約 60,180 件
https://w.atwiki.jp/detoxjapan/pages/35.html
外国政府勢力の毒 詳細>この毒に冒されるようになったきっかけ 2011.06.26 原案 ようずん 2011.06.29 編集 お花畑バスター 日本が外国勢力の毒に冒されるようになったきっかけを作ったのは、アメリカのGHQ(*1)(*2)です。 日本は、アメリカやヨーロッパと比べて、お金も資源も土地もない国です。そんな日本が、第二次世界大戦でアメリカを相手に、かなり善戦しました。 結果的には、物量と原爆によってアメリカが日本に勝ちました。しかしながら、日本の戦いぶりを見た諸外国は、日本が怖くて仕方がありません。お金も資源もないのに、日本は強い国と対等に戦ったのですから。 そこで敗戦後の日本を統治下に置いたアメリカのGHQは、日本に対して骨抜き政策を行いました。 GHQ、名前こそ”連合国”軍最高司令官総司令部ですが、メンバーのほとんどがアメリカ人と少数のイギリス人です。 つまり、第二次世界大戦後、日本を作りなおしたのは、アメリカがなのです。そう考えて、ほぼ間違いないでしょう。 GHQは、戦時中に日本軍に協力的だった人達から権力を奪いました。その代わりに、反戦的だった人達に権力を与えました。 外国人にとって有利な政治をすれば、政治家が得をする世の中になりました。 新たに権力を握った人達は、GHQと一緒になって、外国にとって都合の良い政治をするようになりました。 子供たちには、「敗戦前の日本は悪者だ!」という教育をしました。(*3) 外交では、日本が大損をしてでも外国を得させてしまうようなことばかりするようになりました。 外国人が日本国内で犯罪を犯しても、処罰されづらくなりました。 日本はこれによって、自虐史観を持つ日本人が多くなり、外交面でも及び腰になり、正当な主張をしなくなっていきました。 その日本の弱い態度を見ていた日本の周辺国家(中国、韓国、北朝鮮、ロシア)は、日本に対してどんどん強行的な姿勢になっていきました。 「強く出れば日本は怯む」と分かったからです。 これが、外国政府勢力の毒の原点です。 ←戻る
https://w.atwiki.jp/kubo-zemi/pages/1213.html
2009年11月16日〆切 新聞論評 1901436 西岡保明 1.新聞情報 見出し 中国、車市場急成長続く――政府主導で合併加速、中堅各社、アピール合戦。 発行日 2009年12月14日 新聞社 日本経済新聞、朝刊 面数 7面 2.要約 中国の自動車メーカーが、生き残りに向け存在感の打ち出しに躍起になり、中国では大手による吸収合併が加速。再編を有利に進めるため、中堅メーカーによるアピール合戦が過熱している。(86文字) 3.論評 中国の自動車メーカーが、生き残りに向け存在感の打ち出しに躍起になっている。中国政府は200万台以上の生産台数を保有する大規模メーカー2~3社に集約する方針を打ち出しており、既に大手による吸収合併が加速。再編を有利に進めるため、中堅メーカーによるアピール合戦が過熱している。 中堅メーカーの長城汽車(河北省)は24日開幕の広州モーターショーで、大手と遜色(そんしょく)のない広さのブースを借り切り、華やかな色彩の多目的スポーツ車(SUV)をずらりと並べた。同社の2008年の販売台数は13万台弱で、全メーカー合計の1%強にすぎない。関係者は「中国政府に対するアピールだ」と指摘する。 中国政府は自動車産業の競争力を高めるため、11年までに国内メーカーの再編を進める方針。大手の中国長安汽車集団は今月上旬に中堅の中国航空汽車工業と合併、年産200万台を超す大型メーカーが誕生した。大手は相次ぎ生産能力拡大を打ち出しており、のみ込まれる可能性が高い下位メーカーの危機感が高まっている。(413文字) 4.コメント 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/chaina_battle/pages/571.html
{{日本の内閣記事|だい1じ まつかた ないかく|4|松方正義|Template 和暦?|5月6日|Template 和暦?|8月8日|藩閥内閣|第2回衆議院議員総選挙|Template 和暦?12月25日|http //www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/04.html|前職 = 大蔵大臣}} 概要 山縣有朋(第1次山縣内閣)の後継総理として伊藤博文や西郷従道、山田顕義などの名前も挙げられたが、5月2日に松方正義に組閣の大命が下った。松方は、組閣にあたって前任者たちの全面協力無くしては引き受けられないと述べて全閣僚の留任を唱えて、総理就任の条件とした。そこで前内閣の閣僚が当面留任することになった。このため、民党からは「黒幕内閣」「二流内閣」と揶揄された。だが直後から辞意を表明する閣僚が続出し、更に大津事件が発生して責任を負って外務大臣や内務大臣などが辞意を表明するなどして、最終的には成立1ヶ月に漸く海軍・農商務・逓信の3大臣以外は全て閣僚を差し替える人事が決定された。その結果、元勲級の閣僚が1人もいなくなり、薩長出身者が全閣僚の半数を割るなど、いつ倒れてもおかしくない状況になった。 かくして迎えた第2議会では、民党が前内閣が約束した「政費節減」の公約を果たさずに海軍予算の拡張を行おうとする政府を批判した。これに激怒した海軍大臣樺山資紀がいわゆる「蛮勇演説」を行って衆議院は空転、松方は12月25日に初めての衆議院解散を決断した。翌1892年2月15日に第2回衆議院議員総選挙が行われたが、この際品川弥二郎内務大臣と白根専一同次官が中心となって大規模な選挙干渉を行って、民党関係者を中心に死者25名負傷者388名を出した。これに陸奥宗光農商務大臣が抗議して辞任(陸奥は解散以前は現職衆議院議員。今回は自身は出なかったが、弟分である岡崎邦輔(従弟)・星亨の推薦人であった)、品川も辞任した(後に親政府議員を結集して国民協会を結成する)。選挙後に召集された第三議会では民党による政府糾弾が行われ、親政府の筈の貴族院でさえも松方内閣との距離を置き始めた。更に内務省では選挙干渉の責任追及を行おうとした副島種臣新内務大臣が白根とこれを支持する安場保和・船越衛ら地方官グループの策動で辞職に追い込まれた。6月に入ると、他の閣僚からも辞表提出者が相次ぎ、7月に白根・安場らの更迭が決定されると、同月27日には処分に消極的であった軍部大臣が揃って辞表を提出、これを見た松方は自らも辞表を提出したのである。 在職期間 Template 和暦?5月6日 - Template 和暦?8月8日 在職期間461日。 国務大臣 職名 代 氏名 出身 就任日 退任日 備考 内閣総理大臣 4 松方正義 薩摩藩・伯爵 1891}}5月6日 1892}}8月8日 外務大臣 5 青木周藏 長州藩・子爵 1891年(明治24年)5月6日 1891年(明治24年)5月29日 6 榎本武揚 幕臣・子爵・海軍中将 1891年(明治24年)5月29日 1892年(明治25年)8月8日 内務大臣 5 西郷從道 薩摩藩・伯爵・陸軍中将 1891年(明治24年)5月6日 1891年(明治24年)6月1日 6 品川彌二郎 長州藩・子爵 1891年(明治24年)6月1日 1892年(明治25年)3月11日 7 副島種臣 肥前藩・伯爵 1892年(明治25年)3月11日 1892年(明治25年)6月8日 8 松方正義 薩摩藩・伯爵 1892年(明治25年)6月8日 1892年(明治25年)7月14日 兼任 9 河野敏鎌 土佐藩 1892年(明治25年)7月14日 1892年(明治25年)8月8日 大蔵大臣 5 松方正義 薩摩藩・伯爵 1891年(明治24年)5月6日 1892年(明治25年)8月8日 兼任 陸軍大臣 4 大山巖 薩摩藩・伯爵・陸軍中将 1891年(明治24年)5月6日 1891年(明治24年)5月17日 5 高島鞆之助 薩摩藩・子爵 1891年(明治24年)5月17日 1892年(明治25年)8月8日 海軍大臣 5 樺山資紀 薩摩藩・子爵・海軍中将 1891年(明治24年)5月6日 1892年(明治25年)8月8日 司法大臣 4 山田顯義 長州藩・伯爵・陸軍中将 1891年(明治24年)5月6日 1891年(明治24年)6月1日 5 田中不二麿 尾張藩・子爵 1891年(明治24年)6月1日 1892年(明治25年)6月23日 6 河野敏鎌 土佐藩 1892年(明治25年)6月23日 1892年(明治25年)8月8日 兼任 文部大臣 6 芳川顯正 徳島藩・子爵 1891年(明治24年)5月6日 1891年(明治24年)6月1日 7 大木喬任 肥前藩・伯爵 1891年(明治24年)6月1日 1892年(明治25年)8月8日 農商務大臣 8 陸奥宗光 紀伊藩 1891年(明治24年)5月6日 1892年(明治25年)3月14日 9 河野敏鎌 土佐藩 1892年(明治25年)3月14日 1892年(明治25年)7月14日 兼任 10 佐野常民 肥前藩・子爵 1892年(明治25年)7月14日 1892年(明治25年)8月8日 逓信大臣 5 後藤象二郎 土佐藩・伯爵 1891年(明治24年)5月6日 1892年(明治25年)8月8日 班列 - 大木喬任 肥前藩・伯爵 1891年(明治24年)5月6日 1891年(明治24年)6月1日 その他の人事 職名 代 氏名 出身 就任日 退任日 備考 内閣書記官長 3 周布公平 長州藩 1891年(明治24年)5月6日 1891年(明治24年)6月10日 4 平山成信 幕臣 1891年(明治24年)6月10日 1892年(明治25年)8月8日 法制局長官 2 井上毅 肥後藩 1891年(明治24年)5月6日 1892年(明治25年)6月16日 3 尾崎三良 三條家 1891年(明治24年)6月16日 1892年(明治25年)8月8日 外部リンク 首相官邸‐第1次松方内閣 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月9日 (日) 04 43。
