約 14,542 件
https://w.atwiki.jp/rbxjptrain/pages/241.html
【グループ概要】 大都池電鉄は2022年にshingen009によって設立された鉄道である。なお、前身のshin trainは2021年に開業している。 設立当初から社長は変わっていない。 幹線となる大都池線(昔のグループ名でもある)、最初に開業する予定の大京線、一番新しい空港線がある。 【幹部】 大都池電鉄の幹部は募集回数の割に交代が激しく、交代の理由は様々である。 社長 shingen009 (2022~) 【歴代副社長】 初代 nonhika (2022/3/10~) 二代目 amezon (2022/9~2023/4) 三代目 yukkurimurasa (2023/4~2023/8) 四代目 amezon (2023/8~2023/11/24) 五代目 Aoi_Mizuki821 (2023/11/25~) 【使用車両】 引退した車両 1020系 (1021F) 大都池電鉄初の自力開発車両。2022年の10月まで走っていた。 1020系 (快特改造車) 快特専用に改造された車両。乗るためには快特パスというものが必要だった。 2000系 大都池電鉄初代主力車両。この電車も神猫鉄道(一定期間?)に譲渡されたことがある。 2500系 大都池電鉄2代目主力車両の一つ。2ドアでロングシートの初代急行車である。この電車は車両同士で連結ができる。 32000系 3900を改造し、外見は東急3020系を再現した車両。当時は急行該当車両だったが、宮ノ台駅ー橋川駅間のカーブを走行できないことにより、引退した。 3000系 通称つくば 一部車両が神猫鉄道に譲渡され、現在は成葉鉄道にて展示されている。 1~5代目3900系 3900系列の引退車。6代目とはライトの位置などが違う。 活躍中の車両 6代目3900系 これまでの車両と色々変わっている車両。ドアアニメーションがついている。 3909F (3900系6代目改造車) 2号車はシートの配列が特殊になっていて、無料で乗車可能である。ホームドア連動工事を受け連動可能になっている。 233系 空港線仕様。完成から1年経っている。7000系がデビュー次第徐々に運行を開始する予定である。 19000系 二代目快特専用車両。快特専用としては初めての新造である。 12000系 大都池電鉄初の寝台特急ライズ専用車両。 6500系 三田レンジ(?) 100系 大京線専用車両。233系をモデルとしている。 1100系 支線専用車両。これに似た車両が配布されている。 路線概要 大都池線 大都池電鉄初の路線である。開業当初は宮ノ台に車庫があり、海川橋ー宮ノ台間で運行していた。 現在は海川橋ー武蔵六岡間で運行されている。 リンク グループ:https //www.roblox.com/groups/12489521/OT-Ootoike-corporation
https://w.atwiki.jp/trivia-mike/pages/75.html
ちょうのでんてつ ハ,,ハ ( ゚ω゚ ) 屋代線廃止になったからトラック送だ! / \ ((⊂ ) ノ\つ)) (_⌒ヽ ヽ ヘ } ε≡Ξ ノノ `J 長野電鉄とは長野県長野市と須坂を経由して信州中野や湯田中を結ぶ長野本線を運営する鉄道会社だ。大半は極普通のローカル線だが長野~長電本郷(地上駅)間は近代都市の地下鉄という風格を持つが地下鉄じゃないという輩がいるみたいだが地下鉄の定義って曖昧だから地下鉄ってことにしとくよ。詳細は長野本線でも検索してね。平成14年03月31日まで長野線の信州中野から木島を結ぶ木島線という路線や2012.03.31まで須坂と屋代を結ぶ屋代線を保有していた。 木島と屋代では77年と90年の歴史差であるぜ。 本社が移転することとなって、権堂駅前にあるのだが、わりと近くへ移転すに2014.02.24から新・本社業務開始ったお。 路線図 所轄路線 長野本線-長野~湯田中(齢86年) 元々こっちが支線であったが、需要が高まり、河東線部分を差し置いて本線となった。そのため、木島・屋代両線廃止頃には『長野~須坂~信州中野~湯田中、屋代~須坂、信州中野~木島』となっていたぞ。発車メロディは2014年8月中旬までか通常ベル鳴らす長野駅でモンハンメロディを流してるん。屋代線廃止で長電で唯一のオンリーラインとなった。この路線は長野~須坂がかなり需要があり終点の湯田中へのアクセス特急を走らせてることもあり大丈夫だろう。屋代線廃止と同時に今まで長野~湯田中を通して運行していた普通列車がなくなり、信州中野~湯田中と信州中野~須坂・長野、須坂~長野のみとなった。どんなに遠くても信州中野を越える列車は特急を除いて存在しない。 木島線-信州中野~木島平口(享年77年) 2002年没。廃線翌日はバスに転換され木島駅舎はバス待合室になった。線路はいつのまにか剥がされ踏切などの設備すらもほとんど撤去されてしまい、信濃安田駅近くのトンネルは崩落したようだ。一部は道路拡張に転用されるが夜間瀬川に架かる鉄橋はレールだけ剥がされてるが鉄橋自体は現存している。 屋代線-須坂~屋代(享年90年) 2012年没。廃線翌日はバス転換され列車の走らなくなった線路を横目に運行す。信濃川田駅構内に3600Kがいたり綿内駅構内には黒丸小豆がいたりする。廃止以前に長野電鉄は沿線三市に廃線跡を売却しようとしていたが未だに長電管理地であろう。最終週間は大混雑でワンマンでは対応しきれなくなり1両につき1人乗務員を配置して最終的にツーマン運行になった。運賃は降車所で乗務員がやってきて清算業務をしていたん。臨時列車が3往復増発され最大4両編成での運行もありドアカットすらもあったんょ。