約 165,685 件
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/33961.html
登録日:2016/03/16 (水) 11 32 43 更新日:2024/06/10 Mon 22 23 08 所要時間:約 5 分で読めます ▽タグ一覧 DIVA WWE WWE殿堂 はみパン エクストリームの女王 プロレス プロレスラー マネージャー リタ 女子プロレスラー 巨乳 歌手 海の向こうの飛翔天女 赤毛 キング「舐めたいところにタトゥーがある。肩だよ~~!!」 画像出典:WWE.COM ◆リタは主にWWEで活動したアメリカ出身の元女子プロレスラー。現在はロックバンドThe Luchagorsのボーカル。 【プロフィール】 本名 エーミィ・クリスティン・デュマ(よくエイミー・ダーマスと表記されているが、現地の発音に近いのはデュマのほう) 身長 168cm 体重 61kg 誕生日 1975年4月14日 出身 ノースカロナイナ州サンフォード 【生い立ち】 同郷出身のマット・ハーディと幼馴染だったと思っている方もいると思うが、彼と出会うのは20歳を過ぎてから。 少女期は音楽好きで、プロレスとは無縁の生活を送っていた。 高校卒業後、ジョージア州立大学に入学。教育学を専攻し、仲間とバンドを組む(ギター担当)などしていたが、たまたまテレビで観たWCWマンデーナイトロでのレイ・ミステリオJr.の華麗な動きに衝撃を受けレスラー(しかもルチャリブレ)を志す。そして大学中退。 その後、単身メキシコに渡りレスリングの修行を開始。帰国後、メリーランド州の地方団体に所属したのをきっかけにレスラー人生が始まり、1998年にオメガレスリングに入団しマットと出会う。 その後、1999年にECWを経てWWFに入団。なお、ECWではアンジェリカという名前だった。 【WWE時代】 2000年~2001年 当初はルチャードのエッセ・リオスのマネージャーとして登場。その後、実生活で恋人だったマットとストーリー上でも恋人となるためにディーン・マレンコにストーカーされる。これをマットが撃退してストーリー上も恋人になり、ついでにハーディボーイズに加入。ハーディボーイズはチームエクストリームと名前が変わりエッジ&クリスチャンやダッドリーズらと激しい抗争を繰り広げる。 危険を顧みないハーディーズに女子としては珍しい空中技を多用するリタが加わり、見事に化学反応。ハーディーズの試合にセコンドとして登場し、相手選手をハリケーンラナするなどエクストリームの女王として大人気を得た。 個人としては2000年8月には当時の女子王者ステファニー・マクマホンを破って王座初獲得。このときマットとジェフに肩車されて王座戴冠を喜んだ。 2001年末にチームエクストリームは喧嘩別れし、マットとジェフは対立。ストーリー上マットとリタも別れることになった。 2002年 新年1発目のPPVロイヤルランブルでリタはマットに同伴してランブル戦に登場。さらに、2月PPVのノーウェイアウトでは何事もなかったかのようにチームエクストリームが復活。多くのファンが肩透かしを食らう。 3月のレッスルマニアではトリプルスレッド式女子王座戦に登場。ジャズにフォールされて負けたが、女子王座戦線の主役に上り詰めた。 この当時、正統派のトリッシュ、パワー系のジャズ(のちヴィクトリア)、テクニックのモーリー・ホーリー、セクシー路線のステイシー、トリー・ウィルソンらが在籍し、DIVA戦線は最盛期であった。 しかし、4月にFOXのテレビ番組「ダークエンジェル」に参加中に首を負傷し、実に1年半という長期間の休場を強いられることになる。 がしかし、普通に選手であれば休場中は番組などには出ずにリハビリに専念する傾向が多い中、リタは首にコルセットを巻いた状態でRAWの前座番組「HEAT」に登場しジョナサン・コーチマンと解説として登場するなど出番に恵まれていた。 また、休場時期に発売されたPS2ソフト「エキサイティングプロレス5 ~Here Come The Pain~」では、全く試合していないのにもかかわらずDIVAとして普通にプレイできるキャラだった。当時の女子王者モーリーやタフイナフ優勝で猛プッシュ中のニディア、功労者のアイボリー、ジャクリーンらがボツったのに・・・ なお、リタの休場中にマットがスマックダウン、ジェフがRAW専属となりチームエクストリームは自然消滅した、今度こそ。 2003年 4月に久しぶりにRAWに登場。ケガの回復具合とトレーニング再開をファンに告げた。しかし、GMエリック・ビショフにさんざんセクハラされた挙句クビ宣告を受ける。このとき、共同GMだったストンコのおじさんに助けられ再雇用、失職は免れた。 そして9月、満を持して復帰。割れんばかりの大歓声を受けた。するとスマックダウン所属だったマットがRAWに移籍。恋愛ストーリー再開・・・ と思いきやフラれてしまった(ストーリー上)。 11月にはヴィクトリアとDIVA史上初の金網戦を敢行。結果は元恋人マットの邪魔を受けて敗北。 2004年 マット失恋がらみでクリスチャンとの恋愛ストーリーが進行・・・と思いきやクリスチャンがクリス・ジェリコと抗争し始めて頓挫。 すると今度はケインに迫られるストーリーが開始。すると、なんとマットが助けに来て恋愛ストーリーが今度こそ再開。 マットが膝の故障で休場するまで本家昼ドラ顔負けの恋愛どろどろ話を展開した。 結果、ストーリー上ケインと結婚・妊娠するがアクシデントにより流産。その後トリッシュと抗争に入る。12月にはトリッシュとの女子王座戦がRAW史上初のメイン戦として組まれる。結果は勝利して2度目の女子王座獲得。 2005年 1月特番ニューイヤーズレボリューションでの女子王座戦(相手はトリッシュ)にて膝を負傷。以降、試合する機会がめっきり減る。 レッスルマニアまでは当時の売り出し株クリスティ・ヘミのトレーナーとして登場。その後、エッジと不倫してケインと離婚した。 エッジと不倫した。 …大事なことなので2回言いました。 実はエッジと不倫したのは実生活での出来事でした!! ストーリー上ではケインと結婚、実生活ではマット・ハーディと順調に交際していたはずだったのに当時妻帯者だったエッジとマジで不倫した。 エッジとはストーリー上結婚してエッジのマネージャーとしてマットとの超激しい抗争に突入することになる。 以後、エッジのマネージャーとして完璧な立ち振る舞いをして、エジクリ以降中堅レスラーに甘んじていたエッジをトップヒールへ押し上げることになる。自身もWWE入団後一貫して絶対的ベビーフェイスだったが、この一件で怒号のような「ア〇ズレ」コールを浴びるヒールとなる。 画像出典:WWE.COM 2006年 ニューイヤーズレボリューションでエッジがWWE王座を奪取すると、翌日のRAWで事件は起きた。 リング上にベッドを持ち込み、エッジと"Live Sexショー"を行う。 つまり、リング上でセ○クスしやがった。しかも生放送で!!・・・日本ではカットだったけど 9月、宿命のライバルだったトリッシュが引退を表明。引退試合の相手を務めた。 すると自身も後を追うように引退を表明、11月にミッキー・ジェームスとの王座防衛戦で敗れて引退した。 しかし、盛大に祝福されて惜しまれつつ引退したトリッシュとは対照的に、観客から大ブーイングされた挙句クライムタイムに下着を盗まれてたたき売りされる等、いくら台本とはいえあまりにも惨めな引退となってしまった。 もちろんショー終了後、エッジやカリートらに祝福されて引退パーティーをした。 2007年~ 07年12月にはトリッシュと共にRAW15周年記念特別番組に登場し、元気な姿を見せた。この時は引退試合と打って変わって、観客から大声援を受けた。 その後一時CMパンクを彼氏にしたり、スポット参加でヒース・スレーター相手に普通に勝つなど健在。 2014年2月10日WWE殿堂入りが発表され、式典ではトップバッターとして登場しいきなり30分もスピーチをして観客の度肝を抜いた。 また右肩にしかなかったタトゥーが、左肩にまで広がっていた。 ちなみに、「マナミ・トヨダありがとう、会ったことないけど」と飛翔天女をリスペクトしていることを明らかにした。 2018年に女子初のロイヤルランブル戦が開催された際には5番目にサプライズ出場、サーシャ・バンクスとベッキー・リンチにまとめてムーンサルトプレスを喰らわせる、マンディ・ローズを女子ロイヤルランブル初の脱落者としてリングから蹴落とすなど、後輩達を相手に衰えを感じさせない動きを見せ、会場を沸かせた。(*1)以降も散発的な現役復帰を繰り返している。 特に2023年には、ベッキー・リンチと共に強豪タッグであるダメージ・コントロール(ダコタ・カイ イヨ・スカイ)から女子タッグチーム王座を奪取、同年開催のレッスルマニア39ではベッキー、トリッシュとの6人タッグでダメコンと対戦し勝利するなどトップロースター並みの活躍を見せた。 