約 1,541,440 件
https://w.atwiki.jp/yamamura2/pages/5810.html
【TOP】【←prev】【SUPER Famicom】【next→】 SUPER E.D.F. タイトル SUPER E.D.F. 機種 スーパーファミコン 型番 SHVC-ED ジャンル シューティング 発売元 ジャレコ 発売日 1991-10-25 価格 8700円(税別) 駿河屋で購入 スーパーファミコン
https://w.atwiki.jp/nikka/pages/372.html
容量:180ml 度数:43% 種類:ブレンデッド 級種:特級 発売時希望小売価格:370円(180ml) 販売期間:1964年11月~ 市販品では初めてラベルにローリー卿の絵柄が採用された 情報引用元 「ヒゲのウヰスキー誕生す」 1964年11月頃の毎日グラフ、箱のローリー卿が翌年発売のブラックニッカと同じである事が判る 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/tock_t9710/pages/1140.html
Template redirect {{基礎情報 テレビ番組 |番組名=FNNスーパータイム |画像= |画像説明= |ジャンル=報道番組 |放送国=Template JPN |制作局=フジテレビジョン(FNN) |企画= |製作総指揮= |プロデューサー= |出演者=逸見政孝幸田シャーミン野間脩平安藤優子上田昭夫黒岩祐治露木茂松山香織陣内誠城ヶ崎祐子山中秀樹小田多恵子田代尚子小林穂波大林典子(現:吉崎)近藤サトほか、出演者を参照 |音声= |字幕= |OPテーマ=作曲:たかしまあきひこ |EDテーマ=同上 |外部リンク= |外部リンク名= |番組名1=平日版 |放送時間1=平日 18 00 - 19 00 |放送分1=60 |放送枠1=フジテレビ系列夕方ニュース枠 |放送期間1=1984年10月1日 - 1997年3月28日 |放送回数1= |番組名2=週末版 |放送時間2=【土曜】18 00 - 18 30【日曜】17 30 - 18 00 |放送分2=共に30 |放送枠2=フジテレビ系列夕方ニュース枠 |放送期間2=1985年4月6日 - 1997年3月30日 |放送回数2= |特記事項=当時のネットしていたFNN系列局で番組タイトルが異なる時期があった。(詳細は当該項目を参照)放送回数:平日・週末合わせて全4497回 }} Template 色 『FNNスーパータイム』(エフエヌエヌ - )は、フジテレビ系列(FNN)で1984年10月1日から1997年3月28日まで(週末のみ1985年4月6日から1997年3月30日まで)にかけて放送されていた夕方のニュース番組である。略称及び番組タイトルコールは「スーパータイム」。 概要・歴史 本番組は、それまで夕方の全国ニュースとローカルニュースを統合し(夕方の全国ニュースを18 00からにしたのは『00』が最初)、全国ネットのニュース番組では初めてニュースキャスターが立ってニュースを伝えるというフォーマットを採った。現在は週末に放送されている『FNNスーパーニュースWEEKEND』でそのスタイルが適用されている。 1980年5月からの編成改革により、バラエティーやドラマで足元を固めたフジテレビは、1984年10月改編を前に、ニュース・報道の改革に乗り出し、視聴率競争を持ち込んだ。編成部長だった、中出傅二郎は、報道センター室長になり、藤村邦苗報道局長と共に、新しいニュース番組を担当する。その下に、小櫃真佐巳や沢雄二を引っ張り出し、「6時台の1時間枠で今までにない全く新しいタイプのニュース番組を作り出してほしい」と、中出は指示を出した。 当時のフジテレビの夕方のニュース番組の視聴率は3-4%だった。その為、中出も「ニュースも視聴率を上げなきゃ、電波の無駄遣いだ。新聞には“5W1H”という、原稿書きの方法論があるが、テレビではこの5W1Hに、何かプラス1か2をつけたテレビ的特色、テレビ感覚を入れてほしい。」と注文を付け、さらに、「例えば、“男女雇用機会均等法”のニュースタイトルは“女性が変える男の職場”。“女性管理職”ではなく、“スカートをはいた課長”としたほうが、視聴者は見ようという気になるんじゃないか。いいタイトルがつかないのはニュースの中身がよくないからだ。」とニュース項目の見出しを工夫するように求めたうえで、書き言葉ではなく、耳で聞いてわかる言葉使いを求めた。もちろん、小櫃と沢らにも、「これまでのニュース番組に欠けているのは“感性”だ」という思いがあった。つまりは、「感性が出すぎると、ニュースの信頼性を失う危険はあるが、“感性の箱”のなかで論理の世界を扱わなければならない矛盾を矛盾として受け止めながら、とにかく感性の部分をニュースに取り入れ、そこから視聴率戦争に切り込みをはかろう」と考えていた。 また、キャスターの選び方にも「まず思ったのがニュースにもスターを作ろうということだった」と、中出は語る。それに、キャスターの服装(後述)に配慮したため、邪道といわれたことがあった。さらに、タイトル(見出し)に派手な音をつけたり、テロップ(文字スーパー)のカラー化をしたのもスーパータイムが最初だった(後述)。中出は「映像も面白くて、視聴者が見たいというものを出しましたね」と言う。つまりは、「視聴者が服装や音、刺激的な映像に気を取られ、論理が疎かになるという批判はあった」し、「論理を歪める気はさらさらなかった」が、「テレビとはそういうもの」とスタッフは割り切った。 こうして、6時のニュースは激戦区となり、スーパータイムの視聴率は2ケタになった。特に1985年の日航ジャンボ機墜落事故でスクープしてからは、TBSを抜いて、視聴率トップに躍り出た。 編成局長の重村一は「うちは大部屋主義でいつもこの3階の大部屋に制作から技術、報道などの連中が集まってワイワイ議論しているんです。だから、連戦即決で対応できるし、技術部門でチームワークを組める。」と、ニュース枠の延長や番組の途中で割り込ませるなど、業界で有名だった当時のフジテレビの機動的編成の秘密について語っている。さらに、中出は「テレビは即時性が魅力なんです。だから、“本日5時57分”というより、“3分前に入った映像をご覧ください”と伝えたほうが、視聴者はその機動力に信頼を置いてくれるし、現場も死にもの狂いでギリギリの時間まで勝負するようになったんですよ」と話している。 オープニング後の挨拶が特に独特なカメラワークで、タイトルと提供読みののち俯き加減のキャスターの横顔を写し、ピントを奥のキャスターから前のキャスターへ移動させると同時にキャスターが顔を上げて正面からカメラでズームインするというものであった。(但し、関東地域のみ。当時のネットしていた局はこのようなオープニングはほとんど映しておらず、系列局のローカルニュース担当キャスターの挨拶にほぼ差し替えられていた。) この番組は当時のバラエティ番組でしばしばパロディされたが、横顔を写す画面で奥にいる男性キャスターがカメラの方向を向くというパターンが多かった。ただし、この演出は1989年秋のオープニングリニューアルとともに廃止されている(1989年秋から1994年秋までは、提供読みの終了と同時に曲が終わると、スタジオ全景をバックに効果音及び縮小タイトルロゴのアニメーションが入り、その後挨拶するパターンとなった。1994年秋以降は全国向けの挨拶と統合され、普通の挨拶のみとなっている)。 前述したオープニングの挨拶直後(約7-8秒)には、各キャスターが掛け合いで時候の話題を取り上げる事が多かった。第1回の放送では冒頭、逸見政孝が「いよいよスーパータイムが始まりましたが、気楽にお伝えすることにします」と挨拶。これを受けて、幸田シャーミンは「皆様どうぞ、気楽にご覧下さいませ」と挨拶した。 当時のフジテレビ副社長だった鹿内春雄(1985年6月からフジテレビ会長に就任)の「やわらかいニュース番組を」というコンセプトで『スーパータイム』がスタートし、そのコンセプトは『FNNモーニングコール』、『FNNニュース工場』、『FNN DATE LINE』、『FNNスピーク』、『FNN NEWSCOM』(鹿内宏明会長時代に放送開始)に引き継がれた。 お台場社屋移転後の番組改編により平日版は1997年3月28日をもって、週末版は1997年3月30日(放送回数:4497回、伝えたニュースの数:約6万)をもって放送を終了し12年半(週末版は12年)の歴史に幕を閉じた。 出演者 平日版キャスター 期間メインスポーツお天気 月 - 金月 - 木金月 - 水木・金アシスタント 1984.10.11985.3.29 逸見政孝1・2幸田シャーミン河村保彦1江本孟紀なし(下記参照) 1985.4.11987.3.31 長田渚左森末慎二3逸見政孝 1987.4.11987.9.30 幸田シャーミン野間脩平 1987.10.11988.3.31 安藤優子 1988.4.11989.3.31 安藤優子 1989.4.31991.3.31 上田昭夫上田昭夫 1991.4.11992.3.31 黒岩祐治黒岩祐治 1992.4.11993.9.24 露木茂4安藤優子 1993.9.271994.3.31 岩谷忠幸 1994.4.11994.9.30 松山香織上田昭夫中井美穂 1994.10.31995.9.29 山形斉子 1995.10.21997.3.28 八木沼純子5濱田典子 1 『00』から続投。 2 1985年4月から1987年8月まで『夕やけニャンニャン』ニュースコーナーを兼務。 3 1991年10月から1992年3月まで『ザ・ビッグチャンス!』を兼務。 4 1995年10月から『ビッグトゥデイ』ニュースコーナーを兼務。 5 『FNNニュース555 ザ・ヒューマン』→『FNNスーパーニュース』も続投。 放送開始半年間のスポーツコーナー名は「わくわくスポーツ」。 お天気コーナーは、初期頃に日本気象協会の予報官が担当し、その後はフジテレビの若手女性アナウンサーがシフトで担当した。なお濱田は当時フジテレビアナウンサーであったが、気象予報士の資格を持っていた為、「気象予報士」の肩書きで出演していた。 アナウンサーの担当以降は、スタジオセットを模したクロマキーの前に立ったメインキャスターと対話する形でフジテレビの屋上や中継先から伝えた。1992年入社の小島奈津子、西山喜久恵の代までが担当。露木がメインキャスターの時代は、教育も兼ねた厳しい質問にしどろもどろになる姿が見られた(関東ローカルだが、この模様の一部はNG大賞を通じて全国放送された)。 週末版キャスター 期間メインスポーツお天気 1985.4.61986.3.30 陣内誠1城ヶ崎祐子川端健嗣(メインが兼務) 1986.4.11986.9.28 三宅正治 1986.10.41987.3.29 山中秀樹1 1987.4.41987.9.27 永麻理 1987.10.31988.3.27 野間脩平安藤優子2笠井信輔 1988.4.21988.10.2 黒岩祐治小田多恵子筒井櫻子 1988.10.81989.4.2 塩原恒夫 1989.4.81989.9.30 有賀さつき 1989.10.11990.6.30 木幡美子 1990.7.11990.9.30 八木亜希子3吉田伸男 1990.10.61991.3.31 田代尚子 1991.4.61992.3.29 小林穂波松井みどり 1992.4.41993.9.22 山中秀樹4大林典子5大坪千夏 1993.9.271994.9.25 近藤サト佐藤里佳 1994.10.11995.10.1 岩谷忠幸6 1995.10.71996.3.31 菊間千乃 1996.4.61997.3.30 富永美樹6 1 『FNNニュース・明日の天気』、『30』を兼務。 2 金曜日も担当。 3 小田の人事異動による降板後の中継ぎで担当。 4 週末昼のニュースを兼務(詳細は各番組のページを参照)。 5 吉崎典子の当時の姓。 6 『FNNニュース ザ・ヒューマン』→『FNNスーパーニュースWEEKEND(改題前含む)』も続投。 /div お天気コーナーは、岩谷の着任前までメインキャスター2人がお天気カメラの映像をバックにスツールに座って伝えた。平日版のクロマキーは使用せず、画面全体がクロマキーであった。なお、岩谷の着任以降は新設の大型モニターの前で伝えた。 リポーター 松浦茂長(モスクワ支局→経済部) ケント・ギルバート(初期) 小田多恵子 境鶴丸(末期) 佐々木恭子(末期) 藤村さおり(末期) メイン代役について 幸田の代役を女優の紺野美沙子が務めた事がある。その後も期末の特別番組『スーパータイムスペシャル』に番組終了までレギュラー出演した。 平日キャスターの代役は、基本的に『30』→『FNNスピーク』のキャスターが兼務した。ただし、須田哲夫は『タイム3』へ異動後も代役を務めた。 週末キャスターが平日に代役を務める事はなかった。その為『FNNニュースレポート11 30』・『FNNスピーク』キャスターのうち、山中だけは代役を務めた事がない(『FNNスピーク』の担当が山中の曜日も、野間や堺正幸が代役を務めていた)。 例外として1992 - 1994年に限り、安藤の代役が近藤に固定されていた。近藤は露木がアナウンス部長の傍ら日本大学芸術学部の講師を務めていた時代に直接指導した愛弟子であるという事情によると言われている(スポーツコーナーに起用された中井も同様)。 週末キャスターは基本的に休まずに出演した。まれに休む場合は、男性は野間や堺、女性は木幡美子や阿部知代が代役を務めた。 年末年始も休まず放送されたが平日の場合はメインキャスターの片方が代役キャスターとコンビで出演(たとえば年末=露木・近藤、年始=堺・安藤)、土・日曜の場合は通常のキャスターがそのまま出演した。15分の短縮版でも2人体制だった。 FNN系列局の番組名の変遷 番組開始当初から数年間、この番組はテレビ静岡・テレビ愛媛・テレビ西日本・鹿児島テレビの4局を除いて地域ごとに独自のタイトルに差し替えていた(ただし、この4局もフジテレビと全く同一のタイトルではなく、例えばテレビ静岡においては「FNN テレビ静岡 スーパータイム」など、各ネット局の社名<局名>も入った番組タイトルとなっていた。)。 このため、キー局フジテレビではFNNスーパータイムのオープニングをベースに番組タイトルを各局のものに差し替えたオープニング用VTRも制作・提供していた。また、全国のニュースや『夕やけニャンニャン』のニュースコーナーでは『スーパータイム』の名前が使えずに「6時のニュース」等と表現していたそのためにヘッドラインのあと、独自のタイトルに差し替えた地域に配慮して「全国のみなさん、こんばんは」ともう一度挨拶したこともあった。週末版も同様に差し替えた地域に配慮して、挨拶の後「○月○日土曜日(日曜日)のニュースです」と番組名は入れずに「ニュース」とした。 その後、徐々に『スーパータイム』のタイトルに改題する系列局が増加し、いつしか全国枠部分でも「スーパータイム」と使うようになっていった。 番組放送後期にさしかかった頃には福島テレビ『FTVテレポート』、関西テレビ『アタック600』、テレビ大分『ニュースインおおいた』(テレビ大分は1985年度の日曜版にスーパータイムのタイトルを使用していた)の3局を除くFNNの系列局(あくまでこの番組放送当時だが)で「スーパータイム」に番組タイトルが統一されていた(1992年4月から)。 以下に表記するFNN系列局による差し替えタイトル表は、番組放送当時のものである。下の表で1984年10月番組開始となっている番組は、テレビ新広島を除いて週末版は1985年4月放送開始であるが、煩雑になるため注記を省略した。また、●は『スーパータイム』が放送開始した1984年10月以前からの番組名を引き継いでいる番組である(「FNN」が付けられたものや、「600」など数字部分のみの変更も含む)。 放送局名番組名 CX フジテレビ(基幹・報道部番組制作局)FNNスーパータイム uhb 北海道文化放送1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN uhbイブニングニュース / キリンお天気ジョッキー(平日)1985年4月1日 - 1988年3月31日:FNN uhbイブニングニュース / キリンお天気ジョッキー(平日)、FNN uhbイブニングニュース(土曜)、uhbニュースレポート5 30 FNN / 道新ニュース・天気予報(日曜)1988年4月1日 - 1993年9月30日:FNN uhbスーパータイム → uhbスーパータイム FNN / キリンお天気ジョッキー(平日)、FNN uhbスーパータイム → uhbスーパータイム FNN(週末)1993年10月1日 - 1997年3月30日:FNNスーパータイムHOKKAIDO / キリンお天気ジョッキー → ホクレンお天気アイズ(平日)、FNNスーパータイムHOKKAIDO(週末) mit 岩手めんこいテレビ(1991年4月1日開局)1991年4月1日 - 1997年3月30日:mitスーパータイム FNN OX 仙台放送1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN仙台放送イブニングニュース●(平日)1985年4月1日 - 1988年3月31日:FNN仙台放送イブニングニュース(平日・週末)1988年4月1日 - 1997年3月30日:FNN仙台放送スーパータイム※1992年4月3日 - 1994年9月30日は『FNNとうほく 金曜ニュース一番星』(OX・mit・YTS(1993年3月26日まで)・AKT・FTV)、1994年10月3日 - 1996年12月は『夕やけTV編集局』、1997年1月6日 - 9月26日は『ほっとチャンネル』として放送。 AKT 秋田テレビ1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNテレポートあきた / お天気ダイアリー●(平日)1985年4月1日 - 1989年4月2日:FNNテレポートあきた / お天気ダイアリー(平日)、FNNスーパータイム / AKTニュース・お天気ダイアリー(週末)1989年4月3日 - 1997年3月30日:FNNスーパータイムあきた(平日)、FNNスーパータイム / AKTニュース・お天気ダイアリー(週末) YTS 山形テレビ(現:テレビ朝日系列)1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN YTSニュースワイド60(平日)1985年4月1日 - 1987年3月31日:FNN YTSニュースワイド60(平日)、FNN YTSニュースワイド60 / YTSニュース・天気予報(週末)1987年4月1日 - 1993年3月31日:FNN YTSニュース スーパータイム → YTSニュース スーパータイム FNN※1993年3月31日で番組終了。 SAY さくらんぼテレビ1997年3月15日 - 3月30日:SAYスーパータイム※約2週間のサービス放送期間中のみの放送だったため、最後までタイトルに「FNN」が付かなかった。サービス放送開始当初はローカル枠も全てフルネットだったが最後の1週間のみ山形ローカル枠が設けられ、スポーツコーナーの後に15分程度放送された。 FTV 福島テレビ1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNスーパータイム / FTVテレポート●(平日)1985年4月1日 - 1986年12月28日:FNNスーパータイム / FTVテレポート(平日・土曜)、FNNスーパータイム(日曜)1986年1月6日 - 1993年3月31日:FNN FTVテレポート / お天気リポート(平日・土曜)、FNNスーパータイム(日曜)1993年4月1日 - 1996年6月30日:FNN FTVテレポート / お天気リポート(平日・土曜)、FNN FTVテレポート(日曜)1996年7月1日 - 1997年3月30日:テレポート525(月曜 - 土曜17時台) / FNN FTVテレポート / お天気リポート(月曜 - 土曜18時台)、FNN FTVテレポート(日曜) NST 新潟総合テレビ1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN NSTワイド6 00 / お天気ホットライン●(平日)1985年4月1日 - 1990年9月30日:FNN NSTワイド6 00 / お天気ホットライン(平日)、FNNスーパータイム / NSTニュースコーナー・天気予報(週末)1990年10月1日 - 1993年3月31日:NSTニュース予告編 / NSTスーパータイム FNN(平日)、FNNスーパータイム / NSTニュースコーナー・天気予報(週末)1993年4月1日 - 1997年3月30日:NSTスーパータイム予告編 / NSTスーパータイム FNN(平日)、FNNスーパータイム / NSTニュースコーナー・天気予報(週末) NBS 長野放送1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN NBSイブニング6 00●(平日)1985年4月1日 - 1990年4月1日:FNN NBSイブニング6 00(平日・土曜)、FNN NBSイブニング5 30(日曜)1990年4月2日 - 1997年3月30日:FNN NBSスーパータイム NEWS SPORTS SUT テレビ静岡1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNテレビ静岡スーパータイム / HOT6 GOGO(平日)1985年4月1日 - 1997年3月30日:FNNテレビ静岡スーパータイム / HOT6 GOGO(平日)、FNNテレビ静岡スーパータイム(週末) THK 東海テレビ1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN東海テレビイブニングニュース600●(平日)1985年4月1日 - 1990年4月1日:FNN東海テレビイブニングニュース600(平日・土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も放送中)1990年4月2日 - 1997年3月30日:FNN東海テレビスーパータイム(平日・土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も放送中) T34 → BBT 富山テレビ1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNイブニングワイド6 00(平日)1985年4月1日 - 1986年3月31日:FNNイブニングワイドとやま6 00(平日・土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中)1986年4月1日 - 1992年4月4日、1994年3月28日 - 1997年3月30日:FNNスーパータイムとやま(平日・土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中)1992年4月6日 - 1994年3月25日:スーパータイムとやま530 / FNNスーパータイムとやま(平日)、FNNスーパータイムとやま(土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中) ITC 石川テレビ1984年10月1日 - 1985年3月29日:00●(平日)1985年4月1日 - 1986年9月30日:FNNニュースワイド石川6 00(平日・土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中)1986年10月1日 - 1997年3月30日:FNN石川テレビスーパータイム(平日・土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中) FTB 福井テレビ1984年10月1日 - 1985年3月29日:00●(平日)1985年4月1日 - 1987年3月31日:FNN福井テレビニュース6 00(平日・土曜)、FNNスーパータイム(日曜)1987年4月1日 - 1997年3月30日:FNN福井テレビスーパータイム KTV 関西テレビ1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN KTVアタック600●(平日)1985年4月1日 - 1986年3月31日:FNN KTVアタック600(平日)、KTVニュース FNN(週末)1986年4月1日 - 1997年3月30日:FNN KTVアタック600 → FNNアタック600(平日・土曜)、FNN KTVアタック530 → FNNアタック530(日曜)※年末年始のみ『KTVニュース FNN』として放送された時期がある。 