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亀山の<宗教論>の著作は、扱う対象によって大きく二つに分けることができる。ひとつは、オウム真理教の地下鉄サリン事件をきっかけとして、現代日本における「宗教(“宗教ブーム”)」の位置付けと、そこから近代化された宗教がはらむ問題について考察した『離脱願望』、『現代日本の「宗教」を問い直す』など。もうひとつは、唯物論を理論的立場としつつ、日本思想史における法然、親鴬の思想と意義の方位を明らかにしようとする『中世民衆思想と法然浄土教』である。前者と後者は扱う対象は違えども、<価値論>で考察された欲求(欲求的価値)の深化と検討が行われている。一遍思想 や中世東国武士と浄土教の関連 など、後者に関連する論考のほうがより早くから長期にわたって続けられているが、ここでは前者を先に扱うこととしたい。 + 亀山の中世関連著作 亀山純生「一遍思想の構造とその歴史的意義--一遍の民衆性に関連して」東京農工大学一般教育部紀要 (二一)、一~二一頁、一九八四年 亀山純生「東国武士と法然浄土教--谷保の住人津戸三郎の場合」東京農工大学一般教育部紀要 (二三)、九~三三頁、一九八六年 など 一九九五年三月に起きた地下鉄サリン事件へのレスポンスとして、翌年に刊行された共著が『離脱願望-唯物論で読むオウムの物語』である。同書は、「八○年代にその爛熟の頂点に達した日本型の大衆社会」=「企業主義的大衆社会」のもつ、能力主義・競争主義を特徴とする強い抑圧構造と、それが必然的に生み出した離脱願望が、新新宗教のなかでもとくに現実否定的・現実離脱的な色彩が濃く、「解脱」・「悟り」・「超能力」を説くオウム真理教と結びついた、という見取り図のもとで、一連のオウム事件の原因と背景を、九人の著者が、それぞれ異なるアプローチを行っている 。 (後藤道夫「企業主義的大衆社会からの離脱」『離脱願望』労働旬報社、一九九六年、九~三一頁) 田平暢志は、オウム信者のみならず、日本の宗教全般における「近代的な主体性の欠如」を指摘し、またこの点からオウム事件を「近代化の過剰」による宗教の空洞化状況から説明する山折哲雄を批判している。(田平暢志「現実認識と宗教的知性の乖離」同書、一七〇~一九〇頁) これに対して、亀山は、近代の未成熟でも近代の過剰でもなく、「近代的」宗教観、そのなかに日本において伝統的に引き継がれている「日本的聖俗二元論」による「宗教的無責任構造」こそ、オウム問題を解明する鍵であるとする 。事件後、宗教界は、オウム事件を宗教に関係のない世俗の社会問題とみて、政教分離原則をたてに、それに責任的に対応しようとせず「沈黙」したが、もともと宗教と社会は、このように二元的に区別される別領域ではなく、宗教は、それが意味あるためには現実社会に責任的に関与しなければならない。オウム事件はきわめてネガティブな形で、宗教と社会の独自のつながりを実証した点で、「日本的聖俗二元論」の破綻を示しているとする。これをふまえて、亀山は宗教にたいしては「世俗的原理の独自性を端的に承認」したうえでの現実社会への主体的・責任的関与の道を、社会にたいしては宗教を排除しない「市民社会の宗教倫理」の確立の道を提起する。 亀山の提起は「戦後民主主義と政教分離原則をも否定的にとらえる」 とみなされもするが、むしろ、宗教の公的性質の剥奪・私事化が、歪んだ「宗教」を数多く発生させる構造を備えているという指摘として捉えたほうが生産的である。なぜなら、宗教の公的性質の剥奪・私事化に関する問題意識こそが、その他の<宗教論>の著作でも扱われるテーマ、とりわけ「“一ヒラ文化”としての宗教」 へとつながるからである。 + 「“一ヒラ文化”」 亀山は、欲求論の立場から、諸個人におれる、それぞれ多様な欲求(=疎外・欠如の様態)に対応するものとしては、多様な宗教のみならず非宗教もあり(欲求の解決は、宗教的な解決だけでなく、非宗教的な解決も可能だからである)、どれが真の宗教か、あるいは真の生き方か、を問うことの無効性を主張する。