約 4,797 件
https://w.atwiki.jp/syousuha/pages/32.html
経歴 1932年6月10日-2012年4月1日。享年79歳。 腹違いの兄弟が存在する複雑な家庭に生まれる。関西学院大学商学部卒業後、第一銀行行員、ガソリンスタンド経営を経てブロイラー養鶏場を経営するが、失敗。この際負った負債の返済のため、姫路市でゲイバー「るどん」を経営する。しかしこれも失敗。今度は東京でゲイバー「とうごうけん」を経営、ゲイ雑誌「The Gay」「ザ・ケン」編集長、ゲイビデオ制作、エイズ啓蒙活動、ゲイのための診療所開設、ゲイ・ゲームズ支援等、ゲイのための活動を行う。 生涯を通して同性愛者や障害者等の地位向上のための活動に従事。同性愛者であることをカミングアウトした当時としては極めて珍しい人物であった。 選挙活動にも意欲的で、かつては選挙機会ごとに立候補していた。この際の選挙資金や供託金没収により幾度もの経済的破綻を経験し、実家が持っていた日本海側に面する大規模な土地を失うこととなる。また、1971年の参院選において宣伝カーからの演説に振り向くものもなかった際に「オカマ、オカマの、東郷、健。参議院議員立候補、オカマ、オカマの東郷健がまいりました」と叫んでみたところ、中年男性が手に持っていた荷物を落とし、東郷の乗る赤い宣伝カーを初めて見たというエピソードから、以降「オカマの東郷健」を自称し始める。 初出馬は1971年の第9回参議院議員通常選挙。以降1995年まで多数の選挙に出馬、落選を繰り返していた。 1983年に雑民党を結成。性的少数派や、障害者などいわゆる「マイノリティ」と呼ばれる人たちを集め活発な選挙活動を行った。 2012年4月1日、前立腺がんにより死去。7月1日には、BAR東郷健に集った客が中心になって企画された追悼会「東郷健を偲ぶ」が催行された。 政見放送内では過激な発言が多く、放送禁止用語を連発していた。これにより一部のマニアで人気を呼び、お茶の間にはカルチャーショックを与えた。 「オカマ」「マスゴミ」といった言葉を広めたきっかけとも言われている。 政見の特徴 落ち着いた口調でつらつらと語るのが特徴。内容は選挙により様々だが、自分の近況や半生についての話が多い。 また先述したとおり放送禁止用語を連発する過激な発言が多く、「一切の改変が認められない」政見放送において唯一内容が削除された人物でもある(政見放送削除事件)。 話には皮肉が効いており、時たま格言のようなものを発する。 警察官が100人おって、100人がチンチンを見て勃起する人手を挙げてって言うたら、多分100人とも手を挙げないと思います。 ゲイの行くホモサウナがあって、そこで何人かとセックスをやって、そうしてエイズになったというわけですから 恥ずかしいのは、自分自身に嘘をついて生きることや。恥ずかしいのは、人を愛されないっていうことや。 星と、人とのただなかに、小さき者の、何を争う。 ニコニコ動画で視聴できる動画
https://w.atwiki.jp/sakura394/pages/715.html
■1.用語説明◆1.「史学史」 ■1.用語説明 ◆1.「史学史」 しがくし【史学史】(ブリタニカ国際大百科事典) 歴史学はおおよそ①物語的歴史、②教訓的歴史ないし実用的歴史、③発展的歴史の順に発達してきた。 ① 物語的歴史の典型とされるヘロドトスの『歴史』 Historiai には多くの説話や見聞が真偽の検討なしに記述されている。 ② 教訓的歴史ないし実用的歴史の典型はツキジデスのペロポネソス戦争を中心とする『戦史』 Historiai (8巻)である。人間心理の洞察、史料の批判などによって、本書は世界最初の学問的な歴史書とされているが、ツキジデスは過去の政治や軍事を、将来の類似の事件に際してとるべき行動の指針にしようとする立場で書き、行動する人物の心理的動機からすべてを説明しようとした。 ローマの地中海世界征服の過程を記述したヘレニズム時代のギリシア人ポリュビオスは、この史風を継承しつつ、さらに一歩を進めた。 ローマのユリウス・カエサルやタキツスの歴史記述は、ともに実用的意図から発し、政治家の手引ないし行為の規範として役立たせようとするものであった。 ③ ゲルマン民族大移動の嵐のなかで書かれたアウグスチヌスの『神の国』 De civitate Dei は、史料批判の点では後退しているが、神学的目的論に基づく必然の理念に支えられ、ここに初めて③発展的歴史の誕生をみた。 ④ これに科学的批判性が加わった近代歴史学はルネサンス時代に始まる。この時代にはマキアベリや、F. グィッチャルデーニらが現実的・世俗的な史風を展開し、歴史を「神学の碑」としての地位から人間の手に解放した。 18世紀の啓蒙主義は反歴史的傾向をもったが、モンテスキュー、ボルテール、E. ギボンらによる歴史記述は近代歴史学の進歩のために大きく貢献した。 19世紀は「歴史の世紀」と呼ばれるほど歴史研究は各国で大いに発達したが、特にL. ランケを生んだドイツは指導的地位を獲得した。 同世紀中頃までは政治、軍事を主とする政治史が記述の主内容をなしていたが、スイスのJ. ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』 Die Kultur der Renaissance in Itaklien(1860)などによって文化史の意義が認識されるようになり、次いで社会経済史の分野も開発されて今日にいたっている。 【史学史】(しがくし)(山川世界史小事典) 歴史学の歴史をさす。 ① 歴史叙述は東洋・西洋の古代から存在するが、 ② 歴史が宗教、物語、道徳をはなれて学問となったのは、文献学の進んだ18世紀のヨーロッパであり、特に19世紀のドイツでは、ランケによって史料批判にもとづく近代歴史学の観念および研究方法が樹立され、各国の大学に影響を与えた。 (1) その観念は当時の支配的風潮である国民国家の建設と不可分であり、国民国家を単位とする政治史・外交史がアカデミズム歴史学の内容となった。 (2) これに対して、19世紀末の産業社会の発達、労働運動の興隆につれて社会経済史が大学・民間でしだいに盛んになり、マルクス主義もこの風潮のなかで力を増してきた。 (3) 歴史研究は隣接科学の方法を採り入れるようになり、20世紀には社会学や人類学の方法を入れた「社会史」さらには「心性史」の分野が開発された。この新傾向には、フランスの「アナール学派」の功績が大きい。旧来の「政治史」が出来事中心の叙述となる傾向があるのを批判して、新しい「社会史」は構造分析を重視するが、近年は政治史の再評価に傾いている。 日本では、明治初期に英米の啓蒙的な「文明史」が民間史家に、ついでランケ史学が大学に導入されて近代史学が始まった。ついで、ドイツ歴史学派経済学、マルクス主義の影響で、発展段階論が強まったが、西洋中心主義の発想から脱しなかった。第二次世界大戦下には、一時「皇国史観」が力を得たが、戦後はマルクス主義とヴェーバー主義を組み合わせた「戦後歴史学」が支配的となった。 しがくし【史学史】(日本歴史大事典) 史学は歴史学と同義であり、史学史は史料の蒐集・編纂・歴史叙述の方法などに加え、歴史観・歴史認識などの軌跡を歴史家の思想にまでさかのぼって追求し、歴史学の歴史を系統的に解明しようとする。 (1) 歴史学を単なる歴史叙述、また歴史意識を持つことにまで認めるとすれば歴史学は古代から存在したといえる。 (2) しかし、厳密な史料検討で史実を明らかにし、多様な歴史観の存在を認めつつ、客観的な叙述で一定の歴史像を導き出すことが歴史学と考えるならば、それは19世紀のドイツに始まりレオポルド・ランケ(1795-1886)により大成された。 (3) 日本においても近代的な歴史学はベルリン大学でランケ史学を学んだ御雇外国人教師リースを媒介とするランケ流ドイツ実証主義と修史館系の考証史学とを結合することにはじまった。 1 1869年(明治2)に明治政府は史料編集のための史料編輯国史校正局を設置、これは 1872年太政官に歴史課(1875年に修史局、1877年に修史館となる)が設けられる基となった。1889年には帝国大学の史学科に国史学科が設けられるなどアカデミズム史学は研究体制が整備され、1900年代に入ると、欧米留学で史学を学び、比較史的視点から日欧社会発展の類似性を追究した記念碑的作品として、内田銀蔵の『日本近世史』(1903年)、原勝郎により『日本中世史』(1906年)が書かれた。また、1901年(明治34)からは、『大日本古文書』、『大日本史料』といった歴史研究にとって基本史料となるものの刊行が開始されている。そして、官学だけではなく、福沢諭吉の文明論『文明論之概略』や田口卯吉の『日本開化小史』、民衆を重視した徳富蘇峰や山路愛山らの民友社系など、民間においても近代歴史学の基盤が築かれていった。 2 やがて、大正デモクラシーの機運は、政治史に偏りがちであった歴史学の文化価値重視への転換を促した。津田左右吉の『神代史の新しい研究』(1913年)、『文学に現はれた我が国民思想の研究』全4巻(1916-1921年)、柳田国男の日本民俗学の開拓、さらには伊波普猷(いはふゆう)の沖縄学の樹立などが、アカデミズムの外で精力的に開拓された。アカデミズム内部でも文化史学、日本思想史学の前進がみられた。『日本文化史』全12巻(1922年)の発刊などは大正期の文化史研究の状況をよく表わしている。 3 第一次大戦後から1930年代にかけては、社会経済史研究が活発化し、1930年に社会経済史学会が設立された。日本資本主義の危機が激化し、労農運動が発展するなかで、1920年代後半に成立したマルクス主義史学(唯物史観史学)は『日本資本主義発達史講座』全7巻(1932-33年)に結実した。しかし、戦時体制とファッショ化の進行により、マルクス主義史学は弾圧され、超国家主義思想の皇国史観が勢力をのばした。 4 第二次世界大戦の敗北後、マルクス主義史学が復活し、主流を形成した。しかし、1950年代半ばから、戦後歴史学の方法に対する批判や反省が強まり、マルクス主義史学の問題点が意識化された。1960年代半ばに登場した、民衆思想史、そして1970年代以降、民衆史研究は運動史から生活史にまで領域と視野を拡げていく。また、考古学、民俗学、文化人類学など諸分野との交流・連携の拡大、社会史・女性史などの研究の進展により、歴史観・歴史学の方法は著しく多様化するにいたっている。 石井浩志
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/9210.html
