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214年(建安19年) 司隷 河南尹 河内郡 河東郡 弘農郡 京兆尹 馮翊郡 扶風郡 豫州 潁川郡 伏皇后?が廃される。(魏書・武帝記) 皇帝:劉協? 丞相:曹操 汝南郡 梁国 沛国 陳国 魯国 冀州 魏郡 鉅鹿郡 常山国 中山国 安平国 河間国 甘陵国 趙国 勃海郡 [亠兌]州 陳留郡 東郡 東平国 任城国 泰山郡 済北国 山陽郡 済陰郡 徐州 東海郡 琅邪国 彭城国 広陵郡 下[丕β]国 青州 済南国 平原郡 楽安国 北海国 東莱郡 済国 荊州 有力者:関羽? 劉備は益州を平定すると関羽を督荊州とした。(蜀書・関羽伝) 南陽郡 南郡 江夏郡 零陵郡 桂陽郡 武陵郡 長沙郡 揚州 九江郡 この年、曹操は孫権を征討し、合肥に駐屯、この年中に帰還したとある。(魏書・武帝記) 丹陽郡 廬江郡 孫権は晥を落とし、廬江太守の朱光?を捕らえた。(呉書・呉主伝) 会稽郡 呉郡 予章郡 益州 刺史:劉璋?→劉備 漢中郡 巴郡 益州が平定されると張飛は巴西太守となった。(蜀書・張飛伝) 巴西太守:張飛? 広漢郡 劉備は劉循?が守る雒を落とす。(蜀書・先主伝) 有力者:劉循? 蜀郡 劉備は成都を落とし蜀を平定。益州刺史となる。(蜀書・先主伝) [牛建]為郡 牂牁郡 越[山雋] 益州郡 永昌郡 広漢属国 蜀郡属国 [牛建]為属国 涼州 隴西郡 夏侯淵?は抱罕を攻撃して宋建?を斬る。(魏書・武帝記) 有力者(河首平漢王):抱罕県:宋建? 漢陽郡 夏侯淵?は興国を落とす。 武都郡 金城郡 韓遂?は敗れて金城に戻り、千万?の部落に入って羌族の騎兵一万を得る。夏侯淵?と戦うが敗れて西平に逃走。(魏書・武帝記) 有力者:韓遂? 安定郡 校尉の范陵?を羌族の地に派遣すると、彼は羌族と結んで自分を属国都尉に任命するよう要求した。(魏書・武帝記) 太守:毋丘興? 北地郡 武威郡 張掖郡 酒泉郡 敦煌郡 張掖属国 張掖居延属国 并州 上党郡 太原郡 上郡 西河郡 五原郡 雲中郡 定襄郡 雁門郡 朔方郡 幽州 [シ豕]郡 広陽郡 代郡 上谷郡 漁陽郡 右北平郡 遼西郡 遼東郡 玄菟郡 楽浪郡 遼東属国 交州 南海郡 蒼梧郡 郁林郡 合浦郡 交趾郡 九真郡 日南郡
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編集 中尉とは、前漢前期に置かれた朝廷の職官である。京師(京城、首都)とその周辺を警邏し、盗賊に備え、これを捕らえることを司った。 宮中を巡回する衛尉と表裏を為すとされる。名実共に、諸郡の群尉の任を中央において果たした職と言える。 武帝に執金吾と改められ、以後その名が長く用いられる。 なお、王国の軍備を司る長官としては中尉の名が継続して用いられた。 目次 目次 歴史 位 職掌 属吏(前漢)丞 候 司馬 千人 屬官武庫 式道 中壘 寺互 都船 左輔都尉 右輔都尉 所属項目(タグ) 関連項目・人物 詳説結 参照 歴史 中尉は、秦官。漢初これを承ける。 武帝元鼎四年、二輔都尉(左輔都尉、右輔都尉)が左内史・右内史に移る。 太初元年、名を更めて執金吾。 位 卿、一人。秩中二千石。 職掌 京師を徼循するを掌る。 徼は遮繞を謂うなり。いわゆる遊徼。徼循して盗賊を禁じ備えるなり。 属吏(前漢) 丞 二人、千石。 候 司馬 千人 それぞれ部隊を率いる。 将軍制等によれば、編成の上級単位である部を率いるのが部司馬、その下の単位である曲を率いるのが候、千人という順序となる。 屬官 武庫 (前漢) 武庫令 一人。 武庫丞 三人。 式道 式、表也。(顔師古) 車駕が出づれば前に在りて道を清めることを掌る。還れば麾を持ち宮門に至り、門乃ち開く。 式道中候 秩六百石。 丞、一人。 式道左候 秩六百石。 丞、一人。 式道右候 秩六百石。 丞、一人。 中壘 中興して省く。 中壘令 一人。 中壘尉 二人。 寺互 獄令、治水の官なり。 初め、寺互は少府に属し、中ばは主爵に属し、後に中尉に属す。 中興して省く。 寺互令 一人。 寺互丞 一人。 都船 獄令治水の官なり。 中興して省く。 都船令 一人。 都船丞 三人。 左輔都尉 諸郡都尉の如く。