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《战阵训》的序言结尾及其主干部分,这部在一九四一年一月八日由日本陆军省(东条英机陆军大将)发布的训令着实影响了其后日军的作战情况,特别是对于否决俘降的思想观念着重提及,包括诸多战事期间的玉碎行为除了日军本身的武士道思想作梗,其《战阵训》的思维强化也起到了不可忽视的推动作为,塞班岛战役期间日军指挥官南云忠一在临终遗训中就曾提及《战阵训》本训中的“作为军人活着就不能接受被俘虏囚禁的侮辱,理当以忠孝赤诚之心勇往直前,虽死犹生。”部分,也正是在这种思维的推崇下,塞班岛日军极其赋予顽抗,使之该战役也成为了美军于战争期间付出高昂代价的战事之一。作为我本人及其常人来看《战阵训》必然是非常极端,但是从中也不乏一些比较值得吸纳的优点于其中,现将一部转至于此还望大家以理性的角度审视(以下非本人原创)。 铁血网提醒您:点击查看大图 『序』 原文: 「夫れ戦陣は、大命に基き、皇軍の神髄を発揮し、攻むれば必ず取り、戦へば必ず勝ち、遍く皇道を宣布し、敵をして仰いで御稜威の尊厳を感銘せしむる処なり。されば戦陣に臨む者は、深く皇国の使命を体し、堅く皇軍の道義を持し、皇国の威徳を四海に宣揚せんことを期せざるべからず。惟ふに軍人精神の根本義は、畏くも軍人に賜はりたる勅諭に炳乎として明かなり。而して戦闘並に練習等に関し準拠すべき要綱は、又典令の綱領に教示せられたり。然るに戦陣の環境たる、兎もすれば眼前の事象に促はれて大本を逸し、時に其の行動軍人の本分に戻るが如きことなしとせず。深く慎まざるべけんや。乃ち既往の経験に鑑み、常に戦陣に於て勅諭を仰ぎて之が服行の完璧を期せむが為、具体的行動の憑拠を示し、以て皇軍道義の昂揚を図らんとす。是戦陣訓の本旨とする所なり。」 翻译: 「战阵是以天皇的命令为基准,发挥皇军的真髓,攻必取,战必胜,将皇道遍布天下,使敌人仰望我天皇的威仪尊严而铭感之处。我们亲临战阵的人,务必深刻体察皇国的使命,坚持皇军的道义,以求宣扬皇国的威德到天下四方。军人精神的根本大义,诚惶诚恐已见于天皇恩赐给军人的敕谕当中,是十分明显的。而关于战斗及训练等应当遵循的依据纲要,在军事操典条令中也有所说明。然而作为战阵的环境,常常是仅局限于眼前的事物表面而忽略了其根本,时常也有行动违反军人本分的事情发生,这怎么可以不审慎呢?因此我鉴于以往已取得的经验,常仰视、体会天皇的敕谕于战阵当中,并为求遵照执行的完整无缺,表明是具体行动的依据。这就是战阵训的本意之所在。」 『本訓 其の一』 第一 皇国 原文: 「大日本は皇国なり。万世一系の天皇上に在しまし、肇国の皇謨を紹継して無窮に君臨し給ふ。皇恩万民に遍く、聖徳八紘に光被す。臣民亦忠孝勇武祖孫相承け、皇国の道義を宣揚して天業を翼賛し奉り、君民一体以て克く国運の隆昌を致せり。戦陣の将兵、宜しく我が国体の本義を体得し、牢固不抜の信念を堅持し、誓つて皇国守護の大任を完遂せんことを期すべし。」 翻译: 「大日本是个皇国。千秋万代都系在天皇的身上。继承肇国的皇谟,而君临于无穷。皇恩遍及万民,圣德光照八方。臣民也是忠孝勇武,祖孙相继承,宣传皇国的道义,而辅助天业,君民一体,以追求达到国家命运的昌盛战阵的统帅士兵,应当体察我国国体的本义,坚持坚韧不拔的信念,发誓完成保护皇国的大任。」 第二 皇軍 原文: 「軍は天皇統帥の下、神武の精神を体現し、以て皇国の威徳を顕揚し皇運の扶翼に任ず。常に大御心を奉じ、正にして武、武にして仁、克く世界の大和を現ずるもの是神武の精神なり。武は厳なるべし仁は遍きを要す。苟も皇軍に抗する敵あらば、烈々たる武威を振ひ断乎之を撃砕すべし。仮令峻厳の威克く敵を屈服せしむとも、服するは撃たず従ふは慈しむの徳に欠くるあらば、未だ以て全しとは言ひ難し。武は驕らず仁は飾らず、自ら溢るるを以て尊しとなす。皇軍の本領は恩威並び行はれ、遍く御綾威を仰がしむるに在り。」 翻译: 「军队是在天皇统帅之下的,应体现神武的精神,以宣扬皇国的威德,任皇运之扶翼。我们常奉圣旨,人品正了就有武士道精神,有了武士道精神又要有仁义之心。追求世界大一统,这就是神威之精神。从武的方面说应当严格,从仁义的方面说,应当更为宽泛一些。如果遇到有违抗皇军这样的敌人,应当发扬我凛凛的威武精神,坚决地粉碎敌人。纵使现代严峻,而威武严峻足以使敌人屈服,敌屈服了则不再攻击,敌听命于我则以仁德去感化他们。如果缺少这一点,就很难说是做得十分完美。威武而不骄横,仁义而不矜持,其德行以自然地表现在外为贵。皇军的本领就在于恩威兼施,以使天皇的威严遍布四方。」 第三 皇紀 原文: 「皇軍軍紀の神髄は、畏くも大元帥陛下に対し奉る絶対随順の崇高なる精神に存す。上下斉しく統帥の尊厳なる所以を感銘し、上は大意の承行を謹厳にし、下は謹んで服従の至誠を致すべし。尽忠の赤誠相結び、脈絡一貫、全軍一令の下に寸毫紊るるなきは、是戦捷必須の要件にして、又実に治安確保の要道たり。特に戦陣は、服従の精神実践の極致を発揮すべき処とす。死生困苦の間に処し、命令一下欣然として死地に投じ、黙々として献身服行の実を挙ぐるもの、実に我が軍人精神の精華なり。」 翻译: 「皇军军纪的精髓,存在于对天皇陛下的绝对服从的崇高精神当中。军队上下均铭记天皇统帅的尊严,在上而言应严谨地奉行指挥使命,在下而言则应存谨慎服从的忠诚。尽自己的忠心与赤诚,自始至终一贯坚持,全军一声令下,则不会出丝毫的混乱,这正是战争取胜所不可缺少的东西,亦确实是确保治安的重要方法。尤其是在战阵当中更要发挥服从的精神,实践其根本之所在。处在生死困苦之间,命令一旦下达,则很欣然地投身于死地,默默地真切地拿出自己的献身精神,实在是我们军人精神中的精华。」 第四 団結 原文: 「軍は、畏くも大元帥陛下を頭首と仰ぎ奉る。渥き聖慮を体し、忠誠の至情に和し、挙軍一心一体の実を致さざるべからず。 軍隊は統率の本義に則り、隊長を核心とし、鞏固にして而も和気藹々たる団結を固成すべし。上下各々其の分を厳守し、常に隊長の意図に従ひ、誠心を他の腹中に置き、生死利害を超越して、全体の為己を没するの覚悟なかるべからず。」 翻译: 「军队上下诚惶诚恐,共尊天皇大元帅陛下为首领。每个军人务必深刻地体察天皇圣虑,将对天皇的忠诚至情融于其中,以真正达到全军上下的一心一意。军队应当遵从天皇之命,服从统帅的指挥,以队长为核心,铸成一种巩固的、气氛和霭的团结。军队上下应当各自严格地覆行自己的职责,并且要经常地按照本部队中指挥官的作战意图或计划,推心置腹,超越生死利害,必须有为了整体利益而舍身忘己的觉悟。」 第五 協同 原文: 「諸兵心を一にし、己の任務に邁進すると共に、全軍戦捷の為欣然として没我協力の精神を発揮すべし。各隊は互に其の任務を重んじ、名誉を尊び、相信じ相援け、自ら進んで苦難に就き、戮力協心相携へて目的達成の為力闘せざるべからず。」 翻译: 「各位士兵团结一心,朝自己的任务目标迈进的同时,为了全军战斗的胜利,应当欣然地发挥忘我的协同精神。各部队务必互相重视其任务,推尊荣誉,互相信任互相帮助,勇于赴汤蹈火,同心协力,携手为达到目的而努力奋斗。」 第六 攻撃精神 原文: 「凡そ戦闘は勇猛果敢、常に攻撃精神を以て一貫すべし。攻撃に方りては果断積極機先を制し、剛毅不屈、敵を粉砕せずんば已まざるべし。防禦又克く攻勢の鋭気を包蔵し、必ず主動の地位を確保せよ。陣地は死すとも敵に委すること勿れ。追撃は断々乎として飽く迄も徹底的なるべし。勇往邁進百事懼れず、沈著大胆難局に処し、堅忍不抜困苦に克ち、有ゆる障碍を突破して一意勝利の獲得に邁進すべし。」 翻译: 「概括地说,战斗应当勇猛果敢,并常在其中贯穿进攻的精神。当进攻的时候,应该积极果断,掌握先发制人的时机,刚毅不屈,不粉碎敌人决不停止进攻。防御的时候,又要善于将进攻的锐气蕴藏起来,务必确保自己的主动地位。宁可战死也不能把阵地让敌人占领。追击敌人时应果断坚决,并且务求彻底歼灭追击之敌。勇往直前,百事不惧,沉着大胆,处理困难的局面,坚韧不拔,以克服艰难困苦,突破一切障碍,一心一意为获得最后的胜利而向前进。」 第七 必勝の信念 原文: 「信は力なり。自ら信じ毅然として戦ふ者常に克く勝者たり。必勝の信念は千磨必死の訓練に生ず。須く寸暇を惜しみ肝胆を砕き、必ず敵に勝つの実力を涵養すべし。勝敗は皇国の隆替に関す。光輝ある軍の歴史に鑑み、百戦百勝の伝統に対する己の責務を銘肝し、勝たずば断じて已むべからず。」 翻译: 「信念是一种力量,自信并且能够毅然战斗的人是常打胜仗的人。必胜的信念是从千锤百炼、慷慨赴死的训练中产生的。必须珍惜每一寸光阴,披肝沥胆,应努力培养克敌制胜的实力。战争的胜负直接关系到日本国家的昌盛衰败,鉴于天皇的军队所具有的光辉历史,我们应当铭记自己在百战百胜战史中的神圣职责,如不获胜决不罢休。」 『本訓 其の二』 第一 敬神 原文: 「神霊上に在りて照覧し給ふ。心を正し身を修め篤く敬神の誠を捧げ、常に忠孝を心に念じ、仰いで神明の加護に恥ぢざるべし。」 翻译: 「神灵在上赐给我们神圣的光芒照耀我们。应当端正心灵修养身心,向神灵奉献特别真诚的尊敬,经常在心中保持忠孝意识,以便不会愧对神灵给我们的保佑。」 第二 孝道 原文: 「忠孝一本は我が国道義の精粋にして、忠誠の士は又必ず純情の孝子なり。戦陣深く父母の志を体して、克く尽忠の大義に徹し、以て祖先の遺風を顕彰せんことを期すべし。」 翻译: 「忠孝本就是我国道德礼义中的精粹,忠诚的人也必定是特别注重感情的孝子。在战斗当中,应当体现父母亲的意志,努力贯彻为国尽忠的大仁大义,以求发场光大祖先的优良传统。」 第三 敬礼挙措 原文: 「敬礼は至純の服従心の発露にして、又上下一致の表現なり。