約 3,898 件
https://w.atwiki.jp/vipdetyuuni/pages/31.html
『なあ・・・・・何時になったらお前の所に行ける?』 【鎖縛薔薇】 自分の半径10mから鎖を好きな所から出せる 鎖は伸ばしたり、縮めたりできるが太さは変えられない 更に鎖には短い刃が無数に付いている ただし、能力の使用中は顔以外は動かせない プロフィール 性別 男 年齢 ? 能力分類 【操作系】 能力属性 【鎖】 誕生日 九月十七日 身長 178cm 体重 58kg 趣味 読書・美術品収集 好きな食べ物 野菜料理 嫌いな食べ物 特になし 得意スポーツ チェス 好き 古書・美術品 嫌い ? 大切 友 トラウマ 友人を殺めた事。 【人物】 ローブを着、西洋剣を持った人物。年齢不詳。 この世界からしばらく離れていたが、戻ってきた。 昔居た人々が居なくなっている事に悲しさを覚えつつも、日々を過ごす。 美術展を開いたりしている美術マニア。 美しいモノには目が無く、それに夢中になる事がある。 古書などにも興味を示す。要するに歴史のあるモノが好き。 【装備】 【西洋剣】:【剣林弾雨】に創ってもらった剣。羽のように軽い。 【ブラン・クローク】:闇のダメージを軽減するローブ。【神的仕立】に創ってもらった。 【幻糸】:友から託された大切な物。実は三本存在しているが失われこれが最後の一本。 生物の人形を造れる。だが、彼でしか命は吹き込めない。 【工具発射式拳銃】:リボルバー部分の切り替えにより、 釘、ボルト、螺子がを発射することが出来る特殊な銃。 しかし普通の弾丸は発射不可能。 初期弾数:釘30本、ボルト20本、螺子20本。 【GNキューブビット】:擬似太陽炉を組み込まれたキューブ型ビット。 大きさは20cm立法ほど。自在に飛行することが出来る。 またGN粒子による軽量化効果により、素早い動きと高い頑丈さを両立している。 ただし6レス使用する度に2レスのチャージタイムが必要となる。 移動しながらの扱いは難しい。攻撃も若干緩慢になる。
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/144.html
哀声地に満ち…… 五月三日から始まった東京裁判は、通例の法廷手続きに従い、(1)検察側立証、(2)弁護側反証・ 32 、服舳川榊(、.卜..年..月から)、㈹介触側反鮒・個人殴榊(二十二年九月から)、㈹検繊側反証(二士二 年一月)、㈹検察側最終論告(二十三年二月)、⑥弁護側最終弁論(二十三年三月)の各段階を経て・ 判決に至った。 訴因は「平和に対する罪(訴因第一~三六)、「殺人及殺人共同謀議の罪」(訴因第三七~五二)・ 「通例の戦争犯罪及人道に対する罪」(訴因第五三~五五)の三種に区分され、二八人の被告は多い 者で五四項目、少ない者でも二五項目に該当するとされた。 「南京攻撃に依る中華民国の一般人及非武装軍隊の殺害」は訴因第四五に当り、松井大将以下一 二名が名前を並べているが、実質は松井だけのために設定された訴因と見てよい。 検察側立証段階におげる南京事件の証人出廷は二十一年七月二十五日、当時金陵大学付属鼓楼 医院に勤務していたウイルソソ医師を先頭に、八月末まで一か月以上にわたってつづいた。 証拠は大別して二つのカテゴリーになる。一つは事件当時南京にいた国際安全区委員会の外国 人たちで、本人が出頭して垂言したのはウイルソソ、べ-ツ、マギー、スマイス、口供書だけを 提出したのが、フイツチ、マツカラム牧師、ダーデイソ記者(検察側不提出)だった。また全部は 朗読されたかったが、委員会が日本の官憲に提出した抗議文書を集録した「南京安全区櫨案」 (一九三九年徐淑希編)、スマイス博士(■睾蒜印O.ω昌言ま)が編集した「南京地区における戦 争被害」(.、ミ、、一)纈昌、胴。一、亭、2彗ζ轟賢員,U①・①昌σ彗ε彗3竃胃9宕竃一望彗的言二⑩竃)・ 33
https://w.atwiki.jp/toho/pages/7202.html
