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Chapter48「鉄のゴーレム4:意志の力」 「もしよければ、グリム。お主のその機械技師としての力、私たちのために貸してはくれんか」 この老人には私たちにはない力がある。 太古の技術、機械を作り出せるという点もそうだが、彼には執念めいた強い意志がある。竜族にはない、人間だけが持っている強い意志の力。 意思の力、それは奇跡の力だ。 筋力にしても体力にしても魔力にしても、人間は竜に比べればどれもが劣っており、そして貧弱な生き物だ。わずかな傷やちょっとした病で簡単に死んでしまう。 しかし、そんな弱い存在でありながら、時として人間は竜をも凌駕するとんでもない力を発揮してみせる。 例えば賢者や魔女の存在は、人間の本来の魔力から考えるとあり得ない。 それに物理的な力では竜に敵わないはずなのに、人間の英雄が竜を倒したというような伝説は、探せばいくらでも出てくるほどだ。 決して諦めない、絶対にやり遂げてやる。 そういう半ば狂気ともとれる『意志の力』……それが人間の強さだ。 この老人はとくにその強い意志の力を持っている。 大樹をトロウの支配から取り戻すためには、そして祖国の仇を討つためには、我々地竜族にとって、この男の力は絶対に必要だ。そう思った。 だから私はこの老人、グリムに仲間になってほしいと勧誘した。 「お主はこんな辺鄙な場所で一人で暮らしておるのか? だとしたら、何かと不便も多かろう。もし力を貸してくれるなら、お主もアルヴで暮らせるようアルバスにかけあってやる。悪い話ではないと思うが」 グリムは黙っていた。その沈黙が肯定なのか反対なのかは、彼の被っている銀の仮面のせいで表情から読み取ることはできなかった。 返答を待っていると、グリムはくるりと背を向けて歩き出した。 「ま、待つんじゃ! それは私には力を貸せないという意味か!?」 背中に向かって叫びかけると、グリムは足を止めて振り返ることなく言った。 「ワタシははぐれ者だ。今や機械弄りなど、この魔法の時代においては誰も見向きはしない。ワタシは時代を逆行する……いや、時代に取り残された存在なのだ。しかし、機械技師としての生き方は我がスヴェン家のルーツであり、そしてそれがワタシの選んだ生き方だ。今さらどうして人の輪の中になど戻れようか」 「自分の生き方は人々に受け入れられない、と?」 「……それもあるかもしれないが、それ以前にワタシは他人には興味がない。さっきも言ったがワタシには時間がないのだ。ワタシの研究を完成させるためには、いくらあっても足りない。だから他人を気にかけている暇など一切ないと言えよう」 なるほど、この老人は自分の人生をその研究とやらにすべて捧げる覚悟らしい。そのために不要なものは一切を切り捨てている。他者との関わりも含めて全て。 しかし、本当にそうなのだろうか。もしそうなのだとすれば、それならばあの金属の竜は何なのか。何のためにあれを使ってアルヴを偵察していたのか。 「ならば一旦話を変えさせてもらうぞ。そもそも私は最近アルヴの周辺を嗅ぎ回っている金属の竜を調査するためにアルヴから来ておってのう……。単刀直入に聞かせてもらうが、お主の目的は何じゃ? 本当に他人に興味がないなら、なぜ偵察のような行為を繰り返す?」 私の予想はこうだ。おそらくこの老人、口ではああ言っておきながら、やはり本当は寂しいに違いない。人恋しさから、あの金属の竜を使って近くの集落を眺めていたのではないだろうか。 アルヴ側から見れば、その位置が一定でない特性上、何度も追跡されているような印象を受けるが、もしかすればグリムは近くの集落を手当たり次第に観察していたのだ。つまり、アルヴ以外の街にもあの金属の竜は現れているはず。 どうやってアルヴの位置を特定してきたのかはさすがにわからないが、おそらく古代の機械技術というのは何かこう、そういうすごい秘められた特殊能力みたいなものがあるのだろう。 人恋しさから偵察の真似事をしていたのなら、それが突破口になる。あの老人は自分は一人で生きていく、それが生き方だ、と意地を張っているだけに違いない。 「隠しても私にはわかるぞ。お主、本当は寂しいんじゃろう? だからこの浮島で一人研究を続けながらも、あの金属の竜を飛ばして付近の街の様子を探っておる。それにセッテたちをここに招いているのも、その何よりの証拠じゃな」 「ほう……。なかなかの推理力である」 よし、一歩前進したか。 そう思ったのも束の間、予想は外れていたことを私はすぐに思い知った。 「しかしな。あの若者三人組はワタシが招いたわけではないのだ。あの金属竜……ワタシはあれをゴライアスと呼んでいるのだが、飛行テストのために自動操縦であれを巡廻させていたところ、あの三人組が勝手に乗り込んでここまでやってきてしまってな。どうしてもゴライアスに乗って空を飛びたいというので、研究の邪魔をしないことを条件に好きにさせている」 「そ、そうだったか。私はあやつらの保護者のようなもんじゃ。もし迷惑をかけていたのなら申し訳ない」 「問題ない。おかげで背中に人を乗せての飛行データが取れる。それによる燃料消費への影響を確認するのと、重心調整の精度を向上させるために必要なデータだ」 「そ、そうか。だがそれだけではまだ話は終わっておらんぞ。アルヴや周囲の街を観察していたのが何よりの証拠。人が恋しいのならこそ、私たちの仲間になってほしい。誰も研究の邪魔はしないと約束するし、そのための場所も提供しよう」 「……いつワタシが周囲の街を観察していると言った?」 「え?」 「たしかにワタシはゴライアスにアルヴのデータを集めさせていた。あれには高精度のカメラが搭載されている。分厚い雲の層を突き抜けて、その内部の様子を観察できる特殊なカメラだ。そしてアルヴにはマーカーを設定してあるので、位置が変わってもゴライアスにはすぐにわかる。マーカーの発する特殊な電波のおかげだ」 カメラ? マーカー? デンパ? おそらく機械に関する専門用語なのだろうが、私にはよく理解できなかった。 その後も専門用語満載の難しい話をグリムは続けた。 とりあえず理解できた範囲で話を総合すると、グリムが観察していたのはアルヴだけらしい。では何のためにアルヴを観察していたのかというと、そこに暮らす竜人が目当てだったらしく、竜人を観察することが研究に必要なのだそうだ。 「あそこはいい。竜人がたくさん集まっている。まさに資料の宝庫なのだ」 「資料? そもそもお主は時間がないというが、一体何の研究をしておるのだ?」 「ほう。聞きたいかね? ワタシの人生を賭けた情熱の一端を。そう、あれはまだワタシが青春の一途にあった頃――」 「……手短に頼むぞ」 この老人は無駄に長話を披露したがる傾向があるらしい。話の九割がたは結局のところあまり関係ない話だったのでばっさりと切り落とすとして、重要そうなところだけまとめると、つまりこういうことだ。 グリムは若い頃、機械に興味を持って最初にやろうとしたことが空を飛ぶことだった。彼の祖先が開発したという飛行艇は、現在の魔導船の原型にあたる機械であり、それは魔法の力に頼らず燃料と機械の力で空を飛んでいた。 それに感銘を受けたグリムは、まずは小型の飛行艇模型を作ることにした。スヴェン家には家宝として代々飛行艇の設計図が受け継がれていたらしいが、かなり古い時代のもののためか、紙はぼろぼろになり、そこに描かれた図もかすれてほとんど判別できなくなっていた。それに当時はありふれていた材料も今では希少だ。 そんな状態からグリムは、数十年かけてようやく実際に飛ばせる飛行艇模型を完成させることに成功した。 あとは同じものを大きさを変えて作ることができれば、古の飛行艇を今の時代に復活させることができただろう。しかし、魔導船が主流になっている現在にわざわざ飛行艇を復活させたところで、見向きもされないのは目に見えている。 そこでグリムは大型の機械に頼らず、小型の機械でなおかつ人間一人の力で空を飛べるものを開発しようと考えた。飛行艇は大型で大量の燃料を必要とするし、操縦には特別な技術が必要で、メンテナンスも大掛かりなものとなる。 そうではなくて、例えば小さな機械ひとつを背負うだけで手軽に誰もが空の旅を楽しめるようなそんな夢のような機械。そういうものをグリムは目指していた。 いわゆるジェットパック構想。過去の時代、機械技師たちが幾度と挑戦し、そしてとうとう成し遂げられなかったものだ。 まず背中に背負う形をしているので、機械そのものが身体にかなり近い位置にある。ジェット噴射の力で空を飛ぶというのが基本構想だが、火が身体に近すぎてそのままでは火傷をしてしまう。それに燃料タンクを直接背負っているようなものなので、万が一事故が起これば非常に危険だった。 そこでグリムはジェットパックに翼をつけて、その翼からジェット噴射を行うことで火を身体から遠ざけた。翼の形を工夫して空気抵抗を制御し、さらに浮力を生んで飛行を助ける設計。素材も試行錯誤の末に、十分な耐久性を備えるものを選んだ。 そして完成した試作品第一号、それをもってグリムは初のテスト飛行に挑んだ。 ――しかし、結果は失敗だった。 これがもし地上の実験なら成功していたかもしれない。しかしここは空の世界。 地上から飛び立った場合よりも、開始時点からすでに高度がかなり高い。そして高度が高くなればなるほど気温は低くなる。 結果、ほんの少し上昇しただけで燃料が凍結してしまい、グリムはそのまま空の底へと真っ逆さまに落ちていった。 死を覚悟したそのとき、彼を救ったのは名も知らない風竜だったという。 風竜はそれほど人間に対して友好的な態度ではなかったが、翼を持たない身でありながら空を飛ぼうとするその心意気だけは気に入った、と彼を称賛した。 これをきっかけに、グリムは竜に強くあこがれるようになっていった。 そして彼は空を飛ぶ研究に竜を取り入れることにした。かつての機械技師たちは地上で暮らしていた。だから竜という存在を知らなかった。彼らの知らなかった竜というものを取り入れれば、彼らの成し遂げられなかった研究を自分が達成させられるのではないか。そうグリムは考えたのだ。 まずは最初に、飛行艇の設計を応用して機械で竜を再現しようとした。竜を研究に取り入れるならば、まずは竜の構造を理解し、そしてそれを機械的な構造に落とし込む必要があったからだ。 その再現にまた長い年月を費やすことになるのだが、その結果としてできたのが例の機械の竜ゴライアスだった。 次はそれを小型化する番だ。模型から大型の飛行艇を作ったときの逆をすればいい。人ひとりが搭乗するサイズの機械の竜を作り出す。 だが実際に完成させてみると、それはグリムの思い描いていたようなものとは違っていた。 「やはりこれはあくまで乗り物だ。ジェットパック構想は、機械で補助はしながらも基本的には人ひとりの力で飛ぶイメージ。これには自分の力で飛んでいるという感覚が足りない。そう、風を感じられないのだ」 そこでグリムは、機械の竜を分解して鎧のように身体に装着できる形にしようと考えた。鎧が身体を護るので、火傷や事故の危険性も軽減できるはずだ。 しかし、これもうまくはいかなかった。まず全身を護る鎧では重過ぎて宙に浮かぶことすらできなかった。なんとか軽量化してみると浮かぶことはできたが、まったくバランスを取ることができずに振り回されたあげく、地面に激突した。 機械の竜はバランスが取れていた。竜の首や尾が長いのはちゃんと意味があったのだ。翼をブースターとした場合、大きくずっしりとした身体が中心に来るのは重心を支える上で非常に重要だ。そして前後に伸びる長い首や尾が細かいバランスを調整するのに一役買っている。 一方で人間の身体は細長い棒状だ。そして中心よりもむしろ頭が重いので、頭のほうにバランスを崩しやすい。人間は飛行に適した身体をしていない。 翼の大きさを調整したり、竜の尾を模した部品をつけてみたりと試行錯誤を繰り返したが、ここで彼の研究は行き詰ってしまった。 「先人たちが成し遂げられなかった研究。やはり人ひとりの力で空を飛ぶというのは、しょせんは夢物語なのだろうか……」 そんなときにグリムは竜人という種族の存在を知った。 竜人とは人間と竜族の間に生まれた存在。その姿は様々だが、中には翼を持ち、自由に空を舞うことができる者もいる。これだ、とグリムは思った。 当時迫害を受けていた竜人たちは身を隠して各地に散っており、彼らを探してグリムは空の世界中を旅して回った。 そしてついにアルヴという竜人たちの隠れ里の存在を嗅ぎ付けたのだった。 「……長すぎるわ!」 言っておくが、これで話の一割だ。ここにあと九割の無駄な話が加わるというのだから、本当にもう聞かされる身としてはたまったものではない。 「まったく。お主はまず結論を先に話すことを覚えるべきじゃぞ。ええと、つまりアルヴを観察しているのは、翼を持つ竜人を参考にするためなのか」 「左様ッ! 竜人のあの絶妙なバランス。あれこそまさに自然の生んだ奇跡のバランスだ! 人のように細長い体形でありながら、しかしわずかに長い首と体格にたいして不自然なほど長いと思われていたあの尾。だが翼を持ち空を飛ぶことを考えるとむしろあの長い尾は必然! あれこそ人が空を飛ぶために必要な究極にして完璧な形であり、あれを取り入れることによってワタシの研究は……」 「わかったわかった。頼むから落ち着いてくれんか」 つまりまとめると、グリムはアルヴの竜人を参考にして、空を飛べる翼のような機械を作ろうとしている。そういうことだ。 あの長い話がたった二行で終わってしまった。これだから、話の脱線の多い人間は困る。さっさと結論を言え。 ともかく、グリムがアルヴに関心があるということはわかった。これはこんどこそ突破口になるはずだ。 「時にグリム。ゴライアスを使ってわざわざ遠くから観察しておるようじゃが、それなら実際にアルヴへ行って竜人を観察したほうが良いのではないか? カメラ越しではなく直接その目で見ることで、より詳細がわかるやも知れんぞ」 「それはその通りだな」 「ならばそうすれば良いではないか。お主の目の前にそのチャンスが転がっておるのだぞ? なぜそれをつかもうとしない」 「今、努力をしているところだ。先程、ワタシは身体をいずれ脳以外すべて機械に置き換えるという話をしたな」 先程、というにはあの長い話のせいで違和感を覚えるが、たしかにそうだった。この老齢の男はすでに人間の寿命を遥かに超えて生きている。それは老化によって衰えた器官を機械で代用しているおかげだという話だったが。 「ワタシはいずれ身体の外部も機械に置き換える。そしてそのときは、竜人に模した姿で設計しようと考えている。アルヴは竜人の国なのだ。竜人の国に入るには、竜人にならなくてはな。それが礼儀というものだろう」 「何? ではお主は自らを改造して竜人になろうというのか」 「あくまで一時的な話だ。ワタシが真にあこがれるのは竜である。ゆえに竜人をモチーフにした飛行装置の研究が終わったら、ワタシは自分のための研究を始めたいと思っている。すなわち、ワタシ自身が機械の竜になるのだ」 「…………???」 「何を驚いた顔をしている。そもそも人間の身体は飛行に適していない。竜の身体こそが飛行に最も適している。ならば竜になればワタシは自由に空が飛べる。そうだろう?」 竜人になればアルヴに入れる。そして竜になれば空が飛べる。 そんなことを真面目な顔をして言い放つこの男の考えていることが、私にはよくわからなくなった。竜人とか竜になると言っている話のことではない。あくまで機械にこだわって、自分の身体を改造しようとしている点についてだ。 一時的に姿を変えるだけなら変性魔法を使えばいい。私やクエリアがよく人間の少女に変身しているように、あるいはオットーがフレイヤの魔法で竜と化していたように、どちらも魔法で簡単に解決することができる。 そもそも浮遊魔法が存在するこの世の中で、わざわざ機械のジェットパックとやらで飛ぶことにこだわるのはなぜなのだろうか。 そのことを直接聞いてみると、グリムはそれをばっさりと否定した。 「魔法など邪道である。そんなものはズルだ。ワタシは人間の力だけで空を飛びたいと考えている。魔法は人間が生み出したものではないのだからな」 私にはわからない。それを言うなら機械を作るための金属も大地が生み出したものだし、自分の魔力を使って魔法を使えば自分の力ということになるはずだが。 時に人間とは頑固である。一歩はなれて客観的に見てみれば、すごく効率の悪いことをやっているというのに本人はそれに気がつかない。そして時にはそれを最後までやり通してしまう。 無理も通れば道理になるとは言うが、私にはとても真似できない道理だ。 しかしそれをやり通してしまうその道理は、強い意志の力なくしては為しえないこと。その力は称賛すべきものだし、私が期待している奇跡の力だ。 「ふむ。なんて頭の固いやつじゃ。しかし、ますます気に入ったぞ。ならば私もその強い意志の力をいうのを真似してみようと思う。私は絶対にお主を仲間として連れて帰ると決めたぞ。さあ、私と一緒にアルヴへ来てもらおうか」 まだ私はその『強い意志』というものを完全に理解したわけではない。ここで力ずくでグリムを連れ帰ることもできるが、それは強い意志の道理に適った行為なのだろうか。それともあきらめずに説得を続けることこそが、強い意志らしい手段なのだろうか。 とにかくあきらめない。絶対にやってみせる。 その意気が大事に違いないと心に言い聞かせて、どんな長期戦になろうとも、なんとしてもこの男を仲間に引き入れてみせるぞ、と私は身構えた。 すると、 「よし。ではそろそろアルヴへ向かうとするか」 グリムはあっさりと承諾してみせたではないか。 「な、なんじゃと!? あれほど反対していたのに、どうしてそんな急に」 「何を驚いている。いつワタシが反対だと言った?」 「今さら人の輪には戻れないとか何とか言っておったじゃろうが」 「言ったな。しかし反対だと言った覚えは少しもないぞ」 「え?」 「あのフレイという青年から事情は聞いている。貴女が案内してくれるのだろう? さあ、早くワタシをアルヴへと連れて行ってくれ」 くそう。だから結論から言えと言ってるだろう! どうやらすでにフレイが説得して話がついていたらしい。 人の輪に戻るつもりはないし、まだ身体を竜人に改造していないので、アルヴァニアの街に住むつもりもない。 しかし観察を重ねたおかげでアルヴの地理にはけっこう詳しいらしく、街はずれの雲の森にすでに目星をつけていたらしい。そこに拠点を設けて研究を続けることを条件に彼はフレイの話に乗ったそうだ。 せっかく身構えていたというのに肩透かしを食らってしまった。 強い意志の力を持つグリムが仲間になってくれるのはありがたい。願ったり叶ったりだ。しかしせっかく絶対にあきらめないと心に言い聞かせた私の誓いは? このもやもやしたすっきりしない気持ちは一体どうすればいいのか。 私が意志の力を理解できるようになるには、まだまだ時間がかかりそうだ。 やがて機械竜(ゴライアス)に乗って戻ってきたセッテたちとともに、私はグリムを連れてアルヴへと帰った。フレイはまだいいが、セッテとゲルダは一体何をしについてきたのだろうか。 帰りはグリムの操縦するゴライアスに三人を乗せてもらったので来るときほどは疲れなかったが、精神的にはどっと疲れる一日になった。 この疲れも意志の力で吹き飛ばすことができればいいのに。 Chapter48 END 魔法戦争49
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Chapter16「氷竜の国ニヴルヘイム」 「まったく。あやうく死ぬところじゃったぞ! 見境のない小娘め……」 セッテの炎とアクエリアスの力によって、ようやく氷の中から解放されたクルスは、深いため息をついた。 あたり一面はまだ凍ったままで、ヴァルトも依然として冷凍保存中だ。 「こいつはどうする?」 とアクエリアスが聞くと、放っておけとクルスは答えた。 「こやつ、風の魔法は空気を操るようなものだからオレ様は窒息しない~とか豪語しておったからの。そこまで自信があるなら、捨て置いても死にはせんだろう」 「えっ? 氷の中って空気も凍ったりはしないんすかね」 「細かいことは気にするな。それよりこの小娘は一体誰なんじゃ」 聞かれてアクエリアスは、再び「かの大国ニヴルヘイムの~」と大げさな名乗り口上を始めた。とくに何度も聞かされていることになる蒼い剣士は、少しうんざりしたような顔をしていたが、彼とフレイ以外はまだ互いの名を知らなかったので、ここで改めてそれぞれが自己紹介をすることになった。 まずはそのままアクエリアスから。ニヴルヘイムの王女であることをやけに強調しながら、本人としては威厳たっぷりのつもりで故郷の自慢をこれでもかと交えて名乗り上げる。 同じく王族であるフレイを目の前にして、しかもあくまでクエリアは第二王女であるのだが、恥を知ることのないこの幼い竜姫はやりきった思いで満足そうに自己紹介を終えた。 続いて苦笑しながらフレイが手短に名乗る。 「よ、よろしくね、アクエリアス王女。僕はユミル国の王子のフレイだ。訳あって国を離れて旅をしている」 フレイの言葉を皮切りにオットーとセッテ、そしてクルスも順に名を名乗った。 「それにしても、これまたちっこいのが出てきたもんっすねぇ。これはクルスといい勝負だ。ほら、おちびちゃん。アメちゃんやるっすよ」 「むむっ。おい、赤いの。さては貴様わたしを馬鹿にしてるだろ!」 「だってどう見たっておちびちゃんじゃないっすかぁ」 クルスと初対面のときと同じ調子で、セッテはこのおちびちゃんをからかった。 人の姿に化けたクルスの見た目は10才程度の少女だが、対してアクエリアスはそれよりもさらに幼く見える。幼女といっても過言ではない姿でやけに威張った話し方をするものだから、セッテにはそれが滑稽に思えてならなかったのだ。 「無礼者め! これでもわたしは貴様より遥かに長く生きているのだぞ。ニンゲン風情が調子にのるなっ!」 「おっ。なんか誰かさんにも同じようなこと言われた覚えがあるっす、ねぇ?」 ちらりとクルスのほうを見ると、不満そうな顔でセッテをにらみ返している。 「そんな小娘といっしょにするな。そやつはまだガキじゃ」 「わたしがガキだと~!? これでもわたしはもう二百年以上生きているんだぞ」 「たったの二百年ではないか。私の半分も生きておらんことになるのう。偉そうなクチを叩くなら、せめて千年は生きてからにすることじゃな」 「ふーんだ。長生きしてればエライってわけじゃないもんね。その点わたしは王女様なんだから、実際にエライんだもんね~。どうだ、まいったか!」 「ほれ、すぐ調子に乗る。やっぱりガキじゃないか」 「ぬぬぬぅ~。う、うるさいぞババア!」 「バッ……!? お、お主、言ってはならぬことを言ってしまったようじゃのぅ」 二人の竜の少女が火花を散らし、今にも殺し合いを始めそうな空気に王子は慌てふためき、緑と蒼が呆れてため息をつく隣で、赤は腹をかかえて大笑いした。 「そういえば、あなたの名前をまだ聞いていませんでしたね」 ようやく場が落ち着いたところで、フレイは蒼い剣士に尋ねた。 「ああ、俺か。さっきも言ったが俺は傭兵をやってる。金次第でどんな荒事でもやってみせるぜ。人は俺のことを蒼き勇者と呼ぶ」 「いや。あの、名前……」 「不可能を可能にする男、双剣の覇者、それから蛇と呼ばれることもあったかな。だが俺は勇者の響きが一番気に入っている」 再度名を問おうとしたフレイの言葉を遮って、勇者は最後まで言い切った。誰もが訝しげな表情をしていたが、クルスだけが真剣な面持ちで勇者に問う。 「己の名を知らぬと言うことか。さぞ数奇な生を歩んできたと見える」 「なに、自分を生かす力もそばにいる奴を死なせない力も持ってる。悪い人生じゃなかったぜ。当然、これからもな」 飄々(ひょうひょう)と答える彼の雰囲気に重くなった空気がゆるむ。暗闇を照らし、周囲を明るくする彼の人柄ゆえに人は彼を勇者と呼ぶのだろう。 「しかし名前がないと不便なのでは?」 そう問いかけるフレイの疑問に対しては、 「人は俺を勇者と呼ぶ。呼び名があれば、名前はなくてもなんとかなるもんさ。そろそろ俺の方から勇者と名乗ってやろうかと思ってるぐらいだぜ」 イタズラでもするかのように楽しそうな表情で答えた。 「とは言ってものう。蒼の勇者ゆうしゃでは決まりが悪かろう。もしよかったら、私が名付け親となってやっても良いぞ」 「待て! それならわたしが名前を考える!」 目を輝かせてアクエリアスが手を挙げた。偉そうな態度こそ取っているが、こういうところは素直で子どもらしい。 「まあいいが、変な名前だけは付けてくれるなよ、お嬢ちゃん」 「お嬢ちゃんと呼ぶなと言っただろ! いいから少し待ってろ」 そう言って少し考え込むと、すぐに閃いた様子で再び元気に手を挙げる。 「そうだ、これがいい! 偉大なる水竜アクエリアス様の忠実なるしも――」 「却下」 「むっ…………じゃあフリード。フリードというのはどうだ? 遥か昔、数々の劣勢を覆したといわれる戦場の英雄の名だぞ。書庫にあった本で読んだ」 この案にはクルスも太鼓判を押した。 「その名なら私も聞いたことがある。数々の伝説にその名は出てくるが、地竜族に伝わる話で言えば、我らが長老様のひとりフェギオン様が若かりし頃に世話になった人間の名もフリードだったとか」 「へぇ、伝説の英雄か。うれしいこと言ってくれるじゃないの。悪くない。ならばこれからはフリードと名乗ることにしよう」 蒼き勇者改めフリードはまんざらでもない様子で、それを見ているアクエリアスもまた、やや照れた様子で満足していた。 「名前をやるのは助けてくれたお礼で、それ以上でもそれ以下でもないからな! これからお前のことをフリードと呼ぶから、お前もわたしのことは愛称のクエリアで呼べ。