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「誰かにでも都合が良ければ善で誰かにでも都合が悪ければ悪」とは善悪の基本である。 特徴 「誰かにでも都合が良ければ善で誰かにでも都合が悪ければ悪」の特徴として以下を挙げられる。 誰かにでも好かれれば善である。 誰かにでも嫌われれば悪である。 誰かにでも都合が良ければ善である。 誰かにでも都合が悪ければ悪である。 誰かにでも好かれれば味方である。 誰かにでも嫌われれば敵である。 誰かにでも都合が良ければ味方である。 誰かにでも都合が悪ければ敵である。 悪を傷つけた存在も悪である。 悪を殺した存在も悪である。 敵を傷つけた存在も敵である。 敵を殺した存在も敵である。 善でもあり悪でもある事もある。 味方でもあり敵でもある事もある。 概要 善悪とはなにか?善悪とは曖昧なものであり、一般的に善や悪とされているものが善悪とされたり、人の数だけ善悪があるとされたり、この世に善悪は存在しないと言われたりもする。 ただ、曖昧とされる善悪にも絶対的なものが存在する。それが「誰かにでも都合が良ければ善で誰かにでも都合が悪ければ悪」である。 「誰かにでも都合が良ければ善で誰かにでも都合が悪ければ悪」の「誰か」とは人間だけでなく動物・虫・植物・自然・生命も含まれる。「都合がいい」には「好き」も含まれており「都合が悪い」には「嫌い」も含まれる。 何が善で何が悪かを考えるのならまず「誰かにでも都合が良ければ善で誰かにでも都合が悪ければ悪」である事を前提に考えるべきである。 もし「誰かにでも都合が良ければ善で誰かにでも都合が悪ければ悪」を無視したり自分に都合がいい時しか関心を示さなければ歪んだ正義感の持ち主、歪んだ正しさの持ち主、吐き気を催す邪悪、自分が悪だと気づいていない最もドス黒い悪などになる危険性があるので「誰かにでも都合が良ければ善で誰かにでも都合が悪ければ悪」は重んじるべきである。
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エゴ・好き嫌いはこの世で一番信じられている存在である。エゴは英語でも「エゴ(ego)」と言い好き嫌いは英語では「ライクスアンドディスライクス(likes and dislikes)」と言う。 概要 エゴとは自己や自我を意味し好き嫌いとは好きと嫌い・好きか嫌いかなどを意味する。 人がこの世において一番信じている存在とはなにか? 「甘さが無い事」か?「お金」か?「顔」か?「勝ち組か?」「勝つ事」か?「綺麗事ではない事」か?「結果」か?「現実」か?「弱肉強食」か?「力」か?「強い事」か?「強さ」か?「敵味方」か? 何を一番信じているかは人それぞれとも言えるが人がこの世において一番信じている存在は「エゴ」とそれの「好き嫌い」である。 この世における様々な価値観や考えの根底にあるのはこの「エゴ」とそれの「好き嫌い」と言ってもよく「エゴ」やそれの「好き嫌い」から様々な価値観や考えが生まれていると言ってもいい。 ただ一つだけ気を付けなければいけない事は「エゴ」とそれの「好き嫌い」は一個人だけに当てはまる事ではなく「エゴ」とそれの「好き嫌い」はこの世の全ての人間(ホモ・サピエンス・サピエンス)、動物、虫、植物、自然にも当てはまる事である。もしその事に気づかず一個人だけの「エゴ・好き嫌い」だけを重視したり他の「エゴ・好き嫌い」を無視したりするとエゴイスト・吐き気を催す邪悪・自分が悪だと気づいていない最もドス黒い悪になってしまうので一個人の「エゴ・好き嫌い」だけでなく他の「エゴ・好き嫌い」も考えなければいけないのである。 この世には「良心」「優しさ」「善悪思考」「(善良な)正義」「(善良な)正しさ」が存在するがこれらは世間が思っている以上にこの世において重要な存在である。なぜ「良心・優しさ・善悪思考・(善良な)正義・(善良な)正しさ」が重要な存在なのかというとこの世はエゴと好き嫌いだからである。 この世のエゴと好き嫌いのために「良心・優しさ・善悪思考・(善良な)正義・(善良な)正しさ」が存在し「良心・優しさ・善悪思考・(善良な)正義・(善良な)正しさ」はこの世のエゴと好き嫌いのために存在しているのである。 この世がエゴと好き嫌いである限り良心・優しさ・善悪思考・(善良な)正義・(善良な)正しさもまた不滅なのである。