紺 -KAN- サークル:SOUND HOLIC Number Track Name Arranger Lyrics Vocal Original Works Original Tune Length 01 Lunatic Kingdom SOUND HOLIC - - 東方紺珠伝 宇宙巫女現る [03 02] 02 REQUIEM BLUE SHU×GUCCI Nana Takahashi Nana Takahashi 東方紺珠伝 故郷の星が映る海 [05 33] ピュアヒューリーズ 〜 心の在処 03 三十八万キロノセカイ 709sec. Blue E ユリカ 東方紺珠伝 遥か38万キロのボヤージュ [05 16] 04 NAVIGATOR 隣人 隣人 aki 東方紺珠伝 九月のパンプキン [04 34] 05 夢の方舟 Swing Holic Band Harumai A〜YA 東方紺珠伝 湖は浄めの月光を映して [03 49] 06 BLAZE OF GLORY MasKaleido Blue E Nana Takahashi&ユリカ 東方紺珠伝 忘れがたき、よすがの緑 [04 41] 兎は舞い降りた 07 Pierrot le fou 709sec. Blue E 709sec. 東方紺珠伝 星条旗のピエロ [03 55] 08 The Party We Have Never Seen Camellia Camellia Nana Takahashi 東方紺珠伝 見た事も無い悪夢の世界 [04 25] パンデモニックプラネット 09 dream in dream zikee Blue E CALEN 東方紺珠伝 見た事も無い悪夢の世界 [05 09] 10 MAD CIRCUS MasKaleido Nana Takahashi Nana Takahashi 東方紺珠伝 星条旗のピエロ [04 56] 11 daydream believer 隣人 隣人 Nana Takahashi 東方紺珠伝 宇宙を飛ぶ不思議な巫女 [04 41] 永遠の春夢 12 there is no word MasKaleido Blue E 3L 東方紺珠伝 凍り付いた永遠の都 [05 11] 逆転するホイールオブフォーチュン 詳細 コミックマーケット89?(2015/12/30)にて頒布 イベント価格:1,000円 ショップ価格:1,512円(税込) Guest 隣人(ZYTOKINE) ユリカ(cordelia) 3L(NJK Record) レビュー 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/kobun/pages/28.html
2023 発心集 近きころ、蓮花城といひて、人に知られたる聖ありき。〜このこと、さもと聞こゆ。 2022 伊勢物語 昔、おほやけおぼして使うたまふ女の、色ゆるされたるありけり。〜染殿の后なり。五条の后とも。 2021 平家物語 天性この大臣は不思議の人にて〜げにもと思ひ知られ[ ]。 2020 讚岐典侍日記 明けぬれば、いつしかと起きて〜かくて九月もはかなく過ぎぬ。 2019 今昔物語集 2018 源氏物語・澪標 さる所にはかばかしき人しも〜馴れて聞こゆるをいたしと思す 2017 愚管抄 さて寛平は位につかせおはしましけるはじめより〜しかも摂籙の家を守らせ給ふなり 2016 今昔物語集 巻四第十七 今は昔、天竺の僧伽羅国にひとつの小伽藍あり。〜うなだれて立り給へりとなむ語り伝へたるとや。 2015 平治物語 2014 古今著聞集 大殿・小殿とて聞こえある強盜の棟梁ありけり。〜誠にかひがひしく、そのあたりには夜の恐れなかりけり。 2013 平家物語 三位中将の年ごろ召しつかはれける侍に、〜ただ泣くより外の事ぞなかりき。 2012 松蔭日記 ゆかりの花 2011 沙石集 2010 2009 源氏物語・玉鬘 三十ばかりなる男の、丈高くものものしくふとりて〜また詠まむと思へれども、堪へずやありけむ、去ぬめり 2008 古本説話集 2007 発心集 2006 栄花物語巻25 七月八日、院より殿の御前に 2005 文机談 さてこの黄菊、 2004 なぐさみ草 かくてある時、この主ののたまふやう〜我恥づかしきかな 2003 百人一首一夕話 俊成卿若かりし時、 2002 梁塵秘抄口伝集 乙前八十四といひし春、 2001 承久記 日本国に女房のめでたきためしに、 2000 枕草子 故殿の御ために、月ごとの十日 1999 源氏物語・澪標 五月五日にぞ五十日にはあたるらむと 1998 平家物語 ある人の申しけるは、清盛は忠盛が子にはあらず、 1990 栄花物語 かかる程に、三位中将殿、〜いかにせん」とおぼしたり・