203:奥羽人:2024/02/22(木) 23 04 00 HOST sp1-73-138-24.smd01.spmode.ne.jp 近似世界【日欧貿易の歴史】 現在で言う日欧貿易の始まりは、およそ16世紀後半、日本大陸の天下統一まで遡る。 16世紀末から17世紀初頭にかけては、日欧の貿易はマカオや東南アジアを介して行われた間接的な物だった。 この頃のジャワやマレー半島は東洋の貿易中心地であり、各国の貿易船が行き交っていた。 当時の日本からは主に銀、武器、硫黄、海産物等が輸出されていた。 そして中国から生糸や織物、砂糖、陶磁器が、東南アジアから香辛料等を輸入していた。 この時に東南アジアを介して欧州の産物も日本へと入って来ており、日本の欧州への関心は日増しに高まっていた。 事態が動いたのは17世紀前半である。 1620年のジャワ戦争、1628年からの日西戦争にて、日本は東南アジア地域における主導権を欧州勢力から奪い取ることに成功し、結果的に東南アジアでの貿易はオランダに独占権が与えられた。 また、中国では後金(後の清)が挙兵して明に侵攻しており、社会の混乱によって正規の貿易量の低下と海賊の跋扈を招いていた。 香辛料貿易のオランダによる独占化の進展と、明の織物や陶磁器の輸出量低下が進むと、欧州諸国はこれらの産品を日本に求め始めたのだった。 日本も同時期に、天下統一後に国家事業として進められた「宝永の殖産興業」によって全国で産業が育成されて産物の輸出先を求めており、欧州の需要は正しく渡りに船であった。 17世紀始めから日本製の織物や陶磁器、武器の輸出が大々的に始まり、欧州に日本の産物が流れ込むにつれ、日本製の品は質実剛健かつ安定品質として好評されることとなっていく。 特に、日本製の銃砲は欧州のそれより射程と命中精度に優れており、尚且つ「金があればあるだけ買える」と言われる当時としては優れた生産能力によって、早急に武器を必要としていた勢力に重宝されることとなる。 (夢幻会の産業介入によって、同時期の欧州に比較して規格化や生産技術が先行していたのが主な要因) また、東南アジア産香辛料を一旦輸入し、そこから欧州へ輸出する中継貿易によっても多額の利益を得ていた。 日本はこれらで得た利益を元に国内開発や海外進出を進めると共に、欧州から書物や学術知識の輸入を推進。 特に、同時期に活躍していたガリレオ・ガリレイの唱える地動説は、教会によって禁書指定された欧州とは異なり、天照大神を始めとする太陽信仰の根付いていた日本では比較的抵抗無く受け入れられた。 また、欧州の知識を輸入すると共に、和算を始めとする日本の学術知識も欧州に伝搬していった。 金に糸目を着けずに知識を買い取っていく日本の存在は欧州の科学・芸術界隈で大きくなり、顕学を自負する者ほど日本語版書物の出版と和書の翻訳を熱心に行うようになっていった。 ここから、陸のシルクロードと対比して、日欧貿易航路を「学問の路」と呼ぶこともある。 しばらくすると日本製の科学実験器具の輸出も始まり、こちらも品質の高さを買われて17世紀を通して欧州中に広まっていくこととなる。 204:奥羽人:2024/02/22(木) 23 05 42 HOST M014009102000.v4.enabler.ne.jp 17世紀後半から18世紀にかけて、日本では徐々に産業高度化(ゆっくりとした産業革命)が進んでおり、工業力や経済力は着実に増加していた。 また、資本主義思想の普及に伴い経済理論の進歩も進み、本格的な工業国としての段階を歩み始めていた。 この頃に日本は原材料の輸出を大幅に伸ばしており、日本製の高度材料(鋼やゴム、紙、染料、初期的なステンレス鋼などの合金)を利用した各種生産物は、欧州では生産不能な物品として珍重され、同様のものが開発されるまで高値で取引されていくこととなる。 (こちらも夢幻会の介入によって、先進的な材料生産体制が作られていた事が大きい) 18世紀に入ると欧州でも産業革命が浸透していき、日欧貿易もより活発になっていった。 世界的な産業の発展は、その生産力を捌ける市場と原料を求める植民地競争へと繋がり、日欧間で培われた経済概念が全世界的に広まるきっかけとなった。 この過程においても日本製品は重用され、武器や火薬の他にも、工具や工作機械、精密機械、保存食等の輸出が活発になっていった。 また、南方大陸への入植に伴って酪農生産が急速に増加し、特に日本製牛肉加工品は味と保存性の両立によって常に高い需要があった。 東南アジアの日本人入植者による商品作物の生産も十分に拡大しており、砂糖やコーヒー等の輸出量も増加した。 (夢幻会の手によって、技術的問題から低効率ながら既にハーバー・ボッシュ法による窒素固定とアンモニア生産法を確立しており、これが火薬の生産・輸出量増大の要因となった。無論のこと秘匿技術である) この頃欧州では啓蒙思想の高まりによって啓蒙書が多数出回るようになっており、当然ながら日本もこれら書物を大量に輸入していた。 こうして輸入した知識は、日本で独自に進展していた先行理論や和哲学と合わせて議論されて、西洋思想と東洋思想のすり合わせが加速的に進展していった。 18世紀後半になると欧州では帝国主義が隆盛を極め、当然のように武器の需要も増加の一途を辿った。 18世紀末から19世紀始めに掛けて兵器技術は急速に進歩していき、日本では新式の雷管銃や鋼鉄砲、ライフル銃の大量生産が始まり、高性能な蒸気船や蒸気機関車も次々と生産が始まり、世界各国へと輸出されていった。 また、新型火薬や高性能材料、化学薬品でも日本は世界に先駆けていち早く大量生産技術を確立しており、これらの輸出でも大きな利益を上げていた。 205:奥羽人:2024/02/22(木) 23 07 22 HOST M014009102000.v4.enabler.ne.jp インド洋では日英の勢力圏が接触した事が切掛けによる衝突が幾度かあり、その後に両国間の交易が大きく進展した。 この二国は世界中に伸びた航路を防衛する為に大海軍を整備し、共に七つの海を分割する二大国となった。 また、19世紀半ばにはアメリカ合衆国が北米西海岸に到達し、西海岸の都市ロサンゼルスやサンフランシスコにおいて日米の貿易が始まり、またゴールドラッシュによって日本から輸出される採掘機械類や道具、資材の需要が高まったことで、両都市は貿易拠点として急速に成長していくこととなる。 スエズ運河の開通と共に、日欧貿易路も大幅に短縮された。それに伴って、日本は新たな欧州の玄関口としてイタリアに目を付け、現地への資本投下を始めていった。 20世紀に入ってからは電子機器や自動車の輸出入も始まり、特に第二次世界大戦後、アメリカへの過度な依存を嫌った欧州の国々によって日欧貿易は維持されていくこととなる。 21世紀現在においても日本とEU間の貿易は、世界経済で重要な位置を占めている事は間違いないだろう。 206:奥羽人:2024/02/22(木) 23 08 26 HOST M014009102000.v4.enabler.ne.jp 以上となります。転載大丈夫です。 教科書風に何かやりたいなと思いましたので書きました
https://w.atwiki.jp/sakura398/pages/218.html
本書を書いた時には、社会主義という言葉は、はっきりと、生産手段の国有化と、それによって可能になり、必要ともなる中央集権的経済計画化を意味していた。・・・今日において社会主義とは、もっぱら課税という手段を通じて広範囲な所得の再配分を行なうことを意味しており、また福祉国家という制度のことを意味するようになってきている。・・・この福祉国家という形態においては、本書で警告したような事態は、もっとゆっくりとした、間接的な、不完全な形でしか現れないだろう。けれども・・・究極的な結果はここで警告したようなものになっていくだろうと、私は確信するものである。 ~ F.A.ハイエク『隷従への道』(1944年)の1976年版への前書き 左派(the Left)・左翼(left wing)のまとめページ <目次> ■1.このページの目的 ■2.左派・左翼・アカとは何か◆辞書による説明1:「左派」 ◆辞書による説明2:「左翼」 ◆辞書による説明3:「アカ」 ◆要約:左派には3種類ある ■3.極左(ultra-left)とは何か◆辞書による説明1:「共産主義」 ◆辞書による説明2:「マルクス主義」 ◆辞書による説明3:「弁証法的唯物論」 ◆辞書による説明4:「ヘーゲル主義・ヘーゲル哲学」 ■4.左翼(left-wing)とは何か◆辞書による説明1:「社会主義」 ◆辞書による説明2:「社会民主主義、社会民主制」 ◆辞書による説明3:「集産主義」 ■5.リベラル左派(liberal)とは何か◆辞書による説明1:「福祉国家」 ◆辞書による説明2:「リベラル」 ◆辞書による説明3:「J.ロールズ」 ◆辞書による説明4:「社会契約」 ◆辞書による説明5:「自然法」 ◆辞書による説明6:「人権」 ■6.左翼を生み出した思想◆辞書による説明1:「啓蒙思想」 ◆辞書による説明2:「理性主義(合理主義)」 ◆辞書による説明3:「決定論」 ◆辞書による説明4:「一元論」 ■7.まとめ(左派・左翼思想の系譜) ■8.参考:「自由」と「隷従」を分かつ西洋思想の2つの流れ ■9.参考図書 ■10.ご意見、情報提供 ■1.このページの目的 左派・左翼について、概念的な整理を行います。 ■2.左派・左翼・アカとは何か ◆辞書による説明1:「左派」 (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(leftの項)より全文翻訳 政治に関して、一般的に、①平等主義(egalitarianism)と、②政治的・経済的生活の主要な諸機構の人民または国家による管理(popular or state control of the major institutions of political and economic life)、とに結びついた政治的帯域(political spectrum)の一角。 この言葉は、フランス革命時の議会で、社会主義者の代表達が、議長席の左側に陣取った1790年代に由来する。 左派は、 ①富裕者や貴族階級のメンバーを含む伝統的なエリート達(traditional elites)の利益に対して敵意を持ち、 かつ、 ②労働者階級(working class)の利益に対して好意を持つ傾向がある。(プロレタリアートの項を見よ) 1 彼らは、社会福祉(social welfare)を政治の最重要目標とみる傾向がある。 2 社会主義(socialism)は、世界の殆どの国々で、左派の標準的なイデオロギーである。 3 共産主義(communism)は、いっそう急進的な左派のイデオロギーである。 (2) オックスフォード英語事典(leftの項)より抜粋翻訳 急進的(radical)、革新的(reforming)、または社会主義的(social)な見解を好む集団または政党。 (3) コウビルド英語事典(leftの項)より全文翻訳 社会主義の政治的理念を支持する人々を左派(the left)という。 彼らは、しばしば右派(the right)つまり資本主義と保守主義の政治的理念を支持する人々と対比される。 ◆辞書による説明2:「左翼」 (1) オックスフォード英語事典(left-wingの項)より抜粋翻訳 1 政党または政治体制のうち、急進的(radical)、革新的(reforming)、または社会主義的(social)な部分。 2 サッカー・ラグビー・ホッケーの競技場でチームの左側をいう。 (2) コウビルド英語事典(left-wingの項)より全文翻訳 1 左翼の人々は、社会主義的(socialism)に基礎を置く政治的理念を保持している。 2 人々の集団、特に政党としての左翼(the left wing)は、その他のメンバーに比較して社会主義により近い信条を持つメンバーによって構成されている。 ◆辞書による説明3:「アカ」 (1) オックスフォード英語事典(redの項)より抜粋翻訳 (インフォーマル)(主として軽蔑的に)①共産主義者、または②社会主義者(特に冷戦期にソ連邦に関して用いられた)。 「白(white ※注:反革命・王党派を表す色)」と対語である。 (2) コウビルド英語事典(redの項)より抜粋翻訳 貴方が、誰かが「アカ(a red or a Red)」であると言う時、貴方は、彼らが①共産主義者、または②社会主義者、または③左翼理念の持ち主、である事実を嫌悪(不承知 disapprove)しているのである。 ◆要約:左派には3種類ある ※要約すると、左派には次の3種類がある。(ブリタニカ百科事典(leftの項)のピンク色部分、コウビルド英語事典(redの項)参照) 内容 キーワード 極左 共産主義(communism)即ち、いっそう急進的な左派のイデオロギーを支持する立場 ①共産主義、②マルクス主義、③弁証法的唯物論、④ヘーゲル主義 左翼 社会主義(socialism)即ち、左派の標準的なイデオロギーを支持する立場 ①社会主義、②社会民主主義(社会民主制)、③集産主義 リベラル左派 社会福祉(social welfare)を政治の最重要目標とする立場。