約 6,366 件
https://w.atwiki.jp/kt108stars/pages/6854.html
130 名前:NPCさん[sage] 投稿日:2012/01/11(水) 15 34 54.50 ID ??? コンベで俺が困ったちゃんだったフェイクあり報告。 DXでPC2で突然力に目覚めて戸惑うPC1をUGNに勧誘するってハンドアウトだった。 それでつい、レネビアニマルで僕と契約してUGNエージェントになってよとネタを交えた勧誘をしたんだ。 そしたら、PC1の人がアンチだったらしくキレられて真面目にやる気が無いなら帰れとかわめき散らして俺を卓から追い出そうとした。 それで騒いで周りが迷惑ということでPC1の人が追い出されてPC1不在でかなり悪い空気の中セッションを続けることになった。 不特定多数の人間くるコンベで安易にネタに走った俺が困ったちゃん。 131 名前:NPCさん[sage] 投稿日:2012/01/11(水) 15 52 51.76 ID ??? ううむ、俺も該当アニメのアンチだが流石に騒ぐ気はしないぞ 顔合わせない2chならデカイ口も叩けるが、面と向かってはとてもなあ そういや知り合いにジョジョアンチはいるな 132 名前:NPCさん[sage] 投稿日:2012/01/11(水) 16 20 01.33 ID ??? システム的なメタをいうと、UGNはゼノスやFHと違って レネビを職員にしてくれない(ワークス的な意味で)差別的なところなので、 レネビをスカウト担当にした、そこの支部長が困と言うのはどうだろう?w 133 名前:NPCさん[sage] 投稿日:2012/01/11(水) 16 26 48.39 ID ??? 他のハンドアウト部分に抵触したり、ネタを引っ張りすぎて脱線しなきゃいんじゃねとは思うな。 まどかっつーかまどか厨が嫌いだし、正直130のネタつまんないと思うから俺がやられたらいい気はしないが、ムギャオる程の事でもねーわ。 134 名前:NPCさん[sage] 投稿日:2012/01/11(水) 16 36 21.85 ID ??? 130 作品アンチってのがよくわからんな。 好きorつまらんから興味ない、が普通じゃないのか? 137 名前:NPCさん[sage] 投稿日:2012/01/11(水) 16 50 42.99 ID ??? 134 「(そいつから見て)馬鹿が安易にネタにする作品のアンチしてる俺カッケー」じゃね? 138 名前:NPCさん[sage] 投稿日:2012/01/11(水) 16 58 52.25 ID ??? 134 FEARアンチとかSNEアンチとか珍しくないじゃないですか 143 名前:NPCさん[sage] 投稿日:2012/01/11(水) 17 36 09.76 ID ??? 総じて作品云々より関係無いところで騒いでるそいつがうっとおしく感じる 146 名前:NPCさん[sage] 投稿日:2012/01/11(水) 17 53 46.36 ID ??? HOTなネタを使う時は身内でやるに限る スレ306
https://w.atwiki.jp/areb/pages/162.html
小説 商店街の新しい戦い 作 下丁@になし藩国 商店街集会場 「本日は皆様お忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます」 商店街の人々が集まる中、自治会長の話が続く 「この度、国の方でダンジョンを観光地として売り出すと言う計画は聞いていると思います。 このお達しに伴ない、我が商店街も観光客の獲得に向け力を入れなければなりません。 すでに需要が見込まれている武器屋、防具屋、道具屋、修理屋等の下準備施設や酒場、宿屋等の飲食宿泊施設の他、 観光客を安全に案内できる腕の立つガイドなど既に準備は着々と進行中であります。 ですが、この他にも更におみやげ屋のおみやげ、その他に意見や要望を上げてもらいたい。 もし、国に申請やなどが必要になるような意見があっても構わないのでどんどん出して欲しい」 会長の言葉を聞いてざわめく人々 「会長、俺からの意見なんだが観光客を呼ぶためにもダンジョンの宝に懸賞を賭けたらどうだろう? 『マジックアイテムで一攫千金』みたいな感じで」 意見を聞いて他の人々からも意見が上がる。 「キャッチコピーは『夢はでっかく3億わんわん』とか、どうだろね」 「金より物を送ったほうがよくないか、アイテム取ったのが猫だったら換金面倒だろうし」 「ってか、商店街にそんな金ないぞ」 「誰が商店街で出すって言った国が出すだろ」 「じゃあ、記念に花束でも贈るか」 「やめとけ、やめとけ、花束なんて食べられない」 意見が出るのは結構なのだが、悪乗りが過ぎると脱線するのよくある事で… 「じゃあ、喰える物ならいいのかよ」 「花も食べ物も同じだろ『残らないのがポイント』だろ」 「あ〜、だからプレゼントって花が基本なのか。で、仲良くなってきたら手料理っと」 「異議あり、花束贈ったら、押し花やドライフラワーになって残るぞ」 「それは、誰の実体験だ〜」 「五月蝿い、炭化手料理でも大事に残しとけ」 「そんなもの誰が残すんだよ、普通処分するだろ」 そろそろ収集か着かなくなる前に手を打つのが基本 「あ〜、静粛に。盛り上るのは結構なのだが話がずれてきているので一端区切るぞ。 とりあえず、反対意見は無い様なのでこの案は国に掛け合ってみる事にする。金なり物資なりは 国の方で何とかしてくれる事だろう。 「次にみやげもの屋のおみやげについて何か意見を」 「妥当な所で、饅頭なんかどでしょう?」 「ありきたりじゃないか」 「何を言う、饅頭は歴史が古いんだ。起源は三国志の諸葛孔明が作ったとされているんだぞ」 「諸葛亮?あの、蜀に人がいないから有名になれたヘボ軍師か」 「ヘボ言うな、武勇伝ならいくつも残ってるだろ」 「それは三国志演義の方だろ、正史読め、あれがまともに戦ったのなんて南蛮と北伐だけだろ。 しかも南蛮は正規軍隊ですらないぞ、北伐も5戦して1勝しかしてないだろ」 「正史でも内政と企画と開発は優秀だぞ」 「結局、軍事面だめじゃん」 「そんなに人間万能には出来てないんだよ」 またも脱線 「もう、最初から饅頭関係ない話になってるし」 「とりあえず、饅頭の中身どうしようか?」 「困った時はカレーか鍋だ。これなら、好き嫌いはほとんどでないぞ。ラーメンも有りだな」 「汁物を饅頭にいれるなよ」 「だからってカレーがあうのか?」 「『とりあえず入れとけ』の発想はどうよ?」 