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トップページ>韓国 韓国の韓国関連文献 『韓国近現代史研究』:韓国近現代史学会韓国近現代史研究 61-80 韓国近現代史研究 41-60 韓国近現代史研究 21-40 韓国近現代史研究 1-20 『韓国古代史研究』:韓国古代史学会韓国古代史研究 61-80 韓国古代史研究 41-60 韓国古代史研究 21-40 韓国古代史研究 1-20 『韓国史学報』:高麗史学会韓国史学報 41-60 韓国史学報 21-40 韓国史学報 1-20 『韓国史研究』:韓国史研究会韓国史研究 161-180 韓国史研究 141-160 韓国史研究 121-140 韓国史研究 101-120 韓国史研究 81-100 韓国史研究 61-80 韓国史研究 41-60 韓国史研究 21-40 韓国史研究 1-20 『韓国史論』:ソウル大学校国史学科韓国史論 41-60 韓国史論 21-40 韓国史論 1-20 『韓国独立運動史研究』:独立記念館韓国独立運動史研究所韓国独立運動史研究 41-60 韓国独立運動史研究 21-40 韓国独立運動史研究 1-20 『韓国文化』:ソウル大学校奎章閣韓国学研究院韓国文化 61-80 韓国文化 41-60 韓国文化 21-40 韓国文化 1-20 『韓国民族運動史研究』韓国民族運動史学会韓国民族運動史研究 61-80 韓国民族運動史研究 41-60 韓国民族運動史研究 21-40 韓国民族運動史研究 1-20 『奎章閣』:ソウル大学校奎章閣韓国学研究院奎章閣 41-60 奎章閣 21-40 奎章閣 1-20 『国史館論叢』:国史編纂委員会国史館論叢 101-120 ※108巻で停刊 国史館論叢 81-100 国史館論叢 61-80 『史学研究』:韓国史学会史学研究 101-120 史学研究 81-100 史学研究 61-80 史学研究 41-60 史学研究 21-40 史学研究 1-20 『震檀学報』:震檀学会震檀学報 101-120 震檀学報 81-100 震檀学報 61-80 震檀学報 41-60 震檀学報 21-40 震檀学報 1-20 『ソウル学研究』:ソウル市立大学校ソウル学研究所ソウル学研究 41-60 ソウル学研究 21-40 ソウル学研究 1-20 『朝鮮時代史学報』:朝鮮時代史学会朝鮮時代史学報 61-80 朝鮮時代史学報 41-60 朝鮮時代史学報 21-40 朝鮮時代史学報 1-20 『東方学志』:延世大学校国学研究院東方学志 161-180 東方学志 141-160 東方学志 121-140 東方学志 101-120 東方学志 81-100 東方学志 61-80 東方学志 41-60 東方学志 21-40 東方学志 1-20 『独島研究』:嶺南大学校独島研究所独島研究 1-20 『民族文化研究』:高麗大学校民族文化研究院民族文化研究 61-80 民族文化研究 41-60 民族文化研究 21-40 民族文化研究 1-20 『歴史と現実』:韓国歴史研究会歴史と現実 91-100 歴史と現実 81-90 歴史と現実 71-80 歴史と現実 61-70 歴史と現実 51-60 歴史と現実 41-50 歴史と現実 21-40 歴史と現実 1-20
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トップページ>韓国学の学び方 韓国学の学び方 韓国学とは朝鮮半島のことについて過去から現在を扱う歴史学、言語を扱う韓国語(朝鮮語)学、思想・哲学を扱う朝鮮文学、民族の風習・伝統を扱う民俗学、さらには政治、経済、法律、国際関係等、韓国を総体的に知る学問のことです。地域研究の一分野として位置づけられていますが、「私の専門は韓国学です」と銘打っている人はあまりおらず、普通は各分野に細分化されています。よって韓国学を学ぶといっても何らかの分野に分かれて勉強することになります。 学べる場所 あなたが高校生でこれから大学で韓国学を学びたいと思うのであれば、おそらく第一に思い浮かぶのは「韓国語」を学べる所でしょう。東京外国語大学の朝鮮語専攻、神田外語大学の韓国語学科、富山大学の朝鮮言語文化コースなどが知られています。それ以外にも大小の外国語学部(学科)で韓国語が学べるようになっていますので、韓国語専攻はそれほど難しくないはずです。ただ、「韓国語」を専攻とする場合、英語が当然できて第二言語として学ぶことを前提とするべきです。「英語ができないから韓国語を…」という人は就職活動のときにとても辛い思いをするでしょう。 韓国学は「韓国語」を勉強することだけではありません。もし専門としたい分野があれば、外国語学部(学科)よりも専門分野を専攻することを勧めます。たとえば韓国経済を学びたいのであれば、韓国語学部(学科)ではなく経済学部に所属するべきです。各大学のHPで韓国関連の研究をしている研究者がいるかどうかを確認すれば意外と多くの所で韓国学研究をしていることが分かります。この場合、講義は韓国と関係のないものを多く履修しなければならない点で不満になるかも知れませんが、学部生の場合は英語と幅広い知識を第一に勉強するべきで、韓国にこだわっていると就職活動で泣きます。 留学 韓国学を学ぶ最も手っ取り早い方法は直接韓国に留学してその社会を経験することでしょう。留学の仕方については色々な情報がすでに溢れていますで、ここでは注意点のみ紹介します。 語学堂 まず、自費で韓国に直接留学する方法。大抵は大学に付属している語学堂(語学院)に留学することを指します。短いのは夏休みの2週間コースから1セメスターずつ正規で入学することもできます。敷居が低いので若者だけでなくおばちゃん達までも語学堂に籍を置いて韓国滞在を楽しんでいます。語学堂で注意することは、第一に、語学堂はただの語学学校で韓国学を学ぶところではないということです。とある人に語学堂を留学として履歴に紹介したりもしていますが、とても可笑しなことです。AEONやNOVAに通ったことを履歴書に書く人はいないでしょう。俗に「留学」とは呼びますが、語学堂はあくまで「滞在」です。第二に、韓国語を全く知らないで語学堂に行くのはお金の無駄です。少なくてもハングル検定4級に合格する程度でないと、効果がないです。韓国で「カナダラ」や「ハナ、トゥル、セッ」を勉強する意味などないでしょう。さすがにこういう日本人は殆どおらず、初級班は中国人と結婚移民者が多いです。第三に、地方大学の語学堂は絶対に避けるべきです。「日本人のいない環境で~」などという広告に釣られて怪しい大学の語学堂に入ると回りは全員中国人の中でぼっちにされます。またこういう地方大学は拝金主義且つ教育意欲が低いのでまともな授業を受けられず、韓国に対するマイナスイメージだけを持って帰ることになります。お金さえ払えば拒否られることはないので、ソウルの有名大学の語学堂に入ることをオススメします。 交換留学 私が勧めるのは交換留学です。お金はかかりませんし、学校がきちんと手配してくれますので安心です。自費で語学堂に通う人と違うのは「交換留学」という手続きを踏んでいることで学部の授業を正規に履修できることにあります。交換留学の場合も最初は語学堂に入ることになるので、地方大学の場合は先輩などの情報に注意する必要があります。ハングル検定4級くらいで留学し普通に勉強すれば、半年で韓国語能力試験6級が取れます。韓国学を勉強するためには次の半年で学部の授業を履修する1年コースの留学が必要でしょう。卒業が遅れるかも知れませんが、きちんと勉強すればけっして後悔はありません。 入学 学部に最初から、または3年次に編入学する人がたまにいます。どういう事情なのかは分かりませんが、私はお勧めできません。韓国の学部に入学するメリットがないからです。あなたが日本人で日本で就職するつもりならば、日本の大学で日本の教養を身につけるべきであり、韓国人と同じ価値観に染まる必要はありません。更に韓国でしか学べないものが特にないからです。強いて言えば韓国語が上手になる事くらいでしょうか。しかし、韓国語が上手であることは就職には関係がありません。あくまで韓国語は英語の次の第二言語です。「韓国の文学部を出ました」となれば、日本で就職先はありませんし、韓国で外国人を雇う企業があるでしょうか? 恐ろしい冒険をしたくなければ、日本の大学を出るべきでしょう。もし韓国が好きで長期滞在したいのであれば、自費で語学堂に籍を置けばいいのです。 大学院 ただし、大学院の場合は高度な専門性を学ぶため正規入学をすることも可能でしょう。この場合は韓国学研究者志望であることが第一条件です。