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http //www.okinawatimes.co.jp/day/200803281700_02.html 2008年3月28日(金) 夕刊 7面 「新証言 聞いてくれた」/大江さん冷静に評価 六十三年前の沖縄戦。慶良間諸島で起きた住民の「集団自決(強制集団死)」への軍関与の史実について二十八日、司法が踏み込んだ判断を示した。被告の大江健三郎さんは、著書を「しっかり読んで下さった」と評価。被告側支援者らは、涙を浮かべて喜び、元戦隊長ら原告は、顔をこわばらせた。被告側を支援してきた県内の関係者らは「判決は当然。ほっとした」「次は教科書の記述復活だ」と、一様に歓迎した。悲劇の舞台の一つ渡嘉敷島は、くしくも六十三回目の「あの日」。遺族らが犠牲者の名を刻んだ白玉之塔に手を合わせた。 「裁判所が私の『沖縄ノート』を正確に読んで下さった」「新しい証人の声をよく聞いてくれた」。判決の言い渡し後、大阪司法記者クラブで開かれた会見。作家の大江健三郎さん(73)は原告側の訴えを一蹴した司法判断について、落ち着いた表情でよどみなく言葉を連ねた。 「個人の名を挙げて、彼を罪人としたり、悪人としたりしていない」と著書の記述が元戦隊長個人を誹謗・中傷したものではないとあらためて強調した。 また、「裁判の背景に大きな政治的な動きがあった」と指摘。二〇〇三年の有事法制の成立、〇五年の「集団自決」訴訟の提起、〇七年の教科書検定で「集団自決」の記述から軍の強制性が削除された問題が、一連の流れの中で起きたと述べた。 一方、昨年九月に宜野湾市で開かれた教科書検定意見の撤回を求める県民大会について、「あの十一万人の集会が本土の人間に、この問題がどのようなものであるか知らしめた」と語った。
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紺 -KAN- サークル:SOUND HOLIC Number Track Name Arranger Lyrics Vocal Original Works Original Tune Length 01 Lunatic Kingdom SOUND HOLIC - - 東方紺珠伝 宇宙巫女現る [03 02] 02 REQUIEM BLUE SHU×GUCCI Nana Takahashi Nana Takahashi 東方紺珠伝 故郷の星が映る海 [05 33] ピュアヒューリーズ 〜 心の在処 03 三十八万キロノセカイ 709sec. Blue E ユリカ 東方紺珠伝 遥か38万キロのボヤージュ [05 16] 04 NAVIGATOR 隣人 隣人 aki 東方紺珠伝 九月のパンプキン [04 34] 05 夢の方舟 Swing Holic Band Harumai A〜YA 東方紺珠伝 湖は浄めの月光を映して [03 49] 06 BLAZE OF GLORY MasKaleido Blue E Nana Takahashi&ユリカ 東方紺珠伝 忘れがたき、よすがの緑 [04 41] 兎は舞い降りた 07 Pierrot le fou 709sec. Blue E 709sec. 東方紺珠伝 星条旗のピエロ [03 55] 08 The Party We Have Never Seen Camellia Camellia Nana Takahashi 東方紺珠伝 見た事も無い悪夢の世界 [04 25] パンデモニックプラネット 09 dream in dream zikee Blue E CALEN 東方紺珠伝 見た事も無い悪夢の世界 [05 09] 10 MAD CIRCUS MasKaleido Nana Takahashi Nana Takahashi 東方紺珠伝 星条旗のピエロ [04 56] 11 daydream believer 隣人 隣人 Nana Takahashi 東方紺珠伝 宇宙を飛ぶ不思議な巫女 [04 41] 永遠の春夢 12 there is no word MasKaleido Blue E 3L 東方紺珠伝 凍り付いた永遠の都 [05 11] 逆転するホイールオブフォーチュン 詳細 コミックマーケット89?(2015/12/30)にて頒布 イベント価格:1,000円 ショップ価格:1,512円(税込) Guest 隣人(ZYTOKINE) ユリカ(cordelia) 3L(NJK Record) レビュー 名前 コメント
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【名古屋叢書続編 士林泝洄 名古屋市教育委員会 抜粋】 【名古屋叢書続編 第十七巻 士林泝洄(一) -第七回配本- 名古屋市教育委員会 昭和41.1.31 抜粋】 P6~P7 癸部 慶安以後新参衆 慶安三年寅 瑞公襲封以還至元禄六年酉菟裘時其間徴出立身者、載在此部。 (※省略 巻之百十六 癸之部 に、石谷氏記載) 【名古屋叢書続編 第二十巻 士林泝洄(四) -第十八回配本- 名古屋市教育委員会 昭和43.11.30 抜粋】 P440~P441 石谷 姓藤原西郷支流 家紋 七曜 政清 十郎右衛門 仕今川義元後奉仕于 神君。天正二年戌四月十五日卒。 清重 (政清の子) 又太夫 奉仕于 神君関原役、奉従于 秀忠公。元和九年亥正月十一日卒。 清春 (清重の子) 弥兵衛 浪人。寓駿州足久保邑。万冶三年子正月廿九日 卒。 清宣 (清春の子) 又太夫 寛永十四年丑、嶋原之役、属同氏十蔵有武功。 瑞公御代被召出為成瀬隼人正同心、賜二百 石。元禄七年戌閏五月十三日、致仕。宝永二年酉 正月廿七卒。 清紹 (清宣の子) 又太夫 継父家領、属同組。享保十四年酉六月十五日、 致仕、号道宇。延享元年子七月八日卒。 清光 (清宣の子) 浅之右衛門 元禄十年丑九月四日、被召出、五十人組、賜俸。 十六年未正月十八日卒。 清章 (清紹の子) 又太夫 初名長右衛門 享保十四年酉六月十五日、継父家領、属同組。 女子 (清紹の子) 加藤貞四郎妻 清行 (清章の子) 又助 清生 (清章の子) 弥八郎 清賀 (清章の子) 西郷又吉 元政 (清章の子) 鍋四郎 冒外姓称佐々。 戻る
