約 2,131 件
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/336.html
陸奥国 会津郡 高久組 中森台(なかもりたい)村 大日本地誌大系第31巻 39コマ目 昔は中森代に作る。寛文中(1661年~1673年)今の字に改む。 もと村東1町20間余にあり。用水の便により寛永2年(1625年)今の地に移す。 府城の西北に当り行程1里30町余。 家数18軒、東西49間・南北2町26間。 米沢街道の両頬に住す。 北は河沼郡笈川組竹内村に続き三方田圃(たんぼ)なり。 東4町30間東森台村の界に至る。その村まで7町40間余。 西2町4間・南は村際にて、共に米沢村(界沢村の記述ミスか?)に界ふ。その村は西に当り10町40間余。 また巳(南南東)の方5町30間下高野村の界に至る。その村まで9町20間余。 水利 吉田堰 下高野村の方より来り、田地に灌ぎ笈川組森台村の方に注ぎ、その村の田畝を潤す。 神社 稲荷神社 祭神 稲荷神? 相殿 明神 地主神なり 伊勢宮 2座 熊野宮 鎮座 不明 村中にあり。 鳥居あり。高久村黒沢縫殿之助が司なり。 寺院 清松寺 村中にあり。 曹洞宗江安山と號す。 開基詳ならず。 府下滝沢町寶昌寺の末山なり。 弥陀を本尊とし客殿に安ず。 Google Map中森台地区 - 地名残らず。現在の森台の地に県道326号浜崎高野会津若松線が通っており、その西側が該当するかと思われます。なお村中の通路(稲荷神社から清松寺へと通る道)は旧米沢街道です。 蟻通(蟻道)稲荷神社 清松寺 河沼郡笈川組竹内村 - 余談:河沼郡と会津郡の境界について
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/335.html
陸奥国 会津郡 高久組 東森台村 大日本地誌大系第31巻 39コマ目 元東森代という。寛文中(1661年~1673年)今の字に改めき。 府城の北西に当り行程1里16町。 家数5軒、東西22間・南北55間、四方田圃(たんぼ)なり。 東は村際・南10間・北33間、共に木流村に界ふ。その村は寅卯(東北東~東の間)に当り1町55間余。 西2町20間中森台村の界に至る。その村まで7町40間余。 また 未(南南西)の方2町40間下高野村の界に至る。その村まで6町50間余。 戌(西北西)の方2町河沼郡笈川組竹内村の界に至る。その村まで7町40間。 神社 赤城神社 祭神 岩裂命・根裂命 相殿 鬼渡神 明神 鎮座 不明 村南30間余にあり。 鳥居あり。高久村黒沢縫殿之助が司なり。 Google Map東森台地区 - 地名は残っていません現在の森台の東側にある田んぼのどこかに集落があったのでしょう。 赤城神社(場所は木流村に近い) 余談。 赤城神社の祭神である岩裂命・根裂命は、それぞれ磐裂(いわさく)・根裂(ねさく)の両神の事でしょう。国産み神話で伊弉諾(いざなぎ)が火神カグツチの首を十束剣(とつかのつるぎ)で切った時に剣先に付いた血から生まれた神です。 面白いのが群馬の赤城神社ではこの2柱の神を奉っていないのです。両神の後に生まれた磐筒男神(いわつつのおのかみ)は奉っているのですが。何とも不思議な神社です。
https://w.atwiki.jp/seikyowiki/pages/28.html
2度目の参加。 初参加で引き裂かれたカッパのリベンジなるか!?
https://w.atwiki.jp/anipicbook/pages/3932.html
[部分編集] 【黒瀬 ゆうこ(くろせ ゆうこ)】 プロフィール リンク 関連グッズ ▼レビュー +... ・ 【黒瀬 ゆうこさんの出演作品】 私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!
