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白芙蓉(びゃくふよう) 一 それは約五十名ほどの賊の小隊であった。中に驢(ろ)に乗っている二、三の賊将が鉄鞭(てつべん)を指(さ)して、何か言っていたように見えたが、やがて、馬元義(ばげんぎ)の姿を見かけたか、寺のほうへ向かって、一散(いっさん)に近づいて来た。 「やあ、李朱氾(りしゅはん)。遅かったじゃないか」 此方(こなた)の馬元義も、石段から伸び上がっていうと、 「おう大方(だいほう)、これにいたか」と、李(り)と呼ばれた男も、その他の仲間も、つづいて驢(ろ)の鞍(くら)から降(お)りながら、 「峠(とうげ)の孔子廟(こうしびょう)で待っているというから、あれへ行ったところ、姿が見えないので、俺(おれ)たちこそ、大まごつきだ。遅いどころじゃない」と、汗を拭(ふ)き拭き、かえって馬元義に向かって、不平を述べたが、同類の冗談半分とみえて、責(せ)められた馬(ば)の方も、げらげら笑うのみだった。 「ところで、先夜の収穫(みいり)はどうだな。洛陽船(らくようぶね)を的(あて)に、だいぶ諸方の商人(あきんど)が泊まっていた筈だが」 「たいして言う程の収穫もなかったが、一村焼き払っただけのものはあった。その財宝は皆、荷駄にして、例のとおりわれわれの営倉(えいそう)に送っておいたが」 「近頃は人民共も、金は埋(い)けて隠しておく方法を覚えたり、商人なども、隊伍(たいご)を組んで、俺たちが襲うまえに、巧(うま)く逃げ散ってしまうので、だんだん以前のように巧いわけにはいかなくなったなあ」 「ウム、そういえば、先夜も一人惜(お)しいやつを取り逃がしたよ」 「惜しい奴?――それは何か高価な財宝でも持っていたのか」 「なあに、砂金や宝石じゃないが、洛陽船から、茶を交易(こうえき)した男があるんだ。知ってのとおり、盟主(めいしゅ)張角様には、茶ときては、眼のない好物。これはぜひ掠(かす)め奪(と)って、大賢良師(だいけんりょうし)へ御献納もうそうと、そいつの泊まった旅籠(はたご)も目ぼしをつけておき、その近所から焼き払って踏み込んだところ、いつの間にか、逃(に)げ失(う)せてしまって、とうとう見つからない。――こいつあ近頃の失策だったよ」 賊の李朱氾(りしゅはん)は、劉備(りゅうび)のすぐぞばで、それを大声で話しているのだった。 劉備は、驚いた。 そして、思わず、懐中(ふところ)に秘(ひ)していた錫(すず)の小さい茶壺(ちゃつぼ)をそっと触(さわ)ってみた。 すると馬元義は、 「ふーむ」と、唸(うめ)きながら、改めて後ろにいる劉青年を振り向いてから、更に、李へ向かって、 「それは幾歳(いくつ)ぐらいな男か」 「そうさな。俺も見たわけではないが、嗅(か)ぎつけた部下のはなしに依(よ)ると、まだ若い見すぼらしい風態(ふうてい)の男だが、どこか凛然(りんぜん)としているから、油断のならない人間かもしれないといっていたが」 「じゃあ、この男ではないのか」 「馬元義は、すぐ傍(かたわ)らにいる劉備を指さして、言った。 「え?」 李は意外な顔をしたが、馬元義から仔細(しさい)を聞くと、にわかに怪しみ疑って、 「そいつかもしれない。――おういっ、丁峰(ていほう)、丁峰」 と、池畔(ちはん)に屯(たむろ)させてある部下の群(むれ)へ向かって呶鳴(どな)った。 手下の丁峰は、呼ばれて、屯(たむろ)の中から馳(か)けて来た。李は、黄河(こうが)で茶を交易した若者は、この男ではないかと、劉の顔を指さして、質問した。 丁は、劉青年を見ると、惑(まど)うこともなくすぐ答えた。 「あ。この男です。この若い男に違いありません」 「よし」 李は、そう言って、丁峰を退(しりぞ)けると、馬元義と共に、いきなり劉備の両手を左右から捻(ね)じあげた。 二 「こら。貴様は茶を秘(かく)しているというじゃないか。その茶壺をこれへ出してしまえ」 馬元義も責め、李朱氾(りしゅはん)も共に、劉備のきき腕を、捻(ね)じ抑(おさ)えながら脅(おど)した。 「出さぬと、ぶった斬(ぎ)るぞ。今もいったとおり、張角良師の御好物だが、良師の御威勢でさえ、滅多(めった)に手にはいらぬ程の物だ。貴様のような下民(げみん)などが、茶を持ったところで、何となるものか。われわれの手を経て、良師に献納してしまえ」 劉備は、言(い)い遁(のが)れの利(き)かないことを、はやくも観念した。しかし、故郷(くに)の母が、いかにそれを楽しみに待っているかを思うと、自分の生命(いのち)を求められたより辛(つ)らかった。 (何とか、ここを遁れる工夫はないものか) となお、未練をもって、両手の痛みをこらえていると、李朱氾の靴(くつ)は、気早に劉備の腰を蹴(け)とばして、「唖(おし)が、つんぼか、汝(おの)れは」と罵(のの)しった。 そして、蹌(よろ)めく劉備の襟(えり)がみを、摑(つか)みもどして、 「あれに、血に飢(う)えている五十の部下が此方(こっち)を見て、餌(え)を欲しがっているのが、眼に見えないか。返辞をしろ」と、居猛高(いたけだか)に言った。 劉備は二人の土足の前へ、そうしてひれ伏(ふ)したまま、まだ、母の歓(よろこ)びを売って、この場を助かる気持になれないでいたが、ふと、眼を上げると、寺門の陰に佇(たた)ずんで、此方(こなた)を覗(のぞ)いていた最前の老僧が、 (物など惜(お)しむことはない。求める物は、何でも与えてしまえ、与えてしまえ) と、手真似(てまね)をもって、しきりと彼の善処(ぜんしょ)を促(うなが)している。 劉備もすぐ、(そうだ。この身体(からだ)を傷つけたら、母にも大不幸となる)と思って、心をきめたが、それでもまだ懐中(ふところ)の茶壺(ちゃつぼ)は出さなかった。腰に佩(は)いている剣の帯革を解(と)いて、 「これこそは、父の遺物(かたみ)ですから、自分の生命(いのち)の次の物ですが、これを献上します。ですから、茶だけは見のがして下さい」と哀願した。 すると、馬元義は、 「おう、その剣は、俺がさっきから眼をつけていたのだ。貰(もら)っておいてやると奪(と)り上げて「茶のことは、俺は知らん」と、空嘯(うそぶ)いた。 李朱氾は、前にも増して怒り出して、一方へ剣を渡して、俺になぜ茶壺を渡さないかと責めた。 劉備は、やむなく、肌(はだ)深(ぶか)く持っていた錫(すず)の小壺(こつぼ)まで出してしまった。李は宝珠(ほうじゅ)を獲(え)たように、両掌(りょうて)を捧(ささ)げて、 「これだ、これだ。洛陽(らくよう)の銘葉(めいよう)に違いない。さだめし良師がお欣(よろこ)びになるだろう」と、言った。 賊の小隊はすぐ先へ出発する予定らしかったが、ひとりの物見(ものみ)が来て、ここから十里ほど先の河べりに、県の吏軍(りぐん)が約五百ほど野陣を張り、わkれわれを捜索しているらしいという報告をもたらした。で、にわかに、「では、今夜はここへ泊まれ」となって、約五十の黄巾賊は、そのまま寺を宿舎にして、携帯の糧嚢(りょうのう)を解(と)きはじめた。 夕方の炊事の混雑を窺(うかが)って、劉備(りゅうび)は今こそ逃げるによい機(しお)と、薄暮の門を、そっと外へ踏み出しかけた。 「おい。何処(どこ)へ行く」 賊の哨兵(しょうへい)は、見つけるとたちまち、大勢して彼を包囲し、奥にいる馬元義(ばげんぎ)と李朱氾(りしゅはん)へすぐ知らせた。 三 劉備は縛(いまし)められて、斎堂(さいどう)の丸柱にくくり付けられた。 そこは床に瓦(かわら)を敷き詰め、太い丸柱と、小さい窓しかない石室(いしむろ)だった。 「やい劉。貴様(きさま)は、俺の眼を掠(かす)めて、逃げようとしたそうだな。察するところ、てめえは官(かん)の密偵(みってい)だろう。いいや違いねえ。きっと県軍のまわし者だ。――今夜、十里程先まで、県軍が来て野陣を張っているそうだから、それへ連絡を取る為(ため)に、脱(ぬ)け出(だ)そうとしたのだろう」 馬元義と李朱氾は、かわるがわるに来て、彼を拷問(ごうもん)した。 「――道理で、貴様の面(つら)がまえは、凡者(ただもの)でないはずだ。県軍のまわし者でなければ、洛陽(らくよう)の直属の隠密(おんみつ)か。いずれにしても、官人だろう汝(てめえ)は。――さ、泥(どろ)を吐(は)け。言わねば、痛い思いをするだけだぞ」 しまいには、馬と李と、二人がかりで、劉を蹴って罵(のの)しった。 劉は一口も物を言わなかった。こうなったからには、天命にまかせようと観念しているふうだった。 「これは一筋縄(ひとすじなわ)では口をあかんぞ」 李は、持(も)て余(あま)し気味に、馬へ向かってこう提議した。 「いずれ明日の早暁(そうぎょう)、俺はここを出発して、張角良師の総督府(そうとくふ)へ参り、例の茶壺を献上かたがた良師の御機嫌伺(ごきげんうかが)いに出るつもりだが、その折、こいつも引っ立てて行って、大方軍(だいほうぐん)本部の軍法会議にさし廻してみたらどうだろう。思いがけない拾い物になるかもしれぬぜ」 よかろうと、馬も同意だ。 斎堂の扉(と)は、固く閉(し)められてしまった。夜が更(ふ)けると、ただ一つの高い窓から、今夜も銀河の秀天が冴(さ)えて見える。けれど到底(とうてい)、そこから遁(のが)れ出(で)る工夫はない。 どこかで、馬の嘶(いなな)きがする。官の県軍が攻めて来たのならよいが――と劉備は、望みをつないだが、それは物見(ものみ)から帰って来た二、三の賊兵らしく、後は寂(せき)として、物音もなかった。 「母へ孝養を努めようとして、かえって大不幸の子となってしまった。死ぬる身は惜(おしくもないが、老母の余生を悲しませ、不幸の屍(むくろ)を野に曝(さら)すのは悲しいことだ」 劉備は星を仰(あお)いで嘆(なげ)いた。そして、孝行するにも、身に不相応な望みを持ったのが悪かったと悔(く)いた。 賊府に曳(ひ)かれて、人中で生恥(いきはじ)曝(さら)して殺されるよりは、いっそ、ここで、一思(ひとおも)いに死なん乎(か)――と考えた。 死ぬにも、身に剣はなかった。柱に頭を打ちつけて憤死する乎(か)。舌を嚙(か)んで星夜を睨(ね)めつけながら呪死(じゅし)せん乎(か)。 劉備は、悶々(もんもん)と、迷った。 ――すると彼の眸(ひとみ)の前に一筋の縄が下がって来た。それは神の意志によって下がって来るように、高い切り窓の口から石の壁に伝わってスルスルと垂(た)れて来たのである。 「・・・・・・あ?」 人影もなにも見えない、ただ四角な星空があるだけだった。 劉備は身を起こしかけた。しかしすぐ無益であることを知った。身は縛(いまし)めにかかっている、この縄目の解(と)けない以上、救い手がそこまで来ていても、縋(すが)りつく術(すべ)はない。 「・・・・・・ああ、誰(だれ)だろう?」 誰か、窓の下へ、救いに来ている。外で自分を待っていてくれる者がある。劉備は、なおさらもがいた。 と、――彼の行動が遅いので、早くしろと促(うなが)すように、外の者は焦(じ)れているのであろう。高窓から垂(た)れている縄が左右に動いた。そして縄の端に結(ゆわ)いつけてあった短剣が、白い魚のように、コトコトと瓦(かわら)の床を打って躍(おど)った。 四 足の先で短剣を寄せた。そして漸(ようや)く、それを手にして、自身の縄目を断(た)ち切(き)ると、劉備は窓の下に立った。 (早く。早く)と言わんばかりに、無言の縄は外から意志を伝えて、揺れうごいている。 劉備は、それに摑(つか)まった。石壁に足をかけて、窓から外を見た。 「・・・・・・オオ」 外に佇(たたず)んでいたのは、昼間、ただ独(ひと)りで曲彔(きょくろく)に腰かけていたあの老僧だ。骨と皮ばかりのような彼の細い影であった。 「――今だよ」 その細い手がさしまねく。 劉備はすぐ地上へ跳び降りた。待っていた老僧は、彼の身を抱えるようにして、物も言わず馳(か)け出した。 寺の裏に、疎林(そりん)があった。樹(こ)の間(ま)の細道さえ、銀河の秋は仄(ほの)明(あか)るい。 「老僧、老僧。いったいどっちへ逃げるんですか」 「まだ逃げるのじゃない」 「では、どうするんです」 「あの塔(とう)まで行ってもらうのじゃよ」 走りながら、老僧は指さした。見るとなるほど、疎林の奥に、疎林の梢(こずえ)よりも、高く聳(そび)えている古い塔がある。老僧は、慌(あわ)ただしく古塔の扉(と)をひらいて中へ隠れた。そしてあんなに急いだのに、なかなか出て来なかった。 「どうしたのだろう?」 劉備は気を揉(も)んでいる。そして賊兵が追って来はしまいかと、彼方(あっち)此方(こっち)を見まわしているとやがて、 「青年、青年」 小声で呼びながら、塔の中から老僧が何か曳(ひ)きながら出て来た。 「おや?」 劉備は眼をみはった。老僧が引っ張っているのは駒(こま)の手綱(たづな)だった。銀毛のような美しい白馬が曳かれ出したのである。 いや、いや、白馬の毛並(けなみ)の見事さや、背の鞍(くら)の華麗などはまだ言うも愚(おろ)かであった。その駒に続いて、後から歩みも嫋(なおや)かに、世間の風にも怖(おそ)れるもののように、楚々(そそ)と姿を現わした美人がある。眉(まゆ)の麗(うるわ)しさ、耳の白さ、又、眼に含む愁(うれ)いの悩ましいばかりなど、思いがけぬ場合ではあり、星夜の光に見るせいか、この世の人とも思えぬのであった。 「青年。わしがお前を助けてあげた事を、恩としてくれるなら、逃げるついでに、この阿嬢さまを連れて、ここから十里ほど北へ向かった所の河べりに陣している県軍の隊まで、届けてあげてくれるか。わずか十里じゃ、この白馬に鞭(むち)打(う)てば――」 老僧のことばに、劉備は否(いな)やもなく、はいと答えるべきであるが、その任務よりも、届ける人のあまりに美し過ぎるので、なんとなく躊躇(ためら)われた。 老僧は、彼のためらいを、どう解釈したか、 「そうだ、氏素性(うじすじょう)も知れぬ婦人をと、疑ぐっておるのじゃろうが、心配するな。このお方は、つい先頃まで、この地方の県城を預(あず)かっておられた領主の阿嬢(おじょう)さまじゃ。黄巾賊の乱入に遭(あ)って、県城は焼かれ、御領主は殺され、家来は四散し、ここらの寺院さえ、あのとおりになり果てたが、その乱軍の中から迷うてござった阿嬢さまを、実はわしが、ここの塔へそっと匿(かくも)うて――」 と、老僧の眼がふつ、古塔の頂(いただ)きを見上げた時、疎林(そりん)を渡る秋風の外(ほか)に、にわかに、人の跫音(あしおと)や馬の嘶(いなな)きが聞こえ出した。 五 劉備が、目をくばると、 「いや、動かぬがよい。暫(しばら)くは、かえってここに、凝(じっ)としていたほうが・・・・・・」 と、老僧が彼の袖(そで)を捉(とら)え、そんな危急の中になお、語りつづけた。 県の城長の娘は、名を芙蓉(ふよう)といい姓は鴻(こう)ということ。又、今夜近くの河畔に来て宿陣している県軍は、きっと先に四散した城長の家臣が、残兵を集めて、黄巾賊へ報復を計(はか)っているに違いないということ。 だから、芙蓉の身を、そこまで届けてくれさえすれば、後は以前の家来達が守護してくれる――白馬の背へ二人して騎(の)って、抜け道から一気に逃げのびて行くように――と、禱(いの)るように言うのだった。 「承知しました」 劉備は、勇気を示して答えた。 「けれど和上(わじょう)、あなたはどうしますか」 「わしかの」 「そうです。私たちを逃がしたと賊に知れたら、和上の身は、ただでは済(す)まないでしょう」 「案じる事はない。生きていたとて、この先幾年(いくとし)生きていられよう。ましてこの十数日は、草の根や虫などを食うて、露命をつないでいた儚(はかな)い身じゃ、それも鴻家(こうけ)の阿嬢(おむすめ)を助けてあげたい一心だけで生きていたが――今は、その事も、頼む者に頼み果てたし、貴郎(あなた)という者をこの世に見出したので、思い残りは少しもない」 老僧はそう言い終わると、風の如(ごと)く、塔の中へ影をかくした。 あれよと、芙蓉は、老僧を慕(した)って追(お)い縋(すが)ったが、途端に、塔の口元の扉(とびら)は内から閉じられていた。 「和上さま。和上さま!」 芙蓉は慈父を失ったように、扉をたたいて泣いていたが、その時、高い塔の頂(いただ)きで、再び老僧の声がした。 「青年。わしの指を御覧(ごらん)。わしの指さす方を御覧。――ここの疎林から西北だよ。北斗星(ほくとせい)が燦(かがや)いておる。それを的(あて)にどこまでも逃げてゆくがよい。南も東も蓮池(はすいけ)の畔(ほとり)も、寺の近くにも、賊兵の影が道を塞(ふさ)いでいる。逃げる道は、北西しかない。それも今のうちじゃ。早く白馬に鞭(むち)打(う)たんか」 「はいっ」 答えながら仰(あお)ぐと、老僧の影は、塔上の石欄(せきらん)に立って、一方を指さしているのだった。 「佳人(かじん)。はやくお騎(の)りなさい。泣いているところではない」 劉備は、彼女の細腰(さいよう)を抱き上げて、白馬の鞍(くら)にすがらせた。 芙蓉の体はいと軽かった。柔軟で高貴な薫(かお)りがあった。そして彼女の手は、劉備の肩に纏(まと)い、劉の頰(ほお)は、彼女の黒髪に触れた。 劉備も木石(ぼくせき)ではない。かつて知らない動悸(ときめき)に、血が熱くなった。けれどそれは、地上から鞍の上まで、彼女の身を移すわずかな間でしかなかった。 「御免(ごめん)」と言いながら、劉備も騎(の)って一つ鞍へ跨(また)がった。そして片手に彼女を支え、片手に白馬の手綱(たづな)を把(にぎ)って、老僧の指さした方角へ馬首向けた。 塔上の老僧は、それを見下ろすと、我事了(わがことおわ)れり――と思ったか、突然、歓喜の声をあげて、 「見よ、見よ。凶雲(きょううん)没(ぼっ)して、明星(みょうじょう)出(い)づ、白馬(はくば)翔(か)けて、黄塵(こうじん)滅(めっ)す。――ここ数年を出(い)でないうちじゃろう。青年よ、はや行け。おさらば」 言い終わると、自(みずか)ら舌を嚙(か)んで、塔上の石欄から百尺下の大地へ、身を躍(おど)らして、五体の骨を自分で砕(くだ)いてしまった。
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秋風陣(しゅうふうじん) 一 潁川(えいせん)の地へ行き着いてみると、そこには既に官軍の一部隊しか残っていなかった。大将軍の朱儁(しゅしゅん)も皇甫嵩も、賊軍を追(お)い狭(せば)めて、遠く河南(かなん)の曲陽(きょくよう)や宛城(えんじょう)方面へ移駐(いちゅう)しているとのことであった。 「さしも旺(さかん)だった黄巾賊の勢力も、洛陽の派遣軍のために、次第に各地で討伐され、そろそろ自壊(じかい)しはじめたようですな」 関羽が言うと、 「つまらない事になった」 と、張飛は頻(しき)りと、今のうちに功を立てねば、何日(いつ)の時か風雲に乗ぜんと、焦心(あせ)るのであった。 「――義軍何(なん)ぞ小功を思わん。義胆(ぎたん)何ぞ風雲(ふううん)を要せん」 劉玄徳は、独(ひと)り言った。 雁(かり)の列のように、漂泊の小軍隊は又、南へ向かって、旅をつづけた。 黄河を渡った。 兵たちは、馬に水を飼(か)った。 玄徳は、黄いろい大河に眼をやると、憶(おも)いを深くして、 「ああ、悠久(ゆうきゅう)なる哉(かな)」 と、つぶやいた。 四、五年前に見た黄河(こうが)もこのとおりだった。おそらく百年、先年の後も、黄河の水は、このとおりに在(あ)るだろう。 天地の悠久を思うと、人間の一瞬が儚(はかな)く感じられた。小功は思わないが、頻(しき)りと、生きている間の生甲斐(いきがい)と、意義ある仕事を残さんとする誓願が念じられてくる。 「この畔(ほとり)で、半日も凝(じっ)と若い空想に耽(ふけ)っていた事がある。――洛陽船から茶を購(あがな)おうと思って」 茶を思えば、同時に、母が憶(おも)われてくる。 この秋、いかに在(お)わすか。足の冷えや、持病が出ては来ぬだろうか。御不自由はどうあろうか。 いやいや母は、そんな事すら忘れて、ひたすら、子が大業を為(な)す日を待っておられることであろう。それと共に、いかに聡明(そうめい)な母でも、実際の戦場の事情やら、又実地に当たる軍人同志のあいだにも、常の社会と変わらない難しい感情や争いやらあって、なかなか武力と正義の信条一点張りでは、世に出られない事などは、お察しもつくまい。御想像にも及ぶまい。 だから以来、なんのよい便(たよ)りもなく、月日を空(むな)しく送っている子をお考えになると、 (阿備(あび)は、何をしているやら) と、さだめし腑(ふ)がいない者と、焦(じ)れッたく思っておいでになるに相違ない。 「そうだ。せめて、体だけは無事な事でも、お便りしておこうか」 玄徳は、思いついて、騎(き)の鞍(くら)を下ろし、その鞍に結(ゆ)いつけてある旅具の中から、翰墨(かんぼく)と筆を取り出して、母へ便りを書きはじめた。 駒に水を飼って、休んでいた兵たちも、玄徳が箋葉(せんよう)に筆をとっているのを見ると、 「おれも」 「吾(われ)も」 と何か書きはじめた。 誰にも、故郷がある。姉妹兄弟がある。玄徳は思いやって、「故郷へ手紙をやりたい者は、わしの手許(てもと)に持って来い。親のある者は、親へ無事の消息をしたほうがよいぞ」と、言った。 兵たちは、それぞれ紙片や木皮(もくひ)へ、何か書いて持って来た。玄徳はそれを一嚢(いちのう)に納めて、実直な兵を一人撰抜(せんばつ)し、 「おまえは、この手紙の嚢(ふくろ)を携(たずさ)えて、それぞれの郷里の家へ、郵送する役目に当たれ」 と、路費を与えて、すぐ立たせた。 そして落日に染まった黄河を、騎と兵と荷駄(にだ)とは、黒いかたまりになって、浅瀬は渡渉(としょう)し、深い所は筏(いかだ)に棹(さお)さして、対岸へ渡って行った。 二 先頃から河南の地方に、何十万とむらがっている賊の大軍と戦っていた大将軍朱儁(しゅしゅん)は、思いのほか賊軍が手ごわいし、味方の死傷は夥(おぼただ)しいので、 「いかがはせん」と、内心煩悶(はんもん)して、苦戦の憂(うれ)いを顔に刻(きざ)んでいたところだった。 そこへ、 「潁川(えいせん)から広宗(こうそう)へ向かった玄徳の隊が、形勢の変化に、途中から引っ返して来て、ただ今、着陣いたしましたが」と、幕僚から知らせがあった。 朱儁はそれを聞くと、 「やあ、それはよいところへ来た。すぐ通せ、失礼のないように」 と、前とは、打って変わって、鄭重(ていちょう)に待遇した。 陣中ながら、洛陽の美酒を開き、料理番に牛などを裂(さ)かせて、 「長途、おつかれであろう」と、歓待(かんたい)した。 正直な張飛は、前の不快もわすれて、すっかり感激してしまい、 「士は己(おのれ)を知る者の為(ため)に死す、である」 などと酔った機嫌で言った。 だが歓待の代償は義軍全体の生命に近いものを求められた。 翌日。 「早速だが、豪傑(ごうけつ)にひとつ、打ち破っていただきたい方面がある」 と、朱儁は、玄徳等の軍に、そこから約三十里ほど先の山地に陣取っている頑強な敵陣の突破を命じた。 否(いな)む理由はないので、 「心得た」と、義軍は、朱儁の部下三千を加えて、そこの高地へ攻めて行った。 やがて、山麓(さんろく)の野に近づくと天候が悪くなった。雨こそ降らないが、密雲(みつうん)低く垂(た)れて、烈風(れっぷう)は草を飛ばし、沼地の水は霧になって、兵馬の行くてを晦(くら)くした。 「やあ、これは又、賊軍の張宝(ちょうほう)が、妖気(ようき)を起こして、われらをみなごろしにすると見えたるぞ。気をつけろ。樹の根や草につかまって、烈風に吹きとばされぬ用心をしたがいいぞ」 朱儁(しゅしゅん)からつけてよこした部隊から、誰言うとなく、こんな声が起こって、恐怖はたちまち全軍を蔽(おお)った。 「ばかなっ」 関羽は怒って、 「世に理のなき妖術などがあろうか。武夫(もののふ)たるものが、幻妖(げんよう)の術に怖(おそ)れて、木の根にすがり、大地を這(は)い、戦意を失うとは、何たるざまぞ。すすめや者共、関羽の行く所には妖気も避けよう」 と大声で鼓舞(こぶ)したが、 「妖術には敵(かな)わぬ。あたら生命(いのち)をわざわざ墜(お)とすようなものだ」 と、朱儁の兵は、なんと言っても前進しないのである。 聞けば、この高地へ向かった官軍は、これ迄(まで)にも何度攻めても、全滅になっているというのであった。黄巾賊の大方師(だいほうし)張角(ちょうかく)の弟にあたる張宝は、有名な妖術つかいで、それがこの高地の山地の奥に陣取っている為であるという。 そう聞くと、張飛は、 「妖術とは、外道(げどう)魔物(まもの)のする業(わざ)だ。天地闢(ひら)けて以来、まだかつて方術者が天下を取ったためしはあるまい。怖(お)じる心、惧(おそ)れる眼(まなこ)、顫(わなな)く魂(たましい)を惑(まど)わす術を、妖術とは言うのだ。怖れるな、惑うな。――進まぬ奴(やつ)は、軍律に照らして斬(き)り捨(す)てるぞ」 と、軍のうしろにまわって、手に蛇矛(じゃぼこ)を抜きはらい、督戦(とくせん)に努めた。 朱儁の兵は、敵の妖術にも恐怖したが、張飛の蛇矛にはなお恐れて、やむなくわっと、黒風へ向かって前進し出した。 三 その日は、天候もよくなかったに違いないが、戦場の地勢も殊(こと)に悪かった。寄手(よせて)にとっては、はなはだしく不利な地の利に嫌(いや)でも置かれるように、そこの高地は自然にできている。 峨々(がが)たる山が、道の両わきに、鉄門のように聳(そび)えている。そこを突破すれば、高地の沢から、山地一帯の敵へ肉薄できるのだ、そこ迄が、近づけないのだった。 「鉄門峡(てつもんきょう)まで行かぬうちに、いつも味方はみなごろしになる。豪傑、どうか無謀は止(や)めて、引っつ返し給(たま)え」 と、朱儁の軍隊の者は、部将からして、怯(ひる)み上がって言う程だから、兵卒が皆、恐怖して自由に動かないのも無理ではなかった。 だが、張飛は、 「それは、いつもの寄手(よせて)が弱いからだ。きょうは、われわれの義軍が先に立って進路を斬りひらく、武夫たる者は、戦場で死ぬのは、本望ではないか。死ねや、死ねや」と、督戦に声を嗄(か)らした。 先鋒(せんぽう)は、ゆるい砂礫(されき)の丘を這(は)って、もう鉄門峡のまぢか迄、攻め上っていた。朱儁軍も、張飛の蛇矛に斬り捨てられるよりはと、その後から、芋虫の群(むれ)が動くように這(は)い上(あ)がった。 すると、たちまち、一陣の風雷、天地を震動して木も砂礫も人も、中天(ちゅうてん)へ吹きあげられるかと覚えた時一方の山峡(やまあい)の頂(いただ)きに、陣鼓を鳴らし、銅鑼(どら)を打(う)ち轟(とどろ)かせて、 ――わあっ。わあっ。 と、烈風も圧すような鬨(とき)の声(こえ)が聞こえた。寄手は皆、地へ伏し、眼をふさぎ、耳を忘れていたが、その声に振(ふ)り仰(あお)ぐと、山峡の絶顚(ぜってん)はいくらか平盤な地になっているとみえて、そこに賊の一群が見え「地公将軍(ちこうしょうぐん)」と書いた旗や、八卦(はっけ)の文(ぶん)を印した黄色の幟(のぼり)、幡(はた)など立て並べて、 「死神(しにがみ)につかれた軍が、又も黄泉(よみ)へ急いで来(き)つるぞ。