約 4,647,359 件
https://w.atwiki.jp/occultfantasy/pages/1845.html
インドネシア トゥワレ(Tuwale) インドネシアのウェマーレ族における太陽神。 参考文献 沖田瑞穂『すごい神話 現代人のための神話学53講』59頁 吉田敦彦『世界の神話101』214, 220頁
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/524.html
「慰安婦」問題 調査報告・1999 雲南・ビルマ最前線におけ慰安婦たち一死者は語る 浅野豊美 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p061_088.pdf 4 騰越(中国名「騰衝」) 雲南・ビルマ最前線におけ慰安婦たち一死者は語る4 騰越(中国名「騰衝」) 注《浅野論文》 騰越は、明代に築かれた中国の城壁都市である。最初に作られた援蒋ルートであるラングーンから昆明に抜けるビルマルートの北方、騰越平野の中央に位置しており、人口は4万人で怒江地区の「政戦略上の要衝」11)であった。城壁はほぼ正方形で、1辺が約1キロで、城壁の高さは約5メートル、外側は石、内側は積土によって構築されていた。雲南から攻め込んできた中国軍との決戦場が、龍陵に決まってからは、守備兵が抽出され、戦力は減少する一方であった。孤立した戦いが展開されるが、まず騰越城の周囲の山々に築かれた砲台陣地が6月下旬から攻撃され、7月4日からは騰越城の中央門に対する砲撃と航空機による爆撃が開始された。以下図3が騰越付近の戦闘経過概見図、図4が騰越城内市街戦の展開図で、いずれも戦史叢書からの引用である。 図3 騰越城付近戦闘経過概見図。『イラワジ会戦』294頁より引用。 図4 騰越城内市街戦展開図。『イラワジ会戦』302頁より引用。 写真D 騰越城内の城壁の角に、散乱する死体(1944年9月15日) この騰越の戦闘で死亡した、慰安婦らしき女性の写真が、米国のナショナルアーカイブにあった。思わず目を背けたくなる写真ではあるが、冥福を祈りつつあえて掲げさせていただく。ところで、米軍の写真部隊が撮影した写真の中には「日本人の死体」「朝鮮人の死体」という分類に付された一群のおびただしい死体の写真が存在している。戦場の心理を反映しており、とても正視に堪えないものが多い。著者もそうしたアルバムの閲覧中に、途中で吐き気を催し、モノが喉に通らなくなった。これは、そうした写真のごく一部を抽出したにすぎない。 写真D12)のなかで、何よりも注目に値するのは、上部左から中央にかけての土壁と、中央部から右側にかけての白壁、および白壁に残る弾痕である。騰越城の玉砕は、図4に示されている通り、城壁の四隅の中で北東の角が最終陣地となって行われたこと、この写真の日付が、玉砕の翌日の15日である事を考え合わせると、恐らくこの写真は、その北東の角の最終陣営辺りを写したものであろう。また左側の壁の材料が漆くいのないものであることから、カメラマンは角の北側の城壁の前に立って、東の城壁(漆くいのない壁)にカメラを向けて写したのではないかと考えられる。画面右側の漆くいのある壁は、城壁に沿って建てられた家屋のものではなかろうか。 写真の中央部やや左に、横臥している2つの遺体があるが、その左側の方は、爆風もしくは火炎放射器の火炎によって、衣服がめくれ上がり胸部が露出している。その様子から明らかに女性のものであることがわかる。めくれた衣服と左腕によって顔はほとんど見えないが、ほんのわずか鼻からあごにかけての部分がすこしだけ覗いているようにも見える。腹部から大腿部にかけて、火傷による黒焦げの跡が痛々しく残っている。この写真のキャプションには、「日本軍兵士及び女性の死体」との説明が付けられているが、「女性」という部分は、タイプではなくペンで書き加えられている。 写真E 死体の埋葬をする3人の中国兵と女性の死体(1944年9月15日) 写真E13)は、一見してすぐに騰越の城壁内部のものではないことが分かるであろう。それにもかかわらず、キャプションには、騰越のものと記されていることから、周辺のどこかということになる。写真の中の、木立の様子、遠くに見える山の稜線、画面全体から受ける雰囲気から考えて、ここは傾斜した場所であることが分かる。図3の地図と見比べると、この写真は騰越城の南にそびえる来鳳山の周辺で、日本軍が砲台陣地を構築した、桜、松、梅の陣地か白塔高地ではないかと考えられる。写真の左上に覗いている山頂が、来鳳山ということになる。 中国軍兵士が鼻を覆っていることから考えると、死体の腐乱は相当に激しく進んでいるようである。死体の上に沢山の点のようなものが写っているのは、ハエであろう。手前の中国軍兵士はトビ口をもっており、これで引っかけて遺体を集めてきたとも考えられるが、日本軍が玉砕する前にそこに遺棄したものとも考えることができるし、地下壕に爆弾が落ちて生き埋めになったというのも可能性としては考えられる。しかし、バラバラになった遺体が露出していることや、写真のキャプションの中で、「不審に思って立ちすくむ中国兵士」とあること、またハエが一面に密集している状態を考えると、日本軍が立ち去った時から、そのままそこに遺棄されていたと考えるのが自然であろう。 米軍の写真部隊が付けたキャプションには、撮影の日付は1944年9月15日で「埋葬を行おうとする中国兵が、騰越で殺された女性を前に不審に思ってたたずんでいる所」(原文の注を参照、英文スペル判読の難しい所あり)と、「大部分の女性は日本軍基地にいた朝鮮の女性達である」という説明が付けられている。 来鳳山への攻撃の開始は6月27日で、戦闘の激化した総攻撃は7月10日、23日と26日に行われた。最後の総攻撃の際、城壁との連絡を絶たれそうになったので、守備隊は27日夕方に脱出し、以後その来鳳山陣地は放棄され、北に位置する騰越を取り囲む城壁戦、そして城壁が突破されてからは市街戦へと戦いの焦点は移った。恐らく写真の遺体は、来鳳山陣地脱出の際に遺棄され、1ヶ月半あまり放置された後、騰越城が最終的に陥落してから撮影されたものと考えられる。 以上、騰越の2枚の写真を見ながら分かるのは、それにしても何故このような最前線に慰安婦達を伴っていったのかということである。自由意志による契約を建前とし、運営と管理の責任は業者や慰安婦の方にあるという論理を現代の一部の論者が保持しようとしたとしても、雲南方面からの来襲が予想される最前線に慰安婦達をともない、戦闘行為にまで巻き込んでしまっているのでは、民間人への必要情報の提供、保護避難の確保に対する軍の責任は当然問われなければならない。しかし、こうした責任追及は、そもそもが無意味なことかもしれない。なぜなら、こうした状況を見れば、慰安婦はもはや単なる民間人などではなく、最前線の最も過酷な戦闘部隊の一部として完全に組み込まれてしまっていたことが明らかであるからである。あるいは玉砕の可能性が高いからこそ、逆に慰安婦の存在が必要であったとの推測さえ可能である。 民間の業者もしくは慰安婦が勝手に危険なところにやってきたというような論法を、あるいは誰かが唱えるかもしれない。しかし、必ず起こるとは言えないが十分な危険性を故意に隠蔽した責任は、少なくとも免れないであろう。