戦陣の間特に厳正なる敬礼を行はざるべからず。礼節の精神内に充溢し、挙措謹厳にして端正なるは強き武人たるの証左なり。」 翻译: 「敬礼是至诚的服从精神的表露,也是上下一致的一种表现。在战阵之间,尤其应当行庄严的敬礼。充满礼节的精神,举止谨慎且端正,这正是坚强威武之士的佐证。」 第四 戦友道 原文: 「戦友の道義は、大義の下死生相結び、互に信頼の至情を致し、常に切磋琢磨し、緩急相救ひ、非違相戒めて、倶に軍人の本分を完うするに在り。」 翻译: 「战友的道义,就在于在一个共同的追求之下生死与共,互相信赖,经常在一起切磋琢磨问题,危急当中互相救助,相互帮助,杜绝错误,以共同完成军人的本职工作。」 第五 率先躬行 原文: 「幹部は熱誠以て百行の範たるべし。上正しからざけば下必ず紊る。戦陣は実行を尚ぶ。躬を以て衆に先んじ毅然として行ふべし。」 翻译: 「军官应当以自己的热诚作为战士们各种行为的表率。上级行为不端正,下级肯定会发生混乱。战阵当中崇尚的是实际的行动。各位军官务必身先士卒,毅然地去身体历行。」 第六 責任 原文: 「任務は神聖なり。責任は極めて重し。一業一務忽せにせず、心魂を傾注して一切の手段を尽くし、之が達成に遺憾なきを期すべし。責任を重んずる者、是真に戦場に於ける最大の勇者なり。」 翻译: 「军人的任务是神圣的,责任非常重要。每一件事情都切记不能疏忽大意,要全神贯注,用尽一切手段,以求最终完成这一任务而不致遗憾。以自身职责为重的人,其实就是战场上最勇敢的人。」 第七 生死観 原文: 「死生を貫くものは崇高なる献身奉公の精神なり。生死を超越し一意任務の完遂に邁進すべし。身心一切の力を尽くし、従容として悠久の大義に生くることを悦びとすべし。」 翻译: 「将生死看得很平常,这就是一种崇高的奉公献身的精神。应当超越生与死的观念,一心一意为完成任务而奋勇向前。为此应当尽自己全部的力量。」 第八 名を惜しむ 原文: 「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。」 翻译: 「懂得羞耻的人才能自强。应该经常想到家乡门风的声望,更加勤勉,以不辜负父老乡亲的殷切期望。活着就不能接受被俘虏囚禁的侮辱,死了也不能留下罪过祸害的坏名声。」 第九 質実剛健 原文: 「質実以て陣中の起居を律し、剛健なる士風を作興し、旺盛なる士気を振起すべし。陣中の生活は簡素ならざるべからず。不自由は常なるを思ひ、毎事節約に努むべし。奢侈は勇猛の精神を蝕むものなり。」 翻译: 「用诚实为标准来约束战阵当中的起居活动,振奋刚毅的作战士气,激发军队旺盛的斗志。军营中的生活务求简朴,不自由应认为是平常之事,每件事都应努力节约不求奢华。奢侈是一种腐蚀勇猛精神的行为。」 第十 清廉潔白 原文: 「清廉潔白は、武人気質の由つて立つ所なり。己に克つこと能はずして物慾に捉はるる者、争でか皇国に身命を捧ぐるを得ん。身を持するに冷厳なれ。事に処するに公正なれ。行ひて俯仰天地に愧ぢざるべし。」 翻译: 「清廉而洁身自好,这是为武者之所以能够树立气节的原因。如果不能够克制约束自己,而被物质贪欲所左右,又怎能为国家献出自己的生命呢?坚持自己的做人准则应当很严格。处理各种事务应当很公正。应当使自己的行为能够无愧于天地。」 『本訓 其の三』 第一 戦陣の戒 原文: 「(1)一瞬の油断、不測の大事を生ず。常に備へ厳に警めざるべからず。敵及住民を軽侮するを止めよ。小成に安んじて労を厭ふこと勿れ。不注意も亦災禍の因と知るべし。」 翻译: 「一瞬间的疏忽大意就可能导致无法估计的损失,所以务必经常戒备加强警惕性。不要轻视、侮辱敌人和敌方的居民。不要为小小的胜利而自满而懒惰。必须记住,不注意用心也是导致灾祸的原因。」 原文: 「(2)軍機を守るに細心なれ。諜者は常に身辺に在り。」 翻译: 「应当细心地保守军事机密,因为敌人的间谍可能就在你的身边。」 原文: 「(3)哨務は重大なり。一軍の安危を担ひ、一隊の軍紀を代表す。宜しく身を以て其の重きに任じ、厳粛に之を服行すべし。哨兵の身分は又深く之を尊重せざるべからず。」 翻译: 「放哨的责任是很重大的,它肩负的是一支部队的生死安危,它代表的是一支部队的军纪。应当以自已的生命去肩负这样的重任,严肃认真地去对待它。哨兵的身份又务必深切地尊重他。」 原文: 「(4)思想戦は、現代戦の重要なる一面なり。皇国に対する不動の信念を以て、敵の宣伝欺瞞を破摧するのみならず、進んで皇道の宣布に勉むべし。」 翻译: 「思想战争是现代战争的一个非常重要的方面,不仅应该对皇国有不可动摇的信念,摧毁敌人的欺骗性宣传,而且还应当进一步从事皇道的宣传。」 原文: 「(5)流言蜚語は信念の弱きに生ず。惑ふこと勿れ、動ずること勿れ。皇軍の実力を確信し、篤く上官を信頼すべし。」 翻译: 「流言蜚语是从信念、意志薄弱中产生的。不要被流言蜚语所迷惑,也不要为之所动。必须确信皇军的实力,坚定地信任指挥官。」 原文: 「(6)敵産、敵資の保護に留意するを要す。徴発、押収、物資の燼滅等は規定に従ひ、必ず指揮官の命に依るべし。」 翻译: 「应当注意保护敌人的财产和物资。凡是征用、没收,物资的焚毁,都必须服从规定,应该依照指挥官的命令办事。」 原文: 「(7)皇軍の本義に鑑み、仁恕の心能く無辜の住民を愛護すべし。」 翻译: 「鉴于皇军以忠义为本,应当以仁义忠恕之心,善于爱护无辜的居民。」 原文: 「(8)戦陣苟も酒色に心奪はれ、又は慾情に駆られて本心を失ひ、皇軍の威信を損じ、奉公の身を過るが如きことあるべからず。深く戒慎し、断じて武人の清節を汚さざらんことを期すべし。」 翻译: 「在战阵当中,不可有诸如被酒色所迷惑,或是被情欲所驱使,以致于神魂颠倒,而有损于皇军的威信,贻误了自己的奉公之身。应审慎戒备,以求绝不玷污为武者的气节。」 原文: 「(9)怒を抑へ不満を制すべし。「怒は敵と思へ」と古人も教へたり。一瞬の激情悔を後日に残すこと多し。軍法の峻厳なるは特に軍人の栄誉を保持し、皇軍の威信を完うせんが為なり。常に出征当時の決意と感激とを想起し、遙かに思を父母妻子の真情に馳せ、仮初にも身を罪科に曝すこと勿れ。」 翻译: 「应当抑制忿怒,制止不满。古时即有训诫,叫“认怒为敌 ”,瞬间的激动之情,常常会造成许多后日遗恨后悔的事。军法之所以严峻,实是为了保持军人的荣誉,保全皇军的威信。应经常想想出征时的决心与感激,遥寄思念父母、妻儿子女的真情,万万不可以身试法。」 第三 敬礼挙措 原文: 「(1)尚武の伝統に培ひ、武徳の涵養、技能の練磨に勉むべし。「毎事退屈する勿れ」とは古き武将の言葉にも見えたり。」 翻译: 「应当培育尚武的传统,勤勉于武德的涵养与作战技能的磨练。“每件事都不能懈怠 ”,这在古时武将言论中很常见。」 原文: 「(2)後顧の憂を絶ちて只管奉公の道に励み、常に身辺を整へて死後を清くするの嗜を肝要とす。屍を戦野に曝すは固より軍人の覚悟なり。縦ひ遺骨の還らざることあるも、敢て意とせざる様予て家人に含め置くべし。」 翻译: 「断绝后顾之忧,只顾勤勉于奉公之道;应当以整理身边清洁后世的修养为最重要的事情。曝尸在战场之上,当然是军人的觉悟,应当预先嘱咐好家人,即使将来可能会有遗骨无法归家的事情,也应当勇敢的接受而毫不在意。」 原文: 「(3)戦陣病魔に斃るるは遺憾の極なり。特に衛生を重んじ、己の不節制に因り奉公に支障を来すが如きことあるべからず。」 翻译: 「在战场上死于病魔的人,是最最遗憾的。尤其应当注意卫生,不得有如因为一个人的不加节制,而招致妨碍奉公事情的出现。」 原文: 「(4)刀を魂とし馬を宝と為せる古武士の嗜を心とし、戦陣の間常に兵器資材を尊重し、馬匹を愛護せよ。」 翻译: 「应以战刀为魂以战马为宝的古代武士的修养为念,战场阵营之间,应常以武器等作战物资为重,爱护马匹。」 原文: 「(5)陣中の徳義は戦力の因なり。常に他隊の便益を思ひ、宿舎、物資の独占の如きは慎むべし。「立つ鳥跡を濁さず」と言へり。雄々しく床しき皇軍の名を、異郷辺土にも永く伝へられたきものなり。」 翻译: 「战争当中德义是战斗力的重要因素。经常想到其它部队的方便,比如独占宿舍和物资的行为,尤其应当谨慎。这就是所谓的“飞鸟不污其迹”。英勇而令人怀念的皇军的名声,也被永久地传播到异乡边疆。」 原文: 「(6)総じて武勲を誇らず、功を人に譲るは武人の高風とする所なり。他の栄達を嫉まず己の認められざるを恨まず、省みて我が誠の足らざるを思ふべし。」 翻译: 「总而言之,不可夸耀自己的功劳,功劳让给别人正是为武者高尚风格之所在。不要嫉妒别人的荣耀和发达,不要埋怨自己的未被重用,应当自我反省看看自已是不是忠诚不足。」 原文: 「(7)諸事正直を旨とし、誇張虚言を恥とせよ。」 翻译: 「诸事都应以正直为宗旨,以浮夸和谎言为耻。」 原文: 「(8)常に大国民たるの襟度を持し、正を践み義を貫きて皇国の威風を世界に宣揚すべし。国際の儀礼亦軽んずべからず。」 翻译: 「经常秉持大国民众的风度,坚持正义之道,将皇国的威风宣扬到世界上。国际的礼仪是不可轻视的。」 原文: 「(9)万死に一生を得て帰還の大命に浴することあらば、具に思を護国の英霊に致し、言行を慎みて国民の範となり、愈々奉公の覚悟を固くすべし。」 翻译: 「如果有经过九死一生的洗礼而得生还的人,都应当向牺牲的卫国英灵们致以哀思,谨慎自己的言行,作全体国民的模范,更加坚定自己克己奉公的觉悟。」 『結』 原文: 「以上述ぶる所は、悉く勅諭に発し、又之に帰するものなり。されば之を戦陣道義の実践に資し、以て聖諭服行の完璧を期せざるべからず。戦陣の将兵、須く此趣旨を体し、愈々奉公の至誠を擢んで、克く軍人の本分を完うして、皇恩の渥きに答へ奉るべし。(陸軍省、昭和16年1月)」 翻译: 「以上所陈述的,都是来自于天皇的圣谕,又应当归之于天皇。因而应当用来辅助战争道义的具体实践,以求躬行圣谕达到完美的境界。战场上的将士,都必须体会其中的旨意,更加发挥出为国效力的至诚,克尽每一个军人的天分职守,以报效天皇浩荡的恩泽。(陆军省、昭和16年1月)」 https //bbs.tiexue.net/post2_5098671_1.html
