約 3,211,970 件
https://w.atwiki.jp/medadictionary/pages/1281.html
スペイン代表チーム 登場作品 アニメ版メダロット スペイン代表チーム チーム概要 アニメ第1作にのみ登場する、ロボトル世界大会出場チーム。 スウェーデン代表チームが第4回戦で対戦した。 チーム概要 優勝候補の一角。 特にリーダーのシャモジールは前回の世界大会(第10話で再放送があった)では、ヴィクトルと決勝を争ったツワモノ。 …の筈だったのだが、今大会ではスウェーデン代表チームに手玉にとられ、すっかり形無しとなっている。 レッドマタドール3機の編成は放送当時の最新作、メダロット2でのスペックを鑑みると、本来優勝してもおかしくなさそうなチーム。 もっとも今や、様々なメターー有利に立てる要素があるため、それも怪しい。 ちなみに2023年時点での最新作、メダロットSでは、マルガリータのファンシーロールはガードを解除出来るウィルスや、ガード回数を3回消費させられる乱撃特性を備えたナパームを使用する。 シェリーのセーラーメイツもまた、乱撃特性を備えたガトリングを使用する。 そのため、レッドマタドールのガードを崩しやすく、勝機が無いとは言い切れないのだ。
https://w.atwiki.jp/kuniodb/pages/2060.html
きほん じょうほう しゅーとタイプ いろかえ しゅーと印 ス POW/SPINタイプ ちょつよ/よわい くわしく スペインっぽい ぎょうしゅくだま ぎょうしゅくだまと たいさ なし らんく POW数値 SPIN数値 にゅうしゅ ばしょ SSS 125 +34~43 110 +31~40 SS 125 +30~38 110 +27~35 S 125 +26~33 110 +23~30 No.03ふくびき A 125 +22~28 110 +19~25 B 125 +18~23 110 +15~20 C 125 +14~18 110 +11~15 けっしょう D 125 +10~13 110 +7~10 ※POW,SPIN数値は暫定値 そのた じょうほう このページを編集 コメント 名前 すべてのコメントをみる タグ:'いろかえ' 'しゅーと' '頭文字す'
https://w.atwiki.jp/websakahokan/pages/266.html
※画像クリックで詳細 獲得アイテム 肩書き ガリシアの魔術師 タイプ ゲームメーカー 国籍 スペイン ポジション MF モデル ファン・カルロス・ヴァレロン ヴァン・ロベルト・ケイロン 彼のプレイに心を奪われるサッカーファンは数多く存在する。その独特のタイミングでDFを抜き去るドリブル、芸術的キラーパス、彼がボールを持つとその後の展開は予測不可能である。控えめな性格から自らシュートを放つことは少なく、イエローをもらうことも皆無だ。プライベートでは恵まれない地域へサッカーを広める活動もしており、誰にでも好かれる好人物であることは間違いない。
https://w.atwiki.jp/gramaticaespanola/pages/18.html
動詞構文編 この編で学習すること 動詞構文というのは、動詞を用いて少し複雑な形を用いて、動詞1語では表せない意味を表そうとするものです。 英語などのほかの言語にあるものも、スペイン語独自のものもあります。 この編では、基本的な動詞の構文を学習し、スペイン語の動詞の理解をより深めます。 目次 第12課 再帰動詞 第13課 主客逆転動詞 第14課 受動態 第15課 seを用いた構文 第16課 分詞構文 第17課 特別な動詞句
https://w.atwiki.jp/sakatsukuds2010/pages/268.html
シリーズ名 大会名 難易度 賞金 1位 2位 3位 開放 ???? ???? 万円 - 万円 - 万円 - 万円 - ???? ???? 万円 - 万円 - 万円 - レジェンドシリーズ コポドレイ ★★★☆☆☆★★ 40億0000万円 - コパピベデオロ ★★★☆☆☆★ 30億0000万円 - カイザーシリーズ カイザーポーカル ★★★☆☆☆★ 30億0000万円 - フリーヘンデベケル ★★★☆☆☆★ 25億0000万円 - シャンパーニュシリーズ クープドゥシャンパーニュ ★★★☆☆☆★ 30億0000万円 - ブラックスパイダーカップ ★★★☆☆☆★ 25億0000万円 - ヨーロッパチャンピオンシリーズ ヨーロッパクラブチャンピオンシップ ★★★☆☆☆ 20億0000万円 - ヨーロッパウィナーズカップ ★★★☆☆☆ 14億0000万円 - ヨーロッパスペシャルカップ ★★★☆☆ 10億0000万円 - キングスシリーズ ヴィクトリーズカップ ★★★☆☆☆ 15億0000万円 - ドラゴンカップ ★★★☆☆ 12億0000万円 - ダイナソーカップ ★★★☆☆ 10億0000万円 - アメリカチャンピオンシリーズ アメリカクラブチャンピオンシップ ★★★☆☆ 17億0000万円 - コパラプラタ ★★★☆☆ 12億0000万円 - アメリカウィナーズカップ ★★★☆ 9億0000万円 - パンアメリカチャレンジカップ ★★★☆ 6億0000万円 - ヨーロッパプライムシリーズ ヨーロッパプライムカップ ★★★☆☆ 13億0000万円 - ヨーロッパプライムリーグ ★★★☆ 8億0000万円 - ヨーロッパチャレンジシリーズ ヨーロッパスーパーリーグ ★★★☆☆ 10億0000万円 - ヨーロッパゴールドチャレンジカップ ★★★☆ 7億0000万円 - ヨーロッパシルバーチャレンジカップ ★★★ 3億5000万円 - アフリカチャンピオンシリーズ アフリカクラブチャンピオンシップ ★★★☆☆ 15億0000万円 - アフリカナショナルカップ ★★★☆☆ 12億0000万円 - アフリカスーパーリーグ ★★★☆ 8億0000万円 - スペインシリーズ スペインカップ ★★★☆☆ 12億0000万円 - スペインウィナーズリーグ ★★★☆ 9億0000万円 - マドリードカップ ★★★☆ 6億0000万円 - スペインフレンドシップシリーズ スペインフレンドシップカップ ★★★☆ 7億0000万円 - スペインフレンドシップリーグ ★★★☆ 5億0000万円 - 北半球シリーズ ノーザンコンチネンタルカップ ★★★☆☆ 9億0000万円 - ノースセントラルアメリカカップ ★★★☆ 6億5000万円 - ヨーロッパトライアルカップ ★★★ 4億0000万円 - 南半球シリーズ サウザンコンチネンタルカップ ★★★☆☆ 8億0000万円 - アフリカトライアルカップ ★★★☆ 6億0000万円 - アジアチャレンジカップ ★★★ 3億5000万円 - 西アフリカシリーズ ウェスタンアフリカカップ ★★★☆ 5億0000万円 - スペインチャレンジカップ ★★★ 2億8000万円 - 東ヨーロッパシリーズ イースタンヨーロッパカップ ★★★☆ 5億0000万円 - スペイントライアルリーグ ★★★ 2億5000万円 - ワールドスプリングシリーズ ワールドスプリングツアー ★★★☆ 6億0000万円 - ヨーロッパスプリングカップ ★★★ 3億0000万円 - ワールドウィンターシリーズ ワールドウィンターツアー ★★★☆ 5億0000万円 - ヨーロッパウィンターリーグ ★★★ 2億8000万円 - ワールドオータムシリーズ ワールドオータムツアー ★★★ 3億0000万円 - アメリカオータムカップ ★★★ 2億5000万円 - ワールドサマーシリーズ ワールドサマーツアー ★★★ 2億5000万円 - アジアアフリカサマーリーグ ★★ 2億0000万円 - スペインローカルシリーズ スペインローカルリーグ ★★★ 3億0000万円 - スペインローカルカップ ★★ 2億0000万円 - ???? ???? 万円 - 万円 - ???? ???? 万円 - 万円 - スペインリーグ スペインリーグ ★★★☆ 10億0000万円 -
https://w.atwiki.jp/spanish/pages/2.html
メニュー トップページ はじめに 発音 基本表現 ser動詞 名詞の性・数 形容詞 冠詞 疑問文・否定文 規則動詞 所有語と指示語 hayの用法 前置詞 重要不規則動詞 助動詞poder 語根母音変化動詞 直接・間接目的語 数字・時間・日付など 不定詞の用法 gustarの用法 再帰動詞 点過去 線過去 未来形 命令形 比較 関係代名詞que 過去未来形 現在分詞・過去分詞 受動態 現在完了 過去完了・未来完了・過去未来完了 接続法現在・過去 仮定法 リンク・コメント コメント欄 スペイン語(wikipedia)
https://w.atwiki.jp/alonsodeleyva/pages/35.html
ガレオン船「サンティアゴ号」水夫たち ガレー船「サン・サルヴァドール号」…ビセンテは航海長 エル・エスコリアル宮殿王フェリペ2世の家族 王フェリペ2世の腹心(♥) 宮廷内の人々 検邪聖省 マドリッドデスカルサス・レアレス修道院 宿「花冠亭」 リスボン(スペイン領ポルトガル)海軍本部 アルマダ海戦の頭脳 アルマダ海戦のテルシオス(精鋭スペイン陸軍) その他 パストラーナ(エボリ大公夫人の息子パストラーナ公爵ルイスの公爵領)アビラ(パストラーナ近くの大きな街) フランドル(スペイン領ネーデルラント)総督邸(アントウェルペン/アントワープ) アントウェルペン/アントワープ サヴォア公国(サヴォイア公国)貿易商の老舗「バンベリーニ商会」 お名前だけ登場 ※あ…「アルマダの海戦」のこと。?は本文に明記されてない史実。 ガレオン船「サンティアゴ号」 ビセンテ【誕生日:1月22日(本当は1月21日)、年齢:25歳、身長:5.8ft(177cm)、体重:156lb(71kg)】 ●ビセンテ・デ・サンティリャーナ(ビセンテ・デ・メンドーサ、ヴィンセント)…船長(マエストロ)、海軍将校 【大川透】 レイノサ 出身 漆黒の髪にエメラルド色の瞳。誰もが認める美貌の持ち主。一途に思い込む生真面目さで、祖国スペインに忠誠を誓う誇り高き男。けっこう短気。訛りのない英語を話す。 メンドーサ家 の本家筋だが傍流のため貧乏。財と権力を得るため手柄を立てようと危険な敵地をかけずり回っている。 ●マリア…(1巻P78)ビセンテの妹 家が貧しくて良い医者に診せられず、風邪をこじらせて死亡。ビセンテのロザリオにはマリアが愛用していたリボンが結んである。 ●ミゲル…(1巻P78)ビセンテの父親 レオ【誕生日:4月5日、年齢:15歳(見た目は13歳)、身長:5.2ft(159cm)、体重:101lb(46kg)】 ●レオ(レオナルド・バレーラ)…ビセンテの小姓 【宮田幸季】 レイノサ出身 蜂蜜のような金髪に空色の瞳。小柄な美少年。勇敢で責任感が強い、形は幼くとも漢の中の漢。子供扱いされると誇りを傷つけられる。一人前のスペイン軍人になるため、同郷のビセンテを頼った。 ●マルセーラ…レオの母親。 ●父親(名前不明)…ネーデルラント反乱の戦いで戦死。 水夫たち ●ディエゴ・ペレス…副船長 【樋口智透】 王フェリペ2世がビセンテの目付け役として派遣。聖ニコラス(海難救護の聖人)のメダルを首に下げている。 ●サンチョ・アルバレス…水夫長 【佐藤拓也】 ●パブロ・エスコバル神父…従軍神父&船医 【岡和男】 迷信に凝り固まったフランシスコ会「改革派」の僧侶。以前はセゴビアの異端審問所でカリフィカドール(審査の補佐)の助手を勤めていた。 ※スペインでは艦船に聖職者を乗せる義務がある。 ●フリオ… バスク人 の水夫 【???】 ビルバオ 出身 幽霊船を心底恐れている。 ※アパレシード(スペイン語:aparecida)…で、でたあ。aparecer(出現する)の過去分詞形。 ●パコ…水夫 ガレー船「サン・サルヴァドール号」…ビセンテは航海長 ●アロンソ・デ・ルイス(ルイス提督)…船長、ビセンテの上官→あサン・マルティン号の艦長 (第1巻P80)名誉を重んじ、サー・フランシスも「敵ながらあっぱれ」と思う程の男。内陸出身のビセンテを優れた船乗りに育て上げた。ビセンテ曰くもう少し身分が高ければ彼がサンタ・クルズ侯爵の後継者となっていた。 エル・エスコリアル宮殿 スペイン王フェリペ2世とイングランド女王メアリー1世 ■ 王フェリペ2世(在位:1556-1598年)…スペインの国王 【中田譲治】 (1527-1598年) 烈々なカトリック教徒。繊細な感受性を持ちながら、鋭い洞察力で汚れた騙し合いに進んで身を投じる「慎重王」。数々の難題を「情報・熟考・孤高」で乗り切る。 歴史では:中央集権体制を整え、宮殿に籠って政務に専念し、家臣からの報告書に基づいて政策を組み立てた。宮廷もバリャドリッドから真ん中のマドリードに遷都。 +王フェリペ2世をとりまく状況 イタリアは俺のもの!フランスと大喧嘩(1521-1544年:イタリア戦争) 父カルロス1世の領土はフランスを包囲。ビクビクのフランスは突破できそうなイタリアを攻撃しました。 なんやかんやでイングランドも巻き込んでスペインの勝利。 1559年ぼろ負けのフランスがイタリアへの権利を放棄する「カトー・カンブレジ条約」で完全終結します。 wikipedia 娘イサベル・クララ・エウヘニア、王妃イサベル・デ・バロイス、娘カタリーナ・ミカエラ・デ・アウストリア 王フェリペ2世は「カトー・カンブレジ条約」でイサベル・デ・バロイス(フランス王アンリ2世の娘)と結婚しました。 イサベルはもともとカルロス殿下(王フェリペ2世の息子)の婚約者。 地中海は俺のもの!オスマン帝国(トルコ)と大喧嘩(1571年:レパント海戦) キプロス島(ヴェネツィア共和国領)にオスマン帝国が侵攻。スペインはイタリア軍団と一緒に徹底抗戦しました。 なんやかんやでスペインの勝利。 とーっても強いオスマン帝国に勝てたのはすっごいコト。実はオスマン帝国の作戦ミスだけど勝ちは勝ちです♥ wikipedia ドン・ファン サンタ・クルズ侯爵 ミゲル・デ・セルバンテス ドン・ファン・デ・アウストリア (王フェリペ2世の異母弟)は 神聖同盟 の総司令官(1番エライ人)です。 サンタ・クルズ侯爵は指揮官。 ミゲル・デ・セルバンテスは左手が不自由になるほど負傷しました。 「太陽の沈まぬ帝国」 1556年父カルロス1世からヨーロッパ・アフリカ・アメリカの領土を継承。その後ポルトガル・アジア・南米も追加します。 スペインに金銀と砂糖(アメリカ・南米)、香料(アジア)、奴隷(アフリカ)が運ばれてホクホク。 ちなみに インディアス艦隊 (ビセンテのお仕事♥)が運んでくる大量の金銀はヨーロッパをインフレにしてます( 価格革命 )。 wikipedia スペインとポルトガルの貿易ルート(16世紀) 「太陽の沈まぬ帝国」はお貧乏 父カルロス1世は 神聖ローマ皇帝の選挙 の懐柔工作資金に莫大なお金(スペインの国家予算5年分)を投入しました。 おまけに戦争、戦争、…でますます出費。 王フェリペ2世は領土と一緒に膨大な借金も継承してます。実は「太陽の沈まぬ帝国」ってお貧乏なの。 サン・ジョルジョ銀行 (1407-1805年:ジェノヴァ共和国) 王フェリペ2世も戦争、戦争、…そこに「 ネーデルラントの反乱 」も始まってますます軍事費が増加します。 新大陸から運ばれてくる富も焼け石に水。 Timothy R Walton著「The Spanish Tresure Fleets」(1994年)によると1590年に運ばれてきた富1,100万ペソのうち wikipedia フランスへ(輸入代:200万ペソ) イタリアへ(輸入代・軍事費:600万ペソ(対ネーデルラント:250万ペソ、対オスマン帝国:100万ペソ) アジアへ(維持費?:150万ペソ) 軍事費の増加はイタリア銀行から借金しても足りません。 ってことで、王フェリペ2世は在位中に4回も 破産宣告 (1557年、1560年、1575年、1596年)。 フッガー家 …父親に選挙資金を融資した御用銀行、鉱山も経営。破産宣告と安い新大陸の銀のせいで没落。 ジェノヴァ共和国 …スペインの海外遠征に融資する新参銀行。第1回破産宣告してからは、新大陸の銀を担保にすることで融資継続。 離縁していただきます!ネーデルラントが反乱(1568-1648年:八十年戦争) 熱烈なカトリック教徒でお貧乏な王フェリペ2世はネーデルラントに厳しいプロテスタント弾圧と増税を課しました。 これにネーデルラントがキレて反乱勃発。 南部はパルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼが制圧、北部7州はユトレヒト同盟を組んで徹底抗戦中です。 wikipedia 作者不明「Queen Elizabeth I Feeds the Dutch Cow」(1585年頃) 目障りなイングランド イングランド女王メアリー1世と結婚したけど子供ナシで乗っ取り失敗(イングランド共同統治は結婚中のみ)。ちっ! それならばと女王エリザベス1世に求婚したけど拒絶されて乗っ取り失敗。ちっ! イングランドは英国国教会、ネーデルラントを支援、新大陸の輸送船を襲撃、…こうなったら潰しちゃおうかなぁって考えてます。 wikipedia スペイン無敵艦隊(映画「 Elizabeth:The Golden Age 」) 王フェリペ2世の家族 父カルロス1世と母イサベル・デ・ポルトゥガル ■ 王カルロス1世、神聖ローマ皇帝カール5世…王フェリペ2世の父親 (1500–1558年) ■ 王妃イサベル・デ・ポルトゥガル・イ・アラゴン…王フェリペ2世の母親 (1503–1539年) 異母弟ドン・ファン ■ ファン王子(ドン・ファン・デ・アウストリア)…王フェリペ2世の異母弟、元ネーデルラント総督 (1547-発疹チフス:1578年) (4巻P22)王カルロス1世(王フェリペ2世の父親)の庶子。レパント海戦など数々の戦いで武名を馳せた。 息子カルロス殿下と息子フェリペ王子 ■ カルロス殿下(ドン・カルロス・デ・アウストリア)…王フェリペ2世の息子 (1545-牢死:1568年) (4巻P33)階段から落ちて頭を怪我してから行動がおかしくなり、父親に殺されると思い込んでネーデルランドへの逃亡を計画。バレて独房に監禁。 ■ フェリペ王子…王フェリペ2世の愛息子 (1578-1621年) (10巻P161)次のスペイン王フェリペ3世(在位:1598-1621年)。生まれつき病弱で、スペイン帝国を担うにはいささか力不足な「怠惰王」。 王フェリペ2世の腹心(♥) アロンソ【誕生日:6月24日、年齢:32歳、身長:5.74ft(175cm)、体重:149lb(68kg)】 ■ ♥アロンソ・デ・レイバ…陸軍将校、ミラノ守備隊長の息子、リオハの領主 【遊佐浩二】 (1544-1588年) イタリア出身 淡褐色に近い金髪に褐色の瞳。ジェフリー似の美男子。王フェリペ2世の1番のお気に入り。 数々の戦いで華やかな武勲をたて、如才なく社交界を生きるスペイン全土のアイドルだが、決して傲らず惑わされない。 歴史では:アイルランドの出来事は【海戦】アルマダの海戦をどうぞ。 ●トマーソ・モントーヤ…父親の代からレイバ家に仕える従者。新婚さん。 ●マルティン・デ・ゴメス…アロンソの副官 【千葉一伸】 代々レイバ家に仕える従者。アロンソとは幼なじみで理解者。 ●エンリケ…従者 ■ ♥サンティリャーナ侯爵…ビセンテの伯父(宮殿での省略型) 【木村雅史】 ビセンテ曰く鈍感な男。誰しもが不可能と思うメアリー・スチュアート救出作戦にビセンテを隊長として据えた。 ● インファンタード公爵…サンティリャーナ侯爵の父親、メンドーサ家の本家筋。 ■ ♥ホセ・デ・シグエンサ…王フェリペ2世の贖罪神父、図書館の室長 【間宮康弘】 (1544-1606年) ■ ♥マテオ・ヴァスケス…王フェリペ2世の秘書官 【大原崇】 (1542-1591年) 宮廷内の人々 ●ペドロ・デ・パチェコ…王フェリペ2世の近衛隊 近衛隊員の中でも特に忠実。 ●セバスティアン修道士…リスボンのヒエロニムス会。モンセラートの聖母巡礼中に宿坊を借りた。 検邪聖省 ●ペドロ・デ・サラテ…マドリードのスプレマ(最高異端審問会議)から派遣された審問官 【岡野浩介】 トレドの異端審問所出身の選り抜き。 ■ キローガ枢機卿…マドリードのスプレマから派遣された審問官 マドリードのスプレマ長官。 マドリッド フェリア公爵夫人 ■ フェリア公爵夫人ジェーン・ドーマー…サンティリャーナ侯爵の妹の姑 (1538–1612年) イングランド出身 ビセンテにイングランドの英語や習慣を教えた先生。 歴史では:イングランド女王メアリー1世の侍女。王フェリペ2世とメアリー1世の婚姻に陪臣としてイングランドに同行したフェリア公爵に見初められ1558年結婚。イングランドのカトリック亡命者を助けている。夫は1571年死亡。 デスカルサス・レアレス修道院 ■ マリア・デ・アブスブルゴ…王フェリペ2世の妹 (1528-1603年) ビセンテにフランシスコ会の動向を提供。 歴史では:1548年オーストリアの神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世と結婚。夫の死後、1582年スペインへ帰国。 ●アリェンデ…マリアの聴罪神父、フランシスコ会のエライ人 娘イサベル・クララ・エウヘニア、王妃イサベル・デ・バロイス、娘カタリーナ・ミカエラ・デ・アウストリア ■ イサベル・クララ・エウヘニア…王フェリペ2世の愛娘 (1566-1633年) 母親譲りの黒い瞳は、宮廷の男達が魅了されるのを恐れるほどの美しさで有名。 歴史では:スペイン語しか話せない父親をずっと補佐。1601年ネーデルラントの総督となり、彼女が統治している間は「ネーデルラントの黄金時代」。 ■ 王妃イサベル・デ・バロイス…王フェリペ2世の3番目の妻、イサベルの母親 (1545-産褥死:1568年) フランス出身 (10巻P159)フランス王アンリ3世(三アンリの一人)の姉。イサベルが天然痘にかかったとき、王フェリペ2世はずっと付き添うほどのオシドリ夫婦。 