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2008年10月2日号 ☆「はじまりの森」来歴 ようこそ冒険者諸君。私はキース・マルティン。 諸君ははじまりの森を知っておるかな。私はもちろん知っておる。死の危機に満ちた、地獄のジャングルだ。わしはあの恐ろしいシャドウピッグの体当たりを受け、涙を呑んで戦略的撤退をした経験がある。まさに悪夢、神々に見放された異形の土地といわざるを得んじゃろ。ん?何で変な顔をしてるんじゃ?ああ、ネタバレ発言じゃったか? ・・・しかし、こんな恐ろしい土地に上陸せざるを得なかった、フーリア号の乗員達には同情せざるを得んわい。彼らは船の補修のため木材を必要としておった。そのための小屋を建て、木々を切り開いたのがこのフーリアの街の始まりじゃ。だから、フーリアの街は、はじまりの森に囲まれているんじゃな。わしは町ができてから来て良かった。諸君もわしのように無事生還できるよう、精進するんじゃぞ。 ここから先はオフレコじゃがな、出るらしいぞ、もっと恐ろしいやつが!なんと猛毒を持ったグリーンバイパーが!あああーっ、言ってしもうた!わしは悪魔のようなネタバレジジイじゃのう・・・。 キース・マルティン博士の口述を帝国海運省メルルー開拓庁職員シャミノが記す ☆「暁の古城」の噂 ようこそ冒険者諸君。私はキース・マルティン。 今日も諸君のために、とっておきの噂話を仕込んでおいたぞ。まあ、ソースを明らかにするとわしもいろいろと立場がアレなのでな、噂ということにしておいてほしいのだが。 というのはな、諸君も知っている「暁の古城」の調査に出かけていた開拓庁の役人が一時行方不明になる事件がおきたのじゃ。いや、起きたらしいのじゃ。 開拓庁の職員が捜索したところ、件の役人が古城付近の茂みで倒れているのが発見され、無事保護されたのだが、彼の言うところによると、「鐘の音を聞いた様な気がして、はっと気がつくと、普段に比べて数段手ごわいモンスターたちに追い詰められてしまった」とのことらしいのじゃ。まあ、役人の言うことじゃから、真相はどうかはわからんよ。単に役目をサボって居眠りしていたらボコられた、ということかも知れんしのう。彼は、先日「鋼鉄の回廊」で発見された謎の装置で城内の風景を持ち帰ったそうなのだが、なんのことかわかりにくい上に、これでは単に夜だということくらいしかわからんのう・・・。 しかしともかく、開拓庁は、必要レベルを引き上げた上で、この役人が報告をあげたエリアを腕に覚えのある冒険者諸君に開放するつもりのようじゃ。調査結果の報告を楽しみにしておるぞ。 キース・マルティン博士の口述を帝国海運省メルルー開拓庁職員シャミノが記す
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目次 1.闇は実在にあらず 2.松明を高く掲げよ 3.光明の生活法①――霊的生活としての朝の祈り 4.光明の生活法②――朝の時間を活かせ 5.朝の一時間を確保せよ 6.全知全能の神ではなく、まず、専門家を目指せ 7.毎朝一時間の積み重ねが非凡な人生を開く 8.光明の生活法③――夜の時間を確保せよ 9.光明の生活法④――土、日を活かせ 10.自分を磨き、神の光の行軍の戦士となれ (1987年7月19日の霊示) 1.闇は実在にあらず では、引き続いて、第6章の「光の行軍」という話をしていこうと思います。まあ、これも、生命の実相のなかに繍纏(るる)述べたことでありますが、この物質世界というものは、闇のなかを松明(たいまつ)を持って光が行軍しているがごとき現実であります。 ちょうど我らが実在世界から見ておると、真理が説かれておるというその現状は、「闇のなかを灯を点ぜられた松明が動いていくがごとし」であり、大変勇ましくも見える。しかし、松明を取り巻いている闇は、いかにも大きな勢力であるかのごとくにも見える。ときには闇に囲(かこ)まれて、松明の炎が小さく見え隠れしているように見えるときもある。 しかし、それをおそれてはならない。断じて、おそれてはならぬ。この世界は、たとえ闇のなかを光が行軍するがごときものであったとしても、断じて、ひるんではならぬ。すなわち、闇は、実在ではない。闇は、実在ではないのです。闇というものは、光の不在であり、灯を点ずれば、そこに闇はない。いかに巨大な闇のように見えても、次から次へと照らし出される光の強さに、やがて、闇は退散していくのです。 すなわち、闇というものは、積極的な存在ではないのです。それは、ごくごく消極的なる存在である。光を点ぜば、闇は消えるが、闇を点じて、灯が消えるということはないのです。地上におる諸君は、この真理を断じて忘れてはならぬ。 灯を点ぜよ、さすれば、闇は消える。これは、真理です。諸君の人生がいかに暗く見えようとも、諸君の人生がいかに艱難(かんなん)に満ちるとも、断じて、ひるんではならん。断じて、おそれおののいてはならん。勇気を持って、生きていかねばならん。と、私はそのように思うわけであります。 2.松明を高く掲げよ 人生に必要なものは、この勇気であります。力であります。ほとばしる情熱であります。だから、情熱の力でもって、自らの道を切り開いていきなさい。 たとえ山道であろうとも、たとえ鬱蒼(うっそう)とした森林のなかであったとしても、たとえ崖道であろうとも、たとえ谷の底を伝うような険しい道であったとしても、人生に松明(たいまつ)を掲(かか)げて歩めよ。松明を高く掲げよ。光を高く掲げよ。さすれば、世界は変貌(へんぼう)していくであろう。 諸君の周りには、光が散乱していくであろう。この光を信ぜよ。この光の元に集まれ。そして、光とともに歩め。そこに諸君の希望がある。夢がある。無限の夢がある。無限の希望がある。無限の知恵がある。無限の愛がある。この夢のなかを生きなさい。 この希望のなかを生きなさい。希望こそが真理である。希望のなかを歩むとき、人は神とともにいるのです。希望のないところを歩むとき、そこに神はいない。希望とともに歩め。そのなかに、あなたを生かす真実があるのだ。あなたが生きていく真理の道があるのだ。 この使命の道を、ただひたすらに、歩んでいけ。倦(う)まず弛(たゆ)まず、歩んでいけ。たとえ闇が漆黒(しっこく)のように暗く見えても、松明を高く掲(かか)げよ。この高く掲げた松明の灯を信ぜよ。その灯は神の光明に通じておるのだ。このことを、人間は決して忘れてはならぬ。 まず、自らの心のなかに松明を点ぜよ。そして、その点じた松明の灯をもって、また次なるものに、その灯を点ぜよ。次なるものは、またさらに、その次なるものへと灯を次々と点じていけ。 さすれば、最初のひとつが、わずかひとつ人間の顔を照らしておった、あなたの顔を照らしておった、たった一本の松明の灯であったと言えども、その灯は、次から次へと移っていき、やがては、山一面をおおうがごとき松明の海となろう。そして、この漆黒の闇が、やがては、赤々と照らし出されていくようになるであろう。そのようなものだ。 最初の光は、小さくてもよいのだ。最初の灯は、小さくてもよいのだ。しかし、自らの心のなかに松明を点(とも)しなさい。そして、その松明を高く掲げよ。それは、あとに続く者への合図でもあるのだ。 あなたがその松明を点し、松明を高く掲げて、あとに続く者へと合図を送った後に、その松明の灯を、次なる者へと点ぜよ。灯はひとつが二つになり、二つが四つとなり、四つが八つとなり、八つが十六となり、十六が三十二となり、三十二が六十四となり、このように、次々と灯が点ぜられていくのだ。このような形で、真理というものは広がっていくのだ。 あなた方は、その真実をおそれてはならぬ。忘れてはならぬ。油断してはならぬ。怯んではならぬ。卑怯(ひきょう)になってはならぬ。挫(くじ)けてはならぬ。ただ、無敗を見よ。明るい面を見よ。積極的に歩め。前のみ歩め。それを忘れるな。ひるむな。生きていけ。力強く生きていけ。 こうして初めて、あなた方の人生の証というものが、そこに与えられるのだ。この私のたとえを忘れるな。 まず、心のなかに松明を点せ。心のなかに松明を点ずるためには、いかなる方法があるか。これを、今日、教えていこうと思う。 あなたの心のなかに松明を燈(とも)す。その光を燈す方法とは一体何であるか。一言に言えば、これが光明思想というものである。光明思想とは、世の中を公正に見ない、そうした偏狭な曲がった考え方ではないのである。 光明思想の根底にあるものは、人間を善なる方向へ、神なる方向へと導いていこうとするところにある。この方向を間違えてはならぬ。したがって、人生に勇気を与える原理こそ、光明の真理なのだ。