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太平洋戦争当時の機雷っていまだに残っているんですか? 井上成美の戦犯等についてもおしえてください 旧軍の元憲兵って今でも嫌われてるのでしょうか? 戦後、宮崎繁三郎や今村均や岡村寧次ってどうなったの? 日本が第2次大戦で攻め込んだ国々で現在それらの国々の対日感情はどうなんでしょうか 現在でも爆心地付近は周辺地域に比べ放射線量が多いのか? 神奈川県の八景島の近くにある野島公園内の立ち入り禁止になっているトンネルは何? 何で、中島知久平はA級戦犯になったの? 太平洋戦争中、朝鮮人で中将がいたといいますが、戦歴は、戦後どーなった? 731部隊とかが中国に残したガス兵器とかはどっちの国が処理するんですか 日本は戦後謝罪してないとか言われてるけど 実際日本の戦後処理とかはどうなっているんでしょうか 岸元首相ってA級戦犯だったってホント? 終戦時、日本軍が武器・弾薬を山中に埋めたという話を聞きますが、本当なんでしょうか? 先の大戦について、国家として「敗因の分析」を行っているのでしょうか? シベリアに抑留された元日本兵がこれだけ賠償金にこだわるのは、軍人恩給を受けられない等の差別があったんでしょうか? インドネシア独立戦争や、ベトナム独立戦争に参加した皇軍将兵は、なぜ逃亡兵とみなされているんですか? アメリカは戦後、日本に対して本土に属する島々を返還したり、アメリカ人が先に発見したマーカス島を割譲するなどしましたが、何故このような気前の良いことをしたんですか? 戦後、小笠原を米国庇護下の独立国として独立させよう、って話がありましたよね? 「韓国が日本海軍の解体を要求したところ、アメリカは拒否した。大海軍国は長年かかって作れるもので、それをこわすなどもったいないと」という趣旨の文を見たのですが、事実でしょうか? 田村劉吉海軍少将は戦犯として処刑されましたが、訴因は何でしょうか? 日本軍の将官クラスと下士官クラスの恩給と遺族年金ってどのくらい差があったのですか? 何故、アメリカは日本の軍事組織を潰してしまったのでしょうか? 日本って結局どれだけの賠償金を支払ったの? 終戦時、自決した将官、左官は何人くらいいますか? 大東亜戦争で「公務死」とされた民間人は国家補償や遺族年金に相当するものは支給されたのでしょうか。 戦後、陸自に配備されたM4A3E8の中には、太平洋や欧州で実戦使用された中古品も混じっていたのですか? 日本海軍の潜水艦は終戦の後、海に沈められて処分されたと聞きましたが、どうして鉄をリサイクルしなかったんでしょうか? 敗戦後に解体された旧軍に変わって設立された第一、第二復員省の旧軍人はどのような身分だったのでしょうか? 大戦後、戦災復興のためにアメリカは日本にいくら投資したのでしょうか? 敗戦時の日本軍のダイヤモンドや金塊などの貴金属等の資産が元になったというM資金は、根拠があるんでしょうか? 仮に東京裁判において当時の日本の国内法を適用するとしたら、A級戦犯として裁かれた人々は何らかの形で有罪の判決を受ける可能性はあったのでしょうか? 戦中、中島飛行機とかその他色々な飛行機メーカーが日本にもありましたよね?それらは今どうなってしまったのでしょうか? 米軍が投下した機雷は戦後すぐ処理できたんでしょうか? 終戦直後、占領軍が羽田空港周辺の住民に対して48時間以内の退去を命じたことがあったそうですが、 戦後アメリカは長門を水爆の実験体にしましたが、イギリスなどのほかの連合国に持っていかれた日本海軍の軍艦などはあるでしょうか? 4輪自動車がGHQによって禁止されたから3輪自動車なんていう物が走ってた、というのは本当ですか? 戦後の東南アジア、中国からの軍人の引き上げは何年ぐらいまで行っていたのでしょうか。 保安隊(自衛隊)発足時に元日本軍軍人は入隊できたのでしょうか? 敗戦時に戦車や航空機に廃油をかけて燃やす映像をよく見ますが、鍋等の生活必需品に再利用はできなかったんでしょうか? 戦後、復員省に属した日本軍将校たちはどうなったんでしょうか? 戦後アメリカは日本の国力をどう評価したの? 太平洋戦争当時の機雷っていまだに残っているんですか? 残っています。 今でも年に数発ほどのペースで見つかっており、そのつど掃海隊が処分しています。 ここ数年でも、漂着した機雷の信管をそれと知らずにいじったり、焚き火に突っ込んだり して爆発負傷する事故もおきています。 (42 797) 井上成美の戦犯等についてもおしえてください 井上成美は昭和50年(1975)12月15日、午後5 55 横須賀市長井町の自宅で富士子夫人に看取られて 亡くなられました(享年86歳) 戦後の井上は、親米英派であり三国同盟や 日米開戦に反対していた為、戦犯にはなりませんでした 因みに戦後米海軍横須賀基地から顧問就任を要請されて いたという話もあるそうです (43 933) 旧軍の元憲兵って今でも嫌われてるのでしょうか? うちの実家の隣のおっちゃんが憲兵でした。 うちの爺さん(看護兵長だったかな)は蛇蝎のごとく嫌ってました。 (47 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 戦後、宮崎繁三郎や今村均や岡村寧次ってどうなったの? 今村 均大将は終戦後東京裁判で禁固10年の判決を受け、昭和23年5月に ジャワの刑務所に移送(後マヌス島刑務所に移送)され、1953(昭和28)年8月巣鴨刑務所に移転し 昭和29年11月釈放されました。その後故郷に帰られ昭和43年に亡くなられました。 岡村 寧次大将は昭和20年9月9日南京で何応欽将軍に降伏しましたがその後、 中国の戦犯裁判では無罪となっています。 その後蒋介石政権の支援活動を行い台湾に渡って軍事顧問になった事もあるとか。 昭和41年9月2日死去。 宮崎繁三郎中将は昭和20年8月21日終戦を知らされ、英軍の捕虜収容所に入りました。 昭和22年6月帰国、下北沢に店を開きます。なかなか目先の利く人だったとか。 昭和43年8月30日死去。 昏睡状態での最期の言葉は 「参謀、敵中突破で、分離した部隊をまちがいなく掌握したか?」 (47 名無し軍曹) 日本が第2次大戦で攻め込んだ国々で現在それらの国々の対日感情はどうなんでしょうか いろんな感情が無い混ぜになっている…というべきでしょうか。 実際、肯定的評価を与えてくれている人々は少なくありません。 例えば、日本は、東南アジア諸国のナショナリスト達を支援しました。 軍政下においてさえ、インフラが整備されたところもあり、そのことは感謝される。 さらに、元日本兵達が、戦後直後の独立運動に投じたという国もあります。 また、武装解除した日本軍の武器を使ったようなところさえある。 ビルマ、インドネシア、マレーシアなどで、好意的評価をしてくれる人は、それなりにいます。 しかしながら、ナショナリスト達を支援しながら、傀儡政権を立て、軍政を継続させた、 として、「裏切った」という評価をする人々もいます。 軍政下において憲兵達に抑圧された人達もいます。特に、抗日運動に投じた人々を中心に。 「おいこら」「きさま」のような憲兵の言葉が、他人をなじったり詰問したりする言葉として 定着してしまったというような地方もあります。 また、逮捕された抗日運動家や一般市民に対して、虐待的行為に及んだ批判の声も、 やはりあります。 戦闘に巻き込まれ、あるいは、掠奪にあったような人達もいるでしょう。 最初っから英米軍と組んでいて、日本を憎悪の対象とした人達もいます。 一様じゃないんです。 そうした感情的なないまぜは、いたるところで発見できるはずです。 (47 787) 現在でも爆心地付近は周辺地域に比べ放射線量が多いのか? 高い (47 229) 低いです。広島市のHP見ればわかる。 http //www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1111724735753/index.html 以下引用 現在の広島や長崎にある放射線は、地球上のどこにでもあるごく少ない放射線(自然放射線)と変わりなく、 人の体にも影響を与えることはありません。 爆心地での残留放射線を受ける量は、爆発直後とくらべると、その24時間後には千分の一になり、 一週間後には百万分の一になったという研究報告があります。 (名無し三等兵) 神奈川県の八景島の近くにある野島公園内の立ち入り禁止になっているトンネルは何? うちの親父(金沢八景出身,現在55歳)によれば, 大戦中には戦闘機の格納庫があったとのこと. (48 181) 何で、中島知久平はA級戦犯になったの? 軍人→軍用機の会社社長→国会議員 有力な政治家だったから (48 811) 中島知久平は、小林一三、五島慶太、堤康二郎と並んで、政界の新興勢力 の一端に連なっていました。 商務大臣、鉄道大臣、軍需大臣を歴任しています。 戦争を遂行したものとして、戦後公職追放になっています。 