約 1,978,172 件
https://w.atwiki.jp/wiki10_delpiero/pages/18.html
今後のイベントについて -- Del-Piero 2006-04-20 13 00 21 色々と考えているのですが、私の勝手な思いを書くので みなさんツッコミ&意見お願いします。 4月のイベント ・合同イベント 「SWG Collection in Spring」 5月のイベント ・スピーダバイクレース ルール: 市庁舎前スタートで、ゴールは市庁舎の皇帝の椅子に早く座った人の勝ち。 あらかじめ用意した小型ハウスにアイテムを入れておいて、 合計4~5個の小型ハウスを回ってアイテムを回収してゴールへ向かう。 ・From H最強決定戦(PvP) ルール: 個人戦とタッグマッチでスキル以外のバフ禁止。 6月 ・第二回内装コンテスト こんなもんでどうでしょ? バイクレースの日程ですが -- Delpiero (2006-04-24 14 18 02) 5/28(日)にでもやりたいと思います。まだまだ先の話ですが、そのときはご協力お願いしますねー -- Delpiero (2006-04-24 14 19 00) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/tenkuhasya/
天空の覇者クラメン専用ページ作成(仮)
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/3876.html
登録日:2009/06/28 Sun 00 15 35 更新日:2024/07/17 Wed 06 16 37 所要時間:約 5 分で読めます ▽タグ一覧 三国志 中国 中国史 人物 古典 呉 宦官 年表 戦争 晋 歴史 王朝 筆記者の熱き魂が伝わる項目 蜀 魏 魏→晋 《注 細事は省いてある》 <西暦>[国名] <八八>[後漢] 【章和二】 章帝が死去。和帝が即位。竇太后(とうたいごう)が摂政となり外戚の竇氏が政権を掌握。 <九二>【永元四】 宦官の鄭衆らにより竇氏粛清。和帝の親政が敷かれる。 <一三五>【陽嘉四】 宦官が養子を取ることが認められる。外戚の梁氏が台頭。 <一四六>【本初一】 梁驥が質帝を暗殺。桓帝を擁立し、専権を振るう。 <一五九>【延熹二】 単超以下五名が宦官の協力を得て桓帝が梁氏を誅滅。単超らが封侯され政治を私物化。 <一六六>【延熹九】 第一次【党錮の禁】 <一六九>【建寧二】 第二次【党錮の禁】 <一八四>【中平一】 黄巾の乱。各地で略奪行為が勃発。 翌年には鎮圧されるも、漢の衰退は目に見えて明らかに <一八九>【中平六】 5月に12代皇帝、霊帝崩御。 少帝が即位するも、名族出身の袁紹、袁術らが宦官を粛清。更に隴西の雄・董卓が台頭。 董卓は少帝を退位させ挙句に毒殺。献帝を擁立し暴虐の限りを尽くす。 <一九〇>【初平一】 曹操、袁紹らが反董卓軍を編成。軍事行動を開始。董卓は長安に遷都。 しかし反董卓軍はまとまらず、最終的に瓦解。群雄割拠の時代に突入する。 <一九一>【初平二】 五斗米道の教祖・張魯が漢中で自立。宗教的王国を建設。 <一九二>【初平三】 董卓が養子の呂布に暗殺される。 荊州牧・劉表との戦闘で孫堅が戦死。孫策が後を継ぐ。 <一九四>【興平一】 益州牧・劉焉が病死。劉璋が継ぐ。 <一九六>【建安一】 曹操が献帝を保護、擁立。屯田制を施行。 <一九八>【三】 曹操が李確を討伐。呂布を倒し絞首。 <二〇〇>【五】 曹操が自ら、袁軍食糧庫の烏巣を急襲。官渡にて袁紹敗れる。その後、後方支援をしていた烏丸を破る。 孫策が暗殺され、孫権が継ぐ。 <二〇一>【六】 曹操に敗れた劉備が劉表を頼り、保護を受ける。 <二〇二>【七】 袁紹病死。その後の後継争いで袁家は衰退。 <二〇七>【十二】 諸葛亮が劉備に仕える。 <二〇八>【十三】 劉表病死(老衰か?)、後継となった劉琮が曹操に降伏。荊州の全面的降伏。 劉備、民を連れて荊州を脱出。長坂の戦いで散々に敗れるも脱出、孫権と合力。 【赤壁の戦い】周瑜の活躍にて曹操大敗。南下が阻止される。 <二〇九>【十四】 劉備が荊州四郡を攻略、事実上の支配権を獲得。 【呉】 周瑜死亡(三十六歳)、病死であると思われる。 <二一一>【十六】 劉璋が劉備を迎える。 <二一三>【十八】 曹操が【魏公】に就任。 <二一四>【十九】 益州侵攻戦。劉備が劉璋から益州を取る。 <二一五>【二〇】 曹操が張魯を降し漢中を取る。荊州をめぐり孫権と劉備が対立。曹操の急な南下により荊州を東西に分割、それぞれを統治することにより両者が和解。 <二一六>【二一】 【魏】 曹操が【魏王】となる。 <二一七>【二二】 【呉】 魯粛死亡。呂蒙が代わる。 <二一九>【二四】 【蜀】 定軍山の戦いに勝利。漢中奪取。劉備、漢中王を称する。関羽が孫権に斬られる。荊州を失う。 <二二〇>【二五】【黄初一】 【魏】 曹操[武帝]が死没。曹丕が献帝より帝位を譲られ、魏王朝が成立。後漢帝国滅亡。 九品官人法制定。 <二二一>【黄武一】【呉】 孫権が魏から自立。<黄武>と改元。 これにより、魏、呉、蜀の三国分立状態が確定。 劉備の益州奪取後荊州に移り、呉の荊州奪取後呉にいた劉璋が死亡。 <二二三>【章武三】【蜀】 夷陵の戦いで呉に大敗。劉備、白帝城にて病没。<昭烈帝> <二二五>【五】 劉備の遺命によって諸葛亮が蜀の政治を掌握、指導する。南征を行う。 <二二六> 【黄初七】【魏】 曹丕<文帝>崩御。曹叡が即位。 <二二七>【建興五】【蜀】 諸葛亮が【出帥の表】を上奏。北伐を開始。 <二二八>【六】 街亭の戦いで魏が蜀を破る。諸葛亮、泣いて馬謖を斬る。陳倉の戦いで蜀が魏を包囲。が兵糧が尽き撤退。 <二二九>【黄竜一】【呉】 孫権が帝位に就き、建業に遷都。呉帝国樹立。 <二三〇>【太和四】【魏】 司馬懿が大将軍となる。 <二三一>【建興九】【蜀】 蜀軍、第四次北伐。張コウを討ち取るなどの戦果を挙げるも撤退。 <二三四>【建興十二】【蜀】 諸葛亮、第五次北伐中に五丈原にて陣没。 これ以降蜀は北伐をしばらく行わなくなる。 <二三九>【景初三】【魏】 曹叡<明帝>死亡。斉王曹芳が即位。司馬懿、曹爽が補佐。 <二四一>【赤烏四】【呉】 諸葛瑾死亡。 <二四二>【五】 南方討伐。 <二四五>【八】 二宮の変による呉の重臣の勢力争い発生。陸遜憤死。 <二四九>【嘉平一】【魏】 司馬懿により曹爽一族粛清(高平陵の変)。大権を握る。 <二五〇>【赤烏十三】【呉】 太子、和を廃す。 <二五一>【太元一】【呉】 諸葛格が国事を統括。 <二五一>【嘉平三】【魏】 司馬懿死亡。 <二五二>【四】 司馬師が大将軍に就く。 【呉】【太元二】 孫権<大帝>が死没。 【建興一】 孫亮が即位。(このとき10歳)。 <二五五>【正元二】【魏】 司馬師死亡。弟の司馬昭が権力を継承。 <二五八>【太平三】【永安一】 孫亮が廃位され、孫休が即位。 <二五八>【甘露三】【魏】 司馬昭が晋公に昇る。 <二六三>【炎興一】【蜀】 後主・劉禅が魏に降伏。蜀滅亡。 <二六四>【咸熙一】【魏】 司馬昭、【晋王】に就く。 <二六四>【永安七】【呉】 孫休<景帝>死亡。孫皓が即位。 <二六五>【泰始一】 司馬昭、死亡。司馬炎が晋を建国。 魏滅亡。 <二七二>【鳳凰一】【呉】 西陵の戦い。呉軍が晋軍を破る。 <二八〇>【天紀四】【呉】 孫皓<末帝>が晋に降伏。呉滅亡。 【晋、中国統一】 <二九〇>【太熙一】【晋】 司馬炎<武帝>崩御。 【年表中には特に国事について著した。中には理解しにくいものも有るかもしれないが、その際は修正されたし】 【補足】 ※【党錮の禁とは】 宦官は民から略取した金で新たな官職を買い上げ、中央の政事を操る。 一六六年(七、八)にこの腐敗しきった宦官による政治を排斥しようとする運動が【清流派】により行われたが、 宦官の子飼いの間者と朝廷内の綿密な情報網の前に露見してしまい、失敗に終わる。 見せしめとして首謀者の陳蕃、他百余名が惨殺され、およそ二千名が拷問を受けた。 【党錮】二度と官僚として登用しない、の意。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 横書きなので年の表記はアラビア数字にして、同時期の世界や日本でどんなことがあったかを書くとイメージしやすいかも -- 名無しさん (2019-02-21 14 23 14) 黄巾の乱から赤壁の戦いまでだけでも24年もあるのか。こうして見ると、恋姫で時間経過を気にしたら負けっていうのがよくわかるな。真面目に考えたら、一刀は終盤ではおっさんになってしまう・・・・。 -- 名無しさん (2024-07-17 06 16 37) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/nico2/pages/61.html