https://w.atwiki.jp/eurasiacountry/pages/88.html
基本データ 国旗 準備中 国土 ミンダナオ、パラワン、スールー諸島および北ボルネオ地域 国の標語 アッラーの他に神はなし。ムハンマドはアッラーの使徒である。 国歌 考え中 国家元首 スールー王国 ジャマルル・キラム3世/イスラム国北ボルネオ州政府 “ファッターフィ・アル=イスラーム” ミンダナオ島を勢力圏とするバンサモロ・スールースルタン王国独立運動全モロ民族統一暫定自治政府には議会(一院制)が存在。その他スールー王国のスルターンにも立法・行政の権利が存在する。またイスラム国北ボルネオ州勧善懲悪戦時評議会は事実上の軍事政権であり、勧善懲悪戦時評議会が司法・行政およびシャリーア解釈を司る 公用語 アラビア語 フィリピノ語 マレーシア語 英語 首都 ホロ島 政治体制 疑似的な連邦制 イスラム主義 国教 イスラム教 歴史 + ... スールー王国の滅亡 1450年代 フィリピン内戦(1986~199X)の激化 1986年、エドゥサ革命に端を発する内戦が勃発。フィリピン内戦と呼称されるこの紛争によって国内は一時的な無政府状態となり、フィリピン軍のマルコス政権派と民主派(ピープルパワー派とも)に加えて過激な共産主義を掲げて独自の武装組織「新人民軍」を擁するフィリピン共産党、ならびにヌル・ミスアリらモロ民族解放戦線が武装蜂起した。 モロ民族解放戦線やサラマト・ハシムらのモロ・イスラム解放戦線に加えて住民投票で発足された「イスラム教徒ミンダナオ自治地域」を基幹としてバンサモロ議会が発足。中東地域で活発化したクトゥブ主義によるジハーディストの獲得などを通じてミンダナオ島における武力紛争を制していく。 イスラム過激派によるラハダトゥ紛争 ちょうどそのころスールー王国復古をもくろむ武装集団がスールー諸島ならびにスマトラ島等で蜂起。サンボアンガ半島では同じく勢力を伸ばしてきたバンサモロ議会との銃撃戦が発生するも、スールー王国のスルターン、ジャマルル・キラム3世とヌル・ミスアリ議長との会談によって双方が和平。相互に協力しつつイスラーム勢力としての伸長を図っていくことを約束する(これにはイスラム国におけるオマーン=ソマリア間同盟と連邦化が前例として存在するからであるとされる) スールースルタン王国の建国宣言に対し、最も過激に反響を返したのはサバ州における貧民層のムスリムたちであった。クトゥブ主義に感化された彼らはムスリム同胞団やスールースルタン王国からの資金援助を受けつつサンダカンで蜂起し、「イスラム国北ボルネオ州勧善懲悪戦時評議会」と称してサバ州のラジャに対する反政府武力闘争を開始する。 フィリピン内戦(199X) 199X年初頭、北フィリピン軍が南フィリピンに対する軍事進攻を開始。全モロ民族統一暫定自治政府はスールー王国の顧問ウラマー、シャフィーク・アル=カジー師からのファトワーを受けて“イスラームの家を無神論者から守るためのジハードである”と宣言。一時期小康状態に陥っていたフィリピン内戦が本格的に激化することとなる 政治 制度 元首 立法機関 議会(あれば) 憲法 国民 人口 民族 宗教 人口の殆ど全てはイスラム教を信仰している。その凡そがスンナ派に該当する。 ただしハンバル学派やサラフィー主義にも似た厳格極まるシャリーア解釈を行うため、軍事政権であるイスラム国北ボルネオ州政府は勿論のことバンサモロ議会であってもイスラム原理主義の色が強い 文化 教育 外交 基本方針 条約 貿易 関係国 北フィリピン(フィリピン共産党政府) 経済 資源 一次資源 マサラ鉱山 金 パントゥカン 400万 リグアサン湿地帯ガス田 天然ガス コタバト 200万 シランガン鉱山 金・銀・銅 スリガオ 200万 タガニート鉱山 ニッケル スリガオ 200万 スリガオ鉄鋼区 鉄 スリガオ 200万 スリガオ・ラテライト鉱山群 ボーキサイト スリガオ 600万 パイオニア鉱山 鉄 パガディアン 200万 リオツバ鉱山 ニッケル バタラザ 200万 フィリピン・オイル&ジオサーマルエナジー 石油 プエルトプリンセサ 200万 マランパヤガス田 天然ガス エル・ニド 200万 サマラン油田 石油 コタキナバル 200万 マムート鉱山 金・銅 ラナウ 200万 アッパーセガマ鉱山 金・プラチナ ブルラン 200万 ブキットマントリ鉱山 金 タワウ 200万 メリアウ炭田 石炭 サブルト 200万 パンジ鉱山 石灰岩 パンジ島 200万 サバガスターミナル 天然ガス キマニス 200万 マサラ鉱山 ダバオの北側に存在する小規模な鉱山群。北ダバオ鉱山とも。主に金が取れる鉱山であり、フィリピン内戦の際にはイスラーム過激派武装勢力の資金源になっていた。もともとのマルコス政権が先進国からの支援を受けて作成した金鉱山であったらしいがその精錬工場ごとイスラム過激派に奪取されている。 リグアサン湿地帯ガス田 西太平洋条約機構に加盟する各国との協力によって近年新しく発見された天然ガス田。リグアサン湿地帯は長らくイスラム過激派の潜伏地となっていたが、今回は同地方を根拠地とする過激派武装勢力、ヌル・ミスアリ派との折衝の結果辛うじてバンサモロ議会が利権を保有することに成功した。 シランガン鉱山 スリガオに存在する金鉱山。銅の採掘も可能であり、金・銅鉱山として名が通っている。比較的新しく採掘された鉱山であり、バンサモロ議会がこの利権を保有するものの同地方は反イスラーム勢力との最前線であるためバンサモロ防衛隊の一部部隊がその任務を負い、事実上軍閥化しつつある。 タガニート鉱山 同じくスリガオに存在するニッケル鉱山。シランガン鉱山と同じく新しく採掘された鉱山であるがここはイスラーム過激派勢力が鉱山を占拠した共産党員を排除して奪取した場所であるため利権的問題でバンサモロ議会には存在しない。 スリガオ鉄鉱区 太平洋戦争時に日本政府によって発見された鉄鉱山。とはいえ実際に採掘がおこなわれた様子はなく、実際の開発開始はもっと後のマルコス政権期まで待つこととなる。ラテライト鉄鉱と呼ばれるアルミニウムと鉄を含有する鉱石が主流であり、ボーキサイトなどの採掘も試みられているが芳しくはない。 スリガオ・ラテライト鉱山群 日本のODAによるスリガオ、北カラガ地域でのラテライト鉱床の採掘の結果見事にボーキサイトへの使用に足りるラテライト鉱山が発見された。これによってアルミニウムへの精製が可能となれば、空軍機の運用もより容易くなるだろう。現在、スリガオにほど近い工業都市ブトゥアンにおいて空港の建設が着工されている パイオニア鉱山 スールー王国が保有する鉱山。鉄鉱山であり、スリガオに存在するスリガオ鉄鉱区を除いてはミンダナオ島で最大の鉄鉱山。パガディアンからイリガンまでを結ぶ貨物輸送専用線を編成してイリガンの発電所を利用した大規模製鉄を行おうという計画があるらしい。 リオツバ鉱山 パラワン島の最南端、バタラザに存在するニッケル鉱山。現状路面の状態が極めて悪いためパラワン島を一周してプエルトプリンセサまで輸送するための道路を建設する計画があるらしいが、いつになるかはいまだ未知数。 フィリピン・オイル&ジオサーマルエナジー パラワン島周辺の海底ガス田および油田を管轄する企業。本来はフィリピン共和国の企業であったが寛大なるスールーのスルターンは一定量のジズヤを行わせることによってその存続と運営を許した。 マランパヤガス田 上記フィリピン・オイル&ジオサーマルエナジー社の保有するガス田の中でも特に巨大なガス田。特にこのガス田を管理するための人員を配置しているパラワン島最北部のエル・ニド出張所の位置を指示している。 サマラン油田 イスラム国北ボルネオ州の支配領域にあるコタキナバル市の西南西170kmの大陸棚に存在する油田。本来はサバ州のラジャが発見して財源としていたものであったが、イスラム過激派との抗争によりこれを奪取された。とはいえサバ州軍もまた馬鹿ではないので油田に放火し、機材を全て破壊して脱出している。イスラム国北ボルネオ州政府はこれの再利用を行っているが、資金不足から芳しくない マムート鉱山 北ボルネオでもっとも有名な鉱山のひとつ。金を主に産出するが銀および銅の産出も確認されている。本来はサバ州のラジャの私的な所有物であり、彼とその一家の利権の下にあったものだがイスラーム過激派勢力によって奪取され、過剰な労働を強いる悪徳管理人だったラジャの弟は射殺された。 アッパーセガマ鉱山 北ボルネオの中部に位置するラナウ付近に存在する金鉱山。金のほかにもプラチナを産出し、装飾品のみならずレアメタルとしてサバのラジャとその佞臣たちの懐を温めていた。サンダカンからコタキナバルに至るまでの道の途中にあることから、イスラーム過激派勢力とサバ州軍が特に激しく戦った地点でもある。 ブキットマントリ鉱山 北ボルネオ州の東部、ボルネオ・スルターン国領カリマンタンとの国境付近に存在する都市、タワウの近郊で発見された金鉱山。ここはサバのラジャのほかにもカリマンタンの小ラジャやアミールたちの利権争いが存在したが、ちょっとした小競り合いにイスラーム過激派勢力が混ざってきて大変なことになった。イスラーム過激派勢力の奪取以後は彼らの武器を買うカネとなっている。 メリアウ炭田 北ボルネオの中でも南西部に位置するサブルトの町周辺に広がるメリアウ盆地とその地下に広がるとされる炭田を指す。自然保護の観点から開発を拒絶する者も国外にはいるが、イスラーム宣教と北ボルネオにおける大規模火力発電のためには必要な犠牲だ。 