【歌手活動】 The Luchagorsで動画検索すればヒットしてリタの歌声を聴くことができる。 ハスキーボイスでハードロックな曲を歌い上げていますよ! 【得意技】 ムーンサルトプレス リタのフィニッシュムーブといえばやっぱりこれ。 低空で高速なのが特徴。 ツイスト・オブ・フェイト マットから教えてもらった。でもジェフ式(リバース)が多い。 パワーボム リタボムといわれる。 DDT 高速でスイング式。 膝を負傷してからはあまり飛ばなくなったためこちらがメインフィニッシャー化した。 ハリケーンラナ 主に相手の不意を突く形で使用。セコンドでもレフェリーが倒れている時や他に意識をとられている時などに使う。 コフィ・キングストンは「男子よりもキレがいい」と評している。 なお、字幕がメチャクチャで「ハリケーン・リタ」「リタケーン・ラナ」「リタケーン・リタ」などと表記されたことがある。 【評価】 たいていのDIVAはレスリング技術が乏しいのだが、男相手に華麗な空中技を決める等の活躍だったのでそのイメージを突き破った選手であり多くの若手DIVAがリタを目標としている。 また、美人というよりはカッコいい女性選手であったため決してセクシー路線ではなかったが、ストーリ上はかなりの頻度でセクハラされ、解説のキングはリタに対して偏った実況をしている(どちらかといえば贔屓しているが)。 【余談】 運動していないとすぐ太る体質らしく、時期によってかなり体型が変わっている。 妊娠・流産ストーリーの最中、とある握手会で少女から「赤ちゃんに使ってください」と、毛布の差し入れをもらったことがある。 ケガで休場するまでのリタのコスチュームは、ちょっと間違えれば私服として普通に街を歩ける感じのものが多かった。だがしかし、腰パンのように下を着用する関係で、Tバックがモロ見え状態であった。 追記、修正はパンツがはみ出ていないか確認したうえでお願いします △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 記事にもあるように2000~2001年にハーディボーイズに参加していた時のリタは特に輝いていたね。ハリケーンラナ、ツイスト・オブ・フェイト、スワントーンボムの3連携でのフィニュッシュがほんと懐かしい -- 名無しさん (2023-08-04 09 11 59) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/19308.html
登録日:2011/06/21(火) 00 33 52 更新日:2024/08/21 Wed 21 50 44 所要時間:約 7 分で読めます ▽タグ一覧 57歳 アニヲタ野球選手名鑑 ブリーチ プロ野球 プロ野球選手 ヘビメタマニア ベンチ転落数日本一←他より肉多めだから大丈夫 ミスターマリーンズ 一塁手 三塁手 世界一応援歌の歌詞が多い男 初芝清 努力家 千葉ロッテマリーンズ 右投右打 名解説者 小坂ゾーンの完成型 幕張のファンタジスタ 愛のある項目 打点王 東京都 珍プレー 胴上げクラッシャー 若手より練習量多いんちゃうか?←でぶは2倍 諸積と変態練習 諸積の相方 走れば走るほど遅くなる 迷解説者? 野球 金髪 鈍足←目指せ盗塁2 初芝清は千葉ロッテマリーンズに所属していた元プロ野球選手、現在は解説者として活躍中。 愛称は「初っちゃん」、「初様」、「幕張のファンタジスタ」、「初芝神」等。 東京都豊島区出身。右投右打。ポジションは主に三塁手と一塁手。 1967年2月26日生まれで年齢は57歳。 88年ドラフト4位で当時のロッテオリオンズに入団、以後、サードのレギュラーとしてチームの中核として活躍する。 しかし、初芝といえば何と言っても事欠かないネタの数々だろう。幕張のファンタジスタの異名を誇る通り、数々の笑いをもたらしてくれた。 ○容姿 小太りの体型に眼鏡、黒い靴下を上まで上げる「田吾作スタイル」が非常に親しみやすさを感じさせる。おそらく、初芝を知らない人に写真を見せて 「うちの草野球チームのメンバーで商店街の八百屋のおやじさん」 と説明しても、違和感は殆ど感じられないのではないだろうか。 ○ファンタジスタたる所以 ◆守備練習時、強烈なゴロに横っ飛びで食らいついたが取れず寝そべって悔しがっていた所、次の打球が寝そべっていた初芝の肘を直撃し即二軍落ち。 ◆その怪我から復帰した試合でいきなりホームランを放ち、ファンを爆笑させる。 ◆左中間を破る二塁打を放った際、二塁到達時に返球が初芝を直撃。(相手チームのショートが二塁に到達した初芝をカバーに入ったセカンドと見間違えた為) ◆平凡なサードゴロをお手本のようなトンネルで後逸。 ◆三遊間への強烈なゴロに飛びつき、久々のファインプレーと思いきや、球がグラブの編み目に食い込み抜けなくなり、内野安打に。 ◆ボテボテのサードゴロをキャッチした際、自分のグローブを踏んづけてしまい、エラーに。 ◆ネクストサークルで打順を待っていた時、前の打者のファウルのライナーが初芝の尻に直撃、「痛てぇ!」と叫んだのに反応して捕手・審判・打者が揃って初芝の方を向く。叫んだ声はテレビ中継のマイクも拾っており、尻を抑えながらちょこまかと走り回る姿が映し出される。 ◆アメリカのテレビ局がイチローの特集を組んだ時、何故か顔写真が初芝になっていた。 などなど。そして忘れてはいけないのが 千葉マリン(現QVCマリン)でのサードファールフライ であろう。 特に千葉マリンは海からの風が強く、フライの捕球も気をつけなければならない。 初芝の捕球を見ていると、フラフラと右往左往しながら追いかけるので見ている方がハラハラしてくる。 なのでフライが上がると客席から悲鳴が上がるが、逆にこれを見たくて球場に足を運ぶファンも多かった。 それは同業者にも言えるようで、元西武のデニー友利は「千葉に行く楽しみの一つ」と語っていた。 また、ファールフライを追いかけに走った瞬間、前を見ていなかった為、相手のサードコーチと正面衝突した事もあった。 尚、サードとレフトの間に飛んだフライには初芝は動かず、ショートの小坂に任せた事も。 諸積(現編成担当)との下ネタ全開のストレッチも必見。 行きつけの床屋に行った際、店主から「初芝さん、たまにはブリーチしてみる?」と言われ、ブリーチの意味も分からずOKした所、髪を金髪にされ、それを見た自分の子供に『お母さ〜ん』と泣いて逃げられる。(ちなみに、ブリーチとは脱色剤の事で、金髪にする時に使う。要は金髪にしないか?という事。某漫画とは関係ない) 福浦をプロデュースした。 応援歌はあの落合博満のものを流用されていたのだが、 異常に歌詞のバリエーションが多い 。 ◇気迫の一打 もってこいもってこい 初芝 基本歌詞。 ◇歌詞なし 現役晩年はロッテの応援スタイルが変化したこともあり歌詞なしも多かった。 ◇かっ飛ばせ初芝 右に左にホームラン ◇ロッテの星だ もってこいもってこい 初芝 割とちゃんと応援してるパターン。 ◇ロッテの夢は それはそれは日本一 ◇ロッテの夢は 初芝 胴上げ 男泣き 感動系。ちなみに後述のように現役最終年に 本当に達成した 。 ◇ロッテの4番 打てない守れない走れない 初芝非難版。ただ これでもマシな方。 ◇ロッテの夢は 観客動員100万人 ◇ロッテの夢は 観客動員200万 ここからネタ系。初芝が現役時代のパ・リーグの人気はそれは酷く、 100万人動員すれば御の字レベルだった ため、確かに夢と言っても間違いはないが……… ちなみにこれは近鉄ファンが勝手につけた歌詞という噂がある。 ◇ロッテの夢は 初芝清が100万人 いやそっちが増えてどうすんねん! ◇ロッテの初芝 騙した女が100万人 ◇ロッテの初芝 泣かせた女が100万人 最低かよオイ。 ◇ロッテのお菓子 騙した子供は100万人 ◇ロッテのチョコは 銀紙はがすとすぐ溶ける ◇ロッテのガムは 4回(6回)噛んだら味しない もはやただの企業叩き である。 ◇高野線の停車駅 中百舌鳥 白鷺 初芝 ◇南海高野線 白鷺の次は初芝 遂にロッテ要素が消えた 。これも近鉄ファンが付けた歌詞という噂がある。 いや南海じゃないのかよ 。 ちなみにこれでも まだ全部ではない 。 以上の内容だけ見ればただのネタ選手に見えるかもしれないが、間違いなく90年代のマリーンズの中心選手で球団初の一億円プレイヤーでもある。 95年にはオリックスのイチロー、日本ハムの田中幸雄と並んで打点王のタイトルを獲得。(80打点というパ・リーグ打点王史上最低の数字ではあったが) ルーキー時代の松坂大輔(1999年)からは最多の3本塁打を打ち、松坂キラーとしての一面もあり、某ゲームでは相手投手が松坂で打者が初芝だと初芝の能力が上がる使用もあった。 そしてファンの心を掴んだのが 相手チームの胴上げが掛かった試合はどんなに不調でも打ちまくる という、まるでロッテというチームを体現したような活躍だろう。 