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調査楽曲数 22 詳細版データ→(未作成) あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行 あ行 タイトル 地低 地高 裏低 裏高 備考 anschluss mid1F mid2G# mid2G# か行 タイトル 地低 地高 裏低 裏高 備考 カッコーの巣の上で mid1G mid2G# キェルツェの螺旋 mid1F# mid2F# 九月は讃美歌による - - 全編シャウトのみの構成。 解毒される樹海 mid2A# hiA# camm aven mid1E hiA タイトルは「女の子」という意味の造語で、読み方は不明。 さ行 タイトル 地低 地高 裏低 裏高 備考 sarasa - - 全編シャウトのみの構成。 skór mid1G hiA# すべて叫んだ mid1D# mid2G hiD# た行 タイトル 地低 地高 裏低 裏高 備考 第八病棟 mid1D# hiA# hiC 地図 mid1G# hiA# hiA# 地声最高音はラスサビで一回のみ。 チャールズ・ブロンソンのために - - 全編シャウトのみの構成。 な行 タイトル 地低 地高 裏低 裏高 備考 二月の兵隊 mid1F hiA# nicol kills nicolas for nicola mid1C# mid2G# mid2G# hiC は行 タイトル 地低 地高 裏低 裏高 備考 haiku about kdyla - - 全編シャウトのみの構成。 花のように mid1D# hiA# purusha mid1G# mid2G# 僕たちに明日はない mid1F hiA# hiA hiC や行 タイトル 地低 地高 裏低 裏高 備考 Your eyes have all the answer mid1C hiA# mid2F hiC 地声最高音はラスサビで一回のみ。 ら行 タイトル 地低 地高 裏低 裏高 備考 ラズロ、笑って mid1E hiB hiB Leland mid1F# hiB hiA hiB わ行 タイトル 地低 地高 裏低 裏高 備考 わたしたちの失敗 mid1D# hiA 関連ページ KEYTALK 外部リンク 検索用文字列
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『民経記』寛喜三年七月二十三日 《関白家氏院参賀》廿三日、丁未、天晴、今日関白家氏院参賀云々、家司右少弁忠高奉行云々、未刻許参殿下、先之権右中弁光俊朝臣祗候、以右少弁信盛申条々事、公卿勅使間事、可為九月中旬之旨被仰下候、仰云、其程間日次可申定、近江・伊世駅家雑事之間事、両国司共以不在京候、江州国司(近江守源信綱)居関東、差進清廉代官可申沙汰之旨怱可被仰遣関東候歟、勢州国司事、其間在京無懈怠可申沙汰之旨、可被仰遣候歟、仰云、先可申定日次、其後両国司事可仰遣之旨有御気色、先々奉行仏事、辞申候、今度可被仰他人旨申之、仰云、不始神事之以前猶可申沙汰、始神事之後可辞申、北野祭大蔵省切下文諸国散状所内覧也、有御点、任近例可引付御輿長・駕輿丁之旨可被仰下歟之由所申也、仰云、任此御点猶可加催促、申子細者可引御輿長之由可載御教書、散状頗遅々如何之由有仰、先々此事頗沙汰、近々有其沙汰前一両日之間、引御輿長已下譴責諸国定事也、去々年且予奉行、去年又信盛職事之時奉行、信盛乍知其子細、頗散状遅々歟之由於御前申之歟、凡信盛殊予辺事当時殊不快之体有之、頗以奇怪、信盛任廷尉佐之時、土御門殿御摂 之時殊令挙申給、新補之間、如記録・次第殊被借遣、固実又細々令扶持給、其程常参入申子細き、而土御門殿御篭居之後素縁《疎遠歟》、称為二条中納言定高卿猶子之由、家礼人以咲之、頗献名簿歟、当時為伝奏之人数、其躰頗見苦、於予辺事此躰頗奇恠也、(後略)
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Ⅲ 新宿漂流 リメリック カラスに食べ物をもらう九月 ロビンソンクルーソー 十五少年漂流記 蝿の王 5月4日 ダイナ 砂の妖精の続編 花園神社 紅テント 新宿見たけりゃ ハプニング 革命・エトランジェ・竜 参考書籍 リメリック その名も高き チェシャア猫 お好きなものは 女の子 アリスに ぞっこん 明日は 結婚 ドジスン先生「いかん!」と頑固 灰流 『Forest』 1・2・5行目が韻を踏み3.4行目がまた別の韻を踏む形式をとるイギリスの5行詩。 内容は大抵突拍子も無いもので、その名手がエドワード・リア。 ちなみに、このリメリックは、ドジズン先生が、15才の少女と結婚しようとした弟に対して、経済的不安定を理由に反対したというエピソードにちなんでいる…のかもしれない。もしそうなら、詩中の「アリス」はアリス・プレザンス・リデルではなく、弟の婚約相手であるアリス・ジェーン・ドンキンを指していることになる。 カラスに食べ物をもらう九月 元ネタは「ケンジントン公園のピーターパン」? ピーターの食べ物は、全部公園からソロモンの命令によって鳥たちが運んできました。ピーターは、ミミズや昆虫は食べなかったので(このことも鳥達はバカにしていましたが)、くちばしにパンをくわえて持ってきたのでした。だから大きなパンの耳をもって飛び去って行く鳥に対して「よくばり、よくばり」なんて叫ぶのは、そんなことをするべきじゃないと今はお分かりでしょう。なぜならたぶんその鳥は、パンの耳をピーターパンのところに持って行っているのでしょうから。 katokt訳『ケンジントン公園のピーターパン』 ロビンソンクルーソー ダニエル・デフォー作の冒険小説の主人公。無人島に漂着し、そこで28年間生きる。 十五少年漂流記 ジュールヴェルヌ作。