「宗教は、現代の諸個人の問題を解決する現代人の社会的文化的活動の一環であり、あえて強調すれば、現代においては、宗教は事実的にも価値的にも“一ヒラ文化”である」(宗教、一二八)と主張される。 “一ヒラ文化”としての宗教という位置付けは、宗教の軽視ではなく、宗教の公的性質を賦活させる効果を見込まれてなされている。そうであるからこそ、この視角は、プロテスタンティズムに範をとる「〈近代主義的宗教観〉」に対置される。つまり、「信仰をもっぱら心の問題へと内面化し、外面的行為のレベルで呪術や魔術的性格を否定する度合いが高ければ高いほど、より純粋で本来の形態に近い高次の宗教と見な」す宗教観である(宗教、一二九)。 この〈近代主義的宗教観〉は、『現代日本の「宗教」を問い直す』で亀山が指摘する、現代日本の宗教をめぐる幾つかのディレンマ の一因にもなっている。近代の啓蒙主義思想は、「近代化=合理化=無宗教化」という図式を標榜し、日本でも従来の基本的宗教観の根底をなしてきた。だが、近代化の達成による“豊かさ社会”での宗教現象の増加、特に前近代的な低次の呪術宗教の氾濫や、“近代の申し子”たる、主に六〇年代生まれの“神秘好き”は、この図式を決定的に破綻させた。亀山は、これらの状況と、神仏並行信仰など、諸宗教の雑居あるいは宗教的多元性をふまえ、日本の宗教の特徴を「“神仏好き”の無宗教(「宗教」嫌い)」(宗教、二五)という言葉でまとめる。“神仏好き”に嫌われる「宗教」こそが、公的性質を帯びた「宗教」である 。 + 現代日本の宗教をめぐる六つのディレンマ 亀山が同書で挙げている、宗教をめぐる六つのディレンマは以下の通り。一、宗教への期待と不信・警戒。二、信仰の自由の聖域性と公的規制。三、政教分離と宗教教育論。四、“真の宗教”の雲散霧消。五、近代化と“無宗教化”の矛盾。六、“神仏好き”の無宗教。 + 「宗教」の、公的性質 亀山は、丸山輝男(「仏陀の教えとオウム真理教」『プレジデント』一九九五年七月号)の議論を参照しつつ、以下のようにオウム真理教の、犯罪という形で示された「宗教」的側面についてまとめる。オウム真理教事件が発覚した時、マスコミや世論は、その凶悪性とともにそれが宗教団体の犯罪であることに驚愕した。そして、オウム真理教は真の宗教ではなくニセ宗教だと非難した。しかし、オウム真理教をニセ宗教と批判することは「伝統的宗教も含めて宗教における真とニセの区別の基準はどこにあるか?」を問うことになった。だが、宗教界は沈黙を続け、議論は泥沼化した。オウム真理教はまちがいなく宗教であったし、その犯罪はまさに「宗教」であるがゆえに起こりえた。そう考えなければ、教団の関係者(信者)たちが犯罪を“善行”と思いこんで実行するに至ることは理解できない。(宗教、一八~二〇頁) オウム真理教および麻原彰晃がどのように、彼ら自身の公的性質を自認していたかについては、大田俊寛『オウム真理教の精神史 ロマン主義、全体主義、原理主義』春秋社、二〇一一年が総覧的にまとめている。 宗教については個人の内面的選択にまかされるべきでありだとする“放任型”の〈近代主義的宗教観〉とともに、『現代日本の「宗教」を問い直す』で批判されている宗教論が、〈認識論主義的宗教論〉である。 亀山は、認識論主義宗教観を、〈“実践としての宗教”観〉を対置することで定位する。両者の相違点は、客観的認識を基軸にして宗教を理解するのか、諸個人の生の営み・実践を基軸にして理解するのか、いいかえれば,生の営みを認識の真偽・科学的認識を原理として理解するのか、諸個人の欲求や生の意味づけそれ自体を原理として理解するのか、である(宗教、三四頁)。通俗マルクス主義 が採用している宗教観とも言い換えられる。 + 通俗マルクス主義 が採用している宗教観 注意すべきは、これがマルクス主義の宗教論への批判であって、マルクスの宗教論への批判ではない点である。亀山の批判対象は一貫して従来の日本の通説的、教科書的な、“宗教=アヘン”論として展開されたマルクス主義であり、「既成仏教など宗教をもっぱら封建的地主階級の利害を代弁し、民衆の主体性を眠りこませて絶対主義的天皇制に呪縛する毒薬的“アヘン”と見なした」(宗教、一九八)一面的なそれである。 認識論主義宗教観への批判点は大きく二つ。一つは、科学の健全な発達や社会の正常な近代化とともに宗教は死滅するという枠組みを温存すること。これにより、現代日本の宗教現象、神秘好きや呪術的宗教などの意味を内在的に分析する視角を逸し、科学教育の不徹底、復古主義的反動イデオロギー、一時的な歴史的退行現象として「ブラックボックス化」させる(宗教、三五)。もう一つは、科学的合理的認識に(宗教の代わりに)万能性を与えることは、世界の客観的認識の原理が価値や生の意味づけの原理と混同されることとなる(同)。認識論主義 は近代主義的宗教観と軌を一にして宗教ディレンマに陥ってしまっている。 これらの批判点をふまえて、亀山は、「宗教を現代人の生身の生の営みとして、生の意味づけ・価値領域の地平で分析する“実践としての宗教”観」(宗教、三六)への転換を促す。“実践としての宗教”観は、フォイエルバッハの唯物論的宗教論 にもとづいている。つまり、人間を身体的活動(感性的主体)の地平から理解すること。宗教を「生活の術die Kunst des Lebens」ととらえ、その本質を、諸個人が超越者に何を期待し超越者がどう応答するかの視点から分析すること。宗教は「疎外された実践」であり、それゆえに人間の生にとって肯定的否定的な両義性をもち、社会的イデオロギーと密接に連関していること 。以上の事柄が、宗教の分析枠組みとして求められる。 + 認識論主義批判の射程 付言すれば、亀山の認識論主義批判は、宗教理解のあり方に限定して用いられており、他の分野(社会変革論など)へは適応されていない。ただし、従来のマルクス主義が、実践を重視するなかで、世界観的にも社会・世界分析の点でも正しい認識(科学的合理的認識)を、変革主体の基本的要件と見てきたこと。それが科学的社会主義の神聖化と結びついたことが、認識論主義的宗教論の背景的基礎をなすとは考えられている。(亀山純生「唯物論的宗教論と認識論主義--伊藤敬氏の"批判"に応えて」唯物論と現代 (二五)、七七~九一、二〇〇〇年) + なぜ唯物論の宗教論が採用されるのか 通説的な唯物論はむしろ認識論主義にもとづく宗教観の立場をとり、科学的認識・科学的世界観を基準にして宗教を虚偽意識・虚構の世界と見なす。それにもかかわらず、理論的立場として唯物論が採用されるのは、特定の宗教や自文化の宗教観の方法論的前提を排除するためには、多様な宗教や他文化の宗教観をも包括しうる第三の共通尺度が必要であり、その尺度は論理上、宗教を前提せずに人間・文化・社会を包括する射程の広さを有することが求められるためである(宗教、三一)。 “一ヒラ文化”としての宗教とともに、“実践としての宗教”観は、宗教が行為システムとして、それを信仰する人の生と社会とのあいだにどのような意味づけと関連性を構築するか、その機能と効果に焦点を当てた視角であるといえる。その視角にあればこそ、亀山は以下のような「価値相対主義」の立場に立つ。「神を信ずる人とマルクス主義を信念とする人との間に、生の原理の相違それ自体によって価値的序列は生まれず、生き方の真偽があるわけでない」。 (亀山純生「唯物論的宗教論と認識論主義--伊藤敬氏の"批判"に応えて」八五頁。この発言がクリティカルなものとなるのは、宗教と唯物論が「価値的に平等ではない(唯物論は宗教に勝る)」ことを前提とする範囲においてである) この社会システム論的な視角は、日本思想史における法然、親鴬の思想の扱い方においても見られる。