約 3,139,852 件
https://w.atwiki.jp/tosiyatosiya/pages/438.html
ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【国がまるごと博物館・キューバの旅】 第6話) 高速バスの鋼鉄の意志 《キューバ旅行記|ハバナ|マタンサス|トリニダー|オルギン》 かつてキューバ国内の移動はかなりの苦行を強いられたという。10年以上前にキューバを旅した友人は、「トラックと思ったら長距離バスでビックリした」と、そのワイルドさに衝撃を受けていた。 しかし時が流れ、キューバの交通も整備された。国営ヴィアスール社の高速バスが全国をネット、そこそこ正確に時間どおり走るようになったという。 実際オルギン⇒トリニダーの夜行バスはほぼ定刻通りに運行され、ちょっと拍子抜けしたくらいである。 ヴィアスール社の高速バス またトリニダーからハバナに向かう際も ヴィアスールを利用。 外国人でもネットで予約購入できるのもありがたい。 そして、このバスで、僕はキューバ人の労働に対する鉄の意志を開幕見てしまった。 8 15にトリニダーを出発し14 00にハバナ到着予定のバスだった。あと2時間でハバナ着となる12 00になって、あれまぁまぁ。バスはするっとドライブインに停車してしまった。そして、 「ランチタイム、ワン アワー」 運転手は乗客にそう告げると、そそくさとリゾートホテルのようなドライブインの食堂に向かっていった。 昼休みは必ず12 00から休む-リゾートホテルのようなドライブインの食堂にて オイ、あと2時間で終点だぞ。なのに手前で1時間休憩だと! だったら、あと1時間走って、13 00ハバナ到着にして、ランチはそれからゆっくり取っても遅くないだろう。 せちがらい日本人の感覚ではそう思ってしまうのだが、12 00は何がなんでも休むのだという鉄の意思が貫かれている、それがキューバ式なのだ。 この「休みの時間は必ず休む」の精神は、ハバナからマタンサス(バラデロ)に向かうバスでもいかんなく発揮された。 8 00ハバナ発 10 10マタンサス着予定のバスだったが、ハバナを1時間遅れて出発。ところがこのバス、あとほんの少しでマタンサスだというのに、 「ブレイクタイム、ハーフ アワー」 と、またもやドライブインにお立ち寄り。 遅れを取り戻そうとか、なんとか頑張って挽回しようとか、そういう発想は微塵もない。 ともかくバスがドライブインに停車すると、乗客はドリンクやらスナックやらと必ず幾らかの金を落としてゆく。その金目的で、決められた停車は必ず守るようにと政府の経済政策か何かで義務付けされてるのではないか? ついそう思ってしまうほど律儀に「休みの時間は必ず休む」のがキューバの高速バスだ。 その固くななポリシーは、キューバ革命の際に培った鋼鉄の意志がもたらしたものであろうか。 (続く) もどる < 6 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
https://w.atwiki.jp/tosiyatosiya/pages/480.html
ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【続・牛を巡る冒険/黒島牛祭り】 第1話)キャンセル待ち 《沖縄旅行記|八重山|黒島|牛まつり|石垣島》 沖縄・八重山諸島の黒島は、石垣島から高速船で30分のところにある。島民213人に対してその15倍の約3000頭の牛がいるこの島では、毎年2月の最終日曜日に全島あげての大イベント「牛まつり」が開催される。 今年で第25回を迎える黒島牛まつり このイベントの目玉はなんといっても牛一頭が当たる大抽選会だ。 うまくいけばオイラも和牛のオーナーになれるかもしれない!! そんな淡い夢を抱いて、イベント前日の土曜日、羽田発那覇行きの便を押さえた。黒島へは那覇からさらに石垣便に乗換えそして船に乗らなければならない。東京からたどり着くのは結構時間がかかる。 押さえることができた那覇便は羽田発8 40のフライトだが、これだと黒島着は最終の船便になってしまう。できれば6 10発の朝一の便に変更したい。 そこで前日の夜から空港のベンチで寝泊まりし、キャンセル待ちで朝一番の搭乗をもくろんだ。しかし 。。。 「ご希望の便は満席で、お客様のキャンセル待ちの順番は13番目でございます。」 げっ!! こんなにウェイティングが居るのか。絶望的ではないか。 