約 24,300 件
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/347.html
「あっちぃ…」 夏休みは終わったが、異常とも思える今年の猛暑は未だ衰えるという事を知らないようで 学校が再開してからも時折摂氏30度超えを記録する暑い日々が続いていた。 当然我らがSOS団の根城になっている文芸部部室もその猛威から逃れることはできず、蒸し風呂の様になっている。 開け放たれた窓からは野球部の掛け声が聞こえ、暑苦しさに拍車を掛けていた。 しばらくすれば掃除を終わらせたハルヒがやってきて更にこの部屋の温度を高めるのかと思うと軽く憂鬱になる。 ちなみに、今この部屋には俺と、 「……」 先ほどから黙々と本を読み続ける無口な少女しかいない。 これだけ暑いのに汗をまったく掻かないのは宇宙人だからなのだろうか。 「なぁ、長門」 表情はそのまま、本に落としていた視線だけがこちらを向く。 「なに?」 「お前の力をつかってさ、この部屋だけでも涼しくできないか?いい加減蒸しあがりそうだ」 しばし、思案するかのように部屋に視線を漂わせる。 「推奨しない。この部屋は様々な情報が不規則に交差しているため、情報操作しても正しく 構築できない可能性がある」 ああ、そういえば以前、古泉がこの部屋は異空間化しているとかいってたな。カマドウマ事件のときだったか? くそ、大人しく蒸しあがるしかないのか…。 「あなたの体感温度を下げる方法はある」 本当か、長門。できれば今すぐにでも頼みたい。 「そう」 読んでいた本を机の上に置き、俺の前に立つ。何をする気なのだろうか? 「って、おい!お前…」 「動かないで」 何を考えたのか、俺の膝の上に腰を掛け、両腕を背中に回してきやがった。いきなりの事に訳がわからないまま固まってしまう。 顔が熱い。あからさまに体感温度は上昇している。いったいこれはどういう状況なんだ? 「私の体温ならこの空間においでも調節可能。気温よりも低く設定しあなたと密着することによりあなたの体温の低下を 図る事ができる」 いや物理的にはそうかもしれんが非効率な気がしないか?まて、なぜ両手を俺の頬に添える。ひんやりして気持ちいいけどさ。 「局部的な温度上昇を確認した。…どうして?」 いきなり女の子に密着されればアブノーマルな性癖でも持っていない限り顔が赤くなるさ。だからってなぜ顔を近づけてくる!? 「接触範囲の拡大を図る」 まて、という前に長門の唇が俺の唇に… 「遅れてごっめーん!掃除が長引いちゃってさぁ」 ドアが外れそうな勢いで開け放たれハルヒが入ってきた。最悪のタイミングだ。この状況は明らかにヤバイ!…ってあれ? いつの間にか長門はいつもの定位置でいつもどおりに本を読んでいた。 「ちょっとキョン、あんた大丈夫?なんか顔が赤いわよ。まさかこの程度の暑さでへばってるんじゃないでしょうねっ」 暑いのは苦手なんだよ、と適当に答えハルヒを追い払う。さっきのは一体なんだったろうか? 暑さのあまり幻覚でも見たのだろうか。いや、いくらなんでもあんなリアルな幻をみるほどそこまで狂ってない筈だ…多分。 唇には、冷やりとした感触が残っているような気がした。…また今度頼んでみようか。 オワレ
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/3862.html
長門有希の書肆(しょし) ※この物語は涼宮ハルヒの憂鬱にサブタイトルの小説を掛け合わせてみたものです。クロスオーバーという ほどでもなく、ハルヒさえ知っていれば小説のほうは未読の方でも充分楽しめるものとなっておりますので どうぞお気兼ねなく読んで頂いて結構です。興味がありましたらぜひ小説のほうも読まれるといいでしょう。 [ニューロマンサー] 「涼宮ハルヒに特別な干渉をしているあなたの情報を得たい。協力して欲しい」 無感動な双眸を真っ直ぐ据えた長門はぽつねんとパソコンの前に立っていた。 「お前からのたっての希望ならもちろん吝かじゃあないが、具体的に何をすればいいんだ……」 長門に促されてパソコンの席に座ると、黒いパイル地の汗止め(スウェットバンド)を渡された。 「なんだこれ……」 「皮膚電極(ダーマトロード)」 訝しがっている俺の表情を目に映して長門は説明を始める。 「あなたの情報の入手と同時に幾つかの試験も行いたい。しかし現状次元のままでは情報操作だけでは試しき れず、またそのリスクとは裏腹にあなたが入手する情報量は極めて微少であろうと判断した。そこで、この原 始的なネットワークに私のネットワークをリンクすることによって構築される電脳空間(サイバースペース) にあなたが接続することで、あなたの情報を得ると同時にあなたの意識のみでの模擬実験を試みることにする。 その接続端子がそれ、額に巻いて」 言われるがままに電極とやらをおでこに巻くとパソコンが起動した。が、HDDやファンが稼動する低めの騒音 は聴こえず、画面には不恰好なハチマキをした訝しがってる男の顔が暗闇の中に浮き出ている。 「眼を閉じて」 眼の裏の、血に照らされた闇の中、銀色の眼閃が空間の端から渦巻くように流れ込み、催眠的映像が、滅茶 苦茶に齣(こま)をつなぎあわせたフィルムのように走り過ぎる。記号、数字、顔──ぼやけて断片的な視覚 情報の曼陀羅(まんだら)。 どこかで自分が驚いているのがわかった。しかし、既に意識だけが空間に浮かぶように佇んでいる。空間は 空きチャンネルのTVの色の空、緑地に等間隔の黒色方形網の床、全方面が見果てのない地平線のみ。 閉鎖空間とは異なるデタラメさが静かに形作っていた。 「ここは……」 「電脳空間」 と長門が後ろで応える。振り向くと、近いんだか遠いんだかわからないところに長門がやはりぽつねんと立 っていた。北高の制服に黒いカーディガンに青地の文庫本で、 「この空間は私のネットワークとの仲介地点を担うパーソナルコンピュータの原始的ネットワーク。ここで私 とあなたを繋ぎ、試験する」 半歩前で長門が広げた両手をゆっくり上げ、ハンマーで殴ったような衝撃が頭上に響く。 燦然と輝く夕日に燃やされた部室は無人のためもあってかひどく淋しげだった。長机や折りたたみ椅子から 伸びた影に縁取られ、部屋は綺麗な黒と淡い紅の妙な縞になっている。かすかなお茶葉の芳香が鼻を掠めた。 椅子に座ったまま何をするでもなくぼんやりしていると、そのうちに黄色い月が空にかかり始めた。色はある が光がない。青白い光が空に流れていて、暗闇にぼやけ始めた室内に蛍光灯の灯りを点す。 真夜中になって外へ出た。下校途中にある家々には暖かい光が溢れていたが、誰ともすれ違うことはない。 十字路の真中に俺の自転車が立っている。鍵は開けられており、どこにも傷や壊れた箇所などはない。暗闇の 深淵の中、俺はそれを走らせてある場所へと向かった。 SOS団御用達の喫茶店には既に見慣れた面子が揃っていた。他の客や店員はいない。 「遅いわよキョン! 罰金ね!」 と怒鳴った我らが団長様の声は静かな店内にはいささか響きすぎる。朝比奈さんの笑顔と古泉のニヤケ顔にも 迎えられたが長門の姿だけはどこにも見当らなかった。 「それで」 俺は朝比奈さんの隣に座りながら、 「何が目的だ……」 「どうしてすぐに気付いちゃったのかしら」 とハルヒはアヒル口を作り、 「勘付かせる間を与えたつもりはなかったはずなんだけど」 「直前の長門の表情からなんとなく、だ。ミリ単位ほどのものだったが明らかに「迂闊」とでも言わんばかり に目を瞠(みは)っていたからな」 「その細微な手掛かりからよくここまでの機微を推察できましたね」 と古泉がオーバーに肩を竦め、 「見事の一言に尽きます」 くすりと朝比奈さんは微笑み、 「でも今回はわたしたちの勝ちですね。現在のキョンくんの脳波は水平線(フラットライン)を示しています。 このまま後数分でキョンくんは死にます」 今回はということは急進派のほうか。九曜の天蓋領域とやらのほうも考えてはいたが、こっちだったか。 「日が暮れたころから脳波が停止しているのなら、もう随分時間が経ってるはずだが」 「こちらの仮想空間の時間に対して現実空間で実際に経過した時間はまったく微々たるものです。あちらのあ なたが死亡するまでには数分のみですが、こちらのあなたは充分一生を過ごすことができるでしょう」 ハルヒが身を乗り出して、 「だからキョン、あんたはここで残りの人生を過ごすことになるの。こんな事をいきなり言われて吃驚するの はあたしもわかるわ。けど安心なさい! 団長様からのせめてもの慰めに、あんたが望むのなら何でもやって あげるわ」 とやたら嬉しそうに言い、 「なんならみくるちゃんも好きにしていいわよ」 とあろうことか朝比奈さんに指を突きつけた。 朝比奈さんがえぇっと赤く熟れていくのを尻目に、 「いや、いい」 と何時の間にか目の前にあったミントティーを口にして、 「じきに長門が助けにくるさ」 ムッとしたハルヒは唇をへの字に曲げてチュゴゴゴとアイスコーヒーを飲み干した。 痛いほど澄み切った空気をカランコロンという鐘音が引き裂く。見ると長門がゆっくりこちらへ近づいてき ており、一瞬だけいつものSOS団活動の心境に錯覚しかけた。 「助けにきた」 と俺の手を取り、 「急ぐべき」 「今度は完璧だと思ったんですが、どうやら失敗のようですね」 と人事のように古泉は言う。 「侵入を許してしまった時点でわたしたちの負けです」 と朝比奈さんは哀しそうな笑顔を向けた。 ハルヒはというと先ほどまでの挙動が嘘のように大人しくなり、静かな瞳で俺を見据えていた。何かを期待 した俺の腕を引いて長門は喫茶店の戸口をくぐる。 「キョン」 反射的に振り向いてしまった。不意に呼ばれたからでもあり、声がとても切なかったからでもある。 「あたしたちは確かに仮想空間に作られただけの複製でしかないけど、その情報源になってるのはあんたの頭 の中の記憶からなの。それは現実的に見ればひどく不完全なものに見えるかも知れないけど、でもある意味で は 究極的 でもあるのよ」 仮想空間という、虚無に等しい世界に0と1の羅列のみで構成されているはずのハルヒが微笑みながら声を上 ずらせている。涙が一筋、右頬を伝った。 「その心は、あたしのこの気持ちは、決して偽りのものなんかじゃないの。だから、キョン──」 「もう駄目」 と長門が再び俺の腕を引いた。先ほどより若干強く。 「これ以上はあなたの生命に関わる。早く。眼を閉じて」 遠ざかる情景を後ろに固く眼を閉じる。ハルヒの最後の声がしばらく耳に纏わりついて離れなかった。 意識が身体へと帰り着いたとき最初に気付いたのは垂れ流しまくった涙と鼻水に、ひどい喉の渇きだった。 次いで、何かが焦げていることに気付きそれが自分のおでこであることわかった。 長門が俺に接続しようとした瞬間を急進派が狙っていたんだそうである。しかし俺の万事を騙すことができ ず、またすぐに長門の解析・侵入が成功したことによって暗殺計画は結実することなく散ることとなる。あの 仮想空間は既に消去されてしまったのだとか。それと数秒間ではあるがやはり脳波は止まっていたらしい。が、 長門が言うには心配ないんだそうだ。 「ごめんなさい」 と長門は一言謝ったが、俺は何も言わなかった。 後日、恒例不思議探索のルーチン化した日程を過ごしたときである。燦然と燃え上がる夕日に照らされて 「またね!」 と言って別れるハルヒの満足の笑みに、 あの時 のハルヒも同じような笑顔であったのだろうかと思い出し、 心臓が握り潰される心持がした。
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/1824.html
それは冬も寒さが増してきてもうすぐ冬休みだ、と期待している俺に立ちはだかる期末試験の壁を越えようとしているとき出来事だ。 俺は放課後にSOS団の部室で勉強をしている。分からないところがあっても万能な仲間たちに教えてもらえるし、天使に入れてもらったお茶を飲みながら勉強することができる。 その上勉強の邪魔になる物はほとんど無く、また集中していなかったり他の事をしているとハルヒが激怒してくるため俺は仕方無しにも集中し、それが良い結果をもたらす事が分かっているためだ。 強制労働のように勉強させられている。しかし頭には凄い入ってくる。少し寒いのが難点だがこの勉強場所は最高だと思っている。もっとも試験期間以外は勉強はしたくないが。 期末試験はすでに始まっていて、残すところあと3日、7科目という状況で本日も3教科の試験を受けて残すところあと4教科となった放課後、いつも通り文芸室で俺は勉強している。 「キョンくんがんばってますね」 そう言ってくれたのはSOS団の天使である朝比奈さん。そうなんです、親に試験の結果が悪かったら家を追い出すと言われまして、と答え、古泉と共に問題を解いていた。 朝比奈さんは試験の残りは得意科目と選択科目らしく、軽い復習をすれば平気らしい。古泉はもともと頭がいいので俺の勉強を手伝わせている。 長門はいつも通りの定位置で読書をしていて、ハルヒはまだいない。 「お前は勉強してるようには見えないが、いつ勉強してるんだ?」 そう俺が聞くと、少し苦い顔をして機関で叩き込まれている事を教えてくれた。成績を上げるためによほどの苦労をさせられているんだろう。 学があることは将来役立つぜ、俺にはムリだが、と言っておいた。古泉はやはりいつものように苦笑いして、あなたらしい、なんて言ってきた。 「ところで長門は勉強する必要はないとは思うがしてるのか?」 そう聞くと、一応勉強らしい事はしているらしい。読書好きな長門なら教科書を1日で全部読んでしまうだろう。しかしどんな勉強すれば試験で楽できるんだろうか。 「簡単に学力は増加できる。問題は理解力。」 そうかい、じゃあ俺にはムリだなと呟くと 「理解力が無い有機生命体が学力を向上させる為には時間をかけて理解するか、より理解しやすい解説が必要。」 なら長門の理解力を分けてくれたらな、とか思いながら今回の今日までに受けた試験は珍しく高得点を狙えそうだった俺は明日の教科の勉強を始めた。 分からないところがあったら長門に聞き、古泉に解説させるというパターンで明日の勉強を終わらせた。 明日は平気そうだが、明後日に俺の苦手科目があるので明後日の分も今のうちに勉強しておくことにしてハルヒがくるまで勉強していよう。 もう少しでキリのいい所、ここまでで今日は勉強を終わらせようとしているとハルヒがやってきた。 これが終わった頃に来てくれるとちょうど良かったのにな、と思いながらもハルヒに挨拶をし、勉強しなさいと怒鳴られた。 かつてないくらいの集中力で勉強していた俺は疲れていたんだと思う。 「じゃあ家に帰って勉強するとしよう」 十分勉強して明日は安泰だと思ったから家着いたらすぐに寝ようと思っていたが、そんな事を言ったら殺されかねないので言わないでおく。 「待ちなさい! あたしがしっかり明日の分を教えてあげるわ!!」 もちろん明日の分は何とかなると思ってるし、明後日の方が不安なので明日の分に時間は割きたくない。どうせするなら明後日の分の勉強を教えてもらいたい。 「明日のは長門に教えてもらって何とかなりそうだから、明後日の分を教えてくれないか?」 ハルヒは明日の教科にそうとう自信を持ってるらしく、教えると言って聞かない。明日の教科を勉強しないと明後日の勉強は教えないと言われた。 「しかしなぁ、全教科平均的にあげたい俺としては明後日の試験が不安なんだよ」 「決裂ね! キョンが明日の勉強をしない限りは明後日の分は教えてあげない。自力でやりなさい?」 ハルヒは俺が折れると思っているのだろう。勝ち誇った顔で言ってきた。正直、明後日の教科は苦手なので1人で勉強しても焼け石に水な事は俺もハルヒもわかっている。 ハルヒはわかっているからこそ、俺が折れるだろうと言ってきた。 俺は今日は帰って寝たかったので、 「なら俺は1人で勉強して平均点とって団長様を驚かせてみせよう」 と言った。ハルヒは不機嫌そうな表情になり、 「できるものならやってみなさい!」 と言い、もう教えないだの平均クリアできなかったら罰ゲームだの言い出した。平均クリアできなかったら1ヶ月間ハルヒを学校帰りに送らなければならない事になった。 そんな約束してまで家に帰りたかった訳ではないが、何となく了承した。 「じゃあ今日はもう帰りなさい!」 不機嫌そうに言われて俺は何となく従った。 家について俺は飯も食わずに寝た。相当集中していたのか、すぐに熟睡できた。 そして弊害として朝早くに起きた俺は罰ゲームの事を思い出して登校時間まで勉強をする。もちろん明後日の教科だ。 ほどよく勉強した俺は早めの朝食を取ろうとリビングに行くと母親に小言を言われた。勉強はしているのか、何で勉強しないであんなに早くに寝るのかなど。 聞き流して学校へ行き、本日の試験を受ける。思った通りの手応えで、あとは明日の試験を残すだけだ、と思って文芸部室に行って勉強をする。 文芸部室には朝比奈さんと古泉が勉強していて長門は本を読んでいる。俺も定位置で勉強を始めるとハルヒが来た。 「どう? 平均クリアできそう?」 ハルヒは俺の厳しい現状を知っていて言ってきた。 「正直、今のままでは厳しい。」 「言っとくけど謝っても許してあげないわよ? そうね、教わりたかったら一発殴らせなさい!」 そんなに怒っているのかと思ったが、殴られるのも罰ゲームも嫌だった。 「殴られるのは困る。そうだな、長門は教えてくれないか?」 「有希! 教えたらダメよ!」 「何でだ? 分からないところを聞くくらいはいいだろう?」 ハルヒはダメと言い張り、結局1人で勉強することになった。1人で勉強するなら家がいいだろうと考えてそのまま帰宅することにした。 家に帰り、部屋で1人で勉強してると親が30分置きくらいで様子を見に来る。集中できないから図書館に行ってくると言い、家を出て行こうとしたら親に非常に怒られた。 学校でも家でも勉強してる様子がない俺が図書館に行って勉強できるはずがない、という事らしい。必死にやってるのに。 今回は今までにないくらい勉強していて疲れている上に、家で勉強できないのは親が様子を見に来るからということもあって文句を言ってると喧嘩になった。 そして最終的に「そんなに家で集中できないならでていけ!」と言われ、売り言葉に買い言葉で「そうする。もう知らん」と言って家を飛び出した。 冬の寒さに震えながら当初の目的地である図書館に着くまでに、厚着してくればよかった、とかこの年で家出か、とか考えていた。 しかし今回は俺は非は無い。その上出て行ってすぐに帰るのはみっともないのでとりあえず図書館で閉館まで勉強しながら考える事にした。 図書館に着くとあいつがいた。今日も寡黙に読書していた無口な宇宙人だ。 「よう長門」 と声をかけるとこちらに振り向いて小さく頷いた。 「あなたは勉強しなければならないはず」 そうなんだ、俺は明日の授業で来月の楽できるか苦労するかが決まる。 俺は家で勉強できない理由を言い、ここで勉強しようと思ったこと、できれば明日の勉強を教えて欲しいということを長門に言った。 「ならあなたはうちへくるべき」 とりあえず、落ち着いて勉強をできる場所を確保した。名言こそしてはくれなかったが長門ならきっと勉強を教えてくれるだろう。 「家族と和解するまではうちにいるといい」 そこまでは考えていなかったが、今さら家に帰るのも嫌だったのでお願いすることにした。 そして俺は長門に勉強を教えてもらっている。普段は古泉の解説がないと理解できないくらい高度な解説をしている長門だが、今日は非常にわかりやすい。 深夜まで勉強をして、手応えを感じた頃に眠りについた。俺はコタツに突っ伏したまま寝ていた。 翌朝に長門に起こされると、朝食を食べてから一緒に登校した。 定番と言えば定番なのであろう登校中にハルヒ含むSOS団や谷口に見つかるといった事もなく登校できたのは朝早くに起こしてくれた長門のおかげだろう。 そして試験前にも最後の追い込みをしてた。が、ハルヒに邪魔をされてはかどらなかった。 試験中にはハルヒの消しカスが飛んできて集中できなかった俺は、平均点をクリアできるか微妙だった。 「あれだけ大見得きったんだから平均点くらいクリアしてみせるんでしょうね!」 わからん、微妙だと言うとやっぱりあたしがいないとダメねなんて言われたが、お前のせいで集中できなかったとは言わずに「そうかもな」と言っておいた。。 最後に、来月は楽しみにしてなさい! と言われていったん会話は終了した。 「ところで今日はSOS団は休みよ!」 「何故だ?」 「打ち上げパーティの準備があるのよ! じゃあ急ぐから! じゃあね!」 そういってハルヒは帰っていった。 俺はいったい何をさせられるんだろうな、何て考えながら中止の旨を伝えるべく文芸部室に向かう。 部屋に入るとハルヒ以外の全員がいた。挨拶もそこそこに、古泉が「どうでした?」なんて聞いてきた。 「正直、微妙だ」 「そうですか。平均点をクリアしているといいですね」 「そうだな、今は祈ることしかできない。ところで今日は活動は休みだそうだ。試験が終わったから打ち上げパーティをするようだが、その準備のためにハルヒは帰った。」 「わかりました。では僕は帰りますけどみなさんはどうしますか?」 「えっと、わたしも帰ります。キョンくんはどうするんですか?」 「古泉も朝比奈さんも帰るのか。俺はどうしようかな。長門、どうする?」 「帰る。あなたは今日もわたしの家に泊まるべき。あなたにやってもらいたいことがある。」 古泉と朝比奈さんは驚いた表情を見せた。それはそうだ。今日も泊まるべきという事は昨日も泊まったことになる。しかも万能選手に頼み事を頼まれた。 俺は簡潔に事情を話したら納得してくれたようだった。古泉から、ハルヒには知られないようにとの忠告を受けて俺は素直に受け取った。 「では朝比奈さん、お邪魔者は帰るとしましょうか」 「ええっ」 そう言って古泉と朝比奈さんは帰っていった。 「それはそうと、俺は何をしたらいいんだ?俺は一泊の恩も勉強を教えてもらった恩もあるし、出来ることならやってあげたいが命に関わる事はやりたくないんだが」 「これは生命には関係ない事。うちに来て」 俺はわかった、と言い長門と長門の家へ向かった。 「ここに座って」 長門の部屋に着き、リビングに通された直後に言われた。 俺は言うとおりに座る。長門はキッチンに消えていく。これから俺はいったい何をすればいいんだろう。 少しするとお茶を持った長門がやってきた。 いつかのようにお茶を3杯ほど飲むと、長門は言った。 「あなたは疲れている。今日は風呂に入ってすぐに寝るといい」 昨日もほとんど寝てないし普段からは考えられないくらい集中して勉強して疲れ果てていた俺は長門の提案を受け入れた。 そして風呂場でその疲れた脳みそを働かせて考える。 もしかしたら長門の頼みごとは肉体労働なんだろうか。だから今日休ませて明日働かせようとしてるのか。 だけど今までの長門の恩を考えれば肉体的にきつくてもやってやろうと考えていた。 風呂から上がって長門の用意した、何故か俺にぴったりの服を借りてリビングに戻ると今度は長門が風呂に入っていった。 入る前に今日は布団が用意してあり、先に寝てていいと言われたので素直に寝ることにした。明日はどんな労働が待っているのかわからないし。 布団の中に入り寝る体勢を整えてから、布団が一つしかない事に気付いて長門はどこで寝るんだろうと考えていたら長門が風呂をでた。 どうするのか聞いてみようと考えてたら長門が寝室に来た。そして俺が口を開く前に布団に入ってきた。 「なっ長門?」 「あなたに頼みたいこと、それはエラーの解消」 またしても俺が口を開く前に長門は俺に寄り添って、言った。 「あなたの近くにいるとエラーが解消される。昨日あなたが来たときにエラーの解消が確認された。あなたは何もせずにそばにいてくれればいい」 俺は心臓をドキドキさせながらも必死で平坦な声をだして、「そうかい、わかったよ」と言い、何だかほっとした。。 長門によると、俺とハルヒが仲良くしているのを見るとエラーが発生するらしい。 それは有機生命体の『嫉妬』という感情だぞ、と教えてやった。そして長門が俺の事を想ってくれている事を感じた。 長門が俺を頼ってくれるのも、そばにいてくれればいいと言う発言もうれしかった。 そして軽く長門を引き寄せて頭を撫でてやると俺の心臓も落ち着きを取り戻した。心臓どころか心も非常に落ち着いた。 そうして長門の頭を撫でていると、最初は嬉しそうな顔をしていたがいずれ眠りに着いた。 そんな表情をする長門を見ていると何だか無性に長門が可愛く思えて、恥ずかしくなって俺も眠りに着いた。 俺が起きた時はすでに昼だった。今日は試験休みというありがたい休日だった。 長門はすでに起きていてリビングで読書をしていたが、俺がリビングまで行くと遅い朝食をだしてくれた。 そして食後に親からの電話で、試験は終わったんだから帰って来いと言われて返事をする前に電話を切られた。 「エラーは昨日の時点でほとんど解消された。あなたは家に帰るべき」 じゃあ俺は夕方には家に帰るよ、夕方までは長門の近くにいると言い、長門は少しうれしそうにしながら俺に寄り添ってきた。 俺に寄り添ったまま本を開いている長門は、たまにでいいからきて、エラーを解消してほしいと言われた。 「なら、たまにとは言わずに行ける時はできるだけ行くようにするさ。それと、エラーを溜めさせない為にもハルヒを2人きりにならないように心がける」 俺も長門が好きだし、長門といると落ち着くからな、とは言わなかった。 長門は頷くと視線をこっちに向けた。 それにしても長門といると心がこんなに落ち着くなんて。俺は軽く長門を抱いてみた。 長門はうれしそうな、それでいて少し困った表情で言った。 「明日以降は昨日までのように私に接することを推奨する」 「情報統合思念体の意思か? それとも長門は嫌なのか?」 「私という個体は今の状態を望んでいる。しかしその結果あなたと涼宮ハルヒが疎遠になることを情報統合思念体は望んでいない」 そうか。