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https://w.atwiki.jp/wiki5_eroparo/pages/282.html
【板名】 二次&創作文章板 【理由】 漫画やアニメのパロディ小説、完全オリジナルの小説を書くスレは各地に分散し、かつ迫害されている場合が多いです。 各サロンでのキャラスレではAAやSSは拒否反応を示すものも多く、対立がおこっていることもしばしば。 二次創作スレに対して削除依頼が出されることも多く、どこで書けばよいのか分かりません。 創作文芸板は小説を書く技法を語る板で、小説を発表するスレはLRでスレ立てを規制されており、発表する場ではありません。 同人板は、捜索文芸板と同様に書く側の技術論と、買い手側の情報交換の場であって、自作同人を発表する場ではありません。 文芸・書籍総合板は、書籍関係の板のサロンであり、小説が元ネタの二次創作以外は板違いになります。 各専門板では作品、作者スレ以外のネタスレはあまり歓迎されない場合が多く、特に二次創作は板違いだと主張する人が多いです。 BBSPINKにはエロパロ&文章創作板という小説発表の為の板がありますが、当然ながら年齢制限があり、受け入れ先としては不適当です。 【需要】 現在、漫画系、ゲーム系、小説系、その他の各板に二次創作スレが迫害されながらも多く立っており、需要はかなりあります。 エロパロ&文章創作板でも「エロ無しは出て行け」という迫害の声にもめげず、かなりの数の創作が為されています。 また、書き手、読み手が一箇所に集まって目立つことにより、相乗効果でさらに活性化すると思われます。 【内容】 漫画やアニメのパロディ小説、完全オリジナルの自作小説などを書いて感想を貰う。 統一のテーマを決めて、複数人で小説を共作するなど。 削除GL3(コテハン占有)に抵触しないよう、自分専用のスレ立ては禁止、 元ネタとなる作品ごとや、統一テーマごとにスレを立て、そこに複数人が作品を持ち寄る形に。 (例)「華麗なる食卓 二次創作スレ」「架空戦記専用スレ」 【鯖】 book4 【フォルダ】 novel 【カテゴリ】 文化 :”創作文芸”の下辺り。 漫画・小説等:同人イベントの下辺り。 このいずれか。 【名無し】 名無しさん@執筆中 【ID】 強制/携帯識別(一つのスレで複数人が投稿執筆するため、各々の作品を区別するのにIDは必要)
https://w.atwiki.jp/bokuserve/pages/1668.html
【元ネタ】史実 【CLASS】キャスター(自称セイヴァー) 【マスター】 【真名】マーニー・ハイイェー 【性別】男性 【身長・体重】179cm・71kg 【属性】中立・善 【ステータス】筋力E 耐久D 敏捷C 魔力B 幸運B 宝具B 【クラス別スキル】 陣地作成:C 魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。 小規模な“工房”を形成する事が可能。 道具作成:C+ 魔力を帯びた器具を作成できる。 聖典群の再執筆・加筆を可能とするほか、人を魅了する絵画や詩歌の作成を得意とする。 【固有スキル】 換骨奪胎:A 他者の着想・表現を取り入れ、独自のものに作り変える才能。 単なる模倣や贋造と違い、自己の感性や意志を柱としての創意工夫が必須。 外部からの刺激をどれだけ貪欲かつ鋭敏に吸収できるかを表す、芸術家にとって重要なスキル。 奇跡(偽):A 治癒の奇跡。 生前に修得した医術が数々の奇跡譚の影響によって魔術の域にまで昇華されたもの。 「換骨奪胎」と併用すれば、他宗教の奇跡や魔術などを自己流にアレンジし、自身の奇跡として行使可能。 信仰の加護:A+ 一つの宗教観に殉じた者のみが持つスキル。 信心から生まれる、自己の精神・肉体の絶対性。 