キャンセル待ちは航空会社の顧客ランクに応じて優先順位が決まる。最上級カーストの特上客はキャンセル番号に「S」、その次の上客には「A」、最下位カースト層には「B」の符号が与えられ、「S」→「A」→「B」の順でプライオリティがある。 空席待ち整理券:できれば6 10発の朝一の便に変更したいだが… オイラの番号は「B4」。Bカーストのなかで4番目、全体で13番目ということだそうだ。案の定、 6 10発の便に乗ることはかなわなかったが、6 40発の便がある。急いで次の便の搭乗口に走り、空席待ちカウンターに並ぶ。 「番号札B1、B2、B3をお持ちのお客様。」 おっ、直前まできた。ここで終わるなよ。あと一声!! 空席待ちカウンター:B1からB3の客の対応に随分と時間がかかっている しかし、B1からB3の客の対応に随分と時間がかかっている。嗚呼このまま直前OUTで終わるのかと思った矢先、 「B4をお持ちのお客様、いらっしゃいますか~」 やった、キャンセル待ち成功、前日からベンチで寝泊まりした甲斐があったというものだ。これは少し運も付いてきたということに違いない。運気よ、この調子で高まってくれ!! 当たれ!! 夢の牛一頭!! 大いなる野望とともに東京を飛び立ったオイラであった。 (続く) もどる < 1 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
https://w.atwiki.jp/tosiyatosiya/pages/572.html
ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【共通タイトル】 第5話)幻のきびなづくし御膳 《五島列島|下五島|奈留島|久賀島|福江島》 福江島で2泊した後、昼過ぎのフライトで島を離れる。最終日の残された時間で福江の街中を散策した。 まず朝早く起きて魚市場に行ってみた。島のあちこちで取れた新鮮な魚が広い市場の敷地いっぱいに並べられ壮観である。人間たちが取引に夢中になっている隙を狙って、大きな鷺が市場の周りで朝飯のチャンスを伺っていた。この新鮮な魚を毎日タダで食べられるなんて!! 一瞬オイラは鷺が羨ましくなった。 福江魚市とおこぼれを狙う鷺 一旦宿に戻り朝食を済ませ福江の街中を散策する。福江は五島藩の城下町で、現在も立派な城跡が残っている。城壁の中の重厚な建物は図書館やら歴史資料館となっていた。こうした歴史的施設が公共財となって広く市民に開放されているのは素晴らしいことだと思ったが、その徹底ぶりが半端でなかった。 城壁の中の五島市立図書館 なんと福江城の本丸跡は現在県立高校になっているのだ。まじか!! 全国には様々な高校があると思うが、校舎が本丸跡にあるなんて聞いたことがない。 オイラは城跡に沿って散策すると歴史を感じる重厚な門に出くわした。そしてそこには重々しい文字で「長崎県立五島高等学校」と書かれていた。試しにちょっと校門の中に入ってみると、今日は祝日だが部活動の帰りであろうか、本物の制服を着た女子校生が歩いていた!! ここは本当に高校なんだ!! 福江城本丸跡にある長崎県立五島高等学校 こんな凄い高校で学んだ子どもたち。大物になること間違いなしだネ。 さてさてもうすぐお昼。最後に美味しい昼ご飯を食べて五島の旅を締めくくろう。 街中を歩いていると、とある寿司店の前で魅力的なのぼりが目に飛び込んできた。 「旨い きびなづくし御膳」 五島名物のキビナゴ。それを寿司・刺身・天ぷらにして、更に名物の五島うどんを添えたまさに五島のオールスター定食である。これを食べずに五島を去ることはできない。 実はこの店、福江島初日の夜20 00頃に訪れたところ、島では店じまいが早いのか 「すいません今日は終わりです」 と断られた。そこで二日目の夕方18 00頃に訪れると、 「今日は予約で満員です」 とまたも断られた店であったが、三日目の昼にしてやっと味わえるぞ。 「すいません。キビナゴの仕込みがまだなのです」 え"っ、ノボリは出ているのに仕込みができてないだと!! 準備が整うのを待っていると帰りの飛行機に間に合わない。オイラはメニューの「きびなづくし御膳」の写真をカメラに収め、泣く泣く五島の旅を締めくくるしかなかった。 「きびなづくし御膳」の写真 (FIN) もどる < 5 > 目次へ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄|離島 なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