モラトリアムで遊びに大学院にいる(中年の)人も見かけますが、日本人の質が落ちるので正直迷惑です。さて、韓国で高度な専門性を学ぶ価値のある学問は限られているわけで、韓国語学、韓国文学、韓国史学くらいでしょう。この分野は日本で学ぶよりも韓国で学ぶ方が良い場合もあります(そうでないかも知れません)。私の主観では経済学や政治学は結局アメリカからの受け売りであり韓国の大学院で学位を取る必要はないように思えます。なにせその教授陣が皆アメリカで学位を取っているのですから。理工系は私の専門外で全く分かりませんが、アジア系留学生は多いです。しかし日本人がわざわざ韓国で学ぶならいっそアメリカに行くべきだと思います(主観ですが)。よって人文学の中の韓国学のみ韓国で学ぶ価値があると言えるでしょう。 大学院自体は入学が容易で、書類審査のみ、または簡単な面接です。推測するに大学の評価に外国人占有率があるからではないかと思われますが、中国人、日本人よりも英語圏の学生の方が喜ばれるのが実状です。入るのはそれほど難しくありませんが、韓国の場合、修士卒業は普通3年以上かかります。えっ?と思われるかもしれませんが、3年で卒業できるとよくできる方です。4~5年かかって卒業する場合も珍しくありません。言語学や言語教育学は語学教師養成の意味合いもあって論文らしい論文をかかずとも2年で卒業できるそうですが、歴史学に入ると2年で卒業は不可能でしょう。また、授業はとても厳しく、きっちりとレポートを提出しなければなりません。学期中はほかの事をすることはできず、ましてやアルバイトなどする暇はありません。そして何よりきついのが卒業条件に総合試験という専門の試験と語学試験を受けなければならないことです。語学試験は外国人の場合大抵韓国語ですので特に問題はありませんが、専門試験は大学によっては相当難しいです。これらも加わると大学院のハードルはとても高いことが分かります。大学院に入学する前に綿密な研究計画と事前に大量の読書が必要です。 奨学金など 各大学院では優秀な外国人学生を誘致するため外国人に対する奨学金を豊富に提供しています。ただし、優秀な外国人学生とは暗々裏に英語圏の学生を指すもので、大きく期待するべきではありません。さらに昨今韓国人学生達が学費引き下げのデモを繰り広げた余波で外国人学生に対する奨学金が削られる事態になっています。でも貰えるだけ文句が言えないのが辛いところです。 大韓民国政府招請奨学金なるものは学費と生活費(90万ウォン+韓国語優秀者は10万ウォン)が支給されるありがたい奨学金です。昔は韓国に行きたがる人も稀だったので申請さえすれば頂戴することができたらしいのですが、年々採用が厳しくなっています。この奨学金の注意点は、韓国に正規留学をしたことのない人が対象ということです。修士を自費で留学卒業した場合、博士はこの奨学金を使うことができません。また、応募者に対して採用が少なくなったので韓国語ペラペラでないと合格しないのではと思います。 ほかには日本政府が主管する「留学生交流支援制度(長期派遣)」があります。こちらは比較的取りやすいとの情報がありますが、準備にとても時間がかかりややこしいので、よく注意して情報を集める必要があります。また在日韓国人の場合は大小の支援団体がありますので日本人よりも奨学金が得やすいでしょう。 個人的な意見としては日本人は日本の大学に籍をおいて、大学を通じて留学する方がメリットが多く感じます。1年~2年の留学を支援する各種奨学金制度は日本の大学に籍を置いていることを条件にしていることが多いからです。また韓国で学位を取る必要性を十分に考えるべきでしょう。
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トップページ>韓国の漢字あれこれ 韓国の漢字 あれこれ 検索の時に困ります(´・ω・`) 「辦」と「辨」 「辦」は「판」、「辨」は「변」。簡体字ではともに「弁」、日本語読みはともに「べん」。朝鮮では普通に用いる「辦」は、日本ではあまり使われないため、たいてい「辨」や「弁」に置き換えられています。朝鮮の役職名に「協辦」というものがありますが、明治の人が「協辨」と記述したために、今も日本史畑の論文に間違った記述が見られます。 「稙」と「植」 「稙」は「직」、「植」は「식」、日本語読みはともに「しょく」。「稙」は人名でしばしば見られます。これも日本側資料で誤記される代表漢字。有名どころでは金玉均暗殺事件の首謀者「李逸稙」を「李逸植」としたり、新小説の代表「李人稙」を「李人植」としたり。 「羲」と「義」 「羲」は「희」、「義」は「의」、日本語読みはともに「ぎ」。「羲」はご存知「王羲之」の「羲」です。人名でよく間違えられる漢字で、明治資料ではたいてい「義」となっています。 「鍾」と「鐘」 「鍾」「鐘」ともに「종」、日本語読みは「しょう」。固有名詞で混乱が見られます。「鍾路」を「鐘路」としたり。人名用漢字では「鍾」が優勢ですが、たまに「鐘」を用います。「鍾」であれ「鐘」であれ、固有名詞は正しい漢字表記で記述するべきでしょう。 「曺」と「曹」 「曺」「曹」ともに「조」、日本語読みは「そう」。「曺」は姓氏で使用され、「曹」は使用されません。「曺」は日本語フォントにない場合があり、翻訳の時に困りますが、「曹」に置き換えて良いというわけではありません。 「裵」と「裴」 「裵」「裴」ともに「배」、日本語読みは「はい」。韓国の姓氏に用いるこの漢字は韓国でも混同されています。使用例としては「裵」は朝鮮人がよく使い、「裴」は中国人がよく使います。よってどちらも正しいのですが、やはり統一した方が美しい。そこで韓国では「裵」を標準にしようという動きが優勢です。このサイトでも「裵」に統一しています。 翻訳の時に不便です(´・ω・`) 「卨」 「卨」、「설」、日本語読みは「せつ」。人名用漢字です。韓国ではありふれた人名用漢字ですが、日本語フォントに収録されていない場合が多い。 「畓」 「畓」、「답」、日本語読みは「とう」。韓国語では「田畓」という用例で頻出します。「田」とは乾式農地、「畓」とは湿式農地のこと。つまり、「田」が「はたけ」、「畓」が「たんぼ」という意味になります。「畓」も日本語フォントに収録されていない。
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トップページ>紀年論叢>文化で見る韓国史 李泰鎮教授停年紀年論叢刊行委員会 編『文化で見る韓国史 1:社会的ネットワークと空間』太学社、2009年 第1部:交流の日常性と社会的ネットワーク 채웅석「高麗時代科挙を通じた人間関係網形成と拡張」 이병희「高麗時代仏教界のネットワーク」 권기석「15-17世紀族譜刊行参与階層の拡大とその性格」 沈載祐「戸籍に登場する朝鮮時代の人々」 고영진「両班官僚柳希春の関係網」 장동표「朝鮮中期在地士族の暮らしと郷村社会」 김준형「19世紀慶南西部地域樹林の党派的立場と交流様相」 남지대「身分制の枠組みと変動の脈絡」 第2部:都市空間と地域 전덕재「新羅王京の成立と変遷」 김창석「古代の嶺西地域と春川貊国説」 박종진「高麗王朝の首都開京の景観」 윤경진「高麗武臣執権期功臣貫鄕昇格とその方向」 전우용「大韓帝国期ソウルの公共施設と公衆」 고석규「全南の関門、木浦が出会った近代」 홍순권「日帝時期東萊の都市化過程と「住民大会」」 潘炳律「ロシア沿海州13道義軍創設地問題」 李泰鎮教授停年紀年論叢刊行委員会 編『文化で見る韓国史 2:物質文化と農民の暮らし』太学社、2009年 第1部:物質文化、欲望と身体 김종일「韓国青銅器時代男性の身体の形成と象徴構造」 노중국「百済の医・薬技術の発展と寺刹の医療活動」 윤선태「韓国古代木簡の世界」 권영국「高麗時代塩の生産と流通」 정영식「朝鮮時代の主食と副食」 高東煥「朝鮮時代氷の文化史」 金澔「「朝鮮後期的条件」の誕生と欲望の台頭」 신동원「朝鮮後期身体・臓腑に関する談論の性格」 허태규「朝鮮時代の宮中の花火」 노영구「テコンドー前史としての朝鮮時代徒手武芸の展開」 第2部:農民の暮らしと経済 김경숙「朝鮮時代奴婢の己物と記上」 염정섭「朝鮮後期農暦のみっつの様相」 윤용출「朝鮮後期山城の築造と僧役」 宋讃燮「1862年農民抗争の指導者たち」 강석화「紀行文に見える19世紀咸鏡道六鎮地域の生活像」 김민수「19世紀物価変動の推移と原因」 李泰鎮教授停年紀年論叢刊行委員会 編『文化で見る韓国史 3:時代と人物、そして社会意識』太学社、2009年 第1部:時代と人物 이민웅「李舜臣と元均の生涯と評価比較」 윤대원「東学の初期組織と李弼済」 김정인「天道教民族主義と孫秉煕」 