また慰安婦を拉孟に連れていった女衒自身も、慰安婦達が「実質的には部隊付き」になっていたこと、それでいながら、慰安婦達を手榴弾で殺害されたことに対して、「悔しい思いをしている」と述べていることは先に引用した通りである。 当時雲南方面の防衛にあたっていた第56師団では、反攻開始の日付と場所を暗号電報の解読によって、反攻5日前に察知し、さらに絶対優勢の敵を怒江上流から下流にわたる広正面で迎撃するために、敵を怒江沿岸から内陸部に引き込んで戦う「内線作戦」を前提に、籠城のための築城を進めていた14)。こうした防衛作戦をとる以上、もし慰安婦が民間人であるというのなら、当然いち早く後方へ避難させるべきであったろう。慰安婦達をそのまま留め置いたということ自体に、もし慰安婦が民間人であるという形式をとるとすれば、重大な軍の責任が問われるであろう。百歩ゆずって、兵站や傷病看護、兵士の士気維持の必要等の「諸事情」によって、後方への民間人の搬送を慰安婦優先で行うわけにはいかなかったとの言い訳を仮に受け入れるにせよ、騰越城の南に位置するただの陣地に過ぎない場所にまで、慰安婦達を伴って行ったという点に関しては、いかなる正当化も行うことはできないであろう。戦史に残される勇猛な戦闘の背後に、軍規の弛緩はここまで進んでいたと言う外はあるまい。情報も与えられず最前線に留め置かれる慰安婦達の立場は圧倒的に脆弱であり、慰安婦達の自由意志という形の論理は、最前線に留め置かれた慰安婦達と軍の関係を律する原理となり得ない。戦闘部隊の一部としてはめ込まれた、文字どおり「奴隷」的な状態という以外にはないのではなかろうか。 写真F 騰越の守備兵玉砕後、中国軍の捕虜となった18名の慰安婦達。台湾人3人、朝鮮人2人、残りは日本人 騰越城陥落の際、多くの慰安婦達が犠牲になる中で、救出され中国軍の捕虜となった慰安婦達がいた。その写真を上に掲げる。 この写真F15)は、元々2枚撮影されていたものを、筆者が左右に貼り合わせて一枚にしたものである。これは、中華民国第198師団第592団団長陶達綱によって保存され、その著書に掲載されたものである。その撮影されたときの状況が、陶達綱によって以下のように記されている。 友軍の53軍各部隊も勇敢に騰越城内に突入し、25日午後、騰越城内の日本軍は完全に消滅した。我が軍に捕獲された武器は、野砲・山砲・速射砲・軽重機関銃・歩兵銃・騎兵銃などおびただしい数に上った。捕虜の中には3人の女性がいた。年齢は20歳余りで、髪は短く刈り込んでおり、もはや人としての形を成していないほど、すさまじいばかりの惨澹たる形相16)であった。彼女達は飢えと緊張のためひどく疲労していおり、日本語交じりの台湾語をはなした。これは日本軍の中にいた、「営妓」であって、日本軍の獣性をあます所なく示すものである。話しかけてもその答えが分かるものが誰もいなかったので、私の目の前に3分弱ほど留め置いたが、すぐに後方へ送ることとした。彼女たちは我が軍が洞窟の中から見つけ出してきたものである。何と惨めで可憐なことであろう。彼女たちは日本軍によって脅迫され営妓になった台湾同胞の女性達であり、実に日本軍の行いは憎むべきもので、その悪辣さを物語るものであろう。 撮影されたのは、25日の午後であると、陶達綱は書いている。しかし、騰越の玉砕が14日であることから、それは誤りであろう。台湾で出された中華民国の記録『中華民国重要史料初編-対日抗戦時期第二編作戦経過』に収録されている、9月14日の戦闘報告の中でも、「軍官3員、士兵52名、営妓18名」17)を捕虜にしたとあって、写真に付けられているキャプション、「台湾人3人、朝鮮人2人、残りは日本人、合計18名の営妓」の説明とぴったり一致していることから、25日の午後というのは、実は15日の誤りである。14日に捕虜になった慰安婦の中から、台湾人の3人が特別に、団長の前に引き出され、翌日15日に面会となったものと考えられる。 騰越城内での市街戦の中で、どのような状況で捕虜となったのかは、残念ながら管見の限り不明である。城内北東の最終陣地の角付近と思われるが、先に掲げた壁の脇に横たわる遺体と考え合わせると、最終突撃以前の段階で投降したのかもしれない。いずれにせよ、18名の生存者がいたことは幸いであった。彼女たちは、後方に送られたとのみ記されているが、その後の足取りは不明である。 注《浅野論文》 雲南・ビルマ最前線における慰安婦達index
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/3313.html
【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」 II. 伊波苗子証言(1)2011.11.28 書き起こし II-05<慰安婦はいたか> 動画https //youtu.be/8wUmR4bO_gQ?t=09m17s (奥)そういう壕のね、中にその、慰安婦も一緒にいるということはありえないでしょ*27。 (伊波)絶対にない。もうあの方がね、雨宮閣下殿と交代*28する時からね、こっちにはね、慰安ちゅうとね絶対に許さないちゅうてね*29、ないです。医務室ね、看護の関係とかね。 (奥)じゃあ今度ね、沖縄県がその、慰安婦も一緒に住んでた、と、 (伊波)こりゃ絶対に (奥)許さないと (伊波)許さない。私はね、閣下殿の写真はね、こんなにいつも持ってね、こうしてね、沖縄のね、皆様、いまお守りしてますからね、いつも肌から離しませんですよ。こうして、慰安ちゅうのはね、絶対にありません。それ書く人はね、バチが当たるよ。何十万人の人がね、お命をなくしてね、お天にね、こうしてみんな守ってる、それのね、そんな悪いことを書くちゅうことは、絶対に許しません。私もね、からだ中みんな神様が付いてますよ、閣下殿の。閣下殿のね、お別れす_?_だけどね、コチラ様も良く考えてくださるから、牛島閣下殿がチビ子を守りなさいと、通じているんですよ。ハイ (奥)そうです、そうです (伊波)本部には慰安ちゅうこと絶対に許しません。(11 05) *27 問題になっているのは、摩文仁の地下司令部ではなく首里の地下司令部なのだが… *28 雨宮巽中将は24師団の師団長、牛島の前任の32軍司令官は渡辺正夫中将。物覚えがいい伊波さんの珍しい勘違いか? *29 長勇参謀長は「英雄色を好む」の典型。それにたいして牛島満司令官は「教師然とした」堅物だと評判。しかし「堅物」の牛島司令官といえども、「慰安ちゅうことは絶対に許さなかった」はなかった。軍の各部隊が競って慰安所をつくったのは、32軍の政策そのものであり、責任は司令官牛島満にある。32軍隷下の部隊が設置した慰安所の数は、軍の移動により途中で廃止されたものを含めれば、延べ143箇所とも145箇所ともいわる(『沖縄県史 各論編6 沖縄戦』VI-B-43、『沖縄県史 各論編8 女性史』VI-B-44)。 なお、首里の32軍地下司令部のなかに「○○慰安所」という看板が掛かった慰安所はなかったと思われるが、大きなガマに設置された地下陣地の中には、堂々と「慰安所」を設けたところもあった。現・南城市にある「糸数アブチラガマ」である。http //abuchiragama.com/ このガマは後にひめゆり部隊も働いた病院壕になったが、まだ陣地壕だった頃、大きな洞窟内には兵舎が建てられ、そのそばに萱葺き木造二階建ての慰安所があり(地上にあった民家をガマの中に移設)、5、6人の朝鮮人慰安婦がいたという。証言がいくつかある。 