いいか、これはすごく名誉なことなんだぞ。感謝しろ」 「ああ、わかったぜ。ありがとうな、クエリアお嬢ちゃん」 「だーかーらー……お譲ちゃんって呼ぶなーっ!!」 しばらくフリードとクエリアがじゃれ合ってから落ち着いた後、凍り付いた魔導船グリンブルスティを指してクエリアが言った。 「さてと。それじゃあ、そろそろ出発だぞ。わたしは故郷のニヴルヘイムに帰らなければならない。船の氷を溶かしてやるから、ニヴルに向かえ」 もとよりフレイたちはニヴルヘイムに向かうつもりではいた。ムスペルスで火竜の協力を得られなかったため、次に頼るべきはニヴルヘイムの氷竜だ。 ニヴルヘイムでは現在鎖国政策が行われており、同胞以外の者が近づくと攻撃されるという噂が流れている。噂の真偽はともかく鎖国中なのは事実であり、どうやって入れてもらうかという答えはまだ出ていなかった。 「しかしニヴルの王女だと言い張るクエリア殿がいるなら、その心配もないと見てよいかと。では王子、次の目的地は変わりなくニヴルでよろしいですね?」 「そうだな。フリードが言ってた依頼主がいるというアルヴという場所も気になるけど、幼い子を無闇に連れまわすわけにもいかない。まずはクエリアを家に帰してあげなくちゃね。ニヴルの女王に謁見するいい理由にもなるし」 「いや、二人ともちょっと待つっすよ! セッちゃんはどうするっすか。ひどい怪我をしてるし、置いて行くわけにもいかないっすよ」 「それもそうだな……」 今、セルシウスは船の隣で静かに寝息を立てている。 一度はヴァルトの突風に邪魔をされたが、再びセッテとクルスが力を合わせることで応急処置は施した。とは言え、ちゃんとした治療を行ったわけではなく、仲間が二人増えたところで誰も回復の魔法が使えない事実にも変わりはなかった。 まだ意識を取り戻していないのでこのまま放っていくわけにもいかないが、火竜の巨体を乗せられるほど船は大きくない。仮に乗せられたとしても、ニヴルの氷竜とムスペの火竜は仲が悪いので、このまま連れて行くわけにもいかない。 案の定、事情を知らないクエリアはそんなやつ放っておけと騒いでいる。 「やめるんだ、クエリア。セルシウスはセッテの親友で……」 騒ぐ子どもをたしなめようとするフレイをそっと制して、セッテは決心した。 「いいんすよ。おれのわがままでフレイ様の目的を邪魔しちゃいけないっす」 「わがままだなんて、僕はそんな」 「だから決めました。おれ、ここに残ってセッちゃんを看てるっすよ。おれの火で少しはセッちゃんに元気を分けられる。だから目を覚ますまで、そばにいてやろうと思うんすよ」 そこまで言うなら、とフレイは首を縦に振った。 こんどは代わってオットーが問う。 「しかしおまえ一人で大丈夫なのか、セッテ」 「大丈夫っすよ、兄貴。セッちゃんが元気になったら、乗せてもらってすぐに追いつくっすから!」 彼一人をここに残していくことはオットーもフレイも心配だったが、セッテの決意に満ちたその目を見て彼を信じることにした。 こうしてセッテとセルシウスをこの場に残すことになり、それぞれ出発の準備を終えると、クエリア先導のもと船が浮上を開始した。 「それじゃあ、こんどこそニヴルヘイムへしゅっぱーつ! わたしの故郷へ行くのだから、ここからはわたしが船長だぞ。クエリア船長にけいれーい!」 「何を言うか。これは私の船じゃぞ。それにこの船を動かしているのも私だ。だから船長は私に決まっておる。ほれお主ら、クルス船長に敬礼せぬか」 「ちがうちがうちっがーう! クエリア船長! わたしが船長をやる!!」 「ならぬ! これだけは譲れんぞ。私が船長だ。お主らもそう思うだろう?」 船が進み始めるや否や、二人の竜の少女はどちらがリーダーかをめぐって言い争いを始めた。そんな様子を見て、フリードは肩をすくめた。 「うん。正直言うとな、ぶっちゃけどうでもいい」 そうして賑やかな様子で北のほうへと舵を取ると、進むにつれて空が暗くなっていき、次第に雪がちらつくようになった。ニヴルヘイムに近づいている証拠だ。 氷竜の国、ニヴルヘイムは雪と氷の国。 ムスペルスは巨大な雲塊の中に火山の大陸が納まっていたが、こちらは巨大な島雲の上にこれまた巨大な氷の塊が載っている。大地があるムスペルスとは違い、ニヴルヘイムの国土はこの大氷塊そのものだ。 氷とは言っても表面は起伏が激しく、山もあれば谷もあり、氷の裂け目には溶けた氷の一部が溜まって泉のようになっているところもある。そしてそれはムスペルスの国土に負けず劣らずの広さを持っている。少なくとも竜の棲む国だけあって、ユミルの国土の数倍は大きい。 また氷の上だけではなく、氷山の一角が如く雲に埋もれた地下部分にも氷竜たちの領域は存在する。氷を削ったりくり抜いたりした広大な地下空間が大氷塊の中に広がっており、その最下層にニヴル城がある。エリューズニルと呼ばれる氷でできた彫刻のような城だ。 地下空間は夜になると、ここだけに棲む光虫を使ったランプで照らされて幻想的に輝き、ライトアップされた氷の城はこの世のどんな物よりも美しいという。 そんなニヴルヘイムの様子を、クエリアは自慢げに語ってみせた。 「ニヴルは世界一美しい国なんだぞ。そんな国に暮らす氷竜や水竜はもちろん世界一美しいのだ。つまり、わたしは世界一美しいってことだ」 「つまりお譲ちゃんの国には世界一美しいやつが何人もいるのか。変な話だな」 「う、うるさいな! 細かいことを気にするんじゃない。禿げるぞ!」 「ご忠告感謝します、王女さま。でも俺の家系は代々白髪になる遺伝子でなぁ」 クエリアが口を開けばフリードが茶々を入れ、フリードが何か言うたびにクエリアがむきになって言い返す。端からみても、この二人はやけに仲が良いらしい。 しばらく進むとニヴルヘイムの衛兵なのであろう氷竜が集まってきて、船を取り囲んだ。氷竜たちはニヴルヘイムが鎖国中であることを述べて、引き返さなければ容赦なく排除すると警告したが、船の上にクエリアの姿を確認するとすぐに目の色を変えた。幼女の姿に化けていても、どうやら気配や雰囲気からそれがただの幼女ではなく、自分たちの王女だということが氷竜たちにはわかったらしい。 王女アクエリアス姫が行方不明になっていたことは、当然ながらニヴルヘイムの国中に知れ渡っていることであり、その王女と同行していることで最初はクエリアをさらった犯人だと誤解されそうになった。 氷竜たちは攻撃的な態度でもって迫ってくる。そこでクエリアが一歩前に出ると事情を説明し始めた。 「待て。こいつらは敵ではない。わたしの新しい家来だ」 「だから俺は家来になったつもりはないと何度言えば……」 「フリードは黙ってろ。ええとそれで、わたしはあの日はフヴェルゲルミルの泉のあたりを散歩していたのだが、見慣れない黒い竜を見かけたので声をかけてみようと近寄ったら眩しい光を浴びたんだ。そのとき光の向こうに人陰を見た気がする。そこで意識を失って、気がついたらこの男に捕まっていたというわけだ」 「お、おいおい! よけいに誤解されそうなことを言うんじゃないぜ。俺は拉致られてたお譲ちゃんを助けに行ってやったんだからな」 「わたしは嘘は言ってないからな(さっきの仕返しだもんね!)」 「いやぁー、このとおりすごくお元気でして。ほんとアクエリアス姫様がご無事でよかったですよー。あははは……(だからって今はないだろ!)」 そんなクエリアとフリードの様子を見て、衛兵たちは態度を改めた。 王女を救ってくれたことに対して感謝の意を述べると、鎖国中ではあるが特別にと入国することを認めてくれた。 氷の城で女王が再会を待ちわびているということで、すぐにでも城へ赴いてほしいと氷竜のうちの一頭が案内をしてくれることになった。 幼いとはいえ、クエリアはニヴルヘイムの王族には違いないのだ。その心をつかんでいるフリードの存在は、これからの交渉に役立つかもしれないとフレイは期待していた。 ――だが、その期待はすぐに裏切られることになる。 「妾(わらわ)の娘を見つけ出し、無事に連れ帰ってきてくれたことには感謝する。もちろん謝礼はさせてもらうつもりであるぞ。だがこれとそれとは別の話。そう簡単な話ではないのだ、ヒトの子よ」 クエリアを氷城エリューズニルへと送り届けると、フレイは一人で女王の間に来るようにと呼ばれた。氷の女王ヘルと謁見し、フレイはユミル国の現状と事情を話した後に、トロウを止めるために氷竜の力を貸して欲しいと女王に嘆願した。 だが、氷の女王は首を縦に振らなかった。 この国が現在鎖国中なのはもう何度も聞いた話だが、その理由は外部との接触を一切絶つことで国を護るためなのだという。 「知ってのとおり、ユミルの戦争の噂といい、ムスペの火竜王の動向といい、今の空は不穏な空気に包まれている。そのトロウとかいう男のせいだという事情はわかった。だがそうであるなら、なおさら我々氷竜は警戒を強めなければならない」 つまり自分の国を護るので精一杯で、手を貸すような余裕はない。協力することはできないと、交渉の余地もなくきっぱりと断られてしまった。 肩を落としてフレイは女王の間を後にした。 結局、火竜の協力も氷竜の助けも得ることはできなかった。今までやってきたことは無駄だったのか。すべて無駄足だったというのか。 城内の氷の階段に腰を落として、フレイは頭を抱え込んでしまった。 (僕にはこの程度のこともできないのか。所詮、僕の力というのはこんなものだというのか。たった一人の魔道士も退けられない。たったひとつの協力さえも得られない。自分の国すら護れなくて何が王子だ! ああ、くそう。みんなに合わせる顔がない……) フレイはため息をついた。 それは深く深く、ニヴルヘイムの氷のように冷たかった。 そんなフレイの肩に後ろから手をそえる者がひとり。 振り返るとクルスの顔がそこにあった。今は少女の姿になっているので、座り込んでいるフレイとちょうど同じ高さに目線がある。 「そう気を落とすでない。お主はお主なりによくやっておる」 「でも火竜も氷竜も説得できなかった。クルスもせっかくここまで着いてきてくれたっていうのに、何も成果が出せなくてすまない。とんだ無駄足につきあわせてしまったね……」 落ち込むフレイの顔をじっと覗きこみながら、クルスはやれやれと首を振った。 「何も成果がない? 無駄だったと? 何を言っておる。たしかにムスペもニヴルも味方にはつかなかったが、トロウのことは伝えられた。誤解されたまま攻め込まれるような心配はこれでなくなったじゃろう」 「それはそうだ。だけどもしトロウが侵攻を開始したら? ユミル側から手を出せば、当然相手は自衛のために迎え撃ってくる。そうなれば戦争は免れない」 「ならば、そうならないようにすればいいだけのことじゃ」 「そのためにムスペやニヴルの協力が必要だったんだ! 悔しいけど、僕の実力ではトロウには敵わない。トロウを止められないんだ」 漆黒の魔道士トロウはまるで人間離れした強大な魔力を持つ。一度相対して、その力の差は理解している。自分の力じゃ勝てないのは痛感しているのだ。 己の無力さを思って、フレイはただ悔し涙を流すのだった。 「お主は愚かじゃな」 そんなフレイを励ますでもなく、突然クルスが言った。 フレイはただうつむいたままで、静かに頷いた。 「そうだな。僕は愚かだ。国を背負うはずの王族として、まるで駄目で……」 「いや、そうではない。フレイよ、お主はなぜそうやって一人で背負い込もうとする。王族だからか? 王族ならなんでも一人でできるとでも思っておるのか?」 「僕はユミルの王子だ。父上がまともな状態でない今、国の問題の責任は僕が負わなければならないんだ」 眉間にしわを寄せながら、フレイは暗い表情をしている。 そんな様子を見て、クルスは呆れたような声を出した。 「はぁ。愚かというか、お主は馬鹿じゃな。馬鹿真面目じゃ」 言ってクルスはちらりとフレイの顔に目をやる。 フレイが黙っているので、そのまま続けた。 「なんでも一人でできる奴などおらん。人間であっても、竜であろうともな。たかだか一人の力なんて、神でもないのだから限界がある。そもそも親がいて初めて自分が生まれるのだから、私たちは一人じゃ誕生することもできんぞ。だから私たちは協力し合うというわけじゃな」 「…………わかってる。だからこそ僕はムスペやニヴルの協力を得るために……」 「いや、わかっておらんな。協力というのは力を合わせるということ。言い換えれば、相手の力を頼るということじゃ。お主はそれがわかっておらん」 クルスは両手でフレイの頬をはさんで無理やり自分のほうを向かせると、フレイの目の奥を覗き込みながら厳しい口調で言った。 「もっと仲間を頼れ! なぜお主は一人で背負おうとする。なぜ一人で悩む。旅を共にしている私たちはただの飾りか? それに私だって竜だ。地竜ジオクルス様じゃぞ。ムスペやニヴルの竜じゃなくて私では不満かの?」 「…………!」 返事はない。フレイは言葉に詰まっている。 しかし、はっとして目を見開き、その瞳の奥に光が戻ったのをクルスは見逃さなかった。 もう大丈夫だ。そう確信して、こんどは優しく声をかける。 「もっと仲間のことを信用しろ。それも主君の大事な仕事のひとつじゃぞ」 そしてそのままフレイの首の後ろへと両手をまわして、そっと抱き寄せる。 フレイは何も言わずに再び涙を流したが、それはもう悔しさの涙ではなかった。 Chapter16 END 魔法戦争17
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Chapter13「風竜再び」 船を修理するためにフレイたちがこの浮島に降り立ってから半日ほど過ぎた。 オットーとセッテが集めてきた木材や金属の材料をフレイとクルスが魔法で加工して形にしていく。 船体はあちこちが割れたり焼け焦げたりしていた。ムスペルスで受けた何者かの手による、燃え盛る岩石の魔法――メテオによる損傷だ。魔導船にはあらかじめ障壁を張っていたにもかかわらず、それを突き破られて被害を受けてしまっていた。セッテが張ったのはあくまで耐熱障壁。魔法の作用によるものとはいえ、物理的に飛んでくる岩石を受け止めるには至らなかったのだ。 大地の魔法は自然に作用する魔法。船を形成している材料もまた自然を加工したものであるため、フレイやクルスはそれを自由に変容させられる。損傷部分を剥がし取ると、先ほど集めた材料から用意した新しい部品と取り替えていく。 マストや船体の基幹部分などは部品が大きすぎて、この島で拾い集められるような材料ではどうにもならない。こういったものは船の専門家でなければ手を出せないので、材料から木版や鉄板を精製して接ぎ当てる程度の修理に留まった。 魔導船の動力は操舵主の魔力であるため、動力部分に関しては損傷による心配は不要だ。つぎはぎだらけではあるが、このくらい修理しておけば、少なくとも航行上は問題ないし、損傷部分から傷みが広がって船が空中分解してしまうようなこともないだろう。それに自分たちの手でできそうな修理はこの程度が限界だということもある。 ある程度、修理を終えたところで日も暮れてきたので、フレイたちは船の中で休眠を取って夜を明かすことにした。 「兄貴ぃ、おれおしっこ」 「うーん。それぐらい勝手に行けよ。いちいち起こすんじゃない……」 夜中に目を覚ましたセッテは足早に船を降りると、近くの茂みの中に駆け込む。 空は薄っすらと明るくなってきている。夜明けが近いらしい。 「ぶるるっ。ふぅー、今朝は冷えるっすねぇ」 夜明け前のこの時間帯はとても静かだ。夜明け前にはもう目を覚ました鳥の鳴き声がチュンチュンと聞こえてくるものだが、ここら一帯は雲海よりも高い位置にあるため鳥もほとんど見かけない。だから静寂の一言に尽きる。 じょろじょろと用を足す音だけが耳に届く。今日もよく出る。健康な証だ。 「はぁー、腹へったなぁ。でもおれ料理は素焼きとかしかできないし、兄貴もまだ起きてこないし、二度寝するかなぁ」 なんてことを考えていると、ざわざわと森の木々が揺れた。空は晴れ渡っているが、風がでてきたようだ。もしかしたら天気が崩れるのかもしれないと思い早く船に戻ろうと歩き出すと、 ――ドスン! と重い衝撃。メキメキと木々をへし折りながら、どうやら何か大きなものが森に落ちたようだ。 一体何事かと枝葉をかき分けて様子を窺いにいったところで、まだ少し寝惚けていた頭が一気に覚醒した。 「セッちゃん……!?」 目の前に現れたのは、以前ファントムトロウやヴァルト襲来のときに助けてくれたあの火竜。セッテにとっては親友ともいえる存在。だが現れたセルシウスは傷だらけで、まさに満身創痍という言葉がぴったりだった。 「こんなにボロボロになって……誰にやられたんすか! 何があったんすか!?」 セルシウスは何かを言いかけたが、その言葉は弱々しくてうまく聞き取れないままに風の向こうへと消えた。そしてそのまま意識を失って、どすんとその場に身体を横たえてしまった。 「これはただ事じゃない。す、すぐに助けを呼んでくるっすからね!」 慌てて船へと戻るとすでに起きていたクルスに事情を説明し、まだ眠っていたあとの二人をたたき起こしてセルシウスのもとへと戻る。 その惨状を見て、クルスは深いため息をついた。 「なんということじゃ……。これはなかなかひどいのう。何があったのかを知るよりもまず手当てが先だ。まずはこやつを安全な場所へ運ばねばならん。とりあえずセルシウスを運ぶのを手伝え。さすがに私だけではちと骨が折れる」 セルシウスは火竜の中では比較的若いほうだが、それでも竜の姿に戻ったクルスよりもずっと大きい。直接持ち上げて運ぶのは四人がかりでも難しいだろう。 「わかった。それなら僕に考えがある」 古い書物や昔話なんかで読んだり聞いたりしたことがある、とフレイは話し始めた。まだ機械も魔法もなかった頃、古代の人々は大きな建造物を建てるため、その材料となる石の柱などを運ぶ際に、地面に丸太を並べてその上を転がしていくことで重い材料を運んでいたのだという。そしてその原理を応用して生まれた機械がベルトコンベアだ。 古代人たちの知恵は馬鹿に出来ない。機械や魔法も無かった時代でも彼らは様々なことをやってのけたのだ。その努力と工夫は称賛に値するものだろう。そんな彼らの知恵にあやかってセルシウスを運ぶことにした。 原理は丸太と同じだが魔法ならもっと簡単だ。フレイはクルスと力を合わせて大地に祈り、呪文を詠唱する。地面の一部がぷくっと膨れたかと思うと、セルシウスの真下にある地面が隆起し、その巨体を持ち上げた。あとはベルトコンベアと同じ要領で、進みたい方向に地面の膨らみをスライドさせていくだけだ。 セルシウスはひどく負傷していた。これはただの怪我ではない。誰かに襲われたと見るのが自然だろう。 ここでその何者かに見つかると厄介だ。フレイたちは敵の目につかないように森の中に船を下ろしていたが、それと同じ理由で船の近くにセルシウスを運んだ。 「フレイ様、どうしましょう。セッちゃん大丈夫っすかねぇ……」 「僕たちの中で回復魔法は……誰も使えそうにないか。困ったな」 そんな頭を抱える二人にクルスは言った。 「直接的な回復にはならんが、応急処置ぐらいはできる。セッテ、お主は炎が使えるのじゃろう。その炎の魔力を分け与えてやれば、たとえ微量ではあっても火竜のこやつにとっては、気付け程度にはなるはず。そのあとはセルシウスの自己治癒力次第になるがの。さあ、手伝ってやるから、私の言うようにやってみよ」 「おお、それは本当っすか! おれ、炎使いでよかったぁ~」 セッテとクルスが二人、セルシウスの前に並んで呪文詠唱を開始する。 やがて柔らかな火の玉がぽっと現れる。火の玉は次々と生み出されていき、それらが一箇所に集約していくと、白く輝く不思議な炎となった。 炎で傷を癒すとはなんとも奇妙な話だが、それはセルシウスが火竜であるからこそ可能な芸当だ。 白い炎がセルシウスの身体を包み込む。 かと思われたが、突如として荒れ狂うような暴風が彼らを襲った。 とっさに竜の姿に戻ったクルスが、その身体を盾にして風からセルシウスや仲間たちを庇ったが、この暴風のせいでせっかくの白い炎はかき消されてしまった。 ようやく風が治まる頃には、周囲の木々は根こそぎなぎ倒されており、先ほどまで森があった一面は一瞬のうちに荒地に変わってしまっている。 「くっ……。ただの風じゃないな。誰っすか、邪魔をするのは!」 セッテが見上げる上空には、見覚えのある風竜の姿があった。 「あっ! おまえはこの前の……! えっと、ヴァルちゃん? だっけ」 「いかにも、オレ様は第五竜将ヴァルト様だァァァ!」 しかしヴァルトは、セッテやセルシウスには目もくれずに、真っ先にクルスのほうをにらみつけた。 「よう、ジオクルス……。この前は少し油断したが、もう同じ手は食わねェェェ。飛べないおまえに勝ち目などないのだからなァァァ!!」 クルスは船を庇うようにヴァルトの前に立ちはだかっている。 奴の起こす突風の威力は周囲の荒れ様をみれば明らか。せっかく修理した船をまた壊されてしまってはたまらない。オットーとフレイもクルスの背後にいたことでなんとか突風を凌ぎ切ったようだ。 船や仲間に防風障壁をオットーが張るその横でフレイは怪訝な顔をしていた。 「なぜここがわかった? ここは地図に載っていない島だ。偶然見つかったにしては早すぎる」 「がははは! 馬鹿め。おまえたちは監視されているんだぜェェェ! どこへ隠れようと無駄だ。どうやらトロウの奴にはお見通しのようだからなァァァ」 「なっ……監視だと。一体どうやって!」 「オレ様がそう易々と教えるとでも思ってんのかァ? それよりもフレイ、おまえには逆に教えてもらうことがある。おまえ竜姫をどこへやったァ? 素直に話したほうが身の為だぜェェェ?」 「竜姫? 一体何のことだ」 フレイには竜姫と言われて思い当たる節がまったくなかった。 ふとクルスのほうを見るが、私ではないとクルスは首を横に振る。どこへやったのかと聞かれているのだから、目の前にいるクルスではないのはごもっともか。 「あくまでシラを切るつもりかァァァ?」 「知らないものは知らない。知らないのだから答えようもない」 「フン……ならば力ずくで聞き出すしかねえなァァァ!!」 ヴァルトは上空で激しく羽ばたいた。すると翼からは猛烈な風の渦が生み出されて、こちら目掛けて一直線に迫って来る。 ただの風と侮るなかれ。超高速で発せられた風は、大気との摩擦で一瞬の真空状態を生み出す。その真空が皮膚を斬り裂き傷つける斬撃となる。いわゆる、かまいたちの原理だ。 だがヴァルトの起こしたそれは、ただのかまいたちとは規模がまるで違う。それは大地を呑み込み岩をひっぺがし、折れた枝を巻き込んでさらなる殺傷力を得る。 「ほう、私に勝ち目がないじゃと? この程度の攻撃で言ってくれる」 クルスが無詠唱で大地の障壁を展開させる。岩や枝は壁に弾かれて落ちた。 倒れた木々が飛ばされて空の向こうへと消えていったが、オットーの防風障壁のおかげで激しい風圧もこんどは平気だ。 「そちらがそのつもりなら、僕たちも黙っていない。応戦するぞ!」 「任せておけ。今回は船の上ではない。地の利はこちらにある。あやつも襲撃するなら場所を選ぶべきじゃったのう」 「王子、護りは私にお任せを。同じ風が相手なら相殺できます」 前回ヴァルトと戦ったときとは違って、この浮島には土も植物も豊富だ。ここならフレイやクルスの大地の魔法は真価を発揮することができる。媒体が多いほどに大地の魔法は力を増すのだ。 「おっと、言い忘れていた。今回もオレ様が一人だとは限らないぜェェェ!?」 ヴァルトが合図すると同時に、その背後からは白い影が飛び立ち、上空からこちらに迫ってくる。それは鳥のような翼を持ち、蹄のある四肢をもって空を駆ける。 「天馬だと!?」 翼ある馬、天駆ける馬。またの名をペガサスという。 ユミル国には城下街を警備するエインヘリアルや、王城に仕える王宮魔道士のほかにもいくつかの兵団があるが、そのうちのひとつにヴァルキュリアと呼ばれる一団がある。 ヴァルキュリアは今は亡き王妃が指揮していた部隊であり、女性だけで構成されている。彼女らは付呪(エンチャント)された魔法武器を手に、天馬を駆るのが特徴だ。 王妃が亡くなってからは、その指揮権はフレイの姉であるフレイヤに移ったとされているのだが……。 「なぜ天馬がここに!? まさかフレイヤ様までトロウの手に落ちたのでは……」 最悪の想像が脳裏によぎる。 それはフレイにとって大きなショックだったが、それ以上に驚いているのはオットーだった。その表情は愕然としており、顔色もよくないように見える。 「オットー、大丈夫か」 「す、すみません王子。実の弟であるあなたのほうが、もっと辛いとわかっていながら私は……」 「無理はしなくていい。君にとって姉上が特別な存在なのは僕もよく知っている。きっと誰よりも姉上のことが心配なはずだ」 天馬の上には二人の人影が見える。 そのうち前にいるほうの影が手に持っている槍を頭上に掲げると、激しい雷(いかづち)が降り注ぎ、フレイたちの足元の大地をえぐった。 どうやら敵意があるのは間違いないようだ。 「我こそはヴァルキュリアが一人、ブリュンヒルデと申す! フレイヤ様の命により、おまえたちを捕らえに来た。覚悟していただこう!」 天馬の上の槍を持ったほうの影が名乗りを上げた。 フレイヤの命令で動いているということは、やはりフレイヤもニョルズ王と同様にトロウの支配下に落ちてしまったと考える他なさそうだ。 その事実をフレイは悔しそうに噛み締め、一方オットーはそれを聞かされて軽くめまいを感じているようだった。 「おのれトロウめ。陛下に飽き足らずフレイヤ様まで……」 「兄貴、しっかりするっすよ! フレイヤ様を取り戻すためにも、おれたちが闘うしかないんすから。そんなんじゃ、王女に相応しい男になれないっすよ!」 「わ、わかってる。少し驚いただけだ」 さらにもう一人。天馬に乗っていたもう一人がそこから飛び降りると、大地を震わせながら着地する。