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M-Tea*3_35-地震の話(一)今村明恒 2011.3.26 第三巻 第三五号 地震の話(一) 今村明恒 一、はしがき 二、地震学のあらまし 三、地震に出会ったときの心得(こころえ) 一、突差(とっさ)の処置 二、屋外(おくがい)への避難 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第三巻 第三五号】 (http //www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload act=open pageid=261 file=milk_tea_3_35.zip) ※ クリックするとダウンロードを開始します。 (684KB) ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。転載・印刷・翻訳は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. 月末最終号:無料 p.168 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(25項目)p.191 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ひきこもれ! 週刊ミルクティー* 日本は地震国であり、また地震学の開けはじめた国である。これは誤りのない事実であるけれども、もし日本は世界中で地震学がもっとも進んだ国であるなどというならば、それはいささかうぬぼれの感がある。実際、地震学のある方面では、日本の研究がもっとも進んでいる点もあるけれども、その他の方面においては必ずしもそうでない。それゆえ著者らは地震学をもって世界に誇ろうなどとは思っていないのみならず、この頃のように、わが国民がくりかえし地震に征服せられてみると、むしろ恥かしいような気持ちもする。すなわち大正十二年(一九二三)の関東大地震においては一〇万の生命と五十五億円の財産とを失い、二年後、但馬の国のケチな地震のため、四〇〇の人命と三〇〇〇万円の財産とを損し、また二年後の丹後地震によって三〇〇〇の死者と一億円の財産損失とを生じた。そしてこれらの損失のほとんど全部は地震後の火災によるものであって、被害民の努力しだいによっては大部分、免れ得られるべき損失であった。しかるに事実はそうでなく、あのような悲惨な結果の続発となったのであるが、これを遠く海外からながめてみると、日本はおそろしい地震国である。地震のたびごとに大火災をおこす国である。外国人は命がけでないと旅行のできない国である。国民は、ああたびたび地震火災に悩まされても少しもこりないもののようである。地震によって命を失うことをなんとも思っていないのかもしれないなどという結論を下されないとも限らぬまい。実際、これは欧米人の多数が日本の地震に対する観念である。かく観察されてみるとき、著者のごとき斯学の専攻者は非常な恥辱を感ぜざるを得ないのである。もちろん、この学問の研究が容易に進歩しないのも震災国たるの一因には相違ないが、しかしながら地震に対して必要な初歩の知識がわが国民に欠けていることが、震災拡大の最大原因であろう。じつに著者のごときは、地震学が今日以上に進歩しなくとも、震災のほとんど全部はこれを免れ得る手段があると考えているものの一人である。 3_35.rm (朗読:RealMedia 形式 528KB、4'18'') milk_tea_3_35.html (html ソーステキスト版 304KB) 今村明恒 いまむら あきつね 1870-1948(明治3.5.16-昭和23.1.1) 地震学者。理学博士。鹿児島県生まれ。明治38年、統計上の見地から関東地方に大地震が起こりうると説き、大森房吉との間に大論争が起こった。大正12年、東大教授に就任。翌年、地震学科の設立とともに主任となる。昭和4年、地震学会を創設、その会長となり、機関誌『地震』の編集主任を兼ね、18年間その任にあたる。 ◇参照:Wikipedia 今村明恒、『日本人名大事典』(平凡社)。 底本 底本:『星と雲・火山と地震』復刻版 日本児童文庫、名著普及会 1982(昭和57)年6月20日 発行 親本:『星と雲・火山と地震』日本兒童文庫、アルス 1930(昭和5)年2月15日 発行 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1578.html NDC 分類:K450(地球科学.地学) http //yozora.kazumi386.org/4/5/ndck450.html NDC 分類:K453(地球科学.地学/地震学) http //yozora.kazumi386.org/4/5/ndck453.html ※ 青空本体に該当図書がないため、2011年4月現在、リンク先のページはなし。 難字、求めよ グレー博士 電気学。 しかせんと 石本李蹊 いしもと りけい 石本新六男 いしもと しんろくだん むしとりホイホイ 物(もつ)せられたる → 物(もの)せられたる 【の、か?】 このごろにおいて → このころにおいて 【ころ、か】 変(か)わられなければ → 変(か)わらなければ 【れ、削除か】 ことが多い、もし → ことが多い。もし 【。か】 底本は左辺のとおり。現代表記版は右辺に修正した。 ほかに、 震原 → 震源 有《も》つ → 持つ 大《おほ》いさ → 大きさ 地震波(じしんぱ) → 地震波(じしんは) ……を変更、若干の句読点を修正。