左馮翊の武職甲卒を典(つかさ)る。 治所は左馮翊高陵県。 尉、丞、兵卒が有り 武帝元鼎四年、左内史に移る。 右輔都尉 諸郡都尉の如く。右扶風の武職甲卒を典(つかさ)る。 治所は右扶風郿県。 尉、丞、兵卒が有り 武帝元鼎四年、左内史に移る。 所属項目(タグ) 中二千石 中尉 卿 執金吾 尉 職官 軍官 関連項目・人物 護軍都尉 執金吾 中尉 詳説 漢王朝が興ると、山東に諸王を封じ、それ以外の地方には郡県を置いて官吏による統治を企図した。郡には長官として郡守(後の太守)があって行政を総括し、また郡尉(後の諸郡都尉)があって徴兵からなる郡兵を統率した。 しかし、京師長安県周辺五十数県の広い地域には郡守は置かれず、朝廷の中都官による直轄統治が行われた。言わば『京師圏』(後に三輔と呼ばれる)に於いて文治を担当したのが内史であり、武事を担当したのが中尉であった。 中尉の後身となる執金吾は、 「仕官するなら執金吾、妻を娶らば陰麗華」 と、長安にてその車騎の甚だ盛んなことを見た若き光武帝が嘆じたことで有名であるが、その設置当初の中尉期に於いては楚漢戦争の余韻を持ち多数の精兵を擁した堂々たる武官職であった。 既に淮南王英布の乱に対して、 上郡、北地、隴西の車騎、巴蜀の材官及び中尉の卒三万人を発し、皇太子の衛と為して霸上に軍す。(高帝紀十一年) とあり、さらに、 五月、匈奴が北地に入居し、河南に寇を為す。 上は甘泉に幸し、丞相灌嬰を遣わして匈奴を撃ち、匈奴は去る。中尉の材官を発して衛将軍に属し、長安に軍す。(文帝紀三年) 六年冬十月,隴西、天水、安定の騎士、及び中尉、河南、河內の卒十萬人を発し、将軍李息、郎中令徐自を遣わして西羌を征するを為す。これを平げる。(武帝紀元鼎六年) と、有事にあって中尉の領する兵力が皇帝と別働して京師の守備に就いたり、征伐の主戦力となったことが見て取れる。 また、中尉自らも、 十四年冬、匈奴が邊を寇し、北地都尉卬を殺す。 三将軍を遣わし隴西、北地、上郡に軍す。中尉周舍が衛将軍となり、郎中令張武が車騎将軍となり、渭北に軍す。車千乗、騎卒十万人。(文帝紀十四年) 景帝中三年秋、蝗。これより先、匈奴が邊を寇す。中尉不害、車騎・材官士を将い、代の高柳に屯す。(五行志第七中之下/聽羞) 衛尉李広が驍騎將軍と為り雲中に屯し、中尉程不識車騎將軍と為り鴈門に屯す。六月に罷。(武帝紀元光元年) 秋、東越王餘善が反し、漢の将吏を攻め殺す。橫海将軍韓説、中尉王音舒を遣わし会稽に出、樓船将軍楊僕が豫章に出、これを撃つ。(武帝紀元鼎六年) と、将軍号を帯びて出征することがあった。この場合、中尉本来の兵力が主体になったと想像できる。 一方、中尉の平時での職掌は盗賊を禁じることであるが、史書には姦猾を検挙し断罪した例が見られる。 後會更五銖錢白金起,民は姦を為し、京師尤も甚し。乃ち縱を以って右內史と為し、王音舒を中尉と為す。(酷吏伝/義縱) 遷って河内太守と為る。……河內の豪姦の家を皆知り……捕郡中の豪猾を捕らえ、相連坐すること千余家。……上はこれを聞き、以って能と為し遷して中尉と為す。その治、また河内に放(なら)い……。 温舒、また中尉となる。……吏は淫悪な少年を苛察し、缿(密告の道具)を投げ告を購い姦を言わせ、伯落の長を置き以って姦を収め司った。……姦猾は治を窮め、大抵盡()く獄中に靡爛し(尽き果て)、論を行って出る者無し。 是の時、上方通天臺を作るを欲するも而して未だ人有らず。温舒は中尉の脱卒を覆すことを請い、数万人の作を得た。(酷吏伝/王溫舒) これらの検挙は、地方では諸郡都尉の管轄であったから、中尉とはまさに「中央の都尉」であった。 その所有する主兵力もまた諸郡都尉と同じく、管轄の県・郷里から徴兵された士卒で編成されていたと推定される。 漢代、郡県制が敷かれた地域の戸口には徴兵制が敷かれ、正となった者は一年間は衛士として宮廷を衛護する他、材官・騎士等として郡に務めて諸郡都尉の指揮下に入ることが知られている。しかし、中尉の担当する『京師圏』にて彼ら材官・騎士を引き受ける職官が何者か、史書には記されていない。ただ京輔、右輔、左輔の三つの輔都尉が中尉に所属したと百官表が記している。 