 外付けの手段としてホライゾネットを採用し逃げの作戦を決めた以上、それ以外にできることはない。それこそ、心理的な転換以外では。 本来なら目標の達成失敗や敗北による挫折から立ち直ることで奮起するものなのだろう。しかし、それをするにはスリーピースピネルは少し精神的にタフすぎた。 いくらスリーピースピネルが否定しようとも、無自覚にも、彼女のレースが『才あるものの戯れ』であることは事実なのだ。走り勝利することを本能に持つウマ娘には希少な、レースの勝利に対し消極的な彼女の魂。 『右も左もわからぬ新人の馬主が1頭目にそれほど真剣に選ばず買った安馬がGⅠを4勝する名スプリンターになった』という逸話を魂に持つことが彼女にどれだけ影響しているかはわからないが。 魂から染み付いた性を覆すには相応の大きさの爆発が必要になる。細かな成長でちまちまと埋めていくには、彼女の精神は安定しすぎているからだ。 これでトレーナーが名誉や金を重視していたり変に熱血なタイプだったら、なんらかの手を打って一度心を折ったりして矯正を試みただろう。 しかし、このトレーナーは名誉も金も既に十分手に入れたベテランであり、ロマンを追い求めてはいるが基本的にウマ娘の意思を最優先に考えるタイプだ。 雨の日に限るものの重賞を、しかもレコード勝利しており、本人も満足しているとは言い難くも思い悩んではいない以上、過剰な手出しをすることはなかった。 ファンたちもまた、かつての驀進王や龍王とは異なり敗北を重ねながらも、同時に雨の日という限られた条件でならば彼女たちを彷彿とさせる圧勝を見せるスリーピースピネルのキャラクター性を気に入っている節がある。 誰もが満足している。彼女を取り巻く、他のウマ娘たちを除いては。 「嫌(や)」 スリーピースピネルに依頼しようとした模擬レースを僅か一文字で断られた彼女は、なおも食い下がろうと口を開く――その前に、彼女の担当するウマ娘が呟いた。 「怖いの? 負けるのが」 地を這うような、血を吐くような、ヘドロに汚染された海を連想させる声。目の下のクマと幽鬼のような表情に、山姥のように荒れた芦毛。健康状態そのものは悪くなさそうではあるが、精神状態が決定的によくないのが素人目にもわかる。 スリーピースピネルのチームメイトである、ツキノミフネは、睨めつけるような目線をスリーピースピネルへ向けていた。 ツキノミフネがスリーピースピネルを恨む理由はない。彼女を追い詰めているのは、ここ最近の惨敗続きである模擬レースだ。そしてそれとは別に、一種の八つ当たりでもある。 ツキノミフネを苛んでいる勝利への渇望。いや、敗北への恐怖か。スリーピースピネルへの挑発じみた台詞は自らへ向けたものでもあり、そして相手もそうなのだと思いたいが故の自己暗示でもあった。 しかし、それをスリーピースピネルはバッサリと否定する。 「別に……」 「じゃあ何故? 勝つ自信がないから? 勝てるレースしかしたくない?」 なおも言い募るツキノミフネに対して、スリーピースピネルはポーカーフェイスを崩さない。自分の言葉が負の感情による醜いものであると自覚しているツキノミフネは、真っ向からそれを受けてなお揺るぎもしないスリーピースピネルに、まるで「眼中にない」とでも言われているかのような錯覚に陥った。 そしてそれは、それほど間違ってはいない。 「楽しくなさそうだから」 スリーピースピネルが吐き出した理由はあまりに端的で、当たり前のように自己中心のものだった。 「私はスプリンター。マイルは苦手。先輩も基本はステイヤーで、マイルは得意じゃないしスプリントは走れない。そもそも噛み合わない」 「そ、それなら苦手なマイルを克服するメリットがあります! どちらも本領じゃないマイルなら条件は互角ですし……」 「興味ない」 ツキノミフネのトレーナーによる説得も一蹴する。 スリーピースピネルはコミュニケーション能力に難があるわけではない。人並みに相手の心情を察することはできるし、普段が無口なだけで必要であれば喋る。 ただ、同じチームであるとはいえさして親しいわけでもない、言ってしまえば嫌われても構わない相手に対して言葉を選ぶような親切心は持ち合わせてはいない。 「マイルを走る予定はないから克服する必要がない。チーム内の互助関係は大事だけど私にとってメリットがないから『互助』でもない。かと言って先輩と走ってもまったく楽しそうじゃない。先輩のためを想って走ってあげるほどの親交もない。私にとって走る意味がないし、おまけに雨も降ってない。寝てたほうが有意義」 「スッピーさん!? 流石に言いすぎじゃないですか!!?」 近くで見ていた同じくチームメイトであるカラレスミラージュが、常識的に考えれば止めに入るのが普通だろうと考えたのかスリーピースピネルの発言に割り込む。 スリーピースピネルはこれで模擬レース申込みの矛先がカラレスミラージュに向くだろうと考え、その場を去ろうとする。が、それを引き留めたのはやはりツキノミフネだった。 「……なんで、負けるのが怖くないの……?」 その声は先程までと違い、どこか弱々しく、しかし懸命にそれを隠そうとする響きがあった。誰かに対して隠すのではなく、自分自身に。そうでないと壊れてしまうから。 そしてその問いかけを聞いて、スリーピースピネルは自分のなかに湧いた答えが腑に落ちるのを感じた。多分、これがスリーピースピネルの根幹。 「背負うものがないから」 一言、そう言葉を返し、今度こそその場を去っていくスリーピースピネル。引き留める者は誰もいなかった。 『最終直線、後方のサヨリハングドは間に合わないか!? スリーピースピネル強い! マークしていたインビジブルピーチを突き放し更に加速!! 3バ身は開いている!! スリーピースピネルここでゴール!! スリーピースピネル1着!! 雨のレースで負けるわけにはいかない!! 一度も前を譲ることなく高松宮記念を制しました!! GⅠレース初制覇です!!』 観客から贈られる大歓声。サヨリハングドやインビジブルピーチのような重賞ウマ娘は負けた悔しさを滲ませながらも、その顔には納得が映っている。 しかし同時に、多数を占める他の出走者からの視線が突き刺さる。 『背負うものもないクセに』 『勝ちにこだわりもないクセに』 『悩みも苦しみもしていないクセに』 あの日のスリーピースピネルの言葉を聞いていた者は少なくない。彼女たちの表情からは、嫉妬と羨望、与えられた才能の差という理不尽への憎悪が如実に見て取れた。それを直接ぶつけてくる者はいない。惨めだとわかっているから。 「…………」 スリーピースピネルは背負わない。敗者の怨嗟も、無念も。すべて雨が洗い流していった。 著 スリーピースピネルの人
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▽タグ一覧 SS エノラ カラレスミラージュ ───── ある日の放課後、鞄の中に教科書や筆箱を片付けていると不意に声をかけられた。 「ねえエノラさん、ちょっといいかしら」 「先生、どうしたんですか?」 「ちょっとお願いしたいことがあるんだけど、聞いてもらえる?」 私のクラスの若い女の先生。名前は……覚えていない。そんな先生が私に頼み事を? 「私でいいなら」 「エノラさんって美浦寮だったわよね? ここ最近寮の部屋で閉じこもって授業に出てこない子がいるの。ほら、エノラさんの隣の○○さん」 そういえば最近姿を見ていない気がする。名前は……何だったかしら。 「それで私に何を?」 「授業のプリントを持っていくついでにちょっとお話してくれないかなって。前に私が行った時は上手く話してくれなくて……」 「同室の子はいるんでしょう? その子にお願いすれば……」 「それが長期遠征中でいないのよ……もちろんその子にお願いするのが一番だったんだけどね。それで隣の席のあなた、エノラさんにお願いしたいなって思って。駄目かな?」 「……分かりました。上手くいく保障はないですけど」 そう言ってプリントの束を先生から受け取り開いていた鞄に入れる。先生からの感謝の言葉を背に教室を出て『お願い』を果たしに行くことにした。名前を忘れないようにメモを急いで書き残して。 ───── コンコンッコンコンッ 「○○さん、いる? 私隣の席のエノラだけれど」 何度かノックしてみるものの返事がない。郵便受けのようなポストがあればそこにファイルに入れたプリントを入れて立ち去ることもできたのだけれど、そういうわけにもいかないので繰り返しノックを重ねる。ただ返事は全くない。 「このまま部屋の前にプリントを置いていくのも感じ悪いから……って鍵開いてるじゃない」 思わず開いてしまったドアに内心驚きつつも、静かに開けて中を覗く。すると電気もつけずに片方のベッドに膝を抱えて座り込むウマ娘の姿を認めた。 「あの……入っていいかしら」 「……もう入ってるでしょ。好きにしたら」 「ありがとう。授業のプリント、机の上に置いておくわね」 「……あなた、名前は?」 「エノラ。貴女の隣の席の」 「ああ、いつも黒髪パッツンの子と話してる……で、今度はあなたが私を説得しに来たってこと?」 「……まあそういうことね」 おそらく先生だけではなく他の子も先生にお願いされてこの子の部屋に来たのだろう。ただ誰からの説得にも応じることなく私の番になったと。 だったらこのまま何も話すことなく立ち去り、先生には駄目だったと報告することもできるかもしれない。話したけど説得に応じてくれませんでしたと。 ただ、ただ、私の心が背中を押している。行け、と。 ───── 「ねえ、私にも話を聞かせてくれる?」 「……いいよ。同室の子いないし、そっちのベッドに座って」 「ありがとう」 そう言ってもう片方のベッドに腰かける。座るやいなや話を始めてくれた。 「私ね、少し前トレーナーにスカウトされたの。模擬レースの走りが良かったからって。本格化はまだ先だろうけど、自分のチームに入って走ってみないかって」 「そう、だったの……」 もしかしたら自分の席の隣でそういう話をしていたのかもしれない……覚えていないけれど。 「もちろんすっごく嬉しかった。私でもスカウトしてもらえるんだって。もしかしたら私って才能あるのかもって。だけど」 一瞬話が途切れる。おそらく次に続く言葉は…… 「いざトレーニングを始めてみたら全然ついていけなくて……トレーナーの言うとおり走ってみてもタイムも伸びない、むしろ遅くなっちゃってる。もちろんトレーナーはどうにか私の走りを良くしようと頑張ってくれてる。それに私も応えなきゃって、頑張らなきゃって。タイムだけでも伸ばせたらって思って、チームのトレーニングだけじゃなくって、トレーナーに隠れて自主トレを続けてたら……」 そう言って彼女は自分の足をそっと撫でる。 「足怪我しちゃってさ……お医者さんに見せたら過度なトレーニングが原因だって。しばらく安静にしましょうって……」 「だったらしばらく休んで……って話じゃないのね」 そう簡単だったらわざわざ私まで出てくることはなかったでしょう。もしそうなら授業もすぐに出てこれたはず。 「そう。トレーナーは『今は無理する時じゃない。本格化は先なんだから』って優しく声をかけてくれた。先生も『焦らず、自分のペースでいいんだから』って隣に座って言ってくれた。だけど、だけど……」 「そうじゃない、と。なぜ貴女はそんなに焦っているの? トゥインクルシリーズを走れるようになるのは随分先、まだ時間の余裕はあるでしょう?」 「怖いの!!! このままだったらせっかく他の子より早くスカウトされたのに……みんなに追いつかれちゃう……追い抜かれちゃう……! 私は……勝ちたい……! でも……!」 そう叫んで彼女は膝に顔を埋める。 (ただ優しく説くだけじゃ意味がない……かといって焦らせたらただの二の舞いにしかならない……だったら) 「ねえ、少し話を聞いてくれる?」 「……なに」 そう言って顔を上げてくれる彼女。涙の跡がうっすら残っている。 「あるところに1人のウマ娘がいたわ。その子も貴女と同じ強く勝ちを望んでいた。だけど思ったように走れない、ここ一番で脚が前に行かない、そう悩んでいたの。貴女と同じで」 「え、なに、昔話?」 「詳細は伏せるわ……そもそもなんで貴女はそこまでして勝ちたいの?」 一旦話を切って彼女に問いかける。話の進め方を間違えないように。 「私お姉ちゃんがいるの、ウマ娘の。お姉ちゃんも学園に入ってスカウトされてレースにも出て、大活躍とまではいかなかったけどいくつか勝って引退して……それで次は私の番だって、お姉ちゃんよりもっと活躍してみせるんだって。お姉ちゃんを後を追って学園に入ったの。走り方もお姉ちゃんに教えてもらって。学園に入ってからのレースでも問題なく走れたし勝ててた……なのに……」 良かった。彼女に聞こえないように声を出さずに1人呟く。道筋は見えた。 「そう、ありがとう……さっきの話に戻るわ。そんな悩んでいた彼女に声をかけた人がいたの。『縮こまってるんじゃないか』って、『心にブレーキかけてるんじゃないか』って。貴女もそうじゃないかしら」 「わ、私? どういうこと?」 「貴女は言っていたわね、お姉ちゃんに走り方を教えてもらってって」 「うん、言ったけど、それが?」 「あくまで私の想像なのだけれど……もしかして貴女に合ってないんじゃない?」 「……っ!?」 誰も気づかなかったのか、気づいたけど彼女の気持ちを慮って言えなかったのか……どちらにせよ彼女の中にその可能性は全くなかったのだろう。だって、 「だって、それで今まで走れてたから……これが正しいんだって……」 「もちろん私は貴女の走り方を覚えているわけじゃないし、的外れなことを言っているのかもしれない。でも一度貴女だけの走りを探してみるのもいいんじゃないかしら」 「でもこれは私とお姉ちゃんの走りで……」 躊躇するのは当然でしょう、今までの走りを捨てろと、姉の走りを止めろとそう言っているのだから。だけれど、 「お姉さん、貴女に走り方を教えている時どんなことを言ってたのか覚えてる?」 「えーっと……『いっぱい勝って、いつか大きな舞台で、ウイニングライブであなたのこと応援させてね』って……あっ」 話の核心に気づいたのだろう、ハッと顔を上げる。 「そう、お姉さんの願いは勝ってほしい、ただそれだけ。走り方を教えていたのもあなたに勝ってほしいから」 「そう、だったんだ……あぁ、バカだなあ私は……なんでそこに気づけなくて変に固執しちゃって、しかも怪我までしちゃって……ありがと、エノラさん」 全て吹っ切れたようにニッコリと微笑んで感謝の言葉を投げかけてくる。 「いえ、私はただ思ったことを言っただけだから。じゃあまた明日、教室で」 「うん、またねっ!」 そうして問題が解決した部屋を立ち去り、自身の部屋に戻る。今度は明るく少し騒がしい相方がいる部屋に。 ───── それからしばらく経ったある日の放課後、また唐突に声をかけられた。前にも似たようなことがあったような…… 「ねぇ、エノラさん! 今日私と一緒に走らない?」 「えぇっと、貴女は……」 「もうっ、いつも隣の席に座ってるじゃない! で、それで予定とかって空いてたりする?」 「そうね、今日は誰とも併走の予定はなかったと思うし……」 「やった! 前にエノラさんに言われたとおり走り方をトレーナーと相談して変えたらね、タイムがぐっと縮まってね! これはエノラさんと走って見せたいなって思って!」 「あぁ、そういうこと。うん、いいわよ。じゃあ早速着替えてコースに行きましょうか」 「やったー! よーし、絶対勝つぞー!」 そうして夕暮れ時の校舎をゆっくりと2人で駆けていく。ワクワクが止まらない幼い子どものように。 ───── その日の夜、寮の部屋で今日あった話をカラレスにすると、実に不満そうな顔をしてぶつぶつぼやいていた。 「──それで今日はその子と仲良く走ってきたと。ふーん、そうなんだ……ふーん……」 「私に友達増えてほしいって言ってる張本人なのにどうしてそうご機嫌斜めなのよ……」 「それはそれ、これはこれだよ。あぁ、私のエノラちゃんがどんどん遠いところに……ヨヨヨ……」 「余裕そうだしもう寝るわね。おやすみ」 「えぇーっ!? もうちょっと付き合ってよーっ!」 この騒がしさも心地よい。少しずつそう思えてきた自分にホッとして今日この1日の幕を下ろす。 ──さあ明日はどんな1日になるのだろうかと少し胸を躍らせながら。
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「このシリーズ逆境の時代に慢心と決別し、リアルなエンターテイメントの提供を誓った20XX年......有終を飾りたいと言う想い、速さのリアリズムを証明したいという想い、時代の波を乗り越えたいという想い、戦略で一泡吹かせたいという想い....。 様々な想いが渦巻く最終戦....しかし、どの陣営も思いは一つ! 『やっぱり勝ちたい!!』 20XX SUPER Girls Tournament最終戦! 王者を決する最終章!」 「それじゃあいつもの"アレ"やっちゃいますよ〜? 1コーナーの皆さ〜ん?Are you Ready〜? はぁい、ありがとうございます〜!では、続いて2コーナーのみなさん楽しむ準備は出来てますか?Are you Ready? ありがとうございます、最後にスタンド席の皆さ...おぉっ、旗を振る姿が見えていますよ〜! 楽しむ準備は出来て居ますか〜?Are you Ready? はぁい、ありがとうございます〜 さて、後3分程でレースの発走となりま......」 これは、私達の物語。 これは、彼女達の物語。 これは、栄光の物語。 これは、挫折の物語。 これは、ただの物語。 これは、IFの物語。 もうすぐ会えるよ。 aHR0cHM6Ly93LmF0d2lraS5qcC91bWFtdXN1bWVuaW5hcml0YWkvcGFnZXMvMjAzLmh0bWw=
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▽タグ一覧 SS フラワリングタイム メジロエスキー + 1話 ───── 「曇りですけど、降水確率40%ですか。これは少しパラつくかもしれませんね」 朝、部屋を出る前に携帯で今日一日の天気予報をチェックする。トレーナーだった頃から身についているこの習慣はウマ娘になったところで変わることはなかった。もちろん理由は大きく分けて2つ。トレーニングの内容を変更する必要があるか否か、それと週末のレースにどう影響するのかのデータを取るためという理由。レースは雨が降ろうが雪が降ろうがよっぽどの荒天にならない限り施行される訳だから、わたしたちもそれに備えたトレーニングも当然行わないといけない。ただそれで体調を崩しては元も子もないから、雨は降るのか、降るとしてどれほど降るのかは常に確認するようにしている。 「折りたたみ傘は……入ってますね。これなら安心です」 備えあれば憂いなし。例え晴れの予報でも降水確率が0%であってもわたしは折りたたみ傘を鞄の中に入れておくようにしている。それは万が一ということもあるけど、晴れていた場合は日傘代わりに使えるからということが大きい。昔と違って今は晴雨兼用の物があるから、わざわざ入れ替える必要がなくて済むのはありがたい。ただ自分自身実用面を重視しているせいか、デザイン面ではあまり可愛いとはいえず、むしろ男物に近いシンプルで落ち着いた装飾の物を使っている。姉さまからもっと可愛い物を選べばいいのになんて言われてしまっているぐらいだけど、それはこの傘が古くなってからでいいと思っている。 「それじゃ行きましょうか……そういえば姉さまは今日は先に行っているんでしたね」 今日は朝の日直があるということで姉さまはいつもより先に寮を出発した。本当であれば朝練のためにわたしも一緒に行っているところなんだけど、今日は夕方だけの軽めのトレーニングにする予定だから2人別々に登校することとなった。いつもなら姉さまの腕に自分のを絡ませぴったりくっついて登校しているからか、今朝の右腕からは寂寥感が少し漂っている。 「それじゃ、行ってきます」 誰もいない部屋に別れを告げ、後ろ向きに扉を閉める。ガチャリと音が鳴ったのを振り返ることなく確認すると、そのまま寮を出て学園へと歩き始めた。 「天気、保ってくれるといいですけど。お願いしますよ、お天道様」 曇天の空を見上げため息を1つ零す。鉛色の雲はわたしの願いに何も答えず、ただただ大空の中を静かに漂っていた。 ───── 放課後、学園指定のジャージに着替えコースへと向かう道中、花壇を世話する小さな人影を認めた。ピンクの髪、左右に揺れる綺麗に手入れされている尻尾、そのウマ娘は…… 「フーラりんっ!」 「あっ、エスキーちゃん! これからトレーニングですか?」 花を世話する彼女もまた花。その小さな体から発揮されるとは到底思えない強烈な末脚で長距離レースを制した、可憐で凛々しいウマ娘、フラワリングタイム。寮は違えど同じチーム、同じ中等部、そして同じ中長距離を得意とする仲ということで、お話ししたり一緒にトレーニングをしたりすることが自然と多くなっていた。わたしは彼女のことを親友だと思っているけど、彼女がわたしのことをどう思っているのかは聞いたことはない。 「そうですそうです。ただ今日はトレーナーから軽めにという指示なので、数本走って上がろうかなって。そう言うフラりんは?」 