李栄昊「東学とキリスト教の遭遇」 정숭교「近代転換期崔漢綺と安廓の認識論と実践論」 한보람「1880年代朝鮮政府の開化政策と兪吉濬」 김현영「安重根公判記録関連資料」 김희곤「一瞬も折れなかった抗日闘争の道、金始顕の生涯」 이호룡「アナーキスト李会栄の生涯と思想」 第2部:社会意識と倫理 전호태「高句麗古墳壁画に現れた死生観」 김훈식「朝鮮初期儒教的女性倫理の確立」 박현순「朝鮮時代士大夫の遺訓」 김영심「『謝氏南征記』を通じて見た朝鮮後期両班士大夫の家門意識」 呉洙彰「朝鮮後期野談と小説に込められた社会的葛藤と身分意識」 유현재「朝鮮後期障害者に対する視線の変化」 李泰鎮教授停年紀年論叢刊行委員会 編『文化で見る韓国史 4:国王、儀礼、政治』太学社、2009年 第1部:国王と儀禮 주보돈「金春秋の政治志向と儒学」 김재명「高麗時代散職内侍と王権」 김용흠「朝鮮後期の王権と制度整備」 김백철「朝鮮後期英祖代「民国」議論と変化した王政像」 김성윤「萬川明月主人翁、啓蒙君主正祖」 金芝英「朝鮮後期に経験した権力」 김세은「哲宗3年(1852)国王の嘉礼挙行」 金文植「1902年高宗皇帝の耆老所入所」 第2部:政治勢力と政治論 임기환「淵蓋蘇文とその政権の性格」 최이돈「朝鮮初期公治論の形成と変化」 설석규「朝鮮中期学派の朋党化と党論」 韓相権「正祖の君主論と刑政観」 金燉「朝鮮時代の文廟宗社人物議論」 정재훈「卒記を通じて見た人物評の変化」 李泰鎮教授停年紀年論叢刊行委員会 編『文化で見る韓国史 5:世界のなかの韓国史』太学社、2009年 第1部:前近代東アジア世界と韓国 이인철「高句麗の国家的性格」 강종훈「古墳を通じて見た三国と倭」 최연식「逸伝文献と韓国仏教思想史の再認識」 안병우「元断事官と高麗の司法権」 大田秀春「戦争と交流」 이화자「白頭山定界問題と朝清関係」 長森美信「近世朝鮮漂流民と東アジア海域」 하우봉「シーボルト・朝鮮漂流民・長崎」 第2部:韓国の自己認識と他者認識 원재연「ダブルイ(Antoine Daveluy)主教の朝鮮認識」 趙宰坤「ある朝鮮官僚の目に映った世界と近代文化」 金泰雄「近代改革期高宗政府の西欧典章探索と万国史書籍普及」 鄭然泰「植民地近代化論の韓国農業認識と二重の誇張」 安鍾哲「アメリカ制度圏韓国学誕生とアメリカの対韓認識」 朴泰均「1950年代知識人の世界情勢認識」
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42 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/07/01(金) 21 04 47.68 ID P23TX3vV0 で、このHaidong Gumdo(海東グムド)ってやつなんだけど、その実態は… こういうのを、「韓国政府が」フランスのジャパンエキスポで、あたかも 日本の剣道の起源であるかのように印象操作して売り込んでいるわけ。 海東コムドは大韓剣道会を脱退した者たちが創設したもので、 韓国国内で裁判が行われた結果、士武郎起源云々は事実ではないと結論づけられている (韓国武芸誌「MARS」2001年5・6月号にも記載)。 剣道(韓国の自称剣道も含めて)について詳しく扱ったブロぐ http //www.geocities.co.jp/Athlete-Acropolis/6963/ 裁判記録(原文) http //blog.daum.net/_blog/BlogTypeView.do?blogid=06zf6 articleno=9050199 admin= google日本語翻訳 http //translate.google.co.jp/translate?hl=ja sl=ko tl=ja u=http //blog.daum.net/momuro/9050199 google英語翻訳 http //translate.google.co.jp/translate?hl=en sl=ko tl=en u=http //blog.daum.net/momuro/9050199 【韓国】強烈カリスマ!百済の武士に変身したチャ・インピョ!(画像あり)[06/11] http //kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1307763050/ http //contents.innolife.net/mobile/img/item/133269_l.jpg 101 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/07/03(日) 21 24 39.11 ID Tl/PQWQj0 [30/56] 日本風の胴着で日本の竹刀やボクとうや刀を使い、朝鮮独自の武術と 自称し外人を騙す。 こんなの本来許しちゃいけないんだよ。 haidong gumudo http //www.imaskills.com/images/hai_01.jpg http //www.centraltexastaekwondo.com/Portals/7/Pictures/parnel1.jpg http //www.budo-club-ismaning.de/wp-content/uploads/2009/05/hg3.jpg http //www.mountainwolvestaekwondo.com/clubinfo/haidong-gumdo_prog.jpg U.S.A. Haidong Gumdo Association http //www.ushaidong.org/ 132 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/07/01(金) 21 40 14.47 ID P23TX3vV0 空手関連のソース、ソース元が古すぎてリンク切れだったので、 一応本文のいちぶとかを転載 テコンドーがカラテの影響を受けたのは事実 http //members.at.infoseek.co.jp/koreawatcher/docs/webzine2.htm テコンドー初期の元老たちのほとんどがカラテ修練者 3月6日付の東亜日報の報道によれば、国政広報処が韓国関連外国サイトを調べた結果、 韓国情報がある外国サイト654個を検索した結果、この中の56.4%にあたる369個で515件 の間違った情報を捜し出したという。この中で我々の関心を引くのはテコンドー関連部分だ。 国政広報処は米国モンタナ大学の格闘技サイト(www.bstkd.com)がテコンドーの起源が日本 のカラテだと紹介していると明らかにした。報道によれば、国政広報処は併せてこのサイト 運営者に間違った情報を是正しろと要求して関連資料を送るらしい。 しかし、国政広報処のこのような措置は適切ではないのだ。なぜなら、テコンドーがカラテの影響 を受けたことは明らかな事実であるのみならず、はなはだしくはテコンドーがカラテから派生した 武術という主張をしたとしてもこれを根本的に否定できないからだ。 青涛館創立者の李元国(イ・ウォングク)翁など1940年代中後半にテコンドーを伝播するのに先頭 に立った多くの元老たちが、日本でカラテを修練した人々だということは既に広く知られた事実だ。 いまだにこの事実を知らない人々はこれについてこれ以上あれこれ言い立てるべきではない。実際、 李元国(イ・ウォングク)翁は日本の松涛館の系譜に今でもその名前が登録されていると知られている。 続く 135 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2011/07/01(金) 21 41 36.69 ID P23TX3vV0 松武館を建てた盧秉直(ノ・ビョンジク)翁も日本の松涛館カラテを修練したことが知られて いるが、自身が建てた松武館の「松」の字がまさに松涛館の「松」であると知られている。李元国 (イ・ウォングク)翁が建てた青涛館の「涛」もまた松涛館の「涛」だ。これは名前を明らかにするなと頼 んだテコンドー元老から直接聞いた話だ。この元老はテコンドーはカラテの「イミテーション(imitation)」だと話した。 いまは故人になった青涛館出身のウ・ジョンニム将軍は記者との対話で「私は空手道(コンスド)をやって、 後に崔泓煕(チェ・ホンヒ)将軍などが主軸になり名前を変えただけだ」とも話した。米国テコンドー発展に 大きな貢献をしたATAの故イ・ヘンウン会長も、自身がはじめて米国に行ったとき「コリアン カラテ」と自身の 武術を紹介して教え、実際テコンドーとカラテの差はなかったと証言した。