太く逞しい腕とがっしりとした体格の大男で、その手には長剣が握られている。 「そして我輩はヴォルスタッグなり。雇われの身なれど、受けた報酬の分はきっちりと働くのが我が主義よ。うぬらに恨みはないがこれも仕事ゆえ。諦めて降伏するか、さもなくば痛い目に遭ってもらう。覚悟せい!」 こちらはどうやら傭兵らしい。 魔法が一般的なものとして広まるこの世においても、誰にでも得手不得手があるように、魔法が使えないような者もいる。魔法が扱えなければ、就ける仕事も限られてくるので、そういう彼らはエインヘリアルのような兵士や肉体労働などに従事することになる。傭兵もそういったもののひとつだ。 上空からは雷槍を構えたヴァルキュリアが一人、地上からは剣を振り回す傭兵が一人。そして前方には巨体の風竜が一頭、立ち塞がる。 「ふん。どうもお主は臆病者のようじゃなぁ? お供がいないと一人では怖くて戦えないと見える。竜族が聞いて呆れるのう!」 そんな状況をクルスが鼻で笑ったが、ヴァルトも黙ってはいない。 「勘違いすんなァ? あいつらはトロウの奴が勝手に寄越しただけだ。だがオレ様はおまえとの決着をつけたいと思ってる。だからあいつらとフレイたちが遊んでる間にケリつけようじゃねェかァァァ! こんどは横槍は無用だぜェ」 「なんとでも言うがよいわ。お主のような小童に遅れを取るほど私は甘くないぞ。そこまで言うなら、少ぉーしだけ本気を出してやろうかの」 「あァん? このオレ様が小童だと。おまえトシいくつだァ?」 「レディに年齢を尋ねるとは、礼儀のなってないやつじゃのう!」 そう言うなり、突然クルスを中心として砂嵐が巻き起こり始めた。 それは上空にまで届き、砂が目に入ってヴァルトの視界を奪う。前が見えなくなり態勢を崩した瞬間を見逃さず、続けてクルスは大地より何本もの太いツルを生えさせると、それらはヴァルトの脚や尾、首、そして翼に巻き付いて自由を奪う。 「うげッ……!?」 そしてそのままツルを引き寄せて、勢いよく地面に叩きつけた。さらに隙を与えず、ヴァルトの顔に何重にもツルを巻き付けて追い討ちをかける。 「どうじゃ、動けまい。息ができまい。このまま尖った岩を隆起させてお主の腹を貫いてやってもよいのじゃぞ? 降参するならまいったと言え」 なんて言いながらも降参させるつもりなどはない。 顎がツルに縛られているのだから、まいったなどと言えるわけがないのだ。 ダメ押しでさらにツルを巻き付けて締め上げる。もはや絡み合ったツルの塊で、ヴァルトの姿はほとんど見えていない状態だ。 このまま窒息させることもできるし、ツルごと地面に引き込んで生き埋めにすることもできる。あるいはツルを成長させて木の養分にしてやろうか。 竜族の常識とは、強い者こそが正義だ。 弱ければ殺されても文句は言えない。死にたくなければ強くあれ。 火竜のように過激なものもいれば、地竜のように人間に対しては調和を望むものもあるが、竜どうしの間においては情けも容赦もない。それがあたりまえなのだ。 もしフレイだったら「何も殺すことはない」と、攻撃の手を緩めていただろう。そして反撃されて逆に殺されてしまうのが容易に想像できる。 だがクルスならここでトドメを刺しておくべきだと考えるだろう。そもそも、ヴァルトは敵であり追手なのだ。ここで見逃がせば、自分たちの居場所をトロウに報告するだろうし、いずれまた再び攻撃を仕掛けてくるはず。見逃しておくメリットがない。 「悪く思うでないぞ。先に手を出してきたのはお主のほうじゃからな」 クルスはツルを締め上げてトドメを刺すことに決めた。 強く念じて、ツルを引き絞るように身体に力を入れる。 ――が、なぜかうまく力が入らない。いくら念じても、先ほどまでは自由に操れていたツタはまるで反応しなくなっている。 よく見ると、ツルがヴァルトを拘束しているその中心から茶色く変色し始めているではないか。 そして次の瞬間には、自力でツルを引き破ってヴァルトが脱出してしまった。 「なんじゃと!」 どうしてかわからない、といった顔で狼狽するクルスに向かってヴァルトが言った。 「風を操る魔法というのは空気を操ることと同じでなァ。植物ってのも呼吸をして生きてるらしいぜェ。じゃあ植物が窒息したらどうなると思う?」 酸素がない状況でも光と二酸化炭素があれば、植物は光合成で酸素と養分を生み出し、それを使って生きていることができるだろう。しかし、それも長くもつものではなく、体内に蓄えられていたものが枯渇すれば、やがて死んでしまう。 ヴァルトは風の魔法を応用して、クルスのツタから空気を奪って枯らしてしまったのだ。さらに、その奪った空気を摂取することで自身は呼吸することができる。 「つまり真空でもない限り、オレ様を窒息させるのは無理な話だぜェェェ?」 「ぬぅ……。お主、見かけによらず、思ったよりも頭を使えるようじゃな」 「たしかにオレ様は魔力のコントロールは苦手だが、ここはこの前と違って空中じゃないから、魔力を使い果たして墜落することもない。つまり今回は何の心配もなく全力が出せるってわけだァァァ!」 「地の利があるのはこちらだけではない、というわけか」 「わかったなら続きといこうじゃねェか。こんどはこっちから行くぜェ!」 再びヴァルトが攻撃を開始し、クルスがそれを受け止める。 風が荒れ狂い、大地が唸り、竜どうしでのぶつかり合いが始まった。 一方で、人間どうしの戦いもすでに始まっていた。 上空からはブリュンヒルデの魔槍によって雷が雨のように降り注ぎ、しかし上にばかり気をとられていると、ヴォルスタッグの剣撃が襲ってくる。 雷は魔法で防ぐこともできるが、フレイたちのうち誰一人としてこれに対抗する術をもっていなかった。雷は光の魔法に属し、そして耐電防壁もまた光に属する。 彼らに扱えるのは、大地と風と火だけに限られる。 「これ、ちょっとやばいっすよ。どっちも一発でも食らったら致命傷っす!」 「くそっ、避けるのが精一杯だ。せめてどちらか一方だけでも止められたら……」 敵の数を減らして確実に相手の戦力を削ぐのは、基本的な戦術のひとつだ。 天馬は上空から降りてくる様子がなく手を出し辛い位置にいる。となれば、まず倒すべきは傭兵のほうだ。 重い剣を振り回しているのだから、相手は素早くは動けない。隙を突くのは難しくない。それに剣と魔法なら、リーチの差でもこちらが有利のはずだ。 しかし、雷の雨がその隙を突かせまいと邪魔をする。 魔法の弱点は、呪文の詠唱に集中しなくてはならないことだ。 攻撃として十分な威力を維持したまま呪文を省略できるほどの実力は、まだフレイたちにはない。どうしても魔法の発動には時間がかかってしまう。 ブリュンヒルデの槍のような魔具を使えば呪文を唱える必要もなく、まさに雨のように込められた魔法を乱発することもできたのだが、そう都合よくそういったものを持っているわけでもない。 「くっそー! 炎の剣(レーヴァテイン)を落としたのが悔やまれるっす」 「剣……。そうだ、僕は一応だけど剣術も学んでいる。ここは僕があの傭兵を食い止めるから、その間に二人は天馬のほうをなんとかしてくれ」 フレイが勇んで一歩踏み出す。 だが、従者として主の背中に隠れることなどできないとオットーが反対する。 「本来なら我々が盾となって王子を守るべきなのに、王子自ら矢面に立つなんて、そんな危険なことをさせるわけにはいきません」 「いや、オットー。心配してくれるのはありがたいけれど、城を飛び出した時点で危険は承知の上だ。それに他にいい方法も思いつかない。今はこれしかないんだ」 「ですが……!」 まだためらっている様子のオットーに、それならばとフレイはこう続けた。 「だったらこう考えてくれ。背中に隠れるんじゃない、背中を守るんだ。僕があの傭兵に集中できるように、君が僕の背中を守って欲しい」 「そうっすよ、兄貴! フレイ様を信じるっす! 主君を信じるのも従者の務めだってよく自分でも言ってたじゃないっすか。心配はいらないっすよ。フレイ様は、兄貴が思っているよりも強いお方だ。おれが言うんだから間違いないっす!」 セッテの後押しも加わって、心配性の兄はようやく首を縦に振った。 「わかりました。王子とセッテの言葉を信じましょう。ですが決して無理はなさらないように! すぐにあのヴァルキュリアを止めて加勢いたしますので」 「大丈夫っす。あんなやつ、おれたちが秒で片付けてやりますよ」 「ああ。二人とも、期待している」 三人は拳を突き合わせて互いの決意を確認すると、二手に分かれてそれぞれの戦うべき相手に向かって戦う構えを見せる。 背後で二人が駆け出していくのを感じながら、フレイも地面を蹴って傭兵ヴォルスタッグのほうへと駆け出した。 相手は身の丈大きな厳つい男だ。力はもちろん、剣を生業としている傭兵に技でも敵うとは思っていない。あくまで今は時間を稼ぐことが作戦だ。 王子の嗜みとして、基本的な剣術は学んでいるつもりだ。だから勝てなくとも、なんとか攻撃を受け流して、少しの間ぐらいは耐え抜けるはず。 フレイはそう考えていたが、この作戦には大きな穴があった。 実力差でも認識の甘さでもない。もっと根本的な、大きな見落としが。 「遅れはしたが、剣を交えるならこちらも名乗らせてもらおう。僕の名はフレイ、ユミル国の王子だ。ヴォルスタッグと言ったか。僕がおまえの相手だ」 腰には護身用の短剣を差している。敵の剣よりリーチで劣っているが、あくまで時間を稼ぐのが目的なので、攻撃をかわすのが基本になるし、いざ危ないと思ったときに受け止められればそれでいい。それに、もしものときには魔法もある。 そのつもりでフレイは腰に手をやったが――そこでフレイの顔が蒼ざめた。 そこに短剣はなかった。 忘れてはいないだろうか。 それはユミル国を経ってすぐのこと。前回ヴァルトに攻撃されたときのことだ。 あのときはセルシウスが現れてヴァルトを追い払ってくれた。そして、そのままフレイとセルシウスは互いに手を取り合う目的で同盟を結んだ。 そのときに誓いの証としてセルシウスは火竜の鱗を送ったが、フレイはそのお返しとして、肝心の護身用の短剣を譲ってしまったのではなかったか。 (しまった。すっかり忘れていた……!) あのときは、旅の目的は戦いに行くことじゃないから必要ない、と簡単に手放してしまったのだ。しかしあくまで護身用は護身用。たとえ使わなかったとしても、持っていることにこそ意味がある。ないのであれば、どうしようもない。 「ほう、小僧自らが相手をしてくれるか。大した自信である。ならば我輩もそれに全力をもって応えるのが礼儀というものよ。いざ参らん!」 だが、もう名乗りまで上げてしまった。傭兵のほうもすでにその気で、腰を落として剣を構えている。 「ま、待ってくれ! すまないが少し待ってくれないか。準備がまだ……」 「待ったなし、問答無用だ。一度始めた戦いを無闇に中断するのは礼儀に反する。うぬも男子なれば、男に二言はないはずだ。さあ、構えよ!!」 その構える剣がないのだが、言ったところで当然待ってくれるはずもない。 「どうした。来ないのならこちらから行くぞ。覚悟せい!!」 痺れを切らした傭兵は、剣を振り上げて迫ってきた。 もはや考えている時間も、焦っている暇もなかった。 (な、なんとかやるしかないのか。剣のプロ相手に、しかも丸腰で……!) Chapter13 END 魔法戦争14
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Chapter22「フリード遠征1:天馬に乗ってるお姉さんはだいたい美人さん」 アルヴでフレイが竜人たちに稽古をつけている間に、旅を共にしてきた仲間たちは、さらなる味方を求めてそれぞれ各地へと分かれることになった。 そこで蒼き勇者こと俺フリードは、クルスと共にニヴルヘイムからさらに北東へ行った先にあるグニタヘイズという浮島に向かったというわけだ。 ここは大樹を中心とした地図でいうと右上の端っこも端っこで、ほとんど世界の果てのような辺境の地だ。 じゃあこんなところに何の用があるかっていうと、なんでもクルスが言うには、こんな僻地に彼女の知り合いが暮らしているんだとか。 この島までは竜の姿に戻ったクルスの背中に乗ってやってきた。 さすがにここは遠すぎて神竜様の転移魔法じゃ届かなかったからだ。その代わりに神竜様は、翼を怪我して飛べなかったクルスを治療してくれたというわけだ。 ようやく飛べるようになってクルスは嬉しそうにしていた。 竜というのは、やはり空を飛ぶのが好きなんだろうか。まあ、たしかに翼があったのなら、俺も空は飛んでみたいと思う。空ってのはロマンだからな。 「それでここがおまえの言う、知り合いの住む場所か。なんか思ったより殺風景なところじゃないか」 見渡す周囲の景色は岩ばかりの荒地だ。グニタヘイズという立派な名前こそついているが、ここはどうみても無人島そのものだ。 まず浮島自体が小さくて、ちょっと歩けば簡単に島を一周できてしまえる程度。建物と呼べそうなものはひとつもないし、池や湖のような水場もないから飲み水も手に入らない。ごつごつとした岩ばかり転がっていて、あとは木がまばらに生えている程度だから、ここじゃ食料の確保もあまり期待できないだろう。 「さすがの俺でも、ここに放置されたら三日以内に死にそうだ。本当にこんなところにその知り合いってやつが住んでるのか?」 「うむ。まあ、住んでおるというか、あやつの家がここにあってのう」 その知り合いは普段はたいてい出かけていて、必要なときだけ自分の翼でここまで飛んで帰ってくるそうだ。 ああ、そうか。そりゃ竜の知り合いはやっぱ竜だよな。 まあある意味「無人」島という意味では間違いではないんだが。 「あれか。普段は仕事で外にいて、寝るためだけに帰ってくる家っていう……」 「そんなところかの。だから会えるとは限らんがな。さあ、ここからは歩きじゃ」 「飛んでいかないのか?」 「島の上空は、あやつが侵入者除けの罠を魔法で張っておるからな。面倒かもしれんが、痛い思いをしたくなければ私のあとについてこい」 クルスは迷うことなく慣れた足取りで岩だらけの道を進んでいく。さすがに知り合いの住処だけあって、もう何度も来たことがあるといった感じだ。 俺たちは島の中央にある岩だらけの山道を登っていった。 ところでクルスと俺の距離は、歩くごとにどんどん離れていく。それは俺がこういった岩だらけの山道を歩き慣れていないせいもある。まあ、空の世界じゃ岩そのものがけっこう貴重だからな。だけど原因はそれだけじゃない。歩幅だ。 俺は人の中ではわりと大柄なほうだと自覚しているが、それでも歩幅と言ったらせいぜい1メートル弱ぐらいだろう。一方で竜は人に比べたら身体が大きいわけだから、歩幅もそれに比例して大きくなるのは当然だ。 それに身体が大きいぶん、俺だといちいちよじ登らなければならないような岩でも、簡単にひと足でまたいでしまえるアドバンテージもある。 つまり俺が何を言いたいかというと、だ。 「お、おいクルス。ちょっと待ってくれ。俺を置いていくんじゃないぜ。こんなところではぐれたら俺は確実に三日以内に死ぬ自信がある。竜と人じゃ歩く速さが違うんだから、せめてお譲ちゃんの姿になってくれよ」 この島に降り立ってからクルスはそのまま歩き出した。つまり今のクルスはいつものお譲ちゃんではなく地竜の姿をしている。 「情けないやつじゃのう。男なんじゃろ、気合いでなんとかせい。それに人間の姿になったら私のほうが足が遅くなる。小さな身体ではここは歩きづらいからの」 「気合いとか根性とか、いつの時代の人間だよ。……いや、人間じゃないか」 「冗談を言える余裕があるならまだ平気じゃな。ほれ、しゃきっとせんか」 「ふぇ~い……」 ああ、鎧が重い。剣が重い。どう考えてもこれ、山を登るような格好じゃないからな。かといってこれは俺の大事な商売道具だから捨てていくわけにもいかない。 暑くないのだけがまだ救いか。これで暑かったら間違いなく死んでいた。一番の敵っていうのは武器を持った人間でも、強大な魔力を持つ竜でも、ましてやどっかでよく聞くような自分自身とかでもない。過酷な環境だ。ああしんどい。 そのまま心の中で愚痴を垂れ流しながらもなんとか岩の山道を登りきると、山の頂上付近にたどり着いた。 下のほうはまばらだった木も、ここには林と呼べる程度には生えている。近くに水源でもあるのだろうか。もし泉があるならとりあえず水を飲んで一息つきたい。 「ほれ、着いたぞ。ここがあやつの家じゃ」 そう言ってクルスが指すのは、苔むした洞窟の入口だ。 洞窟が家? 俺はこんな家はごめんだね。じめじめしてそうだし、こんなところに女性を呼んでもムードもへったくれもないからな。こんなところに住んでいるやつなんて、きっと根暗で陰気なやつに違いない。 「それじゃあご対面と行きますかね。ごめんくださ~い。水くださーい」 どんなやつが住んでいるのかと中を覗き込んだが返事はなかった。 「ふむ。留守のようじゃな」 「おいおいおいおい。そりゃないだろ、せっかく苦労して山を登ってきたんだぜ。そもそも来る前に一声かけとくとか、居るのを確認するとかできなかったのか」 「あいにくあやつは念波(テレパシー)の魔法が使えなくてのう。私ができても、受け手がそれを受信できないのでは意味がない」 「ああそうですか。やれやれだ。で、どうすんだい、お譲ちゃん?」 「まあ、待つしかないじゃろうな」 そう言ってクルスはずかずかと洞窟の中に入っていく。え? いいのか、勝手に入っちゃって。もしかしてその「あやつ」とクルスってそこまで深い仲なのか。あるいは竜は、そういうあたりのことはあまり気にしないのか。 「そういや、ここの家主はなんて名前なんだ?」 「うむ。私と同じ地竜で名はファフニールという」 クルスは早くも洞窟の中でくつろいでいたが、俺はそのファフニールとは親しいわけでもないので、中に入るのは遠慮して外で帰りを待つことにした。まあ、洞窟じゃあまり居心地もよさそうじゃないし。 それにファフニールが帰ってくるなら、竜だから空から戻るはず。わざわざ自分の張った罠にかかるはずもないだろう。 そう思って俺は、洞窟の手前にあった手ごろな大きさの岩に腰かけると、空を見上げながら洞窟の主の帰りを待った。 半ばうとうとしながら待っていると、浮かぶ雲の狭間にひとつの影が見えた。 おっと、ようやくお帰りか。と思っていると、影は何かの爆発に巻き込まれて落下し始めた。そのまま続けてボンボンと二度目、三度目の爆発。 もしかしてあれがクルスの言ってた侵入者除けの罠? おいおい、自分でひっかかってんじゃねーか。もしかして頭が残念なやつなのか。 そう思っていると、影は洞窟の正面に墜落した。 予想していたよりも身体は小さく、全身が白い体毛で覆われている。四肢は竜というにはやけに細く、しかしすらっと伸びていて意外と美脚だ。後脚のうしろには金色の美しい毛並みの尾が伸びて、同様の金色のたてがみが頭から首筋にかけて整って生えている。背中には立派で大きな鳥のような翼があって―― 「って待て。これは地竜の特徴じゃないだろ。これファフニールじゃないぜ」 「気付くのが遅いぞ。あやつの知り合いじゃなければ、侵入者じゃろうな」 落ちてきたのは天馬(ペガサス)だった。そういえば見覚えがある。フレイたちに初めて会ったあの島でも天馬を見た。たしかヴァルキュリアというユミル国の女兵士が乗っていたんだったか。ということはこいつも? 近づいてみると、天馬の横には鎧を身に着けた女性が倒れている。あのとき会った雷槍のブリュンヒルデとは別人のようだ。しかし、こっちはこっちでなかなかの美人さんだな。まだ息はある。 少し身体をゆさぶると、美人さんはゆっくりと目を開けた。 「う、ううん。な、何が起こった……?」 頭を押さえながら上体を起こす美人さんの手を取って、俺はその無事を喜んだ。 「大事ないようで幸いです。お姉さん、お怪我はありませんか」 「な、なんだ貴様は。あいたたた……」 「空から落ちてきたんですよ。まだ無理に動かないほうがいい」 「もしかして貴様……いや、あなたはわたしを助けてくれたのか?」 「大したことはしてないさ。俺は傭兵のフリード。お姉さんは?」 「わたしはレギンレイヴ。ユミル国で兵士を……くっ」 お姉さんは立ち上がろうとしたが、足を押さえてうずくまってしまった。骨は折れていないようだが、どうやら落ちたときに足をくじいたらしい。 「ほら、俺の肩を貸してやるよ」 「かたじけない。それよりグリームニルは……わたしの馬は無事か」 「こっちはひどい怪我だが、なんとか命拾いはしたみたいだな」 「そうか、それはよかった。わたしたちにはやらねばならない任務があるんだ」 そう言って天馬(グリームニル)を起き上がらせると、早くもその背に乗ってどこかへと飛び立とうとしている。天馬は立っているのがやっとで、明らかにふらふらしていたが、自分の主人に応えてみせようと強がっている。 だがこのまま行かせれば、どこかへたどり着く前に空の底にまっさかさまなのは想像に難くない。お姉さん、そりゃ無茶ってもんだぜ。 「ちょっと待てって。そんなに急いでどこへ行くんだ」 「無論、任務に決まっている。フレイヤ様を失望させるわけには……」 どうやら頭が固いタイプのお姉さんらしい。仕事第一で、そのためには自分がどうなっても構わないというやつか。そりゃ上司からしたら頼もしい存在だろうが、そんなんじゃ身体がもたないぜ。そんな彼女には癒しが必要だ。ここは俺が優しくエスコートしてやるべきだろう。そう確信した。 「まあ落ち着きなって。そんな状態じゃ任務どころじゃないだろ。無理して任務を失敗したらかえって上官殿を失望させちまうぜ。まずは傷の治療が先だ。しっかり休んで次の任務に備えるのも仕事のうちってやつさ」 「た、たしかにあなたの言うとおりだ。あなたは一体?」 「言っただろ。俺はフリード、ただの傭兵さ」 レギンレイヴは、なんて頼りになる男なんだという眼差しで俺を見つめた(に違いない)。よし、これでフラグは立った。あとはお持ち帰りするだけだ。 「そこでだ、お姉さん。もしよかったら俺たちの拠点へ来ないか? そこでなら俺の仲間が回復魔法を使えるから、お姉さんも馬もすぐに元気になるはずだぜ」 移動はクルスの背中に乗せてもらえばいい。馬は乗せるには少し大きいから、クルスに直接持ってもらおう。 そしてアルヴに到着した俺たちは、なんやかんやあって結ばれることになり、末永く幸せに暮らすことになるのでした。めでたしめでたしっと。 「待て。お主、こやつらをアルヴに連れて行くつもりなのか?」 しかし水を差すのは空気の読めない竜のお譲ちゃんだ。 きっと恋愛経験が少ないんだな。やれやれ、困ったお譲ちゃんだぜ。 「女性が怪我して困ってるんだ。あとついでに馬もな。それを見捨てては男が廃るってもんだろ。お譲ちゃんにはまだわからなかったかね」 「私をお譲ちゃんと呼ぶな。それにヴァルキュリアといえばユミルの兵士だ。わからんのか? ユミルに所属しているということは、トロウと繋がっている可能性が高いんじゃぞ。敵にみすみす己の拠点を教えるつもりか」 「あ、そうか。そうなるとフレイに迷惑がかかっちまうな」 けっこうクルスは頭がいいようだ。水竜のほうのお譲ちゃんとは一味違うのか。 少し関心しながら、でもちょっと抜けてるほうが、からかいがいがあって可愛いんだけどな。などと考えながら話し込んでいると、レギンレイヴは槍を杖代わりにして一人で立ち、よろつきながらも槍の穂先をこちらへと向けて言った。 「フレイ? 今フレイと言ったのか。まさか貴様ら、フレイ王子の仲間か? もしそうなら恩人に対して申し訳ないが、わたしは貴様らに武器を向けねばならない」 アルヴに入ったことで、今フレイの行方は俺たち以外の誰にもわからなくなっている。そのフレイの行方を突き止めるのが自分の任務だとレギンレイヴは言う。 「素直に話すか、さもなくば力ずくで口を割らせるかだ」 ほれみたことか、と言わんばかりの表情でクルスがこちらをにらむ。 ま、まあまあ落ち着けって。まだフレイの居場所がばれたわけじゃないし。 「お姉さんも落ち着けって。そんなふらふらの状態で俺たちに勝つのは難しいし、俺も手荒なことはしたくないからさ。武器を下ろしてくれよ、な?」 「そうはいかない。わたしはフレイヤ様の従者だ。主の命令に背くようなことはできない! たとえフレイヤ様の様子がおかしくても、命令は命令だ」 「フレイヤ様の様子が? なあその話、ちょっと詳しく……」 「問答無用!」 レギンレイヴは敵意をあらわにすると、持っていた槍を投げつけてきた。 槍は正確に俺の胴体のど真ん中を狙って飛んでくる。さすがは訓練を受けた兵士だけあって、やるからには倒す満々でくるというわけか。だが問題ない。 俺は剣を抜くと横一閃になぎ払って、飛んでくる槍を弾いた。 見てからの回避、余裕でした。それに武器を投げちまったら次はもうないぜ。 そのまま剣先をお姉さんの首につきつけてチェックメイトだ。 「だから言ったろ、無理すんなって。せっかくだから逆に聞かせてもらうぜ。フレイヤ様がどうしたって? 何かおかしなことが起こってるのか」 フレイヤはフレイの実のお姉さんだ。まだユミルのバルハラ城に残されているらしいが、トロウに何かされたんじゃないかとオットーが心配していた。だから情報を持ち帰れば、フレイやオットーの役に立つはずだ。 しかしそのときクルスが叫んだ。 「危ない、フリード! 後ろから戻ってくるぞ」 「おう! って何が?」 振り返ると、弾かれて明後日の方向へ飛んでいったはずの槍がまっすぐ飛んできているじゃないか。まさか槍じゃなくてブーメランだったのか。 とっさの判断でしっかりと対応。頼れるあなたの傭兵。そんな俺は蒼き勇者。不意打ちだって問題なく受け止めてみせるぜ。 さっきと同じように槍を弾き飛ばすと、槍は回転しながら宙を舞い、そのまま導かれるようにレギンレイヴの手に収まった。 「わたしの槍はただの槍ではない。