「ガマの中での電気は、南風原(はえばる)陸軍病院から重症患者がくる前に、製糖場にあった発動機で、ガマの中に電線をひいて、佐藤少尉が1ヶ月位発電して明るくしていた。またガマの中には現在の出口の下の明るい所に朝鮮の慰安婦が居ったが、この方々も部隊の移動によって他の場所へ移ったであろう」(久保田さん23歳、女性・旧姓知念、『糸数アブチラガマ(糸数壕)』 (玉城村)) 「4月に米軍が上陸して、アブチラガマからも戦闘に出かけて行きました。生き残って戦闘から戻ってきた兵士らは慰安婦を抱いて、半日過ごしたらまた戦闘に出かけていきました。少ない慰安婦でたくさんの兵隊を相手にするのだから可哀相でした」(壕の掘削に携わった元日本兵の長浜さん、沖縄北部今帰仁村出身の証言、VI-B資料48p31) 「糸数城跡の南側崖下の洞穴は弾薬倉庫であった。首里戦線に弾薬を届けるため洞穴から糸数部落はずれまでは主に女性が箱詰めの弾薬を背負い、糸数から首里や浦添の戦線には糸数区民や防衛隊、義勇隊が弾運びに従事した。女性の中には朝鮮出身の慰安婦もいて声を上げて泣いたりしていた」(糸数地区の住民、知念ウミさん、当時35歳、南城市公式サイト「糸数アブチラガマ」) 慰安所は5月1日以降は、兵舎・糧秣倉庫として利用されていたトタン屋根の建物の北はずれ、軍事機密書類保管室へ移された。ひめゆり学徒がその一帯への立ち入りを固く禁止された理由は、慰安所が設置されていたためと推測される。学徒のひとりだった富村都代子さんは、5月1日に、A地区出入り口から初めてこの壕に入ってきたとき、その直前まで慰安所だった建物付近で青地に真っ白の服を着けた朝鮮人女性が白米をより分けていた姿が目に焼きついている。地獄のような南風原陸軍病院から移動してきた直後だったので、余りに派手な服が目に映ったのである。(VI-B資料48p67) 「6月に米軍のガソリン攻撃をうけて、もはやこれまで、みんなでひと思いに死のうと決めたとき、慰安所には朝鮮人慰安婦の綺麗な服がいっぱいあるから、その服を手にしながら自爆しようとピーヤ(朝鮮人女性の慰安所のこと)に集まりました」(当時24歳の糸数住民の女性の証言、VI-B資料48p67) 【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」 .
https://w.atwiki.jp/2006ac/pages/17.html
GK ファンゼルハール 125 CB マノデノン 62 CB オヌンム 72 CB ウーリマー 84 SB ファンブロックオースト 102 CH ホフー 175 CH ファンボックル 157 CH ファンゼルガールト 140 CF カリコ 97 WG ロッケル 105 CF ファンミステルローム 185 GK テラー 68 CB フノート 64 CB ブーレゾーズ 68 SB デヨルツ 78 SB クテヘロニプ 62 CB マイネロ 64 CH スマイネル 132 DH ラポヒート 66 WG カリヤルン 58 WG ファンケルフィー 88 CF フェレブーム 80 CF パシモ 82
https://w.atwiki.jp/yuukifukkumigaku/pages/230.html
正解。 Q3 この絵の名前の「」に入る言葉は? 「???」の耳飾の少女 ダイヤ 宝石 真珠 肩身
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/7894.html
関東大震災 +クチコミ検索〔関東大震災の朝鮮人虐殺〕 #bf +ブログサーチ〔関東大震災の朝鮮人虐殺〕 #blogsearch +ニュースサーチ〔関東大震災の朝鮮人虐殺〕 関東大震災時の朝鮮人虐殺 犠牲者の名誉回復促す「人権セミナー」開催へ(聯合ニュース) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 震災時のデマ否定 100年前の本紙~私の「一語白書」 | さんにちEye 山梨日日新聞電子版 - 山梨日日新聞 「朝鮮人が井戸に毒を投げた」のデマ 関東大震災から98年目の判決が見せた闇 - 沖縄タイムス (社説)虐殺の史実 都は改ざんに手貸すな:朝日新聞デジタル - 朝日新聞社 ■ 毎日のコラム「平和をたずねて」の間違い 「tsujimoto blog(2018/10/25)」より / 毎日新聞2018年10月23日付けのコラム「平和をたずねて ―広岩 近広」の中に、次のような引用文がありました。 https //mainichi.jp/articles/20181023/ddn/012/040/033000c (関東大震災で殺害された朝鮮人の数は)デモクラシー指導者で「朝鮮人虐殺事件は震災における最大の悲惨事」とした吉野作造は独自の調査で2613人としたほか、在日朝鮮人らが結成した「在日同胞慰問会」の調査では6000人を超えた」(毎日新聞社『毎日の3世紀 上巻』) これを読んで、あれ!? 吉野作造は自ら調査したことがなく、犠牲者数は伝聞の話のはず。 これは明らかな間違いなので、引用する際に錯誤があったのではないかと思って、引用元の本を探しました。 『毎日の3世紀 新聞が見つめた激流130年 上巻』(2002年2月)の545頁に該当部分がありました。 そして引用は間違っていないことを確認しました。 ところで吉野作造自身が、殺害された朝鮮人の数について次のように述べています。 朝鮮人の被害の程度を述べる。之は朝鮮罹災同胞慰問班の一員から聞いたものであるが、此の調査は大正12年10月末日までのものであって‥‥ (姜徳相・琴秉洞編『関東大震災と朝鮮人』みすず書房「現代史資料」 360頁に所収) また吉野作造『中国・朝鮮論』(平凡社東洋文庫 松尾尊兊編)の300頁には、次のような編注があります。 吉野は‥‥朝鮮罹災同胞慰問班の一員から聞いたという、朝鮮人の虐殺地点と人数(計2,613名)を記した 以上のように吉野作造自身が伝聞であって「独自の調査」を全くしていないことを明記しているし、研究者もそれを記しています。 しかし毎日新聞は16年前の自社の出版物に吉野は「独自の調査」したと書き、さらに広岩記者がこの間違いを検証しないで最近のコラムにそのまま引用した、ということです。 (※mono....以下略) ★ 小池都知事、関東大震災の朝鮮人犠牲者への追悼文を取りやめ 自民都議の指摘が背景 「HUFFPOST(2017.8.24)」より +記事 関東大震災朝鮮人犠牲者への追悼文取りやめ 小池知事 東京都の小池百合子知事が、9月1日に市民団体の日朝協会などが主催する関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に、都知事名の追悼文を送らない方針を決めたことが分かった。都知事は例年、追悼文を出してきたが、小池氏は今春、見直しを示唆していた。主催者からは「突然の方針転換は納得できない」と非難する声が上がっている。 追悼式は毎年、日朝協会や日中友好協会などが、都立横網町公園(東京都墨田区)で開いている。1923年の関東大震災時には「朝鮮人が暴動を起こした」といったデマが広がり、多数の朝鮮人や中国人が虐殺された。式典では、その犠牲になった人たちも追悼している。 都や式典の主催団体によると、式典には例年、石原慎太郎元都知事らが知事名で追悼文を寄せてきた。