これはすべてテコンドーという武術 がもともと存在せず、カラテを学んだ人々が解放後に道場を開いてカラテの韓国式発音である「空手道(コンスド)」 を教えたあとに、「テコンドー」という名前を使うようになったということを語ってくれている。 韓国が『国策で』やっている日本文化窃盗(?)の一例 Haidong Gumdo http //www.imaskills.com/images/hai_01.jpg http //www.gentlepalmkarate.com/hdgd/images/jhdgd.jpg http //www.mountainwolvestaekwondo.com/haidonggumdo/haidong-gumdo_spar.jpg http //www.swordsmen.com.au/assets/images/INSTRUCTORS-2010.JPG 149 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/07/01(金) 21 47 04.06 ID P23TX3vV0 しかもだ、韓国がやってる文化窃盗って剣道や侍だけじゃないんだぜ 偽茶道 http //blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/2e/0e116fc24f38edac739d42029cb249c4.jpg 偽忍者 http //3.bp.blogspot.com/_fIGmdrERLoQ/SwpUbEX-_4I/AAAAAAAAARI/OuY1nK13zlg/s1600/kancho01.jpg 偽合気道 http //jungkifamily.com/intlhapkidousa/images/hapkido50.jpg 偽柔道 http //www.youtube.com/watch?v=PGITKyM_zeQ 偽武士 http //plaza.rakuten.co.jp/img/user/90/91/13069091/26.jpg 191 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/07/01(金) 22 02 11.35 ID P23TX3vV0 181 ヒュンダイCM http //pds.exblog.jp/pds/1/200901/24/46/c0059946_211437.jpg サスムスンCM http //blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/cf/7142aa0797c7de77de5797ebd039ee51.jpg http //blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/87/d25d87460a9e43869e61cee8cfb98bf1.jpg http //26.media.tumblr.com/tumblr_lepjx6Zygl1qzazo6o1_500.png ちなみにあいつら寿司と相撲の起源も主張してる。
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トップページ>論文アンソロジー>韓国資本主義性格論争 『韓国資本主義性格論争』大旺社、1988年 第1部:緒論 趙容範「韓国的経済学の定立のための方向」 劉元東「経済史観の現代的照明」 趙璣濬、姜命圭「[対談]韓国経済学の発展と時代意識」 第2部:前近代社会 金鴻植「韓国中世における封建制論」 李栄薫「封建論の批判的検討:朝鮮社会の私的大土地所有の存在形態を中心に」 金容燮「近代化過程における農業改革のふたつの方向」 権丙卓「[補論1]薬令市発興の継起的前提:朝鮮前期の医療制度を中心に」 金玉根「[補論2]朝鮮後期軍事財政の良布依存度に関して:兵曹・三軍門を中心に」 第3部:旧植民地社会 朴玄埰「韓国資本主義と独占の形成」 張矢遠「韓国近代史における「植民地半封建社会論」の適用をめぐる理論的・実証的諸問題」 第4部:1945年以後の社会 林鍾哲「8・15光復の経済史的意義」 金潤煥「8・15光復後の労働問題と労働運動」 尹明憲「アメリカ余剰農産物援助の経済的影響:韓国とインドの比較」 鄭允炯「朴正煕政権の経済開発理念」 朴栄浩「韓国における資本主義化過程」 鄭明基「韓国資本主義の展開過程と周辺部的特質」 金泳鎬「韓国の資本主義論争」 第5部:資本主義を見る理論的観点 崔泰鎬「ウォーラーステイン(Wallerstein)の近代世界システム論に関する小考」 兪光浩「マックス・ウェーバーの近代資本主義理論」 金均「マルクスの本源的蓄積論」
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トップページ>韓国>韓国史論 『韓国史論』20、1988 南東信「元暁の教判論とその仏教史的位置」 具山祐「高麗前期郷村支配体制の成立」 朴鎮愚「朝鮮初期面里制と村落支配の強化」 具徳会「宣祖代後半(1894-1608)政治体制の再編と政局の動向」 韓明基「光海君代の大北勢力と政局の動向」 金文植「尚書研究書を中心に見た丁若鏞と洪奭周の政治思想比較」 鄭然泰「1910年代日帝の農業政策と植民地地主制:いわゆる「米作改良政策」を中心に」 『韓国史論』19、1988 申東河「高句麗の寺院造成とその意味」 盧泰敦「5世紀金石文に見える高句麗人の天下観」 宋基豪「渤海に対する新羅の両面的認識とその背景」 朴宗基「高麗太祖23年郡県改編に関する研究」 鄭景鉉「高麗前期武職体系の成立」 盧明鎬「高麗時代郷村社会の親族関係網と家族」 李泰鎮「高麗後期人口増加要因生成と郷薬医術発達」 崔柄憲「朝鮮時代仏教法統説の問題」 池斗煥「朝鮮後期戸布制の議論」 金仁杰「朝鮮後期郷村社会権力構造変動についての試論」 崔承煕「朝鮮後期両班の仕官と家勢変動:善山武班家盧尚枢の事例を中心に」 鄭玉子「趙煕龍の詩書画論」 李栄昊「1862年晋州農民抗争の研究」 金正起「大院君拉致と反清意識の形成(1882-1894)」 権泰檍「日帝時期の農村織物業」 全京秀「新進化論と国家形成論:人類学理論の正しい適用のために」 『韓国史論』18、1988 権五栄「4世紀百済の地方統制方式一例:唐晋青磁の流入経緯を中心に」 李炳煕「高麗前期寺院田の分給と経営」 朴国相「高麗時代の土地分給と田品」 文喆永「高麗時代の閑人と閑人田」 李益柱「高麗忠烈王代の政治状況と政治勢力の性格」 李先敏「李珥の更張論」 李永鶴「開港期煙草(タバコ)農業の展開」 『韓国史論』17、1987 金基興「6・7世紀高句麗の租税制度:『隋書』高麗伝の租税条項分析」 宋基豪「渤海滅亡期の対外関係:契丹・後三国との関係を中心に」 金琪燮「高麗前期農民の土地所有と田柴科の性格」 盧明鎬「李資謙一派と韓安仁一派の族党勢力:高麗中期親属らの政治勢力化様態」 張炳仁「朝鮮初期の縁坐律」 韓相権「順庵安鼎福の社会思想:民についての認識を中心に」 『韓国史論』16、1987 金基興「高句麗の成長と対外交易」 姜鳳龍「新羅「中古」期「州」制の形成と運営」 尹大遠「李弼済乱の研究」 鄭容郁「1907-1918年「地方金融組合」活動の展開」 金承台「日本神道の浸透と1910~1920年代の「神社問題」」 『韓国史論』15、1986 権五栄「初期百済の成長過程に関する一考察」 金炫栄「高麗時代の所についての再検討」 洪順敏「粛宗初期の政治構造と「換局」」 李栄昊「19世紀恩津江景浦の商品流通構造」 金順徳「1876-1905年関税政策と関税の運用」 『韓国史論』14、1986 崔異敦「16世紀郎官権の形成過程」 馬宗楽「正祖朝古文復興運動の思想と背景」 呉美一「18・19世紀貢物政策の変化と貢人層の変動」 安秉旭「19世紀任戌民乱における「郷会」と「饒戸」」 楊尚弦「韓末埠頭労働者の存在様態と労働運動:木浦港を中心に」 李潤相「日帝による植民地財政の形成過程:1894-1910年の歳入構造と徴税機構を中心に」 『韓国史論』13、1985 権寧国「14世紀権塩制の成立と運用」 呉洙彰「仁祖代政治勢力の動向」 鄭演植「17・18世紀良役均一化政策の推移」 李永鶴「18世紀煙草(タバコ)の生産と流通」 高東煥「18・19世紀外方浦口の商品流通発達」 都珍淳「19世紀宮庄土における中畓主と抗租:載寧餘勿床土を中心に」 韓永愚「アメリカ内韓国身分資料及び朝鮮時代身分史研究動向についての研究」 『韓国史論』12、1985 金基興「夫租薉君についての考察:漢の対土着勢力施策の一例」 