約 32,350 件
https://w.atwiki.jp/modandcraft/pages/14.html
インスタグラムプラグイン 人気の画像共有サービス、Instagram(インスタグラム)の画像をアットウィキに貼れるプラグインです。 #ig_user(ユーザー名) と記載することで、特定ユーザーのInstagramのフィードを表示することができます。 例)@dogoftheday #ig_user #ig_tags(タグ名) と記載することで、特定タグのInstagramのフィードを表示することができます。 #dogofthedayjp タグ #ig_tag #ig_popular と記載することで、Instagramのpopularフィードを表示することができます。 詳しい使い方は以下のページを参考にしてください! =>http //www1.atwiki.jp/guide/pages/935.html
https://w.atwiki.jp/datugenn/pages/178.html
工事の強行をやめさせよう 沖縄・東村高江のヘリパッド基地建設抗議・2・25 支援集会 ●とき/二月二五日(金)午後七時から九時まで 午後六時半開場、午後七時開始 ●ところ/文京スカイホール(シビックセンター二六階。 (5803)1100)。 東京メトロ・丸の内線または南北線「後楽園」下車、 都営地下鉄・三田線または大江戸線「春日」下車 ○報告/高江現地での闘いの模様。DVD 上映あり。 ○配布資料代/五〇〇円 主催:沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック
https://w.atwiki.jp/modandcraft/pages/2.html
メニュー トップページ プラグイン紹介 まとめサイト作成支援ツール メニュー メニュー2 リンク @wiki @wikiご利用ガイド ここを編集
https://w.atwiki.jp/modandcraft/pages/6.html
更新履歴 @wikiのwikiモードでは #recent(数字) と入力することで、wikiのページ更新履歴を表示することができます。 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/17_117_ja.html たとえば、#recent(20)と入力すると以下のように表示されます。 取得中です。
https://w.atwiki.jp/harukaze_lab/pages/358.html
白魚橋の仇討 山本周五郎 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)宗兵衛《そうべえ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)木|宗兵衛《そうべえ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定] (例)[#3字下げ] [#3字下げ]一、前話[#「一、前話」は中見出し] 高木|宗兵衛《そうべえ》、鈴木|能登守《のとのかみ》と云《い》う微々たる小藩の槍術《そうじゅつ》指南番である。 寛保《かんぽう》二年に巳年《みどし》二十九歳。妻をお俊《しゅん》と云った。宗兵衛は江州《ごうしゅう》の産、豪放の性で頗《すこぶ》る癇癖《かんぺき》が強く短気であった。 太田|与兵衛《よへえ》、同藩士で勘定方勤め、宗兵衛より五つ年長で三十四歳、性穏健、真っ正直の好藩士である、宗兵衛とは隣合って住み、極めて親密、殆《ほとん》ど兄弟同様に往来していた。 寛保二年正月、宗兵衛の妻お俊が女を産んだ、太田与兵衛は行って名附親となり美代と名乗らせた、翌三年の五月、太田与兵衛方で妻もよ[#「もよ」に傍点]が男を産んだ、今度は高木が代って名附親となり三郎と付けた。 三郎を産んだもよ[#「もよ」に傍点]は産後旬日を経て歿《ぼっ》した。併《しか》し幸いにも高木の家では妻お俊が、未《いま》だ子供の乳離れを済ませていなかったので、三郎はお俊の貰乳《もらいぢ》で育てられた。 三年後、延享《えんきょう》二年の四月、高木の妻は男宗太郎を産んだ。 事件は此《こ》の宗太郎の出生と同時に起こって居る。 * 「与兵衛殿いるか」 庭から高木がぬっと入って例のように声をかけた。「いま戻ったところだ、まああがれ」 太田は出仕から戻って、支度を解いていたところである。二人は縁近くに向合って坐《すわ》った。 「長年の好《よし》みに縋《すが》って頼む事がある」 高木が改まって云った。 「妻子を預って貰い度《た》い」 「どうする」 「己《おれ》は京へ上る」 太田は唯《ただ》驚いて眼《め》を瞠《みは》った。 「己は今のような生活はもう沢山だ、こんなちっぽけな藩で、木偶《でく》共を相手に己の生涯《しょうがい》を闇々《やみやみ》塗潰《ぬりつぶ》すことは出来ない、己は自分が高木宗兵衛だと云うことすら忘れかけている有様だ」 宗兵衛は暫《しばら》く間をおいて続けた。 「貴公には話さなかったが、頃日《けいじつ》知人を頼って、京で手蔓《てづる》を求めて置いた、ところがどうやら世に出る機会がありそうだと、通知があったのだ、己はもう三十二だ、己は試してみる積りだ」 「で、行くのか」 「む、それに就いて成る可《べ》くなら早まって妻子に苦労はかけ度くないと思うから、向うへ行って位置が定《き》まる迄《まで》、どうか貴公預って貰い度い」 太田与兵衛は、高木が一度云い出したら決して思い止まる男でない事を知っていた、だから彼は快よく頷《うなず》いて云った。 「よし確《しか》と預ろう、三年でも五年でも」 「有難い、これで重荷を下ろした」 そして間もなく、高木は主家に暇《いとま》を乞《こ》うて江戸を去った。 当時なかなか脱藩などと云う事が容易に出来る訳のものではない、併し主家鈴木能登守と云うのが極めて微々たる小藩である上に、高木に対しても平素相当な待遇が出来なかったのだから、煩《わずら》わしい問題は起らなかった。 斯《か》くしてお俊と女美代、男宗太郎とは太田与兵衛の邸《やしき》へ引取られた。与兵衛は妻もよ[#「もよ」に傍点]に死別してから独身を通し、乳母と下男と若党のみで穏かな生活を続けていたので、男三郎にとっては、自分の乳姉弟《ちきょうだい》の二人と、又その乳で育てて呉《く》れた、懐《なつ》かしい小母様《おばさま》と同居するようになったことが、大変な悦《よろこ》びであった。 幼い三郎と美代は片言を交しながらよく遊んだ。 * 延享が四年続いた、五年の七月十二日寛延と改元されて世は秋を迎えた。併し京へ上った高木宗兵衛からは何の音沙汰《おとさた》もない。一度妻お俊に便りがあった。