ハインケルも同様にフランス軍に戦犯として捕らえられています。 ちなみに、ポルシェも同じくフランス軍に捕らえられていました。 クルト・タンクは戦犯に問われることなく、Argentinaに渡り、ペロン大統領の下で 世界最初に近い、後退翼国産ジェット戦闘機プルキIIを製作し、インドに渡って、 HF-24を製作指揮しています。 (48 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 太平洋戦争中、朝鮮人で中将がいたといいますが、戦歴は、戦後どーなった? BC級戦犯として処刑されています。 (48 695) 731部隊とかが中国に残したガス兵器とかはどっちの国が処理するんですか あれは国際条約で元の持ち主(この場合は日本)が責任を持って処分することになっている。 日本はそのために中国に処分場まで建設している。 (53 200) 日本は戦後謝罪してないとか言われてるけど 実際日本の戦後処理とかはどうなっているんでしょうか 北朝鮮は、日韓条約により韓国の一部だとしているため 日韓条約ですべて解決済みです。 大多数の国とはサンフランシスコ条約で戦後処理は終了し、中国とも終わっています。 残る問題は、北方領土のあるロシアですね。 (54 57) 岸元首相ってA級戦犯だったってホント? 何でA級なの?なんかやった? 東条内閣商工相の職務にありましたので、東條内閣戦争指導 の連帯責任で罰せられたのではないでしょうか。 (59 ざこば) 岸信介は1941年10月に発足した東條英機内閣で商工大臣として入閣しており、閣僚としての 戦争指導責任を問われてA級戦犯容疑者となりました 収監はされましたが起訴はされず、釈放されています しかし、満州国時代、アヘンを大量栽培して中国に密輸していたとか、関東軍上層部と 結託して軍事物資の横流しをしていたとか、その過程で膨大な私財を築いたとか、 きな臭い噂がありましたので、中国側から見れば大戦争犯罪者には違いありません 児玉などのいわゆる右翼の大物とは、この時代からお互いに利用し利用されていた関係ですね (59 637) 終戦時、日本軍が武器・弾薬を山中に埋めたという話を聞きますが、本当なんでしょうか? もし今、それを掘り起こしたら使用可能なんでしょうか。 場所が判りませんが、確かに武器を廃棄することはあったようです。 ですが、今掘り起こしても素人が直したところでまず使えません。 数年前、ミャンマーのカレン民族が、大戦後にイギリス軍が埋設処分 した銃器類を掘り起こして修復する写真がありましたが、それを見ても 大分手間がかかる作業であり、さらに錆が進行してた場合、修復しても撃つのは危険です。 (59 908 例え今掘り出しても錆びている上に火薬が劣化していると思います。 以上のことから使えません。場合によっては暴発しますのでお勧めできない。 (59 909 先の大戦について、国家として「敗因の分析」を行っているのでしょうか? 純粋に作戦としての分析ならば、防衛研究所が出した戦史叢書があります。 (60 652) シベリアに抑留された元日本兵がこれだけ賠償金にこだわるのは、軍人恩給を受けられない等の差別があったんでしょうか? 「軍人恩給」の受給資格は「12年以上兵役に就いていたこと(戦地に派遣された期間は 1年を3年として換算する)」で、シベリア抑留の抑留期間は「戦地派遣」とは認められ なかったので、軍人恩給の受給対象者になれない抑留経験者が大量に発生した。 批判の声も強かったので1970年代中盤に「シベリア抑留者で軍人恩給の受給資格がない人」 には慰労金10万円と記念品が送られることになったが、それだけ。 更に、「障害恩給」の受給者は対象外、ということになり、一旦貰えた慰労金を返納させ られる人が続出し、上述の「捕虜としての労働賃金が貰えない」事と合わせて抑留経験者の 怒りを買った。 シベリア抑留からの帰還者は「アカ(共産主義者の意)になって帰って来た」「あれはソビエト (当時はもっと露骨な言い方がされてた)のスパイだ」と言われなき差別を受けた人も多い上、 かなりの人が公安警察の監視対象にされたり”レッドパージ”の余波で再就職先が見つからない とか近所や親戚に縁切りされるとか辛い目にあった人も多く、 「国の都合で見捨てられて捕虜になり、強制労働させられた挙句国に帰ったらスパイ扱い。 満州に派遣されてソビエトの捕虜になった、というだけで他の軍人とどうしてここまで 扱いが違うのか」 と関係者の怒りは今も深い。 (636 150) インドネシア独立戦争や、ベトナム独立戦争に参加した皇軍将兵は、なぜ逃亡兵とみなされているんですか? 降伏したあとの軍からの離脱も、敵前逃亡の対象なんですか? 降伏した後も軍籍が無くなるするわけではありません。 復員して軍籍から正式に外れるまでは軍人です。 その前に勝手に部隊から離れた兵士は逃亡兵扱いです。 (641 919) アメリカは戦後、日本に対して本土に属する島々を返還したり、アメリカ人が先に発見したマーカス島を割譲するなどしましたが、何故このような気前の良いことをしたんですか? 残念ながら、元々米国(特に海軍)は、沖縄を含めた占領地域を信託統治領として 日本から永久的に切り離そうとしていましたが。 米海軍はグアムから台湾、フィリピンにかけての補給線を確保する為の重要な線 であり、それが日本の掌中に置かれ、いざ鎌倉になった場合、時の政権によっては、 その使用が制限されることを恐れたのが最も大きな理由です。 また、1853年のペリー来航時には、小笠原は独立地域扱いをしていましたし、欧米系 の島民がいたことから、日本人抜きでの独立は可能であると考えていた訳です。 (644 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 戦後、小笠原を米国庇護下の独立国として独立させよう、って話がありましたよね? 海軍はマリアナを信託統治領とする際、附属地域として扱うことになっていました。 本来は、元々「忘れられた米国人」である人々が居住していた地域なので、米国領として 扱いたかったのですが、それをしてしまうと、冷戦当時の事ですから、「新植民地主義」 とソ連は元より新たに独立したインドなどを刺激しかねない可能性があったので、日本から 独立させ、米国が援助を行うことで、影響力を行使しようと考えた訳です。 実際、米国太平洋艦隊司令長官のラドフォードなども父島を訪れた際、元からいた人々の 生活と態度に感動して、日本への島の返還に以後一貫して反対し、欧米系島民への米国籍 付与にも熱心に活動しています。 彼は最後まで、返還に反対しており、1968年の返還決定が自分に断りもなく行われたことに 非常に腹を立てていました。 何でその案は却下されたんですか? 国務省と国防総省の綱引きの結果です。 英国と国務省主流派、それに国防総省は、最低限小笠原や琉球を米国の信託 統治下に置く事に固執していました。 実際、平和条約の下交渉に来たダレスは、吉田首相に主流派の案を示しています。 しかし、当初ダレスと対峙した白洲次郎はその提案を拒絶し、あくまでも占領地域 全体の返還に拘りました。 また、日本の世論もそれを後押ししました。 ダレスが離日した後の日本の新聞での世論調査では、43%が琉球と小笠原の即時 返還、42%が一定期間後の返還を望んでおり、もし、米国が信託統治や独立に固執 した場合は、日本の国民感情を傷つけ、野党勢力による中華人民共和国やソ連寄りの 日本政府の誕生に帰結しかねないか、逆に領土回復主義を掲げた危険な方向を持つ 政府の誕生をしかねないとした条約局長を中心に巻き返しを図り、最終的に信託統治 に最後まで拘った海軍を説き伏せて、何とか返還に漕ぎ着けた訳です。 (644 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 「韓国が日本海軍の解体を要求したところ、アメリカは拒否した。大海軍国は長年かかって作れるもので、それをこわすなどもったいないと」という趣旨の文を見たのですが、事実でしょうか? それ、意図して本来の意味をものすごく曲解してる。 元の話は韓国の白善燁将軍が軍事休戦使節団に参加してた米海軍のアーレイ・バーク提督と 交わした雑談。 バーク提督は創設期の海上自衛隊の育成を支援していたので、白将軍が 「どうしてあなたはいちど壊滅させた日本海軍の再建に手を貸すのですか?」と訊ねた所 提督がそのような趣旨の返答をしたまでのこと。 白将軍は満州国軍出身の知日派で、間違えても嫌日的な思想は持っていないお方。 (297 125) 田村劉吉海軍少将は戦犯として処刑されましたが、訴因は何でしょうか? 手元に資料が乏しいので何とも言えないのですが、第14海軍根拠地隊ですから、 ニューアイルランド島、アドミラリティ諸島が管轄地域になります。 この辺りの戦犯裁判のケースは、ラバウルがインド兵への殴打事件で突出して いますが、大抵の場合は、捕虜になった豪州兵に対する虐待と殺害が主な事案 になっており、田村少将もそのケースに該当したものと考えられます。 但し、豪州軍による初期の戦犯裁判では、インド国民兵を捕虜として、鉄拳制裁を した日本兵に対して、これを捕虜虐待だと決めつけて、死刑にしたケースもあるので、 本当に彼が死刑に値した罪を犯したのかは不明です。 (294 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日本軍の将官クラスと下士官クラスの恩給と遺族年金ってどのくらい差があったのですか? 