左翼理念の持ち主 ①福祉国家、②リベラリズム、③J.ロールズ、④社会契約、⑤自然法、⑥人権 ※政治的スタンス5分類・8分類について詳しくは 政治の基礎知識 参照。 ■3.極左(ultra-left)とは何か ◆辞書による説明1:「共産主義」 (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(communismの項)より全文翻訳 全ての資産の所有権は共同体にあり、その利益は各人の必要に応じて全員に分配される、と提唱する政治理論。 この理論は、主としてカール・マルクスとフリードリッヒ・エンゲルスの業績である。 彼らの『共産党宣言』(1848年)は、“プロレタリアート(無産階級、労働者階級)独裁”即ちマルクスの言う処の「社会主義」という過渡期について特記している。「共産主義」は最終段階であって、そこでは階級の区別だけでなく組織立った国家-マルクスによれば不可避的に抑圧の道具であるもの-すら克服されるという。 この(社会主義と共産主義の)区別は、間もなく見失われ、“共産主義者(という言葉)”は最終的なゴールよりも政党名に適用されるようになった。 ウラジミル・イリイチ・レーニンは、プロレタリアートは、共産主義(への道)を案内するプロの革命家を必要とするのだ、と主張した。(レーニン主義を見よ) ヨシフ・スターリン版の共産主義(スターリン主義を見よ)は、多くの点で全体主義と同義語となっている。 毛沢東は支那の共産主義革命で、都市のプロレタリアートよりも、貧農達を動員した。(毛沢東主義を見よ) 西欧共産主義(eurocommunism)はソ連邦の崩壊(1991年)によって支持者の殆どを喪失した。 「共産主義政党」「弁証法的唯物論」「第一インターナショナル」「第二インターナショナル」を見よ。 (2) オックスフォード英語事典(communismの項)より抜粋翻訳 全ての資産は共同体によって所有され、各人は各々の必要に応じて奉仕し、また受益する、とする社会機構に関する理念または制度。 最も身近な共産主義の形態は、1917年のロシア革命の後で樹立されたボルシェヴィキ(ソ連共産党の前身)である。そして、それは旧ソ連と東欧の同盟国、また1949年以降の支那、そしてキューバ、ベトナム、北朝鮮といった幾つかの発展途上国で実施された制度を表す言葉として理解されている。 共産主義の形態では、資本主義制度が打倒された後は、国家は衰退し消滅していくものとされている。 しかし実際には国家は共産主義社会のあらゆる局面を管理するものとして肥大化した。 東欧の共産主義は、①人々の経済的期待に沿うことに失敗したこと、②政治的生活の上で、もっと民主的な制度への移行、③ソ連邦を解体に導いた増大していくナショナリズム、を背景として1980年代末から1990年代初めにかけて崩壊した。 (3) コウビルド英語事典(communismの項)より全文翻訳 共産主義とは全ての人々は平等であり、労働者は生産手段を管理すべきだ、とする政治的信条である。(≠資本主義 capitalism) ◆辞書による説明2:「マルクス主義」 (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(marxismの項)より全文翻訳 カール・マルクスとフリードリッヒ・エンゲルスによって開発されたイデオロギーであり、社会経済的理論(socioeconomic theory)である。 共産主義の基本的イデオロギーであるそれ(マルクス主義)は、全ての人々は彼らの労働の果実を享受する資格を持つが、資本主義的経済体制つまり社会を二つの階級-①無産労働者(nonowning workers)と②不労所有者(nonworking owner)-に分化させる体制によって、そうすることが妨げられている、と捉えている。 マルクスはその帰結的状況を「疎外(alienation)」と呼んだ。そして彼らは労働者が自身の労務の果実を再取得する時、疎外は克服され、階層分化も消滅する、と言った。 歴史に関するマルクス主義理論は、階級闘争を歴史の駆動力と措定する。それは資本主義を、最も近時の最も決定的な歴史的段階-最も決定的とは、即ち、この段階においてプロレタリアートは遂に団結して立ち上がるだろうから-と考えている。 1848年の欧州の諸革命(※注:フランス2月革命に刺激を受けてドイツ連邦諸国やイタリア地域・オーストリア帝国の諸民族居住地などで多発した自由主義・国民主義運動「諸国民の春」のこと)の失敗と、実践的であるよりは分析的な方向性を持つマルクス主義理論を精巧化させる必要性の増大は、レーニン主義や毛沢東主義などの(より実践的な理論の)採用を導いた。20世紀末期のソ連邦の崩壊と、支那による自由市場経済の多くの要素の採用は、マルクス主義が妥当性を持つ経済的・政治的理論としては終了したことを刻印したように思われる。しかしながらマルクス主義は、①市場資本主義への批判、②歴史的変化の理論、としての関心を持たれ続けている。 「共産党宣言」「弁証法的唯物論」「社会主義」「スターリン主義」「トロツキー主義」を見よ。 (2) オックスフォード英語事典(marxismの項)より抜粋翻訳 カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによる政治的・経済的理論であり、後に彼らの追随者によって共産主義の基礎を形成するために発展させられたもの。 マルクス主義の核心は、経済的諸要因によって社会変化を説明する点にある。 マルクス主義によれば、生産手段は、政治的・思想的な上部構造に影響を及ぼしそれらを決定する経済的基盤を提供する。 マルクスとエンゲルスは、プロレタリアートによって資本家が革命的打倒を受けること、そして究極的には無階級の共産社会が達成される、と予言した。 (3) コウビルド英語事典(marxismの項)より全文翻訳 マルクス主義とは、カール・マルクスの著作に基礎を置く政治的意思であり、相違する社会階級間の闘争の重要性を指摘するものである。 ◆辞書による説明3:「弁証法的唯物論」 (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(dialectical materialismの項)より全文翻訳 カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの著作を通じて、そして後にはゲオルグ・プレハノフ、ウラジミル・イリイチ・レーニン、ヨシフ・スターリンによって表明された哲学的アプローチであり、共産主義の公式的な哲学である。 ヘーゲル哲学から借用されたその核心的教義は、あらゆる歴史上の生成・変化・発展は相容れない2つの対照物の闘争の帰結である、とする点である(哲学用語で言うと、テーゼはアンチ・テーゼと対立し、その結果、ジン・テーゼ(総合)に帰結する、ということ)。 特に階級間闘争-片方に資本家と土地所有階級あり、他方に無産労働者階級と貧農がある、その両者の闘争-が歴史の大動力を生み出す。 史的弁証法の法則は非常に強力であり、個々の指導者達はせいぜい歴史の結果(little historical consequence)に過ぎない。 (弁証法的唯物論は)起源としては主として社会的・経済的・政治的領域で作用するものとして構想されたのだが、20世紀にはその原理は科学の領域にまで拡張され、ソ連邦の科学に主要な影響を及ぼした。 マルクスとエンゲルスは彼らの哲学的見解を、主として論証法(polemics)と簡易な歴史研究の一連の流れとして表明したのであり、そこには弁証法的唯物論の組織だった主題提示(exposition 詳細な解説)は示されていない。 (2) オックスフォード英語事典(dialectical materialismの項)より抜粋翻訳 マルクス主義理論(ソヴィエトの共産主義者の公認思想として採用された)であり、政治的・歴史的事件は社会的諸力の闘争の帰結であって、かつ、論理的な諸矛盾とそれらの解決の連続物と解釈される、とするもの。 闘争は物質的必要によってもたらされる、とみなされる。 ◆辞書による説明4:「ヘーゲル主義・ヘーゲル哲学」 (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(hegelianismの項)より全文翻訳 G.W.F.ヘーゲルの思想体系から発展した多様な思想運動。4段階に識別できる。 1 最初の段階は、1827-50年の期間のドイツにおけるヘーゲル学派によって構成されている。学派は3つの流れに分岐している。 1. 右派または「旧ヘーゲル学派」は、①福音主義的正統信仰(evangelical orthodoxy)と②保守的政治方針(conservative political policy)とに対するヘーゲル哲学の適合性を持ち上げることに注力した。 2. 左派または「青年ヘーゲル学派」はヘーゲルの理性と現実との一体化(への志向)を革命的文脈で解釈した。 3. 中央派は、ヘーゲルの体系をその起源と趣旨に立ち返って解釈することを好んだ。 2 第二段階(1850-1904)は、通常、新ヘーゲル学派と呼ばれており、中央派の業績が優勢な役割を演じた。 3 ヴィルヘルム・ディルタイがヘーゲルの青年期の未公開の作品を20世紀初めに発見した後、ドイツでは更に別の潮流が起こった。この第三段階、即ちヘーゲル・ルネッサンスはヘーゲル哲学の起源に関する再構成に重点が置かれた。 4 第二次世界大戦後の第四段階において、欧州でのマルクス主義研究の再興は、マルクス主義に対するヘーゲルの遺産(the Hegelian heritage for Marxism)の真価を最終的に前面に押し出した。 (2) オックスフォード英語事典(Hegelの項)より抜粋翻訳 ゲオルグ・ヴィルヘルム・フリードリッヒ(1770-1831)。ドイツ人哲学者。 『論理学』(1812-16年)でヘーゲルは弁証法的理由付けの3段階のプロセスを描き出した。それはマルクスが彼の弁証法的唯物論の基礎としたものである。 ヘーゲルは、①歴史・②理念の進化・③人間の意識、は全て何らかの絶対者(the Absolute)または唯一神(God)が自身を認識していく観念的・弁証法的プロセスを通じて展開される、と信じた。 ■4.左翼(left-wing)とは何か ◆辞書による説明1:「社会主義」 (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(socialismの項)より全文翻訳 ①私的所有(private property)と②所得分配(distribution of income)は、社会的管理に従属する(subject to social control)とする社会的有機体の体制(system of social organization)のこと。 「社会的管理(social control)」という言葉は広く多義的に解釈することが可能であるため、社会主義は、 1 国家主義者(statist)から自由至上主義者(libertarian)まで、また、 2 マルクス主義者(Marxist)からリベラル左派(liberal)までの範囲に及ぶ。 この言葉は最初、メンバー全員の精神的・肉体的な安寧幸福のために非競争的な労働に従事する人々の強制的ではない共同体を強調したシャルル・フーリエ、アンリ・ド・サン=シモン、ロバート・オーウェンらの信条を描写するために用いられた。(「空想的社会主義 utopian socialism」を見よ) カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスは、社会主義を資本主義から共産主義への過渡期の段階と認識し、彼らが(フーリエ、サン=シモン、オーウェンらの)社会主義の諸運動の中で有益であることを発見した内容を、彼らの“科学的社会主義(scientific socialism)”を開発するのに流用した。 