ニュージーランドから孤島に漂流した少年達が協力して島を脱出する冒険談。 蝿の王とは違って、子供たちはおおむね協力しあって文明的な生活を送り、ハッピーエンドで終わる。 蝿の王 →出典辞典:蝿の王 それにしても、刈谷さんが必死に協力を訴えているときに、この作品の名をあげる灰流は本当にいい性格している。 5月4日 5月4日…… アリスがウサギの穴へ落ちた日。 不思議の国へ旅立った日。 刈谷 『Forest』 アリスが不思議の国を探検した日が5月4日というのは、作中のアリスの言葉から推測される。また5月4日はリデル家の次女アリス・プレザンス・リデルの誕生日でもある。 「帽子屋さんならみたことあるし、三月うさぎのほうがおもしろいわよね。それにいまは五月だから、そんなすごくキチガイでないかもしれない――三月ほどには」 アリスはちょっと考えてから言いました。「四日(よっか)」 「二日(ふつか)もくるってる!」と帽子屋さんはためいきをつきました。 山形浩生訳『不思議の国のアリス』6章,7章 ダイナ アリスが飼ってた猫は、 不思議の国へは行かないはずだな? 鏡の国では、どうだったかな? 灰流 『Forest』 行ったとも行ってないともいえる。「鏡の国のアリス」ではこの問題があやふやなまま終わっている。 砂の妖精の続編 魔よけ物語のこと。両方とも作者はイーディス・ネズビット。 花園神社 新宿5丁目にある神社。祭神は倉稲魂命・日本武尊・受持神。 もともと稲荷神とは穀物に関する神の総称であり、その使いが狐。また誤解からその狐自体が神として祭られることもある。 参考:花園神社公式サイト 紅テント 唐十郎の劇団「状況劇場」が用いた舞台であり、その象徴。 1967年、状況劇場は花園神社内に紅テントを建て、「腰巻お仙 -義理人情いろはにほへと篇」を上演する。これが紅テントの始まり。 ちなみに、1年ほど花園神社での公演を続けたが、クレームを受けて1968年に花園神社から撤退している。しかし、紅テントでの活動自体は新宿中央公園などを中心にその後も続けられた。 となると、中のフリークの正体は? 新宿見たけりゃ 新宿見たけりゃ 今見ておきゃれ じきに 新宿 原になる 『Forest』 状況劇場が用いたキャッチコピーの一部。 オリジナルは 「お仙」見たけりゃ 今見ておきゃれ 母ァ殺して 銭つくれ 新宿見たけりゃ 今見ておきゃれ じきに 新宿 原になる 状況劇場 ハプニング →ギフト一覧 ハプニング 革命・エトランジェ・竜 元ネタ不明。無理に解釈すれば、元ネタはヨハネの黙示録。ヨハネの黙示録において竜は悪魔、さらに言えば異教徒(エトランジェ)のローマ皇帝を暗示し、彼らは最後の審判を前に地上を破壊し尽くそうとする。 しかし、イギリス縛りから外れてしまう(当時はイギリスもローマ領だけど)。とするとゲド戦記あたりか…? 現実の出来事で良いなら、イラン革命が当てはまりそうな気もするが、新宿ともイギリスとも関係がないのが難点。 でも、イギリス、新宿、革命とくれば、英国に対する独立運動に身を投じた新宿中村屋のボースさんじゃないの。 エトランジェを追っかけ回すのは、やつらが侵略者だから! インドカリーのナカムラ屋 女主人は名高きソーマ 亡命者がやってくる 革命家がやってくる お礼にレシピを残していった ヨドレエレジィ「ナカムラ屋」より 参考書籍 ロビンソンクルーソー(ダニエル・デフォー,1719) 十五少年漂流記(ジュール・ヴェルヌ,1880) 蝿の王(ウィリアム・ゴールディング,1954) 不思議の国のアリス(ルイス・キャロル,1865) 砂の妖精(イーディス・ネズビット,1902) 魔よけ物語(イーディス・ネズビット, 1906)
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東方元ネタWikiが閉鎖したので、リンクを東方元ネタWiki2ndに変更お願いします。 - 名無し 2017-04-29 09 12 39 東方憑依華、東方天空璋の項を追加お願いします。 - 名無しさん 2017-05-09 18 50 54 アンノウンX 深秘録版の追加お願いします -- 名無しさん (2017-08-20 15 01 06) 東方靈異伝の天使伝説をお願いします - 名無しさん (2018-05-31 22 05 06) 東方緋想天の「香る樹葉花」お願いします - 後ろだッ!!さん (2019-01-18 21 07 45) ZUN氏作曲音楽データベースなのでここでは難しいと思います。萃夢想や緋想天にはZUN氏以外の作品が多くあることについて各ページに注記しました。これからももしかすると、詳しくない方が悩んでしまう可能性があると思います。 - 名無しさん (2019-11-06 04 44 41) 東方鬼形獣の楽曲をお願いします - 名無しさん (2019-10-12 10 37 03) 九月のパンプキン、冒頭~45秒までは変ホ短調(嬰ニ短調)です。 - 名無しさん (2019-11-24 00 21 42) 再生時間でのソートができなくなっています。お手数ですがよろしくお願いします。 - 名無しさん (2019-12-28 04 06 00) 凍り付いた永遠の都の基本BPMは167の可能性が高いです。ただ動画サイトなどの耳コピを見ると変則的なBPMにしている人も見受けられるので、細かく変則的に動いている可能性もありますが…一応 - 名無しさん (2021-01-04 17 32 40) 少し試してみましたがBPM166~168の間で微妙に動いているようです - 名無しさん (2021-01-10 17 34 53) ZUN氏の単発「唯一無二のシミュラークル」「日々是紅日 ~ Folksy Touhou days.」などは、『作品別』の項にどう組み込みましょうか。『8BIT MUSIC POWER FINAL』のように1曲1作品で作るようにしますか。 - 名無しさん (2021-09-11 23 28 17) 名前