https://w.atwiki.jp/ymcawaseda/
早稲田大学YCMA 資料室 早稲田YMCA資料室へようこそ。 このページでは、公開する資料のリンクを乗せています。 情報公開・法人資料・各資料へのリンク 法人の活動報告 寄付行為 財務諸表 その他 (工事中) ログインできるメンバーは、ログインして、ご閲覧ください。 メンバー登録・閲覧希望者は、以下まで、ご連絡ください。 早稲田大学YMCA 新宿区西早稲田2-5-2 法人の活動報告 講演会(公開) ホームカミングセミナー@早稲田大学基督教青年会会館 2007年度 第10回 1月13日(日) 奈良 信さん (建築士、財団理事長、46年理工卒) 「忘れえぬ人々(4)」 第11回 2月7日(木) 東條 隆進さん (社会科学部教授、財団会長、66年政経卒) 「ウツの勝ち組、ニートの負け組」 第12回 3月6日(木) 高橋 一真君 (早大法学部4年、信愛学舎元寮長) 「2007年早大YMCA国際ボランテイア活動報告」 2008年度 第1回 4月3日(木) 石井 幸一さん (石井運送社長、57年二政卒) 「早大第二学部YMCAの思い出」 第2回 5月8日(木) 奈良 信さん (建築士、財団理事長、46年理工卒) 「三田村宏さんと敗戦直後の早大YMCA」 第3回 6月5日(木) 井筒 洋一さん (同盟主任主事) 「公益財団法人の機関設計」 第4回 7月3日(木) 杵淵 正義さん (元都庁勤務、財団監事、61年二商卒) 「魚河岸の青春」 第5回 8月7日(木) 加藤 武樹さん (元日銀勤務、48年政経卒) 「大いなる出会い ―幼年学校、早稲田、日銀―」 第6回 九月4日(木) 滝 良太君 (早大商学部3年、早大YMCA幹事長) 「早大YMCA国際ボランテイア構想」 第7回 10月2日(木) 加藤 利栄さん (早大OB、ワイズメンズクラブ) 「YMCAとワイズメンズクラブ」 第8回 11月3日(祝) 本多 定彦さん (元メーカー勤務、55年一政) 「隠れキリシタンの研究―曲直瀬道三と 毛利元就―」 早稲田大学YMCA ーー
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/109.html
<魏 237年> <蜀漢 237年> <呉 237年> 237年 青龍五年→景初元年 (魏) 皇帝 曹叡(魏) 皇后 毛氏(明悼毛皇后・河內人)→(死亡) 三公 燕王:公孫淵(自称して自立する。改元して紹漢元年。百官を置く) 太傅:(空位) 太尉:司馬懿(前大将軍) 司徒:(空位)→陳矯(前尚書令)→(死亡) 司空:(空位)→衛臻(前尚書僕射) 九卿 衛尉: その他の要職 大司馬:公孫淵(樂浪公・前車騎將軍) 大将軍: 驃騎大將軍:→ 車騎將軍:→ 地方官 荊州刺史:胡質 幽州刺史:母*丘儉 主な事件 景初元年春正月壬辰、山茌県で黃龍が現れたと伝わる。これを有司が奏上し、魏が地統を得ている為として建丑之月を正月とすべしと述べた《三国志魏書明帝紀》 三月、曆を定め、改年し孟夏四月とした。服色は黃を尊び、犧牲には白を用い、戦の事には黑く首が白い馬に乗り、大きな赤の旗を建て、朝会には大きな白の旗を建てた。改めて太和曆を景初曆と言う。其春夏秋冬、孟仲季の月は正歲(現在の暦)と同じではないといえども、郊祀、迎氣、礿祠、蒸嘗、巡狩、蒐田﹑分至、啓閉、班宣時令、二十四節季の早い晚い、敬授民事、皆現在の暦と同じ順序とした《三国志魏書明帝紀》初め文皇帝が即位し漢から受禪した時、漢の正朔に従って改めず。帝は東宮にあった時論を著し、正朔は改めるべきで、受命之運を明らかにすべきと述べた。即位するに及んで、久しく放置されていたのを史官が改めてはと述べたので、三公、特進、九卿、中郎將、大夫、博士、議郎、千石、六百石に詔して博く議させたがまとまらなかった。帝は古典に拠って、甲子に詔して「今三統の順を推察すると魏は地統を得ていて建丑之月をもって正月と為すべきだろう。青龍五年三月を改めて景初元年四月と為す」《三国志魏書明帝紀に引く魏書》 五月己巳(5月2日)、洛陽宮に還る《三国志魏書明帝紀》 五月己丑(5月22日)、大赦《三国志魏書明帝紀》 六月戊申(6月12日)、京都に地震《三国志魏書明帝紀》 六月己亥(6月3日)、尚書令の陳矯を司徒と為す。