約 20,660 件
https://w.atwiki.jp/azum/pages/36.html
「ふぅ、疲れた~」 今日の授業を終え、職員室の自分のデスクに座ったとき、にゃも先生はそう言って、背伸びをした。そして、自分の頬を両手でなでた。 「なんだよ、体育教師がそんなに疲れるってか。もうオバハンだな」 隣の席のゆかり先生がそう呟いた。その言葉ににゃも先生は思わずカチンと来た。 「違うわよ。今日はずっとくわえていたから、あごがくたびれて、それで疲れたって言 ったのよ」 にゃも先生はそう言って頬からあごの骨の辺りを時計回りにグルグルと撫でて、マッサージをしていた。 「なっ、あんたずっとくわえてたって…。あんた、まさかフェ…」 「そうよ。今日はずっとフエ…」 にゃも先生がまだ話している途中なのに、ゆかり先生はにゃも先生の頭を出席簿で叩いた。 「いたーい。何すんのよー」 「あんた…。学校で何てことしてるのよ!しかも、私に内緒でフェ…」 今度はゆかり先生がまだ言い終えないうちに、頭を叩かれたことで少し怒り気味のにゃも先生が反論した。 「はぁ?あんた、何か勘違いしてない?私はただ、このフエをくわえていたから疲れたって言っただけなのよ」 にゃも先生はそう言って、今日の体育で使ったホイッスルを見せた。 「今日の体育でバレーの審判とかしてたから、ずっとこのフエをくわえていたの。これ って、ずっとくわえているとあごとか結構疲れるのよ」 「なーんだ、そういうことか。そうだよなー。あんたがそんなことする訳ないとは思っ てたけどね。男と縁がないし」 ゆかり先生はそう言って、ゆかり先生の肩に手を回した。 「うるさいなぁ。ところで、あんた何と勘違いしてたの?」 にゃも先生の質問に、ゆかり先生は一瞬言葉を失くした。 「へ?そんなのこのベリーキュートなゆかりちゃんの口から言えるわけないじゃん。そ れより、今日は飲みに行こーぜー」 「今日『も』でしょ」 そう言ってにゃも先生はため息をついた。 本当にせっかちなんだから…。でも、あんたがいる限それもなかなかできそうにないかもね…。 にゃも先生はゆかり先生の顔を見つめて、今度はさっきより大きくため息をついた。 (おわり)
https://w.atwiki.jp/azum/pages/62.html
暖かい日差しが恋しくなる季節、冬。 季節風でもある空風が街を通り過ぎるたび、人々は寒さに身体を縮こまらせては夏を懐かしんだ。 学校を目指して住宅街を歩く女性とて例外ではなく、寒そうに身体を縮こまらせたあと、隣を歩いている連れらしき女性に捲し立てた。 「さむっ!!どうしてこんなに寒いのよ!?」 そんな相手の態度が日常茶飯事なのか、ロングヘアーの女性は素晴らしいタイミングで返事した。 「1月だからだろう」「うー でも、1月でも暖かいところはあるよね!?」 「ああそうだな」「差別だ―!」「それは違うだろ…」 あきれた様子の友人をよそにタコさんウィンナーにも似た愛くるしい髪形の女性はしばし考え込 んでいたが、やがて人差し指をぴんと伸ばすと連れの友人に提案した。 「そうだ!よみ、今からハワイ行こう!ハワイ」「寝言は寝て言え」 「だってさー ハワイだったらあったかいじゃん!ね、行こうよー」 「…学校はどうするんだ?」「ハワイの学校に通う!」「ハワイは英語が使えないと無理…」 その後も学校に着くまで常夏の国が二人の間を行き来していた。 「おはよう」「ちよちゃんに榊ちゃん、おっはよー!」 「あ、よみさん、それにともちゃんおはようございます!」「…おはよう」 SHRまでゆとりがあるせいか教室はまだらに埋まっており、学生達はそれぞれのグループで雑 談をしていた。学校に着いたよみと智も一年からの友人であるちよと榊に近づいていった。 「今日も寒いですねー」「そだな。お、ちよちゃんのペン可愛いな」 よみはちよの机に置いてあったねここねこのキャップが着いているカラーペンを手に取って眺め た。よみに褒められてちよのおさげが嬉しそうにぴょんと動いた…感じがした。 「えへへー それはですね、駅前の…なんですよ…」「へー…今度…」 「ね、榊ちゃん 私と一緒にハワイに行かない?」 唐突に智の口から出た単語に思わず榊は聞きなおした。 「…ハワイ?」「そ!ハワイ!常夏の国で勉強しよう!」「え、えっと…」 「おーい榊、バカの相手なんかするとおまえもバカになるからやめとけやめとけ」 ずいっと近づいて返事を求める智。返事に困った榊が目を白黒させていた時、教室の扉からショ ートカットの女性が左右に手を振りながら二人に近づいて行った。 「出たな勝負バカ!」「なんだとー この本物のバカ!」 「神楽の方がバカだもーん 神楽さんはこの前のテスト何点でしたっけ?」 途端に顔を真っ赤にして神楽は智に食いついた。 「う、うるさい!それにおまえだって私と2点しか変わらないだろ!」 「2点でも私の勝ちだもーん」「ぐっ…」「バーカバーカ」「ぐぐっ…」「あの、その…」 「どっちもどっちだろう…」「あ、あはは」 よみの適切な表現にちよは肯定とも否定とも言えない引きつった笑顔になった。榊は榊で、両脇 で火花を散らしている智と神楽を止めようと両者をおろおろと見つめた。そんな二人の緊迫を打 破するいつもの頼もしい存在が教室の扉を開けた。 「神楽ちゃんにともちゃん、楽しそうやなー 私もまぜてー」 「大阪 おまえも神楽に言ってやれ!」「何て言えばいいんやー?」「バー…うー!うー!」 素早く智の口を塞いで神楽は大阪に確認した。 「大阪 おまえは友達だよな!な!」「私と神楽ちゃんは友達やでー」 大阪の言葉を合図に智が神楽の手に噛み付いたり、神楽が智の頭に拳を振り下ろしたりするいつ ものじゃれあいが始めるのを大阪は見守りながら、今日の原因をちよに尋ねた。 「大阪さんおはようございます」「おはようさんやー」 「ちよちゃん、あの二人は何の話をしてたん?」 「え?えーっと…」「ハワイだろ」 すかさず助け舟を出してくれたよみの船にちよは乗り込むことにした。 「そ、そうです!ハワイの話です!」「ハワイかー 行ってみたいなー」 その言葉に反応し、智は神楽とのじゃれあいを中断して大阪の両手をぶんぶんと振り回した。 「やっぱそうだよなー!!よし!大阪も私と一緒にハワイに行こう!」「そやなー…」 「はーい!おまえら朝のショートホームルームの時間だよん♪」 にこやかにうなずく大阪と二年三組の担任教師である谷崎ゆかりが姿を現したのはほぼ同時であ った。そしていつも通り学校の授業が始まった。 「すぅー…すぅー…」 朝の一時はもっとも睡魔が人を誘惑する。