さらに各駅に本来無人駅であろう駅にまで係員を配置、ようするに長電鉄道部全社員総動員ということになっていた。木島線廃止のときもこーだったんだろー。ゃすろすぇん。 長野電鉄駅跡訪記 実は長野電鉄には木島線廃線まで一度も廃線してない! しかも信濃緑町ぐらいが最古廃駅とされてる。 以下には木島線と屋代線の廃駅を紹介 木島線 ★中野北 土地勘ないと探しづらい。近くに食堂ある。 最寄バス停は、新井工業団地。 最寄いっても直線距離1Km以上離れとる。 車なら信州中野から県道414号線に新井工業団地交差点左折してもらう。 道の左側から分岐る道 2本目左折すると奥に広場ありますから そこが駅前です。 ★四ヶ郷 土地勘ないと探しづらい! 街中にある平岡神社など神社近い 最寄バス停は、東笠原 しかし、代替バスのバス停でないため別系統 信州中野飯山バスしか通過停車しない。 代替バスは、かなり離れた場所を通う。 さらにバス停から1Km以上離れとる。 車なら信州中野から高社中学校北側 県道355を通る。しばらくすると左側に四ヶ郷簡易郵便局があるから 今度 右側に広場がある。そこが駅。 ★信濃赤岩 赤岩バイパスの一部となるが、 信号付き交差点北にある桜の木のあるへんホーム、その 一帯が駅跡だ。 最寄バス停は、赤岩 信号から北にある桜木だから ものスゴく至近。 ★柳沢 日本にある柳沢駅で最初の柳沢を名乗る。同線廃止から2つとなたが、十観電廃止されてから現在では西武鉄道の西武柳沢のみ。 長電柳沢の最寄バス停は、柳沢 車なら信州中野から柳沢バス停過ぎ、 500m以上 消火栓まで北へ歩くぞ。 柳沢地区は狭道のためか将来的に駅と線跡を転用する柳沢バイパス建設ると思われる。 ★田上 わかりにくい。信州中野から来たとき、岩井入口バス停が左側なため、その右側に駅があった。 ★信濃岩井 New 岩井地区にあればいい駅。 ★信濃安田 綱切橋近くに安田バス停その見下。 ★木島 今の木島バスターミナル。 構内は、長らく放置プレイだったが、 2013年にソーラーパネル敷き詰めになってる。 屋代線 ★須坂 現役。松代方面は、4番線ばかりを使用していた。 ★墨坂 New あればいい駅な住宅街。 ★井上町 わかりにくいが幸高バス停が近く。ブドウ畑突っ切るとあるよ。。 最寄バス停は、幸高。 井上バス停もあるから紛らわしい。 ★綿内北 New あればいい駅。 ★綿内 旧西友駐車場使用なバス回転場。わかりにくい時計ありゅ。 ★若穂 主要道路からと、わかりにくい。若穂医院近い。 医院北にバス停もある。 ★信濃川田 屋代線メモリアルパーク構想の予定地。 駅舎に川田駅バス停がある。 もともと保科線だけだったが、屋代線廃止から屋代・須坂・長野・保科温泉への拠点になっており、 ある意味駅だ。 ★大室 主要道路からとわかりにくい。 最寄バス停は、大室駅と名乗る。 ★大室団地 New あればいい。 ★金井山 わかりにくい? 金井山バス停が最寄 ★松代温泉口 New あればいい ★松代 駐車場になってる! 松代駅バス停最寄 長野・屋代・松代高校・須坂 ★象山口 わかりやすい場だが、灯台下暗し、更地のため見過ごしてしまう 最寄バス停 象山口 ★清野 New あればいい小学校近いから。 ★岩野 灯台下暗し、、わかりにくい。 岩野バス停最寄 ★土口 New あればいい ★雨宮 主要道路からは、わかりにくい。 雨宮渡し跡が近い。バス停は、雨宮北町が近いものの、朝夕しか通過しない。朝夕以外なら日中しか通過らない雨宮中が近い。 ★屋代中学前 中学近い。屋代高校も近いが、しなの鉄道・屋代高校前という詐欺的な駅よりは、近い。 ★屋代 5・4番線うち5番線ばかりを使っていた。橋上化の犠牲になる可能性。 最寄 千曲市バスと共用な屋代駅バス停 運賃 長野電鉄長野本線、長野電鉄屋代線(廃線)、長野電鉄木島線(廃線)の記事をそれぞれ参照白いボス。 運賃は160~1130円まで幅広い。ちなみにどんなに遠くても1130円を越えることはない。1130円になった時点でそれ以降は終点まで同額となるいわば長距離割が適用されている証拠である。 路線別に最短額は160円で共通しているが最高額については長野本線が長野~湯田中間で1130円、屋代線が須坂~屋代間で880円となっている。また屋代~湯田中と長野~屋代でも1130円となっちょるん。 長野本線には一回100円の有料特急が2編成入っており、電車賃が高い分特急は安くなっているというわけだ。 ちなみに富山地方鉄道は乗車賃こそ最高額で1,790円と高いがの特急料金は100円だ。ただし宇奈月温泉まで向かう場合に限り200円徴収する。 お得なきっぷシリーズ 長電フリー乗車券 料金:2260円(小学末端生まで1130円) 前売りはせずに当日から明日まで二日間有効 特徴:長電鉄道線が二日間乗りたい放題で長野⇒湯田中は1130円。 往復すると2260円なので片道1130円区間を往復だけで元が取れる。 一往復後も無料同然で使えるので旅行者には大変ありがたい必須アイテムである。 定期券同様に駅の入出場毎に駅員または乗務員に提示するだけでOK。 ただし注意事項があるので注意。 注意:屋代線は2012.03.31まで使えたが翌日鉄道として廃止になったため代替バスでは当切符は使用できない。例えば須坂から屋代まで行きたい場合は別途880円お支払いください。木島線代替バスも同様に使えない。 どうしても屋代線代替バス(木島線には使えへん)に乗りたい場合は信州北回廊パスを別に購入したほうが便利だ。 発売利用期間共に通年だから問題ない。料金は2250円でこちらも発行から二日間有効だ。 鉄道で使える区間はJR線は姨捨~妙高高原・森宮野原間、しな鉄は長野~上田間、長電本線は全線に渡って使用できる。 