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アメリカ ● 新保守主義(アメリカ合衆国)〔Wikipedia〕 ネオコンを支えているのは共和党の親イスラエル(シオニズム)政策を支持するアメリカ国内在住のユダヤ(イスラエル)・ロビーである。アメリカのユダヤ系市民はアメリカの総人口3億人に対して600万人に満たないが、その内富裕層の割合が多くアメリカの国防・安全保障政策に深く関わっている。歴史的に数多くの差別を受けてきた経緯からかつてはリベラル派の民主党支持者が多かったが、民主党のビル・クリントン政権が進めた中東政策に対する不満から、共和党に鞍替えしている有権者が多い。共和党の掲げる中東の民主化政策が結果的にはイスラエルを利することになるからである。また、同時にイスラエルの右派政党リクード党も共和党と利害が一致しているため手を結ぶことが多い。このような経緯から、2001年に登場した共和党ジョージ・W・ブッシュ政権には数多くのネオコンが参入しており、同時多発テロ以降の強硬政策を推し進めた。 ※ ネオコンの正体は共産主義者である グローバリスト、リベラルと同じ無国境主義者である。 ●参考 新保守主義〔Wikipedia〕 1980年代からアメリカやイギリスなどで、1970年代の社会民主主義や自由主義に代わり誕生した。アメリカのレーガン、イギリスのサッチャー、日本の中曽根康弘が新保守主義の代表的政権の例として言及される。 ☆■ 検索結果:ネオコン>虚空と君のあいだに 【ネオコン】 ■ ウクライナ政変はアメリカの反オバマ勢力が仕掛けた 「ジャパン・ハンドラーズと合理的選択(2014.3.26)」より (※ あちこち大幅に略、詳細はブログ記事で) / スヴォボダの有力メンバーは、ドイツ・ナチス政権の情報宣伝大臣だったジョゼフ・ゲッペルスの名前を冠したシンクタンクを設立するなど、今でもナチス思想にどっぷり浸かっている。こういうことはなぜか日本のメディアはほとんど報道しない。 問題は、このネオナチ政党のスヴォボダとアメリカの関わりである。電話音声をユーチューブにアップロードされた欧米当局者はアシュトンだけではなく、実は もう一人、ヴィクトリア・ヌーランド国務次官補(欧州・ユーラシア担当)がいた。この4分間の電話の相手は米国の駐ウクライナ大使である。 / この政変がウクライナ国内だけの 要因で起こったのではないことは、前後の状況を見ればわかる。ヌーランド国務次官補は12月にウクライナを訪問し、スヴォボダのチャフニボク党首や、ヤ ツェニュク、クリチコとも面会した写真が残っている。それと前後して、米国のネオコン派のジョン・マケイン上院議員もまた、わざわざウクライナを訪れ、ク リチコ以外と面会した写真が残っている。ヌーランド国務次官補はオバマ政権の高官でもあるが、元々はブッシュ前政権ではチェイニー副大統領のアドバイザー だった。つまりはネオコン派である。 / 今回も暗躍したとみられるネオコン派は民主党政権末期になると、むっくりと息を吹き返す。ブッシュ政権一期目はネオコ ンの時代だったが、その兆しはクリントン政権2期目にはもう伺えた。もともとネオコンの出現はカーター政権の外交政策にがっかりした軍産複合体が準備した ものだ。オバマの師匠ともいうべきカーターは一期で大統領を退いたが、オバマは二期目を迎えた。それだけネオコン派がアフガン・イラク戦争で負った痛手が 深いということだが、それでも死に絶えていない。 そういう形で、今回のウクライナ政変は仕掛けられていたということを理解していただきたい。オ バマ大統領などは所詮は飾りに過ぎない。米国の主要産業は、金融、エンタメ、そして軍需である。特に米国自体が今後しばらくは直接は戦争に関わっていけな くなる以上、地域の同盟国や関係国に武器を買わせるほかはない。 ■ ネオコン 「隠された真実」より / 1981年 ロナルド・レーガンが米国大統領になると、ネオコンが政権内に入り込み、その影響力が強まる。 ネオコントはNeo conservatism、つまり新保守主義者という意味だが、これまでの保守主義が経済政策は産業保護、社会政策は伝統主義だったのに対して、経済政策は自由主義、社会政策は伝統主義というのが新保守主義と言われる。 このネオコンは軍産複合体と結託して、攻撃的・好戦的なタカ派を形成していく。 + 続き アメリカ新世紀プロジェクトは、1997年に結成されたシンクタンクで、次のような基本提案に専心すると宣言している。 •米国が指導力を発揮することは、米国にも世界にも良い。 •このリーダーシップには、軍事力、外交、エネルギーおよび道徳原理への関心が必要とされている。 •今日の政治的指導者のほとんどは国際的指導力を主張していない。 •それゆえ、米国政府は、軍事力を含めて使えるすべての手段によって、揺るがない優勢を獲得するために、その軍事優位および経済優位を十分に利用すべきだ。 