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エゴとエゴのぶつかり合いはこの世における戦いや戦争の本質である。 概要 この世には多くの戦いが存在しこの世には戦争がある。二つの勢力同士で戦いや戦争を行っているのだとすればこの二つの勢力の関係や性質はどんなものだろうか? 「自分 対 敵」か?「味方 対 敵」「自分 味方 対 敵」か?「善 対 悪」か?「正義 対 悪」か?「正義 対 非正義」か?「善良な正義 対 害悪な正義」か?「正しさ 対 間違い」か?「正しさ 対 正しさ」か?「善良な正しさ 対 害悪な正しさ」か?「ルール 対 ルール違反」か?「法 対 犯罪」か?「道徳 対 非道徳」か?「倫理 対 非倫理」か?「常識 対 非常識」か?「普通 対 異常」か?「秩序 対 混沌」か? パターンは色々あると思うがこれらの根底にあるのは「エゴとエゴのぶつかり合い」である。 この世における戦いや戦争の本質がエゴとエゴのぶつかり合いである事は意識しなくてはならない。もしエゴとエゴのぶつかり合いである事を意識しなくなるとだんだん戦っている相手の事を敵や悪としか見れなくなり自らを正当化して自身も敵や悪である事に蓋をして戦っている相手の事を理解しようとしなくなり吐き気を催す邪悪や自分が悪だと気づいていない最もドス黒い悪になり最終的に取り返しのつかない事になる危険性がある。エゴとエゴのぶつかり合いである事を意識する事で自分も戦っている相手も同じエゴと好き嫌いで動く存在だと認識し必要以上に正当化しなくなり自身も敵や悪であると認識できるようになり戦っている相手の事を理解しようとするようになり少しでも良い方向に行く事ができる。 この世の戦いや戦争の本質がエゴとエゴのぶつかり合いであるというのは決して「良心・優しさ・善悪思考・正義・正しさ・道徳・倫理・常識」は無意味であるという事ではなく「敵か味方か」「善か悪か」「正義か非正義か」「正しいか間違っているか」の前に「エゴとエゴのぶつかり合い」であるという事を意識するべきであるという話である。
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THE KING OF FIGHTERS XVはコンピュータゲームの一つ。 プロフィール ジャンル - 対戦型格闘ゲーム 対応機種 - プレイステーション4 / プレイステーション5 / Xbox SeriesX/S / Windows(Steam) 開発・発売元 - SNK 発売日 - 2022年2月14日 定価 - プレイ人数 - 1~2人 廉価版 - 判定 - ポイント - 概要 ザ・キング・オブ・ファイターズのナンバリングタイトルの第15作目にあたる。 特徴 キャラクター 本作で登場するキャラクターの中には近年では登場しなくなっていたちづるやオロチ四天王(ゲーニッツ・他の3人の裏キャラクターはDLCキャラクター)が本作で復活を果たし前作では登場しなかったアッシュ・クリムゾンが本作では復活を果たした。また、DLCキャラクターとはいえKOFシリーズを代表するボスキャラである吐き気を催す邪悪の一人であるオメガ・ルガールも復活を果たした。 「98」「2002」のような過去作キャラ再登場のお祭りゲーを本筋のストーリーで行うような、そんなキャラクター達が勢ぞろいしている。 評価点 本作における草薙京は髪型が過去のものに戻りオロチ編までにしていた鉢巻きを再びするようになるなど頭部分が初代やオロチ編に近くなりある意味草薙京らしくなっている。 とあるキャラクターの大復活KOFシリーズの歴史の影に葬られたはずの「とある過去のキャラクター」が本作においてついに奇跡といってもよい大復活を遂げる事になる。 本作の新キャラクターの一人であるキャラクターの正体として登場するので名前や服装や恰好が大きく変わっており、この新キャラクターの正体があの過去のキャラクターである事はとあるチームのエンディングでしか明かされないが、それでもこの過去のキャラクターが再び表舞台に姿を現した事は褒められる点である。 このキャラクターは、某作品のパクリであるためKOFシリーズに出しづらくなっており、KOFのリメイク作品で別のキャラクターに差し替えられた事もあり、名前や服装などを大きく変更したとはいえ大復活を遂げた事は奇跡といえる。