金泰植「5世紀後半大加耶の発展についての研究」 南智大「朝鮮成宗代の臺諫言論」 高錫珪「16・17世紀貢納制改革の方向」 宋讃燮「17・18世紀新田開墾の拡大と経営形態」 韓永愚「朝鮮初期社会階層研究についての再論:이성무教授の「朝鮮初期身分史研究も問題点」及び송준호教授の「朝鮮両班考」に答える」 『韓国史論』11、1984 宋基豪「渤海の「多人葬」についての研究」 金南允「新羅中代法相宗の成立と信仰」 鄭玉子「陶谷李宜顕とその文学観」 朴準成「17・18世紀宮房田の拡大と所有形態の変化」 李栄昊「18・19世紀地代形態の変化と農業経営の変動:宮庄土・屯土を中心に」 『韓国史論』10、1984 安秉佑「高麗の屯田に関する一考察」 朴宗基「高麗部曲制の構造と性格:収取体系の運営を中心に」 金燉「中宗代言官の性格変化と士林」 朴光用「蕩平論と政局の変化」 朴萬圭「開港以後の金鉱業実態と日帝侵略」 『韓国史論』9、1983 蔡雄錫「高麗時代の帰郷刑と充常戸刑」 朴鍾進「忠宣王代の財政改革策とその性格」 李潤甲「18世紀末の均並作論:洪川儒生李光漢の貸田論を中心に」 李世永「18・19世紀穀物市場の形成と流通構造の変動」 朴賛勝「韓末駅土・屯土における地主経営の強化と抗租」 『韓国史論』8、1982 鄭炳三「統一新羅観音信仰」 池斗煥「朝鮮初期朱子家礼の理解過程:国葬儀礼を中心に」 尹用出「17・18世紀役夫募立制の成立と展開」 유봉학「北学思想の形成とその性格:湛軒洪大容と燕巌朴趾源を中心に」 朴萬圭「韓末日帝の鉄道敷設・支配と韓国人動向」 『韓国史論』7、1981 姜仁求「新羅積石封土墳の構造と系統」 李宇泰「新羅の村と村主:三国時代を中心に」 金恒洙「16世紀士林の生理学理解:書籍の刊行・編纂を中心に」 韓相権「18世紀末~19世紀初の場市発達についての基礎研究:慶尚道地方を中心に」 『韓国史論』6、1980 李純根「新羅時代姓氏取得とその意味」 朴宗基「高麗時代郷・部曲の変質過程:中央集権化過程と関連して」 南智大「朝鮮初期の経筵制度:世宗・文宗年間を中心に」 朴珠「朝鮮粛宗朝の祠宇濫設についての考察」 朴光用「箕子朝鮮についての認識の変遷:高麗から韓末までの史書を中心に」 権泰檍「京城織紐株式会社の設立と経営」 『韓国史論』5、1979 申東河「新羅骨品制の形成過程」 皮瑛姫「ダブル・ディセント(Double Descent)理論適用を通じて見た新羅王の身分観念」 蔡尚植「高麗後期天台宗の白蓮社結社」 鄭玉子「眉叟許穆研究:その文学観を中心に」 李海濬「存斎魏伯珪の社会改善論:18世紀末郷村の自立性模索を中心に」 盧明鎬「山陰帳籍を通じて見た17世紀初村落の血縁様相」 『韓国史論』4、1978 盧重国「百済王室の南遷と支配勢力の変遷」 張炳仁「朝鮮初期の観察使」 全炯澤「19世紀初内寺奴婢の革罷」 鄭玉子「朝鮮後期の「文風」と委巷文学」 鄭景鉉「19世紀の新しい国土防衛論:茶山の『民堡議』を中心に」 韓㳓劤「東学農民軍の蜂起と戦闘:江原・黄海道の場合」 崔柄憲「新羅末金海地方の豪族勢力と禅宗」 『韓国史論』3、1976 姜仁求「百済古墳の研究:公州・扶餘地方を中心に」 韓㳓劤「朝鮮王朝初期における儒教理念の実践と信仰・宗教:祠祭問題を中心に」 李泰鎮「15世紀後半期の「鉅族」と名族意識:『東国輿地勝覧』人物条の分析を通して」 李範稷「朝鮮前期の校生身分」 金在瑾「板屋船考」 金正起「朝鮮政府の清借款導入(1882-1894)」 『韓国史論』2、1975 盧泰敦「三国時代の「部」に関する研究:成立と構造を中心に」 金杜珍「了悟禅師順之の相論」 李弼相「高麗時代服制の研究」 鄭萬祚「17-18世紀の書院・祠宇についての試論:特に士林の建立活動を中心に」 郭東璨「高宗朝土豪の成分と武断様態:1867年暗行御史土豪別単の分析」 慎鏞廈「『独立新聞』の創刊とその啓蒙的役割」 『韓国史論』1、1973 韓永愚「鄭道伝の社会・政治思想」 崔承煕「朝鮮初期言官に関する研究:集賢殿官の言官化」 劉承源「朝鮮初期の「身良役賤」階層:称干称尺者を中心に」 金玉姫「西学の受容とその意識構造:李檗の『聖教要旨』を中心に」 夫貞愛「朝鮮海関の創設経緯」 李萬烈「韓末キリスト教人の民族意識形成過程」 1-20 21-40 41-60
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トップページ>韓国>韓国文化 『韓国文化』20、1997.12 李昇馥「『玉麟夢』の構造と性格」 梁晋碩「17世紀後半李端夏の社倉制実施論」 盧大煥「1860-70年代前半朝鮮知識人の対外認識と洋務理解」 李相燦「1896年義兵と明成王后支持勢力の動向」 呉洙彰「18世紀平安道抵抗勢力成長の社会的背景」 심희기「18世紀の刑事司法制度改革」 백두현「19世紀国語の音韻史的考察:母音論」 尹京鎮「高麗前期郷吏制の構造と戸長の職制」 延甲洙「大院君集権期国防政策:地方砲軍の増設を中心に」 박종성「朝鮮後期仮面劇の浮上と郷村社会構造」 尹海東「「統監府設置期」地方制度の改定と地方支配政策」 『韓国文化』19、1997.6 이혜순「15・16世紀韓国女性話者詩歌の意義:「思美人曲」「続美人曲」「妾薄命」を中心に」 金仁杰「16・17世紀在地士族の「居郷観」」 申炳周「17世紀中後半近畿南人学者の学風:許穆・尹鑴・柳馨遠を中心に」 李俊九「18・19世紀身分制変動趨勢と身分持続性の傾向」 安秉禧「杜氏諺解の書誌的考察」 임동훈「二重主語文の通辞構造」 崔承煕「朝鮮後期古文書を通じて見た高利貸の実態」 유봉학「楓皐金祖淳研究」 『韓国文化』18、1996.12 野間秀樹「1980年代以後日本における現代韓国語文法論・語彙論研究:言語事実主義の展開」 鄭在永「19世紀末から20世紀初の韓国語文」 李昶憲「20世紀初坊刻小説の変貌様相:ソウル・京畿地域の場合」 이정복「大学生達の第三者敬語法使用に現れた参与と効果」 김근배「大韓帝国期ー日帝初官立工業伝習所の設立と運営」 小倉雅紀「朴斉家の北学思想と性理学」 金鍾澈「『聖賢公淑烈記』の人物形象について」 徐栄姫「日帝の韓国保護国化と統監府の統治権樹立過程」 金允済「朝鮮前期『心経』の理解と普及」 李栄昊「統監府時期租税増加政策の実現過程とその性格」 李潤相「統監府時期皇室財政の運営」 金容稷「韓国現代文学に及ぼした儒学的伝統に関する考察:日帝時代の文学を中心に」 『韓国文化』17、1996.6 김경아「β wについて」 권영민「開化啓蒙時代叙事様式のジャンル分化」 박혜숙「藫庭金鑢:新しい感受性と平等意識」 李潤相「大韓帝国期内蔵院の皇室財源運営」 최이돈「成宗代士林の勲旧政治批判と新政治模索」 宋芳松「英祖朝進宴及び純祖朝進饌の呈才女伶攷」 金翼漢「日帝下韓国農村社会運動と地域亡命家」 金澔「朝鮮後期「痘疹」研究:『麻科会通』を中心に」 李賢煕「韓国古典の訳註と国語国文学」 『韓国文化』16、1995.12 呉洙彰「17・18世紀平安道儒生層の政治的性格」 韓啓伝「1930年代詩に現れた「故郷」イメージに関する研究:白石、呉章煥、李庸岳を中心に」 신동원「公立医院済衆院、1885-1894」 宋芳松「己丑年『進饌儀軌』の公演史料的性格:音楽資料と呈才資料を中心に」 金完鎮「『老乞大諺解』における意図形の崩壊再論」 이세영「大韓帝国期農村社会経済構造の変化:1900-1903年京畿道広州府北方面を中心に」 임치균「『蘇賢聖録』研究」 金才淳「日帝の公文書制度掌握と運用の実際」 楊尚弦「韓末庖肆運営と庖肆税収取構造」 『韓国文化』15、1994.12 李賢煕「19世紀国語の文法史的考察」 洪允杓「奎章閣所蔵近代国語文献資料の総合的研究」 李鍾黙「李安訥漢詩研究」 宋芳松「『仁政殿楽器造成庁儀軌』の文献的検討」 林治均「朝鮮朝大河小説における忠・孝・烈の具現様相と意味」 신동흔「朝鮮後期野談に現れた財産と身分の関係:『青丘野談』を中心に」 조태영「朝鮮後期「伝」に見る社会と自我の形象:18世紀孝・烈伝に投影された様相」 문중양「朝鮮後期の水車」 姜昌一「初期開化派の近代化構想:甲申政変に対する批判的検討」 崔鍾庫「韓国近代法の形成過程」 최이돈「『海東野言』に見える許篈の当代史認識」 『韓国文化』14、1993.12 박명규「19世紀後半郷村社会の葛藤構造:霊光地方の民状内容分析」 金鍾澈「19世紀~20世紀初パンソリ受容様相研究」 慎鏞廈「甲午農民戦争の第二次農民戦争」 송기한「近代文学形成過程についての一考察:自由詩形成過程を中心に」 宋基中「近代化黎明期の外国語語彙についての関心」 