小池氏も昨年、「多くの在日朝鮮人の方々が、言われのない被害を受け、犠牲になられたという事件は、わが国の歴史の中でもまれに見る、誠に痛ましい出来事」などとする文を主催者に送っている。だが今年は、主催団体が5月に追悼文送付を要請したところ、担当する都建設局が今月、送付中止の方針を伝えたという。 その理由について同局の担当者は「毎年9月1日に都慰霊協会の主催で関東大震災の犠牲者全体を追悼する行事があり、知事が追悼の辞を寄せている。個々の追悼行事への対応はやめることにした」と説明した。 小池氏は3月、都議会で自民都議が、主催団体の案内文に虐殺の犠牲者数が「6千余名」とあるのは根拠が希薄などとして問題視し、追悼文送付を見直す必要性を指摘したのに対し、「毎年慣例的に送付してきた。今後については私自身がよく目を通した上で適切に判断する」と答弁して見直しを示唆した。都建設局はこの答弁などを受けて追悼文の送付中止を検討し、その方針を小池氏も了承したという。 日朝協会都連合会の赤石英夫事務局長(76)は「天災による犠牲と、人の手で虐殺された死は性格が異なる。一緒に追悼するからという説明には納得できない」と話している。 ■ 小池知事が関東大震災朝鮮人犠牲者への追悼文取りやめ・朝鮮人の犯罪を隠蔽する朝日新聞やNHKら 「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現(2017.8.25)」より / 関東大震災が発生した直後に朝鮮人が多くの犯罪をしていた決定的な証拠! 現在、防衛省の防衛研究所が保管している、当時の司法省がまとめた一次資料「震災後に於ける刑事事犯及び之に関連する事項調査書」(司法省刑事局) 第三章 鮮人の犯罪 鮮人の犯罪として明かなるものは、別表に掲記 (裁判で立件されたものだけで、殺人2件、殺人未遂2件、殺人予備2件、放火3件、強盗4件、強盗強姦1件、強姦2件、傷害2件、脅迫1件、公務執行妨害1件、窃盗17件、横領3件、爆発物取締罰則違反3件など) (※mono....以下詳細は略。) / 朝日新聞は【1923年の関東大震災時には「朝鮮人が暴動を起こした」といったデマが広がり、多数の朝鮮人らが虐殺された。】とだけ記述しているが、明らかに誤解を招くフェイクニュースだ! 大正12年(1923年)の関東大震災時に朝鮮人が悪行をしたことについては一部にデマも含まれていたが、実際に朝鮮人があちこちで殺人、殺人未遂、放火、集団強盗、強盗強姦、強姦などの多数の犯罪をしていたことは明白な事実なのだ! 中にはデマも含まれていたが、関東大震災直後に朝鮮人が多くの犯罪をしていたことは紛れもない事実だった。 / <>日朝協会都連合会の赤石英夫事務局長(76)は「天災による犠牲と、人の手で虐殺された死は性格が異なる。一緒に追悼するからという説明には納得できない」と話している。 そこまで言うなら、事実関係として関東大震災時には朝鮮人の手で虐殺された日本人もいたのだから、お前らも朝鮮人によって虐殺された日本人に対して追悼文を出せ! 関東大震災の際に朝鮮人が、殺人、放火、集団強盗、強盗強姦、強姦、窃盗、脅迫など、多数の犯罪をしていたことについては、山ほど資料がある。 / ■ 『関東大震災 朝鮮人虐殺の真実』にみる従北神話の崩壊 「アジアン・リポーターズ(2017.6.18)」より / 関東大震災の朝鮮人虐殺についてはこの本を読むべきでしょう。 関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実 関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実 著者工藤美代子 出版日2009/12/02 そんでもって神格化された「関東大震災 朝鮮人虐殺」を断固として守るために、反論サイトもちゃんと用意されています。 『工藤美代子/加藤康男「虐殺否定本」を検証する』 このサイトが微妙なのは、一番重要な点で反論していない点。 つまり、人数です。 (※mono....以下略、詳細はブログ記事で) ■ 関東大震災における朝鮮人大虐殺のウソを暴く 「依存症の独り言(2015.12.19)」より / 歴史を学ぶのは難しい。 それは、不明な部分が多く、時代とともに史実が変遷する古代史や中世史だけではない。 近代史や現代史でも、ある種のバイアス(bias)がかけられている場合がままある。 だから、その昔に刷り込まれた歴史的事実が覆されることもしばしばである。 それは、特に日韓関係史において顕著である。 このブログでも何度か言及したが、朝鮮人の強制連行、創氏改名の強制、“従軍”慰安婦、これらは歴史的事実に反する。 しかも悪質なのは、これらの歴史歪曲が日本側の働きかけで行われたということだ。 そして、メディアや歴史学者のみならず、政治家までもが絡んで国民にバイアスがかけられてきた。 で、最近になって、もう一つの歴史の捏造を知った。 それは、関東大震災時における在日朝鮮人虐殺である。 私は、これは事実である、と長い間信じていた。 ただ、一連の日韓関係史の歪曲に気付いてからは、その数には疑問を抱いていた。 が、今は、“流言飛語に基づく虐殺”そのものが虚偽だと思っている。 (※mono.--中略、詳細はブログ記事で) / 当時出回った“流言飛語”とは「朝鮮人が暴徒化した」「井戸に毒を入れ、また放火して回っている」という類いのものだ。 この噂を耳にした日本人市民が危機意識に駆られて「社会を防衛するため」に自警団を結成し、前述したように朝鮮人を摘発し殺害した。 これは事実である。 当時の内務省警保局の調査でも「朝鮮人231人、中国人3人、日本人59人」が大震災の混乱の中で殺されている。 ほかにも、東京帝大教授の吉野作蔵作造による調査では「朝鮮人の(虐殺)犠牲者は2711人」とされている。 左翼が、よく引用する朝鮮人(上海の大韓民国臨時政府)の調査では6415人とされているが、これはまったく信用できない。 彼ら一流のプロパガンダの臭いが芬芬である。 吉野作蔵作造は当時有名なリベラリストであり、朝鮮の独立運動家を擁護していた。 だから彼は、朝鮮人の証言をそのまま受け容れた可能性が高い。 一方、内務省警保局の数字は、裏づけの取れたもののみを集計している。 従って、「虐殺された証拠のある朝鮮人は231人」が、より正しいと思う。 ところで、「231人」とはいえ、虐殺された朝鮮人がいるのに、なぜ私は“流言飛語に基づく虐殺”そのものを虚偽と思うようになったのか? それは、“流言飛語”が、あながちウソとは言えない事実を知ったからだ。 (※mono.--中略、詳細はブログ記事で) / いずれにしても、“流言飛語”に惑わされた日本人が無辜の朝鮮人を大量虐殺した、という史実は事実ではない。 “流言飛語”の元は朝鮮人自身の暴挙によって作り出された。 それに対して、大震災で壊滅的打撃を受けた日本人社会が過剰に反応した、これが事実である。 そして、警察も軍も自警団の過剰防衛ぶりを見て、逆に朝鮮人保護に乗り出した。 その結果、犠牲者は「朝鮮人231人、中国人3人、日本人59人」で収束したのである。 長い間、“流言飛語”に惑わされた日本人によって6500人もの無辜の朝鮮人が虐殺された、とされてきたが、これも捏造された“左翼神話”だったのだ。 プロパガンダに騙されてはならない! 歴史は実証的に理解しよう! (※mono.--文中の太字はmonosepiaによる) .