魔力の込められたユミル王家代々伝わる由緒正しき槍、その名をグングニル! 実力を認められてフレイヤ様から頂いたものだ」 「まじかよ。いかにも最強クラスみたいな名前がついてるぜ、おい」 「この槍は投げても必ず所有者の意図した場所に戻ってくる。それを応用してこんなこともできるぞ!」 レギンレイヴは再び槍を投げた。 それを弾き返すと回転しながら飛んだ槍は空中に留まり、そしてぴたりと狙いを定めるかのように一瞬止まると、勢いよく俺に向かって飛んできた。 再び弾き返すとまたしても空中で留まり、同じように俺を狙って飛来する。 「何度やっても無駄だ。その槍はわたしの手に戻るか、その腹を貫くまで永遠に貴様を狙い続けるぞ。足を怪我していようが、貴様を倒すことに問題はない」 「くそっ! 槍のくせにしつこいやつだ。まして人間以外に掘られるなんて屈辱の極みだぜ。おい、狙う穴の場所を間違えてるんじゃないか?」 「何のことを言っているのかいまいちわからないが……。とにかく降参するなら今のうちだ。そして素直にフレイ王子の居場所を話せば許してやる」 あいにく俺の辞書に降参の文字はない。戦いとは掘るか掘られるかだ。 どっちかというと俺は掘るほうが好きなんだが、残念ながら人外に手を出すほど飢えちゃいない。というかそもそもこの相手は生き物ですらないからな。 槍なんかを受けるのはごめんだね。俺は攻めるぜ。 と言いたいところだが、あの槍はどれだけ打ち払っても何度でも向かってくる。 「だったら仕方ない。不本意だが、今回ばかりは受けるしかないようだ。頼むぜ、愛剣グラム! 剣相手じゃないが、機嫌を損ねないでくれよ」 打ち払う姿勢をやめて剣を真横に構えると、刃先にもう一方の手をそえる。 わかりやすく例えるなら、アルヴで竜人の誰かが教えてくれたベースボールというスポーツがあるんだが、あれのバントのような構えだと思ってくれたらいい。 飛んでくる槍のその一点を、この剣の刀身で受け止めてやるぜ。 グングニルは一度そこだと決めたら曲げない頑固な性格らしい。変化球などに走ることなく、真一文字を描いて俺の胴体めがけて飛んでくる。 ストレートなら間違いない。抜群のストライクゾーンだ。 俺は確実に槍を剣の刀身で受け止めた。 それでもなお槍は、そのまま突き抜けようと火花を散らしている。 なんて重い一撃だろうか。たかが槍一本なのに、押されて足が地面を徐々に滑って後退していく。背後にはファフニールの洞窟の外壁。このまま下がって壁を背にすれば、多少はふんばりがきくだろうか。 そのとき、ピキッと不吉な音が。 剣を見ると刀身にヒビが入っている。 「げげっ! 俺の剣がいきかけてる!」 ここの「いく」には「逝く」なり「イく」なり好きなほうをあててくれ。 それはともかく、これはヒジョーにやばい。まじで掘られかねんぞ。 なんてこった。手を伸ばせばすぐ届くところにありながら、その槍を止めることさえできないなんて…………ん? 手を伸ばせばすぐ届く? 結論から言おう。 俺は槍の柄をつかんでグングニルを止めた。 「…………最強の槍ゲットだぜ」 愛剣グラムはとうとう折れてしまったが、取り返しのつかないことになる前に槍を止めることができた。その穂先は胴の鎧の表面に傷をつけていたので、もう少し気付くのが遅ければ危ないところだった。 「しまった、槍を奪われたことで所有権が貴様に移ったのか! だからグングニルの自動追尾も効果が失われてしまった。まさかそんな弱点があったとは……」 レギンレイヴは両手を挙げると、降参することを誓った。 「わたしの負けだ。戦場に立つ者としてわたしも覚悟はできている。煮るなり焼くなり好きなようにするがいい」 「へええ、本当になんでも好きなようにしていいのかい?」 「待て。その気色悪い顔をやめろ。あくまで降参すると言っているだけだ」 ともあれ、偶然とはいえ戦うことになったヴァルキュリアの一人をこうして無力化することに成功した。これで敵の戦力を少しでも削ったことになる。 こうして勇者フリードはまたひとつ伝説を残してしまったのである。いやいや、そんなに褒めるなって。照れるじゃねえか。 「そんなことはどうでもよい。さて、この小娘をどうしてやろうか」 観戦を決め込んでいたクルスが洞窟から出てくると、天馬の横に座り込んでしまったレギンレイヴを見下ろした。 どうしてやろうかって、竜と人間とはいえ同姓なんだぜ? まさかクルス、おまえはそういうのに興味があったのか。それはなんというか、ちょっと見てみたい気もするが、やっぱりやめておけ。これ以上はR18指定になっちまう。 そんな心配をよそに、クルスは言い放った。 「決めた。こいつは捕虜にする」 「アッー! いや、さすがにそれはまずいぜ、お譲ちゃん!」 お姉さんと竜、あるいはお姉さんと少女。どっちにしてもなかなか絵になる……じゃなくて色々とアレだろ! ええと、俺は後者のほうでお願いします。 「心配はいらん。戦いが終わるまでアルヴにいてもらうだけだ。人質にして交渉に使えるかもしれんし、あとで私が魔法でアルヴに関する記憶を消せば、隠れ里のことが周囲に漏れるようなこともあるまい」 「そういうことじゃなかったんだが、そういうことならまあいいぜ」 あとはクルスが触手もとい大地の魔法で生やしたツタでお姉さんを拘束してお持ち帰りの準備は完了だ。過程はともあれ、俺の望んだ結果だ。やったぜ。 馬のほうはレギンレイヴが捕まると、暴れることなく大人しくしていた。よく調教されているようで何よりだ。いや、まあ調教って言いたかっただけなんだがな。 そのまま俺たちはレギンレイヴと天馬のグリームニルを連れて一度アルヴに戻ることにした。予定とは違ったが、ひとまずの収穫はあった。 それにしてもファフニールのやつは、一体どこへ行ったんだか。 Chapter22 END 魔法戦争23
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Chapter31「フリード遠征3:他人の恋路を邪魔するのは野暮ってもんだぜ」 ああ、どうしてこんなことになってしまったのだろう。 捕虜にしたヴァルキュリアのお姉さんを連れて、あとはアルヴへ帰るだけのはずだった。それなのに俺ってやつは、なんて罪深いことをしてしまったんだ。 目の前にはレギンレイヴとはまた別のヴァルキュリアが一人、苦悶の表情を浮かべて倒れていた。 ――それは、遡ること数時間前。 ファフニールを味方に雇い入れた俺たちは、捕虜にしたレギンレイヴと共に一度アルヴへ戻るため、グニタヘイズを発って南西の空へと向かっていた。 俺はクルスの背中の上。その後ろには拘束されたレギンレイヴ。そして彼女の天馬グリームニルはクルスの腕の中だ。後方からはファフニールが続く。 お姉さんに襲われたり、守銭奴の金ピカ竜に襲われたり、魔剣の呪いに襲われたりと散々な目に遭ってしまったので、正直言って俺はもう疲れていた。いや、まあお姉さんにはどんどん襲ってもらってかまわないんだがな。 それはそれとして、今はできれば敵に遭遇したくないと俺は思っていた。 だってそうだろう。連戦に継ぐ連戦だぜ? HPもMPもすっからかんってやつさ。まあ俺には魔力はないけど。今は早く拠点に戻って横になりたかった。 けど、そうすんなりと進まないのが物語ってもんだ。というか、そういうことを俺が考えちまったせいである意味フラグを立ててしまったのかもしれない。 まあ、メタい話はとりあえず置いといて、今起こったことをそのまま話そう。 俺たちの目の前に大きな魔導船が現れた。 「ほう、なかなか豪華な装飾の施された船ではないか。気に入った。おい、あの船を襲うぞ。そしてオレのコレクションに加える」 守銭奴が何かすごく自分勝手なことを言ってやがる。 「待てファフニール、迂闊に近づくな。戦争の気運高まるこのご時勢じゃぞ。船は滅多に飛ばないはず。もしかすると敵船かもしれん」 それにあの船には見覚えがあるとクルスは付け加えた。あれはユミル王家の所有する船であると。 実質トロウが支配しているユミルから来た、しかも王家の船だ。敵の息がかかっていると考えてほぼ間違いない。 「おいおい、勘弁してくれよな。おまえら竜と違って俺は人間だから、すぐに疲れちまうのさ。敵なんてごめんだぜ。今日はもうオフ!」 「なんじゃフリード。怖気づいたのか?」 「そうは言ってねえよ。別に遭遇した敵を全部けちらす必要はないって話さ」 すべての敵を片っ端から倒していったのでは、いずれこちらも疲弊してしまう。そんなことをしなくても、敵の大将さえ討ち取れば敵は戦意を失う。無駄な血を流さなくても戦いは終わらせられるのだ。 とかなんとかそれっぽいことを言って、俺はあの船に見つからないように迂回してアルヴに戻ることを提案した。俺は早く帰って寝たい。 しかし地竜たちは首を横に振った。 「何を言っておるのじゃ。敵はまだこちらに気付いていない。これ以上の好機があるものか。少しでも敵の戦力を減らしておくほうが得策じゃろう」 「同感だ。それに敵を前にして尻尾を巻いて逃げるなど、臆病者のやることだぞ。貴様には竜の誇りというものがないのか」 だめだ、こいつらとは根本的に考え方が違った。力があり余ってるのか、どうも竜族というのはゴリ押しが好みらしい。てゆーか俺は竜じゃねえし! 「そこまで言うなら、おまえたちでどうぞ好きに蹂躙してやってくれ。俺は休む」 「ふん、何を甘えたことを。せっかくオレの剣をひとつくれてやったのだぞ。それはただの飾りのつもりか?」 たしかに今の俺はもう丸腰じゃない。ファフニールを説得したあと、あのグニタヘイズの財宝の山の中から正式に剣を一本もらったのだ。ファフニールと戦ったときにつかんだ二本のうちのひとつ。 片方は魔剣だったので危ないということで置いてきたのだが、もう一本はそれなりの業物だった。蒼い刀身の俺好みの剣。銘はフロッティというそうな。 「使うわけでもなく、実際にただ飾ってただけのおまえに言われたくはないね」 「むっ……。痛いところを突かれたな。よかろう、貴様は黙って見ているがいい。地竜族の力というものを見せてやる」 俺とレギンレイヴを乗せたまま、クルスとファフニールは大型魔導船へと近づいた。そしてどんな敵がでてくるのかと身構えていると、 「あれぇ~? フリードじゃないっすかぁ!」 その船から聞こえてきたのは、聞き覚えのある気の抜けた声だった。 魔導船に乗っていたのは敵でも何でもなく、別行動をしていたセッテたちとオットーたちのグループだった。新しく見る顔ぶれは彼らが勧誘してきた仲間だろう。 合流した仲間たちは、これまでの経緯について情報を交換し合った。 どうやらこの船はヒルディスヴィーニ号というらしい。ユミル国のお姫さまで、フレイの実のお姉さんでもあるフレイヤ王女の所有するものだそうだ。 オットーはなんとトロウの支配からフレイヤ王女を取り戻していた。こいつはまた、いきなりずいぶんなお手柄を挙げてきたもんだな。 「そういや、オットーはフレイヤ王女のことが気になるって言ってたもんな。これも愛の力の為せる業ってやつか。おまえのこと見直したぜ」 「そう言ってもらえるとありがたい。たしかに愛の力というのはすごいものだな。おかげで俺は本当の自分になることができた」 そう言うオットーは以前より少し頼もしそうに見えた。 続いてフレイヤ王女があいさつをしてくれた。 「お話はうかがっております。あなたが弟を助けてくれている勇者のフリードさんですね。王女ではなくフレイの姉として、ここはお礼を言わせてください」 「これはどうもご丁寧に。いやぁ、照れるね」 フレイヤ王女はこれまたなかなか美しいお姉さんだった。先約がなければ放っておかなかったぐらいだ。羨ましいぞ、オットーのやつめ。 それから新たな仲間にはもうひとり、小さなお譲ちゃんがいた。 そっちはクエリアが説明してくれた。幼く見えても魔女と呼ばれていて、名前はプラッシュちゃんと言うらしい。かわいい。 「よかったな、お譲ちゃん。年の近い友達ができたじゃないか」 「だからわたしをお譲ちゃんと呼ぶな! それに年も近くない!」 「ははは、わかってるって。『あんなニンゲンなんかよりわたしはずーっと長生きなんだぞ!』……だろ?」 ああ、落ち着く。クエリアをからかっているときが俺は一番楽しい。 しかし、いつもならさらに言い返してくるクエリアは、複雑そうな表情をしたままう~んとうなっていた。どうした、何かあるのか。 するとクエリアはちょっと違うのだと答えた。 「その……わたしよりプラッシュのほうが年上なんだ。ニンゲンなのに……」 「どういうことだ?」 「魔女っていうのはそういうもんらしい。ほんとは四百年生きてて、魔法で姿を変えて若く見せているだけなんだって。つまりクルスみたいな感じだ」 「なんだ。じゃあ、中身はお婆――」 その瞬間、俺は意識がぶっ飛んだ。 いつの間にか俺は何もない無の空間にいて、意識だけがそこに浮かんでいるような感じだった。一体何が起こったのかよくわからないが、意識が飛ぶ寸前にちらりと視界の端でプラッシュちゃんの目が光るのを見た気がする。 『ニヒヒヒ! ハロー、愚かなぬいぐるみさん。ご主人サマの目の前で悪口を言うなんて、ユーは実に馬鹿だなぁ』 ああ、なんか変な幻聴も聞こえてきた。俺は疲れてるのかもしれない。 というか実際にへとへとだ。もうこのまま寝ちゃおうかな……。 そして俺の意識はまどろみの中へと埋もれていった。おやすみなさい。 しばらくして、周囲の騒がしさで俺は目を覚ました。 「うーん、よく寝たぜ。まるで身体が綿になったかのように軽い。ってこの騒ぎ、何かあったのか?」 「あ、起きたっすか。それが実は……」 俺がいい夢を見ていた間に起こったことをセッテが説明してくれた。 ――まずフレイヤ王女はヴァルキュリアのリーダー的な存在らしく、つい最近までトロウに洗脳されていたらしい。 捕虜として俺たちが連れてきたレギンレイヴは、フレイヤ王女が正気に戻ったことを喜んでいた。するとそこに、同じくヴァルキュリアの一人であるブリュンヒルデがこの魔導船を見かけてやってきて、同様にリーダーの無事を喜んだ。 「ああ、フレイヤ様! まさかトロウの奴に洗脳されていたとは!」 「心配かけてごめんなさい、ヒルデ。私たちはトロウに騙されていたの。フレイはまだ生きているらしいわ。今からそこへ向かうの。だからヒルデ、あなたも私たちといっしょに来て。本当の敵はトロウよ! 力を合わせて一矢報いてやるの」 「フレイヤ様の命令とあればなんなりと。それにしても、強気なフレイヤ様もよかったけど……嗚呼、可憐なフレイヤ様もやはり清く正しく美しいなぁ……」 「ちょ、ちょっとヒルデ! みんなが見てるでしょ。恥ずかしいからやめてよ」 ブリュンヒルデはひざまずきながら、フレイヤ王女の腰にひっしと抱きついたらしい。なんでもあのヴァルキュリアは、フレイヤ王女とはちょっと特殊な関係なのだとか。ううむ、ちょっと実際にその場で見てみたかった。 その後、以前ブリュンヒルデと一戦交えたことのあったオットーとセッテが彼女に声をかけた。 「あのときは敵として戦ったが、今はフレイヤ様のもと、我々は味方同士だ。同じくユミル王家に仕える従者としてよろしく頼む」 「よろしく頼むっすよ~」 するとブリュンヒルデはすぐに態度を改め、腕を組みながら二人の前に立った。 「なんだおまえらか。あのときはすまなかった……なんて私は言わんからな。フレイヤ様の命令だから協力してやるだけだ。私の足を引っ張るなよ」 「無論だ。フレイ様も仲間割れは望まないからな。俺たちも手は貸してやる」 「まあまあ。悪いのは全部トロウっす。だからイライラは全部トロウにぶつけてやるっすよ! 目的はいっしょなんだから、ケンカはナシっすよ」 そこでセッテがなだめて、一時はオットーとブリュンヒルデの間に飛び散る火花は収まった……のだが、 「お、おまえというやつは……! 恐れ多くも私のフレイヤ様に手を出そうというのか。許さん! フレイヤ様が許しても、この私が許さんぞ!!」 話しているうちにオットーとフレイヤ王女が恋仲であり、しかもお付き合いを始めたということを知って、このフレイヤ様が好きすぎるヴァルキュリアは怒り狂う結果になったのだという―― とまぁ、そういうわけでブリュンヒルデがオットーに襲い掛かっているらしい。周囲の騒がしさはそのせいだ。 怒り狂ったお姉さんは雷槍を振り回して恋敵を殺しにかかっている。 「フレイヤ様を汚す者はすべて滅びればいいッ!! 清く! 正しく! 美しく! うぉぉおおぉぉあぁああぁぁぁあぁっ! フレイヤ様フレイヤ様フレイヤ様フレイヤ様フレイヤ様フレイヤ様フレイヤ様フレイヤ様ぁぁぁーっ!!」 というかまじで殺しかねんぞ、あれは。 やれやれ。ここは愛の戦士でもある俺がひと肌脱がねばならないようだ。 さっそく俺は船の上を駆け回り死線をくぐる二人の間に割って入ると、左右から飛び交う風と雷を新たな剣フロッティの一振りのもとに打ち払って言った。 「おっとお姉さん。他人の恋路を邪魔するのは野暮ってもんだぜ」 そこからはオットーに代わって、俺がブリュンヒルデの相手だ。 このお姉さんとは俺も一度戦っている。すでに手の内を把握している相手なら、苦戦するような心配はない。それに人間相手なら動きを読むのも難しくない。 雨のように降り注ぐ雷を左右のステップで最小限の動きでかわし、距離を詰めながら相手の懐に潜り込む。続いて不意に体勢を低くして虚を突いたら、下から斬り上げて相手の武器を弾き飛ばす。最後に剣先をお姉さんの胸元につきつけてチェックメイトだ。 「くッ……! き、貴様はあのときのナンパ男!?」 「よう、お姉さん元気してた? あまりにもあんたが恋しいんで、また会いに来てやったぜ。さあ、俺と愛について語り合おうか」 「ま、またおまえは……ッ! そ、そんなキザったらしいことを言って……!!」 ブリュンヒルデは顔を赤らめながら後ずさった。 あれ、もしかしてこのお姉さん。フレイヤ様フレイヤ様と言ってるわりには、愛だの恋だのというのが苦手なのかもしれない。 「前に会ったときも思ったんだが、お姉さんかなりの照れ屋さんだろ?」 「うぐっ……!」 どうやら図星らしい。ブリュンヒルデは言葉を詰まらせて黙り込んだ。そしてそのまま顔を真っ赤にしながらうつむいてしまった。 とりあえず戦意喪失、俺の勝ちってことだな。 騒ぎが収まるとフレイヤ王女が近づいてきて、ブリュンヒルデに声をかけた。 「ヒルデ。私のことを心配してくれるのはうれしいけれど、私は自分の意思でオットーを愛することに決めたの。従者だからどうとか、そういうことを言うつもりはないけれど、せめて私の友人として私の恋を応援してくれるとうれしいのだけど」 ブリュンヒルデはうつむきながらそれを聞いていたが、深いため息をつくと小さな声で反省したように話し始めた。 「そ、そうか……。私はただ自分の気持ちをフレイヤ様に押し付けていただけだったのか……。申し訳ありません、フレイヤ様。私は従者失格です」 「いいのよ、ヒルデ。私をそこまでして守ろうとしてくれたのは従者としては十分すぎるぐらいよ。失格ということはないわ」 「そうかもしれない……。しかし恋人としては失格のようだ……」 「えっ」 唖然とするフレイヤ王女をよそに、ブリュンヒルデは顔を上げてオットーのほうをにらみつけると、目に涙を浮かべながら言った。 「おい、オットー! フレイヤ様にここまで言わせたんだぞ。だからおまえは、絶対にフレイヤ様を幸せにすると誓え! フレイヤ様の気持ちを裏切るようなことがあったら、こんどこそおまえを殺してやるからな!!」 するとオットーは力強くうなづいてみせる。 「もちろんだ。俺はフレイ様をお守りする従者であると同時に、フレイヤ様を守る騎士になってみせる。フレイヤ様は絶対に泣かせないと誓おう」 「……ふん、言うじゃないか。すまなかったな、いきなり攻撃して」 そしてフレイヤ王女を愛する者同士はかたい握手を交わしたのだった。 うーん、青春ってやつだね。恋敵がなぜか異性って点は少し変わってるが、いわゆる恋の戦いを経て友情が芽生える場面ってやつか。 そしてオットーとフレイヤ王女の関係は仲間たちにも認められ、二人は末永く幸せに暮らすのでしたっと。まったく俺も幸せが欲しいぜ。 さて、これで一件落着か。と思っていたんだが、しかしまだこれでは終わらなかったんだ。まあ聞いてくれ。 フレイヤ王女が俺たちの味方になったということは、その配下であるヴァルキュリアたちも当然そのまま俺たちの味方になったということになる。 つまりブリュンヒルデはもちろんのこと、捕虜のつもりでここまで連れてきたレギンレイヴもこれで晴れて俺たちの味方になったということだ。 オットーを認めたブリュンヒルデではあったが、それでも彼女はまだ複雑な気持ちだったのだろう。うつむき加減で元気がなさそうに立ち尽くしていた。 そんな彼女にレギンレイヴは、同じくフレイヤ王女に仕える仲間として声をかけにいった。 「ヒルデ、元気を出すんだ。我々ヴァルキュリアがフレイヤ様をお守りすることに変わりはない。これからはオットーも我々と共に守ってくれるだけのことだ」 「ああ、レギンか。たしかに私たちのやることは変わらないさ。だけど気持ちが変わってしまった。私にはもうフレイヤ様を愛する資格がない」 「愛か……。わたしは恋愛の類には疎いのだが……ヒルデは女だろう。女同士で仲がいいのは別におかしなことはない。だからフレイヤ様に伴侶がいようが、ヒルデとフレイヤ様が仲良くしていけないってことはないのでは?」 するとブリュンヒルデは、はっと顔を上げた。 「レギン!! おまえ天才か! そうだ、そうなんだよ。フレイヤ様に彼氏ができたからって、私は女なんだから遠慮する必要なんかないんだ。フレイヤ様と私がいっしょにいたってそれは浮気なんかじゃないよな」 「あ、ああ……。なあヒルデ。前から気になっていたんだが、おまえは本当にフレイヤ様が好きなんだな。だけど同姓じゃないか。なぜなんだ?」 「理由などない。ただ好きだから好きなんだ。愛ってそういうものだろう」 「ううむ……わたしには理解できないんだが……。それにこの前、あの男のことが気になるって話していたじゃないか。あれは恋愛とは違うのか」 そう言ってレギンレイヴがこちらを指差したのだ。って俺ェ!? しかも、そう指摘されたブリュンヒルデは再び真っ赤になってしまった。 「ななななな! 何を言い出すんだレギン! 私にはフレイヤ様がいるんだぞ。私はフレイヤ様に絶対の忠誠を誓ったのだ。それを私が……あ、あんなキザったらしい男なんかに……ち、違う違う違う! そんなのフレイヤ様を裏切ることになる」 「しかしこれもオットーとフレイヤ様の件と状況は同じなのではないか? あの男とフレイヤ様は性別が異なるのだから、おまえがあの男の相手をしてもフレイヤ様を裏切ることにはならないのでは……」 「い、言うな言うな! これ以上言うなぁぁぁ~っ!!」 裏返った声で叫びながらブリュンヒルデは顔から炎を吹き上げて倒れた。 それは炎の魔道士もびっくりな盛大な炎だった―― そして現在に至る。 ブリュンヒルデは苦悶の表情を浮かべたまま、しきりに何かをつぶやいている。 「――いやしかし私にはフレイヤ様がいてだけどあの男を見ていると何かこうフレイヤ様とはまた違った込み上げるような想いが湧いていやいやしかしそれだとこれまで私がフレイヤ様に抱き続けてきた感情は偽りだったのか否そんなことは絶対にありえない信じない何かの間違いだ……」 ああ、どうしてこんなことになってしまったのだろう。 きっと俺があまりにも魅力的なんで、このうぶなお姉さんは恋に狂ってしまったに違いない。俺ってやつは、なんて罪深いことをしてしまったんだ。 「おいフリードぉ。おまえのせいだぞ。責任とれよなぁ~」 にやにやと笑いながらクエリアがこちらを見てくる。 「おまえのようなお譲ちゃんに言われたくないぜ」 と言いつつも、こんなきれいなお姉さんに想ってもらえるならまんざらでもないと思う俺なのであった。 とりあえずレギンレイヴを通して間接的に聞いただけなのもアレなので、直接本人から想いの丈を聞かせてもらおうかとブリュンヒルデに声をかけると、彼女は俺の顔を見るなり「ひゥっ!」と声を上げて気を失ってしまった。 「あーあ、きっと顔が怖かったんだな。もうフラれたんじゃないかぁ?」 お譲ちゃんはそんなことを言っているが、その逆できっと俺がイケメンすぎて気絶したほうに俺は賭けるね。なんたって俺は勇者だからな。 「……ほれ。馬鹿なこと言っとらんで、落ち着いたならアルヴへ帰るぞ」 そして、そのまま俺たちはフレイヤ王女の船に乗せてもらってアルヴへと帰ることになった。 レギンレイヴに加えてブリュンヒルデ、そしてフレイヤ王女。こんなにも美しいお姉様方をお持ち帰りできるなんて、思った以上の収穫じゃないか。やはりクエリアみたいなお譲ちゃんとは違う。大人のお姉さんはいいものだ。 あ、でも魔女のプラッシュちゃんもなかなかかわいいな。 あれで中身がお婆ちゃんじゃなければ最高だったのに……。 などと考えていると突然、俺の意識は無に呑み込まれた。 (あ、あれぇ? 心の中で思っただけでもアウトかよ!) 『ユーは本当に馬鹿だなぁ。他人の心を読むぐらいミーには朝飯前さ。ご主人サマの悪口は心の中でだって許さない。ですよね、ご主人サマっ』 ああ、またあの幻聴が聞こえてきた。俺はまだ疲れが残っているのか。 そして俺の意識はまたしても遠ざかっていくのだった。魔女、怖ぇ。 Chapter31 END 魔法戦争32