『中世民衆思想と法然浄土教』の序章では、「中世浄土教の思想史的研究への基礎視角」という表題のもとに、哲学者・三木清と歴史学者・服部之総の親鸞研究の批判的検討がなされている 。その検討を通して、宗教的自覚者としての親鸞か、社会的解放者としての親鸞かという親鸞像の選択ではなく、弥陀の本願の絶対化の徹底のなかで、隠然とした力で人々を支配する構造(それは正統派浄土教 をも含む)への抵抗を展開した親鸞の分析がなされる(中世、三六六)。 + 『中世民衆思想と法然浄土教』の整理 図式的に整理すれば、亀山は服部の史的唯物論の立場を認識論主義と見なしている(中世、三五)。ここでも、ほとんどのマルクス主義的宗教論において、宗教が、本質的に幻想的虚構の世界として、専ら自然・社会・人間の非科学的・非合理的認識という側面から理解されていることが疑問視され、感性的人間による「生活の術(わざ)としての宗教」への転換が、中世民衆の浄土教理解にとって、新たな視点を開くことが可能になることが提起されている(同、五〇)。 亀山は中世史学の知見をふまえ、。法然や親鸞によって提唱された専修念仏思想は、必ずしも当時の民衆に広く受容されたわけではなく、むしろ異端として弾圧を被らなければならなかったこと。親鸞が生涯かけて緊張関係をもち対決したのは、彼の認識では聖道門・「旧仏教」、専修念仏を弾圧する限りでの朝廷・幕府・地頭等であったとしても、客観的には、荘園において新たに中世的支配体制を構築しつつあった「顕密体制」・正統派浄土教であったことを明らかにしている(中世、三二一)したがって、どのような悪人も念仏を唱えれば往生できるという他力易行の提唱は、同時に正統派浄土教の諸行往生論を前面に立てながら階層往生を言わず、ただ機根に応じた多様な仏道修行の主張として見なすのが妥当である(同、一五八)。 現代における宗教論と、法然・親鸞の浄土教理解において、共通するのは、宗教を信仰する人の生と社会とのあいだの意味づけの機能として捉える視角である。そこにおいて価値とは真偽の基準と同じではない。私たちは善悪の絶対的基準、真偽の一挙的展望を、宗教(ならびに唯物論)を介して手に入れられるものとして欲するべきではない。宗教の機能とは、自己の受苦についての徹底的な直視と省察が、現実的生の諦め・放棄ではなく、逆に「現実的生と活動の価値的肯定とそれへの種極的なエネルギー導出」(中世、五六)へとつながる面に、基本的性格がある。 このような亀山の「宗教」の機能の位置付けにもまた、〈価値論〉で概観してきたデカルト=野田=亀山の、生の経験による「試し」の実践と思索がその裏面にあることを読み取ることができるだろう。ただし〈宗教論〉においては、くり返すとおり、「試し」の実践と思索を内面の問題に限定しないところにあるのであり、デカルトにおいては希薄であった「人間が社会的存在として歴史的過程の内に現存するということ」を補完しているといえるだろう。 ■ ここでなお、付言すれば、亀山が深く言及していない、「自然及び社会に関する科学のどのような進歩によっても満足させられることのできぬ宗教的欲求」という、三木の独特の「パトス的人間論」 と不可分に結び付いている欲求についての考察は別途、必要なものと思われる。三木のパトロギーが不可避的にもつ人間存在の身体的な世界内存在性から言っても、個の内面が、個をそこに緊縛している歴史的社会、なかんずく身体的欲求から切断された真空の世界としてあることは、ありえない(宗教、三四)と亀山は指摘するが、恍惚において主観的にはまさに真空の世界としてあるからこそ「無」や「空」の思想がいまもなお根強く残っているのではないだろうか。〈私は誰かに夢見られている夢ではないと、なぜ言えるのか?〉 