この輔都尉は、同じく百官表で、元鼎四年「更めて二輔都尉を置く」ともされる(元鼎四年の時点で、京師周辺の行政は右内史・左内史の言わば「二輔」が司っており、「三輔」はまだ成立していない)。 しかし、東方朔伝では、武帝期初頭の建元三年に右輔都尉の記述が確認されるため、当初の輔都尉二者は中尉に属し、元鼎四年後に二輔の行政長官各位の所属に「更め」られたのだと言える。上記の王溫舒伝にも、溫舒が中尉部の「脱卒」を集めて数万人を得た事から、管轄地の徭役を総督する地位にあったことが分かるのである。 また、濱口重國氏らは、漢初に京師守備に重要な役割を果たした南北軍のうち、北軍とは中尉の率いる軍であったとする。南北軍の詳細については諸説があり一致を見ておらず、中尉と北軍を直接結び付ける記録も見つかっていないが、この仮説を後押しする記述として、武帝期後期に高官となった江充の事跡がある。 拜して直指繡衣使者と為り、三輔の盜賊を督し踰侈(奢侈が度を越すこと)を禁察す。貴戚・近臣に奢僭多く、充みな挙劾せり。車馬を没入し、身は北軍に待して匈奴を撃たんと令するよう奏請す。 直指繡衣は常制の官では検挙できない盗賊や姦猾を捕らえる皇帝の使者である。この使者が三輔という中尉の管轄で中尉の職責を代行し、その罪人を北軍の士卒にしたことは北軍と中尉の関係の深さを推測させる。 また、『百官表』にて北軍の壘営を掌るのは公卿に属さない中壘校尉とされるものの、この中壘校尉が設置されるのは武帝期であり、一方で中尉の属には中壘令という類似した名の職官が記されている。 結 仮説も含めて中尉の歴史を概観すれば以下のようになる。 漢初の中尉は、後の三輔に当たる『朝廷直轄圏』の五十数県から徴兵された士卒によって編成された常備兵団の司令官であった。 平時には『直轄圏』の政事・軍事を内史と言わば「縦割り」して分掌し、長安城内を守備すると共に圏内の盗賊・姦猾を取り締まって「中央の郡尉」に相当した。その広大な地域を掌握するため、(漢初から存在したかは不明であるが)右輔、左輔の輔都尉が分置された。その長安城内の屯営は中壘と呼ばれたと思われるが、常備兵の他に毎年の徴兵によって教練を受けた士卒が民間に累積していくため、その予備役を合わせれば数万の大兵力になったと考えられる。 しかし武帝期以降、京師周辺の治安の向上や匈奴の脅威の低下によって、中尉に大きな権限を集中する必要がなくなる。まず元鼎四年、二つの輔都尉が右内史・左内史の管轄に移り、太初元年には行政区分が京兆尹、右扶風、左馮翊に三分され、大きく縦割りされていた政事軍事の権限は三者に細分化されることになる。同年、中尉が執金吾と改称され、軍官を示す「尉」の字を除かれる。同じ頃、中壘校尉が設置され、北軍の主要屯営であった「中壘」も皇帝の直轄に移管される。 執金吾と改称して以降も、姦猾を督し(酷吏伝/尹賞)たり、節を持し兵を将いて胡を撃った(奉世輒伝)例から、諸々の権限が一時に失われたとも思われないが、前漢後期にかけて執金吾は当初の大兵力と諸郡都尉に相当する城壁外の盗賊・姦猾を検挙する職責を失っていき、光武帝が長安を詣でた新代には「仕官するなら執金吾」と気楽に言われるような、華々しい車騎を伴って長安城内を巡回し、重責と言えば武庫を守る程度の顕職となっていたのだろう。 ただし、続く後漢代に於いてもまた、執金吾はその時代故の特殊な役割を果たすことになる。 参照 秦漢隋唐史の研究〈上巻〉 編集 -
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219年(建安24年) 司隷 河南尹 河内郡 河東郡 弘農郡 京兆尹 馮翊郡 扶風郡 豫州 潁川郡 許県摩陂:曹操は摩陂に駐留。(魏書・武帝記) 汝南郡 梁国 沛国 陳国 魯国 冀州 魏郡 魏王:曹操 王太子:曹丕 魏諷?が反乱を起こすが曹丕に鎮圧された。(魏書・武帝記) 鉅鹿郡 常山国 中山国 安平国 河間国 甘陵国 趙国 勃海郡 [亠兌]州 陳留郡 東郡 東平国 任城国 泰山郡 済北国 山陽郡 済陰郡 徐州 東海郡 琅邪国 彭城国 広陵郡 下[丕β]国 青州 済南国 平原郡 楽安国 北海国 東莱郡 済国 荊州 南陽郡 宛県:反乱を起こし宛に篭っていた侯音?は曹仁?に斬られた。(魏書・武帝記) 南郡 襄陽県樊城:関羽?