「叩くだけじゃなくて代案出せよ」 相変わらず話が進まず困っている 「困っているようだな」 「その格好、貴方はもしや新しく決まったガイド部の方」 「いかにも、近隣住人への挨拶の仕事の内と言う訳だ。ここは俺に任せるがいい」 ガイドの格好をした男が大きく息を吸い込んだ 「喝!!」 静まりかえる集会場 「さあ、静かになったぞ」 「……。え〜と、話し合いの途中ですがガイドの方が挨拶に来られたので、先に挨拶をしていただきます」 「俺は、になし藩国観光局ガイド部部長、人呼んでダンジョンガイ(ド)の長・ガイ長である。 今、ガイド部では上級ダンジョンのガイド、特に後方支援担当のガイドを募集中である。 上級ダンジョン故、ガイドは1パーティに複数人のガイドを着け安全性を上げるので 我こそはと思う者は性別外見などに関係無く参加してくれ。 また、中級のガイドにも僅かながら空きがあるので参加してみたいと思うものはぜひ参加してくれ。 ただし、少々判定が外見よりになる事は注意してもらいたい。 最後に我々ガイドは観光客にもマナーを持って貰う様に心掛けるつもりではあるが、 そちらに迷惑がかかるような事態が発生場合には協力をお願いしたい。尚、ガイド参加者には 『モンスターの返り血もさっと落ちる特性ダンション洗剤』を進呈する。以上」 ガイ長は言いたい事を言うと去っていった。 「え〜それでは、他に意見が無いようなら今回の会合はここまでにしたいとおもいますが…」 「待ってください、案ならここにあります」 そう言って剣の様なものを取り出す 「見てください、味のれんの春巻き見たいなアップルパイにヒントを得て作った 『グレードソード風タコ焼き』です」 「…………」 沈黙 「さて、何もないようなので今回の会合はここまでとします」 「いや、みなさん。黙ってなかった事にしないで駄目だら駄目で何か言ってくれ」 剣の形をしたタコ焼きを持ってさけぶタコ焼き屋 「………。ボツ」 「え〜〜〜」 「では解散」 そんな事を繰り返しながら、観光地の初動前日の商店街 「なんとか間に合あったな」 商店街はノボリ等でで色々と飾り付けられている 「ええ、各店舗も準備万端です」 「皆の意見が通ってダンジョンの宝を鑑定、買取、販売を行う『マジカルアンティークショップ』も出店できた、 後はおみやげ屋の方は?」 「各種おみやげは用意できてます、食べ物等のナマモノは当日になりますが」 おみやげ屋のノボリには『千箱買っても飽きが来ない!ダンジョン饅頭』と書かれていた 「意見がまとまらなかったから逆に、ほぼ全ての意見を採用して上手く一つの形にした結果だ」 「買う度に中身も形も変わる饅頭、遊び心はありますね」 「道具屋等で売ってる携帯食料もそのままおみやげになるから、 おみやげ屋ならいっそこれ位やったほうがいいからね」 「その割りにペナントや木彫り像も売っていますけどね」 「そこはお約束だからな、少ないながら需要はある、此処まで来たら後は客を迎えるだけだ」 こうして商店街の新しい戦いが始まった 作者紹介 「下丁@になし藩国」になし藩を護る黒騎士にして文筆家、という二つの才能を持った文族。 この作品における商店街の店主たちの様子や、その他の作品、例えば大鉱山を解説した文章、 そしてACEと呼ばれた人物「オタポン」(になし藩に居た事がある)に ついて書いた文章などは、「小説」のカタチをとりながらも、のちの歴史家たちにその概要を 知らせるに充分で大変資料性の高いものとなっている。 (NW歴12年刊行「になし文筆家列伝/第参拾伍巻」より) #close
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/6978.html
人物 ・小谷真生子〔Wikipedia〕 1965年(昭和40年)、大阪府に生まれる。その後、父・小谷伝(NHKアナウンサー)の転勤に伴って小学校のうち3年間をオーストラリアで過ごした。学歴は、アメリカ・ユタ州のスカイヴュー(Sky View High School)高校を経て[1]、平安女学院短期大学英文科卒業。卒業後は日本航空へ入社し、キャビンアテンダントとして世界37都市・2,560時間勤務した。 小谷真生子の離婚の原因は?脱線事故で?英語は?若い頃の水着写真。 「注目トピック!!人物を紹介するブログ」より ■ 醜い日本人 小谷真生子 【拡散希望】 「BBの覚醒記録(2014.1.26)」より / この期に及んでも中韓の顔色を伺い上目遣いに尻尾を振る情けない日本人がいます。(人民日報の報道をとりあえず、正しいという前提での判断です) http //j.people.com.cn/94474/8521554.html 「安倍首相の靖国参拝で最も印象的なのは本殿だけではなく鎮霊社も参拝したことだ。外国の人々には、鎮霊社を訪れた意味を理解してほしい。ここには第二次世界大戦で、旧日本軍と戦った米国人や中国人なども含まれている」ケビン・ドーク教授 米国の日本研究者 (※ 中略) / 戦争や事変で亡くなられ、靖国神社に合祀されない国内、及び諸外国の人々を慰霊するために、昭和40年(1965)に建てられました。靖国神社内です。 ジャーナリストの端くれでしょうに。靖国を論じるなら、発言の前に基礎ぐらいは学びましょう。しかも間違った知識をベースに、あろうことか中国で発言を拡散させ、祖国日本を傷つけていらっしゃる。恥を知りなさい。A、B、Cの戦犯の意味をご存知ですか? よもやA級戦犯が一番罪が重いとか無邪気に思い込んではいらっしゃらないでしょうね? もしご存知なら、Aが悪くてB,Cはいいということを、あなたは論理立てて説明出来ますか? 【参考】安倍首相の靖国参拝で最も印象的なのは本殿だけではなく鎮霊社も参拝したことだ。外国の人々には、鎮霊社を訪れた意味を理解してほしい。 重要なのは、鎮霊社には世界のあらゆる国の戦没者が祭られているということだ。ここには第二次世界大戦で、旧日本軍と戦った米国人や中国人なども含まれている。安倍首相が鎮霊社を参拝したのは平和を望む意思があったからであることは明白である。 (※ 後略、詳細はブログ記事で) ◆ 【靖国参拝】 小谷真生子「安倍首相の釈明は全くでたらめ!私は日本人として安倍首相の参拝に強く反対 「政経ch(2014.1.25)」より ★ WBS小谷真生子キャスターに「降板説」 後任はあの女子アナ? 「週刊朝日:dot(2013.9.26)」より / テレビ東京の看板経済番組「ワールドビジネスサテライト(WBS)」のキャスターを務めている小谷真生子氏(48)。高額なギャラと“長期政権”によるマンネリから、毎年のように「降板説」がささやかれていたが、いよいよ「来春に降板」との話が広まっている。 .