「私は今日はお休みなんです……今日というかしばらくですけど」 そう言って彼女は自身の右足に視線を向ける。わたしもそれに釣られて視線を下げると、右足首に包帯が巻かれていることに気づいた。 「怪我、ですか?」 「ちょっと足挫いちゃっただけなんですけどね。私としては走りたいところですけど、トレーナーさんが駄目って」 その言葉でフラりんのトレーナーの顔が頭に浮かぶ。ロ○コンとか小○性○者とか言われているけど、彼のフラりんに対する姿勢は全くもって真摯で紳士だ。何より彼女の長距離適性を見抜いた点について、彼に言ったことはないけどわたしは非常に高く評価している。 「トレーナーさんが言うなら仕方ないですね……じゃあじゃあ、せっかくだからわたしもお花のお世話手伝いますねっ!」 わたしの申し出にフラりんは「エスキーちゃんには悪いです……」って言っていた。ただわたしが「まだ日も長いこの季節だから少し遅くなっても大丈夫」と伝えると、「そういうことなら」と手伝うのを許してくれた。 「──これで今日のお世話は終了ですね。エスキーちゃん、ありがとうございました!」 「いえいえ、これぐらいお安い御用ですっ! 言ってもらえればいつでもお手伝いに来ますよっ!」 ひと通り花壇の手入れが終わると、2人で道具を片付け土で汚れた手を洗う。再び戻ってきた花壇の前で彼女と別れようとしたそんなとき、ポツポツと雨粒がかざした手のひらに落ちてきた。 「雨、降ってきましたね。まあでもこれぐらいなら走れそう……ふ、フラりん?」 コースの方へ駆けていこうとしたところを後ろからフラりんにジャージの裾を掴まれる。走るのをやめ彼女の側へ寄ると、何やら目をぎゅっと閉じ、耳を伏せ、わたしのズボンの裾を掴む逆の手で遠くの空を指差していた。 「あっちに何かあるんですか?」 「か、雷……私、駄目なんです」 彼女の指の先に目線を向けると、ちょうどかなり遠くの方で稲光が落ちたのが視界に入った。空を見上げても徐々に暗く、そして雲が厚くなっていくのを感じる。体にぶつかる雨粒も少しずつ大きくなってきて、このまま立っているとずぶ濡れになることは明白だった。わたしは俯いてその場から動けなさそうなフラりんをおんぶして、走って校舎の中に戻る。 「……ありがとうございます、エスキーちゃん」 「……雷、駄目だったんですね」 更衣室で着替え、自身のトレーナールームに2人で戻る。部屋のソファで横に並んで座っている間、わたしが雨が降りしきり雷もいくつも落ちる外を見つめるのに対し、フラりんはわたしの腕を握り、必死に雷の音に耐えていた。 「ごめんなさい、私のせいで練習も全然できなくて……」 「フラりんが謝ることじゃありません。手伝うって決めたのはわたしですし、雨が降ってきたのもフラりんが悪い訳じゃないです」 そう言って彼女の頭を何度も撫でる。あなたのせいじゃないよと、わたしが側にいるよと。 「……雷が止むまででいいので、ぎゅっとしてもらえませんか?」 「……いいですよ。はい、膝の上に乗ってください」 腕を広げ彼女がわたしの膝に跨がるのを待つ。彼女がおずおずと靴を脱いで自分の太ももの上に乗っかったのを確認すると、彼女の体をぎゅっと抱きしめる。それに合わせて彼女もわたしの体に腕を回した。 「エスキーちゃんの体、あったかいです……」 「よしよし、落ち着くまでずっとこうしていていいですからね」 腕の中の小さな温もりへ愛しい想いがどんどん溢れてくる。庇護欲だけではない想い、それはきっと── (ううん、わたしには姉さまが……) 頭に浮かびかけた文字を必死に打ち消し、姉さまへの想いを懸命に大きくしようと試みる。ただそんな虚しい努力は膨らむ想いに対抗することができず、否が応にも自分の中の想いに気づかされてしまう。 (好き、好き、好き……わたしは貴方のことが……) ───── すっかり日も落ち雷の音も聞こえなくなったものの、雨はまだ降り続いていた。天気予報が完全に嘘をつき外は土砂降りだ。 「フラりん、もう雷はどこかに行きましたよ」 「……もう少しこのままでいさせてください。もうちょっと、もうちょっとだけ……」 帰るのが遅くなるのは別に構わない。寮長に怒られたり、姉さまに叱られたりするぐらいどうということはない。ただ、ただ、わたしの気持ちが、想いが、止められなくなる。 「……ねえ、フラりん。少し顔を上げてもらえますか?」 「……どうしたんですか、エスキーちゃん?」 わたしの言葉にわたしの肩へと顔を埋めていたフラりんが顔を上げる。互いが互いに強く抱きしめあっていたせいか、2人の顔の距離はたぶん10cmにも満たなかった。そのことがわたしの頭をより熱く、そして心臓の鼓動をよりうるさくさせる。この胸の高鳴りが目の前の彼女に聞こえてしまうのではないかと思うぐらいに、強く、速く心臓を打ち鳴らす。 「あのですね……わたし、フラりんのことが……」 意を決して言おうとしたその刹那、鞄の中に入れていた携帯の着信音が部屋中に鳴り響く。おそらく姉さまからまだ帰ってこないのかというお叱りの電話だろう。やむなくフラりんに膝から下りてもらい、鞄を開けて携帯を取り出す。 「もしもし、エスキーです……」 『今どこにいるの? というか今何時か知ってる?』 心配とお怒りが入り混じった姉さまの声を聞いて、部屋の時計を見つけて時間を確認する。するとそこに示されていたのは「19 00」という数字の羅列だった。 「今トレーナールームです。早く戻ります……はい、はい……」 そう平謝りして電話を切る。大きく1つため息をつくと、自分の鞄とフラりんの鞄を持って彼女に帰ろうと伝える。 「もう遅いですし帰りましょう。傘は持ってきてます?」 「傘は折りたたみ傘が……あっ、そういえばライジョウドウさんに前に貸したまま返してもらうの忘れてました……」 彼女にしては珍しいイージーミス。同室の彼女も普段から突拍子もないことをやらかしてはいるが、借りた物を返し忘れるというタイプには見えない。おそらくお互いがお互いにうっかりしていたのだろう。ただわたしはそのうっかりに少しばかり感謝をしていた。なぜなら…… 「ではわたしが寮までお送りしますね」 相合い傘ができるから。 「そこまでしてもらわなくても……ううん、ここはエスキーちゃんに甘えさせてもらいます! えいっ!」 そう言ってまだ部屋の中なのにわたしの腕に飛びついてくるフラりん。驚くわたしに「えへへ」と笑いかけてくるそんな彼女にわたしはますます想いを募らせていくのだった。 「……それじゃ、帰りましょうか」 「はい!」 2人とも腕を組む逆側の肩に鞄を引っかけ、部屋の電気を消して廊下に出る。鍵をかけるとそれを職員室へと返しにいき、靴箱の前で2人靴に履き替える。そうして傘を広げて校舎の外に出ると、再びフラりんがわたしの右腕に彼女の左腕を絡めてきた。 「エスキーちゃん、明日は晴れると思いますか?」 「……この雨脚だと明日の朝には雨は止んでいるんじゃないでしょうか。花壇のお世話、できそうですね」 校舎の中にいる時は土砂降りだった雨が次第に弱まってくるのを広げた傘を打つ音で感じ取る。夜いっぱいは降り続けるだろうけど、朝にはすっかり止んでいることだろう。ゆっくりと寮へ向かいながら明日の朝のことを、そしてその先のことを2人笑って語り合う。 ──ああ、この時間が永遠に続くといいのに。 ───── 「では私はこの辺で。エスキーちゃん、今日はありがとうございました!」 そう言って頭を下げるフラりんを手を振って見送る。律儀に何度もお礼を伝える彼女に「早く戻らないと」と促し、寮の中へ入るのを確認したところでわたしも急いで美浦寮へと駆けていった。そうして寮の前に着くとそこには姉さまの姿があった。 「姉、さま……?」 「おかえり、エスキー。話はあとで聞くから、早くお風呂入ってご飯食べてきなさい」 優しい言葉に感謝を伝え、少し冷たい体をお風呂で温め、夕ごはんを急いで掻き込む。歯を磨いて姉さまが待っている部屋へと戻ると、既に姉さまは自身のベッドに腰かけ、わたしに隣に座るように促した。わたしはポンポンと自分の横を叩く姉さまに遠慮しつつも、おずおずと隣に腰かけた。 「それで何があったの? 今日の練習は軽めの予定だったけど」 「あのですね……」 姉さまに何があったのか、事のあらましについて説明する。フラりんのお手伝いをしたこと、雨が突然降って雷が鳴り始めたこと、そしてトレーナールームでずっとフラりんを慰めていたこと、その全てを。 「なるほどね……ちょっとお人好しすぎない?」 「だってあの時フラりんはっ……!」 「冗談だよ。別にそれで責めてる訳じゃない。ただ……何かあったって顔してるけど」 その言葉にはっと頬を手で押さえる。普段はなるべく暗い感情を表に出さないように気をつけているけど、姉さまにはお見通しだったみたいだ。 「あの、ですね……フラりんのことなんですけど……」 言いづらい。だっていつもはわたしの方から姉さまにアタックしているのに、それと真っ向からぶつかる言葉を発しようとしているのだから。でも、それでも言わないと始まらないし、何より2人に対して失礼だ。そう意を決したわたしは姉さまへ自分の想いを、ここにいない彼女への想いを打ち明けた。 「……そっか。ってそれそんなに躊躇うことじゃないんじゃない? 今どきおかしい話じゃないし」 ジェンダーレスなこの時代、男女の境関係なく、男同士、女同士、そしてウマ娘同士で想いあっていることをカミングアウトする人たちが増えてきた。わたしのこの想いもその一種だと姉さまは言う。ただそうなんだけど、そうじゃない。だってわたしは…… 「……姉さまのことも好きなんですよ? それなのに……」 「分かってる、分かってるよ。でも好きなんでしょ? だったら伝えなきゃ駄目。勝負できるときに勝負しないなんてアンタらしくない」 「わたし、らしく……」 おそらく姉さまはわたしが「人」だった時の話も含めてしてくれている。今度はあの時とは逆にわたしの背中を押してくれている。好きな人が後押ししてくれているのに躊躇うなんてことは自分でも許されない。伝えるしかない。 「この雨も明日の朝には止んでるでしょ。その時に伝えたら?」 「はい……はいっ!」 姉さまの言葉に深く頷く。その言葉に姉さまも深く頷き返すと、しばらくの間姉さまに頭を撫でられた。夕方の時とは異なり今度はわたしが撫でられるのを甘受する番。そんな姉さまの手の温もりにわたしは次第に舟を漕ぐようになり、いつの間にか自身のベッドで眠ってしまっていた。 「おやすみ、エスキー。いい夢を」 ───── エスキーを彼女のベッドに横たわらせると布団をかけてあげて、眩しくないように部屋の明かりを消す。そろそろ遅い時間だし自分も寝るかと布団に入り目を閉じる。 (なんで後押しなんてしちゃったんだろう……) 彼女がアタシを好きに思ってくれていることはずっと前から分かっていた。むしろあれだけアピールされて分からなかったら鈍感にも程がある。だけど、そもそもは…… (アタシの方が先……なのに) 彼女が「彼」に戻る間は封じようと心に決めたこの想い、それが今になって徐々に、徐々に頭をもたげてきた。 (今のあの子に言っても混乱させるだけ。だったら今は……) 言わない、それが唯一の正解。ただもしあの子の告白が失敗すれば、成功しても「彼」に戻ったらそのときに…… (……なんて醜い。自分がこんな酷い女だったなんて) 布団を頭まで被り、中で膝を抱える。いつか伝えないといけない想いを閉じ込めるように小さく、丸く。 ───── 翌朝、いつの間にか自身のベッドで眠っていたことに驚きかけるも、おそらく姉さまが運んでくれたんだと気づき、姉さまへ感謝を伝える。なんだかまだ少し眠そうな姉さまは「気にしないで」と言いつつ、「早く行かないと」とわたしに早く学園へ向かうよう促した。わたしは姉さまのその言葉を追い風にして、急いで朝の準備を済ませて学園へと走り出す。空は予想通り薄い雲に覆われてはいたが、雨粒は全く落ちてこなかった。 「ふ、フラりん。おはようございますっ!」 「あっ、エスキーちゃん! おはようございます。昨日はありがとうございました!」 たづなさんが脇に立っている校門を彼女に挨拶しながら走り抜け花壇へとたどり着く。まだ朝早いからかフラりん以外に人影はなく、そこはわたしと彼女2人だけの空間となっていた。 「いえいえ。傘、返してもらいましたか?」 「はい! ライジョウドウさんもうっかりしていたみたいで、すぐに鞄の中から出して渡してくれました」 そっかとほっとひと息をつく。これでまた雨が降っても大丈夫……ってそんなこと考えている場合じゃない。 「あ、あのっ! フラりんに伝えたいことがありまして……」 「どうしました、エスキーちゃん? そんなに改まって」 明らかに緊張している様子のわたしを見て、フラりんはきょとんとした表情をして首を傾げていた。ただわたしのテンパりつつも真剣な表情に当てられたのか、彼女もキリっとした顔でわたしを見つめる。 「フラりん、いいえ、フラワリングタイムさん」 彼女の瞳をまっすぐ見つめ、想いを伝える。 「貴方のことが好きです、大好きです。付き合ってくれませんか?」 全てを、わたしの想いの全てを彼女に打ち明ける。 「えっと……エスキーちゃんが私を? ええっと……」 尻尾をバタバタと振り、耳もいろんな方向を向いて、その動きは止まりそうにない。口を手で押さえるも、隠しきれない頬が赤く染まっているのがはっきりと見える。 「いきなりでごめんなさい。でもどうしても伝えたくって」 「ううん、嬉しいんです、嬉しいんですけど気持ちの整理が上手くできなくて……」 わたし以上にテンパっている彼女に近づくと両肩をぐっと掴む。彼女は動きを止め、わたしの顔を見上げるように見つめた。 「返事はすぐじゃなくていいです。フラりんの気持ちがまとまったら教えてください」 そう言って肩から手を下ろし、教室へ向かおうと彼女に背を向ける。今混乱している彼女から聞いても仕方ないと、そう思って歩き出そうとしたその時、またもやセーラー服の裾を後ろから掴まれた。 「待って……待ってください!」 「フラりん……別に焦って答えてくれなくても……」 右手でわたしの制服の裾を摘みながら左手を胸に当て、フラりんは何度か深呼吸をする。そこでようやく落ち着いたのか、今度は彼女がわたしの顔をじっと見つめ、その想いを打ち明けた。 「私もエスキーちゃんのことは大好きです。だけどそれが“like”なのか“love”なのかよく分かりません」 「そう、ですか……」 おそらく次に続く言葉は「ごめんなさい」だろう。そう一人合点して彼女から目を逸らし、地面に顔を向ける。 「だから……これから私に教えてください。この気持ちが何なのか。エスキーちゃんに抱く想いがどっちなのか」 「それって……」 雲間から太陽が顔を出し、陽射しが私たち2人を照らし出す。わたしは俯いていた顔を上げ、彼女の顔を再び見つめる。 「だから……これからよろしくお願いしますね、エスキーちゃん!」 彼女の満面の笑みは太陽なんかよりずっと眩しくて、わたしなんかよりずっと大人びて見えて、とっても、とっても輝いて見えた。 「はいっ! 絶対にわたしのこと『好き』になってもらいますからっ!」 わたしと彼女の物語が今、幕を開けた。
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▽タグ一覧 SS ツキノミフネ バラカドボナール 「え? 嫌ですけど」 「ばっさりっ!?」 仕方ないじゃん。話を聞いてとりあえず出た答えがこうだったんだから。 曰く、最近増えたチームメイト、ツキノミフネちゃんのトレーニングを手伝って欲しいのだ……というのが彼女のトレーナーの弁だった。 さて、僕は自分の性格を大概捻くれてると思っているが、しかしそれはそれとしてチームメイトのトレーニングを手伝う程度の話であれば受け入れなくもない程度には良識がある。 そのお猪口から溢れんばかりの良識をもって――件のトレーニングはおそらく坂路の日にやるだろうから楽ができるぜいえーいなんて思いつつ――ええまあ予定は空けられますけど練習の内容は? と尋ねたのだけれど。 「だって僕になんのメリットがあるんですか。その『心を折るために5バ身差で勝て』ってのは」 それでこれである。いやほんとにね。併走トレーニングだっていうならまだしも、僕にはあいにく弱いものを虐めて楽しむサディストのケは無いのだ。言っちゃあなんだけど、つまらない上に僕の実にもならないなんてやる意味を感じられない。 「め、メリット……は、確実にある、とは言えないけど……」 「ですか。それじゃあ僕は坂路でアイスを転がす系のトレーニングがあるので――」 「それでも! それでもきっと、あの子はあなたを――」 楽しませてくれる、と。ミフネちゃんのトレーナーは言って。 これ以上粘っても角が立つだけだろうし、まあ差を保って逃げる練習……の、練習の練習くらいにはなるかなと自分を納得させて、僕は了承を返したのだった。 というわけで確かに了承したんだけどさ。この雰囲気はやだなあ。 「ツキノミフネ……よろしく……」 「僕はバラカドボナール……はぁ、そんなに睨まないでくださいよ。ぼちぼち気楽に行きましょう。ね?」 なんかめっちゃこっち殺すみたいな目で見てくるんだけど。僕何かした? いいやしてない(反語表現)。 まあどうせエスキーさんあたりがいじめたんだろう(偏見)。僕はあそこまでではないので、もう少しゆるっと挑んできてほしいものである。 はあ、と内心でため息をつく。なんか萎えたしサクッと勝ってトレーナーに愚痴って練習休みにしてチーズ買って帰ろう。 そんなことを考えながらスタートに立ち、深く息を吸って同じだけ吐き出す。薄く視界が白けて身体に意識が行き渡り、レース以外の思考が排された。 合図とともに、高まりきった集中からいつもの最短スタートで走りだす。こればかりは加減する気も―― ──〝⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎・⬛︎⬛︎⬛︎〟── Lv0 ――――はて、僕の前にあの子がいる。ファル子ちゃんにすらテンでは負けていない僕の前に。本格化すら迎えていないあの子が。 「あ?」 殺s 瞬きをして意識を切り替えた。あの子の速度、呼吸のペースを観察。うん、あの集中力は驚くほど優れている。 が、ダートにはいささか不慣れのようだし、そもそも根本的に僕のほうが速いしレース慣れしている。あっという間にハナを取り返して、あとはペースランだ。結局、途中で開いた分の差を一定に保ったまま僕が先着した。 正直に言って、途中からは消化試合だった。疲労も殆どないから坂路をサボる口実にもならないだろう。チッ。 まあ、後ろを見ないで距離を維持する練習くらいにはなったかな……それに。 「最初の方はなかなか悪くなかったと思います」 少なくとも、僕にとっては。少しは面白かったし。ま、この子にとってはどうだか知らないけど。 「いい練習になりました。それじゃ」 願わくば今回で折れないでほしいな。僕が悪者みたいになるし。折れないほうが面白いし。 そう考えながら、手をひらひらと振ってその場を去るのだった。 「お疲れ、でもないな。一応5分休んだら坂路3本だ」 「いつも通りで安心しました。まあ、今の僕はちょっとやる気があるので良いですよ」 「体調が悪いみたいだな。今日は休むか」 「おいこら何だとこの。……それはそれとチーズ王国でブフロンヌ・ダルジェンタルを入荷したそうで」 「はいはい分かった分かったトレーニング終わったら買いに行こうなー」