でも俺たちにはまだまだ時間はあるんだ、ゆっくりでいいさ。ハルヒの前でだけ前みたいに接すればいいんだろ、いつかはハルヒも思念体もわかってくれるさと思いながら、でも今だけはと思い少し強く長門を抱きしめた。 それから俺は長門の作ったカレーと食べて、親に電話してからもう一泊する旨を伝えた。明日からはハルヒを筆頭にSOS団員の前では今まで通りに接しなければならないし、接しようと決めたからだ。 学校が始まったらSOS団の目に着く可能性のあるところでは今まで通りに接しなければならない。長門と完全に2人きりなんていつなれるかわからない。 それに、今は少しでも長い時間を共有していたかった。 夜になると、もろくも俺の誓いは崩れ去る事になる。 突然かかってきたハルヒからの電話で、今から長門の家で打ち上げパーティをすると言われた。長門に了解を得てないどころか、知らないうちなのに。 その後長門にも同じ電話がかかって来て、30分後に現地集合となった。すでに現地である長門の家にいる俺は早く着いたことにする。 10分もしないうちに、中身は食料品と思われるあり得ないくらいの量の袋を持ったハルヒが来た。 「キョン! なんであんたがいるのよ!」 「お前に呼ばれたから来たんだ」 「早すぎるでしょう!?」 「たまたまここいらを散歩してたんだ。近かったからそのまま来た」 「キョンが最後だと思って罰ゲーム考えてきたのに」 そういうとハルヒは袋を端に置いてコタツに入った。 それから5分くらいすると古泉と朝比奈さんが来た。定例のあいさつをして四人でコタツを囲む。長門はお茶を入れている。 「涼宮さんもあなたもずいぶんお早いお着きでしたね。一緒に来たのですか?」 「断じて違う!俺が一番に着いたんだ。なのに何で俺が一番に来たときに限って罰ゲームはないんだ?」 「それは涼宮さんがあなたに罰ゲームをしてもらいたいと望んでいるからではないですか?」 「ハルヒはそんなに俺の事嫌いなのか?」 「いえ、逆ですよ。好きな人に意地悪してしまうあれですよ」 よくわからん。 長門がお茶を持ってきた時にはハルヒは既に酒を持ってきてた。もう飲まないって言ってたのに。 そして四角形のコタツに4人座っているので座るところがない長門にハルヒが気付いて言った。 「何やってるのよ有希、座りなさい!」 「座るところがないから立ってるんだろ? 俺が退くからここに座っていいぞ」 「そう」 「キョンは退かなくていいわ! 有希、キョンの上に座りなさい!」 「そう」 そう言うと長門は俺の脚の上に座った。足を組んで座っているので変にフィットしている。 古泉と朝比奈さんは知った顔でニヤニヤしている。言い出したハルヒは少し不機嫌そうにして酒を煽った。 「そうだ!」 ハルヒはすでに相当飲んだらしく真っ赤な顔で先ほどの大きな荷物から非常に大きな服を取り出した。 「キョン! 二人羽織しなさい!」 「なぜだ!?誰とだ!?」 「うーん、古泉くんだと入らなさそうだからあたしかみくるちゃんか有希ね」 俺は3分の2であたりを引けると思い承諾した。外れが誰だかは言わない。 「みくるちゃん、やってみる?」 「えぇ??恥ずかしいですぅ」 「大丈夫よ! お酒呑めば恥ずかしさなんて忘れられるわ!」 そう言ってハルヒは朝比奈さんに度数の高い酒を飲ませ、朝比奈さんをノックアウトした。そして確立は二分の一まで下がった。 「みくるちゃ~ん起きなさい!」 「寝させてやれ。無理やり起こすことはないだろう?」 そういうと俺は朝比奈さんを抱えて布団の敷いてある部屋に寝かせた。 「朝比奈さんはダウンでいいじゃないか。」 「それもそうね、じゃあどうする?」 「涼宮さんがやってみてはどうでしょう?」 俺は俺にはずれを引かせようとした古泉に酒を飲ませた。ノックアウトまであと3杯ってとこか? 「ハルヒは俺と二人り羽織やりたいのか?」 「進んでやろうとは思わないわね!」 計算どおり。意地っ張りなハルヒは例え俺と二人羽織したくても素直に言わないと思ったんだ。そして長門なら断らない。 「長門は俺と二人羽織するか?」 「する」 「じゃあハルヒに悪いから長門に頼む」 よかった。外れを引いたら何されるかわからないからな。古泉が何か言ってたので酒を飲ませた。大分つらそうな顔をしてる。あと2杯くらいでノックアウトできるだろう。 そうして俺は非常に大きい服をきて、背中に長門を入れた。 「じゃあ有希! これをキョンに飲ませなさい!」 ハルヒは一杯の透明な、度の強そうな酒を渡した。 長門は見事に俺の口へ運んでくれて、まるで違和感が無かった。しかしきつい酒だな。 「すばらしいコンビネーションですね」 とりあえず俺は古泉に酒を飲ませた。予想よりも1杯早くノックダウンした。そのまま古泉は放置する。 「もう1杯行きましょう!」 ハルヒ、俺はダウンしそうだぞ。 またも非常に違和感なく俺の口へ入ってきた。しかしさっきよりもコップの角度があるため一気飲みに近い形になった。 頭がくらくらする。 「ハルヒ、このお酒は強すぎるんじゃないか?」 「なによ、もうダウンするの? いいわ!有希、出てらっしゃい?」 長門が背中からでてくると、今度は俺の隣に座った。俺はそこで座ってられなくなり、長門の膝の上に頭を乗せる感じで倒れこんだ。 ハルヒが何かを言っているが聞こえない。長門が撫でてくれるのが気持ちいい。そうして俺はブラックアウトした。 俺の目が覚めた時には全員起きていた。長門以外つらそうだった。 「おはよう」 「わかったわ!!」 「朝から何がだ?」 「あんたと有希の気持ちよ!」 「だから何がだ?」 「酒は本性を出すって言うでしょ?」 と前置きをしたハルヒによると、酒を飲んで本性をだした俺と長門を見ていると、どうやらお互い好きあっているらしい。でもお互いに自分の気持ちにも相手の気持ちにも気付いてない、と言った。 酒を飲ませただけでそんなにわかるか! っと言いたかったが半分は当たってるし何も言えなかった。 当たっている半分は、お互い好きあっていること。外れている半分は二日前に気付いたお互いの気持ち。 そうして俺は投げやりに言った。 「そうかい、そういうことにしておくよ」 俺はそう言いながら、ハルヒが認めたってことは思念体も認めざるを得ないと考えて、これからは長門とどうどうと一緒にいれると思って歓喜した。 その後に朝比奈さんに聞いたんだが、ハルヒは俺と長門の気持ちに気付いていたらしい。 そして、やけ酒飲んで忘れようとしたとか。ハルヒは常識的なのか非常識なのかわからない。しかし最大の障害は無くなった。 ハルヒが俺と長門の関係を許すとしたら俺はハルヒの鍵ではなくなったという事になるだろう。 ハルヒの気遣いには感謝しながらこれからは長門と一緒に歩いていこうと思う。きっと長門とならずっと一緒にいれるだろう。
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/3215.html
月曜日 この高校に入って2回目の夏休みも、去年同様ハルヒに振り回されて終わった。 まあ流石に去年みたいに延々とループさせられる、っつーことは無かったがな。 この夏休みを語る上で1番話さなくてはいけないこと、それは俺とハルヒが付き合いだしたってことだ。 告白したのは俺。まあなんというか、いい加減はっきりさせないといかんと思ったわけだ。 SOS団のメンバーの反応は、長門はいつものようにノーリアクション、朝比奈さんは笑顔で祝福、 んで古泉は「おやおや、ようやくですか」とか言って例のニヤケ顔さ。 まあ結局のところ俺がハルヒに振りまわされるっつースタンスは不動のもののようで、 デートと言っても不思議探索の延長みたいな雰囲気、まあ俺もそういうもんかなと思いつつ、 もうちょっと恋人らしく甘々な言動があってもいいんじゃないかという希望もあるわけだ。 さて、回想はこれぐらいにしようか。現在に戻ろう。 夏休みは終わり、今日からまた学校が始まる。この忌々しいハイキングコースとも感動の再会だ。 おー1ヶ月俺が登らなくて寂しかったかー。俺は全然寂しくなかったぞー。 暦の上では秋なんだからもっと涼しくていいだろうに、8月とまったく変わらぬ日差しで俺の体力を奪う. もう学校につくころには俺のHPは半分になっていたさ。 「ようハルヒ。普通ならここで久しぶりだとか言うんだろうが、まったく久しくないな。」 「まったくね。まあでも部室に行くのは久々だから、それは楽しみね!」 どうやらコイツの頭の中ではこれからやる始業式やHRなどは省略されてるらしい。もっとも俺もだが。 よって校長先生のありがたーい話や岡部の熱血HRなどは省略させていただく。 そして、放課後がやってきたわけだが、部室に行こうとする俺をハルヒが呼びとめた。 「ん?どうした?ハルヒ。」 「悪いけど今日、部室には行けないわ。」 「珍しいな、なんでだ?」 「母さんが熱中症でダウンしちゃったみたいなのよ。さっきメールが来てね。 ほっとくわけにもいかないから先に帰らせてもらうわ。」 「そういうことなら早く行ってやれ。みんなには俺から伝えとくさ。」 「わたしがいないからってみくるちゃんや有希にちょっかい出すんじゃないわよ!」 「出すか!」 そしてハルヒは笑いながら走り去ってしまった。やれやれ…… さてと、じゃあ部室に行くとしますかねえ。 例によって朝比奈さん着替え対策としてのノックをしつつ、 返事が無いので多分長門だけだろうとドアを開けたら、案の定長門だけだった。 「よう、長門だけか。」 と俺はあいさつをする。 この場合、無反応が20%、こっち見て頷くのが40%、「そう」と短い返事をするのが40%。 これは今までの長門の反応を統計的に分析しただいたいの確率だ。 さーて、今日はどのパターンかな。 「……うるさい。」 おお、今日は短い返事のパターンか。……ってあれ?なんか今変なことを言われたような…… 「あの~長門さん?今なんと……?」 「うるさいと言っている。本に集中できない。黙って。」 この時ようやく俺は、今の異常な状態に気付いたのだ。 「おい!一体どうしたんだ?……長門!」 俺が長門の肩をつかむと、長門はそれを冷たく振り払った。 そして本を閉じて 「……帰る。」 荷物をまとめて席を立ってしまった。 ガチャリ 丁度その時、ドアが開いて、古泉と朝比奈さんが入ってきた。出ようとした長門と丁度向かい合わせになる。 「あ、長門さん、こんにちはぁ~。」 「おや?帰られるのですか?」 「……どいて。」 「え?」 長門はそのまま外に出ていってしまった。 「あ、あの~今のは一体……?」 「部室で何かあったんですか?」 わからん。俺が部室に来た時からあんな感じだった。俺にもさっぱりだ。 あんな不機嫌そうな長門は見たこと無い。 コンコン と、その時だった。部室のドアがノックされたのだ。 ハルヒは休みだし、長門は今さっき出ていったばかりだ。 となると…… 「ど、どうぞ~!」 朝比奈さんの声でドアが開き入ってきたのは、意外な人物だった。 「喜緑さん!」 「お久しぶりです。」 喜緑江美里さん。俺より一個上の先輩で生徒会の書記であり、 長門と同じインターフェイスだったりする宇宙人なのだ。 「一体、なんのご用で?今は生徒会が関係する企画をする予定はありませんが……」 「いえ、今日来たのは長門さんのことについてです。」 「長門さんのこと、ですかぁ?」 「ええ。今日の長門さん、少しおかしくありませんでしたか?」 少しどころじゃありませんよ。あんな敵意ムキだしな長門、始めてです。 「やはりそうですか……」 「今長門さんに何が起こっているのですか?」 「単刀直入に申し上げます。長門さんは今、『反抗期』なのです。」 「「「反抗期!?」」」 俺と朝比奈さんと古泉の声が見事にハモった。 長門が……反抗期? 「はい。多くのインターフェイスは1回はこれを経験します。原因は自我の発達。 おそらく長門さんはこの夏様々な経験をして、自我が大きく成長したのでしょう。」 「その反抗期というのは我々人間と同じように、時と共に直るものなのでしょうか?」 「ええ、その点については問題ありません。個人差はありますが、5日程度で通常に戻るでしょう。」 5日か……うん、それぐらいなら対したこと無いな。 「ただし、我々インターフェイスの反抗期は、人間のそれよりも危険度が高いです。」 「と言うと?」 「過去、朝倉涼子が暴走しましたね?実はあの時も、彼女は反抗期だったのです。」 「マジですか!」 「ですから、そういう暴走を引き起こす可能性もあるかもしれないわけです。」 「いや、長門に限ってそんな……」 「今までの彼女とは別人のようになってしまう、それがインターフェイスの「反抗期」です。 もし長門さんが限度を超える暴走をした場合、私の手で彼女の情報連結を解除しなければなりません。」 「そんな……」 「私としてもこれは避けたいと思っています。 ですから皆さんには、長門さんが暴走しないように刺激しないで見守っていてほしいのです。 これからの5日間、不快にさせてしまうこともあるかと思われます。 でもこれも長門さんの成長なのです。どうか、見守ってあげてください。お願いします。」 そう言うと喜緑さんは頭を下げた。 ……分かりましたよ喜緑さん。これがあいつの成長のためなら、俺達はそれに付き合いますよ。 なあみんな? 「ええ。長門さんはSOS団の大事な仲間ですから。」 「ぼ、暴走なんて、させません!」 「……ありがとうございます。長門さんを、よろしくお願いしますね。」 喜緑さんはもう1度頭を下げた。 こうして、長門反抗期ウィークが始まったわけだ。いろいろ不安だが、乗り切るしかないよな…… 火曜日 朝、むしむしする熱さの中を坂を登って登校するあたし。 流石のあたしでも、これは結構体力を削られる。 やっぱり部室にもクーラーが必要よね。また電気屋さんに頼みこもうかしら。 荷物運びやセッティングは全部キョンに任せちゃいましょ。 校門にさしかかった時、見慣れた顔と鉢合わせになった。 「有希じゃない、おはよう。」 あたしはいつものようにあいさつをする。 いつもの有希なら小さな声で「……おはよう。」と返してくれる。 だからあたしもそういう返答を期待してたんだけど、返ってきた言葉は予想外のものだったわ。 「……話しかけないで。」 え? 今、なんて? 「ちょ……有希!」 私の声にも応じず、そのまま歩き去ってしまった。一体……なんなの? もしこれがキョンとかだったらそのままケリとか食らわすとこなんだけど、 相手が有希じゃそういうワケにもいかないし、する気も起きない。 怒りよりむしろ混乱の方が大きかった。あの有希があんなこと言うなんて……どういうこと? パニック状態のまま、あたしは教室に着いた。 既にキョンはあたしの席の前に座ってた。 「ようハルヒ。今日は遅いな。」 「ちょっと聞いて!さっき下駄箱で有希と会ってね……」 あたしはさっき起こった出来事をキョンに説明した。 でもキョンは驚く様子は無い。「やっぱりか……」みたいな表情をしてる。 「驚かないわね。なんか知ってるの?」 「ああ。ハルヒにも話しておこうと思ってたんだけどな、 今の長門はなんていうか、ちょっとナーバスなんだ。一般的に言う『反抗期』ってヤツらしい。」 「反抗期?」 あの有希が反抗期……?想像もつかないわ。 でもさっきの態度も反抗期だってなら説明できる。 「そういうことだ。時と共に直るはずだから、俺達に出来るのは見守ってやることだけさ。」 「……そうよね。それしかないわよね。無理に叱り付けても逆効果っぽいし。 それにしてもあの有希が反抗期だなんて……」 「確かに意外だが、俺はいいことだと思ってる。あいつは自分を出すヤツじゃなかったからな。 どんな形であれ、自分を出そうとしてるのは良い傾向だ。 長門なりに変わろうとしてるんだよ、きっと。」 キョンの言う通りね。こいつ、あたしよりも団員のことを分かってるかも…… ……いいえ!そんなことないわ!団員のことを1番分かってるのは団長であるあたしなんだから!! 授業を終えて、待ちに待った放課後。 あたしは掃除当番だから、キョンを先に行かせる。 昨日休んだから久しぶりの部室! ワクワクしながらあたしはドアを開けた。 「遅れてごっめーん!……あら?有希は?」 「帰っちまったよ。昨日と同じようにな。」 結局、有希は帰ってしまったらしい。 「まったく、しょうがないわねあの娘は。」 「すいません涼宮さん、彼女の無礼、僕が代わりに……」 「古泉くんが謝る必要は無いわよ!それにあたしは怒ってないわ!」 あの娘が変わろうとしてるんなら、あたしもそれを応援するつもりよ だって有希も大事なSOS団の団員なんだから! 「みんな!団長命令よ!有希のことを優しく見守ってあげること!!」 水曜日 今日は水曜日。長門さんが反抗期に突入してから今日で3日目です。 幸い、言動にトゲがあるものの、これと言った事件は無くここまで来ています。 このまま何事も無く反抗期が過ぎ去ってくれれば良いのですが…… そう願いつつ、いつものように部室のドアを開けます。 「こんにちは。おや、今日はお二人がいませんね?」 部室にいるのは長門さんと朝比奈さんのお二人だけでした。 元々少し長門さんが苦手なところがあった朝比奈さんです。 現在の反抗期中の長門さんとの二人きりな状況、たいへん苦痛であったと思われます。 現に僕がドアを開けた瞬間、彼女の顔からは安堵の色が伺えました。 朝比奈さん、お疲れ様です。 「こんにちは古泉くん。あの、涼宮さんとキョン君は、今日は行くところがあるからと連絡が……」 「なるほど。所謂デートということでしょうか。 それは非常に望ましいことですね。是非彼は彼女と仲良くなって頂きたく……」 ガタァン!!! 「ひぃ!?」 彼と涼宮さんがいないので比較的静かな部室に突然響いた音。 何事かと音のした方向を見ると、なんと長門さんが本棚を蹴っていました。 ……正直、かなり怖いです。 長門さんを無視して朝比奈さんと会話をしたのがマズかったのでしょうか…… 「こ、こんにちは長門さん。今日もいい天気ですね。」 「……そう。」 これは朝比奈さんで無くとも精神的にキツいですね。 今までのパターンから考えて、そろそろ「……帰る。」と言う頃でしょうか? 「……古泉一樹。」 名前を呼ばれました、さて、「……帰る。」ですかね? しかし次の一言はまったくの予想外で、僕を多いに驚かせました。 「……オセロでの対戦を希望する。」 ……マジで、言っているのですか? そういうわけで、何故か長門さんとオセロで対決することになりました。 結果……8割以上が長門さんの白で埋め尽くされるという結果に。惨敗、というヤツですね。 「………」 僕は彼ほど長門さんの表情を読むのが上手くはありませんが、何やら今の長門さん、不満そうに見えます。 はて……何がマズかったのでしょうか。 「あなたは私をバカにしている。」 はい!? いえ、まったくそんなつもりは無いのですが…… 「あなたの知能レベルとこのゲームの熟練度を考えれば、まだこのゲームに慣れていない私に勝つのは容易。 でもあなたはこれだけ負けている。つまりあなたは私に対して手加減をした可能性が高い。 私が今情緒不安定な状態になっているのは自覚している。その私を気遣ったということ? バカにしないで。こんな勝ち負けで私の感情は爆発しない。あなたのやっていることは侮辱。」 久々に聞きましたね、長門さんのマシンガントーク。 しかし彼女の意見はかなり的外れです。僕は手加減なんてしていないし、ガチでこの弱さなのです。 自分で言っていて悲しいですが、僕はこの手のゲームに弱いと自信を持って言えます。 普段の彼とのゲームの様子を見ればわかるはずですが…… やはり彼女は今冷静な判断力を欠いているようです。 「お言葉ですが、僕は手加減したつもりはまったくありませんよ。僕は普段から……おっと失礼。」 携帯電話が鳴りました。閉鎖空間のようです。 やれやれ、どうやら今デート中の彼が何かやらかしたそうです。 「すいません長門さん。閉鎖空間が出たようですので、僕はこれで……」 「ダメ。あなたは私と次のゲームをするべき。」 「いやしかし、閉鎖空間が……」 「あなたがこの部屋を出ることは許さない。私とゲームをするべき。」 「な、長門さぁ~ん、ゲームなら私がお付合いしますからぁ~!」 「あなたではダメ。私は古泉一樹との勝負を所望している。盤は準備した。さあ……」 「いい加減にしてください!」 言った後、しまったと思いました。僕ともあろう者が怒鳴ってしまうとは…… すぐに謝ろうと口を開きかけたところで、長門さんの様子がおかしいことに気付きました。 「うっ……うっ……」 なんと、あの長門さんがうずくまって泣いているのです。普段の彼女ならこんなことはありえない。 しかし僕はようやく理解しました。彼女は今、感情のコントロールが出来ない状態にある。 それは反発の感情だけではなく、喜びや悲しみなどの感情においても同じ。そして今は、悲しんでいる。 「長門さん……」 朝比奈さんも不安そうに長門さんを見ている。 ……仕方ありません。機関には後で罰を受けるとしますか。 今の状態の彼女を放っておけるほど、僕は冷徹になれそうにはありません。 「申し訳ありません長門さん。もう一勝負、お付合いしますよ。」 結局、僕が勝てて解放されたのは下校時刻ギリギリでした。 しかし、何故彼女はこんな状態になってしまったのでしょうか。 「自我の目覚め」と喜緑さんは言っていました。ではそのトリガーとなった出来事とは……一体? 木曜日 今日で長門さんが反抗期に入って4日目。 私は昨日と同じように長門さんと二人きりで部室に居ます。 私なりに、今までの出来事を整理してみたんです。そして気付いたことがあります。 「はい、長門さん、お茶です。」 「……。」 長門さんは特に何も言いませんでしたが、ちゃんとお茶を貰ってくれました。 私は勇気を出して、長門さんに尋ねてみます。 「ど、どうですか?おいしいですか?」 これは私が考えていることを確かめる意味でもあるんです。 すると長門さんは、口を開きました。 「……割と。」 やっぱり…… 今の返答で確信を持ちました。長門さんは、私や古泉くんに対してはあまり反発しません。 昨日の出来事も、敵意を持ってやったことじゃないと思います。 そして何より、昨日は帰らずに最後まで居たこと。それは、彼と涼宮さんがいなかったから…… ガチャ 「だから昨日は悪かったよ。」 「もう怒ってないわよ。でもまた変なことしたら死刑だからね!」 「へいへい。」 ドアが開いて、涼宮さんとキョン君が入ってきたみたいです。 会話からして、昨日閉鎖空間を発生させたいざこざは解決したみたい。良かったぁ。 「……帰る。」 そして長門さんは、部室を出ていってしまいました。 「お、おい長門……」 「有希……」 そう、長門さんは明らかにこの二人を避けているんです。それも、敵意を持って。 昨日長門さんが本棚を蹴った時のこと。 アレは古泉くんが長門さんを無視して話をしてたから怒ったんじゃありません。 話の内容に怒っていたんです。丁度あの時、二人のことを話してましたから…… 帰り道、長門さんを除いた4人で歩いています。 今日は珍しく、涼宮さんが古泉くんと話しています。 だから私は、キョンくんに話しかけることができるのです。 「あの~、キョン君、お話があります。」 「なんでしょう、朝比奈さんの話ならなんでも聞きますよ。」 「長門さんのことなんです。」 キョンくんの顔が真剣になりました。 私は続けます。 「昨日キョンくんと涼宮さんがいなかった日は、長門さん最後まで居たんです。 ちょっとしたいざこざはあったけど、無視したりはしませんでした。 でもキョンくんと涼宮さんの話を出した時だけ怒って……」 「そうだったんですか……」 「だから私思うんです。言いにくいけど……長門さんはキョン君と涼宮さんに敵意を持ってて、避けてます。」 「俺とハルヒ限定ですか?なんでまた……」 「それはきっと……」 「ちょっとキョン!どこ行くつもりなのよ!」 「え?」 キョン君は涼宮さんに呼びとめられました。 キョン君と私の帰り道は途中で別の道に分かれます。 その分かれ道のとこまで来て、そのまま私の方向へ行こうとしちゃったんですね。 「まったく!道忘れるぐらいみくるちゃんとの話に夢中になってたなんて!嫌らしい!」 「嫌らしいってなんだお前は!お前だって古泉と……」 「はいはい言い訳はこの後聞くわよ。じゃあねーみくるちゃん!古泉くん!」 こうして私と古泉くん、キョンくんと涼宮さんというように別の道に別れました。 「先程話していた内容、失礼ながら僕も聞き耳をたてさせて頂きました。 確かに、長門さんは彼と涼宮さんを特に避けていますね。よくお気づきになりました。」 「はい。でも肝心なことを言えませんでした。彼女が二人を避けて反発してる理由……」 「僕には安易に想像できますが、果たして彼が気付けるかどうか…… なんにせよ喜緑さんの言うことが本当ならば明日で終わりです。 何事も無く終わることを祈りましょう。」 「そうですね……」 でも、その願いが叶うことはありませんでした。 明日、長門さんはついに暴走をしてしまうのです…… 金曜日 今日で長門が反抗期になってから5日目。喜緑さんの言うことが本当ならば、今日で最後になるはずだ。 明日の不思議探索では普通に戻ってほしいと願いつつ、 俺はいつものように部室へと向かう。今日はハルヒと一緒だ。 「ねえ、キョン。有希のことなんだけど……」 「長門がどうかしたか?」 「私思うのよね。有希に避けられてるんじゃないかって…… さっきも会ったんだけど、私の顔を見るなりくるりと方向変えて逃げちゃったのよ。」 「この前も言ったろ。アイツは今ナーバスな状態なんだ。仕方ないさ。」 「でも……」 ハルヒは何か言いたげだ。 まあ確かにハルヒは長門が宇宙人ってことも知らないし、短期間で直るってのも知らない。 ずっとこのままこの態度だったらどうしようかと不安になるもの無理は無いだろう。 かと言って俺が「明日には直るさ。」と断言するわけにもいかない。 明日まで我慢してくれな、ハルヒ。 