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Chapter35「フレイと竜人4:竜人族じゃない」 ゲルダと共にアルヴの街を歩いていると、見慣れたローブを着ている人影を見つけた。真っ黒なローブの背中にある大樹をモチーフとした意匠は、ユミルの魔道士が着ているものに非常によく似ている。 もしかしてユミル出身の者がここに? だとすれば、彼も故郷をトロウから取り戻すために力を貸してくれるかもしれない。 あるいはトロウの放った刺客がもうこの隠れ里の場所を見つけてしまったのかもしれない。今は僕の仲間たちは出払っているので、戦闘になるとまずい。 (いや、きっと大丈夫さ。仮に敵だとすれば、アルヴに張られているアルバスの結界を抜けてきたことになる。もし本当にそんなことがあれば、今ごろもっと騒ぎになっているはずじゃないか) 期待感と悪い想像を交互に思い浮かべながら、それでも僕はそのローブの人に声をかけてみることにした。 「あの、すみません。そのローブに描かれてる絵なんですが、もしかして……」 「えっ?」 突然声をかけられたローブの人は驚いた様子で振り返った。 顔を見るとなにやら仮面のようなものをかぶっていて表情はわからなかった。しかし、その声からどうやら女性であることはわかった。 「僕はユミルから来たんですが、そのローブには見覚えがあります。もしかして、あなたもユミルから?」 「……ッ!!」 するとローブの女は何も言わずに慌てて走り去ってしまうではないか。 ただ声をかけただけなのに、何も逃げることはないだろう。それとも何か、声をかけられてまずいことでもあるというのか。 ゲルダに聞いてみると、これまでにもローブの女はたまに街の外円部で見かけることがあったという。だが周囲の者との交流を避けているようで、どういった人物なのかはほとんど知らないそうだ。 「気になるな……」 「でもアルヴにはワケありでやってきた人も多いからなぁ。きっと何か理由があるんだよ。そっとしておいてあげたほうがいいんじゃない?」 「その考えには僕も基本的には賛成だ。でもあのローブは僕の故郷でよく使われてるものとそっくりだった。ほら、ゲルダにあげたアレと似てただろう?」 「言われてみればそうかな。あの火事で少し焼けちゃってもう比べられないけど」 どうしてもあのローブの女のことが気になってしかたなくなった僕たちは、彼女が走り去ったあとを追ってみることにした。 すでに姿を見失ってしまってはいたが、ローブの女の逃げていった方向にまっすぐ歩いていくと、アルヴの街を抜けて雲の森にたどり着いた。 「へぇ。アルヴでは森まで雲でできてるのか」 「川とかと同じで誰かが人工的に作ったものだけどね」 迫害から逃れてこの地にたどり着いた竜人たちは、アルバスの助力を受けてこの地に隠れ里アルヴを築いた。 雲しかなかったこの地はあまりにも殺風景だったため、生活のために必要な水路や家などとは別に、それぞれの竜人たちがそれまで自分たちが暮らしていた環境を模して、雲を固めてアルヴの風景を手作りしていったそうだ。 アルヴの街の外にはそういう雲で作った森や林、雲の山や谷、洞窟なんかがいくつも存在しているらしい。 「今でも外の景色を作るのを生きがいにしてる人がいるんだって。外の世界にあこがれて街の外を探検してみたことはあるけど、この辺に来るのは初めてだなぁ」 「そうなんだ。じゃあさすがに、こっちのほうまでは来てないか……」 雲で作られた木々は、質感こそふわふわとして柔らかそうだったが、しっかりと着色されていて遠目からはちゃんと森のように見える。ただ、中には真っ青だったりピンクだったりと、とても木らしからぬ配色をされたものもちらほら見えたが。 「あんな色の木ってある? もしかして遠い国にはあんな木もあるんだろうか」 「ピンクの木なら実在するって聞いたことあるよ。たしかサクラっていう……」 そんな話をしながらなんとなく歩いていると、森の中には異質な金属の建物を見つけた。錆びたトタン板を寄せ集めたような小さく質素な小屋だったが、腐食によってところどころ穴が開いたり割れたりして半分崩れかけている。廃墟だろうか。 ユミルの港町のはずれでなら、こういったものはたまに見かけることもあった。 トタンは水気に弱く錆びやすいので、流れてくる雲や霧に触れてこうして錆びてしまうことも多いが、ここまで腐食しているものは初めてみる。おそらく地面が雲そのものなので、あっという間に錆びてしまったのだろう。 「でもアルヴでこんなものを見つけるなんて。ちょっと異質な感じだ。これも誰かが持ち込んだものなのか?」 「あっ。フレイ、あれ!」 そのときゲルダが錆びた壁の隙間に揺れる仄かな明かりを見つけた。 ゆらめくその明かりはおそらく火の明かり。火のないところに煙は立たないが、火のあるところが無人であるという道理もない。 (こんな廃墟も同然の場所に誰かがいる!) 錆びた建物にはちゃんと扉があったが、歪んでしまって開けられなかった。 しかし裏手に回ると、割れた板の隙間から中に入れそうな部分があった。低い位置に隙間はあるが、地面を這えば問題なく入れそうな程の大きさはある。 「入ってみようか」 二人で顔を見合わせて頷き合い、地面に腹をつけてほふく前進の形でその隙間から錆びた建物に進入を試みる。 こういうとき雲の地面なのは助かる。柔らかいので肘や膝が痛くならないし、土ではないので手や身体が汚れるようなこともない。 中に入ってみると建物は二部屋で構成されていて、今いるここは寝室代わりなのか、雲を固めて作ったベッドがたったひとつだけ置かれている部屋だった。 奥のもうひとつの部屋は、表の開かない扉を開ければすぐに足を踏み入れる部屋であり、この部屋とは壁で仕切られているが内扉はないので、その先の壁には机のようなものと、その前に座る人物の影が伸びて揺れているのが見える。 壁から顔を覗かせて様子を窺うと影の示すとおり、ロウソクを乗せた机の前に何者かが座って何か作業をしているのが見える。その後ろ姿は例の見覚えのある意匠のローブだ。 (あれはさっきの……! こんな人里離れた場所で何をしてるんだ?) ローブの女の身体が陰になって何をやっているのかはよく見えなかった。そこで見つからないように細心の注意を払いながら、さらに身を乗り出して机を上の様子を見ようともう一歩部屋の中に踏み込むと、 「ねぇ、なんかいたー?」 後ろからゲルダの声が聞こえてきた。 (わっ!? な、なんでそんな大きな声を出すんだ) それと同時にがたんと椅子の倒れる音が聞こえた。 音のほうに目をやると、例のローブの女が壁を背にしてこちらを凝視している。 「ひッ……。あ、あなたたちどうしてここに!? 一体ワタシに何の用があるというの!?」 当然の反応だ。突然あいさつもなくよく知りもしない相手が家の中に現れたら、それは誰だって驚くだろう。 僕はゲルダと共に勝手に家に上がり込んだことをまず謝った。 「その上でこんなことを聞くのは申し訳ないんですが、やはりあなたはユミルの人間なのでは? そのローブはユミルで使われているものによく似ている……」 するとローブの女は強く首を左右に振って拒絶する素振りを見せた。 「帰ってください! もうワタシのことは放っておいてください!!」 「お、落ち着いて。あなたに危害を加えるつもりはないんです。僕はただ、あなたが僕と同じでユミル出身の人だと思って……。もしそうなら、僕たちの力になってくれるんじゃないかと思って声を……」 「やめて! ワタシはもうユミルとは関係ない!!」 「そ、そんなことを言わずに、どうか話だけでも」 せめて話だけでも聞かせてもらえればと食い下がろうとしたが、それは後ろからゲルダに腕を引っ張られて止められてしまった。 そして決まりの悪そうな表情でゲルダは言った。 「ね、ねぇフレイ。もう帰ろ? なんか嫌がってるみたいだし、無理に聞くようなことじゃないよ……。きっと何か事情があるんだよ」 「そ、そうだね。あの、突然こんなことをして申し訳ありませんでした。僕たちはもう帰ります。この場所のことも誰にも話しませんので……大変失礼しました」 「あっ…………。……………………」 最後にローブの女は何かを言いかけたが、そのまま黙り込んでしまったので、僕たちはそのまま錆びた建物を後にすることにした。 悪いことをしてしまったな……と後悔の念を覚えながら、日が暮れてきたので、その日はゲルダと共にグリンブルスティに戻ることにした。 翌朝。まだ陽も昇り切っていないような早朝に、ゲルダに揺り起こされて僕は目を覚ました。 「ううん。何? こんな朝早くから」 「それがその……。お客さんっていうか……」 浮かない表情でゲルダが通したその人物は、紛れもなく昨日のあのローブの女だった。どういうわけか、あれほど僕たちのことを拒絶していた彼女は、こんなにも朝早くに自分からこちらを訪ねて来たのだ。 「どうして突然……。ああ、ええとその。昨日のことは本当に……」 改めて頭を下げようとすると、ローブの女はそれを制止して言った。 「待ってください。ワタシはそういうつもり来たのではありません」 「……? では一体どういったご用件で」 「まだ名乗っていませんでしたね。かつて城ではワタシはアルバと呼ばれていました。ワタシのことを覚えてはいらっしゃいませんか、フレイ王子?」 「アルバだって!?」 ユミルには数多くの魔道士がいるが、その中でも王家に仕える者で実力を認められた者にはナンバーが与えられて宮廷魔道士と呼ばれるようになる。そのナンバーの数字が小さいほど上位で優秀な魔道士であることを表している。 僕のよく知るオットーやセッテもナンバーを与えられた宮廷魔道士の一員だ。 そしてアルバとは宮廷魔道士のナンバー4にあたる存在。たしか灼熱の魔道士の二つ名を持っていたが、幼い頃に何度か会った程度であまり話したことはない。 「全然わからなかった……。どうしてアルバがここに?」 「実はワタシも最初はフレイ王子のことがわかりませんでした。ですが、そちらの竜人の方があなたをフレイと呼ぶのを聞いて気がついたのです。ユミル国でフレイの名を持つ者は王子ただ一人だけですから」 「無理もないですよ。もう10年近くは会ってませんでしたし」 「いえ……そういう理由でわからなかったのではありません。今のワタシには王子の顔を見ることさえできないのですから……」 そしてそれがこのアルヴに流れ着いた理由なのだと彼女は話した。 王子になら見せてもかまわない、と彼女は仮面を外しフードを下ろした。 仮面の下から現れたのは、なんと褐色の鱗に覆われた蛇のような顔だった。記憶に残るアルバはたしか長い髪をなびかせていたように思うが、今の彼女には頭髪も一切なく、その頭はまるで蛇そのものだった。 緑色の澄んだ瞳だけが、記憶に残るアルバの面影を唯一残している。が、その瞳孔は爬虫類を思わせるような細長いものに変わっている。 「こ、これは一体!?」 「すべてはあの漆黒の魔道士……トロウが現れたせいなのです」 以前アルバスがトロウの正体は呪われた竜だと言っていたように、トロウはもともとユミル出身の人間ではない。 ある日旅の魔道士を名乗ってバルハラに現れたトロウは、人間にはとても真似できないような強力な魔法をいとも容易く操ってみせた。実はその正体が竜だったのだから、今にして思えば当然のことだ。しかしその噂を聞きつけた父上は、トロウを宮廷魔道士として採用してしまった。すべてがおかしくなったのはそれからだ。 トロウというのも本名ではない。トロウとはあくまでナンバー3を意味する宮廷魔道士のコードネームに過ぎない。 アルバが言うには、ニョルズ王を洗脳したあとトロウは自分にとって邪魔になる存在を次々と消していったのだという。自分の正体を探ろうとする者、自分に反発の姿勢を見せる者、そして気に食わない者を。 それは宮廷魔道士も例外ではなかった。 「いつの間にか、イチとツヴァイは姿を消していました。その原因を探っていたワタシもまたトロウに目をつけられ、気がつけば呪いをかけられてこんな姿に……」 「そんな……! すでにナンバー4以上の宮廷魔道士が全員やられていたなんて」 「こんな姿では誰もワタシのことをワタシだと気付いてくれませんでした」 アルバがローブを脱ぐと、その中からは細長い胴体が姿を見せた。 裾を地面に引きずるほど長い丈のローブをまとっていたので今まで気付かなかったが、すでに脚はなくなっており、まさに蛇そのものといった長い尻尾がかろうじて元は人間だった名残を見せているくびれた腰から下に伸びている。 両手はあるが、それも腕というには細くむしろ触手のような感じだ。 「あれから数年が経ちます。初めは顔だけだった呪いが徐々に広がり、今ではこんな有様です。手が退化して失われてしまうのも時間の問題でしょう……」 最初は姿を隠してユミルで生活を続けていたが、やがてその存在が知られるようになり、竜人扱いされた挙句にユミルを追放されて、そしてようやくたどり着いたのがこのアルヴの地だった。そうアルバは語った。 「だからあんなにユミルのことを拒絶しようとしたのか」 「いずれワタシはただの蛇に変わってしまうかもしれない。そうなるのが怖くて、なんとかまだ手が使えるうちに呪いを解く方法はないかと、あの小屋で研究していたのです。おそらくワタシに残された時間はもう少ない。最近では目も見えなくなってきましたから……」 今ではぼんやりと地形を把握できる程度で、そこに誰かがいたとしても顔をはっきりと認識することはできないという。さっき彼女が僕の顔を見ることができないと言っていたのはそのせいだ。 一方で熱を感知して周囲を把握する蛇特有の能力は発達してきたらしく、身を隠していてもどこにいるかはすぐにわかるらしい。もちろん顔を判別できないので、それが誰かまではわからないようだったが。 (トロウめ……。父上といい姉上といい、そして宮廷魔道士たちにまで。それにユミルの国民たちの命運もすべて奴の手の上だ。絶対に許せない……) こうしてはいられない。 アルヴにいれば追手に狙われる心配はたしかにないのかもしれない。しかし、こうしている間にも、トロウの手によって苦しめられている人はたくさんいる。 だから僕はこんなところでのんびりしているわけにはいかないのだ。 一刻も早く戦力を整えないと。竜人たちの信頼を得るのも大事だけど、即戦力になってくれる味方も可能な限り集めたい。 「アルバさん、お願いがあります。僕は今、トロウからユミルを解放するために戦っているんです。そのためには一人でも多くの力を借りたい。だからアルバさん。僕に力を貸してくれませんか!」 彼女は優秀な魔道士だ。宮廷魔道士のナンバー4ともなる彼女が味方についてくれれば百人力だろう。 しかしいくら優秀であるとはいえ、彼女も一人の女性ではある。そんな彼女が蛇のように変えられつつある姿を他人に見せるのが苦痛だろうことは、最初に彼女と遭遇したときの反応を思えば想像に難くない。 「……それでも僕たちに協力してくれますか? 僕の仲間にはムスペやニヴルの竜も、アルヴにいるような竜人も、竜くずれ――ええと、ちょっと変わったやつもいます。誰もあなたのことを差別しないし、そうさせないと約束します。もちろん、無理にとは言いませんが……」 そして両手でアルバの触手のような手をとって返事を待った。 彼女の蛇のような眼を恐れることなくじっと見つめた。 「ワタシの灼熱の魔法はたしかに強力かもしれません。しかし、今のワタシでは熱を感知して周囲を把握する特性上、魔法を放つとその熱のせいでしばらく周囲の状況を把握できなくなってしまいます。かえって足手まといにはなりませんか?」 「戦いとは一人でするものじゃありません。僕たちは誰もが苦手なことを持っている。それを補い合うのが仲間なのだと僕は考えています」 「そう……なのですね。ワタシはずっと一人で戦おうとしてきた。でも一人で戦うのには限界を感じていました。本当に……本当にこんなワタシを受け入れてくれるというのなら……。ワタシはもう何も恐れたりしません」 そう言ってアルバはもう一方の触手で僕の両手を握り返した。 それが彼女の返事だった。 「しかしワタシは一度ユミルを捨てた身。もう陛下からいただいたアルバの名を名乗る資格はありません。今では灼熱の魔道士を名乗る以前に使っていたサーモスの名を名乗っています」 「なるほど。ではサーモス、僕もまだまだ未熟者ではありますが、かつての宮廷魔道士としての力、お借り受けします。よろしくお願いします」 「ええ、こちらこそお願いします」 アルバ改めサーモスは、ようやく初めての笑みを僕に見せてくれた。 一方で不安そうな顔をして見せるのはゲルダのほうだった。 「……ねぇ。ちょっと待ってよ。さっきの話はどういうことなの。全部本当のことなの? トロウ? 呪い? 差別? 外の世界ってみんなが手を取り合って暮らせる平和な世界じゃないの!? ウソだよね。だって外にはもっといろんな種族がいて、もっといろんな世界が広がっていて……」 しまった。まだ外の世界の真実をゲルダには話していなかった。 外の世界にあこがれる彼女の夢を壊したくないと思って、トロウのことや戦争のこと、そして竜人差別のことを何も話していなかったのだ。 「違うんだ、ゲルダ……。いや、違わないんだけど、まずは落ち着いて僕の話を聞いてくれないか」 「ウソつき……。フレイのウソつき! 知ってて黙ってたの? どうせわたしの夢が叶いっこないと思って、それでわざと黙ってたの!?」 「そ、そんな、とんでもない! 僕はそんなつもりじゃ――」 「知らない! もうフレイなんか知らないッ!!」 そのままゲルダは涙を浮かべながら、グリンブルスティを飛び出していった。 静まり返った船室には、困惑する僕とサーモスが取り残された。 ……これはややこしいことになってしまった。 Chapter35 END 魔法戦争36
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Chapter49「ちびっこ戦記4:猫の魔女」 アルヴの街のはずれのほうに、雲でできた森がある。 雲しかない殺風景な景色だったので、それに飽きたアルヴの竜人が昔作ったという話をゲルダがしていた。 雲の森はそのままだと真っ白で味気ないからか、ちゃんとあとから色が塗られているようだが、わたしに言わせればはっきり言って色彩感覚がめちゃくちゃだ。 なんせピンクの木があったり、紫の木があったりするのだ。そんなお菓子みたいな色の木があってたまるか。ちょっとおいしそう……とか思ってしまったけど、かじったらやっぱり雲の味がした。期待させるんじゃない、まったく。 でもブルーの木は気に入った。わたしは青い色が大好きだ。 大空の青、澄み渡る水の青、そして故郷ニヴルヘイムの氷の青。 そんな青い木の下にわたしは、わたしだけの隠れ家を作ることにした。 周囲の木や草が(もちろん雲でできているけど)全部ブルーに染められているので、ここにいると故郷を思い出してすごく落ち着く。 そこにプラッシュからもらった人類最強の発明品、ザ・ソファを置く。そしてわたしはその上で思う存分ごろごろもふもふするのだ。いえーい、ソファ最高っ! ごろごろごろごろごろもふもふもふもふ、うにゅにゅにゅにゅにゅーん。 しかし。 しかし、だ。 こんな街はずれになんか誰も来ないと思っていたのに。 ここなら誰にも邪魔されずにごろごろもふもふできると思っていたのに、最近すぐ隣にヘンなやつが引っ越してきたのだ。 一人は金属みたいにゴツゴツした竜だ。ヴァルトと同じぐらいでかい。 そいつはここにいるときは一日中じっとしていて全然動かない。一言もしゃべらないし、何も食べないし、そもそも微動だにしない。なんか不気味だ。 もう一人はたぶんニンゲンのじじいだ。銀色のツメとシッポがあるけど、鱗がなかった。それに食事をするとき、被っている仮面を取ったのを見た。あれは間違いなくニンゲンの顔だ。うまく説明できないけど竜人とは雰囲気が違うからわかる。 じじいはぶつぶつわけのわからない独り言を言いながら、くず鉄を拾い集めてきては何かわけのわからないものを作っている。 いるんだよなぁ。ああいうガラクタを集めてきて、これは何かを作るのに必要なものなんだとか言っちゃってさ。で、結局ごみ屋敷化しちゃうってやつ。 それでご近所トラブルとか起こすんだ。この前もサーモス? だっけ。フレイの知り合いの蛇っぽいお姉さんがやってきて、銀色じじいとケンカしていった。 「うちの壁を勝手に持っていかないでください」とか、「落ちていたから拾った。それの何が悪い」とか、そんな感じ。わたしはああはなりたくないな。 そんなわけで、隠れ家を移転しようと考えていたところに、プラッシュがやってきた。なんでも知り合いの魔女に会いに行くところで、そのためにわたしの力を貸して欲しいんだとか。 「プラッシュぐらいの魔女なら空ぐらい飛べるだろ? こう見えても、わたしは今忙しいんだ。ご近所トラブルとか……引越しのこととか……えっと、いろいろ!」 「それは大変なときに来ちゃったわね。でもあたしもどうしてもクエリアちゃんの力が必要なのよね、困ったわ……。あ、そうだ。それじゃあ、あたしを手伝ってくれたら、クエリアちゃんの問題を解決してあげるわよ。誰にも邪魔されない自分だけの隠れ家が欲しいのよね?」 「んむっ、それは悪くない話だな。でもそんなにわたしの力が必要なのか? もしかして強い敵がいるとか? でもプラッシュのほうがわたしより強そうだけど」 「ううん。どうしてもクエリアちゃんじゃないとダメなの。いいかしら?」 どうしてそこまでわたしにこだわるんだろうか。でも頼りにされているというのは悪い気はしない。きっと、わたしの中に眠る何かちょーぜつすごいミラクルパワーみたいなのをプラッシュは見抜いていて、その力を必要としているに違いない。 むふーん、そこまで言うのなら仕方ないなぁ。本当はすッごく忙しいんだけど、特別に……トクベツにだぞ? このクエリア様の力を貸してやろうではないか! 「わかった。手伝う。で、誰を殺せばいいんだ? その知り合いの魔女?」 「まあまあ、焦らないで。道中説明するから。シャノを連れてくるから、あとでグリンブルスティのところで落ち合いましょ」 それからプラッシュはあの黒猫を呼びにいった。 あいつも一緒か……。あいつは騒がしいのでちょっと苦手だ。テレパシーを使えるから勝手に心の中とか読んでくるし。猫のくせになまいきだ。 ニンゲンはよく犬とか猫を飼ってかわいがっている。何が面白いのかわたしにはよくわからないが、たぶん自分よりも弱い存在を支配して喜んでいるんだろう。