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/2972.html
※エデンバイタル継承3国 遥か太古の超文明エデンバイタルが分裂した国、高天原、アヴァロン、レムリアの正統継承国家。 科学技術力。文明発展速度。歴史の長さ等々その他の国家とは異なり古代文明が保持していた超技術の一部を復活させている。 ブリタニアを20とした場合、日本が17、オセアニアが15とそれぞれ1対1で正面からぶつかることを避けたい国力比となっており近年になってギアス伝導回路、マッスルフレーミングシステムなどの継承国独自の技術を開発。 その他、コード、ギアス、ワイヤードギアス、遺跡など数多くの超技術や新世代の通常技術を操り有史以降の国々を圧倒している。 3国共に極端な思想の中には古代人種=優勢種・人類。 新世代人種=劣等種・類人猿・擬人といった、自分達人間と自分達以外の人間に似た別の生物という差別的意識があり一部で問題化している。 特にオセアニア人はその傾向が強く、古代人種以外をそれぞれ白色擬人・黒色擬人・黄色擬人、または猿と呼称して差別し『管理』が必要であると考えている。 国力比 継承3国 大日本帝国=17 核保有国。 現有の主力KMFはサクラダイトを用いる合成繊維によって形成されたギアス伝導回路と、合成樹脂と電動シェルの芯を同繊維で覆ったマッスルフレーミングを搭載した第7世代機。 および同世代通常型機+第5世代後期機。特殊機としてギアス伝導回路+マッスルフレーミングシステム搭載のエナジーウィング機である第9世代KMFがある。 神聖ブリタニア帝国=20 核保有国。 通常型とギアス伝導回路システム搭載型の第7世代ヴィンセント。 ギアス伝導回路システム+エナジーウィング搭載第9世代KMFランスロット・アルビオンなど、その他の特殊機としてマークネモ等日本と並び数多くの最新型KMFを開発・保有。 合衆国オセアニア=15 核保有国。 日ブに遅れてはいる物のギアス伝導回路とマッスルフレーミングシステム機の開発に成功。配備を始めている。 絶対正義を理念に掲げる原始民主制体制。南側諸国盟主。 (拙作の「帝都の休日」や「楽隠居と円卓の少女」シリーズのオセアニアとは全く別の国です) ユーロピア国家社会主義共和国連合(ナチスユーロピア)=7 核保有国。 1980年代に国家社会主義ユーロピア労働者党、ユーロピアファシスト党の2政党を率いるアドルフ・ヒトラー、ベニート・アミルカレ・アンドレア・ムッソリーニが起こした国家社会主義革命によって成立した欧州圏の正統継承国。 政権奪取当初から、国交が断絶し冷え込んでいた日本との関係改善を模索して外交官を派遣、関係改善と国交正常化を達成。旧E.U.圏の再統一を目指している。 2014年3月に無放射性核実験(フレイヤ実験)を実施、成功を収め第4の核保有国と成る。 KMFは2019年現在第7世代通常型を配備しているところだが、古代文明継承国ではないためギアス伝導回路・マッスルフレーミングシステムの開発に苦慮。 中華連邦=5 日中、第一次大戦とエデンバイタル継承国第2位の日本との二度にわたる戦争にて敗北を喫し代表国中華帝国と主要国インドの国力が大きく減退。 続くインドシナ戦争に於いてバングラデシュ・インド東部・ビルマ軍区・雲南省全域と広西壮族自治区の一部をオセアニアに占領されたまま停戦。 エデンバイタル継承国と対峙する為には同じエデンバイタル継承国の力が必要であるとして、オセアニアと敵対する日本・ブリタニアとの協力関係構築に向け協議中。 E.U.ユーロピア共和国連合=4 国家社会主義革命によって欧州を追われた国防四十人委員会と民主勢力が中央アフリカ以南及びロシアを確保した国。 オセアニアや東アフリカ等南側諸国の援助によって力を付けつつ、欧州奪還を狙っている。 ※インドシナ戦争:2010年8月10日~2012年3月20日。停戦。 南北冷戦における戦争の一つ。 合衆国オセアニアと合衆国インドシナ及びインドネシア民主共和国(南インドネシア)3国軍による中華連邦侵攻と、その後の武力衝突。 合衆国インドシナとビルマ間の国境争いに自国の目的であるビルマ遺跡と、更にはペルシャ遺跡の確保までをも目指したオセアニアが介入し、中華帝国軍、およびインド軍との本格的な武力衝突へと発展。 中華帝国とインドは共に主要都市へ通常弾頭の弾道ミサイルを撃ち込まれた上に、第一次大戦時の経験から日ブ・オセアニアといった列強上位に位置する古代人国家との全面戦争を恐れ迅速な対応が取れず後手に回っている。 基礎的な兵器の技術格差と、更にオセアニアの新型陸上兵器第5世代KMFレイスの投入によってインドシナでの戦線が崩壊。 2年半に及ぶ攻防の末にバングラデシュ・インド東部・ビルマ軍区・雲南省全域と広西壮族自治区の一部までを占領されたまま中華連邦側は停戦を余儀なくされている。 オセアニアの目的が中華が抱えるビルマ遺跡とペルシャ遺跡にあることを感知していた日ブはこれ以上の同国の拡大を阻止する目的で批難声明を出し、大日本帝国連合艦隊やブリタニア太平洋艦隊を南シナ海や東南アジア方面へと展開。 加えてユーロピア共和国連合と対立している『ユーロピア国家社会主義共和国連合』『シーランド王国』等の欧州諸国も継承2国とは個別に国防四十人委員会の後援国オセアニアを批難。 国際的な包囲網を構築していったが、遺跡の存在するビルマとペルシャを手に入れるまでは引き下がるつもりのなかったオセアニア大統領府は徹底無視の姿勢を明確にし、「万が一にも中華と無関係の第三国が我が国と盟邦の領土紛争に対し武力介入の姿勢を示したときは『レムリア条約機構軍=南側諸国の安全保障条約』の全軍を持って総反撃に転ずると警告」 第三次世界大戦への発展を示唆し他国、特に日ブに対してはフレイヤ弾頭搭載の弾道ミサイル使用を示唆し牽制する動きを見せた。 これに対してミサイル防衛システム等の防御機構を充実させている両国はあくまでも戦線の拡大に対し引かず、万が一の時は『太平洋条約機構』による全面介入を含めた『あらゆる手段の行使も有り得る』とこちらもフレイヤ使用に対する含みを持たせたことで最終的には停戦させることに成功。 オセアニアの第二目標であったペルシャ遺跡獲得の為にイラクへ集結させていたレムリア条約機構軍によるペルシャ侵攻作戦を中止に追い込んでいる。 交戦国 中華連邦 合衆国オセアニア 合衆国インドシナ(タイ・マレー半島・シンガポールの連合国家) インドネシア民主共和国 中華連邦寄り中立国 大日本帝国 神聖ブリタニア帝国 ユーロピア国家社会主義共和国連合 シーランド王国 インドネシア共和国 パプアニューギニア独立国 マレーシア(北カリマンタン) ブルネイ王国 ベトナム帝国 カンボジア王国 ラオス共和国 クウェート王国 オセアニア側中立国 ユーロピア共和国連合(中央アフリカ以南・ロシア、首都は南アフリカプレトリア) 合衆国東アフリカ イエメン民主共和国 民主主義オマーン共和国 民主主義エチオピア共和国 ジブチ民主国 エリトリア民主共和国 ティモール民国 ニューギニア民主共和国 大高麗民主国=高麗亡命政府 イラク社会主義共和国 ヨルダン人民共和国 シリア民主主義人民共和国 サウジアラビア社会主義共和国連邦(サウジ・バーレーン・カタール・アラブ首長国連邦) 太平洋条約機構 大日本帝国・神聖ブリタニア帝国を中核とした北側諸国による主に南側諸国を念頭に置いた集団安全保障機構。 