また、霊術によって一挙的に自己を切り替える人格的変身への期待(宗教、四九)は、超能力・オカルトや神秘現象への関心や、能力主義への抵抗としてのみ位置づけられるものではなく、〈食〉 や、原生自然との対峙 など、広域かつ多様なあり方をもつ元型的欲求の一つの様態としても位置づけられる。 これら、〈「無」への欲求〉や〈変身=転成transformationへの欲求〉の考察が必要であるのは、それらが、亀山が位置づける快・幸福という「欲求的価値」の範囲外にあるばかりではなく、利己主義的欲求(私的所有、および自己保存)とも異なるためであり、また、〈風土論〉で取り上げられる「ありふれた自然の意義」を補強する上でも有効であると考える 。 + 三木の「パトス的人間論」 三木は、処女作『パスカルに於ける人間の研究』(岩波文庫、一九八〇年)以来、人間的生を「パトス的なもの」として、不安の内にあっての揺れ動きとして描いている。三木によれば、人間の存在は宇宙全体に対しては取るに足らない微小な存在であるが、同時に虚無に比すれば一個の世界であり全体である。このような人間の様態を、三木は全体と虚無との中間的存在として捉える。パスカルのいう人間の「偉大さ」と「惨めさ」は、この全体と虚無の間にあって絶えずさまよう中間者としての様態にその根拠をもつ。この「パトス的な人間」、「中間者としての人間」という思想は三木の人間学のなかで多様な形で展開され、遺稿『親鸞』まで一貫している。
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ウィリアム・ブレイク(William Blake)(1757~1827) 略歴 ロンドン生まれの画家、詩人、銅版画職人。靴下商人の子として生まれた。幼い頃からしばしば幻覚を見たという。画家として頭角を現し、銅版画家や挿絵画家として生計を立てていた。後に新たな印刷手法を開発した。幻視者と呼ばれることもあり、その詩作品には彼独自の神話体系に基づいた登場人物が見られる。晩年はダンテに傾倒し、病床で『神曲』の挿絵を死ぬまで描き続けた。 作品 ブレイクは、政治や宗教、思想、慣習といった、制度として自由を抑圧する存在を悪だとした。 『セルの書』(The Book of Thel,1789)は初期の清純な詩風の作品。人生の虚ろさを嘆く少女セルの前に、スズランや土くれなどが現れ、とるにたらない存在にさえ神の不滅の命が宿っているのだと教える。 『無垢の歌』(Songs of Innocence,1789)と『経験の歌』(The Songs of Experience,1794年)は彼を代表する作品で、初めて彼の神秘主義的な傾向が明らかにした。前書では子供の無垢な目を通して世界を眺め、表現した。後書ではそれから一転して暗い影に囚われた人間の心を表した。互いに意図的に対照する詩があることも特徴の一つ。 『天国と地獄の結婚』(The Marriage of Heaven and Hell,1790)は彼の二元論的な思想が良く表れている。善と悪、神と悪魔、肉体と精神、愛と憎しみなどである。彼はそれらを逆説的な格言の形で表現している。 後年にはその神秘主義的傾向が強まり、その作品もまた理解しがたい非常に難解なものになっていった。その中には独自の神話的人物、宇宙観があり、読むものを悩ませている。それらは預言書と呼ばれ、『四つのゾアたち』(The Four Zoas,1797?)、『ミルトン』(Milton,1804)、『エルサレム』(Jerusalem,1804)などがある。