TSK 山陰中央テレビ1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN TSKイブニングワイド(平日)1985年4月1日 - 1988年3月31日:FNN TSKイブニングワイド(平日・週末)1988年4月1日 - 1997年3月30日:FNN TSKスーパータイム → TSKスーパータイム FNN※年末年始のみは『FNNスーパータイム』として放送。 OHK 岡山放送1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN OHK報道センター6 00●(平日)1985年4月1日 - 1987年3月31日:FNN OHK報道センター6 00(平日・土曜)、 30 / OHKニュース(日曜)1987年4月1日 - 1997年3月30日:FNN OHKスーパータイム → OHKスーパータイム FNN※1990年4月7日 - 1997年3月29日、土曜のみは『OHKスーパータイムWEEKLY』として放送。 tss テレビ新広島1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN tssワイドニュース / 天気予報(平日)1985年4月1日 - 1987年10月4日:FNN tssワイドニュース / カープとお天気(平日)、FNN tssワイドニュース(週末)1987年10月5日 - 1997年3月30日:FNN tssスーパータイム → tssスーパータイム FNN / カープとお天気 → カープっ娘TV(平日)、FNN tssスーパータイム → tssスーパータイム FNN(週末) EBC 愛媛放送(現:テレビ愛媛)1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNスーパータイムEBC600 / 天気予報(平日)1985年4月1日 - 1990年4月1日:FNNスーパータイムEBC600 / 天気予報(平日・土曜)、FNNスーパータイムEBC530 / 天気予報(日曜)1990年4月2日 - 1997年3月30日:EBCスーパータイム FNN / 天気予報 KSS 高知さんさんテレビ1997年3月20日 - 3月30日:SUNSUNスーパータイム FNN※サービス放送期間中に放送。 TNC テレビ西日本1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN TNCスーパータイム NEWS SPORTS / とべとべトピックス(平日)1985年4月1日 - 1997年3月30日:FNN TNCスーパータイム NEWS SPORTS / とべとべトピックス → とべとべホークス(平日)、FNN TNCスーパータイム NEWS SPORTS(週末) sts サガテレビ1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN stsニュースレポート / 佐賀新聞ニュース●(平日)1985年4月1日 - 1989年4月2日:FNN stsニュースレポート / 佐賀新聞ニュース(平日)、FNN stsニュースレポート(週末)1989年4月3日 - 1991年3月31日:FNN stsニュースレポート / デイリーフラッシュ(平日)、FNN stsニュースレポート(週末)1991年4月1日 - 1995年4月2日:stsスーパータイム FNN / デイリーフラッシュ(平日)、stsスーパータイム FNN(週末)1995年4月3日 - 1997年3月30日:stsスーパータイム FNN KTN テレビ長崎1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNニュースワイドKTN / 天気予報(平日)1985年4月1日 - 1989年4月2日:FNNニュースワイドKTN / 天気予報(平日)、FNNニュースワイドKTN(週末)1989年4月3日 - 1997年3月30日:FNN KTNスーパータイム → KTNスーパータイム FNN / 天気予報(平日)、FNN KTNスーパータイム → KTNスーパータイム FNN(週末) TKU テレビ熊本→テレビくまもと1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN TKUニュース・アイ / 天気予報●(平日)1985年4月1日 - 1989年4月2日:FNN TKUニュース・アイ / 天気予報(平日)、FNNスーパータイム(週末)1989年4月3日 - 1997年3月30日:FNN TKUスーパータイム → TKUスーパータイム FNN / 天気予報(平日)、FNN TKUスーパータイム → TKUスーパータイム FNN(週末) TOS テレビ大分1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気・おはなしマイク●(平日)1985年4月1日 - 1986年3月31日:FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気・おはなしマイク(平日)、FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気(土曜)、FNN TOSスーパータイム(日曜)1986年4月1日 - 1989年4月2日:FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気・おはなしマイク(平日)、FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気(週末)1989年4月3日 - 1996年9月30日:FNNニュースインおおいた TOS / おはなしマイク(平日)、FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気(週末)1996年10月1日 - 1997年3月30日:FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気 UMK テレビ宮崎1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN UMKニュースレポート / 天気予報●(平日)1985年4月1日 - 1988年4月17日:FNN UMKニュースレポート / 天気予報(平日)、FNNスーパータイム / UMKニュース(週末)1988年4月18日 - 1992年3月31日:FNN UMKニュースリポート → UMKニュースリポート FNN / 天気予報(平日)、FNNスーパータイム / UMKニュース(週末)1992年4月1日 - 1996年3月31日:UMKスーパータイム FNN / 天気予報(平日)、UMKスーパータイム FNN(土曜)、FNNスーパータイム / UMKニュース(日曜)1996年4月1日 - 1997年3月30日:UMKスーパータイム FNN KTS 鹿児島テレビ1985年4月1日 - 1995年10月31日:FNN KTSスーパータイム NEWS SPORTS1995年11月1日 - 1997年3月30日:KTSスーパータイム530 / FNN KTSスーパータイム NEWS SPORTS(平日)、FNN KTSスーパータイム NEWS SPORTS(週末)※1985年3月31日まではNNNのニュースをネット。 OTV 沖縄テレビ1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN OTVイブニングワイド / 天気予報(平日)1985年4月1日 - 1992年3月31日:FNN OTVイブニングワイド / 天気予報(平日)、FNNスーパータイム(週末)1992年4月1日 - 1997年3月30日:OTVスーパータイム FNN / 天気予報(平日)、OTVスーパータイム FNN(週末) 補足 テレビ西日本と鹿児島テレビは、独自のタイトルロゴを使用していた。また、鹿児島テレビは1985年3月29日まで、『KTSテレビ夕刊』と『30きょうのニュース』をネットのため、本番組は放送していないが、鹿児島県内で重大事故やニュースが発生した場合は裏送りで対応していた。 岡山放送は「スーパータイム」に改題した当初は独自のタイトルロゴだったが、その後フジテレビと同じロゴに変更された。 石川テレビの『中日新聞テレビ日曜夕刊』では、2005年6月26日までエンドタイトルに本番組のテーマ曲(1993年のリニューアルの際のアレンジ版)を使用していた。 放送時間 平日版、週末版(1985年4月6日開始)ともに放送時間は一貫して変わらなかった。日曜日に至っては前番組『FNNニュースレポート5 30』から現在放送されている『FNNスーパーニュースWEEKEND』まで30年以上不変となっている。以下、日本時間(JST)で表記。 平日18 00 - 19 00(60分) 全国ニュース枠は18 20(後に18 25まで)。 土曜日18 00 - 18 30(30分) 全国ニュース枠は18 20まで。 日曜日17 30 - 18 00(30分) 全国ニュース枠は17 50まで。 番組のタイムテーブル 平日 18 00 オープニング関東・秋田テレビ「テレポートあきた」・福島テレビ・山陰中央テレビでは司会者の横顔のアップを写してスタートした・ヘッドライン通常は前半FNN全国ニュースから2-3項目→後半各都道府県別ローカルニュース(ネット各局より)から2-3項目という体裁、FNN全国ニュース(中断CMあり・Bパート終了後、地域によっては系列局側でローカルパートへ突入するスーパーを独自に送出表示していた。) 18 25(初期は18 20) 全国パートからローカルパートへ(提供スーパーが流れる) 北海道文化放送では全国パートからローカルパートへの切り替えの際、全国パートの提供スーパー終了後、フジテレビからのネット回線の映像を縮小して、札幌市内の天気カメラの映像を一旦2画面にした状態で映し出し、ネット回線映像を先に左へスライドアウトしてから札幌市内の天気カメラの映像をズームする形で画面いっぱいに表示し、ニューススタジオに切り替わる構成をとっていた。 18 27 特報(関東ローカル、FNN系列局はローカルニュース(ローカルパートの内容に関しても各局任意で編成)、中断CMあり/初期は『ニュースジョッキー』『外信コーナー 〜松浦さんの海外うらおもて〜』) 18 40 スポーツ(愛称は「わくわくスポーツ」。関西テレビ以外は任意ネット、東海テレビも独自の時期あり) 18 47 NEWS JOCKEY → NEWS SCRAMBLE(関東ローカル) 18 53 天気予報・エンドタイトル(初期はエンドタイトル・天気予報の順) 天気予報・エンドタイトルはお天気カメラの映像が表示された窓状のクロマキーがある専用セットにキャスターが立って、お天気キャスターと対話する形で放送していた。 