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Chapter18「竜人族と侵入者」 傷を癒し空が飛べるまでに回復したセルシウスは、セッテとヴェンを乗せてドローミの島を発ち、ムスペルスへと向かっていた。 この負傷はムスペルスを襲撃した魔道士ヴィドフニルの手によるものだとセルシウスは話した。 黒い炎に燃え盛る岩石を雨のように降らせて暴れまわったあの魔道士はあくまでただの陽動であり、その隙を突いて王城が謎の軍勢の襲撃を受けたという。それに気付いたセルシウスは城に急行しようとしたが、ヴィドフニルの追撃を受けて痛手を負った。 辛くも逃げ延びたセルシウスは助けを求めて、なんとかフレイたちのいた島まで逃げ延びてそこで意識を失い、そして現在に至る。 あれからもう数日は経ってしまっている。セルシウスは故郷のことが心配でならなかったのだ。 「人間にしては手強い魔道士だった。たった一人で火竜相手に互角か、もしかしたらそれ以上の魔力を持っているかもしれない」 「ふーむ。金魔将ヴィドフニルっすか……。ヴァルちゃんが第五竜将とかいう肩書きを持ってたから、それと同じようなもんっすかね。きっとトロウの手下っす!」 「よもや父上が人間に敗れるとは思わないが、無事を確認しないことには気が治まらない。私の事情に巻き込んでしまってすまんな」 「いいっすよ。おれだってムスペのことは気になるし、ヴェンさんはどこまでもおれについてくるって言ってるから、文句は言わないっすよ」 竜くずれのヴェンは、好きにしろというような目でこちらを見つめている。 あまり話さないのでセルシウスはこの竜くずれのことがよくわからなかった。 セッテがつれてきたので危険な相手ではないのだろうが、常に鋭い目をして気が張り詰めたような態度を取っている。そんなヴェンを見ていると、見ているほうも緊張してしまう。 「ところでヴェン殿。見たところ貴殿は少なくとも火竜ではないようだが、ムスペルスは大丈夫なのだろうか。なんというかその……貴殿は……火が苦手そうだ」 ドラゴンゾンビ然としたヴェンの姿は、まさにアンデッドそのもの。そういった反魂の存在は概して炎に弱いものである。 「……オれはもとは竜人族だ。だかラそのへんの得意苦手は、このガキと似たようなものだ。こいつが行って平気な場所ナら、オれも問題はない」 ドローミの研究所に囚われていた竜は火竜、氷竜、地竜、風竜と様々だったが、とくに人と竜の交わりによって生まれるという竜人に強い興味を抱いていたドローミは、ヴェンのような竜人族もどこかから見つけてさらってきていたのだ。 竜人族とはその名のとおり、竜と人の混ざったような姿をしているが、その姿は一様ではない。人の血が濃ければ、ツノや翼がある以外はほとんど人と変わらないような外見をしているし、竜の血が濃ければほとんど竜と同じ姿をしている。 竜族と竜人族で明らかに違うのは、直立二足歩行が可能かどうかという点だ。 火竜は大地をしっかりと踏みしめる四足に二対の大きな翼を持っている。いわゆるドラゴン然とした姿で、灼熱や高温に耐える頑丈な鱗を持っている。 氷竜は細長く蛇のような胴体に翼と四肢を持ち、氷の結晶に似た優美なツノや飾りヒレを持つ。水竜はその亜種で、より発達したヒレと珊瑚のようなツノがある。 地竜は強靭な後ろ脚を持つため二本の足で立つことができるが、直立できるわけではない点で竜人とは違う。前足が自由な分、手先が器用な者が多い。 風竜は前足が翼になっているワイバーン型の竜で、高い飛行能力を持っている。飛ぶことに特化して竜にしては小柄の者が多いが、ヴァルトは例外のようだ。 ヴェンは竜の血が濃いらしく地竜そっくりの外見をしているが、背筋がまっすぐ伸びているので竜ではないことがわかる。背丈はセッテより少し高いぐらいで、竜にしては明らかに小さいのも竜人である証拠だ。 翼はあるがボロボロになっており、長い尾もほとんど骨だけになっている。頭上には二対のツノがあるが、片方は折れている。皮膚は体毛や鱗は確認できず、あちこちただれて腐臭を放っている。 そんな強烈な外見をしているので、竜人というよりはドラゴンゾンビと言われたほうがしっくりくるぐらいだ。 「セルシウス、オれに気をつかう必要はナい。どうせオれはもともとバケモノだ。ニンゲンでも竜でもナい中途半端な存在だ。竜人族が嫌われてルのは今に始まったことではナい。だかラ、気にすルな……」 「う、うむ……」 セルシウスは返す言葉が思いつかなかった。 竜人族の立場は少し複雑なものがある。気にするなと言われても、そう簡単に割り切れるような問題ではないことを、この世界の誰もが知っている。 「まあまあ。難しい話はおしまいにするっすよ。ムスペではおれがバリアを張るんで心配いらないっす。ほら、そろそろムスペが見えてくるっすよ」 重くなりかけた空気を明るく笑ってセッテが吹き飛ばす。そして指差す先には、見覚えのある雲塊が遠景に姿を見せ始めていた。 時を同じくして、ニヴルヘイム上空を行く魔導船の上でも同様に竜人族のことが話題に上っていた。フリードが言うには、これから向かうアルヴにはその竜人族がたくさんいるのだという。 「もともとアルヴってのは、竜人たちが作った隠れ里らしいぜ。だから、わざわざ地図にも載らない場所も常に一定じゃないような島雲の上に存在してるんだと」 「なるほど。そんな場所じゃ不便そうだと思ったけど、それなら納得だ。竜人族は何かと差別されがちだからなぁ……」 「竜でも人もないってな。話してみると気のいいやつらなんだけどな。人の血が濃いやつだと、外見がほとんど同じだから言われなきゃわからんぐらいだ」 どちらかの血が濃ければ、その外見はどちらかに寄った姿で生まれてくる。人の血が濃い竜人ならば、竜人であることを隠して普通に生活することもできるだろうし、竜の血が濃ければ身体が小さいことを馬鹿にされる以外は、竜族の中で生活することもできるかもしれない。 だが最も苦しむのは、そのどちらでもない者だ。 人にもなりきれず、竜にもなりきれず、外見上もそれらが混ざり合った中途半端な姿で、どちらの種族からも忌み嫌われる。 人は純血を重視する生き物だ。竜の血が混ざった者はもはや人間じゃない、と彼らを迫害してきた。人は竜人の存在を快く思わない。 竜は誇りを重視する生き物だ。人の血が混ざった者は竜としての誇りを汚している、と彼らを見下してきた。竜は竜人の存在を認めない。 そうして世の中から爪弾きにされた竜人たちが、身を寄せ合ってできた集落こそがアルヴだった。位置の不確かな隠れ里は、立場の弱い彼らが唯一落ち着ける場所であり、周囲からの迫害から逃れることのできる場所でもある。 いつしかアルヴは、そういった世界から見放されたものたちの集う、彼らだけのための安息の地となっていったという。 「島雲の特性に加えて幾重にも魔法を重ねてあって、そこに行き着く方法を知らない限りは絶対にたどり着けないようになっている。さっきの緑の玉もその方法のひとつってわけさ」 フリードの取り出した玉はアルヴのある方向を示す魔具だ。今はクルスがその玉に従って船を進めてくれている。 「そんな厳重に隠されてる里に僕らなんかが踏み込んでもいいんだろうか」 「心配すんな。実は俺、会ってからずっとあんたらの様子を見張ってたんだ。だけどフレイたちなら信用できると思ったね。それに神竜さまも、あんたには興味があるみたいだったし……」 「神竜さま?」 そう聞きかけたフレイの質問は、大きな物音に遮られた。 船の中のほうで何やらドタバタとものが倒れたりするような音が聞こえる。 何事かと二人で様子を見に行くと、オットーがそんな二人を出迎えた。 「王子、密航者がいたので捕らえておきました」 そう言うオットーが両手でぶら下げているのは、見覚えのあるお譲ちゃんだ。 「はなせはなせェ~っ! 腕が痛いだろ。こら命令だぞ! すぐにはなせ~!」 捕まえられた猫のようにクエリアはぶらんとぶら下がって、床につかない足を必死にじたばたさせている。 「なんだお譲ちゃん。ついて来ちまったのかい? そんなに俺が恋しかったのか」 「うるさい黙れ。家来のくせに勝手にいなくなるとはいい度胸だ。そんなおまえはお仕置きに、このわたしがぎったんぎたんのめっためたのべっこべこの……」 「はいはい。それでフレイ王子? この家出娘をどうしようと思う?」 「うん。すぐに連れ帰そう」 船はまだニヴルヘイム上空を飛んでいる最中だ。引き返すのにそれほど時間はかからない。クエリアを送り帰す算段を話していると、オットーの手を振り払ったクエリアが船内から逃げ出そうと駆け出す。 オットーが短く呪文を唱えると、風で扉が閉まりお譲ちゃんの逃走を阻止した。 「ぐぬぬぅ。お、おにょれぇぇぇっ」 クエリアは開かない扉にがりがりと爪を立てている。 「それで? お譲ちゃんは密航してどこへ行こうとしてたんだ」 「ふーんだ! おまえに話してやる筋合いなどないっ!」 「じゃあ俺も理由を聞いてやる筋合いはないね。クルスに言ってすぐにニヴル城に引き返してもらうかな」 「わっ。ま、待て! そんなのずるいぞ! わ、わかった。話す。話すから……」 しゅんとして大人しくなったクエリアは、静かに家出の理由を話し始めた。 「実は黙って城を出てきてしまったんだ。だから連れ戻されるのは困る。お母様に叱られてしまうじゃないか」 「子どもは叱られて大きく育つもんだぜ」 「ああもう、うるさいなぁ! わたしは城での生活はもううんざりなんだ。いつもいつも魔法とか歴史の勉強ばかり。外は悪い火竜がいっぱいいて危ないからって、城から出してもらえないし。だからわたしはずっと外の世界が見たかったんだ。フリードにさらわれたのだって、こっそり抜け出してフヴェルゲルミルの泉を見に行ったときだったし……」 「俺じゃなくてあの変態科学者にだろ。でもさらわれて、もう懲りただろ?」 するとクエリアはぶんぶんと首を振った。 「それは違う! たしかにちょっぴり怖かったけど、あんなのへーきだ! 初めてニヴルを出て、初めてニンゲンを見て、初めて氷じゃない大地を見て、ずっと寝てたけど初めて火竜を見て、それから初めて風竜と地竜(クルス)を凍らせた!」 「お、おう」 「初めて空飛ぶ船にも乗ったし、初めて晴れてる空も見た! 何もかもが初めてですごく新鮮だった。すっごく楽しかった。外の世界はこんなに広いんだと思った。でも……城に戻ったら、そんなのもうひとつもない。わたしはそんなの嫌だ。もっとフリードたちといっしょにいたいと思った。だから……」 必死にそう語るクエリアのことをフレイは理解できなくもなかった。 たしかに幼い頃はフレイも同じようなことを考えていた。勉強も剣術や魔法の訓練もうんざりだった。だからこそ、よくセッテと城を抜け出しては城下街に遊びに行っていたのだ。 しかし今なら、そうさせた親の気持ちもわかる。子どもに少しでも立派になってほしいから習い事をさせて、子どもが心配だからこそ自分の目の届く場所に置いておきたいと考える。それが王子や王女であるならば、なおのことだ。 「王子。まさかとは思いますが、クエリアはまだ幼いんですからね」 「わかってる。説得するよ」 扉の前に座り込んでしまったクエリアを、フレイは優しく諭そうとした。 「たしかに今は退屈かもしれない。でもクエリア、それが未来永劫ずっと続くわけじゃないことはわかってるだろう? 女王だって悪気があって厳しくするわけじゃないんだ。もっと大きくなればいつかクエリアもわかる時がくるよ。だから今はガマンして、お母様に心配かけないようにしよう?」 「むう。いつかっていつだ? もう二百年ガマンしたのに……」 「にひゃく……!? ううん。さすが竜は桁が違うというか。ごめん、オットー。ちょっとこればかりは擁護できなくなってきたかも」 説得失敗。代わってオットーとフリードがあの手この手で説得を試みるも、クエリアは扉の前から座り込んだまま頑として動かなかった。 どうしたものかと悩んでいると、 「話はだいたい聞かせてもらった。ここは私に任せてもらおうかのう!」 勢いよく扉を開けてクルスが現れた。 「ふぎゅッ!!」 内開きの扉はクエリアを壁のほうへと弾き飛ばした。 唖然として顔を見つめてくる三人に、クルスはただ首を傾げるだけだった。 顔を真っ赤にして怒るクエリアをよそに、クルスは自分の考えを述べた。それは意外にもクエリアに味方するような提案だった。 「お主も竜ならば、自分の要求を通したいときには、自分の力で道を切り開くものじゃぞ。親がなんじゃ。そんなもの倒して屍を乗り越えていくぐらいのつもりで行け。それともお主はいつまでも親の言いなりになっておるつもりか?」 「そうか! たしかにお母様が死んだらわたしは自由になれるな。よーし、わかったぞ。すぐに船を戻せ。ちょっとお母様と一戦交えてくるっ!」 何か誤解しているような気はするが、どうやらクエリアは納得したらしい。 まだ幼いクエリアが母親の竜と戦って勝てるはずもない。それを見越した上で、クルスはうまく言い包めて、クエリアが城に戻る理由を作ったのだ。 してやったりの顔で、どうだと言わんばかりにクルスは三人に目で合図した。 「それじゃあ、お嬢様のいうように氷の城へ戻るかのう。異論はあるまいな?」 「ああっ! 異論ありだぞ。またわたしを子ども扱いしたな!」 ともあれクエリアの同意を得られたので、船は氷の大地の空を引き返した。 しかし、しばらく行くと入国の際に引き止めたあの氷竜が、再びグリンブルスティを引きとめた。 「どうした? 知らぬ相手でもあるまいに」 「それが実は現在、侵入者の件で少しピリピリしておりまして……」 氷竜が言うのを聞いてクエリアは慌ててフリードの背中に身を隠したが、話を聞いているとどうやら自分のことではないとわかって、ずかずかと前に出てくると命令口調でその氷竜に尋ねた。 「おい、フィンブル。何が起きているのだ? わたしにも聞かせろ」 フィンブルと呼ばれた氷竜は、突然現れたクエリアに驚いて身を固くした。 「アクエリアス様!? どうして貴女がこんなところに」 「そんなことはどうでもいいだろう。侵入者とは何のことだ」 「はい。それが怪しいニンゲンが姿を隠して城の様子を窺っていたので、問い詰めたところ慌てて逃げ出していったので、警戒を強めているところでして」 「ふうん。面白そうだなぁ。敵は何人だ?」 「一人ですが……はっ。いけませんよ!? 危ないですから! 捜しに行こうなんて絶対にやめてくださいよ!」 「知ったことか! わたしが行くと言ってるのだぞ。どうしても止めるというのなら、わたしを倒してシカヴァネ? を乗り越えていくぐらいのつもりで行け」 さっそく覚えたばかりの言い回しをちょっと間違えて使いながら、クエリアは勢いよく走ると船のへりから空中へと飛び出した。 「とうっ」 そしてそのまま氷の大地へと落ちていった。 「…………あの馬鹿は何をやっておるのじゃ?」 冷めた目で小さくなっていくその姿を追いながら、クルスは早く拾いに行ってやれと氷竜に言った。フィンブルは大慌てで落ちていくクエリアを回収しにいった。 船の上に戻されたクエリアは不満そうなふくれっ面を見せている。 「むぅぅ~っ! 忘れてた。この姿じゃ空が飛べんじゃないか。おい、誰かわたしを早く竜の姿に戻してくれ。わたしの超絶びゅ~ちふるボディを返せっ」 「なーにがびゅーちふるじゃ。まさかお主戻り方も知らずに変身しておったのか」 「仕方ないだろ! さらわれてフリードに会ったときには、もうこうなってたんだから。最初に使い方の説明ぐらいあってもいいだろ。不親切だぞ」 「やれやれ、これだから最近の小娘は。チュートリアルなど不要、触って感覚で覚えていくのが基本じゃろうが。しょうがないやつじゃのう。一度しか言わんぞ」 人の姿を取り人々の生活の中にとけ込んでいる地竜にとって、人化魔法はお手の物だ。クルスはわかりやすくクエリアのその方法を説明してやった。 「元に戻るのは簡単じゃ。まず自分の精神に意識を集中しろ。すると精神の形を心で認識できる。今は人の形をしておるのがわかるはずじゃ。そのまま体内の魔力の流れを解放し、人の器から溢れさせれば自然と元の姿で再形成される。逆に人の姿を取る場合は精神の形を丁寧に人の形に整えていって、さらにそれを壊さないように魔力を押し込んでいかねばならんから、ちとコツが要るがの」 説明を熱心に聴くクエリアだったが、その顔には「?」が浮かんでいた。 「お子ちゃまには少し難しかったかのう。まあ、せいぜい練習することじゃな」 「う、うるさい! とにかく魔力を解放すればいいんだろ。えいっ!」 クエリアは力いっぱい念じた。クエリアは爆発した。 クルスは腹の底から笑っている。一方フィンブルはおろおろしていた。 そんなくだらない寸劇をさらりと流してオットーは侵入者の特徴を尋ねた。フィンブルが言うには、侵入者は凍てつくように蒼いローブを被ったニンゲンだったという。それは言うまでもなくユミルの魔道士の特徴だった。 「魔道士……。トロウの刺客かもしれません。ここは私とフリードがクエリア姫を城へ送り届けますので、王子は船にいてください。追手の可能性もあります」 「わかった。何事もないといいけど、気をつけて」 氷の地下空間への入口前に船を下ろすと、フレイとフィンブルをその場に残してあとの四人は氷の城エリューズニルへと向かった。 歩きながらクエリアはうんうん唸っている。クルスに教えてもらった元の姿に戻る方法がどうしてもうまくいかないらしい。 「お譲ちゃん、ちゃんと前見て歩けよ。滑って転んでも知らないぜ」 しかしよほど集中しているのだろう。フリードがからかってもクエリアは黙ったままで、まだうんうんと唸り続けている。 アリの巣のように入り組んだ氷の洞窟は、ニヴルヘイム特有の光虫を使ったランプで青や緑、紫色などに照らされている。鏡のような氷の壁に反射されたランプの光は、まるでステンドグラスのように幻想的な色で周囲を染めている。 身体の細長い氷竜が通れる程度の広さなので、他の竜からすれば洞窟は狭くて通れないが、人間からすれば十分な広さのトンネルだ。 「それにしてもなかなかに美しい景色だ。いつかフレイヤ様と二人でこういったところに来てみたいものだな……」 小さな声でそっとオットーがつぶやいた。それを耳ざとく聞きつけてからかうのはキザな蒼い男だ。 「おっ。緑のお兄さん、誰だいそれは。お兄さんのコレかな?」 そう言ってフリードが左手の小指を立てる。 「け、決してそういうアレでは。フレイヤ様はフレイ王子の姉上だ。私とは身分が違う。そんなフレイヤ様に恋をするなど、決して許されることではない」 「でも気になっちゃう。そう顔に書いてあるぜ。ナンだったら、俺が何かアドバイスしてやろうか? 蒼き勇者の恋愛テクニックその16! 高嶺の花を落とす方法」 「(き、気になる! ……いや、いかんいかん。今は任務中だ。そんな浮ついた考えは捨て置かねば) お言葉感謝する。だがやはり私のような者などフレイヤ様には似つかわしくない。気持ちだけありがたく頂戴しておこう」 「なあ、オットー。俺には表情と言葉が一致してないように見えるぜ」 「ハッ!?」 雑談を交わしながら地下空間を奥へ進む。 噂の侵入者を捜索する氷竜と何度かすれちがったが、オットーたちはすでに一度ここへ来ているのでとくに怪しまれることもない。 鎖国中で基本的に氷竜や水竜しかいないこの国では、それ以外の存在というのは非情によく目立つ。そういった者の噂は瞬く間にニヴルヘイム全土へと知れ渡る。たった一人の侵入者が捕まるのも時間の問題だろう。 やがて広いホール状の空間に出た。ここはいわゆる氷の洞窟の交差点のひとつ。通路が複数に枝分かれしているが、氷の城へ向かうならこのまま正面の道だ。 「よし、もうすぐ着くぞ。っておい。クエリアはどうした?」 どうやら足並みが遅れているようだ。振り返ると少し離れた位置に、こちらに向かって走ってくる姿が見える。 「おーい! やったぞ。ちょっぴりだけど、うまくいったぞ」 歩きながらずっと元の姿に戻る方法を試していたらしい。そして少しコツをつかんだのか、嬉しそうに走ってくるクエリアの姿は少しだけ変わっていた。 「あ、あれは……」 「あっはっは! いいぞ、お譲ちゃん」 クエリアの姿は身体は少女のままで、顔だけが水竜になっている。翼は片方だけしか出ていないし、少女の身体には長すぎるしっぽをずるずると引きずっている。 「くぷぷぷ。ク、クエリア。それは全然うまくいっておらんぞ。なんとも中途半端でそれこそまるで竜人族みたいではないか! だ、だめじゃ。もうガマンできん。あはははは……!」 よたよたと走ってくるクエリアは、何かにつまずくとすてーんと盛大に転んだ。そのまま氷の地面の上を、長すぎるしっぽでぐるぐる円を描きながら滑ってくる。巻き込まれたオットーとフリードは足を取られて転び、それを見たクルスはさらに大笑いした。 「いてて。やるなぁ、お譲ちゃん」 頭をさすりながら三人はゆっくりと立ち上がる。 氷の地面はつるつる滑るので、気をつけないとまた転んでしまう。案の定、三人のうちの一人が足を滑らせて再び転んで頭を打った。 「大丈夫か、リンドヴルム。意外とお主は間抜けじゃのう」 「え? いや、俺は二度は転んでいないが……」 大の字になって伸びているクエリアを起こしながらオットーが返事をした。 「ではフリードか?」 「俺はなんともないぜ。じゃあ、転んだあいつは誰だよ」 頭を押さえて悶絶する突然現れた第三者は、ゆっくりと振り返るとフードを外して顔を見せた。フリードが好みそうな真っ蒼なローブを着たその男は、恨みがましくクエリアのほうをにらみつけると、おどおどしながら何かをつぶやいている。 「お、おのれぇ。なんてツイてないんだ。いつまで待ってもヴァルトは竜姫を連れてこないし、氷竜どもには見つかるし、変なやつのせいで転んで頭は打つし」 男は手から冷気を出して頭にできたコブを冷やしている。 蒼いローブ。氷の魔道士。そしてニヴルヘイムにいないはずのニンゲン。 クエリアが叫んだ。 「あいつが侵入者だ! フィンブルの言ってた特徴と同じだ!」 蒼い魔道士は再びクエリアのほうをぎろりとにらんだ。 「な、なんだ。ニヴルに人間が? 大人二人にガキ一人と……あれは何だ、竜人族か? ふざけた格好をしやがって。だ、だんだん腹が立ってきたぞ。相手が氷竜じゃないなら、このボクが敵わないはずもない。よ、よぉし。あいつらでウサ晴らししてやる……」 魔道士が両手をばっと広げると、氷塊が落ちてきて氷のホールから伸びる通路をすべて塞いで逃げ道を奪った。両手から凍てつく冷気を放ちながら、蒼い魔道士は宣言した。 「お、おまえたち、覚悟しろよ! ボ、ボクは銀魔将エーギルだ! おまえたちが誰かは知らないけど、なんかムカつくから、し、し、死んでもらう!」 Chapter18 END 魔法戦争19