冥途(めいど)の扉(と)を開(あ)けてやれ」 と、声を合わせて笑った。 その中に一人、遠目にもわかる異相(いそう)の巨漢(きょかん)があった。口に魔符(まふ)を嚙(か)み、髪をさばき、印(いん)をむすんで何やら呪文(じゅもん)を唱(とな)えている容子(ようす)だったが、それと共に烈風はますます募(つの)って、晦冥(かいめい)な天地に、人の形や魔の形をした赤、青、黄などの紙片(しへん)がまるで五彩の火のように降って来た。 「やあ、魔軍が来た」 「賊将張宝(ちょうほう)が、呪(じゅ)を唱えて、天空から羅刹(らせつ)の援軍を呼び出したぞ」 朱儁(しゅしゅん)の兵は、わめき合うと、逃(に)げ惑(まど)って、途(みち)も失い、ただ右往左往うろたえるのみだった。 張飛の督戦も、もう効(き)かなかった。朱儁の兵があまり恐れるので、義軍の兵にも恐怖症が伝染(うつ)ったようである。そして風魔と砂礫(されき)にぶつけられて、全軍、進む事も退(ひ)く事もできなくなってしまった時、赤い紙片(かみきれ)や青い紙片の魔物や武者は、それが皆が、生ける夜叉(やしゃ)か羅刹の軍のように見えて、寄手は完全に闘志を失ってしまった。 事実。 そうしている間に、無数の矢や岩石や火器は、うなりを揚げ、煙をふいて、寄手の上に降って来たのである。またたくうちに、全軍の半分以上は、動かないものになっていた。 「敗れた!負けたっ」 玄徳は、軍を率(ひき)いてから初めて惨(さん)たる敗戦の味を今知った。 そう叫ぶと、 「関羽っ、張飛っ。はや兵を退(ひ)けっ――兵を退けっ」 そして自分もまっしぐらに、駒首(こまくび)を逆落(さかおと)しに向(む)け回(かえ)し、砂礫と共に山裾(やますそ)へ馳(か)け下(くだ)った。 四 敗軍を収めて、約二十里の外へ退(ひ)き、その夜、玄徳は、関羽、張飛のふたりと共に、帷幕(いばく)のうちで軍義をこらした。 「残念だ、きょう迄(まで)、こんな敗北はした事がないが」と、張飛が言う。 関羽は、腕を拱(く)んでいたが、 「朱儁の兵が、戦わぬうちから、あのように恐怖しているところを見ると、何か、あそこには不思議がある。張宝の幻術も、実際、ばかにはできぬかもしれぬ」と、呟(つぶ)やいた。 「幻術の不思議は、わしには解(と)けている。それは、あの鉄門峡(てつもんきょう)の地形にあるのだ。あの峡谷には、常に雲霧(うんむ)が立ちこめていて、その気流が、烈風(れっぷう)となって峡門(きょうもん)から麓(ふもと)へいつも吹いているのだと思う」 これは玄徳の説である。 「なるほど」と二人とも初めて、そうかと気づいた顔つきだった。 「だから少しでも天候の悪い日には、他の土地より何十倍も強い風が吹(ふ)き捲(ま)くる。この辺が、晴天の日でも、峡門には、黒雲が蟠(わだかま)り、砂礫(されき)が飛び、煙雨が降(ふ)り荒(すさ)んでいる」 「ははあ、大(おお)きに」 「好んで、それへ向かって行くので、近づけばいつも、賊と戦う前に、天候と戦うようなものになる。張宝の地公将軍(ちこうしょうぐん)とやらは、奸智(かんち)に長(た)けているとみえて、その自然の気象を、自己の妖術かの如(ごと)く、巧みに使って、藁人形(わらにんぎょう)の武者や、髪の魔形(まぎょう)などを降らせて、朱儁軍の愚かな恐怖を弄(もてあそ)んでいたものであろう」 「さすがに、御活眼(ごかつがん)です。いかにも、それに違いありません。けれど、あの山の賊軍を攻めるには、あの峡門から攻めかかるほかありますまい」 「無(な)い。――それ故(ゆえ)、朱儁はわざと、われわれを、この攻め口へ当たらせたのだ」 玄徳は、沈痛に言った。 関羽、張飛の二人も良い策もなく、唇(くちびる)をむすんで、陣の曠野(こうや)へ眼をそらした。 折から仲秋の月は、満目(まんもく)の曠野に露(つゆ)をきらめかせ、二十里外の彼方(かなた)に黒々と見える臥牛(がぎゅう)のような山岳のあたりは、味方を悩ませた悪天候も嘘事(うそごと)のように、大気と月光の下(もと)に横たわっていた。 「いや、有(あ)る、有る」 突然、張飛が、自問自答して言い出した。 「攻め口が、ほかに無いとは言わさん。長兄(ちょうけい)、一策があるぞ」 「どうするのか」 「あの絶壁(ぜっぺき)を攀(よ)じ登(のぼ)って、賊の予測しない所から不意に衝(つ)きくずせば、なんの造作(ぞうさ)もない」 「登れようか、あの断崖(だんがい)絶壁へ」 「登れそうに見える所から登ったのでは、奇襲にならない。誰の眼にも、登れそうに見えない場所から登るのが、用兵の策というものであろう」 「張飛にしては、珍しい名言を吐(は)いたものだ。そのとおりである。登れぬものときめてしまうのは、人間の観念で、その眼だけの観念を超(こ)えて、実際に懸命に当たってみれば案外易々(やすやす)と登れるような例はいくらもあることだ」 更に三名は、密議(みつぎ)を練(ね)って、翌(あく)る日(ひ)の作戦に備えた。 朱儁軍の兵、約半分の数に、夥(おびただ)しい旗(はた)や幟(のぼり)を持たせ、又、銅鑼(どら)や鼓(こ)を打ち鳴らさせて、きのうのように峡門の正面から、強襲するような態(てい)を敵へ見せかけた。 一方、張飛、関羽の両将に、幕下(ばっか)の強者(つわもの)と、朱儁軍の一部の兵を率(ひ)きつれた玄徳は、峡門から十里ほど北方の絶壁へひそかに這(は)いすすみ、惨澹(さんたん)たる苦心の下に、山の一端へ攀じ登ることに成功した。 そしてなお、士気を鼓舞(こぶ)するために、総(すべ)ての兵が山巓(さんてん)の一端へ登りきると、そこで玄徳と関羽は、嚴(おごそ)かなる破邪攘魔(はじゃじょうま)の祈禱(きとう)を天地へ向かって捧げるの儀式を行なった。 五 敵を前にしながら、わざとそんな所で、厳かな祈禱の儀式などしたのは、玄徳直属の義軍の中にも、張宝(ちょうほう)の幻術を内心怖れている兵がたくさんいるらしく見えたからであた。 式が終わると、 「見よ」 玄徳は空を指(さ)して言った。 「きょうの一天には、風魔(ふうま)もない。迅雷(じんらい)もない、すでに、破邪(はじゃ)の祈禱で、張宝の幻術は通力(つうりき)を失ったのだ」 兵は答えるに、万雷(ばんらい)のような喊声(かんせい)をもってした。 関羽と張飛は、それと共に、 「それ、魔軍の砦(とりで)を踏(ふ)み潰(つぶ)せ」 と軍を二手にわけて、峰づいたいに張宝の本拠へ攻め寄せた。 地公将軍の旗幟(きし)を立てて、賊将の張宝は、例に依(よ)って、鉄門峡の寄手を悩ましに出かけていた。 すると、思わざる山中に、突然鬨(とき)の声があがった。彼は、味方を振り返って、 「裏切者が出たか」と、訊(たず)ねた。 実際、そう考えたのは、彼だけではなかった。裏切者裏切者という声が、何処(どこ)ともなく伝わった。 張宝は、 「不埒(ふらち)な奴(やつ)、何者か、成敗(せいばい)してくれん」 と、そこの守りを、賊の一将にいいつけて、自身、わずかの部下を連れて、山谷の奥にある――ちょうど螺(ら)の穴のような渓谷(けいこく)を、驢(ろ)に鞭(むち)打(う)って帰って来た。 すると傍(かたわ)らの沢の密林から、一筋の矢が飛んで来て、張宝のこめかみにぐざと立った。張宝は迸(ほとばし)る黒血へ手をやって、わッと口を開きながら矢を抜いた。しかし鏃(やじり)はふかく頭蓋(ずがい)の中に止まって、矢柄(やがら)だけしか抜けて来なかったくらいなので、途端に、彼の巨軀(きょく)は、鞍(くら)の上から真(ま)っ逆(さか)さまに落ちていた。 「賊将の張宝は射止めたるぞ。劉玄徳(りゅうげんとく)、ここに黄匪(こうひ)の大方(だいほう)張角の弟、地公将軍を討ち取ったり」 次に、どこかで玄徳の大音声(だいおんじょう)がきこえると、四方の山沢、みな鼓(こ)を鳴らし、奔激(ほんげき)の渓流(けいりゅう)、こぞって鬨(とき)を揚げ、草木みな兵と化(な)ったかと思われた。玄徳の兵は、一斉(いっせい)に衝(つ)いて出(い)で、あわてふためく張宝の部下をみなごろしにした。 山谷の奥からも、同時に黒煙濛々(もうもう)とたち昇った。張飛か、関羽の手勢か、本拠の砦(とりで)に、火を放(か)けたものらしい。 上流から流れて来る渓水(たにみず)は、みるまに紅の奔流と化した。山吠え、谷叫び、火は山火事となって、三日三晩燃えとおした。 首馘(くびき)る数一万余、黒焦(くろこ)げとなった賊兵の死骸(しがい)数千幾万なるを知らない。殲滅戦(せんめつせん)の続けらるること七日余り、玄徳は、赫々(かつかく)たる武勲を負って朱儁(しゅしゅん)の本営へ引き揚げた。 朱儁は、玄徳を見ると、 「やあ、足下(そっか)は実に運がいい。戦(いくさ)にも、運不運があるものでな」と、言った。 「ははあ、そうですか。ひと口に、武運と言う事もありますからね」 玄徳は、何の感情にも動かされないで、軽く笑った。 朱儁は、更に言う。 「自分のひきうけている野戦のほうは、まだ一向(いっこう)勝敗がつかない。山谷の賊は、ふくろの鼠(ねずみ)とし易(やす)いが、野陣の敵兵は、押せばどこ迄(まで)も、逃げられるので弱るよ」 「ごもっともです」 それにも、玄徳はただ、笑って見せたのみであった。 然(しか)るところ、ここに、先陣から伝令が来て、一つの異変を告げた。 六 伝令の告げるには、 「先に戦没した賊将張宝の兄弟張梁(ちょうりょう)という者、天公将軍(てんこうしょうぐん)の名を称し、久しくこの曠野(こうや)の陣後(じんご)にあって、督軍(とくぐん)しておりましたが、張宝すでに討(う)たれぬと聞いて、にわかに大兵をひきまとめ、陽城(ようじょう)へたて籠(こも)って、城壁を高くし、この冬を守って越えんとする策を取るかに見うけられます」 との事だった。 「冬にかかっては、雪に凍(こご)え、食糧の運輸にも、困難になる。殊(こと)に都聞(みやこき)こえもおもしろくない。今のうちに攻(せ)め墜(お)とせ」 総攻撃の令を下した。 大軍は陽城を囲み、攻めること急であった。しかし、賊城は要害堅固を極(きわ)め、城内には多年積んだ食物が豊富なので、一月余も費(つい)やしたが、城壁の一角も奪(と)れなかった。 「困った。困った」 朱儁は本営で時折ため息をもらしたが、玄徳は聞こえぬ顔をしていた。 よせばいいに、そんな時、張飛が朱儁へ言った。 「将軍。野戦では、押せば退(ひ)くしで、戦い難(にく)いでしょうが、こんどは、敵も城の中ですから、袋の鼠を捕(と)るようなものでしょう。 朱儁は、まずい顔をした。 そこへ遠方から使いが来て、新しい情報を齎(もたら)した。それもしかし朱儁の機嫌をよくさせるものではなかった。 曲陽(きょくよう)の方面には、討伐大将軍の任を負って下っていた董卓(とうたく)・皇甫嵩(こうほすう)両軍が、賊の大方張角の大兵と戦っていた。使いは、その方面の事を知らせに来たものだった。 董卓と皇甫嵩のほうは、朱儁の言う所謂(いわゆる)武運がよかったのか、七度戦って七度勝つといった按配(あんばい)であった。ところへ又、黄賊の総帥(そうすい)張角が、陣中で病没した為、総攻撃に出て、一挙に賊軍を潰滅(かいめつ)させ、降人(こうじん)を収めること十五万、辻(つじ)に梟(か)くるところの賊首何千、更に、張角を埋(い)けた墳(つか)も発掘(あば)いてその首級を洛陽へ上(のぼ)せ、 (戦果あくの如(ごと)し)と、報告した。 大賢良師(だいけんりょうし)張角と称していた首魁(しゅかい)こそ、天下に満つる乱賊の首体である。張宝は先に討たれりといっても、その弟に過ぎず、張梁なお有(あ)りといっても、これもその一肢体(したい)でしかない。 朝廷の御感(ぎょかん)は斜(なな)めならず、 (征賊第一勲(だいいっくん)) として、皇甫嵩を車騎将軍(しゃきしょうぐん)に任じ、益州(えきしゅう)の牧(ぼく)に封(ほう)ぜられ、その他恩賞の令を受けた者がたくさんある。わけても、陣中常に赤い甲冑(かっちゅう)を着て通った武騎校尉(ぶきこうい)曹操(そうそう)も、功によって、済南(せいなん)(山東省・黄河南岸)の相(しょう)に封じられたとの事であった。 自分が逆境の中に、他人の栄達を聞いて、共に欣(よろこ)びを感じるほど、朱儁(しゅしゅん)は寛度(かんど)ではない。彼はなお、焦心(あせ)り出して、 「一刻もはやく、この城を攻(せ)め陥(おと)し、汝等(なんじら)も、朝廷の恩賞にあずかり、封土(ほうど)へ帰って、栄達の日を楽しまずや」と、幕僚をはげました。 勿論(もちろん)、玄徳等も、協力を惜(お)しまなかった。攻撃に次ぐ攻撃をもって、城壁に当たり、さしも頑強(がんきょう)は賊軍をして、眠るまもない防戦に疲れさせた。 城内の賊に、厳政(げんせい)という男があった。これは方針を更(か)える時だと覚(さと)ったので、密(ひそ)かに朱儁に内通(ないつう)しておき、賊将張梁の首を斬って、 「願わくば、悔悟(かいご)の兵等に、王威(おうい)の恩浴(おんよく)を垂(た)れたまえ」と、軍門に降(くだ)って来た。 陽城を墜(お)とした勢いで、 「更に、与党を狩り尽くせ」 と、朱儁の軍六万は、宛城(えんじょう)(河南省(かなんしょう)・荊州(けいしゅう))へ迫って行った。そこには、黄巾の残党、孫仲(そんちゅう)・韓忠(かんちゅう)・趙弘(ちょうこう)の三賊将がたて籠(こも)っていた。 七 「賊には援(たす)けもないし、城内の兵糧(ひょうろう)も徒(いたずら)に敗戦の兵を多く容(い)れたから、またたく間に尽きるであろう」 朱儁は、陣頭に立って、賊の宛城(えんじょう)の運命を、かく卜(うらな)った。 朱儁軍六万は、宛城の周囲をとりまいて、水も漏(も)らさぬ布陣を詰(つ)めた。 賊軍は、 「やぶれかぶれ」の策を選んだか、連日、城門を開いて、戦(たたかい)を挑(いど)み、官兵賊兵、相互に夥(おびただ)しい死傷を毎日積んだ。 しかしいかんせん、城内の兵糧はもう乏(とぼ)しくて、賊は飢渇(きかつ)に瀕(ひん)して来た。そこで賊将韓忠は遂に、降使(こうし)を立てて、 「仁慈(じんじ)を垂(た)れ給(たま)え」と、降伏を申し出た。 朱儁は、怒って、 「窮(きゅう)すれば、憐(あわ)れみを乞(こ)い、勢いを得れば、暴魔(ぼうま)の威(い)をふるう、今日に至っては、仁慈(じんじ)も何もない」 と、降参の使者を斬って、なおも苛烈(かれつ)に攻撃を加えた。 玄徳は、彼に諫(いさ)めた。 「将軍、賢慮(けんりょ)し給え。昔、漢の高祖(こうそ)の天下を統(す)べたまいしは、よく降人を容(い)れてそれを用いた為(ため)といわれています」 朱儁は、嘲笑(あざわら)って、 「ばかを言い給え。それは時代による。あの頃は、秦(しん)の世が乱れて項羽(こうう)のようながさつ者の私議暴論が横行して、天下に定まれる君主もなかった時勢だろ、故(ゆえ)に高祖は、讐(あだ)ある者でも、降参すれば、手なずけて用(つか)う事に腐心したのである。又、秦の乱世のそれと、今日の黄賊とは、その質が違う。生きる利なく、窮地(きゅうち)に墜(お)ちたが故に、降を乞うて来た賊を、愍(あわ)れみをかけて、救(たす)けなどしたら、それはかえって寇(あだ)を長(ちょう)じさせ、世道人身に、悪業を奨励するようなものではないか。この際、断じて、賊の根を絶(た)たねばいかん」 「いや、伺(うかが)ってみると、たいへんごもっともです」 玄徳は、彼の説に伏(ふく)した。 「では、攻めて城内の賊を、殲滅(せんめつ)するとしてもです。こう四方、一門も遁(のが)れる隙間(すきま)なく囲んで攻めては、城兵は、死の一途(いちず)に結束し、恐ろしい最後の力を奮い出すにきまっています。味方の損害も夥(おびただ)しい事になりましょう。一方の門だけは、逃げ口を与えておいて、三方からこれを攻めるべきではありますかいか」 「なるほど、その説はよろしい」 朱儁は、直ちに、命令を変更して、急激に攻めたてた。 東南(たつみ)の一門だけ開いて、三方から鼓(こ)をならし、火を放った。 果たして、城内の賊は、乱れ立って一方へくずれた。 朱儁は、騎を飛ばして、乱軍の中に、賊将の韓忠(かんちゅう)を見かけ、鉄弓(てっきゅう)で射とめた。 韓忠の首を、槍(やり)に突き刺させて、従者に高く振り上げさせ、 「征賊大将軍朱儁、賊徒の将、韓忠をかく葬(ほうむ)ったり。われと名乗る者やなおある」 と、得意になって呶鳴(どな)った。 すると、残る賊将趙弘(ちょうこう)、孫仲(そんちゅう)のふたりは、 「あいつが朱儁か」と、火炎の中を、黒驢(こくろ)を飛ばして、名のりかけて来た。 朱儁は、たまらじと、自軍のうちへ逃げこんだ。韓忠親分の、讐(かたき)と怒りに燃えた賊兵は、朱儁を追って、朱儁の軍の真ん中を突破し、まったくの乱軍を呈(てい)した。 賊の一に対して、官兵は十人も死んだ。朱儁につづいて、官軍はわれがちに十里も後ろへ退却した。 賊軍は、気をもり返して、城壁の火を消し、ふたたび四方の門を固くして、 「さあいつでも来い」と構え直した。 その日の黄昏(たそがれ)、多くの傷兵が、惨(さん)として夕月の野に横たわっている。官軍の陣営へ、何処(どこ)から来たか、一彪(いっぴょう)の軍馬が馳(か)け来(きた)った。 八 「何者か」 と、玄徳等は、やがて近づいて陣門に入るその軍馬を、幕舎の傍(かたわ)らから見ていた。 総勢、約千五百の兵。 隊伍(たいご)は整然、歩武(ほぶ)堂々。 「そもこの精鋭を統(す)べる将はいかなる人物か」を、それだけでも思わすに足るものだった。 見てあれば。 その隊伍の真っ先に、旗手、鼓手の兵を立て、続いてすぐ後から、一頭の青驪(せいり)に跨(また)がって、威風あたりを払って来る人がある。 これなんその一軍の大将であろう。広額(こうがく)、闊面(かつめん)、唇(くちびる)は丹(たん)のようで、眉(まゆ)は峨眉山(がびさん)の半月のごとく高くして鋭い。熊腰(ゆうよう)にして虎態(こたい)、いわゆる威あって猛(たけ)からず、見るからに大人(たいじん)の風(ふう)を備えている。 「誰かな?」 「誰なのやら」 関羽も張飛も、見守っていたが、ほどなく陣門の衛将(えいしょう)が、名を糺(ただ)すに答える声が、遠くながら聞こえて来た。 「これは呉郡(ごぐん)富春(ふしゅん)(江蘇省(こうそしょう)・上海(シャンハイ)附近)の産で、孫堅(そんけん)、字(あざな)は文台(ぶんだい)という者です。古(いにしえ)の孫子(そんし)が末葉(まつよう)であります。官は下邳(かひ)の丞(じょう)ですが、このたび王軍、黄巾の賊徒を諸州に討(う)つと承(うけたまわ)って、手飼(てがい)の兵千五百を率(ひき)い、いささか年来の恩沢(おんたく)にむくゆべく、官軍のお味方たらんとして馳(は)せ参(さん)じた者であります。――朱儁将軍へよろしくお取り次ぎを乞(こ)う」 堂々たる態度であった。 又、音吐(おんと)も朗々(ろうとう)と聞こえた。 「…………」 関羽と張飛は、顔を見合わせた。先には、潁川(えいせん)の野(や)で、曹操(そうそう)を見、今ここに又、孫堅という一人物を見て、 「やはり世間はひろい、秀(ひい)でた人物がいないではない。ただ、世の平静なる時は、いないように見えるだけだ」と、感じたらしかった。 同じ、その世間を、 「甘くはできないぞ」 という気持を抱いたであろう。なにしろ、孫堅(そんけん)の入陣は、その卒伍(そつご)までが、立派だった。 孫堅の来援を聞いて、 「いや呉郡富春(ふしゅん)に、英傑ありと、かねてはなしに聞いていたが、よくぞ来てくれた」 と、朱儁はななめならず欣(よろこ)んで迎えた。 きょうさんざんな敗軍の日ではあったし、朱儁は、大いに力を得て、翌日は、孫堅が淮泗(わいし)の精鋭千五百をも加えて、 「一挙に」と、宛城(えんじょう)へ迫った。 即ち、新手(あらて)の孫堅には、南門の攻撃に当たらせ、玄徳には北門を攻めさせ、自身は西門から攻めかかって、東門の一方は、前日の策のとおり、わざわざ道をひらいておいた。 洛陽の将士に笑わるる勿(なか)れ」 と、孫堅は、新手でもあるので、またたく間に、南門を衝(つ)き破(やぶ)り、彼自身も青毛(あおげ)の駒(こま)を降りて、濠(ごう)を越え、単身、城壁へよじ登って、 「呉郡(ごぐん)の孫堅(そんけん)を知らずや」 と賊兵の中へ躍(おど)り入(い)った。 刀を舞わして孫堅が賊を斬(き)ること二十余人、それに当たって、噴血(ふんけつ)を浴びない者はなかった。 賊将の趙弘(ちょうこう)は、 「ふがいなし、彼奴(きやつ)、何ほどのことやあらん」 赫怒(かくど)して孫堅に名のりかけ、烈戦二十余合(ごう)、火をとばしたが、孫堅はあくまでもつかれた色を見せず、たちまち趙弘を斬って捨てた。 もう一名の賊将孫仲(そんちゅう)は、それを眺(なが)めて、かなわじと思ったか、敗走する味方の賊兵の中に紛(まぎ)れこんで、早くも東門から逃げ走ってしまった。 九 その時。 ひゅっと、どこか天空で、弦(つる)を放(はな)たれた一矢(いっし)の矢うなりがした。 矢は、東門の望楼のほとりから、斜めに線を描いて、怒濤(どとう)のように、われがちと敗走してゆく賊兵の中へ飛んだが、狙(ねら)いああまたず、今しも金蘭橋(きんらんきょう)の外門まで落ちて行った賊将孫仲の頸(うなじ)を射貫(いぬ)き、孫仲は馬上からもんどり打って、それさえ眼に入らぬ賊兵の足にたちまち踏みつぶされたかに見えた。 「あの首、掻(か)き取(と)って来い」 玄徳は、部下に命じた。 望楼の傍(そば)の壁上に鉄弓を持って立ち、目ぼしい賊を射ていたのは彼であった。 一方官軍の朱儁も、孫堅も城中に攻め入って、首を獲(と)ること数万級、各所の火炎を鎮(しず)め、孫仲・趙弘・韓忠三賊将の首を城外に梟(か)け、市民に布告を発し、城頭の余燼(よじん)まだ煙る空に、高々と、王旗を飜(ひるが)えした。 「漢室万歳」 「洛陽軍万歳」 「朱儁大将軍万歳」 南陽(なんよう)の諸郡もことごとく平定した。 彼(か)の大賢良師張角が、戸毎(こごと)に貼(は)らせた黄いろい呪符(じゅふ)もすべて剥(は)がされて、黄巾の兇徒(きょうとは、まったく影を潜(ひそ)め、万戸泰平を謳歌(おうか)するかに思われた。 しかし、天下の乱は、天下の草民から意味なく起こるものではないむしろその禍根(かこん)は、民土の低きよりも、廟堂の高きにあった川下より川上の水源にあった政(まつりごと)を奉(ほう)ずる者より、政を司(つかさど)る者にあった。地方よりも中央にあった。 けれど腐れる者ほど自己の腐臭には気づかない。又、時流のうごきは眼に見えない。 とまれ官軍は旺(さかん)だった。征賊大将軍は功成(な)って、洛陽へ凱旋(がいせん)した。 洛陽の城府は、挙(あ)げて、遠征の兵馬を迎え、市は五彩旗(ごさいき)に染まり、夜は万燈(まんどう)に彩(いろど)られ、城内城下、七日七夜というもの酒の泉と音楽の狂いと、酔いどれの歌などで沸(わ)くばかりであった 王城の府、洛陽は千万戸という。さすがに古い伝統の都だけに、物資は富み、文化は絢爛(けんらん)だった佳人(かじん)貴顕(きけん)たちの往来は目を奪うばかり美しい。帝城は金壁(きんぺき)にかこまれ、瑠璃(るり)の瓦(かわら)を重ね、百官の驢車(ろしゃ)は、翡翠門(ひすいもん)に花の淀(よど)むような雑閙(ざっとう)を呈(てい)している。天下のどこに一人の飢民(きみん)でもあるか、今の時代を乱兆(らんちょう)と悲しむ所謂(いわれ)があるのか、この殷賑(いんしん)に立って、旺(さかん)なる夕べの楽音を耳にし、万斛(ばんこく)の油が一夜に燈(とも)されるという騒曲(そうきょく)の灯(ともしび)の宵(よい)早き有様を眺むれば、むしろ、世を憂(うれ)え嘆(なげ)く者のことばが不思議なくらいである。 けれど。 二十里の野外、そこに連(つら)なる外城の壁からもし一歩出て見るならば、秋は更(ふ)けて、木も草も枯れ、徒(いたず)らに高き城壁に、蔓草(つるくさ)の離々(りり)たる葉のみわずかに紅(あか)く、日暮れれば茫々(ぼうぼう)の闇一色(やみいっしょく)、夜暁(よあ)ければ颯々(さつさつ)の秋風ばかり哭(な)いて、所々の水辺に、寒げに啼(な)く牛(うし)の仔(こ)と、灰色の空をかすめる鴻(こう)の影を時稀(ときたま)に仰(あお)ぐくらいなものであった そこに。 無口に屯(たむろ)している人間が、枯木や草をあつめて焚火(たきび)をしながら、わずかに朝夕の寒さをしのいでいた。 玄徳の義軍であった。 義軍は、外城の門の一つに立って、門番の役を命じられている と言えば、まだ体裁はよいが、正規の官軍でなし、官職のない将卒(しょうそつ)なので、三軍洛陽に凱旋(がいせん)の日も、ここに停(とど)められて、内城から先へは入れられないのであった。 鴻(こう)が飛んで行く。 野芙蓉(のふよう)に揺(ゆ)らぐ秋風が白い。 「…………」 玄徳も、関羽も、この頃は、無口であった。 あわれな卒伍(そつご)は、まだ洛陽の温かい菜(な)の味も知らない。土竜(もぐら)のように、鉄門の蔭(かげ)に、かがまっていた。 張飛も黙然と、水洟(みずばな)をすすっては、時折、ひどく虚無に囚(とら)われたような顔をして、空行く鴻の影を見ていた。