パンジ鉱山 北ボルネオ州政府の管轄下にある中では最北の領土であるパンジ島に存在する鉱山。石灰石を産出する鉱山であるが、国内における重要度は極めて低い。とはいえ北ボルネオ州政府はスールー王国からの協力を受けながらも必死に色々と採掘を行っているようだ サバガスターミナル コタキナバルの南、南シナ海に面したキマニスの町に存在する天然ガス貯蔵施設。正確にはコタキナバル沖合の海底天然ガス田も含まれるが、これらを管理し貯蔵するガスターミナルを特に記載する。サバ州のラジャがいた時代にはサラワク方面に向けてガスのパイプラインがあったらしいが、現在は破壊されている。 二次資源 バンサモロ防衛隊第一工廠砲兵部(ブトゥアン工場) 砲弾 ブトゥアン 400万 バンサモロ防衛隊第一工廠造兵部(ブトゥアン工場) 誘導装置 ブトゥアン 200万 バンサモロ防衛隊第一工廠砲兵部(カガヤン・デ・オロ工場) 砲迫 カガヤン・デ・オロ 200万 バンサモロ防衛隊第一工廠小銃部(カガヤン・デ・オロ工場) 銃火器 カガヤン・デ・オロ 200万 バンサモロ防衛隊第一工廠造兵部(カガヤン・デ・オロ工場) 光学機器 カガヤン・デ・オロ 200万 バンサモロ防衛隊第二工廠艦砲部(コタバト工場) 艦砲 コタバト 200万 バンサモロ防衛隊第二工廠艦砲部(イリガン工場) 砲弾 イリガン 200万 マブハイ・ビニール ビニールおよび爆発物を含む化学物質 イリガン 200万 バンサモロ防衛隊第二工廠造船部(ダバオ工場) 造船 ダバオ 200万 バンサモロ防衛隊第三工廠航空部(ダバオ工場) 航空機 ダバオ 200万 スールースルタン王国海軍艦政本部艦砲部(サンボアンガ工場) 艦砲 サンボアンガ 200万 スールースルタン王国海軍艦政本部艦砲部(パガディアン工場) 誘導弾 パガディアン 200万 スールースルタン王国陸軍航空技術廠(プエルト・プリンセサ工場) 航空機 プエルト・プリンセサ 200万 スールースルタン王国陸軍航空技術廠(シピタン工場) 航空機 シピタン 200万 シピタン石油&ガス産業パーク 石油精錬 シピタン 200万 バンサモロ防衛隊第一工廠砲兵部(ブトゥアン工場) ブトゥアンに存在する砲弾・爆弾製造のための工廠。砲兵部隊向けの砲弾のほか航空爆弾やミサイルの製造もおこなっている。管轄はバンサモロ防衛隊であり、一応便宜上はバンサモロ議会の指揮の下にあるものの徐々に軍閥化が進むとみられている。 バンサモロ防衛隊第一工廠造兵部(ブトゥアン工場) 同じくブトゥアンに存在する誘導装置製造工場。ブトゥアンに新設されたIT団地の一角と一緒に運用されており、ミサイルの誘導装置や誘導砲弾の重要部品などは此処で主に作成される。 バンサモロ防衛隊第一工廠砲兵部(カガヤン・デ・オロ工場) カガヤン・デ・オロに存在する砲迫製造工場。もともとは一介の金属加工会社だったらしいが、フィリピン内戦においてイスラーム過激派勢力によって奪取されたせいでバンサモロ防衛隊第一工廠における一番の工場となってしまった。 バンサモロ防衛隊第一工廠小銃部(カガヤン・デ・オロ工場) 同じくカガヤン・デ・オロに存在する小火器工場。本来は上の砲兵部と同じ工場であったが、バンサモロ議会の指示によって業務拡大・工場敷地の拡張と周辺金属加工会社の吸収合併が行われた。 バンサモロ防衛隊第一工廠造兵部(カガヤン・デ・オロ工場) カガヤン・デ・オロにおいて新規に建造された工学照準器など精密部品の製造工場。ソ連製の工学照準器など先進機器を保有したムジャーヒディーンが多数やってきたことによりバンサモロ議会としてもスコープなどの重要性を認知した。 バンサモロ防衛隊第二工廠艦砲部(コタバト工場) バンサモロ防衛隊のなかで最も立場が弱いとされる海軍(事実上の沿岸警備隊)だが、その実艦砲などの製造工場自体は存在する。そのなかでも最も大きな工場が第二工廠艦砲部(コタバト工場)である。……サンボアンガのスールー王国海軍艦政本部と被っているとか言ってはいけない。 バンサモロ防衛隊第二工廠艦砲部(イリガン工場) バンサモロ防衛隊第二工廠のうち、砲弾やロケット弾などを一括して作成する部署。工場敷地は発電所の多くあるイリガンに所在しており、発電所からの電力を利用することで大規模な製造力集中が可能となっている。 マブハイ・ビニール 同じくイリガンに存在する化学製品工場。民間の企業であるがバンサモロ防衛隊のうちパロウク・フシン派の管轄下に入っており、爆薬製造や砲弾の製造などを担っている。事実上の軍需工場であるが民需の需要もいろいろと実行しているらしい バンサモロ防衛隊第二工廠造船部(ダバオ工場) ダバオに存在する造船所。事実上の沿岸警備隊と化したバンサモロ防衛隊海軍の造船および修理を担っている。とはいえその規模は小さく、現状では漁船の修理やそのあたりしか使えないらしい。そのためバンサモロ議会が保有した空母“アブドゥル・ラサル・サイヤフ”の修理などはプエルトプリンセサにもっていかなければならないのだ。 バンサモロ防衛隊第三工廠航空部(ヘネラル・サントス工場) ヘネラル・サントスに存在する航空基地。フィリピン空軍が所有していたもののラジャ・ブアヤン空軍基地とも呼ばれていたが、やっぱりフィリピン内戦において奪取された。その後は新設された第三工廠航空部の主力を担っている。 スールースルタン王国海軍艦政本部艦砲部(サンボアンガ工場) スールー王国海軍の軍需品設計および製造部門である艦政本部のうち艦砲を主に製造する場所。ただし陸上用の砲も作成されているらしく、時折バンサモロ議会や北ボルネオ州軍のために運搬されている。 スールースルタン王国海軍艦政本部艦砲部(パガディアン工場) パガディアンにおける艦艇用誘導弾の製造工場。とはいえ現在ではやっぱり同じく陸上用の誘導砲弾やミサイル作成を主としており、スールー王国陸軍が配置されるディポログ周辺に対して様々な物資の支援を行えるようにしている……らしい。 スールースルタン王国陸軍航空技術廠(プエルト・プリンセサ工場) プエルトプリンセサのアントニオ・バウティスタ空軍基地に所在する航空技術関連の工場。元はフィリピン空軍の基地であったがフィリピン内戦に乗じてスールー王国軍と名乗るイスラム過激派勢力がこれを制圧し、奪った。 スールースルタン王国陸軍航空技術廠(シピタン工場) リビュア、ベンガジに存在するベンガジ航空設計局からの資金援助によって作成された民間機専門の航空機工場。シピタン空港を利用することを前提として作成されており、シピタン市街地への進軍経路と極めて近い。ここに対する砲撃はスールー王国軍の抵抗を招くこととなるだろう。 シピタン石油&ガス産業パーク サバのラジャが製造したサバ州初の石油精製工場。サバ州とサラワク州の国境付近に存在する精製工場であるが、その広大な敷地においてはガスの貯蔵もなされている。そこに対してはさらに北のサバガスターミナルとパイプラインによって繋がっている。 三次資源 Laneシステムズ 地上対衛星関連機器(GPSなど) ダバオ 200万 スルターンたるジャマルル・キラム3世陛下に祝福されし情報通信組合 通信機器 サンボアンガ 200万 インジールの記者ルーカーを記念する総合病院 200万 ダルル・ハルブを研究するウラマーの会 国際政治系シンクタンク コタバト 1000万 ミンダナオ・ニュース 新聞社 ダバオ 200万 シャフィーク・アル=カジー師による物品出入国検査場 検閲・検疫所 コタキナバル 200万 ゴールデン・モスク 宗教施設 200万 Laneシステムズ ダバオに新設されたIT団地で初めて設置された情報系企業。GPS機器のシステムを作ることにたけており、彼らの協力によって近頃はやりだしてきた携帯電話やGPS誘導の砲弾、ミサイルなど多数の物品を作成することができるようになった。 スルターンたるジャマルル・キラム3世陛下に祝福されし情報通信組合 同じくサンボアンガに新設されたIT団地に設置された情報系企業。とはいえその実態はスールー王国陸軍の電子情報戦部隊が置いたダミー企業。隊員の各員が通信機などの作成をしているらしいが、その実はミサイルの誘導システムなどの作成も出来る。 インジールの記者ルーカーを記念する総合病院 マニラにもともとあった聖ルカ総合病院を改造したもの。マニラにおいては民主派の本拠地となっていたため共産党軍による攻撃をしきりに受け、またマルコス政府軍による攻撃も浴びたために廃墟同然になっていた。 ダルル・ハルブを研究するウラマーの会 コタバトを中心に活動する国際政治系のシンクタンク。その名の通り全構成員がウラマーからなり、イスラーム法学とイスラーム主義に則った国際政治の分析を行う。なので国内からの評判は結構高いものの国外からの評判は極めて低い。 ミンダナオ・ニュース フィリピン共和国時代から存在する老舗の新聞社。本来は公平なジャーナリズムを標榜するらしくイスラム教徒の少ないダバオに本社が存在したものの、現在ではイスラム過激派勢力によって制圧されたことからバンサモロ議会の御用新聞のように扱われている。 シャフィーク・アル=カジー師による物品出入国検査場 北ボルネオ州を制圧したイスラーム過激派勢力の理論的指導者にしてスールー王国顧問法学者の一員であるシャフィーク・アル=カジー師が勤める事実上国営の物品出入国検査場。入国する物品がハラールであるかどうかを見定め、これに承認を行うのが仕事である。バンサモロ議会はコタキナバル以外にもコタバトやダバオでの出入国検査を行いたがっているが、残念ながらシャフィーク師は一人しかいないので国際線でやってくるものは全てコタキナバルへの寄港を余儀なくされる ゴールデン・モスク マニラに存在する巨大なモスク。リビュアのとある有名な高官によって建てられたものであり、その価値は極めて高い。