https://w.atwiki.jp/radiradi4510/pages/15.html
【草案】Chatter活用ガイドライン Chatterを有効的に活用していくための社内ルールや運用方法などを施策する。 Chatter導入の目的 部門を超えた情報共有、意見交換の効率化。 社内コミュニケーションの活性化。 情報/ノウハウの共有、蓄積。 設定ルール プロファイル写真に本人の顔写真を掲載する。 名前は漢字とローマ字を併記(姓に漢字、名にローマ字)。メンションを付けるときや検索の時、便利。 自己紹介欄に担当業務、簡単な自己紹介などを記入。 メール設定でグループ宛ての投稿にもメール通知が来るよう設定する。[自分が参加しているグループの頻度]を「各投稿のメール」に変更 役職欄に部署名と内線番号を記入する。 各自のPCにChatterデスクトップをインストールする。投稿が来たのをポップアップで通知してくれる。 スマホにアプリをインストールする。社外からも投稿・確認ができる。 スマホアプリの通知設定で、通知が来た時にバイブまたは着信音が鳴るよう設定する。 退職者のアカウントは速やかに削除する。 投稿ルール 社員全体への情報発信はChatterで投稿する。最初に @[ラジカル沖縄 全体] と記入するか、【グループ】-【ラジカル沖縄 全体】から投稿する。 メンション(@[ユーザ名]または@[グループ名])で、知らせたい相手を指定する。対象者にメールが飛ぶので、投稿を見落とす危険性を減らすことが出来る。 原則、業務に関連したコミュニケーションにのみ利用。 飲み会などの社内親睦に関する投稿も可。 多少の脱線は容認。 自分宛ての投稿を確認したら、いいね!をクリックする。内容を確認したということを投稿者に伝えるため。 いいね!をクリックすると、その投稿のコメントもメール通知してくれる。 新入社員の情報は、自己紹介も兼ねて本人に投稿させる。 密性の高い情報や顧客の守秘義務がある情報などは関係者のみの非公開グループで行う。 フォローに関しては特にルールを設けず、個々の判断に任せる。同じ部署のメンバーのみとか、よくやりとりをする相手のみとか。全員をフォローしたい人はしても良し。 グループ作成ルール 目的や内容別に応じてグループを作成する。 誰でも自由に作成可。 便利な活用法 投稿内容に関連するトピックを付けると、後から投稿を検索するとき便利。 メールアドレスをGmailや携帯アドレスなどに変えると、自宅PCや携帯からも通知メールをチェック出来るので便利。特にガラケーユーザやスマホアプリが使えない人にとっては有効。 スマホアプリでは確認出来ないメッセージの通知も確認できる。 メールに直接返信することでその投稿/コメントへ書き込みが可能。 周知徹底させるためには 利用マニュアルを文書化して共有する。 説明会を開く。 意図的に盛り上げる 推進メンバーが積極的に発言。 事前に根回しをして協力を得る。発言力のあるユーザーから投稿/コメントしてもらう なぜ必要か? ユーザー全員が一気に活用し始めるのは難しい。 盛り上がっていない所に人は集まらない。 まずは先行している活用者を見極め、活用方法を探り、その周囲を動かしていくのが効果的。
https://w.atwiki.jp/kaonohito/pages/52.html
コサ900形コンテナ貨車形式 コキ50000系コンテナ貨車形式・区分番台 コキ9001形フレキシバンボディ貨車形式 コキ8940系超低床貨車形式 コサ5500形狭軌用コンテナ貨車形式 ワラ1形有蓋車番号について モデルチェンジ 形式・区分番台 ワキ50000系・ワキ10000系有蓋車形式・区分番台 ワキ9002系有蓋車形式 ワフ28500形有蓋緩急車形式・区分番台 トキ900形無蓋貨車形式・区分番台 トラ30000形無蓋貨車形式 ホキ1770形ホッパ車形式・区分番台 シキ117形大物車形式 この項目では、常磐高速度交通網が保有する貨車(私有貨車ではないもの)について解説する。 コサ900形コンテナ貨車 10・12ftコンテナ3個積みの、中善寺線用3軸コンテナ車。 戦時設計車の国鉄トキ900形を種車とした改造車。 改造に際して、トキ900の曲線脱線事故の原因となった中央軸に対して、 日立製作所製の横圧軽減形走り装置に交換された。車輪も長軸の物に交換された また、同様に中央軸の踏面ブレーキが脱線の原因になったことから、この軸のブレーキはディスクブレーキとした。 これにより最大運転速度は75km/hとされた。 当初、1962年に900~907の8両が10ftコンテナ用に改造されたが、後、12ftコンテナが一般化したため、 1971年に従来の9550mmから、11,000mmにストレッチが行われ、ステンレスビームによる補強が行われた。 また中善寺線の輸送力増強(詳細はDD43形ディーゼル機関車の項目を参照)が完成したことにより、 1972年にさらに908~919が新たに改造されたが、ストレッチ・補強ビーム入りの状態で完成した。 なお、10・12ftコンテナ緊締装置の他、20ft用コンテナ緊締装置1組を装備する。 コンテナ車であることから、他の2軸車に先駆けて1984年度内に軸受けのコロ軸受け化が実施された。 少数車だったことと、短期間で工事が完遂されたため、新区分番台などは起こされなかった。 形式 コサ900形 コキ50000系コンテナ貨車 10・12ftコンテナ5個積みのボギーコンテナ車で、主に特急貨物に使用される。 国鉄に合わせる形で1971年から、基本形式をコキ50000と、4個積み緩急車コキフ50000がの製造を開始した。 