光明の生活法なのだ。これを忘れてはならぬ。 3.光明の生活法①――霊的生活としての朝の祈り 本章では、「光の行軍」という題をつけたわけでありますが、この光明の生話法について、私は、これからいくつかのポイントを絞ってお話をしてまいりたいと思うのであります。 光明の生活法の第一は、これは、実に霊的なる生活ということであります。すなわち、朝起きたら、自らが神の子であり、自らの本質が霊であるということをまず、心に想起する。そして、今日一日が、霊として、神仏の子として、素晴らしい一日であるように合掌し、祈念するところから、始まっていくのです。 まず、そこから第一歩が始まっていく。物質的に流されようとしないで、肉体の欲望のままに流されていかないように。「神よ、どうか霊としての私、神仏の子としての私の霊性が、より一層伸びますように。より一層素晴らしくなりますように」と、そうした祈りを持って、まず一日を始めなさい。これが、光明の生活の第一歩であるのです。 まず、一日を霊としての、神仏の子としての自覚から始めるということ。そして、神仏に対して、私をよりよくお導き下さい、私の霊性が今日一日ますます伸びますように、と。そうした祈り心を忘れてはならぬ。そうした祈りを持って、日々生きていくこと。これが、非常に大切だと、私は感じます。 4.光明の生活法②――朝の時間を活かせ 光明の生活法の第二は、すなわち、朝の時間を活かすということであります。 今、地上を去ったこの霊天上界、まあ、八次元という世界らしいが、この八次元世界の最上段階にあって、私は、ときおり、地上の生活というものを見ております。地上の人間にはなかなかわかりがたいとは思うが、私たちの世界におっては、天狗さんの遠眼鏡(とおめがね)ではないが、自分に関心のあることを心に描くと、地上にあることであっても、望遠鏡か双眼鏡でも見るがごとく、拡大して見ることができるのです。そうした霊的な神秘があるのです。 したがって、私も自分に関心があることを、さまざまな方法でもって見ておるのです。私が、こちらの世界へ還って、最もどうにかしたいと思うことは何かと言うと、多くのサラリーマンたち、勤め人たち、こうした者たちを、何とかして、真理の道へと入らしてやりたいと思うことです。 彼らの多くは都会に住み、まあ、この収録をしている現在、暑い暑い夏の日であるけれども、この夏の日に背広を着、ネクタイを締めて、会社へと急いでおるわけである。彼らは、会社へ通うのが好きでもなく、一日も早くやめたいと思っておるのにもかかわらず、一分でも早く会社へ着きたいと思って、電車では、最前列に乗って、押し出される人波のなかから少しでも早く会社に着こうと思って、階段を駆け上がっておる。そうであろう。 階段を駆け上がって、どうするのか。つまり、部長や課長よりも早く入らねば点数が下がると怯(おび)えながら、一刻も早くと会社へ来るのである。だから、自分より先に先輩が来ておると、大変恐縮をしたりする。まあ、こういうことはあるわけです。 そうしたふうに、早く会社へ行こう、会社へ行こうとするわけだけれども、会社に行ったら行ったで、今度は、早く一日がすまないか、と。早く一日が終らないか、まあ、そうした気持ちで一日を過ごす。そして、夕方になれば、あとはマージャンをするだの、酒を飲むだの、歌を歌うだの、こうしたことばかりを考え、同僚を誘っては、時間を潰す。こういうふうにして、一日のうちの大部分を空しく過ごしておる。それが、サラリーマンの大半ではなかろうか。 私は、サラリーマン諸君に言いたい。諸君は、朝の時間を無駄にするなかれ。朝の時間というものを、貴重にしなさい。その貴重な時間を、活かしなさい、と。 諸君は、実は、睡眠によって霊界と非常に長い間交渉を持っておったのである。その霊界との交渉が終り、疲れた肉体もいやされ、新鮮な気持ちで一日が始まる。これが、朝である。だから、この新鮮な気持ちを十分に活かさねばならぬのです。朝、ご飯も食べず、寝呆け眼(まなこ)でもって会社へと急いで、満員電車に揺られて、会社では一日不愉快に過ごす。これほど馬鹿なことはない。 諸君は、日の出のときというのを見たことがあるか。この勇気凛凛(りんりん)と湧いてくるような、朝の日の出というのを見たことがあるか。あの大きな日輪というものを見たことがあるか。そうした日の出を見ずして、グーグーと寝ておって、あせるがごとく会社へ向かっておる者たちは、大変嘆かわしい一日を送っておるわけである。 諸君は、なぜこの朝の時間を利用しようとしないのか。満員電車といっても、満員電車の現状は七時から八時、この頃の時間帯である。七時からせいぜい八時半、九時。この間が満員電車であって、電車も朝の六時となれば、あるいは、五時半、五時ともなれば、ほとんどガラガラであって、朝の買い出しに出ておる行商人のおばさん連中であるとか、そうした人ぐらいしか、朝の電車には乗ってはおらん。朝の電車はガラガラだ。満員電車ではないのだ。 ところが、諸君は、他の人間と同じ時間帯に乗り、漫然と新聞を読み、漫然とギューギュー詰めのなかで、揺られて汗だくになって会社に着いている。それが、現状ではないのか。なぜ、他の人間より一時間早く起きようとしないのか。一時間早く起きればよいのである。朝五時半に出てもよし。電車はガラガラである。このガラガラの電車のときをなぜ使わんか。 この早朝の一時間をなぜ利用しないのか。電車のなかで、諸君は、おそらくタップリ一時間は過ごすのであろう。この一時間を、勉強のため使え。早朝の一時間。ゆっくりと電車の座席に腰かけて、そして、むずかしい本でも読みなさい。 一般に言って、サラリーマンというものは、自由に時間がないと思う。そして、会社さえやめれば、定年退職すれば、世界の古典がたっぷり読めるとか、思想体系が読めるとか思っておるのだろう。時間ができるようになったら、そういうむずかしい本が読めるように思うが、いざ時間というものがふんだんに自分に与えられておると、そのふんだんな時間を使いこなすことができなくて、結局、何の書物も読めなくなるものなのだ。つまり、まとまった時間だけが、大切な時間ではない。毎日毎日の三十分、一時間の時間の積み重ねこそが、本当に大切なのである。そうした時間の積み重ねによって、人間は、本当に勇気を持って、希望のある人生を生きてゆくことができるのだ。 5.朝の一時間を確保せよ 諸君よ、まず、朝の一時間を確保せよ。どのような形であっても、朝の一時間を確保せよ。通勤時間の短い者は幸いである。その者は、朝早く起き、自宅にて、書斎で勉強せよ。 通勤時間の長い者は幸いである。そうした者は、朝早く起きて、電車が込む前の始発電車なり、最初の頃の電車に乗り込んで、ゆうゆうと勉強しながら、電車で会社へ向かえ。そして、会社へ行ってから、ゆっくり朝のコーヒーを飲みながら、新聞を広げ、その日一日の構想を練ればよい。そうすれば、同期の者との差が非常につくであろう。私は、そう思う。 とくに朝の一時間、これを逃がしては、断じてならん。朝の一時間という貴重な勉強時間を持て。そうすれば、一ヵ月に三十時間、一年には三百六十五時間の時間となる。この三百六十五時間の積み重ねというのは、非常に責重なものである。 もちろん、三百六十五時間だけでは、まだ、専門家にはなれんであろう。しかしながら、通常、専門家の域に達するには、あるひとつのことを二千時間ぐらいやればその専門家になると言われている。 すなわち、三百六十五時間が一年であるならば、二千時間というのは五年余りということになろう。ひとつのことを一時間、五年間続ければ、その項目に関しては、あなたはその道の専門家になることができる。これは間違いがないことです。 そして、この二千時間というものをさらに伸ばしていく。これが五千時間になれば、ほぼ第一級の専門家となってくるであろう。また、これが、一万時間となれば、すなわち、ひとつのことに関して一万時間積み重ねがあれば、あなたは日本の第一人者となることができると思う。 一万時間の時間というのは、一体どれだけのことであるか。一年が三百六十五日であるならば、十年、三千六百五十時間である。そうすると、この一万時間というのは、実に三十年弱、まあ、二十五年から三十年ですね、そういうことになると思う。素人が考えても、三十年間同じことを続けたならば、その道で日本一の専門家になれることぐらいは、想像にかたくないのである。 たとえば、語学にしてもそうだ。英語という学問をとっても、まあ、英語全体で日本一になるということはむずかしいかもしれぬ。しかし、英語なら英語のなかで特定の文法の問題、あるいは古典英語、あるいはジャーナリズムの英語、あるいは小説関係の英語、いろんな英語のジャンルがあるであろうと思う。