【宝具】 『光輝の使者(フレーシュタグ・ローシュン)』 ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:1人 様々な宗教から迫害されながら命脈を保ってきたマニ教の歴史が宝具化したもの。 異教徒や異端者から攻撃を受けた瞬間、霊核を弱体化や破壊から保護する奇跡が自動的に発動する。 ただし、奇跡が守るのはあくまで霊核のみであり、肉体は当たり前に損傷する。 この宝具はマーニーの信仰心を源泉としており、相手が異教・異端であるとの認識の強さに比例して奇跡の精度が向上し、 マニ教を迫害した歴史を持つ宗教の信徒が相手ならば、確実に霊核を守りきり、現界を維持できる。 人類救済の覚悟や最後の預言者としての自負などの、思い込みとも言える強烈な使命感が可能とする生存能力。 【Weapon】 『マニ教七聖典』 “大いなる福音”を初めとする、マーニー自身が著した聖典群。 マニ教の魔術基盤を補強し、奇跡の精度を向上させる効果を持つ。 【解説】 イエス・キリスト、ザラスシュトラ、仏陀の後継者にして最後の預言者――と称したペルシアの宗教家。 ユダヤ・キリスト教系の新興教団で育つが、後に独立し、自ら開いた新宗教(マニ教)の教団を設立。 自身の才能を生かして詩歌や絵画を用いた宣教を行い、ペルシア、地中海沿岸、中央アジアで多くの信者を獲得した。 しかし、ゾロアスター教を国教とするサーサーン朝ペルシア帝国に迫害され、マーニー自身も死刑に処せられた。 マーニーの死後、イスラームの侵攻によってサーサーン朝は崩壊。マニ教はイスラームと一時共存するが、後に迫害される。 ローマ帝国内ではキリスト教と伍する勢力となるものの、キリスト教がローマの国教となった為にここでも迫害される。 中央アジアではウイグル・ハン国の国教になるなど成功するが、後に仏教に駆逐され、一部の信者が中国へと逃げ延びた。 中国に伝播したマニ教は仏教や道教と同化しつつ、元朝の支配下ではキリスト教の一派として活動。 このマニ教集団について、マルコ・ポーロが「キリスト教とも仏教とも違う宗教集団を目撃した」と記録に残している。 その後、元朝を滅ぼして成立した明朝の厳しい弾圧を受け、最後のマニ教集団も遂に消滅した。 ……と考えられていたのだが、中国福建省にマニ教の寺が現役で残っている事が20世紀半ばに判明。 マーニーを開祖とするかつての世界宗教は、民間信仰に形を変えながらも現在も信仰され続けている。
https://w.atwiki.jp/psyka_trpg/pages/41.html
当主:- ソナード島東方の少数民族コミュニティが併合してできた共和国だったが、帝国によって滅ぼされてしまった。 要点 帝国に滅ぼされた国。難民が各国に押し寄せて大変なことになっている。 この国で暮らしている人は帝国人に迫害されたり、帝国についた同国民にいじめられたりでとても大変。 難民から傭兵や冒険者になる人もとても多い。 主としてヒューマン、ハーフリング、ハーフオーク、ノームが住んでいた。
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サーヴァント 【クラス】 キャスター 【真名】 サッポー 【容姿】 文学的な印象を受ける女性 【英雄点】40点(ステ22点・スキル18点):令呪2画消費 【HP】 35/35(25+10) 【筋力】C:3 【耐久】A:5 【敏捷】B:4 【魔力】A:5 【幸運】A:5 【スキル1】恋なる詞は禁忌を超えて EX 消費点数5:効果 同性サーヴァントに対して物理攻撃と魔術攻撃時、補正値5を得る。 【スキル2】陣地作成 B++ 消費点数10; 移動フェイズに陣地を作成出来る。 陣地内では魔術攻撃と物理防御と魔術防御と奇襲防御時、補正値5を得る。 また、遠距離攻撃フェイズで受けるダメージを無効にする 【スキル3】迫害されし志 D 消費点数3; 奇襲防御時判定時、補正値3と 最大HPを10増やす。 