約 27,090 件
https://w.atwiki.jp/forsale-lawyer/pages/125.html
田島熊太君 ■禿工合より之を論ずれば六十には未だならないと思はるる堀内弁護士を婿に持つた我田島君が、堀内君の岳父たるに恥ぢざる電燈を以てして漸く数年前に四十に垂ん垂んとした斗りだとは虚言の様な真実の話だ。甲州鰍沢や身延の旅館で内田清吉君と、幹事の職務に関する権限争議や費用分担公平法の疑義に関する件を論争し之れを解決したるときは、頭の光るも無理はないと思ふた。連日の激戦に全軍疲労して身述の頭上を究めたる者僅か三名中、田坂、山崎と相並んで田島熊太の顔を見た時は成程徒歩会の隊長で金箔付の青年弁護士だと首肯された。併し是れが田島君の全部とすれば大した事もなからん。 <山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
https://w.atwiki.jp/forsale-lawyer/pages/137.html
作り話の様な実話 貝塚渋六 米国伯爵、平民大学総長、道楽社会主義者、奇人、変人、弁護士、山崎今朝彌君のオトウサンが死んだ。 私は曽て『山崎今朝彌君の死』といふ一文を天下に発表して、粗忽の大罪を犯した。山崎君はそれが為に自分の猶ほ生存して居る事を広告するのに、大変な手数と金銭とを費した。そこで今度は其の粗忽を再びせざらんが為に、十分の調査を遂げて此の一文を発表する。山崎君のオトーサンは確かに死んだ。大正八年十一月廿七日午後三時五十二分を以て正に判然と死んだ。享年九十六歳。嗚呼悲しい哉。 彼は名を山崎勝左衛門と云つた。奇人の親だから自然に子の遺伝を受けて矢張り奇人だつた。私が『今朝彌君の死』を書いたのは、彼が奇人たりし事を適確に論証せんが為であつたが、今ここに『オトーサンの死』を報ずるのも、今朝彌君の奇が如何に其の父の心に遺伝し発展しつつあつたかを適確に論証せんが為である。 山崎勝左衛門は実に奇人であつた。自ら笑はずして常に人を笑はせる人だつたそうだ。成程、考へて見ると、落語の大家などは高座に座つて話をしてゐる時。決して自らは笑はない。そして其点に於ては、実は不肖渋六も亦た正に其軌を一にしてゐる。現に此の通りマジメくさつて、厳粛な文字を並べてゐながら、それでいつも人に笑はれてゐる。只、不肖と勝左衛門君及び落語の大家と違ふ所は私は笑はれて不本意千萬心外至極であるのに反し、それらの諸君は内心甚だ得意だといふ点に在る。 然しそんな事はさておき、私は今、勝左衛門の死を報ずるに急である。彼は去頃流行性風邪に罹つた。彼は今度こそ死なねばならぬと考へた。彼れの父は九十六歳で死んだ。彼れの祖父も同じく九十六歳で死んだ。彼たる者、豈に同じく九十六歳の当年に於いて死なざるを得んや。然るに年は病中に段々と暮れて行く、彼は気が気でなかつた。若し年内に死なれないでは大変である。死ぬに死なれず死なれずに死ぬといふ様な事あつては実に大変な大晦日である。そこで彼は一切薬と食物とを斥けた。家内の人々がナゼそんな事をするかと云つて色々に勧めたが、彼は只『一度そう云つて仕舞ふたから』と云つて済ましてゐた。 之より先、医師は彼に注射を施した。痛いかと聞くと、痛いと答へた。二度目の注射の時、又痛いかと聞くと『同じく』と答へた。三度目の時も四度目の時も、矢張り只『同じく』と答へた。然るに薬と食物とを斥けてから後は、注射をしようとすると『痛い痛い痛い痛い』と火のついたやうに叫びだして、どうしても注射をやらせなかつた。 或日、彼は起きて座りたいと云ひだした。体を動かしては危険だと医師が止めた。起きるとアブナイからと云つて、家内の人々も止めた。ハハア起きれば死ぬるのだな、と彼は考へた。或日、彼は又ぜひ起きたいと云ひ出した。家内の人々は止むなく総がかりでソーツト彼を寝床の上に起した。彼は端座して合掌した。然し彼は一向に死なない。「何アんだ、うそつ事を云つたな」と、彼は又ごろりと寝た。 