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I を おしえて、ください。 主な登場人物 + シュウマツノカジツ トレセン学園に所属する、デビュー前のウマ娘(高等部)。ラーメン大好き。 短距離路線を志望しているようだが…… + トレーナー 今年サブトレ→トレーナーへ昇進?した新人トレーナー。ラーメン大好き。 「クラシック」路線への憧れがあるようだが…… + 姉 シュウマツノカジツの姉。地方所属のウマ娘。 + 妹 シュウマツノカジツの妹。実家暮らしのウマ娘。 ※姉妹の名前は本編登場後追加します 本編 i = I + 第1章「走りたがらない」女の子 気がつけばわたしは、どこかに立っている。よく見れば、子どものころ駆けたあの景色のようだし、ただ暗い光のようでもあり、どこまでも明るい闇のようでもある。 目の前には、大好きなお姉ちゃんがいた。けれど、お姉ちゃんはわたしに「行くね」って呼びかけて去っていく。わたしの前を駆けていく。 わたしは追いかける。走って、なお走っていると、後ろからかわいい妹がやってきて、眩い笑顔ですれ違ったかと思うと、わたしをスッと、追い抜いていく。 わたしは追いかける。走って、それでも走って、どんどんと追いつかぬ間に駆けていく、去っていく二人に、追いつこうと、走って、走って、走って。 それでも二人はずっと速くて、走って、走ってっ、待って、待ってよ、待って……っ! 「おいて、か……ない、で……」 * 春は出会いの季節だと言う。桜が咲き、新入生がやってくる。昼過ぎには、デビュー前のウマ娘たちが模擬レースに挑み、時に勝ち、担当するトレーナーと出会っていく。 春は別れの季節だとも言う。桜は散り、卒業生は去る。また、トレーナーと別れ、もしくは、そも出会うこともないままに、この時期に「引退」していくウマ娘も多い。……もっとも、卒業したウマ娘と共にいつの間にか「いなくなる」トレーナー(サブトレ含む) もわずかにおり、先輩曰く、毎年ではないものの数年に1,2人はドナドナされていくそうだ。幸い、サブトレとして2年勤めてきたが未だにそういう事案を見ることはないし、自らが対象となることもなかった。過去連れ去られた諸先輩方には、素直に合掌。幸せならOKです。 さて、今年から自分もトレーナーとして辞令が下り、一人のウマ娘を担当に持つことになった。色々不安ではあるのだが……それはそれとして、現在模擬レースが行われているグラウンドに来ている。 トレーナー、と一口に言っても色々な人がいる。ダートレース専門のトレーナー、ステイヤー育成に熱心なトレーナー、短距離の超高速レースに魅せられたトレーナー……あと、太ももを触っただけでウマ娘の状態を把握するトレーナー、坂路の鬼、「お兄ちゃん」や「お兄様」を名乗る修行僧……。まぁ、なんだろう、そんなイロモノ、もとい色々な人の中でもより多いのは「クラシックレース」に魅せられたトレーナーだろう。学生時代トレーナー志望だった同期たちも、ほぼほぼ、やはりというか「クラシック」ウマ娘のトレーナーになりたい、という者ばかりであった。 とはいえ、まぁ、自分もその口なわけで。正直なところ(選り好みしていい立場ではない、とはわかりつつも) 自分も芝、とりわけ「クラシック」志望のウマ娘を持ちたい、と思う。一応、今から行われる模擬レースは短距離から順に行われていくようだし、俺が「目当て」とするウマ娘も、きっと後半のレースに出場する中にいるのだろう……。 * 次は1600mのレースが行われるそうだが……出走者を見た周囲のトレーナーが、ぽつりぽつりと、悩ましいような、ある種愚痴のようにも聞こえる言葉を吐き出す。 「うーん……あの子がいるのか……」 「ん? ……あぁ、前回も出てたんだっけ?」 「あぁ。……悪くはないんだが、いつもどうにも一着を取らないんだよなぁ」 「えー……この子か、シュウマツノカジツ。ふーん、前回は3着、その前も3着」 「人の記録勝手に見るなよ……まぁいい、とにかく逃げて、2着とか3着なんかは安定して確保する子なんだけど、どうにもなぁ……別に相手が飛びぬけて強いわけでもなさそうなんだが、最終直線での伸びがどうにも悪いように見えるんだよな……」 「でも伸びしろはあるんじゃないか? スカウトとか誰かしないのか?」 「してるよ。まぁ、ただなぁ……」 少し後方から話を聞いている限り、よく模擬レースに出るものの未だ未勝利の子らしい。最後に伸びてない、と言っていた限り、恐らくスタミナ不足かパワー不足か……なんにせよ、他の子を中心に見た方が良さそうだ……。 模擬レースは八人立て、第4コーナーまで差し掛かり概ね前目に走る中、後方に二人……だいたい六バ身ほど差がついているが、ここから巻き返せるかどうか……一方先頭集団は……あぁ、レース前に言ってた……確かシュウマツノカジツだったか、あの子が先頭で、ここまでスローペースで走ってきているように見える。さて、問題の最終直線での加速だが……? * 「結局最後方のウマ娘が差し切ったな」 「まぁ残りは順当に前残りだったとはいえ……ちょっとあの子声かけてみようかな」 「ん? どの子だ?」 「2着の子だよ2着の子、最後抜かされたとはいえ再加速してたし結構根性ありそう」 「お前意外と根性論好きだよな……」 「そういうお前はどうなんだよ、ほら、レース前に言ってたあの子とか」 「いや、俺は前断られた、というか俺から断ってるというか……」 「初カノに振られた童貞みたいな言い訳してるじゃん」 「はり倒すぞ。……お、言ってたら……あれ新人の子か? スカウトしに行ってるな」 言われて見れば、同期の女子(と言っていいのかは知らないが)がシュウマツノカジツ?の下へ向かっている。……んー、俺は素直に一着の子に声かけようかな。直線での上り、いい脚してたし。 * 「あなた! えー……っと、シュウマツノカジツさん!」 「えっ、ハイ、シュウマツノカジツッスけど、どうしたんスか?」 「いい走りだったわ! 負けちゃったとはいえ、最後まで諦めることなく最後まで喰らいつこうとする姿勢! とっても良かった! 逃げを主体にするの? いえ、悪いことじゃないわでも最後の伸びから見るにまだスタミナが……うん、先行策なんかもいいんじゃないかしら? それから」 「あーちょっとちょぉーっと待ってもらっていいッスか? ほら落ち着いて落ち着いて……」 「え? あ、あぁ、ごめんなさいね、大興奮しちゃって」 「だい? いや、何でもいいッスけど。えーっと、その、もしかしてスカウトとか……」 「えぇスカウトよ!!!!!!!」 「うわうるさっ」 「例え今は負けるようなことがあっても、そう! 私と一緒にトレーニングしてみないかしら!? そうすれば、先行……いや逃げ続けて、勝つことだって!」 「あー……その、いや、買ってくれるのは嬉しいんスけど……」 「レースを見る限りスタミナやスパートの時の最高速自体はまだ足りてないかもしれないけれど、走り方を見てもスタミナさえ整えばもしかしたら重賞、いえクラシックレース、ダービーだって狙えるかもしれない! いえ獲らせてみせるから!」 「……あー、ハッハッハ……その、あ、どうどう。落ち着いて聞いてほしいんスけど……」 「うん? どうしたの? あ、もしかしておやつ? 食べる?」 「いやそれはいらないッス……その、クラシックじゃなくて……」 「えっ、もしかしてティアラ路線? まぁだったら……やることは変わらないわね! スタミナ鍛えて坂路、ヨシ!」 「良~くないッス、何も良くない……えーと、がっかりさせたら申し訳ないんスけど……クラシック登録はしない、というか……クラシック、走りたくないんス」 「……え?」 「んー、……端的に言うと、アタシ、できれば短距離走りたいんスよ」 * 断られたわけですが。うーん、まぁ、成績がいい子はちゃんと実績のあるトレーナーに見てもらいたいよな、まぁそういうもんだよな。と、自身の至らなさに納得させつつ、夕飯のためトレセン学園から少し離れたラーメン屋に向かっている。 やはりラーメンである。ラーメンは概ね全てを解決する。今から行く店はラーメン+半炒飯のセット、いわゆる「チャーラ―」を売りにした店であるのだが、時たま夜限定で味噌ラーメンを提供することがある(ウマッターで確認)。これがかなり不定期に提供されるため、心待ちにするファンも少なくない……自分もその一人である。 と、自分ともラーメンとも向き合いつつ店へ辿り着いたところ、店の前でウマ娘の子がなにやらメモをとって……うん? この子模擬レースで走ってた子じゃないか? そうだそうだ、レース前後で先輩(であろう人たち)が話してた子だ。名前は忘れたが、どちらにせよもうトレセン学園の門限は過ぎている。……あんまり厳しくしたくないけど、一応(扱いとしては教育者だし) 確認は必要だよなぁ……。 「……」カキカキ 「えーっと、そこのウマ娘の子?」 「! ……はい、えー、なん、でしょうか?」 ……めちゃくちゃ耳が荒ぶっている……もしかしなくても警戒させちゃったな。 「急に声かけて悪いんだけど……、あぁ、俺トレーナーね。んで、君トレセン学園の子だよね? 」 「えっ? あぁ、ハイッス」 「うん、んでね。一応俺も……まぁ、まだ担当も持ってない新人だけど、トレーナーだからね。言わせてもらうんだけど……門限過ぎてるよね? 寮長の許可とってる?」 「……」 「……君もしかして」 無許可で来てやがるなこの子!!! 「……あー、えとー……トレーナー、さん?」 「何さ」 「ラーメン、お好きッスか?」 「……好きだけど」 * 「いやー、ちょっとピリ辛でよかったッスね……味噌の味が濃厚かつただ塩辛いわけではなく、なんでしょうガツンとくるというか、それでいてクドくなくって……あとやっぱ炒飯に合うッスねぇあそこのスープは」 「それなんだよな、正直ラーメン単体では他の店の方がいいかな? と思わせておいてチャーラーとしての完成度は俺の中で一番だねあそこは」 「いやー単体でもレベル高いと思うんスけど?」 「いやそれは前提として……」 「じゃないが?」 「何がスか?」 「いや何がじゃなくて、結局どうすんのさ君」 店の前で事情聞いてても迷惑だし、あとせっかくの味噌ラーメンがなくなるかもしれないしということで。まずは入店し、食べてから続きを話しましょう、とのことだったので納得しつい釣られてしまったが、よくよく考えれば夜間無断外出の問題が何も解決していないんだよなこの子。 「え? いやーハハ……どうしましょうね?」 「無策かよ……」 「いやー実はもう何回かやってるんスよね、夜にラーメン食べに行くの……」 「しかも常習犯かい。君なぁ、それくらい許可とればいいだろ……」 「まぁそれは、ハハ……そうだ! トレーナーさんってトレーナーさんッスよね!」 「……バカみたいな質問だけどそうだね」 「アタシ今日模擬レース出てたんすけど、例えば……それを見ていたトレーナーさんが声かけてー、意気投合―、気が付いたら夜だったからご飯食べに行く―、その時にー、寮長に話通し忘れたー、的な、シナリオで……どうッスか!」 「なるほどなぁ! それだったら俺のうっかりミスで済むから君に責任が行かないってことだな!」 「そ~うッスそうッス! 多分これならギリギリ見逃してもらえると思うんスよ!」 「ハッハッハ!」 「ハハハ……!」 「先に帰るね」 「待った待った待った!」 全力で裾を引っ張られた。やめなさい、ウマ娘の力は強いんだぞ。 「なんで俺が責任被る方向で話を進めてくるんだ君は……っ!」 「頼むッスよ本当……っ! ちょっと寮に着いてきてくれるだけでいいんスよ……!」 「俺のメリット0じゃないか……っ!」 「いや本当申し訳ないんスけど……っ! 次無断外出バレると反省文だけじゃ済まなさそうで……っ!」 「前々から無断外出してるクセに懲りてないのが悪いんじゃないか……っ!」 「それはそうなんスけどぉ……! っそうだ、ほら、トレーナーさんさっき担当持ってないって言ってましたよね……! なんならアタシどうッスか……契約する代わりに……っ!」 「新聞についてくる洗剤じゃねえんだぞ君……!」 「今なら月々4980円……ッス!」ドヤガオ 「ッス、じゃねえ!」 あと微妙に高ぇ! * 閑話休題。若干ヒートアップしたが、少し落ち着こう。それに、ようやく思い出した。 「ハァ……ハァ……とりあえず、外出の件はなんとかするから……落ち着こう……」 「……えっ、いいんスか? 正直自分で言っててだいぶ図々しいお願いだと……」 「分かってるなら最初からしなさんな……それよりちょっと気になってることがあるし」 「……気になってること? あれ、ッスか、契約のことッスか?」 「ん? あぁそれもそうだけど……」 「あー……あのー、契約に関しては少し条件が……」 「待った、その話は一旦後で……いやこの上条件あんの? 条件によっては……まぁいいか、それは後だ後。とりあえずは……今から一つ質問するから、それに正直に答えてくれさえすれば……まぁ君の条件は出来るだけ飲もう」 「えっ、はい何かすみません……ぶっちゃけそんなんで済むならアタシとしては万々歳ッスけど……で、その質問ってなんスかね……?」 「……シュウマツノカジツ」 「はい……いや、なんでアタシの名前知って……」 「君、なんで最後手を抜いたんだ?」 了 + 第2章 No us + 第3章 それ行け!目指せよ みんなのスプリンター[仮題] + 第4章 未定 + 第5章 未定 + 第6章 未定 + 第7章 未定 + 第8章 未定 + 第9章 未定 + 第10章 未定 + エピローグ 未定
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すっかり寒さも和らぎ、暖かくなってきた春の休日。しとしとと降る雨が適度に心地よいBGMとなりながら、けれど外出したいという生徒たちの気概を奪っていく。久々のオフということで宿題に勤しみ、それをも終えて暇を持て余していた私はトレーナー室へ足を向ける。 私のために、或いは彼自身のために……日々身を粉にして仕事に励むトレーナーさん。中々に厄介な気性の私を、それでも私として受け入れてくれた人。どうせすることが無いなら、お茶の一杯でも入れて話相手にでもなろうかと、戸を叩いてドアを開けば……「こんにちはー!……耳、痒いんですか?」 一応ノックはしていたが、連絡も無しに私が来たのは予想外だったらしく。左耳に耳かきを差し込んだまま、呆然とこちらを見つめるトレーナーさんの姿。ちょいと視線を逸らせば、綺麗なままのティッシュが机の上で開いており。あぁ、上手くいってないのかと。 とりあえず湯呑みが空だったので、自分の分と一緒に注ぎつつ話を聞いてみることに。曰く最初に違和感を覚えたのが3日前、確か坂路特訓の日だったか。その時に砂でも入ったのか、奥の方でゴロゴロと音が響いていたとのことで。その後も気にはなっていたが機会に恵まれず、ちょうど私がいない今日にやってしまおうと思ったらしい。実際にはこれが難しいという具合だったみたいだけど。 「でしたら私、やってみましょうか! なるべく怪我は避けるようにするので!」 休日に1人で仕事、というのが身体に堪えていたらしく。目には少し隈が浮き、唇も若干かさかさ。湯呑みの底は大分乾いていたし、あまり飲んでいなかったんだろう。 担当の私を心配させないため、なんて心遣いは真っ当に嬉しいものであるが。しかし裏を返せば、私のせいで抱えた負担を私に見せてはならぬという……素晴らしい矜持ではあるけど、正直申し訳ない。いざ直面するまで気づけなかった私も私だが、せめて知った以上は休ませてあげたいと思う。 適当にタオルを取り出して床に敷き、正座。ポンポンと、いつも鍛えている太ももを叩いて誘導してあげれば、フラフラと私の脚に頭を乗せるトレーナーさん。……いや、これマズくない?普段ならもう少し自制しますよね? 予想を超える疲れっぷりを見せたトレーナーさんに内心狼狽しながらも、昔読んだ知識で耳掃除を始めようとする。本当は温タオルとかあった方がいいらしいけど、急場で用意できなかったし。とりあえず、右耳を押し広げながら覗いてみようと── ──むにぃぃぃぃぃ…………♡ 「あっ」 前のめりになって奥まで見ようとして、思いっきり胸を頭部に押し付けてしまう。そういえば体型的にそうなるんだ、漫画だと耳かきしてたのが男の人だったから気付かなかった。とりあえず、こういうのが好きな人がいるのも知ってるけど……不可抗力とはいえ、普段なら注意してくれるよね?気をつけろーって。本当に疲れてるなこの人…… とりあえず、トレーナーさんの頭を膝あたりに置き、左手で支える。これでとりあえずトレーナーさんを窒息させる心配はなくなった。 「それじゃ始めていきますね!特に痒いところあったら言ってくださーい!」 普段に増して声を張り、これから耳かきするという意思を伝える。ちゃんと左手に力を込めて頭が動かないようにしながら、右手で匙を持ち、かりかりと。手前あたりは垢もそれほど溜まっていなかったが、マッサージには効果があるらしい、ので適度に力を込めて掻き進める。 かりかり……かりかりかり…… 「……よし。それじゃ奥までやっていきますよ!」 最初は強張っていたトレーナーさんの身体も、少しずつ和らいでいく。それを見計らって、ちょっと汚れの多い奥まで匙を進める。ちょっと産毛に絡み付いたもの、耳の壁にぺったりくっついたもの。とりあえず隙間を見つけて、少しずつ剥がしていく。 ぱり、ぱりぱりっ……ぺろっ、ごそごそごそごそ…… 取り去った耳垢を奥まで落とさないように、注意しながら匙を持ち上げる。ちょっと黒ずんだ、5ミリくらいの扁平な耳垢。結構大きなのが取れたななんて思いながら、他にもペリペリと取れそうなものに手をつけていく。時々、奥まで押し込まれてしまった分を見ては、トレーナーさんが自分で押し込んでしまったんだろうなと苦笑しながら。 ごそごそ、ざくざくざくざく…… 「大丈夫ですかー?痛くはないですかー!」 なんとかコツを掴めたおかげで、匙を持つ手が順調に進む。この調子なら、邪魔な耳垢を全部取るのにもそれほど掛からないだろう。 ……耳、音、声。トレーナーさんは、私の音や声をいつもしっかり聞いてくれている。追込をかける時の足音に違和感があればすぐに声を掛けて止めてくれるし。逆に芝を踏む感触がいい音なら、キリのいい時に何を意識してたのかとか聞いてくれる。声にしても、レース前に無口無表情になっちゃう私の悪癖を汲んで、適切な応援をしてくれるし。 「調子はどうだ?身体の調子は悪くなさそうだし、しっかり準備出来てるように見えるけど」 「……うん」 「ライバルが多いのも分かる、ただ今日は良馬場だし昨日話した通りの流れでいこう」 「……勝つよ」 「よし、じゃあ行ってこい!」 なんて、冷静に見たら私がトレーナーさんへの対応を雑にしてるようにしか見えないよね。でも、そんな私に合わせてくれているお陰で、こうして走れてるんだって考えると……うん。 「はい、こっちは終わりましたよ!……ふふ」 気付けば右耳の中はすっきり綺麗になり、達成感を覚えながらトレーナーさんに伝える。ただ、それに返ってきたのは言葉ではなく、微かな寝息……普段のトレーナーさんなら、教育者としての理性が欲望に負けたって嘆きそうだけど。本音を言えば、こうしてリラックスしながら身を委ねてくれるっていう信頼を嬉しく思う。 とりあえずトレーナーさんを起こさないように、身体を上手く回して反対に向ける。少しでも安らいでくれたら嬉しいし、左耳もしっかり綺麗にしてあげないと。なんて決意を胸に、再び私は匙を持つのであった…… ……その後。 トレーナーさんに書類を届けに来たたづなさんに。 「光を失い据わった目をしたウマ娘が、無表情のまま一心不乱に担当トレーナーの耳を、さながら親の仇の如く掻き続けている」現場を見られ。 弁明のために立ち上がるまで、この奇妙な耳かきは続いた。
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▽タグ一覧 SS エノラ カラレスミラージュ ――最初に興味を持った理由は何故だったか。長身痩躯、濡羽長髪……私が切り捨てた物を持って其処にいたから? それとも、絢爛な蜃気楼ではなく色無の名を呼んだから? 今となっては思い出せない。だって、蒙昧な空想に囚われていた私は既に引き摺り出され……どうしようもないほど、彼女に惹かれてしまったのだから。 「エノラちゃん……えへへへっ♪」 すっ転ばされたせいで汗と土まみれになった身体を流し、夕食に舌鼓を打ってからベッドに座り込む。主の片割れを持たぬ、広い広い部屋。無意識のうちに境界線を守り、何時か誰かが訪れるかもしれない領域は手付かずにしている。時々掃除はしているけど。 それにしても。エノラという少女のことを思い出す。クラスでも一二を争うくらい背が高く、それでいていつもクールな子。最初は『明るい私』として話し掛けたくらいの関係だったけど、気付けば何故か放っておけない存在になった。 まず、人の名前を憶えてくれない。まあ明るいだけの私はキャラが薄いから仕方ないとして。次に、いつも眠たそう。それでいて授業はちゃんと聞いているのだから不思議だ。そして…、どこか行動がちぐはぐな気がした。私も他人のこと言えないけど……いや、これ以上は邪推か。 薄っすら目を閉じて、思い出すのは昼間の並走……とも模擬レースとも言い難い、バッチバチの勝負風景。 「おーい!」 「なんの用?」 「並走しない!?」 「脚質は手広い方がいいぞ」って言われて続けていた差し切りの練習、エノラさんが追込型っていうのはどこかで見た覚えがあったから……いや本音はエノラさんと走ってみたかったからだけどね! うん! 顔を上げた私の視界に飛び込んでくる、鏡写しの虚像。にへらとだらしなく歪んだ口元に……濁り切った瞳。そういえば、これも悟られちゃったみたいなんだよね。やらかしちゃったなぁ…… 正確には覚えていないけど、たしか2000mのコースを選んだはず。私が前に出て、エノラちゃんが後ろに控える形。他に誰もいない2人っきりのレース場、周りを使った駆け引きなんて出来るはずもなく迎えた第4コーナー。 普段は外側ブチ抜いて強引に勝つのがセオリーだったから、新鮮味を感じつつ振り返れば、必死に追い縋ろうと何バ身か開いた後ろを掛けるエノラちゃん。でも。 『エノラちゃんの脚は、そんなものじゃないでしょう?』 「…!!」 聞こえないくらいの声とともに、ニヤリ。微笑みかけた瞬間、彼女の纏う空気が変わったのが分かった。 「やあああァァァ!!」 余裕めいた煽りを後悔するくらい、勝つって意志を漲らせて追い上げてくる長髪の少女。追われることに慣れていないとはいえ、少しずつ迫ってくる重圧。3バ身、2バ身半、2バ身……嗚呼―― 「ッぐぅぅ…! まだまだァ!!」 「――負けたくないなぁ……」 自分の唇から零れ落ちた一言、同時に『何か』が剥がれ落ちる感覚。追い縋っていた彼女を千切り伏せ、ふと振り返った瞬間……目に入ったのは、瞳に無数のノイズを走らせ、白んだモザイクに視界を遮られた少女の姿。 視られてない。そう結論付けて、一応ゴールは踏んだ後に彼女へ飛び込んでいく。4cm近い体格差とはいえ、軸を失ってふらふらの彼女に押し負ける道理はないだろうと。とりあえず呼吸が落ち着くまでは側で観察、落ち着いたら気を和らげるように…… 「楽しかったね!」 オイ待て私は何を言った? 仮にも勝者の発言か!? 「カ、ラレス……あれは」 「しーっ」 本当にちょっと待って貴女は何を言いかけた!? あれってどれだ聞くまでも無いでしょ!? そんなことで動転しているうちに脚をひっ掴まれて押し倒されて。間近に迫る彼女の顔。 「あなたの全てを教えて」 「記憶を1滴残らず、私に頂戴」 「あなたは私の存在証明になる」 滔々と、それこそ自分の中身を溢れさせるように語り続けるエノラちゃん。この時初めて、私は彼女の『欠落』を垣間見たんだと思う。 「そして…君の本当の中身も、暴かせてもらうわ」 ……それと、私の『欠落』も。 楽しかった、そう言い残してレース場を去る彼女。私の一面を見たのに、恐れもせず気味悪がりもせず……何というか。 「ゾクゾクするなぁ……」 久々に作った物じゃない、胸の奥から湧き上がってくる笑みを浮かべながら呟く。破れ鍋に綴じ蓋って言ったら彼女に失礼なんだろうけど。正直に言って―― 「――私も貴女が欲しいよ、エノラちゃん」 世間の皆が考えるそれとは違うだろうけど、きっと私は彼女に乞い焦がれてしまったんだろうから。 この大体15時間後くらいに、名前を覚えてもらえていただけで飛んで喜ぶあたり……ね? ~~~ 「おっはよー!」 「……おはよう。確か……カラレス?」 「うん、カラレスだよ! おはようエノラちゃん!」 始業時間の20分前、普段『作っている』ノリより1割か2割くらい高いテンションで目の前の彼女に笑い掛ける。彼女に対しては、他の娘以上に「バレちゃダメ」って意識が働くからか、振る舞いが妙なことになる。まあそれだけじゃないんだろうけど。 ちなみに、後で聞いた話だけど。割と背の高めな私達が会話しているところって『様になる』らしい。エノラちゃんは綺麗だし、私も一応可愛く見えるようには振る舞ってるつもりだからね! 「というか、名前呼ばれただけでそんなに反応するもの……?」 「大体みなさんミラージュって呼んでくれるから……カラレス呼びなの、今のところエノラちゃんだけだよ?」 「そう……」 「誰? って聞かれて返すのも悪くはなかったけど、やっぱりこっちの方が嬉しいなって!」 「…………」 そこまで興味がなかったのか、眠たそうな表情になって机に伏せるエノラちゃん。まあ彼女らしいと言えば彼女らしいけど、本題を伝え忘れるわけにもいかないから。寝ている彼女の耳元に顔を寄せて。 「1限の国語と3限の数学、名前と順番的に私達が当たると思うから。準備しておいた方がいいかも」 それだけ言い残して、自分の席に着く。本当に寝るにしろ起きてるにしろ、始業前の時間ってどこか落ち着かない気持ちになるし。自分の時間は自分の物、ってね。 今度お昼誘ってみようかな……なんて考えつつ、チャイムが鳴るまでの時間をのんびり過ごすのでした。