https://w.atwiki.jp/post_map/pages/2082.html
安芸西条(黒瀬)郵便局 郵便番号:〒739-26・〒739-27(元は安芸西条(下黒瀬)郵便局が集配) 集配地域:広島県東広島(ひがしひろしま)市の旧・賀茂(かも)郡黒瀬(くろせ)町のうち旧々・賀茂郡中黒瀬(なかくろせ)村域、旧々・賀茂郡乃美尾(のみのお)村域、旧々・賀茂郡下黒瀬(しもくろせ)村域および旧々・賀茂郡上黒瀬(かみくろせ)村のうち黒瀬町南方(賀茂精神医療センター)域。 1.jpg 黒瀬郵便局局舎 2.jpg 黒瀬郵便局取集時刻掲示 達成状況[20**年*月**日現在] 普通のポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 コンビニポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 ポスト考察 ●編集中 ポスト番号考察 ●編集中 設置傾向考察 ●編集中 取集時刻考察 ●編集中 取集ルート考察 ●編集中 時刻などの掲示 ●編集中
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/334.html
陸奥国 会津郡 高久組 木流(きながし)村 大日本地誌大系第31巻 38コマ目 この村橋本木流・平塚木流・西木流とて3区に分る。 相伝う。昔河沼郡代田組藤倉村に二階堂を建立せし、材木の余れるを川に流し来りこの村に観音堂を造立す。故に村名としその川も大工川と名けしとぞ(日橋堰の分水なり)。 府城の北に当り行程1里6町。 橋本木流は家数15軒、東西55間・南北3町15間、渠川の両岸にあり。 西木流はここより西4町10間余にあり。家数11軒、東西36間・南北1町40間。 平塚木流は橋本木流の辰巳(南東)の方8町10間にあり。家数9軒、東西1町・南北1町。 共に四方田圃(たんぼ)なり。 東2町藤倉村の界に至る。その村まで8町。 西3町16間河沼郡笈川組竹内村の界に至る。その村まで8町40間余。 南6町44間余鶴沼村の界に至る。その村まで8町10間余。 北2町36間代田組高畠村の界に至る。その村まで12町。 また 寅(東北東)の方56間代田組新屋敷新田村の界に至る。その村まで10町。 辰巳(南東)の方5町30間笈川組八日町村の界に至る。その村まで9町40間。 この村の肝煎穴澤武右衛門という者の家に慶長4年(1599年)の免目録を蔵む。 小名 上沼(うはぬま) 平塚木流の北2町10間にあり。 家数7軒、東西50間・南北38間、四方田圃なり。 端村 屋敷 平塚木流の戌(西北西)の方2町40間にあり。 家数7軒、東西1町・南北50間、四方田圃なり。 山川 渠川 中前田村の境内より来り、西に流れ北に転じ橋本木流を過ぎ、また戌亥(北西)の方に流れて八日町村の界に入る。 境内を流るること18町30間。 大工川 槻橋村の境内より来り、平須賀木流を過ぎ西に流るること7町30間、橋本木流の東にて渠川に入る。 広2間。 関梁 橋2 共に渠川に架す。 一は橋本木流にあり。 長8間・幅2間、勾欄あり。 一は平塚木流の未(南南西)の方2町30間にあり。 長6間。沼木村の通路、土橋なり。 水利 高畠堰(たかばたけせき) 橋本木流にて渠川を引き代田組郡山村の方に注ぐ。 八日町新堰 西木流の北にて渠川を引き八日町村の方に注ぎ、その村の田地を潤す。 神社 稲荷神社 祭神 稲荷神? 相殿 稲荷神 3座 熊野宮 2座 伊勢宮 伊豆神 諏訪神 山神 雷神 鎮座 不明 橋本木流の東2町30間余、丘の上にあり。 鳥居あり。高久村黒沢縫殿之助が司なり。 諏訪神社 祭神 諏訪神? 