声優が変更されているとはいえ、このキャラクターに限っていえば正解といえよう。 もっとも、この新キャラクターには、某キャラクターの面影があるので本作の発売前からこの新キャラクターとこの過去のキャラクターが同一人物であると見抜いていたプレイヤーもいた。 また、このキャラクターは元々「とあるキャラクター」とコンビを組んでいた。そのキャラ自身は前作で既にKOFシリーズ復活を果たしていたのだが、今作で「かつての相棒」だった彼が参戦した事によって、本作をもって遂にこのコンビが復活する事にも繋がった。 賛否両論点 問題点 総評
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力が正義主義とは主義の一つ。 概要 力が正義主義とは力が正義という考えである。 具体的に言うと力がある者が正義で力がない者は悪という考え、強者が正義で弱者が悪という考え、力があれば何をしても許されるという考え、強ければ何をしても許されるという考え、力の無い者には何をしても許されるという考え、弱者には何をしても許されるという考えなどがある。 たしかにこの世は力である。この世は大体は力がある者・強者ひいては何かしら優れている者に有利になるように出来ている。力が正義主義は力がある者や強者には都合がいい主義だと言える。 問題点 しかし力が正義主義には重大な問題点が存在する。 力が正義主義の重大な弱点として力がある者・強者が正義・力があれば強ければ何をしても許されるという考えは言い方を変えれば自分が力がない弱者なら何をされても良いと言っているも同然である。力が正義主義を掲げた以上は自身が力のない者・弱者になった時にどんな残酷な事もされる覚悟をしなくてはならない。 そもそも何をしても許されるという考え自体、悪くいえばどれほどの理不尽でも許すと宣言したも同然であり極論を言えば大量虐殺、世界を滅ぼす事、フィクションにおいて相手を未来永劫永遠に苦しめ続ける事などを許すも同然である。もはやこれでは正義どころか吐き気を催す邪悪や自分が悪だと気づいていない最もドス黒い悪にしか見えない。そもそも正義とは本来思想や考えであるので思想や考えではない力や強さ自体に正義があると思っている方がおかしいとも言える。 たしかにこの世は力であるがそれはあくまでもこの世では大体は力がある者・強者ひいては何かしら優れている者に有利になるように出来ているという意味でしかなくこの世は力である事と力が正義である事は別々に分けなくてはならない。 また、この世は何もしなくても力がある者と力のない者・強者と弱者に分かれており仮に力が正義主義を掲げて最強になったとしても所詮は力がある者と力のない者・強者と弱者が誰か変わっただけでしかなく客観的に見れば無意味でありむしろこの世が悪化する事になりかねない。 さらにこの問題に拍車をかけるのが力が正義主義を掲げる人は基本的に上記の問題点に気づいていない事である。特に基本的には自身が力のない者・弱者側になる事を全く考慮せずに力が正義主義を掲げておりいざ自分が力のない者・弱者側になった時には力が正義主義を撤回する。こういった事から力が正義主義は所詮力がある者・強者が調子に乗って自身を正当化する傲慢な考えでしたないとも言える。 稀に上記の問題をしっかりと理解した上で力が正義主義を掲げる真の力が正義主義者もいる。真の力が正義主義者は力が正義主義の欠点を受け入れており自身が力のない者・弱者側に立った時にはどんな残酷な事もされる覚悟ができている。しかしそれでもこの考えは一つの正義・独善的である事に変わりなく力がある者・強者には都合が良いが力がない者・弱者にとってはたまったものではない事に変わりはない。実際の真の力が正義主義者はフィクション作品の中でも稀であり現実世界ではたった一人でもいるかどうか疑わしい。 これらの事から力が正義主義は所詮は幻であり綺麗事で偽善で嘘で全く価値も説得力もない正当化でしかないとも言える。 力が正義主義者の一覧 力が正義主義者の一覧を参照。 関連項目 力が正義主義者の一覧 勝てば正義主義・勝てば官軍負ければ賊軍主義
