約 28,521 件
https://w.atwiki.jp/pchessd/pages/20.html
国内における派閥情勢について 貴族制度について。 貴族の立ち位置について。その権力の程度。 教会とビショップの関連について(別項を設ける可能性有り) 白黒族長の権力の範囲。 国軍あるの?(王城だれが警備してたの?) 期間内に成立した派閥/グループ お菓子会(白黒混合) Snehvide(白騎士) 赤翼錬兵団(黒騎士)
https://w.atwiki.jp/6war/pages/382.html
概要 第二種処刑とは、ラドリザンで行われた処刑方法のひとつ。1000~3000年代に使われていたが、通常の処刑と違い「最初から死ぬこと前提の労働をさせる」という人道を無視した処罰であり、あまりにも残忍ということから、表向きには撲滅された。 ただし、名前を変え現在においても似た刑は続いている。 通常の犯罪者に使用されることはほとんどなく、主に権力者が政敵を葬る時など、完全に「私怨」だけで実行された為、この刑を受けるのは必然的に数日前までは権力者だった者が殆どである。 確認されている主な内容 「肉体労働」 休憩時間もほとんどない開拓作業等に従事させられる。奴隷は「労働力」として潰さない様に使用されるが、第二種処刑の場合は最初から潰れることを期待されている為、奴隷より劣悪環境となる。 「最下層奴隷」 奴隷層に優越感を与え、反乱の意思を摘み取る為、「奴隷の奴隷」という屈辱的立場にされることもあった。もともと第二種処刑は、政敵や後継争いの敗者といった、身分の高い者が巻き込まれる刑だった為、元の地位が高ければ高いほど与えられる精神的な屈辱も大きい上に、肉体労働と違い長期にわたって継続できる為、最も多く用いられた手法である。 「人体実験」 新たな薬、新たな法術の実験体とされる。実験の結果として命を落とすか、後遺症によって廃人となることが多い。 一度この刑を受けると、精神的にも肉体的にも崩壊まで追い込まれる為、後に救出されたとしても(特に、権力者に不条理に投獄された者は、その後の権力者交代により、救出されることもあった)よほど早期でない限り、記憶がない、原形を留めないほど面相、性格が変わっている等変わり果ててしまい、元の生活に戻ることはほぼない。 関連項目 月風麻耶 聖都の変において、第二種処刑を受けたという説がある。
https://w.atwiki.jp/okajitei/pages/109.html
神聖ローマ帝国をモデルにするのだから、十二選帝侯のネタは取り入れるべきだろうなぁ、ということで、飯食いながらいろいろ妄想していた。 三王五候 自治権を持つ三人の王と、皇帝を選ぶ権利を持つ五人の侯爵が、帝国の実権を握っている現状を表す言葉。 選定候は、十一座あるが、血筋が絶えたり、権力争いに敗れる、王国に昇格するなどの理由で、現在は五つの侯爵家のみが残っている。 数年前までは四王国あったのだが、一国は反逆罪により国王が処刑され、元王子は辺境伯として、僻地のみ残された王国の残滓を治めている。 王国のひとつは、プロイセンないしアメリカ軍をモデルにし、帝国の憲兵を自負し、強大な軍を擁している。しかし、新興国ゆえに、議会での発言力は不当に弱い。 スチームパンクに関しては、正統軍事利用のプロイセン系と、魔術がらみの妖しいバイエルン系で対比させたいね。 皇帝は、以前は直轄領も多く、強大な権力を持っていたが、三代無能な皇帝が続き、現在は幼い皇帝が、形だけは立派な居城ひとつに実質幽閉されている。じいちゃんか幼女も可。じいちゃんだとグインサーガ、幼女だとギャルゲだな。BL風に放蕩青年もいいかも。いっそ正体不明にするか。 公爵の扱いをどうするかな。皇帝の血族なのは確定として、どこまで権力を持たせるか。選帝侯らの旗印として、領地はナイが盟主のような地位がある、という辺りかな? オブサーバーとして、教会の権力も強い。実際の神聖ローマ帝国内には、主教の領地があったりしたが、ゲーム内では、領地を持たない代わりに、教区がかなりハバを利かせており、ヤクザか犬のような縄張り争いもある、としたい。 ゲームやアニメだと、教会のトップが美少女ってネタが多いが、美少女を配するならば、トップでは無く、その補佐、副官のあたりだよな。所謂アイドルは、誰かの管理下って方が萌えるでしょ。あー、でもトップに据えれば、同じ立場の皇帝と教主の恋愛ネタが生えるかなぁ?