2000年の終盤にはダイエーを千葉マリンに迎え連勝し胴上げを阻止、二日連続でお立ち台に上がった。 この時はファンは勿論、結果的に二日続けて優勝が懸かった試合になったので興行のスタッフからも感謝されたらしい。(消化試合が相手の事情とはいえ優勝が絡んだ試合になった事で客数が跳ね上がった) その後も2003年には代打連続7打数連続ヒットの日本記録を打ち立てる等、チーム内での自らの役割を変えつつもなくてはならない柱であった。 しかし2005年、31年ぶりの優勝が現実に見えてきた所で引退を表明。そして数日後、千葉マリンでのソフトバンク戦が引退試合となる。 六回裏に代打で出場、スタンドからは大きな歓声と辞めないでくれという涙混じりの声が発せられた。神妙な面持ちで打席に立つ初芝。 そして… 実況「投げた!あーっと、足に当たったか!デッドボールデッドボール!背番号6は足を大きく振り上げておどける様に一塁へ向かいます、デッドボール!」 解説者「アハハハ…」 球場は大爆笑に包まれた。最後まで初芝は初芝だった。 そして、引退セレモニーでは優勝し日本一になるという夢を果たしてからバットを置くと宣言、最後まで戦い抜く事を誓った。 ちなみにセレモニーの時、ロッテファンのみならず相手のホークスファンからも うちとの試合ではいっつも打ってくれちゃって!ちょっと憎らしかったけど初芝さん大好きだったよ と暖かいメッセージボードが掲げられていた。 なお、この引退試合の翌日からの対楽天三連戦でファンが見たのは、今江の足の張りによる離脱をうけてサードのスタメンで普通に出場する初芝の姿であったという。どこまでネタを提供してくれるんだ… そしてプレーオフセカンドステージ最終戦、一点ビハインドの8回に代打で出場。圧倒的優位から驚異的なホークスの粘りで土俵際に追い込まれたマリーンズにとって、まさに最後の切り札であった。 しかし、引っかけてしまい三遊間へのボテボテのゴロになってしまう。だが初芝は決して速くない足を飛ばして必死に走った。 その時、三遊間で信じられない事が起こった。ショートの川崎とサードのバティスタがお互いに捕球しようとして交錯、この分だけ送球が遅れ内野安打になったのだ。 奇跡的な内野安打に流れはマリーンズに。その後チャンスを広げ里崎の一打でついに逆転、今までずっと夢見ていた優勝がとうとう現実の物となったのだ。しかも8回から出場後守備に付いていたため、長年守ってきたサードのポジションから優勝の歓喜の輪に加わった。 その後、阪神との日本シリーズも制し、宣言通り夢を叶えてバットを置いた。 先程も書いたが、晩年は代打での出場も多くなるなど、明らかにチームの中での役割は変わっていった。 ただそれでも今までと変わらず人一倍練習を重ね、来るべき出番に備える真摯な取り組みや、ベンチの中でこれもまた人一倍声を出しチームを鼓舞してきたその姿勢に、野球の神様はプレゼントを用意していたのではないだろうか。 そしてあの三遊間へのゴロでも諦めず走った事でそのプレゼントが開けられたのではないかと筆者は思う。 尚、解説においてもたまに現役の時の逸話等面白い事を言ってくれるので聴く機会があった時は要チェックである。 〇初芝の解説名言 投手交代の際 「これは驚きというよりサプライズですよ」 実況「五回を終わって打ち上がる花火も見る余裕はないんでしょうねぇ」 初様「いや、僕は楽しんでましたよ」 実況「え、そうなんですか?(笑)」 初様「ベンチ前から見るのが綺麗に見えるんですよ」 「ファウルフライ落とした時、相手のベンチ帰ろうかと思っちゃいますからね」 「優しいのが西武のベンチなんですよ。やらかした時に『初、こっち帰ってこい』て言ってきますからね。じゃあお言葉に甘えて、って」 余談だが大のヘビメタ好きで、自宅内にヘビメタ専用の部屋を所有している。 床屋さん「初芝さん、たまには追記・修正でもしてみる?」 初芝(ん~…追記・修正ってなんかな~?) 初芝「あっ、いいですよ!」 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 初芝さんってこんな人だったんだ。 -- 名無しさん (2013-09-02 15 36 21) ストッパー毒島に結構出てるのね -- 名無しさん (2014-06-12 12 16 28) 小坂ゾーンの立役者として有名な初芝神だが、守備指標を取り扱ってるサイトによると若い頃は名手だった可能性が高いらしい。 -- 名無しさん (2014-11-07 13 52 40) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/yakultsen/pages/183.html
吉本亮 1998年のドラフト1位で、現・福岡ソフトバンクホークスで指名を受け入団。スワローズの同期は石堂、うさみん、バタやん。 主なポジションはファーストとサードの内野手。 九州学院高等学校では3年夏に甲子園に出場し初戦で負けたものの、自身は2打席連続HRなど、高校通算66HRと右の和製大砲として期待されていた。 1軍は2001年に初出場するが、同じサードであった小久保とポジション丸被りでプロの壁は厚く、福岡と雁ノ巣(2軍)の往復。 雁ノ巣では2001年に三冠王をとるなど、そこそこの成績を残すものの1軍の機会になかなか恵まれず「ニグンノテイオー」扱い。 1軍での最多出場は2004年で56試合。 2008年は1軍昇格ならずも、雁ノ巣軍で82試合出場で規定打席到達。チームはウェスタン・リーグとファーム日本選手権に優勝するものの、本人は打率.218・2HR・22打点・1盗塁と伸び悩み、球団から戦力外通告を受ける。 再就職先を探すべく2008.11.26の第2回合同トライアウトに出場する予定だったが、何故か出場せず。しかし、その後大本営から「吉本獲得」の情報が飛び出す。ウワサでは本人は現地に向かったが、スワローズ側から声がかかったため出場しなかったとか…。 やくせん民は、先に吉本、山下(前・楽天)獲得の情報を入手していたため、「吉本を獲ったか」と冷静な反応。こちらもたかせん民から「吉本をよろしく」とカキコがあったことから、同じ合同トライアウトで獲得した森岡良介と同様に、たかせん民もその行方を気にしていた模様である。 ソフバン時代はそのあまりの肌の黒さから「キューバ人」と呼ばれていたらしく、代打などで出場した際も実況アナから「いや~日焼けで真っ黒ですねぇ」と出場のたびに紹介されている。 一番気になるのは上記のとおり高校では66HRと素晴らしい実績を持つものの、福岡ソフトバンクホークスの1軍でホームランを打ってなかったこと。先ずは戸田軍で西鉄→クラウンライター→太平洋クラブライオンズ時代に、同じ福岡で活躍した「必殺仕事人」こと、大田打撃コーチの下で打撃開眼・長打力復活を目指す。 2009年はオープン戦などで開幕1軍をアピールしたが戸田軍で開幕を迎える。 戸田軍では試合数の半分以上出場するが打率は2割台前半を推移。目立った活躍もなくほぼ忘れかけられてた頃、7.7に1軍初登録。同日の広島戦で移籍後代打で出場し、初打席初ヒット。その後の試合でも代打で出場。意外にも送りバントをソツなくこなすことは小さな驚き。 宮本のケガによる離脱、その宮本のバックアップでサードを守っていた畠山が2失策を記録してしまった次の試合、8.21の読売戦でフルイニング出場。この試合の7回にプロ初のHRをライトスタンドへ叩きこむ!その日のヒロインと試合後の公式コメントに目から汗が出た住民も少なくはなく、たかせん民もこの初HRを喜んでいたようである。 翌日の新聞によると福岡ソフトバンクホークスに在籍していたとき、当時の王監督から「オレが生きているうちにホームラン1本打てよ」と言われていたらしく、プロ11年目でようやく約束を果たすことに。 その後も主にサード、ときにはショートやセカンドの守備固めと代打として出場。野戦病院と化した野手陣の中で与えられた仕事を淡々とこなし、10.12の読売戦では8回裏に勝ち越し打を放ち、ポチとお花の引退試合に華をそえた。 2009年はチーム状態が苦しくなってきたシーズン後半からの出場がその大半を占めていたため32試合の出場に留まったが、打率.360・1HR・6打点と球団初のCS出場に貢献。得点圏打率.500と勝負強さも見せ、長打率.560と長距離砲の片鱗を見せた。 特に読売戦は対戦球団別では最多出場(13打席)で打率.417・1HR・5打点。横浜戦では4打席で打率.500と、苦手としていた2球団に相性が良かった。ただ不思議なことに右投手に対して打率.636とほぼ無双状態であったのに対し、左投手になると打率.143と極端に悪い。何故だ…。このあたりが今後の課題か。 心配されていた守備面も住民をヒヤヒヤさせる場面もあったが、上記の通りサード、セカンド、ショートと3ポジションを守り、どのポジションも失策0、即ち守備率1.000!これは守備を重視するチームカラーに上手く染まった結果か!? 2009年トライアウト組最高や! 2010年も野口、森岡と共に内野のユーティリティープレイヤーとしての活躍が望まれる。