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2009.7.11 No.51 徳永直『光をかかぐる人々』(四) 定価:200円(税込) p.263 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(245項目)p.1117 最初の印刷工場 一/二/三/四 作者言 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。翻訳・朗読・転載は自由です。 ※ テキストおよび底本画像は、 徳永直『光をかかぐる人々』入力中(http //d.hatena.ne.jp/HikariwokakaguruHitobito/)(uakira)にて公開中です。 (c) Copyright is public domain. フランクリンが十三歳で印刷屋の小僧となってから、十七歳の一七二三年フィラデルフィアに移って以来週刊新聞を発行するまで、彼のイギリス渡りの二、三枚の活字ケースがどんな重大なはたらきをしたかは、周知のように彼の『自伝』が彼がアメリカ憲法草案を書いたときのそれにもおとらぬ感動をもって語っているところだ。(略) しかし私の考えるところでは、フランクリンが「世界印刷術中興の祖」といわれる所以のもっとも大なるものは、活字や印刷機の多少の改良よりは、活字や印刷術を人々の日常生活のなかにひっぱりだしたこと、たとえばフィラデルフィアの町で、町有志の会合の記録などを、この青年書記がたちまち印刷にして配布し、その翌朝は町有志の人々がもれなく昨夜の激論の推移と成果を知ることができ、さらに次の会合のため各自がいっそうおのれの考えを進めることができるような印刷物を作ったこと、つまり活字のために新しい任務をひらいた点にあるのであろう。フランクリンは図書館をつくり、新聞をつくり、志ある人々をたすけてアメリカじゅうに印刷所ができるよう尽力した。しかし書籍組合創立や印刷所建設やではヴェニスのマヌチウスも、ウエストミンスターのカクストンも、フランクリンに劣りはしなかったのだから、つまりフランクリンの功績の大なる所以は、彼の図書館の建設方法や、同じ著述でもその内容や、新聞という独自の形式と内容や、印刷所建設でもその経営方法と作業規律の内容や、その性質に相違があったのである。 51.rm (朗読:RealMedia 形式 384KB、3'05'') #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 週刊ミルクティー*第51号 ※ ダウンロードサイトへジャンプします。 (856KB) 徳永 直 とくなが すなお 1899-1958(明治32.1.20-昭和33.2.15) 熊本県飽託郡花園村(現熊本市)生まれ。1922年上京、博文館印刷所(後の共同印刷所)に植字工として勤務。1925年に「無産者の恋」「馬」などを発表。翌年共同印刷争議に敗れ、同僚1700人とともに解雇される。1929年この時の体験を基にした長編「太陽のない街」を『戦旗』に連載。1958年『新日本文学』に長編「一つの歴史」を完結させないまま世田谷の自宅で病没した。享年59。 ◇参照:Wikipedia。 底本 http //d.hatena.ne.jp/HikariwokakaguruHitobito/ 底本:『光をかかぐる人々』河出書房 1943(昭和18)年11月20日発行 NDC 分類:210 914 【*年表】 ※ 本文中の和暦表記にはカッコ書きで西暦を付与。本文中の西暦表記はそのままとした。 ※ 嘉永は七年一一月二六日まで。一一月二七日(一八五五年一月一五日)をもって安政に改元だから、本文中「安政元年七月」は「嘉永七年七月」が正しいはず。「安政元年」の直後に * 印を加えて注意をうながす。 (例)安政元年*(一八五四)の七月 一四五五 「流し込み活字」ドイツ、マインツで発明(以下、印刷文明史)。 一四六五 イタリアへ流布。 一四六六 ギリシャへ流布。 一四六八 スイスへ流布。 一四七〇 フランスへ流布。 一四七三 オランダ、ベルギー、オーストリア・ハンガリーへ流布。 一四七四 スペインへ流布。 一四七七 イギリスへ流布。 一四八二 デンマークへ流布。 一四八三 スウェーデン、ノルウェーへ流布。 一四八七 ポルトガルへ流布。 十六世紀初頭 全イタリアで四百三十六の印刷工場があったという。 一五三三 「流し込み活字」ロシアへ流布。 慶長二十年(一六一五) 江戸金地院の崇伝『大蔵一覧集』を銅活字で印刷。校合、寿閑。 一六三八 「流し込み活字」北米合衆国へ流布。 元禄八年(一六九五) 『洋学年表』「十一月長崎オランダ通詞目付の員を設け衆員を監督せしむ、本木庄太夫始て補さる」 一七二三 フランクリン(十七歳)、フィラデルフィアに移って以来週刊新聞を発行。 一七九六 フィラデルフィアのアダム・ラメージが世界ではじめての鉄製のハンドプレスを作る。ロンドンでも数学者スタンホープが「スタンホープ式ハンドプレス」を完成。 一八一三 フィラデルフィアのジョージ・クライマーが「コロムビア・プレス」を作る。 文化十年(一八一三) 圭斎、生まれる。 一八二〇 ボストンのダニエル・トリードウェルが世界最初の足踏印刷機を発明。 一八二一 ニューヨークのラストとスミスが「ワシントン・プレス」を作る。 文政七年(一八二四) 昌造、生まれる。 一八三三 「ファラデーの法則」が確立。 天保年間(一八三〇年代) 平賀源内橋本曇斎、本木道平ら「エレキテル」の実験。 天保五年(一八三四)四月 昌左衛門と後妻クラとの間に、縫、生まれる。 一八四〇年以後 ロシア人ヤコビ、イギリス人ジョルデイン、アメリカ人アダムス、オーストリア人プレッチェら、電気写真版および凸版完成。(西洋印刷文明史) 一八三八 ケーニッヒのシリンダー式以上に世界の印刷界を嵐のなかに捲きこんだニューヨークのデヴィッド・ブルースの「ブルース式カスチング」を発明。 一八四六 ニューヨークで世界最初の輪転機「ホー式回転印刷機」が誕生。 