https://w.atwiki.jp/deserteref/pages/1021.html
エックハルト(宇宙暦?年 - 宇宙歴?年)は銀河帝国の貴族。原作登場人物である。男性。 外見 若き日は精悍な姿であったが、権力を極めるや見る影もなく肥満した。(六巻) 略歴 銀河帝国第四代皇帝オトフリート一世に皇帝政務秘書官として仕えた。スケジュールの消化を至上の価値とみなすオトフリート帝のため、その作成に当たる彼の権力は増大していった。爵位は子爵。 次代のカスパー帝が即位するころには伯爵に爵位を進め、「準皇帝」と呼ばれるほどに権勢を極めていた。帝に自分の娘を嫁がせようとするが、勅命を受けたリスナー男爵により殺害された。(六巻) 死後も「準皇帝」のエピソードは残った。(117話) 宇宙暦803年10月、ローエングラム大元帥のクーデター(救国軍事会議のクーデター)後、第一辺境総軍司令官エリヤ・フィリップス上級大将はラインハルトが握った強大な権力について、彼や「大宰相」ノイエ・シュタウフェン公、「人形遣い」クラルボルツ侯、「不倒翁」カッセル公、「皇帝製造者」ヴィレンシュタイン公、「皇帝代行」オトフリート皇太子(後のオトフリート三世)ですら及ばないと評している。(117話)
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/5463.html
中国共産党第18回党大会 / 江沢民 ■ 江沢民最後の介入 「田中宇の国際ニュース解説 会員版(田中宇プラス)2012年11月16日」より 11月15日、中国共産党の中央委員会総会が開かれ、今後5年間(再選の可能性が強いので実質的に2期10年間)中国の最高権力を握る政治局常務委員に習近平ら7人が選ばれた。 同時に、中国軍の最高権力を握る共産党中央軍事委員長も胡錦涛から習近平に代わり、習近平は、党総書記、国家主席、中央軍事委員長という中国の3強ポストを全て胡錦涛から譲られた。 トウ小平は、1987年に権力から退いた後も2年間、中央軍事委員長の座にとどまった。02年に胡錦涛へ権力を移譲した江沢民も、トウ小平の真似をしてその後2年間、中央軍事委員長の地位だけ握り続けた。だから胡錦涛も前任2人の真似をして中央軍事委員長のポストだけ握り続けるとの事前予測が多かったが、胡錦涛は先例を踏襲せず完全引退した。 以下部分引用。 ここまで胡錦涛を評価する論調で書いてきたが、江沢民がなぜ胡錦涛のやり方に不満を持ったかに焦点を当てると、別の評価もできる。胡錦涛と江沢民の10年の対立はマスコミなどでよく言及されてきたが、2人の権力欲がぶつかって争いになったとか、江沢民が出しゃばりで後輩の決定に口を挟みたがるといった、人間性の問題ととらえられることが多かった。 しかし実際のところ2人の対立の本質は経済政策をめぐる違いであり、市場経済の導入を急ぐべきだと考える江沢民が、市場経済導入に慎重な胡錦涛に対して不満を持ち続けた点にある。 意志決定を迅速化するため9人から7人に減員した政治局常務委員に、下馬評では汪洋や李源潮といった胡錦涛派(改革派)といわれる人々が入りそうだったが、実際には2人とも選ばれず、代わりに兪正声や張徳江、張高麗といった江沢民の子分(保守派)といわれる人々が常務委員になった。 日本のマスコミでは「今後も江沢民ら長老による政治介入が続き、習近平政権は強い政策を打ち出せず失敗する(だから中国は崩壊し、日本は対米従属一辺倒でぜんぜんかまわない)」という論調が強い。だがこの見方は、日本(の官僚機構)にとって都合の良いカミカゼ的な楽観だ。 実際には、胡錦涛も江沢民も今回で完全引退し、江沢民も習近平の政権に影を落とさぬよう、今後は再び公式な場に姿を現さなくなるだろう。米マスコミで共産党敵視の論調を展開する在米中国人学者のミンシン・ペイですら、そのように予測している。 半面、日本人の中国分析家の多くは、誰がどの地位につくかという人事の表層的な分析に終始し、中国の政治的ダイナミズムを見ない傾向が強い。(日本は対米従属が国是なので、中国のことを深く分析しない方が良いということなのかもしれないが、日本人の多くは自国の政治ダイナミズムにすら気づいていない) .