尚書僕射の衛臻を司空と為す《三国志魏書明帝紀》 六月丁未(6月11日)、魏興郡の魏陽、﹑錫郡の安富、上庸を分けて上庸郡と為す。錫郡を省き、錫縣を魏興郡に属させた《三国志魏書明帝紀》 有司が奏上するに、「武皇帝は乱を廃し正に変えしたので魏太祖となり音楽は武始之舞を用い、文皇帝は受命天に応じて魏高祖となり、音楽は咸熙之舞を用い、帝は治を興して魏烈祖となり、音楽は章(武)[斌]之舞を用います。三祖之廟は萬世において壊さず、その他の四廟は親しさに合せて迭毀するようにしましょう」と。《三国志魏書明帝紀》 秋七月丁卯、司徒の陳矯が薨ず。孫權は將の朱然等二萬人を遣わして江夏郡を囲む。荊州刺史胡質等は迎撃し退走させた。初め孫権は使者を遣わして海路より高句驪と通じ遼東郡を襲おうとした。幽州刺史の母*丘儉は諸軍及び鮮卑・烏丸を率いて遼東の南の境に屯す。璽書で公孫淵を徴し淵は兵を発し叛く。儉は軍を進めて討ち、雨が十日も降り続く中対陣し、遼水が氾濫する。詔をもって儉の軍を還えす。右北平の烏丸單于が婁敦を攻略し、遼西の烏丸都督王護留等は遼東に居座る。率いてきた部族の者は儉に従って內附する《三国志魏書明帝紀》 七月己卯(7月14日)、遼東の將吏士民に詔して淵に脅され略され降ることができなかった者を一切赦す《三国志魏書明帝紀》 七月辛卯(7月26日)、太白が昼に見える。淵は儉が帰還すると遂に自立して燕王と成る。百官を置き、紹漢元年と改元する《三国志魏書明帝紀》 青・兗・幽・冀の四州に大いに海船を作るよう詔す《三国志魏書明帝紀》 九月、冀・兗・徐・豫の四州の民が洪水に遭う。侍御史の循行を遣わして溺れ死んだもの及び財產者を失ったものに在所の官倉を開き救う《三国志魏書明帝紀》 九月庚辰(9月16日)、皇后の毛氏が卒す《三国志魏書明帝紀》 冬十月丁未(10月13日)、月が熒惑を犯す《三国志魏書明帝紀》 十月癸丑(10月19日)、毛后を悼み愍陵に葬る《三国志魏書明帝紀》 十月乙卯(10月21日)、洛陽南の委粟山を圜丘と為す《三国志魏書明帝紀》 十二月壬子(12月19日)冬至、祭祀を始める《三国志魏書明帝紀》 十二月丁巳(12月24日)、襄陽郡の臨沮・宜城・旍陽・邔の四縣を分けて襄陽南部都尉を置く《三国志魏書明帝紀》 十二月己未(12月26日)、有司は奏上し、文昭皇后の廟を京都に立てられますように。襄陽郡の鄀葉縣を分けて義陽郡に属させる《三国志魏書明帝紀》 誕生者 死没者
https://w.atwiki.jp/forsale-lawyer/pages/115.html
人間社会に対する詐欺及び偽作罪の告訴に就て 告訴人 堀 保子 代理人 山崎今朝彌 被告 [甲野太郎] [乙川一郎] [丙山二郎] 告訴状 告訴の事実 被告[太郎]は告訴人の知人堺利彦氏を介して本年五月頃、『人間社会』の創刊号に告訴人及び伊藤野技神近市子二氏の著作を掲載し雑誌の呼物となし其売行を図り度、原稿料は最高の額を支払ふ故是非寄稿を願ふ旨再三再四の懇請ありたるも、告訴人は他二氏と其性格経歴思想を異にし、彼等と共に喧伝せられ彼等と共に類別せられ常に世の評に上る事に少なからず無上の苦痛不快を感する折柄なれば、右懇請を其都度堅く拒絶したり。 六月上旬頃[一郎]は『女の世界』記者と称して告訴人を訪問し、右雑誌に掲載すべき、近時の感想に就き告訴人の演述を求めたり、告訴人は主筆青柳有美氏編集長安成二郎氏とは年来懇親の間柄にして大概の無理は通さざるべからざる関係にあり且つ雑誌に掲載前には必らず校正を示さるるを例とせる故安んじて自己の感想を談話したるも、尚其後聊か慮る所ありたるを以て、間もなく安成氏を訪問し右演述掲載の見合を申込たるに意外にも同氏は、[一郎]は『女の世界』記者にあらず『世の中』の記者なるに社名を詐称して告訴人を訪問したるは不都合なりと語りたれば、告訴人は一層掲載拒絶の必要を認め堅く安成氏に依頼し同氏の快諾を得安堵して帰宅したり。 八月十五日頃告訴人は堺利彦氏の注意により初めて、[太郎]の主宰する『人間社会』の八月一日号に、告訴人が嘗て[一郎]に為したる談話が多少の改悪を加へて、自由恋愛の犠牲者--伊藤野枝氏神近市子氏及び堀保子氏の現在の生活--なる題下に、或る日或時伊藤野枝、勝利の恋愛神近市子と名を列し。