バスで使える区間は善光寺~長野駅系統のびんずると長野~松代系統、屋代~須坂系統が使える。ただし代替バスであっても木島線代替バスには使用できない。 その他等については該当項目を参照だ。 屋代線廃止記念入場切符が発売されたが2080円、スライスした金レールが7000円だった。いずれも松代駅構内では売られておらず、駅裏手の長電テントで売られていた。しかしスライスレールに至っては松代駅玄関でも売られていた。長電テントでは最終日の雨の中にも関わらずテントとテントの間に雨が当たるのを恐れ列が1人分開くこともあった。しかも列は2つのテントを反時計回り如くグルリと一周するかのように並んでいた。売り場について見る以前にテントに来たときから長電だけじゃなく上田電鉄、しな鉄、松電が出展していた。しかしこれは便乗売買なので屋代線見納めマニアであれば長電を優先するだろう。 長電一日乗車券(屋代線記念切符) ¥1150。2日乗車券と違い1日のみ乗りたい放題。しかし屋代線廃止前4日ぐらいには売り切れてしまった。残念なことに再販はしないという。 そ他 長野電鉄には全路線全駅でナンバリンクを付与しているぜ。しかもウィキペディアでは導入年不明としてるが木島線が廃止以前はなかったので、たぶん木島線廃止後に付けたんだろう。 長野本線 (N / Nagano) 長野駅 (N1) - 湯田中駅 (N24) 屋代線 (Y / Yashiro、2012年4月1日廃止) 屋代駅 (Y1) - 須坂駅 (NY13) 長野本線と接続していた須坂駅は、両路線どちらの起点から数えても13番目にあたるため、路線記号をまとめて「NY13」とされていたが、廃止後は「N13」に変更された。 ちなみに木島線があった場合「k01」とか屋代線含めて河東線としてだったら信州中野は山之内と河東に分かれるためK19とY01と開始していただろう。すると木島はK18だろうね。 番線振り分け 長電の駅は駅構内の番線振り分けが奇妙だ。 特に須坂や信州中野は駅舎側から5・4・3・2・1となっている。 これについて最寄な駅員に質問したところ、「そうなんですよね、うちの会社って番線の振り分けが他の鉄道会社と逆なんですよね」とかいってたな。 「なぜですか?」と尋ねたところ。 「さぁ、わからないですね」と返答を頂いだいた。 質問対象である駅員は入社してまだ数年ってところなのか当然だろう。 というか、彼が20年勤めてようが須坂駅とかは河東鉄道時代からある駅なので、振り分けは当時からと思われる。 また、これを知ってる人はたぶん殆どいないだろう。なんせ河東鉄道が開通したのは大正時代で、その時代に生まれた生きていた人はたぶん、昭和も経験してるので80歳以上で、その理由を知ってる人に聞かないと分からない。 長野電鉄幹部らも50~74歳が平均だから知らない人が多いかもね。 しかすぶ、有力っぽい仮説だが、寺田駅も1・3・4・2となっているが、これは数順番に振り分けてるのでなく、方向別で振り分けてるため、こんな変則なってるんと。 これを長電に当てはめると起点方は数字が大きく、逆は小さくなってることがわかるだろう? 須坂、信州中野はいずれも共通点があり、長電の昔身であと河東鉄道だったころに秘密ろあ。 河東鉄道は何を考えたのか、屋代を起点に木島方への列車が数字が大きい番線に到着するようし、逆に屋代方なら数字小さい番線に到着するようにしたんだろう。 例えば、須坂にしろ信州中野にしろ、木島方の列車は数字の大きい番線に発着している。 須坂は屋代線廃線なっても信州中野方は1番線、長野方は2か3番線に発着してるが、運行が信州中野で分断された信州中野は湯田中方への特急は4番線を使うことが多く、各停湯田中行きにしても3番線を使うことから、この法則は無視されてるものとさる。ただ、現在閉鎖されてる1番線ホームは木島線専用で主に木島方に機能していたことや、信州中野~湯田中は山之内線だったため、発着が4番線でもなんら不思議でもないと思われる。 今は駐車場となった松代駅も駅舎からと3・2・1と並んでいたが本来、屋代逝は3番線、須坂逝は2番線となるはずだが、逆になっている信号システムや当時あったタブレットというワッカみたいな通行証を交換しやすいように配慮ってたと推測できるぞと。ちみに1番線は屋代方に車止があるため直通ができず、朝の始発須坂行と須坂⇔松代用にしか使ってないん。 結論からすると、4番線まであったなら、下りんは1・2、上りんは3・4ということが推測できるぞおお。
https://w.atwiki.jp/katemato/pages/98.html
日光電鉄 作者:(highlandrail) http //highlandrail.web.fc2.com/nikko/index.html https //twitter.com/highlandrail 路線図 日光電鉄は、東武鉄道日光軌道線を引き継いだという設定の「日光市内線」、日光鋼索鉄道線を引き継いだという設定の「登山線」の2つの路線で構成されています。 車両 800型電車 2004年から導入されたノンステップ車で、当形式の導入により定期営業車両の冷房化率100%を達成しました。 駅名標 駅名標は、近年の外国人観光客の増加を考慮し、多言語表記になっています。 紹介 廃止された東武鉄道日光軌道線を元ネタにした架空鉄道です。 フリースペース ご自由に編集して下さい。
https://w.atwiki.jp/rbxjptrain/pages/284.html