https://w.atwiki.jp/youkaimedal-matome/pages/203.html
ノーマルメダル 説明 一本の美しい角が特徴の聖なる妖怪。歴史上の様々な権力者がその角を手に入れようと願っていたとされる。 Bメダル 説明(変更あり) 一本の美しい角が特徴の聖なる妖怪。歴史上のさまざまな権力者がその角を手に入れようとあらゆる手を使ったという。 必殺技メダル
https://w.atwiki.jp/jigenjoushou/pages/20.html
旧スクウェア幹部のKさんとクリスマス会をしました 皆さんこんばんわ 日本は相変わらず生苦しいですね。 今日筆者は元スクウェア幹部のKさんとロイヤルホストでクリスマス会をしました。 筆者は夕食を満腹したあと、ジュースを飲みながらKさんと日本と世界の展望を徹底討論しました。 そこで筆者は北川初子氏が渋谷で起した、超矛盾通り魔事件から三百人委員会の野望に至るまで徹底的に語り合ってきました。 Kさん曰く「もうゲーム産業ですら資本主義の限界と崩壊への競争が鮮明になってきている」や「日本において満足に年末を過ごすことすら出来ない人が、間違いなく日本史上最多にな っている」と語りました。 筆者曰くKさんに「貧困や飢餓、凍えで苦しんでいる日本人が大勢いるのに、任天堂やソニーが商業主義に走り、苦しんでいる人たちがとても買えないゲーム機やゲームソフトを、大々 的に一部のネットと雑誌を利用してクリスマス商戦の悪しき名の下、高値で宣伝販売するのは明らかに間違っている」と言いました。 それに対してKさんは笑いながら「本当に日本のゲーム業界は残酷だね、世界一残酷で矛盾している。 とはいえ任天堂もソニーもイルミナティの支配下にある。 だから奴らは調子に 乗って、ゲームクリスマス商戦という重罪を年末にばら撒いている、狂っているとしか言いようが無い、もう日本の余命は僅かしかない」と語りました。 しかしそのゲーム業界ですら、任天堂以外のメーカーは深刻な不況状態になっています。 最早資本主義の限界としか言い様がありません。 こんな社会文化なら社会主義の方がマシ だと思います。 三百人委員会の陰謀1 2008-12-22 00 21 51 | Weblog 経済操作 illucar2.jpg アメリカの国章の裏側、イルミティのロゴ、アメリカのドルの裏側 gaghahatrag.png アダム・ヴァイスハウプト(イルミティを創設した人、ドイツで、大学法学部教授の地位をつかんだ天才ユダヤ人) Adam_Weishaupt.jpg イルミティの創設 1776年にアダム・ヴァイスハウプトはイルミティを組織する事を目論み、『光を掲げる者』を意味する。その目的は知的能力を実証された人々が世界を治めるようの、世界単一政府 を生み出すことであると嘘をついて、信仰者を集めた。 そしてその中には2014年までに日本を崩壊させる重要計画が実在している。 世界一の権力者はエリザベス女王二世 2008-12-21 14 22 51 | Weblog 世界権力の頂点組織である三百人委員会の会長はエリザベス女王二世。 三百人委員会は1727年に英国の貴族によって設立された。 その三百人委員会の絶対的掟が三百人委員会の最大権力はイギリス王室だけと決められている。 そしてそのイギリス王室はロシアのマフィアよりも金を持っていないし、財政難の状態にある。 と言う事は新世界秩序推進権力は着実に衰退していると言う事になり、確かに二十年前と比べてみても、三百人委員会を筆頭とした陰謀権力は大きく衰退しているが、イギリス王室が財 政難で廃止になったとしても、ロスチャイルド家かローマ法王が跡を継ぐであろう。 世界を支配するサタニスト ルシファー、サタン、デーモン 陰の世界政府フリーメーソン、最高権力はロスチャイルド? フリーメーソンの最高支配層 最高指導部 36階級 ルシファー教、ロスチャイルド家 35階級 ロイヤルファミリー 13人委員会 34階級 ロスチャイルド擁護者 33人委員会 33階級 300人委員会 Ancient%20%20and%20Accepted%20Rite.jpg 外部リンク 声優ユニットアセンション 声優ユニットアセンション-プロフィール 声優ユニットアセンション-声優出演情報 中村春香FaceBook 声優ユニットアセンション-muzie 声優ユニットアセンション-OKMUSIC 声優ユニットアセンション-インディーズバンド試聴サイトAudioLeaf おもしろフラッシュの館 八咫烏陰陽道公式サイト 愛国公党