彼れの従兄弟に勝右衛門といふ人があつた。之は八十九歳だつたが、同じ頃から風邪に罹つた。ミギヒダリでやつてゐるが、どちらが先になるか知らん、と医師は首を傾けてゐた。とうとう右が勝つて、勝右衛門が或日参つた。 此死相撲の勝負は、誰も勝左衛門に知らせなかつたが、家内のゾワゾワするので自然とそれと知れたらしい。其日、勝左衛門は突然酒を飲むと云ひだした。酒でも飲むか食ふかして呉れれば有りがたいと家内の人々は大喜びで酒を持つて来た。彼はそれを一杯グイと飲んだ。家内の人々は之をキツカケに、何か食べたいものは無いかと聞いた。すると彼は『サーネー、馬の角があつたら食ひたいが』と済して答へた。人々は意外の言葉にドツト笑ひだした。其の笑はれた拍子に彼はゴクリと参つて了つた。 今朝彌君は一旦奇死を遂げて間もなく蘇生し、為に私をして粗忽の罪を犯させたが、そこは勝左衛門君は徹底したもので、それきり『同じく』とも云はなかつた。 勝左衛門君の生前の逸話に斯ういふ事がある。彼は道を歩く時、草蛙でも菜ツ葉でも鼠の死骸でも見つかると、必ずそれを拾ひあげて、近処の田や畑に放りこむのが常だつた。天物を暴殄せずと云つたような心持で人の田畠と自分の田畠との差別なく、只だ地力の回復と持続とを考へたものだらう。此の一事から考へても、若し彼をして其の天寿を全うせしめたならば、人間の天寿は少くとも百廿五歳だと私は信じてゐるが、彼は必ず其子今朝彌君からの遺伝を更に発展させて『道楽社会主義』ぐらいな所でなく、正直正銘の所まで進歩してゐただらうと思ふ。此点に於いては私は特に彼れの九十六歳といふ早世を惜しむの年に堪へない。嗚呼悲しい哉。茲に蕪辞を陳して聊か追悼の意を表すと爾云ふ。 <以上は、堺利彦氏が著作者である。貝塚渋六は堺利彦氏の筆名である。> ~~~~~~ 私の父は村近在では、諦のよい人思ひ切りのよい人。胸勘定(暗算)の早い人、喧嘩の嫌いの人、解つた人、極りのよい人、なりふりに構はない人、達者のお爺さん、善いお爺さん、松葺のお爺さん、等で評判であつた。逸話なども沢山あるが私が一番父に感心していた事は諦のよい事であつた。私の兄が製糸を初めた時村の人は、今に見ていろ、山よ(兄の家号)のお爺さんが繭買に出る博奕を打つ家が潰れる。と云ふた。父は小供の時には家伝で有名なバクチ好きだつたそうだ、然るに七十歳か八十歳で若隠居してからは父は決してバクチは愚か家事には決して手を出さず世話一つ焼かなんだ。兄が如何なる大失敗をした時でも、愚痴一つコボさず自分はセツセと野菜畑を耕してゐた。若い時分から喧嘩が嫌いでサア喧嘩だと云へばスグ手当り次第に物を担いで逃げ出し、父の居つた時の喧嘩には未だ曽て紛失物と壊はれ物とが無かつたとの事である。兄が七十歳にも満たずに夭死し為めに半年もツンボになつた位父に心配を懸けた事や、セメテ百歳迄生かしたいと思ふたに早く死んだ事やは、悲しいやら口惜しいやら気の毒やらには相違ないが、父の思ふ時に死ぬ事の出来たはせめてものあきらめである。(山崎今朝彌) <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
https://w.atwiki.jp/forsale-lawyer/pages/41.html
被告人見舞状(一) 益々御壮勤奉大賀候扨小生今回交通労働組合本部より敢て御貴件弁護の大命を拝し候に付き即刻参堂拝謁の光栄に浴し度と存居候折柄アラ不思議や昨夜日常信仰怠らざる尊神の霊夢に顕はるるあり『多数弁護の結果本件は遂に無罪以上』との神告を受け候間偏に御安神相成度就ては小生も本日より同志弁護士数十名の義憤弁護依頼に取掛り候始末何れ此方完結次第弁護届多勢引連れ直ちに出陣可仕先は取り敢へず御機嫌奉伺如此に御座候 噫大正九年五月廿八日 東京市芝区新桜田町十九番地 平民法律所長平民大学法律博士 弁護士 山崎今朝彌 被告人見舞状(二) 益々梅雨の候愈々御健在兎も角も目出度申納候。