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テレビドラマ「刑事7人」Season5 第1話「再集結!! 最強チームが挑む謎…7日連続殺人事件からの挑戦状」、第2話「7日間の連続殺人に隠された秘密―"忘れられし冤罪事件"」に登場する検察官。 演じているのは矢島健一。 概要 5件目の被害者である検事・渡辺郁夫の上司である検察官。 2話では専従捜査班班長・片桐を自身の部屋に招き「事件の捜査情報を逐一報告してください」と言ってくる。どうやら渡辺が殺された理由次第では隠蔽しようとしているようだ。 ネタバレ ここまでだと悪役ではあるが、ただの「嫌味な検察官」である。だがよく考えてほしい。それだけで「吐き気を催す邪悪」と言われるだろうか。そして演者が矢島健一であることも考えてほしい。 そう、高岡が3年前の事件の真犯人だったのだ。 3年前の監視カメラの映像はすでに調べており、皐月と北川が事件発生時に会っていた様子と高岡がホテルにいて被害者の部屋に通じる階段から降りてくる様子がバッチリと記録されていた。 3年前のホテルで強請られていた高松は被害者を殺害してしまう。高岡は「なんとかすれば昇進を約束する」と渡辺に連絡を取り、渡辺は大貫に大金を渡たし協力させる。 大貫は「ホステスが客の取り合いのもつれから殺した」というシナリオを作り、証拠を捏造、愛人だった間宮に嘘の証言をさせたのだった。 大貫は水曜日の被害者、北川を「過去(*1)をばらされたくなければ皐月とは会っていなかったと証言しろ」と脅迫。木曜日の被害者、三島は浮気がばれるのを恐れ嘘の証言をしてしまっていたのだった。 国選弁護人・本郷健一のいい加減な弁護もあり皐月は有罪、自殺してしまった。 そして、関係者に復讐した笠松だったが密かに追ってきた高岡に殺害されてしまったのだった。 笠松は息を引き取る前に昭一に電話「あと1人だったのに悔しいです。このまま死ぬなんて...高岡が....皐月を...」と告げていた。 半信半疑だったが、皐月から送られていたが一度も目を通していなかった手紙を見直す昭一。そこには皐月の悲痛な叫びがあった。 その翌日、正一は高岡を拉致し「全てを話せ。でないと火達磨にする」と脅迫する。 「今ハッキリ分かった。この男は皐月を死に追いやったと」高岡を殺そうとする昭一を天樹が必死に止める。 「無実を信じ真相を知らない美枝子のためにも罪を犯してはならない。もう逃げてはならない!!」 開放された高岡は「なぜ私だと分かった」と問いかける。 「残された神・トュールスはかつての最高神だったが転落=検事正になれる力はあったが高慢であったために失脚した高岡」 笠松が残したヒントが最後の決め手となったのだった。 「落ちた神だとふざけるな!その男は私を殺そうとしたんだ。そいつも捕まえろ」とこの期に及んでもふてぶてしい高岡。 そこに水田の強烈なビンタが炸裂する!! 「ごめんなさい..手が滑っちゃったみたい...で!」 「加賀さんは捜査に協力したんだ。それより自分の事を考えた方がいい、3年前の事件は徹底的に我々が調べ直す。」と海老沢。 高岡は連行され恐ろしい曜日殺人は幕を閉じたのだった…。
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ライトノベル『ありふれた職業で世界最強』の賛否両論点と問題点。 概要 ライトノベル『ありふれた職業で世界最強』において賛否両論を巻き起こしている点と問題点。これらによって『ありふれた職業で世界最強』は異世界ものの中でも特に嫌われる作品となってしまい『ありふれた職業で世界最強』に否定的な人やアンチからは「なろうの闇」「物語じゃない」「実写版デビルマン以下」「アンシャントロマン以下」「害悪ライトノベル」「有害指定作品」と言われている。 下述の事が絡み合った結果『ありふれた職業で世界最強』が吐き気を催す邪悪となっている。 基本賛否両論点・基本問題点 主人公・南雲ハジメ本作の主な賛否両論点の一つで本作の賛否両論点・問題点の元凶。 本作の主人公である南雲ハジメはいわゆるアンチヒーロー系の主人公である。 南雲ハジメには恋人思いや仲間思いな一面もあり褒められる点もある。 しかし、南雲ハジメには敵と認識した者を殺害する設定がある。これだけ見れば他作品にも似たようなキャラはいるのではと思うかもしれないがハジメの場合は常軌を逸した敵味方中毒レベルのものとなっている。