鄭然泰「大韓帝国後期日帝の農業植民論と移住植民政策」 徐大錫「文献説話と古典小説の対比研究:妓女譚と道術譚を中心に」 金炳国「西浦金萬重の詩世界:女性を題材とした作品を中心に」 오세영「自由詩形成における辞説時調と雑歌」 宋芳松「掌楽院所属楽工・楽生の奉足制度:『楽掌謄録』を中心に」 朴銀順「朝鮮時代王世子冊礼儀軌班次図研究」 朴廷蕙「朝鮮時代冊礼都監儀軌の絵画史的研究」 高東煥「朝鮮後期船商活動と浦口間商品流通の様相:漂流関係記録を中心に」 李海済「朝鮮後期村落構造変化の背景」 李得春「借字表記研究と中国音韻学」 『韓国文化』13、1992.12 이강옥「『東野彙輯』の世界観研究」 韓相権「18世紀前半明火賊の活動と政府の対応策」 崔明玉「19世紀後期国語の研究:「母音音韻論」を中心に」 오세영「6・25韓国戦争詩研究」 沈在箕「開化期文体様相に関する研究:独立新聞と漢語文典の古談を中心に」 韓永愚「李睟光の学問と思想」 金容稷「鄭澈と朴仁老の文学意識対比研究」 이봉규「朝鮮性理学の伝統から見た宋時烈の性理学思想」 박혜숙「朝鮮前期楽府詩研究」 남지대「朝鮮初期散階「官品」の構造と機能」 민찬「朝鮮後期寓話小説に投影された階層の問題」 李相澤「朝鮮後期中人層のパンソリ文学」 金完鎮「重刊老乞大諺解の研究」 李基文「訓民正音親制論」 『韓国文化』12、1991.12 高英津「16世紀末四礼書の成立と礼学の発達」 韓永愚「17世紀後半~18世紀初洪萬宗の会通思想と歴史認識」 朱昇澤「姜瑋の開化思想と外交活動」 李永鶴「開港期製塩業についての研究:資本制的経営を中心に」 慎鏞廈「湛軒洪大容の社会身分観と身分制度改革思想」 鄭玉子「丙子胡乱時言官の位相と活動:三学士に対する再評価」 金洛必「朝鮮後期民間道教の倫理思想」 김현영「朝鮮後期士族の村落支配:南原屯徳地方を中心に」 金大幸「朝鮮後期楽府の詩歌観」 趙東一「朝鮮後期人性論の革新に対する文学の反応」 유봉학「惕斎李書九の学問と政治的志向」 河宇鳳「『通信使謄録』の史料的性格」 曺南鉉「朝鮮近代文学のアナーキズム体験研究」 『韓国文化』11、1990.12 金仁杰「17・18世紀郷村社会身分構造変動と「儒・郷」」 鄭玉子「17世紀前半礼書の成立過程:金長生を中心に」 高錫珪「18世紀末19世紀初平安道地域郷権の推移」 宋讃燮「19世紀慶尚右兵営の財政構造と晋州農民抗争:兵営穀運営の問題点とその対策を中心に」 韓永愚「19世紀前半洪敬謨の歴史叙述」 李翊燮「近代国語文献の表記体系:重綴表記を中心に」 朴光用「正祖年間時僻党争論についての再検討」 許南進「朝鮮後期気哲学の性格:鹿門任聖周の場合」 閔丙秀「朝鮮後期詩論研究:18世紀を中心に」 崔昌祥「朝鮮後期実学者達の風水思想」 洪順敏「朝鮮後期王室の構成と璿源録:1681年(粛宗7)『璿源系譜紀略』の編纂を中心に」 趙東一「朝鮮後期人性論と文学思想」 張会翼「朝鮮後期初知識階層の自然観:張顕光の「宇宙説」を中心に」 李元淳「韓末日本人雇聘問題研究:韓末外国人雇聘問題研究序説」 洪淳権「韓末湖南地域経済構造の特質と日本人の土地侵奪:湖南義兵運動の経済的背景」 『韓国文化』10、1989.12 崔承煕「『公車文』類の所蔵状況とその史料価値」 李泰鎮、洪順敏「『日省録』刀削の実状と経緯」 鄭玉子「17世紀思想界の再編と礼論」 安輝濬「奎章閣所蔵絵画の内容と性格」 慎鏞廈「燕巌朴趾源の社会身分観と社会身分改革思想」 金容稷「日帝末暗黒期韓国文学人達の意識性向と行動に関する研究」 金鎮世「朝鮮朝後期小説に現れた世界観の変異様相:「玩月会盟宴」を中心に」 李景植「朝鮮後期の火田農業と収税問題」 李元淳「韓末雇聘欧米人総鑑:外国人雇聘問題研究序説」 『韓国文化』9、1988.11 沈在箕「ゲール(Gale)文法書のいくつかの特徴:原則談の設定と関連して」 蔡雄錫「高麗前期貨幣流通の基盤」 河宇鳳「茶山丁若鏞の日本儒学研究」 沈慶昊「茶山詩経論における風概念の形成」 金鍾洙「世宗朝雅楽整備が与民楽・保太平・定大業に及ぼした影響:制度的側面」 민찬「烈不烈説話の理念的志向と暮らしの問題」 韓永愚「朝鮮時代中人の身分・階級的性格」 安輝濬「朝鮮王朝時代の画員」 金仁杰「朝鮮後期郷村社会権力構造の変動と「民」」 琴章泰「中人層の民族宗教活動」 金容稷「韓国詩歌様式の形成と展開に関する研究」 朴賛勝「韓末申采浩の歴史観と歴史学:清末梁啓超との比較を中心に」 『韓国文化』8、1987.12 高錫珪「『紀年児覧』に現れた李萬運の歴史認識」 韓永愚「「東国三韓四郡古今疆域説」「北関州県沿革始末記」解題」 李景植「17世紀土地接収税と職田復旧論」 韓永愚「開化期安鍾和の歴史叙述」 盧泰敦「古朝鮮史研究の現況と課題」 尹以欽「東学運動の開闢思想:信念類型と社会変化の動因を中心に」 심재룡「文化交叉の脈絡から見た韓国伝統思想の正体」 崔明玉「変則動詞の音韻現象について:Li-、lə-、ɛ(jə)-、h-変則動詞を中心に」 조동일「叙事詩論と比較文学」 徐大錫「説話「鐘の音(종소리)」の構造と意味」 金炫栄「朝鮮後期中人の家系と経歴:訳官川寧玄氏古文書の分析」 李元淳「朝鮮後期社会中人層の西教受容:中人動向の一側面」 임효재「韓国櫛文土器と日本曽畑式土器文化との関連性」 権寧珉「解放直後の文壇と越北文人」 『韓国文化』7、1986.12 李庸周「意味解釈における指示内容と指示対象」 김병국「韓国田園文学の伝統とその現代的変異様相」 李相澤「韓国道家文学の現実認識問題」 権寧珉「廉想渉の民族文学論」 崔柄憲「太古普愚の仏教史的位置」 鄭玉子「朝鮮後期文廟祀典の釐正:中国儒賢の陞黜に関連して」 H.W.KANG「王建と高麗」(英) 李秉根「[資料紹介]朝鮮光文会編『말모이』(辞典)」 編集部「[資料紹介]八道御史賷去事目」 『韓国文化』6、1985.12 李世永「18・19世紀両班土豪の地主経営」 慎鏞廈「甲午農民戦争時期の農民執綱所の活動」 崔夢龍「高麗図経に見える器皿」 金完鎮「母音調和の例外についての研究」 金完鎮「[資料紹介]聘聘伝巻之一」 정호웅「廉想渉前期文学論:作家意識を中心に」 尹晸龍「李陸史の思想的位相試論:詩語「虹(무지개)」を通じて」 『韓国文化』5、1984.12 権寧珉「愛国啓蒙時代の小説改革運動」 이광규「朝鮮朝後期の社会構造と変動」 성백인「訳学書に現れた訓民正音使用:司訳院清学書の満州語ハングル表記について」 李基文「開化期の国文使用に関する研究」 金完鎮「訓民正音創制に関する研究」 『韓国文化』4、1983.12 安秉禧「『語録解』解題」 李東夏「同人誌『白潮』の文学史的性格」 李泰鎮「士林派の郷約普及運動」 慎鏞廈「新民会の独立軍基地創建運動」 池斗煥「朝鮮前期廟制に関する一考察:一世次・位次問題を中心に」 崔承煕「朝鮮後期郷吏身分移動与否考(2):草渓卞氏郷吏家門古文書による事例研究」 『韓国文化』3、1982.11 権泰檍「『応制詩註』解題」 韓永愚「高麗~朝鮮前期の箕子認識」 金容稷「茶山丁若鏞の文学と文学観:その理論と実際」 韓右劤「茶山の学問観と学風:伝統的な儒学思想を中心に」 文哲永「麗末新興士大夫の新儒学受容とその特徴」 崔夢龍、盧爀真、安承模「白翎・延坪島の櫛文土器遺跡:西海五島嶼の考古学的調査」 『韓国文化』2、1981.12 柳楊善「「統営五広大」分析」 徐永大「高句麗平壌遷都の動機:王権及び中央集権的支配体制の強化過程と関連して」 宋基豪「渤海貞恵公主墓碑の考証について」 安秉旭「朝鮮後期民隠の一端と民の動向:正祖代応旨民隠疏を中心に」 沈慶昊「朝鮮後期漢詩の自意識的傾向と海東楽府体」 金仁杰「朝鮮後期郷権の推移と支配層動向:忠清道木川県の事例」 李基文「千字文研究(1)」 崔鍾庫「韓国の西洋法思想受容過程考」 張徳順「韓国の夜来者伝説と日本の三輪山伝説との比較研究」 『韓国文化』1、1980.12 韓永愚「1910年代の民族主義的歴史叙述:李相龍・朴殷植・金教献・『檀奇古史』を中心に」 李光奎「古代文学と新小説に映った姑婦問題」 崔鶴根「動詞「다;긋다」(断、切、絶、折、止、息、定)とその派生語」 沈在箕「動詞化の意味機能」 金芳漢「原始韓半島語:日本語と関連して」 李杜鉉「済州島民俗調査:古城里と水山里の歳時風俗と部落祭を中心に」 権泰檍「韓末・日帝初期ソウル地方の織物業」 1-20 21-40 41-60 61-80