が曹仁?の篭る樊城を包囲。于禁?が援軍として派遣されるが、漢水の氾濫もあり于禁は投降。さらに徐晃?を派遣。孫権が関羽の背後を突き、徐晃は関羽を退却させる。(魏書・武帝記) 南郡太守:麋芳?(蜀書・関羽伝) 有力者(公安県):士仁?(蜀書・関羽伝) 呉は麋芳、士仁を降伏させ江陵を占領。臨沮で関羽を討った。(蜀書・関羽伝) 江夏郡 零陵郡 桂陽郡 武陵郡 長沙郡 揚州 九江郡 丹陽郡 廬江郡 会稽郡 呉郡 予章郡 益州 刺史:趙(禺頁)?(魏) 漢中郡 漢中王:劉備 上庸県:有力者:申耽? ベン陽県定軍山:劉備は夏侯淵?を破り、これを討ち取った。(魏書・武帝記) 曹操は漢中に入り劉備と対峙したが後に撤退した。(魏書・武帝記) 劉備は?定軍山で夏侯淵と趙(禺頁)?を斬った。(蜀書・先主伝) 劉封?、孟達?、李厳?を派遣して上庸の申耽を攻撃した。(蜀書・先主伝) 劉備は群臣に推されて漢中王となった。魏延?を漢中の押さえとして配置した。(蜀書・先主伝) 巴郡 広漢郡 蜀郡 [牛建]為郡 牂牁郡 越[山雋] 益州郡 永昌郡 広漢属国 蜀郡属国 [牛建]為属国 涼州 隴西郡 漢陽郡 武都郡 金城郡 安定郡 北地郡 武威郡 張掖郡 酒泉郡 敦煌郡 張掖属国 張掖居延属国 并州 上党郡 太原郡 上郡 西河郡 五原郡 雲中郡 定襄郡 雁門郡 朔方郡 幽州 [シ豕]郡 広陽郡 代郡 上谷郡 漁陽郡 右北平郡 遼西郡 遼東郡 玄菟郡 楽浪郡 遼東属国 交州 南海郡 蒼梧郡 郁林郡 合浦郡 交趾郡 九真郡 日南郡
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ナンバー 名前 実行武将 BOSS戦 クリア時入手アイテム 057 河南郡・弐 曹操 徐盛 荀イク 曹洪 曹植 劉備 夏侯淵 曹操 vs 蹇碩(HP36895) 無双の魂・黄 058 弘農郡・弐 曹操 vs 張譲(HP37678) 無双の魂・黄 059 河東郡・弐 関羽 vs 胡才 無双の魂・黄 060 京兆郡・弐 蔡エン vs 李粛 無双の魂・黄 061 陳留郡・弐 荀イク vs 張バク 無双の魂・黄 062 沛国・弐 孫策 vs サク融(HP37575) 無双の魂・黄 063 山陽郡・弐 姜維 vs 劉岱 無双の魂・黄 064 琅邪国・弐 臧覇 vs 孫観(HP39062) 無双の魂・紫 065 ショウ郡・弐 于禁 vs 黄邵(HP39625) 無双の魂・黄 066 潁川郡・弐 夏侯惇 vs 劉辟(HP46704) 無双の魂・黄 067 南陽郡・弐 馬超 vs 婁圭(HP48945) 無双の魂・黄 068 汝南郡・弐 曹休 vs 劉辟(HP47966) 無双の魂・黄 069 彭城国・弐 張昭 vs 尹礼(HP45184) 無双の魂・黄 070 下ヒ・弐 臧覇 vs 孫観 無双の魂・紫 071 東郡・弐 郭嘉 vs 田氏(HP46980) 無双の魂・黄 072 済南国・弐 周倉 vs 裴元紹(HP43862) 無双の魂・黄 073 河内郡・弐 曹彰 vs 張燕(HP48505) 無双の魂・無双の魂・ 074 上党・弐 曹操 vs 張燕(HP55605) 無双の魂・ 075 北海国・弐 太史慈 vs 管亥(HP54418) 無双の魂・ 076 晋陽郡・弐 張遼 vs 軻比能 無双の魂・ 077 代郡・弐 曹純 vs 烏延(HP40800) 無双の魂・ 078 北平郡・弐 無双の魂・ 079 新野郡・弐 劉シン vs 張武(HP45157) 無双の魂・黄 080 江夏郡・弐 凌統 vs 黄射(HP50805) 無双の魂・紫 081 予章郡・弐 孫権 vs トウ龍(HP42787) 無双の魂・黄 082 南郡・弐 樊氏 vs 蔡氏(HP51525) 無双の魂・紫 083 長沙郡・弐 孫尚香 vs 区星(HP47074) 無双の魂・紫 084 淮陰郡・弐 諸葛恪 vs 劉辟(HP52290) 無双の魂・紫 085 馮翊郡・弐 馬雲リョク vs 呼廚泉(HP52665) 無双の魂・紫 086 新城郡・弐 ホウ徳 vs 楊柏(HP51286) 無双の魂・黄 087 巴東郡・弐 呉懿 vs 徐巨(HP44362) 無双の魂・紫 088 巴西郡・弐 朱桓 vs 錦帆賊長(HP48397) 無双の魂・黄 089 淮南郡・弐 諸葛誕 vs 陳蘭(H48600P) 無双の魂・紫 090 ・弐 無双の魂・