まずハジメの敵の殺害意識は相手の善悪・相手の事情・相手との実力差・殺人以外の方法を一切考慮しない。しかもハジメは敵を殺す事に関しては良心・罪悪感が一切ない半無慈悲役・デミルースレスロールである。それによって引き起こされた出来事の中で最悪の分類にはいるのは本編の物語終盤でおきたありふれ魔人族集団虐殺事件である。不殺主人公や半不殺主人公(なるべく殺さない主人公)は批判される主人公が多いが、だからといって主人公にむやみに殺人をさせればよいというものではないという一例となってしまった。 他にも自分達に迷惑をかけた相手の股間を潰すなどの問題点が山ほどある。ここまでくればもはや吐き気を催す邪悪レベルの極悪人である。 ハジメの事を少しでも真剣に考えれば分かる事だが人格面における長所とされる部分や強みも普通の人でも持っていたり特定の感情がなければできるような事ばかりであり本当の意味で他の人と比較して特別褒められる点は基本的になく南雲ハジメや『ありふれた職業で世界最強』に否定的な人からは「小物」と言われている。 本作のほとんどの賛否両論点・問題点は主人公を客観的に見てまともな人物にすれば起きなかった事であり南雲ハジメを見れば主人公を半無慈悲役・デミルースレスロールにする事がいかに困難な事であるかが分かるだろう。 他にも強くなる過程に関してもご都合主義・主人公補正と言われやすい。 上記の事からハジメや『ありふれた職業で世界最強』に否定的な人からは物語の主人公にしてはいけないと言われがち。 ヒロインとそれによるハーレム『ありふれた職業で世界最強』にはユエをはじめとした数多くのヒロインが登場する。そしてこの数多くのヒロインは最終的には主人公である南雲ハジメの嫁となる。 ヒロイン達は多くが美少女・美女であり魅力も一応はありこのヒロイン達はハジメに対しては基本的に肯定的でありハジメの問題点を指摘する事はほとんどない。ハジメとヒロイン達とでハーレムを築いているのは多くのありふれた職業で世界最強ファンから見ればいいものであるが客観的に見れば問題人物が美少女・美女とハーレムを築いているのであり南雲ハジメや『ありふれた職業で世界最強』、ハーレム自体に否定的な人からは評価されていない。 また、このヒロイン達とのハーレムの築き方は基本的に南雲ハジメからは動かずメインヒロインであるユエが動いてハーレムを築く形となっている。多くのハーレムものに言われがちな批判をある程度回避しているとも言えるが「ハジメから動こうとしない」「ユエは都合が良すぎる女」という批判もある。 南雲ハジメに都合が良すぎる世界観・物語『ありふれた職業で世界最強』の最大の賛否両論点である意味『ありふれた職業で世界最強』が有害指定作品である一番の原因である。これによってありふれた職業で世界最強ファンを作った反面、本作が異世界ものの中でも特に嫌われてしまう事となった。 本作の主人公である南雲ハジメは上述したように客観的にみれば極悪人でしかないのだが、天之川光輝や敵役などを除いたヒロイン達をはじめとした本作の人達からは基本的に肯定的に扱われて問題点を指摘される事はほとんどない。 一応、改心前の天之川光輝は南雲ハジメに否定的な事をよく言い、それらも客観的に見ればまともな意見や正論である事もよくあるのだが基本的に天之川光輝は本作や本作の人達からは常軌を逸するレベルで否定的に扱われているので実質的に主人公に批判する人としての機能はないも同然となっている。 ハジメは当初こそ不遇であるが物語の途中からは基本的にいい思いをしている事が多い。 さらに地の文も基本的にハジメに味方寄りなので上記の事が相まって物語そのものがハジメを肯定的に扱いハジメを善人・問題のない人物として扱う形になっている。 ありふれた職業で世界最強ファンからみれば世界がハジメにとことん優しい物語と言えるが客観的に見ればハジメに甘すぎる明らかに狂った歪んだ世界・物語であり『ありふれた職業で世界最強』に否定的な人やアンチからは「教育的によくない」「害悪ライトノベル」「ダブルスタンダード」と言われている。 天之川光輝と天之川光輝の扱い改心前の天之川光輝の問題点を考慮しても天之川光輝の扱いはひどいものとなっている。 改心前の天之川光輝の問題点はありふれた職業で世界最強の賛否両論点・問題点を象徴するものとなっている。 