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桑(くわ)の家(いえ) 一 涿県(たくけん)楼桑村(ろうそうそん)は、戸数二、三百戸の小駅であったが、春秋は北から南へ、南から北へと流れる旅人の多くが、この宿場で驢(ろ)を繫(つな)ぐので、酒を売る旗亭(きてい)もあれば、胡弓(こきゅう)を弾(ひ)く鄙(ひな)びた妓(おんな)などもいて相当に賑(にぎ)わっていた。 この地は又、太守(たいしゅ)劉焉(りゅうえん)の領内で、校尉(こうい)鄒靖(すうせい)という代官が役所をおいて支配していたが、なにぶん、近年の物情騒然たる黄匪(こうひ)の跳梁(ちょうりょう)に脅(おびや)かされているので、楼桑村も例に洩(も)れず、夕方になると明るいうちから村端(むらはず)れの城門をかたく閉(し)めて、旅人も居住者も、一切(いっさい)の往来は止めてしまった。 城門の鉄扉(てつび)が閉まる時刻は、大陸の西厓(さいがい)にまっ赤な太陽が沈みかける頃で、望楼の役人が、六つの鼓(こ)を叩(たた)くのが合図だった。 だから此辺(このへん)の住民は、そこの門の事を、六鼓門(ろっこもん)と呼んでいたが、羌もまた、赤い夕陽が鉄の扉(と)に映(さ)しかける頃、望楼の鼓が、もう二つ三つ四つ・・・・・・と鳴りかけていた。 「待って下さい。待って下さいっ」 彼方(かなた)から驢を飛ばして来たひとりの旅人は、危(あや)うく一足ちがいで、一夜を城門の外に明かさなければならない間際(まぎわ)だったので、手をあげながら馳(か)けて来た。 最後の鼓の一つが鳴ろうとした時、からくも旅人は、城門へ着いて、 「おねがい致します。通行をおゆるし下さいまし」 と、驢をそこで降りて、型の如(ごと)く関門(かんもん)調べを受けた。 役人は、旅人の顔を見ると、「やあ、お前は劉備(りゅうび)じゃないか」と、言った。 劉備は、ここ楼桑村の住民なので、誰(だれ)とも顔見知りだった。 「そうです。今、旅先から帰って参ったところです」 「お前なら、顔が手形(てがた)だ。何も調べはいらないが、いったい何処(どこ)へ行ったのだ。今度の旅は又、ばかに長かったじゃないか」 「はい、いつもの商用ですが、なにぶん、何処(どこ)へ行っても近頃は、黄匪(こうひ)の横行で、思うように商(あきない)もできなかったものですから」 「そうだろう。関門も通る旅人も、毎日減(へ)るばかりだ。さあ、早く通れ」 「ありがとう存じます」 再び驢に騎(の)りかけると、 「そうそう、お前の母親だろう、よく関門まで来ては、きょうもまだ息子は帰りませぬか、今日も劉備は通りませぬかと、夕方になると訊(たず)ねに来たのが、此頃(このごろ)姿が見えぬと思ったら煩病(わずら)って寝ているのだぞ。はやく帰って顔を見せてやるがよい」 「えっ。では母は、留守中に、病気で寝ておりますか」 劉備はにわかに胸(むな)さわぎを覚え、驢を急がせて、関門から城内へ馳けた。 久しく見ない町の暮色にも、眼もくれないで彼は驢を家路へ向けた。道幅の狭い、そして短い宿場町はすぐにとぎれて、道はふたたび悠長(ゆうちょう)な田園へかかる。 ゆるい小川がある。水田がある。秋なのでもう村の人々は刈り入れにかかっていた。そして所々に見える農家の方へと、田の人影も水牛(すいぎゅう)の影も戻って行く。 「ああ、わが家が見える」 劉備は驢の上から手をかざした。舂(うすづ)く陽のなかに黒くぽつんと見える一つの屋根と、そして遠方から見ると、まるで大きな車蓋(しゃがい)のように見える桑(くわ)の木。劉備の生まれた家なのである。 「どんなに自分をお待ちなされていることやら。・・・・・・思えば、わしは孝養を励(はげ)むつもりで、実は不孝ばかり重ねているようなもの。母上、済(す)みません」 彼の心を知るか、驢(ろ)も足を早めて、やがて懐(なつ)かしい桑(くわ)の大樹の下まで辿(たど)りついた。 二 この桑の大木は何百年を経(へ)たものか、村の古老でも知る者はない。 沓(くつ)や蓆(むしろ)を製(つく)る劉備の家――と訊(き)けば、あああの桑の樹の家さと指さすほど、それは村の何処(どこ)からでも見えた。 古老が言うには、 「楼桑村という地名も、この桑の木が茂る時は、まるで緑の楼台(ろうだい)のように見えるから、この樹から起こった村の名かもしれない」との事であった。 それはともかく、劉備は今、漸(ようや)く帰り着いたわが家の裏に驢を繫(つな)ぐとすぐ、 「おっ母(か)さん、今帰りました。玄徳(げんとく)です。玄徳ですよ」 と、広い家の中へ駈(か)け込(こ)むように這(は)入(い)って行った。 旧家なので、家は大きいが、何一つあるではなく、中庭は、沓を編んだり蓆を織る仕事場になっており、そこも劉備の留守中は職人も通(かよ)っていないので、荒れたままになっていた。 「オヤ、どうしたのだろう。燈火(あかり)もついていないじゃないか」 彼は召使いの老婆(としより)と、下僕(しもべ)の名を呼びたてた。 ふたり共、返辞もない。 劉備は、舌打ちしながら、 「おっ母(か)さん」 母の部屋をたたいた。 阿備(あび)か――と飛びつくように迎えてくれるであろうと思っていた母の姿も見えなかった。いや母の部屋だけにたった一つあった箪笥(たんす)も寝台も見えなかった。 「や?・・・・・・どうしたのだろう」 茫然(ぼうぜん)、胸さわぎを抱いて、佇(たたず)んでいると、暗い中庭のほうで、かたん、かたん――と蓆を織る音がするのであった。 「おや」 廊(ろう)に出てみると、そこの仕事場だけ、淡暗(うすぐら)い灯影(ほかげ)がたった一つ提(かか)げてあった。その灯の下に、白髪の母の影が後ろ向きに腰かけていた。ただ一人で、星の下に、蓆を織っているのだった。 母は、彼が帰って来たのも気がついていないらしかった。劉備は縋(すが)りつかんばかり馳(か)け寄(よ)って、 「今、帰りました」 と顔を見せると、母は、びっくりしたように起(た)って蹌(よろ)めきながら、 「オオ、阿備(あび)か、阿備か」 乳呑(ちの)み児(ご)を抱きしめるようにして、何を問うよりも先に、欣(うれ)し涙を眼にいっぱい溜(た)めたまま、暫(しば)しは、母は子の肌(はだ)を、子は母親のふところを、相擁(あいよう)して温(ぬく)め合(あ)うのみであった。 「城門の番人に、おまえの母親は病気らしいぞといわれて、気もそぞろに帰って来たのですが、おっ母(か)さん、どうしてこんな夜露の冷える外で、今頃、蓆など織っていらっしゃるのですか」 「病気?・・・・・・ああ城門の番人さんは、そう言ったかもしれないね。毎日のように関門までおまえの帰りを見に行っていたわたしが、この十日ばかりは行かないでいたから」 「では、御病気ではないんですか」 「病気などはしていられないよ、おまえ」と、母は言った。 「寝台も箪笥(たんす)もありませんが・・・・・・」 劉備が問うと、 「税吏が来て、持って行ってしまった。黄匪(こうひ)を討伐(とうばつ)するために、年々軍費が嵩(かさ)むというので、ことしは途方もなく税が上がり、おまえが用意しておいただけでは間に合わない程になったんだよ」 「婆(ばあ)やが見えませんが、婆やはどうしましたか」 「息子が、黄匪の仲間にはいっているという疑いで、縛(しば)られて行った」 「若い下僕(しもべ)は」 「兵隊にとられて行ったよ」 「――噫(ああ)!すみませんでしたおっ母さん」 劉備は、母の足もとに、ひれ伏して詫(わ)びた。 三 詫びても詫びても詫び足らないほど、劉備は母に対して済まない心地であった。けれども母は、久しぶりに旅から帰って来た我が子が、そんな自責に泣(な)き愁(かな)しむことは、かえって不愍(ふびん)やら気の毒やらで、自分の胸も傷(いた)むらしく、 「阿備(あび)や、泣いておくれでない。何を詫びることがあるものかね。お前のせいでありはしない。世の中が悪いのだよ。・・・・・・どれ粟(あわ)でも煮て、久しぶりに、ふたりして晩のお膳(ぜん)を囲もうね。さだめし疲れているだろうに、今、湯を沸(わ)かしてあげるから、汗でも拭(ふ)いたがよい」 と蓆機(むしろばた)の前から立ちかけた。 子の機嫌をとって、子の罪を責めない母のあまりなやさしさに、劉備はなおさら大愛の姿に額(ぬかず)いて、 「もったいない。私が戻りましたからには、そんな事は、玄徳がいたします。もう御不自由はさせません」 「いいえお前は又、あしたから働いておくれ。稼(かせ)ぎ人(にん)だからね、婆やも下僕も居なくなったのだから、台所の事ぐらいはわたしがしましょうよ」 「留守中、そんな事があろうとは、少しも知らず、つい旅先で長くなって、思わぬ御苦労をかけました。さあ、こんな大きな息子が居るんですから、おっ母さんは部屋に這(は)入(い)って、安楽に寝台で寝ていて下さい」と、言って劉備はむりに母の手を誘(いざな)ったが、考えてみると、その寝台も税吏に税の代わりに持って行かれてしまったので、母の部屋には、身を横たえる物もなかった。 いや、寝台や箪笥(たんす)だけではない。それから彼が灯(あか)りを持って、台所へ行ってみると、鍋(なべ)もなかった。四、五羽の鶏(にわとり)と一匹の牛もいたのであるが、そうした家畜まで、すべて領主の軍需(ぐんじゅ)と税に挑発(ちょうはつ)されて、目ぼしい物は何も残っていなかった。 「こんなに迄(まで)、領主の軍費も詰(つ)まって来たのか」 劉備は、身の生活を考えるよりも、もっと大きな意味で、暗澹(あんたん)となった。 そしてすぐ、 「これも、黄匪(こうひ)の害の一つのあらわれだ。ああどうなるのだろう?」 世の行末(ゆくすえ)を思いやると、彼はいよいよ暗い心に閉(と)ざされた。 物置をあけて、彼は夕餉(ゆうげ)にする粟(あわ)や豆の俵(たわら)を見まわした。驚いたことには、多少その中に蓄(たくわ)えておいた穀物も干肉(ほしにく)も、天井に吊(つる)しておいた乾菜(かんさい)まできれいに失(な)くなっているのだった。――もう母に訊(き)くまでもないことと、彼は又、そこで茫失(ぼうしつ)していた。 すると、むりに部屋へ入れて休ませておいた母が部屋の中で、何か小さい物音をさせていた。行って見ると、床板を上げて、土中の瓶(かめ)の中から、わずかな粟と食物を取り出している。 「・・・・・・ア。そんな所に」 劉備の声に、彼女はふり向いて、浅(あさ)ましい自分を笑うように、 「すこし隠しておいたのだよ。生きてゆくだけの物はないと困るからね」 「・・・・・・・・・・・・」 世の中は急転しているのだ。これはもう凡事(ただごと)ではない。何億もの人間が、生きながら餓鬼(がき)となりかけているのだ。反対に、一部の黄巾賊が、その血をすすり肉をくらって、不当な富貴(ふっき)と悪辣(あくらつ)な栄華(えいが)をほしいままにしているのだ。 「阿備や・・・・・・。灯りを持っておいで、粟が煮えたよ。何もないけれど、二人して喰(た)べれば、美味(おいし)かろう」 やがて、老いたる母は、貧しい卓から子を呼んでいた。 四 貧しいながら、母子は久しぶりで共にする晩の食事を楽しんだ。 「おっ母(か)さん、あしたの朝は、きっと歓(よろこ)んでいただけると思います。こんどの旅から、私はすばらしいお土産(みやげ)を持って帰って来ましたから」 「お土産を」 「ええ。おっ母さんの、大好きな物です」 「ま。何だろうね?」 「生きているうちに、もいちど味わってみたいと、いつか仰(お)っしゃった事がありましたろう。それですよ」 母を楽しませる為(ため)に、劉備も、それが洛陽(らくよう)の銘茶(めいちゃ)であるということを、暫(しばら)く明さなかった。 母は、わが子のその気持だけでも、もう眼を細くして歓んでいるのである。焦(じ)らされていると知りながら、 「織物かえ」と訊(き)いた。 「いいえ。今も言ったとおり、味わう物ですよ」 「じゃあ、食(た)べ物(もの)?」 「――に、近いものです」 「何(なん)じゃろ。わからないよ、阿備(あび)や。わたしにそんな好物(こうぶつ)があるかしら」 「望んでも、望めない物と、諦(あきら)めの中に忘れておしまいになったんでしょう。一生に一度は、とおっ母さんが何年か前に言ったことがあるので、私も、一生に一度はと、おっ母さんにその望みをかなえて上げたいと、今日まで願望に抱いておりました」 「まあ、そんなに長年、心にかけてかえ?・・・・・・なおさら、わからなくなってしもうたよ阿備。・・・・・・いったいなんだねそれは」 「おっ母さん、実は、これですよ」 錫(すず)の小さな茶壺(ちゃつぼ)を取り出して、劉備は、卓の上に置いた。 「洛陽の銘茶です。・・・・・・おっ母さんの大好きなお茶です。・・・・・・あしたの朝は、うんと早起きしましょう。そしておっ母さんは、裏の桃園(とうえん)に莚(むしろ)をお敷きなさい。私は驢(ろ)に乗って、ここから四里ほど先の鶏村(けいそん)まで行くと、とてもいい清水(しみず)の湧(わ)いている所がありますから、番人に頼んで一桶(ひとおけ)清水を汲(く)んで来ます」 「・・・・・・・・・・・・」 母は眼をまろくしたまま錫の小壺を見つめて、物も言えなかった。やや暫くしてから怖(こわ)い物でも触(さわ)るように、そっと掌(て)に乗せて、壺の横に貼(は)ってある詩箋(しせん)のような文字などを見ていた。そして大きな溜息(ためいき)をつきながら、眼を息子の顔をあげて、 「阿備や。・・・・・・お前、いったいこれは、どうしたのだえ」 声まで密(ひそ)めて訊(たず)ねるのだった。 劉備は、母が疑いの余り案じてはならないと考えて、自分の気持や、それを手に入れた事など、嚙(か)んでふくめるようにして話して聞かせた。民間では殆(ほとん)ど手に入(い)れ難(がた)い品には違いないが、自分が求めたのは、正当な手続きで購(あがな)ったのだから少しも懸念(けねん)をする必要はありません――と附け加えて言った。 「ああ、お前は!・・・・・・なんてやさしい子だろう」 母は、茶壺を置いて、わが子の劉備に掌(て)をあわせた。 劉備は、あわてて、 「おっ母さん、滅相(めっそう)もない。そんなもったいない真似はよして下さい。ただ歓んでさえ戴(いただ)ければ」 と、手を取った。そうして相擁(あいよう)したまま、劉備は自分の気もちの酬(むく)いられた欣(うれ)しさに泣き、母は子の孝心に感動の余り涙にくれていた。 翌(あく)る朝―― まだ夜も白(しら)まぬうちに起きて、劉備は驢の背に水桶を結(ゆ)いつけ、自分も騎(の)って、鶏村(けいそん)まで水を汲(く)みに行った。 五 もちろん劉備が出かけた頃、彼の母も夙(はや)く起きていた。 母はその間に、竃(かまど)の下に豆莢(まめ)がらを焚(た)いて、朝の炊(かし)ぎをしておき、やがて家の裏のほうへ出て行った。 桑(くわ)の大木の下を通って、裏へ出ると、牛のいない牛小屋があり、鶏(にわとり)のいない鶏小屋(とりごや)があり、何もかも荒れ果てて、いちめんに秋草がのびている。 だが、そこから百歩ほど歩くと這(は)うような姿をした果樹が、背を並べて、何千坪かいちめんに揃(そろ)っていた。それはみんな桃の樹(き)であった。秋の葉も落ちて淋(さび)しいが、春の花のさかりには、この先の蟠桃河(ばんとうが)が落花で紅(あか)くなるほどだったし、桃の実は市(まち)に売り出して、村の家何軒かで分け合って、それが一年の生計の重要なものになった。 「・・・・・・オオ」 彼女は、ひとりでに出たような声を洩(も)らした。桃園(とうえん)の彼方(かなた)から陽(ひ)が昇りかけたのだ。金色の日輪は、密雲を嚙(か)み破(やぶ)るように、端(はし)だけ見えていた。今や何か尊いものがこの世に生まれかけているような感銘を彼女もうけた。 「・・・・・・・・・・・・」 彼女は、跪(ひざま)ずいて、三礼を施(ほどこ)した。子どものことを禱(いの)っているらしかった。 それから、箒(ほうき)を持った。 たくさんの落葉がちらかっている。桃園は村の共有なので、日頃誰(だれ)も掃除などはしない。彼女も一部を掃(は)いただけであった。 新しい莚(むしろ)をそこへ敷(し)いた。そして一箇の土炉(どろ)と茶碗(ちゃわん)など運んだ。彼女は元々氏素性(うじすじょう)の賤(いや)しくない人の娘であったし、劉家(りゅうけ)も元来正しい家柄なので、そういう品も何処(どこ)かに何十年も使用せずに蔵(しま)ってあった。 清掃した桃園に坐(すわ)って、彼女は水を汲(く)みに行った息子が、やがて鶏村(けいそん)から帰るのを、心静かに待っていた。 桃園の梢(こずえ)の湖(うみ)を、秋の小禽(ことり)が来てさまざまな音(ね)いろを転(まろ)ばした。陽はうらうらと雲を越えて、朝霧はまだ紫(むらさき)ばんだまま大陸に澱(よど)んでいた。 「私は倖(しあわ)せ者よ」 彼女は、この一朝の満足をもって、死んでもいいような気がした。いやいや、そうでないとも思う。独(ひと)り強くそう思う。 「あの子の将来(ゆくすえ)を見とどけねば・・・・・・」 ふと彼方(かなた)を見ると、その劉備の姿が近づいて来た。水を汲んで帰って来たのである。驢(ろ)に騎(の)って、驢の鞍(くら)に小さい桶(おけ)を結(ゆ)いつけて。 「おお。おっ母(か)さん」 桃園の小道を縫(ぬ)って、劉備は間もなくそこへ来た。そして水桶を降(お)ろした。 「鶏村の水は、とてもいい水ですね。さだめし、これで茶を煮たら美味(おい)しいでしょう」 「ま。御苦労だったね。鶏村の水のことはよく聞いているけれど、彼処(あそこ)はとても恐(こわ)い谷間だというじゃないか。後で私はそれを心配していたよ」 「なあに、道なんかいくら嶮(けわ)しくても何でもありませんがね、清水には水番が居(い)まして、なかなかただはくれません。少しばかり金をやってもらって来ました」 「黄金(おうごん)の水、洛陽(らくよう)のお茶、それにお前の孝心。王侯(おうこう)の母に生まれてもこんないい思いには巡り会えないだろうよ」 「おっ母さん、お茶はどこへ置きましたか」 「そうそう、私だけが戴(いただ)いてはすまないと思い、御先祖のお仏壇へ上げておいたが」 「そうですか、盗まれたらたいへんです。すぐ取って参りましょう」 劉備は、家のほうへ馳けて、宝珠(ほうしゅ)を抱くように、茶壺を捧(ささ)げて来た。 母は、土炉(どろ)へ、火をおこしていた。その前に跪(ひざま)ずいて劉備が茶壺を差し出すと、その時、何が母の眼に映(うつ)ったのであろうか、母は手を出そうともしないで、劉備の身のまわりを改まった眸(ひとみ)でじっと見つめた。 六 劉備は、母がにわかに改まって自分の身装(みなり)を見ているので、 「どうしたのですかおっ母(か)さん」 不審(いぶか)しげに訊(き)いた。 母は、いつになく厳粛な容子(ようす)を作って、 「阿備(あび)」と、声まで、常とはちがって呼んだ。 「はい。何ですか」 「お前の佩(は)いている剣は、それは誰の剣ですか」 「わたくしのですが」 「嘘(うそ)をお言い。旅に出る前の物とはちがっている。お前の剣は、お父さんから遺物(かたみ)に戴(いただ)いた――御先祖から伝わっている剣の筈です。それを、何処(どこ)へやってしまったのです?」 「・・・・・・はい」 「はいではありません。片時(かたとき)でも肌身(はだみ)から離してはなりませぬぞと、わしからもくれぐれ言ってある筈(はず)です。どうしたのだえ、あの大事な剣は」 「実は、その・・・・・・」 劉備はさし俯(うつ)向(む)いてしまった。 母の顔は、いよいよ峻厳(しゅんげん)に変わっていた。劉備が口ごもっていると、なお追求して、 「まさか手放してしまったのではあるまいね」と念を押した。 劉備は、両手をつかえて、 「申しわけありません。実は旅から帰る途中、或者(あるもの)に礼として与えてしまいましたので」 言うと、母は、「えっ、人に与えてしまったッて。――ま!あの剣を」と、顔いろを変えた。 劉備はそこで、黄巾賊(こうきんぞく)の一群につかまって、人質になったことや、茶壺や剣も奪(と)り上(あ)げられてしまったことや、それからようやく救われて、賊の群(むれ)から脱出して来たが、再び追いつかれて黄匪(こうひ)の重囲に陥(お)ち、すでに斬死(きりじに)しようとした時、卒(そつ)の張飛(ちょうひ)という者が、一命を助けてくれたので、欣(うれ)しさの余り、何か礼を与えようと思ったが、身に持っている物は、剣と茶壺しかなかったので、やむなく剣を彼に与えたのです――と審(つぶさ)に話して、 「賊に捕(つか)まった時も、張卒(ちょうそつ)に助けられた時も、その折はもう何も要(い)らないという気持になっていたんです。・・・・・・けれど、この銘茶だけは、生命(いのち)がけでも持って帰って、おっ母さんに上げたいと思っていました。剣を手放したのは申しわけありませんが、そんなわけで、この銘茶を、生命から二番目の物として、持ち帰ったのでございます」 「・・・・・・・・・・・・」 「剣は、先祖伝来の物で、大事な物には違いありませんが、沓(くつ)や蓆(むしろ)を製(つく)って生活(くら)しているあいだは、張卒(ちょうそつ)から貰(もら)ってこれでも決して間にあわない事もありませんから・・・・・・」 母の惜(お)しがる気持を宥(なだ)めるつもりで彼がそう言うと、何思ったか劉備の母は、 「ああ――わしは、お前のお父様(とうさま)に申しわけがない。亡(な)き良人(おっ)に顔向けがなりません。――わたしは、子の育て方を過(あやま)った!」と、慟哭(どうこく)して叫んだ。 「何を仰(お)っしゃるんdねす。おっ母さん!どうしてそんな事を」 母の心を酌(く)みかねて、劉備がおろおろと言うと、母はやにわに、眼の前にあった錫(すず)の小さい茶壺を取り上げ、 「阿備、おいで!」と、きつい顔して、彼の腕を片手で引っ張った。 「何処(どこ)へです。おっ母さん。・・・・・・ど、どこへいらっしゃろうと言うんですか」 「・・・・・・・・・・・・」 彼の母は、答えもせず、劉備の腕(うで)くびを固くつかんだまま、桃園の果てへ馳け出して行った。そしてそこの蟠桃河(ばんとうが)の岸まで来ると、持っていた錫(すず)の茶壺を、河の中ほど目がけて抛(ほう)り捨(す)ててしまった。 七 「あッ。何で?」 びっくりした劉備は、われを忘れて、母の手頸(てくび)を捉(とら)えたが、母の手から投げられた茶の壺は小さい飛沫(しぶき)を見せて、もう河の底に沈んでいた。 「おっ母(か)さん!・・・・・・おっ母さん!・・・・・・いったい、何がお気に障(さわ)ったのですか。なんでせっかくの茶を、河へ捨てておしまいになったんですか」 劉備の声は、顫(ふる)えていた。母に欣(よろこ)ばれたいばかりに、百難の中を生命(いのち)がけで持って来た茶であった。 母は歓(よろこ)びの余りに、気が狂(ふ)れたのではあるまいか? 「・・・・・・何を言うのです。譟(さわ)がしい!」 母は、劉備の手を払(はら)った。 そして亡父(ちち)のような顔をした。 「・・・・・・・・・・・・」 劉備は、きびしい母の眉(まゆ)に、思わず後ろへ退(さ)がった。生まれてから初めて、母にも怖(こわ)い姿があることを知った。 「阿備(あび)。お坐(すわ)りなさい」 「・・・・・・はい」 お前が、わしを歓ばせるつもりで、はるばる苦労して持っておいでた茶を、河へ捨ててしもうた母の心がわかりますか」 「・・・・・・わかりません。おっ母さん、玄徳(げんとく)は愚鈍(ぐどん)です。どこが悪い、何が気にいらぬと、叱(しか)って下さい。仰(お)っしゃって下さい」 「いいえ!」 母は、つよく頭(こうべ)を振り、 「勘違いをおしでない。母は自分の気儘(きまま)から叱るのではありません。――大事な剣を人手に渡すようなお前を育てて来たことを、わたしは母として、御先祖にも、死んだお父さんにも、済まなく思うたからです」 「私が悪うございました」 「お黙りっ!・・・・・・そんな簡単に聞かれては、母の叱言(こごと)がおまえにわかっているとはいえません。――私が怒っているのは、お前の心根(こころね)がいつのまにやら萎(な)えしぼんで、楼桑村(ろうそうそん)の水呑(みずのみ)百姓(びゃくしょう)になりきってしもうたかと――それが口惜(くや)しいのです。残念でならないのです」 母は、子を叱るために励(はげ)ましているわれとわが声に泣いてしまって、袍(ほう)の袖(そで)を、老(おい)の眼に当てた。 「・・・・・・お忘れかえ、阿備。おまえのお父様も、お祖父(じい)様も、おまえのように沓(くつ)を作り蓆(むしろ)を織り、土民の中に埋(う)もれたままお果てなされているけれども、もっともっと先の御先祖をたずねれば、漢の中山靖王(ちゅうざんせいおう)劉勝(りゅうしょう)の正しい血筋なのですよ。おまえはまぎれもなく景帝(けいてい)の玄孫(げんそん)なのです。この中国をひと度(たび)は統一した帝王の血がおまえの体にも流れているのです。あの剣は、その印綬(いんじゅ)と言うてもよい物です」 「・・・・・・・・・・・・」 「だが、こんな事は、めったに口に出す事ではない。なぜならば、今の後漢(ごかん)の帝室は、わたし達の御先祖を亡(ほろ)ぼして立った帝王だからです。景帝の玄孫とわかれば、とうに私たちの家すじは断(た)ち絶(き)られているでしょう。・・・・・・だからというて、お前までが、土民になりきってしまってよいものか」 「・・・・・・・・・・・・」 「わたしは、そんな教育を、お前にした覚えはない。揺籃(ゆりかご)に入れて、子守唄(こもりうた)をうとうて聞かせた頃から――又、この母が膝(ひざ)に抱いて眠らせた頃から――おまえの耳へ母は御先祖のお心を血の中へ訓(おし)えこんだつもりです。――時の来ぬうちはぜひもないが、時節が来たら、世のために、又、漢の正統を再興するために、剣を把(と)って、草盧(そうろ)から起(た)たねばならぬぞと」 「・・・・・・はい」 「阿備。――その剣を人手に渡して、そなたは、生涯、蓆を織っている気か。剣よりも茶を大事とお思いか。・・・・・・そんな性根(しょうね)の子が求めて来た茶などを、歓んで飲む母とお思いか。・・・・・・わたしは腹が立つ。わたしはそれが悲しい」 と、母は慟哭(どうこく)しながら、劉備の襟(えり)をつかまえて、嬰児(えいじ)を懲(こ)らすように折檻(せっかん)した。 八 母に打ちすえられたまま、劉備は身うごきもしなかった。 打々(ちょうちょう)と、母が打つたびに、母の大きな愛が、骨身(ほねみ)に沁(し)み、さんさんと涙がとまらなかった。 「すみません」 母の手を宥(いたわ)るように、劉備はやがて、打つ手を抑(おさ)えて、自分の額(ひたい)に、押しいただいた。 「わたくしの考え違いでございました。まったく玄徳の愚(ぐ)がいたした落ち度でございます。仰(お)っしゃるとおり、玄徳もいつか、土民の中に貧窮(ひんきゅう)している為(ため)、心まで土民になりかけておりました」 「わかりましたか。阿備、そこへ気がつきましたか」 「御打擲(ごちょうちゃく)をうけて、幼少の御訓言(ごくんげん)が、骨身から喚(よ)び起(お)こされて参りました。――大事な剣を失いました事は、御先祖へも、申しわけありませんが・・・・・・御安心下さいおっ母さん・・・・・・玄徳の魂はまだ此身(ここ)にございます」 ――するとそれ迄(まで)、老(おい)の手が痺(しび)れるほど子を打っていた母の手は、やにわに阿備のからだを犇(ひし)と抱きしめて、 「おお!阿備や!・・・・・・ではお前にも、一生度民で朽(く)ち果(は)てまいと思う気もちはおありかえ。まだ忘れないで、わたしの言葉を、魂のなかにお持ちかえ」 「なんで忘れましょう。わたしが忘れても景帝の玄孫であるこの血液が忘れるわけはありません」 「よう言いなすった。・・・・・・阿備よ。それを聞いて母は安心しました。ゆるしておくれ、・・・・・・ゆるしておくれよ」 「何をなさるんです。わが子へ手をついたりして、もったいない」 「いいえ。心まで落魄(おちぶ)れ果てたかと、悲しみと怒りの余り、お前を打擲(ちょうちゃく)したりして」 「御恩です。大愛です。今の御打擲は、わたくしにとって、真の勇気を奮(ふる)いたたせる神軍(しんぐん)の鼓(つづみ)でございました。仏陀(ぶっだ)の杖(つえ)でございました。――もしきょうのお怒りを見せて下さらなければ、玄徳は何を胸に考えていても、おっ母さんが世にあるうちはと、卑怯(ひきょう)な土民を装(よそお)っていたかもしれません。いいえそのうちについ年月を過ごして、ほんとの土民になって朽(く)ちてしまったかもしれません」 「――ではお前は、何を思っても、この母が心配するのを怖(おそ)れて、母が生きているうちはただ無事に暮らしている事ばかり願っていたのだね。