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/2030.html
政治的スタンス 論者 内容 (1) 保守主義 百地章 「立憲主義とは、国家の統治が憲法にもとづいて行われることである。」(『憲法の常識 常識の憲法』p.32) (2) リベラル右派 阪本昌成 (1) 立憲主義の意義先の [1] で私は、《統治とは、国家機関を通して為す、一元的・統一的な権力支配だ》と述べた。統治は、限られたリソースを巡る利害の対立を調整しながら、その配分のあり方を権力的に決定する恒常的かつ永続的な国家作用である。この権力的、永続的な統治活動の牙を抜いて正当な枠に閉じ込めようとするにが、規範的意味での国制の役割である。統治を、流動的で恣意的な政治に委ねることなく、国制のもとに規律し安定化させる思考を「立憲主義 constitutionalism」という。近代国家が規範的意味での国制によって統制されるに至った段階のものは、「近代立憲主義国家」といわれる。これは、国家という強制の機構から各人の「自由」を擁護する、統治上のルールとしての憲法をもっている国家のことである。(『憲法1 国制クラシック』p.26) (2) 立憲主義の展開(中略)自然権の保全と権力分立という二つの要素を憲法の必須要素だと明言したのが、フランス人権宣言16条の「権利の保障が確保されておらず、権力の分立が定められていないすべての社会は、憲法を持たない」という有名なフレーズである。この二つの要素を満たす憲法を「立憲主義的憲法」と一般にいわれることがある。つまり、《憲法とは、人権宣言と権力分立を含む成文の法文章だ》、 《この法文章は、国家樹立の際の社会契約および憲法協約を成文化したものであるから、主権者をも統制する法力をもっている》という思想である。 今日、立憲主義を想起する場合、人々の脳裏に浮かぶのは、一般にこのタイプである。が、フランス人権宣言とその16条は近代立憲主義のモデルではなく、「このタイプだ」と簡単に片付けることは正確でない。フランス的立憲主義とアメリカ的立憲主義は、憲法に関する見方を大きく異にしているのだ。 〔D〕近代立憲主義の枝分かれフランス型は、憲法をあるべき国家の最適モデルに適合させようとする理論に従って設計しようとした。なかでも、憲法を制定する力を民主的に創造するための人為的理論が最重要視された。これが、後の [39] でふれる憲法制定権力の理論である。人権も、まったく新たに創設され、最適規範に相応しい内容を人為的に持たされた。人権は、人が精神的にも物質的にも、あるべき姿となるための規範だった。こうした憲法のモデルが理論通りには運ばないと判明したときには、また別の理論に従って人為的に憲法が制定された。フランスの憲法は、何度も何度も制定されては軌道修正された。そして、結局のところ、自由の構成(constitution)に失敗したのだった。これに対してアメリカ型は、経験と伝統とを基礎とする憲法制定の道を辿った。理論的な最適規範を設計したところで、上手く定着することはない、と建国の父たちは知り尽くしていた。それと同時に、憲法制定会議を頻繁に開設して討議を繰り返すと、統治力学の振り子が大きく揺れ過ぎることも予知していた。建国の父たちは、モンテスキューが理想としていた「中庸な統治体制=混合政体」から多くを学んだ(合衆国憲法はJ. ロック(1632~1704年)の影響を受けて制定された、といわれることがあるが、これは誤診だと私は考えている)。合衆国憲法が、House of the Senates(通常、「上院」と訳される元老院=貴族政的要素+連邦制)と House of the Representatives(通常、「下院」と訳される庶民院=民主政的要素)という権力分立、さらには、大統領という「民主化された君主」を置いたのは、そのためだった。また、アメリカ建国の父たちは、人間の理性・知性の限界を知っていた。