小倉電鉄とは、現在鉄蓮が社長を務めているRoblox上の架空鉄道グループである。 2024/05/21に様々な理由で廃業を発表した。 小倉電鉄 運行形態 フリードライブと社員制 社長 鉄蓮 路線 小倉町線 西稲地下鉄の西稲線に直通するため、西稲地下鉄のプレース内に開発されている。小倉町線内は急行運転が行われているが、西稲線内は全種別各停となっている。 真駒内~小倉町間が小倉町線である。 リンク類 Robloxグループ https //www.roblox.com/groups/33693026/KER ゲームリンク 現在非公開 Discordリンク https //discord.gg/Ph929GcF82・・・verifyをする前に切断するとキックされます。
https://w.atwiki.jp/jftahp/pages/27.html
西都電鉄(せいとでんてつ)とは、2014年に「多摩川電気鉄道」、「東京縦貫鉄道」、「相模野急行電鉄」、「熊東交通」と、元木ノ鉄草津線を統合して設立された、総延長約300kmに及ぶ路線を管理する会社である。草津線を除きICカードを使用できる。 ↓Twitterの華麗なる公式(笑)は↓@Seito_Railwayさんのツイート路線は「西都本線」「西都本線支線(仮称)」「西都多摩川線」「西都東京縦貫線」「西都馬入線」「西都草津線」「西都西多摩線(仮称)」の7路線を5つの管理局が管理している。対照表と路線概略図は次の通り。 本線管理局(本線局) 多摩川線管理局(多摩川局) 縦貫線管理局(縦貫局) 馬入線管理局(馬入局) 草津線管理局(草津局) 西都本線西都本線支線(仮称) 西都多摩川線西都西多摩線(仮称) 西都東京縦貫線 西都馬入線 西都草津線 5つの鉄道会社及び路線が合わさったこともあり、元のグループ会社は全て西都系列となった。一覧は下記。 ・多摩電バス(旧多摩川電気鉄道系) ・熊東交通バス(旧熊東交通系) ・新日本電源開発(旧東京縦貫系) ・西都表示器工業(旧東京縦貫系) なお西都表示器工業では現在も字幕式表示器の製造を行っている。表示再現のご依頼はtwitterアカウントまで。
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/5142.html
神戸電鉄 本店:神戸市兵庫区新開地一丁目3番24号 【商号履歴】 神戸電鉄株式会社(1988年4月~) 神戸電気鉄道株式会社(1949年4月~1988年4月) 神有三木電気鉄道株式会社(1947年1月~1949年4月) 神戸有馬電気鉄道株式会社(1926年3月27日~1947年1月) 【株式上場履歴】 <東証1部>2013年7月16日~ <大証1部>1949年6月21日~2013年7月15日(東証に統合) 【合併履歴】 1947年1月 日 三木電気鉄道株式会社 【沿革】 大正15年3月 神戸有馬電気鉄道株式会社設立(資本金500万円) 昭和3年11月 神有線運輸営業開始(現有馬線) 昭和3年12月 三田線運輸営業開始 昭和11年11月 三木電気鉄道株式会社設立(資本金60万円) 昭和11年12月 鈴蘭台・広野ゴルフ場前間運輸営業開始 昭和12年12月 広野ゴルフ場前・三木上の丸間運輸営業開始 昭和13年1月 三木上の丸・三木間運輸営業開始 昭和22年1月 神戸有馬電気鉄道株式会社と三木電気鉄道株式会社が合併、神有三木電気鉄道株式会社に商号変更 昭和24年4月 神戸電気鉄道株式会社に商号変更 昭和24年6月 大阪証券取引所に上場 昭和24年10月 乗合バス営業開始 昭和26年12月 三木・小野間運輸営業開始 昭和27年4月 小野・粟生間運輸営業開始 昭和32年4月 不動産事業営業開始 昭和40年1月 鈴蘭台・谷上間複線営業開始 昭和41年3月 谷上・有馬口間複線営業開始 昭和43年4月 神戸高速鉄道新開地駅乗入れ運輸営業開始 昭和45年3月 鈴蘭台車両工場及び検車庫竣工 昭和50年7月 神鉄ビル竣工、本店移転 神戸市兵庫区大開通1丁目1番1号 昭和54年11月 見津信号場・押部谷間複線営業開始 昭和55年8月 流通事業営業開始 昭和57年10月 西鈴蘭台・藍那間複線営業開始 昭和59年10月 第二車庫第一期工事竣工 昭和62年4月 鉄道事業法の施行に伴い、第1種鉄道事業として営業開始 昭和63年4月 神戸電鉄株式会社に商号変更 昭和63年4月 第2種鉄道事業(湊川・新開地間)営業開始 昭和63年4月 谷上駅移設工事竣工 平成元年3月 川池信号場・見津信号場間複線営業開始 平成元年10月 第二車庫第二期工事竣工 平成3年3月 横山・三田間複線営業開始 平成3年10月 公園都市線運輸営業開始(横山・フラワータウン間) 平成7年5月 本店移転 神戸市北区山田町下谷上字明田8番地の1 平成8年3月 フラワータウン・ウッディタウン中央間運輸営業開始 平成10年3月 岡場・田尾寺間複線営業開始 平成10年9月 自動車事業を神鉄バス株式会社(平成10年4月1日設立)に営業譲渡 平成11年10月 ストアードフェアシステム「スルッとKANSAI」に参入 平成12年4月 介護サービス事業営業開始 平成13年4月 健康・保育サービス事業営業開始 平成16年7月 本店移転 神戸市兵庫区新開地1丁目3番24号
https://w.atwiki.jp/haruka17/pages/760.html