まったく器の小さいやつらめ。 でもちょっと楽しそうに見えたので、わたしも以前それをちょっと真似してみたことがある。犬は従順でわたしの命令に従ってくれるので、たしかにあれはやってて楽しいな、と思った。 だけど猫は違う。あいつらはいくら命令しても知らん顔してくる。それにすぐにひっかいたり噛み付いたりして反抗的な態度を取る。シャノの印象のせいもあってか、わたしは猫はあまり好きじゃないと思っている。 もちろんもふもふしたものは大好きだ。でもどうせまみれるなら、猫まみれより犬まみれのほうがまだいいかなぁ。なんてわたしは考えていた。 しかしこの後、実際にわたしはまみれることになる。もふもふのそれに。ただしどっちかというと苦手なほうのそれに。 プラッシュに案内されて向かった知り合いの魔女ティエラの家は猫屋敷だった。 以前プラッシュが住んでいた浮島バウムヴァル。そこから大樹を背にしばらく飛んだ先に浮島アインカッツェはあった。 バウムヴァルはピンクの家にカボチャ畑と色とりどりのお花畑でメルヘンちっくな場所だった。カラフルなくせにブルーがないのが惜しかったのをよく覚えてる。 対してティエラの家はシックで地味な木造の建物だった。アインカッツェもバウムヴァルに似て小さな島だったが、その大部分はうっそうと覆い茂った森になっている。森の奥にある泉の隣に、ひっそりと隠れるようにその木の家が建っている。 昼間でも薄暗い森の中を、小さなランプがほのかに照らしている。ランプの光が泉に反射してきらめく様子はちょっぴり幻想的だ。 ニンゲンの家は小さくてわたしには入れないので、わたしはまずクルスに教えてもらった魔法でニンゲンの少女に姿を変えた。 それから木の扉をノックすると「どうぞ」と返事がかえってきたので、そのまま扉を開けて中に入る。と、視界に飛び込んできたのは……毛玉だった。 扉を開けるとあふれるように大量の猫の雪崩がわたしを襲った。 「にゃッ!? ふぎゃっ! ふみゅぅっ!!」 毛玉ともふもふと肉球の奔流が容赦なくわたしを襲い、嵐のようにわたしの身体の上を通過していった。いや、まさに今のは猫の嵐。ニャーストリームだった。 ちなみに叫び声を上げていたのは猫ではなくて、あれはわたしの悲鳴だ。 「な、なんだったんだ今のは……。侵入者を阻むトラップ?」 「ああ、言い忘れていたけどティエラちゃんは猫の魔女と呼ばれているの」 「猫の魔女の家は、扉を開けるなり猫があふれ出してくるものなのか……」 蜘蛛の魔女とかじゃなくて本当によかった。 そういえばプラッシュの家も扉を開けるなり、一面のぬいぐるみが視界に飛び込んできた。さすがにあふれて出しては来なかったけど、魔女の家とはそういうものなのかもしれない。 納得したところで、気を取り直して家の中に上がらせてもらうと、木でできた質素な家は中も同様にシンプルだった。 木のベッド。木の本棚にタンス。それからあれは……木のキャットタワー? 何よりいやでも目につくのがそこら中にところ狭しと転がっている猫、猫、猫。 天井のほうを見上げれば、たしかキャットウォークと言うんだっけ。木の板を打ち付けたようなでっぱりの上を猫が歩き回っている。それから柱と柱の間にはいくつかハンモックが吊るされていて、その上にも猫がどっさり乗っている。 そのまま視線を下ろせば、柱はどれもツメのとぎ跡だらけでボロボロだ。 「まさに猫屋敷……。いや、もはや猫に占拠された屋敷だな。それで魔女のティエラはどこにいるんだ?」 それほど広い家じゃない。部屋はひとつしかないので、さっとこの家のすべてを見回すことができる。しかしどこを見ても目に入るのは猫ばかりだ。 『ユーの目は節穴かい? 彼女ならさっきからそこにいるじゃないか!』 するとシャノワールがすっと前に出て一匹の猫の隣に座った。 その猫は木の椅子の上に行儀良く座っている。三毛猫だ。 そういえば、この三毛猫だけは帽子を被っている。いかにもよく魔女が被っていそうな黒いとんがり帽子。プラッシュのピンクの帽子とは色違いだ。 黒いとんがり帽子には赤いリボンが巻いてあって、大きな鈴がアクセサリーとしてつけられている。 「えっ、それじゃあその三毛猫が!?」 三毛猫は二本足で立ち上がると、すっと礼をした。 つられるように礼を返すと、三毛猫は顔を上げて言葉をしゃべった。 「よく来たね。あたいがティエラさ。猫が魔女なんてびっくりしたかい?」 「しゃべった……! シャノでさえテレパシーじゃないと話せないのに」 「ああ、そっちかい。ま、あたいはこいつとは格が違うのさ。格が、ね」 三毛猫が二本足で立って、しかも腕を組んで胸を張って見せている。 そりゃシャノワールを見ているから、魔法が使える猫がいてもおかしくないだろうな、とは思う。それでもシャノワールは黙っていればただの黒猫だ。テレパシー以外の方法でしゃべったりはしないし、二本足で立ったりはしない。 「まさか魔物!? はっ。もしかしてプラッシュがわたしの力が必要だと言ったのは、この魔物を倒すために!? やい魔物! 本物のティエラをどこへやった!」 「クエリアちゃん、一旦落ち着きましょう? 彼女がティエラよ」 「でも猫が立ってしゃべってるんだぞ! 化け猫だ!」 「彼女は魔女、あれは魔法よ。つまり今のクエリアちゃんと同じってことよ」 わたしは水竜だけど、今は魔法でニンゲンの姿になっている。それと同じだとプラッシュは説明した。 つまり、ティエラは魔女だけど、今は魔法で猫の姿になっているのだ。 「なんだいプラッシュ。もうばらしちまったのかい。面白くないねぇ」 「じゃあ、おまえが魔女なのか」 「そう言ってるだろう? あたいが猫の魔女ティエラさ!」 「本当はニンゲンだけど猫になっているのか」 「あたいは猫が好きだからね。こいつらは決してあたいを裏切らないんだ。人間とは違ってね。あたいは猫こそが最高の生物だと思っているよ」 「ふぅん……。竜よりも?」 「竜よりもさ! 人間よりも竜よりも、猫が好き。あたいの旦那も猫だよ」 「旦那さんも魔法で猫になっているのか」 「いいや。旦那は元から猫さ。うちの子は三匹で上から白と茶トラと黒で……」 「えっ? ちょっと待て。それは本気で言ってるのか。つまりおまえは本当はニンゲンなのに、わざわざ猫になって猫の子どもを産んだってことなのか!?」 「そうだよ。あたいは猫が好きだからね。何かおかしいかい?」 いくら猫が好きだからって、そこまではまだわかるけど、だからといって猫の子どもを産むところまで行くのかフツー? つまり何。この魔女は雄猫相手に恋愛感情を持ったというわけで、雄猫相手に欲情したというわけで、それってつまりえっと、猫相手に……うわぁ。冗談でしょ? 同意を求めてプラッシュのほうを振り返ると、プラッシュは平然とした顔でにっこりと笑顔を返してきた。 そうか、そういえば魔女ってそういうやつらだったんだっけ。プラッシュはプラッシュで、生きたニンゲンや竜をぬいぐるみに変えて愛でるような変人だった。 魔女というのはみんなどこかおかしいんだ。魔女とは変態だ。 「知ってるかい? 雄猫の生殖器にはトゲがあってちょっと痛――」 「うわぁぁぁあああぁっ! 聞きたくない! そんな情報いらないッ!」 「お譲ちゃんにはまだ早かったかな。まあ大人になればいつかわかるよ」 「わかってたまるかっ!!」 わたしはそんな気持ち悪いことなんて絶対にしないぞ。わたしは誇り高き水竜なんだ。だからわたしの未来のお婿さんは竜族だって絶対決めてるんだ。 獣(ねこ)が旦那さん? 絶対ありえん。 「ねぇ、クエリアちゃん。ごめんなさい。あたし、まさかクエリアちゃんがこんなに驚くなんて思ってなくて、その……」 「プラッシュ……」 「もしこれが原因で猫嫌いになっちゃかわいそうよね。だからせめてものケアとして、あなたを猫のぬいぐるみに変えるわね。猫に慣れれば万事オッケーよ」 やめろ。全然オッケーじゃない。トラウマ増えるぞ、それ。 「それじゃダメだって。あたいが本物の猫に変えてやるよ。ここで猫たちとしばらく過ごせば、猫の良さがきっと身に染みてくるからさ」 そんなトラウマが身に染みそうなことは勘弁してください。 『ニヒヒヒ! 猫はいいぞぉ。気楽だし自由だしごはんがおいしいし』 クソ猫、おまえは黙ってろ。 類は友を呼ぶ(と、こういう場合には言うらしい。クルスから聞いた) ぬいぐるみの魔女の知り合いは、やはりとんでもない魔女だった。 これ以上、変態が仲間に増えるのはわたしとしては望まなかったが、プラッシュにはもふもふソファをもらったという恩がある。だから、わたしには彼女の頼みを断るという選択肢はなかったのである。それにわたし専用の隠れ家を用意してもらうという約束も、もうしてしまった。 ぐぬぬぅ、おのれニンゲンめ。甘いえさで釣っておいて、あとでこうやって首を絞めてくるというのか。あれは罠だったというのか。 計算ずくだったとしたのなら、なんてずる賢い。それが貴様らのやり方か。 けれどわたしだって誇り高き竜なのだ。そしてニヴルの第二王女アクエリアス様なのだ。その名に恥じるような行いはできない。なんたって、わたしはレディーなのだから。 「まあ仕方ない。約束は約束だ。えーっと、それじゃあティエラ。実はわたしたちはお願いがあってここへ来たんだ」 アインカッツェに来る道中、プラッシュは今回の目的をわたしに話した。 猫の魔女ティエラは今でこそ猫にかまけているが、かつては魔女界に名を馳せる大魔女の一人で、プラッシュの次ぐらいにすごかったのだそうだ。 いや、いきなり魔女界とか言われても知らんけど。 それで、そんなすごい実力を隠し持っているティエラを仲間にすれば、きっとフレイの助けになるだろうということで、彼女を勧誘しにやってきたのだ。 それを手伝うことがわたしとプラッシュとの約束。真のレディーは約束をやぶったりはしないのだ。それに約束を守らないと、わたしの隣人問題を解決してもらえない。それは困る。 事情を一通りティエラに説明してまずは納得してもらった。 するとどうやらティエラはある程度の理解は示してくれた。 「なるほどね。そのトロウってやつに世界が支配されたら、猫たちの居場所もなくなってしまう。それはあたいとしても困った話だ」 「そうだろう? だから、どうかわたしたちに力を貸して欲しい」 「わかったよ。引退したような身だけど、あたいの力が役立つなら使ってくれ」 思ったより素直な反応だった。あれ、もしかして今回は楽勝なんじゃないの? この調子なら、すぐに帰ってプラッシュにわたしだけの隠れ家をもらって、存分にソファのもふもふを堪能することができそうだ。 そう思ったのも束の間、 「けどトロウを倒すって言ったって相当強いんでしょ、そいつ? 倒さなきゃって意見には賛成だけど、あたいは無謀は戦いはしない主義でね。だから、あたいを仲間に加えたいなら、まずはそちらの実力を示してもらわないとね!」 ティエラが手をかざすと、どこからともなく杖が飛んできてその手に収まった。 そして蜘蛛の子を散らすように、あちこちに落ちていた猫たちがさっと姿を消すと、ティエラの杖の先からは赤く燃え盛る炎の球が浮かび上がる。 深く被った魔女帽子からは、炎のように赤く輝く眼と、不敵な笑みを浮かべる口元が見えた。 「さあ、あんたの実力をあたいに見せてみなよ! もしあたいを倒せたのなら仲間になってやる。まさか覚悟もなしに魔女の家にのこのこやってきたわけじゃないんだろう!?」 えっ、と思ってプラッシュのほうを振り返った。 相変わらずぬいぐるみの魔女は平然と笑顔を返してくる。 (わたしの力が必要だというから来てみたら、こういうことか――!!) 何か騙されたような気もするけど、今さら何を言っても仕方がない。 やるというからには、わたしだって全力でやる。だってレディーだもん。 「なるほど。いいだろう。わたしはかの大国ニヴルヘイムの第二王女、アクエリアス様だぞ! ニンゲンの魔女ごときに遅れを取るほどニヴルの竜はやわじゃないってことを教えてやる! おまえこそ覚悟しろっ!」 Chapter49 END 魔法戦争50
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Chapter28「オットーの愛2:あなたになら飼われてもいい」 雲に身を隠しながらしばらく天馬のあとを追っていくと、前方に大きな魔導船が見えてきた。 あれには見覚えがある。たまにバルハラ城で見かけたことがあった。 名前はたしか、ヒルディスヴィーニ号。フレイヤ様の所有する船だ。 「セッちゃん殿! 一旦止まれるか」 「任せろ」 少し離れた位置の雲の中に身を隠して、そこからヒルディスヴィーニの様子を窺うことにした。あの船がここにあるということは、おそらくフレイヤ様も……。 ここまであとを追ってきた天馬は船のデッキへと近づいていった。同様にして、別の方角からもう一頭の天馬が姿を現すと、同じようにデッキに向かう。 天馬たちが船の上に降り立つと、扉を開けて船室から一人の女性が姿を現した。 (フレイヤ様!!) あれは確かにフレイヤ様だ。 密かにお慕いしていたフレイヤ様を俺が見間違えるわけがない。 しかし、それは俺の知るフレイヤ様とは少し雰囲気が違っていた。 「遅い!! 集合時間をとうに過ぎているわよ。一体何をしていたの?」 俺の知っているフレイヤ様は、あんなふうに怒鳴ったりすることは決してしないお方だった。だがあのお顔は間違いなくフレイヤ様のもの。どうなっているんだ。 天馬から降りた二人のヴァルキュリアは申し訳なさそうに頭を下げた。 「ごめんなさい、お姉様。レギンとはぐれちゃって……。ねえ、ヒルデ?」 「おい、ミスト。いつも言ってるだろ。お姉様じゃなくて、フレイヤ様と呼べ」 「えー。だって、お姉様はお姉様だもん。あたしにとってお姉様はお姉様だけ!」 「お姉様お姉様うるさい! だいたいな、いつもおまえは礼儀がなってないぞ!」 魔法でこっそり風向きを変えて彼女たちの会話に耳を傾けていると、セルシウスがどこかで見たような光景だな、と少し面白そうに言った。俺には心当たりがなかったが、言われてみれば騒がしいほうの女はセッテに少し似ているかもしれない。 片方は会ったことのある女だ。フリードやクエリアと初めて会ったときに戦ったあの雷槍の使い手、ブリュンヒルデ。もう一人の騒がしいのはミストというのか。そして今ここにはいないが、レギンと呼ばれる仲間もいることが会話からわかる。 口喧嘩を始めたヴァルキュリアたちを、フレイヤ様は再び怒鳴りつけた。 仕えるべき相手の前で口喧嘩とは、従者としてまるでなっていないな。 「言い訳はもう結構! そんなものより成果を持ってきなさい。トロウ様はフレイを騙る偽者を追っておられるわ。しかし最近になって突然そいつは姿を消してしまった。それをすぐにでも見つけるのが私たちの任務なのよ。わかってるの!?」 とてもフレイヤ様とは思えないきつい口調で、フレイヤ様と同じ顔の女性はまくし立てた。 「まあまあ、お姉様ぁ。あんまし怒ると、しわができちゃいますよぉ?」 ミストはへらへらと笑っている。なんなんだあいつは。 「嗚呼、怒ってるフレイヤ様もまた清く正しく美しい。いい、実にいいぞ……」 一方ブリュンヒルデはうっとりとした危険な笑みを浮かべている。 あれで従者が務まるのか。ヴァルキュリアにはろくなやつがいないらしい。 「とにかく早くフレイの偽者を見つけなさい! トロウ様を失望させてしまうことになるじゃないの! これじゃあ、私の評価が下がってしまうわ」 「でもでもお姉様。レギンはどうするの?」 「放っておきなさい!! 任務が最優先に決まっているでしょう!? わかったらほら早く行って! これ以上、私を怒らせないでちょうだい!」 追い出されるようにヴァルキュリアたちは天馬に乗って飛び立っていった。 従者があれでは、怒鳴りたくなる気持ちもわかる。ああ、フレイヤ様。人知れず苦労されてたのですね……。それであんなに雰囲気が変わってしまわれたのか。 そのまま様子を窺っていると、フレイヤ様はこちらをじっと見つめ始めた。まるで目が合っているかのようだ。もしやこれは運命なのでは。俺とフレイヤ様には、見えざる運命の赤い糸が繋がっているのではないだろうか。 などとうっかり都合のいい想像をしていると、フレイヤ様が言った。 「いつまで隠れているつもりなの? 出てこないなら雲ごと魔法で消し飛ばしてあげるわよ。それでもいいのなら、じっとしていなさい」 どうやら最初から俺たちのことはお見通しだったらしい。さすがフレイヤ様だ。 (むっ、見つかったらしい。どうするのだ?) (ここは彼女の言葉に従おう。船に寄せてくれ) 姿を現して近寄っていくと、フレイヤ様は船の上に降りるよう促した。 ヒルディスヴィーニはグリンブルスティよりもずっと大きな船で、セルシウスが乗っても十分な広さがあるぐらいに立派なデッキを備えている。 船の上に降り立った俺たちを見て、フレイヤ様はこう言った。 「あら。何者かと思えば、あなたには見覚えがあるわ。たしかフレイの従者の……ええっと、名前はなんて言ったかしらねぇ。いちいち従者なんて覚えていないわ」 「オットーです」 「ああ、そうそうそれよ。オットー、たしか風の魔道士だったかしらね」 俺はフレイヤ様の態度に違和感を覚えた。 最初から雰囲気が違うとは思っていたが、それは今、確信に変わった。 いくらフレイヤ様でも、実の弟のフレイ様と幼少期を共にした俺のことを忘れるわけがない。 まだみんなが幼かった頃。セッテがムスペへ修行へ行くよりも前だから、少なくとも十年以上前だろうか。 まだ十歳にも満たなかった当時のフレイ様と俺、そしてセッテはよく共に遊んだものだった。その遊びの輪には時折フレイヤ様も加わることがあった。だから、俺やセッテのこともフレイヤ様はよく知っているはずなのだ。 (どういうことだ。もしかしてあのフレイヤ様は偽者なのか? それとも、ニョルズ陛下と同様にトロウに洗脳されているのか) フレイヤ様? の顔をじっと見つめていると、彼女は表情を歪めて言った。 「そういえばトロウ様が言ってたわねぇ……。弟が死んだのは、オットーとセッテの責任だって。そうなのね、あなたが私の弟を奪ったのね……」 フレイ様が死んだだって? たしか以前ブリュンヒルデと戦ったときも、彼女が同じようなことを言っていたのをよく覚えている。 するとつまり、トロウはフレイ様を死んだことにして周囲の者を騙しているということになるのだろうか。そしてフレイヤ様もそれを信じ込んでいて、結果としてトロウのいいなりになっている。そういうことなのかもしれない。 「許さないわ、オットー。よくも私のかわいい弟を殺してくれたわね」 「待ってください、フレイヤ様。あなたはトロウに騙されているんです!」 「黙りなさいっ!! この無礼者め。私はヴァルキュリアの長よ。こう見えても、戦いには慣れているの。だから決めたわ……」 うつむいたフレイヤの表情が見る見るうちに暗くなっていく。髪は逆立ち、黒い闇のオーラが彼女の身体からあふれ出す。そして顔を上げた彼女は、もはや俺の知るフレイヤ様の顔をしていなかった。 「おまえはこの私が直々にぶち殺してやるわ!! 覚悟なさい!!」 鬼のような形相でフレイヤはこちらをにらみつけた。 ……違う。あれは俺の知るフレイヤ様ではない。 偽者なのか、洗脳されているのかはわからない。 だがひとつだけ言えることがある。 「どちらにせよ、フレイヤ様はトロウの支配下にあるということだな。それなら、ここは戦うしかない。俺はフレイヤ様の笑顔を取り戻してみせる!!」 振り向いてセルシウスに目で合図を送る。と、すぐにセルシウスは頷いた。 そして背中に俺が乗ったことを確認すると、翼を広げて空高く飛び上がった。 「逃げようしても無駄よ。死になさい!」 フレイヤが手を振りかざすと、セルシウスの周囲にある雲が黒く、大きく変わっていく。そして雲から雨粒が落ち始めると、その粒のひとつひとつが矢に変化して一斉にセルシウスに襲い掛かった。 「これは! 変性の魔法か。人間にしては高度な技を使うな」 「幼少期からフレイヤ様は手品がお好きだったが、ここまで上達していたとは!」 「これは厄介だな。少し揺れるぞ、しっかりつかまっておれ!」 セルシウスは目にも止まらぬ速さで、飛び交う矢の隙間を縫うように切り抜けていく。あるいは目の前に迫った矢の雨を、炎を吐いて一気に焼き払った。 「ちっ、あの竜が邪魔ね。先にあっちに消えてもらおうかしら!」 フレイヤが両手を向かい合わせると、その間から闇のオーラを纏う球が生じる。それをいくつも生み出しては、フレイヤはセルシウスに向かって発射した。 闇球はいくらセルシウスがかわしても、追尾してその後を追い続けてくる。その数も次々と増えていくので、追いつかれるのは時間の問題だ。 ならばここは俺の出番だ。セルシウスがなんとか攻撃をかわしてくれている間に俺は呪文を唱え切った。すると巨大な竜巻がセルシウスを中心として発生し、向かってくる闇球をすべて弾いて飛ばした。 弾かれた闇球はしゃぼん玉のように割れ、複数の小さな泡となって飛び散った。 その泡のいくつかがセルシウスに接触したが、どうやらダメージはないようだ。 「大丈夫か、セルシウス!」 「私は平気だ。リンドヴルムよ、セッちゃん殿とはもう呼んでくれぬのか?」 「冗談が言えるならまだ余裕そうだな。ここからは攻めに転じるぞ」 「よしきた! 距離を詰める。守りは頼んだぞ」 空中で一度静止すると、セルシウスは急降下して一気にフレイヤへと突撃した。 フレイヤは漆黒の炎や雷を撃ち放って迎撃体勢を取ったが、セルシウスの周囲を覆う竜巻がすべての攻撃をかき消した。 「今だッ!!」 十分に距離を詰めたところでセルシウスは灼熱の炎を吐いた。それと同時に俺は防御に使っていた竜巻を前方へと押し出した。 灼熱の炎は竜巻と混ざり合って、うねり上がる風を受けた火は燃え盛る炎の渦、火炎流と化す。渦巻く業火がフレイヤを呑み込んだ。魔導船ヒルディスヴィーニから天高く、炎の柱が立ち昇る。 「やったか!?」 しかし、そのとき背後から拍手が聞こえてきた。 すぐに振り返ると、フレイヤの姿がそこに浮かんでいる。 「よくできました。……と言ってあげたいけれど、これじゃ落第ね。炎と風を組み合わせるのは面白い発想だけど、技が大掛かりすぎて隙だらけじゃない」 そう言ってフレイヤが炎の柱を指差すと、火炎流はまるで何事もなかったかのように消えてしまった。船に焦げ目のひとつすらつけることもなくだ。 「転移魔法でかわしたか。それに今のは……どうやって!?」 「うふふ、簡単なことよ。空気を燃える前の状態に戻しただけ。炎も風も、どちらも空気を媒体にしていることぐらいはわかるわよね?」 