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▽タグ一覧 シュウマツノカジツ メジロエスキモー メジロエスキー メジロドーベル 前:貴方と夢見たその先へ(連載)【Part3】 次:貴方と夢見たその先へ(連載)【Part5】 本編 + ジャパンカップ〜取っ掛かりは意外な人から ───── 迎えたジャパンカップ。木曜日に発表された枠順では上位人気勢がわりと内枠に入る結果となった。エスキーは2枠2番、ストラテジーバードさんは3枠5番、そして私はその隣の4枠6番に配されている。唯一上位人気で外枠になったのは大外8枠15番のグッチオヌールさんだけ。 控え室ではいつもどおりのルーティーンで気合いを入れ、地下バ道からコースへと姿を現す。やはりこの大一番を見たい人が多いのか、この前の天皇賞の時より観客が増えている気がする。 (いち、に、さん、しっと。準備運動もこれでバッチリ) ホームストレッチの坂の終わり付近に置かれたゲートの後ろで入念に最後のストレッチを行う。ふと周りを見渡すと、レースが待ちきれずテンションが少し高くなっている者、緊張で若干ナーバス気味な者、周りの喧騒を気にせず静かにスタートを待つ者と各自様々な様相でレース前最後の時間を過ごしていた。 (エスキーは……いつもどおりか。まあそうでなくっちゃね) 奇数番号の枠のウマ娘が先に入れられ、左隣のストラテジーバードさんが静かにゲートへと収まる。奇数番号最後の13番枠の子まで入ると、今度は2番のエスキーから順にゆっくりと目の前の籠の中へと歩を進める。そのあと4番の子を挟み私もゲートへと体を収め、静かにスタートの時を待つ。1回、2回と深呼吸を繰り返し態勢を整える。 『──さあ最後に大外16番グッチオヌールがゲートに収まり、各ウマ娘態勢整います……スタートしました!』 出遅れたのは数名、海外から参戦してきた子と、あとは…… 『──おっと、3枠4番ミラクルまたしても出遅れました! その隙に外から8枠14番のトウシが前へ前へと上がっていき1コーナーへと入ってまいります!』 ただ出遅れたミラクルさんも後ろからのレース運びを嫌ったのか、すぐさま外から前へと上がっていきトウシさんを交わして先頭へ立つ。その後ろにエスキーがいて、またその1バ身後ろに水色と白の耳飾りを着けたストラテジーバードさんがエスキーをマークするかのように虎視眈々と前を見つめていた。 『──さあ2コーナーを回って先頭は3枠4番ミラクル、そのすぐ後ろに8枠14番トウシ、少し離れまして……ここにいました1番人気、2枠2番メジロエスキーは前から3番手でレースを進めます』 ペースはそれほど速くはならず、前半は平均ペースで流れていく。この展開であれば、先行していてもある程度後方に待機していたとしてもどこからでも届く、脚さえ残っていれば。 『──向こう正面に入っていきまして最初の1000mをここで通過します……60秒フラット。バ場を考えるとスローにも思える展開、果たしてどこで誰が仕掛けるのか注目です』 残り400m。今はまだその背が遠くても。 『──3コーナーがそこに迫ってきます。少し坂を上ったところで中間地点、残り1200mのハロン棒を左手に見ながら各ウマ娘勝負所を伺っているか』 (あああああああああああああ!!!!!) “■■■■■■■■■■ Lv.0” 『──おっと!? ここで後方に控えていた2番人気メジロエスキモーが外から前へと迫ってくる! 早仕掛けか? それとも作戦通りか!? 一気にここでレースが動きます!』 (エスキーまではまだ4バ身ぐらい差がある。ただあの子はここからが……!) ───── (なるほど、そういう作戦で来ましたか) 1000mを過ぎたところで後ろから誰かが勢いよく迫ってくる気配を背中で感じ取る。振り向く必要はない。このプレッシャー、この重圧、わたしにそれを感じさせるウマ娘は今ここで1人しかいない。 (エスキモーちゃん……成長しましたね……) もちろんわたしもそれをただ見ているだけじゃない。娘の成長を見守る親では終われない。 (ただそれでわたしに勝てるなんてまだまだ甘いですよ……っ!) 残り800m。勝負はまだまだこれからだ。 “貴方と歩んだその先へ Lv.5” (想いの強さはわたしの方が上だ……っ!!!) ───── 『──残り800m、一気にメジロエスキーがスパートを掛けた! この末脚! この加速力! 我こそが最強だと言わんばかりの切れ味でもうここで先頭へと並びかけ……いや交わした! 直線手前でもうメジロエスキーが先頭に躍り出た!』 残り800mから2ハロン、彼女は尋常ではないスピードで前を交わし後続を突き放し先頭で最後の直線を駆けていく。もちろん全部予想通り。私はただ自分のレースをすればいい……はず…… (いや……これは届かない……?) 残り400m。彼女はここで一度息を入れるため少しペースを落とす。その隙に一気に迫り、最後の1ハロンで叩き合いに持ち込み交わしきる算段だったはずが想定より差を詰めきれていない。彼女はいつもの変わらないペースで走っているはずだからもしかしたらこれは…… (私の脚がまだ万全じゃなかった……?) 間違いなくグングンと伸びている。残り2ハロンの区間で詰めてはいるし、とっくに後ろの集団を突き放しているんだから。 (足りない……まだ足りない……何が……?) 練習? 経験? 一体彼女との差は何なのか。そして…… (スパートを掛け始めた時に一瞬世界が変わって見えた……) 残り1000m、作戦通りにスパートを掛けたその時、周りのウマ娘や観客の動きが遅くなったように感じる瞬間があった。ただ感じたのはわずか数瞬。すぐに周りが元の速さで動き出し、世界は元通りに回帰した。 (分からない……分からない……) 残り200m、息を入れたエスキーが2度目のスパートを掛ける。ただそれでも私は伸び続け4バ身、3バ身と彼女の背中に手が届きそうな所まで近づいた。ただそれは「届きそう」で幕を下ろす。手が届き、追い越すことは叶わなかった。 (ここまで、か……) 『──メジロエスキモーが凄い勢いで迫ってくるがこれは届かないか? メジロエスキー今1着でゴールイン! 1バ身後ろでメジロエスキモーが入線しています!』 またもや2着。トレーナーと作戦を立て、ゲートを決め、万全な態勢で道中を運び、ベストタイミングでスパートを掛けた。ただそれでもまだその背中は遠かった。 「ハァ……ハァ……」 決着タイムはこれまでの記録を1秒塗り替える大レコード。私も当然今までこの距離を駆けたウマ娘より速くゴールを駆け抜けた。ただその前に先に1人ゴール板を通過したウマ娘がいた、ただそれだけで私の名前は記録には残らない。 息を整えてから観客席に向かって手を振るエスキーに声をかけ、お互いの健闘を讃えあう。 「おめでとう、エスキー。届くと思ったんだけどまだ足りなかったな……」 「ありがとうございます、エスキモーちゃん。あの末脚、もう少しで交わされるかと思っちゃいました」 これまでこの子と付き合ってきて分かったのが、彼女はあまりお世辞を言うタイプではないということ。それは言い換えるとウソをつきにくい性格とも言うことができる。だから今のこの彼女の言葉は本心から出たものだろう。私はそれを素直に受け入れ、ありがとうと感謝のハグをする。 「ここでですかっ!? もう仕方ないですねえエスキモーちゃんは。わたしもギュってしてあげますっ」 驚きつつもそっと彼女は抱き返してくれた。5秒、10秒……数える前にお互いパッと体を離しニッコリと微笑み合う。そして盛り上がる観客席に一礼をして地下バ道へと駆けていった。 ───── (何が足らなかったのかな……) ウイニングライブの時もトレーナーの家に帰る間も晩ご飯を作る最中も、そして今湯船に浸かるこの瞬間も頭の中は延々と今日の敗因が何だったのかで一杯になっていた。 1つ思いついたのはあのラストスパートのあの瞬間に感じたもの。あれを極めることができれば最後交わしきれる可能性は十分高い。ただ問題は…… (どうやってその状態に入るか、そしてそれを維持できるか、なんだよね……) 武器をまだ磨き上げている状態だから入ることができないのか、それとも何か他にトリガーがあるのか。 (あの子に聞いても……教えてくれないだろなあ……) 自分が入りかけたから分かる。たぶんエスキーは残り800mから自分の世界へと完全に入り込んでいるということを。しかもそれ自体を磨き上げることで尋常ではない加速力を実現させていることも感覚ではあるが理解できた。ただ親友ではあるけど私たちはライバルでもある。相手に塩を送るなんて真似、彼女はおそらくしないだろう。 (自分で見つけるしかない、ってことね……) 練習量か、レース経験か、果たして何なのか。そのヒントは予想もしていなかった人物から得ることができた。 ───── 「ただいまでーす」 「おかえりなさいッス、エスキモーちゃん……今日は帰ってきたンスね?」 お風呂から出たあとは2人で夕食をとり、片付けをした後早々と帰途についた。もちろん何か喧嘩別れしたということではなく、むしろ逆。レース「前」ではなくレース「後」であるということ、レース明けの月曜日に授業を繰り返し休むのはよくないということ……まあそういうことだ。 「ちょっとカジっちゃん先輩意味深な言い方しないでくださいよ。レースに負けた後輩を慰めないなんて心冷たくないですか?」 ニヤニヤした顔で私を弄ろうとする先輩の言葉をサラリと躱し荷物を整理すると、そのまま自分のベッドへと倒れ込む。スプリングの反発で二度三度と体が跳ねるが、すぐにマットレスに全身が沈み込む。 「ごめんッス、エスキモーちゃん。お疲れさまッス。結果は惜しかったけど……」 「一気にテンション変わって風邪引きそうですよ! 気にしてないことはないですけど、また次のレース頑張るだけですから!」 次のレースはそう、去年初めて戦い負けた舞台、有馬記念。昨年は帰国初戦で少しだけバ群を捌くのに手間取っていたエスキーを尻目に最後の直線で抜け出そうとするも、進路を切り替えて前が開いた彼女が一気に私を捉えて貫禄を見せつけられたレースだった。もちろん今年こそはと意気込むものの、ジャパンカップの敗北をどう糧にしようかと頭を悩ませている。 「それならいいンスけど……次は勝てそうなンスか? あのエスキーちゃん相手ッスし、厳しいのは分かってるンスけど」 「それなんですよね……今日はなんとか1バ身差まで詰め寄れたんですけど、最後は迫ってるのに届く気がしなくて……」 たかが1バ身、されど1バ身。彼女に近づけた分、彼女との差は距離だけではないことをまざまざと見せつけられた結果になった。 「カジっちゃん先輩、もし経験あればなんですけど……レース中世界が遅く見えたことってあります?」 暗い話になりそうだったのを切り替えるためでもあったけど、ダメ元で今悩んでいる話を先輩に打ち明ける。失礼ながら先輩からいい回答が返ってくるとは思ってなかったけど、先輩はあっけらかんとした口調で答えをくれた。 「あー、なんか経験あるッス。なんか自分だけ速く動いてるような感覚のことッスよね? いつかっていうのは記憶ないンスけど、重賞勝った時はその感覚になってたと思うッスよ」 「あの時も確か……」と少し上の方を見つめ自分の記憶を辿っていっている様子のカジっちゃん先輩。これは大きな手がかりになりそうな予感がした。 「ねえ、カジっちゃん先輩。その時って体の調子とかどうでした? 何か考えてたことあります?」 このチャンスは逃したくない。有馬記念を絶対に勝つためにも聞ける情報は全部聞き出したい。 「体の調子は……もちろん良かったとおもうッス。考えていたことは……うーん、ただ勝ちたいとしか思ってなかったような……」 「勝ちたい……想いの力ってこと……?」 勝ちたい、それはレースに臨む限り誰もが持っている欲求。むしろそれがなければ走る意味なんてない。ただ勝ちたい欲求なんて当然私も持っている訳で、それでどうこうとなる話なんだろうか? 「詳細は省くンスけど、私全然勝てなかった時期あったンス。練習はこなせてるし、体の調子は悪くない、なのに勝てない。いろいろ試行錯誤しているうちに頭の中がぐちゃぐちゃになって……そんな状態で走ったレースなんて普通だったら勝てないじゃないッスか? でもその時なぜかトレーナーさんとか友人、家族もいたッスかね……みんなの私を応援する声が聞こえてきて、自分のためじゃなくてこの人たちのために勝ちたいと思えたンス。そうしたらその時フッと見えてた世界の色が変わって、目の前に光る何かを掴もうと駆けていったらいつの間にか先頭でゴールしていて……」 「応援……気持ち……想いの力……?」 先輩の話を聞いて分かったことが1つある。勝ちたいという欲求があることは前提として、そこに他の人からの想いを乗せることが大事だということ。自分だけじゃない想いの力、それがきっかけとなり、自分が考えていた以上の力を発揮することができる。 「あー、こんなの話半分に聞いてほしいッス。最初にその状態に入れてから次のレースからもずっとって訳じゃなかったッスし。他に条件あるかもしれないッスし」 「いえ、なんとなく分かった気がします。あくまでも漠然とですけど」 ありがとうございますと礼を伝え、明日の授業に備えるために部屋の照明を落とす。ベッドに体を預け布団を体に掛けて目を閉じると、想像以上に疲れが溜まっていたのか、すぐに夢の世界へと誘われていった。 ───── 「想いの力、かぁ……」 12月に入りすっかり冷え込んだ日、トレーニングの休憩中にポツリと独りごちる。 「想いがなんだって?」 「ああトレーナー。ううん、ちょっと独り言。気にしないで」 私が浮かない顔でため息をついているのが気になったのか、トレーナーが優しく声をかけてくれる。私はそんなトレーナーに甘えて今抱えている悩みを打ち明けた。 「トレーナー、1つ聞きたい、というか相談があるんだけど、いい?」 「もちろん。担当の悩みを聞くのもトレーナーの仕事だからな。よいしょっと、それで?」 コースの外側の芝生に座っていた私の隣に腰を下ろし、真剣な表情で私の話を待ち構えている。私はその顔を見て、少し躊躇いながらも「あのね……」と話し始めた。 「この前のジャパンカップ負けちゃったでしょ? そのあと何が足りないのかなって1人で考えてたら、あの子より勝負に対する想いが足りないんじゃないかって思い始めて…、でもだったらどうしたらいいんだろって考えてたら訳分かんなくなっちゃって……」 話すにつれて抱えていた膝をどんどん引き寄せ、終いには膝の上におでこを乗せて俯きこんでしまう。そんな私の頭をトレーナーは優しく撫でながら「大丈夫」と言ってくれた。 「あのな、エスキモー。オレは君の勝負に対する想いが他の子より劣っているとは全く思わない。むしろ他の子より強いからこそこれまでたくさんのレースに勝ててきたんだから。ダービー、菊花賞、大阪杯、春の天皇賞、宝塚記念、G1だけで5つも勝っているんだ。間違いなく君の想いは強い。それは誇っていい」 「だったら何が足らないんだろ……分かんない、分かんないよ……」 掴みたい勝利、ただそれを手に入れるには何かが足りない。エスキーにあって私にはない何かが。 「なあエスキモー。エスキーと話してみたのか?」 「ううん。だって同じレースを走るライバルだし、そんなの聞いても絶対教えてくれないよ」 もちろんそれは1回考えた。ただどれだけ優しい彼女でも譲れない、他人には言えないものの1つや2つはあるだろう。しかも文字通り敵に塩を送る行為なんてするはずが…… 「直接聞いたらそれは教えてくれないと思う。ただ例えば遊びに行ったり2人で過ごしたりする中で垣間見えるものもあるんじゃないかな。彼女が普段何を大事にしているのか、何が心の柱となっているのか」 レースに勝ちたい想い、それが強ければ強いほど普段の生活、レースには関係がない所でも薄っすらと漏れてしまうはず。トレーナーは直接聞けずともそれを彼女から感じ取ることができれば、一体何が足らないのか分かると教えてくれた。 「勝ちたい想い、というのは当然オレにもある。あくまでも君を通してになってしまうけど」 「それってつまり……?」 私がそう返すとトレーナーはニッコリと微笑み、彼の想いを語ってくれた。 「君と夢が見たい。勝利の先にある夢の景色を君と一緒に見たい。それがオレのレースに対する想い、かな」 「私と一緒に夢を……」 彼の想い、期待、そして夢。それを私に託して毎日を共に歩んでくれている。そんな彼に返せるものは私は持ち合わせているだろうか? 「あー、そんなに重く捉えないでくれ。オレが今まで勝手に考えていたことを言葉で表現しただけだから。ほ、ほら練習再開するぞ」 そう言ったトレーナーは「よいしょっと」と呟き立ち上がると、私に颯爽と手を差し出し立ち上がるのを助けてくれる。私はそれに甘えて彼の手を握り力強く引っ張り上げてもらった。 「ありがと。ちょっといろいろ考えてみる」 「少しでも手助けになったら何よりだ。また何か悩み事があったらいつでも言ってくれ」 そう答えてくれた彼の笑顔はいつだって眩しい。だけど少し気が晴れた私はそんな彼を少しだけからかってみたくなり、「あのね」と耳元でこう囁いた。 「誰かさんに愛してもらった次の日、いつも腰が痛くなっちゃうんだけどどうしたらいいかな?」 「なーんて」とクスクス笑って外ラチを潜り抜けコースへと足を踏み入れる私。彼はそんな私に向かって真っ赤な顔で 「な、なに言って……!?」 なんて言っちゃって。かっこいいけど可愛いなあ、私のトレーナーは。 ───── トレーニングはもちろん真面目に終わらせ、練習後のミーティングも無事に済ませた。ミーティングのあとに携帯を見てみると何やら通知が1件届いていた。 「有馬記念のファン投票2位だって。1位は……まあエスキーだよね」 「君が21万4742票でエスキーが26万742票か。まあ実績だとどうしても差が出てしまうから仕方ない部分はあるな」 特別登録をしたウマ娘のファン投票上位10人に優先出走権が与えられるグランプリレース、有馬記念。21万以上もの人に想いを託され私は夢の舞台へと立つ……ってこの想いって…… 「あっ、そうそうエスキーにメッセージ送っておかなきゃ。今度の休み空いてる?って」 忘れないうちにあの子にメッセージを送っておく。行き先は決めてないけど、2人でゆっくり話せそうな場所だったらなんなりと見つかるだろう。そう考えている間に既読がつき、『日曜ならいいですよ』と返事が返ってきた。 「『ありがと。