約 8,740 件
https://w.atwiki.jp/seikouudoku/pages/60.html
故園(こえん) 一 その翌日である。玄徳たち三名は、にわかに五台山麓(ごだいさんろく)の地、劉恢の邸宅から一時身を去ることになった。 別れに臨(のぞ)んで、主(あるじ)の劉恢は、落魄(らくはく)の豪傑(ごうけつ)玄徳等のために別離の小宴(しょうえん)をひらいて、さて言うには、 「又、時を窺(うかが)って、この地へぜひ戻ってお出(い)でなさい。お連れになって来た二十名の兵や下僕(しもべ)たちは、それまでてまえの邸(やしき)に預(あず)かっておきましょう。そして今度お見えになった時こそ、再起の御準備におかかりなさい。黄巾(こうきん)の乱は小康(しょうこう)を得ても、洛陽(らくよう)の王府そのものに自潰(じかい)の兆(きざし)が顕(あら)われて来ています。せっかく、自重自愛して、どうか国家のために尽くしてください」 「ありがとう」 四人は起(た)って乾杯(かんぱい)した。 劉恢(りゅうかい)のいうように、ここへ来る時連れて来た二十名ばかりの一族郎党の身は、劉家に託しておいて、関羽、張飛、玄徳、思い思いに別れて一時身をかくす事になった。 が――劉家の門を出る時は、三人一緒に出た。世間の眼もあるので、劉恢はわざと見送らなかった。けれど、邸内の楼台(ろうだい)から三名の姿が遠くなるまで独(ひと)り見送っている美人があった。いう迄(まで)もなく芙蓉娘(ふようじょう)であった。 張飛は知っていた。 しかし、わざと何も言わなかった。玄徳も黙々と歩いていた。 もう五台山(ごだいさん)の影も後ろに遠く霞(かす)んでから、張飛がそっと玄徳へ言った。 「きのうお言葉を伺(うかが)って、もう自分等も貴方(あなた)の心事を疑うような気もちは抱いておりません。むしろ大丈夫(だいじょうぶ)の多情多恨(たじょうたこん)のおこころを推察しておりますよ。例(たと)えば、私が酒を愛するようなものですからな」 彼は、酒と恋とを、一つのものに考えているのだ。 その程度だから、玄徳の心に同情すると言っても、およそ玄徳の感傷とははなはだ遠いものにちがいなかった。 「――だが、長兄(ちょうけい)」と、張飛は又、玄徳の顔をさし覗(のぞ)いて言った。 「豪傑は色に触(ふれ)るべからずという法はない。貴方だって一生涯独身でいられるわけもない。ほんとに芙蓉娘がお好きならこの張飛が話してどんなことにでもします。拙者(せっしゃ)にとっては、旧主の御息女ではあるし、ああいう頼(たよ)りのないお身の上ですからむしろ貴方に願っても生涯を見て戴(いただ)きたいくらいなものですよ。けれど今はいけませんな。時でないでしょう。志を得た後のことにね」 「わかったよ」 玄徳は、うなずいた。 それから州道の道標の下まで来ると、 「じゃあ、わしはここから一人別れて、ひどまず郷里の涿県へ行くからね。いずれ又、一度この五台山下(ごだいさんか)へ戻って来るか」と、言った。 張飛も、関羽も、各々(おのおの)そこから別れて、ひとまず思い思いに落ちてゆくつもりであったが、片時(かたとき)の間(ま)も離れた事のない三人なので、さすがに寂(さび)しげに、 「こんどはいつここで会おう」 「この秋」 玄徳が言う。二人はうなずいて、 「では貴方はこれから涿県の母御(ははご)の許(もと)へお出(い)でになるつもりですか」 「うム。御無事な顔を拝(はい)したら、又すぐ風雲の裡(うち)に帰って来る。涼秋の八月、再び三人して、五台山の月を見よう」 「おさらば」 「気をつけて」 「お互いに」 三名は三方の道へ、暫(しば)し別離の姿を顧(かえり)み合った。 二 関羽と張飛のふたりに別れてから、玄徳は姿を土民ふうに変えて、ただ一人、故郷の涿県(たくけん)楼桑村(ろうそうそん)へ、そっと帰って行った。 「ああ、桑(くわ)の木も変わらずに在(あ)る……」 何年かぶりで、わが家の門を見た玄徳は、そこに立つと一番先に、例の巨(おお)きな桑の大樹を、懐(なつか)しげに見上げていた。 ――かたん。 ――ことん、かたん。 すると蓆(むしろ)を織る機(はた)の音が家の裏のほうで聞こえた。玄徳は、はっと心を打たれた。ここ両三年は馬上に長槍(ちょうそう)を把(と)って、忘れはてていたが、幼少から衣食して来た生業(なりわい)の筵織(むしろおり)の機(はた)は、今なお、この故郷の家では休んでいなかった。 その機を、その筬(おさ)を、今も十年一日のごとく動かしている者は誰だろうか。 問うまでもない、玄徳の母であった。征野(せいや)に立った息子の後を、ひとり留守している老いたる母にちがいなかった。 「いかにお淋(さび)しいことであったろう。又、御不自由な事であったろう」 家にはいらぬうちに、玄徳はもう瞼(まぶた)を涙でいっぱいにしていた。思えば幾年の間、転戦又転戦、故郷の母に衣食の費を送る遑(いとま)さえなかった。便りすら幾度か数えるほどしかしていなかった。 ――すみません。 彼はまず故園(こえん)の荒れたる門に心から詫(わ)びて、そして機の音の聞こえる裏のほうへ馳(か)けこんで行った。 噫(ああ)そこに、黙然と、蓆(むしろ)を織っている白髪の人。 ――玄徳は見るなり後ろから馳け寄って、母の足もとへ、 「母上っ」 跪(ひざま)ずいた。 「――母上。わたくしです。今帰って参りました」 「……?」 老母は、驚いた顔をして、機(はた)の手を休めた。そして、玄徳の姿を凝(じっ)と見て、 「……阿備(あび)か」 と、言った。 「長い間、お便りもろくにせず、定めし何かと御不自由でございましたろう。陣中(じんちゅう)、心にまかせず、転戦から又転戦と、戦(いくさ)に暮れておりました為(ため)に」 子の言葉を遮(さえぎ)るように、 「阿備。……そしておまえはいったい、なにしに帰って来たのですか」 「はい」 玄徳は地に面(おもて)を伏(ふ)せて、 「まだ志も達せず、晴れて母上にお目にかかる時機ではありませんが、先頃から官地を去って、野(や)の潜(ひそ)んでおります故(ゆえ)、役人たちの目をぬすんで、そっと一目、御無事なお顔を見に戻って参りました」 老母の眼は明かに潤(うる)んでみえた。髪もわずかのうちに梨の花を盛ったように雪白になっていた。眼元(めもと)の肉も窶(やつ)れてみえるし――機(はた)にかけている手は藁(ワラ)ゴミで荒れている。 しかし、以前にかわらないものは、子に対して凝(じっ)と向ける眸(ひとみ)の大きな愛と峻厳(しゅんげん)な強さであった。こぼれ落ちそうな涙をもこらえて、老母は、静かに言うのだった。 「阿備……」 「はい」 「それだけで、そなたは此家(ここ)へ帰っておいでなのかえ」 「え。……ええ」 「それだけで」 「――母上」 縋(すが)り寄(よ)る玄徳の手を、藁ゴミと共に裳(もすそ)から払(はら)って、たしなめるようにきつく言った。 「なんです。嬰児(あかご)のように。……それでもお前は憂国(ゆうこく)の大丈夫(だいじょうぶ)ですか。帰って来たものはぜひもないが、長居(ながい)はなりませんぞ。こよい一晩休んだら、すぐに出てゆくがよい」 三 思いのほかな母の不機嫌な気色(きしょく)なのである。それも、自分を励(はげ)まして下さるためと、劉玄徳(りゅうげんとく)は、かえって大きな愛の下に泣きぬれてしまった。 「まだおまえが郷土を出てから、わずかに二年か三年ではないか。貧しい武器と、訓練もない郷兵を集めて、このひろい天下の騒乱(そうらん)の中へ打って出たおまえが、たった三年やそこらで、功を遂(と)げ名を揚(あ)げて戻って来ようなどと……そんな夢みたいなことを母は考えて待っておりはしない。……世の中というものはそんな単純ではありません」 「母上。……玄徳の過(あやま)りでございました。どこへ行っても、自分の正義は通らず、戦っても戦っても、なんの為に戦ったのか、此頃(このごろ)、ふと失意のあまり疑いを抱いたりして」 「戦(いくさ)に勝つことは、強い豪傑ならば、誰でもすることです。そういう正しい道の邪(さまた)げにも、自分自身を時折に襲ってくる弱い心にも打(う)ち克(か)たなければ、所詮(しょせん)、大事はなし遂(と)げられるものではあるまいが」 「……そうです」 「ようく、おわかりであろう。……もうそなたも三十に近い男児。それくらいなことは」 「はい」 「そこらの豪傑たちが、乱世に乗じて、一州一郡を伐(き)り取(と)りするような小さい望みとは違うはずです。漢(かん)の宗室(そうしつ)の末孫、中山靖王の裔(えい)たるおまえが、万民のために、剣を把(と)って起(た)ったのですよ」 「はい」 「千億の民の幸(さいわい)を思いなさい。老先(おいさき)のないこの母ひとりなどが何であろう。そなたの心が――せっかく奮(ふる)い起(お)こした大志が――この母ひとりの為に鈍(にぶ)るものならば、母は、億民のために生命(いのち)を縮(ちぢ)めても、そなたを励ましたいと思うほどですよ」 「あ、母上」 玄徳は驚いて、ほんとにそういう決心もしかねない母の袂(たもと)に縋(すが)って、 「悪うござりました。もう決して女々(めめ)しい心はもちません。あしたの朝には、夜の明けぬうちにここを去りますから、どうかただ一晩だけお側(そば)において下さいまし」 「…………」 老母も、くずれるように、地へ膝(ひざ)をついた。そして、玄徳の体を、そっと抱いて、白髪の鬢(びん)をふるわせながら囁(ささや)いた。 「阿備(あび)や……。だが、わたしはね、亡(な)きお父さんの代わりにもなって言うのだよ。今のは、お父さまのお声だよ。お叱(しか)りだよ。――あしたの朝は、近所の人の人目にかからないように、暗いうちに立っておくれね」 そう言うと、老母はいそいそと母屋(おもや)のほうへ立ち去った。 間もなく、厨(くりや)のほうから、夕餉(ゆうげ)を炊(かし)ぐ煙が這(は)って来た。失意の子のために、母はなにか温かい物でも夕餉にと煮炊(にた)きしているらしいのであった。 玄徳は、その間に、蓆機(むしろばた)へ寄って、母が織りのこして行った幾枚かの蓆を織りあげていた。 手元が暗くなってくる。白い夕星がもう上にあった。 機(はた)を離れて、彼はひとり、裏の桃林(とうりん)を逍遥(しょうよう)していた。はや晩春なので、桃(もも)の花はみな散り尽くして黒い花の蕊(しべ)を梢(こずえ)に見るだけであった。 「ああ。故園(こえん)は変わらない――」 玄徳は嘆じた。 桃花は又春に若やぐが、母の白髪が再び黒く回(かえ)る日はない。春秋は人の身のうえにのみ短い。しかも自分の思う望みは遠く又大きく、いつの日、彼(あ)の母が心のそこから欣(よろこ)んでくれる時が来るだろうか、考えると、徒(いたず)らに大きな嘆声が出るばかりであった。 「――阿備やあ。阿備やあ」 もう暗い母屋のほうでは、母が夕餉のできた事を告げて呼んでいる。玄徳は、なんの悩みもなかった少年の頃を思い出して、少年のように遠くから高く答えながら馳(か)け出(だ)した。
https://w.atwiki.jp/seikouudoku/pages/63.html
乱兆(らんちょう) 一 時は、中平(ちゅうへい)六年の夏だった。 洛陽宮(らくようきゅう)の裡(うち)に、霊帝(れいてい)は重い病(やまい)にかかられた。 帝は病の篤(あつ)きを知られたか、 「何進(かしん)をよべ」 と、病褥(びょうじょく)から仰(おお)せ出(だ)された。 大将軍何進(かしん)は、すぐ参内(さんだい)した。何進は元(もと)牛や豚を屠殺(とさつ)して業(わざ)としている者であったが、彼の妹が、洛陽にも稀(まれ)な美人であったので、貴人の娘となって宮廷に入り、帝の胤(たね)をやどして弁皇子(べんおうじ)を生んだ。そして、皇后となってからは何后(かこう)といわれていた。 そのため兄の何進(かしん)も、一躍(いちやく)要職につき、権(けん)を握(にぎ)る身となったのである。 何進は、病帝をなぐさめて、 「ご安心なさいまし。たとえ如何(いか)なることがあっても、何進がおります。又、皇子(おうじ)がいらっしゃいます」と言って退(さが)った。 しかし、帝の気色は、慰(なぐさ)まないようであった。 帝には、なお、複雑な憂悶(ゆうもん)があったのである。何后のほかに、王美人(おうびじん)という寵姫(ちょうき)があって、その腹にも皇子の協(きょう)が生まれた。 何后は、それを知って、大いに嫉妬(しっと)し、ひそかに鴆毒(ちんどく)を盛って、王美人を殺してしまった。そして、生(な)さぬ仲(なか)の皇子協(きょう)を、霊帝のおっ母(か)さんにあたる董太后(とうたいごう)の手へ預(あず)けてしまったのである。 ところが、董太后は、預けられた協皇子が可愛(かわい)くてたまらなかった。帝も、又、何后の生んだ弁(べん)よりも、協(きょう)に不愍(ふびん)を感じて偏愛(へんさい)されていた。 で、十常侍(じゅうじょうじ)の蹇碩(けんせき)などが、時々そっと帝の病褥(びょうじょく)へ来て囁(ささや)いた。 「もし、協皇子を、皇太子に立てたいという思(おぼ)し召(め)しならば、まず何后(かこう)の兄何進(かしん)から先に誅罰(ちゅうばつ)なさらなければなりません。何進を殺すことが、後患(こうかん)を断つ所以(ゆえん)です」 「……ウム」 帝は蒼白(あおじろ)い顔で頷(うなず)かれた。 自己の病(やまい)は篤(あつ)い。いつとも知れない命数。 帝は決意すると急がれた。 にわかに、何進の邸(やしき)へ向かって、 「急ぎ、参内(さんだい)せよ」と、勅令(ちょくれい)があった。 何進は、変に思った。 「はてな。きのう参内したばかりなのに?」 急に帝の病状でも変わったのかと考えて、家臣に探らせてみるとそうでもない。のみならず、十常侍の蹇碩(けんせき)等が、なにか謀(はか)っている経緯(いきさつ)がうすうすわかったので、 「小癪(こしゃく)な輩(やから)。そんな策(て)に乗る何進ではない」 と、参内しない代わりに、廟堂(びょうどう)の諸大臣を私館へ招いて、 「こういう事実がある。実にけしからぬ陰謀だ。さなきだに天下皆、十常侍の輩(ともがら)を恨(うら)んで、機(おり)あらば、彼等(かれら)の肉を喰(くら)わんとまで怨嗟(えんさ)している。おれもこの機会に、宦官(かんがん)どもをみな殺しにしようと思うが、諸公の御意見はどうだ」と、会議の席に諮(はか)った。 「…………」 誰も皆、黙ってしまった。唯(ただ)びっくりした眼ばかりであった。すると、座隅(ざぐう)の一席からひとりの白皙(はくせき)の美丈夫が起立して、 「至極(しごく)けっこうでしょう。しかし十常侍とその与党の勢力というものは、宮中においては、想像のほかと承(うけたまわ)ります。将軍、威(い)あり実力ありといえども、うっかり手を焼くと、御自身、滅族(めつぞく)の禍(わざわい)を求めることになりはしませんか」と忠言を吐(は)いた。 見るとそれは、典軍(てんぐん)の校尉(こうい)曹操(そうそう)であった。何進の眼から見れば寔(まこと)に微々(びび)たる一将校でしかない。何進は苦い顔をして、 「だまれっ。貴様のような若輩の一武人に、朝廷の内事がわかってたまるものか。ひかえろ」 と、一言に叱(しか)りつけた。 為(ため)に、座中白(しら)けわたって見えた時、折も折、霊帝(れいてい)がたった今崩御(ごうぎょ)されたという報(し)らせが入った。 二 何進(かしん)は、その報らせを手にすると、会議の席へ戻って来て、諸大臣以下一同に向かい、 「ただ今、重大なる報らせがあったが、まだ公(おおやけ)の発表ではないから、そのつもりで聞いて欲しい」と、前提し、厳粛なる口調で、次のように述べた。 「天子、御不例(ごふれい)久しきに亙(わた)っておったが、今日遂(つい)に、嘉徳殿(かとくでん)において、崩御あそばされた」 「…………」 何進がそう言い終わっても、やや暫(しばら)くの間、会議の席は寂(せき)として、声を発する者もなかった。 諸大臣の面上には、はっとしたような色が流れた。予期していたことながら、 ――どうなる事か? と、この先の政治的変動やら一身の去就(きょしゅう)に、暗澹(あんたん)たる同様がかくしきれなかった。 しかも場合が場合である。 何進が、十常侍(じゅうじょうじ)をみな殺しにせんと息(いき)まいてこの席に計り、十常侍等は、家臣を謀(はか)って、亡(な)き者(もの)にしようと、暗躍しているという折も折であった。 抑(そも)、何の兆(きざし)か。 人々が一瞬自失したかのように、暗澹たる危惧(きぐ)の底に沈んで、 ――噫(ああ)、漢朝(かんちょう)四百年の天下も今日から崩(くず)れ始める兆か。 と、いうような予感に襲われたのも、決してむりではない。 暫(しば)し、黙禱(もくとう)のうちに、人々は亡(な)き霊帝をめぐる近年の宮廷の浅(あさ)ましい限りの女人(にょにん)と権謀の争いやら、数々の悪政と頽廃(たいはい)を胸によび回(かえ)して、今さらのように、深い嘆息をもらし合った。 × × × 霊帝(れいてい)は不幸なお方だった。 何も知らなかった。十常侍たちの見せる「偽飾(ぎしょく)」ばかりを信じられて、世の中の「真実」というものは、何一つ御存じなく死んでしまわれた。 十常侍の一派にとっては、霊帝は即ち「盲帝(もうてい)」であった。傀儡(かいらい)にすぎなかった。玉座(ぎょくざ)は彼等が暴政をふるい魔術をつかう恰好(かっこう)な檀上であり帳(とばり)であった。 その悪政を数えたてればきりもないが、まず近年の事では、黄巾(こうきん)の乱(らん)後、恩賞を与えた将軍や勲功者へ、裏から密(ひそ)かに人を遣(や)って、 「公等(こうら)の軍功を奏上して、公等はそれぞれ莫大(ばくだい)な封禄(ほうろく)の恩典にあずかりたるに、それを奏した十常侍に、何の沙汰(さた)もせぬのは、非礼ではないか」 などと賄賂(わいろ)のなぞをかけたりした。 恐れて、すぐ賂(まいない)を送った者もあるが、皇甫嵩(こうほすう)と、朱儁(しゅしゅん)の二将軍などは 「何をばかな」 と一蹴(いっしゅう)したので、十常侍たちは交々(こもごも)に、天子に讒(ざん)したので、帝はたちまち、朱儁、皇甫嵩のふたりの官職を剥(は)いで、それに代わるに、趙忠(ちょうちゅう)を車騎将軍(しゃきしょうぐん)に任命した。 又、張讓(ちょうじょう)その他の内官(ないかん)十三人を列侯(れっこう)に封(ほう)じ、司空(しくう)張温(ちょううん)を太尉(たいい)に昇(しょう)せたりしたので、そういう機運に乗った者は、十常侍に媚(こ)びおもねって、更に彼等(かれら)の勢力を増長させた。 稀々(たまたま)、忠諫(ちゅうかん)をすすめ、真実をいう良臣は、みな獄(ごく)に下されて、斬(き)られたり毒殺されたりした。 従って宮廷の紊(みだ)れは、偽(あざむ)かず、民間に反映して、地方にふたたぎ黄巾賊の残党やら、新しい謀叛人(むほんにん)が蜂起(ほうき)して、洛陽城下に天下の危機が聞こえて来た。 この動乱と風雲の再発に、人の運命も波浪に弄(もてあそ)ばされる如(ごと)く転変を極(きわ)めたが、稀々(たまたま)、幸いしたのは、何年来、不遇の地に趁(お)われて、代州(だいしゅう)の劉恢(りゅうかい)の情(なさ)けに漸く身をかくしていた劉備玄徳(りゅうびげんとく)であった。 三 黄匪(こうひ)の乱(らん)が熄(や)んでから又間もなく、近年各地に蜂起した賊では、魚陽(ぎょよう)(河北省)を騒がした張挙(ちょうきょ)、張純(ちょうじゅん)の謀叛。長沙(ちょうさ)、江夏(こうか)(湖南省・岳州(がくしゅう)の南)あたりの兵匪の乱(らん)などが最も大きなもんもだった。 「天下は泰平(たいへい)です。みな帝威(ていい)に伏(ふく)して、何事もありません」 十常侍(じゅうじょうじ)の輩(ともがら)は、口をあわせて、いつもそんなふうにしか、奏上していなかった。 だが。 長沙(ちょうさ)の乱へは、孫堅(そんけん)を向かわせて、平定に努めていた。 又劉焉(りゅうえん)を益州(えきしゅう)の牧(ぼく)に封(ふう)じ、劉虞(りゅうぐ)を幽州(ゆうしゅう)に封じて、四川(しせん)や魚陽(ぎょよう)方面の賊を討伐させていた。 その頃。 故郷の涿県(たくけん)から再び戻って、代州(だいしゅう)の劉恢(りゅうかい)の邸(やしき)に身を寄せていた玄徳は、主(あるじ)劉恢から(時節は来た。これを携(たずさ)えて、幽州の劉虞を訪ねてゆき給(たま)え。虞(ぐ)は自分の親友だから、君の人物を見ればきっと重用するだろう)と言われて、一通の紹介状をもらった。 玄徳は恩を謝して、直ちに、関羽(かんう)張飛(ちょうひ)などの一族を連れ、劉虞(りゅうぐ)の所へ行った。