「小国民」「大小国民」という表記は違和感ありまくりですが、そのままとしました。 年表 一八五五(安政二)一〇月二日 江戸大地震。小石川の水戸屋敷において藤田東湖、圧死。麹町神田橋内の姫路藩邸において石本李蹊、圧死。 一八八〇(明治一三)二月二二日 横浜ならびにその近郊において地震、レンガ煙突ならびに土壁に小破損を生じる。二週間後、日本地震学会を組織。毎月の会合に研究結果を発表。数か月ののちユーイング博士、水平振子地震計を発明。 一八八一(明治一四) グレー博士の考案を改良した上下動地震計を作り出す。 一八九一(明治二四)一〇月二八日 濃尾大地震。 一九二三(大正一二)九月一日 関東大地震。一〇万の生命と五十五億円の財産とを失う。 一九二四(大正一三) 震災予防調査会、廃止。発表した報告書は和文のもの百一号、欧文のもの二十六号、別に欧文紀要十一冊、欧文観測録六冊。 一九二五(大正一四)五月二三日 但馬地震。四〇〇の人命と三〇〇〇万円の財産とを損す。 一九二六(大正一五) 今村明恒、東京帝国大学地震学教室における同人の助言によって地震の注意書を編纂、公にする。 一九二七(昭和二)三月七日 丹後地震。三〇〇〇の死者と一億円の財産損失とを生じる。 一九二七(昭和二)九月 今村明恒、チェコスロバキア、プラーグにおける地震学科の国際会議において、わが国最近の研究結果につき報告。 一九二七(昭和二)九月一三日 西九州における風水害。 スリーパーズ日記 33号・34号を当面欠番としてあつかい、35号(今号)より再開します。それでもまだ出版日が一週間ずれていますが、これは早々に挽回(の予定)。月末最終号(無料)のほうが手にとってもらえる機会がふえることをもくろんでみました。メール、ブログ、ツイッター、新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどでの紹介歓迎。よろしく、お願いします。 2011.4.2:公開 2011.4.6:更新 東北が、バクハツだ! 目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - もちろんパブリックドメインですから、被災地・避難所などでのプリントアウト、まわし読みも歓迎です。励行・推奨します。 -- しだ (2011-04-06 01 58 03) 名前 コメント
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ttp //www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000722805.shtml 神戸市内の私立高校で自殺した男子生徒=当時=(18)=が同級生らに金品を要求されて いた事件で、二十九日、新たに同級生一人が恐喝容疑で逮捕された。 「ご遺族や保護者の方々にご迷惑をかけ大変申し訳ない。容疑を考えればいじめを超えた ものととらえざるをえない」 同日午前、四人目の逮捕を受けた会見で校長、教頭、生徒指導部長が深々と頭を下げた。 生徒指導部長は「(今回逮捕された生徒は)いじめに関与していないとみていただけに驚きを 隠せない。独自調査で知り得ない話が出て、警察が逮捕したと思う」と話した。 逮捕された生徒は、学校の調査に対し「ブレスレットは、亡くなった男子生徒がほしがっていると 聞いたので、四万円で売ろうと思った」と説明。学校側は物品売買を校則で禁じているため、 保護者を学校に呼んで一緒に注意したという。 兵庫県教育課は「学校からの報告でもブレスレットの件は出ていたが、売買で恐喝では ないと聞いていた。今回逮捕されたのは同じグループ以外の生徒ということで、よりいじめが 広がっていたように感じる」とし、三十一日にも学校側に報告するよう求めた。 学校側は当初、県に「いじめは認められない」と説明していたが、同級生三人が恐喝未遂 容疑で相次いで逮捕された。携帯電話のメールで金銭を要求し「一回うそをついたら一人 あたり一万円払う」という“ゲーム”を行うなど金品の要求が明らかになり、学校側もいじめが 自殺の原因の一つと認め、謝罪した。今回逮捕された生徒については、男子生徒が遺書で 名前を挙げていたが、学校側は九月二十一日の会見で「いじめとは思わない」と説明 していた。
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●上杉昇 最新情報 new Albam Blackout in the Galaxy 2月8日発売 poo pee peopleと同じく予約かネット注文すればいいと思います。 11曲入りで¥3150(税込み)です。 公式ページにて全曲試聴できますので一度聴いてみてはいかがでしょうか。 ◆2月11日更新 まだ通して10回程度しか聴いていませんがかなりいいです。 今までのアルバムの中で一番好きになるかもしれないです。 アルバムの中だとpoo pee peopleがなかなかよくなりますね。 迷ってる方は買いだと思いますよ。 最新Single poo pee people 11月9日発売です。 あまり普通の店舗では売っていないと思われますので ネットで購入するか、予約をして購入するといいと思います。 公式ページにて試聴できます。 公式ページはリンクフリーではないので YAHOO!やGoogleで検索してください。すぐ見つかると思います。 ●10月20日 長野県の車山高原です。 私の短い人生の中で行った観光地で三本の指にはいるくらい綺麗なところです。 まだ行ったことのない人は是非行ってもらいたいです。 ここの写真はまだいくつかありますので次回また載せます。 名前 コメント ●10月18日 今年の九月に行ってきた三重県の熊野古道のツヅラト峠です。 ここまで行くのに30分くらい山道を登り続けました。 疲れたけど、それに見合った価値のある景色だと思います。 登りきった後のこの景色の開放感はたまりません。 体力がないと少しきついかと思いますが 近くに旅行に行った際は寄ってみてはいかがでしょうか? 足場も悪いので、足元にはくれぐれもお気をつけください。 ほのぼのするねー -- 名無し (2005-10-18 01 51 16) 今度行ってみまーす。 -- bull (2005-10-18 17 52 18) 名前 コメント