「まさか! 時間遡行だと!? 我々竜族ですら修得が困難な魔法を、どうしておまえのような人間が扱えるのだ!?」 「答える義理はないわ。もう諦めなさい。あなたたちに勝ち目なんかないの」 フレイヤがにやりと笑うと同時に、セルシウスの身体ががくんと下がった。そしてその高度は徐々に下がっていく。大丈夫かと問いかけるも返事はない。セルシウスは歯を食い縛って必死の形相で苦痛に耐えている様子だった。 「どうしたんだセルシウス! どこをやられた? いつの間に!?」 身を乗り出してセルシウスの身体を確認すると、脚や尾の先端が黒く染まっているのが見えた。そこはたしかさっきの闇球の泡に触れた部分だ。 「か、身体が……お、重い……ッ!!」 搾り出すような声でセルシウスが身体の異変を伝えた。 黒くなった脚や尾は急速に冷たくなっていき、何かに押し潰されるような激痛がその部分を襲っているらしい。さらにその痛みは徐々に全身に広がっていっているという。 再びセルシウスの状態を確認すると、たしかにさっきよりも黒く染まっている部分が増えている。さっきまでは先端だけだったものが、今ではすでに下半身全体を覆ってしまっている。 「だ、だめだ……。もう限、界、だ……」 力尽きたセルシウスはそのまま真下に墜落した。幸いにもそこは魔導船の真上だったので空の底に落下するのは免れたが、墜落してセルシウスの背中から投げ出された俺が次に見たのは、セルシウスの顔が石へと変わる瞬間だった。 セルシウスは竜の形をした石へと完全に変わってしまった。最後の瞬間に、その目からは涙が一滴こぼれたが、それさえも下に落ちる前に石化してしまい、水滴のような形をした石ころが冷たい音を響かせて俺の目の前に転がった。 俺は震える手でその石ころを拾った。 冷たい。すごく冷たい。本当に石そのものだった。 ふらふらと立ち上がり、石になったセルシウスの身体に触れてみた。 やはり冷たい。さっきまで乗っていたセルシウスの背中は少し熱い気がするぐらいだったのに、今では氷のように冷たくなってしまっている。 「ば、馬鹿な……。こんなこと……!」 何が起こった? セルシウスは? どうなった!? 石になった? 冷たい? 死んでしまったのか!? 身体の震えが止まらない。ひざががくがくしてまともに立っていることもできない。目の奥が熱い。頭が痛い。そしてすごく息苦しい感じがする。 俺は思わずその場にへたり込んでしまった。 「あーあ。歯向かわなければこんなことにならなくて済んだのに。愚かね」 背後からあいつの声が聞こえる。 よくもセルシウスを。あいつがフレイヤ様と同じ顔をして、同じ声でしゃべっているからといって、もう俺はあいつをフレイヤ様とは思わない。俺はあいつを絶対に許せない。 すぐにでも振り返ってセルシウスの無念を晴らしてやりたかった。 今すぐに立ち上がってあいつの顔をぶん殴ってやりたかった。首を絞めてやりたかった。船から突き落としてやりたかった。 しかし、身体に力が入らず動くことができなかった。 まるで痙攣しているかのように、がたがたと身体は震えるだけだ。 「あらまあ。震えちゃって、かわいそうに。……そうねぇ。本当は殺してやろうかと思っていたけれど、あなたよく見るとなかなか凛々しい顔立ちをしてるのよね。どうしようっかなぁ~」 あいつはしゃがみ込んで俺の顔を覗きこんできた。 やめろ。こっちを見るな。その顔を俺に見せるな。 「気に入った。私のしもべになると誓うのなら、命だけは助けてあげてもいいわ。ただし私の命令には絶対服従。あなたは私の所有物よ! それでどう?」 黙れ。その声でしゃべるな。その姿でそれ以上、息をするな。 これ以上、俺のフレイヤ様を汚すな!! 「返事がないってことは肯定よね。いいわ、これからあなたは私のしもべよ。さっそくだけど、私も天馬みたいな乗り物が欲しかったのよね。船よりももっと小回りが利いて、でも天馬よりも強くて、しかも私の命令に忠実な乗り物がね」 あいつは俺の頭に手を乗せて、げらげらと笑ってから言った。 「命令よ、私のしもべオットーよ。私の乗り物になりなさい」 ガツンと頭に強い衝撃。雷に打たれたような衝撃が背骨を伝って全身を貫いた。 「ぐ……う、うう、うぐぁぁあああぁあぁぁ……ッ!!」 全身の痙攣が激しくなり、心臓が破裂しそうなほど暴れるように拍動する。 身体中のあらゆる骨がめきめきと軋みながら形を変えていく。あまりの激痛に涙と血が噴出したが、意識は薄れるどころか逆に鮮明になっていく。 両手を見ると、親指以外の指がどれも異常なほど長く伸びていくのが目に入る。そして、それぞれの指の間に水かきのような膜が発達していった。また手首の内側から胴にかけても同様の膜が張っていき、両腕はコウモリの翼のように変化した。 腰骨はどんどん湾曲していき、自ずと身体は前屈みのような体勢へと変わる。それと同時に脚は太く大きくがっしりとしたものへと成長し、足先の鉤爪が力強く船のデッキを踏みしめる。 首は長く伸びて視線の位置がどんどん高くなっていく。歯が抜け落ちながら顎が前方へと突出していくと、変化が終わる頃には鋭い牙がすでに生えそろっていた。 振り返ると長い首のせいか、自分の背中がしっかりとよく見える。衣服はもう破れてぼろぼろになっていて、鱗と羽毛に覆われた背中の先には太く立派な尾が揺れている。 そしてその背中にあいつ――いや、フレイヤ様が腰かけられると、俺の後頭部にある二本のツノをつかんでこう仰られた。 「さっきあの火竜にリンドヴルムと呼ばれていたわね。だから望みどおり、あなたには風竜になってもらったわ。あなたは特別に私のペットとして、一生そばにおいてあげる。ありがたく思うことね」 フレイヤ様が”私”の喉を優しく撫でてくださっている。 ああ、とても心地よい。不思議と安心した気分になってくる。さっきまでの震えと恐怖心が嘘のように消えてしまった。 私の名はリンドヴルム……フレイヤ様の忠実なるしもべ……。 「さて、まずはあなたがちゃんと空を飛べるのか確かめてあげないとね。そのついでにフレイの偽者がいる場所へと案内してもらおうかしら。さあ、行きなさい!」 フレイヤ様に命じられて、私は翼となった両腕を羽ばたかせた。 飛び方など知らなかったが、風竜としての本能がそうさせるのであろう。迷うことなく私の身体は宙に浮かび上がると、ふわりと軽やかに空を舞った。 「ふふ、上出来ね。私の魔法も大したものだわぁ!」 下方にはヒルディスヴィーニ号が見える。その上には黒い石の塊がある。 (竜の石像……? はて。何か私は大切なことを忘れているような……) 私はしばらくその石像をじっと眺めていたが、フレイヤ様が私のツノを引っ張りながら命令を下さったので、すぐにそれに従った。 「命令よ。さっそく偽フレイのいる場所へ私を連れて行きなさい!」 フレイのいる場所。 知っている、私はその場所を知っているぞ。 その地はアルヴ。知る者しかたどり着けない秘密の隠れ里。 知っている、私はそこへ至る道を知っている。 私はフレイヤ様を乗せてアルヴの地へと向かった。 背中の上では、フレイヤ様の美しい高笑いが天高く響いていた。 Chapter28 END 魔法戦争29
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Chapter33「フレイと竜人2:竜人族と外から来た者」 ゲルダの家がなくなってしまったので、その日の夜はグリンブルスティに彼女を泊めた。ヴェンもフィンブルも戻ってこなかったのでゲルダと二人きりだ。 また火事を起こされないか心配ではあったが、まだ会ったばかりで年齢の近い男女が二人きりでいっしょに寝るというのはあまりよくないと思ったので、もちろん部屋は別々にした。 そのはずだったのだけど―― 嵐を抜けてのアルヴ入り。アルバスから突きつけられた衝撃の事実。そして純粋すぎるゲルダに振り回された一日。いろいろありすぎて疲れていたので、昨日は早めに眠ってしまった。そのせいか、今朝はいつもより早く目が覚めた。 アルヴの朝はとても静かだ。雲よりも高いこの空の世界には鳥はほとんどいないため、もともと空の早朝というのは静かなものだけど、今は自分以外の仲間たちはみんな出払っているせいもあってか、今日はとくに静かに感じる。 その静けさを耳で感じながら、清々しい気分で目を開ける。 と、目の前に静かに寝息を立てるゲルダの顔があった。 「…………え!? ちょ、な。なんでゲルダが隣で寝ているんだ!?」 寝相が悪いとか、そういうレベルの話じゃない。ゲルダとは別々の部屋で寝たはずだったじゃないか。それともあいさつ代わりに相手に抱きつくような竜人の文化では、添い寝がおやすみのあいさつ代わりだとでも言うのか。いや、あるいはあまりに疲れてたせいで記憶にないだけで、昨日の夜に何かあったのでは。 昨日グリンブルスティに戻ってから自分は何を話しただろう、ゲルダは何か言ってなかっただろうか、などと記憶の糸を懸命に手繰り寄せていると、そんな心配を知る由もなくゲルダが目をさまして、ぐーっと伸びをした。 「あ、フレイ。おはよ」 そしてあくびをしながらもう一度身体を伸ばす。 ううん。やはりゲルダは竜人だけどスタイルがいいな……じゃなくて。 「どうしてゲルダがここに? たしか別の部屋で寝てたんじゃ……」 「えへへ。フレイの船を見れたことが嬉しくてなかなか寝付けなかったんだ。だから昨日の夜はフレイと別れたあと船の中を探検してたんだけど、この部屋でフレイが寝てるのを見かけて。なんとなく面白そうだからいっしょに横になってたら、そのまま寝ちゃった」 えへへ、じゃない。まあ、何もなかったのならいいけれど。 フリードは羨ましがるだろうし、オットーには説教をされそうなので、とりあえずこのことは黙っておくとして、今日こそは竜人たちと直接会って話をしよう。 そもそも昨日ゲルダに会いに行ったのは、彼女から僕のことを紹介してもらう形で他の竜人たちに会えば、アルヴの外から来た僕のことを警戒せずに受け入れてくれるんじゃないかと思ったからだ。 それがなぜか昨日はゲルダの家に招かれることになって、気がつけば火事騒ぎ。そしてゲルダの家がなくなってしまった。どうしてああなったんだ。 とにかく今日こそは、ちゃんと僕のやるべき務めを果たしたい。 でもその前に朝食だ。朝食は一日の要だ、とはよく父上が言っていたことだ。 ゲルダをつれて船の中のキッチンへと向かった。グリンブルスティは小さな船ではあるが、キッチンやバスルームぐらいはある。もちろん、火や水は自前の魔法で用意する必要はあるけれど。 キッチンには冷蔵庫がある。これも魔具のひとつで、なんでも大昔に作られた機械を原型にしているらしい。かつては電気で動いていたらしいが、今は氷の魔力で動いている。クエリアやフィンブルがいるおかげでいつ魔力が尽きても心配はないが、人数が増えてきたので最近では容量のほうに心配がある。 それはさておき、とりあえず朝食として冷蔵庫からリンゴを取り出した。 ゲルダは火の魔法が得意みたいだが、また火事にされては大変なので火のいらないものを食べたほうが安心だと考えてのことだ。 「わたしが皮むこうか?」 「い、いやいいよ。僕がやるから座ってて。今はゲルダのほうがお客さんだし」 昨日得た教訓。危険すぎるのでゲルダに料理をさせてはいけない。 僕も慣れてはいないが、彼女にやらせるよりはずっとマシだろう。 「あ、痛っ」 「どうしたの? 切っちゃった?」 うっかり右手の親指の腹を切ってしまった。 やり慣れていないとリンゴの皮むきは親指を怪我してしまいやすい。それは包丁にばかり気を取られて、手のほうに注意が向かないせいだ。 「大したことないさ。ちょっと血が出ただけだよ」 「大丈夫、任せて。わたし回復魔法が使えるんだ」 そう言って患部に手をかざしながら、ゲルダは呪文を唱え始めた。 するとゲルダの手からは温かな光があふれ出し、それは優しく怪我をした親指を包み込んでいく。光は徐々に大きくなっていき、怪我をした僕の手全体をしばらく覆うとそのままゆっくりと消えていった。そして光が消えていくのと同時に指先の痛みも静かに消えた。 「どう? うまくいったかな」 たしかに痛みは消えた。怪我は治ったようだ。 しかし光が消えたあとの自分の手を見ると、なぜか指が六本になっていた。 「なんかひとつ多いような……」 「ええっ! ちょっと待って。もう一回やらせて!」 再びゲルダが回復魔法をかけると指の数は正常に戻ったが、こんどは指先の爪が鋭い鉤爪に変化していた。そして手の甲がゲルダと同じ色の鱗に覆われている。 「おかしいなぁ、呪文が違うのかな。じゃあもう一回」 「も、もういいよ! 気持ちはうれしいけど、僕は大丈夫だから! 怪我は治ったわけだし、これはあとで神竜様に元に戻してもらえばいいし」 「そう? まぁ、フレイがそう言うなら」 もうひとつ教訓。副作用が怖いのでゲルダに回復魔法を任せてはいけない。 そのまま見慣れない手でリンゴを切り分けて、二人で朝食をとった。 グリンブルスティはアルヴの街の外に停泊してある。中心部の竜人たちの区域、その外円部の竜人以外が暮らす区域、そのさらに外側にこの船はある。 まずは外円部を抜けて街の中心に向かい、竜人たちと話をしようと思う。 ゲルダと共に出発して街の外円部を歩いていると、人と竜の姿が交じり合った竜人とはまた違った奇妙な住人たちの姿が目に入った。 まるでブリキの人形のような金属の人間が歩いているし、脚の生えた鮫が水辺でもないのにうろついているし、やたら大きなカエルが二足歩行しているし。 ワケありの者たちがアルヴには集まってくるというが……なんというか、ワケありすぎる。人でも竜でもないが竜人でもなく、あれは一体どういう存在なんだ。 (ヴェンはこの外円部で自分の居場所を探すと言ってたけど、たしかにこんなにも濃い住人がいるなら、竜くずれが一人ぐらいいても全然違和感がなさそう……) トロウの手下のドローミに実験台にされてヴェンは竜くずれ、つまりはドラゴンゾンビに変わってしまったと聞いているが、さっき見かけたあの奇妙な住人たちもヴェンに負けず劣らず、壮絶な過去を背負っているのかもしれない。そう思うと、この外円部の集落はなかなかに闇が深そうだ。 そんな奇妙な住人たちのことを竜人たちはどう思っているんだろう。アルヴはもともと竜人たちが作った隠れ里だ。そこに彼らはあとから流れてきて住みついた。もしかしたら疎ましく思っていたりなんかもするんじゃないだろうか。 仮にそうだとしたら、竜人たちの部外者に対する目は厳しいはずだ。そしてアルヴの外から来た僕も、当然部外者ということになるわけだけど……。 僕は浮かんだ疑問を素直にゲルダに聞いてみた。 少し重い話題かと思ったが、ゲルダは全然気にしない様子で答えてくれた。 「街の外側の人たち? わたしたちとは交流は少ないけど、たぶん誰も嫌ってはいないと思うよ。なにより彼らを受け入れるように言ったのは神竜様だもん」 神竜アルバスはこのアルヴにおいては長老のような存在らしい。直接アルヴを治めているわけではないようだが、神竜様と呼ばれて大切に扱われている。 なんでもゲルダが言うには、かつて竜人たちのために魔法を駆使してこの土地を用意したのがアルバスなのだとか。そして彼の名をもとにして、この土地がアルヴと呼ばれるようになったのだそうだ。 そういう経緯もあって、竜人たちはアルバスの考えに同意して、外から来た者たちも隠れ里の秘密を漏らさないことを条件に受け入れているのだ。 「なるほど。それなら僕らも心配はなさそうだな」 「心配って?」 「いや、別に何も。じゃあゲルダは外側の人のことはどう思ってるの?」 「わたし? うーん、わたしはそうだなぁ。わたしが生まれたときから、もう外側の人たちは住んでたし……。よくわかんないかな」 「そっか。いるのがあたりまえの感覚か」 「でもまぁ、強いて言うなら面白いかな。アルヴの外のことが色々聞けるからね」 なるほど、ゲルダはアルヴの外の世界にあこがれているんだった。そんな彼女にとっては、外から来た者たちの話はとても興味深いものに聞こえるんだろう。初対面のときに、彼女が僕の旅のことを食い入るように聞いてきたように。 「それにアルヴの外にはいろんな種族がいるんでしょ! 楽しそうだなぁ」 それはもしかして、あの金属人間や歩く鮫とかのことを言ってるんだろうか。 夢を壊しそうなのでとても言えないけど、あれはさすがに外にもいません。 「フレイにそっくりな種族も住んでるんだよ。人間っていうんだよね?」 「へぇ、アルヴで暮らしてる人もいるんだ」 「うん。一人だけなんだけどね。蒼くて剣を持っててときどき変なこと言うの」 「……なんか、どっかで聞いたような特徴だ」 「しかも名前がたくさんあるんだよ! 蒼き勇者とか双剣の覇者とか、戦場を駆け抜ける一陣の風、親愛なるあなたの傭兵。それから……」 「ああ、たぶんその人知ってる……。すごくよく知ってる……」 そういえばフリードは傭兵としてアルバスの依頼を受けていると言っていた。 アルヴを拠点にしているとも言っていたけど、どうやら普段フリードはこの外円部で暮らしているようだ。 あれ? でも僕たちはフリードからこのアルヴのことを教えてもらってここに来たわけで……。明らかに隠れ里の秘密を漏らしてるんだけど、いいのかそれ。 「外側の人はあまり竜人たちと話さないんだけど、蒼き勇者さんだけはすごく気さくで、誰とでも話してくれるんだ。面白い人なんだよ! わたしにも頻繁に声かけてくれるし、とくに女性には優しくしてくれる感じ。いい人だよね」 ううん、明らかに下心がありそう。 でもそんな気さくなフリードの知り合いとわかれば、少しは僕のことも信用してもらえるかもしれない。まさか下心に手助けされることになろうとは。 そう思うと、呆れるべきなのか頼もしく思うべきなのか微妙な気持ちになった。 「え、ええと。フリー……蒼き勇者さんも外円部に住んでるってことは、外の世界から来たってことなんだね。どこから来たとか、聞いたことはある?」 とりあえずフリードの残念な点は目をつぶろう。あれでも剣の腕前は抜群だし、勇者を名乗るだけあって、彼が戦いにおいて苦戦している場面を僕はまだ見たことがない。かなり腕が立つのだけは確かだ。 しかしそれだけの腕前を持ちながら、フリードと出会うその前までは蒼き勇者の話なんて一度も聞いたことがなかった。あんなに強ければ、さすがに噂になるような気もするのだが。となると、少なくとも彼はユミルやムスペ、ニヴルのあるこの周辺の空域よりもずっと遠いところから来たことになるのだろうか。 持ち前の気さくさで、すぐに僕たちの仲間の一員として馴染んでしまったが、言われてみれば僕たちはフリードの素性については何も知らなかった。 アルヴの外に興味があるゲルダなら、何かフリードの故郷についても聞いているのではないかと思ったが、残念ながら彼女は首を横に振った。 「これまでに任務で行ったことのある場所はいろいろ教えてくれたけど、勇者さんがどこから来たかは話してくれなかったよ。『いい男には秘密がつきものだ』ってはぐらかされちゃって」 素性は不明。通称はいくつもあるのに本名はない。しかも秘密まで抱えているだなんて。なるほど、彼もワケありの一人というわけか。一体何者なんだろう。 「でも悪い人じゃないのは確かだよ。子どもとかにも優しいし」 ゲルダにはわるいけど、それを聞いてすぐに幼女(クエリア)をからかうフリードの図が頭に浮かんだ。まさか、何か問題を起こして遠い故郷から追放されてきた……とかそんなの、ないよね? フリードに対して小さな不安と疑念を抱えつつも外円部を抜けて、僕たちは外円部と竜人たちの居住区の境目にたどり着いた。 アルヴァニアの建物はすべて雲を固めて作られているが、大きさや形こそ違えど竜人たちの家にはある程度共通したデザインが見られる。それはおそらく竜人たちが培ってきた文化の表れなんだろうと思う。 対して外円部の建物は、様々な地方から様々な理由で流れてきた者たちが、それぞれの慣れ親しむ文化に従った方法で雲の家を作るので、その見た目に統一感はほとんど皆無で、彼らの奇妙な外見を反映しているかのように奇抜な建物が多い。 そのため外円部と竜人居住区に明確な線引きはないが、雰囲気でどこが境界なのかはひと目でわかった。秩序の竜人に対して、混沌のワケありたちという具合だ。 「まるで別の街みたいだ」 「面白いでしょ。同じ街なのに、まるで別の世界みたい。そしてそこで聞けるのはアルヴの外のもっと別の世界のお話! そういうのを聞いて育ったからこそ、わたしはアルヴの外の世界にあこがれるようになったと思うんだよね」 「ふぅん、そうなんだ」 こんな言葉がある。 『井の中の蛙大海を知らず。されど空の深さを知る』 ゲルダはアルヴから出たことがない。だから外の世界のことを何も知らないが、そんな彼女だからこそ、きっと外の世界は僕が見るそれよりもずっと輝いて見えるんだろう。 外の世界には竜人に対する差別もあるし、トロウの脅威もあるけれど、そんなことを心配することもなく、純粋に広い世界というものにあこがれをもっている。 (そういうのって……なんか夢があって、ちょっとうらやましいな) まっすぐに前を見て、何も恐れることなくその夢に向かって行動できるのはひとつの才能だ。大抵は何かを恐れたり不安を感じたりして、その一歩がなかなか踏み出せなかったりする。 そもそも自分の夢が何なのか、わからなくなってしまうことさえあるのだから。 (僕の夢って一体何だろう。トロウを倒して父上を正気に戻す。ユミルに平和を取り戻す。それは確かに僕の目指す道だけど、でもそれは夢とは違う) 父上を助けることも、祖国をトロウの支配下から解放するのも、もちろん僕自身がそうしたいと思って行動していることだ。しかしそれは、そうしたいのであると同時に、そうしなければならないことでもある。ユミルの王子としての責務だ。 それは確かに自分がそうしたいと思っていることではあるけど、何かにあこがれるような夢とはまた違ってくるものだ。 (僕は一体何にあこがれているんだろう。今はトロウのことで気持ちに余裕がないせいかよくわからない。すべてを終えたときにはわかる日が来るんだろうか……) 強いて言うなら、しっかりとあこがれるべき夢を持っているゲルダに、僕はあこがれているのかもしれない。ああやって、純粋に自分の好きなものに向かってまっすぐに向かっていけたらどんなにいいだろう、と。 「ゲルダはすごいね。自分の夢というものをしっかりと把握してるんだから」 「そう? ただわたしは、好きなものを好きって言ってるだけだよ」 「外の世界が見たいんだったね。今はやらなければならないことがあるけど、いつかそれが片付いたとき、もし良かったらグリンブルスティでいっしょに――」 外には竜人差別の問題もあるし、理想とは違う現実を知ることでゲルダをがっかりさせてしまう心配だってある。それでもゲルダと共に旅ができたら、きっと楽しいんじゃないかとふと思った。 だからなのか、気がついたらゲルダをまだ見ぬ未来の旅にさそっていたのだが、その言葉は最後まで言い切る前に遮られてしまった。というのは、突然僕たちの目の前に一人の竜人が飛び出してきたからだ。 「止まれ! 見かけない奴だな。おまえが外から来たという噂の奴か」 見たところまだ子どもの竜人のようだが、その子どもは鋭い目つきでこちらをにらみつけて、ぎりぎりと拳を握り締めている。 「他の奴らは騙せても、俺は騙されないぞ! おまえからは邪悪な気を感じる。アルヴに邪悪なものを持ち込む奴は、この俺が成敗してくれる!」 ああ、もしかしてとは思っていたが、やはり警戒されているのか。 邪悪な気と言われても心当たりなどないのだが、竜人の少年はいくら弁解してもこちらの言い分にはまったく聞く耳を持とうとしなかった。 ひとつ言えるのは、少年が僕に対して敵意があるのは間違いないということだ。 Chapter33 END 魔法戦争34