芝居を見に行く堀保子と署名掲載され、尚右標題及び際物ありとの注意を以て全国の新聞紙に広告されたる事を知り、絶大の苦痛と侮辱とを感じ、深く所謂被告等程度の文士なる者に一片の徳義も糸瓜もなきを嘆き直ちに安成氏を訪問して満腔の不平を訴へたり。 安成氏の証言する処に依り告訴人は此時初めて、[一郎]は『世の中』記者として告訴人を訪問したるにあらず実は『世の中』記者被告[二郎]に代り『女の世界』記者と詐称して告訴人を訪問演述せしめたるものにして[二郎]は[太郎]より直接前述の方法を以て、告訴人の著作物を『人間社会』の創刊号に掲載方法を依頼されたるもの、而して安成氏が告訴人の依頼を受け[一郎]を詰責したる際は既に原稿は大阪に送付済なりしを以て安成氏は[二郎]に命じ[太郎]に其掲載方法差止を打電せしめたるに、被告等は之を無視し掲載を敢てしたるものなる事を知りたり。 告訴の趣旨 右の次第にて被告等の所為は明に刑法第二百四十六条及び著作権法第一条第卅七条に該当するものと信じ、又告訴人としては充分蹂躙せられたる権利を伸張し将来同一類似の事件の発生を予防する為め此際断乎たる処置に出ずるを尤も適当と信じ利害得失研究の上茲に本告訴提起仕候条至急相当の御処分相成度候也(六、八、二二) <[ ]内仮名> 不起訴処分に対する抗告 抗告人 堀保子 代理人 山崎今朝彌 (一)抗告人は大正六年八月廿二日[乙川一郎][丙山二郎][甲野太郎]に対して詐欺及び偽作の告訴を東京地方裁判所検事局に提起したる処、同局は同年九月十二日不起訴の処分をなしたり。 (二)係検事(秋山高三郎殿)が右処分をなしたる理由の要旨は本件は(イ)被害者より騙取したる財物なるものなければ詐欺罪は到底成立するに由なし(ロ)新規難解の問題にして談話は著作と云ふを得るや否未研なれば偽作となるものにあらず、と云ふに在り。 (三)然れども本件は(イ)被告等が告訴人を欺罔して原稿又は談話を騙取したりとの告訴にあらず、被告等が共謀して告訴人を欺罔し依て以て権利なき他人の著作を雑誌に掲載し財産上不法の利益を得たりとの告訴なれば所謂第二項詐欺に該当すること法文上絶対明白なり(ロ)何れも最初は新規にして著作権法第一条によれば、文書演述文学の範囲に属する著作物の著作者は其著作物を複製するの権利を専有するが故に、告訴人の談話が其の何れの範囲に属するかを問はず其談話は(告訴事実に於ては)既に所謂成形的談話として客観存在を保ちたる所謂発明(創作)なれば、之れを複製したる被告等の所為が偽作の犯罪を構成すること抑々一点の疑なし。 (四)抗告代理人は其提供する実際の法律問題に付、数年後に於て必らず一般に公認せらるる以前、屢々突飛珍奇の排斥を受くる常習を有す、本件も亦碁年ならずして、猥りに人の談話演説を公布刊行する不徳者に対し、囂々非難の声を絶たざる文士輩出するに至らば、復た豎子をして其名を成さむしるに至るべしと信じ為後日以抗告如件 抗告趣旨 前記処分を為したる下級検事に対し事件を起訴すべしとの御命令相成度候 大正六年九月十七日 山崎今朝彌 東京控訴院検事局 御中 <[ ]内仮名> <山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
https://w.atwiki.jp/kaiseimaru/pages/318.html
年表 寛永十三 1636 寛永十四 1637 長崎で世界地図が作られる。[寛永]輿地圖(鮎澤仮題) 正保 二 1645 長崎で日本初の印刷世界地図、「万国総図」が作られる。 正保 三 1646 四月六日、林吉左衛門長崎に刑死、門人、小林義信禁錮(長崎年表) 正保 四 1647 参府和蘭商館員バイレン、井上筑後守、家臣に天文学を伝う(出嶋蘭館日誌) 向井元升、聖廟を建てる。(寛文三年延焼) 慶安 元 1648 樋口権右衛門、規矩元法を唱う 慶安 三 1650 沢野忠庵歿、年五二? 万治 元 1651 向井元升、京都に移り医を業とす(長崎年表) 万治 二 1659 乾坤弁説石(同書、向井玄松(升)序) 寛文 四 1664 参府和蘭商館長、昇降図二枚献上(塩尻) 寛文 七 1667 小林義信(謙貞)、禁錮を解かれる(先民伝) 小野昌碩歿(先民伝)五七歳 延宝 元 1673 吉村長藏歿(先民伝) 延宝 三 1675 島谷市左衛門、小笠原島を調査 延宝 五 1677 向井元升歿、年六九(先民伝) 延宝 八 1680 五月、綱吉、将軍になる。 