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使おう活用しよう括目しよう - 名無しさん 2012-02-05 12 31 57 運営いつあのラグなおすんだろうね;; - 彩華 2012-02-06 21 33 18 運営ks - 名無しさん 2012-02-08 17 03 25 来週、来週こそなおしますから - 名無しさん 2012-02-09 00 06 38 っていうかお前ら○使えよks - 名無しさん 2012-02-09 13 41 16 かかっww - 名無しさん 2012-02-10 02 16 40 ! - 名無しさん 2012-02-17 23 58 37 ! - 名無しさん 2012-02-17 23 58 54 ? - 名無しさん 2012-02-29 02 49 33 あやかちゃんいじりまくりだね - 名無しさん 2012-03-01 01 18 20 いじるためのこのページ - 彩華 2012-03-04 20 30 06 べねりいいいいいいいいいいいいいいい - 名無しさん 2012-03-16 11 54 28 パイソン・・・ - 名無しさん 2012-03-18 22 13 44 未満はいるとけられるから専用いってくるね!! - .*彩華*. 2012-04-01 20 07 21 かわりに気もいサブいれとくから!! - .*彩華*. 2012-04-01 20 07 58 過疎おつ - pQ 2012-04-30 02 45 50 私は、しばらく 篭る - 名無しさん 2012-06-30 02 18 24 思えばもう九月中旬ですよ・・・・ - 名無しさん 2012-09-17 18 26 01 なんか寒くないですか・ - 名無しさん 2012-09-21 21 55 17 たくあん・・・・ - 名無しさん 2013-02-10 00 47 53 なんでだよ・・・・ - 名無しさん 2013-02-10 00 48 01 鉛をあげましょう! - 名無しさん 2015-05-21 00 42 15 名前
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MT*2_38-清河八郎(一)大川周明 2010.4.10 第二巻 第三八号 清河八郎(一) 大川周明 第一章 清河八郎の家郷 第二章 修行時代の清河八郎 一 清川の少年、斎藤元司(もとじ) 二 出奔および入塾 三 上洛および九州行 四 文武修行 五 帰省および奉母行 六 学問より実行への転機 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第二巻 第三八号】 (http //www.dl-market.com/product_info.php?products_id=62422) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (964KB) ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。翻訳・朗読・転載は自由です。 (c) Copyright is public domain. 定価:200円(税込) p.195 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(47項目)p.280 ※ 傍点や傍線の見えにくい場合は、T-Time の文字品質(アンチエイリアス)を「標準」にしてご覧ください。 飛び出せ! 週刊ミルクティー* オリジナル版 週刊ミルクティー*現代表記版 清河八郎(一) 清河八郎(一) 大川周明 大川周明 清河八郎正明は莊内藩の郷士の子である。(略) 清河八郎正明は庄内藩の郷士の子である。(略) 八郎の生家は此村の豪族齋藤氏である。遠祖齋藤外記、上國より來つて初めて清川村を開拓し、其後世々郷士であつた。傳ふる所によれば、源義經が北越を經て奧州に潜行するに當り、清川村を過ぎて齋藤家に館した時、當主齋藤外記が主從を歡待して百方便宜を圖つたので、義經深く其の芳情に感じ佩ける所の刀を解いて之を外記に遺つたとのことである。現に齋藤家が重代の家寶として秘藏する鬼王丸作の太刀、長二尺五分光芒爛々飛電の如きもの即ちそれである。其後南北朝の時には、家を擧げて鎭守府將軍北畠顯家の幕下に屬した(略) 八郎の生家はこの村の豪族斎藤氏である。遠祖斎藤外記、上国より来たってはじめて清川村を開拓し、そののち世々郷士であった。伝うるところによれば、源義経が北越をへて奥州に潜行するにあたり、清川村をすぎて斎藤家に館したとき、当主斎藤外記が主従を歓待して百方便宜をはかったので、義経深くその芳情に感じ、佩(は)けるところの刀を解いてこれを外記に遺ったとのことである。現に斎藤家が重代の家宝として秘蔵する鬼王丸作の太刀、長二尺五分光芒爛々飛電のごときものすなわちそれである。その後南北朝のときには、家をあげて鎮守府将軍北畠顕家(あきいえ)の幕下に属した(略)。 かくて翌安政六年には、(略)神田お玉ヶ池二六横町に土藏付の家屋を買求め、之を普請して七月には此處に引移つた。 