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221年(黄初2年/章武元年(蜀)) 司隷 河南尹 洛陽:皇帝:曹丕 光禄大夫:楊彪?(魏書・文帝記) 尚書:杜畿?(魏書・文帝記) 河内郡 河東郡 王:曹霖?(魏書・文帝記) 弘農郡 京兆尹 鎮西将軍:曹真? 馮翊郡 鄭甘?らが反乱を起こし、曹仁がこれを鎮圧した。(魏書・文帝記) 有力者:鄭甘? 扶風郡 豫州 潁川郡 許昌県:孫権が献上物を持って参内。曹丕は一行を歓待し褒美や官職を与えてこれに応えた。(魏書・文帝記) 汝南郡 梁国 沛国 陳国 魯国 冀州 魏郡 鉅鹿郡 常山国 中山国 安平国 河間国 甘陵国 趙国 勃海郡 [亠兌]州 陳留郡 東郡 東平国 任城国 泰山郡 済北国 山陽郡 済陰郡 鄄城王:曹植?(魏書・文帝記) 徐州 東海郡 琅邪国 彭城国 広陵郡 下[丕β]国 青州 済南国 平原郡 王:曹叡?(魏書・文帝記) 楽安国 北海国 東莱郡 済国 荊州 刺史:夏侯尚?(魏書・文帝記) 孫権は史(合β)?と共に荊州刺史の夏侯尚?に仮に用いていた印綬や牙門旗などを返納した。(魏書・文帝記) ※魏から見れば孫権は勝手にこれらを使っていたのであるが、このときは魏に降伏しているので「仮に使っていた」 という理由にして返却したということだろうか。 南陽郡 襄陽県:車騎将軍→大将軍→大司馬:曹仁? 南郡 太守:史(合β)?(魏書・文帝記) 秭帰県:劉備は秭帰に駐屯。(蜀書・先主伝) 巫県:呉班?・馮習?が李異?を破る。(蜀書・先主伝) 江夏郡 零陵郡 桂陽郡 武陵郡 長沙郡 揚州 九江郡 丹陽郡 廬江郡 会稽郡 呉郡 予章郡 益州 漢中王→皇帝:劉備 漢中郡 巴郡 広漢郡 蜀郡 皇帝:劉備 皇太子:劉禅? 成都で劉備は帝位につく。呉夫人?を皇后、劉禅?を皇太子、劉永?を魯王、劉理?を梁王に任命。呉の征伐に向かう。(蜀書・先主伝) [牛建]為郡 牂牁郡 越[山雋] 益州郡 永昌郡 広漢属国 蜀郡属国 [牛建]為属国 涼州 曹真?は反乱を起こしていた蛮族の治元多?、盧水?、封賞?らを討って鎮圧した。(魏書・文帝記) 隴西郡 漢陽郡 武都郡 金城郡 安定郡 北地郡 武威郡 張掖郡 酒泉郡 敦煌郡 張掖属国 張掖居延属国 并州 上党郡 太原郡 上郡 西河郡 五原郡 雲中郡 定襄郡 雁門郡 朔方郡 幽州 [シ豕]郡 広陽郡 代郡 上谷郡 漁陽郡 右北平郡 遼西郡 遼東郡 太守、車騎将軍:公孫恭? 玄菟郡 楽浪郡 遼東属国 交州 南海郡 蒼梧郡 郁林郡 合浦郡 交趾郡 九真郡 日南郡
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222年(黄初3/章武2/黄武元(呉)) 司隷 河南尹 洛陽県:鄯善、亀茲、于闐の王が朝貢の使者を送ってきたので返礼の使者を送った。(魏書・文帝記) 河内郡 河東郡 弘農郡 京兆尹 馮翊郡 扶風郡 豫州 潁川郡 汝南郡 梁国 沛国 陳国 魯国 冀州 イナゴの被害が大きく、尚書の杜畿?に命じて官倉を開いて人民を救済した。(魏書・文帝記) 魏郡 鉅鹿郡 常山国 中山国 安平国 河間国 甘陵国 趙国 勃海郡 [亠兌]州 陳留郡 東郡 東平国 任城国 泰山郡 済北国 山陽郡 済陰郡 徐州 東海郡 琅邪国 彭城国 広陵郡 下[丕β]国 青州 済南国 平原郡 楽安国 北海国 東莱郡 済国 荊州 南部の孫権領を荊州、残りの北部を郢州(えいしゅう)とした。しかし孫権が反逆するとこれを取り消した。(魏書・文帝記) 蜀の将黄権?は魏に降伏した。(魏書・文帝記) 南陽郡 宛県:曹丕は宛に駐屯。(魏書・文帝記) 南郡 夷道県:劉備は夷道に進軍。黄権?を夷陵に派遣して呉軍に対峙させる。陸遜?に大敗して退却する。(蜀書・先主伝) 巫県:劉備は永安から巫に移動、孫権と和睦。(蜀書・先主伝) 江陵県:曹真?・夏侯尚?・張(合β)?・徐晃?が南郡を攻撃。(魏書・文帝記) 江夏郡 零陵郡 桂陽郡 武陵郡 馬良?