あずまんが三國志 あずまんが三國志 http //www.nicovideo.jp/watch/sm820225
https://w.atwiki.jp/eiketsu-taisen/pages/1153.html
勢力 時代 イラストレーター 声優 登場弾 No. 勢力 時代 レア 武将名 コスト 兵種 武 知 特技 計略名 士気 備考 イラストレーター 声優 登場弾 蒼090 蒼 三国志 R 甘寧 2.0 槍 8 3 - 川賊の粘り 4 蒼の味方の武力によるダメージを軽減する 夢路キリコ 小西克幸 第3弾-1 蒼093 蒼 三国志 SR 周泰 2.5 弓 8 6 気・技 神弓の極意 6 対象の弓兵の味方部隊数に応じて弓兵の味方の武力が上がり、以下の効果を得る1部隊:知力と移動速度が上がり、攻城ゲージが敵の攻撃で下がらなくなる2部隊:矢を当てている敵の武力と移動速度を下げる3部隊以上:走射時間が延びる 西野幸治 中村悠一 第3弾-1 蒼104 蒼 三国志 R 魯粛 1.5 弓 5 9 技 知勇兼陣 3 【陣形】味方の武力と知力が上がる陣形を設置する まじ 青山穣 第3弾-1 蒼109 蒼 三国志 N 諸葛瑾 1.0 槍 2 7 - 火計 7 敵に知力によるダメージを与える。ダメージは互いの知力で上下する とき間 家中宏 第3弾-2 蒼112 蒼 三国志 SR 孫氏 1.0 弓 3 3 昂 猛虎の目覚め 3 戦場にいる蒼の味方の武力の最大値が大きいほど武力が上がる。一定以上武力が上がると、さらに走射中の弓攻撃のダメージが上がる 藤居にこ 伊達朱里紗 第3弾-2 蒼114 蒼 三国志 R 丁奉 2.0 弓 7 7 柵 鉄礫槍雨の号令 5 蒼の味方の武力が上がる。さらに自身の走射時間が延び、一定時間走射状態を維持すると、接触した敵にダメージを与えて弾くようになる。ただし敵を弾くと走射は終了する 寿多浩 菅沼久義 第3弾-2 EX063 蒼 三国志 SR 太史慈 3.0 弓 10 6 - 天衣無縫の号令 7 蒼の味方の武力が上がる。さらに自身の同時に弓攻撃できる部隊数が増え、矢を当てている敵の移動速度を下げる 戸橋ことみ 松田裕市 第3弾-EX EX065 蒼 三国志 R 淩統 2.0 騎 8 3 - 贖罪の神速行 4 武力と移動速度が上がる。ただし効果中に自身が撃破した敵部隊数に応じて、撤退時もしくは効果終了時に追加効果が発生する0部隊:自軍の士気が下がり、撤退する1部隊:自軍の士気が下がる2部隊以上:なし 三好載克 津田健次郎 第3弾-EX
https://w.atwiki.jp/eiketsu-taisen/pages/608.html
勢力 時代 イラストレーター 声優 登場弾 No. 勢力 時代 レア 武将名 コスト 兵種 武 知 特技 計略名 士気 備考 イラストレーター 声優 登場弾 蒼060 蒼 三国志 SR 周姫 1.0 槍 2 6 伏 聡慧なる献策 4 最も武力の高い味方の武力と知力が上がり、伏兵状態になる。ただし一定時間伏兵によるダメージが下がる ひと和 高橋李依 第2弾-1 蒼061 蒼 三国志 R 朱然 2.0 騎 7 7 昂 胆略の継戦 5 蒼の味方の武力が上がる。さらに敵を撃破するたびにこの計略の効果時間が延長される ニシカワエイト 森久保祥太郎 第2弾-1 蒼062 蒼 三国志 N 孫桓 2.0 槍 6 8 伏・先 孫呉の火計 6 敵に知力によるダメージを与える。ダメージは互いの知力で上下する 竹内基 高橋李依 第2弾-1 蒼069 蒼 三国志 SR 陸遜 2.5 槍 8 9 伏 火焔の大号令 7 【ため計略】蒼の味方の武力と知力が上がり、知力による戦闘ダメージを与えるようになる 風間雷太 掛川裕彦 第2弾-1 蒼073 蒼 三国志 R 徐夫人 1.0 騎 2 6 昂 侮蔑の眼差し 4 【陣形】範囲内の最も武将コストの高い敵の知力と移動速度を下げる 戯々 前川涼子 第2弾-2 蒼075 蒼 三国志 SR 太史慈 3.0 弓 10 6 - 天衣無縫の号令 7 蒼の味方の武力が上がる。さらに自身の同時に弓攻撃できる部隊数が増え、矢を当てている敵の移動速度を下げる 戸橋ことみ 松田裕市 第2弾-2 蒼086 蒼 三国志 R 淩統 2.0 騎 8 3 - 贖罪の神速行 4 武力と移動速度が上がる。ただし効果中に自身が撃破した敵部隊数に応じて、撤退時もしくは効果終了時に追加効果が発生する0部隊:自軍の士気が下がり、撤退する1部隊:自軍の士気が下がる2部隊以上:なし 三好載克 津田健次郎 第2弾-2 EX012 蒼 三国志 ER 孫堅 2.5 騎 9 4 昂 天啓の幻 7 蒼の味方の武力が上がる。ただし効果終了時に撤退する 夢路キリコ 岡野浩介 第2弾-EX EX021 蒼 三国志 R 孫権 1.5 弓 5 6 技 若虎の手腕 6 蒼の味方の武力が上がる。さらに武力が徐々に上がる 采藤 岡本信彦 第2弾-EX
https://w.atwiki.jp/30mmcolors/pages/259.html
跡地
https://w.atwiki.jp/eiketsu-taisen/pages/590.html
勢力 時代 イラストレーター 声優 登場弾 No. 勢力 時代 レア 武将名 コスト 兵種 武 知 特技 計略名 士気 備考 イラストレーター 声優 登場弾 紫009 紫 三国志 ER 袁紹 3.0 槍 9 7 昂 王者の驀進 9 【渾身】紫の味方の武力が上がり、兵力が回復する。一定以上武力が上がるとさらに移動速度が上がる 獅子猿 速水奨 第2弾-1 紫013 紫 三国志 R 顔良 2.5 騎 9 4 技 双璧の武技・技 5 自身の武力と移動速度が上がる。さらに自身を除く最も武力が高い紫の味方の武力が上がる 獅子猿 杉田智和 第2弾-1 紫015 紫 三国志 N 許攸 2.0 弓 6 8 柵・技 強欲な号令 5 紫の味方の武力が上がる。ただし効果終了時に対象の味方部隊数に応じて自軍の士気が下がる popo 伊丸岡篤 第2弾-1 紫021 紫 三国志 N 辛評 1.0 槍 2 6 伏 速戦の進言 2 最も武力の高い紫の味方の移動速度が上がる しん 松田裕市 第2弾-1 紫031 紫 三国志 R 文醜 2.5 槍 9 3 気 双璧の武技・武 5 自身の武力が上がり、兵力が回復する。さらに自身を除く最も武力が高い紫の味方の武力が上がる 獅子猿 中村悠一 第2弾-1 紫035 紫 三国志 R 劉氏 1.5 弓 5 7 昂 妖婦の命令 4 最も武力の高い紫の味方の武力が上がる。ただし兵力が徐々に減少する 五十嵐睦 しもがまちあき 第2弾-1 紫043 紫 三国志 N 審配 1.0 弓 2 6 伏 寡兵の進言 3 最も武力の高い紫の味方の武力が上がる。この効果は対象の兵力が少ないほど大きい 山本章史 杉田智和 第2弾-2 紫045 紫 三国志 N 沮授 1.5 槍 5 7 - 防護の号令 4 紫の味方の武力によるダメージを軽減する とよた瑣織 森久保祥太郎 第2弾-2 紫047 紫 三国志 SR 田豊 1.5 槍 4 10 伏 牢固の戒告 5 最も武力の高い紫の味方の武力と兵種アクションのダメージが上がり、効果終了時に自軍の士気が上がる 池田正輝 掛川裕彦 第2弾-2 紫049 紫 三国志 N 逢紀 1.5 弓 5 6 伏 狡知の進言 2 最も武力の高い紫の味方の知力が上がる 山本章史 津田健次郎 第2弾-2
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/30595.html