睡魔に誘われて安らかな寝息をたてている大阪にゆか りは、丸めた教科書を己の手に叩きつけながら怒鳴った。 「こぉら大阪!!」「ひゃ、ひゃい!?」「人の授業中に寝るな!」 「先生、私はねておらんでー…ねてません…ねてませn…ねてま…すいませんー ねてました」 次の国語の授業でつまらなそうに教科書を眺めていた智は、読めない漢字を見つけて少し離れた 席にいるにも関わらず神楽に尋ねた。 「神楽ーあのさ、この漢字何て読むの?」「おまえ、こんなのも読めねーのか?」 「そのとおり!」「自慢するなよ…それは『ただわれどくそん』だ!」 (神楽さんも間違ったこと教えてるわね…っは!そうよこの手を使えば!!) 答える神楽も神楽で、胸を張って智に間違えた答えを教えていた。二人のやりとりを苦笑しなが らで聞いていたかおりんの目に、不意に希望の光が宿った。 「あ、あの榊さん!!」「…?」「この漢字何て読むんでしょうか!?」 「かおりん、その漢字はげん…」「シャーッ!!」 親切な千尋にかおりんは威嚇でお礼を告げた。休み時間。すべての希望が消え失せたように机に ぐったりとうつ伏せたままかおりんは呟いた。 「はぁ…結局榊さんに聞けなかったよぅ…」「ところでかおりん、何か質問はあるかい?」 「勝手に教室に入らないでください!!それに、かおりんって呼ばないでください!!!!」 最近よく教室に響く聞くかおりんの魂の声を聞きながら、よみはちよに話しかけた。 「ちよちゃん、すまないけど、今日の宿題を見せてくれないか?」「はい、いいですよー」 「どうぞ、よみさん!…でも、よみさんが宿題を忘れるなんて珍しいですねー」 「つい、昨日のラジオに聞き入っちゃってさー…」「ラジオ、ですか?」 ラジオという単語を耳にした途端、どこからともなく智が忍び寄ってよみの前で昨日一緒に聞い ていたラジオの内容を口にした。 「次のリクエストソングは涙の…」「うるさいバカとも!」 穏やかに流れるいつもどおりの日常の時。その一瞬一瞬を彼女達はいつもどおり過ごしていった。 授業も終わり、放課後の教室から開放された学生達は徐々に姿を消していき、気がつけば、いつ ものメンバーだけが教室に残っていた。 「うーん 今日も一日終わったー」 そんな中、智は開放感に満たされたのか、大きなあくびをした。鞄に荷物を詰めていた神楽は智 のあくびを見て今朝の仕返しとばかりに話しかけた。 「智ってさー あくびをする時すっげー変な顔になるな」 一瞬むっとした表情になった智であったがすぐに意地の悪い笑みを浮かべて反撃した。 「神楽だって胸でかいじゃん」「む、胸は関係ないだろ!」 再びトマトのように真っ赤になって胸を手で隠した神楽と離れて智は一同に、次の三連休の予定 を聞き始めた。 「ところで今度の三連休あるじゃん。みんなどうすんの?」 「私はコタツざんまいの休日の予定やー」「そっかそっかー…榊ちゃんは?」 「私は…読みたい本があるから…」「休日も読書とはさすがだな榊!」 智の言葉から立ち直った神楽が、本の苦手な自分とは全然違う榊に羨望の視線を浴びせた。もっ とも榊が読む本は神楽がイメージするような難解な本ではなく、猫の本であったりする。それは さておき、智は突進してきた神楽にも尋ねてみた。 「神楽は?」「部活だ!」「え!?冬もプールで塩素を拾うの?」「走るんだよ!!」 「よみさんはどうするんですかー?」「私は授業の予習復習だな。ちよちゃんはどうするんだ?」 「私ですか?私は…家の掃除でもしようと考えています!」 智は自分だけ予定がないので不満げに口をふくらませた。 「何だよー みんな遊ぼうよー ハワイに行こうよー」 「こんな寒い中で遊ぶのか?」 「むー」 よみの言葉に難しい顔をして智は黙り込んだ。口を閉じた智に代わって大阪が一同にナイスプラ ンを提案した。 「ほなら、ちよちゃんの別荘で遊べばいいんちゃう?」「お、大阪…あったまいいー!!」 素直に感嘆の声をあげた智に神楽が尋ねた。 「でも、3日間も何すんだよ」「うーん…トランプ!」 「却下。ちよちゃんもそう思うよな?」「ちよちゃんはそう思わないよね!?」 智の回答はあっけなくよみの前に散った。振り返ったよみと智はちよに同意を求めた。ところが 不思議なくらいにちよはにこにこしながら隠し技を出した。 「大丈夫です!実は別荘の近くに景色がとってもきれいなスキー場があるんです!」 「スキー場だとーー!!ちよすけそれホントなの!?」 どこから聞きつけたのかゆかりはちよの身体を乱暴にゆすった。衝撃に目をまわしながらもちよ は律儀にゆかりも誘った。 「は、はいー…良かったらゆかり先生も一緒に行きませんか?」 「よっしゃーー!腕が鳴るわー!にゃもに教えてくるね!」 風と共に去っていったゆかりの行動力に一同はしばし呆然としていたが、やがて恐ろしい予感に 気がついた大阪がぽつりと告げた。 「ジャンケン負けられへん…」 かたかたと震えだすちよの身体の音だけが、教室を満たして静かに消えていった…
https://w.atwiki.jp/azum/pages/31.html
今日は日曜日。何故か朝からみんな私の部屋にいる。 それも一昨、智ちゃんが急にバンドをやるなんて言い出したからだ。 最初はバンドのお名前の事とか、ちゃんと話し合ってたのに、 どんどん話がそれて行ってムチャクチャになってしまった。 智ちゃんは本当にやる気があるのかなぁ… そう言う私は興味深々で、今までこんな大きな活動はした事が無いから とても楽しみにしていたりする。 「で、昨日は何が決まったんだ?」 「まだバンドの名前しか決まってないよ。智ちゃんと愉快な仲間たち!」 ぎょっ! 「まじでか!」 よみさんはかなり引いている… 「いやいや、"Raspberry Heaven"だ。」 榊さんが困ったような顔で訂正している。 「それは安心だ。さっきの名前ならやめてるぞ私は。」 あれ?やっぱりよみさん、やる気なのかな? 「よみさん、一昨日はあんなに嫌がってたのに今日はまたどうしてここに?」 私が聞くと、よみさんはちょっと顔を赤くして答えた。 「ほら、歌ったり踊ったりするとダイエットになるかも知れないだろ?」 なるほどー! 「でもよみは歌じゃないよ、下手だから。」 「うるせぇ!」 やっぱり二人は仲がいいなぁ。 「…というわけで、今日は皆さんがどの楽器をするのか決めたいと思います。」 昨日に引き続き、私が議長だ。えへん。 「もちろんあたしはリーダーだから歌で決まり!」間髪入れずに智ちゃんが言う。 「え え っ !?」 「歌は…ほら、こないだカラオケ行った時に榊さんがすごく上手かったじゃないですか…?」 