週末 18 00(土)・17 30(日) オープニング・全国ニュース・スポーツ(中断CMあり) 18 20(土)・17 50(日) ローカルニュース・天気予報(オープニング映像→中断CMあり)・エンドタイトル(関東地方の季節の話題を1項目) 天気予報・エンドタイトルは、お天気カメラの映像が表示されたクロマキー(平日と異なり画面全体)の前にキャスターが座って放送していた。男性キャスターは正面を向いていたが女性キャスターはなぜか斜め45度で、脚を強調するかのように浅めに腰掛けるという特色があった。 天気予報について 1988年3月末までは、平日のみ天気予報を本編終了後のおまけ番組として放送していた。それは天気予報の前に“スーパータイム 終”というエンドタイトルが表示されていたため別番組と見なされたが、同年4月からは表示されなかったため同一番組と見なされた。また天気予報のエンドタイトルでは一貫して“スーパータイム あすの天気 終 提供(略)”と一緒に表示されていた。 上記のような理由で天気予報のみのスポンサーが複数社付いていた。この名残で、番組後期や現在の『FNNスーパーニュース』も天気予報コーナー放送時にもスポンサーが付いている。 週末は一貫して1コーナー扱いであったが関東地方では日曜日の天気予報だけスポンサーがついていたことから、箱根彫刻の森美術館の映像をバックにした週末独自のオープニングが放送されていた。またエンドタイトルは“スーパータイム 天気予報・終”と出ていた(1988年3月末まで)。また関東地方は日曜日のみ、オープニングで日付と曜日の表示があった。 テーマ音楽・タイトルデザイン テーマ音楽 たかしまあきひこ作曲のテーマ音楽。 1984年10月1日 - 1989年10月1日:初代 1989年10月2日 - 1993年3月31日:2代目(初代の短縮版) 1993年4月1日 - 1996年9月30日:3代目(2代目と尺は同じでアレンジしたもの) 1996年10月1日 - 1997年3月30日:4代目 何度かのリニューアルで、番組内のBGMやジングルも何度か変化した。だが18 25に各局からの放送に切り替える際のBGMとスポーツコーナーのBGM(ただし、双方のBGM共に1993年にリニューアル)は、1996年10月のオープニングリニューアル以降も同じ物を使い続けた。 なお、例外としてテレビ大分「ニュースインおおいた」では1989年9月まではタイトルは全国共通デザイン(題字だけ差し替え)であったが、テーマソングは「ニュースインおおいた」のスタート時から使っていたテーマソングを使用していた。 タイトルロゴ・オープニング映像 使用期間タイトルカラーオープニング映像の流れ 1984年10月1日 - 1988年3月31日FNN:黄土色スーパー:青タイム:水色CGで黄土色の画面に波紋が広がる画面の後、「Template Color」の文字を残してバラバラになったかけらが画面奥に散っていく。散っていくと同時に画面奥から光り画面左右から「Template Color」と「Template Color」の文字が現れ、正面で「スーパータイム」のタイトルロゴになる(効果音あり。地方によって異なるタイトルが現れ、効果音の挿入場所も異なる)。バックは魚眼レンズで見上げた空と超高層ビルに赤い線が一本入るもの。 1988年4月1日 - 1989年10月1日gold|■}}金)gold|FNN}}」の文字を残してかけらが一瞬手前に浮いた後、画面奥に散っていき画面手前から「スーパー」と「タイム」が現れるようにして、正面で「Template Color」のタイトルロゴになる。以下以前と同じ。なお、一部の系列局では1989年10月以降もこのオープニングが使用されていた(『FTVテレポート』など)。 1989年10月2日 - 1993年3月31日FNN:赤スーパータイム:金gold|スーパータイム}}」のロゴが下から上昇し全てが画面に現れたところで奥に傾き、右側から「Template Color」ロゴが登場して合体し「FNNスーパータイム」となってロケットの発射のように左上に消えるCG。なおFNN系列局用のフォーマットは上記とは異なり「スーパータイム」のロゴが画面手前から現れ、画面左右から現れた「FNN」及び系列局名が合体するパターン(ロゴの消え方については各局任意)。これは当時のフジテレビの週末版のエンディングタイトル映像の前半部を流用したものである(一部地域を除く)。 1993年4月1日 - 1997年3月30日purple|■}}紫)yellow|スーパー タイム}}」のロゴが、さらに左側からは「Template Color」(系列局ではその放送局名)も現れ合体して手前に急接近してそのまま通り抜け消えるCG(ただし、新潟総合テレビの週末版では静止画を使用していた)。また1997年のお台場移転後の3月10日から3月30日の最終回まではマスター更新に伴いタイトルCGやコーナー名を表示するCGなどは周りの黒縁が消えていたり、色が鮮やかになるなどの変化が見られた。 タイトルロゴの配色の変化はあったものの、ロゴそのものは放送開始から終了まで同じものが使われた。ロゴは1段目に「FNN」、2段目に「スーパー」、3代目に「タイム」である。ただし開始から1989年10月1日までは「FNN」は別表示。タイトルデザインは『なるほど!ザ・ワールド』などのロゴを手がけた山形憲一。 全国パートの提供クレジットは一部の放送局を除き、初期は牧原俊幸のナレーション「この番組は、ごらんのスポンサーがお送りします」「ここまでは、ごらんのスポンサーがお送りしました」の録音が使われたが、後期は各放送局から送出された。(表現はその後、「ごらんのスポンサーがお送りします」「ここまでの放送は、ごらんのスポンサーがお送りしました」に改められた。) 番組名のタイトルコール 1984年10月1日 - 1988年3月31日:幸田シャーミン 1988年4月1日 - 1994年10月2日:安藤優子 1988年7月と1993年4月(オープニングも変更)にタイトルコールを再収録(1994年3月に安藤が降板後もそのまま半年間使用)。1989年10月のオープニング変更時はタイトルコールのエコーのみ変更。 1994年10月3日 - 1997年3月30日:松山香織 1996年10月のオープニングリニューアル後もそのまま使用。但し、若干エコーのかかり具合等が異なる。 「スーパータイム!」と発するタイトルコールは平日女性メインキャスターが歴代で担当した。なお、東海テレビの場合、タイトルが『FNN東海テレビスーパータイム』になった後もしばらくはフジテレビのタイトルコールを採用せず東海テレビ独自のタイトルコールを使用していた(ローカルパートではCM入りの際にも使用)。それでも勿論の事ながら放送初期の頃『スーパータイム』のタイトルを差し替えていたために、FNN系列局がある地域では「スーパータイム!」のタイトルコールは全くと言っていいほど流れない場合があった(系列局による前身の差し替え番組名が「スーパータイム」としてニュースを伝えるようになったあとも結局タイトルコールを採用してなかったところもあった)。 スタジオセット 1984年10月1日 - 1989年10月1日:初代 1989年10月2日 - 1992年3月31日:2代目(番組5周年を記念してスタジオセットを変更する) 1992年4月1日 - 1994年10月2日:3代目(露木のメインキャスター就任以後、スタジオセットを変更する) 1994年10月3日 - 1997年3月9日:4代目(番組10周年を記念してスタジオセットを変更する) 1997年3月10日 - 3月30日:5代目(お台場新社屋の報道センターから) 注1)3代目までは背景なし・あるのは三角形等幾何学オブジェと宙に浮かぶ「FNN」のロゴだけ、と言う簡素とも斬新とも言える物。4代目は番組満10周年を機に作られたもので、近未来的なセットになっている。5代目は短期間の為、お台場新社屋の報道センターにテーブルを配しただけ。ちなみにそのテーブルは河田町時代の4代目のセット時のものをお台場に持ってきて使用していた。 注2)河田町本社時代、本来の報道スタジオとして第9スタジオが使用されていたが、当番組開始に伴い、広いスタジオが必要となった(ホリゾントを広く必要としたため)ことから、隣の第7スタジオとスタジオフロアを入れ替えて運用することとなり、台場への本社移転までそれは続いた(ただし、副調整室は、第9サブが報道専用の設備となっていたことから、「9サブ・7フロア」という運用となっていた。なお、たすきがけ運用の反対側にあたる「7サブ・9フロア」は『正義の味方株式会社』『てれび夢組』での使用を経て「プロ野球ニュース」専用となった。ただし7サブは中継番組の受けサブとしても使用されていた。)。 注3)河田町時代、第7スタジオは本社1階にあり、報道センターは本社3階にあったことから、突発事件・事故などで報道センターから伝えた方が状況の変化に即応できると判断された場合は、スタジオの使用を止めて報道センターのセンターテーブル(通常時にはニュースの打ち合わせやニュースを読むアナウンサー・キャスターの打ち合わせ及び原稿の下読みなどで使用している場所)からそのまま伝えることが少なくなかった。1991年頃までは書類や機械に囲まれ雑然とした空間になっていたが、1992年頃に台形型のデスクに整備されスッキリとした環境になった。以後、1997年3月の本社移転まではこのキャスターテーブルがスタジオセットの建替え中や緊急の報道特番で多々利用された。 オープニングの流れ 平日 1984年10月1日 - 1989年9月29日 タイトルコール(フジテレビと一部FNN系列局のみだが、改題地域ではその差し替え番組名をタイトルコールする場合も)→提供スポンサー→キャスターの挨拶(ローカル向け)→ヘッドライン(5つ。ヘッドライン直前に全国ネットとなるが、ヘッドラインの後半2つは再びローカルに切り替わる)→キャスターの挨拶(全国向け)→全国ニュース→CM 1989年10月2日 - 1993年3月31日 タイトルコール(改題地域を除く)→提供スポンサー→キャスターの挨拶(ローカル向け)→ヘッドライン(3つ)→キャスターの挨拶(全国向け)→全国ニュース→CM 1993年4月1日 - 1994年9月30日 キャスターの挨拶(ローカル向け)→ヘッドライン(3つ)→タイトルコール(関西テレビ・福島テレビ・テレビ大分を除く)→提供スポンサー→キャスターの挨拶(全国向け)→全国ニュース→CM 1994年10月3日 - 1996年9月30日 ヘッドライン(4つ)→タイトルコール(関西テレビ・福島テレビ・テレビ大分を除く)→提供スポンサー→キャスターの挨拶(全国向け)→全国ニュース→CM 1996年10月1日 - 1997年3月28日 タイトルコール(フジテレビと一部FNN系列局のみ)→キャスターの挨拶(全国向け)→全国ニュース→提供スポンサー→CM 備考 ヘッドライン読みは1994年9月30日まで平日版キャスターの声となっていたが、10月3日のリニューアルでヘッドライン読みが男性ナレーションの声(石井康嗣が担当)になった。 ヘッドラインの最後の2項目(3項目あった時期は最後の1項目)はローカルニュースのヘッドラインに差し替えられていた(関東地方はわくわくスポーツ、特報コーナーのヘッドライン)。 ヘッドラインは全ての系列局で放送されたものの、構成に関しては大幅に変更する系列局もあった。例えばローカル向けヘッドラインのBGMを全国向けとは別のものを使用、17 59.45から開始(岩手めんこいテレビ、福島テレビ末期)、17 59.30から開始(関西テレビ末期)など。またヘッドラインが4項目の時代は、1項目をキャスター挨拶に割り当てていたところ(福島テレビ、東海テレビなど)もあった。 逸見時代のローカル向け挨拶はヘッドライン直前の「はい、今日の主なニュースの項目です」の部分であったためオープニング挨拶とこのフレーズの間が若干あいており、ここでローカル局が飛び乗れるようになっていた。 