登録日:2014/12/02 Tue 17 45 13 更新日:2024/09/16 Mon 16 22 41NEW! 所要時間:約 10 分で読めます ▽タグ一覧 お家騒動 リストラ 三国志 中国史 二宮の変 呉 孫呉 孫家 孫権 孫皓「孫呉など滅びてしまえばいい!」 後継者争い 泥沼 老害 耄碌した瑛君 陸遜 騏驎も老いては駑馬に劣る 二宮の変(にきゅうのへん)とは三国志の時代、241年頃から呉で勃発した政治闘争のことである。 二宮事件とも呼ばれ、10年近くおよんだこの事件により呉は有能な人材を多く失い、その命脈を削ることとなった。 ちなみに正史には記載されているが、三国志演義では省かれている。 概要 早い話が呉の後継者争いと、それに伴う重臣たちの政治争いである。 長男にして皇太子だった孫登が病死したため、孫権はその次の兄弟孫和を新たな皇太子としたが、 よりにもよってその弟孫覇を同等に扱ってしまう。 そのため重臣たちが孫和派と孫覇派に分かれてしまい、孫権に対する諫言・讒言合戦が行われてしまうこととなった。 孫家の後継者争いなだけあって孫姓の人がたくさん出てくるため、慣れないうちはわけが分からなくなる。 登場人物 孫家 孫権(そんけん) ご存じ呉の初代皇帝にして全ての元凶。 晩年老害化が目立つとされる孫権だが、この事件は恐らくその所以にして彼の人生最大の汚点。 最後の最後に一番とんでもないことをやらかしてしまった。 やはり孫家DQNの血は伊達ではなかった… 孫登(そんとう) 孫権の長男。当初は皇太子とされていたが病により孫権より先に死んでしまった。 孫登は孫和と仲がよかったため、孫和を後継者とするように遺言を残していたが…。 孫和(そんか) 孫権の三男。孫登の死後、前述の遺言と次男の孫慮が既に亡くなっていたこともあり、新たな後継者として擁立される。 しかし、その後孫権からの寵愛が薄れていき、弟の孫覇が寵愛されるようになる。その裏にはある女の影が…。 悪名高い孫皓の父でもあるが、彼自身は学問が好きで、臣下の諍いを良い形で仲裁するなどまともな人物だった。 孫覇(そんは) 孫権の四男。孫権により魯王に封じられ、兄孫和と同等の扱いを受ける。そのため両者の間で後継者争いが激化していき…。 余談だが似た立場であった魏の曹丕と曹植は、あくまで重臣たちの勢力争いで本人たちはさほど嫌い合っていなかったとする説もあるが、こいつは積極的に後継ぎの座を狙っていた。 孫亮(そんりょう) 孫権の七男。詳しくは後述するが、結局2人の兄のどちらでもなく彼が跡を継ぐことになった…。 が、皇太子に指名された当時はなんと8歳!孫権が死んで皇帝に即位した時点でもわずか10歳! 孫権ェ…。 孫魯班(そんろはん) 孫権の娘。姉の方。三国志大戦では字の大虎として登場。大流星の儀式で覚えている人も多いのでは? 二宮の変では孫和と対立して孫覇に組する。妹さえも死においやる悪女っぷり。だがそれがいい。 孫魯育(そんろいく) 孫権の娘。妹の方。三国志大戦では字の小虎として登場。もうしょうこをいじめないで…… 夫の朱拠が孫和派に属していたため、二宮の変が幕を引いたあと姉に謀殺されることに…。 重臣's 孫和派 陸遜(夷陵の放火魔。当時の陸遜は丞相でもあり、言わずもがなの建国功労者) 吾粲(孫和の後見人。陸遜と並ぶ孫和派の先鋒) 朱拠(孫魯育の夫) 顧譚(丞相を務めた顧擁の孫) 張休(呉の内政の大重鎮、張昭の息子。孫和の妻の叔父でもある) 諸葛恪(諸葛瑾の子で諸葛亮の甥。才気があり過ぎて身を滅ぼすと父に予言された) その他多数 孫覇派 全琮(孫魯班の夫) 歩隲(驃騎将軍。孫魯班、孫魯育の母・歩夫人を同族に持つ) 呂岱(齢九十六まで生きた呉の長老) 呂拠(呉の高官・呂範の子) 楊竺 その他多数 孫登の死~孫和・孫覇の対立 孫権は当初、長男の孫登を皇太子として後継ぎに指名していた。 しかし孫登が病により早逝したため、孫権は孫和を新たな皇太子に立てる。 この時後継者の相次ぐ死から「王を立てるべき」と言う意見が広がっている。(*1) 当初孫権は拒絶するも、242年に孫覇を魯王に封じている。 さらに、孫和の生母である王夫人を皇后に立てようと、重臣たちが孫権に働きかけた。 が、それが気に食わない女が一人……露伴ちゃん、もとい孫魯班である。 実は魯班ちゃんの母、歩夫人はかつて皇后になれなかったという過去があり、他の女が皇后になることが許せなかったのである。(歩夫人本人が固辞していたんだけどね) そこで魯班ちゃんは王夫人を皇后にさせないために、孫権にあることないこと吹聴するようになる。 例えば、ある時孫権が病床に臥せってしまい、孫和が宗廟で快復祈願をすることになった。 その際にちょこっと席を外して妻の叔父である張休の下に立ち寄ったのだが、それを聞いた魯班ちゃんはそれを誇張して、 孫魯班「孫和は父上がご病気なのに、宗廟で祈らず叔父と謀議ばかりしております」 さらに 孫魯班「王夫人は父上の病気を喜んでおります」 と讒言した。 これを聞いた孫権は大激怒し、王夫人を皇后に立てることを取りやめ、孫和を疎んじるようになる。 その後も魯班ちゃんは讒言を繰り返し、孫権の寵愛は孫和から孫覇に移っていくようになる。 やがて孫覇は孫和とほぼ同等の扱いをされるようになり、家臣たちの間で太子廃立が行われるのでは?と囁かれるようになる。 重臣たちの勢力争い これに目をつけたのが呉政権の非主流派たちである。 元々呉は地方豪族の寄り合い所帯みたいなものであり、言わば連立政権のようなものであった。 陸遜など政権の主流派が孫和派に属していたわけだが、ここで孫覇が後継ぎとなれば非主流派の自分たちが政権の中枢へ行けると考えたわけである。 しかも陸遜は政権のトップである丞相という地位を与えられながらも、それまでの職務であった荊州統治を引き続き行うため荊州に駐屯している。 中枢で最も権力を持つ人物が、孫権のいる建業にいないことが常態化してしまっていた。 非主流派's「「「これは…チャンスやん?」」」 これに危機感を抱いた陸遜は度々孫権に対して長幼の序を大切にして孫和を擁護する文書を送り、さらに建業に出向いて直接孫権を説得しようとした。 それに対して孫覇派は孫権に讒言し、楊竺に至っては陸遜に関する20カ条もの疑惑事項を告発するという有様だった。 これを真に受けた孫権は陸遜に何度も問責の使者を送った上に、吾粲を処刑したり顧譚、張休らを左遷してしまった。 孫権「とりあえず左遷」 陸遜「そんな馬鹿な……」 あまりに執拗な追及を受け、失意の中陸遜は病を発して死去。 刑死させたわけではないが、実質的には孫権が死なせたようなものである。 こうして孫覇派が一度は主導権を握るものの、全琮、歩隲が相次いで死去してしまう。 これに乗じて孫和派が一転攻勢!汚名挽回! ……と思いきや、この機会を活かすことができず、結局状況はさらに混迷化し、泥沼の様相を呈してしまう。 ちなみに孫権は、この頃になると自分が元凶のくせに2人の息子の争いに嫌気が差していた。 喧嘩両成敗 結局孫権は孫和を廃立し、孫覇には自害を命じ、当時8歳だった七男孫亮を皇太子とした。 さらに孫覇派で積極的に工作に参加した者たちを片っ端から誅殺し、孫和派の方も孫和の廃立に反対した者たちがばんばん処刑された。 唯一の救いとなるエピソードは、孫権が後に陸遜に対する誤解を解いたことである。 陸遜死後、陸遜の子陸抗は連座されておらず官職についたが、孫権は陸抗に対しても楊竺の発した陸遜への疑惑を詰問させた。 だが、陸抗が整然と答えると孫権はようやく陸遜に対する誤解を解いた。 陸抗が任地に行くため孫権の下を離れるときは「自分は愚かにも讒言を信じ、君の父上の信義を裏切り、君にも悪いことをしてしまった。自分が父上に送った詰問の手紙を焼き捨ててくれないか」と泣きながら謝ったという。 その後陸抗が呉の大黒柱となり、死ぬまで斜陽の呉を支えたことを考えると、孫権にもまだ人を見る眼は残っていたのかもしれない。 その後 この政権争いは、幕引き後も呉に悪い意味で大きな影響を残している。 彼が左遷した臣下たちは呉の建国に大功のあった重要な人材やその子たちである。 それを内輪揉めで次々左遷したり処刑したりしたため、呉の屋台骨は一発でガタガタになってしまったのである。 孫権の死後、当時わずか10歳の孫亮が皇帝に即位した。 孫亮自身は聡明で知られていたものの、この年齢では政治は臣下任せにならざるをえない。 結果として側近の諸葛恪が実権を握ることとなった。 ……が、その諸葛恪が魏への遠征に大失敗。