約 3,109 件
https://w.atwiki.jp/spumoni/pages/31.html
1334 建武の新政 室町幕府と南北朝 1336 足利尊氏京都へ入洛。光明天皇を擁立(北朝)。後醍醐天皇は吉野(奈良県)に(南朝) 1338 足利尊氏 征夷大将軍に任命され幕府を開く 1392 足利義満 南北朝の合一 1397 義満、金閣寺を建立 →北山文化 1441 嘉吉の変義量(よしかず)の後、くじ引きで僧侶義円が将軍(義教)になったが、守護大名の赤松満祐によって暗殺される 1467 応仁の乱東軍、西軍分かれて、跡継ぎ争い 1489 足利義政 銀閣を完成 →東山文化 1573 室町幕府滅ぶ 室町時代の経済 酒屋 酒屋(さかや)とは、鎌倉時代に始まった、酒を醸造し、販売する業者 しだいに多額の資本を持つようになり、土倉(どそう)などの金融業や、荷送りなどの流通業、通信業などさまざまな業種を扱い、京都市中に大きな店舗をかまえ、手代や丁稚などの店員のほか、用心棒なども養う豪商となった。 他の業種に乗り出していき、さらに成長していった酒屋もある。だから「酒を売らない酒屋」というのも存在する。 馬借・問丸 馬を使った陸上輸送業が発達 馬借 東回り航路・西回り航路で海運業が発達 問丸 1428 正長の土一揆(山城土一揆) 1485 山城の国一揆 1488 加賀の一向一揆 室町文化 北山文化 金閣 東山文化 銀閣 能 観阿弥、世阿弥 「風姿花伝」 狂言 連歌 「御伽草子」 水墨画 雪舟 茶の湯 懐石料理室町末期に茶が京都近辺で栽培が増加
https://w.atwiki.jp/seriale/pages/1543.html
無題 Name としあき 09/09/12(土)20 28 51 No.13973331 del ■異世界戦国史■ 星 燐(ほし りん) 赤革国(あかがわこく・旧名明河国)とその近隣諸国を支配する一揆勢力の首領。 見た目は9歳の女の子。糞長い赤髪に赤いツリ眼。趣味はプチトマトの栽培 謎のカリスマ性と人類皆平等主義により巨大な勢力を保有するに至り、 一揆を起こして悪徳領主とその家臣を処刑し国を乗っ取ることに成功 さらに勢力は増しつつ南下拡大しつつある。 農民や町民の星と呼ばれ、彼女に感化された一揆勢力が各地で生まれては潰されている。
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/9506.html
登録日:2011/09/10 (土) 07 16 05 更新日:2024/02/11 Sun 04 12 21 所要時間:約 5 分で読めます ▽タグ一覧 ヒャッハー マイナー武将 北陸の狂犬 富田長繁 戦国時代 戦国武将 日本史 東原亜希 武将項目 歩く不幸 狂犬 福井県 裏切り者 天文二十一年(1551年)~天正二年2月18日(1574年3月11日)迄を生きた戦国時代の武将。 別名 弥六郎、長秀、越前の狂犬。 富田吉順の子供として産まれ、越前朝倉氏の家臣を勤めていた。 元亀元年(1570年)4月に越前に侵攻した織田信長の討伐を命じられやる気なく約1000騎を率いて出陣する。 が、 元亀三年(1572年)8月、織田軍と朝倉軍が睨み合っている中、 元主君である朝倉義景に恨みを抱いていた前波吉継に続き自身の右腕である毛屋猪介戸田与次郎と共に意気揚々と寝返り、 長秀から長繁に改名する。 織田軍に降りた後は朝倉の背後を突いたり、秀吉の援軍として颯爽と登場したりと縦横無尽の働きをし名を挙げる。 その働きもあってか越前朝倉家は天正元年(1573年)に滅亡し、越前は前波吉継改め桂田長俊が治めることとなる。 この改名は信長の命であったらしく、生き残っていた朝倉一族も全員城名を姓とさせられている。 長繁は府中領主に就き、同年9月、10月に起きた長島一向一揆を鎮圧するなどの働きをした。 だが桂田長俊との織田家からの待遇の差が、「越前領主に俺はなる」という野望を持つ彼には非常に面白くなかった。 それに感づいたのだろうか桂田は彼の部下の領地の削減を提案したり、「こいつの府中支配は信長様にいずれは害を齎すことになります」と訴訟を起こし、 両者の仲は非常に険悪な物になっていった。 桂田が目を病んだことを知り同年、軍事活動をする準備を始めると来たる翌年の天正二年(1574年)1月18日、 ヒャッハー! 圧政に苦しむ民を扇動して土一揆を起こす。その軍勢は翌日には三万人にも達し忽ち桂田を殺害した。 20日には逃げる途中であった桂田の家族を皆殺しにした。 桂田は病により失明していて戦える状態では無かった。 