マニラどころかルソン島一円のモスクの中でも最大級のそれであり、マニラ・イスラム共和国における宗教的な象徴となっている。 インフラ 都市 マニラ 1000万 ホロ 1000万 サンダカン 1000万 ダバオ 1000万 コタバト 100万 プエルトプリンセサ 1000万 国際都市コタキナバル 1000万 カガヤン・デ・オロ 100万 ブトゥアン 100万 クニンガウ 100万 タワウ 100万 ヘネラル・サントス 100万 マニラ フィリピン共和国の首都……だった都市。現在では5年を超えるフィリピン内戦の結果市街地は荒れ果て、かつての栄華はその影もなく、一切が瓦礫と死体の山で埋まっている。ここを中心としてマニラ・イスラム共和国という名のイスラーム政権が樹立されたが、彼らが活躍するかどうかは今後次第………… ホロ スールー王国の王都となる島。その全島が首都として存在し、市街地にはスールー王室が存在する。スルターンの王宮もそこに存在するが、さすがは世界一貧しいスルターンの名声を欲しいままにしたジャマルル・キラム3世陛下というべきか極めて質素。スールー王国としての行政都市もここに所在する(サンボアンガ半島も領土として保有するが、後述) サンダカン イスラム国北ボルネオ州政府の行政上の首都。サンダカン市で蜂起したイスラム原理主義アンクードがイスラム国北ボルネオ州勧善懲悪戦時評議会を自称しサバ州を乗っ取った以上、ここが最高司令部であり首都足りうるというのは火を見るよりも明らかなのである。 ダバオ ミンダナオ島最大の都市。ミンダナオ島を領土とするバンサモロ議会にとっては最大の商業中心地である。ただしキリスト教徒が多い都合上いまだに反ムスリム的抵抗が存在するため首都機能の移転は完了していない。 コタバト バンサモロ議会の所在地。バンサモロ・スールースルタン王国独立運動全モロ民族統一暫定自治政府における事実上の首都であるが、扱いは結構悪い。というのもそもそもの市街地があまり大きいわけではないので各種都市機能が圧迫されているからである。 プエルトプリンセサ パラワン島における最大の都市。スールー海や南シナ海に対する商業や交通の中心地であると同時に北部の反イスラーム勢力に対する最前線基地としても運用される軍都である。空港や港湾を有するため本当に硬い。 コタキナバル イスラム国北ボルネオ州における最大の都市。サバ州のラジャが所在した王都であり、同地方における最大の都市である……が、コタキナバルを制圧する際の武力衝突が発生したため治安は今でも結構悪い 晴れて国際都市に指定された。利益率は現状27+4%(310万ED) カガヤン・デ・オロ ビサヤ諸島に面した港。ミンダナオ島における大都市のひとつであり、ビサヤ諸島に対する防衛作戦のかなめとなる都市。ミンダナオ鉄道やサンボアンガ国道など様々な重要幹線道路の基点となっている。 ブトゥアン 同じくビサヤ諸島に面した港。北カラガ地方における最大の都市であり、北カラガ道路の基点として最前線基地スリガオへの物流を担う重要地点。キリスト教徒が結構多いが、みんなズィンミーなので安心である。 クニンガウ サバ州で5番目に大きな大都市。人口の90パーセントが少数民族であるという特異性を生かした都市であり、サバ州のラジャに強く虐げられていた都市である。彼らもイスラーム宣教に従ってムスリム同胞となった。 タワウ サバ州で3番目に大きな大都市。これより上はコタキナバルとサンダカンくらいしかない、実は結構デカい都市であったりする。イスラム国北ボルネオ州政府とブルネイ・スルターン国との国境付近に存在する大都市であるため軍の駐留部隊も結構いるのだとか。 ヘネラル・サントス ダバオの南、サランガニ湾に面した港湾都市。ダバオのベッドタウンのような役割を担い、同じくセレベス海に対する貿易や防衛のかなめとなる大都市である。実はこの都市を回るためだけに新たに各種道路が整備されるなど結構重要な役回りを担っている。 貿易センター クスコ-ダバオ線(海路) ダバオ ニッケル 1000万 アデン-ダバオ線(海路) ダバオ 誘導装置 1000万 横浜-サンダカン線(海路) サンダカン 石油 900万 ニューデリー-サンダカン線(空路) サンダカン 検閲・検疫所 1000万 バンダルスリブガワン-サンボアンガ線(海路) サンボアンガ 誘導弾 200万 ニューデリー-プエルトプリンセサ線(空路) プエルトプリンセサ ボーキサイト 100万 ニューデリー-プエルトプリンセサ線(海路) プエルトプリンセサ 天然ガス 100万 ワルシャワ-コタバト線(海路) コタバト 砲弾 100万 モガディシュ-ダバオ線(海路) ダバオ 金 800万 錦州-マニラ線(海路) マニラ 病院 100万 上海-マニラ線(空路) マニラ 金 800万 錦州-マニラ線(空路) マニラ 天然ガス 100万 クスコ-ダバオ線(海路) インカの首都であるクスコから沿岸のリマ、そこから輸送船で太平洋を横断してコタキナバルのシャフィーク師のオフィスで出入国管理を行った後ダバオに至る輸送船のルート。インカからは鉄を、南フィリピン側からはニッケルを出すことでフィリピン内戦中の鉄資源不足が賄われている。 アデン-ダバオ線(海路) アデンからクチン、そこからコタキナバルに所在するシャフィーク・アル=カジー師のオフィスでハラール認証を行ったうえでダバオに品物を運び入れる物流のラインである。イスラム国がハラームを犯すとは考えているわけではないが、南フィリピン国内においてはシャフィーク師をはじめとするイスラム原理主義者が幅を利かせているのも事実であるのでキッチリ確認する必要がある。 横浜-サンダカン線(海路) 日本の横浜市とサンダカンをつなぐ路線。コタキナバル沖合のサマラン油田から産出された石油をハラール認証した後サンダカンでタンカーに詰め込み、日本に向けて送り込んでいる。日本の南洋諸島を伝ってフィリピン海を渡るルートであるため今後の貿易路開拓が急がれている。 ニューデリー-サンダカン線(空路) ヒンドゥスタンの首都であるニューデリーから北ボルネオ州政府の事実上の首都であるサンダカンまでを結ぶ航空路線。いったん降りることとなるコタキナバル空港ではシャフィーク・アル=カジー師がサインを書いてくれる。 バンダルスリブガワン-サンボアンガ線(海路) ボルネオのスルターンとスールーのスルターンが相互に親交を深めるために建てた路線。ブルネイの首都にあたるバンダルスリブガワンから一度コタキナバルのシャフィーク師のオフィスで出入国管理を行った後サンボアンガまで移動するルート。ここではスールー王国海軍工廠の開発した新型誘導弾を輸出しているらしく、コンテナに艤装された対艦巡航ミサイルが多数並んでいる姿が確認できる。 ニューデリー-プエルトプリンセサ(空路) ニューデリーからプエルトプリンセサまでを結ぶ航路。ニューデリーの赤い城を見るために観光客が向かうらしく、スールー王国のみならずバンサモロ議会でも観光用路線の開設は乗り気。近日中に出来るらしいが…… ニューデリー-プエルトプリンセサ(海路) ニューデリーからプエルトプリンセサまでを結ぶ航路。プエルトプリンセサで採掘されたマランパヤガス田の天然ガスをヒンドゥスタンまでもっていくためのルートであり、その経済的な価値は極めて高い。 ワルシャワ-コタバト線(海路) ワルシャワからコタバトまでを結ぶ海上路線。厳密にはオデッサからワルシャワまでは陸路であるが、それ以降は海路であるため海路として表記される。ヨーロッパからフィリピンまでの極めて遠大な航路であるが重要である。 モガディシュ-ダバオ線(海路) イスラム国の都市であるモガディシュからダバオまでを結ぶ路線。モガディシュから一時的にアデンへ、そこからはタンカーに乗せてダバオを目指す。バンサモロ議会としてはコタキナバルを有する北ボルネオ州政府とスールー王国の権益拡大に批判的らしいが…… 錦州-マニラ線(海路) 錦州-マニラ線(空路) 上海-マニラ線(空路) 交通 道路 ミンダナオ鉄道 ダバオ~コタバト~マラウィ~イリガン経由カガヤン・デ・オロ~ブトゥアン~タグム循環 300万 スールー海上フェリー サンボアンガ~バシラン島~ホロ島~バシンラン~シブツ経由ラハダトゥ行き 200万 サンボアンガ国道 カガヤン・デ・オロ~パガディアン~カバサラン~イピル経由サンボアンガ行き 100万 汎ボルネオ道路 タワウ~クナ~ラハダトゥ~サンダカン~クダット経由コタキナバル~タンジュン・アル~パパル~ボーフォート~シピタン行き(通行止め) 100万 パラワン海上フェリー クダット~バラバク島経由プエルトプリンセサ行き 100万 北カラガ道路 ブトゥアン~カバドバラン~マイニト経由スリガオ行き 100万 北サンボアンガ循環線 パガディアン~カバサラン~イピル経由リロイ~ディポログ~オーロラ循環 100万 サバ州立鉄道 コタキナバル~タンジュン・アル~パパル~キマニス~ボーフォート~ハロギラット~テノム~マララップ~クニンガウ~タンブナン~ラナウ 100万 サバ州立鉄道メヌンボク線 メヌンボク~クアラ・ペンユ~ボーフォート~シピタン~(サバ国境で通行止め) 100万 クニンガウ-タワウ連絡道路 クニンガウ~ナバワン~サプルト~カラバカン~タワウ 100万 トゥアラン-サンダカン連絡道路 トゥアラン~テノンポク~ラナウ~ブルラン~サンダカン 100万 タンブナン-コタキナバル連絡道路 タンブナン~パナンパン~コタキナバル 100万 東部ミンダナオ線 スリガオ~タンタグ~ビスリル~マティ~タグム~ダバオ 100万 南部ミンダナオ線 マティ~タグム~ダバオ~ディゴス~グラン~アラベル~ヘネラル・サントス~コロナダル~タキュロン~コタバト 100万 ミンダナオ鉄道サンボアンガ支線 ディポログ~オラキエタ~オサミス~オーロラ~イリガン~カガヤン・デ・オロ経由バウンオン~マラウィ~スルタン・ナガ~パガディアン~カバサラン~イピル~サンボアンガ 