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Chapter27「オットーの愛1:俺はリンドヴルムになりたい」 「オットー。何か新しい情報は得られたか」 空から声が降ってくる。見上げるとセルシウスの姿があった。 火竜王の厳しさのせいもあってか、火竜は人々から恐れられている。なので、私が各地に点在する人の集落で情報を集めている間に、セルシウスはそこで得られた情報をもとに空を飛び回り、賢者の居場所を探ってくれている。 「いえ、なにもわかりませんでした。セルシウス殿、そちらは?」 「この前の浮島の村で聞いた島に行ってきた。しかし噂は間違っていたようだな。住んでいたのは風竜のひと家族だけだ。賢者ではない」 「ふむ……まぁ、仕方がありませんよ。雲をつかむような話ですからね」 賢者。それは魔法を極めし偉人である。 この世界のあらゆる生き物は魔力を持つというが、人はその中でもとくに魔力限界が低く、魔法適性が低い存在であるとされている。 だがその人の身でありながら、弛まぬ努力と修行の末に達人の境地に至った者、それが賢者だ。その魔力は竜と同等……あるいは、それ以上とも言われる。 しかし、そんな賢者たちがどこに住んでいるのかを知る者はほとんどいない。彼らは伝説のような存在であり、仙人のように浮世離れしているらしい。 それほどまでの力を持つ者が我々の味方になってくれるのであれば、これ以上に心強いことはないだろう。彼らはこの世界において最強クラスの存在。わずか一人を味方に迎えられるだけでも、我々の戦力は劇的に向上すること間違いなしだ。 そこで私はその賢者を捜すために、セルシウスの協力のもと、賢者についての情報を集めて各地を回っている。 賢者について知る者は少なく、なかなか情報をつかめないまま時間だけが過ぎていった。まったく順調とは言えない状況だ。 だが王子のためを思えばこの程度、苦でもなんでもない。実の父親と祖国をトロウにいいようにされて、王子はもっと辛い思いをしているはずなのだから。 そしてフレイヤ様も……。きっと今ごろ悲しい思いをされているはずだ。それを思うと私まで心が痛くなってくる。 「そもそも賢者など本当に存在するのか? 竜をも超える魔力を持つ人間など……申し訳ないが、私には到底信じられない」 セルシウスがそう思うのも仕方がない話だ。賢者については、実は自分も半信半疑なところがある。しかし、どんな小さな噂でも賢者に繋がるのならば信じたい。トロウを倒すためにはわらにもすがりたい思いなのだ。 「とはいえ、我々には他にあてがありません。それに私はセッテのように顔が広くない。ユミル国外には知り合いがいない。しかしトロウの目がある以上、ユミルに戻るのは難しいですからね……」 「うむ……。祖国に戻れないのは私も同じだ。今やムスペルスはトロウの支配下。知り合いに頼ろうにも、おそらく捕虜にされてしまっていることだろう……」 あてがないもの同士。ならば、他はあてのある者に任せて我々はあてのない者を捜そう。ということで賢者を捜すことに決めたのだが、これは本当にあてがなさすぎる。大儀のためとはいえ、さすがに神経が疲弊してきてしまった。 ついでに次に聞き込みをする場所のあてもない。知っている集落はだいたいすべて回ってしまったからだ。 仕方がないので、ここで一度休憩を挟むことにした。 情報を整理し直すのもいいし、一旦気を紛らせてから改めて考え直してみれば、何か新たに気付くこともあるかもしれない。 ……あと正直なところ、”俺”もセルシウスも堅苦しいタイプなので、ちょっと息が詰まってきた。 (セッテみたいに腹を割って話せればいいんだがな。でも相手はムスペの王子だし無礼な振る舞いはできないよな……) 翼を下ろして隣で休んでいるセルシウスに目をやる。と、火竜の巨体がどっしりと存在感を放っている。 ううむ、やはりでかい。クルスも俺から見れば大きな竜だが、セルシウスはさらにでかい。まぁ、ヴァルトはもっとでかかったが、今はそれは置いといて。 こんな大きな相手にも臆せずフランクに接することができるセッテが、本当はうらやましい。 なんせ相手は誰もが恐れる火竜で、しかも王族なんだぞ。当時はまだ子どもだったとはいえ、自分から火竜のところへ乗り込んで行って、しかもあっという間に打ち解けてしまうなんて、怖いもの知らずもいいところだ。 俺はそんなセッテをすごいと思うし、時にはうらやましく思う。できることなら俺もそうしてみたい。 が、頭の固い俺にはきっと無理なんだろうな、とも思う。 「そういえば、セルシウス殿は弟のセッテにはずいぶん良くしてくださっているんですよね」 「なに、良くしてもらっているのは私のほうだ。彼は私を友と呼んでくれる」 「何かご迷惑をおかけしてはいませんか? あいつは王族に対する礼儀というものがまるでわかっていませんので。いつもきつく注意しているんですが……」 違うそうじゃない。どうして俺はこんなことを言っているのだろう。 当たり障りのない雑談でもして、少しでもセルシウスとの距離を縮められたらと思った。なのに気がついたら俺はセルシウスに頭を下げているのだから。 「本当に申し訳ありません。これも私が兄として至らないばかりに……」 いや、本当に至らない兄だよな、俺は。セッテはあっという間に誰とでも仲良くなってしまう。でも俺にはそれができない。簡単な雑談すらできないなんてな。 それはきっと俺に勇気がないせいだ。 おそらく俺は他人に嫌われることを怖がっているのだと思う。だからどうしても他人とは一歩距離を置いてしまう。本当の俺は臆病なのだ。 でもそんな自分を知られるのが嫌で、それを隠すために騎士のように王家に忠実であるよう振る舞ってきた。そうすれば立派に見えると思ったからだ。 立派な人だと思われれば、誰にも嫌われる心配はない。だからそうあるべし、と宮廷魔道士になったときから自分に言い聞かせ続けてきた。 もちろん王子のことを大切に思う気持ちに嘘はないし、城に仕える以上は王家に忠誠を誓うのは当然のこと。それは礼儀であり、常識だ。でも俺はずっと”私”を演じ続けてきた。俺はずっと本当の自分を隠し続けてきた。 今はもうそれに慣れてしまって、”俺”も”私”も自分自身になっているわけだが、だからこそ今さら本当の自分を出せないために辛く思うこともある。 ……きっと。きっとフレイヤ様に自分の気持ちを伝えられないのも、俺のそういうところが原因なんだろうな。 フレイヤ様は王女。俺はただの従者の一人。身分違いの許されない恋だということはわかってる。それが常識だし、夢のまた夢だということもわかってる。 でも本当の俺はそれでもフレイヤ様のことが好きだと思っている。伝えたい、けど伝えられないこの気持ち。それが俺はとても辛かった。 自己嫌悪に囚われながら押し黙っていると、こんどはセルシウスのほうから声をかけてきた。いかんいかん、このままじゃボロを出しかねないな。 私はオットー、私はオットー……よし。 「これは失礼、少し考え事をしていて……何と仰いました?」 「いや、大したことではないのだが。その、オットー殿はセッテの兄なのであったな。私としてはセッテと同様、貴殿とも親しくなれればと考えているのだが……いや、無理にとは言わんのだが。もし気を悪くしたのなら謝らせてもらう」 「あ、いえ、こちらこそ。いつも弟が世話になっているのですから、セルシウス殿には何度お礼を言っても足りないぐらいです。いつもありがとうございます」 「ああ、いや、こちらこそ感謝している……」 そして会話はそこで途切れてしまった。 ……なんだこれ、気まずいぞ。 今のはチャンスだった。せっかくセルシウスのほうから距離を縮めようと声をかけてくれたというのに、また俺は壁を作ってしまった。 つい他人行儀な態度を取ってしまうのは俺の悪い癖だ。そのせいでよく俺は怒っていると勘違いされたり、誤解されたりすることがある。本当は違うというのに。 とにかくこの気まずい空気だけはなんとかしたい。 何か話さなければ。話題、何か話題はないのか。 「そ、そういえばセルシウス殿。弟はあなたのことをセッちゃんと呼んでいるみたいなのですが……。いや、本当に申し訳ないです。ムスペ国の王子をあろうことにもあだ名で呼ぶなんて、無礼にも程があります」 ああ、俺は何を言っているのだろう。 こういう話をしたかったはずではないのに。 「そうかね。私はそれほど悪くはないと思っているがな」 「えっ?」 「私のことを親しみを込めてそう呼んでくれる者はセッテぐらいしかいない」 父親の火竜王はとても厳しい竜だったし、母親はセルシウスがまだ卵の中にいた頃にニヴルとの戦争で亡くなったために会ったこともないという。 その他の者たちはセルシウスのことを王子や殿下、あるいは敬称をつけて呼ぶので、セッテのようにあだ名で呼んでくれる者は他にいないそうだ。 「だから私はあだ名で呼んでもらえると嬉しい。そのほうが親しみが湧く」 「な、なるほど。そういうものなのですか」 王子だからこその悩み、というやつなのだろうか。俺には想像したこともなかった悩みだ。もしかしてフレイ様も同じような悩みをお持ちなのだろうか。 それにしても、竜でも人と同じように悩むんだな。あれだけ身体が大きくて力も魔法も強いとなると、悩みなどなさそうに思えたものだが。 「ああ、そうだ。いいことを思いついたぞ」 突然セルシウスが声高に言った。 「オットー殿も私にあだ名をつけるといい。それでより親しくなれるはずだ」 「私が……セルシウス殿にあだ名を? セッテのようにですか」 「うむ、それがいい! 前々からクルス殿が貴殿をリンドヴルムとあだ名で呼ぶのを見て少し気になっていたのだ。だから私も貴殿をあだ名で呼ぼう。構わんな?」 「しかし私は王族ではありません。あなたをあだ名で呼ぶのは無礼かと……」 「構わん構わん。祖国は今やトロウの占領下。つまり今の私は王子ではないので、何も気にする必要はない。さあ、私のあだ名を考えてくれ、リンドヴルム殿!」 セルシウスはさっそく俺のことをあだ名で呼んでくれた。 というか、そこはリンドヴルムなんだな。最初にクルスにそう呼ばれたときは知らなかったので何も気にならなかったが、あとでクエリアからそれは「めちゃくちゃ強い風竜の名前だぞ」と教えてもらった。正直なところ、名前負けしている感じがしてならないのだが……。 とにかく、セルシウスが再びくれたチャンスだ。こんどは無駄にしたくない。 「では、そこまで言うのでしたら……」 と、俺はセルシウスにつけるあだ名を考え始めたが、いい案はまったく浮かばなかった。というのも、そもそも俺は今まで誰かとあだ名で呼び合うような関係を築いたことがない。誰を呼ぶにも、とにかく敬称をつけていた。そういうのが立派な人物像だと思っていたからだ。 「なんなら、リンドヴルムも私のことをセッちゃんと呼んでくれて構わないぞ」 なかなか決められない俺を見かねてか、セルシウスが提案してくれた。 ってセッちゃん? 俺がセルシウスをセッちゃんと呼ぶのか。 ……想像したこともなかった。 セッテと並んでセルシウスの前に立つ俺。そして二人して呼びかけるのだ。 『セッちゃん! 今日は兄貴といっしょに来たっすよ』 『セッちゃん! いつも弟が世話になってるな。今日は俺もよろしく頼むぞ』 ……いやいや、これはないな。これは俺のキャラじゃない。どちらかというと、まだフリードのほうが似合いそうな気がする。 「どうしたヴルム。もしかして照れているのか? 遠慮はいらぬぞ」 いつの間にかリンドヴルムが省略されてヴルムになっている。 あだ名のあだ名だと!? なんてハイレベルな。俺にはついていけない。 だがせっかくセルシウスは俺に歩み寄るチャンスをくれているのだ。これに応えなければ、かえって無礼になってしまうというもの。 ええいままよ。男ならば勇気を見せろ。 「セ……」 「セ?」 セルシウスは期待を込めた眼差しで俺を見つめている。 この火竜、堅物だと思っていたが、こういうキャラだったのか。 「セッ……」 「セ!」 セルシウスは身を乗り出した。 くッ、なんというプレッシャーだ。だがここで負けるわけにはいかない! 「セ……セッちゃんッ……………………殿……」 ああなんてこった。 だめだ、勝てなかった。つい敬称をつけてごまかしてしまった。 俺はなんて臆病な人間なんだろう。きっとセルシウスを失望させてしまったに違いない。やはり俺にはあだ名をつけるなんて、次元が違いすぎたのだ。 恐る恐るセルシウスの顔を見上げる。さぞがっかりしていることだろう、と心配しながら見上げたその表情は、意外にも笑っていた。 「セッちゃん殿か。まさかそうくるとは思わなかった。だが面白いではないか! いかにもオットーらしい……いや、違ったな。ヴルムらしいあだ名だ!」 「も、申し訳ありません。どうにもこういうのには慣れなくて」 「ならばこれから慣れれば良い。そうだ、せっかくだから敬語もナシにしてくれ。そのほうがより親密になれるし、私も気兼ねなく話せていいのでな」 「そ、それだけは! さすがに無礼すぎます。周囲の者からどう思われるか……」 「周囲の目など気にするな。誰に何と言われようと、自分のやりたいようにやればいい。それが竜というものだ。でなければ、その竜の異名が泣くぞ」 俺は竜じゃない。そう言いかけたが、セルシウスの言うことも一理あった。 たしかに今まで俺は、本当の自分を心に押し止めて我慢ばかりしてきた。それが礼儀であり常識だ。人間というのはめんどくさい生き物なのだ。 俺は弱かった。心が弱かったのだ。他人に嫌われるのが怖くて、他人にどう思われているかを気にして、自分を良く見せようとばかりしていた。 だからこそ俺は、クルスにもらったリンドヴルムという名に負けていると思ってしまうのかもしれない。 しかし、セルシウスの言うとおりだ。 自分のやりたいことは誰に何と言われようともやるべきなのだろう。なぜなら、それこそが本当の自分なのだから。それをしないということは、本当の自分を隠すということだ。 勇気を出せ、オットー。いや、リンドヴルム! その名に恥じないよう振る舞ってみせろ。今までもずっと”私”を演じ続けてきたのだ。だったら”リンドヴルム”を演じるぐらいどうってことはないだろう! 俺はリンドヴルム、俺はリンドヴルム……よし。 「わかった。私は……いや、俺はリンドヴルムだ。セッテ共々、これからもよろしく頼む。セッちゃん殿」 「うむ、だいぶ良い顔になった。これで我々も晴れて友だな。よろしく頼むぞ」 人とはいくつもの自分を使い分ける生き物だ。 俺は俺であり、俺は私でもある。そのいくつもの自分は、最初はただそう振る舞っているだけにすぎないが、使い分けるうちにそれは自分の一部になっていく。 いつの日か、俺はリンドヴルムにもなりたい。そう願う。 お互いにあだ名で呼び合うようにした結果、たしかに今までよりもセルシウスの距離がずっと近いものに感じられるようになった気がしてきた。 そういえばセッテは他人によくあだ名をつけている。クルスはちびっこだし、竜くずれにはヴェンさん。ヴァルトもたしかヴァルちゃんなんて呼ばれていた。 (もしかしたら、それがセッテが誰とでも仲良くなる秘訣なのかもしれないな) そんなことを考えながら、仰向けになって空を流れる雲を見上げていた。 さて、そろそろ休憩は終わりだ。まだ賢者は見つかりそうにないが、次はどうするかセルシウス……いや、セッちゃん殿と話し合ってみるか。 そう思って立ち上がろうとすると、雲の隙間を何かの影が通り過ぎた。 「あれは!?」 俺が慌てて立ち上がるのと同時にセルシウスが声を上げた。どうやら、ふたりともあれに気がついたらしい。 俺はあれに見覚えがある。しかもつい最近見かけたばかりだ。 「天馬だ。ヴァルキュリアの乗る……」 ヴァルキュリアはユミル国の女兵団だ。その誰もが魔力を込められた武器を手にして、必ず全員が天馬に乗っている。 そしてそのヴァルキュリアを束ねるのは、フレイヤ様だ。 「セッちゃん殿。さっきこう言ったな。竜ならば『誰に何と言われようと自分のやりたいようにやれ』と。ならば今、俺は竜になりたいと思っている」 「ふむ、あれが気になるのか?」 「ああ。何と言われようが、俺はあの天馬の先にいる者を追いたい。頼めるか?」 「友の頼みならば当然。さあ、私の背に乗れ」 セルシウスが翼を広げた。俺はその背中に飛び乗ると、振り落とされないようにしっかりとしがみつく。そして次の瞬間には雲を突き抜け俺たちは遥か上空へ。 弾丸のように飛び出したセルシウスは、小さくなっていく天馬の影を見失わないように追っていった。 Chapter27 END 魔法戦争28
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Chapter11「救出任務」 「しかし、ひどい有様じゃのう」 あちこち損傷した船の状態を見てクルスがつぶやいた。 トロウの急襲によって戦乱の渦に巻き込まれるムスペルスから命からがら脱出したフレイ一向だったが、魔導船グリンブルスティに大きなダメージを負ってしまった。航行には問題ないようだが、このまま旅を続けるには不安が残る。その不安をオットーが言葉に換えて訊いた。 「クルス殿。この船はあなたの所有するものだ。状態に関してはあなたが一番詳しい。だから聞くのだが、この船は修復可能だろうか。我々も出来る限りの協力は惜しまないつもりだが……」 「できないことはない。だが媒体もなく移動しながらとなると、ちと厳しいのぅ。それにあんなことがあったばかりじゃ。お主たちにも休息は必要じゃろう」 魔力によって物質を創りだす場合、無から新たに創造するのと既存の物質を用いてその総量を増やすのとでは、難易度も魔力の消費量も格段に違ってくる。 そもそも神でもなければ、完全な無からの創造は竜であっても不可能だ。具体的には、魔力で空間中に存在する原子や分子を組み合わせてもととなる物質を作り上げ、さらにその物質を材料に目的のものを合成することになる。 創造の規模や数が大きくなるにつれて、術者の負担もそれに応じて大きいものになるし、なにより船を動かすにも魔力が必要なので無用な消耗は避けるべきだ。 オットーもそれは理解しており、それゆえにこう続けた。 「つまり条件さえ整えば船の修復は可能と考えていいんだな」 ゼロからの修復は難しい。だが材料さえあればそこまで難しい話ではない。ならば方法はある。 「そういうことであれば、この地図を見ていただきたい」 オットーが地図を開いて皆に見せる。そしてユミルとムスペルス、ニヴルヘイムを直線で結ぶ三角形を指でなぞりながら話し始めた。 「いいですか。これら三国の間の直線距離に存在する浮島は交易が頻繁に行われていたため、無人島というのはほとんど存在しません。しかし……」 次に三国の成す三角形の中央部、そこを示して、 「この空域は往来も少ないため、浮島があっても人や竜が暮らしていることはほとんどありません。この中にある無人島で船の修復を行いたいと考えています」 「なるほどな。僕たちはトロウに追われる身だ。一所に留まるのは危険だし、船の修理中に襲われては逃げ場もない。できれば見つかりにくい、地図に載っていないような島が好ましい。その点では無人島を選ぶのは正解だと思う。だけどそんな島がそう簡単に見つかるだろうか」 浮島といってもそのほとんどは雲によって構成されている。島雲に限らず地上由来の大地を含む浮島であったとしても、雲の上に載って存在していることに変わりはない。そして雲というのは空を流れていくものだ。 地図に載っているような有人島なら魔法で位置を固定している場合もあるが、無人島はそうではない。日によって浮島の位置が異なり見つけるのは困難になる。 「王子の疑問も最もです。そこでクルス殿の力を借りたい。地竜であるクルス殿ならば大地の存在を感知することもできるのではないかと思います。それを頼りに進めば地図に載っていないような浮島でも見つけられるのではないかと」 「なるほどのう」 クルスが感心して言った。 「たしかに大地を含む島ならば、そこに大地の精霊の息吹を感じられるはず。やったことのない方法ではあるが、試してみる価値はあるじゃろうな。よかろう、ここはクルス船長に任せてもらおうか」 「それじゃ航路はおれが見てるんでお願いするっすよ」 しばらく集中した後、クルスが微かに大地の気配を感じ取ることに成功した。 少し遠いので具体的にとまではいかないが、木が生えている場所があり、また金属が豊富にあるということがわかったらしい。船の修理に使える材料としては十分だ。とくに金属が十分にあるというのは都合がいい。 「でも金属が豊富な無人島なんてあるんすか? 地図になくても誰か住んでる可能性あるんじゃないっすか、それって」 「お主、金属は土の中から採れるものだということを知らぬわけではあるまいな? あれも立派な自然の産物なんじゃからな。何も加工物ばかりと決め付けてもらっては困る。やれやれ、いかにも人間の発想じゃのう」 「仕方ないっすよ。だって人間だもの」 こうして向かうべき島の当たりをつけたところで、一行はその島を修理場所と決めて向かうことにした。しかし、セッテの心配はあながち間違ってはいなかった。