また勢いに乗った一揆を率いて北ノ庄の代官達の務める館を襲撃。 代官達を捕縛したが朝倉景胤達の説得により殺すのを止め追放処分にし、その後、館の守備役を毛屋猪介に任せる。 1月24日、情け深いことで知られ、自身と同じく朝倉家に仕えた魚住景固を朝食に誘う。 食事が終わり酒を飲み交わした後、長繁は 「まずうちにさぁ…秘蔵の太刀があるんだけど…見ていかない?」 と提案する。 「あ~、いいっすね~」 そう答えたのが魚住の運の尽きであった。 何も疑わずにホイホイついていった結果、 いきなり切り掛かってきたのだ 目を患っていた魚住は首を切り落とされ呆気なく死亡。その場に居合わせた魚住の次男が応戦したがこれも切り伏せる。 翌日魚住の館に襲撃し魚住家は滅亡した。 魚住家の勢力拡大を危惧した上での行動であるが、自身に敵対していない相手に対してこの対応なのだから恐れ入る。 また弟を岐阜へ質に送り信長に越前守護の朱印状を要求した。 「朱印状貰ったぜ、ヒャッハー!」 と言っていたらしいが真偽は不明である。 まあ越前混乱の原因に信長がそんな物渡す訳は無いだろうが 勿論、仁者であった魚住へのこの暴挙は民衆の不満を招くことになる。 自身の領民への配慮の拙さで一揆勢の長繁への反感は更に加速した。 そこには長繁討伐の名目で集まった一揆勢力が十四万人もいた 自身の部下である毛屋や増井がぶち殺される中、窮地に立たされた長繁は「このまま一揆をのさばらせておくのは無念である」と突撃する。 樊カイ(中国の猛将)に匹敵すると呼ばれるに相応しい戦いをし、約700騎程度で三万人の一揆集を相手どり二千人から三千人を討ち取る。 これで調子づいた長繁は増員しながらもまだ無勢である自軍で残りの一揆衆を追い回し、結果一揆衆は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。 だが何をトチ狂ったのか味方である朝倉景胤の軍に突撃する。 その様子を越州軍記ではこう記している。 「葉武者には目もくれず、まっしぐらに景胤の本陣目掛けて切りかかった。」 どう見ても殺る気です、本当にありがとうございました。 まあ一揆集と戦った後で疲労困憊していた長繁の軍にそこまでの余力が残っているはずもなく魚住の再現には至らなかった。 そして2月18日、再度景胤のいる山頂に襲撃をかけようとする。 しかしこの頃には味方も主君の横暴に飽き飽きしていたらしく背後から部下の小林吉隆に鉄砲で撃たれて死亡することとなった。享年24歳。 主君を裏切り、上司を裏切り、味方を裏切った男の最後は皮肉にも部下に裏切られるという物であった。 戦国ちょっといい話・悪い話スレではそのイカレようから狂犬、ナチュラルボーンヒャッハーという名で呼ばれ、 鬼武蔵こと森長可と引き合いに出される。 早死にしなければDQN四天王に匹敵するほどの武勇伝を聞けただろう事を惜しむ人もいる。 また彼と関わった人間が悉く不幸になっているので歩くデスノートとも言われる。 大名家が滅んで改名させられながらも未だ多数残っていた織田(おた)景綱なんかの越前朝倉氏の一門も、この大暴れと後の信長による仕置きで壊滅的被害を受け後の世から姿を消している。 追記・修正お願いします △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 越前一向一揆数万人が駆逐される原因にもなった人 -- 名無しさん (2014-10-30 07 44 49) …すごいな -- 名無しさん (2016-08-25 16 11 02) 大河ドラマの主役になれなさそうな戦国武将ナンバーワン。 -- 名無しさん (2017-10-25 20 25 04) テレ東で逆大河とか作ったらワンチャンある。 -- 名無しさん (2019-03-04 10 33 31) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/10th_kinkikids/pages/2.html
メニュー トップページ プラグイン メニュー メニュー2 @ウィキ ガイド @wiki 便利ツール @wiki 更新履歴 取得中です。
https://w.atwiki.jp/10th_kinkikids/pages/9.html
関連ブログ @wikiのwikiモードでは #bf(興味のある単語) と入力することで、あるキーワードに関連するブログ一覧を表示することができます 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/17_161_ja.html たとえば、#bf(ゲーム)と入力すると以下のように表示されます。 #bf