この頃、「常憲院殿ノ眨,長崎ノ樋口乾貞萬國ノ圖ヲ和文字ニ移シテ江府へ指上ル所ノ說ナリ,」 (大島喜待の数学起(日本学士院蔵)にある。【明治前日本数学史 三巻 P402】) 七月末ヨリ彗星見フ(長崎年表) 天和 三 1683 領曆、十一月月食を註す。小林義信その誤を予言す(先民伝) 小林義信歿、年八三(十一月二十四日)、二儀略説の著あり 貞享 元 1684 十月、朝廷、大和曆を嘉納、貞享曆と命名す(春海実記) 貞享 二 1685 西川如見、教童曆談刊行 二月廿二日、戌刻大流星東南ヨリ西方ニ飛フ落テ声アリ(長崎年表) 向井兼丸(元成)ヲ以テ書物改役トス(長崎年表) 貞享 四 1687 貝原好古、「日本歲時記」刊行 元禄 元 1688 盧草碩歿、年四二 (先民伝) 元禄 二 1689 一月十日夜白雲起(長崎年表) 元禄十二 1699 盧草碩(玄琢)没ス(長崎年表) ←要検証 宝永 六 西川如見「華夷通商考」を著す(長崎年表) 正徳 二 1712 西川如見「天文義論」刊行(同書序) 正徳 三 1713 盧草拙、聖堂の学頭になる(長崎年表) 正徳 四 1714 西川如見、教童曆談刊行(再刊) 享保 元 1716 家継没、吉宗、将軍になる。 德川吉宗、建部賢弘及び中根元圭を召して曆法を問う(徳川実記) 盧草拙、書物改添役兼テ唐通事ニ補ス 享保 二 1717 徳川吉宗、参府和蘭商館長にアストロラビウムを示して天文の事を問う(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 長崎奉行、アストロラビウムを出嶋に送り、その使用法を問う(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 享保 三 1718 参府和蘭商館長、天上の質問を受く(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 享保 四 1719 西川如見、天文御用として江戸に召さる(先民伝、徳川実記、長崎年表B)【明治前日本天文史】 参府和蘭商館長、天文学者二名の訪問を受け、質疑あり(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 西川如見、「十二宮歌抄」刊行【明治前日本天文史】 西川如見、「天文教導倭歌(序)」【明治前日本天文史】 西川如見、「長崎夜話」(長崎年表) 享保 五 1720 西川如見、「書暦象俗解」刊行【明治前日本天文史】 享保 七 1722 幕府、和蘭商館に望遠鏡を注文す(出嶋蘭館日誌) 享保 九 1724 西川如見歿、年七七(九月)(先民伝)【明治前日本天文史】 享保一一 1726 西川如見、運気指南後編刊行【明治前日本天文史】 享保一二 1727 建部賢弘、江戸近郊測量の事により賞を賜う(徳川実記) 徳川吉宗、参府和蘭商館長の時計を見ん事を求む(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 渋川敬也歿年四〇(三月晦日) (天文方代々記) 向井兼丸、没ス(長崎年表) 享保十四 1729 五月、廬草拙没ス(長崎年表) 享保一五 1730 西川正休「訓点天経或問」刊行、大略天学名目鈔を附録とす【明治前日本天文史】 享保一六 1731 盧千里「長崎先民伝」(長崎年表) 享保一九年 1734 和蘭時計工渡来(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 享保二〇年 1735 書物奉行深見久太夫、参府和蘭人を訪い、天文に関して質疑す(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 西川忠次郎、天文御用年々銀子被下 正月蘭人「ケイルズ」召ニ応シ江戸ニ行ク(長崎年表) 元文 元 1736 深見久太夫、天文暦法のことを参府蘭人に質す(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 暦を作る和蘭人一名の派遣を蘭本国に求む(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 和蘭時計工アントニー、クロイト渡来す(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 