扨事件の儀既に御承知の通り約大半は取調を終り今月中には全部責付(註一)と係官(註二)も申され、お上の事故話し半分としても来月は多数追放の事と存候間、待遠しくも御待被下度、出る出ないの運賦天賦は御運次第、偏に貴君の幸運を祈り候。弁護依頼の件も目下非常の盛況にて、呉服の投売、銀行の取付も到底及び申間敷、大詰迄には優に忠臣蔵を凌駕する事と存候。先は取敢へず御報申上度、萬一此端書が間に合はず、拙者が面会に行く必要もなくなり候なら、お互様に勿怪の幸之れに過ぎず候 註一、保釈の如く保証金を積まなくてもお上の方から追ひ出す事 註二、予審判事団野新之 大正九年六月廿五日 芝区新桜田町十九番地 法博士 弁護士 山崎今朝彌 <山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
https://w.atwiki.jp/c-atelier/pages/1129.html
登場 Recipe 番号 タイトル 備考 |] レシピNo.498 山崎式改造台車(シェラザード号)  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄[属性:火] ┏──────────┓ 《材料》 ∥ ∥ ・ 力学台車 x 1.0 ・ フロヂストン x 1.0 ∥ ∥ ・ さいたま結晶 x 1.0 .・ プラスねじ x 10.0 ∥ .∧_∧ ∥ ・ バズーカ x 2.0 ∥ (^ *,) ∧∧ .∥ ・ ┃━┏┃鋼板 x 5.0 ∥ /ヽ‐|と崎~~.) ミ*゚∀ミ_∥ 《器具》 ∥ | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|.∥ ・ 歯車印の機械工具箱 ∥ `◎──────◎´ ∥ ・ しぃ助教授のハンマー ┗──────────┛ 【効果】 移動用アイテム(超高速ダッシュ) 【価値】 1500000マニー ───────────────────────────────── かつて僕が故郷の役人だった頃に買った愛車を、フラメルが改造した物です。 ───────────────────────────────── 地球に優しいたいようエネルギー使用のソーラーカーですが、動力変換部分に ───────────────────────────────── フロヂストン、マフラーにバズーカを使用し、更にプラスねじで増強されている ───────────────────────────────── ため、レーシングカーも真っ青なスピードで爆走する事が出来ます。 ───────────────────────────────── ただし、ものすごく燃費が悪いのが欠点で、走る度に日当たりのいい場所に ───────────────────────────────── 干さなければならないため、余程の時でない限り使用しません。 ───────────────────────────────── ちなみに、シェラザードは僕の愛娘の名前だったりします(*^^)(by ヤマロード) ───────────────────────────────── → 使用参考書: 『2ch・スーパーカーマニア』
https://w.atwiki.jp/forsale-lawyer/pages/307.html
前編終り 随分飽き性の僕だが、物好から試みた弁護士はもうかれこれ二十年になる。何かで局面の展開をやりたい、乾坤一擲の勝負をして見たい。イクラ卑怯の僕でも、本気に腹が立つたら、憤然と奮ひ立つ勇気も出るだらう。余りに人にイク地がない、人バカ当にする僕には尚更意気地がない。何か天下に事起れかし、とソンナ大きな野心もなかつたが、何かムシヤクシヤ、早く弁護士を棒に振りたい位の考は此時分から常にあつた。 <山崎今朝弥著、山崎伯爵創作集に収録>
https://w.atwiki.jp/forsale-lawyer/pages/215.html