・・・・・ああ、そう聞けば、なおさらわたしの方が済まない気がします」 「もう私も、肚(はら)がきまりました。――でなくても、今度の旅で、諸州の乱れやら、黄匪(こうひ)の惨害(さんがい)やら、地上の民の苦しみを、眼の痛むほど見て来たのです。おっ母さん、玄徳が今の世に生まれ出たのは、天上の諸帝から、何か使命を享(う)けて世に出たような気がされます」 彼が、真実の心を吐(は)くと彼の母は、天地に黙禱(もくとう)をささげて、いつ迄も、両の腕(かいな)の中に額を埋めていた。 しかし、この日の朝の事は、どこ迄も、母子(おやこ)ふたりだけの秘(ひそ)かごとだった。 劉備の家には、相変わらず蓆機(むしろばた)を織る音が、何事もなげに、毎日、外へ洩(も)れていた。 土民の手あきの者が、職人として雇われて来て、日毎(ひごと)に中庭の作業場で、沓(くつ)を編み、蓆(むしろ)を荷造りして、それが溜(たま)ると、城内の市(いち)へ持って行って、穀物や布や、母の持薬などと交易(こうえき)して来た。 変わった事といえば、それくらいなもので、家の東南(たつみ)にある高さ五丈余の桑(くわ)の大樹に、春は禽(とり)が歌い、秋は落葉して、いつかここに三、四年の星霜(せいそう)は過ぎた。 すると浅香の一日(あるひ)。 白い山羊(やぎ)の背に、二箇の酒瓶(さけがめ)を乗せて、それを曳(ひ)いて来た旅の老人が、桑の下に立って、独(ひと)りで何やら感嘆していた。 九 誰か、のっそりと、無断で家の横から中庭に這入(はい)って来た。 劉備は、母と二人で、蓆(むしろ)を織っていた。無断といっても、土塀(どべい)は崩(くず)れたままだし、門はないし、通り抜けられても、咎(とが)めるわけにもゆかない程な家ではあったが―― 「・・・・・・おや?」 振り向いた母子(おやこ)は目をみはった。そこに立った旅の老人よりも、酒瓶を背にのせている山羊の毛の雪白な美しさに、すぐ気を奪(と)られたのである。 「御精(ごせい)が出るのう」 老人は、馴々(なれなれ)しい。 蓆機(むしろばた)のそばに腰をおろし、何か話しかけたい顔だった。 「お爺(じい)さん、何国(どこ)から来なすったね。たいそう毛のいい山羊だな」 いつ迄(まで)も黙っているので、かえって劉備から口を切ってやると、老人はさもさも何か感じたように、独りで頸を振りながら言った。 「息子さんかの。このお方は」 「はい」と、母が答えると、 「よい子を生みなすったな、わしの山羊も自慢だが、この息子には敵(かな)わない」 「お爺さんは、この山羊を曳いて、城内の市(いち)へ売りに来なすったのかね」 「なあに、この山羊は、売れない。誰にだって、売れないさ。わしの息子だものな。わしの売り物は酒じゃよ。だが道中で悪漢(わるもの)に脅(おど)されて、酒は呑(の)まれてしもうたから、瓶(かめ)は二つとも空(から)っぽじゃ。何もない。はははは」 「では、せっかく遠くから来て、おかねにも換(か)えられずに帰るんですか」 「帰ろうと思って、ここまで来たら、偉(えら)い物を見たよわしは」 「なんですか」 「お宅の桑(くわ)の樹(き)さ」 「ああ、あれですか」 「今まで、何千人、いや何万人となく、村を通る人々が、あの樹を見たろうが、誰もなんとも言った者はいないかね」 「べつに・・・・・・」 「そうかなあ」 「珍しい樹だ、桑でこんな大木はないとは、誰もみな言いますが」 「じゃあ、わしが告げよう。あの樹は霊木(れいぼく)じゃ。この家から必ず貴人が生まれる。重々(ちょうちょう)、車蓋(しゃがい)のような枝が皆、そう言ってわしへ囁(ささや)いた。・・・・・・遠くない、この春。桑の葉が青々とつく頃になると、いい友達が訪ねて来るよ。蛟龍(こうりゅう)が雲を獲(え)たように、それから此家(ここ)の主はおそらく身上(みのうえ)が変わって来る」 「お爺さんは、易者(えきしゃ)かね」 「わしは、魯(ろ)の李定(りてい)という者さ。というて年中飄飄(ひょうひょう)としておるから、故郷(くに)にいたためしはない。羊を曳(ひ)っぱって、酒に酔うて、時々、市へ行くので、皆が羊仙(ようせん)と言ったりする」 「羊仙さま。じゃあ世間の人は、あなたを仙人と思っているので?」 「はははは。迷惑なはなしさ。何しろきょうは欣(うれ)しい人とはなし、珍しい霊木を見た。この子のおっ母(か)さん」 「はい」 「この山羊を、お祝いに献上しよう」 「えっ?」 「おそらく、この子は、自分の誕生日も、祝われた事はあるまい。だが、今度は祝ってやんなさい。この瓶(かめ)に酒を買い、この山羊を屠(ほふ)って、血は神壇に捧(ささ)げ、肉は羹(あつもの)に煮て」 初めは、戯(たわむ)れであろうと、半ば笑いながら聞いていたところ、羊仙(ようせん)はほんとに山羊を置いて、立ち去ってしまった。 驚いて、桑の下まで馳(か)け出(だ)し、往来を見まわしたが、もう姿は見えなかった。
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転戦(てんせん) 一 それより前に、関羽は、玄徳の書を携(たずさ)えて、幽州(ゆうしゅう)涿郡(たくぐん)(河北省・保定府(ほていふ))の太守(たいしゅ)劉焉(りゅうえん)の許(もと)へ使(し)していた。 太守劉焉は、何事かと、関羽を城館に入れて、庁堂(ちょうどう)で接見した。 関羽は、礼を施(ほどこ)して後、 「太守には今、士を四方に求めらるると聞く。果たして然(しか)りや」と、訊(たず)ねた。 関羽の威風は、堂々たるものであった。劉焉は、一見して、是尋常人(これじんじょうじん)に非(あら)ずと思ったので、その不遜(ふそん)を咎(とが)めず、 「然り。諸所の駅路に高札(こうさつ)を建てしめ、士を募(つの)ること急なり。卿(けい)もまた、檄(げき)に応じて来(きた)れる偉丈夫(いじょうぶ)なるか」と、言った。 そこで関羽は、 「さん候(そうろう)。この国、黄賊(こうぞく)の大軍に攻蝕(こうしょく)せらるること久しく、太守(たいしゅ)の軍、連年に疲敗(ひはい)し給(たま)い、各地の民倉(みんそう)は、挙(あ)げて賊の毒手にまかせ、百姓(ひゃくしょう)蒼生(そうせい)みな国主の無力と、賊の暴状に哭(な)かぬはなしと承(うけたまわ)る」 敢(あえ)て、媚(こ)びず惧(おそ)れず、こう正直に言ってから更に重ねて、 「われ等(ら)恩を久しく領下にうけて、この秋(とき)を空(むな)しく逸人(いつじん)として草盧(そうろ)に閑(かん)を偸(ぬす)むを潔(いさぎよ)しとせず、同志張飛その他二百余の有為(ゆうい)の輩(ともがら)と団結して、劉玄徳を盟主と仰(あお)ぎ、太守の軍に入って、いささか報国の義をささげんとする者でござる。太守寛大、よくわれ等の義心の兵を加え給うや否(いな)や」 と述べ、終わりに、玄徳の手書を出して、一読を乞(こ)うた。 劉焉(りゅうえん)は、聞くと、 「この秋(とき)にして、卿等(けいら)赤心(せきしん)の豪傑(ごうけつ)等、劉焉の微力に援助せんとして訪ねらるる。まさに、天佑(てんゆう)の事ともいうべきである。なんぞ、拒(こば)むの理があろうか。城門の塵(ちり)を掃(は)き、客館に旗飾(きしょく)を施(ほどこ)して、参会の日を待つであろう」 と言って、非常な歓(よろこ)びようであった。 「では、何月何日に、御城下まで兵を率(ひき)いて参らん」と、約束して関羽は立ち帰ったのであるが、その折、はなしの序(ついで)に、義弟の張飛が、近頃、楼桑村(ろうそうそん)の附近や市(いち)の関門などで、事の間違いから、太守の部下たる捕吏(ほり)や役人などを殺傷したが、どうかその罪は免(ゆる)されたいと、一口断わっておいたのである。 そのせいか、あれっきり、市の関門からも、捕吏の人数はやって来なかった。いやそれのみか、あらかじめ、太守のほうから命令があったとみえ、劉玄徳以下の三傑に、二百余の郷兵が、突然、楼桑村から涿郡(たくぐん)の府城へ向かって出発する際には、関門の上に小旗を立て、守備兵や役人は整列して、その行(こう)を鄭重(ていちょう)に見送った。 それと、眼をみはったのは、玄徳や張飛の顔を見知っている市の雜民たちで、 「やあ、先に行く大将は、蓆売(むしろう)りの劉さんじゃないか」 「その側(そば)に、馬に騎(の)って威張(いば)って行くのは、よく猪(いのこ)の肉を売りに出ていた呑(の)んだくれの浪人者だぞ」 「なるほど。張だ、張だ」 「あの肉売りには、わしは酒代の貸しがあるんだが、弱ったなあ」 などと群衆のあいだから嘆声をもらして、見送っている酒売りもあった。 義軍はやがて、涿郡の府に到着した。道々、風(ふう)を慕(した)って、日月(じつげつ)の旗下に馳(は)せ参(さん)じる者もあったりして、府城の大市に着いた時は、総勢五百を算(かぞ)えられた。 太守は、直ちに、玄徳等の三将を迎えて、その夜は、居館で歓迎の宴(うたげ)を張った。 二 大将玄徳に会ってみるとまだ年も二十歳台(はたちだい)の青年であるが、寡言沈厚(かげんちんこう)のうちに、どこか大器の風さえ窺(うかが)えるので、太守劉焉(りゅうえん)は、大いに好遇に努めた。 なお、素性を問えば、漢室の宗親(そうしん)にして、中山靖王(ちゅうさんせいおう)の裔孫(えいそん)との事に、 「さもあらん」と、劉焉はうなずくこと頻(しき)りでなおさら、親しみを改め、左右の関、張両将を併(あわ)せて、心から敬(うやま)いもした。 折ふし。 青州(せいしゅう)大興山(だいこうざん)の附近一帯(山東省斉南(さいなん)の東)に跳梁(ちょうりょう)している黄巾賊五万以上といわれる勢力に対して太守劉焉は、家臣の校尉(こうい)鄒靖(すうせい)を将軍として、大軍を附与し、にわかに、それへ馳(か)け向かわせた。 関羽と、張飛は、それを知るとすぐ、玄徳へ向かって、「人の歓待は、冷(さ)めやすいものでござる。歓宴長く停(とど)まるべからずです。手初めの出陣、進んで御加勢にお加わりなさい」と、すすめた。 玄徳は、「自分もそう考えていたところだ。早速、太守(たいしゅ)へ進言しよう」と、劉焉(りゅうえん)に会って、その旨(むね)を申し出ると劉焉も欣(よろこ)んで、校尉鄒靖(すうせい)の先陣に参加する事をゆるした。 玄徳の軍五百余騎は、初陣(ういじん)とあって意気すでに天をのみ、日ならずして大興山(たいこうざん)の麓(ふもと)へ押しよせてみったところ、賊の五万は、嶮(けん)に拠(よ)って、利戦(りせん)を策(さく)し、山の襞(ひだ)や谷あいへ虱(しらみ)のごとく長期の陣を備(そな)えていた。 時、この地方の雨季をすぎて、すでに初夏の緑草豊かであった。 合戦長きに亙(わた)らんか、賊は、地の利を得て、奇襲縦横にふるまい、諸州の黄匪(こうひ)、連絡をとって、一斉(いっせい)に後路を断(た)ち、征途(せいと)の味方は重囲のうちに殲滅(せんめつ)の厄(やく)にあわんも測りがたい。 玄徳はそう考えたので、 「いかに張飛、関羽。太守劉焉をはじめ、校尉鄒靖も、われ等(ら)の手なみいかにと、その実力を見んとしておるに違いない。すでに、味方の先鋒(せんぽう)たる以上、徒(いたず)らに、対峙(たいじ)して、味方に長陣の不利を招くべからずである。挺身(ていしん)、賊の陣近く斬(き)り入(い)って、一気に戦いを決せんと思うがどうであろう」 二人へ、計(はか)ると、「それこそ、同意」と、すぐ五百余騎を、鳥雲(ちょううん)に備え立て、山麓(さんろく)まぢかへ迫ってからにわかに鼓(こ)を鳴らし諸声(もろごえ)あげて決戦を挑(いど)んだ。 賊は、山の中腹から、鉄弓を射(い)、弩(ど)をつるべ撃ちして、容易に動かなかったが、 「寄手(よせて)は、多寡(たか)のしれた小勢のうえに、国主の正規兵とはみえぬぞ、どこかそこらから狩り集めて来た烏合(うごう)の雜軍。みなごろしにしてしまえ」 賊の副将鄧茂(とうも)という者、こう号令を下すや否(いな)や、柵(さく)を開いて、山上から逆落(さかお)としに騎馬で馳(か)け降(お)りて来、 「やあやあ、稗粕(ひえかす)を舐(な)めて生きる。あわれな郷軍(ごうぐん)の百姓兵ども。官軍の名にまどわされて死骸(しがい)の堤(つつみ)を築きに来(きた)りしか。愚かなる権力の楯(たて)につかわるるを止(や)めよ。汝等(なんじら)、槍(やり)をすて、馬を献じ、降(こう)を乞(こ)うなれば、わが将、大方(だいほう)程遠志(ていえんし)どのに申しあげて、黄巾(こうきん)を賜(たま)わり、肉食(にくじき)させて、世を楽しみ、その痩骨(やせぼね)を肥(こ)えさすであろう。否(いな)といわば、即座に包囲殲滅(せんめつ)せん。耳あらば聞け、口あらば答えよ。――如何(いか)に、如何に!」と、よばわった。 すると、寄手の陣頭より、おうと答えて、劉玄徳、左右に関羽、張飛をしたがえて、白馬を緑野の中央へすすめて来た。 三 「推参(すいさん)なり、野鼠(やそ)の将」 玄徳は、賊将程遠志(ていえんし)の前に駒(こま)を止めて、彼のうしろに犇(ひし)めく黄巾賊の大軍も、轟(とどろ)けとばかり言った。 「天地開けて以来、まだ獣族の長く栄えたる例はなし。たとい、一時は人政を紊(みだ)し、暴力をもって権を奪うも、末路は野鼠の白骨と変わるなからん。――醒(さ)めよ、われは、日月(じっげつ)の幡(はた)を高くかかげ、暗黒の世に光明をもたらし、邪(じゃ)を退(しりぞ)け、正(せい)を明(あき)らかにするの義軍、いたずらに立ち向かって、生命(いのち)をむだに落とすな」 聞くと、程遠志は声をあげて、大笑し、 「白昼(はくちゅう)の大寝言(おおねごと)、近ごろおもしろい。醒めよとは、うぬ等(ら)のこと。いで」 と、重さ八十斤(きん)と称する青龍刀(せいりゅうとう)をひッさげ、駒首(こまくび)おどらせて玄徳へかかって来た。 玄徳は元より武力の猛将ではない。泥土(でいど)を揚(あ)げて、蹄(ひづめ)を後へ返す。その間へ、待ちかまえていた張飛が、 「この下郎(げろう)っ」 おめきながら割って入り、先ごろ鍛(う)たせたばかりの丈余(じょうよ)の蛇矛(じゃぼこ)――牙形(きばがた)の大矛(おおぼこ)をを先に付けた長柄(ながえ)を舞わして、賊将程遠志の盔(かぶと)の鉢金(はちがね)から馬の背骨に至るまで斬(き)り下(さ)げた。 「やあ、おのれよくも」 賊の副将鄧茂(とうも)は、乱れ立つ兵を励(はげ)ましながら、逃げる玄徳を目がけて追いかけると、関羽が早くも騎馬をよせて、 「豎子(じゅし)っ、なんぞ死を急ぐ」 虚空(こくう)に鳴る偃月刀(えんげつとう)の一揮(いっき)、血けむりを呼んで、人馬共に、関羽の葬(ほうむ)るところとなった。 賊の二将が打たれたので、残余の鼠兵(そへい)は、あわて乱れて、山谷のうちへ逃げこんでゆく。それを、追って打ち、包んでは殲滅(せんめつ)して賊の首を挙げること一万余、降人(こうじん)は容(い)れて、部隊にゆるし、首級(しゅきゅう)は村里の辻に梟(か)けならべて、 ――天誅(てんちゅう)は斯(か)くの如(ごと)し。 と、武威を示した。 「幸先(さいさき)はいいぞ」 張飛は、関羽に言った。 「なあ兄貴(あにき)、この分なら、五十州や百州の賊軍ぐらいは、半歳(はんさい)のまに片づいてしまうだろう。天下はまたたく間に、折れたちの旗幟(きし)によって、日月照々(しょうしょう)だ。安眠楽土の世となるにきまっている。愉快だな。――しかし戦争がそう早く無くなるのがさびしいが」 「ばかをいえ」 関羽は、首をふった。 「世の中は、そう簡単でないよ。いつも戦(いくさ)はこんな調子だと思うと、大まちがいだぞ」 大興山(だいこうざん)を後にして、一同はやがて幽州(ゆうしゅう)へ凱旋(がいせん)の轡(くつわ)をならべた。 太守劉焉(りゅうえん)は、五百人の楽人に勝利の譜(ふ)を吹奏させ、城門に旗の列を植えて、自信、凱旋軍を出迎えた。 ところへ。 軍馬のやすむ遑(いとま)もなく、青州(せいしゅう)の城下(山東省斉南(せいなん)の東・黄河口)から早馬が来て、 「大変です。すぐ援軍の御出馬を乞(こ)う」と、ある。 「何事か」と、劉焉が、使いの齎(もたら)した牒文(ちょうぶん)をひらいてみると、 当地方ノ黄巾ノ賊徒等(ゾクトラ)県郡ニ蜂起(ホウキ)して雲集(ウンシュウ)シ青州ノ城囲(シロカコ)マレ終(オ)ワンヌ落焼(ラクショウ)ノ運命已(スデ)ニ急(キュウ)ナリタダ友軍ノ来援(ライエン)ヲ待ツ 青州太守(タイシュ)龔景(キョウケイ) と、あった。 玄徳は、又進んで、 「願わくば行(ゆ)いて援(たす)けん」 と申し出たので、太守劉焉はよろこんで、校尉(こうい)鄒靖(すうせい)の五千余騎に加えて、玄徳の義軍にその先鋒(せんぽう)を依嘱(いしょく)した。 四 時はすでに夏だった。 青州(せいしゅう)の野(や)についてみると、賊数万の軍は、すべて黄の旗と、八卦(はっけ)の文を証(しるし)とした幡(はん)をかざして、その勢い、天日をも侮(あなど)っていた。 「なにほどの事があろう」と、玄徳も、先頃の初陣(ういじん)で、難なく勝った手ごころから、五百余騎の先鋒で、当たってみたが、結果は大失敗だった。 一敗地(いっぱいち)にまみれて、あやうく全滅をまぬがれ、三十里も退(しりぞ)いた。 「これがだいぶ強い」 玄徳は、関羽へ計(はか)った。 関羽は、 「寡(か)をもって、衆を破るには、兵法によるしかありません」と一策を献(けん)じた。 玄徳は、よく人の言(げん)を用いた。そこで、総大将の鄒靖(すうせい)の陣へ、使いを立て、謀事(はかりごと)をしめしあわせて、作戦を立て直した。 まず、総軍のうち、関羽は約千の兵をひっさげて、右翼となり、張飛も同数の兵力を持って、丘の陰(かげ)に潜(ひそ)んだ。 本軍の鄒靖と玄徳とは、正面からすすんで、敵の主勢力へ、総攻撃の態(てい)を示し、頃あいを計って、わざと、潮(うしお)のごとく逃げ乱れた。 「追えや」 「討(う)てや」 と、図にのって、賊の大軍は、陣形もなく追撃して来た。 「よしっ」 玄徳が、駒(こま)を返して、充分誘導して来た敵へ当たり始めた時、丘陵(きゅうりょう)の陰や、曠野(こうや)の黍(きび)の中から、夕立雲のように湧(わ)いて出た関羽、張飛の両軍が、敵の主勢力を、完全にふくろづつみにして、みなごろしにかかった。 太陽は、血に煙(けむ)った。 草も馬の尾も、血のかからない物はなかった。 「それっ、今だ」 逃げる賊軍を追って、そのまま味方は青州の城下まで迫った。 青州の城兵は、 ――援軍来る! と知ると、城門をひらいて、討(う)って出た。なだれを打って、逃げて来た賊軍は、城下に火を放(はな)ち、自分の放(つ)けた炎を墓場として、ほとんど、自滅するかのような敗亡を遂(と)げてしまった。 青州の太守龔景(きょうけい)は、 「もし、卿等(けいら)の来援がなければ、この城は、すでに今日は賊徒の享楽(きょうらく)の宴会場になっていたであろう」 と、人々を重く賞して、三日三晩は、夜も日も、歓呼の楽器と万歳の声に盈(み)ちあふれていた。 鄒靖(すうせい)は、軍を収めて、 「もはや、お暇(いとま)せん」 と、幽州へ引き揚げて行ったが、その際、劉玄徳は、鄒靖に向かって、 「ずっと以前――私の少年の頃ですが、郷里の楼桑村に来て、暫(しばら)くかくれていた盧植(ろしょく)という人物がありました。私は、その盧植先生に就(つ)いて、初めて文を学び、兵法を説き教えられたのです。その後先生はどうしたかと、時折、思い出すのでしたが、近頃うわさに聞けば、盧植先生は官に仕えて、中郎将(ちゅうろうしょう)に任ぜられ、今では勅令(ちょくれい)をうけて、遠く広宗(こうそう)(山東省)の野(や)に戦っていると聞きます。――しかもそこの賊徒は、黄匪(こうひ)の首領張角将軍直属の正規兵だということですから、さだめし御苦戦と察しられるので、これから行って、師弟の旧恩、いささか御加勢してあげたいと思うのです」と、心のうちを洩(も)らした。 そして、自分はこれから、広宗の征野(せいや)へ、旧師の軍を援(たす)けに赴(おもむ)くから、幽州の城下へ帰ったら、どうか、その旨(むね)を、悪(あ)しからず太守へお伝えながいたいと、伝言を頼んだ。 元より義軍であるから、鄒靖も引き止めはしない。 「然(しか)らば、貴下の手勢のみ率(ひき)いて、兵糧(ひょうろう)その他の賄(まかない)心のままにし給(たま)え」 と、武人らしく、あっさり言って別れた。 五 討匪将軍(とうひしょうぐん)の印綬(いんじゅ)を帯(お)びて、遠く洛陽(らくよう)の王府から、黄河口の広宗(こうそう)の野(や)に下(くだ)り、五万の官軍を率いて軍務に就いていた中郎将(ちゅうろうしょう)盧植(ろしょく)は、 「なに。劉備玄徳という者がわしを尋ねて来たと?……はてな、劉、玄徳、誰だろう」 頻(しき)りに首をひねっていたが、まだ思い出せない容子(ようす)だった。 戦地と言っても、さすが漢朝(かんちょう)の征旗(せいき)を奉じて来ている軍の本営だけに、将軍の室は、大きな寺院の中央を占め、境内(けいだい)から四門の外郭(がいかく)一帯にかけて、駐屯(ちゅうとん)している兵馬の勢威は物々(ものもの)しいものであった。 「はっ。――確かに、劉備玄徳と仰(お)っしゃって、将軍にお目にかかりたいと申して来ました」 外門から取り次いで来た一人の兵はそう言って、盧将軍の前に、直立の姿勢を取っていた。 「一人か」 「いいえ、五百人も連れてであります」 「五百人」 啞然(あぜん)とした顔つきで、 「じゃあ、その玄徳とやらは、そんなにも自分の手勢を連れて来たのか」 「左様(さよう)です。関羽、張飛、という二名の部将を従えて、お若いようですが、立派な人物です」 「はてなあ?」 「申し残しました。その仁(じん)は、涿県(たくけん)楼桑村(ろうそうそん)の者で、将軍がそこに隠遁(いんとん)されていた時代に、読書(よみかき)のお教えをうけた事があるとか言っておりました」 「ああ!では蓆売(むしろう)りの劉少年かもしれない。いや、そう言えば、あれから十年以上も経(た)っておるから、よい若人(わこうど)になっている年頃だろう」 盧植(ろしょく)は、にわかに、なつかしく思ったとみえ、すぐ通せと命令した。勿論(もちろん)、連れている兵は外門に駐(と)め、二人の部将は、内廊(ないろう)の廂(ひさし)まで入ることを許してである。 やがて玄徳は通った。 盧植は、一目見て、 「おお、やはりお前だったか。変わったのう」と、驚いた目をした。 「先生にも、その後は、赫々(かくかく)と洛陽(らくよう)に御武名の聞こえ高く、蔭(かげ)ながら欣(よろこ)んでおりました。 玄徳は、そう言って、盧植の沓(くつ)の前に退(さが)り、昔に変わらぬ師礼を執(と)った。 そして彼は、自分の素志を述べた上、願わくば、旧師の征軍に加わって、朝旗(ちょうき)の下に報国の働きを尽くしたいと言った。 「よく来てくれた。少年時代の小さな師恩を思い出して、わざわざ援軍に来てくれたとは、近頃うれしい事だ。その心持はすでに朝臣であり、国を愛する士の持つところのものだ。わが軍に参加して、大いに勲功をたててくれ」 玄徳は、参戦をゆるされて、約二ヵ月ほど、盧植の軍を援(たす)けていたが、実戦に当たってみると、賊のほうが、三倍も多い大軍を擁(よう)しているし、兵の強さも、比較にならないほど、賊のほうが優勢だった。 その為、官軍のほうが、かえって守勢になり、徒(いたず)らに、帯軍の月日ばかり長びいていたのだった。 「軍器は立派だし、服装も剣も華やかだが、洛陽の官軍は、どうも戦意がない。都に残している女房子供の事だの、美味(うま)い酒だの、そんな事ばかり思い出しているらしい」 張飛は、時々、そんな不平を鳴らして、 「長兄(ちょうけい)。こんな軍に交(ま)じっていると、われわれ迄(まで)が、だらけてしまう。去(さ)って、他に大丈夫(だいじょうぶ)の戦う意義のある戦場を見つけましょう」 と、玄徳へ言ったが、師を歓(よろこ)ばせておきながら、師へ酬(むく)いる事もなく去る法はないと言って、肯(き)かなかった。 そのうちに、盧植のほうから、折入って、軍機に亙(わた)る一つの相談がもちかけられた。 六 盧植が言うには、 ――そもそもこの地方は、険岨(けんそ)が多くて、守る賊軍に利があり、一気に破ろうとすれば、多大に味方を損じるので、心ならずも、こうして長期戦を張って、長陣をしている理(わけ)であるが、折入って、貴下(きか)に頼みたいというのは、賊の総大将張角(ちょうかく)の弟で張宝(ちょうほう)・張梁(ちょうりょう)のふたりは目下、潁川(えいせん)(安徽省(あんきしょう)・開封(かいふう)の西南)のほうで暴威を振るっている。 その方面へは、やはり洛陽の朝命(ちょうめい)をうけて、皇甫嵩(こうほすう)・朱儁(しゅしゅん)の二将軍が、官軍を率いて討伐に向かっている。 ここでも勝敗は決せず、官軍は苦戦しているが、わが広宗(こうそう)の地よりも、戦うに益が多い。ひとつ貴下の手勢をもって、急に援軍に赴(おもむ)いてもらえまいか。 賊の張梁・張宝の二軍が敗れたりと聞えれば、自然、広宗の賊軍も、戦意を喪失し、退路を断たれることを惧(おそ)れて、潰走(かいそう)し始めることと思う。 「玄徳殿。行ってはもらえまいか」 盧植の相談であった。 「承知しました」 玄徳は、元(もと)より義をもって、旧師を援(たす)けに来たので、その旧師の頼みを、すげなく拒(こば)む気にはなれなかった。 即刻、軍旅の支度をした。 手勢五百に、盧植から付けてくれた千余の兵を加え、総勢千五百ばかりで、潁川(えいせん)の地へ急いだ。 陣地へ着くと、さっそく官軍の将、朱儁(しゅしゅん)に会って、盧植の牒文(ちょうぶん)を示し、 「お手伝いに参った」とあいさつすると、 「ははあ。何処で雇われた雜軍だな」と、朱儁は、至極(しごく)冷淡な対応だった。 そして、玄徳へ、 「まあ、せいぜい働き給え。軍功さえ立てれば、正規の官軍にも編入されもするし、貴公等にも、戦後、何か地方の小吏ぐらいな役目は仰(おお)せつかるから」 などとも言った。 張飛は、 「ばかにしおる」 と怒ったが、玄徳や関羽でなだめて、前戦の陣地へ出た。 食糧でも、軍務でも、又応対でも、冷遇はするが、与えられた戦場は、最も強力な敵の正面で、官軍の兵が手をやいているところだ。 地勢を見るに、ここは広宗(こうそう)地方と違って、いちめんの原野と湖沼(こしょう)だった。 敵は、折からの、背丈(せたけ)の高い夏草や野黍(のきび)のあいだに、虫のようにかくれて、時々、猛烈な奇襲をして来た。 「さらば一策がある」 玄徳は、関羽と張飛に、自分の考えを告げてみた。 「名案です。長兄は、抑々(そもそも)、いつのまにそんなに、孫呉(そんご)の兵を会得(えとく)しておられたんですか」 と、二人とも感心した。 その晩。二更(にこう)の頃。 一部の兵力を、迂回(うかい)させて、敵のうしろに廻し、張飛、関羽等は、真っ暗な野を這(は)って、敵陣へ近づいた。 そして、用意の物に、一斉に火を点じると、 「わあっ」 と、鬨(とき)の声をあげて、炎の波のように、攻めこんだ。 