https://w.atwiki.jp/poke-news/pages/43.html
あさのひざし新聞カントー版 12月5日付 スポーツ【水泳・ゴルダック惜しくも破れ2位 1位はニョロボン選手】 アジア・アメリカポケモン水泳大会第4日、競泳♂100メートルバタフライで、 前回のポケモン五輪3冠のゴルダックは45 quot;01で、惜しくも2位に終わった。 1位はリレーで共に戦ったニョロボン。 ゴルダックは、前日の400メートル個人メドレーで、日本勢初の金メダル獲得。 「この調子で」と臨んだ得意のバタフライ。まさかの敗北だった。 「昨日のメダルで浮かれてました」。複雑な表情のゴルダックは、 あまり多くは語らなかった。 スタート時に足を滑らせ、腹から入水するという痛恨の出遅れ。「得意なバッタで こんなミスは初めて」と悔しさをあらわにした。前日の金メダル獲得から来る気の緩み だろうか、スタート前に足に付いた水滴を拭いていなかった。 「こんな負け方はもう絶対にしない」。来年3月には世界選手権で世界記録保持者の スウォンパート(ラグラージ・米国)との対決が待っている。 世界大会では復活に期待したい。 シンオウスポーツ 10/1 【ボディビル】ミスター・ゴリンピア、ジェイカー初優勝 今年で42回目となる、ゴーリキー♂の、ゴーリキー♂による、ゴーリキー♂のための ボディビル世界一決定戦、ミスター・ゴリンピアが先月30日に コトブキホールで開催され、ジェイカー(ゴーリキー♂/Lv33)が、 昨年まで8連覇していたロニコー(ゴーリキー♂/Lv42)を破り、初優勝を果たした。 ジェイカーは、発達した筋肉の美しさのみならず、 ピクイング(大胸筋をピクピクさせる動作)の 完成度も高く評価され、 初めてのタイトル獲得となった。 =========================================================== スポーツ【フィギュアスケート シンオウ代表ユキメノコが優勝】 11日午後、シンオウグランプリ・フィギュアスケート第1戦の最終日、 ショートプログラム(SP)2位のシンオウ代表ユキメノコ選手は ほぼノーミスでフリー演技を終え、総合1位と逆転して初優勝を飾った。 SP首位で同じくシンオウの新星、マニューラ選手は自らのプレッシャーのせいか演技が固く、 得意のシザークロスを失敗しフリー5位、総合3位の結果に終わった。 昨季のポケモン選手権覇者のフリーザー選手は2位、オリンピック常連のグレイシア選手は4位だった。 この優勝によってユキメノコ選手のオリンピック出場はほぼ確実となり、 地元キッサキシティでは、にわかに「メノコちゃんフィーバー」に沸き立っている。 (シンオウ日報夕刊 11月12日付) =========================================================== スポーツ【ビーダル 冬季オリンピックに向けての意気込みを語る】 昨日正午に開かれた記者会見の場で、 ビーダル氏(38)が冬季オリンピックへ出場の意向を表明した。 同氏はシンオウ地方の消防団に参加するなど、 公的な運動を広く手がけてきたが、 その一方でスピードスケートの世界でも活躍してきたベテランであり、 今回の出場が事実上、引退試合となることは否めない。 「まずは自分から逃げないことが大切。 私の反省に恥じない試合がしたい。」 と語ったビーダル氏の顔には、若き日の臆病な面影は無かった。 =========================================================== シンオウタイムズ 11/10 スポーツ【シンオウ冬季オリンピック 出場選手最終選考】 来年2月、エイチ湖にて行なわれるシンオウ初の冬季オリンピックに向け、 シンオウポケモンオリンピック委員会(SPOC)では代表選手選考会が行なわれた。 個人では、今期で引退が囁かれているベテランのビーダル選手(スピードスケート)、 新人ながら安定した実力を見せるエンペルト選手(スキー/アルペン)、 団体では東西カラナクシ統合チーム(ボブスレー)の出場が既に確定している。 他競技の代表選手も、来月末までには全て決定される予定となっている。 なお、フィギュアスケート代表は、共に今回が初選出となる ユキメノコ・マニューラ両選手の事実上の一騎討ちとなり、 最終決定は来月のシンオウグランプリ第2戦までもつれ込みそうである。 関連記事 【ビーダル 冬季オリンピックに向けての意気込みを語る】(11/8) 【フィギュアスケート シンオウ代表ユキメノコが優勝】(11/13) =========================================================== スポーツニュース [陸上] 100m走の元世界記録保持者であるマルマイン氏が引退発表を行った。 氏は1998年に100m走で当時の世界記録となる2秒11をマークした。 2003年にテッカニン選手に破られるまで、5年間世界記録を保持していた。 また、1996年、2000年のポケリンピックでも同種目で連覇を果たしていた。 しかし近年は目立った成績が残せず、引退が取りざたされており、 氏みずから決断を行った。 マルマイン氏のコメント 「私の時代は終わった。これからも素早さNo.1を目指す闘いは進化しつづけるだろう」 [[@wikiへ http //kam.jp" META HTTP-EQUIV="Refresh" CONTENT="0; URL=http //esthe.pink.sh/r/]]
https://w.atwiki.jp/moiki/pages/268.html
プロフィール 選手名 - 高津 臣吾(たかつ しんご) 背番号 - ヤクルト時代 22(91年~03年)→11(06年)→22(07年)ホワイトソックス時代 10(04年~05年) メッツ時代 10(05年) ウリ時代 33(08年) フレズノ時代 32(09年) 興農時代 22(10年) 新潟時代 22(11年~12年) 出身地 - 広島県広島市 身長/体重 - 183㎝/81㎏ 投打 - 右投右打 球歴 - 広島工高(甲)-亜細亜大-ヤクルト(90年ドラフト3位)-ホワイトソックス-メッツ-ヤクルト-カブス-ウリ・ヒーローズ-ジャイアンツ-興農ブルズ-新潟アルビレックス 実況板でのあだ名 - 根岸さん 関連用語 - ショートに打たせてくださいよ、劇場 入団前 高校、大学時代の高津は常に2番手であった。 広島工高時代は甲子園に2度出場するも控え投手で、2番打者での出場だった。ちなみに当時の広島工高の4番は阪神、中日に在籍している新井兄弟の長兄だった。 亜細亜大では後に8球団がドラフトで1位入札した小池(中日→近鉄→楽天)がおり、ここでも2番手に甘んじてしまう。 独特のサイドスローという事でヤクルトの目に止まり、ドラフト3位でヤクルトに入団する。しかし、当時の高津は地元の広島ファンだったという事もあり、広島に入りたかったらしい。 ヤクルト時代~メジャー移籍前 2年目までは中継ぎでパっとしなかったが、その年の西武との日本シリーズで潮崎(西武)のシンカーを見た当時の監督の野村監督が「あのシンカーを盗み、何とかしてマスターしろ。」と指令。アレンジを加えて習得したシンカーを武器に3年目に20Sをあげて不動のストッパーに納まると、94年に最優秀救援投手になり、球界を代表するストッパーに成長。古田とのバッテリーで3度のリーグ優勝を経験した。 97年は復活した伊藤智がストッパーとなった為中継ぎに配置転換。98年は肘の故障で不調になるが、翌年に復活し最優秀救援投手になる。 02年6月13日の坂元完全試合ペースの伝説の試合で勝利を消した辺りから劇場が目立ち、ファンをやきもきさせるストッパーとなる。この年に坂元の勝ちを消した直後2ちゃんねるに立てられた高津叩きスレがこちら。後にプロ野球板で定番となる「○○って何の為に生きてるの?」シリーズの元祖と言われる。高津って何の為に生きてるの?http //sports.2ch.net/test/read.cgi/base/1023969811/ 30歳を超え、衰えが来たのか騙し騙しやりながらも強心臓で03年には通算セーブの日本記録229Sを更新し、4度目の最優秀救援投手になる。 03年オフに35歳という年齢ながらメジャー挑戦を表明、オファーがなかなか来ず、残留か挑戦か暗雲が立ち込め、多菊善和社長の「やってみればいい、どれだけの価値があるか」発言などもあったが、ホワイトソックスから無事オファーがあり、メジャー移籍。 ホワイトソックス~メッツ時代 当初は中継ぎで起用され、メジャーデビュー戦でいきなり松井秀(ヤンキース)に二塁打を浴び2失点と炎上した。 