https://w.atwiki.jp/tosiyatosiya/pages/160.html
韓 国 に つ い て 調 べ て み る。 韓 国 韓 国 に つ い て 調 べ て み る。 【海峡を越えて―韓国短期旅行】 第5話)テグのブタ親父 |韓国旅行記|関釜フェリー|釜山プサン|大邱テグ|ソウル| 釜山からソウルへ行く途中、テグという街で一泊する。 テグは韓国第3の大都市ではあるがはこれといった観光名所はない。普通の旅行者は歴史の街、慶州に寄るのが一般的だ。しかし僕はガイドブックの「テグは韓国一の美人の産地」のというフレーズを見逃さなかった。 大都市であるにもかかわらず、観光地ではないため、ガイドブックも2Pぐらいしか情報がない。むろん、安いホテルもどこにあるかわからない。だが、ありがたいことに韓国では日本の温泉マークが旅館マークなのだ。ハングルが読めなくても温泉マークを目印にしていけば何とかなる。 駅近くの怪しげな温泉マークに近づいてみた。1階は全然人の気配がしない。恐る恐る2階にあがると、管理人室らしき部屋におばちゃんがいた。むろん日本語も英語も通じない。気合で値段交渉である。 外国語が通じないのは旅館だけではなかった。一日ふらふら街をうろついていたが、テグのかわいい子ちゃんたちとも言葉が通じない。きっかけすらつかめんゾ。心外である。 夕方、市場の近くでうまそうな匂いがするので寄ってみた。ブタ料理の店だ。うまそうなブタ肉の大きな塊が茹で上がっている。近寄ると、なんと!英語で呼び止められた。この街で英語で話かけられるのは初めてのことだ。しかもこんな庶民的な店で、である。 ブタ料理屋の親父:「ブタ、うまいよ」 確かにうまそうだ。大鍋からぐつぐつといい匂いが漂ってくる。 ブタ料理屋の親父:「おまえは初めての日本人客だ、たくさん食べてけよ」 どうやら僕はこの店始まって以来の日本人客第一号という栄誉を賜ることとなった。親父は豪快に煮ブタをぶった切って、たくさん供してくれた。親父のサービスである。目の前にはスライスされた肉が山盛り。 僕 :「おじさん、どうして英語が話せるの?」 ブタ料理屋の親父:「俺は昔、船乗りだったんだ。外国の船に乗ってたのさ」 僕 :「だから英語が話せるんだ」 ブタ料理屋の親父:「そうさ、今日は久しぶりに英語を使うよ」 久々の外国人が懐かしかったのだろうか。親父はしばし仕事を忘れ、昔話を語りだした。 それを聞きながら僕は料理をたべるのだが、さてさて、そのお味はというと、、、まずくはないのだが、ちょっと味が薄いんだよなぁ。でもせっかくサービスしてくれてるんだから残すわけにはいかないし、、、、、僕はだんだん義務で食べていた。 肉を8割ほど食べ終わり、お腹が死ぬほど膨れたころ、 ブタ料理屋の親父:「あ、ごめん。忘れてた。この肉はな、この葉っぱに包んで 味噌をつけて食べるんだよ、ほら」 早く言ってくれ! 確かにそうやって食べると、肉の味は200倍うまかった。だが、もうこの時点で肉はあと2切れほどしか残っていなかったが、、、、 美人とはお近づきになれなかったけど、ブタ親父とは仲良くなれたテグの街であった。 (続く) もどる < 5 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
https://w.atwiki.jp/tosiyatosiya/pages/510.html
ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【伊良部 島宿物語】 第2話)初めてのシュノーケリング 《沖縄旅行記|伊良部島|下地島|GUEST HOUSE nesou(びらふやー)》 このゲストハウスでは 火・木・土 に宿泊者限定ツアーを催行している。前日までに3人以上集まれば一人1000円で参加でき、行く場所はその日の状況によって決定されるという。 明日は土曜日。夕食時に同行者を募ったらあっという間にツアー開催決定。どんなツアーになるのか尋ねたところ、いくつかビーチを回ってシュノーケリングをするのだという。 シュノーケリング? 南の国には何度も言ったことある僕だが、マリンスポーツにはとんと縁がない。無論今回も海の中に入るという想定はしていなかった。 「そのツアーって水着が要りますよね?」 「海辺から眺めるだけでも構いませんが、絶対やって見るべきですよ」 僕は自分の荷物をもう一度ひっくり返してみた。