かくて翌安政六年(一八五九)には、(略)神田お玉ヶ池二六横町に土蔵付の家屋を買い求め、これを普請して七月にはここに引き移った。 八郎は此の新居に『文武指南所』と云ふ大看板をかけた。当時は儒者は儒者、劔客は劔客と、それ/″\分れて居たことであれば、文武併せ教授する者は、江戸廣しと雖も八郎一人であつた。蓋し八郎の劔道は非尋常の上達で、千葉門下の逸足として、劔客の名を山岡鐵舟などゝ並び馳せる程になつて居たのである。彼はまた此年の暮に活字版を買求めて、自己の著作を刊行しやうとした。當時個人で活字版を買求めた者も、恐らく八郎の外に無かつたらう。彼は先づ武道篇を和譯して翌年二月之を出版した。 八郎はこの新居に「文武指南所」という大看板をかけた。当時は儒者は儒者、剣客は剣客と、それぞれ分かれていたことであれば、文武あわせ教授する者は、江戸広しといえども八郎一人であった。けだし八郎の剣道は非尋常の上達で、千葉門下の逸足として、剣客の名を山岡鉄舟などと並び馳せるほどになっていたのである。彼はまたこの年の暮に活字版を買い求めて、自己の著作を刊行しようとした。当時個人で活字版を買い求めた者も、おそらく八郎のほかになかったろう。彼はまず『武道篇』を和訳して翌年二月これを出版した。 然るに萬延元年三月三日、井伊大老が水戸浪士によつて櫻田門外に斬られた。(略) しかるに万延元年(一八六〇)三月三日、井伊大老が水戸浪士によって桜田門外に斬られた。 2_38.rm (朗読:RealMedia 形式 472KB、3'50'') 大川周明 おおかわ しゅうめい 1886-1957(明治19.12.6-昭和32.12.24) 国家主義者。山形県生れ。東大卒。満鉄入社後、猶存(ゆうぞん)社・行地社・神武会を結成。軍部に接近、三月事件・五‐一五事件などに関与。第二次大戦後、A級戦犯。著「近世欧羅巴植民史」など。 ◇参照:Wikipedia 大川周明、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。 底本 底本:『清河八郎』行地社出版部 1927(昭和2)年2月11日 発行 NDC 分類:289(伝記:個人伝記) http //yozora.kazumi386.org/2/8/ndc289.html 年表 延文年中(一三五六〜一三六一) 顕家戦没。畑谷城主春風治次、藤島城主・土佐道俊を招ぎ、襲うてこれを殺す。さらに兵を卒いて藤島城を攻める。斎藤外記、土佐民部の求援に応じ敵軍を衝き、春風治次を敗走せしめて藤島城を保たしめる。 文化五(一八〇八) 清川に大火ありて一村延焼。菩提寺また烏有に帰す。 天保元(一八三〇) 八月四日、吉田松陰、生まれる。 一〇月一〇日 八郎、生まれる。この年、大久保甲東が薩摩に生まれ、吉田松陰が長州に生まれる。 天保六(一八三六) 一月三日、龍馬、土佐に生まれる。 弘化三(一八四六) 初夏 藤本鉄石、数日を雷山の書斎楽水楼に安居。 弘化四(一八四七) 五月二日深夜 八郎、六十里越の山道を通って出奔。 五月一七日 江戸着。 五月二五日 深川堀江町の米屋喜七へおもむく。 八月一日 東条一堂の塾に入る。 弘化五(一八四八)十九歳 一月三日 伯父弥兵衛および金治の両人が商用をかねて関西に旅行するに連れ立ち、江戸を発し、京阪より中国に出で、岩国に至りて錦帯橋へ行く。 四月二四日 江戸に帰る。 七月二一日 弟熊二郎病死の報。いったん帰郷。 嘉永三(一八五〇) 一月二五日 行李を収めて家を出で、鶴岡に至りて伯父金治に投じ、一書を父に送って回すべからざるの志を示し、切に遊学を許されんことを請う。 一月二九日 『耕雲録』条。 二月三日 鶴岡を発。路を越後に取り、信州より木曽路に入る。 三月一一日 京都着。 三月一二日 画家横山華谿をたずね、ついて学ぶべき師を相談。 三月一三日 梁川星巌をたずねる。 七月三日 九州旅行をくわだて、京都を発した。 七月六日 大阪から船に乗り、瀬戸内海を西に向かって走る。 七月一一日 暴風にあい、助かる。 七月一四日 下ノ関につく。 七月一五日 小倉に渡り、福岡・佐賀をへる。 七月二二日 長崎についた。 八月二日 長崎を発し、温泉岳をこえて島原に出で、船で熊本にわたり、清正公廟に参詣し沢村九門をたずねる。ついで再び佐賀に迂回して草場佩川をたずね、久留米から筑後川に沿うて豊後に入り、豆田にいたりて広瀬淡窓をたずねる。 八月一六日 九州を離れて下ノ関に入る。 八月二〇日 船に乗じて東に向かう。 八月二九日 大阪に上陸 八月三〇日 帰洛。 九月八日 東行の途につく。 九月二一日 江戸着。 ※ 松陰、九州に遊学する。また江戸に出て佐久間象山の師事を受けた。 嘉永四(一八五一)二十二歳 一月一二日 再び東条塾に入る。 二月一日 千葉周作の門に入る。 一〇月一五日 日記「余八月よりして夜は丑にあらずばあえて寝ねず、今日に至りはじめて夜は子に寝ねて寅に起きんことを期す」。 嘉永五(一八五二)二十三歳 二月一日 安積艮斎の塾に転じる。寄宿の塾生十五名。土佐の間崎哲馬、南部の江田大之進などと意気投合。 六月二二日付 書簡を父に送る。 ※ 生年よりこの春まで『旦起私乗』『耕雲録』両日記がある。ここまでの書中には、言いまだかつて時事におよんだものがない。 ※ 松陰、長州藩に無許可の形で宮部鼎蔵らと東北の会津藩などを旅行。 嘉永六(一八五三) 一月一七日付 書簡ではじめて時事に言及。 三月 帰郷。 四月 松前に渡って蝦夷地を視察。 八月 家に帰る。翌年二月まで楽水楼に起臥して静かに読書。 ※ 松陰、ペリーが浦賀に来航すると、師の佐久間象山と黒船を視察。 ※ 龍馬、剣術修行のため江戸に出て、千葉定吉の桶町千葉道場に入門。12月には佐久間象山の私塾にも通っている。 