その後は安定し、チームの抑えだったコッチが放出されると正ストッパーに収まる。-24試合連続無失点という活躍をしてた時にはファンに「ミスターゼロ」とニックネームをつけられる。この年19Sをあげ、メジャー1年目は成功した。 しかしメジャー2年目は1年目に比べると不調。チームの好成績にも相まってシーズン途中の05年8月1日に自由契約。 05年8月12日に石井一も所属するメッツとマイナー契約。 オフにメッツを退団。日本では楽天、メジャーからはマイナー契約でのオファーが来ていた。なお、古巣のヤクルトは当初金銭的な事情もあり獲得しない事を明言していたが、1月末になって招待選手として春季キャンプに参加させる事を決定。 ヤクルト復帰後 春季キャンプではコントロールの良さ等を改めて首脳陣に評価されテスト合格。3年ぶりのヤクルト復帰が決定した。 シーズン当初はロケットボーイズや木田に繋ぐリリーフとして考えられていたが、ロケボは故障や不調で揃って2軍落ち。木田も前半戦は大活躍でストッパーを務めていたが、後半戦は疲労も溜まって調子が落ち、結局高津が後半戦のストッパーの座に着いた。06年10月7日に日米通算300S達成。 07年6月30日、大量点差での調整登板で軽く炎上した後、秋田のホテルの風呂場で転んで左足親指を剥離骨折。全治2~3週間と診断されたため登録抹消、ASを前にしてヤクルツは突然クローザー不在の戦いを強いられることとなった。 ところが登録抹消された翌日、落合監督によるAS監督推薦選手に根岸の名前がありヤクルツファンが騒然となる。 懸命のリハビリの結果、07年7月20日のAS第1戦に出場。1回を無失点に抑えて復活をアピールした。 シーズン後半は故障による調整不足の為、不調となり2軍降格を味わう事となった。 9月末に1軍復帰、07年10月4日の鈴木健引退試合の最後を締めて久々のセーブをマーク。 07年10月7年の古田引退試合でも石井一からのリレーを受けて登板。ヤクルトを支えた黄金バッテリー最後の雄姿を見せた。 07年10月10日に戦力外通告。翌11日に会見。退団危機の問題は以前から新聞紙上で報じられていたが、実際球団からは突然の通告であり、コーチ打診も無かった事が判明。「現役を続けたいならトライアウトでも受ければ」との功労者に対する問題発言等で一部でファンから球団フロントに対する不満が噴出。結局球団ホームページでファンへの謝罪と経緯の説明が行われる事態となった。 その後、自身のプライドもあり、合同トライアウトには参加せず。広島が獲得を検討との報道もあったが、見送られた。 再び海外へ 08年1月18日、カブスとのマイナー契約を発表。2度目のメジャー挑戦となったが同年3月11日に解雇された。 08年3月15日に古巣のホワイトソックスの入団テストを受けたが、不合格となり、野球浪人となっていたが、6月に韓国の新球団ウリ・ヒーローズに入団する事が決定した。 08年6月24日にデビューし、29日に初セーブをマーク。日本、アメリカ、韓国のプロリーグでセーブを記録した史上初の投手となった。 高津の韓国での生活はNHKが密着取材しており、秋にNHKスポーツ大陸という番組でその模様がオンエアされた。 ウリは韓国リーグでも新興球団の弱小チームであった為、ストッパーの高津にはなかなか登板機会が訪れず、18試合1勝0敗8セーブ防御率0.86でシーズンを終えた 08年オフにウリが新外国人野手を獲得した為解雇となり、韓国球団も含めて移籍先を模索。09年1月、5月にアメリカでテストを受け、6月にジャイアンツとマイナー契約を結んだ。40歳7ヶ月、MLB3度目の移籍はいずれも日本人史上初である。 09年7月19日にジャイアンツ傘下の3Aフレズノで初登板。 10年1月14日、台湾・興農ブルズの公式サイトにて、契約を結んだことが発表された。40試合に登板し26セーブを挙げる。1シーズン限りで退団。 独立リーグへ 11年からは新潟アルビレックスBCでプレー。12年に選手兼任監督となり、この年限りで引退した。監督についても12年をもって退任となった(後任は元ヤクルトの内藤尚行、登録名・ギャオス内藤)。 劇場復活 06年6月9日のソフトバンク戦で劇場王が復活。 4-3とリードして迎えた9回裏、石井一→木田とメジャーリレーで繋いだこの試合の3番手で登板。本間、森本を連続空振り三振で片付けてツーアウト。今日はパーフェクトピッチかと誰もが思った次の瞬間… 3番目の打者、城所にプロ初ヒットを許すと1番の大村がライト前ヒット、2番の川崎に四球を出す。ツーアウト満塁… 絶体絶命のピンチで迎える打者は好調を買われて3番に起用されていた田上。初球をいきなりど真ん中に投げオワタと思われたが、あまりの好球に思わずヘナチョコスイングをしてしまいセカンドフライ。3年ぶりに日本球界で本格的な劇場を完成させた。 迷言 「それが高津劇場。すぐには帰さないよ」(公式サイトに掲載されていたが、リンク切れ) その他 マッチ棒を使った手品はプロ級らしい。 物真似の十八番はクリスタルキングの「大都会」 神宮球場の最寄駅であるJR信濃町駅近くにある歩道橋の信号設置付近に、「たかつしんごう」と書かれた落書きが昔あった。 帰国後もバラエティ番組に出演すると面白さは健在。「ウチくる!?に出演した際紹介したお店一覧はこちら(一番下)」 ゼットの野球関係者によると、高校球児の間で流行している「帽子のツバ曲げ」の先駆者らしい。http //mainichi.jp/select/wadai/news/20080324mog00m040027000c.html (リンク切れ) 年度別成績 年度チーム試合勝利敗北セーブ投球回三振四死球自責点防御率 1991ヤクルト1311027.2258134.23 1992ヤクルト2353082.26339434.68 1993ヤクルト56642078.17229202.30 1994ヤクルト47841972.15431232.86 1995ヤクルト39132848.13617142.61 1996ヤクルト39262150.03517183.24 1997ヤクルト5174779.16825202.04 1998ヤクルト4223345.13228295.56 1999ヤクルト40113041.1388112.18 2000ヤクルト35012934.229982.08 2001ヤクルト52043751.23913172.61 2002ヤクルト44023241.22814193.89 2003ヤクルト44233442.02621183.00 2004ホワイトソックス59641962.15023162.31 2005ホワイトソックス3112828.23216195.97 2005メッツ91007.26322.35 2006東京ヤクルト48121342.23116132.74 2007東京ヤクルト25051323.1157166.17 2008ヒーローズ1810821.018920.86 2009フレズノ1401018.1165146.87 2010興農40122643.0321091.88 2011新潟27021625.018962.16 2012新潟10000.10000.00 NPB通算5983646286761.15912822713.20 MLB通算99862798.28842373.38 タイトル セントラル・リーグ最優秀救援投手:4回(94年:27SP)(99年:31SP)(01年:37SP)(03年:36SP) セントラル・リーグ月間MVP投手部門:2回(00年5月度・01年8月度) ファイアマン賞セントラル・リーグ部門:3回(94年・99年・01年) セントラル・リーグ会長特別賞:1回(03年) オールスター・ゲーム出場:6回(94年・96年・99年・00年・03年・07年) これまでのアクセス数 - 本日のアクセス数 - 昨日のアクセス数 -
https://w.atwiki.jp/onjyakyujoshi3/pages/199.html