天保十三年(一八四二) 異国船打ち払い令改正。 弘化元年(一八四四) オランダ軍艦「バレムバン」来航。 弘化年間(一八四四〜一八四八) 幕府はオランダに注文して、小型の蒸汽機関を注文。 弘化三年(一八四六) オランダのライデンにおいて『オランダ文典文章編』出版。のちに昌造、翻刻。 嘉永二年(一八四九) 「近来蘭医増加いたし世上これを信用するもの多くある由、相聞え候、右は風土も違候ことにつき、御医師中は蘭方相用候儀、御禁制仰出され」る。 嘉永二年(一八四九) 吉雄圭斎、日本で最も早く、自分の三児に種痘を試みる(日本科学史年表)。 嘉永三年(一八五〇) 全鉄製ハンドプレス「スタンホープ・プレス」いわゆる「ダルマ型」が、オランダから幕府へ献納。 嘉永三年(一八五〇) 中浜万次郎、漂民として日本へ帰着、後二年間は自由の身ではなかったが、安政の開港以後、幕府の軍艦操練所教授となる。 嘉永五年(一八五二) 土屋喬雄『封建社会崩壊過程の研究』によれば、薩摩藩、蘭書にもとづいて蒸汽船雛型を作る。 嘉永六年(一八五三) 川本幸民『遠西奇器述』で電胎法のことを祖述。 嘉永六年(一八五三) 第三回めのロシア使節が長崎へ来る。昌造三十歳。この年はじめて父となる。妻女縫はこのとき十五歳。長男昌太郎生まれる。 嘉永六年(一八五三) ペリー、プーチャチンの来航。 嘉永六年(一八五三)末 「長崎談判」のおり森山栄之助が訳述して公用に役立った英書を、同じ応接係役人の箕作阮甫でさえが読むことができなかった。 嘉永七/安政元年(一八五四*)正月 吉雄圭斎、長崎出島の蘭館において電気分解の実験。 嘉永七年(一八五四)正月十三日付 阮甫の文中「後に三宝寺に来たり」。三宝寺は「長崎談判」のため筒井、川路に随従してきた彼の宿舎。プーチャチンらの軍艦が退帆したあと「川路君」左衛門尉らとともに出島蘭館を巡見。 嘉永七年(一八五四)正月十三日付「これはエレキテルとジシャクを合したる法なり」(川路日記) 嘉永七年(一八五四)十五日 阮甫、川路らとともに、当時日本では数少ない鉄精錬所をもっている佐賀藩の洋式新台場をみて「鎖国の弊はいたらざる所なし」と叱�。 安政年間(一八五四〜一八六〇) このころ昌造作の鋼鉄製日本文字字母が帝室博物館に所蔵。 安政年間(一八五四〜一八六〇) 「ワシントン・プレス」が上海を経て長崎奉行所の印刷工場に使用(川田久長)。 嘉永七/安政元年(一八五四*) 「神奈川」「下田」二条約の成立。 嘉永七/安政元年(一八五四*)六月 神奈川条約成立後、ペリー退帆。 嘉永七/安政元年(一八五四*)〜二年 箕作阮甫、川路左衛門尉にしたがって「下田談判」へ参加。清水卯三郎、阮甫が下田にいる所へ行って弟子入りを頼む(呉秀三)。 嘉永七/安政元年(一八五四*) 「当時病用相省き、もっぱら書生を教導いたし、当今必要の西洋学者を育て候つもりに覚悟し」(緒方洪庵伝) 嘉永七/安政元年(一八五四*) 福沢諭吉、二十一歳で長崎へ遊学。 嘉永七/安政元年(一八五四*)七月 昌造、土佐侯の築地の造船場にいる。『吉田東洋伝』に見える引用文では九月初旬まで昌造の名が出てくる。おそらく九月中旬まで江戸にいて幕府天文方の仕事。 嘉永七/安政元年(一八五四*)七月 長崎の通訳本木昌造、公用をおびて下田に来るの途次、転じて江戸に入る。(東洋伝) 嘉永七/安政元年(一八五四*)七月朔日 遠江守樣御出に付、八つ頃再び出動、直ちに退く。長崎鹽田氏幸八と云者、蒸汽船雛形持出し、御馬場に於て御覽あり。(寺田志斎日記) 嘉永七/安政元年(一八五四*)七月四日 昌造自身で蒸汽船を運転してみせる。(寺田志斎日記) 嘉永七/安政元年(一八五四*)七月十六日 寺田志斎、渋谷へ行って蒸汽船注文のことを昌造と相談。 嘉永七/安政元年(一八五四*)七月二十四日 寺田志斎、築地の造船場を他の藩士たちと共に下検分。 嘉永七/安政元年(一八五四*)閏七月二十四日 「御用番久世大和守殿に左之伺書留守居共持參差出候處、被請取置、同八月廿三日、同所え留守居共被呼出、右伺書え付紙を以て被差返上、則左之通」「今度大船製造御免(被仰出候ニ付、為試」(土佐藩記録)。 嘉永七/安政元年(一八五四*)閏七月二十四日 「右之通雛形、築地於屋舖内、手職人え申付爲造立度、尤長崎住居大工幸八と申者、此節致出府居候に付、屋舖え呼寄、爲見繕申度、出來之上於内海致爲乘樣、其上彌以可也乘方出來候時は、海路國許え差遣し、船手之もの共爲習練、江戸大阪共爲致往還度、彼是相伺候、可然御差圖被成可被下候、以上、閏七月廿四日、松平土佐守」 嘉永七/安政元年(一八五四*)八月朔日 「本木昌造より約束の品をし來る」(寺田志斎日記) 嘉永七/安政元年(一八五四*)八月四日 「供揃にて、供りの面々も馬乘に申付、砂村屋舖に相越し、長崎之通辭召連れ、蒸汽船一覽せらる」(容堂日記) 嘉永七/安政元年(一八五四*)八月五日 寺田志斎、建造中の船のことで昌造と談。 嘉永七/安政元年(一八五四*)八月八日 宇和島藩主伊達侯を招待して「夕方本木庄藏と申す通辭、蒸汽船持參致し候に付、馬場に於て伊達遠江守殿と一所に一覽せらる、その節中濱萬次郎も呼寄せ——」(容堂日記) 嘉永七/安政元年(一八五四*)九月七日 「雨、出て蒸汽船製造場に過たる、船の形、頗る成る」(寺田志斎日記) 嘉永七/安政元年(一八五四*)八月二十九日 豊信(容堂侯)昌造を召して海外の事情を聞き、携うるところの蒸汽船の模型を見、随従の工夫幸八に命じて、さらに模型を作らしめ、幕府に請うて試運転をなす。(東洋伝) 嘉永七/安政元年(一八五四*)九月下旬 昌造、大阪の安治川尻、プーチャチンの船へ幕府の諭書を持参。箱館奉行経由のプーチャチンの書簡を森山(当時栄之助)と連名で翻訳。 嘉永七/安政元年(一八五四*) 『和英対訳商用便覧』。イギリス船へも開港した長崎の商取引のため、もしくは蘭語から英語にうつりつつあった時代にさきがけたもの。 安政二年(一八五五) 活字板摺立所。 安政二年(一八五五) 福沢諭吉、大阪の洪庵塾へ入る。 安政二年(一八五五) 戸田村の「スクーネル船」、洋式船舶建造の最初。 