加盟国は日ブ両国とその友好国および影響国。 大日本帝国 神聖ブリタニア帝国 シーランド王国 インドネシア共和国(北インドネシア) パプアニューギニア独立国(北ニューギニア) マレーシア(北カリマンタン) ブルネイ王国 ベトナム帝国 カンボジア王国 ラオス共和国 クウェート王国 レムリア条約機構 太古の超文明エデンバイタル分裂国が一角にして旧世界を支配していた3大超大国の一つ『レムリア』の名を冠する南側諸国の集団安全保障機構。 加盟国は中核である合衆国オセアニア・ユーロピア共和国連合を始めとする南側諸国および南側諸国と同盟関係にある共産圏。 合衆国オセアニア E.U.ユーロピア共和国連合 合衆国東アフリカ イエメン民主共和国 民主主義オマーン共和国 民主主義エチオピア共和国 ジブチ民主国 エリトリア民主共和国 ティモール民国 ニューギニア民主共和国 大高麗民主国=高麗亡命政府 イラク社会主義共和国 ヨルダン人民共和国 シリア民主主義人民共和国 サウジアラビア社会主義共和国連邦(サウジ・バーレーン・カタール・アラブ首長国連邦)
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/511.html
防衛庁防衛研究所蔵《衛生・医事関係資料》の調査概要 Ⅱ 調査資料の概要と性格 Ⅱ 調査資料の概要と性格1 「金原節三業務日誌(未作成)」 2 「陸軍省業務日誌摘録(未作成)」 3 「金原資料(未作成)」 4 大塚文郎「備忘録」(未作成)(複製)13冊 5 「麻生資料(未作成)」について 調査対象資料は次の4種である。 1 「金原節三業務日誌(未作成)」 (以下「金原日誌原本」とする)15冊 この「金原日誌原本」は、戦後、金原氏が学校長を務めた陸上自衛隊衛生学校(東京都世田谷区三宿)に所蔵されていたものであり、記述は昭和12年8月3日より、昭和18年9月11日までである(昭和15年7月25日より昭和16年6月21日までほぼ1カ年は欠落している)。96年に防衛研究所図書館に移され、現在、他の資料とともに整理中である。 2 「陸軍省業務日誌摘録(未作成)」 (以下「金原日誌摘録」とする)35冊 前編(昭和14・3・12-昭和16・11・19 医事課員時代) 後編(昭和16・11・20-昭和18・9・11 医事課長時代) 本「摘録」は、戦後、金原氏自身が「金原日誌原本」をもとに筆記されたものである。箇条書き風の「日誌原本」を文章化したものが「日誌摘録」といえるが、「日誌摘録」の記述は正確に原本の内容を反映しているものと認められる。ただし、「日誌原本」の記述は昭和12年8月からであるが、摘録は昭和14年3月より始まっている。 なお、この「金原日誌摘録」は、吉見義明氏が『戦争責任研究』第1号において「陸軍中央と『従軍慰安婦』政策-金原節三『陸軍省業務日誌摘録』を中心に-」と題して、日誌摘録中の慰安婦関係記述を紹介している(以下「吉見論文」とする)。 「金原日誌原本」(および「日誌摘録」)の中心内容は、医務局内の課内会報(課内会議)、陸軍省内の課長会報、局長会報の模様の速記である。従って、医事・衛生関係の記事のみならず、それぞれの会報に出席した軍務局長、軍務課長、軍事課長、兵務局長ら陸軍省の主要課長・局長の発言を生々しく伝えており、その点でも貴重な史料である。なお「日誌原本」は陸軍用罫紙にペン書きであり、「日誌摘録」は原稿用紙にペン書きである。 3 「金原資料(未作成)」 陸上自衛隊衛生学校に所蔵されていた「金原日誌原本」以外の金原氏の手許資料である。金原氏が医事課に在職中に手元に集まった公文書類と手書きの私文書類から成るが、双方とも陸軍中央の医事業務の一端を伝えるものとして貴重である。本資料類も96年に防衛研究所に移管され、なお整理中であるが、以下のように分類することができる。 [公文書類] 7冊 「大臣訓示等綴」(陸軍衛生に関する大臣訓示・指示・上奏案など/昭和14-17年) 「指示綴」(軍医部長会議における部長指示、現地軍指示など/昭和14-17年) 「健兵対策資料綴」(「関東軍軍医部通報」昭和12年7月、「国軍保育現況ノ一端ニ就テ」昭和16年5月など) [私的文書類] 7冊 「業務日誌」と題する大学ノートにボールペン書きの覚え(3冊)(戦後、「日誌摘録」作成の資料のため日記を基に作成した覚えと思われる。期間は昭和15-16年のみ) 「スマトラからビルマへ自昭和一九・一〇・一-至昭和二〇・二・一九」(回想録の原稿。大学ノートにペン書き。昭和49年執筆) 「個人的陣中日記」(No.1)(昭和18年9月、近衛第2師団軍医部長としてスマトラ転出以後の日誌。ノートにペン書。記述は医事課時代に比べて簡単で回想記に近い。復員に際して連合軍より公務に関する書類の廃棄命令が出されたため、個人的体験のみ記述した、との但し書きがある) 「陣中日記 ビルマ」(No.2)(第15軍軍医部長時代。同上) 「陣中日記 ビルマからタイへ」(No.3)(同上) 4 大塚文郎「備忘録」(未作成)(複製)13冊 「備忘録」とあるが、日誌風のメモ(昭和18年10月15日-昭和20年9月23日)であり、「金原日誌原本」に比べて箇条書きがさらに簡単である。大塚氏は、「金原日誌摘録」に相当するものを残されていないため、きわめて判読が困難である。本備忘録の原本は、大塚氏によって昭和30年代に防衛研修所戦史室に一時貸与され、戦史室では複製を作成して返却したが、その後大塚氏は、元部下の求めに応じて貸与したが、元部下の死亡によって所在不明となっている。従って、複製(湿式コピー)のみしか残されていないため、判読困難な部分が多い。 因に故大塚氏は「備忘録」以外の資料を遺された形跡はない。 以上の資料類で、慰安婦問題に関する政府調査の際に、調査対象となったのは「金原日誌摘録」のみであった。政府調査の時点では、「日誌原本」および「金原資料」は陸上自衛隊衛生学校が所蔵し、大塚氏の「備忘録」は個人委託資料のため政府調査の対象から外されていたものと考えられる。 5 「麻生資料(未作成)」について 軍医として上海派遣軍の兵站病院で慰安婦の検診にあたった故麻生徹男氏の記録であり、防衛研究所に所蔵されているものは一部の複製である。 「麻生資料」のほとんどは、麻生徹男『上海より上海へ』(石思社、1993年)として刊行済みのものであるが以下は有益である。 「花柳病ノ積極的予防」(昭和14年6月26日) 「陣中日誌」(昭和13年10月23日-昭和15年12月10日) 本書には、慰安所や慰安所規則等の現場写真が含まれており、内容的にも刊行資料のなかでは最も信頼できるものの1つである 《衛生・医事関係資料》の調査概要index