数多くのご都合主義・主人公補正本作においては数々のご都合主義や主人公補正が存在する。 本作では奈落の底に落ちたハジメが弱い状態からパワーアップを遂げる場面があるのだがそれがご都合主義・主人公補正の強いものになっている。 本作にはハジメが敵を殺さなかったり結果的に助けるシーンがいくつもあるが当然これらの行動は敵に対する良心・罪悪感から行っている行動ではないので該当のシーンが出るたびに理由付けが説明させるのだが中には無理やりな理由もあり主人公補正の強いものとなっている。これを「色々な理由があって面白い」と捉えるか「くどい」「単に殺したくないから殺さないでいい」と捉えるかは人によるだろう。これも主人公を半無慈悲役・デミルースレスロールにした弊害である。 ライトノベル化本作の賛否両論点・問題点が本格的に取り上げられはじめられたきっかけである。 そもそも『ありふれた職業で世界最強』は元々は小説家になろうで掲載されていたWeb小説である。つまり同人作も同然の小説であった。そのためライトノベル化する前は賛否両論をまねく点や問題点も一人の人間が書いた同人作で済ませられたかもしれない。 やがて小説家になろうの小説の中ではトップクラスの人気作でありそれによってライトノベル化する事になった。 ありふれた職業で世界最強ファンにとってはうれしかっただろうがライトノベル化によって小説家になろうの評価だけでなく一般の評価もされるようになった事で本作が多く賛否両論点・問題点を含むものとして扱われる事となってしまった。 本作は後に漫画化やテレビアニメ化といったメディアミックス化もしてしまい、より一層賛否両論点や問題点により注目される事となってしまう。 これらの事から本作に関して一番悪いのは本作の作者ではなく本作をライトノベル化ひいてはメディアミックス化した人達かもしれない。 ちなみに本作の作者はライトノベル化を一度断ったらしいがそれが本当なら英断だったかもしれない。 アフター 本編の続編・後日譚にあたるアフターは本編の最後までありふれた職業で世界最強ファンでいられた人達の中でも賛否両論を招くものとなっている。一方でごく一部の話だが基本的にありふれた職業で世界最強に否定的な人やアンチの一部からも評価された話もある。 本編の賛否両論点・問題点 ハジメが清水幸利を殺害した件は特に賛否が分かれる一つとなっている。 シアがハジメに殺されたカトレアの仇討ちにきたミハイルと戦うシーンがありミハイルが言い分を言った後にシアが言い返した発言内容は賛否が分かれている。 ありふれ魔人族集団虐殺事件 アフターの賛否両論点・問題点 ハジメがハジメに殺された生徒の遺族の前で最悪感を見せず謝罪をせず一つの遺族が仇討ちをしようとしてハジメが返り討ちにするシーンがある。 愛子の幼馴染に関するイベントは大きく賛否を招きこれによってありふれた職業で世界最強ファンをやめてしまった人もいる。 天之川光輝に関する話天之川光輝が主人公をして活躍する話もつくられている。ありふれた職業で世界最強ファンの中は多くの天之川光輝アンチがおり当然天之川光輝に関する話というだけで不評を下すひとも多い。一方で話自体は本編と比べて王道寄りであり一部の本作に否定的な人やアンチからも評価されるという特異は話となっている。 ありふれ魔人族集団虐殺事件についてハジメ自身が向き合う話があるが本作に否定的な人やアンチからは評価されていない。ここも主人公を半無慈悲役・デミルースレスロールにする困難さが伝わってくる部分である。 関連項目 ありふれた職業で世界最強
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勝てば正義主義・勝てば官軍負ければ賊軍主義とは主義の一つ。 概要 勝てば正義主義・勝てば官軍負ければ賊軍とは勝者が正義という考えである。 具体的に言うと勝者が正義で敗者は悪という考え、勝てば何をしても許されるという考え、勝者何をしても許されるという考え、敗者には何をしても許されるという考えなどがある。 たしかにこの世は勝ち負けである。この世は基本的には勝者に有利になるように出来ている。実際に勝者が正義と言われる事はあり歴史は勝者の歴史とも言われている。勝てば正義主義・勝てば官軍負ければ賊軍主義は勝者や勝てる力を持つ強者には都合がいい主義だと言える。 