なぜならその島には―― フレイたちが今まさに向かっているその浮島には、うっそうと木々の覆い茂る森があり、その中に隠れるようにして古びた建物がひとつ存在していた。家というには粗末な作りで、しかし森の中には異質な金属の壁は、嵐が来てもものともしないような頑丈さを備えている。ただその壁には最近修復したばかりであろう継ぎ目とひび割れが残っている。 その建物を木陰に身を隠しながら偵察する人影があった。 「目標はあそこのようだな。さーて、どこから入ったものかねぇ」 一人の男がどうやら侵入を試みているらしい。軽装ではあるが胸当てや籠手などの防具を身にまとって、その腰には二振りの剣を携えており、どうやら剣士であることが見て取れる。 「なるべく気付かれずに事を済ませたいもんだ。面倒事は嫌いなんでね」 剣士は足音を忍ばせて壁のひび割れに身を近づける。 隙間から中に覗き見るとちょうど視界の先に寝台があり、青い髪の少女が眠っているのが見えた。だがその手足には奇妙なリングが取り付けられており、さらに首は鎖が取り付けられていて壁に繋がれている。何者かに監禁されているのは明らかだった。 「なるほど。あれが神竜さまの言ってた……。それにしても、あんな少女にあんなことやこんなことをして実験するヤツの気が知れないな。俺なら黙って男同士のぶつかり合いを選ぶね」 そう言いつつ剣士は不適な笑みを浮かべる。 そのまま様子を窺っていると、監禁された青い少女に近づく者の姿があった。 「くひひひ……。さぁて、お待ちかねぇ。お楽しみの時間といこうねぇ……」 トロウの命令で怪しい研究を行う科学者、ドローミだ。 そう、偶然にもフレイたちが目指す浮島にはドローミの秘密の研究所があった。そしてその秘密であるはずの研究所に侵入しようとしているこの男にも極秘の任務があった。 剣士の生業は傭兵、つまり雇われ兵だ。彼が『神竜』と呼ぶ何者かによって遣わされてここへやってきている。そして今、目標を確認した。 「よし……いくか」 剣士が行動を開始した頃、ドローミもまた動き始めていた。 「トロウ様はああ言うけどねぇ。ひひひ……バレなきゃあいいんだ。バレなきゃあねぇ」 そういって青い少女におもむろに近づく。 「竜人族。それは神秘の存在。人と猿は遺伝子的には近い種だけど混血はしない。一方で獅子と虎は同じ猫科動物であって混血可能。この違いは何なんだろうねぇ。そして遺伝子的には全然違うはずの人と竜ぅぅぅ。その間に生まれるのが竜人族。嗚呼、不思議だなぁ。どうなってるんだろうねぇ。気になる、気になるぞぉ。ワタシはあくまで科学的な見解を言っているのだよ。決してやましい心なんてないんだからねぇ……ひひひ」 誰に聞かせるわけでもない言い訳を述べ終えると、ドローミは不気味な形をした奇妙な棒状の器具を取り出して青い少女へと近づけていく。一体これから何を行うとしているのかはわからないが、ドローミはひどく興奮しているようでもあり、その表情はとても形容できないような、嫌悪感を覚えるほどの薄気味悪いものだったという。 「さぁあ、ワタシの全てだぁ。その身体で受け止めておくれぇ。元気な子を生んでおくれよぉ……」 だが次の瞬間、ドローミの犯罪的な企ては未然に防がれる。 物陰からさっと何かが飛び出すとともに、氷のような太刀筋が宙に一閃を描く。 すると棒状の謎の器具が真っ二つになっており、両断された一方が地面に落ちる音が凍りついた空気の中、からんと響いた。 直径20cmはある極太の粗鉄で構成されていたその器具の切り口は、まさに刃物で切断されたような鮮やかな断面だった。 「ひッ……ひぃぃいいぃいぃっ! ひゃ、ふぁ……わ、ワタシの……ワタシの器具がァアアアア!」 暗闇に悲痛な悲鳴が響き渡る。ドローミは言いようのない精神的ダメージを受けたようだ。そのまま、へなへなとその場に崩れ落ちる。 そしてしばらく放心した後に、ようやくいつもどおりの狂った精神状態を取り戻した彼は、こんどは怒声を響かせる。 「だっ、誰だぁぁぁ!? ワタシの研究所に無断で入り込むやつはぁ! せっかくこれからいいところだったというのに……。ワタシの邪魔をするんじゃなぁぁぁい!!」 「ほう。お楽しみのところ悪いんだがな。女の子にそんなものを突きつけて弄ぶもんじゃない。男なら優しく包んであげるものだぜ。とりあえず、おまえ。そんなに欲求不満ならここはひとつ俺と、やらないか」 答えたのは外から覗いていた例の剣士だ。隠れるつもりなど毛頭ないらしく、不適な笑みさえ浮かべながら、ドローミの前に堂々と仁王立ちしている。 その姿を確認すると、ドローミはますます怒りを顕わにした。この男がどこから侵入したとか、誰の差し金でやってきたのかとか、そんなことはどうだっていい。ただドローミはせっかくの研究に水を差されたこと、それが許せなかった。そしてそのことしか頭になかった。 「誰がおまえなんかと! ワタシはただの人間に興味などないのだ! 出て行け! 出て行かないとこうだぞぉ!!」 足元に散らばるがらくたを拾っては投げつけながら、ドローミは身の危険を感じて後ずさる。そんな様子を見て、剣士は深いため息をついた。 「はぁ、そいつは残念だ。だがまあ、おまえはどう見ても戦えそうにないし、俺は殺生をしにきたわけじゃないんだ。こっちもおまえに興味はない。俺が欲しいのはその子だ」 そう言ってドローミの後ろで寝息を立てている青い少女を指差した。 「何ぃ! 貴様……絶対に渡さんぞぉ。これはワタシのものだ! こ、このロリコン侵入者が!!」 「おまえにだけは言われたくないぜ。で、どうする? 黙って渡してくれるなら、俺も危害は加えないつもりだが」 「くそぅ……竜くずれを全部トロウ様にくれてやるんじゃなかったぁぁぁ。こんなときどうすれば…………。はっ」 頭の上に電球マークを浮かべたドローミは、ぱっと振り返って首の鎖を取り外して青い少女を抱き上げると、そのまま研究所の奥へと逃げ出した。 「やれやれ。どうなっても知らんぞ」 剣士は呆れながらも二本の剣を抜き放つ。それぞれ蒼と銀の刀身が薄暗い室内に煌く。攻撃態勢をとって逃げるロリコンもといドローミの後を追った。 偵察して剣士は理解していた。ここはそれほど広い建物ではない。それにこの奥に出口はなかったはずだ。 (つまり奴には逃げ場がないってことだ。となれば奴はただの馬鹿か、あるいは何か罠を用意しているか) 用心しながら奥へ進んでいると、カチリと足元で音がした。 「む。これは……」 下ろした足の下で奇妙な赤い紋様が浮かび上がる。同様のものが左右の壁と頭上の天井でも光る。それぞれの紋様が赤い光線で結ばれると、そこにサイレスフィールドが展開される。 これは青い少女の力を抑えているリングと同じもので、フィールド内に存在する者の魔力を封じる効果を持つ。 とくに竜族は、人が血管で全身に血をめぐらせて細胞に酸素を行き渡らせて身体を維持するのと同様に、魔力を循環させることも身体を維持に関連しているため、魔封じに遭うと力が抜けて動けなくなってしまうのだ。 「うひひひ! 馬鹿め、かかったなぁ!」 だがこの剣士にとっては無意味なものだ。 「罠を仕掛けたつもりか。だったら残念だったな。俺は竜でもないし、魔道士でもない」 両手の剣を振るうと、左右の壁に埋め込まれたリングを切り裂いた。すると赤い光は力を失い消えてしまった。 慌てて逃げ出すドローミを剣士は再び追う。 するとこんどは仁王立ちして先に待ち構えていたドローミが、自信たっぷりに奇妙な機械を剣士に向けてけしかけた。 紫色のボディに車輪のついた一本の脚。頭上からは手のついた一本のアーム。そして正面には憎たらしいスマイルを施された仮面がついている。 どこかで見たようなアレだ。 「ひひひ。これを使う日が来ようとはぁ。行け! 遠方の浮島でワタシ自ら発掘した古代兵器(だと思う)」 「――トクンデスボクリミットクンデスボクリミ――」 古代兵器(らしい何か)は怪しげな呪文を詠唱し始めた。 剣士はその姿を見て衝撃を受けた。 (な、なんだあの奇妙な物体は! あんなものは今まで見たことがない。何をしでかしてくるかもわからない。これは油断できんぞ。だが……一体なんだろうか。この期待感の高まりは! ああだめだ、もう我慢できない!!) 気がついたら両手の剣で古代兵器(極限)を両断していた。反射的に身体が動いていた。危険を感じて自らの意思で破壊したというよりは、何か見えない力によって突き動かされたとでもいうのか。ただひとつだけ言えることがある。 「よくわからないが、すっきりしたぜ」 古代兵器(だった物)は断末魔の叫びを上げながら爆散した。 剣士が謎の満足感に浸っていると、逃げていくドローミの背中が見えた。 「しまった、こういう用途の罠だったのか。そういう意味ならまんまと時間稼ぎにはまってしまった」 遅れを取るも、外から調査した記憶によればこの先は行き止まりのはずだ。追い詰めたことには変わりない。 剣士が突き当たりの部屋に踏み込むと、ドローミは青い少女を抱えたまま、カプセル状の機械に乗り込もうとしているのが見えた。 「くひひひ。遅かったな! こんなこともあろうかと、優秀なワタシは転送装置を作っておいたのだぁ。これさえあれば、高度な魔法を修得しなくても誰でも転移魔法が可能になる。実験も兼ねて、こいつで脱出オサラバさぁ」 転送装置に乗り込んだドローミの姿が透け始めた。このままではまずい。このまま逃がしては任務失敗だ。 剣士は足元にあったがらくたを手当たり次第に投げつける。これではまるで立場が逆転したかのようだ。 煤けた本。錆びた鉄くず。そして何かの動物の骨? あったものは何でも投げつけた。そのとき手元が微かに光ったような気がした。だがそんなことに構っている暇はない。何を拾ったのかわからないが、それも構わず投げつけた。 「あ……」 ドローミが小さな悲鳴を上げる。 投げつけたそれはドローミの腕に当たった。どうやら金の腕輪のようだ。 するとどういうことか。なんと腕輪が突然ふたつに分裂したではないか。さらにそのふたつが倍になり、倍になった腕輪がさらに倍になる。瞬く間に腕輪が増殖して、ドローミの手元に溢れ出す。 無限増殖する腕輪がカプセル状の転送装置の空間を見る見るうちに埋め尽くしていくと、押し出されるようにしてドローミの手から青い少女が離れた。剣士はすかさず駆け寄ると、滑り込んで少女を受け止める。 「なにぃぃぃ! ドラウプニルの腕輪だとぉ!? そんなところにあったなんて。こんなことなら発掘したときにすぐに呪いを解いておくんだったよぉ……。ええいくそぅ、ワタシの大事なサンプルを返せぇ!!」 「最後にひとつ言っておく。レディを物扱いする男は嫌われるぜ」 すぐ足元に落ちていた竜の骨を拾って投げつける。 「ゲッ……!」 尖っていた骨はドローミの額に突き刺さった。そのままドローミは動かなくなってしまうと、増殖を続ける腕輪に埋もれながら、やっと動き出した転送装置によってどこかへと消えていった。 静かになったドローミの研究所には、もう持ち主のいないがらくたの山と、青い少女を抱えた剣士、そして転送装置から溢れたのであろう、増殖が収まった金の腕輪ひとつ。それだけが残った。 「やれやれ。まったくヒヤヒヤさせてくれる」 そう言って剣士は、ドラウプニルとドローミが呼んだ金の腕輪の残ったひとつを拾い上げて自分の腕にはめた。 「今回は苦労させられたんだ。戦利品のひとつぐらいもらっていっても、神竜さまも文句は言わんだろう。さて、と」 少し手荒に少女を肩に担ぎ上げると、剣士はその正体を知っているとでもいった様子で、まだ目を覚まさない青い少女に向かって声をかけるのだった。 「んじゃ帰りますか。お姫さま」 Chapter11 END 魔法戦争12
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Chapter44「鉄のゴーレム2:鉛のように重い夢」 しばらくしてセッテがフレイをつれて戻ってきた。 まだ相手が何者かもわからないし、もし敵だった場合には戦うことになるかもしれない。その場合は足場のない空中での戦いになるので、決してセッテやフレイの実力を否定するつもりはないが、できれば飛べない人間は足手まといになるのでつれて行きたくない。 そんなことを思っていると――――ん? あれは。 私の目の錯覚だろうか。まずセッテが駆けてくるのが見える。これは当然だ。 その右手がフレイを引っ張っているのもわかる。きっとまた無理を言ってつれてきたのだろう。フレイも気の毒に。 そしてその左手が引っ張っているのは……ちょっと待った。さらにもう一人増えているとは一体どういう了見だ。 「お待たせしたっす。それじゃ行くっすか!」 到着するなりセッテは何食わぬ顔で出発を宣言したが、その前に言うことがあるだろう。フレイをつれてくるとは聞いたが、もう一人来るとは私は聞いていない。 わざと不満そうな顔をしてセッテがつれてきた二人をほうを見てやると、フレイは苦笑しながら申し訳なさそうに軽く頭を下げた。その隣に並ぶゲルダも、そんなフレイの様子を見てから同じような顔を真似して頭を下げた。ちゃんと意味がわかってやってるのかは知らないが。 「おかしいのう~。私はフレイだけじゃと聞いたが?」 「あ、ゲルダのことっすか。フレイ様呼びに行ったら一緒にいたんで、せっかくだからつれて来たっすよ。ゲルダ一人置いてくるのもかわいそうじゃないっすか」 せっかく二人でいるところを邪魔しては悪いとは思わなかったのだろうか。 「フレイ、お主も無理に付き合う必要はないぞ。何かやることがあったのではないか?」 「なくはないけど……この前言っていたね。ファフニールの作戦のために協力する必要があるって。だからときどきは僕もアルヴの外で行動しないと、ファフニールがトロウに疑われてしまう。だったら今回はちょうどいい機会だ」 たしかにファフニールはトロウから、フレイをアルヴの外に誘き出せという任務を受けている。こちら側のスパイだと気付かれないためには、ファフニールがトロウに従っているように仕向ける必要はあるが……そう急ぐ必要もあるまいに。 下手に順調すぎても疑われかねん。というかお主、真面目か。 「ゲルダ、お主はこれから私たちが何をしに行くのか理解しておるのか? ただ鉄くれの紛い物の竜を見に行くだけじゃからな。お主にとって面白いものはないぞ」 「ううん。別にどこだっていい。私はアルヴの外に出たことがないから、外の世界が見れるってだけで楽しみだし、フレイと一緒ならどこへでも行くよ」 こやつはこやつで盲目か。説得するだけ無駄らしい。 「ええい、仕方ないのう。危なくなったらすぐに戻るからな! トロウの刺客の可能性だってまだ否定できんのじゃからな。フレイは狙われておるし、ゲルダは戦えないし、足場のない空中でお主らを庇いながら戦うのはさすがに私でも無理じゃ」 「おれは? おれは?」 「お主は知らん。もし落ちたら、また自慢の兄貴に助けてもらえ」 「えーっ! 兄貴もう竜じゃないっすよぉ~」 「いいからさっさと乗れ。乗らんのなら置いていくぞ」 私は三人を背中に乗せるとアルヴを飛び立ち、まっすぐに外へと向かった。方角は東、最後に噂のあやつが目撃された方向だ。 グニタヘイズのファフニールのところへ向かったときはフリード一人を乗せるだけなので問題はなかった。帰りは天馬とヴァルキュリアが一人増えたが、フレイヤの船に乗せてもらえたのでこれも困ることはなかった。 しかし三人も背中に乗せるのはなかなか難しい。うっかり途中で落としてこないようにできるだけ身体を水平に保たなければならないし、重心が大きくずれるせいで私自身もバランスを取るのが大変になる。バランスを崩して墜落したのでは笑い話にもならない。 細心の注意を払いながら雷雲を抜けてアルヴの外へ出る。私だけならなんのことはないことなのに、背中に三人乗っているだけでこれが非常に疲れる。 「はぁ……。お主ら、全員ちゃんとおるな?」 振り返って確認したいところだが、今はバランスを保つので精一杯だ。 頭の後ろからはにぎやかな声が聞こえてきた。 「わぁーっ! これが外の世界!! 空ってこんなに深くて広くて青いんだ!」 「そっか。アルヴの中は雲に囲まれてたっすからねぇ。アルヴは白の世界。空は青の世界っすね! そしておれたちの故郷ユミルは緑の世界!」 「じゃあムスペが赤の世界、ニヴルが青の世界だね。って被ったか」 まったくいい気なものだ。私の気も知らずに。 そして幸か不幸か、雷雲を抜けた先に噂の金属の竜の姿はなかった。 このままアルヴの周囲を旋回してその姿を捜すつもりだったが、三人を乗せての飛行は思った以上に疲れるものだった。無理をして墜落しては元も子もないので、手近な浮島で三人を下ろして一旦休憩を挟むことにした。 現在アルヴを包み隠す雲塊はムスペルス付近を流れているようだ。このあたりには浮島はほとんどないが、島とは呼べないほどの小さな岩石がいくつも浮かんでいる。これはムスペ周辺を飛ぶときにはぶつからないように気をつけなければならない障害物だが、今はそれがありがたい。 岩石の中には竜が乗っても大丈夫な程度の大きさのものもある。これらは浮島のように島雲に乗って浮いているのではなく、岩石中に含まれるこの地域特有の成分がムスペの大火山が発する磁気の影響を受けて浮遊している。 浮力が弱いので上に乗ろうなどとは誰も考えたことはないだろうが、そっと乗ればおそらく問題はないだろう。そっと、そぉ~っと乗ればたぶん、な。 雷雲から少し離れて浮遊岩石群を間を縫って飛んでいくと、そこそこの大きさがある岩石を見つけた。グリンブルスティの甲板と同程度の広さがある。あれぐらい大きければ浮力も十分だ。 岩石の上に降り立って三人を下ろすと、疲れ切ってベッドになだれ込むかのように私は岩石の上で横になった。ああ、思った以上にこれはしんどい。 「疲れたので私は少し休む。お主らはUFOでも探しておれ。万が一何かあったら、できるだけ自分たちで対処して、どうしても駄目なら私を起こせ。私は寝る」 「ちょ、クルス! こんな何もない場所におれたちをほっぽり出して自分はお昼寝っすか。こんな場所じゃ何もやりようがないっすよ」 「だから言ったじゃろうに。遊びに行くわけでもないし、面白いようなことでもないと。もし噂のメタルドラゴンとやらが通ったらすぐに起こせ。おやすみ……」 「そうだ、メタルドラゴン! どこっすか、鋼鉄の竜は。おれは炎だから、金属には強いはずっす。絶対に見つけてとっつかまえて――」 まぶたが重い。セッテの声がどんどんぼやけて遠ざかっていく。 力が抜けて体重が地面へと吸い込まれていく。私の意識はまどろみの中に沈んでいった。 ――私は夢を見た。 夢の中の私はひどく疲れていた。そしてひどく負傷していた。 どういう経緯があってそうなったのか。戦いに敗れたのか、何者かに襲われたのか、そういうことは何もわからない。夢というのはいつでも脈絡のないものだ。 夢の世界の私は重い身体を引きずりながら、果ての無い赤い大地を歩いていた。 空はもやのように包まれて色ははっきりとしない。前方は闇。振り返る後方もまた闇だった。 私はどこから来たのか、そしてどこへ向かっているのか。そう疑問に思いながらも、夢の中の私はただ重い一歩を何度も繰り返して、意味もわからず前へと進んでいくだけだ。 しばらく行くと、突然に周囲の景色が一変した。 足元には空がある。浮遊感はなく、しかし私は空に立っている。 見上げるともやに包まれた空には、逆さまに大樹ユグドラシルが生えている。 わけのわからない夢だ。 (まあ、夢なんてそんなもの。いつだってわけがわからないものだ) その奇妙な世界を受け入れるでもなく、しかし拒絶するでもなく、ただぼんやりと私はそこに立っていた。どんな奇妙な夢だろうと、いずれは覚める。 逆転した大樹を見上げていた視線を正面へと戻すと、いつの間にかそこには私の知らない誰かが立っていた。その顔ははっきりしないので誰とは断言することはできないし、その身体ははっきりしないのでどんな姿だとも、竜なのか人間なのか、あるいはそれ以外の何者なのかさえも明言することはできない。 その誰かは、私にも理解できる言葉で喋った。 『傷が痛むか。身体が痛むか。それとも精神(こころ)が痛むか』 (……おまえは?) 『痛みがあるというのは辛いということだ。誰だって痛いのは嫌だな。だからその痛みを回避しようとする。だからおまえは、逃げた』 (ち、違う。私は逃げたわけじゃない。いや、結果としては逃げたということになるのかもしれない。でもあれは仕方がなかった! 私にはそうすることしかできなかった!) 夢の中の私は、それを傍観している私の意識とは関係なしに、そう答えていた。 『おまえは、逃げた。痛みから逃げた。しかし、それでもまだおまえは痛みを感じている。それはなぜだ? 痛みがあるというのは辛いということだ』 (辛い……。私は辛さを感じているのか。もう何百年も前のことなのに?) 『精神(こころ)に時間は関係ない。過去は現在であり、現在は未来だ。すべてがつながっている。過去からは逃げられない』 (でも過去には戻れない。もう過ぎたことを悔やんだって、どうしようもない) 『痛みを回避したければ、逃げる以外の方法を見つけることだ。未来は現在。ゆえに現在を変えれば未来を変えることになる。過去の事実は変わらないかもしれないが、過去の清算にはなる。それが過去を変えるということだ』 (おまえは……おまえは誰だ? なぜそんなことがわかる?) 『それは、自分でもよくわかっていることだ。そうだろう? それともおまえは鏡に向かって、おまえは誰だと問いかけるのか?』 (おまえは……) よくわからない三文芝居を見せられているような気分だった。何か気になることを話しているような気もする。しかし、夢の中の半ばぼんやりとした状態の頭ではそれをうまく理解することが出来ない。そして目が覚めれば、その内容のほとんどはどうせ忘れてしまうのだ。 せいぜい今の私に考えられるのは、この目の前のやけに意味深で知ったようなことを喋っているのは誰だろう、と何となく思うことぐらいだった。 (そういえば金属の竜……。私はそいつを捜しているんだった。こんなところにいないで、金属の竜を捜さないと) 急に現実の世界のことが思い出されて夢の中に介入してきた。こういうのは、眠りが浅くなってきているサインだ。現実でやらなければいけないと思っていることと夢の内容がごちゃごちゃになって混じり合うことがある。 例えばどこかに出かけなければいけない、と思っているときに遅刻しそうな夢を見て、なぜか知っているようで知っている場所とは微妙に違う場所を必死に走っていたり、あるいは走っても走ってもなぜか身体が全然進まない夢を見たり。 そういう感じだった。 