恩給は、在職年数とその間の俸給額によって支給額が決まる、現在の厚生年金に近いシステムになっています。 ですから、階級によらず個人の経歴によって額は違います、というのが建前ですが、 今日では軍人恩給については、在職年数と俸給額から算出される支給額が、最低保障額を下回るために、 最低保障額までゲタを履かせて支給されている例が大半のようです。 この最低保障額は階級によって決められているようで、最新のデータが手元にないのですが、 2004年度末では、大佐が年額300万程度、兵が60万程度のようです。将官はみんな死んでしまいました。 (294 491) 何故、アメリカは日本の軍事組織を潰してしまったのでしょうか? 日本の軍事力を利用して、冷戦で優位に立とうとする考えはなかったんですか? なかった。 朝鮮戦争の勃発を見て大慌てで方向転換している。 戦後、復員を担当する中央官庁の部局ができ、ここには 陸海軍の軍人が集められている。例えば、海上護衛戦の著者なども 復員作業に携わっていた。 その後の自衛隊創設への動きの中では日本の政治家、GHQの部局、 日本の元軍人たちがそれぞれ案を作ったり、交渉したりして 組織を発足させ、装備、訓練を行い、重装備を手に入れ、組織を拡充して いる。 (293 760-773) 日本って結局どれだけの賠償金を支払ったの? 日本の戦後賠償については、列記すると長くなるので http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%B3%A0%E5%84%9F%E3%81%A8%E6%88%A6%E5%BE%8C%E8%A3%9C%E5%84%9F ここを読んでくれ。 (291 218) 基本的に在外資産放棄が一番の賠償。 1945年レート1ドル15円換算で、朝鮮52億ドル、樺太4億ドル、中国153億ドル、其の他6億ドル、陸海軍資産90億ドルで、 合計308億ドル。 そのうち、ソ連が朝鮮と樺太、中国東北部で機械接収を行っており、かつ、捕虜使役も賠償の一環という考え。 但し、1956年にソ連は賠償を放棄している。 個別賠償では、1950年代にBurmaが4億ドルの請求を2億ドル(円換算は720億円)に減額し、プロジェクト類で196億円、重機械 類284億円、資材216億円、役務24億円、ちなみに、この時期にダイハツやオリエントと言ったオート三輪が盛んに輸出され、 庶民の足として活躍しているし、マツダがトラック改造のバスを輸出したりしています。 その後、賠償増額の要請で、1963年に1億4000万ドル(504億円)で決着しました。 Philippinesは1956年に掛けて、当初80億ドルから始まって、4億ドルで一旦決着するのですが、Philippines上院の反対で流産し、 8億ドル(2880億円)で落ち着きました。 賠償は5億5000万ドルで、5億ドルは資本財、5000万ドルは役務、うち2000万ドルは加工役務としており、残りは経済開発借款と しています。 Indonesiaは、1958年に決着、要求総額8億ドル、焦げ付き貿易債権1億7691万ドルを相殺して、賠償2億2308万ドル(803億880万 ドル)、経済協力4億ドル(1440億円)。 Vietnamについては、1955年に南と妥結し、ダニム発電所建設資金3900万ドル(140億4000万ドル)を賠償とし、政府借款750万ドル (27億円)、経済開発借款910万ドル(32億7600万円)。 韓国は、1952年から65年まで交渉が行われ、無償経済協力3億ドル、低利借款2億ドル、民間信用供与交換公文で3億ドル。 Laosは賠償請求権を放棄し、これを奇貨として、10億円の無償援助を実施。 Thaiは、太平洋戦争中の円清算不足支払分の請求を行い、1955年に54億円相当の英ポンドの支払と、1962年に特別円改訂協定 にて、96億円の借款による技術協力(これまた、日本製三輪車を輸出)。 FranceもThai同様、円清算不足の問題で、15億円相当の英ポンドと48万ドルをFranceに支払。 MalaysiaとSingaporeは、血債問題で、支払要求が1962年に出され、29億4000万円相当の貨物船と同額の生産物と役務を提供します が、1965年のSingapore独立で、別に29億4000万円相当の生産物と役務を提供。 Micronesiaに対しては、施政権者の米国に500万ドル相当の生産物と役務を提供。 Mongolに対しては、Nomonhan事件の道義的責任に基づき、賠償請求はないのですが、1977年に羊毛加工工場建設用に50億円を寄付。 英国は、別途降伏軍人による役務提供で、賠償を行っていますが、別途、1955年に捕虜補償として450万ポンド相当の資産を赤十字国際 委員会に引渡し、Hollandに対しては、1956年に私的請求権解決議定書で1000万ドル分の英ポンドの見舞金を支払っています。 このほかに、米国など占領軍に対する経費は総て日本が負担。 この役務提供は、当初は日本銀行立替払で、1946年から終戦処理費として一般会計支出となり、1946~53年まで5168億円、1946~47年 は特に一般会計歳出の30%以上となっています。 (291 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 終戦時、自決した将官、左官は何人くらいいますか? また彼らは靖国神社に合祀されないと聞きましたが いわゆる終戦時の「責任自決」者については、靖国神社は「昭和受難者」として合祀の対象としていると聞いています。 なお、「戦没者等」の「等」に含まれるものとして公務死としての恩給・遺族年金等の対象でもあります。 (289 864) 終戦後の自決者は568人という数字があります。 ただしこれは内外地まとめた下士官なども含む数字です。 また、資料によって誤差があるそうです。 (289 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 大東亜戦争で「公務死」とされた民間人は国家補償や遺族年金に相当するものは支給されたのでしょうか。 ひめゆり部隊や対馬丸学童、真岡郵便局交換手などは公務死ということで靖国神社に祭られていますが、 彼らのほか、従軍記者や消防団員・看護婦などはどうなんでしょう? 「戦傷病者戦没者遺族等援護法」に規定する軍属・準軍属と認定される者については、 軍人と同様に弔慰金・遺族年金の支給対象となります。 その他の戦没者等の三親等以内の親族に給付された、「戦没者等の遺族に対する特別弔慰金」。 ちなみに支給時期と額は、 S40 3万円(通称・特別弔慰金い号) S50 20万円(通称・第2回特別弔慰金) S60 30万円(通称・第4回特別弔慰金) H7 40万円(通称・第6回特別弔慰金) H17 40万円(通称・第8回特別弔慰金) となっており、このほか各回の支給時点で年金権者がいたために対象とならなかったが その後に死亡等で年金権者が失権した戦没者の遺族との均衡をはかるため、 S47 3万円(通称・特別弔慰金ろ号) S54 12万円(通称・第3回特別弔慰金) H1 18万円(通称・第5回特別弔慰金) H11 24万円(通称・第7回特別弔慰金) の特例給付がある。 本則の特別弔慰金(い号及び偶数回)は10年償還の国債をもって給付される。 特例給付のほうは、ろ号特弔は10年償還の国債、奇数回のは前回の本則の特弔の 償還期限とあわせた年数(6年償還)の国債をもって給付される。 (288 373) 戦後、陸自に配備されたM4A3E8の中には、太平洋や欧州で実戦使用された中古品も混じっていたのですか? 新品は1953年当時、もうありませんから、既にデポに置かれたものになります。 でもって、その中古品は、太平洋で実戦使用されたものも供与されています。 (281 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日本海軍の潜水艦は終戦の後、海に沈められて処分されたと聞きましたが、どうして鉄をリサイクルしなかったんでしょうか? おそらく連合軍の指示によって潜水艦を処分するために行なわれたものと思います。 ドイツでも同様に捕獲したU-boat100隻以上を「オペレーション・デッドライト」と呼ばれた 計画により北アイルランド沖で45年末~46年にかけて順次海没処分に付しています。 (101 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) スクラップの鉄を溶かすには強力な燃焼力を持ったコークスが必要です。 その産地は海外であり、日本には低質な常磐炭、北海道炭しかありません。 これらは火力が弱く、鉄を溶かすために必要な温度を得るのに多量の石炭が 必要です。 戦後は、その石炭の輸送さえ、機雷封鎖と空襲などによる輸送網の寸断でまま なりませんでした。 加えて、鉄を生産する製鉄所にしても、最大手の日本製鐵(今の新日鐵)の釜石、 室蘭は敗戦直前の艦砲射撃により、壊滅的な打撃を受けており、八幡も空襲で 被災し、広畑は石炭が無くて、1946年までに二基の高炉を休転させており、事実上 大規模な製鉄が出来る状態にありませんでした。 加えて、占領軍の方針で、日本には工業関係の設備を残さないということになっており、 それらの設備は殆ど賠償対象になっていたりします。 沈没したり着底した鑑定が引揚げられ解体されるのは、世の中も落ち着いた1950年代に 入ってからです。 