場所はまたあとでね』っと。じゃあ今度の日曜出かけてくるね」 「オッケー。日曜は無理できないと……」 携帯をカバンに入れていると何やらトレーナーが不穏なことを呟いた。 「……加減はしてよね」 「……善処はする」 そんなこと言って本当に善処した試しあったかなこの人…… + エスキーと「秘密」の部屋〜貴方とのクリスマス ───── 有馬記念を2週間後に控え、街もいよいよクリスマスモードに色づいてきた日のお昼すぎ。待ち合わせの駅前で私は少しげっそりとした表情でエスキーを待っていた。 「今日の予定昼からにしておいてよかった……」 善処するとは一体なんだったのか。あの日の台詞をそっくりそのまま彼に聞かせてあげたかった。寒空の下冷たい手を暖めようと口に手を当てて吐いた息はまるでため息のようだった。 「お待たせしましたっ! あれっ? なんだかエスキモーちゃん顔暗くないですか? 調子悪かったり?」 そうこうしている間に待ち合わせ場所にやってきたエスキーに大丈夫だよと返事をして楽しみにしていたカフェへと足を運んだ。入り口の扉が大人用と子ども用の2つあるユニークな店構えをしたこのお店はパンケーキが有名らしい。私たちも他のお客さんに合わせてこのお店名物の物を注文した。 「わぁっ! なんだかおとぎの国に出てきそうですっ!」 「すっごーい……! 噂には聞いてたけど、とってもかわいい……!」 私たちの前に現れたのは何枚かのパンケーキの上にクリームがたっぷり載っていて、さらにクッキーだろうか、小さな雪だるまやクマが隣に並んでいてとっても可愛らしい盛りつけになっている。しかもパンケーキの周りにフルーツも散りばめられていて、私たちは2人してお皿を見る目がキラッキラに輝いていた。 「食べるのもったいないけど食べるしかないよね……いただきまーす! 」 「いただきまーすっ! もぐもぐ……ん〜〜〜〜っ! とっっっても美味しいですっ!」 一口食べて分かるこのとろける甘さ。学園の近くだし前からクラスで話題になってていつか行ってみたいなって思ってたんだよね。来てよかった…… 「それにしてもよくこんなお店見つけましたね、エスキモーちゃん」 「あれ? クラスとかで話題になってなかった? クラスのみんな美味しかったよ〜って写真何枚も見せてくれたんだけど」 私のクラスだけだったのだろうか。いやでも駅前数分の所にあるから他のクラスの子も行ってるはず…… 「こんな話題に乗るのが得意じゃなくてですね……」 あははと苦笑いを浮かべるエスキー。愛嬌たっぷりでいつもみんなとニコニコ接してるから忘れがちなんだけど、そういえば中身は私のパパなんだよね。それは確かに一回りぐらい違う女の子の話題についていけって方が難しいかもしれない。ファッションにもあんまり興味薄いみたいだし。 「まあ人それぞれだと思うからさ、何に興味持つかなんて」 お互いお腹が空いていたのか凄い勢いで食べきってしまい、既に食後のミルクティーを味わっていた。甘く温かく、体の中を温もりが駆け巡っていく。 「それはそうなんですけど……というよりエスキモーちゃん。このあとどこ行くんでしたっけ?」 「このあと……ぶらぶらーっとカフェ巡りとか街歩きとかどうかなーって思ってたんだけど……」 日常の中で気を解してもらって、何かレースのヒントを得られないかなって考えてたんだけど、他の人からしたらほぼノープランですよって言ってるようなものだよねこれ…… 「……だったらエスキモーちゃんを連れていきたい所があるんですけど、いいですか?」 と思っていたらエスキーの方からお誘いを受けた。もちろん断る理由なんてないからすぐに首を縦に振る。 「ちなみにそれってどこなのか聞いてもいい?」 「……着いてからのお楽しみですっ」 そう微笑んだ彼女は手元のミルクティーを静かに飲み干し口を拭くと席を立つ。私も慌ててぬるくなった自分のミルクティーを口から流し込むと、レジへ向かうあの子の背中を追いかけた。 ───── 駅から歩くこと10分少々。着いたのはよくある普通のアパートメントだった。特に何か特徴がある訳でもなく、ただただ一般的な造りをしていた。その中の一室の玄関の前へと迷いなく歩いていくエスキーの背中に説明を求めて声をかけた。 「ええっとエスキー? ここは?」 道中いくら聞いても笑ってごまかすだけだった彼女。私の質問にはまだ答えずにショルダーバッグから鍵を取り出し、そのまま鍵穴へと差して回す。ガチャリと音を立てたその扉のドアノブを持って捻ると、彼女は何も言わずに扉の中へと足を踏み入れた。 「入らないんですか?」 躊躇うことなく靴を脱いで部屋に上がり込むエスキー。そんな彼女の姿に少し体が固まったものの、その一言で新しい電池が入ったロボットのように一歩一歩足を前に踏み出していった。そうして彼女に倣い、おそるおそる靴を脱いで部屋に上がると、そこに広がっていたのは見知らぬ誰かの生活空間だった。 「……いい加減教えてくれてもいいんじゃない?」 わずかに怒気を含んだ声でこんな場所でも自然体でいる彼女に声をかける。すると彼女はいつもより低いトーンの私の声に気づいていないのか、あっけらかんとした表情で正解、いやヒントを伝えた。 「周り見渡してみて何か気づきませんか?」 「周り……?」 部屋に広がるのはキッチンや食卓、そしてリビング。リビングに置いてあるソファの真正面にはテレビがあって、そのすぐ側には…… 「ママの写真……どうしてこんな所に……?」 それはママがレースで優勝した時の写真だった。満面の笑顔で、優勝のレイも肩にかけたりなんかして。それがいくつも、いくつも。そんなママの隣に常に写り込んでいる男の人はもしかして…… 「パパ……?」 間違いない。これはパパの姿。元々ママの専属トレーナーをしていたパパの姿がここにはあった。阪神JFの時は少し距離が離れていたけど、どんどん時が経つにつれて2人の距離は縮まっていって。ついには肩をくっつけるぐらいにまで2人の仲と距離は近くなっていた。 ここで1つの疑念が生じた。こんな写真を何枚も持っているのはどう考えても関係者に違いない。部屋の雰囲気としたら女性の部屋ではなく男性の部屋、そして最近ここで生活をしていたような空気も感じない。ただ掃除は行き届いていて、ホコリがあまり見当たらない。もしかして…… 「元々ここはあなた、ううん、パパの部屋だった。そうでしょ?」 私の答えに彼女は普段と変わらない笑顔で、ただ何かを内に秘めたようないつもより低い声で私の推測が正しいことを告げた。 「さっすがエスキモーちゃんです、大正解です。そう、ここは元々わたしの部屋だったんです。今はたまにしか顔を出してないですけど」 ───── 「1つ、聞いてもいいかな?」 「いいですよ、いくつ聞いても。今日はなんでも答えてあげます」 変わることない笑顔を振りまき、我が物顔──自分の部屋なんだから当然なんだけど──で部屋を練り回る彼女に堪らず口を突いて出たのがこの言葉だった。ただ彼女はなんでもどうぞとソファに座ってのんびりとした声でそう答えた。 「……なんでエスキーはそんなに強いの?」 「えー、そんなことですか? もっとこうわたしの内面を抉るような質問を期待していたんですけど……仕方ありません、答えてあげましょう」 まるでダンスでも踊っているかのような滑らかな動きで立ち上がり、私にそーっと歩み寄ってくる。目の前で広がる光景に私の目が点になっている隙に体をぴったりと寄せ、上目遣いでこう呟いた。 「負けたくないからです、誰にも。もちろんエスキモーちゃんにも」 「負けたくないからって、そんな単純な……!」 彼女の言葉にハッと我に返って反射的に大きな声が出てしまった。そんな私の声にも動じることなく彼女は変わらぬ笑みで呟く。 「単純ですよ、すごく単純。ですが負けた姿を見せたくない相手がいる。それだけで人、いえウマ娘は強くなれるんです」 「負けた姿を見せたくない相手……もしかしてそれって……」 いつも彼女の側にいた、いつも彼女を見守っていた、そして彼女のことを誰よりも想っていた、そんな相手は…… 「ママのこと……?」 「ピンポーン、大正解ですっ!」 1人しか思いつかなかった。彼女を今まで支えていた相手なんて……負けるのを見られたくない相手なんて。 「勝ちたい理由、すなわち負けたくない理由。もちろんわたしが負けず嫌いなのはありますが、一番大きいのは姉さま……いえ……」 彼女、いや彼は私から離れると天に向かってこう呟いた。 「ドーベルがいるから」 窓から射す西日に照らされた彼女の姿は一瞬大きくなって男の人の姿に、パパに見えた。もちろん目を擦って改めて彼女を見るとそんなことはなく、目の前にいたのは頭の上に耳が、そして腰の下から尻尾が生えた1人の可愛らしいウマ娘だった。 「……なーんてっ。呼び捨てにしちゃったの姉さまには内緒ですよ?」 クルクルとその場で楽しそうに回る1人の少女を見て私は想う。愛するあの人を、ここにはいない元の世界のパパとママを。 (愛、か……) 見えなくて、形なんてなくて、触れなくて……だけど確かにそこにあるって分かるもの。そうか……この子は…… (愛されるから、強いんだ……) 気づく。そしてすぐに自分はと自問する。 (私は愛されているのかな……) 悩むな。私は愛されている。それは誰に? (決まってる、あの人に……トレーナーに! パパに! ママに! そして応援してくれているファンのみんなに!) 体の底からふつふつと力が湧き上がってくるのを感じる。今まで感じたことのない、暖かい力、それはまさに夢を後押ししてくれる力。 (勝ちたい……勝ちたい……みんなのために……勝ちたい!!!!!) 想いは結ばれる。1つの形となって。 “貴方■■■た■■先■ Lv.0” ───── 彼女の言葉できっかけを掴んだ私はあの子に連れられて部屋の中をグルグルと回る。 「こっちがお風呂で、こっちがキッチン、それでこっちが寝室ですね」 「へぇ、こんな所で生活してたんだ……あっ、そういえば……」 部屋の中を巡っていると頭の奥底に眠っていた古い記憶が呼び起こされた。 「確か私が生まれて家を買うまではパパの家にママが来て生活してたって。じゃあパパとママはここで暮らしてたってことなのかな……」 なぜだか懐かしい気持ちに包まれ部屋を見渡す。そんな部屋の中で何やら見覚えのある物を視界に捉え、目の前にいたエスキーの肩をポンポンと叩く。 「ねぇエスキー、あそこに掛かってる時計って……」 「あああの時計ですか。確か何かの記念でもらったような……おばあさまからでしたっけ……って針止まっちゃってますね」 よく見ると電池が切れていたのか針が11時59分を指したまま動きを止めていた。時計を壁から外して裏を覗き込んでみると、電池は2つ入っていたものの少し古く、両方入れ替えてあげないと動きそうになかった。 「うーん、ここに電池はなかった気がしますし……また今度来るときに持ってきましょう。レースも近いですから、次来れるのはレースが終わってからになりますけど」 「……その時また一緒に来てもいい?」 「……ええ、一緒に来ましょう」 なぜとは聞かずに優しく微笑んで、希う私の願いをそっと受け入れてくれる。私はありがとうと礼を伝え、続けてもう帰ろっかと彼女に伝えた。 「……はい、エスキモーちゃんの悩みもちょっとは解決したみたいですし」 「あはは、バレてたか」 バレバレですよなんて、そんなに分かりやすい顔してたかな? でも憑き物は1つ落ちた気がする。ようやく手が届きそうなそんな気持ち。 (あとは目いっぱい頑張んなきゃ、だよね) レースはもうすぐそこまで迫ってきていた。 ───── 12月25日、クリスマスの日の夜、私とトレーナーは有馬記念の出走者全員が揃った記者会見とレース直前の軽いトレーニングを終わらせたあと、2人でホテルへと向かった。学園からは離れた都心の、私もメジロ家のパーティーとかで行ったことのある有名なホテルへと足を運んだ。 「やっぱり結構混んでるね。流石クリスマスって感じ」 2人してドレスコードをキッチリと守った服装で案内された席へと向かい合わせに腰かける。空間自体は広々としているが、あちらこちらに男女の2人組や忙しそうに料理を運ぶホールスタッフがいて、思っていたより手狭に感じた。 「みんな楽しそうだな……」 「えっ、どうしたのトレーナー? もしかして緊張してる?」 もちろん私も男の人と2人でこういう所に足を運ぶのは初めてだけど、メジロ家のパーティーなりで着飾ってディナーを楽しむことは何回もあったから全然緊張していない。もしかしてトレーナーは経験ないんだろうか? 「そりゃ多少はな……女性と来るの初めてだし、ホテルのパーティーとかも君と比べたら全然来たことないから、あまりこういう服着慣れてないからな……」 トレーナーの服装を改めて見ると、いつも学園内で着ているジャージみたいなラフな格好じゃなく、ドレスコードを守ったスマートカジュアルと呼ばれる、ジャケットやパンツスタイルの綺麗な服を身に纏っている。ジャージでも十分にかっこいいんだけど、ビシッとした服を着ている彼はより一層素敵に見えた。 「大丈夫大丈夫。その服似合ってるし堂々としてたらいいから、ねっ?」 「そう言ってもらえて少し肩の力抜けた気がするよ、ありがとう」 彼に向かって笑顔でウインクを飛ばすと、彼は緊張の糸が少し緩んだらしく、ぎこちなさは残るけど笑顔を浮かべた。そんな彼と2人しばし談笑していると、最初の前菜が運ばれてきた。 「美味しそう……」 「それじゃ食べる前にグラスを手に持って……メリークリスマス」 「メリークリスマス!」 小さくコンとワイングラスがぶつかる音が鳴り響き、楽しいディナーの時間が始まる。美味しいねと笑いあいながら、数日後にレースを迎えた最後の優雅な時間をしばし2人で、ゆっくりと。 ───── 食事を終え、ホテルから外に出ると、街はすっかりイルミネーションの光に包まれていた。お店の軒先には大きなサンタクロースの人形が置いてあったり、小ぶりなクリスマスツリーが飾ってあったり……なんだか魔法の国に飛び込んでしまったかのような錯覚まで覚える。 「今日は連れてきてくれてありがとね。高かったでしょ?」 「日頃の感謝の気持ちだから。むしろ足りないぐらいだよ」 2人手を繋ぎ街の喧騒の中を静かにゆっくりと歩いていく。時々道に面したお店の前で足を止めたり、イルミネーションをバックに写真を撮ってみたり。歩幅を合わせて綺麗な街の中を2人で一緒に。 「ねぇ、トレーナー?」 「どうしたエスキモー?」 今にも雪が降ってきそうな空を見上げ、彼に問いかける。 「私のこと、ずっと愛してくれる?」 唐突すぎただろうか、彼はピタリと足を止め、何度か目をパチパチさせる。ただすぐに答えが見つかったのか私を見つめてこう告げた。 「ああ。世界が終わるまで、いや世界が終わってもずっと」 「……ありがと、私も同じ気持ち」 世界が終わってもずっと……それは永遠と同じ意味。私も彼とずっと一緒にいれたらいいな。 ───── トレーナーの家へと戻り、リビングへ急いで向かいエアコンの電源を入れる。合わせて寝室のエアコンのリモコンを探し当て、同じく早く部屋が暖まるように指示を送った。そうして手洗いうがいを済ませ、2人ともラフな格好に着替えると食卓の椅子に向かい合わせで腰かけた。2人とも何か背中の後ろに隠すように。 「こういうのって男の人からじゃない?」 「時代は男女平等だよ」 お互い言葉や目で牽制しあい、事態が前になかなか進まない。そんなやりとりを続けること数分、トレーナーが諦めたように後ろに隠していた小包を2つそっと机の上に置いた。1つは私の目の前に、もう1つは彼のすぐ前に。 「えっと、トレーナー、これは……?」 「開けてみて」 そう言われ包装を解き、そこに現れたのは…… 「このケースの大きさ、もしかして……」 「メリークリスマス、エスキモー。オレからの気持ちだ」 小さな箱。その中には指輪が1つ入っていた。小さな宝石が埋め込まれた綺麗な指輪。もしかしてこれは私の誕生石のガーネットだろうか。部屋の照明に照らされてキラキラと眩しく輝いていた。 まさかのプレゼントに一瞬我を忘れかけるが、トレーナーの手元にも同じ大きさの小包があるのをもう一度視界に捉えた。 「……もしかしてペアリング?」 「ピンポン、大正解」 トレーナーが綺麗に外した包装の中から取り出したのは私と同じ小さな箱。そしてその中には私と同じ指輪が綺麗に収まっていた。 「指輪の内側見てみて」 そう言われ指輪を取り出し顔に近づけ、中に何か刻まれているのを見つける。そこに書いてあったのは私の名前とトレーナーの名前だった。 「……ずるいよこんなの」 零れそうになった涙を必死に抑え、彼に向かって微笑みかける。そんな彼は私が持っていった指輪をそっと右手の指先で掴むと逆の手で私の左手を持ち上げ、ゆっくりと薬指に嵌めてくれた。 「……なんかプロポーズみたい」 「……同じようなものだよ」 お返しに私も彼の左手の薬指に指輪を嵌めてあげて、嵌めた所を互いに見せ合う。 「みんなの前では見せられないね」 「2人きりの時だけだな」 素敵なクリスマスの夜、永遠に続けばいいのにとサンタさんにお願いする。それが無理なことを分かっていてもそう願わずにはいられなかった。 ───── 「はい、トレーナー、私からはこれ。開けてみて」 余韻に浸っているのも束の間、今度は私から彼にクリスマスプレゼントを贈る番。私がもらった物より少し大きめの包みに入ったプレゼントを彼は丁寧に包装を剥がしていく。 「これは……財布?」 「うん、トレーナー、今持ってる財布結構使い古してるでしょ。これからも私の隣にいてくれるんだったら、ちょっといい物持ってもらわないとね」 誰もが聞いたことがあるブランドの長財布を彼に贈る。また長く使ってもらえるようにしっかりとした物を、「ずっと一緒にいたい」という想いも乗せて。 「ありがとう……大事に使うよ」 「これは毎日使ってよね。隠す物じゃないんだし」 指切りげんまんとちゃんと使ってくれることをお願いしてプレゼントの交換を終える。夜も更けてきたしお風呂に入ろうと席を立つと、向かい側から腕を掴まれる。 「えーっと……トレーナー? レース明後日だよ? 忘れてないよね?」 「……善処するから」 これまで守られた試しのないその言葉を今度こそ信じてあげようかと悩み、悩み、悩み…… 「……手加減してよね」 ───── 次の日の朝、窓から差し込んだ太陽の光に目が覚めると隣でぐっすりと眠っている彼を横目で見やり、大きくため息をつく。 「……ウソばっかり」 ───── 有馬記念前夜、3度目となる白い部屋が夢の中に現れた。その夢の中で電池を手に持った私は時計が置いてある場所へと戻り、時計の裏の空いていた場所に掌の上のそれを嵌め込み、ホッとひと息をついた。 (これで完了かな……あれ? 動かない?) 新しい電池を入れてあげても時計の針は微動だにしない。カチコチとした音が鳴らないまま古びた時計は何も反応しなかった。 (もしかしたら……時間を合わせてあげないといけないのかな?) そう思い時計の裏の蓋を外し、針の調節を行う。だけどそもそも今が何時か分からないし、時間を何で確認すればいいのかも分からない。 (何か時間が分かるもの……あれっ、なんだか人がいる。さっきまで誰もいなかったのに) 遠く離れた先に何やら人影が見えた。手を振りながら「おーい!」と大きな声で呼びかけると、私の存在に気づいたのか、私のいる場所まで駆け寄ってくれた。だけどなぜか顔がはっきりと見えず、男の人ということ以外誰なのかがさっばり分からない。 「今の時間? えーっと確か──」 その人がどこかで聞いたことがあるような声で時間を私へ伝えようとした瞬間、三度(みたび)目の前が真っ暗になり夢が途切れた。 + 有馬記念〜光の方へ ───── 時は過ぎ、ついにやってきた有馬記念当日。レース直前の控え室にて最後のミーティングを行う私たち2人。互いに緊張はしているものの、終始和やかなムードでレースプランや他の出走者について確認を行うことができた。 「──と、こんなもんか。エスキモー、行けそうか?」 「もちろん大丈夫……いつものルーティーンもお願い」 このレース前の恒例行事もすっかり慣れたもので、互いに椅子から立ち上がると向かい合って抱き合い、軽い口づけを交わす。 「……今日はゴール前で見ててほしい、私が勝つところを」 「……分かった。君が勝つのを信じて応援するよ」 その言葉を告げ離れようとしたトレーナーを私は引き留め、「もう1個」とお願いをする。 「私って……強い?」 私の不安そうな顔を見て、もちろんと言って力強く抱き締めてくれる。 「オレにとって世界で1番強いウマ娘だよ」 最高で最上で最強の言葉。トレーナーが言ってくれたなら信じられる、自分が1番強いんだって。今日勝つんだって。 「ありがと……勝ってくるね」 体を離すとトレーナーにポンと背中を叩かれ部屋から送り出される。私は背中に残ったかすかな彼の手の温もりを感じながらコースへと駆けていくのだった。 ───── 『さあ年末の大一番有馬記念! 今出走者がターフへと姿を現しました!』 パドックから地下バ道を通じてコースへと足を踏み入れる。まだレース前だというのに割れんばかりの歓声が私たち出走ウマ娘たちへと降り注ぐ。 『頑張れー!』 『応援してるからねー!』 『夢見せてくれー!』 「夢、か……」 そうここはみんなの夢が詰まった場所、有馬記念。ファンの期待、希望、夢の欠片が集まって形作られた夢のレース。 (夢のレース……だったらゴール板を過ぎたら夢は終わる? じゃあその先にあるのは……?) 夢の先、果たしてそこには何があるんだろう。そこにはどんな景色が広がっているんだろう。私は見たい、一体どんな絶景が広がっているのか、先頭で駆け抜けて。ただそのためには…… 『──さあここで上位人気2人の登場です! ファン投票でも第1位、そして本日も1番人気! 2枠3番メジロエスキーです!』 この子を、メジロエスキーを超えなくちゃいけない。 より一層の大歓声が鳴り響く中、彼女は観客席に向かってペコリと頭を下げる。そしてスタート地点へと元気よく駆けていった。次にコースに私が登場すると、ファンのみんなはさっきと変わらないほどの声援を私に送ってくれる。 『──そしてファン投票第2位、本日2番人気。4枠8番メジロエスキモーの登場です!』 (このエールを力に変えて私は……!) エスキーと同じように観客席に一礼しゲート場所へと走っていく。芝の状態を確認しつつ、今日のレース傾向を頭に呼び起こす。 (内が少し荒れ気味だったけど前残りのレースもあったし、外差しが決まったレースもあった。すなわち前が詰まらなければよっぽど最内ではない限りどこからでも飛んでこれるバ場状態) 後方待機勢ばかり好走していたならまだしも先行組も粘り込んでの着拾いも何度もあった。昨日のレースも振り返った結果、今回も中団やや後ろから仕掛ける私と先団に取りつくエスキー、どちらにも有利不利はなく極めてフラットなバ場と結論づける形となった。 (今回は前回スパートの直前に入りかけたあの世界に入り込めるかどうか、スタミナを切らさずに駆け抜けられるかどうか、それだけ) 絶対に負けられないこの勝負。果たして勝つのは── ───── 『──さあ最後に大外16番アイメイクラフがゲートに収まり態勢整いました……スタートしました!』 横並び、いや2人ほど出遅れたか。私はいつものようにゲートを決めると、最初の3コーナーから4コーナーの辺りで中団やや後ろのポジションを確保することができた。そして肝心のエスキーはというと…… (あれ!? 今日はいつもよりちょっと後ろ!? 出遅れた訳でもなさそうだし……) 隊列が少し入れ替わりつつも最初のホームストレッチへと向かう。坂を上りゴール板を過ぎた辺りでエスキーが少し前へと動き、いつもの前から3、4人目のポジションにつけた。 大歓声のスタンド前を通過する。その中から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、目線を観客席に少し逸らすと、私のグッズを持って声を張り上げるファンが大勢いた。そしてゴールの近くには…… (トレーナー……約束、守ってくれたんだ) 目線が少し合う。お互いに軽く頷くと私は前を、そしてトレーナーは前を向いてモニターを静かに見つめていた。 (応援……私はたくさんの声援を受けて今ここで走ってる……ファン投票で託された夢、ここに来て私に喉を枯らすほどの声で頑張れと叫ぶその姿が私の背中を力強く押す……そしてトレーナー。愛する人の姿はそれだけでも足を前に踏み出す力になる) 『──さあ先頭を行きますのは1番ジルカロイ、リードを2バ身ほどキープして最初の1000mを通過します……62秒2。平均かやや遅いかのペースでレースが進んでおります』 (重ねてきた練習、そしてこれまで積んできたレース経験、そしてファンのみんなの声、愛する人の存在……私の全部を、今ここで……!) さあ行こう、夢の舞台を。ともに進もう、夢の向こう側へと。そして見ようよ、私と一緒に。夢の先に何があるか、夢を越えた先にどんな絶景が広がっているのか。ほら、私の手を取って。同じ歩幅で、同じ時を、2人呼吸を合わせて。 “貴方と夢見たその先へ Lv.1” ───── 『──向こう正面中間地点、ここで残り1000mを通過しますが……おっと!? 来た来た! 今日もメジロエスキモーがロングスパートを掛け、徐々に、徐々に前へと上がってまいります!』 自分でもはっきりと分かる。ついに入ることができたのだと、エスキーたちが見ている世界に足を踏み入れることができたのだと。世界の速度がゆっくりと進む中、私1人が変わらないスピードで駆けていくようなそんな感覚。 (息も上がってない、脚も軽い、ここがスタート地点みたい……!) まさに夢の中を無重力状態で駆けていっているような感覚に陥る。足取りは軽く、笑った顔で、私1人が走っているみたいで。 (いける……いける……!) ただ迎えた残り800m。 ──世界を制したその怪物がいよいよ牙を剥く。 ───── 後ろから感じるプレッシャーに思わず振り返ってしまいそうになる。ジャパンカップの時より強烈な圧迫感、それは彼女が自分と同じく領域(ゾーン)に入ったことを意味していた。 (やっぱりあの時のわたしの言葉がヒントになっちゃいましたか……余計なことしちゃいました……いや違う、そうじゃない) 仮に彼女が今日領域(ゾーン)に入れなかった、すなわち全力を出しきれずに終わった場合、もしわたしが勝ったとしてもそれは真に彼女に勝利したことになるのだろうか? 全力を出した彼女を上回ってこそ真の勝利を掴んだことになるんじゃないだろうか? (だからあれでよかったんです。しかも気づいたのはあくまでエスキモーちゃん自身。いくらヒントを出したとしてそれだけで答えにはならない。そこからエスキモーちゃんが頭で考えた結果、辿り着き手に入れたのが全てなんですから) 残り800mの標識がすぐそこまで迫ってきている。彼女の放つ重圧にこのまま呑まれてしまう訳にはいかない。 (わたしも全部ぶつけます。あなたにわたしの力を、全て) これまで走ってきた道のり、そこで得た経験、力。そして「彼女」と歩んできたその先へわたしは行こう。 “貴方と歩んだその先へ Lv.6” ───── (きた……っ!!!) 残り800m。近づいたはずの背中がまるで矢のように猛烈な勢いで前へ飛んでいき、一瞬のうちに遠く離れてしまう。 (だけどここは我慢……最後の200mで捉えたらそれでいい!) 『──さあここでメジロエスキーが一気に前を捉えて先頭に立つ勢い! 後続からはメジロエスキモーが上がってきていますが、この加速力、このスピード、そしてこの距離。果たして届くのでしょうか!?』 残り600m。彼女の進撃はまだ続く。さっきの1ハロンと勢いを落とすことなく後続を突き放しにかかる。コーナーを曲がっているのに速度が全く落ちないのは持ち前のバランス感覚の良さか、それとも鍛え上げた体幹の強さか。 (私だって加速している。だって内側の子を1人、また1人交わして集団の前に立とうとしているんだから。ただ……ただ……) それでもなお届かない背中が遠くに見えた。だけどレースはまだ終わっていない。最後の直線がまだ残っているんだから。 迎えた残り400m。彼女が一旦ペースを落とすその隙に10バ身以上あったその差を一気に詰めにかかる。一歩踏み出すごとに背中に近づいているのがはっきりと感じる。 ──残り200m、その差5バ身。 ───── URAウマ娘列伝。URAが顕著な活躍や記憶に残る蹄跡を刻んだウマ娘を讃えるために作成するポスター群をいう。そこにはそのウマ娘と成績、さらにキャッチコピーが記された、ある意味ウマ娘にとっての1つの夢。時には関係者や作家たちが寄稿文も掲載されることもあって、見る者に感動と興奮を与えてくれる。オレはそんなポスターたちを眺めるのがとても好きだった。 今こうして彼女の走りを観客席から見ていると、ふととあるウマ娘のポスターを思い出す。彼女もまた長くいい脚を使って数々の大レースを制してきた偉大なウマ娘。そんな彼女のキャッチコピーは、今日のエスキモーの走りを表すのにふさわしい一文だった。その言葉は…… 「“奇跡”は、ロングスパートから。」 ただ彼女にこの言葉を聞かれたらきっと怒られるだろう。奇跡なんかじゃないって、必然なんだって。 さあ残すは急坂に差し掛かった200mのみ。年末最大の決戦。勝者は、どちらか。 ───── 迎えた2度目の急坂。レースの最後の最後で立ち向かうそれはまさに壁のようだった。 (でもここで止まる訳にはいかない! 勝つのは私なんだからあああああああああ!!!!!) 4バ身、3バ身……一歩一歩その背中が大きくなるのがはっきりと分かる。だけど、このままだとあと一歩が、最後の一歩が届かない。 (読み誤った……!? どこで……!? 駄目、そんなこと考えてる暇ない! とにかく脚を動かさないと……!) 残り50m。あと数秒で迎えるゴール板。だけどまだ彼女の背中には届かなくて。俯きかけたその時、1人の大きな声が私の耳に届いた。それは勇気を奮い立たせる声、私の背中を押してくれる声、脚に力を注ぐ声。 「行っけーーーーー!!!!! エスキモーーーーー!!!!!」 貴方の姿が、貴方の声が、貴方の想いが夢の先へと駆けていく活力になる。夢の絶景へと導く道標となる。そして、私は、 ともに笑いあった親友を、 “貴方と夢見たその先へ Lv.2” 愛すべき親を、 “貴方と夢見たその先へ Lv.3” ずっと憧れてきた夢を、 “貴方と夢見たその先へ Lv.4” 今、 “貴方と夢見たその先へ Lv.5” 超える。 “貴方と夢見たその先へ Lv.6” 「あああああああああああああああ!!!!!」 『──メジロエスキー逃げる! メジロエスキモー追う! 同じメジロの一騎打ち! どっちだどっちだどっちだー!!! さあ2人全く並んでゴールイン!』 ───── ほぼ2人同時に駆け抜けたゴール板。勝った実感はなく、さりとて負けた実感もない。レコードの文字が躍るモニターの右側、掲示板の着差を示す箇所には早くも「写真」の2文字が表示されていた。 2人して息も絶え絶えにターフへと仰向けになって倒れ込む。全力を使い果たした私たちの姿に観客席から盛大な拍手と喝采が送られる。 「はぁ……はぁ……お疲れさまです、エスキモーちゃん」 「はぁ…、はぁ……エスキーの方こそお疲れさま」 ターフに寝転がりながらも互いの健闘を称え合う私たち2人。息が整い立ち上がってからもゆっくり横に並んでコースを1周した。ただ1周ぐるりとコースを走ったあとでも結果は発表されず、掲示板の1着と2着の部分だけ数字が点灯していなかった。 「わたしはエスキモーちゃんが勝ったと思いますけどねっ!」 「いやいやいや! 最後差せたかどうか微妙だったし、エスキーが残してたかもだって!」 ターフの上で姉妹喧嘩が如き言い争いが行われる。ただそれは互いが互いを褒めるもので、コースにほど近い場所でそれを見ていた観客やトレーナーはかすかに漏れ伝わる2人の会話に笑みを零していたという。 ある意味しょうもない口喧嘩を何分も続けていると、観客席から「おおっ!?」といった声が一斉に上がる。着順掲示板には「確定」の2文字が、そしてその下の1着と2着を示す箇所に記されていた数字は── ───── 「「「──力の限り 先へー!」」」 レース後のウイニングライブ、すっかり慣れたこのステージ、堂々と大勢の観客の前で歌い上げるこのNEXT FRONTIER。春の天皇賞の時にもセンターに立って歌ったけど、今日のライブはあの時とは違い、何か込み上げてくるものがあった。 「お疲れさまです、エスキモーちゃん。センター、立派でしたよっ!」 レースのあと汗を拭いたにも関わらず、再び汗だくになっている2人。ステージ上で長い時間照明に照らされながら歌って踊っていたんだから無理もない。 「エスキーの方こそお疲れさま……それにしても私がセンターか……」 その差わずか1センチ。判定に時間がかかったのも頷けるその着差。判定写真をどれだけ拡大にしても、見る者が変われば同着になっていたんじゃないかと思えるほどの差で私はエスキーに勝利した。たかが1センチ、されど1センチ。たったそれだけの差で私は6つ目のG1タイトルを獲得し、春秋グランプリを制覇した。逆に言えば、その1センチでエスキーは生涯初の黒星を喫したことになる。 会場から引き上げ、再度シャワーを浴びて汗を洗い流した2人。わずかな差ということもあってか悲壮感や優越感は互いに持ち合わせておらず、それぞれの控え室へ向かう間でも互いが互いを褒め合う明るい空気がそこには流れていた。 「ねえ、残り2ハロンの区間、いつもより速くなかった?」 「流石エスキモーちゃん、体内時計バッチリですね。そうです、このままだとエスキモーちゃんに交わされると思って少し早めに2度目のスパート掛けたんですよ」 やっぱりねと、私は自分の体内時計の正確さに深く感謝する。あの時気づかずにそのままのペースで突っ込んでいたら、トレーナーのエールがあっても最後捉えきれなかったと思うから。 「それにしても答え、見つけられたんですね」 「答え? あー、うん。本当に正解なのかは分かんないけどね」 領域(ゾーン)に入るために何が必要なのかを模索する日々。たまたまカジっちゃん先輩から得られたヒントをきっかけにして、エスキーの後押しで1つの解を得ることができた。もちろんそれが全員に当てはまる正解だとは思わないし、あくまで私だけの正解なんだとは思う。 「あー、エスキモーちゃんに負けちゃいましたし、そろそろ潮時ですかねー」 そんな話をしている中、彼女の口から引退宣言とも取れる言葉が発せられた。私は彼女の顔を二度見し、真意を問いただす。 「エスキー……それ、本気?」 「本気ですよ? エスキモーちゃんに負けたことが直接の原因じゃなくて……ちょっとわたしの口に耳近づけてもらっていいですか?」 秘密の話なんだろう、誰も周りにいないことを確認し、壁に寄りかかる。膝を少しだけ折り、耳の高さがちょうど彼女の口の高さにまで低くなったところで、口を私の耳に寄せ内緒の話を囁いた。 「例のクスリの効果が来年の春までに切れるんです。もちろん飲み続ければ持続するでしょうけど、わたしはもうレースに未練はありませんから、わたしのトレーナー──実際は自分自身のことですけど──と入れ替わってトレーナーの研修に行ったことにして、元の姿に戻ろうと思うんです」 これ以上姉さまを放っておく訳にもいかないですし、と話すと私の耳元から口を離し、立ちつくす私を置いて1人で自分の控え室へと歩いていく。少しずつ離れていく背中がなぜか寂しそうに見えて、思わず大きな声で呼び止めた。 「エスキー!」 「どうしたんですか、エスキモーちゃん?」 私の呼びかけに足を止め、くるりと私の方に向き直すエスキー。振り向いた彼女の顔はやっぱり少し悲しそうな顔をしていた。 「前約束したよね、またみんなで温泉行こうって。有馬記念が終わったら4人でまた一緒にねって」 それは半年以上前のこと、私、トレーナー、エスキー、ママの4人で城崎温泉に行った帰りに交わした約束。その時はまた一緒に行けたらいいなぐらいの想いだったけど、今となってはそうじゃない。数ヶ月もすれば二度と会えなくなる人との旅。私のエゴかもしれない。彼女にとっては迷惑かもしれない。だけど私は希う、最後にあなたと旅がしたいと。笑いあった日々を、2人で過ごした思い出を1つでも多く作りたい。 「行こうよ、私と一緒に。いつか忘れてしまうかもしれないけど、それがずっとずーっと未来の話になるようにいっぱい、いっぱい思い出残そうよ」 だから、と彼女に向かって手を差し出す。この手を取ってと、そう願う私の方がもしかしたら悲しい顔をしていたのかもしれないけれど。 「……わがままですね、エスキモーちゃんって」 そう言いながらも彼女はまっすぐ歩いて私の手を掴む。強く、離さないように強く。 「そうなの、私ってわがままなんだから。将来覚悟してよね」 「……先が思いやられますね」 そう言って互いに1秒、2秒と顔を見合わせ、同時に噴き出す。やっと笑顔が戻った彼女に私も笑顔で伝える。 「それじゃ、行こっか」 「はい、喜んで」 ──手を繋いで歩いた先には素敵な未来が広がっている、そのときなぜかそんな気がした。 ───── 「ただいまー……ふぃー、やっと帰ってきた……」 「お疲れ、エスキモー。取材とかいろいろ凄かったな」 外はもう真っ暗。ウイニングライブを済ませ、各メディアからの取材をこなし、チームみんなに祝福されて……気づいたらもう時計の針は夜9時を指そうとしている。 「ちょっと今日はご飯作れそうにないの……ごめんね」 「あんな激戦繰り広げたんだからゆっくりしてて。そのためにスーパーで惣菜買ってきたんだから」 既に眠気で頭が上手く回っていない。えーっと、お風呂入って、それからご飯食べ…… 「すぅ……すぅ……」 「寝ちゃった、か。ソファで寝たら風邪ひくからベッドまで運ぶぞっと」 トレーナーにお姫様だっこで寝室まで運ばれたことに気づいたのは次の日の朝のことだった。 ───── (あっ、またこの夢か) 目が覚めたと思ったらそれは夢の中で、私はまた白い部屋に閉じ込められていた。ただ今は隣に1人男の人がいる。その人の顔は見えないけれど、その声はとても優しく安心できる声だった。 「──これでよしっと」 時間の調整が終わり、裏のフタを閉めてひっくり返すとそこには本来の動きを取り戻した時計の針と振り子があった。 「アンティークで素敵……」 「だな」 そんな会話をしていると、何やらギーっと少し不快な音が鳴り、はっと顔を上げる。すると、さっきまではなかった木製の扉が目の前に出来上がっていた。 「なんだろう……どこかで見たことあるような」 左手で何かを掴んだまま、一体なんだろうと思い立ち上がる。興味本位にその扉に近づくと手が誰かに操られているかのように勝手にドアノブを掴み、ぐるりと右回りに捻る。その扉は鍵がかかっておらず、ガチャリと音が鳴ったあと、前へと力を籠めると何の抵抗もなく扉が開いた。 「真っ暗……? ううん、何か遠くに……」 扉の先にはこの部屋とは真逆の暗闇の世界が広がっていた。ただ遠く彼方に小さな光が瞬いているのがかすかに見える。 (行かなきゃ……あそこに行かなきゃ……でもどうして?) 分からない。でも頭の中から行けという声が聞こえる。走れと脳が指令を出す。私は誰かに操作されているかのように扉の中へと駆け出していった。 「ちょっと待ってよ! あの人にまだお礼言えてないのに!」 なんとか首だけ捻って後ろを見ようとするも、とっくに扉は彼方に遠ざかっていた。もちろん時計を修理してくれたあの人の姿はとっくに米粒以下の大きさに変わっていた。 ならばと今度は前に向き直し脚に力を籠める。心の中だけでもとあの人に感謝の気持ちを伝え、前へ前へと足を踏み出す。 「あの光の先に何があるか分からない。それでも私は行くんだ……!」 もう一度あの人に会えたらいいなと願いつつ、私は先へ先へと駆けていくのだった。 ──この日から毎日光へ駆けていく夢を見ることになるとはまだ知らないまま。 + 2組の新年〜旅行計画中! ───── 1月1日。年が明け、また新しい1年が始まる。私とトレーナーは2人家の近く……ではなく少し離れた神社へと初詣に向かった。なぜ家の近くにしなかったかというと、家から近いということは学園からも寮からも近いということ、すなわち2人で仲睦まじく参拝している所を知らぬ間に見られてしまう。それを避け2人でゆっくり仲良く新年の挨拶を行えるように、電車に乗って比較的落ち着いた神社へと赴くことになった。 (この先どんなことが起きても永遠にトレーナーと過ごせますように……) お賽銭を投じ、鐘を1回、2回と鳴らす。そしてお作法通りの二礼二拍手一礼。神様に旧年も健康に過ごすことができた旨の感謝と、新年も無事に過ごせますように、隣にいるこの人と添い遂げることができますようにとお願いをする。過去のことを伝えた1つ目はともかく、2つ目と3つ目に願った想いは叶うかどうか分からないけれど。 何度も何度も繰り返し願っていたせいか、目を開けて顔を開けた時には隣には知らない人がいて、慌てて賽銭箱の前から立ち去りトレーナーを探す。右、左と顔を振って彼の姿を探していると、トレーナーが「おーい!」とこっちに向かって大きく手を振りながら私を呼んでいるのが聞こえた。 「ごめんね、ちょっと待たせちゃって」 「行くぞって声かけようとしたんだけどさ、真剣な表情で念じていたからよく声かけられなくって」 やっぱり周りからもそう思われていたのかと少し自分の振る舞いを反省する。よっぽど眉をひそめ、瞼を固く閉じ、まるで何かを産み出さんとばかりに左右の手に力を入れて合掌していたんだろう、いくら神様に伝えることがいくつもあったとはいえやりすぎた感が否めない。もう一度彼に軽く謝ると、彼の手を引いておみくじの列に並んだ。 「おみくじは……50円か。はい、エスキモーの分」 「そんな……自分の分は自分で出すのに」 せっかくの彼の気持ちを無下にもできず、もらった50円玉をギュッと握り締める。お代を払いおみくじの筒をシャカシャカと振り、出た棒に書かれている番号を伝えてその番号のおみくじをもらうだけだから、参拝の列とは比べると比較的スムーズに列が捌けていった。 「50円お納めください」 「はい、これで」 50円を巫女のお姉さんに渡し、シャカシャカと何度か棒が出てくるまで筒を振る。なぜかなかなか出てこなかったものの、やっと出てきた番号を伝えて渡されたおみくじに書かれていたのは大吉の文字だった。先に引き終わっていたトレーナーも同じく大吉を引いていて、互いに新年を最高のスタートで切ることができた。ただおみくじに書かれていた文言には2人とも首をひねることになる。 「えーっと、いろいろ書いてあるけど……待ち人来る驚きあり?」 