あるいは実用英語もあろう。その何でもよいのである。とにかく、ひとつの領域に絞って、その道で一時間ずつ三十年間続けたならば、まず、日本の第一人者になることを、私は保証できる。それは間違いないことだ。 6.全知全能の神ではなく、まず、専門家を目指せ こうした形で、人間は、毎日毎日の時間を使って、責重な時間を使って、自分を鍛(きた)えていく必要があるのです。あなた方は、全知全能の神ではない。そこでまず、人間は全知全能の神ではないことを認めねばならん。そして、全知全能であることを放棄したときに、そこに、またひとつの道が開けるのである。すなわち、全知全能ではないけれども、ひとつのことのなかに、全知全能の神のごとき姿を見い出していくということもあるのです。 オールラウンドプレイヤーだけが貴いのではない。専門家もまた、尊いのである。サッカーしててもそうだ。フォワードだけが尊いのではない。ゴールキーパーも必要である。ウイングも必要である。バックスも必要であろう。そうではないだろうか。 野球にしてもそうだ。四番打者だけで勝負はできない。ピッチャーだけでも勝負はできない。ピッチャーにはキャッチャーがいり、一塁手、二塁手、三塁手、そして、外野手がおって、それでもって初めてチーム全体が成り立っていくのです。野球の選手、名選手になるということは、ピッチャーもでき、キャッチャーもでき、一塁手も、三塁手も、外野もでき、ピンチヒッターにもなれるというような人のことを言うのではありません。ピッチャーならピッチャー、捕手なら捕手、一塁手なら一塁手、四番バッターなら四番バッターとして、その使命を最高度に発揮できることが、最高の野球選手ではないのだろうか。 野球には名球会というのがあるそうだけれども、名球会に入る条件は、決してオールラウンドプレーヤーだったということではないはずだ。投手であれば何百勝以上、あるいは、打者であれば何割以上、三割なら三割以上、ホームランバッターであれば何百本以上、また、盗塁であれば盗塁何個以上、こうしたことで、名球会入りということがあるのではないのか。こういうことではないのか。 人間は、全知全能ではないのだから、やはりこの世においては、自分の専門を最高に活かして、そして、神に近づいていくということが大事なのではないだろうか。私は、そのように思うわけであります。 さすれば諸君よ、諸君は、自らがまだまだ一億分の一の人間にすぎないという現実を知らなくてはならない。諸君は、日本人一億二千万人のなかのひとりにしかすぎないのです。 だから、諸君のところへ稲妻のごとき天啓が降りて、そして、諸君が一日にして天才になるとは思うな。一日にして諸君はシェークスピアのように戯曲を書けると思うな。一日にして諸君がゲーテのような文学を書けると思うな。一日にして諸君がオスカーワイルドのような芸術論が書けると思うな。一日にして諸君がカントのごとき哲学を打ち立てることができると思うな。彼らもまた、地道な努力があったということを、忘れてはならないのです。 カントにしてもそうである。カントがあの三部作、有名な『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』と、こうした大著を出したのは、すでに、カントの晩年であったのです。それまでの五十年、六十年の間、彼は倦(う)まず、弛(たゆ)まず、努力を続けておった。そのことを、忘れてはならんのです。 早咲きの桜だけが、素晴らしい桜なのではない。遅咲きの桜のなかにも、素晴らしいものがある。ですから、時期というものは、神の心に任(まか)していかねばならぬのです。ただ諸君は、諸君に与えられた範囲のなかで、そのときどきの最善の努力をしていくことこそが、大切なのではないだろうか。私は、そう思うのです。 まず、自らが一億二千万分の一であるということを、知れ。そして、一億二千万分の一の自分が、どうやって神に近づいていくかということを考えよ。 私は、諸君に言おう。諸君には、一日二十四時間が与えられておる。他の一億二千万人の人にも、一日二十四時間が与えられておる。さすれば、二十四時間をどう使うかによって、諸君は偉人になることもできるし、平凡人として一生を終ることもできるのである。だからこそ、時間の使い方ということを忘れるな。この時間の使い方の責重さということを忘れるな。まず、二十四時間を活かしきれ。 そして、二十四時間を活かす前に、その二十四時間をまず細分せよ。細分して、まず、有意義な一時間を生み出せ。一時間が無理なら、三十分を生み出せ。三十分が無理なら、十分を生み出せ。そうしたこま切れの時間でもよい。そこに金貨が埋まっておると思わねばならん。そこに真実が、永遠が、価値あるものが、埋まっておると思わねばならんのです。 7.毎朝一時間の積み重ねが非凡な人生を開く 諸君よ、谷口雅春は、諸君に一躍天才になってほしいとは思わないのだ。しかし、諸君に、十年、二十年、三十年と実力を蓄(たくわ)えていって、第一人者となってほしいと思うのだ。何に対して努力しようかと、思い患(わずら)うことなかれ。まず、諸君は、今、自分がいちばん関心を持っていること、これを掘り下げていくことが最も大切なのである。諸君は今、何に関心を持っているであろうか。文学であろうか。芸術であろうか。音楽だろうか。哲学だろうか。あるいは理科系統の工学か。あるいは医学か。あるいは化学であろうか。一体何であろうか。才能というものは、なかなかわからない。 すなわち人間には、どのような才能が埋もれているか、それは、一時にしてはなかなかつかめない。ただ言えることは、自分がいちばん興味関心を引かれるもののなかに、自分の才能がいちばん見つかりやすいということ。これは事実である。ですから、今この私の霊言、霊示集を手に取っておるような諸君らは、たとえば、真理というものに対して、非常に関心が強いのです。才能というものは、結局、畑のなかに埋められた黄金の壷であるのだけれども、黄金の壷が比較的浅いところに埋められておるのをもって、才能と言うのです。一鍬(ひとくわ)、二鍬(ふたくわ)、掘れば出てくるようなもの、そういうふうに、浅いところに埋まっておるものを才能と言うわけですね。 したがって、諸君が今、こうした真理の書に興味を持つと言うならば、その真理の書に対する興味というのは、すなわち、諸君が、その方面に才能を持っておるということを意味しておるのです。 では、諸君は、その才能をなぜ活かそうとしないのか。こうした私の問いかけに対して、どのように諸君は答えてくるのであろうか。 諸君よ、まず、朝の時間を活かせ。通勤時間の短い者は、自宅にいて朝の一時間を取れ。通勤時間の長い者は、電車のなかにて一時間を取れ。そのなかにて真理の書を読み、心を養え。心に力をつけよ。 朝の一時間、空いた電車のなかで神想観を行なえ。そして、真理の書を読め。一時間で、諸君は何ページの本を読むことができるであろうか。一時間で十ページしか読めん人もいるであろう。しかし、一時間に十ページであっても、二百五十ページの書物なら、二十五日あれば読むことができるのです。一時間に三十ページ読む人もいよう。一時間に三十ページ読む人は、二百五十ページぐらいの本であるならば、一週間余りで読み終えることができるであろう。一時間に六十ページ読める人がおるとすれば、まあ、この程度の書物であれば、四日もあれば読了することができる。 こうしたものであって、たとえば、四日で一冊、まあ、四日で一冊ということは無理であっても、五日で一冊を読破するということを諸君がもし決めたということであれば、月曜日から金曜日までの朝の一時間、五日間使うことによって、諸君は、真理の書を毎週一冊必ず読むことができるのです。 さすれば、諸君は、一年間で、五十冊以上の真理の書を読むことができる。そして、会社を休まないかぎり、毎日毎日、これを日課として続けることができるのである。非常にありがたいことです。 一年間に五十冊の真理の書を読むとするならば、十年間で五百冊の書が読めます。そして、三十年間には、何と千五百冊の書物が読めるのです。今、目の前に千五百冊の書物を積み上げられても、それを読破できると思う人は稀であろう。しかしながら、一日に一時間、通勤時間のなかで真理の書を読めと言われて、それを読むことがむずかしいという人は、そうはいないでしょう。 要は、積み重ねなのです。定年まで二十年、三十年あるということを嘆くなかれ。それだけの時間があるということを喜べ。その間に、なぜ蓄積をしないのか。真理の書なら真理の書ということでもって、千五百冊の真理の書を読破したならば、諸君は、間違いなく第一人者となることができるのです。 