100万 ミンダナオ鉄道縦貫支線 グラン~ヘネラル・サントス~コロナダル~タキュロン~(リグアサン湿地帯縦貫)~カバカン~バレンシアシティ~マライバライ~マノロ・フォーティック~カガヤン・デ・オロ~バリゴアン経由ビンゴオグ~ブトゥアン~カバドバラン~マイニト~スリガオ 100万 パラワン循環線 プエルトプリンセサを中心にパラワン島を一周する循環線 100万 バタネス海上フェリー イバヤット~バスコ~サブタン~バブヤン島~ダルピリ島~フガ島~カミギン島~アパリ 100万 フィリピン国鉄北方本線 サンティアゴ~バナウェ~マヤンカン~スディペン~サンフェルナンド~ダグパン~サンカルロス~バヤンバン~パニキ~タルラック~アンヘレス~サンフェルナンド~アパリット~マロロス~マリラオ~ヴァレンズエラ~マラボン~マニラ 100万 フィリピン国鉄南方本線 マニラ~マカティ~タギッグ~モンテンルパ~ビニャン~カブヤオ~カランバ~バタンガス~ルセナ~パグビラオ~グマカ~ナガ~レガスピ~マトノグ 100万 マッカーサー・ハイウェイ マニラ~カローカン~マロロス~サンフェルナンド~アンヘレス~タルラック~アーダネータ~ロザリオ~バギオ~サンフェルナンド~ビガン~ラワグ 100万 汎フィリピン・ハイウェイ ラワグ~アパリ~トゥゲガラオ~イラガン~サンティアゴ~サンホセ~カバナトゥアン~バリウアグ~ケソンシティ~マニラ~タギッグ~モンテンルパ~カランバ~バタンガス~ルセナ~ナガ~レガスピ~マトノグ~アレン~カルバヨグ~タクロバン~ソゴド~リロアン~サンリカルド~スリガオ~ブトゥアン~バユガン~サンフランシスコ~タグム~ダバオ~ヘネラルサントス~コロナダル~タキュロン~コタバト~パラン~パガディアン~イピル~サンボアンガ~イサベラ~ホロ~タウィタウィ 100万 西部ビサヤ諸島周遊道路 アンヘレス~オロンガポ~ルバング~プエルトガレラ~カラパン~マンサレイ~サン・ホセ~マライ~カリボ~ロハス~イロイロ~バコロド~カバンカラン~ドゥマゲテ~セブ~ラプラプ~ダグビララン~マアシン~スリガオ 100万 ミンダナオ鉄道 ミンダナオ島を循環するように敷設された鉄道路線。マルコス政権下の開発独裁でさえカバーしきれなかった南部フィリピン地域開発のネームシップとなるべく内戦後間もないバンサモロ議会で予算が承認され、198?年に敷設開始。当時から中心都市だったダバオからバンサモロ議会の所在するコタバトを経てビサヤ諸島に面するカガヤン・デ・オロ、および反イスラーム勢力との後方基地になるブトゥアンを回って再びダバオに戻ってくる循環線を構築している。 スールー海上フェリー スールー諸島を縦断する海上フェリー路線。車両運搬が可能であるため道路の扱いであるが、実際には海上交通に含まれる。サンボアンガ半島の中心都市であるサンボアンガからスールー王国の首都であるホロを経て北ボルネオ州のラハダトゥへ至る路線を作っている。なおラハダトゥ上陸においてはイスラム国北ボルネオ州による臨検が実施されることもある サンボアンガ国道 細長いサンボアンガ半島を貫く道路。カガヤン・デ・オロを基点としてサンボアンガ地方第二の都市であるパガディアンを通りカバサラン、イピルなどの地方都市を貫きながら最先端に当たるサンボアンガへと至るルートを取っている。カガヤン・デ・オロに加えてパガディアンとサンボアンガという3つの大都市を結ぶ路線であるため渋滞も比較的多い 汎ボルネオ道路 施工者はボルネオ・スルターン国。本来は当地のラジャが建設したものであったが、イスラム国系テロ組織による対ボルネオ紛争であるラハダトゥ紛争においてこれらから奪取。再整備したうえでイスラム国北ボルネオ州の州道一号線とした。ところどころ砲撃による崩落があったりするが、テクニカルが通る分には問題がないのでヨシ! パラワン海上フェリー イスラム国北ボルネオ州からスールー王国領パラワン島へ抜けるための主要な海上フェリー航路。スールー海上フェリーと同じく車両運搬が可能であるため道路の扱いであるが、実際には海上交通に含まれる。パラワン島の道路状況が内戦の弊害で極めて悪いため、今のところはプエルトプリンセサ港に直接乗り入れる形で何とかしているとか 北カラガ道路 反イスラーム勢力との戦闘のため急遽整備された道路。後方基地たるブトゥアンから最前線のスリガオへと兵士を送り込むための道路であり、基本的には軍の専用道として使用される。スリガオには砲兵隊駐屯地と空軍基地が存在し、毎日毎日反イスラーム勢力との戦いのために砲弾を作っては運搬するトラックがひっきりなしに稼働している。 北サンボアンガ循環線 同じく反イスラーム勢力との戦闘のために急遽整備された道路。パガディアンから最前線の航空基地であるディポログまでを結び、防衛部隊の移動を綿密化させた。北サンボアンガ循環線はそのインフラの貧弱さから極めて劣悪なものであり、ロクな整備がなされている様子はない。現在予算申請中であるらしいが…… サバ州立鉄道 サバ州のラジャが保有していた鉄道。本来はタンジュン・アルからテノムまでだったが、イスラム過激派勢力が独自に延長してサバ州中部の都市ラナウまで延伸させた。下記のトゥアラン-サンダカン連絡道路やタンブナン-コタキナバル連絡道路と接続がなされていることで活発な交通網を実現させた。 サバ州立鉄道メヌンボク支線 サバ州のラジャとは別にイスラム過激派が独自に作成した鉄道網。ブルネイ湾に面した港町メヌンボクとその軍用飛行場に向けた貨物路線が敷かれており、コタキナバルの軍需工場から直接物資を運び入れることが可能となっている。 クニンガウ-タワウ連絡道路 サバ州中部の都市クニンガウからサバ州南東部の国境線沿いの都市タワウまでカリマンタンの熱帯雨林の中を突き抜ける形で作成された軍事道路。いくつかの都市には航空基地の設置を申請しているらしく、国境警備の任務がはかどる。 トゥアラン-サンダカン連絡道路 トゥアランからサンダカンまでを一直線に結ぶ道路。日本軍が駐留していた時代にはサンダカン死の行進とも呼ばれたルートであるが、サバ州のラジャが頑張って道を整えたことからまだましな通路となっている。 タンブナン-コタキナバル連絡道路 タンブナンとコタキナバルを結ぶ短い道路。サンダカンからコタキナバルへ向けて進撃を続けるイスラム過激派勢力とコタキナバルに立てこもるサバ州のラジャが最も激しく戦った隘路であり、現在でも銃弾や砲撃の跡が生々しく残っている。 東部ミンダナオ線 最前線であるスリガオからフィリピン海に面した各都市を結びながらダバオまでを結ぶ路線。一部南部ミンダナオ線と競合しながらもダバオの物資を各所に届けるための大動脈として重宝されているらしい。 南部ミンダナオ線 ダバオ-ソクサージェン線とも。フィリピン海に対する防空支援を担うためのマティ空港からタグム、ダバオを通ってソクサージェン地方のサランガニ湾と半島を経由するようにヘネラル・サントス港へ、そこから更に内陸を通ってコタバトまでをつなぐルートを構成しており、軍用目的なのか路面が結構杜撰。 ミンダナオ鉄道サンボアンガ支線 スールー王国における最大都市、サンボアンガからパガディアンを通ってコタバトへ、そこからマラウィを経由しつつ内陸周りでカガヤン・デ・オロへと移動する鉄道路線。そこからイリガンを通ってオーロラ、オサミスなどの地方都市を通りながら反イスラーム勢力との戦闘における最前線であるディポログへとつなぐ大規模な鉄道路線。 ミンダナオ鉄道縦貫支線 サランガニ湾の最先端であるグランからヘネラル・サントスを通って、南ミンダナオ線の自動車道に沿いつつ内陸へ移動した後タキュロンからカバカンまで一気に縦貫する鉄道路線を敷いた。これまで鑑みられてこなかったミンダナオ島内陸部のバレンシアシティやパライバライなど地方都市を経由してカガヤン・デ・オロへ、そこからは北部の海岸線を沿いつつブトゥアン、そこから北カラガ道路を横目にスリガオまでたどり着く鉄道路線である。 パラワン循環線 パラワン島最大の都市であるプエルトプリンセサを中心に南はバタラザ、北はエル・ニドまでたどり着く循環線。資源輸送と軍需物資輸送のために作られた路線であり、日々軍用民用問わない無数のトラックの群れが行きかっている。 バタネス海上フェリー バタネス諸島における海上フェリー。北は主権の及ぶ最北であるイバヤット島、そこからおおよそほとんどの島々を巡りながらルソン島のアパリに寄港する。最近では民間人のみならず軍事物資も運んでいるらしく、多少きな臭い。 フィリピン国鉄北方本線 汎フィリピンハイウェイとの連結を考え多少延伸された北方本線。マヤンカンの鉱山資源を運送するための鉄道でもあるが、基本はサンフェルナンドからダグパンを通ってタルラック、アンヘレス、そしてマニラへと続く旅客路線である。内戦によって荒廃していたがイスラーム資本によって再建された フィリピン国鉄南方本線 同じく内戦によって荒廃していた南方本線。こちらはマトノグへの延伸以外にも多少変更があり、例えばカランバからバタンガスまでを結ぼうと考えられていたらしく、実際その通りになっている。これに関しては天変地異も関連しているとのこと。 マッカーサー・ハイウェイ 正式名称はルソン一級高速道路1号線。とはいえ民間ではもともとの名前であるマッカーサー・ハイウェイと呼ばれることが多いらしい。北のラワグから南のレガスピまでを結ぶことから結構な重要路線として数えられているらしい。 汎フィリピンハイウェイ 1965年にマルコス大統領が考案した汎フィリピンハイウェイをそのまま再建したもの。フィリピン内戦によって完膚なきまでに破壊され、また国土も分断されたことによって本当に完成の目を見ることはないとされていたが、今こうして再建を達成した。 