「オレは……待ち人来る喜びありって書いてある。そもそも待っている人いないし、それで喜びってどういうことだ?」 もしかすると心のどこかで会いたい人がいるのかもしれないけど、それで驚いたり喜んだりすることへのイメージが上手く湧かない。まあ悩んでいても仕方ないかとお守り代わりに綺麗に折り畳んで財布の中に入れた。 「じゃあ出店でも回ろっか」 「そうだな。食べたい物があったら言えよ」 「もー、それって私が食い意地張ってるように見えるってこと?」 「違う違う、そうじゃない……って、あそこにいる2人ってもしかして……」 彼が指輪を嵌めている方の手で少し先の方を指し示した。するとそこには見慣れた2人のウマ娘が出店の列に並んでいて…… 「マ……んんっ、ドーベルさんにエスキー、奇遇だね」 危うくトレーナーの前でママ呼びをしてしまうところをなんとか堪え、彼女たちの名前を呼ぶ。すると2人は少しビクッと体を震わせ、こちらの方へゆっくりと顔を向けた。 「え、エスキモーちゃんにトレーナーさん、こんな所で奇遇ですね?」 「ふ、2人とも学園近くのとこ行かなかったんだ」 私たちに見られて困るような物でも隠しているかのような驚きっぷりに私は目を細め、彼女ら2人に何か怪しい点はないかと耳の上から尻尾の先までじっくりと、じっくりと何度も繰り返し見返す。すると、2人がさっと手を後ろに隠したことに気がついた。 「……なんか今隠した?」 「いや? ナニモカクシテマセンヨ?」 「エスキモー気にしすぎだって……うん、気にしすぎ」 これはクロだ。トレーナーの腕を引き2人の所へ歩いていき、2人がさっき隠した手を掴む。すると、そこにあったのはお揃いの指輪、ペアリングだった。 「ふーん……」 「な、なにがふーんですかっ! というかそういうエスキモーちゃんだってトレーナーさんと同じ指輪してるじゃないですかっ!」 「そ、そうよ! そっちも同じじゃない!」 わーわーと2人とも顔を真っ赤にしながら私へと抗議する。並んでいた出店の列から離れていることも気づかずに私たち2人へと詰め寄ってくるのを私は「どうどう」と抑える。 「私たちはずっと前から付き合ってたでしょ。2人とも当然知ってるし、ペアリングしてても別に変なことなくない?」 「ま、まあそれはそうかもしれませんけど……」 「確かにそれはそうね……」 さっきの威勢はどこへやら、そもそも無理筋な抗議だと途中で気づいたのかすぐに大人しくなった。私はそんな2人に対してニヤニヤとした笑みを浮かべながら彼女たちが指輪をしている理由を問う。半分答えを含んだ質問を。 「で……どっちからしたの?」 「「えーっと、それは……」」 小声で「ここは姉さまが……」「いやいやアンタから言ってよ!」「いやいや!」「いやいや!」とほとんど答えを言っているような醜い言い争いを繰り広げる2人。そんな親の痴話喧嘩に似た何かをこれ以上見るのは耐えられず、自分がした質問に自分で正解を告げた。 「マ……んんっ、ドーベルさ……ううん、もういいか。ママから言ったんだね。おめでとう」 「「あ、ありがとう(ございます)……?」」 いくら広いといえどこれ以上参道の真ん中で話すのは迷惑だということで、少し脇に逸れた出店の裏、玉砂利が敷かれた広場で告白までの経緯を伺った。実質親の馴れ初めの話聞いてることになるじゃんと途中で気づいたけど、それはそれで美味しいとも思い、静かに2人の話に耳を傾けた。 「アタシは……シニア級の終わりぐらいかな。クラシック級の終わりにこんなに熱い人なんだって、アタシのこと見てくれてる人なんだって気づいて。その時点ではまだす、好きみたいな気持ちじゃなかったんだけど、そこからバレンタインのチョコあげたり、シニア級を駆け抜けて温泉に行って……夜空の下でここから見る星が綺麗だなんて言われた時にはもう……」 「わたしはずっと姉さま……ドーベルのことを支えたいって、この子を世界一強いウマ娘にって思ってて……自分の気持ちに気づいたのはたぶんURAファイナルが終わったあと。彼女から『アタシのことどう思ってるの?』って聞かれた時に、そういう意味で聞いたんじゃないって分かっていても、そうなんだって、自分は彼女のことが好きなんだって気づいた」 思ったより重めのエピソードが聞けてちょっと引いてしまった私……というかエスキー敬語取れてるよ。周りに人いるんだから。 「でも有馬記念の時はそんな雰囲気なかったじゃない? もしかして寮に帰ってから?」 有馬記念の日のウイニングライブのあとに2人が話している姿を見かけたけど、その時はこんな甘々な感じじゃなかった。私はそのままトレーナーの家に戻って2人で年を越していたから、次に会ったのが年明けの今日。もし告白したならそのタイミングなんじゃないかって思っていたら、やっぱりそのとおりだった。 「元々クリスマスはレース終わってからねって言ってたの。誰かさんとは違ってね?」 「うぐっ……」 思わぬところでダメージを受けるもなんとか耐えて続きを促す。してやったりの表情を浮かべたママが少し調子を取り戻し、話の続きを教えてくれた。 「レースのあと部屋で残念会をして、ひと段落ついたタイミングでアタシから言ったの。でもこの子、ううん、この人も同じ気持ちだったみたいでさ。指輪はこの人からの贈り物。指の太さと指輪の大きさがちょうどだったのもびっくりしたんだけど、一番びっくりしたのが指輪を2つじゃなくて3つ買ってきてたこと。今嵌めてるのより断然大きかったから、元に戻った姿でも嵌められるようにって。そういうとこ抜け目ないよね、ほんと」 「あ、当たり前ですっ。ずっと一緒にいるんですから」 そうやって熱い視線を交わす2人。何やら今にでもキスするんじゃないかという雰囲気を漂わせていたから、なんとか甘い空気を雲散霧消させようと無理やり話を変える。 「そ、そういえばエスキーには話してたんだけどさ、また温泉行こうねって話、あれいつ行こっか?」 「そ、そんな話あったな。当分レースはないからいつでもいいけど、そっちの2人は?」 トレーナーもこの空気に気づいていたのか少し詰まりながらも私の話に乗っかってくれた。そんな甘い?甘酸っぱい?空気の発生源となっていた2人もなんとか話題に食いついてくれて、話を逸らすことに無事成功した。 「アタシたちもいつでもいいけど……せっかくだから3人の誕生日と合わせない? エスキモーのトレーナーも確か誕生日1月18日だったでしょ?」 「オレの誕生日まで覚えているのか……そ、そうだな。まとめて祝った方が盛り上がるだろうし、またどこの温泉がいいか見繕っておくよ」 3人が彼に礼を伝えると、誰かのお腹が声を上げ、4人して出店の列に並び直すことにした。私とトレーナー、ママとエスキー、それぞれが横並びで、互いの手をギュッと握り締め。 ──もちろん一番深く繋がる形で、強く、強く。 ───── 三が日も過ぎ、年末年始にずっと2人で過ごしていたトレーナーの家から後ろ髪を引かれる思いで去り、学園の寮へと戻る。部屋のドアを開けると、そこには地元に帰省していた先輩の姿があった。 「あっ、カジっちゃん先輩、あけましておめでとうございます」 「エスキモーちゃん、あけましておめでとうッス! エスキモーちゃんはどこに行ってたンスか? あ、これお土産ッス」 そう言って自分の机の上に置いてあった紙袋を私へ差し出す。ありがたく受け取り中を見てみると、そこには人前の味噌煮込みうどんの箱が2つ入っていた。 「……ユニークなお土産ですね? わざわざありがとうございます」 固い蛇口を頑張って捻って水を出そうとするみたいに、なんとか言葉を捻り出し感謝の気持ちを伝える。2人前ということはたぶん私とトレーナーの分なんだろう。先輩は私がトレーナーの家に行ってご飯を作っていることを知っているから、たぶん一緒に美味しく食べてってことかな。まあラーメンはなかったから同じ麺類でって可能性も捨てきれないけど。 「ああ、お返しはいいッスよ。その感じだと遠出したって感じじゃなさそうッスし」 「まあ……そうですね。ただ今度旅行行くんでその時にカジっちゃん先輩の分のお土産買ってきますね」 とりあえず日が当たらない所に紙袋を置き、夕方トレーナーの家に持っていくことを決意する。早速今日の晩ご飯にさせてもらおうっと。というか旅行どこ行くんだろ? 旅行行くまで2週間切ってるのに。 「せっかく買ってきてくれるなら断る理由もないッスね。じゃあどんなお土産なのか楽しみにしてるッス!」 「期待しててください! お土産話もいっぱい聞かせてあげますから」 そのままお互いの年末年始をどう過ごしたかの話へと繋がった。私の方からはエスキーとママの話は少しぼやかしつつも2人と初詣で遭遇した話だったり、頑張って作ったおせちの写真を見せたりなど、遠くへは行かなくとも充実した年越しができたことを伝えた。私の話を楽しそうに、いやたまに「ごちそうさまッス……」って言っていたカジっちゃん先輩もカジっちゃん先輩で、地元で家族揃ってゆったりまったりゲームをしたりラーメン食べて年越ししたりと楽しい新年を迎えたことを教えてくれた。 ───── 「──それでさ、今度の旅行どこ行くか決まったの?」 その日の夜、先輩にもらったお土産をありがたく2人でいただき、食べ終わってからは2人リビングでテレビを見ながらくつろいでいた。チャンネルを切り替えている時にたまたま旅番組が映り、それを見て私はそうだそうだとトレーナーに話を振った。 「2択で悩んでいるんだよな。えーっと、パソコンはっと……そう、ここと、ここ。エスキモーはどっちがいいと思う?」 パソコンを開いて示してくれたのは関西の2つのエリア。1つは有馬を冠する有名温泉地。小さい頃にメジロのみんなで行った記憶がある。ただもう1つは…… 「なんか名前は聞いたことあるんだけど行ったことないかな……どんなところなの?」 「こっちも温泉地なんだけど、どっちかというとリゾート地かな。こっちに行くなら初日と2日目はここで景勝地なり近くのテーマパークに立ち寄って、3日目と4日目は少し特急でもう少し南の方に行ってみようと思っているんだ」 既にある程度組まれている2つの旅程を見比べつつ、どっちがいいのか頭を悩ませる。 「有馬もいいけど、こっちもいいな……本当に私が決めていいの? トレーナーは?」 「君に決めてほしい。オレの意見なんて後回しでいいからさ」 私だけで決めるのもどうかと思い、トレーナーに話を振るも、彼は首を横に振って私に決定を委ねる。もう一度行き先を一任された私は悩みに悩み、彼に想いを伝えた。 「じゃあ私は──」 伝えた行き先。そこは人生で一度も行ったこともない場所。そしてその場所は── この『夢』の最後の場所になる。 ───── その日の夜遅く、毎日続いている夢のその続きがまた始まる。ただひたすらに光に向かって走っていくだけのそんな夢。息が切れることもなく、ただ自分の意志で足を止めることもできず、まっすぐにその眩しい光へとまっすぐに駆けていく。 (たぶんあの光の先にあるのは、きっと……) 駄目だ駄目だ、考えちゃ駄目だ。それは正解なのかもしれない、事実なのかもしれない。だけどそれを考え、口に出してしまえば未来がそれしかないと固定されてしまう。 そう──今の世界のトレーナーやみんなにはもう会えないという未来、永遠に離れ離れになってしまうという未来に。 だからもう考えないし口にも出さない。例えそれが真実だったとしても、光に飛び込むその時までは、絶対。 ───── 翌日私はトレーナーに今度の旅行についてお願いをした。私に旅程を決めさせてくれないかと、一度こういうことやってみたいからと。私のその力が籠もった言葉にトレーナーはいいよと快諾してくれた。「困ったらいつでも頼ってくれ」とも行ってくれ、地域のめぼしい観光地をいくつかピックアップしてメッセージで場所のURLを送ってもくれた。 「そういえばトレーナーって車運転できるんだよね?」 出かける時は大抵電車を使ってばかりいたからもしかしたらペーパードライバーなんじゃないかと思って聞いてみたら、実のところはそうじゃないみたい。 「そりゃ普段は乗る機会少ないけど、実家帰った時とかは親の車乗せてもらっているし、遠くに旅行した時にはレンタカー借りて数百キロとか乗ったことあるからな? ここだったら車持っても使う機会ないから持ってないだけだよ」 それもそうかと納得する。確かに勤務先の学園が徒歩圏内、買い物するにも商店街やスーパーが近くにあり、もしそこに欲しい物がなくても駅から電車で都心に出れば大抵の物は手に入る。週に1回乗るか乗らないかだったら、維持費も相当かかる車を自己所有する必要なんてない。 「オッケー。トレーナーが車運転できるなら動きやすくなるかも……それじゃ向こうでレンタカー借りるプランで考えてみるね」 調べてみると公共交通機関がそれほど発達しておらず、電車やバスのみに頼るとどうしても空白の時間が多くなり、その時間が無駄になってしまう。逆に車で動き回れるんだったら時間だけじゃなく行き先の選択肢も一気に広げることができる。 「ここも景色良さそうだし、こっちはなんか楽しそう。それで泊まるホテルは……あっ、ここすっごくいいかも!」 自分の携帯だけじゃ画面も小さくて調べるのに手間がかかってしまうから、トレーナーのパソコンも併用して旅行の段取りをどんどん組んでいく。どんどんといっても全てがポジティブな意味合いではなく、何かに急かされている、強いられているネガティブな要素も含まれていた。そもそも旅行のプランを練りたいと言い始めたのも「この私」の意志だけではなく、他の何かに背中を押されて立候補した部分が少なからずあった。 (この旅行、何かある……あるはずなんだけどそれが何なのかって分かんないんだよね……ってそんなこと考えてる暇ないんだって!) 両手で自分の頬をぱちぱちと叩き、軽く頭も振って雑念をなんとか外へと追いやる。2泊3日のこの旅程、せっかくのダブルお泊りデートなんだから4人みんなが楽しめるものにしないとね。 ───── そうしてなんとか2日がかりで仕上げたプランをトレーナーに見てもらうと、「よく頑張ったな」と頭を撫でてくれた。少し時間的に無理があるところや、逆に時間に余裕を持たせすぎている部分をちょいちょいっと手直ししてもらったけど、おおよそ私の考えた計画通りの旅程が完成した。 「うん、これだったら無理やり朝早く起きなくても済むし、移動でバタバタすることもない。車の運転も1回1回が短いからそれほど疲れることはないし、移動だけでへとへとにもならなさそう。初めてにしてはよくやったな」 「えへへ……ありがと」 あとはホテルや飛行機とかの予約が残っていたが、それはトレーナーがおばあさまと相談してやってくれるとのことだから、そこは大人の彼に甘える。きっと上手くやってくれるだろうから。 「そうだそうだ、忘れないうちに2人にも決まったよって教えてあげなきゃ」 メッセージアプリを開き、この旅行のために作ったグループに一言書き込む。「今度の旅行、私が考えたプランだから楽しみにしててね」と。 ───── あと1週間、あと6日、あと5日……旅行までの1日1日をワクワクしながら過ごしていく。ただ感じるのはワクワクだけじゃなくて…… (同じ夢……いつになったら終わるんだろう……) 少しずつ、少しずつ大きくなっていく真っ白な光。息が上がらず脚に疲れが溜まることなく走り続ける私はただ一人孤独に駆けていく。その光の先に何があるのかははっきりとしないまま、私の意志が介することはなくただひたすらに。 (あと何日なのかな……お願いだから旅行が終わるまではなんとか……) 旅の無事を、そして安全をただただ祈る。願わくはまたここに帰ってこれますようにと。 ──私が選んだ行き先が何と呼ばれているかこの時はまだ知らなかった。もしかしたらどこかで目にしていたかもしれないけど、見なかったことにして忘れただけかもしれないけど。それでもまだこの時は。 + 夢への旅路1日目 ───── 「着替えよし! 携帯の充電器よし! スキンケアとかヘアケアのグッズよし! 飛行機とか電車のチケットも……よし!」 旅行の日の朝、キャリーバッグやリュックの中身の最後の確認を行い、開けたチャックを再び閉じる。まだねぼすけさんなトレーナーの分も代わりにチェックしてあげようと彼の荷物を開けるとそこには…… 「……ホテルでちゃんと寝させてくれるのかな」 何が入っていたのかは想像にお任せする……私も入れていることはもちろん彼には内緒にする。バレたら絶対もっと酷いことになるから。とにかく見なかったことにして荷物の点検を続ける。服とか着替えとか、お財布の中にちゃんと免許証が入っているか(ちなみにゴールド免許だった)とか問題ないかを全部確認して、鞄のチャックを閉めたところで荷物の持ち主がリビングへと顔を出した。 「ふわぁ……おはよう、エスキモー……時間はまだ大丈夫だよな?」 「大丈夫だけど余裕はそんなないんだから早く顔洗って朝ご飯食べて! 私はもう全部済ませてあるんだから」 時計を見ると既に8時を過ぎている。エスキーとママとの待ち合わせは府中駅の改札前に9時20分。少し余裕を見て9時ちょうどに出発するとしてもあと1時間ぐらいしかない。 「あ、そういえば忘れていたことあった」 「えっ、今更何!?」 まだ洗面所に行ってなかったトレーナーが寝ぼけまなこを擦りながら、私の方へと歩み寄ってくる。何をしようとしているのか彼の意図を掴みかね少し身構えていると、引き寄せられるように体を彼の元に引っ張られ唇を奪われた。 「んんっ……じゅる……んまっ……」 寝起きとは思えない力強い腕っぷしで頭を掴まれ舌で口の中を蹂躙される。前に私が彼を起こすためにやった仕返しとばかりに入念に。 「……ぷはっ! ちょっと!? こんなことしてる場合じゃないでしょ! もうさっさと朝の準備して!」 少し勢いが収まったところで彼の体を向こうに押しやり、洗面所へと叩き込む。手の甲で口を拭いながら、はぁはぁと切れた息を肩で整える。 「ほんと油断も隙もないんだから……」 数分後顔を洗っていかにもさっぱりしました感を全面に押し出したトレーナーはさっきのことを忘れたかのように朝ご飯や歯磨き、身支度を済ませて出かける準備を整えた。私のじとーっとした目線は気がついていないのか、あるいは気づいていてあえて無視しているのか、家を出る時も普段と変わらないテンションと表情で私の手を引き、9時ぴったりに2人で家を出発した。もちろん指輪は左の薬指に2人とも嵌めて。 ───── 「おまたせ2人とも。ちょっと待たせちゃった?」 集合時間5分前、待ち合わせ場所に向かうと既にエスキーとママの2人が荷物を持って待っているのを遠目で見つけた。彼の手を引き軽く駆け足で彼女たちの元へ向かうと、駅のコンビニで買った小さなお茶のペットボトルを2つ渡してくれた。もちろんペットボトルを持っていた左手には指輪がキラリと輝いていた。 「ありがと。電車はあと20分ぐらいあるけど、飛行機に遅れたらいけないしもう改札入っとこっか」 「そうですね。せっかくエスキモーちゃんが組んでくれた旅行ですし、いきなり台無しにするのは駄目ですから」 真冬だからか、防寒対策バッチリのモコモコ具合を見せているエスキー。彼女の愛らしさと相まってなんだかお人形さんに見えるのは一応親に対して言うことじゃないかもと思い、なんとか口に出さずに堪える。せっかくだからともらったお茶で喉を潤し、4人全員改札を通ってホームへと向かった。 「それにしても関西なのに飛行機使うんだね。てっきり新幹線と思ってた」 「わたしも思ってましたけど、エスキモーちゃんから旅程送られてきて自分でも調べてみたらこれが1番スムーズに行けるんですよね」 そう、今から私たちが向かうのは新幹線が発着する東京駅ではなく羽田空港。そしてそこから飛び立つ先は…… 「南紀白浜空港、関西のリゾート地の玄関口」 季節が季節ならバカンスを楽しむための観光客が多数訪れていたであろうこの場所、今はその逆の季節、真冬だからわりと最近トレーナーが予約してくれた飛行機も席がそれほど埋まっていなかった。ただそれでもガラガラではなく、半分以上は埋まっているとトレーナーが教えてくれた。 「最近はワーケーションっていうのが流行っているからさ。旅行客じゃないビジネスマンも乗っているだろうな」 「ワーケーション?」 ワーケーション。それは「ワーク」と「バケーション」を合わせた造語。IT社会となり、必ずしも会社に出勤せずとも仕事ができるようになった今、都心から離れた場所で悠々自適に仕事をこなす人も増えてきた、らしい。「まあオレたちには関係ないけどな」とはトレーナーの談。 「それはそうと、今回は動物園?水族館?には行かないんだね。調べたらわりと有名って出てきたけど」 そうママが言ってる間に電車が到着し、キャリーバッグを少し持ち上げつつ車内に入る。休日のこの時間だからか座席は全て埋まってはいるけど、4人で邪魔にならないようにと向かい合わせの扉の隅を確保できたぐらいには混んではいなかった。キャリーバッグを扉に被らないように扉に向かって垂直方向に向け端に寄せたあと、さっきのママの疑問に対して私が答えた。 「もちろん行きたかったんだけどちょっと時間なくて……もちろん朝一の飛行機だったら行けたんだけど、みんな大変かなって思って」 1日に3本運航している羽田‐白浜便。私たちが乗ろうとしている昼の便の1本前に7時台の便があったんだけど、それに乗ろうとすると5時、いやもっと前に起きる羽目になる。