社会運動の回顧と希望 「一、十五年に於ける社会運動に対する感想 二、十六年に於ける社会運動への希望」という問いに対する回答。 □ 山崎今朝彌 一、右翼の反動 左翼の進出 中間の奮起 戦線の分裂 二、右翼の安定 左翼の反省 中間の血盟 戦線の統一 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとした。旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『復刻版進め』(不二出版、1989年)、底本の親本は、『進め』(進め社)第5年1号(昭和2年(1927年)1月号)14頁>
https://w.atwiki.jp/forsale-lawyer/pages/37.html
三田警察掛合書 明晩の講演会、荒畑講師の演題を変更し、只管事なきを期し候当方の心情御汲取の上、何卒穏便の御処置願度、若一殊更意地悪の挙に出候節は当方も何時か必らず三倍の仇討仕るべく候、尚連帯責任の意にて警視庁よりも臨場監視する様貴方にて御取計ひ被下度願上候 十日 平民大学 山崎今朝彌 三田警察署長 殿 <山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
https://w.atwiki.jp/forsale-lawyer/pages/144.html
米国伯爵 山崎今朝彌 世の文士は皆義の為めに文を書き、生活の為めに之を売らず。独り我堺君はパンの為めに之を作り、金の為めに之を売る。故に字々皆是金、謂ゆる一字千金に値するもの、而も君薄利多売を主義とし、斃れて後止むの慨を以て精励職に従ひ、一字一厘二厘を以て広く天下の需に応ず。売文社は之れが為めに設けられ、売文師は之れが為めに聘せらる、誠に聖代の偉観たり。 君頃日当座の小遣取として君の売文を集めて再売文し、余にも亦『何なりとも』と嘱望さる。余此機会を利用して自己を売名せんとするの光栄を有す。則ち一文を草し『売文集』の店頭を飾る。平生多少の知遇を辱ふする友人の情として、君果して之れを受け容るるの雅量ありや否や。若し夫れ余の肩書が、大いに愚直なる読者を釣るの餌ともなる事あらば、実に望外の幸のみ。 東京電車ストライキ煽動の嫌疑を○○○○○○家宅を捜索され、癪に障つて○○○○○○たる紀年の年月日(米国伯爵 山崎今朝彌) <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <底本は、堺利彦ほか著『復刻版売文集』(不二出版、1985年)を用いた。底本の親本は、堺利彦著『賣文集』(丙牛出版社、1912年5月5日発行)である。旧仮名遣いはそのままとし、踊り字のみ修正した。旧漢字は適宜新漢字に改めた。>
https://w.atwiki.jp/forsale-lawyer/pages/266.html
第五十七議会は解散になるかならぬか 山崎今朝彌 貴見の通り九分解散になりますが、貴説の通りの一分が中々油断出来ません。 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『布施辰治著作集第15巻』(ゆまに書房、2008年)、底本の親本は『法律戦線』(生活運動社)8巻11号53頁(昭和4年(1929年)11月1日発行)>
https://w.atwiki.jp/forsale-lawyer/pages/216.html
府県議選挙戦を如何に学び総選挙に如何に備ふべきか 山崎今朝彌 此際此秋不相変大衆の獲得陣営の充実、而して一応先づ協同戦線を可能ならしむべき諸々の条件を戦ひ取ること。 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとした。旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『復刻版進め』(不二出版、1989年)、底本の親本は、『進め』(進め社)第5年11号(昭和2年(1927年)11月号)13頁>