【宝具】 万華鏡は遥彼方理想を詩へ ( カレイド・アヴァロン) 1/1 【ランク・種別】C++ (EX)・擬似権能宝具 【効果】 効果①味方陣営の防御判定時、味方前衛全てに補正値5を与える。 ②味方陣営(自身の陣営を除く)に女性にのみ 物理攻撃と魔術攻撃時、補正値5を1回だけ得る状態を付与する。 【その他】 世界最初の女流詩人 彼女の文学は多くの女性への学校などを作り出した 古代ローマなどに迫害されたこともあった 彼女は英霊として召喚される際3種類の宝具のどれかを選べる 1つ目は万華鏡は遥彼方理想を詩へ(カレイド・アヴァロン) 擬似的な結界宝具であり 魔法の域でもある時間跳躍により攻撃を避けるというもの 女性がその中にいた場合スキル 恋なる詞は禁忌を超えてを付与できる効果も持つ 2つ目 その禁忌は名も無き書物の元で(ネームレスカルト) 効果は不明 よっぽどがない限りこれを使用したらグランドクラスの英霊もしくは星を破壊することのできる宝具か星によって作られた宝具でなければ突破は難しい 3つ目 灰色の楽園(レスボス・グリザイア) かつて彼女が作った学園を固有結界として呼び出すこの学園内では女性はあらゆる行為をこのサーヴァントの命令通りに動いてしまう 男性は固有結界にいる間常にステータスが下がり性別が変化する もちろん女性になれば女性の効果を受ける 彼女を召喚できるのは女性でありかつ若く魔術回路合計70以上ある物しか呼べない 生前の彼女とはかなり異質なものになっているらしい 女性 中立・中庸 非処女
https://w.atwiki.jp/terra_romance/pages/184.html
説明 獣と人が混ざったような種族の総称。 普段は人間だが夜になると獣に変身する者、普段から獣と人が入り混じったような姿をしている者、それらを自由に使い分ける者などなどさまざまな種類が存在する。 また、混ざってる動物も分類しきれない程多数の種類がいる。 人狼(ワーウルフ)、人豹(ワージャガー)、人猫(ワーキャット)辺りが有名どころだろうか。 時々迫害されてたりされてなかったりするらしい。 関連 ルフト? アンジェラ ジグラッド 投稿ML
https://w.atwiki.jp/yara100/pages/66.html
亡国人≪ディアスポラ≫とは、699年に滅亡した魔法王国ユーストニアの首都ユーストニアの住民の子孫。魔王が首都の住民を生贄にした時、仕事・旅行などで首都にいなかった人々の子孫である。 多くは優れた魔法の使い手であり、蛮族に迫害されつつも、体制に重用されることもあった。 1001年現在の亡国人の子孫も古代の魔法の奥義の一部を受け継いでいると言われている。 亡国人の人物 サー・クロコダイル クロエ コメント 名前 コメントログ 用語
https://w.atwiki.jp/girlgame/pages/686.html
遙かなる時空の中での攻略対象。 鍛冶師見習いの少年。 龍神の神子である主人公を守る八葉のひとり。天の朱雀。 活発で自信家。近所の子供たちに「親分」と呼ばれ、慕われている。 病弱な姉を心配する優しい弟だが、姉が鬼と恋仲になったことから人々に迫害されたため、鬼をひどく憎んでいる。 名前 イノリ 年齢 15歳 身長 163cm 体重 誕生日 8月18日 血液型 O型 声優 高橋直純 該当属性 赤髪、バンダナ、着物、お子様、シスコン、熱血系
https://w.atwiki.jp/trivia-mike/pages/3916.html
ウィキペディアなどで迫害されたひとたちの楽園地。 掃き溜め場な一方ギャグ小説のような部分もある。どのみち掃き溜め場所だが。 チャクウィキにはユアペディアファンという記事がある。 だが内容はファンというよりアンチの文章である。 これにファンらしい文章を投稿すると何故か取り消されるらしい。取り消したやつはファンの書き込みでないなどという全く意味不明な理由を吐かしたらしい。これだと記事名が偽りなのでアンチユアペディアとかユアペディアアンチとか改名しろよなってなるね。