此方《こっち》の都合はうまく行っている、もう直《す》ぐに迎えを出す積りで居《お》る、わざと与兵衛殿には便りをせぬ、其方《そなた》から宜《よろ》しく申伝えよ。と云うような事が書いてあった。 彼が京へ立ってから三年|経《た》つ。 寛延元年十二月、江戸は将軍家が琉球使《りゅうきゅうし》を引見するので賑《にぎ》わっていた。雪もよいの寒い一日、太田与兵衛の邸を訪れる者があった、玄関へ出た下男の吾八は、あっと云って声をあげた。 「高木様では――」 「高木だ」 と云って侍はひどい酒気を下男に吹きかけた。 成る程それは高木だ。併し何と変った事だ、色も褪《さ》め果て縞目《しまめ》も分からぬ衣服、羽織もなく大刀を一本ずり落ちそうに腰にしている許《ばか》り、埃《ほこり》まみれの素足に申訳許りの草履、月代《さかやき》も髯《ひげ》も莽々《もうもう》と伸びて、見る影もないと云う言葉が水からあがって来た有様である。 「高木だ」 と彼は再び酒気と共に叫んだ、 「高木が帰ったのだ、与兵衛に、与兵衛|奴《め》に此処《ここ》へ、出迎えろと、そう申附けろ」 高木と云う声に奥の間から跳び出てきたお俊、式台へ出たがはっと、その儘《まま》そこへ立竦《たちすく》んだ。 「まあ」 と云った儘。 * 高木は京から帰って来た。京でどんな事をしたかは誰にも口を緘《かん》して語らなかったが、併し彼の変化した性格は充分京に於《お》ける彼の失敗を語っていた。高木の癇癖はいよいよ激しく、いよいよ強情に、いよいよ執拗《しつよう》になって来た。 太田は失意の友を見るに忍びなかった。そこで彼は二三の重役を説き廻《まわ》って、高木の再仕官を願った。幾ら能登氏が小藩でも、之《これ》は明かに主家侮辱である、最初は小っぴどくはねつけられた。併し倦《あ》くまで友情に恂《じゅん》する太田の懇願は遂《つい》に重役達を動かした。勿論《もちろん》高木の腕が重役達の間に惜まれていた事も大なる原因であったであろう。 高木宗兵衛は、京から帰った翌年、寛延二年の正月から、勘定方として再出仕を許された。 併しそれは却《かえ》って悪かった。 高木宗兵衛は人生の徹底を求めた、徹底した生活を欲した、然《しか》るに人生は彼に背を見せた、矜恃《ほこり》ある武士としては是《これ》は打撃である。彼は膝《ひざ》を屈して京迄出掛けて行った、然るに京は彼を嗤《わら》って逐《お》い返した。 彼は再び旧《もと》の鰻《うなぎ》の穴へ戻らねばならなかった、然もそこで例のうす暗い不活溌《ふかっぱつ》な小藩の、勘定方を勤めなければならなかった。「ふん」 と彼は憫笑《びんしょう》を洩《も》らした。 彼は酒びたりになった、花街、戯場などへ頻々《ひんぱん》と出入した、同僚と絶えず論を構え、漫《みだ》りに暴言を吐いた、見兼ねた太田与兵衛が意見をすると、反《かえ》って与兵衛にくってかかった、そして頻《しき》りにこんな事を云った、 「貴公はさぞ愉快だろう、己がこんなに成り下がっているのがなあ、ふ、己を勘定方に推挙して、友達面《ともだちづら》をする底は知れているぞ」 家産の無い彼が、そうして日夜|淫酒《いんしゅ》に耽《ふけ》るには、勿論正しからざる財の出所がなければならぬ、彼は主家の金に手を附け始めたのだ。 こんな事がいつ迄知れぬ筈《はず》はない、高木の不行跡はたちまち重役の耳に入った、太田与兵衛の掩護《えんご》の甲斐《かい》もなく勘定方改め役の精算明細書は、彼の不正を巨細《こさい》に摘発した。 高木宗兵衛は主家を追放されることになった。 * 今は何を云っても追附かぬ、高木の深酷な失意の心は、太田に熟《よ》く分かっていた、彼は友の破滅が、言葉などで慰める事の出来るものでない事を知った。唯最後迄、朋友《ほうゆう》として出来る心尽しを為《す》る外はない。太田与兵衛は同僚を説いて、幾許《いくばく》かの餞別《せんべつ》を贈り、一夜両名の同僚を語らって、高木の家に別宴を張った。春雨しとしとと煙《けぶ》る夜である。 気まずい酒宴であった。集まった者は主客共に言葉がない、桜の噂《うわさ》が出るかと思うと、お船蔵新築の話に移ると云う有様である。高木は始終、俯向《うつむ》いてちびりちびり盃《さかずき》を干していた。 刻《とき》がうつって行った、四刻《よつ》の鐘が鳴った。客達は盃を置いて別れを告げようとした。と、今まで石のように黙って酒を呷《あお》っていた高木が、冷やかに声をあげて云った。 「与兵衛、逃げずとも宜《よ》い」 「逃げる」 太田は立ちかけた膝を戻した、 「何をばかな、逃げる訳があるか、だがもう夜も更《ふ》けている――」 「夜に借銭でもあるか、ふむ、それとも心に恥じて居悪《いにく》いか」 「貴公酔ったよ、それだから」 云わせもはてず、高木宗兵衛持っていた盃を、溢《あふ》れる酒|諸共《もろとも》に、ぴしり太田の面《おもて》に投げつけた。 「犬め、ぬかすな」 両名の同僚は、はっとして太田の袖《そで》を掴《つか》んだ。 「いや御安心なされ、何でも御座らぬ」 太田は懐紙を取出して、面にかかった酒の滴《しずく》を押拭《おしぬぐ》いながら、両名の連れに手真似《てまね》で黙っているようにと示した。 「物が云えまい。友達面をして、人を罠《わな》にかけ居った、ふん、それを知らぬとでも思っているか」 高木は相手に手耐《てごた》えのないのを見ると、更に逆上して、きりきりと歯を噛《か》みながら、何か致命的な毒舌はないかと、自ら手に汗を握った。 「そうだ己が悪かった、貴公を怒らせるだけでも己に足らぬところがあったのだろう、赦《ゆる》して呉れ」 「君子面はよせ、己の留守中、貴様はお俊と何を――」 「なに」 太田は、高木が赦す事の出来ぬ言葉を口にしようとするので、遂に座を立って云った。 「貴公は酔っている、だから己は大抵の事は黙って聴く、だが」 「どうした、だがどうした、その面は何だ、くそっ」 と云いざま、既に半ば狂った高木は、足をあげて膳《ぜん》を蹶《け》った、膳は砕けて、皿小鉢《さらこばち》は飛散した、まさに落花狼藉《らっかろうぜき》である。 「云い訳があるなら云え、不義者め」 二人の同僚は事件の起るのを怖《おそ》れた、で両方から太田の腕を掴んで連れ帰ろうとした。 「理非は分かって居る、太田氏、さ、帰ろう、帰ろう」 酒乱の友の暴言をとっこに取る事の大人気ない事を知っていた太田は、唇《くちびる》を強《したた》か噛みながら、両名の連れと黙って座を去ろうとした。 どこ迄も相手が逆らわぬとなると、えてして癇癖は募るものだ、最後の毒舌も相手を起《た》たすことが出来ぬと見た高木は、既にヒポコンデリの悲劇的発作に陥った。 「待て」 云いざまに傍《かたわ》らの刀に手がかかる、と見る、襖際《ふすまぎわ》で振向こうとした太田与兵衛の真向へ、抜討ちに斬《き》りつけた。泥酔《でいすい》していた上に腰の伸びた抜打ちである。充分体を躱《かわ》す余地はあった、が不幸なことに両名の連れが太田を挟《はさ》んでいた。 