ガチャ 部室のドアを開けると、例のごとく小柄な宇宙人が一人で本を読んでいた。 だが、俺達の顔を見ると、露骨に帰る準備を始める。 「……帰る。」 ……まあ今日までだからな。このままごたごたも無く過ぎ去ってくれればそれでいい。 長門が俺達の脇をすり抜けて部室から出ようとする。だが…… 「ちょっと、待ちなさい!」 ハルヒが長門の肩をつかむ。お、おいハルヒ……長門は今ナーバスな状態で…… 「知ってるわよそんなこと!でもこのままでいいわけないでしょ! ねえ有希、なんでアンタ私達を避けてるの?言いたいことがあるなら言った方がすっきりするわよ?」 まあハルヒらしいっちゃハルヒらしい言い分だ。 同じ反抗期なら面と向かって反抗しろということらしい。 「あ……が……くい……」 長門がぼそぼそと口を開いた。え?なんだって? 「有希?」 「あなたが……憎い。」 な、長門!? 「きゃっ!!」 「ハルヒ!!」 ハルヒが長門に突き飛ばされた!そのまま団長机に激突してしまう。 「おいハルヒ!!大丈夫か!?」 ……意識が無い!頭を打って気を失ってる!早く病院に…… 「無駄。この空間を私の情報制御空間とした。この部屋からは出られない、私が許可しない限り。」 「だったらその空間を解除してくれ!このままじゃハルヒが……」 「問題無い。」 「問題無いわけねぇだろう!」 「涼宮ハルヒは、私がここで殺すから。」 「な……がと?」 そう言ってナイフを取り出す長門。 おい……冗談だろ?ナイフってお前……どこの朝倉だよ。 「なんでハルヒを殺すんだ!SOS団の仲間じゃなかったのか!?」 「涼宮ハルヒがいる限り、私とあなたが結ばれることは無い。」 「長門、お前……」 「私があなたを考えない日は無かった。 だけどあなたは私を見てはくれない。涼宮ハルヒのせい。 彼女の存在は私にとって邪魔。だから殺す、それだけ。」 そうか、長門は俺のことを…… なるほど、これが長門が反抗期になった原因か。ハルヒと付き合い始めたことが…… 俺はまったく気付いちゃいなかった。……あんだけ助けてもらっておいて。 そりゃ長門だって反抗したくもなるさ。全部俺の責任だ。 「長門、すまない。俺がお前の気持ちに気付いてやれなかったせいだな。」 「分かってくれた?じゃあ、私と一緒に……」 若干、長門の顔が輝いた……ように見えた。 でも、俺はそれに答えるわけにはいかない。 「それは、無理だ。」 「どうして。何故私の気持ちに答えてくれない。 あなたと私には信頼関係というものがあるはず。何の障害も無い。理解不能。」 「こんな脅迫のような形で、俺は自分の気持ちを変えたくはない。 俺はハルヒが好きだ。あいつもそれに答えてくれた。だから……」 俺は長門の肩に手をおいて、言わなくてはならぬことを言った。 「お前の気持ちに、答えることは出来ない。」 すまない、長門。 「……そう。」 長門はナイフを下ろした。分かってくれたか? なにやらボソボソと呟いている。 「……@@@@@@」 これは……例の高速呪文!? すると、長門の手に持っていたナイフが変化していって……これは……刀か? 「うおっ!」 長門は俺に向かってその刀を振り上げてきた。 まだ……やる気なのか? 「だったら、あなたも涼宮ハルヒも殺す。」 「長門!分かってくれ!お願いだ。」 「うるさい。もういらない。あなたも、SOS団も……」 長門が刀を振り上げる。だが、死ぬわけにはいかない! 俺は振り下ろされる長門の刀を避けて、ハルヒの前に立った。 「……なんのつもり?」 「俺はハルヒを守らなくちゃいけない。俺だけならともかく、こいつを死なせるワケにはいかない!」 「無駄なこと。この場所で二人とも死ぬ。……@@@@@」 長門がまた高速呪文を唱えた。 ……!?足が動かない!! 長門が刀を持って向かってくる。俺はハルヒを庇うように前に立った。せめてこいつだけでも……!! 「……!!」 思わず目をつぶってしまう。斬られるか……! でだが……痛みは来なかった。そっと目を開けると、そこには…… 「喜緑さん!」 「すいません、遅くなりました。長門さんの情報閉鎖が強力でして…… もう安心していいですよ。」 微笑む喜緑さん。 ひとまずは助かった。しかしここで俺は、月曜日に喜緑さんが言っていたことを思い出した 『もし長門さんが限度を超える暴走をした場合、私の手で彼女の情報連結を解除しなければなりません』 まさか……! 喜緑さんは長門の元へと歩み寄る。 「江美里……なんのつもり?」 長門が刀を持ったまま尋ねる。 逃げろ長門!喜緑さんはお前の情報連結を解除しようとしてるんだ! 「やめてくれ!喜緑さん!!」 パチン! ……え? 予想外の出来事に、俺は自分の目を疑った。 今……なにがあった? 喜緑さんが長門に……平手打ちをした? 「いい加減にしなさい、長門さん。」 「どいて。私は彼と涼宮ハルヒを……」 「殺してどうなるんですか。あなたはそれで満足なんですか? あなたのやっていることは、オモチャが手に入らなくて泣いているダダッ子と同じです。」 「……違う!」 「いつまで甘ったれているのですか!彼は優しいから、今まであなたの望むようにしてくれたでしょう。 でも、それに甘えてばかりじゃいけません。彼には彼の気持ちがあるんです。」 「違う、違う、違う……」 うわ言のように繰り返す長門。だが喜緑さんの説得は続く。 「あなたは失恋したんです。今あなたに必要なのはそれを認めて、諦めることですよ。 辛いですけど、これを乗り越えることで強くなれるんです。 それは人でも、インターフェイスでも変わらないことですから。」 「……うっ……うっ……」 喜緑さんの胸に顔をうずめて泣きはじめる長門。 長門の作った空間も崩壊を始めて、元通りの部室に戻った。 そうだ、ハルヒは!? 「すぅ……すぅ……」 ……寝てる。はぁ、のんきなヤツだよ。でも……良かった。 「……はぁ~……」 安心した俺は、そのまま床に座りこんでしまった。 「ありがとうございました、喜緑さん。」 「いえ、到着が遅れて申し訳ありませんでした。」 「でも正直、あなたが現れてびっくりしました。長門の情報連結を解除するつもりなのかって。」 「私がどの派閥に属しているかご存知ですか?」 「派閥?いえ……わかりません。」 「穏健派です。その名の通り、穏便に事をすますに越したことは無いのですよ。 それに前にも言った通り、私個人としても長門さんを消したくはありませんでしたから。 ……ふふ、泣き疲れて寝てしまってますね。」 長門は喜緑さんの胸の中で寝息を立てている。穏やかな顔だ。 今気がかりなことを喜緑さんに尋ねてみた。 「俺は……これでよかったんでしょうか?」 結果的に長門をフッたことになる。 でも喜緑さんは、微笑んで言った。 「それは、あなた自身が1番よくわかっているはずですよ。」 ……そうだな。 俺はハルヒを守ると決めた。そのことに後悔は無い。 長門、すまないな……でもこれが俺の答えなんだ。 土曜日 さて今日は不思議探索の日。 俺はみんなに昨日のことを話すため、集合時間より1時間早く来てくれるように頼んだ。……長門以外のな。 俺が集合場所に着いた時には古泉と朝比奈さんが居たから、昨日の出来事を覚えている限り正確に伝えた。 予想外な出来事で驚くかと思っていたが、 どうやら二人は長門の気持ちを既に察していたらしい。 ハルヒには既に昨日の帰り道で伝えてある。 と言っても当然妙な空間の話とかはするわけにはいかない。 だから俺がとっさに作った話では、 『長門は俺に好意を抱いていて、俺とハルヒが付き合いだしたことで情緒不安定になっていた。 お前に呼びとめられたことでカッとなって突き飛ばしてしまった。 あの後本人もパニックになってしまったので先生に家まで送ってもらった。』 というものだ。 我ながらなかなかの作り話だ。実際に家まで送ったのは先生じゃなくて喜緑さんだがな。 ハルヒはそれに納得すると同時に、長門に対して申し訳無い気持ちになったようだ。 珍しく「私悪いことしちゃったかな……」と気落ちしていたので、こう言ってやった。 「悪いと思わなくていい。俺はお前と付き合ったことに後悔してないからな。 ただ、長門を責めないでやってほしい。」 するとハルヒは100万ワットの笑顔を取り戻して「当然じゃないの!」と言った。 ようやくいつものハルヒに戻ってくれて、俺は一安心だったってわけさ。 さてそんなこんなでみんなが集まって30分ほどたった時、長門がやってきた。 おや……いつもと違うところが一個ある。 俺達と顔を合わせて早々、長門は頭を下げた 「ごめんなさい……迷惑をかけた。」 当然、ここで追い討ちかけて責めるヤツなんて、SOS団にはいないさ。 長門はその後、一人一人に謝罪の言葉を述べていく。 「朝比奈みくる、ごめんなさい。あなたを余計怖がらせるような真似をしてしまった。」 「いいんですよぉ、気にしないでください。 それに、私にも気持ち分かりますから。」 「……?どういうこと?」 「ふふ、禁則事項です♪」 首をかしげる長門。俺もよくわからない。どういうことだろうか。 「古泉一樹。ごめんなさい。あなたの任務を邪魔するようなことをしてしまった。」 「構いませんよ。僕の中での優先順位は、機関よりもSOS団となっていますから。 これからも遠慮せず、何でもお申しつけてくださって結構ですよ。 今度は将棋で勝負などはいかがでしょうか?」 「……感謝する。」 いつもと同じニヤケ面で対応する古泉。まあこの方が、長門も救われるだろうさ。 「涼宮ハルヒ。……ごめんなさい。私は、あなたを……」 「謝るのはあたしの方よ。ごめんね有希。あなたの気持ちに気付けなくて……無神経だったわ。」 「じゃあ約束してほしい。彼と一緒に幸せになって。これが今の私の望み。」 「……ありがとう。分かったわ!不幸になんてさせないんだから!」 二人の間にもわだかまりが出来なくてなによりだ。 そして長門は……俺の前に立った。 「あなたに1番迷惑をかけた……ごめんなさい。」 「構わないさ。それより長門……メガネ、つけたんだな。」 「そう。」 いつもと違う1箇所。それは、長門がメガネをかけていたことだった。 「俺は、メガネが無い方がかわいいと思うぞ?」 「いい。これは……けじめ。」 「そうかい。」 これがきっと、こいつなりのけじめなんだろうな。俺への気持ちを忘れるための、な。 「私はあなたのことを諦めた。でも、これからもSOS団の仲間として親しくしてほしい。……いい?」 愚問だな。そんなの決まってるじゃないか。 だから俺は笑って、こう答えてやるのさ。 「当たり前だろ。こちらからもお願いするよ。これからもよろしくな、長門。」 それを聞いて長門が微笑んだ……ように見えた。 きっとみんなの目にも、そう写ってるはずだぜ。 「……ありがとう。」 ……fin
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/1668.html
いつもの喫茶店。 俺は集合時間より1時間早く着いていた。 何故って? そりゃあ俺の彼女といる時間を少しでも長くしたいからさ。 先に二人で喫茶店に入ってみんなを待つ。俺の横を指定席に、文庫本に目を落とす彼女、長門有希。 時折、俺がちゃんといるかどうか確認するようにこっちに視線を移してくる。 「大丈夫だって、俺はちゃんとお前の側にいるから。」 そう言って、俺は長門の肩を抱いた。 「………ん。」 長門は、少し頷いて俺の肩に頭を乗っけて再び本に目を落とした。 俺が長門を選んだ理由。 今まで守ってもらい、感謝しているというのもあるが、何よりこいつの不安げな顔を見てると逆に守りたくなった。それだけさ。 「……キョンくん。活動の時はイチャつかないでくださいっ!」 朝比奈さんがいきなり不機嫌な顔を出した。 「おわっ!…あ、朝比奈さんおはようございます。」 すぐに笑顔に変わって、「おはようございます!」と返事が返ってきた。 それから朝比奈さんはすぐに長門に目を移した。 「……長門さん、本ばっかり読んでるならわたしがキョンくん貰っちゃいますよ?」 「っ!?………ダメ。わたしの、大事な人。」 と言い、長門は本を閉じて俺に寄り添ってきた。 ……古泉、早く来てこの空気をどうにかしてくれ。 しばらく経つと古泉が来てそのすぐ後にハルヒが来た。 「おう、ハルヒ。珍しくお前が奢りだな。」 「……あ、あんたのせいで泣き疲れて寝ちゃったんだからあんたが払いなさい!」 ……言い返せない俺はヘタレだ。 とりあえず俺が払うことになり、班分け。 ……長門と二人きりだ。こりゃうれしいね。 「あんたらね、二人きりだからってデートじゃないのよ!しっかり探しなさいよ!」 と、まぁいつものお叱りを受ける。 「………やきもち。」 長門、聞こえてるぞ。 ハルヒは長門に近付いて、両頬をつねった。 「有希。あたしはまだ諦めてないんだからね!覚悟しときなさい。……それと、探索はちゃんとしなさいよ。」 「………ふぁい。」 あ、そのつねられたままの返事はかわいいぞ。 などと考えていると、朝比奈さんも長門に近付いた。 「わたしも、です。まだ…諦めてないですから。」 やれやれ。俺も大変だが長門も大変だな。 俺は長門と公園に向かった。朝から聞いた朝比奈さんの言葉を意識したのだろうか、長門から公園がいいと言い出したのだ。 俺達は、ベンチに座り身を寄せ合っている。 「長門…気持ちいいな。」 「………いい。」 「長門、今日のクジ…インチキしたろ?」 「………ごめんなさい。」 やっぱりか、都合がよすぎたからな。 「謝るなって、俺もうれしいんだよ。……長門、幸せか?」 長門がこっちを向いて、口付けてきた。 口を離すと、笑顔でこう答えが返ってきた。 「………しあわせ。」 終わり
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/401.html
放課後の部室にて。 「…これ」 そう言って長門が渡してきたのはなにやらPCゲームだ。 なになに……『妹ぉ、ちゃんとしようよ』って…… なぁ長門。一つ聞いてもいいか? 「なに」 これなんてエロ○? 「妹ぉ、ちゃんとしy」 それは分かってる。俺が聞きたいのはなぜエロゲなのかっていうことだ。 少し悩むように眉を寄せ、長門は俺にこう答えた。 「……私がコンピ研に参加している間にコツコツと作成した」 おい、答えになってないぞ。 「やってみて」 すると長門は俺の前にいつぞやのゲーム勝負で獲得したPCを一台持ってきて、 起動させ、例のエ○ゲのディスクを挿入した。 タイトル画面が出た。 ……って長門?!なぜお前がタイトル画面に?! 「これはあなたが主人公の○ロゲ。私はあなたの妹として登場している。」 おいおい。俺には妹属性無いぞ。 「あなたは自覚していないだけ。あなたの潜在能力には含まれている」 な、なんだってー!(AA略) 「このままではあなたの妹も、あなた自身も危険極まりない。だから」 だから? 「このゲームでヌいて欲しい。」 唐突すぎてよく分からないんだが。 「……スタート」 物語が始まった。 どうやらこのゲームは本当に俺が主人公で、長門が俺の妹という設定らしい。 しかもこのゲームは凝っていて、実写だ。 ―――― ……晩飯を食べて、部屋へ向かう俺。 自分の部屋でくつろいでいると長門が来た。フラグか? 「……一緒に寝よ」 キタ―――(・∀・)―――!!はい、フラグon ―――― って音声ありか。お前が入れたのか? 「…そう」 ―――― 選択肢だ。 (ア いいぜ やだよ ―――― やっぱこっちだよな、長門。 「……」 俺の後ろでじーっと俺のプレイを観察する。 ―――― 「今から…?」 また選択肢だ。 (ア もちろん! お前がいいなら… やっぱやめ 「まずはキス…」 以下エロシーンが延々と続く ―――― ここも実写かよ?! …これ、どうやって撮ったんだ? 「……私の中でイメージを構成しそれを元にCGで再現した」 これ、CGなのか?!実写かと思ったぞ! 「…そう」 ―――― 「挿入れるぞ…」 「そう…」 以下エロシーンg(ry 「出るぞッ!」 「膣内、な…か、に…」 以下情事後のシーn(ry ―――― ……なかなかいい出来だな。 「…そう」 ん?さっきまで気づかなかったが、なんか長門の様子が変だぞ? どうした長門? 「…なんでも」 顔真っ赤だぞ? 「…大丈夫」 そこでハルヒの騒がしい足音が聞こえたので急いで強制終了。 あぶねーあぶねー。 これ、ありがとな、長門。 「…いい」 俺はササッとカバンの中にエロ○を仕舞い込み、 何事も無かったかのように机に居座る。 ハルヒが来て、古泉が来た。朝比奈さんも遅れてきた。 そしていつも通りの時刻にSOS団の活動は終了した。 家に帰宅。 さっき貰った説明書を見る。 ふむふむ。長門が話す風な説明書って感じなんだな。 って、なんかおかしい表記を発見したんだが、発表していいか? じゃあ言うぞ? ……『なお、このソフトでのあなたの妹に対する行為は、私の身体にも同等の感覚を発生させる。』 つーことは、俺がソフトを使うたびに長門が一人で反応しちまうってことか。 ………どうしよう。使うべきか?使わざるべきか? これってある意味俺が自慰してる回数バレるよな? ……しかし長門の喘ぎ声と実写といっていいほどのCG。 さらには体位・コスプレ・大人のおもちゃなどなど バリエーションは現実に負けず劣らずと言ってもいい。 使うしかないだろ…。 その夜、俺はついつい何回も使ってしまった。 明日長門になんて言われるか……会うのが恐いぜ……。 翌日…放課後。 SOS団室に行くと長門いつもの席に座って本を読んでいた。 …よ、よお、長門。 すると、長門は頬をほんのり赤らめてこう言った。 「……激しすぎ」 終
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/5464.html
第二章 夢を見た。 実はわたしの場合、夢にもいろいろな区分があって、まったく意味不明なもの、何か心当たりがある内容のもの、長く頭に残るものなどがある。どのような条件が揃うとどんな夢を見るのか、まだわたしには解らない。ひとつ言えることは、どの夢にも何かしら種類分けができそうな要素が含まれているということだった。 ところが、わたしが今日見た夢はそれらのどこにも属さなかった。わたしは目を覚ましたとき今までいた空間が夢の中だったことに気づいたが、しかしよく考えるうちにそれが夢だったと言い切れるだけの証拠がないことが解った。混沌さ、夢の中の会話、起きたときの感覚。どれをとってもわたしが今まで見てきた夢とは異なるものだった。だから正確に言うと、これは夢ではないのだ。 わたしが夢の中で眠りから醒めたとき、目の前には黒い空間がはてしなく広がっていた。上も下も横も、すべてが黒。その黒がどんよりとうねりをつくって流れている。暗黒星雲にまぎれこんでしまったみたいだった。 どうも見覚えがある風景だと思ったらやがて気づいた。そう。ここは昨日の朝も見た、あるいは来た場所だ。学校で目眩がしたときと同じ黒い海を、わたしは流され続けていた。 「長門有希」 暗闇の中、突然わたしの名前が呼ばれた。わたしは驚いた。光も音も存在しないと思っていた謎の空間でわたしの名前が誰かに呼ばれる。誰が、何のために。わたしを呼んだ声はとても静謐で、現実世界とは明らかに画された秩序があった。その声の響きは山奥の神秘的な泉を思わせた。 わたしは四方八方に目を走らせた。音源が解らなかった。その声にはわたしの頭の中に直接語りかけるような響きがある。 「こっち」 また声がする。かくれんぼみたいだ。やがて見つけた。黒い海よりもさらに深い黒色をした何かの塊。 やがてその塊から暗闇の中にぼんやりした人間の姿が形作らた。霧に隠されてしまった人の影のようなはっきりしない姿。やがてぼんやりした人間は顔や胴のくっきりとした輪郭を描き出し、ついには立体になった。二次元から三次元へ。わたしはその様子に目と口を驚かせ、黙って見入っていた。そのうち黒一色だった姿には色がつき、目や鼻といった細部までをも浮かび上がらせた。その時点で彼女は完全な人間の形になっていた。 暗闇から生まれた人間は、生まれたままの姿勢、直立不動でわたしを見つめている。わたしも彼女を見返す。すうっと吸い込まれてしまいそうになる不思議な眼だ。 彼女は、わたしと同じ姿をしていた。小柄な身体。色素の薄い肌。眼鏡。 ――あなたは誰。 わたしは声を発しようとした。けれど音が出ない。空気が振動しない。その発音通りに口が動いただけで、耳は自分の声を感知しなかった。 「長門有希」 しかし相手にはわたしの声が伝わったらしかった。なにしろ夢なのだから何でもありなのだのだろう。特に、たった一言さえ言葉をかわしていないくせに他人の夢に入り込んでくるような存在には。 長門有希。彼女はそう答えた。 まるで鏡をのぞき込んでいるようだ。わたしと、もうひとりの『わたし』が対峙し、見つめ合っている。その光景ははたからみればひどく滑稽なのだろう。 けれど、確かに彼女は『わたし』だった。表情に一切の動きがないところも、放っておいたら消えてしまいそうにはかないのも、わたしとまったく同じだった。だから、彼女が長門有希と名乗ってもわたしはさほど驚かなかった。 ――別の世界の、彼の世界の『わたし』? わたしは口だけを動かして相手に問う。彼。もちろん今日部室に来た彼だ。『わたし』相手になら伝わるはずだ。案の定、彼女は「そう」と答えた。 「わたしはあなたのことを知っている」 ――わたしも知っている。彼から話を聞いた。たぶん、わたしとあなたは同一人物。住む世界が異なっているだけで。見た目もしゃべりかたも似ている。 「そうじゃない。それは違う」 彼女は口から冷気を吐き出すように言った。真っ直ぐな瞳がわたしを射るように見つめてくる。わたしは『わたし』に呼応して、彼女の不思議な眼を見つめた。ブラックホールとブラックホールが勢力争いをしているみたいだった。 「わたしは」彼女は少し迷ったような間を置いてから言った。「わたしは、あなたではない。どうがんばってもあなたのようにはなれない。あなたにはある機能が、わたしには与えられなかった」 ――機能? その問いに対する答えは返ってこなかった。答えたくなかったのかもしれない。わたしにもそんなときはある。 機能。どこかで聞いた言葉だ。 「あなたに頼み事をしたい。そちらの世界にいる、『わたし』として」 わたしが黙っていると彼女はそんなことを言った。どうやらそれが本題のようだった。 ――頼み事。 「そう。でも、そんなに面倒なことじゃない。あなたは昨日の朝、学校で黒色の薄い板を手にした」 ――覚えている。 あの黒い板だ。知らないうちにわたしの机に入っていた。しかしあれを手にとって目眩を覚えて以来、あれは椅子の下のわたしの足もとに転がっていた。一日中ずっとだ。結局最後まで拾わなかった。きっと掃除の時に当番が片づけてしまっただろう。 「あれを、とある場所に移動させて欲しい。明日のうちに」 ――ごめんなさい。それはできない。わたしはあの板をなくしてしまったかもしれない。 わたしは正直に話した。相手に意思を伝える作業。この場合は、相手も『わたし』なので話しやすかった。 わたしが事情を話しても彼女は動揺したりしなかった。わたしに何があったのかを最初から知っているようだった。 「そんなことはない。なくなっていないから心配しなくていい。あれは必ず明日、あなたのもとにある」彼女はそう言った。 ――どうして解るの。 「規定事項だから。この世界での規定事項は非常に不安定だけれど、未来的にその規定事項は高確率で保証されている」 ――そう。解らないけど、だったら、わたしはあなたを信じる。その板をどこへ移動させればいい。 「**町**丁目の歩道橋前。花壇があるから、そこに埋めて。土を少しかぶせる程度でいい。できれば明日のうちに移動させるのが望ましい」 ――解った。でも、あの板はいったい何だった。 彼女は言ってしまっていいものかどうか少し逡巡するような素振りを見せてから口を開いた。 「記憶媒体。多量の情報を保存することができる。あなたが昨日の朝、それを手にした時点で、すでにデータが入力されていた。そしてあなたが手に取ることがデータの解凍と再生にあたった。再生された情報の一部はその時、あなたに流れ込んだ」 記憶媒体。データの解凍と再生。再生された情報の一部がわたしに流れ込む。 あの時の目眩のような感覚。あれはやはり目眩ではなかったらしい。彼女の言う「再生された情報の一部」がわたしに流れ込む瞬間だったのだ。 情報統合思念体。ヒューマノイド・インターフェース。それらの単語はわたしがあの板を手にしたとき、実に自然にあの板からダウンロードされたのだ。今、それが解った。 「あなたに情報を送信することもまた、規定事項だった」 ――何のために。わたしがそちらの世界の言葉を知っていたとして、何かの役に立つとは思えない。 『わたし』はひどく苦しそうな表情をしていた。眉をひそめ、唇を噛んで。その表情の変化は小さすぎて普通の人間にはまず解らないだろうけれど、わたしの場合、わたし自身がそうなのだから彼女の表情の変化を読みとることができる。 「その板の内部情報を破損させた状態で、こちらの世界に送り届けてもらうため。あなたの世界にある記憶媒体をこちらの世界に呼び出したときに、世界の違いによる物質的なショック症状でデータは破損する。こちらの世界で必要とされている記憶媒体は、データが壊れていることが条件だった」 ――わたしはその運び屋の役? だから、ある程度事情を飲み込んでもらうために情報統合思念体といった情報を受信することが必要だった。そういうこと。 なぜわたしが、違う世界に住んでいる『わたし』のために協力しなければならないのだろう。彼女の言うことがあまりにひとりよがりなので、わたしは少しそんな気分になった。 仮に姿が同じだとしてもわたしと『わたし』は違う存在だ。それは彼女が今さっき自分で言ったことだった。だったら、わたしが他人のために、しかも別の世界の他人のために、そんなおかしなことをする義務はどこにもない。 