宿「花冠亭」 ●蛇ミゲル(=ネタバレ 表示 二重間諜の元締めラウル。ホントの蛇はラウルの部下パブロ。 )…サー・フランシスの間諜(蛇)、イエズス会の修道士 ネーデルラント出身の新教徒。どこぞの遣り手ババアな金額でイングランドに協力。 ※本文ではただのミゲルです。他にもミゲルがいっぱい登場するので、区別するために蛇ミゲルと書きました。 リスボン(スペイン領ポルトガル) 海軍本部 サンタ・クルズ侯爵 ■ サンタ・クルズ侯爵アルバロ・デ・バサン…海軍総司令官 【丸山詠二】 (1526-1588年) グラナダ出身ナポリ出身 数々の軍功をたてた「スペイン海軍の父」。イングランドがスペインに重大な脅威を与えると王フェリペ2世にアルマダ海戦を提案。 自分の死を予言した海斗を「死に神」と呼ぶ。 歴史では:1582年 ポンタ・デルガダの海戦 で「イングランドがスペイン帝国に重大な脅威を与える」と認識。1583年8月9日王フェリペ2世への手紙の中に「 アルマダ海戦 の提案」を書いた。 ●ミゲル・カサージャ…スペイン商船「ラ・ステラ・マリス号」の船長→サンタ・クルズ侯爵の個人秘書 【松本保典】 ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)からコチニールを輸送中、カナリア諸島で「グローリア号」に拿捕された。 ●ロレンソ・カサージャ神父…セリビアのフランシスコ会士、ミゲル・カサージャの従兄。 ●ディエゴ・ダ・シルバ…(第4巻P18)海軍本部の待合室にいた人。 ラウル【誕生日:9月2日、年齢:30歳、身長:5.3ft(162cm)、体重:110lb(50kg)】 ●ラウル・アルバレス・デ・トレド・イ・ファルネーゼ…イエズス会の修道士、サンタ・クルズ侯爵の顧問 【近藤隆】 カセレス 出身 褐色の髪に淡い褐色の瞳。少女と見まがう美しい容姿で、おっそろしい切れ者。パルマ公と王フェリペ2世の間諜。父方(アルバ公の一門)はナポリ副王、母方(パルマ公の一門)はイタリア大公を勤めた家柄。 ●ミゲル…ラウルの兄 +スペイン人のお名前 スペイン人のお名前は名(洗礼名)の後に2つの姓が続きます。1番目は父親の「1番目の姓」2番目は母親の「1番目の姓」。 21世紀は父母の順番を逆に命名してもオケ。 長いから普段は2番目を省略して名乗ってもオケ。ただし公式での省略は不可です。 wikipedia ラウル(単純名/複合名) デ(~の) トレド(父親の姓) イ(~と) ファルネーゼ(母親の姓) ↓ 父親「トレド家」と母親「ファルネーゼ家」の子供「ラウル」 トレド家(またはアルバレス・デ・トレド家)ってなに? トレド家は13世紀 カスティーリャ王朝 に誕生したスペイン貴族です。1085年から連続で トレド 市長に就任。 大勢の一族が グランデ をゲト。 F&Bに登場する元ネーデルラント総督アルバ公 フェルナンド・アルバレス・デ・トレド (1507–1582年)もトレド家です。 wikipedia ファルネーゼ家ってなに? ファルネーゼ家は984年頃に誕生したルネサンス・イタリアの名門貴族です。所有するFarneti 要塞 から命名したっぽい。 15世紀 コンドッティエーレ(傭兵隊長) だった Ranuccio Farnese il Vecchio (1390–1450年)から台頭。 F&Bに登場するネーデルラント総督パルマ公 アレッサンドロ・ファルネーゼ (1545–1592年)もファルネーゼ家です。 wikipedia ネーデルラント総督パルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼと母親パルマ公妃マルゲリータ・ダウストリア(王フェリペ2世の異母姉) ●ホルヘ…ラウルの奴隷 【宮下栄治】 東欧出身 子供の頃にトルコの海賊にさらわれ奴隷となり、乗っていた船がスペイン海軍に捕獲されてラウルに買われた。妻は病死。 ●マヌエル…ラウルの奴隷、ホルヘの息子 ヤン【誕生日:12月25日、年齢:42歳、身長:6.23ft(190cm)、体重:176lb(80kg)】 ●ファン・グリフス(ヤン・グリフュス、ミニュ、ミニア)…ラウルの部下 【三宅健太】 アントウェルペン 出身 淡い黄金の髪に碧瞳。右の首筋に「SI(エス・クラーボ:奴隷」の焼印がある。リスボンのドックで船大工として働き「サンティアゴ号」を設計。以前イングランドで働いていたので、訛りのない英語を話す。 ●妻(名前不明)…ファンの妻 ブリストル 在住(イングランド) ●父親(名前不明)…ファンの父親 腕の良い船大工だったが、八十年戦争で故郷を焼き出されアムステルダムで死亡。スペイン商船「デ・ギースト号」は最後の建造船。 ミゲル・デ・セルバンテスとドン・キホーテ(風車に突進のシーン) ■ ミゲル・デ・セルバンテス…作家 【上田燿司】 (1547-1616年4月23日) スペイン軍の伝統ある歩兵部隊に所属し、レパント海戦で左手の自由を失う。が、いつだって前向き。アルマダ海戦で役に立ちたいとサンタ・クルズ侯爵を訪ねた。 歴史では:1571年レパント海戦で本国へ帰還中、バルバリア海賊に襲われて5年間虜囚となった。アルマダ海戦後に「 ドン・キホーテ 」(1605年:前編、1615年:後編)を著す。 アルマダ海戦の頭脳 メディナ・シドーニア公爵とエボリ大公夫人 ■ メディナ・シドーニア公爵アロンソ・ペレス・デ・グスマン…行政官、カディスの領主→あ艦隊総司令官 (1550-1615年) (1巻P101)陸軍で名を成した、温厚で優れた行政官。サンタ・クルズ侯爵の急死により後任として総司令官に任命される。 歴史では:陸将のため海戦に疎いと別人を推薦したが、王フェリペ2世は高位名門出身者がふさわしいと却下。アルマダ海戦では、メディナ・シドーニア公を含む本隊は比較的順調に帰国。 +大聖堂での占い(ネタバレ) 攻撃すべき時にためらい、幕僚の意見を聞き流し、みすみす勝機を逃す。彼の指揮により惨敗。 ※プリマス港やワイト島で攻撃のチャンスがありながら「だって王様に命令されてないもん」と提案却下してるみたいです。 プリマス港の時…上げ潮(潮流が海→陸)だから港内で投錨中のイングランド不利、港外のスペイン有利の状況。 ワイト島の時…イングランドは砲弾も食料も不足してて戦っても勝てない状況。 王フェリペ2世の対策 アロンソ・デ・ルイスをメディナ・シドーニア公の乗る旗艦艦長に据える。ビセンテは航海長としてメディナ・シドーニア公を監視、もし命令違反した場合はヤってよし。 ■ アナ…メディナ・シドーニア公の妻、エボリ大公夫人の娘 (1560-1610年) (11巻P172)4歳でメディナ・シドーニア公と婚約。1572年ローマ教皇が「 結婚 」を許可。 ■ アスコリ大公アントニオ・デ・レイバ…アロンソ・デ・レイバの親戚→あ王フェリペ2世とパルマ公の連絡係 大貴族の2代目を継いだアホアホ。王室礼拝堂で痴漢したアホアホ。仲間はカルピオ候、カスタネダ伯、ルイス・コルドバ。パルマ公とは共にイタリアに領地を持つ縁で親しい関係。 +大聖堂での占い(ネタバレ) 戦いの最中に神父と侍従を連れてこっそり逃げ、パルマ公に救いを求める。 ■ ディエゴ・デ・バルデス…大西洋の守備艦隊→あ艦隊参謀長 (1530-1595年) バルデス家は海軍の名門。造船技術と水圏学の専門家。 +大聖堂での占い(ネタバレ) 造船技術と水圏学の専門家とは名ばかりで、功績は優秀な部下の手柄を奪ったもの。メディナ・シドーニア公の決断には決して異を唱えようとしない。 王フェリペ2世の対策 命令系統を円滑に進めるためには名門の血筋が必須、参謀本部長として覚悟も能力もなくてもコイツにするしかない。でもメディナ・シドーニア公に何かあった場合の指揮権はアロンソ・デ・レイバに引き継がせる。 アルマダ海戦の テルシオス (精鋭スペイン陸軍) 艦隊副司令官リカルデとギブスコア戦隊長 ■ ファン・マルティネス・デ・リカルデ…あ艦隊副司令官、ビスカヤ戦隊長 (1526-疫病:1588年) 体調不良になった優秀な司令官。 ■ ミゲル・デ・オケンド…あギブスコア戦隊長 (1534-1588年) 清廉潔白な軍人らしい軍人。 ●ウーゴ・デ・モンカーダ…あガレアス戦隊長 (????-戦死:1588年) 血の気が多く短気。艦隊参謀長ディエゴ・デ・バルデスと食料配分で揉めた。 ■ ペドロ・デ・バルデス…あアンダルシア戦隊長? (1544-1615年) 親族の艦隊参謀長ディエゴ・デ・バルデスとは不仲。 ■ マルティン・デ・ベルテンドーナ…あレパント戦隊長 (1530-1604年) 堅苦しく控えめな性格で口数が少ない。温厚で知られる。 ●ファン・ゴメス…あハルク戦隊長 ●フランシスコ・デ・ボバディーリャ…あ上陸部隊指揮官 ●ペドロ・デ・ソト…サン・ファン・デ・ポルトガル号の航海長 ●カルロス・フェンテス・デ・ローサ…ラ・ラタ・デ・サンタ・マリア・エンコロナーダ号の艦長 マルティン・デ・ベルテンドーナが信頼する誠実な男。 ●エステバン…サン・マルティン号の操舵手 ●ホセ…サン・マルティン号の威勢のいい水夫 アラセナ 出身 ●ペペ…サン・マルティン号の威勢のいい水夫 リオティント出身 ●エドゥアルド・ラロ…タラの漁師→サン・マルティン号の威勢のいい水夫 ビルメオ 出身の バスク人 ●ホセ…怠け者の船大工 ●リコ(=ネタバレ 表示 ラウルの部下 )…遠征手当が必要な水夫 ●ニコラス(ニコリート、=ネタバレ 表示 ファン・グリフス、ヤン )…船大工見習い その他 ●アルメイダ伯爵夫人…アロンソ・デ・レイバに魅了された美女 ●ロドリゲス…小麦問屋 パストラーナ(エボリ大公夫人の息子 パストラーナ公爵 ルイスの公爵領) メディナ・シドーニア公爵とエボリ大公夫人 ■ エボリ大公夫人アナ・デ・メンドーサ・イ・デ・ラ・セルダ…王フェリペ2世の愛人 【勝生真沙子】 (1540-1592年) グアダラハラ 出身 虫も殺さぬたおやかな美貌と情熱的な激しい気性を持つ「隻眼の大公夫人」。王フェリペ2世を裏切ってパストラーナ城に幽閉されている。 歴史では:1553年王フェリペ2世のオススメでエボリ大公ルイ・ゴメス・デ・シルバと結婚。秘書官アントニオ・ペレスと一緒に逮捕されて1581年から パストラーナ城 で幽閉生活。 ■ エボリ大公ルイ・ゴメス・デ・シルバ…エボリ大公夫人の夫 (1516-1573年) ポルトガル出身 (11巻P40)1527年王フェリペ2世の 小姓 になったのが縁で2人は親友。宮廷で強い影響力を持ち外国大使の間で「ゴメス王」と呼ばれてた。「和平派 エボリ党 」のリーダ。 +「和平派エボリ党」のメンバー(ネタバレ) 「エボリ、ナポリ…そうか(11巻P111)」ってことで、イタリア中心に調べたけどイマイチ分かりませんでした。 ちなみにエボリ夫婦の爵位はこちら。 あと「エボリ大公領があるのはシシリアだ(11巻P112)」はぜーんぜん分からなかったです。 