多大な損害を出して失脚した諸葛恪を、今度は元孫覇派だった孫峻がクーデターを起こし誅殺。さらに孫和を自害させた。 これでやっと落ち着いた…と思いきや、今度は孫登の子である孫英が孫峻を暗殺しようとして失敗。 孫峻の権力は従兄弟の孫綝へ引き継がれる。が、この頃には即位時は幼かった孫亮も大人になり、自分で政治をとり行おうとする。 意のままにならない孫亮が邪魔になった孫綝は孫亮を廃し、孫権の六男孫休を擁立するが、その孫休に孫綝が殺され……と、内紛は長い間続くことになった。 当時魏では、249年の高平陵の変の後司馬一族を中心とした政治体制になり、これに対する反乱が多発していたが、政治体制そのものは全く揺らいでいなかった。 蜀は呉とは仲がよく意気軒昂ではあったが、呉と比べても国力が小さすぎた(現に姜維の北伐は成果をほとんど挙げられていなかった)。また蜀の国内情勢も、姜維を抜きにしても支離滅裂のひどすぎる有様で、外地の姜維が一番真面目、というぐらいだった。 元々魏は呉の3倍近い国力を持っていただけに、この争いは呉が魏に勝つかすかな可能性を封じてしまったとさえ言われているのである。 また、三国志最悪の暴君として知られる孫皓は、父を大変敬愛していたようで帝位についたあと何度も父を祀っていたという。 孫皓が暴政に走ったのは、父孫和が一度は皇太子として立てられながらも理不尽に廃立され、無残な最期を遂げてしまったことが原因であるとも言われている。 三国志で後継者争いといえば、後継ぎに悩む曹操に賈クが例として挙げた袁紹、劉表が有名であるが、この二人は残された者たちが勝手に争い始めたに過ぎなかったと言われている。 だがこちらは存命中の孫権があっちにフラフラ、こっちにフラフラした結果であり、孫権がその気になれば避けられたトラブルであった点で、タチの悪さはこちらの方がはるかに上である。 しかし、演義では省略されているので、ある意味優遇と言えるのかもしれない。 呉の地味さに拍車がかかっているとか言ってはいけない。 陰謀論 しかし、この二宮の変、孫権はわざと放置していたという陰謀論がある。 呉は孫家以上にその土地で影響力のある一族を配下として抱えている面があった。 孫家は家格の低さ、正統性の乏しさ、大豪族の寄合連合政権の盟主でしかない等の理由から 国家運営には彼らとの協力が必要であったが彼らに主導権を奪われるようなことがあってはならなかった。 当時、江東の豪族、特に陸家の勢力は大きくなりすぎていた。 だから孫権はわざと10年間も後継者争いを放置して主流派と非主流派を争わせて喧嘩両成敗で力を削った、 というものである。 実際、顧家等が没落している。 まあもっとも、豪族を削ろうとした結果として国家自体が崩れたんだから、やはり孫権の謀略としても大失敗だったと言えよう。 だいたい、それをするならもうちょっと気力と体力のある若い時期にするべきだったのではないか。もしこの内紛中に孫権が病床に伏したり逝去したりすれば、もう本当に止めようがなくなる。 後継問題という、国の将来を左右する問題を、こんな謀略に使うというなら、それは極めて危険な策略である。 考えなしに放置した結果なら論外。考えたうえで引き起こした結果なら愚策。やはり孫権の過ちとしか言いようがない。 追記・修正は後継ぎをちゃんと指名して、扱いを別格にしてからお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] なるほどね。よく分かりましたよ魯班おじさん -- 名無しさん (2014-12-02 18 08 41) 汚名挽回しちゃいかんだろww -- 名無しさん (2014-12-02 19 02 20) 孫権が何もかも悪い。若い頃は曹操や劉備と互角以上に渡り合ったのになぁ 晩年は劉禅以下 -- 名無しさん (2014-12-02 19 52 21) 裴松之も袁紹、劉表の件とは問題にならないほど酷いと評している。 -- 名無しさん (2014-12-02 21 23 53) 淫夢語録交える必要性ないだろ気色悪い -- 名無しさん (2014-12-02 22 14 16) こんなことでは孫皓もやさぐれてしまうわけだ -- 名無しさん (2014-12-02 22 16 17) この後継者争いに近いのってあとは上杉謙信の跡目争いぐらいか。 -- 名無しさん (2014-12-03 00 27 25) 蜀漢の滅亡とか作ってくれないかな -- 名無しさん (2014-12-03 11 12 50) あまりにgdgdすぎてめまいがしてきたw -- 名無しさん (2014-12-04 21 07 46) 陸遜はこの事件の影響で死亡し、朱然も結論が出される一年前の249年に病死したので孫権はこの事件を経て孤独になったと言える -- 名無しさん (2014-12-04 21 46 15) ↑4むしろ信親死後の長宗我部家のが近いかと。 -- 名無しさん (2014-12-04 21 47 29) こりゃ演義で省かれるわ・・・グダグダすぎてやばいもん。 -- 名無しさん (2014-12-04 22 58 13) 歩隲も全琮も陸遜もみんな江南の名家の看板を背負う人物だから、皇帝権を確立しなきゃいけなかったのに最後の仕上げである後継者指名でこういう行為をやってしまう孫権ってやっぱり -- 名無しさん (2014-12-07 14 20 04) ↑7 上杉は天下統一の致命的な出遅れにはなったものの何だかんだ収束はしたし、陸遜ポジの兼続がその後長生きしたからお家もそこまで酷く落ちぶれなかったし・・・ -- 名無しさん (2015-01-11 13 44 43) こうみると、きちんと長子に相続させられた曹操、劉備との対比が目立つなw -- 名無しさん (2015-01-23 14 08 29) ↑ 何気に司馬一族も跡目はちゃんとしてたよな。 -- 名無しさん (2015-03-15 14 48 56) ↑3天下統一どころか、越後以外の領地全喪失ーの、反乱おこされーので、本能寺というミラクルが無ければ滅亡秒読みまで衰えたんですが…。 -- 名無しさん (2015-03-15 17 22 54) この孫権だれ? 俺、こんな孫権知らないんだけど・・・ -- 名無しさん (2015-04-01 01 20 53) 呉での豪族間のつながりがあーっけなく崩れましたね。 これだから孫家DQNはいかんですなぁ。 第一基地外娘の意見を聞いて陸遜の意見を聞かないとは、誠にDQNだ。 -- 名無しさん (2015-04-01 11 02 16) 孫権はまあ老衰もあるし強大な国力を持つ魏に対して自国は人不足に常に悩まされて気が滅入ってたのもあるんだろうけどそれでも晩年の政治は目に余るものがあるよね -- 名無しさん (2016-01-28 08 20 47) 陸遜が政権の主流とは寡聞にして聞かぬな -- 名無しさん (2017-05-20 00 16 27) ↑4 ちゃんと現実を見ようww -- 名無しさん (2017-08-16 17 15 09) ニコニコでコーエー三国志の顔グラつかったこの騒動の創作動画あったな -- 名無しさん (2018-03-08 00 23 58) びっくりするぐらい世紀末的だった・・・ -- 名無しさん (2018-05-18 15 58 27) 孫魯班が諸悪の根源なのだが、歩皇后が好きすぎて娘を疑えなかったのだろうか。となると妹のほうがもうちょっと諌めていたら違ったのかな? -- 名無しさん (2018-10-11 18 06 38) 長男の孫登が早死にしなければ逆転は無理にしてももう少し持ちこたえられたのかな? -- 名無しさん (2019-05-11 09 35 00) 全琮歩隲は身内に甘すぎるところがある。そんな孫覇派に呂岱と呂拠がいることを悲しく思う -- 名無しさん (2019-06-21 21 31 31) 晩年の孫権は劉禅より酷かったのか・・・ -- 名無しさん (2019-06-21 22 01 37) いや、劉禅は降伏後に後継者で揉め事の種蒔いてるから蜀が後五年ぐらい続いてたらやばかった。後、歩隲呂岱呂拠辺りは漠然と連名されてるだけで実際何をしたかの記録に乏しくて正直本当に関わりあったか怪しい。 -- 名無しさん (2019-06-22 02 12 37) これも晩年に至って自分の死後豪族が再び力を取り戻して実権を握るようなことを恐れ、有力者を間引こうとしたんだろうけど、娘が想定以上に性悪だったのもあって収束に失敗したって感じ -- 名無しさん (2019-07-09 11 25 45) 全琮もそんな積極的に動いていたかというと妻に引っ張られていた感じが…… -- 名無しさん (2019-11-14 13 21 26) というか孫英は蚊帳の外か…普通順番通りに行けば嫡孫が継ぐよね? -- 名無しさん (2019-11-24 02 22 45) 孫和の母親は無力だったんかね?あるいはすでに死んでいたか -- 名無しさん (2020-08-23 17 09 37) 晩年の耄碌していた孫権の陸遜に対する疑念を晴らした陸抗はすごいな。 -- 名無しさん (2021-02-14 11 09 15) 何故このタイミングで魏は攻めなかったのやら。陸遜が死んだ時に仕掛ければ袁家のようにアッサリ滅ぼせただろうに。 -- 名無しさん (2021-02-14 13 04 05) 曹爽と司馬懿で権力争い真っ最中だったんで軍事的実績を欲しがった曹爽が出兵してボロ負けしたぞ -- 名無しさん (2021-02-14 13 19 00) ↑1 蜀の侵攻に失敗した挙句絶賛内紛中の呉にもボコされるとか曹爽ってこの時期の孫権よりも無能すぎるやんけ… -- 名無しさん (2021-02-14 21 05 38) 呂壱のように低い身分から取り立てた人物で豪族たちに対抗しようとしたが両者との間で板挟みになって非業の死を遂げた。 -- 名無しさん (2021-02-20 21 35 02) ↑ 孫晧も岑昏て寵臣がいたけど結局士気上げのためにとりあえず血祭りにされるっていうね -- 名無しさん (2021-02-20 21 53 04) 日本の戦国時代も甲斐みたいに国人衆の強い国もあった。信虎も力で国人衆を支配しようとしたが反発して晴信を当主に立てて信虎を追放した。 -- 名無しさん (2021-02-20 22 09 15) ↑6孫権死後に魏が大軍を率いて攻め込んだが諸葛恪らに撃退された。諸葛恪は周囲の反対を押し切って魏を攻めたが大敗を喫し失脚した。 -- 名無しさん (2021-02-21 00 58 38) ↑2 もあった、というかどこも基本そう -- 名無しさん (2021-02-21 06 32 08) 諸葛恪も司馬師のように敗戦の責任を引き受けていれば暗殺されることもなかっただろう。 -- 名無しさん (2021-02-21 11 39 25) 諸葛恪は天才肌な代わりに細やかな配慮に欠ける人物だったくさい。成果を上げてるうちは皆不承不承でも素直に従っただろうが、一発大失敗すれば即アウトなタイプ。叔父さんは北伐失敗の時自分も降格処分にしたりしてたのにね。 -- 名無しさん (2021-02-21 12 06 30) 諸葛恪は親父からは頭が良すぎて家滅ぼすかもや陸遜からその傲慢な性格をどうにかしろと言われるほど人間性に問題があった。タイプ的には鍾会や馬謖に近い人間。 -- 名無しさん (2021-02-27 21 41 19) 長子相続と言うと現代人の目から見ると非合理に思えるけど跡目争いを防ぎ国力を温存するには最も合理的な制度なんだよな。 -- 名無しさん (2021-02-27 21 56 03) ↑ ただし長子に何かあった場合に即アウトになりやすい。それが困るから側室を設けて子どもが沢山出来て結局はドンパチが起こる。 -- 名無しさん (2021-03-15 11 38 05) 正確に言うと生まれた順相続ね。均等相続だと家の力が分散されるし、能力で選ぶと選ばれなかった人間が不満を持つから。 -- 名無しさん (2021-03-15 12 14 41) ちなみに中には新しい王が即位したらそれ以外の兄弟や甥は皆殺しっていう素敵な制度のある王朝もあったらしい。まあ、具体的にどの王朝かは知らないんで都市伝説かも知れないけど -- 名無しさん (2021-03-15 12 19 50) ↑それを穏当にした形が足利氏の「後継以外出家させる」なのかもしれない(ただし↑3のメリットとデメリットが両方そのままになる)。清の「皇帝の死後に後継を公開する」はうまくやったかなと思うね -- 名無しさん (2021-07-03 16 02 20) 孫権に長幼の序を説く陸遜も悪い気がするんだよな。孫権は兄・孫策の子に家督を返してないし、さらに遡れば孫堅の兄・孫羌の一族がいる。陸遜の発言は孫権の存在否定に他ならない。 -- 名無しさん (2022-11-23 10 06 43) そもそも論でいうなら、諮問されたわけでもないのに勝手に君主(それも皇帝)の後継者選定に嘴を突っ込んでくる臣下サイドにもだいぶ問題がある。特にターニングポイントを作った陸遜は、もう少しやり方を選んでいればここまでコトがこじれなかった可能性も大いにある。 -- 名無しさん (2023-03-07 23 24 12) あの賢妻で有名な歩夫人の娘がこれってのが↑4 -- 名無しさん (2023-05-31 16 41 17) ↑5即位したら王様の兄弟皆殺しはあのオスマン・トルコだな -- 名無しさん (2023-05-31 16 42 02) 大体の出典が後世のものだし記事内でどっからとったのかの引用すらない…… -- 名無しさん (2023-05-31 17 22 27) 後に玄武門の変を起こした唐の太宗はこの事件を教訓にしたんじゃないかな?彼は玄武門の変を自分ちの問題として政争にせずに処理してるし -- 名無しさん (2023-06-03 20 21 00) この件だって別に孫権は継承問題をよそに広げようとしたわけではないし、むしろ臣下の干渉を勅で禁じてるんだけど、孫呉は豪族の力が強くて結局勝手に口をはさんでくるし政治抗争も始めちゃうからね・・・ -- 名無しさん (2023-06-03 21 10 54) 陸遜も孫権に対してズケズケと主張しすぎで君主の顔を立てる配慮はできなかったのか -- 名無しさん (2024-02-15 09 19 40) 孫覇は父の孫権から自害を命じられた時かなりショックを受けたんだろうな。だって今まで自分を可愛がってきた父からいきなり「死んでくれ」って言われたようなもんだし -- 名無しさん (2024-06-22 15 33 14) 多分だけど呉に賈クのような人物がいたらこの事件は起きなかったかもしれないな -- 名無しさん (2024-08-05 08 09 24) かつて魏と蜀に天下統一が望めないほどの大損害を与えた呉だけどこっちもこの事件のせいで天下統一の可能性を潰してしまってるな -- 名無しさん (2024-09-07 09 43 50) ここに一番いてほしかったのは諸葛瑾だった。ただ彼すらそっぽ向く呂壱事件で孫権の信望が失墜したのがそもそも痛すぎた。 -- 名無しさん (2024-09-16 16 22 41) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/612.html
このページは数あるニコニコ歴史戦略ゲー動画の登場人物について、各動画内での列伝をまとめていくものとして用意しました。 主役級の活躍を見せた人物はもとより、名脇役、好敵手からネタ☆キャラまで幅広く紹介されるページになることを願います。 ここでは三国志の人物について扱います。 参考用リンク先(需要のありそうなものがあれば随時追加推奨) Category 三国志 - Wikipedia :史実についての参考リンク 幻想水滸伝・三国志を知らないけど、興味ある人の為の解説サイト ニコニコ歴史戦略ゲー 武将紹介 公開マイリスト :史実武将紹介動画 武将別解説 - 三国編 :iM@S架空戦記シリーズ補完wikiより三国武将紹介 『三国志の登場人物の一覧』 :ニコニコ大百科での三国志人物項目一覧 武将別伝(三国志) ア行 ハ行 ハ ヒ フ ヘ ホ カ行 カ キ ク ケ コ マ行 サ行 サ シ ス セ ソ ヤ行 タ行 タ チ ツ テ ト ラ行 ラ リ ル レ ロ ナ行 ワ行 趙雲(チョウウン) 張角(チョウカク) 張嶷(チョウギョク) 張紘(チョウコウ) 張郃(チョウコウ) 張繍(チョウシュウ) 張昭(チョウショウ) 張松(チョウショウ) 貂蝉(チョウセン) 趙範(チョウハン) 張飛(チョウヒ) 張宝(チョウホウ) 張翼(チョウヨク) 張遼(チョウリョウ) 張梁(チョウリョウ) 張魯(チョウロ) 陳宮(チンキュウ) 陳羣(チングン) 陳寿(チンジュ) 陳到(チントウ) 趙雲 (チョウウン) [部分編集] (?