かねて、兵一名に、十把(じっぱ)ずつの松明(たいまつ)を負(お)わせ、それに火をつけて、雪崩(なだ)れこんだのである。 寝ごみを衝(つ)かれ、不意を襲われて、右往左往、あわて廻る敵陣の中へ、投げ松明の光は、花火のように舞い飛んだ。 草は燃え、兵舎は焼け、逃げくずれる賊兵の軍衣にも、火がついていないのはなかった。 すると彼方(かなた)から、一彪(いっぴょう)の軍馬が、燃えさかる草の火を蹴(け)って進んで来た。見れば、全軍みな紅(くれない)の旗をさし、真っ先に立った一名の英雄も、兜(かぶと)、鎧(よろい)、剣(けん)、装(そう)、馬鞍(ばあん)、総(すべ)て火よりも赤い姿をしていた。 七 「やよ、それに来(きた)る豪傑(ごうけつ)。貴軍抑(そも)、敵か味方か」 玄徳のそばから大音(だいおん)で、関羽が彼方へ向かって言った。 先でも、玄徳たちを、 「官軍か賊軍か?」と疑っていたように、ぴたと一軍の前進を停(と)めて、 「これは洛陽より南下した五千騎の官軍である。汝等(なんじら)こそ、黄匪に非(あら)ずや」 と呶鳴(どな)り返して来た。 聞くと、玄徳は左将軍関羽、右将軍張飛だけを両側に従えて、兵を後方に残したまま数百歩駒(こま)をすすめ、 「戦場とて、失礼をいたした。それがしは涿県(たくけん)楼桑村(ろうそうそん)の草莽(そうもう)より起(た)って、いささか奉公を志し、討賊の戦場に参加しておる義軍の将、劉備玄徳という者です。それにおいである豪傑は、そも何人(なんびと)なりや。願わくば御尊名をうかがいたい」 言うと、紅の旗、紅の鎧、紅の鞍に跨(また)がている人物は、玄徳の会釈(えしゃく)を、馬上でうけながら微笑をたたえ、 「御ていねいな挨拶(あいさつ)。それへ参って申さん」と、赤夜叉(あかやしゃ)の如く、総て赤く鎧(よろ)った旗本七騎につつまれて、玄徳の間近まで馬をすすめて来た。 近々と、その人物を見れば。 年はまだ若い。肉薄く色白く、細眼長髯(さいがんちょうぜん)、胆量(たんりょう)人にこえ、その眸(ひとみ)には、智謀(ちぼう)測り知れないものが見えた。 声静かに、名乗って言う。 「われは沛国(はいこく)譙郡(しょうぐん)(江蘇省(こうしょしょう)徐州(じょしゅう)の西南・沛県(はいけん))の生まれで、曹操(そうそう)字(あざな)は孟徳(もうとく)、小字(こあざな)は阿瞞(あまん)、また吉利(きつり)ともいう者です。すなわち漢の相国(しょうこく)曹参(そうさん)より二十四代の後胤(こういん)にして、大鴻臚(だいこうろ)曹嵩(そうすう)が嫡男(ちゃくなん)たり。洛陽にあっては、官騎都尉(かんきとい)に封(ほう)ぜられ、今、朝命によって、五千余騎にて馳(は)せ来(きた)り、幸いにも、貴軍の火攻の計に乗じて、逃ぐる敵を討ち、幸いにも、賊徒の首を討つことその数を知らないほどです。――ひとつお互いに両軍声をあわせて、天下の泰平(たいへい)を一日もはやく地上へ呼ぶため、凱歌(がいか)をあげましょう」 「結構です。では、曹操閣下が矛(ほこ)を揚(あ)げて、両軍へ発声の指揮をして下さい」 玄徳が謙遜(けんそん)していうと、 「いやそれは違う。こよいの勝軍(かちいくさ)はひとえに貴軍の謀略(ぼうりゃく)と働きにあるのですから、玄徳殿が音頭(おんど)をとるべきです」と、曹操も譲(ゆず)りあう。 「では、一緒に、指揮の矛を揚げましょう」 「なるほど。それならば」 と、曹操も従って、両将は両軍のあいだに轡(くつわ)をならべ、そして三度、鬨(とき)の声をあわせて野をゆるがした。 野火は燃えひろがるばかりで賊徒らの住む尺地(ちゃくち)も余さなかった。賊の大軍は、ほとんど、秋風に舞う木の葉のように四散した。 「愉快ですな」 曹操は顧(かえり)みて言った。 兵をまとめて、両軍引き揚げの先頭に立ちながら、玄徳は、彼と駒(こま)を並べ、彼と親しく話すかなりな時間を得た。 彼の最初の名乗りは、あながち鬼面(きめん)人を脅(おど)すものではなかった。玄徳は正直に、彼の人物に尊敬を払った。晋文匡扶(しんぶんきょうふ)の才(さい)なきを笑い、趙高(ちょうこう)王莽(おうもう)の計策(はかり)なきを嘲(あざけ)って時々、自らの才を誇る風(ふう)はあるが、兵法は呉子(ごし)孫子(そんし)をそらんじ、学識は孔孟(こうもう)の遠き弟子をもって任じ、話せば話すほど、深みもあり広さもある人物と思われた。 それにひきかえて、本軍の総大将朱儁(しゅしゅん)は、かえって玄徳の武功をよろこばないのみか、玄徳が戻ってくると、すぐこう命令した。 「せっかく、潁川(えいせん)にまとまっていた賊軍を四散させてしまったので、必ず彼等は、大興山(たいこうざん)の友軍や広宗(こうそう)の張角軍と合体して、盧植(ろしょく)将軍のほうを、今度はうんと悩ますに違いない。――貴公はすぐ広宗へ引っ返して、再び、盧植軍に加勢してやり給え。今夜だけ、馬を休めたら、すぐ発足(ほっそく)するがよかろう」
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松田 Typhoon ナチュラルでピュアな姿に身をまとった男の内面に秘められた強さが今溢れ出す その仕草容姿からナチュラルさを醸し出す。 しかし、今回はその魅力に加え、彼が得意とするシャードーボクシング、走り込みのシーンには秘められた強さ逞しさ勢いが感じられまさしくTypoon。 海・プールでは幻想的なシーンでは彼のセクシーを感じられずにはいられない。 所々には、ボクシングを始めたきっかけや青山本人が語る恋について等のインタビューも収録。 素顔と魅力の一瞬一瞬を散りばめたフォトムービーも必見の草太のすべて。 ファイト TREASURE OF AGE Wild & Sexy! 滝川英治のクールな美しさ、ちから、そして今 バスケットボール、スイミング等のスポーツシーンで躍動する美しいその肉体。精悍なスーツ姿でのビリヤード。 得意の特製オムレツクッキング。ワイルドなドライブシーン&セクシーなシャワーシーン、さまざな表情をみせるこの映像には、誰も知らないEIJIがいる。 彼が南国の島に残してきた宝物(TREASURE)それは今の自分(AGE...) 素顔と魅力の一瞬一瞬を散りばめたフォトムービーも必見の英治のすべて ぼかし Blossom 繊細な感性とイマジネーションは美の創造神に魅入られた 自身のファッションブランドを持って活動する姿と、あどけない少年のような横顔。 インスタントT-シャツリメイクの披露や、本人が語る将来の夢、バスルームシーンなど無邪気で自然体の永山たかし。 そして、俳優である彼が「天使と悪魔」をテーマに演じたサイレントドラマ。魔術がかかったように、つぼみ【Blossom】が今ひらいてゆく。 映画のワンシーンのような妖しくセンシティヴで幻想的な彼の世界。 素顔と魅力の一瞬一瞬をちりばめたフォトムービーも必見の永山たかしのすべて。 おれや 20-2 大人への階段を昇り、進化するチャーミングな天使 幼い頃を海外ですごしてきた彼は、自由奔放さと情熱的な顔を持つ。 柳本人が語る海外生活時代の思い出等のインタビューや、ミニ英会話講座、Coolで熱いダンス、そしてシャワーシーンや渚でのシーン等、南の島で撮影された彼の持つチャーミングなイメージ。 そんな彼の大人へと成長してゆく【20-2】(エイティーン)の境界。 素顔と魅力の一瞬一瞬を散りばめたフォトムービーも必見の浩太郎のすべて みつる with U 夕陽に抱きしめられたら、メロディーを感じた シャワーを浴びる美しき裸身。プールでさらに透き通る素肌。 祖母に習ったスペイン料理をクッキングするときの楽しくやさしい、太陽なような笑顔がいっぱい。夕陽を背に赤いオープンカーで走り、自分で作詞・作曲したラブソングを熱唱。廃船から夕陽に向かって海へ飛び込み、優しい風が包む、だれも知らない彼の素顔。 菩薩 青の奇跡 僕の旅は、まだ始まったばかり・・・・誰かが僕を呼んでいる 遠藤の一人旅は、さとうきび畑から始まった・・・。携帯電話に着信が・・・誰? 得意なバスケットボールで汗を流し、琉球空手の修行、そして、プロレスラーとの他流試合。 海で無邪気に遊び、そして、ベッドでたわむれる・・・。 何か不思議なハプニングの予感がする 代理 a once in a lifetime chance. 大切な出会いを経て、僕は変わった・・・ KENNの日常を垣間見るあどけない寝顔と起きぬけの素顔、そして、モーニングウォーター。 多彩なアーティストは沖縄で三線と出会う。廃車工場で素肌を伝う汗。 可愛いらしさと男らしさが交錯するKENNの魅力。 オリジナルミュージッククリップ『オレンジ色の浜辺で』を収録。 うんタク 55mm 旅の中で接した人々、そして自分への発見 人と人との距離を近づける力がある "55mmレンズ" 。その "55mmレンズ" を通して感じたものに、夢中でシャッターを切る。プーケットタウン、漁村、そして子供達との出会い。立ち寄ったムエタイジムでは、チャンピオンと練習試合をする事に。象と戯れる姿、夜のプールで泳ぐ妖艶な肉体、加藤和樹の等身大の姿がここに濃縮された。 ロンコリ Calling 呼ばれた気がしたんだ。 ・・・旅は、僕を変える 古いホテルの一室で地図を見ていた。ホテルの主人は、私の肩を叩いた…「Good Luck !!」 タイの空気は斎藤と交じり合い様々な表情を見せる。豪雨と光の中、カポエラダンスを踊り海に駆け出す男らしい姿、そして、女装した女らしい姿も? 斎藤工の奥深い魅力に迫る。 すすろ fleeting diary 初めての経験が、僕を進化させていく・・・ 鎌苅の日記の一部を紹介しよう。一人旅の短いダイアリー。初めて降り立ったタイ王国。何を体験し、何を感じたのか・・・。青いペンキを使い自分と全てを同化させる。赤い壁が彼を包む。弾けるカンフーアクション?と、得意なビリヤードのパフォーマンス。朝陽と夕陽が、鎌苅を輝かせる。 虫川 R 気まぐれに街を飛び出し、どこかへ行く。 今回もそんな旅だった・・・ 北緯11度、東経107度、ベトナムホーチミンシティ。 熱気に包まれた街を歩き、忘れかけていた何かを探す。 美しく鍛え上げられた肉体での、艶やかなダンス。 官能的で卓逸したアルゼンチンタンゴ。 シャワーシーン。 そして、クールでダンディーなカリスマ美容師に扮した。 進藤が持つ大人の色香がここに。 メスクワ先生 Nostalgia 幼すぎて忘れていたのかもしれない。 だけど、今 僕は確実にここを訪れている・・・ 1度訪れたことがあるかもしれない。 甘美な記憶の中にある街でのアオザイ作り、 驚愕のライフセービング、 得意の中国駒まわし、凛々しい袴姿で剣の腕も披露。 そして、妖艶な顔を覗かせるシャワーシーン。 大人の階段を昇る麻生を感じる。 空気 One way ticket 駆り立てるように飛び出した。 僕はこの旅で、本当の自分に出逢えた・・・ 優しさと激しさを持った異国の地。 その地で堪能な語学を生かし ウィッティーなウエイターに変身。 砂浜では艶やかな裸身にピュアな横顔を覗かせる。 電車に乗り、夜の街を歩くダルメシンアンの着ぐるみを着た圭介は 抱きしめたくなるほどキュート。 今まで見たことのない新しい南圭介に出逢える。 偽さん pieces of Dream どうやら僕はふっきれたらしい。 旅に出ようと考えたのは、こんな感覚が欲しかったからだろう。 初めてのサーフィン。初めてのアクション。 プールで激しく泳いだ後は、シャワーでクールダウン。 ピュアなハートが初めて魅せた、弾ける加藤慶祐の意外な一面が満載。 18歳の新しい旅立ち。出会いが彼を大人にしていく・・・。 豚 Humidity 83% 海外への旅は初めてだった。決めたのは、目的地だけだ。 あとはなにも決めていない・・・ 湿度80%の大気。 愛用のベースギターを片手に、赤いワゴン車をヒッチハイク。 南国の空気を感じながらベースギターを弾き、桐山の旅は始まる。 挑戦したのはスパイテスト(?)。巨大岩石が迫り、猛獣たちが待ち構える! 桐山漣の初体験がたくさん詰まった、美しきメモリアル。 便 Flight From The Labyrinth 一歩足を踏み入れたとたん、僕にはわかった。 ここの暮らしが自然と一体だということを。 味わったことのない癒しがやってくる。 伝説のマタドール、マサ・サンチェス。フランス貴婦人「mademoiselle et monsieur」。 ダンスで鍛えた精悍な肉体と麗しき表現力で、時には激しく、時には優美に、 舞を披露する。 いつか、独りで旅がしたいと思っていた。 言葉が通じなくてもいい、きっと心は通じ合う。 いつも笑顔で答えてくれた。僕は、お礼がしたかった…。 Y君 ROAD 初めての海外、過去と未来が混ざりあう街 これから何が始まるのだろう・・・。 楽しみで仕方がない・・・。 異国の地は、僕を厳しく、そして温かく受け入れてくれた。 舞踊が言葉も国境も無くしてくれる。僕には舞踊があった。 自分で作詞・作曲した楽曲を歌う。中国の人達はその曲を気に入ってくれた。 これから何が始まるのだろう、僕はこの道を進む事にした。 msk Flying high 十代最後に、旅がしたいと思った。 僕の世界は果てしなく広がっていく それを肌で体感してみたかった・・・。 一人旅に少し疲れ眠りに就いた僕は、烏龍茶マンになっていた。 得意なサッカーをしていると、憧れのあの人になっていた。 やりたかった事を思いっきりやって、有頂天になった。 そして僕は、大人になっていく気がしていた・・・。 米 TIAN 見知らぬ異国の地。 言葉が通じなくても伝わるものがある事が分かった。 この旅は、意味のあるものだった・・・。 カンフーファイター!フードファイター!!シャンプーファイター!!! 僕は、中国で戦ってきた。とにかく楽しかった! 始めての経験をたくさんした。そして、気が付いた事がある。 僕がやりたかった事は、ここにあったという事を。 ブリーフ WITH THE WIND 国境を飛び越えた。僕には変化が必要だった・・・。 僕は自転車で行けるところまで行ってみようと思った。 自らが作詞した曲をギターで弾き語り、得意な水泳を披露。 僕は何か変われただろうか。しばらくしたら分かるのだろう・・・。 カーチョン HIGH SPIRIT 初めてのパスポートを受け取った・・・ 僕が何色に変わっていくのか、今は好奇心しかない。 ベトナムで色んな事に挑戦した。 突撃レポーター、リアルしりとり、苦手な水泳も。 この一瞬の旅は、僕を少しだけ大人にしてくれた。 永遠に僕の中に残ると思う・・・。 ナンシー For 僕の人生は旅の連続だった。留まる事は僕を不安にさせる・・・ そして、僕は再び旅に出る。 大好きな歌、ダンス、そしてミュージカル。全てを思いっきり楽しんだ。 人生は、旅のようでありたい。僕が生き続ける限り、旅は終わらない。 ルンダ Metamorphose ←sage New! 福引で赤玉1等賞・海外旅行をゲット!!! 豪華南国リゾートを満喫するはずが、辿り着いたところは・・・。 海辺の村で知り合った小さな女の子の為に、ダンス クッキング。 プーケットタウンで披露した真剣勝負のダンスパフォーマンスは、 自然と集まった大勢のギャラリーを魅了し、拍手喝采が沸き起こった。 アタラシート Motordrive ←sage New! 1枚の写真と残された言葉 “I wish I had the boy. To help me and to seethis”。 カメラを片手にプーケットの街を歩き、あの写真の少年を探す。 老人と船に乗り釣り糸を垂れながら、少年の事を尋ねる。 少年とは会えるのだろうか。 初めての一人旅、全てが始めての経験だった・・・。 毒手B JOURNEY ←sage New! 一通の手紙を頼りに、タイ・プーケットに祖父が残したという一文字を探す旅。辿り着いた山奥の寺院では、一人の僧侶が佐々木を迎え入れた。 そこで一つの文字と出合う・・・。 自らが作詞・作曲した曲をギターで弾き語り、 夕陽を背に華麗な演舞を披露。・・・この旅で僕は強くなった。
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2008年1月27日(日)朝8時からテレビ朝日系列で放送開始 劇場版の公開は2008年8月9日から。 放送期間 第1クール 第1話~第13話 第2クール 第14話~第26話 第3クール 第27話~第39話 第4クール 第40話~第4?話 (クール (テレビ) - Wikipedia) 【第14話~第26話】 第1クールでレギュラーキャラクターも出揃い次の展開へと物語は動き始める。強力な敵の存在や戦う理由などが徐序に語られはじめる。 【出来事】 第14話 第15話 第16話 第17話 第18話 第19話 第20話 第21話 第22話 第23話 第24話 第25話 第26話 【放映リスト】 話数(第2クール) 放映日 サブタイトル 脚本 監督 ファンガイア 収録DVD 第14話 2008/04/27 威風堂々・雷撃パープルアイ 井上敏樹 田村直己(テレビ朝日) ライノセラスファンガイア 第15話 2008/05/04 復活・チェックメイトフォー 井上敏樹 長石多可男 ライオンファンガイア 第16話 2008/05/11 プレーヤー・非常のルール ライオンファンガイアサバト 第17話 2008/05/18 レッスン・マイウェイ 米村正二 石田秀範 シースターファンガイア 第18話 2008/05/25 カルテット・心の声を聴け 第19話 2008/06/01 フュージョン・オーラの嵐 井上敏樹 舞原賢三 レディバグファンガイア 第20話 2008/06/08 夜想曲・愛の救世主 レディバグファンガイアサバト 6月15日は第108回全米オープンゴルフのため放送休止 第21話 2008/06/22 ラプソディー・指輪の行方 井上敏樹 長石多可男 カメレオンファンガイア 第22話 2008/06/29 序曲・運命の交差点 第23話 2008/07/06 変奏曲・永遠の逃亡者 井上敏樹 石田秀範 グリズリーファンガイア 第24話 2008/07/13 皇帝・ゴールデンフィーバー 第25話 2008/07/20 ファンファーレ・女王の目醒め 井上敏樹 中澤祥次郎 シャークファンガイアライオンファンガイアスパイダーファンガイア 第26話 2008/07/27 メトロノーム・記憶のキセキ スパイダーファンガイア 【登場人物・出演俳優】 【レギュラー】 役名 役者 登場話 現代編 2008年 紅渡 (仮面ライダーキバに変身するこの物語の主人公) 瀬戸康史 第1話~ 名護啓介 (仮面ライダーイクサに変身するバウンティハンター) 加藤慶祐 第3話~ 麻生恵 (母の遺志を継ぐファンガイアハンター) 柳沢なな 第1話~ 野村静香 (渡のバイオリンの生徒) 小池里奈 第1話~ 襟立健吾 (イケメンズでメジャーデビューをめざす浪速のロックンローラー) 熊井幸平 第11話~ 鈴木深央 (渡と惹かれあっていく女性) 芳賀優里亜 第21話~ キバットバットⅢ世 (キバット族・由緒正しき名門、キバットバット家の三代目) 杉田智和(声) 第1話~ 魔皇竜タツロット (ドラン族・キバをファイナルウエイクアップ(究極覚醒)させる禁断のキー) 石田彰(声) 第24話~ 過去編、現代編の両方に登場 次狼ガルル (ガルルの人間体 ゆりを利用して種族繁栄を目論む)(ウルフェン族の最後の生き残り) 松田賢二高岩成二(スーツアクター) 過去編 第5話~現代編 第2話~ ラモンバッシャー (バッシャーの人間体 ドッガと行動を共にする)(マーマン族の最後の生き残り) 小越勇輝神尾直子(スーツアクター) 過去編 第8話~現代編 第2話~ 力ドッガ (ドッガの人間体 バッシャーと共に人間社会に身を隠す)(フランケン族の最後の生き残り) 滝川英治永徳(スーツアクター) 過去編 第9話~現代編 第2話~ 嶋護 (素晴らしき青空の会の会長。音也と渡、2つの時代を知る男) 金山一彦 第1話~ 木戸明 (22年前から営業していた喫茶店「カフェ・マル・ダムール」のマスター) 木下ほうか 第1話~ ブルマン (「カフェ・マル・ダムール」のマスターの愛犬) ラブラドール・レトリバー(タレント犬) 第1話~ 過去編、1986年 紅音也 (渡の22年前の父親 元天才バイオリニスト) 武田航平 第1話~ 麻生ゆり (22年前の恵の母親 殺された母の仇を倒すためファンガイアと戦う) 高橋優 第1話~ チェックメイトフォー ファンガイア族最強の四人 クイーン(真夜) (チェックメイトフォー ファンガイア族の死刑執行人) 加賀美早紀 過去編 第20話~ ビショップ (チェックメイトフォー クイーンの補佐役) 村田充 現代編 第25話~ ルーク (チェックメイトフォー ライオンファンガイア人間体、声) 高原知秀 現代編、過去編 第15話~ 準レギュラー 糸矢僚 (スパイダーファンガイア人間体 逃げ足の速い道化師) 創斗 過去編 第1話~第6話現代編 第6話~第26話 【第2クール ゲスト】 第25話、第26話 カップル (人間の女性と付き合ってたファンガイア ビショップに始末される) 下川真矢 現代編、第26話 (ファンガイアの男性と付き合ってた女性 処刑の巻き添えになる) 山崎静香 弁当屋店員 (深央のバイト先の店員 シャークファンガイアの犠牲になる) 薬師寺順 現代編、第25話 トンネルの男 (人間を愛したファンガイア 真夜に始末される) 高橋玲 過去編、第25話 (シャークファンガイアの声) 遠藤大輔 第25話 第23話、第24話 竹内伸二 (宝石泥棒 グリズリーファンガイア人間体、声) 水橋研二 第23話、第24話 涼子 (伸二の妻 病に侵されている) 清水美那 現代編、過去編、第23話、第24話 医師 (涼子の主治医) 中野剛 現代編、第24話 カップル (人間の男性と付き合ってたファンガイア 真夜に始末される) 佐藤めい 過去編、第23話 (ファンガイアの女性と付き合ってた男性) 浅野将一 役人 (力とラモンに店の退去を命じた) 藤島源寛 過去編、第23話 カメラマン (恵と深央の写真撮影をした) 森田猛虎 現代編、第23話 第21話、第22話 山下 (洋服店店長 カメレオンファンガイア人間体) 柳ユーレイ 第21話、第22話 久美 (音也の幼稚園の時の幼馴染) 橋本愛実福本史織(回想シーン) 過去編、第21話、第22話 あゆみ (ゆりの友達 ドッガの犠牲になる) 花井ゆき 過去編、第21話 幸江 (合コンで名護に惚れた女性) 織田菜月 現代編、第21話、第22話 啓子 (合コンで渡を気に入った女性) 土方みなみ 現代編、第21話 幼い音也 (幼稚園の時の音也) 丸山歩夢 過去編(回想シーン)、第21話 女性客 (カメレオンファンガイアの犠牲になる) 武井睦 過去編、第21話 焼肉屋店長 (深央が勤めていた店の店長) 中村良平 現代編、第21話、第22話 豆腐屋 (渡と深央に豆腐を売る) 荒谷清水 現代編、第21話、第22話 常連客 (深央が勤めていた焼肉店の常連客) 北村伝次郎 現代編、第22話 水上雅人 (カメレオンファンガイアの声) 酒井敬幸 第21話、第22話 第19話、第20話 花嫁 (人間の男性を愛したファンガイア 真夜に始末される) 橋口未和 過去編、第20話 医師 (恵の主治医) 窪園純一 現代編、第20話 霊能者 (キバについて占う) 樋浦勉 現代編、第19話 メイド (メイドカフェの店員) 池田愛 現代編、第19話 積田佳代子 襲われた女性 (ライオンファンガイアの犠牲になる) 奏乃柚子 過去編、第19話 高校生 (渡に絡んだ不良 レディバグファンガイアに遭遇する) 岩村武瑠 現代編、第19話 高橋和喜 西村信裕 (レディバグファンガイアの声) 中尾隆聖 第19話、第20話 第17話、第18話 坂口佐吉 (強盗犯 シースターファンガイア人間体、声) 紀伊修平 第17話、第18話 倉沢マミ (現代編=アーチェリーのオリンピック候補選手)(過去編=音也にバイオリンのレッスンを受ける少女) 遊井亮子(現代編)山崎怜奈(過去編) 現代編、過去編、第17話、第18話 オーディションのライバル (オーディションに参加してた少女) 豊田有紀 過去編、第18話 警官 (坂口を逮捕し、名護に襲われる) おぐらとしひろ 現代編、第18話 第15話、第16話 天野恵里子 (そば屋の看板娘 ライオンファンガイアの犠牲になる) 西田奈津美 現代編、第15話、第16話 天野照義 (そば屋の店主 ライオンファンガイアの犠牲になる) 石原辰己 現代編、第15話、第16話 常連客 (そば屋の常連客 ライオンファンガイアの犠牲になる) 鬼界浩巳 現代編、第16話 キャンギャル (ライオンファンガイアに襲われる) 幸城まなみ 過去編、第16話 通行人 (サラリーマン風の男 ライオンファンガイアの犠牲になる) 杉本雄司 過去編、第15話 ジョギングをする男 (ライオンファンガイアの犠牲になる) 吉原大地 過去編、第15話 宝くじに当たった男 (ライオンファンガイアの犠牲になる) 村上和彦 過去編、第15話 【モンスター登場リスト】 登場話 モンスター名 モチーフ 種類 クラス 人間体 職業 過去編 現代編 第13話、第14話 ライノセラスファンガイア サイ ファンガイア族 ビーストクラス 三宅徹 詐欺師 ○ ○ 第13話、第14話 ガルル 狼 ウルフェン族 アームズモンスター 次狼 素晴らしき青空の会のメンバー ○ × 第14話 バッシャー 半漁人 マーマン族 アームズモンスター ラモン 推定年齢12~13歳の子供 ○ × 第15話、第16話 ライオンファンガイア ライオン ファンガイア族 ビーストクラス ルーク チェックメイトフォー ○ ○ 第15話、第16話 ガルル 狼 ウルフェン族 アームズモンスター 次狼 素晴らしき青空の会のメンバー ○ × 第15話 バッシャー 半漁人 マーマン族 アームズモンスター ラモン 推定年齢12~13歳の子供 ○ × 第17話、第18話 シースターファンガイア ヒトデ ファンガイア族 アクアクラス 坂口佐吉 強盗 × ○ 第19話、第20話 レディバグファンガイア テントウムシ インセクトクラス 未登場 不明 × ○ 第20話 サバト オーラ集合体 インセクトクラスのファンガイアの手で出現 × ○ 第19話 バッシャー 半漁人 マーマン族 アームズモンスター ラモン 推定年齢12~13歳の子供 × ○ 第21話、第22話 カメレオンファンガイア カメレオン ファンガイア族 リザードクラス 山下 過去編 ラグジュアー店長現代編 カジュアー店長 ○ ○ ドッガ フランケン フランケン族 アームズモンスター 力 マッサージ師 ○ × 第23話、第24話 グリズリーファンガイア ヒグマ ファンガイア族 ビーストクラス 竹内伸二 不明 ○ ○ ガルル 狼 ウルフェン族 アームズモンスター 次狼 素晴らしき青空の会のメンバー ○ × 第25話 シャークファンガイア サメ ファンガイア族 アクアクラス 未登場 不明 ○ ○ ライオンファンガイア ライオン ビーストクラス ルーク チェックメイトフォー ○ × 第25話、第26話 スパイダーファンガイア 蜘蛛 インセクトクラス 糸矢僚 道化師 × ○