エボリ大公ルイ・ゴメス・デ・シルバ… エボリ 大公(1559年)、Diano侯爵、 エストレメラ公爵 (1568年:スペイン爵位)、 パストラーナ公爵 (1572年:スペイン爵位)、 グランデ エボリ大公夫人アナ・デ・メンドーサ… フランカヴィッラ公女 (1578年:スペイン爵位)、 メリート大公女 (1578年:スペイン爵位)、Aliano女伯、 アルヘシリャ女侯 (1578年:スペイン爵位)。結婚してエボリ大公夫人、Diano侯爵夫人、エストレメラ公爵夫人、パストラーナ公爵夫人を追加 Map of Italy at the end of the Sixteenth Century 「和平派エボリ党」のメンバー 領地と勤務地 エボリ大公ルイ・ゴメス・デ・シルバエボリ大公夫人アナ・デ・メンドーサ エボリ フランカヴィッラ(ナポリ)、 メリート・ディ・ナポリ 痴漢の カルピオ候 スペイン爵位 痴漢の カスタネダ伯 スペイン爵位 痴漢の アスコリ大公 アントニオ・デ・レイバ アスコリ・サトリアーノ アルコス公 スペイン爵位 メディナ・セリ公 Juan de la Cerda スペイン爵位 父親 Juan de la Cerda は シチリア副王 メディナ・シドーニア公 アロンソ・ペレス・デ・グスマン スペイン爵位 妻 アナ はエボリ大公夫人の娘 ディエゴ・デ・バルデス パルマ公 アレサンドロ・デ・ファルネーゼ イタリア爵位 パルマ公国 、 ネーデルラント総督 ラウル・アルバレス・デ・トレド・イ・ファルネーゼ父方: アルバ公 フェルナンド・アルバレス・デ・トレド 母方:パルマ公アレサンドロ・デ・ファルネーゼ スペイン爵位イタリア爵位 ミラノ総督 、 ナポリ副王 、ネーデルラント総督パルマ公国、ネーデルラント総督 ●ルシンダ…エボリ大公夫人の侍女 【白川りさ】 アントニオ・ペレスとフアン・デ・エスコベド ■ アントニオ・ペレス…王フェリペ2世の秘書官、エボリ大公夫人の愛人 (1540–1611年) マドリッド出身 (11巻P40)アラゴン王国の有力者の息子。「和平派エボリ党」のリーダになると自分の立場を利用して利益を得ようとアレコレ裏工作。1579年エボリ大公夫人アナ・デ・メンドーサと一緒に逮捕。1587年「個人秘書エスコベドの暗殺」で再逮捕。1590年刑務所を脱獄してアラゴン王国へ逃げる。 ■ フアン・デ・エスコベド…ドン・ファン(王フェリペ2世の異母弟)の個人秘書 (1530-暗殺:1578年) (11巻P40)秘書官アントニオ・ペレスがネーデルラント総督ドン・ファンに送り込んだ間諜。1578年秘書官アントニオ・ペレスを裏切ったせいで聖マリア教会(マドリッド)の外で刺殺される。 +16世紀のミステリー「個人秘書フアン・デ・エスコベドの暗殺」 スペイン宮廷には2つの派閥「主戦派 アルバ党 ( 中央集権主義 )」「和平派エボリ党( 連邦主義 )」があります。 1573年「和平派エボリ党」のエボリ大公 ルイ・ゴメス・デ・シルバ が死亡。 リーダを引き継いだ秘書官 アントニオ・ペレス は自分の立場を利用して利益を得ようとアレコレ裏工作します。 wikipedia 個人秘書フアン・デ・エスコベドの暗殺 秘書官ペレスは「王フェリペ2世がネーデルラント総督 ドン・フアン の野望に不審を抱いてる」をご利用します。 信頼する フアン・デ・エスコベド を総督ドン・フアンの個人秘書にして監視。 でも個人秘書エスコベドは総督ドン・フアンに本気で仕えて身も心も捧げちゃいました。あちゃー! ってことで、秘書官ペレスは王フェリペ2世が2人に不審を抱くようにアレコレ裏工作します。 個人秘書エスコベドの報告書を改ざん。 1578年3月裏切り者の個人秘書エスコベドを暗殺します。アレコレ裏工作に騙された王フェリペ2世も暗殺に同意。 アントニオ・ペレスとフアン・デ・エスコベド 10月総督ドン・フアンの死亡で王フェリペ2世は個人秘書エスコベドの暗殺に疑問を抱きます。1579年秘書官ペレスを逮捕。 なかなか尻尾を掴めなかったけど1584年「横領と王様に送られる書類の改ざん」で起訴。 1585年秘書官ペレスに「役職の剥奪」「宮廷から10年間追放」「懲役2年」「罰金」の判決が下ります。 エボリ大公夫人アナ・デ・メンドーサも一緒に逮捕 隻眼のエボリ大公夫人 アナ・デ・メンドーサ は華やかで魅力的なスペイン宮廷の有名人でした。 1553年王フェリペ2世の重臣エボリ大公 ルイ・ゴメス・デ・シルバ と結婚。 王妃 エリザベート・ド・ヴァロワ と仲良し。夫や王妃との繋がりで王フェリペ2世の「 Valido:お気に入り 」です。 wikipedia メディナ・シドーニア公爵とエボリ大公夫人 1573年「和平派エボリ党」の夫エボリ大公が死亡。未亡人になったエボリ大公夫人は修道院で生活しました。 その頃リーダを引き継いだ秘書官ペレスはアレコレ裏工作。 1576年俗世に戻ったエボリ大公夫人は秘書官ペレスと同盟を結びます。2人は愛情豊かな関係だったのかも。 1578年秘書官ペレスが裏切り者の個人秘書エスコベドを暗殺しちゃいます。 暗殺の動機は不明。 2人の愛情豊かな関係を暴露しようとしたのかも。そして2人はこんな陰謀を企んでたのかもしれません。 ポルトガル王国 をスペインから切り離そうとしてた(エボリ大公夫人の息子Diego de Silva y Mendozaを ポルトガル王 にするっぽい)。 ネーデルラント総督ドン・フアンの「僕はイングランドの王様になりたい」に反対してた。 鉄格子の窓とエントランス上のバルコニー(パストラーナ城) 1579年王フェリペ2世は秘書官ペレスと一緒にエボリ大公夫人も「国家機密漏洩」で逮捕します。 Pinto城 (マドリード)、その後 Torremocha城 (〃)に幽閉。 1581年 パストラーナ城 (エボリ大公夫人の息子Ruy II Gómez de Silva y Mendozaの公爵領 パストラーナ )に移されます。 幽閉生活のエボリ大公夫人は1日1時間だけバルコニー(Plaza de la Hora)に出ることが許されます。 1590年元・秘書官ペレスが刑務所(マドリード)を脱獄。 王フェリペ2世の命令でエボリ大公夫人の部屋のドアと窓に鉄格子がセット。幽閉生活13年目の1592年死亡します。 王フェリペ2世vs元・秘書官アントニオ・ペレス 1587年王フェリペ2世は元・秘書官ペレスを「個人秘書エスコベドの暗殺」で再逮捕します。 「王様が暗殺に関与してる証拠の書類」を回収したかったの。 1590年4月19日拷問に負けなかった元・秘書官ペレスは仲間の手助けで刑務所(マドリード)を脱獄します。 4月23日王フェリペ2世は脱獄した元・秘書官ペレスを提訴します。 個人秘書エスコベドを暗殺するために王様にウソの情報を与えた。 自分の利益のために職権乱用した。 あろうことか取り調べ中に逃げ出した。 7月1日マドリード裁判所は死刑判決します。元・秘書官ペレスを身柄確保したら即刻処刑しちゃうぜー! 1850年の スペイン執行官の管轄区域 元・秘書官ペレスはマドリード( カスティーリャ王国 )から サラゴサ ( アラゴン王国 )に逃げました。 父親Gonzalo Pérezが有力者だったアラゴン王国には支援者が多いの。 速攻で フエロ(王様の暴挙への防御権) をゲト。王フェリペ2世はアラゴン裁判所の許可ナシに身柄確保できませーん。 アラゴン裁判所は元・秘書官ペレスを王フェリペ2世から護るために刑務所(prison of manifestados)に匿います。 王フェリペ2世からの起訴も却下。 9月1日王フェリペ2世は「アラゴン王」の名においてアラゴン裁判所に元・秘書官ペレスを再度起訴します。 Alteraciones de Aragón アラゴン裁判所のダラダラ裁判にイライラした王フェリペ2世は元・秘書官ペレスを 異端審問 に起訴します。 異端審問はカスティーリャ王国とアラゴン王国で共通の教会管轄。 1591年5月13日アラゴン王国の皆さんが「王フェリペ2世が我々の司法を侮辱した」と暴動を起こします。 王フェリペ2世はカオス化したアラゴン王国の鎮圧にカスティーリャ軍を送ります。アラゴン裁判所も軍隊には勝てない。 11月10日元・秘書官ペレスはサラゴサの刑務所から逃亡。 アラゴン王国はあっという間に鎮圧。12月20日王フェリペ2世は裁判長Juan de Lanuza y Urreaを裁判ナシで処刑します。 元・秘書官アントニオ・ペレスの逃亡生活 1591年11月23日の夜羊飼いに化けた元・秘書官ペレスは大雪のピレネー山脈を超えて ナバラ王国 に行きます。 その後 ベアルン (フランス: カトリーヌ・ド・ブルボン の領地)へ。 イングランドに「僕が知ってる秘密の情報」を売り込んで生計を立てようとします。でも女王エリザベス1世からの反応ナシ。 1593年 Anthony Bacon (哲学者 フランシス・ベーコン の兄)の招待でイングランドに行きます。 イングランドで何度か暗殺の標的に。 1594年女王エリザベス1世の毒殺未遂で処刑された女王の主治医 Roderigo Lopez も彼を標的にしてたっぽいです。 Levinus Hulsius 画「Lopez speaking with a Spaniard」(1627年) 1595年フランス王 アンリ4世 のご招待でフランスへ行きます。ちなみにご家族はマドリードの刑務所でずーっと監禁生活。 王フェリペ2世が死亡した1598年解放されたっぽい。 その後元・秘書官ペレスは妻 Juana Coello と一緒に生活したっぽい。1611年パリで死亡します。 ●パストラーナ公爵ルイス(Ruy II Gómez de Silva y Mendoza)…エボリ大公夫人の息子 【徳本英一郎】 (1562–1596年) メンドーサ家の分家筋で、ビセンテを後見している本家筋とは不仲。母親のおかげで失墜した王フェリペ2世の寵愛を再び取り戻そうと奮闘努力中。 ●アナ・デ・ポルトガル・イ・ボルハ…パストラーナ公爵の妻、お姑さんとは犬猿の仲。 ●アレルガ…執事 ●フランコ…パストラーナ公の小姓 ●トレース…パストラーナ公の騎士 ●クリストバル修道士(=ネタバレ 表示 キット )…蛇ミゲルの助手 ローマのイエズス会付属校で神学をフランスのモンペリエ大学で医術を修めた。 ●村長(名前不明) 【大羽武士】 アビラ(パストラーナ近くの大きな街) ●パブロ・ブランカ修道士…蛇ミゲルの秘書 【吉田裕秋】 自分を馬鹿にする蛇ミゲルに不満を持っている。(=ネタバレ 表示 サー・フランシスと手紙のやりとりをしている間諜(蛇)。 ) ●ルカ…ヒターノ(ジプシー、ロマ)、クリストバル修道士の連絡係 【岩田安宣】 ●修道士見習い(名前不明)(=ネタバレ 表示 ナイジェル )…神学校の生徒 ●ホフレ(=ネタバレ 表示 ジェフリー )…クリストバル修道士と修道士見習いを世話する寺男 フランドル(スペイン領ネーデルラント) 総督邸(アントウェルペン/アントワープ) ネーデルラント総督パルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼと母親パルマ公妃マルゲリータ・ダウストリア(王フェリペ2世の異母姉) ■ パルマ公アレサンドロ・デ・ファルネーゼ…ネーデルラント総督(在位:1578–1592年)、ラウルの従兄弟→あ上陸部隊 【福田信昭】 (1545-戦傷:1592年) 王フェリペ2世に次ぐ権力者で、高名なスペイン軍の将。 