通詞今村元右衛門、和蘭商館に至り将軍に提出すべき四分儀を求む(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 在府長崎奉行、その所有する四分儀の用法を参府蘭人に質す(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 元文 二 1737 北島見信、紅毛天地二図賛説成る (同書巻末記)【明治前日本天文史】 深見久太夫、参府蘭人に天文の事を質問す(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 元文 三 1738 深見久太夫、参府蘭人に天文暦法につき質す(出島蘭館日誌)【明治前日本天文史】 元文の頃 徳川吉宗、長崎の工人に命じ、自鳴鐘を製せしむ(徳川実記) 寛保 元 1741 西川正休、吹上御苑に召され観測に従事す(徳川実記) 寛保 三 1743 深見久太夫外一名、参府蘭人に天文につき質す(出島蘭館日誌)【明治前日本天文史】 六月五日晩大流星東ヨリ西ニ飛フ 十二月上旬西方ニ当リ室宿壁宿間ニ異星アリ(長崎年表) 延享 元 1744 長崎奉行、人をして出嶋蘭館に天文暦法の事を問わしむ(出嶋蘭館日誌)【明治前日本天文史】 徳川吉宗、天文台を江戸神田に建て、自ら製する所の簡天儀を以って之に備う(徳川実記) 八月 九日 西川忠次郎「暦算全書・割円八線之表」を借りる(書物方年代記(1) 廷享三年~宝暦十年) 八月廿三日、西川忠次郎「西洋暦経」を借りる(書物方年代記(1)) 延享 二 1745 北島見信、長崎奉行所天文方となる(長崎年表)【明治前日本天文史】 西川正休、参府蘭人に天文の事を質す(出島藺館日誌)【明治前日本天文史】 七月、大白星現ル(長崎年表) 延享 三 1746 八月二九日 西川忠次郎「西洋暦経」を返却(書物方年代記(1)) 九月 二日 西川忠次郎「暦算全書・内二冊割円八線之表」を返却(書物方年代記(1)) 延享 四 1747 五月十二日、渋川六蔵・西川忠次郎が「暦算全書、西洋暦経、明史稿」を借りる。(書物方年代記(1)) 閏十月二四日、左之御書物土佐守殿より只今差出候様被仰下即刻差出之「割円八線之表、割円八線互求法、割円勾股八線之表」(書物方年代記(1)) 寛延 元 1748 山路主住、山路之徽、この頃、阿蘭陀人に会う(和蘭緒言) 寛延 ニ 1749 二月二〇日 西川忠次郎が借りた書物のうち「明史稿」を二一日に返却したいと申し出る(書物方年代記(1)) 和蘭通詞、和蘭暦本を出嶋蘭館に持参、日月食の事を質す(出島蘭館日誌)【明治前日本天文史】 宝暦 元 1751 唐暦【若杉家文書118】 阿蘭陀暦和解 元年より八ヶ年分【若杉家文書118】 宝暦 六 1756 二月廿五日夕、大流星巽ヨリ乾ニ飛フ(長崎年表) 宝暦十三 1763 九月朔日辰刻日食六七分、暦ニ載セス(長崎年表) 明和 三 1766 四月十九日亥刻大流星東北ヨリ西南ニ飛フ(長崎年表) 明和 六 1769 麻田剛立、大阪に居を移し天文学を研す 彗星出ツ(長崎年表) 安永 元 1772 本木良永訳、阿蘭陀地球図説成る 入江修敬、新暦提要簡法成る 唐船「天学初函」ヲ輸入ス(長崎年表) 安永 二 1773 本木良永訳、平天儀用法成6 西洋暦術朔望辰あり 安永 三 1774 本木良永訳、天地二球用法成る (長崎髓蟻釉聲書)【長崎市史稿碑文/ 本木良永訣、太陽距離暦解成る 安永 五 1776 天文方の者、ツンベルグを江戸の旅宿に訪い、食につき質疑す(ツンベルグ紀行) 本木良永沢、日月時圭和解成6(洋学年表) 安永 六 1777 通詞志筑忠雄職を辞し、本木良氷につき天学を専修す(洋学年表) 安永 八 1779 薩摩藩、明時館を興し、天文台を築き、暦数の学を講習す。長崎通事、松村元綱を顧問とす(明時館記) 天明 元 1781 本木良永訳、阿蘭陀海鏡書成る(同書) 天明 二 1782 志筑忠雄、万国管窺成る
https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/58939.html