私が聞くと、智ちゃんは人差し指を横に振りながら言った。 「ちっちっち、甘いなちよちゃん。」 「え?」 「榊ちゃんは一昨日、ベースをやりたいと言っていたのだ。だからベース!」 「良かった…」 私の隣で、榊さんの小さなガッツポーズが見えた。 「で、大阪。」 「私は笛やろ~?」 バンドだから…そはないと思います。 「その通り!」智ちゃんが親指を立てる。 えっ! 「おおいちょっと待て、音楽会じゃないんだぞ」 よみさんも心配そうだ。 「笛と言ってもリコーダーじゃないよ。」 「え~ええやん、リコーダーええやん」 だめだってば…。 「笛と言っても、大阪にはブラスをやってもらおうと思う。」 「ブラス~?」 大阪さんは笛を片手に首を傾げる。 「そう。ま、詳しくは明日学校で教えるよ。で、次はよみ~」 「私は楽器の類はやった事が無いぞ」 実は私もです…というより、みんなした事あるのかなぁ? 「わかってるって。そんなの練習すりゃいいじゃん、気合でカバー」 気合かぁ… 「で、私は何なんだ?」 「よみはギター。」 「踊れないじゃないか…」 よみさん、ダイエットしたいって言ってたのに… 「踊りながら弾きゃいいじゃん」 …うわーそのまんまだ。智ちゃん適当だな~ 「なーなー」 「何だ大阪?」 「どら焼きとみかさはどう違うんやろ…」 …… 「あ、あの、私の楽器は何なんですか?」 「そう、ちよちゃんのは考えるのに苦労したんだよ~」 や、やっぱりちゃんと考えてるんだ。 「ちよちゃんはピアノ弾ける?」 「少し弾けます」 ピアノは幼稚園の頃から少しづつしていて、家にもあったりする。 「決まり!ちよちゃんはキーボードね。いや~ギターとかじゃ重いでしょ? この機転と利かせたあたしはやっぱりリーダー向きよね~」 「で、ドラムは誰がやるんだ?」 よみさんの一言が、その場の空気を凍りつかせた。 「どうしよう…」 「馬鹿、ちゃんと人数考えろよ」 智ちゃん…やっぱり何も考えて無いんじゃ… 「ほんならさー」 大阪さんが切り出す。何かいい案でもあるのかな…? 「智ちゃんがドラムやるってどないや?」 …… 「じゃ誰が歌うんだよ…」よみさんの冷めた突っ込み。 「えーと…私。」 うぉっ! 「大阪さんはブラスですよ!ブラスは口がふさがってますよ!」 「……ほんまや!」 大阪さん… でも本当に、ドラム無しでどうするんだろう? ほかの楽器にはもうみんな割りあたっちゃったし、歌う人はもちろん必要だし 「ちよちゃん…」 みんなが悩んでいる中、榊さんが声をかけてきた。 「何ですか?」 「音楽室のキーボードによっては、ドラムの音が出るかも知れない…。」 なるほど! 「あ、そうですね!明日行って確かめてみましょう!」 今日はちょっと危なかったけど、何とかなりそうな気がしてきました…! 「そこ!何楽しそうに話してんだよ!あたしも混ぜろ~」 私と榊さんの間に、智ちゃんが押し入ってきた
https://w.atwiki.jp/azum/pages/49.html
「さぁ!酒飲むか!」 「あ、そういえば皆さん二十歳になったんですよね。お酒がのめるんですか」 智がビール瓶を持って立ち上がる。ちよはそれを見て思い出したようにいった。 ちよはもちろんだがまだ二十歳ではない。したがってビールの代わりに オレンジジュースをコップに注いでいた。 智はみんなのコップにビールを注いでいく。よみは「いいよ、自分でするから」と、 お酌を拒否している。ゆかりのコップをみなもが奪い取っている。 「かんぱーい!」 掛け声とともにグラスがぶつかるときの澄んだ音がする。 瞬く間にさまざまな質問が飛び交った。ちよからみんなに対する質問と、 みんなからちよに対する質問が交互に行きかう。 スキーをしたせいか、ものすごい勢いで料理が減っていく。まずピザが消え、 続いて野菜炒めが消え、コーンスープが消え、から揚げの最後の一つが無くなり、 ビールも底を付き、話す話題もなくなったとき、自然と片づけが始まった。 「・・・もうこんな時間ですか・・・・」 ちよが目をこすりながら、テーブルの上においてあったデジタル式の置時計を見る。 電光色の文字は十二時を示していた。 「もう眠くなったの!まだまだ子供だねぇ!こっどもーこっどもー」 智がいつぞやのように歌らしきものを歌いだす。ちよの顔が険しくなっていく。 ゆかりはソファーで眠っている。 「ちよちゃん、相手にしなくていいぞ」 暦が忠告した。 みなもと榊はもくもくと皿を洗っている。歩は皿を割る可能性があるからということで、 台所には立たせてもらえていない。 「あ、そうだ。ちよちゃん、そういえばね、大阪に彼氏ができたんだよ」 智が思い出したようにいった。 一瞬、時が止まった、もしくは空気が凍りついた。全員歩と智のほうを振り向く。 眠っていたゆかりまで起きだし、歩のほうを見ている。 「・・・・」 気まずい沈黙が流れた。 「とーもーちゃーんー!あ、あれは彼氏ちゃうよ!ただの幼なじみやて。 少し下なんやけどな、大阪からこっちの学校に編入したいうてたし、 家もそんな遠くないから、一緒に買い物いっただけやていうたやないか!」 歩が顔を真っ赤にして叫ぶ。 「いや、でも、あれはどう考えても・・・だって一緒に・・・」 「とーもーちゃーんー!」 歩がものすごい剣幕で智を睨む。 「ご、ご、ごめん・・・」 智はしゅんとなった。 ゆかりはみなものそばにいき「元教え子に先を越されたね」などとささやいている。 暦とちよは、空いた口が塞がらない様子だった。 ストーブの上に置かれたばかりの、保湿を促すための水が入っているやかんから 湯気が出始める。 「もぉ!ちゃうっていうてるやんかぁ!」 歩が顔を真っ赤にして否定した。その叫び声は、みんなの笑い声に吸い込まれていった。 ―――あ~頭いて~・・・・夕べは呑みすぎたかなぁ・・・今何時だ・・・? うわ!まだ六時かよ・・・・眠くないな・・・おきよう――― 頭を抑えながら、智が二階の自分の部屋と割り当てられた部屋から出てきた。 まだ誰もおきていないらしく、今は殆ど真っ暗だった。カーテンが分厚いせいなのだろうか。 智が見たもの。それは、居間の中心近くに浮かぶ物体。いや、 物体ではないのだろうか。『それ』は少し黄緑色がかった色をしており、空中に浮いていた。 そして常に形を変え続けていた。 智は自分の目をこする。しかし『それは』消えない。もう一度目をこする。 しかし視界は一向に変わらない。 智の脳裏にある単語がよぎった。 ―――お化け?――― 「うわぁあ!お化けがでたぁ!」 智が電気を付け、叫ぶ。 みんなが「何事か?」とでも言わんばかりの表情ででてくる。 