「あっ」 と身を退《ひ》いたが、鋩子《ぼうし》先で肩へ二三寸斬り込まれ、襖諸共どうと倒れる、とたんに乗込んで打下ろす二の太刀を、辛くも抜合せた小刀で受止めた、が既に初太刀で傷ついている、呼吸が乱れる。 瞬時は呆《あき》れていた両名の同僚、理不尽な高木の刃傷《にんじょう》に今は是迄と、 「朋友の義理だ、助太刀申すぞ」 と云いざま、抜連れて高木を斬った。 寛延三年三月二十日の夜の事件である。 太田与兵衛は二人の朋友に助けられて家に戻り、充分に傷の手当をして即刻係へ右の沙汰を届出《とどけい》でた。併し相手は藩が追放した男であり、然も理非は証人もいる事|故《ゆえ》、太田には別に何のお咎《とがめ》もなく、傷養生充分に致せと云うお言葉があっただけで、此の事は沙汰やみとなった。 高木宗兵衛の妻お俊は、良人《おっと》の屍《なきがら》を始末すると、二子を連れて即夜江戸を立退《たちの》いた。 [#3字下げ]二、後話[#「二、後話」は中見出し] 十五年経った。 彼《か》の事件に連なった二人の同僚は、宝暦二年前後して早く世を去った。太田与兵衛は無事にお役を勤め通したが、年々例の傷が痛んで、九年後、即《すなわ》ち宝暦十一年六月他界した。 臨終に与兵衛は、当時十八歳であった息三郎|興利《おきとし》を枕辺《まくらべ》に招いて、 「心に懸るのは、亡友高木宗兵衛の家族だ、お俊殿はお前の乳親であり、美代、宗太郎は乳姉弟である。どうか彼等を探し出して世話をしてやるように」と繰返して遺言した。 三郎は父の歿後大叔父|橘《たちばな》氏後見にて家督を継ぎ、明和元年父の名を襲って、勘定方勤めに出仕を仰《おお》せ付けられた。 で明和二年、彼の事件後十五年目の春である。 八丁堀《はっちょうぼり》の師匠の許《もと》へ、笛を習いに行っての帰り、興利は炭屋橋を渡って京橋へ出ようとしていた。その時向うから来る娘とふと眼が合ったが、興利は何故《なぜ》か、と胸を突かれるような気がして立停《たちどま》まった、と相手の娘もちょっと立停まり凝乎《じっ》と此方を見たが、たちまちまた人混《ひとごみ》の中へまぎれて見えなくなった。 「はて、どこかで見たようだが」 三郎は首を傾けながら家に帰った。 同じことが日をおいて三度あった。三度目に彼は膝を打って叫んだ。 「む、高木のお美代殿だ」 そこで彼は四度目の会見を待った。 三郎は其日《そのひ》、例の京橋の袂で、刻を計って待っていた。併し遂う遂う其日、彼の娘は姿を見せなかった。――次も、その次の日も、娘は再び三郎の前に現れなかったのである。 斯《こ》うして春も去り、夏も行き、秋が来た。 其年の八月芝浦でマンボウと呼ぶ、一丈許りの怪魚が獲《と》れたのを、香具師《やし》等が両国広小路で見世物に出していた。一日三郎は供を連れて浅草寺《せんそうじ》に参詣《さんけい》した戻りに、そのマンボウを見に行ったが、途中|柳橋《やなぎばし》迄来ると、ふと人混の中に高木の娘お美代が、若い男と連れ立って行くのを見出した、三郎は急いで近寄り、声をかけた。 「高木のお美代殿では御座らぬか」 娘は愕然《がくぜん》として振向いた。 「あっ」 と云《い》う娘の軽い叫び、続いて連れ立っていた若者がきっと見返って、 「貴方《あなた》は何誰《どなた》か」 と三郎に呼びかけた、 「おおお主は宗太郎殿ではないか、見忘れたか太田の三郎だ」 三郎は云いながら近寄ろうとした。が姉弟はたちまち群集の間に見えなくなって了《しま》った。 三郎は、朧気《おぼろげ》ながら父と高木一家との紛擾《いきさつ》を耳にしていた。併しあれだけ深い交誼《こうぎ》のあった自分達の間に、未《いま》だその陰翳《いんえい》が除かれずにいようとは考えられなかった。 「一体どうしたのだろう」 * 此処で高木一家の其後の事を話さなければならぬ。 お俊は江戸を発《た》つと、良人の郷里、江州彦根へ帰り、良人の遠縁でもあり、自分とも血統《ちすじ》のつながる柳田家に身を托《たく》した。 お俊は太田与兵衛に対して少しも敵意はなかった。寧《むし》ろ長年の間世話になったのだし、心では常に礼を述べていたのである。良人の死に就ても、勿論当の下手人は太田与兵衛他二人であるが、原《もと》はと云えば高木自身の理不尽からである。此方から何を云う事も出来る訳のものではない。 併し世間はそうは見ぬ、お俊の帰郷と共に、周囲の者は「良人を討たれながら、一太刀も仇《あだ》に報わでのめのめと帰って来た女」として、一様にお俊に後指をさした。それ許りではない、近親の誰彼は、二人の子、美代、宗太郎に向かって、父の敵《かたき》は太田与兵衛他二人である事、一日も早く成人して、父の恨を晴らす様にと折にふれては訓《おし》え込むのであった。 斯くして宗太郎が十七歳の年、即ち宝暦十二年一家は周囲の義理、一族の説伏に歇《や》むを得ず、当の仇を討つ可《べ》く江戸へ下った。 一家は南鞘町《みなみさやちょう》に借家し、母と美代とは賃仕事をして生計を立てながら、それとなく敵の有様を窺《うかが》った。併し無論お俊には、そこ迄行ってる仇討の意思はなかったし、美代も殆《ほとん》ど気が乗らなかった。唯《ただ》血気な男宗太郎のみが復讐《ふくしゅう》の念に燃えていたのである。 「恩は恩、仇は仇だ、父を討たれたからは、その仇を討たねばならぬ、若《も》しお厭《いや》ならば止《や》めて下され、私一人で立派に討ちます」 宗太郎の決心に母も姉も言葉はなかった。 宗太郎は、太田与兵衛と他二人の死を知って焦《あせ》った。が母と姉の進まぬ儘に、明日こそ明日こそと空《くう》な日を送って行くのであった。 併しいよいよ柳橋畔《りゅうきょうはん》の邂逅《かいこう》は、宗太郎の決心を固めさせた。彼は三郎が八丁堀の笛の師匠に通っている事を探り知っていた。 一家は遂にどん詰り迄《まで》行き着こうとするのである。 話は前に戻る。 かくして一方、京橋の邂逅と云い、柳の出会《しゅっかい》と云い、慥《たし》かに高木一家の江戸にいる事を知った三郎は、父の遺言を守る為《ため》に、如何《いか》にもして一家を探し出し、相当の世話をしようと、それからも毎日心懸けて怠らなかった。 明和二|乙酉《きのととり》年冬十月四日の午頃《ひるごろ》である。 笛の師匠からの帰り、三郎興利が南鞘町の通を抜けていた。と、或《ある》横丁から若者が一人、ばたばたと駈《か》け出て来たが、 「父の敵、太田三郎待てっ」 と叫びざま、抜打に斬付けた。 と身を躱《かわ》して振返る、とたんに二の太刀、たたた、三郎は退《しさ》って帛紗《ふくさ》ごと、横笛《おうてき》を左手《ゆんで》に構えて叫んだ。 「待て、敵呼ばわり覚え無いぞ、待て」 だが宗太郎は殆ど逆上している。 「聞かぬ、抜けっ」 喚《わめ》くよと見る、た、真向から斬込んで来た。 それ喧嘩《けんか》だと街巷《ちまた》は右往左往の人の浪《なみ》、そこを掻《か》き除《の》け掻き除け、甲斐甲斐《かいがい》しく身支度した娘、お美代が此場《このば》へ出て来た。 