千五百冊の真理の書を、三十年間で読破したならば、諸君は、必ずや人前に立って、演壇にて、人びとを導くような人になるであろう。私は、必ずそうなると思います。 一日一時間、この一時間の積み重ねが、やがて諸君を専門家らしくしてきて、土曜、日曜にもその精力を投入していくことが望ましくなってくるであろう。そして、諸君の専門にますます磨きがかかっていくであろう。こうして、第一人者となっていくわけであります。 若者よ、私の言葉をよく聞きなさい。諸君は、まだ二十代や三十代であろう。その頃に、この私の言葉を聞いた者は、幸いである。私の言葉を実践した者は、さらに幸いである。諸君は、定年までの長い長い三十年、四十年が待っておるように思うかもしれない。しかし、私が言うように、毎日一時間、電車のなかで読み続けたとしたならば、諸君が、やがて五十という声を聞いたとき、つまり、定年が近くなってきた五十歳という声を聞き、頭に白いものが混じり、人びとからそこそこ尊敬されるような年齢になったときに、自分のうちなる蓄えというものが偉大になっているということを知るはずです。 そして、この蓄えでもって、諸君は、人びとを導くことができるのです。そのためには、毎日毎日を磨いていくことである。私は、光明の生活法の二番目として、朝の一時間を活かせということを言いたいと思う。朝、惰眠(だみん)を貪(むさぼ)るなかれ。 8.光明の生活法③――夜の時間を確保せよ 朝を有効に活かすためには、第三番目として、夜の生活ということが大事だ。諸君よ、朝の時間を活かすためには、夜ということを大切にしなさい。すなわち、夜、乱れた生活をしてはならないということです。 夜、毎晩酒を飲みに行ったり、毎晩遅くまで義理だけの残業、そういうサービス残業をしたり、まあ、つまらんことのために、毎晩毎晩を費やすなかれ。諸君よ、交わる友だちを選べ。交わる同僚を選べ。自らを向上させるような同僚を選んでいけ。真面目な人を選べ。つきあう人の幅を、勇気を持って選んでいけ。 諸君は、意志弱い人間となってはいかんのです。たとえば、諸君が、夕方の六時に会社から退社して、まっすぐ家に帰ろうとするのを見とがめて、つきあいが悪いという人がいるであろう。あるいは、そんなものでは、サラリーマン生活はおぼつかないと言う者もあるであろう。しかし、すでに酒の虜(とりこ)となっている人びとは、自分にそうした劣等感、引け目があるがために、自分の仲間をひとりでも多く見つけたくて、酒飲み友だちをふやしたくて、声をかけて誘惑するのです。 これは、ちょうど地獄霊たちと同じです。地獄の悪魔たちというのは、決して自分自身改心して立ち直ろうとせず、自分の仲間をふやそうとする。自分と同じく苦しんだり、自分と同じく迷っている人を、ひとりでもふやそうとして引きずり込もうとする。これが、地獄の悪霊たちの基本的特徴なのです。 しかし、諸君たちは、こうした生ける悪霊たちのそそのかしにのってはならん。貴重な時間を割いて、毎晩毎晩、酒を飲んで生き、巷(ちまた)のそうしたネオン街で、色情霊や、あるいは、酒乱の霊たちと交って、あたら自分の人生というものを無駄にしてはならん。 死んだときに、ああいう人たちに誘われたから自分はそういう酔生夢死(すいせいむし)の人生を送ったのだと言ったとしても、誰もそうした者の言い訳は聞いてはくれない。諸君の人生は、諸君自身がつくっていかねばならんのです。 されば諸君よ、勇気を持って、自分の時間を確保せよ。夜の時間を確保しなさい。夜の時間、やはり一日を静かに振り返ることです。仕事の間、自分が正しく仕事をしたかどうかを。そして、対人関係で間違いがなかったかどうか。こういうことを反省しなさい。夜もまた読書できるのなら、読書の時間を取り、あるいは、趣味なら趣味を活かす時間を取り、そうした時間を取って、自己啓発に生きなさい。 朝の一時間を自分が新たなる専門分野を開拓するために使おうとするならば、夜の時間というものは、今度は自分の本業の部分に使う。まあ、真理そのものをもって職業としている人は数少ないであろうが、朝のいちばんいい時間を真理の学習にあてたならば、夜の時間は、自分の専門領域に使いなさい。たとえば、自分が経済戦線の最先端にいるビジネスマンならば、そのビジネスの書を読み、ビジネスの研究をしなさい。経営をやるなら、経営の書を読みなさい。技術者であるなら、技術の書を読み、勉強をしなさい。すなわち、自分の本業を磨くために、夜の時間をあてることです。 ただ、朝の時間に備えるためには、夜いつまででも起きておるのではなくて、夜は適当なところで切り上げて、早く床につくことです。そして、朝の時間を最高度にしていく。そうできるような工夫をしなさい。夜遅くまで起きておっても、朝早く起きて、朦朧(もうろう)として一日を送ったのでは、一日が非常にもったいない。つまらぬつきあいに時間を取られないことです。早く家へ帰って、自分の時間を確保して、落ち着いた心境でもって、床につきなさい。 そして、寝る前には、まあ、「生長の家」の人であれば神想観があるけれども、神想観でなくてもよい、自分の心を振り返り、高級霊たちと交流するような、そうした静寂な時間帯を取りなさい。自分を見つめる。自分のなかを見つめる。そうした時間帯を取りなさい。そのとき、一日を振り返って、自分の心の垢を落として、そして、床につくことです。 翌日には、素晴らしい、清清(すがすが)しい朝をまた迎えて、一日をスタートしていきなさい。このように、光明生活の第三番目は、夜の時間を確保せよということです。 まあ、どうしても必要があって、夜のつきあいがあることもあるでしょう。ただ、それに流されないことです。それに流されない。酒に飲まれたり、あるいは、異性とかそうした者のなかに飲み込まれていかないように、節度というものを守っていきなさい。それが大事です。 夜のつきあいも、週一回や二回は必要なこともあるでしょう。しかし、深酒をし、夜中まで飲んだくれるのではなくて、適当な時期に見切りをつけて家へ帰るような、そうした規則正しい生活をしなさい。これが三番目です。 9.光明の生活法④――土、日を活かせ 光明の生活法の四番目は、土、日を活かせということです。今、週休二日制が広がり、土、日休みという会社が増えてきています。そこで、この土、日を活かさないという手はないのです。この土、日を最大限に活かしなさい。土、日を最大限に活かす方法は、できれば、土曜か日曜の一日を活動の日として使い、残りの一日を、瞑想とか、読書とかいう充電の時間に使うということです。これは大事なことです。土、日というのは、たっぷりとした時間がある。ですから、土曜か日曜のどちらかの一日を、たとえば、ボランティア活動ならボランティア活動にする。あるいは、真理の活動なら真理の活動のために費やす。 あるいはまた、他のことでもいい。趣味がある人であれば、たとえば、郊外でいろんな野外観察をする人もいるでしょう。山に登る人もいよう。ヨットに乗る人もいよう。あるいは、旅行をする人もいよう。すべて、結構です。 ただ、主として週二日のうち一日は、充電のために、一日は放電のために、そういうふうに使い分けをすることが、長い目でみて、諸君の人生を最大限に生かしていく道となるはずです。 二日のうち一日は、なるべく人のために奉仕できるような時間としなさい。もう一日は、自分のための時間としなさい。一日たっぷり十時間、十五時間の時間を自分のために使いなさい。そして、残りの一日は、土曜でもいい、日曜でもいい、奉仕のために使いなさい。サラリーマンの多くは、階級が上がり、上役になればなるほど、本当は勉強をし、心を練らねばならんのにもかかわらず、毎週毎週、ゴルフにあけくれておる人もいる。こういう人たちは、非常に哀れなる自分というのを知らねばならぬ。 そういったことでもって、言い訳はきかんのです。ゴルフで一日潰しておってもいいが、やはり、適度な量というのがあるのではないか。まあ、運動ということもいいけれども、毎週毎週、ゴルフというのは考えものですね。土曜も、日曜も、ゴルフ。なかには、重役ゴルフと言って、平日までゴルフをやって、仕事をさぼっておる人もいる。こうした者は、大変に考えものです。 まあゴルフもいいけれども、体のためを思うなら、せいぜい月一回か二回くらいにして、それ以外は、そうしたことではなくて、もっと積極的な、生産的な文化活動でもいい、何でもいいが、もっと価値のある仕事に、自分の時間を振り向けていきなさい。 言い訳はきかんのです。あなた方のゴルフ友だちというのは、あなたが会社をやめたときには、もうつきあいがなくなっていくのです。だから、話相手とはならんのです。