すると奇跡的に海パンが一枚紛れ込んでいた。これはラッキー、生まれて初めてのシュノーケリングって奴を体験してやろう。 翌朝2台の車でツアーは出発。まず手始めに伊良部島とほぼ橋続きでつながっている下地島へ。 下地島 空港滑走路先にある17エンド 下地島にはパイロットの訓練用に使われていた飛行場がある。その滑走路先にあるのが17エンドと呼ばれるエリアだが、青く透き通ったこのビーチの美しさは目を見張るばかりだ。 しばしその浜辺の眺めを楽しんだ後、中の島海岸というシュノーケリングスポットに向かった。 「ライフジャケットはこう着けてください」 ツアーコンと化した宿のオーナーは懇切丁寧に初心者のおいらに機材のセッティング方法を教えてくれる。 下地島 中の島海岸 何事も初めての時は勝手がわからない。ゴーグルに付いた息継ぎ棒の使い方がよく分からず、ボコボコ水が入ってきて死にそうになる。 「マウスピースのところをしっかり噛んで水が入らないようにしてください」 そうか、そうやって使うのか!! やっとの事で機材に慣れ、水中に顔を埋めてみる。 浅瀬なのに魚がうじゃうじゃ泳いでる 何これ!! こんな浅瀬なのに魚がうじゃうじゃ泳いでるのが見えるではないか! こんな光景 酸素ボンベを背負ってスキューバダイビングでもしないと見えないものだとずっと思っていた。 それがたった700円のシュノーケリングレンタル代と1000円のツアー代で楽しめてしまうものなんて夢にも思っていなかった。 後で聞いた話ではあるが、こんな浅瀬であんなに魚が見えるのは、この中の島海岸ならではなのだと言う。 「絶対やって見るべきですよ」のアドバイスに従ってホントに良かった。 (続く) もどる < 2 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
https://w.atwiki.jp/tosiyatosiya/pages/418.html
ケ ー タ イ よ り 自 分 を 充 電 し ま せ ん か ? 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【2時間で行ける欧州・極東ロシアの旅】 第2話)キッザニアx旭山=要塞博物館?? 《シベリア・サハリン旅行記||ウラジオストク|ハバロフスク|ユジノサハリンスク》 石造りの建物が立ち並ぶウラジオストク、その重厚な佇まいは正に本物のヨーロッパだ。鷹の巣展望台から金角湾に架かるゴールデンブリッジを眺め、花壇の美しい噴水通りを散策する。こうしたお決まりの観光コースをプラプラしていると中国人観光客とあちこちで出くわす。ウラジオストクには陸続きで行けることもあり、中国からの旅行者が多い。 ウラジオストク、噴水通り そんなウラジオストクの海岸沿いの高台に、興味深い施設を発見した。その名も要塞博物館。 一見、年代物の高射砲が丘の上に放置されているだけのように見える。だが、これらの旧式武器はただ黙ってそこに並べられているわけではなかった。 要塞博物館-武器が放置されてるだけのように見えるが… この要塞博物館の特徴は、見て、触って、武器を操作できる点にある。 キコ、キコ、キコ~ 実際子供たちは高射砲のハンドルを回し、砲弾の向きを変え、嬉々として兵隊ごっこを楽しんでいる。 いやー、これはロシア当局考えたものだ! 使い物にならなくなった兵器を並べただけだから施設のコストはほぼゼロ。その上で入場料を取り、子供にちょっとした"兵士体験"を提供している。この"職業体験"を子供にさせて金を稼ぐ点なんて、まるでキッザニア東京のビジネスモデルではないか!! また、近年日本では北海道の旭山動物園が大人気であるが、その人気の秘密は"行動展示"と呼ばれる"動物本来の動き"を生き生きと見せたことにあるとされている。ここウラジオの要塞博物館も"武器本来の動き"が実際に触って体感できる、これすなわち"行動展示"その精神ではないか。 つまり、 キッザニア東京x旭山動物園=ウラジオストク要塞博物館 というテーマパーク最強方程式を、建設コストほぼゼロでロシア当局は編み出したワケだ。 興味津々で武器に触れる子供 しかも、要塞博物館を訪れた子供たちは自分で武器を動かすことに感動し、軍事に関する興味が沸く。中にはホントに軍人への道を目指す者も出てくるであろう。そんなリクルート効果まで備えているのだ。 未来のロシア軍人に愛国心を植えつつ、お金まで徴収して儲けてしまうなんて、さすがKGBの国。ロシア当局恐るべし。 だが、そんな当局の思惑とは裏腹に足元では想定外の変化も起こっているようだった。 展示してある武器のハンドルを、目を輝かせ回しているのはなにもロシアの子供だけとは限らなかった。急増している中国人観光客の子供たちもまた興味津々で武器に触れている。どうやらこの要塞博物館、他国の子供の愛国心も呼び覚ましてしまっていた。 想定外のこの事態に、ロシア当局はどう対処するのであろうか。 (続く) もどる < 2 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