相殿 宗像神 鎮座 不明 西木流の北にあり。 観音寺司る。 寺院 観音堂 橋本木流の丑(北北東)の方1町50間余、丘の上にあり。 馬頭観音木像を安ず。 耶麻郡川西組本寺村厩嶽観音の前立なり。厩嶽の観音秘像なりしかば、別にこの像を刻て前立とす。されども彼山は道嶮(けわ)しければ、参詣の便をはかり大同の頃(806年~810年)ここに移す。 天文の頃(1532年~1555年)聖護院宮この堂に遊宴ありしという。 別当 観音寺 橋本木流にあり。 真言宗福壽山と號す。草創の年月を知らず。 天文9年(1540年)良秀という僧中興せり。 本寺村恵日寺の末山なり。 本尊馬頭観音客殿に安ず。 薬師堂 平塚木流の南20間余にあり。草創の年月を知らず。 寛文中(1661年~1673年)までは『應永二十二年大檀那五郎左衛門』等と記せる薬師の像ありしという。 ※應永22年=1415年 別当 薬師寺 平塚木流にあり。慈念山と號す。 府下大和町金剛寺の末山真言宗なり。 草創の年代詳詳ならず。 天正中(1573年~1593年)保仙という僧中興せり。 本尊地蔵客殿に安ず。 古蹟 館跡 平塚木流にあり。 20間四方。 いつの頃にか平塚四郎某という者住せりという。 土居堀の形遺れり。 Google Map橋本木流 - 元は大工川の両岸との事なので現在は狭くなっている 西木流 - 現在の木流地区か? 平塚木流 上沼 屋敷 - 平塚屋敷稲荷神社付近? 子育稲荷神社(橋本木流) 諏訪神社(西木流) 高野山馬頭観世音(橋本木流) 観音寺(橋本木流) 薬師堂?(平塚木流) 平塚館跡 ?(平塚木流) 平塚稲荷神社(平塚木流)
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/302.html
陸奥国 会津郡 高久組 高瀬村 大日本地誌大系第31巻 29コマ目 昔村東に川あり。石高く流れ急なる故(ゆえ)に高瀬村と名けりという。 府城の北西に当り行程30町余。 家数38軒、東西52間・南北2町32間。 四方田圃(たんぼ)なり。 東3町44間平沢村の界に至る。その村まで8町30間余。 西3町54間神指村に隣りその村際を界とす。 南6町天満村の界に至る。その村まで10町40間余。 北4町神指村に界ふ。 また 丑寅(北東)の方4町10間中地村の界に至る。その村まで8町30間。 辰巳(南東)の方6町6間東城戸村の界に至る。その村まで7町40間。 端村 新田 本村の東2町にあり。 家数22軒、東西42間・南北2町14間。 越後街道の左右に住し四方田圃(たんぼ)なり。 山川 黒川 端村新田の丑(北北東)の方3町30間にあり。 平沢村の境内より北に流るること1町計また平沢村の界に入る。 応湖川(おほこかわ) 村の辰巳(南東)の方5町30間にあり。 天満村の境内より来り、北に流るること5町平沢村の界に入る。 広6間。 神社 八幡宮 祭神 八幡宮? 相殿 稲荷神 2座 伊勢宮 明神 鎮座 不明 村中にあり。 鳥居幣殿拝殿あり。高久村黒沢縫殿之助が司なり 寺院 観音堂 村中にあり。 2間四面東向。 観音立像、長4尺5寸、作者を知らず。 相伝う。承安(1171年~1175年)安元(1175年~1177年)の頃本州の金売吉次・吉内・吉六という者常に都鄙(とひ)(*1)の間に往来し、ここを過ぎ村東の川を渡りしに水俄(にわか)に漲り舟忽(たちま)ち壊れ吉六溺死せり。その冥福を祈らん為この堂を草立し黄金を観音の躯中に納め後来修理の用に備えしに、永禄(1558年~1570年)元亀(1570年~1573年)の頃住僧像を破り金を盗みさりしという。 会津三十三所順禮の一なり。 別当 福昌寺 境内にあり。 吉高山と号す。 本郡南青木組北青木村恵倫寺の末寺曹洞宗なり。 