週末 1985年4月6日 - 1993年3月28日 タイトルコール(改題地域などは除く)→提供スポンサー(日曜日のフジテレビは日付け表示。スポンサーは天気予報コーナーのみ)→ヘッドライン(3つ)→キャスターの挨拶→全国ニュース→CM 1993年4月3日 - 1994年10月2日 キャスターの挨拶→ヘッドライン(3つ)→タイトルコール(関西テレビ・福島テレビ・テレビ大分を除く)→提供スポンサー(ローカル向け)→全国ニュース→CM 1994年10月8日 - 1996年9月29日 ヘッドライン(4つ)→タイトルコール(関西テレビ・福島テレビ・テレビ大分を除く)→提供スポンサー(ローカル向け)→キャスターの挨拶→全国ニュース→CM 1996年10月5日 - 1997年3月30日 タイトルコール(改題地域などは除く)→キャスターの挨拶→全国ニュース→提供スポンサー(ローカル向け)→CM 備考 全ての時期においてローカルニュースのヘッドラインは存在せず、フジテレビからキャスター読み上げのヘッドラインが全国送出されていた(東海テレビ等一部の地域では、土日もヘッドラインの一部が差し替えられていた)。 『スーパータイム』が初めてのもの 『スーパータイム』がニュース番組ではじめて行ったものは幾つかある。 キャスターが立ってニュースを伝える スポーツやNEWS JOCKEYといった一部コーナーでは座って伝えられた。 男性キャスターがスーツではなく若干カジュアルな服装でニュースを伝える 番組開始当初はスーツ+ネクタイという衣装ではなく、シャツ+カーディガンなど、若干カジュアルな衣装でニュースを伝えていた。それまでのニュースとは違うということを、男性キャスターの衣装においても見せるという意図があったようだが、視聴者やフジテレビ社内、FNS系列各局からの受けがあまりよくなかったことなどもあって、タートルネック+ブレザー姿となり、翌1985年からは普通のスーツ+ネクタイ姿へと戻った。 アタック音 それぞれのニュースのリード(スタジオカット)の後のVTR冒頭に見出しスーパー(テロップ)と音楽(ジングル)を流した。 CM前のアイキャッチ CMが始まる前に予告映像とアタック音楽を流した。「NNNきょうの出来事」(日本テレビ)では使われていたが、夕方のニュースでは初めてである。全国向けとローカルニュースが混合した編成だったため、系列局に配慮する意味もあった。 テロップの電子化 それまでのテロップは基本的にテロップカード(写植機による写真植字で作成されるものや、手書き文字をテロップカードに直接書き込んで作成されたもの)を専用の送出装置(オペークなど)にて送出していたが、この番組ではそれらのテロップ作成と送出をコンピューターによる電子化で行った。これは、この番組の開始と前後して電子的にテロップの作成や送出を行うシステム(所謂「ワープロシステム」)をフジテレビが報道専用に導入したものである。当時、既に一部用途スポーツ中継用のスコアや選手名表示、ニュース速報や地震速報などの定型化されたものについては、作成及び送出を電子化する例がキー局を中心としてみられたものの、あくまで定型化されたものに対してのみであった。 しかし、他局のテロップシステム更新でフジテレビの報道用字幕が1990年代には相対的にシンプル過ぎて見える様になった為、1994年夏頃に機材を更新。1994年10月のスタジオセット更新と共に立体的な字幕へ変更された。これはお台場へ本社を移転した後も2010年9月まで16年間に渡り使用されたなお、2010年7月5日から2010年9月26日までは、アナログ放送のレターボックス化に伴い、16:9位置に引き伸ばしたサイズで使用された(BSフジのBSフジNEWSなどでは、開局時から同様にテロップを引き伸ばして使用していた)。 ナレーションの導入 1984年10月当時、ニュース本編を読むのはもっぱらキャスターや記者が担当する事が多かったが、スーパータイムは一部を除きナレーターが読むシステムを導入した。このスタイルが他局にも受けはじめ1988年には日本テレビのNNNニュースプラス1にも同様のシステムを採用した。1990年代にはNEWSJAPANをはじめ最終枠のニュースにも使われるようになった。ちなみに通常は丁寧調で伝えられるがドキュメント形式の場合は新聞のような喋り方になる。 その他 1986年と1987年元日では逸見は袴姿、幸田は着物姿でニュースを読んだ。 よくバラエティ番組で真似されていた。特にビートたけしの番組では、たけしと鬼瓦権三(たけしの二役)とのやりとりが放送され話題になった。スタジオセットも「FNN」のかわりに「TAKESHI」とかかれた本物そっくりなものだった。また、『火曜ワイドスペシャル』ではたけしが幸田と実際に共演した事もある。またタイトルコールもあり、幸田が「テューズデェイ、ワイドスペシャル!!」とコールしていた。 また、『いきなり!フライデーナイト』では「冒険王タイム」というコーナーがあり、オープニングは本物のタイトル映像(冒頭のアニメーションはなし)に白縁に緑文字のタイトルが出現したものとなっていた。キャスター役は渡辺徹と長野智子(当時フジテレビアナウンサー)が担当した(長野はアタック音も担当)。 スポーツコーナーにおいて、全国のスポーツ美少女を紹介する企画「南ちゃんを探せ」などの人気企画があった。南ちゃんとは、当時放送されていたアニメ『タッチ』のヒロイン、浅倉南の事を指していた。なお、関西テレビでは独自にスポーツコーナーを制作していたため放送されなかった。またテレビ新広島もスポーツコーナーの後半をローカルニュース・広島県内の交通事故の状況(協力・広島県警察本部)・私の交通標語等のコーナーに差替えていたため、放送されないことが多かった(ごくまれに放送されたことがある)。 1987年から同局で放送されている『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島→平成教育テレビ』(FNSの日)内でも「スーパータイムDX」「スーパータイムSP」「スーパータイム特別版」と題し、キャスター(主に芸能人がキャスターを務める)や番組内容も通常放送とは違った形で放送していた。また、改編期や国政選挙投票日の夜に特別番組として「スーパータイムスペシャル」が放送された事もあった(こちらでは平日版のキャスター、あるいはタモリと安藤のペアが司会を務めた)。 ちなみに、1992年7月19日の『平成教育テレビ』内の「FNNスーパータイムSP」では逸見が総合司会を担当していた関係で1984年10月1日の第1回のOP部分及びED部分と1988年10月某日(おそらく上旬)のED部分の一部が放送された)。 週末のメインキャスターであった黒岩祐治は、報道記者やディレクター時代の経験を生かして自ら特集の企画・取材・編集を手がけた。その1つ、救急医療キャンペーン「救急医療にメス」は、1989年から約2年の月日を費やし放送された。救急隊員に医療行為が認められていないことに異を唱え、迅速な救命医療行為の必要性を訴える内容であった。当時の東京消防庁救急担当主幹であった武井勝徳が雑誌『暮しの手帖』に投稿した記事や世論の後押しもあり、この特集は法律を改正させる切っ掛けとなった。1991年(平成3年)4月23日に救急救命士法が制定されて制度化された。 年末年始も休まず放送していた。初期の頃は12月31日も通常通りの時間枠であったが、その後年はレギュラーで時間を短縮するなど、前後の番組に合わせ調整を図っていた。 1995年に起きた阪神大震災やオウム真理教関連のニュースが起きた時は、特別番組として30分拡大して放送した。 1989年頃から放送終了まで、オープニングの提供テロップは画面右下に右寄りでスポンサー名を表示していた。 1993年10月から1994年3月までには関東ローカルの番組である『スーパータイム関東』が、金曜日の17 30 - 18 00に放送された事がある(司会は福井謙二(フジテレビアナウンサー)、中村江里子(当時フジテレビアナウンサー))。 平日版最終回の日にフジテレビ社員(プロデューサー)が婦女暴行で逮捕されたニュース原稿を読み上げた際、露木は「『スーパータイム』最後の日に、私ども身内の大馬鹿者のニュースをお伝えしなければならないことは大変情けない話」と前置きでコメントをした(通常の自局社員の不祥事は警察発表と広報からのコメントのみで終わらせることが多い中で厳しいコメントを述べるのは珍しい)。 12年半という長きに渡って放送された番組だけありスポンサーも数多く替わっていったが、この中には現在放送中の『スーパーニュース』迄ずっとフジテレビ夕方ニュースのスポンサーを務めている企業もある。 平日放送後期の提供表示では全国ニュースの前提供のみ画面下半分の左側に「提供」、右側にスポンサー名が表示されていた(実質2列表示)。 1995年9月21日の『あっぱれさんま大先生スペシャル』の中で「あっぱれスーパータイム」と言うパロディー特別版があり、司会は露木とあっぱれ学園の女子生徒2人の計3人が行った。 終了から約10年後の2007年に映画『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』の1シーンで『スーパータイム』が復活した。ただし、劇中の設定は、当時1994年4月から1997年3月まで担当していた露木茂・松山香織コンビである。スタジオセットも1994年以降の4代目セットである。一方で、主人公がテレビ局を訪れたシーンで張り出されている視聴率の垂れ幕には「FNWスーパータイムニュース」と書かれている。 この番組は「河田町を代表する夕方のニュース番組」などと一部で言われている(お台場からの放送は3週間のみだった)。 フジテレビにおいて時刻出しは番組終了まで実施することはなかった。実施したのは次番組である『FNNニュース555ザ・ヒューマン』からである。なお系列局の内、岡山放送では1990年頃まで日曜に限って実施当時は全曜日早朝の番組開始時から18 00(後に17 54)まで実施していたことによる。後に17 30までとなり表示されることは前述の『FNSの日』くらいに限られていた。2004年以降午後の表示は廃止しており、『FNNスーパーニュース』『FNNスーパーニュースWEEKEND』では時刻出しはしていない。していた。 『FNNスーパータイム』のタイムテーブル順(全国ニュース→ローカル→全国スポーツ→ローカル)は次番組『FNNニュース555ザ・ヒューマン』と次々番組『FNNスーパーニュース(18時台)』(2000年4月-)でも受け継がれている。 1994年10月8日、この日フジテレビ系列では日本プロ野球史上初、同率首位で並んだチーム同士の最終戦での直接対戦による優勝決定戦中日ドラゴンズ対読売ジャイアンツ(いわゆる10.8決戦)を18時30分から放送。これにより、前番組のスーパータイム土曜版から生中継した。なお、この日は「10.8決戦」以外のニュースは3本。放送時間30分のうち4分20秒(冒頭で当時土曜版キャスターのフジテレビ・山中秀樹アナ(当時)がコメント。)しか伝えず、その大半で「10.8決戦」を生中継した10月9日付中日新聞p.3によると、当日18時からのFNNスーパータイムは「野球以外のニュースは4分20秒しかお伝えできません」であったという。。 1993年12月25日、平日の初代キャスターだった逸見政孝がガンのため死去し、当日の『スーパータイム』でもトップで伝えられた。中継を担当したアナウンサーはリポートの締めくくりにフジテレビアナウンサー時代の逸見との思い出を語った。また週末版のキャスターだった山中秀樹は「今日はスタジオにいる我々(山中・近藤サト)にとっても、中継に出ているアナウンサーにとって辛い1日となりました。プロのアナウンサーでした」とコメントした。 2日後の27日、逸見の葬儀・告別式をトップで伝えた。葬儀会場から露木が、棺を乗せた霊柩車がフジテレビに立ち寄った際には安藤がフジテレビ玄関前からそれぞれリポートした。