ゴルフ場を廻って、あなたはこのホールを何ショットたたきましたかと言ってノートに書いて歩いたところで、そんなものは、何の役にも立たんのです。そうしたところにいつまでもとどまっておってはならん。もっと大切な時間を、自分自身のために使っていきなさい。そういうことですね。 10.自分を磨き、神の光の行軍の戦士となれ まあ、以上で四つほど言いましたが、肝腎なのは、時間を活かすということです。偉人と言われるような人は誰もが、自分の時間、一日二十四時間を活かしきって、人類の光となるように努力していったのです。 諸君もまた、そうした人類の光となって、導きの光となって、世を照らしていこうと決意したのであるならば、自分だけの時間、自分の時間の使い方を決めるのは、自分自身であるはずです。ですから、その自分自身で決めた時間の使い方でもって、自らをより高いところへと向上させていくような、そうしたあなた方であれ。 もちろん、ときには退歩することもあるであろう。ときには坂道を下るようなこともあるであろう。しかし、倦(う)まず弛(たゆ)まず向上心を持って生きていけば、やがて諸君は、また登り坂に入っていくであろう。そのことを忘れてはならんのです。 自らの時間を大切にせよ。無駄にするな。時間は金貨です。あなた方は、もし金貨をドブに捨てて歩いている人を見れば、その者を狂人と言うであろう。しかし、金貨以上に大切な時間をドブに捨てて、血みどろの死体をドブのなかに捨てても、平然としておるではないか。もったいないことです。 わずか数十年の人生です。この三次元にまた出て来るには、諸君は、何百年間の期間を最低限おかねば、出て来れないのです。そうした間、後悔し続けるぐらいならば、今回の人生において、完全な生き方をするように全力をつくして生きていきなさい。 そして、全力をつくして生きていくときに、諸君は本当に、光となることができるのです。諸君は、松明になることができるのです。心のなかに松明を点(とも)せと私は言いました。その松明を灯(とも)すためには、まず、諸君の時間のなかで、諸君自身を光らしていくことです。そこに松明を掲(かか)げていく第一歩があるのです。 この松明の灯を、隣の人へ、次の人へと渡していくことです。やがて世界は、光に満ちてくるでありましょう。漆黒の闇は薄れて、やがて夜が明けてくるように見えるでありましょう。そのときのために、諸君は、自らを磨いていかねばなりません。 諸君は、光の戦士として、神の光の行軍のための戦士として、選ばれた人たちであるのです。どうか自らの使命を忘れず、勇ましく、力強く、生きてゆきなさい。私は、そのことを祈っています。
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諸君 私はBF1942が好きだ 諸君 私はBF1942が好きだ 諸君 私はBF1942が大好きだ ナイフ戦が好きだ 芋虫祭りが好きだ AT祭りが好きだ SRCが好きだ WBCが好きだ 鳥人間コンテストが好きだ 外道プレイが好きだ ガチも好きだ ユルもカオスも好きだ 平原で 街道で 塹壕で 草原で 凍土で 砂漠で 海上で 空中で 泥中で 湿原で このmay鯖で行われる ありとあらゆる戦争行動が大好きだ リキシーが 大量の兵士を 乗せて遊んでいるのを 爆破し吹き飛ばすのが好きだ 裏取りに来た 敵兵を TNTで爆破する様など 心がおどる 対戦車兵の操る ラピッドバスーカが 低スペックマシンを撃破するのが好きだ F6F7しながら 燃えさかる戦車から 飛び出してきた敵兵を MGでなぎ倒した時など 胸がすくような気持ちだった ナイフをそろえた 歩兵の横隊を ジープで JIKOるのが好きだ 狙撃に夢中な 芋虫スナイポの アナルをレイプしている様など 感動すら覚える 敗北主義の 逃亡者が 銃殺されていく様などはもうたまらない 馴れ合いを楽しむ連中が 私のクリックとともに 喘ぎ声を上げるナッターに ばたばたと薙ぎ倒されるのも最高だ 哀れな抵抗者達が 雑多な小火器で 健気にも立ち上がってきたのを 核バズーカが 都市区画ごと木端微塵に粉砕した時など 絶頂すら覚える 醤油差しの対空砲に 滅茶苦茶にされるのが好きだ 愚かな新兵が 敵の潜水艦を発見してしまうのは とてもとても悲しいものだ KAMIKAZEに押し潰されて 殲滅されるのが好きだ ゴブリンに追いまわされ 害虫の様に地べたを這い回るのは 屈辱の極みだ 諸君 私はBF1942を そっそかしいBF1942を望んでいる 諸君 私に付き従うBFあき戦友諸君 君達は一体 何を望んでいる? 初心者が理解に苦しむユルを望むか? 情け容赦のない 糞の様なガチを望むか? わけが わからない なんか皆ニヤニヤしてる アイキャンフライなカオスを望むか? F1F1!! F1F1!! F1F1!! よろしい ならばBF1942だ 我々は満身の力をこめて 今まさに振り下ろさんとするJIKODA だが この暗い闇の底で 数ヶ月もの間 遊び続けて来た我々に ただのBF1942ではもはや足りない!! 変態兵器を!! 奇妙奇天烈な変態兵器をを!! 我らのびいえふちゃんは 生まれたばかりに過ぎない だが諸君は 無職童貞のとしあきだと 私は信仰している ならば我らは諸君と私で 総兵力1人の駄目人間となる 我々を忘却の彼方へと追いやり 眠りこけている連中を叩き起こそう 下の毛をつかんで パンツを引きずり下ろし 尻の穴を開けさせ 思い出させよう 連中に恐怖の味を 思い出させてやる 連中に我々の バイクのホーンの音を思い出させてやる 天と地とのはざまには 奴らの雑学では思いもよらぬカオスがある事を思い出させてやる 駄目人間のBFあきの戦闘団で 虹裏を燃やし尽くしてやる 全変態兵器発動開始 旗艦これじゃないタイタン始動 離床!! 全ワイヤー 全牽引線 解除 「最後の配信 配信あきより 全BFあきへ 敵の鯖あきを発見!」 目標 may鯖 しーぽん…DEMO…気持ちいい!! 第二次世界大戦 状況を開始せよ 征くぞ とっしー
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・「釣りは釣りであると見抜けない人には(valsを使うのは)難しい」 ・諸君 私は釣りが 好きだ 諸君 私は釣りが 好きだ 諸君 私は釣りが 大好きだ ~(めんどいから中略)~ よろしい。ならばValsだ。 ・釣られッたっていいじゃないか。人間だもの ゆいな 倉石先生・・・!!Valsがしたいです・・・
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「諸君、私はです☆すたが好きだ。諸君、私はです☆すたが好きだ。諸君、私はです☆すたが大好きだ。私はです☆すたが大好きだ。私はです☆すたが大好きだ。私はです☆すたが大好きだ。私はです☆すたが大好きだ。私はです☆すたが大好きだ。」 -- (D) 2009-11-16 12 46 31
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大生板で劇空間ペナントレース制覇!! 高学歴イケメンリア充劇ペナ廃人どもの社交場 現行スレ 大生板で劇空間ペナントレース制覇!!~第23期~ http //yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/campus/1316014548/ 避難所 大生板で劇空間ペナントレース制覇!!~第2期~@避難所 http //www.milkcafe.net/test/read.cgi/campus/1295371942/ 新規参加者の増加・定着を目的としています 過去スレからタメになりそうなレスを抽出・まとめていくつもりです 戦績の記録もできれば どなたでも勝手に編集しちゃってください(アカウント daisei-gekipena、パスワード daisei) 諸君 私は連勝が好きだ 諸君 私は連勝が好きだ 諸君 私は連勝が大好きだ 打撃戦が好きだ 投手戦が好きだ 開幕戦が好きだ 最終戦が好きだ 交流戦が好きだ 攻防戦が好きだ 消化戦が好きだ 延長戦が好きだ 総力戦が好きだ 東京で 埼玉で 仙台で 広島で 福岡で 大阪で 千葉で 横浜で 名古屋で 北海道で この球場で行われる ありとあらゆる連勝行動が大好きだ クリーンナップにならべられた主砲の一斉射撃が 轟音と共に敵投手陣を吹き飛ばすのが好きだ 2アウトからの四球で出たランナーが 次の打者のホームランで帰ってきた時など心がおどる 四番の一振りで敵先発を粉砕するのが好きだ 悲鳴を上げて 火消しのマウンドに飛び出してきた中継ぎ陣を 怒涛の連打でなぎ倒した時など胸がすくような気持ちだった 走力を7にそろえた打線の内野安打が 敵の守備陣を翻弄するのが好きだ 恐慌状態の容赦なし持ちが 既に息絶えた敵投手から 何度も何度も打ちまくる様など感動すら覚える 敗北主義の先発陣を好調の中継ぎと入れ替えていく様などはもうたまらない 泣き叫ぶ相手野手陣が 私の降り下ろした手の平とともに 金切り声を上げるバットに エラーを重ねていくのも最高だ 哀れな敗戦処理達が残念な能力で健気にも立ち上がってきたのを 超重量打線の打者一巡の猛攻で木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える 打撃型に投手陣を滅茶苦茶にされるのが好きだ 必死に積み上げてきた貯金が巻き戻しで消えていく様は とてもとても悲しいものだ 守備型の投手力に押し潰されて殲滅されるのが好きだ カモにしていた新規チームに追い越され 害虫の様に地べたを這い回るのは屈辱の極みだ 諸君 私は連勝を 地獄の様な連勝を望んでいる 諸君 私に付き従うチームメイト諸君 君達は一体 何を望んでいる? 