嘉永七(一八五四) 二月 再度、江戸にのぼる。 二月一一日ごろ 異国船、神奈川沖へ追々乗り込み。 二月二四日 江戸着。その日ただちに神奈川におもむき、外人の仕打ちを目撃。 二月二九日付 父宛書簡。 五月一一日付 父宛書簡。 九月 神田三河町二丁目新道に一軒の家を新築。普請に取りかかる。 一〇月二一日 引き移る。 一〇月二六日付 父宛書簡。 一一月四日 地震。九州・四国より東海道の太平洋岸一帯に津波を生じ、海陸の被害はなはだしかった。 一二月 安政と改元。姓名を清河八郎とあらためる。 一二月 水野行蔵、本名、上野禎蔵、庄内藩を脱して国事に奔走。 一二月八日付 父宛書簡。 一二月二九日夜 神田連雀町より失火して大火。八郎の家も新築後三か月で類焼。 一二月三〇日 父宛書簡。 ※ 松陰、浦賀に再来航していたペリーの艦隊に対してアメリカ密航を望んで拒絶されて送還。 ※ 龍馬、土佐に帰郷。画家の川田小龍から西洋事情を学ぶ。 安政二(一八五五) 春 後事を安積五郎にたくして帰郷。 三月二〇日 奉母行に出立。新潟より長岡に出で、信州善光寺に詣り、木曽路をとりて京都に出で、京阪の見物を終えて四国に渡り、四国より安芸にいたり、巌島・錦帯橋を見て引き返し、中国をへて京都にかえる。 七月二六日 東海道をくだって江戸につく。 九月一五日 日光そのほか関東の名所を残るところなく見物。やがてまた上府のさいに住むべき家をも両国薬研堀に求め、安積五郎をともないて帰郷。『西遊草』を記す。 一〇月二日夜 江戸、大地震。 一〇月下旬 安積とともに江戸に出る。両国の家は火災はまぬがれたけれど非常な破損。ふたたび故山に帰って静かに勤学することに決する。 一〇月二八日付 父宛書簡。 ※ 大部の書籍を買い求めて江戸を去り、途中最上の瀬見温泉に滞留すること数旬。 ※ 松陰、出獄を許されたが、杉家に幽閉の身分に処された。 安政三(一八五六) 一月 郷里に帰る。 ※ 龍馬、再び江戸・小千葉道場に遊学。 安政四(一八五七)二十八歳 四月まで、楽水楼上に潜心読書。 四月 妾・蓮をともなって郷里を去る。路を仙台にとり、桜田良佐の門に剣道を学んでいた弟熊三郎をも伴いて江戸にいたる。しばらく下谷和泉橋通加藤侯門前に一家を求めて住まう。 八月 昌平橋内の神田淡路坂に家を求めて塾を開く。 一一月二日付 父宛書簡。 ※ 龍馬、盗みを働き切腹沙汰となった仲間の山本琢磨を逃がす。 ※ 松陰、叔父が主宰していた松下村塾の名を引き継ぎ、杉家の敷地に松下村塾を開塾する。 安政五(一八五八) ※ 井伊大老が朝廷のご趣旨と民間志士の希望にそむいて外国と通商条約を結ぶ。安政の大獄をおこし、尊王攘夷の志士に大弾圧を加える。 ※ この年、コレラの流行猖獗をきわめ、死者算なきありさま。 一〇月二九日付 父宛書簡。 ※ 龍馬、剣術修行を終えて帰国。 ※ 松陰、幕府が無勅許で日米修好通商条約を締結したことを知って激怒し、討幕を表明して老中首座である間部詮勝の暗殺を計画。計画は頓挫し、自首して老中暗殺を自供。 安政六(一八五九) 二月中旬 武者修行を志し、弟子小栗篤三郎をともない、江戸を発す。関宿・古河・宇都宮・大田原・白河諸藩の道場に仕合いを試みる。 三月八日 仙台において桜田良佐と手をあわせる。 三月一四日付 江戸に留守居せる弟熊三郎から父宛書簡。昨夜、隣家より出火。 三月二六日 山形に出で、最上の諸剣客を風靡して天童につく。この日に神田淡路坂の家塾またまた火災にあったという凶報を受け取る。その日に安積五郎にあてて、門弟笠井伊蔵、弟熊三郎および蓮のことを頼む。 三月二八日 郷里に帰る。 五月下旬 家を出でて路を北越にとり、越後ならびに上州諸藩の道場に武を試みる。 六月一一日 着府。しばらく安積の家に寄寓。そのうち神田お玉ヶ池二六横町に土蔵付の家屋を買い求め、これを普請。 七月 ここに引き移る。新居に「文武指南所」という大看板をかける。 一〇月二七日 松陰、斬刑に処される。 万延元(一八六〇) 二月 『武道篇』を和訳して出版。 三月三日 井伊大老、水戸浪士によって桜田門外に斬られる。 ※ 祖父危篤の報が来たので、彼はいそぎ帰省したが、病やや怠れるを見、東都の形勢を憂えて匆々に帰府。 四月八日 帰府後いくもなく祖父他界。再帰郷。のち再出府。これが八郎にとりて故郷の見納めとなる。 一二月五日 同志として莫逆の間柄となれる薩藩の伊牟田尚平・樋渡八兵衛らが、米国公使館通訳ヒュースケンを麻布古川端に斬る。 文久元(一八六一)三十二歳 ※ 五月より翌文久二(一八六二)九月まで『潜中始末』『潜中記事』『潜中記略』三著あり。 ※ 土佐勤王党結成。龍馬、加盟。一〇月、武市の密使として長州へ向かう。 文久二年(一八六二) 二月 龍馬、久坂玄瑞と面談。 三月 龍馬、沢村惣之丞とともに脱藩。九州などを放浪した後、江戸へ入り千葉道場に身を寄せる。その後、千葉重太郎の紹介で、幕府政事総裁職の松平春嶽に面会。 一二月 龍馬、春嶽の紹介状を携え、勝海舟に面会して弟子となる 。 文久三(一八六三) 四月一三日 暗殺。 昭和二(一九二七) 一月 大川周明、『清河八郎』序文、記す。 ※ Wikipedia「坂本龍馬」「吉田松陰」の項目より、関連事項を追加。 疑問点 旺益 旺溢か?(『周明全集』では「旺盛」) 貧り 貪り、か。(『周明全集』では「貪」) 敦撲 敦樸(とんぼく)か。 頼立齋梶村李北 頼立齋・梶村李北(ナカグロ欠落か)(『周明全集』ではナカグロあり) 形勢己に……風土己に 形勢已に……風土已に、か。(『周明全集』では「已」) 在右 座右か。(『周明全集』では「左右」) 明年後 明後年か。 良恕 諒恕(りょうじょ)か。事情を思いやってゆるすこと。 注き初め 注ぎ初め、か。(『周明全集』では「注ぎ初め」) ※ いずれも底本通り。 