人間は、有徳の存在ではなく、権力欲に満ちており、私利を追求するにあたって公共の利益を口にすること等々を建国の父たちは知っていた。合衆国憲法は、人権保障にあたっても、“自然権を実定化する”とは考えなかった。権利章典(Bill of rights)は、歴史的・経験的に徐々に姿を現してきた人の権利を確認するものだった(*注1)。 (*注1) アメリカ合衆国憲法における権利章典について 合衆国憲法にみられる「個人の自由と権利」は、自然権思想の影響をさほど受けてはいない。そこでのカタログは、歴史的にそれまで存在してきた権益を確認したものである。『憲法2 基本権クラシック』 11頁を参照願う。 (3) 立憲主義のふたつのモデル - 法の支配か民主主義か以上のように、一言で「近代立憲主義」という場合でも、一方には純粋理論型または超越型があり、他方には経験型・伝統重視型がある。見方を換えていえば、フランス型は 民意を統治過程に統合するなかで同時に自由を作り出すための憲法構造を理論的に追究したのに対して、アメリカ型は 多元的な民意を統治過程に多元的に反映させる憲法構造を伝統のなかから発見しようとしたのだった。アメリカ型立憲主義は、《個人の権利自由を擁護するための制度的装置として権力分立制を用意する》とよくいわれる。他方、憲法の民主化を重視するフランスにあっては、議会に反映される一般意思のもとに行政と司法を置くことが、その眼目であると考えられた。J. ルソー(1712~1778年)の影響だろう。そのために、議会中心の統治が理想とされた。これに対して、合衆国憲法は、モンテスキューの理論モデルを参考としながら、民主主義を万能としない権力分立制を導入した。アメリカ憲法は、「立憲主義=法の支配=権力分立」という等式を基礎として制定されたのである。 立憲主義のモデルをアメリカに求める人物は、《立憲主義とは、法の支配と同義であり、それは民主主義の行き過ぎに歯止めをかける思想でもある》と考える傾向にある。これに対して、立憲主義モデルをフランスに求める人は、「立憲民主主義」という言葉を多用する傾向がある。後者は、「立憲」の中に権力分立と人権尊重の精神を含め、「民主主義」の中に、「国民主権」と議会政を含めているようである(民主主義の中に人権尊重を忍び込ませる論者もいる)。が、それらの一貫した関連性をそこに見て取ることは困難であるように私にはみえる(自由主義と民主主義との異同については、後の [26] でふれる)。 私は、《立憲主義とは、誰が主権者であっても、また、統治権がいかに民主的に発動されている場合であっても、主権者の意思または民主的意思を法のもとに置こうとする思想だ》と考えている。 本書が「立憲民主主義」という言葉を決して用いないのは、そのためである。(『憲法1 国制クラシック』p.31) (3) リベラル左派 長谷部恭男 近代以降の立憲主義とそれ以前の立憲主義との間には大きな断絶がある。近代立憲主義は、価値観・世界観の多元性を前提とし、さまざまな価値観・世界観を抱く人々の公平な共存をはかることを目的とする。それ以前の立憲主義は、価値観・世界観の多元性を前提としていない。むしろ、人としての正しい生き方はただ一つ、教会の教えるそれに決まっているという前提をとっていた。正しい価値観・世界観が決まっている以上、公と私を区別する必要もなければ、信仰の自由や思想の自由を認める必要もない。(長谷部恭男『憲法とは何か』p.69) ・・・近代ヨーロッパで立憲主義が成立する経験においては、宗教戦争や大航海を通じて、この世には比較不能な多様な価値観が存在すること、そして、そうした多様な価値観を抱く人々が、それにもかかえわらず公平に社会生活の便宜とコストを分かち合う社会の枠組みを構築しなければならないこと、これらが人々の共通の認識となっていったことが決定的な意味を持っている。立憲主義を理解する際には、…制度的な徴表のみにとらわれず、多様な価値観の公平な共存という、その背後にある目的に着目する必要がある。(長谷部恭男『憲法とは何か』p.71) ヨーロッパでの成立の経緯に照らしてみればわかるように、立憲主義は、多様な価値観を抱く人々が、それでも協働して、社会生活の便益とコストを公正に分かち合って生きるために必要な、基本的枠組みを定める理念である。