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赤兎馬(せきとば) 一 その日の戦いは、董卓(とうたく)の大敗に帰してしまった。 呂布(りょふ)の勇猛には、それに当たる者もなかった。丁原(ていげん)も、十万に馬を躍(おど)らせて、董卓軍を蹴(け)ちらし、大将董卓のすがたを乱軍の仲に見かけると、 「簒逆(さんぎゃく)の賊、これにありしか」と、馳(か)け迫(せま)って、 「漢の天下、内官の弊悪(へいあく)に紊(みだ)れ、万民みな塗炭(とたん)の苦しみをうく。然(しか)るに、汝(なんじ)は涼州(りょうしゅう)の一刺史(しし)、国家に一寸の功なく、ただ乱隙(らんげき)を窺(うかが)って、野望を遂(と)げんとし、妄(みだり)に帝位の廃立(はいりつ)を議するなど、身の程知らずな逆賊というべきである。いでその素頭(すこうべ)を刎(は)ねて、巷(ちまた)に梟(か)け、洛陽(らくよう)の民の祭りに供(きょう)せん」 と討(う)ってかかった。 董卓は、一言もなく、敵の優勢に怖(おそ)れ、自身の恥ずる心に怯(ひる)んで、あわてて味方の楯(たて)の内に逃げこんでしまった。 そんなわけで董卓(とうたく)の軍は、その日、士気の揚(あ)がならないこと夥(おびただ)しく、董卓も腐りきった態(てい)で、遠くから陣を退(ひ)いてしまった。 夜―― 本陣の燈下に、彼は諸将を呼んで嘆息した。 「敵の丁原(ていげん)はともかく、養子の呂布(りょふ)のいるうちは勝ち目がない。呂布さえおれの配下にすれば、天下は我が掌(たなごころ)のものだが――」 すると、諸将のうちから、 「将軍。嘆ずるには及びません」と、言った者がある。 人々が顧(かえり)みると、虎賁中郎将(こほんちゅうろうしょう)の李粛(りしゅく)であった。 「李粛か。なんの策がある?」 「あります。私に、将軍の愛馬赤兎(せきと)と一嚢(ひとふくろ)の金銀珠玉(しゅぎょく)をお託し下さい」 「それをどうするのか」 「幸いにも、私は、呂布と同郷の生まれです。彼は勇猛ですが賢才(けんさい)えはありません。以上の二品に、私の持っている三寸不爛(さんずんふらん)の舌をもって、呂布を訪れ、将軍のお望みを、きっとかなえてみせましょう」 「ふム。成功するかな?」 「まず、おまかせ下さい」 でもまだ迷っている顔つきで、董卓は、側にいる李儒(りじゅ)の意見を訊(き)いた。 「どうしよう。李粛はあのように申すが」 すると李儒は、 「天下を得るために、なんで一匹の馬をお惜(お)しみになるんです」と、言った。 「なるほど」 董卓は大きく頷(うなず)いて、李粛の献策(けんさく)を容(い)れることにし、秘蔵の名馬赤兎と、一嚢の金銀珠玉とぉ彼に託した。 赤兎(せきと)は希代(きだい)の名馬で、一日よく千里を走るといわれ、馬体は真っ赤で、風を衝(つ)いて奔馳(ほんち)する時は、その鬣(たてがみ)が炎の流るるように見え、将軍の赤兎といえば、知らない者はないくらいだった。 李粛は、二人の従者にその名馬を曳(ひ)かせ、金銀珠玉を携(たずさ)えて、その翌晩、密(ひそ)かに呂布の陣営を訪問した。 呂布は彼を見ると、 「やあ、貴公(きこう)か」と、手を打って欣(よろこ)び、「君と予(よ)とは、同郷の友だが、その後お互いに消息も聞かない。いったい今はどうしているのか」と、帳中(ちょうちゅう)へ迎え入れた。 李粛も、久闊(きゅうかつ)を叙(じょ)して。 「自分は漢朝に仕えて、今では虎賁中郎将(こほんちゅうろうしょう)の職を奉じておる。君も、社稷(しゃしょく)を扶(たす)けて大いに国事に尽くしていると聞いて、実は今夜、祝いに来たわけだ」 と、言った。 二 その時、呂布はふと耳を欹(そばだ)てて、李粛へ訊(き)いた。 「今、陣外に嘶(いなな)いたのは、君の乗馬か。啼(な)き声だけでもわかるが、すばらしい名馬を持っているじゃないか」 「いや、外に繫(つな)いであるのは、自分の乗用ではない。足下(そっか)に進上する為に、わざわざ従者に曳かせて来たのだ。気に入るかどうか、見てくれ給(たま)え」と、外へ誘った。 呂布は、赤兎馬(せきとば)を一見すると、 「これは希代の逸駿(いつしゅん)だ」と驚嘆して 「こんな贈り物を受けても、おれは何も酬(むく)いるものがないが」 と、陣中ながら酒宴を設(もう)けて歓待に努める容子(ようす)は、心の底から欣(よろこ)んでいるふうだった。 酒、酣(たけなわ)の頃を計って、 「だが呂布君。せっかく、君に贈った馬だが、赤兎馬の事は、足下(そっか)の父がよく知っておるから、必ず君の手から取(と)り上(あ)げてしまうだろう。それが残念だな」 李粛(りしゅく)が言うと、 「は……。何を言うのか。君はだいぶ酔って来たな」 「どうして」 「吾輩(わがはい)の父は、もう世を去ってこの世に亡(な)い人じゃないか。なんでおれの馬を奪おう」 「いやいや。わしが言うのは率か(そっか)の実父ではない。養父の丁原(ていげん)の事だ」 「あ、養父のことか」 「思えば、足下ほどな武勇才略を備えながら、墻(かき)の内の羊みたいに飼われているのは、実に惜しいものだ」 「けれど、父亡き後、久しく丁原の邸(やしき)に養われて来た身だから、今さら、どうにもならん」 「ならん?……そうかなあ」 「おれだって、若いし、大いに雄才を伸ばしてみたい気もするが」 「そこだ、呂布(りょふ)君。良禽(りょうきん)は木を選んで棲(す)むという。日月(じっげつ)は遷(うつ)りやすし。空(むな)しく青春の時を過ごすのは愚(ぐ)ではないか」 「む。む。……では李君。貴公の観(み)るとことでは、今の朝臣の中で、英雄とゆるしてよい人は、いったい誰だと思うか」 李粛は一言の下に、 「それやあ、董卓(とうたく)将軍さ」と、言った。 「賢(けん)を敬(うやま)い、士に篤(あつ)く、寛仁(かんじん)徳望を兼備している英傑といえば董卓を措(お)いては、他に人物はない。必ずや将来大業(たいぎょう)を成(な)す人はまずあの将軍だろうな」 「そうかなあ。……やはり」 「足下はどう思う」 「いや、実はこの呂布も、日頃そう考えているが、なにしろ丁原と仲が悪いし、それに縁もないので――」 聞きもあえず李粛は、携(たずさ)えて来た金銀珠玉をそれに取り出して、 「これこそ、その董卓公から、貴公(きこう)へ礼物として送られた物だ。実は予(よ)はその使いとして来たわけだ」 「えっ。これを」 「赤兎馬(せきとば)も御自身の愛馬で、一城とも取り換えられぬ――と言っておられるほど秘蔵していた馬だが、御辺(ごへん)の武勇を慕(した)って、どうか上げてくれというおお言葉じゃ」 「ああ。それ迄(まで)この呂布を愛し給うか。何をもって、俺は知己の篤(あつ)い志に酬(むく)いたらいいのか」 「いや、それは易(やす)い事だ。耳を貸し給え」と、李粛は摺(す)り寄(よ)った。 陣帳(じんちょう)風暗く、夜は更(ふ)けかけていた。兵はみな睡(ねむ)りに落ち、時折、馴(な)れぬ厩(うまや)に繫(つな)がれた赤兎馬が、静寂(しじま)を破って、蹄(ひづめ)の音をさせているだけだった。 三 「……よしっ」 呂布は大きく頷(うなず)いた。 何事かを、その耳へ囁(ささや)いた李粛は、彼の怪しくかがやく眼を見つめながら、側(そば)を離れて、 「善は急げという。御決心がついたならすぐやり給え。予(よ)は、ここで酒を酌(く)んで、吉左右(きっそう)を待っていよう」 と、煽動(せんどう)した。 呂布は、直ちに、出て行った。 そして営の中軍(ちゅうぐん)に入って、丁原の幕中を窺(うかが)った。 丁原は、燈火(ともしび)をかかげて、書物を見ていたが、何者か入って来た様子に、 「誰だっ」と、振り向いた。 血相(けっそう)の変わった呂布が剣を抜いて突っ立っているので、愕然(がくぜん)と立ち、 「呂布ではないか。何事だ、その血相は」 「何事でもない。大丈夫たるもの何で汝(なんじ)が如き凡爺(ぼんや)の子となって朽(く)ちん」 「ばッ、ばかっ。もう一度言ってみい」 「何を」 呂布は、躍(おど)りかかるや否(いな)や、一刀の下に、丁原を斬り伏せ、その首を落とした。 黒血は燈火(ともしび)を消し、夜は惨(さん)として暗澹(あんたん)であった。 呂布(りょふ)は、狂える如く、中軍(ちゅうぐん)に立って、 「丁原(ていげん)を斬った。丁原は不仁(ふじん)なる故に、是(これ)を斬った。志ある者はわれに従(つ)け。不服な者は、我を去れっ」 と、大呼(たいこ)して馳(か)けた。 中軍は騒ぎ立った。去る者、従う者、混乱を極めたが、半ばは、ぜひもなく呂布について止(とど)まった。 この騒ぎが揚(あ)がると、 「大事成(な)れり」と、李粛(りしゅく)は手を打っていた。 やがて直ちに、呂布を伴い、董卓(とうたく)の陣へ帰って来て、事の次第を報告すると、 「でかしたり李粛」と、董卓のよろこびもまた、非常なものであった。 翌日、特に、呂布の為に盛宴をひらいて、董卓自身が出迎えるというほどの歓待ぶりであった。 呂布は、贈られたところの赤兎馬に跨(またあ)がって来たが、鞍(くら)を下りて、 「士はおのれを知る者の為に死すと言います。今、暗きを捨てて明らかなるに仕(つか)う日に会い、こんな欣(うれ)しい事はありません」と、拝跪(はいき)していった。 董卓もまた、 「今、大業の途に、足下のごとき俊猛(しゅんもう)を我が軍に迎えて、旱苗(かんびょう)に雨を見るような気がする」 と、手を打って、酒宴の席へ迎え入れた。 呂布は、有頂天(うちょうてん)になった。 しかもまた、黄金の甲(よろい)と錦袍(きんぽう)とをその日の引出物(ひきでもの)として貰(もら)った。恐るべき毒にまわされて、呂布は有頂天に酔った。好漢(こうかん)、惜(お)しむらくは眼前の慾望(よくぼう)に眩(くら)んで、遂に、青雲の大志を踏み誤ってしまった。 × × × 呂布は、檻(おり)に入った。 董卓はもう怖(おそ)ろしい者あるを知らない。その威勢は、旭日(きょくじつ)のように旺(さかん)だった。 自分は、前将軍を領(りょう)し、弟の董旻(とうびん)を、左将軍に任じ、呂布を騎都尉中郎将(きといちゅうろうしょう)の都亭侯(とていこう)に封(ほう)じた。 思う事ができない事はない。 ――が、まだ一つ、残っている問題がある。帝位の廃立である。李儒(りじゅ)は又、側(そば)にあって、頻(しき)りにその実現を彼にすすめた。 「よろしい。今度は断行しよう」 董卓は、省中に大饗宴を催して再び百官を一堂に招いた。 四 洛陽の都会人は、宴楽(えんらく)が好きである。わけて朝廷の百官は皆、舞楽をたしなみ、酒を愛し、長夜に亙(わた)るも辞さない酔客が多かった。 (――今日は、この間の饗宴の時よりも、だいぶ和(なご)やかに浮いているな) 董卓は、大会場の空気を見まわして、そう察していた。 時分(じぶん)は好(よ)し――と、 「諸卿(しょきょう)!」 董卓は卓から起(た)って、一場の挨拶(あいさつ)を試みた。 初めの演舌(えんぜつ)は、至極、主人側としてのお座なりなものであったから、人々はみな一斉に酒盞(しゅさん)を挙げて、「謝(しゃ)す。謝す」と声を和し、拍手の音も、暫(しば)し鳴(な)りも止(や)まなかった。 董卓は、その沸騰(ふっとう)ぶりを、自分への人気と見て、 「さて。――いつぞやは遂に諸公の御明判(ごめいはん)を仰(あお)いで議決するまでに至らなかったが、きょうはこの盛会と吉日を卜(ぼく)して、過日、未解決に了(おわ)った大問題をぜひ一決して、さらに盞(さん)を重ねたいと思うのであるが、諸公のお考えは如何(いかが)であるか」 と、現皇帝の廃位と陳留王の即位(そくい)推戴(すいたい)の事を、突然言い出した。 熱湯が冷めたように、饗宴の席は、一時にしんとしてしまった。 「…………」 「…………」 誰も彼も、この重大問題となると唖(おし)のように黙ってしまった。 すると、一つの席から、 「否(いな)!否」と、叫んだ者がある。 中軍の校尉(こうい)袁紹(えんしょう)であった。 袁紹は、敢然(かんぜん)、反対の口火を切って言った。 「借問(しゃもん)する!董(とう)将軍。――あなたは何が為に、好んで平地に波瀾(はらん)を招くか。一度ならず二度までも、現皇帝を廃して、陳留王をして御位に代わらしめんなどと、陰謀めいた事を定義されるのか」 董卓は、剣に手をかけて、 「だまれっ。陰謀とは何か」 「廃帝の議を密(ひそ)かに計るのが陰謀でなくてなんだ」 袁紹も負けずに呶鳴(どな)った。 董卓はまッ青になって。 「いつ密議したか。朝廷の百官を前において自分は信ずるところを言っておるのだ」 「この宴は私席である。朝議を議するならば、なぜ帝の玉座(ぎょくざ)の前で、なお多くの重臣や、太后(たいごう)の御出座をも仰(あお)いでせんか」 「えいっ、喧(やかま)しいっ。私席で嫌なら、汝(なんじ)よりまず去れ」 「去らん。おれは、陰謀の宴に頑張(がんば)って、誰が賛成するか、監視してやる」 「言ったな。貴様はこの董卓の剣は切れないと思っておるのか」 「暴言だっ。――諸君っ、今の声を、なんと聞くか」 「天下の権は、予(よ)の自由だ。予の説に不満な輩(やから)は、袁紹と共に、席を出て行けっ」 「ああ。妖雷(ようらい)声をなす、天日(てんじつ)も真(ま)っ悔(くら)だ」 「世(よ)まい言(ごと)を申しておると、一刀両断だぞ。去れっ、去れっ、異端者め」 「誰が居(い)りか、こんな所に」 袁紹は、身を慄(ふる)わせながら、席を蹴って飛び出した。 その夜のうち、彼は、官へ辞表を出して、遠く冀州(きしゅう)の地へ奔(はし)ってしまった。 五 席を蹴って、袁紹が出て行ってしまうと、董卓は、やにわに、客席の一方を強く指して、 「太傅(たいふ)袁隗(えんかい)!袁隗をこれへ引っ張って来い」 と、左右の武士に命じた。 袁隗はまッ蒼(さお)な顔をして、董卓の前へ引きずられて来た。彼は、袁紹の伯父(おじ)にあたる者だった。 「こら、汝(なんじ)の甥(おい)が、予(よ)を恥ずかしめた上、無礼を極めて出ていった態(てい)は、その眼で慥(しか)と見ていたであろうが。――ここで汝の首を斬る事を事を予(よ)は知っているが、その前に、一言訊(き)いてつかわす。此世(このよ)と冥途(めいど)の辻(つじ)に立ったと心得て、肚(はら)をすえて返答をせい」 「はっ……はいっ」 「汝は、この董卓が宣言した帝位廃立をどう思う?賛同するか、それとも、甥の奴(やつ)と同じ考えか」 「尊命の如し――であります」 「尊命の如しとは?」 「あなたの御宣言が正しいと存じます」 「よしっ。然(しか)らばその首をつなぎ止めてやろう。他の者はどうだ。我すれに大事を宣(せん)せり。背(そむ)く者は、軍法をもって問わん」 剣を挙げて、雷(らい)の如く言った。 並居(なみい)る百官も、慴伏(しょうふく)して、もう誰ひとり反対をさけぶ者もなかった。 董卓は、かくて、威圧的に百官に宣誓させて、又、 「侍中(じちゅう)周毖(しゅうひ)!校尉(こうい)伍瓊(ごけい)!義郎(ぎろう)何顒(かぎょう)!――」 と、いちいち役名と名を呼びあげて、その起立を見ながら厳命を発した。 我に背(そむ)いた袁紹は、必ずや夜のうちに、本国冀州へさして逃げ帰る心にちがいない。彼にも兵力があるから油断はするな。すぐ精兵を率いて追い討ちに打って取れ」 「はっ」 三将のうち、二人は命を奉じて、すぐ去りかけたが、侍中周毖(しゅうひ)のみは、 「あいや、怖(おそ)れながら、仰(おお)せは御短慮(ごたんりょ)かと存じます。上策とは思われません」 「周毖っ。汝(なんじ)も背(そむ)く者か」 「いえ、袁紹(えんしょう)の首一つ獲(と)るために、大乱の生じるのを怖れるからです。彼は平常、恩徳を布(し)き、門下には吏人(りにん)も多く、国には財があります。袁紹叛旗(はんき)を立てたりと聞こえれば、山東の国々ことごとく騒いで、それらが、一時にものを言いますぞ」 「ぜひもない。予(よ)に背く者は討(う)つあるのみだ」 「ですが、元来、袁紹という人物は、思慮はあるようでも、決断のない男です。それに天下の大勢を知らず、ただ憤怒(ふんど)に駆られてこの席をでたものの、あれは一種の恐怖です。なんであなたの覇業(はぎょう)を妨(さまた)げる程な害をなし得ましょうや。むしろ喰(く)らわすに利をもってし、彼を一郡の太守(たいしゅ)に封(ほう)じ、そっとして置くに限ります」 「そうかなあ?」 座右を顧(かえり)みて呟(つぶや)くと、蔡邕(さいよう)も大きに道理であると、それに賛意を表(ひょう)した。 「では、袁紹を追い討ちにするのは、見あわせとしよう」 「それがいいです。上策と申すものです」 口々から出る賛礼(さんらい)の声を聞くと、董卓はにわかに気が変わって、 「使いを立てて、袁紹を渤海郡(ぼっかいぐん)の太守に任命すると伝えろ」 と、厳命を変更した。 その後。 九月朔日(ついたち)のことである。 董卓は、帝を嘉徳殿(かとくでん)に請(しょう))じて、その日、文武の百官に、 ――今日出仕せぬ者は、斬首(ざんしゅ)に処(しょ)せん。 という布告を発した。そして殿上に抜剣して、玉座(ぎょくざ)をもしり目に、 「李儒(りじゅ)、宣文(せんぶん)を読め」 と股肱(ここう)の彼にいいつけた。 六 予定の計画である。李儒は、はっと答えるなり、用意の宣言文を披(ひら)いて、 「策文(さくもん)っ――」 と高らかに読み始めた。 孝霊皇帝(コウレイコウテイ) 眉寿ノ祚(サイワイ)ヲ究(キワ)メズ 早(ハヤ)ク臣子(シンシ)ヲ棄(ス)テ給(タマ)ウ 皇帝承(ウ)ケ紹(ツイ)デ 海内側望(カイダイソクボウ)ス 而(シカ)シテ天資軽佻(テンシケイチョウ) 威儀(イギ)恪(ツツシ)マズシテ慢惰(マンダ) 凶徳(キョウトク)スデニ兆(アラワ)レ 神器(シンキ)ヲ損(ソコナ)イ辱(ハズカシ)メ宗廟(ソウビョウ)汚(ケガ)ル 太后(タイゴウ)亦(マタ)教(オシ)エニ母儀(ボギ)ナク 政治(マツリゴト)統(スベ)テ荒乱(コウラン) 衆論(シュウラン)爰(ココ)ニ起(オ)コル大革(タイカク)ノ道(ミチ) 李儒は、更に声を大にして読みつづけていた。 百官の面(おもて)は色を失い、玉座の帝はおののき慄(ふる)え、嘉徳殿上寂(せき)として墓場のようになってしまった。 すると突然、 「噫(ああ)、噫……」 と、嗚咽(おえつ)して泣く声が流れた。帝の側(そば)にいた何太后(かたいごう)であった。 太后は涙に咽(むせ)ぶの余り、遂に椅子から坐りくずれ、帝のすそにすがりついて、 「誰がなんと言っても、あなたは漢の皇帝です。うごいては不可(いけ)ませんよ。玉座から降(くだ)ってはなりませんよ」と、言った。 董卓は剣を片手に、 「今、李儒が読み上げたとおり、帝は暗愚(あんぐ)にして威儀(いぎ)なく、太后は教えに晦(くら)く母儀(ぼぎ)の賢(けん)がない。――依(よ)っつて、現帝を弘農王(こうのうおう)とし、何太后は永安宮(えいあんきゅう)に押(お)し籠(こ)め、代わるに陳留王(ちんりゅうおう)をもって、われらの皇帝として奉戴(ほうたい)する」 言いながら、帝を玉座から引き降ろして、その璽綬(じじゅ)を解(と)き、北面(ほくめん)して臣下の列の中へ無理に立たせた。 そして、泣き狂う何太后(かたいごう)をも、即座にその后衣(こうい)を剝(は)いで、平衣(へいい)とさせ、後列へ退(しりぞ)けたので、群臣も思わず眼を掩(おお)うた。 時に。 ただ一人、大音(だいおん)をあげて、 「待てっ逆臣っ。汝(なんじ)董卓、そも誰(たれ)から大権を享(う)けて、天を欺(あざむ)き、聖明(せいめい)の天子を、強(し)いて私(ひそ)かに廃せんとするか。――如(し)かず!汝と共に刺(さ)し交(ちが)えて死のう」 言うや否(いな)や、群臣のうちから騒ぎ出して、董卓を目がけて短剣を突きかけて来た者があった。 尚書(しょうしょ)丁管(ていかん)と言う若い純真な宮内官(くないかん)であった。 董卓は、愕(おどろ)いて身を交(かわ)しながら、醜い声をあげて救(たす)けを叫んだ。 刹那(せつな)―― 「うぬっ、何するかっ」 横から跳びついた李儒(りじゅ)が、抜き打ちに丁管(ていかん)の首を斬った。同時に、武士等の刃(やいば)もいちどに丁管の五体に集まり、殿上はこの若い一義人の鮮血で彩(いろど)られた。 さはあれ、ここに。 董卓は遂にその目的を達し、陳留王を天子の位に即(つ)け奉(たてまつ)り、百官もまた彼の暴威(ぼうい)に怖れて、万歳を唱和した。 そして、新しき皇帝を献帝(けんてい)と申し上げることになった。 だが、献帝はまだ年少である。何事も董卓の意のままだった。 即位の式がすむと、董卓は自分を相国(しょうこく)に封(ほう)じ、楊彪(ようひょう)を司徒とし、黄琬(こうえん)を太尉(たいい)に、荀爽(じゅんそう)を司空(しくう)に、韓馥(かんふく)を冀州の牧(ぼく)に、張資(ちょうし)を南陽の太守(たいしゅ)に――と言ったように、地方官の任命も輦下(れんか)の朝臣の登用(とうよう)も、みな自分の腹心をもって当て、自分は相国として、宮中にも沓(くつ)を穿(は)き、剣を佩(は)いて、その肥大した体驅(たいく)を反(そ)らして、わが物顔に殿上に横行していた。 同時に。 年号も初平(しょへい)元年と改められた。
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童学草舎(どうがくそうしゃ) 一 城壁の望楼(ぼうろう)で、今(いま)し方(がた)、鼓(こ)が鳴った。 市(いち)は宵(よい)の燈(ひ)となった。 張飛(ちょうひ)は一度、市(いち)の辻(つじ)へ帰った。そして昼間展(ひろ)げていた猪(いのこ)の露店(ろてん)をしまい、猪の股(また)や肉切(にくきり)包丁(ぼうちょう)などを苞(つと)に括(くく)って持つと又馳(か)け出(だ)した。 「やあ、遅かったか」 城内の街(まち)から城外へ通じるそこの関門は、もう閉まっていた。 「おうい。開(あ)けてくれっ」 張飛は、望楼を仰(あお)いで、駄々(だだ)っ子(こ)のように呶鳴(どな)った。 関門の傍(かたわら)の小さい兵舎から五、六人ぞろぞろ出て来た。途方もない馬鹿者に訪れられたように、からかい半分に叱(しか)りとばした。 「こらっ。何を喚(わめ)いておるか。関門が閉まったからには、霹靂(へきれき)が墜(お)ちても、開けることはできない。なんだ貴様(きさま)はいったい」 「毎日、城内の市へ、猪の肉を売りに出ておる者だが」 「なるほど、こやつは肉売りだ。なんで今頃、寝呆(ねぼ)けて関門へやって来たのか」 「用が遅れて、閉門の時刻までに、帰りそびれてしまったのだ。開けてくれ」 「正気か」 「酔うてはいない」 「ははは。こいつ酔っぱらっているに違いない。三べんまわってお辞儀をしろ」 「なに」 「三度ぐるりと廻って、俺(おれ)たちを三拝(さんぱい)したら通してやる」 「そんな事はできぬが、このとおりお辞儀はする。さあ、開けてくれ」 「帰れ帰れ。何百遍(ぺん)頭を下げても、通すわけにはゆかん。市(いち)の軒下(のきした)へでも寝て、あした通れ」 「あした通っていいくらいなら頼みはせん。通さぬとあれば、汝等(おまえら)をふみ潰(つぶ)して、城壁を躍(おど)り越(こ)えてゆくがいいか」 「こいつが・・・・・・」と呆(あき)れて、 「いくら酒の上にいたせ、よい程に引っ込まぬと、素(そ)ッ首(くび)を刎(は)ね落(お)とすぞ」 「では、どうしても、通さぬというか。おれに頭を下げさせて置きながら」 張飛は、そこらを見廻した。酔いどれとは思いながら、雲(くも)突(つ)くような巨漢(おおおとこ)だし、無気味な眼の光に関(かま)わずにいると、ずかずかと歩み出して、城壁の下に立ち、役人以外は登ることを厳禁してある鉄梯子(かなばしご)へ片足をかけた。 「こらっ。どこへ行く」 ひとりは、張飛の腰の紐帯(ちゅうたい)をつかんだ。他の関門兵は、槍(やり)を揃(そろ)えて向けた。 張飛は、髯(ひげ)の中から、白い歯を見せて、人馴(ひとな)つこい笑い方をした。 「いいじゃないか。野暮(やぼ)を言わんでも・・・・・・」 そして携(たずさ)えている猪(いのこ)の肉の片股(かたもも)と肉切(にくきり)包丁(ぼうちょう)とを、彼等の目のまえに突き出した。 「これをやろう。貴公等(きこうら)の身分では、滅多(めった)に肉も喰(く)らえまい。これで寝酒でもやったほうが、俺に撲(なぐ)り殺(ころ)されるより遥かにましじゃろうが」 「こいつが、言わしておけば――」 又一人、組みついた。 張飛は、猪の股を振り上げて、突き出して来る槍を束にして払い落とした。そして自分の腰と首に組みついている二人の兵は蠅(はえ)でもたかっているように、そのまま振りのけもせず、二丈余の鉄梯子を馳(か)け登(のぼ)って行った。 「や、やっ」 「狼藉者(ろうぜきもの)っ」 「関門破(やぶ)りだっ」 「出合え。出合えっ」 狼狽(ろうばい)して、わめき合う人影のうえに、城壁の上から、二箇(こ)の人間が飛んで来た。勿論(もちろん)、投げ落とされた人間も血漿(けっしょう)の粉になり、下になった人間も、肉餅(にくべい)のように圧潰(おしつぶ)れた。 二 物音に、望楼(ぼうろう)の守兵(しゅへい)と、役人等が出て見た時は、張飛はもう二丈余の城壁から、関外(かんがい)の大地にとび降りていた。 「黄匪(こうひ)だっ」 「間諜(かんちょう)だ」 警鼓(けいこ)を鳴らして、関門の上下で騒いでいたが、張飛はふり向きもせず、疾風(しっぷう)のように馳(か)けて行った。 五、六里も来ると一条の河があった。蟠桃河(ばんとうが)の支流である。河向こうに約五百戸ほどの村が墨(すみ)のような夜靄(よもや)のなかに沈んでいる。村へはいってみるとまだそう夜も更(ふ)けていないので、所々の家の灯皿(ほざら)に薄暗い明りがゆらいでいる。 楊柳(ようりゅう)に囲まれた寺院がある。塀(へい)のそって張飛は大股(おおまた)に曲がって行った。すると大きな棗(なつめ)の木が五、六本あって、隠士(いんし)の住居とも見える閑寂(かんじゃく)な庭があった。門柱はあるが扉(と)はない。そしてそこの入り口に、 童学草舎(どうがくそうしゃ) という看板が懸(か)かっていた。 「おういっ。もう寝たのか。雲長(うんちょう)、雲長」 張飛は、烈(はげ)しく、奥の家の扉をたたいた。すると横の窓に、薄い灯(ひ)が映(さ)した。帳(とばり)を揚(あ)げて誰か窓から首を出したようであった。 