「や、お美代殿」 驚いて三郎の叫ぶ間もなく、懐剣を抜いて、 「父の敵」 と唯ひと声、弟と倶《とも》に斬りかかった。 懐かしやお美代殿、私はどんなにそなたを尋ねたか知れぬ、さても綺麗《きれい》になられた事よ、宗太郎殿も成長なされたなあ、小母《おば》さまは無事か、と口迄言葉は衝《つ》いて出ながら、相手は白刃を振るって自分に迫る、討つも討たるるも是、乳姉弟《ちきょうだい》。 三郎は姉弟の刃《やいば》を、持った笛で左へ右へ躱しながら、一先《ひとま》ず此処《ここ》を逃げようと決心した。で隙《すき》を窺って、ばたばた、白魚橋の方へと走り出した、が集まっていた野次馬共に遮《さえぎ》られて、たちまち姉弟に追附かれる、致方なしにちょうど傍らに土蔵を建てている、其の狭い小路へと馳《か》け込んだ。だが不幸にもそこは袋小路である、しまったと思って戻ろうとすると既に、小路の中へ姉弟が入って来た。 絶体絶命である。 宗太郎は猛《たけ》り狂い、遮二無二《しゃにむに》突《つっ》かかって来る。とたんに三郎は小刀を抜いた、ほんの威しの積りである。突込んで来る宗太郎の太刀を払う、間《かん》、入違いに飛ぶお美代の短刀、身を捻《ひね》って躱す、と見る、打込む宗太郎の刃を除《よ》け、体当りをくれて、たたた、小路を表へと走り出た。 が表は例の黒山のような群集だ。馳け出た三郎は群集を除けるはずみに土蔵に塗る荒木田の練ってある中へずぶり滑り込んだ、と、 「敵っ」 追かけて来た宗太郎が、泥《どろ》の中に倒れた三郎を拝み打ちに斬った。 「うっ」 と三郎、肩先を深く斬下げられながら、泥の中で身構えたがすかさず踏込んだ宗太郎の切先、寄せて置いて束《つか》がらみ、左手に掴んだ泥の眼潰《めつぶ》しを宗太郎の面へばっ。 肩先の傷を押えて三郎、斬込むお美代の刀を潜《くぐ》ると、橋の方へいっさんに馳け出した。 何しろ初めての真剣勝負である、三郎も宗太郎ももう既に疲れ始めた。然《しか》も三郎は肩に深傷《ふかで》を負っている。だだだと一丁|許《ばか》りも行ったが、橋の手前迄来て、石に躓《つまず》いて倒れた。 お俊が後ればせに馳《は》せつけて来たのは此時である。 三郎の倒れるのを見て宗太郎が、しすましたりと馳けつけて追打ちに、腕の伸びた拝み打ち一刀、これが体を躱す間もなく、三郎の左肩を背から斬った。間、斬らせて置いて、寝打ちの帰り刃、閃《ひらめ》くと見る、宗太郎の左脚を脛《すね》から斬って落とした。 「むっ」 と左足を地に突いて倒れる宗太郎、おかせずお美代が短剣の諸手突、三郎の脾腹《ひばら》へぐっと、 「父の敵」 三郎は振返って、痛手に顫《ふる》える悲痛な声。 「懐《なつ》かしやお美代殿――」 とひと言。 宗太郎は膝《ひざ》でずり寄って、復讐の獣の喘《あえ》ぎ、焦《いら》ってふた太刀|盲滅法《めくらめっぽう》に斬つけたが、自分もそれで気息奄々《きそくえんえん》である。 母のお俊が馳けつける、娘お美代が喘ぎながら、 「母様、止《とど》めを」 と短剣を渡す、もうどうにも仕方がない、受取って三郎を引起こす、 と三郎、空虚な眼でお俊を見て、 「懐かしや、――懐かしや」 と嗄《しゃが》れた声で云った。 「高木の――小母さま」 お俊は眼を瞑《つむ》ってぐっと、止めを刺した。 太田与兵衛興利二十二歳、高木俊四十四歳、同《おなじく》宗太郎二十歳、同美代二十三歳であった。 * 事件は公儀の手に係《かか》った。 斯うなると高木一家は、名が敵討であるだけ徳である。主家鈴木能登守に於《おい》ても、強《あなが》ちに太田方を庇《かば》う訳には行かなくなった、小藩の悲しさか然る可き人物のいなかった故《ゆえ》か、時代道徳の齋《もたら》した大きな過失であったか、兎《と》も角《かく》も太田家は取潰し、高木一家は公儀より賞美された。 どの敵討話にも無いように、高木一家の始末も分かっていない、主家鈴木家は勿論《もちろん》引取らなかっただろうし出世した噂《うわさ》もない、が隻脚《せききゃく》となった宗太郎と母と姉との其後の生活こそ、思うだにいみじくもあやし[#「いみじくもあやし」に傍点]である。 (「日本魂」昭和三年四月号) 底本:「ならぬ堪忍」新潮文庫、新潮社 1996(平成8)年4月1日発行 2005(平成17)年10月10日二十一刷改版 底本の親本:「日本魂」 1928(昭和3)年4月号 初出:「日本魂」 1928(昭和3)年4月号 ※表題は底本では、「白魚橋《しらおばし》の仇討《あだうち》」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ
https://w.atwiki.jp/harukaze_lab/pages/353.html
臆病一番首 山本周五郎 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)外村重太夫《とのむらしげだゆう》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)坂|蔵屋敷《くらやしき》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定] (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)※[#「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56] [#5字下げ]一[#「一」は中見出し] 414 へいはちろう えいろく げんき にぎ でんがくはざま いまがわよしもと ほか さいとうたつおき おうみ じゅうりん 「せいば せっつかわち 違う平八郎 おわりのくにきよすじょう永禄十三年正月元日、(この年四月、改元し る)尾張国清洲城の大広間は、祝賀の宴で盛んに賑わっていた。首若冠二十七、田楽狭間に東海の英雄今川義元を屠って以来、斎藤龍興を降し、近江十八城を蹂躙し、更に征馬を駆って摂津、河内を掌握した織田信長は、威勢よ きたばたけとものりうやく天下を呑むの時期であった、ことにその前年の冬、伊勢の北畠?教を攻略したあとなので、正月の祝宴はそのまま凱陣の祝いをもかねて、清洲城は歓歌欣舞にどよみあがっていた。その宴なかばだった、丹羽五郎左衛門が一人の若者をつれて信長の前へ進んだ。わがきみ「我君、珍しい者を召連れました。どうかお言葉を給わりまするよう」「なんだ、珍しい者とは」「まずお言葉をおかけ下さい」 第三勢に合いをしている。言者は年の項二十五霊で色白の、夏 臆病一番首 がいじん うたげ にゃごろうざえもん たま ふくわう さかずき おそれいたてまつ あお 臆病一番首 つきの遺書の気まった。演とした面であるが、どうやら晴れの席に馴れぬと見えてぶるぶると胴震いをしている。