歴史では:ネーデルラント南部10州をあっという間に帰順(アラス同盟)。アルマダ海戦では必死の思いで合流地点にたどり着いた艦隊を「上陸部隊はまだ準備できてない」と拒否。弾薬や食料の補給要請も拒否。 +大聖堂での占い(ネタバレ) 王フェリペ2世の命令に背き再三に渡る艦隊からの出動依頼も聞き流し、主力部隊をフランドルの岸に留め置く。 ■ アルバ公フェルナンド・アルヴァレス・デ・トレド…元ネーデルラント総督(在位:1567-1573年) (1507-1582年) (9巻P77)ネーデルラントで「血の審判所」を設け多くの新教徒を処刑するが、反乱を制圧できずクビ。その後もポルトガル王位継承戦争で活躍。 アントウェルペン/アントワープ ●サントス(=ネタバレ 表示 ラウル )…ポルトガルの砂糖商人 ●ヴィレム…サントスの玩具 【室元気】 フランドル人 サヴォア公国(サヴォイア公国) 娘イサベル・クララ・エウヘニア、王妃イサベル・デ・バロイス、娘カタリーナ・ミカエラ・デ・アウストリア ■ カタリーナ・ミカエラ・デ・アウストリア…サヴォア公国へ嫁いだ王フェリペ2世の娘(次女) (1567-1597年) (12巻P65)サヴォイア公 カルロ・エマヌエーレ1世 と結婚。 貿易商の老舗「バンベリーニ商会」 ●ジャック・バンベリーニ…社長 王フェリペ2世や間諜の密書をフランス、イタリア、フランドルへ運ぶサヴォア商人(サヴォイア公国)の輸送旅団。 ●リカルド(リック、リチャード)…蛇ミゲルの部下 【豊永利行】 両親はイングランド人の亡命カトリック教徒。 ●リッツォーリ…社員 【矢野正明】 書類整理から人捜しまで。 お名前だけ登場 F&B 1巻 ■ アメリゴ・ヴェスプッチ…(P81)1497年~1504年の間に4度新大陸へ航海。アメリカ大陸の「アメリカ」は彼の名に由来する。 F&B 3巻 ■ マルコ・ポーロ…(P80)「 東方見聞録 」で日本を紹介。 ■ フランシスコ・ザビエル…(P84) イエズス会 の創立者の1人。日本に初めてキリスト教を伝えた。 ■ イグナチオ・デ・ロヨラ…(P84)イエズス会の創立者の1人。 ■ アレッサンドロ・ヴァリニャーノ…(P84)イエズス会の宣教師。 天正遣欧少年使節 の派遣を計画・実施。 F&B 4巻 ■ アレクサンダー大王…(P46) マケドニア王国 の王様 ■ ハンニバル…(P46) カルタゴ の将軍 F&B 9巻 ■ アンドレア・ドーリア…サンタ・クルズ侯爵と共にレパント海戦で戦った仲間 (1466-1560) ジェノヴァ共和国出身 (P80)イタリアの軍人。フランス海軍で活躍し、1528年以降は神聖ローマ帝国(スペイン)に雇われ海軍提督となった。 ■ ティツィアーノ・ヴェチェッリオ…カイトもビックリの王フェリペ2世の容貌を忠実に再現した画家 (1477-1576) イタリア出身 (P160)王フェリペ2世の肖像画家。王フェリペ2世がイングランド女王メアリー1世と結婚する際は彼の描いた肖像画がイングランドへ送られた。 ■ ロヒール・ファン・デル・ウェイデン…王フェリペ2世がカイトの髪を見て例えた画家 (1399-1464年) ネーデルラント出身 (P161)豊麗な温かみのある色使いで感情豊かな人物像を描く画家。 ■ エル・グレコ…アロンソ・デ・レイバ(アロンソの画像)を適当に描いた画家 (1541-1614年) クレタ島(ギリシャ)出身 (P172)王フェリペ2世が発注した「聖マウリティウスの殉教」はヒエロニムス会士の反対でエル・エスコリアル宮殿の修道院に飾られなかった。 ■ メンドーサ枢機卿…ビセンテの先祖、エボリ大公夫人の曾祖父 (1428–1495年) グアダラハラ出身 (P181)カスティーリャ女王イサベル1世を補佐し、1482年第79代トレド大司教(スペインのカトリック教会の最高峰聖職者)となった。 ■ ペッレグリーノ・ティバルディ…エル・エスコリアル宮殿の図書館の天井と壁面を担当した画家 (1527–1596年) イタリア出身 (P213)最初に担当したのはフェデリコ・ツッカリ。王フェリペ2世に気に入って貰えずティバルディが描き直した。 ■ ヒエロニムス・ボッス…スペインが誇る至宝「快楽の園」を描いた画家 (1450-1516年) ネーデルラント出身 (P213)ヨーロッパ各地からの求めで多数の作品が制作されたが、ほとんどが16世紀の宗教改革運動の偶像破壊のあおりを受けて滅失。 F&B 10巻 ■ トマス・ルイス・デ・ビクトリア…デスカルサス・レアレス修道院の音楽長 (1548-1611年) アビラ出身 (P79)ルネサンス音楽最大の作曲家の一人。マリア(王フェリペ2世の妹)に奉職。 F&B 11巻 ■ 庶子の王子アントニオ(アントニオ・デ・ポルトゥガル)…王フェリペ2世とポルトガル王の後継者を争う (1531-1595年) リスボン出身 (P38)父ベージャ公ルイス(王族)と愛人の子。ポルトガル国民に支持されて王位継承を主張したが、王フェリペ2世の軍に敗退してフランスへ亡命。 ■ グランベル枢機卿アントワーヌ・ド・グランヴェル…王フェリペ2世の相談役 (1517-肺病:1586年) ブルゴーニュ自由伯領出身 (P42)王フェリペ2世(まだ王子)とイングランド女王メアリー1世の結婚交渉、ネーデルラントのカトー・カンブレジ条約の成立やプロテスタントの抑圧などなど多数活躍。 ■ ジュゼッペ・ヴェルディ…エボリ大公夫人が悪女で登場するオペラの作者 (1813-1901年) パルマ公国出身 (P87)オペラ「ドン・カルロス」はこちら wikipedia です。 ■ クリストファー・コロンブス(クリストバル・コロン)…新大陸から黄金と奴隷をスペインへ送った探検家 (1451-1506年) ジェノヴァ共和国出身 (P185)カスティーリャ女王イサベル1世(王フェリペ2世の祖先)の支援で西インド諸島や南米に到達。ここからスペインのアメリカ大陸植民地化が開始。 ■ トマス・マロリー…カイトが伝言を残した「アーサー王の死」の作者 (1399-1471) イングランド出身 (P235)円卓の騎士ガウェインはこちらwikipediaです。
https://w.atwiki.jp/alonsodeleyva/pages/43.html
スペイン帝国 スペインレイノサ(レイノーサ) リオハ ピレネー山脈 カディス16世紀のカディス リスボン16世紀のリスボン 海軍本部ってどこにあるんですかー!? サン・ヴィセンテの塔(ベレンの塔) マドリード16世紀のマドリード マドリード王宮 デスカルサス・レアレス修道院 マドリード周辺グアダラマ山脈 エル・エスコリアル宮殿(正式名:エル・エスコリアル・サン・ロレンソ修道院) パストラーナ(訳はテキトー) アビラ アビラの聖ヴィセンテ教会 ネーデルラントアントウェルペン/アントワープ スペイン帝国 スペイン帝国 は本国、植民地、属領( 副王 が統治する地域)の総称です。 植民地の 西インド諸島 、アメリカ大陸の一部、 フィリピン諸島 が「インディアス」。メキシコ属領が「 ヌエバ・エスパーニャ 」。 イケイケなスペイン帝国は地球規模なのでご近所じゃないものはこちら【登場場面】全体をどうぞ。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (スペイン帝国.JPG) スペイン アロンソの領地リオハは ラ・リオハ州 に丸印つけてます。リオハ・ワインの生産地として有名だからこれかなぁって。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (スペイン.JPG) レイノサ(レイノーサ) カンタブリア州 レイノサは カンタブリア山脈 にある高原の村です。 郷土料理はマス、イノシシ、シカ。 ご近所に Alto Campooスキー場 やイベリア半島の重要な川の1つ エブロ川 の源流( フォンティブレ )があります。 wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (レイノサ.JPG) #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (レイノサ_風景.JPG)レイノサの風景 +レイノサのロスコ レイノサのパン・トルティージャ(Pantortilla:砂糖シロップのかかったパイ)は「食べずして去ることなかれ」だそうです。 こちらはパン・トルティージャをロスコ(Rosco:ドーナッツ)に焼いたもの。 えーっと、念のため「食べずして去ることなかれ」は欧州のご感想です。日本人の味覚じゃないので要チェック項目かも。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (レイノサ_ロスコ.JPG)ロスコ #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (レイノサ_ロスコ(断面).JPG)中はこんな感じ 東方三賢者の日(1月6日)にはソラマメの入ったロスコを食べて、当たった人が来年のロスコを買ってくることになります。 ~ バスク美食倶楽部 さんより~ リオハ ラ・リオハ州はカンタブリア山脈と川(エブロ川、 オハ川 、…)が美味しいワインを育みます。 聖地 サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路 (赤線)を歩く巡礼者が「あそこのワインはウマイ!」と評判を拡散。 あっ、ラ・リオハ州はシェリー酒も有名。あと レイバ村 があったのでとりあえずチェックしときました。 wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (リオハ.JPG) #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (リオハ_風景.JPG) ナバレテ の風景 +リオハのワイン ヨーロッパのワインはBC11世紀移住してきた フェニキア人 が造って、古代ローマ人が葡萄園をガンガン拡大したのが始まりです。 ワイン歴史家Roger Dionは「ボルドーに住みついたローマ人が植えた品種がリオハの葡萄園の原種」と推測。 1991年最上質ワインのDOCa (国立原産地呼称庁のワインの格付け)に認定されてます。 wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (リオハ_ワイン(ワインセラー).JPG)地下のセラーも有名みたい 製品の差別化もバッチリだ! もっちろん巡礼者の評判にただ胡座をかいてるだけじゃございません。 1560年から差別化戦略(21世紀だとこーゆーけど、F&B時代は何て言うんでしょね?)で品質の維持&保証もしてます。 葡萄はリオハのものだけを使用する。 ワインを輸出するBota bag(スペイン特有のヤギ革ワイン運搬袋)には商標を付ける。