近鉄電鉄 近畿日本鉄道電気鉄道株式会社の略称。 正式名称は異なるようだ。 近畿日本鉄道株式会社(きんきにっぽんてつどう、英称 Kintetsu Corporation) 大阪府・奈良県・京都府・三重県・愛知県の2府3県に跨る営業路線網を持つ大手私鉄である。 最近神戸にも乱入している。 JRグループを除く日本の鉄道事業者(民営鉄道)の中では最長の路線網を持つ。 一般的には略して近鉄(きんてつ、Kintetsu)と呼ばれている。 多数の企業を擁する近鉄グループを抱え、様々な事業を行っている 近鉄電鉄の歴史 1910年(明治43年)9月16日:奈良軌道設立 1910年(明治43年)10月15日:大阪電気軌道に社名変更 1914年(大正3年)4月30日:生駒トンネルの開削により上本町駅 - 奈良駅間開業 1921年(大正10年)1月1日:天理軽便鉄道を買収 1922年(大正11年)1月25日:生駒鋼索鉄道を合併、生駒鋼索線となる 1923年(大正12年)3月21日:畝傍線(現在の橿原線)全通 1926年(大正15年)6月11日:菖蒲池駅前にあやめ池遊園地を開園 1926年(大正15年)9月16日:上本町ターミナルビル(初代)開業 1927年(昭和2年)7月1日:八木線(現在の大阪線布施駅 - 大和八木駅間)が全通 1927年(昭和2年)9月28日:参宮急行電鉄を設立 1928年(昭和3年)1月8日:大阪電気軌道が長谷鉄道を合併。長谷線となる 1928年(昭和3年)11月15日:京阪電気鉄道と半分ずつ出資の合弁会社である奈良電気鉄道により、京都 - 西大寺(現在の京都線京都 - 大和西大寺間)が全通 1929年(昭和4年)3月27日:大阪電気軌道が生駒山上遊園地を開園 1929年(昭和4年)3月31日:大阪電気軌道が伊賀電気鉄道を合併、伊賀線となる 1929年(昭和4年)5月25日:大阪電気軌道がバス営業開始(奈良春日奥山周遊線) 1929年(昭和4年)8月1日:大阪電気軌道が吉野鉄道を合併、吉野線となる 1930年(昭和5年)12月15日:大阪電気軌道の信貴線開業 1930年(昭和5年)12月20日:参宮急行電鉄の桜井駅 - 山田駅(現在の伊勢市駅)間が全通し、上本町駅 - 山田駅間直通運転を開始 1931年(昭和6年)3月17日:参宮急行電鉄の山田駅 - 宇治山田駅間が開業 1932年(昭和7年)1月1日:上本町駅 - 宇治山田駅間に特急を運転開始 1936年(昭和11年)1月24日:関西急行電鉄を設立 1936年(昭和11年)9月15日:参宮急行電鉄が伊勢電気鉄道を合併、桑名駅 - 大神宮前駅間を伊勢線とする 1938年(昭和13年)2月1日:大阪電気軌道の長谷線廃止 1938年(昭和13年)6月20日:参宮急行電鉄が津線参急中川駅 - 江戸橋駅間を全通させ、伊勢線と接続 1938年(昭和13年)6月26日:関西急行電鉄が桑名駅 - 関急名古屋駅(現在の近鉄名古屋)間を開業 1940年(昭和15年)1月1日:参宮急行電鉄が関西急行電鉄を合併 1940年(昭和15年)8月1日:参宮急行電鉄が養老鉄道を合併、養老線となる 1941年(昭和16年)3月15日:大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併し、関西急行鉄道となる 1942年(昭和17年)4月1日:電気供給事業を関西配電(現在の関西電力)に譲渡 1942年(昭和17年)8月11日:元伊勢電気鉄道の路線の一部だった伊勢線の新松阪駅 - 大神宮前駅間が参宮線も含めた3路線競合区間ということもあり、不要不急線として廃止 1943年(昭和18年)2月1日:大阪鉄道を合併。現在の南大阪線等の前身。この時、本社を上本町から旧大阪鉄道本社のあった阿部野橋に移転する 1944年(昭和19年)4月1日:南和電気鉄道・信貴山急行電鉄を合併 1944年(昭和19年)6月1日:関西急行鉄道と南海鉄道が合併、近畿日本鉄道が発足。この時、4営業局体制(難波・天王寺・上本町・名古屋の各営業局)となる。難波営業局は旧南海鉄道本社に置かれる 1947年(昭和22年)6月1日:旧・南海鉄道の路線(難波営業局管内全路線と天王寺営業局管内のうち阪堺線・上町線・平野線)を高野山電気鉄道改め南海電気鉄道へ譲渡 1947年(昭和22年)10月8日:名阪特急運転開始 1948年(昭和23年)3月31日:河内花園駅構内で追突事故が発生 1948年(昭和23年)7月18日:特急で車内販売開始 1949年(昭和24年)12月1日:プロ野球球団近鉄パールス(後の大阪近鉄バファローズ、現在はオリックス球団と統合してオリックス・バファローズ)発足 1950年(昭和25年)8月22日:タクシー事業を近鉄タクシーに分社 1954年(昭和29年)10月1日:旅行業を近畿日本航空観光(現在の近畿日本ツーリスト)に譲渡 1956年(昭和31年)9月28日:名古屋線川原町駅 - 諏訪駅 - 四日市駅 - 海山道駅間が新線に切り換えられ、国鉄四日市駅を経由しなくなる。同駅北に存在した半径100mの急曲線(善光寺カーブ)も解消され、同線の速度向上と車両大型化に貢献した 1956年(昭和31年)12月8日:大阪線上本町 - 布施間の複々線化が完成 1958年(昭和33年)7月11日:伊勢特急に2階建て車両付きの特急「ビスタカー」が登場 1959年(昭和34年)3月6日:毎日放送テレビで自社提供番組「真珠の小箱」の放送開始(2004年3月27日、2,314回で終了) 1959年(昭和34年)9月26日:伊勢湾台風により被災。不通区間多数 1959年(昭和34年)11月27日:名古屋線全線復旧と同時に同線標準軌化。なお同線の支線は当時の神戸線(現在の鈴鹿線)を除き狭軌で復旧 1959年(昭和34年)12月12日:名阪特急の直通運転を開始。伊勢中川駅での乗り換え解消。「ビスタカー2世」登場 1960年(昭和35年)3月26日:電子計算機による特急座席予約業務開始 1960年(昭和35年)9月15日:日本初の2階建てバス「ビスタコーチ」の営業を開始 1960年(昭和35年)12月1日:大和文華館が開館 1961年(昭和36年)1月22日:伊勢線の残りの区間である江戸橋駅 - 新松阪駅間廃止。