航行に支障がない限り放置されていますね。 (101 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 敗戦後に解体された旧軍に変わって設立された第一、第二復員省の旧軍人はどのような身分だったのでしょうか? 武官に関しては、例えば陸軍省が廃止される際には、全員を予備役編入扱いとして、 第一復員省に引き続き勤務する者は、1945年12月1日付で召集という形式を踏んで います。 そして、第一復員省が廃止されると復員と言うことになっており、つまりは、軍人の 身分のままと言えます。 これは第二復員省でも同じです。 (278 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 大戦後、戦災復興のためにアメリカは日本にいくら投資したのでしょうか? 援助金か貸付かとかソースも教えていただけると幸いです。 ttp //milk.asm.ne.jp/rekishi/1946.htm 第二次世界大戦後の米政府による占領地域救済政府基金 (GARIOA:Government and Relief in Occupied Areas) 米国軍事予算の一部を使って、旧敵国を支援するために設立された。 1946年から51年にかけて、約6年間にわたり日本が受けたガリオア・エロア援助の総額は、約18億ドルであり、 そのうちの13億ドルは無償援助(贈与)であった。 現在の価値に換算すれば、約12兆円(無償は9.5兆円)となる膨大な 援助であった。 エロア資金 占領地経済復興資金(EROA:Economic Rehabilitation in Occupied Areas) ttp //www1.odn.ne.jp/~aal99510/garioa_eroa.htm ガリオア=アメリカ合衆国予算法の一項目の占領地行政のための資金。 エロア=上記の支出項目に追加された占領地経済復興資金。 昭和20年~昭和25年にかけて日本に供与された。 総額は20億ドル弱(食糧・工業原料・機械等) 昭和28年の池田・ロバートソン会談で、合衆国の強硬な返済要求により、 昭和37年に返済協定調印、4億9000万ドルを15年で返済することとなった。 これは繰上げで昭和48年までに返済された。 合衆国はこの返済資金を対東アジア援助にあてた。 (111 鷂 ◆Kr61cmWkkQ) 敗戦時の日本軍のダイヤモンドや金塊などの貴金属等の資産が元になったというM資金は、根拠があるんでしょうか? ”M”はGHQ経済科学局長マーカット少将の頭文字を取ったというのも定説としてありますね。 GHQが押収した旧軍の資産の流れは日本政府はまったく把握しておらず、 このため当時からさまざまな噂が囁かれていました。 昭和39年に東京・月島の旧陸軍糧秣廠の跡地の掘割から当時の価格で数億円の銀塊が 発見されたのですが、ここら辺から再び旧軍からの押収物資による秘密資金という話が 囁かれるようになり、M資金詐欺が広がる元になります。 有名なM資金詐欺には昭和44年の「全日空大庭社長事件」などがあります。 (275 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 仮に東京裁判において当時の日本の国内法を適用するとしたら、A級戦犯として裁かれた人々は何らかの形で有罪の判決を受ける可能性はあったのでしょうか? 例えば陸軍、海軍刑法などで有罪を宣告されることとなったんでしょうか? 東京裁判とは違う日本の自主的な裁判で有罪の判決を受ける可能性はありました。 日本側にはもともと自主裁判による戦犯処理の構想がありました。 ポツダム宣言の第十条に戦争犯罪人の処罰が明記されていることや、ドイツの ニュルンベルク裁判の開廷に関する情報などから日本でも同様の戦犯処理が 行われるであろう事は予想されていました。 45年9月11日に東條英機などが逮捕されるに至った後、9月13日には重光外相が マッカーサーに自主裁判の申し入れが行われましたが、マッカーサーはこれを 拒否しています。 その後も「バターン死の行進」の責任者であるとされた本間雅春中将の礼遇停止など 自主裁判を行う動きを見せますが、これらはすべて徒労に終わっています。 (273 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 戦中、中島飛行機とかその他色々な飛行機メーカーが日本にもありましたよね?それらは今どうなってしまったのでしょうか? こんな感じ。 三菱航空機 → 西日本重工(水島など) → 三菱造船 → 三菱重工 中日本重工(名古屋など) → 新三菱重工 → 三菱重工 東日本重工(東京など) → 三菱日本重工 → 三菱重工 川崎航空機 → 川崎重工 → 川崎重工 川崎航空機 → 川崎重工 川西航空機 → 明和興業 → 明和自動車(オート三輪) → ダイハツ(倒産により吸収) 新明和工業(バイク、特殊車両) 中島飛行機 → 富士自動車(太田など栃木の機体部門) → 富士重工 富士精密(三鷹など東京の発動機部門) → プリンス自動車 → 日産自動車 立川飛行機 → 立川飛行機(本社工場) 立川飛行機(試作工場) → 東京電気自動車 → たま電気自動車 → たま自動車 → プリンス自動車 → 富士精密 → プリンス自動車 → 日産自動車 昭和 → 昭和飛行機 愛知 → 愛知起業 → 愛知機械工業(日産子会社) (116 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 1つ補足。 九州飛行機 → 九州鉄工 → 渡辺鉄工所 → 渡辺鉄工 もともと九州飛行機自体の設立は、渡辺鉄工が昭和18年に分散改称された もの(もう片方は九州兵器)でして、いわば「元の名前に戻った」状態です。 ちなみに、この渡辺鉄工は現在も魚雷発射管(水上発射管)などを生産して いるとのことです。 (116 ちゃぎ ◆fSfdiYoeFc) 米軍が投下した機雷は戦後すぐ処理できたんでしょうか? 昭和20年8月15日太平洋戦争の終結により、4ヶ月余り続いた関門に対するB-29の機雷攻撃は終止した。 しかし、大量の感応機雷が投下された関門の危険性は持続し、航行が著しく制約された。 海軍は、下関防備隊跡に下関掃海部を置き、掃海隊を所属させて関門の航路再開に努めた。 しかし、米軍の資料によると関門に投下された米軍の機雷は4329個(日本側資料によると4696個)に達し、 これを掃海によって絶滅することは容易ではなかった。昭和20年11月末海軍が解体した以後も掃海部は存続し、 掃海作業が継続された。 米軍投下の感応機雷の命数は順次延長されていた。すなわち、米軍は日本に投下した感応機雷は昭和23年ごろ 感応力を失うと日本政府に通告していたのであるが、5年たっても10年経っても触雷事故が発生するため 米国は順次その命数を延長してきたのである。 http //www.ne.jp/asahi/hayashi/love/kanmon8.htm (265 82) 終戦直後、占領軍が羽田空港周辺の住民に対して48時間以内の退去を命じたことがあったそうですが、 これって国際法的には合法なんでしょうか? とりあえず、戦時中、防火帯建設のために、まともに建っている家に対し、3日以内の 退去を命じ、それに従って無くとも期限が来たら、強制的に家を潰すと言うことが出来て います。 戦時中の関連法規を廃止した訳ではなく(ましてや戦後直ぐの時は)、多分、国内法で 対処可能となるでしょう。 別に国際法上、どうとかと言う話ではないと思いますよ。 (261 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 戦後アメリカは長門を水爆の実験体にしましたが、イギリスなどのほかの連合国に持っていかれた日本海軍の軍艦などはあるでしょうか? ソ連 駆逐艦春月:TSL-64と改名されて、武装をソ連式に改め、1959年まで現役、1965年まで標的艦。 最後は対艦ミサイルの実艦的となって沈没(ちなみに、1959年の状態はレーダーを 魚雷発射管の位置に装備、後部の武装を撤去してヘリコプター発着甲板が設けられ ていた。 他にも、駆逐艦、海防艦、敷設艦初島、駆潜艇28号、輸送艦など結構多数が引き渡されていますが、 引き渡し後の動静は不明。 英国 駆逐艦夏月始め多くの小艦艇が引き渡されましたが、いずれも日本もしくはシンガポールで解体。 敷設艦若鷹のみ、Laburnamと改名され、マレー連邦の海軍義勇予備員の宿泊艦兼練習艦として シンガポールに繋留。 米国 駆逐艦花月のみDD-934のハルナンバーが供され、各種実験に使用されましたが、残りは、長門、 酒匂、伊201、伊203始め各種艦艇は実艦的か解体。 中華民国 駆逐艦波風は1949年に台湾に行き、1960年除籍。 駆逐艦雪風を丹陽と改名して、1959年に武装を米国式に改め、1971年まで使用。 駆逐艦宵月も同様で、1963年除籍。 駆逐艦楓、杉、初芽、蔦は1950~60年代まで現役。 海防艦17隻のうち、8隻は中華人民共和国海軍へ。 砲艦2隻のうち、1隻は中華人民共和国海軍へ。 駆潜艇4隻のうち、2隻が中華人民共和国海軍へ。 掃海艇5隻のうち、3隻が中華人民共和国海軍へ。 河用砲艦10隻のうち、全部が中華人民共和国海軍へ。 二等輸送艦103号は、台湾へ逃れ、1955年に座礁。 敷設艦済州は、1949年に台湾に逃れ、1953年にフリゲートに改造され、1964年除籍。 