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (リオハ_ワイン(運搬袋).JPG)ワイン運搬袋 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (リオハ_ワイン(商標).JPG)21世紀の商標 ピレネー山脈 ピレネー山脈はスペインとフランスを分ける430km続く山脈。最高峰は アネト山 の3,404mです。 峠は① イバニェタ峠 、② Port de Larrau 、③ Col de la Pierre St Martin 、④ ソンポルト峠 、⑤ Col du Pourtalet …などなど。 イバニェタ峠のフランス側は三アンリの1人ナヴァール王 アンリ・ド・ブルボン の ナヴァール王国 です。マル印はかなりテキトー。 wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (ピレネー山脈.JPG) +イバニェタ峠 イバニェタ峠はスペイン側 ロンセスバーリェス とフランス側 サン=ジャン=ピエ=ド=ポル を結ぶ道です。 サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の1つで、最高峰は1,057m。 ピレネー山脈には危険な動物 カンタブリア・ヒグマ 、 アスプ・クサリヘビ …などなども住んでるのでご注意下さい。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (ピレネー山脈_ロンセスバーリェス.PNG)手前がイバニェタ峠の道? イバニェタ峠は1813年 ロンセスバーリェスの戦い ( スペイン独立戦争 )でイギリスとフランスの戦場になります。 フランス皇帝ナポレオン・ボナパルト曰く「L Afrique commence aux Pyrénées」。 なに言ってんだこのカエル野郎ですよね!王フェリペ2世は草葉の陰からビシッと怒った方がいいと思う。 カディス カディスはスペイン商船を護る インディアス艦隊 (たぶんビセンテのお仕事)の母港です。母港は本拠地ってこと。 日本語だとぜーんぶ「カディス湾」だけど、外側は Golfo de Cádiz (大きい湾)、内側は Bahía de Cádiz (小さい湾)なのでご注意。 サー・フランシス・ドレイク はこの地図でカディスをガンガンやっちゃいました。 wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (カディス.JPG) +ガンガンやっちゃった「スペイン王の髭焦がし」 1587年女王エリザベス1世はサー・フランシスに「スペイン軍の準備状況調査・供給源の破壊・港と艦隊の攻撃」を命令します。 でも出港した7日後に「港と艦隊への攻撃」をキャンセル。なぜ? 結局カディス湾(小さい湾)にいたサー・フランシスには届かずガンガンやっちゃいます。お陰様でアルマダの海戦は1年延期。 wikipedia こんな感じ イングランド 4月12日 4部隊でプリマスを出港。● エリザベス・ボナベンチャー号 :司令官サー・フランシスの指揮下● ゴールデン・ライオン号 :副司令官ウィリアム・バロウズの指揮下● レインボウ号 :船長Bellingham● ドレッドノート号 :船長Thomas Fenner ガリシア 沖で嵐に遭遇。数日間続いて小型船1隻が沈没。 出会ったオランダ船が「カディス~リスボンの一帯で艦隊を絶賛準備中」と情報提供。 カディス 4月19日 夕暮れカディス湾(小さい湾)へ進入。夜カディス市長から連絡を受けた メディナ=シドニア公 が サンルーカル から到着。指揮権を引き継ぐ。スペイン艦隊は邪魔されて出港不可。とりあえず海岸からの砲撃でイングランド艦隊の上陸は阻止。 4月29日~5月1日 29日夜カディス湾襲の撃を開始。1日夜明け撤退。3日間で23~33隻のスペイン船を破壊、4隻の船を拿捕。 リスボン 5月中旬 サグレス、Baleeira、Beliche、サン・ヴィセンテ岬の要塞を襲撃、出会った輸送船&漁船も襲撃。 カスカイス (リスボンの近所)でサンタ・クルズ侯爵 アルバロ・デ・バサン に囚人交換を提案。サンタ・クルズ侯爵はそういう状況を想定して無くて交渉決裂。ってことでカディスからの追跡艦隊が来る前に退散。 アゾレス諸島 6月初め 副司令官ウィリアム・バロウズはテルセイラ島行きを危険&不必要と反対。ってことでバロウズを解任&拘禁、その後イングランドへ送り返した。 6月8日 サンミゲル島近所でインド諸国帰りのポルトガル武装商船『the São Filipe号』を拿捕。積荷は金、スパイス、絹(£108,000相当)。 イングランド 7月6日 イングランド帰国。収益配分は女王50%、サー・フランシス10%、残り出資者。 ※他にも水を補給したり、乗組員降ろしたり…いろいろありました。数字は資料によってびみょーに違います。 16世紀のカディス #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (カディス_16世紀のカディス.JPG)1572年より前 リスボン リスボンは1255年からポルトガル(F&B時代は王フェリペ2世が統治中)の首都です。 ヨーロッパのハブ港で、アフリカやインドから運ばれたスパイス・奴隷・砂糖・織物…は全部リスボンに到着。 1588年5月28日スペイン艦隊アルマダはここから出航します。 wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (リスボン.JPG) 16世紀のリスボン ポルトガル王 マヌエル1世 は1510年テージョ川沿いに リベイラ宮殿 を建築。山頂の サン・ジョルジェ城 は影が薄くなってます。 1583年からは Council of Portugal (ポルトガル植民地の統括機構)と ポルトガル副王 の住居。 F&B時代は アルブレヒト・フォン・エスターライヒ (1599年王フェリペ2世の娘 イサベル と結婚)がお住まいです。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (リスボン_16世紀のリスボン.JPG)1598年 +ちょびっとだけど街はこんな感じ リスボンは1755年 リスボン地震 で多くの建物が崩壊したので21世紀の街とはだいぶ違います。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (リスボン_街並み(リスボン).JPG)リスボン(1650年) #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (リスボン_街並み(リベイラ宮殿と通商院).JPG)リベイラ宮殿と通商院( ブラガンサ王朝 時代) #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (リスボン_街並み(コルメシオ広場).JPG) コルメシオ広場 (1650年) #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (リスボン_街並み(造船所).JPG)造船所(15世紀) #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (リスボン_街並み(港).JPG)港(1592年) 海軍本部ってどこにあるんですかー!? 海軍本部が何者でどこにあるのかぜーんぜん分かりませんでした。ポルトガル語オテアゲデスorz とりあえずテージョ川沿いにある立派な建物は 通商院 と 食料庫 っぽい。 通商院はポルトガル植民地を統括する組織だし、造船所(The Ribeira das Naus shipyard)の隣にあるし…アヤシイ感じしませんか? wikipedia(リスボンの地図) #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (リスボン_海軍本部.JPG)1598年 サン・ヴィセンテの塔(ベレンの塔) サン・ヴィセンテの塔は16世紀ポルトガル王マヌエル1世がヴァスコ・ダ・ガマの世界一周を記念して作った要塞です。 テージョ川を出入りする船を監視。 wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (リスボン_サン・ヴィセンテの塔.JPG) マドリード #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (マドリード周辺.JPG) 16世紀のマドリード こちらは Anton van den Wyngaerde 画「Vista de Madrid:マドリードの風景」(1562年)です。人口30,000人くらい。 1561年王フェリペ2世は首都をバリャドリッドからマドリードに遷都。 以降マドリードはスペインの首都。あっ、 王フェリペ3世 (フェリペ2世の息子)が一時バリャドリッドに戻してます(1601-1606年)。 wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (マドリード_16世紀のマドリード.JPG) 城壁の外 1 カサ・デ・カンポ (王室の狩場) 2 サンビセンテの丘? 3 カンポ・デ・モロ (闘牛場?) 4 バルガス宮殿 5 セゴビア橋 6 なめし革工場?(las Tenerías del Pozacho) 7 サン・フランシスコ教会(Iglesia de San Francisco) 8 トレド橋 城壁の中 1 アルカサル宮殿 (マドリード王宮) 2 サン・ミゲル・デ・ラ・サグラ教会 3 サン・フアン大聖堂 4 サンティアゴ教会 5 ガオナ塔(Torre Gaona) 6 サン・サルバドール教会 7 グアダラハラ門 8 ラ・ベガ門 9 ナリグエス塔 10 サン・ミゲル・デ・ロス・オクトエス教会 11 サン・ニコラス教会 12 サン・フスト教会 13 セラーダ門 14 サン・ペドロ教会 15 オビスポ礼拝堂 16 サン・アンドレス教会 17 ロス・ラッソ塔(Torre de Los Lasso) 18 ムーア門 マドリード王宮 F&B時代のマドリード王宮は、9世紀スペイン征服中のイスラム教徒ムーア人が要塞として建築したアルカサル城です。 1537年 王カルロス1世 (王フェリペ2世の父親)はここを王宮に改造。 王フェリペ2世は首都をマドリードに遷都して、アルカサル城を本格的な王宮に大改造してます。 wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (マドリード_マドリード王宮.JPG) 残念ながらアルカサル城は1734年クリスマスイブに全焼しちゃいました。王フェリペ2世が愛した多くの美術品も消滅。 ってことで、1738年 王フェリペ5世 はここに マドリード王宮 を新築。 