「だれだ」 「それがしだ」 「張飛か」 「おう、雲長」 窓の灯が、中の人影といっしょに消えた。間もなく、佇(たたず)んでいる張飛の前の扉が開かれた。 「何用だ。今頃――」 手燭(てしょく)に照らされてその人が面(おもて)が昼見るよりもはっきり見えた。まず驚くべきことは、張飛にも劣らない背丈と広い胸幅であった。その胸には又、張飛よりも長い腮髯(あごひげ)がふっさりと垂(た)れていた。毛の硬(こわ)い者は粗暴で神経もあらいという事がほんとなら、雲長(うんちょう)というその者の髯のほうが、彼のものよりは軟(やわ)らかで素直でそして長いから、同時に張飛よりも此人(この人)のほうが智的(ちてき)にすぐれていると言えよう。 智的(ちてき)といえば、額(ひたい)もひろい。眼は鳳眼(ほうがん)であり、耳朶(じだ)は豊かで、総じて、体の巨(おお)きいわりに肌目(きめ)こまやかで、音声(おんせい)もおっとりしていた。 「いや、夜中とは思ったが、一刻も早く、尊公(そんこう)にも聞かせたいと思って――欣(よろこ)びを齎(もたら)して来たのだ。 張飛の言葉に、 「又、それを肴(さかな)に、飲もうというのじゃないかな」 「ばかをいえ。それがしを、そう飲んだくれとばかり思うているから困る。平常の酒は、鬱懐(うっかい)をはらす為(ため)に飲むのだ。今夜はその鬱懐もいっぺんに散じて、愉快でならない吉報を携(たずさ)えて来たのだ。酒がなくても、ずいぶん話せる事だ。あればなおいいが」 「ははははは。まあ入れ」 暗い廊(ろう)を歩いて、一室に二人はかくれた。その部屋の壁には、孔子(こうし)やその弟子たちの聖賢(せいけん)の図が懸かっていた。又、たくさんな机が置いてあった。門柱に見えるとおり、童学草舎(どうがくそうしゃ)は村の寺小屋(てらごや)であり、主(あるじ)は村童の先生であった。 「雲長――いつも話の上でばかり語っていたことだが、俺(おれ)たちの夢がどうやらだんだん夢でっはなく、現実になって来たらしいぞ。実はきょう、前からも心がけていたが――かねて尊公にもはなしていた劉備という漢(おとこ)――それに偶然市(いち)で出会ったのだ。突っ込んだ話をしてみたところ、果たして、ただの土民ではなく、漢室の宗族(そうぞく)景帝(けいてい)の裔孫(えいそん)ということがわかった。しかも英邁(えいまい)な青年だ。さあ、これから楼桑村の彼の家を訪れよう。雲長、支度はそれでよいか」 三 「相かわらずだのう」 雲長は笑ってばかりいる。張飛がせきたてても、なかなか腰を上げそおうもないので、張飛は、 「何が相かわらずだ」と、やや突っかかるような言葉で反問した。 「だって」と雲長は又笑い、「これから楼桑村へ行けば、真夜半(まよなか)を過ぎてしまう。初めての家を訪問するのに、あまり礼を知らぬ事に当たろう。なにも、明日(あす)でも明後日(あさって)でもよいではないか。さあと言えば、それというのが、貴公の性質だが、大丈夫(だいじょうぶ)たる者はよろしくもっと沈重(しんちょう)な態度であって欲しいなあ」 せっかく、一刻も早く欣(よろこ)んでもらおうと思って来たのに、案外、雲長が気のない返辞なので、 「ははあ。雲長。尊公はまだそれがしの話を、半信半疑で聞いておるんじゃないか。それで、渋(しぶ)ッたい面(おもて)をしておるのだろう。おれの事を、いつも短気というが、尊公の性質は、むしろ優柔不断(ゆうじゅうふだん)というやつだ。壮図(そうと)を抱く勇者たる者は、もっと事に当たって、果断(かだん)であって欲しいものだ」 「ははははは。やり返したな。しかしおれは考えるな。なんといわれても、もっと熟慮(じゅくりょ)してみなければ、迂闊(うかつ)に、景帝の玄孫(げんそん)などという男には会えんよ。――世間に、よくあるやつだからな」 「そら、そのとおり、拙者(せっしゃ)の言(げん)を疑っておるのではないか」 「疑ぐるのが常識で、疑わない貴公が元来、生一本(きいっぽん)の莫迦(ばか)正直(しょうじき)というものじゃ」 「聞き捨てならんことを言う。おれがどうして莫迦正直か」 「ふだんの生活でも、のべつ人に騙(だま)されておるではないか」 「おれはそんなに騙されたおぼえはない」 「騙されても、騙されたと覚(さと)らぬ程、尊公はお人が好(よ)いのだ。それだけの武勇をもちながら、いつも生活に困って、窮迫(きゅうはく)したり流浪(るろう)したり、皆、尊公(そんこう)の浅慮(せんりょ)がいたすところである。その上、短気ときているので、怒ると、途方もない暴(ぼう)をやる。だから張飛は悪いやつだと反対な誤解をまねいたりする。すこし反省せねばいかん」 「おい雲長(うんちょう)。拙者(せっしゃ)は今夜、なにも尊公の叱言(こごと)を聞こうと思って、こんな夜中(やちゅう)、やって来たわけではないぜ」 「だが、貴公とわしとは、かねて、お互いの大志を打ち明け、義兄弟の約束をし、わしは兄、貴公は弟と、固く心結び合った仲だ。――だから弟の短所を見ると、兄たるわしは、憂(うれ)えずにはいられない。まして、秘密の上にも秘密にすべき大事は、世間へ出て、二度や三度会ったばかりの漢(おとこ)へ、軽率に話したりなどするのはよろしくない事だ。そのうえ人の言をすぐ信じて、真夜中もかまわずすぐ訪れようなんて・・・・・・どうもそういう浅慮(あさはか)では案じられてならん」 雲長は、劉備の家を訪問するなどもってのほかだと言わぬばかりなのである。彼は、張飛にとって、いわゆる義兄弟の義兄ではあるし、物わかりもすぐれているので、話が、理になって来ると、いつも頭は上がらないのであった。 出ばなを挫(くじ)かれたので、張飛はすっかり悄気(しょげ)てしまった。雲長は気の毒になって、彼の好きな酒を出して与えたが、 「いや、今夜は飲まん」 と、張飛はすっかり無口になって、その晩は、雲長の家で寝てしまった。 夜が明けると、学舎に通う村童が、わいわいと集まって来た。雲長は、よく子供等に馴(な)じまれていた。彼は、子供等に孔孟(こうもう)の書を読んで聞かせ、文字を教えるなどして、もう他念なき村夫子(そんぷうし)になりすましていた。 「又、そのうちに来るよ」 学舎の窓から雲長に言って、張飛は黙々とどこかへ出て行った。 四 むっとして、張飛は、雲長の家の門を出た。門を出ると、振り向いて、 「ちぇっ。なんていう煮え切らない漢(おとこ)だろう」と門へ罵(ののし)った。 楽しまない顔色は、それでも癒(い)えなかった。村の居酒屋へ来ると、ゆうべから渇(かわ)いていたように、すぐ呶鳴(どな)った。 「おいっ、酒をくれい」 朝の空腹(すきはら)に斗酒(としゅ)を容(い)れて、張飛は少し、眼のふちを赤黒く染めた。 やや気色が晴れて来たとみえて居酒屋の亭主に、冗戯(じょうだん)など言い出した。 「おやじ、お前んとこの鶏(とり)は、俺に喰(く)われたがって、俺の足元にばかり纏(まと)って来やがる。喰ってもいいか」 「旦那(だんな)、召(め)し喰(あ)がるなら、毛をむしって、丸揚(まるあ)げにしましょう」 「そうか。そうしてくれればなおいいな。あまり鶏めが慕(した)ってくるから、生(なま)で喰(や)ろうと思っていたんだが」 「生肉をやると腹に虫がわきますよ、旦那」 「ばかを言え。鶏の肉と馬の肉には寄生虫は棲(す)んでおらん」 「へエ。そうですか」 「体熱が高いからだ。総(すべ)て低温動物ほど寄生虫の巣だ。国にしてもそうだろう」 「へい」 「おや、鶏が居(い)なくなった。おやじもう釜(かま)へ入れたのか」 「いえ。お代(だい)さえ戴(いただ)けば、揚げてあるやつをすぐお出しいたしますが」 「銭(ぜに)はない」 「ごじょうだんを」 「ほんとだよ」 「では、御酒(ごしゅ)のお代(だい)のほうは」 「この先の寺の横丁(よこちょう)を曲がると、童学草舎(どうがくそうしゃ)という寺小屋があるだろう。あの雲長(うんちょう)のとこへ行って貰(もら)って来い」 「弱りましたなあ」 「何が弱る。雲長という漢(おとこ)は、武人のくせに、金に困らぬやつだ。雲長はおれの兄哥(あにき)だ。弟の張飛が飲んで行ったといえば、払わぬわけにはゆくまい。――おいっ、もう一杯注(つ)いで来い」 亭主は、如才(じょさい)なく、彼を宥(なだ)めておいて、その間に、女房を裏口からどこかへ走らせた。雲長の家へ問合せにやったものとみえる。間もなく、帰って来て何かささやくと、 「そうかい。じゃあ飲ませても間違いあるまい」 おやじはにわかに、態度を変えて、張飛の飲みたい放題に、酒を注ぎ鶏(とり)の丸揚(まるあ)げも出した。 張飛は丸揚げを見ると、 「こんな、鶏の乾物(ひもの)など、俺の口には合わん。俺は動いている奴(やつ)を喰(く)いたいのだ」 と、そこらに居(い)る鶏を捉(とら)えようとして、往来(おうらい)まで追って行った。 鶏は羽ばたきして、彼の肩を跳び越えたり、彼の危うげな股(また)をくぐって逃げ廻ったりした。 すると、頻(しきり)に、村の軒並を物色して来た捕吏(ほり)が、張飛のすがたを認めると、率(ひ)きつれている十名ほどの兵へにわかに命令した。 「あいつだ。ゆうべ関門を破った上、衛兵を殺して逃げた賊(ぞく)は。――要心してかかれ」 張飛は、その声に、 「何だろ?」と、怪訝(いぶか)るように、あたりを酔眼(すいがん)で見まわした。一羽の鶏が彼の手に脚(あし)をつかまえられて、けたたましく啼(な)いたり羽ばたきを搏(う)っていた。 「賊匪(ぞくひ)」 「遁(のが)さん」 「神妙(しんみょう)に縄にかかれ」 捕吏と兵隊に取り囲まれて、張飛は初めて、おれの事かと気づいたような面持(おももち)だった。 「何か用か」 周(あた)りの槍(やり)を見まわしながら、張飛は、若鶏の脚を引(ひ)っ裂(さ)いて、その股の肉を横に咥(くわ)えた。 五 酔うと酒癖(さけくせ)のよくない張飛であった。それといたずらに殺伐(さつばつ)を好む癖は、二つの欠点であるとは常々、雲長からもよく言われている事だった。 鶏を裂いて、股を喰らうぐらいな酒の上は、彼としては、いと穏当(おんとう)な芸である。――だが、捕吏や兵隊は驚いた。鶏の血は張飛の唇のまわりを染め、その烱々(けいけい)たる眼(まなこ)は怖(おそ)ろしく不気味であった。 「なに?・・・・・・乃公(おれ)を捕まえに来たと。・・・・・・わははははは。あべこべに取(と)っ捉(つか)まって、このとおりになるなよ」 裂いた鶏を、眼の高さに、上げて示しながら、張飛は取り囲む捕吏と兵隊を揶揄(やゆ)した。 捕吏は怒って、 「それっ、酔いどれに愚図愚図(ぐずぐず)言わすな。突き殺してもかまわん。かかれっ」と、呶号(どごう)した。 だが、兵隊たちは、近寄れなかった。槍(やり)ぶすまを並べたまま、彼の周囲を巡(めぐ)りまわったのみだった。 張飛は、変な腰つきをして、犬みたいに突(つ)く這(ば)った。それがよけいに捕吏や兵隊を恐怖させた。彼の眼が向かったほうへ飛びかかって来る支度だろうと思ったからである。 「さあ、大きな鶏(とり)ども奴(め)、一羽一羽ひねり潰(つぶ)すから逃げるなよ」 張飛は言った。 彼の頭には未(ま)だ鶏を追いかけ廻している戯(たわむ)れが連続していて、捕吏の頭にも、兵隊の頭にも、鶏冠とさか)が生(は)えているように見えているらしかった。 大きな鶏共は呆(あき)れ且(か)つ怒り心頭に発して、 「野郎っ」と、喚(わめ)きながら一人が槍で撲(なぐ)った。槍は正確に、張飛の肩の辺へ当たったが、それは猛虎(もうこ)の髯(ひげ)に触れたも同じで、張飛の酔(よい)をして勃然(ぼつぜん)と遊戯から殺伐(さつばつ)へと転向させた。 「やったな」 槍(やり)を引(ひ)っ奪(た)くると、張飛はそれで、莚(むしろ)の豆幹(まめがら)でも叩(たた)くように、周(まわ)りの人間を叩き出した。 叩かれた捕吏や兵隊も、初めて死にもの狂いになり始めた。張飛は、面倒と言いながら槍を虚空(こくう)へ投げた。虚空へ飛んだ槍は、唸(うな)りを起こしたままどこまで飛んで行ったか、なにしろその附近には落ちてこなかった。 鶏の悲鳴以上な叫喚(きょうかん)が、一瞬のまに起こって、一瞬の間に熄(や)んでしまった。 居酒屋のおやじ、居合わせた客、それから往来の者や、附近の人たちは皆、家の中や木陰(こかげ)に潜(ひそ)んで、どうなる事かと、息をころしていたが、あまりにそこが、急に墓場のような寂寞(しじま)になったので、そっと首を出して往来をながめると、噫(ああ)――と誰も呻(うめ)いたままで口もきけなかった。 首を払われた死骸(しがい)、血へどを吐(は)いた死骸、眼のとび出している死骸などが、惨(さん)として、太陽の下に曝(さら)されている。 半分は、逃げたのだろう。捕吏も兵隊も、誰もいない。 張飛は? と見ると、これは又、悠長(ゆうちょう)なのだ。村端(むらはず)れのほうへ、後ろ姿を見せて、寛々(かんかん)と歩いてゆく。 その袂(たもと)に、春風はのどかに動いていた。酒のにおいが、遠くにまで、漂(ただよ)って来るように――。 「たいへんだ。おい、早く、この事を、雲長先生の家へ知らせて来い。あの漢(おとこ)が、ほんとに、先生の舎弟(しゃてい)なら、これは彼(あ)の先生も、ただでは済まないぞ」 居酒屋のおやじは、自分のおかみさんへ喚(わめ)いた。だが、彼の妻は顫(ふる)えているばかりで役に立たないので、遂(つい)に自分であたふたと、童学草舎の横丁へ、馳(か)け蹌(よろ)めいて行った。
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十常侍(じゅうじょうじ) 一 「劉氏(りゅううじ)。もし、劉氏ではありませんか」 誰か呼びかける人があった。 その日、劉玄徳(りゅうげんとく)は、朱儁(しゅしゅん)の官邸を訪ねることがあって、王城内の禁門(きんもん)の辺りを歩いていた。 振り向いてみると、それは郎中(ろうちゅう)張鈞(ちょうきん)であった。張鈞は今、参内(さんだい)するところらしく、従者に輿(こし)を昇(かつ)がせそれに乗っていたが、玄徳の姿を見かけたので、「沓(くつ)を」と従者に命じて、輿から身を降ろしていた。 「おう、どなたかと思うたら、張鈞閣下でいらっしゃいましたか」 玄徳は、敬礼を施(ほどこ)した。 この人はかつて、盧植を陥(おとしい)れた黄門(こうもん)左豊(さほう)などと共に、監軍(かんぐん)の勅使(ちょくし)として、征野(せいや)へ巡察に来た事がある。その折、玄徳とも知って、お互いに世事を談じ、抱懐(ほうかい)を話し合ったりした事もある間なので、 「思いがけない所でお目にかかりましたな、御健勝のていで、何よりに存じます」 と、久闊(きゅうかつ)を叙(の)べた。 郎中張鈞(ちょうきん)は、そういう玄徳の、従者も連れていない、しかも、かつて見た征衣(せいい)のまま、この寒空を孤影悄然(しょうぜん)と歩いている様子を怪訝(いぶか)しげに打(う)ち眺(なが)めて、 「貴公(きこう)は今どこで何をしておられるのですか。少しお痩(や)せになっているようにも見えるが」 と、かえって玄徳の境遇を反問した。 玄徳は、ありのままに、何分(なにぶん)にも自分には官職がないし、部下は私兵と見なされているので、凱旋(がいせん)の後も、外城より入るを許されず、又、忠誠の兵たちにも、この冬に向かって、一枚の暖かい軍衣、一片の賞禄(しょうろく)をも頒(わ)け与(あた)えることができないので、せめて外城の門衛に立っていても、霜をしのぐに足る暖衣と食糧とを恵まれんことを乞(こ)うために、きょう朱儁(しゅしゅん)将軍の官邸まで、願書を携(たずさ)えて、出向いて来たところです、と話した。 「ほ……」 張鈞は驚いた顔をして、 「では、足下(そっか)はまだ、官職にも就(つ)かず、又、こんどの恩賞にもあずかていないんですか」 と、重ねて糺(ただ)した。 「はい、沙汰(さた)を待てとの事に、外城の門に屯(たむろ)しています。けれどもう冬は来るし、部下が不愍(ふびん)なので、お訴(うった)えに出て来たわけです」 「それは初めて知りました。皇甫嵩(こうほすう)将軍は、功によって、益州(えきしゅう)の太守(たいしゅ)に封(ほう)じられ、朱儁は都へ凱旋すると直ちに車騎将軍(しゃきしょうぐん)となり河南(かなん)の尹(いん)に封ぜられている。あの孫堅(そんけん)さえ内縁あって、別部司馬(べつぶしば)に叙(じょ)せられたほどだ。――いかに功が無いといっても、貴君(あなた)の功は孫堅以下ではない。いや或(あ)る意味では、こんどの掃匪征賊(そうひせいぞく)の戦(いくさ)で、最も苦戦に当って、忠誠をあらわした軍は、貴下の義軍であったと言ってもよいのに」 「…………」 玄徳の面(おもて)に、鬱々(うつうつ)たるものがあった。彼は、朝廷の命なるがままに、思うようにしているふうだった。そして部下の不愍を身の不遇以上にあわれと思いしめて嚙(か)んでいる唇の態(てい)であった。 「いや、よろしい」 やがて張鈞はつよく言った。 「それも、これも、思い当たることがある。地方の騒賊を掃(はら)っても、社稷(しゃしょく)の鼠巣(そそう)を掃わなかったら、四海の平安を長く保つことはできぬ。賞罰の区々(くく)不公平な点ばかりでなく、嘆くべきことが実に多い。――貴君(あなた)の事については、特に、帝へ奏聞(そうもん)そうもんしておこう。そのうち明朗な恩浴を蒙(こうむ)る事もあろうから、まあ気を腐(くさ)らせずに待つがよい」 郎中張鈞は、そう慰(なぐさ)めて、玄徳とわかれ、やがて参内して、帝に拝謁(はいえつ)した。 二 めずらしく帝のお側(そば)には誰もいなかった。 帝は、玉座(ぎょくざ)から言われた。 「張郎中(ちょうろうちゅう)。今日は何か、朕(ちん)に、折り入って懇願(こんがん)あるという事だから、近臣はみな遠ざけておいたぞ。気がねなく思う事を申すがよい」 張鈞は、階下に拝跪(はいき)して、 「帝の御聡明(ごそうめい)を信じて、臣(しん)張鈞は今日こそ、敢(あえ)て、お気に入らぬ事をも申し上げなければなりません。照々(しょうしょう)として、公明な御心(みこころ)をもて、暫時(ざんじ)、お聴きくださいまし」 「なんじゃ」 「ほかでもありませんが、君側(くんそく)の十常侍(じゅうじょうじ)の事に就(つ)いてです」 十常侍ときくと、帝のお眸(ひとみ)はすぐ横へ向いた。 御気色がわるい―― 張鈞にはわかっていたが、ここを冒(おか)して真実の言をすすめるのが忠臣の道だと信じた。 「臣が多くを申し上げないでも、御聡明な帝には、疾(と)くお気づきと存じますが、天下も今、漸(ようや)く平静に返ろうとして地方の乱賊も終熄(しゅうそく)したところです。この際、どうか君側(くんそく)の奸(かん)を掃(はら)い、御粛正(ごしゅくせい)を上(かみ)よりも示して、人民たちに暗天を憂(うれ)えなからしめ、業に安(やす)んじ、御徳政を謳歌(おうか)するように、御賢慮仰(あお)ぎたくぞんじまする」 「張郎中。なんできょうに限って、突然そんな事を言い出すのか」 「いや、十常侍(じゅうじょうじ)等が政事(せいじ)を紊(みだ)して帝の御徳(みどく)を晦(くろ)うし奉(たてまつ)っている事はきょうの事ではありません。私のみの憂いではありません。天下万民の怨(うら)みとするところです」 「怨み?」 「はい。たとえば、こんどの黄巾の乱でも、その賞罰には、十常侍の私心が、いろいろ働いていると聞いています。賄賂(まいない)をうけた者には、功なき者へも官禄(かんろく)を与え、然(しか)らざる者は、罪なくても官を貶(おと)し、いやもう、ひどい沙汰(さた)です」 帝の御気色は、いよいよ曇(くも)って見えた。けれど、帝は何も言われなかった。 十常侍(じゅうじょうじ)というのは、十人の内官(ないかん)の事だった。民間の者は、彼等を宦官(かんがん)と称した。君側の権をにぎり後宮(こうきゅう)にも勢力があった。 議郎(ぎろう)張讓(ちょうじょう)、議郎(ぎろう)趙忠(ちょうちゅう)、議郎(ぎろう)段珪(だんけい)、議郎(ぎろう)夏輝(かき)――などという十名が中心となって、枢密(すうみつ)に結束を作っていた。議郎とは、参議(さんぎ)という意味の役である。だからどんな枢密の政事にもあずかった。帝はまだお若くおられるし、そういう古池のぬしみたいな老獪(ろうかい)と曲者(くせもの)がそろっているので、彼等が遂行しようと思うことは、どんな悪政でもやって通した。 霊帝(れいてい)はまだ御弱年なので、その悪弊に気づかれていても、如何(いかん)ともする術(すべ)を御存じないl。又、張鈞の苦諫(くかん)に感動されても、何というお答えも出なかった。ただ眼を宮中の苑(にわ)へ反(そ)らしておられた。 「――遊ばしませ。御断行なさいませ。今がその時です。陛下、ひとえに、御賢慮をお決し下さいませ」 張鈞は、口を酸(す)くし、われとわが忠誠の情熱に、眦(まなじり)に涙をたたえて諫言(かんげん)した。 遂(つい)には、玉座(ぎょくざ)に迫(せま)って、帝の御衣(ぎょい)にすがって、泣訴(きゅうそ)した。帝は、当惑そうに、 「では、張郎中、朕(ちん)に、どうせいというのか」と問われた。 ここぞと、張鈞は、 「十常侍等を獄(ごく)に下(くだ)して、その首を刎(は)ね、南郊(なんこう)に梟(か)けて、諸人に罪文と共に示し給(たま)われば、人心自(おのず)ら平安となって天下は」 言いかけた時である。 「だまれっ。――まず汝(なんじ)の首より先に獄門に梟けん」 と、帳(とばり)の蔭(かげ)から怒った声がして、それと共に十常侍十名の者が踊り出した。みな髪(はつ)を逆立(さかだ)て、眦(まなじり)をあげながら、張鈞へ迫った。 張鈞は、あッと驚きの余り昏倒(こんとう)してしまった。 手当てされて、後に典医(てんい)から薬湯をもらったが、それを飲むと眠ったまま死んでしまった。 三 張鈞は、その時、そんな死に方をしなくても、帝へ忠諫(ちゅうかん)したことを十常侍(じゅうじょうじ)に聴かれていたから、必ずや、後に命を完(まっと)うすることはできなかったろう。 十常侍も、以来、 「油断しておると、とんでもない忠義ぶった奴(やつ)が現われるぞ」 と気がついたか、誡(いまし)め合(あ)って、帝の周囲は元(もと)より、内外の政に亙(わた)って、大いに警戒しているふうであった。 それもあるし、帝御自身も、功ある者のうちに、恩賞にも洩(も)れて不遇を喞(かこ)ち、不平を抑(おさ)えている者が尠(すくな)くないのに気がつかれたか、特に、勲功の再調査と、第二期の恩賞の実施とを沙汰(さた)された。 張鈞のことがあったので、十常侍も反対せず、むしろ自分等の善政ぶりを示すように、ほんの形ばかりな辞令を交付した。 その中に、劉備玄徳の名もあった。 それに依って、玄徳は中山府(ちゅうざんふ)(河北省・定州(ていしゅう))の安喜県(あんきけん)の尉(い)という官職についた。 県尉(けんい)といえば、片田舎(かたいなか)の一警察署長といったような官職にすぎなかったが、帝命をもって叙せられたことであるから、それでも玄徳は、ふかく恩を謝して、関羽、張飛を従えて、即座に、任地へ出発した。 勿論(もちろん)、一官吏となったのであるから、多くの手兵をつれてゆく事は許されないし、必要もないので五百余の手兵は、これを王城の軍府に託して、編入してもらい、ほんの二十人ばかりの者を従者として連れて行ったに過ぎなかった。 その冬は、任地へこえた。 わずか四ヵ月ばかりしか経(た)たないうちに、彼が役についてから、県中の政治は大いに革(あらた)まった。 強盗悪逆(あくぎゃく)の徒は、影をひそめ、良民は徳政に服して、平和な毎日を楽しんだ。 「張飛も関羽も、自己の器量に比べては、今の小吏のするような仕事は不服だろうが、暫(しばら)くは、現在に忠実であって貰(もら)いたい。時節は焦心(あせ)っても求め難い」 玄徳は、時折二人をそう言って慰(なぐさ)めた。それは彼自身を慰める言葉でもあった。 その代わり、県尉の任についてからも、玄徳は、彼等の下役のようには使わなかった。共に貧しきに居(お)り、夜も床を同じゅうして寝た。 するとやがて、河北(かほく)の野に芽ぐみ出した春と共に、 「天使の使いこの地に来(きた)る」 と、伝えられた。 勅使(ちょくし)の使命は、 「この度(たび)、黄巾の賊を平定したるに、軍功ありと詐(いつわ)りて、政廟(せいびょう)の内縁などたのみ、猥(みだ)りに官爵(かんしゃく)をうけ或(ある)いは、功ありと自称して、州都に私威(しい)を振う者多く聞こえ、能々(よくよく)、正邪(ぜいじゃ)を糺(ただ)さるべし」 という詔(みことのり)を奉じて下向(げこう)して来た者であった。 そういう沙汰が、役所へ達しられてから間もなく、この安喜県へも、督郵(とくゆう)という者が下(くだ)って来た。 玄徳等は、さっそく関羽、張飛などを従えて、督郵の行列を道に出迎えた。 何しろ、使いは、地方巡察の勅(ちょく)を奉じて来た大官であるから、玄徳たちは、地に坐(ざ)して、最高の礼を執(と)った。 すると、馬上の督郵は、 「ここが安喜県とは。ひどい田舎だな。何、県城はないのか。役所はどこだ。県尉(けんい)を呼べ。今夜の旅館はどこか、案内させて、ひとまずそこで休息しよう」 と言いながら、傲然(ごうぜん)と、そこらを見廻した。 四 勅使督郵の人もなげな傲慢(ごうまん)さを眺めて、 「いやに役目を鼻にかけるやつだ」と、関羽、張飛は、かたはらいたく思ったが、虫を抑(おさ)えて、一行の車騎(しゃき)に従い、県の役館にはいった。 やがて、玄徳は、衣服を正して、彼の前に、挨拶(あいさつ)に出た。 督郵は、左右に、随員の吏を侍立(じりつ)させ、さながら自身が帝王のような顔をして、高座に構(かま)えこんでいた。 「お前は何だ」 知れきっているくせに、督郵は上から玄徳等を見下(みくだ)した。 「県尉玄徳です。はるばるの御下向(ごげこう)、ご苦労にございました」 拝(はい)を施(ほどこ)すと、 「ああお前が当地の県の尉(い)か。途々(みちみち)、われわれ勅使の一行が参ると、うすぎたない住民共が、車騎に近づいたり、指さしたりなど、はなはだ猥雑(わいざつ)は態(てい)で見物しておったが、かりそめにも、勅使を迎えるに、なんという事だ。思うに平常の取締りも手ぬるいとみえる。もちっと王威を知らしめなければいかんよ」 「はい」 「旅館のほうの準備は整(ととの)うておるかな」 「地方のこととて、諸事おもてなしはできませんが」 「われわれは、きれい好きで、飲食は贅沢(ぜいたく)である。田舎の事だから仕方がないが卿等(けいら)が、勅使を遇(ぐう)するに、どういう心をもって歓待するか、その心もちを見ようと思う」 意味ありげなことを言ったが、玄徳には、よく解し得なかった。けれど、帝王の命をもって下って来た勅使であるから、真心をもって、応接した。 そして、ひとまず退(さが)ろうとすると、督郵(とくゆう)は又訊(き)いた。 「尉(い)玄徳。いったい卿(けい)は、当所の出身の者か、他県から赴任して来たのか」 「されば、自分の郷家は涿県(たくけん)で、家系は、中山靖王(ちゅうざんせいおう)の後胤(こういん)であります。