20世紀においてソ連邦は厳格な中央集権的社会主義の第一の模範であったが、その一方で、スェーデンとデンマークは非共産主義の社会主義で著名だった。 「集産主義」「共同体主義」「社会民主主義(社会民主制)」を見よ。 (2) オックスフォード英語事典(socialismの項)より抜粋翻訳 1 社会的有機体に関する政治的・経済的理論(a political and economical theory of social organization)であり、①生産・②分配・③交換の手段は、その全体を共同体によって所有されるか規制されるべきだ、と提唱するもの。 2 その理論に基づく政策またはその実行のこと。 3 (マルクス主義理論では)資本主義の打倒と、共産主義の実現の間の過渡的な社会状態。 「社会主義」という言葉は、無政府主義(anarchism)・ソ連邦の共産主義・社会民主主義(social democracy 社会民主制)という大きく隔たった複数の立場を記述するのに使用されてきた。しかしそれは、経済市場での無制限の労働に対する反対(という立場)を必然的に含意している。 19世紀末以来、殆どの欧州諸国で興起している社会主義の諸政党は一般に、社会民主制(social democracy)に傾斜している。 (3) コウビルド英語事典(socialismの項)より全文翻訳 社会主義とは、全ての人々が国家の富から利益を享受する平等な機会を持つ体制を創出すること、を一般的な目的とする左翼的な政治原則の一つの組み合わせである(a set of left-wing political principles) 社会主義の下では、国家の主要な産業は通常、国家によって所有される。 ◆辞書による説明2:「社会民主主義、社会民主制」 (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(social democracyの項)より全文翻訳 確立されている政治的プロセスを用いて、資本主義から社会主義への社会の平和的な進化的移行(a peaceful, evolutionary transition of society from Capitalism to Socialism)を唱導する政治的イデオロギー(political ideology) それはマルクス主義の唱導する社会革命(social revolution)を拒絶する。 社会民主主義は、1870年代のドイツの政治運動として始まった。 エドゥアルド・ベルンシュタインは1899年に、資本主義はカール・マルクスが、その中に見出した弱点(失業や過剰生産を含む)の多くを克服しつつあり、普通選挙は平和裏に社会主義的な政府を導くだろう、と論じた。 1945年以降、社会-民主的な諸政府(social-democratic governments)が、西ドイツ(「社会民主党」を見よ)・スェーデン・英国(労働党の下に)で政権を握った。 社会-民主的思考(social-democratic thought)は、次第に、(国家所有でなくとも)国家による規制が、①経済成長と②所得の公平な分配を確実に行う上で十分である、と見なすようになった。 (2) オックスフォード英語事典(social democracyの項)より抜粋翻訳 民主的手段によって達成される政治の社会主義体制(a socialist system of government) (3) コウビルド英語事典(social democracyの項)より全文翻訳 1 社会民主制(social democracy)とは、①社会的公正(social justice)と②平等(equality)は市場経済の枠内で達成可能である、とする政治体制(a political system)である。 2 社会民主国(a social democracy)とは、社会民主制が存在する国家のことである。 ◆辞書による説明3:「集産主義」 (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(collectivismの項)より全文翻訳 個々人が所属するグループ(例えば、国家・国民・民族集団・社会階級)に、中心的な重要性を帰属させるあらゆるタイプの社会的組織(social organization)。 集産主義は、おそらく個人主義(individualism)と対照的である。 ジャン-ジャック・ルソーは、近代において最初に集産主義を論述した思想家である(1762年(『社会契約論』))。 カール・マルクスは、19世紀における最も強力な集産主義の唱道者であった。 共産主義、ファシズム、社会主義は、おそらく全て集産主義的システムと呼ぶのが相応しい。 共同体主義(communitarianism)、キブツ、モシャヴを参照の事 (2) オックスフォード英語事典(collectivismの項)より抜粋翻訳 1 各々の個人が所属する集団に、個人を超える優先権を付与する行為形態または原理。 2 国家(state)または人民(people)による土地(land)及び生産手段(means of production)の所有を意味する政治的原理またはシステム。 (3) コウビルド英語事典(collectivismの項)より全文翻訳 集散主義とは、国家の産業とサービスは国家(state)または国家の全ての人民(all people in a country)によって所有され、管理されるべきだ、とする政治的信条である。社会主義・共産主義はともに集産主義の一形態である。 ■5.リベラル左派(liberal)とは何か ◆辞書による説明1:「福祉国家」 (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(welfare stateの項)より全文翻訳 国家が、市民達の経済的・社会的な安寧幸福(the economic and social well-being of the citizens)の保護と促進に関して、鍵となる役割を演じる、とする政治的概念(concept of government) (福祉国家が)基礎を置く原則は、①機会の平等、②富の公平な分配、③良好な生活の最小限の用意が欠落している人々に対する公的責任、である。 この言葉は、多様な経済的・社会的有機体の形態に対して用いることが出来る。 福祉国家の基本的な提供物の一つは社会保険である。それは恩恵が大いに必要とされる時節に供給されることを目的としている(例:老齢・疾病・失業) 福祉国家は、また通常、①教育、②健康サービス、③住宅、の公的な供給を包含する。 多くの欧州諸国では、包括的な健康保険と国家助成金支給による大学水準の教育が一般的となっているのに比べると、アメリカ合衆国の公的供給は展開されている範囲がより小さい。 中央計画的な経済を持つ国々では、福祉国家はまた①雇用と②消費者価格の管理をも包含する。 殆どの国々は、少なくとも福祉国家に関連した何らかの方策を制度化している。英国では1948年に包括的な社会保険が採用された。アメリカ合衆国ではニューディールやフェアデールといった社会的-立法プログラム(social-legislation programs)は福祉国家の原理に基礎を置いている。 スカンジナヴィア諸国は、個人に対して生活のあらゆる側面に関する国家的扶助を供給している。 (2) オックスフォード英語事典(welfare stateの項)より抜粋翻訳 1 国家が、市民、特に金融的・社会的必要に迫られている人々に、交付金・年金その他の恩典によって健康と安寧幸福の保護を引き受ける制度。英国における近代福祉国家の設立は、1942年のベヴァリッジ報告によってその路線が敷かれた。国営の健康サービス・国営の保険スキーム(仕組み)の設立といった、その報告の提案は、1948年に労働党政権によって実施された。 2 そうした制度を実行している国家のこと。 (3) コウビルド英語事典(welfare stateの項)より全文翻訳 英国や他の幾つかの国において、福祉国家とは、政府が健康や教育などの無料サービスを供給し、例えば老齢や失業や疾病によって労働することが出来ない人々に金銭を付与する制度をいう。 ◆辞書による説明2:「リベラル」 (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(liberalismの項)より全文翻訳 政治的および経済的ドクトリン(理論・信条)であり、①個人の権利・自由、②政府権力の制限の必要性、を強調するもの。 1 リベラリズムは、16世紀欧州の戦争(30年戦争)の恐怖に対する防御的リアクションとして発生した。その基本理念は、トーマス・ホッブズとジョン・ロックの著作の中で公式な表現を付与された。この両者は、至上権は究極的には被統治者の同意によって正当化され、神権ではなく仮想的な社会契約によって付与されると唱えた。経済分野では、19世紀のリベラル(自由主義者)達は、社会での経済生活に対する政府介入の撤廃を強く要求した。アダム・スミスに従って彼らは自由市場に基礎を置く経済システムは、部分的に政府にコントロールされた経済システムよりも、より効率的であり、より大きな繁栄をもたらすと論じた。 2 欧州と北米の産業革命によって発生した富の巨大な不平等その他の社会的問題への反動として、19世紀末から20世紀初めにかけてのリベラル(自由主義者)達は、市場への限定的な政府介入と、無料の公共教育や健康保険などの政府拠出による社会的サービスの創出を唱えた。アメリカ合衆国では、F.D.ルーズベルト大統領により企画されたニュー・ディール(新規まき直し)計画により、近代ないし進歩的リベラリズム(modern liberalism)は、①政府の活動領域の広範な拡張、そして、②ビジネス活動の規制の増大、として特徴づけられた。第二次世界大戦後、社会福祉の一層の拡張が、イギリス・スカンジナビア諸国・アメリカ合衆国で起こった。 3 1970年代の経済的不振(スタグネーション:不況とインフレの同時進行)は殊にイギリスとアメリカ合衆国において、自由市場を選好する古典的な自由主義の立場(classical liberal position)の再興を導いた。 4 現代リベラリズム(contemporary liberalism)は、①不平等の緩和、②個人の権利の拡張、を含む社会改革に依然関心を寄せ続けている。 (2) オックスフォード英語事典(liberalの項)より抜粋翻訳(※liberalismは派生語扱い) (政治的文脈で)個人的自由、自由交易、漸進的な政治的・社会的改革を選好する(形容詞)。 語源(ラテン語) liber(=free (man):自由(人))。原初的語感は「自由人として適格な(suitable for a free man)」 ⇒つまり「自由人=奴隷でないこと」 (3) コウビルド英語事典(liberalismの項)より全文翻訳 1 ・リベラリズム(liberalism)とは、革命ではなく、法改正によって社会的進歩を漸進的に行う、とする信条である。 2 ・リベラリズム(liberalism)とは、人々は多くの政治的そして個人的な自由を持つべきである、とする信条である。 以上の辞典による説明は、かなり内容が不明瞭であるが、まとめると「リベラリズム」という言葉は、次の4つの段階あるいは種類・区分をもってその意味内容を拡張ないし変化させてきた、ということになる。 リベラリズムの段階・種類・区分 時期 意味内容 1 古典的リベラリズム(classical liberalism) 16世紀~19世紀 ①個人の権利・自由の確保、②政府権力の制限、③自由市場を選好…消極国家(夜警国家) 2 ニュー・リベラリズム(new liberalism) 19世紀末~20世紀 経済的不平等・社会問題を緩和するため市場への政府介入を容認→次第に積極的介入へ(積極国家・福祉国家・管理された資本主義)社会主義に接近しているので社会自由主義(social liberalism)と呼ばれ、自由社会主義(liberal socialism)とも呼ばれた。 