21世紀は1階 Royal Armoury of Madrid に王フェリペ2世が 馬上槍試合 で着る鎧(The tournament pieces)が展示されてます。 ちなみにセゴビアにあるもう1つの アルカサル城 は白雪姫のお城のモデルになりました。 +平面図 こちらは建築家 Juan Gómez de Mora が1636年改造したアルカサル城です。 王の宮殿はムーア人が建築。王室礼拝堂はカスティーリャ王フアン2世が増築。女王の宮殿・王カルロス1世の塔・金色の塔は王カルロス1世と王フェリペ2世が増築。北のギャラリー・王のギャラリー・女王の塔は王フェリペ3世と王フェリペ4世が増築。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (マドリード_マドリード王宮(平面図).JPG) デスカルサス・レアレス修道院 デスカルサス・レアレス修道院は1559年建築の クララ童貞会 女子修道院。以前は王子フェリペ2世一家が暮らした宮殿がありました。 ポルトガル王家の嫁 フアナ・デ・アウストリア (王フェリペ2世の妹)は夫が亡くなり、スペインに帰国して修道院を創設。 未亡人や未婚の貴族達に大人気。皆様の持参金も集まってヨーロッパの裕福な修道院の1つになります。 wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (マドリード__デスカルサス・レアレス修道院.JPG) #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (マドリード__デスカルサス・レアレス修道院(室内).JPG) 神聖ローマ皇帝の嫁 マリア・デ・アブスブルゴ (王フェリペ2世の妹)も夫が亡くなりここで生涯暮らしました。 有名な作曲家 トマス・ルイス・デ・ビクトリア は1587年からここでマリアの 神父 。 マリア死後は修道院オルガン演奏者として生涯奉職。この方は1565年 イエズス会ドイツ人神学校 (ローマ)で カントル もやってます。 マドリード周辺 うーん、アビラとパストラーナ城がとっても遠い…どっちかです。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (マドリード周辺.JPG) グアダラマ山脈 東西に80km続く山脈。最高峰は ペニャララ山 の2,428mです。 動物は スパニッシュ・ヤギ 、 ノロジカ 、 ヤマネコ 、 イノシシ 、キツネ、ウサギ、 イベリアカタシロワシ …などなど。 山脈の主成分は花崗岩。エル・エスコリアル宮殿やアビラの市壁もこれ使ってるのかしら? wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (グアダラマ山脈.JPG) 東西南北をグアダラマ山脈で囲まれたエル・エスコリアル宮殿は アバントス山 の麓にあります。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (グアダラマ山脈(エル・エスコリアル宮殿).JPG)山脈とエル・エスコリアル宮殿 エル・エスコリアル宮殿(正式名:エル・エスコリアル・サン・ロレンソ修道院) 1557年8月10日( 聖ロレンソ の日)スペインは サン・カンタンの戦い でフランスを撃破します。 王フェリペ2世は破産宣告するほど貧乏だったけど「聖ロレンソの顕彰と勝利」の記念にエル・エスコリアル宮殿を建築。 なんと建築期間21年(1563-1584年)です。設計は ルネサンス建築 の フアン・バウテイスタ・デ・トレド 。 wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (エル・エスコリアル宮殿.JPG) +平面図 修道院は聖ロレンソ(鉄格子の上で火あぶり)にちなんで格子状に設計。 パティオ があると通風や採光が良くなります。 建物は東京ドーム2.5個分(50坪の一戸建て:201軒、70平米のマンション:476戸)の広さで、部屋は300以上。 うーん、資料によって部屋の使い方がびみょーに違う。間取りの名称はアヤシイです。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (エル・エスコリアル宮殿_平面図.PNG) a.王フェリペ2世の宮殿(Palacio de Felipe II) a1 王女 イサベル の寝室と礼拝室 a2 パティオ(Patio de los Mascarones) a3 謁見の間(Throne Room) a4 王フェリペ2世の寝室と礼拝室 b.王族の居住区(後にブルボン家スペイン王の宮殿) b1 警備室 b2 戦いの間(Sala de las Batallas) b3 王の台所 c.大聖堂(Basilica) c1 主祭壇と祭壇画( El Retablo )地下:王家の霊廟 c2 聖具室 c3 上部:パイプオルガン c4 告解室?(Sala de los Secretos) c5 アトリウム(柱廊に囲まれた中庭) c6 鐘楼 c7 待合室(Ante-room) c8 諸王の中庭 d.修道院(El Monasterio) d1 地下?:王族の霊廟 d2 福音伝導者の中庭(Patio de los Evangelistas) d3 回廊(Galería de Convalecientes) d4 修道士の集会所 d5 談話室? d6 旧・教会 d7 修道士の中庭(Jardín de Frailes) d8 クロークルーム d9 病室 d10 台所 d11 食堂 e.神学校(al Real Colegio Alfonso XII) e1 レクレーションルーム e2 食堂 e3 台所 e4 教室 e5 寄宿舎 f.入り口 f1 2階:図書館(La Real Biblioteca) #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (エル・エスコリアル宮殿_平面図(王フェリペ2世の宮殿).JPG)a.王フェリペ2世の宮殿 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (エル・エスコリアル宮殿_平面図(戦いの間).JPG)b2.戦いの間 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (エル・エスコリアル宮殿_平面図(大聖堂).JPG)c.大聖堂 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (エル・エスコリアル宮殿_平面図(修道院).JPG)d.修道院 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (エル・エスコリアル宮殿_平面図(図書館).JPG)f1.図書館 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (エル・エスコリアル宮殿_平面図(庭).JPG)庭 パストラーナ(訳はテキトー) パストラーナは1174年カスティーリャ王 アルフォンソ8世 から カラトラバ騎士団 を拝受しました。 1369年 王エンリケ2世 からなんかの特権(privilegio de villazgo)を拝受して急成長。 1541年アレコレあってAna de la Cerda y Castro(エボリ大公夫人 アナ・デ・メンドーサ の祖母)がパストラーナを購入しました。 wikipedia 1569年王フェリペ2世の重臣エボリ大公 ルイ・ゴメス・デ・シルバ (エボリ大公夫人の夫)がパストラーナを購入しました。 王フェリペ2世は感謝の印に「 パストラーナ公爵 」の爵位をプレゼント。 パストラーナは 公爵領 になります。1573年からRuy II Gómez de Silva y Mendoza(エボリ大公夫人の息子)の公爵領です。 wikipedia +パストラーナ城 パストラーナ城 は ルネサンス建築 の要塞です。16世紀パストラーナ市壁(walls of Pastrana)の近くに建築されたんだって。 王フェリペ2世がエボリ大公夫人アナ・デ・メンドーサを幽閉したので有名。 東塔にあるエボリ大公夫人の幽閉部屋は別名「the Chamber of the Golden Grille:黄金格子の部屋 」と呼ばれてます。 ~ Tourism in Spain (Ducal Palace of Pastrana)さんより~ なんでエボリ大公夫人アナ・デ・メンドーサは幽閉されたの? エボリ大公夫人は王フェリペ2世の秘書官 アントニオ・ペレス (「和平派 エボリ党 」のリーダ)と手を組みます。 2人でアレコレ陰謀を企んでたっぽい 1578年ネーデルラント総督 ドン・フアン・デ・アウストリア の個人秘書 フアン・デ・エスコベド を暗殺しちゃいます。 wikipedia エボリ大公夫人の幽閉部屋 不審を抱いた王フェリペ2世は秘書官アントニオ・ペレスとエボリ大公夫人を逮捕します。 エボリ大公夫人は Torremocha城 (マドリード)に幽閉。 1581年パストラーナ城に移されます。ちなみに元・秘書官アントニオは刑務所(マドリード)で絶賛拷問中。 鉄格子の窓とエントランス上のバルコニー 幽閉生活のエボリ大公夫人は1日1時間だけバルコニー(Plaza de la Hora)に出ることが許されます。 1590年元・秘書官アントニオが刑務所を脱獄。 王フェリペ2世の命令でエボリ大公夫人の部屋のドアと窓に鉄格子がセット。幽閉生活13年目の1592年死亡します。 エボリ大公夫人と夫エボリ大公の棺( Colegiata de Pastrana ) アビラ アビラは クラウディオス・プトレマイオス 著「 Geography 」(150年頃)に登場する古代都市Abulaかもしれません。 Abulaは ヒスパニア で最初にキリスト教に改心した街の1つ( 聖セグンド )。 街は16世紀に繁栄。 José Martínez Ruiz 著「El alma castellana」によると「おそらくスペインで最も16世紀の街」です。 wikipedia +アビラの市壁 キリスト教徒はイスラム教徒(Ābila:アラブ人)に征服されたイベリア半島を奪還します(718-1492年: レコンキスタ )。 無人化したアビラも1088年頃に復活。 奪還した ライムンド・デ・ボルゴーニャ (カスティーリャ王 アルフォンソ6世 の娘婿)が 市壁 で街を囲んで防御を固めます。 wikipedia 市壁の建築は1090年に始まったけど12世紀に大部分を再建築したっぽいです。11-14世紀の間に完成。 全長2,516m、平均幅3m、平均高さ12mの石の壁。 33基の 側防塔 (見張りの塔)と9基の ゲート・タワー (エントランスの塔)で壁を繋げてます。 アビラの聖ヴィセンテ教会 殉教者ヴィセンテはローマ帝国の皇帝ディオクレティアヌスに迫害されて、遺体は岩中に埋めらました。 1175年その上に教会を建築。 wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (アビラ_聖ヴィセンテ教会.JPG) #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (アビラ_聖ヴィセンテ教会(お墓).JPG)聖ヴィセンテのお墓 ネーデルラント ネーデルラント(Low Countries:低地の国々)は個別の国が集まった地域。21世紀のベルギー、オランダ、ルクセンブルクです。 F&B時代はスペインと北部7州(オランダ)で 八十年戦争 (1568–1648年)の真っ最中。 南部は スペイン領ネーデルラント 。北部7州は1579年 ユトレヒト同盟 を結んでスペインに徹底抗戦してます。 wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (ネーデルラント.JPG) +なんでネーデルラントがスペイン領なの? ライオンの形をしたネーデルラントは ブルゴーニュ公国 の ブルゴーニュ領ネーデルラント でした。 ブルゴーニュ公国の女公 マリー・ド・ブルゴーニュ は1477年神聖ローマ皇帝 マクシミリアン1世 (王フェリペ2世の祖先)と結婚。 1482年女公マリーが亡くなってスペイン領 ネーデルラント17州 になります。 ついでにブルゴーニュ公国もスペイン領。結婚しながら大きくなっていくスペインはこちら【系図】スペインをどうぞ。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (ネーデルラント_スペイン領.JPG) クラース・ヤンス・フィッセル 画「 ネーデルラントの獅子像 」(1609年:オランダ) +海の乞食団 海の乞食団は乞食党が作った私掠船集団。1569年リーダのオラニエ公 ウィレム1世 が有名な船乗りに 私掠免許 を交付しました。 スペインの船や街をビシバシ襲撃。イングランドやラ・ロシェル(フランス)も海の乞食団を応援。 襲撃されたスペインも ダンケルク私掠船 (1577-1583年)で反撃してます。ちなみにサー・フランシス・ドレイク達は 海の犬 。 wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (ネーデルラント_海の乞食団.JPG) Hendrick Cornelisz Vroom 画「スペインのガレー船に突っ込む海の乞食団」(1617年:オランダ) アントウェルペン/アントワープ アントウェルペンは16世紀前半に国際経済で繁栄した大都市です。 イングランド・ヴェネツィア・スペイン・ポルトガル・ユダヤ…多くの外国商人が住み、何百の船、何千の荷馬車が往来。 スペイン王フェリペ2世の統治によって街ボロボロ、経済ボロボロ。(カトリックを強制された貴族・プロテスタントが反乱→1568年八十年戦争→アントウェルペンは1585年降伏) 迫害されたプロテスタントは北部7州(オランダ)へ亡命、国際経済の繁栄も一緒に亡命。 wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (ネーデルラント_アントウェルペン.JPG)16世紀 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (ネーデルラント_アントウェルペン(1598).JPG)1598年 ※ものすごーくお世話になったサイト。詳細はこちらをご覧下さい。 金獅子亭 Kinjishi-Tei
https://w.atwiki.jp/aceshigh/pages/36.html
ソ連のポリカルポフ製で当時としては先進的な低翼単葉、引き込み式脚を供えた戦闘機で、その特異な形状から、モスカ(ハエ)、ラタ(ネズミ)などど呼ばれました。 同時代に配備されていた航空先進国のブルドッグやHe51を凌駕する性能でした。また、いち早く20mm機関砲を装備したことでも知られています。時代を先取りした高速重戦闘機ともいえます。特に20mm機関砲は対地攻撃でその実力を発揮しました。 一方で、降着装置の上げ下げが手動で、パイロットがクランクを回して行うなど、複雑な機構は廃することで、簡素にまとめられ、極めて頑丈な構造と高い信頼性を有していました。 ソ連政府は世界各国にI-16を輸出し、第二次世界大戦前から各地で主力戦闘機として使用され実績を上げてました。ノモンハン事件や日中戦争で日本軍とも戦火を交え、スペイン内乱でも共和国軍に対して提供され、ドイツ軍戦闘機と戦い活躍しました。 ノモンハンの戦いでは一撃離脱によって日本軍を悩ませました。 当時主力戦闘機としてHe 51を使っていたドイツ・コンドル軍団は本機に対処するため急遽Bf 109を送ったともいわれています。 冬戦争ではフィンランド空軍を苦しめました。 共通アイコンは「I16」 「・・・特にF-51(P-51マスタング)はよかったですね。反対に悪かったのはI-16です。こんな飛行機には2度と乗るもんかと思いましたね。」(Ki-67テスト・パイロット 酒本氏) Aces HighにおけるI-16 他の機体と比べると機体の古さは否めなく、また、機体の安定性にもかけるため非常に扱いづらい機体です。 20mm機関砲が積めるので、大戦初期の機体としては、キルが取りやすい機体です。 また、WWIIの機体ではAHで唯一のオープン・トップの機体です。 固有アイコンは「I16」 兵装 Rocket Rails Drop Tanks Armament 6 x RS-82 Rockets 2 x 20.5 Gallon Drop Tanks Type 29 Loadout1 x 12.7mm UBS 230 rpg2 x 7.6mm ShKAS 450 rpg Type 28 Loadout2 x 20mm ShVAK 90 rpg2 x 7.6mm ShKAS 450 rpg Type 24 Loadout2 x 7.6mm ShKAS 900 rpg2 x 7.6mm ShKAS 450 rpg ポリカルポフIー16 (世界の傑作機 NO. 133) Polyikarpov's I-16 Fighter Its Forerunners and Progeny (Red Star) ソビエト航空戦―知られざる航空大国の全貌 (光人社NF文庫) コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/nostradamus/pages/1376.html
六行詩集 30番* 原文 Dans peu de temps1 Medecin2 du grand mal, Et la sangsuë3 d'ordre rang inegal, Mettront4 le feu à la branche d'Oliue5, Poste6 courir, d'vn d'autre costé, Et par tel feu leur Empire accosté7, Se r'alumant8 du franc finy saliue9. 異文 (1) Dans peu de temps Dans peu de jours 1600Au, Dame peu de temps 1600Mo (2) Medecin medecin 1600Mo (3) sangsuë censue 1600Au 1600Mo, Sangsue 1672Ga (4) Mettront Mettant 1600Mo (5) d'Oliue d'oliue 1600Mo (6) Poste Post 1611B (7) accosté augmenté 1600Au (8) r'alumant rallumant 1672Ga (9) saliue la vie 1600Au (注記)1600Au の1行目の異文は六行詩18番の綴りと対照すれば、jours 以外には読めない。 日本語訳 間もなく大病を治す医師と、 序列も地位も不釣合いな蛭が、 オリーヴの枝に火をつけるだろう。 伝書使はどちらの側も巡り、 そして、そんな火が彼らの帝国に近づく、 自由な者の終わった議論を再燃させつつ。 訳について 六行詩集には le franc pays (フランク族の国、自由な国)という語が何度も出てくるので、6行目の du franc は du franc pays を省略した可能性もあるだろう。 同じ行の salive の直訳は「唾」だが、日本語でも「口角泡を飛ばす」が唾で以って議論の激しさを表すように、フランス語でもしゃべる様子に使う。現代の俗語でも dépenser beaucoup de salive (大いによくしゃべる)という表現があり(*1)、マリニー・ローズもこの場合はその意味としているので(*2)、ここでは「議論」とした。 信奉者側の見解 ノエル=レオン・モルガールの用語解説では、「大病を治す医師」はフランス王、「蛭」はスペイン王となっている(*3)。 テオフィル・ド・ガランシエールは、「大病を治す医師」はフランス王、「蛭」はスペイン王で、彼らが(平和のシンボルである)「オリーヴの枝に火をつける」とは、交戦状態になることを示すとした。ガランシエールは1636年(1635年の誤り)にフランスがスペインに宣戦布告し、三十年戦争に参戦したことと解釈した(*4)。 エミール・リュイール(未作成)は、「蛭」をスペインとし、スペイン内乱(1936年 - 1939年)が他のヨーロッパ諸国に影響を及ぼしたこととした(*5)。 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは、未来の欧州で起こる大戦の戦火がイスラエルにも飛び火する予言と解釈した(*6)。 五島勉は、「オリーヴ」は旧約聖書に登場するオリーブ山の暗示で、未来にイスラエルが関わる戦争を予言したものとした(*7)。 同時代的な視点 モルガールやガランシエールが当然のように一致して「大病を治す医師」をフランス王、「蛭」をスペイン王とした根拠は不鮮明だが、ヨーロッパの2国間の戦争が拡大するさまを表しているらしいことは確かだろう。 確かに、多少強引に読めば三十年戦争を的中させたと見えなくもないが、当時のフランスやスペインは頻繁に戦争をしていた。 この詩が偽作された1600年前後の時期に限っても、ユグノー戦争末期( - 1598年)のフランスには、スペインが介入して単なる内戦にとどまらなくなっていたし、1600年から1601年にはサルッツォ侯国を巡ってフランスとサヴォワが争った。 スペインも、フランスへの干渉だけでなく、オランダ独立に対する干渉をまだ続けていた(1609年に休戦条約が成立)。 三十年戦争と安易に結びつける前に、以上のような背景を元に偽作された可能性を考慮する必要はあるだろう。 その他 1600Au では27番になっている。なお、その1600Auでは直前の詩は25番扱いで、26番は欠番になっている。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。