コキフ50000については、車掌室の乗り心地を向上するため、当初より日本車輌製造製ウィングバネ台車を履いた。 コンテナ緊締装置は10・12ft用を5組、20・30ft用を3組装備する。 しかし、全車を新製車とするとコストがかさむことから、一部は既存の10ftコンテナ用コキ5000系、 および国鉄から購入車・譲受車であるコキ10000系の台枠をステンレスビーム補強の上でストレッチし、編入した。 当初、特急貨物の牽引機がEF13形だったことから、国鉄形ママで問題なかったが、後に国鉄および国鉄清算事業団よりEF62形を購入・譲受し、 直行貨物列車の最大運転速度が100km/hに向上したため、ブレーキ弁を交換しこれに対応させた。 形式・区分番台 コキ500000番台国鉄形ママのオリジナルスタイル。廃区分番台 コキ55500番台コキ5500形のストレッチ改造車。台車が100km/h運転に対応していないため、1988年に全廃となった。 コキ59200番台コキ10000形のストレッチ改造車。全車がコキ259200番台に改造された。 コキ252000番台0番台のブレーキ弁交換を実施し、最大運転許容速度を100km/hに向上した。 コキ259000番台259200番台のブレーキ弁交換を実施し、最大運転許容速度を100km/hに向上した。 コキフ50000コキ50000系のコンテナ4個積み緩急車。当初製造されたが1978年に貨物特急の見直しにより用途廃止となり、1985年から廃車が開始された。現在、形式は残っているが、2両のみで、実働実績はない。また、100km/h運転対応改造の実施も行われていない。 コキ9001形フレキシバンボディ貨車 常磐特急貨物で1989年からサービスを開始したスワップ型フレキシバンボディシステム用の貨車。 自動車側が貨車に合わせる( スライドバンボディシステム"")のではなく、鉄道貨車側で自動車から貨物ボディ受け止める方式。 当初のサービス開始に当たっては、国鉄が1974年に試作したコキ9000形をベースとし、その量産型という形でスタートした。 貨物バンボディを受け止めるためのターンテーブルフォークを持つ。この駆動には空気圧モーターが使用されるため、 運用時は常に機関車の連結された編成でなければならない。 台車はコキ9000形のTR901Aを改良したJTF88で、3軸。ブレーキ装置は車輪ディスクブレーキを採用した。 さらになお不足する高速からの制動力を確保するためベアリング形の空冷形永久磁石式リターダを装備し、 自動空気ブレーキの系統で動作させた。 (全軸には装備しておらず、3軸のうちの外側2軸のみ) 最大運転許容速度100km/h。 製造数は6両に留まったが、現在も全車が健在で、運用が続けられている。 形式 コキ9001形 コキ8940系超低床貨車 コキ9001形でスタートしたフレキシバンボディ輸送サービスを拡大するため、さらに本格量産形式が検討され、製造・運用が決定した。 これが本形式である。 コキ9001形の欠点として台車が1-1-1形の3軸台車であるために整備に難を要する点があった。 そこで、同様に国鉄が1974年に試作した1-2軸ステアリング台車TR902を基礎としたJTF90台車が開発された。 車輪系はJTF88よりさらに小さい335mmとなった。ブレーキは同様に車輪ディスクと空冷形永久磁石式リターダとした (ただしリターダは全軸には装備しておらず、3軸のうちの外側2軸のみ)。 コキ9001形同様に空気圧モーター駆動のターンテーブルフォークを持つ。 また、ターンテーブルフォークを廃しフラットデッキとした、ISO準拠IBBBハイキューブコンテナ輸送用コンテナ車として、コキ8980形が製造された。 コキ8980の緩急車仕様としてコキフ8980形(仮称)が計画されたが、新利根線・筑波線・小山線内では長大編成による高速運転をしないこと、 本線特急貨物ではコンテナ緩急車の運用がないことから、実現しなかった。 形式 コキ8940形ターンテーブルフォークを持つ、フレキシバンボディ用コンテナ車。 コキ8980形ISO準拠IBBBハイキューブコンテナ輸送用コンテナ車 コサ5500形狭軌用コンテナ貨車 762mm軌間である沼尻線系統用の、12ftコンテナ4個積みコンテナ車。 同線の貨物輸送のコンテナ化を目的として、1970年に製造が開始された。 連結面間14.98mで、同線用の車両としては最も大きい。 台枠は所謂魚腹型構造ではなく、軽量化の為にアルミ合金製のストレート台枠とし、強度維持の為にステンレスビームを入れている。 軌道破壊を低減するため、台車は1067mm軌間用の空気まくらバネ台車である国鉄TR203形をベースに、 板軸バネを装備するJTN71Fが設計され採用された。 九十九里線での運用はない。 形式 コサ5500形 ワラ1形有蓋車 2軸有蓋車。それまで多用していたワム32200形の置換えのため、1963年から製造された、国鉄ワラ1形と同型車。 番号について 1~99まではそれまでの常磐の貨車付番規則にて付番されたが、国鉄車が大量に及んだため、 通産100号以降は「ワラ100-1」となり、所謂"ハイフンナンバー"となった。 モデルチェンジ 有害車の荷役扱いがパレット方式となり、フォークリフトでの取り扱いがなされるようになった。 そこで扉をステンレス製の4毎装開きとし、車内の支柱のアルミ合金アーチ化などの設計変更が行われた。 形式変更は行われず、ワラ20001番台とされた。付番方法は旧来の方法(20001~)になった。 原型車は1989年に全車用途廃止となり、廃区分番台になった。 形式・区分番台 ワラ1形0番台国鉄ワラ1形ママに製造されたグループ。