https://w.atwiki.jp/irosumass/pages/508.html
バズ・ライトイヤー ビクトリー バズのエックスゲームズは大パニック! スペースレンジャーの隊員「バズ・ライトイヤー」は、ザーグと戦いながら、大学へ通っていた しかし、スペースレンジャーの任務を疎かにしてしまい、大学は落第寸前 強くなる為に特訓しても、他のスペースレンジャー達にレーザーを放ち、大怪我させてしまい、スター・コマンドのあらゆるものを破壊してしまう せっかく見つけたピザ屋のバイトもクビになってしまった そしてスター・コマンドに帰還しても、ネビュラ隊長にスペースレンジャーとしての資格を剥奪され、ミラ、XR、ブースター、LGMに責められ、教官や他のスペースレンジャー達から迫害を受ける 何をやってもうまくいかないバズは仲間達にスター・コマンドから追放されてしまう プラネットZに乗り込んでも、ザーグやワープ・ダークマター、グラブ、ブレインポッド、ホーネッツの信じらない言葉を投げつけられる そこへ、誕生日パーティーを開いてくれたディックや弟分のバドがやってくる しかし、バズにディックは聞いた 偽バズになってスター・コマンドを壊し、本物の信頼を崩したスペースレンジャーをスター・コマンドから追放したのだ 彼はスペースレンジャーに「バーソロミュー・マキシマム・マルチ3世」と呼ばれていた そこへ、ディックの予想通り、バーソロミューが現れた! バーソロミューはサークル「リミット・オーバー・バイオ」と手を組み、エックスゲームズで優勝する事を提案する それを聞いたネビュラ隊長、ミラ、XR、ブースター、LGM、他のスペースレンジャー、ザーグ、ワープ・ダークマター、グラブ、ブレインポッド、ホーネッツはバズに腹を立てるのだった 仲間達やザーグ達の怒りを買い、心が傷付いたバズはどうしたらいいのか分からず、地球へ飛び去ってしまう 思わぬ事で他のスペースレンジャー達からの信頼とザーグとの対立も消えてしまった 仲間達やザーグ達に迫害され、失意に暮れるバズが取った行動とは・・・・・・? 果たしてバズは他のスペースレンジャー達からの信頼やザーグとの対立を取り戻せるのか!? せっかく「スペース・レンジャー バズ・ライトイヤー」が映画になったのに、なぜバズ・ライトイヤー迫害の話にしたのか!? 今度のバズ・ライトイヤーのテーマはザンボット3とメガレンジャー並みの迫害ではとの事だった バズがスター・コマンドや他のスペースレンジャー達に被害を及ばしてしまった為に、神ファミリーや伊達健太達の様に迫害されていた バズ・ライトイヤー フォーエバー ホリデーは最高! ダンス好きな少年「カーター」はサラにいいとこ見せたくて、終業式に乱入してコンサートを開き、ダンスのうまいカーターは一躍ヒーローになり、サラとダンスパーティに行く約束も決めたのだが、バズが計画したアメリカ横断自動車旅行に行く事を余儀なくされてしまう 今度のバズ・ライトイヤーのテーマは旅行で友情を深める事である
https://w.atwiki.jp/dakkai2ch/pages/45.html
「自ら信じる」という行為と「信じさせられる」という行為は、雲泥の差があります。 前者の場合は信仰で、後者の場合はマインド・コントロールです。 スティーブン・ハッサン「マインド・コントロールの恐怖」を読んで、私の経験から、創価学会の中のMCについて、思った事を書かせていただきます。 本の著者は統一教会の信者だったのですが、著者の意見は学会の活動、思想にも当てはまるところが多いです。 例を挙げて、統一教会と創価学会を比較してみます。 統)人々があなたを頼りにするようにまるまでサービスと援助をして、それから彼らをコントロールせよ。 