は武陵郡の蛮族を慰撫。(蜀書・先主伝) 長沙郡 揚州 九江郡 丹陽郡 廬江郡 濡須口:曹仁?が濡須口を攻撃。(魏書・文帝記) 朱桓?がこれを迎撃。(呉書・孫権伝) 洞口:曹休?・張遼?・臧覇が洞口を攻撃。(魏書・文帝記) 呂範?がこれを迎撃。(呉書・孫権伝) 会稽郡 呉郡 予章郡 益州 漢中郡 巴郡 永安県:劉備は陸遜?に破られて魚腹に退却。魚腹を永安と改名する。(蜀書・先主伝) 広漢郡 蜀郡 [牛建]為郡 牂牁郡 越[山雋] 益州郡 永昌郡 広漢属国 蜀郡属国 [牛建]為属国 涼州 西域との交通が再び開けたので戊己校尉を設置した。(魏書・文帝記) 隴西郡 漢陽郡 武都郡 金城郡 安定郡 北地郡 武威郡 張掖郡 酒泉郡 敦煌郡 張掖属国 張掖居延属国 并州 上党郡 太原郡 上郡 西河郡 五原郡 雲中郡 定襄郡 雁門郡 朔方郡 幽州 [シ豕]郡 広陽郡 代郡 上谷郡 漁陽郡 右北平郡 遼西郡 遼東郡 玄菟郡 楽浪郡 遼東属国 交州 南海郡 蒼梧郡 郁林郡 合浦郡 交趾郡 九真郡 日南郡
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田虎討伐戦-E “田虎討伐戦” ステージ構成・・・マップ左上に威勝城、マップ中央に銅〔金是〕山 上端に綿山、右端に襄垣城 梁山泊軍:★宋江-馬霊、孫安(マップ下端から) ●花栄、●林冲、●董平-杜興、●史進-穆弘(イベント1後、綿山の麓から) ●瓊英-郁保四、解珍、解宝(イベント9後、威勝城の前から) ●李逵-武松(イベント7後、襄垣城内部から) ●張清-葉清(イベント7後、田虎軍の全羽から梁山泊軍の張清へと変わる) ●魯智深-劉唐、●鮑旭-李袞、項充(イベント5後、銅〔金是〕山の上方から) 田虎軍:★田虎-唐昌、胡英、葉清(威勝城の前から。イベント7後、葉清は梁山泊軍に寝返り) ●李天錫-薛時、林昕、鄭之瑞(威勝城の前から) ●卞祥-管淡、馮翊、呂振(威勝城東門前から、綿山方面へ) ●樊玉明-魚得源、傅祥、顧愷(威勝城東門前から、綿山方面へ) ●田豹-精鋭兵長、●田彪-精鋭兵長、●田定-護衛兵長(威勝城内部から) ●全羽(イベント6後、銅〔金是〕山の右方から) イベント・・・1:奇襲-田虎軍の部隊が綿山に差し掛かると、梁山泊軍の部隊が奇襲を掛けて来る 2:卞祥の武-史進と卞祥、花栄が接触すると、史進と卞祥が一騎討ちを始め 卞祥の腕前を見た花栄が、殺すのは惜しいと、横から矢を撃つのを止める 3:田虎出陣-開始から一定時間後、 田虎と李天錫の部隊が銅〔金是〕山方面へ移動を始める 4:田虎後退-イベント3後、田虎部隊が銅〔金是〕山より南に来ていて 田虎軍の部隊が2部隊以上撃破されると 田虎が梁山泊軍の勢いに押されて後退し始める 5:伏兵-イベント4後、田虎が銅〔金是〕山まで差し掛かると 梁山泊軍の伏兵が銅〔金是〕山の北に現れて、威勝城までの道を塞ぐ 李天錫とその配下部隊はそのまま銅〔金是〕山に立て篭もる 6:救援-イベント5後に一定時間後、田虎軍の援軍に全羽が駆けつける 一先ず襄垣城へ向かうように、田虎を誘導し始める 7:袋の鼠-イベント6後、田虎が襄垣城に入ると、城内は梁山泊の手に落ちていて 李逵の部隊が現れ、全羽が正体を明かし、梁山泊軍の張清になる 同時に葉清も梁山泊軍に戻る 8:瓊英の母-イベント7後、田虎が襄垣城から出ようとすると 瓊英の母の霊が道を阻み、田虎を出られなくする 9:瓊英登場-イベント7後に一定時間後、威勝城付近に潜伏していた瓊英が 痺れを切らして威勝城に突入する 10:仇討ち-瓊英が田氏一族の部隊を一部隊でも撃破すると 仇討ちの一部を果たしたことを喜び、涙を流す 勝利条件・・・梁山泊軍:田氏一族の壊滅 田虎軍:宋江の撃破 敗北条件・・・梁山泊軍:宋江、もしくは瓊英の敗走 田虎軍:田氏一族の全滅