開基の年代詳ならず。 金売吉六・吉高が位牌なりとて『福昌寺殿源宗了淵居士 承安二辰天三月二十日』と記せるあり(承安2年壬辰=1172年)。 永禄7年(1564年)道谷という僧再興せり。 本尊薬師客殿に安ず。 石塔 境内にあり。 高3尺。『當寺開基福昌寺殿源宗了淵大居士 承安二壬辰天三月二十日』と彫付あり。 金売吉六の墓なりという。 後人の建しものと見ゆ。 古蹟 革袋田(かはふくろた) 村南にある字なり。 この村より卯辰(東~東南東の間)の方1町に葛籠田(つづらた)という字あり。昔吉六溺死せし時黄金を入れし革袋及び葛籠等の漂流せしを得し所故(ゆえ)この名遺るという。 Google Map八幡神社 福昌寺 高瀬の大木(大ケヤキ) 稲荷神社 余談:金売兄弟について 金売兄弟の墓は白河市にも伝わっています。 金を入れた革袋とか葛籠とか、似たようなエピソードが残っているようです。 金売吉次兄弟の墓(日本伝承大鑑) 金売吉次の墓→Google Map 栃木県壬生町にも金売り吉次の墓があるんですね。 金売り吉次の墓(伝説)(Monumento(モニュメント)) 金売吉次の墓→Google Map
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/323.html
陸奥国 会津郡 高久組 鶴沼村 大日本地誌大系第31巻 35コマ目 昔この邊に鶴沼という沼あり。村名これに因るという。 府城の西北に当り行程1里19町余。 家数15軒、東西1町2間・南北1町15間、四方田圃(たんぼ)なり。 東1町36間沼木村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り11町50間余。 西6町10間下高野村の界に至る。その村まで4町余。 南4町42間上高野村の界に至る。その村まで8町余。 北1町51間余木流村の界に至る。その村まで8町10間余。 また 戌亥(北西)の方4町12間東森台村の界に至る。その村まで6町10間余。 水利 平沢堰 上高野村の方より来り数派となり田地に灌ぐ。 寺院 松明寺 村中にあり。 曹洞宗鶴沼山と號す。府下材木町秀長寺の末寺なり。 元和2年(1616年)行脚の僧来て一宇を草創せしという。 後無住となりしを葉山という僧中興し地蔵を本尊とし客殿に安ず。 Google Map松明寺 鬼渡神社
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/306.html
陸奥国 会津郡 高久組 深川村 大日本地誌大系第31巻 30コマ目 府城の西に当り行程26町余。 家数23軒、東西1町・南北44間。 四方田圃(たんぼ)なり。 東29間・北4町13間、共に西柳原村の界に至る。その村は東に当り5町10間余。 南は村際・西1町2間余、共に幕内村の界ふ。その村は巳(南南東)に当り4町余。 また戌亥(北西)の方4町10間鍛治屋敷村に隣り、その村際を界とす。 水利 飯寺堰(にひでらせき) 幕内村の方より来り、数派となり田地に灌ぐ。 神社 伊佐須美神社 祭神 伊弉諾尊・伊弉冊尊 相殿 伊勢宮 稲荷神 鎮座 不明 村中にあり。 土人子安神と称して産婦の安全を祈る者多し。 もとは村北2町余にありしが、承應2年(1653年)今の地に移しき。 社跡に橡樹(とちのき)あり。囲1丈4尺・高8丈計。枝葉繁茂(はんも)して方20間の地を蔽(おお)う。 鳥居幣殿拝殿あり。 神職 高野石見 延享2年(1745年)内膳秀富という者この社の神職となりき。 今の石見秀道が父なり。 Google Map深川 村社 伊佐須美神社
https://w.atwiki.jp/bokuori_data/pages/253.html