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Chapter32「フレイと竜人1:竜人族の娘」 仲間たちは新たな味方を求めて方々へと出向いていった。 出発していく仲間を見送ったあと僕は神竜アルバスの大神殿を出て、そのままアルヴの集落に向かった。何もかもが雲でできているあの街に。 建物、橋、オブジェにモニュメント。あらゆるものが雲でできているこの街は、アルヴァニアと呼ばれているそうだ。 雲ばかりだとはいっても、一面真っ白で目が痛くなるというようなことはない。ここには雲を染色する技術があるらしく、雲の街は思ったよりもカラフルだ。 街の中心部にあるのがアルバスの大神殿で、その周りを囲むように竜人たちの集落が広がっている。その外円部には竜人以外の住人の居住区があり、そのさらに外側には起伏のある雲の丘や山が広がっている。 ここアルヴには竜人の他にもワケありでここに流れ着いた者たちも住んでいるらしい。それが外円部の住人たちにあたり、彼らの中にも僕たちに協力してくれる者がいるかもしれない。が、今は竜人たちと会うのが先だ。 このアルヴを拠点に竜人たちを率いてトロウと戦うことになったが、竜人たちがどれほど戦えるのかを僕は知らない。それにいきなり外の世界からやってきた者が指揮官だと言われても、そんな見ず知らずの者の指示に従おうとは思うまい。 だからまずは彼らのことを知る必要があった。 「竜人たちは僕の話を聞いてくれるかな」 ここまで同行していたヴェンに声をかけた。 仲間のうち、竜くずれのヴェンと氷竜のフィンブルはアルヴに残っていたが、フィンブルはクエリアのことが心配になったのか、少し遅れてその後を追っていってしまった。だから今はヴェンだけが残っている。 大神殿にいてもやることがないからと、ヴェンも僕についてきたのだ。 「オれももともとは竜人だ。ダから参考マでに言うが、オれは竜に近い姿ダから竜はソれほど警戒しナい。が、ニンゲンのほうは警戒が強い」 竜でも人間でもない竜人は、そのどちらからも迫害されてきた歴史を持つ。そのため、彼らはそのどちらにも警戒心を持つ。しかし竜か人のどちらかに姿が近い者は、そのいずれかの中に紛れて竜人であることを隠しながら暮らしてきたため、自分と姿が近いほうに対しては警戒心は薄いらしい。 「じゃあ僕の場合は、まずは人に近い姿の竜人から声をかけていって、少しずつ彼らに信用してもらうのがよさそうだ」 人に近いほうの竜人は、ツノや翼、尾などがある以外は人と変わらない外見をしている。僕にはそのどれもないので、アルバスに言わせるとかなり稀なパターンの竜人らしいのだが。 街には竜人たちの姿がちらほらと見える。周囲を見回して人に近い竜人を捜したが、見える範囲にはそういった竜人は見当たらなかった。 「まあ人に近い竜人なラ、大抵は正体を隠して人の輪の中で暮らシているはズだ。オれももとは大樹の近くにある地竜たちの浮島で暮らシていたからな」 そういえばアルヴは迫害を逃れるために竜人たちが作った里だ。となると、人にも竜にも近くない竜人が多いのも当然か。 もちろん、きれいに人間50%竜50%というようなド真ん中の竜人というのも、遺伝の特性上そうそういるもんじゃない。だから必ず人か竜かのどちらかには傾いているはずだ。ただそれは例えば43%と57%のように中間値に近い割合で人と竜の両方の特徴を引き継いでいるので、パッと見では判別が難しそうだ。 「何かどっち寄りの竜人か見分ける方法はないかな」 「それナら簡単だ。脚を見るといい」 竜の特徴が強い竜人は骨格上、かかとが地面につかない。直立二足歩行ができるのが竜との違いではあるが、どっしりとした獣に近い脚付きをしている。また尾が太く立派なのも特徴だとヴェンは説明した。 つまり、いわゆる怪獣体型だ。 「逆に脚が細いのがヒト寄りだ。鱗があろうと、顔つきが竜似ダろうとな」 「なるほど。そういうことなら一人心当たりがある」 すぐに僕はゲルダのことを思い出した。 アルヴに来てから最初に声をかけてくれた紫の竜人。 そういえばゲルダの脚付きはヒトのものとそう変わりはなかった。すらりと伸びた長い足とくびれた腰つきに思わずどきりとしたのをよく覚えている。 顔つきが竜に近かったので竜寄りだと思っていたが、ヴェンの説明に当てはめるのなら彼女は人寄りということになる。 (竜人なのに彼女を見ていると胸が高鳴ったのは、身体つきが人に近かったせいなのかもしれないな) しかしそういうことなら話は早いかもしれない。 すでにゲルダとは知り合いだ。まあ、アルバスを除けばこのアルヴでの唯一の知り合いではあるけど、ゲルダはこのアルヴの竜人たちと知り合いだ。 だからゲルダから僕のことを竜人たちに紹介してもらえれば、向こうも見ず知らずの僕だけがいきなり現れるよりは打ち解けやすいんじゃないだろうか。 そうとわかれば、最初に誰に会うべきかは決まったようなものだ。 もう一度ゲルダに会おう。 (思ったより早く再会することになったな。たしか彼女と会った場所は……) ゲルダと会ってから僕は大神殿に戻りアルバスと話し、その後に出発していく仲間たちを見送ってからここへ来た。時間はそれほど経っていない。だから、まだあそこにゲルダがいるかもしれない。そう思ってゲルダと会った場所に向かうことにした。 「やることは決マったみタいだな。ならばオれはここまでだ」 するとヴェンは、僕が向かおうとするのとは別の方向に歩き出した。 「一緒に来ないのか?」 「オれは外円部に行く。もとはオれも竜人とはいえ、今はこンな竜くずれだ。竜人たちと共には暮らせナい。だがワケありの住む外円部ならオれの居場所もあるかもしれナい」 「そうか、それじゃここで。あとでそっちにも顔を出してみるよ」 「好きにシろ」 ここでヴェンと別れた。 例の場所に向かってみると、ゲルダはまだその場にいた。 川にかかる橋から揺れる水面をじっと見つめているようだ。 雲ばかりのアルヴにも川がある。水蒸気で出来ている雲も魔法で固定されると水とは分離されるらしく、雲の層の中に浸み込んでいくことなく水が流れている。 どこで暮らすにしても水は不可欠なものだ。この川は生活のために人工的に引かれたもので、アルヴにはそういった水路がいくつもある。こういう作りは、大樹をくり抜いて水路を設けているユミルと少し似ている。 物思いにふけるゲルダは近づいてもこちらには気付かない。邪魔するのも悪いかと思って声をかけかねていると、そのとき水面で何かが跳ねた。 「あっ」 薄桃色の丸い生き物。尾ヒレがあり頭には先端が渦を巻いた触角がある。 それは空にいる同じく薄桃色の生き物メーによく似ているが、メーは水の中では生きられないはずだ。 メーに似た生き物は川を遡って泳いでいった。 「あれはね。メフィアっていうんだよ」 水面を目で追っているとゲルダのほうから声をかけてきた。 「あ、ああ。ごめん、声をかけようと思ったんだけど、さっきの生き物が気になってね。あれはメフィアというのか」 「うん。みんなそう呼んでる。どこからどうやって来たのかわからないけど、いつの間にか現れて、最近この川に棲みついたんだよ」 メフィアはメーによく似ていた。それに昔はいなかったのに、最近になって姿を見せ始めたというのもメーと同じだ。メーの亜種か何かなのかもしれない。 そんなことを考えていると、ゲルダは突然抱きついてきた。 「それよりも……また会えたね、フレイ! わたしに会いに来てくれたの?」 「わ、わわっ、と! ゲ、ゲルダ。そ、そういうのはちょっと、その!」 ゲルダは顔つきは竜に近いが、身体つきはしっぽがある以外はほとんど人間の女性と変わらない。ヴェンに説明されたことで、よりそのことを意識してしまう。 そんなゲルダが抱きついてくるのだから、人間の文化に染まっている僕にはそれは刺激が強すぎた。なんせ竜人には衣服という文化がないのだから、これじゃあまるで裸の女性にいきなり抱きつかれたような感覚だ。 フリードなら大喜びするかもしれないが、こういうのは、ちょっとその、18年程度しか生きていない僕にはまだ早い経験だと思うんだけど! 「どうしたの、フレイ?」 「い、いやあの。僕の住んでる国には、なんというか、こういう習慣がなくてね。ど、どんな反応をしたらいいのか、その、困るというか」 「そうなんだ。これはアルヴのあいさつなんだよ。親しい相手には誰でもこうするの。ぎゅってされたら、ぎゅってお返しする感じかな」 「な、なるほど……。僕には少し難しいな。ま、またこんど練習しとくよ……」 そしてそっとゲルダから一歩離れた。 まずは彼女に会いに来た理由を話すべきなんだろうけど、今のが原因でどきどきしてしまってまっすぐゲルダの顔を見ることができなくなってしまった。 お、おかしいな。僕はユミルで育った。つまり人間の文化の中で人間として育ってきたわけだから、竜人を相手にこんなに照れることになるとは思わなかった。 竜だって衣服の文化はない。だからといって例えば竜の姿のクルスやクエリアを見てもとくに何も思うところはない。もちろん、人の姿に変身したクルスたちが裸だったらそれはそれで大問題になるけど、それはあくまで少女の姿だからだ。 ゲルダは竜人だし、服を着ていないのが彼女の文化にとっては当然なのかもしれないけど、なぜかこう、これはなにかいけない気がする。 体型が人に近いからなのか。それとも僕に流れる竜人の血がそう思わせるのか。とにかく今のゲルダを見ていると、目のやり場に困ってしょうがない。 「どうしたの、フレイ?」 再びゲルダが訊いた。 ああ、もうだめだ。これ以上はがまんできない。 「と、とりあえずこれを」 僕は羽織っていた自分のローブを彼女に差し出すことにした。 「これは? くれるの?」 「あげる。あちこち行ったせいで少し汚れてて申し訳ないけど……」 「わぁ! じゃあプレゼントなんだ。ありがとう」 そういうつもりで渡したわけではないんだけれど、喜んでいるようなので、まあそういうことにしておこう。 ゲルダはさっそくローブをまとってくるくる回ってみせた。 「どう、似合う?」 「(目のやり場のことを思うと)いいと思うよ」 「やった! これを着てフレイはいろんなところに行ったんでしょ。これでわたしもいろんなところに行った気分になれるね」 そういえばゲルダはアルヴの外の世界を見るのが夢だ、と話していたのを思い出した。今は嬉しそうな顔をしているのでわるい気はしない。 ともあれ、これで緊張せずにすむ。落ち着いたところで、僕はゲルダに会いに来た理由を話した。アルバスに頼まれて竜人たちを率いることになったこと。そのために竜人たちのことをもっとよく知りたいということ。そして、それをゲルダに手伝ってほしいということを。 「フレイはもっと竜人たちと仲良くなりたいってこと?」 「そんなところかな。お互いをよく知らなければ僕だって竜人たちを率いることは難しいし、僕は神竜様に聞かされて初めて自分に竜人の血が流れていると知った。だから竜人のことを知ることは、自分のことを知ることにもつながるからね」 「そういうことなら、わたしに任せてよ。じゃあまずは、わたしのことを知ってもらおうかな! ついてきてっ」 そういうなりゲルダは僕の手を引っ張って走り出した。 「わっ、ちょ、ちょっと待って。あ、危ない危ない」 見た目は同い年ぐらいの女性なのに、走るのはやけに速かった。竜人は人間に加えて竜の血が入っている分、人間よりも体力に優れているのかもしれない。僕はなんども転びそうになりながら、引きずられるようにゲルダについていった。 ようやくゲルダが止まってくれたのは、あの橋から少し行った先のひとつの雲の家の前だ。アルヴの建物はそこに住む様々な姿の竜人に合わせて作られているので大小様々だったが、目の前の家はユミルの城下街でも見たような、僕にとってはもっとも家らしいイメージをした家だった。 「ここは?」 「わたしの家だよ。どうぞ、あがってあがって」 ゲルダの家だって! まだ会ってそんなに経っていないというのに、年頃の女性の家にもう上がりこむだなんて! それはさすがにまずい。ゲルダが許しても、自分の気持ちの整理が追いつかない。 「いや、その……迷惑じゃないかな。こんな突然お邪魔しちゃって。急にアルヴの外の人をつれてきたりなんかして、家族もびっくりするといけないし」 「平気だよ。ここにはわたし一人で住んでるから、誰も迷惑しないよ」 それならよかった。いや、よかったのか? それはつまり、ゲルダと二人きりになるということであって、でも僕たちはまだ会ったばかりなんだから、そういうのはもっとこう手順を踏んで、例えばまずは手をつなぐところから始めて……ああ、手はもうつないだか。一方的に引っ張られてただけだったけど。 なんて思い悩んでいると、 「はい、どうぞどうぞー。一名さまごあんな~い」 背中を押されて、とうとうゲルダの家に上がりこんでしまった。申し訳ない、父上、姉上。でも決して僕はそんな不純な動機ではなくて……。 考えがまとまらないままゲルダに促されて、部屋の奥へと入った。 ゲルダの家は一部屋しかない小さな家だったが、空色に染色された雲の壁が開放感を与えてくれるので狭いとは感じなかった。 話に聞いていたとおり、アルヴではテーブルも戸棚も、あらゆる家具が雲でできているようだ。勧められて腰を下ろした雲の絨毯はふわふわして座り心地がいい。 「とりあえず飲み物出すね。雨茶でいい? それとも雷ソーダが好き?」 どっちも知らない。雷は危なそうな気がしたので、とりあえず雨茶をもらうことにした。少し塩味が効いているが、飲みやすくて意外とおいしい。 「何か食べる? 晩ごはんには少し早いけど、簡単なのでよかったら何か作るよ」 「そんな、わるいよ。だったら僕も何か手伝おうか」 「ほんと!? じゃあお願いしちゃおっかなぁ」 「料理はあまりやったことないけどね。だから指示を任せるよ」 「はいは~い。それじゃあ始めるよ。今日の献立はメーのフライとキュアル草のサラダで~す」 ゲルダは雲の冷蔵庫から冷凍メーとキュアル草という野菜? それからレモンによく似た形で赤い柑橘系の果物を取り出した。 ユミルでもメーを料理することがあるので、これは安心して食べられそうだ。メーは淡白であっさりとした味をしている。食感は弾力の強い肉といったところだ。 キュアル草とは薬草の一種で滋養強壮効果があり、少し苦味があるので酸味の効いたソースをかけて食べる。大神殿付近にたくさん生えているらしい。 赤い果実はトラモントというらしい。夕焼けの果実という意味だそうだ。 「じゃあわたしはメーをさばくから、フレイはソースを作ってね」 「この赤いのを搾ればいいのかな」 「固いから両手で思いっきりやっちゃって。そのあとはそこに調味料を加えてね。そっちのビンのやつだよ」 流し台の横には緑色のビンが数本並んでいる。見たことのない調味料だが、何本も置いてあるところを見ると、アルヴでは一般的なものなのだろう。 隣ではゲルダがまな板に置いたメーに包丁を立てている。 「よし。やってみようか」 赤い実をひとつつかむ。試しに軽く握ってみると、実がしっかりと詰まっているのか少し重い。大きさはレモン程度だが皮は厚めで、夏みかんのような感じだ。 「これ、皮は剥かないのか?」 「そのままいけるでしょ。使うのは汁だけだから、剥くまでもないよ」 素手で夏みかんを搾るなんて発想はなかった。そのままいけるって、それ竜人の力を基準にしているような気もするけど。 いや。しかし僕も竜人ではあるらしいから、もしかしたら僕にもそれだけの力が潜在的にあるのかもしれない。とにかくまずは試してみることにしよう。 両手でトラモントを握り締めてぐっと力を込める。すると実は少し変形したが、うなってもひねっても自分の力ではとても搾れそうになかった。 「貸して」 しょうがないなぁ、といった顔で手を伸ばすゲルダに赤い実を渡す。するとゲルダは片手で実を握りつぶしてしまった。トラモントが破裂して果汁が飛び散った。 「こんな感じ」 「え、いいのそれで。だいぶ飛び散ったんだけど」 「平気平気。わたし水の魔法使えるから、あとで集められるよ」 「いや、それ一回床に落ちたやつなんじゃ……」 そんな心配をよそに、ゲルダは次々とトラモントを搾って(?)いく。 「握りつぶすのが難しかったら、台に置いて両手で叩きつぶしてもいいし」 赤い実が弾け飛び、まな板が割れた。 「面倒だったら壁に投げつけてもいいよ。あとでこそぎとればいいから」 投げつけられた赤い実は、壁にまるで血痕のような染みを残した。 「あとは調味料だね」 そしてキュアル草をそのままわしづかみでひとやま皿に盛ると、ゲルダは呪文を唱えて飛び散った果汁を空中に集めた。 続いて調味料のビンをひとつつかむと、まるで生卵でも割るような感覚でビンを頭突きで割ってしまうと、こぼれた調味料を同じく魔法で空中のトラモント果汁に混ぜ合わせていく。 空中に浮かんだ真っ赤な水球がすぅーっとキュアル草の皿の上に移動すると、それは滝のように一気に降り注がれた。ほとんど皿からこぼれて床が汁まみれになったが、ゲルダは何食わぬ顔をしている。 「はい、キュアル草のサラダ。完成で~す」 「ず、ずいぶん豪快な調理方法だね……」 「そう? 別にふつうだよ」 そう言いながら、ゲルダはメーの下ごしらえを再び始めた。たしかメーをさばくと言ってた気がするけど、あれはどうみても包丁を叩きつけて輪切りにしているようにしかみえない。 「あっ、手元が狂った」 切断されたメーの首が宙を舞い、天井に貼り付いた。メーの生首はうらめしそうな顔でこちらをにらみつけている。 「……あの。ゲルダさぁ」 「ああ、ごめんねフレイ。指示を忘れてた。じゃあフライの生地を作って。はいこれ、材料の粉と卵ね。水でとくだけだから難しくないと思うよ」 「いや、そうじゃなくて」 すでにゲルダは鼻歌混じりで二匹目のメーを叩き切り始めている。メーには体液がないので赤い実のように何かが飛び散ることはないが、さっきのソースの滝がゲルダの羽織っているローブにいくつも赤い染みを作って、まるで返り血を浴びたようになっている。その光景は少し怖さを感じる。 「生地できた?」 「あ、うん。できたけど……。ところでゲルダ、もしかして本当は料理……」 「じゃあ貸して」 ゲルダは生地の入ったボウルにどかどかと一気にメーの切り身を放り込んだ。 そして鍋を用意すると、そこに油をなみなみいっぱいに注いでいく。 「ちょ、ゲルダ!?」 止める間もなく、ゲルダはそんな鍋に生地につけたメーの身を全部投入する。油があふれて部屋いっぱいに飛び散った。 「あとは火をつけるだけ~♪ わたし、火の魔法はちょっとしたもんなんだよね。見ててね、呪文なしでやっちゃうから。そぉ~れ」 「うわっ! それはダメだって――」 ゲルダの家に大きな火柱が立った。 「ごめんね。失敗しちゃった」 「……それ以前の問題だと僕は思うな」 しばらくして僕たちは、跡形もなくなったゲルダの家の前に呆然と立っていた。 雲でできている家は燃えることはなかったが、高熱によって雲が蒸発して水蒸気になってしまい、ゲルダの家は消滅した。 「せっかく初めてわたしの家にお客さんが来てくれたと思って、ちょっと張り切りすぎちゃったみたい。実はね、フレイ。本当はわたし、ちゃんとした料理ってあまりやったことがなくて」 「うん、知ってた……。これからどうするの? 家」 「雲を魔法で固めればまた作れるけど、何日もかかりそう」 火事はゲルダのめちゃくちゃすぎる料理が原因だとはいえ、彼女は僕のために何か料理を作ろうとしてくれたのだから、責任の一部は僕にもあるといえる。だからこのまま見過ごしておくわけにもいかない。 家はアルヴに雲大工をやっている竜人がいるらしいのでそちらに任せるとして、その間ゲルダには寝泊りできる場所が必要だ。 「仕方ないな。じゃあ家が直るまでの間、僕たちのところに来る? 船だから、雲のふわふわの家ほど居心地はよくないと思うけど」 「ほんと!? フネってフレイがムスペやニヴルを旅したっていう、あの!?」 「魔導船グリンブルスティ。友達からもらった大事な船なんだ。これがなくなると僕も困るからね。火事にしないって約束できる?」 「するする! 約束する! やったね。こんどはわたしがフレイのお宅訪問だ」 どうやらゲルダは船を早く見たくて堪らない様子で、火事のことはあまり反省していないようだ。 今日はいろいろあったけど、とりあえずゲルダのことは少しわかった。彼女はすごく純粋で天真爛漫だけど、少し常識はずれなところもある娘(こ)のようだ。 「早く見たいな~、グリンブルスティ。ねぇ、案内してよ」 「わかったわかった。ほら、落ち着いて」 ゲルダは嬉しそうな顔をして僕の腕にしがみついてきた。 僕はまだどきどきしていたが、こんどのはゲルダの容姿が原因ではなかった。 (頼むから、船は壊さないでくれよ……) 日が暮れてきた。今日はここまでだ。 子どものようにはしゃぐゲルダをつれて、街の外れに停めたグリンブルスティへと戻ることにした。 Chapter32 END 魔法戦争33
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Chapter58「フリード遠征4:ナンパしようとしたら逆ナンされたんだが」 たしかにな。俺はお姉さんは好きだぜ。 だけどこの状況はちょっと悩むところなんだよ。 いきなり何の話かって? まあ慌てずに聞いてくれ。 まずはヴァルキュリアのフレイヤ王女、ブリュンヒルデ、レギンレイヴ。 それから魔女のプラッシュとティエラ。竜のお譲ちゃんのクルスとクエリア。 灼熱の魔道士サーモスに、竜人のゲルダ。 フレイの仲間にも女性が増えてきてずいぶん華やかになってきたもんだ。 しかしゲルダは、あいつは友達みたいな感覚だし、フレイのフィアンセ宣言をしたというような噂を聞いたから、まあ除外だ。そもそも竜人だしな。 お譲ちゃんたちも候補からは外れる。たとえ中身が年寄りだったとしても、俺が幼い女の子に愛を説いていたら周囲からおかしな目で見られてしまう。それにクエリアは本当に子どもだしな。言っておくが、断じて俺はロリコンじゃないぞ。 ティエラは猫っぽいのでパス。サーモスは蛇っぽいので論外。俺はお付き合いするなら人間のお姉さんがいい。 だから何の話かって? 決まってるだろう。誰を本命にするかって話だ。 消去法でヴァルキュリアの三人が残るが、フレイヤ王女はオットーにゾッコンのご様子。となると選択肢はすでにブリュンヒルデかレギンレイヴのどちらかか。 「そうだなぁ。ヒルデは照れ屋さんだけど情熱的なところが魅力的だよなぁ。一方のレギンは少しカタブツだがクールビューティな感じがまた良いし……」 脳内に浮かぶ二人は実物よりも魅力度三割増しで俺に詰め寄ってくる。 (さあ、どっちを選ぶんだ? 当然、私に決まっているよな、フリード?) (何を言うんだ。わたしのほうが勇者殿の伴侶に相応しい。そうだろう?) ああ、ああ、待て待て待て待て。そんな急に選べなんて言われても、まだ心の準備ができてないっていうか、ほら、どっちか選ぶなんて逆に失礼な感じするんじゃないか。だからいっそ、両方とも俺とお付き合いするっていうことでひとつ―― 「おい、何を一人でにやけた顔をしているんだ」 そこでバシッと背中を叩かれて現実世界に引き戻された。あまりに突然やられたもんだから思わず混乱してしまった。ええと、ここはどこわたしはだれ。 ここはヒルディスヴィーニ号の甲板、俺は蒼き勇者で双剣の覇者で――(中略)――それからフリード。よし、大丈夫だ。 「ぼーっとして変なやつだ。おまえ、それでも本当に傭兵か? いざというときに腑抜けて役に立たないんだったら、報酬は出してやらんからな」 振り返るとヒルデが腕を組んで立っている。 そうそう、俺はこのヒルデに雇われたんだ。だんだん混乱が収まってきたぞ。 ヴァルキュリアはフレイヤ王女、ヒルデ、レギンの他にもう一人仲間がいる。 名はミストというそうだが、以前フレイヤ王女がトロウの洗脳を受けて操られていた頃に会ったのを最後に姿を見せていないらしい。 そこで心配したフレイヤ王女はアルヴの神竜様に頼ることにしたのだった。 神竜アルバスは予知の巫女ヴォルヴァを呼び寄せると、ミストを探すようにと指示を与えた。 ヴォルヴァは魔力の流れを感知する能力に長けていて、それを元に少し先の未来を予知することができる。わかるのは漠然としたことだけだが、その能力はアルヴへの外敵の侵入を防ぐのに大いに役立っているという。 その魔力を感知する能力を応用することで、ミストのだいたいの居場所を特定することが彼女にはできるらしい。 なんでも魔力の波長には個人差があり、それは指紋のように一人ひとり違っているのだとか。魔法はからっきしの俺にはさっぱりわからんがな。 フレイヤ王女からの説明を元に、ヴォルヴァはいくつかそれらしい魔力の波長を見つけ出して、現在ミストがいるであろう場所の候補を数ヶ所提示した。 「でも気をつけて……。あなたたち、ミストには再会する……。だけど大きな力のぶつかり合う未来が見える……。何か争いごとが起こる……」 そうヴォルヴァに忠告されたフレイヤ王女は、ヒルデの提案でこの俺を傭兵として雇うに至った。 今はそのミストがいるであろう場所を目指して、ヒルディスヴィーニ号で移動している最中だったというわけだ。 「それで、こんどこそちゃんと目的の場所なんだろうな。ハズレはもう結構だぜ」 ここまでにすでに数ヶ所の場所を回ってきたがミストは見つからなかった。 傭兵の俺はずっと船で待ちぼうけ。そもそもこいつらもヴァルキュリアとして戦えるのだから、何か問題でも起こらない限り俺の出番はなし。 そりゃ退屈で妄想のひとつやふたつぐらいしても、しょうがないってものさ。 「どうせ俺はまた留守番だろ。俺はミストの顔を知らないから捜せないもんなぁ。早いとこ見つけてきてくれよ。そろそろ……ふぁぁ、待つのも飽きてきた」 「こいつ……! とんだ腑抜けだな。期待した私が馬鹿だった」 「期待? ああそうか、気がつかなくて悪かった。戦力としては問題ないのにわざわざ俺を誘ったってことはつまり、デートしたいってことだよな! 一緒に捜し歩いて欲しいならそう言えよ。やっぱりヒルデは照れ屋さんだな」 「なっ……そ、そ、そんなんじゃない!! おまえは黙って留守番してろ!」 ヒルデは顔を真っ赤にしながらも、指笛を鳴らして天馬(グラーネ)を呼び寄せると、その背にまたがって一足先次の目的地へと飛んで行った。 船の前方から俺にもその目的地が見える。ここはムスペからしばらく西へと進んだ先。地図で言うと西の端から少し飛び出した辺境の地だ。 浮島テルマ。ユミルとは別の、人間たちが作り上げた王国がある隣の空域とのちょうど境界にあるこの島は温泉地として有名で、辺境でありながらもここを訪れる旅行者は多い。 今はトロウによって主要な国はどれも支配されてしまっているので、こっちの空域からの訪問者は俺たち以外にはいない。 しかしそんな情勢も隣では関係のない話なのか、いざヒルディスヴィーニ号が到着してみると、温泉地は思いのほか賑わっている様子だった。 「ヒルデはどうした?」 「先に行ったぜ」 「そうか、張り切っているな。ならばわたしも遅れを取るわけにはいかない」 レギンはヒルデがしたのと同じように天馬(グリームニル)を呼ぶと、その背に乗ってテルマの上空へと上がっていった。 「フリード、船の安全は任せましたよ」 続くように、そう言って声をかけてくるのはフレイヤ王女だ。 フレイヤ王女は天馬を連れていないようだったが、そのまま甲板を通って船首のほうへと歩いていく。 「あの、船を降りるならあっちですよ、フレイヤ王女。あ、それとも俺でよかったらお供しましょうか? というか是非エスコートさせてください」 「ありがとう。でも、それには及びません」 そのまままっすぐ歩いていくとフレイヤ王女は船首のその先に立った。 そして何か呪文を唱えたかと思うと、突然そこから船を飛び降りてしまった。 いくら島に停泊させたとはいえ、ヒルディスヴィーニはかなり大きな船だ。船首から地面まではけっこうな高さがある。下手をすれば怪我をしてしまいかねない。 しかし「あっ」と思う暇もなく、フレイヤ王女の姿の消えた船首の下から眩しい光が発せられたかと思うと、その下から白い竜が羽ばたきながら姿を見せた。 「私は自分で飛べますので気遣いは無用です。ではあとはお願いしますね」 そう言葉を残して白竜と化したフレイヤ王女は飛び去っていった。 さすがはユミルの王女、その魔法の才能は並外れたものがある。プラッシュは彼女のことを変性の魔女だと呼んで称賛していたが、たしかにフレイヤ王女はものを変化させたり変身させたりする魔法に優れていた。 「やれやれ、フラれちまった。俺の出る幕はなしってか」 そして小さくなっていく白竜(フレイヤ)王女の後ろ姿が見えなくなるまで見送った。 さてと、それじゃあ俺も行くとしましょうかね。 え、どこへ行くって? だってここは温泉地なんだぜ。温泉といえばやることは決まっているじゃないか。男ならそりゃ行くしかないだろう。 温泉に出会いを求めるのは間違っているだろうか。否ッ! まだ見ぬお姉さんを求めて俺は行くぜ。温泉へ!! 止めても無駄だぜ。男には行かねばならないときってものがあるのだ。 心配はいらないさ。ちょっとぐらい離れても、こんな大型の船なんてそうそう操縦できるやつなんていないだろうから、盗まれることもないって。……たぶんな。 大丈夫大丈夫、あの三人が戻ってくる前に帰ればバレやしないって。 というわけで、フリード行きまーす。 待っててくれ、未来の勇者の花嫁さん。