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220年(建安25年・延康元年/黄初元年(魏)) 司隷 河南尹 洛陽で曹操が死去。(魏書・武帝記) 曹丕は魏の都を洛陽に定める。(魏書・文帝記) 河内郡 劉協?は山陽県に封じられ、山陽公となる。(魏書・文帝記) 河東郡 弘農郡 京兆尹 馮翊郡 有力者:鄭甘?、王照? 鮮卑族の鄭甘?と王照?が帰順。(魏書・文帝記) 扶風郡 豫州 潁川郡 皇帝:劉協?→曹丕 曹丕は漢から禅譲を受けて皇帝に即位する。(魏書・文帝記) 汝南郡 梁国 沛国 陳国 魯国 冀州 魏郡 魏王:曹操→曹丕(魏書・文帝記) 太尉:賈(言羽)? 相国:華(音欠)? 御史大夫:王朗? 大将軍:夏侯惇? 左中郎将:李伏? 鎮南将軍:張魯? 侍中:劉(广異)?、辛(田比)?、劉曄? 尚書令:桓階? 尚書:陳矯?、陳羣? 給事黄門侍郎:王毖?、董遇? 太史丞:許芝? 散騎常侍:傅巽?、衛臻? 給事中博士騎都尉:蘇林?、董巴? 督軍御史中丞:司馬懿? 侍御史:鄭渾?、羊秘?、鮑勛?、武周? 輔国将軍:劉若? ※上記すべて(魏書・文帝記) 鉅鹿郡 常山国 中山国 安平国 河間国 甘陵国 趙国 勃海郡 [亠兌]州 陳留郡 東郡 白馬県令:李雲(魏書・文帝記) 東平国 任城国 泰山郡 済北国 山陽郡 済陰郡 徐州 東海郡 琅邪国 彭城国 広陵郡 下[丕β]国 青州 済南国 平原郡 楽安国 北海国 東莱郡 済国 荊州 南陽郡 南郡 江夏郡 零陵郡 桂陽郡 武陵郡 長沙郡 揚州 九江郡 丹陽郡 廬江郡 会稽郡 呉郡 予章郡 益州 漢中郡 上庸県:孟達?が蜀を離反して魏に帰順。魏は孟達を新城太守に任命。 巴郡 広漢郡 蜀郡 [牛建]為郡 牂牁郡 越[山雋] 益州郡 永昌郡 広漢属国 蜀郡属国 [牛建]為属国 涼州 蘇則?は郝昭?らと共に麹演?、黄華?、張進?らの反乱を平定。(魏書・蘇則伝) 隴西郡 漢陽郡 帰順した(氏一)族の王楊僕?が移住(魏書・文帝記) 武都郡 (氏一)族の王である楊僕?が帰順(魏書・文帝記) 金城郡 太守:蘇則?(魏書・文帝記) 西平郡:有力者:麹演?(魏書・蘇則伝) 安定郡 北地郡 武威郡 太守:毋丘興?(魏書・蘇則伝) 張掖郡 太守:杜通?(魏書・蘇則伝) 有力者:張進?(魏書・蘇則伝) 酒泉郡 太守:辛機?(魏書・蘇則伝) 有力者:黄華?(魏書・蘇則伝) 敦煌郡 張掖属国 張掖居延属国 并州 上党郡 太原郡 上郡 西河郡 五原郡 雲中郡 定襄郡 雁門郡 朔方郡 幽州 [シ豕]郡 広陽郡 代郡 上谷郡 漁陽郡 右北平郡 遼西郡 遼東郡 玄菟郡 楽浪郡 遼東属国 交州 南海郡 蒼梧郡 郁林郡 合浦郡 交趾郡 九真郡 日南郡
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215年(建安20年) 司隷 河南尹 河内郡 河東郡 弘農郡 京兆尹 馮翊郡 扶風郡 曹操軍は漢中討伐のために陳倉に着陣。(魏書・武帝記) 豫州 潁川郡 汝南郡 梁国 沛国 陳国 魯国 冀州 魏郡 鉅鹿郡 常山国 中山国 安平国 河間国 甘陵国 趙国 勃海郡 [亠兌]州 陳留郡 東郡 東平国 任城国 泰山郡 済北国 山陽郡 済陰郡 徐州 東海郡 琅邪国 彭城国 広陵郡 下[丕β]国 青州 済南国 平原郡 楽安国 北海国 東莱郡 済国 荊州 劉備と孫権の間に領土紛争が勃発。呂蒙?が長沙、零陵、桂陽の三郡を奪うと劉備・関羽?が出陣。 しかし曹操が漢中を奪った知らせを受けて両者は講和を結び江夏・長沙・桂陽を孫権領、 零陵・武陵・南郡を劉備領とした。(蜀書・先主伝) 南陽郡 南郡 劉備は呂蒙?が長沙、零陵、桂陽の三郡を奪うと五万の軍を率いて公安に駐屯。(蜀書・先主伝) 協定により劉備領となる。(蜀書・先主伝) 江夏郡 協定により孫権領となる。(蜀書・先主伝) 零陵郡 太守:郝普? 郝普?は荊州に攻め込んだ呂蒙?に謀られて降伏。協定により劉備領となる。(蜀書・先主伝) 桂陽郡 呂蒙?は桂陽を落とす。協定により孫権領となる。(蜀書・先主伝) 武陵郡 協定により劉備領となる。(蜀書・先主伝) 長沙郡 呂蒙?は長沙を落とす。協定により孫権領となる。(蜀書・先主伝) 揚州 九江郡 合肥県:盪寇将軍張遼?、折衝将軍楽進?、破虜将軍李典(魏書・張遼伝、楽進伝、李典伝) 合肥で張遼?・李典・楽進?らが孫権と戦い、孫権は撤退。撤退時に追撃を受け孫権は危うく命を落とすところであった。(魏書・武帝記、呉書・呉主伝) 丹陽郡 廬江郡 会稽郡 呉郡 予章郡 益州 漢中郡 漢中太守:張魯? 