https://w.atwiki.jp/tosiyatosiya/pages/521.html
ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【タナトラジャ犠牲祭+αの旅】 第8話)電車式バス・トランスジョグジャ 《インドネシア旅行記|タナトラジャ|ランテパオ|マカッサル|ジョグジャカルタ》 スラウェシ島を後にして、ジャワ島の古都ジョグジャカルタに飛んだ。 ジョグジャカルタにはトランスジョグジャと呼ばれる電車式のバス交通システムが整っていた。バスは決まった停留所のプラットフォームでしか人を乗り降りさせない。そのフォームには電車の駅のように改札があり、駅員ならぬバス停員が配属されている。 電車式バス・トランスジョグジャ 確かにこの方法であれば、地下鉄を作るのに比べたら、線路を敷く必要もトンネルを掘る必要もなく、格段に安く交通システムが出来あがる。 空港から街中までもこのトランスジョグジャで移動でき、しかも値段がたったの3500ルピア(約¥28)というのだからありがたい。 さてこのトランスジョグジャ、利用するには日本で言うスイカのようなICカードが必要とされている。現地に2日しか滞在しない旅行者にとって、利用範囲の狭いICカードにお金をチャージし過ぎると、未利用分が使えなくなって非常にもったいないことになる。 さて、どうしたものかと思いつつ改札口に行くと、ICカードを使っている市民は誰一人いない。みな改札で現金を払い、職員が手持ちのICカードを当ててゲートを開けているのだ。 これにはICカードの導入でがっぽり儲けようと目論んでいたICチップの製造会社はがっかりだろう。 ただ短期旅行者にとっては、都度現金で払えば済むので、無駄がなくてありがたい。 それにしても、本来業務の効率化や合理化のために導入しているはずのICカードだが、このトランスジョグジャを見ていると全く逆のことが行われているように思える。 トランスジョグジャの車掌はバティック柄のユニフォームを着用 そもそもひとつのバス停に3~4人も職員はいらないだろう。そしてバスの中には必ず車掌がいる。この車掌は集金をする必要がない。お金は全て改札で払い済みだ。なのでバス停の名前を告げるためだけに車掌が乗っていることになる。そんなの録音テープで十分だよな。 何か無理やり雇用の場を捻出している気がしてならないのだが、車掌もバス停係員も愛想がよく、行き先や乗り換え地点を丁寧に教えてくれる。 ま、結果として旅行者には親切なシステムに仕上がっているので、良しとしよう。 今世界中で自動運転の車の開発競争が激しさを増している。もしそれが完成し自動運転のバスがインドネシアで導入されても、ちゃんと自動運転してるかどうかを見張る係員がきっと配備されるに違いない。 (続く) もどる < 8 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
https://w.atwiki.jp/tosiyatosiya/pages/346.html
ベ ト ナ ム に つ い て 調 べ て み る。 ベ ト ナ ム ベ ト ナ ム に つ い て 調 べ て み る。 【ハノイの灼熱-アジア杯とお手軽観光】 第2話)ベトナムサッカー協会訪問 ||ベトナム旅行記|ハノイ|ミーディンスタジアム|フォン寺|| チケット受取りのため、ベトナムサッカー協会に向かっていた僕らだが、チケット受渡しと合わせて頭を悩ませたのが、送金問題だった。 史上初めて4ヶ国共催(タイ/ベトナム/マレーシア/インドネシア)となった今回のアジア杯は運営面に不備が多く、ただ観戦に出かけるだけなのに何かと苦労が重なる。 アジア杯チケットの値段は、一番高いカテゴリー1でも、えっ? たったの15万ドン(約1,200円)と驚きの安さ!! 「Jリーグの一番安い席と変わらないぞ。安すぎる。」