金属の竜のことを考えていると、目の前のその誰か雰囲気ががらりと変わった。 灰色で、しかし赤や青や緑や紫のような色がごちゃ混ぜになったような、不安を感じさせる混沌とした気配だ。 『金属の竜に会いたいと? 良いでしょう。会わせてあげますよ……』 混沌とした気配は、鋭く赤い眼を光らせる。 すると私の身体は金縛りに遭ったかのように痺れて動かなくなってしまった。 『ほぉら……。あなたがお望みの、金属の竜ですよぉ……』 声がそう発すると、身体を動かせない私の意思に反して、視線だけが操られるようにして勝手に動いていく。視界には私の両手が映った。 いつも見慣れている地竜の鉤爪だ。 しかし、それは私がいつも見慣れている色のようではなかった。 私の両手はまるで作り物のように硬い光沢を放っている。そしてそれが目に入った途端に、私の両手はずっしりとした重さを、そして凍りつくような冷たさを感じ始めた。 この感覚は、たしかに目の前にあるこの光沢ある手から感じられる。 これは……これは、私の手なのか? 『金属の竜に会いたかったのでしょう? しかし、そんなどこにいるのかわからないもの。そもそも現実に存在するかどうかも怪しいものを見つけるのなんてとても面倒、面倒ですよねぇ~?』 そしてその重さと冷たさは、徐々に腕を伝って上へ上へと昇ってくる。 同時に足先や尾の先にも同じ感覚があることに気がついた。それも同様にしてじわじわと身体を侵蝕していっているのがわかる。 どんどん身体が鉛のように重くなっていく。氷のように冷たくなっていく。 『ならば作ってしまえば話は早い。その材料は……おまえだよ、ジオクルス。立派な彫像にして大事に大事に飾っておいてあげますよ。永遠に、ね……。ひ、ひひひ……。ひひゃはははははッ!』 説明されなくともわかった。そんな気はしていた。 そしてこの声はおそらくトロウだ。よりによって夢の中にまで出てくるとは。 わかっている。こんなものはまやかしだ。私の精神が作り出した幻影だ。 これはただの夢。目が覚めれば、何事もなかったかのように忘れてしまう。 そうわかってはいても、重さと冷たさが身体を昇ってくるにつれて、胸が押し潰されるような圧力を感じたり、強い息苦しさを感じたりもする。 首が金属と化す。完全に呼吸が止まった。 苦しさにもがき、暴れ出したいところだったが、身体は石のように動かない。 顔が金属と化す。鉄板で前後から顔を挟みこまれたような感じだ。 何も見えない。鉄臭い。金属を爪でひっかいているような耳鳴りがする。 そして目が金属球となったので何も見えないはずなのに、いつの間にか私の意識は身体の外にいて、金属の彫像となった自分の姿を凝視しているのだ。もちろん、押し潰されるような全身の重さと凍える寒さは感じ続けている。 そのとき、どこかでミシッと何かが軋むような音がした。 それを合図に、身体を押さえつける重さが急激に増し始めた。 もともと痺れたようになって動けなかったが、それにも増して1ミリすらも動けなさそうな強烈な締め付けが全身を襲う。 そしてついに、外なる目でその様子を強制的に見つめさせられているその目の前で、私の身体はどんどん押し潰されて小さくなっていき、スクラップにされた鉄くずの塊のような立方体へと変貌してしまった。 『おやおや、こんなに小さくなってしまって。仕方がありませんねぇ。もったいないので、リサイクルして城の柱の一部にでもなってもらいましょうかねぇ……』 幻のトロウが何か言っているが、もう聞き取れない。 私の意識もスクラップ同様に押し潰されて、徐々に薄れていった。 それでいい。意識を失って次に目覚めれば、それで夢は覚める。 これはただの夢。所詮は夢。どんな奇妙な夢も、いずれは覚めるものだ……。 目を覚ました頃には、何か悪夢を見たようなことだけは覚えているが、その内容のほうはさっぱり覚えていなかった。ただすごく身体が重いし、頭が痛い。 「むぅ。こんな硬い岩の上で寝たせいか? アルヴの柔らかい雲の上で眠ることに慣れすぎてしまったようじゃな……」 辺りは静まり返っている。思ったより長く眠ってしまったのだろうか。 まだ陽は落ちていないので、そこまで時間は経っていないはずだが。 「金属の竜――んん? 何か金属の竜のことを考えると嫌な感じがするのう。もしかして予知夢か? 内容は全然思い出せんが……。とにかく、そうじゃ。私はその金属の竜を捜しに来ていたんだったな」 ようやく頭が覚醒して思考がクリアになってきた。意識を覆っていたもやのようなものが晴れていく。 あくびをひとつして脳内に酸素を補給。そしてはっとする。 「……しまった! セッテたちをつれて来ていたんだった。こんな殺風景なところでは、ずいぶん退屈させてしまったに違いない。さすがに怒っておるかのう……」 怖い顔をしたセッテがそこに立っていることを想像しながら、そっと後ろを振り返る。が、そこには誰の姿も無かった。 「……? セッテ?」 ここはただの浮遊岩石の上だ。ただの岩だ。 隠れるような場所もないし、飛び移れるほど他の岩との距離は近くない。 「フレイ? ゲルダ?」 まして三人はただの人間と竜人だ。 翼を持つわけでもないし、飛べるような能力も魔法も持っていないはずだ。 「まさか落ちたのか! そろいもそろって!?」 浮遊岩石の上には、私以外の誰もいない。セッテも、フレイも、ゲルダも。 私が夢から覚めると、三人とも煙のように消えてしまっていた。 まるで彼らをつれてきたことさえも、夢であったかのように。 Chapter44 END 魔法戦争45
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Chapter24「ちびっこ戦記1:ぬいぐるみの魔女」 世の中には魔女と呼ばれる者がいる。 わたしには到底信じられないが、なんでもニンゲンの中でも魔法を極めて竜に並ぶほどの力を持ったやつがいるらしい。それをニンゲンは「賢者」と呼ぶ。 しかし中には偏った極め方をしてしまうやつがいるようで、愛に飢えた結果、相手の精神を操ってハーレムを作るやつがいたり、自分が長生きするために他人の命を奪う魔法に特化してしまった危険なやつがいたりするという。 そういった異端の魔道士をニンゲンたちは「はぐれ魔道士」と呼んでおり、その中でも賢者クラスの実力を持つ者を「魔女」と呼ぶのだ。 え? 男の場合はなんて呼ぶのかって? まずそういう異端のやつらは学会とやらに所属せず、独学で我流の魔法研究をやっていて、極めきる前にほとんどが挫折してしまう。それにニンゲンは男より女のほうが魔力限界が高いらしいので、極めてしまった稀な存在もほとんど女だけだ。 だから男で賢者クラスのはぐれ魔道士はいるのかどうかもわからない。どうしても呼び名をつけたいなら……変態とでも呼んでおけ。 それでセッテは、その魔女の一人の噂を聞いたことがあるから、そいつに会いに行って仲間にしようとわたしを誘った。 こいつはわたしを子ども扱いするのでちょっと腹が立つが、魔女を相手するのにこのわたしを選ぶあたりはよくわかっている。なんたって、わたしはニヴルの中でもバリバリさいっきょーの竜だからな! 頼りたくなるのも当然なのだ。 今、わたしはすごく気分がいい。 アルヴの神竜さまがわたしの姿をもとに戻してくれたからだ。やっぱりニンゲンなんかの弱っちい姿よりも、この美しいマリンブルーの水竜姿のほうがいい。 そのおかげでちゃんと空が飛べるようになったので、今はセッテを背中に乗せてその魔女がいるという場所に向かっているというわけだ。 「あ、クエリア。あそこに見えてる浮島を左に曲がるっす」 背中の上で地図を広げながらセッテが道案内をしてくれている。 ここは北のニヴル、西のムスペ、南のユミル……その三国が描く三角形の内側の無人島がたくさんある空域で、わたしがあの変態科学者に捕まっていた島からユミル寄りの場所だ。 「それでこれから会うのは、どんなやつなんだ?」 わたしはずっと気になっていたことをセッテに聞いてみた。魔女だか賢者だか知らないが、所詮ニンゲンはニンゲンだ。このわたしに敵うわけがない。どんなやつが出てこようともこてんぱんのこっぺぱんにしてやる。 「えーっとっすねぇ。ユミルを出発するときにおれが港で聞いた噂だと、大樹の北のバウムヴァルという島にぬいぐるみの魔女がいるって話なんすよ」 「ぬいぐるみを極めた魔女? なんだそれ、魔法を馬鹿にしてるのか」 「魔女といってもまだ子どもらしいっすよ。そのトシで魔女と呼ばれてるなんて、まさに天才っすよね。きっとすごい魔法の使い手に違いないっす!」 そんな魔女っ子が無人島に一人で暮らしているなんて、たしかに普通じゃない。その年で自由気ままにできるなんてうらやま……じゃなかった。あぶなっかしいからな。ここはこのクエリアお姉さんが力ずくでも保護してやる。 「で、そのぬいぐるみの魔女は強いのか?」 「まあ言ってもまだちびっこっすからねぇ。魔力はすごいかもしれないっすけど、きっと話せばすぐにわかってくれるはずっすよ」 「ふーん。じゃあわたしの出る幕はないかもな。ざんねんざんねん」 「いや、クエリアには期待してるっすよ。ちびっこを説得するならちびっこどうしのほうが話が合うと思って」 「なるほど……ってだから! わたしを子ども扱いするなーっ!!」 しばらく進んでわたしたちは、ぬいぐるみの魔女がいるという島に降り立った。 たしかバウムヴァルとかいったっけ? 無人島のくせに名前がついてるなんて、ちょっと生意気だな。それだけ噂に有名な場所なんだろう。 バウムヴァルはすごく小さな島だった。 中央にピンクの壁と紫の屋根がついたかわいい家がひとつと、その隣にカボチャ畑がひとつ。そして小さな池がひとつあるだけだ。 畑にはかかしが立っていて、カボチャをくり抜いたものが頭になっている。そのカボチャのかかしが、もうすぐ熟しそうなカボチャたちを守っている。 池を覗き込んでみると中には赤に緑、オレンジにピンクといったカラフルなカエルがたくさん泳いでいる。残念ながら青いのはいないようだ。 そして家のまわりには色とりどりの花が咲き乱れてお花畑のようになっている。 なんともメルヘンちっくな島だ。 「いかにも女の子が住んでそうな場所だな。ブルーがないのが気に入らないけど」 「とりあえずあいさつしてみるっす。びっくりさせるといけないっすから、クエリアはちびっこの姿に変身しておくんすよ」 「ちぇっ。あの姿は好きじゃないんだけど、しかたないなぁ」 セッテが家まで歩いていってドアをノックしている間に、わたしは以前にクルスに教えてもらったやり方を思い出しながら、フリードが「お譲ちゃんお譲ちゃん」と呼ぶ姿に変身した。 むむ。やっぱりちょっと難しいな。今回は耳とツノがそのまま残ってしまった。まあ、このくらいはアクセサリーですってことにしてごまかしておこう。 セッテがドアをノックすると、その向こうからかわいい声が聞こえてきた。 「は~い。どちらさま?」 そしてドアを開けて出てきたのは、きっとフリードが見たら変な声を上げて悦びそうな小さな少女だった。たぶんニンゲンに化けたわたしよりもっと幼い姿だ。 「あれまあ。これまたかなりちびっこいのが出てきちゃったっすね! どうも、はじめまして。おれは炎の魔法使いのセッテです。あっちはクエリア」 「そうなんだ。あたしはプラッシュですっ! よろしくね」 魔女っ子がこっちを見たので、とりあえずわたしは会釈を返した。 むむむ。ニンゲンなんかに頭を下げることになるなんて。いやいや落ち着け、あれはまだ子ども所詮は子ども……。ここはオトナのたいおーってやつで……。 「おじちゃんたち、あたしに何かご用?」 「ははは、おじちゃんはひどいっすねー。まあいいや。おれたち、君の噂を聞いて会いに来たんすよ。まだ小さいのにすごい魔法使いなんだって?」 すると魔女っ子は得意そうに胸を張ってみせた。 「えっへん! そうよ。あたし、すごいのよ。それじゃあ、二人はあたしに会いに来てくれたお客さんなのね。やったぁ! お客さんなんてひさしぶり!」 魔女っ子はぴょんぴょん跳ねて喜びを表現している。……あざといやつめ。 一方セッテは笑顔でその様子を眺めている。なんだあの顔、わかりやすくデレデレしちゃって。男なんて竜でもニンゲンでも結局いっしょなんだな。 「えーっと、それでっすねぇ。プラッシュちゃんのすごい魔法の力を見込んで、ちょっとお願いしたいことが――」 「待って! せっかくのお客さんだもの。おもてなししなくっちゃ!」 セッテが魔女っ子に会いに来た理由を話そうとしたが、あざとい魔女っ子の媚びたような黄色い声がそれをかき消した。 「ちょっと待っててね。ちらかってるから、ぱぱっとかたづけちゃうね」 そう言ってあざとい魔女っ子は家の中に顔をひっこめた。 そして魔法で部屋を片付け始めたのだろう。窓からは淡い光があふれ始めた。 「ふん、話を聞かない強引なやつだな。わたしはおもてなしなんてどうでもいい。適当に切り上げて、さっさと説得して、ぱっと帰るんだからな!」 「あれあれぇ? クエリア、なんでそんなに機嫌悪いんすか?」 まだデレデレしたような表情でセッテがわたしの顔を覗き込んでくる。 「あっ、もしかしてヤキモチっすか? おれがあの子に取られるとか思ったりしてるんすね? 大丈夫っすよ。おれはちびっこみんなの味方っすから」 「ちょ、な。そ、そんなんじゃないっ! なんかわからないけど、なぜかちょっと腹が立っただけだ! そ、そうだ。きっとこれは罠だぞ! あの魔女っ子、きっと猫を被ってるに違いない。入ったところで襲ってくるに違いないっ!!」 「はいはい。落ち着くっすよ。ほら、アメちゃんやるから」 「うううう。なんかわからないけど、なんか悔しい」 セッテにもらった飴玉を口の中に放り込んだら少し落ち着いた。 あっ、メロン味だ。いちごは? いちご味はないのか? それから少し待つと、再び魔女っ子が顔を出してわたしたちを家の中へと招き入れた。よーし、見てろ。今にその化けの皮をはがしてやるんだから。 「いらっしゃいませ~。ようこそ、ぬいぐるみの館へ~」 家の中は、外と同様にピンクでメルヘンな世界だった。 ふわっふわの絨毯。ふっかふかのソファ。部屋の中にはところ狭しとぬいぐるみが並べられていて、さらにもっふもふの黒猫がわたしたちを出迎えた。 「わぁ……。思ったよりすごい……」 あらゆるものがふわふわでもふもふしている。ソファはもちろんのこと、机やタンス、棚までもが毛皮のようなもので加工されている。世界観がもふもふだ。 歩くたびにふわふわの絨毯が足の裏をなでて心地よい。 「さあ、どうぞおかけになって」 魔女っ子はわたしたちをソファに促した。 ふかふかのソファに腰を落とすと、これがまたかなり心地いい。ただ座っただけで身体中の疲れがどこかへと吹き飛んでしまうかのようだ。身体がソファへと深く沈みこんでいき、あまりの心地よさに思わず口からはため息が漏れる。 わたしはさっきまで何をそんなにイライラしていたのだろう。緊張の糸が切れてすっかりリラックスしてしまった。力の入っていたしっぽも今はすっかりぐでんとなってしまっている。 (ちょ、クエリア! 尻尾出てるっす! 早くしまうっすよ!!) (んぅー、わかってる。でも気持ちよくて……あと五分だけぇ……あふぅ) 「クエリアちゃんは竜なの?」 めざとくそれを見つけた魔女っ子がど直球に聞いてきた。 隣でセッテが慌てて言い訳をしているようだが、もはやわたしにはそんなことはどうでもよかった。 ああ、いいなぁ。このソファってやつ。本で読んだことしかなかったけど、すっごく気持ちいい。硬い氷ばっかりだったニヴルとはまるでちがう。しあわせ。 「いいよ、かくさなくても。さいしょから気配でそんなかんじはしてたし、あたしは竜とか人とかでさべつはしないの。だから気にしないで、おともだちになろ?」 「そ、そっすか。それはよかった。大丈夫っすよ、クエリアはちょっぴりおてんばだけど、いい竜っすから。それはおれが保証するっす」 ふむふむ。どうやら魔女っ子には初めからわたしの正体はわかっていたみたいだな。さすがは魔女を名乗るだけのことはあるか。どうやら先にわたしの化けの皮がはがされてしまったらしい。でもいい。許しちゃう。だってソファ柔らかいもん。 「ねえねえ。セッテちゃんはどこから来たの? やっぱりユミルから? クエリアちゃんは竜だからムスペかニヴル?」 この魔女っ子はこの島からあまり出たことがないらしく、次々と外の世界について質問してきた。それを夢心地のわたしに代わってセッテが答えていく。 その外の世界が気になってしょうがない気持ち、わたしにはよくわかる。少し前まではわたしもニヴルから出たことがなかったから、外の世界というのはすごく新鮮で面白い。何もかもが雪と氷でできていたニヴルとはまるでちがう。 本でしか読んだことがなかったものがこうして実在して触れるのがいい。それが本当に楽しい。とくにこのソファは今までで最高だ。もって帰りたいぐらい。 「クエリアちゃん水竜なのね。すっごーい、あたし初めてみた。からだながーい」 あまりの心地よさに魔法が解けてしまったらしい。いつの間にかわたしは元の竜の姿に戻っていた。そして今はセッテを押しのけてひとりでこの気持ちいいソファを占領してしまっている。 水竜の細長い身体にはこのソファはちょうどいい。だって身体を丸めると全身がすっぽりとソファに収まってしまう完璧な大きさなのだから。まるでわたし専用にあつらえたかのように最高にパーフェクト。ああ好(い)い。 「ちょっとクエリア。さすがにリラックスしすぎっすよ。一応、おれたちはお客さんとして招かれてるんだから、それなりに行儀ってもんをっすね……」 セッテが何か言ってる。でも聞こえな~い。 もはやわたしはこのふかふかソファの虜なのだ。もう何があっても絶対にわたしはここから動かないぞ。わたしはここが気に入った! ふわふわでもふもふであたたかい。ぬくぬくでぽかぽかできもちいい。 ニヴルでは絶対にあり得なかったこのヌクモリティ。寒さと厳しさとはまるで正反対なこの世の楽園。このソファは優しさ100パーセントでできています! ごろんと寝返り。柔らかい毛が背中をなでる。 ああぁあぁぁ~~~っ! これはすごくいい! 声にならない声が心の底から湧き出てくる。さらにすごいのはお腹を上にして寝ても寒くない! なるほど、これはニンゲン最高の発明に違いない。認めてやる。 ああ、ここがわたしの天国か。しあわせすぎてもう死んでもいい。 「クエリア……。さすがにそれはお行儀が悪すぎっす」 むふーん。さてはセッテめ、うらやましがっているな。 お行儀だかなんだか知らないが、それはニンゲンが作り上げた文化だ。竜のわたしにはそんなもの関係ないのだ。だからもっとやっちゃうもんね。 そ~れ、ごーろごろごーろごろ。あふぅぅぅん、きゅぅぅぅん。 「ふぅ。よし、セッテ。あの魔女っ子は絶対に仲間にしよう。わたしはこのソファが欲しい。あいつが仲間になったら、わたしはこれをもらう」 「そ、そっすね……。それじゃそろそろ本題に入るっすよ。プラッシュちゃん、実はおれたちはお願いがあってここに来たんすよ」 セッテがこんどこそ、ここへ来た目的を説明した。 トロウという悪い魔法使いをやっつけるために、君のすごい魔法の力を貸してほしいんだ、とかそんな感じ。うん、もっと細かく説明してもいいよ。長ければ長いほど、わたしはソファの気持ちよさをたっぷりと堪能できるんだから。 あ、黒猫がわたしの上に飛び乗って眠り始めたぞ。 ふゎぁ……。ああ、なんだかわたしまで眠くなってきた……。 魔女っ子は素直にセッテの話を聞いていた。 子どもに難しい話がわかるだろうかと思ったが、とりあえずは伝わったらしい。 「そのトロウちゃんがいじわるするのね? じゃあ、そんなのダメって教えてあげないとね」 「そうそう。悪い子にはおしおきが必要なんすよ」 「えー。おしおきやだ。あたしはおしおききらい。トロウちゃんがいじわるするのはきっとさみしいからだと思うの。だからあたしは、おともだちにしてあげるの」 「そ、そっすか。そういう考え方もあるっすねぇ……。まあ、方法はおいおい考えていくっすよ。だから君もおれたちを手伝ってくれると嬉しいんすけど」 すると魔女っ子は笑顔で答えた。 「うん。それじゃあ、あたしたちもおともだちになりましょ」 「ありがとう! 感謝するっすよ」 それじゃあお友達の印に、と魔女っ子は飲み物を持ってきた。かわいいティーセットがテーブルの上に置かれる。そして魔女っ子が呪文を唱えると、まるでペンキのように濃いピンクの液体がカップに湧き出てくる。 (う……。な、なんかすごい色っすね。これ飲めるのかな) 「さ、どうぞ? あたしとくせいのスペシャルドリンクよ。おともだちになるならこれを飲んで。とってもおいしいのよ」 「あ、ありがとっす。おいしそうだなー。でもおれ、今は喉かわいてないから、気持ちだけありがたくちょうだいしておくっすかねー、ははは……」 セッテがやんわりと断ろうとすると、魔女っ子は顔を真っ赤にして怒った。 「そんなのダメよ! おともだちになるなら、これがルールなのっ! こう見えてもあたしは魔女なのよ。魔女っていうのはね、儀式をだいじにするの。だからこれはおともだちをつくる魔法の儀式なの。ないがしろにしちゃダメなんだからっ!」 「わ、わかったわかった。おれが悪かったっすよ。そ、それじゃいただきま~す」 恐る恐るセッテがカップに口をつける。その表情は最初はおっかなびっくりといった様子だったが、すぐにそれは明るいものに変わった。 「あれっ! 本当にすごくおいしいっす! 甘すぎず酸っぱすぎず、このほのかに漂ってくるリンゴのような香りはカモミール? それに桃の香りもするっすねぇ」 「うふふ。そうでしょ? あたしの自慢の一杯なんだから。さあ……クエリアちゃんもどうぞ飲んで? すごく……おいしいんだから……」 にんまりと笑いながら魔女っ子はわたしにもカップを手渡してくれた。 では寝転がりながらの体勢だけど失礼して、一口。 すぐに甘い香りが口の中に広がった。たしかにセッテの言うように甘すぎることはないし、とても濃厚なのにしつこくもない。とろんとしていて、いわゆるハーブティーとは少し違う飲み物のようだけど、これはこれでなかなか良い。 そして心を落ち着かせる香りが、からみつくように嗅覚を刺激する。すると身体が軽くなったような、とてもうっとりとしたような心地になってくる。 ソファの気持ちよさと相まって、なんだかすごくふわふわしたような感じになってきた。まるで芯から身体がとろけて柔らかくなっていくかのように……。 ああ、まぶたが重い―― まるで夢のような感覚―― そこでわたしは奇妙な夢を見た。 