彼女のせいでわたしの穏やかな日常は壊されてしまったのだから。わたしが彼女の頼みを断る要素はいくらでもあった。 その意思を彼女に伝えると彼女は哀しそうな顔になった。惨めな表情だった。 そしてわたしにわけの解らないことを言った。 「あなたの世界は、わたしに従属しているから」 それはなぜ。 尽きない疑問をぶつけようとしたけれど、彼女の苦しそうな表情からすると答えてはくれなさそうだった。 わたしの世界が『わたし』に従属している。だから、その世界の構成員であるわたしは『わたし』の命令に背くことはできない。なぜなら『わたし』はわたしにとって絶対的な権力だから。主従の関係で世界と個人とが結ばれているなんて、まるで雲の上の話だ。 ――ひとつだけ訊かせて。 「なに?」 わたしは壮大な話に疲れて、別の質問をすることにした。それは予感だったけれど、当たる気のする予感だった。 ――あなたはなに。人間じゃない。 「情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース」 彼女は答えた。 ハードカバーの物語。日常を非日常へと変化させた犯人。そして彼女が言ったこと。わたしの世界は『わたし』に従属している。 世界を絶対的に支配できるのは、いるとしたら神だけだ。わたしはそう思っている。創造神。地球をつくった神々。もちろんわたしは神なんていう都合のいい存在を信じてはいないけれど。 しかし、彼女の言ったことが正しいとしたら。いや、正しいとしたら、というくだらない仮定はやめたほうがいい。『わたし』は嘘をつかない。そのことはわたしが一番よく知っている。 ならば、彼女は神なのか? わたしの、この世界を創り上げた神。 それは恐ろしい妄想だった。わたしのこの世界が、ある特定の個人の支配をまぬがれることができないなんて想像もつかない。たとえその神がわたしに限りなく近い『わたし』であっても、そんなことを認めることはできなかった。 世界を創る? あのハードカバーを読んでいるときの感覚が蘇った。 情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース。 彼が、あるいは彼女が、それをした。 * 意識がわたしに戻ってくる。 暗闇だった仮想空間はマンションのキッチンになった。 午前四時七分。まだ時間はある。 黒い板、あの記憶媒体をこちらの世界に送り届けてもらうのは必要不可欠なことだった。しかもデータが破損した状態で。そのデータの欠損部分を埋める際に、元データとは異なる情報入力を二百十八カ所で施し、本来その記憶媒体を閲覧する再生機とは別のフォーマットで閲覧すれば、時間移動の原始的論理基盤を得ることができるのだ。その論理基盤がこの世界では必要になる。もちろんそれには彼があちらの世界で選択を迫られたとき、必ず片方を選ばなくてはならないという条件がつきまとうのだが。 もともとあれには情報統合思念体などの宇宙意識に関する膨大な量の情報が組み込まれていた。もちろんわたしのようなインターフェースに関する情報も含まれている。誰が何の目的で作成したのかはわたしには解らない。 ただ、その記憶媒体は非常に精巧に作られているらしかった。というのも、記憶媒体のとある部分で情報の組み替えを行うと、記憶媒体のデータがまったく別のデータに変わるのだ。そのひとつが時間移動の論理基盤だった。この世界ではそれが未来に必要となってくる。だから、改変後の世界になぜかある記憶媒体を、この世界に上書きされる前にこちらの世界に移動してもらう必要があったのだ。あの歩道橋脇の花壇にはこの世界とあちらの世界がつながる穴のようなものがある。だからわたしはその場所を彼女に指定したのだ。 時間がない。 わたしは再び別の世界へと意識を飛ばした。急がなくては。わたしには彼女に伝えたいメッセージがある。それすらも、わたしの意識がなくなってしまったら最後だった。 * 起きたとき、まだ世界はそこにあった。ひんやりした冬の朝の静寂に包まれてひっそりと、でも確かに存在していた。両手を空中に漂わせてみる。もやもやとつかみどころがない空気とこの世界。 部屋の大きな窓は朝の街の様子と冬空とを映していた。昨日の朝と同じように、朝靄のかかった街はやがて無限の光に包まれ、照らし合って、また光に飲み込まれたわたしの姿をも映しだしていく。変わらない光景。日常とはこうやってできていくのだろうか。 わたしは自然と人工が溶け合う瞬間を眺めながら、今さっき夢の中で見た景色を脳に呼び戻した。目をつむると街やわたしの部屋は黒に包まれ、音は消えた。 黒い海。わたしと同じ姿をした『わたし』。ヒューマノイド・インターフェース。 あれが夢だったのかどうかという判断は、ひどく微妙なものだった。わたしの勝手な推理と妄想がうまいことくっついて夢という形でわたしに虚妄を見せていたのかもしれないし、本当に彼の世界の長門有希がコンタクトをはかってきたのかもしれなかった。もし後者の説をとるのだとしたら、彼女は宇宙人で、わたしの世界を従えるほどの力を持っているのだ。 わたしは彼女に頼み事をされた。昨日、学校で見つけたあの黒い板を、今日中に歩道橋近くのパンジーの植え込みに埋めてくれとのことだった。わたしはその場所を知っているし、そんなに遠い場所ではないから言われたとおりにこなすのは容易なことだ。しかしそうするべきものなのかどうか、わたしには判断がつきかねた。なにしろあれが夢かどうかも解らないのだ。 しかしそんなことを言っていてはらちがあかない。 今日、学校に行ったとき、わたしのもとにあの板があれば、頼み事を頼まれてやろう。 最終的にわたしはそう結論を出した。 心配しなくていい。あれは必ず明日、あなたのもとにある。 なぜなら、そのように保証をしてくれたのは彼女なのだから。彼女の言った条件通りでなければわたしに頼まれる義務はない。あえて板を探すこともしない。仮に世界規模で従属している身にしてもそのくらいは構わないだろう。彼女はわたしに「黒い板を何としてでも探し出せ」とは言わなかったのだ。奴隷は言われたことだけをやっていればいい。 わたしは急にしぼんでしまった世界を映す窓から離れ、冷凍食品を選ぶためにキッチンへと向かった。 十二月十九日。 適当に朝食を食べ、鞄を肩に掛けて北高への坂道を登り、学校に到着して一年六組の敷居をまたぎ、自分の席に着いて後ろのカレンダーを振り返ると、今日がその日付であることが解った。 もちろん昨日は十八日だったのだから今日が十九日なのは当然のことだった。昨日の翌日には明日が来る。 ただ、少し不安になっただけだ。 日常が着々と非日常へと移りゆくのがこうもありありと感じられると、どんな確固たる定理でも法則でも、砂上の楼閣のようにもろくも崩れ落ちてしまいそうな気がしてならなかった。非日常とはそんな世界だ。常ではない世界に恒常的な定義も法則も通用しない。 しかし、そんなことでは困るのだ。わたしには常である世界にそれなりの愛着があるし、たとえ生活の役に立っていなかったとしても、数学の難しい定理や物理学者があらゆる実験をして見つけだした物理法則が知らず知らずのうちに失われていってしまうのは嫌だ。だからわたしはどんな当たり前の法則でも、その変化を見逃さないように入念にチェックするのだ。たとえ日付であっても。そうやって気をつけていないと、いつかすべての日常を失ってしまいそうで怖かった。 ところがわたしの気持ちも知らず、現実は無情にも変化していくようだった。おそらく今朝の夢もまた、わたしの生活を尋常ではない方向へとさらに傾ける役割をはたしていたのだろう。日常はますます遠ざかり、カオスの世界が目の前に広がる。それはもう、とっくに始まっていたことなのかもしれない。 なぜなら、わたしが机の中をのぞいたとき、黒くて薄い板が見えたからだった。彼女が言ったように板はわたしのもとにあったのだ。わたしは愕然とし、何か絶望に近い感情さえ抱いた。 どうやら掃除当番は床に落ちているものを片づけてくれなかったらしい。常識までもが覆り、非日常に味方した。 見つけてしまった以上、彼女との約束は守るしかない。わたしは机の中に手をつっこんだ。 もし手に取ったらまた昨日の目眩のような感覚に襲われて注目を浴びてしまうのではないかと不安だったが、わたしがおそるおそる板を手に触れると、それは何事もなくわたしの手に収まった。情報のダウンロードは昨日で済んでしまったらしい。情報統合思念体とヒューマノイド・インターフェース。それにしても宇宙人についてのデータが入っているとは奇妙な記憶媒体だ。生産地はどこなのだろうか。 そんなことを考えながらわたしはそれを自分の鞄の中に滑り込ませた。彼女からの頼まれ事を解消するのは家に帰ってからでいいだろう。今日から学校が短縮日課になるから家に帰るのもやや早くなるはずだった。 わたしは鞄に板を入れた代わりにハードカバーを取り出して、昨日の続きを読み始めた。例のハードカバーだ。海外のSF。 異常な現象が相次ぎ、人は次々と死に、誰もが人類の未来に絶望を覚えていた、というところからだった。 最後の審判。悪人を徹底的に滅ぼす日々はなおも続く。 人類はさらに減少したようだった。大雨、地震に加えて、とうとう人そのものが発火し出したのだ。家の中で、街の中で、飛行機の中で。人間から発火した炎は、瞬く間に全身を覆い、骨を焼き尽くすまで消えないという。跡形も残らない。とんでもない熱量だ。その自然発火現象はプラズマということだったが、こんなに世界のあらゆるところで大量発生することはありえなかった。ましてや人間の身体から発火するということはまず、ない。 それに加えて、地震も雨も止まらなかった。それどころか雨は勢いを増し、世界中に洪水をもたらした。どこにそのような大雨を降らせる雨雲があるのか、最初は真面目に取り組んでいた学者もとうとう匙を投げ出した。 もはや現代の物理法則でこの現象を解明することは不可能だった。地震も大風も雨も自然発火現象も。学者の数自体が減り、残った学者でさえ匙を投げた。 世界中が荒れ狂い、国家は存在しないも同然だった。国家を維持するだけの人間がどの国にもいなくなっていた。大量の人間が過酷な環境の中で飲み込まれ、流され、燃え、飢えて死んでいった。 最終的に生き残ったのは世界でたったひとり。このあたりは何だか嘘っぽいが、物語ということで了解した。 彼はニューヨークの自由の女神像にいた。そこは地震の被害も少なく、大雨による洪水からも逃れられる場所だった。その場所で彼は世界を見渡し、変わり果てた都市の姿を目撃する。彼は愕然とした。そこに文明の痕跡は一切として残っていなかった。 彼はその時、大地が唸る音を聞いた。低い声で不気味な。それは人間を殲滅した地球の歓呼の声に聞こえた。彼はその声を聞き、地球や神は人間を滅ぼすつもりだったのだということを悟った。恐怖が彼の身体を貫いた。そして彼は発狂し、ついには自由の女神像から大地の裂け目に身を投げるのだった。 そこで物語は終わっていた。わたしは黙って本を閉じた。 宗教的な要素も若干からんでいたけれど、それにしても何だかあっけない終わり方のような気もした。物語のスケールが壮大であるためか、最後に若干だけれど違和感が残る。 地球そのものや、神が、人間を滅ぼそうとした? 犯人は地球やら神だったというのか。なるほどキリスト教らしいといえばそんな気もする。唯一神の信仰。人間が逆らうことのできない無敵の圧力。しかし、そんなことは本当にありえるのだろうか。神の逆鱗に触れて人類は滅びる。ノアの大洪水を思い出した。 わたしはそういう絶対的な力は信じない主義だったけれど、今どうかと訊かれると答えに窮する。あるといわれればあるのかもしれない。 なにしろ地球自体は絶対的なものでも何でもないのだ。神でなくても、ただの宇宙人でさえその存在を揺るがすことができる。宇宙人に従属する世界。 もしそれがわたしの住む世界だったのならば。 もはや、わたしの存在どうこうの問題ではなく、世界そのもののの独自性さえもが失われそうだった。この物語を読んで、改めて思い知った気がした。 世界が唯一無二の世界であったり、わたしが唯一無二のわたしであるという証明は、どこで何がやってくれるのだろう。 その部屋には黒い棺桶が置いてあった。他には何もない。 暗い部屋の真ん中にある棺桶の上に、一人の男が座っていた。 「こんにちは」 男は私に言う。笑っていた。 こんにちは。私も彼に言う。私の表情はわからない。 私が立ち続けていると、男の後ろに白い布が舞い降りた。闇の中、その布は淡い光に包まれていた。 「遅れてしまいました」 白い布が言った。それは、白く大きな布を被った人間だった。目にあたるところが丸く切り取られ、黒い瞳が私を見ている。 中にいるのは少女のようだった。声で解った。 文章を書きながら思う。わたしがわたしであるということを証明してくれるのはこの物語だけなのではないか、と。長門有希という人物に代わりはいた。同じ顔で、同じ声で、同じ性格をしている人物が。そのため、わたしの人格や姿はもはやわたしひとりのものではなくなってしまった。 だとしたら、わたしが自分の存在を証明できるのは、この物語しかないのだ。わたしの中から自然に生まれてくる不可思議な物語。わたしの本能を、わたし自身をそのまま綴った文章。これ以外のどんなものがわたしのオリジナルだというのだろうか。 放課後の文芸部室。わたしはひとりで文章を書きながら彼を待っていた。昨日、まっさらな入部届けを渡した彼を。 今日わたしは、この物語をノートに記していた。一文字一文字自分の字で書き連ねていく。ノートにはわたしの書いた明朝体が踊っている。 手書きで文章を書くのは久しぶりだったけれど、悪くなかった。頭が生み出す文章と、文字を書く手の動きが呼応してすらすらと物語が進む。頭に入っていく。多少時間はかかるけれど、一日のほとんどの時間の使い方を自分の好きなようにアレンジできるわたしにしてみれば、時間がかかるのはたいした問題ではなかった。 ふとパソコンに目をやる。 手書きで文章を書いているため、パソコンは電源をつけられることなく静まっていた。もちろん今日手書きなのは彼に物語を見られたくないからだった。恥じらい。身体が火照ってしまうような、そんな感情だ。 その時、いきなり文芸部室の扉がノックされた。 小さく驚いた後、全身に緊張が走った。慣れない感覚。瞬間的にノートを隠して適当な本を手に取ってから「どうぞ」と小さな声で答えた。 やがて扉が開くと、その隙間から彼がわたしの様子をうかがうようにして顔を出した。彼は少し頬を弛めていた。 「また来てよかったか」 わたしはこくりとうなずく。ただし、彼に焦点は合わせないで。わたしは膝の上で本を広げ、ろくすっぽ頭に入らない文字を見つめていた。 彼は鞄を隅に立てかけて本棚に歩み寄った。わたしが普段、部室で読む本を蓄えておく場所だった。わたしはあの本棚にある本の名前をすべてそらで言える。 沈黙。 わたしは別に構わなかったけれど、彼は気を遣ったのかわたしに喋りかけてきた。 「全部、お前の本か?」 わたしは即答する。膝の上の本に目を落としながら。 「前から置いてあったものもある」持っていたハードカバーの表紙を彼に見せた。「これは借りたもの。市立図書館から」 市立図書館、と言ってから思い浮かぶことがあった。もしかすると。 少しだけ視線を上昇させて彼の顔を見て、やっぱりそうだと思った。なんということだろう、ずっと気づかなかった。 わたしと彼は学校外で会ったこともあるし会話をしたこともあったのだ。今、思い出した。 そこは市立図書館だった。おそらく今年の五月だったように思う。 わたしはその日、初めて市立図書館に足を踏み入れた。そして驚いた。膨大な数の本。一生かかっても読み尽くすことのできない数のそれらがきれいに分類され、本棚に収まっている。しかも、この場所の大量の本は自由に読むことができるのだ。読書が日常生活の一部分となっていたわたしには喜ぶべき発見だった。高くそびえる本棚と本棚にはさまれると世界が歪み、目眩に近い感覚を覚えた。 ところがいざ本を借りようとしたときになって、わたしは困った。本を借りるには貸し出しカードというものが必要らしいけれど、わたしは持っていない。図書館の人に作ってもらう必要があった。しかし数少ない職員は誰もが忙しそうに動き回っているし、わたしはとても声をかけられそうになく、いたずらにカウンターの前をうろうろするばかりだった。 どうしようと思っているとそこにひとりの高校生らしき男子が通りかかった。わたしの様子を見ると黙って近づいてきて、何か困っているのかと訊いた。わたしがぼそぼそとカードのつくりかたが解らなくて困っているという意を告げると、彼は困っているわたしに代わって職員に声をかけ、貸し出しカードを作ってくれたのだった。わたしは呆然としていたから、たいしたお礼もせずに立ち去ってしまったように思う。ありがとう。そのくらいは言ったかもしれない。相手の男子高校生は笑いを返してくれた。 その通りかかった男子生徒というのが彼だったのだ。同じ顔をしていた。 とはいえ、その時の彼と今の彼は異なる人物かもしれない。今、わたしの目の前にいる彼はこの世界の彼ではなく、別の世界から来た彼なのだから。ちょうど、わたしと『わたし』のように。でも、もし彼とその思い出を共有していたとしたら、彼は図書館のことを覚えているだろうか。わたしは無性に知りたくなった。 彼がまたわたしに質問した。 「小説、自分で書いたりしないのか?」 わたしはとりあえず図書館のことを頭から追い出した。そのことは後で考えよう。 彼の質問の内容が内容だけに動揺しつつも、できるだけ冷静に答えた。 「読むだけ」 小さな自信のない呟き。 書く、とは言えなかった。その内容も含めて、彼に知られるのは気恥ずかしい。あれはわたしの頭の中がそのまま投影された物語なのだ。 わたしはできることなら、自分の考えていることなど何ひとつとして誰にも知られずに生活したかった。図書館のことを思い出して彼がどう思っているのか知りたくなったことや、ましてやわたしが彼に謎めいた感情を抱いていることも。自分が考えていることは自分の頭の中だけにあればいい。必要があったらわたしの判断で小出しにする。 事実、そのためにわたしは感動を抑えて、表情をなくし、誰とも関わりを持たず、ひっそりと生きているのだ。空を舞う雪のように、音もなく落ちて、いつかふっと消えてしまいたい。 けれど、その美しすぎる願望の難しさをわたしは知っていた。 そう。わたしは一方で、この彼にならいいかもしれない、という感情を抱いていたのだ。そのわけの解らない感情は、わたしが追い出しても追い出してもどこからか沸いてきて、いつまでもわたしの中に居座り続けていた。図書館のことを思い出すとその感情はますます激しさを増した。 彼は何なんだろう。 わたしは気取られないように、そっと頭を持ち上げ、彼の背中を見た。男の人の背中。今まではおよそ関心の対象にもならなかったことを、わたしはなぜか意識してしまった。 じっと観察していると彼は一冊の本を手に取ったようだった。ぱらぱらとページをめくる音がする。わたしがちょっと身体をずらすと彼の腕の隙間から彼が持っている本の表紙がちらっと見えた。『ハイペリオン』だ。二十八世紀の人類を描いたダン・シモンズの長篇SF。彼が持っているのは四巻あるシリーズのうち一巻目だった。 どうやら彼は真面目に読む気もなさそうで、適当にページをめくっていた。 ところが、わたしが自分の本に目を戻そうとしたとき、何かが彼の足もとに滑り落ちた。 「何だ?」 彼はそれを拾い上げた。何なのかここからではよく解らない。でも本にはさんであるくらいだから栞か何かだろう。 わたしはそう思ったが、しかし、次の瞬間に彼の横顔はこわばっていた。表情が凍り付いている。彼の手が震えているのが解った。 何だろう。わたしが言葉をかける前に、彼の方から近づいてきた。大股の三歩でわたしのテーブルの前に来る。わたしが彼に向き直ると、彼はそれを差し出してきた。小さな長方形の紙切れ。花のイラストが入った栞のようだった。 「これを書いたのはお前か?」 問いただすように訊いてくる。わたしが差し出された栞をのぞき込むと、そこには何やら文字が書かれていた。 『プログラム起動条件・鍵をそろえよ。最終期限・二日後』 明朝体。まるでわたしの字だったが、こんなものを書いた覚えはなかった。わたしは首を傾げた。 「わたしの字に似ている。でも……知らない。書いた覚えがない」 「……そうか。そうだろうな。いや、いいんだ。知ってたらこっちが困ってたところだ。ちょっと気になることがあってな。いーや、こっちの話で……」 彼は言い訳めいたことをこぼしながら、驚喜の表情になった。心ここにあらず、みたいな感じだ。このメッセージに何か意味があったのだろうか。わたしと同じような字で書かれた文字列。 いったい誰が? 考えるまでもなく、すぐに気づいた。 理由が解った。この文がわたしと同じような字体で、いや、まったく同じ字体で書かれているのも、彼が笑いを堪えきれない様子なのも。 これは彼の世界の『わたし』からのメッセージなのだ。わたしと同じ字を書くのはわたし以外にいないけれど彼の世界の『わたし』は別だ。わたしと同じ字を書けるとしたら、性質がわたしとまったく同じ彼女だけだった。 もちろん宛先は彼以外の誰でもない。それは彼の喜びを隠しきれない様子を見れば解る。プログラム。鍵。最終期限。おそらくこの意味不明なメッセージは彼にとっては意味のあるものだったのだろう。 彼がこんなに喜んでいる様子なのだから。 わたしにひとつの考えが浮かんだ。 もしかするとこのメッセージは、彼が彼の世界に帰るためのヒントなのかもしれない。何だか嫌な予感がした。 彼が彼の世界に帰るとしたら、その時わたしの世界はどうなるのだろう。 彼はそれから本棚の本を片端から出しては戻しながら、何かはさまっているものはないか確認していた。その後ろ姿があまりに真剣なのでわたしは呆気にとられて眺めていた。しかし何分かして振り向いたとき、彼の表情は落胆していたので、たぶん他には何もなかったのだろう。 ふと、お腹が空いたと何の脈絡もなく思った。 昼はとっくに過ぎていた。わたしは鞄からコンビニ弁当を取り出してパイプ椅子を長テーブルのところへ持っていった。無言でコンビニ弁当を開けて食べ始めるという女子高生をどう思っているのか、彼はしばらく怪訝な表情で見ていたが、やがて何かを思いだしたように顔を弛めた。何を思い出したのだろう。それから彼は自分の弁当を持ってくるとわたしの向かいに来て、「ここで食べてもいいか?」と訊いた。わたしは小さくうなずいた。 また何か話しかけられるのではないかと思ったけれど彼は昼食中、特に何も言わなかった。たぶん今のメッセージのことについて考えているのだろう。わたしはコンビニ弁当を食べている間何回か顔を上げて彼を見たが、彼はひとり思案顔だった。 午後は彼がいる以上パソコンで文章を書くなんてことはできないので窓辺の椅子に座って本を読んで過ごした。しかし実のところわたしはどんな本を読んだのか覚えていない。複雑な設定のSFだった気もするけれど、その設定は何ひとつとして頭に入ってこなかった。 彼がわたしを見ていたからだ。 見ていたというより眺めていたというべきかもしれない。彼は最初のうち考え事をしているようで目の焦点はどこにも結んでいなかったが、しばらくすると本を読んでいるわたしを眺めだした。もちろん、彼がわたしという個体を部室の風景の中で特別に意識して眺めていたかと言われればはっきりとした答えは出せない。しかし少なくともわたしは彼の視線を意識してしまったし、事実読書は一時間くらいほとんど進まなかった。わたしは誰かに見られるということに慣れていない。特に、男の人に見られるということについては。 彼は何だかわたしを困らせて楽しんでいるようにも見えた。彼は笑いこそしなかったものの表情は穏やかだったので、わたしを見て不快な気分になっていることはなさそうだった。わたしは彼の目にどんなふうに映っているのだろう。本に目を落とし続けながら、わたしは彼が頭でどんなことを考えているのか想像した。 窓から西日が差し始め、傾いた巨大な太陽が校舎に隠れようとする時間になっていた。今日は早く帰るつもりだったのに、彼がいるとわたしから帰るとは言い出せなくてこんな時間になってしまった。もう運動部でさえ学校の門をくぐっている。 その様子を眺めながらきっかけを得たように彼が言った。 「今日は帰るよ」 「そう」 わたしも彼の言葉にきっかけを得て、ろくに読めなかった本を鞄にしまい込んで立ち上がった。本は読めなかったけれど時間を無駄にした感じはしなかった。 彼が鞄を持って部室から出るのを待っていると声をかけられた。 「なあ長門」 「なに?」 「お前、一人暮らしだっけ」 「……そう」 彼はわたしの回答を受けてまだ何か続けようとしたが、その唇を閉じた。 なぜ知っているのだろう、と一旦は思ったけれど答えはすぐに出た。彼の世界の『わたし』も一人暮らしだったに違いない。他に彼がわたしを一人暮らしだと推測する根拠はなかった。 そういえば宇宙人に親はいないのだろうか。というか、そもそも宇宙人はどうやって生まれてくるのだろう。胎生なのか卵生なのか、あるいはインターフェースというくらいだから機械のように工場で大量生産されているのかもしれない。知ってもどうということはないけれど興味はある。 彼女はともかくとして、そういえばわたしはなぜ一人暮らしなんだろう、とふと考えたら急に頭痛がした。なぜわたしは一人で生活しているか。何気ない疑問のはずだった。思い出すのに一秒とかからないほど簡単な。しかし……そんな馬鹿な。思い出せない。 ずきずきという痛み。灼けた鉄をこめかみから頭に突き刺そうとしているようだ。ただの頭痛ではなかった。 わたしはなぜ一人暮らしなんだ。 頭は混乱していた。さらに頭痛は勢いを増す。わたしは膝ががくんと折れるのを必死でこらえた。どうしても思い出せない。なぜひとりで生活しているのか。いつからひとりなのか。親はどうしたのか。