安政二年(一八五五)四月 薩摩藩の昇平丸が江戸へ回航。 安政二年(一八五五)三月二十三日 プーチャチンの下田退帆。乗組員の一部は残る。 安政二年(一八五五) 昌造、下田から長崎へもどる。 安政二年(一八五五)七月 長崎に永井玄蕃頭、勝麟太郎らを主とする海軍伝習所できる。昌造、伝習係通訳となる。森山栄之助(改め多吉郎)外国通弁方頭取となり、堀達之助は蕃書取調所教授となる。 安政二年(一八五五) 昌造、「蘭書取次」あるいは「購入」で幕府に罪を問われて「入牢」。「時の長崎奉行・水野筑後守は幕府の命によりて、氏に突然揚屋入りを申し付けた」安政二年(一八五五)から安政五年(一八五八)十一月まで。(印刷文明史)。昌造を訊問した水野筑後守は「下田談判」当時の次席応接係で、昌造はその配下。昌造の養父昌左衛門は通詞目付で現存。長崎奉行所の「入牢帳および犯科帳」には記録がない。(本木、平野詳伝) 安政二年(一八五五) 蘭書の輸入が間にあわなくて、長崎奉行西役所内に印刷所をつくって「日本製洋書」をこしらえる。 安政二年(一八五五)〜三年 昌造、出島の蘭館で活版技師インデル・モウルを監督して『蘭話字典』を印刷。(本木、平野詳伝) 安政二年(一八五五) 昌造、活字板摺立係を命ぜられる。(本木、平野詳伝) 安政二年(一八五五) 昌造、造船海運についての「由緒書」を奉行荒尾岩見守を経て永井玄蕃頭に提出。(本木、平野詳伝) 安政二年(一八五五) 豊信、参勤交代の期に際し、帰国の後これを高知に回漕し、浦戸港内にうかべ、豊資その他連枝および諸士に縦覧せしめて西洋事情の新奇進歩せる実物標本を紹介。(東洋伝) 安政二年(一八五五)八月 土佐藩の船が築地でできあがって、土佐の港で運転。 安政二年(一八五五)八月四日 「由比猪内へ過く。夫より出勤。今日は早仕舞九つ時退く。——蒸汽船江戸より着す」(寺田志斎日記) 安政二年(一八五五)八月二十三日 「今日雅樂助君(容堂弟)蒸汽船御見物に御出」(寺田志斎日記) 安政二年(一八五五)以後 昌造の消息、万延元年(一八六〇)末飽ノ浦製鉄所御用係となるまで、ほとんど絶える。(徳永) 安政二年(一八五五)ごろ 蘭書の輸入なり勉強なりの取締りはゆるやかになりつつある。(徳永) 一八五五 世界最初の印刷雑誌の編集者トーマス・マッケラー「活字の歌」を歌う。 安政三年(一八五六)か四年 福沢諭吉、黒田侯から一冊の原書を借りて、エレキトルの部分を書生らと写本(福翁自伝)。 安政三年(一八五六)六月 昌造、『オランダ文典文章編』を著述。(本木、平野詳伝)=『文法書シンタクシス』(印刷文明史)=『文法書セイタンキシス』(川田久長) 安政三年(一八五六)九月 『スプラークキュンスト』発行。 安政四年(一八五七) 昌造、オランダで出版した『日本文典』の日本活字の種書を送る。(本木、平野詳伝) 安政四年(一八五七) 昌造、『和英対訳商用便覧』を出版。(本木、平野詳伝) 三年? 安政四年(一八五七) 縫、小太郎を産む。 安政五年(一八五八) 昌造、『物理の本』を出版(本木、平野詳伝)。原名『フォルクス・ナチュールクンデ』、和訳『理学訓蒙』(川田)。 安政五年(一八五八)七月 縫、死亡。四か月前、長男昌太郎没。 安政五年(一八五八)八月十五日 夜、当時紀州侯の御用達をつとめていた青木休七郎、ひそかに新任の奉行岡部駿河守の役宅を訪れ、昌造の保釈を願い出る。 安政五年(一八五八)十一月二十一日 夜、岡部駿河守、用人小林某を休七郎宅へつかわし、本月二十八日に昌造を保釈するむねを伝える。(印刷文明史) 安政五年(一八五八) 昌造、三十五歳。 万延元年(一八六〇) 昌造、飽ノ浦製鉄所御用係に登用。 万延元年(一八六〇)か文久一、二年(一八六一、一八六二)ごろ 昌造三十七、八歳のころのめずらしい写真。(印刷文明史第四巻) 万延、文久(一八六〇〜一八六四)ごろ 神奈川および下田条約。五か国条約実施問題をめぐる攘夷論沸騰時代。 一八六〇 ニューヨーク・トリビューン紙がもちいた輪転機、時速二万枚を記録。 文久二年(一八六二) 土佐藩の吉田東洋、攘夷派の志士に暗殺される。 文久二年(一八六二) 緒方洪庵、西洋医学所頭取となる。 元治元年(一八六四) 昌造、八丈島に漂流。折にできた妾某、娘松を産む。 元治元年(一八六四) 後妻タネ、清次郎を生む。 慶応三年(一八六七) タネ、昌三郎を生む。 慶応年間(一八六五〜一八六八) 昌造、薩摩の島津屋舗からハンドプレスをゆずりうける。 明治初年(一八六八) 平野富二、銀座の古道具屋から某大名からの流れものという形状不明のハンドプレスを発見。 明治二年(一八六九) 昌造、長崎でガムプルから電胎法を学ぶ。 一八七〇年代 マリノン式輪転機、完成。 明治十年(一八七七) ドイツ人ケーニッヒの「シリンダー式印刷機」を東京朝日新聞社で使用。 明治三十年 フランスで発明された「マリノン式輪転機」新聞印刷機として日本へ最初に入る。 明治四十五年(一九一二) 昌造へ贈位の沙汰。『印刷文明史』の著者は、当時在世中であった昌造の友人諏訪神社宮司・立花照夫氏、門人境賢次氏などを長崎に訪ねる。御贈位の内申書には『蘭話通弁』の他に『海軍機関学稿本』などあり。 昭和十七年(一九四二) 川田久長「蘭書翻刻の長崎活字版」『学鐙』九月号所載。 2009.7.18:公開 目くそ鼻くそ/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