わたしは変わらずソファの快感に身をうずめているのだが、その前に一人のニンゲンが立ち塞がっている。それはあの魔女っ子プラッシュだったが、どうも雰囲気がそれまでのものとはまるで違う。 プラッシュは表情を歪めてにやりと笑うとこう言った。 「うふふ……。水竜は初めてなのよね。ニヴルの竜は滅多に外に出てこないから。だからあたしはあなたに会えて嬉しいのよ、クエリアちゃん?」 なんだこいつ。本当にさっきのあの子どもと同一人物なのか? 目の前のプラッシュには子どものようなあどけなさもなければ、狙ったかのようなあざとささえもない。むしろ子どもらしからぬ妖艶な雰囲気が感じられる。 「きっとみんなもあなたのことを気に入ると思うわ。心配はいらないわよ。ここにはあなたと同じ竜の子もいるから。さあ、『おともだち』になりましょう?」 呪文を唱えながらプラッシュはわたしの頭に向かって手をかざす。 すると、その手から眩しい光が放たれてわたしの身体を包み込んだ。 (魔法!? い、いきなり何をするんだ。その手をこっちに向けるな!) しかしわたしの身体はまるで石になったかのように動かなかった。 いや、石になったという表現は少し違うか。縛り付けられているとか、固まってしまっているというような感覚ではなかった。身体はすごく軽い。まるで綿のように軽く感じられる。それなのにまるで力が入らないという感じだ。 「うふふ。かわいい子……。さぁて、あっちの赤い男の子も『おともだち』にしてあげないと。コレクションがふたつも増えるなんて今日はいい日ね」 そう言いながらプラッシュは視界から消えた。 後ろ姿を目で追おうと思ったが、相変わらず身体が動かない。感覚はちゃんとあるが、ただただ脱力しきってしまって身動きが取れない。 そのとき身体に異変が起きた。 左腕が急に温かくなってきたかと思うと、腕の内側から何か膨張感が広がり始めたのだ。視界の外に腕があるので何が起こっているのかは見えないが、感覚としては腕が風船になって膨らんでいくような感じがする。 しだいに膨張感は左腕全体に広がっていって、指先までがぽんぽんに膨れ上がった。すると左腕はつっぱってぴんと前に腕を伸ばした状態になった。 そこでやっと視界に入った左腕はぽっこりと膨れ上がって、しかも少し小さくなっているような気がする。さらにその表面は見慣れたマリンブルーの鱗ではなく、色こそ同じではあるが、ソファと同じもふもふの毛皮のように変わっている。 (な、なんだこれ!? 何が起きてるんだ!!) 左腕はぷらぷらと揺れている。だがその腕にはもう感覚はなかった。軽い感覚もなければ、膨張感ももう感じられない。 よく見ると、指先の鉤爪は薄っぺらくてぺらぺらになっている。鉤爪はもふもふしていなかったが、まるでただの布切れのように変わってしまった。 もはやその左腕はわたしの身体から生えている、ただの物体だ。 (う、腕が……どうしてこんな……ひぁッ!?) 続いて同様の現象が右腕、両脚にも起こった。こうしてわたしの手足のすべての感覚が消えた。 手足が感じられなくなり、長い胴体を蛇のようにくねらせてこのわけのわからない状況から逃げ出したかったが、動かせない身体がそれさえも許してくれない。 追い討ちをかけるように、こんどは胴体やしっぽが膨らみ始めた。 ちょうど目に見える位置にお腹があるので、こんどは身体が変化していくようすがよく見えてしまう。 どんどんお腹が膨らんでいくと、それに反比例して胴体がどんどん小さく、そして丸っこくなっていく。まるでお腹の中に何かをこれでもかと言わんばかりに詰め込まれていくような感覚。 胸が苦しくなり呼吸も荒くなる。しかし身体の膨張が進むと、胴体からの感覚もしだいになくなっていき、胸の苦しさも呼吸の荒さも消えた。 しっぽもずいぶんと短くなってしまい、勝手に背中の側へとくるんと曲がった。 今のわたしは両手両脚を前にぴんと伸ばして、お尻をぺたんと下につけて座っているような体勢をしている。全身がずいぶん丸っこくなってしまって、もう水竜の細長い身体の面影はどこにもない。 (なんで……こんな……。んむッ!? 口のなかに……んむむむーッ!?!?) 休む間もなく変化は顔にも表れた。 突然、口の中に何かが湧き出し始めた。一瞬にして口いっぱいに広がったそれが口の端から少し漏れ出すのが目に入った。白くふわふわしたそれは―― 綿だ。 わたしの身体の中に湧き出して、こんなにも膨張してぽんぽんにしてしまったのはこの綿だった。今のわたしの身体には綿がいっぱいに詰まっているのだ。 (い……やだ……こ…んな……。もと…………もどし……て……………………) 最後にわたしが見たのは、目の前にちょこんと座り首を傾げる黒猫の姿だった。 しかしそれもほんの少しの間だけのこと。とうとう目がただのガラス玉のように変わってしまい、視覚を含むすべての感覚がわたしから奪われた。 その最後の瞬間に、黒猫の目が妖しく光ったような気がした。 やがて綿はわたしの頭の中まで埋め尽くしてしまい、それに伴ってわたしの意識も徐々に薄れていった―― 『ニヒヒヒ……。ハロー、おともだち。ようこそ、ぬいぐるみの世界へ……』 Chapter24 END 魔法戦争25
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Chapter17「セッテの能力」 氷の城を出ると、オットーとフリードが待っていた。 どうやらフレイが戻ってくるのが遅いので、心配していたらしい。 「クルスに様子を見に行かせたのですが……。何かあったのですか、王子?」 「大丈夫だ、待たせてすまない。だけど交渉はうまくいかなかった」 「やはりだめでしたか。ムスペのときと同様、氷竜にも我々に協力するメリットがない。失礼ながら、今回も難しいだろうとは薄々感じておりました。クエリアの件があるのであるいは、と思ったのですが」 ニヴルヘイムへ向かうことは自分が提案したのに、こんなことになってしまって申し訳ないとオットーは深く頭を下げた。 「君のせいじゃない。だめだったものは仕方がない。落ち込んでいる暇があったら次のことを考えないとね」 そうオットーに言うと同時に、それは自分自身にも言い聞かせる言葉だった。クルスに諭されたフレイは、今はもう吹っ切れたような顔をしている。 「それでさっそくなんだけど、みんなを頼らせてほしい。ムスペもニヴルもだめだった。もう僕には心当たりがない。……これからどうしたらいいと思う?」 この空にはムスペルスやニヴルヘイム、そしてユミル以外の国が存在しないわけではない。だがそれは、ここから遥かに離れた空域にある。ほとんど縁も交流もない国が、星の裏側にあるような遠国のユミルに手を貸してくれるだろうか。 オットー、クルス、フリードの三人はそれぞれの意見を言った。 「王子、ここは発想を転換してみてはどうでしょう。国にこだわる必要はないのではと思います。例えば風竜のように国を持たない者もいる。地道で長い道のりにはなりますが、一人ひとりそういった者を味方につけていく方法もあります」 「ほう、たしかにその通りじゃ。どこかに我々の他にもトロウに反旗を翻そうと機を待っている者もいるかもしれん。それに人間とてすべてが奴に共感しているわけでもあるまい。無理やり従わされておる者もいるはず。そういった者を味方につけるのもひとつの手じゃな」 「それなら俺もひとつ提案させてもらうぜ。前に話したアルヴのことは覚えているか? そこには俺みたいな傭兵や、ワケありで身を隠しているやつ、他に行き場がなくて流れてきたやつなど、色んなやつがいる。もしかしたらあんたに共感してくれるやつもいるかもしれないぜ」 そうだ、アルヴだ。この蒼い傭兵はそこから依頼を受けてやってきたと以前言っていた。人や竜の集まる場所に乏しいこの空に、まだ行ってない場所があった。そこに行けば何か可能性があるかもしれない。 フレイはそう考えて、次の目的地をアルヴに決めた。 「フリードの依頼主っていうのも気になってたところだ。それじゃあ、アルヴへの案内をお願いしたい」 「よしきた。といっても場所を言葉で説明するのは難しい。まずは船に戻ろうぜ」 「そうしよう。ところでクエリアは?」 「お譲ちゃんはさすがにニヴルに残るだろ。あんなんでもこの国の王女様だっていうんだし、まだ幼いから親御さんも心配するだろうしさ」 話がまとまったところで、四人は氷の地下空間を後にするとニヴルヘイムの地表へと出た。どこまでも氷の大地が広がっていて、その中にぽつんと小さな船が浮かんでいる。クルスが大地の魔法でツタのはしごを下ろして、それで船の上に登る。 「さてと。それじゃアルヴへの行き方なんだがな。正確には俺が案内するわけじゃないんだ。まずはこいつを見てくれ」 そう言ってフリードは、首にかけた小さな袋から緑色の玉を取り出した。ビー玉ほどの大きさで覗きこむともやのようなものが見える。 「中に緑色のもやが見えると思う。そいつが偏っている方角に向かえばいい」 アルヴは浮島ではなく、雲そのものを魔力で固めて作られた足場の上にあるのだという。そのため、その位置は風に流され常に一定ではない。 どこにあるかもわからない、しかし確かに存在する雲の島。地図に載らない秘密の島。それが隠れ里アルヴだ。 「確かな場所がわからんのでは、自動航行はできんのう。仕方がない、このクルス船長が自ら舵をとってやろう。ほれ、その石ころを私に貸せ」 緑色の玉を受け取ると、クルスは舵を取りに向かった。 やがて魔導船グリンブルスティは、南西の空へと動き始めた。 一方その頃、ドローミの島ではセッテが必死に介抱した甲斐もあり、セルシウスがようやく意識を取り戻していた。あくまで応急処置しかできず、まだ身体中にはいくつもの傷跡が残っているが、起き上がれる程度までには回復を見せていた。 「心配をかけたな、セッテ」 「なーに言ってるっすか! ムスペで修行してた頃は散々世話になってたっすからね。お互い様っすよ」 屈託のない笑顔でセッテは答えた。 「それに困ってる友人を放っておけるほど、おれは薄情じゃないっすからね」 「友……か。私のことをそう呼んでくれるのは、おまえだけだな」 「兄貴に聞かれたら、一国の王子に対して礼儀がなってない! なーんて怒られそうっすけどね。でもおれは一緒に城を抜け出して食べた、ムスペまんじゅうのあの味は今でも忘れないっすよ」 それは10年ほど前のこと。ムスペルスで炎の魔法の技術と知識を高めるために修行していた頃のことだ。 その当時は人と火竜の交流は今以上に浅く、修行とはいってもムスペルスで研究を行っている学者や賢者たちから教えを請うというもので、基本的に人と火竜が交わることはほとんどなかった。 しかしセッテは違った。 あろうことにもムスペルス王城に一人で乗り込んでいき、そこにいた火竜をつかまえて、直接魔法の教えを請うたのだ。持ち前の好奇心というか、怖いもの知らずというか、そういったセッテの前向きな性格だからこそ為せた業だった。 最初は馬鹿にして相手にもしない火竜たちだったが、しだいに面白半分で火竜の子どもたちがセッテの相手をするようになった。仔竜たちは力の差を見せつけてやれと言わんばかりに稽古と称してセッテに厳しく当たったが、そんな仔竜たちの炎の魔法をセッテは見よう見まねであっという間に修得してしまい、仔竜たちでは手も足も出ないほどの実力をつけるのに時間はかからなかった。 その噂はすぐに広まり、火竜王は面白がって王子の訓練にセッテを参加させるように命じた。セルシウスとセッテが初めて出会ったのはそのときだ。 それから数年を共にして、二人の間には強い絆が芽生えていくことになる。 セッテはこう考えていた。 孤独は心を冷たくする。間違った道に進んだとき、それを正してくれる者がいないこと、それは不幸だ。 これは友人間の話だけではない。地位や種族にも言えることだ。 身分が違うから、種族が違うからといって一歩距離をおいた付き合い方をするのは間違っている。逆だ。身分が違うから、種族が違うからこそ、お互いのことをよく知るためにより近い距離で接するべきだ。道に迷ったときは共に迷い、過ちを犯せばそれを教えるために。 中にはそれをうとましく思うものもいるだろう。しかし人を問わず、種族を問わず、誰とでも友達になれるその性格は、紛れもなくセッテの長所の一つだった。 「私も忘れてはいない。忘れるものか。そのとき父上にひどく怒られたこともな」 「いやぁ、あのときのファーレンハイト様は超怖かったすよねぇ! あははは」 「ははは。まったくだ」 二人してひとしきり笑ったあと、セルシウスがゴホゴホと咳き込んだ。 「おっと、安静にしてなくちゃだめっすね」 「すまんな……。私は故郷のことが心配だ。それに父上も。早く力を取り戻して、様子を見に行きたいのだが」 「無理しちゃだめっすよ。まだ空を飛べるほどの体力は戻ってないんすから。何か回復させる手段でもあればいいんすけど。薬草とか生えてたらラッキーっすけど、おれじゃ雑草と薬草の見分けもつかないし、うーん」 しばらく首をひねっていたセッテは「そうだ!」と閃いて立ち上がると、突然走り出した。 「ちょっと待て。どこへ行くんだ?」 「フリードが言ってたっすよ。近くに水竜のおちびちゃんが捕まってた建物があるって。研究所らしいっすから、きっと回復薬のひとつぐらいあるはずっす。おれ、ちょっと見てくるっす!」 「一人で大丈夫か?」 「平気平気! セッちゃんはそこで待ってるっすよ」 笑顔で手を振りながら、セッテは氷が溶け始めた森の向こうへと消えていった。 蒼き勇者の襲撃を受けてから数日の時が流れたドローミの研究所だった施設。 今や人の気配もなく、放置されたがらくただけが戻らない主の帰りを待つ。 そんな廃墟も同然の建物に蠢(うごめ)くひとつの影があった。 影は何かを探すように、がらくたの山をひっかきまわしている。 「何があっタのかは知ラないが、誰モいないなラ好都合だ。何かオれでも使えソうなモノはないダろうか……」 肉が腐り落ちて骨がところどころ露出した異形の存在。それは以前ドローミのもとから逃げ出したはずの、あの竜くずれだった。 ドローミの言っていたように、ボロボロになった翼では空を飛ぶことができず、ふらふらとこの浮島の中をさまよったあげく、結局またここに戻ってきた。 今のままではどこへも行けない。この島に唯一ある建物はここだけだ。だから竜くずれは、島を出る手段を求めてこの場所に帰ってきたのだった。 竜くずれはがらくたの中から薄汚れた魔道書を手にとって、適当なページを開いてみた。そこには手書きの文字と、魔方陣や幾何学模様の図が並んでいる。 文字の文化を持たない竜には魔道書は読めなかったが、図の意味ならば少しは理解できた。 「これはオれの知っていル術式とは違うな。ニンゲンが独自に生み出シたものか」 そもそも魔法とは一般的なものこそ広く知られているが、中には特定の誰かの手によって、あるいは特定の状況下で独自の進化を遂げたものも存在する。 使用者の技量はもちろんのこと、その意志や想いが形となって具現化するというのが本来の魔法というものだ。 人間はあくまで呪文によって精霊の力を借りて魔法を使っているだけに過ぎず、それゆえに行使できる力に限界がある。それが精霊魔法の限界だ。己の魔力に依存し、自身の想いを発現させる精神魔法こそが本来の魔法に近い。 だがこの魔道書にあるのは、そのどちらでもないようだった。 竜くずれの手に取った魔道書にある紋様は、例えるならば電気回路の増幅器を魔法で再現し、さらにその効率を高めたもので、この方法を用いれば魔力が弱い者でも強大な魔法を実現し得ることを示していた。 これは魔法というよりも科学に近い。いや、魔法と科学の融合と言うべきか。 「こんナ方法を思いつクとは……。これはあいつが書いタのか? 頭のおかしい奴ダとは思っていタが、こレ程までとは。まるで悪魔のようナ男だ」 しかしこの術式を実際に使うとなれば、使用者の受ける負荷は著しいことになるだろう。その魔道書が示していたのは、生命力を消費して魔力を増幅させる方法であり、使用者にそれに耐え得るだけの肉体を必要とする。もし使用者にそれだけの生命力がないのであれば、それ相応の代償を捧げなければならない。 ――それがたとえ、他者の生命力であったとしても。 ドローミは竜くずれたちを失敗作と呼ぶこともあった。 それは実際に何かの実験を試みた結果の失敗作でもあったし、それ以上はドローミとっても不要な存在でしかなかった。 だがドローミはその不要な存在に新たな活用法を見出した。 失敗作とはいえ、竜は強靭な体力を持つ生き物だ。そう簡単に死にはしない。 そこでドローミは失敗作を檻に閉じ込めて、その生命力を奪って新たな術式の研究に使っていたのだ。 もちろん、死なせてしまうようなヘマはしない。死なない程度に生命力を奪ったら、あとは竜の頑丈な身体に任せて体力が回復するまで待つ。そうして十分な体力が戻ったら、再びその生命力を「回収」するのだ。 そうして何度も生命力を奪われ続けていった結果、失敗作たちの身体はボロボロになり、とうとうゾンビのような外見へと変わり果ててしまった。 ドラゴンゾンビ、竜くずれ。彼らはそうやって誕生したのだった。 「それほどマでの魔力を集めテ、奴は一体何を企んでいタんだ? 何にせよ、絶対に許せナい。いつの日か、力をつけたラ必ず復讐シてやル……!」 力に任せて握り締めると、魔道書はぐずぐずに腐り落ちて床に染みを作った。 ちょうどそんなときだった。竜くずれと別の存在がこの廃墟を訪れたのは。 「わ。な、なんすかあれ……。ば、バケモノ!?」 よく目立つ赤いローブに身を包んだ青年。あれはセッテだ。 回復薬を探しに来たセッテが最初に見つけたのは、散乱するがらくたの中を這い回る異形のドラゴンゾンビだった。 「魔道士か。貴様モあの男の仲間か?」 「げっ、こっち向いた。お、おれなんか食ってもうまくないっすよ!」 目が合うと、セッテはがらくたの山の陰に姿を隠してしまった。 「何だ、まだガキではナいか。あんナのがあいつの仲間のわけもナいな。おい、そこのガキ。ここはおまエのような奴の来ルところじゃナい。すぐに帰レ」 「そ、そうしたいのもヤマヤマっすけど、おれはまだ帰るわけにはいかないっす。セッちゃんのためにここで回復薬を見つけないと……」 「薬ダと? そんナものを探しにどうシてわざわざこんナ所へ来る必要があル」 「おれの友達が……火竜のセッちゃんがひどい怪我で動けないんすよ。この島にはここしか建物がないみたいっすから、ここで何か見つけて帰らないと……」 「ほう? ニンゲンのクせに竜を助けルのか」 「人間とか竜とか関係ないっすよ! セッちゃんは大事な友達っす!」 たとえバケモノが相手でもセッテは馬鹿正直に事情を話した。そんな愚直ながらも純粋なセッテの言葉に、竜くずれも思うところがあったのだろう。ついてくるようにと促すと、竜くずれは建物の奥のほうへとゆっくり歩いていく。セッテは少しためらったが、恐る恐るその後に続いた。 少し進んで倒れた棚の前まで行くと、竜くずれはガラス瓶やくすんだ色の容器が散乱する中から何かを拾い上げると、ひとつセッテに向かって放り投げた。 「わっ、とと」 なんとか落とさずにそれを受け取る。白い小さな小瓶だった。 ラベルの文字はかすんでいて判別し辛かったが、どうやら傷を癒す類の薬だということはどうにか読み取れた。 「もってイけ。そしてすグにここを去レ」 それだけ言うと、竜くずれはふいと顔を背けてしまった。 セッテはしばらく受け取った小瓶を見つめていたが、ふと顔を上げて言った。 「あんたはどうするっすか」 「オれのことは忘れろ。おまエには関係ナいだろう」 「でもあんたもひどい怪我をしてるみたいっす。これはあんたも必要のはずっす」 「気にすルな。オれのはもう薬なんかじゃ治せナい。いや、きっともう何をやっても治らナいダろうな……。だからいい。そレはおまエにやる」 そう言って背を向けて離れていく竜くずれをセッテは引き止めた。 「ううう……。ちょっと待つっすよ! お礼も言う前にいなくなってもらっちゃ困るっす。それになんかほっとけないっすよ!」 散らばるガラス片を飛び越えて、セッテは竜くずれの手をつかんで引っ張った。竜くずれの手は奇妙な液体が滴り落ちていて、さらにぬめぬめしていた。それは簡単にセッテの手から滑り抜けてしまうと、引っ張った勢いでセッテはガラス片の上に肘から転んでしまった。 「お、おいガキ。大丈夫か」 ゆっくりと立ち上がるセッテの右手からは血が流れていた。転んで手を付いたときにガラスで切ったのだろう。だが、それでもセッテは笑顔で言った。 「だったらおれが治し方を探してやるっすよ。だから、もし良かったらおれと一緒に来ないっすか?」 そして鮮血が流れるままの手を差し出した。 「おまエは馬鹿か? 会ったばかりの見ず知ラずのオれにどうシてそこまですル。おまエは恐ろしくナいのか? オれは後ろからおまエを襲うかもシれないぞ」 「それはないっすね。わざわざ薬を見つけて投げてくれるような優しいあんたが、そんなことをするはずがないっす。だからわかった。あんたはいい奴っす」 一片の疑いもないといったような純粋な笑顔でセッテは竜くずれを見つめた。 少し悩むような素振りを見せつつ、竜くずれは差し出された手に自分の手を伸ばしかけたが、すぐに手を引っ込めてしまった。 「いや、やはり駄目だ。オれが触ったモノは腐ってシまう。なぜかはわかラんが、そうなルのだかラ仕方がナい。だかラその手を取ることはできナい」 「それじゃあ、おれの手を取らなくていいから自分で歩くっすよ」 「自分で歩け、ダと?」 おそらくセッテは何か深い意味をもってそう言ったのではないだろう。だが竜くずれはその言葉を次のように解釈した。 自分で歩けとは自分の意志で歩け。いつまでも迷ってないで一歩踏み出せ。 その一歩を踏み出さなければ、いつまで経っても何も変わりはしない。 だから自分で歩け。誰かに手を引かれるのではなく自分の足で。意志をもって。 「ふん。やはりおまエは馬鹿だな」 そう言いながら、竜くずれはセッテのほうへと一歩踏み出した。 「へへっ、よく言われるっすよ」 満面の笑みをもってセッテはそれを迎え入れた。 戻ったセッテが回復薬を飲ませると、セルシウスの状態はすぐに良くなった。 本来、服用薬というのは飲んですぐに効果が出るようなものではないが、そこは魔法の込められた薬である。「回復薬」とは回復の魔法を込めた錠剤であり、それを飲むことで回復魔法を受けたのと同様の効果が得られる魔具の一種なのだ。 「具合はどうっすか」 「ああ、だいぶ楽になった。礼を言うぞ。ところでひとつ聞いていいか?」 「なんすか?」 さっきからセルシウスの視線は竜くずれに釘付けだった。 友人が薬を探しにいったと思ったら、もれなく異形のバケモノがおまけについてきたのだから、それは気にしないほうが無理というものだ。 竜くずれのほうも、冷めた視線でセルシウスをにらみ返している。 「なんと言ったらいいのか……。アレは、その、何なんだ?」 どう形容すればいいのかわからないといった表情で、セルシウスはドラゴンゾンビを凝視している。驚けばいいのか、怖がればいいのか、しかしセッテがつれてきたのだから温かく迎えるべきなのか。セルシウスは混乱していた。 「新しい友達っすよ」 そんな異形の存在をセッテは迷わず友と呼んだ。 身分も種族も関係ない。外見に惑わされることなくその本質を見抜いて誰とでも友達になれるのは、純粋なセッテだからこそ持ち得る能力だ。 呆れたような顔で「おまえらしいな」とセルシウスはため息をついた。 セッテが認めた相手なら心配する必要はないだろう。そう考えて、セルシウスも竜くずれに対して敬意を表して名を名乗った。 「私はセルシウスという。貴殿の名は?」 「そういえば、まだ聞いてなかったっすね。なんて呼べばいいっすか?」 竜くずれは自分には名乗る名前などないと首を振った。曰く、自分はすでに一度死んだようなものであり、もはや昔の名前は名乗れないという。 「あえて名乗るのであレば、オれはオれをこんナふうにした奴に復讐すルことを誓った。だかラ、オれは復讐者(アヴェンジャー)だ」 「アヴェンジャー? あんまり名前っぽくない名前っすねぇ。うーん、それじゃあアヴェンジャーのヴェンさんってことでどうっすか?」 「何でもイい。好きに呼べ」 「じゃあヴェンさん。で、ヴェンさんはこれからどうするっすか?」 「ついてこいと言っタのはおまエだ。今のオれの身体じゃ一人ではどこへも行けナい。だからしばラくはおまエに同行すル。ついてこいと言っタからには、責任は取ってもラうぞ」 「何でもいいっすよ。好きにするっす」 こうして竜くずれ改めヴェンさんが仲間になった。 いや、勝手に仲間にしてしまった。 フレイたちと合流したときにちょっとした騒ぎになる未来が、セルシウスの目に浮かんでいた。 Chapter17 END 魔法戦争18