【名前】日吉 鈴(ひよし りん) 【容姿】公称152cm(実際は149cm) Aカップ 紫髪でくせっ毛ミディアム 常に軽くジト目 【生年月日】1965年7月21日生まれ 【所属】日本代表投手コーチ 【利き腕】左投左打(プロ入り前は両打) 【守備位置】投手 【能力】 全盛期 横浜(1997) 138km コントロールC(67) スタミナE(42) 中継ぎ◎ 抑え○ チェンジアップ3 ドロップカーブ4 ノビC 対左打者B 回復C 打たれ強さF 球持ち○ 緩急○ 一発 軽い球 ポーカーフェイス 現役最終年 楽天(2007) 134km コントロールD(52) スタミナF(35) 中継ぎ◎ 抑え○ チェンジアップ1 ドロップカーブ1 Hスクリュー1 対左打者C 打たれ強さF 球持ち○ 緩急○ 一発 軽い球 ポーカーフェイス 【球歴】横浜商業→國學院大學→日本ハム(1988~1991)→横浜大洋・横浜(1992~2000)→オリックス(2001~2004)→楽天(2005~2007)一軍投手コーチ兼任(2007)→楽天二軍投手コーチ(2008~2009)→横浜二軍投手コーチ(2011) 【性格】 どんな時でもポーカーフェイス、寡黙ではないがとらえどころのない性格 また、精神的ドSである 【その他】 日本ハムファイターズ1987年度ドラフト4位 滋賀県野洲市出身だが父親の転勤に伴い中学途中で神奈川に引っ越した。 高校時代は1年秋から3年夏までずっと2番手投手だったが、当時のエースとは対照的である小柄な左腕として出番も多かった。 入団時から見た目にほとんど変化がない。楽天時代には少し老けていたがコーチ退任後また若返っていた。 現役時代はあまり気にされなかったが様々な選手を抱えている昨今の球界において彼女も妖怪等の類ではないかと噂されるようになった。 本人曰く「アンチエイジングの賜物です」とのこと。 先発だとペース配分を考えても100球前後まででスタミナが尽きるので次第にリリーフがメインとなっていった。 球速は最速でも140kmに届かないものの球の出どころが見えづらいフォームから繰り出される緩急のコンビネーションが持ち味で左打者に強かった。 ただし簡単に外野まで運ばれる球質の軽さから成績は安定しなかった。 常に表情がほとんど変わらないが感情を顔に出そうとするとものすごく不自然になる。 彼女をよく知る人物からは色々とえげつない部分があるので敵に回したくない存在とされている。 ただ、ファンへの対応は非常に丁寧であることで知られている。 よくねっとり口調になる。 移籍事情 日本ハム→横浜大洋:金銭トレード 横浜→オリックス:戦力外 オリックス→楽天:分配ドラフト +現役時代の活躍 日本ハム時代は主に先発を務めていたが典型的な100球肩が露呈し1年目以外はあまり活躍はしなかった。 1991年には開幕直前での事故による右腕骨折もあって一軍登板なしに終わりオフには横浜大洋ホエールズに金銭トレードされた。 移籍初年度の1992年は主に先発でそこそこの成績を収めたが最長でも7回までしか投げきれなかった。 ベイスターズ元年となる1993年からリリーフ機会が増え始め、1995年からはリリーフがメインとなって調整法もフィットした結果、貴重な左の中継ぎとして活躍した。 特に1997年はキャリアで唯一50試合以上に登板し左打者への強さを発揮した。 日本一となった1998年は昨年に比べて出場機会が減り、オフからの妊娠で1999年は登板なし、2000年も出番はほとんどなく戦力外通告を受けた。 同年のトライアウトでオリックスへの入団が決まった。 移籍した2001年は左へのワンポイントがメインに。 2002年には出番が激減したが、2003年は投手陣が崩壊する中まともな中継ぎとして活躍した。なお、2004年には彼女も崩壊の渦に巻き込まれた。 同年の分配ドラフトで楽天へ移籍。 楽天移籍後は球速差の少ないスクリューを使いはじめる。 2005年はこれが功を奏し2004年から成績を向上させた。 2007年には一軍投手コーチを兼任。選手としては衰えが激しくなり1イニング6失点を喫しての二軍落ちから一週間後に引退を表明。 日本ハム戦で引退試合が行われた。 +引退後 2008年から二年間楽天二軍投手コーチを勤めた後、2011年に横浜二軍投手コーチに就任。ただし1年で退任を余儀なくされた。 この時指導経験のあった投手は一ノ瀬、天海、梅宮、碓井。在任期間は1年ながら若手時代の彼女らに多少なりとも影響はあった……かもしれない。 コーチとしては長所をより活かせるような技術を身につける事を重要視している。長所がなければとりあえず緩急をつけさせようとする。 また、話術に長けており言葉巧みに選手をノセることも。 現在は滋賀や神奈川のテレビ局によく出ていたり各局の中継で解説を行っていたりする。 解説では論理的で選手に対して基本辛口だが男女問わず小柄な投手は実力にもよるが持ち上げる傾向にある。 球団贔屓はしない。 2016年から日本代表投手コーチを務める。
https://w.atwiki.jp/onjyakyujoshi3/pages/63.html
【名前】権藤 葵(ごんどう あおい) 【容姿】177㎝、現役時代は老け顔 【生年月日】昭和47年9月7日 【ポジション】投手(左左) 【主な持ち球】148㎞のツーシーム、スライダー、(カーブ)、(フォーク)、落ちないチェンジアップ(権藤チェンジ) 【フォーム】斜018(デビュー~2005年まで)、斜024(2006年~引退まで) 【出身】佐賀県武雄市 【球歴】地元の中学→武雄高校→青学大→オリックス(1995-2004)→横浜(2005-2008)→新潟(2009-2013)→新潟コーチ(2014-) 【背番号】34(1995-2013)→72(2014-) 【性格】聖人(ただし、怒ると手が付けられない) 【その他】 人物紹介 中継ぎで長く活躍した左腕。ホークスキラー、特にダイハード打線の仇敵。 直球に自信があり力で押し切るスタイルを貫いていた。 オリックス時代から中継ぎ一本で活躍。04年オフにFAを行使して横浜に移籍。 07年オフに結婚するも、上層部とトラブルになり、08年に解雇される。 新潟時代は最初の二年間は活躍できなかったが、11年に左専門で復活。12年の終盤は守護神として活躍した。 13年キャンプ終盤に発症した不整脈が原因で引退した。 17年は新潟二軍監督。本人の中では「条件が整えば、神戸に戻りたい」らしい? プロ入り前 +... 直球だけには定評がある投手として知られていた。 高校時代は実質直球だけ、大学時代もそうのようだったとか。 オリックス時代 +... 入団した95年のオープン戦では先発でなかなか結果が出ず、中継ぎに回る。そこで完璧に抑えたことから中継ぎで開幕を迎えた。 95年は平井に繋ぐセットアッパーとして活躍し、優勝に貢献した。しかし、日本シリーズでは変化球を狙われ、2試合で3失点だった。 96年は途中から抑えに回り、二年連続のリーグ優勝と球団通算4度目(阪急時代から通算して)の日本一に貢献した。シリーズでは4試合に登板し、無失点。 97-99年は不調の平井に代わって鈴木平と共に抑えを務めた。 00-01年はセットアッパー、抑えの掛け持ち 02年はセットアッパーとして起用された 03年は投手陣が大炎上の中、一人だけ完璧に抑え込んでいた。特にダイエーを得意とし、このシーズンは3点台を切る防御率だった。 04年オフ、チーム名改称を嫌いFA権を行使し、横浜へ移籍した。 オリックス時代は10年間で451登板を記録している。 横浜時代 +... 05年に入団。クルーンに繋ぐセットアッパーとして、クワトロKの補完役として53試合に登板した 06年は二段モーション禁止も、その影響を感じさせなかった。このシーズンは3試合先発で登板しているが、途中離脱があり21試合に止まった。 07年は前半戦不在も後半戦はセットアッパーとしてチームの勝率五割間近まで押し上げる貢献だった。オフに結婚。 08年は一転して開幕直後に謎の二軍落ち。そのまま幽閉され、10月初頭に戦力外通告を受けた。 新潟時代 +... 戦力外を受けるも、新潟からオファーがあり、解禁と同時に入団した。年俸は25%減で契約。 当時のオーナー曰く、「選手としては復活したらラッキーと思うくらいの期待度」だったようだ。 09年、10年の登板機会は肘の手術の影響で合計4試合に留まった。 直球が見る影もない状態だったため、プレイスタイルのチェンジを決意した。 11年は3年ぶりの開幕一軍、7月には4年ぶりに勝利投手、9月には6年ぶりにセーブを挙げた。31試合に登板し復活した。オフに二度目のFA権を獲得するも、行使せず残留。 12年は前半戦左専門。一度二軍落ちも夏場からは守護神として活躍した。しかし、20試合の登板だった。 13年キャンプ終盤、体調不良を訴え、検査したとこ不整脈が発覚。このシーズン限りで引退した。 引退試合は2軍のファイターズ戦だった。この年は1軍登板をしていない。 引退後 +... 14年からはコーチを務める。担当はブルペン。 15年も前年と同じ役職を務めた。 16年よりメイン担当に役職が変わった。 17年以降は二軍監督。 選手としての特徴 クセと伸びのある直球を武器に打者を牛耳ってきた。この球を駆使し、空振りや内野ゴロを量産した。 権藤チェンジは直球と同じ腕の振りでブレーキがかかったボールである。タイミングを外すのに重宝していた。 この球は新潟移籍後は投げていない。代わりにカーブを使うことが多かった。 牽制、クイックも上手く、牽制でランナーを刺したり、盗塁の隙を与えなかった。 ホークスには滅法強く、通算防御率は1点台前半をマークしている他、奪三振率も高い。 復活勝利、久々のセーブは共にホークス戦である。 新潟時代は内角を非常に厳しく攻めたため、死球率が高い。 南澤とは今でも仲が良い。毎年、12月には神戸で必ず会っている。 コーチとして ベテランや中堅左腕の再生には自信がある。また、現役時代と異なり、先発投手の整備が得意である。 マウンドでは「困ったらど真ん中目掛けて思い切り投げろ」と言い切る。 二軍投手陣が細りかけている影響もあり、来季は二軍監督に配置が変わっている。 島津とは指導方針を巡り不仲だった。(直球重視の権藤と変化球重視の島津) 余り多く語らない為、一部選手からは不気味がられ、又、一部選手からは安堵もあるようだ。 宇喜田との関係は? 不甲斐無い投球でKOされる宇喜田に怒鳴り散らすところをカメラにすっぱ抜かれたりする。 KOされたり、勝ち星が消えた時のおなじみの光景から不仲であると言われている。 +... その割には 親身に練習を見守ったり、少しでも長くやれるようなアドヴァイスをしている。 最後くらい良いとこを見せてやりたいとの気持ちで、CSと日本シリーズで投げさせたいと思っているようだ。 つまり…「マスコミの印象操作」である。 おまけ +... 青学入学直後