~229)字は子龍(シリュウ)。袁紹・公孫瓚と渡り歩き、劉備に仕える。劉備から「一身これ胆なり」と称賛された猛将。長坂の戦いでは敵の大軍から劉備の息子・阿斗(劉禅)を守り、漢中攻防戦では空城の計を用いて魏軍を撃破した。 演義では五虎将の一人として関羽や張飛に次ぐイメージが有るが、実際はさほど高い地位ではなかった(他の四人や魏延より下)。 日本では美青年として描かれやすい一方、中国では老将のイメージが強いとも言う。 三國志IX 統率 88 武力 96 知力 78 政治 72 三國志11 統率 91 武力 96 知力 76 政治 65 魅力 81 洞察/槍兵S,弩兵S,騎兵S 関連タグ: 【趙雲】 ニコニコ大百科: 『趙雲』 東方のなく洞窟☆すた三国志 【三國志Ⅸ】 +劉備軍→劉エン軍→孫権軍、プレイヤー戦力と長く戦い続けている敵将。紙芝居参加経験あり、キャラブレイクあり とあるキャラの幻術に巻き込まれたことから巨乳好きという設定がなされ、紙芝居参加資格を得た。 また彼に引きずられる形で五虎将軍全員が何らかの女性に対するそれなりに特異な嗜好を持つことになってしまった。 貧乳揃いのこなた軍には大いに不満を持っており、とくに東方キャラ四季映姫との相性は最悪である。 夢幻想列伝 Border of fate 【三國志Ⅸ】 +序盤から登場、プレイヤー勢力の霊夢軍に登用される、縛りにより防衛戦のみに参加、紙芝居参加経験あり、キャラブレイクなし 東方キャラ八雲紫直属の将として防衛戦に活躍する。 歴戦の名将らしく、東方キャラメインの霊夢軍にあってなお光り輝く活躍が目立つ 呂布シリーズ +逆襲終盤から登場。大魔王の逆襲から一軍、キャラブレイクあり? 逆襲、復讐のころから登場していたが大魔王の逆襲から一軍として目立ってきた 最初は忠実に仕事をこなす印象だったが、中盤で顔グラがF1レーサーに変化すると性格が変わり、毒舌家な一面も見せるようになった 帝国三国志 【三國志Ⅸ】 +主役級。銀河帝国。暗黒卿キャラ 銀河帝国の信者、シリーズ最強の武将と謳われる暗黒卿 冷酷でプライドが高く、全く容赦をしないことから敵にも味方にも恐れられている しかし、一部のキャラに対する対応が全然違うため、批判を浴びることも 中華武将祭り 【三國志Ⅸ】 +本家劉備軍配下 スペランカー256週の猛者だがWiiより価値が低いらしい。某大乱闘ではヒゲの配管工が持ちキャラ。 鋼鉄超雲:変質者 艶義超雲:生真面目 蒼天超雲:もののふ 恋姫超雲:ふりーだむ 上へ 張角 (チョウカク) [部分編集] (?~184)原始道教の一つ「太平道」の教祖。元は官僚。政争で混乱の極みに達した後漢王朝の打倒を叫んで数十万の信徒を率い大規模な反乱を起こすが、その最中に病没した。その後反乱は鎮圧されるが、この「黄巾の乱」をきっかけに後漢の崩壊が始まることになる。 三國志IX 統率 92 武力 26 知力 87 政治 82 三國志11 統率 86 武力 25 知力 86 政治 80 魅力 98 鬼門/槍兵A,戟兵S,弩兵A,兵器A ニコニコ大百科: 『張角』 魏国が東方勢にもっこもこ 【三國志Ⅸ】 +スタート時点ですでに故人 魏国に破れ、失意のうちに亡くなっていたものと思われるが、東方キャラ西行寺幽々子によって現世への帰還を果たす。 彼の復活を聞きつけ、多くの元太平道信者が彼の元に集結した。 幻想三国志 【三國志Ⅸ】 +何らかの事情に巻き込まれて失踪、中盤になるまで本格的出番なし、とある登録キャラたちと共に登場 事情により太平道から一時離れていたが、最近帰還する。 もはや革命の意志をなくし、暴徒と化してしまった太平道に複雑な思いを抱いている。 戦いの最中に病死する。 魔理沙の幻想郷帰還誌 【三國志11PK】 +魔王軍配下 無能な弟達に悩まされつつも民の救済に勤しんでいたが、行き倒れていた異国風の男を助け、持っていた妖術書を読んでしまったのが運の尽き。 おそらくSANチェックに失敗して発狂してしまったものと思われる。 赤兎三国志 【三國志Ⅸ】 +序盤の敵、後に赤兎軍武将、太平道教祖、キャラブレイクなし 西涼の地で太平道を広めようと奮戦するものの赤兎軍の前に敗れた。 赤兎軍に降った後は太平道を解散しようとするもののほとんどの信者は彼と共に赤兎軍に残ることを選んだ。 のちに抜擢の育成を任され、己が智の全てを注ぎ込んだ怪物を誕生させる。 天公将軍張角の挑戦 【三國志Ⅸ】 +主人公 ある朝、目覚めると烏丸の地に放り込まれていた。 カオスな登録勢を纏め上げ、中華統一を目指す。 何故か兵法は妖術のみ、それも熟練度50に変更されている。そのため、妖術を使っても3桁のダメージしかない。 更にどんどん濃いキャラクターに押され、キャラが消え始めている。 というより、弟のほうが計略熟練が高い(70話)という点で既に問題がある。 関連動画―――― 組曲「黄巾」 :替え歌(歌唱つき) 上へ 張嶷 (チョウギョク) [部分編集] (?~254)字は伯岐(ハクキ)。蜀の武将。貧しい家の生まれで、叩き上げで将軍となる。西南夷や羌族を平定し、太守として統治手腕を発揮、現地の異民族を心服させた。彼が成都に帰還すると、恩顧を受けた住民たちは大いに悲しんだという。軍事・内政ともに優れた名将。 演義では脇役。西南夷平定は諸葛亮の功績にされた。姜維の北伐に病身を押して従軍、段谷で姜維を救い出して壮絶な戦死を遂げる。 三國志IX 統率 76 武力 73 知力 75 政治 76 三國志11 統率 79 武力 72 知力 74 政治 77 魅力 76 踏破/槍兵A,戟兵A,弩兵A,兵器A ニコニコ大百科: 『張嶷』 上へ 張紘 (チョウコウ) [部分編集] (?~?)字は子綱(シコウ)。呉の重臣で「江東の二張」の一人。内政だけではなく外交にも長け、孫策死後の混乱に乗じて孫氏勢力の討伐を目論む曹操を説得してやめさせたこともある。孫権の時代、死の前後に秣陵への遷都を進言した(秣陵は建業と改められた)。 三國志IX 統率 31 武力 11 知力 88 政治 96 三國志11 統率 24 武力 22 知力 86 政治 95 魅力 82 築城/兵器A 上へ 張郃 (チョウコウ) [部分編集] (?~231)字は儁乂(シュンガイ)。韓馥→袁紹と仕えたが、官渡の戦いでは進言が容れられず、高覧と共に責任をなすりつけられたため、曹操に降伏。以後は戦功を重ね、対蜀戦線の重鎮として活躍した。諸葛亮の北伐の際には司馬懿に従って馬謖の軍を殲滅する功績を挙げるが、退却する蜀軍を追撃する中、伏兵にかかり戦死した。 吉川三国志では三度も戦死している(汝南で関羽に、長坂で趙雲に、木門道で孔明らに)。これをネタにされることも。 「張コウ」「張合β」と書かれることもある。「張コウ」表記は張紘ではなく彼を指す。 三國志IX 統率 89 武力 90 知力 54 政治 53 三國志11 統率 90 武力 89 知力 69 政治 57 魅力 71 昂揚/槍兵A,騎兵S,兵器A 天公将軍張角の挑戦 【三國志ⅨPK】 +韓馥軍配下。のちに張角軍主力 韓馥軍の配下として登場。星熊勇儀とコンビで出陣し、高威力の突撃で張角軍を大いに苦しめた。 韓馥軍滅亡後は張角軍の主力となり、勇儀、顔良、馬岱、兪瑁(抜擢武将)と共に河北最強と謳われる騎馬隊を結成。 部隊長として活躍している。 上へ 張繍 (チョウシュウ) [部分編集] (?~207)張済の甥。馬術に秀で軍才に優れ、董卓に仕えた。後に曹操に降伏するが、曹操が張済の未亡人を側室にしたことなどから両者の間に遺恨が生じ、賈詡の進言で曹操を襲撃。曹昂や典韋を討ち取った。 後に再び曹操に帰順。官渡の戦い、袁譚攻めなどで功績を上げた。烏丸征討中に病死した。 三國志IX 統率 82 武力 72 知力 62 政治 49 三國志11 統率 80 武力 73 知力 60 政治 45 魅力 59 騎将/騎兵S 騎将張繍の野望 【三國志Ⅸ】 +張繍軍(プレイヤー勢力)君主 主人公の1人。君主であるものの、衣玖の仕官を秘密にされる(反応が見たかったから)、率先して輸送に回される(実際効率は良いが)、備品整理をやらされるなど割と遊ばれている。 