PNACは、9・11事件の1年前、2000年9月にアメリカ防衛再建計画というものを公表している。そこには「アメリカの防衛体制は新しい真珠湾攻撃のような破滅的な出来事抜きには、その再建のプロセスは長期間を要するものになるであろう」と書かれていた。 PNACのメンバーを見てみる。役職は当時のもの。 •アービング・クリストル(アメリカン・エンタープライズ研究所創設者) •リチャード・チェイニー副大統領 •ドナルド・ラムズフェルド国防長官 •ポール・ウォルフォウィッツ国防副長官 •リチャード・アーミテージ国務副長官 •ジョン・ボルトン国務次官 •ダグラス・ファイス国防次官 •エリオット・エイブラムズ国家安全保障会議上級部長 •リチャード・パール前国防政策委員会委員長 •ルイス・リビー副大統領首席補佐官 •デーヴィッド・フラム(大統領のスピーチライター) •アリ・フライシャー(ホワイトハウス報道官) •ジェブ・ブッシュ(ブッシュ大統領の弟)他多数 アービング・クリストルはネオコンのゴッド・ファザーと呼ばれる人物で元トロツキストである。トロツキストとはトロツキーの永続革命論を信奉する国際共産主義者だが、思想転換してネオコンになったといわれている。クリストルはネオコンの牙城といわれるシンクタンク「アメリカン・エンタープライズ研究所」の創設者で、この設立に資金提供したのがロスチャイルド社のアーウィン・ステルザーである(『アメリカの保守本流』による)。 リチャード・チェイニーは実質的なブッシュ政権の支配者で、奥さんもアメリカン・エンタープライズ研究所の幹部を務めている。 その他、ブッシュ政権を動かす錚々たるメンバーが名を連ねている。 強硬派シオニストのうち、在米の集団がネオコン、在イスラエルの集団が右派政権リクードであるとも考えられる。したがって、ネオコンも根っこはファシストでありテロリストと言っても過言ではないであろう。 イスラエル右派の在米ロビー団体であるアメリカ・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)が圧力をかけ、ネオコンを政権に送り込んだ。 AIPACは、今一番影響力を持っていると言われるイスラエル・ロビーで、各議員の投票行動を子細に監視し、反イスラエル的と思われる議員を、次の選挙で対抗馬をぶつけ落選させたり、スキャンダルをマスコミにリークして追い詰めたりなどして議員をコントロールしている。 9・11事件とともにネオコン的な戦略がブッシュ政権内で圧倒的な主流となり、イスラエルの脅威となるイラクとイランを武力で潰すネオコンの「中東民主化戦略」が展開され出した。 このネオコン的な戦略を理解する上で重要なのが、ネオコンの思想的源流と呼ばれる政治哲学者のレオ・シュトラウスである。 ドイツ生まれで、ナチスの迫害を逃れるためアメリカへ逃げてきたシュトラウスは、シカゴ大学で20年間にわたり政治哲学の講義を行って来た。 シュトラウスは、「大衆は物分かりが悪いので、真実は饒舌な嘘をつける一部のエリートによって管理されるべきものだ。民主主義は、脆いながらも無知な一般人の愛国心と信仰心によって守られている。軍事国家だけが人の中にある攻撃性を抑制することができる。国民の多くが自己陶酔し、快楽主義者になっている今、国民を変える方法としては“自分の国のために死んでもいい”と思わせる事が最良の方法である。こうした愛国心は、外部からの脅威にさらされる必要があり、もしないならば作り出せばいい。言うことを聞かせやすい国民を維持するため、宗教をツールとして利用せよ。」 というようなことを説いてきた。 この考え方はロスチャイルドの世界革命行動計画④と通じるものがあると思われる。 〈④最終目的に到達するためには、ありとあらゆる手段を正当化できる。率直さや正直さといった国民としての立派な資質は政治に支障をきたすから、支配者となろうとする者は狡賢さ、欺瞞に訴えなければならない〉 世界を不幸にする経済政策 ネオコンの経済政策である新自由主義を提唱してきたのが、シュトラウスと同じシカゴ大学の教授ミルトン・フリードマンである。 ノーベル経済学賞受賞者であるミルトン・フリードマンは「自由主義の元祖」とか「構造改革の元祖」と呼ばれてきた。そのフリードマンが1962年に出版した『資本主義と自由』という本には、廃止すべき政策として次のものが挙げられている。 •農産品の政府による買取り保証価格制度 •輸入関税または輸出制限 •産出規制 •家賃統制、全面的な物価・賃金統制 •法定の最低賃金や価格上限 •細部にわたる産業規制 •連邦通信委員会によるラジオとテレビの規制 •現行の社会保障制度 •特定事業・職業の免許制度 •公営住宅 •平時の徴兵制 •国立公園 •営利目的での郵便事業の法的廃止 •公営の有料道路 シュトラウスが政治学のシカゴ学派、フリードマンが経済学のシカゴ学派ですが、現在、世界を振り回している理論が両方ともロックフェラーのシカゴ大学から出ているというのは、どうも偶然としては出来過ぎな感じがぬぐい去れない。 .