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トップページ>韓国>韓国史論 『韓国史論』40、1998 韓永愚「稼亭李穀の生涯と思想」 김웅호「17世紀守令薦挙制の補完とその運営」 安鍾哲「親政前後高宗の対外観と対日政策」 殷丁泰「高宗親政以後政治体制改革と政治勢力の動向」 宋連玉「大韓帝国期の「妓生団束令」「娼妓団束令」:日帝植民化と公娼制導入の準備過程」 宋基豪「西洋の韓国考古学と古代史研究目録」 『韓国史論』39、1998 李鍾書「「節」「等」の意味分析と赤城碑「教事」部分の再検討」 鄭景姫「朱子禮学の形成と『家禮』」 姜文植「集賢殿出身官人の学問観と政治観」 禹景燮「英・正祖代弘文館機能の変化」 김대원「18世紀民間医療の成長」 『韓国史論』38、1997 박현순「16-17世紀貢納制運営の変化」 우재연「17-19世紀実学者の西洋認識検討」 盧官汎「19世紀後半湖西山林の位相と「正学」運動:淵斎宋秉璿(1836-1905)を中心に」 도지순「1895-96年金九の連中義兵活動と鴟河浦事件」 李庸起「1945-48年臨政勢力の政府樹立構想と「臨政法統論」」 資料紹介 李泰鎮「『帝国益聞社秘報章程』:大韓帝国皇帝直属抗日情報機関規定集」 『韓国史論』37、1997 全徳在「新羅中代対日外交の推移と真骨貴族の動向:聖徳王~恵恭王代を中心に」 李鍾書「羅末麗初姓氏使用の拡大とその背景」 趙圭煥「16世紀還穀運営と賑資調達方式の変化」 李泰鎮「1896-1904年ソウル都市改造事業の主体と志向性」 金翼漢「1930年代日帝の地方支配と面行政」 朴泰均「1950年代末アメリカの対韓経済政策変化とロストウの近代化論」 『韓国史論』36、1996 李益柱「高麗・元関係の構造についての研究:いわゆる「世祖旧制」の分析を中心に」 兪泌朝「17・18世紀前半塩業発展と塩盆私占」 李坰丘「金昌翕の学風と湖洛論争」 金廷美「朝鮮後期対清貿易の展開と貿易収税制の施行」 『韓国史論』35、1996 呉永賛「楽浪郡の土着勢力再編と支配構造:紀元前1世紀代木廊墓分析を中心に」 李喜中「朝鮮中期西人系「文章家」の活動と古文論の展開」 韓亘煕「1935-37年日帝の「心田開発」政策とその性格」 姜声天「1947-1948年「UN朝鮮臨時委員団」と「統一政府」論争」 曺二鉉「1948-1949年駐韓米軍の撤収と駐韓米軍事顧問団(KMAG)の活動」 『韓国史論』34、1995 李敏雄「18世紀江華島守備体制の強化」 沈載祐「18世紀獄訟の性格と刑政運営の変化」 林大植「1930年代末京畿地域朝鮮人大地主の農外投資と地方議会参与」 柳俊梵「1930年代「京城」地域工場労働者の構成」 許洙「1945-46年米軍政の生活必需品統制政策」 『韓国史論』33、1995 李漢祥「5-6世紀新羅の辺境支配方式:装身具分析を中心に」 盧永九「朝鮮初期水軍と海領職の変化」 鄭崇教「1904-1910年自強運動の国民教育論」 潘炳律「李東輝と1910年代海外民族運動:満州・露領沿海州地域における活動(1913-1918)」 李基勲「1910-1920年代日帝の農政遂行と地主会」 『韓国史論』32、1994 金芝英「18世紀画員の活動と画員画の変化」 李承妍「1905-1930年代初日帝の酒造業政策と朝鮮酒造業の展開」 金正仁「1910-25年間天道教勢力の動向と民族運動」 韓相亀「1926-28年社会主義勢力の運動論と新幹会」 金栄美「米軍政期南朝鮮過渡立法議院の成立と活動」 『韓国史論』31、1994 金鐘一「韓国中西部地域青銅遺跡・遺物の分布と祭儀圏」 廉定燮「15-16世紀水田農法の展開」 元載淵「正祖代天主教会と教理書の叙述」 権泰檍「1904-1910年日帝の韓国侵略構想と「施政改善」」 許英蘭「日帝時期「市場」政策と在来市場商業の変化」 『韓国史論』30、1993 尹善泰「新羅骨品制の構造と基盤」 朴鍾守「16・17世紀田税の定額化過程」 鄭景姫「粛宗代蕩平論と「蕩平」の試み」 金正「解放直後朝鮮共産党の経済政策」 鄭昌鉉「1946年左翼政治勢力の「三党合党」路線と推進過程」 『韓国史論』29、1993 朴宰佑「高麗忠宣王代政治運営と政治勢力動向」 李宰煕「朝鮮明宗代「戚臣政治」の展開とその性格」 鄭在薫「霞谷鄭斉斗の陽明学受容と経世思想」 裵城浚「1930年代日帝繊維資本の浸透と朝鮮織物業の再編」 鄭秉峻「1946-1947年左右合作運動の展開過程と性格変化」 『韓国史論』28、1992 高慶錫「三国及び統一新羅の奴婢についての考察」 呉英善「高麗前期軍人層の構成と囲宿軍の性格」 金南允「高麗中期仏教と法相宗」 高東煥「18世紀ソウルにおける魚物流通構造」 金相泰「1920-1930年代同友会・興業倶楽部研究」 『韓国史論』27、1992 余昊奎「高句麗初期那部統治体制の成立と運営」 徐聖鎬「高麗前期支配体制と工匠」 呉定燮「高麗末・朝鮮初各司位田を通じて見た中央財政」 延甲洙「大院君執政の性格と権力構造の変化」 尹海東「日帝下物産奨励運動の背景とその理念」 『韓国史論』26、1991 姜鍾薫「新羅上古紀年の再検討」 文喆永「高麗末・朝鮮初白丁の身分と差役」 金泰雄「1894-1910年地方税制の施行と日帝の租税収奪」 鄭然泰「1930年代「自作農地設定事業」に関する研究」 朴萬圭「島山安昌浩の大公主義についての一考察」 『韓国史論』25、1991 南希叔「新羅法興王代仏教受容とその主導勢力」 金昌錫「統一新羅期田荘に関する研究」 尹京鎮「朝鮮初期郡県体制の改編と運営体系の変化」 李潤甲「1894-1910年の商業的農業の変動と地主制:慶北地域の農業変動事例研究」 南和淑「1920年代女性運動における協同戦線論と槿友会」 『韓国史論』24、1991 宋鎬晸「遼東地域青銅器文化と美松里型土器に関する考察:古朝鮮の位置および宗族問題と関連して」 李宜明「15・16世紀養蚕政策とその成果」 金允済「南冥曺植の学問と出仕観:退渓李滉との比較を中心に」 裵祐晟「正祖年間武班軍営大将と軍営政策」 洪錫律「1940-45年学生運動の性格変化」 『韓国史論』23、1990 盧泰敦「古朝鮮中心地の変遷についての研究」 羅喜羅「新羅初期王の性格と祭祀」 徐毅植「新羅「中古」期六部の部役動員と地方支配」 鄭景鉉「高麗前期京軍の軍営」 朴鍾進「高麗前期中央官庁の財政構造とその運営」 盧明鎬「田柴科体制下白丁農民層の土地所有:土地相続制と関連した検討を中心に」 李泰鎮「朝鮮王朝の儒教政治と王権」 金仁杰「「民状」を通じて見た19世紀前半郷村社会問題」 金世恩「大院君執権期軍事制度の整備」 徐栄姫「1894-1904年の政治体制変動と宮内府」 柳承烈「日帝の朝鮮鉱業支配と労働階級の成長」 全遇容「1930年代「朝鮮工業化」と中小工業」 E.V.Shavkunov、L.E.Semenichenko、宋基豪 訳「ソ連沿海州の渤海文化研究」 『韓国史論』22、1990 全徳在「新羅州郡制の成立背景研究」 金英心「5-6世紀百済の地方統治体制」 金鍾洙「17世紀軍役制の推移と改革論」 鄭善男「18・19世紀田結税の収取制度とその運営」 金興秀「1920年代労働組合組織の発展過程」 『韓国史論』21、1989 全虎兌「5世紀高句麗古墳壁画に現れた仏教的来世観」 高英津「15・16世紀朱子家礼の施行とその意義」 姜錫和「丁若鏞の官制改革案研究」 梁晋碩「18・19世紀還穀に関する研究」 宋讃燮「1862年晋州農民抗争の組織と活動」 都冕会「甲午改革以後貨幣制度の紊乱とその影響(1894-1905)」 1-20 21-40 41-60