と友人ものけぞっていたが、4ヶ国共催にもかかわらずチケット販売方式は国ごとにバラバラで、ベトナム開催分はオンライン支払いができず、窓口送金しか方法がない。しかたなく会社の昼休みに某外資系のC銀行に行ったところ、 「うちではベトナム通貨は取り扱いがございません」 と冷たくあしらわれる。「それじゃ困る!!」と窓口のネーちゃんに粘ってドル送金してもらうことにしたのだが、 「ベトナムドンがドルで幾らになるか、当行では取り扱いがございませんのでわかりかねます。」 の一点張り。いまどき金融素人のオイラだって、ネットでおよその為替値ぐらいわかるのに、専門家集団の何たる低たらく。ともかくなんとか為替情報を集めさせ、計算してもらい、送金を完了させた。 今回のチケット代は、友人分も含め合計4枚で60万ドン=37.5ドル=4,481円だったのだが、送金手数料が4,000円も掛かっている! チケット単価より全然高いではないか!! さらに追い討ちをかけるように 「中継銀行の手数料が後日お口座から追加で引き落とされます」 な、なんだとぉ! その中継銀行分も後日しっかり引き落とされ、手数料合計は何と約8千円にも達した。一枚1,200円のチケットに送金手数料が8,000円もかかるってどういう事!! - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - このようにユーザーの利便性など考えたことないであろうベトナムサッカー協会のことだから、事務所に乗り込んだところでスムーズにチケットの引渡しが進むとは考えにくい。 これがベトナムサッカー協会だっ!! 住宅街の外れ、入口にサッカーボール型の詰所のある建物がベトナムサッカー協会だった。受付を通り二階に上がる。若い職員に要件を告げると、満面の笑みで 「WELCOME! これがあなた方のチケットです。楽しんでくださいね。」 なんだ、妙にフレンドリーじゃないか。しかもあっさりチケットをゲット。そして「せっかく来たのだから」とアジア杯ポスターのベトナム語版をプレゼントされる。 「いやー、何かいい人だね。」 土産をもらった途端に嬉しくなった我が一行は、サッカー協会の前で戦利品のポスターを掲げ、いままでの苦労はすっかり忘れ、記念写真を取りまくってはしゃいでいる。って、もう子供じゃないか!! ポスターもらって有頂天!! (続く) もどる < 2 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
https://w.atwiki.jp/tosiyatosiya/pages/519.html
ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【タナトラジャ犠牲祭+αの旅】 第6話)コーヒー農園 《インドネシア旅行記|タナトラジャ|ランテパオ|マカッサル|ジョグジャカルタ》 ケテケス村を訪れた後、その先にコーヒー会社のプランテーションがあると聞いたので訪れてみた。 観光局で相談したところ、街中の事務所で事前に見学許可を取っておいた方が良いとアドバイスを受けた。ちなみにその会社は日系だというから驚きだ。 コーヒー会社の事務所 事務所を訪れると、現地の人に混じって日本人が働いていた。 「本来、許可を取っていくべきなんですが、大抵の観光客は無許可で訪れてますから大丈夫ですよ」 -この言葉を許可を得たものと勝手に解釈した。 それにしても、スラウェシ島の山奥で日本の企業戦士が駐在員生活を送っているとは全く想定外であった。不便なことが多く大変な生活であることは容易に察しがつく。ご苦労様なことである。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ケテケス村からコーヒープランテーションに向かってスクーターを飛ばす。だが進んでいくと途中で道幅がどんどん狭くなる。坂の傾斜がますます急になり、舗装がぼろほろ剥げて、とんでもない悪路になってしまった。こんな道を普通のスクーターで行ってよいのか!! 本来オフロードバイクで行くような道じゃないか!! そこをただの原チャリで行くのだから非常に骨が折れる。 加えて、そもそも本当にこの道がプランテーションに続く正しい道なのだろうかと疑念が沸いてくる。何度か心が折れそうになったのだが、我慢してゆっくりゆっくり進んで行くとのゲートが見えてきた。看板には「Toarco Jaya Coffee Plantation」と書かれている。おお、ここだ。やっと着いた~。 