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冥(くら)い血統アンビリバレンス SR 闇文明 (7) 進化クリーチャー:エイリアン 12000 ■進化-自分の《血流》と名のつくクリーチャー1体の上に置く。 ■呪体(バトルゾーンにこのクリーチャーと同じコストを持つクリーチャーがいる限り、このクリーチャーをバトルゾーンに出すことができない。また、このクリーチャーがバトルゾーンにいる限り、すべてのプレイヤーはこのクリーチャーと同じコストを持つクリーチャーをバトルゾーンに出すことができない) ■各ターンのはじめに、数字を2つ選ぶ。そのターン、相手は選ばれた数字と同じコストを持つクリーチャーをバトルゾーンに出すことができない。 ■相手が呪文を唱える時、その効果を実行するかわりにその呪文と同じコストを持つカードを1枚、手札から捨ててもよい。 ■T・ブレイカー いよいよ生まれた「血流」の進化。 クリーチャーと呪文に対してのロックのような効果を持っています。 種族は何のシナジーも感じられないエイリアン。 ストーリー上では過去に抹殺されてきた「血流」達の怨念が集って誕生。 抑制された本能を剥き出しにして暴れまわりますが、その姿は醜悪そのもの。「血流」の残存勢力の中でも戦闘に疑問を抱く者まで出てきました。 イラストはまんまタタリガミ。 作者:仙人掌 フレーバーテキスト あいつがオイラ達が意地悪し続けたことの報いなんだな… -獣の住人 収録 DMMS-03「血流編 第3弾 常世の扉にて(ワールド・シェイカー)」 評価 名前 コメント
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平和主義国最大の労働者組織である平和主義国労働組合連盟(平労連)を支持基盤に持つ最大野党。派閥争いが激しくしばしば内部で問題が発生しており、平労連に加盟する労組の中には失望して他の野党を支持する労組が少なくない。 近年は党首に穏健で派閥争いとは無縁だった本田氏が就任して争いは沈静化していたが、08年12月の党大会で主導権獲得を狙う安田派が本田党首の解任案を提出し、党内の争いが再び活発化した。本田党首の解任案は安田派に強行採決され、安田派から党首が起用された。安田派と他の派閥の勢力争いで党内の混乱を嫌う中堅・若手議員らが本田党首を中心にして新党民主会議を結成した。またその後の役員人事では他派閥の議員が役員就任を拒否し安田派のみで構成された。その後、安田派と他派閥の会談で無派閥の植木氏を党首に起用し党の融和を図ることを決定したが、他のポストへの他派閥議員登用を否定するなどしたため混乱が続き、植木氏は緊急党大会を開き09年3月に党の解党を決定した。解党後は安田派が党本部等を受け継ぎ民主改革党を結成し、他の派閥・無派閥議員は改革推進党を結成した。 概要 代表者 植木十二朗(党首・無派閥) 副代表者 亀岡 吉雄(幹事長・安田派) 成立年月日 1959年4月1日 本部所在地 〒000-0000 新都府水田区4丁目5-20 衆議院議員数 94人 参議院議員数 34人 党員・党友数 約79万人 政治的思想・立場 中道・自由主義・平和主義 機関紙 民主労働日報 シンボル 主な党役員 党首 吉村 良伸 幹事長 亀岡 吉雄 副幹事長 森 京介 政策調査会長・選挙委員長 鳥羽 隆一郎 国会対策委員長 杉村 道子 派閥 派閥名 代表者 人員 備考 中央政治研究会(安田派) 安田友一 47人 ベテラン議員中心で構成されている。 改革連盟(福田派) 福田竜太郎 40人 旧社会改革党の議員が多い。 21世紀連合(堀内派) 堀内佑介 22人 平和自由党との関係が深い議員が多い。与党との連立政権樹立に積極的。 労働福祉会(旧村下派) 空席 0人 民主会議に合流 改革断行会(武田・金村派) 武田順三・金村俊 11人 構造改革を強く主張している。 会議の会(旧佐伯グループ) 二階堂滋 5人 無所属出身の議員が多い。 新しい力グループ(旧池田派) 道川 道彦 2人 中堅・若手議員が多い。 そのほか、無派閥7人。
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(1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(communitarianismの項)より全文翻訳 ①政治生活の実行、②政治制度の分析・評価、③人間のアイディンティティと安寧幸福の理解、に関する共同体(community)の重要性を強調する政治・社会思想。 共同体主義は1980-90年代に、ジョン・ロールズ等の思想家による理論的リベラリズムに対する明白な反対思想として興起した。 共同体主義者によれば、リベラリズムは非現実的なほどに原子化した抽象的個人という概念に寄りかかっており、また自由と自律といった個人的価値に余りにも重要性を置き過ぎている。 共同体主義の主要な代表者には、アミタイ・エツィオーニ、マイケル・サンデル、チャールズ・ティーラーが含まれる。 