(長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』p.178) そのためには、生活領域を公と私とに人為的に区別すること、社会全体の利益を考える公の領域には、自分が一番大切だと考える価値観は持ち込まないよう、自制することが求められる。・・・そうした自制がないかぎり、比較不能な価値観の対立は、「万人の万人に対する闘争」を引き起こす。・・・(中略)・・・。立憲主義はたしかに西欧起源の思想である。しかし、それは、多様な価値観の公正な共存を目指そうとするかぎり、地域や民族にかかわりなく、頼らざるをえない考え方である。(長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』p.178) 立憲主義にもとづく憲法・・・は、人の生きるべき道や、善い生き方について教えてくれるわけではない。それは、個々人が自ら考え、選びとるべきものである。憲法が教えるのは、多様な生き方が世の中にあるとき、どうすれば、それらの間の平和な共存関係を保つことができるかである。憲法は宗教の代わりにはならない。「人権」や「個人の尊重」もそうである。(長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』p.179) 立憲主義は現実を見るように要求する。世の中には、あなたと違う価値観を持ち、それをとても大切にして生きている人がたくさんいるのだという現実を見るように要求する。このため、立憲主義と両立しうる平和主義にも、おのずと限度がある。現実の世界でどれほど平和の実現に貢献することになるかにかかわりなく、ともかく軍備を放棄せよという考え方は、「善き生き方」を教える信仰ではありえても、立憲主義と両立しうる平和主義ではない。(長谷部恭男『憲法と平和を問いなおす』p.179) 「立憲主義ということばには、広狭二通りの意味がある。本書で「立憲主義」ということばが使われるときに言及されているのは、このうち狭い意味の立憲主義である。広義の立憲主義とは、政治権力あるいは国家権力を制限する思考あるいは仕組みを一般的に指す。「人の支配」ではなく「法の支配」という考え方は広義の立憲主義に含まれる。古代ギリシャや中世ヨーロッパにも立憲主義があったといわれる際に言及されているのも広義の立憲主義である。他方、狭義では、立憲主義は、近代国家の権力を制約する思想あるいは仕組みを指す。この意味の立憲主義は近代立憲主義ともいわれ、私的・社会的領域と公的・政治的領域との区別を前提として、個人の自由と公共的な政治の審議と決定とを両立させようとする考え方と密接に結びつく。二つの領域の区分は、古代や中世のヨーロッパでは知られていなかったものである。」(『憲法とは何か』p.68) (4) 左翼 芦部信喜 ※芦部は「近代立憲主義(あるいは現代立憲主義)は~という性質を持っている」とその属性を述べるものの、「立憲主義とは何か」という肝心の概念論・理念論に関しては慎重に口を閉ざしている。これは芦部の憲法論が英米圏で主流となっている「立憲主義」や「法の支配」の概念・理念理解とは実は無縁の古いドイツ系法学に依拠していることに原因がある。⇒芦部の後継者である高橋和之も同様。 (5) 中間 佐藤幸治 ※佐藤も芦部と同様に、「近代立憲主義」と「現代立憲主義」を対比して言及するものの、立憲主義そのものの概念・理念の説明はない。つまり芦部や佐藤の世代ではベースがまだドイツ系法学であったために、英米系の「立憲主義」「法の支配」といった概念・理念を英米圏の用法の通りに消化できていないのである。
https://w.atwiki.jp/sharenofan/pages/91.html