――信長は盃をあげながら、「余が信長じゃ、名は何という?」門 司「は、は、ほん……と申します」口の中でぶつぶついうだけで分らない。、海外「聞えないぞ、もっと大きな声で申せ」( 33)「は、恐入り奉る」若侍は顔色を蒼くしながら、 ほんだへいはちろう「そ、その、本多平八郎と申しまする」 信長は眼を丸くした、本多平八郎といえば徳川家康の旗本で、鬼の忠勝といわれた天下無敵の豪傑である。「な、なに、本多平八郎だと?」 へ「いえ、いえ、その、あれではございませんので」「若侍はあわてて打消した。 日「あれでないとはなんだ?」'「その、あの、あの豪傑の本多平八郎ではないので、ち、違う方の本多平八郎でご ただかつ VOC?________________ 416 ふきだ あか つぶや かっこう わらい 臆病一番首 ♀ざいます、違う方の―」本人選 「わはははははは」信長は身を反らせて失笑した。「違う方の平八郎か、これは面白い、豪傑でない方の平八郎とは奇妙だな、ふはははは」の がい信長が笑うと共に列座の人々もどっと声をあげて笑い崩れた。|いちど蒼くなった若侍の顔が、今度はぽうと疲くなり、何やら口の内でぶつぶつ呟きながらだんだん隅の方へ身を縮めていく。その恰好がまた人々の笑を誘うたねだった。信長はひと息ついて、「五郎左衛門、これは其方の家来か」 のトー「は、伊勢の戦に初めて召抱えました新参の家来でござります」「天下の豪傑、徳川の鬼平八郎と同姓同名の者なれば、働きもさぞ目覚しかったであろう。何か手柄をたてたか」「それがまた大違いなので」と五郎左衛門が笑いだした。すると若侍はいよいよ身を縮めながら、、と「そ、そればかりは、どうぞそればかりは」と消えるような声で哀願した。しかし そのほう 「たたかい はいだ 病一番 空堀の中に、兜の上から草を被って闘っている者がおりました。敵か味方かと声をかけると、草を被ったまま這出して来たのがこの男で……」で、資要「なんだそれは?」、 黒、古いもの。「手前もおかしな奴だと思いましたから、どうしたのかと訊きますと、――もう大丈夫でございましょうかと申します。もう出ても大丈夫でございましょうかと」』首「わははははは」『言員本を「あっはっははははは」「ひっひひひひ」 信長はじめ一座は、身を揉んで爆笑した。若侍は全く途方に暮れた様子で、全身冷汗をかきながら真赤になっている。(蔵人(さの中、一人の美「これは驚いた。なるほど珍物だ」信長は笑を納めて、「それでは合戦はしなかったのだな」「なにしろ敵方で最初に鉄砲を撃出した時、その音に吃驚して馬から転げ落ち、空堀の中へとびこんで凝乎と慄えていたのだと申すので」m2「無類の臆病だなそれは」と信長は尚もこみあげる笑を抑えながら、の落、 まっか ちんぶつ うちだ」 びっくり なお?________________ ぎょ、 ♀「しかし面白い、鬼平八郎と同姓同名を持ちながら、まるで正反対とびきりの臆病 というところが奇妙だ。――五郎左衛門、その平八郎を余に譲らぬか、少し考えることがあるから手許においてみたい、どうだ?」 言 い番「御所望なれば御意にお任せ申しましょう」「宜し、貰ったぞ」 この奇妙な光景を、上段に並んでいる婦人たちの中から、一人の美しい乙女が蛇と眸子を輝かして見戌っていた。 もら ひとみ 首 かめら なぶり者」 臆病一 そばちか なびろ なぐさ そば 丹羽五郎左衛門から信長に貰われた本多平八郎は、お庭番として常に信長の側近く仕えるようになった。――なにしろ正月の祝宴で、少しばかり派手な名弘めをしたから、城中の若者たちは珍しさ半分、弄み半分に暇さえあると側へやってきて、「ああちと御意を得る」じろりと見て声をかける。「拙者は御旗本にて大橋辰馬と申す者だが、今度新しくお庭番になられたのは貴殿か」 おおはしたつま| しか 臆病一番首 「なに本多、なんと仰せらるる?」「その、本多平八郎でござる」 2013年7「ええや あの貴公がー?」ができる。「いえ、いえその、あれでござる」急いで手を振りながら、「その、あの、例の豪傑の本多平八郎ではないので、その、違う方の平八郎でござる」「あはあ……なるほど、豪傑でない方の平八郎殿か、豪傑でない方とすると弱い方でござるな、ふむ、つまり弱い平八郎という訳か、――なるほど、それでは伊勢のたたかい」 戦に空堀の中で草を被っていたというのは貴公だな」31人「それには、いや、実は、その、それにはちと仔細があるので」 。「どんな仔細か」、「――それが、……いや、申しますまい」 の は、本「なぜ云われぬ」「申上げても分っては頂けまいから」の 、「さようさ、戦場は武士の死にどころと、幼少の頃より覚悟する我等には、臆病未~練の仔細を聞いても分る筈がないて、――や、お邪魔を仕ったな。違う方の平八郎 ネット 「つかまっ?________________ ちょうろう。 ほと あるい た 。あるひ そばごしょう。 「あつま 臆病一番首 殿、御免」 の為思うさま嘲弄していってしまう。、、、、 無茶これが殆ど毎日、とっ代えひっ代えのことだからさすがの平八郎もくさる。――今では彼の顔さえ見れば、みんなにやにや笑いながら、「やあ、違う方の平八殿」とか、或はまた、「これはこれは、豪傑でない方の本多氏―」などと呼びかけるようになった。 こうして四十日ほど経った一日、例によってお庭廻りをしていると、お側小姓たちが五六人、彼をみつけて集ってきた。――小姓と云っても十七八の生意気盛り、しかも信長の武断流で鍛えられた暴れ者揃いである。07)「ああ暫く、暫く待たれい」少年の癖に頭から横柄だ。「何ぞ御用でござるか」( 軍部「今度新しくお庭番に召立てられたというのは貴殿ではないか」、「如何にも……」 にわひでなが「聞けば元、丹羽秀長殿の家臣、つまり陪臣であったものを新しく御直参に出世したのだそうだが、伊勢の合戦には余程の手柄をたてたのでござろうな」「季まして 。受学のそうお手術の悪をやりたい」 ぶだんりゅう ぞろ しばら- おうへい めした よほど」 ごけんそん LINDO [病一番首 つめよ 口々にいいながら取巻いた。――平八郎は早くも顔を皺らめて、何やらもじもじし始めたが、小姓共はますます意地悪く、「さあ、御謙遜には及ばぬ、いかがでござる」で 、「我等もあやかりたい。お聞かせ願おう」な事業 の「それとも小姓などには軍談はなされぬというお積か」- 中「それならそれで覚悟がある」「いや、さ、さような訳ではないが、――その、別に手柄と申して……」蚊の鳴くような声である。小姓たちは図に乗って詰寄り、 もうす「別にと申して、それでは手柄はなかったのでござるか」、3営すい「兜首の五六級ぐらいのところか」意 の「それとも又……」といいかけた時、この群の後で、「お止めなさい!」と鋭く叫ぶ声がし、同時に一人の美しい乙女が小姓たちを突退けて平八郎を脊に庇った。