劉虞はちょうど、中央の命令で、魚陽に起った乱賊を誅伐(ちゅうばつ)にゆく出陣の折であったから、大いに欣(よろこ)んで、 (よし。君等(きみら)の一身はひきうけた)と、自分の軍隊に編入して、戦場へつれて行った。 四川、魚陽の乱も、漸(ようや)く一時の平定を見たので、その後、劉虞は朝廷へ表(ひょう)を上(たてまつ)って、玄徳の勲功ある事を大いに頌(たた)えた。 同時に、廟堂(びょうどう)の公孫瓚(こうそんさん)も、 (玄徳なる者は、前々(ぜんぜん)黄賊の大乱の折にも抜群の功労があったものです)と、上聞(じょうぶん)に達したので、朝廷でも捨ておかれず、詔(みことのり)を下して、彼を平原県(へいげんけん)(山東省・平原)の令(れい)に封じた。 で玄徳は、即時、一族を率(ひき)いて任地の平原へさし下った。行ってみると、ここは地味豊饒(ほうじょう)で銭粮(せんろう)の蓄(たくわ)えも官倉(かんそう)に満ちているので、 (天、我(われ)に兵馬を養(やしな)わしむ)と、みな非常に元気づいた。そこで玄徳以下、張飛や関羽たちも、ようやくここに酬(むく)いられて、前進一歩の地を占め、大いに武を練(ね)り兵を講じ、駿馬(しゅんめ)に燕麦(えんばく)を飼って、平原の一角から時雲の去来(きょらい)をにらんでいた。 ――果たせるかな。 一雲去れば一風生じ、征野に賊を掃(はら)い去れば、宮中の瑠璃殿裡(るりでんり)に冠帯(かんたい)の魔魅(まみ)や金釵(きんさい)の百鬼は跳梁(ちょうりょう)して、内外いよいよ多事の折から、一夜の黒風に霊帝は崩(ほう)ぜられてしまった。 紛乱(ふんらん)はいよいよ紛乱を見るであろう。漢室四百年の末期相(まっきそう)はようやくここに瓦崩(がほう)のひびきをたてたのである。――如何(いか)になりゆく世の末やらん、と霊帝崩御の由(よし)を知るとともに、人々みな色を失つて、呆然(ぼうぜん)、足もとの大地が九仭(きゅうじん)の底へめrこむような顔をしたのも、あながち、平常の心がけ無き者とばかり嗤(わら)えもしないことであった。 × × × 会議の席も、寂(せき)としてしまい、咳声(しわぶき)をする者すらなかったが、そこへ又、慌(あわただ)しく、 「将軍。お耳を」と、室外にちらと影を見せた者があつた。 何進(かしん)に通じている禁門(きんもん)の潘隠(はんいん)であつた。 「オ、潘隠か。何だ」 何進はすぐ会議の席を外(はず)し、外廊(がいろう)で何かひそひそ潘隠の囁(ささや)きを聞いていた。 四 潘隠(はんいん)が告げていうには、 「十常侍(じゅうじょうじ)の輩(ともがら)は例に依(よ)つて、帝の崩御と同時に謀議(ぼうぎ)をこらし、帝の死を隠しておいて、まず貴方(あなた)を宮中に召し、後の禍(わざわい)を除いてから喪(も)を発し、協皇子(きょうおうじ)を立てて御位(みくらい)を継がしめようという魂胆(こんたん)に密議は一決を見たようであります。――きっと今に、宮中から帝の名をもって、将軍に参内(さんだい)せよと、使いがやってくるにちがいありません」 何進(かしん)は聞いて、 「獸(けだもの)め等(ら)、よしっ、それならそれで俺(おれ)にも考えがある」 「憤怒(ふんど)して、会議の壇に戻り、潘隠(はんいん)の密報を諸大臣や、並居(なみい)る文武官に公然とぶちまけて発表した。 ところへ案(あん)の定(じょう)、宮中からお召しという使者が来邸して、 「天子、今御気息(ごきそく)も危(あや)うし、枕頭(ちんとう)に公(こう)を召して、漢室の後事を託せんと宣(のたま)わる。いそぎ参内あるべし」 お、恭(うやうや)しくいった。 「狸(たぬき)め」 何進は、潘隠へ向かって、 「こいつを血祭りにしろ」と命じるや否(いな)や、再び、会衆の前に立つて、 「もう俺の堪忍(かんにん)は破れた。断乎(だんこ)として俺は欲することをやるぞ!」と呶鳴(どな)った。 すると、先に忠言して何進に一喝(いっかつ)された典軍(てんぐん)の校尉曹操(そうそう)が、ふたたび沈黙を破って、 「将軍将軍。今日(こんにち)遂(つい)に断(だん)を下して計(けい)を為(な)さんとするならば、まず、天子の位を正(ただ)して然(しか)る後に賊を討つことを為し給え」と叫んだ。 何進も、今度は前のように、だまれとはいわなかった。大きく頷(うなず)いて、 「誰(だれ)か我が為(ため)に、新帝を正して、宮闕(きゅうけつ)の謀賊(ぼうぞく)どもを討(う)ち尽(つ)くさん者やある」 爛(らん)たる眼をして、衆席を見まわすと、時に、彼の声に応じて、 「司隷校尉(しれいこうい)袁紹(えんしょう)ありっ!」と名乗って起(た)った者がある。 人々の首(こうべ)は、一斉(いっせい)にその方へ振り向いた。見ればその人は、貌相魁偉(ぼうそうかいい)胸ひろく双肩威風(そうけんいふう)をたたえ、武芸抜群の勇将とは見られた。 是(これ)なん、漢(かん)の司徒(しと)袁安(えんあん)が孫(そん)、袁逢(えんほう)が子、袁紹(えんしょう)であった。袁紹字(あざな)は本初(ほんしょ)といい、汝南(じょなん)汝陽(じょよう)(河南省・淮河(わいが)上流の北岸)の名門で門下に多数の吏事(りじ)武将を輩出(はいしゅつ)し、彼も現在は漢室の司隷校尉の職にあった。 袁紹は、昂然(こうぜん)と述べた。 「願わくば自分に精兵五千を授(さず)け給(たま)え。直(ただ)ちに、禁門に入って、新帝を擁立(ようりつ)し奉 たてまつ)り、多年禁廷(きんてい)に巣(す)くう内官共をことごとく誅滅(ちゅうめつ)して見せましょう」 何進はよろこんで、 「行けっ」と、号令した。 この一声に洛陽(らくよう)の王府は一転(いってん)戦雲に天と修羅(しゅら)の地に化(な)ったのである。 袁紹は、たちまち鉄甲(てっこう)を身に鎧(よろ)い、御林(ぎょりん)の近衛兵(このえへい)五千をひっさげて、内裏(だいり)まで押し通った。王城の八門市中の街門(がいもん)のこらず閉じて戒厳令(かいげんれい)を布(し)き、入(い)るも出(い)づるも味方以外は断乎(だんこ)として一人も通すなと命じた。 その間(かん)に。 何進もまた、車騎将軍たる武装をして何顒(かぎょう)、荀攸(じゅんしゅう)、鄭泰(ていたい)などの一族や大臣三十余名を伴(ともな)い、陸続(りくぞく)と宮門に入り、霊帝の柩(ひつぎ)のまえに、彼が支持する弁太子(べんたいし)を立たせて、即座に、新帝御即位を宣言し、自分の発声で、百官に万歳を唱(とな)えさせた。
https://w.atwiki.jp/seikouudoku/pages/55.html
檻車(かんしゃ) 一 義はあっても、官爵(かんしゃく)はない。勇はあっても、官旗(かんき)を持たない。そのために玄徳(げんとく)の軍は、どこ迄(まで)も、私兵としてしか扱われなかった。 (よく戦ってくれた)と、恩賞の沙汰(さた)か、ねぎらいの言葉でもあるかと思いのほか、休む遑(いとま)もなく、(ここはもうよいから、広宗(こうそう)の地方へ転戦して、盧(ろ)将軍を援(たす)けに行け) と言う朱儁(しゅしゅん)の命令には、玄徳は素直な質(たち)なので、承知して戻ったが、関羽(かんう)も、張飛(ちょうひ)も、それを聞くと、 「え。すぐに此処(ここ)を立てというんですか」 と、むっとした顔色だった。殊(こと)に張飛は、 「けしからん沙汰だ。いかに官軍の大将だからといってそんな命令を、おうけして来る法があるものか。昨夜から悪戦苦闘してくれた部下にだって、気の毒で、そんな事が言えるものか」と激昂(げきこう)し、 「長兄(ちょうけい)は、おとなしいもんだから、洛陽(らくよう)の都会人などの眼から見ると舐(な)めやすいのだ。拙者(せっしゃ)が懸(か)け合(あ)ってくる」 と、剣を摑(つか)んで、朱儁(しゅしゅん)の本営へ出かけそうにしたので、玄徳よりは、同じ不快を怺(こら)えている関羽が、 「まあ待て」と、極力抑(おさ)えた。 「ここで、腹を立てたら、せっかく、官軍へ協力した意義も成功も、みな水泡(すいほう)に帰してしまう。都会人て奴(やつ)は、元来、わがままで思い上がっているものだ。しかし、黙ってわれわれが国事に尽くしていれば、いつか誠意は天聴(てんちょう)にも達するだろう。眼前の利欲(りよく)に怒るのは小人(しょうじん)に業(わざ)だ。われわれは、もっと高い理想に向かって起(た)つはずじゃないか」 「でも癪(しゃく)にさわる」 「感情に負けるな」 「無礼な奴だ」 「わかった。わかった。もうそれでいいだろう」 漸(ようや)く宥(なだ)めて、 「劉兄(りゅうけい)。お腹も立ちましょうが、戦場も世の中の一部です。広い世の中としてみればこんな事はありがちでしょう。即刻、この地を引き揚げましょう」 ついでに関羽は、玄徳の憂鬱(ゆううつ)もそう言って慰(なぐさ)めた。 玄徳は元より、そう腹も立っていない。怺えるとか、堪忍(かんにん)とか、二人は言っているが、彼自身は、生来の性質が微温的(びおんてき)にできているのか、実際、朱儁の命令にしてもそう無礼とも無理とも思えないし怒る程に、気色を害されてもいなかったのである。 兵には、一睡させて、せめて食糧もゆっくり摂(と)らせて、夜半から玄徳は、そこの陣地を引き払った。 きのうは西に戦い。 今日は東へ。 毎日、五百の手勢と、行軍をつづけていても、私兵のあじけなさを、しみじみ思わずにはいられなかった。 部落を通れば、土民までが馬鹿にする。――その土民等を賊の虐圧(ぎゃくあつ)と、悪政の下から救って、安心楽土の幸福な民としてやろうという此軍(このぐん)の精神であるのに――その見すぼらしい雜軍的な装備を見て、 「なんじゃ。官軍でもなし、黄巾賊でもないのが、ぞろぞろ通りよる」 などと、陽(ひ)なたに手をあざし合って、嘲弄(ちょうろう)するような眼をあつめながら見物していた。 けれど、先頭の玄徳、張飛、関羽の三人だけは、人目をひいた。威風が道を払(はら)った。土民等の中には土下座して拝する者もあった。 拝されても、嘲弄(ちょうろう)されても、玄徳はいずれにせよ、気にかけなかった。自分が畑に働いていた頃の気持をもって、土民等の気持を理解しているからだった。 二 駒(こま)を並べて来る関羽と張飛とはまだ朱儁の無礼を思い出して、時々、腹が立って来るものとみえ、官軍の風紀や、洛陽の都人士の軽薄を、頻(しき)りに声を大にして罵(ののし)っていた。 「およそ嫌なものは、官爵を誇って、朝廷の御威光(ごいこう)を、自分の偉さみたいに、思い上がっている奴だ。天下の紊(みだ)るるは、天下の紊れに非(あら)ず、官の廃頽(はいたい)に拠(よ)るというが、洛陽育ちの役人の将軍のうちには、あんなのが沢山いるだろうて」 と、関羽が言えば、 「そうさ。俺はよッぽど、朱儁の面(つら)へ、ヘドを吐きかけてやろうと思ったよ」と張飛も言う。 「はははは。貴公のヘドをかけられたら、朱儁も驚いただろうな。しかし彼一人が官僚臭の鼻もちならぬ人間というわけではない。漢室の廟堂(びょうどう)そのものが腐敗しているのだ。彼は、その中に棲息(せいそく)している時代人だから、その悪弊を持っているに過ぎない」 「それやあわかっているが、とにかく俺(おれ)は、目前の事実を憎むよ」 「いくら黄匪(こうひ)を討伐しても、中央の悪風を粛清(しゅくせい)しなければ、ほんとうのよい時代はやって来まいな」 「黄巾の賊はなお討つに易(やす)し。朝堂の鼠臣(そしん)はついに趁(お)うも難(かた)し――か」 「そのとおりだ」 「考えれば考えるほど、俺たちの理想は遠い――」 道をながめ、空を仰ぎ、両雄は嘆じ合っていた。 少し前へ立って、馬を進めていた玄徳は、二人の声高なはなしを先刻から後ろ耳で聞いていたが、その時、振顧(ふりかえ)って、 「いやいや両人、そう一概に言ってしまったものではない。洛陽の将軍のうちにも立派な人物は乏(とぼ)しくない」と、言った。 玄徳は、言葉をつづけて、 「たとえば先頃、野火(のび)の戦野で出会って挨拶(あいさつ)を交(か)わした――赤備(あかぞな)えの一軍の大将、孟徳(もうとく)曹操(そうそう)などという人物は、まだ若いが、人品(じんぴん)といい、言語態度といい、寔(まこと)に見あげたものだった。叡智(えいち)の才を、洛陽(らくよう)の文化と、武勇とに磨(みが)いて、一個の人格に飽和(ほうわ)させているところ、彼など真に官軍の将軍といって恥すかしからぬ者であろう。ああいう武将というものは、やはり郷軍や地方の草莽(そうもう)のなかには見当たらないと思うな」と賞(ほ)めたたえた。 それには、張飛も関羽も、同感であったが、浪人の通用性として官軍とか官僚とかいうと、まずその人物の真価を観(み)るより先に、その色や臭(にお)いを嫌悪してかかるので、玄徳にそう言われる迄(まで)は、殊に、曹操に対しても、感服する気にはなれなかったのである。 「ヤ。旗が見える」 そのうちに、彼等の部下は、こう言って指さし合った。玄徳は、馬を止めて、 「なにが来るのだろうか」と、関羽を顧(かえり)みた。 関羽は、手をかざして、道の前方数十町の先を、眺めていた。そこは山陰(やまかげ)になって、山と山の間へ道が蜿(うね)っているので、太陽の光も陰(かげ)り、何やら一団の人間と旗とが、此方(こっち)へさして来るのはわかるが官軍やら黄巾賊の兵やら――又、地方を浮浪している雜軍やら、見当がつかなかった。 だが、次第に近づくに従って、漸(ようや)く旗幟(きし)がはっきりわかった。関羽が、それと答えた時には、従う兵等も口々に言い交わしていた。 「朝旗(ちょうき)をたてている」 「アア。官軍だ」 「三百人ばかりの官軍の隊」 「だが、おかしいぞ、熊でも捕まえて入れて来るのか、檻車(かんしゃ)を曳(ひ)いて来るじゃないか」 三 大きな鉄格子の檻(おり)である。車がついているので驢(ろ)に曳かせることができる。まわりには、槍(やり)や棒を持った官兵が、怖(こわ)い目をしながら警固(けいご)して来る。 その前に百名。 その後ろに約百名。 檻車を真ん中にして、七旈(しちりゅう)の朝旗(ちょうき)は山風に翻(ひるが)えっていた。そして、檻車の中に、揺られて来るのは、熊でも豹(ひょう)でもなかった。膝(ひざ)を抱いて、天日に面(おもて)を附(ふ)せている。あわれなる人間であった。 ばらばらっと、先頭から、一名の隊将と、一隊の兵が、駈(か)け抜(ぬ)けて来て、玄徳の一行を、頭から咎(とが)めた。 「こらっ、待てっ」と言うふにである。 張飛も、ぱっと、玄徳の前へ駒(こま)を躍(おど)らせて、万一を庇(かば)いながら、 「なんだっ、虫けら」と、言い返した。 言わずともよい言葉であったが、潁川(えいせん)以来、とかく官兵の空威(からい)ばりに、業腹(ごうはら)の煮えていたところなので、つい口を衝(つ)いて出てしまったのである。 石は石を打って、火を発した。 「なんだと、官旗に対して、虫けらと言ったな」 「礼を知るをもって人倫(じんりん)の始まりと言う。礼儀をわきまえん奴は、虫けらも同然だ」 「だまれ、われわれは、洛陽の勅使(ちょくし)、左豊(さほう)卿(きょう)の直属の軍だ。旗を見よ。朝旗が見えんか」 「王城の直軍とあれば、なおさらの事である。俺たちも、武勇奉公を任じる軍人だ。私軍といえど、この旗に対し、こらっ待てとはなんだ。礼をもって問えば、こちらも礼をもって答えてやる。出直して来い」 丈八(じょうはち)の蛇矛(じゃぼこ)を斜(しゃ)に構えて、刮(くわ)っとにらみつけた。 官兵は縮(ちぢ)み上がったものの、虚勢を張ったてまえ、退(ひ)きもならず、生唾(なまつば)をのんでいた。玄徳は、眼じらせで、関羽にこの場を扱うように促(うなが)した。 関羽は、心得て、 「あいや、これは潁川(えいせん)の朱儁(しゅしゅん)・皇甫嵩(こうほすう)の両軍に参加して、これより広宗(こうそう)へ引っ返して参る涿県(たくけん)の劉玄徳の手勢でござる。ことばの行きちがい、この漢(おとこ)の短慮はゆるし給(たま)え。――就(つ)いては、又、貴下の軍は、これより何処(いずこ)へ参らるるか。そして、あれなる檻車(かんしゃ)にある人間は、賊将の張角(ちょうかく)でも生擒(いけど)って来られたのであるか」 詫(わ)びるところは詫び、糺(ただ)すところは筋目(すじめ)を糺して質問した。 官兵の隊将は、それに、ほっとした顔つきを見せた。張飛の暴言も薬にはなったとみえ、今度は丁寧(ていねい)に、 「いやいや、あれなる檻車に押し込めて来た罪人は、先頃まで、広宗(こうそう)の征野(せいや)にあって官軍一方の将として、洛陽より派遣せられていた中郎将(ちゅうろうしょう)盧植(ろしょく)でござる」 「えっ、盧植将軍ですって」 玄徳は思わず、驚きの声を放(はな)った。 「されば。吾々(われわれ)には詳しいこともわからぬが、今度勅令にて下られた左豊卿が、各地の軍状を視察中、盧植の軍務ぶりに不届きありと奏(そう)された為(ため)、急に盧植の官職を褫奪(ちだつ)され、これよりその身がらを一囚人として、都へ差し立てて行く途中なので――」 と語った。 玄徳も、関羽も、張飛も、 「嘘のような……」と、茫然(ぼうぜん)たる面(おもて)を見あわせたまま、暫(しば)し言うことばを知らなかった。 玄徳はやがて、 「実は盧植将軍は、自分の旧師にあたるお人なので、ぜひとも一目、お別れをお告げ申したいが、なんとか許してもらえまいか」と切(せつ)に頼んだ。 四 「ははあ。では、罪人盧植は、貴公の旧師にあたる者か。それは定めし、一目でも会いたかろうな」 守護の隊将は、玄徳の切な願いを、肯(き)くともなく、肯(き)かぬともなく、頗(すこぶ)るあいまいに口を濁(にご)して、「許してもよいが、公(おおやけ)の役目のてまえもあるしな」と、意味ありげに呟(つぶや)いた。 関羽は、玄徳の袖(そで)をひいて、彼は賄賂(わいろ)を求めているにちがいない。貧しい軍費ではあるが、幾分かを割(さ)いて、彼に与えるしかありますまいと言った。 張飛は、それを小耳に挾(はさ)むと、けしからぬことである。そんなことをしては癖(くせ)になる。もし肯(き)かなければ、武力に訴えて、盧将軍の檻車へ迫り、御対面なさるがよい。自分が引き受けて、警固の奴らは近寄らせぬからと言ったが、玄徳は、 「いやいや、かりそめにも、朝廷の旗を奉じている兵や役人へ向かって、左様(さよう)な暴行はなすべきでない。と言って、師弟の情、このまま盧将軍と相見(あいみ)ずに別れるにも忍びないから――」 と言って、若干(なにがし)かの銀を、軍費のうちから出させて、関羽の手からそっと、守護の隊将へ手渡し、 「ひとつ、貴郎(あなた)のお力で」 と折(お)り入(い)って言うと、賄賂(わいろ)の効目(ききめ)は、手のひらを返したようにきいて、隊将は立ち戻って、折車を停(とど)め、 「暫(しばら)く、休め」と、自分の率(ひき)いている官兵に号令した。 そしてわざと、彼等は見て見ぬふりをして、路傍に槍を組んで休憩していた。 玄徳は、騎(き)を下りて、その間に、檻車(かんしゃ)のそばへ馳(か)け寄(よ)り、頑丈(がんじょう)な鉄格子へすがりついて、 「先生っ。先生っ。玄徳でございます。いったい、このお姿は、どうなされた事でござりますぞ」 と、嘆(なげ)いた。 膝を曲げて、暗澹(あんたん)と、顔を埋(うず)めたまま、檻車の中に背をまろくしていた盧植(ろしょく)は、その声に、はっと眼を向けたが、 「おうっ」 と、それこそ、さながら野獣のように、鉄格子の側(そば)へ、跳(と)びついて来て、 「玄徳か……」と、舌をつらせて顫(わなな)いた。 「いい所で会った。玄徳、聞いてくれ」 盧植は無念な涙に、眼も顔もいっぱいに曇(くも)らせながら言う。 「実は、こうだ。――先頃、貴公(きこう)がわしの陣を去って、潁川(えいせん)のほうへ立ってから間もなく、勅使(ちょくし)左豊(さほう)という者が、軍監(ぐんかん)として戦況の検分に来たが、世事に疎(うと)いわしは、陣中でもあるし、天使の使いとして、彼を迎えるには、あまりに真面目(まじめ)すぎて、他の将軍連のように、左豊に献物(けんもつ)を贈らなかった。……すると厚顔(あつかま)しい左豊は、我(われ)に賄賂(まいない)をあたえよと、自分の口から求めて来たが、陣中にある金銀は、皆これ官の公金にして、兵器戦備の費(ついえ)にする物、他に私財とてはなし。殊(こと)に、軍中なれば、吏に贈る財物など、何であろうかと、わしは又、真っ正直に断わった」 「……なるほど」 「すると、左豊は、盧植はわれを恥ずかしめたりと、ひどく恨(うら)んで帰ったそうだが、間もなく、身に覚えのない罪名の下に、軍職を褫奪(ちだつ)されてこんな浅ましい姿を曝(さら)して、都に差し立てられる身とはなってしもうた。