https://w.atwiki.jp/para910/pages/123.html
各国共通設備は共通設備参照 建設可能Division一覧 [#ie585020] スタジアム [#bc20c403] クラブハウス [#gd6227c7] オランダ専用設備 [#z210d822] Lv4以降の設備 [#y31ad5bb] オフィス [#v524da87] オランダ専用設備 [#madf1ae9] Lv4以降の設備 [#dd38861c] スカウト [#pafa6ba1] コメント [#qf491297] 建設可能Division一覧 Division 8 7 6 5 4 3 2 1 スタジアム Lv1 - Lv2 - Lv3 Lv4 - - クラブハウス Lv1 Lv2 - Lv3 Lv4 - Lv5 - オフィス Lv1 Lv2 Lv3 Lv4 Lv5 Lv6 - - チケット代 5 6 8 10 12 15 17 20 スタジアム レベル:スタジアムのレベルです。 建設上限:スタジアム設備の改築LV上限です。 収容:スタジアムの最大収容人数です。 レベル 建設上限 収容 設備数 特殊設備数 改築費用 1 Lv1 10,000 1 0 0 2 Lv1 20,000 1 0 1,000,000 3 Lv2 30,000 2 0 3,000,000 Lv4から「設備重視」「バランス」「収容重視」に分岐。 設備重視型(aタイプ) レベル 建設上限 収容 設備数 特殊設備数 改築費用 4 Lv3 40,000 4 1 10,000,000 バランス型(bタイプ) レベル 建設上限 収容 設備数 特殊設備数 改築費用 4 Lv3 46,000 3 1 12,000,000 収用重視型(cタイプ) レベル 建設上限 収容 設備数 特殊設備数 改築費用 4 Lv3 52,000 2 0 14,000,000 クラブハウス レベル:クラブハウスのレベルです。 建設上限:クラブハウス設備の改築LV上限です。 レベル 建設上限 設備数 特殊設備数 改築費用 1 Lv1 1 0 0 2 Lv1 2 0 700,000 3 Lv2 3 0 2,100,000 Lv4から「テクニック重視型」「フィジカル重視型」「インテリジェンス重視型」に分岐。 テクニック重視型(aタイプ) レベル 設備Lv 設備数 特殊設備数 建設費 4 Lv3 4 1 7,000,000 5 Lv3 5 2 12,400,000 フィジカル重視型(bタイプ) レベル 設備Lv 設備数 特殊設備数 建設費 4 Lv3 4 1 7,000,000 5 Lv3 5 1 12,400,000 インテリジェンス重視型(cタイプ) レベル 設備Lv 設備数 特殊設備数 建設費 4 Lv3 4 1 7,000,000 5 Lv3 5 2 12,400,000 オランダ専用設備 設備名 効果 FW強化コーチ室 高レアリティのFW系カードを取得 MF強化コーチ室 高レアリティのMF系カードを取得 オフェンステクニック強化部門 高レアリティのオフェンス系カードを取得 スピード系DFコーチ室 高レアリティのDF系カードを取得 Lv4以降の設備 設備名 効果 アビリティートレーニング室(aタイプ) スキル系練習の成功率が大きくアップオフェンス・ディフェンス系カードを取得 サーキットトレーニング室(bタイプ) フィジカル系能力の上昇率が大きくアップフィジカル系カードを取得 メンタルトレーニング室(cタイプ) インテリジェンス系能力の上昇率が大きくアップメンタル系カードを取得 オフィス レベル:オフィスのレベルです。 建設上限:オフィス設備の改築LV上限です。 レベル 建設上限 スカウト数 設備数 改築費 1 Lv1 2 1 0 2 Lv1 2 1 700,000 3 Lv2 2 2 2,100,000 Lv4から「設備重視」「バランス」「スカウト重視」に分岐。 設備重視型(aタイプ) レベル 建設上限 設備数 特殊設備数 スカウト数 改築費 維持費 4 Lv3 4 1 3 7,000,000 35,000 5 Lv3 5 2 3 12,400,000 62,000 6 Lv3 6 2 3 16,500,000 82,500 バランス型(bタイプ) レベル 建設上限 設備数 特殊設備数 スカウト数 改築費 維持費 4 Lv3 3 1 3 7,000,000 35,000 5 Lv3 3 1 4 12,400,000 62,000 6 Lv3 4 2 4 16,500,000 82,500 スカウト重視型(cタイプ) レベル 建設上限 設備数 特殊設備数 スカウト数 改築費 維持費 4 Lv3 2 0 4 7,000,000 35,000 5 Lv3 2 1 5 12,400,000 62,000 6 Lv3 3 1 5 16,500,000 82,500 オランダ専用設備 設備名 効果 高ランク選手徹底調査室 高レアリティのランクアップ系カードを取得 欧州A地域特別調査室 欧州A地域で獲得した選手の能力がアップ欧州A地域エリアカードを取得 欧州B地域特別調査室 欧州B地域で獲得した選手の能力がアップ欧州B地域エリアカードを取得 欧州C地域特別調査室 欧州C地域で獲得した選手の能力がアップ欧州C地域エリアカードを取得 南米特別調査室 南米地域で獲得した選手の能力がアップ南米地域エリアカードを取得 その他地域特別調査室 その他地域で獲得した選手の能力がアップその他地域エリアカードを取得 FW適正特別調査室 獲得選手のFW系スキルと能力がアップ高レアリティのFWポジションカードを取得 MF適正特別調査室 獲得選手のMF系スキルと能力がアップ高レアリティのMFポジションカードを取得 Lv4以降の設備 設備名 効果 若手発掘調査室 スカウトが探してくる選手の年齢がダウン スカウト 挿せるカードのランクはオフィスLVとともに上がります。 レベル3から、スカウトに挿せるカードのランクが全て1段階上昇します。 オフィスLv1〜3 の初期人脈値(Div到達ボーナスを除く) 欧州A 欧州B 欧州C 欧州D 北中米 南米 アフリカ アジア 20 40 20 0 10 30 10 10 20 40 20 0 10 30 10 10 20 30 20 0 10 40 10 10 20 20 20 0 10 20 10 10 20 20 20 0 10 20 10 10 Lv4から「設備重視」「バランス」「スカウト重視」に分岐。 設備重視型(aタイプ):スカウトが追加されない為、3人のみ。 設備重視型(aタイプ) の初期人脈値(Div到達ボーナスを除く) 欧州A 欧州B 欧州C 欧州D 北中米 南米 アフリカ アジア 20 40 20 0 10 30 10 10 20 40 20 0 10 30 10 10 20 30 20 0 10 40 10 10 バランス重視型(bタイプ):スカウトが1名追加される。 バランス重視型(bタイプ) の初期人脈値(Div到達ボーナスを除く) 欧州A 欧州B 欧州C 欧州D 北中米 南米 アフリカ アジア 20 40 20 0 10 30 10 10 20 40 20 0 10 30 10 10 20 30 20 0 10 40 10 10 20 20 20 0 10 20 10 10 スカウト数重視型(cタイプ):スカウトが2名追加される。 スカウト数重視型(cタイプ) 初期人脈値(Div到達ボーナスを除く) 欧州A 欧州B 欧州C 欧州D 北中米 南米 アフリカ アジア 20 40 20 0 10 30 10 10 20 40 20 0 10 30 10 10 20 30 20 0 10 40 10 10 20 20 20 0 10 20 10 10 20 20 20 0 10 20 10 10 コメント コメント