難字、求めよ。 高傲 こうごう、か。 倡始 しょうし 委した たくした、か。 館した 唐倭 弄器 揚楼 楊楼? 遵古堂 敞壊 しょうかい? 薀藉 温藉(おんしゃ)か。 従今 いまより、か。 延行 スリーパーズ日記 奥付後の各号リード文に付けていたカッコ書きルビを削除。Windows 用の本文フォントを「MS 明朝」から「HG丸ゴシック M-PRO」に変更。「表示-縮尺-90%」を100%に変更。「設定-本文サイズ-21」「見出しサイズ-21」をそれぞれ「19」に変更。(2010.4.9) 九日夜、井上ひさし死去。七十五才。十日、山形では梅が香り、ウグイスの初鳴きを聞く。 井上ひさしに『藪原(やぶはら)検校(けんぎょう)』(新潮社、1974)という戯曲がある。検校というのは琵琶や按摩・鍼(はり)などを業とした盲人に与えられた役職名で、ピラミッド構造をした盲人の相互扶助組織の頂点にあった。最底辺にいたのが『座頭市』に代表される座頭。幕府公認で幕末まで存続した。検校や座頭のもうひとつの仕事に金貸し業がある。顔を知られないから借りる方は借りやすい。返してもらうほうも“弱者保護”の目をかけられやすい。与える/与えられる、貸与する/取り立てられる。ここに富をめぐるフォークロアが発生する。 この本を知って読んだのが、一九九二年の学生時代。湾岸戦争、ジュリアナ、尾崎の死、『紅の豚』、山形新幹線開業の頃。翌年に、Jリーグ開幕、Windows 3.1 登場、『パトレイバー 2 the Movie』公開がひかえている。Wikipedia によれば、一九九〇年二月にオウムの衆院選出馬、一九九一年九月『朝まで生テレビ!』出演がある。 清河八郎、文久三年四月十三日(一八六三年五月三〇日)没。享年三十四。今年はそれから一四七年目にあたる。(2010.4.12) 2010.4.13:公開 2010.4.21:更新 ひとよ、ひと夜に、花見ごろ。出羽三山に王蟲泣く。 月なきみそらの、芽くそ、花くそ。/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - うう、最新刊が……(泣) -- しだ (2010-04-20 12 04 50) 思い出し。弘化四年(1847)八郎18才、五月、六十里越の関を通って初めて脱藩するが、小山松『清河八郎』によれば、上山の宿で実家からの奉公人に追いつかれる。八郎は彼と二人、山形へおもむき、そこでたしかサツキだったかの苗とじょうろだったかを買って奉公人に持たせて実家へと返らせる。戻った彼の姿を見て、父親・雷山をはじめ家族みな苦笑する。おもえば、5月8・9・10日と山形薬師堂では植木祭が定日だから、八郎はここで土産を購入したものか。若い母親と善光寺・伊勢・厳島など諸国行脚するのが、その八年後。 -- しだ (2010-05-12 05 51 00) ちなみに、森林太郎『能久親王事蹟』によれば、慶応四年(1868)九月八日「日光山東照宮の什寶を會津より羽前國村山郡山形の柏山寺(はくさんじ)に移し」とある。この柏山寺は植木祭の山形薬師堂の門前にある。当時、天台宗の出羽国触頭。什宝はさらに山寺立石寺へ運ばれたと地元の話には残る。長島進『覚王院義観の生涯』によれば寛永寺執当の義観が山寺へ手紙を送っているはずなのだけれども、義観にまつわる話を聞いたことはない。が、白石から二口峠を越えて山寺へ彼が訪れていても、まったくありえなくはない。 -- しだ (2010-05-12 05 51 48) 正確を期して訂正。上山へ八郎を追いかけたのは「斎藤家の小作人差配の惣助」。「五月六日、八郎は惣助とともに山形に行き、楓の苗木と漏斗(じょうご)と矢立(やたて)を買ってみやげとし、町はずれの茶屋でていねいな詫び状を書き、惣助に頼んだ」小山松『清河』p.36より。「戻った彼の姿を見て、家族みな苦笑する」という記述を見かけたような気がするのだけれども、みつけられなかった。 -- しだ (2010-05-22 07 41 25) 見っけ。灯台もと暗し、大川『清河八郎』より。「使者は上ノ山で八郎に追付き、切に歸郷を勸めたけれど固より聽き入れない。彼は使者を伴ひて山形に赴き、楓の苗や矢立などを買求め、之を兩親への土産として使者を立歸らしめた。使者は土産物を持たされて空しく歸つたことが極り惡かつた。その樣子が餘りに可笑しかつたので、心配しながら待つて居た家人も、笑を禁じ得なかつたとのことである」。 -- しだ (2010-05-23 08 46 22) 名前 コメント
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イベント日程(2009) 一月 1日 ニューイヤーイベント 開始6~24時 17日 つり大会 開始9~18時 25日 フリーマーケット 開始6~翌6時 二月 3日 節分 開始6~24時 14日 つり大会 開始9~18時 14日 バレンタインデー 開始6~24時 12日 フリーマーケット 開始6~翌6時 23日 カーニバル 開始6~翌6時 三月 3日 ひな祭り 開始6~24時 21日 つり大会 開始9~18時 22日 フリーマーケット 開始6~翌6時 四月 1日 エイプリルフール 開始6~24時 11日 つり大会 開始9~18時 26日 フリーマーケット 開始6~翌6時 五月 5日 子供の日 開始6~24時 16日 つり大会 開始9~18時 24日 フリーマーケット 開始6~翌6時 六月 20日 ムシとり大会 開始9~18時 28日 フリーマーケット 開始6~翌6時 七月 7日 七夕 開始6~24時 18日 ムシとり大会 開始9~18時 26日 フリーマーケット 開始6~翌6時 八月 2日 花火大会 開始19~24時 9日 花火大会 開始19~24時 15日 ムシとり大会 開始9~18時 16日 花火大会 開始19~24時 23日 花火大会 開始19~24時 30日 花火大会 開始19~24時 九月 19日 ムシとり大会 開始9~18時 27日 フリーマーケット 開始6~翌6時 十月 3日 お月見 開始6~24時 10日 つり大会 開始9~18時 25日 フリーマーケット 開始6~翌6時 31日 ハロウィン 開始18~24時 十一月 21日 つり大会 開始9~18時 22日 フリーマーケット 開始6~翌6時 26日 ハーベストフェスティバル 開始15~21時 十二月 12日 つり大会 開始9~18時 24日 フリーマーケット 開始6~翌6時 31日 カウントダウン 開始23~24時