……今思えば、わしもあまり一徹(いってつ)であったが、洛陽の顕官(けんかん)共が、私利至福のみ肥やして、君も思わず、民を顧(かえり)みず、ただ一身の栄利に汲々(きゅうきゅう)としておる状(さま)は、想像のほかだ。実に嘆かわしい。こんな事では、後漢(ごかん)の霊帝(れいてい)の御世も、おそらく長くはあるまい。……ああどうなりゆく世の中やら」 と、盧植は、身の不幸を悲しむよりも、さすがに、より以上、上下乱脈の世相の果てを、痛哭(つうこく)するのであった。 五 慰(なぐさ)めようにも慰める言葉もなく、鉄格子を隔(へだ)てた盧植と手を握りしめて、玄徳と共にただ悲嘆の涙にくれていたが、 「いや先生、御胸中はお察しいたしますが、いかに世が末になっても、罪なき者が罰せられて、悪人や奸吏(かんり)がほしいままに、栄耀(えいよう)を全(まっと)うする事はありません。日月も雲に蔽(おお)われ、山容も、烟霧(えんむ)に真の象(かたち)を現わさない時もあります。そのうちに、御冤罪(ごえんざい)は拭(ぬぐ)われて、又聖代(せいだい)に祝しあう日もありましょう。どうか、時節をお待ちください。お体を大切に、恥をしのんで、凝(じっ)とここは、御辛抱(ごしんぼう)ください」 と励ました。 「ありがとう」と、盧植も、われに回(かえ)って、「思わぬ所で、思わぬ人に会った為(ため)、つい心も弛(ゆる)み、不覚な涙を見せてしもうた。……わしなどはすでに老朽の身だが、頼むのは、貴公たち将来のある青年へだ。……どうか億生(おくしょう)の民草(たみぐさ)のために、頼むぞ劉備」 「やります。先生」 「ああしかし」 「何ですか」 「わしの如(ごと)き、老年になっても、まだ侫人(ねいじん)の策に墜(お)ち、檻車に生(い)き恥(はじ)を曝(さら)すような不覚をするのだ。汝等(おことら)は殊(こと)に年も、若いし、世の経験に浅い身だ。くれぐれも、平時の処世に細心でなければ危(あや)ういぞ。戦(いくさ)を覚悟の戦場よりも、心をゆるめがちの平時のほうが、どれほど危険が多いか知れない」 「御訓戒(ごくんかい)、胆(きも)に命じておきます」 「では、あまり長くなっても、又迷惑がかかるといけないから――」 と、盧植が、早く立ち去れかしと、玄徳を目で急(せ)き立(た)てていると、それ迄、檻車の横に佇(たたず)んでいた張飛が、突然、 「やあ長兄。罪もなき恩師が、獄府(ごくふ)へ引かれて行くのを、このまま見過ごすという法があろうか。今のはなしを聞くにつけ、又先頃からの鬱憤(うっぷん)も嵩(かさ)んでおる。もはや張飛の堪忍(かんにん)の緒(お)は断(き)れた。守護の官兵共を、みなごろしにして、檻車を奪い、盧植(ろしょく)様をお助けしようではないか」 と、大声でいい放ち、一方の関羽を顧(かえり)みて、 「兄貴、どうだ」と、相談した。 耳こすりや、眼まぜで諜(しめ)し合(あ)わすのではない。天地へ向かって呶鳴(どな)るのである。いくら背中を向けて見ぬ振りをしている官兵でも、それには総立ちになって、色めかざるを得ない。しあkし、張飛の眼中には、蝿が舞い出した程にもなく、 「何を黙っておるのか。長兄等は、官兵らが怖(こわ)いのか。義を見て為(な)さざるは勇なきなり。よしっ、それでは、俺(おれ)ひとりである。なんの、こんな虫籠(むしかご)のような檻車一つ」 いきなり張飛は、その鉄格子に手をかけて、猛虎(もうこ)のように、揺すぶり出した。 いつもあまり大きな声も出さないし、滅多(めった)に顔色を変えない玄徳が、それを見ると、 「張飛!何をするかッ」と、大喝(だいかつ)して、「かりそめにも、朝命(ちょうめい)の科人(とがにん)へ、汝(なんじ)、一野夫(いちやふ)の身として、何を為(な)さんとするか。師弟の情は忍び難いが、なお、私情に過ぎない。いやしくも天子の命とあらば、血を嚙(か)んでも伏(ふく)すべきである。世々の道に反(そむ)かずという事は、抑々(そもそも)、われら軍律の第一則であった、強(た)って、乱暴を働くにおいて、天子の臣に代わり、又、わが軍律に照らして、劉玄徳が、まず汝の首(こうべ)を刎(は)ねん。――如何(いか)に張飛、なお躁(さわ)ぐや」 と、彼(か)の名剣の柄(つか)をにぎって、眦(まなじり)を紅(くれない)に裂(さ)き、この人にしてこの血相があるかと疑われるばかりな声で叱(しか)りつけた。 六 ――檻車は遠く去った。 叱られて、思(おも)い止(とど)まった張飛は、後ろの山のほうを向いて、見ていなかった。 玄徳は立っていた。 「…………」 黙然と、凝視(ぎょうし)して、遠くなり行く師の檻車を、暗涙(あんるい)の中に見送っていた。 「……さ。参りましょう」 関羽は、促(うなが)して、駒(こま)を寄せた。 玄徳は、黙々と、騎上の人になたが、盧植の運命の急変が、よほど精神にこたえたとみえ、 「……噫(ああ)」と、なお嘆息しては、振り向いていた。 張飛は、つまらない顔をしていた。彼にとっては、正しい義憤としてやった事が、計らずも玄徳の怒りを買い、義盟の血をすすり合ってから初めてのような叱られ方をした。 官兵共は、それを見て、いい気味だというような嘲笑(ちょうしょう)を浴びせた。張飛たるもの、腐(くさ)らずにいられなかった。 「いけねえや、どうも家(うち)の大将は、すこし安物(やすもの)の孔子(こうし)にかぶれている気味だて」 舌打ちしながら、彼も黙りこんだまま、悄気(しょげ)返った姿を、騎にまかせていた。 山峡(やまあい)の道を過ぎて、二州のわかれ道へ来た。 関羽は、駒を止めて、 「玄徳樣」と、呼びかけた。 「これから南へ行けば広宗(こうそう)。北へ指(さ)してゆけば、郷里涿県(たくけん)の方角へ近づきます。いずれを選びますか」 「元より、盧植先生が囚(とら)われの身となって、洛陽へ送られてしまったからには、義をもってそこへ援軍に赴(ゆ)く意味ももうなくなった。ひとまず、涿県へ帰ろうよ」 「そうしますか」 「うム」 「それがしも、先刻(さっき)からいろいろ考えていたのですが、どうも、残念ながら、一時郷里へ退(ひ)くしかないであろう――と思っていたので」 「転戦、又転戦。――何の功名も齎(もたら)さず、郷家に待つ母上にも、なんとなく、会わせる顔もないここちがするが……帰ろうよ、涿県へ」 「はっ。――では」 と、関羽は、騎首を旋(めぐ)らして、後からつづいて来る五百余の手兵へ、 「北へ、北へ!」 と、指さして歩行の号令をかけ、そして又黙々(もくもく)と、歩みつづけた。 「あア――、あ、あ」 張飛は、大欠伸(おおくび)して、 「いったい、なんの為に、俺たちは戦ったんだい。ちっともわけがわからない。――こうなると一刻もはやく、涿県の城内へ帰って、市(いち)の酒屋で久しぶりに、猪(いのこ)の股(もも)でも齧(かじ)りながら、うまい酒でも飲みたいものだ」と、言った。 関羽は、苦い顔をして、 「おいおい、兵隊のような事を言うな。一方の将として」 「だって、俺は、ほんとの事を言っているんだ。嘘ではない」 「貴様からして、そんな事を言ったら、軍紀が弛(ゆる)むじゃないか」 「軍紀の弛み出したのは、俺のせいじゃない。官軍官軍と、何でも、官軍とさえいえば、意気地(いくじ)なく恐がる人間のせいだろ」 不平満々なのである。 その不平な気もちは、玄徳にもわかっていた。玄徳もまた、不平であったからだ。そして一頃(ひところ)の張り切っていた壮志(そうし)の弛みをどうしようもなかった。彼は、女々(めめ)しく郷里の母を思い出し、又、思うともなく、鴻芙蓉(こうふよう)の麗(うるわ)しい眉(まゆ)や眼などを、人知れず胸の奥所(おくが)に描いたりして、何となく士気の沮喪(そそう)した軍旅の虚無(きょむ)と不平をなぐさめていた。 すると、突然、山崩(やまくず)れでもしたように、一方の山岳で、鬨(とき)の声(こえ)が聞こえた。 七 「何事か」 玄徳は聞き耳たてていたが、四山に谺(こだま)する銅鑼(どら)、兵鼓(へいこ)の響きに、 「張飛、物見(ものみ)せよ」と、すぐ命じた。 「心得た」 と張飛は駒を飛ばして、山のほうへ向かって行ったが、暫(しばら)くすると戻って来て、 「広宗(こうそう)の方面から逃げくずれて来る官軍を、黄巾の総帥(そうすい)張角(ちょうかく)の軍が、大賢良師(だいけんりょうし)と書いた旗を進め、勢いに乗って、追撃して来るのでござる」と、報告した。 玄徳は、驚いて、 「では、広宗の官軍は、総敗北となったのか。――罪なき盧植将軍を、檻車に囚(とら)えて、洛陽に差し立てたりなどした為に、たちまち、官軍は、統制を失って、賊にその虚(きょ)をつかれたのであろう」 と、嘆じた。 張飛は、むしろ小気味よげに、 「いや、そればかりでなく、官軍の士風そのものが、長い平和に狎(な)れ、気弱(きよわ)にながれ、思い上がっているからだ」と、関羽へ言った。 関羽は、それに答えず、 「長兄。どうしますか」 と玄徳へ計った。 玄徳は、躊躇(ためらい)なく、 「皇室を重んじ、秩序を紊(みだ)す賊子を討(う)ち、民の安寧を護(まも)らんとは、われわれの初めからの鉄則である。官の士風や軍紀を司(つかさ)どる者に、おもしろからぬ人物があるからというて、官軍そのものが潰滅(かいめつ)するのを、拱手(きょうしゅ)傍観(ぼうかん)していてもよいものではない」 と、即座に、援軍に馳(は)せつけて、賊の追撃を、山路で中断した。そしてさんざんにこれを悩ましたり、又、奇策をめぐらして、張角大方師(だいほうし)の本軍まで攪乱(かくらん)した上、勢いを挽回(ばんかい)した官軍と合体して、五十里あまりも賊軍を追って引き揚げた。 広宗から敗走して来た官軍の大将は、董卓(とうたく)という将軍だった。 辛(から)くも、総敗北を盛り返して、ほっと一息つくと、将軍は、幕僚にたずねた。 「いったい、彼(か)の山嶮(さんけん)で、不意にわが軍へ加勢し、賊の後方を攪乱した軍隊は、いずれ味方には相違あるまいが、どこの部隊に属する将士か」 「さあ。どこの隊でしょう」 「汝等(なんじら)も知らんのか」 「誰も弁(わきまえ)ぬようです」 「然(しか)らば、その部将(ぶしょう)に会って、自身訊(たず)ねてみよう。これへ呼んで来い」 幕僚は、直ちに、玄徳たちへ董卓の意を伝えた。 玄徳は、左将(さしょう)関羽(かんう)、右将(うしょう)張飛(ちょうひ)を従えて、董卓の面前へ進んだ。 董卓は、椅子を与える前に、三名の姓名をたずねて、 「洛陽の王軍に、卿等(けいら)のごとき勇将がある事は、まだ寡聞(かぶん)にして聞かなかったが、いったい諸君(しょくん)は、何という官職に就(つ)かれておるのか」と、身分を糺(ただ)した。 玄徳は、無爵無官の身をむしろ誇るように、自分等は、正規の官軍ではなく、天下万民のために、大志を奮い起こして立った一地方の義軍であると答えた。 「……ふうむ。すると、涿県(たくけん)の楼桑村から出た私兵か。つまり雜軍というわけだな」 董卓の応対ぶりは、言葉つきからして違って来た。露骨な軽蔑(けいべつ)を鼻先に見せていうのだった。しかも、 「――ああそうか。じゃあ我が軍に従(つ)いて、大いに働くがよいさ。給料や手当は、いずれ沙汰(さた)させるからな」 と同席するさえ、自分の沽券(こけん)に関(かかわ)るように、董卓は言うとすぐ帷幕(いばく)のうちへ隠れてしまった。 八 官軍にとっては、大功を建てたのだ。董卓(とうたく)にとっては、生命(いのち)の親だと言ってもよいのだ。 然(しか)るに! 何ぞ、遇(ぐう)するの、無礼。 士を遇する道を知らぬにも程がある。 「…………」 玄徳も、張飛と関羽も、董卓のうしろ姿を見送ったまま、茫然(ぼうぜん)としていた。 「うぬっ」 憤然(ふんぜん)と、張飛は、彼のかくれた幕(とばり)の奥へ、躍(おど)り入(い)ろうとした。 獅子(しし)のように、髪を立てて。 そして剣を手に。 「あっ、何処(どこ)へ行く」 玄徳は、驚いて、張飛のうしろから組み止めながら、 「こらっ、又、わるい短慮を出すか」と、叱った。 「でも、でも」 張飛は、怒(いか)り熄(や)まなかった。 「――ちッ、畜生っ。官位がなんだっ。官職がない者は、人間でないように思ってやがる。馬鹿野郎ッ。民力があっての官位だぞ。賊軍にさえ、蹴(け)ちらされて、逃げまわって来やがったくせに」 「これッ、鎮(しず)まらんか」 「離してくれ」 「離さん。関羽関羽。なぜ見ているか。一緒に、止めてくれい」 「いや関羽、止めてくれるな。おれはもう、堪忍(かんにん)の緒(お)を切った。――功を立てて恩賞もないのは、まだ我慢もするが、なんだ、あの軽蔑したあいさつは。――人を雜軍とかぬかしおった。私兵かと、鼻であしらいやがった。――離してくれ、董卓の素(そ)ッ首(くび)を、この蛇矛(じゃぼこ)で一太刀にかッ飛ばして見せるから」 「待て。……まあ待て。…・・腹が立つのは、貴様ばかりではない。だが、小人(しょうじん)の小人ぶりに、いちいち腹を立てていたひには、とても大事は為(な)せぬぞ。天下、小人に満ちいる時だ」 玄徳は、抱き止めたまま、声をしぼって諭(さと)した。 「しかし、なんであろうと、董卓は皇室の武臣である。朝臣を弑逆(しいぎゃく)すれば、理非にかかわらず、叛逆(はんぎゃく)の賊子といわれねばならぬ。それに、董卓には、この大軍があるのだ。われわれも共に、ここで斬死(きりじに)しなければならぬ。聞きわけてくれ張飛。われわれは、犬死する為に、起(た)ったのではあるまいが」 「……ち、ち、ちく生ッ」 張飛は、床(ゆか)を、大きく沓(くつ)で踏み鳴らして、男泣きに、声をあげて泣いた。 「口惜(くや)しい」 彼は、坐(すわ)りこんで、まだ泣いていた。この忍耐をしなければ、世の為に戦えないのか、義を唱(とな)えても、遂(つい)に為(な)す事はできないのかと考えると悲しくなってくるのだった。 「さ。外へ出よう」 赤ン坊をあやすように、玄徳と関羽の二人して、彼を左右から抱き起こした。 そして、その夜、「こんな所に長居していると、いつ又、張飛が虫を起こさないとも限らないから」と、董卓(とうたく)の陣を去って、手兵五百と共に、月下の曠野(こうや)を、蕭々(しょうしょう)と、風を負(お)って歩いた。 わびしき雜軍。 そして官職のない将僚(しょうりょう)。 一軍の漂泊(さすらい)は、こうして再び続いた。夜毎(よごと)に、月は白く小さく、曠野は果てなく又露(つゆ)が深かった。 渡り鳥が、大陸を趁(ゆ)く。 もう秋なのだ。 いちど郷里の涿県へ帰ろうとしたが、それも残念でならないし、あまりに無意義――という関羽の意見に、張飛も、将来は何事も我慢しようと同意したので、玄徳を先頭にしたこの渡り鳥にも似た一軍は、又、以前の潁川(えいせん)地方に在(あ)る黄匪討伐軍本部――朱儁(しゅしゅん)の陣地へ志(こころざ)して行ったのであった。
https://w.atwiki.jp/raycy/pages/62.html
タイプバー トランザクション 吉川英治宮本武蔵の畦道戦術もアクセス トランザクション コントロール制約ボトルネック律速クリティカルパス戦術?戦略? 吉岡道場門弟達の「想い」あだ討ち本願成就サイドに立った解決か、宮本武蔵サイドに立ったソリューションか、、http //b.hatena.ne.jp/raycy/20090104#bookmark-11529102 このあたりは以前、http //blog.goo.ne.jp/raycyで書いたはず、、なんて書いただろう、、 2007-07-28 23 15 18 http //blog.goo.ne.jp/raycy/e/b20af09e0501a8580fe38e7b37f85c88 →typebar式←(別称を(仮に)タイプアーム式マシンをも許容しうるか) の基本経済構造は、 一文字ずつ印字すること。印字スペースは、一文字分しかない。 この一文字分スペースを、タイムシェアするのである←。 方法は、宮本武蔵では、田んぼの畦道に誘い込んだ? 待ち行列は許されない。というのは、ほぼ同時打鍵はジャム、スタックする。 だから、一列に並んで、順に、印字希望者typebarがやってきて欲しいものである。← typebarタイプアーム式マシンメカの基本経済構造 2007-07-27 05 14 58http //blog.goo.ne.jp/raycy/e/1dc1a310537c3907be0330affa61aadc typebarタイプアーム式マシンメカとそのヴァリエージョン包摂関係は Type-bar machinesタイプバー・メカニズム、タイプバー機構採用機種 (引用注、タイプバー式)タイプライターが進化して来た三楷梯 @霊犀社22007-07-18 @黒澤貞次郎 原著 第一図は盲型 Blind Model でタイプはプラテンの底を打つべく仕組まれました。 第二図は半ビジブル型 Semi-visible Model でタイプはプラテンの頂を打ったのであります。 第三図は全ピジブル型すなわち Full visible Model の最新式の機構でタイプはプラテンの前側面を打つ仕組であります。 counter -
https://w.atwiki.jp/idol7/pages/4336.html
渡辺夏菜をお気に入りに追加 渡辺夏菜とは 渡辺夏菜の36%は大阪のおいしい水で出来ています。渡辺夏菜の31%は柳の樹皮で出来ています。渡辺夏菜の23%はやさしさで出来ています。渡辺夏菜の6%は利益で出来ています。渡辺夏菜の2%は真空で出来ています。渡辺夏菜の1%は犠牲で出来ています。渡辺夏菜の1%は血で出来ています。 渡辺夏菜@ウィキペディア 渡辺夏菜 渡辺夏菜の報道 卓球 - 大分のニュースなら 大分合同新聞プレミアムオンライン Gate - 大分合同新聞 毎日児童生徒紙上書展入賞者 11月度 /愛媛 - 毎日新聞 インドネシアオープン優勝の志田千陽/松山奈未は2ランクアップで7位に浮上! バドミントン最新世界ランキング ダブルス(バド×スピ!/バドミントン・マガジン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【12月3日付】今週末公開の新作映画 - 映画ナタリー かつてない豪華「ネコ電車」登場!和歌山電鐵社長もうれしいニャン! | やさしいニュース | TVO テレビ大阪 - tv-osaka.co.jp 読書感想文コン県審査 最優秀賞に10編 小1の船木さんら中央へ /島根 - 毎日新聞 保木卓朗/小林優吾が3ランクアップ! 志田千陽/松山奈未も高ポイントを加算! バドミントン世界ランキング ダブルス(バド×スピ!/バドミントン・マガジン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【クイーンズ駅伝】広中璃梨佳、新谷仁美ら五輪8選手も エントリー一覧(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 近鉄「スナックカー」ラストラン!感謝を込めて 渡辺アナ徹底解説 | やさしいニュース | TVO テレビ大阪 - tv-osaka.co.jp 松本麻佑/永原和可那が、福島由紀/廣田彩花を抜き日本ランクでトップに! バドミントン日本ランキング ダブルス(バド×スピ!/バドミントン・マガジン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 第1子妊娠中の夏菜 体重5キロ増加を明かす「持ってる洋服が何も似合わなくなってきた」 - スポニチアネックス Sponichi Annex 第1子妊娠の夏菜 体重5キロ増加し「洋服が何も似合わなくなってきた」 - デイリースポーツ 朝日奈央、ロケの最中に知らされた「5人目のファン」の存在! (2021年10月24日) - エキサイトニュース 夏菜、コロナ禍の妊娠生活に本音 マスク着用で「ふらふら」「スーパーで目の前真っ白」 - ORICON NEWS 「1日10時間とか12時間ゲームをやっていた」夏菜、妊娠して変わった“生活”を明かす(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 夏菜が第1子妊娠発表後、初の公の場 アウトレットの思い出語る - ニッカンスポーツ 夏菜 「プロゲーマーを目指します」 - スポニチアネックス Sponichi Annex 夏菜 「お腹の中に小さな命を授かりました」インスタで妊娠報告、祝福届く - デイリースポーツ 『スイートリベンジ』続編の「これは使える」恋愛テクとは?