―――年は十八九であろうか、身丈ほどもある黒髪を脊にすべらし、小麦色の肌のきりりと緊まった体つき、匂うような眉、黒耀石のような双眸……実に眼のさめるような美しさである。 かぶとくび- つきの こくようせき、 そうぼう 421?________________ なな」 さいとうどうさん で 、ほろ なぎなた ◇「ああ!お奈々さま!」で表) みのひめ「小姓たちは仰天した。|信長の妻は美仍如といって、美濃の斎藤道三の娘であった。そしてその乙女は名をお奈々と云って美仍姫の妹にあたり、父道三が亡んだ時、織田家へ引取られてきたものである。容姿が美しいばかりでなく、薙刀と馬術に優れた女丈夫で、なま中の若侍は遠く及ばぬ腕を持っていた。「そなた達は何事です!」お奈々は眉を逆立てて叫んだ。「まだ元服もせぬ少年の分際で、噂話の尻馬に乗り、武士たる者を嘲弄するとは見下げ果てた振舞い、さ、お詫びを申してすぐにここを立去るがよい」 しょじょうぶ うわさばなししりうま 臆病-番首 戦場の恐れ りんぜれ」 凜然と叱りつけられた暴れ者揃いの小姓たち、大抵のには驚かない連中だが、お奈々さまには頭が上らなかった。――云われるままに詫言も早々、逃げるようにそこを立去っていった。「お奈々はそれを見送ってから、求め く「本多様と、仰有いましたわね」と平八郎の方へ振返った。033「ま、ま多量で、あの豪業、行う、うちの おっしゃ がんたん あなた か うつむ 「なぜそんな断りを仰有いますの?」「は、その―」1月「元旦の祝賀の折も、わたくしお席に待っていて伺いました。どうしてあんなに、一々お断りなさいますの?他に何十人何百人の本多平八郎がいようと、貴方のお 名が本多平八郎なら、そんな断りをいう必要はないではございませぬか」首、若者は下唇を噛んで俯向いたが、 「――そうです」と悲しげに会った。「それはそうなのです。けれど……徳川家の豪傑、天下に隠れのない鬼平八郎殿と、間違われはせぬかと思うとつい断らずに居られぬのです」「そんな弱い心で、武士が――」お奈々は強く云いかけたが、相手の恥しそうな顔色を見ると思返して、、、。 3「まあここへお掛け遊ばせ」と傍の捨石へ自分から先にかけた。そして若者が恐る恐る腰を下ろすのを待って、 う前1年間「貴方は伊勢の戦に、空堀の中で草を被っていたと聞きましたが、本当ですの?」◇「本当です」平八郎は低い声で話しだした。「でも できる。 臆病一番 はずか おもいかえ あそ かたわらすていし。 たたかい?________________ ひだのくにおおのぐん ほんだいちまさ たち あっぱ あるじ つかまつ もちあが 臆病一番首 凶「拙者の父は、飛騨国大野郡の郷士で本多市正と申します。父は武辺一徹の質で、天下の鬼平八郎にあやかるようにというので、こんな名をつけてくれたのです。 ―拙者もかく戦国の世に生れたからは、適れ戦場に出て高名手柄をたて、一国一城の主になりたいと思い、幼少のころより武道専一に精進仕りました。そして……自分の口から申すのは恥しゅうござるが、武士ひと通りの腕は充分に鍛えあげたと思います。けれども、二十歳にして初めて戦場へ臨みました折に、思いがけぬ事が持上ったのです」「思いがけぬ事とは――?」「それは松永三好の一党が、公方様(足利義輝)の二条の第に攻寄った時のことですが、拙者はそのとき畠山詮義の幕下で第の警護をしておりました。―戦が起るとすぐ、拙者はこの時とばかり真先駆けて斬って出で、|我こそは本多平八郎忠次。大人の まつながひさみつあきたいっしんと名乗ったのです。すると寄手の中から松永久光、秋田一心はじめ大将格の者ばかり十五六人、一騎当千の連中が槍を揃えて、 本多平八郎とはよき敵ぞ、我こそ討って取らん。 まつながみよし。 ぼうさま」 あしかがよしてる てい はたけやまあきよし たあい まっさき」 よせて てき こっちういじん おそ 臆病一番首 にあるときを見るらくその場の愛しい光業を意したに違いない。それから太息をついて語りつづけた。「……なにしろ此方は初陣です。あ、徳川家の本多平八郎に間違えられたな!と気がつきますと、急に怖ろしくなって――前後も構わずそのまま、一散に逃げだしてしまいました」 。「そのお気持はよく分りますわ」「その後三度、合戦に加わりました。しかしその度に、名乗りをあげるが否や、いつでも豪傑の本多平八郎と間違えられて、敵方の勇士猛将が先を争って向ってくるのです。――その時の彼等の勢といったら……なにしろ天下に隠れのない勇士、鬼平八郎だと思っているのですから、首を取れば千石の手柄というので、気違いのように向ってくる。それは実に千匹の悪鬼が押寄せるかと思われて、とてもとても、どう当ることが出来ましょう、|いつも此方は吃驚して逃げてしまうのです」平八郎はひと息ついて、今度は声を震わせながらいった。「それ以来、拙者はすっかり戦場が恐ろしくなってしまいました。いざ合戦となるが否や、敵方の勇士豪傑は残らず拙者一人を狙って攻寄せるように思われ、戦わぬビうちに体が竦んでしまうのです。――父が、こんな名さえ附けてくれなかったら、 いきおい| こっち から一 せめよ?________________ さだめ おもい ク拙者も人並みの働きぐらいはできたでしょうに、思えば、実に……無念です」 お奈々は黙って聞いていた。――彼女には平八郎の皮肉な悲しい運命がよく分ったのだ。そして、男勝りと云われてはいるが、やはり乙女の優しい胸のうちは、いつか平八郎を憐れむ思でいっぱいになっていた。||お可哀そうに。。 で 、-お奈々はそういってやりたかった。銀、「元旦の祝賀の時、はじめて平八郎を見て以来、お奈々は不思議に彼の姿を忘れかねていた。肩幅の広い、逞しい体つき、秀でた眉、凜とした面魂――それらが夢に現に幻となって現われ、ともすると夜ひと夜眠られぬことさえしばしばであった。 がんたん) たくま 臆病一番首 きも の世が冷える 貴ようかにつ かたち 「よく分りました」お奈々はやがて、容を正していった。「貴方が戦場を恐れるお気持、わたくしにはよく分りますわ。けれど――平八郎さま。それは貴方の他にもう一人豪傑として隠れのない本多平八郎がいて、それに間違えられると思うからでございましょう?」 「天下に本多平八郎は御自分独り、他にあればそれこそ貴方の偽者だ―という風に」 さんで、ある意 ひのもとゆみとり みかわ 臆病一番首 おかお あるじ 「貴方は日本の弓取、織田信長公御直参の武士ではございませぬか。鬼平八殿がいかに豪勇でも、貴方に比べれば三河の小大名の家来、威張って本多平八郎と名乗れるはずです」「――さあ、それがそう簡単には」「フック)「いえ簡単なはずです。貴方の相貌にはやがて一国一城の主たるべき質が表われています」「そんな、いや、そ、そんな」「頭のい家、 長「いえ、いえ、わたくしにはそれがよく分ります。