中華人民共和国 海防艦隠岐は、1953年に武装をソ連式に改め、フリゲートに類別され、南方艦隊に配属。 海防艦四阪は1960~70年代に武装をソ連式に改め、東方艦隊に配属。 丁型海防艦2隻は、東方と北方艦隊に配属。 砲艦橋立は、1950年代に武装をソ連式に改め、東方艦隊に配属。 いずれも、1980年代まで多数が現役でした。 (160 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 4輪自動車がGHQによって禁止されたから3輪自動車なんていう物が走ってた、というのは本当ですか? GHQも四輪車全部の生産禁止をしてはいませんよ。 とは言え占領当初は方針が不明確だったので、トヨタは豊田自動織機の生産再開、北海道稚内で竹輪の生産、 泥鰌の養殖、瀬戸物生産と、コンクリート製プレハブ住宅建設を手がけ、刈谷ではアイロン、電気コンロを作り、 その他の金属生産工場ではスプーン、フォーク、琺瑯鉄器、印刷機械の製作を、工場付属病院でも、神経痛の薬 を作ってみたり。 日産も練炭会社を買収して練炭の製造に進出したり、会社の敷地内にあった木材を焼いて炭にしたり、炭を燃料に、 目の前の海水から塩を作ったり。 GHQは9月25日に、トラックやバスの生産を日産、トヨタなどに認め、生産が再開されています。 日野が手持ち資材を用いて、戦車改造トラクターとか、トレーラートラック、トレーラーバスとかを製作し、トヨタ、日産 などでも戦時急造型トラックを元に生産を始めています。 但し、民間に売られるものは大多数がまだ代燃車でした。 1947年には年産300台で乗用車の生産が認められ、トヨタはSA型を新規開発し、日産は戦前の発展系であるダットサン トラック、次いでダットサンDAの生産を開始しています。 ちなみに、1950年代日銀総裁は、「日本はトラックだけ作っていれば良い、自動車は輸入すればいい」と言っていたり。 とは言え、通産省は日本の輸出産業の一つにするため、通産省主導で外国企業との提携を進めさせ、日産は英国のAustin、 日野がRenault、三菱がWillisとKaiser、いすゞがRootsグループと提携することで、その生産技術を学び取っていきます。 トヨタ、プリンスの場合は、国産技術を基にしていますが、トヨタのエンジンはGMのChevroletそのもの、プリンスは前身の 立川飛行機の傘下にオオタ自動車があったことからその技術が導入され(暫くはオオタ自動車も生きていますが)、富士 精密のエンジンはPeugeotを参考にしています。 他の企業は大抵が三輪車から入って、その延長線上に四輪車(東洋工業とダイハツを除く)に進んでいっていますね。 (234 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 戦後の東南アジア、中国からの軍人の引き上げは何年ぐらいまで行っていたのでしょうか。 東南アジアでは1947年10月頃、中国は1952年頃まで行っています。 前者は、捕虜ではなく、「降伏軍人」という扱いの下、Geneva条約の保護下に置かれず、 現地ゲリラとの戦闘から弾薬輸送に至る国際法違反の仕事に従事した他、英本国の32分の1の賃金(これも1947年6月から 僅かの期間というひどさ)で、各種労働を行わせています。 しかも、米一人1日茶碗2杯強、ビスケット6枚、魚の缶詰5人に1缶で、インド兵の64%のカロリーしか補充されませんでした。 後者も同様に戦闘任務に就いたケースもありますし、満州の陸軍兵士の様に、新生中国の空軍要員養成を行ったケースも あります。 大抵は、すぐに帰れましたが、中には朝鮮戦争に義勇軍の一員として参加した人も居ます。 (228 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 保安隊(自衛隊)発足時に元日本軍軍人は入隊できたのでしょうか? 入隊できる階級と出来ない階級はあったのでしょうか? 共産党員とそのシンパが周りにいる人以外は入隊可能でした。 階級に関しては色々ありまして…警察予備隊の場合…。 例えば、服部卓四郎元陸軍大佐は当初、警察予備隊の総隊総監(参謀総長)に、 同期の西浦進元陸軍大佐が副総隊総監になる予定だったりします。 (民政局の反対で没になりましたが) GHQの内部抗争と、公職追放の影響で、旧軍将校は一人も入れないとか、 逆に入れようとするとかしていましたが、結果的にRidgewayになって、風通しが 良くなり、吉田首相のブレーンだった、辰巳栄一元陸軍中将に内情を調査させて、 とてもじゃないが、現在の状況では戦力にならないことが判明し、1950年12月に 陸士58期生、海兵74期生をまず公職追放解除し、翌年3月より、彼らと陸海軍諸 学校卒業者に「特別募集」が行われ、幹部候補生として採用されました。 1951年8月以降、陸士40期以降、海兵56期以降が追放解除され、中・少佐以下の 幹部に勧誘が掛けられています。 次いで初級幹部として、元大尉、元中尉を採用します。 そして、1952年7月14日に、制服組の中核となる陸士34期~39期、海兵52期の元大佐 が採用されました。 流石に将官クラスは採用出来ませんでしたが、将官クラスはブレーンとして色々部下の 面倒を見ていた様です。 (193 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 敗戦時に戦車や航空機に廃油をかけて燃やす映像をよく見ますが、鍋等の生活必需品に再利用はできなかったんでしょうか? 榛名や伊勢、日向などの戦艦は民需に有効活用されました。 戦車や航空機は一々ばらして再利用するほどコストパフォーマンスが良くなかったと思われ。 かけてる油はガソリンか何かだと思いますが。廃油だと燃えませんよ。 あの行為は進駐してくる米軍に渡らない様に破壊するのが目的なので。別に置き場が無いから燃やして処分してる訳ではありません。 因みに航空用ジュラルミンは一般的なアルミ合金と比較すると特殊なので、スクラップとして引き取った場合の地金としての価値は ほぼゼロだそうです。 (195 748-756) 沈没した戦艦などは引き揚げてその鋼材は有効活用されています。 航空機に関しては、外地の一部(仏印とか中国とかインドネシアなど)では、残置機材を活用 して自軍の装備に組み込んだ例もありました。 但し、航空機に関しては、8月24日18時以降の飛行を禁じる勅令が出され、耐空証明も返上する ことになったため、飛行が出来なくなりました。 更に進駐した米軍の基準によると、日本の基地設備は狭く、そのスペースを拡張するために航空機 を破壊することになり、Bulldozerや焼却処分を行ったので、日本はアンタッチャブルだったものもあり ます。 ちなみに、戦後の軍需工場はその余剰資材を利用して民需転換を図っており、例えば、中島の太田 工場では航空機用ジュラルミンを利用してバスのボディを作ったり、電車の車体を作ったりしていました。 電車の車体については、腐食が激しく、殆ど使用しないうちに廃車となりました。 また、川西の様に、鍋や釜をジュラルミンで作って糊口を凌いだ例もありますし、日野の相模工場の 様に、戦車の車体を利用して、トラクターを作ったり、トレーラーバスを作った例もあります。 (195 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 戦後、復員省に属した日本軍将校たちはどうなったんでしょうか? 戦後、第一、第二復員省に属した元陸海軍将校は、武官ではなく文官となり、少尉の場合、八等官の第一(または 第二)復員官となった。 ところが、文官になったのもつかの間、結果的に復員庁(1946年に機構改革し、第一、第二復員省が整理、縮小 され、統合された)が解体されると、放り出された。 しかも、少尉以上になると、追放令が出ていて、学徒動員でも学校に戻ることは難しかった。 ちなみに、この復員船で問題を起こした場合、軍法会議は無くなってはいたが、その援用で、 第一復員省に第一復員裁判所、第二復員省に第二復員裁判所が設置されており、陸海軍軍法会議法は、 1946年に復員庁が廃止されるまで、有効だった。 この中で一番多かったのが経済事犯(物資の横流し)で、とある海防艦の主計将校担当官が、南大東島に 引揚げ業務で行って大量に砂糖を仕入れてきた時、本人は何の気無しに土産として配ったのを、統制違反 として裁判に掛けられた事件があった。 この時、彼と艦長が罰金刑を受けたのだが、恩恵を受けていた人々のカンパにより、無事罰金を払い終えた りしている。 なお、復員の際、軍人が持っていた軍刀は悉く取り上げられたが、将校の場合、自己調達のため自宅に数本 所持していた場合があり、家に保管していた方は取り上げられることは無かった。 (しょうもない知識を披露するスレ11 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 戦後アメリカは日本の国力をどう評価したの? アメリカ合衆国戦略爆撃調査団報告書より抜粋。 「要するに日本という国は本質的には小国で、輸入原料に依存する産業構造を 持てる貧弱な国であって、あらゆる型の近代的攻撃に対して無防備だった。 手から口への、全くその日暮らしの日本経済には余力というものが無く、緊急 事態に対する術がなかった…その経済は合衆国の半分の強さを持つ敵との 長期戦であっても、支えることが出来なかったのである。」 (泣ける話@軍事板第4章 眠い人 ◆ikaJHtf2)