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私たちは匿名的な発話状況において、暴力性を発揮する。普段の私たちの発話を規制しているのはChomslyの主張する自律的かつ形式的な言語規則(independent formal language rule)だけでなく、Wittgenstein以降の言語ゲーム論において解析されている社会的な言語使用規則(social language-use rules)であるが、提起されたコミュニケーション問題において主題となるのは後者の規則、より厳密に言えば、後者の規則を基礎付ける倫理-こう言ってよければ「作法」-の領域である。 コミュニケーションを「共働的テクスト理解の行為/過程」と捉える立場からは、共働する他者との位置関係は最も重要な論題であると共に、私たちが他者を拒絶することのできる主体的認識のあり方こそ本論件の問うべき対象である。つまり、本稿における論件は、コミュニケーション主体のいかなる認識態度が、「理解を絶した他者」が主体によって「理解され」「把持される」という事態を引き起こすのかを問うことである。 (中略) 言語ゲーム論的共同体とは、その前提からして「コード解釈の方法」を共有する者同士のネットワークであるが故に、そこにおけるあらゆる発話はそのゲーム内のルールに基づいて処理=理解される。すなわち、緊密過ぎ、且つ前述の「自らの欲望を相手の欲望するところの対象とする関係」というゲーム内において、他者のメッセージは主体の求める一義的な解釈へと処理され、私のメッセージは他者へ「私を欲望せよ」というメタメッセージを常に付帯するようなコミュニケーション-実のところ、その前提からしてComではない-が起きるのである。 このように、メッセージがコミュニケーション参加者の一方の求める一義的な解釈に収斂するような状況をラカンは『線 LINE 上のDV』という概念で説明している。 (略)
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教法学(理:tvasnarlasopitlyr)とは、リパラオネ教学の一つであり、主力である四学統の一つである神学分野。リパラオネ教教典に基づいた法学的解釈とその適用システム(司法、行政)を含む法学的分野であり、後の様々な近代法思想を準備することになる。 目次 概要 概要 歴史上で教法学が言及されるのは紀元前5000年代、ラネーメ王朝において国法として定められてからである。それまで、リパラオネ人の法システムであるリパラオネ・ゾピタルやラネーメ人の伝統法である皇論系思想が、それぞれの民族の法として運用されてきた。しかしながら、多民族王朝であるラネーメ王朝は、それぞれの諸法の民族の法だけではなく、統一的な王朝を導く法を求めてきた。そして、紀元前4461年、フヅミ皇帝は教会法として広範に広まっていた古典教法学(理:arlefi'ar)を国法として用いることを定めた。こうして教法学は長らく、法の基本として知られるようになる。 長らく古典教法学は他の教学と同じく蓄積と発展か続けられたが、562年に実証主義的なウェールフープ学であるアレス学派ウェールフープ学の影響を受けた教法学者アルフィサザン・フィーイェがアレス学派教法学を創始する。この学派は、操作主義、唯物論、実証主義、経験主義的な方法論に基づいて、古典教法学を見直し、理論を再構築するようになった。しかし、中世の間長らく古典教法学と対立関係にあった。 哲学的近代に入ると、レヴェン主義や市民革命主義が起こると、これを側面的に肯定する教法学の流れがアレス学派教法学から生まれた。特にフィシャ・ステデラフの教法学は現代の思想に強い影響を与えている。 これら教法学を国家の運営の中心に据えるイデオロギーを教法主義(理:tvasnarlarsopitolyrlera)と呼ぶ。
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現実の人間。特に長所はないが短所もない。ビルドが最も自由といっていいだろう。 極端な特化ビルドを作るのでもない限りはトールマンは悪くない選択だ。 この世界の人間の大多数を占め、それ故に生物学的勝者と自称するものも多い。 実際歴史上、その群としての強さから他種族を奴隷にするなど征服主義的な面もあった。 種族補正 なし