貴方はいま御自分の心にある幽霊のために怯けているのです。自分はあの鬼平八郎ではない、違う平八郎だと思う、その心が幽霊となって貴方の心を挫くのです。平八郎さま、その幽霊をお捨 て遊ばせ。本多平八郎は我一人、我こそ唯一人の本多平八郎とお思いなさいませ。四出来ます、必ず貴方には出来ます」力強くいうさまを、平八郎は疑うように、蛇と くじ にん?________________ ろうばい ぶしつけ さげす。 一番首臆病 ◇見上げていたが、本題。「しかし、出来るか出来ないか、どうして貴女に分りますか」寝 るな。「分りますわ」お奈々は男の眼を見返しながら、「なぜって……お奈々がおいとしいと思うお方は、やがて一国一城の主となる人でなければなりませんもの――」そういって眺と覚める乙女の顔は、俄にぽっと紅の色を散らした。――平八郎も思いがけぬ言葉に、体中の血が一時に顔へのぼるかと思われぬほど狼狽したが、「そ、それは、お奈々さま……」「不躾なことを申して、お蔑み下さいますな、実は元旦の祝賀の折から、貴方さまこそお奈々が一生の良人と―独り心に誓っていたのでございます」 「…」 「あれ以来、色々な噂を聞きました。けれどわたくしだけは、貴方こそやがては適れ織田家随一の勇者になるお方と、かたく信じていたのでございます。これからも信じておりまする。どうかそれを忘れずに……」「平八郎は夢でも見ているような気持だった。あまりに意外な言葉である。主君信長の奥方の妹姫、美濃尾張かけて評判の美しさと、男に勝る女丈夫で聞えたお奈々 つま あっぱ 「ぼうぜん [病一番首 どうか忘れずに。という言葉を残してお奈々は去ったが、平八郎は会釈も忘れて茫然と考えこんだ。 おれん「そうだ、本多平八郎は己一人、――こう思えば勇気がつく。他に鬼平八がいると思うから気腫れがするので、我一人と思えば」と呟いて肩をつきあげたが、両替器「……思えば、思うことが出来れば、―――だが出来るかしらん、なにしろ相手は天下の鬼平八郎だからな。……出来そうもない、―出来なければお奈々さまは……」「何をしている、平八!」不意に耳許でぐわんと叫ばれて、平八郎は思わずとび上った。――見ると、侍女二名を伴れた信長がにやにや笑いながら立っていた。「あ、これは……」です。 そのほう「何がこれはだ、其方いまここで何をしておった、誰と密談しておったのだ?」「いや別に、その、あれでござる」「見たぞ見たぞ」信長はぐいと睨んで、、 「戦場では臆病な癖に、貴様……こんな方面は馬鹿に巧者だな」11「い、いえ、決してさような」 ばか?________________ CK つめ」 むにむさん せんしょう 臆病一番首 から、敵勢の名ある猛者たちは、熟れも相手を捨てて、人間、「我こそ平八郎に見参!」の時 代「それ討ちもらすな」 人間と喚き喚き詰寄せて来る。あの、はが思思う。|駄目だ、奴等には聞えない。 ハ韻の誤りでぶと思ったら、そのとたんに平八郎は骨の髄から恐ろしくなって、矢も楯も堪らず、馬を返して無二無三に逃げだした。そのまま平八郎の姿は戦場から消えてしまったのである。そして両城が陥落して、戦捷の馬寄せをした時、先ず信長が彼のいないことを発見した。誰か見かけなかったかと調べさせると、「総攻めの時陣頭を駆っておりました」と云う者がいたし、また別の者は、「いや、なんでも拙者は豪傑の平八郎ではない。違う平八郎、唯の平八郎と頻りに断りを言っているのを見かけました」と申出た。信長は笑って、「それではまた例の臆病が出たのであろう。その辺に隠れているに違いないから捜してみろ。――もう大丈夫だと云ってな」側近くいた者はどっと笑い崩れた。一刻近く経って、平八郎は戦場からずっと離れた藪の中に、馬の首へ獅噛みつい う として、志らく手討 とき しが しょうぜん きのどく 臆病一番首 った。「どうした平八」情然とつれてこられた平八郎を見て、信長は面白そうに笑いさえ浮かべながら、会 則書類1)「貴様、合戦のさ中でも断りを云っていたそうだな」、、、賞。「は、はい、その、先方が、どう断っても、その、豪傑の平八郎と間違えますので、これは、拙者にしても、先方にしても気毒ゆえ」「馬鹿、斬るか斬られるかという必死の場合に、気毒もへちまもあるか」こた「それが、どうも、具合が悪い……」「まあよい、貴様がいるお蔭で戦の凝りがおちる。合戦が陽気になってよいぞ、――今後とも其方だけは臆病お構いなしだ。決して心配せずに堂々と臆病を稼げ」 い並ぶ諸将軍卒まで、思わず声を合せてどっと笑った。「しかし本多平八郎は泣いていた。お奈々さまにあれほどいわれながら、そして自分でもあれ程心に誓いながら、結局またこんな結果になって了った。彼は馬を曳きながら、 た いで、|もう駄目だ。己にはとても武士として名を成すことは出来ない。いっそ故郷 かげたたかい?________________ おもかげ へ帰って百姓にでも成ろう。 と泣きながら呟いた。しかし、そう呟く下から、あの美しい奈々姫の、頻を染めて眠と覚めた、夢のような節がありありと見えて来るのだった。もち ――くそっ、厭だ!このままでは死んでも死にきれぬ。石に囓りついても一度は武士らしい高名手柄をたてるぞ。そしてお奈々さまの……お奈々さまのー。平八郎の眼からはらはらと涙がこぼれた。 かじ 二人平八郎 臆病一番首 まあいながまさ あさくらかげあき ささきしょうてい かまがわおたによこやま つるが、 よ 金崎、手筒二城を抜いて、織田勢が越前に覇を唱えるや、近江の浅井長政は急に起って浅倉景鑑と盟を組み、佐々木承禎を招き、釜川、小谷、横山の諸城を固めて織田勢の帰路を扼し、一挙にこれせんと計った。この時は信長も狼狽した。金崎手筒は屠ったが、浅倉義景はまだ敦賀に拠って、隙あらば必勝の奇襲をかけようと狙っている。つまり腹背の敵である。この一戦こそ織田の興廃と、大事を執って先ず浜松の徳川家康に援軍の急派を乞うた。「この戦は果して苦戦であった。西上した家康は手兵三千を以て姉川に陣し、浅倉 すき たたか 「せいじょう 「あねがわ かち こつねん」 さかよ」 「かち 、およ くわがた に かいた。 病一番首 びぜんのかみ えんどうきえもんのじょう 勢を潰走せしめたのがきっかけで、さすがに織田軍の優勢となり、無二無三に斬りたててついに、六月二十八日の夕景まえ、浅井長政の陣も敗走を開始した。 と―その時であった。同日、「敵は退くぞ、隙かさず詰めよや!」と勝に乗じて追撃に移る、織田、徳川両軍の前へ、浅井勢の中から忽然として一隊の兵が逆寄せに出てきた。――徒士の兵凡そ五十、先頭に馬を駆って来るのは、鍬形うった兜をきて大薙刀を小脇に掻込んだ武士、 )「やあ、我こそ浅井備前守の家臣にて、さる者ありと知られたる遠藤喜右衛門尉義照なり。我と思わん者は出合えや!」と高らかに名乗りながら突込んできた。。 