その後在りし日の逸見の映像を流し、VTR明けに安藤は号泣、露木は「我々の(テレビに出る)仕事というものは、亡くなってからも元気な頃の映像が残るということは、逆に言えば残酷なのかもしれません」とコメントした。 脚注・出典 Template Reflist 関連項目 フジニュースネットワーク(FNN) FNNニュース 救急救命士 {{{キャプション|}}} {{{放送局|}}} {{{放送枠}}} 前番組 番組名 次番組 {{#if {{{前番組|}}}|{{{前番組}}}| - }} {{#if {{{前番組備考|}}} | {{{前番組備考}}} {{{前番組備考B|}}} }} {{#if {{{番組名|}}}|{{{番組名}}}|{{PAGENAME}}}} {{#if {{{番組名備考|}}} | {{{番組名備考}}} {{{番組名備考B|}}} }} {{#if {{{次番組|}}}|{{{次番組}}}| - }} {{#if {{{次番組備考|}}} | {{{次番組備考}}} {{{次番組備考B|}}} }} {{#if {{{2放送枠|}}}| {{{2放送局|}}} {{{2放送枠}}} }} {{#if {{{2放送枠|}}}{{{2番組名|}}}{{{2前番組|}}}{{{2次番組|}}}| {{#if {{{2前番組|}}}|{{{2前番組}}}| - }} {{#if {{{2前番組備考|}}} | {{{2前番組備考}}} {{{2前番組備考B|}}} }} {{{2番組名|第2シリーズ}}} {{#if {{{2番組名備考|}}} | {{{2番組名備考}}} {{{2番組名備考B|}}} }} {{#if {{{2次番組|}}}|{{{2次番組}}}| - }} {{#if {{{2次番組備考|}}} | {{{2次番組備考}}} {{{2次番組備考B|}}} }} }} {{#if {{{3放送枠|}}}| {{{3放送局|}}} {{{3放送枠}}} }} {{#if {{{3放送枠|}}}{{{3番組名|}}}{{{3前番組|}}}{{{3次番組|}}}| {{#if {{{3前番組|}}}|{{{3前番組}}}| - }} {{#if {{{3前番組備考|}}} | {{{3前番組備考}}} {{{3前番組備考B|}}} }} {{{3番組名|第3シリーズ}}} {{#if {{{3番組名備考|}}} | {{{3番組名備考}}} {{{3番組名備考B|}}} }} {{#if {{{3次番組|}}}|{{{3次番組}}}| - }} {{#if {{{3次番組備考|}}} | {{{3次番組備考}}} {{{3次番組備考B|}}} }} }} {{#if {{{4放送枠|}}}| {{{4放送局|}}} {{{4放送枠}}} }} {{#if {{{4放送枠|}}}{{{4番組名|}}}{{{4前番組|}}}{{{4次番組|}}}| {{#if {{{4前番組|}}}|{{{4前番組}}}| - }} {{#if {{{4前番組備考|}}} | {{{4前番組備考}}} {{{4前番組備考B|}}} }} {{{4番組名|第4シリーズ}}} {{#if {{{4番組名備考|}}} | {{{4番組名備考}}} {{{4番組名備考B|}}} }} {{#if {{{4次番組|}}}|{{{4次番組}}}| - }} {{#if {{{4次番組備考|}}} | {{{4次番組備考}}} {{{4次番組備考B|}}} }} }} {{#if {{{5放送枠|}}}| {{{5放送局|}}} {{{5放送枠}}} }} {{#if {{{5放送枠|}}}{{{5番組名|}}}{{{5前番組|}}}{{{5次番組|}}}| {{#if {{{5前番組|}}}|{{{5前番組}}}| - }} {{#if {{{5前番組備考|}}} | {{{5前番組備考}}} {{{5前番組備考B|}}} }} {{{5番組名|第5シリーズ}}} {{#if {{{5番組名備考|}}} | {{{5番組名備考}}} {{{5番組名備考B|}}} }} {{#if {{{5次番組|}}}|{{{5次番組}}}| - }} {{#if {{{5次番組備考|}}} | {{{5次番組備考}}} {{{5次番組備考B|}}} }} }} {{#if {{{6放送枠|}}}| {{{6放送局|}}} {{{6放送枠}}} }} {{#if {{{6放送枠|}}}{{{6番組名|}}}{{{6前番組|}}}{{{6次番組|}}}| {{#if {{{6前番組|}}}|{{{6前番組}}}| - }} {{#if {{{6前番組備考|}}} | {{{6前番組備考}}} {{{6前番組備考B|}}} }} {{{6番組名|第6シリーズ}}} {{#if {{{6番組名備考|}}} | {{{6番組名備考}}} {{{6番組名備考B|}}} }} {{#if {{{6次番組|}}}|{{{6次番組}}}| - }} {{#if {{{6次番組備考|}}} | {{{6次番組備考}}} {{{6次番組備考B|}}} }} }} {{#if {{{7放送枠|}}}| {{{7放送局|}}} {{{7放送枠}}} }} {{#if {{{7放送枠|}}}{{{7番組名|}}}{{{7前番組|}}}{{{7次番組|}}}| {{#if {{{7前番組|}}}|{{{7前番組}}}| - }} {{#if {{{7前番組備考|}}} | {{{7前番組備考}}} {{{7前番組備考B|}}} }} {{{7番組名|第7シリーズ}}} {{#if {{{7番組名備考|}}} | {{{7番組名備考}}} {{{7番組名備考B|}}} }} {{#if {{{7次番組|}}}|{{{7次番組}}}| - }} {{#if {{{7次番組備考|}}} | {{{7次番組備考}}} {{{7次番組備考B|}}} }} }} {{#if {{{8放送枠|}}}| {{{8放送局|}}} {{{8放送枠}}} }} {{#if {{{8放送枠|}}}{{{8番組名|}}}{{{8前番組|}}}{{{8次番組|}}}| {{#if {{{8前番組|}}}|{{{8前番組}}}| - }} {{#if {{{8前番組備考|}}} | {{{8前番組備考}}} {{{8前番組備考B|}}} }} {{{8番組名|第8シリーズ}}} {{#if {{{8番組名備考|}}} | {{{8番組名備考}}} {{{8番組名備考B|}}} }} {{#if {{{8次番組|}}}|{{{8次番組}}}| - }} {{#if {{{8次番組備考|}}} | {{{8次番組備考}}} {{{8次番組備考B|}}} }} }} {{#if {{{9放送枠|}}}| {{{9放送局|}}} {{{9放送枠}}} }} {{#if {{{9放送枠|}}}{{{9番組名|}}}{{{9前番組|}}}{{{9次番組|}}}| {{#if {{{9前番組|}}}|{{{9前番組}}}| - }} {{#if {{{9前番組備考|}}} | {{{9前番組備考}}} {{{9前番組備考B|}}} }} {{{9番組名|第9シリーズ}}} {{#if {{{9番組名備考|}}} | {{{9番組名備考}}} {{{9番組名備考B|}}} }} {{#if {{{9次番組|}}}|{{{9次番組}}}| - }} {{#if {{{9次番組備考|}}} | {{{9次番組備考}}} {{{9次番組備考B|}}} }} }} {{#if {{{10放送枠|}}}| {{{10放送局|}}} {{{10放送枠}}} }} {{#if {{{10放送枠|}}}{{{10番組名|}}}{{{10前番組|}}}{{{10次番組|}}}| {{#if {{{10前番組|}}}|{{{10前番組}}}| - }} {{#if {{{10前番組備考|}}} | {{{10前番組備考}}} {{{10前番組備考B|}}} }} {{{10番組名|第10シリーズ}}} {{#if {{{10番組名備考|}}} | {{{10番組名備考}}} {{{10番組名備考B|}}} }} {{#if {{{10次番組|}}}|{{{10次番組}}}| - }} {{#if {{{10次番組備考|}}} | {{{10次番組備考}}} {{{10次番組備考B|}}} }} }} {{Documentation}} Template フジテレビ系列の報道番組
https://w.atwiki.jp/battler/pages/1284.html
スーパー正男(すーぱーまさお)とは、『スーパーマリオブラザーズ』のパロディ。Javaゲーム。 主人公の正男がステージを駆けめぐり人面星を取るというゲーム。敵キャラも「ポケットモンスター」のパロディばかり。 弟の名前は浩二、他にもお姫様、ザトシ、クリスという仲間がいる。 主なアイテム・アクション ジャンプ 基本、ちなみに助走をつけるほど高く跳ぶ。最高速まで出すと残像がつく。 しっぽ ?ボックスからアイテムを取ると使える(ステージによっては初期装備)。レンガを破壊したり敵を倒したりできる。 ジェット 噴射させると飛行できる。ただし燃料に限りがある。何個も取ると燃料が積み上げられる。 1UPキノコ 名の通り取ると1機増える。 バリア 取ると一定時間無敵になる。 ファイヤーボール 火の玉を転がして敵を倒す。 ヘルメット ジャンプによる頭突きで下からレンガを破壊できる。 ドリル 上からレンガを破壊。 グレネード 真横へと飛んでいくビーム状と放物線を描いて着弾すると炸裂し、広範囲にダメージを及ぼす2種類がある。ボスにも通じる。 主な敵キャラ 亀 一番登場頻度が多い雑魚敵。段差のあるところでは落ちるやつと落ちずはいずり回る2つの行動パターンがある。 ピカチー ピカチュウのパロディ。跳び上がり正男のほうへ電撃。番場蛮のハイジャンプ魔球をイメージするとよい。 チコリン チコリーターのパロディ。葉っぱカッターを出す。 マリリ マリルのパロディ。跳ねる。 ポッピー ポッポのパロディ。水平飛行するか、あるいは上下に動く。 エアームズ エアームドのパロディ。飛行状態から爆撃。 ヒノララシ ヒノアラシのパロディ。亀より動きが速く、踏んで倒すことはできない。 ヤチャモ アチャモのパロディ。火を水平に放つ。ゲームによってはただ立ち止まるタイプのものも。 ミズタロウ ミズゴロウのパロディ。移動して水玉を打ち出す。 タイキング コイキングのパロディ。水中を泳ぐ。 クラゲッソ ドククラゲのパロディ。水中で放射状に泡を出す。 グラーダ グラードンのパロディ。ボス。岩を噴出するか亀やヒノララシやマリリを出して攻撃する。 カイオール カイオーガのパロディ。ボス。波動攻撃かクラゲッソのように放射状に泡を出して攻撃する。 センクウザ レックウザのパロディ。ボス。グレネードを出すかバリアで体当たりで攻撃する。
https://w.atwiki.jp/asagaolabo/pages/3461.html
スーパーモグー / SUPERモグー 【スーパーモグー】 ポップンミュージック15 ADVENTUREで初登場したキャラクター。 スーパーモグー / SUPERモグー 誕生日 担当曲 ポップン15 アクション(pm15) キャラクターポップ 関連キャラ、用語リンク 出身地 趣味など すきなもの きらいなもの 地底を掘って掘って掘りまくる、小型のモグラ型ロボット。有人式で、中に乗っているのは本物のモグラ。 土属性のボス担当として登場した。 誕生日 8月30日 担当曲 チテイタンケン ポップン15 アクション(pm15) NEUTRAL GOOD GREAT FEVER MISS JAM DANCE 【固定型】 WIN 温泉が湧き出る。 FEVER WIN ズシンの頭部上から温泉が出る。 LOSE 出てきた場所にミミニャミが現れ、棒でつつかれる。 キャラクターポップ 【色違い】 関連キャラ、用語リンク ズシン このキャラクターが描かれているレアカード 【極楽温泉デターーー!!】 【うっきうきの春が来たぞ~♪】 【□■ if pop n building □■】 キャラクター一覧/ポップンミュージック15 ADVENTURE