運河 名称 流域 管理者 運用可能艦船 金額 ラグナ運河 マニラ湾~パッシグ川~ラグナ湖~ラモン湾 マニラ・イスラム共和国 軍民問わず 6000万ED ダグパン運河 ダグパン~アーダネータ~サンホセ~パラヤン・シティ~ディンガラン マニラ・イスラム共和国 軍民問わず 6000万ED ミンダナオ縦貫運河 ダバオ~ブトゥアン バンサモロ議会 軍民問わず 6000万ED ラグナ運河 マニラ湾からパッシグ川を抜けてラグナ湖へと至るルート。マニラ都市圏の水利を担うこの運河を掘削して巨大な商船の運用を可能としたのち、ラグナ湖からさらにトンネルを通じてルソン島東部のラモン湾まで掘りぬくルート。北フィリピン政府の発案していた案をそのまま流用して作成している。 ダグパン運河 西部のリンガエン湾に存在する港湾都市、ダグパンから東部のフィリピン海に面した地方都市のディンガランまでを掘り抜いた運河。ルソン島中部地域における移動を円滑なものとしており、軍艦の航行がメインとして考慮されている。 ミンダナオ縦貫運河 ダバオからブトゥアンに向け、ミンダナオ島を縦に走る中央ミンダナオ高地に沿って掘りぬかれた縦貫運河。バンサモロ議会の艦艇がより迅速にビサヤ諸島方面へと移動できるようになっており、最初から軍艦の運用を見越している。 港湾 ダバオ港 200万 サンボアンガ港 100万 プエルトプリンセサ港 100万 ヘネラル・サントス港 100万 コタバト港 100万 サンダカン港 100万 マニラ・ノース港 100万 マニラ・サウス港 100万 ダグパン港 100万 レガスピ港 100万 バタンガス港 100万 スービック軍港 90万 ダバオ港 ミンダナオ島の事実上の首都であるダバオの港湾。コンテナターミナルでもあるためその積み下ろしのために巨大なクレーンやコンテナ置き場がある。これらの積荷はバナナなど農産物が多いとされているが、どこに向けて出港する船なのかは一切不明であったりする。多分日本とかブラジルとかが輸入しているのではないだろうか。知らんけど サンボアンガ港 サンボアンガ市の港湾。スールー諸島に対する玄関口であり、スールー海防衛の最前線となる港湾都市。スールー王国が保有する港湾の中でも随一の規模を誇り、またサンボアンガ半島の防衛とスールー諸島との連絡線保持において重要な意味を持つ港湾都市である。 プエルトプリンセサ港 パラワン島随一の軍港。北の反イスラーム勢力に対する最前線であり、同地方における鎮守としての役割が期待される。また中沙諸島および南沙諸島への艦隊派遣などにも運用される予定であるとされ、極めて厳重な警備が敷かれている。なお管轄はスールー王国海軍である。 ヘネラル・サントス港 サランガニ湾に面したヘネラル・サントス市に存在する港湾。ミンダナオ島随一のマグロ漁港であり、ここの市長はすべて有名なマグロ業者がなるというジンクスがある。現に名前の由来となったサントス将軍の孫は有名なマグロ業者である コタバト港 バンサモロ議会の所在地に当たる行政首都、コタバトに存在する港湾施設。軍港としての役割が強く、イスラム国北ボルネオ州政府やボルネオ・スルターン国が攻撃してきた場合ここを最終防衛拠点として運用する計画であるらしい。 サンダカン港 北ボルネオ州政府が保持するサンダカンにおける港。スールー王国との利権争いがあったらしいが、サンダカンを実効支配した北ボルネオ州政府による行政が行われている。本来サバ州のラジャが発展させる予定であったらしいが、ラジャ自身は東部のサンダカン周辺へ一切見向きもしなかった。 空港 ダバオ国際空港 200万 サンダカン空港 100万 プエルトプリンセサ国際空港 100万 スリガオ空軍基地 100万 ディポログ空軍基地 100万 コタキナバル国際空港 100万 メヌンボク飛行場 100万 シピタン空港 100万 タンタグ空港 100万 ヘネラル・サントス空港 100万 ビスリル空港 100万 ロン・パシア飛行場 100万 クアラ・ペンユ飛行場 100万 イバヤット飛行場 161万 マニラ国際空港 100万 バコロド国際空港 100万 マクタン・セブ国際空港 100万 ビコール国際空港 100万 ラワグ国際空港 100万 ダバオ国際空港 ダバオにおける国際空港。3,000m級の滑走路を備えた巨大な空港であり、ダバオにおける最重要の貿易拠点。飛行場としての歴史は極めて長いもののフィリピン内戦によって荒廃してしまった。現在これを修復し、軍民両用の航空基地として運用する計画が存在するらしい。 サンダカン空港 サンダカンにある飛行場。イスラム国北ボルネオ州政府の玄関口のように見えて、実際は軍用の航空基地であるという酷さ。民間機はほとんどすべてコタキナバル国際空港のほうへ回されるため、サンダカン空港に存在するのはスールー海を防衛するための哨戒部隊くらいしかいない プエルトプリンセサ国際空港 プエルトプリンセサにおけるゲートウェイ空港。北の反イスラーム勢力に対する最前線基地であるため常に数個の飛行隊が配属されている。ここを中心としてマニラを爆撃する予定らしいが、実際にはミンドロ島などが存在するためこれが出来ていない。 スリガオ空軍基地 スリガオ海峡に面した空軍基地。反イスラーム勢力の一大根拠地たるレイテ島に対する爆撃拠点であり、常に砲弾と爆弾が飛び交っている。スリガオには陸軍基地も併設されているためここと連携した防衛システムが組まれているらしいが、その実態はいまだ不明である。 ディポログ空軍基地 サンボアンガ半島の北にある航空基地。ネグロス島やセブ島に対する爆撃をメインとして行う基地であり、同じく最前線基地として常にピリピリした緊張感で満たされている。空母が出来るまではここが最前線の爆撃拠点となり、スールー海における綿密な航空索敵の舞台となるだろう。 コタキナバル国際空港 イスラム国北ボルネオ州政府の保有する国際空港。本来はやはりサバ州のラジャが保有していた国際空港であるが、イスラム過激派との抗争において奪取された。現在イスラム国北ボルネオ州政府は空軍を再編中であり、ここが中心地となることが予測される。 メヌンボク飛行場 イスラム国北ボルネオ州政府の保有する軍用飛行場。ここはサバ州のラジャが保有していなかった軍用空港であり、イスラム過激派が独自に設置した完全軍用の飛行場である。ここではイスラム過激派の保有するF-5B爆撃機が複数飛行隊配属されているとか、されていないとか。 シピタン空港 イスラム国北ボルネオ州政府の保有する飛行場。サバ州のラジャが保有していた空港であったが、現在ではイスラム過激派が独自に航空基地を作って対ブルネイ戦闘の最前線として編成されている。ここにもF-5B爆撃機飛行隊が配属されているらしいが…… タンタグ空港 ミンダナオ島の東側、フィリピン海に面したタンタグにある空港。本来は小さな国内空港であったが、フィリピン内戦の再開に伴いフィリピン海における防空支援のために新たに拡充して整備された。 ヘネラル・サントス国際空港 ミンダナオ島の最南端付近にある空港。ヘネラル・サントス市における一大国際空港であるためそれなりに大きく、ダバオ国際空港と同じく3000mクラスの滑走路を有する。ここもまたダバオ国際空港と同じくセレベス海に対する防空支援や民間機受け入れに使用されるらしい。 ビスリル空港 タンタグの南、タグムの北東にあるフィリピン海に面した小さな地方都市に存在する空港。タンタグ空港と同じく本来は小さな国内空港であり滑走路の数や格納庫の数も圧倒的に足りていなかったが、バンサモロ議会による戦時予算によって急速に整備された。 ロン・パシア飛行場 サバ州の山奥に存在する小規模な飛行場。シピタン空港とは全く別の空港施設であり、本来はサバのラジャがシピタン空港からの一時的な駐機を目的として作成した極めて小規模な滑走路のみを持つ空港。とはいえ軍事的な利用には十分すぎる程の機能を持つ クアラ・ペンユ飛行場 メヌンボクの北部に存在する飛行場。本来はサバ州のラジャが南部のティガアイランド森林公園へのゲートウェイとするために作成した空港であるらしいが、機能的にシピタン空港の代替をするまでには至らず極めて寂れた空港でしかなかった。 イバヤット飛行場 マニラ・イスラム共和国が設置した飛行場。マニラ・イスラム共和国の主権が及ぶ最北の島であるイバヤット島に設置されており、バシー海峡に対する最大の目にして要となっている。どうやらここにロケット砲兵部隊が進駐しているらしいが……? 自由構造物 スールー海海上ドック 29.75+2.7625万 制度 文化資源 代表企業 地理 軍事 陸軍 歩兵 13+1 BARA3,SSA2+1,INBA4,MIRA4 砲兵 11+1 BARA2,SSA2+1,INBA3,MIRA4 |上陸用装備|24|BARA5,SSA4,INBA7,MIRA8|100 1980年型歩兵 1980年レベルの技術力で整備された歩兵。特にスールー王国陸軍として構成されているが、その大半はイスラム過激派のアンクード(小集団)たちであり軍部と元過激派、軍部と文民の間の仲は極めて悪い。主な武装はフィリピン軍時代にアメリカから供与されたM14バトルライフル、M16アサルトライフルなど。 現在バンサモロ防衛隊では、タタールスタンからやってきたムジャーヒディーンのおかげでソビエト連邦製のAKS-74小銃や光学照準器などを入手することに成功。これを利用した新型携行装具を開発中であるらしい。 1990年型民兵 1990年代に流行った自爆テロ仕様の民兵。主にイスラム国北ボルネオ州軍がこの装備を用いる。東側製のAK47やM14バトルライフルなど旧式化した兵器を使用するほか、自爆テロ用の爆薬を服の下に忍ばせた兵士もいるらしい。 M114 155mm榴弾砲 砲兵部隊の装備。フィリピンがアメリカから供与されたものをそのまま流用しているため、実は製造から50年が経過したものとかざらにある。