https://w.atwiki.jp/hmmarimo/pages/31.html
選手データのファイルを使うためには、ms0>PSPフォルダ>SAVEDATAフォルダ>ULJM05300PawaP3_user0001(パワポタ 3のセーブデータ)の中にSENファイルを入れて下さい。ゲームを起動し、メニュー画面のアレンジ>パスワード入力>ファイル入力からバックアップファイルを選択してください。 長嶋茂雄(巨人) 「ミスター」として国民的に親しまれた。引退での名スピーチは今も色あせない。 通算成績 打率.305 HR444 打点1522 盗塁190 NAGASIMA.SEN 王貞治(巨人) HR世界記録保持者であることはあまりに有名。監督としても素晴らしい成績を残している。 通算成績 打率.301 HR868 打点2170 盗塁84 OH.SEN 野村克也(南海>ロッテ>西武) 打者、捕手、監督のいずれも一流である。世界初であるクイック投法を開発した。 通算成績 打率.277 HR657 打点1988 盗塁117 NOMURAKA.SEN 衣笠祥雄(広島) 2131試合連続出場を果たし、世界新記録を樹立した「鉄人」である。 通算成績 打率.270 HR504 打点1448 盗塁266 KINUGASA.SEN 山本浩二(広島) 走攻守揃った名選手。広島東洋カープ一筋で「ミスター赤ヘル」と親しまれた。 通算成績 打率.290 HR536 打点1475 盗塁231 YAMAMOKO.SEN 中畑清(巨人) 引退試合となった89年日本シリーズ第7戦で代打HRを放ち、最後も「絶好調男」だった。 通算成績 打率.290 HR171 打点621 盗塁70 NAKAHATA.SEN 金村義明(近鉄>中日>西武) 近鉄打線の中核を担い、豪快なイメージから「いてまえ大将」の愛称で親しまれた。 通算成績 打率.258 HR127 打点487 盗塁34 KANEMURA.SEN 落合博満(ロッテ>中日>巨人>日ハム) 今も達成されない3度の三冠王を獲得した天才打者。監督としても優秀である。 通算成績 打率.311 HR510 打点1564 盗塁65 OCHIAI.SEN カズ山本(本名:山本和範) (近鉄>南海>ダイエー>近鉄) バッティングセンターのバイトしながら練習し、プロ入りした努力の人 通算成績 打率.283 HR175 打点669 盗塁102 KAZUYAMA.SEN 波留敏夫(横浜>中日>ロッテ) プロ野球脱税事件で開幕から6週間の出場停止処分を受けるも、横浜の日本一に貢献。 通算成績 打率.278 HR44 打点266 盗塁76 HARU.SEN 駒田徳広(横浜) HR「1/15」が満塁HRという日本最強の満塁男。日本記録の6年連続満塁HRを記録した。 通算成績 打率.289 HR195 打点953 盗塁35 KOMADA.SEN 川相昌弘(巨人>中日) 533犠打は世界記録。野球界最高のバント職人であり、走攻守揃った選手だった。 通算成績 打率.265 HR43 打点322 盗塁47 KAWAI.SEN 鈴木尚典(大洋>横浜) 2年連続首位打者を獲得するなど、横浜の「マシンガン打線」の中核を担った。 通算成績 打率.303 HR146 打点700 盗塁62 SUZUKITA.SEN 関川浩一(阪神>中日>楽天) 野性的な打撃で、一塁へのヘッドスライディングはファンを魅了した。 通算成績 打率.286 HR24 打点324 盗塁91 SEKIKAWA.SEN 宮地克彦(西武>ダイエー>ソフトバンク) 西武を戦力外通告されるも、ダイエーに復帰し活躍「リストラの星」と呼ばれた。 通算成績 打率.275 HR12 打点111 盗塁14 MIYAZI.SEN 野村謙二郎(広島) 95年に打率.315、HR32、盗塁30で史上6人目のトリプルスリーを達成。 通算成績 打率.285 HR169 打点765 盗塁250 NOMURAKE.SEN 小野公誠(ヤクルト) 日本球界初・プロ初打席と現役最終打席がHRという珍しい記録を持っている。 通算成績 打率.200 HR16 打点48 盗塁1 ONOKOUSE.SEN 種田仁(中日>横浜>西武) まさかのガミ股打法で、00年に代打11打席連続出塁という日本記録を残した。 通算成績 打率.264 HR71 打点401 盗塁76 TANEDA.SEN 立浪和義(中日) 二塁打487本は日本記録で、プロ初安打、現役最終安打とも二塁打。まさに「ミスター・二塁打」。 通算成績 打率.285 HR171 打点1037 盗塁135 TATUNAMI.SEN 井上一樹(中日) ファーム日本選手権での現役最終打席にHRを打ち、チームはファーム日本一に輝き、有終の美を飾った。 通算成績 打率.278 HR79 打点344 盗塁13 INOUEKAZ.SEN 緒方孝市(広島) 3年連続の盗塁王、5年連続GGなど走攻守揃った選手であり、全力プレーはファンを魅了した。 通算成績 打率.283 HR241 打点718 盗塁266 OGATA.SEN 清水崇行(巨人>西武) 02年、最多安打のタイトルを獲得。弾丸ライナーのHR、痛烈な打球のヒットが印象的だった。 通算成績 打率.291 HR130 打点481 盗塁90 SHIMIZU.SEN
https://w.atwiki.jp/kana0609/pages/880.html
西武ライオンズ120年度 執筆者 ばぶ(成績) , きん(寸評) <総評> 圧倒的な力を見せた119期の勢いそのままに、獅子軍団の勢いはとどまる所を知らなかった。 勝率は常時7割以上をキープし続け、初日に首位に立つとその座を明け渡すことは無かった。 終わってみれば二期連続で全球団に勝ち越しとなる完全優勝をはたし、さらには45期にロッテの記録したシーズン99勝まであと一歩というおそらくは西武史上でも類を見ない実力を見せ付けた。 貢献度的にも2期連続でマイナスになった選手がおらず、特に投手陣においては大多数の選手が貢献度40越えであらためて西武投手陣の力の程を見せ付けることとなった。 来期以降徐々に引退・転生の選手が出てくるが、この調子ならば若手の順調な成長も見込まれるので大きな心配は無いはずだ。 なお今期で引退する西武の大エース堀内恒夫投手が通算奪三振数3320を記録し、創世記に活躍したかの大投手篠田麻里子投手の記録を抜き見事歴代一位を記録した。 彼のシーズン引退試合では引退を惜しむファンからの歓声が鳴り止まなかったという。 ここに筆者からも賛辞の言葉を述べておきます。記録達成おめでとうございます、次の選手でもご活躍できますよう祈っています。今後ともよろしくお願いします。 <野手> 近年完成された観のある西武野手陣の力がまたも発揮されたようだ。犠打を必要としないマシンガン打線が効率的な得点につながっているのではないだろうか。 HR数では3位に収まったものの打率・得点率では断トツでのリーグ1位となり、繋ぎと長打の合わさったハイレベルな打線が形成されている。 個人に目を向けてみればG選手DARU選手がそれぞれ2期連続で盗塁王と打点王を獲得し、活躍するべき人が額面通りの活躍を見せたことが今期の結果につながったといえよう。 守備に関しては何も言うことは無い。強力投手陣を支える日本一の硬さを誇る二遊間は健在で、このゴールデンコンビはようび選手が引退するまでは安泰だろう。 <投手> 上でも挙げた様に西武のエースとしてながらく君臨してきた堀内投手のラストイヤーとなった今シーズン。 さすがにスタミナの衰えは隠せなかったか、例年よりは責任投球回を投げきるケースが少なくなったようである。 しかしそれでもなお1点台の防御率と高い奪三振率を残し、チームの優勝に貢献し有終の美を飾っていった。 またそれに負けじと他の先発陣も奮起を見せ、初の奪三振のタイトルを受賞したスメラギ投手を含めそれぞれが高いレベルでのパフォーマンスを発揮してくれた。 