1989年までに全廃された。廃区分番台。 ワラ20001番台パレット輸送対応用に設計を変更したグループ。再び番号はハイフンナンバーから旧来式になった。廃区分番台。 ワラ30001番台上記ワラ20001番台の走り装置を平軸受けからコロ軸受けへと改造で変更したグループ ワキ50000系・ワキ10000系有蓋車 国鉄ワキ10000形貨車を基礎とし、最大運転許容速度を95km/hとして、コキ50000系と編成を組むことを前提としたボギー有蓋車。 当初はコキ50000系と走行性能をあわせ、電磁ブレーキ弁を持たないワキ50000・ワサフ50000として完成した。 その後、コキ50000系の最大運転許容速度向上(100km/h)に伴い、同等の改造を受け、ワキ10000系に改番された。 予約制パレット輸送用高速有蓋車として、コキ50000系と共に特急貨物の編成を組成する。また、緩急車としても連結されている。 形式・区分番台 ワキ50000形コキ50000系と同等の台車・ブレーキ弁を採用し、自社発注で新製された。ワキ10000形への改造と廃車により、廃形式 ワサフ50000形ワキ50000系の有蓋緩急車として新製された。ワサフ10000形への改造により、廃形式。 ワキ10000形コキ252000番台にあわせ、ブレーキ弁を交換し、最大運転許容速度を100km/hに向上した。 ワサフ10000形0番台コキ252000番台にあわせ、ブレーキ弁を交換し、最大運転許容速度を100km/hに向上した。ワサフ50000形の自社発注車の改造によって発生したグループ ワサフ210000番台ワサフ10000形の不足を補うため、国鉄および国鉄清算事業団から購入・譲受したワキ10000形を緩急車化・ブレーキ弁交換を行い、コキ252000番台と走行性能を揃えたグループ ワキ9002系有蓋車 老朽化したトキ15000形とワキ5010形の双方の代替として、スライディングルーフを備えるボギー有蓋車として導入された。 何れも車体は同種の製造経験のあるドイツの車両メーカーに発注されている。 形式 ワキ9002形1988年試作、1990年新製開始。シーメンス製で、狭軌で100km/hの高速走行を行うことから2自由度系台車が求められ、ミンデンドイツ式台車を装備した。 ワサ9200形→ワキ9200形1990年初頭試作、同年5月から新製開始。旧東ドイツメーカーに発注された車体。車体寸法はワキ9000形と同等だが、装着された台車が旧ソ連式の2自由度系ベッテンドルフ台車だったため、当初は特に軌道破壊の防止のため荷重は「サ」に抑えられた。しかし運用の結果大きな問題はないことがわかり、1998年に軸受けのみを国産品と交換しワキ9200形に改められた。 ワキ9500形1998年7月からワキ9000形に代わって新製開始。車体のみシーメンスに発注され、台車はTR203をベースに板軸バネとしたJTF98とし、最終組立は自社水戸工場となった。 ワフ28500形有蓋緩急車 原型は大東急時代に製造された戦時設計車であり、国鉄形ママのワフ28000形として 1944年から1948年にかけて製造された。 大東急解体後、車掌室の居住性の向上のため、車掌室の拡大、ストーブの設置、側窓の追設、個室トイレの設置が、1950年にかけて実施された。 これに伴い、荷重は8トンから6トンに減じられた。また、番号は国鉄とのラップを避けて、ワフ28500形に改番した。 ストーブは以前・以後も貨物車掌車・緩急貨車で全国的に標準となる石炭ストーブを止め、車軸発電機による電気ストーブが採用された。 以降、常磐では貨車暖房は電気ストーブが標準になる。 またこれを利用して、夏季の対策として扇風機の搭載も実施された。これも1989年頃から、アイスクールファンへと交換が実施された。 1949年以降もワフ28500形として1954年まで製造が続けられた。 戦時設計車ながら長軸を装備しており、戦後製鋼製貨車が登場した後も重宝された。 1956年からは2段リンク化改造が施され、最大許容運転速度を75km/hに向上した。 しかし、本格的な鋼体化は実施されず、現在も運用が続けられながら、木造車体である。 一部の車体は、木板の変わりに、航空機用ジュラルミンの余剰品を使用したアルミ外板で代用した車両も存在する。 形式・区分番台 ワフ28500形0番台廃区分番台 ワフ58500番台軸受けをコロ軸受けに交換する工事が実施された。 トキ900形無蓋貨車 戦時設計の3軸無蓋車。2軸車と同等のサイズで、国鉄形式だが、常磐鉄道~大東急時代向けにも、常磐炭鉱からの輸送用に量産された。 戦後、大東急が解体されると石炭車は専用形式セキ3000形石炭車の調達が始まり(そのうち一部は常磐炭礦の私有車)、 トキ900形は一般形無蓋車として転用された。 この常磐高速度交通網・常磐炭礦保有のセキ3000形は、全車が1956年から、積載量低減の上、台車は板軸バネ・コイル枕バネを持つJTF56形に変更して、最大運転許容速度を75km/hに引き上げたセサ5800形に改造されたが、常磐炭鉱の閉山に伴い1986年までに一部がバラスト散布車ホキ1770形に改造された他、動態保存蒸気機関車の石炭輸送用に自社保有の8両のみを除いて、廃車された。 トキ900形はその戦時設計が祟り、脱線や台枠破壊などの事故が頻発した。常磐ではこの為当初より積載物制限(土砂等禁止)を実施し、 車体中央部に黄色の斜帯を入れて他社と区別した。 さらに1956年からは根本的な状態改善工事として、 車軸を短軸から長軸に交換。 中央軸の軸受けの横圧低減改造を実施。 台枠に木製ビームを追加。 走り装置の2段リンク化改造を実施。 