遠藤喜右衛門は浅井家に隠れなき勇将だ。それがいま郎党と共に必死を期して逆襲に出たのだから、その勢は鬼神の如く、見る見る先陣を斬破って、信長の幕営へと真一文字に突込んで来た。――その時右手の方から、黒糸縅の鎧に鹿の角の前立うった兜を衣て、大身の槍を掻込んだ武士が一騎、喜右衛門の横手へ馬を乗りつけ ながら大音声に、鰯「やあ、珍しや遠藤喜右衛門、これは三河国に知られたる本多平八郎忠勝……相手 よしてる つっこ いきおい こと一 きりやぶ くろいとおどしよろいしか まえだて ぎ おおみ?________________ 92 436 はねあが ちょうだいつかまつ とりなお むち一 まっしぐらか と沸いつうが志 ちじょくこうむ 臆病一番首 は我ぞ見参せん」と名乗りをあげた。とたんに、今まで信長の側に震えていた例の平八郎が跳上った。――そしていきなり自分の馬を曳出すと、「殿、喜右衛門を頂戴仕る」といいさま、大槍を執直して馬に一鞭間もなく墓地に駈けだした。見よ、彼の眼は燃えている、彼の全身には闘ている。3「――畜生、到頭めぐり会ったぞ幽霊め、貴様が本多平八郎鬼の忠勝だな、貴様のお蔭で今日まで己は耻辱を被っていたんだ、貴様のために己は臆病者になっていたんだ、だが今日こそ己は貴様と間違えられる怖れはないぞ、今日こそ己は信長公直参の本多平八郎として、一人立ちの腕を見せてやるぞ!」の-狂おしく心の内に叫びながら、馬を煽って乗りつけると、、 、「やあ、遠藤喜右衛門よく承われ、我こそ織田家の家臣にて、臆病御免の本多平八郎忠次なり、その首他人にはやらぬ、参れーッ」いやどうも、先に出た本多平八郎が驚いた。いきなり自分と同姓同名の者が現われ、しかも臆病御免というのだから、「あれあれ!」とばかり振返る、その鼻先を、――だあっとばかり馬腹を蹴って疾風のように駆けぬけた平八郎忠次、全身これ弾丸という勢で遠藤喜右衛門の真正面 いきおい よろいどお くさずり 「さしとお かきと一 さき」 病-番首 平八郎もはずみを喰って落馬したが、そのまま喜右衛門の上へ跳掛って、「やあっ!」とばかり組敷き、はね起きようとするやつを隙かさず、相手の鎧徹しを抜取るが否や、一太刀、二太刀、草摺をあげて刺通した。実にあっという間の出来事だった。「やった、やった……」素早く首を掻取った忠次は、それを大剣の尖に貫いてさっと馬にまたがると、――それこそ天に届くかとばかり大音に、「やあ、敵も味方も承われ、浅井家の勇将遠藤喜右衛門は、信長公の家臣本多平八郎忠次が討取ったるぞ、後日の功名争いすな!信長公の家臣本多平八郎忠次が討取ったぞ」と名乗りをあげた。 味方の軍勢はどーっと賞讃のどよみをあげた。平八郎は生変ったように、身も心も伸び伸びと、大きく息を吐きながら、高く高く喜右衛門の首を差上げた。……眼前に、お奈々さまの美しい笑顔が見える。 適れようこそ遊ばしました。それでこそお奈々が生涯の良人でございます。そういう言葉までが聞えるようだ。警は、アッ彼は今こそ確実に「違う方の」でない本多平八郎になったのだ。織田家に豪勇本 しょうさん うまれかわ?________________ たたかいかち| ◆多平八郎のあることをはっきりと世に示したのだ。戦は勝だ、浅井勢は算を乱して 敗走して行く。元亀元年六月二十八日の陽は暮れかけていた。 底本:「周五郎少年文庫 臆病一番首 時代小説集」新潮文庫、新潮社 2019(令和1)年10月1日発行 底本の親本:「少年少女譚海」 1937(昭和12)年9月臨時増刊号 初出:「少年少女譚海」 1937(昭和12)年9月臨時増刊号 ※表題は底本では、「臆病《おくびょう》一番首」となっています。 入力:特定非営利活動法人はるかぜ
https://w.atwiki.jp/nisyudenko/pages/40.html
650 名前:名無し検定1級さん[sage] 投稿日:2013/04/12(金) 20 11 58.83 そこそこわかるマンガを読んでる文系リーマンです 今本屋で次を見てきました。 技能はAtoZが一番わかりやすそうでした。 筆記が微妙 当初すいーとを狙ってました 立ち読みではすいがわかりやすそうで、 黒本はごちゃごちゃしてわかりにくい。 でも、比べてみると、すいには載ってないことが沢山載ってる すいは試験に出るのしか載ってない? 悩んで結局買わずに帰ってきました 技能をAZ買うなら黒本と揃えた方がいいですかね? 黒本のボリュームを今からこなせるのか心配なのと、 どこが重要なのかわかりにくいのが気になります 651 名前:名無し検定1級さん[sage] 投稿日:2013/04/12(金) 20 15 17.39 すい技能巻末の複線ドリルは良さそうでしたが、 本文はAZかな 653 名前:名無し検定1級さん[sage] 投稿日:2013/04/12(金) 20 29 48.11 ポリテクから帰宅 650 もう候補問題は公表されてるので ネットでhttp //sikakudenkou.web.fc2.com/ この辺とかかずわん先生のサイトとか「電気工事士 25年度 実技 解説」とかで検索すれば 本買わなくてもかなりの情報集められると思います 動画も出てきますしね その辺見ながら候補問題を1問ずつやっていって分からない所が出てきたら 調べるなり質問するなりでいいかと思います 実技の本要るんだろうか ネットで全部調べられるような・・・
https://w.atwiki.jp/modandcraft/pages/9.html
動画(youtube) @wikiのwikiモードでは #video(動画のURL) と入力することで、動画を貼り付けることが出来ます。 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/17_209_ja.html また動画のURLはYoutubeのURLをご利用ください。 =>http //www.youtube.com/ たとえば、#video(http //youtube.com/watch?v=kTV1CcS53JQ)と入力すると以下のように表示されます。
https://w.atwiki.jp/modandcraft/pages/11.html
関連ブログ @wikiのwikiモードでは #bf(興味のある単語) と入力することで、あるキーワードに関連するブログ一覧を表示することができます 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/17_161_ja.html たとえば、#bf(ゲーム)と入力すると以下のように表示されます。 #bf
https://w.atwiki.jp/modandcraft/pages/3.html
更新履歴 取得中です。 ここを編集