親? わたしの親はいったいどんな顔をしていたというのだ。それは誰で、今はどこに住んでいる? なぜわたしのもとから離れていったんだ。 今まで何も意識していなかったことが突如としてわたしに襲いかかってきた。驚いたことに、こんなことは今まで一度たりとも考えたことがなかったことに気づいた。 異常だ。 頭痛が次第に収まっていくと、そう感じた。親のことを考えない人間なんていない。いくら何でも顔ぐらいは覚えている。それなのにわたしは親の顔を覚えていないばかりか、親のことさえ何ひとつとして考えていなかった。今の今まで。特別にトラウマがあるわけでもない。記憶から抹消しようとしていたわけでもない。ただ、何も感じなかったのだ。 過去という概念はわたしから何の残骸もなく消し去られていた。 わたしは狂っている。 途方もない恐怖に駆られた。ありえない。嘘だ。ありとあらゆる否定の言葉が頭に浮かんでは消えていく。きっとまわりに誰もいなかったら頭を抱えて床に転がっていただろう。運が悪ければあまりの気持ち悪さに吐いていたかもしれない。しかし彼が隣にいるということがわたしを正気でいさせてくれた。 彼が言う。 「猫でも飼ったらどうだ。いいぞ、猫は。いつもしまりのない態度でいるが、時たまこっちの言うことを解ってんじゃないかって気がするんだ。喋る猫だっていても不思議じゃない。リアルにそう思うぜ」 「ペット禁止」 答えてから、もし猫でもわたしの家にいてくれたらわたしが過去を振り返らないでいられるかもしれない、と思った。 今日、わたしがこのままひとりで帰ってしまったら家では恐ろしいことが起こる。そんな予感がした。 もしひとりでいれば、思考が巡って一人暮らしや親のことを考えてしまうに違いなかった。なぜわたしはひとりなのか。親はどうしたのか。そんな疑問を延々と自分にぶつけながら過ごす夜がリアルに想像できてわたしは深く沈んだ。一晩中頭痛に悩まされるかもしれない。そしてきっと、その答えはいくら考えても出てこないのだ。 わたしには『過去』がなかった。今、気づいた。 怖い。 抱きしめて欲しい。 不意にそんな感情が生まれた。今まで一度も感じたことのない新しい感覚。誰かにぎゅっと抱きしめて離さないで欲しい。恐怖を感じながらわたしはそう思っていた。 狂ったわたしがどんなことになるのか恐ろしかったのだ。 わたしを痛くなるくらい強く抱きしめて。そして、わたしはわたしという個人で、確かにここにいるのだと言って欲しかった。 そうでなかったらわたしはふっと消えてしまいそうだった。 「来る?」 わたしは彼にそんなことを言っていた。視線は彼のつま先にある。 「どこに?」 「わたしの家」 彼は少し動揺したような素振りを見せてから訊いた。 「……いいのか?」 「いい」 わたしから頼みたいくらいだった。一緒にいてくれ、と。できることなら彼に抱きしめて欲しかったけれど、わたしにそんなことを言う勇気はなかった。でも、いい。抱きしめられなくても、わたしが誰かと一緒にいるということは充分すぎるほど大きな意味を持つ。頭痛や悪い記憶なら軽く吹き飛んでしまうに違いないのだ。 夢の中みたいな会話だった。ほんの数秒の。しかし、その間に彼がわたしの家に来ることが決まっていた。そのことがわたしに安心感を与え、激しい感情を冷ましてくれた。 わたしは彼の珍しいものでも見るような視線がくすぐったくて、それから逃げるように歩き出した。部室の電気を消し、扉を開いて薄暗い廊下に出る。冬の夜の廊下は物音ひとつなく凍てついていた。 ただし、彼が寄り添って歩いてくれるなら、わたしはいくぶん暖かくなるかもしれない。ふとあの物語の文章が浮かんだ。わたしはそれをアレンジしてみる。何だか『私』になったみたいだ。 物質と物質は引きつけ合う。それは正しいこと。わたしが引き寄せられたのも、それがカタチを持っていたからだ。 光と闇。わたしたちは出会い、交わった。戸惑いながらも確実に。冷たい身体同士でも交わっていれば、いつか摩擦が熱を生むかもしれなかった。 仮に許されるなら、わたしはそうするだろう。 光と闇は混ざって、そこに希望が生まれた。それは頼ってもいいかもしれないカタチをしていた。希望は無限の可能性を秘めていた。 希望を叶えたいと願うなら、わたしに奇蹟は降りかかるのだろうか。 ほんのちっぽけな奇蹟。 学校からの帰り道、彼とわたしの間に会話はなかった。 話すべきことなど彼にはなかったのかもしれない。それならそれで、わたしも構わなかった。わたしの歩む少し後ろに彼の気配が感じられるならそれだけでいい。 わたしたちは冷たい風に吹かれながら夜道を歩き続けた。 マンションにつくとわたしは立ち止まった。彼は特に何も言わなかったのでわたしも振り返らなかった。もしかすると彼はこのマンションにも入ったことがあるのかもしれない。もちろん、彼の世界で。 わたしは玄関のキーロックに暗証番号を打ち込んで施錠を解除し、ロビーに足を進めた。 エレベータ内でも会話らしい会話はなく、わたしは七階につくと八号室の前で立ち止まった。ドアに鍵を差し込み、開けて彼を招き入れる。 ずっと何の疑問も持たずにひとりで暮らしていたわたしの家。その揺るぎない日常が壊れるのを、わたしは歓迎すべきなのだろうか。 暗いリビングに明かりを灯す。わたしは彼をリビングに残してキッチンに向かった。 「この部屋、見せてもらっていいか?」 わたしが急須と湯飲みを持ってキッチンから出てくると彼がようやく口を開いた。彼は襖で仕切られた客間を指さしていた。別に見られて困るようなものはない。というか、布団は片づけてあるから畳しかないはずだ。 「どうぞ」 「ちょっと失礼する」 彼は襖を開けて部屋の様子を見て、しばらくすると襖を元通りに閉めた。わたしに向かって両手を開いて見せる。何もなかったらしい。 わたしは意味の解らない彼の行動には特に何も言わず、黙って机に湯飲みをふたつ置くと、座ってお茶をつぎ始めた。彼はわたしの正面に胡座をかいて座る。 彼にお茶を出してから、わたしも自分でついだお茶を飲む。寒いので暖かさが身に染みた。飲み終えるとさらに二杯目をつぐ。 わたしが話し出すまでのとりえあずの時間稼ぎだった。誰かにそばにいて欲しかったなんていう理由にしろ、わたしの家に呼んだ以上わたしから何かしら話し出さなければならないことは解っていた。だから彼に話すこともすでに決めてある。 しかし、そうなるとわたしには複雑な意思を彼に伝えるだけの多くのセンテンスが求められることになるのだ。意思を文章に変換して口に出し、相手に伝える作業。はたしてそんなことができるだろうか。 わたしはお茶を一口啜ってから彼を見上げた。 図書館でのことを話すつもりだった。今年の五月、初めて彼と会話したときの出来事。どのように切り出せばいいか解らないけれどずっと黙っているわけにもいかない。わたしは湯飲みを置いて絞り出すような声で言った。彼の顔が上がる。 「わたしはあなたに会ったことがある」 違う。これでは不足している。 「学校外で」と付け加えた。 「どこで?」 と彼。 「覚えてる?」 「何を」 「図書館のこと」 短いセンテンスのやりとり。しかし彼には図書館と言って何か思い出すことがあったらしかった。少しだけ目が見開かれた。 続けて喋ってみよう。 「今年の五月」 わたしは目を伏せながら言葉をつぐ。 「あなたがカードを作ってくれた」 「お前――」 彼は湯飲みを持ったまま動きを止めている。何か重要な意味を持っているのかもしれない。もし彼が無反応だったらこれ以上は話さないでおこうと決めていたのだけれど、詳しく話してみることにした。 五月半ば頃わたしは初めて市立図書館に足を踏み入れたこと。本を借りようとしたが貸し出しカードの作り方がよく解らなかったこと。わたしが職員に声をかけられずカウンターの前をうろうろしていたこと。そこで通りすがりの男子高校生がわたしに声をかけ、代わりにカードを作る手続きのすべてを引き受けてくれたこと。 わたしには多すぎるセンテンス。しかしわたしは頭の情報処理能力を超えて話し続けた。こうしていることが、『過去』のないわたしの不安なり恐怖なりを和らげてくれるかもしれなかった。 その男子高校生のおかげでわたしは本を借りることができた。その貸し出しカードは今も持っているし使っている。 その時に通りかかって助けてくれた男子高校生というのが。 「あなただった」 わたしは視線を持ち上げ、わずかな間だけ彼と目を合わせてからまたテーブルの上に落とした。わたしの意思で彼と目を合わせたのはこれが初めてだった。 「…………」 リビングに沈黙が戻る。彼は覚えているかというわたしの問いには答えずに、若干腑に落ちないような表情をして黙り込んでいた。 わたしの言葉が足りなくて彼とのコミュニケーションの間に誤解が生じたのか、または彼の記憶とわたしの記憶が異なっていたのか。彼は、その通りだ覚えているとは言わなかったのだから何かしら齟齬があったことは確かだった。 わたしは話すべきことを失って彼が口を開くのを待ったが、彼はなかなか何も言い出さなくて沈黙は続いた。彼は何かを考えている様子だった。気むずかしい思索家のように黙考する顔。彼は部室であってもこの顔をしていた。違う世界に来てしまったのだから確かに考えることは尽きないに決まっているが。 だとしたら、稀にわたしに見せてくれる頬を弛めた顔は彼の精一杯のサービスなのだろう。わたしはそう思った。知らず知らず脳裏に描いてしまう優しい顔。わたしが彼のサービスの対象となっているだけでも喜ぶべきことだった。 とはいえ、わたしは彼のその顔を見るたびに、彼はわたしを見ているのか『わたし』を見ているのか解らなくなる。 ぴん、ぽーん――。 いつまで彼は黙っているつもりなのか、わたしがそろそろ気を揉み始めた頃になって沈黙を破ったのはインターホンのベルだった。突然の大きな音にわたしは驚いて玄関を振り向いた。 こんな時間に、しかも彼と一緒にいるときとは。タイミングが悪すぎる。 またベルの音がした。 わたしは仕方なく立ち上がって部屋の壁際に移動した。インターホンのパネルを操作して来訪者の声に耳を傾ける。 彼女はおでんを作ったから持ってきたという意味のことをわたしに言った。彼がいるためにわたしは何度か断りを入れたが、彼女に帰る気はないようだった。やがてわたしは仕方なく「待ってて」と言い、玄関まで行ってドアの鍵を開けた。彼も興味があったのかわたしについて玄関に来た。 北高の制服を着た彼女は扉を肩で押しのけるようにして入ってくる。彼女の両手は大きな鍋が塞いでいた。 彼女はわたしの後ろにいる彼を見るなり驚いた表情をした。それがどういう種類の驚きだったのかはわたしには解らない。ただしその時わたしは、彼と彼女が同じ一年五組だったことを思い出した。 「なぜ、あなたがここにいるの? 不思議ね。長門さんが男の子を連れてくるなんて」 後ろの彼を振り返ると、彼もまた驚きの表情をしていた。ただし眉をひそめていたので、あまり歓迎された驚きではないらしいことが解った。 彼女はつま先を戸口の床に押し当てて器用に靴を脱ぎながら彼に言う。 「まさか、無理やり押しかけたんじゃないでしょうね」 「そんなことねえよ。こっちだって驚きだ。教室以外でお前の顔を見るなんてな」 「わたしはボランティアみたいなものよ。あなたがここにいることのほうが意外だな」 彼女はそう言って笑った。彼はむすっとした顔をしている。彼らの顔を見比べてわたしは、理由は解らないけれど、このふたりの間の空気は何だか不穏らしいと悟った。彼女は昨日で風邪が治っていて昨日の午後から学校に復帰したらしいから、クラスで何かあったのかもしれない。 一年五組の委員長。彼女が周囲に悪印象を与えるような人間ではないと思ってはいるが。 来訪者は朝倉涼子だった。 「作り過ぎちゃったかしら。ちょっと熱くて重かったわ」 彼女は微笑んで大きな鍋をテーブルの上に置いた。おでんのにおいが部屋に漂う。彼は鍋の中身を見てから彼女に訊いた。 「お前が作ったのか?」 「そうよ。大量に作ってもそう手間のかからない物は、こうして時々長門さんにも差し入れるの。放っておくと長門さんはろくな食事をしないから」 わたしはキッチンに皿と箸の用意をしに行ったが、壁をはさんでもふたりの会話は丸聞こえだ。確かに朝昼晩すべてをコンビニ弁当やレトルトや冷凍食品で片づけるのは健康的とは言えないかもしれない。でも仕方ないだろう。わたしは料理を誰にも――そう、親にも教わっていないのだ。 「それで? あなたがいる理由を教えてくれない? 気になるものね」 しばらく間が空いてから彼が答えた。そのまま答えるわけにはいかなかったのだろう。内容は事実とは異なっていた。 「あー、ええとだ。長門とは帰り道に一緒になって……。そう、俺はいま文芸部に入ろうかどうか悩んでいる。そいつをちょっと相談しながら歩いてたんだ。そうしているうちにこのマンションの近くまで来たからさ、話の続きもあるしで、上がらせてもらった。無理にじゃないぜ」 皿の準備はできたけれど、わたしはキッチンにいて耳をそばだてることにした。わたしが入ったら会話が崩れてしまうかもしれない。しばらく彼と彼女のやりとりを聞いていたかった。 「あなたが文芸部? 悪いけど、全然ガラじゃないわね。本なんて読むの? それとも書くほう?」 「これから読むか書くかしようかどうかを悩んでいたんだよ。それだけだ」 彼らの会話はそこでとぎれた。まさかにらみ合っているわけでもないだろうがぴりぴりした雰囲気がキッチンまで流れてくる。 やがて彼が立ち上がった気配がした。 「あら、食べてかないの?」 彼女の声が言う。彼は帰るつもりらしかった。彼女といるのが億劫だったのかもしれない。 嫌だ。 ところが、リビングから出てきた彼を見て、わたしにはそんな感情が芽生えた。嫌だ。もっと言えば、彼にはここにいて欲しい。わたしの家に。 それは明確な意志だった。さっき彼と目を合わせたときのような自信がわたしに満ちてくる。わたしはまだ彼に抱きしめてもらっていないし、まだ不安だ。彼女とふたりだけになったら、いつ何時わたしが消えてしまうとも限らない。 「帰るよ。やっぱ邪魔だろうしな」 通り過ぎるとき遠慮をするような声の彼に、わたしは思わず力を添えていた。羽毛のようなやんわりとした力。ここにいて、という勇気はなかったから、わたしは彼の制服の袖をそっと指でつまんだ。言葉ではないけれど、それはわたしの意思だった。相手に意思を伝える作業。こんなにうまくいったことはかつて一度もなかった。 わたしは今にも消えそうな表情をしていただろう。でも、それはそれで構わない気がした。 彼はわたしのその様子を意外そうな目で見いてたけれど、やがてするとそれは苦笑のような表情に変わった。 「――と思ったが、喰う。うん、腹が減って死にそうだ。今すぐ何か腹に入れないと、家まで保ちそうにないな」 わたしは指を離した。彼は気を遣ってか、あえて宣言するように言うとリビングに戻った。わたしもその後に続く。 身体が熱かった。内部が燃え上がっているみたいだ。発火現象とはこうやって起こるものなのかもしれない。 わたしの顔は、自分でも解るほど紅潮していた。 夕食。三人で、なんていうのは初めてだった。わたしが幼いときに家族三人のこんな光景はあったのだろうか。違う違う。そんなことを考えてしまう自分を、わたしはどうにかして追い払った。 三人の間の会話は成り立っていないも同然だったけれど、わたしは別にどうでもよかった。おでんすらもあまり味わっていなかった。味わうというより味が感じられなかったのかもしれない。 わたしは会話でもおでんでもなく、そこにある雰囲気に浸かっていたのだ。テーブルのまわりにおでんのにおいが振りまかれるように、目に見えないけれど感じる何かにわたしは意識を集中させていた。ともすれば、それはわたしがこの三人の中の一人にカウントされているという当たり前すぎる事実を運んできた。 一時間くらいそうしていて、ようやく彼女が腰を上げた。 「長門さん、余った分は別の入れ物に移してから冷凍しておいて。鍋は明日取りに来るから、それまでにね」 彼も彼女に倣って立ち上がる。少し疲れているような表情をしていたけれど、わたしと彼女と一緒に膳を囲んでいれば普通の男子高校生はそうなるかもしれない。 わたしは彼女たちを送り届けるために玄関まで行った。ドアの隙間から見える外はすっかり暗くなっていた。 彼女が先に外に出たのを確認してから彼が言った。 「それじゃあな」 囁くような声。彼女には聞かれたくないのかもしれない。 「明日も部室に行っていいか? 放課後さ、ここんとこ他に行くところがないんだよ」 まただ。意思を伝える作業。もちろんわたしが彼に伝える意思は決まっていた。 わたしは彼の目をじっと見つめて、そして表情を作った。 表情を作る。素直な気持ちをそのまま表情にすること。今まで一度も成功したことがなかった。無理にでも作ろうとすれば、それは顔をしかめたような不格好な表情になり、わたしが伝えようとしていた意思とはまったく異なる意思が相手に伝わってしまう。 それが、今だけはうまくいった。しかも、わたしにとって難しすぎる難易度の表情。何をやってもうまくいくときはあるものだ。 こんなことがわたしにもできるなんて、思ってもみなかった。その顔はいったい何年間封印され続けてきたのだろう。 わたしは薄く、しかしはっきりと微笑んでいた。 彼がマンションの前から姿を消したのを見送ってから、わたしは自分の通学鞄を開けた。気分が落ち着いてきたので本を取り出して読もうと思ったのだ。文字に浸っていればわけの解らない恐怖を思い出すこともなさそうだった。 ところが通学鞄からハードカバーをどけてみると、鞄の底に黒くて薄っぺらな板があることに気づいた。これは何だと思って見てみて、わたしは重大なことを忘れているのを思い出した。 黒い板。それは『わたし』の言う記憶媒体だった。 そうだった。わたしは今日の明け方、『わたし』と約束を交わしていたのだ。夢といえるかどうか解らないような代物の空間で。 約束の内容。わたしは記憶を探る。 確か、この宇宙人に関するデータの入った記憶媒体を、北高から南に行ったところの歩道橋の花壇に埋めて欲しいということだった。意図は解らない。期限は今日中。 何ということだ。 わたしは窓から外の様子をうかがった。冬で日が落ちるのが早いから、街にはとっくに夜の帳が降りていた。暗くて、しかも寒そうだった。 この中出かけていくのは正直気が滅入る。そのうえ、わざわざ今から出かけるほど重要な用事ではない気もした。 しかしその気持ちを押し殺し、わたしは板をつかんで立ち上がった。仕方がない。約束なら守るべきだ。『わたし』の言うとおりに、わたしの机にはこの板が入っていたのだから。 マンションから外に出ると冷たい風が一気にわたしに襲いかかってきた。風が生き物になって意思を持っているかのように、ごおっという音と空気を遠くから集めてくる。 わたしはぶるると身震いした。出がけにマフラーとコートを引っかけてきたものの効果は感じられない。寒さは素肌の上を這うように通り抜けていった。 街灯の黄色い光と月明かりだけを頼りに夜道を歩く。夜の底は深さを増していた。 北高に続く道をそれて南へ。わたしはマフラーに首を埋めて黙々と歩く。車さえほとんど通らない。時々遠くのほうで低いエンジン音が聞こえるだけだ。 夜は不思議だと思う。こうして出歩いているだけのことが奇妙な魅力を持っている。前も後ろもほんの数メートル先は真っ暗だったけれど怖さはなかった。 ふと空を見上げる。昼には空を気にしたことなんかないけれど、今はそんなことをしたくなるような気分だった。宇宙のどこかにある星や月が、黒い雲に覆い隠されたり雲の隙間から現れたりしている。夜の不思議さは月の引力の影響かもしれない。 十分ほど行くと『わたし』の言っていた歩道橋が見えてきた。南北に走る一本道の県道をまたぐ歩道橋と、その脇に設置された花壇。暗かったけれどどうにか見つけることができた。わたしはその花壇に歩み寄り、息を吐いて両手を擦り合わせた。じんわりした暖かさが浸みていく。動くようになった手を使ってコートのポケットから黒い板の記憶媒体を取り出した。 どうやらわたしはこれを『わたし』の世界に送り届ける役割らしい。 彼女は、この板が彼女の世界に送信されたとき、物質的なショック症状で板の内部データが破損すると言っていた。つまり宇宙人に関するデータは失われるわけだ。普通はデータが壊れた記憶媒体なんていらいないだろうけれど、ところが、彼女の世界では内部データが破損した記憶媒体が欲しいらしい。それが必須条件、とも言っていた。用途は知らないがおかしな話だ。 わたしは記憶媒体を花壇の土の上に置いた。夜に穴を掘って埋めるのは億劫だったので足を使って土をかぶせることにした。『わたし』もその程度で充分だと言っていた。それはそうだろう。どこの物好きが県道脇の花壇を掘り返して、ゴミにしか見えない板を持ち帰ったりするだろう。もちろんそんなものをわざわざ遠くから持ってきて夜遅くに埋めているわたしも、まわりから見たら相当変人に見えるのかもしれないけれど。 土を蹴って記憶媒体にかぶせ、完全に見えなくなったところでわたしは靴についた土を払って花壇から出た。もう九時を回っているだろう。でも今日中には違いない。 行きと同じ道をたどってマンションに帰ってから、わたしは708号室に戻るとキッチンに向かった。まだやることが残っている。一人暮らしは大変なのだ。ちょっと出かけている間に誰かがおでんの残りを片づけてくれたりはしない。 わたしは朝倉涼子からもらったおでんの残りを、彼女に言われたように適当な入れ物に移してから冷蔵庫に入れた。おでんが入っていた鍋は彼女がいつ取りに来てもいいように洗って乾かしておく。どうせなら鍋なんか今日持って帰ってくれればよかったのに。面倒事が増えてしまう。 リビングに戻ってから、本を読もうかと少し考えてから思い直し、わたしはお風呂に入ることにした。外に長くいたため身体が冷え切っていた。 十分暖まったあと、お風呂から出るとわたしは本を手に布団に潜り込んだ。 わたしはこの瞬間を愛していた。お風呂から出てきてぽかぽかしたままの身体で布団に入り、静寂に包まれながら本を読む。時期も、ちょうど冬のこんなときがいい。 ほのかな幸せを思いながら文字の海に溺れる。部屋は静かだった。 一人暮らしだと喧噪というものは無縁な存在になる。家の中にそんなものは存在しない。あるとしたらマンションの前を通る人々の声だけだが、それも夜の間はありえなかった。 洗った鍋から水滴がぽたぽた落ちる音だけがこだましていた。そのことが今日は少し寂しいような気もして、この静かな暮らしは誰によってもたらされたんだろうと考えたところで、違う違うと思った。そんなことを考えているから日常に歪みが生じるのだ。 わたしはハードカバーに意識を集中させようとした。 でも、できない。目は文字を追っても、ちっとも内容が頭に入ってこない。知らない単語の多すぎる英文を読まされているみたいだ。 わたしは本を閉じた。目をつむり、寝ようとした。 寝られないことはなかった。目をつむっていると意識と無意識の境目が次第に薄れてきて、いつの間にか眠ってしまう。けれど今日違っていたのは、意識が落ちるときにいつものような安息がなくて、代わりに胸騒ぎがしたということだった。心臓がどくどくしながらも、わたしは眠ってしまった。 黒い海。静寂と闇の空間。 目を覚ましたとき、目の前にはそれが広がっていた。 わたしは黒い海を流されていた。縦になり、横になり、ねじれて、伸びたり縮んだりしながら。黒がうねりをあげる様子を見てわたしは、ああまたここかと思った。もう三度目だ。嫌でも慣れてしまう。 わたしは鉛のように重たい首をもたげて、どこかにいるはずの彼女を探そうとした。夢でない限り彼女はいる。わたしとまったく同じ姿をした『わたし』。 「わたし」 その声は暗闇のもっと深いところから聞こえてきた。抑揚のない無機質な声。わたしがそちらに目を向けると、『わたし』の輪郭が作られているところだった。ぼんやりとした影。やがて形がはっきりすると姿が立体化し、さらには色がつく。 彼女は昨日と同じ工程を踏んでわたしと同じ姿になった。彼の世界の『わたし』。鏡を見ているような感覚も昨日と同じだった。 ――約束は守った。 わたしは喋ろうと思ったけれど、そこで声が出ないことに気づいた。 そういえば昨日もこの空間では声が出なかった。でも不思議なことに彼女にはわたしの言おうとしたことが伝わるのだ。 「そう」 やはり彼女は解ったように小さくうなずく。 彼女がそれっきり黙っているのを見てわたしが口を動かした。 ――わたしから質問してもいい? 「記憶媒体のこと?」 ――違う。この世界のこと。 彼女は息をのんだようだった。わたしにしか解らない程度に。でも確かに、彼女はいつもより数ミリリットルほど多く空気を取り入れた。 「どうぞ」 彼女はわたしをうながした。瞳からはすでに動揺のかけらが消えていた。わたしはその様子を見て口を開く。 ――今日、部室で彼が何かのメッセージを見つけた。『ハイペリオン』にはさまっていた栞。わたしと同じ字体で書かれていた。あなたには覚えがある? 「そう。……わたしがした」 そんなことだろうと思っていた。 ――違う世界なのに? 「わたしにはその力がある。それに、あなたの世界はわたしに従属しているから仕様の変更は容易」 そうだった。彼女は情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースだったのだ。わたしの世界が『わたし』に従属しているというのも昨日聞いた。わたしにとって彼女は絶対的な権力なのだ。 わたしは質問を続ける。 ――あのメッセージには何の意味があった。鍵。プログラム。最終期限。 「……あなたには言えない。わたしとあなたの関係上と立場上。そしてあなたにそのことを伝えると世界に矛盾が生じる可能性があるから。でも――」 『わたし』は言葉を切った。彼女は何と言っていいか解らなくて困ったような表情を浮かべていた。 「わたしは、あなたには申し訳ないと思っている」 ――申し訳ない? 