なお、集産主義を参照のこと。 (2) オックスフォード英語事典(communitarianismの項)より抜粋翻訳 1 小規模な自治的共同体に基礎を置く、社会組織に関する理論または制度。 2 共同体に対する個人の責任と、家族という単位の社会的な重要性を強調するイデオロギー・ ※コリンズ-コウビルド英語辞典には項目なし。 このように、正確な定義でのコミュニタリアニズムは、 (1) 歴史的に育まれた共同体に根付く価値観を正当に評価し維持発展させようと希求する思想であることから「右派」の「伝統保守」に近いといえる(そのために、これこそが真の保守主義であるとする誤認識を招いた)が、 (2) その姿勢は、個人の自由意志を軽視して、集産主義(左派の根本的思想の一つ)につながる傾向が強いこと から、やはり右派・左派のどちらにも分類できない「中間派」とするのが、最も適切である。 参考サイト オピニオン●保守と日本精神(細川和彦氏サイト) ※共同体主義こそ真の日本的保守主義と主張するサイトです。 ※当サイトと同様に、保守/リベラル/右翼/左翼などの政治思想・概念の定義づけと分類・整理を行っており、当サイトの考え方との差異を考察していくと色々と参考になるサイトです。
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09年に結成された政党。民主労働党の解党後、安田派を除く会派が結成した。 概要 代表者 福田竜太郎(党代表・旧福田派) 副代表者 大垣 裕子(幹事長・旧堀内派) 成立年月日 2009年3月27日 本部所在地 〒000-0000 新都府水田区7丁目2-8 帝京生命沖野ビル 衆議院議員数 49人 参議院議員数 31人 党員・党友数 約52万人 政治的思想・立場 中道・自由主義・平和主義 機関紙 シンボル 主な党役員 党首 福田 竜太郎 幹事長 大垣 裕子 副幹事長 武田 順三 岸 進 政策調査会長 三川 太郎 国会対策委員長 堀田 平吉 選挙対策委員長 伊井 政治 最高顧問 松島 勇
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【拝金主義】新堂 清志 カード名 拝金主義 キャラ名 新堂 清志 レアリティ R 所属 九条 リーダースキル なし スキル 法外請求 輪形範囲内のピースを消す!
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The New Order 国家カトリック主義 アイコン編集 英名 National Catholicism 別名 登場作品 The New Order 上位イデオロギー 専制主義 主要なイデオローグ 国政と宗教との交わりは、国政と宗教が存在する限り常にあり続けてきた。太古の昔から、現世と霊界は表裏一体となっているばかりではなく、お互いに混じりあい、言い尽くせないほど深い影響を与えあってきたのである。現代においても、それはカトリック信仰の置かれている状況と何ら変わらない。 国家カトリック主義者は、伝統的なカトリックの価値観に則って国家を運営することが最善であると固く信じており、その主張は一般に権威主義的でかなり保守的になる。伝統の遵守や価値観の維持は、奨励されるべきというより、厳格な遵守を強制されるべきものなのだ。この考えは、他の政治的カトリック教徒と乖離したものである。 国家カトリック主義者は、神権政のように直接信仰の手に指導を委ねるのではなく、より効果的に法を執行できる他の統治機構との協力を推し進めるのが一般的である。全てではないが、通常国家カトリック主義政権の指導を担うのは軍である。特に、カトリックが国の支配的宗教であり、したがって軍でも支配的な場合はそうだ。もちろん、退廃、堕落、無秩序への逆行を防ぐため、それは必要なことなのである。 (TNO日本語化Modより引用)
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国名/月影社会主義帝国 The Tsukikage Empire of Soc ialism 首都/民京都 国家元首/人徳皇帝(本名:良子) 副元首/衆望前帝(本名:晴心(はるこ)、前皇帝) 行政府の長/行政府総理大臣 現任者:田ノ原省吾 立法府の長/政務院議長 市民院議長 司法府の長/人民最高裁判所長官 通貨/園 Yien 国旗/国章旗(白地に赤い星) 地理/(工事中) 政治/ 科学的社会主義を基調とした立憲君主制民主主義国家である。皇帝は儀礼的な権限のみを有する。人民は公私ともに最大限の人権尊重が保障される。 中選挙区比例代表並立制で選出される人民国会(政務院、市民院からなる)が国家権力の最高機関とされ、その議員から選出される行政府総理大臣が率いる内閣が行政権を行使する。複数政党制度、政権交代制度が憲法に規定されているが、経済活動の民主的な規制などは維持される。 現在の与党は明政党、国民自由党、新党革新、保守クラブ、民主進歩党の保守系連合政府。