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トップページ>韓国>韓国史論 『韓国史論』60、2014 노명호「『高麗史』の「僭擬之事」と「大赦天下」の「以実直書」:核心が削除された高麗の皇帝制度」 이현욱「朝鮮初期普遍的即位儀禮の追求:嗣位」 최형보「粛宗代王世子代理聴政研究」 이재경「三藩の乱前後(1674-1684)朝鮮の情報収集と情勢認識」 양선비「17世紀中後半礼訟の展開と政治地形の変化:礼訟の政治史的波及と国王-朋党力学関係の変化を中心に」 정성학「朝鮮後期安東上層郷吏の郷職継承と存在様相」 김보람「19世紀朝鮮士大夫の烈女認識:奇文として再構成された列女伝『三韓拾遺』を中心に」 김신회「1821年コレラの猖獗と朝鮮政府及び民間の対応様相」 김소라「光武量案と土地台帳を通じてみた光武量田の性格:忠南韓山郡昌外里と慶北慶州郡九政洞の事例を中心に」 李泰鎮「吉田松陰と徳富蘇峰:近代日本韓国侵略の思想的基底」 이아리「日帝下「家事使用人」の登場とその存在様相」 송재경「米軍政世論調査からみた韓国の政治・社会動向(1945-1947)」 『韓国史論』59、2013 최상기「6-7世紀新羅六停の戦時運用」 박지현「熊津都督府の成立と運営」 장원아「1920年代普天教の活動と朝鮮社会の対応」 김도민「1948-1950年中韓アメリカ大使館の設置と政務活動」 신승욱「1・2次国連韓国委員団の平和統一仲介活動とその帰結(1948-1950年)」 『韓国史論』58、2012 임혜경「義天の『新編諸宗教蔵総録』編纂とその意義」 허대영「壬辰倭乱前後朝鮮の戦術変化と軍事訓練の専門化」 김은주「1930年代朝鮮の農村生活改善事業と「国民化」作業」 류정선「朝鮮総督府の農作物改良増殖政策」 권혁은「1950年韓米経済安定委員会の設立と安定化政策の性格」 김수향「米軍政の綿紡織工業政策と運用」 신재준「韓日階段時期韓国政府の在日韓人財産搬入政策の変化」 盧泰敦「[研究ノート]于山国の紀元と異斯夫の罰」 『韓国史論』57、2011 황향주「高麗起復制と14世紀末起復論争」 나종현「17世紀磻渓柳馨遠の実理概念と古礼追求」 이민정「朴世采の「皇極」認識と君主像」 이유진「18世紀大邱戸籍を通じてみた都市地域の特徴:大邱府西上面戸籍台帳を中心に」 정희찬「甲午改革期(1894-96年)上納愆滞問題と公銭の換送」 정무용「1947年ウェイドマイヤー使節団(Wedemeyer Mission)の訪韓と韓国人の対応」 宋基豪「中国の東北工程、その後」 『韓国史論』56、2010 기경량「高句麗国内城時期の王陵と守墓制」 이재환「新羅中・下代官等制の性格変化:人名、官等の表記方式を中心に」 정동훈「高麗-明外交文書書式の成立と背景」 박은정「『車原頫雪冤記』異本の流通とその背景」 小林拓矢「日帝下道路事業と労働力動員」 박수현「米軍政公報機構組織の変遷(1945.8~1948.5)」 한진금「1950年代アメリカ援助機関の対韓技術援助訓練計画研究」 『韓国史論』55、2009 金佑澤「11世紀対契丹領域紛争と高麗の対応策」 李民友「19世紀水利施設の私占と水税葛藤」 鄭鎮淑「1896-1905年刑法体系整備に関する研究:『刑法大全』制定のための基礎作業を中心に」 裵民才「1910年代朝鮮総督府臨時恩賜金事業の運営方向とその実際」 李正善「韓国近代「戸籍制度」の変遷:「民籍法」の法制的特徴を中心に」 市川まりえ「1905-1910年在韓日本人民間言論の統監府政治観」 임나영「1945-48年右翼青年団テロの展開様相と性格」 임찬혁「1945~1948年中国延辺地域朝鮮人社会主義者たちの活動と構成の変化」 『韓国史論』54、2008 姜辰垣「高句麗始祖廟祭祀研究:親祠の成立と変遷を中心に」 김수진「隋・唐の高句麗失地論とその背景:対高句麗戦名分の一側面」 金映印「17世紀後半趙聖期の「事功」中心事由と経世思想」 이민아「孝明世子・憲宗代宮闕営建の政治史的意義」 박준형「1890年代後半韓国言論の「自主独立」と韓清関係の再定立」 李泰鎮「1905年条約の強制時の韓国駐箚軍の性格」 『韓国史論』53、2007 鄭玉子先生停年紀年号 梁択寛「朝鮮前期王室の土地所有と経営」 李泰鎮「16世紀韓国思想界の「天道」と外界衝撃現象」 金仁杰「「栗谷郷約」再論:養民のための人材育成」 李光烈「光海君代『東国新続三綱行実図』編纂の意義」 金慶来「仁祖代朝報と公論政治」 金珉秀「19世紀後半気候変動と農業生産力」 孫栄祥「甲午改革以後近代的警察制度の成立と運営」 権泰檍「1920-1930年代日帝の同化政策論」 鄭容郁「解放直後駐韓米軍防諜隊の組織体系と活動」 宋基豪「[資料紹介]高句麗遺民高氏夫人墓誌銘」 『韓国史論』52、2006 유새롬「17世紀西人の学統意識と栗谷年譜の編纂」 兪眩在「16世紀麤布流通とその性格」 尹詳絢「曺奉岩(1899-1959)の政治活動と社会民主主義思想」 李東遠「1946年「朝米共同会談」の成立と活動」 홍문기「甲午改革以後秘書機関の変遷と君主権」 『韓国史論』51、2005 永正美嘉「新羅の対日香薬貿易」 宋容徳「高麗前期国境地域の州鎮城編成」 呉世炫「月沙李廷亀(1564-1635)の文翰活動と学統意識」 趙楽玲「17世紀江華島備蓄穀の準備と運営」 金伯哲「朝鮮後期英祖代蕩平政治の理念と『周礼』」 芮智淑「日帝下金活蘭の活動と対日協力」 『韓国史論』50、2004 韓永愚先生停年紀年号 洪承佑「新羅律の基本性格:刑罰体系を中心に」 崔鍾奭「羅末麗初城主・将軍の政治的位相と城」 盧明鎬「高麗太祖王建銅像の流転と文化的背景」 鄭景姫「正祖の礼学」 金仁杰「朝鮮後期郷村社会における「儒教的伝統」の持続と断絶:郷村士族の居郷観の変化を中心に」 金大鎬「1910-20年代朝鮮総督府の朝鮮神宮建立と運営」 鄭容郁「6・25戦争期米軍の心理戦組織と展開様相」 呉瑅淵「1956-1960年自由党寡頭体制の形成と運営」 『韓国史論』49、2003 論文 李命美「高麗・元王室通婚の政治的意味」 李賢珍「17世紀前半啓運宮服制論:金長生・朴知誡の礼論を中心に」 李東麟「許穆の春秋災異論に現れた「漢学的」傾向」 太田秀春「近代韓日両国の城郭認識と日本の朝鮮植民地政策」 장용경「日帝植民地期印貞植の転向論:内鮮一体論を通じてみた植民的関係の形成と農業再編成論」 『韓国史論』48、2002 韓永愚「朝鮮時代『儀軌』編纂と現存儀軌調査研究」 金真英「朝鮮初期「済州島」についての認識と政策」 閔会修「1880年代陸用鼎(1843-1917)の現実認識と東道西器論」 金鍾俊「進歩会・一進支会の活動と郷村社会の動向」 李相燦「伊藤博文が略奪していった古書調査」 『韓国史論』47、2002 崔章烈「漢江北岸高句麗堡塁の築造時期とその性格」 李炳鎬「百済泗沘都城の造営過程」 朴省炫「6-8世紀新羅漢州「郡県城」とその性格」 許泰玖「17世紀朝鮮の焔硝貿易と火薬製造方法の発達」 金泰勲「粛宗代対日政策の展開とその成果」 『韓国史論』46、2001 姜銀英「漢鏡の製作と辰・弁韓地域流入過程」 姜好鮮「忠烈・忠宣王代臨済宗受容と高麗仏教の変化」 李康漢「高麗後期元宝鈔の流入と流通実態」 정상우「1910年代日帝の支配論理と知識人層の認識:「日鮮同祖論」と「文明化論」を中心に」 廉馥圭「1933-1943年日帝の「京城市街地計画」」 『韓国史論』45、2001 정요근「高麗前期駅制の整備と22駅道」秋明燁「11世紀後半~12世紀初女真征伐問題と政局動向」 宋雄燮「中宗代己卯士林の構成と出身背景」 韓永愚「大韓帝国成立過程と『大礼儀軌』」 최병택「1925-1935年ソウル地域キリスト教勢力の社会運動とその帰結」 『韓国史論』44、2000 金暻緑「朝鮮初期対明外交と外交節次」 金龍泰「朝鮮中期仏教界の変化と「西山系」の台頭」 李美愛「1880-1884年富強政策推進機構と議政府」 홍종욱「中日戦争期(1937-1941)朝鮮社会主義者たちの転向とその論理」 고지훈「駐韓米軍政の占領行政と法律審議局の活動」 『韓国史論』43、2000 장지연「麗末鮮初遷都議論について」 권복규「朝鮮前期の疫病流行に関して」 盧官汎「1875-1904年朴殷植の朱子学理解と教育自強論」 金済正「1930年代初版京城地域電気事業府営化運動」 資料 金文植「『内閣繕写日録』改題」 『韓国史論』41・42、1999 강봉룡「栄山江流域「甕棺古墳」の台頭とその歴史的意味:他地域甕棺古墳との比較を中心に」 金泰植「金海首露王陵と許王后陵の補修過程検討」 申東河「韓国古代の仏紀使用について」 金基興「桃花女・鼻荆郎説話の歴史的真実」 盧重国「新羅統一期九誓幢の成立とその性格」 徐永大「江華島の塹城壇について」 서성호「高麗手工業所の諸問題についての検討」 李炳煕「高麗時期僧侶と馬」 文喆永「高麗後期新儒学受容と士大夫の意識世界」 馬宗楽「元干渉期登科儒臣と儒学思想の動向」 劉承源「朝鮮建国期前銜官の軍役」 정연식「朝鮮時代の道路について」 朴珠「朝鮮中期慶尚道尚州地域の孝子、烈女:『商山誌』を中心に」 姜錫和「朝鮮後期平安道の別武士」 金泰雄「朝鮮後期開城府財政の危機と行政区域改編」 延甲洙「19世紀中葉朝清間交易品の変化」 李泰鎮「近代韓国は果たして「隠遁国」だったか?」 姜昌一「東学農民戦争と日本の動向」 宋讃燮「韓末社還制の成立と運営」 徐仲錫「自由党の創党と政治理念」 盧泰敦「北韓学界の古朝鮮史研究動向」 金仁杰「1990年代南韓統一議論の型の変化」 宋基豪「韓日間の距離短縮:鏡の向こう側の肖像を見ながら:李成市のふたつの著書を読んで」 追悼辞 鄭玉子「一渓김철준先生に対する回想」 金正起「乱舞する色鉛筆の粉の中に躍動する民族文化の伝統」 오병연「1999.1.17. 김철준先生十周忌追悼会にて」 1-20 21-40 41-60