これにより積載物限定が解除され、最大許容運転速度は75km/hに向上した。 また、1971年にも集中状態改善工事として安全対策が実施された。 中央軸脱線を誘発させていた踏面ブレーキをディスクブレーキに交換した。 台枠補強ビームを木桁からアルミ合金製に変更した。 形式・区分番台 トキ900形0番台原形車の事故対策を施した車両。廃区分番台 トキ30900番台軸受けをコロ軸受けに換装したグループ。現存。 トラ30000形無蓋貨車 1971年、1972年に、トキ900形がコサ900形の改造種車として供出したため、不足する2軸無蓋車の穴埋めとして、 1972年から1974年にかけて、国鉄から用途廃止車40両を譲り受けた。 形式 トラ30000形 ホキ1770形ホッパ車 バラスト輸送・散布用のホッパ車。石炭車セサ5800形の用途廃止に伴い、これを種車として改造した。 外見では、荷降し用扉がバラスト散布用スロープに改造され、、作業用デッキが設けられた。 用途面では事業用貨車だが、流鉄(旧総武流山鉄道)、関東鉄道、阿武隈急行、福島交通へのバラスト輸送営業にも運用されている。 また、同形式はJRのホキ800形の13.3mに対して10mと短く、軌道の弱い流鉄や車両限界の小さな福島交通に貸し出されている。 専用貨物の他に阿武隈急行や福島交通への輸送の際には特急貨物に組み込まれるため、1984年から1985年にかけてブレーキ弁の交換が実施された。 これにより、最大許容運転速度は75km/hから100km/hに向上した。 形式・区分番台 ホキ1770形0番台原形車。廃区分番台。 ホキ201770番台特急貨物と併結する為、ブレーキ弁交換を実施した。 シキ117形大物車 国鉄シキ117形大物車の同形車。 番号も2両製造された同車の連番になっている。 常磐に車籍を置く大物車は主に日立製作所の私有貨車で、常磐社内で大物車が必要となったときは有償で借り受けていた。 しかし、日立製作所所有の大物車は鉄道機器輸送の為には過大で、レンタル費用・運用費用ともかさみがちだった。 そこで1968年、中善寺線電気運転廃止による変電設備撤去を機会として、35トン積みの本車が2両製造された。 現在も全車が健在。 形式 シキ117形
https://w.atwiki.jp/battleroyale/pages/450.html
NG 定時放送2(朝8時の場合) 「さぁさ皆様、起きてくださいまし!お寝坊さんはいらっしゃらないでしょうね? 楽しい楽しいバトルロワイアル、二日目の始まりですよ! しかし良い朝ですねぇ。これはまさしく皆様の日ごろの行いが報われたということでしょうね? 何せ前回のバトルロワイアルなど、開催期間中ずーっと雨模様でございましたから。 私どもも気が滅入ったものです。やはり雨が4日も続きますと皆様……ああ失礼、脱線してしまいました。 きちんとお仕事しなくては、ですね。ではお先に死亡者を読み上げますよー。 ♀剣士さん ♀セージさん バードさん ♀クルセイダーさん ♂BSさん ダンサーさん ♂剣士さん そして我が国の工務大臣殿!不甲斐ないですねぇ、早速のリタイアですか。 というわけで朝までの間に8名が亡くなられました。残り33名です。 良いですね、なかなか順調なペースで御座いますよ。今日も皆様張り切ってくださいま」 と、急に放送が騒がしくなりジョーカーの声がブヅンと切れる。 間際に何か別の声が混じっていたような気もしたが。 朝の風景に不釣合いな忌々しい騒音は、しかしそう長く待たずに再開された。 「と、失礼いたしました。ちょっと猫が暴れ出しましてね。 お次は危険区域の発表です。厳正なる抽選の結果、今回の禁止区域は… C-5…G-7…F-2……B-6……あともう一つは…ええとはい、D-3でございますね。 これより30分の後、以上5つの区域への進入が不可能となります。 どうぞお気をつけくださいませ。それでは、皆様ごきげんよう! ご存命であればまた今夜、お会い致しましょう♪」 慣れた手つきで放送のスイッチを切りジョーカーは椅子に体を預ける。 そのまま椅子を後ろに回し、マイクとピンボール(厳正なる抽選を行う装置)を背に 沈黙の魔法を掛けられソファに固定された猫に向き直った。 「やれやれ……せっかく貴女をレディとして扱い、せめて声を奪うのはやめて差し上げたのに。 いけませんよ?先程のように突然喋ろうなどと考えては。 お姉さまにもう一度会いたければ…ね、そこまでお馬鹿さんではないでしょう? ここでずっとお姉さまを見守り続けてきましたものね。 妹として彼女がもう少し殺してまわるのを、応援してさしあげなくては。ねぇ?Wさん」 ずらりと並ぶ音声機器の光を背に、ジョーカーが心底楽しそうに震える猫を見やる。 首輪をつけられ繋がれた猫に許されるのは、ただただ赤く腫れた目でジョーカーを睨みつけるのみ。 既に涙は出しつくし喉は枯れ、元より魔法で封じられなくともまともに罵ることすら出来ない。 その光景を愉しむ彼の薄い目の代わりに、ピンボールの銀玉が後ろでキラリと輝いた。 <GMジョーカー>詳細不明 <カプラW> 位置:不明 所持:不明 容姿:公式通り 状態:疲労困憊、LD掛けられ中。 備考:カプラ職員。グラリスへの人質として連れてこられた。 彼女が10人殺し終わったあと開放されるとの約束だが、果たして…? 戻る
https://w.atwiki.jp/radiophrase/pages/16.html