3 再興リベラリズム(neo-liberalism) 1970年代~ スタグフレーション解決のため自由市場を再度選好。 2 を個人主義から集産主義への妥協と批判し、個人の自由を取り戻すことを重視 4 現代リベラリズム(contemorary liberalism) 現代 ①不平等の緩和、②個人の権利の拡張、を含む社会改革を志向1970年代以降にJ.ロールズ『正義論』を中心にアメリカで始まったリベラリズムの基礎的原理の定式化を目指す思想潮流で、①ロールズ的な平等主義的・契約論的正義論を「(狭義の)リベラリズム」と呼び、②それに対抗したR.ノージックなど個人の自由の至上性を説く流れを「リバタリアニズム(自由至上主義)」(但し契約論的な構成をとる所はロールズと共通)、③また個人ではなく共同体の価値の重要性を説くM.サンデルらの流れを「コミュニタリアニズム(共同体主義)」という。 補足説明 2 ニュー・リベラリズム(new liberalism)と 4 再興リベラリズム(neo-liberalism)は共に「新自由主義」と訳されるので注意。もともと 1 古典的リベラリズムに対して修正を加えた新しいリベラリズム、という意味で、 2 ニュー・リベラリズム(訳すと「新自由主義」)が生まれたのだが、世界恐慌から第二次世界大戦の前後の時期に、経済政策においてケインズ主義が西側各国に大々的に採用された結果、 1 に代わって 2 がリベラリズムの代表的内容と見なされるようになり、 2 からnewの頭文字が落ちて、単に「リベラリズム」というと 2 ニュー・リベラリズムを指すようになった。ところが、1970年代に入るとインフレが昂進してケインズ主義に基づく経済政策が不況脱出の方途として効かなくなってしまい、市場の自律調整機能を重視する 1 の理念の復興を唱える 3 ネオ(=再興)・リベラリズムに基づく政策が1980年前後からイギリス・アメリカで採用されるようになった。そのため今度は、 3 を「新自由主義」と訳すようになった。 上記のうち「リベラル右派」に該当するのは、 1 古典的リベラリズム、及び 3 再興リベラリズムである(薄青色部分)。 また「リベラル左派」に該当するのは、 2 ニュー・リベラリズム、及び 4 現代リベラリズムのうちロールズ的な平等主義的・契約論的正義論である(ピンク色部分)。 ◆辞書による説明3:「J.ロールズ」 (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(Rawls, Johnの項)より全文翻訳 (1921年2月21日メリーランド州ボルチモアで誕生-2002年11月24日マサチューセッツ州レキシントンで死去)アメリカの政治哲学者。 彼はコーネル大学(1962-79年)、そして後にはハーヴァード大学で教授した。彼は主に政治哲学と倫理学の著述を行った。 彼の『正義論(A Theory of Justice)』(1971年)は20世紀の政治哲学の代表作として広く認知されている。この著作や他の著作でロールズは民主的社会に適合した正義の概念(a conception of justice)の開発を追求した。 彼は、全体の幸福の最大化を強いる功利主義は、リベラルで民主的な諸価値の中核である自由(freedom)と平等(equality)を保護するには不適切であると信じていた。 ジャン-ジャック・ルソーとイマヌエル・カントに習って、ロールズは社会契約(social contract)という理念を強く主張した。彼は平等な権利という立場で行動する自由な人々の間の仮想的合意の結果としての正義(justice as a hypothetical agreement among free persons)を記述した。 公平で偏見のない合意を確実にするために、ロールズは(社会契約の締結を目指す)一行(parties)に“無知のヴェール(覆い)(veil of ignorance)”、つまり、一行は自分達や他人達についてのどんな特定の事実(例:彼らの才能・社会的階級・富・宗教・その他の諸価値)も、更には歴史や彼らの社会に関する事実さえも知らない、という状態を平等に課すという想定をした。 この“原初状態(original position)”からロールズは、自由な人々は、リベラルで平等主義の正義の観念(a liberal egalitarian conception of justice)、即ち“公正としての正義(justice as fairness)”に合意するだろうと強く主張した。 この観念は2つの原理から構成されている。 1 思想や結社の自由などの特定の基礎的な自由は、非常に重要であり、貧民の経済的充足や福祉改善といった他の社会的諸価値よりも優先される。 2 当局の任務や地位は機会の平等という条件の下に、全ての人々に開かれている。 (2) オックスフォード英語事典(Rawlsの項)より抜粋翻訳 ジョン(1921-2002)。アメリカ人哲学者。 彼の著書『正義論』(1971年)と『政治的リベラリズム』(1993年)は、偏見のないことを確実とする条件の下で合理的な人々が選択する公正な社会の基礎的な仕組みを考察した。 ◆辞書による説明4:「社会契約」 (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(social contractの項)より全文翻訳 治者(the ruler)と被治者(the ruled)の間の現実的あるいは仮想的な契約。 この観念の起源となる着想は、神とアブラハムとの間の聖書にある誓約から派生したものと思われる。しかし、それはトーマス・ホッブズ、ジョン・ロック、ジャン-ジャック・ルソーの著作と最も緊密に結びついている。 1 ホッブズは、主権の絶対的権力は仮想的な社会契約によって正当化される、と論じた。そこでは人々は、契約が為される以前に存在すると措定されている“自然状態(state of nature)”の中では欠落している平和と安全の保証と引き換えに、主権者に全面的に服従することに合意する。 2 ロックは、治者(the ruler)はまた私有財産と思想・言論・信仰の自由を保護する義務を負っていると信じていた。 3 ルソーは、自然状態では人々は好戦的ではないが理性と道徳が未発達であり、個人的自由を放棄することによって彼らは被統治者(the governed)の“一般意思(general will)”に基づく法制度の中で政治的自由と市民的権利を獲得する、と考えた。 社会契約の理念は、アメリカ革命やフランス革命の担い手達、そしてそれらに続いた成文憲法の作成者達に影響を与えた。 (2) オックスフォード英語事典(social contractの項)より抜粋翻訳 例えば、国家を守るために幾つかの個人的な自由を犠牲にすることによって、社会の諸便益のために協同する、ある社会の構成員の間の暗黙の契約のこと。 社会契約の理論は、トーマス・ホッブズやジョン・ロックやジャン-ジャック・ルソーといった理論家達の間で、①政府の起源と、②被服従者の義務を説明する方法として有名になった。 ◆辞書による説明5:「自然法」 (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(natural lawの項)より全文翻訳 法理学(jurisprudence)と政治哲学(political philosophy)に関して、社会ルールや実定法からではなく自然から派生した(とされる)全ての人類に共通する権利または正義の体系(a system of right or justice)である。 この概念はアリストテレスを先駆者とする。彼は“自然に適ったもの”が必ずしも“法に適ったもの”と同一ではないと考えた。 ストア派、キケロ、ローマ法学者、聖パウロ、聖アウグスティヌス、グラティウス、聖トマス・アキナス、ジョン・ドン・スコット、オッカムのウィリアム、フランシスコ・スアレスによって、様々な形で自然法の存在が主張された。 近代において、ヒューゴ・グロティウスは、例え神が存在しなくとも自然法は肯定される、と主張した。そしてトーマス・ホッブズは自然法を“理性によって発見された一般ルールの規範であり、それによって人間は自身の生活にとって破壊的な行為を禁止されている”と定義した。 ホッブズは、①仮想的な“自然状態”から理性的に演繹される法(=自然法)の複雑な体系と、②治者と被治者との間の合意による社会契約とを対比する試みを行った。 ジョン・ロックは、ホッブズから距離を置き、自然状態を自由で平等な人々が自然法を遵守する初期の社会として記述した。 ジャン-ジャック・ルソーは、①自己保存と②同情という“理性に先立つ”2つの原理によって行動付けられた孤立の中で美徳を保持する野生人(a savage)を措定した。 アメリカ独立宣言の著者達は、平等と他の“自明の”“奪うことの出来ない”諸権利を唱導する前段で、わずかに「自然の法」について短く言及しているに過ぎない。 フランス人権宣言(人間と市民の諸権利の宣言)は、自由・所有・安全そして圧制への抵抗を“時効のない自然の諸権利”であると主張した。 自然法の概念に対する関心は、19世紀に劇的に凋落した。それは部分的にはジェレミー・ベンサムや他の功利主義の提唱者達の懐疑的な攻撃の結果である。それ(自然法への関心)は20世紀の半ばに第二次世界大戦中のナチス体制によって犯された犯罪という脚光を浴びて復活した。 自然法(natural law)と自然権(natural rights)に対する懐疑は依然として強烈であるが、後代の著者達は自然権ではなく人権(human rights)を不可避的に語るようになった。 (2) オックスフォード英語事典(natural lawの項)より抜粋翻訳 1 全ての人間の行為の基礎と見なされている不変の道徳的原則から構成されるもの。 2 自然現象に関連して観測される法則。観測される法則を集合的に言う。 ◆辞書による説明6:「人権」 (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(human rightsの項)より全文翻訳 人間であること自体によって個人に帰属する権利。 この言葉は、それ以前に用いられた「自然権(natural rights)」即ち、中世の末以来ギリシャ・ローマの自然法概念に結びついた言葉に代わって、第二次世界大戦の後、広く使用されるようになった。 今日理解される所では、人権は、人間を取り巻く環境や歴史の多様性を反映して、広範な多様性を持つ諸価値や潜在的な諸能力を表現するものとされている。 それら(人権)は、①普遍的(universal)であり、あらゆる地域の全ての人間に適用されるもの、と考えられ、そしてまた、②基本的(fundamental)であり、本質的または基礎的な人間の要求を表すもの、と考えられている。 人権は歴史的には、人権の3つの“世代”として知られる時期に分類されてきた。 1 市民的・政治的諸権利という最初の世代は、啓蒙思想と英国・アメリカ・フランスそれぞれの革命とに結びついており、①生命(life)と自由(liberty 不羈=拘束されないこと)の諸権利、②言論(speech)と信仰(worship)の自由(freedom)の諸権利を内包している。 2 経済的・社会的・文化的諸権利という第二世代は、無規制の資本主義の餌食となることに対する19世紀半ばからの叛乱と結びついており、①労働(work)の権利、や②教育(education)の権利を内包している。 