最大野党は憲政党。以下、月影共産党、政策一新党、社会主義統一党などがあり、一新党を除く野党が協力して政権交代を目指す。 地方自治体としては都道府県、市町村があり、直接選挙で住民に選ばれた首長がいる。地方議会は原則ボランティアとされ、全会議が公開される。 国政、地方政治ともに供託金は廃止されているが、政党所属の候補には予備選挙による公認と対話集会を、無所属候補には統一宣伝行動(立会演説会)による住民との対話が義務付けられている。 警察・検察の取り調べは全て可視化され、原則弁護士を被疑者の段階から取り調べに立ち会わせなければならない。 青少年、女性の権利をその特質にあわせて守ることが制度化されている。 また、北部山岳地帯に住む獣人・ラシニア人には一定の自治権が認められており、ラシニア社会民政府が置かれている。同政府のトップ・自治主席はラシニア人の直接選挙で選出される。 ラシニア人は俗にたぬき人間とも呼ばれ、のんびり屋で人懐っこく、攻撃性が無いことで有名。そのかわり身体能力に優れ、北部の油田・炭鉱地帯での主力労働者である。 近年はヒトとラシニア人の交雑も進んでいる。 軍事/ 国軍として国土警備軍を保有。陸軍、海軍、空軍からなり、ほかに原則非武装の国際救援隊、災害救助隊を有する。 軍の最高指揮権は総理大臣にあり、人民国会の統制に服する。監督官庁として保安省が置かれ、統帥(作戦立案)機関として国防計画本部を置く。統合総長、陸軍参謀総長、海軍作戦部総長、空軍幕僚長が各軍のトップである。救援隊、救助隊は1人の平和総監がトップである。 憲法により領土領海を超えての活動が禁止されている国土警備軍の武装は、小型艦船、軽戦闘機、装甲車などが主である。他国領土は侵さないが、侵攻された場合の撃破を想定する。 軍将校の養成機関としては国防幼年学校(全軍統一)、国防士官学校(陸軍)、国防海軍兵学校、航空士官学校(空軍)、平和幹部学校(救援隊、救助隊)などがある。 軍職員は徴兵制を採らず志願制であり、セクハラ・パワハラなどに備え抗命権が認められ、軍人権ホットラインなどの人権擁護機関もある。 ラシニア人独自の軍事組織である警察保安隊も存在する。通常はノンリーサルウエポン(非殺傷性兵器)や拳銃で武装し、有事の際は国土警備軍の指揮下で後方支援にあたる。 歴史/(工事中) 文化/(工事中) 宗教/ 釈法教、神統教などが主にあるほか、各種新興宗教団体がある。国による宗教活動は禁止され、宗教団体による政治活動にも制限がある。
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《ブルー・ドラゴンの血統》[ドラゴンの末裔]Blue Dragon Lineage 君は祖先のブルー・ドラゴンのパワーを制御する方法を学び、電光の球体を投げつけることができる。 前提条件: 《ドラゴンの末裔:ブルー》、ソーサラー3レベル。 利益: 1標準アクションとして、君は秘術呪文スロット1つを、呪文レベルに等しい数の電光球に変換することができ、それは即座に君が狙った目標に向かって飛んでいく。それぞれの球体は30フィートの距離を持ち、命中させるのに遠隔接触攻撃を必要とする。命中したなら、各球体は1d6+君の【魅力】修正値に等しい[電気]ダメージを与える。君は距離の範囲にいる任意の目標に対して任意の数の球体を向けることができ、望むならそれらのすべてを同じ目標に向けることもできる。 ドラゴンの末裔特技 ドラゴンの末裔特技は、ソーサラーにドラゴンの祖先の血脈に由来する能力を与えるための選択肢として、『秘術大全』で紹介されたものである。この本ではドラゴンの末裔特技の幅を拡張し、またドラゴンの血筋を引く他のキャラクターにもいくつかのドラゴンの末裔特技の前提条件を満たすことができるようにするものである(そうした特技すべてについて、彼らが最初に《ドラゴンタッチト》の特技を修得することで条件を満たすことができる)。 ドラゴンの末裔特技は、クリーチャーを根本的に異なる存在に変えるものではないが、彼らにある種の能力を与えたり、潜在能力を開花させたりすることができる。原点となるドラゴンの末裔特技、《ドラゴンの末裔》は、『Races of the Dragon』において若干の変更が加えられたが、その変更版をここに再録している。 出典: 『Dragon Magic』p.15 関連項目 特技