出典 2007年1月8日 社説:成人の日 87年生まれのつぶやき 20歳のみなさん、おめでとう。 と、かくいう私も同い年。自分で言うのもなんですが、本当に成長しました。 私たちが生まれた年は、バブルのただ中だったよね。 私? ケータイって呼ばれてます。当時は無名だったけど、今では日本人の4人に3人が持つまでに広がっちゃった。 最近は、お財布代わりに使えたり、居場所まで教えたりすることができるんだ。ほんと、重宝がられてます。 でも、最近、ちょっと風あたりが強くなって……。私のせいで「待てない人、せっかちな人が増えた」って言われる。 そういえば、駅前とかで待ち合わせしてる人が減ったような。みーんな、近くまで来て、私を使って居場所を確かめ合ってるもん。こくる(告白する)のも、ふるのもボタン操作で出来るし。待ち焦がれてとか、待てど暮らせどなんて言葉、死語になってしまいそう。 便利で簡単。でも、なんか、余裕のない世の中になったなあって感じがする。 そういえばおととしの春、JRの通勤電車が脱線し、たくさんの人が亡くなった。「お客様のため」といって、スピードアップさせたダイヤが組まれて、運転士が「遅れちゃいけない」とあせったのが原因じゃないかって言われている。 皮肉なのは、あの電車が「快速」という名前だったこと。「快さ」の一線、どこで踏み越えてしまったんだろう。 ファストフードの店も、パソコンの機能も「速さ」を競っている。故障した電化製品なんて、1年もたってないのに、部品がないって言われるもの。 速いことって、本当に幸せを運んでくれるのかなあ。待たなくてよくなった時間、何か有意義なことに使ってる? このあいだ、最近の学生は人と話している最中にも私を使ってメールしてるって、ある先生が嘆いていた。その人、宇宙物理学者で、三重県の鈴鹿短大で学長している佐治晴夫さんという方。 いつも誰かと連絡を取り合っていないと自分の存在を確かめることができなくなっているって、若い人たちのこと、心配してた。目の前にいる生身の人間とのかかわりが大事なんだけどね。 先生はいろんな所で講演して、地球外生命体との交信の話をしてくれる。 私たちが生まれる10年前に飛び立ったボイジャーという探査機の話。今は、太陽系の端っこにいて、1秒間に15キロずつ、太陽から遠ざかってる。機内にはバッハのプレリュードのレコードを積んでいるんだけど、先生が米航空宇宙局(NASA)に提案したんだって。「地球外生命体との接触には聴覚への刺激が一番。それならバッハだ」ってね。 実現は不可能に近いよね。だけど、ボイジャーからの知らせを待ち続ける気持ち、きっと大切なことかもしれない。 みんなも1日に一度ぐらい、私を置いて、夜空を見上げてみたら。あなたのボイジャーが見つかるかもよ。
https://w.atwiki.jp/black_beaty/pages/45.html
2005.08.14 日記の続き。 (7) チビちゃんとデートの後、ネットで深夜まで遊んで、44嬢が来たって所からの続きですが、 44嬢は俺の顔を見るなり、 『かなり疲れてるね。大丈夫なの?』 って言ったのが第一声でした。 彼女はお店でゆかた祭りだったらしく、 ゆかたのままで、タクシー飛ばしてやってきました。 俺は、 「大丈夫だから先にシャワー浴びてゆかたから、俺のTシャツに着替えろよ」 と伝えました。 シャワー上がりの44嬢を手を抜かず頑張るつもりでしたが、寝不足続きで酒も飲んでるし俺のコンディションは、最低レベルでした。 44嬢が逝き易い体質で、救われた(何を?)んですが、2度程逝かせたら俺も疲れちゃって、そのまま仰向けになりました。 俺は射精してなかったのですが、今度は44嬢が俺をお口と手で奉仕してくれます。 30分くらい舐めまくられたのだと思いますが、そのまま寝ちゃって、起きたらお昼になってました。 で、何故だか44嬢がまだ部屋に居ました。 初めて44嬢にお泊まりされて、一瞬焦りましたが、まぁ仕方ないかと思い、ベットから起きてシャワーを浴び、昨日の中途半端なHのリベンジをして、満足させた所で、中出ししてあげました。 それから、またシャワーを浴び、宅配ピザを頼み、昼間っから酒を飲んでくつろいでました。 そのままTVみて、44嬢と色んな事お話してたのですが、午後になってネットで出逢ったDカップさん(こんな名前ですいません。)と、メッセンジャーでコミニュケーションを取りました。 44嬢に 「今後同棲するかも知れない人とネットでやり取りしてるから、モニター見ないでね。」 と伝えると、 「解ったよ。ちょっとベットに横になるね」 と言って俺を一人にしてくれました。 その時、日本時間は、夕方ですが、Dカップさんの居る国は、就寝前。 しばらく遊んで、ネットを終え、俺も酒のせいで、眠くなっちゃって、44嬢の隣で寝ました。 そして夜の11時過ぎに目覚め、44嬢が帰ってた事に気付きました。 メールでいつ帰ったか尋ねると6時過ぎだと言ってました。 多分、俺は、ベットに入ったら速攻寝ちゃって、44嬢が入れ替わりで起きたんだと思います。 そして午後から、また俺の所にお邪魔しますとメッセージがありました。 44嬢がいたらブログの更新が出来ないので、夜から明け方に掛けてブログの更新や、ブログ巡回させて頂きました。 今日を含め、お盆休みは、あと3日。 なんだか、休日の過ごし方が脱線してないか心配ですが、そろそろ寝て、午後に起きたら酒屋に買い物にいきます。 先週買ったビール2ケースがすでに数本しか残っていないし、焼酎も残り僅かです。 先ほど、明け方4時過ぎにDカップさんが起きたのでメッセンシャーが立ち上がりました。 そして2時間程コミニュケーションとりました。 ホント、素敵な女性だと感じました。 それでは、お休みなさい。
https://w.atwiki.jp/tvwiki/pages/77.html