【検索用 いのり 登録タグ 2015年 UTAU い 曲 曲あ 櫻歌ミコ 浮世P 滲音かこい 雪歌ユフ】 + 目次 目次 曲紹介 歌詞 コメント 作詞:浮世P 作曲:浮世P 編曲:浮世P 唄:雪歌ユフ、櫻歌ミコ、滲音かこい 曲紹介 九月にさようなら 曲名:『祈り』(いのり) 使用されている画像は葛飾北斎の「富嶽三十六景 東海道江尻田子の浦略圖」 歌詞 ひとつ またひとつだって いずれまた積み上がるって 同じこと続けてって それでまたやりなおし 何をどうやったって 無駄だったでしょ 何をどうやったって 無駄だったかな ひとつ またひとつだって いずれまた積み上がるって 同じこと続けてって それでまた…… ぼんやりと現れた朝日がとびこえて どこかで回る さようなら ひとつ またひとつだって いずれまた積み上がるって 同じこと続けてって それでまたやりなおし 何をどうやったって 無駄だったでしょ 何をどうやったって 無駄だったかな ひとつ またひとつだって いずれまた積み上がるって 思えるのならばきっと 繰り返しはもう終わり ぼんやりと現れた朝日がとびこえて どこかで回る さようなら 唐突に現れた夕日はすぐ消えて かすかな祈り また明日 コメント 名前 コメント コメントを書き込む際の注意 コメント欄は匿名で使用できる性質上、荒れやすいので、 以下の条件に該当するようなコメントは削除されることがあります。 コメントする際は、絶対に目を通してください。 暴力的、または卑猥な表現・差別用語(Wiki利用者に著しく不快感を与えるような表現) 特定の個人・団体の宣伝または批判 (曲紹介ページにおいて)歌詞の独自解釈を展開するコメント、いわゆる“解釈コメ” 長すぎるコメント 『歌ってみた』系動画や、歌い手に関する話題 「カラオケで歌えた」「学校で流れた」などの曲に直接関係しない、本来日記に書くようなコメント カラオケ化、カラオケ配信等の話題 同一人物によると判断される連続・大量コメント Wikiの保守管理は有志によって行われています。 Wikiを気持ちよく利用するためにも、上記の注意事項は守って頂くようにお願いします。
https://w.atwiki.jp/wasarainfo/pages/33.html
七月 2003年7月29日、わさらーとして活動を始める。魚拓 八月 前半 2003年8月1日、USJから帰ったことを自慢 魚拓 2003年8月3日 パラパラパラダイス 魚拓 2003年8月5日 東京の実家を自分語り 魚拓 2003年8月7日 怪文書を投稿 魚拓 2003年8月9日 ネザー2クリアを自分語り 魚拓 2003年8月10日 ※真偽不明 山葵栽培について自分語り 魚拓 2003年8月11日 山葵栽培2 魚拓 2003年8月13日 サイトについての自分語り 魚拓 2003年8月14日 語り 魚拓 2003年8月15日 心霊写真でイキる 魚拓 後半 2003年8月16日 東京で屯ろする 魚拓 2003年8月21日 町田で屯ろ 魚拓 2003年8月25日 PCに嘆く 魚拓 2003年8月31日 死亡 魚拓 九月 2003年9月22日 風が強いと自分語り 魚拓 十月 前半 2003年10月2日 兄弟らしい 魚拓 2003年10月11日 死亡 魚拓 2003年10月12日 自粛? 魚拓 2003年10月13日 あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!! ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!! ) 魚拓 後半 2003年10月19日 祭り 自分語り 魚拓 2003年10月21日 けっ 魚拓 2003年10月22日 発狂 魚拓 2003年10月24日 ああ 魚拓 2003年10月27日 嗚呼 魚拓 十一月 2003年11月1日 ボーリング カラオケを語る 魚拓 2003年11月2日 ボーリング2 魚拓 2003年11月3日 自殺願望 魚拓 2003年11月5日 釣りについての考察 魚拓 2003年11月9日 ??? 魚拓 2003年11月20日 テスト勉強 魚拓 2003年11月29日 テスト終了 バレーへの興味 魚拓 十二月 2003年12月4日 ドラえもん 魚拓 2003年12月11日 豪遊で成績下がる 魚拓 2003年12月26日 叫びへの考察 魚拓 2003年12月27日 カカ(スペイン語で糞の意味)ロット(英語で多いの意味)が好きなようだ 魚拓 2003年12月28日 ※真偽不明 アメリカとブラジルで遊ぶ 魚拓