3 最後に、連帯(solidality)の権利という第三世代は、第二次世界大戦後(に登場した)発展途上の新興・脱植民地諸国の政治的・経済的渇望と結びついており、①政治的自己決定(political self-determination)と、②経済開発(economic development)に関する集団的諸権利(collective rights)を内包している。 1948年の「人間の諸権利の普遍的宣言 the Universal Declaration of Human Rights」(いわゆる世界人権宣言)の採択以降、人間の諸権利の保護のための多くの条約や協定が、国連の支援の下に締結されてきた。そして幾つかの地域的な人権法の諸制度(regional human rights law)が打ち立てられた。(※注: 1953年の欧州人権条約に基づく諸制度などを指す) 20世紀末に旧ユーゴスラビアやルワンダでの深刻な人権侵害やその他の犯罪を訴追するための特別国際犯罪法廷が召集された。 2002年に設置された(常設の)国際犯罪法廷は、人間性に対する犯罪、大量虐殺という犯罪、戦争犯罪の訴追について授権されている。 (2) オックスフォード英語事典(rights of manの項)より抜粋翻訳 全ての人間に正当に帰属していると考えられる諸権利。人間の諸権利。 この文句は1789年にフランス国民議会で採択され、1791年のフランス憲法前文で使用された「人間と市民の諸権利の宣言 the Declaration of the Rights of Man and of Citizen」(いわゆるフランス人権宣言)に結び付けられている。 (3) コウビルド英語事典(human rightsの項)より全文翻訳 人間の諸権利とは、全ての人々が保有すべきだと、多くの社会が信じている基礎的な諸権利である。 ■6.左翼を生み出した思想 ◆辞書による説明1:「啓蒙思想」 (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(enlightenmentの項)より全文翻訳 17-18世紀の欧州の知的運動であり、神・理性・自然・人間に関するその諸理念は、混ざり合って一つの世界観を構成し、芸術・哲学・政治の革命的な進展を鼓舞した。 啓蒙思想の核心は、理性の活用と称賛だった。 啓蒙思想家達にとって、受け継いだ権威は、それが科学であろうと信仰であろうと、束縛されることのない精神による精査に服するものだった。 科学と形而上学において、演繹と帰納という論理は、包括的な新しい宇宙観(a sweeping new cosmology)の創出を可能とした。 理性的な信仰の探求は、(啓蒙思想家を)理神論(Deism)に導いた。理性を信仰に適用したことによるさらに一層急進的な産物は懐疑論(Skeptism)・無神論(Atheism)・唯物論(materialism)である。 啓蒙思想は、ジョン・ロック、トーマス・ホッブズといった人々による近代の世俗的な心理学的・倫理学的理論を産み出し、それはまた急進的な政治理論の発生をもたらした。 ロック、ジェレミー・ベンサム、J-J・ルソー、モンテスキュー、ヴォルテール、トーマス・ジェファーソンといった人々は全て、権威主義的な国家への建設的な批判と、自然法に基礎を置く社会的有機体のメタ形式の概要を描き出すのに貢献した。 啓蒙思想の後世への継続的な遺産の一つは、人類の歴史は全体としては進化の記録である、という信念である。 (2) オックスフォード英語事典(enlightenmentの項)より抜粋翻訳 (啓蒙)17世紀末から18世紀にかけての欧州の知的運動であり、伝統ではなく理性と個人主義を強調した。 それは、デカルト、ロック、ニュートンといった17世紀の哲学者の影響を非常に強く受けており、その代表的人物は、カント、ゲーテ、ヴォルテール、ルソー、アダム・スミスなどである。 ◆辞書による説明2:「理性主義(合理主義)」 (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(rationalismの項)より全文翻訳 理性(reason)を、知識の主要な源泉であり判断材料(chief source and test of knowledge)である、とみなす哲学的見解。 理性主義は長期間に渡って、経験主義(empiricism)つまり、全ての事実問題に関する知識(knowledge of matters of fact)は究極的には感覚的経験(sense experience)から派生し、かつそれによって判断されなければならない、とする信条のライバルであり続けている。 この信条(経験主義)に対抗して、理性主義は、理性を、①確実性と②一般性の両方について、感覚的認知(sense perception)の到達できる範囲を超えて真理(truths)を捉えることが出来る能力であると考えている。 「自然の光明 natural light」の実在を強調することで、理性主義はまた、神秘的な経験であれ神の啓示であれ直観であれ、秘儀的な知識を唱導する諸体系のライバルであり、また、理性の代わりに生物学的・感情的または意思的・無意識的または実存的などの多様な非理性主義に反対し続けている。 (2) オックスフォード英語事典(rationalismの項)より抜粋翻訳 宗教的信仰や感情的反応よりも、理性と知識に、意見と行動の基礎を置いている実践のあり方またはその原理。 (哲学)経験よりも理性が知識の確実性の基礎である、とする理論。 (神学)理性を、信仰の究極的な権威として取り扱う実践のあり方。 (3) コウビルド英語事典(rationalismの項)より全文翻訳 理性主義とは、人々の生活は感情や宗教的信仰ではなく、理性と論理に基礎を置くべきだ、とする信条である。 ◆辞書による説明3:「決定論」 (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(determinismの項)より全文翻訳 哲学で、人間の意思決定を含む全ての出来事は、先行的に存在している諸原因によって完全に決定されている、とする信条。 伝統的な自由意志問題は、「道義的責任は決定論の真理と両立するのだろうか?」という問いから発生している。 それ(道義的責任)とは両立しない、と信じる人々の中で、(1)決定論の真理を信奉する幾人かは、自分の行為の道義的責任を負える人は誰もいない(そして、それゆえ犯罪行為の懲罰は正当化されない)、と結論づけている。しかし、(2)道義的責任の存在を信奉する幾人かは、決定論は偽である、と結論づけている。 道義的責任は、決定論と両立すると信じている人々は、両立論者(compatibilist)と呼ばれている(「両立論 compatibilism」を見よ)。 ピエール-シモン・ド・ラプラスは18世紀の古典的決定論の形成に責任がある。 ラプラスにとって世界の現在の状態は、以前の状態の影響であり、かつ、それに続く状態の原因である。 もし万一、精神が、どの瞬間にも①全ての法則と②自然界の全ての力と③全ての構成物の各々の位置を運動量を知ることが可能だとしたら、精神はそれゆえ、あらゆる存在物の確実な未来と過去とを知ることができるのだが(それは不可能である)。 (2) オックスフォード英語事典(determinismの項)より抜粋翻訳 (哲学)人間の行為を含む全ての出来事は、究極的には意志の外にあるとみなされる諸原因によって決定される、とする信条。 幾人かの哲学者は、決定論は、個々の人間は自由意志を持たず、彼らの行為は道義的責任を問い得ない、という含意を持つもの、と認識している。 (3) コウビルド英語事典(determinismの項)より全文翻訳 決定論とは全ての行為や出来事は、他の行為や出来事・状態などの結果であり、従って人々には何を行うかという選択が事実上不可能である、とする信条である。 ◆辞書による説明4:「一元論」 (1) ブリタニカ・コンサイス百科事典(monismの項)より全文翻訳 形而上学で、世界は本質的に一つの実体であるか、または唯一の種類の実体を内包している、とする信条 一元論は二元論(Dualism)・多元論(Pluralism)の両方に反対している。 一元論の例として、①唯物論(Materialism)、②汎神論(Pantheism)、③形而上学的観念論(metaphysical Idealism)がある。 なおベネディクト・ド・スピノザを見よ。 (2) オックスフォード英語事典(monismの項)より抜粋翻訳 1 (哲学)特定の領域に関する実体(existence)例として、事物と精神、あるいは神と世界の間の実体、の識別または多元性を否定する理論または信条である。 2 唯一の至高の存在が実在する、とする信条である。多元論(Prulalism)と対比せよ。 ■7.まとめ(左派・左翼思想の系譜) (1) 啓蒙思想(enlightenment) 17-18世紀欧州で発生し、左派・左翼思想を生み出した思想運動。その内容として以下の4つが重要である。 1 理性主義(rationalism) R.デカルト(1596-1650)、理性からの演繹により、唯一の合理的世界を設計できるとする思想(設計主義的合理主義)。 2 一元論(monism)・決定論(determinism) B.スピノザ(1632-77)、P-S.ラプラス(1749-1827)、ヘーゲル主義やマルクス主義の決定論に重大な影響を及ぼした。 3 近代自然法論(natural law) H.グロチウス(1583-1645)、中世的・神学的自然法から、理性からの演繹による近代自然法へと変化した。 4 社会契約論(social contract) T.ホッブズ(1588-1679)、J.ロック(1632-1704)、J-J.ルソー(1712-78)、社会契約により世界をリセットするとする思想。 (2) 集産主義(collectivism 集団主義) 近代ではJ-J.ルソー『社会契約論』で初めて主張され、ヘーゲルを経て極左(マルクス主義)・極右(ナチズム)両方に重大な影響を及ぼした。 1 共産主義 K.マルクス(1818-83)、集産主義の極地を為す思想。 2 マルクス主義 マルクス主義の「弁証法的唯物論」は、「ヘーゲル左派」から発展した典型的な決定論である。 3 社会主義 ①ソ連型(ストック(資産)を国有化するタイプ)と、②スェーデン型(課税によって所得の大半を国家が吸収し再配分するタイプ。フロー(入出金)の社会化。高負担高福祉)がある。 4 社会民主主義(社会民主制) 暴力革命ではなく平和的な社会主義への移行を唱える立場であるが、その本質は社会主義であることに変わりはない。 (3) リベラリズム 19世紀末に起こったニュー・リベラリズム(社会主義的リベラリズム)及び、1970年代以降の現代リベラリズム(平等論的リベラリズム) 1 福祉国家 欧州諸国で社会主義の代替手段として大規模に実施され、アメリカや日本でも採用されている所得再配分政策。 2 現代リベラリズム J.ロールズ(1921-2002)、福祉国家の理論的基礎を提供した政治哲学者と見なされている。なおロールズの本心は「事後の所得再配分」ではなく「事前の資源再配分」であり、この理解は厳密には間違いである。 3 人権 近代自然法論と社会契約論から生まれた「自然権 natural rights」を言い換えたもの。 ※啓蒙思想の主流は、デカルトやルソーなどのいわゆる大陸合理論(設計主義的合理主義・価値一元論)だが、それ以外に真正自由主義(保守主義)を産み出した思想の系譜(批判的合理主義・価値多元論)もある(下記参照)。 ■8.