約 1,660 件
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/201.html
学校の全景です。 学校の周りには、田圃があります。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/260.html
上大岡西側にあった駐車場の写真です。 三角の屋根は「田野井染工場」です。 今は無き「L商会」「協和銀行」の看板も見えます。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/282.html
こうなんの石造物
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/216.html
昭和38年完成の先代上大岡駅ビル前です。 京急バスは駅前広場より発着をしていました。 左手に「平和相互銀行」の看板が見えます。 駅構内で天津甘栗を大きなフライパンで実演販売し始めましたね。これから何年後だっあかなぁ、、、 -- しんさん (2016-01-19 00 44 23) そうそう、昔の上大岡駅前懐かしいね。 -- 昭和の俊介君 (2016-07-22 00 50 15) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/10.html
関連ブログ @wikiのwikiモードでは #bf(興味のある単語) と入力することで、あるキーワードに関連するブログ一覧を表示することができます 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/17_161_ja.html たとえば、#bf(ゲーム)と入力すると以下のように表示されます。 #bf
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/229.html
年代 昭和12年 修学旅行の際、橿原神宮山門前の写真です。 伊勢神宮にも行ったとの記録があります。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/115.html
春日神社のおこり (日野) bgsound 日野の中心にある春日神社には、こんなお話が伝わっています。 むかし、京都に住む貴族で、藤原成実という人が、仁和寺に、お参りに出かけました。 そこへ、見ず知らずの老人が、寄ってきて、わざと手にした草履を落とすのです。成実は、気味悪く思いましたが、拾って、ていねいに渡すと、老人は、かすかな笑みを浮かべ、 「あなたの深い信仰心と、素直な心に感動しています。この神像を贈りますから、祈り続けるように。きつと、十年後には、大国の長官になれるでしょう。忘れずに」 と言ったかと思うと、姿が消えたのです。 手中の神像は、紫の冠に、剣をさした小さな木製の像でした。 成実は、最初、信じがたい思いでしたが、ふと、これは、藤原氏の祖先の霊である春日大明神の変身であると感じとり、大切に持ち帰り、祈りつづけました。 予言どおり、十年後、成実は武蔵国の国守になり、国中を調べ歩くとちゅう、日野の里で、こんなうわさ話を耳にしました。 不思議な僧が、杖でこの地を掘ったら、水が湧いてきました。この水を飲むと病が治るというのです。 成実は、この僧こそ、自分の信仰する地蔵像の化身であり、この霊水の地は、春日大明神をまつるのに、ふさわしい場所と直感しました。 さっそく、神社を造り、神像を納めさせたのです。ここを最初は、穂井神社といっていましたが、後に、納めてある神像の名前から、春日神社と呼ぶようになりました。 平安時代に造られた古いやしろは、何度か、戦火に会い、いまの建物は、江戸時代に造り替えられていますが、この社殿の彫刻は、それは見ごとなものです。日野の里を今も見守っていてくれますし、建物の社殿の外壁の右側の中ほどには、虎と牡丹の花の彫刻、奥側には虎と老人、女性の像、社殿の左側には虎と牡丹、奥側には、老人と母子、また頭上の天井見上げると、竜の頭の彫刻が彫られています。 権現造りの社殿を、山の上から見ると、拝殿と本殿の屋根の棟が二重に重なり、神社の森と調和し、日野の里にきわだっています。
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/230.html
年代 昭和25年 有終団(長男による青年団)が富士登山をした際の記念写真です。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/116.html
乳出の井戸 (下永谷) bgsound むかしの生活を考えたことがありますか。 いまのように、電気やガスが普及していませんから、農作業や家事は、手間ひまかかる重労働でした。 また、粉ミルクや牛乳がなかったので、母親のお乳が出ないということは、とてもたいへんなことでした。 そんな時代のお話です。 下永谷に、お乳が出なくて困っている嫁がいました。 食べるものも貧しく、一人でも多くの働き手が欲しい農家の中で、休養もとれません。 出ない乳をしゃぶっては、ひもじそうに泣く我が子を見るにつけ、なんとかお乳が出ないものかと、途方にくれていました。 そんな嫁の様子に気がついた、村の老女がいました。 その老女も、かつて乳が出なくて苦労したひとりでした。なんとか自分の乳で育てたい母親の心、嫁として子育ても満足にでさないと責められるつらさ。自分の思い出とも重なり、老女には、その嫁の気持ちがよくわかるのでした。 老女は、嫁にささやきました。 「般若寺へ行ってごらん。そこの井戸の水で、お粥を炊いて食べるんだよ。じき、お乳がたっぷり出るようになるさ。しつかり、おやり」 嫁は、言われたとおりにしました。 すると、ふしぎなことに、乳が丸々と張ってきたのです。 「おぎゃあ、おぎゃあ」 「よしよし、いま、お乳をやるよ」 「うっくん、うっくん」 「そうかあ、うまいか。たっぷり飲みな」 自分の乳を飲んで、満足そうに眠る我が子を見て、嫁は感謝の気持ちでいっばいでした。 子どもを立派に育てあげたその嫁は、お乳が出なくて困っている母親を見かけると、そっと教えてやりました。 「般若寺へ行ってごらん」 こうして、下永谷の般若寺の井戸は“乳出の井戸”として、口伝えに広まり、ずいぶんと遠くからも、水をもらいに来ていたということです。 今では、そのおもかげもないのが残念です。
https://w.atwiki.jp/konanrekishi/pages/285.html
○主な石造物 庚申塔 馬頭観音 道祖神 地神塔 念仏供養塔 二十三夜塔 石灯篭