「お化けが!お化けが出たんだ!」 智が指をさす。しかしそこにはストーブがあるだけだった ストーブは今も赤々と燃える炎を灯し続けている。 上ではやかんがいまだに湯気を立て続けている。 テーブルの上にはデジタル時計。先ほどと対して時間は変わっていない。 「え・・・?」 「なにもないじゃないか」 智が呆けた顔をする。暦は智を見下ろしている。 「ばかばかしい。どうせ二日酔いのせいで、幻でも見たんだろ。」 「ちが・・・!私は絶対に見たんだよ!」 「あーはいはい。解りましたよ。」 智の叫びは、暦の右の耳から左の耳へとぬけていった。 智が言う「お化け」のことを信じないのは暦だけではなかった。大阪も、ちよも、ゆかりも、みなもも、信じなかった。現実味が薄れすぎている。榊は信じていないというか信じたくない様子だった。 「あ、やかんのお湯、もうなくなってきてますね。代えなくちゃ。」 ちよは湯気の出が悪くなったやかんを持ち上げ、台所に持っていった。 「絶対見たんだってばぁ・・・」 テーブルに頬杖をつきながら、智は不機嫌そうに言った。 「あ、誰か、小麦粉一緒にとりに行きませんか?物置にあるのを取りに行くんですが、 扉が重くて・・・」 ちよが玄関で誰かを誘う。 智は立ち上がってちよに近づく。 「いいよ、私もいったげる」 二人はそれから玄関を出た。 物置は木造だった。スキーが置いてある物置とはまた別の物置だ。 確かに扉は重かった。二人がかりでやっとあいた。 智が進んで中に入る。中はホコリくさく、かび臭いにおいがした。スキーのほうと合わせて、 長い間空けていないというのは本当のようだ。 風が吹いた。物置の中のホコリが舞う。 「げほっ!げほっ!」 智は咳き込みながら、持っているライターをつけた。 ドォン! 炸裂音がした。 智とちよは無事だ。しかし、物置はどす黒い煙を上げながら燃えている。 「・・・なんだよ・・・」 家にいたみんなが二人の元へ駆けつけてくる。 物置は、いまだ燃え続けていた。周りの雪が融けていく。 全員、いまだ何が起こったのか理解できていないようだった。視線はしっかりと燃えている物置に釘付けである。 智が地べたに座り込む。腰が抜けたのだろうか。 先ほどの智が見たという幽霊。そして今回の物置が爆発。何か関連性はあるのだろうか、そして何故このようなことになってしまったのだろうか。名探偵は、現れるのだろうか。
https://w.atwiki.jp/azum/pages/26.html
「榊、準備はいいか?!」 【神楽】が階段の上から呼び掛ける。 「うん……」 【榊】が答える。【神楽】はちょっとムカついた。 「榊ぃ!! もっと元気出せよ! そんなに腑抜けてたら いいタイムは出ねーぞ!!」 【榊】の心は暗澹としていた。いくつかの問題が彼女を悩ませていた。 まず、どうしても体育会系が苦手なのだ。今怒鳴った体育会系の友人一人にも 辟易することがあるのに、この階段の上、プールサイドにはそういう人間ばかりが たくさんいるのだ。中学生のとき、勧誘攻勢に勝てずいくつかの運動部に入ったが、 一つ目は3日、二つ目は1日、三つ目は2時間と45分で辞めてしまった。四つ目は、 さすがに懲りていたのでしつこい勧誘から逃げ出した。あまりにも榊の足が 速かったため、勧誘する側の生徒が追いつけないという事態が発生して 勧誘していた部の面子が大いに傷付いたのだが、それは榊の知る所ではなかった。 この水泳部の顧問は黒沢みなもである。担任、谷崎ゆかりの大親友で、 榊も仲良しグループと一緒にプライベートで遊びに行ったことがあるのだ。 つまり、普通の教師と生徒という関係よりもお互いを知っている関係である。 ただ、今回は相手に自分のことを神楽と認識されているのが問題なのだ。 まだ「お客さん」の榊と異なり自分が神楽だとやはり手加減はあんまり期待は 出来ない。そういえばさっき【神楽】が言っていた。 『大会前のこの時期サボったら黒沢先生になんて言われるかわかんねーだろ! つーか冗談抜きで殴られるかもしれねーぞ!』 黒沢が本当にそこまでするのか、【榊】には分からない。しかし、こう言ったときの 【神楽】の顔は冗談を言っている顔ではなかった。ヘマをやって怒鳴られるなら まだしも、殴られたらどうしよう。泣いたら余計に殴られるのだろうか。 恐怖に捕われる【榊】の頭の中で、「懐かしのアニメ特集」などの番組で流れる スポ根アニメのシーンがぐるぐる回った。 それに純粋に体の問題もある。どうも感覚が変なのだ。足の長さの感覚が 違うのか、階段で4回もつまづきそうになった。【神楽】に調子を聞いてみたい とも思ったが、【神楽】は榊の体に有頂天であんまり気にしていないようだ。 さらに問題なのは【神楽】の態度である。自分の感情を優先するあまり、 榊として似つかわしくない態度を取る、というより、むしろ榊になりきる気が 微塵も感じられないときがあるのである。【榊】としては自分の体でイメージと 違う変なことをされるのはうれしくない。 そんな悩みを抱えつつ、【榊】はプールサイドに立つ。ほどなく集合がかかり、 生徒が集められる。【榊】は【神楽】に手を引かれてようやく整列できた。 準備運動の後、黒沢が生徒に注意を与えようとしたが…… 「あら? あなた榊さん?」 黒沢の声に、全員が列の後方にいる、皆から見れば榊、つまり【神楽】に注目する。 最前列の【榊】は、あっそうか、自分が紹介しなくちゃ、と思った。 「ええと、榊が今日は体験入部に来ています。皆さん、どうかよろしくして あげてください」 【榊】がこういうと、今度は全員の視線が一斉に、皆から見れば神楽、 【榊】に注目した。明らかに普段と違うのだ。皆、神楽が 「みんな喜べ!! 見ろ!! ついに我が水泳部は榊を獲得したぞー!!」 ぐらいは言うと思っていたのだが、肩すかしを食った形になっていた。 黒沢もちょっと怪訝な顔をしたが、とりあえず先に進めることにした。 黒沢の話の途中、【榊】はふと【神楽】が気になった。変なことされていては 困る、そう思い【神楽】を見た。それに気付いた【神楽】がジェスチャーと 口パクで「バカ! 前を向いてろ!」と【榊】に向かい訴える。【榊】が よく分からず、え? と怪訝そうな表情をしていると雷が落ちた。 「神楽!! どこ向いてるの!!」 怒声にびっくりして慌てて【榊】が黒沢の方を見た。黒沢が続けた。 「私の話を聞いていたの?! 榊さんが来てるからって浮かれてるんじゃない でしょうね!! 大会前にそれじゃ困るわ!! 気合いが抜けてるじゃないの!!」 黒沢の迫力に圧倒された【榊】は硬直して動けなかった。