ただ根が真面目なためか雑用を任されることに関しては本人もまんざらでない様子も見られる。マメな人・家政婦・校長・ヴァンプ様(視聴者コメント評) その様な扱いを含めて、「部下の事を信頼し影で支えることに専念する度量の大きい君主像」としても捉えられる。 何よりも「あの賈詡」と篤い信頼関係を築いていることが一番すごいことかもしれない。 「ホント頼むよ、君主の立場無いから!」「善処します」「………」 上へ 張昭 (チョウショウ) [部分編集] (156~236)呉の重臣で「江東の二張」の一人。字は子布(シフ)。孫策が全面的に信頼した人物で、孫策死去の際、彼から「孫権に能力がなければ、君が政権を取れ」と言われたほどだった。 典型的な頑固者、孫権とはたびたび子供のような喧嘩やコントのようなやりとりを繰り返した。呉の重鎮だったが、孫権との相性もあってか丞相にはなれなかった。 三國志IX 統率 41 武力 4 知力 85 政治 97 三國志11 統率 33 武力 3 知力 84 政治 97 魅力 80 変態記 【三國志Ⅹ】 +孫策軍武将 孫堅時代からの家臣ということになっている。 殺人鬼に妄想白目にDQNにホモにマゾに弱虫などどうしようもない人間ばかりの孫策軍の中で唯一まともな人間と、本来の歴史を知っている四季映姫は述べていた。 どうしようもない孫策軍を、亡き前君孫堅(これも実質裸の大将だったのだが)との思い出を懐かしみつつなんとか維持している。 八雲紫軍加入後も数少ないまともな人間として頼りにされている。 老人だが、平和と正義のためならば鬼にもなり、暴君袁術を始末した。 関連動画―――― 張昭動画 輔呉将軍 :替え歌(歌唱つき) 上へ 張松 (チョウショウ) [部分編集] (?~213)劉璋の臣。字は史実では子喬(シキョウ)、演義では永年(エイネン)。醜い容貌の持ち主と言われ、それゆえ顔グラも毎回凄いことになっている。劉備に益州を献上しようと策を練るが、兄の密告により劉璋にばれて捕まり殺された。 「チョロ松」の愛称でしたしまれる。 三國志IX 統率 12 武力 3 知力 87 政治 81 三國志11 統率 15 武力 6 知力 88 政治 82 魅力 19 秘計 ニコニコ大百科: 『張松』 上へ 貂蝉 (チョウセン) [部分編集] (演義の登場人物)演義に、司徒・王允の養女として登場する絶世の美女。「美女連環の計」により呂布と董卓の仲を割いた。史実において、呂布が董卓の侍女と密通していたとあり、その話が元になっていると思われる。 三國志IX 統率 64 武力 27 知力 86 政治 73 三國志11 統率 10 武力 26 知力 81 政治 65 魅力 96 傾国 関連タグ: 【貂蝉】 呂奉先の野望 【革新PK】 +呂布軍(プレイヤー勢力)初期武将。 呂布軍(プレイヤー勢力)初期武将。 グラフィックは微妙に寄せて上げてある。篭絡の計はさすが。 上へ 趙範 (チョウハン) [部分編集] (?~?)桂陽郡太守。いわゆる「荊州四英傑」の一角。劉備が攻めてくると配下の陳応、飽隆に押され一度は劉備と戦う。しかし二人が戦死すると即座に城を明け渡して降伏した。趙雲に兄嫁を紹介して結婚を勧めたが、激怒した趙雲にボコボコにされた。 プレイ動画では「趙さん」と呼ばれる。 三國志IX 統率 18 武力 20 知力 35 政治 61 三國志11 統率 28 武力 21 知力 32 政治 58 魅力 56 ニコニコ大百科: 『趙範』 上へ 張飛 (チョウヒ) [部分編集] (?~221)劉備の配下。字は益徳(エキトク)。血の気の多い武将でその剛勇は「一人で一万の兵に匹敵する」と称された。 関羽とは真逆で上と認めた人物にはしっかり付き従う一方で部下に対しては乱暴で厳しく、その恨みで暗殺された。 演義での字は翼徳(ヨクトク)。劉備・関羽の義弟として戦乱を駆け抜けた。 ゲーム中の知力は低いが何度か計略を用いたことも有り、意外と頭の回る人物だったのでは、と言われている。 酒の上での失敗、孔明への嫉妬など愛すべき武将であり、ニコニコ動画でも「張ル飛(ハルヒ)」と呼ばれたり、キャラブレイクの対象にもされる。 三國志IX 統率 83 武力 98 知力 35 政治 22 三國志11 統率 85 武力 98 知力 30 政治 22 魅力 45 闘神/槍兵S,戟兵S,騎兵A 関連用語: ロリコン 関連タグ: 【張飛】 ニコニコ大百科: 『張飛』 変態記 【三國志Ⅹ】 +序盤で登場、紙芝居準レギュラー、キャラブレイクあり 完全なロリコン。動画内では、同じくロリコンキャラとして位置づけられている富竹とコンビを組む。 こ の ロ リ コ ン ど も め ! 東方のなく洞窟☆すた三国志Ⅸ 【三國志Ⅸ】 +中盤での敵役、所属軍は劉備→クォート、紙芝居参加経験あり、キャラブレイクあり 上と同じく完全なロリコン、ただし、戦に出るだけまだ真面目。とあるらき☆すたキャラに対して「ババア」と暴言を吐く。大丈夫、きっとまだいける。 史実でも十代半ばだったであろう少女を誘拐して妻にしているとあるので、1/4くらいは真実であるといえなくもないかもしれない。もっとも当時としてはそのくらいで結婚してもなんらおかしくない年齢ではある。 この動画の五虎将軍は一人残らず女性に対するおかしな嗜好持ち。しかもオープンにしているから余計性質が悪い。 魔理沙たちは三国志Ⅶで遊んでいきました 【三國志Ⅶ】 +プレイヤーキャラとなる回あり 完全な脳筋キャラ。敵が攻めてきたため迎撃に出るが敵の計略に乗せられ、勝手に退却。 結果劉備軍は破れ、勢力は滅亡した。 夢幻想列伝 Border of fate 【三國志Ⅸ】 +所属劉備軍→諸葛亮軍、紙芝居参戦あり、序盤~中盤の敵役、キャラブレイクなし 東方キャラレミリアのライバルとして設定され、彼女と一騎打ちを繰り広げる。 負けず嫌いなところは演義のままであり、幾度もプレイヤー勢力である霊夢軍と激突を繰り返す 魔理沙の幻想郷帰還誌 【三國志11PK】 +劉備軍武将→レミリア軍 チルノによる反逆により劉備軍が滅んだあと、劉備たちとともに流浪の身に(余談だが、紙芝居でチルノをぼこぼこにしたのはこいつ)。 その後、レミリア軍に拾われて瀕死の劉備とともに吸血鬼として生きることを選びチートキャラ化。相手の火計にあってもピンピンしている。 戦場では同僚のペドフィリア富竹の言動に頭を痛める常識人。このコンビを見ると 某動画 を思い出すが、この動画の張飛はロリコンではない。 上へ 張宝 (チョウホウ) [部分編集] (148?~184)張角の次弟で、黄巾の乱の指導者の一人。自称「地公将軍」。張角の病死後、態勢を立て直した官軍に討たれた。 演義では妖術使いの設定で最期は部下の厳政に殺された。ゲームでもお札を口にくわえたグラが付けられていることがある。 三國志IX 統率 83 武力 70 知力 86 政治 72 三國志11 統率 83 武力 71 知力 81 政治 64 魅力 82 鬼門/槍兵S,弩兵A,兵器S 幻想三国志 【三國志Ⅸ】 +張宝軍軍主、黄巾編の敵役 圧政の限りを尽くす国への義憤から兄弟と共に挙兵する。 しかし人間の醜い一面を目の当たりにし、次第に彼の心は絶望に蝕まれ、遂に兄張角を幽閉。実権を掌握する。 絶望からか人間の心や想いを信用せず、官軍打倒の為の力を重きに置いている。 兄張角に対しては昔から変わらぬ愛情と、自らの考えをわかって貰えぬ苛立ちが入り混じった複雑な気持ちを抱いている。 上へ 張翼 (チョウヨク) [部分編集] (?~264)字は伯恭(ハクキョウ)。蜀の将。前漢三傑の一人・張良の子孫。劉備が益州を平定した時、その家臣となった。名将であり多くの軍功があった。蜀滅亡直後に姜維が起こした乱に巻き込まれて死亡した。 三國志IX 統率 76 武力 74 知力 71 政治 68 三國志11 統率 75 武力 74 知力 71 政治 72 魅力 70 親蛮/戟兵A,弩兵A,兵器A 中華武将祭り 【三國志Ⅸ】 +劉備軍武将、鋼鉄ジーグ うp主が討ち死にオフにせず放置しておいた結果、夏侯淵(ドラゴンシスターから登録)に射殺される。動画的に人死にはごまかしにくいことから、うp主は討ち死にオフに直すことにした。 