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いわゆる全国区の魑魅魍魎な方々。 でもなんでか長野女子部屋周辺に集まりまくりんぐ ………何やってんすかアンタら 白糸台メンツ チーム虎姫 云わずと知れた前々年度、前年度優勝校な人達。 しかしてその実態はシスコンだったりストーカーだったりドSだったり、もうやだこいつら てる☆てる : 宮永照。旧てるてる坊主。チームメイトのストーカーに垢がバレて変更したらしい。Wii。 で、今もバレてるのだが『もういいや……』なにやら悟り気味 リアルでは無口で近寄りがたいオーラがネットではやたらとハイテンション。 たまに思い出したようにやってくる。 ストレスに弱く慢性的な胃痛に悩まされており最近の主食は ガ ス タ ー 10。 用法と用量を(ry †照美威† : 同情。誤字ではなく。主に妹に知られた時の事を考えると 高三でも厨二病 九月愛 : 弘世菫。すーみん。ドムじゃないよ。Oii。 てる☆てるの現る所どこでも参上。 そのステルスぶりとストーカーぶりは他の追随を許さないZE! でも最近ではスネークよりも普通にお話する方が多かったりする。 …………… いや、てか当初の目標がそれだtt(ry ネオ緑茶 : 渋谷尭深。際どいHNの白糸台のメガネ担当。 中級部屋によく出没するがその実態は魑魅魍魎。 弱いものいじめとアニメ観賞が好きなSだが秩序は重んじているようだ。 あと、備品のティーバッグは全て頂いた。 九月愛の現る所どこでも参上。リアルだろうがネットだろうが関係無し。 そんなこんなで、最近は中級部屋よりも先輩のお側にな感じ 銀杏 : 亦野誠子。ダウナー。 色々と仕方ないのかもしれないが、個別スレ含めて話題の出なさが圧倒的。 金髪先生 : 大星淡。金髪大将で個別スレが建ったほどのカリスマぶり。 諸星?誰ですかそれ? 原作での台詞ではてさてどうなるのやら 永水女子 巫女さんズ。○:水 ×:氷 鹿児島の名門で、巫女服。てか巫女服。 他に語るものと言えば……三年のロリ巫女もいるよ!! こまっきー : 神代小蒔。巫女さん( ・∀・)キタコレ!! 何気に2年生 全国区の魔物で衣と戦うために龍門渕部屋にたまに出没…… ……だったが何やら最近は長野女子部屋がお気に入りな様子。 てる☆てるとは前年度大会来の知り合いぽい。 ちなみに御家は結構古い神社らしく永氷女子の面子からは姫呼ばわりされてる が、いかんせん俗物。 ハッちゃん : 薄墨初美。炉理巫女。 炉理で巫女ではいてなくてインディアン真っ青な仮面な三年生 ……なんだこのフルアーマー属性。最強か 東と北な方角相手なら色々と出来るっぽい。開いたり祓ったり てか鹿児島から東北の方角って日本列島の2/3じゃね? 姫様命。保身なき前進も姫様の為ならば でもちゃっかり永久に御傍にいるための下準備も地道に積み重ね中 相手は天然だから気付いてない可能性も大いにあるが、まぁ頑張れ かすみん : 石戸霞。方言っ娘、おやっとさー 何やら大将ポジっぽい。某所で偽神代とかもいわれてた 巫女さんズの良識その1 しかして何だかんだで姫様ラブ。同人絵での絡みも一ばn(ry 巴御前 : 狩宿巴。非巫女服。 巫女さんズ唯一の眼鏡っ子なのだが、巫女服じゃないとこが注目されがち。 多分に苦労人。ガスター10飲んどけ 巫女さんズの良識その2にして最後の砦 はるまき : 滝見春。○○糖ウマー 巫女さんズ唯一の一年生。でもロリのおかげでんなイメージは薄気味。 ……初見でみはるん2号!?と思ったのはいい思い出 チャットに出る時はハッちゃんとの絡み多目 色々と広がりそうだけれども、原作での台詞が無い限り広がりそうn(ry 臨海女子 どこからどうみても麻雀するための集団じゃない人達。特にネリー でも、去年の試合だと制服着て打ってたりする。何があった今年。 ちなみに制服が某東鳩のに似てたr(ry メガラバ : Megan Davin。メガン ダヴァン。 ある意味ネリーより目が向いてしまうほどのインパクトな人。男前。 制服っていうかスカートがいっそ似合うって思う位似合ってなかったりする ちなみに三年生。 冷やし透華に怯んで他校を飛ばしたというヘタレなのやら実力者なのやら そしてドM。手遅れ気味に 委員長 : 辻垣内智葉。 臨海唯一の日本人レギュラー。しかして昨年度個人戦3位の実力者 アニメの全国対局シーンにも出てたりする ………最終話のカットでは大人しそうな性格みたいに描かれてたりしたが ………原作初登場時には少し気の強そうな感じになっていて ………台詞がついたら豪くストイックな台詞をがんがん飛ばしてたりする。 これが全国区の魑魅魍魎か ねりねー : Nelly Virsaradze。ネリー ヴィルサラーゼ サカルトヴェロ出身で世界ジュニアにて大活躍しt …………… サカルトヴェロ=グルジア共和国だそうで。また一つお勉強。 巫女服、照パンチときてもう驚かないと思ったらこの子で吹くのは皆経験済み パラソル : 雀明華。チェー ミョンファ。みょん 名前が中の御国っぽいけど、フランスからの特待生 屋内では危険ですので傘の持ち込みはご遠慮くださいとは臨海の某祭りより 後、対局中に歌いだすとかそうでないとか ………… 何かもう、巫女服でも普通に思えてくるから不思議。 ハオハオ : 郝慧宇。ハオ・ホェイ・ユー。赤β 本名出すときには確実に直打ちよりコピーのが楽な人