射程は14kmと極めて短いものの、砲身を延長したりロケット補助推進弾を利用することで更に遠距離、30km前後まで飛翔させることが可能となっている。場所によっては島を挟んだ対岸に対しても砲撃が可能なことから、これが反イスラーム勢力との戦闘で特に使われる武装であるらしい。 現在はロケット砲への置換が進みつつあり、一部後方部隊の装備としてしか運用されなくなっている No-90多連装ロケット砲 協会自治区製の自走ロケット砲。60~120連のロケット砲を搭載しており、射程は一般的なロケット砲より若干長く、精度はお墨付きの高性能兵器でもある。フィリピン内戦においては協会自治区との貿易協定によって武装の供与が行われたことにより、スールー王国軍の所有する砲兵装備がこれとSFa-43速射野戦砲によって代替される。 M270 MLRSロケット砲システム 本来はアメリカ、ロッキード・マーティン社製のロケット砲。イギリスに輸出された後イギリス内戦において使用された物品であるが、取引によってバンサモロ議会がこれを購入した。射程は砲弾によるものの30kmから最大で165kmまで達する物があり、最新型では300kmにも到達するロケット砲弾も製造されているらしい。 これらはブトゥアンの砲弾製造工場とダバオのIT企業、Laneシステムズで誘導弾を作成した後、バンサモロ防衛隊の各砲兵部隊への配備が行われる。 オート・メラーラMod56 105mm榴弾砲 イスラム国北ボルネオ州軍が保有する砲兵部隊の装備。ヘリコプターで運搬可能な軽量砲であるため山岳地帯や密林での運用に特化しており、サバ州のラジャをはじめとする各体制派勢力がこれを使用していた。しかしイスラーム過激派勢力によって奪取された後はコタキナバルの工場で再生産された後彼らによって運用されている。 海軍 戦闘艦 3 SSN3,BARN0 駆逐艦 3 SSN0,BARN2,MIRN1 輸送艦 0 SSN0,BARN0 巡洋艦 3+1 SSN2,BARN0,MIRN1 空母 2 BARN1,MIRN1 戦艦 1 SSN セブ級フリゲート フィリピン海軍がアメリカから譲られたミゲル・マルバー級哨戒艦を接収、運用したもの。PS-28セブ以降6隻を保有しているためセブ級フリゲートと呼ばれる。ただし内戦の傷が深くそのほとんどはドック行きであるため実働数は極めて少ない。また艦艇自体の国内独自生産も出来ておらず、技術開発が待たれる シエラ・マドレ級輸送艦 フィリピン海軍がアメリカから供与されたLST-1級戦車揚陸艦を接収、運用したもの。LT-57シエラ・マドレ以降の複数隻を保有しているためシエラ・マドレ級輸送艦とも呼称される。ただし内戦の傷が深く、その殆どはドック行きである。実働数は本当に極めて少なく、現状輸出用の艦艇のみが製造されている。 ダトゥ・パリングリマ・ハッサン級巡洋艦 バンサモロ議会として初めての国産艦艇。形状はスヴェルドロフ級巡洋艦に酷似。セブ級フリゲートの修復と各国からの技術支援によってやっと200m級の巡洋艦を建造できるようになった。とはいえ一番艦ダトゥ・パリングリマ・ハッサンは競売にかけられ売却されていったため、今後は2番艦シャリーフ・カブンスワン級と呼ばれるようになる……かもしれない。 アブドゥル・ラサル・サイヤフ級航空母艦 ボルネオ・スルターン国から購入した最新鋭航空母艦。形状などがチャクリ・ナルエベトに酷似する軽空母であり、ヘリコプターを搭載して沿岸哨戒を行いつつ航空機の発艦を可能とした合いの子のような存在。とはいえ東南アジアにおいては最強クラスの航空機運用能力を保有できる。 保有はバンサモロ防衛隊。その中でも特に“アブドラガク・ジャンジャラーニ派”と呼ばれる一派であり、特に反政府運動が過激な一派である。 2番艦はラハ・ソレイマン。マニラ・イスラム共和国……特に“ラハ・ソレイマン・イスラム運動”と称する過激なグループが保有する。 ラプ・ラプ級ミサイル戦艦 スールー王国海軍の誇る最新鋭のミサイル戦艦。キーロフ級ミサイル巡洋艦にも似た艦形であるがその兵装は大きく変わっており、むしろ大艦巨砲主義的な戦艦のそれに近い。多数のVLS用セルのほか主砲の36cm対艦ガンランチャーを備えたことで対艦ミサイルの発射が可能となり砲戦能力が極めて増した。 保有はスールー王国海軍。艦長のマルセロ・ピラール大佐はフィリピン海軍から裏切った者だという経歴を持つ 空軍 戦闘機 12 SSAF4,INBAF5,MIRAF3 戦闘爆撃機 5+1 INBAF2,MIRAF3 攻撃機 12 BARAF4,SSAF3,INBAF2,MIRAF3 ミサイル 32 BARAF14,SSAF9,MIRAF9 輸送機 15 BARAF4,SSAF2,INBAF2,MIRAF7 F-5A戦闘機 フィリピン政府がアメリカから供与されたジェット戦闘機、F-5Aそのままのタイプ。20㎜機関銃を取り外していない型であり、高度な空戦機動が可能。本来はサバ州のラジャやフィリピン空軍が保有していたものであるが、採用からすでに30-40年程度経過しており早期の発展型への置換が望まれる。 F-5B爆撃機 フィリピン空軍がアメリカから供与されたジェット戦闘機F-5Aの複座爆撃カスタム。フィリピン内戦に乗じてモロ民族独立派が奪取し、スールー王国の手に渡った。しかし稼働機は極めて少なく、運用には難がある。現在戦闘機型にあたるF-5A戦闘機の製造や廃棄されたF-5B爆撃機の修復などを行うべく資本を集積中。 フォッカーF28輸送機 フィリピン空軍の保有していた要人輸送機。スールースルタン王国では陸軍航空隊が保有しており、やはり要人の輸送のほか兵員の輸送にも使われている。この度北ボルネオ州空軍も旅客機タイプの同輸送機を使用することとなった 世界遺産 合計掛け金 38064.5125万+国際都市1000万+貿易6200万 合計税収 インフラ5709.67687万+国際都市310万+貿易1550万+基礎収入400万 借金 リビュア-25万*7回払い 0万/0
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1696.html
昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-064 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及ぴ理由 第3 当裁判所の判断 5 真実性ないし真実相当性について(その1) 【原判決の引用】 (原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及ぴ真実相当性)について (原)(2) 集団自決に関する文献等 ア 座間味島について(ア)(梅澤命令説記載文献) 梅澤命令説について直接これを記載し, 若しくはその存在を推認せしめる文献等としては, 以下に記載するものがあげられる。 j 「沖縄県史第10巻」(昭和49年)琉球政府編集(2ha) (判決本文p151~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。 j 「沖縄県史第10巻」(昭和49年)琉球政府編集(2ha)(a)(史料価値)* (b)(自決命令に関する記述)* (c)(誤記訂正の目的も)* (a)(史料価値)* 「沖縄県史第10巻」は, 「沖縄県史第8巻」と同様の沖縄の公式な歴史書の一部であり, 昭和49年3月31日に発行され, 「沖縄戦記録2」に当たる。 沖縄県史の作成に関与した安仁屋政昭は, 沖縄県史の資料価値等について 「これは, 客観性のある, 極めて科学性のあるものだと思います。 それはどういうことかと言いますと, 戦争体験者の証言を語ったとおりに記載するという, そういう手法は採っておりません。 私どもは, 証言の客観性を高めるために, 行政記録, 外交資料, 軍事記録, 報道記録, 第三者の証言などを突き合わせて, その客観性を高める努力をし, また一つの事件についても一人から聞取りをするということだけでなくて, 場合によっては関係者の座談会などを開きまして, これを四方八方から光を当ててその客観性を保証できる, そういう証言をつくってきたつもりであります。」 「で, 多くの証言者―私自身について言いますと, おそらく一万人近い証言に接しております。 それは私の個人の話でありまして, 私のようなことをやっているのが」「百数十名, そういう努力を重ねてきている, 集団討議を重ねてきている, ということです。」 と語っている(乙11・28頁) (b)(自決命令に関する記述)* 「沖縄県史第10巻」には, 「午後十時ごろ, 梅沢隊長から軍命がもたらされた。 『住民は男女を問わず軍の戦闘に協カし老人子供は村の忠魂碑の前に集合,玉砕すぺし』 というものだった。 役場の書記がこの命令を各壕をまわって伝えた。」 「ここでは部隊長から自決命令が出されたことが多くの証言からほぼ確認できるのである。」 との記述がある(乙9・698,699頁)。 (c)(誤記訂正の目的も)* 「沖縄県史第10巻」には, 大城将保の記載として, 初枝らの自決について, 前記「沖縄戦史」及び「秘録沖縄戦史」に誤記があり, 前記「鉄の暴風」にも控訴人梅澤の死亡についての誤記があると指摘した上で, 「このように, 慶良間諸島の戦争記録のなかには, 渡嘉敷島の集団自決の記述なども含めて ,誤記と欠落が少なくない。 本編の証言がそれらを訂正する資料ともなれば幸いである。」 とし, 後記 l のとおり, 集団自決の体験者の体験談が記載されている。 目次 戻る 通2-064 次へ 通巻
https://w.atwiki.jp/javadsge/pages/6167.html