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ポール・アルボー博物館(Musée Paul Arbaud)ないしポール・アルボー書誌学・考古学博物館(Musée bibliographique et archéologique Paul Arbaud)は、エクス=アン=プロヴァンスの18世紀の邸宅が元になっている博物館である。エクス市内のマザラン地区(le quartier Mazarin)、九月四日通り(Rue du 4-Septembre)2番地にある。 様々な美術品を収蔵しているが、わけても地元陶器のコレクションがしばしば特筆される(*1)。 ノストラダムス関連 ノストラダムス関連の稀覯書が多く収蔵されていることで国際的に有名である。 インターネット上での目録の公開などはしていないようなので、その蔵書については直接博物館に赴くか、ミシェル・ショマラやロベール・ブナズラの書誌などから間接的に知るしかないだろう。 関連書は膨大な数に上るが、世界でもアルボー博物館にしか残っていない、もしくは他数箇所にしか残っていないノストラダムス作品とその再版を挙げると以下の通りである(*印はアルボーにしかないもの)。 『予言集』1568年リヨン版(G版*、I版) 『予言集』1644年リヨン版 『予言集』偽ピエール・リゴー版(b版) 『予言集』1792年アントウェルペン版 『予言集』1794年アヴィニョン版 『予言集』1815年アヴィニョン版 1557年向けの大いなる新占筮と驚異の予言* 1563年向けの暦* 王太后への書簡* また、セザール・ド・ノートルダムの作品についても多く収めているが、こちらは手稿も含め、ここにしかないものが多い。 サロン市の廃墟と悲惨に関する言説(1598年)* 王妃のサロン市への入市(1602年) 王太子殿下御生誕に寄せる讃歌(1602年)* 王太子殿下と王妃のイメージ(1602年)* イッピアード、あるいはゴドフロワと騎士たち(手稿、1622年)* 第二ジュネーヴの占領前夜と異教のヒュドラ最期の窮地について。国王への予言(1629年)* 王妃マリー・ド・メディシスのサロン入市(1855年復刻) 名前 コメント
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辞書 品詞 解説 例文 漢字 日本国語大辞典 名詞 [一] 空間的に高い位置。また、階級・地位・身分の高い状態や程度・数量などの多い状態。① 高い場所、位置。高い方。⇔下。(イ) ものの最も高い部分。 ※書紀(720)継体七年九月・歌謡「御諸(みもろ)が紆陪(ウヘ)に 登り立ち」 上 (ロ) あるものを基準として、それより高い所。また、見あげるように高い所。上方。 ※万葉(8C後)一四・三五二二「昨夜(きそ)こそは児ろとさ寝しか雲の宇倍(ウヘ)ゆ鳴き行くたづのま遠く思ほゆ」 (ハ) 建物などで、高いほうの階。 ※春迺屋漫筆(1891)〈坪内逍遙〉壱円紙幣の履歴ばなし「御主人は階上(ウヘ)ですか階下(した)か」 (ニ) 座敷。 ※大鏡(12C前)六「あはれがらせ給て、うへにめしあげて」 ② 貴い人のいる所。(イ) 天皇、上皇の御座所。また、その付近。禁中。殿上の間。 ※古今(905‐914)秋上・一七七・詞書「うへにさぶらふをのこども歌たてまつれ」 (ロ) 身分の高い人の部屋。 ※源氏(1001‐14頃)空蝉「おもとは、今宵はうへにやさぶらひ給ひつる」 ③ 身分の高い人。(イ) 天皇。上皇。 ※宇津保(970‐999頃)俊蔭「うへも春宮も〈略〉うつくしみ給ふ」 (ロ) 将軍、公方(くぼう)、殿様など、支配者をいう。 ※太平記(14C後)一〇「上(ウヘ)の御存命の間に〈略〉思ふ程の合戦して」※今堀日吉神社文書‐永祿元年(1558)一〇月二八日・保内商人中惣分陳状案「上儀をさへ不 レ 致 二 承引 一 、被 レ 加 二 御退治 一 津にて候」 (ハ) 女あるじ。後の、北の方。 ※竹取(9C末‐10C初)「これを聞て離れ給ひしもとの上は腹をきりて笑ひ給ふ」 ④ 比較してよりすぐれた身分、地位、程度など。 ※十訓抄(1252)一「斉信卿上臈にて公任卿の上に居られたりけるに」※評判記・野郎虫(1660)浅木権之介「人はただ心を、おむくにもちたる、うへはなきに」 ⑤ 比較して、数量、年齢などの点でより多いこと。 ※滑稽本・浮世風呂(1809‐13)二「『いくつだとおもひなさる』『されば、おれよりは上(ウヘ)だらうよのう』」※人情本・英対暖語(1838)初「往来(いきけへり)ぢゃア一里の上あらアナ」 ⑥ 低音に対して高音。 ※申楽談儀(1430)音曲の位の事「うへより言ひて落す也」 [二] 物事の表面。また、表面に現われる状態や表面をおおうもの。① 物の外面。おもて。 ※書紀(720)継体七年九月・歌謡「磐余(いはれ)の池の 水下(みなした)ふ 魚も 紆陪(ウヘ)に出て嘆く」※蜻蛉(974頃)中「うへに、『忌みなどはてなんに御覧ぜさすべし』と書きて」 ② 表面の態度、行動。うわべ。 ※書紀(720)継体七年九月・歌謡「誰やし人も 紆陪(ウヘ)に出て嘆く」※平家(13C前)四「うへには平家に御同心、したには〈略〉入道相国の謀反(むほん)の心をもやはらげ給へとの御祈念のため」 ③ 上着。表衣。 ※万葉(8C後)一二・二八五一「人の見る表(うへ)は結びて人の見ぬ下紐(したびも)あけて恋ふる日そ多き」 ④ おおい。屋根。牛車の屋形、車蓋。 ※枕(10C終)九九「この土御門しも、かう上もなくしそめけんと」 [三] あるものの付近。辺り。ほとり。 ※万葉(8C後)一・五〇「あらたへの 藤原が宇倍(ウヘ)に 食(を)す国をめしたまはむと」 [四] (形式名詞として用いられる)① (前の語句に示された)ある人や物事に関する消息、事情、経緯など。また、物事をある面から特に取りあげて問題とする場合にいう。 ※万葉(8C後)二〇・四四七四「群鳥(むらとり)の朝立ち去(い)にし君が宇倍(ウヘ)はさやかに聞きつ思ひしごとく」※源氏(1001‐14頃)若紫「西国(にしくに)のおもしろき浦うら磯のうへをいひ続くるもありて」 ② 他の物事に更に加わる状態を示す。(イ) (多く、「上に」の形で) さらに加わるさま。そのほか。…に加えて。 ※万葉(8C後)一九・四二七八「あしひきの山下ひかげかづらける宇倍(ウヘ)にや更に梅をしのはむ」 (ロ) (物事の終わった)のち。…した結果。…して、そして。 ※天草本伊曾保(1593)イソポの生涯の事「ウソアマイ モノヲ クラウタ vyenareba(ウエナレバ)」※浄瑠璃・仮名手本忠臣蔵(1748)七「醒ての上の御分別」 (ハ) …した結果を踏まえて。