彼女の返答はなかった。何がどう申し訳ないのか、いつ申し訳なくなるのか。いくら訊いたところで彼女の答えは変わらない気がした。 彼女がそう言ったきり黙っているので、わたしは質問を変えた。 ――あなたは彼を愛している? 唐突な内容だった。でも彼女の表情に変化は認められなかった。 「愛する。それは……なに?」 愛する。それは、なに? その意味を頭で理解したとき、わたしは彼女の返答に言葉を失った。 彼女は困惑しているらしかった。眉が少しだけひそめられ、口許がゆがんでいる。未知のものに遭遇したときの表情だ。 そうか、もしかすると宇宙人に愛するという概念はないのかもしれない。互いの性質を併せ持つ子孫を残すことにしても、宇宙人には遺伝子の配列交換と種族の繁栄ということぐらいしか頭にないのかもしれない。別にそのことをかわいそうだとは思わないけれど、あったらあったで宇宙人たちはどんな暮らしをするのだろうとは思った。 愛とは何か。愛するとは何か。陳腐で浅はかな質問。けれどそのことをうまく説明できる自信がなかった。わたしは自分の語彙から頭にありとあらゆる単語を思い浮かべ、慎重に言葉を選んで口にした。 ――あなたにすべての自由が与えられたとき、誰と一緒にいたいか。一緒にいたい相手がいるのだったら、あなたはその人のことを愛しているといってもいいのかもしれない。わたしが訊いているのは、彼がその対象になっているかどうかということ。わかる? 「わかる」 彼女は難しい理論を考えているような顔をして天を仰いだ。蒼白な横顔。わたしもつられて見上げるが、そこにあったのはうねっているコールタールのような黒だけだった。 やがて彼女は視線の先をわたしに戻すと言った。 「仮に許されるのなら、そうするのかもしれない」 無機質な声。 しかし、その意味を持った言葉の衝撃がわたしの頭を叩いた。 彼女の答えが、あの物語の一文と酷似していたからだった。 仮に許されるなら、私はそうするだろう。 なぜ、彼女が。そう思うと同時に、不吉な予感がわたしの頭をかすめた。わたしと『わたし』。ほぼ同一の存在。宇宙人の『わたし』と支配されるわたし。 それはわたしが唯一信じることができたものさえも揺るがしかねない最悪の予想だった。 「もし」 どのくらい経っただろう。わたしが暗い推理を続けていると彼女が言った。迷った末、口にしたような感じだった。 「もし、プログラムが起動すれば、あなたの世界はわたしの世界に上書きされる。消えてなくなってしまう」 ――なに? 彼女はわたしの疑問に答えずに言葉をついだ。 「確かに、あなたはわたしの影の存在だったかもしれない。あなたの存在はすべてがわたしに頼ってできあがっているものなのかもしれない。肉体も精神も、学問的には」 わたしは黙り込む。影の存在。わたしが、『わたし』の。言っている意味が解らなかったけれど訊きはしなかった。どうせ答えてくれないに決まっている。 「でも、わたしはあなたが……うらやましい。わたしはあなたに対して、うらやましい、という思いを抱いている。これだけは言いたかった。わたしはあなたのようになりたい。しかし……そんなわけにはいかない。どうしても。なぜなら――」 彼女の棒読みのような口調に、わたしが続く言葉を言った。 ――あなたには最初から、その機能が与えられていなかった。 彼女は少しだけ驚いたような顔になってから、しかし語調を乱れさせることなく言った。 「わたしとあなたが同じ一個体だったらよかった」 ――わたしもそう思う。 なぜそう答えたかは解らない。ただ、もしわたしという存在がひとりだけの絶対的なものだったら、今ほどつらい思いをすることはなかっただろうと思っただけだった。この追いつめられたような孤独感と恐怖感。 でもわたしは無力すぎて、『わたし』には最初からその機能が与えられていなかった。 最初から一緒ならよかったのに。『わたし』とその影のわたし。 自然な感情だった。 しかし、その思いは、胸に渦巻く暗い予感までをも肯定することと同意だった。
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/2026.html
Report.16 長門有希の憂鬱 その5 ~朝倉涼子の報告~ 「ゆ……き……?」 涼宮ハルヒは、突然現れたわたしに恐る恐る声を掛けた。わたしは無言で視線を向ける。 「話はあと。」 極めて短い返答。わたしは二人に向けて言った。 「朝倉涼子、支援を要請する。ハルヒ、下がってて。」 「な!? 何言(ゆ)うてんの!?」 【な!? 何言ってんの!?】 ハルヒが声を上げた。 「涼宮さん!!」 彼女に負けじと声を張り上げる涼子。 「今は……長門さんの言う通りにして!!」 「あんたは、あたしに黙って見てろって言うん!?」 【あんたは、あたしに黙って見てろって言うの!?】 「だいじょうぶ。」 わたしが声を掛ける。 「あなたが信じてくれる限り、わたし達は負けない。」 「そんなこと……!」 わたしは彼女を見据える。しばらく見つめ合っていたが、とうとう彼女は観念した。 「……分かったわ。でも、約束やで? 絶対、無理したらあかんで。」 【……分かったわ。でも、約束よ? 絶対、無理しちゃだめよ。】 「約束する。」 彼女は後ろに下がった。わたしは攻撃者に向き直る。 攻撃者は、目の前の状況が何を意味するのか、正しく理解していなかった。わたしの全身から立ち上る、無言のプレッシャーを。『透明オーラ』を。すなわち、闘気を。 わたしは、正に怒り心頭に発しようとしていた。 『情報統合思念体と接続できないの。』 涼子は通信で状況を伝えてきた。 『この襲撃してきた一派……過激派に、情報統合思念体の一部が乗っ取られている。通信プロトコルが強制的に変更された。あなたが接続を切られているうちにプロトコルが改竄されたため、あなたが接続できない。今からプロトコルを伝える。』 わたしは涼子に、プロトコルその他の必要な情報を送出した。 『同期……確認。プロトコル解析……終了。再接続試行……接続成功。OK、行けるわ。』 わたしは、帰ってきた。彼女がわたしに会いたいと願ったから。 わたしは、三人称である『観測者』となっていた。しかし今、一人称である『長門有希』を取り戻した。 わたしは、攻撃者に視線を集中させる。攻撃者は、彼女達に危害を加えようとした。その事実だけで十分。 「あなたは、わたしを怒らせた。」 情報連結解除は、たやすい。でも、それではわたしの『怒り』が収まらない。直接殴らないと気が済まない。 「……覚悟して。」 『長門さん。涼宮さんの前で、どうやって戦うつもり?』 涼子から通信。 『人間の能力の範囲内で行動する。「武術の達人」程度。でも、やり過ぎてしまうかもしれない。』 『あれだけ仕事が正確な長門さんとは思えない、感情的な発言ね。』 『……この気持ち、いずれあなたにも分かる時が来る。』 その後の様子は省略する。なぜなら、ほとんど覚えていないから。わたしは、人間の言葉で表現すると『怒りに我を忘れた』状態になっていた。断片的にしかログが残っていない。 長門さんは怒りに我を忘れ、ログが正しく記録されていなかったようなので、以下、長門さんに代わってわたし、長門有希任務代行・朝倉涼子が報告します。 追い詰められたわたしは、賭けに出た。 話の展開としてはかなり無理があったけど、状況が状況だけに、仕方がなかった。それに、涼宮さんも、完全に現実感を喪失していたので、都合が良かった。多少話に無理があっても、気付かないから。 とにかくわたしは、涼宮さんに、長門さんがここに助けに来るというイメージを持つよう誘導した。その甲斐あって、ついに長門さんは復活した……のは良いんだけど、彼女の目の前で鉄筋の雨を爆散させるなんて、そんな派手な情報改変はまずいんじゃない!? 『問題ない。それに、やるなら盛大にとことんやった方が、あとでごまかしが利く。』 彼女の常識から大きく外れた、ありえない現象を見せ付けた方が良いっていうわけね。でも彼女はかなり非現実的な出来事に敏感だから、ごまかすのは大変なんじゃない? 『そう。だから、とりわけ盛大に行う必要がある。ためらえば感付かれる。』 ……ちょっと、今の長門さんは、何と言うか『危険な香り』がするわね。 『わたしは至って冷静。』 他のインターフェイスならともかく、わたしの目はごまかされないわ。その全身から立ち上る闘気は何ですか、長門さん。 『……気にしてはいけない。』 気にするっちゅうねん! というツッコミはさておき。長門さんは、攻撃者に向き直って言った。 「あなたはわたしを怒らせた。覚悟して。」 やっぱり怒ってんじゃん! 長門さんは腰から武器――ヌンチャクと呼ばれる、二本の棒を鎖で繋いだもの――を取り出し、わたしの周りに突き刺さった鉄筋を薙ぎ払った。わたしは長門さんに助け起こされる。 「あなたにはこれを渡しておく。」 そう言って長門さんは、背中に背負っていた長い包みをわたしに手渡した。開いてみると、 「薙刀……」 そこには、長い柄の先に湾曲した刃物が付いた武器が入っていた。 『涼宮ハルヒの嗜好を考慮して、あなたに似合う武器を選定した。刃は付いていないが、それ以外は本物に限りなく近い。以前のあなたの得物とは違うが、問題ないと思う。』 前科(ナイフ)の話は勘弁して…… 薙刀の使用法をダウンロード……完了。『薙刀使い』のできあがり。 「わたしは攻撃者を叩く。あなたは涼宮ハルヒの護衛をしてほしい。」 「了解。」 わたしは、涼宮さんの元に戻った。 「あんた、薙刀使えるんや……」 【あんた、薙刀使えるんだ……】 「まあね。嗜む程度には。」 そういうことにしておこう。『謙遜』って言うんだっけ。……ちょっと違う気もするな。 そんなやりとりをしてる間に、長門さんは華麗にヌンチャクを振り回し始めた。無言で。情報検索……『李小龍』っていうアクション俳優の動きなのね、これは。なるほど、確かに彼は、人間にしては良い動きしてるわね。動きに無駄がないわ。 ウォーミングアップと威嚇を兼ねたヌンチャク演舞を終えて型を決めると、長門さんは攻撃者と静かに相対した。沈黙が辺りを支配する。仮想段階での攻撃の応酬が繰り広げられている。人間の言葉では『気組み』等と呼称するそうだ。 先に動いたのは、長門さんだった。滑らかに身体を滑らせ、攻撃を開始した。 速い。というか、鬼気迫るものがある。鉄筋の射撃をものともせず、ヌンチャクが舞う。ヌンチャクが止められれば、すぐに鋭い前蹴りが飛ぶ。あまりの速さに、攻撃者反応できず。蹴りが入った一瞬後に、攻撃者の意識が蹴りを入れられた部位へ向かう。そのためガードが少し下がったのを、長門さんは見逃さなかった。 左正拳突き……いや、ジャブか。そのまま素早く左三連打。一発一発がそれぞれ必殺級の威力なのに、あくまでコンパクトに素早く打ち込んでいく。三点バースト射撃とでも言うべきだろうか。そして再びヌンチャク乱舞。サンドバッグを殴るかのように、攻撃者を翻弄する長門さん。 いい加減うずくまりそうな攻撃者の頭らしき場所を左脇に抱えると、背後で右踵を跳ね上げるように使って蹴る。いったん攻撃者を身体の正面に持ってくると、左膝蹴り。そして胴回し蹴りからそのまま逆立ち状態で攻撃者の首らしき部位を脚で挟むと、攻撃者の足元に飛び込みながら、地面に叩き付けるように投げた。 ……また派手な技使うわね。 「白……か。」 後ろでポツリと呟く涼宮さん。あー、スカートの中のことを言ってるのね。 ちなみに今の攻撃は、相当な速さで繰り出されたけど、さすがは涼宮さんね。あの速さで見えてるのか。そういえば、わたしの時にも何か言ってたような……と思ったら、ぽん、と肩に手を置かれた。 「あんた……結構可愛いの穿いてるんやね。まさか縞パンで来るとは……萌えのポイント高いわ。」 【あんた……結構可愛いの穿いてるのね。まさか縞パンで来るとは……萌えのポイント高いわよ。】 再構成されるときに、あなたの嗜好を考慮してるからね。 それにしても、わたし達は人間じゃないけど、人間の女の子の姿をしてるんだから、仮にも女の子のあなたが、余り『ぱんつ』で喜ばないでほしいな。 『それは涼宮ハルヒが現実逃避に走っている証拠。その方がやりやすい。』 ……そりゃあ、あなたは『ぱんつ』どころか、もっとすごいことになったから、今更『ぱんつ』が見えたところで動じないんだろうけど。 『あなたが一番、ぱんつぱんつ言っている。』 はう。 長門さんにツッコまれた。 冷静に通信でツッコミを入れながらも、長門さんはひたすら無表情でストッキング仮面(仮名)をしばき上げている。相変わらずものすごい闘気を纏いながら。それにしても、わたしが出る幕ないと思うんだけど。 『もうすぐ。』 長門さんはヌンチャクを構え、攻撃者を見据えて言った。 「あなたはもう死んでいる。」 どこの世紀末救世主ですかとツッコむ間もなく、長門さんは、涼宮さんに見えない角度で詠唱を始めた。ものすごい勢いでしばき回しながら、攻撃者に崩壊因子を組み込んでいたのね。 詠唱が完成すると、攻撃者は音もなく、煌めく砂となり、崩れていった。 それが合図だった。 わたしは、この空間内へ急速に敵性存在の気配が満ちていくのを感じた。 『今倒した攻撃者は、尖兵に過ぎない。これが倒されることが、その後の展開の引き金。作動させないと、この空間封鎖を完全に破ることはできない。』 まるで空間そのものを材料として、先ほどの攻撃者同等の存在が無数に生み出されていくかのような気配。 「……はぁっ!!」 どこからともなく飛んできた飛翔体……鉄筋を、わたしは薙刀で斬り飛ばした。あれ? 刃は付いてないんじゃなかったの? でも、今はそれどころじゃない。 これって、全方位から狙撃されるってことじゃない!? 『そう。』 何てことだ。 もちろん、インターフェイスとしての能力を最大限生かせば、防ぐのはたやすいけど、今はそばに涼宮さんがいる。長門さんが『彼』を庇いながら戦った時とは、わけが違う。なぜなら、涼宮さんにはわたし達の力をすべて見せるわけには行かないから。あくまで『人間の枠内』で対処しなければならない。例えば防護フィールドは使えない。 正直言って、キツい。ああ、考えてるそばから鉄筋がいっぱい飛んできたよ。忙しいなあ、もう。 わたしは薙刀を振るって鉄筋を斬り飛ばしながら、涼宮さんを護る。長門さんは、相変わらず無表情で、ヌンチャクを振り回して鉄筋を叩き落としている。 どうやってこの局面を切り抜ければ良いんだろう。そう考えていると、 『準備ができた。』 長門さんの通信と同時に、誰かがこの空間に突入した気配。 『朝倉さん! 長門さん! そっちの様子はどうなってますか!?』 突入したのは喜緑江美里だった。こっちは正直キツいかな。 『こちらは、涼宮ハルヒの手前、余り動けない。支援を要請する。』 長門さんの通信に、喜緑さんが答えた。 『了解しました。』 情報統合思念体に申請して、情報を共有する。……『彼』、朝比奈みくる、古泉一樹も伴っているのか。全員持てる能力を最大限に発揮して戦っている。本来は非戦闘員である『彼』には、武器が支給されている。一体どうなってるのかしら。 『喜緑江美里達には、別動隊として、派手に戦って敵勢力を引き付けてもらう。』 古泉くんは、閉鎖空間仕様の赤い玉になって、縦横無尽に飛び回っている。 朝比奈さんは、文字通り『人間兵器』、『歩く凶器』と化して、辺り一面を薙ぎ払ってる。『アレ』を解禁したのか。 『彼』は、支給された武器をちゃんと使いこなしているようだ。武器に支援システムを組み込んであるのね。 喜緑さんは……って涼宮さんがいないからって、そんな大技……ちょっと演出過剰なんじゃない? 『あれくらい派手にやってくれた方が、都合が良い。』 確かに、こちらへの攻撃がだんだん手薄になっていってるけど……ああ、また喜緑さんの大技が炸裂した。同時に土煙が立ち上るのが見え、少しして轟音が聞こえてきた。ここから目視できる距離で戦ってるのか。そして、『彼』の武器が変形した……!? ちょっと!? 涼宮さんがいないからって、無茶しすぎ! 比較すると、こちらは肉弾戦仕様パーティーで、あちらは飛び道具部隊か。さては、喜緑さん……深夜アニメでも観たな? え? なんでそんな例を思い浮かべたかって? ……わたしには待機モードの三年間、暇つぶし……もとい、『情報収集』の一環として、日がな一日、テレビを見て過ごしていた時期があった。色々観た番組には、アニメ番組も含まれていた。深夜アニメには、結構『熱い』作品が多かったかもしれない。 人間がそのまま演じる実写ドラマに比べると、アニメは表現がより『情報』に近い。普段は『肉体』というフィルターを通してしか表現できない人間の内面、すなわち『感情』が、アニメではより純粋な情報に近い形で表現されていた。人間の感情がよく分からない当時のわたしには、それは『人間らしい』所作の研究に役立った。 朝から昼は、人間達の会話に違和感なく溶け込めるよう、ニュース番組を欠かさずチェック。朝早くはニュースや交通情報が多い番組も、昼が近くなるに連れて、芸能人の話題が増えていく。これは、一般的な人間の生活様式に合わせた結果であることが分かった。ただ、余り見過ぎると、わたしの設定年齢からかけ離れた年代の人間と同様の思考パターンに陥る、人間の言葉で言うと『おばはん臭くなる』という諸刃の剣。素人にはおすすめできない。 今にして思えば、意外と『人間生活』を楽しんでたんだな、わたし。 『もうすぐ、次の機構が作動する。』 長門さんの通信が入る。 何で情報統合思念体と再接続したのに、わたしが余り状況を把握できていないかというと、未だリンクが完全には確立していないから。ノイズが多すぎて、再通信が頻発し、実効通信速度が極度に低下している。おかげで、インターフェイスとしての能力を六割程度しか使えていない。 これは、涼宮さんがいなかったとしても、あんまり力を使えなかったわね。辛うじて、他のインターフェイスとの通信を保持できてはいるけど、これも危うい。映像と音声でしか通信できず、しかもノイズだらけなので、現在の人類の技術水準による通信、携帯電話によるTV電話程度の精度でしか通信できない。通常の情報共有に比べれば極めて不完全。 ……何だか、わたしって足手まといっぽいな。ちょっとヘコむ。 『一つずつ機構を作動させていくのは、効率が悪いので、ここらで一気に片を付けますね。』 喜緑さんからの通信。同時に、喜緑さんは詠唱を始める。 えええ!? そんな大きな情報操作を…… 『これより、情報共有はパッシブモードに切り替えます。事が済むまで通信には答えられないと思いますので、連絡事項は今のうちにお願いします。』 喜緑さんの通信に、長門さんが答える。 『こちらは、三人で移動を開始する。合流は北高文芸部室にて。以上。』 『了解しました。健闘を祈ります。それでは30秒後、対閃光衝撃防御願います。以上。』 この通信を最後に、喜緑さんからの映像と音声が届かなくなった。 「涼宮さん! 目を閉じて耳を塞いでっ! 早くっ!!」 「えっ!? えっ!? こ、こう!?」 戸惑いながらも、わたしの指示に従い、涼宮さんが目を閉じて耳を塞ぐ。それを確認すると、わたしは素早く耳栓を構成して装着し、彼女を庇うように抱き締めて目を閉じた。長門さんは、イヤープロテクターとサングラスを構成して、装着していた。 そして…… 世界が強烈な光に包まれるのが、瞼の上からでも感じられた。一瞬後に、激しい衝撃波と爆発音。涼宮さんに目を瞑らせた上で防護フィールドを展開してはいるけど、それでも激しい余波。 余波が収まると、すぐに耳栓を分解してから、辺りの様子を確認する。まだ空間封鎖は解けていないけど、攻撃される気配はない。 「今のうち。」 と、イヤープロテクターとサングラスを分解した長門さんが言った。涼宮さんも、目を開けて耳を塞いでいた手を離した。 「今のうちに、移動しよ。」 【今のうちに、移動しよう。】 「どこに?」 わたしの言葉に、涼宮さんは疑問を返す。行き先は一つ。 「とりあえず、北高に避難しよ! ほら、あそこって、災害のときの避難場所になっとぉやんか。逃げる場所としては、最適やと思わへん?」 【とりあえず、北高に避難しよう! ほら、あそこって、災害のときの避難場所になってるじゃない。逃げる場所としては、最適だと思わない?】 「確かにそうかも……」 「ほら、急ご!」 わたしは涼宮さんの手を引いて駆け出した。長門さんも無言で後に続く。背後から、また爆発音が聞こえ始めた。 『喜緑さん、頼んだわよ。』 返答が返ってこないと知りながら一言送信すると、わたし達は北高を目指した。 余計なお世話だと思うけど、こんな長い坂道の上にあるんじゃ、本当に避難する時、大変なんじゃないかな? 立地条件には関係なく、『学校』という属性だけで、避難場所として指定されているらしい。こういうのを『お役所仕事』と呼称するそうだ。 人間って、わたしにとっては時々、訳分かんないというような不合理な行動を取る不可思議な存在だけど、そんな人間にも訳が分からないと考えられてるのが、『お役所仕事』だそうだ。そのような『お役所仕事』の範疇に含まれるところの、公立学校である北高に着いた。 「はぁ、はぁ、はぁ……」 長い坂を駆け上がってきたおかげで、さすがの涼宮さんも息が切れたようだ。肩で息をしている。 「はぁ、はぁ……ふぅ。さて、北高に着いたは良いけど、この後どうすれば……」 「部室。」 涼宮さんの問いに、長門さんが極めて短い単語で答えた。 「なるほど、確かに、うちらが共通して知っとぉ場所って言(ゆ)うたら、文芸部室やね。」 【なるほど、確かに、わたし達が共通して知ってる場所って言ったら、文芸部室よね。】 と、わたしも同調する。正副インターフェイスの連係プレイで、手際良く涼宮さんを部室に連れ込む……もとい、誘導するわたし達。遅い時間になっていたとはいえ、校庭に誰一人いない光景を涼宮さんに見せ続けるのは良くない。……校舎内も似たような状況だけど、部室の中に入ってしまえば、外の様子は余り気にならないからね。 部室に入り扉を閉めると、ようやく一息つく。 喜緑さんとは相変わらず通信が途絶してるので、状況は全く分からない。遠くの方で何やら爆発音が聞こえるので、まだ戦闘は続いてるんだろう。 涼宮さんをここに匿って待機、か。こうなると、もう……人間の言葉で言うところの『祈る』ことしかできない。 ここまでずっと涼宮さんの手を握っていたけど、もう大丈夫かな。そう思って手を離そうとしたら、 ぎゅっ 涼宮さんは、わたしの手を離そうとしない。それどころか指を絡め、しまいには腕に組み付いてきた。 あのー、涼宮さん? あなたは何をしておいでなのでしょうか。 「べ、別に不安やからとか、そんなん違(ちゃ)うんやからね! あんたが怖がったらかわいそうやから、手ぇ繋いだげとぉだけなんやからね!」 【べ、別に不安だからとか、そんなんじゃないんだからね! あんたが怖がったらかわいそうだから、手繋いだげてるだけなんだからね!】 うん、もうどこに出しても恥ずかしくない、立派なツンデレさんだね。そんな真っ赤な顔して、そっぽを向きながら、震える手で言っても、全然説得力ないわ。 「!? ……あ、あほぉ、そんなん違(ちゃ)うって……」 【!? ……ば、ばかぁ、そんなんじゃないって……】 照れるツンデレ萌え、って表現するのかな。照れる涼宮さんの、何と可愛いことよ。 「――っ!! も、もう、知らん!」 【――っ!! も、もう、知らない!】 ぷいっ、と涼宮さんはそっぽを向いてしまった。 ぎゅうー わたしは、照れて首まで真っ赤になった涼宮さんを抱き締めた。正直、たまりません。 「大丈夫、何(なん)も心配せんでええよ。わたしも長門さんも、付いとぉから。」 【大丈夫、何(なに)も心配しなくて良いわよ。わたしも長門さんも、付いてるから。】 わたしがそう囁くと、涼宮さんは『ふみゅぅー』とでも擬態語を付けるのが適当な様子で、ふにゃふにゃとわたしの胸に顔を埋めてきた。よしよし、頭撫でてあげる。……抵抗はしないのね。 「……しばらく、こうさして。」 【……しばらく、こうさせて。】 やっぱり不安だったのね。あー、もう、可愛いなぁ。なでなで。って、長門さんを差し置いて、こんなことをしちゃって良いのかな。 涼宮さんは、わたしに頭を撫でられるがままになっている。引き継いだ観測結果からすると、極めて珍しい光景。 いつもは元気いっぱいに振舞っているけど、いくら規格外の彼女とて、やはり人間。他の人間同様に、『不安』や『恐れ』といった感情もやはり存在するというのが、これまでの観測結果。更に言えば、人間の言葉で表現すると、かなりの『甘えん坊』。普段はそれを表に出さないだけ。 そう考えると、長門さんと似た者同士と言えるのかもしれない。 長門さんは、どんな感情(に類するもの)も、一切表に出さないように設定されている。もっとも、最近はそれでも微弱な揺らぎが表出したり、特定の人間には感情を見せたりするようになったみたいだけど。 とにかく、どちらも『本当の感情を表に出さない』という点では、共通している。そんな似た者同士の二人だから、惹かれあってしまったのかもしれない。タブーを超えて。 冷静沈着に任務を遂行するように設定されているはずの長門さんが、今回のように、『怒り心頭に発し』、『我を忘れて』大暴れするなんて、本来考えられない状況。なのに、それは起こった。 今や長門さんは『観測者』たり得ない。涼宮ハルヒに影響を与える重要な要素の一つになっている。『鍵』は『彼』だけではなくなった。長門さんも含めた『SOS団』そのものが、涼宮さんにとっての重要な『鍵』。 そう、『変化』は起こっている。 かつてわたしが、そしてわたしが所属していた急進派が求めて止まなかった『涼宮ハルヒの変化』が、『変化』を求めず、『現状維持』を目指した主流派に属する、長門有希の存在によって起こっている。何て皮肉なことかしら。 わたしは変化を求め、『彼』を殺そうとした。 長門さんは現状維持を求め、『彼』を守ろうとした。 そしてわたし達は戦った。その結果、わたしは有機情報連結解除……人間の言葉で言えば『殺害』された。