その中でも特に驚愕させられたのが芋洗坂主任投手である。大卒4年目ながら最多勝と最高勝率の2冠に輝き、その若さですでに西武の主力投手となっている。次代の西武を担っていく投手の最右翼の一人であるのは間違いない。 リリーフにおいても例年のごとくW中継ぎエーストロモキ8世投手となかや投手が大車輪の働きを見せ、優勝を大きく引き寄せてくれた。 先発投手陣が総じて勝ち星が多いのも彼らを含めたリリーフ陣がきっちりと試合をしめてくれているからだ。 意外にもトロモキ8世投手は初の最優秀中継ぎの受賞のようだが、昨年圧倒的な成績を見せたSBの夕景の記憶投手を抑えてのタイトル獲得には素直に賞賛を送りたい。 野手成績 選手名( 製作者 ) 守 打率 本塁打 打点 盗塁 守備率( 阻止率 ) 貢献 獲得タイトル 細川( 獅堂 ) 捕 .260 10 39 0 .465 21 崖の上のマモノ( 魔物の子 ) 一 .290 13 52 0 .995 25 釣神様( 葱出口 ) 二 .234 7 29 0 .998 6 痴豚( 南蛮人 ) 三 .296 12 58 24 .970 10 GG賞 ようび( きん ) 遊 .292 25 82 0 .1000 60 B9,GG賞 G( はっやい ) 左 .290 6 37 56 .990 37 盗塁王,最多安打GG賞 高田繁( まさひろ ) 中 .267 11 49 0 .985 12 GG賞 DARU( HARU ) 右 .296 26 92 0 .1000 52 MVP,打点王,B9,GG賞 ラウルセン( セルヒオ ) 指 .298 10 49 0 .000 15 投手成績 選手名( 製作者 ) 役 防御率 勝利 敗戦 セーブ RP 投球回 奪三振 貢献 獲得タイトル 堀内恒夫( ばぶ ) 先 1.77 7 3 0 0.0 137 1/3 146 33 スメラギ( オースティン ) 先 1.57 14 3 0 0.0 177 1/3 187 58 サイヤング賞,最多奪三振,B9 K( K ) 先 2.83 14 4 0 0.0 146 1/3 84 42 柳也( Key ) 先 1.99 10 6 0 0.0 176 1/3 80 45 GG賞 芋洗坂主任( ばす ) 先 2.25 16 2 0 0.0 172 0/3 85 58 最多勝,最高勝率 ライデン( 陣 ) 先 1.66 13 4 0 0.0 173 0/3 80 59 トロモキ8世( バロータ ) 中 0.86 8 1 1 22.9 73 0/3 72 62 MVP,最優秀中継,B9,GG賞 なかや( mar ) 中 0.61 7 3 0 17.7 73 1/3 52 54 バレー( 青黒 ) 中 0.98 3 0 2 14.3 46 0/3 27 50 帆足( 涌井 ) 中 3.29 3 3 0 4.7 27 1/3 18 16 ゲロシャブ( やまへ ) 中 3.00 1 0 1 7.5 24 0/3 10 19 レイチェル( ゆう ) 抑 2.20 1 2 37 0.0 41 0/3 15 47 GG賞 今日の観客数 - 昨日の観客数 - 合計観客数 -
https://w.atwiki.jp/kingofprowresling/pages/99.html
■プロフィール 所属団体 フリー 階級 Jr.ヘビー級 タイトル歴 FMW二冠統一王座、アジアタッグ王座、WEWタッグ王座 他 選手紹介 90年代に一時代を築いたインディーマット界のスーパースター。183cmという長身ながらファイヤーバードスプラッシュ、フェニックススプラッシュといった華麗な空中殺法でファンを魅了し、ジェフ・ハーディーなど国内外の多くの軽量級レスラーにも影響を与えた。1991年に新日本、全日本に次ぐ第三勢力となっていたFMWでレスラーデビュー。FMWの創始者である大仁田の引退試合の相手を務め、大仁田が去った後のFMWをエースとして支える。更に新日本、全日本にも参戦し、新崎人生とのタッグでアジアタッグ王座にも君臨する。1998年にFMWがディレクTVと大型契約を結ぶと、団体は低俗なエンターテイメント路線へ方向転換。これが元で急激なファン離れを起こし、ハヤブサも素顔になるなどして話題を振りまき団体を支えるが、自身の怪我での長期欠場なども響いて経営は悪化する。そして2001年10月の試合でラ・ブファドーラ(ロープに飛び乗ってのムーンサルト)を狙った際に足を滑らせ、頭から真っ逆さまにリングに落下し頚椎損傷の重傷を負うことになってしまう。エースを失ったFMWはそのわずか半年後に倒産する。その後は車椅子での生活を余儀なくされるが、懸命のリハビリで自力で立ち上がれるまでに回復。現在は音楽活動と並行し、DRAGON GATEやゆかりのあるレスラーの興行にゲストとして顔を見せている。 ■レスラーカード&ブーストカード一覧(カードNo.をクリックすると解説ページにジャンプします) カードNo. レアリティ コスト グレード パワー スピード テクニック スタミナ ガッツ 連携 ボルテージ 合計値 BT04-035 R 2 5 9 11 9 8 9 2 3 46 不死鳥伝説このカードがメインイベンターで、このチームのレスラーすべてが階級「Jr.ヘビー」なら、このチームのレスラーすべてのスピード+★ BT04-056 C 1 3 5 7 5 4 5 2 3 26 レスラースキルなし カードNo. ブーストカード名 レアリティ コスト 発動条件・発動対象 発動確率 上昇パラメータ 上昇量 BT04-061 フェニックススプラッシュ RRR 2 [Jr.ヘビー級]のレスラーが使用 高 スピード ★★ 飯伏幸太が使用 一定 スピード ★★★★ ハヤブサが使用 高 スピード ★★★ BT04-098 ファルコンアロー C 2 最終試合で使用 一定 パワー ★★★★ ハヤブサが使用 一定 パワー ★★ ■タイトル・ユニット関連コンボ一覧 コンボ名 必須レスラー 発動条件 龍虎並び立つ 田中 将斗 タッグマッチに2人を出場させる ▲TOPへ戻る ■レスラーカード解説 ★グレード3 カードNo. レアリティ コスト パワー スピード テクニック スタミナ ガッツ 連携 ボルテージ 合計値 BT04-056 C 1 5 7 5 4 5 2 3 26 サブタイトル お楽しみはこれからだ! 所属ユニット 無し スタイル ベビーフェイス、空中、マスク レスラースキル 無し パラメータ、スキル、ボルテージなどなど、全てにおいて見所の無いカード。専用ブーストのファルコンアローも相性が良くないので、よっぽどの思い入れが無い限り使わないだろう。 ▲TOPへ戻る ★グレード5 カードNo. レアリティ コスト パワー スピード テクニック スタミナ ガッツ 連携 ボルテージ 合計値 BT04-035 R 2 9 11 9 8 9 2 3 46 サブタイトル FIGHT with DREAM 所属ユニット 無し スタイル ベビーフェイス、空中、マスク レスラースキル 不死鳥伝説【試合開始前に発動】このカードがメインイベンターで、このチームのレスラーすべてが階級「Jr.ヘビー」なら、このチームのレスラーすべてのスピード+★ BT03-022長州のようにメインイベントに置くことで全体を強化するスキルを持つ。更に加えて全てのレスラーをジュニアヘビーにしなければならず縛りがかなりきつい。条件を満たせば100%発動するスキルなのが唯一の救いか。このカード自体もグレードは合っているものの決して強いとはいえず、BT03-022長州と同じくメインイベントを捨て試合にすることになりかねない。第9弾がおよそ1年ぶりとなるジュニアヘビー特集となるので、このカードの価値が再発見されるかも。 ▲TOPへ戻る ■ブーストカード解説 ★コスト2 カードNo. ブーストカード名 レアリティ 発動条件・発動対象 発動確率 上昇パラメータ 上昇量 BT04-061 フェニックススプラッシュ RRR [Jr.ヘビー級]のレスラーが使用 高 スピード ★★ 飯伏幸太が使用 一定 スピード ★★★★ ハヤブサが使用 高 スピード ★★★ 爆発力には欠けるが任意・本人共に高確率で安定感は随一。しかし、BT04-035しか使えるカードが無いのが現状であり、BT04-035ならファルコンアローで十分事足りる。 カードNo. ブーストカード名 レアリティ 発動条件・発動対象 発動確率 上昇パラメータ 上昇量 BT04-098 ファルコンアロー C 最終試合で使用 一定 パワー ★★★★ ハヤブサが使用 一定 パワー ★★ 性能だけならRRクラスに匹敵するといっても過言ではないブースト。BT04-035の専用ブーストのような扱いである。今後高レアリティのカードがグレード5に追加されることを願いたい。 ▲TOPへ戻る コメント 名前 コメント