かるたび!とは、テレビ那覇(第1期放送当時・沖縄はいさいテレビ)で、放送されていた旅番組である。ハイビジョン制作。 概要 前番組は、インとマヤーというペットの番組を放送していたが、諸事情で終了し、2007年4月からこの番組を開始した。 放送趣旨は、「県内の日帰りプチ旅行を紹介する」というものである。ただ、現在はネタ切れの影響で、この趣旨は脱線しつつある。それでも、「比較的楽に行ける旅行」という意味では、趣旨を貫いているといえよう。 2008年3月29日を持って終了したが、その後も不定期に再放送されるなど、根強い人気があったためか、2009年4月から時間を土曜夕方に移し、「かるたび!2」として復活した。 しかし、『ひーぷー☆ホップ』(沖縄テレビ)に苦戦していたため、2010年12月25日をもって終了した。(最終回は15分拡大で、30分間の放送となった。)後番組は、こちらも旅番組で『うきわく!トリっぷ』が2011年1月から放送される。(15分番組ではなく、30分間の放送となるため、広報番組である『うまんちゅひろば』は、別の時間帯に移った。) 放送時間 2007年4月8日~2008年3月29日(第1期) 毎週日曜日10 30~10 45 2009年4月3日~2010年12月25日(第2期) 毎週土曜日18 30~18 45 出演者 第1期のみ出演者がいたが、第2期は出演者はいない。 仲嶺賢太(ローカルタレント) その他… スペシャル 第1期 2007年7月28日の19 00~19 57に「かるたび!・夏に行きたいスポットベスト5スペシャル」として放送された。 2007年12月30日の9 30~10 30に「かるたび!DEオッカイ得・南九州に進出スペシャル」として放送された。(オッカイ得とは、テレビ通販を事業としているtnsの関連会社である。)内容自体は、通常のかるたび!と違って、県外に初進出して、また宿泊もあった。そして、前述のオッカイ得が製作に関与していることから、その土地のお土産などを通販で購入することができるようになっている。 第2期 2010年1月2日の14 45~15 55に「かるたび!2・新春スペシャル」として放送された。 2010年2月20日の19 54~20 54に「かるたび!2・県外で見つけた沖縄スペシャル」として放送された。タイトル通り、県外で見つけた沖縄らしいスポットを紹介する。紹介されたのは、大阪・北海道・愛知。 関連項目 ウチナーアマクマ ぼくら旅太郎 前後番組の変遷 沖縄はいさいテレビ(現・テレビ那覇) 日曜日午前10時30分の番組 前番組 番組名 後番組 インとマヤー かるたび! 買物情報・南波屋 テレビ那覇 土曜日午後6時30分の番組 デージコージ※日曜10時30分に移動 かるたび!2 うきわく!トリっぷ
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/156.html
リスト nicovideo_mylist エラー ( マイリストURLの取得に失敗しました。正しいURLを入力してください。 ) 登録武将 東方Project +α 簡単な解説 秘封倶楽部の二人が結界を破ってたどり着いた先は三国志時代だった。 二人はそこで妖怪たちのゲームに巻き込まれ、呉の君主となって三国統一を目指すことになる。 東方Project音楽CDシリーズの宇佐美蓮子とマエリベリー・ハーン(メリー)が主人公。 またストーリーのB面、動画の裏話、ゆかりんのわがままとしてうp主が所属する八雲紫軍の話が挿入される。 使用シナリオ 『英雄集結改』 難易度 『上級』 討ち死に 『あり』 変更点として、港を砦に変更 施設の回復量の倍加など 三国武将の登用は文官のみ。抜擢も文官として育て、強すぎたらパージの予定。 ただし序盤のみは登録メンバーの武力が低すぎるので救済措置として武官の登用を許している。 設定に大きな矛盾が発見されたらしくで一度すべての回がけーねになかったことにされました。 再構築されたシリーズでは大幅に変更された点がありますので、旧作からの変更点を作者ブログから転載します。 <設定的な部分> 登録勢の能力の大幅修正 まあ、そのまんまです。一部強すぎたのとかを含め、兵法、ステータス等色々修正。 ルビ、列伝の自重 割と真面目な路線で行くつもりだったので自分から脱線させるのはどうかと思い修正。 東方以外の登録武将の見直し 正直なところ、ロボとかミクとか話に噛ませ辛かったので消えてもらいました。 全部分かる人はいないと思います。 (いなくなった方たち:ロボカイ、初音ミク、ゼル伝(ムジュラの仮面)の月、リヴァイアサン、御嶽アンネリーゼ、南風森愛恋、世果埜春祈代、ライル・ク・ベルダ・ゲブランド、ティチエル・ジュスピアン) 「私」の排除 はっきり言って、邪魔以外の何者でもないので真っ先に削除。 八雲紫の沈静化 「私」の排除に伴い、動画への直接干渉をやめて貰いました。 <ゲーム内の縛り等> 抜擢武将の使用 旧作では内政のみ使用可でしたが、先頭に出すなど全面的に使用を可にしました。 話の展開的に必要になる点と戦闘に出さないと序盤がかなり厳しい点の2点が理由に当たります。どちらも詳しくは本編の方で判るかと思います。 ※ここから先は動画の内容に直接関係ない話のため色を反転させます。興味のある人のみドラッグして読んでください。 この動画は年末からうpが開始されたわけだが、うp主は現役の受験生でありセンター試験を数週間後に控えていたはずである。 しかしながら『ビッグサイトで会おうぜ』という言葉を残したり、次の更新は2月後半になると宣言したのに なぜか1月前半に連続更新されたりしている。視聴者から湧き上がる心配の声はがうp主に届いたか否かはいまだに謎のままである 名前 コメント