かくして、変化を求める勢力は敗れ去り、現状維持を求める勢力の思惑通りに事が進む……はずだった。 でも、そうはならなかった。現状維持を望む側の長門さんが暴走し、世界を改変してしまった。 今なら分かる。変化を抑えようとする意向が、変化を免れない有機生命体……ヒューマノイド・インターフェイスを狂わせた。 情報統合思念体は、この事実を重く受け止めるべきだろう。本当に、有機生命体である涼宮ハルヒを理解したいと思うのなら。 涼宮さんの不安そうな顔を見ると、その思いはますます強くなった。彼女にこんな表情をさせるようなことが、彼女の理解に資するとは思えない。 もしあの時、わたしが勝って『彼』の殺害に成功していたら、どうなっていただろうか。 情報爆発は、確かに起こっただろう。でもそれは、『悲しみ』に彩られていたに違いない。そして、情報統合思念体自身も、無事では済まなかったはず。これは、長門さんが世界を改変した時、情報統合思念体を消滅させた事実からも明らかなこと。 あの時情報統合思念体は、人間の言葉で言えば『肝を冷やした』。例え世界が壊れても、自分だけは大丈夫だと考えていたから。 情報統合思念体の存在を知っていたからこそ、長門さんはそれを選択的に消滅させるという芸当ができた。しかし、だからと言って、その存在を知らない涼宮さんが改変するならば、情報統合思念体は無事でいられるという保証にはならない。 もし涼宮さんが、『宇宙人も未来人も異世界人も超能力者も、何もかもどうでもいい』と思って情報爆発で世界を書き換えたら、どうでもいいと思われた宇宙人の範疇に入る情報統合思念体も、消滅しないという確証はない。むしろ、同様に消滅すると考えた方が自然だろう。 強硬な手段を使って涼宮ハルヒに情報爆発を強制的に起こさせた場合、非常に高い確率で、それは『悲しみ』又は『絶望』という属性を持った情報爆発になると予想される。そしてその『悲しい』情報爆発は、同様に非常に高い確率で、世界を崩壊させ、情報統合思念体も、そして恐らくは広域体宇宙存在も、共に消滅させてしまうと予想される。 それでも、情報統合思念体は、強硬な手段を執る選択肢を残すべきだろうか。 わたしには、それが得策であるとは到底思えない。検討する価値もないとさえ思っている。 『終わった。』 そんなことを考えていたら、長門さんから通信が入った。慌てて周囲の状況に感覚を振り向ける。空間封鎖が解かれて、通常空間に復帰していた。周囲の音も聞こえるようになっている。 『空間封鎖の解除、通常空間への復帰を確認。ふう。終わりました。今からそちらへ向かいますね。』 喜緑さんからの通信が入った。無事、攻撃者達を排除したみたいね。 『お疲れ様。』 長門さんが、労いの言葉を掛けている。これも、少し前では考えられなかったこと。 「涼宮さん。大丈夫やで。」 【涼宮さん。大丈夫よ。】 わたしは、涼宮さんに声を掛けた。ずっとわたしにしがみついていた涼宮さんが、わたしの顔を見つめる。 「怖い夢は、もう終わり。」 我ながら無理がある締めの言葉だと思う。でも、他に言える言葉を、わたしは知らない。 「……夢?」 涼宮さんはわたしの顔をまじまじと見つめた後、わたしの肩に視線を移して言った。 「あれ? あんた、肩の傷は……」 肩の傷は治しておいた。最初から傷などなかったように。 「ここには、涼宮さんがおって、わたしがおって、長門さんもおる。誰もおらへんようになってへんし、誰も傷付いてへん。それで十分やんか。ね?」 【ここには、涼宮さんがいて、わたしがいて、長門さんもいる。誰もいなくなってないし、誰も傷付いてない。それで十分じゃない。ね?】 そう言ってわたしは、ウィンクした。 「…………」 涼宮さんは、長門さんばりに黙りこくってしまった。無理もないわよね。 「それより、ほら。会いたがってた長門さんが帰ってきたで。」 【それより、ほら。会いたがってた長門さんが帰ってきたのよ。】 「え? あ、ああ……」 まだ涼宮さんは本調子じゃないわね。どこか上の空。 「あ、えっと、その……」 「ただいま。」 まごつく涼宮さんに、長門さんは極めて短い単語で、的確に返答した。そして…… 長門さんは、目を細めて微笑した。 「! あ……お、おかえり……」 長門さんの微笑に、涼宮さんは頬を染めてはにかみながら答えた。 ……わたしは、長門さんの微笑と、涼宮さんのはにかんだ表情に、見とれていた。 ←Report.15|目次|Report.17→
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/1246.html
Report.10 長門有希の実験 ある実験が行われた。 日常接している人物がある日突然豹変したら、人間はどのような反応をするのか。 日頃との変化が大きい方がより有意な情報が得られるため、わたしが実験台に使用された。これから、わたしの性格が一時的に改変される。 Interface Mode Setup... Download High tension Yukky Database Extract High tension Yukky Database YUKKY.N CREATE TABLE Y.NAGATO AS SELECT * FROM YUKI.N INSERT Y.NAGATO SELECT * FROM YUKKY.N OPTIMIZE TABLE Y.NAGATO SELECT * FROM Y.NAGATO Starting High tension Yukky mode... は~い、ユッキーで~す♪ いやー、いつものわたしと違って、今はと~っても『ユカイ』な気分です。こんな調子でハルにゃんやみくるんに話しかけたらどんな反応をしてくれるのか、めっちゃ楽しみ!! え? キョンくんやいっちゃんの反応はどうでも良いのかって? 実はもう話しかけてみたんですよー。でもでも、あの二人、高校生のくせに、どっちもすっごく落ち着いてるって言うか、 『おやおや、これはまた「ユカイ」な長門さんですな。新境地を開拓でっか?』 【おやおや、これはまた「ユカイ」な長門さんですね。新境地を開拓ですか?】 『……「ユカイ」なお前も結構ええ感じやと思うで、長門。』 【……「ユカイ」なお前も結構良い感じだと思うぞ、長門。】 どんだけ適応力あんねん!! って思わず突っ込んでしまいましたよ。 まあ、いっちゃんは何度も修羅場を掻い潜って来たんだろうし、キョンくんも一般人でありながら身の回りで異常事態が頻発する環境に晒されてるし、不思議なことに慣れっこになってるのかもねー。 鶴屋さんには、 『あっははははは!! 有希っこ、サイッコー!! あっはははははは!!』 爆笑されつつも、すんなりと受け入れられたみたい。この人も包容力あるなー。 キョンくんの妹ちゃんに至っては、 『えへへー、ユカイな有希っこ、楽しー! 一緒にあそぼー!』 この子もハイテンションだからなー。思わず日が暮れるまで一緒に遊んじゃいましたさ。 ちなみに口調だけじゃなくて、声も普段よりかなり高くなってます。結構キャピキャピしてるかな。 さてさて。 そんなわけで、わたしの数少ない交友関係(泣)で、反応を見ていない人は、あと二人。本命ですね。もちろん情報統合思念体的には、本命はハルにゃんだけど、わたし的にはみくるんの反応が一番見てみたいんだよねー。 ハルにゃんとは、まあそのいろいろあって、イロイロエロエロしちゃった関係なんだけど、みくるんとは、まだお近付きになってないんだ。 何か、みくるん、わたしのこと、苦手そうにしてるしね。自分で言うのも何だけど、普段のわたしって、それはもう取っ付き辛いったらないよね。まったく、なんでこんな性格に設定したんだか。責任者出て来ーい! なんてね。 それにハルにゃんの場合、元のあたしでも既に違う一面を見せてるから、もう今回の実験の趣旨は達成されてるとも言えるんだよね。 それはもう、面白かったよー。スプーン取り落としたり、意識がお花畑に飛んでいって三途の川を渡る準備をしたり。 だから、こんなユカイなわたしを見ても、意外と普通な反応されそう。鶴屋さんみたいな感じかな? よし、極(き)めた、じゃなくて決(き)めた! 今回の本命はみくるん! ユカイなハイテンションユッキーで押し切って、一気に仲良くなっちゃおう! ん? 江美里から入電だ。はいはーい! 『わ……情報としては伝わってましたけど、いざ実際に対話すると、すごいですね。普段とのギャップがありすぎて戸惑います。』 ふっふー。萌えるかな? かな? 『さあ、それはわたしには分かりかねるので、コメントは差し控えさせていただきます。それより涼宮さんですが、今日は所用のため、このまま帰るみたいですよ。』 そっかー、帰っちゃうのかー。みくるんは来るのかな? 『朝比奈さんはまだこのことを知らないので、そのまま部室に向かってますね。他の二人は涼宮さんに出会った時に、その場で伝えられたみたいですね。帰ってます。』 じゃ、みくるんにはわたしから伝えてあげないとね。ちょうど良いや。連絡ありがとねー、えみりん。 『えと、えみりんて……と、とにかくそういうことなので。』 えみりんの困惑した様子が目に浮かぶなー。りょーこちゃんだったらどんな反応するんだろうな。 そんな心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなくログファイルに書き付けてると、みくるんがやって来ました。 「こんにちは……あれ? 今日は長門さんだけですか?」 「そう。涼宮ハルヒは所用で帰宅した。他の二人にもその旨は伝えられている。」 まずはいつもの調子で。独白も普段ぽくしてみる。 「そうですか……あ、もしかして長門さん、あたしに伝えるためにわざわざ残っててくれたんですか?」 「そう。」 「わ、す、すいません、ありがとうございます!」 今にも回れ右して帰りだしそうな朝比奈みくる。そんなにわたしと二人きりになるのが嫌なのだろうか。少し悲しい。 「よかったら。」 わたしは彼女を呼び止める。 「わたしと一緒に帰ってほしい。」 「ふぇ!?」 「実は、あなたに相談したいことがある。」 「あ、あたしにですかぁ!?」 「だめ?」 「え!? え、えと、その……」 そう言いながら、彼女は耳に手を当ている。未来からの指示を仰いでいるのだろう。そしてわたしは確信している。未来からの指示は、『おまえの思うように行動せよ。』 「未来からの指示?」 「否定も肯定もされませんでした……『お前に任せる』と。」 「そう。では、あなたの気持ち次第。」 「えと、あ、あたしでお役に立てるかどうか分かりませんけど、お話を聞きますね!」 「ありがとう。」 こうしてわたしは、まんまとみくるんを拉致……違う違う。わたしの部屋へ招待した。 「お茶を淹れる。待ってて。」 わたしはお茶を淹れて、こたつに持っていった。こたつに座って対面する二人。さて、話を切り出しますか。 「あなたに来てもらえて、嬉しい。」 「いえいえ、大したことでは。それで、相談というのは?」 「わたしは今、ある事情で、思考がとても『ユカイ』になっている。」 「『ユカイ』……ですか。」 「そう。普段のわたしからは想像もつかないほど。せっかくなので、あなたに披露して、どう思うか聞いてみたい。そして、これを機会に、あなたと仲良くなりたい。」 「えっ!?」 「あなたは、わたしと二人きりになることを極度に嫌っている。」 「あ、あたしはそんなつもりじゃ……!?」 「気にしなくていい。普段のわたしの態度では、仲良くしろと言う方が無理がある。」 そこまで言うと、わたしは、お茶を一口飲んだ。さあ、始めましょうか。 It s a showtime! ハイテンション・ユッキー、いっきまーっす! 「まあ、そう硬くならんとー。りらっくす、りらっくす♪」 【まあ、そう硬くなんないでー。りらっくす、りらっくす♪】 「!?」 おおー、早速目をまん丸にして驚いてる。うんうん、予想通りの反応ありがと、みくるん♪ 「要するにー、今のわたしは普段と違うわたしやから、もっと気楽に喋ってぇやーってこと。」 【要するにー、今のわたしは普段と違うわたしだから、もっと気楽に喋ってよぉーってこと。】 「ふ、ふええ!? な、長門……さん?」 「どうせやから『有希ちゃん』って呼んでぇやぁ、みくるちゃん。それともみくるんって呼んだ方が良い?」 【どうせだから『有希ちゃん』って呼んでよぉ、みくるちゃん。それともみくるんって呼んだ方が良い?】 「みくるんて……」 「ミ・ミ・ミラクル☆ ミクルンルン☆」 「いやぁぁぁぁぁ!! その話はせんとってぇぇぇぇぇ!!」 【いやぁぁぁぁぁ!! その話はしないでぇぇぇぇぇ!!】 おおっと、みくるんの意外な一面が。やっぱりあれ、相当堪えてたんだね。 「まあ、そんなわけで。いつものキャラは置いといて、本音でお話しよ?」 「ううう、何か、見透かされてる気がします……」 「まあまあ、わたしもいつもと違(ちゃ)うんやし。あなたと仲良くしたいっていうんも、ほんまの気持ちなんやで?」 【まあまあ、わたしもいつもと違うんだし。あなたと仲良くしたいっていうのも、ほんとの気持ちなんだよ?】 「なが……有希ちゃん……」 ひゃっほぅ、みくるんが『有希ちゃん』って呼んでくれたよー! なんかすっごくうれし――――!! それからみくるちゃんは、必死でわたしと二人きりになりたがらなかった理由を説明してくれたけど、割愛します。なんていうか、そうした方が良いような気がしたから。大事な友達のことだし、少しは胸の奥にしまっておいた方が良いこともあるよね。 要は、お互いが相手を悪くは思っていないってことが伝われば、それで良いのだ! で、分かったところで、新たな関係を築けば良い。人間の縁って、そんなもんじゃないかな。わたしは人間じゃないけど。 「それで、キョンくん、何て言(ゆ)うたと思う? 『……「ユカイ」なお前も結構ええ感じやと思うで、長門。』それだけ。あんたら、どんだけ適応力あるっちゅうねん!」 【それで、キョンくん、何て言ったと思う? 『……「ユカイ」なお前も結構良い感じだと思うぞ、長門。』それだけ。あんたら、どんだけ適応力あるっていうのよ!】 「あははは、キョンくんらしいー!」 話し始めてしばらくして。最初の緊張もどこへやら、二人はすっかり打ち解けました。みくるちゃんたら、目に涙浮かべて笑ってくれたよ。なんかもう、イジり甲斐あるなー。 「ねえねえ、有希ちゃん。今度一緒に買い物行かへん? あたしの知ってる……」 【ねえねえ、有希ちゃん。今度一緒に買い物行かない? あたしの知ってる……】 みくるちゃんからお誘い。わーい、デートデート、って、違ーう! ハルにゃんじゃないんだから。これは健全な、女の子同士のお買い物のお誘い! ありがたいけど、その頃にはもう、実験は終了して、普段の無口なわたしに戻ってるんだよねえ。……あれ、なんか、そう考えたら急に寂しくなっちゃった。どうしたんだろ。 「!? ゆ、有希ちゃん!?」 「なに~?」 「な、何(なん)で泣いとぉや……?」 【な、何(なん)で泣いてるの……?】 「え? あれ?」 ほんとだ、泣いてる。 「何(なん)でやろ、おかしいな。涙が……止まらへん。次から次へと……」 【何(なん)でだろ、おかしいな。涙が……止まらない。次から次へと……】 わたしの目には涙があふれ、止(とど)まる気配がありません。 「何(なん)で、うっ、何(なん)で涙が、ぐすっ、止まらへんの……ひくっ」 【何(なん)で、うっ、何(なん)で涙が、ぐすっ、止まらないの……ひくっ】 せっかくみくるちゃんと楽しくお話してたのに、これじゃまた嫌われちゃう…… 涙を止めなきゃいけないと思うほど、嫌われるんじゃないかという恐怖が沸き上がって、ますます涙が止まりません。完全に悪循環だ。 するとみくるちゃんが、すっと立ち上がって、わたしのそばにやってきました。そしてわたしの頭を優しく抱き締めたのです。 「ほら、有希ちゃん。泣きたい時は、思いっきり泣いた方がええで。」 【ほら、有希ちゃん。泣きたい時は、思いっきり泣いた方が良いわ。】 みくるちゃんの、おっきい胸。柔らかくてあったかい。なんでも、こないだのハルにゃんとみくるんの大乱闘で、ハルにゃんがこの大きな胸が羨ましいって言ったんだって。たしかに尋常じゃない大きさ。 でも、この胸は単に大きい、見掛け倒しの胸じゃない。底なしの優しさに溢れてる。 「うっ、うっ、うううう……うわああああああああああああああああああああんん!!」 わたしは、彼女の胸の中で泣いた。号泣した。 何が悲しかったのか。何が寂しかったのか。 それは結局、今のこのわたしの思考が、一時的なものでしかないことを知っているから。しばらくすれば、また元の無口なわたしに戻る。また、みくるちゃんが近付きたがらなかった頃のわたしに戻ってしまう。 それが嫌だった。せっかくみくるちゃんと仲良くなれると思ったのに。いや、きっとみくるちゃんは優しいから、元のわたしに戻っても、わたしと仲良くしてくれるだろう。でも、わたしはその思いに態度で応えられない。『そう。』とか『いい。』とか、必要最小限しか言葉を発しない子に戻ってしまう。 それがわたしらしいと言ってくれるかもしれない。でもわたしにだって、他の人並みに喋って、普通の女の子みたいに友達と遊びたいという気持ちはある。元のわたしはどうか知らないけれど、少なくとも今のわたしには、そんな気持ちがある。今のわたしはその気持ちを形にすることができる。でも元のわたしにはそんなことできない。 「戻りたない……」 【戻りたくない……】 「え?」 「戻りたない……元のわたしに戻りたない!!」 【戻りたくない……元のわたしに戻りたくない!!】 わたしは叫んでいた。今のわたしは、あくまで実験のために用意された一時的な人格。元のわたしでさえ、作り物、仮初の命で、今のわたしはその上に宿る、さらに一時的な実験用人格。その存在は極めて脆い。 それなのに、こんなことを願うのは罰当たりなのかな。人間じゃないわたしに罰なんか当たるのか分からないけど。 「元のわたしは、笑えもしない、泣けもしない、ただの観測者……! みんなの気持ちに何一つ応えられない!! わたしは……ただの作り物!! ただの……人間モドキ……! 人形にも人間にもなれない半端者!!」 こんなこと、彼女に言ったところでどうしようもないのに、彼女を困らせるだけなのに、止まらない。わたし、どうしちゃったんだろう。とうとう壊れちゃったのかな……? まったく、困った子だ。やれやれ。 それなのに、彼女は優しくわたしの頭を抱きかかえ、撫でてくれました。 「普段口に出されへん分、相当いろんな思いが溜まってたんやね……ごめんね、気ぃ付いてあげられへんで。」 【普段口に出せない分、相当いろんな思いが溜まってたのね……ごめんね、気付いてあげられなくて。】 何でみくるちゃんが謝るの? 謝るのはわたしの方なのに。 「ううん、そんなことない。あたし達、結局いつも有希ちゃん……『長門さん』に頼ってばっかりやもんね。」 【ううん、そんなことない。あたし達、結局いつも有希ちゃん……『長門さん』に頼ってばっかりだもんね。】 彼女は、小さな子供に言い聞かせるような、優しい声で言いました。 「あたしは、いつも無口で頼れる『長門さん』も、とっても可愛い『有希ちゃん』も、どっちも好き。」 そして彼女はわたしの頭を胸から離すと、自分の顔の前に持って行きました。 「せやから、約束して? もう二度と、人形やとか何とか、そんな悲しいこと言わへんって。あたしも、みんなも……『長門有希』さんを大好きなんやから。」 【だから、約束して? もう二度と、人形だとか何とか、そんな悲しいこと言わないって。あたしも、みんなも……『長門有希』さんを大好きなんだから。】 彼女の優しく真っ直ぐな瞳が、わたしの瞳を見つめます。 「……はい。」 今のわたしの顔はきっと、涙と鼻水でぐちゃぐちゃ。そんな顔を間近でじっと見つめられてます。ちょっと恥ずかしいな。 「……よくできました。」 彼女は飛びっきりの優しい笑顔で言いました。本当に綺麗な、天使のような笑顔でした。 「ほら、もう泣かない。笑って笑って! 有希ちゃんの笑顔はめっちゃ可愛いんやから!」 【ほら、もう泣かない。笑って笑って! 有希ちゃんの笑顔はすっごく可愛いんだから!】 可愛い……か。なんか、嬉しいな。 「えへへ……」 自然と、笑いがこぼれました。ちょっと照れた笑い。 「きゃー、可愛い――――!!」 彼女はまたわたしの頭を抱き締めました。おっきなおっぱいに埋もれて、ちょっと幸せ。ハルにゃんが揉みまくってた理由の一端が分かったかも。ずっとこうしていたいな。 ああ、それなのにだんだん意識が遠くなってきました。もう実験終了なの? せめて一秒でも長く、この暖かさ、柔らかさ、優しさを感じていたい…… Interface Mode Setup... COPY NAGATO_YUKI.log + YUKKY.log NAGATO_YUKI.log DEL YUKKY.log DROP TABLE Y.NAGATO, YUKKY.N SELECT * FROM YUKI.N Starting NAGATO Yuki original mode... わたしは、朝比奈みくるの胸の中で目を覚ました。二人とも眠っていた模様。早速先ほどまでの行動のログを確認する。 「…………」 わたしは彼女の胸で泣いていたらしい。 『人形にも人間にもなれない半端者』 これほど今のわたしの状態を的確に表現した言葉もないかもしれない。 『わたしにだって、他の人並みに喋って、普通の女の子みたいに友達と遊びたいという気持ちはある。今のわたしはその気持ちを形にすることができる。でも元のわたしにはそんなことできない。』 そういうことか。 これは、実験用人格に用意された感情による言葉ではない。なぜなら、実験用人格が削除された今のわたし……『元のわたし』でも、彼女――朝比奈みくる――のことを考えると、胸が熱くなるから。 これは『わたし』という個体が持つ、固有の『感情』。人間で言うところの……『本音』。 また感情が暴走してしまった。彼女には迷惑を掛けてしまった。 でも、そんなわたしを、彼女は優しく抱き締め、慰め、諭してくれた。涼宮ハルヒを支えたいと願ったわたしだが、朝比奈みくるに支えられた。 ――人間は決して一人では生きていけない。皆支えあって生きている。 何かの本で読んだ言葉。今ならその意味が少しは実感できるかもしれない。 静かに眠る、わたしを支えてくれた人の顔を見る。優しい、安らかな寝顔。 「……ありがとう。」 そう言うとわたしは、朝比奈みくるの額……ではなく、やはり唇に口付けをした。どうやら、あなたのことも好きになってしまったようだ。 『二股』……か。やれやれ。 結局、彼女の強さと、自分の弱さを見せつけられる結果となった。『彼』と言い彼女と言い、どうして涼宮ハルヒの周りには、こんなに優しい人達が集まっているのだろう。 彼女の買い物のお誘いの日を思い出しながら、せめてその日くらいは、少しは口数を増やせないだろうかと考えながら、わたしも彼女と一緒に眠ることにした。 彼女を抱き締めると、彼女も抱き締めてくれた。暖かい。そして強く優しい。 わたしは、涼宮ハルヒとはまた違った安らぎを感じながら眠りに落ちた。 後で聞いた話になる。 実験終了後、わたしの反応が途絶えたため、現場を確認するために喜緑江美里が遣わされた。違う派閥なのに、ご苦労なこと。 「わたしは、あなたの監査役でもあるんですからね。」 現場に踏み込んだ江美里。そこで彼女が見たものは、抱き合って眠るわたしと朝比奈みくる。 「すごい光景でしたよ。人間の言葉で言うところの『感動もの』でした。」 生命活動その他に異状がないことを確認すると、彼女はそのままその光景を眺めていたという。 「正確に言うと、『見とれていた』のかもしれませんね。インターフェイスに過ぎない私にも分かるくらい、そう、『神々しい』光景でした。記念に一枚撮っときましたよ。」 そう言って彼女は、一枚の紙を取り出した。 写真。光を受けて分子構造が変化する素材を利用した、画像の記録手段。 情報統合思念体のような情報生命体からすれば、極めて原始的な情報処理方式だが、『形あるもの』によって情報を取り扱う有機生命体にとっては、適した手段といえる。最近江美里は、この『写真を撮る』という行為がお気に入りなのだという。 差し出された紙片に映し出された、その時の光景の記録を見る。 「…………」 「例えて言うなら、『天使と天女が仲良く眠る図』ですね。」 そこには、安らかで穏やかな顔で抱き合って眠る、二人の少女が写っていた。そこに写っている二人のうち、片方がわたしであることに、すぐには気が付かなかった。それくらい、普段のわたしとは印象がまるで違っていた。 「長門さんの寝顔に涼宮さんが参っちゃうのも、仕方ないのかもしれませんね。」 江美里は、楽しそうに言った。 「それにしても二股とは、あなたも恋多きヒトですねー。この写真を涼宮さんが見たら、どうなるのかなー?」 「……パーソナルネームえみりんを敵性と判定。当該対象の有機情報連結解除を申請する。」 「あーれー、お止めになってぇ~。」 それにしてもこのインターフェイス、ノリノリである。もしかして、彼女はハイテンション・エミリーでも実行しているのだろうか。 「……後でこの光景の詳しいデータも欲しい。」 「あー、何だかお腹が空いたなー。」 「……今日は肉じゃが。カレーと具が共通。」 今晩も、いつもより『美味しい』食事になるようだ。 「……やれやれ。」 【参考:Extra.4 喜緑江美里の報告|Extra.5 涼宮ハルヒの戦後】 ←Report.09|目次|Report.11→
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/2102.html