津市街の一部区間はしばらく三重交通バス専用道路とされ、代行バス的な運行が行われる 1961年(昭和36年)3月29日:中川短絡線が開通。同線経由で上本町駅 - 名古屋駅間にノンストップ特急(甲特急)運転開始(乙特急の短絡線使用開始は1963年9月21日より) 1962年(昭和37年)4月4日:2階建て団体列車用車両「あおぞら」登場 1963年(昭和38年)10月1日:奈良電気鉄道を合併。京都線となる 1964年(昭和39年)4月28日:信貴生駒スカイラインが全通 1964年(昭和39年)7月23日:新生駒トンネルが開通 1964年(昭和39年)10月1日:信貴生駒電鉄を合併、生駒線・東信貴鋼索線・田原本線となる。伊賀線伊賀神戸駅 - 西名張駅間を廃止 1965年(昭和40年)4月1日:三重電気鉄道を合併、志摩線・北勢線・湯の山線・内部線・八王子線となる。現在の路線網がほぼ完成する 1965年(昭和40年)7月1日:茨木バスの事業を譲り受ける 1967年(昭和42年)3月26日:葛城索道線(葛城山ロープウェイ)営業開始 1967年(昭和42年)12月4日:奈良線で近鉄初のATS使用開始 1968年(昭和43年)12月20日:丹波橋駅での京阪電気鉄道との相互直通運転廃止 1969年(昭和44年)9月21日:京都線・奈良線・橿原線・天理線・生駒線・田原本線の架線電圧を600Vから1,500Vに昇圧 1969年(昭和44年)11月23日:上本町ターミナルビル新館第一期が完成(現在のビルの南半分。北半分は1973年6月15日に完成) 1969年(昭和44年)12月5日:上本町に現本社ビルが完成。これにより本社が阿部野橋から再度現在の上本町に戻る 1970年(昭和45年)3月1日:鳥羽線全通。志摩線改軌完成。賢島への特急直通運転開始。上本町駅地下ホーム使用開始。また「近畿日本」を冠していた駅名を「近鉄 - 」に改める(近畿日本名古屋駅から近鉄名古屋駅へなど) 1970年(昭和45年)3月9日:特急座席予約システム更新。即時発券開始。世界初の(指定券)特急券自動発売機実用化 1970年(昭和45年)3月15日:難波線が開業。奈良線列車が延長運転される 1970年(昭和45年)3月21日:近鉄難波駅(現在の大阪難波駅) - 賢島駅間直通の特急の運転を開始 1971年(昭和46年)10月25日:大阪線榊原温泉口駅 - 東青山駅間で特急同士の列車衝突事故が発生 1972年(昭和47年)6月1日:百貨店事業を株式会社近鉄百貨店に分社 1975年(昭和50年)11月22日:新青山トンネルが開通、大阪線の全線複線化が完成 1978年(昭和53年)12月30日:「ビスタカー3世(現在のビスタEX)」営業運転開始 1983年(昭和58年)9月1日:東信貴鋼索線廃止 1984年(昭和59年)9月3日:VVVFインバータ制御車、1250系(現在の1420系)落成 1985年(昭和60年)10月3日:上本町ターミナル整備が完成、近鉄劇場と都ホテル大阪が開業。テレメイトの運用を開始 1986年(昭和61年)3月1日:VVVFインバータ搭載量産車、3200系営業運転開始 1986年(昭和61年)10月1日:東大阪線(現在のけいはんな線長田駅 - 生駒駅間)が開業。プリペイドカード「パールカード」「パールカード11」発売開始 1988年(昭和63年)3月18日:名阪特急に「アーバンライナー(現在のアーバンライナーplus)」が登場し、120km/h運転を開始 1988年(昭和63年)8月28日:京都市営地下鉄烏丸線と相互直通運転開始 1988年(昭和63年)11月11日:阿部野橋ターミナルビルの増築が完成、高速バス発着場(あべの橋バスステーション)も開設 1989年(平成元年)10月3日:団体列車用車両「旧あおぞらII」が登場 1990年(平成2年)3月15日:吉野特急に「さくらライナー」が登場。前後して駅係員・乗務員の制服を灰色地のものに変更 1990年(平成2年)11月23日:団体列車用車両「楽」が登場 1992年(平成4年)3月19日:特急用電車「ACE」が登場 1994年(平成6年)3月15日:伊勢特急に「伊勢志摩ライナー」が登場し130km/h運転を開始 1996年(平成8年)1月30日:公式ウェブサイト「K s PLAZA」開設 1996年(平成8年)2月:2610系改造車にてデュアルシート車(L/Cカー)の試験を開始 1997年(平成9年):世界初のデュアルシート車(L/Cカー)の量産車、5800系登場 1999年(平成11年)10月1日:自動車局(バス部門)を近鉄バス・近鉄観光バスに分社(2006年9月1日に近鉄観光バスは近鉄バスに統合) 2000年(平成12年)3月15日:京都線・橿原線・天理線・奈良線で新型通勤車両「シリーズ21」営業運転開始。以後大阪線・南大阪線に登場 2001年(平成13年)2月1日:関西共通乗車カードシステム「スルッとKANSAI」に参加、青山町以西でストアードフェアシステム開始 2001年(平成13年)10月14日:青山町以西で「Jスルーカード」が利用可能に 2002年(平成14年)3月20日:特急での車内販売を休止 2003年(平成15年)3月6日:名阪特急に「アーバンライナーnext」登場(ただし2002年12月23日より団体列車で暫定営業) 2003年(平成15年)4月1日:北勢線を三岐鉄道へ譲渡 2003年(平成15年)6月28日:上本町・天王寺の各営業局を統合して大阪輸送統括部に、名古屋営業局は名古屋輸送統括部に名称変更し、3営業局体制から2輸送統括部体制に変更。また、駅業務・営業部門を近鉄ステーションサービスに分社(駅係員の制服も一新) 2004年(平成16年)6月6日:近鉄あやめ池遊園地が閉園 2004年(平成16年)11月30日:大阪近鉄バファローズの経営権をオリックス野球クラブ株式会社に売却。