https://w.atwiki.jp/fallout3/pages/681.html
Old World Blues - クリーチャー / スーパー・エゴ HP DT 武器 火器 675 15 レーザーリップルレーザー ユニーク・ロボブレイン。 マップポイント「ヒッグス村」から東に行った地点を巡回している。 倒すとユニーク武器「殺きんグローブ」を落とす。 ちなみにスーパーエゴの日本語訳は「超自我」である リンク The Vault (英wiki)
https://w.atwiki.jp/storyteller/pages/1196.html
スーパーペーパーマリオ ・要約版:要約スレpart2-671 ・詳細版:連絡用掲示板内差し替え・追加スレッド-99~108 671 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 21 12 48 ID lg9sY9P60 「スーパーペーパーマリオ」 いつもの様にピーチがさらわれたという知らせがマリオ達に来た。 「どうせまたクッパが犯人だろう」と思ったマリオ&ルイージはクッパ城へ。 ところがクッパは何も知らず、そこへピーチをさらったノワール伯爵が現われる。 伯爵は異次元空間への入り口を作り、クッパやルイージ達を吸い込んでしまう。 ノワール伯爵は、世界を消滅させる方法が書いてある「黒のヨゲン書」に従い クッパとピーチと無理やり結婚させ「コントンのラブパワー」を出現させる。 「コントンのラブパワー」は「次元のあな」を生み出し、世界の全てを飲み込み破滅に導く。 1人気を失って倒れていたマリオは「アナタに会うために来た」というフェアリン (スーパーペーパーマリオに登場するサポートキャラ。妖精と自分で言っている。 古代の民が作り出した意志を持つ道具であり、様々な能力を持つ)のアンナに起こされる。 アンナに連れられて異次元の世界の「ハザマタウン」(キノコ王国とは別の世界&別の次元、 次元と次元の間にある街)に来たマリオは、古代の民の末裔のデアールに会う。 「白のヨゲン書」に書かれている勇者だと言われたマリオは、ノワール伯爵を倒し世界を救う使命があるらしい。 ノワール伯爵には数名の部下がおり、「ディメーン」はそのうちの1人。 全部が黒くてもう最悪最低、ピエロの姿をしている。 伯爵に次ぐ魔法使いで、分身を始めとして”ディメ~ン空間”を作ったりもする。 伯爵は「世界を滅ぼした後理想的な新世界を作る」と部下達に言っていたのだが 実は世界の破滅のみを望んでいた事がわかり、密かに伯爵を裏切りマリオ達を助ける。 ディメーンは陰でうまく立ち回り、”コントンのラブパワー”を入手、 ラスボスの”スーパーディメーン”となるがマリオ達に倒された。 実はノワール伯爵は「ヤミの一族」のルミエールという男性。 過去にエマという女性と種族を超え恋仲になった。 エマがルミエールの父親の呪いによって行方不明となり、いくら探しても見つからなかったため、 世界を滅亡させようとした。 瀕死になったエマはデアールによって魂をフェアリンに移されアンナになった。 最後はアンナとなったエマと結婚し、コントンのラブパワーの力を消した後に エマともども消息不明になった。 99名前:スーパーペーパーマリオその1投稿日: 2008/09/27(土) 16 53 48 [ LBZP.2a6 ] アクセス規制でゲームサロン板に書けないためここに書かせていただきます。ここなら規制されても… ●用語解説● 「封印のヨゲン書」世界が滅びるまでの予言が書かれた本。その為いつしか「黒のヨゲン書」と呼ばれる。 「白のヨゲン書」滅びの予言に対抗する術が書かれた本。 「ピュアハート」世界の破滅を防ぐため、古代の民が作ったもの人を想う気持ちがあれば何度でも復活する。 「コントンのラブパワー」交わる事の無い2人(ピーチとクッパ)から生まれた黒いハート。 世界を滅ぼすほどの力を持つ。 ○プロローグ○ 再びピーチがさらわれたという知らせをキノピオから聞き、クッパ城へ駆けつけたマリオとルイージ。 しかしクッパは何も知らない様子。だがその時、ピーチをさらった人物「ノワール伯爵」が登場。 マリオは伯爵に立ち向かうも、逆に返り討ちに遭ってしまう。 そしてクッパと彼の部下、そしてルイージは伯爵によって異空間に吸い込まれてしまった。 目が覚めたマリオは突如現れた不思議なチョウチョ「アンナ」に導かれ、異次元の街「ハザマタウン」へ。 一方その頃、ピーチは何故か花嫁姿になっていた。そして目の前には花婿姿のクッパが。伯爵によって、 2人の結婚式が行われていた。伯爵の側近「ナスタシア」の催眠術でピーチが無理矢理誓いの言葉を言わされた その時、黒い不気味なハート「コントンのラブパワー」が誕生。式場が騒然とする中、 ルイージがピーチを助けようとするが式場もろとも吹き飛ばされてしまった。 コントンのラブパワーを手に入れた伯爵は、「次元の穴」を開き「黒のヨゲン書」の予言を実行し、 世界を滅ぼそうとする。 ハザマタウンにたどり着いたマリオは「デアール」という人物と出会う。 彼はマリオを「伝説の勇者」と認め、全部で8つある「ピュアハート」のうち一つをマリオに託す。 マリオはアンナに導かれ、ハメールストーンにピュアハートをはめ、 ハザマタワーに出現した赤い扉の向こうの世界へ… 100名前:スーパーペーパーマリオその2投稿日: 2008/09/27(土) 16 55 07 [ LBZP.2a6 ] ○ステージ1○ 「ラインラインランド」にたどり着いたマリオはアンナに言われたとおり、 次元仙人「ア・ゲール」から2Dと3Dの空間を行き来する「次元ワザ」を教わる。 マリオはこの次元ワザを使い、コダーイ村でフェアリン「トるナゲール」を仲間にし、先を進む。 途中、伯爵の部下「ドドンタス」を退け、2つ目のピュアハートが隠されているという 「コダーイ遺跡」へ。そこには巨大な機械竜「ズンババ」がいた。 彼はマリオを勇者と認識すると、ピュアハートのありかへ案内しようとする。 だがその時、突如現れた伯爵の部下「ディメーン」によってズンババは正気を失い、マリオに襲いかかる。 マリオはトるナゲールと共にズンババをを倒し、遺跡の奥で古代の民の一人「クリスタール」の霊に出会う。 長い話の末、マリオは彼女から2つ目のピュアハートを手に入れた。 101名前:スーパーペーパーマリオその3投稿日: 2008/09/27(土) 17 02 08 [ LBZP.2a6 ] ○ステージ2○ 2つ目のピュアハートを手に入れたマリオ達。3つ目のピュアハートを探しに行った。 次の舞台はトワイランドのサンデールの館。道中でフェアリン「ボムドッカん」を仲間にする。 館を探索するも、一行にサンデールは見つからず。途中、フェアリンの「キえマース」を仲間にする。 館の地下へとたどり着いたマリオ達の前にサンデールの幻が出現。 彼女は「私に気をつけなさい」と言い放ち、消えた… やっとサンデールに出会えたが、彼女はピュアハートを渡す代わりに1000万マネーを請求する。 マリオがこれを拒むとサンデールは正体を現す。なんと伯爵の部下、マネーラがサンデールに化けていた。 マネーラは蜘蛛のような姿に変身。 本物のサンデール曰く「魔法の力で守られているため、攻撃は一切効かない」とのこと。 マリオ達はマネーラから逃げつつ、女子トイレで本物のサンデールを発見した。 だが、マネーラはサンデールに化けてしまい、どっちが本物か分からなくなってしまった。 そこで2人のサンデールに色々な質問をし、本物のサンデールを当てた。 偽者のサンデール。つまりマネーラは再び蜘蛛の姿へと変貌し、マリオ達に襲いかかる。 サンデールの「魔法のおうえんパワー」でマネーラを守る魔法の力を打ち消し、マリオ達はマネーラに勝利。 無事、サンデールから3つ目のピュアハートを手に入れるのだった。 102名前:スーパーペーパーマリオその4投稿日: 2008/09/27(土) 17 04 46 [ LBZP.2a6 ] ○ステージ3○ 次の舞台はピクセランド。だが、カクカク平原で突如アンナが「カメレゴン」にさらわれてしまう。 茂みに隠れていたフェアリン「バーリやー」のアドバイスに従い、先へ進むとクッパの部下たちが潜む砦へ。 砦をボムドッカんで爆破すると、クッパが登場。襲いかかってきたクッパを倒し、マリオ達は彼を説得。 いずれ自分が支配する世界を守るため、クッパはマリオと一時的にてを組むことに。 一向はドットドット海でフェアリン「へびードン」を仲間にし、巨大な「ダイオーゲッソー」を倒し、 タイルタイルツリーへ。木のてっぺんでディメーンと戦い、勝利。 ディメーンは一人で「彼らにはもっとパワーアップをしてもらわないと」と呟き、その場を去る。 そしてカメレゴン城へたどり着いたマリオ達はフェアリン「ノッテこー」を仲間にし、カメレゴンの部屋へ。 カメレゴンを倒し、アンナを救出した瞬間、4つ目のピュアハートが出現した… 103名前:スーパーペーパーマリオその5投稿日: 2008/09/27(土) 17 06 29 [ LBZP.2a6 ] ○ステージ4○ 次の舞台はなんと宇宙!息が出来ず、先に進めないのでデアールに相談するとヘルメットが必要だと言われる。 しかし、ヘルメットが無いので代用品を探すことに。デアールの情報を頼りに、街の少年から金魚鉢を貰った。 鉢から金魚を逃がしたマリオ達は金魚鉢をヘルメットの代わりにし、大宇宙へと向かった。 途中、宇宙人の「タマラ」に出会う。彼に案内され、ピュアハートを探す一行だったが、 途中タマラがトイレに行きたがる。しかしトイレは使用中。 トイレの中の人に「紙が欲しい」と言われたマリオ達は惑星プラネーンの長老「ショボーン」から古文書を買い、 それをトイレの中の人に渡した。 トイレから出た人はフェアリンの「メクるルン」だった。彼を仲間にし、 更に先を進むと宇宙の墓場と言われる空間「サルガッゾーン」へ到着。タマラは真実を話す。 彼の正体は滅亡したタマラーン王国の王子「タマラ・コロガリーヌ・タマリン」。 母親がピュアハートをここに隠し、タマラは1500年間眠りについていたのだ。 タマラは5つ目のピュアハートをマリオ達に託し、眠りについた… 104名前:スーパーペーパーマリオその6投稿日: 2008/09/27(土) 17 13 58 [ LBZP.2a6 ] ○ステージ5○ 5つ目のピュアハートを手に入れた一行だったが、アンナが突如倒れてしまう。 とりあえず彼女をデアールの家に運ぶ。 デアールはアンナについて語る。アンナは元々フェアリンではなく、 何者かに呪いをかけられこの街に流れついた女性がデアールによってフェアリンとして転成した姿だと。 マリオ達は次のハメールストーンを探すため、もう一つのハザマタウン「ウラハザマタウン」へと向かう。 ウラハザマタウンでマリオ達はピュアハートをハメールストーンにはめ、ハザマタウンへ戻る。 ハザマタワーには元気になったアンナとデアールがいた。マリオ達はアンナと共に次の世界へ。 マリオ達が着いたのはロック人が暮らす「ストンストン村」。この村はハナーン達によって、 次々と住民を誘拐されているらしい。 居場所を探そうにも、どこから来ているのか分からない。マリオ達は長老に頼まれ、 ハナーン達を倒し村人を助ける事に。 途中、ドドンタスとディメーンが登場。マリオ達はディメーンによってパワーアップしたドドンタスを倒し、 3つの石版を集めてフェアリン「ハまハンマ」を仲間に。 ようやくハナーンの洞窟にたどり着いたマリオ達。そこにはロック人の冒険家「デビッド」がいた。 マリオ達は彼と共に、洞窟の先へと進む。 やがてハナーンに洗脳されていないロック人、そしてフェアリンと遭遇。 フェアリン「ミニみ」はマリオ達が勇者と気づくと、ロック人を小さくして逃がし、マリオ達の仲間になった。 その先で再びドドンタス、ディメーンと出会う。ディメーンはロック人達に付けられている芽を ドドンタスの頭に生やした。彼は暴走し、マリオ達に襲いかかる。マリオ達との戦いによって芽が外れ、 正気に戻ったドドンタス。彼は空腹を理由に、その場を去った。