久しく土民の中にひそんでいましたが、この度(たび)漸(ようや)く、黄巾の乱に小功あって、当県の尉に叙せられた者であります」 と、言うと、 「こらっ、黙れ」 督郵は、突然、高座から叱(しか)るように呶鳴(どな)った。 「中山靖王の後胤であるとか言ったな。けしからんことである。抑々(そもそも)、この度、帝がわれわれ臣下に命じて、各地を巡察せしめられたのは、そういう大法螺(おおぼら)をふいたり、軍功のある者だなどと詐(いつわ)って、自称豪傑や、自任官職の輩(やから)が横行する由(よし)を、お聞きになられたからである。汝(なんじ)の如き賤(いや)しき者が、天子の宗族(そうぞく)などと詐って、愚民に臨(のぞ)んでおるのは、けしからぬ不敬である。――すぐに帝へ奏聞(そうもん)し奉(たてまつ)って、追っての沙汰(さた)をいたすであろうぞ。退(さが)れっ」 「……はっ」 「退れ」 「…………」 玄徳は、唇をうごかしかけて、何か言わんとするふうだったが、益(えき)なしと考えたか、黙然と礼をして去った。 「いぶかしい人だ」 彼は督郵の随員に、そっと一室で面会を求めた。 そして、何で勅使が、御不興(ごふきょう)なのであろうかと、原因をきいてみた。 随員の下吏は、 「それや、あんた知れきっているじゃありませんか。なぜ今日、督郵閣下の前に出る時、賄賂(まいない)の金帛(きんぱく)を、自分の姿ほども積んでお見せしなかったんです。そしてわれわれ随員にも、それ相当の事を、いちはやく袖(そで)の下からする事が肝腎(かんじん)ですよ。何よりの歓迎というもんですな。ですから言ったでしょう督郵樣も、いかに遇するか心を見ておるぞよってね」 玄徳は、啞然(あぜん)として、私館へ帰って行った。 五 私館へ帰っても、彼は、怏々(おうおう)と楽しまぬ顔色であった。 「県の土民は、みな貧しい者ばかりだ。しかも一定の税は徴収して、中央へ送らなければならぬ。その上、なんで巡察の勅使や、大勢の随員に、彼等の満足するような賄賂(わいろ)を贈る余裕があろう。賄賂も土民の汗あぶらから出さねばならぬに、よく他の県吏には、そんなことができるものだ」 玄徳は、嘆息した。 次の日になっても、玄徳のほうからなんの贈り物もないので、督郵は、 「県吏をよべ」と、他の吏人(やくにん)を呼びつけ、 「尉(い)玄徳は、不埒(ふらち)な漢(おとこ)である。天子の宗族などと僭称(せんしょう)しておるのみか、ここの百姓共から、いろいろと怨嗟(えんさ)の声を耳にする。すぐ帝へ奏聞して、御処罰を仰ぐから、汝(なんじ)は、県吏を代表して、訴状(そじょう)を認(したた)めろ」 と言った。 玄徳の徳に服してこそはいるが、玄徳に何の落(お)ち度(ど)も考えられない県の吏(り)は、恐れわななくのみで、答えを知らなかった。 すると、督郵(とくゆう)も重ねて、 「訴状を書かんか、書かねば汝(なんじ)も同罪と見なすぞ」 と、脅(おど)した。 やむなく、県の吏は、有りもしない罪状を、督郵のいうままに並べて、訴状を書いた。督郵は、それを都へ急送し、帝の沙汰(さた)を待って、玄徳を厳罰に処せんと称した。 この四、五日。 「どうもおもしろくねえ」 張飛は、酒ばかり飲んでいた。 そう飲んでばかりいるのを、玄徳や関羽に知られると、意見されるし、又、この数日、玄徳も顔いろも、関羽の顔いろも、はなはだ憂鬱(ゆううつ)なので、彼はひとり、 「……どうもおもしろくねえ」を繰り返して、どこで飲むのか、姿を見せず飲んでいた。 その張飛が、熟柿(じゅくし)のような顔をして、驢(ろ)に乗って歩いていた。町中の者は県の吏人(やくにん)なので、驢と行きちがうと、丁寧(ていねい)に礼をしたが、張飛は、驢の上から落ちそうな恰好(かっこう)して、居眠(いねむ)っていた。 「やい、どこまで行く気だ」 眼をさますと、張飛は、乗っている驢にたずねた。驢は、てこてこと、軽い蹄(ひづめ)をただ運んでいた。 「おや、なんだ?」 役所の門前をながめると、七、八十名の百姓や町の者が、土下座して、何か喚(わめ)いたり、頭を地へすりつけたりしていた。 張飛は、驢を降りて、 「みんな、どうしたんだ。おまえ等、なにを役所へ泣訴(きゅうそ)しておるんだ」と、どなった。 張飛の姿を見ると、百姓たちは、声をそろえて言った。 「旦那(だんな)はまだなにも御存じないんですか。勅使さまは、県の吏人に、訴状を書かせて、都へさし送ったと申しますに」 「何の訴状をだ」 「日頃、わし等(ら)が、お慕(した)い申している、尉の玄徳さまが、百姓を虐(いじ)めなさるとか、苛税(かぜい)をしぼり取って、私腹を肥やしなすっているとか、何でも、二十ヵ条も罪をかき並べて、都へその訴状が差し廻され、お沙汰が来次第に、罰せられるとうわさに聞きましたで……。わし等、百姓共は、玄徳さまを、親のように思っているので、皆の衆と打(う)ち揃(そろ)うて、勅使さまへおすがりに来たろこえお、下吏(したやく)たちに叩き出(だ)され、このとおり、役所の門まで閉(し)められてしもうたので、ぜひなくこうしているとこでござりまする」 聞くと、張飛は、毛虫のような眉をあげて、閉めきってある役館の門をはったと睨(にら)みつけた。
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三花一瓶(さんかいっぺい) 一 母と子は、仕事の庭に、きょうも他念なく、蓆機(むしろばた)に向かって、蓆を織っていた。 がたん…… ことん かたん 水車の回(まわ)るような単調な音が繰り返されていた。 だが、その音にも、きょうはなんとなく活気があり、歓喜(かんき)の譜(ふ)があった。 黙々(もくもく)、仕事に精(せい)出してはいるが、母の胸にも、劉備(りゅうび)の心にも、今日此頃(このごろ)の大地のように、希望の芽が正々せいせい)と息づいていた。 ゆうべ。 劉備は、城内の市(いち)から帰って来ると、まっ先に、二つの吉事(きちじ)を告げた。 一人の良き友に出会った事と、かねて手放した家宝の剣が、計らず再び、自分の手に帰って来た事と、ふぉう二つの歓(よろこ)びを告げると彼の母は、 「一陽来復(いちようらいふく)。おまえにも次節が来たらしいね。劉備や……心の仕度もよいかえ」 と、かえって静かに声を低め、劉備の覚悟を糺(ただ)すように言った。 次節。――そうだ。 長い長い冬を経て、桃園の花も漸(ようや)く蕾(つぼみ)を破っている。土からも草の芽、木々の枝からも緑の芽、生命(いのち)のあるもので、萌(も)え出(で)ない物はなに一つ無い。 がたん…… ことん…… 蓆機は単調な音をくりかえしているが、劉備の胸は単調でない。こんな春らしい春を覚えた事はない。 ――我(われ)は青年なり。 空へ向かって言いたいような気持である。いやいや、老いたる母の肩にさえ、どこからか舞って来た桃花(とうか)の一片(ひとひら)が、紅(あか)く点じているのではないか。 すると、どこかで、歌う者があった。十二、三歳の処女の声だった。 妾(ショウ)ガ髪(カミ)初(ハジ)メテ額(ヒタイ)ヲ覆(オオ)ウ 花(ハナ)ヲ折(オ)ッテ門前(モンゼン)ニ戯(タワム)レ 郎(ロウ)ハ竹馬(チクバ)ニ騎(キ)シテ来(キタ)リ 床(ショウ)ヲ繞(メグ)ッテ青梅(セイバイ)ヲ弄(ロウ)ス 劉備は、耳を澄(す)ました。 少女の美音は、近づいて来た。 ……十四君(キミ)ノ婦(フ)ト為(ナ)ッテ 羞顔(ショウガン)未(イマ)ダ嘗(カツ)テ開(ヒラ)カズ 十五初(ハジ)メテ眉(マユ)を展(ノ)ベ 願(ネガ)ワクバ塵(チリ)ト灰(ハイ)トヲ共(トモ)ニセン 常(ツネ)ニ抱柱(ホウチュウ)ノ信(シン)ヲ存(ソン)シ 豈(アニ)上(ノボ)ランヤ望夫台(ボウフダイ) 十六君(キミ)遠(トオ)クヘ行(ユ)ク 近所に住む少女であった。早熟な彼女はまだ青い棗(なつめ)みたいに小粒であったが、劉備の家のすぐ墻隣(かきどなり)の息子に恋しているらしく、星の晩だの、人気(ひとけ)のない折の真昼など窺(うかが)っては、墻の外へ来て、よく歌をうたっていた。 「………」 劉備は、木蓮(もくれん)の花に黄金(きん)の耳環(みみわ)を通したような、少女の貌(かお)を眼に描いて、隣の息子を、なんとなく羨(うらや)ましく思った。 そしてふと、自分の心の底からも一人の麗人(れいじん)を思い出していた。それは、三年前の旅行中、古塔の下であの折に老僧にひき合わされた鴻家(こうけ)の息女、鴻芙蓉(こうふよう)のその後の消息であった。 ――どうしたろう。あれから先。 張飛に訊(き)けば、知っている筈(はず)である。こんど張飛に会ったら――など独(ひと)り考えていた。 すると、墻の外で、頻(しき)りに歌をうたっていた少女が、犬にでも嚙(か)まれたのか、突然、きゃっと悲鳴をあげて、そこかへ逃げて行った。 二 少女は犬に咬(か)まれたわけではなかった。 自分のうしろに、この辺で見た事もない、剣を佩(は)いた巨(おお)きな髯漢(ひげおとこ)が、いつのまにか来ていて、 「おい、小娘、劉備の家はどこだな」と、訊(たず)ねたのだった。 けれど、少女は振り向いてその漢(おとこ)を仰(あお)ぐと、姿を見ただけで、胆(きも)をつぶし、きゃっと言って、逃げ走ってしまったのであった。 「あははは。わははは」 髯漢は、小娘の驚きを、滑稽(こっけい)に感じたのか、独りして笑っていた。 その笑い声が止(や)むと一緒に、後ろの墻(かき)の内でも、はたと、蓆機(むしろばた)の音が止んでいた。 墻といっても匪賊(ひぞく)に備えるため此辺(このへん)では、総(すべ)てと言ってよい程、土民の家でも、土の塀(へい)か、石で組み上げた物でできていたが、劉家だけは、泰平(たいへい)の頃に建てた旧家の慣(なら)わしで、高い樹木と灌木(かんぼく)に、細竹を渡して結(ゆわ)ってある生垣(いけがき)だった。 だから、背(せ)の高い張飛(ちょうひ)は、首から上が、生垣の上に出ていた。劉備の庭からもそれが見えた。 「おう」 「やあ」 と、十年の知己(ちき)のように呼び合った。 「なんだ、此処(ここ)か」 張飛は、外から木戸口を見つけて這入(はい)って来た。ずしずしと地が鳴った。劉家が初まって以来、こんな大きな跫音(あしおと)が、この家(や)の庭を踏んだのは初めてだろう。 「きのうは失礼しました。君に会った事や、剣の事を、母に話したところ、母もゆうべは歓(よろこ)んで、夜もすがら希望に耽(ふけ)って、語り明かしたくらいです」 「あ。こちらが貴公(きこう)の母者人(ははじゃひと)か」 「そうです。――母上、このお方です。きのうお目にかかった翼徳(よくとく)張飛(ちょうひ)という豪傑(ごうけつ)は」 「オオ」 劉備の母は、機(はた)の前からすっと立って張飛の礼を享(う)けた。どういうものか、張飛は、その母公(ぼこう)の姿から、劉備以上、気高い威圧をうけた。 又、実際、劉備の母には自(おのず)から備わっている名門の気品があったのであろう。世の常甘い母親のように、息子の友達だからといって、やたらに小腰を屈(かが)めたりチヤホヤはしなかった。 「劉備からおはなしは聞きました。失礼ですが、お見うけ申すからに頼もしい偉丈夫(いじょうぶ)。どうか、柔弱なわたくしの一子を、これからも叱咤(しった)して下さい。おたがいに鞭撻(べんたつ)し合って、大事を為(な)しとげて下さい」と、言った。 「はっ」 張飛は、自然どうしても、頭を下げずにはいられなかった。長上(ちょうじょう)に対する礼儀のみからではなかった。 「母公。安心して下さい。きっと男児の素志(そし)をつらぬいて見せます。――けれどここに、遺憾(いかん)な事が一つ起こりました。で、実は御子息に相談に来たわけですが」 「では、男同士のはなし、わたくしは部屋へ行っていましょう。悠(ゆる)りとお話しなさい」 母は、奥へかくれた。 張飛は、その後の床几(しょうぎ)へ腰かけて、実は――と、自分の盟友、いや義兄とも仰(あお)いでいる、雲長(うんちょう)の事を話し出した。 雲長も、自分が見込んだ漢(おとこ)で、何事も打ち明け合っている仲なので、早速、ゆうべ訪れて、仔細(しさい)を話したところ、意外にも、彼は少しも歓(よろこ)んでくれない。 のみならず、景帝(けいてい)の裔孫(えいそん)などとは、むしろ怪しむべき者だ。そんな路傍(ろぼう)のまやかし者と、大事を語るなどは、もってのほかであると叱(しか)られた。 「残念でたまらない。雲長めは、そう言って疑うのだ。……御足労だが、貴公(きこう)、これから拙者(せっしゃ)と共に、彼の住居まで行ってくれまいか。貴公という人間を見せたら、彼も恐らくこの張飛の言(げん)を信じるだろうと思うから――」 三 張飛は、疑いが嫌いだ。疑われる事はなお嫌いだ。雲長が、自分の言を信じてくれないのが、心外でならないのである。 だから劉備を連れて行って、その人物を実際に示してやろう――こう考えたのも張飛らしい考えであった。 しかし、劉備は「……さあ?」と、言って、考えこんだ。 信じない者へ、強(し)いて、自己を押しつけて、信じろというのも、好ましくないとする風(ふう)だった。 すると、廊(ろう)の方から、 「劉備。行ってお出(い)でなさい」 彼の母が言った。 母も、やはり心配になるとみえて、彼方(かなた)で張飛のはなしを聞いていたものと見える。 もっとも、張飛の声は、この家の中なら、どこに居ても聞こえるほど大きかった。 「やあ。お許し下さるか。母公のおゆるしが出たからには、劉君、何もためらう事はあるまい」 促(うなが)すと、母も共に、「時機というものは、その時をのがしたら、又いつ巡(めぐ)って来るか知れないものです。――何やら、今はその天機が巡って来ているような気がするのです。些細(ささい)な気持などに囚(とら)われずに、お誘いをうけたものなら、張飛どのにまかせて、行って御覧(ごらん)なさい」 劉備は、母のことばに、 「では、参(まい)ろう」と、決心の腰を上げた。 二人は並んで、廊の方へ、 「では行って来ます」 礼をして、墻(かき)の外へ出て行った。 すると、道の彼方から、約百人ほどの軍隊が、まっしぐらに馳(か)けて来た。騎馬もあり徒歩の兵もあった。埃(ほこり)の中に、青龍刀(せいりゅうとう)の白い光がつつまれて見えた。 「あ……、又来た」 張飛のつぶやきに、劉備は怪訝(いぶか)って、 「なんです、あれは」 「城内の兵だろう」 「関門の兵らしいですね。何事があったのでしょう」 「多分、この張飛を、召(め)し捕(と)らえに来たのかもしれん」 「え?」 劉備は、驚きを喫(きっ)して、 「では、此方(こっち)へ対(むか)って来る軍隊ですか」 「そうだ。もう疑いない。劉君、あれをちょっと片づける間、貴公はどこかに休んで見物していてくれないか」 「弱りましたな」 「なに、大した事はない」 「でも、州郡の兵隊を殺戮(さつりく)したら、とてもこの土地には居(お)られませんぞ」 言っている間に、もう百余名の州郡の兵は、張飛と劉備を包囲してわいわい騒ぎ出した。 だが、容易には手を下(くだ)しては来なかった。張飛の武力を二度まで知っているからであろう。けれど二人は一歩もあるく事はできなかった。 「邪魔すると、蹴殺(けころ)すぞ」 張飛は、一方へこう呶鳴(どな)って歩きかけた。わっと兵は退(ひ)いたが、背後から矢や鉄槍(てっそう)が飛んで来た。 「面倒っ」 又しても、張飛は持ち前の短気を出して、すぐ剣の柄(つか)へ手をかけた。 ――すると、彼方(かなた)から一頭の逞(たくま)しい鹿毛(かげ)を飛ばして、 「待てっ、待てえ」 と呼ばわりながら馳けて来る者があった。州郡の兵も、張飛も、何気なく眼をそれへ馳(は)せて振り向くと、胸まである黒髯(こくぜん)を春風に弄(なぶ)らせ腰に偃月刀(えんげつとう)の佩環(はいかん)を戛々(かつかつ)とひびかせながら、手には緋総(ひぶさ)のついた鯨鞭(げいべん)を持った大丈夫(だいじょうぶ)が、その鞭(むち)を上げつつ近づいて来るのであった。 四 それは雲長(うんちょう)であった。 童学草舎(どうがくそうしゃ)の村夫子(そんぷうし)も、武装すれば、こんなに威風堂々と見えるものかと、眼をみはらせるばかりな雲長の風貌(ふうぼう)であった。 「待て諸君」 乗りつけてきた鹿毛の鞍(くら)から跳び降りると、雲長は、兵の中に割って入り、そこに囲まれている張飛と劉備を後ろにして、大手を拡(ひろ)げながら言った。 「貴公等は、関門を守備する領主の兵と見うけるが、五十や百の小人数をもって、いったいなにをなさろうとするのか。――この漢(おとこ)を召し捕ろうとするならば」と、背後にいる張飛へ、顎(あご)を振り向けて、 「まず五百か千の人数を揃(そろ)えて来て、半分以上の屍(しかばね)をつくる覚悟でなければ縛(から)め捕(と)ることはできまい。諸君は、この翼徳張飛(よくとくちょうひ)という人間が、どんな力量の漢(おとこ)か知るまいが、かつて、幽州(ゆうしゅう)の鴻家(こうけ)に仕(つか)えていた頃、重さ九十斤(きん)、長さ一丈八尺の蛇矛(じゃぼこ)を揮(ふる)って、黄巾賊(こうきんぞく)の大軍中へ馳けこみ、屍山血河(しざんけつが)を作って、半日の合戦に八百八屍将軍と綽名(あだな)して、黄匪(こうひ)を戦慄(せんりつ)させたという勇名のある漢だ。――それを、素手(すで)にもひとしい小人数で、縛め捕ろうなどは、檻(おり)へ入って、虎と組むようなもの、各々(おのおの)が皆、死にたいという願いで、この漢へ関(かま)うなら知らぬこと、命知らずな真似はやめたらどうだ。生命(いのち)の欲しい者は足元の明るいうちに帰れ。ここは、かく言う雲長にまかせてひとまず引き揚げろ」 雲長は、実に雄弁だった。一息にここまで演説して、まったく相手の気を呑(の)んでしまい、更に語をついで言った。 「――こう言ったら諸公は、わしを何者ぞと疑い、又、巧(たく)みに張飛を逃がすのではないかと、疑心を抱くであろうが、左(さ)に非(あら)ず、不肖(ふしょう)はかりそめにも、童学草舎を営(いとな)み子弟の薫陶(くんとう)を任とし、常に聖賢(せいけん)の道を本義とし、国主を尊び、法令を遵守(じゅんしゅ)すべきことを、身にも守り、子弟に教えている雲長関羽(うんちょうかんう)という者である。そして、これにおる翼徳張飛(よくとくちょうひ)は、何をかくそう自身の義弟にあたる人間でもある。――だが、昨夜から今朝にかけて、張飛が官の吏兵を殺害し、関門を破り、酒の上で暴行したことを聞き及んで、宥(ゆる)し難(がた)く思い、この上多くの犠牲(いけにえ)を出さんよりは、義兄たるわが手に召(め)し捕(と)りくれんものと、かくは身固め致して、官へ願い出(い)で、宙を馳(は)せてこれへ駆けつけて来たわけでござる――。張飛はこの雲長が召し捕って、後刻、太守(たいしゅ)の県城へまで送り届けん。諸公は、ここの事実を見とどけて、その由(よし)、先へ御報告置きをねがう」 雲長は、沓(くつ)を回(めぐ)らして、きっと張飛の方へ今度は向き直った。 そして、大喝(だいかつ)一声、 「この不届(ふとど)き者(もの)っ」 と、鯨(くじら)の鞭(むち)で、張飛の肩を打ちすえた。 張飛は、むかっとしたような眼をしたが、雲長は更に、 「縛(ばく)につけ」と、跳びかかって、張飛の両手を後ろへまわした。 張飛は、雲長の心を疑いかけたが、より以上、雲長の人物を信じる心のほうが強かった。 で――何か考えがある事だろうと、神妙に縄を受けて、大地へ坐(すわ)ってしまった。 「見たか、諸公」 雲長は再び、呆(あ)っ気(け)にとられている捕吏や兵の顔を見まわして、 「張飛は、後刻、それがしが県城へ直接参(まい)って渡すから、諸公は先へここを引き揚げられい。それともなお、この雲長を怪しみ、それがしの言葉を疑うならば、ぜひもない、縄を解(と)いて、この猛虎を、諸公の中へ放(はな)つが、どうだ」 言うと、捕吏も兵も、逃げ足早く、物も言わず皆、退却してしまった。 五 誰も居なくなると、雲長はすぐ張飛の縄を解いて、 「よく俺を信じて、神妙にしていてくれた。事なく助ける策謀(さくぼう)の為(ため)とはいえ、貴様に手をかけた罪はゆるしてくれ」 詫(わ)びると、張飛も、 「それどころではない。又無益(むえき)の殺生(せっしょう)を重ねるところを、尊兄のお蔭(かげ)で助かった」と、今朝のむかっ腹もわすれて、いつになく、素直に謝った。そして、 「――だが雲長。その身装(みなり)はいったい、どうした事か。俺を助けに来るためにしては、あまりに物々しい装いではないか」 怪しんで問うと、 「張飛。なにをとぼけた事を言う。それでは昨夜、あんなに熱をこめて、時節到来だ、良き盟友を獲(え)た、いざ、かねての約束を、実行にかかろうと言ったのは、嘘(うそ)だったのか」 「嘘ではないが、大体、尊兄が不賛成だったろう。俺の言う事何ひとつ、信じてくれなかったじゃないか」 「それは、あの場の事だ。召使いもいる、女共もいる。貴様のはなしは、秘密秘密と言いながら、あの大声だ。洩(も)れてはならない――そう考えたから一応冷淡に聞いていたのだ」 「なんだ、それなら、尊兄もわしの言葉を信じ、かねての計画へ乗り出す肚(はら)を固めてくれたのか」 「おぬしの言葉よりも、実は、相手が楼桑村(ろうそうそん)の劉備どのと聞いたので、即座に心はきめていたのだ。かねがね、わしの村まで孝子という噂(うわさ)の聞こえている劉備どの、それに他(よそ)ながら、御素性や平常の事なども、ひそかに調べていたので」 「人が悪いな。どうも尊兄は、智謀(ちぼう)を弄(ろう)するので、交際(つきあ)いにくいよ」 「ははは。貴様から交際(つきあ)い難(にく)いと言われようとは思わなかった。人を殺し、酒屋を飲(の)み仆(たお)し、その尻尾(しっぽ)は童学草舎へ持って行けなどと言う乱暴者から、そう言われては堪(たま)らない」 「もう行ったか」 「酒屋の勘定(かんじょう)ぐらいならよいが、官の捕手(とりて)を殺したのは、雲長の義弟だとわかったひには、童学草舎へも子供を通わせる親はあるまい。いずれ官からこの雲長へも、厳(やかま)しく出頭を命じて来るにきまっている」 「なるほど」 「他人事(ひとごと)のように聞くな」 「いや、済まん」 「しかし、これはむしろ、よい機(しお)だ。天意の命じるものである。こう考えたから、今朝、召使いや女共へ、みな暇(ひま)を出した上、通学して来る子供たちの親も呼んで、都合に依(よ)って学舎を閉鎖すると言い渡し、心置きなく、身一つになって、斯(か)くは貴様の後を追って来たわけだ。――さ、これから改めて、劉備どのの家へお目にかかりに行こう」 「いや。劉備どのなら、そこに居(い)る」 「え?……」 雲長は、張飛の指さす所へ、眼を振り向けた。 劉備は最前から少し離れた所に立っていた。そして、張飛と雲長との二人の仲の睦(むつ)まじさと、その信義に篤(あつ)い様子を見て、感にたえている面持(おももち)だった。 「あなたが劉備様ですか」 雲長は近づいて行くと、彼の足下(そっか)へ最初から膝(ひざ)を折って、 「初めてお目にかかります。自分は河東(かとう)解良(かいりょう)(山西省(さんせいしょう)・解県(かいけん))の産で、関羽(かんう)字(あざな)は雲長(うんちょう)と申し、長らく江湖(こうこ)を流寓(りゅうぐう)の末、四、五年前よりこの斤に村に住んで、村夫子(そんぷうし)となって草裡(そうり)に空(むな)しく月日を送っていた者です。かねて密(ひそ)かに心にありましたが、計らずも今日、拝姿(はいし)の栄(えい)に会い、こんな歓(よろこ)ばしい事はありません。どうかお見知りおき下さい」 と、最高な礼儀を執(と)って、慇懃(いんぎん)に言った。 六 劉備はあえて卑下(ひげ)しなかったが、べつに尊大に構えもしなかった。雲長関羽の礼に対して、当り前に礼を返しながら、 「御丁寧(ごていねい)に。……どうも申し遅れました。私は、楼桑村(ろうそうそん)に永らく住む百姓の劉玄徳(りゅうげんとく)という者ですが、かねて、蟠桃河(ばんとうが)の上流(かみ)に、醇風良俗(じゅんぷうりょうぞく)の桃源(とうげん)があると聞きました。おそらく先生の高風(こうふう)に化されたものでありましょう。何を言うにも、ここは路傍(ろぼう)ですから、すぐそこの茅屋(あばらや)までお越しください」 と、誘(いざな)えば、 「おお、お供(とも)しよう」 関羽も歩み、張飛も肩を並べ、共にそこから程近い劉備の家まで行った。 劉備の母は、又新しい客が殖(ふ)えたので、不審(ふしん)がったが、張飛から紹介されて、関羽の人物を見、欣(よろこ)びを現わして、 「どうぞ、茅屋(あばらや)へ」と心から歓待した。 その晩は、母も交(ま)じって、夜更(よふ)けまで語った。劉備の母は、劉家の古い歴史を、覚えている限り話した。 生れてからまだ劉備さえ聞いていない話もあった。 (いよいよ漢室のながれを汲(く)んだ景帝(けいてい)の裔孫(えいそん)にちがいない) 張飛も、関羽も、今は少しの疑いも抱かなかった。 同時に、この人こそ、義挙(ぎきょ)の盟主(めいしゅ)になすべきであると肚(はら)にきめていた。 しかし、劉玄徳の母親思いの事は知っているので、この母親が、 (そんな危ない企(たくら)みに息子を加える事はできない) と、断わられたらそれまでになる。関羽は、それを考えて、ぼつぼつと母の胸をたずねてみた。 すると劉備の母は、皆まで聞かないうちに言った。 「ねえ劉や、今夜はもう遅いから、おまえも寝(やす)み、お客様にも臥床(ふしど)を作っておあげなさい。――そして明日はいずれ又、お三名して将来の相談もあろうし、大事の門出(かどで)でもありますし、母が一生一度の馳走(ちそう)を拵(こしら)えてあげますからね」 それを聞いて、関羽は、この母親の胸を問うなど愚(ぐ)である事を知った。張飛も共に、頭を下げて、 「ありがとうござる」と、心服した。 劉備は、 「では、お言葉に甘えて、明日はおっ母(か)さんに、一世一代の祝いを奢(おご)っていただきましょう。けれどその御馳走は、吾々(われわれ)ばかりでなく、祭壇(さいだん)を設(もう)けて、先祖にも上げていただきたいものです」 「では、ちょうど今は、桃園(とうえん)の花が真盛りだから、桃園の中に蓆(むしろ)を敷こうかね」 張飛は手を打って、 「それはいい。では吾々も、あしたは朝から桃園を浄(きよ)め、せめて祭壇を作る手助(てつだい)でもしよう」 と、言った。 客の二人に床(しょう)を与えて、眠りをすすめ、劉備と母のふたりは、暗い厨(くりや)の片隅で、藁(わら)を被(かぶ)って寝た。劉備が眼をさましてみると、母はもう居なかった。夜は明けていたのである。どこかで頻(しき)りに、山羊(やぎ)の啼(な)く声がしていた。 厨の窯(かまど)の下には、どかどかと薪(まき)が燻(く)べられていた。こんな景気よく窯に薪の焚(た)かれた例(ためし)は、劉備が少年の頃から覚えのない事であった。春は桃園ばかりでなく、貧しい劉家の台所に訪れて来たように思われた。