夏菜・森永悠希・古畑星夏インタビュー (2021年9月21日) - エキサイトニュース 夏菜、第1子妊娠を所属事務所が公表 ファンからは「穏やかに過ごしてほしい」と労りの声(1/2 ページ) - - ねとらぼ 夏菜 番組出演衣装を披露、アナスイの紫ワンピ、「素敵~」「美しい」の声 - デイリースポーツ 夏菜 警察官にふんした写真に絶賛の声、「いつでも逮捕して」「かわいい」 - デイリースポーツ 夏菜、オムライス風パスタに驚き顔「面白過ぎ(笑)」「ケチャップかけてしまいそう」 - TV LIFE 夏菜主演ドラマ『スイートリベンジ』続編決定 前編の地上波放送も - ORICON NEWS 夏菜、ミニワンピから美脚あらわ「色っぽい」「かわいすぎる」 - ORICON NEWS 夏菜 夫の高級車に注目集まる 車内から動画 左ハンドルにサンルーフ - デイリースポーツ 夏菜、金髪ロング&超ミニでイメチェン「めちゃめちゃ美しい」「お似合い」の声 - スポーツ報知 「ソウドリSP」に夏菜扮する“ナツナ・アマゾネス”登場!MC・有田哲平「とんでもないことが起きました」 - WEBザテレビジョン 夏菜・アンミカ、勤務先で見せる夫や妻の『ヒミツの昼顔』に驚き! - RBB TODAY 朝日奈央&夏菜の“ブラックコーデ2ショット”に「美女が二人も」「ナイスショット」の声 | 話題 - AbemaTIMES 夏菜 映画舞台あいさつ時の衣装を投稿、靴はジミーチュウ、「カッコいい」の声 - デイリースポーツ 90歳インストラクター「年齢はただの数字で~す!」 夏菜「タキミカさん、すごい」 (2021年6月17日) - エキサイトニュース これまでと違った“マッシュな前髪”の夏菜に「可愛さ倍増」「前髪短いの似合うの羨ましすぎ」の声 | 話題 - AbemaTIMES 夏菜 胸元チラリ大胆ドレス姿披露「美人」「色っぽい」 - デイリースポーツ 夏菜、大胆胸元で美乳あらわ「武器使ってる~」「脚もめっちゃ綺麗」 - ORICON NEWS 夏菜、プロポーズ時に“5時のチャイム”鳴る 予期せぬサプライズに「涙と笑いでごちゃまぜ」 - ORICON NEWS 夏菜 ミニ丈ワンピ×高ヒールで美脚あらわ ファンも「スタイル抜群」 - デイリースポーツ 夏菜、広瀬すず似のモテ女子・ののかのベッドの中での“あざとい”行動にツッコミ「やってんな~(笑)」 『ドラ恋~KISS or kiss~』act.5 | ニュース - AbemaTIMES 「細くでビビった」 夏菜、“最高傑作”の初音ミクコスプレのアンドロイド級な仕上がりに驚きの声(1/2 ページ) - - ねとらぼ 夏菜、誕生日に「家族」が増えた 満面の笑みで報告 - デイリースポーツ 夏菜 五輪「ワクチン行き渡ってないのにやるって信じられない」「感染者増えてますから!」 - デイリースポーツ 夏菜、「バストしか目に入ってこない!」な“新妻完熟Gカップ”が艶すぎるッ (2021年4月7日) - エキサイトニュース 滝川英治と夏菜が再起をつかんだゲストから金言を学ぶ『Smile again!~人生宝箱~』 - TV LIFE 夏菜“落とし屋”ドラマに森永悠希・古畑星夏が出演【コメントあり】 - ORICON NEWS 「ちっこ。くろっ。笑」夏菜、幼少期ショット公開「やんちゃそう」「この頃から存在感抜群!」 - ORICON NEWS 夏菜、8年ぶりグラビアの秘蔵カット公開「久しぶりのグラビアにドっキドキしております」 - ORICON NEWS 夏菜、男を骨抜きにする“落とし屋”熱演「恋愛に破れたすべての人たちに」 - ORICON NEWS 「平成ノブシコブシ」吉村崇が夏菜に半端じゃない結婚ご祝儀 100万円単位もある芸能界 - J-CASTニュース 夏菜 新婚生活明かす コロナ収束後に「ハネムーンでLAに行きたい~」 - デイリースポーツ 新婚の夏菜、コロナ収束後の夢は「海外にハネムーンに行きたい」 - スポーツ報知 おのののか=真理愛、北島三郎=大野穣... 芸能人の本名はどうやってバレるのか - J-CASTニュース 夏菜はPUBG婚!?「旦那さんが勧めてくれた」 - ニッカンスポーツ 夏菜、インスタでも結婚を報告!「楽しく明るくスマイルいっぱいで過ごしていきます」 - RBB TODAY 夏菜、インスタで結婚祝福に感謝「楽しく明るくスマイルいっぱいで過ごしていきます」 - ORICON NEWS 夏菜、一般男性との結婚を発表 「まだ予定はない」発言から5か月で急展開 (2021年1月17日) - エキサイトニュース 「可愛くて気絶」「そんなんされたらやばい」夏菜のウィンクショットにファン悶絶 | 話題 - AbemaTIMES 夏菜、来年「森のあるところ」に引っ越したい? つるの剛士は藤沢に「ずっと住みたい」 (2020年12月10日) - エキサイトニュース 「2人とも本当大好き」「可愛いですよ~」夏菜&高橋メアリージュンの美女2ショットに称賛の声 | 話題 - AbemaTIMES 夏菜、浜田雅功を「めちゃめちゃ好きになった」瞬間を告白 - めるも 夏菜の「髪型」と「本名公開」には隠された意図があった!? 記者が分析する「ツインテール」の裏側 - J-CASTニュース 夏菜、本名告白 改名した過去も - モデルプレス 夏菜、本名明かす 「売れなかったんで」改名 朝日奈央「え!初めて知りました!」 - スポニチアネックス Sponichi Annex 夏菜が突然の本名告白「売れなかったので改名した」 朝日奈央ビックリ - エキサイトニュース 夏菜&朝日奈央のツインテール姿に「かわいい!」「最高」と反響 - クランクイン! 【5月23日誕生日の芸能人】夏菜、高橋名人、荒井敦史 - RBB TODAY 夏菜、20代最後に挑む連ドラ主演は「プレッシャーしかない」 - クランクイン! 夏菜が“バスト強調NG”時代の貴重な「17歳胸元」チラ見せ写真を大公開! - アサ芸プラス 渡辺夏菜をキャッシュ サイト名 URL 渡辺夏菜の掲示板 名前(HN) カキコミ すべてのコメントを見る 渡辺夏菜のリンク #blogsearch2 ページ先頭へ 渡辺夏菜 このページについて このページは渡辺夏菜のインターネット上の情報を時系列に網羅したリンク集のようなものです。ブックマークしておけば、日々更新される渡辺夏菜に関連する最新情報にアクセスすることができます。 情報収集はプログラムで行っているため、名前が同じであるが異なるカテゴリーの情報が掲載される場合があります。ご了承ください。 リンク先の内容を保証するものではありません。ご自身の責任でクリックしてください。
https://w.atwiki.jp/akb43/pages/4316.html
渡辺夏菜をお気に入りに追加 渡辺夏菜とは 渡辺夏菜の36%は大阪のおいしい水で出来ています。渡辺夏菜の31%は柳の樹皮で出来ています。渡辺夏菜の23%はやさしさで出来ています。渡辺夏菜の6%は利益で出来ています。渡辺夏菜の2%は真空で出来ています。渡辺夏菜の1%は犠牲で出来ています。渡辺夏菜の1%は血で出来ています。 渡辺夏菜@ウィキペディア 渡辺夏菜 渡辺夏菜の報道 卓球 - 大分のニュースなら 大分合同新聞プレミアムオンライン Gate - 大分合同新聞 毎日児童生徒紙上書展入賞者 11月度 /愛媛 - 毎日新聞 インドネシアオープン優勝の志田千陽/松山奈未は2ランクアップで7位に浮上! バドミントン最新世界ランキング ダブルス(バド×スピ!/バドミントン・マガジン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【12月3日付】今週末公開の新作映画 - 映画ナタリー かつてない豪華「ネコ電車」登場!和歌山電鐵社長もうれしいニャン! | やさしいニュース | TVO テレビ大阪 - tv-osaka.co.jp 読書感想文コン県審査 最優秀賞に10編 小1の船木さんら中央へ /島根 - 毎日新聞 保木卓朗/小林優吾が3ランクアップ! 志田千陽/松山奈未も高ポイントを加算! バドミントン世界ランキング ダブルス(バド×スピ!/バドミントン・マガジン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【クイーンズ駅伝】広中璃梨佳、新谷仁美ら五輪8選手も エントリー一覧(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 近鉄「スナックカー」ラストラン!感謝を込めて 渡辺アナ徹底解説 | やさしいニュース | TVO テレビ大阪 - tv-osaka.co.jp 松本麻佑/永原和可那が、福島由紀/廣田彩花を抜き日本ランクでトップに! バドミントン日本ランキング ダブルス(バド×スピ!/バドミントン・マガジン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 第1子妊娠中の夏菜 体重5キロ増加を明かす「持ってる洋服が何も似合わなくなってきた」 - スポニチアネックス Sponichi Annex 第1子妊娠の夏菜 体重5キロ増加し「洋服が何も似合わなくなってきた」 - デイリースポーツ 朝日奈央、ロケの最中に知らされた「5人目のファン」の存在! (2021年10月24日) - エキサイトニュース 夏菜、コロナ禍の妊娠生活に本音 マスク着用で「ふらふら」「スーパーで目の前真っ白」 - ORICON NEWS 「1日10時間とか12時間ゲームをやっていた」夏菜、妊娠して変わった“生活”を明かす(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 夏菜が第1子妊娠発表後、初の公の場 アウトレットの思い出語る - ニッカンスポーツ 夏菜 「プロゲーマーを目指します」 - スポニチアネックス Sponichi Annex 夏菜 「お腹の中に小さな命を授かりました」インスタで妊娠報告、祝福届く - デイリースポーツ 『スイートリベンジ』続編の「これは使える」恋愛テクとは?夏菜・森永悠希・古畑星夏インタビュー (2021年9月21日) - エキサイトニュース 夏菜、第1子妊娠を所属事務所が公表 ファンからは「穏やかに過ごしてほしい」と労りの声(1/2 ページ) - - ねとらぼ 夏菜 番組出演衣装を披露、アナスイの紫ワンピ、「素敵~」「美しい」の声 - デイリースポーツ 夏菜 警察官にふんした写真に絶賛の声、「いつでも逮捕して」「かわいい」 - デイリースポーツ 夏菜、オムライス風パスタに驚き顔「面白過ぎ(笑)」「ケチャップかけてしまいそう」 - TV LIFE 夏菜主演ドラマ『スイートリベンジ』続編決定 前編の地上波放送も - ORICON NEWS 夏菜、ミニワンピから美脚あらわ「色っぽい」「かわいすぎる」 - ORICON NEWS 夏菜 夫の高級車に注目集まる 車内から動画 左ハンドルにサンルーフ - デイリースポーツ 夏菜、金髪ロング&超ミニでイメチェン「めちゃめちゃ美しい」「お似合い」の声 - スポーツ報知 「ソウドリSP」に夏菜扮する“ナツナ・アマゾネス”登場!MC・有田哲平「とんでもないことが起きました」 - WEBザテレビジョン 夏菜・アンミカ、勤務先で見せる夫や妻の『ヒミツの昼顔』に驚き! - RBB TODAY 朝日奈央&夏菜の“ブラックコーデ2ショット”に「美女が二人も」「ナイスショット」の声 | 話題 - AbemaTIMES 夏菜 映画舞台あいさつ時の衣装を投稿、靴はジミーチュウ、「カッコいい」の声 - デイリースポーツ 90歳インストラクター「年齢はただの数字で~す!」 夏菜「タキミカさん、すごい」 (2021年6月17日) - エキサイトニュース これまでと違った“マッシュな前髪”の夏菜に「可愛さ倍増」「前髪短いの似合うの羨ましすぎ」の声 | 話題 - AbemaTIMES 夏菜 胸元チラリ大胆ドレス姿披露「美人」「色っぽい」 - デイリースポーツ 夏菜、大胆胸元で美乳あらわ「武器使ってる~」「脚もめっちゃ綺麗」 - ORICON NEWS 夏菜、プロポーズ時に“5時のチャイム”鳴る 予期せぬサプライズに「涙と笑いでごちゃまぜ」 - ORICON NEWS 夏菜 ミニ丈ワンピ×高ヒールで美脚あらわ ファンも「スタイル抜群」 - デイリースポーツ 夏菜、広瀬すず似のモテ女子・ののかのベッドの中での“あざとい”行動にツッコミ「やってんな~(笑)」 『ドラ恋~KISS or kiss~』act.5 | ニュース - AbemaTIMES 「細くでビビった」 夏菜、“最高傑作”の初音ミクコスプレのアンドロイド級な仕上がりに驚きの声(1/2 ページ) - - ねとらぼ 夏菜、誕生日に「家族」が増えた 満面の笑みで報告 - デイリースポーツ 夏菜 五輪「ワクチン行き渡ってないのにやるって信じられない」「感染者増えてますから!」 - デイリースポーツ 夏菜、「バストしか目に入ってこない!」な“新妻完熟Gカップ”が艶すぎるッ (2021年4月7日) - エキサイトニュース 滝川英治と夏菜が再起をつかんだゲストから金言を学ぶ『Smile again!~人生宝箱~』 - TV LIFE 夏菜“落とし屋”ドラマに森永悠希・古畑星夏が出演【コメントあり】 - ORICON NEWS 「ちっこ。くろっ。笑」夏菜、幼少期ショット公開「やんちゃそう」「この頃から存在感抜群!」 - ORICON NEWS 夏菜、8年ぶりグラビアの秘蔵カット公開「久しぶりのグラビアにドっキドキしております」 - ORICON NEWS 夏菜、男を骨抜きにする“落とし屋”熱演「恋愛に破れたすべての人たちに」 - ORICON NEWS 「平成ノブシコブシ」吉村崇が夏菜に半端じゃない結婚ご祝儀 100万円単位もある芸能界 - J-CASTニュース 夏菜 新婚生活明かす コロナ収束後に「ハネムーンでLAに行きたい~」 - デイリースポーツ 新婚の夏菜、コロナ収束後の夢は「海外にハネムーンに行きたい」 - スポーツ報知 おのののか=真理愛、北島三郎=大野穣... 芸能人の本名はどうやってバレるのか - J-CASTニュース 夏菜はPUBG婚!?「旦那さんが勧めてくれた」 - ニッカンスポーツ 夏菜、インスタでも結婚を報告!「楽しく明るくスマイルいっぱいで過ごしていきます」 - RBB TODAY 夏菜、インスタで結婚祝福に感謝「楽しく明るくスマイルいっぱいで過ごしていきます」 - ORICON NEWS 夏菜、一般男性との結婚を発表 「まだ予定はない」発言から5か月で急展開 (2021年1月17日) - エキサイトニュース 「可愛くて気絶」「そんなんされたらやばい」夏菜のウィンクショットにファン悶絶 | 話題 - AbemaTIMES 夏菜、来年「森のあるところ」に引っ越したい? つるの剛士は藤沢に「ずっと住みたい」 (2020年12月10日) - エキサイトニュース 「2人とも本当大好き」「可愛いですよ~」夏菜&高橋メアリージュンの美女2ショットに称賛の声 | 話題 - AbemaTIMES 夏菜、浜田雅功を「めちゃめちゃ好きになった」瞬間を告白 - めるも 夏菜の「髪型」と「本名公開」には隠された意図があった!? 記者が分析する「ツインテール」の裏側 - J-CASTニュース 夏菜、本名告白 改名した過去も - モデルプレス 夏菜、本名明かす 「売れなかったんで」改名 朝日奈央「え!初めて知りました!」 - スポニチアネックス Sponichi Annex 夏菜が突然の本名告白「売れなかったので改名した」 朝日奈央ビックリ - エキサイトニュース 夏菜&朝日奈央のツインテール姿に「かわいい!」「最高」と反響 - クランクイン! 【5月23日誕生日の芸能人】夏菜、高橋名人、荒井敦史 - RBB TODAY 夏菜、20代最後に挑む連ドラ主演は「プレッシャーしかない」 - クランクイン! 夏菜が“バスト強調NG”時代の貴重な「17歳胸元」チラ見せ写真を大公開! - アサ芸プラス 渡辺夏菜をキャッシュ サイト名 URL 渡辺夏菜の掲示板 名前(HN) カキコミ すべてのコメントを見る 渡辺夏菜のリンク #blogsearch2 ページ先頭へ 渡辺夏菜 このページについて このページは渡辺夏菜のインターネット上の情報を時系列に網羅したリンク集のようなものです。ブックマークしておけば、日々更新される渡辺夏菜に関連する最新情報にアクセスすることができます。 情報収集はプログラムで行っているため、名前が同じであるが異なるカテゴリーの情報が掲載される場合があります。ご了承ください。 リンク先の内容を保証するものではありません。ご自身の責任でクリックしてください。
https://w.atwiki.jp/kiba001/pages/372.html
放送期間 第1クール 第1話~第13話 第2クール 第14話~第26話 第3クール 第27話~第39話 第4クール 第40話~第4?話 (クール (テレビ) - Wikipedia) 【第27話~第39話】 クイーンそしてキングの登場と、物語は怒涛の展開を見せる。 【出来事】 第27話 第28話 第29話 第30話 第31話 第32話 第33話 第34話 第35話 第36話 第37話 第38話 第39話 【放映リスト】 話数 放映日 サブタイトル 脚本 監督 登場ファンガイア、その他 収録DVD 第27話 2008/08/03 80’s・怒れるライジングブルー 井上敏樹 長石多可男 クラブファンガイアシケーダファンガイア 8月10日は北京五輪のため放送休止 第28話 2008/08/17 リクエスト・時を変える戦い 井上敏樹 長石多可男 クラブファンガイアシケーダファンガイア 第29話 2008/08/24 聖者の行進・我こそキング 井上敏樹 石田秀範 ウォートホッグファンガイアライオンファンガイア 第30話 2008/08/31 開演・キバの正体 第31話 2008/09/07 喝采・母に捧げる変身 パールシェルファンガイア(深央)ウォートホッグファンガイアライオンファンガイア 第32話 2008/09/15 新世界・もう一人のキバ 井上敏樹 田﨑竜太 パールシェルファンガイア(真夜)パールシェルファンガイア(深央)ムースファンガイアトータスファンガイア 第33話 2008/09/21 スーパーソニック・闘いのサガ 第34話 2008/09/28 ノイズ・破壊の旋律 井上敏樹 長石多可男 ホースフライファンガイアスワローテイルファンガイア 第35話 2008/10/05 ニューアレンジ・飛翔のバラ ホースフライファンガイアククルカン 第36話 2008/10/12 革命・ソードレジェンド 井上敏樹 中澤祥次郎 ラットファンガイア 第37話 2008/10/19 トライアングル・キングが斬る ラットファンガイアパールシェルファンガイア(深央) 第38話 2008/10/26 魔王・母と子の再開 井上敏樹 田﨑竜太 マンティスファンガイアウォートホッグファンガイア(再生)シケーダファンガイア(再生)ムースファンガイア(再生)シャークファンガイア(再生)パールシェルファンガイア(深央) 11月2日は大学駅伝のため放送休止 第39話 2008/11/09 シャウト・狙われた兄弟 井上敏樹 田﨑竜太 マンティスファンガイアウォートホッグファンガイア(再生)シケーダファンガイア(再生)ムースファンガイア(再生)スワローテイルファンガイアパールシェルファンガイア(真夜) 【登場人物・出演俳優】 【レギュラー】 役名 役者 登場話 現代編 2008年 紅渡 (仮面ライダーキバに変身するこの物語の主人公 内気なバイオリン職人) 瀬戸康史 第1話~ 名護啓介 (仮面ライダーイクサに変身するバウンティハンター) 加藤慶祐 第3話~ 麻生恵 (母の遺志を継ぐファンガイアハンター) 柳沢なな 第1話~ 野村静香 (渡のバイオリンの生徒) 小池里奈 第1話~ 襟立健吾 (渡と名護に恨みを抱く、素晴らしき青空の会の新会員) 熊井幸平 第11話~ キバットバットⅢ世 (キバット族・由緒正しき名門、キバットバット家の三代目) 杉田智和(声) 第1話~ 魔皇竜タツロット (ドラン族・キバをファイナルウエイクアップ(究極覚醒)させる禁断のキー) 