球団合併によりオリックス・バファローズとなる。その後も当球団の20%の株式を出資 2005年(平成17年)12月1日:団体列車用車両「新あおぞらII」が運転開始。公式ホームページを鉄道情報と企業情報に分離 2006年(平成18年)3月1日:近鉄ステーションサービスを合併し、駅業務を再直営化 2006年(平成18年)3月27日:けいはんな線生駒駅 - 学研奈良登美ヶ丘駅間開業。東大阪線をけいはんな線に改称(既存路線名の改称は1963年の神戸線(現在の鈴鹿線)以来43年ぶり) 2006年(平成18年)11月3日:伊勢志摩発着の特急に限り車内販売を再開(土曜・休日の伊勢志摩ライナーに限る) 2007年(平成19年)4月1日:ICカード「PiTaPa」サービス開始。同時に近鉄線で「ICOCA」も利用可能に 2007年(平成19年)10月1日:伊賀線および養老線をそれぞれ伊賀鉄道、養老鉄道(いずれも近鉄の子会社で、第二種鉄道事業者)に運営を移管。線路や車両などは近鉄が第三種鉄道事業者として保有 2008年(平成20年)3月17日:GPSを用いた日本国内2例目となる「運転士支援システム」をワンマン列車など一部の列車を除く全列車に導入 2008年(平成20年)6月14日:車上速度パターン照査式ATS (ATS-SP) を難波線全線と大阪線・京都線・南大阪線・名古屋線の一部区間で使用開始 2008年(平成20年)9月15日:Jスルーカード・パールカードの発売を終了 2009年(平成21年)3月1日:Jスルーカード・パールカードの自動改札機・自動精算機での利用を終了(自動券売機での切符への引き換えは、当面の間継続) 2009年(平成21年)3月20日:阪神なんば線と相互直通運転開始。近鉄難波駅を大阪難波駅、上本町駅を大阪上本町駅、富洲原駅を川越富洲原駅に改称
https://w.atwiki.jp/rbxjptrain/pages/276.html
概要 大山電鉄はkageru_GGDOAHO(takesachi3)(カゲル)が所有する2023年4月ごろに設立されたフリードライブの鉄道グループである。 ちなみに、旧大山鉄道ゲームはグループのゲームではなく、カゲル(Kageru_GGDOAHO)のマップである。 大山鉄道は開業式をしなかった鉄道である。 大山鉄道は現在は一部開業であり、大山ビジョン前~垣山、中山の区間のみ開業していて、未開業なのは春日部、第二米具養鶏場前である。 フリードライブであるが、社員などをYoutubeにて不定期募集している。 現在、深刻な人手不足に追い込まれている。 〈路線〉 大山電鉄の駅数は3駅。 本線 大山ビジョン前(おおやまびじょんまえ) 中山(なかやま) 続いて、延伸予定の駅。 春日部(かすかべ) 第二米具養鶏場前(だいにべーぐようけいじょうまえ) なお、第二米具養殖場前駅の駅名は東阪モノレールから取ってきたものだ。 支線 垣山(かきやま) リンク Robloxグループ https //www.roblox.com/groups/32389039/unnamed#!/about Robloxゲーム https //www.roblox.com/games/13624282201/unnamed
https://w.atwiki.jp/kobuchi/pages/24.html
北海急行電鉄 架空鉄道 北海急行電鉄のページへようこそ。 ここでは、札幌都市圏を中心に展開する「北海急行電鉄」について紹介します。 「北海急行電鉄」について 北海急行電鉄の歴史 北海急行電鉄の車輌 路線・駅一覧 技術で見る北海急行電鉄
https://w.atwiki.jp/rbxjptrain/pages/213.html
青急電鉄(*1) 設立日 2024年1月20日 運行形態 社員制 創設者 Tetsuhako2973 社長 Kenken Train 外部サイト 下記参照 概要 青急電鉄とは、2024年1月20日に、Tetsuhako2973によって設立された、社員制の会社である。 開業当初は牛煮込筋町~天猫(旧星が丘中央)までだったが、4/7に夢が丘までに延伸された。 子会社である青山メトロと相互直通運転が区間的に始まった。(牛煮込筋町~大和青山) なおロブロックス上に同じく青急と略されるフリードライブの鉄道があるが、 そちらは青浜急行電鉄でありこの鉄道では無いので気を付けて欲しい。 路線情報 青急線 駅名 発車メロディー 備考 大和青山 無し 青山メトロの最初の駅。地下鉄だが高架駅となっている。 牛煮込筋町 1番線:Connect V1 , 2番線:Connect V2 初代駅舎は地上駅で、現在とは少し離れた場所にあった。高架化とともに線路を移動し、現在の地点にある。なお旧牛煮込筋町の場所には再現モデルが設置されている。 青急青山(旧青急舞倉町) 1~2番線:ももたろう (両番線とも音色違い) 接近表示器あり。 池下 無し 接近表示器と発車メロディー装置(未稼働)が設置されている。 星が丘 無し 〃 天猫(旧星が丘中央) 1~2番線:COSMOS(両番線とも音色違い) 付近に車庫の連絡線が存在する。新接近表示器あり 上社 無し 特になし。 伏見 無し バリアフリー対応化のためエレベーターが設置されている。 小野大橋 無し 開業時は地上駅だったが、9/1に高架化され、接近表示器と新駅名標が設置された。 夢が丘 1~4番線:ラグトレイン(各番線音色違い) 現在の終着駅。 路線図 ⚠大和青山は牛煮込筋町のひとつ左の位置にあります 車両 SDN100系 NOOB氏によって建設されている青山新幹線の試験車両。