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Chapter19「母の願い」 銀魔将エーギル。冷気を操る蒼い魔道士は、こちらに敵意を向けている。それもただウサ晴らしをするというためだけの理由で。暗い表情からは、彼の鬱屈した性格が想像できる。 気をこね合わせるかのように両手の間に魔力を集めると、エーギルは手を突き出して溜まったエネルギーを放出する。それは無数の氷の矢となって飛来する。 フリードは剣で叩き落し、オットーは風で矢の向きを変えた。その後ろでクルスとクエリアが冷気に対する防御魔法を全員にかける。 「へえ、おまえ一人で俺たちとヤろうってのか。お譲ちゃんも入れてこっちは四人もいるんだぜ。4Pとは欲張りなやつめ。いや、おまえも足して5Pか。それって明らかに穴の数足りなくねえ?」 「な、何を言ってるんだ。この男は」 「まあいいさ。足りないなら増やせばいい。風穴を開けてやるぜ」 剣を振り上げてフリードが突撃する。エーギルは両手から吹雪を発生させて接近を拒むが、竜の少女たちがかけてくれた防御魔法のおかげで、雪風をものともせずフリードは突き抜ける。 相手がトロウの手下ならためらう必要などない。手加減することなく、フリードは蒼い魔道士の無防備な胴体を剣で突いた。 だが手ごたえはなかった。 剣で突いたその瞬間に、エーギルの身体は液体のようになって溶けてしまうと、真っ蒼なローブだけをその場に残して姿を消してしまった。 「消えたぞ! 奴め、そんなに恥ずかしがり屋さんだったのか?」 「いや、気配は消えておらん。どうやら魔法で身体を液体に変えたようじゃ」 「まじかよ。そんなふにゃふにゃじゃ、立つものも立たないぜ」 「……とにかくまだ近くに潜んでおる。気を抜くでないぞ」 「わかった。みんなもケツの穴はしっかり守っとけよ」 「な、なんでそうなる!」 四人は警戒しながら周囲を見渡した。ここは氷の洞窟の中だ。周りのすべてが氷の壁で覆われている。すべてが凍っているのだから、地中や壁の中に隠れることはできない。敵は必ずその表面にいることになるので、目に見える範囲に潜んでいるのは間違いないはずだ。 さあ一体どこから仕掛けてくるか。氷の中には隠れられないとはいえ、液体ならばその表面は移動できる。つまり天井から攻撃してくる可能性もある。 緊張からか、背中にはひやりと冷たいものを感じる。こんな寒い場所でも冷や汗はかくものなのだな、とクルスが考えていると、クエリアが驚いた声で叫んだ。 「クルス! うしろうしろーっ!」 振り返ると背後には、今まさに液体から人の姿に戻って攻撃を仕掛けようとしているエーギルの姿が見えた。 ひやりと感じたのは冷や汗ではなく、液化したエーギルだったのだ。 「こいつッ! やりおるな」 エーギルは氷で覆って本物の剣のようにした手刀でクルスの首を狙った。 「だが甘いのう。私をただの小娘だと思って最初に狙ったのがお主の過ちじゃ」 クルスの首が長く伸びていき、すぐにエーギルの手は届かなくなる。同時に胴体や四肢も比例して大きくなっていき、クルスの姿は地竜に変わった。 「通路は狭くて難儀じゃが、ここは広いから気にせず暴れられるぞ。さあ、地竜相手にどう戦う? また水に化けようものなら、大地の力が水気を吸い取ってお主を干からびさせてやるぞ」 「ち、地竜だと! どうして地竜がニヴルに。まずいぞまずいぞ。これは不利だ。や、やっぱりボクは今日はツイてない」 慌ててクルスから距離を取ったエーギルは、氷のカプセルを作ってその中に閉じこもってしまった。 「私に手を出したのがお主の運の尽きじゃのう。これでも食らうがいい!」 自信たっぷりにそう言い放ったクルスだったが、氷の洞窟はしんと静まり返って何も起こらない。エーギルは恐る恐る氷のカプセルから顔を覗かせた。 「な、なにも、起こらないぞ?」 「ふ、ふむ。今の攻撃をかわすとは、お主なかなかやるのぅ……」 一応そうは言ってみせたものの、実際は何も起こっていない。 ニヴルヘイムは雲の上に大氷塊が載っているだけの大地だ。山も洞窟も城でさえも、すべてがひとつの氷からできている。土や植物は一切存在しない。 (しまった。この環境では媒体がないから、大地の魔法は一切使えんのか) 大地の魔法以外を使えないクルスではないが、その場合は竜の魔力をもってしても詠唱する必要がある。敵に攻撃できる隙をわざわざ教えてやることはない。クルスは大地の魔法の弱点を悟られまいと振る舞うが、その慌てぶりから大地の魔法が使えなくて困っているのは誰の目にも明らかだった。 「よ、よぉし。ま、まだボクにもツキはあるみたいだ。あの地竜はほとんど無力みたいだからな。先にあっちの竜人族みたいな子どもからやっつけてやる」 放置しても大した脅威ではないと判断したエーギルは、攻撃の矛先をクルスからクエリアに変えた。 氷の地面に手をかざすと魔方陣が現れる。そこから巨大な氷の刃が突き出すと、それはまっすぐクエリアのほうへ向かって連鎖状にいくつも出現して迫っていく。 一方クエリアは逃げるでも迎え撃つでもなく、ただそのまま突っ立っているだけだ。恐怖で動けないのかとその顔を見ると、自信ありげな笑みを浮かべている。 クエリアは迫る氷の刃に片手をかざすと、直接触れるまでもなく氷の刃はすべてが何事もなかったかのように消えてしまった。 「な、なんだと。こ、こいつ何をしたんだ」 「むふーん。このわたしに氷で勝負を挑むとは、おまえ馬鹿だな。ニンゲン如きの力で竜に敵うとでも思ったのか? 氷の扱いも水の扱いも、わたしのほうが一枚も二枚も……いや、千枚ぐらいは上手なんだからな!」 顔だけ水竜のクエリアは、口を大きく開くと水のブレスを放った。油断していたエーギルは直撃をもらい、身体をくの字にして飛ばされて、激しく氷の壁にたたきつけられた。 「ゲホッ……! あ、あれも竜なのか。妙な格好してるくせに……ゲホゲホ」 咳き込みながらうずくまるエーギルに、フリードは近づいて剣を突きつけた。 「おまえ攻めより受けのほうが向いてるんじゃないか? さあ、わかったらさっさと降参しな。そのほうが失うものは少なくて済むと思うぜ」 「お、おまえなんか怖くない。地竜が役立たずとわかったからには、おまえの剣もむ、む、無力なんだ。き、斬れるもんなら斬ってみろ!」 エーギルは再び液化すると、またしても姿を消してしまった。 やれやれとフリードは首を振る。そしてオットーのほうを振り向いた。 合図を受けてオットーは頷くと、両手を合わせて呪文を唱える。オットーの足元には魔方陣が現れて、呪文の詠唱に合わせてその範囲は次第に広がっていく。 魔方陣がこの氷のホール全体にまで広がると、オットーは詠唱を切り上げて両手を上方に高く広げた。 すると渦巻く風がこの空間全体に広がり、旋風が周囲の氷の表面を擦っていく。よく見ると氷の壁の一部がさざなみのように揺れているのにオットーは気付いた。 「そこだ!」 風は唸りを上げて揺れるその一点へと集約する。それはさながらドリルのように回転しながら氷の壁を削り取って穴を開ける。 削れた氷の欠片とともに水滴が周囲に飛び散った。その水滴は慌てて一箇所に集まっていくと、人の形になってエーギルの姿に戻った。 「む、無駄だぞ。そ、そんな攻撃じゃボクは、た、倒せないんだからな」 「そうかもしれないな。だがおまえの居場所はこれですぐにわかる。いくら隠れても無駄だぞ。そんな魔法じゃ我々は欺けない」 「く、くそう。なんなんだ、こいつら。思ったより手強い。このままじゃ追い詰められる。だめだだめだ。こうなったらもう、あれを使うしか……」 「何をぶつぶつ言っているんだ。さあ、諦めて降参しろ。ついでにトロウのことで知っていることを全て話してもらおうか」 「こ、こ、こ、断る! こうなったら、お、奥の手を見せてやる!」 再びエーギルの身体が液体に変わったかと思うと、その色がどんどん黒く変わっていく。黒くなった液体は泡立ちながら瘴気のようなものを発している。 『あ、あとで気分が悪くなるからあまり使いたくなかったけど仕方ない。ボ、ボクの本気を見せてやる。ボクは毒だ。人だろうと竜だろうと、この毒に触れればただでは済まないぞ。し、死んじゃうかもね。ふひ、ふひひひ……』 もう姿を隠すつもりはないらしい。黒い毒液は素早く氷の上を滑って移動して、さらには複数に分裂してオットーたちに襲い掛かる。 飛び上がって顔に迫ってくる毒液をフリードは剣で切り払ったが、それは二つに分裂しただけでフリードの頬と肩に落ちた。 「あちち!」 毒液を受けた頬は火傷をしたようにただれて、肩の鎧は煙を出して溶けた。さらにフリードはめまいを感じて膝をついてしまった。 「大丈夫か!?」 「ちょっとふらっとしただけだ。だがたしかに、これは何度も食らうとヤバいぜ」 「ここはすぐに俺の風で吹き飛ばして……。いや、他の仲間に飛び散ると危険か。それにしても毒とは厄介な」 竜の巨体では表面積が大きく毒にあたりやすいため、クルスは再び少女の姿になって逃げ回っている。頼みの綱のクルスに期待するのも難しいようだ。 残るクエリアに目をやると、逃げ回るどころか腕を組んで仁王立ちしているではないか。 「だから言ったではないか。ニンゲン如きが水の魔法でわたしに敵うわけないと。毒だろうと何だろうと水は水だ。わたしは水竜なんだぞ」 分裂した毒液はクエリアの周囲にだけはなぜか近寄らない。いや、近寄ろうとした毒液は弾かれるようにクエリアから離れていく。そして弾かれた毒液はしだいに動きがぎこちなくなっていった。 『うわっ。なんだこいつ! か、身体の言うことが……きか、な、い……』 「わたしに操れない水はないっ! 水竜の前で水に化けたのが馬鹿だったな」 クエリアがさっと片手を上げると、操られた毒液が一箇所に集まっていき、分裂する前のひとつの塊に戻った。さらに上げた手をぐっと握ると、水の球体が生成されて毒液を包み込んだ。毒液は水にとけ込んで薄まっていく。 『し、しまった……い、意識が、う、うす、れて……』 最後にもう一方の手を上げると、水の球体が凍りついた。すかさずフリードが駆け寄ると、それを剣で斬り付けて粉々に割ってしまった。 「ナイスコンビネーション! さすがわたしの一番の家来だな」 「家来じゃないって。それであの魔道士は死んだのか?」 「水になってるから死んでないと思う。でも凍ってしかもばらばらにされたわけだから、しばらくは動けないと思う」 「ふーん、そうか。よくやったぞ、お譲ちゃん」 褒められてクエリアは得意そうな顔をしてみせた。 「よし。この勢いで城に向かうぞ! お母様を説得してわたしは旅に出る!」 そして先頭に立って意気揚々と歩き出した。エーギルが気絶したことによって、塞がれていた通路の氷塊も消えてなくなっている。 「それはいいんじゃが、その中途半端な姿をどうにかせんか? ほれ、私も手伝ってやるから……」 「へーきへーき。それより調子がいいうちに城に戻――――ふぎゃぁーっ!」 言うそばから、クエリアは引きずる自分のしっぽがひっかかって再び盛大に転んでいた。 城の前につくと、氷竜の女王ヘルがちょうど城から出てくるところだった。わざわざ出迎えに来てくれたのかと思ったが、どうもそんな様子ではないらしい。ヘルはフリードたちの姿を確認するや否や、すぐにここを出るように言った。 「そなたたち、まだおったのか。ここは危険だ。すぐに脱出せよ! もはやこの国に安全な場所などなくなってしまった」 「お母様? 危険ってどういうこと?」 クエリアが駆け寄って尋ねた。クルスに手伝ってもらって、今はクエリアは再び少女の姿に落ち着いているが、頭には珊瑚のようなツノと、背中にはこんどはちゃんと二つの翼がある。 「クエリア? そんな変な格好をして遊んでないであなたも早く逃げなさい。たかがニンゲン一匹と侮っていた。あの侵入者は只者じゃない」 「侵入者? それならさっきわたしがやっつけたぞ」 「そうなのだとしたら、そいつはまだ死んでない。今やあいつはこの国そのもの。もはや国を捨てて逃げるしかない。だからあなたも早く逃げなさい!」 「えっ? 国そのものってどういう……」 そのとき氷の洞窟が大きく揺れた。 複数の氷柱が落ちてくるのをヘルが魔法で打ち払おうとする。しかし氷柱は自然に落下するにしては明らかにおかしい軌跡を描いてヘルを襲った。 「お母様、危ない!」 水のブレスを放って氷柱を弾き飛ばそうとするが、まるで意志をもっているかのように氷柱が自ら動いてブレスを回避してしまった。そしてそのまま氷柱はヘルを囲うように落ちると、そのまま固まって氷の檻になった。 そのときクエリアたちは聞き覚えのある声を聞いた。 『つ、捕まえたぞ、氷の女王! ふひひひ……。女王さえ押さえれば、もうボクが勝ったも同然だ。た、たった一人でニヴルを制圧したら、トロウ様もすごく褒めてくれるに違いないぞ』 「あっ。この声はさっきの!? 気絶したはずじゃ」 『お、おまえはさっきの。ま、まさかおまえがトロウ様の言ってた竜姫だったなんてね。で、で、でも、もうおまえは必要ない。おまえを人質にするつもりだったんだけど、この調子ならそんなことしなくてもこの国を制圧できそうだ。こうなったのもおまえのおかげなんだけどね。どうやら竜姫はボクの幸運の女神みたいだ』 「どういう意味だ! 何がどうなってるんだ!?」 エーギルが笑うと、氷の洞窟もそれに反応して大きく揺れる。 『教えてあげようか。ボクがニヴルヘイムになったんだ。この国の氷はすべてボクの思うがままってわけさ。キミがボクを水に混ぜてくれたおかげでね!』 「そ、そんな。わたしの……せいで……!?」 クエリアの魔法によって水と同化したエーギルは、凍らされて氷の洞窟に散らばった。そして凍ったエーギルはそのまま洞窟の氷とくっついて同化し、ニヴルヘイムの氷そのものとなった。 ニヴルヘイムは島雲に載ったたったひとつの大氷塊からできている。山も城も泉もすべてだ。その氷と同化するということは、このニヴルヘイムのすべてを支配下に置くということ。ゆえにエーギルは今や、この国そのものだった。 『ふふふ。すごく大きくなったような気分だ。念じるだけで、この国のどこにだって自分の意識を飛ばせる。ニヴルヘイムの氷全部がボクの身体だ。だから、こんなことだってできる!』 氷の地面が割れて、ヘルとクエリアの間に大きなクレバスが口を開けた。もはやこの国の地形でさえ、エーギルの手にかかれば自由自在らしい。 巨大な裂け目が竜の母子を分断し、続けてエーギルはうめき声を上げた。 『うっ……。じ、地割れはや、やめとこう。こ、これはボクも痛いみたいだ……。と、とにかくニヴルヘイムはもうボクのものだ! このボクの体内にいる限りは絶対に誰も逃がしはしないよ。ふひ、ふひひ、ふひゃははは!』 再び洞窟が大きく揺れると、通ってきた通路が狭まり始めた。心なしか天井も低くなってきているような気がする。 「まさかこのまま我々を押し潰すつもりでは!? 早く脱出しないと!」 「わ、わかってる。でもお母様を! お母様を助けないと!!」 クエリアは必死に手を伸ばすが、氷の割れ目のせいでヘルには近づくことすらできない。もし近づけたとしても、氷の檻をまずなんとかしなくては、ヘルを助け出すことができない。 時間がないと感じたヘルは、目が合ったフリードに向かって言った。 「妾(わらわ)のことはかまわん。そなたたちだけでもすぐに脱出せよ!」 「そうは言っても、女王さまはどうするんだよ」 「案ずるな、妾は自分でなんとかする。それよりも妾はクエリアのことが心配でならないのだ。だから母としてお願いする。娘をそなたに託す。どうかクエリアのことを守ってやって欲しい……」 氷の女王はクエリアを頼む、とフリードに頭を下げた。 そこには竜の誇りも種族の壁も関係ない。娘を想う母の愛だけがあった。 「ちっ。女王さまにそうお願いされちまったんじゃ断れないぜ。わかった。お譲ちゃんは俺が責任をもって保護する。だから次会うときまで死ぬんじゃねえぞ!」 ヘルは安心したように笑ってみせた。その直後、巨大な氷の塊が落ちてきて、フリードたちとヘルの間を完全に分断してしまった。 「お母様が! お母様が!!」 クエリアが悲痛な声で泣き叫んでいる。そんなクエリアを抱きかかえるとフリードは通路を引き返して走り出した。 「おい、聞いただろ。すぐにここを出るぞ! 出口を塞がれちまったら終わりだ」 「でもお母様がまだッ!!」 「今は我慢しろ! 女王さまならきっと大丈夫だ。次会ったときにおまえが元気で笑顔を見せてやれるように、今は我慢しろ。生きてここを出るんだ!」 「ぐすっ……。わ、わかった」 来た道を引き返して走る。クエリアを抱きかかえるフリードの後に、オットーとクルスが続く。 例の氷のホールを抜けて、さらに氷の通路を抜けて、氷の階段を駆け上がる。あとは一本道だ。正面に外の光が見える。 「出口はすぐそこだ! フレイが待ってる。滑るから気をつけろよ」 しかしあと少しで出口にたどり着く、というところで氷の塊が落ちてきて出口を塞いでしまった。それと同時にエーギルの悪魔のような笑い声が響く。 『ふひゃははははは! 残念だったねぇ。もう少しで脱出できたのに。ボクがそう易々とキミたちを逃がすと思ったかな? 哀れにもキミたちは出口を目前にして、指を咥えながらそこで死んでいくんだ。せめて神様に祈る時間ぐらいはあげるよ。せいぜい最期のひと時を楽しんで。じゃあね!』 エーギルが黙ると、氷の通路が狭まる速度が目に見えて上がった。すぐにフリードたちは立っていることもできなくなり、膝をついて両手で天井を支えたが、全く何の効果もなかった。 出口を塞ぐ氷塊をなんとかしようとクエリアが頑張っているが、ニヴルヘイムと同化したエーギルは途方もなく強大な力を得たらしく、クエリアの力ではいくら頑張ってもこの氷塊を溶かしたり消滅させることはできなかった。その隣でクルスが何か呪文を唱えているが、この様子ではとても間に合いそうにない。 「だめか! くそっ、女王さまに頼まれたばかりだぜ、おい」 「あ、諦めるな! わたしがすぐにどかーんってやるから。す、すぐに!」 「王子……どうかご武運を……」 「ぐぬぅ! この程度の壁、大地の魔法さえ使えたら何でもないのじゃが……」 とうとう四人ともうつ伏せになって、辛うじてまだ潰されずにいられるだけの状態になった。しかし数秒後にはすべてが終わっているだろう。 フリードは初めて神に祈った。せめてクエリアだけでも助けてやってくれと。 「諦めるのは、まだ早いっすよ!!!」 すると業火が巻き起こり、周囲の氷の壁を瞬く間に溶かしていく。迫り来る圧迫感から解放されて顔を上げたその先には、セッテとセルシウスの姿があった。 強大な魔力による氷だろうと関係ない。セッテとセルシウスは力を合わせて、凍てつく酷寒の氷ですら溶かしてしまうほどの炎を放った。炎を前にしたとき、どんな氷であろうとそれは絶対無力なのだ。 セッテの隣にはほっとした様子のフレイと、今にも気を失ってしまいそうなフィンブルの姿もあった。 「みんな無事でよかった。ちょうどセッテが戻ってきたところで助かったよ。一体何があったんだ?」 「王子、話はあとです。ここは危険です。まずは船に乗ってニヴルからの脱出を。フィンブル殿も我々と共に来てください」 「わ、わかりました……。アクエリアス様は無事なんですよね。ふぅぅぅ……」 大地の魔法でフレイが船からツタのはしごを下ろす。グリンブルスティは大地の素材でできているので、氷しかないニヴルヘイムでも船の近くでだけは大地の魔法が力を発揮することができる。 全員が船に乗ると、地面から巨大な氷柱が空に向かって生えてきた。それは山ほどにも大きく、グリンブルスティなど簡単に貫いてしまえるほどのスケールだ。 『逃がさない。絶対に逃がさないよ! おまえたちの亡骸をトロウ様への手土産にしてやるんだ。だから死ね!!』 巨大な氷柱は次々と氷の大地から飛び出してくる。 クルスは大急ぎで船を浮上させると、すぐに高度を上げて船を飛ばした。 まるで地獄のような場所になってしまったニヴルヘイムから、フレイたちは間一髪のところで脱出を果たしたのだった。 遠ざかっていく故郷を、クエリアは涙を溜めた目で見送った。 (お母様……。いつか必ずどこかで。そしてそのときは必ず元気で、笑顔で……) Chapter19 END 魔法戦争20