こんな黒沢は見たことが なかった。いや、酔ったときは別として。 「気合いを入れ直しなさい!! 腕立て30! ……早く!!」 慌てて腕立て伏せの姿勢をとる【榊】。無言で腕立て伏せを始めたが、 「声が出てないわよ!! もういっぺん最初から!!」 結局、3回やりなおしをさせられてようやく起立の姿勢に戻された。 やっと終わった、と【榊】が思った次の瞬間、 「あんたたち! 榊さんが来てるからかどうか知らないけど全員たるんでるわよ!! 今は神楽が腕立てしたけどほんとは全員でやらなきゃいけないくらいよ!! この調子でまともに泳げると思ってんの?! 集中しなさい集中!!」 と黒沢が怒鳴った。全員が 「ハイッ!!!!!!」 っと返事をする。既に【榊】はこの時点でくじけていた。黒沢は別に神楽を いじめようとかしてたわけでなく、いきなりの見学者、それも有名な榊のせいか 場の雰囲気がそわそわしていたため、エースである神楽を注意することで全員に 対する効果を狙ったのであった。だが馴れていない【榊】は、自分のせいで神楽、 そして水泳部全員が怒られたものと思い責任を感じてしまって小さくなっていた。 そして何より、この体育会系独特の雰囲気から早く逃げ出したくなった。 「練習始め!!」の声で部員がそれぞれの練習位置に向かう。【神楽】は 【榊】にこっそり近寄って行った。【榊】がへこんでいるのはまずい。声をかけてみた。 「おい、大丈夫か?」 「わ、私のせいで……」 「あ、あのなあ、こんなのしょっちゅうあることだって。私なんかおとといも ああやってどやされたし。いちいち気にしなくていいんだよ。」 「わ、分かった……」 「うん。とりあえずあの4コースで前のヤツのやる通りに泳いでみな。 私もちょっと泳ぐ。榊の体でどれくらい速く泳げるか確かめてーし」 「あんまり期待しない方が……」 「いやもうぶっちぎるって! よっしゃー! いくぜ!!」 元気よく歩いて行く【神楽】。その背中を見ながら、【榊】は (やっぱりあんまり叫んだりしないで欲しいなぁ。変に思われる) などと心配していた。 心配ばかりしていてもしょうがないし、またどやされても嫌なので、 【榊】はとにかく泳いでみることにした。 「やっぱり体の感覚が全然違う……」 戸惑う【榊】。さらに距離の目測を誤って、コース端でうまく壁を蹴るターンが 出来ず、空振りしてしまった。 (だ、だめだ、こんなんじゃ……私が神楽でないのがばれてしまう) そう思いつつも何とか泳ぎ再びコース端まで来てプールサイドに上がるために 顔を上げると……黒沢がこちらを覗き込んでいた。思わずひいっ! と声が 上がりそうになる。さっき見たことのない黒沢に怒鳴られた恐怖がまだ残っていた。 黒沢が口を開いた。 「どうもあなたらしくないわねぇ……リズムが完璧にずれちゃってるわ。 昨日まで良かったのに今日になって急にだし。困ったなぁ。ターンの失敗は ケアレスミス? それもあなたらしくないけど」 【榊】は、とりあえず怒鳴られなかったことにほっとしながら、 「あ、はい、すみません……」 と謝ってみた。黒沢が続ける。 「もしかしてあなた急にフォーム変えた? 伸び悩んでるのは分かるけど フォーム変えてる余裕はないわよ。変えたんならすぐに戻しなさい。 けどなんか引っかかるのよねー。フォーム変えたというより、なにかこう、 別人の泳ぎを見ているような……」 「せ、先生……」【榊】がおずおずとしゃべりだす。 「何、神楽? やっぱりフォームを……」 いきなりおーっという歓声が上がった。声の上がった方を見ると、【神楽】、 つまり皆から見た榊が飛び込んだ所だった。皆有名人の飛び入り練習に注目している。 「ごめん、後で聞くわ。とにかくフォームは戻すのよ」 そう言うと黒沢も【神楽】の飛び込んだ方に向かう。【榊】は、本当は自分達が 入れ替わっていることを黒沢に言おうとしたのだが、言いそびれてしまった。 泳ぎ方が別人と言われたので、もしかしたら自分の中身が本当に神楽とは 別人だと分かってくれるかもしれないと思ったのだが。 泳ぎきった【神楽】はすぐにプールサイドに這い上がり、 「タイムは? タイム! 言ったように計ってくれた?!」 と叫んだ。【神楽】は期待していた。この体なら確実に自己記録は更新できると。 そしてタイムを告げられる。 「……!!! うおっしゃー!! いける!! これならいけるぞーー!!」 叫ぶ【神楽】。周りの部員が目を丸くして 「あ、あの、榊先輩? 落ち着いてください」 と言うが聞こえていない。まずい、と【榊】は思い、慌てて【神楽】の所に行く。 止めないと。 周囲の部員は、いつも神楽からクールで優しいヤツだと聞かされていて、 実際に生徒の間でもクールビューティーで通っている榊が体験入部でいきなり タイムを計ることを要求し、さらに大声で騒いでることに驚いた。 榊さん、こんな人だったの? ようやく【榊】が到着した。 「待て、かぐ……じゃない、榊」 【榊】は【神楽】を羽交い締めにした。が、困ったことに今の二人は 入れ替わっている。【神楽】の方が大きいからずるずると引きずられて行く。 周囲を見回すが、いつの間にか黒沢がいなくなっていた。 (こんなときに黒沢先生はどこに行ったんだ……とにかく自分で何とかしないと) 「何だよ人が喜んでるのにー。すげぇんだぜ私……うわぁっ!!」 【神楽】が悲鳴を上げた。【榊】が【神楽】の足を引っかけて、そのまま 二人ともプールの水面に突っ込んだのだ。大きな水音が上がる。その後 バシャッと言う音とともに二人とも水面に顔を出す。 「な、何すんだよ榊!」 先に口を開いたのは【神楽】だった。【榊】は、極力低音でドスの利いた声で ━━神楽の体ではどこまで出せるか分からないが━━周りに聞こえないように、 そして【神楽】を氷のような顔で睨みつけながら話す。 「……いいか、今のきみは『榊』なんだ。もっと普段私がやるように行動してくれ。」 やっと【神楽】も気がついた。 「す、すまない、榊」 「人前では私を『神楽』と呼ぶ癖をつけた方がいいな……とにかく注意してくれ」 「は、はい……」(こ、怖ぇーよ榊。私の顔がこんなに怖ぇーなんて……) プールサイドから声が飛んだ 「神楽センパーイ! 榊センパーイ! 大丈夫ですかー!」 西山部員だった。榊の体験入部に関わっただけにちょっと責任を感じたのかも しれない。他の部員は、「榊さん」が騒いでいたこと、そして普段怒るときは 熱くなって大声を出す「神楽」が、今は何を言ってるのか聞こえないが、 座った目で、あくまで冷静に怒っているのを見てあっけにとられていた。 