創)必要と思われる存在になれ。人々に尽くせ。 ☆私は、とある幹部が「恩を売らないと布教はできない」と言っていたのを聞いたことがあります。社会に貢献するのはよい事です。でも、貢献したから学会を信じろ、という理論はおかしいです。 統)勧誘された人は、真面目で善良な人々の意にそえないような事をしたり、言ったりするのに、罪悪感を感じる。 創)同上。 ☆学会員は、どこにでもいる近所のおばさんだったり、同僚だったり、友達だったりします。日ごろの付き合いが深いほど、誘いを断ったりする罪悪感は大きいと思います。義理人情に訴えるやりかたです。 統)集団の中で、自分だけ理解できない、納得できないのは、自分が浅はかなのか?おかしいのか?と思ってしまう。 創)同上。 ☆地区単位の会合等で、学会的でない発言をすると、その意見はすごく冷ややかに無視されたり苦笑されたりします。 「場の空気を読めよ~」みたいな。 反対意見や反学会的な質問なんて、会合では出来ません。 組織の中では、無言のうちに、活動にがんばってます!苦しいけど負けません!の様な言動をするように、圧力がかかるのです。 統)入信させるときに、嘘を言っても良いと思っている。(崇高な目的のためには手段を選ばなくていい) 創)同上。 ☆「必ず幸せになれる」「辞めたくなったら辞めてもいい」これは入会時に必ず言われます。「必ず幸せになれる」というのは事実ではありませんし、「辞めたくなったら…」は脱会したら地獄に落ちるとか、幸せは無いとか、内部で公然と言われているのに、簡単に辞められますか? そして、細かな活動の内容は、入会時には教えてくれない事が多いでしょう。はじめに知っていたら皆、入会しませんから。 自分は最高の善い事をしていると信じて疑いませんから、その目的によって嘘を正当化してしまいます。 統)納得できない事を問うと、それは当人が堕落しているからだ、大義のために生きよと言われる。 創)納得できなかろうが、活動はすべて、人間革命のため。罪障消滅のため。宿命転換のため。小我に執着するな。広宣流布に生きよ、そこに最高の幸せがある。等と言われる。 ☆そもそも、「絶対的幸福境涯」をになる事を目指しているのが学会です。何が起こっても負けない強い境涯です。 身命を惜しまず戦え、とも言われます。 結局、「学会の幸福=広宣流布の活動をする事、その為に人生を捧げる事」なんです。学会の中では、人生を捧げる事が出来る人にしか、本当の幸福は無い、という事です。 それが出来ない人は、怠惰であり、エゴに負けているのであり、自分中心の負け人生、というのが学会の見方。 活動が辛くても、『苦しみの中に幸福がある』という感情コントロールをされるのです。 統)信者は、自分は神に選ばれたのだ、と思うようになる。 創)信者は、私たちは「地湧の菩薩」なんだと思うようになる。 ☆地湧の菩薩、つまり末法の人類を救うために、過去世からの約束で現れたのだ、末法の衆生救済が私達の使命だ、と言われて、優越感に浸ると同時に使命感から布教をがんばる様になります。私も若かりし頃は、自分は特別なんだ、崇高な使命を担っているんだ、って思い込んでいました。(すいません…) 統)批判者は、悪に魅入られたサタン。 創)批判者は、「魔」。 ☆学会から見ると、広宣流布を妨げるものはすべて「悪」です。「魔」は国主(権力者)や父母(身内)の身に入り込んで、仏道修行を妨げる、という御書があります。批判されても信念を貫け、と。 「元メンバーと話したり、批判的な情報を読んだりしないように仕向けるのは、MCの基本的要素だ」と本にありました。 学会員(活動家)は、脱会者に対する憎悪を煽られて、また悪に染まりたくない、という恐怖感を抱えて、 すぐ傍にある情報を手に入れることをしません。 だから私も、30代になって初めて、学会の情報を外部に求めたんです。それまでは批判や情報を、意識的に遮断していました。 