石田彰(声) 第24話~ 過去編、現代編の両方に登場 次狼ガルル (ガルルの人間体 音也に力を貸す)(ウルフェン族の最後の生き残り) 松田賢二高岩成二(スーツアクター) 過去編 第5話~現代編 第2話~ ラモンバッシャー (バッシャーの人間体 音也に力を貸す)(マーマン族の最後の生き残り) 小越勇輝神尾直子(スーツアクター) 過去編 第8話~現代編 第2話~ 力ドッガ (ドッガの人間体)(フランケン族の最後の生き残り 音也に力を貸す) 滝川英治永徳(スーツアクター) 過去編 第9話~現代編 第2話~ 嶋護 (素晴らしき青空の会の会長 音也と渡、2つの時代を知る男) 金山一彦 第1話~ 木戸明 (22年前から営業していた喫茶店「カフェ・マル・ダムール」のマスター) 木下ほうか 第1話~ ブルマン (「カフェ・マル・ダムール」のマスターの愛犬) ラブラドール・レトリバー(タレント犬) 第1話~ 過去編、1986年 紅音也 (主人公の22年前の父親 元天才バイオリニスト) 武田航平 第1話~ 麻生ゆり (22年前の恵の母親 殺された母の仇を倒すためファンガイアと戦う) 高橋優 第1話~ チェックメイトフォー ファンガイア族最強の四人 登太牙 (チェックメイトフォー 現代のキング)(仮面ライダーサガに変身するD&Pの社長) 山本匠馬 現代編 第32話~ キング (チェックメイトフォー ファンガイア族の王)(仮面ライダーダークキバに変身する) 新納慎也 過去編 第36話~ 鈴木深央 (チェックメイトフォー 現代のクイーン)(パールシェルファンガイア(深央)人間体、声) 芳賀優里亜 現代編 第21話~ クイーン(真夜) (チェックメイトフォー ファンガイア族の死刑執行人)(パールシェルファンガイア(真夜)人間体、声) 加賀美早紀 過去編 第20話~現代編 第34話~ ビショップ (チェックメイトフォー キング、クイーンの補佐役)(スワローテイルファンガイア人間体、声) 村田充 過去編 第28話~現代編 第25話~ ルーク (チェックメイトフォー ライオンファンガイア人間体、声) 高原知秀 現代編、過去編 第15話~第31話 キバットバットⅡ世 (キバット族・キングに力を貸すキバットバットⅢ世の父) 杉田智和(声) 過去編 第38話~ 【第3クール ゲスト】 第38話、第39話 幼い渡 (子供の時の渡) 板垣陽平 現代編(回想シーン)、第38話 (マンティスファンガイアの声) 武虎 第38話、第39話 第36話、第37話 主婦 (渡の家に苦情を言いにきた) 真下有紀 現代編、第36話 須永千重 現代編、第36話 (ラットファンガイアの声) 石野竜三 第36話、第37話 第34話、第35話 楓 (神田博士の研究サンプル ホースフライファンガイア人間体) 宮下ともみ 第34話、第35話 神田博士 (元青空の会会員 進化生物研究所研究員) 飯田基祐 第34話、第35話 脱獄犯 (名護を退かせるが、健吾に捕まる) 江藤純 現代編、第34話 部下 (太牙の部下 研究所に同行する) 松澤仁晶 現代編、第34話 店主 (バーのマスター) 及川達郎 現代編、第34話 男 (楓に捕らえられ、神田博士の研究に利用される) 松村曜生 現代編、第34話 (ホースフライファンガイアの声) 峯香織 第34話、第35話 第32話、第33話 黒沢 (キングの忠臣 ムースファンガイア人間体、声) 和興 第32話、第33話 沼川 (人間に恋した研究員 トータスファンガイア人間体) 坂本真 第32話、第33話 研究員 (新しい金属を開発した ムースファンガイアの犠牲になる) 長江健次 現代編、第32話 重役 (D&P(DEVELOPMENT&PIONEER)の役員) 野口雅弘 現代編、第32話 坂口進也 強盗 (指名手配犯 名護の指示で渡が追った) 川島麻有弥 現代編、第32話 幼い渡 (子供の時の渡) 板垣陽平 現代編(回想シーン)、第32話 幼い太牙 (子供の時の太牙) 岸澤優吾 現代編(回想シーン)、第32話 (トータスファンガイアの声) 下山吉光 第32話、第33話 第29話、第30話、第31話 阿鐘 (キングの座を狙う男 ウォートホッグファンガイア人間体、声) 窪寺昭 第29話、第30話、第31話 麻生光秀 (恵の弟 呉服屋の跡取り息子) 中山麻聖 現代編、第29話、第30話、第31話 麻生茜 (ゆりの母親 過去ルークによって殺害された) ひがし由貴 過去編(回想シーン)、第31話 幼い渡 (子供の時の渡) 板垣陽平 現代編(回想シーン)、第31話 幼い太牙 (渡が子供の時に初めてできた友達) 岸澤優吾 現代編(回想シーン)、第31話 風船の子供 (ルークに風船を採ってもらった) 立石翔大 現代編、第31話 アナウンサーの声 (光秀が連続で宝くじに当たったことを報じていた) 八巻博史 現代編、第31話 コメンテーターの声 (光秀が連続で宝くじを当てたことにコメントしていた) 菊池隆志 現代編、第31話 看護士 (健吾の指について噂していた) 小林音子 現代編、第30話 遠野祐紀 医師 (健吾の主治医 指についての告知をする) 田村三郎 現代編、第30話 カップル (阿鐘に絡まれる) 浅野有貴 現代編、第30話 中野亜紀子 おばあさん (ルークに病院まで運ばれた) 土屋茂子 現代編、第30話 手品師 (レッドマン ウォートホッグファンガイアの犠牲になる) 石塚良博 現代編、第30話 MC (手品番組の司会 ウォートホッグファンガイアに襲われる) 鈴木コウタ 現代編、第30話 占い師 (ウォートホッグファンガイアの犠牲になる) 山口年男 現代編、第29話 大道芸人 (ウォートホッグファンガイアの犠牲になる) えんじ則之 現代編、第29話 ヘビメタ男 (ルークに絡まれる) 火野正幸 現代編、第29話 母親 (娘に絵本を読み聞かせていた) 野々宮かおり 現代編、第29話 チンピラ (ライオンファンガイアの犠牲になる) 森嶋將士 過去編、第29話 第27話、第28話 棚橋 (青空の会に恨みを持つ元画家) 小川敦史 現代編、過去編、第27話、第28話 刑事 (青空の会メンバーを逮捕した) 林洋平 現代編、第27話 女性 (クラブファンガイアに襲われる) 小松瞳 現代編、第27話 幼い渡 (子供の時の渡) 板垣陽平 現代編(回想シーン)、第27話 幼い太牙 (渡が子供の時に初めてできた友達) 岸澤優吾 現代編(回想シーン)、第27話 (クラブファンガイアの声) 増田隆之 第27話、第28話 (シケーダファンガイアの声) 三戸崇史 第27話、第28話 【モンスター登場リスト】
https://w.atwiki.jp/seikouudoku/pages/53.html
義盟(ぎめい) 一 桃園(とうえん)へ行ってみると、関羽(かんう)と張飛(ちょうひ)のふたりは、近所の男を雇って来て、園内の中央に、もう祭壇を作っていた。 壇の四方には、笹竹(ささだけ)を建て、清縄(せいじょう)を繞(めぐ)らして金紙(きんし)銀箋(ぎんせん)の華(はな)をつらね、土製の白馬を贄(いけにえ)にして天を祭り、烏牛(うぎゅう)を屠(ほふ)った事にして、地神を祠(まつ)った。 「やあ、おはよう」 劉備(りゅうび)が声をかけると、 「おお、お目ざめか」 張飛、関羽は振り向いた。 「見事に祭壇ができましたなあ。寝る間はなかったでしょう」 「いや、張飛が、興奮して、寝てから話しかけるので、ちっとも寝る間はありませんでしたよ」 と、関羽は笑った。 張飛は劉備のそばへ来て、 「祭壇だけは立派にできたが、酒はあるだろうか」 心配して訊(たず)ねた。 「いや、母が何とかしてくれるそうです。今日は、一生一度の祝いだとか言っていますから」 「そうか、それで安心した。しかし劉兄(りゅうけい)、いいおっ母(か)さんだな。ゆうべから側(そば)で見ていても、羨(うらや)ましくてならない」 「そうです。自分で自分の母を褒(ほ)めるのも変ですが、子に優しく世に強い母です」 「気品がある、どこか」 「失礼だが、劉兄には、まだ夫人(おくさん)はないようだな」 「ありません」 「はやくひとり娶(めと)らないと、母上がなんでもやっている様子だが、あのお年で、お気の毒ではないか」 「…………」 劉備は、そんな事を訊(き)かれたので、又ふと、忘れていた鴻芙蓉(こうふようの佳麗(かれい)な姿を思い出してしまった。 で、つい答えを忘れて、何となく眼をあげると、眼の前へ、白桃の花びらが、霏々(ひひ)と情有(あ)つもののように散って来た。 「劉備や。皆さんも、もうお支度はよろしいのですか」 厨(くりや)に見えなかった母が、いつの間にか、三名の後ろに来て告げた。 三名が、いつでもと答えると、母は又、いそいそと厨房(ちゅうぼう)の方へ去った。 近隣の人手を借りて来たのであろう。きのう張飛の姿をみて、きゃっと魂消(たまげ)て逃げた娘も、その娘の恋人の隣家(となり)の息子も、ほかの家族も、大勢して手伝いに来た。 やがてまず、一人では持てないような酒瓶(さかがめ)が祭壇の筵(むしろ)へ運ばれて来た。 それから豚の仔(こ)を丸ごと油で煮たのや、山羊(やぎ)の吸い物の鍋や、干菜(かんさい)を牛酪(ぎゅうらく)で煮つけた物だの、年数のかかつた漬物(つけもの)だの――運ばれて来る毎(ごと)に、三名は、その豪華な珍味の鉢(はち)や大皿に目を奪われた。 劉備でさえ、心のうちで、 「これはいったい、どうした事だろう」と、母の算段(さんだん)を心配していた。 そのうちに又、村長の家から、花梨(かりん)の立派な卓(たく)と椅子(いす)が担(かつ)がれて来た。 「大饗宴(だいきょうえん)だな」 張飛は、子供のように、歓喜した。 準備ができると、手伝いの者は皆、母屋(おもや)へ退(さ)がってしまった。 三名は、 「では」 と、眼を見合わせて、祭壇の前に蓆(むしろ)へ坐(すわ)った。そして天地の神へ、 「われらの大望を成就(じょうじゅ)させ給(たま)え」 と、祈念(きねん)しかけると、関羽が、 「御両所(ごりょうしょ)。少し待ってくれ」 と、何か改まって言った。 二 「ここの祭壇の前に坐ると同時に、自分はふと、こんな考えを呼び起こされたが、両公の所存はどんなものだろうか」 関羽は、そう言い出して、劉備と張飛へ、こう相談した。 すべて物事は、体(たい)を基(もと)とする。体形を整(ととの)えていない事に成功はあり得ない。 偶然、自分たち三人は、その精神において、合致(がっち)を見、きょうを出発として大事を為(な)そうとするものであるが、三つの者が寄り合っただけでは、体を為していない。 今は、小なる三人ではあるが、理想は遠大である。三体一心の体を整え置くべきではあるまいか。 事の途中で、仲間割れなど、よく有る例である。そういう結果へ到達させてはならない。神のみ禱(いの)り、神のみ祠(まつ)っても、人事を尽(つ)くさうずして、大望の成就はあり得べくもあるまい。 関羽の説くところは、道理であったが、さてどういう体を備えるかとなると、張飛にも劉備にもさし当ってなんの考えもなかった。 関羽は、語をつづけて、 「まだ兵はおろか、兵器も金も一頭の馬も持たないが、三名でも、ここで義盟(ぎめい)を結べば、即座に一つの軍である。軍には将がなければならず、武士には主君がなければならぬ。行動の中心に正義と報国を奉(ほう)じ、個々の中心に、主君を持たないでは、それは徒党の乱に終わり、烏合(うごう)の衆(しゅう)と化してしまう。――張飛もこの関羽も、今日まで、草田(そうでん)に隠れて時を待っていたのは、実に、その中心たるお人が容易にない為(ため)だった。折ふし劉備玄徳(げんとく)という、しかも血統の正しいお方に会ったのが、急速に、今日の義盟の会となったのであるから、今日只今(ただいま)、ここで劉備玄徳どのを、自分等の主君と仰(あお)ぎたいと思うが、張飛、おまえの考えはどうだ」 訊(き)くと、張飛も、手を打って、 「いや、それは拙者(せっしゃ)も考えていたところだ。いかにも、兄(けい)の言うとおり、きめるならば、今ここで、神に禱(いの)るまえに、神へ誓ったほうがよい」 「玄徳樣、ふたりの熱望です。御承知くださるまいか」 左右から詰(つ)めよられて、劉備玄徳は、黙然と考えていたが、 「待って下さい」 と、二人の意気ごみを抑(おさ)え、なおやや暫(しばら)く沈思(ちんし)してから、身を正(ただ)して言った。 「なるほど、自分は漢(かん)の宗室(そうしつ)のゆかりの者で、そうした系図からいえば、主たる位置に坐るべきでしょうが、生来(せいらい)鈍愚(どんぐ)、久しく田舎(でんしゃ)の裡(うち)にひそみ、まだなにも各々(おのおの)の上に立って主君たるの修養も徳も積んでおりませぬ。どうか今暫く待って下さい」 「待ってくれと仰(お)っしゃるのは」 「実際に当たって、徳を積み、身を修(おさ)め、果たして主君となるの資才がありや否や、それを自身も貴方(あなた)達も見届けてから約束しても、遅くないと思われますから」 「いや。それはもう、われわれが見届けてあるところです」 「左(さ)は言え、私はなお、憚(はばか)られます。――ではこうしましょう。君臣の誓いは、われわれが一国一城を持った上として、ここでは、三人義兄弟の約束を結んでおく事にして下さい。君臣となって後も、なお三人は、末長く義兄弟であるという約束をむしろ私はしておきたいのですが」 「うむ」 関羽は長い髯(ひげ)を持って、自分の顔を引っ張るように大きく頷(うなず)いた。 「結構だ。張飛、おぬしは」 「異論はない」 改めて三人は、祭壇へ向って牛血(ぎゅうけつ)と酒をそそぎ、額(ぬかず)いて、天地の神祇(しんぎ)に黙禱(もくとう)をささげた。 三 年齢からいえば、関羽がいちばん年上であり、次が劉備、その次が張飛といふ順になるのであるが、義約のうえの義兄弟だから年順(としzyん)を践(ふ)む必要はないとあって、 「長兄(ちょうけい)には、どうか、貴郎(あなた)がなって下さい。それでないと、張飛のわがままにも、圧(おさ)えが利(き)きませんから」と、関羽が言った。 張飛も、ともども、 「それは是非(ぜひ)、そうありたい。いやだと言っても、二人して、長兄長兄と崇(あが)めてしまうからいい」 劉備は強(し)いて拒(いな)まなかった。そこで三名は、鼎座(ていざ)して、将来の理想をのべ、刎頸(ふんけい)の誓(ちか)いをかため、やがて壇をさがって桃下(とうか)の卓を囲んだ。 「では、永く」 「変わるまいぞ」 「変わらじ」 と、兄弟の杯(さかずき)を交(か)わし、そして、三人一体、協力して国家に報じ、天下万民の塗炭(とたん)の苦(く)を救うをもって、大丈夫(だいじょうぶ)の生涯とせんと申し合った。 張飛は、すこし酔うて来たとみえて、声を大にし、杯を高く挙(あ)げて、 「ああ、こんな吉日はない。実に愉快だ。再び天に言う。われらここに在(あ)つの三名。同年同月同日に生まるるを希(ねが)わず、願わくば同年同月同日に死なん」 と、呶鳴(どな)った。そして、 「飲もう。大いに、きょうは飲もう――ではありませんか」 などと、劉備の杯へも、やたらに酒を注(つ)いだ。そうかと思うと、自分の頭を、独(ひと)りで叩(たた)きながら、 「愉快だ。実に愉快だ」と、子供みたいに叫んだ。 あまり彼の酒が、上機嫌に発しすぎる傾きが見えたので、関羽は、 「おいおい、張飛。今日の事を、そんなに歓喜してしまっては、先の歓(よろこ)びは、どうするのだ。今日は、われら三名の義盟ができただけで、大事な成功不成功は、これから後のことじゃないか。少し有頂天(うちょうてん)になるのが早すぎるぞ」と、たしなめた。 だが、一たん上機嫌に昇ってしまうと、張飛の機嫌は、なかなか水をかけても醒(さ)めない。関羽の生真面目(きまじめ)を、手を打って笑いながら、 「わははははは、今日かぎり、もう村夫子(そんぷうし)は廃業したはずじゃないか。お互いに軍人だ。これからは天空海闊(てんくうかいかつ)に、豪放磊落(ごうほうらいらく)に、武人らしく交際(つきあ)おうぜ。なあ長兄(ちょうけい)」 と、劉備へも、すぐ馴々(じゅんじゅん)と言って、肩を抱いたりした。 「そうだ。そうだ」と、劉備玄徳は、にこにこ笑って、張飛のなすがままになっていた。 張飛は、牛の如(ごと)く飲み、馬の如く喰(くら)ってから、 「そうそう。ここの席に、劉母公(りゅうぼこう)がいないという法はない。われわれ三人、兄弟の杯(さかずき)をしたからには、俺にとっても尊敬すべきおっ母(か)さんだ。――ひとつおっ母さんをこれへ連れて来て、乾杯し直そう」 急に、そんな事をいい出すと、張飛はふらふら母屋(おもや)のほうへ馳(か)けて行った。そしてやがて、劉母公を、無理に、自分の背中に負(お)って、ひょろひょろと戻って来た。 「さあ、おっ母さんを、連れて来たぞ。どうだ、俺は親孝行だろう――さあおっ母さん、大いに祝って下さい。われわれ孝行息子が三人んも揃(そろ)いましたからね――いやこれは、独りおっ母さんにとって祝すべき孝行息子であるのみではない。中国の――国家にとってもだ、われわれこう三名は得難い忠良(ちゅうりょう)息子(むすこ)ではあるまいか――そうだ、おっ母さんの孝行息子万歳、国家の忠良息子万歳っ」 そしてやがて、こう三人の中では、酒に対しても一番の誠実息子たる張飛が、まっ先に酔いつぶれて、桃花の下で大鼾声(おおいびき)で寝てしまい、夜露の降(おり)るころまで、眼を醒(さ)まさなかった。 四 大丈夫の誓いは結ばれた。しかし徒手空拳(としゅくうけん)とはまったくこの三人のことだった。しかも志(こころざし)は天下に在(あ)る。 「さて、どうしたものか」 翌日はもう酒を飲んでただ快哉(かいさい)を言っている日ではない。理想から実行へ、第一歩を踏み出す日である。 朝飯を喰(た)べると、すぐその卓の上で、いかに実行へかかるかの問題が出た。 「どうかなるよ。男児が、しかも三人一体で、やろうとすれば」 張飛は、理論家ではない。又計画家でもない。遮二無二(しゃにむに)、実行力に燃える猪突(ちょとつ)邁進家(まいしんか)なのである。 「どうかなるって、ただ貴公のように、力(りき)んでばかりいたってどうもならん。まず、一郡の土を持たんとするには、一旗(いっき)の兵が要(い)る。一旗の兵を持つには、すくなくとも相当の軍費と、兵器と、馬とが必要だな」 が、関羽は常識家であった。二人のことばを飽和(ほうわ)すると、そこにちょうどよい情熱と常理との推進力が醸(かも)されてくる。 劉備は、そのいずれへも、頷(うなず)きを与えて、 「そうです。こう三人の一念をもってすれば、必ず大事を成し得る事は目に見えていますが、さし当たって、兵隊です。――これをひとつ募(つの)りましょう」 「馬も、兵器も、金もなく、募りに応じて来る者がありましょうか」 関羽の憂(うれ)いを、劉備はかろく微笑を持って打ちけし、 「いささか、自信があります。――と言うのは、実はこの楼桑村の内にも、平常からそれとなく、私が目をかけて、同憂(どうゆう)の志(こころざし)を持っている青年たちが少々あります。――又近郷に亙(わた)って、檄(げき)を飛ばせば、恐らく今の時勢に、鬱念(うつねん)を感じている者も尠(すくな)くはありませんから、きっと、三十人や四十人の兵はすぐできるかと思います」 「なるほど」 「ですから、恐れ入るが、関羽どのの筆で、一つの檄文(げきぶん)を起草して下さい。それを配るのは、私の知っている村の青年にやらせますから」 「いや、手前は、生来悪文(あくぶん)の質(たち)ですから、ひとつそれは、劉長兄に起草していただこう」 「いいや、貴方(あなた)は多年塾(じゅく)を持って、子弟を教育していたから、そういう子弟の気持を打つことは、よくお心得の筈(はず)だ。どうか書いて下さい」 すると張飛が側(そば)から言った。 「こら関羽。けしからんぞ」 「なにがけしからん」 「長兄劉玄徳のことば、主命の如(ごと)く反(そむ)くまいぞ、昨日、約束したばかりじゃないか」 「やあ、これは一本、張飛にやられたな、よし早速書こう」 飛激(ひげき)はでき上がった。 なかなか名文である。荘重なる慷慨(こうがい)の気と、憂国(ゆうこく)の文字は、読む者を打たずに措(お)かなかった。 それが近郷へ飛ばされると、やがての事、劉玄徳の破(やぶ)れ家(や)の門前には、毎日、七名十名ずつとわれこそ天下の豪傑(ごうけつ)たらんとする熱血の壮士が集まって来た。 張飛は、門前へ出て、 「お前達は、われわれの檄を見て、兵隊になろうと望んで来たのか」 と、採用係の試験官になって、いちいち姓名や生国や、又、その志を質問した。 