問題点 しかし勝てば正義主義・勝てば官軍負ければ賊軍主義には重大な問題点が存在する。 勝てば正義主義・勝てば官軍負ければ賊軍の重大な弱点として勝者が正義・勝った勝者は何をしても許されるという考えは言い方を変えれば自分が負けた敗者なら何をされても良いと言っているも同然である。勝てば正義主義・勝てば官軍負ければ賊軍主義を掲げた以上は自身が負けた敗者になった時にどんな残酷な事もされる覚悟をしなくてはならない。 そもそも何をしても許されるという考え自体、悪くいえばどれほどの理不尽でも許すと宣言したも同然であり極論を言えば大量虐殺、世界を滅ぼす事、フィクションにおいて相手を未来永劫永遠に苦しめ続ける事などを許すも同然である。もはやこれでは正義どころか吐き気を催す邪悪や自分が悪だと気づいていない最もドス黒い悪にしか見えない。そもそも正義とは本来思想や考えであるので思想や考えではない勝利自体に正義があると思っている方がおかしいとも言える。 たしかにこの世は勝ち負けであるがそれはあくまでもこの世では基本的には勝った勝者に有利になるように出来ているという意味でしかなくこの世は勝ち負けである事と勝てば正義・勝てば官軍負ければ賊軍である事は別々に分けなくてはならない。 また、この世は何もしなくても勝者と敗者に分かれており仮に勝てば正義主義・勝てば官軍負ければ賊軍主義を掲げて最後まで勝ったとしても所詮は勝者と敗者が誰か変わっただけでしかなく客観的に見れば無意味でありむしろこの世が悪化する事になりかねない。 さらにこの問題に拍車をかけるのが勝てば主義・勝てば官軍負ければ賊軍を掲げる人は基本的に上記の問題点に気づいていない事である。特に基本的には自身が敗者側になる事を全く考慮せずに勝てば正義主義・勝てば官軍負ければ賊軍を掲げておりいざ自分が敗者側になった時には勝てば正義主義・勝てば官軍負ければ賊軍を撤回する。こういった事から勝てば正義主義・勝てば官軍負ければ賊軍は所詮勝者や勝てる力を持った強者が調子に乗って自身を正当化する傲慢な考えでしたないとも言える。 稀に上記の問題をしっかりと理解した上で勝てば正義主義・勝てば官軍負ければ賊軍主義を掲げる真の勝てば正義主義者・真の勝てば官軍負ければ賊軍主義者もいる。真のかてば正義主義者・真の勝てば官軍負ければ賊軍主義者は勝てば正義主義・勝てば官軍負ければ賊軍主義の欠点を受け入れており自身が敗者側に立った時にはどんな残酷な事もされる覚悟ができている。しかしそれでもこの考えは一つの正義・独善的である事に変わりなく勝者や勝てる力をもった強者には都合が良いが敗者にとってはたまったものではない事に変わりはない。実際の真の勝てば正義主義者・真の勝てば官軍負ければ賊軍主義者はフィクション作品の中でも稀であり現実世界ではたった一人でもいるかどうか疑わしい。 これらの事から勝てば正義主義・勝てば官軍負ければ賊軍主義は所詮は幻であり綺麗事で偽善で嘘で全く価値も説得力もない正当化でしかないとも言える。 勝てば正義主義者・勝てば官軍負ければ賊軍主義者の一覧 勝てば正義主義者・勝てば官軍負ければ賊軍主義者の一覧 関連項目 勝てば正義主義者・勝てば官軍負ければ賊軍主義者の一覧 力が正義主義
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敵味方中毒は敵味方思考(敵か味方かという思考・敵かそうでないかという思考)の一種。 特徴 敵味方中毒の特徴として以下が挙げられる。以下の特徴が多く当てはまれば敵味方中毒である。 自身と敵対者にどれ程の戦力差があっても敵対者は必ず殺す。 敵対者が悪人でなかろうとどれ程の善人であろうと敵対者を必ず殺す。 敵対者にどのような事情があろうと敵対者は必ず殺す。 敵対者を殺す以外の方法があったとしても敵対者を必ず殺す。 敵対者に対する良心や優しさは全くない。 味方・好きな人以外に対する良心や優しさは全くない。 敵対者を傷つけたり殺したりしても全く罪悪感を感じない。 敵対者を傷つけたり殺したりしても全く責任を感じない。 敵対者には何をしても許されると思っている。 敵対者を必要以上に苦しめて殺害する。 敵対者を殺す事に対して相手が敵対者だった以上の理由は必要ないと思っている。 敵対者に人権がないと思っている。 味方・好きな人以外に人権がないと思っている。 