概要 ルミナスに秩序ある国を命じられた光の国は長い歴史の中で合議制から神命帝国を経て分裂、ルミナディア神聖連合国となって今に至る。 ジオやベリスと同様各国が独自の統治を行っていたが、先の北方大災害により西部地域が消失、歴史に残る魔王軍侵攻及びその後の南方侵略と同様の構図が出来上がり、政情は極めて不安定な状態となった。 そして神官長ルドルフ・エルレインが台頭し、フェルスデンを除いたルミナディア連合はその権限を彼に委ねて北方戦争を引き起こした。 しかし、指導者ルドルフの失脚、及び英雄ジークフリートの失踪によって戦争は終結。その後の終戦外交の結果、ルミナディア王国はフェルスデンへの影響力を大きく失うことになった。 ただ、戦争のために集中した権力は維持されており、このままルミナディア王国として再興していくことになるだろう。 支配構造としては、教会の長たるルミナス法王及び首都アークロードの神官団が政治の中枢となり、連合国時代の各王などが教会に従属する形を取る。 そのためルミナディア王国では奇跡神官・非奇跡神官の他に政治への関与の有無によっても神官を区分する事が出来る。 主な人物、組織 ルミナス法王 奇跡神官の最高点。ルミナディアに於いて神の恩寵そのものである奇跡は極めて重んじられており、文化圏で最も優れた奇跡神官が法王に就く。 最大最高の権力を握るが、それだけに求められる責任も重く、前任者は北方大災害を大奇跡によって封印し、栄誉ある引退を遂げた。 信仰を安定させる「神の力を示す者」という意味合いも強く、最低でも神官レベルにして8相当の能力が無ければまず話にならない実力第一の地位である。 求められる条件が厳しい以上権力争い以前に資格を持った者が居ない場合もあり、ただ高位の神官であるだけの、政治に興味のない者が象徴的に王位に就くことがあるが、その時はアークロード神官長が実権を握ることになる。 アークロード神官長 ルミナディア王国首都アークロードにおける政治神官団の長で非奇跡神官が到達出来る最高点。教会のNo.2である。 非奇跡神官はどうしても法王にはなれない関係上政治に関わる上で目指す地点はここになる。 法王によって権力機構の維持に必要な威光は十分もたらされているので、奇跡の有る無しに関わらず実際の政務能力によって選ばれる。 勿論純粋な神官としての能力も求められる。 各地の諸侯 連合国時代の各国の王であり、血筋による権力の最高点。ルミナディア王国は教会関係者のみによる官僚制的支配ではなく、連合国時代の政治システムをある程度引き継いでいる。 伝統的な支配形態である諸侯に、教会からの監督が付き、中央によって定められた法の遵守を求める。 文化・風俗 ルミナス教は法と秩序を求める宗教であり、必然人に対して禁欲を求める。 教会の権力も非常に強く、人々の倫理観はルミナス教によって規定され、それはカトリック教世界のそれに近い。 よって同性愛の否定や処女性の神聖視などもあり南方人にとっては非常に窮屈で潔癖であると言える。 経済・地理 南方に比べ農業生産力に乏しく、食糧問題は常に存在する。 また数年前の北方大災害によってヴァルシア大陸中央以西は魔物の跋扈する危険な土地となり、その内情を知ることは難しい。 この国土の大幅な減少に伴い、フェルスデンとの国力差が小さくなった事もフェルスデンに対する影響力の減少に関わっている。 またアークロードの遠く北には氷雷山と呼ばれる山脈が連なっており、そこは竜の多く住む厳しい土地となっている。 更にその北には雪に埋もれた古代遺跡群、そして北の果てに白嵐の山脈がそびえ、その先は人類未踏の土地である。
https://w.atwiki.jp/ideology-database/pages/69.html
The New Order 軍事政権 アイコン編集 英名 Military Junta 別名 登場作品 The New Order 上位イデオロギー 専制主義 主要なイデオローグ 軍事政権とは、民主主義的要素を排除して、軍が政治権力を握った政府のことである。多くの場合、これには国家憲法とそれに含まれる諸権利の停止が伴う。これによって、軍部は国を安定させ、自分達の支配を受け入れさせることができる。 権威主義的な寡頭制が特徴であり、権力は個人に集中することなく、軍の指導者達が共有している。時には、文民政府機関も機能し続けることがあるが、その活動は軍によって監督され、時には指示されることもある。また、軍事政権は、将来の民主化や失地の回復などを約束することで正当性を維持しながら、公式的かつ直接的に統治することがある。 軍事政権は通常クーデターによって成立するが、危機時には軍の指導者に権力が移譲されることもある。彼らは通常、軍事力や国防を重視するが、状況によって目的は異なる。だが、全ての軍事政権には共通するものがある。それが「兵士は守るが、奉仕せず」だ。 (TNO日本語化Modより引用)