更なる連勝を望むか? 情け容赦のない 糞の様な連勝を望むか? 鉄風雷火の限りを尽くし 三千世界の鴉を殺す 嵐の様な連勝を望むか? 「連勝!! 連勝!! 連勝!!」 よろしい ならば連勝だ 我々は満身の力をこめて今まさに振り下ろさんとする握り拳だ だが全試合消化後4日間もの間 堪え続けてきた我々に ただの連勝では もはや足りない!! 大連勝を!! 一心不乱の大連勝を!! 我らはわずかに1チーム 30人に満たぬ敗残兵にすぎない だが諸君は 一騎当千の古強者だと私は信仰している ならば我らは 諸君と私で総兵力440ptと得能50ptの野球チームとなる 我々を二部の彼方へと追いやり 眠りこけている連中を叩き起こそう 髪の毛をつかんで二部へと引きずり降ろし 眼を開けさせ思い出させよう 連中に連敗の味を思い出させてやる 連中に我々のバットの音を思い出させてやる 天と地のはざまには 奴らのパラでは思いもよらない事があることを思い出させてやる 22人の戦闘団で 一部を燃やし尽くしてやる 征くぞ 諸君 アクセスカウンタ 今日 - 合計 -
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学園系ライトノベル 学園系ライトノベルの行く末 学園系ライトノベルの行く末… 「いってきまぁす。」 「いってらっしゃい。」 何て在り来たりな文だ。これでは、この時点で速攻ボツにされるだろう… ――自分は運動能力が0にも等しい程運動神経が無く、テストの成績が国語以外ほとんどダメだという、のび太を中途半端に書いたようなダメ人間だ。そんな自分にも将来の夢を聞かれることはしばしばある。 自分のようなダメ人間が社会に上がるにはどうすればいいか…そこで、自分は国語の成績だけがダントツでいい点に着目した。そこで、国語的な要素が一番生かされる職業はいうまでもなく“小説”である。そこで、自分は国語だけを必死に勉強しながら高校を卒業し、大学にも行かずにそのまま小説家になる事を決意した。 それが自分の過去だ。名前?どうせ誰も覚えてはくれないだろう。だから敢えて名乗らない。 しかし、そんな事よりも小説家になり、学園系のライトノベルを書く上で問題が発生したのだった。それが、“全ての展開が在り来たりになってしまう”というストーリーを製作するに当たって、あってはならない悩みだ。 そして、最初に見せた会話文は主人公の男子生徒が家から出て行くときの会話である。在り来たりな文章だが… こうなればどうすればいいのだろうか?ここはいっそNGにした方が面白いのでは?考えるよりも先に、ペンを持った腕が動く… 「いっきまぁす。」 「いってらっしゃい。」 さて、修正前のセリフをもう1度確認してもらおう。つまり、『before』『after』だ。 「いってきまぁす。」 「いってらっしゃい。」 これを見ている皆は分かるのだろうか?この違いを。“赤字の部分をわざと脱字”してみたのだ。それにより、主人公が軽い少年に… ――…そうか!分かったぞ! 修正後の「いっきまぁす。」というセリフをよくよくと見るのだ。よく分からない人は、「アムロ!いっきまーす!」の「いっきまーす!」の部分…そこを声に出して欲しい。 ――あのセリフは発音的に修正後の「いっきまぁす」と同じではないのか? これで決まりだ。まず、学校に行くには外が常に戦場と化している為に、如何なる手段を使ってでも行かなければ行けない…という風な、どんな時でも極限のスリルが味わう事ができるストーリーに仕上げていこう。 こうして、究極の緊張感が味わえられる学園系のライトノベルができる筈だ… 一ヵ月後…遂に史上最高のライトノベルの原稿が出来上がったのだ。枚数は300程度… そこで、その最高傑作を編集者に渡してから10秒で、その300枚の原稿は300万枚へと綺麗に破られた… ――ああ、自分はなんて愚かな物を出してしまったのだろう… ヴィクトルの演説 諸君 私は合体が好きだ。 造魔合体が好きだ 2身合体が好きだ 魔法継承が好きだ 3身合体が好きだ 合体事故が好きだ 特殊合体が好きだ 御霊合体が好きだ 剣合体が好きだ ホテルで 地下で 船で 邪教の館で ベルベットルームで この地上で行われるありとあらゆる合体行動が好きだ 攻略の御供だった仲魔が 轟音と共に合体されるのが好きだ 力不足になりかけ始めた彼らが 新たな戦力として生まれ変わるのは心が躍る スキルを継承させるのが好きだ パーティーをカジャ使いで埋めてやったときなど 胸がすくような気持ちだった 仲魔を適当に合体させるのが好きだ 勝手に仲魔に加わった悪魔を合体させ その結果思いのほかナイスな結果になった時など感動すら覚える 好きな悪魔に有用スキルを詰め込んで 作成するときなどもうたまらない あえてダーク悪魔を作り ダークフリークとしゃれ込むのも最高だ 合体事故が発生し事故結果がメチャクチャ強い悪魔になった時など 絶頂すら覚える! レベルが足りないのが好きだ 作る予定の悪魔が作れず レベル上げしなければならないというモチベーションの減少は とてもとても悲しいものだ 合体表とのにらめっこが好きだ 目的の種族を作るため 何十分も合体表を目で追うのは屈辱の極みだ 諸君 私は合体を 地獄のような合体を望んでいる 諸君 私に協力を求める 悪魔召還士諸君 君らは一体何を望んでいる? 更なる合体を望むか? 情け容赦のない 素晴らしい合体を望むか? 鉄風雷火の限りを尽くし 三千世界の鴉を殺す 嵐のような合体を望むか?! 合体! 合体! 合体!! よろしい…… な ら ば 合 体 だ 我々は満身の力を込めて 今まさに振り下ろされんとする 握り拳だ…… だがこの閉ざされた空間で 半世紀以上もの間耐え続けてきた我に、 ただの合体ではもはや足りないッ!! 大合体を……! 一心不乱の大合体を!! ……私はわずか一人 単なる悪魔合体士に過ぎない だが諸君は一騎当千の 古強者だと私は断定している!! 我々を忘却の彼方に追いやり 眠りこけている悪魔をたたき起こそう 髪の毛をつかんで引きずり降ろし 眼を開けさせ合体しよう 連中に合体の味を 思い知らせてやる 連中の耳にに合体装置の起動音の音を 刻み込んでやる! 我が居城 業魔殿にて…… 奴らを合体し尽くしてやる という、コピペをしてみた。 ハコキングの演説 諸君 私はゲームが好きだ 諸君 私はゲームが好きだ 諸君 私はゲームが大好きだ アバタールチューナーが好きだ 女神転生が好きだ 世界樹が好きだ マリオが好きだ ゼルダが好きだ メタルギアが好きだ バンカズが好きだ ロックマンが好きだ キングダムハーツが好きだ ファミコンで スーファミで プレステで 64で プレステ2で ゲームキューブで PSPで DSで プレステ3で wiiで この地上で行われる ありとあらゆるゲームが大好きだ メモカを挿したハードのスイッチが 起動音と共に時間を吹き飛ばすのが好きだ 互いに消耗戦となったボス戦が 改心の一撃でばらばらになった時など心がおどる プレイヤーの操るキャラクターの1時間が モンスターを撃破するのが好きだ 悲鳴を上げて 燃えさかるダンジョンから飛び出してきたザコ敵を 通常攻撃でなぎ倒した時など胸がすくような気持ちだった 装備をそろえたキャラクターの後列が ザコの戦列を蹂躙するのが好きだ 暴走状態のキャラクターが 既に息絶えたザコ敵を 何度も何度もオーバーキルしている様など感動すら覚える 敗北主義のザコ敵達を木の枝に吊るし上げていく様などはもうたまらない 泣き叫ぶザコ敵達が 私の降り下ろした剣とともに 爆発音を上げる無属性魔法に ばたばたと薙ぎ倒されるのも最高だ 哀れなザコ敵達が 貧弱な装備品で健気にも立ち上がってきたのを ランチャーのRPG-7 AMMO.