もちろん旅行だからそれもありかなと思ったんだけど、最後しんどくなったら元も子もないと思い、泣く泣くプランから外すことになった。 「そっか。優しいねエスキモーは」 「えへへ……」 なんだか反対側の扉の方にいるエスキーからジェラシーという名の圧を感じるけど、気にしないふりをしてママの優しさに浸る。まあ結局乗り換える時に肘で軽く小突かれたんだけどね。 ───── そうして2度、3度と乗り換えを挟むも、乗り間違えることはなく無事に空港へと辿り着く。保安検査でも引っかかることなくすんなりと待ち合いロビーのベンチへと腰を落ち着かせた4人はお昼前ということもあり、少しお腹を空かせていた。 「アタシ何か買ってくるから座ってて」 「ママは座ってて! 朝お茶買ってくれたんだから今度は私の番!」 アタシが、いやいや私がと2人して立ち上がり、軽食をどっちが買ってくるかのじゃんけんをした。私がパーでママがグー、勝者の私が意気揚々と待合スペース近くのコンビニで4人分のサンドイッチと小さなミネラルウォーターを買う権利を手に入れた。 「……もしかしなくてもこれ自腹だよね」 もちろん他の3人にお金出してとも言えず全員分の代金を持つことになった。 「……まあ懐事情苦しくないからいいけどさ」 サンドイッチとミネラルウォーターをそれぞれ4つの袋に分けてもらい、レシートもキッチリともらう。そうしてベンチで待っていた3人に袋をそれぞれ手渡し、4人で仲良くお腹を満たしているとすぐに搭乗時間を迎えた。 「それじゃ行こっか!」 「おう(うん)(はいっ)!」 ──さらば東京、紀の国へいざ参らん。 ───── 空港に降り立った私たち4人。空港のすぐ近くにあるレンタカー屋さんで予約していた車を借り、いよいよ旅のゲートが開く。まず私たちが向かったのはお土産や市場、そしてご飯屋さんがまとめて入っている施設。ここでお昼ご飯を食べたり新鮮な魚介類を見れたらなと考えている。 「車いっぱいですねえ」 後部座席から顔を覗かせたエスキーが駐車場を見渡すや驚きの声を上げる。季節は外せど流石リゾート地といったところだろうか、施設の入口付近の駐車スペースは既に埋まっていて、仕方なく少し離れたスペースに車を停めることにした。 「まず1つ目。最初からお土産見るのもどうかなって思ったんだけど、お昼食べるついでにならいいかなって」 入口へと歩きながらみんなに軽く説明をする。お土産をここで買ってしまってもここから宅配便で送ることができるし、そんなに荷物にはならないだろうという目論見も合わせて伝えると、「流石ね」なんてママに褒められた。 中に入るとまず見えるのはお土産物売り場。お菓子や梅干し、パンダのぬいぐるみとかいろんな物に目を奪われつつも誘惑になんとか耐えてお昼ご飯の海鮮丼をいただく。海がすぐ近くにあるおかげで新鮮でジューシーな丼ぶりを食べることができて、4人とも満足げな表情を浮かべていた。 「じゃあ腹ごしらえも済んだところで、さっきのお土産コーナー行こっか」 丼ぶりを掻っ込んで水をぐびっと飲み、ひと呼吸置いたところでさっき通過したお土産コーナーへと舞い戻る。パンダのぬいぐるみがとっても可愛くて1つ抱き枕用に買うかと真剣に悩んだものの、洗濯とか置き場所に困ることに気づき泣く泣く諦めることにした。 「みんなへのお土産はお菓子系でいいとして……カジっちゃん先輩には何あげようかな……」 そう言いながら1店舗1店舗じっくりと見て回っていると、先輩にぴったりな、むしろ先輩にあげるために生まれてきたようなお土産を発見した。 「和歌山ラーメン……! これだ……!」 何人前かで入っている物を数種類手に取り、チームのみんなに配る用のお菓子と合わせてレジへと向かう。そしてそのまま寮へと送る手配を済ませ、1つ目の任務完了とほっとひと息をついたところで近くにいたエスキーに後ろから声をかけられた。 「エスキモーちゃん、もうお土産買ったんですか? 早いですね」 「いいの見つけたから……えっと……エスキー、だよね?」 推定エスキーが抱えていたのはさっき私が買うのを見送った大きなパンダのぬいぐるみだった。なぜ推定かというと、彼女が抱えているぬいぐるみで顔が全く見えなかったから。 「わたしです、わたしです。せっかくですし1つ買って帰ろうかと思いまして。あっ、もちろん寮に宅配してもらうので安心してくださいねっ」 道中の荷物は増えないというアピールなんだろう。まあそれにしてもかなりサイズが大きいんだけど、ちゃんと送ってもらえるんだろうか……彼女がレジへと向かう後ろ姿を眺めながらそう思っていると、またもや後ろから声をかけられた。今度はママの声だ。 「ごめんエスキモー、ちょっと荷物持ってもらっていい?」 「いいけど、どうした……え、うそ、ママも?」 そこにはエスキーと同じぬいぐるみを抱えた推定ママがいた。 「……家に1つぐらいあってもいいかなって……子どもっぽい?」 「ううん、そんなことない、そんなことない。大人でも今どきぬいぐるみ持ってる人多いから……たぶん」 ママはお屋敷に送るらしい。まああんな大きいのが2つも同じ部屋にあったらそれだけで圧迫感凄いだろうし、そうするのが正解なんだろうな。またもや頑張ってぬいぐるみを抱え込んでレジへと向かうママの姿を見送っていると、ふと昔の記憶が頭に浮かんだ。 (……そういえばあんなぬいぐるみ買ってもらったことあるような……いつだっけ?) こっちの世界じゃないはず。だとしたら元の世界の話? でもあんな大きなぬいぐるみなんて家になかった気がするしとうんうん頭を捻らせていると今度はトレーナーに後ろから声をかけられた。 「トレーナー、どうした……またかあ……」 「エスキモーが欲しそうにしていたからさ。せっかくだし買って帰ろうかなって」 3つ連続巨大パンダぬいぐるみを会計するレジの人は一体どんな気持ちなのだろうか。少し大きめのため息をついて、1人外に出て車のところへと歩いていくのだった。 ───── 結局3人とも出発予定時間のギリギリまでお土産コーナーでお土産を吟味していたみたいで、先に外で彼女たちを待っていた私もあまりの寒さに施設の中に一旦戻る始末だった。 「ごめんごめん、同僚とか先輩に買っていく分も考えていたら時間かかっちゃって」 「アタシはおばあさまやメジロのみんなの分を」 「左に同じです」 まあ時間は3人とも守ってくれたみたいだし、何より楽しんでくれるのが1番だからと気にしないことにする。そうして4人揃って車に乗り込み、次に向かったのはここも地域の観光名所の三段壁と千畳敷。三段壁は地下30m以上の洞窟までエレベーターで向かうことができるとのことで、4人とも躊躇することなくワクワクしながら入場料を支払ってエレベーターに乗り込んだ。 「調べてたから少しは雰囲気分かってたつもりだったけど凄いね……」 中世この地域を支配していた海軍が使用していたと言われているこの洞窟、そんな遠い昔に思いを寄せながらも、模様がいろんな顔に見える崖の写真を撮ったり、押し寄せる波の影響で海水が噴き出す噴射口の動画を撮ったりと少し暗い洞窟の中をゆっくりと楽しみながら歩いていった。 「洞窟の中楽しかったですねっ!」 「そうだね。ねえエスキモー、ここはこれでおしまい?」 地上に戻るエレベーターを待っている時にママから話を振られる。私は「まだ残ってるよ」とママとエスキーに伝え、三段壁の伝説を教えてあげた。 「実はここ……恋人の聖地なんだって!」 「恋人の……」 「聖地……ですか?」 ちょうど到着したエレベーターに乗り込み、昔あった悲劇から聖地へと変遷していく流れを彼女たちに伝える。2人は私の話をふんふんと頷きながらとても熱心な表情で聞き入っていた。 「──それでさっき駐車場からこの建物に入ってくる前にハート型のモニュメントが見えたと思うんだけど、あれに…、あったあった、ここで買える鍵をかけたら完璧ってわけ」 話している最中に地上に到着し、エレベーターから降り出口へと歩いていく途中に見つけた鍵を彼女たち2人に手渡す。2人は絶対買うだろうという強い自信を持って、彼女たちへぐいっと差し出した。 「……買います?」 「まあ、せっかくだし……」 そう言って2人はレジへと向かい会計を済ませると、手を繋いでモニュメントの方へ歩いていった。私は彼女たちが歩いていくのを見送ると、2人と同じように鍵を手に取りレジへと向かった。 「……買わないのかと思ってたよ」 レジを済ませ、トレーナーと手を繋ぎ前の2人を追いかけるように歩いている最中、トレーナーが少し不安そうな声で話しかけてきた。私は首を横に振ってその言葉を否定する。 「そんなこと私がするはずないでしょ。むしろここまで2人に言っておいて私たちがしなかったら、むしろあの2人になんでって言われると思うし」 自分で言うのもなんだけど、2人の背中を少しばかり押してあげた恋のキューピッドが何やってるのって絶対言うだろうしね、あの2人。もちろんそんなことを言われたくないがためにやるんじゃなくて、元々私がやりたかったからが最大の理由なんだけど。ここ選んだのも調べている時に「今話題の!」って記事を見つけたからだし。 私のその言葉を聞いて安心したトレーナーとともに鍵をモニュメントへかけて将来を誓う。ずっと離れたくないと、2人で未来を紡ぎたいと。 「よし、やりたいことできたし次行こっか」 海をバックに4人で写真を撮ったり、私とトレーナーやエスキーとママといったペアで写真を撮ったりと十二分に満喫したあと駐車場へと戻って車に乗り込み、次の行き先の千畳敷へと向かう。 さあ、旅はまだまだ始まったばかり。 ───── 車に乗ることわずか数分で目的地へと到着する。少し太陽が傾いてきた16時過ぎ、この次の目的地は時間厳守だからとみんなに伝えてから海の方へと下りていった。 「段差あるから気をつけるんだぞー。ほら、エスキモーはオレの手握って」 「うん。ありがとね」 彼に連れられるように一歩ずつ自然に形成された段差をゆっくりと下りていく。エスキーとママも手を繋ぎながら先へと歩いていっている。 「凄い……これ自然にできたってことだよね」 目の前に広がる、その名のとおり畳が敷かれたような広い砂岩。年月をかけて少しずつ打ち寄せる波に侵食されて形を変えていくその姿は、まさに自然が作り出す芸術作品。 「だなあ……やっぱり大自然って凄いというか恐ろしいというか」 隣で私とともに立ち止まっているトレーナーもこの自然が織りなす風景に驚きを隠せない様子だった。 「それであの子たちは……あっ、先の先まで行ってる。私たちも行こ?」 そう言って彼の手を引き、海のすぐ近くまで人を避けつつ、ところどころある岩の隙間に落ちないように先へ先へと進んでいく。そうして数分ほど歩くと、やっと前にいた2人に追いつくことができた。ただ岩の先に佇む2人へ声をかけようとしたところ、トレーナーから手を引っ張られ、2人の時間を邪魔しないようにと止められた。 「ここは一旦引き返そう」 「……分かった」 彼女たちに気づかれないように静かに写真だけ撮り、駐車場の方へと引き返す。しばし2人の時間を楽しんでねと心に思い、海へ背を向けて歩いていった。 ───── 「ねえ、姉さま?」 「どうしたの、エスキー」 「これからずっと、一緒ですよね?」 「……当たり前でしょ。嫌って言っても離さないから。というかいきなりそんなこと聞いてきてどうしたの?」 「さっきの三段壁でエスキモーちゃんから聞いた話のこと考えていたら、ふと頭に浮かんできて……決して結ばれることのない2人が来世では結ばれるようにと身を投げたあの崖……わたしも今のこの姿じゃ姉さまと本当の意味で結ばれないと思うと、その……」 「……ねえ、今夜泊まるホテルのこと、もう調べた?」 「いえ、部屋に露天風呂があることぐらいしか……」 「実はねあのホテルで──」 ───── 車で待つこと10分少々、遅れて戻ってきた2人を乗せて次の目的地へと向かう。ある意味今日のメインイベントとなるその場所は岬の先、海を背景に日が落ちていく場所。 「えーっと……次行くところって夕日が綺麗に見える場所なんだ。だから『時間厳守!』って大きく書いてあったのね」 目的地へと向かう道中、後部座席に座っているママが納得したように呟く。そう、ママの言うとおり今から行くのは素敵な夕日を見れる場所、「日本の夕日百選」っていうのにも選ばれたスポット。 「真ん中が少しずつ波で侵食されて、そこだけぽっかりと穴が開いた不思議な岩、その名も円月島」 「月」と入った名前だけど、今じゃその反対、沈みゆく太陽を写真に収めようと訪れる人が後を絶たない一大観光スポットと化している。冬だからか少し人は少ないけれど、私たちが到着した頃には駐車場もほとんど埋まっていた。 「日の入りまであと20分ぐらいですか……それにしても綺麗な夕焼け、これを見るだけでもここに来た甲斐がありましたね」 オレンジ色に染まる空を見つめ、車を下りたばかりのエスキーが1人呟く。私はそれに頷き、彼女の隣で同じように海の向こうを見つめた。 「ほんとに晴れてよかった。この景色が見たくて旅程に組み込んだんだから」 落ちていく夕日、それを写真に残したり、静かに見つめたり、思い思いの時間を4人は過ごす。そこで何を思っていたのかは分からないけれど、夕日が海面に沈むまで黙ってただ見つめて。 (大きな夕日……なんかトンネルみたい) 夕日が地平線に接したその時、太陽が海の先、遥か彼方に向かう入り口みたいに思え、いやいやと首を小さく左右に振る。ただなぜかその時夢の光景、光の中に飛び込んでいく私の姿が頭の中に浮かんできて、一気に現実に引き戻された感覚を覚えた。 (まだ、だから……まだ、もう少し先のことだから……) 日が落ちると近くに集まっていた観光客らしき人たちも解散し、各自車に乗ったり歩いて離れていったりとそこには私たち以外誰もいなくなった。 「エスキモーちゃん? 行きますよ?」 「あー、うん……ごめんごめん。ちょっとぼーっとしてただけだから」 そう彼女やトレーナー、ママに伝えて助手席へと乗り込む。レンタカーを返却するのと、ホテルからの送迎車を待つために一旦空港に戻る道中、綺麗だったねとみんなに話を振ってなんとかさっきの頭に流れ込んできた夢を必死に追い出そうとしたけれど、まるで出ていく気配はなく、むしろフライパンにこびりついた焦げ跡のように脳内に嫌らしくべったりと貼りついていた。 ───── 空港から送迎を受け、ホテルの中へと入る4人。トレーナーが受付を済ませホテルマンから部屋への行き方について説明を受ける。その指示の下自室へ向かおうとしていると、何やらエスキーとママが受付で話をしていた。 「エスキー! 私たち行くよー!」 「……先行っててくださいっ! ……ふむふむ……いきなりなお願いなのにありがとうございます。部屋に荷物置いたらすぐ戻ってきますね」 ママも合わせて何やら真剣な顔で話し込んでいる。そんな2人の話を遮るのも悪いと思い、彼女たちを置いてトレーナーと2人だけで部屋に向かうことにした。 「広ーい! そして綺麗なオーシャンビュー!」 すっかり日も落ち暗くなっているけど、目の前に広がっている広大な海の景色はそこにあるだけで迫力満点だ。しかもこの部屋には露天風呂もついているから、海を見ながら優雅にお風呂に入るなんてこともできてしまう。リッチofリッチなお部屋と言えよう。 「とりあえず荷物を整理してっと……どうする? 先に共同の方の露天風呂入ってくるか?」 キャリーバッグを開け、荷物を整理しているトレーナーに勧められ私は1人着替えや鍵(2人分あるからその片方)を持ってお風呂へと向かう。ただせっかくこんな所に来たんだからあちこち見て回ろうとロビーやラウンジ、レストランを覗いたりしていると、何やらドレスを着た2人のウマ娘の後ろ姿を見つけた。 「そういえばここで結婚式もできるってホームページに書いてあったかも。それにしても男女じゃなくて女性同士でもできるものなんだね……」 そう小さく呟きながら目線の先にいるウマ娘を眺めていると、不意に2人がこちらへと振り向いた。 「えっ……エスキー……ママ……?」 ──そこにいたのはよく見知った2人のウマ娘だった。 ───── 「エスキモー。今からお風呂?」 振り向いた際に目が合ってしまってママから声をかけられた。声をかけられては無視することもできずに彼女たちのところへと歩いていく。 「えーっと……どうしたのそれ?」 なんで2人がドレス、しかも純白のウェディングドレスを着ているのかと尋ねると満面の笑みを浮かべたエスキーがその質問に答えてくれた。 「姉さまから提案してもらったんです。もちろんほんとに結婚式をする訳じゃないんですけど、将来はって受付の方に相談したら着せてくれるって言ってもらえたので」 「ま、まあそのつもりで告白したっていうのもあるし……いい経験になるって思って」 ママの方から提案したことにも驚いたけど、結婚式なんて単語が出てくるとも思ってなかった。まあ元の世界じゃ元の姿に戻ったエスキーとママが結婚して私が生まれるんだから、こうなるのも必然なのかもしれないけれど。というか大体こういうのって私たちがやってから2人がするんだって勝手に思っていたから、なんだか先を越された気分がした。 「ふ、ふーん……ま、まあ2人とも似合ってるんじゃない? じゃあ私はお風呂入ってくるから」 そう言ってその場から立ち去ろうとすると、ママに手を掴まれ一緒に写真を撮ろうと提案された。2人だけと断ろうとしてもママが手を離すことはなく、仕方なしに2人の間に用意された椅子に座る。そしてまるで家族写真のように1枚、2枚と2人の携帯で係の人に写真を撮ってもらった。 (ん? 家族写真……?) ああ、そうか、そういうことかと一人合点をする。なんでママが頑なに3人で撮ってもらおうとしたのか。それはもうこの3人がこの姿でいられるのは長くないと思っていたから、未来の家族(仮)の記録を残したいと思っていたからだったんだと。 「……何枚か撮ってもらったし、流石に2人のも撮ってもらってよ。記念なんだし」 そう言って今度こそ席を外し、その場を立ち去る。ただ立ち去る途中にふと後ろを振り返って見た2人の姿は、とても綺麗で、とても幸せそうに見えた。 ───── 「結婚、かあ……」 少し肌寒い中、1人露天風呂に浸かりながらぼーっとさっきのことを思い出す。結婚なんて未来の話、そのときが来たらまた考えればいいと思っていたことがいきなり目の前に突きつけられ、自分はどうしたらいいのかと頭の中が少しこんがらがっていた。 (えーっと、当たり前だけどまだ私は結婚できない。というか未成年だったら親の同意もいるから、仮にできる年齢だったとしても今は無理……でもウェディングドレスかあ……) 女の子なら一度は夢見るウェディングドレス。もちろん着てみたい気持ちはあるし、タキシードを着たトレーナーとツーショットで写真を撮ってもらいたい気持ちもある。ただ流石にまだ早いんじゃないかと、そういうのはこうプロポーズとかの段取りを踏んでからなんじゃないかとブレーキを掛ける自分も確かにいる。 (……まああとで受付の人に聞いてみるぐらいなら……それで駄目だったらやめとこっと) 対抗していた2つの気持ちが自分の中で妥協案を締結し、ひとまずの解決をみた。とりあえず解決したんだしと一旦頭から結婚云々の話を追い出し、目の前の景色に集中することにした。 「海と一体に見える露天風呂か……素敵……」 まるで海と繋がっているようにも見えるデザインの露天風呂。夜空に輝く月に照らされた広大な海をうっとりと眺めながらしばし心と体の休息時間を得ることができた。 ───── 「トレーナー、ただいま……っていない。トレーナーもお風呂入りにいったんだ」 誰もいない部屋の中をしばしうろつき、自分のベッドへとバタンと倒れ込む。大きいベッドだから左右にゴロゴロできるのはお屋敷のと同じでとっても素晴らしい。 「まだかなまだかなー」 そうやってゴロゴロ寝転がりながら携帯の画面をつけて今の時間を確認する。そんな携帯の画面に表示されていたのは「19 00」の文字だった。 「もうこんな時間なのね。夕食はレストランで19時半からだっけ」 携帯に保存した旅程のファイルを開き、今晩、そして明日以降の予定を再確認する。22時半に寝て明日の6時半起床、ホテルを出発するのは9時45分とわりとゆったり目のプランがそこには書かれていた。 「……まあその時間に寝かせてくれるか、なんだよね」 露天風呂つきの部屋、そして家を出発する前に見つけてしまったアレの存在、もちろん部屋には2人きり。少し考えただけで条件が揃いすぎていることが一目瞭然。麻雀はよく分からないけどこれは役満なんじゃないだろうか。 「主導権を握れたらいいんだけどね……」 もちろんそう言って握れた試しはなく、いつも彼に最後までペースを摑まれたままで終わってしまう。本来私の方が力が強いはずなのに。 「ベッドの上ではウマ娘もただの女の子、か……」 こうやって言葉に出すと絶対に覆せないように思えてしまう。うんうん唸って考えてみるけど、どうすればいいのかなんてこんなポンコツな頭では思いつきやしない。 「頑張るしかない、か……」 そもそも手を出すまでは結構躊躇してたよねってことはディナーを食べてから部屋に戻り、予想通り彼から迫られた時に思い出した。ただ思い出しただけで何の役にも立たなかったけれど。 (ドレスの話は朝でいいか……) 意識が薄れていく中頭に浮かんだのは夕方に見た、幸せそうな2人のドレス姿だった。