?plugin=ref serial=161 w=300 h=450 製作者 ソラまめ 出場大会 第四回大会 罪状:故意に526人殺したことによる殺人罪 刑期:634年(実質終身刑) 黒瀬は科学タワーに勤める一研究員であった。 気が弱く、強く出られると言い返せず、人の顔色を伺いながら暮らしていた。 その性格が災いしてか、同研究所の上司にはこき使われ、 鬱屈とした日々をすごしていた。 ある日、個人的に研究していた案件の資料がなくなっていた。 黒瀬は狼狽し、自分の机や棚をひっくり返して探すも、見つからない。 だが、上司に押し付けられた仕事も山とある。みつかるまで探したいが、そうもいかない。 きっとどこかにあるはずと自分に言い聞かせ、 その日はそのまま別の仕事にとりかかった。 翌日、研究所は上司が新しい発見をしたと盛り上がっていた。 黒瀬は我が目を疑った。 それは、確かに自分の研究だった。 事態が飲み込めず呆然と立ち尽くす黒瀬。 それをみつけた上司は、にたりと笑ったのだ。 上司の表情を見て確信した。 こいつが自分の資料を盗んだのだと。 黒瀬の中でどす黒い何かが頭をもたげる。 そのときだった。 轟音と凄まじい光、突き上げられるような衝撃。 科学タワーに膨大なエネルギーをもつ雷が落ちたのだ。 あまりの衝撃に、一瞬気を失っていたようだった。 気がついてはじめに目に飛び込んできたのは、金切り声を上げる上司。 何事かと思っていると、突然舌を噛み切り絶命した。 一体何が起こっているのか、必死に思考を巡らす黒瀬。 思い当たったのは、あの時自分が心の中で上司に向けて強く叫んだ、呪詛のような言葉。 『 死んでしまえ 』 と。 黒瀬は人を意のままに操る能力を手に入れたのだ。 それはずっと顔色を伺い、跪くしかなかった抑圧された黒瀬にとって快感だった。 自分を抑圧してきたすべてを、跪かせてやる――― 黒瀬は混乱に乗じて、科学タワーより姿を消した。 それから黒瀬は、対能力者部隊によって特殊収容所に収監されるまで 気に入らなかった者を操り殺害し続け、仕舞いには気分で殺人を続けた。 能力は黒瀬の性格を歪め、手のつけられない殺戮者となっていた。 だが、黒瀬の能力もスーパーコンクリートXの前では無力であり 全面スーパーコンクリートXに覆われた個室に押し込められてからは大人しくしていた。 この独房に押し込められてから、一度も開いたことのない扉の鍵が開いた。 外がどうも騒がしい。 扉を開け様子を伺うと、看守たちは殺され、囚人たちであふれかえっていた。 「なるほど、面白そうなことになってるじゃないか。」 黒瀬はにやあと笑い、囚人たちの波にまぎれこんだ。 【能力】 半径7m以内にいる人を思い通りに操ることができる。複数人可。 相手に対してこうなれ、こうしろと念じた時点で即発動。 操った相手自身は思考できなくなり、木偶人形のようになる。 操った相手を盾にしたり、攻撃させたりも可。 間に障害物があっても能力に問題はない。 ただし、スーパーコンクリートXに全面囲われた部屋から外へは能力を発揮できない。 収監当時から個室にいたため、能力や能力の及ぶ範囲などは他囚人には知られていない。 【武器】 看守から奪った型違いのリボルバー二丁 【弱点】 身を守ることが自分ではできないこと。 護身術程度はできるが、銃弾などが飛んできた場合は周りの人間を操り盾にするくらいしかできない。 普段は攻撃される前に操る。攻撃が最大の防御となる。 【性格】 以前は気弱だったが、能力を手に入れたことにより豹変。 すべてを見下し、気に入らなければおもちゃを壊すように人を殺す。 自分以外の人間は、すべて自分の操り人形になってしまえばいいと考えている。 神経質で、服装は黒を好む。