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朋黨論 原文 臣聞:朋黨之説、自古有之。惟幸人君辨其君子小人而已。大凡君子與君子以同道為朋、小人與小人以同利為朋。此自然之理也。(一無此六字)然臣謂小人無朋、惟君子則有之。其故何哉。小人所好者、禄利也。所貪者、財貨也。當其同利之時、暫相黨引以為朋者僞也。及其見利而爭先、或利盡而交踈、則反相賊害、雖其兄弟(一作弟兄)親戚、不能相保。故臣謂小人無朋、其暫為朋者僞也。君子則不然。所守者道義、所行者忠信、所惜者名節。以之修身、則同道而相益。以之事國、則同心而共濟。終始如一。此君子之朋也。故為人君者、但當退小人之僞朋、用君子之眞朋、則天下治矣。堯之時、小人共工讙兠等四人為一朋、君子八元八凱十六人為一朋。舜佐堯、退四凶小人之朋、而進元凱君子之朋、堯之天下大治。及舜自為天子、而皐夔稷契等二十二人並列于朝、更相稱美、更相推讓。凡二十二人為一朋、而舜皆用之、天下亦大治。書曰:「紂有臣億萬、惟億萬心。周有臣三千、惟一心。」紂之時、億萬人各異心、可謂不為朋矣。然紂以亡國。周武王之臣、三千人為一大朋、而周用以興。後漢獻帝時、盡取天下名士、囚禁之、目為黨人。及黄巾賊起、漢室大亂、後方悔悟、盡解黨人而釋之、然巳無救矣。唐之晩年、漸起朋黨之論、及昭宗時、盡殺朝之名士、或(一作咸)投之黄河曰「此輩清流可投濁流」、而唐遂亡矣。夫前世之主、能使人人異心不為朋莫如紂、能禁絶善人為朋莫如漢獻帝、能誅戮淸流之朋莫如唐昭宗之世。然皆(一有以字)亂亡其國。更相稱美推讓而不自疑、莫如舜之二十二臣、舜亦不疑而皆用之。然而後世不誚舜為二十二人朋黨所欺、而稱舜為聰明之聖者、以辨君子與小人也。周武之世、舉其國之臣三千人、共為一朋、自古為朋之多且大、莫如周。然周用此以興者、善人雖多而不厭也。夫興亡治亂之迹、為人君者可以鑒矣。(一有作朋黨議四字) 『欧陽文忠公文集』巻十七 注 論題:「在諫院進。一本以論為議。」
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【検索用 ふらちにゃ 登録タグ VOCALOID v flower あじみ このほし ふ 曲 曲は】 + 目次 目次 曲紹介 歌詞 コメント 作詞:あじみ 作曲:あじみ 編曲:あじみ イラスト:このほし(Twitter) 唄:flower 曲紹介 曲名:『ふらちにゃ』 あじみ氏のVOCALOID曲1.5作目。 歌詞 (PIAPROより転載・編集) 不埒(ふらち)なお金で飯を食う 味など無い 分からない 十六時 お仕事もオシオキも同じように 君へ送る気持ちのひとつです 撓(たわ)んだ肢体に伸し掛り 何度も貫く 白い肌 俯(うつむ)いた顔で無関心を 粧(よそお)ってるつもりです 痛みに慣れたらにゃんにゃんにゃん 乾いた浮世でにゃんにゃんにゃん 愛想しか売るものがない僕は 今日も猫みたいに鳴く 独りに嘔吐(えず)いてはにゃんにゃんにゃん 二人に疼(うず)いてはにゃんにゃんにゃん 悲しみしか食べられない口で 今日も馬鹿みたいに泣く 不埒な思いで君を睨(にら)む 孕(はら)んだ期待 あ、抱きたい 組みしだきたい 手出したら最後と思うのは 僕の浅いところが痛むから 昂った死体を引き摺(ず)って 感動を貫く 強引に 俯いて黙っても反響し 悦(よろこ)びは漏れていく 夜明けが来るまでにゃんにゃんにゃん 延長五十分にゃんにゃんにゃん 大好きごっこに売った幸せを 今日もそこら中に撒(ま)く 一人で善がってもにゃんにゃんにゃん 三人四人でもにゃんにゃんにゃん 麻痺(まひ)してく道義とか倫理とか 正直もうどうでもいい... 