これを読んでくださった方、私は脱会を勧めているのでは決してありません。 十分な情報を得た上で、学会員として社会に貢献していこう、という人もいらっしゃると思います。 でも、「思い込まされている」部分が少しでもあれば、 それはコントロールされているのであり、MCの被害者だと思います。 本にこうありました。 「自分でカルトをやめる人は、外部との接触を保ち続けていられる人」だと。 私が脱会できたのは、親戚に外部が多かった事、働いている事、外部の友達が多かった事、が大きな要因だったと分かりました。 私はいささか個人主義的な所があって、折伏や選挙もそんなにバリバリやっていなかったし、自分の考えを押し付けることはしなかったので、信頼できる外部の友達をなくす事がなかったんです。これは、とてもラッキーでした。 バリバリの活動家さんは、特に婦人部の幹部の方は、働かずに活動に身を捧げている人が多いと思います。 すると、社会との接点がないし、外部の友人もいない。 内部の価値観だけしか目にしない日々です。 だから狂信的な信仰になってしまうのだと思いました。 外部の方へ もしも学会の内部に、あなたの大切な人がいたら、 その人を責めずに、また諦めずに、接触を持ち続けて下さい。 そして、話を聴いてあげていただきたいです。 本人が学会の事を自分で考えて、自分で判断するお手伝いをしてあげれば、 言い争ったり傷ついたりすること無く、その人は良い道を自分で選べると思います。 マインド・コントロールの恐怖 を読んで ・・・・・『証明も評価も出来ない』・・・・・ カルト宗教の一番効果的な教義は、 証明も評価も出来ない、という事だそうです。 「仏法は勝負」と、学会員は繰り返し繰り返し叩き込まれます。 何をもって勝ちとし、何をもって負けとするんでしょうか? 「勝ち」や「負け」は、一時的な状態であって、それはその後の行動によって変わっていくのです。 「功徳」も「罰」も、何が功徳で何が罰なのか、自分でどうにでも解釈できます。 (組織内では時々、こじつけで「これは功徳ね!」なんて言っている人を見かけますよね) 功徳には「顕益と冥益」があると教えられます。 顕益=現実に現れる利益 冥益=目には見えないが自身の内に蓄えられる福運 こんな感じでしょうか。 そう、まさに、証明も評価も出来ません。 それを学会活動をすれば福運がつく、功徳が出る、と言い切ってしまうところに、カルトだと言われる所以があるんでしょう。 そもそも、「絶対に幸福になれる」と言う時、その幸福とは何でしょうか? 人が100人いれば100通りの幸福があります。 そして、人によっては同じ環境&同じ状況で、幸福だという人もいれば不幸だという人もいるんです。 信仰を持って得られる幸福は、主体的なものです。 人と比べられるものでも、優劣をつけられるものでも、ガイドラインがあるものでも、ありません。 人に押し付けたり、特定の行動をすれば得られると吹き込むのは、信仰を悪用していると思います。 証明も評価も出来ないので、いくらでも悪用できるのです。 だから信仰を持つ人は、自分でその信仰の証明と評価を、「自分自身に対して」していただきたいと思います。 自分に有効だからあなたにも有効、とは限らない事を忘れずに。 ・・・・・『思想コントロール』・・・・・ 1)詰め込み言語 カルトでは、詰め込み言語と言われる専門用語で、その人の思想と行動を縛るのだそうです。 私は学会を脱会したので、組織からは「退転」者と言われます。 「退転」というと何か、悪の道へ転げ落ちるような印象を与えます。 でも実際は、「退転」と言われる状況は、行動としては「そのひとの考えが変わった」事にすぎません。 私は「考えが変わった」ので、学会をやめました。 同じように「怨嫉」は、組織の中で使われる場合は、「意見の相違」に過ぎないと思います。 実際に誰かを怨んでいる人に使われるのは稀です。 それは怨嫉だよ、と誰かに指摘されたとします。 