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啓蒙主義の歴史記述 ビュフォン 代表的著作『自然誌』およびその補遺のなかで機械論的自然観に基づいて地球の自然史を記述した。彼は人間の歴史と自然史を区別し、聖書に基づく従来の歴史記述との矛盾を極力回避しようと試みた。彼は地球がやがて冷却してあらゆる生物が死滅すると述べたが、これも従来の終末、神の救済へと至るキリスト教の歴史観とは異なるものであった。彼の地球科学理論は極めて思弁的であったが、その著作が広く読まれ、自然史と人類史との分離を定着させた功績は偉大である。このような特徴は地理学や歴史学、生物学、地質学など記述的な面の比重が大きい科学研究分野での啓蒙思想の影響をよく示している ここでは啓蒙主義?の歴史記述について解説する。 特徴啓蒙思想の歴史意識 普遍史 聖書批判 近代的年代学 啓蒙主義の歴史記述古典古代 歴史的展開事実の把握、その個別化ベール ライプニッツ 目的論の拒否ヴォルテール ヒューム 構造の把握、同時代への批判モンテスキュー ルソー 進歩史観コンドルセ そしてロマン主義へヘルダー 啓蒙主義的歴史研究の限界ヨーロッパ中心史観 中世史の欠如 歴史事実と歴史概念の背理 参考文献 使用条件など 特徴 西洋における歴史記述は啓蒙時代に大きく前進し、今日の科学的世界史成立における重要な契機をこの時代におくことができる。啓蒙主義を「非歴史的である」と批判したロマン主義?の主張はこの点適正を欠いている。啓蒙主義の歴史学は、史料から客観的な方法で歴史事実を明らかにする視点に乏しいという意味で批判されるべき性格を持っているが、検証可能という意味で客観的な歴史法則・歴史的展開を記そうとしている点は科学的であったと評価できる。啓蒙主義の歴史学は個別的事実の把握とその客観的な整合性の把握においてはいまだ不徹底さの中にあったといえるが、人類史の記述方法について合理性を追求している面は高く評価できるし、その多くを今日の歴史記述・歴史学は遺産として引き継いでいることも見逃してはならない。 ここでは特に啓蒙主義以前の歴史研究からの継続面・断絶面を個別に説明し、啓蒙主義の歴史研究・歴史記述の特徴を示す。 啓蒙思想の歴史意識 ピラミッド 古代エジプト文明が残した驚異的な建造物。このエジプト文明の古さの問題が神学的歴史記述の大きな問題となった 啓蒙思想は自然科学的な方法を重視し、従来は神学的に解釈されていた事柄についても合理的な説明をおこなった。たとえばローマ帝国?の盛衰について、モンテスキュー?はローマ帝国の制度が絶え間ない戦争によって形成されたと指摘し、軍隊の影響力が増し、共和政から帝政に移行していったのは当然の帰結であったとする。ローマの滅亡も軍事的な衰退に求められており、道徳的退廃などは全く重視されていない[1]。これは従来の神学的歴史研究、いわゆる普遍史においてはローマ帝国がキリスト教帝国であるゆえに発展し、その崩壊とともに終末が訪れるという救済史から解釈されているのと異なり、ローマ帝国それ自体の分析・把握からその歴史的性格を明らかにしているものである[2]。このような科学的精神は後述する従来の歴史研究、普遍史・伝統的聖書解釈・聖書的年代学の批判にも通じ、また同時代の生物学?・地質学?などの自然研究においても同様の方法論的転回が見られた。 [1]モンテスキューは悪徳を犯した皇帝がしばしば偉大な軍事的成功を収めていると述べている。たとえばユスティニアヌス?、老アンドロニクス・コムネヌス?などを例にあげ、これらの皇帝は徳性において恵まれていないにもかかわらず、時代状況によって幸運にも業績を残すことができたという。 [2]たとえば普遍史の古代における代表的論者アウグスティヌス?は、モンテスキューとは正反対に道徳的退廃をローマ帝国の衰退理由としている。 普遍史 キリスト教の世界観は天地創造から終末の神の救済へと至るものであった。普遍史とはキリスト教の世界観に基づき、当時知られた世界の歴史をキリスト教的に解釈するものであった。具体的には天地創造から大洪水、アッシリア・ペルシャ・ギリシャ・ローマの四世界帝国の繁栄が続き、ローマ帝国の滅亡とともに神の国実現がなされるというものである。 宗教改革?がおこると、普遍史においてプロテスタント?とカトリック?の間で論争がおこなわれるようになった。従来聖書の底本としては七十人訳聖書?がキリスト教徒の間で支配的であった。プロテスタントはこの七十人訳聖書を批判して、より原典に近いと思われるヘブライ語?の聖書に依拠することを主張し、すぐれた翻訳をおこなった。問題はこのヘブライ語聖書によって得られた事件の年代が七十人訳聖書で得られる年代と相違し、イエス生誕の時点で1000年ほどの誤差が生じた。さらに聖書の記載する天地創造からイエス生誕までの歴史は4000年ないし最長で5500年ほどであったが、エジプト?文明がそれ以前にさかのぼりうること、および地理的発見により聖書に記載されていないアメリカ大陸の住民が知られるようになったことがこの問題を一層深刻にした。そのため両派はこの事実を解明するためにより厳密な聖書批判と記載された事実の歴史研究へ向かうこととなった。 聖書批判 メランヒトン すぐれた聖書研究家であり、聖書年代学者であった。大部分が彼の手になるとされる『カリオン年代記』は、プロテスタント的普遍史であるが、1555年ころからほぼ1世紀の間ヨーロッパで最も広く読まれた歴史書の一つであった このような矛盾を解決する直接的な動きは聖書の文献批判によってまずおこなわれた。とくにモーセ自身が書いたものと思われていた「モーセ五書?」に対する批判的検討が進み、ラ・ペレール?・ホッブズ?・スピノザ?