君と触(振)れ合(遭)ってもにゃんにゃんにゃん 一人でシてんだよにゃんにゃんにゃん 遅すぎる君のその態度にさ やっと馬鹿みたいに泣く 貴方が嫌いでもにゃんにゃんにゃーん 自分が嫌いでもにゃんにゃんにゃーん 愛想しか売るものが無い僕は 今日も猫みたいに鳴く 愛想しか売れないと思う僕は 今日も猫みたいに鳴く コメント あじみさんの歌ほんとすき……めっちゃハマっている。。。 -- 名無しさん (2020-02-29 17 50 24) Flower+プラチナ+ねこ=不埒にゃ。タイトルが秀逸 -- 名無しさん (2021-04-22 01 27 44) かわいいいいいいいいいいい -- 名無しさん (2023-04-30 23 59 55) 名前 コメント
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《マルガリッタ斎藤/Margaritta saitou》 アイコン ゲスト 種族 人間 年齢 22 性別 女 好き 酒 年下 同人誌 嫌い 禁酒 人物 自称お姉様系女子大生 マルガリッタ斎藤は本名を簡略化したものらしいが真相はぶっちゃけどうでもいい 身分は大学生なのだが、基本大学には通わず図書館へ通う。このことから本の虫に類されるがあまり読書はしない 腰まで伸びた黒の長髪に憂いを帯びた紫の瞳が特徴 常に口元に手を押し当てており何かと咳き込んでいる。目元は黒ずんでいることから病弱であると推測される 服装は常にドレッシーな物を好む傾向がある。夏場においても肌が露出しない服装を選ぶ 物腰柔らか。眠たげな目で笑い華麗に奇行をやってのける大学の異端児 最も同窓生の記憶に根深く残ったのは教授のカツラをアフロにすげ替えると言うものだったとか 趣味は同人あさりの子供好き 『美しい』ものを幅広く好む。それは造形であっても心であっても道義 逆に酷悪なものには嫌悪感をむき出しにする。これに限っては造形ではなく”魂”を指す 斎藤 跋 『裏の顔』にして『仮面の下』。本人はこれを己の顔と定義する 能力名『獣道』を操るスタンド使い。『哲学の道』と名乗るマフィアお抱えの殺し屋にしてその筆頭 自らを『癒しき犬』と称し、一人称を『我輩』へ変え、文学的な言葉遊びを始めるようになる 獣道 『黒色』を媒介に発動するスタンド 自らが発生させる『黒色』の物体、現象などに触れる悉くを『抉る』空間転移型スタンド この黒は一度彼女に接触したものである必要があり、例えば斎藤が手に触れた黒の色画用紙や墨汁、 ひいては彼女自身の影などがこの能力の有効範囲に該当する 普段は万年筆を持ち歩き、これを杖のようにふるって飛散したインクで敵の頚動脈を切断するのを殺しの常套手段としている BGCOLOR(silver) 関連ページ ゴルゴンゾーラ笹目 ビシソワーズ浅野 エクソシスト田中 ジャクリーヌ尾崎 関連画像 わんぶれらさんに感謝 CM3D2 コメント 名前 コメント すべてのコメントを見る
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alv /// / ポスト \ 13 seren klel alpkov(郵便箱) \ ポスト(道にあって個人のではないほうの) \ 2 広義的に自宅の郵便箱、郵便受け←raalv \ [ yuo ] \ onをポストに投函する \ [ ova ] \ do alv-el xop ims kon hibik tot[ ol ] alv tuse このタイプのポストは逆手だとチラシを入れやすいんだ \ alv-e hek ポストに手紙を投函する \
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デューンフォークでゅーんふぉーく / Dunesfolk ララフェル族の一部族。 ザナラーン地方など、荒涼とした砂漠地帯に進出した部族。 商都「ウルダハ」を築き上げた部族で、交易の民として有名。 思いつく側から行動に移す実践主義的な彼らの性向は、商機を捉えるのに大いに役立っているようだ。