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/3306.html
758 :弥次郎:2016/02/02(火) 18 40 25 Maximiliaans(マクシミリアーンズ)社 概要: オランダの兵器メーカー。 同国内における企業の中でも200年近い長い歴史を持つ企業としても有名。 設立: その設立は明確に記録が残っているわけではないが、フランス革命戦争時に革命軍がオランダに侵攻してきた際、 日本及び各植民地から救援に訪れた援軍が使用していた銃火器や火砲を整備・点検・補修するために集められた技術者たちの 集まりがもととなったと現存する資料には記載されている。当時の記録によれば鉄鋼メーカーのケリアン鉄工所が自社が抱えていた土地と設備を技術者たちに提供。 戦争終結後もいくらかの技術者たちが残留を希望し、ケリアンがこれを了承したことで、兵器メーカーの『ケリアン・ミリティ』として 正式に運営を開始した。会社としての活動を開始したのは遅くとも1800年代に入ったころで、日本からもたらされた 火中車や前装式ライフル、ロケット弾などの兵器のライセンス生産を中心に開発製造を手掛けるようになった。 変遷: 初期はライセンス生産を中心であったが、徐々に独自の銃火器の試作や陸戦用の火砲・榴弾砲・迫撃砲の研究を開始し、 一部がオランダ国境要塞に採用されるようになるなど頭角を現した。 以降、陸軍への要塞砲などの納入が中心であったが、海軍からもその技術力に注目を受けて後に艦艇の搭載砲や機銃などの 生産と開発を正式に委託されるようになる。ここには、欧州において政治的・軍事的に孤立し包囲状態にある状況での 軍需品特に兵器の生産を国内でも行えるようにしておきたいとのオランダの思惑もあり、より業務を拡大していく。 転換期となったのが1890年代にアルフレッド・ノーベルの下で大きく躍進したボフォース社との技術交流で、 より研究に対して投資を行い技術進化を進めるという方向性を一層強めた。 この頃から中興の祖とも呼ばれるマクシミリアーン・ファン・ホーフの下でなりふり構わぬ組織改革と技術集積を開始。 後に会社名をこの人物からとってMaximiliaansと改め、オランダにおける兵器メーカーとして大きく頭角を現した。 759 :弥次郎:2016/02/02(火) 18 41 53 企業体制: Maximiliaansを盟主とするグループを形成しており、いくつかの部門を子会社として独立させている。 現在においてはトップダウンのグループというよりは企業複合体に近い形態をとっており、ここに記載されていない子会社が 完全に独立している例も多数ある。 Maximiliaans グループ盟主。陸海空問わず火砲 機銃 ロケット兵器の生産を担っている。 特に艦艇に搭載される主砲や高角砲などにおいてある程度のシェアを持つ。 専門の仕事や技術は傘下の企業に任せるスタイル。 Maximiliaans Koenraad SAAB (M K SAAB) サーブ社との合同出資企業。 ライセンス生産を請け負うほかに、航空機及びヘリコプターの部品やシステム関連を担当。 対潜兵器も日本との技術交流をしながらも軍と共同で開発している。 Koenraadは同企業の設立に携わった出資者から命名。 O M (Oerlikon Maximiliaans) エリコン社との合同出資企業。 主に20mm機関砲のライセンス生産と独自の機銃開発・改良を手掛ける。 K2 母体であったケリアン社から鉄鋼製造技術の提供を受けて設立した企業。 主に艦艇の搭載主砲などに使われる装甲板を卸す。 Oosten Maximiliaans アウストラリウス方面及び東南アジア方面の営業を担当する支社であり、同地域における独自の火砲や車両の製造を担うメーカー。 現代では三菱や日立などとの連携も始めており、いずれ独立することが予測されている。 主な製品: 納入されているのは独自生産品とライセンス生産品である。 ボフォース社と日本の兵器メーカーの影響を受けているが、特に長期間運用への適性(メンテナンスの簡易性・悪条件下での 運用の信頼性・部品の互換性など)に優れており、長距離航海が多いオランダ海軍や要塞に籠っての防衛戦を行う必要性の高い 陸軍の需要に合わせた高い技術力を持つ。 他にも主に植民地向けに軍用車両・戦車・装甲車・大小の火器を開発しており、欧州圏におけるいくつもの企業との間で 双方向的に影響を与え合っている。 760 :弥次郎:2016/02/02(火) 18 43 08 以上となります。wikiへの転載はご自由に。 というわけでオランダの兵器メーカーをぶち上げました。 一番自然に日本から影響を受けるにはどういう経緯がいいかなということを考えて、オランダがオランダとなる契機の フランスとの戦いを利用させていただきました。ちなみにケリアン社も史実にはない(はず)の企業ですのであしからず。 史実においてもボフォース社は単なる鉄工所から化けた企業ですので、これくらいは普通にできるんじゃないかなぁと思って 妄想しながら構築しました。 営業方針は概ねオランダ帝国の植民地経営と似た感じです。まずはトップダウンで企業設立、その後独立・連携の方向へと シフトして、相互に利益を得ていくスタイルですな。 なお、オランダ発音ですので日本ではマクシミリアン社となりますね。 ここで水没だとかランク1だとか照美!照美じゃないか!と反応した方はなかなかのリンクスです。 基本的に生産兵器はボフォース社のそれに似た感じと考えていますが、あまりこちらで縛ってもしょうがないので設定を 流用するもしないも、SSやネタの作者様に一任いたします。そこら辺はある程度自由にどうぞ。 オランダ版大淀型ことユトレヒト級(仮)の設定で辻褄合わせに詰まったために企業を作ろうと思いましてこうして生み出しました。 史実だと搭載砲はボフォース社のそれを使っているんですけど、孤立状態になることを想定しているならライセンス生産だけ 出なく独自生産も行うとするはずと考え、まあ一応設定だけはしておこうかと。 これで心置きなくユトレヒト級(仮)の設定を構築できますし、設定ばかりあげているのでちょっとばかり小ネタを書く下地が できました。そこら辺はまだ先になるかと思われますが、お楽しみに。