敵対者を全く理解しようとしない。 味方・好きな人以外を全く理解しようとしない。 敵対者を傷つけたり殺したりする事を正しい事や正義だと過信する。 敵対者を傷つけたり殺したりする事を過剰に正当化する。 敵対者には過剰に人格否定する。 敵対者には過剰に存在そのものを否定する。 敵対者に対してはこの世に存在してはいけない生き物だと思う。 敵対者は死後に無限地獄に落ちて永遠に苦しみ続ければならないと思っている。 敵対者は未来永劫永遠に苦しみ続けなければならないと思っている。 この世は敵か味方が全てだと思っている。 この世は敵かそうでないかが全てだと思っている。 正義と悪については敵対者が悪で自身や味方が正義だと思う。 敵対者を殺さない事を必要以上に甘い扱いする。 敵対者を殺さない事を必要以上に侮辱したり否定したりする。 不殺主義者や半不殺主義者(なるべく殺さない主義を持っている者)を必要以上に甘い扱いする。 不殺主義者や半不殺主義者(なるべく殺さない主義を持っている者)を必要以上に侮辱したり否定したりする。 明らかに殺す必要のない敵対者を殺さない事すら理解しようとしない。 安直に人を敵対者扱いする。 敵対者扱いする基準が常軌を逸している。 筋の通らない敵対者扱いをする。 自分に都合がいい存在を味方だと思っている。 味方は自分の想いどうりになる存在の事だと思っている。 味方は自分をとにかく肯定するべきだと思っている。 味方は自分をとにかく否定するべきではないと思っている いつも敵対者をどう苦しめるか研究している。。 敵味方思考を人を傷つけたり殺したりする道具にする。 この世の全ての敵対者を全て根絶やしにしようと思っている。 この世の全ての敵対者を全て未来永劫永遠に苦しめようと思っている。 概要 上記を見れば分かるが敵味方中毒は異常な敵味方思考の事である。 敵か味方か・敵かそうでないかという考えは善か悪か・悪かそうでないかという考えとほとんどあるいは完全に同じもので敵味方思考は善悪思考と同じかそれ以上の欠点があり敵味方思考と善悪思考の違いは一個人からみた思考か客観的にみた思考かの違いしかない。敵味方中毒は正義中毒と同じかそれ以上に問題である。 この世に(絶対的な)正義が無いと気づいたり善人と悪人に分かれているのではなく味方と敵に分かれていると思ったり正義と悪に分かれているのではなく味方と敵に分かれていると思ったりするとこの世は敵か味方か・敵かそうでないかと思うようになりがちだが、ただ善人か悪人か・正義か悪かという考えから敵か味方か・敵がそうでないかという考えに変わっただけでは根本的な解決にはなっておらずただ敵か味方か・敵かそうでないかと思うようになるだけではいつか敵味方中毒に陥ってしまう危険性がある。 これは正義にも同じ事が言えるがこの世に(絶対的な)敵味方は存在せず敵味方というのは所詮一個人からみた思考でしかなく敵味方の基準も人によって異なる。それでも敵味方思考が必要とされるとしたらそれは自身が生き残るため・味方を生かすため・自身や味方を守るため・自身や味方が被害を受けないためである。決して敵味方思考は敵対者を傷つけたり殺したりするためにあるのではない。相手が敵対者であっても必要以上に傷つけたり殺したりした者も敵である。 時代や状況によっては敵対者を傷つけたり殺害したりする事がやむおえない事もあるのは否定できないがどれ程正当化できる理由があっても敵対者を傷つけたり殺したりする事は悪であり自身が傷つけた者・殺した者の敵になる事である。「敵対者は殺しても良い」という考えは「悪人は殺しても良い」という考えと同じである。 善か悪か・正義か悪かにも同じ事が言えるが敵か味方か・敵かそうでないかというのは正当化である。敵か味方か・敵かそうでないかという考えは所詮は一個人のエゴである。善人か悪人か・正義か悪かにも同じ事がいえるが敵か味方か・敵かそうでないかというのは所詮はエゴとエゴのぶつかり合いである。敵味方中毒にならないためにはその事をしっかり理解しなければならない。 敵味方中毒はただのエゴイストでしかなく敵味方中毒も度が過ぎればもはや吐き気を催す邪悪の領域である。 敵味方中毒の一覧 敵味方中毒の一覧を参照。 関連項目 敵味方中毒の一覧
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