「そうです。大人(たいじん)がたのお名前と、義挙(ぎきょ)の趣旨に賛同して、旗下(きか)に馳(は)せ参(さん)じて来た者共です」 壮士等は、異口同音(いくどうおん)に言った。 「そうか、どれを見ても、頼(たの)もしい面魂(つらだましい)、早速、われわれの旗挙げに、加盟をゆするが、しかしわれわれ等(ら)の志は、黄巾賊の輩(やから)の如く、野盗(やとう)掠奪(りゃくだつ)を旨(むね)とするのとは違うぞ。天下の塗炭(とたん)を救い、害賊を討(う)ち、国土に即した公権を確立し、やがては永遠の平和と民福を計(はか)るにある。わかっておるかそこのところは!」 張飛は、一場の訓示を垂(た)れて、それから又、次のように誓わせた。 五 「われわれの旗下(きか)に加盟するからには、即ち、われわれの奉じる軍律に伏(ふく)さねばならん。今、それを読み聞かす故(ゆえ)、謹(つつし)んで承(うけたまわ)れ」 張飛は、志願して来た壮士たちへ行って、恭(うやうや)しく、懐中(ふところ)から一通を取り出して、声高く読んだ。 一 卒(そつ)たる者は、将(しょう)たる者に、絶大の服従と礼節を守る。 一 目前の利に惑(まど)わず。大志を遠大に備(そな)う。 一 一身を浅く思い、一世を深く思う。 一 掠奪(りゃくだつ)断首(だんしゅ)。 一 虐民(ぎゃくみん)極刑(きょっけい)。 一 軍紀(ぐんき)を紊(みだ)る行為一切(いっさい)死罪。 「わかったかっ」 あまり厳粛なので、壮士たちも、暫(しばら)く黙っていたが、やがて、 「わかりました」と、異口同音(いくどうおん)に言った。 「よし、然(しか)らば、今よりそれがしの部下として用いてやる。ただし、当分の間は給料もつかわさんぞ。又、食物その他も、お互いに有る物を分けて喰(く)い、一切不平を申すことならん」 それでも、募りに応じて来た若者輩(わかものばら)は、元気に兵隊となって、劉備、関羽等の命に服した。 四、五日のうちには、約七、八十人も集まった。望外な成功だと、関羽は言った。 けれど、すぐ困り出したのは食糧だった。故(ゆえ)に、一刻もはやく、戦争をしなければならない。 黄匪(こうひ)の害に泣いている地方はたくさんある。まずその地方へ行って、黄巾賊を追っぱらう事だ。その後には、正しい税と食糧とが収穫される。それは掠奪(りゃくだつ)ではない。天禄(てんろく)だ。 すると一日(あるひ)。 「張将軍。張将軍。馬がたくさん通りますぞ。馬が」 と、一人の部下が、ここの本陣へ馳(は)せて来て注進(ちゅうしん)した。 何者か知らないが、何十頭という馬を数珠(じゅず)つなぎに曳(ひ)いて、この先の峠(とうげ)を越えて来る者があるという報告なのだ。 馬と聞くと、張飛は、「そいつは何とか欲しいものだなあ」と正直に唸(うな)った。 実際今、喉(のど)から手の出るほど欲しい物は馬と金と兵器だった。だが、義挙の軍律というものを立てて部下にも示してあるので、「掠奪して来い」とは、命じられなかった。 張飛は奥へ行って、 「関羽、こういう報告があるが、なんとか、手に入れる工夫はあるまいか。実に天の与えだと思うのだが」と、相談した。 関羽は聞くと、 「よし、それでは、自分が行って、掛け合ってみよう」と、部下数名をつれて、峠へ急いで行った。麓(ふもと)の近くで、その一行とぶつかった。物見(ものみ)の兵の注進は過(あやま)りなく、なるほど、四、五十頭の馬匹(ばひつ)を曳(ひ)いて、一隊の者が此方(こちら)へ下って来る。近づいて見ると、皆、商人ていの男なので、これならなんとか、談合(はなしあい)がつくと、関羽は得意の雄弁をふるうつもりで待ち構えていた。 ここへ来た馬商人(うまあきんど)の一隊の頭(かしら)は、中山(ちゅうざん)の豪商でひとりは蘇双(そそう)、ひとりは張世平(ちょうせいへい)という者だった。 関羽は、それに着くと、自分等三人が義軍を興(おこ)すに至った、愛国の衷情(ちゅうじょう)をもって、切々(せつせつ)訴えた。今にして、誰か、この覇業(はぎょう)を建(た)て、人天の正明をたださなければ、この世は永遠の闇黒(あんこく)であろうと言った。中国大陸は、ついに、胡北(こほく)の武民(ぶみん)に征服され終わるであろうと嘆(なげ)いた。 張世平と蘇双の両人は、なにか小声で相談していたが、やがて、 「よくわかりました。この五十頭の馬が、そういう事でお役に立てば満足です。差し上げますからどうぞ曳いて行って下さい」と、意外にも、潔(いさぎよ)く言った。 六 いずれ易々(いい)と承知しまい。最悪な場合までを関羽は考えていたのである。それが案外な返辞に、 「ほ。……いや忝(かたじ)けない。早速の快諾(かいだく)に、申しては失礼だが、利に敏(さと)い商人たるお身等(みら)が、どうしてそう一言の下に、多くの馬匹を無料でそれがしへ引き渡すと言われたか」 掛け合いに来た目的は達しているのに、こう先方へ要(い)らざる念を押すのも妙(みょう)なはなしだと思ったが、あまり不審なので、関羽はこう訊(たず)ねてみた。 すると、張世平は言った。 「はははは。あまりさっぱりお渡しすると言ったので、かえってお疑いとみえますな。いやごもっともです。けれど手前は、第一に大人(たいじん)が悪人でない事を認めました。第二に、御計画の義兵を挙げることは、頗(すこぶ)る時宜(じぎ)を得ておると存じます。第三は、貴郎(あなた)方のお力をもって、自分等の恨(うら)みをはらしていただきたいと思ったからです」 「恨みとは」 「黄巾賊の大将張角(ちょうかく)一門の暴政に対する恨みでございます。手前も以前は中山(ちゅうざん)で一といって二と下らない豪商といわれた者ですが、彼(か)の地方も御承知のとおり黄匪の蹂躙(じゅうりん)に会って秩序は破壊され、財産は掠奪(りゃくだつ)され、町に少女の影を見ず、家苑(かえん)の小禽(ことり)すら啼(な)かなくなってしまいました。――手前の店なども一物もなく没収され、あげくの果てに、妻も娘も、暴兵に攫(さら)われてしまったのです」 「むむ。なるほど」 「で、甥(おい)の蘇双(そそう)と二人して、馬商人(うまあきんど)に身を落とし、市(いち)から馬匹(ばひつ)を購入して、北国へ売りに行こうとしたのですが、途中まで参ると、北辺の山岳にも、黄賊が道を塞(ふさ)いで、旅人の持ち物を奪い、虐殺(ぎゃくさつ)をほしいままにしておるとのことに、空(むな)しく又、この群馬を曳いて立ち帰って来たわけです。南へ行くも賊国、北へ赴(おもむ)くも賊国、こうして馬と共に漂泊(ひょうはく)しているうちには、遂(つい)に賊に生命まで奪われてしまうのは知れきっています。恨みのある賊の手に武力となる馬匹を与えるよりも、貴下の如きお志を抱く人に、進上申したほうが、遥(はる)かに意味のあることなんです。欣(よろこ)んで手前がお渡しする気持というのは、そんなわけでございます」 「やあ、そうか」 関羽の疑問も氷解して、 「では、楼桑村(ろうそうそん)まで、馬を曳いて一緒に来てくれないか。われわれの盟主と仰(あお)ぐ劉玄徳と仰(お)っしゃる人に紹介(ひきあわ)せよう」 「おねがい致します。手前も根からの商人ですから、以上申し上げたような理由でもって、無料で馬匹を進上しまshても、やはりそこはまだ正直、利益の事も考えておりますからな」 「いや、玄徳様へお目にかかっても、唯今(ただいま)のところ、代金はお下(さ)げになるわけにはゆかぬぞ」 「そんな目先の事ではありません。遠い将来でよろしいので。……はい。もし貴郎(あなた)がたが大事を成(な)し遂(と)げて、一国を取り、十州二十州を平(たい)らげ、あわよくば天下に号令なさろうという筋書のとおりに行ったらば、私へも充分に、利をつけて、今日の馬代金を払って戴(いただ)きたいのでございます。私は、貴郎の計画を聞いて、これが貴郎がたの夢ではなく、わたくし共民衆が待っていたものであるという点から、きっと成功するものと信じております。ですから、今日この処分に困っている馬を使って戴くのは、商人して、手前にも遠大な利殖の方法を見つけたわけで、まったくこんな欣ばしい事はありません」 張世平(ちょうせいへい)はそう言って、甥(おい)の蘇双(そそう)と共に、関羽に案内されて従(つ)いて行ったが、その途中でも、関羽へ対して、こう意見を述べた。 「事を計(はか)るうえは、人物はお揃(そろ)いでございましょうし、馬もこれで整いました。これでいったい、あなた方の御計画の内輪(うちわ)には、よく経済を切りまわして糧食兵費の内助の役目をする算数の達識(たっしき)が控えているのでございますか。算盤(そろばん)というものも、充分にお考えのうえでこのお仕事にかかっておいででございますかな?」 七 張世平に、そう指摘されてみると、関羽は、自分等の仲間に、大きな欠陥のあるのを見いだした。 経営という事であった。 自分は元(もと)より、張飛にも、劉玄徳にも、経済的な観念は至ってない。武人銭(ぜに)を愛さずともいったような思想が甚(はなは)だ古くから頭の隅に有(あ)る。経済といえばむしろ卑しみ、銭といえば横を向くをもって清廉の士とする風が高い。一個の人格にはそれも高風と仰ぎ得るが、国家の大計となればそれでは不具(ふく)を意味する。 一軍を持てばすでに経営を思わねばならぬ。武力ばかりで膨(ふく)らもうとすると軍は暴軍に化しやすい。古来、理想はあっても、その為(ため)、暴軍と堕(だ)し、乱族と終わった者、史上決して尠(すくな)くない。 「いや、いい事を聞かしてくれた。劉玄徳樣にも、大いにその辺の事をはなして貰(もら)いたいものだ」 関羽は、正直、教えられた気がしたのである。一商人のことばといえども、これは将来の大切な問題だと考えついた。 やがて、楼桑村に着く。 関羽はすぐ張世平と蘇双のふたりを、劉玄徳の前へつれて来た。勿論(もちろん)、玄徳も張飛も、張の好意を聞いて非常によろこんだ。 張は五十頭の馬匹を、無償で提供するばかりでなく、玄徳に会ってから玄徳の人物を更に見込んで、それに加うるに、駿馬(しゅんめ)に積んでいた鉄一千斤(きん)と、百反(たん)の獣皮織物と、金銀五百両を挙(あ)げて皆、「どうか、軍用の費(ついえ)に」と、献上した。 その際も、張(ちょう)は言った。 「最前も、途々(みちみち)、申しましたとおり、手前どもはどこ迄(まで)も、利を道とする商人です。武人に武道あり、聖賢に文道あるごとく、商人にも利道があります。御献納申しても、手前はこれをもって、義心とは誇りません。その代わり、今日さし上げた馬匹金銀が、十年後、三十年後には、莫大(ばくだい)な利を生むことを望みます。――ただその利は、自分一個が飽慾(ほうよく)しようとは致しません。困苦の底にいる万民にお頒(わ)かちください。それが私の希望であり、又私の商魂と申すものでございます」 玄徳や関羽は、彼の言を聞いて大いに感じ、どうかしてこの人物を自分等の仲間へ留め置きたいと考えたが、張は、 「いやどうも私は臆病者(おくびょうもの)で、とても戦争なさる貴方(あなた)がたの中にいる勇気はございません。なにか又、お役に立つ時には出て来ますから」と言って、倉皇(そうこう)、何処(どこ)へともなく立ち去ってしまった。 千斤(きん)の鉄、百反の織皮(しょくひ)、五百両の金銀、思いがけない軍費を獲(え)て、玄徳以下三人は、 「これぞ天の御援助」と、いやが上にも、心は奮(ふる)い立(た)った。 早速、近郷の鍛冶工(かじこう)をよんで来て、張飛は、一丈何尺という蛇矛(じゃぼこ)を鍛(う)ってくれと注文し、関羽は重さ何十斤という偃月刀(えんげつとう)を鍛(きた)えさせた。 雑兵(ぞうひょう)の鉄甲、盔(かぶと)、槍(やり)、刀なども併(あわ)せて、誂(あつら)え、それも日ならずしてできてきた。 日月(じっげつ)の旗幟(きし)。 飛龍(ひりゅう)の幡(はん) 鞍(くら)、鏃(やじり)。 軍装はまず整った。 その頃漸(ようや)く人数も二百人ばかりになった。 もとより天下に臨(のぞ)むには足りない急仕立ての一小軍でしかなかったが、張飛の教練と、関羽の軍律と、劉玄徳の徳望とは、一卒にまでよく行(ゆ)き亙(わた)って、あたかも一箇(いっこ)の体(てい)のように、二百の兵は挙手踏足(きょしゅとうそく)、一音に動いた。 「では。――おっ母さん。行って参ります」 劉玄徳は、一日(あるひ)、武装して母にこう暇(いとま)を告げた。 兵馬は、粛々(しゅくしゅく)、彼の郷土から立って行った。劉玄徳の母は、それを桑(くわ)の木の下からいつまでも見送っていた。泣くまいとしている眼が湯の泉のようになっていた。
https://w.atwiki.jp/seikouudoku/pages/48.html
張飛卒(ちょうひそつ) 一 白馬は疎林(そりん)の細道を西北へ向かってまっしぐらに駆けて行った。秋風に舞う木の葉は、鞍上(あんじょう)の劉備(りゅうび)と芙蓉(ふよう)の影を征箭(そや)のようにかすめた。 やがて曠(ひろ)い野に出た。 野に出ても、二人の身をなお、箭(や)うなりがかすめた。今度のは木の葉のそれではなく、鋭い鏃(やじり)を持った鉄弓(てっきゅう)の矢であった。 「オ。あれに行くぞ」 「女を騎(の)せて――」 「では違うのか」 いや、やはり劉備だ」 「どっちでもいい。逃がすな。女も逃がすな」 賊兵の声々であった。 疎林の陰を出た途端に、黄巾賊(こうきんぞく)の一隊は早くも見つけてしまったのである。 獣群の声が、閧(とき)を作って、白馬の影を追いつめて来た。 劉備は振り向いて、 「しまった!」 思わず呟(つぶ)やいたので、彼と白馬の脚(あし)とを唯一の頼みにしがみついていた芙蓉は 「ああ、もう・・・・・・」 消え入るように顫(おのの)いた。 万が一つも、助からぬものとは観念しながらも、劉備は励(はげ)まして、 「大丈夫、大丈夫。唯(ただ)、振り落とされないように、駒(こま)の鬣(たてがみ)と、私の帯に、必死でつかまっておいでなさい」と、いって、鞭(むち)打(う)った。 芙蓉はもう返事もしない。ぐったりと鬣に顔を俯(うつ)伏(ぶ)せている。その容貌(かんばせ)の白さは戦(おのの)く白芙蓉(びゃくふよう)の花そのままだった。 「河まで行けば。県軍のいる河まで行けば!・・・・・・」 劉備の打ちつづけていた生木(なまき)の鞭(むち)は、皮が剥(は)げて白木になっていた。 低い土坡(どは)の蜿(うね)りを躍(おど)り越(こ)えた。遠くに帯のように流れが見えて来た。しめたと、劉備は勇気をもり返したが、河畔まで来てもそこには何物の影もなかった。宵(よい)に屯(たむろ)していたという県軍も、賊の勢力に怖(おそ)れをなしたか、陣を払(はら)って何処(どこ)かへ去ってしまったらしいのである。 「待てッ」 驢(ろ)に騎(の)った精悍(せいかん)な影は、その時もう五騎六騎と、彼の前後を包囲して来た。いうまでもなく黄巾賊の小方(しょうほう)(小頭目(しょうとうもく))等である。 驢を持たない徒歩の卒共(そつども)は、駒(こま)の足に続ききれないで、途中で喘(あえ)いでしまったらしいが、李朱氾(りしゅはん)を始めとして、騎馬の小方たち七、八騎はたちまち追いついて、 「止まれッ」 「射るぞ」と、呶鳴(どな)った。 鉄弓の弦(つる)を離れた一矢(いっし)は、白馬の環囲(かんい)に突き刺さった。 喉(のど)に矢を立てた白馬は、棹立(さおだ)ちに躍り上がって、一声(いっせい)嘶(いなな)くと、どうと横ざまに仆(たお)れた。芙蓉の身も、劉備の体も、共に大地へ抛(ほう)り捨(す)てられていた。 そのまま芙蓉は身動きもしなかったが、劉備は起(た)ち上(あ)がって、 「何かっ!」と、さけんだ。彼は今日まで、自分にそんな大きな声量があろうとは知らなかった。百獣も為(ため)に怯(ひる)み、曠野(こうや)に野彦(のびこ)して渡るような大喝(だいかつ)が、唇(くち)から無意識に出ていたのである。 賊は、恟(ぎょ)っとして、劉備の大きな眼の光に愕(おどろ)き、驢は彼の大喝に、蹄(ひづめ)をすくめて止(とど)まった。 だが、それは一瞬、 「何を、青二才」 「手抗(てむか)う気か」 驢(ろ)を跳びおりた賊は、鉄弓を捨てて大剣を抜くもあり、槍(やり)を舞わして、劉備へいきなり突っかけて来るもあった。 二 どういう悪日(あくび)と凶(わる)い方位を辿(たど)って来たものだろうか。 黄河の畔(ほとり)から、ここ迄(まで)の間というもの、劉備は、幾たび死線を彷徨(ほうこう)した事かしれない。これでもかこれでもかと、彼を試(ため)さんとする百難が、次々に形を変えて待ち構えているようだった。 「もうこれ迄」 劉備も遂(つい)に観念した。避けようもない賊の包囲だ。斬死(きりじに)せんものと覚悟を定(き)めた。 けれど身には寸鉄(すんてつ)も帯びていない。少年時代から片時も離さず持っていた父の遺物(かたみ)の剣も、先に賊将の馬元義(ばげんぎ)に奪(と)られてしまった。 劉備は、しかし、 「ただは死なぬ」と思い、石ころを摑(つか)むが早いか、近づく者の顔へ投げつけた。 見くびっていた賊の一名は、不意を喰(く)って、「呀(あ)ッ」と鼻ばしらを抑(おさ)えた。 劉備は、飛びついて、その槍(やり)を奪った。そして大音(だいおん)に、 「四民を悩ます害虫ども。もはや免(ゆる)しは置かぬ。涿県(たくけん)の劉備玄徳(げんとく)が腕のほどを見よや」 と言って、捨て身になった。 賊の小方(しょうほう)、李朱氾(りしゅはん)は笑って、 「この百姓めが」と半月槍(はんげつそう)を揮(ふる)って来た。 元より劉備はさして武術の達人ではない。田舎(いなか)の楼桑村(ろうそうそん)で、多少の武技の稽古(けいこ)はしたこともあるが、それとて程の知れたものだ。武技を磨いて身を立てることよりも、蓆(むしろ)を織って母を養う事のほうが常に彼の急務であった。 でも、必死になって、七人の賊を相手に、やや暫(しばら)くは、一命を支えていたが、そのうちに、槍を打ち落とされ、蹌(よろ)めいて倒れたところを、李朱氾に馬のりに組み敷かれて、李の大剣は、遂(つい)に、彼の胸(むな)いたに突きつけられた。 ――おおういっ。 すると、・・・・・・いや先刻(さっき)からその声は遠くでしたのだが、剣戟(けんげき)のひびきで、誰の耳にも入らなかったのである。 遥(はる)か彼方(かなた)の野末から、 「――おおういっ。待ってくれい」 呼ばわる声が近づいて来る。 野彦(のびこ)のように凄(すご)い声は、思わず賊の頭(こうべ)を振り向かせた。 両手を振りながら韋駄天(いだてん)と、此方(こなた)へ馳(か)けて来る人影が見える。その迅(はや)いことは、まるで疾風(しっぷう)に一葉の木の葉が舞って来るようだった。 だが瞬(またた)く間に近づいて来たのを見ると、木の葉どころか、身の丈(たけ)七尺もある巨漢(おおおとこ)だった。 「やっ、張卒(ちょうそつ)じゃないか」 「そうだ。近頃、卒の中に入った下(した)ッ端(ぱ)の張飛(ちょうひ)だ」 賊は、不審そうに、顔を見合わせて言い合った。自分等の部下の中にいる張飛という一卒だからである。他の大勢の歩卒は、騎馬に追いつけず皆、途中で遅れてしまったのに、張卒だけが、たとえ一足(ひとあし)遅れたにせよ、このくらいの差で追いついて来たのだから、その脚力にも、賊将軍たちは愕(おどろ)いたに違いなかった。 「なんだ、張卒」 李朱氾は、膝(ひざ)の下に、劉備の体を抑えつけ、右手(めて)に大剣を持って、その胸いたに擬(ぎ)しながら振り向いて言った。 「小方、小方。殺してはいけません。その人間は、わしに渡して下さい」 「何?・・・・・・誰に命令で貴様(きさま)はどんなことをいうのか」 「卒の張飛の命令です」 「ばかっ。張飛は、貴様自身じゃないか。卒の分際(ぶんざい)で」 と、言う言葉も終わらぬ間に、そう罵(ののし)っていた李朱氾(りしゅはん)の体は、二丈(じょう)もうえの空へ飛んで行った。 三 卒の張飛(ちょうひ)がいきなり李朱氾を抓(つま)み上げて、宙へ投げ飛ばしたので、 「やっ、こいつが」と、賊の小方たちは、劉備(りゅうび)もそっちのけにして、彼へ総掛(そうが)かりになった。 「やい張卒、なんで貴様は、味方の李小方を投げおったか。又、おれ達のすることを邪魔だてするかっ」 「ゆるさんぞ。ふざけたま真似すると」 「党の軍律に照らして、成敗してくれる。それへ直れ」 犇(ひしめ)き寄ると、張は、 「わははははは。吠(ほ)えろ吠えろ。胆(きも)をつぶした野良犬めらが」 「なに。野良犬だと」 「そうだ。その中に一匹(いっぴき)でも、人間らしいのがいるつもりか」 「うぬ。