今迎えにいくからな。 こうして愛を探求する旅に出たのであるが、すぐに俺は現実を知ることになる。 知ってるか。温泉にはわりとご年配の方が多い。いや、それしかいなかった。 ……ババアじゃねーか! 絶望した! 俺は熟女専じゃねーんだよ!! そう、温泉にお姉さんはいなかった。 そうだよな、若い女の子はもっとオシャレなとこ行くよな。なんというかこう、もっと映える景色のとことかさ。いや、温泉だって悪くないと思うんだがな……。 温泉に出会いを求めるのは間違っていたぜ――――完。 そんなこんながあって肩を落として船へと戻ってきてみると、甲板に一頭の天馬が降り立っているではないか。 まずい。もう誰か先に帰ってきてたのか。抜け出したことがバレたか? そんな不安が脳裏によぎったが、よく見るとそこにいるのは俺の知っている天馬ではなかった。 もちろん天馬なんて全部同じに見えるので、顔やしぐさを見た程度じゃ天馬の違いなんて俺にはさっぱりわからない。 だがこの天馬は明らかにヒルデやレギンのものとは違うとわかった。 なぜって、そりゃあ誰の目にも一目瞭然だったからだ。 その天馬はたてがみが三つ編みにされていた。まあ、そんな馬もいるかもな。 その天馬は翼の先端がかわいらしくピンクに染色されていた。オシャレかな。 その天馬は手綱や鞍にジャラジャラとバッジやキーホルダーが大量に……え? ちょっと待て、おまえのような天馬がいるか。飾りが多すぎて非常にごちゃごちゃしている。こういうのって……デコってるとかそんな言い方するんだったか? 手綱なんてバッジだらけでどこをつかめばいいのかわからない状態になっているし、鞍だって横からキーホルダーがいくつもぶらさがっていて、あれじゃあ足に当たってうっとうしいだろうに。 そもそも重量で天馬が飛ぶのに支障が出るんじゃないだろうか。 なんとも奇妙なものを見てしまった。そんな微妙な気持ちになりながら天馬を眺めていると、バシッと背中を叩かれて心臓が縮み上がった。 ヒルデかと思って振り返ると、そこには俺の知らない女の子が立っていた。 背はヒルデやレギンよりも低い。髪は柔らかな栗色で、先端が天馬の翼と同様に淡いピンク色に染められている。顔立ちはやや童顔で、澄んだ瞳が愛らしい。 ほう……これはなかなか……いや結構……というかドンピシャです。本当にありがとうございました。 なんというかこう、子ども過ぎずかといって大人すぎず、お姉さん的な魅力を持ちながらも、少女のようなあどけなさを併せ持つ。そう、その両方のいいところを全部まとめてみました、とでも言わんばかりのその顔立ちといったらもうね。 お姉さんでもない、お譲ちゃんでもない。そう、これはお嬢さんだ。 そんな完璧にパーフェクトなお嬢さんを見逃す俺ではない。なぜこんなところにいるのだろうとか、あの天馬はなんなのかとか、そんな疑問は二の次だ。 アタック、アタック、ナンバーワンだ。フリード、これより任務を開始する。 「あのお嬢さ……」 しかし、お嬢さんは俺の言葉を遮ってこう言ったのだ。 「あらお兄さん、なかなか男前じゃな~い! ねえねえ、今空いてる? もし暇ならあたしとお茶とかしな~い?」 俺は耳を疑った。あまりの衝撃に一瞬、口から魂が抜けて宇宙を一周してしまった。え? 今、俺はいったい何を言われたんだ。アタシトオチャトカシナイ? ば、馬鹿な。これはまさか逆ナンというアレか。 生まれてこの方、ビビッと来たお姉さんには必ず声をおかけしてきた。なぜならその美しさを無視するのは失礼にあたるからだ。それは紳士としての義務だ。 だがしかし、向こうから先に声をかけてきてくれたような経験は、これまでに一度としてなかった。これは初めて遭遇する状況。言わば非常事態である。 ああ、俺はどうすればいいのだろう。こんなときの対応なんて俺の脳内マニュアルには一ページたりとも記載はないっていうのに。 「え、いや、その、あの。俺は別に……いや別にって別にだめとかそういう意味ではなくて……つまりそのなんだ。俺が言いたいのはそういうことじゃなくて」 いかん。動揺して頭が回らないせいか、気の利いた台詞がひとつも出てこない。それどころか支離滅裂で、これじゃヘンなやつだと思われてしまう。こんな一生のうちに二度とあるかどうかもわからない絶好のチャンスを無駄にしてたまるか。 よし、ここは一旦落ち着こう。別のものを見て気を紛らわせるんだ。だって空はこんなにも青いんだから。俺は青い色が好きだ。青は心を落ち着けてくれる色だ。 しかし下手に沈黙を作って興味を失われてしまっても困る。空を眺めて心を落ち着かせながらも、無難な話でなんとか場をつながなければ。 「えーと、今日はいい天気ですねぇ。それから……えーっと……」 話題話題話題話題。話題を求めてめまぐるしく視線を動かす。と、ふとそれが目に入った。混乱していた俺はつい頭に思ったことをそのまま口に出してしまった。 「あ、ヒルデやレギンよりもでかい。お嬢さん、何カップですか」 ぬわあああああっ! 俺は一体何を言ってるんだ! 視線は泳ぎまくり、会話も破綻。端から見れば完全に危ない奴ではないか。 もうだめだ。完全に終わった。さらば俺の理想の恋人よ。 しかし意外なことに会話は続いてしまった。 お嬢さんはきょとんとした顔でこう続けたのだ。 「あれ、お兄さんヒルデやレギンのこと知ってるの?」 「ん? あの二人を知っている。それにあの天馬……ということはひょっとして。つかぬ事をお聞きしますが、お嬢さんの名前はもしかしてミストというのでは?」 するとお嬢さんは納得したような表情で深く頷いた。 「あーっ、やっぱり! なーんだ、先輩たちの知り合いかぁ。てっきり泥棒かなんかだと思っちゃった」 「泥棒って……ちょっと待て。さっきは何か誘うようなこと言ってなかったか?」 「あ、あれね。得意の色仕掛けで油断させて不意打ちしようとしてただけだから、別に気にしないで」 なんてこった。あれは演技だったのか。始まる前から終わっていた。 いや、始まっていないのであればまだ可能性はある。どんなに可能性が低かろうと、諦めない限りチャンスは無限大なのだ。男フリード、当たって砕けろ。 「それじゃあ敵ではないとわかったのだから、改めてこちらからお誘い致します。お嬢さん、もしよろしければ俺と一緒に温泉でも入りませんか」 「ごめんなさい。あたし筋肉でがっしりした人はタイプじゃないんで」 即答で一刀両断。 砕けた。俺の繊細なハートは粉々に砕けた。 「そ、そうか……。ところでおまえがミストなんだよな。ってことはおまえもヴァルキュリアの一員なのか」 「そうだよ。天馬のフロレートといっしょに空を舞い、正義の炎の槍で悪を討つ! それがあたしの仕事。お兄さんは何者なの?」 「俺はヒルデに雇われた傭兵のフリードだ。普段は蒼き勇者と呼ばれている」 「ふーん、勇者。いるんだね、現実に勇者とか名乗っちゃう人って。そういうのっておとぎ話の中だけの存在だと思ってたなぁ、あたし」 「お、おう……」 顔はかわいいけど、ずいぶんとデリカシーのないことを言ってくれる。お兄さんはちょっぴり傷ついたぜ。 それにしても同じヴァルキュリアの一員なのだとしたら、こいつは今まで一体どこで何をしていたのだろうか。ヒルデやレギンは以前のトロウに洗脳されていたフレイヤ王女の命令に従っていた。その二人とは剣を交えたこともあったが、ミストとはこれが会うのは初めてだ。 疑問に思ったことを聞いてみると、ミストはなぜか照れくさそうに答えた。 「あー、それね。えへへ……先輩たちには絶対ナイショって約束できる?」 「俺はレディーとの約束は絶対に破らないと心に誓っている」 「なんかうさんくさいけど、まあいっか。実はね、お姉様――えっとフレイヤ様にフレイ王子を騙る偽者を捜せって命令されてたんだけど……」 お姉様と呼んで接するほどフレイヤ王女と親しかったミストは、洗脳されたフレイヤ王女の違和感にすぐに気がついた。しかし反抗する素振りをみせれば、トロウに目をつけられて排除される恐れがあったし、洗脳状態にあるフレイヤ王女は言わばトロウに人質に取られているようなもの。下手な動きは見せられない。 そこでミストは命令に従うふりをして、フレイヤ王女を正気に戻す機会をうかがっていたのだという。 ……と、ここまでは隊長想いの良い部下だと思えるような話なのだが、さらに話には続きがある。 「あたし見ちゃったんだよね。トロウがフレイ王子は死んだって話した次の日、ユミルの城下街で王子が歩いてたのを。だからトロウの話はすぐにウソだとわかったよ。でもお姉様は操られてるし、ヒルデはお姉様しか見えてないし、レギンは頭が固いから命令は命令だって言って聞かないし……」 結局ミスト一人ではどうしようもなく、トロウの洗脳を解く方法はさっぱり見当もつかなかったので、とりあえず命令に従っているふりを続けることにした。 近場にいては任務を遂行していないのがバレてしまうため、ミストは敢えて遠く離れた場所でフレイ王子の偽者を捜す役割を買って出た。 とはいえ、すぐに戻ってはやはり従っていないことがバレバレだ。なのでどうにかして時間を潰す必要があった。 さてどうしよう、ということでミストはひとつの結論に至った。 「そうだ。今なら実質任務がないようなもんだし、今のうちに普段できないことをぱーっとやっちゃおっと! 買い物にエステに観光にそれから……」 というわけで、命令に従うふりという名目でミストは勝手に自由気ままの一人と天馬一頭のぶらり旅に出た。 そして温泉に立ち寄ったところでフレイヤ王女の船を見かけて、まずいと思って様子をうかがいにここへやってきたという次第だった。 「でもよかったぁ。船にいたのが先輩たちじゃなくてフリード一人で。あたしを捜してたんでしょ。だったらフリードが見つけてきたことにしてよ。そしたら君のお手柄になるし、あたしがサボってたこともうやむやにできるかも」 「そ、それはそうかもしれないが、隊としてそれはいいのか……」 返答に困っていると、またしても背中を叩かれた。三度目はもう驚かない。 今回後ろに立っていたのは、満面の笑みを浮かべたヒルデだった。 「よくやった、フリード! よくミストを捕まえておいてくれたな」 「いや、俺が見つけたというか、こいつのほうから来たというかだな……」 「いいや、おまえの手柄だ。よくぞミストがこれまで何をしていたのかを引き出してくれた」 そして笑みを浮かべたままつかつかとミストに歩み寄っていく。 ああ、あれはうれしさとかから来る笑顔じゃない。裏に殺意が隠された笑みだ。 きっと今のヒルデはこめかみをピクピクといわせているに違いない。 「なあミストぉ~! ずいぶんとお楽しみだったようだなぁ……?」 「げっ、もしかして全部聞かれてた!? そ、そうだ。あたし急用を思い出したんで早退しまーす」 「逃がすかッ! 貴様の堕落した精神を鍛え直してやるから覚悟しろ!」 天馬(フロレート)に飛び乗ると、ミストは一目散に逃げ出していった。 そのあとを同じく天馬(グラーネ)に乗ってヒルデが追跡していく。高笑いをして、稲妻のほとばしる雷槍を豪快に振り回しながら。 もし俺がサボって温泉へナンパしに行っていたことがバレていたら、俺もあんな目に遭わされていたのかもしれない。ああ、くわばらくわばら。 やがてたっぷり叱られたのか、項垂れて真っ青な顔になったミストを連れてヒルデが戻ってきた。続くようにしてレギンとフレイヤ王女も帰還。 これでミストを捜すという目的は達成されたため、ひとまずアルヴに戻ることになりヒルディスヴィーニ号を発進させる流れとなった。 しばらく経ったころ、こんどはフレイヤ王女の顔色が悪くなる。 驚いたような愕然とした顔をして方膝をつき、両手で頭を抱えている。 「フレイヤ様!? 一体どうなさったんですか!」 慌ててヒルデが駆け寄ると、私は大丈夫だと言ってからフレイヤ王女はゆっくりと立ち上がった。 「トロウの声が聞こえてきました。念波(テレパシー)を使ってメッセージを送ってきたようですね……」 「そ、それでトロウは何と言っていたんですか」 「フレイを騙る愚か者の居場所がわかった。作戦を次の段階へ移すので一度バルハラ城へと戻って来い、と」 このときの俺はフレイヤ王女たちとともにミストを捜してしばらくアルヴを離れていたので、ファフニールの潜入作戦のために『フレイがアルヴにいる』という情報がトロウに渡ったということを知らなかった。 そのために俺の頭の中には最悪の想像が浮かび上がっていた。 「おいおい、それはまさかアルヴの位置がトロウに特定されちまったってことじゃないだろうな?」 「そこまではわかりませんが、フレイが……弟の身に危険が迫っていることだけは確かです。何か手を打たなければ、きっと取り返しの付かないことになる……」 とにかく自分たちだけではどうしようもない。このことをフレイに知らせるためにも、仲間と相談するためにも、今できるのはヒルディスヴィーニを全速力でアルヴへと急がせることだけだった。 Chapter58 END 魔法戦争59
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Chapter23「フリード遠征2:黄金大好きファフニールさん」 最強の槍グングニルと最強に美人なヴァルキュリアのお姉さんを手に入れた俺たちは、グニタヘイズをあとにして一度、拠点のアルヴに向かうことに決めた。 お姉さんとの戦いで大事な剣が折れてしまったので、今の俺は丸腰だ。もちろんグングニルはあるがこれは投擲槍、つまり投げるための槍(ジャベリン)だ。 突いたり斬ったりできる槍(スピア)の扱いには心得があるが、こういう投げ槍には慣れていない。それこそ投げやりな戦い方になっちまうかもな。なんつって。 「拠点に戻るまでに敵に遭わないとも限らないもんなぁ。まあ、いざとなったらこんどはクルスに戦ってもらうか。さっきは完全に観戦決め込んでたし」 「なんじゃ。もしかして武器を失ったことを気にしておるのか」 「俺は魔法はからっきしだからな。こういう槍にも慣れてない」 もともと俺は二刀流の剣士なのだ。槍はちゃんと訓練したわけじゃない。 折れた剣グラムとは別にもう一本ノートゥングという剣をもっていたが、そういえば前に魔剣と戦ったときにフレイに貸したままだった。 グラムをじっと見つめていると、クルスがこう提案した。 「だったらファフニールのところにある剣をもらっていけばいい」 あん、なんだって? 「あやつは金銀財宝に目がなくての。ここはファフニールの家でもあるが、むしろあやつがどこかから集めてきたお宝を溜め込んでいる宝物庫である役割が大きい。剣の一本や二本ぐらい探せばすぐに見つかるじゃろう」 なるほど、暗くて最初は気がつかなかったが、洞窟の奥を覗き込んでみるとそこには大量の金貨やら宝箱やら、いかにも絵に描いたような宝の山があった。 「だけど、それ勝手に俺がもってっちゃっていいわけ?」 「これだけたくさんあるんじゃ。二、三本ぐらい剣がなくなっていてもわかりはせんじゃろ。構わん、私が許す。好きなのを選んでもっていけ」 あの、それ泥棒って言うんじゃないですか。 しかしクルスは、ファフニールは宝そのものよりも宝を集めることのほうに興味があるので、少しぐらいもらっても問題はないという。集めた財宝を使うでもなく無意味に溜め込んでいるのが何よりの証拠であるとも。 「せっかくの財宝をこんな辺境の洞窟に眠らせておくのはもったないじゃろう? どんなに価値があるものでも、こうして腐らせていては無駄の極みじゃ」 それはごもっともだ。こういうのは溜め込めすぎずに適度に使ってやらないと、世の中の経済っていうのは回っていかないものだからな。 というか竜の社会にお金って概念は存在するんだろうか。……いや、たぶん存在しないんだろうな。竜の考え方だと力ずくで奪えって感じあるし、ファフニールも財宝そのものよりも集めることに関心があるのだから、守銭奴というよりはむしろコレクターに近いのかもしれない。 「じゃあお言葉に甘えて力ずくで奪わせてもらおうかね」 納得したところで俺は宝の山に手を伸ばした。 これはクルスがいいって言ったんだからな。俺は別に悪いことはしてない。盗むとかそんなんじゃない。竜の文化っていうのはこれが普通なんだ、うん。 背中に這い登る罪悪感を振り払い、金貨の山をかき分けて剣を探す。 それにしても、こういう宝の山の図ってやけに金貨ばっかりだよな。世の中こんなにコインだらけなのか。もっとあるだろ、価値のあるお宝って。古代の壷とか、貴重な化石とか、歴史ある絵画とかさ。それじゃ地味で絵にならないってか? しばらく黄金の波をかき分けて、なんとかその中から数本の剣を発見した。 刀身が金や宝石でできている芸術品としての剣や、装飾の豪華な儀式用の剣がほとんどで、武器としてはまったく役に立たないようなものが多かったが、その中で二本だけ武器として使えそうな剣を発見できた。 「これには派手すぎる装飾もないし、長さも重さも申し分ないな。どれ、鞘から抜いて刃もよく見てみよう」 ふたつあった剣のうち片方に手をかけたそのとき、洞窟内に大声が響いた。 「貴様、何者だッ! オレの宝を盗もうとはいい度胸だな」 振り返ると洞窟の入口に怒り狂った地竜が立っている。あれがファフニールか。 どうやらお帰りらしい、それも最悪のタイミングで。 「待て待て、これには深ぁーいワケが……。おい、クルス。なんとか言ってくれ」 事情を説明してもらおうとクルスの姿を捜したが、さっきまでそこにいたはずのクルスの姿がそこにはなかった。 え、ちょ、まじかよ。なんで肝心なときにおまえはいないんだ!? 「えーっと。俺はクルスの知り合いで……。知ってるよな? 地竜のジオクルス」 「それがどうした。あいつの名を出せば許されるとでも思ったか。あいつの知り合いだろうが、そうでなかろうが泥棒は泥棒だ。この卑しいニンゲンの盗賊め!」 まずい。この状況はどうみても俺が悪者にしかみえない。 あいつニンゲンとか言ってるよ。人間じゃなくてニンゲン。それが意味するとことはひとつ。敵意満々だ。 「な、なんでもないです。見てただけです。んじゃ、俺は帰りますんで……」 そっと剣を戻して去ろうとすると、ファフニールは予想外なことを言った。 「待て。その剣が欲しいのか? だったらくれてやる。持っていけ」 あれ、意外と話がわかるやつなのか。さっすがクルスの友達。身体も器も大きいってわけだな。いよっ、社長! 太っ腹! 「そうおっしゃるなら、それじゃあお言葉に甘えて……」 「ただし条件がある」 出た、ただし条件がある。 ああそうだろうな。世の中そんなに甘くないよな。 ファフニールは戦って俺が勝てればその剣はくれてやると続けた。まあ、そうなるような気はしていたさ。ぶっちゃけ、よくある展開ってやつだ。 「ははーん。さてはあれだろ? ただ宝を溜め込むだけではつまらない。刺激が欲しい。だから自分を楽しませろ、とかそんなんだろ。俺にはわかってんだぜ」 「何を寝ぼけたことを。そんなものどうでもいい。ただオレの宝に勝手に触れたニンゲンを八つ裂きにしたいだけだ。どうせニンゲン如きが勝てるとは思ってない」 なんてこったい。こいつ血も涙もない鬼だ。いや、竜か。 どうやら本当に力ずくで奪うことになりそうだ。 「墓ぐらいは作ってやる。オレは優しいからな。だから安心して死ぬがいい!」 ファフニールはこちらへと走ってくると、鉤爪のある大きな腕を振り回した。 とっさに剣をひとつ取り身を屈めてそれをかわすと、背後で金貨がさらわれて宙を舞う。 金貨の雨に身を隠しながらファフニールの背後へと回り込むと、鞘を抜き捨ててその背中に斬りかかった。 しかしファフニールの黄金の鱗は、いともたやすく剣を弾いた。 なんて硬さだ。金属の金は柔らかく、金の剣なんてものは鉄の剣相手でも簡単に曲がってしまう。だからそんな剣は観賞用の芸術品にしかならない。しかし、この金の鱗は鍛えた鋼すら用意に跳ね返してしまうようだ。 それにしても全身金ピカとは、なんて派手な竜なんだ。 あの鱗を持ち帰って売れば、なかなかいいお金になりそうだ。 なんて妄想しても、傷ひとつつけられないんじゃ考えるだけ無駄か。 「それで終わりか? 所詮ニンゲンの力なんてその程度だな。貴様はオレには絶対に勝てないぞ。どんな強い武器を手にして、どんな頑丈な鎧をまとおうと無駄だ」 たしかにこの剣ではあの金竜を斬ることはできない。 だがどんなに硬い鱗を持つ竜にも弱点があることを俺は知っている。 「くっ。おまえの言う通りだな。どうやらさすがの俺も一人で竜を倒すのはキツいみたいだ。降参だぜ……。俺の負けだ」 「ふん。やけに諦めがいいんだな」 「俺も覚悟はできてるぜ。でもせめて苦しまないように死なせてほしい。例えばそうだなぁ。丸呑みにでもしてくれれば助かる」 「馬鹿め。そんなことを言っておいて、おおかた貴様は腹の中から剣で切り裂こうとでも考えているのだろう。その手には乗らんぞ」 ばれたか。だが俺の狙っている弱点はそっちじゃない。 「丸呑みになどしてやるものか。まずはその頭を粉々に噛み砕いてやる」 ファフニールが頭を下げてきたのを確認。そうだ、俺はこれを待っていた。 跳躍。そして金竜の大きな顎を飛び越えて頭の上に乗る。 「なにっ! 貴様、何をしている!?」 「いやー。俺、一度でいいから竜の頭の上に乗ってみたくてね」 そのまま後頭部を駆け上がり、下がった首の上に立つ。 竜には首筋に逆鱗というものがあるらしい。「逆鱗に触れる」という言葉もあるが、それは竜がこの逆鱗に触れられると怒り狂うという逸話からきている。 ではなぜ竜は逆鱗に触れられると怒るのか? それは逆鱗が触れられたくないものだからだ。それを触れられるのを嫌い、それゆえに竜は怒り狂う。 ではなぜ触れられなくないものなのか? 考えるまでもない。 「それは逆鱗こそが、竜の最大の弱点だからだぜ!」 首の上にうつ伏せになって、手で逆鱗の位置を探る。場所がわかればあとはこの剣でひと突き。これは効果的なはずだ。誰だって喉は急所だからな。 しかし、いくら探しても逆鱗は見つからなかった。 あ、あれぇ? おかしいな。俺の読んだ文献が間違っていたのか。 「何を遊んでいるのだ? もしやオレを猫か何かと勘違いしてはいないだろうな。喉をなでたところでオレの機嫌は取れんぞ」 そしてファフニールは首を大きくひと振り。振り飛ばされた俺は金貨の山の上に落ちた。ここに尖った王冠とかがなくてよかったぜ。 しかし逆鱗がないとは、さてはガセ情報だったか。おのれ許せん、いつかあの文献の著者を訴えてやる。 それはともかく、こうなったら別の弱点を攻めるしかない。プランBだ。 どんなに硬い鱗を持っていても、全身ガチガチじゃ動けなくなってしまう。だから鱗というのは、部位によってその大きさや密度を変えることで硬さを調節している。つまり、関節部分や腹部は比較的柔らかいのだ。そこを突く。 金貨の山の上に飛ばされたのは幸いだった。この黄金の海の中に隠れて、やつの不意を突くことができる。 ついでに取り損ねたもう一本の剣も回収できるぜ。さっきは突然攻撃されて、片方しか拾えなかったからな。 身を隠しながら、もう一本の剣を手にして抜刀。すると黒い刀身は鞘から自由になった途端、禍々しい紅のオーラをまとい始めた。 ――チカラガ欲シイカ ――竜ヲモ圧倒スル、絶対ナルチカラガ欲シイカ 突如、脳内に声が響いた。 「げっ、まずい。まさか魔剣か!?」 ――我ガ名ハ、魔剣ダーインスレイヴ。我ガ主トナレ そのまま、俺の、意識は、遠、のい、て、いっ…………。 「馬鹿者どもが! お主ら、なぜいきなり殺し合いを始めとるんじゃ!!」 クルスの怒鳴り声が聞こえて、はっと我に返った。 どうやらツタの魔法で俺やファフニールの動きを封じたようだ。その際に手から剣を落としたので、意識が魔剣の呪縛から解放されたらしい。 隣を見ると傷だらけのファフニールがふてくされた顔をしている。魔剣の威力のなせる業か多少の出血はしているようだが、それでもかすり傷程度でファフニールはピンピンしているように見える。どんだけ硬いんだよ。 一方、俺はというとその返り血を浴びて服や鎧が赤くなっている。嘘だろおい。俺は赤より蒼が好きなんだ。洗濯したらちゃんと落ちるよな? あとは足に鈍い痛みが。しばらく魔剣に操られて戦っていたようだが、どうやらこの魔剣は俺より戦いのセンスがなかったらしい。借りた身体を傷物にしてくれやがって、この責任は取ってもらうからな! まあ、かすり傷なんだが。 「おい、クルス。どこ行ってたんだよ。おまえがいなかったせいで、俺はあらぬ疑いをかけられるはめになっちまったんだぜ」 「まあ、ちょっと……花を摘みにな」 「トイレかよ」 「ええい、デリカシーのないやつじゃのう……。それで一体何があった?」 聞かれて俺は事の経緯を説明した。 要はファフニールのほうからいきなり襲ってきたのであって、俺はただ応戦しただけだ。いくら言っても話を聞かないあいつが悪い。 対してファフニールの言い分は次の通りだ。 「こいつが悪いのだ。オレのコレクションに勝手に触るから制裁を加えたまでだ」 「はあぁ。まったく相変わらず小さいやつじゃの。どうせ使っとらんじゃないか」 「それは違う! いいか、コレクションというのは使うためのものではない。新品だからこそ価値があるのだ。未使用だからこそいいのだ。触れれば汚れる! 垢がつく! それでは価値が下がってしまう」 「お主は馬鹿じゃな。洞窟の奥に積んでおくだけのものに価値も意味もあるか」 そして地竜たちは口喧嘩を始めた。ははあ、喧嘩するほど仲がいいってやつか。 「やはりおまえとは気が合わんな。なぜオレの価値観が理解できない」 「理解するつもりもないし興味もない。はっきり言わせてもらうと、くだらんな」 ……あれ? 「もう限界だ。今日こそは白黒つけてやる。オレのほうが正しいとな!」 「忘れたのか? 今のお主は私に拘束されておるのじゃ。なんなら、そのまま絞め殺してやってもよいのじゃぞ?」 「抜かせ! この程度のツタ、へでもないわ! 返り討ちにしてやる!!」 