試験車両なこともあって椅子と運転席しか用意していないが最高速度は1000km/hを誇る。 モハ13形 8/3にデビューした吊り掛け駆動のワンマン運転専用車両。 旧型車両をモチーフにしているため、外観だけでなく、内装の一部などに古めかしさが感じられる。 ATS通過音やジョイント音、車内放送機能など様々な最新技術が注ぎ込まれていて、この車両のみ 片側にしか乗務員室扉が無く、前後の乗務員室の幅が異なっている。 元々は両側に幌が装着されていたが、更新工事の際に片方のみとなった。 そしてかなりの骨董品であるため、「モハじうさん」(13とじいさんを掛け合わせて崩した言葉)と稀に言われたり、 爆音過ぎて還って自動放送が聞こえにくいなど色々と特殊な車両である。 9月にモハの原色である日立電鉄塗装色が追加された。 1300系 4/15から老朽化が進行していた1000系に代わって登場した一両編成の車両。 青急初となるVVVFインバータ(バグのため一時的に撤去)、ドアアニメーションなど青急で初導入された機能が備わっている。 使い勝手がいい為、運行ではよくこの車両が走っていることが多い。 また、2024年7月14日、青急電鉄史上初となるマスコンUIが導入された。 現在は従来のオリジナルUIの車両とマスコンUIの車両(*2)がある。 またブルーバード塗装や、京急ラッピングなど様々なラッピング車両が存在する。 現在、通常塗装の1301F、1302F、1305Fが新型パンタグラフ(アニメーション有)の試験を行っている。 新型パンタ試験を行っている1301F☟ 1300系の車内。導入当時は1000系ベース要素であったが、LCDや板仕切り等が後付けとして設置された☟ 1300系の扉上部に設置されている2画面の車内LCD☟ 京急ラッピング風として2024/8/22(青急夏祭り2024)から運用を開始したイベント仕様の1381Fと1382F。季節のイベント開催時に併せた限定幕があるほか、乗降促進メロディーも搭載されている☟ 1500系 2024/9/15から老朽化が進行していた3000系3両編成Ver.と10両編成Ver.に代わり、今後新たに開業する計画である青山支線用として登場した一両編成の車両。 既存の1300系の一部も改造され、外観や車内のデザインが一新となった。車内には優先席(*3)や車椅子スペースも設けられている。支線用であるが、本線でも走行可能となっている(*4)。 1500系の車内☟ 乗務員室側の左に設置されている車椅子スペース☟ 2024/9/17に特急トマト号編成も新たに追加された。 こちらは支線が未開業であるため、現在は特急マシュマロ号を中心に暫定運用として充当している。 T2系(通常色) 青急で初の低床形路面電車として誕生した。Tシリーズは片方の扉のみ開く仕様になっている。 また同形式が塗装を変えて愛川高速鉄道にて運行されている。 T2系(改良型及び共通色) 初期のT1系は様々なトラブルが発生したため、改善されたのがこの車両である。 塗装が茶色に変更された。 また同形式及び同塗装を愛川高速鉄道が所持しているが、運用には入っていない。 また青急電鉄においても運用入りではあるがあまり使用されていない。 T1系(特急仕様) T系シリーズで特急に対応するために製造された。 特急仕様の為、従来と比べてライトが変更されたり車内がクロスシート化されているなどの違いがある。 T1系(特急ニワトリ号仕様) 某有名人が訪問する際に製造された車両。 通称、「ニワトリ号」と呼ばれている。 そしてこの車両は実際に某有名鶏を乗せた... 引退した車両 デハ100形 105系と共に飯京電気鉄道から譲渡された車両。引退の数日前に魔改造され、3/24のダイヤ改正と同時に引退した。 引退後、西急電鉄と渋成鉄道に譲渡された。デハ100形は永久に不滅なのであろう。 105系0番台 飯京電気鉄道から貸し出し車両として1/20の開業日とともに登場した。初期は飯京色のオレンジ塗装だったが、後に藍色に変更された。 飯京電鉄ではリメイク車両が登場したため引退しており、正式に譲渡となった。しかし運行数が日々減っていき、4/16に定期運用を離脱した。その後、五日後の5/21に夢が丘へ廃車回送された。 車両は現在、青急鉄道博物館に保存されている。 1000系0番台 青急初のオリジナルの車両。デビュー後、様々な改造を施され、今のようになった。0番台はライトが白熱電球だった。駆動方式は吊り掛け駆動で爆音だったが、1300系に座を譲る形で4/14に引退した。また105系と一緒に廃車回送され、博物館に保存されている。 1000系100番台 100番台はライトがLED化されたのみで、他に目立った点はない。この車両も0番台と共に引退、廃車回送され 博物館で保存されている。 3000系 乗客増加に伴いの輸送力を強化するため、一部の1000系を魔改造して3/24のダイヤ改正のタイミングでデビューした。 15m級車両で3両編成ver.と10両編成ver.が存在していた。青急では初となる速度メーターを搭載しており、椅子はEクリック化されている。 また固定機能もあり、改造工事でPrismastic製ドアアニが追加された。 しかしバグの多発や老朽化がかなり進行していたこと、必要最低限の改造工事しか施行されていなかったため、9/16を持って 新型車両1500系(1300系の改造車)に置き換えられる形で引退した。 リンク集 ゲームリンク https //www.roblox.com/games/16771323248 グループリンク https //www.roblox.com/groups/33613964 青急公式Discord https //discord.gg/GD7GKGyZ7H