参考:「自由」と「隷従」を分かつ西洋思想の2つの流れ ※矢印(→・↓など)は影響関係 価値多元論(批判的合理主義) 価値一元論(設計主義的合理主義) 古代~中世 無知の自覚・ソクラテス 中世ゲルマン法の伝統・マグナ-カルタ キリスト教的自然法論 理想国家論・プラトン ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 16~17世紀 モラリストの懐疑論・パスカル コモン・ロー司法官/法律家・コーク 近代自然法論・グロチウス → 社会契約論1(君主主権)・ホッブズ ← 理性主義(一元論、決定論を含む)・デカルト・スピノザ ・モンテーニュ ・ブラックストーン ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ・マンデヴィル ・ペイリー → 社会契約論2(国民主権)・ロック ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ・ヘイル ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 18世紀 スコットランド啓蒙派・ヒューム・A.スミス ↓ ↓ 社会契約論3(人民主権)・ルソー フランス啓蒙派・ヴォルテール・百科全書派 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ フランス革命以降 近代保守主義・バーク ↓ フェデラリスト・ハミルトン ↓ 功利主義・ベンサム ドイツ観念論・カント 空想的社会主義 無政府主義 ↓ ・マジソン ↓ ・J.S.ミル ・フィヒテ ・サン-シモン ・バクーニン 19世紀 歴史法学派 ↓ ↓ ・スペンサー ・ヘーゲル ・フーリエ ・プルードン ・トックヴィル ・サヴィニー アメリカ的保守主義 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ・メイン ・マーシャル ↓ 人定法主義 フェビアン社会主義 新ヘーゲル主義(プラトン的理想主義) ヘーゲル右派(民族重視) ヘーゲル左派(唯物論重視) ↓ ↓ ・ケント ↓ ・オースチン ・S.ウエッブ ・グリーン ↓ ↓ ↓ ↓ ・ショウ マルクス主義・マルクス ・エンゲルス ・第一インター ・アクトン ↓ ・ケルゼン ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 20世紀 ↓ ・シュミット リベラル社会主義(ニュー・リベラリズム)・ホブハウス ↓ ナチズム・ヒトラー・ローゼンベルク マルクス-レーニン主義・レーニン 西欧マルクス主義・グラムシ 修正社会主義(社会民主主義)・ベルンシュタイン ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ・ケインズ ↓ ・第三インター ・ルカーチ ・第二インター 第二次大戦以降 現代保守主義・オークショット 再興自由主義・ハイエク・ポパー → リバタリアニズム(自由至上主義)・ノジック ・ベヴァリッジ → 平等論的リベラリズム・ロールズ・ドォーキン コミュニタリアニズム(共同体主義)・サンデル・ウオルツァー ・コミンフォルム ・フランクフルト学派 ・コミスコ 価値多元論(value-pluralism)⇒人々を「自由」に導く思想 価値一元論(value-monism)⇒人々を「隷従」に導く思想 個人主義(individualism) 集産主義(collectivism:集団主義) 歴史・伝統重視の思想 集産主義ではないが理性による究極的価値への到達を説く思想 ※個人主義(individualism)がなぜ歴史・伝統重視の思想につながるのかの説明は 「個人主義」と「集産主義」 参照 ※価値多元論(I.バーリンの用語)は、批判的合理主義(critical rationalism:K.R.ポパーの用語)に重なる。 ※価値一元論(I.バーリンの用語)は、設計主義的合理主義(constructivist rationalism:F.A.ハイエクの用語)に重なる。 ■9.参考図書 『開かれた社会とその敵』(全2巻)K.R.ポパー著(1945) 第一部:プラトンの呪文第二部:ヘーゲル、マルクスとその余波2冊本だが、論旨明快で読み易い。プラトンから始まり、ヘーゲルを経てマルクスに至る全体主義思想を厳しく論駁した必読の名著。 ■10.ご意見、情報提供 難しい -- 名無しさん (2011-01-06 13 10 44) ↑申し訳ない。これでもなるべく簡略化して必要最小限なポイントに絞って書いたつもりでしたが、確かに難解だとは思います。 -- ページ作成者 (2011-01-06 19 00 07) 名前 コメント ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
https://w.atwiki.jp/terachaosrowa/pages/3897.html
「わしは自作SSを通じて読者を啓蒙しようとか、政治的なメッセージを伝えようとか、 東京……成条例に物申そうとか、そういう意図は一切無いんじゃ……。 ただただ石……郎をオモチャにして遊びたかっただけなんじゃ……。 読者のみんな、どうかわしを信じておくれ……誤解しないでおくれ……」 「あなた、あなた」 「ん……?」 磯野波平はそこでようやく目を醒ました。 「大丈夫ですか? 随分うなされていたみたいですけど」 フネが心配そうに語りかける。 「ああ、いつの間にか寝てたのか。ところで母さん、ここは……」 波平が辺りを見回すと、そこは見知らぬ公園だった。波平が寝ていたのはベンチだった。 どうりで肩や腰が痛いわけだ。 「なんでわしらがこんな所に?」 「いやですよお父さん、例のアレにまた参加させられたんじゃありませんか」 そう言って、フネは自分の首輪をチョンチョンと指差した。 それを見た波平は自分にも首輪が嵌められているのに気付き、愕然とした。 「またカオスロワか、けしからん!」 主催者に天誅を下そうといきり立つ波平。 しかしフネは冷静だった。「お父さん落ち着いて。私たちが主催者と闘ったって勝てるわけないじゃありませんか」 「いや、しかし」 「それにサザエやカツオも参加させられたんでしょうけど、私たちの足じゃ 到底見つかりっこありませんよ」 「それじゃ万事休すじゃないか」 「ええ、ですから――」 突然、フネは服を脱ぎ始めた。 「どうせ死ぬんだし、残りの短い人生を目一杯愉しみませんか?」 それを見た波平は、自身の中の忘れかけていた情欲に火がつくのを感じた。 フネにルパンダイブする波平。 「かーさーん!」 「あーれー」 次の瞬間、老夫婦は粉々のミンチ肉と化した。 「変態ってやっぱりいる。気の毒な人で、DNAが狂っていて……アブノーマル」 老夫婦を戦車で砲撃したのは、もちろん我らが東京都知事・石原慎〇郎である。 「相手はお年寄りですよ。いくらなんでも厳しすぎじゃ」 せんと君が横から石原の暴挙をたしなめる。 「小さい子供も見る国民的アニメのキャラクターが公園であんな不埒な行為、 断じて許せん! それにあのまま放置したら18禁展開じゃないか。ジジババの ファックなんてとても見れたもんじゃないよ」 「はあ」 お前もジジイだろ、というツッコミは胸にしまっておくせんと君であった。 地デジカは暢気に草を食べていた。 【一日目・午前1時10分/神奈川県/天候・嵐】 【石原慎〇郎@現実】 [状態]中傷、チック症、 [装備]モンスターボール×4 新生レオパルド2@サガ2秘宝伝説+カオスロワ [道具]支給品一式 [思考]1:体を休める 2:杉下右京を抹殺する 3:日本の漫画とアニメを抹殺する 4:変態やロリコンを抹殺する 5:他の県に向かい、杉下右京と変態を抹殺する。 【地デジカ@現実】 [状態]健康、洗脳 [装備]なし [道具]支給品一式 [思考]1:石原に従う 【せんと君@現実】 [状態]健康、洗脳 [装備]なし [道具]支給品一式 [思考]1:石原に従う 【磯野波平@サザエさん 死亡確認】 【磯野フネ@サザエさん 死亡確認】 死因:石原の砲撃
https://w.atwiki.jp/studykorea/pages/223.html
トップページ>紀年論叢>呉世昌教授華甲紀念韓国近現代史論叢 『呉世昌教授華甲紀念韓国近現代史論叢』呉世昌教授華甲紀念韓国近現代史論叢刊行委員会、1995年 Ⅰ.民族意識の成長 孫承喆「18世紀朝鮮人の日本天皇復権論について」 権五栄「1881年の京畿斥邪論:鄭胤永の斥邪論を中心に」 崔震植「1880年代初金玉均と金允植の現実認識」 Ⅱ.民族の自覚と抵抗 金祥起「忠清地域前期義兵の展開と性格」 柳漢喆「「宇宙問答」を通じて見た柳麟錫の国権回復運動論」 尹炳奭「李相卨と李東輝の民族運動」 崔起栄「韓末安鍾和(1860-1924)の歴史認識」 洪英基「芝江梁漢黙の生涯と活動」 裵勇一「申采浩の愛国啓蒙思想研究」 金宇鍾「安重根の愛国精神と東洋平和思想」 趙恒来「韓末日帝侵略先導者の反民族的性格:一進会の組織と先導者としての行脚を中心に」 崔敬淑「韓末儒生層の新教育参与」 権大雄「韓末達城親睦会研究」 Ⅲ.宗教界の動向 趙珖「朝鮮後期西学思想の社会的機能」 朴孟洙「東学二世教主崔時亨研究:家系と結婚関係を中心に」 金光植「1910年代仏教界の進化論受容と寺刹令」 韓圭茂「日帝下韓国長老教会の農村運動(1928-1937)」 Ⅳ.国内の独立運動 李炫煕「日帝強占期慶南地域の抗日民族運動」 劉準基「6・10万歳運動と天道教」 朴容玉「趙信聖の民族運動と義烈活動」 金昌洙「沃坡李鍾一の思想と行動:彼の自主独立思想と民族独立運動」 盧栄澤「日帝下港口都市労働運動の性格:仁川地域を中心に」 Ⅴ.国外の独立運動 李尚根「露領地域に移住した韓人に対するロシアの政策」 権立「中国居住韓民族歴史の特徴について:二重的性格と二重的使命を中心に」 姜龍範「朝鮮3・1運動と中国の先進分子」 崔洪彬「鳳梧洞戦闘の再照明」 金喜坤「上海時代(1919-1932)白凡金九の独立運動」 朴永錫「張学良中国東北軍閥の対韓人政策:特に吉林省を中心に」 朴昌昱「中日戦争と重慶時期の韓国臨時政府」 張世胤「1940年代前半期中国国民党政権の韓国独立問題認識と対応」 韓時俊「大韓民国臨時政府と韓国光復軍」 姜在彦「戦後満州における朝鮮義勇軍:中国革命から韓国戦争へ」 六.分断下の歴史と現実 李延馥「4・19革命の性格と展望」 兪炳勇「韓日会談に関する一考察」 禹澈九「北・米関係の展開と韓・米関係」 李寿仁「韓国社会分断50年の構造と民族史の課題:政治的対立構図を中心に」 七.茶山の実学と康津 趙誠乙「丁若鏞の人事制度改革論」 鄭奭鍾「茶山丁若鏞の流配地康津での生活:『茶信契節目』と『丁黄契帖』を中心に」
https://w.atwiki.jp/fadv/pages/1359.html