新米(しんまい)の卒の分際で」 喚(おめ)いた一人が、槍(やり)もろとも、躍(おど)りかかると、張飛は、団扇(うちわ)のような大きな手で、その横顔を撲(は)りつけるや否(いな)や、槍を引(ひ)ッ奪(た)くって、蹌(よろ)めく尻(しり)を強(したた)かに打ちのめした。 槍の柄(え)は折れ、打たれた賊は、腰骨が砕(くだ)けたように、ぎゃっともんどり打った。 思わぬ裏切者が出て、賊は狼狽(ろうばい)したが、日頃から図抜けた巨漢(おおおとこ)の鈍物(どんぶつ)と、小馬鹿にしていた卒なので、その怪力を眼に見ても、まだ張飛の真価を信じられなかった。 張飛は、さながら岩壁のような胸(むな)いたを反(そ)らして、 「まだ来るか。むだな生命(いのち)を捨てるより、おとなしく逃げ帰って、鴻家(こうけ)の姫と劉備の身は、先頃、県城を焼かれて鴻家の亡(ほろ)びた時、降参と偽(いつわ)って、黄巾賊の卒に這入(はい)っていた張飛という者の手に渡しましたと、有態(ありてい)に報告しておけ」 「あっ!・・・・・・では汝(なんじ)は、鴻家の旧臣だな」 「今気が付いたか。此方(このほう)は県城の南門衛(なんもんえい)少督(しょうとく)を勤めていた鴻家の武士で名は張飛(ちょうひ)、字は翼徳(よくとく)と申すものだが無念や此方が他県へ公用で留守の間に、黄巾賊の輩(やから)のために、県城は焼かれ、主君は殺され、領民は苦しめられ、一夜に城地は焦土(しょうど)と化してしまった。――その無念さ、いかにもして怨(うら)みをはらしてくれんものと、身を偽(いつわ)り、敗走の兵と化(ば)けて、一時、其方共(そのほうども)の賊の中に、卒となって隠れていたのだ。――大方(だいほう)馬元義(ばげんぎ)にも、又、総大将の兇賊(きょうぞく)張角(ちょうかく)にも、よく申しておけ。いずれ何時(いつ)かはきっと、張飛翼徳が思い知らせしてくるるぞと」 雷(いかずち)のような声だった。 豹頭(ひょうとう)環眼(かんがん)、張飛がそう言って刮(くわ)っと睨(ね)めつけると、賊の小方等は、足も竦(すく)んでしまったらしいが、まだ、衆を恃(たの)んで、 「さては、鴻家の残兵だったか。そう聞けばなおの事、生かしてはおけぬ」と、一度に打ってかかった。 張飛は、腰の剣も抜かず、寄りつく者を把(と)っては投げた。投げられた者は皆、脳骨(のうこつ)を砕(くだ)き、眼窩(がんか)は飛びだし、瞬(またた)くうちに碧血(へきけつ)の大地、惨(さん)として、二度と起き上がる者はなかった。 劉備は、茫然(ぼうぜん)と、張飛の働きをながめていた。燕飛(えんび)龍鬂(りゅうびん)、蹴(け)れば雲を生じ、吠(ほ)ゆれば風が起こるようだった。 「なんという豪傑(ごうけつ)だろう?」 残る二、三人は、驢(ろ)に飛びついて逃(に)げ失(う)せたが、張飛は笑って追いもしなかった。そして踵(きびす)を回(めぐ)らすと、劉備のほうへ大股(おおまた)に近づいて来て、 「いや旅の人。えらい目に遭(あ)いましたなあ」 と、何事も無かったような顔をして話しかけた。そしてすぐ、腰に帯びていた二剣のうちの一つを外(はず)し、又、懐中(ふところ)から見覚えのある茶の小壺(こつぼ)を取り出して、 「これは貴郎(あなた)の物でしょう。賊に奪(と)り上(あ)げられた貴郎の剣と茶壺です。さあ取って置きなさい」と、劉の手へ渡した。 四 「あ。私のです」 劉備は、失(な)くした珠(たま)が返って来たように、剣と茶壺の二品を、張飛の手から受け取ると、幾度も感謝を表して、「すでに生命(いのち)もないところを救って戴(いただ)いた上に、この大事な二品まで、自分の手に戻るとは、なんだか、夢のような心地がします。大人(たいじん)のお名前は、先程聞きました。心に銘記(めいき)しておいて、御恩は生涯忘れません」と、言った。 張飛(ちょうひ)は、首(こうべ)を振って、 「いやいや徳は孤(こ)ならずで、貴公(きこう)がそれがしの旧主、鴻家(こうけ)の姫を助け出してくれた義心に対して、自分も義をもってお答えしたのみです。ちょうど最前、古塔の辺(あた)りから白馬に騎(の)って逃げた者があると、哨兵(しょうへい)の知らせに、こよい黄巾賊の将兵が泊まっていた彼(か)の寺が、すわと一度に、混雑に墜(お)ちた隙(すき)をうかがい、夕刻見ておいた貴公のその二品を、馬元義(ばげんぎ)と李朱氾(りしゅはん)の眠っていた内陣の壇からすばやく奪い返し、追手(おって)の卒(そつ)と共にこれ迄馳(か)けて来たものでござる。貴公の孝心と、誠実を天もよみし賜(たも)うて、自然お手に戻ったものでしょう」 と、理由(わけ)を話した。張飛が武勇に誇らない謙遜(けんそん)な言葉に、劉備はいよいよ感じて、感銘の余り二品のうち剣の方を差し出して、 「大人(たいじん)、失礼ですが、これは御礼として、貴郎(あなた)に差し上げましょう。茶は、故郷(くに)に待っている母の土産(みやげ)なので、頒(わ)かつことはできませんが、剣は、貴郎のような義胆(ぎたん)の豪傑に持って戴(いただ)ければ、むしろ剣そのものも本望でしょうから」と、再び、張飛の手へ授さず)けて言った。 張飛は、眼をみはって、 「えっ、この品をそれがしに、賜(たま)わると仰(お)っしゃるのですか」 「劉備の寸志(すんし)です。どうか納(おさ)めておいて下さい」 「自分は根からの武人ですから、実をいえば、この剣の世に稀(まれ)な名刀だということは知っていますから、欲しくてならなかったところです。けれど、同時に貴公とこの剣との来歴も聞いていましたから、望むに望めないでおりましたが」 「いや、生命(いのち)の恩人へ酬(むく)いるには、これをもってしても、まだ足りません。しかも剣の真価を、そこ迄、わかっていて下されば、なおさら、差し上げても張り合いがあり、自分としても満足です」 「そうですか。然(しか)らば、他ならぬ品ですから、頂戴(ちょうだい)しておこう」 と、張飛は、自身の剣をすぐ解(と)き捨(す)て、渇望(かつぼう)の名剣を身に佩(は)いていかにも欣(うれ)しそうであった。 「じゃあ早速ですが、又賊が押し返して来るにきまっている。それがしは鴻家(こうけ)の御息女を立てて、旧主の残兵を集め、事を謀(はか)る考えですが――貴公(きこう)も一刻もはやく、郷里へさしてお帰りなさい」 張飛のことばに、 「おお、それでは」 と、劉備は、芙蓉(ふよう)の身を扶(たす)けて、張飛に託し、自分は、賊の捨てた驢(ろ)をひろって跨(また)がった。 張飛は、先に自分が解き捨てた剣を劉備の腰に佩(は)かせてやりながら、 「こんな剣でも帯びておいでなされ、まだ、涿県までは、数百里もありますから」と、言った。 そして張飛自身も、芙蓉の身を抱いて、白馬の上に移り、名残り惜し気に、 「いつか又、再会の日もありましょうが、では御機嫌(ごきげん)よく」 「おお、きっと又、会う日を待とう。貴郎も武運めでたく、鴻家の再興を成(な)し遂(と)げらるるように」 「ありがとう。では」 「おさらば――」 劉備の驢と、芙蓉を抱えた張飛の白馬とは相顧(あいかえり)みながら、西と東に別れ去った。
https://w.atwiki.jp/seikouudoku/pages/56.html
秋風陣(しゅうふうじん) 一 潁川(えいせん)の地へ行き着いてみると、そこには既に官軍の一部隊しか残っていなかった。大将軍の朱儁(しゅしゅん)も皇甫嵩も、賊軍を追(お)い狭(せば)めて、遠く河南(かなん)の曲陽(きょくよう)や宛城(えんじょう)方面へ移駐(いちゅう)しているとのことであった。 「さしも旺(さかん)だった黄巾賊の勢力も、洛陽の派遣軍のために、次第に各地で討伐され、そろそろ自壊(じかい)しはじめたようですな」 関羽が言うと、 「つまらない事になった」 と、張飛は頻(しき)りと、今のうちに功を立てねば、何日(いつ)の時か風雲に乗ぜんと、焦心(あせ)るのであった。 「――義軍何(なん)ぞ小功を思わん。義胆(ぎたん)何ぞ風雲(ふううん)を要せん」 劉玄徳は、独(ひと)り言った。 雁(かり)の列のように、漂泊の小軍隊は又、南へ向かって、旅をつづけた。 黄河を渡った。 兵たちは、馬に水を飼(か)った。 玄徳は、黄いろい大河に眼をやると、憶(おも)いを深くして、 「ああ、悠久(ゆうきゅう)なる哉(かな)」 と、つぶやいた。 四、五年前に見た黄河(こうが)もこのとおりだった。おそらく百年、先年の後も、黄河の水は、このとおりに在(あ)るだろう。 天地の悠久を思うと、人間の一瞬が儚(はかな)く感じられた。小功は思わないが、頻(しき)りと、生きている間の生甲斐(いきがい)と、意義ある仕事を残さんとする誓願が念じられてくる。 「この畔(ほとり)で、半日も凝(じっ)と若い空想に耽(ふけ)っていた事がある。――洛陽船から茶を購(あがな)おうと思って」 茶を思えば、同時に、母が憶(おも)われてくる。 この秋、いかに在(お)わすか。足の冷えや、持病が出ては来ぬだろうか。御不自由はどうあろうか。 いやいや母は、そんな事すら忘れて、ひたすら、子が大業を為(な)す日を待っておられることであろう。それと共に、いかに聡明(そうめい)な母でも、実際の戦場の事情やら、又実地に当たる軍人同志のあいだにも、常の社会と変わらない難しい感情や争いやらあって、なかなか武力と正義の信条一点張りでは、世に出られない事などは、お察しもつくまい。御想像にも及ぶまい。 だから以来、なんのよい便(たよ)りもなく、月日を空(むな)しく送っている子をお考えになると、 (阿備(あび)は、何をしているやら) と、さだめし腑(ふ)がいない者と、焦(じ)れッたく思っておいでになるに相違ない。 「そうだ。せめて、体だけは無事な事でも、お便りしておこうか」 玄徳は、思いついて、騎(き)の鞍(くら)を下ろし、その鞍に結(ゆ)いつけてある旅具の中から、翰墨(かんぼく)と筆を取り出して、母へ便りを書きはじめた。 駒に水を飼って、休んでいた兵たちも、玄徳が箋葉(せんよう)に筆をとっているのを見ると、 「おれも」 「吾(われ)も」 と何か書きはじめた。 誰にも、故郷がある。姉妹兄弟がある。玄徳は思いやって、「故郷へ手紙をやりたい者は、わしの手許(てもと)に持って来い。親のある者は、親へ無事の消息をしたほうがよいぞ」と、言った。 兵たちは、それぞれ紙片や木皮(もくひ)へ、何か書いて持って来た。玄徳はそれを一嚢(いちのう)に納めて、実直な兵を一人撰抜(せんばつ)し、 「おまえは、この手紙の嚢(ふくろ)を携(たずさ)えて、それぞれの郷里の家へ、郵送する役目に当たれ」 と、路費を与えて、すぐ立たせた。 そして落日に染まった黄河を、騎と兵と荷駄(にだ)とは、黒いかたまりになって、浅瀬は渡渉(としょう)し、深い所は筏(いかだ)に棹(さお)さして、対岸へ渡って行った。 二 先頃から河南の地方に、何十万とむらがっている賊の大軍と戦っていた大将軍朱儁(しゅしゅん)は、思いのほか賊軍が手ごわいし、味方の死傷は夥(おぼただ)しいので、 「いかがはせん」と、内心煩悶(はんもん)して、苦戦の憂(うれ)いを顔に刻(きざ)んでいたところだった。 そこへ、 「潁川(えいせん)から広宗(こうそう)へ向かった玄徳の隊が、形勢の変化に、途中から引っ返して来て、ただ今、着陣いたしましたが」と、幕僚から知らせがあった。 朱儁はそれを聞くと、 「やあ、それはよいところへ来た。すぐ通せ、失礼のないように」 と、前とは、打って変わって、鄭重(ていちょう)に待遇した。 陣中ながら、洛陽の美酒を開き、料理番に牛などを裂(さ)かせて、 「長途、おつかれであろう」と、歓待(かんたい)した。 正直な張飛は、前の不快もわすれて、すっかり感激してしまい、 「士は己(おのれ)を知る者の為(ため)に死す、である」 などと酔った機嫌で言った。 だが歓待の代償は義軍全体の生命に近いものを求められた。 翌日。 「早速だが、豪傑(ごうけつ)にひとつ、打ち破っていただきたい方面がある」 と、朱儁は、玄徳等の軍に、そこから約三十里ほど先の山地に陣取っている頑強な敵陣の突破を命じた。 否(いな)む理由はないので、 「心得た」と、義軍は、朱儁の部下三千を加えて、そこの高地へ攻めて行った。 やがて、山麓(さんろく)の野に近づくと天候が悪くなった。雨こそ降らないが、密雲(みつうん)低く垂(た)れて、烈風(れっぷう)は草を飛ばし、沼地の水は霧になって、兵馬の行くてを晦(くら)くした。 「やあ、これは又、賊軍の張宝(ちょうほう)が、妖気(ようき)を起こして、われらをみなごろしにすると見えたるぞ。気をつけろ。樹の根や草につかまって、烈風に吹きとばされぬ用心をしたがいいぞ」 朱儁(しゅしゅん)からつけてよこした部隊から、誰言うとなく、こんな声が起こって、恐怖はたちまち全軍を蔽(おお)った。 「ばかなっ」 関羽は怒って、 「世に理のなき妖術などがあろうか。武夫(もののふ)たるものが、幻妖(げんよう)の術に怖(おそ)れて、木の根にすがり、大地を這(は)い、戦意を失うとは、何たるざまぞ。すすめや者共、関羽の行く所には妖気も避けよう」 と大声で鼓舞(こぶ)したが、 「妖術には敵(かな)わぬ。あたら生命(いのち)をわざわざ墜(お)とすようなものだ」 と、朱儁の兵は、なんと言っても前進しないのである。 聞けば、この高地へ向かった官軍は、これ迄(まで)にも何度攻めても、全滅になっているというのであった。黄巾賊の大方師(だいほうし)張角(ちょうかく)の弟にあたる張宝は、有名な妖術つかいで、それがこの高地の山地の奥に陣取っている為であるという。 そう聞くと、張飛は、 「妖術とは、外道(げどう)魔物(まもの)のする業(わざ)だ。天地闢(ひら)けて以来、まだかつて方術者が天下を取ったためしはあるまい。怖(お)じる心、惧(おそ)れる眼(まなこ)、顫(わなな)く魂(たましい)を惑(まど)わす術を、妖術とは言うのだ。怖れるな、惑うな。――進まぬ奴(やつ)は、軍律に照らして斬(き)り捨(す)てるぞ」 と、軍のうしろにまわって、手に蛇矛(じゃぼこ)を抜きはらい、督戦(とくせん)に努めた。 朱儁の兵は、敵の妖術にも恐怖したが、張飛の蛇矛にはなお恐れて、やむなくわっと、黒風へ向かって前進し出した。 三 その日は、天候もよくなかったに違いないが、戦場の地勢も殊(こと)に悪かった。寄手(よせて)にとっては、はなはだしく不利な地の利に嫌(いや)でも置かれるように、そこの高地は自然にできている。 峨々(がが)たる山が、道の両わきに、鉄門のように聳(そび)えている。そこを突破すれば、高地の沢から、山地一帯の敵へ肉薄できるのだ、そこ迄が、近づけないのだった。 「鉄門峡(てつもんきょう)まで行かぬうちに、いつも味方はみなごろしになる。豪傑、どうか無謀は止(や)めて、引っつ返し給(たま)え」 と、朱儁の軍隊の者は、部将からして、怯(ひる)み上がって言う程だから、兵卒が皆、恐怖して自由に動かないのも無理ではなかった。 だが、張飛は、 「それは、いつもの寄手(よせて)が弱いからだ。きょうは、われわれの義軍が先に立って進路を斬りひらく、武夫たる者は、戦場で死ぬのは、本望ではないか。死ねや、死ねや」と、督戦に声を嗄(か)らした。 先鋒(せんぽう)は、ゆるい砂礫(されき)の丘を這(は)って、もう鉄門峡のまぢか迄、攻め上っていた。朱儁軍も、張飛の蛇矛に斬り捨てられるよりはと、その後から、芋虫の群(むれ)が動くように這(は)い上(あ)がった。 すると、たちまち、一陣の風雷、天地を震動して木も砂礫も人も、中天(ちゅうてん)へ吹きあげられるかと覚えた時一方の山峡(やまあい)の頂(いただ)きに、陣鼓を鳴らし、銅鑼(どら)を打(う)ち轟(とどろ)かせて、 ――わあっ。わあっ。 と、烈風も圧すような鬨(とき)の声(こえ)が聞こえた。寄手は皆、地へ伏し、眼をふさぎ、耳を忘れていたが、その声に振(ふ)り仰(あお)ぐと、山峡の絶顚(ぜってん)はいくらか平盤な地になっているとみえて、そこに賊の一群が見え「地公将軍(ちこうしょうぐん)」と書いた旗や、八卦(はっけ)の文(ぶん)を印した黄色の幟(のぼり)、幡(はた)など立て並べて、 「死神(しにがみ)につかれた軍が、又も黄泉(よみ)へ急いで来(き)つるぞ。冥途(めいど)の扉(と)を開(あ)けてやれ」 と、声を合わせて笑った。 その中に一人、遠目にもわかる異相(いそう)の巨漢(きょかん)があった。口に魔符(まふ)を嚙(か)み、髪をさばき、印(いん)をむすんで何やら呪文(じゅもん)を唱(とな)えている容子(ようす)だったが、それと共に烈風はますます募(つの)って、晦冥(かいめい)な天地に、人の形や魔の形をした赤、青、黄などの紙片(しへん)がまるで五彩の火のように降って来た。 「やあ、魔軍が来た」 「賊将張宝(ちょうほう)が、呪(じゅ)を唱えて、天空から羅刹(らせつ)の援軍を呼び出したぞ」 朱儁(しゅしゅん)の兵は、わめき合うと、逃(に)げ惑(まど)って、途(みち)も失い、ただ右往左往うろたえるのみだった。 張飛の督戦も、もう効(き)かなかった。朱儁の兵があまり恐れるので、義軍の兵にも恐怖症が伝染(うつ)ったようである。そして風魔と砂礫(されき)にぶつけられて、全軍、進む事も退(ひ)く事もできなくなってしまった時、赤い紙片(かみきれ)や青い紙片の魔物や武者は、それが皆が、生ける夜叉(やしゃ)か羅刹の軍のように見えて、寄手は完全に闘志を失ってしまった。 事実。 そうしている間に、無数の矢や岩石や火器は、うなりを揚げ、煙をふいて、寄手の上に降って来たのである。またたくうちに、全軍の半分以上は、動かないものになっていた。 「敗れた!負けたっ」 玄徳は、軍を率(ひき)いてから初めて惨(さん)たる敗戦の味を今知った。 そう叫ぶと、 「関羽っ、張飛っ。はや兵を退(ひ)けっ――兵を退けっ」 そして自分もまっしぐらに、駒首(こまくび)を逆落(さかおと)しに向(む)け回(かえ)し、砂礫と共に山裾(やますそ)へ馳(か)け下(くだ)った。 四 敗軍を収めて、約二十里の外へ退(ひ)き、その夜、玄徳は、関羽、張飛のふたりと共に、帷幕(いばく)のうちで軍義をこらした。 「残念だ、きょう迄(まで)、こんな敗北はした事がないが」と、張飛が言う。 関羽は、腕を拱(く)んでいたが、 「朱儁の兵が、戦わぬうちから、あのように恐怖しているところを見ると、何か、あそこには不思議がある。張宝の幻術も、実際、ばかにはできぬかもしれぬ」と、呟(つぶ)やいた。 「幻術の不思議は、わしには解(と)けている。それは、あの鉄門峡(てつもんきょう)の地形にあるのだ。あの峡谷には、常に雲霧(うんむ)が立ちこめていて、その気流が、烈風(れっぷう)となって峡門(きょうもん)から麓(ふもと)へいつも吹いているのだと思う」 これは玄徳の説である。 「なるほど」と二人とも初めて、そうかと気づいた顔つきだった。 「だから少しでも天候の悪い日には、他の土地より何十倍も強い風が吹(ふ)き捲(ま)くる。この辺が、晴天の日でも、峡門には、黒雲が蟠(わだかま)り、砂礫(されき)が飛び、煙雨が降(ふ)り荒(すさ)んでいる」 「ははあ、大(おお)きに」 「好んで、それへ向かって行くので、近づけばいつも、賊と戦う前に、天候と戦うようなものになる。張宝の地公将軍(ちこうしょうぐん)とやらは、奸智(かんち)に長(た)けているとみえて、その自然の気象を、自己の妖術かの如(ごと)く、巧みに使って、藁人形(わらにんぎょう)の武者や、髪の魔形(まぎょう)などを降らせて、朱儁軍の愚かな恐怖を弄(もてあそ)んでいたものであろう」 「さすがに、御活眼(ごかつがん)です。いかにも、それに違いありません。けれど、あの山の賊軍を攻めるには、あの峡門から攻めかかるほかありますまい」 「無(な)い。――それ故(ゆえ)、朱儁はわざと、われわれを、この攻め口へ当たらせたのだ」 玄徳は、沈痛に言った。 関羽、張飛の二人も良い策もなく、唇(くちびる)をむすんで、陣の曠野(こうや)へ眼をそらした。 折から仲秋の月は、満目(まんもく)の曠野に露(つゆ)をきらめかせ、二十里外の彼方(かなた)に黒々と見える臥牛(がぎゅう)のような山岳のあたりは、味方を悩ませた悪天候も嘘事(うそごと)のように、大気と月光の下(もと)に横たわっていた。 「いや、有(あ)る、有る」 突然、張飛が、自問自答して言い出した。 「攻め口が、ほかに無いとは言わさん。長兄(ちょうけい)、一策があるぞ」 「どうするのか」 「あの絶壁(ぜっぺき)を攀(よ)じ登(のぼ)って、賊の予測しない所から不意に衝(つ)きくずせば、なんの造作(ぞうさ)もない」 「登れようか、あの断崖(だんがい)絶壁へ」 「登れそうに見える所から登ったのでは、奇襲にならない。