そうすると、その人は自分が悪いんだ、と思ってしまいます。 Aと思うのも正しいし、Bと思うのも正しい、というような多様な価値観が共存できる環境には、なりえません。 「折伏」=その人の幸福=平和の実現 と、活動家は思い込まされています。 だから「折伏」の内容がどうであれ、相手がどんなに不愉快であれ、 「折伏してきました!」と言えば組織では「すごいわねぇ~~」と賞賛が返ってきます。 少しの例ですが、このように言葉の持つイメージを使って、行動を制限しています。 2)組織に対して批判的な意見や疑問が湧いたら、自分を責めなさいと条件付けられる 「心の師とはなるとも心を師とせざれ」という有名な御書の一節があります。 この文を、組織は、批判的な意見を封じ込める事に使っている場合があります。 「あなたは自分の師になって自分を導きなさい」というのは、良く使えば私はとっても良い言葉だと思います。 でも会員の意見に対して幹部が使うとき、または自分自身の疑問に対して自分で使うとき、 「こう思うのは自分が間違っているのだから、良い方向に導かなきゃ」と思わせられるのだとしたら、すごく危険です。 そこには正しい道の探求はなく、「組織=善 批判意見=悪」と植えつけられた価値観の奴隷になっている自分がいるだけなんです。 批判的な意見が湧いたら、疑問が出てきたら、「じゃあ自分は、正しい事は何だと思うのか?」と思索を自由に進められるのが、良い信仰なのではないでしょうか。 3)確信 私が、若い頃から自分の指針にしてきた、池田名誉会長の指導を紹介します。 「仏法に照らされて起こった事は、すべて最も良い方向に進んでゆく。と『確信』していくとき、広々とした、晴れやかな境涯が開けていくのである。」 これは、幹部が退転したり不幸な事が起こったりして、信心しているのになぜ?と疑問が湧いたときに、その答えとして名誉会長がこう確信していきなさいと言っている指導です。 その出来事の理由や、経緯を追求せずに、その出来事は最善の事なんだと確信しなさい、と言っている。 確かにそうです。悪い状況になっても、信頼していた幹部が学会を辞めてしまっても、良い事なんだ、何か意味があるに違いないと確信し切ってしまえば、本人にとっては晴れやかにもなりましょう。 実際、私も非常に辛い事があって、この指導を読んで、「これで良かったんだ」とその時は思いました。 でも当時、これで良かったと思った私には、学びも向上もなく、それ以上思索する事もなかったのです。 ただ、非常に受け入れがたかったその出来事を、最善の事なんだと受け入れた自分がいただけです。 私は事実を受け入れる事は出来たかもしれないけれど、悲しみは癒されずまだ残っているし、精神的に乗り越えてもいないことに、最近気づきました。 10年以上たちますが、まだ自分の中で解決していないのです。とっても残念です。 「確信しなさい」とは、その出来事についてどうしてなのかと自分で考え、自分で学ぶ道を閉ざしてしまうのです。 そしてその「確信しなさい」とは、「創価学会の正しさを確信しなさい」が必ず裏側にあるのです。 信仰の対象(ご本尊や日蓮聖人の思想)を確信するのは、信仰者として当然かもしれません。 が、創価学会という組織を信仰対象と同等にまで引き上げてしまう、それをごく自然にさりげなくやってしまうのが、恐ろしいと思います。 4)迫害されている 統一協会の教祖は、言うそうです。 「世界の偉大な指導者達は、みな、どれだけ迫害されてきたか?!」と。 信者は、→正しいものは迫害されるのだ、と思い→我々は迫害されているから正しい、となる。 「批判」を「迫害」にすり替えています。 そして迫害されているから正しい、というのは正しいでしょうか? 歴史の中で、正しいと思われるものが迫害されてきたのは、その通りかもしれません。 でも迫害されているものがすべて正しいか?答えは否です。 こんな言葉を、感情を込めて言われたら、人は信じてしまうんです。 