Report.16 長門有希の憂鬱 その5 ~朝倉涼子の報告~ 「ゆ……き……?」 涼宮ハルヒは、突然現れたわたしに恐る恐る声を掛けた。わたしは無言で視線を向ける。 「話はあと。」 極めて短い返答。わたしは二人に向けて言った。 「朝倉涼子、支援を要請する。ハルヒ、下がってて。」 「な!? 何言(ゆ)うてんの!?」 【な!? 何言ってんの!?】 ハルヒが声を上げた。 「涼宮さん!!」 彼女に負けじと声を張り上げる涼子。 「今は……長門さんの言う通りにして!!」 「あんたは、あたしに黙って見てろって言うん!?」 【あんたは、あたしに黙って見てろって言うの!?】 「だいじょうぶ。」 わたしが声を掛ける。 「あなたが信じてくれる限り、わたし達は負けない。」 「そんなこと……!」 わたしは彼女を見据える。しばらく見つめ合っていたが、とうとう彼女は観念した。 「……分かったわ。でも、約束やで? 絶対、無理したらあかんで。」 【……分かったわ。でも、約束よ? 絶対、無理しちゃだめよ。】 「約束する。」 彼女は後ろに下がった。わたしは攻撃者に向き直る。 攻撃者は、目の前の状況が何を意味するのか、正しく理解していなかった。わたしの全身から立ち上る、無言のプレッシャーを。『透明オーラ』を。すなわち、闘気を。 わたしは、正に怒り心頭に発しようとしていた。 『情報統合思念体と接続できないの。』 涼子は通信で状況を伝えてきた。 『この襲撃してきた一派……過激派に、情報統合思念体の一部が乗っ取られている。通信プロトコルが強制的に変更された。あなたが接続を切られているうちにプロトコルが改竄されたため、あなたが接続できない。今からプロトコルを伝える。』 わたしは涼子に、プロトコルその他の必要な情報を送出した。 『同期……確認。プロトコル解析……終了。再接続試行……接続成功。OK、行けるわ。』 わたしは、帰ってきた。彼女がわたしに会いたいと願ったから。 わたしは、三人称である『観測者』となっていた。しかし今、一人称である『長門有希』を取り戻した。 わたしは、攻撃者に視線を集中させる。攻撃者は、彼女達に危害を加えようとした。その事実だけで十分。 「あなたは、わたしを怒らせた。」 情報連結解除は、たやすい。でも、それではわたしの『怒り』が収まらない。直接殴らないと気が済まない。 「……覚悟して。」 『長門さん。涼宮さんの前で、どうやって戦うつもり?』 涼子から通信。 『人間の能力の範囲内で行動する。「武術の達人」程度。でも、やり過ぎてしまうかもしれない。』 『あれだけ仕事が正確な長門さんとは思えない、感情的な発言ね。』 『……この気持ち、いずれあなたにも分かる時が来る。』 その後の様子は省略する。なぜなら、ほとんど覚えていないから。わたしは、人間の言葉で表現すると『怒りに我を忘れた』状態になっていた。断片的にしかログが残っていない。 長門さんは怒りに我を忘れ、ログが正しく記録されていなかったようなので、以下、長門さんに代わってわたし、長門有希任務代行・朝倉涼子が報告します。 追い詰められたわたしは、賭けに出た。 話の展開としてはかなり無理があったけど、状況が状況だけに、仕方がなかった。それに、涼宮さんも、完全に現実感を喪失していたので、都合が良かった。多少話に無理があっても、気付かないから。 とにかくわたしは、涼宮さんに、長門さんがここに助けに来るというイメージを持つよう誘導した。その甲斐あって、ついに長門さんは復活した……のは良いんだけど、彼女の目の前で鉄筋の雨を爆散させるなんて、そんな派手な情報改変はまずいんじゃない!? 『問題ない。それに、やるなら盛大にとことんやった方が、あとでごまかしが利く。』 彼女の常識から大きく外れた、ありえない現象を見せ付けた方が良いっていうわけね。でも彼女はかなり非現実的な出来事に敏感だから、ごまかすのは大変なんじゃない? 『そう。だから、とりわけ盛大に行う必要がある。ためらえば感付かれる。』 ……ちょっと、今の長門さんは、何と言うか『危険な香り』がするわね。 『わたしは至って冷静。』 他のインターフェイスならともかく、わたしの目はごまかされないわ。その全身から立ち上る闘気は何ですか、長門さん。 『……気にしてはいけない。』 気にするっちゅうねん! というツッコミはさておき。長門さんは、攻撃者に向き直って言った。 「あなたはわたしを怒らせた。覚悟して。」 やっぱり怒ってんじゃん! 長門さんは腰から武器――ヌンチャクと呼ばれる、二本の棒を鎖で繋いだもの――を取り出し、わたしの周りに突き刺さった鉄筋を薙ぎ払った。わたしは長門さんに助け起こされる。 「あなたにはこれを渡しておく。」 そう言って長門さんは、背中に背負っていた長い包みをわたしに手渡した。開いてみると、 「薙刀……」 そこには、長い柄の先に湾曲した刃物が付いた武器が入っていた。 『涼宮ハルヒの嗜好を考慮して、あなたに似合う武器を選定した。刃は付いていないが、それ以外は本物に限りなく近い。以前のあなたの得物とは違うが、問題ないと思う。』 前科(ナイフ)の話は勘弁して…… 薙刀の使用法をダウンロード……完了。『薙刀使い』のできあがり。 「わたしは攻撃者を叩く。あなたは涼宮ハルヒの護衛をしてほしい。」 「了解。」 わたしは、涼宮さんの元に戻った。 「あんた、薙刀使えるんや……」 【あんた、薙刀使えるんだ……】 「まあね。嗜む程度には。」 そういうことにしておこう。『謙遜』って言うんだっけ。……ちょっと違う気もするな。 そんなやりとりをしてる間に、長門さんは華麗にヌンチャクを振り回し始めた。無言で。情報検索……『李小龍』っていうアクション俳優の動きなのね、これは。なるほど、確かに彼は、人間にしては良い動きしてるわね。動きに無駄がないわ。 ウォーミングアップと威嚇を兼ねたヌンチャク演舞を終えて型を決めると、長門さんは攻撃者と静かに相対した。沈黙が辺りを支配する。仮想段階での攻撃の応酬が繰り広げられている。人間の言葉では『気組み』等と呼称するそうだ。 先に動いたのは、長門さんだった。滑らかに身体を滑らせ、攻撃を開始した。 速い。というか、鬼気迫るものがある。鉄筋の射撃をものともせず、ヌンチャクが舞う。ヌンチャクが止められれば、すぐに鋭い前蹴りが飛ぶ。あまりの速さに、攻撃者反応できず。蹴りが入った一瞬後に、攻撃者の意識が蹴りを入れられた部位へ向かう。そのためガードが少し下がったのを、長門さんは見逃さなかった。 左正拳突き……いや、ジャブか。そのまま素早く左三連打。一発一発がそれぞれ必殺級の威力なのに、あくまでコンパクトに素早く打ち込んでいく。三点バースト射撃とでも言うべきだろうか。そして再びヌンチャク乱舞。サンドバッグを殴るかのように、攻撃者を翻弄する長門さん。 いい加減うずくまりそうな攻撃者の頭らしき場所を左脇に抱えると、背後で右踵を跳ね上げるように使って蹴る。いったん攻撃者を身体の正面に持ってくると、左膝蹴り。そして胴回し蹴りからそのまま逆立ち状態で攻撃者の首らしき部位を脚で挟むと、攻撃者の足元に飛び込みながら、地面に叩き付けるように投げた。 ……また派手な技使うわね。 「白……か。」 後ろでポツリと呟く涼宮さん。あー、スカートの中のことを言ってるのね。 ちなみに今の攻撃は、相当な速さで繰り出されたけど、さすがは涼宮さんね。あの速さで見えてるのか。そういえば、わたしの時にも何か言ってたような……と思ったら、ぽん、と肩に手を置かれた。 「あんた……結構可愛いの穿いてるんやね。まさか縞パンで来るとは……萌えのポイント高いわ。」 【あんた……結構可愛いの穿いてるのね。まさか縞パンで来るとは……萌えのポイント高いわよ。】 再構成されるときに、あなたの嗜好を考慮してるからね。 それにしても、わたし達は人間じゃないけど、人間の女の子の姿をしてるんだから、仮にも女の子のあなたが、余り『ぱんつ』で喜ばないでほしいな。 『それは涼宮ハルヒが現実逃避に走っている証拠。その方がやりやすい。』 ……そりゃあ、あなたは『ぱんつ』どころか、もっとすごいことになったから、今更『ぱんつ』が見えたところで動じないんだろうけど。 『あなたが一番、ぱんつぱんつ言っている。』 はう。 長門さんにツッコまれた。 冷静に通信でツッコミを入れながらも、長門さんはひたすら無表情でストッキング仮面(仮名)をしばき上げている。相変わらずものすごい闘気を纏いながら。それにしても、わたしが出る幕ないと思うんだけど。 『もうすぐ。』 長門さんはヌンチャクを構え、攻撃者を見据えて言った。 「あなたはもう死んでいる。」 どこの世紀末救世主ですかとツッコむ間もなく、長門さんは、涼宮さんに見えない角度で詠唱を始めた。ものすごい勢いでしばき回しながら、攻撃者に崩壊因子を組み込んでいたのね。 詠唱が完成すると、攻撃者は音もなく、煌めく砂となり、崩れていった。 それが合図だった。 わたしは、この空間内へ急速に敵性存在の気配が満ちていくのを感じた。 『今倒した攻撃者は、尖兵に過ぎない。これが倒されることが、その後の展開の引き金。作動させないと、この空間封鎖を完全に破ることはできない。』 まるで空間そのものを材料として、先ほどの攻撃者同等の存在が無数に生み出されていくかのような気配。 「……はぁっ!!」 どこからともなく飛んできた飛翔体……鉄筋を、わたしは薙刀で斬り飛ばした。あれ? 刃は付いてないんじゃなかったの? でも、今はそれどころじゃない。 これって、全方位から狙撃されるってことじゃない!? 『そう。』 何てことだ。 もちろん、インターフェイスとしての能力を最大限生かせば、防ぐのはたやすいけど、今はそばに涼宮さんがいる。長門さんが『彼』を庇いながら戦った時とは、わけが違う。なぜなら、涼宮さんにはわたし達の力をすべて見せるわけには行かないから。あくまで『人間の枠内』で対処しなければならない。例えば防護フィールドは使えない。 正直言って、キツい。ああ、考えてるそばから鉄筋がいっぱい飛んできたよ。忙しいなあ、もう。 わたしは薙刀を振るって鉄筋を斬り飛ばしながら、涼宮さんを護る。長門さんは、相変わらず無表情で、ヌンチャクを振り回して鉄筋を叩き落としている。 どうやってこの局面を切り抜ければ良いんだろう。そう考えていると、 『準備ができた。』 長門さんの通信と同時に、誰かがこの空間に突入した気配。 『朝倉さん! 長門さん! そっちの様子はどうなってますか!?』 突入したのは喜緑江美里だった。こっちは正直キツいかな。 『こちらは、涼宮ハルヒの手前、余り動けない。支援を要請する。』 長門さんの通信に、喜緑さんが答えた。 『了解しました。』 情報統合思念体に申請して、情報を共有する。……『彼』、朝比奈みくる、古泉一樹も伴っているのか。全員持てる能力を最大限に発揮して戦っている。本来は非戦闘員である『彼』には、武器が支給されている。一体どうなってるのかしら。 『喜緑江美里達には、別動隊として、派手に戦って敵勢力を引き付けてもらう。』 古泉くんは、閉鎖空間仕様の赤い玉になって、縦横無尽に飛び回っている。 朝比奈さんは、文字通り『人間兵器』、『歩く凶器』と化して、辺り一面を薙ぎ払ってる。『アレ』を解禁したのか。 『彼』は、支給された武器をちゃんと使いこなしているようだ。武器に支援システムを組み込んであるのね。 喜緑さんは……って涼宮さんがいないからって、そんな大技……ちょっと演出過剰なんじゃない? 『あれくらい派手にやってくれた方が、都合が良い。』 確かに、こちらへの攻撃がだんだん手薄になっていってるけど……ああ、また喜緑さんの大技が炸裂した。同時に土煙が立ち上るのが見え、少しして轟音が聞こえてきた。ここから目視できる距離で戦ってるのか。そして、『彼』の武器が変形した……!? ちょっと!? 涼宮さんがいないからって、無茶しすぎ! 比較すると、こちらは肉弾戦仕様パーティーで、あちらは飛び道具部隊か。さては、喜緑さん……深夜アニメでも観たな? え? なんでそんな例を思い浮かべたかって? ……わたしには待機モードの三年間、暇つぶし……もとい、『情報収集』の一環として、日がな一日、テレビを見て過ごしていた時期があった。色々観た番組には、アニメ番組も含まれていた。深夜アニメには、結構『熱い』作品が多かったかもしれない。 人間がそのまま演じる実写ドラマに比べると、アニメは表現がより『情報』に近い。普段は『肉体』というフィルターを通してしか表現できない人間の内面、すなわち『感情』が、アニメではより純粋な情報に近い形で表現されていた。人間の感情がよく分からない当時のわたしには、それは『人間らしい』所作の研究に役立った。 朝から昼は、人間達の会話に違和感なく溶け込めるよう、ニュース番組を欠かさずチェック。朝早くはニュースや交通情報が多い番組も、昼が近くなるに連れて、芸能人の話題が増えていく。これは、一般的な人間の生活様式に合わせた結果であることが分かった。ただ、余り見過ぎると、わたしの設定年齢からかけ離れた年代の人間と同様の思考パターンに陥る、人間の言葉で言うと『おばはん臭くなる』という諸刃の剣。素人にはおすすめできない。 今にして思えば、意外と『人間生活』を楽しんでたんだな、わたし。 『もうすぐ、次の機構が作動する。』 長門さんの通信が入る。 何で情報統合思念体と再接続したのに、わたしが余り状況を把握できていないかというと、未だリンクが完全には確立していないから。ノイズが多すぎて、再通信が頻発し、実効通信速度が極度に低下している。おかげで、インターフェイスとしての能力を六割程度しか使えていない。 これは、涼宮さんがいなかったとしても、あんまり力を使えなかったわね。辛うじて、他のインターフェイスとの通信を保持できてはいるけど、これも危うい。映像と音声でしか通信できず、しかもノイズだらけなので、現在の人類の技術水準による通信、携帯電話によるTV電話程度の精度でしか通信できない。通常の情報共有に比べれば極めて不完全。 ……何だか、わたしって足手まといっぽいな。ちょっとヘコむ。 『一つずつ機構を作動させていくのは、効率が悪いので、ここらで一気に片を付けますね。』 喜緑さんからの通信。同時に、喜緑さんは詠唱を始める。 えええ!? そんな大きな情報操作を…… 『これより、情報共有はパッシブモードに切り替えます。事が済むまで通信には答えられないと思いますので、連絡事項は今のうちにお願いします。』 喜緑さんの通信に、長門さんが答える。 『こちらは、三人で移動を開始する。合流は北高文芸部室にて。以上。』 『了解しました。健闘を祈ります。それでは30秒後、対閃光衝撃防御願います。以上。』 この通信を最後に、喜緑さんからの映像と音声が届かなくなった。 「涼宮さん! 目を閉じて耳を塞いでっ! 早くっ!!」 「えっ!? えっ!? こ、こう!?」 戸惑いながらも、わたしの指示に従い、涼宮さんが目を閉じて耳を塞ぐ。それを確認すると、わたしは素早く耳栓を構成して装着し、彼女を庇うように抱き締めて目を閉じた。長門さんは、イヤープロテクターとサングラスを構成して、装着していた。 そして…… 世界が強烈な光に包まれるのが、瞼の上からでも感じられた。一瞬後に、激しい衝撃波と爆発音。涼宮さんに目を瞑らせた上で防護フィールドを展開してはいるけど、それでも激しい余波。 余波が収まると、すぐに耳栓を分解してから、辺りの様子を確認する。まだ空間封鎖は解けていないけど、攻撃される気配はない。 「今のうち。」 と、イヤープロテクターとサングラスを分解した長門さんが言った。涼宮さんも、目を開けて耳を塞いでいた手を離した。 「今のうちに、移動しよ。」 【今のうちに、移動しよう。】 「どこに?」 わたしの言葉に、涼宮さんは疑問を返す。行き先は一つ。 「とりあえず、北高に避難しよ! ほら、あそこって、災害のときの避難場所になっとぉやんか。逃げる場所としては、最適やと思わへん?」 【とりあえず、北高に避難しよう! ほら、あそこって、災害のときの避難場所になってるじゃない。逃げる場所としては、最適だと思わない?】 「確かにそうかも……」 「ほら、急ご!」 わたしは涼宮さんの手を引いて駆け出した。長門さんも無言で後に続く。背後から、また爆発音が聞こえ始めた。 『喜緑さん、頼んだわよ。』 返答が返ってこないと知りながら一言送信すると、わたし達は北高を目指した。 余計なお世話だと思うけど、こんな長い坂道の上にあるんじゃ、本当に避難する時、大変なんじゃないかな? 立地条件には関係なく、『学校』という属性だけで、避難場所として指定されているらしい。こういうのを『お役所仕事』と呼称するそうだ。 人間って、わたしにとっては時々、訳分かんないというような不合理な行動を取る不可思議な存在だけど、そんな人間にも訳が分からないと考えられてるのが、『お役所仕事』だそうだ。そのような『お役所仕事』の範疇に含まれるところの、公立学校である北高に着いた。 「はぁ、はぁ、はぁ……」 長い坂を駆け上がってきたおかげで、さすがの涼宮さんも息が切れたようだ。肩で息をしている。 「はぁ、はぁ……ふぅ。さて、北高に着いたは良いけど、この後どうすれば……」 「部室。」 涼宮さんの問いに、長門さんが極めて短い単語で答えた。 「なるほど、確かに、うちらが共通して知っとぉ場所って言(ゆ)うたら、文芸部室やね。」 【なるほど、確かに、わたし達が共通して知ってる場所って言ったら、文芸部室よね。】 と、わたしも同調する。正副インターフェイスの連係プレイで、手際良く涼宮さんを部室に連れ込む……もとい、誘導するわたし達。遅い時間になっていたとはいえ、校庭に誰一人いない光景を涼宮さんに見せ続けるのは良くない。……校舎内も似たような状況だけど、部室の中に入ってしまえば、外の様子は余り気にならないからね。 部室に入り扉を閉めると、ようやく一息つく。 喜緑さんとは相変わらず通信が途絶してるので、状況は全く分からない。遠くの方で何やら爆発音が聞こえるので、まだ戦闘は続いてるんだろう。 涼宮さんをここに匿って待機、か。こうなると、もう……人間の言葉で言うところの『祈る』ことしかできない。 ここまでずっと涼宮さんの手を握っていたけど、もう大丈夫かな。そう思って手を離そうとしたら、 ぎゅっ 涼宮さんは、わたしの手を離そうとしない。それどころか指を絡め、しまいには腕に組み付いてきた。 あのー、涼宮さん? あなたは何をしておいでなのでしょうか。 「べ、別に不安やからとか、そんなん違(ちゃ)うんやからね! あんたが怖がったらかわいそうやから、手ぇ繋いだげとぉだけなんやからね!」 【べ、別に不安だからとか、そんなんじゃないんだからね! あんたが怖がったらかわいそうだから、手繋いだげてるだけなんだからね!】 うん、もうどこに出しても恥ずかしくない、立派なツンデレさんだね。そんな真っ赤な顔して、そっぽを向きながら、震える手で言っても、全然説得力ないわ。 「!? ……あ、あほぉ、そんなん違(ちゃ)うって……」 【!? ……ば、ばかぁ、そんなんじゃないって……】 照れるツンデレ萌え、って表現するのかな。照れる涼宮さんの、何と可愛いことよ。 「――っ!! も、もう、知らん!」 【――っ!! も、もう、知らない!】 ぷいっ、と涼宮さんはそっぽを向いてしまった。 ぎゅうー わたしは、照れて首まで真っ赤になった涼宮さんを抱き締めた。正直、たまりません。 「大丈夫、何(なん)も心配せんでええよ。わたしも長門さんも、付いとぉから。」 【大丈夫、何(なに)も心配しなくて良いわよ。わたしも長門さんも、付いてるから。】 わたしがそう囁くと、涼宮さんは『ふみゅぅー』とでも擬態語を付けるのが適当な様子で、ふにゃふにゃとわたしの胸に顔を埋めてきた。よしよし、頭撫でてあげる。……抵抗はしないのね。 「……しばらく、こうさして。」 【……しばらく、こうさせて。】 やっぱり不安だったのね。あー、もう、可愛いなぁ。なでなで。って、長門さんを差し置いて、こんなことをしちゃって良いのかな。 涼宮さんは、わたしに頭を撫でられるがままになっている。引き継いだ観測結果からすると、極めて珍しい光景。 いつもは元気いっぱいに振舞っているけど、いくら規格外の彼女とて、やはり人間。他の人間同様に、『不安』や『恐れ』といった感情もやはり存在するというのが、これまでの観測結果。更に言えば、人間の言葉で表現すると、かなりの『甘えん坊』。普段はそれを表に出さないだけ。 そう考えると、長門さんと似た者同士と言えるのかもしれない。 長門さんは、どんな感情(に類するもの)も、一切表に出さないように設定されている。もっとも、最近はそれでも微弱な揺らぎが表出したり、特定の人間には感情を見せたりするようになったみたいだけど。 とにかく、どちらも『本当の感情を表に出さない』という点では、共通している。そんな似た者同士の二人だから、惹かれあってしまったのかもしれない。タブーを超えて。 冷静沈着に任務を遂行するように設定されているはずの長門さんが、今回のように、『怒り心頭に発し』、『我を忘れて』大暴れするなんて、本来考えられない状況。なのに、それは起こった。 今や長門さんは『観測者』たり得ない。涼宮ハルヒに影響を与える重要な要素の一つになっている。『鍵』は『彼』だけではなくなった。長門さんも含めた『SOS団』そのものが、涼宮さんにとっての重要な『鍵』。 そう、『変化』は起こっている。 かつてわたしが、そしてわたしが所属していた急進派が求めて止まなかった『涼宮ハルヒの変化』が、『変化』を求めず、『現状維持』を目指した主流派に属する、長門有希の存在によって起こっている。何て皮肉なことかしら。 わたしは変化を求め、『彼』を殺そうとした。 長門さんは現状維持を求め、『彼』を守ろうとした。 そしてわたし達は戦った。その結果、わたしは有機情報連結解除……人間の言葉で言えば『殺害』された。かくして、変化を求める勢力は敗れ去り、現状維持を求める勢力の思惑通りに事が進む……はずだった。 でも、そうはならなかった。現状維持を望む側の長門さんが暴走し、世界を改変してしまった。 今なら分かる。変化を抑えようとする意向が、変化を免れない有機生命体……ヒューマノイド・インターフェイスを狂わせた。 情報統合思念体は、この事実を重く受け止めるべきだろう。本当に、有機生命体である涼宮ハルヒを理解したいと思うのなら。 涼宮さんの不安そうな顔を見ると、その思いはますます強くなった。彼女にこんな表情をさせるようなことが、彼女の理解に資するとは思えない。 もしあの時、わたしが勝って『彼』の殺害に成功していたら、どうなっていただろうか。 情報爆発は、確かに起こっただろう。でもそれは、『悲しみ』に彩られていたに違いない。そして、情報統合思念体自身も、無事では済まなかったはず。これは、長門さんが世界を改変した時、情報統合思念体を消滅させた事実からも明らかなこと。 あの時情報統合思念体は、人間の言葉で言えば『肝を冷やした』。例え世界が壊れても、自分だけは大丈夫だと考えていたから。 情報統合思念体の存在を知っていたからこそ、長門さんはそれを選択的に消滅させるという芸当ができた。しかし、だからと言って、その存在を知らない涼宮さんが改変するならば、情報統合思念体は無事でいられるという保証にはならない。 もし涼宮さんが、『宇宙人も未来人も異世界人も超能力者も、何もかもどうでもいい』と思って情報爆発で世界を書き換えたら、どうでもいいと思われた宇宙人の範疇に入る情報統合思念体も、消滅しないという確証はない。むしろ、同様に消滅すると考えた方が自然だろう。 強硬な手段を使って涼宮ハルヒに情報爆発を強制的に起こさせた場合、非常に高い確率で、それは『悲しみ』又は『絶望』という属性を持った情報爆発になると予想される。そしてその『悲しい』情報爆発は、同様に非常に高い確率で、世界を崩壊させ、情報統合思念体も、そして恐らくは広域体宇宙存在も、共に消滅させてしまうと予想される。 それでも、情報統合思念体は、強硬な手段を執る選択肢を残すべきだろうか。 わたしには、それが得策であるとは到底思えない。検討する価値もないとさえ思っている。 『終わった。』 そんなことを考えていたら、長門さんから通信が入った。慌てて周囲の状況に感覚を振り向ける。空間封鎖が解かれて、通常空間に復帰していた。周囲の音も聞こえるようになっている。 『空間封鎖の解除、通常空間への復帰を確認。ふう。終わりました。今からそちらへ向かいますね。』 喜緑さんからの通信が入った。無事、攻撃者達を排除したみたいね。 『お疲れ様。』 長門さんが、労いの言葉を掛けている。これも、少し前では考えられなかったこと。 「涼宮さん。大丈夫やで。」 【涼宮さん。大丈夫よ。】 わたしは、涼宮さんに声を掛けた。ずっとわたしにしがみついていた涼宮さんが、わたしの顔を見つめる。 「怖い夢は、もう終わり。」 我ながら無理がある締めの言葉だと思う。でも、他に言える言葉を、わたしは知らない。 「……夢?」 涼宮さんはわたしの顔をまじまじと見つめた後、わたしの肩に視線を移して言った。 「あれ? あんた、肩の傷は……」 肩の傷は治しておいた。最初から傷などなかったように。 「ここには、涼宮さんがおって、わたしがおって、長門さんもおる。誰もおらへんようになってへんし、誰も傷付いてへん。それで十分やんか。ね?」 【ここには、涼宮さんがいて、わたしがいて、長門さんもいる。誰もいなくなってないし、誰も傷付いてない。それで十分じゃない。ね?】 そう言ってわたしは、ウィンクした。 「…………」 涼宮さんは、長門さんばりに黙りこくってしまった。無理もないわよね。 「それより、ほら。会いたがってた長門さんが帰ってきたで。」 【それより、ほら。会いたがってた長門さんが帰ってきたのよ。】 「え? あ、ああ……」 まだ涼宮さんは本調子じゃないわね。どこか上の空。 「あ、えっと、その……」 「ただいま。」 まごつく涼宮さんに、長門さんは極めて短い単語で、的確に返答した。そして…… 長門さんは、目を細めて微笑した。 「! あ……お、おかえり……」 長門さんの微笑に、涼宮さんは頬を染めてはにかみながら答えた。 ……わたしは、長門さんの微笑と、涼宮さんのはにかんだ表情に、見とれていた。 ←Report.15|目次|Report.17→