曹操軍は陽平関を突破し張魯?は巴に逃亡。南鄭に入る。後に張魯は曹操に帰順。(魏書・武帝記) 巴郡 張魯?は巴に逃亡。劉備は黄権?を派遣して張魯を迎えようとするが、先に曹操に帰順した。(蜀書・先主伝) 張(合β)?は巴に攻め込む(魏書・武帝記)が、宕渠で張飛に敗れた(蜀書・先主伝)。 有力者:張魯? 広漢郡 蜀郡 [牛建]為郡 牂牁郡 越[山雋] 益州郡 永昌郡 広漢属国 蜀郡属国 [牛建]為属国 涼州 隴西郡 漢陽郡 武都郡 河池県:有力者:竇茂? 曹操軍は武都で(氏一)族を征討。河池で(氏一)王の竇茂?を破る。(魏書・武帝記) 金城郡 安定郡 北地郡 武威郡 張掖郡 酒泉郡 敦煌郡 張掖属国 張掖居延属国 并州 上党郡 太原郡 上郡 西河郡 五原郡 雲中郡 定襄郡 雁門郡 朔方郡 幽州 [シ豕]郡 広陽郡 代郡 上谷郡 漁陽郡 右北平郡 遼西郡 遼東郡 玄菟郡 楽浪郡 遼東属国 交州 南海郡 蒼梧郡 郁林郡 合浦郡 交趾郡 九真郡 日南郡
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編集 徒隸を掌るを以って而して巡察す、故に司隸と云う。(顔師古) 司隷校尉(司隸校尉)とは、前漢代中期以降に置かれた朝廷の職官である。 初期は徒隸(奴隷となった刑徒)を率い、皇太子、三公以下、諸侯、官吏、民の非法を余すところなく検挙する官であったが、やがて京師周辺の諸郡を監察する州刺史に近い職となっていく。 本職が監督することとなった三輔(*1)、三河(*2)、弘農郡の七つの尹郡を司隷校尉部、または司隷、司州と称する。 目次 目次 歴史 位 職掌 属吏(前漢)中都官徒 属吏(後漢)従事史都官従事 功曹従事 別駕従事 簿曹従事 兵曹従事 諸郡国従事 仮佐門亭長 門功曹書佐 孝経師 月令師 律令師 簿曹書佐 都官書佐 諸典郡書佐 属郡(両漢) 属郡(晋) 所属項目(タグ) 関連項目・人物 詳説 歴史 司隷は、故は周官。 漢では武帝征和四年、初めて司隷校尉を置く。後にその兵を罷める。 元帝初元四年、節を取り去る。 成帝元延四年、省く。 哀帝元壽二年、また置く。ただ司隸と為し、冠は進賢冠、大司空に属し、地位は司直に比す。 光武帝建武年間、また置く。一州を并せ領す。 位 (前漢) 一人、秩二千石。 大司空に属して以後は、司直に比すのならば秩比二千石か。 (後漢) 一人、秩比二千石。 職掌 (前漢) 巫蠱を捕らえ、大姦猾を督し、三輔、三河、弘農を察す。 (後漢) 京師、外部諸郡を典(つかさど)り、所糾さざる所無し。封侯、外戚、三公以下、尊卑無し。宮に入れば、中道を開き使者を称す。会ごと、後に到りて先に去る。 属吏(前漢) 中都官徒 千二百人。 後に罷める。 属吏(後漢) 従事史 十二人。 都官従事 百官の法を犯す者を察し挙げることを主る。 洛陽百官の朝会を主ること、三府掾と同じく。 多く河内に出、貴戚を掊撃す。 功曹従事 州(司隷)の選署(人事)、及び衆事を主る。 別駕従事 校尉が部を行けば則ち奉引し、衆事を録す。 簿曹従事 財、穀の簿書を主る。 兵曹従事 軍事が有れば置く。兵事を主る。 諸郡国従事 郡国ごと各一人。 文書を督促し、非法を察挙することを主る。みな州自ら辟除し、故に通り為して百石と云う。 仮佐 二十五人。 簿録、閤下事を主り、文書を省る。 門亭長 州正を主る。 門功曹書佐 選用を主る。 孝経師 試経の監を主る。 月令師 時節の祠祀を主る。 律令師 法律を平らかにすることを主る。 簿曹書佐 簿書を主る。 都官書佐 諸典郡書佐 郡国ごと一人。 おのおの一郡の文書を主る。 郡吏を以って補し、歳満ちて一更(一交替)す。 属郡(両漢) 京兆尹 河南尹 右扶風 左馮翊 河内郡 河東郡 弘農郡 属郡(晋) 河南郡 滎陽郡 弘農郡 上洛郡 平陽郡 河東郡 汲郡 河内郡 広平郡 陽平郡 魏郡 頓丘郡 所属項目(タグ) 二千石 司州 司隷 察 尉 校尉 比二千石 督 節 職官 関連項目・人物 「司隷校尉」をタグに含むページは1つもありません。 詳説 節を持し、中都官の徒千二百人を従え、本来天子の詔勅が必要な官吏をも独断で捕縛し、盗賊や姦猾を自ら討つ力を有すも、この二者はやがて剥奪される。 編集 -