プランテーション入り口 敷地内には工場があった。コーヒーチェリーと呼ばれる生豆を洗浄するところから始まり、豆を天日で乾燥させ、焙煎し袋詰めまで、一貫してここで行われている。特に案内人がいるわけではないが、なんとなく施設中を歩いていると、そういう仕組みになっていることがよく理解できた。 プランテーション内の工場 僕らが毎日飲むコーヒーはこのようなところで収穫され、遥かな旅を経て日本に届くのかと思うと感慨深いものを感じてしまう。 さて一通りの見学を終えたので街に戻ろう。 しかしあの悪路をスクーターで降りて行くのは気が重い。鋪装の剥げた砂利道を滑り落ちるように走らねばならない。スクーターのブレーキは掛けっぱなしで、あまりに強くブレーキを引きすぎたせいか、指にマメができてしまい、皮がむける一歩手前だ。痛いよ、手が。 この山道を走ってるのは、ほとんど僕ひとり。こんなところでパンクでもしたら誰も助けてくれる人はいない。なるべく砂利の少ない所を走りタイヤを傷つけないよう慎重にスクーターのハンドルを切った。 そして、やっとの思いでしっかりしたアスファルトの道にたどり着ついた。 なにかコーヒー農園から無事戻れたことだけで、恐ろしく達成感を感じてしまった。そんな一日であった。 (続く) もどる < 6 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
https://w.atwiki.jp/tosiyatosiya/pages/535.html
ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【東チベット‐幻の僧院都市を目指せ!!】 第3話)ボラれてたまるか! 《東チベット旅行記|成都|丹巴|甘孜|康定|アチェンガルゴンパ|》 成都(チョントゥ)から丹巴(タンパ)までは約7時間のパス旅。都心の渋滞を抜け山に入る。長いトンネルを抜けいつしか高山地帯にバスは入っていた。 車窓からは小さな旗を連ねたタルチョー(チベットの祈祷旗)が目立つようになり、チベット文化圏に突入していることを実感させる。 丹巴(タンパ)の街並み そこからまた幾つものトンネルをくぐり、曲がりくねった道を登りバスが丹巴(タンパ)に到着したのは夕方6時前であった。 丹巴(タンパ)の滞在は一泊を予定していた。もう少し早く到着していれば周辺のチベット族の村を訪れるつもりでいたが、この時間だと無理だろうと予想していた。だが、ここは随分と日が長く太陽の位置はまだ当分沈まない位置にあった。 「50元(約¥850)で甲居(チァジュ)までどうだ?」とタクシーの運ちゃんが声を掛けてきたので行っみることにした。甲居(チァジュ)とは郊外のチベット族の村で、山合に独特の装飾を施された建物が点在していることで知られた観光エリアだ。まだ日没までには時間があるので、タクシーで往復するにはちょうどいいだろう。 甲居(チァジュ)の村の入口で「入場料で50元(約¥850)かかるぞ、いいか」と運ちゃんに言われた。もちろん必要なお金は払うつもりだ。だが運転手は特に入場料払うこともなく村に侵入していった。 甲居(チァジュ)-チベット族の村 チベット族の村は見ごたえがあり、多くの観光客が訪れていた。一通りの観光を終えると 「お前の宿はどこだ」と運転手が尋ねてきたので丹巴(タンパ)の地図を示して「ここだ」と指差すと。 「なんだ、甲居(チァジュ)ではないのか、じゃ往復で100元(約¥1700)だ」 そうかそういうことだったのか、実は往復50元は安いなと思っていた。 こうして甲居(チァジュ)から丹巴(タンパ)に戻る。意外にも丹巴(タンパ)の街中は観光客の車が多く渋滞が起こっていた。そして間もなく宿の前というところで運ちゃんが「200元(約¥3400)だ」とほざいた。 「タクシー代往復100元、入場料50元、道が渋滞したので50元、全部で200元だ。」 これにはオイラも久しぶりにブチ切れた。タクシー代の往復100元‐これはまあ問題ない。 入場料50元‐これを払う相手は村の管理局だ。なんでお前に払わねばならないのだ!! 最後に渋滞したから50元‐なんだ、取って付けたようなこの理由は!! オイラは100元札を叩き付け、そそくさとタクシーを飛び降りたのであった。 そして「F**K YOU」に相当する中国語を覚えねば、と強く心に誓ったのであった。 (続く) もどる < 3 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談