「そうだ、我々は正しいのに、理不尽にも迫害されているんだ」って。 批判というものは、耳に痛いです。 出来れば目を向けたくないし、自分のほうが正しいって、誰だって思いたいんです。 それに、迫害されている、なんてちょっとカッコいい響きなんです。 統一教会は、そうやって信者のコントロールをしているようです。 さて、まったく同じ事が言われている団体がありますが… 統一教会はそうだろうけど、創価学会は本当に迫害されている!なんて、まだ思いますか? ・・・・・ダブルバインド・・・・・ 二重拘束です。 信仰活動は、自分から求めて進んでやるぶんには、充実感もあり幸福感も得られます。 学会の場合、活動する事がそのまま功徳、幸福につながる、という考えなので、 イヤだと思ってもやらなければいけない、 組織も活動家には役職等の責任を与えて活動の現場から離れないようにします。 活動内容に不満があったり、納得のできない時、それでも活動家なら組織活動はしなければいけません。 幸福を求めて信仰をする、だけどその信仰の活動によって幸せが遠ざかる。 さらに幸せを求めて活動に打ち込む、さらに幸せを感じられなくなっていく。 私の個人的な意見ですが、この二重拘束的な生活を毎日していると、心身症などの病気になってしまうのではないでしょうか。 心と体はつながっています。 いくら自分で正しいと思い込んだとしても、本当は心の底で拒絶している事があったら、それは体の不調として現れてきます。 納得できないままに、言われたから活動をするなら、やらない方がいいと思います。 ・・・・・終わりに・・・・・ 何度も言いますが、信仰は主体的でなければ意味がないと思います。 それを、「幸福」を人質にとって活動をやらせるなんて、ひどいです。 学会員であった私の人生は、「○○をしなければ幸福はない」と思い込まされていた、条件付の人生でした。 生まれながらに条件付けられていた、人生でした。 私は本気で、広宣流布をすれば世界はもっと良くなる、不幸が減ると信じていた時期があります。 でも大人になって現実を見るにつけ、最高の信仰をしているはずの学会員でさえ、そして幹部になればなるほど、 人の気持ちの解らない、自分の名誉欲に飢えた人達がいるのに呆れ果てました。 でも同時に、どんな信仰であれ、それによって自分を向上させて社会に貢献している人達がたくさんいるのも事実です。 信仰は、人によって精神を向上させる良薬にもなり、人によっては精神を縛る鎖にもなります。 どうか精神を縛るものを拒む勇気を、より多くの人に。 と、それが私の願いです。 関連資料・リンク、補足説明等 ※管理人補足 ダブルバインドとは、元々グレゴリー・ベイトソンが禅の公案などにヒントを得て提唱した概念で、 一般には子供に対するしつけの中に、親が無意識に潜ませているメッセージを説明する際、よく用いられます。 必ずしも悪い意味ではないので、単純な説明は誤解を招くのですが、例えば「勉強しなさい」と言わずに、 「勉強するかしないかは自由だ。けれど勉強しないと後で必ず困る事になるよ」と表現するのは、ダブルバインドの一種でしょう。 『するかしないかは自由』というのは一見選択の自由ですが、『しないと後で必ず困る』のですから、一方の選択はすでに塞がれてしまってる訳です。 しかも、結果として勉強するのは『本人が選んだこと』で『強制はしていない』 ――つまり選ばされたにも関わらず『それは自分の意思なのだ』と思わなければならない点で、二重に束縛されています。 元々は、禅の公案によくある論理的矛盾を含んだメッセージを、受け取る側がどう解釈に移すかのシステムを考察する所から生まれ、 今ではかなり広い分野で使われるようになった言葉です。 自由と言いながら一方を選ばせる。こうした矛盾したメッセージを受け取り続けた結果、マインド・コントロールの場合は思考の放棄に繋がり、 執筆者さんが書かれたような悪循環のケースにも到る訳です。