普段の神楽先輩ならともかく、あんな感じで怒られたら泣くかも、 と思ってしまう後輩部員もいた。 「なんでもない! 榊はちょっと気分が悪いみてーだ! 少し休ませる」 【榊】の言葉に【神楽】はおい、と言いかけたが、再び怖い顔で 「今きみをもう一度泳がせたらまた同じことをするかもしれない……頼むから おとなしくしていてくれ」 と言われ、おとなしく引き下がった。 プールサイドに黒沢が現れた。 「あら? 何かあったの? それよりも、神楽と榊さんは上がりなさーい!」 【神楽】は、【榊】に向かい小声で、 「さっきはしゃぎ過ぎたからかな。ごめん。黒沢先生には私が叱られるから」 と言い、プールサイドに向かった。【榊】も後を追う。だが黒沢はさっきの 騒動を叱ろうとしていたわけではなかった。 「二人とも、今日のバスケの授業で頭打って気絶してたんですって? ごめんなさいね、出張から帰った時にちゃんと聞いとかなきゃ いけなかったんだけど……。とにかく、二人はもう今日は帰った方がいいわ。 気分が悪くなったり何か変わったことがあったらすぐに病院に行くのよ。いいわね?」 【神楽】が 「先生、私は大丈夫ですよ。まだやれます。練習を続けさせて……」 【榊】は慌てて、 「先生、榊はいいですけど、私は残らせてください! 大会前ですし、 時間を無駄には出来ません!」 こう言いながら、【神楽】に余計なことを言わないようにと目で訴えた。 しまったという顔をする【神楽】。黒沢はそれには気付かずに、 「二人とも駄目よ。神楽、ここで無理して大会に出られなかったら 元も子もないわ。顧問として休むことを命じます。榊さんも、なにも 体験入部でそんなに意気込むこともないでしょ。もっとリラックスして。 二人とも、ちゃんとまっすぐ帰るのよ」 「はい、ありがとうございました」 「……お先に失礼します」 二人はとぼとぼと更衣室に向けて歩き出した。【神楽】が残りたがったのは 練習したいからだが、【榊】が残りたがったのは別の思惑があった。最後まで残り、 黒沢に全てを打ち開け相談するつもりだったのだ。 (それも今日は出来ないな……仕方ない) 【榊】はため息をついた。これからどうなるんだろう……。 「悪かったな、榊」 「いや、いい……これから気をつけてくれれば何とかなる……」 更衣室の一角で、【神楽】と【榊】は着替えながらしゃべっていた。 「タオルはその中だ」 「ああ、これか……それにしても、黒沢先生があんなに怖かったなんて……」 【榊】は怒った黒沢の顔を思い出して震えた。 「あ? あれくらい別に普通だろ?」 「そ、そうなのか? ……そうかもしれないけど……みんなの雰囲気も何となく 怖かったし……」 【榊】の黒沢に対するイメージは「しらふのときは優しい先生」だったので、 それが崩れて動揺していたのだった。 「大会前だってのもちょっとはあるんだが(むしろ私はキレた榊の方が 怖かったけどな)、基本的にシメルときはきちっとシメル先生だし、 怒ってないときは優しいいい先生だろ? それより榊はもっと気合いを 入れて臨んでくれねーと……」 「ご、ごめん。でも気合いって言われても……」 「まあ今日はいいさ。それよりそっちは調子どうだった?」 「なんだかうまく体が動かなくて……」 「ふーん。私は全然絶好調だったのにな」 その【神楽】の言葉にすかさず【榊】の突っ込みが入る。 「その全然の使い方はおかしい。全然という言葉は後ろに否定が……」 「あーっ、そんな細かいことどうでもいいって。でも私がうまくいって 榊がダメなのは変だな」 【榊】はちょっと考えて、 「多分……神楽の方がこういう状況への適応が早いんじゃないかな。 入れ替わった直後でもきみは落ち着いていただろう?」 と答えた。 「そういやそうだな。でも意外だなー。榊の方が精神的に強そうなのに」 【神楽】のその言葉を聞いて、【榊】は思った。 (私はそんなに強くない……) 二人は校門を出た。【神楽】は無邪気に喜んでいた。 「いやー、しかしこの体がこんなにスゲーとはなぁ。悪いけど榊、 これは返したくねえなぁ。」 【榊】はかねてから疑問に思っていたことを口にした。 「……その大会は、飛び入り参加が自由なのか?」 「……はぁ? あんた何を言ってるんだ? ちゃんと学校から選手登録するに 決まってるじゃん。あ、もしかして榊も出たくなったか? いやー残念だけど そりゃー無理だなー」 「と、いうことは、『榊』という人間は選手登録されていないということになるわけだ」 「ああ、そうだ……あああああ!!」 【神楽】はバッグを取り落とした。 「……やっと気づいたのか」 「私が榊の体だったら出れねーじゃん!! どうしよう!!」 「どうしようと言ったって……」 「も、戻ろう! 今すぐ元の体に戻ろう!」 「方法が分かっていればとっくにやっている」 「何とかしてくれよー!! 高校で最後二つの大会の内の一つなんだよー!! ああ、今から『榊』で入部してももう間に合わねーし!!」 「仮に間に合ったとしても記録は『榊』でつくんじゃないのか?」 「ううっ、確かに……。そ、そうだ!! このことを打ちあけて黒沢先生に 頼んでなんとか榊の体で『神楽』として出させてもらえねーのかな?!」 「ほとんど毎回大会や競技会に出ているんだろう。そんなんじゃごまかせないと思う……」 「だよなぁ……みんな私の顔知ってるし……ああーどうすりゃいいんだ!」 「それに……黒沢先生に話すのは、いや黒沢先生に限らず誰かに相談するのは 最後の手段だ」 「何で?! 大体最初にゆかり先生に言おうとしてたのは榊じゃねーか!」 「確かに私もさっきまで考えていた手段だけど……」 「考えてたならやってくれよ!」 「大体やっぱり望み薄だろう。自分で言っていただろう……誰も信じてくれないって。 それに黒沢先生は今日話を聞いてくれそうか?」 「帰れって言われたからなー。今日行ってもまだいたのかってたたき出されるぜ」 「ふむ……それで今度にでも打ちあけた場合、どうなるのかをさっきまで いろいろ考えていたんだ。いくつか結果が考えられるんだが……」 「結果ってなんだよ!」 【榊】は自説の解説を始めた。 「まず一つ。まったく信じてもらえなかった場合。これは何の解決にもならない」 「うん。そりゃー分かるぜ」 「次、信じてもらえた場合。でも信じてもらえた所で黒沢先生は元に戻す方法は 知らないだろうし、大会だってどうなるか分からない」 「そ、そんな!!」 「三つ目。もっと悪いケースだ。精神疾患などを疑われた場合」 「何だよそれ」 「病気だ。魂が入れ替わったなんて誰も信じたくないから、心の病気で 榊が自分は神楽だと『思い込む』ようになったと診断される可能性はあるな」 「そんな病気あるのかよ!」 