が 増援ごと木端微塵に吹き飛んだ時など絶頂すら覚える 突然の強敵軍団に滅茶苦茶にされるのが好きだ 必死にやり込むはずだったゲームがゆとり化され ボス敵が犯され殺されていく様は とてもとても悲しいものだ 人修羅の攻撃に押し潰されて全滅されるのが好きだ ダイアモンド軍団に追いまわされ ギロチンの様に首が飛ばされるのは屈辱の極みだ 諸君 私は対戦を 地獄の様な対戦を望んでいる 諸君 私に付き従う対戦プレイヤー諸君 君達は一体 何を望んでいる? 更なる対戦を望むか? 情け容赦のない 糞の様な対戦を望むか? 鉄風雷火の限りを尽くし 三千世界の鴉を殺す 嵐の様な対戦を望むか 「 対戦!! 対戦!! 対戦!! 」 よろしい ならば対戦だ 我々は満身の力をこめて今まさに振り下ろさんとする握り拳だ だがこの暗い闇の底で半世紀もの間 堪え続けてきた我々に ただの対戦では もはや足りない!! 大乱闘を!! 一心不乱の大乱闘を!! 我らはわずかに一パーティー 千人に満たぬ廃人にすぎない だが諸君は 一騎当千の古強者だと私は信仰している ならば我らは 諸君と私で総資金100万と1人のパーティーとなる 我々をゆとりの彼方へと追いやり ゆとりゲーに飽き飽きしている連中を叩き起こそう 髪の毛をつかんで引きずり降ろし 眼を開けさせ思い出させよう 連中に鬼畜の味を思い出させてやる 連中に我々のバッドエンディングを思い出させてやる 鬼畜とゆとりのはざまには 奴らのプログラム技術では思いもよらないバグがあることを思い出させてやる 一千人のマゾゲーマーのパーティーで ゆとりげーを燃やし尽くしてやる 「最後のプレイヤー パーティーリーダーより全鬼畜ゲーへ」 第二次鬼畜ゲー作戦 プレイを開始せよ やるぞ 諸君 サーフの演説 諸君 私はアバチュが好きだ 諸君 私はアバタールチューナーが好きだ 諸君 私はDigital Devil Saga アバタールチューナーが大好きだ サーフが好きだ ヒートが好きだ アルジラが好きだ ゲイルが好きだ シエロが好きだ ロアルドが好きだ セラが好きだ エンジェルが好きだ セラフが好きだ アサインメンツアジトで メリーベルの縄張りで ソリッドのシタデルで ポイント136で 地下水道で ブルーディッシュキャンプで カルマ協会で 電力プラントで EGG施設で 太陽で このジャンクヤードで行われる ありとあらゆる喰らい合いが大好きだ 戦列をならべたエンブリオンの一斉射撃が轟音と共にホルスを吹き飛ばすのが好きだ 大冷界で凍ったアラハバキがギロチンクロウでばらばらになった時など心がおどる サーフが繰り出すチャージ掛けの終わる世界が敵軍を撃破するのが好きだ マリンカリンを唱えて魅了状態で仲間を殺した悪魔を弱点属性でなぎ倒した時など胸がすくような気持ちだった 物理魔法をそろえた悪魔の横隊が敵の戦列を引き裂くのが好きだ マッド状態の悪魔が既に息絶えた敵兵を何度も何度も屠っている様など感動すら覚える 降参主義のアサインメンツ兵達をに2週目の物理スキルで吊るし上げていく様などはもうたまらない 泣き叫ぶ悪魔達が私の振り下ろしたギロチンクロウとともに金切り声を上げる爪にばたばたと薙ぎ倒されるのも最高だ 哀れな抵抗者達が雑多なスキルで健気にも立ち上がってきたのをメギドラオンが戦闘区画ごと木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える 物理反射のギリメカラ軍曹に滅茶苦茶にされるのが好きだ 必死に守るはずだったドライブが蹂躙されオモイカネが挑発され殺されていく様はとてもとても悲しいものだ 人修羅の地母の晩餐に押し潰されて殲滅されるのが好きだ 運とターン数に追いまわされ害虫の様に地道に仲魔を倒していくのは屈辱の極みだ 諸君 私は喰らい合いを地獄の様な喰らい合いを望んでいる 諸君 私に付き従うエンブリオン諸君 君達は一体何を望んでいる? 更なる喰らい合いを望むか? 情け容赦のない獣の様な喰らい合いを望むか? 氷風雷火の限りを尽くし三千世界の風を反射する嵐の様な喰らい合いを望むか? 『喰人! 喰人! 喰人!』 よろしい ならば喰らい合いだ 我々は渾身の力をこめて今まさに振り降ろさんとする握り拳だ だがこの暗い雨のジャンクヤードで5年間もの間堪え続けてきた我々にただの喰らい合いではもはや足りない!! 喰らい合いを!! 一心不乱の喰らい合いを!! 我らはわずかに一個ドライブ 千人に満たぬ悪魔兵に過ぎない だが諸君は一騎当千の古強者だと私は信仰している ならば我らは諸君と私で総力100万と1人のドライブとなる 我々をジャンクヤードの彼方へと追いやり眠りこけているカルマ協会を叩き起こそう グラサンをつかんで引きずり降ろしEGGに入れさせ思い出させよう 連中にマッド(暴走)の味を思い出させてやる 連中に我々の食事の音を思い出させてやる カルマ協会とジャンクヤードのはざまには奴らの哲学では思いもよらない事があることを思い出させてやる 一千人の悪魔の戦闘団で カルマ協会を燃やし尽くしてやる 「最後の大隊エンブリオンより全悪魔へ」 目標地球本土カルマ協会上空!! 第二次太陽作戦 状況を開始せよ コメント うpしてくれた人あざーす。 -- hakoking (2009-05-14 22 57 35) 名前 コメント
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第四回放送 箱の到着を確認。遂に待ち望んだ箱だ。 少し穴が開いているが問題ない。解れ程度なら片手間にでも繕えるだろう。 蓋が無いが問題はない。トレースは出来ている。 ノイズ甚だ大きいが破砕音確認。 予定通りE5河川中域に分散、流動した蓋を回収開始。 「――――――――――諸君。 この放送もこれで四度目だ。 確認しよう。諸君、目は覚めているかね? 私の声を耳に注ぎ、理解する程度に頭の回転は保たれているかね? さて、いつもならばまず禁止エリアを言うのだが… 今回は先に死亡者の方から発表しようと思う。聞き給え! ユアン!カトリーヌ!ジューダス!リアラ!ダオス!デミテル!ジェイ! スタン=エルロン!ハロルド=ベルセリオス!リッド=ハーシェル! ―――――――――――――――以上10名だ!!」 大層濡れて原型を留めていないが、ひとまず蓋の回収を完遂する。 総重量的に見て多少欠けてしまったが問題ではない。 欠けた部分は補えばいい。埋めればいい。嵌めればいい。 まるでパズルだ、完成が待ち遠しい。 「ククククク…驚いてくれたか?いや、実に済まない事をしたと思っている。 悪気はなかったのだが、どうにも諸君等が驚く顔が見たくなってね? ついこのような悪戯をしてみたくなったのだ。 御蔭で君たちのその狐に摘まれたような表情を堪能できた、感謝と謝罪の意を表しよう。 勿論、これが諸君にとって事実上不意打ちであることは私も承知している。 このような私の享楽の為に諸君が死亡者の名前を聞き逃すというのは、 ゲームを進行する側としてあってはいけないことだ。 もう一度、もう一度だけ、死者の名前を挙げる。次は聞き逃すことの無いようにし給え。 ユアン!カトリーヌ!ジューダス!リアラ!ダオス!デミテル!ジェイ! スタン=エルロン!ハロルド=ベルセリオス!リッド=ハーシェル! ―――――――――――――――以上10名、残り人数は15名だッ!!」 放送内容の順番を入れ替えることにする。 今更効果が有るとは思えないが、先に死亡者を発表すれば 心理的動揺も期待できるだろう。 結界を穿つならば事前の揺さぶりは重要だ。 そして更に布石を打つ。 恐らくもう首輪の機構が露見している可能性が高い。 そこで逆に監視の可能性を嘯いておく。 そもそも彼らに監視が無いことを証明する手段は無いのだ。 「やはり盗聴だけではなく監視もあるかも知れない」 そう疑うだけで呪詛は確実に発症する。 鵜呑にしようが嘘と決めつけようが、逃れられない。 真綿で首を絞めるように、檻を編む。 「ククククク…実に、実に素晴らしい!! まったく殺人速度は落ちていない!寧ろ早いくらいじゃないか! その熱意に免じて諸君等に教えてあげよう。 現在3.67…およそ3.67!この数字は、とある倍率なのだが… 諸君らは、開始直後に比べて実に3.76倍、優勝する確率を持っている! 最初は思っていたはずだ…1÷55…単純に考えても優勝出来る可能性は 2%無いと、不可能だと、自分を騙してきたのではないかね? しかしだ、現実…実際問題としてその可能性は1人当たり6.7%にまで上がっている。 