「よかろう……来い! 馬鹿は一度死なねば治らんようじゃからのう!!」 ちょっと待てちょっと待て。なんでそうなるんだ。 ファフニールはあっさりとツタの拘束から脱すると、牙を剥いてクルスに飛びかかった。対してクルスはうごめく触手の如く大量のツタを出現させて、向かい来るファフニールを受け止めて動きを封じる。 再び身動きが取れなくなったファフニールだが、ならばと大地のブレスをクルスに向けて発射。硫黄のような香りとともに濁った霧が噴出され、少し遅れて連続的な爆発が起こる。 正面からもろに爆発を受けたクルスはしかし平気な顔をしていて、反撃にツタをきつく締め上げた。 「ぐああぁぁっ! や、やめろ! 俺も拘束してることを忘れるな、死ぬッ!!」 拘束に締め上げだと。俺は攻めるほうが好きなんだ。マゾ属性はない。 これじゃ俺の二枚目キャラが台無しじゃないか。 ああ、再び俺の意識は遠のいていく……。 「おっと、忘れていた。すまんの」 クルスが指を鳴らすと、洞窟内を埋め尽くしていたツタが一瞬にして消えた。 同時に俺の脳内に浮かんでいたお花畑も消えた。あ、危ないところだった……。 「最初のおまえの言葉をそのまま返してやる……。なんでいきなり殺し合いを始めてるんだ。おまえら知り合いじゃなかったのか?」 「もちろん知り合いじゃぞ。ずいぶん長いつきあいになるのう」 「うむ。オレとジオクルスはもう何度も殺し合った仲だからな」 「どんな仲だよ……」 よく殺し合うほど仲がいいと言うだろう、とクルスは笑ってみせた。 いやいや、そんな格言聞いたことないからな! それ仲いいって言わねえよ! ともあれ、ようやくクルスが事情を説明してくれたので、晴れて盗賊の疑いはなくなった。 「ジオクルスの知り合いだったか。ならばそう言ってくれればよかったものを」 いや、言ったんですが、それは……。 そのまま続けてクルスはトロウと共に戦う仲間としてファフニールを勧誘した。そもそもこんな辺境へ来た当初の目的はそれだったのだ。忘れてたけど。 ファフニールは黙って話を聞いていたが、あっさりとそれを断った。 「悪いがトロウとは戦えない」 「何? なんか理由でもあるのか」 「それは――オレが第四竜将ファフニール様だからだ!」 「な、なんだってー!?」 竜将の肩書き、つまり奴はトロウの手下だったのだ。 この展開、まさかもう一度こいつと戦えって? ただの剣じゃこいつには歯が立たない。かといって魔剣に操られるのはもうごめんだ。こうなったら竜に対抗できるのは竜しかない。 そこで期待の念を込めてクルスの顔をじっと見つめた。 クルスは少し面倒くさそうな顔をしながらもファフニールに尋ねた。 「……あー。まあ、お主のことだからなんとなく予想はついておるが……。ファフニールよ。お主、トロウとはどういう関係なんじゃ?」 するとファフニールは嬉々とした表情で答えた。 「全然知らん。だが力を貸せば財宝をくれるという話でな。前金にそこの金貨をひと山もらったんだ! 残りの財宝をもらうまではトロウを裏切るわけにはいかん」 ああなるほど、そういうことね。世の中、竜も傭兵をやる時代になったのか。 なんだ、そういうことなら安心したぜ。しょせん金で雇われているだけなんだ。だからあいつは別にトロウに忠誠を誓ってるわけじゃない。ならば手はある。 「だったら俺があんたを雇うってのはどうだ? ちょうどいいものがあってな」 そう言って、俺は腕にはめている金の腕輪を掲げた。 これはドローミのところで手に入れたあの無限増殖する腕輪だ。たしかドローミのやつはこれをドラウプニルとか呼んでいたか。こいつに刺激を与えると、どんな魔法がかかっているのかは知らないが、しばらくこの腕輪は分裂し続けるのだ。 腕にはめている間は分裂しないようだが、外して床に叩きつけてみると、すぐにひとつがふたつ、ふたつがよっつ、と爆発的に金の腕輪が増え始めた。 そんなドラウプニルの腕輪を見るなりファフニールは目の色を変えた。 「ふぁッ!? お、黄金が! 次から次へとあふれてくる! ま、まさかおまえ、いや、あなたは……神か? 黄金の神なのか!!」 おっと、思った以上の喰い付き。金銀財宝に目がないと聞いたときから、これはもしやと思っていたのだ。持つべきものはお宝だな。ちょろいもんだぜ。 「俺か? 俺は蒼き勇者フリードだ。この無限の黄金をくれてやる。だからトロウなんかより俺たちの仲間になれ。絶対にあっちよりいい条件だと思うぜ?」 「無限の……黄金……!! こ、これはたしかに……見逃すわけにはいかんな! 黄金神様! ほ、本当に仲間になれば、これをオレにくれるのか?」 「ああ、もちろんだ。だが断る、なんて言ったりするなよ」 現金なやつめ。しかし黄金の神と呼ばれるのもなかなか悪い気分ではない。やれやれ、また俺の呼び名がひとつ増えてしまったな。俺ついに神になったよ! 「だが迷うな」 「ナニッ!?」 なるほど、そういうパターンできたか。 この俺が最も嫌いなことのひとつは、売れそうになった商品を客がベタ褒めしていたにも関わらず、やっぱりNOと言われることだ。 この欲張りめ。これ以上、こいつは一体何を望むというんだ。 「無限の黄金は欲しい。だがトロウとの約束の財宝も欲しい。オレは一度目をつけたものは絶対に諦めないのだ。たとえどんなに時間がかかろうとも、たとえどんな手段をつかったとしてもな」 さっきまで泥棒泥棒とか言ってたやつが何か言ってやがる。 しかしトロウに対して忠誠心が欠片もないことには変わりない。なんとか説得して味方につけられればこいつは役に立つはずだ。 さて、どうやってうまいこと言い包めたものか……と考えていると、答えが出るよりも先にクルスがひとつ提案をした。 「ならばこうするがよい。まず、お主は私たちに協力してドラウプニルの腕輪を手に入れる。それからトロウの手下のふりを続けて奴からの報酬も手に入れる。そのついでに私たちには奴の情報を流せ。その情報をもとに私たちはトロウを倒しに行くので、お主もそれを手伝え。そして最後に奴を殺して、奴の持つ財宝は全部お主のものにすればいい。どうじゃ、悪い話ではなかろう?」 こっちはこっちで、さらっとひどいことを言ってやがる。 しかしスパイに使うのは、たしかにいい作戦かもしれない。なんせ俺たちはトロウのことをよく知らない。せいぜいフレイから並みの人間じゃ手も足も出ないほどやばい魔法を使うと聞かされた程度だ。 正直なところ、俺はさっさと攻め込めばいいのにと思ってるぐらいだが、敵の戦力がわからないまま突っ込むのは馬鹿のやることだ。だからこそ情報が欲しい。 「なるほど、いい条件じゃないか。もし俺だったらクルスの話に乗るね。そこんとこどうだい、ファフニールさんよ」 「うむ。非情に魅力的だ。しかし、おまえらでトロウに勝てるのか? オレは直接見たから知ってるが、あいつは確かに魔力だけは化け物級だと思うぞ」 トロウが倒せなければ財宝が手に入らないし、スパイがばれれば報酬ももらえない。全部欲しいファフニールはまだ迷っている様子だった。 ええい、どこまでも欲張りなやつめ。だったらダメ押しだ。 「わかった。それならトロウの情報は買ってやることにしよう。何か情報をひとつ持ってくるたびに、こちらからも報酬を出すぜ(たぶんフレイの懐から)」 「ドラウプニルの腕輪。トロウからの報酬。おまえらからの報酬。そして最後にトロウの財宝を根こそぎか……!」 「さらに、もしあんたがトロウにトドメを刺したのなら追加報酬を上乗せする」 「よし、乗った!!」 ふっ、落ちたな。 こうして金に目が眩んだ黄金大好きファフニールさんは、まんまとトロウを裏切って俺たちの側についたのだった。やっぱりこいつ守銭奴じゃねーか。 まだ増え続けていたドラウプニルの腕輪が洞窟を埋め尽くしそうになったので、それから俺たちは追い出される形でファフニールの洞窟を後にした。 すでに洞窟の入口は黄金の壁でみっちりと埋まっている。これ以上、溜めておく場所もないのにどうするつもりなんだと聞いてみると、ファフニールは大地を隆起させて新しい洞窟をすぐ隣に作り出した。 「なければ作ればいい」 「便利だな、大地の魔法。いっそ黄金も魔法で作っちまえばいいのに」 「それはだめだ。自分で簡単に作れてしまったら価値がなくなるだろう」 「じゃあ簡単に分裂する黄金はいいのかよ……」 ともあれ、これでようやくひと仕事終わった。天馬のお姉さんと黄金の竜と立て続けに戦ったせいか、気が抜けるとどっと身体が重く感じた。たとえ勇者だって疲れるのさ。 まずは拠点に戻ってひと息つこう。捕虜にしたお姉さんと天馬の治療もしなければならないし、スパイをさせる前に一度ファフニールを仲間に紹介しておく必要もある。さあ、クルスに乗せてもらって一時帰還だ。 そう思って一歩踏み出そうとしたが足が動かない。 ……あれ? そんなに疲れてんのかな。 再び足を動かそうとするが、やはり動かない。というか感覚がない。 そういえば、魔剣に操られて戦っていた間に足を負傷していたんだった。かすり傷だったはずだが、もしかして思ったより傷が深かったのか。 嫌な予感が頭に浮かぶ。ま、まさか神経をやられて……? 一生歩けないなんて俺は嫌だぜ!? 片足の勇者だなんて終わってる。剣士としては絶望的だ。 顔面蒼白になりながらうろたえていると、感覚がない感覚が徐々に足から上へと上がってきているような気がしてきた。感覚がない感覚? なんかややこしいな。 その感覚のない感覚は、足からふくらはぎへ。そして太腿へと昇っていく。おい待て。まだ上がるのか。このままいくとつまり……こ、股間も? やめてくれ! 俺からそっちの剣まで奪わないでくれ! じたばたしながら慌てていると、冷めた目でクルスがこっちを見ている。 見るなっ! そんな可哀想なものを見るような目で俺を見るんじゃない! 「……何やっとるんじゃ、お主」 「これからの人生に絶望していた」 「そうか。足元は明るそうに見えるがな」 そう言ってクルスが指差す俺の足元は……いや、俺は脚は黄金色に輝いていた。まじかよ、俺の未来は黄金色? じゃない。よく見ると俺の脚そのものが黄金になっている。 「ああ、そういえばオレの触れたものは徐々に黄金になるのだ。オレはこの魔法が好きでな。おまえが死んだら、黄金像として洞窟に飾るつもりだった」 そう笑いつつファフニールが呪文を唱えると、すぐに脚は元通りに戻った。 金ピカ好きだけあって悪趣味なやつだ。まあ、俺のようないい男を飾りたくなる気持ちもわからんでもないが。 「俺の絶望を返してくれ……。ああ、いや、絶望はいらんな。絶望した時間をか」 「ほれ、茶番は仕舞いじゃ。さっさと拠点に戻るぞ」 グニタヘイズ上空の罠の魔法をファフニールが解除して飛行準備完了。 俺はクルスの背中に乗って出発準備完了。っと、そのまえに捕虜にしたお姉ちゃんもクルスに乗せて連れて行かないと。 洞窟の外にレギンレイヴの姿が見えなかったので、俺はどうしたのかとクルスに聞いた。 「はて。ツタで拘束して、そのへんに転がしておいたはずじゃが……」 放っておいたので逃げ出してしまったのだろうか。いや、彼女は足をくじいて歩けないはずだ。それに天馬もひどい怪我をしているので飛んで逃げるはずもない。 まだ近くにいるはずだ、と周囲を捜索すると馬も彼女もすぐに見つかった。 ……変わり果てた姿で。 まるで縄で緊縛されたかのような痕が身体中に残っている。こ、これは……一体どこのどいつが、どういったお楽しみをやっていたんだ。実にけしからん。 だが俺には心当たりがあった。 そういえば洞窟の中でクルスとファフニールが喧嘩をしていたときに、クルスのやつはツタを思いっきり締め上げていた。 で、こいつらを拘束していたのもクルスのツタだ。ということは犯人は……。 犯人(クルス)の姿を見るなり、ぐったりした状態のレギンレイヴは呻き声を上げた。 「お、おのれ地竜め……! 捕虜にすると言っておきながら殺しにかかってくるとは、やはり竜は信用できない……。お、覚えておけ……」 よかった生きてた。しかしなるほど、こういうところから誤解が生まれて種族間対立が深まるんだな、と思わずにはいられない俺であった。 地竜の相手はもう疲れた。俺には水竜のお譲ちゃんぐらいがちょうどいい。 Chapter23 END 魔法戦争24
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Another02「クルスとクエリア:彼女たちの願い」 それはフレイたちがアルヴに滞在していた間の物語―― ある日アルヴを散策していた私は、この空の世界では珍しい笹の木をフリードが運んでいるのを見かけた。 気になって訊いてみると、今夜行われる祭りのために必要なものらしい。 「七夕と言ってな。笹の枝に願い事を書いた短冊を吊るして、七夕の夜に天に祈りを捧げるんだ。そして雨が降ることなく無事に翌朝を迎えられればその願いは天に届く。その願いが神様に認められればいつかそれが叶うっていうやつさ」 「ほう、人間たちの信仰のひとつか? 面白そうじゃな。どれ、せっかくだから私もその祭りに参加してみるとしようかの」 「歓迎するぜ。ほら、おまえの短冊だ」 そう言って、フリードは色とりどりの紙切れを差し出した。私はそこから紫色の短冊を一枚抜き取る。 「何の変哲もない紙切れじゃな。特に魔力のようなものも感じられんし、祭具にしてはずいぶん質素なようじゃが……」 「見た目じゃねぇのさ。大切なのは信じる心ってね。ハートだよ、ハート!」 そう言ってフリードは拳で胸を叩いてみせた。 その後、彼を手伝って笹を所定の位置まで運んだ私は、腰を下ろして準備を続けるフリードの様子を眺めることにした。 しばらく見ているとアルヴの住民たちが次第に顔を見せ始め、次々に短冊を笹の枝に吊るしては祈りを捧げて帰って行く。どうやら人間たちの信仰はアルヴの竜人族にも引き継がれているらしい。そんな彼らの様子が珍しかったので、私はそのまましばらく観察を続けた。 「さて、俺もでーきたっと。んじゃ、お先に失礼するぜ」 すでに祭りの準備を終えて隣に座っていたフリードが笹に向かって歩き出した。 静かにしていると思ったら、なるほど。どうやらこの男はせっせと自分の短冊をこしらえていたらしい。 どれ、では私も短冊を完成させるとしよう。 そう思って筆を手にまっさらな短冊を眺めたが、いまいちどういうことを書けばいいのかよくわからない。 そこで笹に自分の短冊をくくりつけているフリードをつかまえて聞いてみることにした。 「のう、フリード。もう少し私にその祭りについて教えてほしい」 「うん? これ以上は何も特別なことはしなくていいぜ。短冊を吊るしたら、あとは雨が降らないように祈るだけ。それでおしまいさ」 「いや、その……手順はおかげで把握できておるのだが……私はこの短冊に何を書けばいいのかと思ってな」 するとどういうことか、フリードはぷっと吹き出したではないか。 「な!? 何も笑うことはなかろう! 私はこのタナヴァタとやらは初めてなんじゃぞ。仕方ないではないか」 「いやぁ、すまんすまん。あまりに深刻そうな顔をするもんだから、ついな」 ひとしきり笑われたが、その後でフリードはちゃんと説明をしてくれた。 「そこにクルスの願い事を書けばいいんだ」 「願い事とは? 世界平和とかそういうものを願っておけばよいのか」 「まぁそれでもいいが、おまえの好きなことを書けばいい。強い剣士になりたいとか、魔法使いになりたいとか」 「お主はすでに剣士じゃろうが。それに私は竜だぞ。願うまでもなく魔法の扱いには精通しておるつもりじゃぞ」 「例えだよ。だったら世界一強くなれますようにとか、何か欲しいものが手に入るように願うとか、そんなんでいい。素直な願いを書けばいいんだぜ」 「ふむ……なるほどな。では、やはりお主のような戦士はより一層の強さを手に入れるためにこの祭りに参加するのか」 「やれやれ、まだあまり理解できてないみたいだな。しょうがないお嬢ちゃんだ」 困ったような表情で再びフリードが笑った。 そこで私は以前にセッテにそれを言われたときと同じように返してやった。 「お嬢ちゃんとは失礼じゃのう! これでも私はお主よりは遥かに長く生きておるのじゃぞ!」 「ははは、すまんすまん。まぁ、じっくり考えててくれ。俺はこれからひと仕事あるから失礼するぜ。それじゃあな、お婆ちゃん!」 「だっ、誰がお婆ちゃんだ!! そこまでは長く生きておらんわ!」 からからと笑い声をあげながらフリードは去っていった。 小さくため息を吐くと、私は手元の短冊に視線を落とした。 さて、一体どんな願い事をしたものか。 短冊を片手に小一時間頭を悩ませる。 いつしか日が暮れて来て、もう水平線の向こうに太陽が沈みかけている。 「いかんな。早くしないとタナヴァタの夜に間に合わん。フリードは素直に書けと言っておったが……ふむ。そうじゃ、だったらこうして……」 やっと頭に浮かんだその願い事を私はさっそく短冊に書き始めた。 そして悩みに悩み抜いたその願いを書き終えて一息ついたその瞬間、ふと背後に誰かの視線を感じた。 「なっ……何奴じゃ!?」 振り返り身構えるとそこにはクエリアが一人、地面にうつ伏せになって両手で頬づえをつきながら私のほうをじっと見つめている。 視線の正体が見知った顔だと安心したところで、ここで何をしておる、とクエリアに声をかけた。 「別にわたしがどこで何をしていようとわたしの勝手だろ」 むう。相変わらず可愛げのないやつめ。 クエリアはそのまま同じ質問を私に返してきた。そこで私はフリードから教わったばかりのタナヴァタという祭りの知識をこの小娘に披露してやった。 するとクエリアは「わたしもやりたい」と言い出したので、フリードが予備にと置いて行ってくれた余りの短冊を差し出した。 水色の短冊を抜き取ると、クエリアは無邪気な笑顔で喜んだ。 ふむ。こういうところは純粋で子どもらしい。悪態さえつかねば可愛いものを。 これで王女だというのだから困ったものだ。同じく王族であるフレイとはまるで違う。いつかあやつの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいぐらいだ。 短冊を手に入れたクエリアは「むーん」と唸ってしばらく短冊をにらみつけていたが、すぐに頭を抱えて気の抜けたような声を出した。そして何かを訴えるかのような目でこっちを見つめてくる。どうやら私と同じで何を書いていいかわからないらしい。 そこで私はフリードから教わった通りそのままの説明をしてやった。 「なるほど! じゃあわたしの願いはひとつしかないな。お母様よりもお姉さまよりも大嫌いな火竜よりもニンゲンどもよりも頑固な緑のやつよりもアメちゃんくれた赤いやつよりもフレイ王子よりも、それからついでにクルスよりもずっとずっとずーっと強いバリバリさいっきょーナンバーワンの竜になれますように……っと。あっ、書くスペースが全然足りないぞ! どうしたらいいんだ!?」 実に子どもらしい願いだ。私はついでなのか。 「お主の願い事は長すぎる。もう少しシンプルにまとめるんじゃな」 「まとめる? どうやってだ。お母様やお姉さまよりは強くなりたいし、火竜どもやニンゲンどもはいつかけっちょんけちょんのぐっちゃぐちゃにしてやりたいからこれも外せないし、仲間たちの中で一番じゃないと納得できないし……。あっ、フリードを忘れてた。むうううう! 逆に増えたじゃないかーっ! どうしてくれるんだ。クルスのせいだからな」 クエリアは頭を抱えてうんうん唸っている。 もう知らん。このままこの小娘につき合っていては本当に日が暮れてしまう。そうなる前にと私は書き上げた短冊を手に笹の木へと歩き出す。 するとクエリアが飛び出してきて私の足にしがみついてきた。そして顔を見上げるなり、潤んだ目で見つめてくる。 「クルス~。どんな願いを書いたのか、その短冊私にみせてちょうだ~い」 そしてとびっきり甘えた声を出しながら、手を伸ばして私の短冊を奪い取ろうとしている。 ふん、こんなときだけ可愛いふりをしたって無駄だ。やれお譲ちゃんだとこやつのことを可愛がってるフリードならまだしも、私にはそんな手は効かん。 「これはだめじゃ! そもそも私の願いとお主の願いは違うのだから、これを見たところで意味はないじゃろうが」 「いいじゃないか、へるもんじゃないし。ほらお姉ちゃん、先っちょだけでいいから」 「ええい、一体どこでそんな言葉を覚えてきた! あいつか? フリードの影響なのか?」 しばらくクエリアは私の足下で手を伸ばしながらぴょんぴょん跳ねていたが、どうしても手が届かないとわかるとようやく諦めて、「ケチ」などと言いながらふてくされてその場に座り込んでしまった。 ケチで結構。だが残念じゃったのう。人の姿を取ってるときは、クエリアよりも私のほうが背が高い。セッテが使いそうな表現をするなら、こやつのほうがちびっこなのだ。クエリアの水竜の姿を私はまだ見たことがないが、どうもこやつは竜の姿に戻る方法をいまいちちゃんと理解できていないようなので、身体の細長い水竜相手でも負ける心配はない。 いや、それよりもさっさと自分の短冊を吊るしてしまおう。取られる前に吊るしてしまえば私の勝ちだ。 するとそのとき、それまでふくれていたクエリアが何かを見つけたように一点を見つめる。そして満面の笑みを浮かべた。 「あっ、クルス! フレイ王子も短冊を吊るしに来たみたいだぞ」 「ほう。フレイ、お主は何を願ったんじゃ?」 そう言ってクエリアの見つめたほうに向くと……なっ、誰もいないじゃと!? 「隙ありーっ!!」 待ってましたと言わんばかりにクエリアが飛び出して、私の手から短冊を奪っていった。お、おのれ小娘! 私をたばかったな。 「待て! それをどうするつもりじゃ。すぐに返さんか!」 「へへーん。返して欲しかったらつかまえてみろー」 すばしっこく走り回り、あとを追う私の手をすり抜けて逃げると、クエリアは身軽にも笹の木に跳びついてそのてっぺんまでするすると登ってしまった。こういうときは小柄で軽いほうが有利らしい。猿かおのれは。 そして敵の追跡をまいた(つもりになっている)ところで、クエリアは私の短冊を掲げると大声でそれを読み上げた。 「えぇーなになに? クルスの願いはーっと…………『若くなれますように』?」 「や、やめんか! わざわざ読み上げるんじゃない!」 いいか。念のため言っておくが、決して私はその、老けているとか、ましてやお婆ちゃんなどということは絶対にない。ただこれは、たまたまフリードに気になることを言われてたのでたまたま書いてしまっただけであって、決してそのようなことは断じてない。断じてだぞ! 「クルスっていくつなんだ?」 無垢な表情で純粋に問う。 子どもは純粋だ。ゆえに残酷でもある。 「わ、私はその……お主! 女性に年齢を尋ねるのはマナー違反じゃぞ! たとえそれが同性であったとしてもじゃ!」 「ふーん。クルスって昔を懐かしんじゃうような年齢だったんだなー。てっきりわたしは自分と同い年ぐらいだと思ってたのになー。これでもわたしはもう二百年ぐらい生きているのだぞ。じゅーぶん立派なれでぃーだと思うんだけどな」 「ふん、何を言うか。お主のような小娘と一緒にするな。私からすればお主などまだまだひよっこじゃ。それをたった二百年程度でレディーとは笑わせる。偉そうなクチを叩くなら、せめて千年は生きてから……」 言ってからしまったと思った。だが時すでに遅し。 「おおー。じゃあクルスは少なくとも千歳以上かぁ。すごいなー、オトナだなー。オトナだったら結婚はしてるのか? ふぃあんせはいるのか? もしかして最近流行りのイキオクレとかいう……」 「や、やめろと言うのに!!」 必死で短冊を取り戻そうとするが、クエリアはするりと腕の間を抜けてはきゃっきゃと笑いながら逃げ回る。 ああだめだ。先に私のほうが疲れ始めてきた。おのれ小娘……その若さが憎い。 日が落ちて夜が始まる。短冊を天に捧げた者たちは空に向かって祈る。 雨が降りませんように。どうか私の願いを叶えてくださいますようにと。 もっとも、この雲の上の世界では雨が降ることなど滅多にないのだが。 太陽が沈む前に短冊を吊るすのが慣習ではあるが、ここに一人、遅れて笹の下へ短冊を届けに来た者がいる。 「間に合わなかったか。魔導船の整備と清掃、物資の整理、その他雑務に時間を取られ過ぎてしまった。まぁ、仕方ない。個人的な理由で王子に迷惑をかけるわけにもいかないからな」 そのクエリア曰く頑固な緑は最後の一人として笹に短冊を吊るし祈りを捧げた。 オットーの短冊にはこうあった。 『フレイ王子が無事トロウの手から祖国を解放できますように』 ふと見ると、その隣には別の短冊が並んでいる。 『願わくば、父上が無事元気で以前のようなお姿に戻られますよう』 これはフレイの願いであろうか。オットーはその願いを目にして胸が痛む思いをした。 「王子……。やはり辛いのですね。私には代わってあげられませんが、せめて少しでもあなたの負担が減らせられますよう」 オットーは短冊とは別に願いを祈った。 自分が少しでも王子のために働くことで少しでも彼の苦しさを減らせるのなら、それは従者としてこの上ない願いだ。 そして心に誓う。私はこれまで以上に王子の為に力になろう、と。 そのとき、また別の短冊がふと目に入った。蒼い短冊だ。 『もうこの際誰でもいいから、やらないか♂』 ……誰のものかはすぐに見当がついたが、あえて見なかったことにしよう。 オットーは慌てて視線をそらした。 そらした視線の先には、クルスとクエリアが身を寄せ合って二人仲良く夜空を見上げて眠っている姿があった。 オットーは静かに優しい笑みを浮かべると、二人の傍に落ちていた彼女たちのものであろう短冊を拾い上げて、それを笹に吊るして去って行った。 クエリアの短冊にはきたない字でこうあった。 『私の大好きなみんながずっとずっとずーっと幸せでいますように』 この平和な日々が続きますように。 Another02 END フローティア3『魔法戦争』