死んだ張翼は蘇生させられたがなんか変、いやロボっぽ「ロボチガウロボチガウロボチガウロボチガウロボチガウロボチガウロボチガウロボチガウロボチガウロボチガウロボチガウロボチガウロボチガウロボチガウロボチガウロボチガウロボチガウロボチガウロボチガウロボチガウロボチガウロボチガウロボチガウロボチガウロボ」 復帰に伴い全ステータス+10、全熟練値+300。 上へ 張遼 (チョウリョウ) [部分編集] (169~222)字は文遠(ブンエン)。元は呂布の部下で、後に曹操に仕える。各地に転戦して大いに功績を挙げ、合肥の戦いでは寡兵で孫権の大軍を追い詰めた。呉では「遼来来(りょうらいらい、張遼が来るぞ、の意)」と言えば「泣く子も黙る」(語源)とさえ言われたという。 56歳で孫権と対陣中に陣没した。演義では丁奉から受けた矢が元で死亡している。 演義よりも正史の活躍の方が凄まじいという希有な存在でそれも彼の魅力を引き立てている。 三國志IX 統率 94 武力 90 知力 83 政治 72 三國志11 統率 93 武力 92 知力 78 政治 58 魅力 78 威風/槍兵S,戟兵S,騎兵S 関連用語: 山田 、 ライライ 関連タグ: 【張遼】 ニコニコ大百科: 『張遼』 変態記 【三國志Ⅹ】 +終盤で登場、紙芝居登場有り、今夜が山田! 呂布軍で唯一の 呂布 への理解者。しかし、「今夜が山田!」としかしゃべれない(のちに「ライライ!」もしゃべれるようになる)ので呂布以外とは意思疎通ができないようだ。 武将として関羽をライバル視している。 もっこもこ 【三國志Ⅸ】 +魏国の将軍の中でも筆頭格、スタート時点で戦死した呂布の騎馬隊を引き継いでいる 序盤から漢中撤退戦、長安防衛戦にて活躍。 さらなる強敵と戦うために武器と丞相の爵位を贈られ、 洛陽防衛戦にて投石の飛び交う戦場を部下の騎馬隊とともに駆け抜けることになる 中華武将祭り 【三國志Ⅸ】 +呂布軍→北郷軍 呂布軍の切り込み隊長。滅亡後は主君らとともに北郷軍に降る。 合肥で本物孫堅軍と戦闘になったとき、「合肥で張遼二人ktkr!これはかつる!」と誰もが思った。 が、孫堅軍にも張遼が3人いたという。遼来来×5 in 合肥 なんてぇのを見ることが出来るのは多分ここだけ。まさに張遼跋扈。 本物張遼:一番まとも…だったのだが、第五十六話でまさかのキャラブレイクを見せた。 恋姫張遼:可愛い女の子大好き。関西弁。 無双張遼:山田ああああああああああ! 蒼天張遼:テラツヨス BB伝張遼:(;゚Д゚))))ザクザクゲルググ 関連動画―――― 遼来来! :替え歌MAD(歌唱つき) 上へ 張梁 (チョウリョウ) [部分編集] (?~184)張角、張宝の弟であり「人公将軍」を名乗って黄巾の乱を起こした。張角の病死後も戦ったが皇甫嵩に破れ戦死した。 三国志大戦の影響からか、一部では「ゴリラ」とも呼ばれる。 三國志IX 統率 81 武力 82 知力 68 政治 49 三國志11 統率 78 武力 80 知力 68 政治 52 魅力 80 妖術/槍兵S,騎兵A,兵器A 騎将張繍の野望 【三國志Ⅸ】 +張繍軍へ仕官 互いに賊軍・官軍というとても相容れない間柄だったことから皇甫嵩、朱儁に目をつけられ一触即発の状態となった。 しかし実は彼は人公将軍・張梁などではなくただの 「通りすがりのゴリラ」 であることが判明。なんとか丸く収まった。 張繍軍のみなさん同様に空気を読んでそっとしておいてあげるのがよいだろう。 上へ 張魯 (チョウロ) [部分編集] (?~220)原始道教の一つ「五斗米道」の指導者。字は公祺(コウキ)。益州の劉焉の指示で漢中を攻略し、そのまま半独立勢力となる。自らの宗教を基盤とした統治を行い、民からも慕われた。曹操の漢中侵攻を前にして降伏、財宝に手を付けなかった振る舞いに感心した曹操に厚遇された。 教団消滅後も五斗米道は様々に形を変えながら生き残り、現在においても正一教の名で教えが残っている。 プレイ動画界隈では「米屋」と呼ばれる。 三國志IX 統率 41 武力 33 知力 69 政治 80 三國志11 統率 51 武力 26 知力 73 政治 78 魅力 89 米道 変態記 【三國志Ⅹ】 +群雄の一人 信者から大量の米を集めていたのだが、ある日突然すべてケフィアに変わってしまい、がっかりしているうちに八雲紫軍に滅ぼされる。 霊夢の旅日記 【三國志Ⅹ】 +群雄の一人、主人公の主君 霊夢をはじめとする多くの東方勢を抱えていたが、霊夢の反逆により乗っ取られる。 滅亡後、処刑されかけたりするなど扱いは悪い(動画内で自分で言うように能力的には結構使えるのだが、霊夢たちからはダメな奴だと思われている)。 関連動画―――― ゴトベイドウ×キラメキラリ :替え歌(歌唱つき) 上へ 陳宮 (チンキュウ) [部分編集] (?~198)字は公台(コウダイ)。智謀の士として曹操に仕えるが、後に呂布に仕えた。数年の死闘の末に呂布軍が壊滅し曹操に捕らえられると、惜しむ曹操を背に自ら刑場に赴いた。 演義では呂伯奢一家殺害事件で曹操の残酷さを見限ったとしているが、史実での行動原因ははっきりしていない。 ゲームでは呂布軍におけるたった一人の参謀。 三國志IX 統率 72 武力 52 知力 89 政治 81 三國志11 統率 78 武力 55 知力 89 政治 83 魅力 68 掎角/弩兵A,兵器A 関連タグ: 【陳宮】 軍師黄皓の憂鬱 【三國志11】 +呂布軍武将。 呂布軍武将。珍Q。 脳筋君主あしらいに定評のある苦労人。 上へ 陳羣 (チングン) [部分編集] (?~236)字は長文(チョウブン)。はじめ劉備に仕える。その後曹操に仕えると、曹操のもとで法整備に尽力。中でも特に「九品官人法」は隋の時代に科挙が制定されるまで長く用いられた。 三國志IX 統率 21 武力 7 知力 72 政治 95 三國志11 統率 32 武力 14 知力 74 政治 96 魅力 73 上へ 陳寿 (チンジュ) [部分編集] (233~297)歴史書『三国志』の編纂者。字は承祚(ショウソウ/ショウソ)。一説では蜀に仕える陳式の子とも。蜀の滅亡後、羅憲の推挙を受けて晋に仕えた。彼の師である譙周の伝に、彼本人が出てくるという歴史書としては驚愕の一幕もあったりする。 プレイ動画界隈では「作者」と呼ばれる。その立場から、ストーリーの上でのキーパーソンになることも。 三國志IX 統率 15 武力 22 知力 60 政治 75 三國志11 統率 12 武力 22 知力 60 政治 75 魅力 51 上へ 陳到 (チントウ) [部分編集] (生没年不詳)後漢末期から三国時代にかけての蜀の武将。字は叔至。劉備が豫州刺史時代からの家臣で、忠義に篤く、武勇に優れ、劉備が蜀の皇帝になると征西将軍、永安都督、亭侯に封じられた。 正史では趙雲に次ぐ人物として高い評価を受けているものの、演義ではその存在を抹消された 羅貫中の被害者 の一人。 ゲーム上の評価では、趙雲とはかなり差が有る……。 三國志IX 統率 75 武力 72 知力 62 政治 66 三國志11 統率 76 武力 71 知力 63 政治 53 魅力 69 槍兵A,騎兵A 馬謖の野望 【三國志11】 +永安軍武将。 永安軍武将。陳到さん。 馬謖やアイドル達と共に、その信念と忠義故に蜀に反旗を翻した熱き忠将。 作品内で熱いシリアスなシーンはほぼこの人絡み。 騎将張繍の野望 【三國志Ⅸ】 +何進軍→張繍軍。 何進配下として登場。自身を武将としてより一人の武人として存在価値を見出している。洛陽攻防戦では城の守りを任されるもあえなく陥落。自責の念に駆られ自害しようとした所をレティに窘められ張繍軍に帰順する。 キャラブレイクの多いこの動画の中では数少ない生真面目な人。 天水攻略戦において、彼のかっこよさ、強さは趙雲以上。 上へ 張遼やってほしいけど、いろんなところに出ていておっつかないな~; -- 名無しさん (2008-06-03 02 12 06) 上記コメントを「武将別伝(三国志)ラ行」から移動。 -- 名無しさん (2008-11-09 09 11 52) 張嶷の読みについて、一応貼っとく http //d.hatena.ne.jp/mujin/20081103/p3 -- 名無しさん (2008-12-07 16 04 53) ↑訂正かけました。ちくまのも誤訳だったのか…… -- 名無しさん (2008-12-21 14 07 22) 名前 コメント