誰の眼にも、登れそうに見えない場所から登るのが、用兵の策というものであろう」 「張飛にしては、珍しい名言を吐(は)いたものだ。そのとおりである。登れぬものときめてしまうのは、人間の観念で、その眼だけの観念を超(こ)えて、実際に懸命に当たってみれば案外易々(やすやす)と登れるような例はいくらもあることだ」 更に三名は、密議(みつぎ)を練(ね)って、翌(あく)る日(ひ)の作戦に備えた。 朱儁軍の兵、約半分の数に、夥(おびただ)しい旗(はた)や幟(のぼり)を持たせ、又、銅鑼(どら)や鼓(こ)を打ち鳴らさせて、きのうのように峡門の正面から、強襲するような態(てい)を敵へ見せかけた。 一方、張飛、関羽の両将に、幕下(ばっか)の強者(つわもの)と、朱儁軍の一部の兵を率(ひ)きつれた玄徳は、峡門から十里ほど北方の絶壁へひそかに這(は)いすすみ、惨澹(さんたん)たる苦心の下に、山の一端へ攀じ登ることに成功した。 そしてなお、士気を鼓舞(こぶ)するために、総(すべ)ての兵が山巓(さんてん)の一端へ登りきると、そこで玄徳と関羽は、嚴(おごそ)かなる破邪攘魔(はじゃじょうま)の祈禱(きとう)を天地へ向かって捧げるの儀式を行なった。 五 敵を前にしながら、わざとそんな所で、厳かな祈禱の儀式などしたのは、玄徳直属の義軍の中にも、張宝(ちょうほう)の幻術を内心怖れている兵がたくさんいるらしく見えたからであた。 式が終わると、 「見よ」 玄徳は空を指(さ)して言った。 「きょうの一天には、風魔(ふうま)もない。迅雷(じんらい)もない、すでに、破邪(はじゃ)の祈禱で、張宝の幻術は通力(つうりき)を失ったのだ」 兵は答えるに、万雷(ばんらい)のような喊声(かんせい)をもってした。 関羽と張飛は、それと共に、 「それ、魔軍の砦(とりで)を踏(ふ)み潰(つぶ)せ」 と軍を二手にわけて、峰づいたいに張宝の本拠へ攻め寄せた。 地公将軍の旗幟(きし)を立てて、賊将の張宝は、例に依(よ)って、鉄門峡の寄手を悩ましに出かけていた。 すると、思わざる山中に、突然鬨(とき)の声があがった。彼は、味方を振り返って、 「裏切者が出たか」と、訊(たず)ねた。 実際、そう考えたのは、彼だけではなかった。裏切者裏切者という声が、何処(どこ)ともなく伝わった。 張宝は、 「不埒(ふらち)な奴(やつ)、何者か、成敗(せいばい)してくれん」 と、そこの守りを、賊の一将にいいつけて、自身、わずかの部下を連れて、山谷の奥にある――ちょうど螺(ら)の穴のような渓谷(けいこく)を、驢(ろ)に鞭(むち)打(う)って帰って来た。 すると傍(かたわ)らの沢の密林から、一筋の矢が飛んで来て、張宝のこめかみにぐざと立った。張宝は迸(ほとばし)る黒血へ手をやって、わッと口を開きながら矢を抜いた。しかし鏃(やじり)はふかく頭蓋(ずがい)の中に止まって、矢柄(やがら)だけしか抜けて来なかったくらいなので、途端に、彼の巨軀(きょく)は、鞍(くら)の上から真(ま)っ逆(さか)さまに落ちていた。 「賊将の張宝は射止めたるぞ。劉玄徳(りゅうげんとく)、ここに黄匪(こうひ)の大方(だいほう)張角の弟、地公将軍を討ち取ったり」 次に、どこかで玄徳の大音声(だいおんじょう)がきこえると、四方の山沢、みな鼓(こ)を鳴らし、奔激(ほんげき)の渓流(けいりゅう)、こぞって鬨(とき)を揚げ、草木みな兵と化(な)ったかと思われた。玄徳の兵は、一斉(いっせい)に衝(つ)いて出(い)で、あわてふためく張宝の部下をみなごろしにした。 山谷の奥からも、同時に黒煙濛々(もうもう)とたち昇った。張飛か、関羽の手勢か、本拠の砦(とりで)に、火を放(か)けたものらしい。 上流から流れて来る渓水(たにみず)は、みるまに紅の奔流と化した。山吠え、谷叫び、火は山火事となって、三日三晩燃えとおした。 首馘(くびき)る数一万余、黒焦(くろこ)げとなった賊兵の死骸(しがい)数千幾万なるを知らない。殲滅戦(せんめつせん)の続けらるること七日余り、玄徳は、赫々(かつかく)たる武勲を負って朱儁(しゅしゅん)の本営へ引き揚げた。 朱儁は、玄徳を見ると、 「やあ、足下(そっか)は実に運がいい。戦(いくさ)にも、運不運があるものでな」と、言った。 「ははあ、そうですか。ひと口に、武運と言う事もありますからね」 玄徳は、何の感情にも動かされないで、軽く笑った。 朱儁は、更に言う。 「自分のひきうけている野戦のほうは、まだ一向(いっこう)勝敗がつかない。山谷の賊は、ふくろの鼠(ねずみ)とし易(やす)いが、野陣の敵兵は、押せばどこ迄(まで)も、逃げられるので弱るよ」 「ごもっともです」 それにも、玄徳はただ、笑って見せたのみであった。 然(しか)るところ、ここに、先陣から伝令が来て、一つの異変を告げた。 六 伝令の告げるには、 「先に戦没した賊将張宝の兄弟張梁(ちょうりょう)という者、天公将軍(てんこうしょうぐん)の名を称し、久しくこの曠野(こうや)の陣後(じんご)にあって、督軍(とくぐん)しておりましたが、張宝すでに討(う)たれぬと聞いて、にわかに大兵をひきまとめ、陽城(ようじょう)へたて籠(こも)って、城壁を高くし、この冬を守って越えんとする策を取るかに見うけられます」 との事だった。 「冬にかかっては、雪に凍(こご)え、食糧の運輸にも、困難になる。殊(こと)に都聞(みやこき)こえもおもしろくない。今のうちに攻(せ)め墜(お)とせ」 総攻撃の令を下した。 大軍は陽城を囲み、攻めること急であった。しかし、賊城は要害堅固を極(きわ)め、城内には多年積んだ食物が豊富なので、一月余も費(つい)やしたが、城壁の一角も奪(と)れなかった。 「困った。困った」 朱儁は本営で時折ため息をもらしたが、玄徳は聞こえぬ顔をしていた。 よせばいいに、そんな時、張飛が朱儁へ言った。 「将軍。野戦では、押せば退(ひ)くしで、戦い難(にく)いでしょうが、こんどは、敵も城の中ですから、袋の鼠を捕(と)るようなものでしょう。 朱儁は、まずい顔をした。 そこへ遠方から使いが来て、新しい情報を齎(もたら)した。それもしかし朱儁の機嫌をよくさせるものではなかった。 曲陽(きょくよう)の方面には、討伐大将軍の任を負って下っていた董卓(とうたく)・皇甫嵩(こうほすう)両軍が、賊の大方張角の大兵と戦っていた。使いは、その方面の事を知らせに来たものだった。 董卓と皇甫嵩のほうは、朱儁の言う所謂(いわゆる)武運がよかったのか、七度戦って七度勝つといった按配(あんばい)であった。ところへ又、黄賊の総帥(そうすい)張角が、陣中で病没した為、総攻撃に出て、一挙に賊軍を潰滅(かいめつ)させ、降人(こうじん)を収めること十五万、辻(つじ)に梟(か)くるところの賊首何千、更に、張角を埋(い)けた墳(つか)も発掘(あば)いてその首級を洛陽へ上(のぼ)せ、 (戦果あくの如(ごと)し)と、報告した。 大賢良師(だいけんりょうし)張角と称していた首魁(しゅかい)こそ、天下に満つる乱賊の首体である。張宝は先に討たれりといっても、その弟に過ぎず、張梁なお有(あ)りといっても、これもその一肢体(したい)でしかない。 朝廷の御感(ぎょかん)は斜(なな)めならず、 (征賊第一勲(だいいっくん)) として、皇甫嵩を車騎将軍(しゃきしょうぐん)に任じ、益州(えきしゅう)の牧(ぼく)に封(ほう)ぜられ、その他恩賞の令を受けた者がたくさんある。わけても、陣中常に赤い甲冑(かっちゅう)を着て通った武騎校尉(ぶきこうい)曹操(そうそう)も、功によって、済南(せいなん)(山東省・黄河南岸)の相(しょう)に封じられたとの事であった。 自分が逆境の中に、他人の栄達を聞いて、共に欣(よろこ)びを感じるほど、朱儁(しゅしゅん)は寛度(かんど)ではない。彼はなお、焦心(あせ)り出して、 「一刻もはやく、この城を攻(せ)め陥(おと)し、汝等(なんじら)も、朝廷の恩賞にあずかり、封土(ほうど)へ帰って、栄達の日を楽しまずや」と、幕僚をはげました。 勿論(もちろん)、玄徳等も、協力を惜(お)しまなかった。攻撃に次ぐ攻撃をもって、城壁に当たり、さしも頑強(がんきょう)は賊軍をして、眠るまもない防戦に疲れさせた。 城内の賊に、厳政(げんせい)という男があった。これは方針を更(か)える時だと覚(さと)ったので、密(ひそ)かに朱儁に内通(ないつう)しておき、賊将張梁の首を斬って、 「願わくば、悔悟(かいご)の兵等に、王威(おうい)の恩浴(おんよく)を垂(た)れたまえ」と、軍門に降(くだ)って来た。 陽城を墜(お)とした勢いで、 「更に、与党を狩り尽くせ」 と、朱儁の軍六万は、宛城(えんじょう)(河南省(かなんしょう)・荊州(けいしゅう))へ迫って行った。そこには、黄巾の残党、孫仲(そんちゅう)・韓忠(かんちゅう)・趙弘(ちょうこう)の三賊将がたて籠(こも)っていた。 七 「賊には援(たす)けもないし、城内の兵糧(ひょうろう)も徒(いたずら)に敗戦の兵を多く容(い)れたから、またたく間に尽きるであろう」 朱儁は、陣頭に立って、賊の宛城(えんじょう)の運命を、かく卜(うらな)った。 朱儁軍六万は、宛城の周囲をとりまいて、水も漏(も)らさぬ布陣を詰(つ)めた。 賊軍は、 「やぶれかぶれ」の策を選んだか、連日、城門を開いて、戦(たたかい)を挑(いど)み、官兵賊兵、相互に夥(おびただ)しい死傷を毎日積んだ。 しかしいかんせん、城内の兵糧はもう乏(とぼ)しくて、賊は飢渇(きかつ)に瀕(ひん)して来た。そこで賊将韓忠は遂に、降使(こうし)を立てて、 「仁慈(じんじ)を垂(た)れ給(たま)え」と、降伏を申し出た。 朱儁は、怒って、 「窮(きゅう)すれば、憐(あわ)れみを乞(こ)い、勢いを得れば、暴魔(ぼうま)の威(い)をふるう、今日に至っては、仁慈(じんじ)も何もない」 と、降参の使者を斬って、なおも苛烈(かれつ)に攻撃を加えた。 玄徳は、彼に諫(いさ)めた。 「将軍、賢慮(けんりょ)し給え。昔、漢の高祖(こうそ)の天下を統(す)べたまいしは、よく降人を容(い)れてそれを用いた為(ため)といわれています」 朱儁は、嘲笑(あざわら)って、 「ばかを言い給え。それは時代による。あの頃は、秦(しん)の世が乱れて項羽(こうう)のようながさつ者の私議暴論が横行して、天下に定まれる君主もなかった時勢だろ、故(ゆえ)に高祖は、讐(あだ)ある者でも、降参すれば、手なずけて用(つか)う事に腐心したのである。又、秦の乱世のそれと、今日の黄賊とは、その質が違う。生きる利なく、窮地(きゅうち)に墜(お)ちたが故に、降を乞うて来た賊を、愍(あわ)れみをかけて、救(たす)けなどしたら、それはかえって寇(あだ)を長(ちょう)じさせ、世道人身に、悪業を奨励するようなものではないか。この際、断じて、賊の根を絶(た)たねばいかん」 「いや、伺(うかが)ってみると、たいへんごもっともです」 玄徳は、彼の説に伏(ふく)した。 「では、攻めて城内の賊を、殲滅(せんめつ)するとしてもです。こう四方、一門も遁(のが)れる隙間(すきま)なく囲んで攻めては、城兵は、死の一途(いちず)に結束し、恐ろしい最後の力を奮い出すにきまっています。味方の損害も夥(おびただ)しい事になりましょう。一方の門だけは、逃げ口を与えておいて、三方からこれを攻めるべきではありますかいか」 「なるほど、その説はよろしい」 朱儁は、直ちに、命令を変更して、急激に攻めたてた。 東南(たつみ)の一門だけ開いて、三方から鼓(こ)をならし、火を放った。 果たして、城内の賊は、乱れ立って一方へくずれた。 朱儁は、騎を飛ばして、乱軍の中に、賊将の韓忠(かんちゅう)を見かけ、鉄弓(てっきゅう)で射とめた。 韓忠の首を、槍(やり)に突き刺させて、従者に高く振り上げさせ、 「征賊大将軍朱儁、賊徒の将、韓忠をかく葬(ほうむ)ったり。われと名乗る者やなおある」 と、得意になって呶鳴(どな)った。 すると、残る賊将趙弘(ちょうこう)、孫仲(そんちゅう)のふたりは、 「あいつが朱儁か」と、火炎の中を、黒驢(こくろ)を飛ばして、名のりかけて来た。 朱儁は、たまらじと、自軍のうちへ逃げこんだ。韓忠親分の、讐(かたき)と怒りに燃えた賊兵は、朱儁を追って、朱儁の軍の真ん中を突破し、まったくの乱軍を呈(てい)した。 賊の一に対して、官兵は十人も死んだ。朱儁につづいて、官軍はわれがちに十里も後ろへ退却した。 賊軍は、気をもり返して、城壁の火を消し、ふたたび四方の門を固くして、 「さあいつでも来い」と構え直した。 その日の黄昏(たそがれ)、多くの傷兵が、惨(さん)として夕月の野に横たわっている。官軍の陣営へ、何処(どこ)から来たか、一彪(いっぴょう)の軍馬が馳(か)け来(きた)った。 八 「何者か」 と、玄徳等は、やがて近づいて陣門に入るその軍馬を、幕舎の傍(かたわ)らから見ていた。 総勢、約千五百の兵。 隊伍(たいご)は整然、歩武(ほぶ)堂々。 「そもこの精鋭を統(す)べる将はいかなる人物か」を、それだけでも思わすに足るものだった。 見てあれば。 その隊伍の真っ先に、旗手、鼓手の兵を立て、続いてすぐ後から、一頭の青驪(せいり)に跨(また)がって、威風あたりを払って来る人がある。 これなんその一軍の大将であろう。広額(こうがく)、闊面(かつめん)、唇(くちびる)は丹(たん)のようで、眉(まゆ)は峨眉山(がびさん)の半月のごとく高くして鋭い。熊腰(ゆうよう)にして虎態(こたい)、いわゆる威あって猛(たけ)からず、見るからに大人(たいじん)の風(ふう)を備えている。 「誰かな?」 「誰なのやら」 関羽も張飛も、見守っていたが、ほどなく陣門の衛将(えいしょう)が、名を糺(ただ)すに答える声が、遠くながら聞こえて来た。 「これは呉郡(ごぐん)富春(ふしゅん)(江蘇省(こうそしょう)・上海(シャンハイ)附近)の産で、孫堅(そんけん)、字(あざな)は文台(ぶんだい)という者です。古(いにしえ)の孫子(そんし)が末葉(まつよう)であります。官は下邳(かひ)の丞(じょう)ですが、このたび王軍、黄巾の賊徒を諸州に討(う)つと承(うけたまわ)って、手飼(てがい)の兵千五百を率(ひき)い、いささか年来の恩沢(おんたく)にむくゆべく、官軍のお味方たらんとして馳(は)せ参(さん)じた者であります。――朱儁将軍へよろしくお取り次ぎを乞(こ)う」 堂々たる態度であった。 又、音吐(おんと)も朗々(ろうとう)と聞こえた。 「…………」 関羽と張飛は、顔を見合わせた。先には、潁川(えいせん)の野(や)で、曹操(そうそう)を見、今ここに又、孫堅という一人物を見て、 「やはり世間はひろい、秀(ひい)でた人物がいないではない。ただ、世の平静なる時は、いないように見えるだけだ」と、感じたらしかった。 同じ、その世間を、 「甘くはできないぞ」 という気持を抱いたであろう。なにしろ、孫堅(そんけん)の入陣は、その卒伍(そつご)までが、立派だった。 孫堅の来援を聞いて、 「いや呉郡富春(ふしゅん)に、英傑ありと、かねてはなしに聞いていたが、よくぞ来てくれた」 と、朱儁はななめならず欣(よろこ)んで迎えた。 きょうさんざんな敗軍の日ではあったし、朱儁は、大いに力を得て、翌日は、孫堅が淮泗(わいし)の精鋭千五百をも加えて、 「一挙に」と、宛城(えんじょう)へ迫った。 即ち、新手(あらて)の孫堅には、南門の攻撃に当たらせ、玄徳には北門を攻めさせ、自身は西門から攻めかかって、東門の一方は、前日の策のとおり、わざわざ道をひらいておいた。 洛陽の将士に笑わるる勿(なか)れ」 と、孫堅は、新手でもあるので、またたく間に、南門を衝(つ)き破(やぶ)り、彼自身も青毛(あおげ)の駒(こま)を降りて、濠(ごう)を越え、単身、城壁へよじ登って、 「呉郡(ごぐん)の孫堅(そんけん)を知らずや」 と賊兵の中へ躍(おど)り入(い)った。 刀を舞わして孫堅が賊を斬(き)ること二十余人、それに当たって、噴血(ふんけつ)を浴びない者はなかった。 賊将の趙弘(ちょうこう)は、 「ふがいなし、彼奴(きやつ)、何ほどのことやあらん」 赫怒(かくど)して孫堅に名のりかけ、烈戦二十余合(ごう)、火をとばしたが、孫堅はあくまでもつかれた色を見せず、たちまち趙弘を斬って捨てた。 もう一名の賊将孫仲(そんちゅう)は、それを眺(なが)めて、かなわじと思ったか、敗走する味方の賊兵の中に紛(まぎ)れこんで、早くも東門から逃げ走ってしまった。 九 その時。 ひゅっと、どこか天空で、弦(つる)を放(はな)たれた一矢(いっし)の矢うなりがした。 矢は、東門の望楼のほとりから、斜めに線を描いて、怒濤(どとう)のように、われがちと敗走してゆく賊兵の中へ飛んだが、狙(ねら)いああまたず、今しも金蘭橋(きんらんきょう)の外門まで落ちて行った賊将孫仲の頸(うなじ)を射貫(いぬ)き、孫仲は馬上からもんどり打って、それさえ眼に入らぬ賊兵の足にたちまち踏みつぶされたかに見えた。 「あの首、掻(か)き取(と)って来い」 玄徳は、部下に命じた。 望楼の傍(そば)の壁上に鉄弓を持って立ち、目ぼしい賊を射ていたのは彼であった。 一方官軍の朱儁も、孫堅も城中に攻め入って、首を獲(と)ること数万級、各所の火炎を鎮(しず)め、孫仲・趙弘・韓忠三賊将の首を城外に梟(か)け、市民に布告を発し、城頭の余燼(よじん)まだ煙る空に、高々と、王旗を飜(ひるが)えした。 「漢室万歳」 「洛陽軍万歳」 「朱儁大将軍万歳」 南陽(なんよう)の諸郡もことごとく平定した。 彼(か)の大賢良師張角が、戸毎(こごと)に貼(は)らせた黄いろい呪符(じゅふ)もすべて剥(は)がされて、黄巾の兇徒(きょうとは、まったく影を潜(ひそ)め、万戸泰平を謳歌(おうか)するかに思われた。 しかし、天下の乱は、天下の草民から意味なく起こるものではないむしろその禍根(かこん)は、民土の低きよりも、廟堂の高きにあった川下より川上の水源にあった政(まつりごと)を奉(ほう)ずる者より、政を司(つかさど)る者にあった。地方よりも中央にあった。 けれど腐れる者ほど自己の腐臭には気づかない。又、時流のうごきは眼に見えない。 とまれ官軍は旺(さかん)だった。征賊大将軍は功成(な)って、洛陽へ凱旋(がいせん)した。 洛陽の城府は、挙(あ)げて、遠征の兵馬を迎え、市は五彩旗(ごさいき)に染まり、夜は万燈(まんどう)に彩(いろど)られ、城内城下、七日七夜というもの酒の泉と音楽の狂いと、酔いどれの歌などで沸(わ)くばかりであった 王城の府、洛陽は千万戸という。さすがに古い伝統の都だけに、物資は富み、文化は絢爛(けんらん)だった佳人(かじん)貴顕(きけん)たちの往来は目を奪うばかり美しい。帝城は金壁(きんぺき)にかこまれ、瑠璃(るり)の瓦(かわら)を重ね、百官の驢車(ろしゃ)は、翡翠門(ひすいもん)に花の淀(よど)むような雑閙(ざっとう)を呈(てい)している。天下のどこに一人の飢民(きみん)でもあるか、今の時代を乱兆(らんちょう)と悲しむ所謂(いわれ)があるのか、この殷賑(いんしん)に立って、旺(さかん)なる夕べの楽音を耳にし、万斛(ばんこく)の油が一夜に燈(とも)されるという騒曲(そうきょく)の灯(ともしび)の宵(よい)早き有様を眺むれば、むしろ、世を憂(うれ)え嘆(なげ)く者のことばが不思議なくらいである。 けれど。 二十里の野外、そこに連(つら)なる外城の壁からもし一歩出て見るならば、秋は更(ふ)けて、木も草も枯れ、徒(いたず)らに高き城壁に、蔓草(つるくさ)の離々(りり)たる葉のみわずかに紅(あか)く、日暮れれば茫々(ぼうぼう)の闇一色(やみいっしょく)、夜暁(よあ)ければ颯々(さつさつ)の秋風ばかり哭(な)いて、所々の水辺に、寒げに啼(な)く牛(うし)の仔(こ)と、灰色の空をかすめる鴻(こう)の影を時稀(ときたま)に仰(あお)ぐくらいなものであった そこに。 無口に屯(たむろ)している人間が、枯木や草をあつめて焚火(たきび)をしながら、わずかに朝夕の寒さをしのいでいた。 玄徳の義軍であった。 義軍は、外城の門の一つに立って、門番の役を命じられている と言えば、まだ体裁はよいが、正規の官軍でなし、官職のない将卒(しょうそつ)なので、三軍洛陽に凱旋(がいせん)の日も、ここに停(とど)められて、内城から先へは入れられないのであった。 鴻(こう)が飛んで行く。 野芙蓉(のふよう)に揺(ゆ)らぐ秋風が白い。 「…………」 玄徳も、関羽も、この頃は、無口であった。 あわれな卒伍(そつご)は、まだ洛陽の温かい菜(な)の味も知らない。土竜(もぐら)のように、鉄門の蔭(かげ)に、かがまっていた。 張飛も黙然と、水洟(みずばな)をすすっては、時折、ひどく虚無に囚(とら)われたような顔をして、空行く鴻の影を見ていた。