によってモーセ五書が後世の時代にモーセにさかのぼって記述されたものであることが明らかにされた。さらに1711年にはドイツの牧師ヴィッターによって、1753年にはジャン・アストリュック?によって、聖書の記述主体として2つの人間集団が想定されることが明らかにされた。具体的には聖書内において神の呼称は「ヤーヴェ」と「エロヒム」として現れるが、これをそれぞれの使用例ごとに分割すると、それぞれ一貫した文書となることが判明した。これにより聖書内の記述の重複、いわゆる「ダブレット」の問題も合理的に説明可能となり、聖書批判は大きく前進した。 近代的年代学 年代の記載方法にも大きな前進が見られた。従来の天地創造を基点とした年代記述では、エジプト史、さらに新たに知られた中国史をそのうちに取り込むには困難を伴った上、すでに述べたように典拠とされる聖書によって年代の不一致が生じた。 スカリゲル?は太陽暦・太陰暦、さらにローマの税制の基礎となっていたローマン・インディクション[1]を掛け合わせて7980年というユリウス周期を基準とする年代決定法を提唱し、その始まりを紀元前4713年においた(1583年)。このユリウス周期上には一日刻みにユリウス日という単位がおかれ、日食・月食などの天文学的な出来事をその上に配置することが可能で、それに基づいて歴史に残された天文記録に基づく年代考証が可能となった。彼はこれにより聖書に依らない科学的な年代学を確立した。 しかしこの紀元前4713年という時間は従来の聖書解釈に基づく歴史を対象としていたために、エジプト史や中国史が聖書で求められる年代以前にさかのぼることが認識されるようになると、スカリゲルのユリウス周期に歴史事実をおさめることは困難になった。フランスのイエズス会?士ペダヴィウス?はイエスの生誕年に歴史記述の基点を定めることを実用性という観点から科学的に主張した[2]。彼はイエス以後の年号はどの聖書に基づいても一致し、かつイエス以前についてさかのぼっても比較的近い過去は年代の誤差が少ないことを指摘し、年代記述の基点をイエス生誕の年とすることを主張した。これは今日の歴史学において一般的に採用されている年代記述である。 [1]ローマ帝国では313年以降15年を単位として財産評価が行われ、年号の表記にも取り入れられた。これがローマン・インディクションである。 [2]ペダヴィウス以前にも歴史記述で補助年代としてイエス生誕を基準とした年代記述はなされていたが、彼は合理的にその意義を主張したという点で科学的であるとされる。 啓蒙主義の歴史記述 啓蒙主義の歴史研究は、以上のような前時代の歴史研究の方法論に関する成果を踏まえて、歴史そのものに合理性・法則性を見出していくものとなった。それは歴史の一般法則を追求する方向へ向かったという意味で、普遍史的な方向性を持っていたが、その法則自体は神学的な説明を排し、合理的でより科学的な説明が期待された。また従来歴史記述において聖書に反する歴史事実は軽視あるいは無視される傾向にあったが、歴史事実自体を尊重して歴史の把握に関しては、事実からの帰納が重視された。 古典古代 啓蒙主義の歴史研究は古代ギリシャ・古代ローマを自らの文明の出自とし、そこからヨーロッパ文明が直線的に進化してきたという自生的な文明観を持っていた。従来の普遍史においては周縁に過ぎなかったギリシャ文明と異教時代のローマを重視する歴史記述をおこなった。 歴史的展開 ライプニッツ 代当時の中国学の第一人者でもあり、未完の中国道徳哲学についての著作がある。彼のモナド論はのちの歴史研究にも影響を与えた 事実の把握、その個別化 啓蒙主義精神の直接の起源はデカルトの演繹論に求められるが、その歴史研究においてはむしろベーコンやロックの帰納主義のほうが決定的であった。歴史事実に基づかない歴史法則を設定することを拒否したその歴史研究は、当然歴史事実それ自体を尊重するものであった。 ベール ベールは『歴史批評辞典』を著し、事実を事実として尊重する立場を示した。彼は歴史事実を事実として並列的に扱い、それに普遍的な意味づけをせずにただ記載して辞典的に把握する方法をとった。しかしこのことは同時に歴史哲学が歴史のある時点で主観的に形成されること、すなわち歴史哲学が歴史的な産物であることを示して、従来の普遍史的な歴史把握を鋭く批判するものであった。 ライプニッツ 哲学者?・数学者?としてよく知られるライプニッツは、当時中国学の権威でもあり、中国の古さ・儒教の道徳的価値の高さを評価していた。彼は歴史事実を静態的に扱うのではなくて、動態的に、一つの過程として認識すべきことを主張した。これは彼のモナド論?に基づく知見であるが、近代歴史学の原理に直接つながるものであった。 目的論の拒否 神学的な世界史解釈、つまり世界が救済に向かっているというような認識を啓蒙主義は厳しく批判した。啓蒙主義は事実や人間性、社会から歴史が構成され認識されるべきであると述べた。ただしこの傾向はあまりに心理学的、文化人類学的な研究方針につながり、啓蒙主義は今日で言えば文化史的な風潮を基調とするものとなった。 