中島らも 長編小説 お父さんのバックドロップ 1989 超老伝 カポエラをする人 1990 今夜、すべてのバ-で 1991 ガダラの豚 1993 永遠も半ばを過ぎて 1994 水に似た感情 1996 バンド・オブ・ザ・ナイト 2000 全ての聖夜の鎖 2000 空のオルゴール 2002 こどもの一生 2003 酒気帯び車椅子 2004 ロカ 2005 短編集 人体模型の夜 1991 らも咄 1991 らも咄 2 1993 白いメリ-さん 1994 流星シャンハイ 1994 牛乳時代 らも咄 1996 エキゾティカ 1998 寝ずの番 1998 輝きの一瞬 短くて心に残る30編 1999 君はフィクション 2006 エッセイ集 頭の中がカユいんだ 1986 舌先の格闘技必殺へらず口大研究 1986 中島らもの明るい悩み相談室 1987 中島らものたまらん人々 1987 恋は底ぢから 1987 啓蒙かまぼこ新聞 1987 中島らものぷるぷる・ぴぃぷる―異能作品集 1988 中島らものもっと明るい悩み相談室 1988 獏の食べのこし 1989 僕に踏まれた町と僕が踏まれた町 1989 変!! 1989 ビジネスナンセンス事典 1990 中島らものさらに明るい悩み相談室 1990 しりとりえっせい ひさうちみちお共著 1990 とほほのほ 1991 こらっ 1991 西方冗土 カンサイ帝国の栄光と衰退 1991 微笑家族 1991 中島らものますます明るい悩み相談室 1991 愛をひっかけるための釘 1992 なにわのアホぢから 1992 中島らものばしっと明るい悩み相談室 1992 じんかくのふいっち わかぎえふ共著 1992 僕にはわからない 1992 中島らものつくづく明るい悩み相談室 1994 空からぎろちん 1995 中島らものやっぱり明るい悩み相談室 1995 アマニタ・パンセリナ 1995 リリパット・ア-ミ- わかぎえふ共著 1995 じんかくのふいっち 2 わかぎえふ共著 1996 ネリモノ広告大全 ちくわ編 1996 ネリモノ広告大全 ごぼてん編 1996 固いおとうふ 1997 その辺の問題 いしいしんじ共著 1998 名作コミックを読む 1998 さかだち日記 1999 あの娘(こ)は石ころ 1999 夢見るごもくごはん 1999 砂をつかんで立ち上がれ 1999 クマと闘ったヒト 2000 とらちゃん的日常 2001 世界で一番美しい病気 2002 中島らもの特選明るい悩み相談室 その1(ニッポンの家庭篇) 2002 中島らもの特選明るい悩み相談室 その2(ニッポンの常識篇) 2002 心が雨漏りする日には 2002 中島らもの特選明るい悩み相談室 その3(ニッポンの未来篇) 2002 牢屋でやせるダイエット 2003 休みの国 2003 ロバに耳打ち 2003 “せんべろ”探偵が行く 2003 異人伝―中島らものやり口 2004 株式会社日広エージェンシー企画課長 中島裕之 2005 ポケットが一杯だった頃 2007 対談集 逢う 1996 しりとり対談 1997 訊く 1999 らもチチわたしの半生 青春篇 2001 らもチチわたしの半生 中年篇 2002 イッツ・オンリー・ア・トークショー 2003 ひそひそくすくす大爆笑 2003 なれずもの 2004 中島らもの誰に言うでもない、さようなら 2005 シナリオ ヨムゲキ100 中島らも001 X線の午後 2005 ヨムゲキ100 中島らも002 セメントラヴァ-ズ 2005 ヨムゲキ100 中島らも003 レディモルフェウス 2005
https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/50158.html
【検索用 ころしにいくからまっていろ 登録タグ 2020年 VOCALOID wotaku こ よういち 初音ミク 曲 曲か】 + 目次 目次 曲紹介 歌詞 コメント 作詞:wotaku 作曲:wotaku 編曲:wotaku イラスト:よういち(Twitter) 唄:初音ミク 曲紹介 曲名:『殺しに行くから待っていろ』(ころしにいくからまっていろ) アルバム「トラゴイディア」収録曲。 ニコニコ動画及びYouTubeでは、曲名が『【不適切なタイトル】』に変更されている。(*1) 歌詞 (PIAPROより転載) 語る事は無いな 不確かな言葉では 分かってもらえない こうするしかない 善処は尽くしたが 実りは無かった もう手遅れだったんだ 助けは来ない 神もミスを冒すのだな お前のようなヤツが 産まれ堕ちたそれは 他でもない不始末なのだ 頭垂れて命を乞え 泣いて喚け這い擦れ まぁ許さないけどな 殺してやる 殺してやる お前は一体何なんだ 殺してやる 殺してやる 現住所特定済みなんだ 殺してやる 殺してやる 想像上最悪の痛みを以て 地獄の錠を壊してくれ 聖者に仇なす蛮族よ また聖者を騙る虫の喧騒 念仏説いて貪って食ってる 程度の知れたゴミ奉るひと 現世を呪い頭を垂れる意図 啓蒙を説き猿を笑う男 女の皮を縫い付けた畜生 元より聖者などいなかった 焼香 ああ 下らないことだ 殺してやる 殺してやる 救済はもう無くなった 殺してやる 殺してやる 精神年齢何歳なんだ 殺してやる 殺してやる 平等も災厄も知らないもんで 鬼籍の行を増やしてくれ 殺してやる 殺してやる 僕等は一体なんなんだ 殺してやる 殺してやる もう何もないや 殺してやる 殺してやる とうとう脳内はニルヴァーナに酔って 秘匿の錠を壊してしまう 殺してやる 殺してやる お前ら全員バイバイだ 殺してやる 殺してやる こっち見るな 気持ち悪いな 殺してやる 殺してやる 大丈夫 地獄でまた会って その時また殺してやる コメント つべのコメ欄が閉鎖されているのも一種の演出なのか -- 名無しさん (2022-10-29 21 51 20) 名前 コメント コメントを書き込む際の注意 コメント欄は匿名で使用できる性質上、荒れやすいので、 以下の条件に該当するようなコメントは削除されることがあります。 コメントする際は、絶対に目を通してください。 暴力的、または卑猥な表現・差別用語(Wiki利用者に著しく不快感を与えるような表現) 特定の個人・団体の宣伝または批判 (曲紹介ページにおいて)歌詞の独自解釈を展開するコメント、いわゆる“解釈コメ” 長すぎるコメント 『歌ってみた』系動画や、歌い手に関する話題 「カラオケで歌えた」「学校で流れた」などの曲に直接関係しない、本来日記に書くようなコメント カラオケ化、カラオケ配信等の話題 同一人物によると判断される連続・大量コメント Wikiの保守管理は有志によって行われています。 Wikiを気持ちよく利用するためにも、上記の注意事項は守って頂くようにお願いします。
https://w.atwiki.jp/sakusouzu2/pages/162.html
Rise of Nations 『ライズ オブ ネイション 〜民族の興亡〜』(ライズ オブ ネイション 〜みんぞくのこうぼう〜、Rise of Nations)は、2003年7月11日にマイクロソフトから日本語版が販売されたリアルタイムストラテジー型の歴史シミュレーションゲーム。 時代進化は現代・近未来にまで拡張されており、ダイナミックな戦闘を繰り広げることができる。 wikipediaより steam Rise of Nations(RON)の、身内向けの記事です・。・ まだまだ手探り状態なので、メモ書き代わりにしていく予定です。 以下、攻略のヒント箇条書き・。・ 開始後、斥候はまっすぐ敵地 生産二人までは視界で動かして、廃墟を探し続ける 常に人を増やし、廃墟は食料で取るようにする 治世開発できたら、中心二個目1stからどんどん人送る 完成後、畑を皆で立てる。このときも人はフル生産 市場を立てて、まずは特産物 四人くらいで樵 この辺りでⅡ研究、終了目標は4分当たり 1stに市場or兵舎+議事堂+神殿 兵を攻めるときは重歩3+弓3+指導者 都市制圧より人をつぶしていく あと画面の拡張で図書館コマンドと市場、資源の人の数が出るのでだしておくといい 都市の配置として、ちょっと頭つかって都市を置くようになると、内政都市は内側に来る。 (=最初に取られるような都市じゃない。)前線都市は戦略拠点であって、前線都市が1個くらいおちても内政差はそれほど出ない。 最初の兵5~10体位は出してても内政に響かないから。防衛用としてそれくらいだしとくといい。 兵舎・厨車でそれぞれコスト違うから、兵舎ユニットと厨車ユニットそれぞれ5体くらいだせば、安く出せる上に防衛としてはまぁまぁ機能する。 軽騎兵は荒らしへの防衛が主。戦場では重騎兵のほうが優位 といっても軽騎兵はスピードがあるので投石機に奇襲かけたりするのは結構アリ。投石機・補給車、特に相手が補給車少なかったりしたら破壊すればかなりいい感じ。 奇襲は攻撃するまで見えない。持続時間は研究によってドンドン伸びていく。効果時間は、使用してる将軍の右下に表示されてる。 軍編成や相性など 軽歩兵→弓→重歩兵・弓騎兵 重歩兵→軽騎兵/重騎兵 →弓・軽歩兵 軽騎兵→弓騎兵→市民・重騎兵(重歩兵) 序盤の主力部隊は 歩兵+重騎兵 遊撃部隊が 軽歩兵・弓騎兵 となる。 前半 弓 >> 重歩兵・弓騎兵 軽歩兵 > 弓・重歩兵・弓騎兵 重歩兵 > 軽騎兵・重騎兵 軽騎兵 > 攻城兵器・軽歩兵・弓騎兵 重騎兵 > 攻城兵器・軽歩兵・弓・弓騎兵 弓(銃)騎兵 > 重歩兵・市民 後半 軽歩兵 > 重歩兵 重歩兵 > 戦車・装甲車 マシンガン > 歩兵 戦車 > 軽歩兵・マシンガン 装甲車 > 軽歩兵・マシンガン・市民 ヘリ > 戦車・装甲車 各時代に活躍する主力兵種 【古代~中世】 槍・弓・重騎兵 【ルネ】 軽歩兵 【啓蒙】 重歩兵 【さんかく】 戦車 【近代】 戦闘機・ヘリ 【現代】 ミサイル
https://w.atwiki.jp/utamede/pages/24.html
マルグレーテ・トリエル公爵 年齢不明(おそらく500歳以上)。一人称は私。長年フェイヨンの森に住むエルダナーンたちの名も無き女王として生きてきたが、100年ほど前にフェイヨンがルーンミッドガルに服属したさい、エルダナーンとヒューリンを纏め上げることの出来る人材として担ぎ出され、フェイヨンの委任統治を任される。そのため、ほとんど現在の地位に執着がない。また、信仰を持たないため、ヒューリンとフォモールに差を見出すことが出来ないでいる。 関係表 フォモール:ルーンミッドガル正教以外の神を信じる「ヒト」であると考えている。 ヒューリン:ルーンミッドガル正教の神を信じる「ヒト」であると考えている。ようするに、彼女からすればフォモールもヒューリンもほとんど違いがない。 ブランデンブルク伯:彼の信仰に拘らない姿勢を高く評価している。個人的感情が幾分含まれている。 ザクセン侯:実際に会ったことはないが、定期的に文通をしており、お互いの相手に対する印象は悪くない。 劇中での行動 ヒューリンとフォモールの対立を、単なるヒト同士の権力争いに過ぎないと考えており、フェイヨンがフォモールに占領されたさい、身を引いてエルフの隠れ里に隠遁する。委任統治者となったのはあくまで「エルダナーンとヒューリンとの調停のため」であり、ヒト同士の争いは無関係である、という考えからである。 ルドルフ・ブランデンブルグ辺境伯爵 61歳。一人称は己(おれ)。下級貴族の家に生まれるが、20代の後半の折、アルベルタの委任統治を代々任されてきたブランデンブルグ家の養子となる。武才、商才に優れ、アルベルタ人民からの信頼は厚い。晩婚だったため、三人の子供はまだ一人も成人に達していない。 関係表 フォモール:利用するだけの相手。ある程度の事情は知っているが、お互いに接触を持ったことはない。 国王:王権は尊重しているが、ルーンミッドガルそのものよりも、アルベルタのほうが重要だと思っている。 ファルツ侯:保守派(ファルツ)と革新派(ブランデンブルク)であるため、仲最悪。 トリエル公:青年時に親交(淡い恋愛関係?)を交わしており、トリエル公個人とはプライベートな友好関係が続いている。フェイヨンとアルベルタの関係自体は、良くもなく、悪くもなく。 ザクセン侯:有能だが若年のザクセン公から尊敬の念を受けている。モロクとアルベルタは友好関係を結んでいる。 ゲフェン市民議会:ブランデンブルク伯はゲフェンの政治システム(ブルジョワ民主主義)を高く評価している。市民議会側は利害関係以上には踏み込んでこないが、悪感情も持たない。ゲフェンとアルベルタは、交易を中心として友好関係を構築している。 アガレス:彼が「知恵の七柱」の一員であることを知っている。 劇中での目的 フォモールとルーンミッドガルを衝突させ、両者を疲弊させた後、アルベルタをルーンミッドガル王国から独立させる。 ベストパターンは、「ファルツ侯からフォモール討伐を掻っ攫う」>「アルベルタ討伐軍討伐失敗(故意)」>「不覚ながら被害甚大にして増援はできません」>「フォモールとルーンミッドガル軍激突、両者疲弊」>「隙を見て独立」…というもの。実際にはこの作戦は失敗に終わった。 オットー・ザクセン侯爵 28歳。啓蒙君主。有能だがほとんど話に出てこないのでデータ薄。