https://w.atwiki.jp/vocaloidchly/pages/731.html
作詞:m@rk 作曲:m@rk 編曲:m@rk 歌:初音ミク、鏡音レン 翻譯:Fe 被柔軟夢境懷抱 將一切塞住耳朵 隔閡的空氣之中 為明日所觀的世界 尚為引力過強 仍為我們未能飛翔 凝視著沉落逝去的太陽 夜晚來到如隱匿了一切 一面憧憬燈明處 拒絕陰暗的顯露 尚為引力過強 仍為我們尚未飛翔而作想 背後感覺到濡濕的翅膀 像是早晨永不前來而祈禱著 夜晚將我隱藏了一般 說出了應當沉默之事 行經之道自手中零落 如月一般絲綿的模樣 悄悄地將雙眼掩蓋上 尚為引力過強 仍為我們尚未飛翔而作想 不久將變化的濡濕的翅膀 完成義務一般而伸展 如果我的選擇是無意義的 像是明日永不前來而願求著 夜晚隱藏了我 猶如沉眠於此繭中一般 歌名語源「eclosion」,英意「羽化/孵化」、法意「綻放」。 鏡音レン版為ピアプロ獨有、無上傳至ニコニコ。
https://w.atwiki.jp/vocaloidchly/pages/3916.html
作詞:村人P 作曲:村人P 編曲:村人P 歌:初音ミク 翻譯:優米 電波中毒 來聽聽電波中毒患者的無聊的話吧 連彈奏熟練的吉他的聲音都無法作響的這世界 只有數字變得明顯的世界 雖然變得認真了些 拾到你的話語 我的臺詞 卻一句也笑不出來 那就去玩遊戲狩獵史萊姆好了 在名字也不會被叫上的世界中我吮著手指 像個笨蛋 望著顯示器 羡慕地看著你啊 那樣轉著椅子裝著什麼都不知道 深夜裏碎碎念 「真無聊」 電波中毒患者沒有什麼能夠拿出來稱道啊 只有生銹的吉他聲的模糊不清的這個世界 我已經注意到那些 在一無所有毫無意義的世界中即使我打著響指 也沒有變化 只是望著顯示器 羡慕地看著你嗎? 那我想要破壞這些 在深夜中引起爆炸聲也無所謂吧 角落中 彈響已生銹的吉他 我已經習慣了不被任何人注意的世界 像個笨蛋 砸壞顯示器 看著出現裂痕的你啊 一無所有 毫無意義 那似乎也隨遇而安地愉快起來了 電波中毒患者笑著
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光神機-桜火(ライトニングギア-おうか) パック:母なる大地(P) 69303178 効果モンスター 星6/光属性/天使族/攻2400/守1400 このカードは生け贄なしで召喚する事ができる。 この方法で召喚した場合、このカードはエンドフェイズ時に墓地へ送られる。 上級モンスターであり、狭義的除去カード。 戦闘破壊に耐性のない、攻撃力2400までのモンスターを除去できる…と、言い換えられる。 使用後、リビングデッドの呼び声等でデメリット解消の上、攻撃力2400を発揮できる点も魅力。 生贄なしで召喚した場合、そのターン中しか使えないため、最低でも1体は戦闘で破壊したい。 役目を終えた後は、強制転移等で相手に送りつけるか、生贄にすれば有効活用できる。
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作詞:たると 作曲:たると 編曲:たると 歌:鏡音リン 翻譯:唐傘小僧 戀想Rumour(戀想流言) 只是有一點 心懷著期待 真正的願望 你會幫我實現嗎? 稍有些膽怯 心頭小鹿亂撞 想要與傳說中的你 說上幾句話 二人的時光之中 也曾一起歡笑過 在那份回憶褪色之前 想與你再相見 想要傳達給你 無論如何 對你 無論如何 有件事都想告訴你 請打開 這道大門 這樣一來 我便能向前進 一定 到那時 一定 也會想返回原處 那時的二人 直到永遠都會 這樣歡笑著吧 其實知道這是 我的自以為是 你會因此高興吧 逕自如此深信 季節流轉而逝 也留下片片回憶 即便依然回到 一成不變的生活中 我都會銘記於心 直到永遠 偶然間又一次 想起你的話淚水因而流落 無意義的感情 無法從中逃避 差一點肯定馬上 就能傳達給你 來向前進吧 前往你所在的地方 我不會忘記的 一直 從那以後 一直都 珍藏在我的心中 我找到了機會 現在還無法知曉 真相是怎樣 哭泣 偶爾 歡笑 若存在色彩繽紛的世界 那裡肯定就有你在 那美夢的形態 就讓我們一起去找尋吧 彼此不再分離 啟程吧 吶
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文献情報 銀林浩 量の世界―構造主義的分析, 教育文庫〈8〉, 麦書房 (1975). http //www.amazon.co.jp/dp/B000JA2798 内包量 「1あたり量×いくつ分」の発展として「内包量×外延量」と書かれる、内包量について、第3章(98-136頁)に詳しい解説があります。逆内包量、複内包量、外延量的内包量なんてのが出てきます。実用を意識して、線密度、圧力、気圧、塗装濃度、面積密度、人口密度、物質密度、発熱量、熱量密度、時間密度、運転密度、時間単価、交換率(レート)といった様々な分布密度が、取り上げられています。濃度、勾配、速度、流量も、内包量に位置づけられています。 外部リンク 本から学んだ「かけ算の順序」ツアー 第2用法
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阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 目次 第一部 国家と憲法の基礎理論 第一章 国家とその法的把握 第二章 国制と法の理論 第三章 憲法(典)の存在理由とその特性 第四章 立憲主義と法の支配 第五章 立憲主義の展開 第六章 憲法の最高法規性と国法形式 第七章 国民主権と憲法制定権力 第八章 憲法の保障と憲法の変動 第九章 国民代表と選挙制度 第十章 権限・機関の区別(「権力分立」)論 第十一章 議院内閣制 第十ニ章 政党論 第二部 実定憲法理論 第一章 現行憲法制定の法理 第ニ章 憲法前文 第三章 君主・元首・天皇 第四章 戦争の放棄 (以下省略) 巻末資料 人名解説 ※本文途中の【N. B.】とは、「よく注意せよ」(nota bene)の意味であり、多義的に用いられる字句の解説や、ちょっとした注意事項を書き入れた部分となっている。 ■ご意見、情報提供 名前 コメント
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(11以上:リコリス、ゾフィー) ※ベルダインの魔法学院に所属する導師で、古代王国時代の付与魔法に詳しい賢者。 ※ベルダインの宝物鑑定員育成者を兼任していたため、古代王国の品物、特に(冒険者が持ち込むような)魔法の品に関しての論文が有名。 ※代々学者の家系の出で、考古学にも深い知識を持つ。 特に出土物の年代特定に関する研究や検証の論文群は、やや権威主義的なきらいがあるものの、多くの賢者に支持されている。 (15以上:リコリス、ゾフィー) ※2ヶ月前、老衰で死去。 ただしこの情報は、ベルダインから来た旅行者が知っているかいないかという「新しい」情報なので、オランではまだ知らない賢者のほうが多いかもしれない。
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―Data― 名前 マキナ・イクス 職業 魔機師 種族 人間 性別 女 身長 172cm 体重 金属の義手とかあるのでお察し下さい 年齢 不明(見た感じは20代前半) 出身世界 魔術の世界 ―ARMS― Di ferro 右腕『黒鐵』 拳の部分を特殊な金属で作った漆黒の魔道義手。 完全に運動性と強度のみを重視して造られており、無骨なゴツゴツした見た目。 White Flame 左腕『白焔』 焔を操る能力を持つ、純白の魔導義手。 運動性においては黒鐵に劣るが、焔を操る力を持つため、決して劣ることはない。 Eternidad義眼『悠久』 左目の義眼で、すべてのものの速度を半分として世界を見ることが出来る。 全てが半分の世界で普段の4分の3程度の速度で動くことが出来る身体強化もある。 Conviction fuoco incrociato 左腕武装『断罪の十字砲火』 左腕に装着する遠距離武装。 焔を圧縮して撃ち出し、その威力は攻城に使えると揶揄されるレベル。 だが、その威力ゆえ、取り回しが難しく、一度外すと次の砲撃までの力のためがかかる。 その上、連射をしすぎると砲が過熱して使用不可になってしまう。 Slasher punizione 右腕武装『宿罪の斬刑』 右腕用の近接武装。 分かりやすく言うとでかくて重くてよく切れる剣。魔力を通すことで、刀身が伸びる。重さは300kgほど。 Incolore 両腕義手『無色』 透明な見た目が特徴的な繊細な外見の義手。 その見た目に反し強い力を持つ。機能は『視認できない武器を作る』力。 ―Item― ズタ袋 旅行していたため着替とかが入っている。 酒 度数は大分高い。 煙管 愛用の煙管。金属製。 バイク スクラップから修復、改造で魔力で動くようにしたバイク。 ―Skill― 義手に仕込んだ魔法陣で、義手の換装をする スラム街で身につけた戦闘技術 魔機と言う機械と魔法の融合した物を作る技術 ―etc― 両腕の義腕に義眼の美女、常につなぎを着ている、煙管を咥えて紫煙を漂わせている。全身傷だらけでつなぎの隙間から見えるが隠すことはしない。子供に優しく、酒をたしなむ姉御肌。旅行中に道に迷いこの世界に来たが、特に気にすることもなく悠々とそのまま旅行している。女悪魔に工房を貸すのと引換に義手を作ることになった。そのため現在の拠点は宗教都市トリニテである。