ヴォルテール ヴォルテールはボシュエの神学的世界史を批判し、人間性に注目した心理学を重視する歴史理論を唱えた。彼は国民の精神や時代の精神といったものに着目し、それらの要素が文化に影響を与える様子を記述しようとした。また彼は中国史を西洋史より古いものであると扱っている。 ヒューム ヒューム 啓蒙主義の理性主義へ激しい批判を加えた。後半生は歴史研究へと向かった ヒュームはあらゆる観念の理性による基礎付けを否定した。彼は理性的な認識が蓋然的な事実どうしの因果関係を認識するにとどまるとした。しかし人間がそのような蓋然的にすぎないものに依拠しつつ、なぜ普遍的な道徳法則を設定することが可能かと言えば、それは共通の社会的基盤に立った共感によるからであるとされた。このことはただ神学的な目的論のみならず、あらゆる目的論的歴史学を拒否するものであった。したがって彼の歴史研究は、普遍的な歴史法則の追求よりも社会そのものの記述に向かった。 構造の把握、同時代への批判 啓蒙主義の歴史研究では、歴史事実の集積から一定の社会構造・政治構造を抽出しようという試みもおこなわれた。一般にこのような抽出された社会構造・政治構造は現実の社会批判に結びつき、きわめて実践的なものとなり、有力な社会理論・政治理論に根拠を与えるものとなった。 モンテスキュー モンテスキューは歴史研究を通して古今の政体を比較・分類した。さらにこうして明らかにされた政体ごとに関連する歴史事実を整理・分類することで、その性質をより厳密に、構造的に把握するが可能となり、偶然的な歴史事実に一定の形式を与える社会構造・政治構造の認識が可能であるとし、それを実践した。 ルソー ルソーは歴史をより実践的で教訓的であるべきとし、しかも歴史家の見地を排して事実を忠実に伝えるものであるべきと述べた。しかし一方で、彼は歴史事実に自ら憶説的と認める推理を導入し、さらに理性を重視して先験的な法則性を重視し、歴史事実を副次的に扱う傾向も強く認められる。このことが彼の政治理論において歴史事実が現在の問題と深く結びつけられることとなり、逆説的に歴史事実の尊重につながっている。 進歩史観 啓蒙主義は科学的成果と地理的視野の拡大に基づく人間認識の向上に支えられ、時代が新しい局面に入ったという希望を人々に抱かせた。このことは前の時代よりも啓蒙時代が一層優れているという認識となり、それが人間が進歩的な歴史を歩んでいるという意識につながった。 コンドルセ コンドルセは人間精神の発達を10の段階に分け、啓蒙時代をその9段階目まで実現された時代であると述べた。彼は人間社会の発展を、知識や学問の進化という形で捉えた。 そしてロマン主義へ ヘルダー ロマン主義の思想家。カッシーラーによれば、啓蒙主義歴史研究に替わる、新たな歴史認識の一歩を踏み出した 歴史事実は一回性・偶然性に基づくが、それを記述し価値を見出していくためにはそこに何らか他の価値や事実との同一性・整合性が見出されなければいけない。啓蒙主義は事実を事実として尊重した一方、人類史を合理的に研究しようとしたが、多くの歴史研究は事実に偏るか法則性に偏るかに分裂し、その統一には概して失敗した。新たな歴史研究は過程の同一性・整合性という視野を開き、啓蒙主義の歴史研究を超克していった。 ヘルダー ヘルダーは啓蒙主義の普遍的な人間観を批判し、たとえばエジプト人の歴史はエジプト人自身の特性から考察されるべきだとした。彼によれば、歴史事実は互いに異なる重心を持った球のようなもので、それぞれの地域・民族の歴史は異なった重心を持つ独立の歴史として統一的に把握されなければならないと述べた。 啓蒙主義的歴史研究の限界 ここでは啓蒙主義の歴史記述の限界について指摘する。 ヨーロッパ中心史観 啓蒙主義の世界観が、世界大の広がりを持ったものであったにせよ、それがヨーロッパから見た世界でしかなかったということは、歴史研究においても影響を及ぼした。ヨーロッパの文明が古代から啓蒙時代に進歩した歴史を歩んできたのに対し、アジアは古代から変わらず停滞しているという認識が認められる。 中世史の欠如 啓蒙時代には古代と啓蒙時代の比較が文芸評論を中心にいろいろ論じられたが、ルネサンス以前の中世に対しては否定的かつ全くと言っていいほど無視された。また啓蒙思想が問題にした古代とは古代ギリシャ・古代ローマに限られていた。 歴史事実と歴史概念の背理 啓蒙主義は普遍史の神学的歴史解釈を批判し、歴史事実を重視することを論じ、さまざまな理論探求がおこなわれたが、その熱心さにも関わらず、歴史の体系的把握に成功しているとは言い難い。多くの場合歴史事実の一回性・偶然性を持てあまし、それを価値体系に結びつけて記述することを放棄するか、あるいは極端に一面化した法則のなかに歴史を閉じこめようとする傾向にあった。 参考文献 岡崎勝世?著 『キリスト教的世界史から科学的世界史へ』勁草書房、2000年 岡崎勝世?著 『世界史とヨーロッパ』講談社現代新書、2003年 カッシーラー?著、中野好之?訳 『啓蒙主義の哲学 下』ちくま学芸文庫、2003年 使用条件など -