まだまだ少ない、希望と言うには足りないと思うかも知れん…しかし。 ここから先、1人死ぬたびにその倍率の増加速度は爆発的に伸びていく! これは妄信で虚言でもない…数理的論理だ!! さらに言うならばだ。このゲームが55人が一斉に走り出す…徒競走だとしたならば、 もう君たちは既に全行程の七割を踏破している。これは推論ですらない。結果だ。 苦しいと思うかも知れん…辞めたいと思うかも知れん…だが、理解し給え。 既に引き返すべきスタート地点は遥か遠くだと言うことを、 進むべきゴールは、優勝は目の前だ。そう考えた方が楽…且つ現実的だ。 尤も…この夜の死者は10人。私の予想ではもう少しペースが落ちるかと思っていたが、 依然としてゲームは脈々と進行している。この事実が示すのは1つ。 つまりは、私がそんなことを言うまでもなく、 諸君等の意志は…厳密に言うならその集合的な意志、本能はこのゲームを理解している。 私の気休め程度の言葉など要らぬ杞憂、余計なお節介だ。 実に諸君等の滾る本能に水を差すようで申し訳ない。 諸君等は既に殺し合いをさせられているのではなく…殺し合いをしているのだから。 もはや私に出来ることと言えばもはや君たちの背中を、ほんの少し押してやる位しかない」 念を押して今一度戦いを呼びかけることにする。 詭弁ではあるが間違ってはいないので嫌がらせ程度にはなるだろう。 少しでも信念が揺らげばそれを修正するのに更に労力を使わせることが出来る。 いや、ここでは嘘も本当も同じ事だ。私のように。 嫌がらせの本命はここからだ。 「さて以降12時間の禁止エリアを発表する。私に残された最後の権利だ。 09 00…F5! 12 00…D4! 15 00…C5! 18 00…B3! 以上4箇所、これより三時間置きに封鎖する!」 予定が早まったが事前に準備しておいた結界を張る。 ここまでで心を揺さぶった上での封印だ。 参加者の位置を掌握していなければ、こんな馬鹿げた檻は無い。 ゲームを運行する側としてこれは有ってはならない采配なのだ。 だが、直ぐに全員がその理解に辿り着くだろう。 ‘これは参加者の位置を把握していなければ有得ない’ということを。 其処に気付くまでこの狂い染みた暴牌に無用な思考を迫られる。 其処に気付いたとしても、首輪に対して更に疑心を生む。 「位置把握しているのなら監視もしているんじゃないか」 そうして要らぬ消耗を呼ぶ。脳髄の中で勝手に踊る。最高の嫌がらせだ。 それに、ここまでに築いた土塊は40、スカスカだ、余白は不快だ。 敷き詰めてやった方が良い。スムーズに進む。 万が一誰かが残されたとしても問題は無い。 それもまた檻だ。檻の中で一日悶えて死ねばいい。 結末を選り好みする必要はもう無いのだから。 全てを、何もかもを愉しむだけで良い。 「この48時間を切り抜けてきた一騎当千の諸君等ならば、この意味が分かるだろう。 私はこの権利を最大限に行使しようと思う。 諸君等の意志、殺意を尊重、応援しようと思う。 諸君等もまた…私のこの思いを受け取って欲しい」 「退くな。迷うな。選ぶな」 ぐふふふ 「諸君等が居るべき戦場は‘そちら’だ‘あちら’ではない」 ぐふふ 「悩むことはない!進め!殺せ!諸君等はそちらにいて良い!」 くふふふふ 「さあ三度目の太陽だ!命を賭せ!そして掴み取れ!これにて放送を終了するッ!!」 ぴったり入る。みっしり詰まる。 全部嘘、皆呪い、全て幻。 虚構が世界に充満する。 精霊王は自身の法に束縛され、 破壊神は見事セイファートを打ち破り、 滄我の代行者は毒牙に掛かった。 用済みになった鬼札などもはやどうでも良い。 ああ、もうすぐだ。 嘘が誓いに、呪いが絆に、幻が約束に変わる。 筺の修繕が終わるまで、日出から日没までの一抹の夢。 其処で私は終わっている。 前 次
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377: 名無しさん (アウアウ 566a-d975) :2019/07/06(土) 01 16 09 ID NYv0AbVgSa 諸君、私はアライちゃんが好きだ 諸君、私はアライちゃんが好きだ 諸君、私はアライちゃんが大好きだ のりゃ?と言うのが好きだ ヨチヨチ歩いて来るアライちゃんには愛らしさをかんじる 精一杯の威嚇をするアライちゃんが私は好きだ 諸君、私は母親のアライさんが世界で一番強いと思っているアライちゃんが好きだ そんなアライちゃんの目の前でアライさんを滅茶苦茶にするのが好きだ 端正込めて育てた作物がアライちゃん達に食い荒らされるのはとても悲しいものだ 「おかーしゃんを助けるのりゃー!」とヨチヨチ近づいてくるアライちゃん達に火のつけた爆竹を放つのは心がおどる! パニックになり逃げ惑うアライちゃん達を一匹一匹毛皮を剥いでいくのは心が満たされていく アライちゃん達が命乞いの尻尾のダンスを無下にして殺していくのはタマラない! 肌かにされ唯一残った尻尾と耳を死守するアライちゃんに対し両方をハサミで切り落とすのは絶頂すら覚える! 家族愛が強いアライさん一家が好きだ! そんな一家に4日程絶食させるのが好きだ! 共食いしないよう耐えているアライさん一家が大好きだ! そんなアライさん一家のアライさんをケモプラズムやサンドスターを無理矢理消費させ元のアライグマに戻すのが好きだ! 元のアライグマに戻り空腹を満たすためアライちゃんを捕食する姿には絶頂すら覚える! 諸君、私は妊娠しているアライさんが好きだ 未来の我が子を想像し未来に思い巡らすアライさんが好きだ そんなアライさんに無理矢理貞操帯をつけ出産出来なくさせるのが好きだ お腹がパンパンに膨れ上がり苦しそうなアライさんを見るのが好きだ 子供が産めなくて死ぬアライさんが好きだ! 両手両足を切断され這いつくばる事しか出来ないアライちゃんが好きだ そんなアライちゃんが悲しく泣いているのを見るのが好きだ 私はこの世で行われるあらゆるアラ虐が大好きだ このアラ虐まとめwikiに集う同士諸君! 君達はどんなアラ虐が好きかね? なんとなくヘルシング風にしてみた(うろ覚え) ※このページは、『アライさんアンチスレ避難所』様にあるアライさん、コバエさんなりきり用のスレッド『アライちゃんのおうち』をまとめたものです。 【アライちゃんのおうち】シリーズへ戻る
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諸君、私はゆっくり虐待が好きだ 諸君、私はゆっくり虐待が好きだ 諸君、私はゆっくり虐待大好きだ 鞭が好きだ 棍棒が好きだ 水攻めが好きだ 言葉攻めが好きだ 切断するのが好きだ 神社で 加工所で 空中で 野菜畑で 平原で 太陽畑で 竹林で 実験室で この幻想郷で行われるありとあらゆるゆっくりの虐待行動が大好きだ 列を並べたゆっくりを弾幕の一斉発射がピチューン音と共にゆっくり吹き飛ばすのが好きだ 空中高く放り上げられたゆっくりが弾幕の効力射でばらばらになった時など心がおどる ハンターの操る河童製の88mm(アハトアハト)がドスゆっくりを撃破するのが好きだ 悲鳴を上げて群れから飛び出してきたゆっくりを弾幕でなぎ倒した時など胸がすくうような気持ちだった ペニペニを勃起させたゆっくりアリスの横隊がゆっくりの群れを蹂躙するのが好きだ 恐慌状態のちびゆっくりが既に息絶えたゆっくりアリスを何度も何度も食いちぎっている様など感動すら覚える 敗北主義の逃亡ゆっくり達を木の上につるし上げていく様などもうたまらない 泣き叫ぶゆっくり達が私の振る下ろした手の平とともに 金切り声をあげるシュマイザーにグチャグチャと薙ぎ払われるのも最高だ 哀れなゆっくり達が雑多な棒切れで健気にも立ち上がってきたのを 夢見のICBMミミちゃんが森一区画ごと木端微塵に粉砕したとき等絶頂すら覚える ゆっくりの家族に家を滅茶苦茶にされるのが好きだ 必死に守るはずの田畑が蹂躙され、作物達が食い散らかされていく様はとてもとても悲しいものだ ドスゆっくりの体重に押し潰されてゆっくりさせられるのが好きだ ゆっくれみりゃに追い回され、害虫の様に地べたを這い回るのは屈辱の極みだ 諸君 私はゆっくり虐殺を地獄のような虐待を望んでいる 諸君、加虐衝動に付き従う虐待お兄さん諸君 君達は一体何を望んでいる? 更なる虐待を望むか? 情け容赦ない糞のような虐待を望むか? 虐待虐殺の限りを尽くし、千年生きた記者を泣かす。嵐のような虐待を望むか? よろしい、ならば虐待だ 我々は満身の力を込めて振り下ろさんとする握り拳だ だがこの60スレもの間虐待し続けてきた我々に ただの虐待ではもはや足りない!? 大虐待を!! 一心不乱の大虐待を!! このSSに感想を付ける