その事柄を条件として。 ※新浦島(1895)〈幸田露伴〉九「和尚に此訳ことわり申して立会の上棺を検(あらた)むるに」 (ニ) (「上は」の形で) ある物事が起こってしまった以上。…からには。 ※金刀比羅本保元(1220頃か)中「天の授け給へる上(ウヘ)は、ただ一矢に射おとしてすてん」 ③ 貴婦人の称号に添えて用いる。 ※源氏(1001‐14頃)蛍「紫のうへも姫君の御あつらへにことつけて」 接尾辞 目上の人の呼び名につけて敬意を表わす。(イ) 女あるじの呼び名に付けて用いる。 「母上」「尼上」「姉上」※源氏(1001‐14頃)若紫「尼うへにはもてはなれたりし御けしきのつつましさにおもひ給ふるさまをも」 (ロ) 目上の肉親、親族の呼び名に付けて用いる。 「父上」「兄上」 (ハ) 高貴な女性の呼び名に付けて用いる。 ※合巻・偐紫田舎源氏(1829‐42)三一「我知らず姫君よ姫上よと、呼び参らする事のあり」 [語誌](1)「うえ」の対義語としては、古代から現代に至るまで「した」が安定して、その位置をしめている。しかし、中古から中世にかけて「うえ」は、(一)(二)のように表面の意を持っていたため、「うら」とも対義関係を持ち、「うらうえ」という複合語も作られた。しかし、この対義関係は、中世頃から(二)の意味が衰退するのに伴って、次第に「うら━おもて」という対義関係にとってかわられた。(2)(二)は、平安時代中期より例が見られ、おもに、肉親の目上の人に対して用いられる。 広辞苑 名詞 ➊物の上部。①高い位置。高い場所。 万葉集3「 皇 (おおきみ)は神にしませば天雲の 雷 (いかずち)の―に 廬 (いお)らせるかも」 上 ②表面。うわべ。うわつら。 万葉集20「海原の―に浪なさきそね」。「雪の―の足跡」 ③あたり。ほとり。 万葉集20「 高円 (たかまと)の野の―の宮は荒れにけり」 ④屋根。屋形。 枕草子99「などか、こと御門御門のやうにもあらず、この土御門しも、かう―もなくし初めけん」。門室有職抄「庇車…庇の体は、四方輿の如く―白」 ➋地位・程度などがすぐれていること。貴いこと。 十訓抄「 公任 (きんとう)卿の―につかれたりけるに」。続千載和歌集賀「あきらけき御世ぞ知らるる位山又―もなしあふぐ光に」 ➌身分・地位の高い人。また、その人のいる場所。①貴人の座に近い所。特に、主上の御座所に近い所。禁中。殿上の間。 枕草子82「あなうれし、しもにありけるよ。―にてたづねんとしつるを」 ②天皇。主上。 枕草子9「 朝餉 (あさがれい)のおまへに―おはしますに」 ③後世、将軍・ 公方 (くぼう)にも称した。 鳩翁道話「御―様の御政道」。日葡辞書「ウエ、また、ウエサマ」 ④貴婦人、特に貴人の妻。奥方。 竹取物語「離れ給ひし元の―は」。源氏物語若紫「君は―を恋ひ聞え給ひて泣きふし給へるに」 ⑤貴人の妻の称呼の下につける語。 「葵の―」 ⑥目上の者を呼ぶときに下につける語。 「尼―」「父―様」 ➍その人(事)に関する事柄。 万葉集20「君が―は 清 (さや)かに聞きつ」。可笑記「その御心、恋の―とのみ定むべからず」。「仕事の―で必要な資料」 ➎ある事柄と他の事柄との関係を示す語。①さらに添え加えること。…に加えて。その上。 土佐日記「海賊むくいせむといふなることを思ふ―に、海のまた恐しければ」。「値段が安い―にうまい料理」 ②…したのち。…した結果。…に基づいて。 浄瑠璃、仮名手本忠臣蔵「醒めての―の御分別」。「十分な考慮の―の回答」 ③(「―は」の形で)…からには。 平家物語1「かへつて叡感にあづかツし―は敢て罪科の沙汰もなかりけり」。常山紀談「年頃深く頼み奉る―は」。「知られた―はやむを得ない」 ④ここより前の部分。 「―に述べたとおり」 大言海 名詞 〔 浮 (ウキ) 方 (ヘ)ノ義カ、うきひぢ、うひぢ。(埿土)つきこもり、つごもり(晦)〕(一){最モ高キ部。カミ。( 下 (シタ)ニ對ス) 繼體紀、七年九月、長歌「三緖(地名)ガ 紆陪 (ウヘ)ニ、登リ立チ」萬葉集、一 三十一 「 鹿 (カ)鳴カム山ゾ、高野原ノ宇倍」 上 (二) 勝 (スグ)レタルコト。貴キコト。 長 (タ)ケタルコト。 「目上」年上」上無シ」 (三){主上ヲ呼ビ奉ル語。ウチ。カミ。上 宇津保物語、俊蔭 六十七 「うへモ、春宮モ、召シマツハシ、ウツクシミタマフ」圓融院扇合「宮ノ御方ニ、うへオハシマシテ」 (四){主上ノ 大御邊 (オホンアタリ)近キコト。 源、一、桐壺 廿四 「うへニ候フ內侍ノスケ」「うへノ宮仕」うへ局」うへノ女房」 (五)僭シテ、將軍、公方ノ稱。(代名詞ノ 上樣 (ウヘサマ)ノ條ノ(二)ヲ見ヨ)北條高時ニサヘ、其臣下ヨリ稱シキ。 太平記、十、長崎次郞最後事「無 二 左右 一 御自害候フナ、 上 (ウヘ)ノ御存命ノ閒ニ、今一度、快ク敵ノ中ニ懸入リ、云云」(高時ニ對シテ云フナリ) (六){貴人、又、其內室ノ稱。 竹取物語「離レタマヒシ、元ノうへハ、云云」 (七){貴婦人ノ稱號ニ附ケテ呼ブ語。 「葵ノ上」 (八) 尊長 (メウヘ)ノ稱ノ後ニツケテ云フ語。 「父上」母上」兄上」 (九){オモテ。マヘ。( 裏 (ウラ)ニ對ス)表 萬葉集、九 三十一 「下行ク水ノ、 上 (ウヘ)ニ出デズ」源、二、帚木 十二 「うへハツレナク、ミサヲ作リ」「上ノ 衣 (キヌ)」 表 (ウヘ)ノ袴」 (十){邊 (ホトリ)。 「川ノ上」井ノ上」野ノ上」 (十一){增スコト。加フルコト。 萬葉集、十九 四十五 「アシビキノ、山下ヒカゲ、 鬘 (カヅラ)ケル、宇倍ニヤ更ニ、梅ヲ偲バム」土佐日記、正月廿一日「海賊報セムト云フナル事ヲ思フうへニ、海ノ又、オソロシケレバ」「アルガ上ニ」其上ニ」 (十二){其物事ニ就キテノコト。 萬葉集、廿 五十三 「群鳥ノ、(如ク)朝タチ往ニシ、君ガ宇倍ハ、サヤカニ聞キツ、思ヒシ如ク」源、二、帚木 三十六 「打チササメキ、云フコトドモヲ聞キ給ヘバ、我ガ御うへナルベシ」「人ノ上」身ノ上」文ノ上」酒ノ上」話ノ上」 検索用附箋:名詞名称 検索用附箋:接尾辞 附箋:名称 名詞 接尾辞