(1)表 四半期別GDP速報 (2)プログラム (3)グラフ (4)出所 日本銀行 (5)メモ 記号 数式 (6)作業記録 1月23日 数式追加 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 -
https://w.atwiki.jp/kubo-zemi/pages/868.html
トップページ 新聞論評 新聞論評 2009 新聞論評 20090928 This Page 2009年9月14日 締 切 新聞論評 学籍番号200814036 氏名 加里本裕二 1.新聞情報 見出し 新型インフルワクチン接種、生活保護世帯は無料、政府方針。 発行日 2009年09月29日 新聞社 日本経済新聞、(朝刊) 面数 16面 2.要約 新型インフルエンザ対策で、政府は29日、生活保護世帯はワクチン接種費用を無料の方針を固め、生活保護以外の低所得者については接種費用の一部を公費負担とする方向で検討。2回予定の接種の費用負担は計7千円前後の見込み。 (105文字) 3.論評 生活保護者に無料接種を提供とする方針は良いとは思えない。そもそも生活保護者は医療費が無料なのだから、これは不要ではないだろうか。偏見だが、本当に仕事が出来なくて仕方がなく生活保護を受けている人間は少ないのではないだろうか。遊び回っている生活保護者が大半を占めていると聞いた事がある。まず不正な手段で生活保護を受けている人間を排除するのが先決ではないだろうか。何故、のうのうと何も考えず適当に生きている人間が優遇され、貧困に喘ぎながら生活をしている人間が冷遇されるのか。 生活保護の審査はとても厳しいようだ。申請書をもらう事自体が厳しいらしい。何度も言うが、まずは生活保護者の身辺調査をして、本当に生活保護対象になり得るのか見極めるべきで、本当に必要な人間にのみ生活保護を受ける権利を与えるべきだ。極貧者に対して生活保護を受けさせず、ワクチン接種も料金を取るこの国を自分はよくわからない。(392文字) 4.コメント 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/frontmission3/pages/70.html
エマ編 アドレス入手 アリサ編 STAGE31 広州繁華街でいいことなしのコランと会話 STAGE29 万安補給基地で兵士と会話 名称 パスワード 更新 備考 TOP トピックス ◯ 人民の部屋掲示板(人民的部屋) 布告 ◯ 更新 エマ編 アリサ編 ページ STAGE02 STAGE02 トピックス STAGE11 STAGE09 トピックス STAGE20 STAGE24 トピックス / 布告 STAGE22A1 / 22A2 / 22B1 / 22B2 STAGE24 布告 STAGE30 STAGE27 布告 STAGE43 STAGE35 トピックス / 布告 STAGE58 STAGE40 トピックス STAGE59 STAGE50 布告 STAGE64 STAGE53 トピックス / 布告
https://w.atwiki.jp/doudan/pages/130.html
―――――――――――――――――――――――――――――――― 緊急国内広報 ―――――――――――――――――――――――――――――――― 発布日:01209002 食糧に関しての緊急国内広報です。 現在、NW全土において食糧の安全問題について大きな混乱が起きており、その影響は実際皆様の家庭にまで届いていることと思います。これに対し、満天星国ではNW各国と協力体制を布き、連携して安全な食料を確保に努めて参ります。現在の復興に向けた流れをここで止めることの無いよう、皆様のご理解ご協力を頂けますようお願いします。 /*/ 【01209002食料危機に関する声明】 一、マンイーターの毒性は共和国のリワマヒ国に現れた遺跡と繁茂技術に由来するものであり、これを封じることでかの疫病の危険性を抑えることは可能である。 一、リマワヒに現れた遺跡についてはPPGが現在対応中である 一、繁茂技術については既にリワマヒ藩国にて使用停止の手続きが行われている 一、リワマヒの迷宮と繁茂技術を封じれば、マンイーターの増殖・進化は止められる。これは農業の専門家が冷静に思考すれば自然と行き当たる結論でもあり、不正確な情報に惑わされて短絡的な行動を取るような事は控えるべきである 一、特に、研究施設や医療品工場でも既に新種マンイーターの毒性を阻止する方策を実施済みであり、必要以上の心配は無用である 一、越前藩国藩立学校卒業生の農業研究員を中心にシンクタンクを設立、経済グループやNACと協調し、今後の食の安全を確保・保証するための活動を指示する。 一、レディの最期の意志に応えるため、医療品工場を保有する藩国や市民病院を保有する各藩国、経済グループ加盟国、帝國共和国の区別無く協力し、ニューワールドでのこれ以上のマンイーター関連病の発生と蔓延を防ぐこととする。 一、帝国の誉れを護るならば、帝國の敵の言を信じてレディの魂を恥で塗り固める行いは厳に慎むべきである。 以上の声明を、満天星国政府は各国との共同声明として署名、発表します。 /*/ また、満天星国では税関施設を導入し、国内外の輸出入品に関しての精査を行い、食糧の安全の確保に努めております。 /*/ 藩王:都築つらね 臨時内務長・吏族1級:amur 摂政:らうーる 執政:里樹 澪
https://w.atwiki.jp/chaina_battle/pages/219.html
元老(げんろう。英:elder statesman)とは、明治時代後期から昭和時代初期にかけて、日本政府の最高首脳であった重臣である。 明治維新に功績のあった人物を元勲と呼ぶが、彼らが明治新政府において長期間に渡って事実上政治を牽引していたことから、主にマスコミ周辺から誕生した略称だと言われている(長老元勲→元勲老→元老、もしくは元勲諸老の略)。 法制上にその定めはなかったが、勅命または勅語によって任命され、天皇の諮問に答えて内閣更迭の際の後継内閣総理大臣の奏薦をはじめとする国家の最高意思決定に参与した。特に宮中問題を執るのが元老の権威の源泉となっており、このことは宮中某重大事件で敗退した山縣有朋が事実上失脚してしまったことからも明らかである。 沿革 最初に元老の詔勅を受け取ったのは、伊藤博文、黒田清隆である。当初は伊藤博文が枢密院議長の職を辞することから、明治天皇が詔勅を出そうとしたのだが、これでは薩長の藩閥において薩摩に不公平であることから、黒田清隆も元老に指名された。 時代の推移と共に元老の数は減少していった。松方の死去後、元老は西園寺のみとなったが、宮中では元老の再生産を行おうとする動きがあった。また、松方も存命中新たな元老を補充しようと考えていた。しかし最後の元老となった西園寺は山本権兵衛、清浦奎吾といった有力な候補たちに難色を示し、また別に重臣会議が設けられた事もあって、結局補充は行われないまま、1940年の西園寺の死と共に消滅した。 元老には、皇室儀制令(大正15年皇室令第7号)第四章第二十九条において、宮中席次第一階第四(枢密院議長の次位)と定められ、「元勲優遇ノ為大臣ノ礼遇」を与えられた(元勲優遇)。 元老の一覧 氏名出身生没年元老受命年月日 伊藤博文長州1841}} - Template 和暦?1889年(明治22年)11月1日受 黒田清隆薩摩1840}} - Template 和暦?1889年(明治22年)11月1日受 山縣有朋長州1838}} - Template 和暦?1891年(明治24年)5月6日受 松方正義薩摩1835}} - Template 和暦?1898年(明治31年)1月12日受 井上馨長州1836}} - Template 和暦?1904年(明治37年)2月18日受 西郷従道薩摩1843}} - Template 和暦?正式の任命手続きを経ていない。 大山巌薩摩1842}} - Template 和暦?1912年(大正元年)8月13日受 桂太郎長州1848}} - Template 和暦?1912年(大正元年)8月13日受 西園寺公望公家1849}} - Template 和暦?1912年(大正元年)12月21日受 1889 1891 1892? 1898 1900 1902 1904 1909 1912 1913 1915 1916 1922 1924 1934 1940 伊藤博文 黒田清隆 山縣有朋 西郷従道 松方正義 井上馨 大山巌 桂太郎 西園寺公望 重臣会議 ※帯の始めは受命年(重臣会議は、制度創設年。)、終わりは終任年(死去年)。 西園寺以外は薩摩藩・長州藩いずれかの出身である。 なお、第1次山縣内閣の総辞職後に山田顕義(長州)が元老に相当する元勲とともに後継総理大臣の奏薦を行っており、これについて歴史学者の佐々木隆は、山田が早世(1892年に49歳で死去)のために正式な任命の手続を得られなかった事実上の元老であった可能性を指摘している。なお佐々木は、後になって任命された桂・西園寺を除いた7名と山田を加えた8名をもって帝国憲法下における「薩長元勲」と位置づけている。 訳語としての「元老」 「元老」という言葉は、内閣などの行政機関の中枢において、君主の補佐、または任命・承認に携わる少人数の特権的地位に対して用いられることがある。また、特に二院制などで、世襲もしくは長期の任期を与えられ特権的立場で立法を行う上院の議員に対しても用いられることもある(元老院議員)。しかしこの多少古めかしい響きの語は、度々西欧史の記述に登場するローマ元老院議員に対して用いられる以外ではあまり使われることが無くなった。 関連項目 八大元老-こちらは中華人民共和国の建国の元勲である。 重臣会議 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月16日 (日) 11 53。