「分からない……でも、この場合、病気なわけだから大会どころか部活を続ける ことも無理なんじゃ……」 「うわあっ、ヤダ、ヤダ!! やめてくれよ!!」 【榊】は、『気分が悪くなったり何か変わったことがあったらすぐに病院に行くのよ。 いいわね?』という黒沢の言葉が皮肉に感じた。変わったことがあったら病院に、か。 気が重いが【榊】は話を続ける。 「最後だ。最悪のケース。これは信じてもらえた場合のことなんだが……」 「信じてもらえるならいいだろ!!」 「信じてもらえて、大変なことになったと周りが騒ぎだした場合。私達は 心配してもらえるが、それ以上に好奇の目に晒される。場合によってはどこかの 機関が研究するだのと言って私達を『保護』するかもしれない。もちろん その過程で戻れる方法が見つかる可能性もあるわけだが……」 それを聞いた【神楽】の脳裏に、全裸にされて檻につながれ体中に電極を 刺された自分と榊の姿が浮かんだ。 「わぁーん!! ヤダよヤダよー!! てゆーか榊、普段喋らない長台詞を 喋ったと思ったら何でそんな暗い話なんだよー!! えーいくそっ!!」 ゴッ、と音がした。【神楽】が【榊】に頭突きを食らわせたのだ。 「痛いっ……なにをする」 「頭ぶつけたあとこうなったんだから、もう一度頭ぶつけりゃ治る!!」 「思いつきでそんなことしちゃダメだ……治る保証はないのに」 「じゃあどうすんだよ!! くそっ、こうなったら、榊! 『神楽』として 大会に出てくれ!」 【榊】はあの練習の雰囲気を思い出してしまった。 「い、嫌だ……」 「本当は絶対私が出たいんだけど、しょうがねー! 今さら棄権なんて出来るか! 大丈夫、大会の日までに元に戻れればもちろん私が出るから! だから榊、頼む! あんたに託すから!」 「だ、ダメだ……正式な競技のルールなんて知らないし」 「教える! 覚えろ!」 「やっぱりダメだ……あの練習の雰囲気には耐えられない……。ましてや競技なんて」 「慣れだよそんなの!! ちょっと大きな声が出せればいいんだよ!! 競技だって、お祭りみたいなもんだと思えばいい!! な! 頼む!」 「……きみは大会が心配だが、私にも心配なことがある。」 と、唐突に【榊】は話題を変えた。 「何だよ!!」 「今度のテストだ」 「なにそれ?」 「全国模試……きみはすっかり忘れていたようだけど」 「ああ、そんなのもあったな」 「……一応私達は受験生なわけだが……自覚しているのか?」 「あんまり……」 「きみがすっかり忘れていたことから考えるに、きみが私として試験を受けた 場合の点数は期待できない。つまり戻れないと私もまずい。戻れなかった場合 きみに勉強してもらって……」 それを聞き、イライラした様子で【神楽】が怒鳴った。 「いいじゃねーか! そんなこと、勉強だけが人生じゃねーぜ!」 「そんな……いい点を取れないと困る……」 「なんだよ、勉強勉強って。私の大会の方が重要だろ? テストなんか この際どうだっていいだろ!!」 「……よくない」 「はっ、優等生だなー!! いいよなー頭いい奴は! そんなことより 大会だよ大会!! 榊が私の代わりに出てくれればいいんだよ!! 練習にも 出てくれ!! 大急ぎで何とか練習してさー」 「嫌だと言っているのに……それに、勉強の時間が取れないのは……」 「私がどんなに水泳がんばってたか知ってるくせに! 勉強、勉強、勉強、 そんなにいい点取ってほめられたいのかよ!! もういい! 榊がそんな奴だとは思わなかったぜ!!」 【神楽】はそれだけ言うと、そのまま走り去ってしまった。【榊】は追いかけることが出来なかった。自分の体で、顔で、声で、ああ言われるのが辛かった。神楽に自分がいい点を取ってほめられたいだけの人間だと思われたことが悲しかった。神楽の願いに答えられない自分も嫌だった。それで足が動かなかった。 「……私はそんなんじゃない」 そう呟くのがやっとだった。 (つづく)
https://w.atwiki.jp/azum/pages/66.html
暗い雪の底で 1 暗い雪の底で 2 暗い雪の底で 3 暗い雪の底で 4
https://w.atwiki.jp/azum/pages/39.html
大阪@大阪編第一回
https://w.atwiki.jp/azum/pages/12.html
test
https://w.atwiki.jp/azum/pages/59.html
第一話
https://w.atwiki.jp/azum/pages/63.html
(創作+原作3巻85P) 年末年始の休みを利用して、よみは北海道に来ていた。 「……なぜ?」 目の前で牛が枯草をはんでいる。 糞尿の臭さが鼻をつく。 「なぜ私が!」 スキを持ち上げて叫んだ直後、まきあげた枯草にくすぐられた牛のくしゃみをまともに受けた。 「どーしたんべメガネなんが真っ白にしてぇ?」 尋ねたのはメガネをかけた老婆である。 「……いや、ちょっと」 「さっさど洗ってこい」 「はい」 沈んだ気持ちで洗面所に行く。メガネを取り、顔を洗う。顔をタオルで拭き、さらにメガネを拭きながら鏡に映る自分を見つめる。 「うう……なんでこんなことに?」 本当ならこの顔は今頃笑みにたっぷりと彩られていたはずだ。それがなぜ、田舎で牛と牛と牛と牛と…… 「キー!」 「うるせーよ、よみちん」 「いてっ」 頭を小突かれた。 「叔父さん」 振り向くと、やはりメガネをかけた男がいた。 「あんだー、もう終わったんだべ?」 「はい」 「東京住んどると要領がよぐなるんだな」 叔父さんはげらげら笑いながら去ってゆく。よみはさらに命じられた仕事を色々とこなしてゆく。 「よぐ働くなー」 「力もある、みんな正月休みでいなくなって、助かるわー」 入れ違いに2匹のメガネ唐変木が笑って話しかけてくる。牧場の息子どもだが、肉の食い過ぎでちょっと体重がありすぎる。 (……父さんに騙された!) 温泉、かわいいキタキツネ、おいしい料理―― (騙された! 騙された!) かっこよくなったという従兄弟たち―― (本当は働き手が欲しかっただけじゃないか!) 晩になると全員で食卓を囲む。全員がメガネをかけている。 ペットの猫まで目の周囲がメガネ柄だ。 「ザ・メガネ一族!」 よみは溜まらず叫ぶと、粉雪降る外へと走り出た! 牧場の周囲は真っ暗だ。街灯もない。田舎田舎、ど田舎だ。 「キツネ……温泉……かっこいい男の子……おいしい料理……」 いつのまにか道に迷っていた。 (しまった!) もしかして追いかけてくれると、秘かに期待していたのかも知れない。 (いや、あいつらに限ってそれはない!) よみはなんとなく想像してみた。 『あれー、よみちゃん出ていったべ』 『きっとこの鍋が美味しがったんだー』 そしてまた黙々と食べ始めるメガネども―― そういえば、牛舎の牛たちもなぜか多くが目の回りが…… 「メガネいやー!」 よみはメガネを取って、思わず暗闇に投げてしまった。 メガネはたちまち雪に吸い込まれ、消えた。地面に落ちる音はしない。当然だ、雪がすべてを吸収してしまう。 「……メガネのバカー! 北海道のバカー!」 よみは不満を思いっきり叫んだ。すべては雪が吸い込んでくれる。誰も聞いていない―― いつのまにかそいつはいた。 「……バカー!」 「くー」 「ば……?」 可愛い声のしたほうに涙を拭いて向いてみると、そこに見慣れぬ動物が1匹いた。 「……なあおまえ、もしかして」 「くー」 「キタキツネ……?」 「くー」 毛深くて小さくてもこもこしているそいつは、ゆっくりとよみの足元に来て、その側を通過したと思ったらすこし離れてまた近づき、離れて――を繰り返した。 興味深くてしばらく観察していたが、よみはそいつが気に入った。 「エサが欲しくて、しかし媚びるのはいやで……なかなか複雑なやつだな、おまえ」 「くー」 そいつはまた鳴いた。 「そうかそうか、ほれ、チョコレートだ」 よみは秘かにくいしんぼなのだ! 口が寂しいときの携帯食料には事欠かない。プライドと体重が気になるので間食は適度にセーブされている。 「くー」 そいつはおいしそうにチョコを食べた。 「そうかそうか」 よみはそいつの頭を撫でようと思ったが、やめた。そうしてはいけない気がした。自分なら、嫌だ。だからこいつにはしない。 「なあ私に似てるきみ」 よみはそいつに微笑みかけた。 「くー!」 そのとたんだった、突然そいつが高く鳴いて、一目散に走り去ったではないか。 「……なぜ?」 直後、雪の中からなにかの音が響いてきた。 「スノーモービル?」 牧場に来た初日に聞いた。乗れるかと秘かに期待していたが、翌日から連日の労働で失望して今に至っている。その存在もすっかり忘れていた。 やがて雪の中からヘッドライトの光が生まれ、スノーモービルはよみを確認するとまっすぐやってきて、すぐ側に止まった。 男だった。手になにか筒状のものを持っている。メガネがないので良く見えない。 「おい、命は大丈夫か?」 (命が? ――どういうこと?) 「熊いなかっただ?」 声の主を思いだした。よみを牧場まで乗せたバスの運転手だ。 「え……あの……熊?」 「親子連れの熊だべ。バカなガキが迷子の小熊を追ってしまっで、母親が怒っただ。生憎ガキは軽傷で済んだが、まだこの辺にいるはずだべ」 「うわ……」 怖くなって震えてしまう。男が持っているのは猟銃なのだ。 「だがらおまえ、さっさとけえれ」 「でも道が」 「あちらだ」 男が指すほうは、ぼんやりとして見えない。 「えと……あの」 「近いだ、じゃな」 男はさっさと行ってしまった。 まっくらな中に、よみは1人取り残された。 「あの……見えないんですけど」 そのときだった、またあの声。 「くー」 丸い獣がやってくる。 「まだいたの?」 「くー」 その子はよみのズボンの裾に食いつくと、引っ張り出す。 「え、こちらに? あの……熊がいるんだって」 「くー」 よくわからないが、どうも連れて行きたいところがあるらしい。 「わかった、わかったよ」 大人しくついてゆく――数分してある木の裏につくと、そこで蠢く鼻息。音が、妙に大きい。 (なんだろう? まるで牛みたいに大きい動物の……まさか、熊!) 「ぐー」 その動物が、大きな声で鳴いた。「くー」の大きい版だ。その変な音に、よみは沸き上がりかけていた恐怖がやわらぐのを感じていた。 「……わかったわかった、チョコあげるよ」 よみは板チョコを取り出し、残りすべてを近くに投げた。 「ぐー」 その大きい――おそらく熊らしいもの――はゆっくりと歩くと、チョコをむしゃむしゃと食べて「ぐふふ」とまた面白い声で鳴いた。 「そうか、美味しいか?」 「ぐふふっ」 「くー」 小熊も親熊からチョコを貰って、美味しそうに食べている。 「よかったな……」 ふっと、よみは自分の意識が遠のくのを感じた。 (あ……れ?) 気が付くと、布団の中だった。 叔父さん一家は私が牧場の前で倒れていたと言って、よかったよかった、ごめんごめんと言うばかりだった。 (……どうやら、助けられたみたいだね) 熊の親子は、よみを運んでくれたのに違いない。 その後よみの待遇は大きくかわった。もちろん主目的が労働力確保だったので仕事はしたが、いろいろと楽しい経験を出来た。充実した正月をすごし、東京に帰った。 年明けの初登校。 いつもの連中、いつもの時間、いつもの場所。 心地よい。 そんな空間を満喫し、家に帰った。 (けっきょく、熊の親子のことは言えなかったな……) そもそも「旅行」自体が嘘である。北海道にいた期間は1週間以上に及ぶ。真実の多くをオミットし、楽しいことしか語っていない。 (それが私らの間じゃ似合ってるからなあ) 仲間内ではけっこういろんな話をするはずだが、なぜかみんな幸せなことしか語らない。本当はいろんな悩みとか問題とかがあるはずなのに、智からして高校にあがってからは幸せ者のふりをしているように思えてならない。 いや、それはそれでいい。 仮面かもしれない。虚構かもしれない。 だが、それは皆が望んでいることなのだ。 不文律。 その細いバランスの上で語らい、どつき合い、楽しい思い出だけを凝縮させてゆく。 (私たちはピエロなのかも知れない――そんなのでもいい。それを望んだ者だけが自然に惹かれ合い、演じているんだから) 演じていれば、それが真になるだろう。どうせ残るのは凝縮だけだ。 ふとテレビをつけると、北海道で暴れ熊親子射殺のニュースが映っていた。 「あのときの……」 小熊は助かったようだが、動物園に送られたらしい。 「…………」 なんだかやるせない気分になってテレビを切る。 あの熊は、暴れているのも真実だろう。だが、よみに見せた面も真実なのだ。表裏一体、どちらを見るかで気分も、世界も、人も、すべてが変わる。 「そう……これでいいんだ」 よみは自然に流れ出た涙を拭った。 (なんだか拭ってばかりだな) よみは葉書を出して、すらすらと書き始める。 「涙のダイエット少女です。このあいだ北海道で……」 これはメルヘンだ。おそらく採用されることはあるまい。 だけど実際に起こったことだ―― 信じる信じないなど、誰にも求めない。 だからせめて、文章にしておきたい。 チョコレート好きな熊の親子のことを……