https://w.atwiki.jp/10th_kinkikids/pages/8.html
@wikiにはいくつかの便利なプラグインがあります。 アーカイブ コメント ニュース 動画(Youtube) 編集履歴 関連ブログ これ以外のプラグインについては@wikiガイドをご覧ください = http //atwiki.jp/guide/
https://w.atwiki.jp/sengoku-taisen/pages/937.html
武将名 しもつまらいたん UC下間頼旦 本願寺の防官。信長が伊勢長島へ侵攻した時に長島で一向宗を率いて勇猛果敢に戦った。氏家卜全を討ち取るなどの手柄を立てたが後続の織田軍の侵攻にあい、降服したところを門徒ともども虐殺された。「仏敵・織田軍めっ!ワシが三途の川の橋渡しをしてやろう!」 出身地 摂津国 コスト 2.0 兵種 足軽 能力 武力8 統率5 特技 攻城 計略 一向一揆 武力が上がり、兵力が一定時間ごとに回復する。 必要士気3 Illustration 三好載克 本願寺コスト2足軽の1人。本願寺を支える下間一族の一人にして長島一向一揆の司令官。 Ver1.20よりエラッタを受け、武力が7→8、特技・城追加と2コスト足軽の中ではかなりの良スペック武将となった。 Ver3環境にあっても、特技・城を持っている本願寺の武将はいまだ二種のSR本願寺顕如と彼だけである。 計略はC七里頼周らと同じ「一向一揆」で、「武力+2に加えて約4c毎に20%ほど兵力が回復する」というもの。 持続時間は約62cと、必要士気の安さを考えると破格の長時間計略である。 Ver1.20により乱戦のダメージ量が増えて武力差のダメージ量も変わったため、 一向一揆を使うと正面からのぶつかり合いではもの凄い堅さを発揮する。 撤退さえさせなければ壁役としてかなりの活躍が見込める。 2コストの主力要員としては計略が地味な感は否めないが、そこは編成でカバーしていきたい。
https://w.atwiki.jp/seriale/pages/1546.html
無題 Name としあき 09/09/25(金)20 02 23 No.14015404 del ■異世界戦国史■ 朱木 茜(あかぎ あかね) 赤革国の一揆勢力の幹部。17歳の青年。黒髪赤眼。 幹部と言っても若いので主に一揆勢力首領・燐のパシリをやらされてる 一揆勢力の思想に全面的に賛成なのであまり文句は言わないが、 口癖は「勘弁してください」とか「勘弁してほしい」とかそんなの。 朱木家は林業を営んでいるらしく、武器は手斧。 森林でのトラップ工作やゲリラ戦指揮が得意。
https://w.atwiki.jp/jap0/pages/74.html
■守護の力がなぜ強くなったのか? 理由① 建武の新政(天皇中心の政治)への不満 →足利尊氏(元御家人)が北朝を立てる、征夷大将軍となる →守護にメリットを与えようとする(守護の権限を強めようとする) →守護が、一国を支配する領主に成長 →守護大名となる 理由② 南北朝の内乱の時代になると、守護が、幕府の命令を受けて荘園を侵略して自分の領地にするという現象が見られるようになる →国司にかわって、自己の領地を支配するようになる →守護大名へと成長 理由③ 守護の中には、任命された国の地頭も家来として支配(吸収)する者も現れる →守護大名へと成長 (室町幕府は将軍家の実権が弱い政権だったので、有力守護大名の連合政権のような体制になる。地方分権的) 理由④ 地頭が荘園領主ともめる →荘園領主と土地を分け合う(下地中分) →地頭は、相続するにつれて一人あたりの土地が狭くなっていく →地頭の力が弱まり、相対的に守護の力が強まる ■守護大名の登場→下剋上へ 正長の土一揆(滋賀県→近畿地方一帯) :農民などが、徳政を求めて起こした 日本最初の一揆 応仁の乱(京都) :将軍の後継ぎ争い 山城国一揆(京都) :農民や武士たちが、守護大名を追放→8年間自治 加賀の一向一揆(石川県) :一向宗(浄土真宗)の信者たちが、守護大名を追放→100年間自治(→織田信長によって終わる:大阪の石山本願寺降伏) ⇒地方ごとに、武力を持った戦国大名が支配する戦国時代となる ⇒戦国大名は、下剋上を防ぐために、ルール=分国法をつくった。また、築城し、城下町をつくって守りを固めた。 ■勘合貿易が始まった理由 倭寇(日本を中心とする海賊集団)が朝鮮半島や中国の沿岸部にいた →朝鮮や明の人々は困っていた →明が室町幕府に取りしまりを求めた →勘合という合札を明に与えて、それを正式な貿易船の証明として用いる勘合貿易を開始 ■産業 多くの作物を得る工夫 →二毛作、稲の品種改良、糞尿を肥料に、牛馬耕、かんがい技術 →生産力向上 さまざまな職人 →鍛冶屋、結桶師(ゆいおけし) →手工業が発達し、特産品が生まれる 交通 →貨幣の流通(宋銭・明銭)、定期市(月6回)、運送業(馬借・車借、問)、金融(土倉・酒屋) ※土倉(質屋)・酒屋 →お金を貸してくれるところ。利子を課して設けることで、幕府の収入源になる。 ■一揆(身を守るために団結し、ヨコの結びつきを強めた) 基本的には武力で解決 ①正長の土一揆(@京都府) → 徳政を要求 ②山城の国一揆(@京都府) → 自治を実現 ③加賀の一向一揆(@石川県) → 自治を実現 ※自治について 惣:村の自治組織 村単位で共同で、①用水路を管理、②年貢を納める。 町衆:都市にいた裕福な商工業者 座:同業者団体 →支配者(武士、公家、寺社)にお金を納め、営業の許可を得る ■室町文化 ①北山文化(足利義満の時代) 幕府の移転→武家文化(禅宗の影響)と公家文化の融合 (例)金閣:寝殿造(公家文化)+禅宗様(武家文化) ※禅宗様=禅宗とともに日本に伝わってきた中国の建築様式 芸能が発達:能や狂言 ↓日明貿易で禅宗の影響が強くなる ②東山文化(足利義政の時代) お金がない →節約して建物を作る →質素 (例)銀閣、水墨画[墨一色で描かれた絵]、枯山水[岩や石で自然を表現] (どちらも「水」がつく) 応仁の乱などの戦乱 →幕府権力が衰退 →幕府が保護していない宗教勢力が伸長 →多くの公家や文化人が地方に向かう →文化が融合する 幕府側は、依然として禅宗の影響を受けている
https://w.atwiki.jp/yarurororusalka/pages/17.html
【政策パート】 政策パートでは現在、《出陣》《登用》《探索》《交渉》《募兵》《売買》《開発》《諜報》《貿易》を行う事が出来ます。 《出陣》・・・自軍の拠点から武将と兵数を選出し、敵拠点へと進軍を行います。箱庭パート後、後述する戦争パートに移行します。 《登用》・・・在野の人材、捕虜、客人などを登用します。政治依存。 《探索》・・・領内を探索します。何か見つかるかもしれません。政治依存。 《外交》・・・他大名家、同盟家、諸勢力(国人衆など)と各種外交を行います。政治依存。高統率の場合補正あり。 《募兵》・・・兵士を募集します。夏と冬に1度ずつ実行可能。金銭1000。統率依存。後述の《募兵に関して》を参照。 《売買》・・・兵糧や軍馬、鉄砲の売買を行います。商人館必須。1季の取引上限は商人館一つにつき500まで。 《開発》・・・発見済みの金山・銀山の開発を行います。政治依存。 《諜報》・・・他大名家に対して諜報活動を行います。金銭500 他家武将ステータスや他家技術、施設などを知る事が出来ます。他家の現在兵数は実行した時点で自動判明。 他に「○○な行動をさせたい」などの要望があればGMに相談をお願いします。 《貿易》・・・諸外国と貿易を行います。港必須。契約時に特産物1500を消費。 契約後、季節毎に特産物を100消費して金銭500を得る事が出来ます。 《募兵に関して》 ・夏と冬に金銭1000を払い、武将を配置する事で募兵可能。一度の募兵で得られる兵力は「募兵した武将の統率×10」 ・募兵可能な拠点は城のみ。港での募兵は不可。 ・武将の配置人数に制限はないが、武将一人が募兵するたびにその拠点の民忠が10下がる。 ・民忠が85以下の場合、1/10の確率で一揆が発生する。85未満の場合、1/5の確率で一揆が発生する。 民忠が80未満の場合、必ず一揆が発生する。民忠が70未満の場合、一揆が二度、必ず発生する。 ・一揆が発生すると来季の金銭・兵糧収入が「1/1+一揆の数」され、治安が低下する。 ≪登用可能リスト≫ 玖渚友 ※一律、初期雇用費は500となります。 ≪交渉先リスト≫ 《大名家》 遠野(同盟中) アールストレイム 伊達 蒋家 《諸外国》 明 イスパニア オランダ ポルトガル イギリス 《諸勢力》 アイヌ衆(嫌悪勢力・・・特殊※)・・・現在契約済み 安東水軍衆(嫌悪勢力・・・秋田商人衆) 東北国人衆(嫌悪勢力・・・中尊寺、羽黒忍者集) 秋田商人衆(嫌悪勢力・・・安東水軍衆、中尊寺) 羽黒忍者衆(嫌悪勢力・・・東北国人衆) 中尊寺(嫌悪勢力・・・東北国人衆、秋田商人衆) ※自分たちを脅かす全て