ドドンタスの頭についていた芽を付け、 セキュリティシステムをくぐりハナーンの神殿へ。そこにはロック人達をさらったハナーンの親玉 「キング・ハナーン」がいた。彼(彼女?)は宝石を採掘するため、ロック人をさらって洗脳していた。 王はマリオ達を汚い物と見下し、襲いかかえる。王を倒したその時、部下のハナーン達が駆けつける。 彼らはロック人達が川にゴミを捨てて水を汚し、汚れた水を飲んだせいで王はおかしくなってしまったと言う。 デビッドはその事を聞き、川を2度と汚さないと約束。 ハナーン達ははるか昔、古代の民たら預かった6つ目のピュアハートをマリオ達に託す。 デビッド達は洞窟を後にし、ロック人達は頭に付けられていた芽を外され村へ解放された。 105名前:スーパーペーパーマリオその7投稿日: 2008/09/27(土) 17 20 27 [ LBZP.2a6 ] ○ステージ6○ 一方、暗黒城では伯爵が出かけている間、全員待機するようにとのこと。 だが、ナスタシアが去った後ディメーンは「伯爵にバレないように出撃し、 手柄を立てれば伯爵は怒らないと考えては駄目だ」と言い、マネーラをそそのかした。 次の世界は和風の「モノノフ王国」。そこは崩壊がかなり進んでいた。 マリオ達はそこで王国の兵士「ブブドー」に襲われる。 彼を倒したその時、国王である「モノノフ王」が現れる。彼は兵士達を鍛えるため、武術大会を開いているのだった。 優勝賞品はピュアハート!かくして、マリオ達は立ちはだかるブブドー達を倒していった。 だが二十の間での戦闘を終えた後、ノワール伯爵が現れる。 アンナに世界を消し去る理由を聞かれた伯爵は「世の中に何の価値も無いから」と答える。 反論するアンナだが伯爵は聞く耳を持たず。伯爵が「エマの他に大切な者は何も無い」とつぶやくと、 アンナは「エマ」という言葉に動揺。伯爵は「この国はもうすぐ消滅する」と言い残し、国を去る。 国の危機を感じたブブドー達は、マリオ達を先に進ませてくれた。 二十六の間で王はピュアハートの入った宝箱をマリオ達に開けさせた。…だが、宝箱に入っていたのは爆弾。 王はマネーラが化けていた。彼女はマリオ達の足止めに来たのだ。何とかマネーラを退け、 王の所まで急ぐマリオ達だったが間に合わず、王国の消滅に巻き込まれてしまった。 気がつくとマリオ達はハザマタウンにいた。再び青い扉をくぐると、そこは何も無い真っ白な空間だった。 7つ目のピュアハートを手に入れたマリオ達。 106名前:スーパーペーパーマリオその7投稿日: 2008/09/27(土) 17 29 47 [ LBZP.2a6 ] ○ステージ7○ 壊れたピュアハートを直すため、デアールに相談するマリオ達。さすがのデアールも打つ手が無いらしい。 その時、ディメーンが現れた。ピュアハートを蘇らせる事は不可能と言い、マリオ達を消し去ってしまう。 マリオが気がつくと、そこは不気味な森。そこに居合わせた「モウジャー」によると、 ここは死者の国「アンダーランド」とのこと。 死者の魂であるモウジャーに言われ、マリオはアンダーランドを治める女王「ジャーデス」の所へ足を運んだ。 ジャーデスはマリオの犯した罪を調べようとしたが、おかしな反応を感じ、 マリオがピュアハートを持っている事に気づく。 その時、「スカイランド」の王「グランエル」からエルエル人の「ラブエル」が行方不明になったという連絡が入る。 ジャーデスはラブエルの捜索をマリオに頼み、壊れたピュアハートを調べるためにそれを預る。 途中、マリオはルイージと再会。そして2人でラブエルを探し出し、彼女を連れ戻した。 ジャーデスの所に戻ると、ジャーデスはピュアハートを直し、マリオとルイージをハザマタウンに戻すのだった。 7つ目のピュアハートを捧げた時、アンナは無意識のうちに「ルミエール」という言葉を口にし、戸惑うのだった。 紫色の扉をくぐった先はなんと先ほどのアンダーランド。ジャーデスも驚きを隠せない。 ジャーデスはラブエルをスカイランドへ連れて行くようマリオ達に頼む。 アンダーランドから脱走した魔物がはびこっているので、ラブエル一人で行かせるのは危険だと考えたからだ。 マリオ達はアンダーロードを通り、道中でクッパと再会。 アンダーロードを抜けた先は、青空がどこまでも広がる「スカイロード」。 ついにスカイランドに到着。だがそこは魔物に荒らされていた。 奥へ進むと、グランエルの側近「シロエル」と出会う。彼は虹の橋を落とされ、 橋を架けるにはアカエル、アオエル、キーエルの持つ3つの玉が必要だとマリオ達に教えた。 マリオ達は魔物に苦戦していたアカエル、氷漬けにされていたアオエル、魔物に怯え、 トイレに閉じこもっていたキーエルを救出し、3つの玉を集めて虹の橋を架け直すのだった。 途中、大量の魔物達に襲われるも、アカエルとエルエル人の軍政に協力によって、マリオ達はグランエルの神殿へ。 そこにはグランエルと魔物達の親玉「シニガミダス」がいた。彼の口から衝撃の一言が! 最後のピュアハートはラブエル自身だったのだ!! マリオ達はシニガミダスの身体から放たれる冷気に苦戦するも、何とか彼を倒す。 神殿にラブエルとグランエル。そしてジャーデスが駆けつける。 ジャーデスはラブエルに真実を話す。ラブエルは悪者に狙われないようにするため、 グランエルと一緒にピュアハートを変化させて生まれたと言う。 全てを知ったラブエルは、ジャーデスとグランエルに今まで叱られ続けた怒りを2人にぶつける。 グランエルは激怒。口論の末、ラブエルと仲直り。そして彼女はピュアハートに戻ったのだった。 グランエルは荒れたスカイランドを再建するため、残った魔物の捕獲に向かう。 ジャーデスはアンダーランドに戻っていった… 107名前:スーパーペーパーマリオその8投稿日: 2008/09/27(土) 17 50 54 [ LBZP.2a6 ] ●ステージ8(最終ステージ)● ハザマタワーへと戻ったマリオ達。 最後のピュアハートをウラハザマタウンに捧げ、ウラハザマタワーに出現した黒い扉へ向かう。 この扉は暗黒城へ繋がっている。デアールとウラデアールに見送られ、暗黒城へ。 城内には強力な敵と罠が待ち受けていた。マリオ達はそれを突破し、ドドンタスに遭遇。 クッパは彼に一人で立ち向かい、パワーアップしたドドンタスを打ち破る。 その時、落ちてきた天井から仲間を救うため、クッパが犠牲となる。 デアールに騙され、サンデールがマリオ達から聞き出した苦手な物を乗り越えたマリオ達。 奥にはサンデールがいたが、マネーラが化けていた。ピーチに卑怯な事をして 恥ずかしくないのかと言われたマネーラは逆ギレ。 キレたピーチは一人でマネーラに戦いを挑み勝利し、マリオとルイージは先へ進む。 その時、地震が起こって床が抜け、今度はピーチが犠牲に… マリオとルイージは力を合わせ、ディメーンの元へ。2人は彼と鬼ごっこをさせられる。 元の場所に戻ってきたマリオ達に、ディメーンはこう語る、ピーチを暗黒城から逃がしたのも、 ピュアハートを直すためマリオとルイージをアンダーランドに送ったのも全てディメーンがやった事だと。 ディメーンは言葉巧みにマリオ達に協力を求めるが、マリオ達はこれを断る。 独り残されたマリオは、更に奥へと進み、ついに伯爵の元へとたどり着つく。 再び伯爵に挑むマリオだが、コントンのラブパワーに守られている伯爵には一切の攻撃が効かない。 伯爵がとどめを刺そうとしたその時、散ったはずの仲間たちが駆けつけてきた。 その時、4人の勇者の身体が光り、ピュアハートが伯爵のバリアを打ち砕く。激しい戦いの末、 マリオ達はノワール伯爵に勝利する。 アンナはなぜこんな事になったのかを伯爵に問い詰める。 ノワール伯爵ことルミエールは、アンナ(エマ)がいなくなり、長い間彼女を探し続けたが見つからず。 ルミエールはエマのいない世界に絶望し、黒のヨゲン書を使い世界を滅ぼすことにしたと言う。 消えてしまったエマにこの世界を捧げるために。その時光の弾が伯爵を襲うも、ナスタシアが伯爵を庇う。 マリオ達の前にディメーンが現れる。彼は伯爵を倒すのにピュアハートが必要なので、 マリオ達を代わりに戦わせていたとのこと。コントンのラブパワーの力を得て 「スーパーディメーン」となったディメーンは、今の世界を滅ぼし新しい完璧な世界を作り、 新世界の王になると宣言。 最終決戦が始まった。マリオ達はディメーンに立ち向かうも、歯が立たず。 ディメーンの空間に閉じ込められた伯爵とアンナ。絶望する伯爵をアンナ、 そして駆けつけたドドンタスとマネーラが激励する。 その時、伯爵との戦いで使い果たしたはずのピュアハートが復活。 アンナは復活したピュアハートをマリオ達に届け、ディメーンの無敵の力を封じた。 激しい戦いの末、マリオはディメーンに勝利。 108名前:スーパーペーパーマリオその9投稿日: 2008/09/27(土) 17 57 20 [ LBZP.2a6 ] ●エピローグ● コントンのラブパワーの力を得た自分が負けた事に納得が行かないディメーンは消滅。 だが、世界の崩壊は止まらなかった。ディメーンがコントンのラブパワーに力を与えたからだ。 そこで伯爵はマリオ達を結婚式場まで案内。伯爵は自身の過ちを清算するためにエマと愛を誓い、 ピュアハートを復活させてコントンのラブパワーを消し去る。 そして、滅んだ世界は次々と再生していった。 気がつくとマリオ達はハザマタワーに。そして、滅びの予言が消えた事により、次元の穴が閉じた。 アンナがいなくなった事に気づいたデアールに、マリオは暗黒城で起こった事を彼に話す。 デアールはアンナと伯爵は予言と共に消えたのではないかと言うが、ナスタシアはこれを否定。 伯爵とエマは幸せになったと言い、号泣。ドドンタスとマネーラに慰められ、すぐさま泣き止む。 ナスタシアは誰もが同じように人を愛せる自由で争いの無い世界を皆で作る事を決意した。 マリオ達は旅の疲れを癒しにドロシーの店に向かう。その時「アンナは幸せになれたのか」と尋ねた。 もちろんと答え、2人もまた、料理屋へと向かった。 こうして世界に平和が戻り、黒のヨゲン書は歴史の影に封印された。 黒のヨゲン書の最後の持ち主となったルミエールはエマと共に何処かへと消えた… おわり
https://w.atwiki.jp/dcd10/pages/1062.html
【種別】 必殺技 仮面ライダーアマゾン 【用語】 スーパー大切断 【よみがな】 すーぱーだいせつだん 【登場話】 第29話 ファイナルアタックライド アマゾンで発動する仮面ライダーアマゾンの最大必殺技。 ギギの腕輪とガガの腕輪を同時に装備することで発生する超古代文明のパワーを込めて相手を切りつける。 スーパー大切断で倒された怪人 倒した怪人 分類 使用話 十面鬼ユム・キミル ゲドン 第29話 【関連するページ】 ガガの腕輪 ファイナルアタックライド ファイナルアタックライド アマゾン 仮面ライダーアマゾン 仮面ライダーディケイド コンプリートフォーム 必殺技
https://w.atwiki.jp/retrogamewiki/pages/5936.html
今日 - 合計 - スーパー競馬の攻略ページ 目次 基本情報 [部分編集] ストーリー [部分編集] 攻略情報 [部分編集] Tips [部分編集] プチ情報 [部分編集] 関連動画 [部分編集] 参考文献、参考サイト [部分編集] 感想・レビュー 基本情報 [部分編集] ストーリー [部分編集] 攻略情報 [部分編集] Tips [部分編集] プチ情報 [部分編集] 関連動画 [部分編集] 参考文献、参考サイト [部分編集] 感想・レビュー 名前 コメント 選択肢 投票 役に立った (0) 2012年10月09日 (火) 16時05分51秒 [部分編集] ページごとのメニューの編集はこちらの部分編集から行ってください [部分編集] 編集に関して
https://w.atwiki.jp/choroqmotoneta/pages/645.html
スーパー4WD チョロQ2に登場するライバルの一台。 通常のレース・ワールドグランプリ・スーパーグランプリ・旧コースに参加している。 ボディはダークレッドの三菱・パジェロ。 名前 コメント