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<魏 244年> <蜀漢 244年> <呉 244年> 244年 正始五年 (魏) 皇帝 曹芳(魏齊王・字蘭卿) 皇后 甄氏(文帝皇后の甄氏の兄甄儼の孫娘) 三公 太傅:司馬懿(前太尉) 太尉:蒋済(前領軍將軍) 司徒:衛臻(前司空) 司空:崔林(前司隸校尉)→(死亡) 九卿 衛尉: その他の要職 大将軍:曹爽(前武衛將軍) 驃騎大將軍:→ 車騎將軍:王淩(前征東將軍) 地方官 荊州刺史:胡質 幽州刺史:母*丘儉 雍州刺史:郭淮 主な事件 五年春二月、詔して大將軍の曹爽は軍を率いて蜀を征討する《三国志魏書三少帝紀》 夏四月朔、日蝕《三国志魏書三少帝紀》 五月癸巳、帝は「尚書」の講義を終了した。太常を遣わして太牢を捧げ孔子を辟雍に祀り、顏淵を配した。太傳、大將軍及び侍講者に各々格差を以って下賜があった《三国志魏書三少帝紀》 五月丙午、大將軍の曹爽は軍を還す《三国志魏書三少帝紀》 秋八月、秦王の曹詢が薨ず《三国志魏書三少帝紀》 九月、鮮卑が內附し、遼東屬國を置く。昌黎縣を立ててここに居住させる《三国志魏書三少帝紀》 冬十一月癸卯、詔して故人の尚書令荀攸を太祖の廟庭に祀る《三国志魏書三少帝紀》 十一月己酉、秦國を復して京兆郡と為す《三国志魏書三少帝紀》 十二月,司空の崔林が薨ず《三国志魏書三少帝紀》 この年、曹髦を郯縣高貴鄉公に封ず《三国志魏書三少帝紀》 誕生者 死没者 曹詢:秦王 崔林:司空
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『夏の暑さは伊達じゃないんだ』 どうも、北海道は涼しいと思っている皆さん。 そもそも、北海道に住んでいる人間は寒いのに慣れているので、暑さに弱い。…と、思う。 自分はそうだ。暑さより、寒いほうが良い!! というわけで、毎年八月~九月というのは地獄です。 ベタベターっとするし、ぬめーっとするし、暑さでダラーッとするし、もやーっとするし。 とにかくあまりの暑さでもうダメネ。僕本州イケナイネ、ウン。 とまぁ、そんな夏。 どうもここのところ、仕事の作業がアレコレ転々とやらされてまともに一つの作業をやらせてもらえてません。 というか。 意図がわからん。 あっちこっちやらされてもう、頭の切り替えが大変です。 そんなこんなで、今週も明日で今の作業が終わって次から新しいのがあるらしい。 スタッフのところに勝手に名前入っている今の作業なんて、なんも特別なことやってないのにねぇ。もう。 まぁとにかく、この時期は忙しいです。 先週も新人アルバイターの面接が行われていたようだし、続々新人が入荷されてきているようですが。 果たして一体何やるの…。ってまぁ、毎年恒例の大人数作業ですけど。僕はそこに入らない気が満々ですよ!! ああ去年も別の作業で隅っこにいたなぁ、なんて思い出すこの季節。 毎年の夏は苛酷な作業が待っているのはこの三年間で思い知ってます。なので四年目の夏もやっぱり・・・。 はぁ。 Gジェネの話。 シローが死にすぎ。 敵のど真ん中に突っ込む、あっさり攻撃喰らってる、避けない。 もうシローのバカー!!!!!!!!x5くらい。 ペルソナの話。 思えば、前作まで悪魔との交渉があったのが今回無い。 恐らくメガテンシリーズでもペルソナは別の路線を目指していたのだから、まぁいいんじゃないかなと。 そのおかげで随分戦闘関係が楽ですけど。仲間も勝手に動いてくれるし。 はぁ。冷房欲しいワー。
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月報の原理 山崎今朝彌 大正三年九月六日は、起つか転ぶか久しく法曹界の疑問であつた我組合の一周年後第一日曜日だと云ふので、事務員は高尾山に祝賀遠遊会を、組合一家一同は大森に記念室遊会を開いた、家族の少ないのと他人の庭が広いのと無料の眺望が多いのとが取柄とあつて我輩の処が会場に指定され、昼は望翠楼の西洋料理晩は松浅の日本料理余興には赤星夫婦の和洋音楽ありて別に不服の有らふ道理はなけれど、家憲とあつて、酒山門に入るを許さざりしは蓋し玉にきず、本誌は則ち即席動議として成立したるものである、法曹三千得意七千を目的とし一萬部発行の段迄は滞りなく進行したが題号となつて中々埒明かず夜を越へ日を過しても遂纏らず、我輩の萬世不易永代無料は真逆金を出して購読する物好きもあるまいからとの平凡の考なりしも山崎式だの一言でテンデ相手にせず、外国種の生命財産古酒新肴御手製の東京法律野声あを石野の声各位の賛成を得ず、十日迄に極らなければと云ふ条件と十一日と云ふ時効とに因て漸く毒にも薬にもの月報と命名が出来た題号に就ては中々譲らなかつた諸君編集に関しては互に謙譲するので来月号よりは毎月替り吉田、田阪、山崎、阿保、佐々木のいろは順でやり本月創刊号は組合つての編集、甘いが羊羹の内容は無くとも早いが賞翫を目的とし廿日迄には必ず出すことに一致した。併せて以て発刊の辞に準用す。 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、旧漢字は適宜新漢字に修正した。踊り字は修正した。> <底本は、東京法律事務所『月報』第1号1頁、大正3年(1914年)9月20日号>